注意! シリーズものです!
以下の作品を先にご覧いただくことをお勧めいたします。
1.メリー「蓮子を待ってたら金髪美女が声をかけてきた」(作品集183)
2.蓮子「メリーを待ってたら常識的なOLが声をかけてきた」(作品集183)
3.蓮子「10年ぶりくらいにメリーから連絡が来たから会いに行ってみた」(作品集183)
4.蓮子「紫に対するあいつらの変態的な視線が日に日に増している」(作品集184)
5.メリー「泊まりに来た蓮子に深夜起こされて大学卒業後のことを質問された」(作品集184)
6.メリー「蓮子と紫が私に隠れて活動しているから独自に調査することにした」(作品集184)
7.メリー「蓮子とご飯を食べていたら金髪幼女が認知しろと迫ってきた」(作品集184)
8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184)
9.メリー「未来パラレルから来た蓮子が結界省から私を救い出すために弾幕勝負を始めた」(作品集185)(←いまここ!)
10.メリー「蓮子と教授たちと八雲邸を捜索していたら大変な資料を見つけてしまった」 (作品集185)
11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185)
12.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」前篇(作品集186)
13.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」中篇(作品集186)
14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187)
15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187)
16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」前篇(作品集187)
17.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」中篇(作品集188)
「た、逮捕?」
「そうだ、逮捕だ」
「逮捕って、逮捕?」
「そうだ。これが令状だ」
と徹が内ポケットから折り畳んだ紙を取り出すと、がさがさと広げた。
なんだか色々と書かれていたが、紙の内容を読む余裕は無かった。
「その目覚まし消せ。それと、端末は没収だ」
圭が近寄ってきて手を出してきた。私は端末をオールロックしようとすると。
「証拠隠滅が怖いから、操作は禁止」と奪い取られてしまった。
さらに机の下の荷物入れからバッグを没収されてしまう。
「た、逮捕はイヤだわ」
私がそう言うと、徹は片方の眉毛をぴくりと動かした。
「色々と上手く回り始めた所なのよ」
「それで?」
「昨日だって、夜遅くまで準備してたの」
私は椅子から立ち上がり、徹と向かい合った。
「それが逮捕だなんていったら、今までの苦労はどうなるの?」
「残念ながら」仮面のような無表情のまま徹、「全部終わりだな」
「そんなの、イヤよ。絶対イヤ」
「令状が出てる」
「分かってるわ。逮捕はイヤだって言ってるの」
「それで?」
「見逃してくれなくてもいい。少し待ってほしい」
「待つのか。逮捕を?」
「そうよ」
「5分くらいか?」
「50年くらいかしら」
徹は一度目を瞑り、音を立てて口から息を吸った。
内ポケットに令状を片付けた。そして代わりに取り出したものを私に見せる。
銀色の光沢の腕輪。鎖でつながれている二つの輪っか。
徹が無言で私の手首を掴もうとした。
私は両手を後ろに回した。
「手錠だ」と短く言う。
「知ってるわよ。それを人につける為には、色々な手続きが必要なんでしょ」
「お前につける為の手続きは、済んでる」
私は視線に力を込め、きっと徹を睨み付けた。
「マエリベリー・ハーンよ」
「あ? なんだ?」
「“お前”じゃない。マエリベリー・ハーンよ」
「マえりベリー・ハーん」
「発音が違う。マエリベリー・ハーン」
「マえりベリー?」
「マエリベリー」
「ハーん?」
「ハーン。もう一度」
「ハーん」
「違う。ハーン、よ」
「ハーん」
「もうメリーでいいよ」
「じゃあメリー、お前は自分が被疑者だと言う自覚があるか?」
「あるわ。結界暴きがいけないって事も知ってる」
「だから、逮捕だ」
「逮捕はイヤ」
「…………」
徹が今度は私の肩を掴もうとする。
さっと身を引き、一歩飛びずさり、避けた。
「おい、逮捕だよ。結界暴きの容疑で逮捕だ」
「私、男は大っ嫌い。その汚い手で触られるくらいなら、」
私はすうと息を吸い、言った。「舌を噛み切って自害してやる」
「手錠をつけるんだ。仕方ないだろうに」
徹が手錠を抓み、顔の高さまで上げた。
私はそれを素早く片手で引っ手繰った。
「おい!」徹が怒鳴る。
「いいわよ! じゃあ自分でつけるわ! はいつけた! 施錠してよ!」
「――必要ない。オートロックだよ。15時58分、まえりベリー・はーん確保、と」
「マエリベリー・ハーンよ! そんな滅茶苦茶な発音で呼ばないでよ!」
「――――、メリー確保。これで満足か?」
私は両手を見下ろした。手錠が照明を鈍く跳ね返し、じゃらりと音を立てた。
ふっと体が浮く感覚。いや、酷い睡魔に意識が飛んだ時の感覚、と例えようか。
自分の視線が低くなる。徹の腰程度の高さで止まった。
「あれ? あれれ?」声は出た。
「おい勝手に座るな」
そう徹に言われて、自分が座り込んでしまったのだと理解した。
足の裏を床に付き、立ち上がろうとするが、転んでしまう。
両足に、力が入らない。床にぺたりと尻を付き、動けなくなってしまった。
「て、手錠をはめたら、足が立たない。な、なんで?」
「何の変哲もないタダの手錠だぞ。さっさと立て」
「ひ、膝が、笑って、あれれ? おかしいな。なんでだろ? 立てないわ」
「早く立て! 逮捕だ! 立って歩くんだ! 署まで連行する!」
「怒鳴らないでよ! 足が立たないのよ! 見りゃわかるでしょ!」
膝を見ると、がくがくと面白いように震えていた。呼吸は出来る。声だって出る。
ただ、腰から下が自分の物ではないかの様に、いう事を聞かない。
両手を手錠に拘束されたまま壁に寄りかかり、立とうとする。
ダメだった。バランスを崩しうつ伏せに倒れてしまった。肘を床にぶつけた。
完全に腰が砕けた状態だ。生まれたばかりの小鹿みたいだと、頭脳は暢気だった。
床に座って、よいしょよいしょと一人で言いながら立とうとして、それに失敗して。
何だかひどく滑稽で、惨めだった。もう自分がボロ雑巾か何かになった気分だった。
「立たせてやる。ほら掴め」
徹が手を差し出してくる。
私はあらん限りの憎悪と嫌悪を視線に込め、それを睨み付けた。
「誰がそんな汚い手を借りるもんか。ボロ雑巾の方がマシだ。触るな。絶対イヤだ」
「じゃあずっとそこにいるのか。立たせてやるって言ってるんだよ」
「私の体に少しでも触ってみろ。自殺する。ここで舌を噛んで死んでやるからね」
「おい、子供の癇癪じゃないだ。観念しないか」
「自分の目玉を抉りだしてやる。自分で自分の喉を潰してやる。拳を飲み込んでやる。私はマジよ」
徹が「ほら」と不機嫌そうに声を出した時だった。圭が割り込んできた。
「兄ちゃん、この子、本気だよ。目が回ってるし動転してるし、演技じゃない。触らない方が良い」
「ああ、分かってるよ。もう仕方がない。くそっ、こういうタイプだとは思わなかったんだよ」
徹が頭を掻き、ため息を吐いた。
その動作がワザとらしく、心底ムカついた。
「圭、亜空穴の準備だ。何分で出来る」
「行先は? 京都警察署でいいよね?」
「ああ、入口の所だ」
「分かった。じゃあ30分ほどかな」
「30分? そんな短い時間でできるのか?」
「普通だったら3時間だけど、今はほら、業務用の強化式がついてるから」
「よしわかった」
圭が私の隣の床に御札を貼った。四枚が四角形になる様に。
そこで、である。徹が目を細め、体を緊張させた。
圭が言う。「兄ちゃん、店に人が」
「入ってきたか。人払いの結界が効かないってことは」
「この店に明確な理由があるってことだね。誰だろう?」
「聞けば分かる。おいそこの! 階段を上がってこい!」
徹が大声を出した。程なくして階段から顔を出したのは――。
「おお、徹さんと圭さんじゃん。こりゃ手間が省けたわ」
未来パラレルの蓮子だった。
私が逮捕されている緊迫した場に、快活な声で話しかけてきた。
「徹兄ちゃん、この人、知ってる?」
「いや、しらん。おまえ、まず名前を言え。場合によっては公務執行妨害で逮捕するぞ」
当然二人はこんな反応だ。
蓮子は、徹と圭の顔を見て、私の顔を見て、そして私の手にはめられた手錠を見た。
それで、一回頷いた。全てを理解した様だった。
「私の名前は、宇佐見蓮子。13年後からタイムトラベルしてきたの。宇佐見蓮子と同一人物よ」
「タイムトラベル? 本気で言ってるの?」
「いや、圭、ちょっと黙れ」徹が言う「職業は何だ?」
「そこの大学で教授と、JAXAの宇宙開発科で研究職」
「それじゃあ、宇佐見教授と呼んでいいか」
「いいわよ。流石徹さん、話が早い」
宇佐見教授は、両手を胸の前で握り、両手を擦り合わせる。
「店には人払いの結界が張ってあった筈だ」
「ああ、これが人払いなのかぁ、便利だね」
「明確な理由が無い限り、入ろうと思えない筈だ。なぜここに来た」
徹に言われて、教授は私を手の平で指し示した。
「16時から、そこのメリーさんとここで会う約束をしてたの。そしたら、」と今度は指差しで。
「徹さんと圭さんが、メリーを逮捕しに来ちゃったと」
「タイムトラベル、大変だったろう」
「ちょっとした機械を使うんだけどね」
「ほほう、その機械の構造、簡単に聞かせてくれ」
「結界のリバウンドの応用って言えばわかるかな?」
「ああ、なるほど」徹が心得たように頷いて。
「どこから飛んできたんだ?」
「こことは別パラレルよ」
「そこではお前は?」
「メリーがね、そこに立ってる圭さんと結婚するの」
そう言えばそうだった。私は圭を見た。
タイプではない。っていうか、気持ち悪い。無理だ。絶対に。到底無理。
そこらへんの雑草を千切って丸ごと口に入れたような顔をしたら、圭が渋い顔をした。
「メリーが八雲家の奥様になったから、私は二人とも顔見知り」
「ふむ、少し話題を変えるが、結界のリバウンドだろう?」
「不用意に暴こうとして、結界が暴走する事、ね」
「そのリバウンドで時間と空間にねじれが起きるのが、観測されてる。まだ極小だが」
「人為的に作るのは難しくても、リバウンドに巻き込まれて消失した物質がどこに行くのか、議論されてるね」
「どこに行くのか、分かるか?」
「いろいろな説があるよね。そのうちの一つが、タイムトラベル」
「そうだ。オレは、この説を支持している内の一人だ」
「どうもありがとう」
「証拠を見せてほしい」
「いいわよ。じゃあ何を持ってくる?」
「圭が、60年割れない結界を持ってる筈だ。おいあれどこにある?」
「オレの部屋の、兄ちゃんが用意してくれた隠し部屋。入って右手本棚の裏。青の本を押す」
「おーけー、じゃあちょっと持ってくるわ」
蓮子の姿が消え、そして数秒後、同じ場所に現れた。
なるほど、現れる瞬間は、こんな現象が発生するのか。
まず、緑色と青色のカーテンのような物が、うねうねと漂う。
例えるならばオーロラだ。もちろん実物は見たことが無いけれど。
そうしてそのオーロラが、実体を形作るのだ。なんとも幻想的な光景で美しい。
再度現れた教授は服が変わっていたし、荷物も減っていた。
「ほいこれ。圭さん説得するのに5日掛かったよ」
蓮子が手渡したのは、ただ持続性のみを特化させた脆い結界だった。
見た目はクリスタルの装飾品という感じ。あ、綺麗だな、と思った。
野球ボールほどの大きさの透明な球体の中に、立方体がくるくると回っている。
60年間割れない結界と言ったら、きっと、ツララよりも脆い。
卵を割る時以上に、どこかへ軽くぶつけたら簡単に穴が開いてしまうだろう。
「ああ、オレのだよ。確かに13年経ってる。――ん?」圭が言った。
「結界の防護ケースに、オレのサインが入ってるんだけどさ」
「ふむ、何か問題があるのか?」
「Y.Kの隣に、Y.Yって彫ってある」
「おい教授?」
「いや、あのね、こっちのパラレルでは圭に子供がいるのよ。その子の名前が、紫だから」
「でも、隠し部屋に隠しておいたはずだ。なんで子供がそれを見つける?」
「紫って、かなり賢いから、見つけちゃったんでしょうね」
「賢い?」徹が不審げに眉を顰めた。「子供は、いわばみんな賢いものだ」
「うーん、そうじゃなくてさ」
「そうじゃなければ、なんだ?」
「9歳で大学に入学したの」
「なんだと?」
「飛び級で、ね」
「天才児だ。すごいな」と圭が言った。
「どこの大学だ?」
「私と同じ大学」
「そこの?」
「そう、そこの」
「難関だ。ありえない。不可能だ」徹が首を振った。
「ホントの事よ」
「信じがたい」
「でも兄ちゃん、結界は本物だよ」
「そんな結界、いくらでも複製できるだろ」
「まあ、そうだけど」と圭が残念そうに言う。
「うん、向こうのオレが可哀想だから、これ早く返してきて」
「あいよ、それじゃ、返してくるね」
蓮子が圭から結界を受け取り、姿を消して、また戻ってきた。
「私がタイムトラベラーだってこと、信じてくれた?」
「いや、にわかには信じがたい」徹が首を振る。「それに、本題に戻りたいんだが」
「ああー、うん、信頼を得てからじゃないと嫌なんだけどね」
「状況を整理すると、オレ達はそこのマえりベリー・ハーンを、」
「マエリベリー・ハーン!」私は徹の発音を咎めた。
「――――、メリーを逮捕する目的でここにいる。それで、お前の目的は?」
「今日ここでメリーと会う為に」
「会って、何を話す予定だった?」
「こっちのパラレルのメリーがね、結界の人柱に選ばれちゃうのよ」
「そこにいる、彼女がか?」
「そうそう、そこに座ってるメリーが、ね」
「ふむ、由々しき問題だな。安全管理課として看過できん。結界の名前は?」
「博麗大結界。祈祷を捧げる巫女がいなくなっちゃうんだってさ」
と宇佐見教授が言うと、徹の顔が緊張した。
「ちょっとまて、オレと圭の顔見知りだとは言え、部外者だ。どうしてその結界を知っている?」
「ん? 私はその結界の人柱になるって事だけを知っていて、博麗大結界の詳しい用途は知らない」
「国家機密だ」
「マジで?」
「しかも、いま激アツだ」
「知らなかった」
「部外者には口外禁止。罰則対象。知った民間人は監禁だ」
「秘封部員以外に誰にも言ってないから良かった」
「ふむ、」
徹は目を細め、宇佐見教授を観察する。
「結界と国の関係について、どこまで知ってる?」
「とりあえず、軍事技術に応用されてるってとこまでは」
「え、ちょっとまって。それホント?」私が言う。
「ホントよ。だから結界の技術は公表されないし、秘密なの」
特許を申請する場合は、技術を公に公表しなければならない。
そのため、最先端の軍事技術などは常に秘匿にされる。
「例えばどんなことに使われてるの?」
「まあ有名なところで言えば、ミサイル迎撃システムとか、戦闘機のステルス技術とかかな」
「これも20世紀からずっと国家機密だ。口外禁止だぞ」
「わ、わかった」私は首を何度も縦に振った。すごい事を知ってしまった。
「まあ、結界を使っている事実より、どんな結界を使ってるかってことが重要なんだけどね」
徹は頭を掻き「まあ、そこまで知ってるなら、そういうことでいいか」と言う。
「国は結界を研究している。今総出で暴こうとしているのが、その博麗大結界って訳だ」
「博麗大結界にはどんな効果が?」
「おまえ、知りたいのか? 消されてもいいのか?」
「いや、やっぱりやめとくわ。ごめん」
「ねえ宇佐見教授、どうやって彼女が人柱になるって、分かったの?」
圭が言った。そう、それは私も知りたい。今日の質問事項にも入っているのだ。
ところが宇佐見教授は、さも楽しそうに手の甲を擦り合わせて。
「それは、秘密。私だって任務だからね」と言った。
そして私の耳元で「ホントは、多次元宇宙の調整者が忠告しに来たのよ」と宇佐見教授の声が聞こえた。
驚いて振り向いてみるが、何も無かった。教授を見てみると、右手で口を隠していた。
「今日私はね、この時代の秘封倶楽部の信頼を得るために来たの」
「信頼を得て、どうするつもりだったんだ?」
「もちろん、結界省に保護をお願いするつもりだった。最初に“手間が省けた”って言ったよね」
「ふむ、よく分かった」
徹が半身になり、片手を腰に隠した。
「宇佐見教授、公務中、特に被疑者の確保時は、民間人も拘束する決まりだからな」
徹が腰から札を取り出す。紙幣ほどの大きさに青色の文字が書かれている。読めなかった。
それが、八枚。扇形になる様に持ち、教授に見せる様にしている。
「防護結界だ。害はない。直方体の形になるから、その中にいてくれ」
徹が札を投げた。次の光景は、とても現実性を欠いていた。
八枚の札は意志を持っているかのように広がり、空中に浮かんだ。
札同士が線で結ばれ、高さ2メートルほどの直方体が出来た。
青色のスケルトンのプラスチックケースみたいな感じだった。
こんな、こんなことが出来るのか! 私は驚愕していた。
この人生で初めて、結界が生成される瞬間を目の当たりにしたのだった。
宇佐見教授はしかし、冷静に体を動かすと、防護結界が閉じる前に、範囲から外に出て身を躱した。
「おい、避けるな。拘束する決まりだ」
「も、もうちょい話を聞いてほしいなぁとね」
「お前が信用に足りないという事は分かった。被疑者を逃がされても困るしな」
「ほらあ! こういう事になるから、信じて貰う前に本題に入りたくなかったんだよ!」
徹が防護結界を解除し、札の形にして手元に戻した。
「民間人が、結界の人柱になるのよ?」
「いつ? どこで? どのように?」
「さあ、分からない」
「証拠を出せ」
「タイムトラベラーの私が証拠じゃダメ?」
「そっちのパラレルのメリーは、普通に生活してるんだろ?」
「まあそうだね」
「じゃあどうやって分かったんだ」
「正直に言うと」
「うむ」
「多次元宇宙の調整者と接触したの」
「ふむ、SFチックだな。名前は?」
「八雲蓮子」
「アホか! そんな与太話信じられるか!」
「嘘じゃないって! 全部ホントの話なのよ!」
「じゃあ聞くが、逆にお前がオレの立場だったら?」
「ま、まあ信じられないわね」
「だから、拘束だ」
「メ、メリィ、ちょっと、助けてよぅ」
宇佐見教授が情けない声を出した。この仕草も、蓮子とそっくりだった。
「ごめん、あなたが信用に足るか、ここに来て確かめようと思ったから」私は首を振った。
「あなたに関しては、まだ信じられないの」
「そんなぁ」
「残念だったな。ほら大人しくしてろよ」
徹が先ほどと同じく、防護結界を張る。
宇佐見教授は横に飛びずさり、驚くほど素早く、腰から何かを抜き放った。
「じゃ、仕方ないですねっと」
宇佐見教授が握る物は拳銃の形をしていた。しかし、火薬の音はしなかった。
ボウガンを射る時のような射出音。徹に向かって細長い物が飛翔する。
速度があり、観察できなかった。ほんの一瞬の出来事だった。
そして飛翔物は真直ぐ徹に向かい、――突如現れた半透明の青色の壁に衝突した。
バチバチと火花を上げて床に転がる射出体、電極だ。発射式のスタンガンだという事が、ここで分かった。
「げげっ」と教授の悲鳴。機敏に身を翻し、逃げる様に走る。
徹は最低限の動きで懐から何かを取出し、――投げた! 逃げる教授に向かって!
教授は、傍らにあった机を掴み、盾にして隠れた。直後その机の表面に、何かが突き刺さった。
手の平ほどの長さがある針だった。竹串の鉄製版と例えられるだろうか。
「スタンガンか。こんなものを隠し持っていたとは、怖いな」
「ごめん、謝るから許して。いきなりスタンガンはやっぱり悪かった」
「黙れ。出てこい。逮捕する。公務執行妨害だ」
「それじゃあダメなのよ。メリーの人柱を回避しなきゃ」
「保護したいところだが。しかしメリーは被疑者だからな」
教授がそっと机の陰から片目を出した。
徹はそれを見逃さず、すかさず一度右手をふわりと動かした。
ガスガスと音がして、机に生える針の本数が2本増えた。
「残念ながら、確証もなしに令状を取り消すことは出来ない」
「ねえ徹さん、ところでさっきのなに? さっきのも防護結界?」
「そうだ。オレの体から30センチの距離に、悪意から身を守る唯心自動防護結界が張ってある」
「それって、かなり高価だよね」
「まあな。結界省の支給品だ」
「どれくらいの強度があるの?」
「銃弾ならば20発くらいかな」
「持続時間は?」
「少なくとも、マえりべりー・はーンを、」
「マエリベリー・ハーン!」何度言ったら分かるのだろうか?
「――――、メリーを連行するための亜空穴が完成するまでは、持つ」
「ずるいね。私も欲しいわ」
「八雲家の結界技術は世界トップクラスだ。この結界を破れれば、世界最強の矛って事だな」
徹が針を指の上でくるくると回した。
ついで、指から指へ器用に操って見せる。
「分かったか宇佐見教授。無駄な抵抗はやめて出てこい。こっちも手荒な真似はしたくない」
「ふふふ」蓮子が机に隠れたまま、不敵に笑った。「結界突破の方法、思い付いちゃった」
「ほほう、それなら試してみろ。そっちが怪我をしない程度でな」
「それではお言葉に甘えて」
がちゃがちゃと硬い物を操作する音がした。
スタンガンに電極を装填しているのだと分かった。
「紫ちゃん、ホントはね、メリーにしっかり紹介するために連れてきたのよ?」
音が止まり、教授がふうと息をつく。
ここにはいない八雲紫に話しかけているような口ぶりだった。
「ごめんね、でもよろしく頼むわ。えいっ」
次の瞬間、徹の後ろ首に電極が飛来していた。
UFOキャッチャーのアームの様な構造になっているようだ。
徹のうなじをしっかりと掴み、バチバチと青白い火花を上げながら激しく放電する電極。
勝負あった! と思ったのはごくごく短い間だけだった。
なんと徹は、素手で電極を掴み、うなじから引きはがすではないか。
「なんだ? どうやった? なぜ後ろから攻撃がくる?」
「いやいやいやいやいや!? なんであんた電撃大丈夫なの!? 10万ボルトよ!?」
右手に掴んだ電極をさもつまらない物であるかのように、足元へ投げ捨てる。
そしてそれを、教授が隠れている机へ蹴って飛ばした。ひゃっと小さく悲鳴をあげる。
10万ボルトの威力は並ではない。素肌、しかもうなじに喰らって平気だと言うのは明らかに――。
「ああ! 分かったわ! 人体強化の式ね!」
「まあ、そういう事だ」教授の発言に徹が頷く。
「この式が剥がれない限り、常人であるお前に勝ち目はない。投降しろ」
「なるほど。困ったなぁ、それじゃあ、プランBかしら」
「ふむ、戦闘は避けて、メリーを連れて無理やり逃げる気か?」
「あ、えへへ、分かった?」
っていうか、一発目のスタンガンを撃った時から、狙いはそれだったでしょうに。
「メリーは歩けないぞ。それどころか、一人じゃ立てない」徹が言う。
「え? なんで? ちょっとあんた、扱いを気をつけないと、存在ごと消されるわよ?」
「恥ずかしい話だけれど、手錠をかけられたら腰が抜けちゃったの」
「かけられたんじゃない。かけたんだろ、自分でな。オレも圭も指一本触れていないぞ」
「じゃあやっぱり、あんたら二人を倒すしかない訳だ」
「まあそうなるな。無理だろ。出てこい、投降しろ。どちらにせよ公務執行妨害だがな」
「うーん、まさかここまできて本格的に結界省と敵対するとはね」
教授が机に隠れたまま一人ごちる。
スタンガンをホルスターに収納する音。
「メリーは目の前なのになぁ。でもやるだけやってみますか」
そしてその発言を最後に、気配を消した。
徹が机に近づき、蹴って飛ばした。教授の姿は無かった。
「圭、亜空穴はあと何分だ」
「あと10分くらい」
「よし、お前はそれを続けろ」
教授が飛んでくるとすれば、かならず数秒前にオーロラが発生するはずである。
徹ももちろん、それを探している。部屋の四方へ視線を巡らせている。
そうしてややあってから、徹が上を見て、言った。
「圭! 上だ! 上を見ろ!」
言われて、私も頭上を仰ぐ。5号室のフロア天井一帯で、オーロラが広がっていた。
今までは教授一人分の面積だったのに対し、今回はかなり広い。天井全てを包み込む広さだ。
少しずつ、実態を帯びてくる。物体を形作る。あれは、なんだ?
水面のように見える。透き通った、清潔な水である。
飛び込み台からプールの水面を見下ろしているような――。
「徹兄ちゃん! 水だ! 水だよ! 凄い量だ! 落ちてくる!」
「圭は亜空穴を守れ! 濡らすなよ!」
と、徹が指示を飛ばした直後。天井一杯に具現化された水が実体化を終え――。
そのまま重力の力を受け落ちてきた! 部屋が丸ごと水槽になる量だ!
瞬間、徹が両手を素早く動かすのを、私は視界の端で捕えた。
私と圭が、青色の防護結界に覆われる。もう水は頭上直ぐのところまで来ていた。
ざっ――、
展開された結界が落ちてきた水を弾く。防護結界の中に、水は入って来なかった。
私は、周囲の様子を観察するために括目した。
――ぶーん!
5号室が一瞬のうちに水族館になった。
もちろん、お魚がいる側の話だけど。
私を守る防護結界は、びくともしなかった。おかげで私は、一滴も濡れずに済んだ。
そして水面が、座り込んでいる私の視線よりもずっと高い位置にあるのを見た。
椅子が、机が、壁に飾られた絵画が、一斉に水面下で浮力を受け、めちゃくちゃにかきまぜられるのを見た。
徹が、腕で首と目を守っている状態で、半透明な水の中に立っているのが見えた。
と、その様子はたった一瞬。次には、水が消えていた。霧のように消えたのだ。
“蓮子が未来に帰る時と同じように”、水族館だった室内は、元の5号室に戻っていた。
机や椅子がめちゃくちゃに散らばったことを除いては、だが。
水が未来へ帰ったのだ。なるほど、と思った。
未来の蓮子が、大容量の水をこっちの世界に数秒間だけ送ったのだ。
「ちっ、強化の式は剥がれたか。あれだけの水を被れば当然か」
徹の体から床に向かって、放電現象の時のような光が走っていた。
「Bingo! わはははは! これで肉体面では対等ね!」
教授が、徹から少し離れたところに転がるソファの上に立っていた。
ソファは先の洪水のせいで、座る面が下になっている。
三角形の斜面の辺に、肩幅で足を広げて教授が立ち、徹を笑っている。
「おや、メリーと圭にだけ防護結界を張ったのね。じゃあそれ、そのままにしといてね」
徹が両手を振り回すように動かした。それよりも数瞬先に姿を消す蓮子。
後ろの壁に針が殺到し突き刺さり、剣山の様になった。
「徹兄ちゃんも、防護結界を」
「札を2セットしか持ってきてない。お前はその中に居ろ」
「私のはあげないわよ。一歩も出ないからね」
「要らん」
先ほどに教授が立っていた位置に、またオーロラが発生した。
なにかが送られてくる。徐々に実体化が始まる。私は目を凝らした。
30センチ四方の、半透明白色の立方体が二重になっている見かけ。
結界だ。よく祠とかで神物を保管する際に使われる物である。
祈祷を捧げたり、御札を剥がしたりして、一定の条件をクリアすると中にあるものを吐き出すのだ。
まあ秘封倶楽部の場合は、私が無理やり暴いちゃうんだけどね。
転送されてきた結界は、ソファの上に浮かんだままゆっくりと回っていたが。
エンジンが動き出すかのように、回転速度が指数関数的に加速した。
もはや早すぎて頂点は黙視できず、球体に見える。
唐突に、短い連打音が始まった。例えるならば、高速なドラムロールのような感じだろうか。
そしてその音と一緒に、結界が大量の御札を射出し始めた。
「SWSB(Six Way Spiral Bullet:6Way渦巻き弾)か!」
途轍もない量だった。
秒間何十枚の札が発射されているのだろうか。
御札はなにかに当たると、ぺたりと張り付いて止まるようだった。
床に、壁に、天井に、あらゆる家具に、部屋中に札が飛来し、埋め尽くした。
私を守っている防護結界にも札は当たったが、ここには張り付かず、ただの紙切れに戻るようだ。
床に当たって張り付いた札を観察する。
札は白の地に朱色の模様で、何か文字が書かれている。やはり読めなかった。
効果は分からないが、当然ながら徹の驚異を減退させる目的であることは分かる。
札の観察を終えて、視線を上げる。
信じられない事に、徹は御札の暴風雨を避け続けていた。
身体を捻り、時には跳躍し、または叩き落とし、全ての御札から五体を躱している。
激しく流動的に体を動かしながら、転がっている机を蹴っ飛ばした。
飛び上がった机が盾になり、射線から陰になっている間に、徹が針を取り出した。
1本投げた。結界に命中。ガラスにひびが入るような、ピシリという音がした。
続けて投げる。結界に当たる。さらに1発、2発、3発当てた所で、結界が割れた。
パリンという甲高い粉砕音。破片が床に落ちるパラパラと言う音。
ふうと息をつく徹。肩幅に足を広げ膝を曲げ、軽く踵を浮かした、身構えた姿勢のまま。
部屋中に貼られた札と言う札が、一斉に未来へ帰って行った。
またもや、元通りの5号室。
以上、ほんの十秒にも満たない間の出来事だった。
部屋の中央にオーロラが発生する。現れたのは教授だった。
身構えた徹だったがそれを確認するや否や、素早く腰に手を回した。
「膝をつけ、両手を後ろ頭に回せ。もう動くな。もう終わりだ。疲れた」
「あら、そう? じゃあ休憩にしよう。ねえ話聞いてくれる気になった?」
教授が指示通りに膝を付き、跪いた。
徹が拳銃を取り出し、ぴたりと銃口を向けたからだ。
「ところで徹さん、あれを全部避けたの? すごいね」
「次は、何をするつもりだった?」
「さっきのでN3レベルって話。次はH3の予定。詳しい事は分からないけどね」
「かなりいい出来だった。というより、完全にオーバーテクノロジーだ」
「誰が作ったと思う?」
「宇佐見教授、あなたか?」
「ブブー! 答えはこっちのパラレルの圭さんでした」
「なんだ、結界省に勧誘しようと思ったんだけどな」
「へえ、オレがあんなの作れるようになるのか。ちょっとスゴイな」
教授がふんと鼻を鳴らした。顎で拳銃を示して見せる。
「ねえそんな話はいいとしてさ、たかが拳銃で私を止められると思うの?」
「分かってる。どうせまた向こうに戻って、防護結界でも張って戻ってくるんだ」
「私は、メリーを手に入れるまでずっとこれを続けるわよ」
「少し、話をしよう。教授が未来から来たというのは、分かった」
「あらそれはありがたいわね。あ、3秒だけ待ってくれる?」
教授の姿が一度消えた。数秒後、戻ってきた。
背筋を伸ばし顎を上げて立つ、堂々とした姿勢だ。
拳銃の射線をまっすぐに受けながら、それを全く恐れていない。
「試してみる?」と教授。
「いや、辞めておこう。跳弾が怖いしな」
「私はもう一か月近くこの場面なのよ。いい加減進展が欲しいわ」
「酷いな。こっちはノータイムで教授の襲撃を受けてるんだ。少し休ませてくれ」
「少し座る?」
「ありがたい。そうしよう」
徹が拳銃を腰にしまう。転がる椅子と机を直し、腰を下ろす二人。
「まず先に、聞きたいんだが」
「どうぞ」
「結界省に逮捕された容疑者はどうなると聞いてる?」
「拘置所か警察署にまず連れて行かれて、48時間以内に検察庁へ送致」
「ふむ、そのあとは? 最長48時間拘束されてから、検察庁へ送致されて?」
「検察は、24時間以内に引き続き身柄を拘束するか判断する」
「そのあとは?」
「起訴できると判断した場合、裁判所へ申請し、引き続き拘束。でしょ?」
「刑事訴訟法そのまんまなわけだ。実際、公になってるのはその情報だからな」
「え? 実際は違うの?」
「半分当たり、だな」
「半分はハズレ?」
「まあそうだ」
「何が違うの?」
「そのまえに、」
「うん?」
「ちょっと、水を飲ませてくれ」
机についていた教授の肘がずっこけた。
ああ、凄く蓮子っぽいリアクションである。
「おじいちゃんなんだ? もうおじいちゃんなんだ?」
「残念だがその通り。教授の様にいつまでも若ければいいんだが」
「口説いてもいいけれど徹さん、下手なことするとやっぱり存在ごと消されるわよ」
徹は、ご自由にお取りくださいの棚に接近し、手を伸ばしたが。
そこに置いてあるピッチャーが倒れて、棚が水浸しになっていた。
あれだけ暴れれば当然である。
ピッチャーの中に残っているわずかな水を、これまた落ちて割れたグラスに注ぐ。
水を飲みながら戻ってくる。こちらに近づく間に、グラスの中の水がみるみる減っていく。
グラスの底にひびが入っていて、そこから水が漏れだしているのだ。
「もう、水はいいや」
「そうね」
「それで教授、結界法で逮捕された被疑者は、二つの選択権が与えられる」
「ほほう、証拠が集まれば即刻逮捕って訳じゃないんだ」
「うむ。一つ目は当然、刑務所に入ることなんだが」
「もう一つは?」
「執行猶予つきで、結界省の捜査に協力することだ」
「へえ。でもそれを選ぶ人っているの?」
「まずいない。っていうか、オレが逮捕した中では見たことが無い」
「おいおい? 意味ないじゃん?」
「違う。奴らは“それを結界だと分かっていない”んだ」
「偶然暴いてる? 第六感で感じてるとか?」
「それならまだいい。たとえば各地に残ってる封印符を剥がしたり」
「もうだれも住んでいない各地の集落跡で、存在も忘れられた神社とか祠とか、あるよね」
「謂れのある地だとか言って、オレ達が封印した土地に平気で入って行って、馬鹿騒ぎをしたり」
「ネット上でもよく、自殺の名所とか、灰ビルとかに入ってみたってサイト、あるよね」
「名がある人物の墓を弄って結界をゆがめさせたり」
「あ、ごめんそれはちょっと覚えがあるかも」
「まあとにかくだ」
徹が、割れたグラスのとがった部分を人差し指でなぞる。
「実力不足なんだ。というより、怖いもの見たさの野次馬根性で結界を暴くやつが多すぎる」
「捜査に協力できるだけの実力が無いならば、その選択権も無いわね」
「まあ、そんなやつらはちょっと怖い声を出して脅せば、途端に縮こまるからいいんだが」
とがった部分を抓み揺らしていた徹だったが、そこが唐突にポロリと取れた。
「秘封倶楽部は例外だ。もう捜査の技術ならば、結界省を凌いでる」
「あら光栄ね。嬉しい限りだわ。ところでその事実はどうやって調べたの?」
「簡単なことだ。二人がよくぶらつく場所に、ちょっとした結界を張っておく」
「例えばどんな結界?」
「パズル仕掛けの、特徴的なものだ。たとえば、暴くと録音が始まる物だとか」
「あっ」覚えがある私は知らずに声を出してしまった。
「暴いたのを覚えてるだろ?」
「あれって、結界省の罠だったの?」
「罠とは人聞きの悪い。安全に暴くだけの実力があるかどうか、テストしたんだ」
「ええー? じゃあもしあれを暴くのを少しでもミスってたら?」
「あの日数時間後に家に押し入ってしょっ引いてたな」
実は私たちは、もうずっと前から、結界省に目をつけられていたのだ。
「上手く逃げられてると思ったのに、ショックだわ」
「今地上で存在を確認してる結界は、ほぼ全てモニタリングしてるよ。人が近づけばすぐわかるんだ」圭が割り込んだ。
「なんてったって、国が税金を使って、実力者を集めて、結界を探してるんだからね」
「私たちが暴いてた結界は、もうすでにその全てが結界省の監視下にあったってこと?」
「まあそうなるね。君たちがいくつの結界を暴いたか、統計を取ってるよ」
「や、やめて! 聞きたくない! ――いや、ちょっと聞きたいかも。うん、聞かないでおこう」
「ん? ところで徹さん、さっき“名がある人の墓を弄って”って言ったけれど、あれは秘封倶楽部の事?」
「いや、違うな。秘封倶楽部は墓を絶対に荒らさない方針なんだろ?」
「統計的にみると、墓場の結界は避けて活動してるのが分かるからね」
「あの活動、バレてないよ。こりゃ穴があるね。よかったねメリー」教授が言った。
蓮台野の活動後、墓を荒らすのは二度と嫌だと私が蓮子に言ったのだ。
「でも、これで分かっただろ? 結界省は、メリーを罪に問う為に確保するわけじゃないんだ」
「なるほど。メリーをスカウトするために来たのね。でもそれなら普通に接触すればいいじゃん」
「ここらへんが結界省の悪いところだ」と徹。
「こうやって、脅しの交渉しかできないんだよ。協力しないと逮捕するぞ、ってね」
「どうだメリー、結界省に入れば、さらに高度な結界暴きが出来るぞ」
「断ったら、逮捕?」
「逮捕とは言わないが…………」
徹が渋い声を出した。
「さっき言った通り、オレ達は脅しを交渉に使う気はないんだ」
「ここに来たとき、寝てる私を起こして逮捕だって言ったじゃん」
「結界省の手帳を見せて、“少し話をしたい”なんて言ったら、逃げるだろ?」
「逃げるね。うん、もう全力で逃げる」
「だから、確保して署で話を聞こうと」
「ホントあんたら、言ってる事とやってることが正反対だわ」教授が頭を抱えた。
私は、少しだけ考える。
結界省に入ったら、何か、変わるだろうか?
「結界省ってどんな事やってるの?」
「結界法違反者の逮捕。それと、結界および境界の研究」
「じゃあ、蓮子が就職して学校を辞めた後も、もし結界暴きを続けるならば?」
「…………」「…………」
大人は、ズルい。立場が危うくなるとだんまりするからだ。
「じゃあ、イヤだ。そんなことするくらいなら、獄中の方がマシよ」
「分かった。捜査を手伝えとは言わない。ほんの短い間、研究に協力してくれるだけでもいい」
「研究?」教授が口を挟んでくる。「メリーって、特別なのよ。何が特別か、分かる?」
「? それは、結界に関して専門家並みの知識とノウハウがある、ってことか?」
「まあそれもそうだけど、もっと強力なことよ。分からないの?」
ここで、私は理解した。
結界省は、私の能力を知らないのだ。
悩む。こうやって困った時って、いつもどうしてたかしらん?
そう考えて、思いついた。蓮子に相談だ!
「私、困ったらいっつも蓮子の意見を聞いてるの」両腕を持ち上げる。
「それに、用件は分かったから、この結界と手錠を外してよ」
自由の身になった私は、教授に手招きをしてこちらに来てもらい、部屋の隅で密談する。
「メリー、どうしたい?」
「結界省に協力するのもいいかもしれない、って考えてる」
「ほほう、そりゃ一体どうして。てっきり嫌がるかと思った」
「また蓮子と活動する時に、結界省のことを教えられるもの」
「なるほど。あなたってそこまで倶楽部を大事に思ってたんだね。気づかなかったよ。ごめん」
「蓮子と合流したらちゃんと伝えないとね。足りてなかったかもしれない」
「うん、じゃあ結界省に協力してもいいけれど、私から助言を言わせてもらうと」
「ぜひ聞きたい」
「あなた、人柱に選ばれるのよ? それ忘れてない?」
「あ」短い間に色々なことを見聞きして、忘れてしまっていた。「そうだったね」
「捜査に協力するのを材料に、何かを要求しよっか」
「まず、私の保護と? なにがある?」
「くくくっ」と教授が笑った。
蓮子がこういう風に笑う時は、何か物凄く面白い事を思いついた時だ。
「メリーあなた、お嬢様生活してみたい?」
私が研究に協力する見返りとして、八雲兄弟に提示した条件は三つである。
一つ目、人柱の人選から私を回避させること。同時に、要人保護の対象とする事。
二つ目、私だけでなく、蓮子も結界省の研究協力に加える事。
三つ目、さてこれが肝であるのだが――。
「上手くいったわ」と教授がガッツポーズをする。
「これであなた達は八雲邸の居候ね。貴族の暮らしを享受しなさい」
「今日の夕飯何かなー。ところで、コックさんとかいるの?」
「小間使いさんが5,6人で、ずっと家事やってるからね」
「屋敷って広い?」
「ぶったまげるよ」
「えへへ、楽しみだなぁ」
三つ目の交換条件とは、期間中は八雲邸の客人として私と蓮子を迎え入れる事、である。
もっとも、一つ目の条件の時点で、あの狭いワンルームで要人保護なんてできるはずもないんだけどね。
さて徹は5号室の人払いの結界を解き、めちゃくちゃになった店内の後処理をしている。
警察の人がたくさん来た。関係者以外立入禁止のハードルが入口に置かれた。
私と教授は別の階に移動され、事情聴取である。といっても、ほぼ放置プレイだ。
警察の人が来て色々と書類を書くのを見ながら、差し入れで貰ったコーヒーを飲む。
特別な味がするのかと思ったら、なんてことは無い普通のコーヒーだった。
忙しく動き回る警察の人たちを見て、なんとなく思う。
この損害賠償は結界省持ちなのだろうか? 圭に聞いてみたら、当然だと頷く。
「壁の修理はもちろん、人払いで営業を停止させた分の損害も賠償しなきゃね」
お金があるっていいなぁ、と思う。豪遊する程とは言わないけれど、不便を感じない程度は欲しい所だ。
さて17時15分になったところで、圭が階段を上がって来た。
「終わったよ。いや終わってないけど、一先ずは次のステップだ」
「次? 次っていうと、八雲邸ね!?」私はウキウキしながら聞いた。
「ここは徹兄ちゃんが受け持ってくれるから、オレ達は、」と一呼吸置き。
「令状の解除と、要人保護の申請の為に、京都警察署だ」
がっくりである。
京都警察署に移動する際は、圭が張った亜空穴が役立った。
瞬間移動トンネルのような物で、地面に空いた穴へ潜ると、警察署のエントランスだった。便利である。
あちこちに空けまくって、通学とかコーヒーを飲みに行くときとかに濫用したい。
結局京都警察署で書類を書かされたり色々な質問に答えたりで、あっと言う間に時間が経った。
20時30分である。3時間近くもかかったのだと知ったら、急に疲労が襲ってきた。
京都警察署の関係者用の食堂兼休憩室でベンチに座ると、ぐったり肉体の疲れを感じる。
圭にコーヒーを買ってもらった。小休止という事で、三人で休むことにした。
令状が解除されたので、携帯端末も返してもらった。ロックを解除し端末を起動。
そして、表示された内容にぎょっとした。
未確認の着信履歴が254件、未読のメールが36件。
全部、蓮子蓮子蓮子蓮子蓮子蓮子。蓮子バーゲン、蓮子フィスティバルだ。あ、右奥の蓮子一つ下さい。
なんじゃこりゃと思っていたら、電話がかかってきた。着信、蓮子。
「ああ! やっとつながった!」蓮子の声だ。息が切れている。
「あんた、いま、どこにいるの!?」
「いまは、京都警察署で諸々の手続き中よ」
「なんの手続き!?」
「結界暴きの容疑で出された、結界省の令状の解除と、」
「れ、令状の解除!? 結界省!?」
「八雲徹と圭から、要人保護を受けるための手続きを」
「八雲家から要人保護おぉぉおおお!?」
「八雲家で居候する事になったから。あ、あなたも一緒よ」
「いそうろううぅぅぅうううう!?」
「あと、私と蓮子で、結界省の研究の協力をすることになったから」
「な、ななな? ななななななな!?」
蓮子、完全にパニックである。
まあ、そうなるだろうなと思っていたけれど。
「ごめん、要約しすぎたかも。質問ある?」
あ、“質問ある?”っていうのは間違いだったな、と思った。
そして口から出た後ではすでに遅すぎるのが世の常である。
「私スッゴク心配したのよ! それにあなたこの短い間に一体何があったの!? けがはしてない!? なんで八雲家と接触してるの!? パラレルの話はどうなったの!? 人柱は? 令状って何のこと!? 要人保護ってSPのあれ!? 居候って八雲家に客人として招かれたって事よね!? 結界省の研究の手伝いって結界暴きの罪はどうなったの!? どうして無罪放免になったの!?」
蓮子の矢継ぎ早な質問を聞きながら、ああこりゃだめだな、と思った。
「蓮子、とりあえず合流しよう。京都警察署までこれる?」
「5号室に行ったら警察が陣取ってて、私聞いたの! ここで何してるんですかって! 何が起きたんですかって聞いたの! そしたらなんか関係者が大暴れして、だけどその大暴れは何かしらの齟齬があるものだから、特別なことではないって言うじゃん!? それでその大暴れした人たちはどこにいるんですかって聞いたら、京都警察署にいるって言うじゃん! わたし、わたし、もう、メリーがその騒ぎに巻き込まれたと思って、もうどうしようかって思って、だから、いま警察署の前にいるわ!」
「え? 警察署の前に居るの?」
「そうよ!」
「京都警察署の前に?」
「そうよ!」
「あ、じゃあもう話は通ってるから、入って来て」
「わかった!」
何の前兆も無く切られる電話。蓮子、興奮のしすぎでちょっとおかしくなってた。
「なんだって?」と教授が聞いてくる。
「いま警察署の前にいるから、これから入って来るって」
と言うのが早いか、放送で「八雲圭様、要人が玄関に来ています」と聞こえた。
蓮子と合流して、とりあえず身の安全は確保されたという事だけ伝えた。
そこからは休憩室の長机に蓮子も参加して、これまでの経緯を報告した。
博麗大結界の人柱から回避するために、結界省の保護を受けることになった事。
私と蓮子は、八雲邸の居候として過ごすことになったという事。
そして二人とも、これから結界省の研究の手伝いをするという事。
全て教授のおかげだと言ったら、はにかんで笑った。やっぱり蓮子そっくりだ。
「さて、」圭がコーヒーを一口飲んだ「何か質問ある?」
「ある」と蓮子「三つある」
「どうぞ」
「まず、博麗大結界って何ぞや」
「国が研究してる結界だよ。それだけしか言えない」
「“それだけしか言えない”? どういうこと?」
「トップシークレットだ。口外禁止なんだ」
「結界省は、っていうか、――国は、人柱を容認してるの?」
「まさか。もしそうだったら、この件は知らんぷりするよ」
「博麗大結界と国の関係は? それを教えてくれないと」
「うーん、じゃあ、必要最低限。大結界に囲われてる地区は、反国家武装勢力の集まりだ」
「は、はんこっか、ぶそう、せいりょく?」私も蓮子も、日本語に疎い外国人の様に発音した。
「まあ君たちに言えることはそれくらいだね」
法治国家である日本で、未だにそんな武装勢力があるなんて、思いもしなかった。
「じゃあ、私は、そのテロリストの隠れ家の維持のために死ぬの?」
「だから、保護するんだよ」
「反国家勢力の目的は?」
「分からない。でも、完全に国から独立してる」
「入れないの?」
「大結界のせいで、どこにあるかすらまだ分かってないんだ」
「実在するの? どこにあるかも分からないのに」
「まあどうだろうね。でも、結界省側の人間から言わせてもらうと、」
圭が目を瞑ってコーヒーを一口飲むと、片方の目だけを開いて、教授を見た。
「どうしてメリーが人柱に選ばれるなんて事実を知っているのか、そっちを問い詰めたいところだけど」
「メリー、さんよ」教授の方ではなく、現代の方の蓮子が言った。
「ん? なにが?」
「メリーに、さんをつけなさい」
「え、なんで?」
「マエリベリー・ハーン」蓮子が発音した。
「マえりべりー・ハーん」圭が言う。
「ほら、上手く発音できないならば、さん付けよ」
「蓮子っ! あなた……っ!!」
蓮子、いつの間に私の名前を発音できるようになったの!?
「練習したわ。見直した?」私の心の声が聞こえているかのように、蓮子が返事した。
私は、蓮子の手を取った。ちょっとどころか、かなり感動した。やばい。涙が出る。
感極まってしまった。蓮子に抱きつき、首に熱いキスをした。ああ素晴らしい!
飲料を咽る音がした。げっほげっほと咳き込んでいる。
少し離れた所に座っている、刑事さんだろうか? スーツ姿の男が手で口をふさいでいる。
こちらに“気にしないでくれ”という風に手を振っている。
机にはコーヒーが置かれているから、気管に入ってしまったのだろう。
「まあそれはともかく」圭がごほんと咳払いをする。話の腰が折れてしまった。
「大結界の事は、おいおい説明するよ」と濁されてしまった。
「ふうん、じゃあ次ね」
蓮子がコーヒーを一口。
「二つ目は、研究に協力するって言うけど、具体的に何するの?」
「もう蓮子ったら」教授が笑う「八雲家はそんな危ない所じゃないよ」
「教授はもう何年も付き合ってるけど、私は違うの。これが初対面なのよ」
蓮子も、10年後パラレル蓮子の事を、教授と呼ぶことにしたらしい。
「研究と言ってもあれだよ。まずはそうだね、例えば――」
圭がピアノを弾く時の様に、机を指で叩く。考えを巡らせるときの癖なのだろう。
「各地に暴かれていない結界があるのは知ってるだろう?」
「言わずもがな。ご存じの通り、それを暴くのが秘封倶楽部ですもの」
「うん。だから、いつも通り秘封倶楽部の活動をしてくれて構わないよ。ただ――」
「ただ?」蓮子が警戒を強める様子で、言った。
「その活動の記録を、結界省に報告してほしい」
「ふむ、気に入らないわね。居丈高にも程があるわ」
蓮子が面と向かって言う。
「知識をよこせって言うのに、私達には何もないの? ギブアンドテイクよ」
「なるほど。それじゃあ、八雲邸についたら資料室を見せてあげるよ」
「“見せてあげる”? 解放してくれないと釣り合わないわ」
「分かった分かった。鍵を上げるから、自由に見てくれて構わない」
「ありがとう。有効に使わせてもらうわ」
「でも、こっちにも色々と教えてくれよ?」
「いろいろ? 何を教えればいいかしら?」
「倶楽部の活動記録とか無いのかい?」
「無いわ」蓮子が即答する「全部頭の中に入ってるからね」
「杜撰な管理だなぁ。ホントに無いの?」
「聞いてくれれば答えるわよ。はい次の質問ね」
活動記録が無いと言うのは、もちろんウソである。
蓮子が肌身離さず持ち歩いている手帳に、細かくメモと記録があるのを知っている。
私はコーヒーを一口飲んだ。蓮子は私を横目でちらと見た後、続けた。
「結界省の目的ってなに?」
蓮子が若干顎を引き、挑戦するように圭を睨み付ける。
「今までの質問とは違って、嫌に抽象的だな」
「じゃあこう聞きましょうか、結界省の政策にはどんな意味があるの?」
「それって、今この場に関係がある質問?」
「関係あるわよ。私とメリーは結界省の関係者になるんだもの」
「公式HPに書いてあるよ。結界の管理保護運用だ」
「結界省設置法第3条。結界省は、左に掲げる国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関とする」
「凄いな。オレだって暗記してないのに、よくもまあそんな詳しく言えるもんだ」
「ごまかさないで。結界ってなに? なんで国は結界省を作ったの? 結界を保護して何の意味があるの?」
「結界は結界だよ。日本の昔の人が作り上げた、空間を封印するための術さ」
「説明になってないわ。それを研究して、国は何をしようとしてるの?」
「国の発展の手助けになるだろ?」
「何の発展?」
「技術力の発展さ」
「何の技術?」
「いいかい? 便利な物の研究には、国はお金を出すんだ。結界って、便利でしょ?」
児童用の教育番組のような口ぶりで、圭が言う。
「それに、昔の由緒ある技術は、保全しなきゃならない。大事にしてるんだよ」
「――、わかった、じゃあそう言う事にしておこうかしら」
そこで、休憩室の扉が開いた。入ってきたのは徹だった。
「よし、大体の事は片付いた。八雲邸に行く、その前にだ」徹が私と蓮子を見て、言った。
「着替えを取りに行かせるか。八雲邸には女物の服なんてないからな」
警察署を出て、まずは蓮子宅に行った。次の目的地に、私宅である。
日も暮れて、街灯が照らす歩道を歩き、自宅を目指しながら。
「ねえ蓮子、いま何時?」
「さあ、なんじでしょうね」
そう返されて、はっとした。
圭と徹が一緒だから、不用意に能力を使えないのだ。
仕方が無いので携帯端末で時刻を確認。22時になろうとしている。
全身がくたくたで、歩きながらでも目を瞑れば眠ってしまいそうである。
昨日は夜遅くまで起きていたし、今日は一日中活動を続けている。
結界省に逮捕されそうになったし、結界術を目の当たりにしたし。
一日で色々なことがありすぎた。肉体的にも精神的にも、疲労していた。
ああ早く休みたい。体を横にして休息を取りたい。
半ばぼんやりとしながら自宅前に到着。
カギを開錠しようとして、――蓮子がいきなり私の肩を引っ張った。
後ろに数歩よろめき、いきなり何するのよと抗議の声を上げようとして、蓮子が指を指した。
私の自宅の扉を。自宅の扉についている、バイオメトリクス認証装置を。
施錠が、解けている。いやそれだけではない。そうだ完全に忘れていた。
昨日の夜から、自部屋は凍結させている筈である。
これを解除するには、警備会社に電話をして、カスタマIDとパスを言わなければならない。
「どうした? 早く入れ」徹が催促した。
「施錠が、解除されてるの」と蓮子。いやそれだけではない。
「中に、誰かがいるわ。ありえない」
蓮子が声を落として伝えると、八雲兄弟にも緊張が伝わったらしい。
それにきっと、私と蓮子と教授は、同じことを想像していただろう。
扉を開ける。電気がついている。ことり、と陶器を机に置く音がする。座椅子を回す音がする。
人の気配だ。そう、私の想像は、奇しくも的中することになる。
「あらみなさん御揃いで。ダブル蓮子と学生の私は、そのままどうぞ上がって」
私のお気に入りの帽子。紫色のワンピース。金髪に白い肌に、茶色の目。
右手を軽く上げてにこやかに笑い、さあこちらにと示す仕草。私の癖。
「なんであんたがここにいるのおおおおおおおお!?」教授が、叫んだ。私と蓮子は絶句していた。
「わ、うっさい。いきなり大声出さないでよ」
部屋の中にいたのは、昨日にここへ不法侵入し、蓮子の下着を盗んで行った犯人。
八雲紫の母、教授の相棒の、未来パラレルのマエリベリー・ハーンである。
「で、出て行って! わ、私の家よ!」と私は辛うじてそれだけ叫んだ。
「違うわよ。私の家よ」にべもなく反論してくる。
「違うわ! ここは私の家よ!」
「なんで? 私の家でしょ?」
「私の家よ!」
「私の家でしょうに」
「ま、まあまあ、どっちも正解ってことで、ね」
教授が仲裁に入る。そうして私と蓮子の背中を押して部屋の中に入れる。
「どうしてこっちにいるの?」
「どうしてもこうしても、あなた一人じゃ心配だもの」
「一人じゃないよ。紫も一緒だから」
「紫? あの子は、いまは一緒じゃないじゃん」
「あ、まあそうなんだけどね」
「私の子なのよ。もっと大事にしてあげて」
「これからは一緒に行動するよ。ごめん」
「よろしい。それで、上手く行ってるの?」
「上手く行ってるよ」
「ホントに? 上手く行ってる?」
「うん」
「どこが?」
部屋の中にいるマエリベリーが、湯呑みを持ち上げ、茶を啜る。
「八雲兄弟の信頼を得た? 未来人だと証明できた?」
「え? うーん、怪しい所だわ」
「ほらね。だから、助けに来たのよ」
と、教授とその相棒の会話を、徹が割り込んだ。
「お前、妖怪だな?」懐に手を伸ばして言う。
「オレは結界省安全管理課の者だ。妖怪は捕獲させてもらう」
「失礼ね。限りなく妖怪に近いけれど、まだ人間よ」
「圭! 捕縛結界だ! やれ!」
「了解!」
話を聞かず、徹が、針を投げる。圭が、札を投げる。
しかしそれらの投擲物は、私の横を通り過ぎると、殆ど距離を飛ばずに動きを止めてしまう。
何十もの針と札が、冷蔵庫の隣にぴたりと静止して浮かんでいた。
「妖怪退治する時にはね、武器にも結界を付与しなきゃダメよ」
さあこちらへいらっしゃいと促されて、私と蓮子と教授は室内へ進む。
そこでだ。いきなり室内からプレッシャーをぶつけられた。
身体が緊張にカチンと硬直する。息が、出来ない。
身体が勝手に動く。壁に張り付いて移動する。操り人形にされたみたいだ。
徹と圭はめげずに武器を投げていたが、やはり変わらず空中で止まってしまうだけだった。
妖怪メリーは椅子に座り、私たち三人はベッドに腰掛ける。
「シャットアウト」と妖怪メリーが言うと、部屋に境界が張られた。
不思議な感覚だった。部屋の玄関まではたった5メートルほどしかない筈なのに、
入口向こうに立っている徹と圭が、ここから何百メートルも離れているかのように感じられた。
「博麗大結界に囲まれた土地は、幻想郷って言うの」といきなり話し始める。
「幻想郷は、居場所を失った八百万の神々と魑魅魍魎の隠れ里。決して反国家武装勢力の集まりじゃないわ」
私は横目で廊下を見た。妖怪メリーの言葉は、圭と徹には聞こえていないようだ。
武器に結界を付与しているようで、必死に何かを念じている。
「結界省は、あなたたちを利用するわよ。逆に利用するつもりで構えなさい」懐から取り出した扇子を広げて、口許を隠して。
「騙されてるつもりで、騙してやるの。いいわね?」
妖怪メリーが胸の前で広げていた扇子を唐突に閉じた。
その扇子に、圭が投げた針が挟まっていた。結界付与の武器を受け止めたのだ。
「あいつらは知識を共有するって言うけど、殆どを隠しちゃうでしょうね。だから紫を使いなさい」いいわね、と教授を指差す。
「秘封倶楽部の二人は、結界省に洗脳されない事。真実を見極めなさい」
徹と圭が、部屋の結界を拳で叩いた後に、札を取り出した。
札からは火花が飛び、刀の様に伸びている。あれで境界を切り裂くつもりだ。
居合切りの様に切りつける。しかし、刃がぽっきりと折れただけだった。
「何を言っている! そいつは何を言っている!」
徹が叫んでいる。
妖怪メリーが肩を竦め、徹を馬鹿にするように鼻で笑った。
「結界省が頼もしく見える? 幻想郷の技術に比べたら、子供のお遊びよ」
妖怪達の技術に比べたら、戦闘機へ全裸で挑むようなものだ、と言った。
「さてそれじゃあ、博麗の巫女によろしくね」
そう言って、妖怪メリーは姿を消した。部屋の境界が解けた。
私と蓮子が同時に、息継ぎをした。まるで長い間潜水していたかのようだった。
全身が汗でびっしょりだった。心臓がバクバクとしていた。
隣に座っていた蓮子が、私の手首を握った。私も、その上からさらに握った。
強烈な寒さに凍えるかのように、私も蓮子も、がたがたと震えていた。
蓮子が、私の腕にすがりついてきた。やっぱり私も、それに応えた。
「あ、あははは、――何さっきの?」
「13年後の私って、あんな化け物になってるの?」
しかし教授はケロッとしている。
「え? 普通だったけど――。大丈夫?」
私は蓮子に体重を預けた。
今回ばかりは蓮子も耐えられなかったようで、ヘロヘロと横になる。
「死ぬかと思った」
「蛇に睨まれたカエルの気持ちって、あんな感じなのかしら」
「蛇って言うか、シーサーペント? バジリスク?」
「そうね、そんな感じだわ」
「もう完全にトラウマなんだけど」
「夢に出てきたら絶対失禁して飛び起きる」
「なんだったんだ、さっきの化け物は」
徹が、やはり全身汗まみれでリビングの入り口に立っていた。
吐瀉する音が聞こえてくる。圭がトイレでゲロゲロやっているようだ。
「私の相棒よ」と教授はやはり平然。
「妖怪か?」
「失礼な、人間よ。圭のお嫁さん」
「圭を見ろ。あんなのと結婚したら、圭が死んじまう」
「間違いなくこっちのパラレルの、13年後の、メリーです、よ?」
教授が、私を手の平で指した。
「ああ、よく分からんが、よく分かった」徹が手の甲で額の汗をぬぐった。
「準備しよう。一刻も早く、八雲邸だ」
とは言ったものの、私も蓮子も相当に参ってしまい、圭も出発する直前まで吐いていた。
教授がやれやれと言って、近くの店で消毒スプレーとティッシュを買ってきて、消毒した。
15分ほど経って、やっと心臓の動悸が収まった。
蓮子と二人、教授が買ってきてくれた温かいココアを飲んで、人心地がついた。
蓮子に手伝ってもらいながら荷物を纏めて、出立の準備をした。
部屋を施錠し、再度凍結させた時、時刻は23時になろうとしていた。
送迎用の乗り物を呼ぶこともできるが、少し歩いた方が良いだろう、と徹。
夜道を歩きながら私は、先の出来事を反芻する。
完全に深くて大きい心の傷になってしまった様だった。
しかし同時に、この傷のせいで、先ほどの記憶がいつでも鮮明に思い出せる。
映像的な記憶だけじゃない。音も色も匂いも、完全に。全てが鮮明に、思い出せる。
「大結界に囲まれた」「土地は、」「幻想郷」「八百万の神々と」「魑魅魍魎の」「隠れ里」
「結界省は、」「あなたたちを」「利用するわよ」「逆に利用するつもりで」
「結界省に」「洗脳されない事」「真実を見極めなさい」「博麗の巫女によろしく」
目を瞑ると、ぐわりぐわりと、何十回も何百回も、数十倍速で記憶が想起される。
知覚の奔流に身投げした、そんな感覚である。自分がばらばらになってしまいそうだ。
「蓮子」ぼそりと小さな声で呼ぶと、蓮子がこちらを見る。
「自分で言うのもなんだけど、さっきの、完全にPTSDになっちゃったみたい」
「大丈夫? 思い出すと怖い? 何か別の事を思い出すのよ。アナグラムを解くとか」
「目を瞑るとすっごい早回しでビデオグラフィックメモリーが再生されて、こわい」
「うん、冷静になって考えてみなさい。あれがメリーだったら、どうしてこんな風にしたのかってね」
「なんで? いじわるするために?」
「違うよ。絶対に忘れてほしくないからだね、きっと」
蓮子が私の荷物を持ってくれた。そして、私の肩まで抱いてくれた。
「ねえ徹さん。少し前から目をつけてた結界があるから、その調査を明日から手伝ってほしいの」
蓮子がこういうと、徹が煙草を吸いながら振り返った。
「その結界、どこにあるんだ? 近いのか?」
「うん、凄く近いわ。知楽書店ビル地下にある結界よ」
蓮子は、軽く膝を曲げ伸ばしして荷物を背負い直しながら、言った。
「防護結界が必要なのよ。作ってくれる?」
口から手を放したら、べっとりと血がついていた。
首筋にキス、レベル3である。私は驚愕した。なんという破壊力だ。
しかし、まだ戦える。まだいける。
そう自分に言い聞かせ、次の現場に急いだ。
以下の作品を先にご覧いただくことをお勧めいたします。
1.メリー「蓮子を待ってたら金髪美女が声をかけてきた」(作品集183)
2.蓮子「メリーを待ってたら常識的なOLが声をかけてきた」(作品集183)
3.蓮子「10年ぶりくらいにメリーから連絡が来たから会いに行ってみた」(作品集183)
4.蓮子「紫に対するあいつらの変態的な視線が日に日に増している」(作品集184)
5.メリー「泊まりに来た蓮子に深夜起こされて大学卒業後のことを質問された」(作品集184)
6.メリー「蓮子と紫が私に隠れて活動しているから独自に調査することにした」(作品集184)
7.メリー「蓮子とご飯を食べていたら金髪幼女が認知しろと迫ってきた」(作品集184)
8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184)
9.メリー「未来パラレルから来た蓮子が結界省から私を救い出すために弾幕勝負を始めた」(作品集185)(←いまここ!)
10.メリー「蓮子と教授たちと八雲邸を捜索していたら大変な資料を見つけてしまった」 (作品集185)
11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185)
12.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」前篇(作品集186)
13.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」中篇(作品集186)
14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187)
15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187)
16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」前篇(作品集187)
17.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」中篇(作品集188)
「た、逮捕?」
「そうだ、逮捕だ」
「逮捕って、逮捕?」
「そうだ。これが令状だ」
と徹が内ポケットから折り畳んだ紙を取り出すと、がさがさと広げた。
なんだか色々と書かれていたが、紙の内容を読む余裕は無かった。
「その目覚まし消せ。それと、端末は没収だ」
圭が近寄ってきて手を出してきた。私は端末をオールロックしようとすると。
「証拠隠滅が怖いから、操作は禁止」と奪い取られてしまった。
さらに机の下の荷物入れからバッグを没収されてしまう。
「た、逮捕はイヤだわ」
私がそう言うと、徹は片方の眉毛をぴくりと動かした。
「色々と上手く回り始めた所なのよ」
「それで?」
「昨日だって、夜遅くまで準備してたの」
私は椅子から立ち上がり、徹と向かい合った。
「それが逮捕だなんていったら、今までの苦労はどうなるの?」
「残念ながら」仮面のような無表情のまま徹、「全部終わりだな」
「そんなの、イヤよ。絶対イヤ」
「令状が出てる」
「分かってるわ。逮捕はイヤだって言ってるの」
「それで?」
「見逃してくれなくてもいい。少し待ってほしい」
「待つのか。逮捕を?」
「そうよ」
「5分くらいか?」
「50年くらいかしら」
徹は一度目を瞑り、音を立てて口から息を吸った。
内ポケットに令状を片付けた。そして代わりに取り出したものを私に見せる。
銀色の光沢の腕輪。鎖でつながれている二つの輪っか。
徹が無言で私の手首を掴もうとした。
私は両手を後ろに回した。
「手錠だ」と短く言う。
「知ってるわよ。それを人につける為には、色々な手続きが必要なんでしょ」
「お前につける為の手続きは、済んでる」
私は視線に力を込め、きっと徹を睨み付けた。
「マエリベリー・ハーンよ」
「あ? なんだ?」
「“お前”じゃない。マエリベリー・ハーンよ」
「マえりベリー・ハーん」
「発音が違う。マエリベリー・ハーン」
「マえりベリー?」
「マエリベリー」
「ハーん?」
「ハーン。もう一度」
「ハーん」
「違う。ハーン、よ」
「ハーん」
「もうメリーでいいよ」
「じゃあメリー、お前は自分が被疑者だと言う自覚があるか?」
「あるわ。結界暴きがいけないって事も知ってる」
「だから、逮捕だ」
「逮捕はイヤ」
「…………」
徹が今度は私の肩を掴もうとする。
さっと身を引き、一歩飛びずさり、避けた。
「おい、逮捕だよ。結界暴きの容疑で逮捕だ」
「私、男は大っ嫌い。その汚い手で触られるくらいなら、」
私はすうと息を吸い、言った。「舌を噛み切って自害してやる」
「手錠をつけるんだ。仕方ないだろうに」
徹が手錠を抓み、顔の高さまで上げた。
私はそれを素早く片手で引っ手繰った。
「おい!」徹が怒鳴る。
「いいわよ! じゃあ自分でつけるわ! はいつけた! 施錠してよ!」
「――必要ない。オートロックだよ。15時58分、まえりベリー・はーん確保、と」
「マエリベリー・ハーンよ! そんな滅茶苦茶な発音で呼ばないでよ!」
「――――、メリー確保。これで満足か?」
私は両手を見下ろした。手錠が照明を鈍く跳ね返し、じゃらりと音を立てた。
ふっと体が浮く感覚。いや、酷い睡魔に意識が飛んだ時の感覚、と例えようか。
自分の視線が低くなる。徹の腰程度の高さで止まった。
「あれ? あれれ?」声は出た。
「おい勝手に座るな」
そう徹に言われて、自分が座り込んでしまったのだと理解した。
足の裏を床に付き、立ち上がろうとするが、転んでしまう。
両足に、力が入らない。床にぺたりと尻を付き、動けなくなってしまった。
「て、手錠をはめたら、足が立たない。な、なんで?」
「何の変哲もないタダの手錠だぞ。さっさと立て」
「ひ、膝が、笑って、あれれ? おかしいな。なんでだろ? 立てないわ」
「早く立て! 逮捕だ! 立って歩くんだ! 署まで連行する!」
「怒鳴らないでよ! 足が立たないのよ! 見りゃわかるでしょ!」
膝を見ると、がくがくと面白いように震えていた。呼吸は出来る。声だって出る。
ただ、腰から下が自分の物ではないかの様に、いう事を聞かない。
両手を手錠に拘束されたまま壁に寄りかかり、立とうとする。
ダメだった。バランスを崩しうつ伏せに倒れてしまった。肘を床にぶつけた。
完全に腰が砕けた状態だ。生まれたばかりの小鹿みたいだと、頭脳は暢気だった。
床に座って、よいしょよいしょと一人で言いながら立とうとして、それに失敗して。
何だかひどく滑稽で、惨めだった。もう自分がボロ雑巾か何かになった気分だった。
「立たせてやる。ほら掴め」
徹が手を差し出してくる。
私はあらん限りの憎悪と嫌悪を視線に込め、それを睨み付けた。
「誰がそんな汚い手を借りるもんか。ボロ雑巾の方がマシだ。触るな。絶対イヤだ」
「じゃあずっとそこにいるのか。立たせてやるって言ってるんだよ」
「私の体に少しでも触ってみろ。自殺する。ここで舌を噛んで死んでやるからね」
「おい、子供の癇癪じゃないだ。観念しないか」
「自分の目玉を抉りだしてやる。自分で自分の喉を潰してやる。拳を飲み込んでやる。私はマジよ」
徹が「ほら」と不機嫌そうに声を出した時だった。圭が割り込んできた。
「兄ちゃん、この子、本気だよ。目が回ってるし動転してるし、演技じゃない。触らない方が良い」
「ああ、分かってるよ。もう仕方がない。くそっ、こういうタイプだとは思わなかったんだよ」
徹が頭を掻き、ため息を吐いた。
その動作がワザとらしく、心底ムカついた。
「圭、亜空穴の準備だ。何分で出来る」
「行先は? 京都警察署でいいよね?」
「ああ、入口の所だ」
「分かった。じゃあ30分ほどかな」
「30分? そんな短い時間でできるのか?」
「普通だったら3時間だけど、今はほら、業務用の強化式がついてるから」
「よしわかった」
圭が私の隣の床に御札を貼った。四枚が四角形になる様に。
そこで、である。徹が目を細め、体を緊張させた。
圭が言う。「兄ちゃん、店に人が」
「入ってきたか。人払いの結界が効かないってことは」
「この店に明確な理由があるってことだね。誰だろう?」
「聞けば分かる。おいそこの! 階段を上がってこい!」
徹が大声を出した。程なくして階段から顔を出したのは――。
「おお、徹さんと圭さんじゃん。こりゃ手間が省けたわ」
未来パラレルの蓮子だった。
私が逮捕されている緊迫した場に、快活な声で話しかけてきた。
「徹兄ちゃん、この人、知ってる?」
「いや、しらん。おまえ、まず名前を言え。場合によっては公務執行妨害で逮捕するぞ」
当然二人はこんな反応だ。
蓮子は、徹と圭の顔を見て、私の顔を見て、そして私の手にはめられた手錠を見た。
それで、一回頷いた。全てを理解した様だった。
「私の名前は、宇佐見蓮子。13年後からタイムトラベルしてきたの。宇佐見蓮子と同一人物よ」
「タイムトラベル? 本気で言ってるの?」
「いや、圭、ちょっと黙れ」徹が言う「職業は何だ?」
「そこの大学で教授と、JAXAの宇宙開発科で研究職」
「それじゃあ、宇佐見教授と呼んでいいか」
「いいわよ。流石徹さん、話が早い」
宇佐見教授は、両手を胸の前で握り、両手を擦り合わせる。
「店には人払いの結界が張ってあった筈だ」
「ああ、これが人払いなのかぁ、便利だね」
「明確な理由が無い限り、入ろうと思えない筈だ。なぜここに来た」
徹に言われて、教授は私を手の平で指し示した。
「16時から、そこのメリーさんとここで会う約束をしてたの。そしたら、」と今度は指差しで。
「徹さんと圭さんが、メリーを逮捕しに来ちゃったと」
「タイムトラベル、大変だったろう」
「ちょっとした機械を使うんだけどね」
「ほほう、その機械の構造、簡単に聞かせてくれ」
「結界のリバウンドの応用って言えばわかるかな?」
「ああ、なるほど」徹が心得たように頷いて。
「どこから飛んできたんだ?」
「こことは別パラレルよ」
「そこではお前は?」
「メリーがね、そこに立ってる圭さんと結婚するの」
そう言えばそうだった。私は圭を見た。
タイプではない。っていうか、気持ち悪い。無理だ。絶対に。到底無理。
そこらへんの雑草を千切って丸ごと口に入れたような顔をしたら、圭が渋い顔をした。
「メリーが八雲家の奥様になったから、私は二人とも顔見知り」
「ふむ、少し話題を変えるが、結界のリバウンドだろう?」
「不用意に暴こうとして、結界が暴走する事、ね」
「そのリバウンドで時間と空間にねじれが起きるのが、観測されてる。まだ極小だが」
「人為的に作るのは難しくても、リバウンドに巻き込まれて消失した物質がどこに行くのか、議論されてるね」
「どこに行くのか、分かるか?」
「いろいろな説があるよね。そのうちの一つが、タイムトラベル」
「そうだ。オレは、この説を支持している内の一人だ」
「どうもありがとう」
「証拠を見せてほしい」
「いいわよ。じゃあ何を持ってくる?」
「圭が、60年割れない結界を持ってる筈だ。おいあれどこにある?」
「オレの部屋の、兄ちゃんが用意してくれた隠し部屋。入って右手本棚の裏。青の本を押す」
「おーけー、じゃあちょっと持ってくるわ」
蓮子の姿が消え、そして数秒後、同じ場所に現れた。
なるほど、現れる瞬間は、こんな現象が発生するのか。
まず、緑色と青色のカーテンのような物が、うねうねと漂う。
例えるならばオーロラだ。もちろん実物は見たことが無いけれど。
そうしてそのオーロラが、実体を形作るのだ。なんとも幻想的な光景で美しい。
再度現れた教授は服が変わっていたし、荷物も減っていた。
「ほいこれ。圭さん説得するのに5日掛かったよ」
蓮子が手渡したのは、ただ持続性のみを特化させた脆い結界だった。
見た目はクリスタルの装飾品という感じ。あ、綺麗だな、と思った。
野球ボールほどの大きさの透明な球体の中に、立方体がくるくると回っている。
60年間割れない結界と言ったら、きっと、ツララよりも脆い。
卵を割る時以上に、どこかへ軽くぶつけたら簡単に穴が開いてしまうだろう。
「ああ、オレのだよ。確かに13年経ってる。――ん?」圭が言った。
「結界の防護ケースに、オレのサインが入ってるんだけどさ」
「ふむ、何か問題があるのか?」
「Y.Kの隣に、Y.Yって彫ってある」
「おい教授?」
「いや、あのね、こっちのパラレルでは圭に子供がいるのよ。その子の名前が、紫だから」
「でも、隠し部屋に隠しておいたはずだ。なんで子供がそれを見つける?」
「紫って、かなり賢いから、見つけちゃったんでしょうね」
「賢い?」徹が不審げに眉を顰めた。「子供は、いわばみんな賢いものだ」
「うーん、そうじゃなくてさ」
「そうじゃなければ、なんだ?」
「9歳で大学に入学したの」
「なんだと?」
「飛び級で、ね」
「天才児だ。すごいな」と圭が言った。
「どこの大学だ?」
「私と同じ大学」
「そこの?」
「そう、そこの」
「難関だ。ありえない。不可能だ」徹が首を振った。
「ホントの事よ」
「信じがたい」
「でも兄ちゃん、結界は本物だよ」
「そんな結界、いくらでも複製できるだろ」
「まあ、そうだけど」と圭が残念そうに言う。
「うん、向こうのオレが可哀想だから、これ早く返してきて」
「あいよ、それじゃ、返してくるね」
蓮子が圭から結界を受け取り、姿を消して、また戻ってきた。
「私がタイムトラベラーだってこと、信じてくれた?」
「いや、にわかには信じがたい」徹が首を振る。「それに、本題に戻りたいんだが」
「ああー、うん、信頼を得てからじゃないと嫌なんだけどね」
「状況を整理すると、オレ達はそこのマえりベリー・ハーンを、」
「マエリベリー・ハーン!」私は徹の発音を咎めた。
「――――、メリーを逮捕する目的でここにいる。それで、お前の目的は?」
「今日ここでメリーと会う為に」
「会って、何を話す予定だった?」
「こっちのパラレルのメリーがね、結界の人柱に選ばれちゃうのよ」
「そこにいる、彼女がか?」
「そうそう、そこに座ってるメリーが、ね」
「ふむ、由々しき問題だな。安全管理課として看過できん。結界の名前は?」
「博麗大結界。祈祷を捧げる巫女がいなくなっちゃうんだってさ」
と宇佐見教授が言うと、徹の顔が緊張した。
「ちょっとまて、オレと圭の顔見知りだとは言え、部外者だ。どうしてその結界を知っている?」
「ん? 私はその結界の人柱になるって事だけを知っていて、博麗大結界の詳しい用途は知らない」
「国家機密だ」
「マジで?」
「しかも、いま激アツだ」
「知らなかった」
「部外者には口外禁止。罰則対象。知った民間人は監禁だ」
「秘封部員以外に誰にも言ってないから良かった」
「ふむ、」
徹は目を細め、宇佐見教授を観察する。
「結界と国の関係について、どこまで知ってる?」
「とりあえず、軍事技術に応用されてるってとこまでは」
「え、ちょっとまって。それホント?」私が言う。
「ホントよ。だから結界の技術は公表されないし、秘密なの」
特許を申請する場合は、技術を公に公表しなければならない。
そのため、最先端の軍事技術などは常に秘匿にされる。
「例えばどんなことに使われてるの?」
「まあ有名なところで言えば、ミサイル迎撃システムとか、戦闘機のステルス技術とかかな」
「これも20世紀からずっと国家機密だ。口外禁止だぞ」
「わ、わかった」私は首を何度も縦に振った。すごい事を知ってしまった。
「まあ、結界を使っている事実より、どんな結界を使ってるかってことが重要なんだけどね」
徹は頭を掻き「まあ、そこまで知ってるなら、そういうことでいいか」と言う。
「国は結界を研究している。今総出で暴こうとしているのが、その博麗大結界って訳だ」
「博麗大結界にはどんな効果が?」
「おまえ、知りたいのか? 消されてもいいのか?」
「いや、やっぱりやめとくわ。ごめん」
「ねえ宇佐見教授、どうやって彼女が人柱になるって、分かったの?」
圭が言った。そう、それは私も知りたい。今日の質問事項にも入っているのだ。
ところが宇佐見教授は、さも楽しそうに手の甲を擦り合わせて。
「それは、秘密。私だって任務だからね」と言った。
そして私の耳元で「ホントは、多次元宇宙の調整者が忠告しに来たのよ」と宇佐見教授の声が聞こえた。
驚いて振り向いてみるが、何も無かった。教授を見てみると、右手で口を隠していた。
「今日私はね、この時代の秘封倶楽部の信頼を得るために来たの」
「信頼を得て、どうするつもりだったんだ?」
「もちろん、結界省に保護をお願いするつもりだった。最初に“手間が省けた”って言ったよね」
「ふむ、よく分かった」
徹が半身になり、片手を腰に隠した。
「宇佐見教授、公務中、特に被疑者の確保時は、民間人も拘束する決まりだからな」
徹が腰から札を取り出す。紙幣ほどの大きさに青色の文字が書かれている。読めなかった。
それが、八枚。扇形になる様に持ち、教授に見せる様にしている。
「防護結界だ。害はない。直方体の形になるから、その中にいてくれ」
徹が札を投げた。次の光景は、とても現実性を欠いていた。
八枚の札は意志を持っているかのように広がり、空中に浮かんだ。
札同士が線で結ばれ、高さ2メートルほどの直方体が出来た。
青色のスケルトンのプラスチックケースみたいな感じだった。
こんな、こんなことが出来るのか! 私は驚愕していた。
この人生で初めて、結界が生成される瞬間を目の当たりにしたのだった。
宇佐見教授はしかし、冷静に体を動かすと、防護結界が閉じる前に、範囲から外に出て身を躱した。
「おい、避けるな。拘束する決まりだ」
「も、もうちょい話を聞いてほしいなぁとね」
「お前が信用に足りないという事は分かった。被疑者を逃がされても困るしな」
「ほらあ! こういう事になるから、信じて貰う前に本題に入りたくなかったんだよ!」
徹が防護結界を解除し、札の形にして手元に戻した。
「民間人が、結界の人柱になるのよ?」
「いつ? どこで? どのように?」
「さあ、分からない」
「証拠を出せ」
「タイムトラベラーの私が証拠じゃダメ?」
「そっちのパラレルのメリーは、普通に生活してるんだろ?」
「まあそうだね」
「じゃあどうやって分かったんだ」
「正直に言うと」
「うむ」
「多次元宇宙の調整者と接触したの」
「ふむ、SFチックだな。名前は?」
「八雲蓮子」
「アホか! そんな与太話信じられるか!」
「嘘じゃないって! 全部ホントの話なのよ!」
「じゃあ聞くが、逆にお前がオレの立場だったら?」
「ま、まあ信じられないわね」
「だから、拘束だ」
「メ、メリィ、ちょっと、助けてよぅ」
宇佐見教授が情けない声を出した。この仕草も、蓮子とそっくりだった。
「ごめん、あなたが信用に足るか、ここに来て確かめようと思ったから」私は首を振った。
「あなたに関しては、まだ信じられないの」
「そんなぁ」
「残念だったな。ほら大人しくしてろよ」
徹が先ほどと同じく、防護結界を張る。
宇佐見教授は横に飛びずさり、驚くほど素早く、腰から何かを抜き放った。
「じゃ、仕方ないですねっと」
宇佐見教授が握る物は拳銃の形をしていた。しかし、火薬の音はしなかった。
ボウガンを射る時のような射出音。徹に向かって細長い物が飛翔する。
速度があり、観察できなかった。ほんの一瞬の出来事だった。
そして飛翔物は真直ぐ徹に向かい、――突如現れた半透明の青色の壁に衝突した。
バチバチと火花を上げて床に転がる射出体、電極だ。発射式のスタンガンだという事が、ここで分かった。
「げげっ」と教授の悲鳴。機敏に身を翻し、逃げる様に走る。
徹は最低限の動きで懐から何かを取出し、――投げた! 逃げる教授に向かって!
教授は、傍らにあった机を掴み、盾にして隠れた。直後その机の表面に、何かが突き刺さった。
手の平ほどの長さがある針だった。竹串の鉄製版と例えられるだろうか。
「スタンガンか。こんなものを隠し持っていたとは、怖いな」
「ごめん、謝るから許して。いきなりスタンガンはやっぱり悪かった」
「黙れ。出てこい。逮捕する。公務執行妨害だ」
「それじゃあダメなのよ。メリーの人柱を回避しなきゃ」
「保護したいところだが。しかしメリーは被疑者だからな」
教授がそっと机の陰から片目を出した。
徹はそれを見逃さず、すかさず一度右手をふわりと動かした。
ガスガスと音がして、机に生える針の本数が2本増えた。
「残念ながら、確証もなしに令状を取り消すことは出来ない」
「ねえ徹さん、ところでさっきのなに? さっきのも防護結界?」
「そうだ。オレの体から30センチの距離に、悪意から身を守る唯心自動防護結界が張ってある」
「それって、かなり高価だよね」
「まあな。結界省の支給品だ」
「どれくらいの強度があるの?」
「銃弾ならば20発くらいかな」
「持続時間は?」
「少なくとも、マえりべりー・はーンを、」
「マエリベリー・ハーン!」何度言ったら分かるのだろうか?
「――――、メリーを連行するための亜空穴が完成するまでは、持つ」
「ずるいね。私も欲しいわ」
「八雲家の結界技術は世界トップクラスだ。この結界を破れれば、世界最強の矛って事だな」
徹が針を指の上でくるくると回した。
ついで、指から指へ器用に操って見せる。
「分かったか宇佐見教授。無駄な抵抗はやめて出てこい。こっちも手荒な真似はしたくない」
「ふふふ」蓮子が机に隠れたまま、不敵に笑った。「結界突破の方法、思い付いちゃった」
「ほほう、それなら試してみろ。そっちが怪我をしない程度でな」
「それではお言葉に甘えて」
がちゃがちゃと硬い物を操作する音がした。
スタンガンに電極を装填しているのだと分かった。
「紫ちゃん、ホントはね、メリーにしっかり紹介するために連れてきたのよ?」
音が止まり、教授がふうと息をつく。
ここにはいない八雲紫に話しかけているような口ぶりだった。
「ごめんね、でもよろしく頼むわ。えいっ」
次の瞬間、徹の後ろ首に電極が飛来していた。
UFOキャッチャーのアームの様な構造になっているようだ。
徹のうなじをしっかりと掴み、バチバチと青白い火花を上げながら激しく放電する電極。
勝負あった! と思ったのはごくごく短い間だけだった。
なんと徹は、素手で電極を掴み、うなじから引きはがすではないか。
「なんだ? どうやった? なぜ後ろから攻撃がくる?」
「いやいやいやいやいや!? なんであんた電撃大丈夫なの!? 10万ボルトよ!?」
右手に掴んだ電極をさもつまらない物であるかのように、足元へ投げ捨てる。
そしてそれを、教授が隠れている机へ蹴って飛ばした。ひゃっと小さく悲鳴をあげる。
10万ボルトの威力は並ではない。素肌、しかもうなじに喰らって平気だと言うのは明らかに――。
「ああ! 分かったわ! 人体強化の式ね!」
「まあ、そういう事だ」教授の発言に徹が頷く。
「この式が剥がれない限り、常人であるお前に勝ち目はない。投降しろ」
「なるほど。困ったなぁ、それじゃあ、プランBかしら」
「ふむ、戦闘は避けて、メリーを連れて無理やり逃げる気か?」
「あ、えへへ、分かった?」
っていうか、一発目のスタンガンを撃った時から、狙いはそれだったでしょうに。
「メリーは歩けないぞ。それどころか、一人じゃ立てない」徹が言う。
「え? なんで? ちょっとあんた、扱いを気をつけないと、存在ごと消されるわよ?」
「恥ずかしい話だけれど、手錠をかけられたら腰が抜けちゃったの」
「かけられたんじゃない。かけたんだろ、自分でな。オレも圭も指一本触れていないぞ」
「じゃあやっぱり、あんたら二人を倒すしかない訳だ」
「まあそうなるな。無理だろ。出てこい、投降しろ。どちらにせよ公務執行妨害だがな」
「うーん、まさかここまできて本格的に結界省と敵対するとはね」
教授が机に隠れたまま一人ごちる。
スタンガンをホルスターに収納する音。
「メリーは目の前なのになぁ。でもやるだけやってみますか」
そしてその発言を最後に、気配を消した。
徹が机に近づき、蹴って飛ばした。教授の姿は無かった。
「圭、亜空穴はあと何分だ」
「あと10分くらい」
「よし、お前はそれを続けろ」
教授が飛んでくるとすれば、かならず数秒前にオーロラが発生するはずである。
徹ももちろん、それを探している。部屋の四方へ視線を巡らせている。
そうしてややあってから、徹が上を見て、言った。
「圭! 上だ! 上を見ろ!」
言われて、私も頭上を仰ぐ。5号室のフロア天井一帯で、オーロラが広がっていた。
今までは教授一人分の面積だったのに対し、今回はかなり広い。天井全てを包み込む広さだ。
少しずつ、実態を帯びてくる。物体を形作る。あれは、なんだ?
水面のように見える。透き通った、清潔な水である。
飛び込み台からプールの水面を見下ろしているような――。
「徹兄ちゃん! 水だ! 水だよ! 凄い量だ! 落ちてくる!」
「圭は亜空穴を守れ! 濡らすなよ!」
と、徹が指示を飛ばした直後。天井一杯に具現化された水が実体化を終え――。
そのまま重力の力を受け落ちてきた! 部屋が丸ごと水槽になる量だ!
瞬間、徹が両手を素早く動かすのを、私は視界の端で捕えた。
私と圭が、青色の防護結界に覆われる。もう水は頭上直ぐのところまで来ていた。
ざっ――、
展開された結界が落ちてきた水を弾く。防護結界の中に、水は入って来なかった。
私は、周囲の様子を観察するために括目した。
――ぶーん!
5号室が一瞬のうちに水族館になった。
もちろん、お魚がいる側の話だけど。
私を守る防護結界は、びくともしなかった。おかげで私は、一滴も濡れずに済んだ。
そして水面が、座り込んでいる私の視線よりもずっと高い位置にあるのを見た。
椅子が、机が、壁に飾られた絵画が、一斉に水面下で浮力を受け、めちゃくちゃにかきまぜられるのを見た。
徹が、腕で首と目を守っている状態で、半透明な水の中に立っているのが見えた。
と、その様子はたった一瞬。次には、水が消えていた。霧のように消えたのだ。
“蓮子が未来に帰る時と同じように”、水族館だった室内は、元の5号室に戻っていた。
机や椅子がめちゃくちゃに散らばったことを除いては、だが。
水が未来へ帰ったのだ。なるほど、と思った。
未来の蓮子が、大容量の水をこっちの世界に数秒間だけ送ったのだ。
「ちっ、強化の式は剥がれたか。あれだけの水を被れば当然か」
徹の体から床に向かって、放電現象の時のような光が走っていた。
「Bingo! わはははは! これで肉体面では対等ね!」
教授が、徹から少し離れたところに転がるソファの上に立っていた。
ソファは先の洪水のせいで、座る面が下になっている。
三角形の斜面の辺に、肩幅で足を広げて教授が立ち、徹を笑っている。
「おや、メリーと圭にだけ防護結界を張ったのね。じゃあそれ、そのままにしといてね」
徹が両手を振り回すように動かした。それよりも数瞬先に姿を消す蓮子。
後ろの壁に針が殺到し突き刺さり、剣山の様になった。
「徹兄ちゃんも、防護結界を」
「札を2セットしか持ってきてない。お前はその中に居ろ」
「私のはあげないわよ。一歩も出ないからね」
「要らん」
先ほどに教授が立っていた位置に、またオーロラが発生した。
なにかが送られてくる。徐々に実体化が始まる。私は目を凝らした。
30センチ四方の、半透明白色の立方体が二重になっている見かけ。
結界だ。よく祠とかで神物を保管する際に使われる物である。
祈祷を捧げたり、御札を剥がしたりして、一定の条件をクリアすると中にあるものを吐き出すのだ。
まあ秘封倶楽部の場合は、私が無理やり暴いちゃうんだけどね。
転送されてきた結界は、ソファの上に浮かんだままゆっくりと回っていたが。
エンジンが動き出すかのように、回転速度が指数関数的に加速した。
もはや早すぎて頂点は黙視できず、球体に見える。
唐突に、短い連打音が始まった。例えるならば、高速なドラムロールのような感じだろうか。
そしてその音と一緒に、結界が大量の御札を射出し始めた。
「SWSB(Six Way Spiral Bullet:6Way渦巻き弾)か!」
途轍もない量だった。
秒間何十枚の札が発射されているのだろうか。
御札はなにかに当たると、ぺたりと張り付いて止まるようだった。
床に、壁に、天井に、あらゆる家具に、部屋中に札が飛来し、埋め尽くした。
私を守っている防護結界にも札は当たったが、ここには張り付かず、ただの紙切れに戻るようだ。
床に当たって張り付いた札を観察する。
札は白の地に朱色の模様で、何か文字が書かれている。やはり読めなかった。
効果は分からないが、当然ながら徹の驚異を減退させる目的であることは分かる。
札の観察を終えて、視線を上げる。
信じられない事に、徹は御札の暴風雨を避け続けていた。
身体を捻り、時には跳躍し、または叩き落とし、全ての御札から五体を躱している。
激しく流動的に体を動かしながら、転がっている机を蹴っ飛ばした。
飛び上がった机が盾になり、射線から陰になっている間に、徹が針を取り出した。
1本投げた。結界に命中。ガラスにひびが入るような、ピシリという音がした。
続けて投げる。結界に当たる。さらに1発、2発、3発当てた所で、結界が割れた。
パリンという甲高い粉砕音。破片が床に落ちるパラパラと言う音。
ふうと息をつく徹。肩幅に足を広げ膝を曲げ、軽く踵を浮かした、身構えた姿勢のまま。
部屋中に貼られた札と言う札が、一斉に未来へ帰って行った。
またもや、元通りの5号室。
以上、ほんの十秒にも満たない間の出来事だった。
部屋の中央にオーロラが発生する。現れたのは教授だった。
身構えた徹だったがそれを確認するや否や、素早く腰に手を回した。
「膝をつけ、両手を後ろ頭に回せ。もう動くな。もう終わりだ。疲れた」
「あら、そう? じゃあ休憩にしよう。ねえ話聞いてくれる気になった?」
教授が指示通りに膝を付き、跪いた。
徹が拳銃を取り出し、ぴたりと銃口を向けたからだ。
「ところで徹さん、あれを全部避けたの? すごいね」
「次は、何をするつもりだった?」
「さっきのでN3レベルって話。次はH3の予定。詳しい事は分からないけどね」
「かなりいい出来だった。というより、完全にオーバーテクノロジーだ」
「誰が作ったと思う?」
「宇佐見教授、あなたか?」
「ブブー! 答えはこっちのパラレルの圭さんでした」
「なんだ、結界省に勧誘しようと思ったんだけどな」
「へえ、オレがあんなの作れるようになるのか。ちょっとスゴイな」
教授がふんと鼻を鳴らした。顎で拳銃を示して見せる。
「ねえそんな話はいいとしてさ、たかが拳銃で私を止められると思うの?」
「分かってる。どうせまた向こうに戻って、防護結界でも張って戻ってくるんだ」
「私は、メリーを手に入れるまでずっとこれを続けるわよ」
「少し、話をしよう。教授が未来から来たというのは、分かった」
「あらそれはありがたいわね。あ、3秒だけ待ってくれる?」
教授の姿が一度消えた。数秒後、戻ってきた。
背筋を伸ばし顎を上げて立つ、堂々とした姿勢だ。
拳銃の射線をまっすぐに受けながら、それを全く恐れていない。
「試してみる?」と教授。
「いや、辞めておこう。跳弾が怖いしな」
「私はもう一か月近くこの場面なのよ。いい加減進展が欲しいわ」
「酷いな。こっちはノータイムで教授の襲撃を受けてるんだ。少し休ませてくれ」
「少し座る?」
「ありがたい。そうしよう」
徹が拳銃を腰にしまう。転がる椅子と机を直し、腰を下ろす二人。
「まず先に、聞きたいんだが」
「どうぞ」
「結界省に逮捕された容疑者はどうなると聞いてる?」
「拘置所か警察署にまず連れて行かれて、48時間以内に検察庁へ送致」
「ふむ、そのあとは? 最長48時間拘束されてから、検察庁へ送致されて?」
「検察は、24時間以内に引き続き身柄を拘束するか判断する」
「そのあとは?」
「起訴できると判断した場合、裁判所へ申請し、引き続き拘束。でしょ?」
「刑事訴訟法そのまんまなわけだ。実際、公になってるのはその情報だからな」
「え? 実際は違うの?」
「半分当たり、だな」
「半分はハズレ?」
「まあそうだ」
「何が違うの?」
「そのまえに、」
「うん?」
「ちょっと、水を飲ませてくれ」
机についていた教授の肘がずっこけた。
ああ、凄く蓮子っぽいリアクションである。
「おじいちゃんなんだ? もうおじいちゃんなんだ?」
「残念だがその通り。教授の様にいつまでも若ければいいんだが」
「口説いてもいいけれど徹さん、下手なことするとやっぱり存在ごと消されるわよ」
徹は、ご自由にお取りくださいの棚に接近し、手を伸ばしたが。
そこに置いてあるピッチャーが倒れて、棚が水浸しになっていた。
あれだけ暴れれば当然である。
ピッチャーの中に残っているわずかな水を、これまた落ちて割れたグラスに注ぐ。
水を飲みながら戻ってくる。こちらに近づく間に、グラスの中の水がみるみる減っていく。
グラスの底にひびが入っていて、そこから水が漏れだしているのだ。
「もう、水はいいや」
「そうね」
「それで教授、結界法で逮捕された被疑者は、二つの選択権が与えられる」
「ほほう、証拠が集まれば即刻逮捕って訳じゃないんだ」
「うむ。一つ目は当然、刑務所に入ることなんだが」
「もう一つは?」
「執行猶予つきで、結界省の捜査に協力することだ」
「へえ。でもそれを選ぶ人っているの?」
「まずいない。っていうか、オレが逮捕した中では見たことが無い」
「おいおい? 意味ないじゃん?」
「違う。奴らは“それを結界だと分かっていない”んだ」
「偶然暴いてる? 第六感で感じてるとか?」
「それならまだいい。たとえば各地に残ってる封印符を剥がしたり」
「もうだれも住んでいない各地の集落跡で、存在も忘れられた神社とか祠とか、あるよね」
「謂れのある地だとか言って、オレ達が封印した土地に平気で入って行って、馬鹿騒ぎをしたり」
「ネット上でもよく、自殺の名所とか、灰ビルとかに入ってみたってサイト、あるよね」
「名がある人物の墓を弄って結界をゆがめさせたり」
「あ、ごめんそれはちょっと覚えがあるかも」
「まあとにかくだ」
徹が、割れたグラスのとがった部分を人差し指でなぞる。
「実力不足なんだ。というより、怖いもの見たさの野次馬根性で結界を暴くやつが多すぎる」
「捜査に協力できるだけの実力が無いならば、その選択権も無いわね」
「まあ、そんなやつらはちょっと怖い声を出して脅せば、途端に縮こまるからいいんだが」
とがった部分を抓み揺らしていた徹だったが、そこが唐突にポロリと取れた。
「秘封倶楽部は例外だ。もう捜査の技術ならば、結界省を凌いでる」
「あら光栄ね。嬉しい限りだわ。ところでその事実はどうやって調べたの?」
「簡単なことだ。二人がよくぶらつく場所に、ちょっとした結界を張っておく」
「例えばどんな結界?」
「パズル仕掛けの、特徴的なものだ。たとえば、暴くと録音が始まる物だとか」
「あっ」覚えがある私は知らずに声を出してしまった。
「暴いたのを覚えてるだろ?」
「あれって、結界省の罠だったの?」
「罠とは人聞きの悪い。安全に暴くだけの実力があるかどうか、テストしたんだ」
「ええー? じゃあもしあれを暴くのを少しでもミスってたら?」
「あの日数時間後に家に押し入ってしょっ引いてたな」
実は私たちは、もうずっと前から、結界省に目をつけられていたのだ。
「上手く逃げられてると思ったのに、ショックだわ」
「今地上で存在を確認してる結界は、ほぼ全てモニタリングしてるよ。人が近づけばすぐわかるんだ」圭が割り込んだ。
「なんてったって、国が税金を使って、実力者を集めて、結界を探してるんだからね」
「私たちが暴いてた結界は、もうすでにその全てが結界省の監視下にあったってこと?」
「まあそうなるね。君たちがいくつの結界を暴いたか、統計を取ってるよ」
「や、やめて! 聞きたくない! ――いや、ちょっと聞きたいかも。うん、聞かないでおこう」
「ん? ところで徹さん、さっき“名がある人の墓を弄って”って言ったけれど、あれは秘封倶楽部の事?」
「いや、違うな。秘封倶楽部は墓を絶対に荒らさない方針なんだろ?」
「統計的にみると、墓場の結界は避けて活動してるのが分かるからね」
「あの活動、バレてないよ。こりゃ穴があるね。よかったねメリー」教授が言った。
蓮台野の活動後、墓を荒らすのは二度と嫌だと私が蓮子に言ったのだ。
「でも、これで分かっただろ? 結界省は、メリーを罪に問う為に確保するわけじゃないんだ」
「なるほど。メリーをスカウトするために来たのね。でもそれなら普通に接触すればいいじゃん」
「ここらへんが結界省の悪いところだ」と徹。
「こうやって、脅しの交渉しかできないんだよ。協力しないと逮捕するぞ、ってね」
「どうだメリー、結界省に入れば、さらに高度な結界暴きが出来るぞ」
「断ったら、逮捕?」
「逮捕とは言わないが…………」
徹が渋い声を出した。
「さっき言った通り、オレ達は脅しを交渉に使う気はないんだ」
「ここに来たとき、寝てる私を起こして逮捕だって言ったじゃん」
「結界省の手帳を見せて、“少し話をしたい”なんて言ったら、逃げるだろ?」
「逃げるね。うん、もう全力で逃げる」
「だから、確保して署で話を聞こうと」
「ホントあんたら、言ってる事とやってることが正反対だわ」教授が頭を抱えた。
私は、少しだけ考える。
結界省に入ったら、何か、変わるだろうか?
「結界省ってどんな事やってるの?」
「結界法違反者の逮捕。それと、結界および境界の研究」
「じゃあ、蓮子が就職して学校を辞めた後も、もし結界暴きを続けるならば?」
「…………」「…………」
大人は、ズルい。立場が危うくなるとだんまりするからだ。
「じゃあ、イヤだ。そんなことするくらいなら、獄中の方がマシよ」
「分かった。捜査を手伝えとは言わない。ほんの短い間、研究に協力してくれるだけでもいい」
「研究?」教授が口を挟んでくる。「メリーって、特別なのよ。何が特別か、分かる?」
「? それは、結界に関して専門家並みの知識とノウハウがある、ってことか?」
「まあそれもそうだけど、もっと強力なことよ。分からないの?」
ここで、私は理解した。
結界省は、私の能力を知らないのだ。
悩む。こうやって困った時って、いつもどうしてたかしらん?
そう考えて、思いついた。蓮子に相談だ!
「私、困ったらいっつも蓮子の意見を聞いてるの」両腕を持ち上げる。
「それに、用件は分かったから、この結界と手錠を外してよ」
自由の身になった私は、教授に手招きをしてこちらに来てもらい、部屋の隅で密談する。
「メリー、どうしたい?」
「結界省に協力するのもいいかもしれない、って考えてる」
「ほほう、そりゃ一体どうして。てっきり嫌がるかと思った」
「また蓮子と活動する時に、結界省のことを教えられるもの」
「なるほど。あなたってそこまで倶楽部を大事に思ってたんだね。気づかなかったよ。ごめん」
「蓮子と合流したらちゃんと伝えないとね。足りてなかったかもしれない」
「うん、じゃあ結界省に協力してもいいけれど、私から助言を言わせてもらうと」
「ぜひ聞きたい」
「あなた、人柱に選ばれるのよ? それ忘れてない?」
「あ」短い間に色々なことを見聞きして、忘れてしまっていた。「そうだったね」
「捜査に協力するのを材料に、何かを要求しよっか」
「まず、私の保護と? なにがある?」
「くくくっ」と教授が笑った。
蓮子がこういう風に笑う時は、何か物凄く面白い事を思いついた時だ。
「メリーあなた、お嬢様生活してみたい?」
私が研究に協力する見返りとして、八雲兄弟に提示した条件は三つである。
一つ目、人柱の人選から私を回避させること。同時に、要人保護の対象とする事。
二つ目、私だけでなく、蓮子も結界省の研究協力に加える事。
三つ目、さてこれが肝であるのだが――。
「上手くいったわ」と教授がガッツポーズをする。
「これであなた達は八雲邸の居候ね。貴族の暮らしを享受しなさい」
「今日の夕飯何かなー。ところで、コックさんとかいるの?」
「小間使いさんが5,6人で、ずっと家事やってるからね」
「屋敷って広い?」
「ぶったまげるよ」
「えへへ、楽しみだなぁ」
三つ目の交換条件とは、期間中は八雲邸の客人として私と蓮子を迎え入れる事、である。
もっとも、一つ目の条件の時点で、あの狭いワンルームで要人保護なんてできるはずもないんだけどね。
さて徹は5号室の人払いの結界を解き、めちゃくちゃになった店内の後処理をしている。
警察の人がたくさん来た。関係者以外立入禁止のハードルが入口に置かれた。
私と教授は別の階に移動され、事情聴取である。といっても、ほぼ放置プレイだ。
警察の人が来て色々と書類を書くのを見ながら、差し入れで貰ったコーヒーを飲む。
特別な味がするのかと思ったら、なんてことは無い普通のコーヒーだった。
忙しく動き回る警察の人たちを見て、なんとなく思う。
この損害賠償は結界省持ちなのだろうか? 圭に聞いてみたら、当然だと頷く。
「壁の修理はもちろん、人払いで営業を停止させた分の損害も賠償しなきゃね」
お金があるっていいなぁ、と思う。豪遊する程とは言わないけれど、不便を感じない程度は欲しい所だ。
さて17時15分になったところで、圭が階段を上がって来た。
「終わったよ。いや終わってないけど、一先ずは次のステップだ」
「次? 次っていうと、八雲邸ね!?」私はウキウキしながら聞いた。
「ここは徹兄ちゃんが受け持ってくれるから、オレ達は、」と一呼吸置き。
「令状の解除と、要人保護の申請の為に、京都警察署だ」
がっくりである。
京都警察署に移動する際は、圭が張った亜空穴が役立った。
瞬間移動トンネルのような物で、地面に空いた穴へ潜ると、警察署のエントランスだった。便利である。
あちこちに空けまくって、通学とかコーヒーを飲みに行くときとかに濫用したい。
結局京都警察署で書類を書かされたり色々な質問に答えたりで、あっと言う間に時間が経った。
20時30分である。3時間近くもかかったのだと知ったら、急に疲労が襲ってきた。
京都警察署の関係者用の食堂兼休憩室でベンチに座ると、ぐったり肉体の疲れを感じる。
圭にコーヒーを買ってもらった。小休止という事で、三人で休むことにした。
令状が解除されたので、携帯端末も返してもらった。ロックを解除し端末を起動。
そして、表示された内容にぎょっとした。
未確認の着信履歴が254件、未読のメールが36件。
全部、蓮子蓮子蓮子蓮子蓮子蓮子。蓮子バーゲン、蓮子フィスティバルだ。あ、右奥の蓮子一つ下さい。
なんじゃこりゃと思っていたら、電話がかかってきた。着信、蓮子。
「ああ! やっとつながった!」蓮子の声だ。息が切れている。
「あんた、いま、どこにいるの!?」
「いまは、京都警察署で諸々の手続き中よ」
「なんの手続き!?」
「結界暴きの容疑で出された、結界省の令状の解除と、」
「れ、令状の解除!? 結界省!?」
「八雲徹と圭から、要人保護を受けるための手続きを」
「八雲家から要人保護おぉぉおおお!?」
「八雲家で居候する事になったから。あ、あなたも一緒よ」
「いそうろううぅぅぅうううう!?」
「あと、私と蓮子で、結界省の研究の協力をすることになったから」
「な、ななな? ななななななな!?」
蓮子、完全にパニックである。
まあ、そうなるだろうなと思っていたけれど。
「ごめん、要約しすぎたかも。質問ある?」
あ、“質問ある?”っていうのは間違いだったな、と思った。
そして口から出た後ではすでに遅すぎるのが世の常である。
「私スッゴク心配したのよ! それにあなたこの短い間に一体何があったの!? けがはしてない!? なんで八雲家と接触してるの!? パラレルの話はどうなったの!? 人柱は? 令状って何のこと!? 要人保護ってSPのあれ!? 居候って八雲家に客人として招かれたって事よね!? 結界省の研究の手伝いって結界暴きの罪はどうなったの!? どうして無罪放免になったの!?」
蓮子の矢継ぎ早な質問を聞きながら、ああこりゃだめだな、と思った。
「蓮子、とりあえず合流しよう。京都警察署までこれる?」
「5号室に行ったら警察が陣取ってて、私聞いたの! ここで何してるんですかって! 何が起きたんですかって聞いたの! そしたらなんか関係者が大暴れして、だけどその大暴れは何かしらの齟齬があるものだから、特別なことではないって言うじゃん!? それでその大暴れした人たちはどこにいるんですかって聞いたら、京都警察署にいるって言うじゃん! わたし、わたし、もう、メリーがその騒ぎに巻き込まれたと思って、もうどうしようかって思って、だから、いま警察署の前にいるわ!」
「え? 警察署の前に居るの?」
「そうよ!」
「京都警察署の前に?」
「そうよ!」
「あ、じゃあもう話は通ってるから、入って来て」
「わかった!」
何の前兆も無く切られる電話。蓮子、興奮のしすぎでちょっとおかしくなってた。
「なんだって?」と教授が聞いてくる。
「いま警察署の前にいるから、これから入って来るって」
と言うのが早いか、放送で「八雲圭様、要人が玄関に来ています」と聞こえた。
蓮子と合流して、とりあえず身の安全は確保されたという事だけ伝えた。
そこからは休憩室の長机に蓮子も参加して、これまでの経緯を報告した。
博麗大結界の人柱から回避するために、結界省の保護を受けることになった事。
私と蓮子は、八雲邸の居候として過ごすことになったという事。
そして二人とも、これから結界省の研究の手伝いをするという事。
全て教授のおかげだと言ったら、はにかんで笑った。やっぱり蓮子そっくりだ。
「さて、」圭がコーヒーを一口飲んだ「何か質問ある?」
「ある」と蓮子「三つある」
「どうぞ」
「まず、博麗大結界って何ぞや」
「国が研究してる結界だよ。それだけしか言えない」
「“それだけしか言えない”? どういうこと?」
「トップシークレットだ。口外禁止なんだ」
「結界省は、っていうか、――国は、人柱を容認してるの?」
「まさか。もしそうだったら、この件は知らんぷりするよ」
「博麗大結界と国の関係は? それを教えてくれないと」
「うーん、じゃあ、必要最低限。大結界に囲われてる地区は、反国家武装勢力の集まりだ」
「は、はんこっか、ぶそう、せいりょく?」私も蓮子も、日本語に疎い外国人の様に発音した。
「まあ君たちに言えることはそれくらいだね」
法治国家である日本で、未だにそんな武装勢力があるなんて、思いもしなかった。
「じゃあ、私は、そのテロリストの隠れ家の維持のために死ぬの?」
「だから、保護するんだよ」
「反国家勢力の目的は?」
「分からない。でも、完全に国から独立してる」
「入れないの?」
「大結界のせいで、どこにあるかすらまだ分かってないんだ」
「実在するの? どこにあるかも分からないのに」
「まあどうだろうね。でも、結界省側の人間から言わせてもらうと、」
圭が目を瞑ってコーヒーを一口飲むと、片方の目だけを開いて、教授を見た。
「どうしてメリーが人柱に選ばれるなんて事実を知っているのか、そっちを問い詰めたいところだけど」
「メリー、さんよ」教授の方ではなく、現代の方の蓮子が言った。
「ん? なにが?」
「メリーに、さんをつけなさい」
「え、なんで?」
「マエリベリー・ハーン」蓮子が発音した。
「マえりべりー・ハーん」圭が言う。
「ほら、上手く発音できないならば、さん付けよ」
「蓮子っ! あなた……っ!!」
蓮子、いつの間に私の名前を発音できるようになったの!?
「練習したわ。見直した?」私の心の声が聞こえているかのように、蓮子が返事した。
私は、蓮子の手を取った。ちょっとどころか、かなり感動した。やばい。涙が出る。
感極まってしまった。蓮子に抱きつき、首に熱いキスをした。ああ素晴らしい!
飲料を咽る音がした。げっほげっほと咳き込んでいる。
少し離れた所に座っている、刑事さんだろうか? スーツ姿の男が手で口をふさいでいる。
こちらに“気にしないでくれ”という風に手を振っている。
机にはコーヒーが置かれているから、気管に入ってしまったのだろう。
「まあそれはともかく」圭がごほんと咳払いをする。話の腰が折れてしまった。
「大結界の事は、おいおい説明するよ」と濁されてしまった。
「ふうん、じゃあ次ね」
蓮子がコーヒーを一口。
「二つ目は、研究に協力するって言うけど、具体的に何するの?」
「もう蓮子ったら」教授が笑う「八雲家はそんな危ない所じゃないよ」
「教授はもう何年も付き合ってるけど、私は違うの。これが初対面なのよ」
蓮子も、10年後パラレル蓮子の事を、教授と呼ぶことにしたらしい。
「研究と言ってもあれだよ。まずはそうだね、例えば――」
圭がピアノを弾く時の様に、机を指で叩く。考えを巡らせるときの癖なのだろう。
「各地に暴かれていない結界があるのは知ってるだろう?」
「言わずもがな。ご存じの通り、それを暴くのが秘封倶楽部ですもの」
「うん。だから、いつも通り秘封倶楽部の活動をしてくれて構わないよ。ただ――」
「ただ?」蓮子が警戒を強める様子で、言った。
「その活動の記録を、結界省に報告してほしい」
「ふむ、気に入らないわね。居丈高にも程があるわ」
蓮子が面と向かって言う。
「知識をよこせって言うのに、私達には何もないの? ギブアンドテイクよ」
「なるほど。それじゃあ、八雲邸についたら資料室を見せてあげるよ」
「“見せてあげる”? 解放してくれないと釣り合わないわ」
「分かった分かった。鍵を上げるから、自由に見てくれて構わない」
「ありがとう。有効に使わせてもらうわ」
「でも、こっちにも色々と教えてくれよ?」
「いろいろ? 何を教えればいいかしら?」
「倶楽部の活動記録とか無いのかい?」
「無いわ」蓮子が即答する「全部頭の中に入ってるからね」
「杜撰な管理だなぁ。ホントに無いの?」
「聞いてくれれば答えるわよ。はい次の質問ね」
活動記録が無いと言うのは、もちろんウソである。
蓮子が肌身離さず持ち歩いている手帳に、細かくメモと記録があるのを知っている。
私はコーヒーを一口飲んだ。蓮子は私を横目でちらと見た後、続けた。
「結界省の目的ってなに?」
蓮子が若干顎を引き、挑戦するように圭を睨み付ける。
「今までの質問とは違って、嫌に抽象的だな」
「じゃあこう聞きましょうか、結界省の政策にはどんな意味があるの?」
「それって、今この場に関係がある質問?」
「関係あるわよ。私とメリーは結界省の関係者になるんだもの」
「公式HPに書いてあるよ。結界の管理保護運用だ」
「結界省設置法第3条。結界省は、左に掲げる国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関とする」
「凄いな。オレだって暗記してないのに、よくもまあそんな詳しく言えるもんだ」
「ごまかさないで。結界ってなに? なんで国は結界省を作ったの? 結界を保護して何の意味があるの?」
「結界は結界だよ。日本の昔の人が作り上げた、空間を封印するための術さ」
「説明になってないわ。それを研究して、国は何をしようとしてるの?」
「国の発展の手助けになるだろ?」
「何の発展?」
「技術力の発展さ」
「何の技術?」
「いいかい? 便利な物の研究には、国はお金を出すんだ。結界って、便利でしょ?」
児童用の教育番組のような口ぶりで、圭が言う。
「それに、昔の由緒ある技術は、保全しなきゃならない。大事にしてるんだよ」
「――、わかった、じゃあそう言う事にしておこうかしら」
そこで、休憩室の扉が開いた。入ってきたのは徹だった。
「よし、大体の事は片付いた。八雲邸に行く、その前にだ」徹が私と蓮子を見て、言った。
「着替えを取りに行かせるか。八雲邸には女物の服なんてないからな」
警察署を出て、まずは蓮子宅に行った。次の目的地に、私宅である。
日も暮れて、街灯が照らす歩道を歩き、自宅を目指しながら。
「ねえ蓮子、いま何時?」
「さあ、なんじでしょうね」
そう返されて、はっとした。
圭と徹が一緒だから、不用意に能力を使えないのだ。
仕方が無いので携帯端末で時刻を確認。22時になろうとしている。
全身がくたくたで、歩きながらでも目を瞑れば眠ってしまいそうである。
昨日は夜遅くまで起きていたし、今日は一日中活動を続けている。
結界省に逮捕されそうになったし、結界術を目の当たりにしたし。
一日で色々なことがありすぎた。肉体的にも精神的にも、疲労していた。
ああ早く休みたい。体を横にして休息を取りたい。
半ばぼんやりとしながら自宅前に到着。
カギを開錠しようとして、――蓮子がいきなり私の肩を引っ張った。
後ろに数歩よろめき、いきなり何するのよと抗議の声を上げようとして、蓮子が指を指した。
私の自宅の扉を。自宅の扉についている、バイオメトリクス認証装置を。
施錠が、解けている。いやそれだけではない。そうだ完全に忘れていた。
昨日の夜から、自部屋は凍結させている筈である。
これを解除するには、警備会社に電話をして、カスタマIDとパスを言わなければならない。
「どうした? 早く入れ」徹が催促した。
「施錠が、解除されてるの」と蓮子。いやそれだけではない。
「中に、誰かがいるわ。ありえない」
蓮子が声を落として伝えると、八雲兄弟にも緊張が伝わったらしい。
それにきっと、私と蓮子と教授は、同じことを想像していただろう。
扉を開ける。電気がついている。ことり、と陶器を机に置く音がする。座椅子を回す音がする。
人の気配だ。そう、私の想像は、奇しくも的中することになる。
「あらみなさん御揃いで。ダブル蓮子と学生の私は、そのままどうぞ上がって」
私のお気に入りの帽子。紫色のワンピース。金髪に白い肌に、茶色の目。
右手を軽く上げてにこやかに笑い、さあこちらにと示す仕草。私の癖。
「なんであんたがここにいるのおおおおおおおお!?」教授が、叫んだ。私と蓮子は絶句していた。
「わ、うっさい。いきなり大声出さないでよ」
部屋の中にいたのは、昨日にここへ不法侵入し、蓮子の下着を盗んで行った犯人。
八雲紫の母、教授の相棒の、未来パラレルのマエリベリー・ハーンである。
「で、出て行って! わ、私の家よ!」と私は辛うじてそれだけ叫んだ。
「違うわよ。私の家よ」にべもなく反論してくる。
「違うわ! ここは私の家よ!」
「なんで? 私の家でしょ?」
「私の家よ!」
「私の家でしょうに」
「ま、まあまあ、どっちも正解ってことで、ね」
教授が仲裁に入る。そうして私と蓮子の背中を押して部屋の中に入れる。
「どうしてこっちにいるの?」
「どうしてもこうしても、あなた一人じゃ心配だもの」
「一人じゃないよ。紫も一緒だから」
「紫? あの子は、いまは一緒じゃないじゃん」
「あ、まあそうなんだけどね」
「私の子なのよ。もっと大事にしてあげて」
「これからは一緒に行動するよ。ごめん」
「よろしい。それで、上手く行ってるの?」
「上手く行ってるよ」
「ホントに? 上手く行ってる?」
「うん」
「どこが?」
部屋の中にいるマエリベリーが、湯呑みを持ち上げ、茶を啜る。
「八雲兄弟の信頼を得た? 未来人だと証明できた?」
「え? うーん、怪しい所だわ」
「ほらね。だから、助けに来たのよ」
と、教授とその相棒の会話を、徹が割り込んだ。
「お前、妖怪だな?」懐に手を伸ばして言う。
「オレは結界省安全管理課の者だ。妖怪は捕獲させてもらう」
「失礼ね。限りなく妖怪に近いけれど、まだ人間よ」
「圭! 捕縛結界だ! やれ!」
「了解!」
話を聞かず、徹が、針を投げる。圭が、札を投げる。
しかしそれらの投擲物は、私の横を通り過ぎると、殆ど距離を飛ばずに動きを止めてしまう。
何十もの針と札が、冷蔵庫の隣にぴたりと静止して浮かんでいた。
「妖怪退治する時にはね、武器にも結界を付与しなきゃダメよ」
さあこちらへいらっしゃいと促されて、私と蓮子と教授は室内へ進む。
そこでだ。いきなり室内からプレッシャーをぶつけられた。
身体が緊張にカチンと硬直する。息が、出来ない。
身体が勝手に動く。壁に張り付いて移動する。操り人形にされたみたいだ。
徹と圭はめげずに武器を投げていたが、やはり変わらず空中で止まってしまうだけだった。
妖怪メリーは椅子に座り、私たち三人はベッドに腰掛ける。
「シャットアウト」と妖怪メリーが言うと、部屋に境界が張られた。
不思議な感覚だった。部屋の玄関まではたった5メートルほどしかない筈なのに、
入口向こうに立っている徹と圭が、ここから何百メートルも離れているかのように感じられた。
「博麗大結界に囲まれた土地は、幻想郷って言うの」といきなり話し始める。
「幻想郷は、居場所を失った八百万の神々と魑魅魍魎の隠れ里。決して反国家武装勢力の集まりじゃないわ」
私は横目で廊下を見た。妖怪メリーの言葉は、圭と徹には聞こえていないようだ。
武器に結界を付与しているようで、必死に何かを念じている。
「結界省は、あなたたちを利用するわよ。逆に利用するつもりで構えなさい」懐から取り出した扇子を広げて、口許を隠して。
「騙されてるつもりで、騙してやるの。いいわね?」
妖怪メリーが胸の前で広げていた扇子を唐突に閉じた。
その扇子に、圭が投げた針が挟まっていた。結界付与の武器を受け止めたのだ。
「あいつらは知識を共有するって言うけど、殆どを隠しちゃうでしょうね。だから紫を使いなさい」いいわね、と教授を指差す。
「秘封倶楽部の二人は、結界省に洗脳されない事。真実を見極めなさい」
徹と圭が、部屋の結界を拳で叩いた後に、札を取り出した。
札からは火花が飛び、刀の様に伸びている。あれで境界を切り裂くつもりだ。
居合切りの様に切りつける。しかし、刃がぽっきりと折れただけだった。
「何を言っている! そいつは何を言っている!」
徹が叫んでいる。
妖怪メリーが肩を竦め、徹を馬鹿にするように鼻で笑った。
「結界省が頼もしく見える? 幻想郷の技術に比べたら、子供のお遊びよ」
妖怪達の技術に比べたら、戦闘機へ全裸で挑むようなものだ、と言った。
「さてそれじゃあ、博麗の巫女によろしくね」
そう言って、妖怪メリーは姿を消した。部屋の境界が解けた。
私と蓮子が同時に、息継ぎをした。まるで長い間潜水していたかのようだった。
全身が汗でびっしょりだった。心臓がバクバクとしていた。
隣に座っていた蓮子が、私の手首を握った。私も、その上からさらに握った。
強烈な寒さに凍えるかのように、私も蓮子も、がたがたと震えていた。
蓮子が、私の腕にすがりついてきた。やっぱり私も、それに応えた。
「あ、あははは、――何さっきの?」
「13年後の私って、あんな化け物になってるの?」
しかし教授はケロッとしている。
「え? 普通だったけど――。大丈夫?」
私は蓮子に体重を預けた。
今回ばかりは蓮子も耐えられなかったようで、ヘロヘロと横になる。
「死ぬかと思った」
「蛇に睨まれたカエルの気持ちって、あんな感じなのかしら」
「蛇って言うか、シーサーペント? バジリスク?」
「そうね、そんな感じだわ」
「もう完全にトラウマなんだけど」
「夢に出てきたら絶対失禁して飛び起きる」
「なんだったんだ、さっきの化け物は」
徹が、やはり全身汗まみれでリビングの入り口に立っていた。
吐瀉する音が聞こえてくる。圭がトイレでゲロゲロやっているようだ。
「私の相棒よ」と教授はやはり平然。
「妖怪か?」
「失礼な、人間よ。圭のお嫁さん」
「圭を見ろ。あんなのと結婚したら、圭が死んじまう」
「間違いなくこっちのパラレルの、13年後の、メリーです、よ?」
教授が、私を手の平で指した。
「ああ、よく分からんが、よく分かった」徹が手の甲で額の汗をぬぐった。
「準備しよう。一刻も早く、八雲邸だ」
とは言ったものの、私も蓮子も相当に参ってしまい、圭も出発する直前まで吐いていた。
教授がやれやれと言って、近くの店で消毒スプレーとティッシュを買ってきて、消毒した。
15分ほど経って、やっと心臓の動悸が収まった。
蓮子と二人、教授が買ってきてくれた温かいココアを飲んで、人心地がついた。
蓮子に手伝ってもらいながら荷物を纏めて、出立の準備をした。
部屋を施錠し、再度凍結させた時、時刻は23時になろうとしていた。
送迎用の乗り物を呼ぶこともできるが、少し歩いた方が良いだろう、と徹。
夜道を歩きながら私は、先の出来事を反芻する。
完全に深くて大きい心の傷になってしまった様だった。
しかし同時に、この傷のせいで、先ほどの記憶がいつでも鮮明に思い出せる。
映像的な記憶だけじゃない。音も色も匂いも、完全に。全てが鮮明に、思い出せる。
「大結界に囲まれた」「土地は、」「幻想郷」「八百万の神々と」「魑魅魍魎の」「隠れ里」
「結界省は、」「あなたたちを」「利用するわよ」「逆に利用するつもりで」
「結界省に」「洗脳されない事」「真実を見極めなさい」「博麗の巫女によろしく」
目を瞑ると、ぐわりぐわりと、何十回も何百回も、数十倍速で記憶が想起される。
知覚の奔流に身投げした、そんな感覚である。自分がばらばらになってしまいそうだ。
「蓮子」ぼそりと小さな声で呼ぶと、蓮子がこちらを見る。
「自分で言うのもなんだけど、さっきの、完全にPTSDになっちゃったみたい」
「大丈夫? 思い出すと怖い? 何か別の事を思い出すのよ。アナグラムを解くとか」
「目を瞑るとすっごい早回しでビデオグラフィックメモリーが再生されて、こわい」
「うん、冷静になって考えてみなさい。あれがメリーだったら、どうしてこんな風にしたのかってね」
「なんで? いじわるするために?」
「違うよ。絶対に忘れてほしくないからだね、きっと」
蓮子が私の荷物を持ってくれた。そして、私の肩まで抱いてくれた。
「ねえ徹さん。少し前から目をつけてた結界があるから、その調査を明日から手伝ってほしいの」
蓮子がこういうと、徹が煙草を吸いながら振り返った。
「その結界、どこにあるんだ? 近いのか?」
「うん、凄く近いわ。知楽書店ビル地下にある結界よ」
蓮子は、軽く膝を曲げ伸ばしして荷物を背負い直しながら、言った。
「防護結界が必要なのよ。作ってくれる?」
口から手を放したら、べっとりと血がついていた。
首筋にキス、レベル3である。私は驚愕した。なんという破壊力だ。
しかし、まだ戦える。まだいける。
そう自分に言い聞かせ、次の現場に急いだ。
全員パラレルの同一人物なんて事はないはずだ。ないよな?
作者さんの力になるならいくらでも応援してやるぜ!毎回楽しみにしてる。
三位一体ちゅっちゅ
並行(未来?)世界からのちゅっちゅ
レイマリちゅっちゅ
ちゅっちゅ求道者
でよろしいのか?ここまで来るとラストへ向けていやが応にもwktk。完結頑張って下さい。
サラリーマンはどこにでもいる。