「夢月物語 ―夢中神楽―」
水中で生まれた泡ぶくはどんなに膨らんでもいずれ水面に溶け、小さな音と共にあっさりとした終わりを迎える。
幻想郷を騒がした刹那のお祭り騒ぎも同様にある境目をもって終息へ向かっていたが、一方で此度の珍妙な異変の真相を知るものは意外と少ない。
その数少ない真相を知る者、当事者である秦こころは本来の姿を取り戻した人里を何食わぬ顔で歩いていた。
とはいえ彼女が表情らしい表情を浮かべることはまず無い、顔に掛けられたひょっとこの面から察するに機嫌は良さそうだが彼女の感情は山の天気の如く変わるのであまりあてにならない。
現在彼女は不安定な感情の波に連動してしまう能力の制御のため、とある妖怪の勧めで幻想郷の各地を回り感情とは何かを探る旅の最中だ。
上機嫌な理由はどこぞの修行僧から得た少々強引な挨拶回りの仕方が気に召してしまったからであろうか。
兎にも角にも、順調に挨拶回りを済ましていく彼女は次なる標的……ではなく、次なる遊び相手を求めていた――まさにその時であった。
硝子の瞳がとある店先で買い物をしていた少女を捉えた、いやむしろ吸寄せられたと言っていい。
理由は定かではない、少女が着ている服が俗にいうメイド服と呼ばれるモノであったとか、陽光を反射して輝くプラチナブロンドの髪があまりにも綺麗だったからなど、探そうと思えば幾らでも理由はあるはずだ。
だがその理由が定まるようであるならば彼女はこんな珍妙な挨拶回りなどしていない。
そしてわからないなら尚更、彼女が何もしない訳もなく。
「そこのお前、私と最強の称号を賭けて戦え!」
声高々に見ず知らずの少女に宣戦布告をした秦こころの顔には狐が笑っていた。
「え、何? なんなのこの頭悪そうな子」
威風堂々、ポーズまで決めたこころに対しメイド服の少女の反応はあまりにも冷たいものだった。
特に眼つきが酷い、折角の可愛らしい小さな顔も台無しである。
「我こそは秦こころなるぞ、さぁ私と最強の称号を賭けて戦え!」
「いや、だからいったいなんなのよ貴方……ともかく私は暇じゃないの、他を当たって頂戴」
そう言って踵を返したメイド服の少女が見たのは騒ぎを聞きつけて何処からか集まってきた人間の壁であった。
こころの愉快な挨拶回りは民衆の注目まで集めており、その結果まるでこころとメイド服の少女を囲うように人だかりが出来てしまったのだ。
メイド服の少女が再び振り返ると、そこには福の神の面を掛け仁王立ちするこころの姿が。
「……はぁ、なんて無駄足。いいわ、そこまで構ってほしいならちょっとだけ遊んであげる」
買った包みを店に預けたメイド服の少女は頭上のホワイトブリムの位置を直しながら、変わらぬ無表情のこころと向き合った。
「その余裕が命取り!」
…………
「ぐぬぬぬ、我が最終奥義の暗黒能楽をもってしても全く歯が立たないなんて……貴方いったい何者?」
「私はただのメイドよ。能だか何だか知らないけど所詮芸は芸の域を越えることはない」
結果から言えば秦こころの惨敗であった。
空中を自由自在に飛び回る無数の面による多方面同時攻撃も、突如出現する薙刀、鉄扇による奇襲も全て回避され、それでも諦めないこころに対し、メイド服の少女は取り上げたこころの面を一枚一枚割り始めるという凶行に出た。
流石のこころもこれには堪らず音を上げ、罅の入った蝉丸の面から涙を流しつつ敗北を認めた。
「面から涙が流れるってどういう仕組みなのよ……貴方自身の表情は全く変わらない癖に」
なんか馬鹿にされてるみたいなんだけど、とスカートの裾を払いつつぼやく少女に対し姥の面を掛けたこころの弱々しい声が答えた。
「私だって好きでこうしている訳じゃない。私は私の感情を持てない……というより自覚出来ないの」
「自分の感情を……? あぁ、何か変だと思ったけど貴方この仮面群の憑き物なのね」
砕け散った面の欠片を弄びつつ、ただの憑き物にしては自棄に箔が付きすぎてる気がするけどと少女は続けた。
「ほぅ、よくわかったな。そう、私こそ六十六の面から成る感情を司りし者、面霊気の秦こころだ!」
「いや知ってるから。さっき聞いたから」
狐の面を掛けポーズまで決めて名乗ったこころに対し、無表情に勝るとも劣らないどんよりとした表情を浮かべる少女。
「知っているだと……もしやお前も私を作ったなどとぬかすあの宗教家の一味か!?」
大飛出の面を掛けたこころが両手を上げて驚きを露にする。
「人の話を聞け! 全く、無表情の癖にコロコロと調子が変わるから話がややこしくなる一方だわ」
額に手をやり溜め息をつく少女に今度はひょっとこの面を掛けたこころがささっと近寄る。
「ん、何か悩みがあるの? それなら私に任せて! 自分の感情は掴めずとも他の者の感情ならば私は手に取るようにわかるのだから! ふむふむ、貴方は何か困っているみたいだね……いや、呆れているというほうが近いのかな?」
「そうそう、私今すんごい困ってるの、呆れてるの。全く人の話を聞かないどっかの誰かさんのおかげでね」
「んーあまり考え込まない方がいいよ? 考えてわかることなんて世の中殆どないんだから」
「そうかもしれないけど貴方にだけは言われたくないわ」
「辛い時は楽しい事を思い浮かべて笑顔になると良いって聞いたわ。スマイルスマイル!」
「貴方表情ないじゃない……まぁ元々表情を隠すため、偽るための、もしくは一つの感情を表現するための道具に憑いてしまったのだから当然のことかもしれないけど」
少女のあくまで冷たく細い視線が小面の面を掛けたこころの硝子の瞳を捉えた。
どんなに口調を変えても、身振り手振りで感情を表しても、透き通った瞳に色が入ることはない。
「そうなのかもしれない……でも、それでも私は私の感情が欲しい。我々が私を得たのは偶然なのかもしれないけれど、一度得た私を私は失いたくない」
きっかけは決して喜ばしい出来事ではなかった。
しかし、失った希望を求めてこの幻想郷を彷徨い、無茶苦茶に暴走する感情の中で新たな希望を見つけた。
それはあの宗教家が新たにくれた珍妙な面のことではない。
長い年月をかけ、六十六の面に込められた沢山の感情が創りだした掛け替えのない大事な……一人の私。
「……そう。まぁちょっと古いだけの道具が運よく自己に似た何かを得たのだから、それは大事にするといい。だから――私のような存在にはあまり関わらない方がいいわ。私から貴方の得た人格に与えられるものは恐怖と絶望しかないのだから」
こころが首を傾げた時には既にメイド服の少女の姿は無かった。
少女の姿はまるで幻か、或いは白昼夢の出来事であったのかように消えてしまったのだ。
近くにいた人間に聞いても、そんな目立つ格好をした少女なんて見ていないと答える。
あれだけ騒ぎを起こしたのに関わらず、あの綺麗な髪をしたメイド服の少女を覚えている者は誰一人としていなかったのだ。
「そういえば……名前すら聞いてなかった。結局彼女は何者だったんだろう?」
その問いに答えるものはいない。
終わり
こころが徐々に感情を手にいれるその道のりの一部が想像できて面白かったです。
話の内容や長さにもよりますが、過去の作品に比べて
今回のお話は個人的には大分読みやすくなってるんじゃないかなーと思ったりです。
特に話の入り方は、簡潔ながら状況がわかりやすくてお気に入りです。
次の作品も気長に待ってますー。
誠に恥ずかしながら私は旧作キャラについてはまだ全然疎くて、(魅魔と神綺ぐらいしか詳しく知らない)読んでもよくわからないと思っていますので、あなた様の作品はまだ読めません。
本当にすみません。
いつかきっと読めるように、旧作キャラについてこれから知っていきます。
それでは失礼します。
やっぱりこころちゃん可愛いなあ...。
やめたげて!
何やら作品シリーズになっているみたいなのでそちらにも期待です。