青年は終日床に臥す。部屋は病を人に移さぬ様仕切りを総て閉じており、どこか薄暗く陰鬱としている。薬缶と薬包紙を載せた盆の横で、青年は焦点の合わない目で天井を眺めては、その胸を上下させていた。
「ねぇ、苦しそうだね」
柱に背中を預けながら青年の喘ぐのを、古明地こいしは静かな目で眺めていた。
「おみず、飲まないの?」青年は答えない。「注いであげようか」
こいしは横たわる青年の頭の上を横切って、その耳元に座り込んだ。かた、とぽとぽとぽ。かたん。傍ら、こいしは空の薬包紙を一瞥して、薬缶を盆に置いた。
「どうだろう、起き上がれないかな。それとも私が流し込む方が楽だろうか」
青年はちらりとこいしに目を向けた。汗はとめどなくその額からこめかみへと流れ落ちるも、瞼は弱った様に痙攣を起こし、眉はだらしなくその上に垂れている。左手は力なく畳に放り出されたままぴくりとも動かない。やがて青年は瞼を閉じた。
「……仕舞か。死の香だ」
水飲みを置いて、こいしはその青年の首筋を見やった。とくとくと、脈に血が通うのを暫く観察していたが、やがてこいしは徐に、独り言を呟くように青年に声を投げかけた。
「貴方の体はどうしてそんなに生きたがっているの」
青年の睫毛がぴく、と跳ねる。こいしは視線を首から動かさず続けた。
「生きるってどういう事なのか、私にはとんと見当のつかない事だわ」「ねぇ、生きるってどういう事」
部屋に喘鳴だけが響く。ほんの小さな呼吸音の、たったそれだけが二人の耳を支配していた。
「貴方は生きて、何をするの。人の持つ命は露に同じで、人は、貴方は、そこに一体何の意味を見いだせると言うの」
青年は何も言わず、荒く呼吸をつづける。
「生きる事に意味なんてきっと無いのよ。本当に下らないもの。私は人間じゃあ無いから、そんな事言う筋合いも無いのだろうけど。人が生きて、そこに何かを残したとして、それに何の価値があるの。貴方はそこにはもう居ないし、そこにいる人間は貴方ではないわ。貴方を想う人が居たとして、それが死んだ貴方に一体どれ程の歓びを与えるの。これから死ぬ為に生まれてきた貴方は、貴方達は、その生きる時間に何故意義を持たせようとするの?」
衣擦れの音。ただそれは、こいし自身の身動ぎで生まれた音。それからまたひいひいと、苦しそうな音が続いた。
「生きる意味はどこかにあると思っているの?それを見つける為に生きて、それから?仮にそんな物がここにあったとして、それを見つけてどうするの?見つけた頃には、死が目の端に影を落としているというのに。どうして人間はこんなモノに意味を、価値を、寄る辺を、見出しているの?」
「ねぇ、教えてよ。私には分からないから。その肺は、脈は、瞳は、どうしてそんなに悲しそうにしているの?貴方が引き返そうとしているその深淵は恐怖でも何でもないわ。何も無い、何でも無いただの『無』。ねぇ、どうして貴方は悲しいの?ねぇどうして?なんで、なんで貴方は心から、体の底から生きたいと、生きたいと叫んでいるの…?」
彼女の問いに答えは無く、やがて里から陽が落ちる頃、彼女はふっと男の傍から姿を消した。
部屋には、静寂だけが残った。
「ねぇ、苦しそうだね」
柱に背中を預けながら青年の喘ぐのを、古明地こいしは静かな目で眺めていた。
「おみず、飲まないの?」青年は答えない。「注いであげようか」
こいしは横たわる青年の頭の上を横切って、その耳元に座り込んだ。かた、とぽとぽとぽ。かたん。傍ら、こいしは空の薬包紙を一瞥して、薬缶を盆に置いた。
「どうだろう、起き上がれないかな。それとも私が流し込む方が楽だろうか」
青年はちらりとこいしに目を向けた。汗はとめどなくその額からこめかみへと流れ落ちるも、瞼は弱った様に痙攣を起こし、眉はだらしなくその上に垂れている。左手は力なく畳に放り出されたままぴくりとも動かない。やがて青年は瞼を閉じた。
「……仕舞か。死の香だ」
水飲みを置いて、こいしはその青年の首筋を見やった。とくとくと、脈に血が通うのを暫く観察していたが、やがてこいしは徐に、独り言を呟くように青年に声を投げかけた。
「貴方の体はどうしてそんなに生きたがっているの」
青年の睫毛がぴく、と跳ねる。こいしは視線を首から動かさず続けた。
「生きるってどういう事なのか、私にはとんと見当のつかない事だわ」「ねぇ、生きるってどういう事」
部屋に喘鳴だけが響く。ほんの小さな呼吸音の、たったそれだけが二人の耳を支配していた。
「貴方は生きて、何をするの。人の持つ命は露に同じで、人は、貴方は、そこに一体何の意味を見いだせると言うの」
青年は何も言わず、荒く呼吸をつづける。
「生きる事に意味なんてきっと無いのよ。本当に下らないもの。私は人間じゃあ無いから、そんな事言う筋合いも無いのだろうけど。人が生きて、そこに何かを残したとして、それに何の価値があるの。貴方はそこにはもう居ないし、そこにいる人間は貴方ではないわ。貴方を想う人が居たとして、それが死んだ貴方に一体どれ程の歓びを与えるの。これから死ぬ為に生まれてきた貴方は、貴方達は、その生きる時間に何故意義を持たせようとするの?」
衣擦れの音。ただそれは、こいし自身の身動ぎで生まれた音。それからまたひいひいと、苦しそうな音が続いた。
「生きる意味はどこかにあると思っているの?それを見つける為に生きて、それから?仮にそんな物がここにあったとして、それを見つけてどうするの?見つけた頃には、死が目の端に影を落としているというのに。どうして人間はこんなモノに意味を、価値を、寄る辺を、見出しているの?」
「ねぇ、教えてよ。私には分からないから。その肺は、脈は、瞳は、どうしてそんなに悲しそうにしているの?貴方が引き返そうとしているその深淵は恐怖でも何でもないわ。何も無い、何でも無いただの『無』。ねぇ、どうして貴方は悲しいの?ねぇどうして?なんで、なんで貴方は心から、体の底から生きたいと、生きたいと叫んでいるの…?」
彼女の問いに答えは無く、やがて里から陽が落ちる頃、彼女はふっと男の傍から姿を消した。
部屋には、静寂だけが残った。
掌編で読後これほどの違和感が残るのは致命的なので次回はよく推敲してから投稿してみてください
でも人の死について何か考えているような感じがグッと来ました。
誰もが行き当たるが故にありきたりなテーマになりやすい「死」という考えに対して
こいしならではの視点から疑問を投げかけてきています。
こいしならではの感じも好きです。