頬を穏やかで暖かい風がなでる。
周囲の山々を見渡せば桜の花が咲き乱れる。青々とした木々とあいまって、大きな一つの花と錯覚してしまうようである。足元に目を向けてみれば、様々な昆虫が春を待ち構えていたかのように忙しなく動き回っている。
そんな生き物や植物たちが活気づく季節をかみ締めるかのように、妖怪の賢者である八雲紫は、ゆっくりとした歩調で階段を上り、周囲を見ていた。
一段、また一段と上っていき、ふと視線を見上げてみれば、見慣れた鳥居が見えてくる。普段は境内へスキマから直接行っていたため、下から見るそれは彼女の目に新鮮に映った。
見慣れた参道は薄い桃色に敷き詰められ、その道を紫は先ほどまでと変わらぬ調子で歩き続けていく。そして、本殿の前に立ち、彼女は賽銭箱の前へ一升瓶を置いた。彼女自身に信仰心はないためか、ただ本殿のほうを見つめているだけで、特に何もすることはなかった。
「神社に賽銭が入るとは、明日は異変でも起きるのかな」
先ほどまで歩いていた参道の方を振り返ってみると、そこには鬼である伊吹萃香がいた。酒入りの瓢箪を片手に、生まれたての小鹿のような足取りで紫のところへ歩いてくる。
近づいてくるにつれ、彼女の顔がはっきりと見えてくる。桜のようなほんのりとした色ではなく薔薇のように染まった頬、睡眠不足ではないのかと思うほど半開きの目、近づくほどに純度の上がるアルコールの匂い。完全に酔っ払いのそれであった。 酒の権化となっている萃香に対し、紫は眉をひそめながら彼女へ言葉を投げかける。
「桜に惹かれて、神社でお花見なのかしら」
「いやぁ、酒さえあればどこでも飲めるよ」
「完全に酔っ払いの台詞ね。たまには素面に戻ってみるのもいいのでは?」
「素面に戻るとしても、数年はかかるんじゃないのかねぇ。私はそんなに禁酒できないさ」
先ほどまでの酒の権化という考えは失せてしまっていた。その代わりに出てきたのが、酔っ払いもここまで来るとある意味清々しいものだ。そんな、ある種の尊敬の念を抱いていた。
「そう。で、あなたはいったい何をしていたのかしら?」
「あなたが言っていたように酔いを醒まそうとしていたのさ。手っ取り早く手水場で顔を洗ってみたんだが、やっぱりすぐに酒は抜けないねぇ」
「罰当たりね。彼女に叱られるわよ」
「そうだねぇ……で、彼女のほうへ行くのかい?」
「ええ、色々と話もありますし」
「そう、じゃあ私はもう少し花見をしているわ。後からそっちのほうへ向かうね」
それが終わりの合図と見たのか、紫は再び本殿のほうへと向き直した。そんな後ろ姿を見て、ここにいないほうが良いと思ったのか、単に興味がなくなったのか、萃香はふらふらとした足取りで桜並木の元へ歩き始めていった。
しばらく本殿に向き合った後、紫は博霊神社の居間へと足を運んでいた。
居間はコタツが申し訳なさそうに部屋の中央に置かれているだけで、ひどく殺風景な佇まいである。博霊の巫女一人が暮らすには十分な広さがあるが、いかんせん面白みがない。
そんな殺風景な部屋の中に紫は座り、相手が来るのを待っていた。コタツの上には二人分の湯呑みが置かれている。一つは紫の前に、もう一つは向かい合った人のために置かれていた。だが、湯呑みの主が帰ってきていないため、紫は湯呑みとふすまを見つめるしかなかった。
誰も話すこともなく、淡々と時間が流れ続けていく。縁側に目を向けてみると、先ほどまで歩いてきた山々が見える。桜の木々の下から見た風景とはまた違う風景が一面の山に広がり、薄い桃色の絨毯を敷き詰めたような景色となっている。
紫はそんな景色を見て、ふと本心がこぼれた。
「桜、綺麗ね。私の家の周りでもこんな風に咲けばいいのに」
「あなたのところならば、いつでも咲かせることができるでしょう?」
いつの間にか、話し相手がコタツに足を入れていた。しかし、そのことを気にせず、話は続いていった。
「いえいえ、長く生きていても私は万能ではないですわ。それに、咲かせることより自然のまま咲き、そして散っていくのが好きなのよ」
「そんなもかしら。私は過ぎていく季節をただ見ているだけね。毎日来る妖怪の相手をしているうち、季節なんてすぐに過ぎてしまうわ」
その言葉は紫にとって以外だった。境内の掃除をするか、縁側でお茶を飲んでいるイメージしかないため、ゆっくりと時間が流れているのではないかと想像していたからだ。
「そうなの? ならばもっとゆっくりと歩きなさい。人間の生はとても短いのですから、日々の小さな変化に目を向けてみることも重要よ」
「ご忠告どうも。それにしても、紫がここに来るのは久しぶりね。最後に来たのはいつだったかしら」
それを聞いて紫は、自分が長い間ここに来ていなかったことを思い出した。最後に来たのはいつだろうか。記憶の中にあるのは、暑い夏が終わり、この家の縁側から見える山々が少しずつ黄色や赤に色づき始めてきた頃だろうか。なぜだか記憶があいまいになっている。
そのことを彼女に伝えると、彼女はあきれたような声で歳じゃないのかしら、と言ってくる。
紫の顔にはそんなことはない、私はまだまだ少女です、ということがありありと描かれていた。
「それで、今日は何をしに来たの」
「用がなくてはこちらに来てはいけないのかしら?」
「そういうことはないけれど……あなたが来ると厄介事に巻き込まれているからね」
「心外ですわ。いつだって私はあなたのためを思っているというのに」
「ならば帰ってちょうだい。厄介事がなくなるのが私にとって一番だから。私はあなたとはあまり会いたくないの」
彼女にとって最後の一言は何気なく言ったこと。のはずである。だが、その一言を発せられた直後、一瞬だけであったが、紫の湯呑みに添えていた手に力が入った。
発せられた言葉に対し紫の表情には変化はなかった。だが、次第に偽りが九割を占めているのではないか、と思わせる滴を目から落とし始めた。
「ひどいわ、そんな風に思っていたなんて」
「そんな風に泣くのなら大丈夫ね。早く帰って」
「いえいえ、私は帰りませんわ。あなたに用がありますの」
「ならば早めに済ませてくれる? 私はそんなに気長ではないから」
「いえいえ、ゆっくりと楽しみましょう。時は過ぎ行くけれども、あなたと一緒にいられるだけで私は幸せですもの」
そんな風に微笑みながら紫は彼女の言葉を受け流し、湯呑みのお茶を口に含む。お茶と言うよりもお湯に近いような色彩だが、お茶の味はしっかりと主張されている。
「このお茶も初めて見たときはびっくりしたわ。まるでこの神社の賽銭箱を表わしているかのようでしたもの」
「そう、あなたはつまみ出されたいのね」
「いえいえ、褒め言葉ですわ。今ではあなたのお茶が飲めないことはとても辛いこと。あなたのお茶なしでは生きていけないの」
「よくもまぁ、そこまで胡散臭い台詞を……早く本題に入って帰ってくれないかしら。私にはやることがあるの」
「そう、では本題に入りましょうか。あなたは異変を解決し続けてきたけれど、異変に対してはどう思っていたのかしら?」
彼女にとって、紫の問いは意外だったようだ。
新たな異変が出てきたので解決してほしい。異変ではないにしろ、何らかの厄介ごとを持ち込んできたのではないか。そんな考えが彼女の中にはあったのではないかと推測できるほど、拍子抜けした返事が返ってきた。
「それが本題? ……まぁ、私は単にめんどくさいと思ってはいたわね」
「それだけ?」
「それだけよ。巫女としての職務を全うしただけ。それ以外に何もなかったわ」
「そう……」
再び部屋に静けさが訪れた。紫は湯呑みに残った最後のお茶を静かに飲み干す。湯呑みの中では、茶葉が申し訳なそうに残されている。相変わらず、向かいにある湯呑みの主は帰ってこない。
「でも、異変の後に行われていた宴会は悪くなかったでしょう?」
「異変と宴会は、あまり関係がないんじゃない? あなた達はいつだって宴会日和でしょう。何かと理由をつけ、酒を飲み、いつまでも騒ぎ続ける。宴会自体は悪くはなかったけれど、ここでやるのはどうかと思っていたのよ」
「いいじゃないの。異変を通してめぐり合い、酒を飲み交わすことができたのですから」
「妖怪が神社で宴会というのはどうかと思うけれどね……」
話の中身が見えてこないためか、ただの世間話と感じているためか。最初こそ淡々としていた彼女は、次第に語気を強めてきた。
「本題が終わっているのなら、帰ってくれないかしら」
「いえいえ、もう一つありますわ」
「ならばそれも早く済ませて。私はやらなければならないことがあるの」
「手短に済ませますわ」
微笑みを崩さずに話してきた紫であったが、わずかながら顔に憂いの色がさしていた。そして、静かに本題を語り始めた。
「私の家に来ない?」
居間に沈黙が下りる。ほんの少しの間だったが、彼女は表情は固まっていた。
「……え? ごめん、ちょっと言っている意味がわからないわ」
明らかな動揺。しかし、紫は気にすることなく話を続ける。
「ここを離れて私の家で暮らさない? ということよ」
「いや、だから何であなたの家で暮らさなければならないのよ。大体、神社の管理や異変はどうするの」
「神社の管理は任せて。異変も魔理沙や守矢の巫女が解決してくれるでしょう。もし行きたいのであれば、私のスキマを通して解決しに行けばいいですし」
「紫……あなたは自分が何を言っているのか、わかっているのかしら」
最初こそ動揺していたものの、話の内容を理解していくうちに再び彼女の語気が強くなってくる。
明らかに不満の声を漏らしている彼女に対し、紫の表情が少しずつ曇りがちになる。それを隠すため、必死に微笑みを崩さぬようにしていたが、ぎこちない微笑みとなってしまっていた。
「私はあなたと共に暮らしたい。宴会の時や、時折ここに来てあなたに話すだけではなく、ずっとあなたといたい」
「私は誰かと一緒に暮らすつもりはないし、ましてやここを離れる気はないわ」
「何で来てくれないの、私はこんなにもあなたを思っているのに……」
願いが届かぬと思ったのか、ポツリとその言葉が洩れた瞬間、彼女の怒りは頂点に達した。
「いい加減にして! 何であなたの勝手な思いで、私があなたの家で暮らさなければならないの? 来ようと思うならあなたはいつだって来られるじゃない。私はあなたのようにどこへでも自由に行けるわけではない。それに、私はここにいたい! 人間が来ず、参拝をしない妖怪が来るだけでもいい。 それでも、私はこの神社に居続けたい!」
彼女の言葉に対し、紫は声を張り上げる。
「霊夢! 私はあなたのそばにいたい! だから……お願い……少しの間だけでもいい、私の家に――」
「紫!」
必死の願いをしている紫に、縁側のほうから声がした。紫が声の元へ顔を向けてみると、先ほど本殿の前で会った萃香の姿があった。
萃香の顔を見る紫の瞳には溢れ、頬には幾重にもの涙が零れ落ちた跡があった。
博霊神社の居間。主の帰らぬまま冷め切った湯呑みを前に、八雲紫と伊吹萃香の二人が座っている。
先ほどまで泣き叫んでいた紫は落ち着きを取り戻していたものの、表情は暗く沈んだままである。
「びっくりしたよ、居間であなたが泣いているんだもの」
萃香の話によると、花見をした後に紫のいる居間へ向かったところ、先ほどの場面に遭遇してしまったそうだ。
「普段やらないことをいきなりするから、混乱するんだよ」
「そうね……ごめんなさい……」
半ば呆れ顔の萃香であるが、紫と同じように表情に影がさしている。それを隠しているのか、持ち前の性格というべきか、注意深く見なければ気づけないほど快活に話をしている。
「神社にお供え物をしたり、私らしくないことを言ってしまったり。まったく、何をやっているのかしらね」
「いいんじゃないの? たまに違うことをしたからって、罰が当たるものでもないし」
「でも、これでよかったのよね」
「それはあなたが決めることよ。彼女に対してではなく、自分自身がそうしたいと思ったのでしょう? なら、後悔はしないこと。長く生きていれば自分のところにあり続けることは無い。いつか来ることはわかっていたでしょう? でも、それを忘れないために自分のところだけに留めるのはエゴでしかない。振り返ってもいい、でも自分のところに留めてしまうと、他の人が思い出すことができなくなるかもしれない。ならば、ここで過ごしたほうが彼女にとってよっぽどいいんじゃないの?」
まさか酔っ払いである友人に諭されるとは思っていなかったのだろうか。もしくは心配されるほど自分の顔はひどかったのか、と紫が考えをめぐらせていると、萃香がさらに付け加えた。
「それに、そんな顔の紫なんて私は好きではないわ。もっとつかみどころのない、本心が見えず、相手を困らせて楽しむことが好きな紫がいいのよ」
「言ってくれるわね……」
萃香の冗談に、思わず笑みがこぼれる。
縁側から見える薄い桃色の絨毯から温かな風が流れる。しばらくすれば、新しい季節が来るのだろう。
これでいいんだ……
「紫……もう、大丈夫?」
「ええ、ありがとう。もう……もう、大丈夫よ」
冷め切った湯呑みの後ろにある襖。その隙間から彼女、博霊霊夢が存在していた証である骨壷が静かに少女たちの声を聞いていた。
別れ際 あなたの背中を 追いかける 届かぬ願いと 知りつつも
周囲の山々を見渡せば桜の花が咲き乱れる。青々とした木々とあいまって、大きな一つの花と錯覚してしまうようである。足元に目を向けてみれば、様々な昆虫が春を待ち構えていたかのように忙しなく動き回っている。
そんな生き物や植物たちが活気づく季節をかみ締めるかのように、妖怪の賢者である八雲紫は、ゆっくりとした歩調で階段を上り、周囲を見ていた。
一段、また一段と上っていき、ふと視線を見上げてみれば、見慣れた鳥居が見えてくる。普段は境内へスキマから直接行っていたため、下から見るそれは彼女の目に新鮮に映った。
見慣れた参道は薄い桃色に敷き詰められ、その道を紫は先ほどまでと変わらぬ調子で歩き続けていく。そして、本殿の前に立ち、彼女は賽銭箱の前へ一升瓶を置いた。彼女自身に信仰心はないためか、ただ本殿のほうを見つめているだけで、特に何もすることはなかった。
「神社に賽銭が入るとは、明日は異変でも起きるのかな」
先ほどまで歩いていた参道の方を振り返ってみると、そこには鬼である伊吹萃香がいた。酒入りの瓢箪を片手に、生まれたての小鹿のような足取りで紫のところへ歩いてくる。
近づいてくるにつれ、彼女の顔がはっきりと見えてくる。桜のようなほんのりとした色ではなく薔薇のように染まった頬、睡眠不足ではないのかと思うほど半開きの目、近づくほどに純度の上がるアルコールの匂い。完全に酔っ払いのそれであった。 酒の権化となっている萃香に対し、紫は眉をひそめながら彼女へ言葉を投げかける。
「桜に惹かれて、神社でお花見なのかしら」
「いやぁ、酒さえあればどこでも飲めるよ」
「完全に酔っ払いの台詞ね。たまには素面に戻ってみるのもいいのでは?」
「素面に戻るとしても、数年はかかるんじゃないのかねぇ。私はそんなに禁酒できないさ」
先ほどまでの酒の権化という考えは失せてしまっていた。その代わりに出てきたのが、酔っ払いもここまで来るとある意味清々しいものだ。そんな、ある種の尊敬の念を抱いていた。
「そう。で、あなたはいったい何をしていたのかしら?」
「あなたが言っていたように酔いを醒まそうとしていたのさ。手っ取り早く手水場で顔を洗ってみたんだが、やっぱりすぐに酒は抜けないねぇ」
「罰当たりね。彼女に叱られるわよ」
「そうだねぇ……で、彼女のほうへ行くのかい?」
「ええ、色々と話もありますし」
「そう、じゃあ私はもう少し花見をしているわ。後からそっちのほうへ向かうね」
それが終わりの合図と見たのか、紫は再び本殿のほうへと向き直した。そんな後ろ姿を見て、ここにいないほうが良いと思ったのか、単に興味がなくなったのか、萃香はふらふらとした足取りで桜並木の元へ歩き始めていった。
しばらく本殿に向き合った後、紫は博霊神社の居間へと足を運んでいた。
居間はコタツが申し訳なさそうに部屋の中央に置かれているだけで、ひどく殺風景な佇まいである。博霊の巫女一人が暮らすには十分な広さがあるが、いかんせん面白みがない。
そんな殺風景な部屋の中に紫は座り、相手が来るのを待っていた。コタツの上には二人分の湯呑みが置かれている。一つは紫の前に、もう一つは向かい合った人のために置かれていた。だが、湯呑みの主が帰ってきていないため、紫は湯呑みとふすまを見つめるしかなかった。
誰も話すこともなく、淡々と時間が流れ続けていく。縁側に目を向けてみると、先ほどまで歩いてきた山々が見える。桜の木々の下から見た風景とはまた違う風景が一面の山に広がり、薄い桃色の絨毯を敷き詰めたような景色となっている。
紫はそんな景色を見て、ふと本心がこぼれた。
「桜、綺麗ね。私の家の周りでもこんな風に咲けばいいのに」
「あなたのところならば、いつでも咲かせることができるでしょう?」
いつの間にか、話し相手がコタツに足を入れていた。しかし、そのことを気にせず、話は続いていった。
「いえいえ、長く生きていても私は万能ではないですわ。それに、咲かせることより自然のまま咲き、そして散っていくのが好きなのよ」
「そんなもかしら。私は過ぎていく季節をただ見ているだけね。毎日来る妖怪の相手をしているうち、季節なんてすぐに過ぎてしまうわ」
その言葉は紫にとって以外だった。境内の掃除をするか、縁側でお茶を飲んでいるイメージしかないため、ゆっくりと時間が流れているのではないかと想像していたからだ。
「そうなの? ならばもっとゆっくりと歩きなさい。人間の生はとても短いのですから、日々の小さな変化に目を向けてみることも重要よ」
「ご忠告どうも。それにしても、紫がここに来るのは久しぶりね。最後に来たのはいつだったかしら」
それを聞いて紫は、自分が長い間ここに来ていなかったことを思い出した。最後に来たのはいつだろうか。記憶の中にあるのは、暑い夏が終わり、この家の縁側から見える山々が少しずつ黄色や赤に色づき始めてきた頃だろうか。なぜだか記憶があいまいになっている。
そのことを彼女に伝えると、彼女はあきれたような声で歳じゃないのかしら、と言ってくる。
紫の顔にはそんなことはない、私はまだまだ少女です、ということがありありと描かれていた。
「それで、今日は何をしに来たの」
「用がなくてはこちらに来てはいけないのかしら?」
「そういうことはないけれど……あなたが来ると厄介事に巻き込まれているからね」
「心外ですわ。いつだって私はあなたのためを思っているというのに」
「ならば帰ってちょうだい。厄介事がなくなるのが私にとって一番だから。私はあなたとはあまり会いたくないの」
彼女にとって最後の一言は何気なく言ったこと。のはずである。だが、その一言を発せられた直後、一瞬だけであったが、紫の湯呑みに添えていた手に力が入った。
発せられた言葉に対し紫の表情には変化はなかった。だが、次第に偽りが九割を占めているのではないか、と思わせる滴を目から落とし始めた。
「ひどいわ、そんな風に思っていたなんて」
「そんな風に泣くのなら大丈夫ね。早く帰って」
「いえいえ、私は帰りませんわ。あなたに用がありますの」
「ならば早めに済ませてくれる? 私はそんなに気長ではないから」
「いえいえ、ゆっくりと楽しみましょう。時は過ぎ行くけれども、あなたと一緒にいられるだけで私は幸せですもの」
そんな風に微笑みながら紫は彼女の言葉を受け流し、湯呑みのお茶を口に含む。お茶と言うよりもお湯に近いような色彩だが、お茶の味はしっかりと主張されている。
「このお茶も初めて見たときはびっくりしたわ。まるでこの神社の賽銭箱を表わしているかのようでしたもの」
「そう、あなたはつまみ出されたいのね」
「いえいえ、褒め言葉ですわ。今ではあなたのお茶が飲めないことはとても辛いこと。あなたのお茶なしでは生きていけないの」
「よくもまぁ、そこまで胡散臭い台詞を……早く本題に入って帰ってくれないかしら。私にはやることがあるの」
「そう、では本題に入りましょうか。あなたは異変を解決し続けてきたけれど、異変に対してはどう思っていたのかしら?」
彼女にとって、紫の問いは意外だったようだ。
新たな異変が出てきたので解決してほしい。異変ではないにしろ、何らかの厄介ごとを持ち込んできたのではないか。そんな考えが彼女の中にはあったのではないかと推測できるほど、拍子抜けした返事が返ってきた。
「それが本題? ……まぁ、私は単にめんどくさいと思ってはいたわね」
「それだけ?」
「それだけよ。巫女としての職務を全うしただけ。それ以外に何もなかったわ」
「そう……」
再び部屋に静けさが訪れた。紫は湯呑みに残った最後のお茶を静かに飲み干す。湯呑みの中では、茶葉が申し訳なそうに残されている。相変わらず、向かいにある湯呑みの主は帰ってこない。
「でも、異変の後に行われていた宴会は悪くなかったでしょう?」
「異変と宴会は、あまり関係がないんじゃない? あなた達はいつだって宴会日和でしょう。何かと理由をつけ、酒を飲み、いつまでも騒ぎ続ける。宴会自体は悪くはなかったけれど、ここでやるのはどうかと思っていたのよ」
「いいじゃないの。異変を通してめぐり合い、酒を飲み交わすことができたのですから」
「妖怪が神社で宴会というのはどうかと思うけれどね……」
話の中身が見えてこないためか、ただの世間話と感じているためか。最初こそ淡々としていた彼女は、次第に語気を強めてきた。
「本題が終わっているのなら、帰ってくれないかしら」
「いえいえ、もう一つありますわ」
「ならばそれも早く済ませて。私はやらなければならないことがあるの」
「手短に済ませますわ」
微笑みを崩さずに話してきた紫であったが、わずかながら顔に憂いの色がさしていた。そして、静かに本題を語り始めた。
「私の家に来ない?」
居間に沈黙が下りる。ほんの少しの間だったが、彼女は表情は固まっていた。
「……え? ごめん、ちょっと言っている意味がわからないわ」
明らかな動揺。しかし、紫は気にすることなく話を続ける。
「ここを離れて私の家で暮らさない? ということよ」
「いや、だから何であなたの家で暮らさなければならないのよ。大体、神社の管理や異変はどうするの」
「神社の管理は任せて。異変も魔理沙や守矢の巫女が解決してくれるでしょう。もし行きたいのであれば、私のスキマを通して解決しに行けばいいですし」
「紫……あなたは自分が何を言っているのか、わかっているのかしら」
最初こそ動揺していたものの、話の内容を理解していくうちに再び彼女の語気が強くなってくる。
明らかに不満の声を漏らしている彼女に対し、紫の表情が少しずつ曇りがちになる。それを隠すため、必死に微笑みを崩さぬようにしていたが、ぎこちない微笑みとなってしまっていた。
「私はあなたと共に暮らしたい。宴会の時や、時折ここに来てあなたに話すだけではなく、ずっとあなたといたい」
「私は誰かと一緒に暮らすつもりはないし、ましてやここを離れる気はないわ」
「何で来てくれないの、私はこんなにもあなたを思っているのに……」
願いが届かぬと思ったのか、ポツリとその言葉が洩れた瞬間、彼女の怒りは頂点に達した。
「いい加減にして! 何であなたの勝手な思いで、私があなたの家で暮らさなければならないの? 来ようと思うならあなたはいつだって来られるじゃない。私はあなたのようにどこへでも自由に行けるわけではない。それに、私はここにいたい! 人間が来ず、参拝をしない妖怪が来るだけでもいい。 それでも、私はこの神社に居続けたい!」
彼女の言葉に対し、紫は声を張り上げる。
「霊夢! 私はあなたのそばにいたい! だから……お願い……少しの間だけでもいい、私の家に――」
「紫!」
必死の願いをしている紫に、縁側のほうから声がした。紫が声の元へ顔を向けてみると、先ほど本殿の前で会った萃香の姿があった。
萃香の顔を見る紫の瞳には溢れ、頬には幾重にもの涙が零れ落ちた跡があった。
博霊神社の居間。主の帰らぬまま冷め切った湯呑みを前に、八雲紫と伊吹萃香の二人が座っている。
先ほどまで泣き叫んでいた紫は落ち着きを取り戻していたものの、表情は暗く沈んだままである。
「びっくりしたよ、居間であなたが泣いているんだもの」
萃香の話によると、花見をした後に紫のいる居間へ向かったところ、先ほどの場面に遭遇してしまったそうだ。
「普段やらないことをいきなりするから、混乱するんだよ」
「そうね……ごめんなさい……」
半ば呆れ顔の萃香であるが、紫と同じように表情に影がさしている。それを隠しているのか、持ち前の性格というべきか、注意深く見なければ気づけないほど快活に話をしている。
「神社にお供え物をしたり、私らしくないことを言ってしまったり。まったく、何をやっているのかしらね」
「いいんじゃないの? たまに違うことをしたからって、罰が当たるものでもないし」
「でも、これでよかったのよね」
「それはあなたが決めることよ。彼女に対してではなく、自分自身がそうしたいと思ったのでしょう? なら、後悔はしないこと。長く生きていれば自分のところにあり続けることは無い。いつか来ることはわかっていたでしょう? でも、それを忘れないために自分のところだけに留めるのはエゴでしかない。振り返ってもいい、でも自分のところに留めてしまうと、他の人が思い出すことができなくなるかもしれない。ならば、ここで過ごしたほうが彼女にとってよっぽどいいんじゃないの?」
まさか酔っ払いである友人に諭されるとは思っていなかったのだろうか。もしくは心配されるほど自分の顔はひどかったのか、と紫が考えをめぐらせていると、萃香がさらに付け加えた。
「それに、そんな顔の紫なんて私は好きではないわ。もっとつかみどころのない、本心が見えず、相手を困らせて楽しむことが好きな紫がいいのよ」
「言ってくれるわね……」
萃香の冗談に、思わず笑みがこぼれる。
縁側から見える薄い桃色の絨毯から温かな風が流れる。しばらくすれば、新しい季節が来るのだろう。
これでいいんだ……
「紫……もう、大丈夫?」
「ええ、ありがとう。もう……もう、大丈夫よ」
冷め切った湯呑みの後ろにある襖。その隙間から彼女、博霊霊夢が存在していた証である骨壷が静かに少女たちの声を聞いていた。
これは三日前に要求したお茶の入れ直しと見てよろしいのでしょうか。
自分の勘違いかも知れませんが、もしそうであるのなら、改めて「ご馳走さま」と言わせて頂きます。
ご感想ありがとうございます。お楽しみいただけたようでして、幸いです。
私の理解不足でして、三日前に要求したお茶の入れ直しについて、詳しく教えていただけますでしょうか。
萃香の言葉遣いに違和感が。
何て言うんだろう?鬼(ついでに酔っ払い)なのに、豪放さが感じられないというか少女過ぎる。
一部セリフを引用して、「いいんじゃないかな」「紫がいいんだよ」みたいな感じがよろしいかと思います。
良い話なので、その辺を修正すればもっとらしくなるかと思います。
では失礼いたしました。
素晴らしかったです
つまりどういうことだってばよ...
私の理解力不足なんですかね
霊夢は死んでたのにどうして喋ってたのか...
どうみてもAyatameさん本人に思えるのだけど、どうなんだろうか。
ここまでそっくりなタイトル(と中身?)だからなあ。
「仕方ねえな。手本ってもんを見してやんよ」と奮起した別人という可能性もあるか。
本編の感想としては、いまひとつといったところ。よほど上手いことやんないと、今更寿命ネタで感動なんてできないよ。
文句なしに100点入れられる作品お待ちしてます。
感想ありがとうございます。
萃香についてのアドバイスですが、色々と修正してみます
奇声を発する程度の能力
感想ありがとうございます
お楽しみいただけましたら、幸いです。
名前が無い程度の能力(番号:10)様
補足ありがとうございます。
確かに霊夢の部分があいまいでした・・・
補完できるようにしてみます。
名前が無い程度の能力(番号:11)様
ご感想ありがとうございます。
Ayatameさんではありませんね。私自身、Ayatameさんを存じ上げていません・・・
確かに寿命ネタは手垢がかなりついていますね・・・
次の作品も頑張ります。
ご感想をくださった皆々様。本当にありがとうございました。
m(_ _)m
紫の感情がちょっといきなり昂りすぎかなと。もう少しじわじわと来ていればより話に説得力があったと思います。
あといまさらですが ×紫にとって以外だった。 ○意外