「夢月物語 ―夢無―」
恋は盲目、想う側は一途なまでに相手を想ってるのかもしれないが想われてる側は決してそうではない。
そんな単純で明快なことをわからなくしてしまうのがこの恋という言葉の恐ろしいところだ。
それを単純な動物的本能という言葉だけで片付けてしまうのは些か強引だろう。
仮にもしそうだったならばあまりにも身勝手だし、あまりにも悲しすぎる。
想いは重い。あまりにも、重すぎる。
では誰からも何も思われないというのはどうだろうか。
居ても居なくても変わらない。思いが無くて、軽くて、軽過ぎて色の無い空気と一緒にふらふらと漂う。
要するに適度な思いという重りが必要なのだ。適重と言ってもいい。
自分が自分らしくあるための適度な重りが。それは友情といったり、愛情といったり、親愛といったり。
重すぎれば動けなくなっていずれ潰れてしまうし、軽過ぎれば風に流されて何処かへ消えてしまう。
風の中に消えた私は……いったい何処へ行ってしまったのだろう。
「見られている……わね」
多くの人が行きかう人里にて、ちょっとした野暮用を済ました私こと夢月は足早にその場を立ち去った。
それこそまるで記憶からかすれていく夢の如くだ。
それなのに関わらず、未だ私に視線を向ける者がいる。これは異常な出来事であった。
「つかず離れず、どう考えても人間ではない。つけられているのはわかるけど何処にいるのかわからない……気配を完全に殺している。面倒なのに絡まれたわね」
久しく下界してみたと思ったらこの有様である。
勿論このままという訳にもいかないので、ここは一つ振り切らせて貰うことにする。
人里で見せたのとは違い、今度は物理的にだ。
たったと軽く助走をとって大地を蹴りつけ空中へ飛び出す。
みるみると遠くなる人里を尻目に次第に勢いが衰え、今度は重力に引かれ落下する。
スカートが捲れないように押さえつつ、予定通り人けのない竹林に出来た道へ音もなく着地。
そして
「……っ!」
痛い程強い視線を感じて背後を振り返った。
そこにはただ緑一色の竹達が風に笹を揺らしているだけだ、当然の如く誰もいない。
「まさか、あり得ない。私に合わせて着いてきたなら流石に気付く……先回り? いやそれこそあり得ないわ」
別に当初からこの竹林を目指した訳ではない。ただ何となくで選んだだけだ……それなのに
「いる、相変わらず何処にいるのかはわからないけど確実にこっちを見ている……一体何者?」
伊達に数えるのも億劫な程の時を生きてきたわけではない。破天荒を地でいく姉さんと共にいる上で騒乱に巻き込まれるのは日常茶飯事だった。
しかし、一体系の神話クラスの怪物に喧嘩を売った時でさえこんな……こんな不気味な気持ちにさせられたことはない。
「参ったわね、こんなタイプは初めてだわ。面倒っちゃありゃしない」
姉さんなら簡単じゃないと言いつつ笑顔で辺り一面を無差別に焼け野原にしてしまうんだろうけど、私にそんな元気はない。
さてどうしたものか――とりあえず
「とりあえず、出口はどこからしら?」
思索に耽りながら歩いていたらいつの間にか竹林の中で迷子になってしまった。
「誰かにつけられている気がする? そりゃ狐か狸にでも化かされてるんじゃない?」
竹林で彷徨っていた私に声をかけたのは白の長髪と赤いもんぺをサスペンダーで吊るという不思議な格好をした少女だった。
まぁ私もメイド服を着こんでる以上人のことは言えないのだが。
彼女はこの竹林に住んでいるらしいく、私が誰かにつけられていると伝えると立ち話もなんだと家まで招待してくれた。
「ただの畜生如きの視線なら気にならないわよ……例えそれが千年を生きた化け狸だろうと、幾多の王政に蔓延った九尾の狐だろうとね」
出された焼き鳥という食べ物は思いのほか美味だった。特にこのタレというらしいソースが良い味を出している。
「お、言うねぇ。まぁ確かに見た感じただものじゃぁないねあんた。私も永いこと生きてきたけどお前さんみたいなのは見たことないよ。一体何者なんだい?」
「私はただのメイドよ。貴方こそ中々面白い魂の形をしているわ。一体どうすればそこまで……取り返しのつかないことになるのだか」
私の言葉に少女は心底驚いたような顔し、伏せ目がちに呟いた。
「まぁその、色々あったのさ。永いこと生きてると色々なことがある。本当に、沢山だよ」
「そりゃ当然。生きている限り何かしらの厄介に巻き込まれるのは極々当たり前のこと。問題なのはその時自分はどうするのかよ。傷ついてでも時の流れに逆らうのか、ただ流されて風化していくのか」
「……お前はどうしたんだ? 私は多分留まってるだけだ。逆らう気力もなければ、かといって朽ち果てるのは怖くて必死に現状を維持しようとしてるだけな気がする」
「別にいいんじゃない? 現状維持だって立派なことよ。それすら出来ずに歴史の影に埋もれていく奴らを私は沢山見てきた。まぁ私についていうのならば、『くだらない時の流れ如きに傷つく程私は軟じゃない』って感じかしら」
少女は私の答えが理解出来なかったのか、しばらく呆然としていたが次第に抑えきれなくなったかのように笑い始めた。
「何よ? 私何かおかしいことを言ったかしら?」
「いやぁわるいわるい。あまりにも眩しすぎて返って笑いが込み上げてしまってな。いやはや上には上がいるもんだな」
「頂点には下しかいないわ」
再び噴き出したかのように笑い始めた少女を私はやや呆れ顔で眺めていて……
そのすぐ横に大きな目玉がじぃっとこちら覗いていることに気付いた。
「いやはや世の中には面白い奴が居るもんだ……ってあれ? どうしたんだそんな怖い顔して」
少女は今しがた背後にいたはずの何者かに全く気付いていないようだ。
当然の如く何者かは既にここにはいない、私が気付いた瞬間再び姿をくらましたのだ。
私の目の前でまるで幻のように消えてしまった。そんなことが出来るのは私と姉さんくらいだと思っていたのだが……
「何でもない、そろそろお暇するわ。焼き鳥ありがとう、美味しかったわ」
「お、おぅ。でもいいのかい? 誰かに追われてるとか言ってたし……そもそもこの竹林だって一人で抜けるのは大変だよ?」
「心配いらないわ、貴方自身は丈夫そうだけどその秘蔵のタレとやらを無駄にするのは避けたい。私は姉さんと違って良いものは大事にしたいタイプだから」
私は少女の家を後にするとスカートの裾を掴み一目散に走り始めた。
出来るだけあの家から遠ざかる。別にこの竹林を正攻法で抜けられずとも、来た時と同じように跳躍してしまえばいいのだ。
そう思い、大地を強く踏みしめたその瞬間だった。突如私の脇腹から赤い茨が生えたのは。
厚い雲が月を覆い隠し、茂りに茂った笹がさらに視界を埋める。
笹を揺らす風も吹かず物音一つしない漆黒の竹林の中、ただ内から嫌という程伝わってくる心臓の鼓動と、押さえた脇腹から漏れ出す真っ赤な染みが鈍く、重い痛みを身体中に波のように伝えていく。
「治りが悪い、あの茨毒でもあったのか……全く面倒にも程があるわよ」
血に汚れていない方の手でプラチナブロンドの髪に着けられたホワイトブリムの位置を直しつつ、赤黒い染みが広がりつつあるメイド服を纏った私は自らの状況を確認する。
「突然の襲撃、察知出来なかった謎の攻撃、治癒を妨げる毒。恨まれるようなことは……確かに今まで沢山してきたかもしれないけど、復讐なんてされる程中途半端なことはした覚えはない」
復讐というのは残党がすることだ。その残党さえいなければ復讐の連鎖なんてそもそも起こらない。
「私に気付かれずに一方的に攻撃して、なお且つ傷まで与えられるような化物がこんな辺鄙な世界にいるなんて聞いてないわよ……」
今この瞬間だって何時襲われるかわからない。
このわからない、というのが一番の問題なのだ。身体の異常を知らせる痛みというシグナルを無視し、辺りの気配を察知することに全神経を傾けても相変わらず何の気配も掴むことが出来ない。
まるで暗殺者……殺気を一切漏らさず、それでいて死に満ちた一撃を放つ者。
「逃げ回るのは癪だし、何よりそんなことしたらさっき食べたのがはみ出ちゃいそうだわ」
この場に似合わず、乾いた笑みを溢した私を無数の茨が襲った。
決して油断していたつもりはない、少なくとも私はそう思っている。
だが結果として背にしていた幹ごと貫いた茨による刺突は私の脇腹を更に深く抉り、首を狙った茨は首筋を掠めた。
「っっ! このぉやろ!」
再び腹から生えた茨を引き抜きつつ、茨が飛んできた方面を狙って水平に星型の鋭い弾幕をばら撒きつつ一気に距離を詰める。
茨でズタズタに引き裂かれた臓物が嫌な音を立てたが、そんなものは気にしない。
何時まで受け身でいても埒があかない、向こうは隠れている私が何処にいるか分かるようだがこちら側はそうではないのだ。
向こうが攻撃を仕掛けてきた今しか、正体不明の敵を捉えるチャンスはない。
散弾のように放った弾幕は周囲の竹を根こそぎ薙ぎ倒し遮蔽物を減らした、ここで確実に仕留める。
私の身体は見た目程軟じゃない。厄介な毒によって一時的に治癒能力が下がっているが、少しくらい無理をした所で……正体不明の敵をとっ捕まえて叩きのめすくらいの余裕は十分にある――のだが。
「……いない」
茨が飛んできた方向から逆算してたどり着いた場所には誰もいなかった。
仕留めそこなった私が反撃に転じたのを見て足早に逃げ出したのだろう。
「はぁ、思った以上に手強いわね。一撃離脱、奇襲にしか勝機がないっていうのをよく理解している」
やっぱり辺り一面焦土にしちゃおうかと思ったが、まだ舌に残っているあの焼き鳥の味がそれを許さなかった。
「仕方ないわね……こんなことしたくなかったけど相手が見えない以上こうするしかないみたいだし」
深いため息を吐いた私は真っ赤に染まった手を強く引き寄せた。
血の匂い、とても濃い血の匂いだ。
首を取るには至らなかったが、奴の腹を抉った茨には即効性の猛毒がある。
細胞を壊死させ、神経をズタズタにするとんでもない猛毒だ。少しでも身体に回ればいとも簡単に身体を破壊し命を奪う。
それほどの重傷を負ったにも関わらず奴は逃げるどころか一直線にこちらへ向かってきた。
正真正銘のとんでもない化物だ。だけどそれでも奴は私を捉えることは出来ない。絶対にだ。
やっと毒がまわってきたのか、それとも無理に動いたせいで臓物が飛び出してしまったのか。奴は私がさっきまで居た所で蹲ったまま荒い息を吐きつつ動くことが出来ないでいる。
私はそんな奴の一歩後ろからそれを眺める。
そうだ、お腹の中身が漏れ出すという痛みに必死に耐えているであろう奴の顔を拝むのも悪くない。
そう思った私は奴の前に回り――
「悪趣味ね。それが貴方の望むモノ?」
その声は私の背後から聞こえた。
頭の中に疑問符が上がる前に私は後頭部を掴まれ地面に叩きつけられた。痛い。
「やっと捕まえたわ。全く、ここまでしないと自分の願望を……夢を持てないだなんていったいどんな神経してるんだか」
「私の……夢?」
「そう。貴方が見ようとしたもがき苦しんでる私は貴方の夢、貴方が望んだ未来。私はね、他人が思い描いた夢の世界を創ることが出来るのよ」
「そんな……これが夢? 信じられない」
地面から顔を上げた私が見たのは腹から流れ出る臓物を必死に戻そうとしている奴の姿。
でも私の背中を強く踏みつけているのも紛れもない奴だ。
そして首を回して背後を仰ぎ見た私は見てしまった。
私の背中を踏む彼女の腹には……真っ赤な空洞があった。
「あぁこれ? 私を害そうとする貴方がどんな夢を持ってるのかわからなかったから、貴方が自分の願望を自覚するまで私はずっと自分のお腹を弄りまわす羽目になったのよ? おまけにやっと出た願望がもがき苦しんでる私の顔が見たい? ホント趣味の悪い妖怪ね。おかげでお腹の中身殆ど地面に垂れ流しちゃったじゃない」
なんて奴だ。とてもじゃないが信じられない。なんなんだこいつは――
「わたしはただのメイドよ。言っておくけどもう貴方は逃げられないわ。貴方は自分がみたいと思った夢の世界に、私の世界に囚われてしまった。現実の貴方はぶちまけられた臓物の前で居眠りしてる」
つまり……と言いつつ奴は私の脇腹を蹴りあげて私を仰向けにし、勢いよく私のお腹をブーツで思いっきり踏み抜いた。
「いぎぃっ!」
「何をするのも私の自由だわ。何度死んでもこの世界じゃ死なない。だってここは夢の世界だもの。何度だって死ねるし、その度に死の痛みを感じることが出来るわ。良かったわね? 死の体験を何度でも味わえるなんて滅多にない機会よ?」
私のお腹を踏みつぶしたブーツがぐりぐりと捻子回され一緒に私のお腹の中身まで生々しい音を立てながら回ってしまう。
「いや……いやぁあああ! 痛い痛い止めて! 許してぇえ!」
「止めない、自分で腹抉るなんてすっごい痛かったんだから。私が満足するまで私は貴方を何度でも殺すわ。安心して? どうせ死にやしないんだから。あとさっき貴方のこと趣味悪いなんて言ったわね、隠してるけど実は私もなんだ。同族嫌悪っていうの? まぁたまにはこういうのもいいよね。いつも我慢してる分ここで発散させて貰うわ」
そして私はどんなに叫び声を上げても壊れることのない喉のせいで、何時までも死の断末魔を上げ続ける羽目になった。
「うぅう……ひぐっ……」
「無意識ねぇ。確かにそれを操れるなら姿を消すことも出来るし、私が適当に選んだここも予知することが出来るわけね。でも自分の行動まで無意識になっちゃうんじゃ元もこうもない気がするけど」
泣きじゃくる小さな妖怪を横に朝日が射しかかった竹林で私は呟いた。
私の憂さ晴らしは結局夜通し行われた。まぁ貯め込むのは身体によくないっていうからいい機会だったし存分に使わせて貰ったのだ。
最初に仕掛けたのは向こうな訳だし、実際に怪我をしたのは私だけなのだから許される……はずなんだけど。
「まさかこんなどうしようもないのが相手だったとはね……結局動機も分からずじまい。無意識だから仕方ないって? そんな馬鹿な話があるか」
どんな拷問をしてもこの少女が私を狙った明確な理由はわからなかった。多分本当に彼女にもわからないのだろう。
勝手に予測するならば、私が人里でちょっとした騒ぎに巻き込まれているのを偶然目撃し、その後誰にも存在を知覚されず抜けだした所を彼女は無意識が故に見てしまい、変な仲間意識でも刺激されたのかもしれない。
それなのに私は彼女を無視し、あろうことか逃げ出した後に平然と他の人間と食事までしていた。
まぁ私としては彼女を知覚出来なかった訳だしどうすることも出来なかったのだが、彼女は自分の期待が裏切られた思って私に殺意を向けた……と考えるのが妥当だろう。まぁそれも無意識の内に、なのだろうが。
「全く、長く生きてると本当に色んなことがあるわね。色んな奴を見てきたけどここまで儘ならない奴は初めてよ……ほら何時までも泣いてないでさっさとどっか行っちゃいなさいよ。どうせ貴方は何処も怪我してないんだから」
いうて私も毒は身体中に回る前に臓物ごと抉りだしてしまったし、空っぽになってしまったお腹の中身も既に再生済みだ。
強いて言うなら血だらけになったスカートが気持ち悪いのと、お臍が丸出しになってしまったメイド服が不格好なくらいか。
身体的な怪我は一切無いものの彼女にはその小さな身体に有り余る恐怖を叩きこんでしまった訳だが……それも時期に記憶ごと無意識の闇へ葬られることだろう。
その証拠に既に彼女の姿は無かった。
彼女がいたはずの場所には、地面に小石で書かれたと思われる六文字の単語が残されており。
「まぁ次は無いだろうけど、ちゃんと面と向かって言えるようになれば満点ね」
地面には一言『ごめんなさい』と書かれていた。
終わり
でも割と好きだったり
なるほど、それなら仕方ない……んなわけあるかーい!
しかし夢月怖いですなぁ。幻月の影に隠れがちですが。