HCR;~ハード・チェン・アンド・リプライ~
~Q0.真心のカインドオファー~
神社の縁側で足をぶらつかせながら、妖怪がふらふらと歩いているのをぼーっと眺める。
本当なら誰かに相談したらいいんだろうけど、一番頼りたいお二人には、今回は知恵を貸してもらえない。
気付けばあたりはもう暗くなっていて、お酒を飲んでいる妖怪も多いみたい。どんどん辺りは騒がしくなっていく。
じっと縁日のけんそうを耳にしていても、いい考えなんて浮かぶはずもなくて、ため息が一つ漏れちゃった。
「お姉さん、お姉さん! やあ、困った顔をしてどうしたんだい?」
ざわめきをさえぎって、元気な声が聞こえる。
「あ、お燐ちゃん。こんばんは」
「こんばんは」
牙を少し見せて、楽しそうに笑う。お燐ちゃんはいつでも楽しそうだ。
とことこ歩き回って、はじけるような笑顔を周りにふりまいてる。
「何をそんなに悩んでいるんだい」
お燐ちゃんは笑顔をまじめそうな顔に変えて、私の顔をのぞきこんできた。そんなに困った顔になっていたのかな。
いや、きっとペット一筋三百年の手練の技術で、私の心を読み取っているんだ。
「今日ね、本当は藍様と紫様と三人で来るはずだったんだけど」
「うん」
お燐ちゃんが小さくうなずく。なんとなく心強く感じた。
「紫様が、結界の様子がおかしいって、調べに行っちゃったんだ」
お燐ちゃんがとたんに悲しそうな顔をする。自分のことじゃないのに、こんなに思ってくれるなんて、
お燐ちゃんは私と違ってとってもいい子だ。すごく友達思いなんだろう。お空ちゃんと一緒にいるのを見てると、本当にそう思う。
「そりゃあ……仕方ないことだけど、寂しかったよね」
お燐ちゃんは少し目を足元に落としたけれど、すぐにがばっと顔を上げて笑顔になった。
「でも大丈夫、今日はあたいが一緒だよ! 寂しいのなんて忘れさせてあげる」
片目を細めて言い切るお燐ちゃん。不思議だな、さっきまでゆううつだった気分が一気に吹き飛ぶみたい。
「それから、家に帰ったら今日遊んだ話を一杯、お姉さんのご主人様たちに話してあげな。
そうすればお二人だって、お姉さんと一緒に行けなかったこと、気に病まないですむはずだよ」
そのまま“うん”と言いそうになって、あわてて考え直す。今日の私はそうじゃないのだ。
「ありがとう、お燐ちゃん。でも確かに寂しかったけど、悩んでたのは別のことなんだ」
とたんにお燐ちゃんの眉が上がって、横に伸びていた唇が縮まる。“なんだろう”という顔だ。
「紫様、今日のお祭りに来るのすっごく楽しみにしててさ」
夕方早くに起きて、藍様に髪を結ってもらっていた紫様のことを思い出す。暗い夜でも映えるよう、
いつもより少し明るい口紅を塗って、ツバメの模様が描かれた藍染めの浴衣――紫様のがみつからなくて、
藍様のを借りたやつ――に袖を通した紫様。いつもきれいだけど、それ以上にとびっきりきれいだった。
「でも、行けなくなっちゃった。なのに私だけ来てるの、悪いし。紫様に何かしてあげたくて」
お燐ちゃんがきょとんと目を丸くした。
「そうだ、プレゼントとかいいかな。
この間お燐ちゃんがくれた、お土産の湯の花、藍様にプレゼントしたら、とっても喜んでたから」
「ああ、あれかい。気に入ってくれたならよかったよ」
お燐ちゃんにありがとうを言うと、“ペットの世話を手伝ってくれたお礼だから、気にしなくて良いよ。”と鼻をこすった。
それから何度か二本の尻尾を丸めたり伸ばしたりした。照れてるのかな。
「にしても」
お燐ちゃんが目をつぶってあごに手を当て、いかにも考えているといったポーズをとった。しっぽがゆっくりと揺れている。
「お姉さんがお姉さんのご主人様のご主人様……長いね。紫様のことをそんなに気にかけてるなんてね。
お姉さんと話してるところなんて見たこと無かったから、なんか意外だねえ」
私は帽子を少し上げ、頭をかいた。
「紫様は優しくて、すてきな方なんだよ」
お燐ちゃんが、あいそ笑いでなずいた。笑っているのに口の角は持ち上がってなくて、一目見ただけで本当じゃないってわかる。
「あと、紫様とはよく喋ってるよ。お出かけのときなんか、藍様だけじゃなくて私のこともいっつも呼んでくれるし。
昔は、あんまり紫様がお話してくれないから、ちょっぴり苦手だったけどね」
「あたいは今も苦手だよ」
あまりにも正直な意見に、返す言葉が出てこない。でも、本当の紫様は違うんだよ。
「ある日ね、私、おじいさんに道を聞かれて、
“妖怪だよ、食べるよ”って言ったんだけど聞かなくて。仕方なく里まで案内したんだ」
「そりゃまた災難だねえ」
お燐ちゃんが苦笑いしている。私も思い出すだけで苦笑いだ。
「それでお勉強の時間に遅れちゃってさ。でもうまく――私にも私がなんで案内したかわかんないし――説明できなくて、
藍様に叱られちゃったんだ。その日は紫様のおうちに泊まったんだけど、夜中にお話してるのが聞こえたの。
紫様が藍様に、私がお勉強の時間に遅れた理由を説明してくれてたんだよ」
藍様が“今すぐ謝らないと”ってあわてた声を出して、それを紫様があきれながら止めていた。
“言わなかったのには本人の考えがあるのだから、むげにするのはよすように。
ただ、その遅刻のことについて、もう何も言わないようにすればいい”と。
「紫様はずっと私のことも見てくれてるんだ。
でも、私は藍様の式だから、紫様はなるべく何も言わないようにしてる。そう言ってた」
お燐ちゃんが驚いたまま固まっていたようだ。もう、ひどいなあ。
「ショーゲキの事実ってやつだね。あ、こんなこと言うのは、紫様にもお姉さんにも失礼かな」
ばつの悪そうな顔をしている。いまさらだけどね。
「もちろん私にとって藍様が一番だけど、あんなにかわいくて、
優しくて、いろんなこと知ってて、そんなすごい妖怪、なかなかいないよ」
「お姉さんはお二方が大好きなんだねえ」
目を閉じて何度もうなずいている。お燐ちゃんの中で、私と藍様と紫様は、どんな風に映っているんだろう。
お燐ちゃんがするりと音もなく歩いて、私の隣に腰掛けた。少し体を傾けて肩を寄せてくる。とってもあったかい。
「自慢を一杯聞かされちゃった。あたいも後で、お空とさとり様の自慢話、お姉さんに聞いてもらっていいかい?」
「うん」
そういえば私が喋ってばっかりだった。だめだなあ、こんなだからまだまだ子供だとか言われちゃうのかな。
「それで、お姉さんは紫様に何をしてあげたらいいか悩んでいたんだね?」
「そうだよ」
お燐ちゃんの尻尾が私の尻尾を押してくる。ちょっとくすぐったい。
「やっぱり屋台のものとかがいいのかねえ。お祭りに来られなかったわけだし」
「そうだね」
金魚、焼きそば、風車。紫様にプレゼントすることを考えると、どれもぴんと来ないなあ。
「私、ちょっと思ったんだけどさ」
お燐ちゃんと目が合う。あたりが薄暗いからか、瞳は大きくなっていた。
「“お祭りに来れなかった紫様に、少しでもお祭り気分にひたってもらうため”より
“いつも皆のために結界を見ていてくれる紫様に、ありがとうって言うため”に、プレゼントをしたいな」
「結界の点検をしているのはお姉さんのご主人様じゃなかったっけ」
「日常点検は藍様がしてるけど、紫様もいつも様子を見てるよ。おっきな変化があったときとかは、
今日みたいに必ずご自身で出向いていって、原因を調査してるしね」
お燐ちゃんが難しそうな顔をしている。親指と人差し指で耳を挟んで、何度か下から上にすっと耳を伸ばした。
「つまりお姉さんはいつも頑張ってる紫様に、ご褒美をあげたいというわけだ」
「ご褒美って、そういうんじゃないよ」
それは大それた言い方だと思うけど、お燐ちゃんは地底でペットの世話をしているさとりさんに、ご褒美をあげてるのかもしれない。
お燐ちゃんはさとりさんのペットだから、それが普通のことなのかも。
「ふふふ、それならあたいはぴったりのものを知ってるよ」
自慢げに指を立てて目を細め、尻尾をくるくると小さく回してる。
「頑張り屋さんの女の子をねぎらうには、ケーキが一番さ!」
「ケーキ?」
一瞬、お燐ちゃんが何を言ったのかわからなかった。お祭りのとうもろこしや焼きそばのにおいの中で、
ケーキのことを思い浮かべるのは大変だ。
「知らないのかい?」
「いや、知ってるよ。でもなんで?」
私は昔、お二人が里のケーキを気にしているのはなぜなのか、たずねたことを思い出した。
思い出してちょっと恥ずかしくなった。
「昔からお祝い事にはケーキ、女の子にはケーキと決まっているからさ」
「うーん、でも紫様は女の子とはちょっと違うと思うんだけど」
突然、お燐ちゃんが真剣な表情になった。立てた指を私の目の前に持ってきて、叱るみたいに言う。
「だめだよお姉さん。女の子はどれだけ歳をとっても女の子なんだ。お姉さんが言ったのは、一番言っちゃいけないことだよ。
お空もよく、さとり様がお茶を飲んでるのを見て、“おばあちゃんみたい”と言っては怒られているんだ」
そうなのかな。確かにそれも良くないけど、紫様を女の子って言うのも失礼な気がする。
「さあ、とにかく今はケーキを作ることを考えないと。さっそく材料を集めに行くよ。ついてきて!」
「手伝ってくれるの? で、でも、この間もお土産もらっちゃったし、私なんにもお返しできてないのに……」
お燐ちゃんが腰に手を当てて尻尾を立て、笑いながら言う。
「問題だよお姉さん」
<!--Question-->
あたいが、お姉さんのプレゼント作戦のお手伝いをするのは、なんでだい?
ニャ:ケーキが食べたいから
ニィ:さとり様に友達には親切にするよう言われているから
ニャニャ:お姉さんがにぼしをくれるから
ニャン:面白そうだから
<!--End of Question-->
「え、えっと」
迷っていると、ぽんと頭に手をのせられた。帽子の中で、耳がふにゃっとつぶれる。
「どれでもないよ、お姉さん。あたいはお姉さんの友達で、あたいはお姉さんが好きだから、お姉さんの手助けをしたいのさ」
やわらかくほほえんでから、頭をなでてくれる。迷っていた自分が腹立たしくて、お燐ちゃんの手の感触がよくわからない。
「あたいはペットなのに」
お燐ちゃんがほおを少しかく。
「勤勉な学生のお姉さんに友達だなんて、ちょっと失礼だったかな」
小さい声で、うかがうように聞いてくる。そんなことなくって、とっても嬉しいって言ったら、
ぽんぽんと頭を叩いてくれた。お燐ちゃんは私の友達だ。
「さあ、行こうか!」
私はお燐ちゃんに引っ張られて、縁日の神社の雑踏に入っていった。
~Q1.秘密のセキュリティクエスチョン~
お燐ちゃんに連れてこられた先は、綿菓子屋さんだった。
「なにはともあれ、ケーキを作るならまずはメレンゲだね」
目の前にはとても貫禄のある、ライオンのような男の人が立っている。金糸で竜の模様を縫った黒い着物を着ていて、
黒いガラスがはまった眼鏡をかけている。綿菓子より高利貸しといった風貌だ。
「こんばんはおじさん。頼みごとがあるんだけど」
ぎろりと鋭い目がこっちを向く。怖い。怖い人間もたまにいるんだよね、霊夢とか。
「実はこのお姉さんが――あたいの友達で、だいだいって書いて、ちぇんって言うお名前なんだけど――メレンゲを探してるんだ」
「メレンゲ……だと?」
高利貸しのおじさんがこっちを向いた。なんで怒ってるの!? ああ、自分で名前言わなかったから?
……はやく、言わないと。
「こ、こばわ、橙です。あいしつ遅れてごめんなさい。その、おこらないでくたさい」
言い終わると、高利貸しのおじさんは、袖をまくって左手で右の二の腕を掴み、右手で拳を作った。
反射的に後ろに下がろうとしたけれど、つないでいたお燐ちゃんの手に引っ張られてしまった。
目の前の渋い表情の一部、固く引き結ばれていた唇が開く。
「こんばんは、ちぇんちゃん。俺は竜という。以後よろしく」
ぎらりと目が光る。間違いない、本気だ。
「今は綿菓子の竜だが、本当はメレンゲの竜だ。三全世界に名を馳せる、メレンゲの伝道師とは俺のことよ」
拳で胸を叩く音が、鈍く、低く、響いた。そういえばここは綿菓子屋さんなのだ。高利貸し屋さんが綿菓子を売ってるなんて、
なんてしゃれがきいているんだろう。
「メレンゲのことなら任せておけ。お嬢ちゃんの欲しいぐらいなら、すぐに作ってやるさ」
メレンゲってなんなんだろう。もしかして、お金が返せなかった人間や妖怪をまとめて煮込んだ鍋料理とか……?
「私、メレンゲになんてなりたくない!」
「何言ってるんだいお姉さん」
お燐ちゃん、そんなにのんきにしてる場合じゃないよ! 早く逃げないと!
「と、言いたいのは山々なんだが、実は今困ったことになってる」
眉間にしわを寄せながら、おじさんがまた口を開いた。屋台の後ろにある大きな銀色の缶に、親指を向けた。
まさか、あの中に妖怪がぎっしり……?
「実はな、あのメレンゲマシーンは、メレンゲ職人の命ともいえるものなんだが」
やっぱり、あの大きな缶でメレンゲを作るんだ。私も、私も入れられちゃうんだ。
「その命を守るため、マシーンにはパスワードロックがかけられている。
俺はなぁ、その、その大事なパスワードを……忘れてしまったんだああぁぁーー!!」
屋台が手で勢い良く叩かれ、大きな音がした。少しもれた。
「ええー、それじゃあお姉さんのメレンゲはどうなるんだい」
「まだ方法はある。実は、ロックには安全機構があって、特別な質問が設定されている。
その質問に対する適切な答えを入力しても、ロックは解除できるんだ」
できればそのロックは二度と開かれないで欲しい。そしてお燐ちゃんと一緒に私は今すぐここから駆け出したい。
「なーんだ、じゃあさっさと答えを入力して、ロックを外せばいいじゃないか」
「その、その質問が難し過ぎて……答えがわからないんだよおおぉぉーー!!」
拳で殴られた屋台が、破裂するような音を立てる。鼻がつーんとしてきた。
「頼む、礼はする! この質問の答えを教えてくれ!」
ここが勝負どころだ。思い切っておじさんに言おう。生き残るには、お燐ちゃんを守るには、やるしかないんだ!
「それを解決すれば、命は助けてくれるんですね?」
「ああ、助けてもらえるとありがたい。これなんだ」
指し示す方向を見ると、缶に赤いテープが張り付いている。その上に細かい字で問題が書かれていた。
<!--Question-->
次の前提条件から、論理的に導くことができる結論はどれか。
メレンゲ職人は朝、必ず紅茶かコーヒーを飲み、両方飲むことはない。紅茶を飲むときは、必ずサンドイッチを食べ、
コーヒーを飲むときは必ずトーストを食べる。
メ:メレンゲ職人は朝、サンドイッチかトーストを食べるが、両方とも食べることはない。
レ:メレンゲ職人は朝、サンドイッチを食べないならばコーヒーを飲む。
ン:メレンゲ職人は朝、サンドイッチを食べるときは紅茶を飲む。
ゲ:メレンゲ職人は朝、トーストを食べるときはサンドイッチを食べない。
<!--End of Question-->
「うーん、よくわからないねえ。一個ずつ全部入力すればいいんじゃないかい?」
「ダメだ。失敗すれば爆発する」
証拠隠滅のためかな。私は消されないよね。
「じゃあ“メ”が正解だ! 紅茶かコーヒーを飲んで、両方飲むことはない。それでいて、紅茶ならサンドイッチ、
コーヒーならトーストなんだから、サンドイッチとトーストを両方食べるなんてありえないよ」
お燐ちゃんが言い切る。確かにその通りだ、何も間違っていない。でもなんでだろう、何か違和感が。
これは前にてゐちゃんと遊んでいたときに感じたような……そうか!
「待ってお燐ちゃん、その考え方だと、紅茶を飲むときにはサンドイッチを食べるんだから“レ”も“ン”も正解だし、
“ゲ”もトーストを食べるときはコーヒーを飲むから、“紅茶を飲むときに食べるサンドイッチ”は食べない、
つまり正解ってことになるよ」
「じゃあ、どれでもいいってことかい? お姉さん」
ありがとうてゐちゃん。苦い思い出も一杯だけど、てゐちゃんのおかげで大人の世界を知ったから、
今私は生き残る道が見えた。
「“大人の説明”だよ、お燐ちゃん」
「どういうこと?」
「つまりね、この問題は、紅茶とコーヒーの両方を飲むことはないと最初に書いておいて、
それからそれぞれにに対応する食べ物を示すことで、あたかもサンドウィッチとトーストを、
両方一緒に食べることがないように思い込ませてるんだ」
お燐ちゃんがきょとんとしている。場の緊張感にあまりそぐわない顔だ。
一方、横のおじさんからは、ものすごいプレッシャーを感じる。
「大人は嘘はつかない。だけど真実を隠しておくんだよ。相手に思い込ませること、
それで手を汚さずに、相手をだませるの。本当のことを言わないのは、嘘をつくことにはならないからね」
「なんだか難しい話だねえ、それで、答えはどれなんだい?」
両方とも食べることはない、というのが嘘なら、後は残った三つの中から仲間はずれを探すだけだ。
「両方とも食べられるなら、この問題でやっていいのは、両方食べる、片方食べる、の二通り。
両方食べないのはだめ。そして、選択肢の中で“食べないとき”の話をしているのは一つだけ」
高利貸しのおじさんの目が大きく開く。怖い。
「つまり正解は、“メレンゲ職人は朝、サンドイッチを食べないならばコーヒーを飲む!”」
“紅茶を飲むときは、必ずサンドイッチを食べる。”つまり、サンドイッチを食べないということは、紅茶を飲まないということ。
紅茶を飲まないのなら、“必ず紅茶かコーヒーのどちらかを飲む”んだから“コーヒーを飲む”はず。
缶についている“レ”のボタンを思いっきり押した。すると缶が高い声と低い声を混ぜたような感じで喋りだす。
<ミックス・モード・アクティヴェイテッド>
缶がかたかた揺れだす。上のふたの隙間から、しゅーしゅーと白い蒸気が出てきた。
「おお! やったぞ!」
<プリペアリング・トゥー・ディスペンス・プロダクト>
金属をこすり合わせるような音が内部から響いてくる。もう終わったし、そろそろ帰っていいよね。
静かにその場を去ろうとしたら、おじさんが大きな声を出した。
「まちな、嬢ちゃん」
バシュンと空気が抜けるような音がして、缶のてっぺんから透明な筒が飛び出した。中には白いものが一杯詰まっている。
あれが、そうなんだ。おじさんはその筒と、懐から取り出した小さな袋を持って私の前に来た。
「本当にありがとうよ。これが約束のメレンゲだ」
「やだ! 私、妖怪のひき肉なんていらない!」
後ずさると、お燐ちゃんが肩をちょんちょんつついてきた。
「何と勘違いしてるのか知らないけど、メレンゲは卵の白身だよ、お姉さん」
え、じゃあ、残酷な機械の犠牲者は、いなかったの?
「よかったぁ……」
「ほらよ、俺のメレンゲは山を抜き、世の中をおおいつくすほどだぜ。
角もつんと立って見事なもんさ。お嬢ちゃんのお菓子も、きっと最高の出来になるだろう」
少し冷たい白い筒を握ってみる。これが卵の白身だなんて、なんだか信じられないな。
「こっちの小さい袋はなんだい?」
お燐ちゃんに言われて、手の平の上にのっている小さな袋を見た。何か硬いものが入っているみたいだけど。
「お小遣いだよ」
も、もしかして危ないお金!?
「わ、私、受け取れません!」
「いいのさ、取っておいてくれ。メレンゲ職人の魂を救ってくれたんだ。これは正当な対価だ」
そういうと、おじさんは振り返って屋台に戻っていき、そのまま缶に抱きついた。
「すまなかったな、パスワードを忘れたりして」
<アイ・ドント・ブレーム・ユー>
「俺のこと嫌いにならなかったか?」
<アイ・ドント・ヘイト・ユー>
メレンゲマシーンと抱き合っているおじさん。お金を不当な利率で貸すのはいけないことだけど、根は悪い人じゃないのかな。
「ねえねえ、お姉さん、いくらもらったの?」
お燐ちゃんが指で丸いわっかを作って聞いてくる。中身を見ないのも怖いから、袋を開いて出してみた。
すると小銭がいくらか手に落ちた。
「金魚すくい五回分くらいかな。安いね、職人の魂」
~Q2.運命のロックレスアイランド~
「さて次は卵黄なんだけど……」
お燐ちゃんはそう言ってから、おじさんからもらったお小遣いで買ったりんご飴を、嬉しそうに舐める。
「あれ、メレンゲって卵白なんだよね。じゃあ、さっきのおじさんが卵黄も持ってるんじゃないの?」
指を立てて“ちっちっ”と舌を鳴らすお燐ちゃん。藍様にされているときの癖で、お燐ちゃんに近付いてしまった。
「ちょっと近いよお姉さん。歩きづらいじゃないか」
「ごめん」
あわてて体を離した。お燐ちゃんがりんご飴の棒を見つめ、爪でカリカリしてから、こっちを振り向く。
「メレンゲ職人って言うのはね、お姉さん」
遠い目をしている。お燐ちゃんのご主人様の妹さんの話をするとき、よくお燐ちゃんはこんな顔をする。
「メレンゲに誇りを持っているんだ。決してね、決してメレンゲを作ったあとの卵黄を、未練がましくとっておいたりしない。
もったいないと思うかもしれない、けどそれはメレンゲ職人として、最も恥ずべき行いなのさ」
「そうなんだ……。私、メレンゲ職人さんたちに悪いこと言っちゃった」
お燐ちゃんが笑って手を左右に振る。
「大丈夫さ、メレンゲ職人たちは皆心が広いから。お姉さんが彼らの誇りを想ってくれるだけで、きっと皆嬉しがるよ」
「うん、私、メレンゲ職人さんの誇りを覚えておくよ」
「さ、メレンゲにこれ以上かまけていても時間の無駄だし、さっさと卵の黄身を探さないとね」
私はまた、大事にしなければいけないことを知った。毎日ちょっぴりずつ大人になっていく。
私のことを“お姉さん”と呼ぶけど、お燐ちゃんはやっぱり、私のお姉さんだ。ちょっと、てつ学的かも。
「ピェンソクェウ・スウェニョ・パレシドノ・ヴォヴェラマス……。
イメピン・タバラス・ァマノスィラ・カラーラァスゥ……」
気が付いたら、お燐ちゃんは少し先を行っていた。追いつこうと歩調を速めたら、背後から歌声が聴こえる。よく知った声だ。
振り返ると、まるで何十里も走ったみたいに汗びっしょりで顔を赤くして、
羽と体を小刻みに揺らしながら歩いてくる人影が見えた。私は前を向いて歩き出した。
「イデインプロヴィ・ソエルヴィエントラ・ピィイドゥメ・ジェエエボォオ!」
がくんと体が引かれる。私の肩をつかんで耳元で歌いだしたんだ。手で押しやりながらどうにか足を前に出す。
「“イメエ”チェアヴォラ……アェネルシェロ・インフィニイイィィイイーーィトオオォォーー!!」
うるさい。
「お、女将さんじゃないか。屋台はいいのかい?」
「YOYOYO、ヒアカムズアニューチャレンジャー! チェック・イット・アウト!」
両手を拳銃のように構えたポーズをとる。最近天狗たちの間で流行ってるやつだ。
「こんばんは、ミスティア。今忙しいから帰ってね」
「雀の女将! たずねる者は! 卵の中身! 求めるあなた!
あげるよ君に! 私の黄身を! 甘くて丸い! こがねの真珠ッフォー!!」
お燐ちゃんの顔色が悪くなってきた。私のあんまり見られたくない友達に、すみやかに退場してもらわないと。
「ミスティアの卵はいいよ。友達に自分の卵食べさせようとするのやめてよ」
「まあまあ、お姉さん。もしかしたら女将さんなら、鶏の知り合いを紹介してくれるかもしれないよ」
ミスティアの目が光った。
「そんなに・嫌なの・私の・ピータン? かわりに・欲しいの・誰かの・鶏卵?
それなら・対価を・望むよ・正当! 今から・クイズを・贈るよ・決闘!
解かなきゃ・あげない・田中の・初卵! 解けなきゃ・来てよね・ライブに・絶対!
今から・出すのは・キツいよ・問題! これなら・貴方を・泣かすよ・どうだい!?」
右手の指を一本立て、ピースサインを作った左手に右手を近づけていく。
「1たす2たす3たす4! 100までたした! いくらかな?
エー、100! ビー、255! シー、5050! デー、65535!」
「5050だよ」
ミスティアが崩れ落ちた。えへへ、算術だけは誰にも負けないよ!
「さすが! 速いねえお姉さん」
お燐ちゃんにほめてもらうと、ちょっと照れるな。
「くうぅ、得意分野で橙をぎゃふんと言わせたかったのに。正解よ。1たす100、2たす99と、
外側からたしていくと、50たす51までたせる。50回101をたすから5050。やるじゃない」
しまった! お勉強のときに出てきたのにすっかり忘れてた。
「うう、藍様がせっかく教えてくれてたのに、思い出せなかったぁ……」
落ち込んでいる私に、お燐ちゃんが不思議そうな顔でたずねてくる。
「え、そうなのかい? じゃあどうやって正解したんだい?」
「1から100まで全部足したの。式神は訓練すると、すっごく暗算速くなるんだよ」
「力技だねえ……」
お燐ちゃんががっかりしてしまったみたい。次はもっと頑張って覚えよう。
「どうやら今のは引き分けだったみたいね。ならこれでトドメよ!」
<!--Question-->
答えは最後までいわないからよく聞いていてね。
南へ向かっている船が難破しました。絶体絶命と思われましたが、近くに無人島があります。
無人島の北側は危険な岩礁地帯、船が流れていけば、岩にぶつかり沈没してしまうでしょう。
南は砂浜で、こちら側に漂着すれば船は助かります。この船はどちら側に流されたでしょう?
1:北
2:南
<!--End of Question-->
「え、ええー! それだけ!?」
どうしよう、全然わからない。今の季節が夏だから、偏西風が吹いてて、海流はえっと……海なんて数回しか見たこと無いよ。
南へ向かってる船が難破したから、北の確率が高いってこと? でもこの問題、確率の話じゃないし、ど、どうしたらいいの。
「うーん、うーん」
「ふふっ、どうやら私の勝ちのようね。残念ながら、約束のものと貴方の大切にしている“何か”。
そしてあの十年前の事件の真相。みっつ全て、貴方の手からこぼれ落ちてしまうことになるわ」
え、そんな話だったっけ。なんでこんなことになっちゃったんだろう。助けて藍様。
「ねえねえ女将さん、その問題、あたいに答えさせてくれないかい?」
「ん、今度は貴方がお相手してくれるのかしら、子猫ちゃん?」
「子猫ちゃんって……。あたいが答えてもかまわないんだね?」
お燐ちゃん、まさか答えがわかったの? こんなに少ない情報で、一体どうやって?
「いいよ、もし子猫ちゃんが勝ったら、アイツは開放され、あの事件の裏で何が起きていたか教えてあげる」
ミスティアが爪をちらつかせながら言う。喧嘩になったらミスティア負けちゃうと思うけどね。
お燐ちゃんは尻尾をゆっくり振っている。獲物に飛び掛るタイミングを計っているんだ。
「答えは」
お燐ちゃんの尻尾がぴんと伸びた。ミスティアが目を大きく開く。あたりの雑踏が急に静かになって、
お燐ちゃんの声がよく聞こえた。
「南側さ」
それを聞くとミスティアが拳を握った。
「なぜ、なぜわかったの」
歯噛みしながら問い詰めるように言う。
「答えは最後まで、いわない。違うかい?」
一体どういうことだろう。全然わからないよ。お燐ちゃんってやっぱりすごい。
「それに付け加えるとすれば、心優しい女将さんは、難破した船が助からないような物語は望まない」
「私の負けよ。卵ならここにあるわ」
懐から卵を4つ取り出した。大きさは鶏くらいだけど、本当に鶏の卵かな。
「近所の空き家に住んでる田中さんからもらった鶏卵よ。安心して。田中さんはまだ独身で、孵らない卵だから」
「ありがとう」
少し温まっている。牛乳と同じくらい白くて、とってもすべすべだ。
「喜んでくれたらきっと田中さんも本望よ。でも、夫婦の愛の結晶の卵は、食べないでよね」
そういうものなのかな。卵産んだことはないからわからないけど。いつくしむような目で卵を見やるミスティアは、
なんだかとってもやわらかい雰囲気だ。お店をやっているときと同じように。いつもこうだといいのに。
「……やっぱり二人とも、ライブには来てくれない?」
ライブかあ、お腹に響くすごい音圧だから、聞くのに体力がいるんだよなあ。でも……。
「チケット頂戴。卵ももらっちゃったし、お勉強ない日だったらいけると思うから」
「あたいにもおくれよ。なんだか楽しそうじゃないか」
羽を震わせている。とっても嬉しそうだ。
「ありがとう、二人のためにきっとすっごいライブにするよ!」
お手柔らかに。言おうと思ったけど、ミスティアはもう飛んでいってしまった。
~Q3.渇望のベストストラテジー~
「そっか、いわないってことだったんだね」
「へへ、くだらない問題だよねえ? さて、次の材料は、と」
お燐ちゃんがきょろきょろあたりを見渡すと、ラムネ屋さんの前に意外な二人がいた。
「お燐ちゃん、あそこ、星ちゃんとナズーリちゃんじゃない?」
「おや、ほんとだねえ」
お燐ちゃんと一緒にとことこ近寄っていくと、向こうもこっちに気付いたみたいだ。
「こんにちは星ちゃん、ナズーリちゃん」
星ちゃんの大きな明るい声と、お燐ちゃんのそれに負けない声、それからナズーリちゃんの小さな声で、挨拶を交わした。
ナズーリちゃんはちょっとごきげん斜めみたい。星ちゃんと一緒にいるときに話しかけると、いつもそうなんだよね。
と言ってもナズーリちゃんは川にいるとき以外、いっつも星ちゃんと一緒だけど。
「いいですよね、お祭りには最適な夜空です」
星ちゃんが指差す方を見上げると、雲ひとつない空に、濃く散りばめられた星が広がってる。
じっと見てるとめまいがしそう。それから、おっきくて明るい星が、とっても大きい三角をつくってる。
「金魚すくいをしていたのですがね、全くダメでした。色とりどりの金魚の中のただ一匹もすくい取れない私に落胆しましたが、
そのとき思ったのです。この色とりどりの金魚にポイを向けるのも、あの空の数多の星に手を伸ばすのも、同じことなんだと」
ナズーリちゃんが心底あきれたという声で“何を言っているんだ、全くあきれてしまうよ”と、
手を開いて少しあげる、あきれた身振りをしながらこぼした。その顔は、本当にあきれてしまっていた。
「お二人は楽しんでいますか?」
星ちゃんが背の高い体を折るように、膝に手をあてて私に視線を合わせてくれた。
“うん”って言ってから、その頭をなでてあげたら、気持ちよさそうにごろごろ喉を鳴らした。
「んもう、嬉しいですけど、私はこれでも仏様(みたいなモノ)なんですよ」
「またまた」
てゐちゃんに言われるまで、私は星ちゃんが本当にお寺のご本尊だと勘違いしていた。
いつもすごく整った格好をしてるから、いっそうそれらしいし。でも、お寺の皆もユーモアあふれているよね。
皆でしめし合わせて、マスコットとしてご本尊様って呼んでるのだ。星ちゃんはかわいいから、確かにわかる。
けれど、本当はお寺にご飯を食べに来るトラ猫の妖怪なのだ。
「君は普段からしまりのない顔をしてるから信じてもらえないんだよ」
「うう、ナズーリンまで。でもですね、やっぱり私は、いつもできるかぎり、笑顔でいたいのですよ」
さすがてゐちゃんはその道に通じているだけあって、嘘を見破る技術も一流だ。
まあ、こんなに親しみやすい子が仏様なわけないよね。猫の顔も仏の顔も同じ三度だし、
なにより星ちゃんは仏様みたいにいっつも優しそうな笑顔だから、きっと、お寺の皆がそう呼ぶんだ。
「にぼし食べる?」
ポケットから煮干を取り出すと、星ちゃんは“食べます”の言葉と同時にひょいっと煮干を歯ではさんだ。
上を向いてから口を開いて、煮干を口の中に落とすと、おいしそうにもぐもぐと噛んだ。
「ありがとうございます」
星ちゃんとナズーリちゃんを見ていると、なんとなく紫様と藍様を思い出す。
あ、そういえばまだ材料集めの途中なんだった。それと同時に、肩をつつかれているのにも気が付いた。
「お姉さん、お姉さん」
「なあに?」
「お姉さん、星ちゃんはトラ猫だよ。あたいの推理が正しければ、バターが手に入る」
なんでだろう? いくら星ちゃんでも、バターをお祭りに持ってくるとは思えないけど。
「バターですか」
星ちゃんが人差し指を口に当てて、少し固い顔になった。
「でも、すごく疲れるんですよね。ナズーリンとの用事を果たすためにはお手伝いし難いですが、
橙さんたちの頼みを断るというのも、私には難しいことですね」
目をつぶって、何か考えているみたい。
「では、こうしましょう。実はひとつ、とても難しい問題があるのです。
私は長年それについて考えているのですが、いまだにわかりません。もしその答えを教えてくれたら、バターをお渡しします」
うう、なんだか今日はこんなことばっかりだなあ。
「あるところにとっても美味しいお饅頭屋さんがあるのです。中は漉し餡で、よくとがれた和三盆糖のすっきりした甘みと、
愛情たっぷりで育てられた丸々とした小豆のかぐわしい香り。口にすればやわらかい皮の感触の後に、
胸のすく甘く涼しい香りと、舌を包むこくと蜜の味。えもいわれぬ愉悦に引き込まれる素晴らしい逸品です」
あまりにおいしそうに言うものだから、ちょっとお饅頭が食べたくなってきちゃった。
「そのお向かいにはですね、お団子屋さんがあります。名物はみたらしなのですが、いやもう極上の物ですよ。
亀屋あわよしの製法を受け継ぎ、団子を念入りに練って滑らかにすることで、その噛みごたえは天にも昇るよう。
言い表せぬ快感の後に、白ざら糖と醤油の甘露の葛のたれが絡んで、ああっ! お腹が減ってきました」
うう、問題に集中できないから止めてよ。
「あなたはお饅頭屋さんです。あるとき、小麦粉屋さんのエージェントが現れて、あなたに安い粉を薦めてきました。
そして、安売り作戦によって、目の前のお団子屋さんのお客さんを奪うことを提案してきたのです。あなたの心は揺れだしました」
「甘いもの屋さんなのに、なんか苦い話になったね」
でもきっと、目の前で相手のお店に入っていくお客さんを見せられると、とってもつらい気分になるんだろうな。
相手のお店のお客さんを奪っちゃおうって思うくらい。
「商売人の仁義に反するから、と小麦粉屋さんにお帰り頂くあなたでしたが、引き戸を開けると、向かいのお団子屋さんから、
上新粉屋さんのエージェントが出てくるのが見えました。そして、お団子屋さんの主人と目が合います」
うわあ、なんてタイミングなの。
「両店とも、相手が抜け駆けしないか、疑念にかられます」
「そうだよね」
「お饅頭の原価の内、粉の占める割合を考えると、粉のコストダウンをしても、高々2割の安売りしかできません。
また、お団子に新しい粉を使用して安売りを行っても、2割引が限界です」
そうなんだ。残り8割はそれぞれ、あんこと串ってことなのかな?
「それは相手にも簡単に予測できることです。あなたもお団子屋さんも、互いに安売りするなら2割引だろうと予想が付きます」
お饅頭屋さんもお団子屋さんも、算術得意なんだなあ。
「2割引の安売りを行うことによって、お客さんを奪い、月の売り上げを1.2倍にすることができます。
奪われた方は月の売り上げが0.5倍になります。ですが、これは相手が対抗してこなかった場合です。
もし相手が安売りで対抗してくれば、両方とも2割引で売り上げは0.8倍です」
小数はやめて! この間入れたルックアップテーブルに抜けてるところがあって、割り算たまに間違えちゃうの。
「つまり両方安売りを行わないなら現状のまま、両方とも1.0倍です。両方安売りを行えば両方とも0.8倍。
相手のお店が対抗してこなければ、安売りしたほうは1.2倍で、もう片方は0.5倍です」
こんがらがってきた。お燐ちゃんもあきらめて、ナズーリちゃんにちょっかいかけ始めてるし。
「決断のときは迫っています。橙さん、あなたがお饅頭屋さんならどうすればいいですか?」
う、うーんと、私お饅頭は作ったことないよ……。
「もちろん、この問題にはまだ明確な答えはありません。なので条件をつけます。
お饅頭屋さんもお団子屋さんも、損だけはしたくないと思っています。なるべく損を少なくするには、どうすればいいですか?」
えっと、損を少なくするなら、安売りしたら売り上げが2割減っちゃうし、でも、もし相手が安売りしたら、そうか!
一番大きな損が出ちゃうのは、こっちが安売りしないで、相手が安売りしてきたとき。つまり、なるべく損を少なくするなら、
安売りすればいいんだ。相手がどうしようと、0.5倍まで下がることはないんだから。
「安売りします」
「正解です」
やった! 私お饅頭屋さんの才能あるのかな。
「最終的に両方とも、“自分が損をしないこと”を最優先することで、売り上げは0.8倍になってしまいました。
経営は苦しくなる一方です。悲しいことですね。両方とも相手を信じれば、売り上げが減ることはないのに」
「そんなことがあるんだね」
私がかんしんしていると、星ちゃんが自分のほほを軽くつまんだ。子供っぽいしぐさで、
“お団子や饅頭が安く買えたら嬉しいですが、そのせいでお菓子屋さんが続けられなくなったりしたら悲しいですね。”
と本当に悲しそうに言った。お話のことだけど、お菓子が好きな星ちゃんにはお話でも嫌なのかな。
「さて、今のが練習問題です」
ええっ! うーん、けっこう難しいお話だったのに、まだ本番じゃなかったなんて。
「本番に行きますよ」
「うん」
星ちゃんが、いつもと同じ笑顔なんだけど、何かちょっと違う?
「あなたは今、犬さんたちの村、ワンワン村の村長の右腕です」
想像もつかないなあ、それは。
「あなたはずっと自分が猫であることを隠しています。なぜなら」
滑らかに話していたのに、少し言いよどむ。
「なぜなら猫さんと犬さんは――その村での話ですよ――昔からいがみあって、その結果、大切な家族を失ったりしたのです。
そんなことをされた者は、相手に仕返しをしてしまいます」
「それは、黙ってはいられないよ」
「理屈では、もしくは仏様の教えでは、争いは悪いことです。大切な仲間を失う悲しみは、どのような生き物も同じでしょう」
私には仏教はよくわからないし、お肉は食べるけど、友達がひどいことされるのは嫌だな。
「しかし感情はそうではありませんね? ですからあなたは、絶対に争いを回避するため、身分を偽っています」
でも、私はどう頑張っても犬には見えないと思うけどなあ。
「あなたは村長と村長の周りに集まる仲間たちと暮らしているのですが、実は仲間も猫さんですし、村長は狐さんなのです」
全然犬の村じゃないよそれ。
「皆で楽しく平和に暮らしていました。犬の振りをしている限り、仲間以外の村の皆も、とっても優しく親切に接してくれます」
うーん、まあ、そういう幸せもあるのかな。
「とても素敵な方々ですが、当然、悲しみを忘れるような犬さんたちではありません」
星ちゃんの顔が見るからに暗くなる。どうしてか、私もちょっと胸が苦しい。
「ある日、村長が狐さんだということがばれてしまいます。犬さんたちは狐さんとも非常に仲が悪いのです」
それはびっくりだよね。
「若い犬さんのリーダーが、村長の家の前で、あなたと猫さんたちに言いました。“村長はひどいやつだ。俺達を騙していたんだ。
一緒に村長をこらしめよう。”それを聞いたあなたは困ります。あなたは狐さんが本当に大好きなのです」
まさか、狐さんって藍様のこと? ああ、問題に集中しないと。
「あなたが言いよどんでいると、犬さんたちがあなたと猫さんたちを怪しみ始めます。
“どうもおかしいな、狐さんは犬さんの敵じゃないか。おとなしく狐さんを引き渡しておくれよ”」
犬ににらまれながら、藍様を差し出せって言われたら、たぶん、どんなに大きくて牙が鋭くても、私は嫌だって言うよ。
「あなたは慌てます、このままじゃ大変なことになる。もし狐さんを引き渡せば引いてくれるかもしれない、
しかし後ろの方の犬さんたちがいぶかしんでいるのがわかります。このまま引き渡しても、もしかしたら引いてくれないかも」
だったら、戦うしかないよ。どんなことがあっても、私は藍様がいなくなっちゃうなんて、いや。
「ところで、橙さんは犬さんは好きですか?」
「キライ」
「あはは、私も少し苦手です。でも犬さんたちは仲間思いで、礼儀正しくて、良い方が多いですよ」
そうかなあ、みんな私を見るとほえてくるし、今は藍様を取ろうとしてるんだよ。
「この問題の前提として、あなたは犬さんを好きということにしておいてください。
あなたにとって、犬さんを失うのは、それもまたものすごく大きな損害なのです」
うーん、まあ犬さんたちの村に住んでるくらいだし、私は犬さんのことが好きなんだね。そういうことにしよう。
「犬さんも引くか引かないか迷っています。犬さんは、あなたたちが狐さんを大事に思っていることを知っています。
そして、あなたたちが犬さんでないのでは、と疑っています。しかし、争いになった場合、
犬さんたちにも大きな被害が出ることが予想されます。犬さんはそれを望みません。それでも狐さんは許せません」
やっぱり仲良くなれない。
「あなたは狐さんを諦めるか諦めないか迷っています。相手も自分達も引かなかった場合、凄惨な結末が予想されます。
狐さんを諦めても、相手が疑いを持ち続けた場合、狐さん無きあなたたちは、なすすべなく捕らえられてしまいます。
しかし引いたほうが、犬さんたちの心情はよくなり、あなたたちは犬さんたちの出方次第で助かることになります」
星ちゃんが珍しく、笑顔じゃない真剣な表情をしてる。星ちゃんも狐さんが好きなのかな。
そういえば、藍様と一緒にいるときに会うと、よく星ちゃんは藍様をお茶に誘おうとしてたっけ。
私を見つめる星ちゃん、なんだかとっても悲しそう。いつも笑顔だから、そんな風に感じるだけかもしれないけど。
「問題を単純化すれば、結末は4つになります」
<!--Question-->
狐さんを救うのを諦め、相手が引いてくれれば、あなたは狐さんを永遠に失います。犬さんたちは狐さんを得られます。
狐さんを救うのを諦め、相手が引かなければ、あなたは狐さんと仲間たちを失い、犬さんたちは狐さんと猫さんたちを得られます。
狐さんを救うために立ち向かい、相手が引いてくれれば、あなたは狐さんを助けられます。犬さんたちは狐さんを失います。
狐さんを救うために立ち向かい、相手が引かなければ、あなたは狐さんと仲間を大勢……犬さんたちも沢山仲間を失うでしょう。
被害を最小限にするため、あなたはどうすればいいですか?
<!--End of Question-->
「うう、難しいよ」
「ええ、難しいです」
藍様を救うのは絶対に諦められない。だけど、犬さんたちも仲間の猫さんたちも失うわけには行かない。
ううー! こんなとき、どうすればいいの。
「私は藍様、仲間たち、犬さんたちを失うわけには行かない。立ち向かって犬さんたちが引かなかったら全部なくなっちゃうから、
立ち向かうわけには行かない。犬さんたちは、仲間たちと藍様が私にとって大切なのを知ってるから、引かない」
そうだよ、これ、初めから答えは一つしかないよ。でも、そんな、藍様も、もしかしたら猫さんたちも、
みんな取られちゃうなんて嫌だよ!
「わかるけど、選べないよ」
「そうです。でも選ばなくてはなりません」
いじわるな問題だよ! こんなの、正解できても嬉しくない。
「私は藍様を諦めるなんてできない!」
「そうですね。では皆で争って酷い結末を目にすることになるかもしれませんね」
うう、お燐ちゃんと目を合わせてみたけど、やっぱりいい方法は無いみたい。ナズーリちゃんもさっきから黙ってるし。
星ちゃんがこんないじわるな問題を出すなんて思わなかった……。
「私、私は」
答えようとした瞬間、さっと視界に何かが割り入ってきた。私よりずいぶん背の低い、紫色の服を着た、
すこし目が細くて顔が長い、人型の妖怪だ。両手を胸の前に構え、手を前に出したり戻したりし始める。
「オッス! オラあずき小僧!」
今度は両手を顔の横にそえて、背を反らしたり戻したりした。
「ちょっぴり悩殺ボディな妖怪さ!」
声を出した背の低い謎の妖怪に、皆が身構える。それに答えるように、頭の後ろで手を組んで、
ひじを前に突き出し、背を丸めたり伸ばしたり。
「やめてくれ! 塩をかけるのはやめてくれ!」
あたり一面が静かだ。皆じっと、紫色の服を着た、小さな妖怪を見ている。
「橙」
「わ、私?」
あずき小僧が私に話しかけてる? 前に会ったっけ?
「考えるんだ橙。皆が助かる道はある。いいかい、ルールを突き崩すんだ。選択は相手と同時じゃないといけないのかな?」
どういうことか聞こうと思ったら、ウィンクをして身をひるがえし、飛び跳ねて行ってしまった。
小さくなったところで振り返って、“あでぃおす”と叫んだ声が、いつまでも頭の中で響いている。
「同時に……」
なんだろう、どうやったって、時間なんか関係なくて、どうしようもなさそうだけど。
でも、違うんだね。あずき小僧は何かを知ってるんだ。なんなんだろう。私、知らないことが一杯だから、
知りたいよ。今、皆を助ける方法が知りたい。
「びっくりしましたね、橙さん。ところで、答えは出ましたか?」
さっき、お饅頭やさんとお団子屋さん、損をしないために両方安売りをして、両方損した。
だけど、もし先に安売りをして、相手のお店の反撃が遅れたら?
「あは」
わかっちゃった、わかっちゃった!
「わかったよ星ちゃん! 私はやっぱり藍様を諦めない!」
「猫さんたちや犬さんたちがどうなってもいいのですか?」
絶対に皆助けて、藍様だって渡さないよ。
「犬さんたちだって、仲間にケガさせたくない。だから“決断する前に”私は犬さんたちにこう“言う”の。
“あなたたちが引いても引かなくても、私は絶対に藍様を諦めない。”って。」
星ちゃんがちょっと驚いてる。えへへ、またまた正解しちゃったかな。
「さあ、私の答えは決まったよ。犬さんたち、いっせーので、一緒に決断を言おうよ」
星ちゃんは頭をかいて笑い始めた。間違っちゃったかな。でも、ぜったいこれでいいはず。
選択肢じゃなくて、“どうすればいいか”って問題だったもん。藍様を助けられる唯一の方法だもん。
「もういいんじゃないか、ご主人」
さっきまでじっと黙って、お燐ちゃんのちょっかいに応戦していた、ナズーリちゃんが口を開く。
「見事だよ橙。時間の要素を取り入れて、先制攻撃を仕掛けたんだ。犬たちはその言葉を聞けば、
失うことを恐れて、もう引かずにはいられない。一気に状況を逆転する最善の一手だった」
やった! やっぱり正解だった!
「ええ、そうですね」
「もちろん現実の問題はこんなに単純じゃない。しかし橙が考え付いたのは、この問題には素晴らしい策だったよ」
ナズーリちゃんはそう言うと再び押し黙ってしまった。星ちゃんは片手で顔を洗ったり、すこしきょろきょろしてから、
やっぱりいつもと違う、元気のない笑顔で言った。
「その選択ができれば、どんなに素敵なことか。私も勇気があれば、そうできたかもしれません」
星ちゃんが私の頭をなでてくれる。いつもより少し、ぶっきらぼうな感じ。
「橙さん、あなたは賢いですね。勇敢でもある。これからも、きっと後悔をしない選択をして下さいね」
星ちゃんは乾いた笑顔だけど、それでも、嬉しそうな声色だった。
「星ちゃんは今、幸せ?」
「なんですか、突然」
今までのことを忘れてしまったかのように、きょとんとしている。
「そうですね、今は……聖はいるし、ナズーリンも一緒にいてくれるし、一輪、雲山、村紗、ぬえ、皆いてくれます」
目をつぶって数えるように口にする。
「だからですね、幸せですよ」
そうだよね。星ちゃん、いつも会うたびに嬉しそうな顔してるもん。
「だったらね、星ちゃんは勇気いっぱいだよ。ライオンと違って、大きなボウルにいっぱいの、緑の液体を飲む必要もないくらい。
私にはわからないけど、星ちゃんはきっといっぱい困ったんだよね。でも今幸せなら、星ちゃんは勇気いっぱいだよ」
えへへ、恥ずかしがってる。かわいいな。
「すみません橙さん。今日は実は、こっそりお酒を嗜んでいたのです。それで、こんな……」
そういわれると、ちょっとお顔が赤いかな? 星ちゃんお酒に酔うといっつもすごいからなあ。
でも、気にしてないよって、手を伸ばしてのどをごろごろしてあげた。
「聖に怒られますし、そろそろ止めるべきなのかもしれませんね。
ありがとう橙さん。私には答えがわかりました。私は溢れるほど勇気をもらいました」
~Q4.銀河のエンクリプテッドワード~
「どういう仕組みだったのお燐ちゃん、あれ」
「虎が木の周りを回るとギイができるのさ。トラ猫ならきっとバターになると思って、大当たりだったね」
黒の斑点の付いた黄色いバターを紙に包んで、私たちは提灯の明かりの下を歩いていく。
なんとも言えないけれど、でも、星ちゃんが頑張って作ってくれたものだしなあ。
「やいやい! そこのお前ら! こんなところで何してる」
「どうしたぬえ。おや、橙じゃないか」
目の前に黒い影が現れた。うわぁ、毎度のことだけど、やっぱりお祭りだと面倒な妖怪に会うなあ。
「こんばんは、ぬえちゃんさん、てゐちゃん」
「おばんですにゃー」
お燐ちゃんも露骨に嫌な顔してるし。
「ぬえちゃんさん、今日は村紗さんと一緒じゃないんだね」
「どうせまたくだらないことで喧嘩したんだろう。さっさと戻って謝ったほうがいいよ」
お燐ちゃん、そんな頭から決め付けなくても。
「うるさいわね! あんたペットの癖に生意気なのよ!」
でも、図星。だよね。喧嘩してなければ一緒にいるだろうしね。
「あんたもペットみたいなもんじゃないか。船長さん船長さんってぐるぐるまとわりついてて」
「なにぃー!」
お燐ちゃんとぬえちゃんさんが喧嘩を始めてしまった。と言ってもぬえちゃんさんの攻撃を、
からかいながらお燐ちゃんが避けてるだけだけど。ぬえちゃんさんも強い妖怪なのに、お燐ちゃんすごいなあ。
「馬鹿ばっかりだね。ところで橙、いまお金持ってる?」
てゐちゃんに肩をたたかれて、詰め寄られた。
「持ってるけど、なんで」
「実は今、ぬえと一緒にお祭りエスコートをしているんだ。危険なぼったくり屋台から守ってあげる。友達だから安くしとくよ」
「いいよ、遠慮しておく」
私がてゐちゃんを振り切ろうとすると、横からぬえちゃんさんが、がしっと腕を掴んできた。
「そんなこというなよ橙、お姉さんと楽しい遊びしよーよ」
これで私はぴーんときました。ああ、これは例の仕草だって。うわあ、嫌だなあ、怖いなあ、村紗さん来ないかなあ。
なんて思ってると、てゐちゃんが話しかけてくるわけですよ。
「橙、大丈夫さ、耳の毛まで毟ろうってわけじゃない」
「全く安心できないよてゐちゃん」
お燐ちゃんが飛び込んできて、私を二人の腕から救い出してくれた。すごい、かっこいい。
目は釣りあがって、耳が後ろを向いて、ぺったり頭に張り付いている。普段はあんまり見られない表情。ちょっとどきりとする。
「橙、私とお前は長年の友達だ。だからよしみで案内させて欲しいんだけど、どうしてもいやだっていうなら……」
てゐちゃんが腕を後ろに組んでうつむきながら、かかとをとんとんと鳴らす。兎が仲間に知らせるときの方法みたいに。
この感じは、もしかしてまた?
「実はな、博麗神社で商売をする上で、大きな壁に直面してしまったんだ。
このたかまちを見回りしているくそ面白くない天狗どもがいるんだが」
ああ、霊夢があくどい屋台とかを取り締まるために、無理やり連れてきたんだよね。かわいそうな狼さんたち……。
「そいつらのせいで、私らもいよいよ危なくなってきた。しかし、ここでは営業許可証の代わりに、
ちゃんと営業許可を貰った奴には、合言葉を教えているんだな」
「合言葉?」
そんなことしてるんだ、なんか大変だね。
「それで営業許可の確認を行っているわけだが、そこに付け入る隙ができる」
うーん、後で狼さんたちに教えてあげよう。
「昨日は合言葉を盗み出すことができたけど、今日はうまくいかなくてね」
「そ、そう」
「合言葉の候補のリストが手に入ったから、このうちのどれかが本当だと思うんだが、
最後まで決めあぐねていて、結局ぎりぎりで決めてしまったようなんだ。だから私はまだその合言葉を知らないのさ」
まさかそれを私に盗み出せって言うの? できないよそんなの。絶対藍様に怒られる。
「正しい合言葉を私に教えてくれ。もしできなかったら」
てゐちゃんが話している途中で、ぬえちゃんさんがてゐちゃんの両肩に手をかけて身を乗り出してきた。
「私とてゐは今、ミスバスターズっていうチームを組んでるのよ」
「はあ、それがなんの関係があるんですか」
ぬえちゃんさん、根はいい人なんだけど、いたずらしてくるから苦手だ。
「私たちは色んな“神話”をぶち壊してるわけ」
「仏教も神話だと思いますけど」
ぬえちゃんさんが怒った。やぶへびだった。
「そういう意味の神話じゃないわ。黙って聞きなさい。この間、犬を河童の洗濯機に入れたら壊れるか検証したの」
うわあ、かわいそう。
「ぎゃーてぎゃーてうるさかったけど、壊れなかったわ」
「そうですか」
「次は猫よ」
え?
「マイクロウェーブオーブンに猫を入れると、死んじゃうらしいのよね」
ぬえちゃんさんが私の体を、後ろからがっしり抱きしめた。藍様と違ってなんか硬い感触だ。
「暗号がわからなかったら、検証開始ね。ついでに実験へのエスコート料金も頂くわ」
マイクロウェーブオーブンってなんだろう。わからないけどすごく怖い。
っていうかぬえちゃんさん、死んじゃうんだったら、天国へのエスコートになってしまうのではないでしょうか。
お燐ちゃんに助けを求めたら、落とし穴にはまってにゃーにゃー言っている。こうなったら早く問題を解いて助けないと。
でも不安だな、てゐちゃんの問題、私今まで正解できたことあんまりないし。
「もういいかい、じゃあいくよ橙」
てゐちゃんが妖力で宙に文字を書いていく。うっ、なんだか難しそう。でも大丈夫、きっと私ならできるよ!
<!--Question-->
今の季節に関係する単語らしい。
1:EFOFC
2:CNVCKT
のとき、3に当たるものが合言葉だそうだ。見つけた候補は下の4つ。
甲:YHJD
乙:SBDX
丙:NLVV
丁:ORYH
<!--End of Question-->
えーっと、なにかの省略かなあ。こういうのであるのは、曜日を表してるとか、時代の名前を表してるとか。
でも、1番2番の番号が振られてるから、ちょっとちがうかな。
「そうか、3つあるものなんだね」
てゐちゃんは無表情だ。てゐちゃんとテキサスホールデムをやると、ハイカードでポットを全部かっさらわれたりするから恐ろしい。
えーっと、ってことはもしかして数字かな。でもVから始まる数字はないか。そうだ、藍様の授業で出てきた、
暗号解読を試してみよっと。EFOFCだから、FGPGD? 違うな、DENEB。CNVCKTって6文字だよね。
わかったぞ!
「答えは夏の大三角! デネブ、アルタイル、ベガだよね?」
「橙、候補の中にそんなのないけど」
あ、しまった。
「お姉さん、どういうことだい」
穴にはまったままのお燐ちゃんが尋ねてくる。なんだかちょっとお間抜けだ。
「暗号には2種類あるの。シーザー暗号とスキュタレー暗号っていうのがあって、シーザー暗号は文字をずらして、
スキュタレー暗号は文字の位置を入れ替えるの。例えば“またあしたね”を例にすると、
シーザー暗号では“みちいすちの”、スキュタレー暗号なら“まあたたしね”今回は、シーザー暗号だったんだ」
てゐちゃんはまだ無表情だ。“早くしろ”という目線を送ってきている。
「さらに1番は1つ、2番は2つずれてるから、3番は3つずらす必要があるんだ」
「2つって?」
「デネブはアルファベットを1文字ずらすだけだけど、“A”BC、“L”MN、“T”UV、“I”JK、“R”STは、
2文字ずらしてるから、最後のベガは3文字ずらす必要があるの」
星の名前と、規則がわかればもう解決! よかった、早くお燐ちゃんを穴から出そう。
「答えは“SBDX”」
そう言うと、お燐ちゃんがそれをさえぎった。
「待ってお姉さん、何かおかしいよ」
そうかな、あってると思うけど……あ。
「そうか、答えは“YHJD”だね」
ずらす方向間違えちゃった。
「やるね橙。ありがとうよ。これで商売ができる」
「ううん、お燐ちゃんが言ってくれなきゃ間違ってたよ。お礼ならお燐ちゃんに言って」
お燐ちゃんが恥ずかしそうに耳をぴこぴこ動かしている。あ、そうだった、早く穴から出してあげないと。
ああ、それにしても、秘密の合言葉をてゐちゃんに教えたりして、謎の案内人詐欺の被害者を増やすだけだよね。
「ねえてゐちゃん、まだやる気なの、さっきの」
「でもな、橙、こいつがどうしても金が要るって言うんだよ」
親指で指す方を見ると、ぬえちゃんさんが顔を膨らませている。
「ぬえちゃんさん、何か買いたい物あるの?」
横目でちらっと私を見てくる。
「貝殻」
貝殻? なんでそんなものを。
「ムラサにあげるんだ」
ああ、仲直りのためにね。あ! そうだ、お燐ちゃんと会う前にやったくじ引きで、私、貝殻当てたんだ。
1等は干し貝柱だったけど、2等でよかった。でも、ぬえちゃんさん頑固だから、単純にあげるって言っても受け取らないよねえ。
これ以上の被害者を増やさないためにはどうしたら……。
「ねえてゐちゃん、てゐちゃん何か持ってない?」
「私? 貝殻はないけど……今日里で、示談の交渉の手伝いをしてきたから、報酬でこれもらったんだ」
なんだろう、MCナイロン袋に白い液体が詰まってる。メレンゲに似てるけど。いやいや、それより問題があるよ。
「資格なしで示談交渉を手助けしたら非弁行為になるよ……」
「いいんだよ。人の良い牛飼いの老夫婦が騙されそうだったから、助けてやったんだ。私は人に幸運を運んだだけだよ」
そんなむちゃくちゃな。
「でもなあ、仲直りに生クリームなんて持ってっても、意味ないしなあ」
これ、生クリームなんだ。あ、もしかしてケーキの材料に使えるかな? いいこと考えた!
「せいぜい、顔面パイで許してもらうとかか」
考え込んでるてゐちゃんの脇を抜けて、ポケットから、白くて大きい、内側が虹色に光る貝殻を取り出す。
それから、さっきからふてくされて、ふわふわ飛んでるぬえちゃんさんに声をかける。
「ねえ、私貝殻持ってるんだ」
「あ……それ……」
目が釘付けだ。
「い、いらないよ。哀れんで恵んでもらうほど落ちぶれちゃいない。欲しい物は自分で手に入れるのさ」
案の定だよ。
「ぬえちゃんさん、これで生クリームを売って欲しいの。貝殻ってお金にも使われてるんだし、いいよね?」
ぬえちゃんさんが驚いてる。
「あ、あ」
「あ?」
うつむいて、手を握り締めちゃった。どうしたんだろう。
「……ありがと」
まわりの音が遠くなる。ぬえちゃんさん、耳を赤くして、小声で、でも確かに“ありがとう”って言った。
村紗さんが本当に好きなんだな。ほんとはかわいい妖怪なんだよね。いつもはひねくれてるけど。
「ちょっとまて橙」
急に現実に戻された気がして、目をやると、いつの間にかてゐちゃんが横に回ってきていた。小声でささやいてくる。
「クリームは私のだぞ」
今! そういうタイミングじゃ! ないでしょ!
言い返そうと思ったら、にゃーんとお燐ちゃんが鳴く声が聞こえた。
「まったく、そんなことのためにカツアゲみたいなことしてたのかい」
うん、まあそれは良くないことだよね。でもぬえちゃんさん昔の妖怪だから……てゐちゃんもそうだね。
「汚れた銭で買った物じゃ喜ばないよ」
「う、うるさいわね」
お燐ちゃんが言うと、なんだかすっごく決まってる感じだ。本当にその通りだよね。
ぬえちゃんさんがお燐ちゃんをにらむ。そして、お燐ちゃんの言葉に答えるようにてゐちゃんが口を開いた。
「ふん、おぼえときなぬえ。例えどんなに穢れた銭だろうと、お前が村紗を思う気持ちは本物だ」
すごい正論っぽいけど、なんかごまかされてる気がする。
「とにかく、ぬえちゃんさん、これをもって早く村紗さんのところに帰らないと。
きっと村紗さんも、喧嘩しちゃったこと後悔して、ぬえちゃんさんが帰ってくるの、待ってるはずだよ」
ぬえちゃんさんはもう一度小さい声で“ありがとう”って言って、飛んでいった。
~Q5.私のフレンドインディード~
お燐ちゃんが落とし穴で泥だらけになってしまったから、泥をはたいて、いったん神社の中に入った。
そして、紫様と藍様が同時に潰れちゃったとき用に霊夢が置いてくれた私の服を、お燐ちゃんに着せてあげた。
「どうかな、あたい、似合ってる?」
「う、うん」
なんか、なんか胸が、私より、おっきいよね、お燐ちゃんめ。いやいや、当たり前だよ、私よりお姉さんだしね。
「へへっ、おそろいだねお姉さん」
無言でうなずく。それしかできないよ。
「どうしたの、行灯の明かりがまぶしいかい? 随分瞳が細くなってるけど」
「な、なんでもないよ。それにしても、てゐちゃんに借金するなんて、後が怖いなあ」
お燐ちゃんは指で唇をつまんで、尻尾を二三度振ってから、“あと5厘、残ってればねえ。あいつがけちだからだよ。
私は昔から、メレンゲ職人にはろくな奴がいないと思ってたんだ。”と、ひどいことを言った。
卵白を泡立てるだけで生きていくって、結構すごいことだと思うけど。
「ま、まあでも、メレンゲ職人さんがいなかったら借金は4倍だったよ。私は感謝してる」
それにしても、夜の神社って居心地悪いよね。妖怪的には一番のホラースポットなんじゃないかな。
本当は昼間の方が怖いんだろうけど、人間の怖い話がたいてい夜だし、強い妖怪も夜行性が多いから、
なんとなく夜の方が怖く思える。
「さあ、これでばっちりだし、霊夢が現れる前に行こうよ」
障子を開けて、星明りの差す縁側に出ようとすると、何かにぶつかった。
「あ、あ」
う、うそ、なるべくはちあわせないように気をつけてたのに。このすらっと伸びた背、緑に光る髪、危険な赤色。
「あれ、お花のお姉さんじゃないか。こんなところで奇遇だねえ」
気付いたら地面にへたりこんでる、足が震えて立てない。
「私にぶつかっておいて謝りもしないの?」
「まあまあ、お花のお姉さん、暗かったんだし仕方ないじゃない。お互い様ということで」
た、たすけて、お燐ちゃん。
「何で黙ってるのかしらね。お刺身にしてあげましょうか?」
「ちょっと、よしとくれよ。怖がってるよ」
目が、目が離せない。怖いのに、手でもいいから、動いてよ。
「ニャーニャーうるさいわね、地底の猫は。どうしたの? よく見たら、その無礼な猫と同じ服を着ているじゃない」
「な、なんでにらむんだい。さっきからおかしいよ、あたいとお花の姉さんの仲じゃあないか」
ぶん、と低い音がして、傘が私の前に向けられた。先端が迫ってくる。
「教えてあげるわお燐。私は紫色の狸が大嫌いなの。もちろんそいつが飼ってる狐も、猫もね」
もう死んじゃうのかな。本当に命ってあっけないな。紫様、ケーキ、ごめんなさい。
目を閉じると、外の騒ぎが水のあぶくの音のように聞こえる。鼓動もどんどん速くなって、重たい空気がねっとりと体に絡みつく。
次の瞬間、“どん”と、重い衝撃が走る。終わった。
「まってくれお姉さん!」
なにこれ、橙色の服、この赤いおさげ、お燐ちゃん?
「その猫を庇うの? お燐、万年寝太郎の手下にされちゃうわよ」
お燐ちゃんの音が、どくどく聞こえる。とっても熱い。
「早くどかないと、猫の姿焼きが2匹1串になるかも」
「だ、だめだ! 橙はあたいの友達なんだっ!」
お燐ちゃん、いいよ! お燐ちゃんいなくなったらお空ちゃん、さとりさん、皆どうするの?
「ちゃん、だ、……だめ」
「あたいも謝るから、許しておくれよ」
お燐ちゃんの胸にぎゅっと抱かれても、すごい妖気が伝わってくる。私なんかいいから、行って!
「そう、そこまで庇い立てするなら――私はお燐には恨みはないし――いいわ、チャンスをあげる」
「本当かい」
聞いちゃだめ! はやく、はやく行ってよ!
「私は今日、貴重な花の種を手に入れたんだけど、この神社のどこかにそれを落としちゃったの」
幽香さんが霊夢の使っているタンスの方に近づいていく。
「この神社の花に聞いてみたんだけど、ひねくれた巫女の棲む神社だけあって、花もひねくれているのよ」
何かを取り出して、また足音が近付いてきた。二歩、三歩。私の前で止まる。ひぃ! 背中触られた……。
あれ、なんか、気持ち悪い。
「う、ううぅ~~!!」
「ちょ、ちょっと何をしたんだい!」
力が全然入らない! あうぅ! なんか出てくよ!
「ひねくれ巫女のひねくれお札よ。逃げられないようにね」
「お願いだ、外しておくれよ」
「種を見つけてくれたら外してあげる。さあ、教えなさい、モジズリの花」
ぐらぐらする頭に、小さな声が聞こえてくる。
<どこにある? どこにある?>
<神社の縦横、10本木がある、知ってる?>
<知ってる知ってる>
壁に沿って生えてる、木のことかな。あー、なんか気持ちよくなってきた。そろそろだめかも。
<交わったところ、入り口くぐって、左手側、そこを0番。右手に向かって1番2番、奥に向かって10番20番>
<何番?>
<当ててみて>
な、なんでこんなときまで、問題なの……。
<44番より大きい?>
こしょこしょくすぐったい音がする。
<4で割り切れる?>
<ふにょろへ>
<2乗の数?>
<ぴりぴり>
何の、音なの?
<わかったぁ!>
ぜんっぜんわかんないよ!
「困ったものよね。でも、あなたがいるから大丈夫ね。頼りにしてるわ、お燐」
「あ、あたい……」
<!--Question-->
木の交わってるの、全部で100てん、0番から
44番より大きい?
こしょこしょ
4で割り切れる?
ふにょろへ
2乗の数?
ぴりぴり
わかったぁ!
<!--End of Question-->
問題になってないよ! う、うえぇ~、気持ち悪い……。
「お花のお姉さん、そのモジズリの花を近くで見せて」
「いいわよ」
お燐ちゃんが幽香さんに近寄ってく。私なんかほっといて行っていいのに。
「いいかい、今からあたいに聞こえるように、0から99まで数えるんだ。らうどりぃに、くりありぃに、そして、すろうりぃに」
いったいどうして。
<ぜろ、いち、に、さん、し、ご>
数を数える小さな声が聞こえる。
「なにしているの、お燐」
「コールドリーディングというのさ。声の震えを読み取って、答えを割り出すことができるんだ」
お燐ちゃん、そんなことできるんだ。名探偵みたい! 静かに花の数える声が続いてく。
うう、幽香さんの威圧感がすごくて、空気が鉛みたいだよ。それとも霊夢の札のせいかな。ああ、息苦しい。
<ごじゅういち、ごじゅうに、ごじゅうさん、ごじゅうし>
お燐ちゃんの尻尾はぴんと立っていた。背を丸めて、花を食い入るように覗き込んでる。
それをじっと見ていたら、お燐ちゃんの目の前に立つ幽香さんと目が合った。にらまれた。ものすごい形相。
<きゅうじゅうはち、きゅうじゅうきゅう>
「……わかったかしら」
お燐ちゃんは何も答えない。尻尾がゆっくりとふれている。私にはわかる、これは、わからなかったときの仕草だ。
残念、私の冒険はここで終わってしまった。
「ま、まあ待ってよ。ダレン・ブラウンは嘘つきだった。着眼点を変えよう。整理しようじゃないか」
うわあ、怒ってる、怒ってるよ!
「まてよ、そうだ! あたいって勘が良い!」
「なあに?」
もう思いつきで言わないでよ。私たちの命がかかってるからね。本当に。
「この花は、今のヒントでわかったってことだよ。つまり、あたいにもわかるはずなんだ」
「そう、じゃあ教えて頂戴」
わかる……? あ、そうか、わかるよ!
「つまりね、44より大きいか小さいかによって、探す範囲は半分ですむから、まずそこを考えよう」
「この神社の半分を探す気? そうそう、制限時間はモジズリが1000を数えるまでよ」
<ひゃくじゅう、ひゃくじゅういち>
よし、余り判定は重いけど、99までなら一瞬だよ。早く伝えないと、口が動かなくなる前に!
「お燐ちゃん、わかったんむっ!」
痛い、痛い! 唇はさまれた! こんな一瞬でどうやって!? 指が、唇ちぎれちゃうからやめて!
「お姉さん! お姉さん! ちょっとお願いだからやめておくれよ!」
うわあ、お燐ちゃんが片手でつまみ上げられてる。
「私はお燐に聞いてるの。助けを出すのは許さないわ」
猫の手も、借りんとひとつ。大黒様、助けてくれないかなあ。この際、家地獄でもいいんだけど。
指の力抜いてくれたみたい、痛みが引いた。お燐ちゃんも下ろして欲しい。
「わかった。お花のお姉さん。あたいがやるよ。だからお姉さんを放しておくれ」
お燐ちゃんがぽとりと落ちる。うーん、何とかして伝えられないかな。まばたきとか。
「えーっと、99までだろ、うーんと」
お燐ちゃん、こっち向いて。
「何してるの?」
「な、なんでもあいです」
気付かれた。またタンスに歩いていってる。これ以上貼られたらほんとに死んじゃうよ。
あれ、黄色い、なんだろうあれ。あ、あご痛い! 放して!
「んむっ」
何これ、何入れられたの? この舌触り、布? うわ、今度は襦袢、持ってきた。
「ちょっと! やめてっていったろう!」
「変な動きをしないように、布を巻いて目と口を塞いだだけよ。いいから続けなさい」
うー、なんにも見えないよ。これじゃあもう、手助けできない。万事急須。
「さあ、早く」
「……待っててお姉さん。あたいは、あたいにならできる。これでも、地霊殿では一番数字に強いんだ」
私、お燐ちゃんを信じるよ。きっと、お燐ちゃんにならできる!
「そうだよ、これでわかるんだから、簡単に絞れるはずなんだ」
「じゃあ簡単に答えて、ね?」
さすがお燐ちゃん。頑張って。
「4で割れるのも44を境にした数もいっぱいある。だから、答えの数は2乗した数なんだ」
「へえ」
すごい、すごいよお燐ちゃん!
「に、ににんがし、ししじゅうろく、ごご、ごご……」
うわああああ、だめだったああああ!
「いや大丈夫だあたい! そう、4、9、16、25、36、49、64、81!」
「賢いわね」
「へへへ、それから4で割れる、4、16、36。あれ、64もだっけ」
不安だ……。
「割れないのは、9、25、49、81」
そうそう、そうだよ。やっぱりお燐ちゃんって、とってもすごい!
「割れないほうは、44を境にしたら、答えは一つに絞れない。だから、正解は64だッ!」
あってる。お燐ちゃん大好き!
<ろっぴゃくにじゅうさん、ろっぴゃくにじゅうよん>
「それであってるかしらね?」
「う、あ、あってるさ、きっと」
自信を持って。
「ねえお燐、そこまで言い切ったんだから、もし種が見つからなかったら、仲良く三味線ね?」
「うう」
「でも、制限時間内に戻ってこなかったら、あなたは許してあげるわ」
ええ!? そんなの……いや、お燐ちゃんはそんなことしないよ。
「あたいは、あたいは」
そういった後、どたどた走っていく音が聞こえた。お燐ちゃん、行ったんだ。大丈夫、わかってるよ。
<ろっぴゃくごじゅうに、ろっぴゃくごじゅうさん>
「ふふ、戻ってくるかしらね、お燐」
「ももっえううもん!」
だってお燐ちゃんだもん。だって私の友達で、だって私のお姉さんだもん。
<ろっぴゃくきゅうじゅう、ろっぴゃくきゅうじゅういち>
絶対戻ってきて、笑って“ただいま”って言ってくれるから。
<ななひゃくご、ななひゃくろく>
ほら、もう足音が聞こえてきた!
「オッス! オラあずき小僧!」
誰!?
「ちょっぴりセクシーダイナマイトな妖怪、おぶえっ! 痛い! 痛いって!」
お、お燐ちゃんじゃないみたいだけど。
「やめてくれ! 傘はやめてくれ! あらぼっ!」
外に何か重いものがごろごろ転がっていく音が聞こえた。な、なんだったんだろう。
<ななひゃくはちじゅういち、ななひゃくはちじゅうに>
「なんか、鼻につく臭いがしたわね」
そう言われれば、でもなんだっけ。
「ねえ、串を通すの、どの辺がいい?」
お、お腹になんか、やだやだやだ! 頭から襦袢が落ちた、お腹に傘の先が当たってる!
「あええ!」
「うふふ、どんな声を聞かせてくれるのか、楽しみねえ」
冷たい、お願い、刺さないで!
<はっぴゃくじゅうご、はっぴゃくじゅうろく>
「もうお燐は助けに来ないわ。それくらい賢くなければ、今の今まで生き残ってはいないでしょうしね」
そんなことない、お燐ちゃんはお空ちゃんも、さとりさんも……きっと私だって!
「ほら、わかる? あと少ししたら、もっと奥まで刺してあげる。それから皮を剥いで、三味線ね」
いやだ、怖いよ! 助けて! お燐ちゃん! 涙止まんない、汗びっしょり、怖い、暗い、もうやだよ!
「待たせたね」
お燐ちゃん!?
「お姉さん、見つけてきたよ。7本目と5本目の木の交わる所、この種が、確かにあった」
お燐ちゃんの手に、小さな種。見つけてきてくれたんだ、帰ってきてくれたんだ。
「……はずれよ」
「お花のお姉さん、頼むよ、三味線にするのはあたいだけにしてくれ」
うそ、うそ、うそ。だって、お燐ちゃんが、頑張って見つけたのに!
「期待はずれって言ったのよ。正解よ。三味線はいらないわ」
あ、口に入ってた布、とってくれた。力、抜けたあ。
「よ、よかったぁ。肝が冷えたよ」
そう言って、お燐ちゃんがへなへなとへたり込む。うう、あご痛かった。
「それから、私の予想も外れちゃったわ。あの腹立たしい狐と紫の娘だから、どんなに嫌な猫かと思ってたけど」
ひぃ、もうにらまないで……って、あれ、なんか、笑ってる?
「お燐に、こんなに想われているんだものね」
な、なんか別妖怪みたい。
「友達を大切にしなさい。古い妖怪は嘘ばっかりつくけど、それだけは本当よ」
えへへ、それは確かに。
「そいえば、これなんの種なんだい?」
「黄花夾竹桃よ、ここじゃ珍しいんだから」
夾竹桃って、大丈夫なのかな。毒があるって習った気がするんだけど。
「お姉さん、ごめんね待たせちゃって」
全然待ってなかったよ。すっごく早く来てくれた。
「お姉さん」
お燐ちゃんが近くに来る。夜に光る赤い目と、夜でもわかる赤い髪が、とってもきれい。
それから、おさげが揺れてて、かわいい。
「あたいをなでて。あたいは、逃げようとなんてしなかったよ」
お燐ちゃんの頭にそっと手をのせる。さらさらで、きっとさとりさんがよくお手入れしてるんだってわかるほど、いい感触。
しばらくぐるぐる手を回して、満足そうなお燐ちゃんに言う。
「お燐ちゃん、私もなでて。同じくらいいっぱい。私もお燐ちゃんが絶対帰ってくるって信じてたよ」
帽子が取られて、お燐ちゃんの手が私のてっぺんにのる。くしゃくしゃ、優しく、あったかいお燐ちゃんの手。
「怖がらせちゃって、悪かったわね」
「あはは、ほんとだよ。実際、死ぬかと思った。まさか本気じゃなかったよねえ?」
「違うわよ」
いや、もし見つからなかったら絶対に三味線にしてたよ。そういう目だった。
「種を見つけてくれたお礼と、さっきの埋め合わせに、好きな花をあげるわ。何がいいかしら」
「花? 花ねえ……」
お礼はいらないから、行かせて欲しいんだけど。
「そうさ、四季のフラワーマスター、幽香お姉さん。まさにあたいたちはフラワーを探していたんだ」
え、どういうこと?
「なんでお祭りでそんなもの探してるの?」
「実は、ケーキを作ろうと思っていて、もうバターとか卵とかは集まったんだけど」
“ふーん”とあいづちを打ってから、ポケットに手を突っ込んだ。布袋を取り出すと、その中に小さな種をぱらぱら入れる。
「さあ、砕け散りなさい」
怖っ。あれ、なんか袋から伸びてきた。これ、麦? 次々麦が伸びてきて、小さな白い花を咲かせて、種子をつけ、
ぽとぽとそれを落として、枯れていく。夢みたいな光景だ。最後の麦が枯れて、袋の中からはじけるような音が鳴った。
「出来上がり」
「うわあ、真っ白。すごいや、お花のお姉さん」
袋を開くと、枯れた麦と白い粉がぎっしり詰まっていた。
「ケーキならこれもいるんじゃない?」
「おお、これは」
別のポケットから透明な袋を取り出した。これ、台所で見たことある。
「グラニュレイテッドシュガーだね。これももらっていいの?」
「もちろんよ」
私と、お燐ちゃんを見てから、ぱちぱちまばたきする幽香さん。あれ、ほんとは危険な妖怪じゃないのかな。
お燐ちゃんも仲いいみたいだし。
「これでプレゼントはばっちりだね」
「う、うん。あの、ありがとう、ございます。幽香さん」
あれ、なんかまた笑顔が怖くなった。
「プレゼント……そう。なら、これもあげるわ」
さらにもうひとつ、白い袋を渡してきた。断れないから受け取っちゃったけど、なんだろう。
“気前いいねえ”なんて、お燐ちゃんはのんきだ。
「さあ、もうこれくらいでいいでしょう。橙、これからは、あなたには、手を出さないことを約束するわ」
ほんとに? 守ってくれたらこの上なくありがたいことだけど。
「もう行きなさい。プレゼント、渡さなきゃいけないんでしょう? またね。お燐、橙」
私とお燐ちゃんも、手を上げて“またね”と言って歩き出した。乱暴しないでくれるなら、また会っても、大丈夫かな?
「ねえ橙、もう一度言うわ。友達を大切にしなさい。古い妖怪は嘘ばっかりつくけど、それだけは本当に本当よ」
歩き出した私の後ろから、鈴みたいによく響く声が聞こえてきた。振り返って、“わかりました”って返したら。
よく見えないけど、笑っているみたい。本当に、悪い妖怪じゃないのかも。
~Final Question.限界のデイジーチェインストラグル~
<なによこれ! 襦袢引っ張り出して何してたの!? うわ、私のスカーフがべちゃべちゃ!>
後ろからすごい怒声が聞こえる。
<幽香、あんたねぇ!>
霊夢が来る前に出てきてよかったと思う反面、ちょっと幽香さんが心配だ。
「大丈夫かな」
「ああ、お花のお姉さんなら、きっと心配要らないよ」
そうかな、そうだといいけど。……それにしても、さっきは気付かなかったけど、
ずっと行ってなかったからトイレ行きたくなっちゃった。
「巫女のお姉さんがもめてるうちに、台所を借りよう」
そう言ってお燐ちゃんが歯を見せると、なんかちょっと子供っぽい。私の服を着てるせいか、いつもより幼い感じがする。
「う、うん」
そうだね、確かに今がチャンスだ。一緒に抜き足差し足猫の足。台所に着くと、今までの材料を台に並べた。
「メレンゲ、卵、バター、生クリーム、フラワー、グラニュレイテッドシュガー。よくこれだけ集まったもんだ」
うーん、今までの苦労を思い出すなあ。でもなんにしても、これで紫様のケーキの材料は全部そろったんだ。
「さあ、行くよ」
「おっけー」
とは言ったものの、ちょっとトイレがかなり、近い、ような。でもいつ霊夢が来るかわからないし、先にやっちゃわないと。
まずはへらとボウルを準備して、きれいに手を洗う。水は苦手だけど、洗わない手で料理するわけには行かない。
お燐ちゃんに言われるままに、かまどに火をおこして、バターを湯煎で溶かす。小麦粉はふるっておく。
お燐ちゃんがボウルを出して、メレンゲとグラニュレイテッドシュガーを入れた。
「それじゃ、さとり様流スポンジケーキ、つっくるよー!」
「おー!」
「たんたん卵を割りまして」
ボウルに卵を当てて、ひびをつけて2つに割った。我ながら、上手くできた。
「つるつる白身を取りまして」
割ったからに交互に黄身をうつして、黄身だけになったらボウルに入れる。あ、ちょっとトイレが。もうまずいかも!
「なんか、お姉さん、しまった顔つきだねえ。あたいそっちの気はないけど、ちょっと惚れちゃいそうだよ」
いいからはやく!
「あ、そうだ続き。ぐるぐるフラワー、ボウルで混ぜて」
黄身と小麦粉をボウルに入れて、全部の材料を一気にかき混ぜる。回すのは得意だよ!
「バタバタバター、ボウルに入れて」
グラハム・カーみたいに溶かしバターを流し込む。固まる前に混ぜなきゃ。漏らす前に行かなきゃ。
とろとろと、いい感じになってきたよ。あとはどうすればいいの?
「ちょっと、さっきからあたいをそんな目で見つめて、どうするつもりだい? どきどきするじゃないか」
次、次!
「ざっとそのタネ型に流して」
紙をしいた型に、混ぜ終わった乳白色の、いい匂いのするケーキの元を流し込む。液体が流れるところは、目に良くない。
「ちょっとケーキをオーブン入れて」
釜の中にケーキを入れて、ふたをしてから火をおこす。これで後は待つだけだ。今の内にトイレに行こう。
「あ、お姉さん! どこ行くんだい!? 火加減を見ないと!」
お燐ちゃんが呼び止めるのも聞かず走り出した。一歩一歩が重く下に響く。こんなところで無様に散るわけには行かない。
それはもうずっと昔に卒業したんだ。もし間に合わなかったりしたら、さよならをしたいろいろなものに謝らなくちゃいけない。
負けるか私、妖怪、橙。こわれそうな股間を、おさえてなお走った。見つけた! あの角だ!
「え?」
目の前には、ミスティア、メレンゲ職人さん、霊夢、星ちゃん、てゐちゃん、幽香さん。
みんなお股をおさえて、小鹿のようにふるえている。そして、霊夢が口を開く。
「また増えたようね。仕方ない、弾幕をやるわけにもいかないし、ここはクイズで勝負よ」
もしかしてこの流れ、また?
「最後に橙が来たから、皆で橙に問題を出しましょう。答えられない問題を出したものが、最初に入れる。
もし橙が全問正解したら、橙が最初に入れる。それでいいわね?」
身勝手過ぎる。霊夢がじろりとあたりを見回すと、皆がうなずいた。
「最初は私よ、橙、こんどこそぎゃふんと言わせてやるんだから!」
ミスティアが股間を押さえながらねめつけてくる。負けるわけにはいかない。
「アルファベット2文字で表せる動物はパンダ。じゃあアルファベット一文字で表せる食べ物は、牛肉? 豚肉?」
「豚肉」
「くっ、私の負けよ……」
次は幽香さんが出てくる。これって正解したら不正解なんじゃ……いや、私の本能は、勝利を求めているんだ!
「橙、1、4、27、256、エックス、46656。エックスは3125? それとも8192?」
「3125!」
「ふふふ、素敵よ」
あれ、皆股間を抑えてるのに、幽香さん、平気そうだけど。もしかして、いや、考えるのはよそう。
「俺はいいぜ、レディファーストだからな」
「ありがとう、メレンゲ職人さん」
相変わらず鋭い目つきだけど、とっても紳士的だ。
「次は、私だ。橙、覚悟、しろよ」
てゐちゃん、かなり限界みたいだね。
「私がレイズをするとき、3回の内1回はブラフだ。それと、お前の経験上“私の鼻が動いた”気がしたとき、
10回に7回はそのレイズがブラフだった。橙、お前は私とへッズアップになった。そしてお前のベッドに、私はレイズをした。
その瞬間、お前は私の鼻が動いたように見えた。私のレイズがブラフである確率は、約3割? 約5割?」
「5割3分8厘」
「はうあっ!」
両手で急所をおさえながら膝を折るてゐちゃん。ごめんね、でも、これが戦いなの。
「橙さん、また会いましたね。いぇ~い!」
肩をバンバン叩いてくる。酔った星ちゃんはほんとに手がつけられない。
「でもね~、行かせはしませんよ~。上は洪水、下は大火事、これなぁ~んだっ!」
「お風呂」
「さすがですねぇ~。ちなみに私はぁ、もうすぐ下が洪水です。ふふっ」
さ、さあ、次で最後だよ。もれちゃう!
「橙。あんたは紫の飼い狐の飼い猫。手加減するわけにはいかないわよ」
霊夢の鋭い眼光。負けるもんか!
「の、望むところよ。だから早くして!」
<!--Question-->
貝、蟹
芸、術
アイサ、イスカ
ツグミ、メジロ
小屋、長屋
私は次に、“缶”を先に言う? それとも“瓶”?
<!--End of Question-->
「ううう、アイサとイスカって何?」
「鳥の名前よ。これがわからないようじゃ、もう勝負はついたわね」
私わああ! 藍さまのおお! 式神なんだぞおお! 負けないんだからはううぅぅ!
「あ、あきらめない」
「観念しなさい。そもそもあの厠は、私の神社の厠よ。私に使われるのが正しいとは思わないの?」
(もう少しなら)大丈夫、私なら(我慢)できる。今までだって、そうだった!
「数、組み合わせの数は6つ」
私にはいつだって、数が味方してくれる。
「私の目の前、立ってる人数!」
霊夢の顔が歪んだ。さすがに我慢したままポーカーフェイスは、無理だったんだね。
「わかっちゃったら簡単だよ。先に言うのは瓶!」
くずおれる霊夢を後ろ目に、いそいで扉を開いて、下着を下ろし、しゃがむ。間に合った。
「Ah、これが極楽浄土……」
~Epilogue1.感謝のケーキフォーユー~
「お帰りお姉さん。まったく、肝心の焼きをおろそかにしちゃいけないよ」
「ご、ごめんね」
トイレは阿鼻叫喚だったけど、みんな間に合ってるといいなあ。
「あれ、なんか顔が戻っちゃってる」
「そんなことよりケーキは?」
言われてお燐ちゃんは、釜の中からケーキを取り出す。ふわふわのスポンジケーキが焼きあがってる。
とっても香ばしくて、甘い匂いだ。
「うわあ、いい匂い。ありがとうお燐ちゃん」
「さあ、仕上げだよ」
お燐ちゃんの言うとおりに、スポンジをお皿にのせて、端っこに、縦に一閃、切れ目をつける。
そして魚をおろす要領で三枚おろし。そして一枚目のてっぺんに生クリームを塗って、二枚目を切れ目に合わせてのせて、
またてっぺんに生クリームを塗る。三枚目も同じくして、最後に重ね終わったケーキのまわりに生クリームをぺったり塗る。
「よしよし。ってしまった! このままじゃデコレーションが何もないよ!」
お燐ちゃんが頭を抱えている。嘘、どうしよう。そういえば、ケーキってのってるのはろうそくだけじゃないよね。
「す、すまないお姉さん。なんかのせられるもの、ないかな」
言われて見て辺りを見回す。さすが霊夢の台所だけあって、何もない。ケーキって言ったら苺だけど、
神社にそんなもの置いてあったら、すぐ食べられちゃってるはずだ。何か、何かないかな。
そういえば、幽香さんにもらったこの白い袋、中に何が入ってるんだろう。
「おや、それはお花のお姉さんにもらったやつじゃないか」
「うん、すごく軽いんだけど、何か入ってないかなと思って」
袋を台の上にのせて開けてみると、中から、貝? 魚? えび? お燐ちゃんが鼻を鳴らして匂いをかぎ始めた。
「これは……砂糖だよ」
「ほんとに?」
よく見ると表面はざらざらしてて、かすかに甘い匂いがする。
「さすが、お花のお姉さんは気がきいてるよ。これでシーフードケーキが作れる」
ええ、これ海のものなんだ? ケーキにお魚って、どうなんだろう。っていうかなんで幽香さん、こんなもの持ってたんだろう。
「いってみようか」
お燐ちゃんが目配せしてくる。ほんとにいいのかな、これで。
「取ってエビアサリ、それからスズキ」
えびと貝と魚の飾りを、片手にのせる。
「スズキ、ここで、アサリ、そこで」
指差されるところに、お魚と貝をのせる。なんか不思議な見た目だね……。
「ちっちゃいエビちゃん、もうどこでも!」
えびをぱらぱらまく。お好み焼きみたいなんだけど。
「なんでも好きなの、真ん中、ちょちょっと!」
あまった飾りを真ん中に乗せる。これ、図鑑でしか見たことないけど、クラゲかな?
「完璧だ!」
「や、やったー?」
完成したケーキを、流しの下にあった大きなつづらに入れる。すぐ返せば、霊夢、怒らないよね?
それから、戸棚に入っていた赤い紙のリボン――貧乏性の霊夢は、包装紙とかもいちいちまとめて取っておくんだ――を取り出す。
くるっと巻いて、ふわっと膨らむように、軽く蝶結び。これで、できあがり。大きく息を吐いて椅子に腰掛けたら、
まっすぐ前の壁の、小さな振り子時計が見える。牛と虎の絵の間に、針が回っていた。
「うそっ、もうこんな時間!? 紫様たち、帰ってきちゃってるよ!」
お燐ちゃんは私の声に驚いて、しっぽをぴんと張った。だけどすぐ、目をこっちに向けて、落ち着いた声で言った。
「行きな、お姉さん。ここは私が片付けておくよ」
「そんな、私がやるよ。お燐ちゃんは焼くのもやってくれたし、材料集め、手伝ってくれたし」
“いいんだ、いいんだ。”と返事をしながらへらや型枠、ボウルを重ねて流し台に持っていく。
「だめだよ、悪いし。それにお燐ちゃんにも一緒に来て欲しいの。今からおうち帰るの大変でしょ?」
水がめから水を汲み取って、手押しポンプに注いでいく。
「一家団らんを邪魔することなんてできない。今日はここに泊まってくよ」
邪魔なんてことないって言っても、笑うだけだった。プレゼント、考えてくれて、材料集め、手伝ってくれて、
こんなにしてもらったのに、お返しできないなんて悪いから、私にも、ゆずれないよ。
鼻歌を歌いながら、ボウルを洗い始めるお燐ちゃんの隣に立って、私は型枠をへらでこする。
そうだよ、お燐ちゃんが最初に言ったことだもん。
「ねえお燐ちゃん、私がお燐ちゃんに一緒に来て欲しいのは、なんで?」
「なんでって……」
「帰ってくるのが遅れた言い訳をしたいから? お燐ちゃんが来ると藍様が喜ぶから?
お燐ちゃんがまたお土産をくれると計算して? それとも、お家がにぎやかになるといいなと思って?」
お燐ちゃんは黙り込んで、薄く笑っている。手で何度か耳を撫で付けて、ごまかしてるみたい。
「どれでもないよ、お燐ちゃん。私はお燐ちゃんが大好きで、私はお燐ちゃんに感謝してるから、お燐ちゃんに来て欲しいんだよ」
水でぬれた手でほおをおさえて、とうとうふきだした。
「まいったね」
お燐ちゃんはボウルをひっくり返す。水が大きな音を立てて落ちた。私も型枠をひっくり返してよけてから、
バターを溶かすのに使った小さなボウルを洗い始める。水をかけてぐるぐる回していると、
突然尻尾の根元をぎゅっとされて、飛び上がった。後ろを見たら、お燐ちゃんがその尻尾を巻きつけてきていた。
恥ずかしくなった私は、いたずらっぽく笑うお燐ちゃんに怒った。お燐ちゃんはどこ吹く風と言った顔で包丁を洗い出す。
お返しをしようと思ったけど、危ないから止めた。かわりに、お燐ちゃんの背中に、ゆっくりと尻尾を当てる。
言葉がなくなって、ただただ一緒に、洗い物をした。全部終わって、洗ったものをかごにまとめて、片手につづらを持つ。
片手をお燐ちゃんに差し出すと、ちょっとはにかんで、それから手を取ってくれた。
神社を飛び出して、満天の星空の中に飛び出す。地面は、木が生えているところは真っ暗で、
原っぱは星明りでうっすら紺色に染まっている。いつものくせで、くるっと回りそうになったら、
お燐ちゃんにつづらを指差されて、あわてて体を戻した。星が幕をつくる、星が降る。ずっと昔は、
星は空に開いた穴だったらしいけど、私は藍様と紫様が言うように、おっきな炎が熱く白く光ってるんだと思う。
あんなに遠くにあったら、確かめられないけどね。神様なら、知っているのかなあ。
同じく星を見ていたお燐ちゃんの目を見たら、瞳に星が映って光っているように見えた。
星の明かりなんかじゃ目は光ったりしないはずだから、私がそう思っているだけかもしれない。
森を越えて小さな丘を越えて、ずっといくと紫様の家に着いた。紫様の家を知っている妖怪は少ない。
別に秘密にしているわけじゃないんだけど、周りは森に囲まれているし、道からかなり外れたところにあるから、
案内されない限りは、たどりつくことのないところなんだ。玄関の前に立って、おそるおそる戸を叩くと、
藍様がどたどた走ってきたのが聞こえる。心配させちゃったかな、やっぱり。
「お帰り橙、遅かったじゃない」
エプロンをつけてぞうりをはいた藍様が、引き戸を勢いよく開いて出てきた。
心なしか、帽子の中のお耳が、疲れた感じに折れているように見える。
「ごめんなさい」
藍様はなぜか、あんまり怒ってないみたいだ。すぐに隣にいるお燐ちゃんにも気付いて、
慌てて髪を撫で付けてから“こんばんは”と言った。お燐ちゃんを泊めてもいいか聞いたら、笑ってうなずいた。
藍様の笑顔を見ると、本当にほっとする。私はついに、ここまで来れたんだ。洗い場で手を洗ってから、
玄関にあがってちゃんと靴をそろえた。奥の居間まで歩いていくと、紫様が“おかえり”って言ってくれる。
私も“ただいま戻りました”と返事をして、お燐ちゃんは“おじゃまします”と、ちょっと踊った声で返事をした。
遅くなったことを謝ったら、紫様は“気にしていないわ”といつものようにに言った。
「紫様、もうご飯食べました?」
紫様は首を振って、ちょっとしてから、答える。
「いいえ。あ、気にしなくていいのよ。あなたのせいじゃないわ。藍にあなたを迎えに行かせたのだけど、一向に戻って来なくてね。
やっと来たと思ったら、あなたは連れてきてないし、なぜか私の服を着てて、しかも泥まみれだったのよ。
それでさっきまでお説教だったから、まだご飯できてないの。ごめんなさいね、橙、お燐ちゃん。すぐ用意するから」
う、藍様やっぱり迎えに来てくれてたんだ。遅くなっちゃったもんなあ。廊下へ出ようとしている藍様に近付いて謝ったら、
なぜか目が踊っている。どうしたんだろう、何か言えないことがあったのかも。逃げるように台所の方へ歩いていった。
「ねえ紫様」
紫様がこっちを振り向く。長い金色の髪が、紫の垂れと白い服の上を掃くように回る。そして、ぴったりと目が合う。
じっと見ていると吸い込まれそうな紫色の目。なんとなく、必要のない尻込みをしてしまうけど、
黙っているのも変なので、つづらを前に出して口を開く。
「紫様、いっつも皆のために結界を守ってくださって、ありがとうございます」
紫様はびっくりしているみたいだった。私にも簡単にわかるほど、不意を突かれた顔をしている。
こんな顔を見るのは、めったに無いことだった。少なくとも、最後に見たのは冬を何回か越える前だ。
「こちらこそ、どうも、ありがとう。橙、開けてもいいのかしら」
私が“はい”と答えると、紫様はきれいにリボンを解いて、ゆっくりとつづらを開く。
中から出てきたケーキに、私は少し不安になったけど、紫様は、それはもう、閉じていた口が薄く開いてしまうくらい、
とっても驚いているみたいだ。
「私が作ったんです! ……その、お燐ちゃんにだいぶ手伝ってもらったんですけど。ありがとうね、お燐ちゃん」
お燐ちゃんは、嬉しいんだか緊張しているんだか、不思議な表情になっていた。口は笑ってるみたいに開いて、
でも困ったように眉が寄り上がっていた。
「ふふふ、今日は運が悪かったと思ったけれど」
紫様は私をなでてくれた。でも、何度か手を回してから、藍様の方をうかがうように見た。私にはそれがどういう意味なのか、
なんとなくわかった。きっと紫様が私をなでないのも、“なるべく何も言わないようにしている”ということと同じなんだ。
それを紫様自身が忘れちゃうくらいだから、きっと大成功なんだ。そう思ったら、とっても嬉しくて勝手に顔がゆるんでしまった。
「きっと十年に一度の最高の日ね。ありがとう、橙、お燐ちゃん」
紫様はやっぱりゆっくり立ち上がって、私たちの前まで来ると、私たちの腰に深く手を回して、ぎゅっとしてくれた。
あんまりにも考えられないことだったから、固まってしまった。紫様越しで見えないけど、お燐ちゃんも固まっていると思う。
ご飯の準備を終えた藍様が、台所の方からあわただしい声で呼ぶまで、紫様はずっとそうしてくれた。
「紫様、今日はいろんなことがありました。お燐ちゃんにもいっぱい助けてもらったんです」
卓の前に座りなおした紫様は、ふわっとする笑顔のまま、少し目を閉じる。
「そう、じゃあいっぱい聞かせてくれるかしら。今日はとっても、あなたのお話が聞きたいの」
私は、私にとっての大決戦を、ひとつひとつ紫様に話す。高利貸しのおじさんのこと、ミスティアのこと、
星ちゃんとナズーリちゃんのこと、あずき小僧のこと、てゐちゃんとぬえちゃんさんのこと、それから、幽香さんのこと。
ひとつひとつ、紫様はにこにこしながら聞いてくれた。お燐ちゃんが言う冗談に、上品に笑ったりしながら。
話のあいまに、藍様の作ってくれた料理を食べる。食卓に並んだのは、岩魚の塩焼き。ほうれん草を茹でて、
上に赤い茎を刻んでのせたもの。しいたけとレンコン、そして人参をお出汁と醤油、それからちょっぴりの砂糖で煮たもの。
大根をいろりの上でいぶした漬物。それから白いご飯と、お魚の出汁が強めで、
麦の味噌に白味噌を少し入れた、油揚げと白菜のお味噌汁。岩魚をかじれば、猫に生まれてよかったと思うほどいい匂いと、
パリッとした歯ごたえ。柔らかい身、脂と身の美味しい味に包まれる。塩味がぴったりの量で付けられていた。
三匹食べると竜になってしまうというお話を読んでから、少し身構えてしまうけど、やっぱり岩魚は最高だ。
肉厚のしいたけの複雑で、でもお醤油によく合う味と、レンコンの小気味いい歯ごたえに舌鼓を打つ。
それがまた、炊き立ての鼻をくすぐるご飯の甘味によく合うのだ。ほうれん草は茹でて柔らかくなっていて、
かみ締めると、お魚ともお米とも違う、さわやかな甘味を持っている。そしてその上にのる赤い茎がよく映えている。
お燐ちゃんが“おいしいおいしい!”と喜んでいると、藍様が嬉しそうにほほえんだ。
慣れ親しんだ藍様の味と、慣れない紫様とのお話に夢中になっていたら、いつの間にかお皿は全て空になっていた。
そして、いよいよ、藍様がケーキを八つに切ってくれた。皆の取り皿に一つずつ、三角のケーキが並んでいく。
「頂きますね、橙、お燐ちゃん」
そういって貝やえびの砂糖菓子ののったケーキを口に運ぶ紫様。どきどきの瞬間だ。
「美味しい」
手を口に当てて、子供みたいに笑った。私はなんでか顔がすっごく熱くなって、それからすっごく嬉しかった。
「藍が初めて私にお昼ご飯を作ってくれたときと同じくらい、美味しいわ。私は幸せ者ね」
きっとそれは、ものすごく美味しく感じたんだろうなあ。紫様の顔は、それを表していた。
お燐ちゃんと、それに続いて藍様が、笑って返す。
「ええ、違いないですよ」
「私も、そう思います」
その言葉が、ずっと残る。後に続くように、皆でケーキにかじりついた。ふんわりとしたスポンジのとってもいい感触。
メレンゲがふわふわだったからかな。しっとりしてるのは星ちゃんのバターのおかげかも。
てゐちゃんにもらった生クリームもとろりとして、油の感じはするけどすっきりでさわやかな匂い。
かりっと歯に当たる幽香さんの砂糖菓子も、見た目はともかく、意外とケーキに合うみたい。
藍様も食べてから美味しいって言ってくれた。それからなでてくれたけど、お燐ちゃんの前だから恥ずかしかった。
お燐ちゃんは目を閉じて、まだ最初の一口を楽しんでる。紫様は小さくフォークを動かして、もう半分くらいだ。
藍様が入れてくれた紅茶を皆で飲んで――私は初めて砂糖を入れない紅茶を飲んだ――ほっと一息。
皆にはおおむね好評だったし、私自身美味しいって感じたから、初めてだったけど、大成功だ。
すっかりケーキを食べ終わってから、紫様が私を手招いた。
「ねえ橙、その、あずき小僧についてのお話、もうちょっと詳しく聞かせてくれるかしら」
なんであんな妖怪のことを聞くのかわからないけど、結界を守る紫様には、小さなことでも、
確認しておかなければいけないことが多いから、私は覚えている限りのことを紫様に伝えた。
話していくうちに、紫様の表情はこわばっていくようだった。
「そう、ありがとう」
私が全部話し終わると、そう言ってから少し暗い表情になってしまった。お役に立てたなら言ってよかったことなんだろうけど、
“すぐにどこかへ行ってしまって、よくわからなかった。”と嘘をつき、今日ぐらい、何も気にせずゆっくりしてもらえばよかった。
その後お燐ちゃんと一緒にお風呂に入って、私はそのことと、お燐ちゃんと一緒にお風呂に入ってしまったことで、
二重に気分が沈んだ。お風呂をあがって、部屋に入ると、藍様が布団を二組しいてくれてた。
全員で一つの部屋だと狭いから、こっちにしいたらしい。お燐ちゃんが気まずいだろうし、私と二人の方がいいよね。
藍様はいつものように紫様のお部屋で寝るみたいだ。藍様は自分のお部屋があるのに、私がいないときでも、
いつも紫様のお部屋で寝ている。それには、何かあったときのための用心とか、理由があるのかもしれない。
私は部屋の明かりを吹き消して、布団に入った。頭を半分枕に沈めて変な顔になってるお燐ちゃんと、“おやすみ”を言い合って、
疲れていた私はすぐに眠りについた。
空が明るくなりきってない頃に目が覚める、まだ眠くて、あくびをしてから伸びをしたら、やわらかい感触。
「ぎゃー!! お姉さんのエッチ! なにするんだい!?」
目をこすったらお燐ちゃんのとんでもないところに手が入ってるのがわかった。
自分の寝相の悪さをのろって、すぐに手を引っ込めた。お燐ちゃんはさっと身をかばった。
「お姉さんも起きちゃったんだね」
言われて私は、こんなに早くに目が覚めたことが不思議になってくる。意識が徐々にはっきりしていくのと同時に、
話し声、それも結構大きな声が聞こえてきた。目が覚めたのはこのせいかな。
<誰に聞いてもあんたのことをバカって言うわよ。接頭辞がつくけどね。
バカ藍。あんたが百年おねしょ治んなくても私は怒らなかったわよね。
お尻叩いたのなんて、ふすま破ったときと私の鼻に指突っ込んだときだけだったでしょう?
あんたはなんで橙の邪魔をするの? 橙は助けられるほど弱くないわ。ねえ、私は怒っているのよ>
紫様だ。一気に目が覚めた。よりによってお燐ちゃんがいるときに。私は何かお燐ちゃんに言い訳をしようと思って、
何も思いつかなかった。よく響く音がするのは、あまり考えたくないけど、お尻を叩いてる音、だと思う。
<大体、あずき小僧ってなんなのよ。あれほど外で恥じさらすようなことするなって言ったはずだけれど?>
私は夢だったことにしたかった。でも、お燐ちゃんが気まずい笑みを浮かべてるのを見て、どうしようもないことを悟った。
「お、お姉さん、たまにはこんなことあるって。さとり様も靴下左右違ってることあるし」
お燐ちゃんの気づかう言葉が、今はただ痛かった。
~Epilogue2.ユーガッタビリーブ~
「だいぶ遅れちゃった」
命蓮寺に着くと、耳を揺らしそうなバスドラム、短いのにずっと響き渡るようなハイハット、
乾いて抜けているスネアドラムの音と、それからちょっと合成音っぽいピアノの旋律が、一定のリズムで鳴っている。
妖怪混みの後ろに立ったら、突然手を引かれて、あれよあれよという間にステージの上に放り出されてしまった。
「橙、遅いじゃない」
ミスティアが、光をいっぱい浴びて、こっちを見てくる。状況がつかめないんだけど。
マイクロフォンを握り締めるようにして、ミスティアがみんなに語りかける。
「みんな、やっと主役が来たよ。今準備するからちょっと待ってね」
そういうとミスティアはマイクを渡してきた、わけがわからずに返そうとしても、受け取ってくれない。
「橙、大丈夫、私の後について歌ってくれればいいから」
何の歌を? そもそも私はライブを見に来たのであって、しにきたんじゃないんだけど。
「無理だよ」
おそばでも作るのか“かえし”がどうのと、ステージの後ろに指示をして、私の言葉を聞かない。
ミスティアがここまでむちゃくちゃだなんて思わなかった。いまさらステージを降りても、目立っちゃうよ。
「本当に簡単よ。この三角や丸を押せばいいだけだから」
三角や丸って何のこと? ミスティア、なんか忘れてるんじゃ……。
今度は舌打ちしたり息を吐いたりして、ステージの後ろに丸くした指、おーけーサインを送った。
「上に見えるでしょ、さあ行くわよ」
「ちょっと!」
止めるのも聞かず、ミスティアが構える。とたんにバックのドラムやピアノの音が大きくなって、それから徐々に小さくなった。
「ヨゥヨゥヨゥ! チェック・ディス・アウト! パーティーだ! パーティンザテンポー! みんなどうかな、どんな感じ?」
相変わらずのミスティアのMC。聞いてると楽しくなってくる。私がステージの上に立っていなければ。
「ごきげんかーい!?」
ごきげんじゃないよ、なんとかしてよ!
「ここからショウの始まりだよ、皆様。チェック・ディス・アーウト!」
目配せしてきた、私なんにもできないよ!? ドラムの音が大きくなった、歌が始まるんだ。
「ヘイ、ヨォー、皆様! ちょっと見てなよ、私の生き様!」
途方にくれて、とにかく口を開く。
「よぉ、よぉ、みなさぁん! ずっと待ってた? 始めようよパーティ!」
「O,oh! O,oh! 猫が来た! 郷を縦横無尽、元気に走る、Oh!」
「藍様コン、私ニャン! こまみたいにぐるん! 回っているんだ」
あれ、考えるだけで、言葉が勝手にリズムに乗る。どうなってるの? ミスティアは片目をつぶるだけで答えてくれない。
「何があっても、立ち向かってく、この子には、モーマンタイ!」
「でもそうだったの、“だったらいいな”って、それだけなんだ、ほんとよ!」
後ろの方を見ると、暗くてよく見えないけど、高利貸しのおじさんがスネアドラムに合わせて手を叩いている。
それに、お寺の住職さんと、ナズーリちゃんも、小さく手を叩いてくれてる。
ミスティアが歌うのに合わせて、会場のみんなが歌い出す。
「「どうすんの、ピンチなら?」」
「おちつかなきゃ!」
そう、いつだって最初は、まず落ち着いて考えるところからだった。
「「どうしよう、ピンチなら?」」
「かんがえなきゃ!」
そして、考えれば絶対に、答えは出てきた。
「「どうすべき、ピンチなら?」」
「えらばなくちゃ!」
目の前の選択肢に、ぴったりの答えがあるはず。
「「どうしたら……どうしたらー! Uh-!」」
「きっとできるよ!」
後ろの方から大きな音がして、振り向いてみたら、星ちゃんが転げまわっていた。
転げまわるというか、腕と頭、肩を器用に使って体の軸を回し、大きく開いた脚を回転させながら、自身も地面を丸く回ってる。
そうだ、これは藍様に教えてもらったウィンドミル。でも手を突いて回るから、藍様のよりずっと腰が高い位置にある。
「H to the E to the R to the O! さぁ、おいでヒロイン、いってみようか!」
「C to the H to the E to the N! 私は橙! 毎日かいてん!」
寒気を感じて脇を見ると、いつの間にかステージにいた幽香さんがリズムに合わせて膝を揺らしながら、
開いた手を会場に向けている。次の瞬間、あちこちに花びらが舞って、会場に赤と白と緑と、いっぱいの花が咲き乱れた。
夢みたいな景色。
「すごくイカした、宵の刻! さあみな夜を、盛り上げよう!」
「飛び回ることが信条だ、って私、きみ、きみときみも!」
指差したほうに霊夢がいた。慌ててミスティアの方を向いた。ミスティアの隣には、いつの間にかサングラスをかけたてゐちゃんが、
足踏みでリズムを取っている。空を見上げると、星が抜けているところがあった。ぬえちゃんさんがふわふわ浮かんでいるんだ。
よく見ると村紗さんもいる。仲直り、できたんだね。
「子猫の名前、言ってみなよ! 一緒にずっと、騒ぎ続け!」
「最後まで、いわはないよ! 絶対皆助けるもん!」
次の瞬間、水と光る円盤があたりに飛び散って、花弁と混じってとんでもないことになった。水と光とお花の渦だ。
星ちゃんと幽香さん、てゐちゃん、ミスティアが私の周りに集まってくる。
「どうしよう?」
星ちゃんの声が会場に響く。マイクを持って、こっちを見ている。
「おちつかなきゃ!」
返すと、笑っている星ちゃん。視線の先は幽香さんだ。
「ほんとにねえ?」
ちょっと“なめましかい”声で歌いかけてくる。こんなにのりのいい幽香さんに驚く。
「かんがえなきゃ!」
返すと、幽香さんもやっぱり笑っている。てゐちゃんが私の前に来た。
「どうするの?」
サングラスを外して、にやにやしながら見てくる。
「えらばなくちゃ!」
てゐちゃんは後ろに下がり、そしてミスティアがマイクを口に近づける。私は答えるための言葉を用意する。
「でも大切な」
「しんじること!」
ピアノの調子が変わって、ミスティアにステージの前の方に押し出された。危うく落ちるところ。
前を見たら、藍様と紫様、そしてお燐ちゃんがいる。こんなに近くにいたんだ。恥ずかしい。でも、とにかく最後までやらないと。
「誰か、さあ、Ho!」
「「Ho!」」
「そう、Ho! Ho!」
「「Ho! Ho!」」
「一緒に! Ho Ho Ho!」
「「Ho Ho Ho!」」
「いくよー!」
「「MEEEEEOOOOOW!!」」
お花と、水しぶきと、光る円盤が入り乱れる会場で、みんなが口を開いている。顔が熱くなって、でも手のひらは冷たくなって、
何も考えられなくなって、でも声は出た。
「もう一度、さあ、Ho!」
「「Ho!」」
「そう、Ho! Ho!」
「「Ho! Ho!」」
「一緒に! Ho Ho Ho!」
「「Ho Ho Ho!」」
「いくよー!」
「「MEEEEEOOOOOW!!」」
「ありがとう! ありがとう! ありがとうみんな!
そして忘れないで、あなたもできるよ!! ありがとう!」
大きな拍手の音の中、会場からキャット空中三回転をして、ステージに降り立つ影。お燐ちゃんだ!
「グッジョブ、お姉さん。次のステージに進むことができるよ」
お燐ちゃんに手をとられて、わけのわからないままこぶしを高く上げる。会場の熱狂はますます激しさを増すばかりだ。
「チェン・ザ・シキガミキャットの次のライブも……みんな、見に来てくれるかなーー!?」
ミスティアの声に答えるように、大歓声が上がる。
このとき、何か大きな間違いをしたのだとういうことに気付いたのは、ずっと後になってからだった。
HCR;~ハード・チェン・アンド・リプライ~
完
Question
~Q1.秘密のセキュリティクエスチョン~
挑戦者:メレンゲ職人
難易度:★★☆☆☆
商品:メレンゲ
~Q2.運命のロックレスアイランド~
挑戦者:ミスティア
難易度:★★☆☆☆
商品:クックドゥードゥルドゥエッグ
~Q3.渇望のベストストラテジー~
挑戦者:星
難易度:-
商品:バター
~Q4.銀河のエンクリプテッドワード~
挑戦者:てゐ
難易度:★★★★☆
(換字式暗号と夏の大三角を知っていれば、★★☆☆☆)
商品:フレッシュクリーム
~Q5.私のフレンドインディード~
挑戦者:幽香
難易度:★★★☆☆
(番号当てクイズに慣れていれば、★☆☆☆☆)
商品:フラワー、グラニュレイテッドシュガー、デコレーション
~Final Question.限界のデイジーチェインストラグル~
挑戦者:今までの全員と霊夢
難易度:★★★☆☆
商品:厠使用権
外伝
ミスティア・ローレライ
ニューウェイブ・橙の出現により、オールドスクールの巨鳥だった彼女は身を引く。
今はブランドニューハートで、彼女にパゼスしたパンクソウルをドローアウトするバディをシークしている。
――ゴッド・セイブ・ザ・スパロー パンク地獄変――
寅丸 星
間に合った。縁日の屋台を回ってナズーリンのご機嫌上々大作戦は、あまり上手くいかなかったようである。
原因はもちろん、酒。これを期に彼女は禁酒を決意することとなる。彼女の1920年は一体何年続くのか。
――寅丸的禁酒生活 禁酒は簡単なことです、もう百回はしましたからね――
ナズーリン
ご主人様とのドキドキアバンチュールを楽しんでいた彼女だが、結局最後は、大好きな酒を止められず、
グダグダアバンギャルドな状態になった上司を引きずって帰る羽目になった。彼女は完全にとさかにきている。
――この星を、消す 0から始まるハートフルストーリー――
因幡 てゐ
合言葉を活用し、しのぎに精を出していた彼女だが、ついには霊夢が出てきて、あえなく御用となった。
地下に落とされんとするてゐは、永遠亭を賭して霊夢に最後の勝負を挑む。
――賭博詐称録てゐ 決戦オイチョカブ――
封獣 ぬえ
村紗水蜜との仲を修復し、因幡てゐの悪魔の誘いからも開放されたぬえ。しかし彼女の戦いはまだ終わらない。
自身の弱点である妖怪脈を拡張せんと、親切な黒猫への接近を試みる。欲求に素直になり、大切なものを得ることができるのか。
――XXX歳からの友達作り 破れぬ殻――
風見 幽香
以前から里に顔を出していたのに、“あの本”が出版されてから人々の見る目が変わってしまった。
間違いを正すため、まずは足がかりをつくるべく、人里で花屋を始める。そんな彼女の前に現れたのは、一人の葬儀屋。
――100万本の菊を下さい 花屋繁盛記――
火焔猫 燐
大変だ、お空が誘拐されちゃった! 頭の中に響くお空の声に、雷雨も省みず飛び出すお燐。そして倒れ伏す主人を見つける。
主人から明かされる衝撃の事実。ナイト猫の家系、そして伝わる奥義、回転剣舞六連。三つの紋章を集め。お空を救え!!
――うつほの伝説 神々のニュークリアフォース――
橙
間段なく行われるライブの経験で、その内に秘めたる心の声を聴き、ヒップホップの女王として君臨する橙。
今晩も伝説のリリックが聴ける。ストリート生まれヒップホップ育ち、悪そうな奴は大体友達。本物のラップが聴けるのだ。
――8里 C-Kitten――
あなたはどのお話が気になりますか?
~Q0.真心のカインドオファー~
神社の縁側で足をぶらつかせながら、妖怪がふらふらと歩いているのをぼーっと眺める。
本当なら誰かに相談したらいいんだろうけど、一番頼りたいお二人には、今回は知恵を貸してもらえない。
気付けばあたりはもう暗くなっていて、お酒を飲んでいる妖怪も多いみたい。どんどん辺りは騒がしくなっていく。
じっと縁日のけんそうを耳にしていても、いい考えなんて浮かぶはずもなくて、ため息が一つ漏れちゃった。
「お姉さん、お姉さん! やあ、困った顔をしてどうしたんだい?」
ざわめきをさえぎって、元気な声が聞こえる。
「あ、お燐ちゃん。こんばんは」
「こんばんは」
牙を少し見せて、楽しそうに笑う。お燐ちゃんはいつでも楽しそうだ。
とことこ歩き回って、はじけるような笑顔を周りにふりまいてる。
「何をそんなに悩んでいるんだい」
お燐ちゃんは笑顔をまじめそうな顔に変えて、私の顔をのぞきこんできた。そんなに困った顔になっていたのかな。
いや、きっとペット一筋三百年の手練の技術で、私の心を読み取っているんだ。
「今日ね、本当は藍様と紫様と三人で来るはずだったんだけど」
「うん」
お燐ちゃんが小さくうなずく。なんとなく心強く感じた。
「紫様が、結界の様子がおかしいって、調べに行っちゃったんだ」
お燐ちゃんがとたんに悲しそうな顔をする。自分のことじゃないのに、こんなに思ってくれるなんて、
お燐ちゃんは私と違ってとってもいい子だ。すごく友達思いなんだろう。お空ちゃんと一緒にいるのを見てると、本当にそう思う。
「そりゃあ……仕方ないことだけど、寂しかったよね」
お燐ちゃんは少し目を足元に落としたけれど、すぐにがばっと顔を上げて笑顔になった。
「でも大丈夫、今日はあたいが一緒だよ! 寂しいのなんて忘れさせてあげる」
片目を細めて言い切るお燐ちゃん。不思議だな、さっきまでゆううつだった気分が一気に吹き飛ぶみたい。
「それから、家に帰ったら今日遊んだ話を一杯、お姉さんのご主人様たちに話してあげな。
そうすればお二人だって、お姉さんと一緒に行けなかったこと、気に病まないですむはずだよ」
そのまま“うん”と言いそうになって、あわてて考え直す。今日の私はそうじゃないのだ。
「ありがとう、お燐ちゃん。でも確かに寂しかったけど、悩んでたのは別のことなんだ」
とたんにお燐ちゃんの眉が上がって、横に伸びていた唇が縮まる。“なんだろう”という顔だ。
「紫様、今日のお祭りに来るのすっごく楽しみにしててさ」
夕方早くに起きて、藍様に髪を結ってもらっていた紫様のことを思い出す。暗い夜でも映えるよう、
いつもより少し明るい口紅を塗って、ツバメの模様が描かれた藍染めの浴衣――紫様のがみつからなくて、
藍様のを借りたやつ――に袖を通した紫様。いつもきれいだけど、それ以上にとびっきりきれいだった。
「でも、行けなくなっちゃった。なのに私だけ来てるの、悪いし。紫様に何かしてあげたくて」
お燐ちゃんがきょとんと目を丸くした。
「そうだ、プレゼントとかいいかな。
この間お燐ちゃんがくれた、お土産の湯の花、藍様にプレゼントしたら、とっても喜んでたから」
「ああ、あれかい。気に入ってくれたならよかったよ」
お燐ちゃんにありがとうを言うと、“ペットの世話を手伝ってくれたお礼だから、気にしなくて良いよ。”と鼻をこすった。
それから何度か二本の尻尾を丸めたり伸ばしたりした。照れてるのかな。
「にしても」
お燐ちゃんが目をつぶってあごに手を当て、いかにも考えているといったポーズをとった。しっぽがゆっくりと揺れている。
「お姉さんがお姉さんのご主人様のご主人様……長いね。紫様のことをそんなに気にかけてるなんてね。
お姉さんと話してるところなんて見たこと無かったから、なんか意外だねえ」
私は帽子を少し上げ、頭をかいた。
「紫様は優しくて、すてきな方なんだよ」
お燐ちゃんが、あいそ笑いでなずいた。笑っているのに口の角は持ち上がってなくて、一目見ただけで本当じゃないってわかる。
「あと、紫様とはよく喋ってるよ。お出かけのときなんか、藍様だけじゃなくて私のこともいっつも呼んでくれるし。
昔は、あんまり紫様がお話してくれないから、ちょっぴり苦手だったけどね」
「あたいは今も苦手だよ」
あまりにも正直な意見に、返す言葉が出てこない。でも、本当の紫様は違うんだよ。
「ある日ね、私、おじいさんに道を聞かれて、
“妖怪だよ、食べるよ”って言ったんだけど聞かなくて。仕方なく里まで案内したんだ」
「そりゃまた災難だねえ」
お燐ちゃんが苦笑いしている。私も思い出すだけで苦笑いだ。
「それでお勉強の時間に遅れちゃってさ。でもうまく――私にも私がなんで案内したかわかんないし――説明できなくて、
藍様に叱られちゃったんだ。その日は紫様のおうちに泊まったんだけど、夜中にお話してるのが聞こえたの。
紫様が藍様に、私がお勉強の時間に遅れた理由を説明してくれてたんだよ」
藍様が“今すぐ謝らないと”ってあわてた声を出して、それを紫様があきれながら止めていた。
“言わなかったのには本人の考えがあるのだから、むげにするのはよすように。
ただ、その遅刻のことについて、もう何も言わないようにすればいい”と。
「紫様はずっと私のことも見てくれてるんだ。
でも、私は藍様の式だから、紫様はなるべく何も言わないようにしてる。そう言ってた」
お燐ちゃんが驚いたまま固まっていたようだ。もう、ひどいなあ。
「ショーゲキの事実ってやつだね。あ、こんなこと言うのは、紫様にもお姉さんにも失礼かな」
ばつの悪そうな顔をしている。いまさらだけどね。
「もちろん私にとって藍様が一番だけど、あんなにかわいくて、
優しくて、いろんなこと知ってて、そんなすごい妖怪、なかなかいないよ」
「お姉さんはお二方が大好きなんだねえ」
目を閉じて何度もうなずいている。お燐ちゃんの中で、私と藍様と紫様は、どんな風に映っているんだろう。
お燐ちゃんがするりと音もなく歩いて、私の隣に腰掛けた。少し体を傾けて肩を寄せてくる。とってもあったかい。
「自慢を一杯聞かされちゃった。あたいも後で、お空とさとり様の自慢話、お姉さんに聞いてもらっていいかい?」
「うん」
そういえば私が喋ってばっかりだった。だめだなあ、こんなだからまだまだ子供だとか言われちゃうのかな。
「それで、お姉さんは紫様に何をしてあげたらいいか悩んでいたんだね?」
「そうだよ」
お燐ちゃんの尻尾が私の尻尾を押してくる。ちょっとくすぐったい。
「やっぱり屋台のものとかがいいのかねえ。お祭りに来られなかったわけだし」
「そうだね」
金魚、焼きそば、風車。紫様にプレゼントすることを考えると、どれもぴんと来ないなあ。
「私、ちょっと思ったんだけどさ」
お燐ちゃんと目が合う。あたりが薄暗いからか、瞳は大きくなっていた。
「“お祭りに来れなかった紫様に、少しでもお祭り気分にひたってもらうため”より
“いつも皆のために結界を見ていてくれる紫様に、ありがとうって言うため”に、プレゼントをしたいな」
「結界の点検をしているのはお姉さんのご主人様じゃなかったっけ」
「日常点検は藍様がしてるけど、紫様もいつも様子を見てるよ。おっきな変化があったときとかは、
今日みたいに必ずご自身で出向いていって、原因を調査してるしね」
お燐ちゃんが難しそうな顔をしている。親指と人差し指で耳を挟んで、何度か下から上にすっと耳を伸ばした。
「つまりお姉さんはいつも頑張ってる紫様に、ご褒美をあげたいというわけだ」
「ご褒美って、そういうんじゃないよ」
それは大それた言い方だと思うけど、お燐ちゃんは地底でペットの世話をしているさとりさんに、ご褒美をあげてるのかもしれない。
お燐ちゃんはさとりさんのペットだから、それが普通のことなのかも。
「ふふふ、それならあたいはぴったりのものを知ってるよ」
自慢げに指を立てて目を細め、尻尾をくるくると小さく回してる。
「頑張り屋さんの女の子をねぎらうには、ケーキが一番さ!」
「ケーキ?」
一瞬、お燐ちゃんが何を言ったのかわからなかった。お祭りのとうもろこしや焼きそばのにおいの中で、
ケーキのことを思い浮かべるのは大変だ。
「知らないのかい?」
「いや、知ってるよ。でもなんで?」
私は昔、お二人が里のケーキを気にしているのはなぜなのか、たずねたことを思い出した。
思い出してちょっと恥ずかしくなった。
「昔からお祝い事にはケーキ、女の子にはケーキと決まっているからさ」
「うーん、でも紫様は女の子とはちょっと違うと思うんだけど」
突然、お燐ちゃんが真剣な表情になった。立てた指を私の目の前に持ってきて、叱るみたいに言う。
「だめだよお姉さん。女の子はどれだけ歳をとっても女の子なんだ。お姉さんが言ったのは、一番言っちゃいけないことだよ。
お空もよく、さとり様がお茶を飲んでるのを見て、“おばあちゃんみたい”と言っては怒られているんだ」
そうなのかな。確かにそれも良くないけど、紫様を女の子って言うのも失礼な気がする。
「さあ、とにかく今はケーキを作ることを考えないと。さっそく材料を集めに行くよ。ついてきて!」
「手伝ってくれるの? で、でも、この間もお土産もらっちゃったし、私なんにもお返しできてないのに……」
お燐ちゃんが腰に手を当てて尻尾を立て、笑いながら言う。
「問題だよお姉さん」
<!--Question-->
あたいが、お姉さんのプレゼント作戦のお手伝いをするのは、なんでだい?
ニャ:ケーキが食べたいから
ニィ:さとり様に友達には親切にするよう言われているから
ニャニャ:お姉さんがにぼしをくれるから
ニャン:面白そうだから
<!--End of Question-->
「え、えっと」
迷っていると、ぽんと頭に手をのせられた。帽子の中で、耳がふにゃっとつぶれる。
「どれでもないよ、お姉さん。あたいはお姉さんの友達で、あたいはお姉さんが好きだから、お姉さんの手助けをしたいのさ」
やわらかくほほえんでから、頭をなでてくれる。迷っていた自分が腹立たしくて、お燐ちゃんの手の感触がよくわからない。
「あたいはペットなのに」
お燐ちゃんがほおを少しかく。
「勤勉な学生のお姉さんに友達だなんて、ちょっと失礼だったかな」
小さい声で、うかがうように聞いてくる。そんなことなくって、とっても嬉しいって言ったら、
ぽんぽんと頭を叩いてくれた。お燐ちゃんは私の友達だ。
「さあ、行こうか!」
私はお燐ちゃんに引っ張られて、縁日の神社の雑踏に入っていった。
~Q1.秘密のセキュリティクエスチョン~
お燐ちゃんに連れてこられた先は、綿菓子屋さんだった。
「なにはともあれ、ケーキを作るならまずはメレンゲだね」
目の前にはとても貫禄のある、ライオンのような男の人が立っている。金糸で竜の模様を縫った黒い着物を着ていて、
黒いガラスがはまった眼鏡をかけている。綿菓子より高利貸しといった風貌だ。
「こんばんはおじさん。頼みごとがあるんだけど」
ぎろりと鋭い目がこっちを向く。怖い。怖い人間もたまにいるんだよね、霊夢とか。
「実はこのお姉さんが――あたいの友達で、だいだいって書いて、ちぇんって言うお名前なんだけど――メレンゲを探してるんだ」
「メレンゲ……だと?」
高利貸しのおじさんがこっちを向いた。なんで怒ってるの!? ああ、自分で名前言わなかったから?
……はやく、言わないと。
「こ、こばわ、橙です。あいしつ遅れてごめんなさい。その、おこらないでくたさい」
言い終わると、高利貸しのおじさんは、袖をまくって左手で右の二の腕を掴み、右手で拳を作った。
反射的に後ろに下がろうとしたけれど、つないでいたお燐ちゃんの手に引っ張られてしまった。
目の前の渋い表情の一部、固く引き結ばれていた唇が開く。
「こんばんは、ちぇんちゃん。俺は竜という。以後よろしく」
ぎらりと目が光る。間違いない、本気だ。
「今は綿菓子の竜だが、本当はメレンゲの竜だ。三全世界に名を馳せる、メレンゲの伝道師とは俺のことよ」
拳で胸を叩く音が、鈍く、低く、響いた。そういえばここは綿菓子屋さんなのだ。高利貸し屋さんが綿菓子を売ってるなんて、
なんてしゃれがきいているんだろう。
「メレンゲのことなら任せておけ。お嬢ちゃんの欲しいぐらいなら、すぐに作ってやるさ」
メレンゲってなんなんだろう。もしかして、お金が返せなかった人間や妖怪をまとめて煮込んだ鍋料理とか……?
「私、メレンゲになんてなりたくない!」
「何言ってるんだいお姉さん」
お燐ちゃん、そんなにのんきにしてる場合じゃないよ! 早く逃げないと!
「と、言いたいのは山々なんだが、実は今困ったことになってる」
眉間にしわを寄せながら、おじさんがまた口を開いた。屋台の後ろにある大きな銀色の缶に、親指を向けた。
まさか、あの中に妖怪がぎっしり……?
「実はな、あのメレンゲマシーンは、メレンゲ職人の命ともいえるものなんだが」
やっぱり、あの大きな缶でメレンゲを作るんだ。私も、私も入れられちゃうんだ。
「その命を守るため、マシーンにはパスワードロックがかけられている。
俺はなぁ、その、その大事なパスワードを……忘れてしまったんだああぁぁーー!!」
屋台が手で勢い良く叩かれ、大きな音がした。少しもれた。
「ええー、それじゃあお姉さんのメレンゲはどうなるんだい」
「まだ方法はある。実は、ロックには安全機構があって、特別な質問が設定されている。
その質問に対する適切な答えを入力しても、ロックは解除できるんだ」
できればそのロックは二度と開かれないで欲しい。そしてお燐ちゃんと一緒に私は今すぐここから駆け出したい。
「なーんだ、じゃあさっさと答えを入力して、ロックを外せばいいじゃないか」
「その、その質問が難し過ぎて……答えがわからないんだよおおぉぉーー!!」
拳で殴られた屋台が、破裂するような音を立てる。鼻がつーんとしてきた。
「頼む、礼はする! この質問の答えを教えてくれ!」
ここが勝負どころだ。思い切っておじさんに言おう。生き残るには、お燐ちゃんを守るには、やるしかないんだ!
「それを解決すれば、命は助けてくれるんですね?」
「ああ、助けてもらえるとありがたい。これなんだ」
指し示す方向を見ると、缶に赤いテープが張り付いている。その上に細かい字で問題が書かれていた。
<!--Question-->
次の前提条件から、論理的に導くことができる結論はどれか。
メレンゲ職人は朝、必ず紅茶かコーヒーを飲み、両方飲むことはない。紅茶を飲むときは、必ずサンドイッチを食べ、
コーヒーを飲むときは必ずトーストを食べる。
メ:メレンゲ職人は朝、サンドイッチかトーストを食べるが、両方とも食べることはない。
レ:メレンゲ職人は朝、サンドイッチを食べないならばコーヒーを飲む。
ン:メレンゲ職人は朝、サンドイッチを食べるときは紅茶を飲む。
ゲ:メレンゲ職人は朝、トーストを食べるときはサンドイッチを食べない。
<!--End of Question-->
「うーん、よくわからないねえ。一個ずつ全部入力すればいいんじゃないかい?」
「ダメだ。失敗すれば爆発する」
証拠隠滅のためかな。私は消されないよね。
「じゃあ“メ”が正解だ! 紅茶かコーヒーを飲んで、両方飲むことはない。それでいて、紅茶ならサンドイッチ、
コーヒーならトーストなんだから、サンドイッチとトーストを両方食べるなんてありえないよ」
お燐ちゃんが言い切る。確かにその通りだ、何も間違っていない。でもなんでだろう、何か違和感が。
これは前にてゐちゃんと遊んでいたときに感じたような……そうか!
「待ってお燐ちゃん、その考え方だと、紅茶を飲むときにはサンドイッチを食べるんだから“レ”も“ン”も正解だし、
“ゲ”もトーストを食べるときはコーヒーを飲むから、“紅茶を飲むときに食べるサンドイッチ”は食べない、
つまり正解ってことになるよ」
「じゃあ、どれでもいいってことかい? お姉さん」
ありがとうてゐちゃん。苦い思い出も一杯だけど、てゐちゃんのおかげで大人の世界を知ったから、
今私は生き残る道が見えた。
「“大人の説明”だよ、お燐ちゃん」
「どういうこと?」
「つまりね、この問題は、紅茶とコーヒーの両方を飲むことはないと最初に書いておいて、
それからそれぞれにに対応する食べ物を示すことで、あたかもサンドウィッチとトーストを、
両方一緒に食べることがないように思い込ませてるんだ」
お燐ちゃんがきょとんとしている。場の緊張感にあまりそぐわない顔だ。
一方、横のおじさんからは、ものすごいプレッシャーを感じる。
「大人は嘘はつかない。だけど真実を隠しておくんだよ。相手に思い込ませること、
それで手を汚さずに、相手をだませるの。本当のことを言わないのは、嘘をつくことにはならないからね」
「なんだか難しい話だねえ、それで、答えはどれなんだい?」
両方とも食べることはない、というのが嘘なら、後は残った三つの中から仲間はずれを探すだけだ。
「両方とも食べられるなら、この問題でやっていいのは、両方食べる、片方食べる、の二通り。
両方食べないのはだめ。そして、選択肢の中で“食べないとき”の話をしているのは一つだけ」
高利貸しのおじさんの目が大きく開く。怖い。
「つまり正解は、“メレンゲ職人は朝、サンドイッチを食べないならばコーヒーを飲む!”」
“紅茶を飲むときは、必ずサンドイッチを食べる。”つまり、サンドイッチを食べないということは、紅茶を飲まないということ。
紅茶を飲まないのなら、“必ず紅茶かコーヒーのどちらかを飲む”んだから“コーヒーを飲む”はず。
缶についている“レ”のボタンを思いっきり押した。すると缶が高い声と低い声を混ぜたような感じで喋りだす。
<ミックス・モード・アクティヴェイテッド>
缶がかたかた揺れだす。上のふたの隙間から、しゅーしゅーと白い蒸気が出てきた。
「おお! やったぞ!」
<プリペアリング・トゥー・ディスペンス・プロダクト>
金属をこすり合わせるような音が内部から響いてくる。もう終わったし、そろそろ帰っていいよね。
静かにその場を去ろうとしたら、おじさんが大きな声を出した。
「まちな、嬢ちゃん」
バシュンと空気が抜けるような音がして、缶のてっぺんから透明な筒が飛び出した。中には白いものが一杯詰まっている。
あれが、そうなんだ。おじさんはその筒と、懐から取り出した小さな袋を持って私の前に来た。
「本当にありがとうよ。これが約束のメレンゲだ」
「やだ! 私、妖怪のひき肉なんていらない!」
後ずさると、お燐ちゃんが肩をちょんちょんつついてきた。
「何と勘違いしてるのか知らないけど、メレンゲは卵の白身だよ、お姉さん」
え、じゃあ、残酷な機械の犠牲者は、いなかったの?
「よかったぁ……」
「ほらよ、俺のメレンゲは山を抜き、世の中をおおいつくすほどだぜ。
角もつんと立って見事なもんさ。お嬢ちゃんのお菓子も、きっと最高の出来になるだろう」
少し冷たい白い筒を握ってみる。これが卵の白身だなんて、なんだか信じられないな。
「こっちの小さい袋はなんだい?」
お燐ちゃんに言われて、手の平の上にのっている小さな袋を見た。何か硬いものが入っているみたいだけど。
「お小遣いだよ」
も、もしかして危ないお金!?
「わ、私、受け取れません!」
「いいのさ、取っておいてくれ。メレンゲ職人の魂を救ってくれたんだ。これは正当な対価だ」
そういうと、おじさんは振り返って屋台に戻っていき、そのまま缶に抱きついた。
「すまなかったな、パスワードを忘れたりして」
<アイ・ドント・ブレーム・ユー>
「俺のこと嫌いにならなかったか?」
<アイ・ドント・ヘイト・ユー>
メレンゲマシーンと抱き合っているおじさん。お金を不当な利率で貸すのはいけないことだけど、根は悪い人じゃないのかな。
「ねえねえ、お姉さん、いくらもらったの?」
お燐ちゃんが指で丸いわっかを作って聞いてくる。中身を見ないのも怖いから、袋を開いて出してみた。
すると小銭がいくらか手に落ちた。
「金魚すくい五回分くらいかな。安いね、職人の魂」
~Q2.運命のロックレスアイランド~
「さて次は卵黄なんだけど……」
お燐ちゃんはそう言ってから、おじさんからもらったお小遣いで買ったりんご飴を、嬉しそうに舐める。
「あれ、メレンゲって卵白なんだよね。じゃあ、さっきのおじさんが卵黄も持ってるんじゃないの?」
指を立てて“ちっちっ”と舌を鳴らすお燐ちゃん。藍様にされているときの癖で、お燐ちゃんに近付いてしまった。
「ちょっと近いよお姉さん。歩きづらいじゃないか」
「ごめん」
あわてて体を離した。お燐ちゃんがりんご飴の棒を見つめ、爪でカリカリしてから、こっちを振り向く。
「メレンゲ職人って言うのはね、お姉さん」
遠い目をしている。お燐ちゃんのご主人様の妹さんの話をするとき、よくお燐ちゃんはこんな顔をする。
「メレンゲに誇りを持っているんだ。決してね、決してメレンゲを作ったあとの卵黄を、未練がましくとっておいたりしない。
もったいないと思うかもしれない、けどそれはメレンゲ職人として、最も恥ずべき行いなのさ」
「そうなんだ……。私、メレンゲ職人さんたちに悪いこと言っちゃった」
お燐ちゃんが笑って手を左右に振る。
「大丈夫さ、メレンゲ職人たちは皆心が広いから。お姉さんが彼らの誇りを想ってくれるだけで、きっと皆嬉しがるよ」
「うん、私、メレンゲ職人さんの誇りを覚えておくよ」
「さ、メレンゲにこれ以上かまけていても時間の無駄だし、さっさと卵の黄身を探さないとね」
私はまた、大事にしなければいけないことを知った。毎日ちょっぴりずつ大人になっていく。
私のことを“お姉さん”と呼ぶけど、お燐ちゃんはやっぱり、私のお姉さんだ。ちょっと、てつ学的かも。
「ピェンソクェウ・スウェニョ・パレシドノ・ヴォヴェラマス……。
イメピン・タバラス・ァマノスィラ・カラーラァスゥ……」
気が付いたら、お燐ちゃんは少し先を行っていた。追いつこうと歩調を速めたら、背後から歌声が聴こえる。よく知った声だ。
振り返ると、まるで何十里も走ったみたいに汗びっしょりで顔を赤くして、
羽と体を小刻みに揺らしながら歩いてくる人影が見えた。私は前を向いて歩き出した。
「イデインプロヴィ・ソエルヴィエントラ・ピィイドゥメ・ジェエエボォオ!」
がくんと体が引かれる。私の肩をつかんで耳元で歌いだしたんだ。手で押しやりながらどうにか足を前に出す。
「“イメエ”チェアヴォラ……アェネルシェロ・インフィニイイィィイイーーィトオオォォーー!!」
うるさい。
「お、女将さんじゃないか。屋台はいいのかい?」
「YOYOYO、ヒアカムズアニューチャレンジャー! チェック・イット・アウト!」
両手を拳銃のように構えたポーズをとる。最近天狗たちの間で流行ってるやつだ。
「こんばんは、ミスティア。今忙しいから帰ってね」
「雀の女将! たずねる者は! 卵の中身! 求めるあなた!
あげるよ君に! 私の黄身を! 甘くて丸い! こがねの真珠ッフォー!!」
お燐ちゃんの顔色が悪くなってきた。私のあんまり見られたくない友達に、すみやかに退場してもらわないと。
「ミスティアの卵はいいよ。友達に自分の卵食べさせようとするのやめてよ」
「まあまあ、お姉さん。もしかしたら女将さんなら、鶏の知り合いを紹介してくれるかもしれないよ」
ミスティアの目が光った。
「そんなに・嫌なの・私の・ピータン? かわりに・欲しいの・誰かの・鶏卵?
それなら・対価を・望むよ・正当! 今から・クイズを・贈るよ・決闘!
解かなきゃ・あげない・田中の・初卵! 解けなきゃ・来てよね・ライブに・絶対!
今から・出すのは・キツいよ・問題! これなら・貴方を・泣かすよ・どうだい!?」
右手の指を一本立て、ピースサインを作った左手に右手を近づけていく。
「1たす2たす3たす4! 100までたした! いくらかな?
エー、100! ビー、255! シー、5050! デー、65535!」
「5050だよ」
ミスティアが崩れ落ちた。えへへ、算術だけは誰にも負けないよ!
「さすが! 速いねえお姉さん」
お燐ちゃんにほめてもらうと、ちょっと照れるな。
「くうぅ、得意分野で橙をぎゃふんと言わせたかったのに。正解よ。1たす100、2たす99と、
外側からたしていくと、50たす51までたせる。50回101をたすから5050。やるじゃない」
しまった! お勉強のときに出てきたのにすっかり忘れてた。
「うう、藍様がせっかく教えてくれてたのに、思い出せなかったぁ……」
落ち込んでいる私に、お燐ちゃんが不思議そうな顔でたずねてくる。
「え、そうなのかい? じゃあどうやって正解したんだい?」
「1から100まで全部足したの。式神は訓練すると、すっごく暗算速くなるんだよ」
「力技だねえ……」
お燐ちゃんががっかりしてしまったみたい。次はもっと頑張って覚えよう。
「どうやら今のは引き分けだったみたいね。ならこれでトドメよ!」
<!--Question-->
答えは最後までいわないからよく聞いていてね。
南へ向かっている船が難破しました。絶体絶命と思われましたが、近くに無人島があります。
無人島の北側は危険な岩礁地帯、船が流れていけば、岩にぶつかり沈没してしまうでしょう。
南は砂浜で、こちら側に漂着すれば船は助かります。この船はどちら側に流されたでしょう?
1:北
2:南
<!--End of Question-->
「え、ええー! それだけ!?」
どうしよう、全然わからない。今の季節が夏だから、偏西風が吹いてて、海流はえっと……海なんて数回しか見たこと無いよ。
南へ向かってる船が難破したから、北の確率が高いってこと? でもこの問題、確率の話じゃないし、ど、どうしたらいいの。
「うーん、うーん」
「ふふっ、どうやら私の勝ちのようね。残念ながら、約束のものと貴方の大切にしている“何か”。
そしてあの十年前の事件の真相。みっつ全て、貴方の手からこぼれ落ちてしまうことになるわ」
え、そんな話だったっけ。なんでこんなことになっちゃったんだろう。助けて藍様。
「ねえねえ女将さん、その問題、あたいに答えさせてくれないかい?」
「ん、今度は貴方がお相手してくれるのかしら、子猫ちゃん?」
「子猫ちゃんって……。あたいが答えてもかまわないんだね?」
お燐ちゃん、まさか答えがわかったの? こんなに少ない情報で、一体どうやって?
「いいよ、もし子猫ちゃんが勝ったら、アイツは開放され、あの事件の裏で何が起きていたか教えてあげる」
ミスティアが爪をちらつかせながら言う。喧嘩になったらミスティア負けちゃうと思うけどね。
お燐ちゃんは尻尾をゆっくり振っている。獲物に飛び掛るタイミングを計っているんだ。
「答えは」
お燐ちゃんの尻尾がぴんと伸びた。ミスティアが目を大きく開く。あたりの雑踏が急に静かになって、
お燐ちゃんの声がよく聞こえた。
「南側さ」
それを聞くとミスティアが拳を握った。
「なぜ、なぜわかったの」
歯噛みしながら問い詰めるように言う。
「答えは最後まで、いわない。違うかい?」
一体どういうことだろう。全然わからないよ。お燐ちゃんってやっぱりすごい。
「それに付け加えるとすれば、心優しい女将さんは、難破した船が助からないような物語は望まない」
「私の負けよ。卵ならここにあるわ」
懐から卵を4つ取り出した。大きさは鶏くらいだけど、本当に鶏の卵かな。
「近所の空き家に住んでる田中さんからもらった鶏卵よ。安心して。田中さんはまだ独身で、孵らない卵だから」
「ありがとう」
少し温まっている。牛乳と同じくらい白くて、とってもすべすべだ。
「喜んでくれたらきっと田中さんも本望よ。でも、夫婦の愛の結晶の卵は、食べないでよね」
そういうものなのかな。卵産んだことはないからわからないけど。いつくしむような目で卵を見やるミスティアは、
なんだかとってもやわらかい雰囲気だ。お店をやっているときと同じように。いつもこうだといいのに。
「……やっぱり二人とも、ライブには来てくれない?」
ライブかあ、お腹に響くすごい音圧だから、聞くのに体力がいるんだよなあ。でも……。
「チケット頂戴。卵ももらっちゃったし、お勉強ない日だったらいけると思うから」
「あたいにもおくれよ。なんだか楽しそうじゃないか」
羽を震わせている。とっても嬉しそうだ。
「ありがとう、二人のためにきっとすっごいライブにするよ!」
お手柔らかに。言おうと思ったけど、ミスティアはもう飛んでいってしまった。
~Q3.渇望のベストストラテジー~
「そっか、いわないってことだったんだね」
「へへ、くだらない問題だよねえ? さて、次の材料は、と」
お燐ちゃんがきょろきょろあたりを見渡すと、ラムネ屋さんの前に意外な二人がいた。
「お燐ちゃん、あそこ、星ちゃんとナズーリちゃんじゃない?」
「おや、ほんとだねえ」
お燐ちゃんと一緒にとことこ近寄っていくと、向こうもこっちに気付いたみたいだ。
「こんにちは星ちゃん、ナズーリちゃん」
星ちゃんの大きな明るい声と、お燐ちゃんのそれに負けない声、それからナズーリちゃんの小さな声で、挨拶を交わした。
ナズーリちゃんはちょっとごきげん斜めみたい。星ちゃんと一緒にいるときに話しかけると、いつもそうなんだよね。
と言ってもナズーリちゃんは川にいるとき以外、いっつも星ちゃんと一緒だけど。
「いいですよね、お祭りには最適な夜空です」
星ちゃんが指差す方を見上げると、雲ひとつない空に、濃く散りばめられた星が広がってる。
じっと見てるとめまいがしそう。それから、おっきくて明るい星が、とっても大きい三角をつくってる。
「金魚すくいをしていたのですがね、全くダメでした。色とりどりの金魚の中のただ一匹もすくい取れない私に落胆しましたが、
そのとき思ったのです。この色とりどりの金魚にポイを向けるのも、あの空の数多の星に手を伸ばすのも、同じことなんだと」
ナズーリちゃんが心底あきれたという声で“何を言っているんだ、全くあきれてしまうよ”と、
手を開いて少しあげる、あきれた身振りをしながらこぼした。その顔は、本当にあきれてしまっていた。
「お二人は楽しんでいますか?」
星ちゃんが背の高い体を折るように、膝に手をあてて私に視線を合わせてくれた。
“うん”って言ってから、その頭をなでてあげたら、気持ちよさそうにごろごろ喉を鳴らした。
「んもう、嬉しいですけど、私はこれでも仏様(みたいなモノ)なんですよ」
「またまた」
てゐちゃんに言われるまで、私は星ちゃんが本当にお寺のご本尊だと勘違いしていた。
いつもすごく整った格好をしてるから、いっそうそれらしいし。でも、お寺の皆もユーモアあふれているよね。
皆でしめし合わせて、マスコットとしてご本尊様って呼んでるのだ。星ちゃんはかわいいから、確かにわかる。
けれど、本当はお寺にご飯を食べに来るトラ猫の妖怪なのだ。
「君は普段からしまりのない顔をしてるから信じてもらえないんだよ」
「うう、ナズーリンまで。でもですね、やっぱり私は、いつもできるかぎり、笑顔でいたいのですよ」
さすがてゐちゃんはその道に通じているだけあって、嘘を見破る技術も一流だ。
まあ、こんなに親しみやすい子が仏様なわけないよね。猫の顔も仏の顔も同じ三度だし、
なにより星ちゃんは仏様みたいにいっつも優しそうな笑顔だから、きっと、お寺の皆がそう呼ぶんだ。
「にぼし食べる?」
ポケットから煮干を取り出すと、星ちゃんは“食べます”の言葉と同時にひょいっと煮干を歯ではさんだ。
上を向いてから口を開いて、煮干を口の中に落とすと、おいしそうにもぐもぐと噛んだ。
「ありがとうございます」
星ちゃんとナズーリちゃんを見ていると、なんとなく紫様と藍様を思い出す。
あ、そういえばまだ材料集めの途中なんだった。それと同時に、肩をつつかれているのにも気が付いた。
「お姉さん、お姉さん」
「なあに?」
「お姉さん、星ちゃんはトラ猫だよ。あたいの推理が正しければ、バターが手に入る」
なんでだろう? いくら星ちゃんでも、バターをお祭りに持ってくるとは思えないけど。
「バターですか」
星ちゃんが人差し指を口に当てて、少し固い顔になった。
「でも、すごく疲れるんですよね。ナズーリンとの用事を果たすためにはお手伝いし難いですが、
橙さんたちの頼みを断るというのも、私には難しいことですね」
目をつぶって、何か考えているみたい。
「では、こうしましょう。実はひとつ、とても難しい問題があるのです。
私は長年それについて考えているのですが、いまだにわかりません。もしその答えを教えてくれたら、バターをお渡しします」
うう、なんだか今日はこんなことばっかりだなあ。
「あるところにとっても美味しいお饅頭屋さんがあるのです。中は漉し餡で、よくとがれた和三盆糖のすっきりした甘みと、
愛情たっぷりで育てられた丸々とした小豆のかぐわしい香り。口にすればやわらかい皮の感触の後に、
胸のすく甘く涼しい香りと、舌を包むこくと蜜の味。えもいわれぬ愉悦に引き込まれる素晴らしい逸品です」
あまりにおいしそうに言うものだから、ちょっとお饅頭が食べたくなってきちゃった。
「そのお向かいにはですね、お団子屋さんがあります。名物はみたらしなのですが、いやもう極上の物ですよ。
亀屋あわよしの製法を受け継ぎ、団子を念入りに練って滑らかにすることで、その噛みごたえは天にも昇るよう。
言い表せぬ快感の後に、白ざら糖と醤油の甘露の葛のたれが絡んで、ああっ! お腹が減ってきました」
うう、問題に集中できないから止めてよ。
「あなたはお饅頭屋さんです。あるとき、小麦粉屋さんのエージェントが現れて、あなたに安い粉を薦めてきました。
そして、安売り作戦によって、目の前のお団子屋さんのお客さんを奪うことを提案してきたのです。あなたの心は揺れだしました」
「甘いもの屋さんなのに、なんか苦い話になったね」
でもきっと、目の前で相手のお店に入っていくお客さんを見せられると、とってもつらい気分になるんだろうな。
相手のお店のお客さんを奪っちゃおうって思うくらい。
「商売人の仁義に反するから、と小麦粉屋さんにお帰り頂くあなたでしたが、引き戸を開けると、向かいのお団子屋さんから、
上新粉屋さんのエージェントが出てくるのが見えました。そして、お団子屋さんの主人と目が合います」
うわあ、なんてタイミングなの。
「両店とも、相手が抜け駆けしないか、疑念にかられます」
「そうだよね」
「お饅頭の原価の内、粉の占める割合を考えると、粉のコストダウンをしても、高々2割の安売りしかできません。
また、お団子に新しい粉を使用して安売りを行っても、2割引が限界です」
そうなんだ。残り8割はそれぞれ、あんこと串ってことなのかな?
「それは相手にも簡単に予測できることです。あなたもお団子屋さんも、互いに安売りするなら2割引だろうと予想が付きます」
お饅頭屋さんもお団子屋さんも、算術得意なんだなあ。
「2割引の安売りを行うことによって、お客さんを奪い、月の売り上げを1.2倍にすることができます。
奪われた方は月の売り上げが0.5倍になります。ですが、これは相手が対抗してこなかった場合です。
もし相手が安売りで対抗してくれば、両方とも2割引で売り上げは0.8倍です」
小数はやめて! この間入れたルックアップテーブルに抜けてるところがあって、割り算たまに間違えちゃうの。
「つまり両方安売りを行わないなら現状のまま、両方とも1.0倍です。両方安売りを行えば両方とも0.8倍。
相手のお店が対抗してこなければ、安売りしたほうは1.2倍で、もう片方は0.5倍です」
こんがらがってきた。お燐ちゃんもあきらめて、ナズーリちゃんにちょっかいかけ始めてるし。
「決断のときは迫っています。橙さん、あなたがお饅頭屋さんならどうすればいいですか?」
う、うーんと、私お饅頭は作ったことないよ……。
「もちろん、この問題にはまだ明確な答えはありません。なので条件をつけます。
お饅頭屋さんもお団子屋さんも、損だけはしたくないと思っています。なるべく損を少なくするには、どうすればいいですか?」
えっと、損を少なくするなら、安売りしたら売り上げが2割減っちゃうし、でも、もし相手が安売りしたら、そうか!
一番大きな損が出ちゃうのは、こっちが安売りしないで、相手が安売りしてきたとき。つまり、なるべく損を少なくするなら、
安売りすればいいんだ。相手がどうしようと、0.5倍まで下がることはないんだから。
「安売りします」
「正解です」
やった! 私お饅頭屋さんの才能あるのかな。
「最終的に両方とも、“自分が損をしないこと”を最優先することで、売り上げは0.8倍になってしまいました。
経営は苦しくなる一方です。悲しいことですね。両方とも相手を信じれば、売り上げが減ることはないのに」
「そんなことがあるんだね」
私がかんしんしていると、星ちゃんが自分のほほを軽くつまんだ。子供っぽいしぐさで、
“お団子や饅頭が安く買えたら嬉しいですが、そのせいでお菓子屋さんが続けられなくなったりしたら悲しいですね。”
と本当に悲しそうに言った。お話のことだけど、お菓子が好きな星ちゃんにはお話でも嫌なのかな。
「さて、今のが練習問題です」
ええっ! うーん、けっこう難しいお話だったのに、まだ本番じゃなかったなんて。
「本番に行きますよ」
「うん」
星ちゃんが、いつもと同じ笑顔なんだけど、何かちょっと違う?
「あなたは今、犬さんたちの村、ワンワン村の村長の右腕です」
想像もつかないなあ、それは。
「あなたはずっと自分が猫であることを隠しています。なぜなら」
滑らかに話していたのに、少し言いよどむ。
「なぜなら猫さんと犬さんは――その村での話ですよ――昔からいがみあって、その結果、大切な家族を失ったりしたのです。
そんなことをされた者は、相手に仕返しをしてしまいます」
「それは、黙ってはいられないよ」
「理屈では、もしくは仏様の教えでは、争いは悪いことです。大切な仲間を失う悲しみは、どのような生き物も同じでしょう」
私には仏教はよくわからないし、お肉は食べるけど、友達がひどいことされるのは嫌だな。
「しかし感情はそうではありませんね? ですからあなたは、絶対に争いを回避するため、身分を偽っています」
でも、私はどう頑張っても犬には見えないと思うけどなあ。
「あなたは村長と村長の周りに集まる仲間たちと暮らしているのですが、実は仲間も猫さんですし、村長は狐さんなのです」
全然犬の村じゃないよそれ。
「皆で楽しく平和に暮らしていました。犬の振りをしている限り、仲間以外の村の皆も、とっても優しく親切に接してくれます」
うーん、まあ、そういう幸せもあるのかな。
「とても素敵な方々ですが、当然、悲しみを忘れるような犬さんたちではありません」
星ちゃんの顔が見るからに暗くなる。どうしてか、私もちょっと胸が苦しい。
「ある日、村長が狐さんだということがばれてしまいます。犬さんたちは狐さんとも非常に仲が悪いのです」
それはびっくりだよね。
「若い犬さんのリーダーが、村長の家の前で、あなたと猫さんたちに言いました。“村長はひどいやつだ。俺達を騙していたんだ。
一緒に村長をこらしめよう。”それを聞いたあなたは困ります。あなたは狐さんが本当に大好きなのです」
まさか、狐さんって藍様のこと? ああ、問題に集中しないと。
「あなたが言いよどんでいると、犬さんたちがあなたと猫さんたちを怪しみ始めます。
“どうもおかしいな、狐さんは犬さんの敵じゃないか。おとなしく狐さんを引き渡しておくれよ”」
犬ににらまれながら、藍様を差し出せって言われたら、たぶん、どんなに大きくて牙が鋭くても、私は嫌だって言うよ。
「あなたは慌てます、このままじゃ大変なことになる。もし狐さんを引き渡せば引いてくれるかもしれない、
しかし後ろの方の犬さんたちがいぶかしんでいるのがわかります。このまま引き渡しても、もしかしたら引いてくれないかも」
だったら、戦うしかないよ。どんなことがあっても、私は藍様がいなくなっちゃうなんて、いや。
「ところで、橙さんは犬さんは好きですか?」
「キライ」
「あはは、私も少し苦手です。でも犬さんたちは仲間思いで、礼儀正しくて、良い方が多いですよ」
そうかなあ、みんな私を見るとほえてくるし、今は藍様を取ろうとしてるんだよ。
「この問題の前提として、あなたは犬さんを好きということにしておいてください。
あなたにとって、犬さんを失うのは、それもまたものすごく大きな損害なのです」
うーん、まあ犬さんたちの村に住んでるくらいだし、私は犬さんのことが好きなんだね。そういうことにしよう。
「犬さんも引くか引かないか迷っています。犬さんは、あなたたちが狐さんを大事に思っていることを知っています。
そして、あなたたちが犬さんでないのでは、と疑っています。しかし、争いになった場合、
犬さんたちにも大きな被害が出ることが予想されます。犬さんはそれを望みません。それでも狐さんは許せません」
やっぱり仲良くなれない。
「あなたは狐さんを諦めるか諦めないか迷っています。相手も自分達も引かなかった場合、凄惨な結末が予想されます。
狐さんを諦めても、相手が疑いを持ち続けた場合、狐さん無きあなたたちは、なすすべなく捕らえられてしまいます。
しかし引いたほうが、犬さんたちの心情はよくなり、あなたたちは犬さんたちの出方次第で助かることになります」
星ちゃんが珍しく、笑顔じゃない真剣な表情をしてる。星ちゃんも狐さんが好きなのかな。
そういえば、藍様と一緒にいるときに会うと、よく星ちゃんは藍様をお茶に誘おうとしてたっけ。
私を見つめる星ちゃん、なんだかとっても悲しそう。いつも笑顔だから、そんな風に感じるだけかもしれないけど。
「問題を単純化すれば、結末は4つになります」
<!--Question-->
狐さんを救うのを諦め、相手が引いてくれれば、あなたは狐さんを永遠に失います。犬さんたちは狐さんを得られます。
狐さんを救うのを諦め、相手が引かなければ、あなたは狐さんと仲間たちを失い、犬さんたちは狐さんと猫さんたちを得られます。
狐さんを救うために立ち向かい、相手が引いてくれれば、あなたは狐さんを助けられます。犬さんたちは狐さんを失います。
狐さんを救うために立ち向かい、相手が引かなければ、あなたは狐さんと仲間を大勢……犬さんたちも沢山仲間を失うでしょう。
被害を最小限にするため、あなたはどうすればいいですか?
<!--End of Question-->
「うう、難しいよ」
「ええ、難しいです」
藍様を救うのは絶対に諦められない。だけど、犬さんたちも仲間の猫さんたちも失うわけには行かない。
ううー! こんなとき、どうすればいいの。
「私は藍様、仲間たち、犬さんたちを失うわけには行かない。立ち向かって犬さんたちが引かなかったら全部なくなっちゃうから、
立ち向かうわけには行かない。犬さんたちは、仲間たちと藍様が私にとって大切なのを知ってるから、引かない」
そうだよ、これ、初めから答えは一つしかないよ。でも、そんな、藍様も、もしかしたら猫さんたちも、
みんな取られちゃうなんて嫌だよ!
「わかるけど、選べないよ」
「そうです。でも選ばなくてはなりません」
いじわるな問題だよ! こんなの、正解できても嬉しくない。
「私は藍様を諦めるなんてできない!」
「そうですね。では皆で争って酷い結末を目にすることになるかもしれませんね」
うう、お燐ちゃんと目を合わせてみたけど、やっぱりいい方法は無いみたい。ナズーリちゃんもさっきから黙ってるし。
星ちゃんがこんないじわるな問題を出すなんて思わなかった……。
「私、私は」
答えようとした瞬間、さっと視界に何かが割り入ってきた。私よりずいぶん背の低い、紫色の服を着た、
すこし目が細くて顔が長い、人型の妖怪だ。両手を胸の前に構え、手を前に出したり戻したりし始める。
「オッス! オラあずき小僧!」
今度は両手を顔の横にそえて、背を反らしたり戻したりした。
「ちょっぴり悩殺ボディな妖怪さ!」
声を出した背の低い謎の妖怪に、皆が身構える。それに答えるように、頭の後ろで手を組んで、
ひじを前に突き出し、背を丸めたり伸ばしたり。
「やめてくれ! 塩をかけるのはやめてくれ!」
あたり一面が静かだ。皆じっと、紫色の服を着た、小さな妖怪を見ている。
「橙」
「わ、私?」
あずき小僧が私に話しかけてる? 前に会ったっけ?
「考えるんだ橙。皆が助かる道はある。いいかい、ルールを突き崩すんだ。選択は相手と同時じゃないといけないのかな?」
どういうことか聞こうと思ったら、ウィンクをして身をひるがえし、飛び跳ねて行ってしまった。
小さくなったところで振り返って、“あでぃおす”と叫んだ声が、いつまでも頭の中で響いている。
「同時に……」
なんだろう、どうやったって、時間なんか関係なくて、どうしようもなさそうだけど。
でも、違うんだね。あずき小僧は何かを知ってるんだ。なんなんだろう。私、知らないことが一杯だから、
知りたいよ。今、皆を助ける方法が知りたい。
「びっくりしましたね、橙さん。ところで、答えは出ましたか?」
さっき、お饅頭やさんとお団子屋さん、損をしないために両方安売りをして、両方損した。
だけど、もし先に安売りをして、相手のお店の反撃が遅れたら?
「あは」
わかっちゃった、わかっちゃった!
「わかったよ星ちゃん! 私はやっぱり藍様を諦めない!」
「猫さんたちや犬さんたちがどうなってもいいのですか?」
絶対に皆助けて、藍様だって渡さないよ。
「犬さんたちだって、仲間にケガさせたくない。だから“決断する前に”私は犬さんたちにこう“言う”の。
“あなたたちが引いても引かなくても、私は絶対に藍様を諦めない。”って。」
星ちゃんがちょっと驚いてる。えへへ、またまた正解しちゃったかな。
「さあ、私の答えは決まったよ。犬さんたち、いっせーので、一緒に決断を言おうよ」
星ちゃんは頭をかいて笑い始めた。間違っちゃったかな。でも、ぜったいこれでいいはず。
選択肢じゃなくて、“どうすればいいか”って問題だったもん。藍様を助けられる唯一の方法だもん。
「もういいんじゃないか、ご主人」
さっきまでじっと黙って、お燐ちゃんのちょっかいに応戦していた、ナズーリちゃんが口を開く。
「見事だよ橙。時間の要素を取り入れて、先制攻撃を仕掛けたんだ。犬たちはその言葉を聞けば、
失うことを恐れて、もう引かずにはいられない。一気に状況を逆転する最善の一手だった」
やった! やっぱり正解だった!
「ええ、そうですね」
「もちろん現実の問題はこんなに単純じゃない。しかし橙が考え付いたのは、この問題には素晴らしい策だったよ」
ナズーリちゃんはそう言うと再び押し黙ってしまった。星ちゃんは片手で顔を洗ったり、すこしきょろきょろしてから、
やっぱりいつもと違う、元気のない笑顔で言った。
「その選択ができれば、どんなに素敵なことか。私も勇気があれば、そうできたかもしれません」
星ちゃんが私の頭をなでてくれる。いつもより少し、ぶっきらぼうな感じ。
「橙さん、あなたは賢いですね。勇敢でもある。これからも、きっと後悔をしない選択をして下さいね」
星ちゃんは乾いた笑顔だけど、それでも、嬉しそうな声色だった。
「星ちゃんは今、幸せ?」
「なんですか、突然」
今までのことを忘れてしまったかのように、きょとんとしている。
「そうですね、今は……聖はいるし、ナズーリンも一緒にいてくれるし、一輪、雲山、村紗、ぬえ、皆いてくれます」
目をつぶって数えるように口にする。
「だからですね、幸せですよ」
そうだよね。星ちゃん、いつも会うたびに嬉しそうな顔してるもん。
「だったらね、星ちゃんは勇気いっぱいだよ。ライオンと違って、大きなボウルにいっぱいの、緑の液体を飲む必要もないくらい。
私にはわからないけど、星ちゃんはきっといっぱい困ったんだよね。でも今幸せなら、星ちゃんは勇気いっぱいだよ」
えへへ、恥ずかしがってる。かわいいな。
「すみません橙さん。今日は実は、こっそりお酒を嗜んでいたのです。それで、こんな……」
そういわれると、ちょっとお顔が赤いかな? 星ちゃんお酒に酔うといっつもすごいからなあ。
でも、気にしてないよって、手を伸ばしてのどをごろごろしてあげた。
「聖に怒られますし、そろそろ止めるべきなのかもしれませんね。
ありがとう橙さん。私には答えがわかりました。私は溢れるほど勇気をもらいました」
~Q4.銀河のエンクリプテッドワード~
「どういう仕組みだったのお燐ちゃん、あれ」
「虎が木の周りを回るとギイができるのさ。トラ猫ならきっとバターになると思って、大当たりだったね」
黒の斑点の付いた黄色いバターを紙に包んで、私たちは提灯の明かりの下を歩いていく。
なんとも言えないけれど、でも、星ちゃんが頑張って作ってくれたものだしなあ。
「やいやい! そこのお前ら! こんなところで何してる」
「どうしたぬえ。おや、橙じゃないか」
目の前に黒い影が現れた。うわぁ、毎度のことだけど、やっぱりお祭りだと面倒な妖怪に会うなあ。
「こんばんは、ぬえちゃんさん、てゐちゃん」
「おばんですにゃー」
お燐ちゃんも露骨に嫌な顔してるし。
「ぬえちゃんさん、今日は村紗さんと一緒じゃないんだね」
「どうせまたくだらないことで喧嘩したんだろう。さっさと戻って謝ったほうがいいよ」
お燐ちゃん、そんな頭から決め付けなくても。
「うるさいわね! あんたペットの癖に生意気なのよ!」
でも、図星。だよね。喧嘩してなければ一緒にいるだろうしね。
「あんたもペットみたいなもんじゃないか。船長さん船長さんってぐるぐるまとわりついてて」
「なにぃー!」
お燐ちゃんとぬえちゃんさんが喧嘩を始めてしまった。と言ってもぬえちゃんさんの攻撃を、
からかいながらお燐ちゃんが避けてるだけだけど。ぬえちゃんさんも強い妖怪なのに、お燐ちゃんすごいなあ。
「馬鹿ばっかりだね。ところで橙、いまお金持ってる?」
てゐちゃんに肩をたたかれて、詰め寄られた。
「持ってるけど、なんで」
「実は今、ぬえと一緒にお祭りエスコートをしているんだ。危険なぼったくり屋台から守ってあげる。友達だから安くしとくよ」
「いいよ、遠慮しておく」
私がてゐちゃんを振り切ろうとすると、横からぬえちゃんさんが、がしっと腕を掴んできた。
「そんなこというなよ橙、お姉さんと楽しい遊びしよーよ」
これで私はぴーんときました。ああ、これは例の仕草だって。うわあ、嫌だなあ、怖いなあ、村紗さん来ないかなあ。
なんて思ってると、てゐちゃんが話しかけてくるわけですよ。
「橙、大丈夫さ、耳の毛まで毟ろうってわけじゃない」
「全く安心できないよてゐちゃん」
お燐ちゃんが飛び込んできて、私を二人の腕から救い出してくれた。すごい、かっこいい。
目は釣りあがって、耳が後ろを向いて、ぺったり頭に張り付いている。普段はあんまり見られない表情。ちょっとどきりとする。
「橙、私とお前は長年の友達だ。だからよしみで案内させて欲しいんだけど、どうしてもいやだっていうなら……」
てゐちゃんが腕を後ろに組んでうつむきながら、かかとをとんとんと鳴らす。兎が仲間に知らせるときの方法みたいに。
この感じは、もしかしてまた?
「実はな、博麗神社で商売をする上で、大きな壁に直面してしまったんだ。
このたかまちを見回りしているくそ面白くない天狗どもがいるんだが」
ああ、霊夢があくどい屋台とかを取り締まるために、無理やり連れてきたんだよね。かわいそうな狼さんたち……。
「そいつらのせいで、私らもいよいよ危なくなってきた。しかし、ここでは営業許可証の代わりに、
ちゃんと営業許可を貰った奴には、合言葉を教えているんだな」
「合言葉?」
そんなことしてるんだ、なんか大変だね。
「それで営業許可の確認を行っているわけだが、そこに付け入る隙ができる」
うーん、後で狼さんたちに教えてあげよう。
「昨日は合言葉を盗み出すことができたけど、今日はうまくいかなくてね」
「そ、そう」
「合言葉の候補のリストが手に入ったから、このうちのどれかが本当だと思うんだが、
最後まで決めあぐねていて、結局ぎりぎりで決めてしまったようなんだ。だから私はまだその合言葉を知らないのさ」
まさかそれを私に盗み出せって言うの? できないよそんなの。絶対藍様に怒られる。
「正しい合言葉を私に教えてくれ。もしできなかったら」
てゐちゃんが話している途中で、ぬえちゃんさんがてゐちゃんの両肩に手をかけて身を乗り出してきた。
「私とてゐは今、ミスバスターズっていうチームを組んでるのよ」
「はあ、それがなんの関係があるんですか」
ぬえちゃんさん、根はいい人なんだけど、いたずらしてくるから苦手だ。
「私たちは色んな“神話”をぶち壊してるわけ」
「仏教も神話だと思いますけど」
ぬえちゃんさんが怒った。やぶへびだった。
「そういう意味の神話じゃないわ。黙って聞きなさい。この間、犬を河童の洗濯機に入れたら壊れるか検証したの」
うわあ、かわいそう。
「ぎゃーてぎゃーてうるさかったけど、壊れなかったわ」
「そうですか」
「次は猫よ」
え?
「マイクロウェーブオーブンに猫を入れると、死んじゃうらしいのよね」
ぬえちゃんさんが私の体を、後ろからがっしり抱きしめた。藍様と違ってなんか硬い感触だ。
「暗号がわからなかったら、検証開始ね。ついでに実験へのエスコート料金も頂くわ」
マイクロウェーブオーブンってなんだろう。わからないけどすごく怖い。
っていうかぬえちゃんさん、死んじゃうんだったら、天国へのエスコートになってしまうのではないでしょうか。
お燐ちゃんに助けを求めたら、落とし穴にはまってにゃーにゃー言っている。こうなったら早く問題を解いて助けないと。
でも不安だな、てゐちゃんの問題、私今まで正解できたことあんまりないし。
「もういいかい、じゃあいくよ橙」
てゐちゃんが妖力で宙に文字を書いていく。うっ、なんだか難しそう。でも大丈夫、きっと私ならできるよ!
<!--Question-->
今の季節に関係する単語らしい。
1:EFOFC
2:CNVCKT
のとき、3に当たるものが合言葉だそうだ。見つけた候補は下の4つ。
甲:YHJD
乙:SBDX
丙:NLVV
丁:ORYH
<!--End of Question-->
えーっと、なにかの省略かなあ。こういうのであるのは、曜日を表してるとか、時代の名前を表してるとか。
でも、1番2番の番号が振られてるから、ちょっとちがうかな。
「そうか、3つあるものなんだね」
てゐちゃんは無表情だ。てゐちゃんとテキサスホールデムをやると、ハイカードでポットを全部かっさらわれたりするから恐ろしい。
えーっと、ってことはもしかして数字かな。でもVから始まる数字はないか。そうだ、藍様の授業で出てきた、
暗号解読を試してみよっと。EFOFCだから、FGPGD? 違うな、DENEB。CNVCKTって6文字だよね。
わかったぞ!
「答えは夏の大三角! デネブ、アルタイル、ベガだよね?」
「橙、候補の中にそんなのないけど」
あ、しまった。
「お姉さん、どういうことだい」
穴にはまったままのお燐ちゃんが尋ねてくる。なんだかちょっとお間抜けだ。
「暗号には2種類あるの。シーザー暗号とスキュタレー暗号っていうのがあって、シーザー暗号は文字をずらして、
スキュタレー暗号は文字の位置を入れ替えるの。例えば“またあしたね”を例にすると、
シーザー暗号では“みちいすちの”、スキュタレー暗号なら“まあたたしね”今回は、シーザー暗号だったんだ」
てゐちゃんはまだ無表情だ。“早くしろ”という目線を送ってきている。
「さらに1番は1つ、2番は2つずれてるから、3番は3つずらす必要があるんだ」
「2つって?」
「デネブはアルファベットを1文字ずらすだけだけど、“A”BC、“L”MN、“T”UV、“I”JK、“R”STは、
2文字ずらしてるから、最後のベガは3文字ずらす必要があるの」
星の名前と、規則がわかればもう解決! よかった、早くお燐ちゃんを穴から出そう。
「答えは“SBDX”」
そう言うと、お燐ちゃんがそれをさえぎった。
「待ってお姉さん、何かおかしいよ」
そうかな、あってると思うけど……あ。
「そうか、答えは“YHJD”だね」
ずらす方向間違えちゃった。
「やるね橙。ありがとうよ。これで商売ができる」
「ううん、お燐ちゃんが言ってくれなきゃ間違ってたよ。お礼ならお燐ちゃんに言って」
お燐ちゃんが恥ずかしそうに耳をぴこぴこ動かしている。あ、そうだった、早く穴から出してあげないと。
ああ、それにしても、秘密の合言葉をてゐちゃんに教えたりして、謎の案内人詐欺の被害者を増やすだけだよね。
「ねえてゐちゃん、まだやる気なの、さっきの」
「でもな、橙、こいつがどうしても金が要るって言うんだよ」
親指で指す方を見ると、ぬえちゃんさんが顔を膨らませている。
「ぬえちゃんさん、何か買いたい物あるの?」
横目でちらっと私を見てくる。
「貝殻」
貝殻? なんでそんなものを。
「ムラサにあげるんだ」
ああ、仲直りのためにね。あ! そうだ、お燐ちゃんと会う前にやったくじ引きで、私、貝殻当てたんだ。
1等は干し貝柱だったけど、2等でよかった。でも、ぬえちゃんさん頑固だから、単純にあげるって言っても受け取らないよねえ。
これ以上の被害者を増やさないためにはどうしたら……。
「ねえてゐちゃん、てゐちゃん何か持ってない?」
「私? 貝殻はないけど……今日里で、示談の交渉の手伝いをしてきたから、報酬でこれもらったんだ」
なんだろう、MCナイロン袋に白い液体が詰まってる。メレンゲに似てるけど。いやいや、それより問題があるよ。
「資格なしで示談交渉を手助けしたら非弁行為になるよ……」
「いいんだよ。人の良い牛飼いの老夫婦が騙されそうだったから、助けてやったんだ。私は人に幸運を運んだだけだよ」
そんなむちゃくちゃな。
「でもなあ、仲直りに生クリームなんて持ってっても、意味ないしなあ」
これ、生クリームなんだ。あ、もしかしてケーキの材料に使えるかな? いいこと考えた!
「せいぜい、顔面パイで許してもらうとかか」
考え込んでるてゐちゃんの脇を抜けて、ポケットから、白くて大きい、内側が虹色に光る貝殻を取り出す。
それから、さっきからふてくされて、ふわふわ飛んでるぬえちゃんさんに声をかける。
「ねえ、私貝殻持ってるんだ」
「あ……それ……」
目が釘付けだ。
「い、いらないよ。哀れんで恵んでもらうほど落ちぶれちゃいない。欲しい物は自分で手に入れるのさ」
案の定だよ。
「ぬえちゃんさん、これで生クリームを売って欲しいの。貝殻ってお金にも使われてるんだし、いいよね?」
ぬえちゃんさんが驚いてる。
「あ、あ」
「あ?」
うつむいて、手を握り締めちゃった。どうしたんだろう。
「……ありがと」
まわりの音が遠くなる。ぬえちゃんさん、耳を赤くして、小声で、でも確かに“ありがとう”って言った。
村紗さんが本当に好きなんだな。ほんとはかわいい妖怪なんだよね。いつもはひねくれてるけど。
「ちょっとまて橙」
急に現実に戻された気がして、目をやると、いつの間にかてゐちゃんが横に回ってきていた。小声でささやいてくる。
「クリームは私のだぞ」
今! そういうタイミングじゃ! ないでしょ!
言い返そうと思ったら、にゃーんとお燐ちゃんが鳴く声が聞こえた。
「まったく、そんなことのためにカツアゲみたいなことしてたのかい」
うん、まあそれは良くないことだよね。でもぬえちゃんさん昔の妖怪だから……てゐちゃんもそうだね。
「汚れた銭で買った物じゃ喜ばないよ」
「う、うるさいわね」
お燐ちゃんが言うと、なんだかすっごく決まってる感じだ。本当にその通りだよね。
ぬえちゃんさんがお燐ちゃんをにらむ。そして、お燐ちゃんの言葉に答えるようにてゐちゃんが口を開いた。
「ふん、おぼえときなぬえ。例えどんなに穢れた銭だろうと、お前が村紗を思う気持ちは本物だ」
すごい正論っぽいけど、なんかごまかされてる気がする。
「とにかく、ぬえちゃんさん、これをもって早く村紗さんのところに帰らないと。
きっと村紗さんも、喧嘩しちゃったこと後悔して、ぬえちゃんさんが帰ってくるの、待ってるはずだよ」
ぬえちゃんさんはもう一度小さい声で“ありがとう”って言って、飛んでいった。
~Q5.私のフレンドインディード~
お燐ちゃんが落とし穴で泥だらけになってしまったから、泥をはたいて、いったん神社の中に入った。
そして、紫様と藍様が同時に潰れちゃったとき用に霊夢が置いてくれた私の服を、お燐ちゃんに着せてあげた。
「どうかな、あたい、似合ってる?」
「う、うん」
なんか、なんか胸が、私より、おっきいよね、お燐ちゃんめ。いやいや、当たり前だよ、私よりお姉さんだしね。
「へへっ、おそろいだねお姉さん」
無言でうなずく。それしかできないよ。
「どうしたの、行灯の明かりがまぶしいかい? 随分瞳が細くなってるけど」
「な、なんでもないよ。それにしても、てゐちゃんに借金するなんて、後が怖いなあ」
お燐ちゃんは指で唇をつまんで、尻尾を二三度振ってから、“あと5厘、残ってればねえ。あいつがけちだからだよ。
私は昔から、メレンゲ職人にはろくな奴がいないと思ってたんだ。”と、ひどいことを言った。
卵白を泡立てるだけで生きていくって、結構すごいことだと思うけど。
「ま、まあでも、メレンゲ職人さんがいなかったら借金は4倍だったよ。私は感謝してる」
それにしても、夜の神社って居心地悪いよね。妖怪的には一番のホラースポットなんじゃないかな。
本当は昼間の方が怖いんだろうけど、人間の怖い話がたいてい夜だし、強い妖怪も夜行性が多いから、
なんとなく夜の方が怖く思える。
「さあ、これでばっちりだし、霊夢が現れる前に行こうよ」
障子を開けて、星明りの差す縁側に出ようとすると、何かにぶつかった。
「あ、あ」
う、うそ、なるべくはちあわせないように気をつけてたのに。このすらっと伸びた背、緑に光る髪、危険な赤色。
「あれ、お花のお姉さんじゃないか。こんなところで奇遇だねえ」
気付いたら地面にへたりこんでる、足が震えて立てない。
「私にぶつかっておいて謝りもしないの?」
「まあまあ、お花のお姉さん、暗かったんだし仕方ないじゃない。お互い様ということで」
た、たすけて、お燐ちゃん。
「何で黙ってるのかしらね。お刺身にしてあげましょうか?」
「ちょっと、よしとくれよ。怖がってるよ」
目が、目が離せない。怖いのに、手でもいいから、動いてよ。
「ニャーニャーうるさいわね、地底の猫は。どうしたの? よく見たら、その無礼な猫と同じ服を着ているじゃない」
「な、なんでにらむんだい。さっきからおかしいよ、あたいとお花の姉さんの仲じゃあないか」
ぶん、と低い音がして、傘が私の前に向けられた。先端が迫ってくる。
「教えてあげるわお燐。私は紫色の狸が大嫌いなの。もちろんそいつが飼ってる狐も、猫もね」
もう死んじゃうのかな。本当に命ってあっけないな。紫様、ケーキ、ごめんなさい。
目を閉じると、外の騒ぎが水のあぶくの音のように聞こえる。鼓動もどんどん速くなって、重たい空気がねっとりと体に絡みつく。
次の瞬間、“どん”と、重い衝撃が走る。終わった。
「まってくれお姉さん!」
なにこれ、橙色の服、この赤いおさげ、お燐ちゃん?
「その猫を庇うの? お燐、万年寝太郎の手下にされちゃうわよ」
お燐ちゃんの音が、どくどく聞こえる。とっても熱い。
「早くどかないと、猫の姿焼きが2匹1串になるかも」
「だ、だめだ! 橙はあたいの友達なんだっ!」
お燐ちゃん、いいよ! お燐ちゃんいなくなったらお空ちゃん、さとりさん、皆どうするの?
「ちゃん、だ、……だめ」
「あたいも謝るから、許しておくれよ」
お燐ちゃんの胸にぎゅっと抱かれても、すごい妖気が伝わってくる。私なんかいいから、行って!
「そう、そこまで庇い立てするなら――私はお燐には恨みはないし――いいわ、チャンスをあげる」
「本当かい」
聞いちゃだめ! はやく、はやく行ってよ!
「私は今日、貴重な花の種を手に入れたんだけど、この神社のどこかにそれを落としちゃったの」
幽香さんが霊夢の使っているタンスの方に近づいていく。
「この神社の花に聞いてみたんだけど、ひねくれた巫女の棲む神社だけあって、花もひねくれているのよ」
何かを取り出して、また足音が近付いてきた。二歩、三歩。私の前で止まる。ひぃ! 背中触られた……。
あれ、なんか、気持ち悪い。
「う、ううぅ~~!!」
「ちょ、ちょっと何をしたんだい!」
力が全然入らない! あうぅ! なんか出てくよ!
「ひねくれ巫女のひねくれお札よ。逃げられないようにね」
「お願いだ、外しておくれよ」
「種を見つけてくれたら外してあげる。さあ、教えなさい、モジズリの花」
ぐらぐらする頭に、小さな声が聞こえてくる。
<どこにある? どこにある?>
<神社の縦横、10本木がある、知ってる?>
<知ってる知ってる>
壁に沿って生えてる、木のことかな。あー、なんか気持ちよくなってきた。そろそろだめかも。
<交わったところ、入り口くぐって、左手側、そこを0番。右手に向かって1番2番、奥に向かって10番20番>
<何番?>
<当ててみて>
な、なんでこんなときまで、問題なの……。
<44番より大きい?>
こしょこしょくすぐったい音がする。
<4で割り切れる?>
<ふにょろへ>
<2乗の数?>
<ぴりぴり>
何の、音なの?
<わかったぁ!>
ぜんっぜんわかんないよ!
「困ったものよね。でも、あなたがいるから大丈夫ね。頼りにしてるわ、お燐」
「あ、あたい……」
<!--Question-->
木の交わってるの、全部で100てん、0番から
44番より大きい?
こしょこしょ
4で割り切れる?
ふにょろへ
2乗の数?
ぴりぴり
わかったぁ!
<!--End of Question-->
問題になってないよ! う、うえぇ~、気持ち悪い……。
「お花のお姉さん、そのモジズリの花を近くで見せて」
「いいわよ」
お燐ちゃんが幽香さんに近寄ってく。私なんかほっといて行っていいのに。
「いいかい、今からあたいに聞こえるように、0から99まで数えるんだ。らうどりぃに、くりありぃに、そして、すろうりぃに」
いったいどうして。
<ぜろ、いち、に、さん、し、ご>
数を数える小さな声が聞こえる。
「なにしているの、お燐」
「コールドリーディングというのさ。声の震えを読み取って、答えを割り出すことができるんだ」
お燐ちゃん、そんなことできるんだ。名探偵みたい! 静かに花の数える声が続いてく。
うう、幽香さんの威圧感がすごくて、空気が鉛みたいだよ。それとも霊夢の札のせいかな。ああ、息苦しい。
<ごじゅういち、ごじゅうに、ごじゅうさん、ごじゅうし>
お燐ちゃんの尻尾はぴんと立っていた。背を丸めて、花を食い入るように覗き込んでる。
それをじっと見ていたら、お燐ちゃんの目の前に立つ幽香さんと目が合った。にらまれた。ものすごい形相。
<きゅうじゅうはち、きゅうじゅうきゅう>
「……わかったかしら」
お燐ちゃんは何も答えない。尻尾がゆっくりとふれている。私にはわかる、これは、わからなかったときの仕草だ。
残念、私の冒険はここで終わってしまった。
「ま、まあ待ってよ。ダレン・ブラウンは嘘つきだった。着眼点を変えよう。整理しようじゃないか」
うわあ、怒ってる、怒ってるよ!
「まてよ、そうだ! あたいって勘が良い!」
「なあに?」
もう思いつきで言わないでよ。私たちの命がかかってるからね。本当に。
「この花は、今のヒントでわかったってことだよ。つまり、あたいにもわかるはずなんだ」
「そう、じゃあ教えて頂戴」
わかる……? あ、そうか、わかるよ!
「つまりね、44より大きいか小さいかによって、探す範囲は半分ですむから、まずそこを考えよう」
「この神社の半分を探す気? そうそう、制限時間はモジズリが1000を数えるまでよ」
<ひゃくじゅう、ひゃくじゅういち>
よし、余り判定は重いけど、99までなら一瞬だよ。早く伝えないと、口が動かなくなる前に!
「お燐ちゃん、わかったんむっ!」
痛い、痛い! 唇はさまれた! こんな一瞬でどうやって!? 指が、唇ちぎれちゃうからやめて!
「お姉さん! お姉さん! ちょっとお願いだからやめておくれよ!」
うわあ、お燐ちゃんが片手でつまみ上げられてる。
「私はお燐に聞いてるの。助けを出すのは許さないわ」
猫の手も、借りんとひとつ。大黒様、助けてくれないかなあ。この際、家地獄でもいいんだけど。
指の力抜いてくれたみたい、痛みが引いた。お燐ちゃんも下ろして欲しい。
「わかった。お花のお姉さん。あたいがやるよ。だからお姉さんを放しておくれ」
お燐ちゃんがぽとりと落ちる。うーん、何とかして伝えられないかな。まばたきとか。
「えーっと、99までだろ、うーんと」
お燐ちゃん、こっち向いて。
「何してるの?」
「な、なんでもあいです」
気付かれた。またタンスに歩いていってる。これ以上貼られたらほんとに死んじゃうよ。
あれ、黄色い、なんだろうあれ。あ、あご痛い! 放して!
「んむっ」
何これ、何入れられたの? この舌触り、布? うわ、今度は襦袢、持ってきた。
「ちょっと! やめてっていったろう!」
「変な動きをしないように、布を巻いて目と口を塞いだだけよ。いいから続けなさい」
うー、なんにも見えないよ。これじゃあもう、手助けできない。万事急須。
「さあ、早く」
「……待っててお姉さん。あたいは、あたいにならできる。これでも、地霊殿では一番数字に強いんだ」
私、お燐ちゃんを信じるよ。きっと、お燐ちゃんにならできる!
「そうだよ、これでわかるんだから、簡単に絞れるはずなんだ」
「じゃあ簡単に答えて、ね?」
さすがお燐ちゃん。頑張って。
「4で割れるのも44を境にした数もいっぱいある。だから、答えの数は2乗した数なんだ」
「へえ」
すごい、すごいよお燐ちゃん!
「に、ににんがし、ししじゅうろく、ごご、ごご……」
うわああああ、だめだったああああ!
「いや大丈夫だあたい! そう、4、9、16、25、36、49、64、81!」
「賢いわね」
「へへへ、それから4で割れる、4、16、36。あれ、64もだっけ」
不安だ……。
「割れないのは、9、25、49、81」
そうそう、そうだよ。やっぱりお燐ちゃんって、とってもすごい!
「割れないほうは、44を境にしたら、答えは一つに絞れない。だから、正解は64だッ!」
あってる。お燐ちゃん大好き!
<ろっぴゃくにじゅうさん、ろっぴゃくにじゅうよん>
「それであってるかしらね?」
「う、あ、あってるさ、きっと」
自信を持って。
「ねえお燐、そこまで言い切ったんだから、もし種が見つからなかったら、仲良く三味線ね?」
「うう」
「でも、制限時間内に戻ってこなかったら、あなたは許してあげるわ」
ええ!? そんなの……いや、お燐ちゃんはそんなことしないよ。
「あたいは、あたいは」
そういった後、どたどた走っていく音が聞こえた。お燐ちゃん、行ったんだ。大丈夫、わかってるよ。
<ろっぴゃくごじゅうに、ろっぴゃくごじゅうさん>
「ふふ、戻ってくるかしらね、お燐」
「ももっえううもん!」
だってお燐ちゃんだもん。だって私の友達で、だって私のお姉さんだもん。
<ろっぴゃくきゅうじゅう、ろっぴゃくきゅうじゅういち>
絶対戻ってきて、笑って“ただいま”って言ってくれるから。
<ななひゃくご、ななひゃくろく>
ほら、もう足音が聞こえてきた!
「オッス! オラあずき小僧!」
誰!?
「ちょっぴりセクシーダイナマイトな妖怪、おぶえっ! 痛い! 痛いって!」
お、お燐ちゃんじゃないみたいだけど。
「やめてくれ! 傘はやめてくれ! あらぼっ!」
外に何か重いものがごろごろ転がっていく音が聞こえた。な、なんだったんだろう。
<ななひゃくはちじゅういち、ななひゃくはちじゅうに>
「なんか、鼻につく臭いがしたわね」
そう言われれば、でもなんだっけ。
「ねえ、串を通すの、どの辺がいい?」
お、お腹になんか、やだやだやだ! 頭から襦袢が落ちた、お腹に傘の先が当たってる!
「あええ!」
「うふふ、どんな声を聞かせてくれるのか、楽しみねえ」
冷たい、お願い、刺さないで!
<はっぴゃくじゅうご、はっぴゃくじゅうろく>
「もうお燐は助けに来ないわ。それくらい賢くなければ、今の今まで生き残ってはいないでしょうしね」
そんなことない、お燐ちゃんはお空ちゃんも、さとりさんも……きっと私だって!
「ほら、わかる? あと少ししたら、もっと奥まで刺してあげる。それから皮を剥いで、三味線ね」
いやだ、怖いよ! 助けて! お燐ちゃん! 涙止まんない、汗びっしょり、怖い、暗い、もうやだよ!
「待たせたね」
お燐ちゃん!?
「お姉さん、見つけてきたよ。7本目と5本目の木の交わる所、この種が、確かにあった」
お燐ちゃんの手に、小さな種。見つけてきてくれたんだ、帰ってきてくれたんだ。
「……はずれよ」
「お花のお姉さん、頼むよ、三味線にするのはあたいだけにしてくれ」
うそ、うそ、うそ。だって、お燐ちゃんが、頑張って見つけたのに!
「期待はずれって言ったのよ。正解よ。三味線はいらないわ」
あ、口に入ってた布、とってくれた。力、抜けたあ。
「よ、よかったぁ。肝が冷えたよ」
そう言って、お燐ちゃんがへなへなとへたり込む。うう、あご痛かった。
「それから、私の予想も外れちゃったわ。あの腹立たしい狐と紫の娘だから、どんなに嫌な猫かと思ってたけど」
ひぃ、もうにらまないで……って、あれ、なんか、笑ってる?
「お燐に、こんなに想われているんだものね」
な、なんか別妖怪みたい。
「友達を大切にしなさい。古い妖怪は嘘ばっかりつくけど、それだけは本当よ」
えへへ、それは確かに。
「そいえば、これなんの種なんだい?」
「黄花夾竹桃よ、ここじゃ珍しいんだから」
夾竹桃って、大丈夫なのかな。毒があるって習った気がするんだけど。
「お姉さん、ごめんね待たせちゃって」
全然待ってなかったよ。すっごく早く来てくれた。
「お姉さん」
お燐ちゃんが近くに来る。夜に光る赤い目と、夜でもわかる赤い髪が、とってもきれい。
それから、おさげが揺れてて、かわいい。
「あたいをなでて。あたいは、逃げようとなんてしなかったよ」
お燐ちゃんの頭にそっと手をのせる。さらさらで、きっとさとりさんがよくお手入れしてるんだってわかるほど、いい感触。
しばらくぐるぐる手を回して、満足そうなお燐ちゃんに言う。
「お燐ちゃん、私もなでて。同じくらいいっぱい。私もお燐ちゃんが絶対帰ってくるって信じてたよ」
帽子が取られて、お燐ちゃんの手が私のてっぺんにのる。くしゃくしゃ、優しく、あったかいお燐ちゃんの手。
「怖がらせちゃって、悪かったわね」
「あはは、ほんとだよ。実際、死ぬかと思った。まさか本気じゃなかったよねえ?」
「違うわよ」
いや、もし見つからなかったら絶対に三味線にしてたよ。そういう目だった。
「種を見つけてくれたお礼と、さっきの埋め合わせに、好きな花をあげるわ。何がいいかしら」
「花? 花ねえ……」
お礼はいらないから、行かせて欲しいんだけど。
「そうさ、四季のフラワーマスター、幽香お姉さん。まさにあたいたちはフラワーを探していたんだ」
え、どういうこと?
「なんでお祭りでそんなもの探してるの?」
「実は、ケーキを作ろうと思っていて、もうバターとか卵とかは集まったんだけど」
“ふーん”とあいづちを打ってから、ポケットに手を突っ込んだ。布袋を取り出すと、その中に小さな種をぱらぱら入れる。
「さあ、砕け散りなさい」
怖っ。あれ、なんか袋から伸びてきた。これ、麦? 次々麦が伸びてきて、小さな白い花を咲かせて、種子をつけ、
ぽとぽとそれを落として、枯れていく。夢みたいな光景だ。最後の麦が枯れて、袋の中からはじけるような音が鳴った。
「出来上がり」
「うわあ、真っ白。すごいや、お花のお姉さん」
袋を開くと、枯れた麦と白い粉がぎっしり詰まっていた。
「ケーキならこれもいるんじゃない?」
「おお、これは」
別のポケットから透明な袋を取り出した。これ、台所で見たことある。
「グラニュレイテッドシュガーだね。これももらっていいの?」
「もちろんよ」
私と、お燐ちゃんを見てから、ぱちぱちまばたきする幽香さん。あれ、ほんとは危険な妖怪じゃないのかな。
お燐ちゃんも仲いいみたいだし。
「これでプレゼントはばっちりだね」
「う、うん。あの、ありがとう、ございます。幽香さん」
あれ、なんかまた笑顔が怖くなった。
「プレゼント……そう。なら、これもあげるわ」
さらにもうひとつ、白い袋を渡してきた。断れないから受け取っちゃったけど、なんだろう。
“気前いいねえ”なんて、お燐ちゃんはのんきだ。
「さあ、もうこれくらいでいいでしょう。橙、これからは、あなたには、手を出さないことを約束するわ」
ほんとに? 守ってくれたらこの上なくありがたいことだけど。
「もう行きなさい。プレゼント、渡さなきゃいけないんでしょう? またね。お燐、橙」
私とお燐ちゃんも、手を上げて“またね”と言って歩き出した。乱暴しないでくれるなら、また会っても、大丈夫かな?
「ねえ橙、もう一度言うわ。友達を大切にしなさい。古い妖怪は嘘ばっかりつくけど、それだけは本当に本当よ」
歩き出した私の後ろから、鈴みたいによく響く声が聞こえてきた。振り返って、“わかりました”って返したら。
よく見えないけど、笑っているみたい。本当に、悪い妖怪じゃないのかも。
~Final Question.限界のデイジーチェインストラグル~
<なによこれ! 襦袢引っ張り出して何してたの!? うわ、私のスカーフがべちゃべちゃ!>
後ろからすごい怒声が聞こえる。
<幽香、あんたねぇ!>
霊夢が来る前に出てきてよかったと思う反面、ちょっと幽香さんが心配だ。
「大丈夫かな」
「ああ、お花のお姉さんなら、きっと心配要らないよ」
そうかな、そうだといいけど。……それにしても、さっきは気付かなかったけど、
ずっと行ってなかったからトイレ行きたくなっちゃった。
「巫女のお姉さんがもめてるうちに、台所を借りよう」
そう言ってお燐ちゃんが歯を見せると、なんかちょっと子供っぽい。私の服を着てるせいか、いつもより幼い感じがする。
「う、うん」
そうだね、確かに今がチャンスだ。一緒に抜き足差し足猫の足。台所に着くと、今までの材料を台に並べた。
「メレンゲ、卵、バター、生クリーム、フラワー、グラニュレイテッドシュガー。よくこれだけ集まったもんだ」
うーん、今までの苦労を思い出すなあ。でもなんにしても、これで紫様のケーキの材料は全部そろったんだ。
「さあ、行くよ」
「おっけー」
とは言ったものの、ちょっとトイレがかなり、近い、ような。でもいつ霊夢が来るかわからないし、先にやっちゃわないと。
まずはへらとボウルを準備して、きれいに手を洗う。水は苦手だけど、洗わない手で料理するわけには行かない。
お燐ちゃんに言われるままに、かまどに火をおこして、バターを湯煎で溶かす。小麦粉はふるっておく。
お燐ちゃんがボウルを出して、メレンゲとグラニュレイテッドシュガーを入れた。
「それじゃ、さとり様流スポンジケーキ、つっくるよー!」
「おー!」
「たんたん卵を割りまして」
ボウルに卵を当てて、ひびをつけて2つに割った。我ながら、上手くできた。
「つるつる白身を取りまして」
割ったからに交互に黄身をうつして、黄身だけになったらボウルに入れる。あ、ちょっとトイレが。もうまずいかも!
「なんか、お姉さん、しまった顔つきだねえ。あたいそっちの気はないけど、ちょっと惚れちゃいそうだよ」
いいからはやく!
「あ、そうだ続き。ぐるぐるフラワー、ボウルで混ぜて」
黄身と小麦粉をボウルに入れて、全部の材料を一気にかき混ぜる。回すのは得意だよ!
「バタバタバター、ボウルに入れて」
グラハム・カーみたいに溶かしバターを流し込む。固まる前に混ぜなきゃ。漏らす前に行かなきゃ。
とろとろと、いい感じになってきたよ。あとはどうすればいいの?
「ちょっと、さっきからあたいをそんな目で見つめて、どうするつもりだい? どきどきするじゃないか」
次、次!
「ざっとそのタネ型に流して」
紙をしいた型に、混ぜ終わった乳白色の、いい匂いのするケーキの元を流し込む。液体が流れるところは、目に良くない。
「ちょっとケーキをオーブン入れて」
釜の中にケーキを入れて、ふたをしてから火をおこす。これで後は待つだけだ。今の内にトイレに行こう。
「あ、お姉さん! どこ行くんだい!? 火加減を見ないと!」
お燐ちゃんが呼び止めるのも聞かず走り出した。一歩一歩が重く下に響く。こんなところで無様に散るわけには行かない。
それはもうずっと昔に卒業したんだ。もし間に合わなかったりしたら、さよならをしたいろいろなものに謝らなくちゃいけない。
負けるか私、妖怪、橙。こわれそうな股間を、おさえてなお走った。見つけた! あの角だ!
「え?」
目の前には、ミスティア、メレンゲ職人さん、霊夢、星ちゃん、てゐちゃん、幽香さん。
みんなお股をおさえて、小鹿のようにふるえている。そして、霊夢が口を開く。
「また増えたようね。仕方ない、弾幕をやるわけにもいかないし、ここはクイズで勝負よ」
もしかしてこの流れ、また?
「最後に橙が来たから、皆で橙に問題を出しましょう。答えられない問題を出したものが、最初に入れる。
もし橙が全問正解したら、橙が最初に入れる。それでいいわね?」
身勝手過ぎる。霊夢がじろりとあたりを見回すと、皆がうなずいた。
「最初は私よ、橙、こんどこそぎゃふんと言わせてやるんだから!」
ミスティアが股間を押さえながらねめつけてくる。負けるわけにはいかない。
「アルファベット2文字で表せる動物はパンダ。じゃあアルファベット一文字で表せる食べ物は、牛肉? 豚肉?」
「豚肉」
「くっ、私の負けよ……」
次は幽香さんが出てくる。これって正解したら不正解なんじゃ……いや、私の本能は、勝利を求めているんだ!
「橙、1、4、27、256、エックス、46656。エックスは3125? それとも8192?」
「3125!」
「ふふふ、素敵よ」
あれ、皆股間を抑えてるのに、幽香さん、平気そうだけど。もしかして、いや、考えるのはよそう。
「俺はいいぜ、レディファーストだからな」
「ありがとう、メレンゲ職人さん」
相変わらず鋭い目つきだけど、とっても紳士的だ。
「次は、私だ。橙、覚悟、しろよ」
てゐちゃん、かなり限界みたいだね。
「私がレイズをするとき、3回の内1回はブラフだ。それと、お前の経験上“私の鼻が動いた”気がしたとき、
10回に7回はそのレイズがブラフだった。橙、お前は私とへッズアップになった。そしてお前のベッドに、私はレイズをした。
その瞬間、お前は私の鼻が動いたように見えた。私のレイズがブラフである確率は、約3割? 約5割?」
「5割3分8厘」
「はうあっ!」
両手で急所をおさえながら膝を折るてゐちゃん。ごめんね、でも、これが戦いなの。
「橙さん、また会いましたね。いぇ~い!」
肩をバンバン叩いてくる。酔った星ちゃんはほんとに手がつけられない。
「でもね~、行かせはしませんよ~。上は洪水、下は大火事、これなぁ~んだっ!」
「お風呂」
「さすがですねぇ~。ちなみに私はぁ、もうすぐ下が洪水です。ふふっ」
さ、さあ、次で最後だよ。もれちゃう!
「橙。あんたは紫の飼い狐の飼い猫。手加減するわけにはいかないわよ」
霊夢の鋭い眼光。負けるもんか!
「の、望むところよ。だから早くして!」
<!--Question-->
貝、蟹
芸、術
アイサ、イスカ
ツグミ、メジロ
小屋、長屋
私は次に、“缶”を先に言う? それとも“瓶”?
<!--End of Question-->
「ううう、アイサとイスカって何?」
「鳥の名前よ。これがわからないようじゃ、もう勝負はついたわね」
私わああ! 藍さまのおお! 式神なんだぞおお! 負けないんだからはううぅぅ!
「あ、あきらめない」
「観念しなさい。そもそもあの厠は、私の神社の厠よ。私に使われるのが正しいとは思わないの?」
(もう少しなら)大丈夫、私なら(我慢)できる。今までだって、そうだった!
「数、組み合わせの数は6つ」
私にはいつだって、数が味方してくれる。
「私の目の前、立ってる人数!」
霊夢の顔が歪んだ。さすがに我慢したままポーカーフェイスは、無理だったんだね。
「わかっちゃったら簡単だよ。先に言うのは瓶!」
くずおれる霊夢を後ろ目に、いそいで扉を開いて、下着を下ろし、しゃがむ。間に合った。
「Ah、これが極楽浄土……」
~Epilogue1.感謝のケーキフォーユー~
「お帰りお姉さん。まったく、肝心の焼きをおろそかにしちゃいけないよ」
「ご、ごめんね」
トイレは阿鼻叫喚だったけど、みんな間に合ってるといいなあ。
「あれ、なんか顔が戻っちゃってる」
「そんなことよりケーキは?」
言われてお燐ちゃんは、釜の中からケーキを取り出す。ふわふわのスポンジケーキが焼きあがってる。
とっても香ばしくて、甘い匂いだ。
「うわあ、いい匂い。ありがとうお燐ちゃん」
「さあ、仕上げだよ」
お燐ちゃんの言うとおりに、スポンジをお皿にのせて、端っこに、縦に一閃、切れ目をつける。
そして魚をおろす要領で三枚おろし。そして一枚目のてっぺんに生クリームを塗って、二枚目を切れ目に合わせてのせて、
またてっぺんに生クリームを塗る。三枚目も同じくして、最後に重ね終わったケーキのまわりに生クリームをぺったり塗る。
「よしよし。ってしまった! このままじゃデコレーションが何もないよ!」
お燐ちゃんが頭を抱えている。嘘、どうしよう。そういえば、ケーキってのってるのはろうそくだけじゃないよね。
「す、すまないお姉さん。なんかのせられるもの、ないかな」
言われて見て辺りを見回す。さすが霊夢の台所だけあって、何もない。ケーキって言ったら苺だけど、
神社にそんなもの置いてあったら、すぐ食べられちゃってるはずだ。何か、何かないかな。
そういえば、幽香さんにもらったこの白い袋、中に何が入ってるんだろう。
「おや、それはお花のお姉さんにもらったやつじゃないか」
「うん、すごく軽いんだけど、何か入ってないかなと思って」
袋を台の上にのせて開けてみると、中から、貝? 魚? えび? お燐ちゃんが鼻を鳴らして匂いをかぎ始めた。
「これは……砂糖だよ」
「ほんとに?」
よく見ると表面はざらざらしてて、かすかに甘い匂いがする。
「さすが、お花のお姉さんは気がきいてるよ。これでシーフードケーキが作れる」
ええ、これ海のものなんだ? ケーキにお魚って、どうなんだろう。っていうかなんで幽香さん、こんなもの持ってたんだろう。
「いってみようか」
お燐ちゃんが目配せしてくる。ほんとにいいのかな、これで。
「取ってエビアサリ、それからスズキ」
えびと貝と魚の飾りを、片手にのせる。
「スズキ、ここで、アサリ、そこで」
指差されるところに、お魚と貝をのせる。なんか不思議な見た目だね……。
「ちっちゃいエビちゃん、もうどこでも!」
えびをぱらぱらまく。お好み焼きみたいなんだけど。
「なんでも好きなの、真ん中、ちょちょっと!」
あまった飾りを真ん中に乗せる。これ、図鑑でしか見たことないけど、クラゲかな?
「完璧だ!」
「や、やったー?」
完成したケーキを、流しの下にあった大きなつづらに入れる。すぐ返せば、霊夢、怒らないよね?
それから、戸棚に入っていた赤い紙のリボン――貧乏性の霊夢は、包装紙とかもいちいちまとめて取っておくんだ――を取り出す。
くるっと巻いて、ふわっと膨らむように、軽く蝶結び。これで、できあがり。大きく息を吐いて椅子に腰掛けたら、
まっすぐ前の壁の、小さな振り子時計が見える。牛と虎の絵の間に、針が回っていた。
「うそっ、もうこんな時間!? 紫様たち、帰ってきちゃってるよ!」
お燐ちゃんは私の声に驚いて、しっぽをぴんと張った。だけどすぐ、目をこっちに向けて、落ち着いた声で言った。
「行きな、お姉さん。ここは私が片付けておくよ」
「そんな、私がやるよ。お燐ちゃんは焼くのもやってくれたし、材料集め、手伝ってくれたし」
“いいんだ、いいんだ。”と返事をしながらへらや型枠、ボウルを重ねて流し台に持っていく。
「だめだよ、悪いし。それにお燐ちゃんにも一緒に来て欲しいの。今からおうち帰るの大変でしょ?」
水がめから水を汲み取って、手押しポンプに注いでいく。
「一家団らんを邪魔することなんてできない。今日はここに泊まってくよ」
邪魔なんてことないって言っても、笑うだけだった。プレゼント、考えてくれて、材料集め、手伝ってくれて、
こんなにしてもらったのに、お返しできないなんて悪いから、私にも、ゆずれないよ。
鼻歌を歌いながら、ボウルを洗い始めるお燐ちゃんの隣に立って、私は型枠をへらでこする。
そうだよ、お燐ちゃんが最初に言ったことだもん。
「ねえお燐ちゃん、私がお燐ちゃんに一緒に来て欲しいのは、なんで?」
「なんでって……」
「帰ってくるのが遅れた言い訳をしたいから? お燐ちゃんが来ると藍様が喜ぶから?
お燐ちゃんがまたお土産をくれると計算して? それとも、お家がにぎやかになるといいなと思って?」
お燐ちゃんは黙り込んで、薄く笑っている。手で何度か耳を撫で付けて、ごまかしてるみたい。
「どれでもないよ、お燐ちゃん。私はお燐ちゃんが大好きで、私はお燐ちゃんに感謝してるから、お燐ちゃんに来て欲しいんだよ」
水でぬれた手でほおをおさえて、とうとうふきだした。
「まいったね」
お燐ちゃんはボウルをひっくり返す。水が大きな音を立てて落ちた。私も型枠をひっくり返してよけてから、
バターを溶かすのに使った小さなボウルを洗い始める。水をかけてぐるぐる回していると、
突然尻尾の根元をぎゅっとされて、飛び上がった。後ろを見たら、お燐ちゃんがその尻尾を巻きつけてきていた。
恥ずかしくなった私は、いたずらっぽく笑うお燐ちゃんに怒った。お燐ちゃんはどこ吹く風と言った顔で包丁を洗い出す。
お返しをしようと思ったけど、危ないから止めた。かわりに、お燐ちゃんの背中に、ゆっくりと尻尾を当てる。
言葉がなくなって、ただただ一緒に、洗い物をした。全部終わって、洗ったものをかごにまとめて、片手につづらを持つ。
片手をお燐ちゃんに差し出すと、ちょっとはにかんで、それから手を取ってくれた。
神社を飛び出して、満天の星空の中に飛び出す。地面は、木が生えているところは真っ暗で、
原っぱは星明りでうっすら紺色に染まっている。いつものくせで、くるっと回りそうになったら、
お燐ちゃんにつづらを指差されて、あわてて体を戻した。星が幕をつくる、星が降る。ずっと昔は、
星は空に開いた穴だったらしいけど、私は藍様と紫様が言うように、おっきな炎が熱く白く光ってるんだと思う。
あんなに遠くにあったら、確かめられないけどね。神様なら、知っているのかなあ。
同じく星を見ていたお燐ちゃんの目を見たら、瞳に星が映って光っているように見えた。
星の明かりなんかじゃ目は光ったりしないはずだから、私がそう思っているだけかもしれない。
森を越えて小さな丘を越えて、ずっといくと紫様の家に着いた。紫様の家を知っている妖怪は少ない。
別に秘密にしているわけじゃないんだけど、周りは森に囲まれているし、道からかなり外れたところにあるから、
案内されない限りは、たどりつくことのないところなんだ。玄関の前に立って、おそるおそる戸を叩くと、
藍様がどたどた走ってきたのが聞こえる。心配させちゃったかな、やっぱり。
「お帰り橙、遅かったじゃない」
エプロンをつけてぞうりをはいた藍様が、引き戸を勢いよく開いて出てきた。
心なしか、帽子の中のお耳が、疲れた感じに折れているように見える。
「ごめんなさい」
藍様はなぜか、あんまり怒ってないみたいだ。すぐに隣にいるお燐ちゃんにも気付いて、
慌てて髪を撫で付けてから“こんばんは”と言った。お燐ちゃんを泊めてもいいか聞いたら、笑ってうなずいた。
藍様の笑顔を見ると、本当にほっとする。私はついに、ここまで来れたんだ。洗い場で手を洗ってから、
玄関にあがってちゃんと靴をそろえた。奥の居間まで歩いていくと、紫様が“おかえり”って言ってくれる。
私も“ただいま戻りました”と返事をして、お燐ちゃんは“おじゃまします”と、ちょっと踊った声で返事をした。
遅くなったことを謝ったら、紫様は“気にしていないわ”といつものようにに言った。
「紫様、もうご飯食べました?」
紫様は首を振って、ちょっとしてから、答える。
「いいえ。あ、気にしなくていいのよ。あなたのせいじゃないわ。藍にあなたを迎えに行かせたのだけど、一向に戻って来なくてね。
やっと来たと思ったら、あなたは連れてきてないし、なぜか私の服を着てて、しかも泥まみれだったのよ。
それでさっきまでお説教だったから、まだご飯できてないの。ごめんなさいね、橙、お燐ちゃん。すぐ用意するから」
う、藍様やっぱり迎えに来てくれてたんだ。遅くなっちゃったもんなあ。廊下へ出ようとしている藍様に近付いて謝ったら、
なぜか目が踊っている。どうしたんだろう、何か言えないことがあったのかも。逃げるように台所の方へ歩いていった。
「ねえ紫様」
紫様がこっちを振り向く。長い金色の髪が、紫の垂れと白い服の上を掃くように回る。そして、ぴったりと目が合う。
じっと見ていると吸い込まれそうな紫色の目。なんとなく、必要のない尻込みをしてしまうけど、
黙っているのも変なので、つづらを前に出して口を開く。
「紫様、いっつも皆のために結界を守ってくださって、ありがとうございます」
紫様はびっくりしているみたいだった。私にも簡単にわかるほど、不意を突かれた顔をしている。
こんな顔を見るのは、めったに無いことだった。少なくとも、最後に見たのは冬を何回か越える前だ。
「こちらこそ、どうも、ありがとう。橙、開けてもいいのかしら」
私が“はい”と答えると、紫様はきれいにリボンを解いて、ゆっくりとつづらを開く。
中から出てきたケーキに、私は少し不安になったけど、紫様は、それはもう、閉じていた口が薄く開いてしまうくらい、
とっても驚いているみたいだ。
「私が作ったんです! ……その、お燐ちゃんにだいぶ手伝ってもらったんですけど。ありがとうね、お燐ちゃん」
お燐ちゃんは、嬉しいんだか緊張しているんだか、不思議な表情になっていた。口は笑ってるみたいに開いて、
でも困ったように眉が寄り上がっていた。
「ふふふ、今日は運が悪かったと思ったけれど」
紫様は私をなでてくれた。でも、何度か手を回してから、藍様の方をうかがうように見た。私にはそれがどういう意味なのか、
なんとなくわかった。きっと紫様が私をなでないのも、“なるべく何も言わないようにしている”ということと同じなんだ。
それを紫様自身が忘れちゃうくらいだから、きっと大成功なんだ。そう思ったら、とっても嬉しくて勝手に顔がゆるんでしまった。
「きっと十年に一度の最高の日ね。ありがとう、橙、お燐ちゃん」
紫様はやっぱりゆっくり立ち上がって、私たちの前まで来ると、私たちの腰に深く手を回して、ぎゅっとしてくれた。
あんまりにも考えられないことだったから、固まってしまった。紫様越しで見えないけど、お燐ちゃんも固まっていると思う。
ご飯の準備を終えた藍様が、台所の方からあわただしい声で呼ぶまで、紫様はずっとそうしてくれた。
「紫様、今日はいろんなことがありました。お燐ちゃんにもいっぱい助けてもらったんです」
卓の前に座りなおした紫様は、ふわっとする笑顔のまま、少し目を閉じる。
「そう、じゃあいっぱい聞かせてくれるかしら。今日はとっても、あなたのお話が聞きたいの」
私は、私にとっての大決戦を、ひとつひとつ紫様に話す。高利貸しのおじさんのこと、ミスティアのこと、
星ちゃんとナズーリちゃんのこと、あずき小僧のこと、てゐちゃんとぬえちゃんさんのこと、それから、幽香さんのこと。
ひとつひとつ、紫様はにこにこしながら聞いてくれた。お燐ちゃんが言う冗談に、上品に笑ったりしながら。
話のあいまに、藍様の作ってくれた料理を食べる。食卓に並んだのは、岩魚の塩焼き。ほうれん草を茹でて、
上に赤い茎を刻んでのせたもの。しいたけとレンコン、そして人参をお出汁と醤油、それからちょっぴりの砂糖で煮たもの。
大根をいろりの上でいぶした漬物。それから白いご飯と、お魚の出汁が強めで、
麦の味噌に白味噌を少し入れた、油揚げと白菜のお味噌汁。岩魚をかじれば、猫に生まれてよかったと思うほどいい匂いと、
パリッとした歯ごたえ。柔らかい身、脂と身の美味しい味に包まれる。塩味がぴったりの量で付けられていた。
三匹食べると竜になってしまうというお話を読んでから、少し身構えてしまうけど、やっぱり岩魚は最高だ。
肉厚のしいたけの複雑で、でもお醤油によく合う味と、レンコンの小気味いい歯ごたえに舌鼓を打つ。
それがまた、炊き立ての鼻をくすぐるご飯の甘味によく合うのだ。ほうれん草は茹でて柔らかくなっていて、
かみ締めると、お魚ともお米とも違う、さわやかな甘味を持っている。そしてその上にのる赤い茎がよく映えている。
お燐ちゃんが“おいしいおいしい!”と喜んでいると、藍様が嬉しそうにほほえんだ。
慣れ親しんだ藍様の味と、慣れない紫様とのお話に夢中になっていたら、いつの間にかお皿は全て空になっていた。
そして、いよいよ、藍様がケーキを八つに切ってくれた。皆の取り皿に一つずつ、三角のケーキが並んでいく。
「頂きますね、橙、お燐ちゃん」
そういって貝やえびの砂糖菓子ののったケーキを口に運ぶ紫様。どきどきの瞬間だ。
「美味しい」
手を口に当てて、子供みたいに笑った。私はなんでか顔がすっごく熱くなって、それからすっごく嬉しかった。
「藍が初めて私にお昼ご飯を作ってくれたときと同じくらい、美味しいわ。私は幸せ者ね」
きっとそれは、ものすごく美味しく感じたんだろうなあ。紫様の顔は、それを表していた。
お燐ちゃんと、それに続いて藍様が、笑って返す。
「ええ、違いないですよ」
「私も、そう思います」
その言葉が、ずっと残る。後に続くように、皆でケーキにかじりついた。ふんわりとしたスポンジのとってもいい感触。
メレンゲがふわふわだったからかな。しっとりしてるのは星ちゃんのバターのおかげかも。
てゐちゃんにもらった生クリームもとろりとして、油の感じはするけどすっきりでさわやかな匂い。
かりっと歯に当たる幽香さんの砂糖菓子も、見た目はともかく、意外とケーキに合うみたい。
藍様も食べてから美味しいって言ってくれた。それからなでてくれたけど、お燐ちゃんの前だから恥ずかしかった。
お燐ちゃんは目を閉じて、まだ最初の一口を楽しんでる。紫様は小さくフォークを動かして、もう半分くらいだ。
藍様が入れてくれた紅茶を皆で飲んで――私は初めて砂糖を入れない紅茶を飲んだ――ほっと一息。
皆にはおおむね好評だったし、私自身美味しいって感じたから、初めてだったけど、大成功だ。
すっかりケーキを食べ終わってから、紫様が私を手招いた。
「ねえ橙、その、あずき小僧についてのお話、もうちょっと詳しく聞かせてくれるかしら」
なんであんな妖怪のことを聞くのかわからないけど、結界を守る紫様には、小さなことでも、
確認しておかなければいけないことが多いから、私は覚えている限りのことを紫様に伝えた。
話していくうちに、紫様の表情はこわばっていくようだった。
「そう、ありがとう」
私が全部話し終わると、そう言ってから少し暗い表情になってしまった。お役に立てたなら言ってよかったことなんだろうけど、
“すぐにどこかへ行ってしまって、よくわからなかった。”と嘘をつき、今日ぐらい、何も気にせずゆっくりしてもらえばよかった。
その後お燐ちゃんと一緒にお風呂に入って、私はそのことと、お燐ちゃんと一緒にお風呂に入ってしまったことで、
二重に気分が沈んだ。お風呂をあがって、部屋に入ると、藍様が布団を二組しいてくれてた。
全員で一つの部屋だと狭いから、こっちにしいたらしい。お燐ちゃんが気まずいだろうし、私と二人の方がいいよね。
藍様はいつものように紫様のお部屋で寝るみたいだ。藍様は自分のお部屋があるのに、私がいないときでも、
いつも紫様のお部屋で寝ている。それには、何かあったときのための用心とか、理由があるのかもしれない。
私は部屋の明かりを吹き消して、布団に入った。頭を半分枕に沈めて変な顔になってるお燐ちゃんと、“おやすみ”を言い合って、
疲れていた私はすぐに眠りについた。
空が明るくなりきってない頃に目が覚める、まだ眠くて、あくびをしてから伸びをしたら、やわらかい感触。
「ぎゃー!! お姉さんのエッチ! なにするんだい!?」
目をこすったらお燐ちゃんのとんでもないところに手が入ってるのがわかった。
自分の寝相の悪さをのろって、すぐに手を引っ込めた。お燐ちゃんはさっと身をかばった。
「お姉さんも起きちゃったんだね」
言われて私は、こんなに早くに目が覚めたことが不思議になってくる。意識が徐々にはっきりしていくのと同時に、
話し声、それも結構大きな声が聞こえてきた。目が覚めたのはこのせいかな。
<誰に聞いてもあんたのことをバカって言うわよ。接頭辞がつくけどね。
バカ藍。あんたが百年おねしょ治んなくても私は怒らなかったわよね。
お尻叩いたのなんて、ふすま破ったときと私の鼻に指突っ込んだときだけだったでしょう?
あんたはなんで橙の邪魔をするの? 橙は助けられるほど弱くないわ。ねえ、私は怒っているのよ>
紫様だ。一気に目が覚めた。よりによってお燐ちゃんがいるときに。私は何かお燐ちゃんに言い訳をしようと思って、
何も思いつかなかった。よく響く音がするのは、あまり考えたくないけど、お尻を叩いてる音、だと思う。
<大体、あずき小僧ってなんなのよ。あれほど外で恥じさらすようなことするなって言ったはずだけれど?>
私は夢だったことにしたかった。でも、お燐ちゃんが気まずい笑みを浮かべてるのを見て、どうしようもないことを悟った。
「お、お姉さん、たまにはこんなことあるって。さとり様も靴下左右違ってることあるし」
お燐ちゃんの気づかう言葉が、今はただ痛かった。
~Epilogue2.ユーガッタビリーブ~
「だいぶ遅れちゃった」
命蓮寺に着くと、耳を揺らしそうなバスドラム、短いのにずっと響き渡るようなハイハット、
乾いて抜けているスネアドラムの音と、それからちょっと合成音っぽいピアノの旋律が、一定のリズムで鳴っている。
妖怪混みの後ろに立ったら、突然手を引かれて、あれよあれよという間にステージの上に放り出されてしまった。
「橙、遅いじゃない」
ミスティアが、光をいっぱい浴びて、こっちを見てくる。状況がつかめないんだけど。
マイクロフォンを握り締めるようにして、ミスティアがみんなに語りかける。
「みんな、やっと主役が来たよ。今準備するからちょっと待ってね」
そういうとミスティアはマイクを渡してきた、わけがわからずに返そうとしても、受け取ってくれない。
「橙、大丈夫、私の後について歌ってくれればいいから」
何の歌を? そもそも私はライブを見に来たのであって、しにきたんじゃないんだけど。
「無理だよ」
おそばでも作るのか“かえし”がどうのと、ステージの後ろに指示をして、私の言葉を聞かない。
ミスティアがここまでむちゃくちゃだなんて思わなかった。いまさらステージを降りても、目立っちゃうよ。
「本当に簡単よ。この三角や丸を押せばいいだけだから」
三角や丸って何のこと? ミスティア、なんか忘れてるんじゃ……。
今度は舌打ちしたり息を吐いたりして、ステージの後ろに丸くした指、おーけーサインを送った。
「上に見えるでしょ、さあ行くわよ」
「ちょっと!」
止めるのも聞かず、ミスティアが構える。とたんにバックのドラムやピアノの音が大きくなって、それから徐々に小さくなった。
「ヨゥヨゥヨゥ! チェック・ディス・アウト! パーティーだ! パーティンザテンポー! みんなどうかな、どんな感じ?」
相変わらずのミスティアのMC。聞いてると楽しくなってくる。私がステージの上に立っていなければ。
「ごきげんかーい!?」
ごきげんじゃないよ、なんとかしてよ!
「ここからショウの始まりだよ、皆様。チェック・ディス・アーウト!」
目配せしてきた、私なんにもできないよ!? ドラムの音が大きくなった、歌が始まるんだ。
「ヘイ、ヨォー、皆様! ちょっと見てなよ、私の生き様!」
途方にくれて、とにかく口を開く。
「よぉ、よぉ、みなさぁん! ずっと待ってた? 始めようよパーティ!」
「O,oh! O,oh! 猫が来た! 郷を縦横無尽、元気に走る、Oh!」
「藍様コン、私ニャン! こまみたいにぐるん! 回っているんだ」
あれ、考えるだけで、言葉が勝手にリズムに乗る。どうなってるの? ミスティアは片目をつぶるだけで答えてくれない。
「何があっても、立ち向かってく、この子には、モーマンタイ!」
「でもそうだったの、“だったらいいな”って、それだけなんだ、ほんとよ!」
後ろの方を見ると、暗くてよく見えないけど、高利貸しのおじさんがスネアドラムに合わせて手を叩いている。
それに、お寺の住職さんと、ナズーリちゃんも、小さく手を叩いてくれてる。
ミスティアが歌うのに合わせて、会場のみんなが歌い出す。
「「どうすんの、ピンチなら?」」
「おちつかなきゃ!」
そう、いつだって最初は、まず落ち着いて考えるところからだった。
「「どうしよう、ピンチなら?」」
「かんがえなきゃ!」
そして、考えれば絶対に、答えは出てきた。
「「どうすべき、ピンチなら?」」
「えらばなくちゃ!」
目の前の選択肢に、ぴったりの答えがあるはず。
「「どうしたら……どうしたらー! Uh-!」」
「きっとできるよ!」
後ろの方から大きな音がして、振り向いてみたら、星ちゃんが転げまわっていた。
転げまわるというか、腕と頭、肩を器用に使って体の軸を回し、大きく開いた脚を回転させながら、自身も地面を丸く回ってる。
そうだ、これは藍様に教えてもらったウィンドミル。でも手を突いて回るから、藍様のよりずっと腰が高い位置にある。
「H to the E to the R to the O! さぁ、おいでヒロイン、いってみようか!」
「C to the H to the E to the N! 私は橙! 毎日かいてん!」
寒気を感じて脇を見ると、いつの間にかステージにいた幽香さんがリズムに合わせて膝を揺らしながら、
開いた手を会場に向けている。次の瞬間、あちこちに花びらが舞って、会場に赤と白と緑と、いっぱいの花が咲き乱れた。
夢みたいな景色。
「すごくイカした、宵の刻! さあみな夜を、盛り上げよう!」
「飛び回ることが信条だ、って私、きみ、きみときみも!」
指差したほうに霊夢がいた。慌ててミスティアの方を向いた。ミスティアの隣には、いつの間にかサングラスをかけたてゐちゃんが、
足踏みでリズムを取っている。空を見上げると、星が抜けているところがあった。ぬえちゃんさんがふわふわ浮かんでいるんだ。
よく見ると村紗さんもいる。仲直り、できたんだね。
「子猫の名前、言ってみなよ! 一緒にずっと、騒ぎ続け!」
「最後まで、いわはないよ! 絶対皆助けるもん!」
次の瞬間、水と光る円盤があたりに飛び散って、花弁と混じってとんでもないことになった。水と光とお花の渦だ。
星ちゃんと幽香さん、てゐちゃん、ミスティアが私の周りに集まってくる。
「どうしよう?」
星ちゃんの声が会場に響く。マイクを持って、こっちを見ている。
「おちつかなきゃ!」
返すと、笑っている星ちゃん。視線の先は幽香さんだ。
「ほんとにねえ?」
ちょっと“なめましかい”声で歌いかけてくる。こんなにのりのいい幽香さんに驚く。
「かんがえなきゃ!」
返すと、幽香さんもやっぱり笑っている。てゐちゃんが私の前に来た。
「どうするの?」
サングラスを外して、にやにやしながら見てくる。
「えらばなくちゃ!」
てゐちゃんは後ろに下がり、そしてミスティアがマイクを口に近づける。私は答えるための言葉を用意する。
「でも大切な」
「しんじること!」
ピアノの調子が変わって、ミスティアにステージの前の方に押し出された。危うく落ちるところ。
前を見たら、藍様と紫様、そしてお燐ちゃんがいる。こんなに近くにいたんだ。恥ずかしい。でも、とにかく最後までやらないと。
「誰か、さあ、Ho!」
「「Ho!」」
「そう、Ho! Ho!」
「「Ho! Ho!」」
「一緒に! Ho Ho Ho!」
「「Ho Ho Ho!」」
「いくよー!」
「「MEEEEEOOOOOW!!」」
お花と、水しぶきと、光る円盤が入り乱れる会場で、みんなが口を開いている。顔が熱くなって、でも手のひらは冷たくなって、
何も考えられなくなって、でも声は出た。
「もう一度、さあ、Ho!」
「「Ho!」」
「そう、Ho! Ho!」
「「Ho! Ho!」」
「一緒に! Ho Ho Ho!」
「「Ho Ho Ho!」」
「いくよー!」
「「MEEEEEOOOOOW!!」」
「ありがとう! ありがとう! ありがとうみんな!
そして忘れないで、あなたもできるよ!! ありがとう!」
大きな拍手の音の中、会場からキャット空中三回転をして、ステージに降り立つ影。お燐ちゃんだ!
「グッジョブ、お姉さん。次のステージに進むことができるよ」
お燐ちゃんに手をとられて、わけのわからないままこぶしを高く上げる。会場の熱狂はますます激しさを増すばかりだ。
「チェン・ザ・シキガミキャットの次のライブも……みんな、見に来てくれるかなーー!?」
ミスティアの声に答えるように、大歓声が上がる。
このとき、何か大きな間違いをしたのだとういうことに気付いたのは、ずっと後になってからだった。
HCR;~ハード・チェン・アンド・リプライ~
完
Question
~Q1.秘密のセキュリティクエスチョン~
挑戦者:メレンゲ職人
難易度:★★☆☆☆
商品:メレンゲ
~Q2.運命のロックレスアイランド~
挑戦者:ミスティア
難易度:★★☆☆☆
商品:クックドゥードゥルドゥエッグ
~Q3.渇望のベストストラテジー~
挑戦者:星
難易度:-
商品:バター
~Q4.銀河のエンクリプテッドワード~
挑戦者:てゐ
難易度:★★★★☆
(換字式暗号と夏の大三角を知っていれば、★★☆☆☆)
商品:フレッシュクリーム
~Q5.私のフレンドインディード~
挑戦者:幽香
難易度:★★★☆☆
(番号当てクイズに慣れていれば、★☆☆☆☆)
商品:フラワー、グラニュレイテッドシュガー、デコレーション
~Final Question.限界のデイジーチェインストラグル~
挑戦者:今までの全員と霊夢
難易度:★★★☆☆
商品:厠使用権
外伝
ミスティア・ローレライ
ニューウェイブ・橙の出現により、オールドスクールの巨鳥だった彼女は身を引く。
今はブランドニューハートで、彼女にパゼスしたパンクソウルをドローアウトするバディをシークしている。
――ゴッド・セイブ・ザ・スパロー パンク地獄変――
寅丸 星
間に合った。縁日の屋台を回ってナズーリンのご機嫌上々大作戦は、あまり上手くいかなかったようである。
原因はもちろん、酒。これを期に彼女は禁酒を決意することとなる。彼女の1920年は一体何年続くのか。
――寅丸的禁酒生活 禁酒は簡単なことです、もう百回はしましたからね――
ナズーリン
ご主人様とのドキドキアバンチュールを楽しんでいた彼女だが、結局最後は、大好きな酒を止められず、
グダグダアバンギャルドな状態になった上司を引きずって帰る羽目になった。彼女は完全にとさかにきている。
――この星を、消す 0から始まるハートフルストーリー――
因幡 てゐ
合言葉を活用し、しのぎに精を出していた彼女だが、ついには霊夢が出てきて、あえなく御用となった。
地下に落とされんとするてゐは、永遠亭を賭して霊夢に最後の勝負を挑む。
――賭博詐称録てゐ 決戦オイチョカブ――
封獣 ぬえ
村紗水蜜との仲を修復し、因幡てゐの悪魔の誘いからも開放されたぬえ。しかし彼女の戦いはまだ終わらない。
自身の弱点である妖怪脈を拡張せんと、親切な黒猫への接近を試みる。欲求に素直になり、大切なものを得ることができるのか。
――XXX歳からの友達作り 破れぬ殻――
風見 幽香
以前から里に顔を出していたのに、“あの本”が出版されてから人々の見る目が変わってしまった。
間違いを正すため、まずは足がかりをつくるべく、人里で花屋を始める。そんな彼女の前に現れたのは、一人の葬儀屋。
――100万本の菊を下さい 花屋繁盛記――
火焔猫 燐
大変だ、お空が誘拐されちゃった! 頭の中に響くお空の声に、雷雨も省みず飛び出すお燐。そして倒れ伏す主人を見つける。
主人から明かされる衝撃の事実。ナイト猫の家系、そして伝わる奥義、回転剣舞六連。三つの紋章を集め。お空を救え!!
――うつほの伝説 神々のニュークリアフォース――
橙
間段なく行われるライブの経験で、その内に秘めたる心の声を聴き、ヒップホップの女王として君臨する橙。
今晩も伝説のリリックが聴ける。ストリート生まれヒップホップ育ち、悪そうな奴は大体友達。本物のラップが聴けるのだ。
――8里 C-Kitten――
あなたはどのお話が気になりますか?
この作品の登場人物はきっと、紙に描いた絵のようにペラペラなんでしょうね。
問題が解けなくて何度も悔しい思いをしてしまったw
気付けばもう、最後の最後まで読みきってしまっていました。
問題は大半わからなかったけど
問題の難易度が結構ガチで解けないものが多かったです。
解けたのはQ1、Q5
解けなかったのはQ2、Q3、Q4、Final。
未だにFinalの理由が分かっていません。大分後からの感想になりますがいつか解説を頂ければ幸いです。
Q4は「シーザー暗号かなー、でも流石にそこまではしないかな」とか思ってたらこれだよ!