「お~、あんた結構いけるクチね」
「ははは、飲め飲め」
「いただきます」
人々の心から希望が失われた騒動も、その元凶が新たな希望を手に入れたことによってひとまずの終息をえた、その後の博麗神社での酒宴。
周囲に数多の面を漂わせる妖怪に酒を注ぐ紅白と、囃したてる白黒。
その光景を芳しく思わない面の製作者が、横から不平を漏らす。
「二人とも、こころはまだ未熟なのですからあまり無理をさせないでください」
こころの生みの親といっても過言ではない、聖人豊聡耳神子。
彼女の発した子を心配する親のような言いぶりに、逆に紅白と白黒から不満の声が上がる。
「お固いわね。まず楽しく飲むことを覚えるのが大事なのよ。ねえ魔理沙?」
「まったく同感だな。こころだって楽しい方がいいだろう?」
「はい、今とっても楽しいです」
霊夢と魔理沙に問われて、今回の騒動の元凶、秦こころはにこやかに言う。
正確に言えば、にこやかなのは矢面に立っている喜びの面。本人の顔の方は無表情のまま。
しかし、やはり酒精の力なのか、無表情な顔がどことなく赤みを帯びているように見えなくもない。
「……不良に付き合って、こころも不良にならなければいいのですが」
「なにおう。魔理沙はともかく、素敵な巫女を捕まえて不良は無いでしょうよ」
「おっと霊夢、それは聞き捨てならないぜ。わたしに喧嘩を売っていると受け取っていいんだな?」
「あはははは!」
喜びの面を前面に出して笑うこころ。一方心配性なオカン状態の神子からため息が零れる。
そんなオカンを元気づけてやろうと、妖怪の親分が盃片手にやってきた。
「まあまあ、そんなに気を落とすな。こころにとっては全てが新鮮。全てが勉強。今のところ儂らは見守ってやるのが一番じゃと思うがな」
「そういうものなのですか……」
神子らとまた一悶着あっては困るかもということで、命蓮寺代表として一人で宴会参加しているマミゾウ親分。
ちなみに言うと、無意識に生きる地底の妖怪や、方々にノリよく悪態をつきまくった河童もいない。
いずれはもっと多くの人妖で集まって大がかりな宴会にもしたいが、とりあえず今日は慎ましやかな(霊夢と魔理沙がいるだけで慎ましやかさなど無いのかもしれないが)飲み会である。
さらにちなみにだが、布都は宴会開始からものすごいペースで酒を仰いだ結果、少し離れたところで屠自子に介抱されている。
閑話休題、マミゾウは神子オカンを一通り励ました後、先ほどからずっと喜びの面が笑い続けているこころに水を向けた。
「こころよ。自我を手に入れることは大事じゃが、そう焦ることも無い。まあ、ハートの問題じゃ」
「はい、これからも精進します」
「いい返事じゃ……むっ、すまん、グラスが空いておるな。どれ、これは儂からの餞別じゃ」
「ありがとうございます……っと、あ!?」
こころの面が喜びから驚きに変わると同時に、パリンッ、という音が響いた。
マミゾウに酒を注いでもらおうと差し出されたグラスが、こころの手から滑り落ちてしまったのだ。
ごめんなさい、と呟いてこころが砕けた破片を拾おうとすると、神子とマミゾウは慌てて止めようとした。
「いけない。指を切ってしまう」
「そうじゃ、ここはホウキでも持ってきて……」
「つっ……!」
止めようとしたが、間に合わなかった。
破片によってこころの指の薄皮がむけてしまい、わずかではあるが血がにじむ。
「ああ、すぐに手当てしないと」
「おい博麗の、消毒液や絆創膏は無いのか?」
「ん、ああちょっと待ってて」
「おう、わたしも行くぜ」
マミゾウが声をかけると、いまだに口喧嘩を続けていた霊夢と魔理沙はすぐにそれをやめ、救急箱を取りに行った。
その一方で、こころは驚きの面のまま、血の滲む自らの面を眺めていた。
そんなこころの様子が若干不審で、神子が心配そうに声をかける。
「どうしたのです? そんなに痛むのですか?」
「血、わたしの血……」
「はい?」
こころが発した小さな声を神子が聞き返した次の瞬間、こころの面がいきなり憤怒の表情に変わった。
「い、いてぇよ~~~~!!!」
「はいぃ!?」
変わったのは面だけではない。さっきまでの陽気な口調はどこへやら、謎の大声。
さらに面倒なことに、こころはじっとしていてくれないのだ。
「まわれ~い!」
「うわぁ!?」
よほど興奮しているらしいこころは、突然両手を広げてくるくると回り出した。
その際に発生した風圧もこれには神子も思わずたじろぐ。
「え、何これどうしたの?」
「こころのやつ、どうしたんだ?」
「わ、分かりません! ただ、指先を眺めていたと思ったら急に……」
「まわれ~い! まわれ~い! まわれ~い!」
救急箱を持った霊夢と魔理沙が慌てて飛び出してきて、困惑する神子が状況を説明する。
こころは相変わらずくるくる回転していた。
とここで、思案顔で黙っていたマミゾウが閃いたように呟いた。
「むっ、そうか」
「な、なんなのです!?」
神子が問う。
こころが訳の分からないことになっている非常事態にも、マミゾウはゆっくりと口を開く・
「実はな、自我の勉強になるかと思って外の世界から持ってきたちょっぴり世紀末な読本をこころに貸したのじゃよ。その本には自分の血を見ると怒りに我を忘れるキャラがおったのじゃが、こころのやつめそこから怒りを学んだか。大事なのはハートの問題……あだっ!」
やたら得意そうに話すマミゾウの頭に、神子と霊夢と魔理沙から一発ずつの拳骨。次いで非難の嵐。
「こころに何てもの読ませてくれてるんですか!?」
「自我の勉強で我を忘れてどうすんのよ!?」
「結果あのざまじゃないか!?」
「わ、儂とてこんなことになるとは思わなんだんじゃよ!」
「まわれ~い!」
魔理沙が指差すその先に、激しく横回転しながら左右に動き、たまに上昇もするこころの姿。
顔は怒っていない。怒っているのは面だけである。それがまた不気味だった。
「ふふふ、ここは我の出番ですな!」
Here comes a new hero.
混沌とする神社の境内に、一人の救世主が現れた。
「布都! 大丈夫なのですか?」
「勿論ですとも! 今の我に敵などおりません!」
「どこがよ」
霊夢のツッコミが入る。
それもそのはず。異様に自信にあふれたその顔とは裏腹に、屠自子に肩を貸してもらわないと満足に立てないくらいふらふらなのだ。
しかしそれでも、布都の態度は変わらない。元々思い込んだら突っ走るタイプのところへ酒精の力。
「やかましぞ紅白、分身などと妖しい術を使いおってからに」
「流石にこれは典型的すぎてつっこむ気にもならないぜ」
「まったくじゃな」
呆れ顔で頭を掻く魔理沙と、苦笑いしかできないマミゾウ。
布都に肩を貸す屠自子が非常に申し訳なさそうに「み、水……」と小声で言ったので、可哀想に思った魔理沙がすぐにコップ一杯注いであげた。
布都はそれを乱暴に受け取り、一気にあおいで鼻息を荒くした。
「布都、本当に大丈夫なのですか? くれぐれも無理はしないで」
「大丈夫ですとも! おイタの過ぎる童にはお仕置きが必要なのです! 思い知らせてやりますぞ!」
そう意気込み、屠自子の肩から抜け出して布都はこころめがけて突撃する。
「さあ、我の名を言ってみ……ばわっ!」
「まわれ~い!」
意気揚々とこころに接近した布都は、回転するこころから発せられた竜巻のような風圧に捕まって一緒に回転するはめになった。
「ふ、布都おおぉぉぉ!?」
「……ああ、やっぱり」
「……フラグをたて過ぎだぜ」
「……しょうがないやつじゃのう」
「……やれやれ」
あまりに予想通り過ぎた展開に、神子を除く全員からため息が漏れた。
神子だけが、哀しい目を布都に送っている。
「死んでしまう! このままでは布都が死んでしまう!」
「確かに、このままでは十割ルートかもしれん」
布都はいつまで経っても抜けだすことができず、ダメージを受け続けている。
たとえ体力ゲージが満タンであったとしても、何もできずに力尽きるタイフーンループ。
レバーを倒して数コマンド入力しただけで死ぬ。
「何とかしてこころを止めないと……そうだ屠自子、あれを!」
「は、はい!」
「お、何だ? 秘策でもあるのか?」
神子に命令され、屠自子は懐から数枚の平たい物を取り出した。
その正体を興味津々に伺う魔理沙。霊夢、マミゾウらもそれに続くと、神子は焦りによって汗ばんだ額を拭いながら重々しく答えた。
「実は、こころが失くした希望の面の替えは試作を含め複数作り置きしていたのです。結局こころに渡したものが最高傑作でしたが、スペアにいくつか。これをこころに投げつけてぶつければ、あるいは希望に目覚めて正気を取り戻してくれるかもしれない」
言いながら、神子は全員に向かって五枚の面を掲げた。無論、デザインは「アレ」である。
霊夢、魔理沙、マミゾウ、さらには屠自子までもひいていた。
「……相変わらずひどいデザインね」
「……どういうセンスしてるんだ?」
「……五枚も並ぶとより奇怪じゃのう」
「……アレを普段から携帯しているせいかこの前夢に出た」
「聞こえてますよ」
顔をしかめる神子。
だが今は一大事、いちいち気にとめている時間も惜しい。
大きく咳払いして、四枚の面を一枚ずつ四人に渡した。
「とにかく、五枚の面に対してちょうど五人。一枚でもぶつければいいので、せーので一気に投げますよ! せーのっ!」
「……大丈夫かなあ」
「……こんなんが五枚も一気に飛んできたら余計に正気を失くしそうだぜ」
「……儂もそう思う」
「……許せこころ」
一点の迷いも無い人が一人と、迷いつつ投げた四人。
しかし、どれも一応はそれなりの勢いでもって、布都をくるくると転がしているこころの元へと飛んでいった。
「やったっ!」
神子がぐっとガッツポーズをする。
我を忘れたこころには、上手い具合に当たる、はずだった。
「ふん! ぬおおおおぉぉぉ!!」
飛んでくる面たちを視界にとらえるや否や、こころは回転をやめ、急に気合を込めて叫んだ。
するとどうだろう、こころへと向かっていたはずの面が一瞬空中に留まり、直後にベクトルを真逆にして弾けるように飛んだ。
「あわびゅ!」
「ちにゃ!」
「うわらば!」
神子とマミゾウが何とか回避するものの、霊夢、魔理沙、屠自子被弾。思いのほか衝撃が強く、そのまま崩れ落ちてしまった。
弾幕ごっこに慣れた彼女たちにとっては避けられないものでもなかったが、酒で感覚が狂っていたことと、もう一つの理由で回避が遅れた。
「あ、あんな不気味な面が飛んできて判断が遅れたわ……ガクッ」
「ああ……もしも弾幕ごっこで利用されたら、避けきる自信がないぜ……うっ」
「ま、また夢に見てしまう……バタッ」
「さっきからそればっかりですかー!?」
気を失う直前に残された言葉たちに、神子の心もいい加減に傷付きそうだった。
なお、マミゾウも向かってくるあの面に内心ビビっていたが、投げた物がそのまま返ってくるという世紀末なパターンは頭の片隅にあったため難を逃れることができた。まさか本当に世紀末的展開になるとは思っていなかったが。
ともあれ、自分もあの面にビビったなどと言うと神子が余計に傷付きそうだったので黙っておく。
「馬鹿めっ、わたしが能面の付喪神ということを忘れたか!」
こころの嘲笑うかの如き世紀末ボイスが飛ぶ。
唯一の成果と言えば布都がタイフーンループから抜け出せたことぐらいだが、蓄積したダメージが大き過ぎたのか、「し、死ななきゃ安い……」と一言口にして気絶した。
残るは神子とマミゾウだけ。その二人に向かって、こころはのっしのっしと歩み寄る。
気圧されているのか、その姿がまるで普段の倍はあるかと思うくらいに見えた。
「まずいのう、まるでアーマーをつけているようじゃ。これは迂闊に手を出せん」
「……アーマーって何です?」
「簡単に言えば一発だけのけぞらないのじゃ。だから下手に攻撃すると一発耐えられて手痛い反撃をくらう。最悪そのまま十割ルートじゃ」
「十割とかルートとかよく分かりませんが、布都のような目に遭うと?」
神子の問いに、マミゾウは無言で頷く。その顔は、冷や汗で水分と濡れていた。
のっしのっしと一歩ずつ迫ってくるこころ。それに合わせて神子とマミゾウも後ずさりするが、逃げてばかりではいられない。
マミゾウが、神子にこっそりと耳打ちをした。神子が驚いてマミゾウの顔を見ると、その目は決意を込めていた。
「もとはと言えば儂がこころにあの本を読ませたのが原因。責任は取る」
「分かりました」
マミゾウの意を受けて、神子は力強く頷いた。
そして、マミゾウがこころの元へと駆けつけて、露骨な挑発を始める。
「ほれほれどうした? そんなノロマではまるで豚ではないか。さあさあ儂を捕まえてみろ」
「人を豚呼ばわりとは云い度胸うじゃないか……お仕置きです!」
怒りの面が強く反応して、こころはマミゾウに掴みかかる。
すんでのところで回避するマミゾウ。
「ほいほい豚は屠殺場行きじゃぞ~……それっ!」
「むっ!」
マミゾウの軽い手刀が、こころの頭に当たった。
だがこころは全く意に介さず、反対にマミゾウの両方をがっちりと掴んだ。そのままマミゾウを持ち上げる。
勝利を確信した声が無表情な顔、その口から出てくる。
「捕まえた。さあ観念して、潰れてしまいなさ……」
「今じゃ!」
地面に叩きつけられそうになったところで、今度はマミゾウが叫んだ。
時を同じくして、こころの真後ろからにゅっと手が伸び、こころを包みこんだ。
生みの親、豊聡耳神子である。
じたばたするこころではあるが、後ろから神子に抱きこまれ、さらに両腕は取り押さえていたマミゾウに押さえ返されている状態。
抜け出す術はない。
「ううっ!」
「落ち着きなさいこころ。怒りも自我の一つであることは確か。しかし、怒りに身を任せては駄目。それでは大切な物を失ってしまう」
「うう……」
「わたしたちが付いています。道を間違えそうになることもあるかもしれませんが、わたしたちが力を貸します」
「ああ……」
「だから、しっかりと希望を見据えなさい。分かった?」
時折頭を優しく撫でられて、耳元には諭すように囁かれる神子の柔らかな言葉。
じたばたともがいていたこころも次第に大人しくなっていき、そして憤怒の面から別の面へと変わった。
「分かりました! 不肖秦こころ、これからは希望に生きていきます!」
「分かればよろしい」
今の面は、希望の面。デザインこそ「アレ」だが、まごうことなき希望の面。
とりあえず、負傷者四名を出した一悶着も終息に向かいつつある。
マミゾウが、ふう、と安堵の息を漏らした。
「もう大丈夫じゃろう。けが人のために薬を出してやらんといかんな」
神子に耳打ちした作戦。
マミゾウが囮になって、神子がこころを捕まえる。そしてとにかく何が何でもなだめすかす。
一か八か、そうすれば怒りも収まってくれるかと考えたが、成功に終わってくれた。
ふと神子とこころの方を見やると、二人はまだくっついたままだった。
「これからは希望、そして愛も大事です!」
「ははあ、愛ですか」
「愛は絶対勝つんだよ! ぜーったい!」
「よく分かりませんが、精進することです」
無表情のまま、希望の面のこころが話す。
「まあ大事なのは、はぁとの問題じゃな」
この騒動の中ですっかり乱れてしまっていた眼鏡を思い出したかのように直し、マミゾウは霊夢たちの手当てに向かった。
「ははは、飲め飲め」
「いただきます」
人々の心から希望が失われた騒動も、その元凶が新たな希望を手に入れたことによってひとまずの終息をえた、その後の博麗神社での酒宴。
周囲に数多の面を漂わせる妖怪に酒を注ぐ紅白と、囃したてる白黒。
その光景を芳しく思わない面の製作者が、横から不平を漏らす。
「二人とも、こころはまだ未熟なのですからあまり無理をさせないでください」
こころの生みの親といっても過言ではない、聖人豊聡耳神子。
彼女の発した子を心配する親のような言いぶりに、逆に紅白と白黒から不満の声が上がる。
「お固いわね。まず楽しく飲むことを覚えるのが大事なのよ。ねえ魔理沙?」
「まったく同感だな。こころだって楽しい方がいいだろう?」
「はい、今とっても楽しいです」
霊夢と魔理沙に問われて、今回の騒動の元凶、秦こころはにこやかに言う。
正確に言えば、にこやかなのは矢面に立っている喜びの面。本人の顔の方は無表情のまま。
しかし、やはり酒精の力なのか、無表情な顔がどことなく赤みを帯びているように見えなくもない。
「……不良に付き合って、こころも不良にならなければいいのですが」
「なにおう。魔理沙はともかく、素敵な巫女を捕まえて不良は無いでしょうよ」
「おっと霊夢、それは聞き捨てならないぜ。わたしに喧嘩を売っていると受け取っていいんだな?」
「あはははは!」
喜びの面を前面に出して笑うこころ。一方心配性なオカン状態の神子からため息が零れる。
そんなオカンを元気づけてやろうと、妖怪の親分が盃片手にやってきた。
「まあまあ、そんなに気を落とすな。こころにとっては全てが新鮮。全てが勉強。今のところ儂らは見守ってやるのが一番じゃと思うがな」
「そういうものなのですか……」
神子らとまた一悶着あっては困るかもということで、命蓮寺代表として一人で宴会参加しているマミゾウ親分。
ちなみに言うと、無意識に生きる地底の妖怪や、方々にノリよく悪態をつきまくった河童もいない。
いずれはもっと多くの人妖で集まって大がかりな宴会にもしたいが、とりあえず今日は慎ましやかな(霊夢と魔理沙がいるだけで慎ましやかさなど無いのかもしれないが)飲み会である。
さらにちなみにだが、布都は宴会開始からものすごいペースで酒を仰いだ結果、少し離れたところで屠自子に介抱されている。
閑話休題、マミゾウは神子オカンを一通り励ました後、先ほどからずっと喜びの面が笑い続けているこころに水を向けた。
「こころよ。自我を手に入れることは大事じゃが、そう焦ることも無い。まあ、ハートの問題じゃ」
「はい、これからも精進します」
「いい返事じゃ……むっ、すまん、グラスが空いておるな。どれ、これは儂からの餞別じゃ」
「ありがとうございます……っと、あ!?」
こころの面が喜びから驚きに変わると同時に、パリンッ、という音が響いた。
マミゾウに酒を注いでもらおうと差し出されたグラスが、こころの手から滑り落ちてしまったのだ。
ごめんなさい、と呟いてこころが砕けた破片を拾おうとすると、神子とマミゾウは慌てて止めようとした。
「いけない。指を切ってしまう」
「そうじゃ、ここはホウキでも持ってきて……」
「つっ……!」
止めようとしたが、間に合わなかった。
破片によってこころの指の薄皮がむけてしまい、わずかではあるが血がにじむ。
「ああ、すぐに手当てしないと」
「おい博麗の、消毒液や絆創膏は無いのか?」
「ん、ああちょっと待ってて」
「おう、わたしも行くぜ」
マミゾウが声をかけると、いまだに口喧嘩を続けていた霊夢と魔理沙はすぐにそれをやめ、救急箱を取りに行った。
その一方で、こころは驚きの面のまま、血の滲む自らの面を眺めていた。
そんなこころの様子が若干不審で、神子が心配そうに声をかける。
「どうしたのです? そんなに痛むのですか?」
「血、わたしの血……」
「はい?」
こころが発した小さな声を神子が聞き返した次の瞬間、こころの面がいきなり憤怒の表情に変わった。
「い、いてぇよ~~~~!!!」
「はいぃ!?」
変わったのは面だけではない。さっきまでの陽気な口調はどこへやら、謎の大声。
さらに面倒なことに、こころはじっとしていてくれないのだ。
「まわれ~い!」
「うわぁ!?」
よほど興奮しているらしいこころは、突然両手を広げてくるくると回り出した。
その際に発生した風圧もこれには神子も思わずたじろぐ。
「え、何これどうしたの?」
「こころのやつ、どうしたんだ?」
「わ、分かりません! ただ、指先を眺めていたと思ったら急に……」
「まわれ~い! まわれ~い! まわれ~い!」
救急箱を持った霊夢と魔理沙が慌てて飛び出してきて、困惑する神子が状況を説明する。
こころは相変わらずくるくる回転していた。
とここで、思案顔で黙っていたマミゾウが閃いたように呟いた。
「むっ、そうか」
「な、なんなのです!?」
神子が問う。
こころが訳の分からないことになっている非常事態にも、マミゾウはゆっくりと口を開く・
「実はな、自我の勉強になるかと思って外の世界から持ってきたちょっぴり世紀末な読本をこころに貸したのじゃよ。その本には自分の血を見ると怒りに我を忘れるキャラがおったのじゃが、こころのやつめそこから怒りを学んだか。大事なのはハートの問題……あだっ!」
やたら得意そうに話すマミゾウの頭に、神子と霊夢と魔理沙から一発ずつの拳骨。次いで非難の嵐。
「こころに何てもの読ませてくれてるんですか!?」
「自我の勉強で我を忘れてどうすんのよ!?」
「結果あのざまじゃないか!?」
「わ、儂とてこんなことになるとは思わなんだんじゃよ!」
「まわれ~い!」
魔理沙が指差すその先に、激しく横回転しながら左右に動き、たまに上昇もするこころの姿。
顔は怒っていない。怒っているのは面だけである。それがまた不気味だった。
「ふふふ、ここは我の出番ですな!」
Here comes a new hero.
混沌とする神社の境内に、一人の救世主が現れた。
「布都! 大丈夫なのですか?」
「勿論ですとも! 今の我に敵などおりません!」
「どこがよ」
霊夢のツッコミが入る。
それもそのはず。異様に自信にあふれたその顔とは裏腹に、屠自子に肩を貸してもらわないと満足に立てないくらいふらふらなのだ。
しかしそれでも、布都の態度は変わらない。元々思い込んだら突っ走るタイプのところへ酒精の力。
「やかましぞ紅白、分身などと妖しい術を使いおってからに」
「流石にこれは典型的すぎてつっこむ気にもならないぜ」
「まったくじゃな」
呆れ顔で頭を掻く魔理沙と、苦笑いしかできないマミゾウ。
布都に肩を貸す屠自子が非常に申し訳なさそうに「み、水……」と小声で言ったので、可哀想に思った魔理沙がすぐにコップ一杯注いであげた。
布都はそれを乱暴に受け取り、一気にあおいで鼻息を荒くした。
「布都、本当に大丈夫なのですか? くれぐれも無理はしないで」
「大丈夫ですとも! おイタの過ぎる童にはお仕置きが必要なのです! 思い知らせてやりますぞ!」
そう意気込み、屠自子の肩から抜け出して布都はこころめがけて突撃する。
「さあ、我の名を言ってみ……ばわっ!」
「まわれ~い!」
意気揚々とこころに接近した布都は、回転するこころから発せられた竜巻のような風圧に捕まって一緒に回転するはめになった。
「ふ、布都おおぉぉぉ!?」
「……ああ、やっぱり」
「……フラグをたて過ぎだぜ」
「……しょうがないやつじゃのう」
「……やれやれ」
あまりに予想通り過ぎた展開に、神子を除く全員からため息が漏れた。
神子だけが、哀しい目を布都に送っている。
「死んでしまう! このままでは布都が死んでしまう!」
「確かに、このままでは十割ルートかもしれん」
布都はいつまで経っても抜けだすことができず、ダメージを受け続けている。
たとえ体力ゲージが満タンであったとしても、何もできずに力尽きるタイフーンループ。
レバーを倒して数コマンド入力しただけで死ぬ。
「何とかしてこころを止めないと……そうだ屠自子、あれを!」
「は、はい!」
「お、何だ? 秘策でもあるのか?」
神子に命令され、屠自子は懐から数枚の平たい物を取り出した。
その正体を興味津々に伺う魔理沙。霊夢、マミゾウらもそれに続くと、神子は焦りによって汗ばんだ額を拭いながら重々しく答えた。
「実は、こころが失くした希望の面の替えは試作を含め複数作り置きしていたのです。結局こころに渡したものが最高傑作でしたが、スペアにいくつか。これをこころに投げつけてぶつければ、あるいは希望に目覚めて正気を取り戻してくれるかもしれない」
言いながら、神子は全員に向かって五枚の面を掲げた。無論、デザインは「アレ」である。
霊夢、魔理沙、マミゾウ、さらには屠自子までもひいていた。
「……相変わらずひどいデザインね」
「……どういうセンスしてるんだ?」
「……五枚も並ぶとより奇怪じゃのう」
「……アレを普段から携帯しているせいかこの前夢に出た」
「聞こえてますよ」
顔をしかめる神子。
だが今は一大事、いちいち気にとめている時間も惜しい。
大きく咳払いして、四枚の面を一枚ずつ四人に渡した。
「とにかく、五枚の面に対してちょうど五人。一枚でもぶつければいいので、せーので一気に投げますよ! せーのっ!」
「……大丈夫かなあ」
「……こんなんが五枚も一気に飛んできたら余計に正気を失くしそうだぜ」
「……儂もそう思う」
「……許せこころ」
一点の迷いも無い人が一人と、迷いつつ投げた四人。
しかし、どれも一応はそれなりの勢いでもって、布都をくるくると転がしているこころの元へと飛んでいった。
「やったっ!」
神子がぐっとガッツポーズをする。
我を忘れたこころには、上手い具合に当たる、はずだった。
「ふん! ぬおおおおぉぉぉ!!」
飛んでくる面たちを視界にとらえるや否や、こころは回転をやめ、急に気合を込めて叫んだ。
するとどうだろう、こころへと向かっていたはずの面が一瞬空中に留まり、直後にベクトルを真逆にして弾けるように飛んだ。
「あわびゅ!」
「ちにゃ!」
「うわらば!」
神子とマミゾウが何とか回避するものの、霊夢、魔理沙、屠自子被弾。思いのほか衝撃が強く、そのまま崩れ落ちてしまった。
弾幕ごっこに慣れた彼女たちにとっては避けられないものでもなかったが、酒で感覚が狂っていたことと、もう一つの理由で回避が遅れた。
「あ、あんな不気味な面が飛んできて判断が遅れたわ……ガクッ」
「ああ……もしも弾幕ごっこで利用されたら、避けきる自信がないぜ……うっ」
「ま、また夢に見てしまう……バタッ」
「さっきからそればっかりですかー!?」
気を失う直前に残された言葉たちに、神子の心もいい加減に傷付きそうだった。
なお、マミゾウも向かってくるあの面に内心ビビっていたが、投げた物がそのまま返ってくるという世紀末なパターンは頭の片隅にあったため難を逃れることができた。まさか本当に世紀末的展開になるとは思っていなかったが。
ともあれ、自分もあの面にビビったなどと言うと神子が余計に傷付きそうだったので黙っておく。
「馬鹿めっ、わたしが能面の付喪神ということを忘れたか!」
こころの嘲笑うかの如き世紀末ボイスが飛ぶ。
唯一の成果と言えば布都がタイフーンループから抜け出せたことぐらいだが、蓄積したダメージが大き過ぎたのか、「し、死ななきゃ安い……」と一言口にして気絶した。
残るは神子とマミゾウだけ。その二人に向かって、こころはのっしのっしと歩み寄る。
気圧されているのか、その姿がまるで普段の倍はあるかと思うくらいに見えた。
「まずいのう、まるでアーマーをつけているようじゃ。これは迂闊に手を出せん」
「……アーマーって何です?」
「簡単に言えば一発だけのけぞらないのじゃ。だから下手に攻撃すると一発耐えられて手痛い反撃をくらう。最悪そのまま十割ルートじゃ」
「十割とかルートとかよく分かりませんが、布都のような目に遭うと?」
神子の問いに、マミゾウは無言で頷く。その顔は、冷や汗で水分と濡れていた。
のっしのっしと一歩ずつ迫ってくるこころ。それに合わせて神子とマミゾウも後ずさりするが、逃げてばかりではいられない。
マミゾウが、神子にこっそりと耳打ちをした。神子が驚いてマミゾウの顔を見ると、その目は決意を込めていた。
「もとはと言えば儂がこころにあの本を読ませたのが原因。責任は取る」
「分かりました」
マミゾウの意を受けて、神子は力強く頷いた。
そして、マミゾウがこころの元へと駆けつけて、露骨な挑発を始める。
「ほれほれどうした? そんなノロマではまるで豚ではないか。さあさあ儂を捕まえてみろ」
「人を豚呼ばわりとは云い度胸うじゃないか……お仕置きです!」
怒りの面が強く反応して、こころはマミゾウに掴みかかる。
すんでのところで回避するマミゾウ。
「ほいほい豚は屠殺場行きじゃぞ~……それっ!」
「むっ!」
マミゾウの軽い手刀が、こころの頭に当たった。
だがこころは全く意に介さず、反対にマミゾウの両方をがっちりと掴んだ。そのままマミゾウを持ち上げる。
勝利を確信した声が無表情な顔、その口から出てくる。
「捕まえた。さあ観念して、潰れてしまいなさ……」
「今じゃ!」
地面に叩きつけられそうになったところで、今度はマミゾウが叫んだ。
時を同じくして、こころの真後ろからにゅっと手が伸び、こころを包みこんだ。
生みの親、豊聡耳神子である。
じたばたするこころではあるが、後ろから神子に抱きこまれ、さらに両腕は取り押さえていたマミゾウに押さえ返されている状態。
抜け出す術はない。
「ううっ!」
「落ち着きなさいこころ。怒りも自我の一つであることは確か。しかし、怒りに身を任せては駄目。それでは大切な物を失ってしまう」
「うう……」
「わたしたちが付いています。道を間違えそうになることもあるかもしれませんが、わたしたちが力を貸します」
「ああ……」
「だから、しっかりと希望を見据えなさい。分かった?」
時折頭を優しく撫でられて、耳元には諭すように囁かれる神子の柔らかな言葉。
じたばたともがいていたこころも次第に大人しくなっていき、そして憤怒の面から別の面へと変わった。
「分かりました! 不肖秦こころ、これからは希望に生きていきます!」
「分かればよろしい」
今の面は、希望の面。デザインこそ「アレ」だが、まごうことなき希望の面。
とりあえず、負傷者四名を出した一悶着も終息に向かいつつある。
マミゾウが、ふう、と安堵の息を漏らした。
「もう大丈夫じゃろう。けが人のために薬を出してやらんといかんな」
神子に耳打ちした作戦。
マミゾウが囮になって、神子がこころを捕まえる。そしてとにかく何が何でもなだめすかす。
一か八か、そうすれば怒りも収まってくれるかと考えたが、成功に終わってくれた。
ふと神子とこころの方を見やると、二人はまだくっついたままだった。
「これからは希望、そして愛も大事です!」
「ははあ、愛ですか」
「愛は絶対勝つんだよ! ぜーったい!」
「よく分かりませんが、精進することです」
無表情のまま、希望の面のこころが話す。
「まあ大事なのは、はぁとの問題じゃな」
この騒動の中ですっかり乱れてしまっていた眼鏡を思い出したかのように直し、マミゾウは霊夢たちの手当てに向かった。
ああいう暴走もあるのですねこころちゃん。
こりゃあこころちゃんの教育は慎重にしないとマズイですね。
太子さまも忙しくなってしまいますね、これは。
内容は充分によかったのですが、終わり方に少々不満があります。
まあでもこころちゃんが可愛ければそれでいいか!
やっぱりみんなに愛されるべきキャラですよねこころちゃんは!
それではそろそろ失礼いたします。
こころちゃん可愛いよこころちゃん。