Coolier - 新生・東方創想話

大鯰

2013/07/12 22:12:31
最終更新
サイズ
33.18KB
ページ数
1
閲覧数
1787
評価数
2/4
POINT
240
Rate
10.60

分類タグ


 思い返せば後悔ばかりしている。
 国を奪われたこと、天変地異に苦しむ人々を救えなかったこと。長く生きれば生きた分だけ悔恨ばかりが積み上がっていく。
 割り切ってしまえば良い。でも、どうしてもそれができない。忘れようとしても死んでいった人たちの顔がちらつくのだ。それに救えなかった人たちの苦しみに比べれば私の苦しさなどは取るに足らないものだ。辛いからと言って、安易に彼らのことを忘れるのは失礼だと思う。
 信仰者たちや自分の民を救えなかったのは私に力がないからだと自分に言い聞かせて信仰を集めようと努力をしてきた。気持ちのやりようがなく、そうとでも思わなければどうにかなってしまいそうだった。
 でも、そんな努力も時代の流れには勝てなかった。時代が進むと人々の私への信心は薄くなり、存在することさえ危うくなった。もう関心さえ払われなくなっていた。私はいわゆる八百万の神なのだが、人の心が生み出した存在でもあるだけに信心どころか関心さえ持たれなくなると存在することも出来ない。
 関心さえ払われなくなったということは詰る所、人に必要とされなくなったということだ。もはや自分の存在意義などないのかもしれない。それでも未練がましい私は失われた信心を取り戻し、存在を保つために幻想郷と呼ばれる辺境の地に移り住むことにした。
 移り住むにあたって、一緒に暮らしていた相方と一人の娘を巻き込んでしまった。彼女たちはこの大規模な引っ越しに賛成してくれたのだが、内心ではどう思っていたのだろうか。相方はへらへらしていたが外の世界での運命を受け入れていたようだった。神社の娘は外の世界の生活や友人に未練はなかったのか。勝手な意向に従わせたり、大切な友人を捨てるよう強制したのは紛れもない私だった。
 せめてもの配慮として、彼女たちが少しでも快適に暮らせるよう私は腐心した。そのくせ、従来のやり方を捨てることができず、強引に信仰を集めたり、勝手に技術革新を起こそうとしたりといった融通の利かないことしかできなかった。
 そんな行動が元々幻想郷にいた住民たちに受け入れられることは当然なかった。結局、余計な警戒心を抱かせることになってしまう。一緒に仕事をした相方がそれなりに楽しんでいたのはともかく、可哀そうなのはあの子だった。彼女は自分なりにこの新しい場所に慣れようと色々とやっていた。それにもかかわらず、私たちが余計なことをしてしまった。そのせいで元いた住人たちに白い目で見られて肩身の狭い思いをしただろう。
 結局、私は自分の民も信心深い人も救えず、挙句に相方たちにさんざん迷惑をかけている。現実から目を逸らそらし続けた結果がこのありさまだった。
 普段は威厳を保つためにもこんなことに思いを巡らせていることは表に出さないし、極力考えないようにもしている。でも、朝早くから目が冴えている今朝は、ついこんなつまらないことを考えてしまう。
 七月の夜明けは早い。カーテンの隙間から日差しが差し込んでいる。ほぼ真横から入って来る光が、今がまだ朝早い時間であることを教えてくれる。
 時計を見ると五時四十六分を指していた。隣の日めくりカレンダーは七月十一日のままで、つまり今日は十二日である。妙な日にちと時間の組み合わせだった。
 私はこういった特別な日にちを忘れられない。二つの出来事もテレビや新聞で様子を知っただけで、当事者の苦しみの半分も理解できてはいないのだろう。けれど、当事者に対して思うところはある。
 これ以上眠れそうもない。そういえば、前から見たいと思っていたが踏ん切りがつかずに見にいけていない場所があった。相方の諏訪子はまだ隣の布団の中で寝息を立てている。早苗が起き出すまでにも時間があるだろう。
 彼女たちに内緒でちょっと外を散歩してこようと思った。



 博麗神社に降り立つ。分社のおかげで移動は楽で、すぐにここまで来ることができる。朝早いせいかこの神社の巫女もまだ寝ているようで、誰もいない境内は静まり返っている。
 鎮守の森は濃い緑色で、夏らしく力強い生命力を感じさせる。深緑に茂った木々の間からさす木漏れ日はまだ太陽が低いせいか、黄金色に輝いていた。
 境内を見回して、目的の物を探す。なかなか見つからず、神社の表側をさんざん歩き回った後、本殿の裏に回り込んだ。やっとのことで、目的だった地面に大半が埋まった石が見つけられた。
 要石だ。ここの巫女はうちと違ってずぼらで、この石を祭ろうという気はないようだ。柵で囲ったり、説明書きの札を立てることすらしていない。せっかくの要石からは神性がほとんど感じられず、まるでただ地面に突き刺さった石ころとのような状態である。
 わざわざ自分の意志で見に来たというのに少し複雑な気分になった。ここの巫女の良い加減さに呆れたというわけではない。そんなことはもうすでにわかりきっている。要石は地震を抑えてくれるありがたい存在であるのだけれど、私と因縁のある神様ゆかりのもので、いざ実物を見ると嫌なことまで思い出してしまったのだ。
 気分がちょっと落ち着かない。何となく、里の方に目線を移した。
 ぱたぱたと子供の足音がする。階段を見下ろすと下の道を人間の女の子が走っているのが見えた。里のそばならともかく、朝早くから子供がこんな場所をうろついているなんておかしい。まさかこんな時間からこの御利益のない神社に参拝に来るなんてことはないだろう。
「ちょっと、そこの貴方。こんな朝早くにどうしたの?」
 つい声をかけてしまった。でも、妖怪の多い場所で、しかも人の少ない時間にうろついている子どもを放っておくわけにはいかない。
 飴色の髪の少女は突然声をかけられ、驚いたようだ。そして、何故か目をそらしながら、とぼとぼと階段を上がって来た。何か後ろめたいところがあるのだろうか。
 小刻みに一段一段階段を登る様子。子供っぽい丸顔に、大きく丸い目。その姿は小猫や小動物を彷彿とさせる。
「一人で歩いているなんて危ないわよ。一体何の用があってこんな時間からこんな場所をうろついているのかしら?」
 神様としては神社を『こんな場所』扱いするのはちょっと悲しくなる。別に私のせいではないのだけれど。
 少女は私に目を合わせず、きまりが悪そうな様子をしている。
「その……、博麗神社にお参りに……」
「そんなわけないでしょう。思いっきり通り過ぎようとしてたじゃない。
 それに、こんな何を祀っているかもわからない神社に朝早くから参拝する人がどこにいるの。見え透いた嘘はやめなさい」
 気圧されたのか、少女は目に見えて焦っていた。目が泳ぎ、頬を冷汗が伝っている。
 しばらくすると彼女はさすがに言い逃れできないと悟ったのか、指をいじりいじりしながら話し始めた。
「実は付喪神の百鬼夜行を追いかけてたんです。どうしても妖怪に興味があって……」
 好奇心旺盛というか、無謀というか……。今時の子はこんなことするものなのかなあ。
 私は溜息をついた。
「それで夜通し追いかけて、朝帰りってわけ? 途中で妖怪にでも襲われたらどうするつもりだったの? 貴方自分がどれだけ危ないことをしたのかわかっているの! こうして無事でいられるのも運が良かったからよ。反省してる!?」
「反省してます……。もう絶対しません」
 即答だった。一応反省してるかのように声のトーンは低いが、答えるのが早過ぎて逆に反省してないように思える。
「なんでそんなことしたの?」
「……」
 上目遣いで私を見る。どこか愛玩動物のようで、これ以上厳しくすることに罪悪感を覚える。でも、彼女があまり反省していないこととまだ隠しごとをしていることは確かな気がした。
 私はまた溜息をついた。
 突然、女の子は俯いていた顔を上げた。さっきまでしょげていたというのにもう立ち直っている。
「ところで、あなたはもしかして山の上の神様ですか?」
「その通りよ。私は山の上の守矢神社の二柱の一人、八坂神奈子よ」
 キャーッ、とこの女の子は目を輝かせながら黄色い声を上げた。本当にこの子はなんなんだろう。最近の幻想郷の子はみんなこんな感じ? まあ、うちの早苗も結構変わってるけど。
 冷やかな視線に気付いたのか、女の子は少し畏まった態度でこちらを見返した。
「す、すみません。失礼なことをしてしまって。こんな立派な神様に会ったことがなかったので……。
 ところで、八坂様の神社はお諏訪様と関係があるって聞いてます。お諏訪様は私も結構調べているんですけど、よくわからないことが多くて……。今日はぜひいろんなことを聞かせて下さい!」
 随分と唐突な申し出だなあ。お諏訪さまをどうして調べているのかだとかが全部はしょられていて、事情が全く呑み込めない。
 本当に調子の良い子だ。尊敬はしているみたいだけど、やけになれなれしいし。
「お世辞は結構よ。まあ質問に関しては考えておいてあげることにして、貴方、まだ自分の名前を名乗ってもいないわよ」
「す、すみません。私は本居小鈴と言います」
「小鈴ちゃん、ね。もしかして貸本屋の子かしら」
 小鈴はこくりと頷いた。
「そういえば八坂様はどんな用事でここにいらっしゃったのですか?」
 送って行こうかと聞く暇もなく、質問された。身を乗り出して目をきらきらと輝かせている。初めて会ってすぐに、しかも叱られたばかりの相手に質問をするなんて大した根性だ。
 さっきのやり取りで彼女が変な子あることは十二分に理解できた。やっぱり幻想郷なだけあって一筋縄ではいかない子なんだろう。付喪神を一人で追いかけるほどの好奇心と執着心があるなら、このまま帰るように言っても無駄そうだ。それに丸く黒目がちな目で見上げられると何となく断りにくい。
「この神社に挿された要石を見に来たのよ。ほら、数年前にここの神社だけが地震に見舞われて壊れたことがあったでしょう。その時に挿されたって話の物よ」
「へえ。ここにそんなものがあったんですか。
 要石と言えば地震を起こす龍を抑える石。天下の副将軍が調査を命令したことも有名ですね。何でも地中深くまで埋まっていて、一週間かけても掘り出すこともできなかったとか」
「随分と詳しいのね。意外と幻想郷ではそういう伝承に詳しい人間は少ないものだと思ってたけれど。長く生きている妖怪も詳しいことは詳しいけれど、良い加減なところも多いし」
 名字が本居というだけのことはあるということか。直接関係あるかは知らないけれど。
「私はお店にある本を全部読んでいるんです。それも飽きるほどに。その中にはもちろん外の世界の本も入ってます。だから幻想郷であまり知られていないことにも詳しいんですよ」
 小鈴は、ふふんと誇らしげな様子だ。
「あと、要石で有名なことと言えば鹿島さまですね。古事記でお諏訪さまを追いつめたことで有名な神様ですね。鹿島さまが要石に剣を突きたてて、地震を起こす龍を抑え込んでいるそうです」
 指先を口に当てて小鈴は少し首をかしげた。
「そう言えば、山の上の守矢神社はお諏訪さま縁の神社でしたよね。もしかして八坂様も何か鹿島さまと縁があるのですか」
 思わず黙ってしまった。小鈴は無邪気な表情でこちらを見ている。
「それに関してはちょっと答えたくないわ」
 私は笑顔を作って答えた。威圧するつもりもなど微塵もない。ただの善意の笑顔だ。
「わ、わかりました」
 小鈴は少したじろいだようだった。怒りっぽいってホントだったんだ、と呟くのが聞こえた。
「何か言ったかしら」
「ひえっ!」
「私が何か怖がらせるようなことをした?」
「い、いえ。何でもないです」
 慌てた様子で小鈴はかぶりを振った。
「おかしな子ねえ」
 一先ず釘を刺したことにはなるか。これで余計な事を聞かれることはないだろう。
 ところで彼女はほとんど自分で好き勝手に話しているだけだけれど、それで良いんだろうか。聞きたいことがあると言っていたのに。そんな私の考えも知らずに彼女はまた蘊蓄を語り始める。
「さっき要石の話をしていて思い出したんですけど、要石が龍じゃなくて大鯰を抑えているっていう話もありますよね。
 大鯰の伝承はかの有名な太閤の書簡に初めてみられて、江戸時代後期の安政の大地震の際に鯰絵を通じて広まったらしいですよ」
 鯰は……。
 鯰は嫌いだ。
 轟音とともに揺れる大地。
 そして――、
 魚の跳ねる音。
 ばしゃばしゃ。
 聞こえるはずのない音。
 ――行って参ります。
 あの娘の声が頭の中に反響する。
「八坂様! どうされたのですか。顔色が悪いですよ」
 小鈴が心配そうな様子で私の顔をのぞきこむ。
「ちょっと目眩がしただけよ。大丈夫。
 そろそろお開きにしないと家の人も起きてくるわよ。
 怒られるのはいやでしょう」
 もうこれ以上、要石のそばにいて地震にまつわる話を聞きたくなかった。
 戸惑う小鈴の手を取り、里へと降りて行った。



 小鈴を送って家に帰ると、もう早苗が起きてきて朝食の準備を始めていた。
 こちらに来たばかりのときは料理も私や諏訪子が手伝っていたけれど、それももう必要ないようだ。幻想郷では外の世界のように食べやすく加工・改良された食べ物は売られていない。初めは早苗も随分と戸惑っていたみたいだった。おそらく、それは食べ物に関することだけではなかったと思う。
 早苗は新しい環境に慣れようとして、里で子供に勉強を教えていたこともあった。そのときの彼女は随分と楽しそうにしていた。でも、私と諏訪子で他人と相談せずに勝手に地下施設を作ったせいで、私たちへの人妖からの印象が悪くなってしまった。早苗は気を使ったのかせっかくの里での活動をやめてしまった。本当に悪いことをしてしまった。
 もう諏訪子も起きていた。案の定二人にどこへ行っていたのか尋ねられたけれど、散歩にいっていたと言って適当にごまかす。要石や鹿島神のことについては、特に諏訪子には知られたくない。彼女にからかわれる材料を与えたくない。
 朝から昔を振り返っていたせいで、早苗と諏訪子の顔を見るのがほんの少しだけ辛かった。二人に対する直接の負い目もあるけれど、彼女たち、特に早苗は昔いた巫女に似ていた。むやみに昔のことを思い出してしまう。
 普段通りのふりをして三人で食卓を囲んだ。食卓には、胡瓜や茄子のような夏野菜やしじみ汁といった季節を感じさせる食材が並んでいる。でも、箸が進まない。美味しいのだが今朝のことが気に懸かって食欲が出ない。せっかく用意してくれた早苗に対して申し訳ない気持ちになる。
 食事を抜くということは情けない自分を苦しめ、罰していうことにもなるのだろうか。そんなのはもうほとんど自己陶酔のようなものだ。考えるのはよそう。
「どこか体の具合が悪いのですか」
「あんたでも食欲のないときがあるんだねえ」
 早苗には心配され諏訪子にはからかわれた。
「大丈夫。たまにはそういうこともあるわよ」
 やはり気にかかっていることがあるせいなんだろうか。けれど、こんな弱っているところを他の妖怪や人間には見せたくない。早めに悩みを解決したいと思う。
 食事を終えたあと、私は気晴らしに湖に出かけることにした。
 神社のそばの大きな湖を見下ろす。薄い靄がかかっていた。この湖のある妖怪の山は、天狗の管轄で普通は足を踏み入れれば哨戒の天狗に呼び止められる。しかし、この神社周辺は私たちの直轄であるため、ぶらついていても天狗に邪魔されない。
 湖のほとりに立って、なみなみと水をたたえた水面を眺める。今年は雨が少ないこともなくて水量は十分だった。風がないので波もほとんど立っていない。水分を多く含んだ冷たい空気が涼しげで気持ちが良い。もう七月だというのに郭公のさえずりが聞こえる。
 静かで穏やかなはずだった。
 ばしゃばしゃ。
 何かが水の中で暴れる音がする。その音が徐々に近づいて来る。
 水面にゆらりと大きな暗い影が見えた。頭の大きな魚の形をしている。
 あれは――、
 鯰か。
 思い出したくなかった出来事。いや、忘れたことなんかない。努めて意識しないようにしているだけだ。
 私は自分の身内を死に追いやったのだ。
 いや、彼女の一家族まるごと破滅させた。
 もう百六十年ほど前になるだろうか。神社には若い娘がいた。当時女性の神職はなったから、彼女は巫女を務めていた。
 明るく真面目な性格だった。なんとなく、ずれた性格や見た目で今の早苗と良く似ていた。年の頃も今の早苗と同じくらいだった。一人娘で両親にも随分可愛がられていた。
 ちょうどそのころ、家族の母親が体調を崩していた。昔は食べ物も良くなかったから今のようにすぐ治ることもなく、こじらせていた。それで彼女は毎日のように母の病気がよくなるよう仏を拝んでいた。
 巫女だというのに仏を拝んでいることが私には面白くなかった。一応、神社で仏像を置いていたこともあったが、私も諏訪子もあまり仏教が好きではない。その当時は神も仏も混ぜこぜだったから、巫女が仏を拝んでもおかしなことではないのは知っていた。彼女は神社の仕事もきちんとこなしていたから、私の好みなどただのつまらないこだわりだった。自分に病気平癒のご利益がないことの悔しさもあったのかもしれないが。
 彼女は北にあるお寺で御開帳があることを知り、参拝に行きたいと言い出した。当然、両親は若い娘の旅に反対した。両親にすげない扱いを受けた彼女は私を頼って相談してきた。
 彼女は困ったときには私を頼ってくることが多かった。両親に話せないこともよく私たちに相談してくれた。そんな彼女を可愛らしく思う反面、時々普通の人が口にするのをはばかるようなこともずけずけと言ってくるこの子が憎らしくなることもあった。
 ――どうしても母の病気が治るよう阿弥陀様にお参りしたいのです。
 案の定、目をきらきらさせながら、私にとっては面白くないことを言い出した。少しぐらい気持ちを汲むことはできないのかな、と思った。とりあえず、少しぶっきらぼうに彼女の言うことを肯定した。
 ――好きにすれば良いじゃないか。それでお前の気が済むのなら。
 若い娘の旅と言ってもどうせ親戚から同行者を募るだろうし、各地にあるうちと同系列の神社を頼れば危ない目に会うことはまずないはずだ。女性の参拝者も多いし、寺までの距離もたかが知れていた。
 彼女は真剣に母の具合が良くなることを望んでいたのだろうが、私にとってそれはあまり重要なことではなかった。打算があったのだ。母親が良くなれば彼女は仏にすがる必要もなくなるし、駄目なら駄目で、いちいち仏を拝むこともなくなるだろう。どちらに転んでも、仏に頼ることはなくなる。私は仏ばかりを頼り、私に直接頼らなかったことを根に持っていた。
 もちろんこの一家が不幸になることなんて望んでいなかった。けれど、彼女の母の具合は小康状態で、神仏に頼ったところで何かが変わりそうには思えなかった。おそらく治る見込みはないだろうけれど、すぐに悪くなることもない。そんな状態だった。どちらにしても悪いことは起こり得ない。そう考えていた。
 特に真剣に考えず、ちょっとだけ意地悪な気持ちで彼女を送り出した。
 それだけだったはずなのに。
 浅はかだった。
 どうして災害の予兆に気付けなかったのだろう。
 どうして私には地震を止める力がないのだろう。
 どうして母親の病気を治して、彼女が一人旅をすることがないようにしてやれなかったのだろう。
 どうして、あのとき意地を張って彼女を送り出してしまったのだろう。
 彼女が発って数日後、轟音とともに大地は揺れた。寺の近辺を中心に大きな地震があったのだ。御開帳に合わせてお寺参りに来ていた参拝者が大勢犠牲になった。逃げ損ねた人たちが火事で焼ける様子は、さながら地獄絵図のようだったらしい。
 一週間ほどたった後、彼女の遺体が見つかった。
 ほんの一週間前まで彼女は普通に笑って明るく過ごしていた。あまりにも現実感がなかった。
 そのときに家族に浮かんだ絶望の表情を忘れることができない。そのときばかりは、普段何かと前向きなことを言って励ましてくれる諏訪子ですら何も言わなかった。
 周りの人たちは家族に同情的だった。体の具合の悪い母親の面倒を交代でこまめに見たり、落ち込んでいた父親を励ましてくれた。
 一方で信仰は何の役にも立たなかった。そんなものなどなくとも人々は寄り添い助け合っていた。私は被災者の支えになるどころか、神職の家族の支えにもなることもできなかった。罪滅ぼしの場所すら与えられなかった。
 数ヵ月後、ショックからほとんど寝たきりになっていた母親も亡くなった。
 父親はその後立ち直り後添いをもらったが、やはり精神的に参っていたようだった。いつもは普通の人のように暮らしていたが、ときどき半狂乱になって塞ぎこんだり、暴れたりする情緒不安定な状態になった。
 太平の世になってから、久しぶりに家族が崩壊した姿を見た。戦乱の世ではよく見られた家族の崩壊した姿だった。でも、平和な世の中では現実味のないことだった。
 平静にそんなことを考えているなんて余りにも冷血だ。気に掛けていても、彼らと一緒になって悲しめない自分の人格が醜く歪んでいるように思えた。
 父親は新しく子供が生まれてからしばらくは落ち着いていたけれど、子供が成長し死んだ娘の年齢に近づいてきたある日、突然失踪した。近くの沢で着物だけが見つかり、遺体は上がらなかった。神社の中で始末をつけなかったということが逆に痛ましかった。
 何も出来なかった。こういうときこそ、信仰が人の支えになるべきだったはずなのに。でも、どうして良いのかわからなかった。気付いた時にはもう手遅れだった。
 余りにもあっさりとした末期だった。本当に簡単に家族は崩れ去った。昔あった団欒や笑顔からは想像できないほどいとも簡単に。
 ――ああ、ごめんなさい。ごめんね。
 ばしゃばしゃ。
 水の跳ねる音が近づいて来る。
 彼女が出かける前に感じた異変。
 湖で暴れていたのは――、
 鯰だ。
 ばしゃばしゃ。ばしゃばしゃ。
 嫌だ。止めて。
 地震が家族を崩壊させた。でも、その最後の一押しをしたのは私だった。
 私は今までの神社の神職の名前を全て覚えている。生臭な者もいたし、敬虔な者いた。神職だけでなく、氏子や崇敬者たちのことですら忘れることができない。皆、それぞれの意志で私と関わって、私よりも先に死んでいく。
 でも、自分で近しい者を死に追いやったのはこれが初めてだった。いや、はじめてそれに気付いただけなのかもしれない。今までも私が死なせたものがいたのかもしれない。
 もっと彼女たちにしてやれたことがあった気がする。信仰や力がどうのという前に、最善を尽くしていたことすら疑わしい。
 自分がしてきたことなんてどれほどの価値があったのだろう。神職を傷つける神なんてあってはならないはずなのに。
 どんな悪いことも全て私のせいであるような気がしてきた。苦しくて押し潰されそうだ。でも、その苦しみさえ短い人生を散らせていった人たちの無念に比べれば、些細なものなのだ。
 そもそも苦しんでいる、ということ自体が独りよがりだ。本当であれば死者を悼み悲しまなければいけないはずなのに自分の辛さ、苦しさが先行している。
 自分で自分を責め続ける。許されるはずもないのにただ懺悔し続ける。しかし、その行為がただの自己陶酔や満足のためになっていることに気付き、また自責の念に駆られる。ただ同じようなことを繰り返し、負の循環に陥っている。
 どうして良いのかわからない。過去に区切りをつけて、今生きている人のために前に進まなければならないのに、過去への拘りからそれができないでいる。後悔しないためには割り切って前向きに努力すべきなのだろう。だけれど、それは過去の辛い出来事から逃げることのようにも思える。
 どちらにしても間違っているのかもしれない。八方塞で、結局どちらの行動も取らず、ただ信仰を集めることだけに力を注ぐ。そうでもしなければどうにかなってしまいそうだった。そうやって中途半端なことばかり繰り返しながら幻想郷まで流れついたのだ。
 私は脆かった。神なのに余りにも弱い。結局周りに迷惑をかけているだけで何も出来ない。
 あの大鯰が予知しているのはきっと地震だけじゃない。
 あれが予知しているのは――、
 私の破滅もだ。
 このまま何もかも投げ出してしまいたい。一方でそれはできないと思う自分もいる。責任を投げ出すことも自害することもできない。ただ自責の念に押し潰されるのを待つだけ。
 ただ自嘲気味な笑いがこみあげてきた。
「あら、随分と気分の悪そうな顔をしてるけど大丈夫かしら?」
 突然、甘ったるい若い女性の声がした
 振り返ると和風とも中華風ともつかないような服を着た少女が立っている。顔立ちは少女のものだが、老獪で不敵な笑みを浮かべていた。薄く引いてあるリップグロスが艶っぽく、少女らしい清純さとが非道くアンバランスだった。
「こんなところで貴方に会うなんて珍しいわね、八雲紫。今日は何の用かしら」
 取り繕って何とか答える。よりによって八雲紫には弱いところを見せるわけにはいかない。不安定な気分でも意地を張るだけの根性はあった。
「あら、つれないわね。今日は用事があってきたのよ。しかもその用事はどこかの誰かさんせいでもあるの。私はとっても忙しいというのに」
 やけに『とても』という言葉を強調している。八雲紫が忙しいなんていうことを一度も聞いたことがないんだけれど。自分の部下に仕事を任せてばかりでぐうたらしているというのがもっぱらの噂だ。
「私は外の世界から入り込んだものを回収に来たの。
 どこぞの神社が無理やり幻想郷に入ってきたせいなのか、このあたりは少し結界が弱まっているみたいね。
 たまに外の世界の物が入り込んで来ることがあるのよ。
 今回入って来たのはその中でも特に大きいわ。ほら、そこにあるでしょう」
 失礼な言葉に少しむっとしたが、彼女の指差した先を見た。巨大な鉄製の船がある。さっき私が見た影はこの船の影だったのだろうか。
 嫌そうなことを言っていたのに、八雲紫は勝手に話しを続ける。今朝の小鈴と言い、今日は話したがりとよく会う気がする。
「これは大きな地震のとき津波で丘に打ち上げられた船よ。
 何年前の地震か知らないけれど、それなりに長い年月が経って忘れられてこの世界に入って来たんでしょうね」
 二十年前に大きな地震のあったこの日に入って来るなんて不思議ね、と彼女は付け足す。
 その地震ももちろん覚えていた。テレビや新聞で見ただけだったけれど、細かい情報まではっきりと覚えている。いや、覚えているというよりも忘れられないと言った方が正しい。私は大きな地震が起こるとどうしても情報を確認しなければ気が済まないようになっていた。
 よく見ると船にはいたる所に錆がういている。かなり時間の経っているもののようだった。この船をどうするのか気になった。
「それでこの船はこれからどうするつもりなのかしら」
「ふふふ、そんなことあなたに教える筋合いはないわ。
 余計なことばかりする連中になんか教えてやりません。
 頭を下げてお願いすれば考えてやらないこともないけれど」
 ここまで話をしていて教える気がないとは、つくづく性格が悪い。本当に嫌味な女。しかも、この私に頭を下げろだなんて何様のつもりだ。
 八雲紫はこちらをちらりと見た。一瞬、目と目が合う。お互いの視線が交錯した後、彼女は少し考え込んだようだった。
「どうしても聞きたいっていう顔をしてるから、特別に話してあげましょう」
 いちいち癇に障る上から目線の言い方だ。しかし、気が変わったということは、そうするほどの何かを私の表情から読み取ったのだろうか。
「これを回収して取っておくのです」
「……! どうしてそんな手の込んだことをするのかしら」
 そんな面倒なことをするなんて、ものぐさで有名な八雲紫らしくない。幻想郷に入って来たものが厄介なものなら、その場で処分してしまえば良い。その方が手間もかからないし、何より安全だ。
「ただの気紛れよ。
 外の世界ではモニュメントとかいうのがあるでしょう? それの真似事でわざととっておこうかと思ってるの」
 いぶかしげに見ていた私を八雲紫は見返した。いつもの不気味な笑いは消えて、どこか憂いが感じられる表情をしている。彼女はどこまで本気なんだろう。
「外の人間が忘れたころにでもこれをかえしてやろうかしら。
 思い出して恐怖におびえる人間どもの姿が目に浮かぶわ」
 まさか本当に言葉通りのことを考えているわけではあるまい。本心は何となくわかったがしばらくは彼女の調子に合わせていることにしよう。
「そこまでひねくれたやり方で外の世界の人間に嫌がらせをしたいの? 
 随分と手間もかかるし、どうしてわざわざそんなことをするのかしら」
「気まぐれだからこそよ。
 面白いじゃない。適当にやってみたことに人間がどういう反応がするのか見てみるのも」
 彼女は微笑をうかべていた。優しく穏やかな表情で、普段の得体の知れない不気味さは微塵もなかった。
「ところで貴方、鯰絵って知ってるかしら」
「ええ、知っているわ……」
 百五十年前のいわゆる安政の大地震の後に流行った絵。でも鯰は思い出したくない。
「鯰絵は昔、江戸であった大きな地震があった後に突然流行したっていうわ。誰が描き始めたのかわからないけれど、それこそ大流行したらしいわね。地震を引き起こす大鯰を滑稽に描いて、笑い物にするような絵だったらしいわ。元々は商売のために売り出したものなんでしょうけど、災害の後、人の荒んだ心を明るくしたんでしょうね」
 鯰には良い印象が無い。思わず顔をしかめた。
「その話は……」
 話を遮ろうとしたが、彼女に制された。
「人の話は最後まで聞くものよ。
 鯰絵は解釈によって全く違う意味を持つものになるの。単純に地震鯰を懲らしめるものから、復興に貢献した人を称えるものもある。逆に大工のように逆に復興でお金が儲かった人を揶揄するものまであるわ。
 同じ鯰絵でも捉え方が大きく違うものがあるのよ。でも同じなのは、地震に前後して暴れるという鯰の伝承から着想を得たことよ。地震なんていう人の力ではどうにもならないものも、鯰が原因だということにしてしまえば絵や文章で笑い物にすることができる。そうやって人は前向きな気持ちを取り戻したんでしょうね。
 外の世界の妖怪もそういったメカニズムで生じることがあるようね。どうしようもないことを何かにたとえて笑い飛ばす。貴方も知っているんじゃないかしら。
 災害の傷跡も同じ。意味を読み取るのはあくまで人。どんな意味を読み取るかは人それぞれ。でも、どんなことにも意味はあると思うわ。
 外の世界の医者の受け売りだけど『どんなときにも人生には意味がある』なんていう言葉もあるわ。災害の直後だとか牢獄の中みたいな過酷な場所でも生きる意味は見つけられるということよ」
「でも地震では多くの人が亡くなるわ。家族が死んだりすることに意味なんてあるとは思えないわね」
「確かに単純に人が死んでよかったなんてことはないでしょうね。
 でも、亡くなった人との立場が逆だったらどうなるかしら。自分が亡くなってその人が生き残ったら、きっとその人が悲しむでしょう。その人の代わりに自分が悲しんで、苦しんで生きていると考えられないかしら」
 逆転の発想と言ったところか。人が亡くなって辛くても、ただ割り切るように言われるだけだった。でもそんなのは無理だ。忘れることなどできないし、自分を責めてしまうものだ。でも、苦しむことにも意味があるというなら、少しは前向きな気分になれそうな気がする。
「どれほどの苦しみにも意味がある。まあ、これもさっきの医者の受け売りなのだけれどね」
 まだはっきりとした答えは出せていない。答えなんてないのかもしれない。
 私はこれまで多くの人間の死を見てきた。何一つ忘れることなどできない。余りにも後悔が大き過ぎて、それに縛られてきた。
 でも、罪の意識があり気にしているということが苦しみの原因なのだ。結局、自分の意志で過去の出来事に向き合う他にない。苦しいことは仕方のないことなのだから。苦しんでいる自分を少しでも認められれば、人の死をちゃんと悲しいと感じられるかもしれない。
 八雲紫は私の顔を見た。その表情は腹立たしいほどにしたり顔だった。
「私の考えはこんなところね。もっと考えたければ自分で勉強しなさいな。
 ただ、考えすぎも禁物よ。考えるために考えることは良くないと言っている人もいるぐらいだし」
 八雲紫は好き放題話して満足気だった。一体いつまで誇らしげな表情しているのだろう。馬鹿にされているようで少しやり返してやりたくなった。
「妖怪の賢者様の御説教、ありがたく拝聴したわ。まるで閻魔様の御話を聞いているような気分になったわよ」
「あら、私は説教なんてしているつもりはなくってよ。さっきまでのはただの独り言」
 普通に私の質問にも答えていたくせに独り言と言い張るのか、この女は。
「賢者様ともあろう方があんな大きな独り言をおっしゃるなんて、どこか具合が悪いのではないですか。それとも耄碌?」
 八雲紫は扇子で口元を隠して、わざとらしく悲しそうな表情を作った。
「あら、ひどい。女性に対して耄碌してるなんて。いくら女同士でも、そんなことをいうものじゃないわ。
 案外マナーがなっていないわねぇ。それでよく長年神様をやって来れたわね」
 お互い作り笑いを浮かべながら皮肉の応酬をする。
「あら、ただ心配しただけよ。他意はないわ。貴方が意識しすぎなんじゃなくて」
「ふん。まあ、今日のところはそういうことにして置いてあげるわ」
 彼女はにこりと笑ってそう言った。
 少しは私も元気が出てきたか。
 それにしてもやけにあっさりと折れた気がする。さっきの応酬は彼女なりの配慮だったのか。手の内で踊っていたようで悔しいが、まあ感謝しておくことにしておくか。
「そう言えば、貴方、今朝がた要石を見に行ってたわね。あれを挿した不良天人のことを知ってるかしら」
 なんでそんなことまで知っているんだろう。本当に油断ならない。
「ええ、話だけは聞いてはいるわよ」
「あいつは名居っていう家の者なのよ。名居を逆に読むと災害から人を守る神社の名前になるのも皮肉よね。貴方もその神社を知っている?」
 その神社は私にもわかる。おそらく富士の山のそばの神社だ。いまでも地元の人たちには熱心に信仰されているらしい。外の世界で信仰を失った私から見るとうらやましい限りだ。
「知ってるわ。でも綴りがちがうんじゃないかしら」
「良いじゃないの。そんな細かいことは」
 これ以上細かいことを言っても仕方がないか。
「今でもちゃんとその神社は外の世界にあるはずだわ。限られた場所でだけだけど篤く祀られているみたいね。今でも信仰が集められているみたいでうらやましいわ」
「それは良いことなんじゃないかしら。外の人間たちも昔のことを忘れてないってことでしょう。
 そういう話を聞くとお馬鹿な天人に代官様の爪の垢でも飲ませてやりたくなるわねぇ」
「でも、好き勝手に米を配ったりするとかされたら困るんじゃないかしら」
「それぐらいでちょうど良いのよ。どうせ天界の資源は余っているだろうし」
 それにあいつは体が頑丈すぎて腹なんか切れないわ、と八雲紫は付け加えた。
「確かに天人じゃ無理かもしれないわね。
 それはそうと、私だったら河童の連中を何とかしてやりたいわ。
 がけ崩れでダムを作ったりしたときには本当にはらわたが煮えくりかえりそうだったわ。
 今度、同じことをしたら、祭りの贄にでもしてやろうかしら。なんとなくあいつら蛙の代わりにでもなりそうだし」
「さすが物騒な狩りの神様ね」
「貴方も言ってることに大差はないわよ」
 溜まっていた感情を口にすると少し気分が楽になる。せっかくだからもっと誰かの話題でも振ろうか。主に諏訪子あたりの話でも。
 涼やかな風が吹いた。麓よりもほんの少し若い緑色の木々がざわめき、静かだった湖に僅かに波が立った。
 八雲紫の豊かなゴールドブロンドの髪が柔らかい風にはらはらと揺れる。無数の房に分けられた異形の髪型は何処か不吉だった。私が今しがた話していたのは妖怪である。すっかり人間同士で話しているような気分になっていた。力のある者同士が何の理由もなく話すべきではないのに、そのことすら失念していた。
「神社の代官様も所によっては評判が悪いのよ。西洋の哲学者はどんなところでも通用する共通の基準を探すというわ。けれど、時と場所、人によって見方は変わってしまうと思うわ。
 貴方も随分考え込んでたみたいだけれど、見方を変えてみるのも悪くないんじゃない? 切り替えるとかじゃなくてね。無理強いはしないけれど。
 何があったのか知らないけど、結局自分の好きなようにするしかないのよ。それはわかっているでしょう?
 貴方も長く生きているからたくさん後悔があるのかもしれない。でも、それに縛られることがあっても、あくまで貴方が勝手に負い目を感じているだけなのよ。故人の意志とは関係ないわ。
 それでも見方を変えられなくて、辛い思い出を引き摺るのなら――、それはそれで良いじゃない」
 随分と投げやりなことを言うものだ。でも逆にそれぐらいが良いのかもしれない。
「幻想郷はどんなものでも受け入れるわ。細かいことにいちいちうじうじ悩んだりする神様が一人ぐらいいても誰も咎めやしないわよ」
 八雲紫は立てた指を口にあてて、片目を瞑った。
 余計な御世話だ。あんたにも同じ様なところがあることに気付かないほど鈍くない。
 人や妖怪に関わって背負うものばかり増やして。山ほどたくさん後悔して。それでも、わからないように人を煙に巻いて。
 神隠しの妖怪。神隠しはときに残酷な事実を覆い隠してくれる。幻想郷が全てを受ける、なんてこともある意味彼女らしいことなのだ。
 私は溜息をついた。
「余計なお世話よ。貴方なんかに言われるほど落ちぶれちゃいないわ。
 それに貴方が為になりそうなことを言うなんて、なんだか気持ち悪いわ」
 私も威厳を保たなければならない。長く生きる者同士、一度でも見くびられるとその先ずっと下に見られることになる。これは私だけの問題でなく、諏訪子や早苗、神社全体の威信に関わることだ。これ以上弱みを見せるわけたくはなかった。
「あら、悲しいわ」
 八雲紫はわざとらしく悲しげな表情を作った。
「鯰絵の話に戻るけど、幻想郷に地震鯰はいないのよねぇ。別の大鯰入るけど。
 それじゃあ機会があればまた会いましょう。
 オトボウ、サラバヨ、サラバヨ」
 八雲紫が何もない場所でなぞるように指を振ると、風景に切り込みが入る。無数の目玉が蠢く奇妙な空間が開き、その中に足を踏み入れる。切れ込みが閉じると辺りは全く元通りになった。
 八雲紫は本当に好き放題話して勝手に帰って行った。少しは気持ちの整理もつきそうだから、感謝してやろうか。一ミクロンぐらいは。
 私はきっと過去のことを引き摺って行くのだろう。これからもずっと。それでも苦しみにすら意味はあると考えれば何とかやっていけるのかもしれない。
 余り前向きな考え方ではないのかもしれない。それでも明日も明後日も私は存在しているのだろうから、前向きでなくとも存在する理由が欲しかった。
 これから誰かを助けることができれば、私は楽になれるのだろうか。少しは気持ちが落ち着くかもしれないけれど、完全に解放されることなんてないと思う。それでも人のために何かしてやれることがあればしてやりたい。それはきっと自分のためにもなるから。
 彼女を死なせた後悔が、多くの人が死ぬ様を見てきた苦しみが大きすぎて、それを消すために何ができるか考えてばかりいた。
 何がしたいのかということばかりを考えると独り相撲に陥ってしまう。自分に何が求められているのか考えなければならないこともあるのだ。後悔は消せない。そればかりはどうしようもない。けれど、少しずつ前に進むことの積み重ねが、明るい未来につながると信じよう。
 どれだけ時間が経っても、安易な励ましを受けても心の隙間は埋まらなかった。
 少しだけ泣いた。あのとき悲しめなかった分だけ。やっと、悲しめた。
「おーい、神奈子。何してるのさ」
 諏訪子の明るく高い声がする。聞きなれた声はいつまでたっても小さい子供のようなままだ。
 振り返ると早苗も一緒にいた。どれ程残酷な目に会っても、人は続いて行く。
 こんな私にも待ってくれる人がいた。そして、きっと私に求められていることもまだきっとある。滅びるにはまだ早そうだ。
 一際大きく厚い雲が太陽にかかる。雲の隙間から光が差し込み、湖に天使の梯子が掛かった。光に照らし出され湖面がきらきらと輝き、澄んだ湖の中がよく見える。
 水の中を小さな魚が泳いでいた。鯰はいない。
 ばしゃばしゃ。
 聞こえるはずのない鯰の暴れる音がする。
 その音がほんの少し遠のいた気がした。
                (了)
 冒頭引用部は下記の文献に従いました。
 日本随筆大成編輯部 編.1995.日本随筆大成 第3期 8 見た京物語.吉川弘文館

 北海道南西沖地震から二十年ということで。
 衒学的な部分とのかみ合わせが悪く、ちょっと混沌とした感じになってしまいました。
櫛橋
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.90簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
ダラダラと冗長過ぎる。もっと推敲の必要が多分にある。
4.無評価名前が無い程度の能力削除
何か設定オンリーって感じで独特さがない
5.70名前が無い程度の能力削除
ドキュメンタリーのように史実を元にされているという点で教訓じみた説得力はあると思います。しかし中盤からの悩みを知るパートに至るまでに、もう少し諏訪子の苦悩が描かれていればまた違ったのではないかと思います。
6.803削除
阪神淡路大震災? は船がなんたりしないよなぁ、と思ったら北海道南西沖地震の方でしたか。
他の方が言う冗長というのも分からないではないですが、
神奈子の苦悩と史実とをうまく合わせていると思います。