カチン、と。乾いた響きをたて、二つの杯に注がれた酒が揺れた。
「乾杯」
「ええ、乾杯」
交わす言葉も早々に、華扇は自分の杯を一息に飲み干した。
ふぅ、と熱い吐息が華扇の口から零れる。対面に座る小町は思わず目を見開いた。
「おいおい、貴女は酒がそこまで強くないだろうに。飛ばすねぇ」
「ふふふ、今日はちょっとした秘策を用意してきました」
そう言って、華扇が懐から取り出したのは小さな巾着袋。口を開けて揺らすと、そこから小豆大の丸薬らしきものが転がり出てきた。
「今朝こしらえてきた特製の仙薬です。効果は酒気の吸収を抑えるもの……さながら今の私は鬼のような酒豪です。ふっふ、これさえあれば、毎度毎度でかい口を叩いてこちらを馬鹿にする馬鹿者死神も一網打尽です……!」
「その死神様が目の前にいるんだが」
「一網打尽ですね……!」
「拳を握らんでいい」
場所は中有の道に店を構える、そこそこ繁盛しているごくごく平凡な居酒屋。まだ日が落ちて間もないというのに、早速酒に呑まれた酔っ払い共が賑やかな喧騒を奏でている。
小町と同様に仕事上がりの死神もいれば、暇をもてあました妖怪が死者と一緒になって酒を飲み交わしている。妖怪は死者を喰えないし、死者も妖怪に喰われる恐れがない。安心して酒を交わせるのだろう。
たまに生きた人間が来る事もあるにはあるのだが。
「人間より美味い料理が出るなら、その必要もないね」
適当に頼んだ料理の数々が卓に並んでいく。
基本的に、中有の道に店を出すものは地獄に落ちた罪人達である。ここの料理人は、確か旧地獄の灼熱地獄を耐え抜いた猛者だっただろうか。ふと視線を向ければ、刺場の向こうの壁には火車の化け猫の肉球印が押された賞状が煌々と掲げられている。遠目にだが見えた言葉は、『お兄さん頑張ったね! 免許皆伝だよ!』。
「この串焼き、火力が違いますね……!」
華扇が唸っていた。
「しかも鳥かい」
「美味しいですよ?」
「おお確かにこりゃ美味い」
いつだか人里の近くで食べた屋台も美味かったが、こちらも中々と小町は思う。
「しっかしまあ、本当に効いてんだね。貴女の作った仙薬とやらは」
「ふふん、私を見くびらない事ですね」
華扇は得意げに胸を逸らし、何度目かわからない杯をくっと傾ける。
「いやはや驚いたよ。本当に前とは別人だね。どうせいつものパターンだろうねぇ、どこまで保つかねぇ……なんて考えながら貴女を観察していたあたいを許しておくれ」
「馬鹿にしました? 今馬鹿にしましたね?」
「そんなそんな、恐れ多い」
小町も負けじと酒を流し込む。すっとした口当たりと、急とした喉越し。熱を帯びた液体が、臓腑に重く落ち込む感覚はやはり心地良い。
「いいでしょう、今夜はとことん飲み負かせてやりましょうか」
「くくっ、大きく出たね。いいよ、やってみるといい」
「ほえ面かかせてやるっ」
なんだかんだで仙人様はすでに酔っ払っているようで。華扇の言葉遣いから、小町はやれやれと察する。
「……まぁ」
面倒なことにさえならなければいいか、と。そう思いながら、もう一度杯を傾けた。
「思っていたんだけどねぇ……」
背中にぐたりとした華扇を背負いながら、小町は我が家への帰路を進む。
変化は唐突であった。
酒が進むにつれて互いの語りは愚痴めいたものに移行していた。小町は仕事の面倒な霊への対応や、おんぼろ船の改修要望が通らないのかんの。華扇からは、地上の誰々はこうで困ったものだ、こいつはこうで修行が足りない。挙句の果てに言った言葉が、
「目の前の死神は、どうしてこうも馬鹿者なのでしょう……」
ときた。まるで千年立ってもわからない哲学への問いかけの様な疑問を、真剣な表情で目の前にいる死神に投げかけるのだ。
「……おいこら」
思わず聞き返してみると、先ほどの言葉がそっくりそのまま返ってきた。すでに正気はない。
――もう、このあたりでいい加減嫌な予感は最高潮に達していたのだ。
間違いない、どっかで必ずドジを踏む。迂闊がくる。確信した。
それでも料理は普通にパクついているし、酒を進める手も当初と変わらず正常運転だったから、このまま終わればいいと思ってた。
「店主、店主ー! 食後の〆に甘い甘い『くりぃむ』の乗った『けぇき』を所望しますよ店主ー! えっ、ない!? 馬鹿なっ、私は作り方を知らないのですよ! そんな私を一体どうやって満足させるというのです!! 今からありがたいお説法を聞かせてあげますので心を入れ換えたのち即座に作りな――」
ええ、完全に誤算でした本当に。
あらかたの料理を食いつくし、華扇は店主に無茶な要求しはじめた。そんな華扇を無視して、さて会計はと小町が席を立った瞬間だった。
無理難題をふっかけていた対面の相方が顔面から突っ伏したのだ。
自由落下速度そのままに墜落した華扇のデコは盛大な音を立て、客も大分まばらになっていた店内の注目を一斉に集めた。
一秒、二秒。華扇は動かなかった。
しばらくして、すぅすぅと小さな寝息が聞こえ始めた。そこで店内からの興味は一斉に失せた。一人、現実を直視したくない小町を残して。
「まったく、この御方という人は」
多少覚悟していたが、こうも不意打ちだと調子が狂う。
とりあえず二人分の会計を終えて、小町は華扇の身体を背負って店を出た。
「案外軽いもんだね、仙人様ってのは」
と、独りごちながら。
以上、これまでのあらましである。
「うーんうーん……」
先ほどまでピクリともしなかったくせに、目を覚ましたのか断続的に苦しげな唸り声が華扇の口から零れている。
歩幅を気持ち分だけ縮める。できるだけ揺れを抑えて、問うてみる。
「気分はどうだい?」
「あたま、いたい……」
「あんだけ盛大に叩きつければねぇ」
ともかく。
「原因は?」
「仙薬はあくまで酒気の吸収を抑えるものですから……仙薬の効果が切れたと同時に、抑えていた酒気が……一斉に吸収されたんじゃないかなー……と」
「やれやれ、とんだ失敗作をこしらえたね」
「うるしゃい……」
「一人で歩けるかい?」
「うーん……無理ぃ……」
「ここから送っていくのも……無理そうだね。やれやれ、世話の掛かる仙人様だ」
「うーんうーん……」
背中に華扇の苦しげなうめき声を聞きながら、小町は確かな足取りで帰路を急いだ。
静かな揺れに、ぼんやりと意識が浮上する。
「あったかぁい……」
誰かに背負われている。密着する背中がやけに温かくて、思わず言葉が漏れた。
「おや、目を覚ましたかい」
聞きなれた声だ。小町だろう。背中の向こうから聞こえてきた声に華扇は安堵を覚える。前に回した両腕を目の前の首に絡める。
「こらこら、うっとおしい」
悪態は聞こえてくるが、振りほどかれる気配はない。なら甘えさせろ。
「やれやれ……」
そこで言葉は途切れ、しばらくの間沈黙が訪れた。
無言の背中はやっぱり温かかった。少しでも気を抜けば再び手放してしまいそうな意識を、文字通りしがみついて必死に堪える。今だけはこの温もりが少し恨めしい。
「大分気分は落ち着いたみたいだね」
落ち着いてなどいない。今もいっぱいいっぱいだ。
「ちょいとあのあたりで一休みするかね」
そうして小町が示したのは、灯の消えている一軒屋だった。誰かが住んでいるのではないだろうか。華扇がぼんやりと思うにも関わらず、小町の背中はずいずいと家屋内へと踏み込む。幸いにも中には誰も居なかった。
旅人のための休憩所のようなものだろうか。それほど中有の道には詳しくない華扇だから、そういうモノもあるのだなと内心で思う。
「やれやれ、人っ子一人背負って歩いたら、なかなかに疲れてしまったよ」
「ひどぉい……」
「ちょっと口を閉じな。これ以上の失言は仙人様の威厳を削るよ」
土間に下ろされた華扇は小町に靴を脱がせてもらう。まだ頭の中で世界は揺れているが、腰を下ろした地面だけは確かだ。ふらふらと危うい上半身は小町が支えてくれている。
「ったく、とんだアマちゃんになっちまったね、そら」
「ふわぁ」
背中に回っていた手に加えて、膝下にも回された手で一息に持ち上げられる。あっという間に抱え上げられた華扇は、為すがままに小町に運ばれる。そうして着陸したのは、柔らかな敷布団の上だった。
ぽすんと、枕が華扇の頭を受け止める。
「ご丁寧なもんだね。助かっている身でアレだけど」
よっ、と。聞こえた声に首を傾ければ、小町が隣に腰を下ろしていた。
「…………あれぇ」
揺れた脳みそから疑問の声が挙がった。
「えっと、小町ぃ……?」
「なんだい」
「あの、そのぉ……」
違和感を覚えたのは、腰を下ろした小町を見た瞬間だった。思わず上半身を起こして、小町と視線の高さを同じにしてマジマジと見やる。揺れる世界が鬱陶しい。ぼんやり眼を擦って、よぉく観察する。
確かに小町だ。背の低い自分からしてみれば羨ましい高い身長、気怠げでぶっきらぼうな男言葉、いつもは乱暴なクセに時たまドキリとするほど繊細な手つき。そう、小町だ。小町、なのだけれど。
「あなたってぇ、女じゃなかったかしらぁ……?」
決定的におかしい。
「やれやれ、いつまで寝ぼけているんだい。よくみな」
「えー……」
もう一度寝ぼけまなこを擦りあげる。世界はいまだ揺れているが、根性でおめめぱっちり。
「いやいや……どう見ても男でしょうよ……」
端正な顔立ちは変わらないが、女というよりは中性的だ。もともと釣り目気味であったし、雰囲気としてみれば十分男に見える。加えて逞しく張った肩がガタイの良さを強調するし、なにより極めつけは。
「あなた、自慢の巨乳はどうしました……」
「男に乳なんてあるものか。気味の悪い事いうね」
「……くっ」
一蹴された。
「馬鹿なことを言うね。夢でも見ているんじゃないかい?」
「いやいや、いやいや……」
否定はするが、それでも目の前に迫った現実が否定を拒む。
あれ、私ですか? 間違ってたのって私のほうですか? ……馬鹿な。
「そんなことよりも、さ」
そう言って、小町の手が華扇の肩に回り込む。
「は、へ?」
「何を驚いているんだい?」
「え、いや……あなたこそ何、を?」
「男と女がベッドの上でやることなんて、一つだけだろう?」
「へ、え…………え」
男と、女。
やること。
ベッドの上。
一つだけ。
「って、え、え!?」
その意味することに思い至った華扇が、唇を戦慄せる。
「緊張するんじゃないよ。肩の力、抜きな」
小町の言葉と一緒に回された手に力が篭る。
「――っ」
力強い。男性特有の逞しさ。これは駄目だ。女の自分なんかに、抵抗できるわけが無いと本能が悟る。
「卑怯とは言わないよ。目の前でそんな無防備な、仙人様が悪い……」
肩を引き寄せられて、残った手で顎を持ち上げられる。視線の先には、中性的に整った小町の顔。真っ直ぐに見つめてくる瞳。駄目だ。そんな目をされては、引き寄せられてしまう。
「いけない子だね。おいたをした華扇には、お仕置きが必要だ。だろう?」
ゆっくりと押し倒される。酒気に屈している華扇の身体は、わけもなく背中からふとんに落ちた。じっとした小町の瞳が覆いかぶさる。
「駄目、小町……」
「いいや、駄目じゃない」
「そんな、なんで……」
「言ったろう? これはお仕置きさ。修行不足だよ、華扇」
名前で呼ぶな。呼んでくれるな。名前で呼ばれるだけで、何もかもが引っ込む。
「駄目……強引です……」
「あいにく、少しくらい強引でないとお堅い仙人様は揺らがないんだ」
そういって、小町の顔が影に完全に隠れた。吐息だけが感じられる。徐々に目の前に迫ってくる。華扇は爆発しそうな鼓動を必死に押し殺して、来るその時をじっと待った。
「さぁ、精一杯揺らいでおくれ、華扇……」
唇に柔らかな感触が、押し付けられた。
「……ふああああぁ!?」
突き上げた両手が空を切った。空ぶった腕に引かれて一瞬上半身が重力を跳ね除けるが、すぐさまぽすんと落下した。そこで一秒、二秒と静止して。
「…………へぁ?」
見開いた瞳がぼんやりと見上げた先には木目の天井板がある。初めて見る景色だ。
霞ががった意識のまま、むくりと上半身を起こした。はだけた襦袢の胸元からひんやりとした空気が身体をなぞる。ひとつ身震いをして、これは自分のものではないなぁと回らぬ頭で朧気に思う。
廻らせた視線の先に、自分の衣類がたたまれていた。見慣れた自身の所有物に反応して、ほとんど無意識にのそりのそりと近づき、手に取る。
「へたくそな畳み方ですねぇ……」
そんな台詞が零れた。これはあれだ、子供が母親の手伝いを買って出て、たたみ方も知らないくせに張り切った結果とか、そんな感じだ。
「にしてもここは……」
再び視線をめぐらせる。畳敷きの六畳一間。自分が寝かされていたらしい、部屋の中央を陣取る布団。枕元に置かれた行灯、水差し。部屋の隅には膝丈程度の机がある。机の上には数冊の書物と、刃物の手入れ道具一式が乱雑に散らばっている。うん、人柄がよくわかる。
そして壁に掛かった、見慣れた衣服。ああ知っている。よく知っている。どこぞの馬鹿者が一張羅として身に着けている、死神の制服だ。
「小町の、部屋」
呟いた瞬間、強烈な鈍痛が頭の芯に突き立った。うわあぁ、と崩れ落ちる。
「くっ……これは、先日の……っ」
いとも容易く痛みに屈した華扇は、這って来た後を引き返して、布団の中に包まる。
これは厳しい。なんという衝撃的二日酔い。今まで少量の酒で潰れてきた華扇だからこそ、この未知なる領域には手も足も出そうに無かった。
楽になりたい一心で水差しに手を伸ばし、杯に注いで一息に呷るが、文字通り焼け石に水だ。ちっとも楽になりゃしない。
「予想以上の、後遺症……!」
静まれ、静まれい。華扇は念仏を唱えるように、ぐっと布団を抱きしめた。
「うぅ~…………ん、んぅ」
すると、何かが華扇の意識に引っかかった。これは、なんだったか。
鈍痛はいまも絶好調に華扇の脳内を蝕んでいる。その重く痺れる辛さの中において、ゆっくりと解きほぐすような何かがじわりと広がって。
「ああ」
におい、だ。
安堵するのだ、このにおいは。何かに例えられるような、これといった明確なにおいなどないくせに、ただ無性に落ち着く。一気に吸い込むと頭に響くので、ゆっくりと咀嚼するように飲み込む。それでも、幾分か楽になった気がするのは気のせいだろうか。
どこかで嗅いだ気がする。それも至近距離で、胸一杯に。
いつのことだったろうか。遠い遥か昔かもしれないし、昨日かもしれない。
――昨日、昨日か。
「くっ、負けて……しまいましたね。改良が……必要です……!」
昨日の雪辱を思い出す。会計を済ませた覚えが無いので、そこでダウンしたのだろう。所詮は酒気の吸収を抑えるだけか。蓄積された酒気が後になって一気に襲い掛かってくるのでは意味が無い。まるで無いではないか。悔しいが、迂闊だった。
元を断つ必要がある。分解だ。もしくは浄化。滅殺、フュージョン……!
「次こそは、必ず……づぅ!」
鈍った思考が華扇の闘争心を熱く滾らせたが、鈍痛が横合いから地獄突きで揺らしてきた。
「いた、いたぁ……」
しおしおと、布団の中に納まる。
ああ、なんと、なんと無様な。こんな姿を誰かに見られたらどうしよう、どうしてくれよう。記憶を消す必要がある。この醜態を網膜に焼き付かせたままのさばらせてなるものか。殴って駄目なら仙薬だ。無ければ新たな調合を完成させて見せる。なぁに、自分は仙人なのだ。アイツもそう言っていたではないか。そう、なせばなる、茨華仙は仙人様。
……ああ、自分は今何を考えているのだ。
「だめ、らめぇ……」
とにかく精神安定にと枕に顔面をうずめて、華扇は再び眠りに落ちようと目蓋を落とした。
一方。ところ是非曲直庁において。
「眠そうね、小町」
「いやぁ、宿を貸した客人に布団を占拠されまして。その上、うなされてやれ水だやれ暑いと駄々を捏ねるものだから世話が焼ける。ところで四季様」
「なんですか」
「あたいって、どう見ても男ですかね」
「馬鹿なことを言わないの」
「ですよねー」
「乾杯」
「ええ、乾杯」
交わす言葉も早々に、華扇は自分の杯を一息に飲み干した。
ふぅ、と熱い吐息が華扇の口から零れる。対面に座る小町は思わず目を見開いた。
「おいおい、貴女は酒がそこまで強くないだろうに。飛ばすねぇ」
「ふふふ、今日はちょっとした秘策を用意してきました」
そう言って、華扇が懐から取り出したのは小さな巾着袋。口を開けて揺らすと、そこから小豆大の丸薬らしきものが転がり出てきた。
「今朝こしらえてきた特製の仙薬です。効果は酒気の吸収を抑えるもの……さながら今の私は鬼のような酒豪です。ふっふ、これさえあれば、毎度毎度でかい口を叩いてこちらを馬鹿にする馬鹿者死神も一網打尽です……!」
「その死神様が目の前にいるんだが」
「一網打尽ですね……!」
「拳を握らんでいい」
場所は中有の道に店を構える、そこそこ繁盛しているごくごく平凡な居酒屋。まだ日が落ちて間もないというのに、早速酒に呑まれた酔っ払い共が賑やかな喧騒を奏でている。
小町と同様に仕事上がりの死神もいれば、暇をもてあました妖怪が死者と一緒になって酒を飲み交わしている。妖怪は死者を喰えないし、死者も妖怪に喰われる恐れがない。安心して酒を交わせるのだろう。
たまに生きた人間が来る事もあるにはあるのだが。
「人間より美味い料理が出るなら、その必要もないね」
適当に頼んだ料理の数々が卓に並んでいく。
基本的に、中有の道に店を出すものは地獄に落ちた罪人達である。ここの料理人は、確か旧地獄の灼熱地獄を耐え抜いた猛者だっただろうか。ふと視線を向ければ、刺場の向こうの壁には火車の化け猫の肉球印が押された賞状が煌々と掲げられている。遠目にだが見えた言葉は、『お兄さん頑張ったね! 免許皆伝だよ!』。
「この串焼き、火力が違いますね……!」
華扇が唸っていた。
「しかも鳥かい」
「美味しいですよ?」
「おお確かにこりゃ美味い」
いつだか人里の近くで食べた屋台も美味かったが、こちらも中々と小町は思う。
「しっかしまあ、本当に効いてんだね。貴女の作った仙薬とやらは」
「ふふん、私を見くびらない事ですね」
華扇は得意げに胸を逸らし、何度目かわからない杯をくっと傾ける。
「いやはや驚いたよ。本当に前とは別人だね。どうせいつものパターンだろうねぇ、どこまで保つかねぇ……なんて考えながら貴女を観察していたあたいを許しておくれ」
「馬鹿にしました? 今馬鹿にしましたね?」
「そんなそんな、恐れ多い」
小町も負けじと酒を流し込む。すっとした口当たりと、急とした喉越し。熱を帯びた液体が、臓腑に重く落ち込む感覚はやはり心地良い。
「いいでしょう、今夜はとことん飲み負かせてやりましょうか」
「くくっ、大きく出たね。いいよ、やってみるといい」
「ほえ面かかせてやるっ」
なんだかんだで仙人様はすでに酔っ払っているようで。華扇の言葉遣いから、小町はやれやれと察する。
「……まぁ」
面倒なことにさえならなければいいか、と。そう思いながら、もう一度杯を傾けた。
「思っていたんだけどねぇ……」
背中にぐたりとした華扇を背負いながら、小町は我が家への帰路を進む。
変化は唐突であった。
酒が進むにつれて互いの語りは愚痴めいたものに移行していた。小町は仕事の面倒な霊への対応や、おんぼろ船の改修要望が通らないのかんの。華扇からは、地上の誰々はこうで困ったものだ、こいつはこうで修行が足りない。挙句の果てに言った言葉が、
「目の前の死神は、どうしてこうも馬鹿者なのでしょう……」
ときた。まるで千年立ってもわからない哲学への問いかけの様な疑問を、真剣な表情で目の前にいる死神に投げかけるのだ。
「……おいこら」
思わず聞き返してみると、先ほどの言葉がそっくりそのまま返ってきた。すでに正気はない。
――もう、このあたりでいい加減嫌な予感は最高潮に達していたのだ。
間違いない、どっかで必ずドジを踏む。迂闊がくる。確信した。
それでも料理は普通にパクついているし、酒を進める手も当初と変わらず正常運転だったから、このまま終わればいいと思ってた。
「店主、店主ー! 食後の〆に甘い甘い『くりぃむ』の乗った『けぇき』を所望しますよ店主ー! えっ、ない!? 馬鹿なっ、私は作り方を知らないのですよ! そんな私を一体どうやって満足させるというのです!! 今からありがたいお説法を聞かせてあげますので心を入れ換えたのち即座に作りな――」
ええ、完全に誤算でした本当に。
あらかたの料理を食いつくし、華扇は店主に無茶な要求しはじめた。そんな華扇を無視して、さて会計はと小町が席を立った瞬間だった。
無理難題をふっかけていた対面の相方が顔面から突っ伏したのだ。
自由落下速度そのままに墜落した華扇のデコは盛大な音を立て、客も大分まばらになっていた店内の注目を一斉に集めた。
一秒、二秒。華扇は動かなかった。
しばらくして、すぅすぅと小さな寝息が聞こえ始めた。そこで店内からの興味は一斉に失せた。一人、現実を直視したくない小町を残して。
「まったく、この御方という人は」
多少覚悟していたが、こうも不意打ちだと調子が狂う。
とりあえず二人分の会計を終えて、小町は華扇の身体を背負って店を出た。
「案外軽いもんだね、仙人様ってのは」
と、独りごちながら。
以上、これまでのあらましである。
「うーんうーん……」
先ほどまでピクリともしなかったくせに、目を覚ましたのか断続的に苦しげな唸り声が華扇の口から零れている。
歩幅を気持ち分だけ縮める。できるだけ揺れを抑えて、問うてみる。
「気分はどうだい?」
「あたま、いたい……」
「あんだけ盛大に叩きつければねぇ」
ともかく。
「原因は?」
「仙薬はあくまで酒気の吸収を抑えるものですから……仙薬の効果が切れたと同時に、抑えていた酒気が……一斉に吸収されたんじゃないかなー……と」
「やれやれ、とんだ失敗作をこしらえたね」
「うるしゃい……」
「一人で歩けるかい?」
「うーん……無理ぃ……」
「ここから送っていくのも……無理そうだね。やれやれ、世話の掛かる仙人様だ」
「うーんうーん……」
背中に華扇の苦しげなうめき声を聞きながら、小町は確かな足取りで帰路を急いだ。
静かな揺れに、ぼんやりと意識が浮上する。
「あったかぁい……」
誰かに背負われている。密着する背中がやけに温かくて、思わず言葉が漏れた。
「おや、目を覚ましたかい」
聞きなれた声だ。小町だろう。背中の向こうから聞こえてきた声に華扇は安堵を覚える。前に回した両腕を目の前の首に絡める。
「こらこら、うっとおしい」
悪態は聞こえてくるが、振りほどかれる気配はない。なら甘えさせろ。
「やれやれ……」
そこで言葉は途切れ、しばらくの間沈黙が訪れた。
無言の背中はやっぱり温かかった。少しでも気を抜けば再び手放してしまいそうな意識を、文字通りしがみついて必死に堪える。今だけはこの温もりが少し恨めしい。
「大分気分は落ち着いたみたいだね」
落ち着いてなどいない。今もいっぱいいっぱいだ。
「ちょいとあのあたりで一休みするかね」
そうして小町が示したのは、灯の消えている一軒屋だった。誰かが住んでいるのではないだろうか。華扇がぼんやりと思うにも関わらず、小町の背中はずいずいと家屋内へと踏み込む。幸いにも中には誰も居なかった。
旅人のための休憩所のようなものだろうか。それほど中有の道には詳しくない華扇だから、そういうモノもあるのだなと内心で思う。
「やれやれ、人っ子一人背負って歩いたら、なかなかに疲れてしまったよ」
「ひどぉい……」
「ちょっと口を閉じな。これ以上の失言は仙人様の威厳を削るよ」
土間に下ろされた華扇は小町に靴を脱がせてもらう。まだ頭の中で世界は揺れているが、腰を下ろした地面だけは確かだ。ふらふらと危うい上半身は小町が支えてくれている。
「ったく、とんだアマちゃんになっちまったね、そら」
「ふわぁ」
背中に回っていた手に加えて、膝下にも回された手で一息に持ち上げられる。あっという間に抱え上げられた華扇は、為すがままに小町に運ばれる。そうして着陸したのは、柔らかな敷布団の上だった。
ぽすんと、枕が華扇の頭を受け止める。
「ご丁寧なもんだね。助かっている身でアレだけど」
よっ、と。聞こえた声に首を傾ければ、小町が隣に腰を下ろしていた。
「…………あれぇ」
揺れた脳みそから疑問の声が挙がった。
「えっと、小町ぃ……?」
「なんだい」
「あの、そのぉ……」
違和感を覚えたのは、腰を下ろした小町を見た瞬間だった。思わず上半身を起こして、小町と視線の高さを同じにしてマジマジと見やる。揺れる世界が鬱陶しい。ぼんやり眼を擦って、よぉく観察する。
確かに小町だ。背の低い自分からしてみれば羨ましい高い身長、気怠げでぶっきらぼうな男言葉、いつもは乱暴なクセに時たまドキリとするほど繊細な手つき。そう、小町だ。小町、なのだけれど。
「あなたってぇ、女じゃなかったかしらぁ……?」
決定的におかしい。
「やれやれ、いつまで寝ぼけているんだい。よくみな」
「えー……」
もう一度寝ぼけまなこを擦りあげる。世界はいまだ揺れているが、根性でおめめぱっちり。
「いやいや……どう見ても男でしょうよ……」
端正な顔立ちは変わらないが、女というよりは中性的だ。もともと釣り目気味であったし、雰囲気としてみれば十分男に見える。加えて逞しく張った肩がガタイの良さを強調するし、なにより極めつけは。
「あなた、自慢の巨乳はどうしました……」
「男に乳なんてあるものか。気味の悪い事いうね」
「……くっ」
一蹴された。
「馬鹿なことを言うね。夢でも見ているんじゃないかい?」
「いやいや、いやいや……」
否定はするが、それでも目の前に迫った現実が否定を拒む。
あれ、私ですか? 間違ってたのって私のほうですか? ……馬鹿な。
「そんなことよりも、さ」
そう言って、小町の手が華扇の肩に回り込む。
「は、へ?」
「何を驚いているんだい?」
「え、いや……あなたこそ何、を?」
「男と女がベッドの上でやることなんて、一つだけだろう?」
「へ、え…………え」
男と、女。
やること。
ベッドの上。
一つだけ。
「って、え、え!?」
その意味することに思い至った華扇が、唇を戦慄せる。
「緊張するんじゃないよ。肩の力、抜きな」
小町の言葉と一緒に回された手に力が篭る。
「――っ」
力強い。男性特有の逞しさ。これは駄目だ。女の自分なんかに、抵抗できるわけが無いと本能が悟る。
「卑怯とは言わないよ。目の前でそんな無防備な、仙人様が悪い……」
肩を引き寄せられて、残った手で顎を持ち上げられる。視線の先には、中性的に整った小町の顔。真っ直ぐに見つめてくる瞳。駄目だ。そんな目をされては、引き寄せられてしまう。
「いけない子だね。おいたをした華扇には、お仕置きが必要だ。だろう?」
ゆっくりと押し倒される。酒気に屈している華扇の身体は、わけもなく背中からふとんに落ちた。じっとした小町の瞳が覆いかぶさる。
「駄目、小町……」
「いいや、駄目じゃない」
「そんな、なんで……」
「言ったろう? これはお仕置きさ。修行不足だよ、華扇」
名前で呼ぶな。呼んでくれるな。名前で呼ばれるだけで、何もかもが引っ込む。
「駄目……強引です……」
「あいにく、少しくらい強引でないとお堅い仙人様は揺らがないんだ」
そういって、小町の顔が影に完全に隠れた。吐息だけが感じられる。徐々に目の前に迫ってくる。華扇は爆発しそうな鼓動を必死に押し殺して、来るその時をじっと待った。
「さぁ、精一杯揺らいでおくれ、華扇……」
唇に柔らかな感触が、押し付けられた。
「……ふああああぁ!?」
突き上げた両手が空を切った。空ぶった腕に引かれて一瞬上半身が重力を跳ね除けるが、すぐさまぽすんと落下した。そこで一秒、二秒と静止して。
「…………へぁ?」
見開いた瞳がぼんやりと見上げた先には木目の天井板がある。初めて見る景色だ。
霞ががった意識のまま、むくりと上半身を起こした。はだけた襦袢の胸元からひんやりとした空気が身体をなぞる。ひとつ身震いをして、これは自分のものではないなぁと回らぬ頭で朧気に思う。
廻らせた視線の先に、自分の衣類がたたまれていた。見慣れた自身の所有物に反応して、ほとんど無意識にのそりのそりと近づき、手に取る。
「へたくそな畳み方ですねぇ……」
そんな台詞が零れた。これはあれだ、子供が母親の手伝いを買って出て、たたみ方も知らないくせに張り切った結果とか、そんな感じだ。
「にしてもここは……」
再び視線をめぐらせる。畳敷きの六畳一間。自分が寝かされていたらしい、部屋の中央を陣取る布団。枕元に置かれた行灯、水差し。部屋の隅には膝丈程度の机がある。机の上には数冊の書物と、刃物の手入れ道具一式が乱雑に散らばっている。うん、人柄がよくわかる。
そして壁に掛かった、見慣れた衣服。ああ知っている。よく知っている。どこぞの馬鹿者が一張羅として身に着けている、死神の制服だ。
「小町の、部屋」
呟いた瞬間、強烈な鈍痛が頭の芯に突き立った。うわあぁ、と崩れ落ちる。
「くっ……これは、先日の……っ」
いとも容易く痛みに屈した華扇は、這って来た後を引き返して、布団の中に包まる。
これは厳しい。なんという衝撃的二日酔い。今まで少量の酒で潰れてきた華扇だからこそ、この未知なる領域には手も足も出そうに無かった。
楽になりたい一心で水差しに手を伸ばし、杯に注いで一息に呷るが、文字通り焼け石に水だ。ちっとも楽になりゃしない。
「予想以上の、後遺症……!」
静まれ、静まれい。華扇は念仏を唱えるように、ぐっと布団を抱きしめた。
「うぅ~…………ん、んぅ」
すると、何かが華扇の意識に引っかかった。これは、なんだったか。
鈍痛はいまも絶好調に華扇の脳内を蝕んでいる。その重く痺れる辛さの中において、ゆっくりと解きほぐすような何かがじわりと広がって。
「ああ」
におい、だ。
安堵するのだ、このにおいは。何かに例えられるような、これといった明確なにおいなどないくせに、ただ無性に落ち着く。一気に吸い込むと頭に響くので、ゆっくりと咀嚼するように飲み込む。それでも、幾分か楽になった気がするのは気のせいだろうか。
どこかで嗅いだ気がする。それも至近距離で、胸一杯に。
いつのことだったろうか。遠い遥か昔かもしれないし、昨日かもしれない。
――昨日、昨日か。
「くっ、負けて……しまいましたね。改良が……必要です……!」
昨日の雪辱を思い出す。会計を済ませた覚えが無いので、そこでダウンしたのだろう。所詮は酒気の吸収を抑えるだけか。蓄積された酒気が後になって一気に襲い掛かってくるのでは意味が無い。まるで無いではないか。悔しいが、迂闊だった。
元を断つ必要がある。分解だ。もしくは浄化。滅殺、フュージョン……!
「次こそは、必ず……づぅ!」
鈍った思考が華扇の闘争心を熱く滾らせたが、鈍痛が横合いから地獄突きで揺らしてきた。
「いた、いたぁ……」
しおしおと、布団の中に納まる。
ああ、なんと、なんと無様な。こんな姿を誰かに見られたらどうしよう、どうしてくれよう。記憶を消す必要がある。この醜態を網膜に焼き付かせたままのさばらせてなるものか。殴って駄目なら仙薬だ。無ければ新たな調合を完成させて見せる。なぁに、自分は仙人なのだ。アイツもそう言っていたではないか。そう、なせばなる、茨華仙は仙人様。
……ああ、自分は今何を考えているのだ。
「だめ、らめぇ……」
とにかく精神安定にと枕に顔面をうずめて、華扇は再び眠りに落ちようと目蓋を落とした。
一方。ところ是非曲直庁において。
「眠そうね、小町」
「いやぁ、宿を貸した客人に布団を占拠されまして。その上、うなされてやれ水だやれ暑いと駄々を捏ねるものだから世話が焼ける。ところで四季様」
「なんですか」
「あたいって、どう見ても男ですかね」
「馬鹿なことを言わないの」
「ですよねー」
体験版ってことは製品版があるってことですね!?
だが真に着目すべきはその過程ではなかろうか
小町と呑む時間を楽しみたいという純な思いから、調子に乗ってしまうところまでこれぞ華扇ちゃんというべき空回りっぷりである
つまり小町への思いが空回っちゃう華扇ちゃんがかわいい
体験版?製品版は?>とりあえず体験版とタイトルにありますが製品版はありません、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。こまかせコメディシリーズのタイトルの元ネタは、大体が非想天則の小町のスキルにちなんでつけているので、まあその、そういう流れなんです!
お持ち帰り>ふと冷静になって読み返したら、なんというか……夢オチになってない、よう、な?
あれー? 健全なこまかせ目指しているのにこれは由々しき自体です。書いている最中は健全真っ盛りのつもりでしたが……真相は読者様のご想像にお任せします。
小町も小町で憎めないですねえ(ニヤニヤ)。
こまかせだ! 結構すきなコンビです。
体験版とは意味深な。