最近、パチュリーが変だ。
事の始まりは二週間ほど前である。いつものように、私はパチュリーの図書館に不法侵――訪れた。勿論、目的は大図書館の中にある貴重な本を盗――借りることである。私はその事について罪悪感など覚えていないので、悪びれるつもりなど全くなかった。いつも通り適当な本を見繕い、そろーり、そろーりと足音を盗んで、出口へ向かう。あと少し、あと少し――。と、そこで、目の前に人影が現れた。
「あら、魔理沙」
「げえっ、パチュリー」
見つかり、咄嗟に八卦炉を構える。弾幕勝負を受ける準備はいつでも出来ていた。
が、しかし。私の予想は見事に外れることとなった。
「今日も本を持ってくの?」
「ああ。まあ、死ぬまで借りるだけだから気にしなくてもいいぜ」
「そ。それならついでに、お茶していかない? 暑い中紅魔館まで来て、疲れてるでしょ」
「……は?」
「さ、こっち来て」
「え、ちょ、パチュリー」
パチュリーは、私が本を借りていくことを咎めるどころか、咲夜を呼んで紅茶とクッキーを私に振る舞った。始めは中に何か仕込んでるんじゃないか、と疑っていたが、至って普通の紅茶とクッキーである。夏の空を飛んできたために喉が渇いていた私は、差し出された紅茶を三杯ほどおかわりして、はぁっ、と溜息を吐いた。すると、パチュリーが私に話しかけてきた。
「ねえ、魔理沙」
「ん」
「図書館の本の事だけど」
「その事なら、私は自分の主張を曲げるつもりはないぜ」
「ええ。だから、ちゃんと手続きを踏んで本を借りて行くのは、貴女の気が向いたらで良いわ」
「……え?」
思わず、手に持っていたカップを取り落してしまった。中に入っていた紅茶がテーブルの上に染みを作る。
「あらあら。小悪魔」
「はい。新しいテーブルクロスをお持ちしますね」
「ご、ごめん」
「いいのよ。……あなたは頑固だからね。私が言っても聞かないんだから」
ふふっ、と、パチュリーが微笑む。誰だコイツは。これまでに感じたことが無い程の、強烈な違和感。しかし、それは普段から私がこいつを怒らせてばかりいたから、今までこんな一面を見ることが無かっただけなのではないだろうか。私はそう結論付けて、強引に自分を納得させた。
「それじゃ、帰るぜ。……念のために言っておくが、本は死ぬまで借りてくからな」
「まったく。……それじゃ、またね」
パチュリーは、微笑みを最後まで崩さなかった。大図書館の出口から飛び立っていく私の姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振りながら、私を見送った。
それ以来である。何時、どんな時に大図書館を訪れようとも、パチュリーは微笑みを崩さず私を迎えた。いくら本を持って行っても、どれだけ紅茶を要求しても、文句ひとつ言わない。あまつさえ、この間本を借りに行ったときなどは、『今回は私が本を選んであげるわ』などという提案をされた為に、危うく腰が抜けるところであった。以前のパチュリーとは、まるで別人である。私が知っているパチュリーは、いつも仏頂面で、不機嫌そうで、むきゅむきゅ言っていて、本にしか興味がなくて――。そんなパチュリーを、私はとても好んでいた。
しかし、パチュリーは変わった。変わってしまったのである。やさしいパチュリー。いつも微笑んでいて、機嫌がよさそうで、むっきゅんむっきゅん言っていて、何にでも興味を示して――。友人として、文句のつけようがない立ち振る舞いである。本来ならば、喜ぶべき出来事なのだろうが――しかし私は、あの日覚えた強烈な違和感を、未だ拭えずにいた。
あの日。パチュリーがいきなり変わった日の前日までは、以前の『いつも通り』のパチュリーがそこに居たのだ。しかし、あの日。今の『いつも通り』のパチュリーがそこに居た。どう考えても、おかしい。変化を拒み、捨虫の法を行使した魔法使いが、そんな急激に変わるものだろうか。現に、アリスは全く変わっていない。飽きもせずに毎日人形を弄りまわしている。パチュリーは、そんなアリスよりもずっと、変化を嫌っているように見えたのだ。少なくとも、私にとっては。
ここ数日、私はずっと、その事について悩んでいた。ただの思い過ごしなら良いのだが。思案に思案を重ねながら、今日も紅魔館へ向かった。もちろん目的が変わることは無いが。いつも通り門前に着地すると、珍しく起きている門番の横に、見慣れた日傘と共に、小さな人影を見つけた。
「あれ、レミリア。こんないい天気の日に外出してるなんて珍しいな」
「敢えて宿敵に立ち向かうことで、私のカリスマは最高潮まで高まるのよ。嗚呼、素晴らしき哉、我が青春」
「……漫画の読み過ぎだ」
どうやら大図書館に少量だけ置いてある外界の漫画に影響されたらしく、宿敵である太陽に謎のライバル心を抱いている。お前吸血鬼なんだから主人公ポジションは似合わんだろ、と内心で思いながらも、私は最近のパチュリーについてレミリアと話してみることにした。
「なあ、レミリア。最近のパチュリー、どう思う?」
「パチェ? なんだか愛想が良くなったわよね」
「そう、それ。私としてはなんだか落ち着かなくてしょうがないんだ。あのヒッキ―魔法使いのパチュリーはどこへ」
「あんたも大概ひどいわね。まあ、貴女が来たときには、特別機嫌がよさそうな顔をしているわ」
「そうなのか? うーむ、余計に分からん……」
「難しく考えず、普通に接すればいいんじゃないの? ついでに図書館利用の態度も改善しておけば?」
「それは意地でも曲げない。……まあ、そうだな。難しく考えなくても、その内飽きて元に戻るに決まってるよな」
「……そうね。じゃあ、私は散歩に行ってくるから。咲夜」
「はい、お嬢様」
「今日こそ、あの忌まわしき太陽を打ち砕くのよ! さあ、出発しんこー!」
「この咲夜めは何処までもお供しますわ」
「……このアホ主従め」
こちらが珍しく真面目な話をしているというのに、緊張感のない奴らめ。私は一つ溜息を吐いて、大図書館へ向かうことにした。
「それじゃ、図書館に行ってくるぜ」
「あんたも大概懲りないわねえ。ま、せいぜいパチェと仲良くしなさいな」
「へいへい、じゃあな」
「ええ」
適当に軽口を交わして、擦れ違う。レミリアの楽しそうな声が、いやに耳に付いた。
「……まあ、ああいうときのパチェが、本当は一番恐ろしいんだがな」
――其の呟きは、風に掻き消され。
――誰の耳にも届かなかった。
それから更に二週間ほどが経ち、私は、今の『いつも通り』のパチュリーに対する違和感を、多少は払拭することが出来ていた。それと同時に、今のパチュリーに対して覚えていた遠慮も、大分薄まってきた。図書館を、前以上に散らかすようになった。本を、乱暴に扱うようになった。それでも、パチュリーは何も言わない。ただ微笑んで、偶に思い出したかのように優しく注意をするだけであった。
そんな現状に、私は甘えていたのかもしれない。
ある時、大図書館に行くと、パチュリーが研究をしていた。『賢者の石』についての研究である。話を聞くところによると、この研究を完成させれば、自分の持つ魔力の何倍もの出力を叩き出すことが出来るらしい。ここ数十年ほど、その研究に没頭しているのも頷けるだろう。
一心不乱に研究に打ち込むパチュリーを見て、――私の心の中に、些細な悪戯心が生まれた。パチュリーをびっくりさせてやろう。ただ、それだけの動機で。私は、研究をしているパチュリーに後ろから近付いて、――賢者の石を、掴んだ。
「へへっ、ちょっと見せてくれよ」
「!?……ッ魔理沙! 貴方――」
それは、偶然だった。無理やり掴んだ賢者の石は、丸っこくて、すべすべしていて、持ちにくくて。
手が、滑った。
その結果。――パチュリーの研究の結晶である賢者の石は、地面に落ちて。
――あまりにあっさりと、割れた。
「あ……」
「…………」
「ご、ごめ……」
私は、何も言葉を発することが出来なくて。パチュリーは、粉々に砕けた賢者の石を、目を見開いて眺めながら、先程から微動だにしていない。あまりにも痛い沈黙が、場を支配する。私は居たたまれなくなって、粉々に砕けた賢者の石を拾おうとした。その手を、パチュリーの手が掴んだ。
「いいのよ、魔理沙。こんなものは何度でも作れるんだから」
「え……でも……」
「いいの。それよりも、指を怪我しているじゃない。早く手当しないと。包帯を取ってくるわね」
パチュリーはあくまで、微笑んでいる。やさしいパチュリー。微笑みは、優しさに満ち溢れている。だけれど、何処か、歪。そんな印象を抱いた。
私は、パチュリーが出て行ったあとの大図書館で、呆然と佇んでいた。唯、何かをしなくては、と思い。粉々に砕けた賢者の石の近くに行った。――そこで、パチュリーの研究机の上にある、紫の本に目が行った。研究ノートというには、あまりに毒々しく。何故か私は、賢者の石ではなく、その紫の本を手に取った。まるで毒に侵されているがごとき紫色。表紙を見る。
「点数表……?」
何の点数だろう。やはり研究の一端なのだろうか。疑問に思い、本を開いた。
――そして、戦慄した。
「な……んだよ、これ」
――本を盗んだ 減点二十
――本を乱暴に扱った 減点十二
――図書館を荒らした 減点二十
――図書館を汚した 減点八
――霧雨魔理沙 残りの点数 四十点 元の点数 百点
私について、書かれていた。本について。図書館について。減点、とはどういうことなのだろうか。わけがわからない。わからない。私は、点数表を開いたまま、固まっていた。
すると、点数表に、新たな文字が浮き上がる。
――賢者の石を割った 減点三十
――霧雨魔理沙 残りの点数 十点 元の点数 百点
先程の出来事である。何故、パチュリーがここに居ないのに、点数表が更新されているのだ。わからない。わからない。わからない。
――ふと、背後に気配を感じた。
肌が粟立つ。誰であるか、そんなことはもはや確認するまでもない。
パチュリーだ。
「魔理沙ぁ。駄目じゃない、人の本を勝手に読んじゃ」
「ぱ、ちゅ、り。これ……」
辛うじて、言葉を紡ぐ。私は、壊れかけのからくり人形のように、パチュリーの方へ向き直った。
パチュリーは、相変わらず微笑みを浮かべている。やさしいパチュリー。変わらない。パチュリーは、変わらない。微笑み。――しかし、その微笑みは、先程よりも歪さを増していた。まるで、溢れ出す何かを抑えるため、無理やりに貼り付けているかのような、微笑み。パチュリーが、口を開いた。
「人の本を勝手に読んだ。減点三」
「え、あ、ぱちゅ、りー?」
点数表に、新たな文字が浮き上がる。
――人の本を勝手に読んだ 減点三
――霧雨魔理沙 残りの点数 七点 元の点数 百点
残りの点数が、減っていく。一体何なのだ。理解できない。ただ、怖い。パチュリーが怖い。やさしいパチュリー。パチュリーは、ただ微笑んでいるだけなのに。
――いや、違う。パチュリーの微笑みの裏に隠された、本当の感情。あの時も。あの時も。あの時も感じた違和感。歪さ。その全てのピースが、頭の中で繋がった。パチュリーの微笑みの裏にある、本当の感情。それは、奈落の底よりも深く、暗い、感情。何故、私は気付けなかったのか。パチュリーは――。
――パチュリーは、三日月のように歪めた口から、また、言葉を紡いだ。その瞳に、ただただ暗い光を湛えて。
「ねえ、魔理沙。もしも0点になったら、その時は――」
嗚呼、本当に。
やさしい、パチュリー。
事の始まりは二週間ほど前である。いつものように、私はパチュリーの図書館に不法侵――訪れた。勿論、目的は大図書館の中にある貴重な本を盗――借りることである。私はその事について罪悪感など覚えていないので、悪びれるつもりなど全くなかった。いつも通り適当な本を見繕い、そろーり、そろーりと足音を盗んで、出口へ向かう。あと少し、あと少し――。と、そこで、目の前に人影が現れた。
「あら、魔理沙」
「げえっ、パチュリー」
見つかり、咄嗟に八卦炉を構える。弾幕勝負を受ける準備はいつでも出来ていた。
が、しかし。私の予想は見事に外れることとなった。
「今日も本を持ってくの?」
「ああ。まあ、死ぬまで借りるだけだから気にしなくてもいいぜ」
「そ。それならついでに、お茶していかない? 暑い中紅魔館まで来て、疲れてるでしょ」
「……は?」
「さ、こっち来て」
「え、ちょ、パチュリー」
パチュリーは、私が本を借りていくことを咎めるどころか、咲夜を呼んで紅茶とクッキーを私に振る舞った。始めは中に何か仕込んでるんじゃないか、と疑っていたが、至って普通の紅茶とクッキーである。夏の空を飛んできたために喉が渇いていた私は、差し出された紅茶を三杯ほどおかわりして、はぁっ、と溜息を吐いた。すると、パチュリーが私に話しかけてきた。
「ねえ、魔理沙」
「ん」
「図書館の本の事だけど」
「その事なら、私は自分の主張を曲げるつもりはないぜ」
「ええ。だから、ちゃんと手続きを踏んで本を借りて行くのは、貴女の気が向いたらで良いわ」
「……え?」
思わず、手に持っていたカップを取り落してしまった。中に入っていた紅茶がテーブルの上に染みを作る。
「あらあら。小悪魔」
「はい。新しいテーブルクロスをお持ちしますね」
「ご、ごめん」
「いいのよ。……あなたは頑固だからね。私が言っても聞かないんだから」
ふふっ、と、パチュリーが微笑む。誰だコイツは。これまでに感じたことが無い程の、強烈な違和感。しかし、それは普段から私がこいつを怒らせてばかりいたから、今までこんな一面を見ることが無かっただけなのではないだろうか。私はそう結論付けて、強引に自分を納得させた。
「それじゃ、帰るぜ。……念のために言っておくが、本は死ぬまで借りてくからな」
「まったく。……それじゃ、またね」
パチュリーは、微笑みを最後まで崩さなかった。大図書館の出口から飛び立っていく私の姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振りながら、私を見送った。
それ以来である。何時、どんな時に大図書館を訪れようとも、パチュリーは微笑みを崩さず私を迎えた。いくら本を持って行っても、どれだけ紅茶を要求しても、文句ひとつ言わない。あまつさえ、この間本を借りに行ったときなどは、『今回は私が本を選んであげるわ』などという提案をされた為に、危うく腰が抜けるところであった。以前のパチュリーとは、まるで別人である。私が知っているパチュリーは、いつも仏頂面で、不機嫌そうで、むきゅむきゅ言っていて、本にしか興味がなくて――。そんなパチュリーを、私はとても好んでいた。
しかし、パチュリーは変わった。変わってしまったのである。やさしいパチュリー。いつも微笑んでいて、機嫌がよさそうで、むっきゅんむっきゅん言っていて、何にでも興味を示して――。友人として、文句のつけようがない立ち振る舞いである。本来ならば、喜ぶべき出来事なのだろうが――しかし私は、あの日覚えた強烈な違和感を、未だ拭えずにいた。
あの日。パチュリーがいきなり変わった日の前日までは、以前の『いつも通り』のパチュリーがそこに居たのだ。しかし、あの日。今の『いつも通り』のパチュリーがそこに居た。どう考えても、おかしい。変化を拒み、捨虫の法を行使した魔法使いが、そんな急激に変わるものだろうか。現に、アリスは全く変わっていない。飽きもせずに毎日人形を弄りまわしている。パチュリーは、そんなアリスよりもずっと、変化を嫌っているように見えたのだ。少なくとも、私にとっては。
ここ数日、私はずっと、その事について悩んでいた。ただの思い過ごしなら良いのだが。思案に思案を重ねながら、今日も紅魔館へ向かった。もちろん目的が変わることは無いが。いつも通り門前に着地すると、珍しく起きている門番の横に、見慣れた日傘と共に、小さな人影を見つけた。
「あれ、レミリア。こんないい天気の日に外出してるなんて珍しいな」
「敢えて宿敵に立ち向かうことで、私のカリスマは最高潮まで高まるのよ。嗚呼、素晴らしき哉、我が青春」
「……漫画の読み過ぎだ」
どうやら大図書館に少量だけ置いてある外界の漫画に影響されたらしく、宿敵である太陽に謎のライバル心を抱いている。お前吸血鬼なんだから主人公ポジションは似合わんだろ、と内心で思いながらも、私は最近のパチュリーについてレミリアと話してみることにした。
「なあ、レミリア。最近のパチュリー、どう思う?」
「パチェ? なんだか愛想が良くなったわよね」
「そう、それ。私としてはなんだか落ち着かなくてしょうがないんだ。あのヒッキ―魔法使いのパチュリーはどこへ」
「あんたも大概ひどいわね。まあ、貴女が来たときには、特別機嫌がよさそうな顔をしているわ」
「そうなのか? うーむ、余計に分からん……」
「難しく考えず、普通に接すればいいんじゃないの? ついでに図書館利用の態度も改善しておけば?」
「それは意地でも曲げない。……まあ、そうだな。難しく考えなくても、その内飽きて元に戻るに決まってるよな」
「……そうね。じゃあ、私は散歩に行ってくるから。咲夜」
「はい、お嬢様」
「今日こそ、あの忌まわしき太陽を打ち砕くのよ! さあ、出発しんこー!」
「この咲夜めは何処までもお供しますわ」
「……このアホ主従め」
こちらが珍しく真面目な話をしているというのに、緊張感のない奴らめ。私は一つ溜息を吐いて、大図書館へ向かうことにした。
「それじゃ、図書館に行ってくるぜ」
「あんたも大概懲りないわねえ。ま、せいぜいパチェと仲良くしなさいな」
「へいへい、じゃあな」
「ええ」
適当に軽口を交わして、擦れ違う。レミリアの楽しそうな声が、いやに耳に付いた。
「……まあ、ああいうときのパチェが、本当は一番恐ろしいんだがな」
――其の呟きは、風に掻き消され。
――誰の耳にも届かなかった。
それから更に二週間ほどが経ち、私は、今の『いつも通り』のパチュリーに対する違和感を、多少は払拭することが出来ていた。それと同時に、今のパチュリーに対して覚えていた遠慮も、大分薄まってきた。図書館を、前以上に散らかすようになった。本を、乱暴に扱うようになった。それでも、パチュリーは何も言わない。ただ微笑んで、偶に思い出したかのように優しく注意をするだけであった。
そんな現状に、私は甘えていたのかもしれない。
ある時、大図書館に行くと、パチュリーが研究をしていた。『賢者の石』についての研究である。話を聞くところによると、この研究を完成させれば、自分の持つ魔力の何倍もの出力を叩き出すことが出来るらしい。ここ数十年ほど、その研究に没頭しているのも頷けるだろう。
一心不乱に研究に打ち込むパチュリーを見て、――私の心の中に、些細な悪戯心が生まれた。パチュリーをびっくりさせてやろう。ただ、それだけの動機で。私は、研究をしているパチュリーに後ろから近付いて、――賢者の石を、掴んだ。
「へへっ、ちょっと見せてくれよ」
「!?……ッ魔理沙! 貴方――」
それは、偶然だった。無理やり掴んだ賢者の石は、丸っこくて、すべすべしていて、持ちにくくて。
手が、滑った。
その結果。――パチュリーの研究の結晶である賢者の石は、地面に落ちて。
――あまりにあっさりと、割れた。
「あ……」
「…………」
「ご、ごめ……」
私は、何も言葉を発することが出来なくて。パチュリーは、粉々に砕けた賢者の石を、目を見開いて眺めながら、先程から微動だにしていない。あまりにも痛い沈黙が、場を支配する。私は居たたまれなくなって、粉々に砕けた賢者の石を拾おうとした。その手を、パチュリーの手が掴んだ。
「いいのよ、魔理沙。こんなものは何度でも作れるんだから」
「え……でも……」
「いいの。それよりも、指を怪我しているじゃない。早く手当しないと。包帯を取ってくるわね」
パチュリーはあくまで、微笑んでいる。やさしいパチュリー。微笑みは、優しさに満ち溢れている。だけれど、何処か、歪。そんな印象を抱いた。
私は、パチュリーが出て行ったあとの大図書館で、呆然と佇んでいた。唯、何かをしなくては、と思い。粉々に砕けた賢者の石の近くに行った。――そこで、パチュリーの研究机の上にある、紫の本に目が行った。研究ノートというには、あまりに毒々しく。何故か私は、賢者の石ではなく、その紫の本を手に取った。まるで毒に侵されているがごとき紫色。表紙を見る。
「点数表……?」
何の点数だろう。やはり研究の一端なのだろうか。疑問に思い、本を開いた。
――そして、戦慄した。
「な……んだよ、これ」
――本を盗んだ 減点二十
――本を乱暴に扱った 減点十二
――図書館を荒らした 減点二十
――図書館を汚した 減点八
――霧雨魔理沙 残りの点数 四十点 元の点数 百点
私について、書かれていた。本について。図書館について。減点、とはどういうことなのだろうか。わけがわからない。わからない。私は、点数表を開いたまま、固まっていた。
すると、点数表に、新たな文字が浮き上がる。
――賢者の石を割った 減点三十
――霧雨魔理沙 残りの点数 十点 元の点数 百点
先程の出来事である。何故、パチュリーがここに居ないのに、点数表が更新されているのだ。わからない。わからない。わからない。
――ふと、背後に気配を感じた。
肌が粟立つ。誰であるか、そんなことはもはや確認するまでもない。
パチュリーだ。
「魔理沙ぁ。駄目じゃない、人の本を勝手に読んじゃ」
「ぱ、ちゅ、り。これ……」
辛うじて、言葉を紡ぐ。私は、壊れかけのからくり人形のように、パチュリーの方へ向き直った。
パチュリーは、相変わらず微笑みを浮かべている。やさしいパチュリー。変わらない。パチュリーは、変わらない。微笑み。――しかし、その微笑みは、先程よりも歪さを増していた。まるで、溢れ出す何かを抑えるため、無理やりに貼り付けているかのような、微笑み。パチュリーが、口を開いた。
「人の本を勝手に読んだ。減点三」
「え、あ、ぱちゅ、りー?」
点数表に、新たな文字が浮き上がる。
――人の本を勝手に読んだ 減点三
――霧雨魔理沙 残りの点数 七点 元の点数 百点
残りの点数が、減っていく。一体何なのだ。理解できない。ただ、怖い。パチュリーが怖い。やさしいパチュリー。パチュリーは、ただ微笑んでいるだけなのに。
――いや、違う。パチュリーの微笑みの裏に隠された、本当の感情。あの時も。あの時も。あの時も感じた違和感。歪さ。その全てのピースが、頭の中で繋がった。パチュリーの微笑みの裏にある、本当の感情。それは、奈落の底よりも深く、暗い、感情。何故、私は気付けなかったのか。パチュリーは――。
――パチュリーは、三日月のように歪めた口から、また、言葉を紡いだ。その瞳に、ただただ暗い光を湛えて。
「ねえ、魔理沙。もしも0点になったら、その時は――」
嗚呼、本当に。
やさしい、パチュリー。
『優しい母』、ちょうどテレビでやってるのを見ました。いまでもトラウマです。
が、この話はオリジナルより怖いかもしれない。
前作に引き続いて、涼しくさせてもらいました。
いい感じに寒気がしました
私の期待通り、またホラー作品を出していただけてありがとうございます。
普段はクールなパチュリーが、こんなゾクッとする裏の顔を持っていたら...想像しただけで怖さが倍増します。あの笑みが。
やさしいパチュリー。「あの世は一発で死ねば近い」みたいな、「死ぬ時はせめて楽に」的な発想をしてしまいました。
...今年の夏はかなり涼しめそうです。
そういうコンビだからこそ親友としてやってけるのかもしれませんね。
激おこむっきゅん丸のパッチェさんは怖い、と。
ヒィィ
ゴッドファーザーじゃミスしたのに優しくされる→粛清されるのコンボですからね
文句言われているうちが花ですね
続きとかは書かないのですか?
一話完結型、ということで。
これは結構来るものがありました。
残りを0にしないところがニクい。この先魔理沙はこの7点を必死に守ろうと行動するんだろうなぁ。
点数。我々は小学生の時から点数によって良い悪いを決められています。それがこの恐怖に繋がったのかもしれません。
読んでいる最中は楽しかったので、オチがあともう一ひねりくらいできたら完璧でしょう
中々ドキドキして読めたので、演出なんかは上手なんだと思います