「くっはぁ……」
あくび。
眠い。特にやることもなし、私は畳に横臥してニルヴァーナごっこを続ける。
法力的なあれで気温は適切に調整されているものの、夏である。こうやってとろけながら過ごすのは様式美。マナーである。
幻想郷と魔界を繋ぐ巡航船、聖輦船。今日はその定期運行の日。その復路である。
ここは命蓮寺の僧堂であるが、今は客室として扱われている。十数名のお客さんが思い思いに過ごしている。そのほとんどが魔界人か魔界の妖怪である。魔界の住人は、それほど幻想郷の住人と変わりはない。魔界人は人型妖怪の格好をしているし、魔界の妖怪は普通の妖怪か人型妖怪の格好をしている。
「暇そうねぇ」
私にじゃれついていた妖精がへらへらと言った。
金髪で、白い丸い帽子を被っている。酔っている。非常に酒臭い。
「そりゃ暇……いいや、暇じゃないわ。船長である私がばたばたしてたら皆気が休まらないでしょう。私が忙しそうにするのは非常事態だけよ。私はこうして身をもって『安心』を示しているのよ。ドラゴンが急襲してくるでも結婚式場に突っ込むでもなし、存分に安心を満喫するといいわ」
「入道使いは忙しそうにしてたけど」
私にじゃれついていたもう一人の妖精がへらへらと言った。
こちらは鮮やかなみかん色の髪をしている。こちらも酔っている。非常に酒臭い。
「一輪は面倒見がいいと見せかけて誰よりも寂しがりやなのよ。遊んであげてると見せかける事に関しては常軌を逸した情熱を注ぐわ。あんた達も一輪に遊んで『もらって』くれば?」
「飽きちゃった」
私にじゃれついていないあと一人の妖精が言った。
こちらは顔に赤みは差しているものの、言動は多少ちゃんとしているようで、壁に背を預けて他のお客さんを眺めている。
妖精にしては珍しく、多少利発そうな印象を受ける。ただまぁ酒臭い。
こいつら三匹は魔界では乗船して来なかった。いつの間にか入り込んでいて、絡んできたその時から酒臭かった。酒盛りをしている時にこの船を見つけて、その場のノリで途中乗船してきたんだろう。何故私に絡んでいるのかというと、ちょうどよく冷えているから。
私は船幽霊だ。コケティッシュな見かけと相まって、夏場に抱きまくらにするには持って来いである。
酔っていればいたずらする脳も働かないだろうと、妖精ズをこの広い大空にポイする事もしなかった。
甲板で雲山を使ってレクリエーションをしている一輪も、甲板でつまみ出さなかったところを見ると同じ考えのようだ。まさか本当に遊んでもらって嬉しかったわけでもあるまい。
「失礼しまーす。……ってムラサ、だらけすぎ」
障子を開けて、件の一輪が顔を出した。
「安全な運航に一役買ってるところよ。一輪、こいつらとも遊んであげてよ」
「よかったわね。遊んでもらって。それより……」
こほん、と一輪は咳払いひとつ、
「講堂にて聖が法会を始めますので、興味のある方や涼みたい方はどうぞ」
お客さんに向けて言った。お客さんは顔を見合わせたり一言二言交わしたりして、腰を上げたり上げなかったりした。
「法会って?」
多少利発な妖精が一輪に訊いた。
「姐さんがありがたいお話をしてくれるのよ。……でも、まぁ。ありがたい頭してるあんたらには必要ないかもね」
確かに、氷精が賢かったりするとおだててクーラー代わりにする事も出来ないのでありがたくない。
「話聞くだけ? つまんないかも」
白帽子の妖精が口を尖らせた。
「向上心がないわねぇ。行ってみましょうよ。思ってる以上にありがたい事が聞けるかもしれないわ」
のっそりとみかん髪の妖精が身を起こす。
「きのこの育て方とか?」
「はねつきのコツとか?」
「二日酔いのこなし方とか!」
三匹は勝手に盛り上がって、一輪の傍らをすり抜けていってしまった。
「妖精はいつも楽しそうでいいわねぇ」
やれやれ、と一輪は首を振った。
「いいの? 十割がた聖の邪魔になると思うけど」
「妖精だからって説法には来るなってのもね。飽きて出て行ったらよし、いたずらしだしたらその時こそ雲山の出番よ」
一輪は肩をすくめて僧堂を出て行った。意外と口うるさくされることはなかった。聖の手伝いで頭がいっぱいなんだろう。
「あの、ちょっとお話いいですか?」
すると僧堂に残ったお客さんの一人が話しかけてきた。
「はい、何でしょう」
私は起き上がってあぐらをかいた。流石に、お客さんに対して寝転がったままってのは具合が悪い。
「魔法の森の場所を知りたいんです」
*****
女性はルイズと名乗った。
私も名乗った。私は立つ気がなかったので、彼女に畳に座るように促した。彼女は携えていた大きなトラベルバッグを傍らに置いた。
金髪をおさげに、白いラウンドハットを被っている。白いセーラー服に白いロングスカート。穏やかににこにこと目を細めている。穏やかな……と言うよりかは、全体的にふわふわとしていて掴みどころのないという印象を受けた。
苦手な人だ、と思った。
「妹が魔法の森というところに住んでいるみたいで。旅行のついでに会って行こうかと思って」
「場所くらいは知ってますけど……その妹さんの家は知らないですよ」
魔法の森といえば、めっぽう暗くて一日中有害なキノコの胞子が飛び交っている森だ。
特に用事がなければ入ろうとは思わないし、森について詳しい人もそう多くはないだろう。
「まずは森に詳しい人を探さないと。旅行のついでで、アテもなく彷徨うにはちょっと骨が折れる場所だと思います」
「うーん……そうですか。では後回しにしちゃいましょう」
ルイズは手を合わせて、首をかしげて言った。
「ムラサさんは旅などされますか?」
「旅ねぇ……」
考えたこともない。生前ならまだしも……
「この狭い幻想郷で?」
ルイズは笑って頷いた。
「魔界との行き来も比較的簡単になりましたし。それに、狭いと思っていても案外そうでもないものですよ」
まぁ、そうだ。私は頷いた。実際に目で見なければ記憶の中の景色など色あせてしまうものだ。地底にも復活以来行っていない。
命蓮寺の24時間突っ立っている「忙しい方」のご本尊の顔すらもとんとご無沙汰である。まぁ、命蓮寺は広いけども。
「旅行、ねぇ」
そういえば、船長というタイトルを保持しているわりに私の行動範囲はあまり広くない。
生前も、幽霊になってからも旅行をした記憶なんて無い。船を自由に動かせないんだから仕方ないんだけども。
「……あなたは?」
「旅行が趣味なんです。最近はご無沙汰だったんですが。最近旅行が趣味だった事を思い出したんです」
じつにフンワリとした事を言う。
「私もねぇ。7つの海を股にかけて冒険するのが夢だった気がしますよ」
「しないんですか?」
私はルイズに目を向けた。にこにこと変わらずその笑顔。……なんだか、その裏に胡散臭いものが見えた気がした。
「……仕方ないじゃないですか。出来ないんだから」
当然の事。幻想郷は閉ざされた世界だ。この世界に、無限に広がる海は存在しない。
「……そうですか」
そうですか、とルイズは笑顔のままだけど、ちょっと眉を落としたように見えた。……何か、落胆するような事があっただろうか?
「……ムラサさん。ムラサさんの好きなスポットってありますか? 幻想郷でも……そうでなくても」
「んー……? ……命蓮寺、はわりと観光には向いてるんじゃない? 縁日もあるよ。……ありますよ」
「敬語は結構ですよ。何なら呼び捨てでも」
ルイズはくすりと笑みをこぼした。……私は髪をひとつ掻いた。どうも、丁寧な物腰を心がけても、敬語は未だに苦手だった。
「三途の川にはよく行くかな。いつも船があるから」
沈めに。
「三途の川に行く途中の中有の道も賑わってるよ。縁日があって。最近は霧の湖にも行くわね。妖精が多いから」
沈めに。
「命蓮寺とはこの船の事ですよね?」
ルイズはその顎に細い指を当てた。
うん。私は頷く。
聖救出に一役買ったこの船は、普段は地上で命蓮寺として鎮座している。定期運航の日や、事情のある人間が望んだ時だけ聖輦船に姿を変えるのだ。
「……着くのは夕方ですから。命蓮寺に泊まることも出来ますよ」
……と言ったのはただの社交辞令だった。
彼女でなければ進んで宿泊を勧めただろう。と言うか、今までもそうして来た。
何故か、ファーストコンタクトから、彼女の事は苦手なままだった。表情には出さないけど。
……何故だろう。人見知りというわけではない。ぬえじゃあるまいし。
ちなみに、ぬえとナズーリンはサボりだ。
マミゾウはただの居候だし、ナズーリンは門徒ではないので実質サボりはぬえだけといえなくもないけど。
……まぁ、この運航自体ボランティアみたいなものだし。気まぐれな妖怪に同行を強いるのも無理な話だ。
*****
聖輦船が着陸しても、命蓮寺に変形しても、食事を終えても日が沈んでも。サボり組は律儀に全員帰って来なかった。
運航後に宿泊希望者がいるのは毎度の事であるので、少なくとも人見知りの妖怪は明日まで帰ってこないだろう。
あれからかの妖精ズは見ていない。寝ていたので外にポイしたとは一輪曰く。
さて、夕食の片付けも終えて、あとはお風呂に入っておやすみするだけである。私は長風呂なので、一番後。皆が入るまで暇がある。
そんなわけで、熱いお茶を淹れて縁側へ。墓地かどこかで唐傘お化けと戯れてもいいかとも思ったけど、ちょっと疲れている。
……私の出番は聖輦船を離陸させる時と着陸させる時だけだけど。気分。疲れている気分だ。
砂利に素足を下ろす。冷たく足を刺激する感触が気持ちいい。夜風が涼しい。草木は暗く、月が影を落としている。葉が吹かれてさらさらと音を立てる。
月はちょうどいい具合に見上げられる。私はひとつ湯のみをすすった。熱い。感じた熱はしかし、涼しい風に溶けていく。
「ううん、風情」
「趣がありますね」
傍から声がした。見やると、何のことはない。
「ルイズ」
「はい」
にこにこと目を細める顔。お風呂上りなのか、浴衣を着ていて少し上気している。結っていた髪は解かれている。
「ご一緒していいですか?」
「……どうぞ」
ルイズは私の隣に腰掛けた。彼女はふと私の足を見て、ぺたりと足の裏で砂利を触った。
「あ、お風呂入っちゃったんでした」
「……誰も気にしないよ。気になるなら洗ってくればいいわ」
……ちょっと呆れたような声が出た。その笑顔が胡散臭いと思ったけど、何も考えていないだけなんだろうか。
「そうですか? そうだ、一緒に入りませんか?」
「…………は? 熱っ! あっつ!!」
動揺そのままに揺れた湯のみは盛大に熱いお茶を私の愛くるしい膝小僧に吐きかけた。
私は反射的に膝を手で払って、その理不尽な怒りを表現するようにルイズにぶつける。
「何で!?」
「え? ムラサさんとお話したいだけですよ。お食事の時も席が離れていましたし……」
ルイズはちょっと怯んだように肩をすくめた。その仕草に、ちょっと罪悪感を覚えてひとつ咳払い。荒げた声を正した。
「……お話って? 面白いお話なら一輪の方が得意よ」
興味を逸らしたいというだけの悪あがきだった。我ながら、この人の事がここまで苦手なのかと驚いた。
彼女はひとつ首を振って、庭に目を向けた。夜風が吹いて、金髪を揺らした。
……風情のある風景。私が彼女ともう少し親しければ、胸の一つでも高鳴らしただろう。
……私は首を振った。どうも、らしくない事を考えている。
親しいとか親しくないとか、気さくな船幽霊で通っている私には似つかわしくない。ぬえじゃあるまいし。ぬえじゃあるまいし。
そんな事で悶々としていると、
「ムラサさん、海に行きませんか」
私は彼女の顔を見た。
彼女は夜空を見ている。月を見上げている。
「……行けないわよ」
私は呟いた。
私は彼女の横顔を見ている。彼女が何を考えているのか、わからなかった。
「博麗の巫女か、妖怪の賢者にケンカでも売りに行く気?」
博麗大結界。これがあるから妖怪という「非常識」は存在できる。人間に手出しする手段や行動範囲が極めて制限されるものの、これは間違いなく私達を守るものだ。結界の外では、私達は存在できない。
「今は……行けないですが。巫女も、スキマ妖怪にも。到底太刀打ちは出来ません。戦いを挑む気も起きません」
ルイズはこちらに顔を向けた。笑っていなかった。私はたじろいだ。彼女は真剣だった。
「でも……いつか、私は行きたい。無限に広がる海。想像なんて出来ません。どれだけ圧倒的なのか、どれだけ、私は小さな存在なのか……」
綺麗な、澄んだ青い眼が私を射抜いた。
「見てみたい。行きたい。泳いでみたい。いつか……時間はかかっても。いつか……いつか」
そして、ルイズは笑った。
「私は……旅が好きですから」
記憶の中の景色など色あせてしまうもの。
千年前の海の色など、潮騒の音など……覚えているはずがない。
私は愕然とした。あれだけ縛られていた海が……囚われていた海が、もう思い出す術もないだなんて。
「……どうして、私にそんな話を?」
「ムラサさんは、海に憧れを持っている方だと思ったんです。幻想郷には、そういう方はもうあまり残っていません」
「どうして?」
「その……服、です」
ルイズは少し照れた風に言った。
服? 少し考えて、
「ああ」
服か。私は思わず笑みをこぼしてしまった。呆れた。
セーラー服。水夫の甲板衣である。聖輦船の船長だからと何の気なしに着ているものではあるけど。
実際、確かに。まだ海に執着があるのかもしれない。そういえば、ルイズもセーラー服を模した服を着ていた気がする。
「そうだね……じゃあ、行こっか」
「本当ですか! ほんとうに!?」
ルイズは身を乗り出して私の手を取った。唐突なテンションの上がり様に、私は頬をひきつらせてちょっと身を引いた。
「そのうちね! 行けたら……ね」
「はい! それでいいんです」
私の一歩引いた言葉にも、ルイズはとても嬉しそうに体を揺らした。
……私はその無邪気な顔から目を逸らした。
「あー……ごめん。お茶淹れるよ」
その私線の先に湯のみを見つけた。ちょうどいい言い訳を見つけて、私は返事も待たずに立ち上がった。
……赤くなった顔を見られないように。
……やっとわかった。苦手な理由。
この人は聖に似ているんだ。
*****
翌朝。日差しは強い。蝉がうなりを上げている。
「それでは、お世話になりました」
ルイズは帽子を取って一礼。大きなトラベルバッグを持ち上げた。
「ご観光でしたよね。どうぞごゆっくり。お帰りの際でなくとも、またお気軽にお訪ねください」
聖は昨日から宿泊していた一人一人に、律儀に声をかけている。
「ムラサさんも。約束、忘れないでくださいね」
ルイズはにこにこと聖の傍らの私に言った。
約束。とても果たせるとは思えない、ゆるい決めごと。それを約束と言えるのか……とは、私は疑いをさし挟まなかった。
その言葉は確かに、私の胸でふてぶてしく横臥している。
「魔界へのお帰りは是非聖輦船で。お客様のまたのご乗船を心からお待ちしております」
私は敬礼してウインク。して、帽子を目深に被り直した。
「はい。お土産話を持って帰ってきます。また、たくさんお話ししましょう」
「うん。またね。私も約束は果たすから……ルイズも」
ルイズは頷いた。……まだ、無邪気なその笑顔を直視する事は出来そうもない。
ルイズはまっすぐ、私は目を逸らしながら。その約束を口にした。
「行けたら、そのうち」
あくび。
眠い。特にやることもなし、私は畳に横臥してニルヴァーナごっこを続ける。
法力的なあれで気温は適切に調整されているものの、夏である。こうやってとろけながら過ごすのは様式美。マナーである。
幻想郷と魔界を繋ぐ巡航船、聖輦船。今日はその定期運行の日。その復路である。
ここは命蓮寺の僧堂であるが、今は客室として扱われている。十数名のお客さんが思い思いに過ごしている。そのほとんどが魔界人か魔界の妖怪である。魔界の住人は、それほど幻想郷の住人と変わりはない。魔界人は人型妖怪の格好をしているし、魔界の妖怪は普通の妖怪か人型妖怪の格好をしている。
「暇そうねぇ」
私にじゃれついていた妖精がへらへらと言った。
金髪で、白い丸い帽子を被っている。酔っている。非常に酒臭い。
「そりゃ暇……いいや、暇じゃないわ。船長である私がばたばたしてたら皆気が休まらないでしょう。私が忙しそうにするのは非常事態だけよ。私はこうして身をもって『安心』を示しているのよ。ドラゴンが急襲してくるでも結婚式場に突っ込むでもなし、存分に安心を満喫するといいわ」
「入道使いは忙しそうにしてたけど」
私にじゃれついていたもう一人の妖精がへらへらと言った。
こちらは鮮やかなみかん色の髪をしている。こちらも酔っている。非常に酒臭い。
「一輪は面倒見がいいと見せかけて誰よりも寂しがりやなのよ。遊んであげてると見せかける事に関しては常軌を逸した情熱を注ぐわ。あんた達も一輪に遊んで『もらって』くれば?」
「飽きちゃった」
私にじゃれついていないあと一人の妖精が言った。
こちらは顔に赤みは差しているものの、言動は多少ちゃんとしているようで、壁に背を預けて他のお客さんを眺めている。
妖精にしては珍しく、多少利発そうな印象を受ける。ただまぁ酒臭い。
こいつら三匹は魔界では乗船して来なかった。いつの間にか入り込んでいて、絡んできたその時から酒臭かった。酒盛りをしている時にこの船を見つけて、その場のノリで途中乗船してきたんだろう。何故私に絡んでいるのかというと、ちょうどよく冷えているから。
私は船幽霊だ。コケティッシュな見かけと相まって、夏場に抱きまくらにするには持って来いである。
酔っていればいたずらする脳も働かないだろうと、妖精ズをこの広い大空にポイする事もしなかった。
甲板で雲山を使ってレクリエーションをしている一輪も、甲板でつまみ出さなかったところを見ると同じ考えのようだ。まさか本当に遊んでもらって嬉しかったわけでもあるまい。
「失礼しまーす。……ってムラサ、だらけすぎ」
障子を開けて、件の一輪が顔を出した。
「安全な運航に一役買ってるところよ。一輪、こいつらとも遊んであげてよ」
「よかったわね。遊んでもらって。それより……」
こほん、と一輪は咳払いひとつ、
「講堂にて聖が法会を始めますので、興味のある方や涼みたい方はどうぞ」
お客さんに向けて言った。お客さんは顔を見合わせたり一言二言交わしたりして、腰を上げたり上げなかったりした。
「法会って?」
多少利発な妖精が一輪に訊いた。
「姐さんがありがたいお話をしてくれるのよ。……でも、まぁ。ありがたい頭してるあんたらには必要ないかもね」
確かに、氷精が賢かったりするとおだててクーラー代わりにする事も出来ないのでありがたくない。
「話聞くだけ? つまんないかも」
白帽子の妖精が口を尖らせた。
「向上心がないわねぇ。行ってみましょうよ。思ってる以上にありがたい事が聞けるかもしれないわ」
のっそりとみかん髪の妖精が身を起こす。
「きのこの育て方とか?」
「はねつきのコツとか?」
「二日酔いのこなし方とか!」
三匹は勝手に盛り上がって、一輪の傍らをすり抜けていってしまった。
「妖精はいつも楽しそうでいいわねぇ」
やれやれ、と一輪は首を振った。
「いいの? 十割がた聖の邪魔になると思うけど」
「妖精だからって説法には来るなってのもね。飽きて出て行ったらよし、いたずらしだしたらその時こそ雲山の出番よ」
一輪は肩をすくめて僧堂を出て行った。意外と口うるさくされることはなかった。聖の手伝いで頭がいっぱいなんだろう。
「あの、ちょっとお話いいですか?」
すると僧堂に残ったお客さんの一人が話しかけてきた。
「はい、何でしょう」
私は起き上がってあぐらをかいた。流石に、お客さんに対して寝転がったままってのは具合が悪い。
「魔法の森の場所を知りたいんです」
*****
女性はルイズと名乗った。
私も名乗った。私は立つ気がなかったので、彼女に畳に座るように促した。彼女は携えていた大きなトラベルバッグを傍らに置いた。
金髪をおさげに、白いラウンドハットを被っている。白いセーラー服に白いロングスカート。穏やかににこにこと目を細めている。穏やかな……と言うよりかは、全体的にふわふわとしていて掴みどころのないという印象を受けた。
苦手な人だ、と思った。
「妹が魔法の森というところに住んでいるみたいで。旅行のついでに会って行こうかと思って」
「場所くらいは知ってますけど……その妹さんの家は知らないですよ」
魔法の森といえば、めっぽう暗くて一日中有害なキノコの胞子が飛び交っている森だ。
特に用事がなければ入ろうとは思わないし、森について詳しい人もそう多くはないだろう。
「まずは森に詳しい人を探さないと。旅行のついでで、アテもなく彷徨うにはちょっと骨が折れる場所だと思います」
「うーん……そうですか。では後回しにしちゃいましょう」
ルイズは手を合わせて、首をかしげて言った。
「ムラサさんは旅などされますか?」
「旅ねぇ……」
考えたこともない。生前ならまだしも……
「この狭い幻想郷で?」
ルイズは笑って頷いた。
「魔界との行き来も比較的簡単になりましたし。それに、狭いと思っていても案外そうでもないものですよ」
まぁ、そうだ。私は頷いた。実際に目で見なければ記憶の中の景色など色あせてしまうものだ。地底にも復活以来行っていない。
命蓮寺の24時間突っ立っている「忙しい方」のご本尊の顔すらもとんとご無沙汰である。まぁ、命蓮寺は広いけども。
「旅行、ねぇ」
そういえば、船長というタイトルを保持しているわりに私の行動範囲はあまり広くない。
生前も、幽霊になってからも旅行をした記憶なんて無い。船を自由に動かせないんだから仕方ないんだけども。
「……あなたは?」
「旅行が趣味なんです。最近はご無沙汰だったんですが。最近旅行が趣味だった事を思い出したんです」
じつにフンワリとした事を言う。
「私もねぇ。7つの海を股にかけて冒険するのが夢だった気がしますよ」
「しないんですか?」
私はルイズに目を向けた。にこにこと変わらずその笑顔。……なんだか、その裏に胡散臭いものが見えた気がした。
「……仕方ないじゃないですか。出来ないんだから」
当然の事。幻想郷は閉ざされた世界だ。この世界に、無限に広がる海は存在しない。
「……そうですか」
そうですか、とルイズは笑顔のままだけど、ちょっと眉を落としたように見えた。……何か、落胆するような事があっただろうか?
「……ムラサさん。ムラサさんの好きなスポットってありますか? 幻想郷でも……そうでなくても」
「んー……? ……命蓮寺、はわりと観光には向いてるんじゃない? 縁日もあるよ。……ありますよ」
「敬語は結構ですよ。何なら呼び捨てでも」
ルイズはくすりと笑みをこぼした。……私は髪をひとつ掻いた。どうも、丁寧な物腰を心がけても、敬語は未だに苦手だった。
「三途の川にはよく行くかな。いつも船があるから」
沈めに。
「三途の川に行く途中の中有の道も賑わってるよ。縁日があって。最近は霧の湖にも行くわね。妖精が多いから」
沈めに。
「命蓮寺とはこの船の事ですよね?」
ルイズはその顎に細い指を当てた。
うん。私は頷く。
聖救出に一役買ったこの船は、普段は地上で命蓮寺として鎮座している。定期運航の日や、事情のある人間が望んだ時だけ聖輦船に姿を変えるのだ。
「……着くのは夕方ですから。命蓮寺に泊まることも出来ますよ」
……と言ったのはただの社交辞令だった。
彼女でなければ進んで宿泊を勧めただろう。と言うか、今までもそうして来た。
何故か、ファーストコンタクトから、彼女の事は苦手なままだった。表情には出さないけど。
……何故だろう。人見知りというわけではない。ぬえじゃあるまいし。
ちなみに、ぬえとナズーリンはサボりだ。
マミゾウはただの居候だし、ナズーリンは門徒ではないので実質サボりはぬえだけといえなくもないけど。
……まぁ、この運航自体ボランティアみたいなものだし。気まぐれな妖怪に同行を強いるのも無理な話だ。
*****
聖輦船が着陸しても、命蓮寺に変形しても、食事を終えても日が沈んでも。サボり組は律儀に全員帰って来なかった。
運航後に宿泊希望者がいるのは毎度の事であるので、少なくとも人見知りの妖怪は明日まで帰ってこないだろう。
あれからかの妖精ズは見ていない。寝ていたので外にポイしたとは一輪曰く。
さて、夕食の片付けも終えて、あとはお風呂に入っておやすみするだけである。私は長風呂なので、一番後。皆が入るまで暇がある。
そんなわけで、熱いお茶を淹れて縁側へ。墓地かどこかで唐傘お化けと戯れてもいいかとも思ったけど、ちょっと疲れている。
……私の出番は聖輦船を離陸させる時と着陸させる時だけだけど。気分。疲れている気分だ。
砂利に素足を下ろす。冷たく足を刺激する感触が気持ちいい。夜風が涼しい。草木は暗く、月が影を落としている。葉が吹かれてさらさらと音を立てる。
月はちょうどいい具合に見上げられる。私はひとつ湯のみをすすった。熱い。感じた熱はしかし、涼しい風に溶けていく。
「ううん、風情」
「趣がありますね」
傍から声がした。見やると、何のことはない。
「ルイズ」
「はい」
にこにこと目を細める顔。お風呂上りなのか、浴衣を着ていて少し上気している。結っていた髪は解かれている。
「ご一緒していいですか?」
「……どうぞ」
ルイズは私の隣に腰掛けた。彼女はふと私の足を見て、ぺたりと足の裏で砂利を触った。
「あ、お風呂入っちゃったんでした」
「……誰も気にしないよ。気になるなら洗ってくればいいわ」
……ちょっと呆れたような声が出た。その笑顔が胡散臭いと思ったけど、何も考えていないだけなんだろうか。
「そうですか? そうだ、一緒に入りませんか?」
「…………は? 熱っ! あっつ!!」
動揺そのままに揺れた湯のみは盛大に熱いお茶を私の愛くるしい膝小僧に吐きかけた。
私は反射的に膝を手で払って、その理不尽な怒りを表現するようにルイズにぶつける。
「何で!?」
「え? ムラサさんとお話したいだけですよ。お食事の時も席が離れていましたし……」
ルイズはちょっと怯んだように肩をすくめた。その仕草に、ちょっと罪悪感を覚えてひとつ咳払い。荒げた声を正した。
「……お話って? 面白いお話なら一輪の方が得意よ」
興味を逸らしたいというだけの悪あがきだった。我ながら、この人の事がここまで苦手なのかと驚いた。
彼女はひとつ首を振って、庭に目を向けた。夜風が吹いて、金髪を揺らした。
……風情のある風景。私が彼女ともう少し親しければ、胸の一つでも高鳴らしただろう。
……私は首を振った。どうも、らしくない事を考えている。
親しいとか親しくないとか、気さくな船幽霊で通っている私には似つかわしくない。ぬえじゃあるまいし。ぬえじゃあるまいし。
そんな事で悶々としていると、
「ムラサさん、海に行きませんか」
私は彼女の顔を見た。
彼女は夜空を見ている。月を見上げている。
「……行けないわよ」
私は呟いた。
私は彼女の横顔を見ている。彼女が何を考えているのか、わからなかった。
「博麗の巫女か、妖怪の賢者にケンカでも売りに行く気?」
博麗大結界。これがあるから妖怪という「非常識」は存在できる。人間に手出しする手段や行動範囲が極めて制限されるものの、これは間違いなく私達を守るものだ。結界の外では、私達は存在できない。
「今は……行けないですが。巫女も、スキマ妖怪にも。到底太刀打ちは出来ません。戦いを挑む気も起きません」
ルイズはこちらに顔を向けた。笑っていなかった。私はたじろいだ。彼女は真剣だった。
「でも……いつか、私は行きたい。無限に広がる海。想像なんて出来ません。どれだけ圧倒的なのか、どれだけ、私は小さな存在なのか……」
綺麗な、澄んだ青い眼が私を射抜いた。
「見てみたい。行きたい。泳いでみたい。いつか……時間はかかっても。いつか……いつか」
そして、ルイズは笑った。
「私は……旅が好きですから」
記憶の中の景色など色あせてしまうもの。
千年前の海の色など、潮騒の音など……覚えているはずがない。
私は愕然とした。あれだけ縛られていた海が……囚われていた海が、もう思い出す術もないだなんて。
「……どうして、私にそんな話を?」
「ムラサさんは、海に憧れを持っている方だと思ったんです。幻想郷には、そういう方はもうあまり残っていません」
「どうして?」
「その……服、です」
ルイズは少し照れた風に言った。
服? 少し考えて、
「ああ」
服か。私は思わず笑みをこぼしてしまった。呆れた。
セーラー服。水夫の甲板衣である。聖輦船の船長だからと何の気なしに着ているものではあるけど。
実際、確かに。まだ海に執着があるのかもしれない。そういえば、ルイズもセーラー服を模した服を着ていた気がする。
「そうだね……じゃあ、行こっか」
「本当ですか! ほんとうに!?」
ルイズは身を乗り出して私の手を取った。唐突なテンションの上がり様に、私は頬をひきつらせてちょっと身を引いた。
「そのうちね! 行けたら……ね」
「はい! それでいいんです」
私の一歩引いた言葉にも、ルイズはとても嬉しそうに体を揺らした。
……私はその無邪気な顔から目を逸らした。
「あー……ごめん。お茶淹れるよ」
その私線の先に湯のみを見つけた。ちょうどいい言い訳を見つけて、私は返事も待たずに立ち上がった。
……赤くなった顔を見られないように。
……やっとわかった。苦手な理由。
この人は聖に似ているんだ。
*****
翌朝。日差しは強い。蝉がうなりを上げている。
「それでは、お世話になりました」
ルイズは帽子を取って一礼。大きなトラベルバッグを持ち上げた。
「ご観光でしたよね。どうぞごゆっくり。お帰りの際でなくとも、またお気軽にお訪ねください」
聖は昨日から宿泊していた一人一人に、律儀に声をかけている。
「ムラサさんも。約束、忘れないでくださいね」
ルイズはにこにこと聖の傍らの私に言った。
約束。とても果たせるとは思えない、ゆるい決めごと。それを約束と言えるのか……とは、私は疑いをさし挟まなかった。
その言葉は確かに、私の胸でふてぶてしく横臥している。
「魔界へのお帰りは是非聖輦船で。お客様のまたのご乗船を心からお待ちしております」
私は敬礼してウインク。して、帽子を目深に被り直した。
「はい。お土産話を持って帰ってきます。また、たくさんお話ししましょう」
「うん。またね。私も約束は果たすから……ルイズも」
ルイズは頷いた。……まだ、無邪気なその笑顔を直視する事は出来そうもない。
ルイズはまっすぐ、私は目を逸らしながら。その約束を口にした。
「行けたら、そのうち」
ふたりとも可愛い。ニルヴァーナが訪れますように
浮かばず沈まず。こういうのもいいですね。
苦手な理由がしっかりと書かれているのもGOOD。説得力がありました。