Coolier - 新生・東方創想話

君が呼ぶ、再生の丘で

2013/07/23 14:02:08
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 太陽の光さえ届かない薄暗い地下の部屋の中でずっと考えていた。
 外の世界はきっと楽しい事だらけなんだろうなって。
 私の知らない事が溢れていて、どんな時間をかけても世界の全てを知る事はできなくて、だからずっと新鮮な世界を私に見せてくれるんだって。
 飽きる事のない外の世界は、私に潤いを、そして笑顔を届けてくれるんだろうなって。
 この、狭くて暗い部屋の中でずっと考えていた。
 ――だからこそ、初めて外の世界に出た時はすごく嬉しかったし、これからどんな事が待ってるんだろうって、すごくわくわくした。
 最初はわくわくが鳴りやまなかった。どんな事に対しても、興味が湧いた。
 やっぱり外の世界は楽しいなって思った。
 でも、すぐに興味が削がれていくのに私は気付いてしまった。
 元々吸血鬼の私には外の世界は相容れないものだった。
 外の世界に出るには日傘が必須で自由に動けない。かといって夜に行動しては、世界の楽しさの半分も見つける事ができなかった。
 私の、外の世界への憧れは急激に冷めていった。
 結局、私はこの狭い部屋の中へと落ち着いてしまった。
 それを見て、お姉さまに「腑抜けフランドール。略してランドールね」って笑われた。
 いつもならきゅっとしてどかーん、とするのが常なんだけど、そんな気すら起こらず、鼻でふんって笑っておくだけにした。
 そしたらお姉さまは「な、何よその態度? 私が子供っぽいって言いたいの?」って喚き散らしてたけど、私はずっと無視してた。
 次第に静かになって、元の私の部屋へと戻っていった。
 それからずっと、私はここにいる。
 これからも、ずっと私はここにいるんだろう。
 ――その時はそう思ってた。






「きゃわああぁぁああ~~!!!!」

 突然聞こえてきた叫び声に、私は身体をびくっとさせて起き上がった。
 私が驚いた理由は二つある。
 一つ目はいきなり大きな叫び声が響いて、反射的にびっくりしてしまった事。
 そして、もう一つがちゃんと叫び声として聞こえた事。
 死人はしゃべらない。つまり、外部からの侵入者で、生きてこの地下にたどりついた狂人がいるという事。
 これは先の異変での霊夢と魔理沙以来だった。

「へぇ……」

 私は感嘆のつぶやきを洩らした。
 ドアを開けて、私の前に姿を現す人物はどんな強者、もしくは狂人なんだろう?
 そして、その時はやってきた。
 どたどたどた、と荒々しく地下の階段を駆け下りる音、その後にドアを乱暴に開ける音が響き、その人物が現れたのである。

「はぁ、はぁ、はぁ……
 何なのよ、もうっ。あの駄メイドったら問答無用でナイフを投げつけてくるし……」

 その少女は全身に疲労を浮かべていた。
 思ったより華奢であった、というのが私の第一印象だった。というか、全然強そうに見えない。
 霊夢や魔理沙には強そうな雰囲気を纏っていたけど、この少女にはそれがない。
 私がこの手を握るだけで、簡単に命が散ってしまいそうな――いわゆる弱者の雰囲気しか感じられなかった。

「何の用かしら?」

 できるだけ威圧を込めて言う。
 紅魔館にいる者なら、この私の声だけ身を竦ませる。それは咲夜や、お姉さまだって例外ではない。
 この少女の場合は、私の声を聞いて――笑った。
 未だに全身で呼吸しながらも、私の顔を見て、私の声を聞いて、笑ってみせたのである。

「あなたを助けにきたの。
 さ、一緒にここから逃げ出しましょ」
「は?」

 今度は私が委縮する番であった。
 少女の言う言葉のセリフ全てが意味不明だった。
 私はこの場所に囚われているわけではないし、第一私は逃げたいとも思わない。
 つまり、少女のセリフに答えをつけるなら、全否定である。

「あぁ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。
 私の名前はメディスン=メランコリー。あなたと同じ人形よ。
 加えて、あなたと同じ捨てられた人形でもあるわ」
「意味が分からないわ。
 だって私は人形ではないもの。それに捨てられてもいない。
 今の私は自分の意思でここにいるの」
「……可哀そうに」

 メディスンと名乗った少女がいきなり涙ぐむ。
 私はまったく彼女のペースについていく事ができなかった。

「自分をまだ人形と理解していないのね。
 えぇ、たしかに自分が人形であると理解したくない気持ちは分かるわ。だって私もそうだったもの。
 でもね、ちゃんと人形である事を理解しないとダメなの。なぜなら、人形とそうでないものは違うから。全然違うから」
「いや、私は吸血鬼だから」
「いいえ、人形よ!」

 涙ぐんだと思ったら、次は力強く肯定された。
 ころころと表情が変わる少女は見ていて飽きないものではあるが、理解不能なのは変わらない。

「そうね、あなたが人形である一番の理由を教えてあげる。
 あなたに現実を見せてあげるの。つらいだろうけど、ちゃんと受けとめてね」

 こほん、とわざとらしく咳払いを挟んでから、

「あなたの名前は何?」
「私は――」
「ランドールでしょ?」

 言おうと思ったら遮られた。
 しかもその名前はこの前お姉さまが冗談でつけた方の名前だった。
 腑抜けたフランドールだからランドール。
 全く持って酷いダジャレで、渇いた笑いしか起こらない。

「ランドール。つまりは蘭人形。あなたは蘭の人形だったのよ。
 そして私は鈴蘭の人形。どう? 私とあなたが仲間である事が理解できたでしょ?」
「いや、それは……」

 違うと否定したかったけど、少女のペースに飲み込まれてしまい言葉を吐き出す事ができなかった。
 私が黙っていると、それを肯定の意味に受け取ったらしい。なんとも自分勝手な解釈である。
 私はおもわずため息をついてしまった。

「まぁ、いいわ。いろいろと釈然としない事がありすぎるけど――っていうか理解できた事なんて一つもないけど、この際まとめて置いておく事にするわ。
 あなた……メディスンといったかしら?」
「メディでいいわ」

 にこりと笑って言葉を返される。
 なんというか、私は彼女の笑みが苦手で後ずさりしてしまった。

「……じゃあ、メディ。あなたは私にどんな世界を見せてくれるというの?
 この夢も希望もない世界において、私を満足させられる事ができるの?」

 だから、私はこの部屋に閉じこもったのだ。
 それを他人に打開してもらうなんて都合がよすぎる。
 そんな事は分かっていたはずなのに、本心とは裏腹に言葉が出てしまった。
 無意識に私は外の世界に希望を求めているんだろうか? それを、目の前の少女が叶えてくれると希望を持っているのだろうか?
 だとしたら……私は自分で思っていた以上に楽観的だったのかもしれない。
 いや、この時ばかりは私の無意識の選択が正解だった。

「もちろん! 
 楽しくておかしくて堪らない世界をあなたに見せてあげる。
 私とあなたの二人が出会ったんだもの! それはもう……無敵だよ!!」

 断言された。
 先ほどと同じように異論すら許されない程のメディの自信だった。
 私はそんなメディの態度や言動を見て、少しおかしくなってしまったのかもしれない。
 なぜか笑ってしまっていた。

「ふふふっ……あっはっはっは。
 面白いわね、あなた。すっごく面白い! 久しぶりに他人に興味が持てたわ」
「なら、ランドールはすぐに私を好きになるわ。
 それは絶対に絶対ね♪」
「フランって呼んで。ランドールはなんだかくすっぐたいわ」

 ぎゅっ……、と。
 ふいに手を握られた。
 私の手は破壊の化身で、握ったり握られたりしたら無意識に破壊の力が発動してしまうのにも関わらず、メディは何の躊躇いもなく手を握った。

「えっ……あっ……あれ?」

 私は呆気に取らわれていた。
 メディが壊れてしまうとかそんな心配をする――暇もなかった。
 訳が分からないうちにメディの体温を感じて、考えるよりも先に温もりが身体中を駆け巡り、気付いた時にはすでにメディの手は私から離れていた。

「よろしくね、フラン!」

 たぶんメディは満面の笑みを浮かべていたんだろうと思うけど、私はまともに見る事ができなかった。
 うつむいて、真っ赤になってしまった自分の顔を隠すのに精いっぱいだったから。

「う、うん……」

 なんとかしどろもどろになりながら答えられたのは、それはもう奇跡に近い。

「さぁ、行きましょっ。
 あなたに見せたいものがたくさんあるの」

 と、メディが部屋から一歩踏み出した瞬間だった。
 音もなく、まるで前からその場所にあったように、メディの足元周りに無数のナイフが出現していた。
 言うまでもなく咲夜である。
 メディは「きゃあ!」と叫び声をあげて後ずさりする。

「お戻りください、妹様。
 あなた様に外出許可は出ておりませんゆえに」
「外出許可なんていらないよ、私が行きたいから行くんだもん」

 メディを部屋の中まで後退させて、代わりに私が咲夜の前まで歩み出る。
 咲夜に緊張の色が走ったのが分かった。咲夜はそれを隠そうと必死に無表情を取り繕っているが、私の前まではあまり意味を成さない。
 結局、みんなそうだったのだ。
 お姉さまも咲夜も美鈴も、私と対峙する時はいつも腫れものに触れるみたいに一歩引いた態度をとるのだ。
 私はそれが気に入らなかった。まるで世界から拒絶されていたように感じていた。
 だけど、メディは違った。
 メディは自分から私の元へやってきて、私を連れ出すと宣言してくれた。私に楽しい世界を見せてくれると約束してくれた。
 そして、何よりも、私の手を打算抜きで握ってくれたのだ。
 なにも興味の湧かないこの世界において、唯一メディにだけ興味が湧いたのだ。
 これを邪魔する事はたとえ咲夜であっても許さない。

「どいて、咲夜」
「し、しかし……!!」
「ど・い・て。
 それとも、私の言っている意味が分からない?」

 手をまっすぐ咲夜の目の前に突き出し広げてみせる。
 握れば、咲夜だってなんだって簡単に破壊できる。

「…………」

 無言を貫き通した咲夜の態度は、彼女なりの精一杯の行動だったのだろう。
 時と場合が違えば誉めてあげたかった。
 だが、今はそんな余裕もない。

 ぎゅっ!

 握ったと同時に、咲夜が両目をつぶった。
 ばりんっ! と、地面に突き刺さっていた無数のナイフが一瞬にして砕け散る。
 これは私なりの最終警告であった。
 これ以上邪魔をするのならナイフのように砕け散ってもらう、と。
 どうやら私の意思は咲夜に伝わったようで、咲夜は唇を噛み締めながらも道を開けてくれた。

「メディ、案内してくれるんでしょう? 私を楽しい楽しい世界へと」

 振り返って言うと、茫然としていたメディが瞳をぱちくりとさせた。

「すごい、すごい、すご~い。何、今の? 手品? 魔法?
 蘭の人形ってそんな特技を持っていたのね!」
「いや、蘭の人形じゃないから……」

 やはりメディはただものじゃない。
 私のあの力を目の当たりにしても、態度が一向に変わらない――むしろテンションが上がっているなんて。
 それでこそ、私の興味の対象として相応しいというものだ。

「……フランドール様」

 そこに咲夜の声が響き渡る。

「なに?」

 私は振り向かずに言葉を返した。

「私を止める事はできても、お嬢様を止める事はできません。
 それはどうかお忘れの無きように」
「いつでもどうぞって伝えておいて」

 もう一度力を使おうと思ったけど、止めておいた。






 ☆ ☆ ☆






「うあ~、なにこの場所~! メディが連れてきたかったのって地獄なの?」

 メディに連れてこられたのは一面に向日葵が咲き誇る、私にとっては地獄のような場所であった。
 向日葵という花はとてつもなく恐ろしい花なのである。
 なぜなら、私たち吸血鬼にとって天敵とも言える太陽を正面に浴びられるように花を咲かすからである。
 これはもはやにっくき太陽に忠誠を誓った騎士とも言え、私にしてみたら敵意の対象と十分成り得る。
 とはいえ、私とて空気の読める少女なので、ここでいきなり太陽の化身達を破壊したりしない。
 日傘越しに睨みつけておくだけにしておいた。私ったらなんて慈愛に満ちた天使なんだろう。

「そうだよ、すっごくいい場所でしょ~」
「え、えぇ、そうね。私以外の場所にしてみたらいい場所なんでしょうね」

 先の件により言葉を濁す私。
 だが、メディには別の意味に取られたらしい。

「さすがプライドの高い蘭の花だね! こんな堂々と咲いてる向日葵をライバル視するなんて!!」
「そういう意味じゃないし……。
 ……いや、そういう意味にも取れるのかなぁ?」

 そんな和やかな会話をしている時だった。
 突如背筋にぞくっとした悪寒を感じて、私はおもわず振り向いた。
 緑色の髪をした少女が笑顔でこちらに近づいてきているのが確認できる。
 それだけなのに、私の中の戦闘本能が最大限の警告を鳴らしていた。

「なに……あれ……」

 おもわず呻いていた。
 背筋を嫌な汗が流れるのを感じ、いつの間にか手の平にびっしょりと汗をかいていた。
 こんなプレッシャーを受けたのは初めての経験だった。
 一歩動けば殺される。そんな負のイメージが頭の中で再生される。

「あ、幽香だ~!」

 そんな私とは裏腹に、メディはまるで友人と再会したかのような気軽さで少女に手を振っていた。
 私には到底そんな気分になれなかった。

「久しぶりね、メディ。
 あら? そちらは新しい友達かしら?
……へぇ、メディったらずいぶんとおもしろい友達を連れてきたのね」

 幽香が私を品定めするかのように、私を観察する。
 その間、私は一歩も動けなかった。ごくり、と喉を伝う唾の音がやけに大きく聞こえた。
 すっ――と。幽香が私の頬を撫でる。
 私は幽香と距離を離し、彼女の顔を見やった。

「近づかないで。それ以上近づいたら問答無用であなたを壊す」

 手を前に突き出して威嚇しようとして――そこをメディに止められた。

「駄目だよ、フラン。なんでもかんでも敵扱いしたら。
 あなたがつらい過去を持っているのは分かっているけど、それでもダメ。
 まずは自分から誠意を見せないとね」
「え……でも……」
「言いわけはなし! 幽香にごめんなさいって謝って!!」
「う……うん」

 私という者がメディに圧倒されていた。
 反論できなかったのではなく、有無すら言えなかったのだ。
 破壊の体現者が聞いて呆れる。

「……ごめんなさい」
「声が小さい!」
「ごめんなさいっ!」
「よしっ!」

 あぁ、メディと出会ってからずっとペースが乱されていくような気がする。
 自分で考えなくてもいいのは楽かもしれないけど、相手に全てを決められてしまうというのは思っていたよりずっとしんどい。
 それでも、嫌な気持ちにならないのだから不思議だった。

「私こそごめんなさいね。あなた面白そうだったから、つい試してしまったの」

 そう言った幽香を見て、私は悔しいながらもメディの方が正しかったと知った。
 今の幽香に敵意は全く感じなかった。それどころかこちらに友好すら求めてきている。
 私だって戦わないで済むなら、それに越した事はない。
 私は無理やり作った笑みを幽香に向けた。
 それに気付いた幽香が私に近づく。もう敵意はないのだから、私の背筋が震える事もなかった。
 代わりに幽香から向日葵の匂いが漂ってきた。
 夏の匂いだった。

「一ついい事を教えてあげるわ。
 メディに逆らわない方が身のためよ。あの娘は私よりも強いんだから」
「十分承知の上よ。残念ながらね」

 私と幽香の二人で笑いあう。

「ええ!? なに? なんで二人で笑い合ってるの?
 何か面白い事でもあったの? 私にも教えてよ~」

 小声でしゃべっていたためにメディには聞こえなかったらしい。
 私と幽香はそんなメディのあたふたした様子を見て、また二人でぷっと吹き出してしまった。

「もうっ、二人とも意地悪なんだから~」

 頬を可愛らしく膨らませるメディ。
 私はそんな顔を見ていたら、自分が破壊の化身である事を忘れられそうだった。もしかしたら普通の女の子として生活ができるかもしれない。
 そんな甘い幻想が頭をよぎった。

「自己紹介がまだだったわね。
 私の名前は風見幽香。見ての通り向日葵が大好きで向日葵のように可憐で優雅なお姉さんよ」
「私の名前は――」
「ランドール!! 蘭の人形で、私とおんなじなの!」

 言おうと思ったら、またメディに遮られた。しかもお姉さまのつけたふざけた名前の方。
 もはや訂正する気すら起こらなかった。

「ふぅん、ランドールね……」

 にやにやしながらこちらを見てくる幽香。
 これは絶対に私の正体を分かった上でわざとしている顔だ。
 メディの言う通り幽香は敵ではなかったが、それでも性格の悪い少女なのは間違いなさそうだった。

「あなたに人生の先輩として一つアドバイスを送りましょうか。
 あなたはずいぶんと力に自信があるようだけど、逆はどうかしら?」
「逆?」
「えぇ、弱い事に自信はあるかしら?」
「……意味が分からないんだけど?」

 疑問符を浮かべながら問うが、相変わらず幽香はにやにや顔をしている。

「分かりにくかったかしらね。
 言い換えるのならば……あなたは一番弱いものが何なのか知っているかしら?」
「一番弱いもの? ……人間とか?」
「もっともっと弱いものよ。
 その正体を見つけて守る事ができたらなら、きっと今までよりも楽しい生活が送れるはずよ」

 もう一度問おうとすると、幽香は、質問は受け付けないといった様子で踵を返してしまった。
 代わりにメディへと視線を投げる。

「……幽香って時々ヘンな事言うよね」

 いや、年中ヘンな事しか言わないあなたに言われるセリフじゃないと思う。






 次にメディに連れてこられた場所は鈴蘭畑であった。
 メディが言うにはここが目的地らしい。
 鈴蘭の草丈は三十センチ前後で、先ほどの見上げる程の高さがあった向日葵と比べると、だいぶ迫力には欠ける。
 だが真っ白で名前の通りの鈴に似た花は愛らしく、それが一斉に風でそよぐ姿はさながらオーケストラのようにも見える。
 向日葵が雄大だとすれば、鈴蘭は清楚といったような少女趣味の言葉が似合う。
 皐月の心地いい風と相まって、なんだか気分が和やかになるような気がした。
 私が本来向日葵嫌いというのもあるが、こちらの花畑の方が断然好きになれそうだった。

「どう? どう? どう?」

 相変わらずの有無も言わせぬきらきらとした表情で感想を求めるメディ。
 ここで否定しようものなら、泣き出すか、もしくは鈴蘭の毒性を一斉に開放されそうなのは容易に想像ができた。

「まぁまぁね。私が見てきた花畑の中ではトップ三に入れてもいいくらいかしら?」

 素直に誉めるのは癪だったので、ちょっと意地悪してみる。
 予想通りにメディはその答えに気に入らなかったらしく、頬をぷくっと膨らませた。

「ぶぅ~! いくら蘭の人形だからって他の花を評価できないのはダメだと思う!
 フランって見かけ通りに器の小さい女の子なんだね」
「いや、身長はあなたより上なんだけど」

 一見には私とメディの身長は同じくらいだが、よくよく確認すると私の方が若干高い。
 だが若干であれ勝っているのには間違いない。私とお姉さまのバストを比べて私が勝っているのと同じくらいの意味がある。

「まぁ、フランが意固地になるのも分かるけどね。
 私にはこんな綺麗な鈴蘭畑があるのに、フランには蘭畑がないんだもんね。
 隣の芝は青く見えるってやつでしょ? うんうん、分かる分かる。私、鈴蘭みたいに寛大だから意固地になっちゃうフランの気持ちが分かっちゃう」
「誰もそんな事は言ってないんだけど、それをあなたに言っても無駄だろうから言わないでおくわ」
「でも、安心してフラン!」

 メディの話は自分中心で進む。
 私が会話に参加しようとしても、あまり流れは変わらない。

「そんなフランのために今から蘭畑を作ろうと思います!」
「……嫌だと言ってもやるんでしょ?」
「だんだんと乗り気になってきたね、フラン。やっぱり蘭の事になるとテンション上がってくるんだね」
「なぜ私の言いたい事の一割も伝わらないのか問い質したいところではあるわね」
「フランも乗り気になってきたところで、まずは人里に苗を買いに行きましょう!」

 ぎゅっ、と。
 また無意識に手を握られた。
 心臓がどきどきと高鳴っていくのが自ら感じられる。
 でも、この高揚感はメディに握られて恥ずかしいからなのか、それともメディに振り回されてしんどいからなのか、今の私には分からなかった。
 ただ、悪い感じではない、と思う……いや、思いたい。






 人里には前に外に出ていた時何度か訪れた事があったので、特に新鮮さはなかった。
 ……いや、最初はあったんだっけ?
 店先に並ぶどんな商品にも興味が湧き、「あれ買って」「これ食べたい」とお姉さまを困らせたりもした。
 それがいつの頃からか興味が湧かなくなり、次第に人里に訪れる回数も減っていった。
 メディと来たら何か変わるかも、と少し期待もしたのだが、やはり私の視界が捉える風景には特に変化がなかった。

「そういえば、フランって一人でお買いものした事あるの?」

 そのメディの質問にはさすがの私もかちんと来て、頬を膨らませた。

「馬鹿にしないでほしいわね。
 お買いものくらい一人でできるわ」
「じゃあ、流通してる貨幣の種類を言ってみて」

 いまいちメディの中では私は世間知らずに位置されているらしい。
 それもなんだか癪なので、ここらで覆しておく事にしよう。
 いつも持ち歩いているポシェットから私の財布を取り出す。

「まず、これが一番価値の高いレミリア金貨。
 庶民にはめったに見る事ができない引き籠り気味な貨幣ね」

 お姉さまの顔が彫られた金貨である。カリスマぶってやたらと気取っている表情は、何回見てもどかーんとしたくなる。

「次はフラン銀貨。レミリア金貨と比べて少し価値が下がるのが癪ね。
 ただ一般的に流通してる数が多いのが特徴かしら」

 私の顔が彫られた銀貨なのだが、なぜか寝顔である。しかも私は撮っていいと許可した事もないし、いつ撮られたのかも分からない。

「後はパチュリー銅貨、咲夜紙幣、美鈴銭といったところかしら。
 ここら辺の小銭はあまり使った事がないからよく分からないわ」

 以上で説明を終えて、メディの方を見やる。
 私の豊富な知識にさぞ驚いている事だろうと予想したら、やはりメディはアホみたいに大きな口を開けてぽかんとしていた。
 予想以上にメディには衝撃的な出来事だったらしい。
 私はそれに対して、ふふんと鼻を鳴らして笑ってやった。

「フラン……それ本気で言ってるの?」

 そんな時である。一転心配そうな表情になりながら、メディがこんな事を呟いた。

「何か説明に不備でもあったかしら?」
「……あ、あぁ、そっか! 私の言い方が悪かったんだよね、ごめんね」
「意味も分からないまま謝られるのは、なんだか気分が悪いわ」
「フランの世界はあのお屋敷だったんだもんね。一般的に流通してる貨幣って言われたら、そういうおままごと道具が思い当たっちゃうよね。
 私の説明不足だったわ。ほんとにごめんね」
「だから謝らないで」

 何か、メディと会話が噛み合っていないように感じるのは気のせいだろうか?
 いや、メディの言う事なんて八割近くは意味不明なのだが、この時ばかりは私の言っている事の八割近くが意味不明に取られている気がする。

「……ちょっと待って。メディ、今おままごと道具って言った?
 あなたこそ何を言ってるのよ。これこそが一般社会に流通してる貨幣制度でしょ?
 私、咲夜にこういうお小遣いをもらってたから間違いのはずがないわよ」
「ううん、フラン。何も言わなくてもいいの。
 私は分かってる。あなたの周り全てが敵だとしても、私はいつまでも味方でいてあげるから」
「身に覚えのない同情を受けてる気がするわ!?」

 メディの意味不明な同情は続く。
 しまいには目が潤んで涙を零し始めてきた。
 この娘は、本気で私を心配して、本気で泣いてくれているのだ。
 それは確かに嬉しいのかもしれないが、状況が状況だけに私が頭弱い子に思われていそうで負に落ちない。
 この状況を打開するには何をすればいい? どうすれば、メディの信用を取り戻せる?
 考えろ、考えるんだ。フラン!!
 ……それはとても簡単な事であった。
 私の持っている貨幣を、メディはおままごと道具と称したのがそもそもの原因なのだ。
 ならば、これが実際に使える事を証明してやれば、私の威厳も復活する。

「メディ、見てなさい! 私の言ってる事が正しいかどうか証明してあげる!!」

 私はメディの「あっ……」という制止する声を振りきって店先に駆けだした。
 私がたどりついたのは果物屋である。
 果物一つにレミリア金貨を使うのは少し躊躇いがあったが、ここはメディに威厳を見せるため、あえて差し出す事にした。

「この金貨で、リンゴを一つ頂くわ」

 ……この時の。果物屋のおばちゃんの顔を。私は一生忘れないだろう。
 おばちゃんはメディのように一瞬ぽかん、とした後で、にこやかな笑みを浮かべたのだ。

「ごめんね~、お嬢ちゃん。お買いものはちゃんとママからお金もらってしてね~」
「……そんな馬鹿な!?」

 がらがら、と。
 私の中に築き上げられてきた常識が音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。
 今まで信じてきた全てを否定されたような気がした。
 私は、今まで自分の事を、外には出ないけどお姉さまよりよっぽど常識を踏まえる妹と認識していた。
 しかし、実態はお買いものすら一人でできない見た目相応の幼女であったのだ。
 身体中から力が失われていき、私は立て膝をつく。
 ぽろり、と手から日傘が零れ落ちた。
 この身体に広がる痛みは、太陽を直に浴びているからか、それとも心に広がる喪失感ゆえか。
 私には分からない。分からない。分からない……。
 そんな時、ぽんっとメディに肩を叩かれた。
 その優しさは空腹の時に与えられたパン以上の価値があったと、後の私は宣いたい。
 私は大人の階段を登ったのだ。
 今日の出来事はそういう捉え方をしよう、と私は心に誓った。
 それから後の出来事はあまり覚えていない。
 メディに肩を貸してもらいながら鈴蘭畑に戻り、茫然自失のままにベッドへと入った。
 ランプの光が夜遅くまで部屋を照らし、メディがその光を頼りに何かを書いていたのだが、この時の私にはそれが夢か現か判断できる力は残されていなかった。
 こうして、私とメディの長い一日は終わりを告げたのである。






 次の日の朝。
 それなりに体調を回復させた私は、メディに連れられて家の裏手にある空き地へとやってきた。
 土が程良く耕されているものの、この空き地にはまだ何も咲いていない。
 おそらくここに蘭畑を作ろうとしているのだろう。

「よいしょっと……」

 メディが持ってきたリュックサックを降ろす。
 その中には人里で買ってきたと思われる――私にその記憶がないため――蘭の苗がたくさん入っていた。

「さて、ここに蘭畑を作ろうと思います!
 これでフランも立派な蘭人形になれるよ、よかったね」
「ガーデニングというわけね、それなら任せてちょうだい」

 私は袖まくりをして気合を入れる。
 先日はとある勘違いにより、メディに誠に遺憾な失態を見せてしまったが、今回はそうはいかない。
 ガーデニングといえば、美鈴の手伝いをよくしていた事もあって多少の自信があった。
 ここでメディを見返しておかなければ、また箱入り娘扱いされてしまう。

「おぉっ、さすがフランだね。蘭人形の本領発揮だね」

 メディには違う意味に囚われたが、あまり気にしない。
 私は私のやるべき事をするだけだ。今の私のやるべき事はメディを見返す事。
 何か目的が不純すぎるような気もしたが、私は「うん!」と気合を入れなおすと、さっそく準備を始めた。
 草花を育てるにあたって一番重要な事は日照条件である。
 向日葵はできる限り太陽の光が浴びられる場所に植える、という事は誰でも知っている事であろう。
 対して、蘭は逆に太陽の光が当たらない場所に植える必要がある。
 家の裏手というのは太陽の光を遮りやすく蘭の育成に適しているため、ここを選んだメディはさすがというべきだった。

「太陽よしっ」

 にっくき太陽を日傘越しに睨みつけながら、私は確認する。
 その行動にメディが「うんうん」と満足げにうなずいた。
 先日の失敗があったせいか、私はメディの顔を見て成否を判断しているような気がした。
 なんだかそれは、自分が情けないと認めているようなので、これからはメディの顔を見ずに作業に移る事にした。






 土が予め耕されている上に、そんなに苗の数も少ないために作業は昼過ぎには終わった。
 私は完成した蘭畑を見ながら遅めの昼食を取っていた。

「フラン、なんだかすっごく楽しそう」
「そ、そんな事ないわよっ」

 メディに言われてあわてて否定する。

「私が蘭を育てるぐらいで嬉しく思うはずがないじゃない。
 これは、アレよ。あなたに言われて仕方なく、そう、仕方なく育ててるだけに過ぎないのだから」
「フランったら、正直になればいいのに~」

 茶化してくるのが、なんだか妙に腹立たしかった。
 ここで蘭畑の世話をあえて投げ出すという選択肢もあったのかもしれないが、この時の私はそれを思いつきすらしなかった。
 それはなぜだろうか?
 メディに言われたからやったはずの育成に、妙な親近感が生まれたからであろうか。
 正直に言うと、メディに言われた通り、蘭の育成は楽しかった。それは悔しいが、認める。
 だけど、それだけだった。
 夢中になれたとは言い難い。ましてや、私の空白を埋められたとは言えるはずもない。
 ただの暇つぶしでしか――私の中では、その程度の位置づけにしかならない。
 流れてきた汗を拭う。
 この汗が、私が暇つぶしに支払った代価と言える。
 それなりに楽しかったのだから、この代価は相当であると言え、同時にそれ以上の価値は見出せない。

「……さて、と」

 食後の紅茶を飲み終わり、私は席を立つ。

「あれ、フランどうかした?」
「ここまで作業をしたんだから、最後までやらないとね」
「え? ……それってどういう事?」

 メディの言いたい事が分からなかった。
 私は蘭をここに植えただけに過ぎない。だから、まだ最後の仕上げを行っていないのだ。
 その事くらいメディにはすぐに分かると思ったのだが。

「水やりよ。私はご飯を食べてお腹いっぱいになったのだから、次はこの子たちのお腹を満たしてあげないとね」

 ――メディの顔を見ずに作業を進める。
 これが、後に起こる失敗の伏線となるのだが、この時の私は全く気付いていなかった。

「じょうろはどこにあるかしら? なければ、桶と柄杓でもいいんだけど」
「え、あ……うん、……えっと、じょうろはね……」

 メディの表情の変化に違和感をなかったわけではない。
 いつもの笑顔が少し曇った程度には私も分かっていた。
 それでも、それを無視してしまった。
 メディが家の中から持ってきたじょうろを手に、私は蘭畑の世話に戻る事にした。






 それから幾日か。
 作業は順調に進んでいた。
 害虫を取り除いたり、不要な葉っぱを切り落としたり、土が崩れていたところを直したりもした。
 そして、朝と夕方の二回しっかりと水も蒔いた。
 なのに花が咲かない。
 それどころか、日に日に蘭達に元気がなくなっていくように見えた。
 きっと今はそういう時期なんだろう、と、私は分かっていたのに無理やり自分を納得させるために勝手に思っていた。
 すぐに実行に移せば被害はだいぶ減ったはずだったのに、この時の私は後手に回っていた。
 自分を過信していた。
 私には美鈴の手伝いをしていた実績があるのだから、蘭くらい簡単に咲かせる事ができる、と。全くの根拠のない自信を持っていた。
 それが崩れ去る日もそう遠くはなかった。






 季節は梅雨へと変わっていった。
 連日の雨で気分が憂鬱になっていたところだったが、今日はようやく太陽が差し込む快晴へとなった。
 私は種族柄、雨も晴れも苦手なのだが、同じ天気がずっと続くというのは特に嫌だった。
 そんな事もあって、その日の私は久しぶりに晴れ晴れとした気分で外へと出た。
 一番に向かう場所は蘭畑である。
 毎日様子をうかがっていたせいか、私は無意識に蘭畑へと向かっていた。

「なに……これ……」

 うきうきしていた気分から一転、その光景を見て、私は愕然とした。
 目の前に広がる小さな私の蘭畑。それがみんなやせ細って枯れていた。

「……やっぱりこうなっちゃったんだね」

 遅れてやってきたメディがぽつりとつぶやく。
 私にはメディの言った事が耳には入っていなかった。
 それより、なぜ私の蘭がこうなったのかを知りたかった。

「もしかして……!?」

 頭に閃くものがあり、私は猛然とした勢いで蘭畑に近づき土を掘り始めた。
 美鈴から聞いた事があったから、私は知識として知っていたのだ。
 ただ、それを忘れていただけなのだ。
 だけど、余計に悔しい。私には防ぐ術もあったのに、防ぐ時間もあったのに、防ぐ知識も備えていたのに、何一つ実行しなかったのだから。

「やっぱり寝腐れしてる」

 やせ細った蘭の先、根っこの部分。
 状況は最悪で、自分を自分で叱ってやりたかった。

「蘭を育てるに当たって重要な事が二つあるの」

 メディが語りだす。
 私はそれをどこか遠い世界で聞いていた。

「一つが日照条件。
 フランも分かっていたみたいだったけど、蘭はあまり太陽の光を好まない植物だから日影で育てなければいけない。
 そして、二つ目が水やり。
 蘭は他の植物と比べて水がずっと少なくしなければいけないの。
 フランがしていた朝と夕方の二回の水やりも実はやり過ぎでね、本当は一日一回ペースでよかったんだよ。
 加えて、この連日続く雨。
 これを遮るため、蘭の周りには屋根を作らないといけなかったんだよ」
「全部、私のせい……。
 私がこの子たちを駄目にしちゃったんだわ」

 単純にくやしいと思った。
 蘭ぐらい簡単に育てられるとタカを括っていただけに、くやしさは一層強かった。
 同時に、なんでこんな事もできないんだろう、と自分に腹が立った。
 一人で買い物をする事もできない。
 一人で蘭を育てる事もできない。
 私には何にもできない。
 これだったら、お姉さまに負抜けたランドールって言われた意味も分かる気がする。
 いや、昔の私が優れていたわけでない。私は昔からずっと負抜けたランドールだったのだ。
 手を空へとかざす。
 いつもは忌々しく思っていた太陽が、なんだか今日はずいぶんと遠い存在のように見えた。

「……ねぇ、メディ。お願いがあるの」

 自分一人では何もできない存在だと知る事ができた。
 自分が積み上げてきたと思っていた安っぽいプライドは簡単に崩れ去った。
 だからこそ、私はその行動に自分でも驚く程簡単に移る事ができた。

「蘭の育て方を一から教えてほしいの」

 ひさしぶりにメディの顔をまともに見た気がする。
 私はメディの顔で成否が判定できるから見るのが嫌だったからではなかった。
 メディの顔はいつでも煌めいていたから見るのが嫌だったんだ。
 メディは、少し困惑を浮かべていた。
 ころころと変わるメディの表情。今浮かべている表情もまた、私が初めて見るメディの顔だった。

「一人では何もできない私は嫌だもの。
 私にしかできない事、なんていう大それた事を言う気は毛頭ないわ。
 でも、私にもできる事を見つけてみたいの」
「大丈夫だよ、フラン」

 メディの言葉。それは何気ない一言のはずなのに、私に大きな温もりを与えてくれた。

――もちろん! 楽しくておかしくて堪らない世界をあなたに見せてあげる――

 ふいにメディに言われた言葉を思い出していた。
 楽しくておかしくて堪らない世界――前の私も今の私も、それを望んでいる。

「あなたが望めばなんだってできる。
 フランの願いも、そして私の願いも、あなたなら一人で全部叶えてくれる」






 そこからの私は正に一心不乱だった。
 そこに、昔の吸血鬼の妹としてのプライドは存在しなかった。
 土まみれになりながら、汗びっしょりかきながら、優雅さの欠片もなく、ただただ泥臭く蘭の世話に励んだ。
 昼間はメディに言われた通りに蘭の手入れを行い、夜はメディに借りた蘭の本を読みふけって勉強をした。
 楽しいとか、おもしろいとか、そんな感情は湧かなかった。
 ただただ、蘭を綺麗に咲かせたい。自分でもできる事がある事を証明したい。
 そんな気持ちでいっぱいだった。

 そして、ついにその時が来たのである。






 いつものように朝起きてから蘭の様子を見に行く。
 最近は蘭の成長が楽しみで夜眠れない日もあった。
 なぜか心の中が期待感で溢れていたのだ。今日咲くのかもしれない、いやもしかしたら明日咲くのかも。
 こんなわくわくを感じたのは久しぶりの経験だった。

「……あっ」

 言葉が漏れた。
 次の言葉を紡ごうとして、頭の中で考えてみるものの、何も浮かばなかった。
 私は「あ、あ、あ……」と、意味のない言葉の羅列でしかソレを表現できなかった。

「フラン、今日の蘭の調子はどう?」

 メディに声をかけられて、ようやく私の頭は正常に働きだした。

「咲いた! 咲いたわ! 咲いたのよ!
メディ、見て。私の花よ! 私の花が咲いたわ!
 どう? どう? どう?」

 言ってから、このセリフはメディが初めて鈴蘭畑を見せてくれた時と同じだなぁ、と恥ずかしく思った。
 でも、そんな言葉しか出てこない。
 だけど今なら、なぜそんな言葉しか出てこないか、その理由が簡単に分かった。
 目の前にあるソレは、自分の一生懸命の産物で他の言葉なんか全て不要だったからだ。
 「どう?」と一言だけで、自分の気持ち全てが伝えられる――そんな自信に満ち溢れた言葉であったのだ。

「うん、ようやく一輪の花だね!」

 たった一輪だけ。
 メディの鈴蘭畑に比べたら、その規模は比べるまでもなく狭く、小さい。
 でも、この一輪は私にとっての精一杯の成果だ。
 誰にもこの一輪を笑わせたりなんかしない。

「できたんだよ! 私にも蘭の栽培ができたんだよ!」

 蘭の花は私のようだった。
 太陽の影に隠れた薄暗い場所で、一際目立つ金色の花。
 向日葵が雄大で、鈴蘭が清楚だとしたら、その蘭の花は可憐だ。
 守ってあげたくなる程の小ささで、抱きしめたくなる程の可愛らしさを誇っていた。
 親バカなのかもしれないが、今まで見た事のある花の中でも断トツに美しかった。
 ちょこんと花咲く一輪は、初夏の風に気持ちよさそうに靡いていた。

「私のスーさんに及ばないものの……まぁ及第点ってところよね」
「ふっふ~ん、いいもん。いつの日かメディの鈴蘭畑に負けないようなすっごいのにしてみるんだから」

 その時――。
 ふいに、メディの表情が変わったような気がした。
 寂しげのような儚げのような、でも喜びのような楽しみのような――様々な感情が入り混じったような表情だった。
 私はそんなメディの顔を初めて見た。

「……うん、そうだね。そうなったらきっといいよね」

 そう言ったメディの顔はいつものような笑顔だった。
 だから、私は今見た表情を気のせいだと思う事にした。
 私はそれをごまかす意味でもメディの両手をぎゅっと握った。
 メディは一瞬驚いたけれど、すぐに笑顔になって、私の手を握り返してくれた。
 誰かに手を握られた経験は数少ないけど、自分から手を握った経験はないに等しい。
 無意識にせよ何にせよ、私はメディの手を握れた。
 破壊衝動とか全く考えず、打算なくメディの手を握る事ができたのだ。
 それだけでも、私はここに来た価値があると思っていた。
 私たちは笑いあう。
 昔の私からしてみたら、たかだか蘭が一輪咲いた程度でこんなに表情を露わにする事はなかった。
 だけど、今はそれだけで嬉しい。
 モノクロだった私の世界に、初めて色が入ったような気がした。

 そんな時だった――

「――へぇ、ずいぶんと楽しそうじゃない。
 ねぇ、フラン。私にも楽しみを教えてくれるかしら? あなたがいなくなってから、私は退屈で退屈で堪らないの」

 喜びの中にいた私にとって、その声は私を現実に戻すには十分すぎる程だった。
 忘れかけていた緊張感。私はそれを肌で感じていた。

「……お姉さま」

 振り返ると、やはりと言うべきか、そこにはレミリア=スカーレット――私のお姉さまがいた。
 私はお姉さまの姿を確認しながら、ふいに紅魔館を出る際に咲夜から言われた言葉を思い出した。

『私を止める事はできても、レミリア様を止める事はできません。
 それをどうかお忘れの無きように』

 忘れていたわけではなかった。いや、忘れようとしても忘れられるはずがなかった。
 メディと一緒にいる最近は、私はランドールとして生活する事ができた。
 だけど、私の本質が変わったわけではなかった。
 ――フランドール=スカーレット。
 その名は『悪魔の妹』とも『破壊の化身』とも言われる絶対破壊者の刻印である。
 蘭の花を育てていても、メディと笑いあっていても、私にその刻印が消え去る事はなかった。
 逃れられない破壊の運命、私はお姉さまの顔を見てそれを思い出した。

「こんにちは、と言うべきなのかしらね。
 それとも、今は朝だからおはようございますかしらね」

 メディを背中に隠すようにして前に出る。
 無意識のうちに両手で破壊衝動を確認。私にその力が残っている事が分かって、少し安心している自分がいた。

「フラン、駄目だよ。あなたはここにいなきゃいけないの。
 幽香の時みたいにごめんなさいして握手しよっ」

 私はメディの言葉に振り返る事ができなかった。
 今振り返ったら、メディを怖がらせるような気がして、それがすごく怖かった。
 唇を噛み締める。
 私は私、メディはメディなんだ。

「ごめん、メディ。
 お姉さま相手にそれはできないの。私はやっぱり――だから」

 吸血鬼だから、と言おうとしたけれど、その先を口にする事ができなかった。
 メディにはランドールだと思っていてほしかったから、というのが一番の理由なのかもしれない。
 もしくは、メディに正体がばれなければ、またいつもの日常に戻れると私は楽観視していたからかもしれない。
 どちらにせよ、この時ばかりはランドールでいられなかった。

「紅魔館に帰っていらっしゃい。
 あなたのいるべき場所はここではないわ。あなたにとってここは相応しくないもの」
「そうなのかもしれない。
 お姉さまの言う事は正しいのかもしれない。だけど、私はここにいたいの。
 ねぇ、お姉さま。私を逃がしてくれないかしら? もう少しで私は変われそうなの。
 一人では何もできない私ではなくて、きっと何かができる私に」

 私は訴えた。
 いつかは紅魔館に戻らなければいけない事は分かってる。
 メディといられるのは一時だけだというのも分かってる。
 だけど、私はまだランドールを演じていたかった。
 ランドールとしての私を、まだ自分自身でも見ていたかった。

「変われそうな自分というのは、これの事かしら?」

 お姉さまがゆっくりと歩いていく。
 それを私は見守る事しかできなかった。お姉さまが次に何をするのか予測できたのに動く事ができなかった。
 やがてお姉さまはたどり着く。一輪だけ咲いた私の蘭畑へと。

「や……やめて」

 声がかすれた。それはもう悲鳴に近かったのかもしれない。
 空気が冷たくて、その一瞬が永遠のように長く感じた。
 お姉さまが足を振り上げて、その一輪の花を踏み潰すその行為を、私はスローモーションのようにゆっくりと眺めていた。

 ぐしゅっ……。

 蘭の悲鳴が聞こえたような気がした。
 か細い少女の叫び――私は耐えられなくなって思わず両耳を塞いだ。
 一度目は蘭畑を枯らしてしまい、そして今度は目の前で一輪の花を踏み潰された。
 それを見ている事しかできなかったなんて、私はどれだけ罪深い生き物なのだろうか。
 ごめんなさい、と一言心の中で詫びた。
 一言だけではとても足りないのは重々承知だったけど、今はそんな謝罪しかできなかった。
 いろいろな事が終わったら、踏み潰された花を掘り返して丁重に供養してやろう。私は心に決めていた。

「花を育てる事があなたのしたい事?
 そうじゃないでしょう。目を覚ましなさい、フラン。
 たしかに花を育てる事は優雅で淑女として素晴らしい事ではあるわ。
 だけどね、フラン。私達姉妹にとって花とは食糧でしかないの。私たちは花を喰い荒らす事しかできないの。
 私の言う事分かるで――!!」

 きゅぼっ!
 空気が圧縮されたような音が響き、私からお姉さまへと一直線上に大気が破壊される。
 目に見える事のない、存在だけを破壊するのが私の弾幕である。
 不意をついたはずなのに、お姉さまはそれを首の皮一枚のところでかわしてみせた。

「お姉さま、もうしゃべらないでちょうだい。
 じゃないと私、お姉さまを壊しちゃいそうだから」

 すっ、と息を吸い、その一瞬後には私の身体はお姉さまのすぐそばへと移動していた。
 その瞬迅たるスピードに、お姉さまは唖然とする事にしかできなかった。
 右手で私の愛刀レーヴァテインを発現させながら、左手では破壊の力を召喚する。
 どちらもかわす事は不可能あり、どちらかをかわす事も不可能だった。

「お願い、お姉さま。ここで引いてちょうだい。
 私をこれ以上フランドール=スカーレットでいさせないで。
 私はまだランドールでいたいの。ランドールがいいの」

 私のこの訴えを、お姉さまは――鼻で笑った。

「ふんっ、弱くなったものね。自らで負抜けた自分を演出するなんて、昔のあなたでは考えられない事だわ」

 全意識を攻撃に集中させていたために守備がおろそかになっていたのかもしれない。
 ――いや、それは単なる言いわけだ。この時の私は攻撃も守備もする気がなかった。
 レーヴァテインと破壊の力を用意しながらも、私は攻撃する意思を持っていなかったのだ。
 その隙をお姉さまに突かれた。
 当て身気味にタックルを喰らわされて、よろめく私を後目にお姉さまが空中へと翼をはためかせた。
 私は舌打ちをしながら上空を見やる。
 そこで、私はとんでもない事に気がついてしまった。
 今のお姉さまは私を見ていない。
 お姉さまが見ているのは――。

「お前だ。お前がフランをこんなに弱くした!
 お前がフランを弱くしたんだ! その罪は万死に値するっ!!」

 お姉さまは愛槍グングニルを発現させながら、メディに向かって叫んでいた。
 メディは関係ないのに。これは私とお姉さまだけの問題であったはずなのに。
 メディの方へ向かおうとして、私はいつの間にか右手からレーヴァテインが失われているのに気が付いていた。
 集中力の欠如がこの原因だった。だが、再びレーヴァテインを発現させるには時間が足らな過ぎる。
 このままではメディがグングニルに打ち抜かれてしまう。

「メディっ!!」

 私は叫んだ。
 メディは私を一瞬確認した後、上空にいるお姉さまを睨みつけた。

「スーさんとフランに危害を加えるなら私だって黙っていられないんだからっ!」

 私はそのメディの行動に驚かされた。
 単純に考えて、メディは低級妖怪であり私やお姉さまに比べるとその力は脆弱である。
 弱肉強食が当たり前の妖怪社会において、低級妖怪は上級妖怪と戦おうとすら思わない。
 だが、この時のメディはお姉さまに抵抗しようと立ち塞がっていた。
 敵わないと知りながらも、己の信念のためメディはお姉さまに挑んでいたのである。
 その瞬間、私はやっぱりここに来たのは間違いではないと確認できた。
 それと同時にここでメディを失うわけにはいかなかった。
 メディにはまだまだ教えてもらいたい事がたくさんある。
 メディとまだまだたくさんの時間を一緒に過ごしたい。
 私には、まだメディが必要だった。

「うああぁぁっ!!!!!」

 自らの鼓膜が破れる程の大絶叫をあげて、私はお姉さまとメディの間に割り込む。
 それと同時にグングニルがメディに向けて発射されていた。
 今から迎撃する術など私は持たなかった。
 それでも、メディを守りたいその一心で力を込めた。
 初めて破壊の力を守りに使用した瞬間であった。
 衝撃音と爆発。歪む空気。亀裂する空間。
 私は背中にいるメディを守る事、それだけを考えて力を放出し続けた。
 諦める事なんてできなかった。
 私は二度も蘭の花を死なせているのだ。同じ出来事を三度も繰り返させたくない。






「さすが、フランドール=スカーレットといったところかしら。
 何の弾幕も発動させずに、力だけで私のグングニルをかき消してしまうだなんてね」

 お姉さまの言葉を聞き取れたかどうかは怪しい。
 私は力を限界ぎりぎりまで使い果たし、ふらふらの状態だった。
 少しでも気を抜けば気絶してしまいそうな混濁する意識の中、私は己を存続させるのに精いっぱいだった。
 だが、それも数秒しか持たなかった。
 意識を覚醒させておくのに集中しすぎて、私は飛行する力を失い地面へと落下を始めた。
 地面に激突する瞬間、私は受けとめてくれたのはメディだった。

「フラン、大丈夫?」

 心配するメディに、私はなんとか笑いかける事に成功した。

「……分からないものね」

 お姉さまがすぐ近くに着地する。
 身構えようと全身に力を入れると、途端に激痛が私の身体中を走った。

「大丈夫よ、もう私にはあなたを攻撃する意思は残っていないから」
「お姉さま……」
「だけど、一つだけ聞かせてくれるかしら?」

 お姉さまに戦う意思がない事はその表情から明らかだった。
 私は警戒を解き、お姉さまの次の言葉を待つ。

「破壊の力を守りに使うなんて以前のあなたでは信じられない事だわ。
 その心境の変化は何? この短期間で何があなたを変えたの?」
「……ずっと、考えてはいたんだ」

 それは以前から引っかかっていた事ではあった。
 今も答えが出ているとは言い難い。
 だから、私はしゃべりながら考えていた。

「初めてここに来た時に幽香に言われた事があるの。
 この幻想郷で一番弱いものは何か? その答えを見つければ、今よりも楽しい生活が送れるはずだって」
「その答えを見つけたっていうの?」

 その問いに私は首を横に振った。
 それだけは分かっていたから。

「ううん、今はまだ断片だけ。
 一番弱いものと言われても、私には見当がつかなかった。
 だから、私は見方を変えてこの答えを探す事にしたの。
 私は破壊者だから、私が一番壊したくないもの。それを探す事にしたの。
 それでも答えはまだ見つからない。
 だけど、蘭が一輪咲いた時はすっごく嬉しかったし、それをお姉さまに踏み潰された時はすっごく悔しかった。
 それが私の一番壊したくものなのかは自分で分からないよ。でも、壊されるのを想像したら怖くなった」

 だから、あの時は無意識に破壊の力を使っていた。
 頭が真っ白になって何も考えられなくなったけど、周り全てを壊そうとは考えなかった。

「いくら私の大切なものを壊されたといっても、自分から破壊の力を解放したら、それも同じ事になっちゃうからね。
 破壊の力を使っても、お姉さまを傷つけようとは思わなかったんだ。
 なんでかな? あんな風に思ったのは初めてだったよ。それが守りたいものができたって事なのかな。
 それとも、一度壊される感覚を覚えちゃったから、お姉さまの言う通り腑抜けになって力が怖くなっちゃったのかな」
「あなたも……いつの間にか成長したのね」
「え?」

 お姉さまのその言葉は小さく、私の耳に届くことはなかった。
 だから聞き返したのだが、いくら待ってもお姉さまが言い直すことはしなかった。
 代わりにお姉さまは俯いていた。
 まるで、恥ずかしくて顔を背けているかのように。

「いいわ。この場はあなたに免じて見逃してあげる」
「……お姉さま」
「ここであなたなりの答えを見つけなさい。
 そして、答えが見つかったら私に報告へ来ること。それがあなたの家出を許可する最低限の条件だわ」
「うん、分かった」

 ここではっきりと答えられた理由はなぜだろう? 自分で答えておいてなんだが、私には理由がわからなかった。
 近いうちに答えが出ることを確信していたからだろうか。
 ……いや、たぶんそんな理由ではないのだろう。
 私は自分でも単純な女の子だと思っている。だから、その理由ももっと単純で分かりやすいものだ。
 つまり、私は――

「メディ、帰ろうか。私たちの家に」

 メディとまだ一緒にいられること。
 それが私にとっては一番の嬉しさだったのだ。
 それをお姉さまに認めてもらったから――だから、私ははっきりと答えられたのだろう。






 その夜。
 私はメディと一緒のベッドに潜り込んでおしゃべりをしていた。
 メディが作ってくれたアイスレモンティーを片手に、短いながらもいろんな事があった最近の思い出話に花を咲かせていた。

「それにしても、人里でのフランには笑っちゃったな~。
 だって作り物のお金で自信満々に買い物に行っちゃうんだもん」
「むぅ~。あれは人生最大の汚点だわ」

 メディと話していると楽しい。
 まるで昔からずっと一緒にいたような気分になる。
 メディの話は聞いていて面白いし、私の話を聞いて相槌を打つメディも見ていて楽しい。
 メディはころころといろんな表情を見せてくれるのだ。それを見ていて飽きない。

「……今だから言うけどね」
「ん?」

 アイスレモンティーを一口飲んで気を落ち着かせたところで、私は会話のトーンを意識的に変化させる。
 それに気づいたのか、メディも少しばかり真面目な表情へと変えた。

「私にとって人里の出来事が転換期になったんだよ。
 最初はメディのことを全然信用してなかった。むしろ疑ってた。なに、この変な女の子って」
「え? うそ! ひどい、フランったらそんなことを考えていたの!?」

 ほっぺたを膨らまして怒るメディ。
 メディの感情はストレートだ。怒る事を隠そうともしないし、だからこそ容易にメディの気持ちが分かる。

「だって、そうだよ。私のいた地下室に訪ねてくる人なんて、霊夢か魔理沙くらいの強者か、もしくはよっぽどの変人ばっかりだったもの。
 それがメディみたいな全然弱い子で、私びっくりしちゃったわ」
「あはは……、あれはね~、うん。今思い出してみても私だいぶ無茶しちゃったなぁって思うよ。
 フランの元にたどり着けたのが奇跡だって思うもん」
「そんなメディに、お金の種類を間違えただけですっごくバカにされたじゃない?
 あれでもう、私のプライドはずたずた。もうどうにでもなれ~って思った」
「あ~、だからあの時不貞寝してたんだぁ」

 あれがメディと出会った初日の出来事。
 あれだけの事がたった一日の間に起きたのだ。
 今考えてみると、あれほど濃い一日を過ごしたのは、私が生きてきた中でもトップ三に入ると思う。

「でもね、同時に思ったの。絶対メディを見返してやるんだって。
 だから蘭の栽培には絶対失敗したくなかったんだ」
「蘭人形のプライドにもかけて、だね」

 メディのそのセリフを聞いて、ふと思う。
 いつの日か、勘違いしてるメディに私の本性を話さないといけない。
 私が本当は吸血鬼で、メディの考えているような蘭人形という意味のランドールではなくて、腑抜けたフランドールという意味のランドールだという事を。
 このときの私は重要な事を先延ばしにしていたのだ。
 メディに話していれば、未来は変わったのかもしれない。少なくとも、メディの言葉を聞くことができたのかもしれない。

「でも、失敗しちゃったでしょ?」
「うん……」

 今度のメディはしょぼくれたような表情を見せてくれた。
 蘭が失敗したのは私が原因なのに、メディは全く関係ないのに、自分の事のように落ち込んでくれるのだ。
 自分と感覚を共有できる友達が近くにいてくれるのは、本当にうれしい。

「あの時はね、もうどうにでもなれ~ってすら思わなかったよ。
 すっごく悔しくて、何の言葉も湧いてこなかった。……あぁ、違うかな。私の頭の中の感情はただ一つだけが支配してた。
 ごめんなさいって思ったの。私のせいで枯らしてごめんなさいって。
 それからなのかな……、なんかね、分からないんだけど、今まで意地張って生きてきた自分がバカらしく思えちゃったの。
 最初からメディに相談していれば枯らす事がなかったのに。それを考えないようにして意地張って一人で育てて枯らしちゃった私がバカらしくなっちゃった。
 それと同時に、何が何でも蘭の花を見てみたいって思ったの。プライドとか意地とかどっか行っちゃった」
「あの時のフランすごかったもんね。朝も昼も夜も蘭の勉強ばっかりで。
 蘭を育てるようにアドバイスしたのは私だったけど、あんなにも夢中になるなんて思わなかったよ」

 今までの私は目を閉じていたのだろうと思う。
 つまらない世界なら瞳を閉じていればいい――そう思っていた。
 だけど、閉じた瞳ではつまらない世界を見る事がなくても、同時に楽しい世界を見る事もない事が分かった。
 目を開いて、前を向いたら、私はすぐに一生懸命になれる事を見つけられた。
 簡単な事だったんだ。
 それに気づかなかっただけ。
 そして、それに気づかせてくれたのが――

「メディ、ありがとうね」
「え? え? なに? ど、どうしたの? 急に?」

 しょぼくれた後は狼狽えるメディ。
 この子の表情はよく変わる。
 それが生きている証だと私は思う。

「ずっと言わないといけないなって思ってはいたんだ。
 私を閉じた世界から連れ出してくれてありがとう。
 私に蘭の世話を教えてくれてありがとう。
 すっごく感謝してるよ。感謝してもしきれないぐらいに感謝してる。
 メディ大好き。愛してる」

 照れるかと思ったのだが、メディはなぜか呆けたような顔を見せた。
 何も考えられなくなっているのか、それとも考え事が多すぎて頭では処理できなくっているのか。
 さすがの私でもそれは分からない。

「……そうだよね、フラン。うん! 私もフランが元気になってくれてうれしいよ」

 メディに手を握られる。
 メディと手を握ったのはこれで四度目。まだたった四度しかない経験だ。
 なのに、私はメディの体温も手の柔らかさも握る力も全部覚えている事にびっくりとした。
 当たり前になっている、と私は思った。手を握る事も、握られる事も、当たり前になっていく。
 なら、いつの日か手を握った回数も忘れられる日が来るのだろうか?
 そんな未来まで私はメディと一緒にいられる事ができるのだろうか?
 もうこれから何も悪い事なんて起こる事なんてないのに。
 蘭の栽培だって順調だし、お姉さまとはきっちり話をつける事ができた。
 危惧する事なんて一つもないはずなのに。
 幸せを感じると人は不安になってしまうらしい、という事をこの時は知った。
 でも、私はその不安の取り除き方を知らなかった。
 明日、メディにその事を聞けばいいや、と楽観しながらその日は眠りについた。






 次の日の朝。
 私は温もりのなくなったメディを見つけた。

 全てを理解して、私は泣いた。
 泣くことしかできなかった。






☆ ☆ ☆






 メディの死因は単純なものだった。
 元々メディは無名の丘に打ち捨てられた人形が鈴蘭の毒を浴びるうちに妖怪化した存在である。
 説明すると簡単に聞こえるが、幽香や人形遣いに言わせるとそれは奇跡に近い現象であり、解明できないブラックボックスのようなものであるらしい。
 ただ、メディは非常に不安定な存在であり、いつまた元の人形に戻るか分からないと判断されていたそうである。
 それが今となってしまった。

「メディはね、気づいていたのよ。自分の命が長くない事をね」

 メディの葬式はごくささやかに行われた。
 私と幽香を含めても十人に届かないほどの小さな式だった。
 メディがここで生きていた事、そしてこの場所で死んでしまった事――それがこの場にいる極々限られた人数しか知らないなんて、考えただけで寂しい事であった。
 メディは生前明るい性格だったんだから、葬式も明るくしよう。そう思って式に望んだはずだったのに、私は全く逆の事をしてしまった。

「残されたわずかな時間。それをあなたと一緒に過ごそうと決めたんだわ」

 メディの事を思い出す。
 それだけでいろいろな感情が溢れてきてしまう。
 ――なぜ、メディは死んでしまったの?
 ――なぜ、私には何も教えてくれなかったの?
 ――なぜ、メディが死ななければならなかったの?

「だけど……一番は、やっぱりメディと一緒にいたかったんだ」

 これからだと思ったのに。
 私の閉じていた目もようやく開いて、これから二人で楽しい世界を見ていこうと決意した時だったのに。
 運命とはなんて残酷なものなのだろう。そして、運命とは公平なものでもあるのだろう。
 運命は私にメディという幸福を授けてくれた。
 だけど、同時にメディの死という不幸も忘れてはいなかった。
 幸福と不幸は同じ数だけやってくる。
 だけど、幸福になるより不幸になる方が落差が大きいように感じるから、私には不幸しか訪れていないような気分になる。
 目の前に霧がかかったようにぼやけて見える。
 メディがいた頃は煌めく世界が見えたのに。

「今は曇った世界しか見れないよ、メディ……」

 空を見上げると、天気まで曇り空だった。私の気分と同調しているようでなんだか気が滅入る。
 今日が快晴だったのなら。
 あのにっくき太陽が私をあざ笑うかのように光り輝いていたのなら、少しは気分も晴れるというのに。

「前を向きなさい、と言ってもさすがに今は無理かしらね。
 私もしばらくは笑えそうにないもの。
 だけど、メディの事を覚えていられるのは生きている者の義務よ。それだけでは絶対に忘れてはいけないわ」
「私には分からないもの。メディがいないと私には何も分からないもの。
 ねぇ、メディ。教えて、メディ。あの頃のように」

 手を伸ばしても掴めるものが何もない。
 手を握ってくれる誰かもいない。
 私はまた一人ぼっちになってしまったのだ。
 メディと一緒にいる楽しさを覚えてしまったからこそ、メディがいない今が心底悲しい。

「しっかりなさい、フラン。
 さっきも言ったけど、メディは最後の時間をあなたと過ごそうと決めたのよ。
 そこには何かの意味があるはずだし、その意味をあなたは理解しないといけないのだわ」

 幽香を見上げる。
 幽香はこちらを見ていなかった。
 彼女もまたメディの姿を見ているのだろう。メディの姿を見ながら、メディがいない事を理解しながら、気持ちの整理で精いっぱいなのだ。

「……メディの言葉がほしい。
 今の私を導いてくれるメディの言葉が」
「立ち上がるのは自分。立ち上がる意志を持とうとするのも自分だわ。
 死者に助言を求めてもそれは不可能な話よ。
 仮に、メディの言葉がどこかに記録されていれば話は別だけど」

 メディの言葉――、幽香の話を聞いて、私には思い当たる事があった。
 人里で大失敗をしてしまって不貞寝したあの日、メディは一人ランプの光を頼りに何か書き物をしていた。
 あの時の私は他人まで見る余裕は全くなかったから、メディに聞いた事もなかったけど、今ならあれがメディの記した言葉である事が確信できる。

「日記があるわ。私、メディが書いていたのを覚えているもの」

 一目散にでも確認しに行きたかったが、それを幽香に止められた。
 力強い幽香の静止だった。私は只ならぬ気配を感じて歩みを止めた。

「もし、それが本当にメディの残した日記だとして、あなたにはその日記を読む権利があるの?」
「どういう意味?」
「それは、メディが凝縮された、言わばメディの意志そのものなのよ。
 あなたにとって辛い事が書いてあるのかもしれない。いいえ、あなたがそれを見て楽しい過去を思い出して自分を責めてしまうのは目にも見えているわ。
 あなたにはメディの意志を受け止める意志があるの? メディの生前からの想いを受け継ぐ意志があるの?
 私はメディの一番の友人を自認している立場だから、裁定を行う義務があるわ。
 生半可な子に行かせる事はできないの」

 あぁ、そっか……。
 さっきはメディの存在を知っているのが極わずかで寂しかったけど、幽香みたいなメディを奥深くまで知ってくれている人もいたんだ。
 メディはきっと幸せだったんだ。

「あなたには二通りの道が存在するわ。
 一つがメディの事も日記の事も忘れて元の生活へと戻る事。
 メディとあなたとの生活なんて、長い時間からすればほんのひと時の事だもの。
 元の生活に戻れば、すぐにメディの事を忘れて、また笑顔の生活ができるでしょうね。
 ……もう一つが日記を読みメディの意志を確認する事。
 そこにあなたが望む希望があるかもしれない。でも、ないかもしれない。
 リターンがあるのかもしれないけど、リスクも決して低くない、むしろリスクの大きい選択肢になるでしょうね。
 メディの意志を支えきれず押しつぶされてしまう可能性すらあるわ。今のあなたには絶対おすすめできないものよ。
 さぁ、あなたが選ぶのはどっち?」
「ううん、私にはもう一通りの道しか残っていないよ」

 メディと出会ってから逃げようとも帰ろうとも思わなかった。
 それはきっと楽しかったから。
 そして、メディがいなくなった今でも逃げようとも帰ろうとも思わなかった。

「私にはまだメディが必要だもの。
 メディの気持ちが知りたい。メディと私の思い出はここで終わらせたらいけないから」
「そう、分かったわ。
 私は裁定する義務はあるけど、あなたを止める権利はないもの。
 メディが最後に選んだのがあなたなら、きっと日記を読んでもらいたいのもあなたなのかもしれないわね。
 でも、これだけは覚えていてほしいの」

 幽香は一度、深呼吸。そして私の目を見た後に続けた。

「あなたはメディの事を聖人か神様のように思っているけど、私から見たらちょっと変わったただの女の子だわ。
 ただの女の子なんだから、あなたが思っているような崇高な考えは持っていないの。
 打算なき優しさなんてこの世には存在しないのよ」

 そんな事ない、メディは私の太陽だった――と言いかけて止めた。
 なぜ止めたのかは分からなかった。






 私たちの住んでいた家の扉を開けると、そこにはまだメディの匂いが残っていて涙が溢れてきた。
 見渡せば、メディがここで生活していた痕跡がたくさん残っている。
 メディが洗った食器はまだ戸棚にしまわれていないし、メディが脱いだ服はまだ洗濯されずに籠に残っている。
 それらを見るたびに、一歩一歩進むたびに、メディとの思い出が蘇ってきて、私に苦しい想いをさせる。
 これは私に課せられた試練だ。メディの意志を確認するという事は、もうあの楽しい思い出が過去の遺物である事を確認する事でもある。
幽香が言ったように、今のぼろぼろの私では押しつぶされてしまう可能性すらある。
 私はその押しつぶされた世界を一度体験しているから分かる。あの世界に二度と戻りたくないとすら思う。
 それを救い出してくれたのがメディだ。
 私は意地でも進まないといけないのだろう。
 涙をこらえながら私は進む。
 たどり着いたのはメディの机。
 まるで待ちわびていたかのように、日記は机の真ん中に置かれていた。
 それはメディが最後まで日記を書いていたという痕跡であった。
 メディは確かにそこにいた。

「メディ……」

 メディの幻想が見えた。
 幻想の中のメディは、今でも必至に日記を書き続けていた。少し思案し、すぐにペンを走らせる。
 私は抱きしめたい衝動に囚われたが、なんとかこらえる事に成功した。
 だが、こらえたところで幻想は終わりをつげ、私はメディの姿を失ってしまった。
 涙を止めらそうになかった。
 泣いても泣いても、枯れ果てたと思っても涙は出てくる。
 私はもう何度目か分からないが、大声をあげて泣いた。

 ――メディはもうこの世にはいないのだ。
 ――いくら呼びかけても、私の呼び声に答えてくれる事はないのだ。
 ――メディの声を聴くこともできない。メディの笑い声を聞くこともできない。

 この場にいるのは私だけなのだ。
 私だけ。私だけ。私だけ。
 一人ぼっちは寂しい。
 二人でいた時は楽しい。
 今の私はどう思う?
 今の私を見てメディはどう思う?

「メディ、あなたの言葉を聞かせてね」

 気分が落ち着かせてから日記を手に取る。
 メディが座っていた椅子に座り、コップにアイスティー用意した。長丁場は覚悟の上だ。

 そして、私は日記のページを開いた。
 日記は春先、私と出会うよりも数週間前から始まっていた。


『○月×日 天気:晴れ
 日記ってどんな風に書けばいいのかな?
 私は生まれてこの方、日記なんて書いた事がないから書き方が分からないや。
 というわけで、私以外の誰かがこの日記を読むのを禁止ね。
 絶対禁止。ほら、今読んでるあなたも禁止だからね。
 う~ん、でも禁止にしちゃったら、私は何のために日記を書くんだろうね。
 ほら、日記とか文字とかってさ、誰かに伝えたいがために残すものって言うじゃない。
 私以外の誰かが読まないのに、日記を残す意味ってあんまりないんだよね。
 ん~、じゃあ、こうしよう!
 この日記を読んだ事を私に知らせるのを禁止。恥ずかしいから!
 誤字、脱字も報告しないようにね。やっぱり恥ずかしいから。

 っていう私らしい序文なんだけど、(日記に序文って必要なのかな?)今日の内容は少し重め。
 ん~、なんていうか……私がいつ死ぬのか分かっちゃったって事なんだよね。
 幽香とかアリスには未確定とか言われてたけど、ほら自分の身体は自分が一番分かるっていうじゃない。
 それで分かっちゃった。
 たぶん、たぶんだけどね、私の身体はもう半年も持たないと思う。
 今年の冬はもう見れないな。秋はどうだろ、秋も見れないかもしれないな。
 重いことをさらっと書いちゃったけど、実のところ、私にはショックはあんまりないんだよね。あ~、そっかぁ。みたいな感じ。
 私、世間知らずだから生とか死とかよく分からないのよ。
 いつ生まれたのかも覚えていないし、気が付いたらスーさんの中にいたって感じだもん。
 だからきっと死もそんな感じなんだろうなぁ、って思えちゃう。
 スーさんたちに花が咲いて枯れていくように、私もそうやって生を終えるんだろうなぁって。
 そんなわけで、心残りとかやりたい事もあんまりないんだよね。
 死を受け入れて待つだけ。それが今の私の気持ち。
 って、そう書いちゃったら、ほんっとに日記を書く意味がなくなっちゃうんだけど、っていうか、それが私が日記を書く理由なんだけど。
 私の唯一の心残り。
 それが、私が死んだらスーさんたちはどうなるんだろっていう事。
 たぶん幽香が頑張って残してくれるんだろうけど、幽香もやっぱりひまわり畑で忙しいから、私のスーさん達まで手が回らないと思う。
 そしたら、スーさん達はみんな枯れちゃうのかな。
 それってすごく悲しい事だよね。
 私がいなくなるのは、別段何も思わないけど、私がいなくなった事でスーさん達がどうにかなってしまうのが嫌だ。
 でも、どうしようもないんだよね。
 知り合いに頼める人もいないし、いてもみんなみんな忙しそうだし。
 スーさんも私と一緒にいなくなっちゃう運命だったのかな。』


 ページをめくる。
 そこからしばらくはメディの苦悩が続いていた。
 鈴蘭畑を残すためにいろいろな方法を試みるものの、すべて失敗してしまったらしい。
 その方法というのが何とも幼稚で、私はつい笑ってしまった。
 こんな幼稚な方法しか思いつかないメディに世間知らず扱いされた私は、いったいどうすればいいいのか。本気で悩む。
 次のページをめくる。
 どうやら方法が見つかったらしい。


『○月△日 天気:曇り
 神様って本当にいるのかな?
 これって誰でも生きていくうちに一度は考える事だと思う。
 悲しい時、寂しい時、誰かに縋りたいのに誰かがいない時、きっとそんな時に神様に願っちゃうんだろうね。
 私の場合は違ってた。
 全く逆だったの。
 スーさん存続計画に初めて光明が見えたの。
 だから、この時私は生まれて初めて神様がいるんだなって思えたのよ。
 だって神様しかできない奇跡だもん。
 私の跡を託せる唯一の人物。それはダジャレだったわ。
 予想がつかないところに答えはあったの。
 少なくとも私は全く予想していなかったわ。
 紅魔館っていうやたらカリスマぶった幼女吸血鬼が治める館、というのは前から聞いていた話ではあったんだけどね。
 吸血鬼っていうのはとにかく野蛮で、花の生を吸っちゃう妖怪みたい。
 私とは絶対相容れない存在だと思っていたわ。
 だけど、私が探していた人物がそこにいたのよ。
 名前はフランドール=スカーレット。悪魔の妹とも、破壊の化身とも呼ばれる紅魔館の中で最強を誇る妹吸血鬼。
 その女の子から『ふ』を抜けば、言い換えれば腑抜ければランドール!
 つまり蘭人形になるわけ!
 他の人から見れば、きっとダジャレなんだろうね。
 そんなのに縋る私って、きっとバカなのかもしれないね。
 だけど、私はびびって来ちゃった。
 もし、神様が本当にいるのなら、これは神様が授けてくれた私の最後の希望なんだって思えちゃったの。
 だから、私はフランドール=スカーレットを奪いに行く事を決意したわ。
 自分の理想をかなえてもらうため。
 私は紅魔館へ行く。』


 私はそれを読んで、あぁっとため息をつかずにはいられなかった。
 ……メディは知っていたのだ。
 最初から私の名前がフランドール=スカーレットで、私が蘭人形ではなく吸血鬼である事も知っていた。
 知っていたのにも関わらず、メディはわざと知らないふりをして私に近づき、その真相を知らせないままにいなくなってしまったのだ。
 私はメディにずっと嘘をつき続けていると思っていたけど、それは違っていた。
 本当はメディが私に嘘をつき続けていた。
 私は次のページをめくるのが怖くなってきていた。
 メディの気持ちを知らないままの方がよかったのかもしれない、と思い始めていた。
 それでも、ここで放り出す事なんてできなかった。
 何より、ここで辞めたら自分を許せなくなってしまう。
 意を決してページをめくる。
 そこから何日かは紅魔館に潜入するための準備に費やされていた。
 以前聞いた話では、メディは考えもなしに紅魔館に潜入したとか言っていたような気がするが、実際はしっかりと準備をしていたらしい。
 次のページをめくる。
 いよいよ私との出会いの物語の始まりだった。


『☆月◇日 天気:晴れ
 結論から言うと、どうなんだろうね、実はちょっと不安なのかな。
 フランを救い出して、その子は今私の後ろのベッドでぐーすか寝てるんだけど、全然私の救世主って感じじゃないの。
 世間知らずのお嬢様って感じ。
 お買い物の仕方も分からなかったしね。
 最初フランを見た時はね、すっごく怖かった。
 私をにらみつけていて、すぐにでも飛びかかってきそうな勢い。
 紅魔館に侵入した時も寿命が縮まるんじゃないかって思うくらいに緊張の連続だったんだけど、フランはそのレベルがまるで違うの。
 視線を外しただけで殺されそう。
 今だから告白しちゃうけど、その時の私はちょっとおしっこ漏らしてた。
 でもね、フランを見てたら、なんとなく親近感が湧いてきちゃったわ。
 あぁ、この子も私と一緒で寂しかったんだなぁって。
 私はスーさんとか幽香のおかげで笑顔を取り戻せたんだけど、フランはまだ自分という牢獄の中に囚われてた。
 要するに、フランのむすっとしたしかめっ面が気に入らなく思えたの。
 私の救世主なんだから、もっと笑顔でいてよ。
 私の勝手なんだけど、そう思えちゃった。
 そしたらね、怖さなんてどこかに吹き飛んで、知らず知らずのうちにフランの手を握ってた。
 手を握ってみたら、思っていたより小っちゃくて柔らかくて、この子も私と同じ少女なんだなって安心したわ。
 不安はいっぱいだけど、この子とならやっていけそうと思えたわ。
 でも、その期待はすぐに崩れちゃった。
 紅魔館の駄メイドが来て、私はフランの破壊の力を目の当たりにする事になったの。
 怖かった。
 この子が手をきゅって握ったら、私もスーさん達も破壊されるんじゃないかって心配になった。
 フランが振り返って言葉をかけてくれたんだけど、私はどうしたらいいのか迷ってた。
 この子と本当に一緒に行っても大丈夫なのかな?
 この子に本当に私の跡を任せてもいいのかな?
 でも、考えてみてすぐに分かったんだけど、もうこの時の私ってすでに選択肢がなかったんだよね。
 賽はすでに投げられたって感じなのかな。
 私はもうフランを選んだんだから、ここから選択肢を変えるのなんて身勝手で不可能だったんだ。
 それにもう有限の命だったしね。
 一度捨てた命。最後くらいはフランに全てを任せてみようって気分になったんだ。
 私ってすっごい身勝手だよね。
 フランを救い出すと決めたのも私だし、フランを選んだのも私なのに、肝心なところはフランに丸投げしちゃっただもん。
 それなのに、私は今不安って思ってるんだよ?
 こんな私を知ったら、きっとフランは幻滅しちゃうね。
 だから、私は日記にだけ書き示すの。
 フランには嘘つき呼ばわりされたままでいい。
 私の本当はこの日記の中だけだから。』


 メディは自分の事を身勝手と言い表した。
 だけど、私はそれを非難できないんだろう、と思う。
 私だってメディに任せっきりだったから――とうより、亡き後もこうしてメディに縋っているのだから。
 また、メディは日記の中で私のファーストインプレッションは最悪だと書いている。
 これに関しても、私に怒る権利はない。
 なぜなら、私も最初はメディを疑っていたからだ。
 こんな弱そうな女の子に一緒について行って大丈夫なのか、と私は思ったからだ。
 その点では私とメディは似た者同士だった。
 変な共通点だったけど、メディと同じ点を見つけられて、安堵している私がいた。
 ページをめくる。
 私の蘭の栽培が始まっていた。
 私と同様、メディもこのあたりから気持ちがだんだんと変化していくらしい。


『★月▽日 天気:雨
 一カ月くらい前の日記で不安になったって書いた気がするけど、前言撤回!!
 フランは私の想像以上にすごい子だったわ!
 実はね、私はフランが蘭の栽培を失敗したらここから逃げ出すんじゃないかって思ってたの。
 なんていうか、この蘭の栽培って元々フランのために用意した試練みたいなものだったんだ。
 ここでフランに全て任せてみて、もしフランが失敗に終わるようだったら、私も諦めようって思ってた。
 だから、フランには悪いけど、根腐れの事もずっと黙っていたんだ。
 でも、フランは違ってた。
 ううん、むしろ蘭の栽培が失敗に終わった事でフランに火をつけちゃったみたい。
 枯らしてから今日まで、フランは人(……じゃなくて吸血鬼?)が変わったみたいに昼夜問わず蘭の世話を始めたの。
 私は、始めはそのフランの変わりように驚いてたんだけど、すぐにうれしくなっちゃった。
 それは、もちろん私の目論見が正しかったからというのもあるんだけどね。
 それ以上にフランが蘭の事に一生懸命になってくれているっていうのが、一番うれしかったの。
 フランからしてみたら、私に巻き込まれてる立場に過ぎないのに、私のわがままに付き合ってもらってるだけなのに、それでも一生懸命になってくれている。
 そこがすごくうれしく思えちゃった。
 フランが本気になった時のパワーはすごいんだよ。
 だって、この私も感化されちゃったもん。
 私もフランと同じように蘭の花がいつ咲くのかわくわくしてる。
 明日かな? 明後日かな?
 もしかしたら今咲いてるかも?
 あぁ、待ち遠しいな。
 フランと一緒に蘭が咲いてるのを早くみたいな。』


 私はそこで日記を置き、アイスティーで喉を潤した。
 メディの日記の一文一文が、いや単語の一つ一つが私の中に染み出していくような気がした。
 日記に書いてある事は過去の事なのに、今直面しているかのように私は感じていた。
 日記をぱらぱらめくってみると、残りはわずか数ページとなっていた。
 私とメディの思い出は少ない。
 いつまでも続いていてほしいと願ったのに、終わりは来てしまう。
 私はふぅっ、と大きく息をついた。
 そして、「よしっ」と気合を入れてから、最後のページをめくった。


『★月◎日 天気:晴れ
 私ってどうやら間違ってたみたい。
 最初から分かっていたつもりではいたんだけどね、今日それが決定的になっちゃった。
 フランの蘭が一輪だけ咲いたの。
 それはもうすっごく嬉しかったわ。
 フランの前では監督の立場のつもりだったから、あんまり感情を表に出さなかったけど、本当は飛び上がりたいくらいにうれしかったんだ。
 あぁ、私は間違ってなかったな。
 フランに任せても大丈夫なんだって。
 その時はそう思ってた。
 だけどね、その後のフランのお姉ちゃんが現れてから状況は一変したわ。
 その時のフランは前のフランとは全然違ってた。
 前は近寄っただけでも殺されそうな、そんな他人を圧倒する雰囲気をまとってたんだ。
 それが今回は私や蘭、それにスーさんを守るために一生懸命になってくれた。
 その時に思ったわ。
 強いっていうのはなんでもできる事なんだなぁって。
 私は弱いから選択肢が限られてるんだよね。
 死ぬと分かった時に私ができた事といえば、強いフランに頼る事だけだったんだ。
 でもね、フランは違ってたんだ。
 フランは強いから自分から選択肢を創造し、それを実行できちゃうの。
 私は少しだけど嫉妬しちゃったな。
 私も、フランみたいに強ければ別の選択肢を創造する事ができたのかな?
 今更遅いと言われても仕方ないんだけどね、フランを私のわがままで利用してるのに改めて気づいちゃったのよ。
 フランにはいろいろな選択肢があるのはさっきも書いた通り。
 でも、私の元へ来た事でフランの選択肢は一つに限られちゃった結果になったんだよね。
 しかも、フランは私に「ありがとう」と言ってくれて。
 そこで、私は間違ってたのかな、とようやく気づけたのよ。
 フランは今納得した上で私と一緒にいる事を望んでくれている。
 だけど、フランの選択肢まで私が縛る権利まではないんだよね。
 私ができる事は、あくまでもフランに選択肢を提示したうえで、フランに選んでもらう事だけだったんだ。
 だからね、フラン。
 フランはこれから自分のやりたいように生きていいんだよ。
 私に無理やり付き合わせちゃってごめんね。
 私、もう後悔してないから。
 スーさん達がこれからどうなるのかは心配だけど、それは私の問題であって、フランには関係ないから。
 この日記は、たぶんあなたが最初で最後の読者になると思うから、私はあなたにメッセージを送ります。
 フラン、大切な思い出をありがとう。
 フランのおかげで私は大切なものに気づけたよ。』


 日記を読み終わって――改めて思う。
 私はなんでメディの気持ちに気づくことができなかったんだろう。
 幽香も「打算なき優しさなんて存在しない」と言っっていたのに、全然わかっていなかった。
 私の中でメディは裏切る事のない最大の味方で、聞けばなんでも答えてくれるスーパーマンのような存在だと、勝手に作り上げてしまっていた。
 メディの気持ちなんて全然考えもしなかった。
 私の身勝手な幻想でメディを考えてしまっていて、本当のメディはただの女の子だったのに。
 少しでもメディを理解しようと努力したならば、もっと別の展開になっていたかもしれないのに。
 メディの言葉を聞ければよかったのに。

「そっか……、私が閉じていたのは目だけじゃなくて、耳もだったんだ」

 閉じていた瞳はメディのおかげで開く事ができた。
 開いた瞳で見た世界は色鮮やかに見えた。
 私はそれを世界のすべてだと勘違いしていたのだ。
 本当の世界とは色鮮やかで、さらには様々な音で溢れているものだった。
 私の閉じた耳は世界の音を聞くことはできないし、何よりメディの本心も聞き取る事はできなかった。
 そんな当たり前の事に今更気づいた。

「……私、メディにありがとうなんて言葉をかけてもらえる立場じゃないよ。
 不完全だし、不安定だし、不明瞭なんだから。
 私、メディが思っているような強い女の子でもないんだよ。
 メディの方が強いし、私はメディに憧れてたんだよ」

 気づいたのが今更というのは分かっている。もう遅いというのも分かっている。
 それでも、悔やむ他なかった。

「なんで……、なんで私は失敗してから過ちに気づくんだろ……」

 一度目は蘭を自分のミスで枯らしてしまった。
 二度目はせっかく咲いた蘭の花を守る事ができなかった。
 そして今回は、メディを知る事ができないままで終わってしまった。
 変われたと思ったのに、全然変われていなかったのだ。
 私はメディがいないと何もできない世間知らずなお嬢様だったのだ。
 もはや、私は何をしたらいいのか分からなくなっていた。


 …………


 そんな時にふと思う。――いや、そんな時にでもふと思う。
 このまま伏せていた方が楽なのに、誰にも迷惑をかけずにすむし、誰にも過ちを起こす事もないのに。
 それは、まだ私にかろうじて立ち上がる力を与えていた。

「私の蘭はどうなったんだろ?」

 習慣とは恐ろしいもので、こんな状態でも蘭の花を気にする余裕があった自分に苦笑してしまう。
 でも、蘭の花を忘れる事はできなかった。
 あれは私とメディをつなぐ最後の結晶だったから。
 扉を開けて外に出ると夜明けになっていた。
 私が日記を読み始めたのは日が沈んだ頃だったから、ずいぶんと時間が経っていた。
 地平線から降り注ぐ太陽の光に目を細めながら、家の裏にある蘭畑へと向かう。

「えっ……」

 最初は分からなかった。
 まぶしい太陽に視線が邪魔されて幻覚を見ているのかと思った。
 目をこすり、瞬きをして、しっかり目を見開いてからその光景をもう一度見やる。

「なんで……。
 なんであなたたちはそんなに強いのよ……」

 思わず愚痴を漏らしてしまった。
 以前、私はこの蘭の花たちを自分に似ていると称した事があった。
 太陽の光を遮る日蔭で育ち、花の色は金色。
 この子たちと私の共通点は多いと思って嬉しくなったものである。
 だが、今はどうだろう。
 沈んでいる私たちに対して、この威風堂々とした蘭の花たち。
 そう、蘭の花は満開となっていた。
 見渡す限り、どの花も金色の花をつけ、夜明けの光をその身に浴びて美しく煌めていた。
 水をあげなくても、私がわざわざ世話をしなくても、この子たちは一人でこんなにも力強く育っていたのだ。
 そんな光景を見て、私は今の姿を恥ずかしいと思い始めていた。

「うん、そうだよね。メディ、そうだったんだよね」

 俯く必要はどこにもなかったのだ。
 メディと一緒に紅魔館を抜け出したのも、メディと一緒に蘭畑を育て始めたのも全部自分の意志だったのだ。
 自分の意志なのだから間違っていてもそれは当たり前の事で、恥じる必要も後悔する必要も何もなかったのだ。
 メディの想いに答えなければいけない義務もなければ、私が答える権利を持っているわけでもない。
 そんな中途半端な使命感で跡を継いだら、それこそメディに顔向けができない。
 結局は私がどうしたいか、だけ。
 それならば――こんなところで立ち止まっているわけにはいかないに決まっている。






☆ ☆ ☆






「そういえば、メディ。聞きたい事があったんだけどね」
「ん~、どうしたの、フラン?」
「私が育てている蘭に名前ってあるの?」
「へ? 名前?」
「うん。だってメディの蘭には鈴蘭っていう名前がちゃんとあるでしょ?
 でも、私のはただ蘭って呼ばれてるだけで名前を聞いた事ないもの」
「ん~、ほんとはフランが蘭を咲かせたご褒美に教えてあげようと思ったんだけどね」
「え~! そんな事言わないで教えてよ」
「……じゃあ教えるね。
 名前は金蘭。あなたの髪と同じような金色の花を咲かす花だよ」
「金色の花……」
「ま、まぁ私の鈴蘭には劣るんだけどね。それでも、すっごい綺麗なんだから。
 満開にぶぁ~って咲いてるところを見たら、きっとフランの抱えてる悩みもどっかいっちゃうと思うな。
 いや、私の鈴蘭には劣るんだけどね」
「楽しみだな~。そんな綺麗な花をメディと一緒に見れたらいいなぁ」
「……そうだね。一緒に見れたらいいのにね」






☆ ☆ ☆






 その日、私は紅魔館へと戻ってきていた。
 見上げれば夏真っ盛りの青い空が広がっている。
 紅魔館を飛び出したのが春の出来事だったから、すでに三か月近くが経過している事となる。
 私の生からしてみたらたったの三か月だ。
 たったの三か月の間にいろいろな事があった。
 いろいろな事があって、私は今ここにいる。
 緑溢れる紅魔館は以前と何も変わりがなくて、またここに戻る事ができた私をなんだか誇らしく思っていた。
 私はようやく自分の意志で自分の物語を紡ごうとしている。
 それはメディのおかげだ。
 だから。

 ――メディ、見ててね。私、頑張るから。あなたの分まで頑張ってみせるから!

 拳を握り気合を入れてから、歩み始める。
 最初に見つけたのは、紅魔館の門番である紅美鈴だった。
 相変わらず美鈴は門番の仕事をさぼって寝ていた。
 この照りつける太陽の中でそんなに安らかに眠れる彼女を、私は正直感心した。
 それと同時に、前と変わっていない風景にまた出会えて嬉しくなった。

「美鈴。起きて、美鈴」

 身体をゆすると、美鈴はびくっと全身をしならせた後、バネのような勢いで直立不動に戻った。
 さも前からその態度だったように。

「寝ていません! 咲夜さん、わたくし紅美鈴は寝ていませんから!」

 思いっきり突っ込みたかったのをなんとか堪える。
 こちらも佇まいを制してから告げる。

「私の名前はフランドール=スカーレット。
 紅魔館当主レミリア=スカーレットに謁見したく参上いたしました!
 どうかお取次ぎ頂きたい」
「え? ……妹様? ……え、一体何を?」

 美鈴を驚いていた。
 一つは私の突然の帰還に。もう一つは私の名乗り口上に。
 私はそこでにっ、と口角を釣り上げてみせた。

「ただいま、美鈴。
 不出来な家出妹が帰ってきたよ」
「妹様。妹様ぁ~~っ!!」

 突然飛び込んでくる美鈴。
 私は美鈴より小さいからそのままの勢いで押し倒されてしまう。
 突然の美鈴の行動に言葉を失っていると、美鈴は私の胸に顔を押し付けて涙を流していた。

「突然いなくなったから寂しかったんですよぉ。
 咲夜さんに聞こうにも暗黙の了解になってて聞きずらかったし、お嬢様にいたっては妹様の話題に出す事自体を禁止していましたし。
 その間、ずっと紅魔館がぎすぎすしてて、居心地が悪かったんですからぁ」
「ごめんね、美鈴。ごめんね」

 美鈴の頭をなでる。
 私は誰かの温もりをずっと知らないと思っていた。
 周りはみんな私を腫れ物みたいに扱っていて、誰も私の事を好きじゃないと思っていた。
 だが、現実はどうだろう。
 美鈴は私との再会にこんなに喜んでくれている。
 結局は、私のせいだった。
 私はつまらない世界を見たくないと思って目を閉じて、つまらない世界の音を聞きたくないと思って耳を閉じていた。
 そのせいで周りが見えなくなっていただけだったのだ。
 目を開け、耳を開ければ、世界はこんなにも私に優しかったのだ。
 残酷な部分もあるかもしれないし、理不尽な部分もあるかもしれない。
 だけど、世界は平等だから残酷な事や理不尽な事があれば、必ず慈悲や道理がやってくるのだ。

「でも、妹様。勘違いしないでくださいね。
 みんな妹様の存在をなかったものにしたかったわけじゃないですからね。
 みんな、妹様の事が心配で心配で堪らなかっただけですからね」
「うん、分かってるよ。ありがとう、ありがとうね美鈴」

 私は感謝する。
 世界に。
 私を取り巻く環境に。
 今まで迷惑をかけてきたみんなに。

「こうしちゃいられないですね! すぐに紅魔館のみんなに知らせてこないと」

 あわてて駆け出す美鈴を、私は止めた。

「ううん、いいの。私は自分でみんなにただいまを伝えたいの。
 そして自分からみんなにありがとうとごめんなさいを伝えたいの」
「妹様……、変わられましたね」
「そうだね、今の世界は煌めいて見えるよ」
「私、昔の妹様も好きでした。
 他者を寄せ付けない圧倒的な力をもって、私はそんな妹様に憧れていました。
 でも、今の妹様の方がもっと好きです」
「あ……う」

 私は他人に褒められる事に慣れていないのだ。
 そんな言葉をストレートに言われると、恥ずかしくなってくる。
 どんな言葉を美鈴に返したらいいのか本気で悩む。嬉しいのだから感謝を示したいのに、恥ずかしくて、何の言葉も思い浮かばない。

「と、とにかくっ!! 私、もう行くからね」

 私は誤魔化すように先に進む。
 美鈴の顔を見れなかったし、自分の顔を見せたくなかった。
 きっと今の私は茹で蛸みたいに真っ赤になっているだろうから。
 だから、今から言う言葉も独り言のように美鈴の方を振り返らずに言った。

「ガーデニングをまた一緒にしようね」

 聞こえるか聞こえないか程度の小さなつぶやき――のはずなのに、美鈴にはばっちり聞こえていたらしい。

「はい、もちろんです! 楽しみにしてます!!」

 その声は紅魔館中に届くんじゃないかって思うくらいに大きかった。
 私はまた体温が上がったような気がした。






 すれ違う妖精メイドたちは、みんな私に敬礼を向けてくれる。
 誰一人として私を怖がって隠れようとしない。
 みんな私を見て、私に向けて歓迎してくれているのだ。
 私にはこんな素晴らしい帰れる場所があったんだ。
 涙はもう出尽くしたと思っていたのに、止め処なく溢れてくる。

「おかえりなさいませ、妹様。
 もしくは、初めましてと申し上げた方がよろしいでしょうか」

 敬礼する妖精メイドの中から、一際礼儀正しい一人の人間が歩み寄ってくる。
 言うまでもなく咲夜だ。
 彼女は紅魔館のメイド長であり、私が最後に破壊の力を見せつけた相手でもある。

「その答えには敬意すら覚えるね。
 だって私はフランドール=スカーレットでありながら、あなたの知らないランドールでもありたいと思っているんだから」

 ――ランドール。
 元々はお姉さまがつぶやいたダジャレであり、私とメディが出会う事にもなったきっかけでもある。
 最初のころは、メディがランドールと言うたびに私は訂正を求めたが、今はそれを嬉しく思う。
 今の私はランドールでありたいと願い、ランドールでいる事を切に願うのだ。

「咲夜、あなたはどんな時にでも私の前に立ちふさがってくれた。
 適わない相手を前にして立ちふさがる事がどんなに勇気のいる行動か私は未だに分からないよ。
 咲夜はずっとそんな勇気を振り絞って、私と接してくれたんだね」
「それは違いますわ」
「へ?」

 シリアスな雰囲気にしようと思ったのに、咲夜のその一言でぶち壊されたような気がした。
 疑問符を浮かべながら咲夜を見ると、相変わらずの無表情だったが、ほんの少しだけ口角が上がったように見えた。

「私はずっと妹様のデレをお待ち申しておりました。
 ツンがあればデレがある。それを信じていれば、妹様のツンなど大した事はありませんでしたわ」
「それ、冗談だよね?」
「さぁどうでしょうね?」

 咲夜なりの歓迎方法だと最初は思っていたのだが、あまりにもはっきりと言われたために分からなくなっていた。
 私が返答に迷っていると、咲夜が言葉を続けた。

「ただですね、妹様。デレが長い間続くと私も飽きてしまうのです。
 時には――例えば妹様が疲れた時なんかは、ご自身の判断でいつものように振る舞ってもらった方が私的にもよろしいかと思います」
「……その時はショートケーキの用意をしてもらえるかな?」
「えぇ、もちろんですわ」

 ようやく咲夜の意図が掴めて、ほっとする。
 要するに彼女に言葉はいらなかったのだろう。
 以前の私ならば、それに従ったのかもしれない。だけど、今は言葉を紡ぎたかった。
 言わなくても伝わる想いもあるかもしれないが、言って伝わる想いもある。

「ごめんね、咲夜。
 そして、ありがとう。あなたは最高の従者だよ」
「勿体無きお言葉ですわ、妹様。
 ですが有り難く頂戴いたします」

 恭しく礼をする咲夜を横目に、私はさらに進みだす。
 ある程度進み、咲夜との距離が十分に空いたところで、私は振り返って聞いた。

「私は今からお姉さまのところへ行くけど、咲夜は私を止めなくてもいいの?」
「愚問ですね。
 おそらく美鈴から聞いたかもしれませんが、現在館において妹様の話題を口にする事は禁じられております。
 ですが、妹様を迎える事、そして妹様をお嬢様の元へ進ませる事には何ら禁止命令は出ておりませんゆえに」
「あぁ、それならもう私を止める事は不可能だね」

 そう言って、私は咲夜に笑いかけるのだった。






「あぁ、フラン。ようやく私の元へ帰ってきてくれたのね。
 私はこの時をどれほど待ち焦がれたのかしら。幾年、幾星霜、永遠とも思える紅い時間を私はひとりぼっちで過ごしたわ。
 私の退屈を埋められるのはあなただけ。私の暇つぶしをできるのもあなただけなのよ」

 そんなウザ過ぎる前口上を無視しながら、私は進む。

「さぁ、私のこの胸の中へ飛び込んできなさい。
 フラン、あなたが尊敬して止まない偉大なるお姉さまはここにいるわ。
 さぁっ!」


「堂々と! 贋金作って!! 紅魔館に普及させてるんじゃなぁぁぁいいっ!!!!!」

 全身全霊を込めた私の投球フォームから放たれたにっくきレミリア金貨。
 それは、以前やりたい事だけして帰って行ったお姉さまへの愛情という名の憎しみが存分に込められた。
 ばひゅうっ! と、私の憎しみを受けた金貨は禍々しい音と音速に近い速度を保ちながら、お姉さまへと一直線に突き進む。

「あいたっ!」

 かこーん! と、見事お姉さまの額に命中。
 だが、普通なら額から血を流し、あわよくば頭蓋骨貫通する程の勢いを誇っていたはずなのに、お姉さまは「いたた……」と壁に頭をぶつけた程度の痛みしか感じていなかった。
 床に転がる金貨は、確かに相応の損傷を醸し出している。
 お姉さまの石頭は、ロケットでも貫けないような気がした。

「おかしい、おかしいわフラン!」

 芝居がかかったように大仰な手振りをしてみせるお姉さま。
 おかしいのはお姉さまの頭だわ、とは言わないでおいた。
 私は常識ある妹なのだ。

「これから繰り広げられるのは感動の姉妹再会シーンだったはずよ。
 大切な親友を失い、傷心のまま家に帰ってくる妹。それを姉は優しく抱き留めるのだわ。
 そして互いの衣服を脱ぎ、全てを曝け出して一夜を過ごす姉と妹。
 そこには姉妹を超えた何かが発生しているはずなのに」
「もう死になよ、お姉さま」

 いつも通りのつっこみ。
 それをつぶやいた時にはそう思ったのだが、発してから予想以上のダメージが私を襲った。
 身体が独りでに震えだす。
 歯がガタガタと鳴り始め、私は立っていられなくなって跪いた。

「うそ……うそだよ……お姉さま。
 死んだら嫌だよ。死ぬのは嫌だよ。死ぬのを見るのはもう嫌だよ……」
「安心なさい、フラン」

 優しく頭を撫でてくれるお姉さま。
 そう、いつだってお姉さまは私の事を考えていてくれた。
 最初にランドールと茶化してきたのも私を元気づけるためだった。
 わざわざ無名の丘まで乗り込んできたのもお姉さまだけだった。その際にはわざわざ私の敵役を演じてまで、私の気持ちを確認しようとしてくれた。
 今なら分かる。私はお姉さまに甘えてばかりだった。
 そんなお姉さまに対等に接しようとするならば、変わった自分を見せるのが一番だ。
 だからこんなところで跪いているわけにはいかない。

「ごめんね、お姉さま。もう大丈夫だから。
 ありがとう、お姉さま」

 落ち込むのが自分ならば、立ち上がるのも自分だ。
 私はもう誰かに甘える暮らしに決別したのだ。

「……フラン」
「さぁ、お姉さま。感動の再会シーンはこれで終わりだよ。
 ここから先はお姉さまが霞んで消えるくらいの、私の大活躍シーンで盛りだくさんなんだから」
「えぇ、そうね。
 じゃあ始めようかしらね。カーテンコールが起きるまでにはまだ時間が残っているもの」

 私とお姉さまは同じテーブルに着く。
 それと同時に咲夜が現れて紅茶とクッキーを用意してくれた。
 紅茶を一口含むと、懐かしくもあり優しくもあるほんのり甘い味が口の中にひろがった。

「さて、フラン。ここに戻ってきたという事は、例の答えが出たという事かしら」
「うん、幻想郷において一番壊したくないもの。
 それを今からお姉さまに言うね」
「それはもしかしてメディが残した鈴蘭畑なのかしら?」
「ううん、違うよ」

 私が一蹴すると、お姉さまは不審げに眉をぴくりと釣り上げた。

「そんな小さな事じゃあないんだよ。
 そんな小さな、お姉さまのバストくらいに小さな事じゃあないんだよ」
「なぜ二度言うのか、それもなぜその例えなのか一昼夜問い質したいところではあるわね」
「壊したくないものが鈴蘭畑っていうのは、そもそもメディの願いであって私の願いではないからね」

 お姉さまのつっこみを無視して私は続ける。
 もし、私がその答えに気づかなければ、それが答えになっていたのだろう。
 メディの言われるままに跡を継ぎ、メディを引きずったまま鈴蘭畑の世話をするのだろう。
 だけど、私は日記を見て、それが違う事に気づいた。
 私とメディは似た者同士ではあるが、やはり違う存在なのだ。
 メディの願いはメディだけの願いであって、私の願いとは異なるのである。
 メディはあの日記で書いていた。自分は弱いから選択肢が限られていて私に頼るしか方法がなかった。だけど、私は強いから選択肢を創造する事ができる、と。
 でも、私は自分の事を強いとは思わないし思った事もない。
 私が選択肢を創造できるなんて考えた事もない。
 だから、私は自分のやりたいと思った事、できると思った事をするだけだ。

「一番壊したくないもの、それは世界。幻想郷そのものだよ」
「……大きく出たものね」

 お姉さまは感心の溜息をつく。
それと同時に、顔がにやついているのが見て取れた。

「鈴蘭畑だけじゃない。幻想郷全てを私は壊したくないし守りたいと思うの。
 世界は壊れやすいものだから、誰かが守らないといけないの。
 それをこれからは私が担う」
「いいね、そういう壮大な考えを私は大好きだよ、フラン。
 あなたがその考えに辿り着いた事を私は姉として光栄に思うわ」

 そこで、一転して真剣な表情に戻るお姉さま。

「だけど、それには問題が山積みだ。
 山積みの問題の中で、最も重要な条件が一つある。
 フランはそれをできると思うの? やれるだけの力を持っていると思うの?」
「メディに言わせたら、私はちょっとだけ強いらしいから。
 私がやろうと思えば、きっとなんだってできると思うんだ。
 メディの選択肢も私の選択肢も、それだけじゃなくて、幻想郷に住むみんなの選択肢も全部叶えてみせる!」
「万物の神にでもなるつもり?」
「それが私のやりたい事だからね」

 沈黙が訪れる。
 お姉さまはその間ずっと私の瞳を見ていた。
 私も目をそらさずにお姉さまの瞳をずっと見ていた。

「了解よ、フラン。家出妹のお土産としては史上最高だわ。
 で、私は何をすればいい? あなたはもう次にどうすればいいのか分かっているのでしょう?」
「うん……、まずはね」






☆ ☆ ☆






「ここもずいぶんと騒がしくなったものね」

 幽香が目の前の光景を見ながら言う。
 彼女の機嫌が悪いのは明らかであった。
 それもそうだろう。ついこの前までは、ここ――太陽の畑、及び無名の丘は誰も見向きもしない土地だったのだから。

「幻想郷を未来永劫同じ姿で残すため、それを管理する役割を作る。
 要は幻想郷を司る博麗霊夢や、結界を維持する八雲紫と同意義のような立ち位置だわ。
 よくもまぁ、そんな大それた事を考え付いたものよね」

 それでも幽香は、機嫌は悪いものの怒ってはいなかった。
 自分の育てた向日葵を大勢に見てもらって共感してもらう。それが嬉しいからだろう。
 私がこの計画を実行に移すにあたって、幻想郷のいろいろな住人に協力を得た。
 幻想郷の住人は常に刺激を求める種族であり、私の計画にはすぐに賛同してくれた。
 話題が話題を呼び、さらには私が最初の候補地をここに決めた事もあって、この場所は幻想郷屈指の有名地へとなった。
 現在ここを訪れているのは妖怪が大半だが、いずれ人里の住人も護衛を同伴の元訪れる計画が進行中らしい。
 今や私の計画を知らない者は幻想郷にはおらず、巨大な一つの輪が出来上がっていた。
 メディが危惧していた鈴蘭畑は遠回しではあるものの守る事ができたのである。

「でも、いいのかしらね。私はともかくメディの鈴蘭畑に無遠慮な妖怪を勝手に入ってるじゃない」
「大丈夫だと思うよ。
 メディは何より自分の鈴蘭に賛同してくれるのを嬉しがったからね」

 規模が拡大すれば、それだけ予期せぬ事態は起こってくる。
 それが幽香の言う無遠慮な訪問客たちである。
 ある程度ルールを守るならともかく、ひどい者になると向日葵を折ったり持ち帰ったりする不埒な輩もいるらしい。
 そういう輩には例外なく闇討ちに合うという噂も流れているが、それでもそういった行為をする者がなくなる事はない。
 幽香の言った通りメディは望んでいないのかもしれない。
 だけど、私はメディが蘭の花が大好きな事だけは知ってるから、少しでも蘭の好きな者たちが増えてくれる事を望んでいるんだと思っている。
 私の勝手な推測かもしれないが、メディならきっと笑って許してくれる事だろう。
 私の中にいるメディは常に笑顔でいるのだから。

「そういえば、幽香。
 最近では無名の丘ではなくて、違う呼び方をされている事って知ってる?」
「えぇ、何とも皮肉めいた呼び方よね」

 それは誰が呼び始めたか定かはないが、確かに最近広がっている名称であった。
 ――再生の丘。
 きっとそれを名付けた者は、ここが毒人形の少女と破壊神と呼ばれた少女の二人が作り上げた場所という事を知らないのだろう。
 それでも、そんな言い方が浸透してしまったのにはなんとも皮肉めいたものを感じずにはいられなかった。
 私はお姉さまがランドールの時のようにその場の勢いでつけたんじゃないか、と疑っているが、真相は定かではない。

「守りたいと思ってるのにどんどん変わっていくんだね。
 これって何か矛盾してないかな?」
「あら、一番に変革を促したあなたがそういうセリフを言うの? それこそ矛盾だわ」

 幽香に指摘されて、私は言葉を失ってしまう。

「だけどね、やっぱり変わらないものなんて存在しないのだから、それを矛盾と言い表す事自体がおかしな事なのよ。
 例えば、あなたがここに来てから金蘭畑が増えたわけだけど、あれも変わった事の一つよね。
 たしかに変わったものも多い。でも変わってないものも多い。
 私がいる事。向日葵が咲いている事。鈴蘭が咲いている事。
 結局のところ、根本は何も変わっていないのだわ。
 変わるとしたら世間の心だけ。場所が変わるなんて事はありえないのよ」
「じゃあ、私が今度ここに来た時にはやっぱり同じ風景が広がっているのかな」

 問いかけたつもりだったが、自分の中で答えは分かっていた。
 紅魔館を三か月留守にして戻ってきた時にも同じ風に感じたのだ。
 名前や世間が変わっても、ずっと変わらない景色もあるのだろう。
 だから、私はメディの事もずっと覚えていようと思った。


 ――ところで。
 最近、再生の丘で妙な噂が広まっているらしい。
 曰く、鈴蘭畑を走り回る謎の少女を見かけた、との事。
 話しかけようにも姿を正確に捉えられた者は皆無であり、その少女が一体誰でどこから来たのかも全くの不明らしい。
 ただ目撃証言によると、決まって少女の顔は晴れやかだったと言う。
 もし、あなたが鈴蘭畑でその少女に出会ったら、この私フランドール=スカーレットに教えてほしい。
 きっと、その少女は私に会いたがっているだろうから。


了。
涙の数だけ強くなれるよ。
アスファルトに咲く花のように。
くさなぎとーじ
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コメント



0.700簡易評価
3.100絶望を司る程度の能力削除
そこまで考えて行動していたのかメディは。そして二人がまた再会できますように・・・
4.100名前が無い程度の能力削除
レミリアが可愛いすぎて生きてるのが辛い。
5.90奇声を発する程度の能力削除
素晴らしかったです
6.50名前が無い程度の能力削除
えっと、えっと……え?まじ?
ごめん、ほんとに分かんないんだけど……これギャグSSだと理解していいの?
最初のくだりを見てシリアスだと思って読み始めたんだけど、すんげー読みづらかった。
オリジナル設定はいいけど、展開が都合主義というかカオスそのもので、不自然な点や疑問点が山積していくばかり。
これは「ランドール」っていう、くだらねー駄洒落を無理やりに拡張した結果なのでは。
ってことはギャグなんだよね……?いやほんと今混乱してる。これ何?
9.無評価名前が無い程度の能力削除
ただ長いだけ。
12.100名前が無い程度の能力削除
面白かった!
こういう物語が読めるから、そそわは止められない!!
13.100名前が無い程度の能力削除
久しぶりに文章で涙腺が緩んだ
14.80名前が無い程度の能力削除
よかったです。
17.90名前が無い程度の能力削除
なんか読んでて気になることもあったような気もするけど
いい話だったのでもうどうでもいい気分です
ありがとうございました
18.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
20.30名前が無い程度の能力削除
咲夜さんが瀟洒でかっこいい!
戻ってきたフランドールとの会話にクスッときた。
ジェットコースターな展開で登場人物に微塵も感情移入できなかったけれど、メディスンの精神的な未熟さ幼さはこれでもかと出ていて、それがわざとなら良かったと思う。
≪君が呼ぶ、メギドの丘で≫のパロですかね? あっちは知らないから分からないけれど。
21.無評価名前が無い程度の能力削除
こんなに安っぽい成長物語を読んだのは、初めてだ!
一体どうしちまったんだ!?くさなぎとーじ兄貴!いつもは面白いSSなのに…。
登場人物の脳みそがみんなカラッポすぎて、イライラする。それなのに何故かハッピーエンドに到達してしまう謎のご都合展開。うわあああああああああ!!!!
23.10名前が無い程度の能力削除
安い感動路線で理不尽に殺されたメディスンが不憫すぎる……
26.1003削除
うーん。別に安いとかは思わなかったですけどね。
フランの成長物語として非常に秀逸なSSだと思います。