レースをあしらったカーテンが、淡い月夜の光に照らされ、ほんの少しだけ吹き抜ける風は春の終わりを告げるように青い匂いを部屋の中へと運び込む。
美鈴はベッドに横たわる咲夜の手を握り、慈愛に満ちた視線をただ注いでいた。
深く皺の刻まれた手指。不規則に乱れる呼吸は、咲夜の死期が近いことを示していた。
パチュリーの魔法で、出来る限りの痛み止めは施しているものの、今の咲夜にそれがどれほど救いになっているのか美鈴には分からない。
その気になれば、永遠亭から薬を貰うことも出来ただろう。お嬢様に頼んで咲夜を眷属として、生き長らえさせることだって可能だ。
それを拒んだのは、他の誰でも無い。咲夜自身だ。
美鈴は、ただひたすらに手を握り続けた。それ以外に自分に出来ることは無いと言うように。
ドアが開く音が聞こえたのはそんな時だった。
この館の主であるレミリアが、ゆったりとした足取りで咲夜に近付く。その瞳には咲夜の姿しか映っておらず、間に立ち入る美鈴を全く意に介していないように見えた。
「お嬢様、駄目ですよ」
自らの主が何をしようとしているのか、それを察した美鈴は咲夜から手を放すと、レミリアと正面から向かい合った。
「そこを退きなさい」
「駄目です」
「退けと言っているのが、分からないのか」
静かに滲ませるレミリアの怒気に、美鈴は一歩も怯まずに胸を張る。
「お嬢様、何と言われようと駄目です」
剣呑な空気が二人の間を取り巻く。
「下僕風情が主に楯突くつもりか!」
怒りを露わにしたレミリアが腕を振り上げる。
眼にも追えぬ速度で振り下ろされた手刀を、美鈴は両腕で受け止める。
スペルカードでは無い、本気の殺意。
今のレミリアにとって幻想郷でのルールなど、何の意味も持たない紙屑同然と化したのだろう。
苦悶の表情を浮かべながらも、美鈴はレミリアの腕を跳ね飛ばして臨戦態勢を取る。
彼女もまた、スペルカードを使わぬ徒手空拳の構えだ。
「私に逆らったことを後悔するが良い――」
紅い残像が視界一杯に広がる。
容赦無く突き出される手刀を、時には避け、いなし、捌き続ける美鈴。
力量差など端から分かりきっている。
一歩、二歩と後退しながらも、美鈴の心は一歩も退いてはいなかった。
「退け、退け、退け! 早く、早くしないと、咲夜が――死んでしまう」
悲痛なレミリアの叫びに、美鈴の心も張り裂けそうになる。
息が吸えない。身体が痺れ、込み上げてくるものも有る。
「それでもっ! 駄目ですっ! 私は門番! 咲夜さんの、死して尚貫こうとする意志を守る門番!」
渾身の力を込めて、レミリアが突き出した手刀を受け止め握り込む美鈴。少女の姿からは想像も出来ない程の膂力に振り回されそうになりながらも、その腕だけは放してはならないとしがみ付く美鈴。
「お姉さまっ、何をしてるのっ」
「レミ! 美鈴、これはどう言うことなの!」
騒動を聞きつけたのか、慌てた様子で入ってきたフランとパチュリーが、半狂乱状態になったレミリアを無理矢理押さえ付ける。
「咲夜は私が死なせない! 私の眷属になれば!」
涙を両目一杯に溜めたレミリアの悲痛な叫びが響く。誰も、そのレミリアの姿を直視出来ずに視線を伏してしまう。
人の一生は短い。
妖怪や吸血鬼と比べるまでも無く短命だ。決して抗うことの出来ない運命、と言う訳では無い。
この幻想郷には、永遠の命を持つ存在が数多居る。願えば、望めば、自身もそうなることすら可能ですら有るだろう。
しかし、咲夜はそれを望まなかった。人として生き、人として死ぬ。その当たり前こそが彼女の決めた人生の道標だった。
泣き喚くレミリアの声を聞いたからか、咲夜がベッドの上で身じろぐ気配に振り返る美鈴。
老いてなお輝く銀髪が月明かりに照らされ輝く。
「お嬢様、申し訳ありません」
「咲夜っ!」
フランとパチュリーの拘束を振り解いたレミリアは、咲夜の下に駆け寄る。
「咲夜! 私の眷属になれば、また一緒に――」
「それはなりません」
「私と一緒に居たく無いの? 嫌になったの? それなら、私はわがままも言わないっ、咲夜の為なら何だって、何だって……」
「聡明なお嬢様なら、もうお分かりでしょう? 私は人で有ることを卑下しません。誇りに持っていると言っても良いでしょう。お嬢様と共に有る人生は有意義なものでした。その記憶は色褪せないものだと確信すら有ります。だからこそ、誇りある人生のまま、私は逝きたいのです」
涙の流れるレミリアの頬を拭う咲夜。
大粒の涙が止め処なく溢れることに、困った笑顔を浮かべる咲夜。
「それに、先の言葉はどちらが使用人で主か分かったものじゃありません。紅魔館の主として恥じるべき言動ですよ」
「分かったわ。もう、言わない」
次いで、咲夜の視線は少しそれて美鈴に向けられる。
「美鈴、あなたもありがとう。でも、私の為だからと言って主に拳を向けるなんて、無礼極まり無いわ。罰として、一週間は寝ずに門番をしておくこと。良いわね?」
唇を噛み締めながら、美鈴はただ頷くしか出来なかった。
「パチュリー様は、是非少しは外に出て下さい。運動などされなくて結構。新鮮な空気を吸うだけでよろしいですから」
「えぇ、善処するわ」
「フラン様は、レミリアお嬢様のことをよろしく頼みますね。姉妹なら、この先もきっと上手くやって行けますから」
「うん……うんっ!」
満足した答えが得られたのか、咲夜の表情は非常に穏やかなものになっていた。
まるで、もう心残りが無いかのように。
「とても、とても……幸せでした。ありがとうございます。レミリア様」
空は白み夜は明けていく。
新しい一日の始まりは、静かに部屋に訪れ、代わりに昨夜を連れて行ってしまった。
美鈴はベッドに横たわる咲夜の手を握り、慈愛に満ちた視線をただ注いでいた。
深く皺の刻まれた手指。不規則に乱れる呼吸は、咲夜の死期が近いことを示していた。
パチュリーの魔法で、出来る限りの痛み止めは施しているものの、今の咲夜にそれがどれほど救いになっているのか美鈴には分からない。
その気になれば、永遠亭から薬を貰うことも出来ただろう。お嬢様に頼んで咲夜を眷属として、生き長らえさせることだって可能だ。
それを拒んだのは、他の誰でも無い。咲夜自身だ。
美鈴は、ただひたすらに手を握り続けた。それ以外に自分に出来ることは無いと言うように。
ドアが開く音が聞こえたのはそんな時だった。
この館の主であるレミリアが、ゆったりとした足取りで咲夜に近付く。その瞳には咲夜の姿しか映っておらず、間に立ち入る美鈴を全く意に介していないように見えた。
「お嬢様、駄目ですよ」
自らの主が何をしようとしているのか、それを察した美鈴は咲夜から手を放すと、レミリアと正面から向かい合った。
「そこを退きなさい」
「駄目です」
「退けと言っているのが、分からないのか」
静かに滲ませるレミリアの怒気に、美鈴は一歩も怯まずに胸を張る。
「お嬢様、何と言われようと駄目です」
剣呑な空気が二人の間を取り巻く。
「下僕風情が主に楯突くつもりか!」
怒りを露わにしたレミリアが腕を振り上げる。
眼にも追えぬ速度で振り下ろされた手刀を、美鈴は両腕で受け止める。
スペルカードでは無い、本気の殺意。
今のレミリアにとって幻想郷でのルールなど、何の意味も持たない紙屑同然と化したのだろう。
苦悶の表情を浮かべながらも、美鈴はレミリアの腕を跳ね飛ばして臨戦態勢を取る。
彼女もまた、スペルカードを使わぬ徒手空拳の構えだ。
「私に逆らったことを後悔するが良い――」
紅い残像が視界一杯に広がる。
容赦無く突き出される手刀を、時には避け、いなし、捌き続ける美鈴。
力量差など端から分かりきっている。
一歩、二歩と後退しながらも、美鈴の心は一歩も退いてはいなかった。
「退け、退け、退け! 早く、早くしないと、咲夜が――死んでしまう」
悲痛なレミリアの叫びに、美鈴の心も張り裂けそうになる。
息が吸えない。身体が痺れ、込み上げてくるものも有る。
「それでもっ! 駄目ですっ! 私は門番! 咲夜さんの、死して尚貫こうとする意志を守る門番!」
渾身の力を込めて、レミリアが突き出した手刀を受け止め握り込む美鈴。少女の姿からは想像も出来ない程の膂力に振り回されそうになりながらも、その腕だけは放してはならないとしがみ付く美鈴。
「お姉さまっ、何をしてるのっ」
「レミ! 美鈴、これはどう言うことなの!」
騒動を聞きつけたのか、慌てた様子で入ってきたフランとパチュリーが、半狂乱状態になったレミリアを無理矢理押さえ付ける。
「咲夜は私が死なせない! 私の眷属になれば!」
涙を両目一杯に溜めたレミリアの悲痛な叫びが響く。誰も、そのレミリアの姿を直視出来ずに視線を伏してしまう。
人の一生は短い。
妖怪や吸血鬼と比べるまでも無く短命だ。決して抗うことの出来ない運命、と言う訳では無い。
この幻想郷には、永遠の命を持つ存在が数多居る。願えば、望めば、自身もそうなることすら可能ですら有るだろう。
しかし、咲夜はそれを望まなかった。人として生き、人として死ぬ。その当たり前こそが彼女の決めた人生の道標だった。
泣き喚くレミリアの声を聞いたからか、咲夜がベッドの上で身じろぐ気配に振り返る美鈴。
老いてなお輝く銀髪が月明かりに照らされ輝く。
「お嬢様、申し訳ありません」
「咲夜っ!」
フランとパチュリーの拘束を振り解いたレミリアは、咲夜の下に駆け寄る。
「咲夜! 私の眷属になれば、また一緒に――」
「それはなりません」
「私と一緒に居たく無いの? 嫌になったの? それなら、私はわがままも言わないっ、咲夜の為なら何だって、何だって……」
「聡明なお嬢様なら、もうお分かりでしょう? 私は人で有ることを卑下しません。誇りに持っていると言っても良いでしょう。お嬢様と共に有る人生は有意義なものでした。その記憶は色褪せないものだと確信すら有ります。だからこそ、誇りある人生のまま、私は逝きたいのです」
涙の流れるレミリアの頬を拭う咲夜。
大粒の涙が止め処なく溢れることに、困った笑顔を浮かべる咲夜。
「それに、先の言葉はどちらが使用人で主か分かったものじゃありません。紅魔館の主として恥じるべき言動ですよ」
「分かったわ。もう、言わない」
次いで、咲夜の視線は少しそれて美鈴に向けられる。
「美鈴、あなたもありがとう。でも、私の為だからと言って主に拳を向けるなんて、無礼極まり無いわ。罰として、一週間は寝ずに門番をしておくこと。良いわね?」
唇を噛み締めながら、美鈴はただ頷くしか出来なかった。
「パチュリー様は、是非少しは外に出て下さい。運動などされなくて結構。新鮮な空気を吸うだけでよろしいですから」
「えぇ、善処するわ」
「フラン様は、レミリアお嬢様のことをよろしく頼みますね。姉妹なら、この先もきっと上手くやって行けますから」
「うん……うんっ!」
満足した答えが得られたのか、咲夜の表情は非常に穏やかなものになっていた。
まるで、もう心残りが無いかのように。
「とても、とても……幸せでした。ありがとうございます。レミリア様」
空は白み夜は明けていく。
新しい一日の始まりは、静かに部屋に訪れ、代わりに昨夜を連れて行ってしまった。
ネタ自体も今までの歴史で何度も出てきたものですし、申し訳ありませんがこの点数で。