――――――――カラリ、と最後に音を立て、車輪は空回りをやめた。
太陽は真上をわずかに過ぎ、往来激しい人里の道も幾分か落ち着いた頃。
いつも一仕事終えた後の小休止の歓談がそこらで見られる筈のその道は、今、一瞬の静寂に包まれている。
それは、有り得ない事故だった。
如何なる理由か、道を走っていた沢山の荷物を積んだ荷台がバランスを崩し転倒、その拍子に荷解きが解け、荷物の中にあったガラス片が辺りに散乱。
飛び散ったガラス片を避けた男が、同じくガラス片を避けようとした金物屋の主人と衝突し、金物屋の主人が持っていた道具箱の中身が中空へ、その全てがガラス片を避けた男の顔目掛けて吸い込まれるように落ちていった。
結果、男の顔は、鋭利な刃物や工具でまるで花を咲かせたようにして潰れている。
目の前で、実の兄にそんな有り得ない死に方をされた女は、人知れずポツリと呟いた。
ああ、これも全部厄神さまの――――――――――
そうして数瞬の後、人々の狂騒が辺り一帯を支配した。
「――――――厄いわ」
くるくるくるくる――――――――
魔法の森奥地にある玄武の沢。
よく晴れた空の下、春陽の心地よさを受けながら、鍵山雛は厄を集めるため、今日も静かに回っていた。
水面で回る雛の周りには、紙で作られた雛人形が敷き詰められている。
厄の憑いた流し雛から厄を集め、神々に渡すのが雛の役目のひとつだ。
くるくるくる――――――――
よくよく目を凝らすと、雛の周りに黒いもやの様なものが集まっているのがわかる。
この黒いもやの様なものが、集まる事によって可視化された『厄』だ。
この厄がさらに上手い具合に集まると存在強度が高まり、ヒトガタであったり、よくワカラナイものに形作られる。
くるくる――――――――
そうやって厄を上手い具合に集めるのが厄神の仕事なのだが、時折どういうわけか人間が意図せずにこれをやってしまうことがある。
所謂、不幸に憑かれた人間というやつだ。
そういった人間には、とにかく不幸が起こる。
大概の場合は笑って済ませられるようなものだが、中には冗談にならないような不幸に見舞われる事もある。
くる――――――――
そういった手合いの人間の気配には敏感なのだろう。雛はゆっくりと回転することをやめ、その女を出迎えた。
「こんにちわ、今日も厄いわね」
「はい、厄いです、厄神さま」
いつもと同じ、定刻通りに訪れたその女こそ、雛が今最も頭を悩ませている、不幸に憑かれた女だ。
「今日は、人里で今人気のお団子を持ってきたんですよ」
どうぞお納めください、と女が団子が包まれているであろう布袋を雛に手渡そうとする。
「――――何度も言っているけれど、手渡すのは止した方がいいわ」
「はい、何度も聞いてますけど、別に私は気にしませんよ」
そう言うと、女はわざわざ雛の手を掴み、団子を持たせた。
瞬間、女に厄の色が濃くなる。
そうしなくても、厄神から見て危険な厄を、女は常に身に纏っている。
女の安全を願うなら、多少強引な手段を使ってでも自分から遠ざけるべきだが、雛は今一歩踏み出せないでいた。
「とても厄いわ。あなたが厄過ぎて、このお団子もきっと厄い味がするんだわ。ああ、厄いわ厄いわ」
「それ、わざと言ってます?」
クスクス、と女は忍び笑いを漏らす。
こうして、半ば冗談のようにしてしか、雛は言えない、遠ざけることが出来ない。
ジッと、雛は女の様子を見る。
出会った当初に比べれば、女の体の傷や痣は数が減った。
笑う事も多くなったし、辛そうな顔で雛の元へ来る事も無くなった。
表面だけ見れば、女は厄神と会う事によって、いい方向へ変わったと言える。
しかし――――――
「どうかしら、最近調子の程は?」
「はい、厄神さまから頂いた雛人形のおかげで、大分よくなりました」
――――――決してそんな筈はないのだ。
確かに、雛は毎回女に会う度に自分の作った特別に強力なインスタント雛人形を渡し、流すよう指示している。
実際、その流し雛は女が去った後ちゃんと厄が憑いて雛の元へ流れ着いているので、女が纏っている厄はある程度祓われているのは間違いない。
少なくとも雛に接触した分だけの厄は間違いなく確実に祓えている筈で、女自身に起こる災厄に関しては、ちょっと運が悪いかな程度で済んでいる筈だ。
以前のように、女が毎日生傷だらけになる様な事態は避けられている筈である。
なら、毎日のように雛の元にやって来て厄を祓っているにも関わらず、なぜ女の厄は堆積したままなのか。
「ねえ、最近あなたの周りで何か不幸な事が起きてたりしないかしら?」
「不幸な事ですか? いえ、特にこれといって……相変わらずよくドジをしちゃいますけど」
少しだけ恥ずかしそうに目を伏せながら、女は言う。
女に何かを隠すような素振りは見えない。
なら本当に、不幸な事は起こっていないのだろう。
「…………なら、別にそれでもいいのかしらね」
「?」
厄自体は、単純にキリがないというだけで問題なく祓えている。
なら、いつもどおり、それをこなせばいい。
「何でもないわ。さ、せっかくのお団子だもの、一緒に食べましょう」
「はい、もちろんです!」
小鳥のように首を傾げ、花のように笑う女に微笑ましさを感じながら、雛は違和感を胸の奥に仕舞い込んだ。
明くる日。
日の入りからしばらくして、雛は人里の端に設置してある無人販売所へ足を運んだ。
売り上げを回収し、昨日厄を祓い終えた雛人形を置いて、新しいインスタントの雛人形の材料を買うため雑貨屋に向かう。
雛が人里の中を歩き出すと、人の波が割れ道が出来る。
道行く人は、決して雛と目を合わせようとしない、決して同じ道を歩こうとしない。
えんがちょマスターの二つ名は伊達ではないのだ。
しかし、嫌われているかといえば、そういうわけでもない。
「これは、独り言なんだけどね」
雛が雑貨屋で雛人形用の新しい模造紙を探していると、年配の女店主がポツリと零した。
雛にもいつくか贔屓にしている店というものがある。
そういった店の店主たちは、こうして独り言やあるいはボケたという体裁で積極的に雛と交流を持とうとする。
内容は、仕事や家族の愚痴であったり、厄神としての能力を期待されての依頼だったり、最近の人里での流行や事件であったりと様々だ。
理由はそれぞれだろうが、厄神は人間から避けられる神ではあるものの嫌われる神というわけではない証左である。
いずれにしろ、雛にとっては数少ない人間との接触の機会であると同時に、貴重な情報源だ。
「最近人里が物騒な事が続いていてね、もう四人も変な死に方をしてる」
――――――それも一つの家族でばかりねと、女主人は嘆息する。
「――――――――――――」
良さそうな色合いの模造紙を見つけ、材質を確かめようと伸ばした雛の手がピタリと止まった。
ツー、と冷や汗が雛の背中を伝う。
瞬間、雛の脳裏に一人の女の姿が浮んだ。
しかしそんな筈はないと、その嫌な仮説を頭から振り払おうとするが、頭が言うことを聞かない。
「悲惨なもんさ、まるで焼き鳥みたいに炙られて死んだり、顔面にいくつも鈍器を花みたいに生やして死んだりさ、そんなのばっかだよ」
確かに悲惨だ。
まるで、何かに憑かれたように。
厄を身に纏わす人間は、自身も周りも不幸にする。
得てして濃縮された厄は、信じられない偶然を起こす。
仮に、無意識に収集された厄が少しずつ住処に沈殿していたとしたら、出所が不明だった女の纏っていたる厄の説明がつく。
「人づてに聞いた話じゃ、年頃の娘が唯一生き残ってるって話だけど、いやはやどうなるのかねえ」
買うと決めた模造紙と、女主人お手製のシュシュを心付けとして購入し、雛は足早に店を出る。
「さて、あたしゃどっかにおわす厄の神さんにでも祈るかねえ」
そんな声を背に、雛は自分がどうするべきか考えあぐねていた。
「こんにちは、厄神さま」
「…………ええ、こんにちは、厄いわね」
いつもと同じ時間に、いつもと同じ場所へ、いつもと変わらない様子で、女は現れた。
「えへへ、今日もお団子を持ってきちゃいました。でも、今日のは昨日のと味付けが違うんですよ?」
女は朗らかに笑う。いつも通りに。何も変わらず。
とても、家族を無残な事故で失ったような人間には見えない。
努めて明るく振舞っているという事もなくはないだろうが、やはり考え過ぎなのだろう。
人里では、確かに悲惨な事が起きているかもしれない。
その原因が、払えきれない女の厄にあるのかもしれない。
しかし、それで女の家族が皆一様に死んでいるというのは早計だ。
雛は、己の厄に苦しんでいた女の姿を知っている。
今、女が浮かべている笑顔は、かつての悲惨さに裏打ちされた笑顔であることを知っている。
絶望していた女の立ち直る様を、雛はずっと見てきたのだ。
そう、全ては仮説だ。
取るに足らない妄想だと言ってもいい。
だからこそ雛は――――――
「ご家族が最近になって立て続けに死んでいるっていうのは、本当?」
――――――女との、いつも通りのささやかで楽しい日々を続けるため、躊躇いながらも問うた。
「――――――――――――」
静寂。
さらさらと流れる川のせせらぎが、音程を上げる。
流れる雲の陰影が、二人の間に落ちる。
やけに湿った風が吹き抜け、雛と女の髪を揺らす。
雛の放った言葉は、しかし二人の間に亀裂を産みはしなかった。
「はい、厄神さまの仰るとおりです」
そう言って、女は先程と変わらぬ朗らかな笑みを浮かべた。
「っ! なら、なぜ言わなかったの? そうすれば、私にも別の考えが――――――」
「私、本当に厄神さまには感謝しているんです」
女は、頬を赤らめ、まるでこれから愛しい男子に告白する乙女のように感極まった様子で、雛に語る。
「働きもせず一日中酒浸りだった父が、火で炙られて死にました。凄かったですよ、いくら父が火を消そうとしても絶対に何かが邪魔をするんですから」
「…………そう」
「一族のお金を無断で若いツバメに貢いでいた母が、溺れて死にました。人間、川じゃなくても溺死って出来るんですね。桶に顔が嵌るなんて、もう喜劇にしか思えませんでしたよ」
「…………そう」
「自分に関心の無い両親に反抗して、私を嬲り続けていた兄が、顔をグチャグチャにして死にました。その過程が、何か子供のおもちゃみたいなカラクリで面白かったですよ」
「…………そう」
「家庭が崩壊しているという事にから目を背け続けていた祖母が、昨日首を吊って死にました。状況的には事故に見えるんですけど、多分自殺だったんだと思います」
「…………そう」
「これも全部、厄神さまのお陰なんです。厄神さまが、私に厄を与えてくださったから。厄というものがこの世にあるって教えてくださったから。人里の皆は厄神さまの事を恐れたり避けたりするけど、私にはよくわかりません。だって、厄神さまに出会って私は救われたんです。厄神さまが不幸を呼ぶなんて、信じられません。現に、私は幸福な事が、ずっとずっと望んでいたことが叶っているんですから。ですから、厄神さまの厄は私にとって――――――」
――――――本当に幸せな厄なんです。
そういって、女は団子を包んだ布袋を雛に手渡した。
雛の食べた団子は、確かに幸せな味がした。
雛は、女の背を見送る。
また明日もいつも通り女は雛の元を訪れるだろう。いつもと変わらない様子で。
いや、そもそも女にとって、これまでが日常で常態だったのだ。
つまり、そういうことだった。
雛と接触した事により、厄の濃縮が加速しその厄が女の住処に日々沈殿。
女自身の厄は、雛人形で厄払いしていたため、女自身に振りかかる災厄は微々たるものだが、その代わり周りの家族に災厄が波及したのだろう。
図らずとも、女と雛は簡易な蠱毒を作り上げていたというわけだ。
女の纏う厄は、最も近しい者たちを屠ってきた。
このまま行けば、次は友人や知人、あるいはただ単に縁があったというだけの者へと被害は拡大していくだろう。
しかし幻想郷の自浄作用は強力だ。
すぐにでも誰かが、それが異常であるという事に気づく。
博麗の巫女か人里の守護者か。
誰にせよ、お節介な誰かが解決に乗り出すまで、そう時間は掛からないだろう。
そうでなくても、もう十分すぎる程に、女の境遇は異常なのだ。
女にとって、これまでは幸いな厄であったであろうが――――――
――――――これから先は、どうあっても災いを招く厄しか起こりえないだろう。
厄神は、ふと空を見上げる。
雲は流れ、形は一つとして同じものはなく、変化しないものはない。
しかし、そういった流れそのものは決して変わらない。
明日も同じように、変化し移り変わり続けるだろう。
定められた現象は、不変である。
――――――――そう、いつもと同じで、何も変わらない。
鍵山雛は、破滅という怪物が大口を開けて待っている女の行く先を想い、
「――――――厄いわ」
と、いつもの口癖を呟いた。
厄にも神と同じく、幸(さき)と奇(くし)があるんですね。
いろいろな意味で恐れ多い作品でした。(不快に思ってしまったのならすみません、謝罪します)。
いろいろ難しいなぁ・・・
拒絶せずにありたがるようにならなきゃやっていけないのかも知れない
道具屋のお婆ちゃんが何かいい味を出してる、気がする。
どう転がっても後味悪そうだなぁー。