一
「こころさん」というのが、その新入の聴講生に対する一輪の呼び方であった。連日寺を訪れて白蓮和尚の説法を聞こうとする真面目な妖怪の名にさんがつくことは、真面目な一輪にとって全く自然である。こころさんはこれに嬉しい顔もしなかったが、苦情らしい文句も出さなかった。一輪が「こころさん、ちょっと」と呼ぶと、こころさんは無表情のまま若女の面をつけて「うん」とか「はい」とかいう短い返事で応じた。こころさんは大概の時なら「うん」とか「はい」で片付けてしまう。平生のこころさんはひっそりと大人しく、ほとんど無感動であった。
石台にのぼった一輪が正午の鐘を撞くと、決まってこころさんが一人で山門をくぐり出て行こうとするのが脚下に見える。一輪は石台を降りながら「こころさん、ちょっと」でこれを呼び止めて話をしようとする。
この日のこころさんの返事は「はい」であった。
「今日は夏祭りの奉納品のお下がりを檀家に配る日なの」と教えた。こころさんは若女の面をつけて黙っていた。話を解りかねたのだろうと察した一輪は、親切を少し露骨にして見せた。
「寺でもきっと西瓜を食べさせてもらえるから、まだ帰らないが良いでしょう」
聞いたこころさんは面を白式尉につけ替えると「西瓜は大好き!」と調子を変わって喜んだ。表情は無い。一輪はこの時、さっきまでこころさんの顔であった若女の面が急に端へ退いたのを見た。こころさんは人が変わったようである。二人して講堂へ歩き出した時から、こころさんはまた面を替え、陽気な火男をつけて雀躍していた。鼻歌を歌っている。その顔だけは無表情のままでいる。
講堂には山ほどの野菜と果物が積まれていた。これを今朝土蔵から運び出したのはほとんど一輪と雲山の仕事であった。大玉の西瓜が三つだけは、山積みの脇へよせてある。
「西瓜は積むと転がるから」
一輪が誰に聞かせるでもなく一人説明してにこにこ笑った。
こころさんは傍に立って、命蓮寺の弟子達が手を分けて品を改めていく光景をいつまでも眺めていた。大きいものや小さいもの、足の早いものや遅いものを選び出し、用意したいくつもの籠の中に均等に配分していく。山積みの脇に寄せられた西瓜は、自然後回しにされる。籠はこまごまの品で埋まり、西瓜の入る余地はすぐに無くなった。
そのうちに寅丸が手伝いに現れて「西瓜がほったらかしですよ」と気の利かない注意をした。
「なんとかして籠に分けられませんかね」
一輪がふと見ると、こころさんは猿の面をつけておろおろしている。気の毒になったので「西瓜はうちで食べましょうよ」ととうとう言った。
ほとんどの弟子達はもとよりそのつもりでいた。一輪の提案になるほどそれがいいと言って今更喜んだ者は寅丸とこころさんの二人ぎりで、ムラサなどは提案の可決と同時にどこにか用意していた盥を取り出して、西瓜を水に浸ける役目を一言も無く機敏に働いた。皿と包丁を取りに台所へ走る響子の立ち上がりも素早かった。庭向きの戸から見計らったようにマミゾウが舞い込んできて座に着いた。一輪が白蓮和尚を講堂に呼んで帰ってきた時には、西瓜を切る準備がほとんど整っていた。あとは寅丸がもったいぶった手つきで淹れる湯呑が行き渡らないのみであった。こころさんは相変わらず火男をつけて無表情でトントン跳ねていた。
雲入道の大きな手が三つあった西瓜を楽々と切り分けて並べた。先を争って皿へとのびる数人の手を一輪が順に打ちはらった。
「合掌がまだ」
「よよよ……」
数人のうちでいっしょになってやられたこころさんは、姥の面で消沈して赤くなった手を合わせた。
「よよよよ……いただきます……」
平生食に慎ましい命蓮寺の弟子たちは、合掌が済むなり西瓜に飛びついて甘い汁で口の周りを赤くした。こころさんは黙々として一心に食べていた。にわかに賑やかになった講堂で、いつの間にかまた白式尉をつけていかにも機嫌が良かった。
白蓮和尚がこころさんの手の西瓜を見て「あなたのいただき方は大変綺麗ですね」と褒めた。こころさんの済ませた西瓜は赤い箇所を残さず平らげてあった。こころさんは褒められて嬉しいせいか肩が揺れている。もっとも、師の言葉の裏にこころさんよりその隣に座る響子の食べ方をたしなめたい意味が含まれているとは、一輪はじめ察しのいい弟子達はよく解っていた。
西瓜を食べ終わるとこころさんは暑い時間帯をしばらくやり過ごして帰っていった。去り際には若女の面をつけて「ごちそうさまでした」と改まった調子でお辞儀をした。
「西瓜の身の白い部分は洗って切って漬物にするの。今度は夕もご一緒にどうかしら」
若女の面は一輪のすすめに「はい」と短く答えてまたお辞儀をした。その声に先ほどまでの喜色と陽気はまるで無くなっていた。白式尉の面は一輪の視界の脇に退いて一言も言わない。
一輪が石台の上から呼び止めた時と同じ調子で、また同じ山門をこころさんは帰っていった。その姿を見ながら一輪は、既に何度目かの不思議な感じを覚えた。
二
夜の人里で一輪が彼女のいわゆる暗黒能楽師に出会った時、彼女は別に怖ろしいとも思わなかった。「ははーん、出たわね?」といういつもの感じがあったばかりであった。そうして「化け狸が見せたかったのはこのお面パフォーマンスか」と呑気に納得して見ていた。能楽師も気を良くして舞った。はじめ腕組みしていた一輪だったが、見事な弾幕に感心して仕舞いにはすっかり魅入られた。
しかし、その演目の内容については、一輪には何だか訳が解らなかった。猿と蝉丸が歌うと天狗が獅子に喰われてしまった。小面と般若が刀を振り回していた。橋姫がどじょうを掬ったりもした。能楽師は宙に浮かんで、無数の面を繰り出しながら、つけ替えながら、昇ったり、落ちたり、揺れたり、逆さになったりした。それらの周囲では幻惑的な光がいつまでも飛び回って、それはこの世の終わりの様になっていた。
だんだん目が眩んで気が遠くなった一輪は、能楽師の頭を一発はたいてその日は寺に帰ってしまった。里で見たものが実は面霊気といって面に自我が宿るようになった妖怪であったとは、後日書物を調べて知った。
夏が盆の入り頃になって、一輪は例の面霊気を再び見た。面霊気は正午の鐘を撞く一輪の脚下、一人で山門をくぐり出て行こうとしていた。一輪が石台を降りながら呼び止めると、抑揚の無い声で「はい」と言って振り向いた。無表情でいて、若女の面をつけていた。一輪はあれこれと怪しんで質問を浴びせたが、いつまでも要領を得ないのでそのまま帰してしまった。
白蓮和尚に聞いてみると、彼女は仏教の教えに世の希望を見出して、説法を聞きにやってくるようになったのだという。一輪はあの面霊気をさんづけにして呼ばなければならないと思った。
その翌日、一輪はマミゾウから林檎飴を二本買った。お祭りはとうに終わっていたが、マミゾウは屋台の売れ残りを下取って道端に一人で縁日をやっている。暇人らしい商売だと半ば呆れながら半ば感心して帰った一輪は、正午山門の前に待ち受けて「こころさん、ちょっと」と声をかけた。「はい」と短く応じたこころさんに、一輪は飴を差し出してすすめた。一輪が他人に親しもうとする場合は、唐突でも何か食べさせることに決まっていた。こころさんははじめ猿の面をつけて戸惑っていたが、先日の非礼をお詫びしたいと言うと拒まなかった。飴をなめるこころさんを山門の上に座らせて、一輪はあれこれと寺の話を教えた。雲山が手をかざして日差しをさえぎると、人里を一望、霧の湖までよく見えた。
「姐さん、聖様は、お厳しい方ですが、ひどく叱られることは滅多にありませんよ。ご覧の通り命蓮寺は妖怪寺ですから、悪戯も多目に見ます」
「うん」
「ご存知でしょうが飲酒は禁止です。残念ながら」
「うん」
「出家なら今はおすすめしません。鵺と相部屋になりますよ」
「うん」
「林檎飴美味しいですか」
「美味しい! 超甘いよ!」
こころさんは終始無表情であったが、頭の面を若女から白式尉に替えていた。一輪は、これが嬉しい時の面だろうかと思ったが、何か大胆に思われて聞くことが出来なかった。代わりに「何の面ですか」とだけ聞いた。こころさんは「嬉しい時の面なの」とむしろ一輪より大胆に答えてしまった。
去り際にこころさんは、また若女の面をつけて「ごちそうさまでした」とお辞儀をした。一輪はお辞儀を返しながら何か不思議な感じがした。
こころさんと別れてから、一輪は腕を組んであれこれと考えた。
一輪は、あの訳の解らない暗黒能楽がもう一度見たかった。しかし正午の山門に現れたこころさんは、夜の人里で見たような狂人染みた暗黒能楽師とは違っていた。
夜の彼女には、訳の解らない言葉の中に何か切実なものが確かにあった。滑稽さと悲惨さが滅茶苦茶に混じり合ってひどく人間らしかった。自分は、そんなものを別に怖ろしいとは思わなかった。そんな妖怪なのだろうと思っていた。しかし、自分が「こころさん、ちょっと」と声をかけた彼女は、「はい」という当たり前の応答の他に何も無かった。飴をあげますと言えば戸惑った。飴が甘いと嬉しがった。去り際はまた当たり前の礼を言った他に何も無かった。こころさんはその時々で別人のようになった。彼女がどんな妖怪なのだか何も解らなかった。
一輪はだんだん失望してきた。一輪の知る二種類の面霊気は、どちらも一輪には解らない点を残しながら、しかし両者の解らないという性質は一輪にとって全く違っていた。
当の一輪は、何をやらせても訳の解り易い娘であった。自身も自身の言行に対して常に単純闊達を要求していた。また自身の信仰についてもそうした類の答えを期待していた。いつか悟りを開く時は、仕事のこつを掴むように、中心となる真理から全体の問題がするりといくものだろうと思っている。
人より気の回る彼女が世の中をこうした単純闊達流に心得ていると、振る舞いの上では妙としか思われない武勇伝を作ることもあった。一輪は、風呂場に雀蜂が飛び込んできた時に逃げるのは癪だからと向かっていくような娘であった。自分の炊いた米に文句をつけられて、大事な御客に絶交を申し渡したこともある。
そんな単純闊達流を行こうとする一輪の尺度は、むしろ人より複雑で繊細であった。他人と話すにも、そこに何かしら生きた心を掴まなければ満足しなかった。複雑な一輪の尺度からすれば、感情を暴走させる能楽師よりも、むしろ当たり前の反応をするだけのこころさんの方に不満足は多かった。
一輪は不満足な胸を抱えて歩き回った。
夜になり、六畳の部屋に引っ込んでからも立ったり座ったりして落ち着きなく過ごしていると、仕舞いに相部屋のムラサからうっとうしそうな顔をされた。一輪は、表情とはやっぱりこうでなければ駄目だと一人で喜んで風呂へ出て行った。
三
それから一輪は、ほとんど会う度にこころさんに何かごちそうをした。そうしてそこからこころさんが起こすいちいちの変化を観察し研究した。
こころさんは飴やかき氷のような甘味にはいつでも喜んだ。安い菓子の包みを見せると、火男をつけて大げさな踊りを踊る。
酸い物はどうかと夏蜜柑を剥いてやると、一口で猿の面に替わってよろめいて見せた。こころさんに食べ物の好みがあるらしいことが解ると一輪は多少満足した。しかし、梅干を食べた時でさえ少しも眉を寄せないには驚いた。
そのうち昼餉に誘って寺の弟子達と一緒に食べさせてみた。米と少しの野菜だけの質素な食事にこころさんは姥をつけて失望の体であったが、いつかの御客のように米の文句を言うことはなかったので一輪には絶交されずにすんだ。
悪戯心にキセルを呑ませてみたこともあった。こころさんは少し吸い込んですぐに吐き出した。大飛出をつけて一輪の顔とキセルの口を何度も見比べているこころさんを可笑しがって一輪は大いに笑った。
一輪が笑う時は、こころさんもそれに合わせようとするように白式尉をつけた。しかし声出して笑うことは決してなかった。一輪はひとつこころさんを笑わせてみようとしてあれこれ話をした。
「この間まで間違いに気付いてなかったわ。私だけ木魚の向きが逆だったの。どうりで里の人に笑われると思った!」
こころさんは相変わらずの無表情で白式尉をつけて「面白い面白い」と言った。
「面白い時は笑ってちょうだい」
こころさんは狐の面で「この面が我々の顔だ」と言った。そうしてまたすぐに白式尉につけ替えると「ああ面白い」とまた言った。
一輪は意地にもこころさんの笑うところを見たいと思った。ある時は雲山と二人がかりでこころさんを取り押さえてその口角を無理に引き上げようとした。しかし出来上がった笑みには、無表情と比べてすら幾分の喜色も表れていなかった。一輪は何も言わずこころさんを放した。
そうした二人の関係は、傍からは大変に気安く見えた。白蓮和尚は一輪の親切さをよく謝した。一輪もこころさんを気安く思うことはある。こころさんが寺の者の中から誰かを頼るとしたら自分だろうと思う。しかし一輪は内心でいつまで経ってもこころさんに対する不満足を忘れることができなかった。
去り際のこころさんは山門の下に立っていつでも若女の面でお辞儀をする。声も調子も来た時と変わりなく落ち着いて去っていく。これを見た一輪は、自分がさっきまで話をしていたこころさんは消えたのだろうかと考えずにいられない。
一輪はあの若女の面が好きでなかった。いつも無表情でいるこころさんが、どうしてわざわざあの面をつける必要があるのかと思う。真顔でいたければ元の顔を見せてくれれば良いのにと思う。
一輪の読んだ書物では、感情を操る程度の能力を持つ面霊気は、面を替えることで自在に感情を変えられるのだと書いてあった。一輪はこの能力に関する記述を何度も思い出して考えた。
「周囲の状況に応じて感情を切り替えるものが彼女に宿ったという付喪神の自我なんだろう。しかし、その感情が彼女のものでなくて面のものなら、彼女の人格はどこに生まれるのだろうか?」
一輪はこころさんの人格について何も解らなかった。
一輪はまた不満足を抱えて六畳間を歩き回った。
四
一輪の不満足を置き去りに、こころさんはある時から突然として命蓮寺を訪れなくなってしまった。少なくとも一輪の目には突然としか見えなかった。
盆の暮れる頃、一輪は弾幕を張って誰かと決闘するこころさんの姿をあちこちで見かけた。こころさんはそのうちに一輪のところへもやってきて「やあやあ、我こそは秦こころなるぞ」と時代がかった口調で名乗りを上げた。
「決闘するときはそんな口上なんかいらないのよ。『最強の称号を賭けて私と闘え!』これで十分」
一輪はいい加減なことを教えて笑った。しかしこころさんの方では「最強の称号を賭けて私と闘え!」と案外真面目に挑んでくる。夏晴れの空で二人は激しく撃ち合うと、地上から声援や歓声があがった。一輪はこころさんの舞を見ながら、以前より随分落ち着いて見えるようだと思った。落ち着いて見えてもさすがに由緒のある付喪神は力が強く、喧嘩自慢の一輪もこの二戦目では不覚をとって降参した。勝ったこころさんは小躍りして喜んでいる。一輪には意味も事情も解らなかったが、なんとか言って褒めておいた。
「嬉しい時は笑顔がいいよ」
またどこかへ行こうとするこころさんに一輪が言ったが、こころさんはやはり無表情で、「スマイルスマイル!」と声弾ませて歌っただけであった。一輪は苦笑と共に、何にか挑んでいこうとするこころさんの背を見送った。
その日を最後に、こころさんは命蓮寺を訪れなくなる。
白蓮和尚に話を聞くには、「変化して間もない彼女はまだ自分を落ち着けることができないのです。私達の宗教は拒絶されてしまいました」云々、ということらしい。師はいかにも心残りがあるという風に目を眠って首を振った。
一輪は呆然となって山門の上に座り込んだ。一輪は遂にこころさんの心を知らずに仕舞った。その人とのことを思い出してみると、話になりそうな面白い振る舞いはいくらでもあったようだが、しかしそうした振る舞いの記憶とは結局、彼女の内部を説明できない空っぽうの外形にすぎなかった。真面目な一輪には、そのことが残念でならなかった。
単純闊達な一輪の真面目は、こういう場合になると暗いところをいつまでもじっと見つめて動きが取れなくなるほどひたむきに出来ていた。一輪は何日もうつむいて腕組みしながら暮らした。
「どうして何もかも私の居ないところで変わってしまうのだろう。私は私のあの不思議な友達の素顔を、ただ一目見たかっただけなのに」
それから何日か暑い日が続いた。ある晩雨が強く降って、その翌朝はようやく涼しい風が吹いた。
一輪が正午の鐘を撞いて石台を降りると、山門からいつぶりかこころさんが入ってきた。唐突な訪問に挨拶を出来かねた一輪より先に、この日はこころさんの方から「一輪さん、ちょっと」という声がかかった。
「夏の間は大変お世話になりました」
丁寧に礼を述べてお辞儀をするこころさんの頭には例によって若女の面がつけられている。一輪は愛想笑いさえ出来なかった。「どうして来なかったんです」と一輪が訊ねると、こころさんは「私は宗教とは決別しなければならないのです」と冷淡に言った。また「どうしてです」を訊ねると、こころさんは「自分に合わなかった」という平凡な答えをした。一輪にはこの言葉の意味もこの結論に至った経緯も解らなかった。ただうつむいて悲しく聞いていた。
「うちでお団子が余ってるんです。こころさん食べませんか」
こころさんはなかなか返事をしなかった。猿の面をつけているのを見てその逡巡を察した一輪が「すぐ持って来ますから、ここで二人で食べませんか」と言うと、こころさんはようやく首を縦にふった。
一輪とこころさんは山門の上に腰掛けて、雲入道の手を日よけにかざし、いつか林檎飴をなめながら話をした時のように遠くを見ながら団子を食べた。
「美味しい物くれてありがとう」
こころさんは横目に一輪を見つめてぽつぽつと話した。一輪が「うん」と言うと「キセルも」とつけ加えて言った。一輪はただ「うん」と言った。
「親切にしてくれてありがとう」
「うん」
「話しかけてくれてありがとう」
「うん」
「神楽を見てくれてありがとう」
「うん」
「このまえね、私も間違えたよ」
「え?」
うつむく一輪に向かって、唐突にかけられた言葉は、さっきまでと急に打って変わって弾んでいた。一輪が顔をあげると、こころさんは火男を被って妙な格好をつけている。
「お婆さんの面と間違えて、ひょっとこ被ってたの。疲れてる表情なのに!」
まだ話を解りかねている一輪に、こころさんは頬をかいた。
「笑って?」
一輪は、はっとして思わず胸をおさえた。
こころさんは自分を笑わせようとしている。こころさんの無表情な顔は、夏の日の中で初めて晴れ晴れとして見える。一輪はこの時ようやく、自身の中の不満足が結び目をほどくように流れ去って消えるのを感じた。
一輪は、何があってこころさんが寺を訪れていたのか知らなかった。また、何があって寺を去ることになったのかも知らなかった。しかしこの時の一輪には、自分のこの不思議な友達が善人であるということだけ、眩しいほどはっきりと感じられた。そうしてそのことが、手を合わせたいほどありがたかった。
一輪は思わずその手を取って笑った。
こころさんはまた、「明日の夕、神社で神楽を舞う予定だから、今までのお礼に招待したいの。どうか見に来てください」と言った。一輪は「きっと見に行くよ」と言って何度もうなずいた。
その日も去り際のこころさんはやはり、「ごちそうさまでした」と改まった調子でお辞儀をした。一輪はもう若女の面を気をつけて見ることはしなかった。そうすると、お辞儀をする前と後のこころさんが、姿勢をしゃんとして自分の顔を真っ直ぐ見つめようとしていることに初めて気がついた。真面目な一輪はこころさんが背を向けて去るまでの間、その目をじっと見返していた。
「こころさん」というのが、その新入の聴講生に対する一輪の呼び方であった。連日寺を訪れて白蓮和尚の説法を聞こうとする真面目な妖怪の名にさんがつくことは、真面目な一輪にとって全く自然である。こころさんはこれに嬉しい顔もしなかったが、苦情らしい文句も出さなかった。一輪が「こころさん、ちょっと」と呼ぶと、こころさんは無表情のまま若女の面をつけて「うん」とか「はい」とかいう短い返事で応じた。こころさんは大概の時なら「うん」とか「はい」で片付けてしまう。平生のこころさんはひっそりと大人しく、ほとんど無感動であった。
石台にのぼった一輪が正午の鐘を撞くと、決まってこころさんが一人で山門をくぐり出て行こうとするのが脚下に見える。一輪は石台を降りながら「こころさん、ちょっと」でこれを呼び止めて話をしようとする。
この日のこころさんの返事は「はい」であった。
「今日は夏祭りの奉納品のお下がりを檀家に配る日なの」と教えた。こころさんは若女の面をつけて黙っていた。話を解りかねたのだろうと察した一輪は、親切を少し露骨にして見せた。
「寺でもきっと西瓜を食べさせてもらえるから、まだ帰らないが良いでしょう」
聞いたこころさんは面を白式尉につけ替えると「西瓜は大好き!」と調子を変わって喜んだ。表情は無い。一輪はこの時、さっきまでこころさんの顔であった若女の面が急に端へ退いたのを見た。こころさんは人が変わったようである。二人して講堂へ歩き出した時から、こころさんはまた面を替え、陽気な火男をつけて雀躍していた。鼻歌を歌っている。その顔だけは無表情のままでいる。
講堂には山ほどの野菜と果物が積まれていた。これを今朝土蔵から運び出したのはほとんど一輪と雲山の仕事であった。大玉の西瓜が三つだけは、山積みの脇へよせてある。
「西瓜は積むと転がるから」
一輪が誰に聞かせるでもなく一人説明してにこにこ笑った。
こころさんは傍に立って、命蓮寺の弟子達が手を分けて品を改めていく光景をいつまでも眺めていた。大きいものや小さいもの、足の早いものや遅いものを選び出し、用意したいくつもの籠の中に均等に配分していく。山積みの脇に寄せられた西瓜は、自然後回しにされる。籠はこまごまの品で埋まり、西瓜の入る余地はすぐに無くなった。
そのうちに寅丸が手伝いに現れて「西瓜がほったらかしですよ」と気の利かない注意をした。
「なんとかして籠に分けられませんかね」
一輪がふと見ると、こころさんは猿の面をつけておろおろしている。気の毒になったので「西瓜はうちで食べましょうよ」ととうとう言った。
ほとんどの弟子達はもとよりそのつもりでいた。一輪の提案になるほどそれがいいと言って今更喜んだ者は寅丸とこころさんの二人ぎりで、ムラサなどは提案の可決と同時にどこにか用意していた盥を取り出して、西瓜を水に浸ける役目を一言も無く機敏に働いた。皿と包丁を取りに台所へ走る響子の立ち上がりも素早かった。庭向きの戸から見計らったようにマミゾウが舞い込んできて座に着いた。一輪が白蓮和尚を講堂に呼んで帰ってきた時には、西瓜を切る準備がほとんど整っていた。あとは寅丸がもったいぶった手つきで淹れる湯呑が行き渡らないのみであった。こころさんは相変わらず火男をつけて無表情でトントン跳ねていた。
雲入道の大きな手が三つあった西瓜を楽々と切り分けて並べた。先を争って皿へとのびる数人の手を一輪が順に打ちはらった。
「合掌がまだ」
「よよよ……」
数人のうちでいっしょになってやられたこころさんは、姥の面で消沈して赤くなった手を合わせた。
「よよよよ……いただきます……」
平生食に慎ましい命蓮寺の弟子たちは、合掌が済むなり西瓜に飛びついて甘い汁で口の周りを赤くした。こころさんは黙々として一心に食べていた。にわかに賑やかになった講堂で、いつの間にかまた白式尉をつけていかにも機嫌が良かった。
白蓮和尚がこころさんの手の西瓜を見て「あなたのいただき方は大変綺麗ですね」と褒めた。こころさんの済ませた西瓜は赤い箇所を残さず平らげてあった。こころさんは褒められて嬉しいせいか肩が揺れている。もっとも、師の言葉の裏にこころさんよりその隣に座る響子の食べ方をたしなめたい意味が含まれているとは、一輪はじめ察しのいい弟子達はよく解っていた。
西瓜を食べ終わるとこころさんは暑い時間帯をしばらくやり過ごして帰っていった。去り際には若女の面をつけて「ごちそうさまでした」と改まった調子でお辞儀をした。
「西瓜の身の白い部分は洗って切って漬物にするの。今度は夕もご一緒にどうかしら」
若女の面は一輪のすすめに「はい」と短く答えてまたお辞儀をした。その声に先ほどまでの喜色と陽気はまるで無くなっていた。白式尉の面は一輪の視界の脇に退いて一言も言わない。
一輪が石台の上から呼び止めた時と同じ調子で、また同じ山門をこころさんは帰っていった。その姿を見ながら一輪は、既に何度目かの不思議な感じを覚えた。
二
夜の人里で一輪が彼女のいわゆる暗黒能楽師に出会った時、彼女は別に怖ろしいとも思わなかった。「ははーん、出たわね?」といういつもの感じがあったばかりであった。そうして「化け狸が見せたかったのはこのお面パフォーマンスか」と呑気に納得して見ていた。能楽師も気を良くして舞った。はじめ腕組みしていた一輪だったが、見事な弾幕に感心して仕舞いにはすっかり魅入られた。
しかし、その演目の内容については、一輪には何だか訳が解らなかった。猿と蝉丸が歌うと天狗が獅子に喰われてしまった。小面と般若が刀を振り回していた。橋姫がどじょうを掬ったりもした。能楽師は宙に浮かんで、無数の面を繰り出しながら、つけ替えながら、昇ったり、落ちたり、揺れたり、逆さになったりした。それらの周囲では幻惑的な光がいつまでも飛び回って、それはこの世の終わりの様になっていた。
だんだん目が眩んで気が遠くなった一輪は、能楽師の頭を一発はたいてその日は寺に帰ってしまった。里で見たものが実は面霊気といって面に自我が宿るようになった妖怪であったとは、後日書物を調べて知った。
夏が盆の入り頃になって、一輪は例の面霊気を再び見た。面霊気は正午の鐘を撞く一輪の脚下、一人で山門をくぐり出て行こうとしていた。一輪が石台を降りながら呼び止めると、抑揚の無い声で「はい」と言って振り向いた。無表情でいて、若女の面をつけていた。一輪はあれこれと怪しんで質問を浴びせたが、いつまでも要領を得ないのでそのまま帰してしまった。
白蓮和尚に聞いてみると、彼女は仏教の教えに世の希望を見出して、説法を聞きにやってくるようになったのだという。一輪はあの面霊気をさんづけにして呼ばなければならないと思った。
その翌日、一輪はマミゾウから林檎飴を二本買った。お祭りはとうに終わっていたが、マミゾウは屋台の売れ残りを下取って道端に一人で縁日をやっている。暇人らしい商売だと半ば呆れながら半ば感心して帰った一輪は、正午山門の前に待ち受けて「こころさん、ちょっと」と声をかけた。「はい」と短く応じたこころさんに、一輪は飴を差し出してすすめた。一輪が他人に親しもうとする場合は、唐突でも何か食べさせることに決まっていた。こころさんははじめ猿の面をつけて戸惑っていたが、先日の非礼をお詫びしたいと言うと拒まなかった。飴をなめるこころさんを山門の上に座らせて、一輪はあれこれと寺の話を教えた。雲山が手をかざして日差しをさえぎると、人里を一望、霧の湖までよく見えた。
「姐さん、聖様は、お厳しい方ですが、ひどく叱られることは滅多にありませんよ。ご覧の通り命蓮寺は妖怪寺ですから、悪戯も多目に見ます」
「うん」
「ご存知でしょうが飲酒は禁止です。残念ながら」
「うん」
「出家なら今はおすすめしません。鵺と相部屋になりますよ」
「うん」
「林檎飴美味しいですか」
「美味しい! 超甘いよ!」
こころさんは終始無表情であったが、頭の面を若女から白式尉に替えていた。一輪は、これが嬉しい時の面だろうかと思ったが、何か大胆に思われて聞くことが出来なかった。代わりに「何の面ですか」とだけ聞いた。こころさんは「嬉しい時の面なの」とむしろ一輪より大胆に答えてしまった。
去り際にこころさんは、また若女の面をつけて「ごちそうさまでした」とお辞儀をした。一輪はお辞儀を返しながら何か不思議な感じがした。
こころさんと別れてから、一輪は腕を組んであれこれと考えた。
一輪は、あの訳の解らない暗黒能楽がもう一度見たかった。しかし正午の山門に現れたこころさんは、夜の人里で見たような狂人染みた暗黒能楽師とは違っていた。
夜の彼女には、訳の解らない言葉の中に何か切実なものが確かにあった。滑稽さと悲惨さが滅茶苦茶に混じり合ってひどく人間らしかった。自分は、そんなものを別に怖ろしいとは思わなかった。そんな妖怪なのだろうと思っていた。しかし、自分が「こころさん、ちょっと」と声をかけた彼女は、「はい」という当たり前の応答の他に何も無かった。飴をあげますと言えば戸惑った。飴が甘いと嬉しがった。去り際はまた当たり前の礼を言った他に何も無かった。こころさんはその時々で別人のようになった。彼女がどんな妖怪なのだか何も解らなかった。
一輪はだんだん失望してきた。一輪の知る二種類の面霊気は、どちらも一輪には解らない点を残しながら、しかし両者の解らないという性質は一輪にとって全く違っていた。
当の一輪は、何をやらせても訳の解り易い娘であった。自身も自身の言行に対して常に単純闊達を要求していた。また自身の信仰についてもそうした類の答えを期待していた。いつか悟りを開く時は、仕事のこつを掴むように、中心となる真理から全体の問題がするりといくものだろうと思っている。
人より気の回る彼女が世の中をこうした単純闊達流に心得ていると、振る舞いの上では妙としか思われない武勇伝を作ることもあった。一輪は、風呂場に雀蜂が飛び込んできた時に逃げるのは癪だからと向かっていくような娘であった。自分の炊いた米に文句をつけられて、大事な御客に絶交を申し渡したこともある。
そんな単純闊達流を行こうとする一輪の尺度は、むしろ人より複雑で繊細であった。他人と話すにも、そこに何かしら生きた心を掴まなければ満足しなかった。複雑な一輪の尺度からすれば、感情を暴走させる能楽師よりも、むしろ当たり前の反応をするだけのこころさんの方に不満足は多かった。
一輪は不満足な胸を抱えて歩き回った。
夜になり、六畳の部屋に引っ込んでからも立ったり座ったりして落ち着きなく過ごしていると、仕舞いに相部屋のムラサからうっとうしそうな顔をされた。一輪は、表情とはやっぱりこうでなければ駄目だと一人で喜んで風呂へ出て行った。
三
それから一輪は、ほとんど会う度にこころさんに何かごちそうをした。そうしてそこからこころさんが起こすいちいちの変化を観察し研究した。
こころさんは飴やかき氷のような甘味にはいつでも喜んだ。安い菓子の包みを見せると、火男をつけて大げさな踊りを踊る。
酸い物はどうかと夏蜜柑を剥いてやると、一口で猿の面に替わってよろめいて見せた。こころさんに食べ物の好みがあるらしいことが解ると一輪は多少満足した。しかし、梅干を食べた時でさえ少しも眉を寄せないには驚いた。
そのうち昼餉に誘って寺の弟子達と一緒に食べさせてみた。米と少しの野菜だけの質素な食事にこころさんは姥をつけて失望の体であったが、いつかの御客のように米の文句を言うことはなかったので一輪には絶交されずにすんだ。
悪戯心にキセルを呑ませてみたこともあった。こころさんは少し吸い込んですぐに吐き出した。大飛出をつけて一輪の顔とキセルの口を何度も見比べているこころさんを可笑しがって一輪は大いに笑った。
一輪が笑う時は、こころさんもそれに合わせようとするように白式尉をつけた。しかし声出して笑うことは決してなかった。一輪はひとつこころさんを笑わせてみようとしてあれこれ話をした。
「この間まで間違いに気付いてなかったわ。私だけ木魚の向きが逆だったの。どうりで里の人に笑われると思った!」
こころさんは相変わらずの無表情で白式尉をつけて「面白い面白い」と言った。
「面白い時は笑ってちょうだい」
こころさんは狐の面で「この面が我々の顔だ」と言った。そうしてまたすぐに白式尉につけ替えると「ああ面白い」とまた言った。
一輪は意地にもこころさんの笑うところを見たいと思った。ある時は雲山と二人がかりでこころさんを取り押さえてその口角を無理に引き上げようとした。しかし出来上がった笑みには、無表情と比べてすら幾分の喜色も表れていなかった。一輪は何も言わずこころさんを放した。
そうした二人の関係は、傍からは大変に気安く見えた。白蓮和尚は一輪の親切さをよく謝した。一輪もこころさんを気安く思うことはある。こころさんが寺の者の中から誰かを頼るとしたら自分だろうと思う。しかし一輪は内心でいつまで経ってもこころさんに対する不満足を忘れることができなかった。
去り際のこころさんは山門の下に立っていつでも若女の面でお辞儀をする。声も調子も来た時と変わりなく落ち着いて去っていく。これを見た一輪は、自分がさっきまで話をしていたこころさんは消えたのだろうかと考えずにいられない。
一輪はあの若女の面が好きでなかった。いつも無表情でいるこころさんが、どうしてわざわざあの面をつける必要があるのかと思う。真顔でいたければ元の顔を見せてくれれば良いのにと思う。
一輪の読んだ書物では、感情を操る程度の能力を持つ面霊気は、面を替えることで自在に感情を変えられるのだと書いてあった。一輪はこの能力に関する記述を何度も思い出して考えた。
「周囲の状況に応じて感情を切り替えるものが彼女に宿ったという付喪神の自我なんだろう。しかし、その感情が彼女のものでなくて面のものなら、彼女の人格はどこに生まれるのだろうか?」
一輪はこころさんの人格について何も解らなかった。
一輪はまた不満足を抱えて六畳間を歩き回った。
四
一輪の不満足を置き去りに、こころさんはある時から突然として命蓮寺を訪れなくなってしまった。少なくとも一輪の目には突然としか見えなかった。
盆の暮れる頃、一輪は弾幕を張って誰かと決闘するこころさんの姿をあちこちで見かけた。こころさんはそのうちに一輪のところへもやってきて「やあやあ、我こそは秦こころなるぞ」と時代がかった口調で名乗りを上げた。
「決闘するときはそんな口上なんかいらないのよ。『最強の称号を賭けて私と闘え!』これで十分」
一輪はいい加減なことを教えて笑った。しかしこころさんの方では「最強の称号を賭けて私と闘え!」と案外真面目に挑んでくる。夏晴れの空で二人は激しく撃ち合うと、地上から声援や歓声があがった。一輪はこころさんの舞を見ながら、以前より随分落ち着いて見えるようだと思った。落ち着いて見えてもさすがに由緒のある付喪神は力が強く、喧嘩自慢の一輪もこの二戦目では不覚をとって降参した。勝ったこころさんは小躍りして喜んでいる。一輪には意味も事情も解らなかったが、なんとか言って褒めておいた。
「嬉しい時は笑顔がいいよ」
またどこかへ行こうとするこころさんに一輪が言ったが、こころさんはやはり無表情で、「スマイルスマイル!」と声弾ませて歌っただけであった。一輪は苦笑と共に、何にか挑んでいこうとするこころさんの背を見送った。
その日を最後に、こころさんは命蓮寺を訪れなくなる。
白蓮和尚に話を聞くには、「変化して間もない彼女はまだ自分を落ち着けることができないのです。私達の宗教は拒絶されてしまいました」云々、ということらしい。師はいかにも心残りがあるという風に目を眠って首を振った。
一輪は呆然となって山門の上に座り込んだ。一輪は遂にこころさんの心を知らずに仕舞った。その人とのことを思い出してみると、話になりそうな面白い振る舞いはいくらでもあったようだが、しかしそうした振る舞いの記憶とは結局、彼女の内部を説明できない空っぽうの外形にすぎなかった。真面目な一輪には、そのことが残念でならなかった。
単純闊達な一輪の真面目は、こういう場合になると暗いところをいつまでもじっと見つめて動きが取れなくなるほどひたむきに出来ていた。一輪は何日もうつむいて腕組みしながら暮らした。
「どうして何もかも私の居ないところで変わってしまうのだろう。私は私のあの不思議な友達の素顔を、ただ一目見たかっただけなのに」
それから何日か暑い日が続いた。ある晩雨が強く降って、その翌朝はようやく涼しい風が吹いた。
一輪が正午の鐘を撞いて石台を降りると、山門からいつぶりかこころさんが入ってきた。唐突な訪問に挨拶を出来かねた一輪より先に、この日はこころさんの方から「一輪さん、ちょっと」という声がかかった。
「夏の間は大変お世話になりました」
丁寧に礼を述べてお辞儀をするこころさんの頭には例によって若女の面がつけられている。一輪は愛想笑いさえ出来なかった。「どうして来なかったんです」と一輪が訊ねると、こころさんは「私は宗教とは決別しなければならないのです」と冷淡に言った。また「どうしてです」を訊ねると、こころさんは「自分に合わなかった」という平凡な答えをした。一輪にはこの言葉の意味もこの結論に至った経緯も解らなかった。ただうつむいて悲しく聞いていた。
「うちでお団子が余ってるんです。こころさん食べませんか」
こころさんはなかなか返事をしなかった。猿の面をつけているのを見てその逡巡を察した一輪が「すぐ持って来ますから、ここで二人で食べませんか」と言うと、こころさんはようやく首を縦にふった。
一輪とこころさんは山門の上に腰掛けて、雲入道の手を日よけにかざし、いつか林檎飴をなめながら話をした時のように遠くを見ながら団子を食べた。
「美味しい物くれてありがとう」
こころさんは横目に一輪を見つめてぽつぽつと話した。一輪が「うん」と言うと「キセルも」とつけ加えて言った。一輪はただ「うん」と言った。
「親切にしてくれてありがとう」
「うん」
「話しかけてくれてありがとう」
「うん」
「神楽を見てくれてありがとう」
「うん」
「このまえね、私も間違えたよ」
「え?」
うつむく一輪に向かって、唐突にかけられた言葉は、さっきまでと急に打って変わって弾んでいた。一輪が顔をあげると、こころさんは火男を被って妙な格好をつけている。
「お婆さんの面と間違えて、ひょっとこ被ってたの。疲れてる表情なのに!」
まだ話を解りかねている一輪に、こころさんは頬をかいた。
「笑って?」
一輪は、はっとして思わず胸をおさえた。
こころさんは自分を笑わせようとしている。こころさんの無表情な顔は、夏の日の中で初めて晴れ晴れとして見える。一輪はこの時ようやく、自身の中の不満足が結び目をほどくように流れ去って消えるのを感じた。
一輪は、何があってこころさんが寺を訪れていたのか知らなかった。また、何があって寺を去ることになったのかも知らなかった。しかしこの時の一輪には、自分のこの不思議な友達が善人であるということだけ、眩しいほどはっきりと感じられた。そうしてそのことが、手を合わせたいほどありがたかった。
一輪は思わずその手を取って笑った。
こころさんはまた、「明日の夕、神社で神楽を舞う予定だから、今までのお礼に招待したいの。どうか見に来てください」と言った。一輪は「きっと見に行くよ」と言って何度もうなずいた。
その日も去り際のこころさんはやはり、「ごちそうさまでした」と改まった調子でお辞儀をした。一輪はもう若女の面を気をつけて見ることはしなかった。そうすると、お辞儀をする前と後のこころさんが、姿勢をしゃんとして自分の顔を真っ直ぐ見つめようとしていることに初めて気がついた。真面目な一輪はこころさんが背を向けて去るまでの間、その目をじっと見返していた。
一輪さんもこころさんも良かったね、と
東方キャラがリアリティのある存在感を見せてくれるSSって本当に貴重です
うぶわらいさんに感謝を
非常に好きです!
二人だけの間で笑う彼女達の笑顔は互いに美しいと思ったでしょう。
あくまでも美しい、夏の小さな日常でした。
少し掘り下げがくどいような感じもしましたが、とてもおもしろかったです。
明治時代に外界から切り離された幻想郷にはやはりその頃くらいのタッチが似合うのでしょうか?淡い水彩画のような雰囲気が素晴らしかったです。
心綺楼はこころの成長物語だ、なんて言いますが本当ですね。彼女が今後どう染まっていくのか楽しみです。
素晴らしい作品をありがとうございました。
良かった良かった。
これで一輪との組み合わせは雲山:相棒・白蓮:恋人・心友:こころで盤石だな
素顔がみたいという動機も共感できましたし、世話焼きっぷりも目に浮かぶようでした。この2人は仲良くなれそうですね。
ほんとにこの二人は「ともだち」って感じがしていいなぁ
読んでて心地のいい心理描写でした。
って自分も言いたいぜぇ
一輪さんは本当に面倒見よすぎて素敵
ここちゃんも可愛かったズルいくらい可愛かった
けど、この一輪さんは表情豊かでとてもまっすぐなんたよね、それが好き
自分の欲しい解答が常にもたらされるとは限らないんですよねぇ……往々にして。
それにしても惹き込まれる文章だ。素敵です。
作中のシーン、脳内再生できてしまうほど、しっかり描かれていると思いました。
羨ましい、そんな工夫を自然に凝らせたら書くのが楽しいだろうな、と思う
命蓮寺のちょっとした日常といったものも目に浮かぶようでした
流石にそれと比べてしまえば劣るけれども、言葉の端々に現実味があって短く纏まった素敵な話だと思う。
さりげなくポカリ癖が治ってないところにくすりときた
売れ残りを下取ってくれるマミゾウが善人すぎる
素敵な話、ありがとうごさいます。
良い文章。
一輪も、こころさんも、かわいいです。
やっぱこの二人ですわ。
最後のところで思わずじーんと来てしまいました。
本当に心の内を覗いているような気分になりました。
それにしてもこの二人の組み合わせ、いいですねぇ。
少なくともこのSSが投下されるよりもずっと前ということは無いと思うのですが。
この短時間にこころについてここまで掘り下げていることに感動です。
文章もあいかわらず素晴らしい。
一輪さんも善良だよ十二分に
とてもよい文章ですね。
大変面白かったです。可愛らしいこころさんでした。