左手が軋みをあげ始めた。不思議なものだ。人間ならば肉体を酷使すれば、乳酸がたまり、筋肉が悲鳴をあげ、腱に疲労が溜り、指の動きが悪くなる。ただでさえこの楽器は普通の考えでは及びもつかない、不自然な姿勢で演奏する。主に左半身、特に左腕に負担がかかる。だが面白いもので、この不自然な姿勢は、左手そのものの負担を減らし、高速の指つかいを可能とする。先人の知恵の素晴らしさよ。ただ…さすがに日が下りてから空が白み始めるまで引き続ければ話は別だったようだ。不思議なのは私は人間ではない事だ。騒霊であるのに左手に限界が来た。何故か分からないが、左手が疲労で動かない。痙攣してさえいる。…まあいいか。今夜の目的は果たした。どうやら騒霊の肉体は、一晩酷使してももつようだ。それがわかれば十分だ。
騒霊に睡眠は要らない。“霊”とつく位だ。夜活動するのが、なにか、こう、正しい気がする。だけどわたしは日のもとを歩く。でも先日のような無茶をすれば、謎の疲労によって、睡眠が肉体を支配する。一晩ひたすらヴァイオリンを、能力を使わずに引き続けた夜は、次の日、日が落ちるまでひたすら眠り続けてしまった。リリカ…わたしの末の妹に、さんざん嫌味を言われてしまった。若い身空の生活じゃないなどと言われた。地味にしょっくだ。家事を任せきりにしたのが随分とご立腹のようだ。次女のメルランの家事能力は絶望的なので、わたしかリリカしか家事を事実上していないのに、わたしが居ないと負担が大きすぎると愚痴ていた。が、そんなすねるリリカが可愛くて可愛くてたまらない。ああ、わたしは妹が可愛くてしょうがない。もっとすねさせたい。いじめたい。…おっと変な意味はないので誤解しないでね?
そんな他愛もない思考をつらつらとしながら、幻想郷の空を飛んでいた。皐月の風が涼しくもあり、温かくもあり、空を飛んでいるとあまりの心地よさに、また睡魔に支配されそうになる。さすがに騒霊も墜落すれば痛いので、ほんとに寝てしまったりはしないけど。
しばらくすると人里が見えてきた。人里に入るまでは妖の領域。人里の内は人の領域。人里はぐるりと大きな囲いがある。物見の塔まで組まれている。これは一昔前の名残だそうだ。人と妖の距離が今ほど近くない頃の。見様によっては物騒で、物悲しくもある。スペルカードルールや博麗の巫女、妖怪の賢者によって人妖の距離は適正に保たれているが、やはりこの囲いなくして、人妖は相いれないのかもしれない。ただ一方で、この距離こそ正しいのだと思う気持ちもある。妖は友人ではないのだ。人を食らう。この大原則を崩してはいけない。人里に囲いは必要なのだ。対外的にも対内的にも。でも半人半妖なんて存在が示しているみたいに、友人に、恋人に、家族になる可能性もある。たぶん…この適当さが肝要だ。適当。てきとう。ちょっとだけ、わたしの在り様とこのてきとうさは相いれない。芸術家…演奏家は特に演奏において完璧であるのが求められる。その上で、完璧に演奏した上で、解釈・音質・音色などが評価されるものだと思う。たとえ観客のだれひとりミスに気付かなくてもミスはミス。演奏者が納得できなければ芸術になりえない。とはいえ、そんなことばかりでは華がない。芸術家にもてきとうさは必要だ。遊び心とも言い換えられる。むずかしいなあ…
人里についた。今は昼過ぎだからか、門番は詰所でのんびり囲碁に興じていた。きっと彼らの仕事は夜が本番。今は英気を養うべき、なんだろう。あからさまに人外のわたしが門をくぐるのに何も警戒がない。紅魔館の門番も似た雰囲気だった。きっと門番とはかくあるべきなのかも知れない。ただし、奥に居た老人は別だった。凄まじく不思議な目線を寄越した。まるでわたしを見透かすような。敵意はないが、友好さもない。たぶん彼は、人妖の距離がまだ広かったころからの、“残党”だろう。人里に点々と、こうゆう人が居る。これはあくまでも真っ向から人と対立したことのないわたしの想像に過ぎないが、たぶん彼らは妖怪退治を生業とした者たちの末裔か、その人本人だと思う。ちゃんと仕事にありついているあたり“本物”だ。習得した妖怪退治の技を悪事に使ったり、妖怪を調伏して快感を得る様な輩は、自然と数を減らし、人社会からも爪弾きにされる。まあそんな調子にのった輩の末路は妖怪の腹の中…と相場は決まっている。“本物”を見分けるのはわたしにとっては簡単。なぜなら伝説級の“本物”を身近に見たことがあるから。あの人に近いか否かを本能で見分ければいい。魂魄…今でも語りつがれる伝説級の、人ではないが人に近しい“本物”。人はそろそろ忘れ始めたけれど、あの可愛いお孫ちゃんが世間に名が知られるようになって、当時を知るものはまた思い出した。運よく騒霊であることと、幻想郷に数少ない演奏家という立場から、八雲の大妖に連れられ(拉致られ?)冥界に演奏しに行く機会があった。以後定期的に演奏を披露しているが、あの可愛い孫ちゃんの先代とも会う機会があった。人でないのだから、妖怪と拮抗して当然と言う意見もあって“人間”の退治屋とは厳密には違うのだけど、あの冴えた技は、それを生業とするものに感銘すら覚えさせた。芸術を志す者としてあの妙技は感ずるところがあった。最近は冥界と幻想郷の境が曖昧だから、冥界の住人が人里に現れても話題にも上らないけど、ある時冥界の姫の気まぐれで、あの孤高の剣士が人里を訪れて、偶然その時、人里を悩ませていた妖怪を退治することになった話は、今思い返しても、血が湧き、魂が躍る。以来わたしはいつか彼を題材に曲を作ろうと思って、あれこれ話を聞いているのだけど…なかなか謎の多い人物で、孫すら知らない逸話がぽろぽろ…曲になるのはまだまだ時間がかかりそう。
昼過ぎの人里はみんなのんびりとしている。気の早いひとは、とおりに面した店の軒下で呑み始めてる。なんせ、幻想郷じゃ年中ねんがら働いて居るのは料理屋と上白沢だけなんて、軽口が流布するぐらい。農家はその日の作業が終わればやることないし、まだ田に水をひいてない今はまだまだ忙しくはない。大工も細工屋も刀鍛冶なんかも仕事が常にあるわけじゃない。大半は暇になると自警団に参加したり、囲碁やら将棋、呑んだりして暇をつぶしてる。貸本屋やその他諸々の店も開いちゃ居るが、必ずしも仕事をしているわけじゃない。魔法の森の変人店主…変半人半妖店主が最たるもので、四六時中本を読んでたり。あれは極端でも、実は幻想郷の店舗持ち商人はだいたい似てる。幻想郷に住める人間は暢気である、なんて条件でもあるのかも。大体の外来人でしばらく滞在した人が、外に帰りたいって言い出す確率は高いって八雲の式に聞いたことがある。それは単なる郷里の念だけじゃなくて、この暢気さに耐えられなくなるのかもしれない。聞くところによると外の世界は一日の三分の一を仕事に消費するとか…昔で考えてもそんなに働きづめの人間は城勤めの侍か、貧しい払底農民ぐらいだったのに…外の世界はそんなに貧しくなっているのかな?
目的の店に到着した。
「…こんにちは」
わたしとしては声を高めに、なるべく張って挨拶をしながら、店に入る。どうも生来の気質のせいか、わたしは随分ぼそぼそと話すらしい。コンサートの記事を書いた烏天狗に、いつかの宴会の際言われた。異変に参加してるときは別。異変の最中は自分でも驚く位ハイテンションになってるのを自覚してる。
ちなみに返事はない。どうやら先ほどのとおり、ここの店主も一日中働く人種ではないみたい。奥の部屋をのぞくと奥さんと目が合った。
「こら!お客さんだよ!とっととおきな!」
奥さんにはたかれて、店主が目を擦りながら接客に来た。ほんとに幻想郷の人間は暢気だなあ…
ここでの目的である紙を手に入れた。近ごろ値崩れを起こしている紙だが、私としては非常に助かる。作曲やら練習やらコンサートのチラシやら宣伝やら、とかく我が家の紙の消費量は天狗の文屋、稗田の屋敷、人里の製本屋(兼貸本屋)、紅魔館の図書館なみに多い。天狗や紅魔館は自給自足してるみたいだけど、わたしには人里で手に入れるしかない。意外にも紙の需要は高くて、最近じゃ命蓮寺なんて大口の顧客も増えたことから紙を取り扱う商店は、値崩れしても悠々自適。コンサートの収入があるって言っても、限度があるから、表裏使って鉛筆を字消しで消して…涙ぐましい努力をしたもんです。
次の目的に向かう途中の一本入った路地で猫を見つけた。野良のようだが、暢気に塀に寝そべっている。
「にゃー」
自慢ではないが動物には好かれない。体温がないせいで撫でられると、猫的に違和感を覚えるそうだ。八雲の式の式がとくとくと語ってくれた。あの娘、酔うとふんにゃりするけど、そのまま絡んでくるから気を付けないと。
「にゃーにゃー」
なので猫語で相手の気を引くしかないわけで。しかしこやつはちらりとこちらを一瞥しただけで、興味ないみたい。
「にゃー…」
悲しげに言ってみた。こやつは申し訳ばかりにしっぽをゆすって見せた。猫がしっぽをふるのは不機嫌なんだっけ?不遜な猫だ。まあこちらも対して興味はない。気まぐれで呼びかけただけだ。
「みゃーん」
通り抜けるついでに最後の呼びかけをしてみる。
「…なー」
あくびとも返事とも言い難い猫の声。まあ返事をしただけましか。
ちなみにわたしは犬派。
いくつかの店に寄った。木工細工、糸屋、食肉屋、金具屋、どれも常連だ。わたしのヴァイオリンの演奏には二つ手段がある。実際に現物を鳴らすのと、楽器の霊を使役する方法で、後者を使えば、一人四重奏も可能な、音楽芸術家には垂涎の能力だ。ところがこれが便利さの裏があって、自分のイメージで楽器の霊を使役する必要がある。要するに自分の実力が結局、楽器の霊の演奏に反映されるという事だ。だからわたしは実物での自分の実力を上げる必要がある。ところが、外の世界でもまだ楽器は現役なのか、幻想郷に楽器を作るような職人が居ないのだ。困ったわたしはいくつかのそれぞれの職人に設計図を渡し、自分で組み立てる事をしている。さいわい、幻想郷が閉じられる前から存在するためか、わずかながら資料には困らなかった。だいたい楽器の霊をじっくり観察すれば、詳細な形状はわかる。一番都合の良いのは外から流れてくるものを手に入れることだが、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、ギター、マンドリン、リュートどれも木製のものは年季を経れば経るほど音色が良くなるので、なかなか手に入らない。おかげで楽器制作については一家言持てるほどの知識がついた。食肉屋はおもに家畜の腸を得るためだ。ヴァイオリンやビオラなんかのクラシック演奏のイメージが強い楽器にはやはりガット弦がベストだと思う。残念ながら幻想郷では羊が多く飼育されているわけではないので代用品の開発にも余念がない。騒霊は年を取らないし、隠棲なんて考えられないが、引退したら楽器屋をやっていけるぐらいの技術を得ていると思う。
目的のものをそろえた私は、八百屋に向かう。今夜の食事は何にしようか、妹たちはどんなのが食べたいかななんて考えて野菜や魚を吟味していると、わたしが騒霊なんてこと忘れてしまいそうになる。基本食事は必要としていないけれど、食事がもたらす感情は芸術家としての向上の一助になるのでは、と人間の真似事をしている。わたしたち三姉妹の生みの親たる少女との同居生活のなごりかもしれない。…彼女の事を思い出すと、どうしても考えてしまうことがある。わたしたちは彼女によって生み出された騒霊だ。それは間違いない。だが、なぜ、彼女が死んだ後もわたしたちは存在するのだろう。消えてしまうことへの恐怖はある。ここは幻想郷だからと深く考えないこともある。でも、閻魔の言葉がわたしの胸をかき回す。
「 貴方達は生まれつきの霊。拠り所だった物は既に無い」
「 そう、貴方達は少し自己が曖昧過ぎる」
「このままでは、貴方達は暴走するか、 消えてしまうかのどちらかでしょう。拠り所のない霊は非常に不安定です。 貴方達は楽器を拠り所にしているようで実は違う。 貴方達の拠り所は貴方達を生んだ人間」
「 そして、その人間はもう居ない。消えたくなければ、 まずは、自分の存在理由を考え直すのです!」
存在理由…それがわかっている生命体は地球上にどれだけいるのだろう…妖怪は高位であればあるほど、存在理由を自覚してこの世に生まれるそうだ。騒霊の存在意義は自明だ。だが拠り所を失ってなお存在するわたしたち姉妹とはいったい…
ふと気が付くと大根を握りしめて深刻な顔をしたわたしは、八百屋の主人を含めた周囲の奥様達から一歩ひかれてしまっていた。落ち着いて…わたしは不審者じゃありません。お、落ち着いて。
大変な恥をかいてしまった。まだ顔が赤面しているのがわかる。もとが色白なせいで顔色の変化は他者にすぐばれてしまう。ポーカーやババ抜きやらではリリカに惨敗中だ。自分では感情の起伏は少ない方だと思うんだけどなあ…
「ただいま」
我が家に帰宅。出迎えはなし。どうやらほかの二人も外出中のようだ。
さて、今夜のおかずを調理しながら次回のコンサートの構想を練る。練習時の高揚、苦悩、限界を迎えた時の充実感。可愛い妹たち、姉妹愛。五月の涼風。芸術家の孤独。暢気な幻想郷の住民たち。ネコ。存在理由。手形のついた大根。今日の出来事をつらつらと思い出していると、ローテンポだが打楽器が充実した、管楽器も効果的で、弦も生き生きとした、物悲しくも陽気で、良い曲のイメージが湧いてきた。とりあえず目の前の料理が出来るまで口ずさみながらイメージを膨らませよう。良ければ次のコンサートのオープニングアクトに良いかもしれない。
そうこうしている間に、可愛い妹たちが帰ってきた。
「たっだいまー」
「ヒャッハー!ただいまー!」
次女のテンションがおかしいのはいつもの事なので、いちいち突っ込みはしない。でもメルラン?見た目うら若き乙女が叫ぶセンテンスではないと思うわ。どうやら良い着想を何かしらで得たみたい。末っ子は末っ子でソファに座ったまま何か考えている。作曲中の様子は三者三様で見ていて面白い。メルランはめちゃくちゃハイテンションではたから見て危ない人みたいに楽器を吹きまくり、リリカは全て頭の中でじっくり考えて記譜は短時間でやってしまう。わたしはさっきまでみたいに何か他ごとをしながらイメージを練って、紙に記譜して、演奏してみて、推敲を重ねる。同じ拠り所から生まれたのにこの違いはおかしくもある。だけどまあ、この様子だと次のコンサートは新曲がみっつもお披露目できるかもしれない。ああ、こうして妹たちと一緒になにか目標を持って邁進して、観客を楽しませて、すごくわたし楽しくなってきた。きっとこれはメルランの音のせいじゃない。これが、きっと、人が幸せと呼ぶものなんだわ。
騒霊に睡眠は要らない。“霊”とつく位だ。夜活動するのが、なにか、こう、正しい気がする。だけどわたしは日のもとを歩く。でも先日のような無茶をすれば、謎の疲労によって、睡眠が肉体を支配する。一晩ひたすらヴァイオリンを、能力を使わずに引き続けた夜は、次の日、日が落ちるまでひたすら眠り続けてしまった。リリカ…わたしの末の妹に、さんざん嫌味を言われてしまった。若い身空の生活じゃないなどと言われた。地味にしょっくだ。家事を任せきりにしたのが随分とご立腹のようだ。次女のメルランの家事能力は絶望的なので、わたしかリリカしか家事を事実上していないのに、わたしが居ないと負担が大きすぎると愚痴ていた。が、そんなすねるリリカが可愛くて可愛くてたまらない。ああ、わたしは妹が可愛くてしょうがない。もっとすねさせたい。いじめたい。…おっと変な意味はないので誤解しないでね?
そんな他愛もない思考をつらつらとしながら、幻想郷の空を飛んでいた。皐月の風が涼しくもあり、温かくもあり、空を飛んでいるとあまりの心地よさに、また睡魔に支配されそうになる。さすがに騒霊も墜落すれば痛いので、ほんとに寝てしまったりはしないけど。
しばらくすると人里が見えてきた。人里に入るまでは妖の領域。人里の内は人の領域。人里はぐるりと大きな囲いがある。物見の塔まで組まれている。これは一昔前の名残だそうだ。人と妖の距離が今ほど近くない頃の。見様によっては物騒で、物悲しくもある。スペルカードルールや博麗の巫女、妖怪の賢者によって人妖の距離は適正に保たれているが、やはりこの囲いなくして、人妖は相いれないのかもしれない。ただ一方で、この距離こそ正しいのだと思う気持ちもある。妖は友人ではないのだ。人を食らう。この大原則を崩してはいけない。人里に囲いは必要なのだ。対外的にも対内的にも。でも半人半妖なんて存在が示しているみたいに、友人に、恋人に、家族になる可能性もある。たぶん…この適当さが肝要だ。適当。てきとう。ちょっとだけ、わたしの在り様とこのてきとうさは相いれない。芸術家…演奏家は特に演奏において完璧であるのが求められる。その上で、完璧に演奏した上で、解釈・音質・音色などが評価されるものだと思う。たとえ観客のだれひとりミスに気付かなくてもミスはミス。演奏者が納得できなければ芸術になりえない。とはいえ、そんなことばかりでは華がない。芸術家にもてきとうさは必要だ。遊び心とも言い換えられる。むずかしいなあ…
人里についた。今は昼過ぎだからか、門番は詰所でのんびり囲碁に興じていた。きっと彼らの仕事は夜が本番。今は英気を養うべき、なんだろう。あからさまに人外のわたしが門をくぐるのに何も警戒がない。紅魔館の門番も似た雰囲気だった。きっと門番とはかくあるべきなのかも知れない。ただし、奥に居た老人は別だった。凄まじく不思議な目線を寄越した。まるでわたしを見透かすような。敵意はないが、友好さもない。たぶん彼は、人妖の距離がまだ広かったころからの、“残党”だろう。人里に点々と、こうゆう人が居る。これはあくまでも真っ向から人と対立したことのないわたしの想像に過ぎないが、たぶん彼らは妖怪退治を生業とした者たちの末裔か、その人本人だと思う。ちゃんと仕事にありついているあたり“本物”だ。習得した妖怪退治の技を悪事に使ったり、妖怪を調伏して快感を得る様な輩は、自然と数を減らし、人社会からも爪弾きにされる。まあそんな調子にのった輩の末路は妖怪の腹の中…と相場は決まっている。“本物”を見分けるのはわたしにとっては簡単。なぜなら伝説級の“本物”を身近に見たことがあるから。あの人に近いか否かを本能で見分ければいい。魂魄…今でも語りつがれる伝説級の、人ではないが人に近しい“本物”。人はそろそろ忘れ始めたけれど、あの可愛いお孫ちゃんが世間に名が知られるようになって、当時を知るものはまた思い出した。運よく騒霊であることと、幻想郷に数少ない演奏家という立場から、八雲の大妖に連れられ(拉致られ?)冥界に演奏しに行く機会があった。以後定期的に演奏を披露しているが、あの可愛い孫ちゃんの先代とも会う機会があった。人でないのだから、妖怪と拮抗して当然と言う意見もあって“人間”の退治屋とは厳密には違うのだけど、あの冴えた技は、それを生業とするものに感銘すら覚えさせた。芸術を志す者としてあの妙技は感ずるところがあった。最近は冥界と幻想郷の境が曖昧だから、冥界の住人が人里に現れても話題にも上らないけど、ある時冥界の姫の気まぐれで、あの孤高の剣士が人里を訪れて、偶然その時、人里を悩ませていた妖怪を退治することになった話は、今思い返しても、血が湧き、魂が躍る。以来わたしはいつか彼を題材に曲を作ろうと思って、あれこれ話を聞いているのだけど…なかなか謎の多い人物で、孫すら知らない逸話がぽろぽろ…曲になるのはまだまだ時間がかかりそう。
昼過ぎの人里はみんなのんびりとしている。気の早いひとは、とおりに面した店の軒下で呑み始めてる。なんせ、幻想郷じゃ年中ねんがら働いて居るのは料理屋と上白沢だけなんて、軽口が流布するぐらい。農家はその日の作業が終わればやることないし、まだ田に水をひいてない今はまだまだ忙しくはない。大工も細工屋も刀鍛冶なんかも仕事が常にあるわけじゃない。大半は暇になると自警団に参加したり、囲碁やら将棋、呑んだりして暇をつぶしてる。貸本屋やその他諸々の店も開いちゃ居るが、必ずしも仕事をしているわけじゃない。魔法の森の変人店主…変半人半妖店主が最たるもので、四六時中本を読んでたり。あれは極端でも、実は幻想郷の店舗持ち商人はだいたい似てる。幻想郷に住める人間は暢気である、なんて条件でもあるのかも。大体の外来人でしばらく滞在した人が、外に帰りたいって言い出す確率は高いって八雲の式に聞いたことがある。それは単なる郷里の念だけじゃなくて、この暢気さに耐えられなくなるのかもしれない。聞くところによると外の世界は一日の三分の一を仕事に消費するとか…昔で考えてもそんなに働きづめの人間は城勤めの侍か、貧しい払底農民ぐらいだったのに…外の世界はそんなに貧しくなっているのかな?
目的の店に到着した。
「…こんにちは」
わたしとしては声を高めに、なるべく張って挨拶をしながら、店に入る。どうも生来の気質のせいか、わたしは随分ぼそぼそと話すらしい。コンサートの記事を書いた烏天狗に、いつかの宴会の際言われた。異変に参加してるときは別。異変の最中は自分でも驚く位ハイテンションになってるのを自覚してる。
ちなみに返事はない。どうやら先ほどのとおり、ここの店主も一日中働く人種ではないみたい。奥の部屋をのぞくと奥さんと目が合った。
「こら!お客さんだよ!とっととおきな!」
奥さんにはたかれて、店主が目を擦りながら接客に来た。ほんとに幻想郷の人間は暢気だなあ…
ここでの目的である紙を手に入れた。近ごろ値崩れを起こしている紙だが、私としては非常に助かる。作曲やら練習やらコンサートのチラシやら宣伝やら、とかく我が家の紙の消費量は天狗の文屋、稗田の屋敷、人里の製本屋(兼貸本屋)、紅魔館の図書館なみに多い。天狗や紅魔館は自給自足してるみたいだけど、わたしには人里で手に入れるしかない。意外にも紙の需要は高くて、最近じゃ命蓮寺なんて大口の顧客も増えたことから紙を取り扱う商店は、値崩れしても悠々自適。コンサートの収入があるって言っても、限度があるから、表裏使って鉛筆を字消しで消して…涙ぐましい努力をしたもんです。
次の目的に向かう途中の一本入った路地で猫を見つけた。野良のようだが、暢気に塀に寝そべっている。
「にゃー」
自慢ではないが動物には好かれない。体温がないせいで撫でられると、猫的に違和感を覚えるそうだ。八雲の式の式がとくとくと語ってくれた。あの娘、酔うとふんにゃりするけど、そのまま絡んでくるから気を付けないと。
「にゃーにゃー」
なので猫語で相手の気を引くしかないわけで。しかしこやつはちらりとこちらを一瞥しただけで、興味ないみたい。
「にゃー…」
悲しげに言ってみた。こやつは申し訳ばかりにしっぽをゆすって見せた。猫がしっぽをふるのは不機嫌なんだっけ?不遜な猫だ。まあこちらも対して興味はない。気まぐれで呼びかけただけだ。
「みゃーん」
通り抜けるついでに最後の呼びかけをしてみる。
「…なー」
あくびとも返事とも言い難い猫の声。まあ返事をしただけましか。
ちなみにわたしは犬派。
いくつかの店に寄った。木工細工、糸屋、食肉屋、金具屋、どれも常連だ。わたしのヴァイオリンの演奏には二つ手段がある。実際に現物を鳴らすのと、楽器の霊を使役する方法で、後者を使えば、一人四重奏も可能な、音楽芸術家には垂涎の能力だ。ところがこれが便利さの裏があって、自分のイメージで楽器の霊を使役する必要がある。要するに自分の実力が結局、楽器の霊の演奏に反映されるという事だ。だからわたしは実物での自分の実力を上げる必要がある。ところが、外の世界でもまだ楽器は現役なのか、幻想郷に楽器を作るような職人が居ないのだ。困ったわたしはいくつかのそれぞれの職人に設計図を渡し、自分で組み立てる事をしている。さいわい、幻想郷が閉じられる前から存在するためか、わずかながら資料には困らなかった。だいたい楽器の霊をじっくり観察すれば、詳細な形状はわかる。一番都合の良いのは外から流れてくるものを手に入れることだが、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、ギター、マンドリン、リュートどれも木製のものは年季を経れば経るほど音色が良くなるので、なかなか手に入らない。おかげで楽器制作については一家言持てるほどの知識がついた。食肉屋はおもに家畜の腸を得るためだ。ヴァイオリンやビオラなんかのクラシック演奏のイメージが強い楽器にはやはりガット弦がベストだと思う。残念ながら幻想郷では羊が多く飼育されているわけではないので代用品の開発にも余念がない。騒霊は年を取らないし、隠棲なんて考えられないが、引退したら楽器屋をやっていけるぐらいの技術を得ていると思う。
目的のものをそろえた私は、八百屋に向かう。今夜の食事は何にしようか、妹たちはどんなのが食べたいかななんて考えて野菜や魚を吟味していると、わたしが騒霊なんてこと忘れてしまいそうになる。基本食事は必要としていないけれど、食事がもたらす感情は芸術家としての向上の一助になるのでは、と人間の真似事をしている。わたしたち三姉妹の生みの親たる少女との同居生活のなごりかもしれない。…彼女の事を思い出すと、どうしても考えてしまうことがある。わたしたちは彼女によって生み出された騒霊だ。それは間違いない。だが、なぜ、彼女が死んだ後もわたしたちは存在するのだろう。消えてしまうことへの恐怖はある。ここは幻想郷だからと深く考えないこともある。でも、閻魔の言葉がわたしの胸をかき回す。
「 貴方達は生まれつきの霊。拠り所だった物は既に無い」
「 そう、貴方達は少し自己が曖昧過ぎる」
「このままでは、貴方達は暴走するか、 消えてしまうかのどちらかでしょう。拠り所のない霊は非常に不安定です。 貴方達は楽器を拠り所にしているようで実は違う。 貴方達の拠り所は貴方達を生んだ人間」
「 そして、その人間はもう居ない。消えたくなければ、 まずは、自分の存在理由を考え直すのです!」
存在理由…それがわかっている生命体は地球上にどれだけいるのだろう…妖怪は高位であればあるほど、存在理由を自覚してこの世に生まれるそうだ。騒霊の存在意義は自明だ。だが拠り所を失ってなお存在するわたしたち姉妹とはいったい…
ふと気が付くと大根を握りしめて深刻な顔をしたわたしは、八百屋の主人を含めた周囲の奥様達から一歩ひかれてしまっていた。落ち着いて…わたしは不審者じゃありません。お、落ち着いて。
大変な恥をかいてしまった。まだ顔が赤面しているのがわかる。もとが色白なせいで顔色の変化は他者にすぐばれてしまう。ポーカーやババ抜きやらではリリカに惨敗中だ。自分では感情の起伏は少ない方だと思うんだけどなあ…
「ただいま」
我が家に帰宅。出迎えはなし。どうやらほかの二人も外出中のようだ。
さて、今夜のおかずを調理しながら次回のコンサートの構想を練る。練習時の高揚、苦悩、限界を迎えた時の充実感。可愛い妹たち、姉妹愛。五月の涼風。芸術家の孤独。暢気な幻想郷の住民たち。ネコ。存在理由。手形のついた大根。今日の出来事をつらつらと思い出していると、ローテンポだが打楽器が充実した、管楽器も効果的で、弦も生き生きとした、物悲しくも陽気で、良い曲のイメージが湧いてきた。とりあえず目の前の料理が出来るまで口ずさみながらイメージを膨らませよう。良ければ次のコンサートのオープニングアクトに良いかもしれない。
そうこうしている間に、可愛い妹たちが帰ってきた。
「たっだいまー」
「ヒャッハー!ただいまー!」
次女のテンションがおかしいのはいつもの事なので、いちいち突っ込みはしない。でもメルラン?見た目うら若き乙女が叫ぶセンテンスではないと思うわ。どうやら良い着想を何かしらで得たみたい。末っ子は末っ子でソファに座ったまま何か考えている。作曲中の様子は三者三様で見ていて面白い。メルランはめちゃくちゃハイテンションではたから見て危ない人みたいに楽器を吹きまくり、リリカは全て頭の中でじっくり考えて記譜は短時間でやってしまう。わたしはさっきまでみたいに何か他ごとをしながらイメージを練って、紙に記譜して、演奏してみて、推敲を重ねる。同じ拠り所から生まれたのにこの違いはおかしくもある。だけどまあ、この様子だと次のコンサートは新曲がみっつもお披露目できるかもしれない。ああ、こうして妹たちと一緒になにか目標を持って邁進して、観客を楽しませて、すごくわたし楽しくなってきた。きっとこれはメルランの音のせいじゃない。これが、きっと、人が幸せと呼ぶものなんだわ。
つらつらうだうだと頭に浮かんだことをそのまま文章にしたような、テーマに適合した文体でした。やたらに逆接の接続詞を入れるあたり、考え事をしながら休日を過ごすイメージに合っています。
ルナサが可愛く見えて仕方がないのだが...なぜだろう。
なんと表情豊かなのでしょう。
まぁルナサの表情筋は動いてなさそうですが。
こころとルナサが談話したらさぞかしシュールでしょうね。
しかしこのルナサ姉さん、人間の里にかなり踏み込んでらっしゃる。
こういう書き方もあるものだなあ。
楽器作りのところが一番興味惹かれますね。今までになかった発想だと思います。
ありがとうございました!