皐月。
シトシトと降り続ける雨が、幻想郷全体を包み込んでいた。
梅雨であった。外の世界と隔絶したこの幻想郷にも、季節というものは変わらずに訪れる。無論それは、この不快な季節とて例外ではない。
ドス黒く分厚い雲に覆われた大地は、昼なのに薄暗く、絶え間なく降り注ぐ水のカーテンと相まって、まるで水底のような様相を呈していた。纏わりつく強烈な湿り気が、水流に代わって四肢の動きを呪縛する枷となるのと相まって、そこに生きる者にますますその感覚を強くしていた。
その枷を必死で引き摺りながら、
「ハァハァハァハァ――――」
息を切らして走る、一つの人影があった。若い男である。
「く、来るなァァァ!!」
彼は、逃げていた。降り注ぐ雨が、全身をしとどに濡らすのにも構わず。地面から跳ね返る水飛沫が、着物の裾を濡らすのにも構わず。ただひたすらに、逃げていた。
「なんなんだ、なんだんだよちくしょう!」
そうしてチラリと振り返った男の背後には、目に見えるほどの妖気を纏った、得体の知れぬバケモノの姿があった。
そう。まさにソレは、バケモノ、としか表現できぬモノであった。
ソレは、のたうつ蛇の如き妖気の渦に包まれていて、全貌はようとして知れない。そして四肢の区別すら付かぬその身で、転がるようにも、倒れこむようにも、這うようにも見える動きで以って、男を追いかけて来ているのだった。そこに言葉はない。いやそもそも、構音が可能なのかも、意思疎通が可能なのかも分からない。
しかしそれでも。男にも、ただ一つだけ分かっていることがあった。
「――――――――――――――――ッ!!」
妖気の渦の奥の奥で、爛々と燃え盛る紅の瞳が示すもの。得体の知れぬバケモノの示す、ただ一つの情動。
それは、猛烈な敵意だった。
言葉などではなく、その行動と視線のみで示される意思。原初の本能に根差した意思は、それを見る者にも、同じく根源からの情動を呼び覚ます。
故に、男の得たそれは、恐怖だった。得体の知れぬ、何者か分からぬモノに対する、根源的な恐怖。
縁起に記されるような妖怪相手にだって、畏れはある。しかし彼らは、言葉が通じる。自分たちと同じ人型をとっている。この、たった二つの要素だけで、恐怖は大幅に減じられるのだ。
だが、今、男を追っているモノは、そのどちらも欠いていた。
「俺が、俺がなにしたってんだよッ!?」
それすら分からず、男は追われていた。このまま追いつかれたとして、やはりなにも分からぬままに襲われて、そして殺されるのだろう。そういう未来が、男にははっきりと自覚できていた。
体力は、すでに限界に近かった。ぬかるむ地面と、全身を叩く雨が、思った以上に男を消耗させていた。
対して、バケモノの体力には底が見えない。そもそも、疲労という概念すらないのかもしれない。
絶望的な状況であった。助けが欲しかった。
「だ、誰か――――」
誰でもいい、助けてくれ。そう思った男の脳裏に、最近発行された幻想郷縁起の、とある記述がよぎった。
それは、誰もが知っている、ある聖人についての記述だった。
彼女は、一四〇〇年の時を経てこの幻想郷に現れた仙人であった。そして同時に、真摯に人間の味方でもあった。故に縁起には、もし妖怪に追われるようなことがあったら彼女のところに逃げ込むといい、と記されていた。もっとも、その住処の入り口の場所は秘されているらしいが。
では、どうするか。縁起編纂者の阿礼乙女が欄外に記した、一つの言葉が男の口を動かす。
「た、た、た――――」
それは、どう考えても、冗談で記されたとしか思えないふざけた言葉。平素なら、素面なら、間違いなく言わないであろう言葉。
しかし、今の男に頼れるものは、他になかった。もう足も限界に近づく中、背後のバケモノはますますその勢いを増しており、確かな死の予感がひたひたと迫って来ていた。
だから男は、まさに藁をも掴む気持ちで、それを叫んだ。
「助けてー!みこえもーん!」
そして、言ってしまってから、男はすぐに我に返った。自分はなにを馬鹿なことを言っているのだろう、と。
そうしている内に、言葉はすぐに辺りに拡散して、霧散して、やがて消えた。山彦ならぬ人間の声程度では、こんなものである。
「――――――――ッ!!」
背後のバケモノが、一際大きく鳴いた気がした。
すぐに緊張感が戻ってくる。男は慌てて速度を上げようとして、
「えっ――――?」
次の瞬間、ついに限界を迎えたその足に拒絶され、無様に地面に転がっていた。
「ぐぇっ、がっ、はぁぁ」
泥水が跳ね返り、口や目に容赦なく飛び込んでくる感覚に、男はもがいた。そして、そのままズルズルと身体を引き摺りながら、背後のバケモノに〝対峙して〟しまった。
転がった勢いで、前に進んでいたならチャンスもあったろう。這ってでも進んでいれば、それだけバケモノとの距離は離れるのだから。ひょっとしたら、そのわずかな間に、助かる新たな方策が見つかったかもしれない。
しかし、もう遅かった。男は歩みを止め、背後を向いてしまった。対峙してしまった。そうなればもう残されている道は、迎撃するより他にない。
「は、はは、ははは……」
乾いた笑いが、男の喉から漏れた。
対峙だと?馬鹿馬鹿しい。そんなこと、できるわけがない。自分は博麗の巫女や、現人神や、泥棒魔法使いなどではないのだ。ただの普通の人間なのだ。
ただの普通の人間に、妖怪を相手取って戦ったり、ましてや迎撃する力などありはしない。それは厳然たる自然の摂理であり、すなわちここで襲われている時点で、男にはある一つの決まった未来しか存在し得なかった。
「ち、くしょう……」
諦めが、絶望が、全身にのしかかる。男はもはや顔を上げる気力すら失い、下を向いた。
ビチャ、と。バケモノの近づく足音がした。しかしもはや、男はうな垂れたまま、頭を上げなかった。
後はただ、自然のままに、弱者は強者によって食われるだけ。それは当然の原理であり、変えられぬ運命――――
そう思われた、まさにその時だった。
「よくぞ呼んだ!」
そんな声が、頭上から響いてきたのは。
「えっ!?」
男が、
「――――――――ッ!?」
バケモノが、弾かれたように顔を上げた。
そこには。
「恐れるな、力なき民よ!」
さながら太陽のように紅く輝くマントを靡かせ、
「絶望を捨てよ!諦めを捨てよ!」
曇天の空にあって、なお鮮烈に輝く威光を背負った。
「私が来たからには、もはや心配は無用である!」
一人の、麗しき聖人の姿があった。彼女こそが、豊聡耳神子。この国に住まう者ならば知らぬ者はいない伝説の聖人、聖徳太子その人であった。
「さあ妖魔よ!刮目するがいい!」
神子はそう叫ぶと、腰に差した宝剣に手をやった。そして、その剣が、目にも留まらぬ速さで抜き放たれたと同時――――
「これこそが、人の理を説く輝きである!」
水底を切り裂くまばゆい閃光が、男の眼前に降り注いでいた。
「オオオオオオオオオオオオオオ!」
その直撃を受け、バケモノが、初めて明確な声を上げた。
それは、苦悶の声。弱肉強食の摂理を切り裂き、運命をもねじ伏せる十七条の輝きによってその身を焼かれたことによる、痛みを知ったが故の声だった。
バケモノの動きが、止まる。全身を包む妖気が、光の中に溶かされるように霧散していく。それに呼応するように、男の絶望も、諦めも、光によって払われていく。
やがて、その両者が拮抗し、ついにはゼロへと回帰した所で。
「オオ、オオオオ、オォ……」
巨体が、倒れた。強烈な水飛沫が、まるで血のように辺りに飛び散る。その様を呆然と見つめながら、
「た、助かった、のか……?」
男は、呆然とそう呟いた。
※
「そう、君は助かったんだ」
眼下の男にそう声をかけながら、神子は雨粒と共にゆっくりと降下を開始した。そして、腰の剣を直し、マントの裾を整え、愛用の笏を取り出したところで、悠々と地面に降り立つ。
「まぁ、まさかあんな呼び方を本当にする人がいるとは、思っていなかったけれど」
ふふ、と笑いながらそう言った神子を、男は相変わらずの腑抜けた顔で見上げていた。へたり込んだまま、泥水がジクジクとその身を浸すのにも構わず、である。
「ふむ?」
神子は微かに首を傾げた。一応の危機が去ったとはいえ、まだ状況は解決したわけではない。彼の安全のためにも、速やかにこの場からはご退場願いたいところである。
仕方ない、と神子は大きく息を吸うと、
「立て!人の子よ!」
と高らかに命じつつ、男に右手を差し出した。
「――――!?」
男がぎょっとした顔で、反射的に片手を上げた。その手をぐいと引っ張ると、神子は男の身体を勢いに任せて導き、こちらに対して背を向けさせた。そして次に、
「立ったなら、次は走る!」
と再び叫びながら、その背をトンと押してやった。
「は、はい!」
男が、ゆっくりと歩き出した。その歩みは、最初遅く。しかしすぐに速度を上げて早足となり、やがて小走りとなり、最後には明確な疾走となり。そのまま彼は、ついにこちらを振り返ることなく。雨中を、まさしく逃げ去るように、帰っていった。
「それで良いのです」
その姿を見送って、神子は一人ごちる。
「助かったなら、次は戻りなさい。君の日常に。それを守るためにこそ、私という存在はここにいるのです――――」
だから、後は私に任せて、無事で帰れ。そう思ってしまってから、神子は思わず苦笑した。
「まったく……」
一四〇〇年の長き時を越え、ようやく復活した先でも、自分はこんなことをやっている。己の目的のために生きようと。そう決めて眠りに就いたはずなのに、これでは本末転倒である。
「やれやれ」
神子自身も悪い癖だと自覚してはいるのだが、どうにも生前の名残が抜けない。つい最近もそれが高じて、人里を襲った大規模な異変を一つ、解決してしまったぐらいである。
一応、あの異変自体はある意味で、神子が眠りに就く時に残してきたモノの後始末、と言えるものではあった。しかし、神子がそれを知ったのは、真相に辿り着いてからのこと。異変に関わることになったそもそもの発端は、人々が苦しんでいるのを見たらじっとしていられなかったからである。結局のところ、まさに自分の悪いところを象徴した出来事であるのに変わりはなかった。
「――――とは言っても、放っておけないのよねぇ」
誰かが助けを求めていたら、じっとしてはいられない。ついつい、助けに行ってしまう。そういう自分の性分が、恐らくは不治の病であることに、神子は内心気づいていた。とんだお節介聖人もいたものである。
だが、そのお節介で救われる命だって、今現実にあったのだ。以前のように国全てを救わんとせずとも、自分に助けを求める声ぐらいは、きちんと零さず掬い上げたい。そして、掬い上げたからには――――
神子は笑みを消して、倒れ伏す妖魔の巨体に向き直った。
「――――――――ォォ」
視線を感じてか、妖魔の巨体が微かに震えた。そう、こいつはまだ、生きているのだった。
「このまま捨て置けば、いずれまた、同じようなことが起こるだろう」
手を出したからには、問題は解決されなければならない。危機の芽は、見つけた段階で摘み取っておかねばならない。それが責任であり、鉄則というものだ。だから神子は、
「さらばだ」
冷酷にそう告げると、妖魔に止めを刺すべく、手に持った笏をツイと持ち上げた。
その瞬間――――
雨を裂き。空を裂き。さながら雷のような軌跡を描いて。
今度は神子の頭上から、一つの閃光が、襲来した。
「チィッ!!」
神子は振り返りざま、右手を宙に滑らせる。
その軌跡に沿って振るわれるは、虚空を切り裂き出現した黄金の剣。かつて、異郷の人々の憧れを集めたこの国の別名――――すなわち、ジパングの名を冠されたそれは、飛来する閃光に負けじと輝きながら、正面きって衝突する。
甲高い金属音が響いた。閃光の根幹をなすなにかが、弾かれて軌道を乱す。
グルグルと回転しながら吹き飛んでいくソレの姿を、神子は横目でチラリと見た。中央に位置する柄から、両側に飛び出す刃の姿が確認できる。見覚えのあるその形は――――
「独鈷杵か!」
そう叫ぶなり、神子はマントを持ち上げ、自身の身を覆うように翻した。
ゲートが開く。空間と空間が、別位相を通して繋がる。仙人においては基本の瞬間移動術である。
そうして刹那の間に間合いを離し、再び姿を現した神子の視界に、四つ。再び降り注ぐ、独鈷杵の姿が見えた。
しかし狙いは神子ではない。独鈷杵の群れの向かう先は、依然倒れたままの妖魔である。それらは妖魔を四方から囲うようにして地に突き立つと、次の瞬間、光り輝く檻へと変じた。
「なんのつもりですか!?」
神子は叫びながら、頭上を振り仰いだ。
神子を襲った一連の動きは、まるで、妖魔を守るための行動とも見えて。そして、〝そういうこと″をやりそうな人物に、神子は一人だけ心当たりがあった。
「なんのつもり、とは不思議なことを仰いますね」
視線の先には、やはり、と言うべきか。神子の予想通りの人物がいた。
「目の前で虐げられている妖怪がいたならば、それを救うが私の道理」
雨除けだろうか。幅広の編み笠を被り。
「私はあくまで、その道理に従ったのみ」
この雨天の下でも虹色に煌く、不思議な巻物を携え。
「そういう貴方こそ、こんなところで一体、なにをしておいでなのですか?」
憂いと慈愛を含んだ瞳でこちらを見下ろす、その人物。
「弱き妖怪を嬲ることが、貴方の正義なのですか、太子さま?」
この幻想郷唯一の寺の僧にして、妖怪救済を掲げる異端。ヒトを超え、魔人となった尼公。聖白蓮であった。
「後から出てきて、ずいぶんな言いようね」
マントについた雨滴を払って立ち上がりながら、神子は言った。
「そもそも妖怪としての強弱など、私の正義には関係がないことだ。全ては、その者の行いによって判断されるのだからね」
そこまで言ったところで、神子は再び、笏で妖魔を指し示した。
「大体、君は分かっているのか?こいつがなにをしたのか。いや、しようとしていたのかを」
「それは――――」
神子の言葉を聞いた白蓮の顔が、僅かに曇る。しかしそれも一瞬のこと。彼女はすぐに平素の顔を取り戻すと、
「おおよその状況は、私も把握しているつもりです」
そう言って頷きながら、ゆっくりと地上に降りてきた。
ほう、と。その切り替えの早さに、神子は密かに感心した。考え方の違いこそあれ、白蓮も神子と同じく指導者という立場にいる存在。そういった立場の者に、なによりもまず求められるのは、揺らぐことなき姿勢である。そういう意味で白蓮は、合格点と言えよう。
神子がそんなことを考えている内に、白蓮は微かな水音と共に着地した。そして、彼女は自らが作り出した光の檻に向かい合って、呟く。
「ひどい傷ですね……」
白蓮は僅かに腰を落として、妖魔を檻ごしに撫でるように手を伸ばした。
その顔には、まるで我が事であるかのような、沈痛な表情が浮かんでいた。垂れる雨粒が、まるで涙のようにも見える。慈しみに満ちたそれは、恐らく、本気で相手を心配しているからこそのものだろう。
故に白蓮は、次に神子を振り返って、言うのだ。
「この子はまだ、生まれて間もない妖怪なのでしょう。人語を解さず、明確化された意識も持たず、本能のままに生きる存在。いわばまだ、動物のようなもの。だから――――」
その言葉は、予想できていた。能力など使わずとも、彼女ならそう言うだろうと分かっていた。
「だから、人間を襲っても仕方がない。そう言うわけ?」
故に、言い訳じみた白蓮の言葉を遮って、神子も言うのだ。
「私は少なくとも、そうは思わないな。動物相手でも、妖怪相手でも、それこそ自然現象が相手でも。脅威となるものがあったなら、それを排除し、より住みやすい環境を作る。これは人間に限らず、生き物として当然のことだと思うが?」
畳み掛けるようにそこまで告げて、神子は腕を組んでみせた。我ながら意地の悪い態度だとは思う。しかし――――
「貴方のおっしゃりたいことは、私もよく分かります」
白蓮は引かず、当然のように反論してくる。
「ですがそれこそ、私の正義とは関係のなきこと。貴方がヒトを救うためにここにいたように、私は今、妖怪を救うためにここにいるのです」
それはあくまで、タイミングの問題。神子より早くこの現場を目撃していたら、白蓮だって同じように人間を助けただろう。無論、そのやり方は若干優しいものとなったかもしれないが、結果自体は変わるまい。
だからこそだ、と。
「なるほど」
神子は笑みを浮かべて、頷いた。
「お互い、譲る気はないようね」
その笑みは、さながら、悪戯の上手くいった子供のような。仕掛けた罠に獲物がかかったのを喜ぶ狩人のような、そんな笑み。
「では、どうなさいます?」
剣呑な表情で身構える白蓮に、神子は右手を突き出して、待て、と合図を送ってみせた。
「いつもなら、貴方のことはすべて見させてもらった、と言うところだけどね」
「――――?」
そして、きょとんとした顔を作る白蓮に向かって、神子は言う。
「今日はあえて、貴方という存在が全く分からない、と言わせて貰いましょう」
それはつまり。彼女には、聖白蓮には、資格がある、ということ。先程の切り替えの早さを見た時点で、神子は密かに決めていた。一〇〇〇年の封印を経て、なお変わらない信念を持つ彼女の内側。その深奥を、見てやろうと。
それは同時に、白蓮が、同じく眠りを経て復活した自らに伍するに足ると。そう、神子が認めたということでもあり。
「だから、聞かせてもらおうじゃない」
挑発的な態度で、神子は言った。
「あなたの掲げる、正義を」
以前の対談では、人目もあって、できなかった話を。
「あなたの掲げる、救済の道を」
霊夢の乱入もあって、できなかった話を。
「この、一匹の妖怪の命をかけて――――」
今ここで、心行くまでしよう、と。嫌とは言わせないための、生贄すら用意して。
「貴方のすべてを、私に、聞かせてもらおうじゃない」
傲然たる態度で、神子はそう言い放った。
あえてのこととはいえ、明らかに礼を失した態度。見え見えの挑発であった。雨だってまだ、降り続いている。わざわざこの雨の中で、相手の思惑に乗って立ち話をする必要はない。そう判断されて、断られてもなんらおかしくない状況だった。
しかし、
「それはそれは。願ってもない申し出ですね」
白蓮は断るどころか、むしろ楽しげにそう答えた。
「私も貴方とは、一度、しっかりお話しなければならないと思っていましたから」
その態度は、挑発に乗った者のそれではない。むしろ、自らこそがそれを求めていたと。こんな雨ごときで、折角の機会を逃しはしないと。そう言われているかのような、どこか、薄ら寒さすら感じさせる余裕の態度であった。
釈迦の掌の上で踊る孫悟空。そんな考えが、ふと神子の脳裏に浮かぶ。
「フッ、そう来なくては」
馬鹿馬鹿しい、とその発想を追いやるように、神子はマントで雨粒を切り裂いた。
所詮彼女は、聖徳太子が敷いたレールの上から生まれた存在である。仏教というただの統治の道具に縋り、その上でもなお矛盾を抱えた哀れな存在なのである。掌の上に天の道すら掴むこの身が、そんな存在にどうして踊らされようか。
「では、そうだな」
と意地の悪い笑みを浮かべて、神子は笏を持ち上げた。
「まず第一の問いは、そいつの処理だ」
神子がそう言って示したのは、白蓮の背後で雨に打たれる妖魔であった。妖怪を助ける、という彼女の正義。今この場で、なによりも明確にそれを体現しているのが、ソレであったからだ。
「そいつは、今は傷つき倒れているとはいえ、まだ致命傷ではないはずだ。放っておけば復活して、また同じことをしでかすと思うが、それでも君は救うというのだろう?」
「ええ。もちろんです」
白蓮は、間髪入れずに頷いた。
「この子はまだ、自我が希薄なだけ。このまま育ち、ヒトの言葉を理解するようになれば、きっと分かってくれるでしょう」
「それまでは、ヒトがどれだけ襲われても構わないと?」
「もちろん、そんなことは言いません」
当然だろう、という態度で答える白蓮。
「見た目から察するに、この子は獣が変じたもの。恐らく、自らの縄張りを持っているはずです。人里の皆さんには、そこに入らないようにと布告を出します」
「根本的な解決にはなっていないな」
そう言って、神子は容赦なく切り捨てる。
「私が眠りに就いた後の平安の時代は、妖怪の全盛期であったと聞いている。君が妖怪の生態に詳しいのは知っているし、私が知らぬ知識の下、君はそういう判断を下したのかも知れない」
だが、と神子は続けた。
「その妖怪が、人里に下りてこないという保証がどこにある?妖怪に変じた原因は?食料は?縄張りの範囲は?君はそれらのすべてを知った上で、そう言っているわけではあるまい。危険を及ぼし得るあらゆる要素を網羅し、潰していかねば、民心を安定させることには繋がらない」
そして、そういう要素を確かめている間に、新たに襲われる者が現れるかもしれないのだ。そうなった時に、次もまた都合よく、自分や他の誰かが助けられるとは限らない。そうなればもう、待っているのは問答無用の巫女による裁きだけだ。
「いっそ、命蓮寺に連れて行く、とでも言った方がまだマシだったな。あそこほど、妖怪の檻に最適な場所はないだろうし」
「わざわざ人里に近い場所に連れて行くなんて、むしろ危険を増す結果になると思いますけど」
嘲るような神子の物言いにも、白蓮は顔色を変えることはなかった。冷静にそう指摘されて、神子は、む、と口を引き結ぶ。
「心配無用ですよ、太子さま」
その様子を見て、白蓮は少し勝ち誇ったように言った。
「それら不確定な要素は、すべて、この私が調べます。人里への布告は、それに巻き込まれる者を少しでも減らすための方策です」
巻き込まれる、という単語から漂う不穏な気配に、神子は顔を引きつらせる。
「いや、一体、なにをするつもりなんですか?」
「〝なんでも″、ですよ。この子を助けるためなら、なんでもします」
白蓮の輝かんばかりの笑顔が、しかし神子には不気味なものと思えてならなかった。彼女がこう言うからには、恐らく本当に、なんでもするのだろう。それがどんなに自分を傷つけても、そんなことはお構いなしに。
気に入らないな、と神子は思った。自己犠牲、なんていうのは、神子の最も嫌いな考え方だ。どうしたって犠牲が出る方策でも、最初からそれを前提に話を進めるなんていうのは、ただの諦めと変わらない。
諦めたら、人間はそこで終わりなのだ。
「それはそうと、太子さま。私も一つ、貴方にお訊きしたいことがあります」
「なんですか?」
内心の不快感を隠そうともしない声音で、神子は訊ねた。こちらが持ちかけた以上、答えないわけにはいかないが、不満の表示ぐらいは許して欲しい。
「あなたは、危険を及ぼし得る要素はすべて潰してしかるべきだ、とおっしゃいましたね?脅威は排除されるべきだとも」
「ええ、言いましたね」
それが?、と神子は首を傾げてみせた。白蓮の涼しい顔からは、言わんとしていることが読めない。
「それなら――――」
そんな神子の様子を満足げに見て、白蓮は言った。
「それなら、あなたは何故、こころさんを助けたんですか?」
「――――む」
今度は、神子も露骨に顔を顰めてみせた。
秦こころ。最近、神子が解決した異変を起こした張本人にして、神子が作り出した面より生まれし付喪神の少女である。
すべての発端となったのは、神子が作った面の内の一つが失われたことであった。そうして欠けた感情を求めて動き出したのが、付喪神たるこころ。その副作用により、人里の感情バランスは乱れに乱れた。そして神子は、それを鎮めるために、失われた面に代わる新たな面を作ってやったのだった。同じ製作者が同じ意味を込めた物を作ってやれば、元通りになるという寸法である。
結論だけ言えば、異変は解決した。こころの感情は安定し、人里の感情も安定した。めでたしめでたし。
しかし。
「――――私は、こころを助けたのではない」
自らの偉業を誇るどころか、むしろ嫌悪するような表情で、神子は言った。
「私はあくまで、〝元通り″にしようとしただけだ。助かったのは、あの子の素質だよ」
元通り、というのは、つまりそういうことだ。付喪神が元通りになれば、その先は決まっている。
神子は、こころを助けようとしたのではない。面が失われて動き出したなら、それを補填することで、元通りの道具に戻してしまえばいい。そう考えて行動したのだ。
自分の正義は、なにも変わっていない。神子は当然それに従って行動したし、結果だって悪くはなかったはずだ。
なのに。
「いいえ。貴方はやはり、こころさんを助けたんです」
なのに、何故この僧侶は、わざわざ人の心のかさぶたを掻き毟るようなことを言うのか。
「確かに一度目は、そうやって道具に戻そうとしたのかもしれません。実際、こころさんは新たな面をしばらく持て余していましたし、そのせいでまた、人里に危機をもたらしもした。ですが――――」
白蓮は、柔らかな笑顔で続けた。
「二度目は、そんなことをしたにも関わらず、貴方はこころさんを見逃したではありませんか。いつまた脅威となるかも分からないのに、放っておいた」
「――――それは違う!」
反射的に、神子は叫んでいた。
「私は二度目だって、君や霊夢と一緒にこころを退治しようとしただろう。その結果敗れたから、手出ししなかっただけで――――」
「そんな馬鹿な言い訳、通じると本気で思っているんですか?」
相変わらずの笑顔で、しかし神子の言葉を遮って、白蓮が訊ねた。
「あの聖徳太子が、生まれたての、しかも自らが作り出した物体から生じた付喪神程度に、負けるとでも?」
奇妙な威圧感を感じて、神子は、うっ、と息を呑んだ。
白蓮の様は、まるで、お気に入りのものを貶められて怒る、熱心な信徒のようでもあった。そりゃあもちろん、神子が負けるわけはないのだが、なんで白蓮がそんなことで怒るのか、神子には理解できなかった。むしろ喜ぶか、馬鹿にでもすれば良いではないか。
「まぁ、私の娘のようなものですからね。それだけの力を持っていても、別におかしくはないでしょう」
仕方なく神子は、そんな言い訳めいたことを言ってみせた。子が親を超えるのは、生き物として悪くはないことだ。問題なのは、大抵そういうモチーフに使われるのは、娘ではなく息子であることだが。
しかし白蓮が気にしたのは、そんなどうでもよいことではなかった。
「見捨てたようなことを言っておいて、舌の根も乾かぬ内にそれですか」
はぁ、と呆れたように溜め息を漏らして、白蓮は言った。
「どうして、こうなんでしょうね。道教なんてものを信仰しているから、こうも傲慢になってしまうのかしら」
「失礼ですね」
神子は、口を尖らせて言った。なんでいきなり、人の信仰の話になるのか。そういうのを、言いがかりというのではないか。
「傲慢さと道教には、なんら関係がない。大体、私は傲慢なのではなく、正しい自己認識をしているだけです」
「そうでしょうか?」
白蓮は納得せず、異を唱える。
「貴方が偉人であることは認めますし、異議などはまったくありませんが、やはり道教の本質は傲慢だと思います。人間の行き着く先の限界を見据えるのが、別に悪いとは言いませんけど、そのために切り捨てられるもののことを考慮に入れていないでしょう?」
「それが、貴方の救いたい妖怪であると言いたいの?」
雨に濡れた髪をかき上げながら、神子は、ハッ、と鼻で笑ってみせる。
「だったらそれは、言いがかりも甚だしい。人間が仙人となれば、妖怪は自らの格を上げるためにも、仙人を狙ってくるでしょう。それを撃退することのなにが悪い?黙って食われろというのか?」
「そんなつもりはありません!」
やや声を荒げて、白蓮が否定の声を上げた。
「ただ私は、殺し、殺される、というだけの関係がおかしいと言いたいのです。妖怪だって、仙人だって、人間だって、すべて救われるべきだと!」
それはつまり、白蓮の掲げる正義の話。
「この幻想郷に来て、貴方だって見たでしょう。妖怪と人間は、共存できるのです。弾幕ごっこというルールの下に。賢者の取り決めというルールの下に。危ういバランスの上でも、それでも共存は可能なのです」
ひょっとしたらここは、彼女にとっての理想郷かもしれない。仏の道の下、人と妖怪の共存を掲げ、その結果封印された彼女の、最後に流れ着いた場所。最後の希望。
「一切衆生悉有仏性、とでも言いたいのか、君は?」
しかし、それを踏みにじるように、神子は言う。
「すべてのものには、仏たる要素がある。故に、救われる要素がある。確かに素晴らしい考え方だ。広められたなら、縋りつきたくなる者が多いのも分かる」
その教えを広めたのは、他ならぬ神子自身である。役に立つと思ったから。便利だと思ったから。一人の手では掬いきれない者の心ぐらいは、せめて救う助けになるだろうと思ったから。
「だが、君は失念している。この世界には、理を説いても、決して聞かぬものが存在することを。聞けぬものが存在することを。そして――――」
仏でなどあっても、と神子は吐き捨てるように言った。
「決して、変えられぬ運命(さだめ)があることを……」
すなわち、死、である。
仏の道は、死を肯定している。死と生を繰り返す、輪廻の歯車。それを抜け出すことを究極とするからには、前提となる死がなければ成り立たないからだ。
「仏教における最終目的は、輪廻の輪から抜け出すことよね。でも、抜け出してどうするの?そんなものは、ただの逃げでしかないと思わない?」
苦笑交じりにそう訊ねつつも、白蓮の返答を待たずに、神子は続ける。
「それでもまあ、逃げ出せた者はいいだろうね。この世の一切の苦しみから逃れ、浄化された世界で面白おかしく暮らせばいいのだから。だが――――」
と神子は目を閉じて、降り注ぐ雨に顔を晒すように、天を仰いだ。
「そうできなかった者は、どうする?残された大部分の者は。理を聞かず、解しもしない無法者の蠢く穢土に残された者たちは、一体どうなる?苦しみ抜いて、現世を諦めろというのか?来世に期待しろというのか?」
そんなの。
「そんなの、私は認めない」
誰かが。
誰かが、導かなくてはならないのだ。
この世に悪があるならば。この世に不条理があるならば。それを超えた絶対的な力と知性で、世を変える。今、ここに生きる者を救ってやる。そういう存在こそが、多くの民には必要なのだ。
しかしそのためには、人の身では時間も力も足りない。どれだけ知性に優れていようと、どれだけ力に秀でていようと、人である以上、死は変わらずに訪れるのだから。
「私は、死を受け入れなどしない。ましてや、輪廻の外に逃げようとも思わない」
故に自分は、人の身を捨てた。神子は顔を戻すと、白蓮を真っ向から見つめて、言った。
「私はあくまで、この世に存在し続ける。そして、人間の味方であり続ける。道教は、あくまでもその手段にすぎない」
「……また、道具、と言うのですね、貴方は」
白蓮が、静かにそう言った。
「自らの欲望のために力を求め、万物を利用しようとするその傲慢さ。私には、貴方が、あの青娥さんと同じ存在に思えてなりません」
それは彼女なりの、嫌味のつもりだったのかもしれない。
「その認識は正しい」
しかし神子は、気にすることなくそう言って、頷いた。
「以前にも言ったと思いますが、力というものは使い方の問題なのです。それ自体には、悪意も善意もない。青娥は私と同じ仙人ですし、師のような存在でもある。ならば同じものを感じても、なんら不思議なことはないでしょう」
「――――」
白蓮が、ぐっと唇を噛んだ。悔しげなその様は、不思議と、自分の言葉があっけなく返されたことに対してよりも、なにかもっと別のものに向けられているようでもあって。
「……そんなことだから、貴方は封印されたのです」
それを振り払うように、白蓮は苛立たしげに言った。
「自らの広めたものを道具と言い切り、それに反する形で縋ったものまでも手段と言い切る。その行いは、どちらの道を行く者にとっても、許しがたい裏切りです」
またしても悔しげな顔を作って、白蓮が続ける。
「貴方のその傲慢さは、聖人でない者には理解されない。それは妖怪相手に限らず、貴方の守ろうとする人間相手でも同じことです。一四〇〇年にまで延びた眠りの時間は、貴方のなにも変えなかったのですね」
「――――ッ!」
神子は思わず、頭に血が上るのを感じた。
「理解できなかった、のではなく、しようとしなかった、の間違いだろう!?」
まずいな、とは神子自身思いつつも、声が荒くなるのを抑えられない。
「私を封じたのは、他ならぬ貴様ら仏門の徒だが――――」
と白蓮を笏で指しながら、糾弾するように神子は言った。
「要するに、お前たちは恐れたのだろう?自分たちがもっともらしい講釈をどれだけ垂れようと、決して救われることのない現世。そこに、この私という聖人が復活するのを。そしてその結果、私の引いたレールの上で享受していた特権を失うのを!」
仏教の二面性。欲を捨てることを謳いながら、その実、仏の威光を傘に着て、自らの欲を通す。自らが封じ続けた聖徳太子をも利用し、外来の宗教でありながら、この国の中心としてあり続ける。この国においては、道教などよりもずっと、仏の道の方が権力者の道具なのである。
「先程の輪廻の話だってそうだが――――」
一部の徳を積んだ者たちは、残された者たちとは違う次元に移行してしまう。それはつまり、自分だけが助かるということではないのか。自分を助けた者はすなわち誰かに助けられた者である、なんて言葉遊び、道教と一体なにが違うというのか。
「本当に悟りを開いた者はこの世を見捨て、悟りを笠に着て特権を享受する者はこの世の春を謳歌する、というこの矛盾。傲慢というなら、それはむしろ仏教の方ではないか!」
そこまで言ったところで、神子は深く息を吐きつつ、笏を下ろした。少し強くなった気がする雨に身を晒して、頭を冷やす。
正直な話、神子も、これがお門違いの言いがかりなのは理解していた。白蓮が、そんなことをできるような境遇でなかったのも。
だが、だからこそ。
「――――確かに、そうかもしれません」
と、怒るどころか、逆にそれを受け入れるようなことを言う聖白蓮という人物に、神子はどうしようもない苛立ちを覚えるのだ。
そして、認めた上で彼女は、こう言うのだ。
「だから私は、その傲慢さで切り捨てられた者を救うために、ここにいるのです」
「――――君はッ」
どうして、そうなのか。
「君は、一体いつまでそんな夢物語を抱き続けるんだ!?人間に裏切られて、封印されて、おまけに大多数の妖怪にだって理解されないというのに!」
外の世界で忘れ去られた者が、最後に辿り着く場所たる幻想郷。しかし水底に浮かぶ楽園のようなこの地でも、力のない者は存在することができない。自らの存在を誇示できぬものは、結局、人から忘れられて消えていく。命蓮寺にいる山彦が、その良い例だ。
そして、それは同時に、この幻想郷において悠々と存在し続けられる者は、そもそも救いなど必要としていない、ということでもある。
「今はまだ、それでもいいかもしれない」
白蓮がなにかを言う前に、神子は続けた。彼女はどうせ、理解されるために救済しているのではない、なんてしょうもないことを言うだろうから。
「自分を慕ってくれる妖怪だけに囲まれて、それを救って、今回のような自我の希薄な妖怪を見つけては、それを導いて。小さな君の理想を追いかけていればいい」
だが、と神子は言う。
「人間だって、馬鹿ではないんだ。時を経て、知識を蓄え、認識を改め、そしていつかは妖怪を駆逐していく。それは力ではなく、概念でだ。いずれこの幻想郷でも、君のところの山彦のような存在が多く出る時代が来る」
この雨のように、外の世界から様々なものが流れ着く幻想郷だ。賢者の選別が滞れば、それはひょっとしたら、明日にでも起こることかもしれない。
「傲慢さで切り捨てられる者は、常に一定数存在するわけではない。周囲の状況により、増えも減りもする。そして、切り捨てられた者が、皆、弱者であるとも限らない」
つまり神子が言っているのは、昨日まで絶対無比の強さを持っていた者が、切り捨てられる側になった場合のこと。
「妖怪とは、精神の生き物だ。特に一人一種族の者に顕著だが、己を誇示して生きているような妖怪は、当然プライドだって高い。自分がいかに消えそうな状況であっても、君の教えを受け入れるとは到底思えない。しかしそういう連中も――――」
「もちろん、私は救います」
毅然とした声で、神子の言葉を遮り、白蓮がそう言った。言い切った。
「私の救いは、この場でこそ、殺されつつある一人の妖怪に向けています。そして平素の私の教義でも、妖怪の救済を説いています」
しかし、と白蓮は言った。
「私はあくまで、切り捨てられた者を救う、という自らの正義から、それを唱えているだけです。本来、救われないだろう者を救うために。その根本にあるのは――――」
揺らぐことなき、信念を包んだ声で。
「すべてを、仏の名の下に、等しく救済する。貴方の言ったように、そういう考え方です」
すべてを、救う。
神子が、鼻で笑ったその言葉を。神子が、そんなのは道具でしかないと、理想論でしかないと、嘲った言葉を。
白蓮は、再び、口にした。
「すべてを救う……」
甘い考えだ。人の上に立った者ならば、誰だって分かる。人間の手は、あまりにも小さすぎて。そこに掬えるものなど、本当に限られていて。
「そんな理想を掲げ続ければ、今度は人間だけでなく、妖怪にさえ疎まれることになっても――――」
そして、掬おうと手を伸ばしたとて、それが必ず感謝されるものではないというのに。
「ええ。私の考えは、変わりません」
白蓮は、変わらぬ決意の声で以って、そう答えた。
無駄だ、と言っても。逃げだ、と言っても。傲慢だ、と言っても。なにを告げても、なにを貶めても。彼女のその正義は、最初から、欠片ほども変わらない。
どうしてこんなにも、この娘は現実が見えないのだ。どうしてこんなにも、この娘は自分が傷つく道を選ぶのだ。
もっと、その目で見るものを減らせばいいのに。もっと、考えることを減らして、楽に生きればいいのに。もっと、自分のことを考えて、傲慢に生きればいいのに。そして、もっと、自分の持つ力を自覚して、〝諦めればいいのに″。
「封印されたというのに、その一〇〇〇年という長き時間は、君のなにも変えなかったのだな……」
誰かが言ったような言葉を、神子は吐き捨てるように言った。今や雨は、音が聞こえるほどに強くなっていた。
その、雨音に紛れるようにして。
「そんなの、太子さまだって一緒でしょうに……」
静かに、悼むような声音で、白蓮がそう言った。
その言葉が、どうしてか。
「同じだと!?」
神子の心を、深く抉った。
「私と君の、なにが同じだと言うんだ!」
神子は怒りに任せて、叫んだ。
「私は君よりも、はるかに現実を見ている!私は君よりも、はるかに楽に生きようとしている!私は君よりも、はるかに自分勝手に生きている!私は――――」
諦めてなど、いない。
誰だって、みんなが救われるのなら。
その方がいいに、決まっている。
「くっ――――」
神子はマントを翻すと、空間転移を行った。目指す場所は、妖魔を囲う檻の近く。白蓮の立つ、その横である。
「えっ!?」
突然の動きに、白蓮が驚きの声を上げた。
一瞬の暗転の後、神子の眼前に、驚く白蓮の顔が現れた。その視線は、もはや雨粒しか存在しない、先程まで神子がいた空間を向いている。反応が遅れている。
それをチャンスと見て、神子は、
「きゃっ――――!?」
白蓮の華奢な肩を掴むと、近くに聳える木の幹へと向けて、思いっきり押し付けた。
衝撃で、白蓮の編み笠が地面に落ちる。
「い、痛いですよ、太子さま……」
目尻に微かに涙を浮かべて、白蓮が見上げてくる。編み笠のヴェールを奪われたその顔には、長話で水気を吸った髪の毛が数条、張り付いていた。
「君は、すべてを救うと言ったな?」
神子は、間近で白蓮の瞳を覗き込みながら、訊ねた。
「――――――――っ」
尋常でない気配を察したのか、うっ、と白蓮が息を呑む。上下する喉の白さが、雨に濡れて異様に眩しく見えた。
「ならば、君のその理想とやらで――――」
神子は、白蓮の顎にツイと右手の指を差し入れる。雨と湿気でしとどに濡れ、肌に張り付いた衣服が、露出もないのに、奇妙な色香を放っていた。
「私を、救って見せろ」
その言葉は、最後まで告げられることはなかった。何故なら、最後に神子の口を通った空気は、そのまま白蓮の唇の中に吸い込まれていたから。
二つの影が、雨の降り続ける木陰で重なる。
「んっ――――」
白蓮の瞳が、驚きに見開かれた。先程よりもはるかに間近で、神子とその視線が交錯する。
しかし神子は、それで終わらせるつもりはなかった。唇を微かに開き、その間から舌をさしだす。
「ふぁ――――っ!?」
白蓮の熱っぽい吐息が漏れる。戸惑うようなそれを無視して、神子は舌を推し進めて、白蓮の唇をほぐしていく。
ゆっくりと。ゆっくりと。
無理矢理に進めるのではなく、抵抗を失わせるように。
「んんんっ」
反応として帰ってくる喘ぎを、どこかで楽しく感じながら、神子はその行為に没頭した。
そうして駆け引きを楽しんでいる内に、やがて、抵抗が失せた。その隙を逃さず、神子は舌先を白蓮の口中に侵入させる。
「――――ぁ」
白蓮は、もはや驚きの声を上げなかった。ただ、歯を噛み合わせることもなく、為されるがままに侵入を受け入れた。
唾液が絡まる。重なり合っているだけだった影が、ついに繋がる。
「――――――――」
白蓮が、目を閉じた。強張っていた彼女の肩から、力が抜ける。
そして、神子は。
口中に侵入した舌先に、白蓮の舌の感触を感じ。自らの腰にゆるりと回される、白蓮の両手の感触を感じたところで。
「――――ッッ!!」
ふいに我に返って、弾かれるように身を離した。白蓮の唇との間に、一瞬、透明に煌く架け橋がかかり。
「あっ――――」
どこか、名残惜しそうに声を上げる白蓮の前で、すぐに消えていった。
その姿を、睨みつけながら。
「貴方は――――ッ!」
自らの唇を、手の甲でぐいと拭いつつ。
「貴方は、一体、なにを考えているんですかッ!」
責めるように、神子は言った。
嫌がらせのつもりだった。こうでもしてやれば、不邪淫戒を掲げる仏教の徒なら、ただ拒絶するしかないだろう、と考えて。わざわざ、救って見せろ、なんて挑発をしつつ、相手が拒絶する様を見て、ほれ見たことか、と。結局、すべてを救うなんてできないじゃないか、と嫌味の一つでも言って、終わらせてやろうと。神子は、そう思っていた。
別に、やることは姦淫でなくたって良かったのだ。酒だって、盗みだって、なんでもいい。ただ、自分を使ってすぐできるから、というだけで、この方法を選んだだけの話。
なのに、彼女は。
「なにを考えて、なんて言われても、困ります」
聖白蓮は。
「だって貴方は、救って見せろ、とおっしゃったじゃないですか」
よりにもよって、受け入れようとしたのだ。戒律破りになることを知りながら。それが、仏の道に反することを知りながら。
仏の名によって救うために、仏の教えに反することをする。そんなのは、もはや――――
「そうして救うことが、私のためになるとでも言うんですか」
神子は頭痛を堪えるように、右手で頭を抱えた。
「貴方は、私など救わなくてもいいんです。私は異教の徒で、仏敵でしょう。私が挑発したなら、貴方はそれを拒絶して、滅ぼせばいいんです。戒律に関わることなら、尚更!」
だって、戒律というのはつまり、始祖の唱えた倫理のことだ。ならば、それを破れと囁く者は、すなわち教義を捨てよと囁く悪魔と同義である。
なのに、白蓮は。
「そうはいきませんよ」
そんな悪魔に対してだって。
「だって、私が貴方を救えばきっと――――」
当然のように救いの言葉をかけて、その行いに付き合ってやって。
「貴方は、戻ってきてくれるでしょう?」
「――――ッ!!」
ハッ、と神子は顔を上げた。
「戻る?どこへ戻るというのだ……?」
もはや聖白蓮のその生き方は、仏の道を外れているというのに。戻る場所なんて、どこにもないというのに。
「もちろん、貴方が広めた、仏の道ですよ」
白蓮は、不思議そうな顔で言った。
「貴方が戻ってきてくれるなら、きっと妖怪もヒトも、この世に生きるあまねくすべての存在を、救うことができると思うから――――」
その先を言うな、と。神子は、身を引きながら、切に願った。
しかし。
「だから、そのためなら私の身など、どうなっても構いません。貴方さえ救えれば、それで」
白蓮は、笑顔さえ浮かべながら、そう言った。
ずっと降り続ける雨に、濡れに濡れ。先程の激しい動きで、衣服さえ乱れながらも。
彼女の姿は、美しかった。理想と信念に殉じるが故の、気高き孤高の美しさ。だが、その殉じる先に選ばれた者にとって、それは重荷でしかなった。
「やめてくれ……」
もはや後ずさりを始めながら、神子は呟いた。
「私に寄りかかるな。私は、仏ではない。神でもない。私は、貴方のもたらそうとする救いに、保証など与えられはしない」
だから、貴方さえ救えれば、などと言うのはやめろ。そんな物言い、迷惑だ。
「貴方はまるで、悪魔だ。仏の倫理に反してでも、善意をひたすらに振りまき、その救いで人を惑わす」
彼女が伝えるべき言葉は、本当はそんなものであってはならない。仏の道による救済を謳うなら、本来それは――――
「貴方は、ただ、救われに来い、と言えばそれで良かったのだ。誰に対しても。それが通じなくとも」
そのために彼女は、自らの寺に毘沙門天を置いているのだろう。妖怪の救済を掲げて、それを仏に認めさせるために。仏による妖怪の救いを、成し遂げるために。
なのに彼女は、自分で動いてしまっている。仏の救済ではなく、仏の代わりに救済をもたらそうとしている。その結果、封印までされているというのに、未だ目を覚ますことはない。
その盲目さは、彼女の慈愛が故に。
「そう、君の善意と愛は――――」
神子は、顔を顰めて。
「仏をも越えて、あまねきすぎる」
嫌悪感を隠そうともせず、吐き捨てるように、そう言った。
しかしその嫌悪は、白蓮に向けられたものではなかった。神子は、自らの行いこそを嫌悪していた。
白蓮は言うなれば、こころと同じだ。神子が眠りに就く前に残した、いや、残してきてしまったものより生まれた、怪物。この国に広まった仏教というものが生み出してしまった、魔物。それが、一〇〇〇年という時を経て、この幻想郷に復活したのだった。
では、怪物を前にして、自分はどうするのか。どうすればいいのか。
仏ではない自分には、彼女の間違いを正すことはできない。怪物を生み出してしまった自分には、彼女を糾弾することはできない。そして、最初から仏教を捨て去っていた自分には。
「残念だが、私には、貴方を救うことはできない」
彼女を救ってやる、資格がない。
「太子さま……?」
怪訝な顔を向ける白蓮を無視して、神子はマントの中で、宝剣の鞘を撫でた。
救えないならば、やることは一つしかない。
ここに生きる人間に。ここに生きる妖怪に。未来の幻想郷に。そしてなにより、聖白蓮という存在に危険を及ぼし得る魔物を、神子自身の手で滅ぼす。
そのために、この場にて彼女の心を体現するもの。それを、排除する。破壊する。殺す。そうして、彼女の心を、信念を、生き方を、砕く。
危険を及ぼし得るものはすべて排除する。それが神子の、為政者としての信念。神子は常にそうして生きてきたし、それ故に恨みを買うことも多かった。
だが、そうすることで救われる誰かがいるならば、それでいい。例えその結果、救いたいと思っている相手に疎まれようとも。それでも――――
そこまで考えて、神子は己の思考に蓋をした。だって、その根源には。
『そんなの、太子さまだって一緒でしょうに……』
脳裏によぎったそんな声を振り払うように、神子はマントを翻した。向かう先は、この場で白蓮の理想と正義を体現する、光の檻に包まれた妖魔の下である。
ゲートを潜りながら、神子は腰の宝剣を抜き去る。太陽よりも眩い天帝の輝きが、無限の闇の中に飲まれ、そして一瞬の後に地上に現出する。
光熱に焼かれ、雨粒が弾ける。
目標は、目の前だった。ちょうど直上に出現するように位置調整していたため、後はこの手に握ったものを振り下ろすだけで、終わる。
これが私にできる、ただ一つの責任の取り方だから。そう、心の中で言い訳めいたことを呟きつつ、神子は手の中の刃を振り下ろし、すべてを終わらせる。
――――はずだった。しかし。
「そう来ると思っていましたよッ!」
二度目ともなれば、行動は読まれるものである。転移で神子の視界が失われた一瞬の間に、光の檻はすでに消えていて、そこには白蓮が立ち塞がっていた。
それだけではない。彼女は、明らかに丸腰であった。独鈷杵を構えることもなく、素手のままにこちらに対峙していたのだ。
「くっ――――」
神子は刹那の間に、躊躇った。
白蓮がこういう行動を取ることは、予想してしかるべきだった。彼女は、自分が傷つくことを厭うような女ではない。むしろ自分の目的のためには、進んで傷を負いに行くような、そんな壊れた存在なのだから。
「チィィッ!」
それならば尚更、ここで彼女に傷を負わせてはならない。神子はなんとか、剣の軌道を逸らそうと試みる。何故なら、理想のために負った傷は、苦しみではなく勲章だから。それは信念を砕くどころか、よりその理想を強化することになりかねない。
とはいえ、落下の勢いを加えられた剣閃は、もはや神子の両手の動きで止められる状況をとうに過ぎていて。白蓮からわずかに軌道を逸らしたとて、そこには本来の目標たる妖魔の姿がある始末。
結局、神子は努力の甲斐なく、待ち受ける白蓮に向けて、北極星の輝きを叩き付けていた。
キィン、と。
およそ、生身と鋼がぶつかった結果とは考えがたい、耳を貫く、奇妙な甲高い音が響いた。
「く……うっ……」
苦痛に歪んだ白蓮の顔が、先程と同じように間近に見える。
白蓮は、自身に迫り来た刃を、その両の掌で受け止めていた。もちろん、術法の加護は得ていただろう。でなければ今頃、それは肉体との連結を断たれているはずだから。
にも関わらず、今、彼女の両掌からは、しとどに血が流れていた。宝剣の柄を握る神子の手にも、なにかを断つ奇妙な手ごたえが断続的に届いていた。神子の持つ宝剣が宿す、破邪の力。すなわち、魔を払う力が、彼女の加護を引き裂き続けているのだった。
想像を絶する痛みであろう。完全なる割断すら許されず、常に身を裂く感触に苛まれながら、いつ終わるとも知れぬ苦痛に耐える。それはまさに、地獄の責め苦に等しい。
なのに。
「……良かった」
なのにまた、白蓮は。
「貴方が、この子を殺めることにならなくて」
よりにもよって、現在進行の形で己の身を侵し続ける、憎きはずの剣を握る者に対して。
「不殺生戒。貴方が、罪を重ねることにならなくて」
先程一度は、自分が破った戒律を、相手にだけは破らせまいという決意で。
「本当に、良かった……」
本当に、本当に心の底から喜ぶような笑顔で、そう言ったのだった。
「――――なんでっ」
神子は。
「なんで貴方は、この期に及んでもそんなことを言うの……?」
震える声をなんとか搾り出して、訊ねた。
わけが分からない。話し合いを放棄して妖魔を狙った時点で、もはや神子は敵のはずだ。神子は、救いなど求めていない。理を説かれることを望んでいない。理を解するつもりだってない。そのことを、行動で示したのだ。それこそ、教えを阻む仏敵と言っても良い存在のはず。
「なんで、って。太子さまはまた、不思議なことをおっしゃいますね」
しかし白蓮は、腑に落ちない、という顔で、そんなことを言ってみせた。
「だって、太子さま――――」
そして彼女は、握っていた宝剣から、その両手を離すと。
「私に――――」
血に塗れたままの手で、神子の頬を包み込むように撫でながら。
「私を救って見せろ、と頼んでくれたではありませんか」
「――――ッ!!」
べたり、と。生暖かい感触が触れた。まずい。逃げろ。今すぐ離れろ。そんな声が頭の中で反響しているのに、白蓮の血が呪縛のように神子の全身を絡め取り、身動きができない。
近くで。
「さあ、太子さま」
再び顔が触れそうなほどに近くで。
「今度は、いかがなさいますか?」
白蓮の唇が、艶かしく蠢いた。
――――その瞬間だった。
「そこまでよ!」
二人の頭上から。
「聖様から離れなさいッ!」
そんな、聞き覚えのある二つの声が降ってきたのは。
「くっ!」
「あ――――」
白蓮の手を振り切って、神子は慌てて背後に跳んだ。今の声を発したのが、神子の思っている通りの者たちならば、次に来るだろうモノは決まっている。
「っしゃらああああああああ!」
最初に来たのは、錨だ。辺りに山ほど存在する水の尾をまとったソレは、つい先程まで神子がいた位置をさながら龍の牙のごとく抉り、砕いた。水飛沫が辺りに飛び散り、霧のようになって視界を隠す。
「やって!雲山!」
それに続くは、少女の声に呼応する二つの拳。視界が奪われた状況を最大限利用し、裏をかいて横から迫る鉄拳制裁を、神子はすんでのところで回避する。打ち合わさった巨大な双拳が、その拳圧で以って水飛沫を弾き飛ばした。
そうして、辛くも二つの攻撃を回避し、神子が体勢を立て直すと同時。
「やはり、貴様たちだったか……」
開けた視界の中で、白蓮を庇うようにして立つ二人の人物の姿が、神子の目に入った。命蓮寺に住む、舟幽霊と入道使い。名は確か――――
「そうよ、私たちよ!」
舟幽霊が、地面に刺さった錨を引き抜きながら、言った。
「命蓮寺にこの人ありと言われた、荒事専門の切り込み隊長。名を、村紗!」
「切り込み隊長?」
と首を傾げた入道使いを、村紗と名乗った舟幽霊が肘で軽くつつく。
「ほらほら、いっちゃんも名乗って」
「え?ええ」
ごほん、と咳払いを一つして、入道使いが言った。
「雲居一輪です。こちらは雲山。まあ、以前にも会ったと思いますけど」
彼女の姿は、以前のこころの異変の時に何度か見ている。その戦いぶりは、確かに荒事専門というに相応しい勇壮さであった。
「はっ!聞いたか、邪教の仙人!」
錨を担いだ村紗が、意気揚々と叫ぶ。
「命蓮寺が誇る力のツートップ、むらいちコンビとは我らのことよ!聖徳太子だかなんだか知らないが、私たちが揃ったからには、これ以上の狼藉は許さん!早々に立ち去るがいい!」
なにやら一人で猛烈にハッスルしている村紗だったが、彼女の背後の聖はおろか、横に立つ一輪も、
「え?なにそれ?」
みたいな顔をしていた。
「妖怪風情が……」
話のコシと緊張感を削がれて、神子は若干の苛立ちを覚えていた。それに加えて、先程の痴態である。上空から来たこの二人にはどう見えていたか知れないが、あの時神子は、完全に白蓮に呑まれていた。あのまま行けばどうなっていたのか、と想像すると、怖気が走る。
そんなイライラを解消するためにも、いっそ、思いっきりこいつら相手に大暴れしてやろうか。そんな思考が、神子の脳裏に浮かぶ。こいつらならば、生まれたての妖魔よりも少しは歯ごたえがあるだろうし、なにより力のある妖怪相手なら、多少痛めつけても平気である。そういう意味では、格好の八つ当たり道具かもしれない。
「…………」
なんてことを聞いたら、また道具か、とか白蓮はきっと言い出すのだろう。本当にもう、なんだってそんなに食ってかかってくるのか。
「立ち去れ、だと?後から来て、偉そうに言ってくれるな」
イライラに任せて、神子は声を上げた。
「私は、そこな妖怪の処遇をかけて、白蓮僧正と争っていたのだ。そして、その結論はまだ出ていない。目的を達していないのに去る道理が、この世のどこにあるというのだ」
そう言って、右手に持ったままの抜き身の宝剣を、これ見よがしに持ち上げてみせる。その刀身には、先程まで白蓮が握っていたことによる、真っ赤な鮮血が光っていた。
「それは――――ッ!?」
ぎょっとした顔で、村紗と一輪が背後の白蓮を見る。
「あ、あの、二人とも……」
白蓮はバツが悪そうな顔で、両手を胸の前で握り締めたが、あいにく出血量が多すぎて隠しきれていない。
「「貴様ッ!」」
声を重ねて、村紗と一輪が振り向く。顔色が変わっていた。それはそうだろう。自らが慕う者の傷ついた姿と、それを付けた者の姿を見て、冷静でいられるほうがおかしい。そこで、すべてを受け入れろ、などという仏の道がおかしいのだ。
「そうだ。その感情の発露は正しい。そういう意味では、妖怪はある意味、まっとうな生き方をしているのかもしれないな」
神子はそう言って頷くと、宝剣を一振り。刀身についた血糊を飛ばして、鞘に戻した。
「どういうつもり?」
剣呑な顔で、一輪が訊く。
「なに、ハンデだよ。君たち程度を相手にするのに、私の半身を使うのはしのびないからね」
それに対して、嘲るような視線を向けつつ、神子は笏を取り出して見せた。
「これで充分、ってことさ」
「このッ!」
「舐めやがってッ!」
効果は覿面。見事に挑発に乗った二人は、獲物を構えて臨戦態勢をとった。
「ふ、二人ともやめなさい!これは別に、そういうわけでは――――」
白蓮が必死に諌めようとするが、もう遅い。
「聖は黙ってて」
「聖様はお静かに」
頭に血が上りきった二人には、通じない。
「それでいい」
神子は満足そうに頷いて、どこか退廃的な笑みを浮かべた。
こうして白蓮の門下の妖怪の恨みを買って、自制をなくさせて攻撃させ、当の本人の目の前で無様に叩きのめす。そしてその後、あの傷ついた妖魔をも片付けてやる。当初の予定とは違ってしまったが、これはこれで、ある意味白蓮の理想を砕くことにはなるのかもしれない。
荒れに荒れた、円滑さとは程遠いみっともない方法ではあった。だが、彼女の間違いを正すこともできず、糾弾することもできず、助けることもできず、そして呪縛から解き放ってやることすらできなかった自分には、お似合いの方法かもしれない。
そんな自嘲的な気分のままに、神子は一歩を踏み出した。笏を携え、マントを翻し、ニヒリズムの極致のような笑みを浮かべて、
「さあ、来なさい!」
とそう告げた、その声を切り裂くようにして。
「そこまで!双方、剣を収めよ!」
上空から、今度は眩い光の柱が、両者の間に降り注いだ。
「この光は!?」
それはどこか、見覚えのある光であった。これを見たのは、いつだったか。はるか昔のことであったように、神子には思える。
「ちょ、一輪?」
「ええ、これって……」
村紗と一輪も、動きを止めて光柱を見つめる。彼女たちも、それには見覚えがあるようだ。
「これは、法の光」
そして最後に、白蓮がそう呟いた。彼女は立ち上がり、光の柱の根元を指差す。
誘われるようにその先へ目を向けながら、神子はふと気づいた。
「雨が……」
いつの間にか、雨が上がっていた。光の柱に飲み込まれるようにして、上空に漂う鈍い色の雲が、穴を開けていた。
その、雲間に。光の袂に。一つの影が立っているのを見て。
「なっ――――」
神子は驚愕に、息を呑んだ。
その姿は、神子に、ある一つの記憶を想起させた。それははるか、一四〇〇年も前の記憶。神子が眠りに就く、少しだけ前の記憶。この国の行く末を二分する、大きな戦乱の記憶。
古の神々と、仏の戦争。見かけの上とはいえ仏の側で参戦し、苦戦をしていた神子が、その生涯で唯一、仏に縋った瞬間。
その影は、今と同じように、雲間から現れたのだった。
「毘沙門天……」
呆然と、神子はその名を呼ぶ。
「いかにも!」
雲間の影が、凛とした声で答える。だがその声で、神子は相手の正体を喝破していた。
「くだらないペテンね、寅丸星」
ふん、と花で笑って、神子はその名を呼んだ。それと同時に、光が消える。
「ペテン、ですか」
という声に目を凝らせば、なんのことはない。まばゆい光で惑わせていただけで、そこにいるのは、命蓮寺の妖怪本尊。毘沙門天の〝代理″たる寅丸星であった。
「この宝塔は本物ですし、発する光も正しく法の光なのですけどね」
星は説明的にそんなことを言いながら、ほっ、と乗っていたなにかから飛び降りた。木でできたと思しき巨大なそれは、船であった。そういえば命蓮寺は、その一部が空を飛ぶという話を、神子も聞いたことがあった。
結構な高所からの登場だった星は、やや時間をかけて地上に降り立った。
「二人とも、自分たちに任せろ、なんて言って出て行きましたよね?」
そして立つなり、神子の方を無視して村紗と一輪に向かい合って、お説教を始めた。
「それがどうして、こういうことになっているんですか?相手の挑発にまんまと乗るなんて、精神が薄弱にもほどがあります。特に一輪。村紗と違って僧衣を着ているというのに、精神の鍛錬が足りませんよ」
「うう、その。面目ない、寅丸さん……」
「えー、私はいいんかーい」
途端に緊張感をなくす二人の額に、てい、と星はチョップを入れた。
「今は公務中です。毘沙門天さまとお呼びなさい」
「……はい、毘沙門天様」
「なによ、星のくせに」
素直に謝る一輪と、対照的に口を尖らせる村紗。なんとも統一感のない連中である。
「さて、失礼いたしました、聖徳太子よ」
お説教を終えた星は、次にようやく、神子の方を振り向いた。
「この二人による無礼、まずは謝罪させていただきます。門下の不始末は、本尊たる私がしっかりと正しておきましょう」
「それは別にいいけどね。白蓮にも同じことをされたし、貴方たちのところはそういうスタイルなんだと理解してますから」
皮肉を込めて、神子は答えた。まったくどいつもこいつも、上空から声と攻撃を降らせないと会話を始められないのだろうか。ただでさえ鬱陶しい梅雨の季節。降るのは雨だけで充分である。
そんな神子の嫌味を無視して、
「聖が、ですか?」
と星は背後の白蓮を振り返った。とりあえず乱入したはいいが、彼女も状況を把握できていないのだろう。
「あの、星、これは――――」
ぎゅっと、またしても両手を胸の前に隠すようにしながら、白蓮がうろたえた様子で言った。宝剣が離れたことによって肉体強化の術が再起したのか、すでに出血はほとんど止まっているようではあったが、先程からずっとそうしていたせいで、彼女の服の胸元には真っ赤な染みが広がっている。相変わらず、なにも隠せていない。加えてその背後には、彼女がそうまでして守ろうとした妖魔の倒れ伏した姿もある。
「ふむ。そういうことですか」
両者を認めた星は静かに頷いて、冷静の仮面を崩すことなく、ゆるりとした動作で神子の方に向き直った。
「貴方は、激昂しないのですか?」
すかさず神子は、冷笑と共に煽る。
「それはもう、村紗と一輪がやってくれましたからね」
涼しげな笑みを浮かべて、星が答えた。歯の浮くような台詞だが、不思議と様になっているのが微妙に腹立たしい。
その、笑みが。
「だから私は、この場を治める方法を採ることにしましょう」
続く言葉と共に、一変した。
ドン、と地を打ち鳴らす宝槍の響きが、辺りの空気を震わせた。
ボウ、と再び明度を増す宝塔の輝きが、辺りの空気を泡立たせた。
三昧耶形(さんまやぎょう)。毘沙門天を象徴する二つの仏具が、その威光を辺りに振りまく。
「治める、だと?」
それを前にして、しかし神子は悠然とした態度を崩さなかった。
「どうやって治めるつもりだ、寅丸星?」
どれほど着飾ったところで。どれほど真似たところで。所詮、寅丸星は代理。
「本物の毘沙門天ではないお前が示す方法とは、一体なんだ?」
代理とした選んでくれた、代理としての任を与えてくれた、白蓮に対する恩。彼女を動かしているものは、それだけだ。ならば寅丸星が採る方法は、一つしかない。
「決まっています。聖の行おうとした、妖怪の救済。それを行います」
星は、神子の予想通りの答えを返した。
「ふふふふ、はははは、はーはっはっはっは――――ッ!」
神子は思わず、笑い出していた。
「なにがおかしいッ!?」
星の背後にいる村紗が、怒りの声を上げた。
「はっ、これが笑わずにいられるか!」
神子は嘲るように、そう言ってみせた。
「こうもあっさり馬脚を現すとは、呆気なさすぎて笑えてもこようというものだ。なぁ、寅丸星よ」
「どういう意味です?」
本気で理解していない様子で、星が首を捻った。
「本当に分かっていないのか?」
ならば教えてやろう、と神子は続けた。
「仏の教義を外れて、妖怪の救済などという戯言を唱える、聖白蓮。そんな彼女はもう、仏教徒としては失格ということだよ」
今回話してみて、はっきりした。彼女はもう、独自の教えで動いている。始祖の戒律をないがしろにしてでも救おうと、あまりにも広すぎる愛で以って、人々を、妖怪を惑わしている。
「そういう存在に付き従い、そしてその教えを体現しようとする。これがどういうことか、一応でも毘沙門天の代理を務めているならば、お前にだって分かるだろう?」
「それはつまり――――」
星が、眉を微かに歪めて言った。
「私の行いが、毘沙門天の意向に反していると。そう、言いたいわけですか?」
「その通りだ」
他になにがある、と言わんばかりに、神子は頷いてみせた。
歪みきった白蓮が率いる命蓮寺を、それでも仏の道たらしめていたのが、本尊たる星の存在だった。毘沙門天の代理である彼女の行動が正しい限り、命蓮寺の存在は認められ、許される。配下の者がどんなまずい行動をとったとしても、それは修行中の未熟な者故、致し方ないこと。そう言い訳が利いたのだ。
だが、その星が、一応は配下の者という体である白蓮の行いに肩入れしたとあれば、話は別だ。何故ならそれは、本来仏の道を擁護し体現するはずの毘沙門天が、仏の道に反する者に加担するということに他ならないからだ。
そうなった時、毘沙門天代理の地位と力は、どうなるか。考えるまでもない。淡く儚い、砂上の楼閣のような白蓮の理想と共に、砕け散るのみである。
一時はどうなることかと思ったが、事ここに至って、星たちが乱入してきたのが良い方向に働きつつあった。これで彼女は、聖白蓮は、仏という一〇〇〇年もの呪縛から、ようやく解放されるのだ。
聖人をしてもできなったそれを、よりにもよって毘沙門天の代理が行うというのは皮肉と言うより他にない。
だが、これで白蓮が、少しでも身軽にこの世界を生きていくことができるなら。白蓮が、もう二度と、その余りにも度を越した献身により、身を削らずに済むのなら。
それだけでも、私が動いた意味が、充分にあった。神子はそう思って、誰にも理解されない勝利の笑みを、その顔に浮かべようとした。
刹那。そんな神子の思いを、掻き消すようにして。
閃光が。
一筋の閃光が、再び、曇天の空を切り裂いた。
しかし今度のそれは、空からではなかった。下から上空へと、伸びていっていた。つまり、神子の目の前の、地上から発されていたのだった。
「なっ――――」
神子は驚愕の声と共に、その閃光の袂を見る。寅丸星を見る。いや、正確には。
「何故……何故だ!?」
星の手に握られた、宝塔の姿を見る。
そこでは、理を説く、法の光が。
仏の道を擁護する、武神の光が。
曇天とはいえ、昼でもなお、はっきりと分かる明るさで。
煌々と、輝いていた。
その輝きを、高らかに掲げながら。
「本当に分からないのですか?」
先程神子が言ったのと同じ言葉を。星が、諭すように告げる。
「宝塔の輝きは、すなわち毘沙門天の輝き。毘沙門天の輝きは、すなわち仏敵を払う破邪の光。それがここで輝くということの意味を、本当に貴方は理解していないのですか?」
「――――――――」
神子は黙って、小さく首を振る。
本当は分かっていた。その意味するところを、完全に神子は理解していた。
だが、認められない。断じて、認められない。だって、それを認めるということは、つまり。
「ならば、示しましょう」
星が、空を切る音を響かせて、左手に持った槍を構えた。
「一〇〇〇年の時を経て、忘れ去られた者の流れ着く最後の地――――この幻想郷に有りてなお輝き続ける法の光を!」
そんな星の宣言に呼応するようにして、
「私も手伝うよ、毘沙門天様?」
村紗が。
「すべては、聖様の教えのために」
一輪が、並び立つ。
整っていた。完全なまでに、その意思が整っていた。そこには先程までの、外道に落ちた魔人を称える、統一感のない邪教の徒たちの姿はない。ただ、仏の道を。毘沙門天の道を作るための、二つの力があるのだった。
「くっ――――」
思わず気圧されて、神子は後ずさった。
一対一、いや、一対全でも、負けないという自信はある。宝塔があろうと、白蓮がいようと、妖怪が二人いようと、本気でやればどうにかなると、神子はまだ思えている。
だが、その戦いに意味はあるのだろうか。負けない、ということは、勝てる、と同義ではない。この場においては、意思を通した者こそが勝利なのだ。
このまま戦いを開始して、ボロボロになりながら最後に立っていたとして。そして、傷ついた一匹の妖魔を滅ぼしたとして、それが一体なんになるのか。もはやそんなことでは、彼女は折れない。それどころか、自らを支える者たちの心を受けて、よりその信念は強固となろう。
そう。もはや、神子がどうしたとて、白蓮を傷つけることはできないのだ。
「どうしたの?まさか、今更逃げるとか言わないよね?」
錨を振り回しながら、村紗が言った。
「というか、逃げられると思ってはいないよね?」
法輪を構えて、一輪が言った。背後の雲山も、両の拳を打ち合わせている。
無意味でも、戦わないという選択肢は、ありそうもなかった。
「仕方がない」
神子は覚悟を決めて、腰の宝剣に手をやった。普通ならそうそう抜かないこの剣だが、毘沙門天が相手となっては出し惜しみするわけにはいかない。白蓮相手と同じように。
そうして、神子がついに覚悟を決め。
すでに最初からやる気の村紗、一輪が戦意を昂ぶらせ。
仏道の擁護者として寅丸星――――否、毘沙門天が、理を説かんと仏の敵を捉え。
ついに、戦いが始まろうという段になって。
「待って、みんな……」
一人の、尼公が立ち塞がった。
「え!?」
「ちょ、ちょっと!」
「聖!?」
三人が、口々に驚きの声を上げる。
無理もない。今、ここで繰り広げられている光景は。
「――――――――」
神子の口から、すべての言葉を奪うのに充分すぎるほど、不思議な光景だったのだから。
白蓮が、立っていた。
神子と、星たち三人の間に。
それだけならいい。彼女が争いを好まない性格なのは分かっているし、腐っても聖徳太子が相手となれば、三人が無事で済む保証はないから、止めようとするのは自然なことだ。
だが、今。よりにもよって彼女は。
「びゃ、白蓮、あなた……」
神子は、視線の先にある背中に向かって、声をかけた。
そう、背中に、である。
聖白蓮という女は、両手を広げ、よりにもよって、自らの敵であるはずの神子を庇うような格好で、立ち塞がっているのだった。
「あなた、なにをやっているんです!?」
もはや何度目か分からない言葉を、神子は放った。彼女のやることなすこと。そのすべてが、神子の理解の範疇を超えていた。
「なにって、また、太子さまは不思議なことをおっしゃいますね」
対する白蓮も、何度目か分からないそんな言葉を放つ。
でも、続く言葉は、少し違った。
「だって、私は――――」
彼女は、肩越しに神子の顔を見ると。
「貴方を救う、って」
決意に満ちた、しかし優しさにも満ちた微笑をその口元に浮かべて。
「そう、決めましたから」
少し、照れたような表情と共に、小さな声で、そう言ってみせた。
貴方を救う。
能力を使おうとも思っていないのに、その小さな言葉は、何故かはっきりと神子の元に届いてきて。そして、深く、その心を抉った。
「どういうつもりよ、聖!」
「そうです。なんでそんなヤツを庇うんですか!?」
村紗と一輪が抗議の声を上げた。一連の会話は、この二人には聞こえていなかったようだ。
「……それが、貴方の意思なのですね?」
ただ一人、星だけがやや苦い顔で、白蓮にそう訪ねた。
「はい」
白蓮が答える。
「曲げるつもりはないと」
「ええ」
「なるほど」
星はそう言って頷くと、小さく溜め息を吐きつつ、槍を下ろした。鈍く光っていた宝塔も、その輝きを消失させる。
「聖がああ言う以上、私たちの出る幕ではありません。村紗、一輪。これは毘沙門天としての命令です」
「む。そう言われたならば、仕方ありませんね」
「ちっ、またこういう時だけカッコつけるんだから」
不満を漏らしつつも、むらいちコンビもそれに倣った。
「さ、それじゃあ、後始末ですね。二人はとりあえず、彼を船まで運んでください」
そう言って星は、妖魔を指差した。
「えー?私たちがやんのー?」
「というか、男なの、この子?」
「そうですよ。男ですし、貴方たちが運ぶんです。雲山、お願いしてもいいですか?」
いちいちかしましい二人におざなりに答えて、星は雲山に訊ねた。
「――――」
雲山は無言のままに頷くと、倒れ伏す妖魔の身を持ち上げて、宙に浮き上がる。
「雲山には下手に出るその態度、微妙に納得いかない」
「まあまあ、いっちゃん。後で分からせてあげればいいし」
その後に続いて、むらいちコンビも宙に飛び上がった。
「…………」
そのまま三人と一匹が徐々に高度を上げていくのを、神子は無言で見送った。もはやそれを追いかける気力は、神子にはなかった。
「……私の負けね」
溜め息と共にそう呟いて、神子は白蓮に背を向けた。マントが妙に重く感じる。
「お詫びといってはなんですが、里への忠告は、私が行っておきましょう。人間に危害が加わらないことを最優先にするのは、貴方だって異論がないでしょうし」
それだけ言い残すと、神子は白蓮の返事も待たずに歩き出した。今はこの場から、一刻でも早く離れたかった。
その、背中に向かって。
「太子さま!」
今度は、白蓮が呼びかける番であった。
「…………」
神子は無言で、足だけを止める。振り向かない。だって、顔を合わせられるような気分ではなかったから。
「…………」
白蓮の、逡巡する気配を感じる。手を伸ばそうとするような、そんな気配もある。
まずったな、と神子は思った。マントなんて着ているせいで、今の自分は掴まれやすさ五割増しだ。さっさと仙界に退散していればよかったが、歩き出した手前、そういうわけにもいかない。なんというか、格好悪いし。
そうこうしている内に、ついに白蓮が覚悟を決めたようだった。
「すぅー、はぁー」
と露骨に深呼吸をして、よし、なんて言ってから。
「太子さま、ありがとうございました」
白蓮は、なにを血迷ったのか、そんなことを言い出した。
「は!?」
思わず、神子は振り返った。いや、おかしいだろう。今日彼女と会ってからこっち、感謝されるようなことをした覚えは微塵もない。むしろ、
「私は貴方に、馬鹿みたいな嫌がらせばっかりしていたと思いますが……?」
「あ、自覚はあったんですね」
ほんわかと言う白蓮に、ぐぬぬ、と神子は唸った。その様子を、どこか熱っぽい視線で見つめながら。
「それでも、です」
と白蓮は続けた。そして、あろうことか。
「だって貴方は、私を、助けようとしてくれましたよね?」
そんなことを、のたまいだした。
「――――――――ッ」
神子は慌てて、白蓮から顔を逸らした。
なんだか分からないが、妙に暑い。まるで炙られたかのように、顔がチリチリする。身体の調律が上手くいかない。なんだこれは。まったく意味が分からない。白蓮のことも、自分のことも。
「なにを寝ぼけたこと言ってるの」
神子は白蓮に背を向けて、その上でさらに顔を右手で隠しながら、言った。
「私はただ、聖人としてあるべきことをしようとしただけ。お門違いも甚だしい」
「でも――――」
と尚もなにか言おうとする白蓮に、
「もういい!私はまだ人里でやることがあるの!貴方はさっさとあの妖怪をどうにかしてやりなさい!」
そう矢継ぎ早に告げて、神子は地面を蹴った。飛び上がる。一刻も早くこの場を離れるために。ただしその心は、最初に立ち去ろうとした時とは、まるで違っていた。
雨はすでに止んでいた。星の放った宝塔の光により、雨雲が乱されたためだ。本当に余計なことをしてくれる。せめて雨粒でも当たれば、この異様に暑い顔の温度も、少しは下がるかもしれなかったのに。
仕方ない、と神子は呟く。そして、
「……白蓮。この屈辱、忘れませんよ」
とりあえずは、この乱れた感情を、屈辱と置き換えることにして。神子は、その場を飛び去った。
無意識の内に、その右の人差し指が、己の唇をなぞっているのにも、気づかないままで。
※
そうして飛び去った神子を見送っても、白蓮はしばらく動かなかった。ぼんやりとその後姿の残滓を探すように、空を見上げ続けていた。
「聖。私たちも行きましょう。彼と、話をしなくてはなりませんから」
星がそう告げたのに対して、
「えっ!?ええ、そ、そうね」
と異様に過剰な反応を返して、白蓮は頷いた。
「じゃあ、聖輦船に戻りましょう。迷惑をかけてしまって、ごめんなさいね」
「いえいえ。それが、私の役目でもありますから」
「……ありがとう」
白蓮はにこりと笑って答えると、フワリと空に飛び上がった。向かうは、はるか上空の雲間である。当然、最短で行こうとするなら真上に向かうものだが。
「あいたっ!?」
頭上不注意。白蓮は木立の枝に頭を打ち付けて、へろりと横に軌道を逸らした。
「だ、大丈夫ですか、聖?」
慌てて下から訊ねる星に、ええ、とかなんとか涙を浮かべながらも返事をして、白蓮は再び上昇を開始した。
しかしその目は、相変わらずどこか虚ろ。なんというか、熱にでも浮かされたかのように、ぽー、っとしている。そしてその右手の人差し指は、無意識とも思える動きで以って、己の唇をなぞっていた。
「ああ、こりゃあ重症ですね……」
やれやれ、と溜め息を吐きつつ、星は早く白蓮を支えてやろうと、自身も飛び立った。
そして最後に、神子の飛び去った人里の方をチラリと見て、呟いた。
「後は、お願いね」
と。
※
人里の入り口。そこには、巨大な門が立っていた。
それは一種の結界であった。すなわち、ここより内で妖は人を襲ってはならない、と。賢者の定めたルールを視覚的に明示する、境界線の役割を果たしているのである。
神子はその門を認めるなり、急速に高度を落とした。賢者の敷いた境界線は、異変時などの緊急事態を除いて、空から跨ぐことを禁止されているのだった。
「ふむ?」
いつもは里に出入りする人妖で賑わう門前が、今は不思議に閑散としていた。降り続いていた梅雨の雨が、人々を閉じこもりがちにしているのかもしれない。
だが、これはこれで好都合でもあった。白蓮が、人里の近くに連れて行くのは云々、と言っていたからには、恐らくあの妖魔は野に放たれるのだろうし、しばらくは少し閉じこもりがちなぐらいで丁度いい。神子自身も今、それを里の守護者に話しにいくのだし。
――――というのは、実は建前。実際のところ神子は、今のこのみっともない姿を衆目に晒すことにならずに、安堵していたのだ。
「いやしかし、これは酷いわね……」
色々と盛り上がっている間は気づかなかったが、見れば見るほど酷い姿であった。血塗れで濡れ鼠。雨中の山道ですっ転んだような見た目である。
里の中に入ったら、仙界を経由して守護者の下まで行こう。なんとなく他人の顔、というか屠自古の顔を見たくなくて空を飛んできたが、もはや四の五の言ってられない。豊聡耳神子という人物の、沽券にかかわるレベルの問題だ。
そんなことを考えながら地面に降り立った神子だったが、こうして正しく門前に立ってみると、いよいよもってその異常さに気づかざるを得なかった。
「これは……」
余りにも、静かだった。余りにも、閑散としていた。偶然生じた人々の意識傾向故に起こったとは思えないほどに、余りにもそこには、なにもいなさすぎた。そう、まるで、誰かが人払いでも行ったかのように。
と。
「そんな格好で人里に入るおつもりですかな、太子さま?」
突然投げかけられる、声。門を支える柱のどこかから発されたと思しきその声の主を、神子は知っていた。
「布都?これは、貴方の仕業?」
「いかにも。我が術にございます」
楽しげにそう言いつつ、柱の影から姿を現したのは、予想に違わず物部布都であった。彼女は神子と同じ尸解仙でありながら、風水をメインに使う。きっとその辺りの応用で、この状況を作り上げたのだろう。
「でも、なんでこんなことを?」
神子の当然の疑問に、
「決まっております」
と答えながら、布都は小走りに近寄ってくる。そして彼女が取り出したのは、一枚の布であった。
「太子さまのお見苦しい姿を、世に喧伝するわけにはいきませんからなぁ」
布都はそんなことを言いながら、手に持った布を神子の頬に当てがった。冷たい。濡れた布の清涼感が、未だ火照ったままの顔に心地よかった。
「外套はともかく、せめてお顔の不浄ぐらいは、取り除いておきませんとな」
すぅ、と。優しい手つきで、布都が布を動かす。よほど良い生地を使っているのか、肌触りも悪くない。
その気持ち良さに任せて、されるがままとなりながら、
「ねぇ、布都。貴方、全部見ていましたよね?」
と神子は訊ねた。この用意周到さは、そうでもないと説明がつかないのだ。
「むむ、やはりお気づきになられましたか。まあ、途中からではありますが」
布都は手を休めずに、あっけらかんとそう言った。隠すつもりはないらしいが、こうも開き直られるとそれはそれで釈然としない。
「見ていたんなら、助けてくれてもよかったんじゃない?」
「無論、あのまま戦いに至れば、そうするつもりではありましたが――――」
苦笑しつつの神子の言葉に、布都はニヤリと笑って言った。
「ずいぶんと、盛り上がっておられたようでしたからな。声をかけるのも憚られるというものです」
「な、なんの話ですか?」
神子は、顔が引きつるのを感じながら、なんとかそれだけ搾り出す。
「まぁまぁ、屠自古には内緒にしておきます故に。そこは安心してくだされ……と、汗が汗が」
なにを安心しろというのか。いやそれ以前に、別に屠自古は関係ないし。
「しかしまあ、因果なものですなぁ」
楽しげな様子を崩さずに、布都はそう続けた。
「この前の面霊気に加えて、此度は仏の道より出でた魔人とは。太子さまの生は、よほど不運な星の下にあると見える」
「……否定はしませんよ」
不幸と言われたら間違いなく否定するだろうが、不運と言うならまさにその通りだった。この幻想郷に来たとて、自らの過去に追われる感覚を味わわされるというのは、他に言い表す言葉がない。
「とはいえ、これもまた、宿命でしょう」
神子は苦笑しつつ呟いた。
あらゆるものが、すべて自分に降りかかってくる感覚。こんなことは、眠りに就く前だってあったことだ。むしろそれは、あの頃の方がより重かったようにすら感じる。星のめぐりの話ではないが、これはもう、そういうものだ、と諦めるしかないのが実際だろう。
そんな神子に、布都は。
「ですが、太子さま?」
その手を止めて、薄く笑みを浮かべながら。
「時には、もう少しご自愛をなさっても、よろしいのではありませんか?」
労わるような声音で、そう言った。間近にある布都の目は、冗談を言っているような目ではない。そしてこの目を、神子は知っていた。
この目は、あの時と同じ目だ。
神子が布都に、尸解の術の実験台となることを頼んだ時と、同じ目。
あの時、布都は、少し驚いたような顔をしながらも、今と同じ目をして、こう言ったのだった。
「我におまかせを」
と。
その思いは、つまり――――
神子の脳裏に、白蓮を囲む妖怪たちの姿が浮かぶ。彼女は、あれほどにたくさんの存在に支えられて、立っていた。
では、自分は?いつの間にか、走ることに夢中になりすぎて。後ろを見ることを、忘れてやしなかっただろうか。
「よし、これで綺麗になりましたぞ」
布都が嬉しそうに言って、布を離す。その言葉通り、べたりとした気持ちの悪い感覚が、神子の頬からは消えていた。
だから、神子は。
「……ありがとう、布都」
そう言って、着ていたマントを脱ぎ去った。
「慧音殿のところへ行かれるのですか?」
「ええ。人里の民への警告を、頼まないといけませんからね。だから――――」
そして神子は、その手に持ったマントを。
「このマント、持って帰ってくれませんか?汚れちゃいましたし」
と、布都に向けて手渡した。
「お?おおお?」
受け取った布都は、最初、驚いたような顔でそう呟いた。しかしすぐに、神子の顔を見返すと。
「我にお任せを!」
満面の笑顔で、そう宣言した。
いつの間にか、門前には人々の往来が戻ってきていた。
※
「じゃあ、そういうことで。よろしくお願いします」
寺子屋から出たところで、神子はそう言って振り返った。
「はい。ご忠言、感謝いたします。聖徳王」
視線の先には、大仰に頭を下げる慧音の姿がある。その様子に苦笑しつつ、
「ではまた」
と挨拶をして、神子は往来に合流した。
「ふう」
肩の荷が下りた気分である。多分、白蓮は上手くやるだろうし、後はなるようになるだけだ。こうして人に任せるというのも、たまにはいいことものかもしれない。
「少し、休憩していこうかしらね」
任せるついでに、神子は少し自分勝手に生きてみることにした。通りに面した適当な茶屋を見つけると、その軒先の長椅子に座り込む。
「お団子二つ」
年配の店主にそう声をかけて、しばしその場で待つ。ぼんやりと空を見上げてみれば、寺子屋にいた間に、空は見事に晴れていた。
こうして晴れた空を眺めていると、先程まで、梅雨空の下に繰り広げられていた状況が、嘘であったかのように思える。毘沙門天が切り裂いた空が、これをもたらしているとしてもだ。
「はい、お待ちどう」
「ありがとう」
運ばれてきた団子と茶を受け取ると、神子はまず、お茶で一服。じんわりと染みるその熱さが、優しさを感じさせた。
と。
「ここ、いいかい?」
そんな声が、神子の背後から投げかけられた。
軒先にはまだ、いくつか空いている長椅子が存在していた。わざわざ神子のいる場所を選ぶ道理は、特に見当たらない。
「どうぞ?」
しかしどうしても断るようなことでもなかったので、そう言って神子は背後を振り返る。一応、相手の顔を見ておこうと思ったのだ。
そこにいたのは。
先が屈曲した長い棒を二本携え、人外の証たる獣様の耳と尻尾を飛び出させた、一人の影。
「貴方は――――っ!?」
その存在の名を、神子は知っていた。縁起でも、また寺の境内でも、何度か見かけたことがある。
「お初にお目にかかる、聖徳王」
フッ、と笑いながら、慇懃な態度でそう言った、彼女の名は。
「私は、ナズーリン。知っての通り、毘沙門天様の使いだ」
刹那、神子は理解した。彼女が、何故、神子に接触してきたのかを。
「理解しているだろうけど、あえて私からも言わせてもらうよ」
それはつまり。
「ご主人はこの幻想郷において、まあ問題が多いなりに、ちゃんと毘沙門天様をやっているけどね。それでも、あくまでも代理でしかないのは純然たる事実。つまり、本当の毘沙門天様の意向を知ることができるのは、この私だけということだよ」
だからさ、とナズーリンは続けた。
「私は、お墨付きを与えに来たんだよ」
聖白蓮が、寅丸星によって、助けられた理由。あの時、あの場所において、宝塔が輝きを失わなかった理由。
「君が戦い、そして救おうとした哀れな魔人の、その生き方にね」
毘沙門天が、聖白蓮を認めた理由を、話しに来たのだった。
「じゃあ、失礼して」
驚愕に固まったままの神子を無視して、ナズーリンは長椅子に座った。そして彼女は次に、神子が頼んだ団子の内の一つを、ひょいと摘んでみせた。
「一つ貰うよ」
その行動を見て、神子はようやく我に返る。
「仏の徒なのに、不偸盗戒というものを知らないのかしら?」
「それは酷い言いがかりだな。これは講釈料だよ。仏の言葉だって、タダじゃないんだ」
「なんと……」
と思いっきり苦い顔をした神子に対して、冗談だよ、とナズーリンは続けた。
「聖徳太子も食べた団子、というのは、格的に宝の素質充分だからね。財宝神の下僕である私は、ついつい集めてしまうのさ」
「いや、ただ食べたいだけですよね」
妙に理屈っぽいヤツだな、と思いながら、神子は仕方なく、追加で二本ほど団子を頼んでやった。
「おや、親切だね。仏の敵のくせに」
「恩を売るのは、古今東西どこでも有効な方法でしょう?」
お互いに嫌味を投げあいつつ、団子の到着を待つ。
「はい、お待ちどーう」
そして、到着した団子を奪い取ってから、神子はまだ手を付けていなかった最初の皿を、ナズーリンの側に寄せてやった。
「意外と意地汚いな」
「ネズミに言われたら末期ね」
呼吸をするように棘のある言葉を交わしつつも、これで話の体制は整った。
「それじゃあ、始めようか」
ずず、と一口茶を啜って、ナズーリンが口を開く。
「毘沙門天様が、聖を助けた。この事実は、君だって分かっていることだとは思う。でも君は、何故そんなことになったのかは、理解していない。違うかい?」
「……そうね」
不承不承、神子は頷く。そして、だからこそナズーリンはここに来たのだ。
「仏の教えに、一切衆生悉有仏性、という考え方があるのは、わざわざ説明しなくても分かっているだろうけどね」
それは、神子が聖にも言って、否定した考え方。仏の道の、最も人を引きつける、傲慢な教え。
「でも、そんなのは今のところ有名無実で、本当に悟りを開いて仏となった者は、開祖たる釈迦如来以外に存在しない」
神子がそう言ったのに対して、ナズーリンは苦笑して答える。
「そうだね。そして輪廻を突破した釈迦如来は、それ故に、この世界の外側から、苦しむ衆生を見届けることしかできない」
それはつまり、神子が白蓮に説いたこと。ただの逃げだと、無責任だと糾弾したこと。
「でも君は、意図的にか忘れているのか知らないが、話さなかったことがある」
「話さなかったこと?」
不自然なナズーリンの物言いに、神子は眉を顰めて訊き返した。彼女はまるで、神子と白蓮の会話を聞いていたかのような言い方をする。
「いや失礼。実は、全部聞かせてもらっていたんだよ」
ナズーリンは、微塵も後ろめたさの感じられない態度でそう言うと、左の手を軽く持ち上げてみせた。するとその手に、どこから現れたのか、一匹のネズミが上ってくる。
「まあ、私の耳であり、手足みたいなものでね」
それを掲げて、ナズーリンは言った。
「人里近辺の会話は、大抵筒抜けなのさ」
「……なるほど」
今度、仙界にネズミが紛れ込んでいないか確認しよう。そう誓う神子であった。
「私が聞いた限りだと――――」
それを知ってか知らずか、ナズーリンは話を戻す。
「君は白蓮に、釈迦如来と現世に蔓延る生臭坊主共についてしか言っていなかったね。その二つの間に立つ者について、どうして語らなかったんだい?」
「間に立つ者?」
神子は首を傾げて、考える。
確かに仏教というものは、その成立の過程で様々な概念を吸収し、一種の階層構造を成立させてきている。頂点に釈迦を戴き、その下に様々な役割を与えられた〝部″という地位を置くのである。
「それぞれの部に属する者たちは、釈迦如来のように輪廻の外にはいない代わりに、その教えを人々に伝えるという役割を持っている。私の上司たる毘沙門天様は、天部という階に属し、仏法の守護神として働いている」
とそこまで言って、ナズーリンは苦笑してみせた。
「――――なんて、余計な講釈だったね。君はかの物部氏討伐の折、四天王に祈願した過去があるのだし」
「過去の話ですよ」
不機嫌さを隠さずそう言うと、神子は腕を組んで、問う。
「それが、毘沙門天が白蓮を助けた理由にどう関係するというのですか?私が、彼女の教えを仏の道から外れていると判断した理由だって、貴方は知っているはずでしょう?」
「ああ。自分から誘っておいて、不邪淫戒、がどうとかって言っていたあれだろう?」
「ぐっ――――」
とてつもない墓穴を掘った気がした。神子はまた、顔が熱くなるのを感じる。
「そう、そうですよ!」
もうこうなりゃ自棄だ、と神子は続ける。
「仏の名を謳いながら、仏の倫理を破ることを厭わない。そしてその体で、人心を惑わす。それはもはや、悪魔といえる存在ではないか!」
「ふむ。確かに、それは一理あるかもしれない」
ナズーリンは涼しい顔で頷くと、手に乗せたままのネズミに団子を近づけた。ネズミは当然、団子をくれるのかと思い、上半身を伸ばしてみせる。
しかしナズーリンは、団子とネズミの口の間に絶妙な距離を保ちつつ、決してそれを食べさせない。終いにネズミが、器用にバランスを保ちながら、口だけでなく手も伸ばして来ても、相変わらずそのままの態度を変えない。
「でも、君は一つ勘違いしてやいないか?」
そんな、なんの意味があるのか分からない行動をしながら、ナズーリンは神子に問いかける。
「悟りの境地に辿り着くために必要なのは、四苦八苦を滅すること。そのための方法として、様々な修行法があったり、それを実践するための戒めとして、五戒があったりするわけだけどさ」
と、ナズーリンがこちらに目を向けた。
「それを本当にすべて体現できている存在なら、そんな存在は、もはや悟りを開いているじゃないか。なに一つ落ち度のない存在なら、修行なんてする必要がないじゃないか」
そして目を逸らした隙に、団子の一つがネズミに奪われた。足掻き続けたネズミの行いが、ついに報われた瞬間である。
「この地上にいて、悟りを開けない存在なら。ましてや、その理想をすべての者に理解させることができずに、人間によって封印されるような存在なら――――」
ナズーリンは、幸せそうに団子を齧るネズミの頭を、人差し指で撫でながら。
「一つや二つの戒律を破ったところで、修行不足なのだから、仕方がない」
慈しむように、そう言った。
「仕方ない――――?」
神子は呆然と、その単語を復唱する。
「そんな、そんな馬鹿みたいな理由で、毘沙門天が力を貸したというのか!?」
神子は思わず立ち上がって、そう叫んでいた。そんなの、真面目に相手をしていた誰もに対する、最大限の冒涜じゃないか。
「ああ、そうさ」
ナズーリンは顔を上げて、頷いた。そして、ニヤリと笑うと。
「だがもちろん、なにも意味がないのに、そんなことをしたわけでもない」
神子を安心させるように、そう言った。
「どういう意味があるというのです?」
急かすようにそう言った神子に、ナズーリンは涼しい顔で、座ったら、と答えた。
「すごい目立っているよ、今の君は」
「む」
確かに、他の客がチラチラとこちらを見ている気配があった。神子は渋々、再び椅子に座る。
それを確認すると、
「難しく考えることはないんだよ」
とナズーリンは言って、もう一本の団子を持ち上げた。
「結論は最初から、出ているんだ。一切衆生悉有仏性、という言葉によってね」
そして、ナズーリンはその団子の一つを自らの口に含むと、何故か残りを神子に向かって差し出してきた。
「ええと?」
「食べなよ。これは仏の施しだ」
そう言われると、神子としては逆に食べたくなくなるものである。
「結構です」
神子はそう答えて、自分の皿から団子を取り、食べた。施しなど受けなくても、ここに自分の分があるのだ。
「そう。そういう相手にも向けられるのが、仏の愛というものでね」
くすり、と笑って、ナズーリンは続けた。
「本来その向けられる対象は、人とか妖怪とか関係ないのさ。毘沙門天様の属する天部は、本来の仏の道にいなかった異教の神々が仏の下に集ってできたものだし、私自身だって、妖怪であるのに毘沙門天様の使いをやっているわけだしね」
「だから、聖の教えは間違っていないと?」
「そういうことだけど、それだけじゃあ納得いかないだろう?」
揶揄するような調子で、ナズーリンが言った。
当然だ。それはあくまで、白蓮が見逃されている理由にしかならない。監視役を派遣した上でとはいえ、宝塔なんて品を渡すほどに厚遇されている理由が、説明できていない。
「君は、菩薩、という概念を知っているよね?」
ナズーリンはそう言うと、今度は残った最後に残った団子を地面に落としてみせる。
「成仏を求める修行者のことでしょう。次に如来になる者、とも言われますが」
その団子を怪訝な顔で見つつ、神子は答える。
「そうだね」
と神子の答えに頷いて、ナズーリンは続けた。
「君のその認識は正しいし、如来となる前の仏陀も菩薩と呼ばれていた。しかし現世利益と救済信仰が主であるこの国において、ただの修行者、という認識は一面的なものでしかないな」
誰かさんのおかげでね、と最後に付け加えるのを忘れないナズーリンである。そして彼女は、地面で土に塗れた団子を見ながら、言う。
「誰かに利益を与え、救済をするためには、一人で修行していても仕方がない。必ず外に出て、人々と触れ合わねばならない。そうして共に歩みながら、衆生を導く存在こそが、この国においては菩薩と呼ばれる」
「うっ……」
神子は思わず、息を呑んだ。
ナズーリンの足元では、ただでさえ汚れに塗れた団子が、蟻の大群により蹂躙されていた。細切れに砕いた団子を持ち、列をなして巣に戻る蟻と、新たにその恩恵に与ろうと巣から向かってくる蟻。その両者によって、団子は限られた大きさを、ゆっくりと、だが確実に減じていく。
「まだ、分からないのかい?」
嫌味ったらしい笑みを浮かべて、ナズーリンが言った。
「この団子が菩薩で、群がる蟻が救済を求める者たちだ」
と、ナズーリンは、椅子に立てかけられたダウジング棒の一本を持ち上げた。
高く掲げられた棒の先端には、よく見れば、迷い込んだと思しき数匹の蟻が這い回っていた。その姿は余りにも小さく、ともすれば棒の黒に紛れて、消えてしまいそうですらあった。
神子がそれを確認したのを満足そうに見ると、ナズーリンは。
「そして――――」
次の瞬間。
「これが、〝彼女″を封じた人間だ!」
蟻の付いたダウジング棒の先端を、団子に思いっきり叩き付けた。
弾け飛ぶ。
団子が、その真ん中から弾けて、辺りに飛び散った。
「…………」
スッ、と。ナズーリンが無言で、棒を持ち上げた。そして彼女は、棒の先端に付いた、さっきまで団子だったものを指先で拭い取ると。
「食べるかい?」
よりにもよって、神子にそんなことを訊いてきた。
「――――――――」
意図がまったく読めずに、神子は硬直する。
「まあ、そりゃあ食べないよね。普通ならさ」
ナズーリンは責める様子もなく、そう言って頷いた。
だが。
「でもね」
とナズーリンは笑みを浮かべると。
「〝私たち″は、これをも食べるのさ」
指先に付いた砂まみれでドロドロになった団子を、その口に含んでみせた。
ジャリ、と最初に大きな音がした。咀嚼する。舌が蠢き、唾液と混ざった団子の欠片を食塊に変えていく。そして、最後に適当な大きさとなったそれが喉の奥に送られ、ごくり、と体内に送り込まれたところで。
「まさか――――ッ!?」
神子は、ついにその意図に気づいていた。
落ちた団子は、白蓮だった。巷間にあってその教えを広め、土に塗れながらも真にあまねく衆生を救済しようとした、白蓮。その心は欠けたることなき真円で、本来ならば歪みなどないはずだった。
蟻は、妖怪であった。救いの光をもたらす白蓮を慕い、そこに集まってきた妖怪たちであった。彼らは、自分たちが白蓮を慕うことで、また白蓮が彼らを救おうとすることで、少しずつその教えの形が歪んでいくのに気づかず。
棒は、人間であった。その巨大で濃い、救いを求める欲望は、群がる蟻たちの存在を一切認めず。元は真円であった救いの教えすら否定し、完膚なきまでに破壊したのだった。
ならば。
ならば、そうして破壊されたものを食べたモノは、一体なんなのか。〝私たち″とは、一体なんなのか。
そんなの。
そんなの、決まっている。
「仏が、彼女を――――」
ナズーリンは、何者の使いなのか。
「白蓮を、見逃しているのは――――」
そしてナズーリンを遣わしている者は、なにを体現し、擁護する存在なのか。
「そう。そういうことだよ、聖徳王」
ナズーリンが、『白蓮』を喰らった口で、言った。
「彼女は仏の教えを体現し、擁護する我らが見定めた、〝次なる者″なのさ」
「次なる者!」
それは、つまり。
「馬鹿な!白蓮菩薩とでも言うつもりか!」
神子は立ち上がり、再び叫んでいた。次なる、というのはつまり、次に悟りを開く者、ということだ。それは本来の意味での、菩薩のことに他ならない。
「なにを驚くことがある?」
今度はナズーリンも立ち上がって、神子に対峙した。
「今はまだ、彼女は未熟だろう。彼女は一〇〇〇年の時を経ても、君のような者一人、未だ救うことができないのだから」
だが、と彼女は続けた。
「これから先のことを考えたことがあるかい?理想を曲げず、妖怪を、人間を、そして君のような存在をも救おうと足掻き続けるだろう白蓮の未来を。周りのすべてが彼女を理解しなくとも、理解するまで足掻き続けるだろう白蓮の未来を」
それは、無限に続くとも思われる、那由他の時間。
「時間はいくらでもある。次に如来になると言われている弥勒菩薩だって、それは五十六億七千万年後のこととされているんだから」
途方もない未来の果てまで続く、仏の道が作り出す永遠の牢獄。
「チャンスなんだよ、これは」
しかしナズーリンは、心底楽しそうに告げる。
「人と妖のバランスが拮抗していた時代でこそ、弾圧された聖白蓮の理想。だが、この幻想郷においては、妖は切り捨てられた側だ。〝私たち″の誰もが後回しにしていた、最後に救われる者たちだ。ならば、そんな彼らを救うということは――――」
とそこまで告げて、ナズーリンは言葉を止めた。もう分かっているだろう、とでも言うように、神子を促すように見つめる。
それに、押されるようにして。
「すべてを、救うということ……」
神子はその言葉を、ついに告げていた。
その考えは、まさに一切衆生悉有仏性。今まで誰も成し遂げてこなかった、本当の救い。それがものになるのならば。それが仏の教えの一部となるならば。
多少の未熟は、多めに見てやろう。何故なら、彼女は。
「白蓮菩薩……」
悟りには程遠く、依然、ただの菩薩なのだから。
※
ナズーリンと別れた神子は、すっかり軽くなった財布を懐にしまいつつ、往来をブラブラと歩いていた。あの後、話を終えたナズーリンは、私は頼んでないし、などとふざけたことをのたまって、金を払わなかったのだ。おかげで神子は、二人分の団子の代金を払うこととなった。まったく、とんだ講釈料である。
元々、買い物をするつもりもなかった神子は、大した持ち合わせがなかった。こうしてうろうろしていても、食事もなにもできない程度にしか、もはや財布の中には残っていない。なのにこうして歩いているのは、少し、考えを整理したかったからだ。
ナズーリンの一連の発言で、白蓮が毘沙門天に多大な期待を受けていることは分かった。あの言い方からするに、白蓮はもう、仏教というシステムに取り込まれたようなものだろう。彼女の呪縛はいよいよ強固で、もはやそれは開放しがたい。本人が望んでいるだけに、尚更である。
ではそもそも、白蓮は何故封印されたのか。
人間を裏切ったから?それはもちろんあるだろう。
だが、逆にこうは考えられないだろうか。人間と拮抗した、いやむしろ凌駕するかもしれない勢いを誇っていた妖怪が、仏の救いを求めるはずがない。つまり白蓮がその教えを唱え始めた時代は、早すぎた。だから彼女は、その理想を体現するに足る環境が整うまで、大事に保護されていたのではないか。
そして、寅丸星とナズーリンは、何故幻想郷に来たのか。
彼女たちは、白蓮や村紗、一輪たちのように封印されていたわけではない。その教えを外で広めることで忘れられなければ、この幻想郷に流れ着いてくるはずがないのだ。
だが、これも簡単な話だ。幻想郷という、切り捨てられた者たちの漂着場ならば、労せずして掬い上げられなかった連中を根こそぎ救済することができる。
「胸糞が悪い発想ね……」
自分の考えに、神子はそう言って毒づく。
これでは本当に、白蓮は仏に操られる人形ではないか。自己犠牲なんて生易しいものではない、救いをもたらすだけのただの機械。そんな生き方、神子はどうしても認められない。
でも。
それでも。
一〇〇〇年という長き時を越えて、白蓮が最初に助けた者たちは、その封印を解いて、彼女の身を助け出した。
そして先程、白蓮を助けに来た村紗と一輪は、以前に助けられた恩義から戦おうとしているようには、到底見えなかった。ただ、聖白蓮という個人を慕っているから、そうしようとしているように見えた。
寅丸星だってそうだ。彼女は結果的に毘沙門天の行いを体現し、その宝塔の力で以ってあの場を治めた。だがもしも、それが毘沙門天の意向に反していて、あそこで宝塔の輝きが失われていたとしても、彼女は同じ選択を取っただろうと思える。毘沙門天を裏切ることになろうとも、白蓮という個人のために戦っただろうと思える。
それは実は、とても危険な考え方だ。今はたまたま利害が一致しているからいいが、いつ、仏の敵として狙われるかも分からない、ギリギリの均衡の上に成り立っている。
だけども。
「それはそれで、いいのかもしれないわね」
神子はそう呟くと、地を蹴って、宙に身を躍らせた。
おお!?と往来を行く人々から動揺の声が上がるが、それを無視して、上空で仙術ゲートを開く。空間を直接繋げるこの移動法ならば、賢者の境界線を跨ぐことにはならない、という屁理屈的な移動法である。
門を越えた先は、はるかな空の上であった。この高さからは、幻想郷全体がよく見渡せる。
高高度の清冽な空気に当たりながら、神子はある言葉を思い出した。
『幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ』
以前誰かが、どこかで、そんなことを言っていた。それは神子の直接的な記憶ではなく、復活の際に流れ込んできた、幻想郷のアカシックレコードとでも言うべきものより得た記憶。
でも、本当にそうだろうか。それは、残酷な話なのだろうか。
少なくとも神子は、そうは思わない。
外の世界で必要とされなくなり、この地に追いやられた格好の神子は、しかしそれにより自分の欲に従った生き方ができるようになった。たまには人の上に立ちたくなることもあるが、それはまあ、もう病気なので諦めるとして。肩の力が抜けたのは、間違いない事実だ。
そしてなにより白蓮である。
彼女が封印されるより以前から抱いていた、理想。それ故に封印されることともなり、それ故に封印から開放されることともなった理想。
それを彼女は、この地で存分に唱えることができるようになった。唱えても、神子のような嫌味なヤツにたまにいびられるぐらいで、普通に生きていけるようになった。
彼女の生き方は、確かに悲惨なものかもしれない。神子には到底認められない、人形のようなものかもしれない。
しかし彼女は、そのために生きているのではない。妖怪を助けるのだって、仏に言われたからではない。仏に認められるためでもない。ただ彼女の、慈愛故の行動だ。
その結果彼女は、自分を慕う者を多く得ることだろう。何者も切り捨てず、すべてを救い、そして救った者たちみんなで同じ道を歩んでいくのだろう。
たった一つの道を、誰が進むのかで揉めるのではなく。
全員で歩けるように、手を取り合う。
それは、一度は幻想とされた、砂上の楼閣のごときもの。残酷な意思により引き寄せられた、泡沫の夢。
そしてそれを実現しようとする彼女は、まだまだ未熟だ。悟りには程遠く、悩み多き生を送っている。
だが、ナズーリンが言った通り、彼女がその生き方を貫き。幾百、幾千、幾万の時を経た地平の彼方でもまだ、その信念を違えることがなかったならば。
それはきっと、新たな仏の道となることだろう。
とんだ怪物だ。神子が敷いた仏の道から産まれた雛鳥は、いつしか大きくなり、歪んだ道を歩んだ末に、最終的に仏の道に回帰するのだ。
そう。流れ流れた果て。忘れられた者たちの世界で、その教えの華はついに花開く。
無限の時をかけてでも。
永遠の刻が過ぎ去っても。
必ずこの地で、花開く。
それが。
それこそが、聖白蓮の。
彼女の歩む。
ほとけのみち。
※
五十六億七千万年後の幻想郷。
幻想郷の最上層に位置する天界にて。
〝天人″豊聡耳神子は、眠りに就いていた。
と、その枕元に立つ、一つの人影があった。
「太子さま」
彼女がそう呼びかけるのと、神子が目を覚ましたのは同時。何故なら呼びかけた彼女の全身からは、常に淡い後光が発されていたから。
「誰です、こんな時間に?」
そう言いながら起き上がった神子は、光の奔流の中に、目を凝らす。
それは、懐かしい姿に思えた。
いつか。どこかで。確かに見たはずなのに、どうにも記憶がおぼろげで、思い出せない。
「貴方は――――」
でも、確かに覚えている。
彼女の姿を見ていると、その名が表層に上ってこないだけで、神子は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
そして神子は、無意識の内に己の右手の指が、自身の唇を撫でているのに気づく。
「ふふふ。そんなところだけ、覚えているのですね」
光の中の彼女が、くすりと笑った。
「では、あの時の続きをしましょうか」
そう言うと彼女は、ゆったりとした動きで神子の全身を包み込む。
「何故、こんなことを?」
白く飛んだようにはっきりしない頭で、神子は彼女に問いかける。
すると彼女は、
「またですか?」
と笑って。
「言ったじゃありませんか」
神子の顎に、スラリとした右手の指を這わせると。
「私は、貴方を救うと」
そう言って、照れたように笑った。
光の中に、神子の意識が溶けていく。
シトシトと降り続ける雨が、幻想郷全体を包み込んでいた。
梅雨であった。外の世界と隔絶したこの幻想郷にも、季節というものは変わらずに訪れる。無論それは、この不快な季節とて例外ではない。
ドス黒く分厚い雲に覆われた大地は、昼なのに薄暗く、絶え間なく降り注ぐ水のカーテンと相まって、まるで水底のような様相を呈していた。纏わりつく強烈な湿り気が、水流に代わって四肢の動きを呪縛する枷となるのと相まって、そこに生きる者にますますその感覚を強くしていた。
その枷を必死で引き摺りながら、
「ハァハァハァハァ――――」
息を切らして走る、一つの人影があった。若い男である。
「く、来るなァァァ!!」
彼は、逃げていた。降り注ぐ雨が、全身をしとどに濡らすのにも構わず。地面から跳ね返る水飛沫が、着物の裾を濡らすのにも構わず。ただひたすらに、逃げていた。
「なんなんだ、なんだんだよちくしょう!」
そうしてチラリと振り返った男の背後には、目に見えるほどの妖気を纏った、得体の知れぬバケモノの姿があった。
そう。まさにソレは、バケモノ、としか表現できぬモノであった。
ソレは、のたうつ蛇の如き妖気の渦に包まれていて、全貌はようとして知れない。そして四肢の区別すら付かぬその身で、転がるようにも、倒れこむようにも、這うようにも見える動きで以って、男を追いかけて来ているのだった。そこに言葉はない。いやそもそも、構音が可能なのかも、意思疎通が可能なのかも分からない。
しかしそれでも。男にも、ただ一つだけ分かっていることがあった。
「――――――――――――――――ッ!!」
妖気の渦の奥の奥で、爛々と燃え盛る紅の瞳が示すもの。得体の知れぬバケモノの示す、ただ一つの情動。
それは、猛烈な敵意だった。
言葉などではなく、その行動と視線のみで示される意思。原初の本能に根差した意思は、それを見る者にも、同じく根源からの情動を呼び覚ます。
故に、男の得たそれは、恐怖だった。得体の知れぬ、何者か分からぬモノに対する、根源的な恐怖。
縁起に記されるような妖怪相手にだって、畏れはある。しかし彼らは、言葉が通じる。自分たちと同じ人型をとっている。この、たった二つの要素だけで、恐怖は大幅に減じられるのだ。
だが、今、男を追っているモノは、そのどちらも欠いていた。
「俺が、俺がなにしたってんだよッ!?」
それすら分からず、男は追われていた。このまま追いつかれたとして、やはりなにも分からぬままに襲われて、そして殺されるのだろう。そういう未来が、男にははっきりと自覚できていた。
体力は、すでに限界に近かった。ぬかるむ地面と、全身を叩く雨が、思った以上に男を消耗させていた。
対して、バケモノの体力には底が見えない。そもそも、疲労という概念すらないのかもしれない。
絶望的な状況であった。助けが欲しかった。
「だ、誰か――――」
誰でもいい、助けてくれ。そう思った男の脳裏に、最近発行された幻想郷縁起の、とある記述がよぎった。
それは、誰もが知っている、ある聖人についての記述だった。
彼女は、一四〇〇年の時を経てこの幻想郷に現れた仙人であった。そして同時に、真摯に人間の味方でもあった。故に縁起には、もし妖怪に追われるようなことがあったら彼女のところに逃げ込むといい、と記されていた。もっとも、その住処の入り口の場所は秘されているらしいが。
では、どうするか。縁起編纂者の阿礼乙女が欄外に記した、一つの言葉が男の口を動かす。
「た、た、た――――」
それは、どう考えても、冗談で記されたとしか思えないふざけた言葉。平素なら、素面なら、間違いなく言わないであろう言葉。
しかし、今の男に頼れるものは、他になかった。もう足も限界に近づく中、背後のバケモノはますますその勢いを増しており、確かな死の予感がひたひたと迫って来ていた。
だから男は、まさに藁をも掴む気持ちで、それを叫んだ。
「助けてー!みこえもーん!」
そして、言ってしまってから、男はすぐに我に返った。自分はなにを馬鹿なことを言っているのだろう、と。
そうしている内に、言葉はすぐに辺りに拡散して、霧散して、やがて消えた。山彦ならぬ人間の声程度では、こんなものである。
「――――――――ッ!!」
背後のバケモノが、一際大きく鳴いた気がした。
すぐに緊張感が戻ってくる。男は慌てて速度を上げようとして、
「えっ――――?」
次の瞬間、ついに限界を迎えたその足に拒絶され、無様に地面に転がっていた。
「ぐぇっ、がっ、はぁぁ」
泥水が跳ね返り、口や目に容赦なく飛び込んでくる感覚に、男はもがいた。そして、そのままズルズルと身体を引き摺りながら、背後のバケモノに〝対峙して〟しまった。
転がった勢いで、前に進んでいたならチャンスもあったろう。這ってでも進んでいれば、それだけバケモノとの距離は離れるのだから。ひょっとしたら、そのわずかな間に、助かる新たな方策が見つかったかもしれない。
しかし、もう遅かった。男は歩みを止め、背後を向いてしまった。対峙してしまった。そうなればもう残されている道は、迎撃するより他にない。
「は、はは、ははは……」
乾いた笑いが、男の喉から漏れた。
対峙だと?馬鹿馬鹿しい。そんなこと、できるわけがない。自分は博麗の巫女や、現人神や、泥棒魔法使いなどではないのだ。ただの普通の人間なのだ。
ただの普通の人間に、妖怪を相手取って戦ったり、ましてや迎撃する力などありはしない。それは厳然たる自然の摂理であり、すなわちここで襲われている時点で、男にはある一つの決まった未来しか存在し得なかった。
「ち、くしょう……」
諦めが、絶望が、全身にのしかかる。男はもはや顔を上げる気力すら失い、下を向いた。
ビチャ、と。バケモノの近づく足音がした。しかしもはや、男はうな垂れたまま、頭を上げなかった。
後はただ、自然のままに、弱者は強者によって食われるだけ。それは当然の原理であり、変えられぬ運命――――
そう思われた、まさにその時だった。
「よくぞ呼んだ!」
そんな声が、頭上から響いてきたのは。
「えっ!?」
男が、
「――――――――ッ!?」
バケモノが、弾かれたように顔を上げた。
そこには。
「恐れるな、力なき民よ!」
さながら太陽のように紅く輝くマントを靡かせ、
「絶望を捨てよ!諦めを捨てよ!」
曇天の空にあって、なお鮮烈に輝く威光を背負った。
「私が来たからには、もはや心配は無用である!」
一人の、麗しき聖人の姿があった。彼女こそが、豊聡耳神子。この国に住まう者ならば知らぬ者はいない伝説の聖人、聖徳太子その人であった。
「さあ妖魔よ!刮目するがいい!」
神子はそう叫ぶと、腰に差した宝剣に手をやった。そして、その剣が、目にも留まらぬ速さで抜き放たれたと同時――――
「これこそが、人の理を説く輝きである!」
水底を切り裂くまばゆい閃光が、男の眼前に降り注いでいた。
「オオオオオオオオオオオオオオ!」
その直撃を受け、バケモノが、初めて明確な声を上げた。
それは、苦悶の声。弱肉強食の摂理を切り裂き、運命をもねじ伏せる十七条の輝きによってその身を焼かれたことによる、痛みを知ったが故の声だった。
バケモノの動きが、止まる。全身を包む妖気が、光の中に溶かされるように霧散していく。それに呼応するように、男の絶望も、諦めも、光によって払われていく。
やがて、その両者が拮抗し、ついにはゼロへと回帰した所で。
「オオ、オオオオ、オォ……」
巨体が、倒れた。強烈な水飛沫が、まるで血のように辺りに飛び散る。その様を呆然と見つめながら、
「た、助かった、のか……?」
男は、呆然とそう呟いた。
※
「そう、君は助かったんだ」
眼下の男にそう声をかけながら、神子は雨粒と共にゆっくりと降下を開始した。そして、腰の剣を直し、マントの裾を整え、愛用の笏を取り出したところで、悠々と地面に降り立つ。
「まぁ、まさかあんな呼び方を本当にする人がいるとは、思っていなかったけれど」
ふふ、と笑いながらそう言った神子を、男は相変わらずの腑抜けた顔で見上げていた。へたり込んだまま、泥水がジクジクとその身を浸すのにも構わず、である。
「ふむ?」
神子は微かに首を傾げた。一応の危機が去ったとはいえ、まだ状況は解決したわけではない。彼の安全のためにも、速やかにこの場からはご退場願いたいところである。
仕方ない、と神子は大きく息を吸うと、
「立て!人の子よ!」
と高らかに命じつつ、男に右手を差し出した。
「――――!?」
男がぎょっとした顔で、反射的に片手を上げた。その手をぐいと引っ張ると、神子は男の身体を勢いに任せて導き、こちらに対して背を向けさせた。そして次に、
「立ったなら、次は走る!」
と再び叫びながら、その背をトンと押してやった。
「は、はい!」
男が、ゆっくりと歩き出した。その歩みは、最初遅く。しかしすぐに速度を上げて早足となり、やがて小走りとなり、最後には明確な疾走となり。そのまま彼は、ついにこちらを振り返ることなく。雨中を、まさしく逃げ去るように、帰っていった。
「それで良いのです」
その姿を見送って、神子は一人ごちる。
「助かったなら、次は戻りなさい。君の日常に。それを守るためにこそ、私という存在はここにいるのです――――」
だから、後は私に任せて、無事で帰れ。そう思ってしまってから、神子は思わず苦笑した。
「まったく……」
一四〇〇年の長き時を越え、ようやく復活した先でも、自分はこんなことをやっている。己の目的のために生きようと。そう決めて眠りに就いたはずなのに、これでは本末転倒である。
「やれやれ」
神子自身も悪い癖だと自覚してはいるのだが、どうにも生前の名残が抜けない。つい最近もそれが高じて、人里を襲った大規模な異変を一つ、解決してしまったぐらいである。
一応、あの異変自体はある意味で、神子が眠りに就く時に残してきたモノの後始末、と言えるものではあった。しかし、神子がそれを知ったのは、真相に辿り着いてからのこと。異変に関わることになったそもそもの発端は、人々が苦しんでいるのを見たらじっとしていられなかったからである。結局のところ、まさに自分の悪いところを象徴した出来事であるのに変わりはなかった。
「――――とは言っても、放っておけないのよねぇ」
誰かが助けを求めていたら、じっとしてはいられない。ついつい、助けに行ってしまう。そういう自分の性分が、恐らくは不治の病であることに、神子は内心気づいていた。とんだお節介聖人もいたものである。
だが、そのお節介で救われる命だって、今現実にあったのだ。以前のように国全てを救わんとせずとも、自分に助けを求める声ぐらいは、きちんと零さず掬い上げたい。そして、掬い上げたからには――――
神子は笑みを消して、倒れ伏す妖魔の巨体に向き直った。
「――――――――ォォ」
視線を感じてか、妖魔の巨体が微かに震えた。そう、こいつはまだ、生きているのだった。
「このまま捨て置けば、いずれまた、同じようなことが起こるだろう」
手を出したからには、問題は解決されなければならない。危機の芽は、見つけた段階で摘み取っておかねばならない。それが責任であり、鉄則というものだ。だから神子は、
「さらばだ」
冷酷にそう告げると、妖魔に止めを刺すべく、手に持った笏をツイと持ち上げた。
その瞬間――――
雨を裂き。空を裂き。さながら雷のような軌跡を描いて。
今度は神子の頭上から、一つの閃光が、襲来した。
「チィッ!!」
神子は振り返りざま、右手を宙に滑らせる。
その軌跡に沿って振るわれるは、虚空を切り裂き出現した黄金の剣。かつて、異郷の人々の憧れを集めたこの国の別名――――すなわち、ジパングの名を冠されたそれは、飛来する閃光に負けじと輝きながら、正面きって衝突する。
甲高い金属音が響いた。閃光の根幹をなすなにかが、弾かれて軌道を乱す。
グルグルと回転しながら吹き飛んでいくソレの姿を、神子は横目でチラリと見た。中央に位置する柄から、両側に飛び出す刃の姿が確認できる。見覚えのあるその形は――――
「独鈷杵か!」
そう叫ぶなり、神子はマントを持ち上げ、自身の身を覆うように翻した。
ゲートが開く。空間と空間が、別位相を通して繋がる。仙人においては基本の瞬間移動術である。
そうして刹那の間に間合いを離し、再び姿を現した神子の視界に、四つ。再び降り注ぐ、独鈷杵の姿が見えた。
しかし狙いは神子ではない。独鈷杵の群れの向かう先は、依然倒れたままの妖魔である。それらは妖魔を四方から囲うようにして地に突き立つと、次の瞬間、光り輝く檻へと変じた。
「なんのつもりですか!?」
神子は叫びながら、頭上を振り仰いだ。
神子を襲った一連の動きは、まるで、妖魔を守るための行動とも見えて。そして、〝そういうこと″をやりそうな人物に、神子は一人だけ心当たりがあった。
「なんのつもり、とは不思議なことを仰いますね」
視線の先には、やはり、と言うべきか。神子の予想通りの人物がいた。
「目の前で虐げられている妖怪がいたならば、それを救うが私の道理」
雨除けだろうか。幅広の編み笠を被り。
「私はあくまで、その道理に従ったのみ」
この雨天の下でも虹色に煌く、不思議な巻物を携え。
「そういう貴方こそ、こんなところで一体、なにをしておいでなのですか?」
憂いと慈愛を含んだ瞳でこちらを見下ろす、その人物。
「弱き妖怪を嬲ることが、貴方の正義なのですか、太子さま?」
この幻想郷唯一の寺の僧にして、妖怪救済を掲げる異端。ヒトを超え、魔人となった尼公。聖白蓮であった。
「後から出てきて、ずいぶんな言いようね」
マントについた雨滴を払って立ち上がりながら、神子は言った。
「そもそも妖怪としての強弱など、私の正義には関係がないことだ。全ては、その者の行いによって判断されるのだからね」
そこまで言ったところで、神子は再び、笏で妖魔を指し示した。
「大体、君は分かっているのか?こいつがなにをしたのか。いや、しようとしていたのかを」
「それは――――」
神子の言葉を聞いた白蓮の顔が、僅かに曇る。しかしそれも一瞬のこと。彼女はすぐに平素の顔を取り戻すと、
「おおよその状況は、私も把握しているつもりです」
そう言って頷きながら、ゆっくりと地上に降りてきた。
ほう、と。その切り替えの早さに、神子は密かに感心した。考え方の違いこそあれ、白蓮も神子と同じく指導者という立場にいる存在。そういった立場の者に、なによりもまず求められるのは、揺らぐことなき姿勢である。そういう意味で白蓮は、合格点と言えよう。
神子がそんなことを考えている内に、白蓮は微かな水音と共に着地した。そして、彼女は自らが作り出した光の檻に向かい合って、呟く。
「ひどい傷ですね……」
白蓮は僅かに腰を落として、妖魔を檻ごしに撫でるように手を伸ばした。
その顔には、まるで我が事であるかのような、沈痛な表情が浮かんでいた。垂れる雨粒が、まるで涙のようにも見える。慈しみに満ちたそれは、恐らく、本気で相手を心配しているからこそのものだろう。
故に白蓮は、次に神子を振り返って、言うのだ。
「この子はまだ、生まれて間もない妖怪なのでしょう。人語を解さず、明確化された意識も持たず、本能のままに生きる存在。いわばまだ、動物のようなもの。だから――――」
その言葉は、予想できていた。能力など使わずとも、彼女ならそう言うだろうと分かっていた。
「だから、人間を襲っても仕方がない。そう言うわけ?」
故に、言い訳じみた白蓮の言葉を遮って、神子も言うのだ。
「私は少なくとも、そうは思わないな。動物相手でも、妖怪相手でも、それこそ自然現象が相手でも。脅威となるものがあったなら、それを排除し、より住みやすい環境を作る。これは人間に限らず、生き物として当然のことだと思うが?」
畳み掛けるようにそこまで告げて、神子は腕を組んでみせた。我ながら意地の悪い態度だとは思う。しかし――――
「貴方のおっしゃりたいことは、私もよく分かります」
白蓮は引かず、当然のように反論してくる。
「ですがそれこそ、私の正義とは関係のなきこと。貴方がヒトを救うためにここにいたように、私は今、妖怪を救うためにここにいるのです」
それはあくまで、タイミングの問題。神子より早くこの現場を目撃していたら、白蓮だって同じように人間を助けただろう。無論、そのやり方は若干優しいものとなったかもしれないが、結果自体は変わるまい。
だからこそだ、と。
「なるほど」
神子は笑みを浮かべて、頷いた。
「お互い、譲る気はないようね」
その笑みは、さながら、悪戯の上手くいった子供のような。仕掛けた罠に獲物がかかったのを喜ぶ狩人のような、そんな笑み。
「では、どうなさいます?」
剣呑な表情で身構える白蓮に、神子は右手を突き出して、待て、と合図を送ってみせた。
「いつもなら、貴方のことはすべて見させてもらった、と言うところだけどね」
「――――?」
そして、きょとんとした顔を作る白蓮に向かって、神子は言う。
「今日はあえて、貴方という存在が全く分からない、と言わせて貰いましょう」
それはつまり。彼女には、聖白蓮には、資格がある、ということ。先程の切り替えの早さを見た時点で、神子は密かに決めていた。一〇〇〇年の封印を経て、なお変わらない信念を持つ彼女の内側。その深奥を、見てやろうと。
それは同時に、白蓮が、同じく眠りを経て復活した自らに伍するに足ると。そう、神子が認めたということでもあり。
「だから、聞かせてもらおうじゃない」
挑発的な態度で、神子は言った。
「あなたの掲げる、正義を」
以前の対談では、人目もあって、できなかった話を。
「あなたの掲げる、救済の道を」
霊夢の乱入もあって、できなかった話を。
「この、一匹の妖怪の命をかけて――――」
今ここで、心行くまでしよう、と。嫌とは言わせないための、生贄すら用意して。
「貴方のすべてを、私に、聞かせてもらおうじゃない」
傲然たる態度で、神子はそう言い放った。
あえてのこととはいえ、明らかに礼を失した態度。見え見えの挑発であった。雨だってまだ、降り続いている。わざわざこの雨の中で、相手の思惑に乗って立ち話をする必要はない。そう判断されて、断られてもなんらおかしくない状況だった。
しかし、
「それはそれは。願ってもない申し出ですね」
白蓮は断るどころか、むしろ楽しげにそう答えた。
「私も貴方とは、一度、しっかりお話しなければならないと思っていましたから」
その態度は、挑発に乗った者のそれではない。むしろ、自らこそがそれを求めていたと。こんな雨ごときで、折角の機会を逃しはしないと。そう言われているかのような、どこか、薄ら寒さすら感じさせる余裕の態度であった。
釈迦の掌の上で踊る孫悟空。そんな考えが、ふと神子の脳裏に浮かぶ。
「フッ、そう来なくては」
馬鹿馬鹿しい、とその発想を追いやるように、神子はマントで雨粒を切り裂いた。
所詮彼女は、聖徳太子が敷いたレールの上から生まれた存在である。仏教というただの統治の道具に縋り、その上でもなお矛盾を抱えた哀れな存在なのである。掌の上に天の道すら掴むこの身が、そんな存在にどうして踊らされようか。
「では、そうだな」
と意地の悪い笑みを浮かべて、神子は笏を持ち上げた。
「まず第一の問いは、そいつの処理だ」
神子がそう言って示したのは、白蓮の背後で雨に打たれる妖魔であった。妖怪を助ける、という彼女の正義。今この場で、なによりも明確にそれを体現しているのが、ソレであったからだ。
「そいつは、今は傷つき倒れているとはいえ、まだ致命傷ではないはずだ。放っておけば復活して、また同じことをしでかすと思うが、それでも君は救うというのだろう?」
「ええ。もちろんです」
白蓮は、間髪入れずに頷いた。
「この子はまだ、自我が希薄なだけ。このまま育ち、ヒトの言葉を理解するようになれば、きっと分かってくれるでしょう」
「それまでは、ヒトがどれだけ襲われても構わないと?」
「もちろん、そんなことは言いません」
当然だろう、という態度で答える白蓮。
「見た目から察するに、この子は獣が変じたもの。恐らく、自らの縄張りを持っているはずです。人里の皆さんには、そこに入らないようにと布告を出します」
「根本的な解決にはなっていないな」
そう言って、神子は容赦なく切り捨てる。
「私が眠りに就いた後の平安の時代は、妖怪の全盛期であったと聞いている。君が妖怪の生態に詳しいのは知っているし、私が知らぬ知識の下、君はそういう判断を下したのかも知れない」
だが、と神子は続けた。
「その妖怪が、人里に下りてこないという保証がどこにある?妖怪に変じた原因は?食料は?縄張りの範囲は?君はそれらのすべてを知った上で、そう言っているわけではあるまい。危険を及ぼし得るあらゆる要素を網羅し、潰していかねば、民心を安定させることには繋がらない」
そして、そういう要素を確かめている間に、新たに襲われる者が現れるかもしれないのだ。そうなった時に、次もまた都合よく、自分や他の誰かが助けられるとは限らない。そうなればもう、待っているのは問答無用の巫女による裁きだけだ。
「いっそ、命蓮寺に連れて行く、とでも言った方がまだマシだったな。あそこほど、妖怪の檻に最適な場所はないだろうし」
「わざわざ人里に近い場所に連れて行くなんて、むしろ危険を増す結果になると思いますけど」
嘲るような神子の物言いにも、白蓮は顔色を変えることはなかった。冷静にそう指摘されて、神子は、む、と口を引き結ぶ。
「心配無用ですよ、太子さま」
その様子を見て、白蓮は少し勝ち誇ったように言った。
「それら不確定な要素は、すべて、この私が調べます。人里への布告は、それに巻き込まれる者を少しでも減らすための方策です」
巻き込まれる、という単語から漂う不穏な気配に、神子は顔を引きつらせる。
「いや、一体、なにをするつもりなんですか?」
「〝なんでも″、ですよ。この子を助けるためなら、なんでもします」
白蓮の輝かんばかりの笑顔が、しかし神子には不気味なものと思えてならなかった。彼女がこう言うからには、恐らく本当に、なんでもするのだろう。それがどんなに自分を傷つけても、そんなことはお構いなしに。
気に入らないな、と神子は思った。自己犠牲、なんていうのは、神子の最も嫌いな考え方だ。どうしたって犠牲が出る方策でも、最初からそれを前提に話を進めるなんていうのは、ただの諦めと変わらない。
諦めたら、人間はそこで終わりなのだ。
「それはそうと、太子さま。私も一つ、貴方にお訊きしたいことがあります」
「なんですか?」
内心の不快感を隠そうともしない声音で、神子は訊ねた。こちらが持ちかけた以上、答えないわけにはいかないが、不満の表示ぐらいは許して欲しい。
「あなたは、危険を及ぼし得る要素はすべて潰してしかるべきだ、とおっしゃいましたね?脅威は排除されるべきだとも」
「ええ、言いましたね」
それが?、と神子は首を傾げてみせた。白蓮の涼しい顔からは、言わんとしていることが読めない。
「それなら――――」
そんな神子の様子を満足げに見て、白蓮は言った。
「それなら、あなたは何故、こころさんを助けたんですか?」
「――――む」
今度は、神子も露骨に顔を顰めてみせた。
秦こころ。最近、神子が解決した異変を起こした張本人にして、神子が作り出した面より生まれし付喪神の少女である。
すべての発端となったのは、神子が作った面の内の一つが失われたことであった。そうして欠けた感情を求めて動き出したのが、付喪神たるこころ。その副作用により、人里の感情バランスは乱れに乱れた。そして神子は、それを鎮めるために、失われた面に代わる新たな面を作ってやったのだった。同じ製作者が同じ意味を込めた物を作ってやれば、元通りになるという寸法である。
結論だけ言えば、異変は解決した。こころの感情は安定し、人里の感情も安定した。めでたしめでたし。
しかし。
「――――私は、こころを助けたのではない」
自らの偉業を誇るどころか、むしろ嫌悪するような表情で、神子は言った。
「私はあくまで、〝元通り″にしようとしただけだ。助かったのは、あの子の素質だよ」
元通り、というのは、つまりそういうことだ。付喪神が元通りになれば、その先は決まっている。
神子は、こころを助けようとしたのではない。面が失われて動き出したなら、それを補填することで、元通りの道具に戻してしまえばいい。そう考えて行動したのだ。
自分の正義は、なにも変わっていない。神子は当然それに従って行動したし、結果だって悪くはなかったはずだ。
なのに。
「いいえ。貴方はやはり、こころさんを助けたんです」
なのに、何故この僧侶は、わざわざ人の心のかさぶたを掻き毟るようなことを言うのか。
「確かに一度目は、そうやって道具に戻そうとしたのかもしれません。実際、こころさんは新たな面をしばらく持て余していましたし、そのせいでまた、人里に危機をもたらしもした。ですが――――」
白蓮は、柔らかな笑顔で続けた。
「二度目は、そんなことをしたにも関わらず、貴方はこころさんを見逃したではありませんか。いつまた脅威となるかも分からないのに、放っておいた」
「――――それは違う!」
反射的に、神子は叫んでいた。
「私は二度目だって、君や霊夢と一緒にこころを退治しようとしただろう。その結果敗れたから、手出ししなかっただけで――――」
「そんな馬鹿な言い訳、通じると本気で思っているんですか?」
相変わらずの笑顔で、しかし神子の言葉を遮って、白蓮が訊ねた。
「あの聖徳太子が、生まれたての、しかも自らが作り出した物体から生じた付喪神程度に、負けるとでも?」
奇妙な威圧感を感じて、神子は、うっ、と息を呑んだ。
白蓮の様は、まるで、お気に入りのものを貶められて怒る、熱心な信徒のようでもあった。そりゃあもちろん、神子が負けるわけはないのだが、なんで白蓮がそんなことで怒るのか、神子には理解できなかった。むしろ喜ぶか、馬鹿にでもすれば良いではないか。
「まぁ、私の娘のようなものですからね。それだけの力を持っていても、別におかしくはないでしょう」
仕方なく神子は、そんな言い訳めいたことを言ってみせた。子が親を超えるのは、生き物として悪くはないことだ。問題なのは、大抵そういうモチーフに使われるのは、娘ではなく息子であることだが。
しかし白蓮が気にしたのは、そんなどうでもよいことではなかった。
「見捨てたようなことを言っておいて、舌の根も乾かぬ内にそれですか」
はぁ、と呆れたように溜め息を漏らして、白蓮は言った。
「どうして、こうなんでしょうね。道教なんてものを信仰しているから、こうも傲慢になってしまうのかしら」
「失礼ですね」
神子は、口を尖らせて言った。なんでいきなり、人の信仰の話になるのか。そういうのを、言いがかりというのではないか。
「傲慢さと道教には、なんら関係がない。大体、私は傲慢なのではなく、正しい自己認識をしているだけです」
「そうでしょうか?」
白蓮は納得せず、異を唱える。
「貴方が偉人であることは認めますし、異議などはまったくありませんが、やはり道教の本質は傲慢だと思います。人間の行き着く先の限界を見据えるのが、別に悪いとは言いませんけど、そのために切り捨てられるもののことを考慮に入れていないでしょう?」
「それが、貴方の救いたい妖怪であると言いたいの?」
雨に濡れた髪をかき上げながら、神子は、ハッ、と鼻で笑ってみせる。
「だったらそれは、言いがかりも甚だしい。人間が仙人となれば、妖怪は自らの格を上げるためにも、仙人を狙ってくるでしょう。それを撃退することのなにが悪い?黙って食われろというのか?」
「そんなつもりはありません!」
やや声を荒げて、白蓮が否定の声を上げた。
「ただ私は、殺し、殺される、というだけの関係がおかしいと言いたいのです。妖怪だって、仙人だって、人間だって、すべて救われるべきだと!」
それはつまり、白蓮の掲げる正義の話。
「この幻想郷に来て、貴方だって見たでしょう。妖怪と人間は、共存できるのです。弾幕ごっこというルールの下に。賢者の取り決めというルールの下に。危ういバランスの上でも、それでも共存は可能なのです」
ひょっとしたらここは、彼女にとっての理想郷かもしれない。仏の道の下、人と妖怪の共存を掲げ、その結果封印された彼女の、最後に流れ着いた場所。最後の希望。
「一切衆生悉有仏性、とでも言いたいのか、君は?」
しかし、それを踏みにじるように、神子は言う。
「すべてのものには、仏たる要素がある。故に、救われる要素がある。確かに素晴らしい考え方だ。広められたなら、縋りつきたくなる者が多いのも分かる」
その教えを広めたのは、他ならぬ神子自身である。役に立つと思ったから。便利だと思ったから。一人の手では掬いきれない者の心ぐらいは、せめて救う助けになるだろうと思ったから。
「だが、君は失念している。この世界には、理を説いても、決して聞かぬものが存在することを。聞けぬものが存在することを。そして――――」
仏でなどあっても、と神子は吐き捨てるように言った。
「決して、変えられぬ運命(さだめ)があることを……」
すなわち、死、である。
仏の道は、死を肯定している。死と生を繰り返す、輪廻の歯車。それを抜け出すことを究極とするからには、前提となる死がなければ成り立たないからだ。
「仏教における最終目的は、輪廻の輪から抜け出すことよね。でも、抜け出してどうするの?そんなものは、ただの逃げでしかないと思わない?」
苦笑交じりにそう訊ねつつも、白蓮の返答を待たずに、神子は続ける。
「それでもまあ、逃げ出せた者はいいだろうね。この世の一切の苦しみから逃れ、浄化された世界で面白おかしく暮らせばいいのだから。だが――――」
と神子は目を閉じて、降り注ぐ雨に顔を晒すように、天を仰いだ。
「そうできなかった者は、どうする?残された大部分の者は。理を聞かず、解しもしない無法者の蠢く穢土に残された者たちは、一体どうなる?苦しみ抜いて、現世を諦めろというのか?来世に期待しろというのか?」
そんなの。
「そんなの、私は認めない」
誰かが。
誰かが、導かなくてはならないのだ。
この世に悪があるならば。この世に不条理があるならば。それを超えた絶対的な力と知性で、世を変える。今、ここに生きる者を救ってやる。そういう存在こそが、多くの民には必要なのだ。
しかしそのためには、人の身では時間も力も足りない。どれだけ知性に優れていようと、どれだけ力に秀でていようと、人である以上、死は変わらずに訪れるのだから。
「私は、死を受け入れなどしない。ましてや、輪廻の外に逃げようとも思わない」
故に自分は、人の身を捨てた。神子は顔を戻すと、白蓮を真っ向から見つめて、言った。
「私はあくまで、この世に存在し続ける。そして、人間の味方であり続ける。道教は、あくまでもその手段にすぎない」
「……また、道具、と言うのですね、貴方は」
白蓮が、静かにそう言った。
「自らの欲望のために力を求め、万物を利用しようとするその傲慢さ。私には、貴方が、あの青娥さんと同じ存在に思えてなりません」
それは彼女なりの、嫌味のつもりだったのかもしれない。
「その認識は正しい」
しかし神子は、気にすることなくそう言って、頷いた。
「以前にも言ったと思いますが、力というものは使い方の問題なのです。それ自体には、悪意も善意もない。青娥は私と同じ仙人ですし、師のような存在でもある。ならば同じものを感じても、なんら不思議なことはないでしょう」
「――――」
白蓮が、ぐっと唇を噛んだ。悔しげなその様は、不思議と、自分の言葉があっけなく返されたことに対してよりも、なにかもっと別のものに向けられているようでもあって。
「……そんなことだから、貴方は封印されたのです」
それを振り払うように、白蓮は苛立たしげに言った。
「自らの広めたものを道具と言い切り、それに反する形で縋ったものまでも手段と言い切る。その行いは、どちらの道を行く者にとっても、許しがたい裏切りです」
またしても悔しげな顔を作って、白蓮が続ける。
「貴方のその傲慢さは、聖人でない者には理解されない。それは妖怪相手に限らず、貴方の守ろうとする人間相手でも同じことです。一四〇〇年にまで延びた眠りの時間は、貴方のなにも変えなかったのですね」
「――――ッ!」
神子は思わず、頭に血が上るのを感じた。
「理解できなかった、のではなく、しようとしなかった、の間違いだろう!?」
まずいな、とは神子自身思いつつも、声が荒くなるのを抑えられない。
「私を封じたのは、他ならぬ貴様ら仏門の徒だが――――」
と白蓮を笏で指しながら、糾弾するように神子は言った。
「要するに、お前たちは恐れたのだろう?自分たちがもっともらしい講釈をどれだけ垂れようと、決して救われることのない現世。そこに、この私という聖人が復活するのを。そしてその結果、私の引いたレールの上で享受していた特権を失うのを!」
仏教の二面性。欲を捨てることを謳いながら、その実、仏の威光を傘に着て、自らの欲を通す。自らが封じ続けた聖徳太子をも利用し、外来の宗教でありながら、この国の中心としてあり続ける。この国においては、道教などよりもずっと、仏の道の方が権力者の道具なのである。
「先程の輪廻の話だってそうだが――――」
一部の徳を積んだ者たちは、残された者たちとは違う次元に移行してしまう。それはつまり、自分だけが助かるということではないのか。自分を助けた者はすなわち誰かに助けられた者である、なんて言葉遊び、道教と一体なにが違うというのか。
「本当に悟りを開いた者はこの世を見捨て、悟りを笠に着て特権を享受する者はこの世の春を謳歌する、というこの矛盾。傲慢というなら、それはむしろ仏教の方ではないか!」
そこまで言ったところで、神子は深く息を吐きつつ、笏を下ろした。少し強くなった気がする雨に身を晒して、頭を冷やす。
正直な話、神子も、これがお門違いの言いがかりなのは理解していた。白蓮が、そんなことをできるような境遇でなかったのも。
だが、だからこそ。
「――――確かに、そうかもしれません」
と、怒るどころか、逆にそれを受け入れるようなことを言う聖白蓮という人物に、神子はどうしようもない苛立ちを覚えるのだ。
そして、認めた上で彼女は、こう言うのだ。
「だから私は、その傲慢さで切り捨てられた者を救うために、ここにいるのです」
「――――君はッ」
どうして、そうなのか。
「君は、一体いつまでそんな夢物語を抱き続けるんだ!?人間に裏切られて、封印されて、おまけに大多数の妖怪にだって理解されないというのに!」
外の世界で忘れ去られた者が、最後に辿り着く場所たる幻想郷。しかし水底に浮かぶ楽園のようなこの地でも、力のない者は存在することができない。自らの存在を誇示できぬものは、結局、人から忘れられて消えていく。命蓮寺にいる山彦が、その良い例だ。
そして、それは同時に、この幻想郷において悠々と存在し続けられる者は、そもそも救いなど必要としていない、ということでもある。
「今はまだ、それでもいいかもしれない」
白蓮がなにかを言う前に、神子は続けた。彼女はどうせ、理解されるために救済しているのではない、なんてしょうもないことを言うだろうから。
「自分を慕ってくれる妖怪だけに囲まれて、それを救って、今回のような自我の希薄な妖怪を見つけては、それを導いて。小さな君の理想を追いかけていればいい」
だが、と神子は言う。
「人間だって、馬鹿ではないんだ。時を経て、知識を蓄え、認識を改め、そしていつかは妖怪を駆逐していく。それは力ではなく、概念でだ。いずれこの幻想郷でも、君のところの山彦のような存在が多く出る時代が来る」
この雨のように、外の世界から様々なものが流れ着く幻想郷だ。賢者の選別が滞れば、それはひょっとしたら、明日にでも起こることかもしれない。
「傲慢さで切り捨てられる者は、常に一定数存在するわけではない。周囲の状況により、増えも減りもする。そして、切り捨てられた者が、皆、弱者であるとも限らない」
つまり神子が言っているのは、昨日まで絶対無比の強さを持っていた者が、切り捨てられる側になった場合のこと。
「妖怪とは、精神の生き物だ。特に一人一種族の者に顕著だが、己を誇示して生きているような妖怪は、当然プライドだって高い。自分がいかに消えそうな状況であっても、君の教えを受け入れるとは到底思えない。しかしそういう連中も――――」
「もちろん、私は救います」
毅然とした声で、神子の言葉を遮り、白蓮がそう言った。言い切った。
「私の救いは、この場でこそ、殺されつつある一人の妖怪に向けています。そして平素の私の教義でも、妖怪の救済を説いています」
しかし、と白蓮は言った。
「私はあくまで、切り捨てられた者を救う、という自らの正義から、それを唱えているだけです。本来、救われないだろう者を救うために。その根本にあるのは――――」
揺らぐことなき、信念を包んだ声で。
「すべてを、仏の名の下に、等しく救済する。貴方の言ったように、そういう考え方です」
すべてを、救う。
神子が、鼻で笑ったその言葉を。神子が、そんなのは道具でしかないと、理想論でしかないと、嘲った言葉を。
白蓮は、再び、口にした。
「すべてを救う……」
甘い考えだ。人の上に立った者ならば、誰だって分かる。人間の手は、あまりにも小さすぎて。そこに掬えるものなど、本当に限られていて。
「そんな理想を掲げ続ければ、今度は人間だけでなく、妖怪にさえ疎まれることになっても――――」
そして、掬おうと手を伸ばしたとて、それが必ず感謝されるものではないというのに。
「ええ。私の考えは、変わりません」
白蓮は、変わらぬ決意の声で以って、そう答えた。
無駄だ、と言っても。逃げだ、と言っても。傲慢だ、と言っても。なにを告げても、なにを貶めても。彼女のその正義は、最初から、欠片ほども変わらない。
どうしてこんなにも、この娘は現実が見えないのだ。どうしてこんなにも、この娘は自分が傷つく道を選ぶのだ。
もっと、その目で見るものを減らせばいいのに。もっと、考えることを減らして、楽に生きればいいのに。もっと、自分のことを考えて、傲慢に生きればいいのに。そして、もっと、自分の持つ力を自覚して、〝諦めればいいのに″。
「封印されたというのに、その一〇〇〇年という長き時間は、君のなにも変えなかったのだな……」
誰かが言ったような言葉を、神子は吐き捨てるように言った。今や雨は、音が聞こえるほどに強くなっていた。
その、雨音に紛れるようにして。
「そんなの、太子さまだって一緒でしょうに……」
静かに、悼むような声音で、白蓮がそう言った。
その言葉が、どうしてか。
「同じだと!?」
神子の心を、深く抉った。
「私と君の、なにが同じだと言うんだ!」
神子は怒りに任せて、叫んだ。
「私は君よりも、はるかに現実を見ている!私は君よりも、はるかに楽に生きようとしている!私は君よりも、はるかに自分勝手に生きている!私は――――」
諦めてなど、いない。
誰だって、みんなが救われるのなら。
その方がいいに、決まっている。
「くっ――――」
神子はマントを翻すと、空間転移を行った。目指す場所は、妖魔を囲う檻の近く。白蓮の立つ、その横である。
「えっ!?」
突然の動きに、白蓮が驚きの声を上げた。
一瞬の暗転の後、神子の眼前に、驚く白蓮の顔が現れた。その視線は、もはや雨粒しか存在しない、先程まで神子がいた空間を向いている。反応が遅れている。
それをチャンスと見て、神子は、
「きゃっ――――!?」
白蓮の華奢な肩を掴むと、近くに聳える木の幹へと向けて、思いっきり押し付けた。
衝撃で、白蓮の編み笠が地面に落ちる。
「い、痛いですよ、太子さま……」
目尻に微かに涙を浮かべて、白蓮が見上げてくる。編み笠のヴェールを奪われたその顔には、長話で水気を吸った髪の毛が数条、張り付いていた。
「君は、すべてを救うと言ったな?」
神子は、間近で白蓮の瞳を覗き込みながら、訊ねた。
「――――――――っ」
尋常でない気配を察したのか、うっ、と白蓮が息を呑む。上下する喉の白さが、雨に濡れて異様に眩しく見えた。
「ならば、君のその理想とやらで――――」
神子は、白蓮の顎にツイと右手の指を差し入れる。雨と湿気でしとどに濡れ、肌に張り付いた衣服が、露出もないのに、奇妙な色香を放っていた。
「私を、救って見せろ」
その言葉は、最後まで告げられることはなかった。何故なら、最後に神子の口を通った空気は、そのまま白蓮の唇の中に吸い込まれていたから。
二つの影が、雨の降り続ける木陰で重なる。
「んっ――――」
白蓮の瞳が、驚きに見開かれた。先程よりもはるかに間近で、神子とその視線が交錯する。
しかし神子は、それで終わらせるつもりはなかった。唇を微かに開き、その間から舌をさしだす。
「ふぁ――――っ!?」
白蓮の熱っぽい吐息が漏れる。戸惑うようなそれを無視して、神子は舌を推し進めて、白蓮の唇をほぐしていく。
ゆっくりと。ゆっくりと。
無理矢理に進めるのではなく、抵抗を失わせるように。
「んんんっ」
反応として帰ってくる喘ぎを、どこかで楽しく感じながら、神子はその行為に没頭した。
そうして駆け引きを楽しんでいる内に、やがて、抵抗が失せた。その隙を逃さず、神子は舌先を白蓮の口中に侵入させる。
「――――ぁ」
白蓮は、もはや驚きの声を上げなかった。ただ、歯を噛み合わせることもなく、為されるがままに侵入を受け入れた。
唾液が絡まる。重なり合っているだけだった影が、ついに繋がる。
「――――――――」
白蓮が、目を閉じた。強張っていた彼女の肩から、力が抜ける。
そして、神子は。
口中に侵入した舌先に、白蓮の舌の感触を感じ。自らの腰にゆるりと回される、白蓮の両手の感触を感じたところで。
「――――ッッ!!」
ふいに我に返って、弾かれるように身を離した。白蓮の唇との間に、一瞬、透明に煌く架け橋がかかり。
「あっ――――」
どこか、名残惜しそうに声を上げる白蓮の前で、すぐに消えていった。
その姿を、睨みつけながら。
「貴方は――――ッ!」
自らの唇を、手の甲でぐいと拭いつつ。
「貴方は、一体、なにを考えているんですかッ!」
責めるように、神子は言った。
嫌がらせのつもりだった。こうでもしてやれば、不邪淫戒を掲げる仏教の徒なら、ただ拒絶するしかないだろう、と考えて。わざわざ、救って見せろ、なんて挑発をしつつ、相手が拒絶する様を見て、ほれ見たことか、と。結局、すべてを救うなんてできないじゃないか、と嫌味の一つでも言って、終わらせてやろうと。神子は、そう思っていた。
別に、やることは姦淫でなくたって良かったのだ。酒だって、盗みだって、なんでもいい。ただ、自分を使ってすぐできるから、というだけで、この方法を選んだだけの話。
なのに、彼女は。
「なにを考えて、なんて言われても、困ります」
聖白蓮は。
「だって貴方は、救って見せろ、とおっしゃったじゃないですか」
よりにもよって、受け入れようとしたのだ。戒律破りになることを知りながら。それが、仏の道に反することを知りながら。
仏の名によって救うために、仏の教えに反することをする。そんなのは、もはや――――
「そうして救うことが、私のためになるとでも言うんですか」
神子は頭痛を堪えるように、右手で頭を抱えた。
「貴方は、私など救わなくてもいいんです。私は異教の徒で、仏敵でしょう。私が挑発したなら、貴方はそれを拒絶して、滅ぼせばいいんです。戒律に関わることなら、尚更!」
だって、戒律というのはつまり、始祖の唱えた倫理のことだ。ならば、それを破れと囁く者は、すなわち教義を捨てよと囁く悪魔と同義である。
なのに、白蓮は。
「そうはいきませんよ」
そんな悪魔に対してだって。
「だって、私が貴方を救えばきっと――――」
当然のように救いの言葉をかけて、その行いに付き合ってやって。
「貴方は、戻ってきてくれるでしょう?」
「――――ッ!!」
ハッ、と神子は顔を上げた。
「戻る?どこへ戻るというのだ……?」
もはや聖白蓮のその生き方は、仏の道を外れているというのに。戻る場所なんて、どこにもないというのに。
「もちろん、貴方が広めた、仏の道ですよ」
白蓮は、不思議そうな顔で言った。
「貴方が戻ってきてくれるなら、きっと妖怪もヒトも、この世に生きるあまねくすべての存在を、救うことができると思うから――――」
その先を言うな、と。神子は、身を引きながら、切に願った。
しかし。
「だから、そのためなら私の身など、どうなっても構いません。貴方さえ救えれば、それで」
白蓮は、笑顔さえ浮かべながら、そう言った。
ずっと降り続ける雨に、濡れに濡れ。先程の激しい動きで、衣服さえ乱れながらも。
彼女の姿は、美しかった。理想と信念に殉じるが故の、気高き孤高の美しさ。だが、その殉じる先に選ばれた者にとって、それは重荷でしかなった。
「やめてくれ……」
もはや後ずさりを始めながら、神子は呟いた。
「私に寄りかかるな。私は、仏ではない。神でもない。私は、貴方のもたらそうとする救いに、保証など与えられはしない」
だから、貴方さえ救えれば、などと言うのはやめろ。そんな物言い、迷惑だ。
「貴方はまるで、悪魔だ。仏の倫理に反してでも、善意をひたすらに振りまき、その救いで人を惑わす」
彼女が伝えるべき言葉は、本当はそんなものであってはならない。仏の道による救済を謳うなら、本来それは――――
「貴方は、ただ、救われに来い、と言えばそれで良かったのだ。誰に対しても。それが通じなくとも」
そのために彼女は、自らの寺に毘沙門天を置いているのだろう。妖怪の救済を掲げて、それを仏に認めさせるために。仏による妖怪の救いを、成し遂げるために。
なのに彼女は、自分で動いてしまっている。仏の救済ではなく、仏の代わりに救済をもたらそうとしている。その結果、封印までされているというのに、未だ目を覚ますことはない。
その盲目さは、彼女の慈愛が故に。
「そう、君の善意と愛は――――」
神子は、顔を顰めて。
「仏をも越えて、あまねきすぎる」
嫌悪感を隠そうともせず、吐き捨てるように、そう言った。
しかしその嫌悪は、白蓮に向けられたものではなかった。神子は、自らの行いこそを嫌悪していた。
白蓮は言うなれば、こころと同じだ。神子が眠りに就く前に残した、いや、残してきてしまったものより生まれた、怪物。この国に広まった仏教というものが生み出してしまった、魔物。それが、一〇〇〇年という時を経て、この幻想郷に復活したのだった。
では、怪物を前にして、自分はどうするのか。どうすればいいのか。
仏ではない自分には、彼女の間違いを正すことはできない。怪物を生み出してしまった自分には、彼女を糾弾することはできない。そして、最初から仏教を捨て去っていた自分には。
「残念だが、私には、貴方を救うことはできない」
彼女を救ってやる、資格がない。
「太子さま……?」
怪訝な顔を向ける白蓮を無視して、神子はマントの中で、宝剣の鞘を撫でた。
救えないならば、やることは一つしかない。
ここに生きる人間に。ここに生きる妖怪に。未来の幻想郷に。そしてなにより、聖白蓮という存在に危険を及ぼし得る魔物を、神子自身の手で滅ぼす。
そのために、この場にて彼女の心を体現するもの。それを、排除する。破壊する。殺す。そうして、彼女の心を、信念を、生き方を、砕く。
危険を及ぼし得るものはすべて排除する。それが神子の、為政者としての信念。神子は常にそうして生きてきたし、それ故に恨みを買うことも多かった。
だが、そうすることで救われる誰かがいるならば、それでいい。例えその結果、救いたいと思っている相手に疎まれようとも。それでも――――
そこまで考えて、神子は己の思考に蓋をした。だって、その根源には。
『そんなの、太子さまだって一緒でしょうに……』
脳裏によぎったそんな声を振り払うように、神子はマントを翻した。向かう先は、この場で白蓮の理想と正義を体現する、光の檻に包まれた妖魔の下である。
ゲートを潜りながら、神子は腰の宝剣を抜き去る。太陽よりも眩い天帝の輝きが、無限の闇の中に飲まれ、そして一瞬の後に地上に現出する。
光熱に焼かれ、雨粒が弾ける。
目標は、目の前だった。ちょうど直上に出現するように位置調整していたため、後はこの手に握ったものを振り下ろすだけで、終わる。
これが私にできる、ただ一つの責任の取り方だから。そう、心の中で言い訳めいたことを呟きつつ、神子は手の中の刃を振り下ろし、すべてを終わらせる。
――――はずだった。しかし。
「そう来ると思っていましたよッ!」
二度目ともなれば、行動は読まれるものである。転移で神子の視界が失われた一瞬の間に、光の檻はすでに消えていて、そこには白蓮が立ち塞がっていた。
それだけではない。彼女は、明らかに丸腰であった。独鈷杵を構えることもなく、素手のままにこちらに対峙していたのだ。
「くっ――――」
神子は刹那の間に、躊躇った。
白蓮がこういう行動を取ることは、予想してしかるべきだった。彼女は、自分が傷つくことを厭うような女ではない。むしろ自分の目的のためには、進んで傷を負いに行くような、そんな壊れた存在なのだから。
「チィィッ!」
それならば尚更、ここで彼女に傷を負わせてはならない。神子はなんとか、剣の軌道を逸らそうと試みる。何故なら、理想のために負った傷は、苦しみではなく勲章だから。それは信念を砕くどころか、よりその理想を強化することになりかねない。
とはいえ、落下の勢いを加えられた剣閃は、もはや神子の両手の動きで止められる状況をとうに過ぎていて。白蓮からわずかに軌道を逸らしたとて、そこには本来の目標たる妖魔の姿がある始末。
結局、神子は努力の甲斐なく、待ち受ける白蓮に向けて、北極星の輝きを叩き付けていた。
キィン、と。
およそ、生身と鋼がぶつかった結果とは考えがたい、耳を貫く、奇妙な甲高い音が響いた。
「く……うっ……」
苦痛に歪んだ白蓮の顔が、先程と同じように間近に見える。
白蓮は、自身に迫り来た刃を、その両の掌で受け止めていた。もちろん、術法の加護は得ていただろう。でなければ今頃、それは肉体との連結を断たれているはずだから。
にも関わらず、今、彼女の両掌からは、しとどに血が流れていた。宝剣の柄を握る神子の手にも、なにかを断つ奇妙な手ごたえが断続的に届いていた。神子の持つ宝剣が宿す、破邪の力。すなわち、魔を払う力が、彼女の加護を引き裂き続けているのだった。
想像を絶する痛みであろう。完全なる割断すら許されず、常に身を裂く感触に苛まれながら、いつ終わるとも知れぬ苦痛に耐える。それはまさに、地獄の責め苦に等しい。
なのに。
「……良かった」
なのにまた、白蓮は。
「貴方が、この子を殺めることにならなくて」
よりにもよって、現在進行の形で己の身を侵し続ける、憎きはずの剣を握る者に対して。
「不殺生戒。貴方が、罪を重ねることにならなくて」
先程一度は、自分が破った戒律を、相手にだけは破らせまいという決意で。
「本当に、良かった……」
本当に、本当に心の底から喜ぶような笑顔で、そう言ったのだった。
「――――なんでっ」
神子は。
「なんで貴方は、この期に及んでもそんなことを言うの……?」
震える声をなんとか搾り出して、訊ねた。
わけが分からない。話し合いを放棄して妖魔を狙った時点で、もはや神子は敵のはずだ。神子は、救いなど求めていない。理を説かれることを望んでいない。理を解するつもりだってない。そのことを、行動で示したのだ。それこそ、教えを阻む仏敵と言っても良い存在のはず。
「なんで、って。太子さまはまた、不思議なことをおっしゃいますね」
しかし白蓮は、腑に落ちない、という顔で、そんなことを言ってみせた。
「だって、太子さま――――」
そして彼女は、握っていた宝剣から、その両手を離すと。
「私に――――」
血に塗れたままの手で、神子の頬を包み込むように撫でながら。
「私を救って見せろ、と頼んでくれたではありませんか」
「――――ッ!!」
べたり、と。生暖かい感触が触れた。まずい。逃げろ。今すぐ離れろ。そんな声が頭の中で反響しているのに、白蓮の血が呪縛のように神子の全身を絡め取り、身動きができない。
近くで。
「さあ、太子さま」
再び顔が触れそうなほどに近くで。
「今度は、いかがなさいますか?」
白蓮の唇が、艶かしく蠢いた。
――――その瞬間だった。
「そこまでよ!」
二人の頭上から。
「聖様から離れなさいッ!」
そんな、聞き覚えのある二つの声が降ってきたのは。
「くっ!」
「あ――――」
白蓮の手を振り切って、神子は慌てて背後に跳んだ。今の声を発したのが、神子の思っている通りの者たちならば、次に来るだろうモノは決まっている。
「っしゃらああああああああ!」
最初に来たのは、錨だ。辺りに山ほど存在する水の尾をまとったソレは、つい先程まで神子がいた位置をさながら龍の牙のごとく抉り、砕いた。水飛沫が辺りに飛び散り、霧のようになって視界を隠す。
「やって!雲山!」
それに続くは、少女の声に呼応する二つの拳。視界が奪われた状況を最大限利用し、裏をかいて横から迫る鉄拳制裁を、神子はすんでのところで回避する。打ち合わさった巨大な双拳が、その拳圧で以って水飛沫を弾き飛ばした。
そうして、辛くも二つの攻撃を回避し、神子が体勢を立て直すと同時。
「やはり、貴様たちだったか……」
開けた視界の中で、白蓮を庇うようにして立つ二人の人物の姿が、神子の目に入った。命蓮寺に住む、舟幽霊と入道使い。名は確か――――
「そうよ、私たちよ!」
舟幽霊が、地面に刺さった錨を引き抜きながら、言った。
「命蓮寺にこの人ありと言われた、荒事専門の切り込み隊長。名を、村紗!」
「切り込み隊長?」
と首を傾げた入道使いを、村紗と名乗った舟幽霊が肘で軽くつつく。
「ほらほら、いっちゃんも名乗って」
「え?ええ」
ごほん、と咳払いを一つして、入道使いが言った。
「雲居一輪です。こちらは雲山。まあ、以前にも会ったと思いますけど」
彼女の姿は、以前のこころの異変の時に何度か見ている。その戦いぶりは、確かに荒事専門というに相応しい勇壮さであった。
「はっ!聞いたか、邪教の仙人!」
錨を担いだ村紗が、意気揚々と叫ぶ。
「命蓮寺が誇る力のツートップ、むらいちコンビとは我らのことよ!聖徳太子だかなんだか知らないが、私たちが揃ったからには、これ以上の狼藉は許さん!早々に立ち去るがいい!」
なにやら一人で猛烈にハッスルしている村紗だったが、彼女の背後の聖はおろか、横に立つ一輪も、
「え?なにそれ?」
みたいな顔をしていた。
「妖怪風情が……」
話のコシと緊張感を削がれて、神子は若干の苛立ちを覚えていた。それに加えて、先程の痴態である。上空から来たこの二人にはどう見えていたか知れないが、あの時神子は、完全に白蓮に呑まれていた。あのまま行けばどうなっていたのか、と想像すると、怖気が走る。
そんなイライラを解消するためにも、いっそ、思いっきりこいつら相手に大暴れしてやろうか。そんな思考が、神子の脳裏に浮かぶ。こいつらならば、生まれたての妖魔よりも少しは歯ごたえがあるだろうし、なにより力のある妖怪相手なら、多少痛めつけても平気である。そういう意味では、格好の八つ当たり道具かもしれない。
「…………」
なんてことを聞いたら、また道具か、とか白蓮はきっと言い出すのだろう。本当にもう、なんだってそんなに食ってかかってくるのか。
「立ち去れ、だと?後から来て、偉そうに言ってくれるな」
イライラに任せて、神子は声を上げた。
「私は、そこな妖怪の処遇をかけて、白蓮僧正と争っていたのだ。そして、その結論はまだ出ていない。目的を達していないのに去る道理が、この世のどこにあるというのだ」
そう言って、右手に持ったままの抜き身の宝剣を、これ見よがしに持ち上げてみせる。その刀身には、先程まで白蓮が握っていたことによる、真っ赤な鮮血が光っていた。
「それは――――ッ!?」
ぎょっとした顔で、村紗と一輪が背後の白蓮を見る。
「あ、あの、二人とも……」
白蓮はバツが悪そうな顔で、両手を胸の前で握り締めたが、あいにく出血量が多すぎて隠しきれていない。
「「貴様ッ!」」
声を重ねて、村紗と一輪が振り向く。顔色が変わっていた。それはそうだろう。自らが慕う者の傷ついた姿と、それを付けた者の姿を見て、冷静でいられるほうがおかしい。そこで、すべてを受け入れろ、などという仏の道がおかしいのだ。
「そうだ。その感情の発露は正しい。そういう意味では、妖怪はある意味、まっとうな生き方をしているのかもしれないな」
神子はそう言って頷くと、宝剣を一振り。刀身についた血糊を飛ばして、鞘に戻した。
「どういうつもり?」
剣呑な顔で、一輪が訊く。
「なに、ハンデだよ。君たち程度を相手にするのに、私の半身を使うのはしのびないからね」
それに対して、嘲るような視線を向けつつ、神子は笏を取り出して見せた。
「これで充分、ってことさ」
「このッ!」
「舐めやがってッ!」
効果は覿面。見事に挑発に乗った二人は、獲物を構えて臨戦態勢をとった。
「ふ、二人ともやめなさい!これは別に、そういうわけでは――――」
白蓮が必死に諌めようとするが、もう遅い。
「聖は黙ってて」
「聖様はお静かに」
頭に血が上りきった二人には、通じない。
「それでいい」
神子は満足そうに頷いて、どこか退廃的な笑みを浮かべた。
こうして白蓮の門下の妖怪の恨みを買って、自制をなくさせて攻撃させ、当の本人の目の前で無様に叩きのめす。そしてその後、あの傷ついた妖魔をも片付けてやる。当初の予定とは違ってしまったが、これはこれで、ある意味白蓮の理想を砕くことにはなるのかもしれない。
荒れに荒れた、円滑さとは程遠いみっともない方法ではあった。だが、彼女の間違いを正すこともできず、糾弾することもできず、助けることもできず、そして呪縛から解き放ってやることすらできなかった自分には、お似合いの方法かもしれない。
そんな自嘲的な気分のままに、神子は一歩を踏み出した。笏を携え、マントを翻し、ニヒリズムの極致のような笑みを浮かべて、
「さあ、来なさい!」
とそう告げた、その声を切り裂くようにして。
「そこまで!双方、剣を収めよ!」
上空から、今度は眩い光の柱が、両者の間に降り注いだ。
「この光は!?」
それはどこか、見覚えのある光であった。これを見たのは、いつだったか。はるか昔のことであったように、神子には思える。
「ちょ、一輪?」
「ええ、これって……」
村紗と一輪も、動きを止めて光柱を見つめる。彼女たちも、それには見覚えがあるようだ。
「これは、法の光」
そして最後に、白蓮がそう呟いた。彼女は立ち上がり、光の柱の根元を指差す。
誘われるようにその先へ目を向けながら、神子はふと気づいた。
「雨が……」
いつの間にか、雨が上がっていた。光の柱に飲み込まれるようにして、上空に漂う鈍い色の雲が、穴を開けていた。
その、雲間に。光の袂に。一つの影が立っているのを見て。
「なっ――――」
神子は驚愕に、息を呑んだ。
その姿は、神子に、ある一つの記憶を想起させた。それははるか、一四〇〇年も前の記憶。神子が眠りに就く、少しだけ前の記憶。この国の行く末を二分する、大きな戦乱の記憶。
古の神々と、仏の戦争。見かけの上とはいえ仏の側で参戦し、苦戦をしていた神子が、その生涯で唯一、仏に縋った瞬間。
その影は、今と同じように、雲間から現れたのだった。
「毘沙門天……」
呆然と、神子はその名を呼ぶ。
「いかにも!」
雲間の影が、凛とした声で答える。だがその声で、神子は相手の正体を喝破していた。
「くだらないペテンね、寅丸星」
ふん、と花で笑って、神子はその名を呼んだ。それと同時に、光が消える。
「ペテン、ですか」
という声に目を凝らせば、なんのことはない。まばゆい光で惑わせていただけで、そこにいるのは、命蓮寺の妖怪本尊。毘沙門天の〝代理″たる寅丸星であった。
「この宝塔は本物ですし、発する光も正しく法の光なのですけどね」
星は説明的にそんなことを言いながら、ほっ、と乗っていたなにかから飛び降りた。木でできたと思しき巨大なそれは、船であった。そういえば命蓮寺は、その一部が空を飛ぶという話を、神子も聞いたことがあった。
結構な高所からの登場だった星は、やや時間をかけて地上に降り立った。
「二人とも、自分たちに任せろ、なんて言って出て行きましたよね?」
そして立つなり、神子の方を無視して村紗と一輪に向かい合って、お説教を始めた。
「それがどうして、こういうことになっているんですか?相手の挑発にまんまと乗るなんて、精神が薄弱にもほどがあります。特に一輪。村紗と違って僧衣を着ているというのに、精神の鍛錬が足りませんよ」
「うう、その。面目ない、寅丸さん……」
「えー、私はいいんかーい」
途端に緊張感をなくす二人の額に、てい、と星はチョップを入れた。
「今は公務中です。毘沙門天さまとお呼びなさい」
「……はい、毘沙門天様」
「なによ、星のくせに」
素直に謝る一輪と、対照的に口を尖らせる村紗。なんとも統一感のない連中である。
「さて、失礼いたしました、聖徳太子よ」
お説教を終えた星は、次にようやく、神子の方を振り向いた。
「この二人による無礼、まずは謝罪させていただきます。門下の不始末は、本尊たる私がしっかりと正しておきましょう」
「それは別にいいけどね。白蓮にも同じことをされたし、貴方たちのところはそういうスタイルなんだと理解してますから」
皮肉を込めて、神子は答えた。まったくどいつもこいつも、上空から声と攻撃を降らせないと会話を始められないのだろうか。ただでさえ鬱陶しい梅雨の季節。降るのは雨だけで充分である。
そんな神子の嫌味を無視して、
「聖が、ですか?」
と星は背後の白蓮を振り返った。とりあえず乱入したはいいが、彼女も状況を把握できていないのだろう。
「あの、星、これは――――」
ぎゅっと、またしても両手を胸の前に隠すようにしながら、白蓮がうろたえた様子で言った。宝剣が離れたことによって肉体強化の術が再起したのか、すでに出血はほとんど止まっているようではあったが、先程からずっとそうしていたせいで、彼女の服の胸元には真っ赤な染みが広がっている。相変わらず、なにも隠せていない。加えてその背後には、彼女がそうまでして守ろうとした妖魔の倒れ伏した姿もある。
「ふむ。そういうことですか」
両者を認めた星は静かに頷いて、冷静の仮面を崩すことなく、ゆるりとした動作で神子の方に向き直った。
「貴方は、激昂しないのですか?」
すかさず神子は、冷笑と共に煽る。
「それはもう、村紗と一輪がやってくれましたからね」
涼しげな笑みを浮かべて、星が答えた。歯の浮くような台詞だが、不思議と様になっているのが微妙に腹立たしい。
その、笑みが。
「だから私は、この場を治める方法を採ることにしましょう」
続く言葉と共に、一変した。
ドン、と地を打ち鳴らす宝槍の響きが、辺りの空気を震わせた。
ボウ、と再び明度を増す宝塔の輝きが、辺りの空気を泡立たせた。
三昧耶形(さんまやぎょう)。毘沙門天を象徴する二つの仏具が、その威光を辺りに振りまく。
「治める、だと?」
それを前にして、しかし神子は悠然とした態度を崩さなかった。
「どうやって治めるつもりだ、寅丸星?」
どれほど着飾ったところで。どれほど真似たところで。所詮、寅丸星は代理。
「本物の毘沙門天ではないお前が示す方法とは、一体なんだ?」
代理とした選んでくれた、代理としての任を与えてくれた、白蓮に対する恩。彼女を動かしているものは、それだけだ。ならば寅丸星が採る方法は、一つしかない。
「決まっています。聖の行おうとした、妖怪の救済。それを行います」
星は、神子の予想通りの答えを返した。
「ふふふふ、はははは、はーはっはっはっは――――ッ!」
神子は思わず、笑い出していた。
「なにがおかしいッ!?」
星の背後にいる村紗が、怒りの声を上げた。
「はっ、これが笑わずにいられるか!」
神子は嘲るように、そう言ってみせた。
「こうもあっさり馬脚を現すとは、呆気なさすぎて笑えてもこようというものだ。なぁ、寅丸星よ」
「どういう意味です?」
本気で理解していない様子で、星が首を捻った。
「本当に分かっていないのか?」
ならば教えてやろう、と神子は続けた。
「仏の教義を外れて、妖怪の救済などという戯言を唱える、聖白蓮。そんな彼女はもう、仏教徒としては失格ということだよ」
今回話してみて、はっきりした。彼女はもう、独自の教えで動いている。始祖の戒律をないがしろにしてでも救おうと、あまりにも広すぎる愛で以って、人々を、妖怪を惑わしている。
「そういう存在に付き従い、そしてその教えを体現しようとする。これがどういうことか、一応でも毘沙門天の代理を務めているならば、お前にだって分かるだろう?」
「それはつまり――――」
星が、眉を微かに歪めて言った。
「私の行いが、毘沙門天の意向に反していると。そう、言いたいわけですか?」
「その通りだ」
他になにがある、と言わんばかりに、神子は頷いてみせた。
歪みきった白蓮が率いる命蓮寺を、それでも仏の道たらしめていたのが、本尊たる星の存在だった。毘沙門天の代理である彼女の行動が正しい限り、命蓮寺の存在は認められ、許される。配下の者がどんなまずい行動をとったとしても、それは修行中の未熟な者故、致し方ないこと。そう言い訳が利いたのだ。
だが、その星が、一応は配下の者という体である白蓮の行いに肩入れしたとあれば、話は別だ。何故ならそれは、本来仏の道を擁護し体現するはずの毘沙門天が、仏の道に反する者に加担するということに他ならないからだ。
そうなった時、毘沙門天代理の地位と力は、どうなるか。考えるまでもない。淡く儚い、砂上の楼閣のような白蓮の理想と共に、砕け散るのみである。
一時はどうなることかと思ったが、事ここに至って、星たちが乱入してきたのが良い方向に働きつつあった。これで彼女は、聖白蓮は、仏という一〇〇〇年もの呪縛から、ようやく解放されるのだ。
聖人をしてもできなったそれを、よりにもよって毘沙門天の代理が行うというのは皮肉と言うより他にない。
だが、これで白蓮が、少しでも身軽にこの世界を生きていくことができるなら。白蓮が、もう二度と、その余りにも度を越した献身により、身を削らずに済むのなら。
それだけでも、私が動いた意味が、充分にあった。神子はそう思って、誰にも理解されない勝利の笑みを、その顔に浮かべようとした。
刹那。そんな神子の思いを、掻き消すようにして。
閃光が。
一筋の閃光が、再び、曇天の空を切り裂いた。
しかし今度のそれは、空からではなかった。下から上空へと、伸びていっていた。つまり、神子の目の前の、地上から発されていたのだった。
「なっ――――」
神子は驚愕の声と共に、その閃光の袂を見る。寅丸星を見る。いや、正確には。
「何故……何故だ!?」
星の手に握られた、宝塔の姿を見る。
そこでは、理を説く、法の光が。
仏の道を擁護する、武神の光が。
曇天とはいえ、昼でもなお、はっきりと分かる明るさで。
煌々と、輝いていた。
その輝きを、高らかに掲げながら。
「本当に分からないのですか?」
先程神子が言ったのと同じ言葉を。星が、諭すように告げる。
「宝塔の輝きは、すなわち毘沙門天の輝き。毘沙門天の輝きは、すなわち仏敵を払う破邪の光。それがここで輝くということの意味を、本当に貴方は理解していないのですか?」
「――――――――」
神子は黙って、小さく首を振る。
本当は分かっていた。その意味するところを、完全に神子は理解していた。
だが、認められない。断じて、認められない。だって、それを認めるということは、つまり。
「ならば、示しましょう」
星が、空を切る音を響かせて、左手に持った槍を構えた。
「一〇〇〇年の時を経て、忘れ去られた者の流れ着く最後の地――――この幻想郷に有りてなお輝き続ける法の光を!」
そんな星の宣言に呼応するようにして、
「私も手伝うよ、毘沙門天様?」
村紗が。
「すべては、聖様の教えのために」
一輪が、並び立つ。
整っていた。完全なまでに、その意思が整っていた。そこには先程までの、外道に落ちた魔人を称える、統一感のない邪教の徒たちの姿はない。ただ、仏の道を。毘沙門天の道を作るための、二つの力があるのだった。
「くっ――――」
思わず気圧されて、神子は後ずさった。
一対一、いや、一対全でも、負けないという自信はある。宝塔があろうと、白蓮がいようと、妖怪が二人いようと、本気でやればどうにかなると、神子はまだ思えている。
だが、その戦いに意味はあるのだろうか。負けない、ということは、勝てる、と同義ではない。この場においては、意思を通した者こそが勝利なのだ。
このまま戦いを開始して、ボロボロになりながら最後に立っていたとして。そして、傷ついた一匹の妖魔を滅ぼしたとして、それが一体なんになるのか。もはやそんなことでは、彼女は折れない。それどころか、自らを支える者たちの心を受けて、よりその信念は強固となろう。
そう。もはや、神子がどうしたとて、白蓮を傷つけることはできないのだ。
「どうしたの?まさか、今更逃げるとか言わないよね?」
錨を振り回しながら、村紗が言った。
「というか、逃げられると思ってはいないよね?」
法輪を構えて、一輪が言った。背後の雲山も、両の拳を打ち合わせている。
無意味でも、戦わないという選択肢は、ありそうもなかった。
「仕方がない」
神子は覚悟を決めて、腰の宝剣に手をやった。普通ならそうそう抜かないこの剣だが、毘沙門天が相手となっては出し惜しみするわけにはいかない。白蓮相手と同じように。
そうして、神子がついに覚悟を決め。
すでに最初からやる気の村紗、一輪が戦意を昂ぶらせ。
仏道の擁護者として寅丸星――――否、毘沙門天が、理を説かんと仏の敵を捉え。
ついに、戦いが始まろうという段になって。
「待って、みんな……」
一人の、尼公が立ち塞がった。
「え!?」
「ちょ、ちょっと!」
「聖!?」
三人が、口々に驚きの声を上げる。
無理もない。今、ここで繰り広げられている光景は。
「――――――――」
神子の口から、すべての言葉を奪うのに充分すぎるほど、不思議な光景だったのだから。
白蓮が、立っていた。
神子と、星たち三人の間に。
それだけならいい。彼女が争いを好まない性格なのは分かっているし、腐っても聖徳太子が相手となれば、三人が無事で済む保証はないから、止めようとするのは自然なことだ。
だが、今。よりにもよって彼女は。
「びゃ、白蓮、あなた……」
神子は、視線の先にある背中に向かって、声をかけた。
そう、背中に、である。
聖白蓮という女は、両手を広げ、よりにもよって、自らの敵であるはずの神子を庇うような格好で、立ち塞がっているのだった。
「あなた、なにをやっているんです!?」
もはや何度目か分からない言葉を、神子は放った。彼女のやることなすこと。そのすべてが、神子の理解の範疇を超えていた。
「なにって、また、太子さまは不思議なことをおっしゃいますね」
対する白蓮も、何度目か分からないそんな言葉を放つ。
でも、続く言葉は、少し違った。
「だって、私は――――」
彼女は、肩越しに神子の顔を見ると。
「貴方を救う、って」
決意に満ちた、しかし優しさにも満ちた微笑をその口元に浮かべて。
「そう、決めましたから」
少し、照れたような表情と共に、小さな声で、そう言ってみせた。
貴方を救う。
能力を使おうとも思っていないのに、その小さな言葉は、何故かはっきりと神子の元に届いてきて。そして、深く、その心を抉った。
「どういうつもりよ、聖!」
「そうです。なんでそんなヤツを庇うんですか!?」
村紗と一輪が抗議の声を上げた。一連の会話は、この二人には聞こえていなかったようだ。
「……それが、貴方の意思なのですね?」
ただ一人、星だけがやや苦い顔で、白蓮にそう訪ねた。
「はい」
白蓮が答える。
「曲げるつもりはないと」
「ええ」
「なるほど」
星はそう言って頷くと、小さく溜め息を吐きつつ、槍を下ろした。鈍く光っていた宝塔も、その輝きを消失させる。
「聖がああ言う以上、私たちの出る幕ではありません。村紗、一輪。これは毘沙門天としての命令です」
「む。そう言われたならば、仕方ありませんね」
「ちっ、またこういう時だけカッコつけるんだから」
不満を漏らしつつも、むらいちコンビもそれに倣った。
「さ、それじゃあ、後始末ですね。二人はとりあえず、彼を船まで運んでください」
そう言って星は、妖魔を指差した。
「えー?私たちがやんのー?」
「というか、男なの、この子?」
「そうですよ。男ですし、貴方たちが運ぶんです。雲山、お願いしてもいいですか?」
いちいちかしましい二人におざなりに答えて、星は雲山に訊ねた。
「――――」
雲山は無言のままに頷くと、倒れ伏す妖魔の身を持ち上げて、宙に浮き上がる。
「雲山には下手に出るその態度、微妙に納得いかない」
「まあまあ、いっちゃん。後で分からせてあげればいいし」
その後に続いて、むらいちコンビも宙に飛び上がった。
「…………」
そのまま三人と一匹が徐々に高度を上げていくのを、神子は無言で見送った。もはやそれを追いかける気力は、神子にはなかった。
「……私の負けね」
溜め息と共にそう呟いて、神子は白蓮に背を向けた。マントが妙に重く感じる。
「お詫びといってはなんですが、里への忠告は、私が行っておきましょう。人間に危害が加わらないことを最優先にするのは、貴方だって異論がないでしょうし」
それだけ言い残すと、神子は白蓮の返事も待たずに歩き出した。今はこの場から、一刻でも早く離れたかった。
その、背中に向かって。
「太子さま!」
今度は、白蓮が呼びかける番であった。
「…………」
神子は無言で、足だけを止める。振り向かない。だって、顔を合わせられるような気分ではなかったから。
「…………」
白蓮の、逡巡する気配を感じる。手を伸ばそうとするような、そんな気配もある。
まずったな、と神子は思った。マントなんて着ているせいで、今の自分は掴まれやすさ五割増しだ。さっさと仙界に退散していればよかったが、歩き出した手前、そういうわけにもいかない。なんというか、格好悪いし。
そうこうしている内に、ついに白蓮が覚悟を決めたようだった。
「すぅー、はぁー」
と露骨に深呼吸をして、よし、なんて言ってから。
「太子さま、ありがとうございました」
白蓮は、なにを血迷ったのか、そんなことを言い出した。
「は!?」
思わず、神子は振り返った。いや、おかしいだろう。今日彼女と会ってからこっち、感謝されるようなことをした覚えは微塵もない。むしろ、
「私は貴方に、馬鹿みたいな嫌がらせばっかりしていたと思いますが……?」
「あ、自覚はあったんですね」
ほんわかと言う白蓮に、ぐぬぬ、と神子は唸った。その様子を、どこか熱っぽい視線で見つめながら。
「それでも、です」
と白蓮は続けた。そして、あろうことか。
「だって貴方は、私を、助けようとしてくれましたよね?」
そんなことを、のたまいだした。
「――――――――ッ」
神子は慌てて、白蓮から顔を逸らした。
なんだか分からないが、妙に暑い。まるで炙られたかのように、顔がチリチリする。身体の調律が上手くいかない。なんだこれは。まったく意味が分からない。白蓮のことも、自分のことも。
「なにを寝ぼけたこと言ってるの」
神子は白蓮に背を向けて、その上でさらに顔を右手で隠しながら、言った。
「私はただ、聖人としてあるべきことをしようとしただけ。お門違いも甚だしい」
「でも――――」
と尚もなにか言おうとする白蓮に、
「もういい!私はまだ人里でやることがあるの!貴方はさっさとあの妖怪をどうにかしてやりなさい!」
そう矢継ぎ早に告げて、神子は地面を蹴った。飛び上がる。一刻も早くこの場を離れるために。ただしその心は、最初に立ち去ろうとした時とは、まるで違っていた。
雨はすでに止んでいた。星の放った宝塔の光により、雨雲が乱されたためだ。本当に余計なことをしてくれる。せめて雨粒でも当たれば、この異様に暑い顔の温度も、少しは下がるかもしれなかったのに。
仕方ない、と神子は呟く。そして、
「……白蓮。この屈辱、忘れませんよ」
とりあえずは、この乱れた感情を、屈辱と置き換えることにして。神子は、その場を飛び去った。
無意識の内に、その右の人差し指が、己の唇をなぞっているのにも、気づかないままで。
※
そうして飛び去った神子を見送っても、白蓮はしばらく動かなかった。ぼんやりとその後姿の残滓を探すように、空を見上げ続けていた。
「聖。私たちも行きましょう。彼と、話をしなくてはなりませんから」
星がそう告げたのに対して、
「えっ!?ええ、そ、そうね」
と異様に過剰な反応を返して、白蓮は頷いた。
「じゃあ、聖輦船に戻りましょう。迷惑をかけてしまって、ごめんなさいね」
「いえいえ。それが、私の役目でもありますから」
「……ありがとう」
白蓮はにこりと笑って答えると、フワリと空に飛び上がった。向かうは、はるか上空の雲間である。当然、最短で行こうとするなら真上に向かうものだが。
「あいたっ!?」
頭上不注意。白蓮は木立の枝に頭を打ち付けて、へろりと横に軌道を逸らした。
「だ、大丈夫ですか、聖?」
慌てて下から訊ねる星に、ええ、とかなんとか涙を浮かべながらも返事をして、白蓮は再び上昇を開始した。
しかしその目は、相変わらずどこか虚ろ。なんというか、熱にでも浮かされたかのように、ぽー、っとしている。そしてその右手の人差し指は、無意識とも思える動きで以って、己の唇をなぞっていた。
「ああ、こりゃあ重症ですね……」
やれやれ、と溜め息を吐きつつ、星は早く白蓮を支えてやろうと、自身も飛び立った。
そして最後に、神子の飛び去った人里の方をチラリと見て、呟いた。
「後は、お願いね」
と。
※
人里の入り口。そこには、巨大な門が立っていた。
それは一種の結界であった。すなわち、ここより内で妖は人を襲ってはならない、と。賢者の定めたルールを視覚的に明示する、境界線の役割を果たしているのである。
神子はその門を認めるなり、急速に高度を落とした。賢者の敷いた境界線は、異変時などの緊急事態を除いて、空から跨ぐことを禁止されているのだった。
「ふむ?」
いつもは里に出入りする人妖で賑わう門前が、今は不思議に閑散としていた。降り続いていた梅雨の雨が、人々を閉じこもりがちにしているのかもしれない。
だが、これはこれで好都合でもあった。白蓮が、人里の近くに連れて行くのは云々、と言っていたからには、恐らくあの妖魔は野に放たれるのだろうし、しばらくは少し閉じこもりがちなぐらいで丁度いい。神子自身も今、それを里の守護者に話しにいくのだし。
――――というのは、実は建前。実際のところ神子は、今のこのみっともない姿を衆目に晒すことにならずに、安堵していたのだ。
「いやしかし、これは酷いわね……」
色々と盛り上がっている間は気づかなかったが、見れば見るほど酷い姿であった。血塗れで濡れ鼠。雨中の山道ですっ転んだような見た目である。
里の中に入ったら、仙界を経由して守護者の下まで行こう。なんとなく他人の顔、というか屠自古の顔を見たくなくて空を飛んできたが、もはや四の五の言ってられない。豊聡耳神子という人物の、沽券にかかわるレベルの問題だ。
そんなことを考えながら地面に降り立った神子だったが、こうして正しく門前に立ってみると、いよいよもってその異常さに気づかざるを得なかった。
「これは……」
余りにも、静かだった。余りにも、閑散としていた。偶然生じた人々の意識傾向故に起こったとは思えないほどに、余りにもそこには、なにもいなさすぎた。そう、まるで、誰かが人払いでも行ったかのように。
と。
「そんな格好で人里に入るおつもりですかな、太子さま?」
突然投げかけられる、声。門を支える柱のどこかから発されたと思しきその声の主を、神子は知っていた。
「布都?これは、貴方の仕業?」
「いかにも。我が術にございます」
楽しげにそう言いつつ、柱の影から姿を現したのは、予想に違わず物部布都であった。彼女は神子と同じ尸解仙でありながら、風水をメインに使う。きっとその辺りの応用で、この状況を作り上げたのだろう。
「でも、なんでこんなことを?」
神子の当然の疑問に、
「決まっております」
と答えながら、布都は小走りに近寄ってくる。そして彼女が取り出したのは、一枚の布であった。
「太子さまのお見苦しい姿を、世に喧伝するわけにはいきませんからなぁ」
布都はそんなことを言いながら、手に持った布を神子の頬に当てがった。冷たい。濡れた布の清涼感が、未だ火照ったままの顔に心地よかった。
「外套はともかく、せめてお顔の不浄ぐらいは、取り除いておきませんとな」
すぅ、と。優しい手つきで、布都が布を動かす。よほど良い生地を使っているのか、肌触りも悪くない。
その気持ち良さに任せて、されるがままとなりながら、
「ねぇ、布都。貴方、全部見ていましたよね?」
と神子は訊ねた。この用意周到さは、そうでもないと説明がつかないのだ。
「むむ、やはりお気づきになられましたか。まあ、途中からではありますが」
布都は手を休めずに、あっけらかんとそう言った。隠すつもりはないらしいが、こうも開き直られるとそれはそれで釈然としない。
「見ていたんなら、助けてくれてもよかったんじゃない?」
「無論、あのまま戦いに至れば、そうするつもりではありましたが――――」
苦笑しつつの神子の言葉に、布都はニヤリと笑って言った。
「ずいぶんと、盛り上がっておられたようでしたからな。声をかけるのも憚られるというものです」
「な、なんの話ですか?」
神子は、顔が引きつるのを感じながら、なんとかそれだけ搾り出す。
「まぁまぁ、屠自古には内緒にしておきます故に。そこは安心してくだされ……と、汗が汗が」
なにを安心しろというのか。いやそれ以前に、別に屠自古は関係ないし。
「しかしまあ、因果なものですなぁ」
楽しげな様子を崩さずに、布都はそう続けた。
「この前の面霊気に加えて、此度は仏の道より出でた魔人とは。太子さまの生は、よほど不運な星の下にあると見える」
「……否定はしませんよ」
不幸と言われたら間違いなく否定するだろうが、不運と言うならまさにその通りだった。この幻想郷に来たとて、自らの過去に追われる感覚を味わわされるというのは、他に言い表す言葉がない。
「とはいえ、これもまた、宿命でしょう」
神子は苦笑しつつ呟いた。
あらゆるものが、すべて自分に降りかかってくる感覚。こんなことは、眠りに就く前だってあったことだ。むしろそれは、あの頃の方がより重かったようにすら感じる。星のめぐりの話ではないが、これはもう、そういうものだ、と諦めるしかないのが実際だろう。
そんな神子に、布都は。
「ですが、太子さま?」
その手を止めて、薄く笑みを浮かべながら。
「時には、もう少しご自愛をなさっても、よろしいのではありませんか?」
労わるような声音で、そう言った。間近にある布都の目は、冗談を言っているような目ではない。そしてこの目を、神子は知っていた。
この目は、あの時と同じ目だ。
神子が布都に、尸解の術の実験台となることを頼んだ時と、同じ目。
あの時、布都は、少し驚いたような顔をしながらも、今と同じ目をして、こう言ったのだった。
「我におまかせを」
と。
その思いは、つまり――――
神子の脳裏に、白蓮を囲む妖怪たちの姿が浮かぶ。彼女は、あれほどにたくさんの存在に支えられて、立っていた。
では、自分は?いつの間にか、走ることに夢中になりすぎて。後ろを見ることを、忘れてやしなかっただろうか。
「よし、これで綺麗になりましたぞ」
布都が嬉しそうに言って、布を離す。その言葉通り、べたりとした気持ちの悪い感覚が、神子の頬からは消えていた。
だから、神子は。
「……ありがとう、布都」
そう言って、着ていたマントを脱ぎ去った。
「慧音殿のところへ行かれるのですか?」
「ええ。人里の民への警告を、頼まないといけませんからね。だから――――」
そして神子は、その手に持ったマントを。
「このマント、持って帰ってくれませんか?汚れちゃいましたし」
と、布都に向けて手渡した。
「お?おおお?」
受け取った布都は、最初、驚いたような顔でそう呟いた。しかしすぐに、神子の顔を見返すと。
「我にお任せを!」
満面の笑顔で、そう宣言した。
いつの間にか、門前には人々の往来が戻ってきていた。
※
「じゃあ、そういうことで。よろしくお願いします」
寺子屋から出たところで、神子はそう言って振り返った。
「はい。ご忠言、感謝いたします。聖徳王」
視線の先には、大仰に頭を下げる慧音の姿がある。その様子に苦笑しつつ、
「ではまた」
と挨拶をして、神子は往来に合流した。
「ふう」
肩の荷が下りた気分である。多分、白蓮は上手くやるだろうし、後はなるようになるだけだ。こうして人に任せるというのも、たまにはいいことものかもしれない。
「少し、休憩していこうかしらね」
任せるついでに、神子は少し自分勝手に生きてみることにした。通りに面した適当な茶屋を見つけると、その軒先の長椅子に座り込む。
「お団子二つ」
年配の店主にそう声をかけて、しばしその場で待つ。ぼんやりと空を見上げてみれば、寺子屋にいた間に、空は見事に晴れていた。
こうして晴れた空を眺めていると、先程まで、梅雨空の下に繰り広げられていた状況が、嘘であったかのように思える。毘沙門天が切り裂いた空が、これをもたらしているとしてもだ。
「はい、お待ちどう」
「ありがとう」
運ばれてきた団子と茶を受け取ると、神子はまず、お茶で一服。じんわりと染みるその熱さが、優しさを感じさせた。
と。
「ここ、いいかい?」
そんな声が、神子の背後から投げかけられた。
軒先にはまだ、いくつか空いている長椅子が存在していた。わざわざ神子のいる場所を選ぶ道理は、特に見当たらない。
「どうぞ?」
しかしどうしても断るようなことでもなかったので、そう言って神子は背後を振り返る。一応、相手の顔を見ておこうと思ったのだ。
そこにいたのは。
先が屈曲した長い棒を二本携え、人外の証たる獣様の耳と尻尾を飛び出させた、一人の影。
「貴方は――――っ!?」
その存在の名を、神子は知っていた。縁起でも、また寺の境内でも、何度か見かけたことがある。
「お初にお目にかかる、聖徳王」
フッ、と笑いながら、慇懃な態度でそう言った、彼女の名は。
「私は、ナズーリン。知っての通り、毘沙門天様の使いだ」
刹那、神子は理解した。彼女が、何故、神子に接触してきたのかを。
「理解しているだろうけど、あえて私からも言わせてもらうよ」
それはつまり。
「ご主人はこの幻想郷において、まあ問題が多いなりに、ちゃんと毘沙門天様をやっているけどね。それでも、あくまでも代理でしかないのは純然たる事実。つまり、本当の毘沙門天様の意向を知ることができるのは、この私だけということだよ」
だからさ、とナズーリンは続けた。
「私は、お墨付きを与えに来たんだよ」
聖白蓮が、寅丸星によって、助けられた理由。あの時、あの場所において、宝塔が輝きを失わなかった理由。
「君が戦い、そして救おうとした哀れな魔人の、その生き方にね」
毘沙門天が、聖白蓮を認めた理由を、話しに来たのだった。
「じゃあ、失礼して」
驚愕に固まったままの神子を無視して、ナズーリンは長椅子に座った。そして彼女は次に、神子が頼んだ団子の内の一つを、ひょいと摘んでみせた。
「一つ貰うよ」
その行動を見て、神子はようやく我に返る。
「仏の徒なのに、不偸盗戒というものを知らないのかしら?」
「それは酷い言いがかりだな。これは講釈料だよ。仏の言葉だって、タダじゃないんだ」
「なんと……」
と思いっきり苦い顔をした神子に対して、冗談だよ、とナズーリンは続けた。
「聖徳太子も食べた団子、というのは、格的に宝の素質充分だからね。財宝神の下僕である私は、ついつい集めてしまうのさ」
「いや、ただ食べたいだけですよね」
妙に理屈っぽいヤツだな、と思いながら、神子は仕方なく、追加で二本ほど団子を頼んでやった。
「おや、親切だね。仏の敵のくせに」
「恩を売るのは、古今東西どこでも有効な方法でしょう?」
お互いに嫌味を投げあいつつ、団子の到着を待つ。
「はい、お待ちどーう」
そして、到着した団子を奪い取ってから、神子はまだ手を付けていなかった最初の皿を、ナズーリンの側に寄せてやった。
「意外と意地汚いな」
「ネズミに言われたら末期ね」
呼吸をするように棘のある言葉を交わしつつも、これで話の体制は整った。
「それじゃあ、始めようか」
ずず、と一口茶を啜って、ナズーリンが口を開く。
「毘沙門天様が、聖を助けた。この事実は、君だって分かっていることだとは思う。でも君は、何故そんなことになったのかは、理解していない。違うかい?」
「……そうね」
不承不承、神子は頷く。そして、だからこそナズーリンはここに来たのだ。
「仏の教えに、一切衆生悉有仏性、という考え方があるのは、わざわざ説明しなくても分かっているだろうけどね」
それは、神子が聖にも言って、否定した考え方。仏の道の、最も人を引きつける、傲慢な教え。
「でも、そんなのは今のところ有名無実で、本当に悟りを開いて仏となった者は、開祖たる釈迦如来以外に存在しない」
神子がそう言ったのに対して、ナズーリンは苦笑して答える。
「そうだね。そして輪廻を突破した釈迦如来は、それ故に、この世界の外側から、苦しむ衆生を見届けることしかできない」
それはつまり、神子が白蓮に説いたこと。ただの逃げだと、無責任だと糾弾したこと。
「でも君は、意図的にか忘れているのか知らないが、話さなかったことがある」
「話さなかったこと?」
不自然なナズーリンの物言いに、神子は眉を顰めて訊き返した。彼女はまるで、神子と白蓮の会話を聞いていたかのような言い方をする。
「いや失礼。実は、全部聞かせてもらっていたんだよ」
ナズーリンは、微塵も後ろめたさの感じられない態度でそう言うと、左の手を軽く持ち上げてみせた。するとその手に、どこから現れたのか、一匹のネズミが上ってくる。
「まあ、私の耳であり、手足みたいなものでね」
それを掲げて、ナズーリンは言った。
「人里近辺の会話は、大抵筒抜けなのさ」
「……なるほど」
今度、仙界にネズミが紛れ込んでいないか確認しよう。そう誓う神子であった。
「私が聞いた限りだと――――」
それを知ってか知らずか、ナズーリンは話を戻す。
「君は白蓮に、釈迦如来と現世に蔓延る生臭坊主共についてしか言っていなかったね。その二つの間に立つ者について、どうして語らなかったんだい?」
「間に立つ者?」
神子は首を傾げて、考える。
確かに仏教というものは、その成立の過程で様々な概念を吸収し、一種の階層構造を成立させてきている。頂点に釈迦を戴き、その下に様々な役割を与えられた〝部″という地位を置くのである。
「それぞれの部に属する者たちは、釈迦如来のように輪廻の外にはいない代わりに、その教えを人々に伝えるという役割を持っている。私の上司たる毘沙門天様は、天部という階に属し、仏法の守護神として働いている」
とそこまで言って、ナズーリンは苦笑してみせた。
「――――なんて、余計な講釈だったね。君はかの物部氏討伐の折、四天王に祈願した過去があるのだし」
「過去の話ですよ」
不機嫌さを隠さずそう言うと、神子は腕を組んで、問う。
「それが、毘沙門天が白蓮を助けた理由にどう関係するというのですか?私が、彼女の教えを仏の道から外れていると判断した理由だって、貴方は知っているはずでしょう?」
「ああ。自分から誘っておいて、不邪淫戒、がどうとかって言っていたあれだろう?」
「ぐっ――――」
とてつもない墓穴を掘った気がした。神子はまた、顔が熱くなるのを感じる。
「そう、そうですよ!」
もうこうなりゃ自棄だ、と神子は続ける。
「仏の名を謳いながら、仏の倫理を破ることを厭わない。そしてその体で、人心を惑わす。それはもはや、悪魔といえる存在ではないか!」
「ふむ。確かに、それは一理あるかもしれない」
ナズーリンは涼しい顔で頷くと、手に乗せたままのネズミに団子を近づけた。ネズミは当然、団子をくれるのかと思い、上半身を伸ばしてみせる。
しかしナズーリンは、団子とネズミの口の間に絶妙な距離を保ちつつ、決してそれを食べさせない。終いにネズミが、器用にバランスを保ちながら、口だけでなく手も伸ばして来ても、相変わらずそのままの態度を変えない。
「でも、君は一つ勘違いしてやいないか?」
そんな、なんの意味があるのか分からない行動をしながら、ナズーリンは神子に問いかける。
「悟りの境地に辿り着くために必要なのは、四苦八苦を滅すること。そのための方法として、様々な修行法があったり、それを実践するための戒めとして、五戒があったりするわけだけどさ」
と、ナズーリンがこちらに目を向けた。
「それを本当にすべて体現できている存在なら、そんな存在は、もはや悟りを開いているじゃないか。なに一つ落ち度のない存在なら、修行なんてする必要がないじゃないか」
そして目を逸らした隙に、団子の一つがネズミに奪われた。足掻き続けたネズミの行いが、ついに報われた瞬間である。
「この地上にいて、悟りを開けない存在なら。ましてや、その理想をすべての者に理解させることができずに、人間によって封印されるような存在なら――――」
ナズーリンは、幸せそうに団子を齧るネズミの頭を、人差し指で撫でながら。
「一つや二つの戒律を破ったところで、修行不足なのだから、仕方がない」
慈しむように、そう言った。
「仕方ない――――?」
神子は呆然と、その単語を復唱する。
「そんな、そんな馬鹿みたいな理由で、毘沙門天が力を貸したというのか!?」
神子は思わず立ち上がって、そう叫んでいた。そんなの、真面目に相手をしていた誰もに対する、最大限の冒涜じゃないか。
「ああ、そうさ」
ナズーリンは顔を上げて、頷いた。そして、ニヤリと笑うと。
「だがもちろん、なにも意味がないのに、そんなことをしたわけでもない」
神子を安心させるように、そう言った。
「どういう意味があるというのです?」
急かすようにそう言った神子に、ナズーリンは涼しい顔で、座ったら、と答えた。
「すごい目立っているよ、今の君は」
「む」
確かに、他の客がチラチラとこちらを見ている気配があった。神子は渋々、再び椅子に座る。
それを確認すると、
「難しく考えることはないんだよ」
とナズーリンは言って、もう一本の団子を持ち上げた。
「結論は最初から、出ているんだ。一切衆生悉有仏性、という言葉によってね」
そして、ナズーリンはその団子の一つを自らの口に含むと、何故か残りを神子に向かって差し出してきた。
「ええと?」
「食べなよ。これは仏の施しだ」
そう言われると、神子としては逆に食べたくなくなるものである。
「結構です」
神子はそう答えて、自分の皿から団子を取り、食べた。施しなど受けなくても、ここに自分の分があるのだ。
「そう。そういう相手にも向けられるのが、仏の愛というものでね」
くすり、と笑って、ナズーリンは続けた。
「本来その向けられる対象は、人とか妖怪とか関係ないのさ。毘沙門天様の属する天部は、本来の仏の道にいなかった異教の神々が仏の下に集ってできたものだし、私自身だって、妖怪であるのに毘沙門天様の使いをやっているわけだしね」
「だから、聖の教えは間違っていないと?」
「そういうことだけど、それだけじゃあ納得いかないだろう?」
揶揄するような調子で、ナズーリンが言った。
当然だ。それはあくまで、白蓮が見逃されている理由にしかならない。監視役を派遣した上でとはいえ、宝塔なんて品を渡すほどに厚遇されている理由が、説明できていない。
「君は、菩薩、という概念を知っているよね?」
ナズーリンはそう言うと、今度は残った最後に残った団子を地面に落としてみせる。
「成仏を求める修行者のことでしょう。次に如来になる者、とも言われますが」
その団子を怪訝な顔で見つつ、神子は答える。
「そうだね」
と神子の答えに頷いて、ナズーリンは続けた。
「君のその認識は正しいし、如来となる前の仏陀も菩薩と呼ばれていた。しかし現世利益と救済信仰が主であるこの国において、ただの修行者、という認識は一面的なものでしかないな」
誰かさんのおかげでね、と最後に付け加えるのを忘れないナズーリンである。そして彼女は、地面で土に塗れた団子を見ながら、言う。
「誰かに利益を与え、救済をするためには、一人で修行していても仕方がない。必ず外に出て、人々と触れ合わねばならない。そうして共に歩みながら、衆生を導く存在こそが、この国においては菩薩と呼ばれる」
「うっ……」
神子は思わず、息を呑んだ。
ナズーリンの足元では、ただでさえ汚れに塗れた団子が、蟻の大群により蹂躙されていた。細切れに砕いた団子を持ち、列をなして巣に戻る蟻と、新たにその恩恵に与ろうと巣から向かってくる蟻。その両者によって、団子は限られた大きさを、ゆっくりと、だが確実に減じていく。
「まだ、分からないのかい?」
嫌味ったらしい笑みを浮かべて、ナズーリンが言った。
「この団子が菩薩で、群がる蟻が救済を求める者たちだ」
と、ナズーリンは、椅子に立てかけられたダウジング棒の一本を持ち上げた。
高く掲げられた棒の先端には、よく見れば、迷い込んだと思しき数匹の蟻が這い回っていた。その姿は余りにも小さく、ともすれば棒の黒に紛れて、消えてしまいそうですらあった。
神子がそれを確認したのを満足そうに見ると、ナズーリンは。
「そして――――」
次の瞬間。
「これが、〝彼女″を封じた人間だ!」
蟻の付いたダウジング棒の先端を、団子に思いっきり叩き付けた。
弾け飛ぶ。
団子が、その真ん中から弾けて、辺りに飛び散った。
「…………」
スッ、と。ナズーリンが無言で、棒を持ち上げた。そして彼女は、棒の先端に付いた、さっきまで団子だったものを指先で拭い取ると。
「食べるかい?」
よりにもよって、神子にそんなことを訊いてきた。
「――――――――」
意図がまったく読めずに、神子は硬直する。
「まあ、そりゃあ食べないよね。普通ならさ」
ナズーリンは責める様子もなく、そう言って頷いた。
だが。
「でもね」
とナズーリンは笑みを浮かべると。
「〝私たち″は、これをも食べるのさ」
指先に付いた砂まみれでドロドロになった団子を、その口に含んでみせた。
ジャリ、と最初に大きな音がした。咀嚼する。舌が蠢き、唾液と混ざった団子の欠片を食塊に変えていく。そして、最後に適当な大きさとなったそれが喉の奥に送られ、ごくり、と体内に送り込まれたところで。
「まさか――――ッ!?」
神子は、ついにその意図に気づいていた。
落ちた団子は、白蓮だった。巷間にあってその教えを広め、土に塗れながらも真にあまねく衆生を救済しようとした、白蓮。その心は欠けたることなき真円で、本来ならば歪みなどないはずだった。
蟻は、妖怪であった。救いの光をもたらす白蓮を慕い、そこに集まってきた妖怪たちであった。彼らは、自分たちが白蓮を慕うことで、また白蓮が彼らを救おうとすることで、少しずつその教えの形が歪んでいくのに気づかず。
棒は、人間であった。その巨大で濃い、救いを求める欲望は、群がる蟻たちの存在を一切認めず。元は真円であった救いの教えすら否定し、完膚なきまでに破壊したのだった。
ならば。
ならば、そうして破壊されたものを食べたモノは、一体なんなのか。〝私たち″とは、一体なんなのか。
そんなの。
そんなの、決まっている。
「仏が、彼女を――――」
ナズーリンは、何者の使いなのか。
「白蓮を、見逃しているのは――――」
そしてナズーリンを遣わしている者は、なにを体現し、擁護する存在なのか。
「そう。そういうことだよ、聖徳王」
ナズーリンが、『白蓮』を喰らった口で、言った。
「彼女は仏の教えを体現し、擁護する我らが見定めた、〝次なる者″なのさ」
「次なる者!」
それは、つまり。
「馬鹿な!白蓮菩薩とでも言うつもりか!」
神子は立ち上がり、再び叫んでいた。次なる、というのはつまり、次に悟りを開く者、ということだ。それは本来の意味での、菩薩のことに他ならない。
「なにを驚くことがある?」
今度はナズーリンも立ち上がって、神子に対峙した。
「今はまだ、彼女は未熟だろう。彼女は一〇〇〇年の時を経ても、君のような者一人、未だ救うことができないのだから」
だが、と彼女は続けた。
「これから先のことを考えたことがあるかい?理想を曲げず、妖怪を、人間を、そして君のような存在をも救おうと足掻き続けるだろう白蓮の未来を。周りのすべてが彼女を理解しなくとも、理解するまで足掻き続けるだろう白蓮の未来を」
それは、無限に続くとも思われる、那由他の時間。
「時間はいくらでもある。次に如来になると言われている弥勒菩薩だって、それは五十六億七千万年後のこととされているんだから」
途方もない未来の果てまで続く、仏の道が作り出す永遠の牢獄。
「チャンスなんだよ、これは」
しかしナズーリンは、心底楽しそうに告げる。
「人と妖のバランスが拮抗していた時代でこそ、弾圧された聖白蓮の理想。だが、この幻想郷においては、妖は切り捨てられた側だ。〝私たち″の誰もが後回しにしていた、最後に救われる者たちだ。ならば、そんな彼らを救うということは――――」
とそこまで告げて、ナズーリンは言葉を止めた。もう分かっているだろう、とでも言うように、神子を促すように見つめる。
それに、押されるようにして。
「すべてを、救うということ……」
神子はその言葉を、ついに告げていた。
その考えは、まさに一切衆生悉有仏性。今まで誰も成し遂げてこなかった、本当の救い。それがものになるのならば。それが仏の教えの一部となるならば。
多少の未熟は、多めに見てやろう。何故なら、彼女は。
「白蓮菩薩……」
悟りには程遠く、依然、ただの菩薩なのだから。
※
ナズーリンと別れた神子は、すっかり軽くなった財布を懐にしまいつつ、往来をブラブラと歩いていた。あの後、話を終えたナズーリンは、私は頼んでないし、などとふざけたことをのたまって、金を払わなかったのだ。おかげで神子は、二人分の団子の代金を払うこととなった。まったく、とんだ講釈料である。
元々、買い物をするつもりもなかった神子は、大した持ち合わせがなかった。こうしてうろうろしていても、食事もなにもできない程度にしか、もはや財布の中には残っていない。なのにこうして歩いているのは、少し、考えを整理したかったからだ。
ナズーリンの一連の発言で、白蓮が毘沙門天に多大な期待を受けていることは分かった。あの言い方からするに、白蓮はもう、仏教というシステムに取り込まれたようなものだろう。彼女の呪縛はいよいよ強固で、もはやそれは開放しがたい。本人が望んでいるだけに、尚更である。
ではそもそも、白蓮は何故封印されたのか。
人間を裏切ったから?それはもちろんあるだろう。
だが、逆にこうは考えられないだろうか。人間と拮抗した、いやむしろ凌駕するかもしれない勢いを誇っていた妖怪が、仏の救いを求めるはずがない。つまり白蓮がその教えを唱え始めた時代は、早すぎた。だから彼女は、その理想を体現するに足る環境が整うまで、大事に保護されていたのではないか。
そして、寅丸星とナズーリンは、何故幻想郷に来たのか。
彼女たちは、白蓮や村紗、一輪たちのように封印されていたわけではない。その教えを外で広めることで忘れられなければ、この幻想郷に流れ着いてくるはずがないのだ。
だが、これも簡単な話だ。幻想郷という、切り捨てられた者たちの漂着場ならば、労せずして掬い上げられなかった連中を根こそぎ救済することができる。
「胸糞が悪い発想ね……」
自分の考えに、神子はそう言って毒づく。
これでは本当に、白蓮は仏に操られる人形ではないか。自己犠牲なんて生易しいものではない、救いをもたらすだけのただの機械。そんな生き方、神子はどうしても認められない。
でも。
それでも。
一〇〇〇年という長き時を越えて、白蓮が最初に助けた者たちは、その封印を解いて、彼女の身を助け出した。
そして先程、白蓮を助けに来た村紗と一輪は、以前に助けられた恩義から戦おうとしているようには、到底見えなかった。ただ、聖白蓮という個人を慕っているから、そうしようとしているように見えた。
寅丸星だってそうだ。彼女は結果的に毘沙門天の行いを体現し、その宝塔の力で以ってあの場を治めた。だがもしも、それが毘沙門天の意向に反していて、あそこで宝塔の輝きが失われていたとしても、彼女は同じ選択を取っただろうと思える。毘沙門天を裏切ることになろうとも、白蓮という個人のために戦っただろうと思える。
それは実は、とても危険な考え方だ。今はたまたま利害が一致しているからいいが、いつ、仏の敵として狙われるかも分からない、ギリギリの均衡の上に成り立っている。
だけども。
「それはそれで、いいのかもしれないわね」
神子はそう呟くと、地を蹴って、宙に身を躍らせた。
おお!?と往来を行く人々から動揺の声が上がるが、それを無視して、上空で仙術ゲートを開く。空間を直接繋げるこの移動法ならば、賢者の境界線を跨ぐことにはならない、という屁理屈的な移動法である。
門を越えた先は、はるかな空の上であった。この高さからは、幻想郷全体がよく見渡せる。
高高度の清冽な空気に当たりながら、神子はある言葉を思い出した。
『幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ』
以前誰かが、どこかで、そんなことを言っていた。それは神子の直接的な記憶ではなく、復活の際に流れ込んできた、幻想郷のアカシックレコードとでも言うべきものより得た記憶。
でも、本当にそうだろうか。それは、残酷な話なのだろうか。
少なくとも神子は、そうは思わない。
外の世界で必要とされなくなり、この地に追いやられた格好の神子は、しかしそれにより自分の欲に従った生き方ができるようになった。たまには人の上に立ちたくなることもあるが、それはまあ、もう病気なので諦めるとして。肩の力が抜けたのは、間違いない事実だ。
そしてなにより白蓮である。
彼女が封印されるより以前から抱いていた、理想。それ故に封印されることともなり、それ故に封印から開放されることともなった理想。
それを彼女は、この地で存分に唱えることができるようになった。唱えても、神子のような嫌味なヤツにたまにいびられるぐらいで、普通に生きていけるようになった。
彼女の生き方は、確かに悲惨なものかもしれない。神子には到底認められない、人形のようなものかもしれない。
しかし彼女は、そのために生きているのではない。妖怪を助けるのだって、仏に言われたからではない。仏に認められるためでもない。ただ彼女の、慈愛故の行動だ。
その結果彼女は、自分を慕う者を多く得ることだろう。何者も切り捨てず、すべてを救い、そして救った者たちみんなで同じ道を歩んでいくのだろう。
たった一つの道を、誰が進むのかで揉めるのではなく。
全員で歩けるように、手を取り合う。
それは、一度は幻想とされた、砂上の楼閣のごときもの。残酷な意思により引き寄せられた、泡沫の夢。
そしてそれを実現しようとする彼女は、まだまだ未熟だ。悟りには程遠く、悩み多き生を送っている。
だが、ナズーリンが言った通り、彼女がその生き方を貫き。幾百、幾千、幾万の時を経た地平の彼方でもまだ、その信念を違えることがなかったならば。
それはきっと、新たな仏の道となることだろう。
とんだ怪物だ。神子が敷いた仏の道から産まれた雛鳥は、いつしか大きくなり、歪んだ道を歩んだ末に、最終的に仏の道に回帰するのだ。
そう。流れ流れた果て。忘れられた者たちの世界で、その教えの華はついに花開く。
無限の時をかけてでも。
永遠の刻が過ぎ去っても。
必ずこの地で、花開く。
それが。
それこそが、聖白蓮の。
彼女の歩む。
ほとけのみち。
※
五十六億七千万年後の幻想郷。
幻想郷の最上層に位置する天界にて。
〝天人″豊聡耳神子は、眠りに就いていた。
と、その枕元に立つ、一つの人影があった。
「太子さま」
彼女がそう呼びかけるのと、神子が目を覚ましたのは同時。何故なら呼びかけた彼女の全身からは、常に淡い後光が発されていたから。
「誰です、こんな時間に?」
そう言いながら起き上がった神子は、光の奔流の中に、目を凝らす。
それは、懐かしい姿に思えた。
いつか。どこかで。確かに見たはずなのに、どうにも記憶がおぼろげで、思い出せない。
「貴方は――――」
でも、確かに覚えている。
彼女の姿を見ていると、その名が表層に上ってこないだけで、神子は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
そして神子は、無意識の内に己の右手の指が、自身の唇を撫でているのに気づく。
「ふふふ。そんなところだけ、覚えているのですね」
光の中の彼女が、くすりと笑った。
「では、あの時の続きをしましょうか」
そう言うと彼女は、ゆったりとした動きで神子の全身を包み込む。
「何故、こんなことを?」
白く飛んだようにはっきりしない頭で、神子は彼女に問いかける。
すると彼女は、
「またですか?」
と笑って。
「言ったじゃありませんか」
神子の顎に、スラリとした右手の指を這わせると。
「私は、貴方を救うと」
そう言って、照れたように笑った。
光の中に、神子の意識が溶けていく。
ちゃんと仏教の救済みたいなモノについてもナズが語ってくれてたし(京極テイストもあったけど)
個人的にムラサとか星がテリーマンに見えた点も笑ってしまった
>「そうよ、私たちよ!」
テリーマン「俺もいるぜ!」
今回はかなり複雑で哲学的なひじみこですね。
仏と道の物議を交わす、二人の論争はとても面白かったです。
村沙たち三人の行動や理念は衝撃的でした。
命連寺の切り込み隊長という肩書きはさすがに吹きだしてしまいました。
ハイテンションだなー村沙は。あと何気に星がかっこよかったです。
とても楽しいお話でした。
では、失礼いたします。
やっぱひじみこいいな...
太子さま、ちゅーの仕方がエロゲの主人公とか乙女ゲーの俺様キャラみたいですw
聖と仏教の関係を掘り下げつつ、しっかりひじみこしてるのが良かったです。
星や布都といった脇役も格好良かったですね。
にしても、なんて壮大な夢をみているのかw
聖が血に塗れた手で神子様の頬をホールドするシーンがとてもゾクゾクしました。
優位に立ってると思ってる神子様が実は聖に押されているというひじみこが好きなのでむらいちコンビが来なかったらどうなっていたのかな…と妄想が迸ります!
またあなたのひじみこが読みたいです…!
>>1
そうです。結局はひじみこです。
>>5、10、20
この二人は、論争という体を装ってイチャイチャしているのです。身体の代わりに心を重ねる的な。
そしてむらいちは癒しで、星ちゃんはカッコイイのです。
>>16
マント太子さまは、完全にそういうイメージで書きました。帝王森川ボイスで問題ない。
>>21
難しいことは考えなくていいのです。この二人は不器用なので、こうやってしかイチャイチャできないのです。
血に塗れた聖のシーンは、書いてて自分でもゾクゾク来るぐらいだったので、琴線に触れたなら嬉しいです。
というわけで、ひじみこいいね、の声に突き動かされて、今日も私は動き続けるのだ。
いずれこの創想話のひじみこタグは、私に支配されることだろう。
聖についての考え方など丁寧に書かれており大変面白かったです。
聖と神子のちゅっちゅで全部持ってかれたがな!
やっぱひじみこってばサイコーね!
あと内容的に今度の倫理の期末とモロカブりなので、いい振り返りになりました(笑)
よく考えられた考察をベースにしていることで読むのにとても引き込まれました。
確かにこの二人似てるかも
ひじみこはもっと流行るべき
難しい宗教関連の話ですが、よくここまでまとめたと思います。
仏教について、聖について、神子について、より深くまでこじ開けて、こじ開けて、何かが見えそうな、何かが覗けそうな、でも覗いた先はやっぱりひじみこでした、そんな感じの、とても考えさせられるような、最後のひじりんの甘いこえで脳がとろけるような...
ごちそうさまですっ!(あと布都ちゃんとナズーリンが可愛い すっごくかわいい)