Coolier - 新生・東方創想話

リグル・ナイトバグは蠢かない

2013/06/08 08:34:37
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物が幻想入りする瞬間を見たことがある。

今からおよそ20年前。
自宅周辺が何者かによって爆撃され、竹林から住処を変えようといい感じの場所を見繕っていた時の事だった。

その日、たまには森の方にでも足を延ばそうかと思い立ち、僕は川沿いをたどりながら手頃な場所はないかとフラフラ歩いていた。
さわさわと冷たそうな水が流れていく脇で、数多の眷属たちが夏の訪れに歓喜の声を上げていたのを今でも覚えている。

それまで僕は他の弱小妖怪たちの例にもれず、適当な洞窟や大木の『うろ』なんかに住んでいた。
最低限の衣食住。
野生動物とそう変わらない生活だったが、僕は満足していた。
いや、不満だと認識できなかったと言った方が正しいか。

確かに山の重鎮たちが人間が住むようなでっかい建物に住んでいることくらいは知っていたし、ちょっとうらやましいなと思うこともあった。
でもそういうのは特別な妖怪が住むものであって、僕には縁遠い話だと思っていた。
やっぱり僕は、身分相応の生活に満足していたのだ。

今日も元気でご飯がうまい。
それ以上は、望むだけ残酷だ。
そう思っていた、まさにその矢先。

目の前に『家』が現れた。

ここには今の今まで確かに何もなかったのに。
森の中のちょっと開けたスペース、川も近いしいい感じだなーなんて思っていたところに。
まるで何年も前からそこにあったとでも言うように、堂々とした2階建ての家が佇んでいた。
妖精にでも化かされたのかと思った僕は、近くに居た蟲を遣って周囲を探索してみたのだが、妖精はおろか狸も狐も見当たらなかった。

家、だ。
僕は最初それが家だと認識できず、平らな岩か何かかと思ってしまったことが懐かしい。
それほどまでにその家は、僕の中の常識から外れていた。
後から聞いた話では、外の世界の一般的な家屋はおおよそこれに近いもので、里にあるような藁ぶき屋根の民家はもうほとんどないのだそうだ。

幻想入り。
その現象の名前だけは知っていた。
外の世界のものが、忘れられたものが、結界を越えてやってくる。

『これ』が『それ』なのか。
バクバクという心臓の高鳴りも、ゴクリという唾を飲む音も、はっきりと覚えている。

幻想入りしたものは、拾った人のもの。
その所有権を主張できる。
ならこの家は。

僕の物だ。

そう認識した瞬間、まばたきするような短い時間に様々な感情が脳裏を巡った。
ほんとに住んでもいいのか。
誰かに奪われやしないか。
家具を取ってこなければ。
取ってくる間に誰か来やしないか。

そしてまばたきが終わるころ、思考はたった1つの事で埋め尽くされた。

『僕は特別になれるかもしれない』

あの山に住む妖怪たち。
文句なしで特別な、雲の上の連中がしのぎを削る場所。
あそこに飛び込めるかもしれない。

ここを拠点に、身なりを整え、基盤を作れれば。

群雄割拠の晩餐会。
行動と実績が、そのまま歴史として語られる世界。

そこに、この僕が飛び込めるかもしれない。

これは天啓だ。
そう呟いて扉を開けた、その瞬間が始まりだった。
長い長い、1000年は続く長い旅路。

それがこの時、音を立てて始まった。





「ただいまー」

20年間住み続けた家は、今日も僕を出迎えてくれる。

「うーい」
「お帰りですー」
「お帰り」
「おっかー」

玄関を入ってすぐの居間から、同居人たちの返事が聞こえてきた。
同時にジャラジャラという音も聞こえてくる。

「またやってんのか」

買い物袋をキッチンに置き、居間のソファに身を投げ出す。
中のバネがヘタレているのか、不自然に沈みやがる。

「……通らばリーチ!」
「あ、カンです」

僕は現在この家に、5人の同居人とともに住んでいる。
いかれた仲間を紹介しよう。

14順目になって今更のようにリーチをかけたのが、僕の相方ミスティア・ローレライ。
捨て牌を見る限り高めの3色でも狙ってそうなこの鳥は、『みすち屋』なる屋台を経営する女将さんだ。
料理はかなりうまいのだが、いかんせん金勘定が雑である。
いつかは店舗を構えたいらしいが、いつになることやら。

僕との付き合いはこの中で2番目に長いが、この家に来たのはつい最近の事だったりする。
先々月の嵐で自宅が半壊し、しばらく住居を転々としていたが無理があると気付いたらしく、僕に泣き付いてきた。
人に頼ることが大嫌いなミスティアが主義を曲げてまで頭を下げたのだから、きっと本当に困っていたのだろう。

「親リー相手に明槓か? お前セオリーってもんを少しは……」
「あら、もろ乗り」
「そんなバナナ!」

そんなミスティアの下家に座り、今の鳴きで発ドラ4の満貫が確定したのが鳴子の付喪神、名前もそのまま鳴子だ。
苗字は忘れた、なかったかもしれない。
なんて安直な名前なんだと初めは思ったが、ぬえという名前のぬえを知っているし、さとりって名前のさとりや麒麟って名前の麒麟もいるらしいので深く考えるのはやめにした。
ちなみに『なるこ』っていうのはあれだ、ロープに木片とか鈴とかを取り付けたトラップの一種で、侵入者が引っかかると音が鳴るやつ。
どこかで設置されたまま忘れられた奴が、付喪神化したらしい。

それとうちでは明槓でもドラ即乗りのルール。

「うふ、ありがとミスちー」
「てっめ」
「ロン、タンピンドラドラ」
「え?」
「あ」

鳴子の対面、ミスティアから見て上家に座るのがこの家唯一の男手、歌舞伎塚。
下の名前は忘れた。
がっちりした体格の獅子の妖獣で、腕力だけなら白狼天狗とそう変わらない、とよく自慢している。
これで自慢になっている、天狗が規格外なだけだ。
ちなみに顔も獅子っぽい。

そんなガチムチの彼だが、ダマテンで奇襲をかける慎重さや『おっぱいは正義』などと公言してはばからない正直さや、歌舞伎塚のくせに落語が好きというユーモアのセンスも持ち合わせている。
週1だか月1だかで開催されている命蓮寺の落語風説法会にも毎回出席している変わり者で、僕はてっきりお目当ての女でもいるのかと思っていたが、どうも真面目にメモを取りながら落語の勉強をしているらしい。
将来の夢は落語家だとか。

「……ロン、1000点」
「む、頭跳ねだと?」
「うはー、リリカちゃんナイスです!」

そんな歌舞伎塚の上家にして鳴子の下家、そしてミスティアの対面に座る最後の一人、リリカ。
この子も苗字は忘れた。
なんとかリバーだったと思う。

4人姉妹の三女だが、姉のおまけみたいに扱われるのに嫌気がさして飛び出してきたらしい。
1人でもやっていけると証明したい、そう言ってキーボード片手にこの家にやってきた。

ちなみにこの子だけ幽霊だ。
家主である僕としては住むのは妖怪だけに限定したかったのだが、その熱意に負けて住むのを許可した。

「御無礼」
「次、オーラスだな」
「親が1瞬で流れた」
「ドラが1瞬で流れたです」

この家ではそこで昼間っから麻雀に興じている4人に、僕とそしてあとユキエという妖獣を加えた計6人が共同生活をしている。
この家は1人で住むには広すぎるというのもあるが、どちらかというと誰かに奪われないようにするという意味合いが強い。
僕らみたいな弱小妖怪が過ぎた物を持っていれば、いずれ格上の誰かに奪われる。

だからこそ徒党を組んだ。
ちゃんとした家に住みたい、でも1人では維持できない。
ここにいるのは、全員がそういうレベルにいる奴だ。
そんな連中だから、安心して住まわせられる。
馴れ合いでもなんでもない、必要に駆られて僕らは同じ釜の飯を食っている。

「ケーキ買ってきたんだけど、ユキエは?」
「んー? 知らね」

自分の山を積みながら、ミスティアが答える。
また里で散歩でもしているのだろう、相変わらず奔放な奴だ。

「え!? ケーキっすか! 食っていいんすかリグっさん!」

そしてケーキという言葉に鳴子が食いついてきた。
鳴子は体中に木片を吊り下げているため、急に振り向いたりするとガランガランと音が鳴る。
身体の一部らしい。
初めて会った時『ミノムシみたいで可愛いね』と言ったら苦い顔をされた。

「ねえねえいいんすか!? いいんすよね!? ここまで来てやっぱやめとか言わないっすよね!?」
「うっせーよミノムシ早く切れ」
「ミノムシじゃねえです!」

子犬のような反応を見せる鳴子とは対象に、歌舞伎塚とリリカは理牌に忙しいのかろくに返事もしない。
真剣なのは結構だが、無視されているみたいで気に入らない。
気に入らないので、一石投じてみることにした。

「その半荘勝った順に選んでいいよ」

ざわ……。
と、空気が揺れた気がした。

「ユキエいないみたいだし、トップの人は2つね」

全員がこっちを振り向いた。
笑えるほどの間抜け面だ。

そして次の瞬間、食欲の権化となった馬鹿どもの視線が手牌へと集中する。
点棒を見た感じミスティアの一人沈みっぽかったが、逆転できる範囲だと思う。

というかみんな目つきが怖い。
完全に勝負師のそれだ。

「ボス、質問!」

と、リリカが聞いてくる。

「ケーキ選ぶ順は1位、2位、3位、4位、1位で? それとも1位、1位、2位、3位、4位?」

細かいことを。

「後者で」
「ガッデム!」

どうやら配牌はよくなかったらしい。

「ふ、ふふふふふふふ」

今度は何かと思ったら、鳴子が気持ち悪い笑みを浮かべていた。
配牌はよかったらしい。
まあラス親だし、頑張ってほしい。

「リィィ――――――ッチィ!!」

などと鳴子が叫び声を上げながら、1000点棒を卓に投げ放った。
いちいちマナーの悪い奴だ。

「ダブリー!?」
「なんだと……」
「き・や・が・れ、です♪」

煙が出るほどの勢いで牌を叩きつけ、中指を立てて挑発する。
ミスティアとリリカが慌てふためくが、そんな事は意にも介さない。
勝利を確信してやがる。

「です♪ じゃねーよミノムシィ!」
「なんとでも言うがいいです、焼き鳥さん」
「うるせー! 高い手狙ってんだよ!!」

「すまん、ツモった」
「「「はぁ!?」」」

騒ぐ馬鹿どもを尻目に、歌舞伎塚がパタリと手牌を倒す。
見れば確かにあがっていた。

「地和はアリだったはずだ」
「うっそー」
「親っかぶり……」
「嘘だと言ってくれ落語塚」
「歌舞伎塚だ」

オーラスで役満をあがるという奇跡を起こした歌舞伎塚が、現実を受け止められない3人から情け容赦なく点棒を回収しその半荘は終了した。
トップ、歌舞伎塚。
2位、リリカ。
3位、ミスティア。
ラス、鳴子。

さっきまで中指を立てていたやつが、1人で放心していた。


「ラスの人お茶入れて来て」
「……あーい」

天国から地獄へ叩き落とされた同居人に更なる鞭を与えつつ、僕は自分のケーキを選び、残りを歌舞伎塚の方に回す。
3位だったミスティアが雀卓マットを片付けていたので、邪魔にならないところに置いた。

「本当に2個取っていいのか?」
「役満祝儀だよ」
「いただきます」

律儀に礼を言う紳士にいいよいいよと手をひらひらさせる。
そして全員がケーキを選び終わったころ、鳴子が紅茶を入れて戻ってきた。

「お待たせですー……」

ガランガランと歩くたびに音が鳴る彼女は、やっぱりミノムシに見える。
僕から見てミノムシに見えるのだから、相当似ているはずだ。

待てよ?

今気付いたが、身体から生えている木片は体の一部なのだから、もしかして彼女は今全裸なのだろうか。
いや、靴下を履いているから全裸に靴下なのだろうか。
……気付かなければよかった、マニアックすぎる。

「あ、やっべ! ラジオ始まってんじゃん!」

お茶を運ぶ鳴子を眺めながらどうでもいいことを考えていたら、今度はミスティアが騒ぎ出した。
お前は早く牌を片付けろ。

「ラージオ、ラジオー♪」
「……」

ため息をつきながら時計を見ると、午前の11時を少し過ぎたくらいを指していた。
夜行性の身としては、そろそろ寝る時間だったりする。
でも寝る前にケーキ。

「あの子は時計を読めるようになったのか」
「みたいね」

部屋の隅で宝探しを敢行するミスティアに、歌舞伎塚とリリカが失礼なことを言い放つ。
馬鹿にしちゃいけない。
あれもラジオを聞くようになってから、真面目に時計を見るようになったのだ。

でも深夜25時とか言うと混乱するのはご愛嬌。

「うっへっへー」

ミスティアが宝物を自慢する子供のようにラジオを抱えて戻ってきた。
そして上機嫌にカセットテープを入れ替え、アンテナを伸ばしてスイッチを入れる。
録音する気らしい。
今の時間は何の番組だったか。

「すいっちょーん!」

『――――♪♪♪!!!!!!』

「うわっ」
「ちょ」

駄雀が電源を入れた瞬間、居間に爆音が鳴り響いた。
やかましく高鳴るドラム、かき鳴らされるギター、歌詞の聞き取れないデスボイス。
思い出した、火曜日午前11時はパンクロックとかいうジャンル専門の音楽番組だ。
時間帯に悪意を感じる。
完全に夜行性妖怪向けの時間帯だ。
うるせぇ。

止まらない爆音を何とかしようとミスティアが機械と格闘するが、その機械は振っても叩いても止まることはない。
当たり前だ。
見かねた歌舞伎塚が駄雀からラジオを奪い取り、音量を絞る。
ナイス。

「あ、それチャンネル変える奴じゃなかったのか」
「これが音量のツマミだミスティア、お前にこの機械は過ぎた物なんじゃないか?」
「ん、んなことねーよ」

歌舞伎塚に事実を告げられミスティアがすねる。
プイッとそっぽを向く姿は可愛らしいと言えなくもないが、そんなものでは物事は解決できないのだよ。

『――♪♪』

そして普通の音量になったデスボイスを肴に、ケーキタイムと洒落込むことになった。
ちなみにこの紅茶は廃棄品を買い叩いたものなのでおいしくない。
しかし葉がキロ単位であるので飲み放題だ。
買ってきたのは僕だが、勝手に飲んでいいと言ってある。

そんな壊滅的な組み合わせの中、それでも思う。
今のこの現状ですら、僕ら程度の妖怪には身に余る生活なのだと。
もう今更、野生動物には戻れない。


「ねえミスティアー」
「んー?」

モンブランを崩しながらリリカがミスティアの肩をつつく。
つつかれてもミスティアの視線はラジオの方を向きっぱなしだ。

「あんた最近里の近くでこんな音楽やってない?」
「……なぜそれを知っている」
「あ、私も聞いたことあるです」
「げぇ」
「この間うるさすぎると苦情が来ていたぞ」
「え!? 嘘! ゴメン」
「冗談だ」
「……そんな真顔で冗談言うなよライオン」

……ああ、僕も聞いたことあるな。
東の里付近にあるでかい切り株をステージに、ミスティアともう1人誰かで夜な夜なゲリラライブをしていると。
店はいいのか。

「……面白くなかったか」
「次は期待してるぜ落語塚」
「ドンマイです、落語塚」
「私は面白かったよ落語塚」
「歌舞伎塚だ」

いじめか。

リリカだけ優しいと見せかけてそうでもない。

それはいいとして、実は前から一度聞いてみたいと思っていたのだ。
パンクロック以前に音楽自体にあまり興味はなかったが、夜雀の歌声が万人に振りまかれる姿はちょっと見てみたかった。

「ねえミスティア、次のライブっていつ?」
「え、お前来んの?」
「ダメなの?」
「いや……ハズい」

ハズいってお前。

「見られて興奮するの間違いじゃないのー? うりうり」
「んな!? な訳あるか! 鳴子じゃあるまいし!!」
「私そんな変態じゃないですよ!!」
「黙れ合法全裸、悔しかったら上着の1枚でも着て来い!」
「冬場は着ますよ一応!」

リリカとミスティアと鳴子の下らない争いを横目に見つつ、どうしたものかと考える。
なんて言ったら手っ取り早いかな。

「……まあいいや、もう1人の相方がいるらしいし、そっちを探し出して聞こう」
「え、ちょっと待てよ」
「そしてミスティアがライブ恥ずかしがってたって教えてあげよう」
「解散の危機!? お前絶対誤解招く言い方するだろ! 勘弁してよ明日だよ明日、午前2時くらい」
「そっか、26時か」
「は? あ、ああ、そうだよ…………あれ? 27じゃね?」
「26だよ」

それにしてもミスティアは扱いやすくて助かる、時間ができたら聞きに行こう。
果たしてどのくらい客が来るのか。

ケーキを食べつつ、手帳にメモる僕であった。





午後7時。
日が沈み、妖怪の時間が始まる。
2階の個室から起きだし、顔を洗うべく洗面所へ。
同居人の中で個室を持っているのは僕だけだ。
単純に部屋数が少ない。
家主特権である。

いくら磨いても曇ったままの鏡と狭苦しい流し台しかない洗面台で寝癖を直していると、鳴子がタオル片手に現れた。
これからひとっ風呂浴びるそうな。

「あ、おはよーですリグっさん、さっきユキエが帰ってきてましたよ」
「ケーキのことはバレてない?」
「歌舞伎塚が口を滑らせなければ」
「じゃあだめか」
「です」

下手すると自分から言い出しかねない。
あいつ馬鹿正直なとこあるし。
男ってみんなそうなのだろうか。

まあ、いなかった奴が悪い。
これで押し通そう。

「……あ」

顔を洗い、洗面所を出たところで思い出した。
6人目の同居人。
存在を忘れていた。

さっき降りてきた階段の下。
ここはちょっとした物置みたいなスペースになっているのだが、そこに1人住んでいる奴がいる。

立てつけの悪いドアをちょっと持ち上げながら開け、中で体育座りをしている人物を確認する。

「くかー」

寝ている。
綺麗な黒髪をした市松人形のような女性が、中で静かに寝息を立てている。
何年か前にユキエが発見した闖入者で、発見時から今の今まで起きているところを見たことがない。
何をしても起きないし、何度放り出しても戻ってくる。

呪いの人形の付喪神なんじゃないかと鳴子に聞いたこともあったが、そうではないらしかった。
不思議とたまにいなくなってたりするのだが、どこで何をしているのか。
あるいは違う場所で寝てるのか。
完全に正体不明、身元不明、名称不明の眠り姫だった。
個人的にはグリム童話よろしく魔女に呪いをかけられて、錘が刺さって寝こけているに1票を入れたいところだ。

しかしながら、自分の家に知らない人が住んでいるのも気味が悪い。
家周囲の索敵や警戒を担当している鳴子に頼み、対眠り姫用の結界を張ってもらったこともあるのだが、それらはすべて無駄に終わった。
鳴子曰く警戒網を通った形跡はある、でも気付いた時には通り終わっている、だそうだ。
意味がわからない。

仕方がないのでこの階段下の物置スペースはこの眠り姫に進呈することにした。
いい加減諦めたと言った方が早い。
警報装置としてのプライドを打ち砕かれた鳴子を慰めるのは手間だったが。

「くこー、むにゃむにゃ、妹紅ー」
「……」

今なんか喋ったか?
まあいい。
僕は静かにドアを閉めた。

以上6名、僕を入れて7名。
この家に住む何とも言えない関係の、愉快な何かだった。


キッチンにて夕食を見繕う。

『共有物』と張り紙のある棚を開き、黒パンを1つ取り出した。
日持ちするので大変重宝するが、もう残りが少ない。
そろそろ買い足さないとまずいかな。

黒パンを咥え、ついでにミルクとコップを取り出す。
これも残りが少ない。
この家に電気は通っているものの、冷蔵庫なる便利アイテムは存在しない。
中に氷を入れて冷やすタイプの冷蔵庫を前まで持ってはいたのだが、ある日修繕できないレベルの穴が開いてしまい、現在では本棚として生まれ変わって居間で活躍している。

まあそういう訳で、うちでは生ものをあまり大量に保有できないのだ。
冷蔵庫お高い。

棚に背中を預けて押し閉め、居間に向かう。
ユキエがいるかとも思ったが、誰もいなかった。

「あぐあぐ」

黒パンをミルクで押し流しながら、今日の予定を確認する。

『虫の知らせサービス』の更新料の回収が4件、全部南の里。
これは夜が更けないうちに。

『害虫回収サービス』2件、北の里に1つと白狼天狗の駐屯所1つ。
天狗の方は時間指定の午前1時くらい。

『魔法の触媒提供』4件、ヤンバルテナガコガネの死骸300g、魔界の火山地帯のミツバチの蜜80g、同ミツバチの針5本、生きたスカラベ20匹。
全部パチュリーさん。
ミツバチ関係は急ぎ。

ペラペラと手帳をめくり、今日やることに丸を付ける。
更新料の回収は鳴子かリリカにでも依頼しよう。
バイト代は出す。

「あ、ボス、おっはよー」
「おはようリリカ、いいタイミングだ」
「うん?」

日当5000円で契約は成立し、地図と名簿を持ったリリカが南の里へと向かっていった。

あの子は普段楽器の練習に時間を取られているため、なかなか定職につけないでいる。
そのためこういう細かいバイトを頼むと喜んでやってくれる。

こういうのは弱みに付け込んでいるとは言わない。
持ちつ持たれつ、WIN-WINなのだよ。

さて僕も北に行って回収サービスやってこよう。
エサ用の肉片は現地調達でいいだろう、丁度いいからミルクも買ってこよう。

牛の楽園北の里、とある外来人が何もないところに牧場を作り、いつの間にか人が増えて気が付けば里にまでなっていたという意味不明な里だ。
でもそのおかげで今日もこうしてミルクが飲める。
ありがたやありがたや。

飲み終わったコップを片し、僕は今日も稼ぎに出た。





いかにも歌舞伎塚が好きそうなボインな金髪おねーさんのいるステーキハウスで、僕は牛のスジ肉を片手に神経を集中していた。
そのおねーさんに何をどうしてそんなボン、キュ、ボンになれたのかと聞いて、だいぶ勿体付けられた挙句『遺伝よ』と言われてさすがにキレそうになったことは余談である。
妖怪相手にいい度胸だ。

大きめの麻袋に細かく刻んだ肉を入れ、上から少量のビールをかける。
ビールは外産のを水筒に入れて保管してるやつだ。
炭酸が抜けたって別に構いやしない。

後ろで事の成り行きを見守っている店員さんたちにその場を動かないように言い、軽く妖力を開放。
僕の思念を風に乗せ、店中にばらまく。

ナイトバグ一族が伝家の宝刀、蟲操りの術。

(さあおいで、御馳走があるよ)

店の中にいる眷属たちに伝える。
その数推定53万匹。
ノミとダニがおおよそ同数、クモ3種で計260前後、カマドウマ20前後、チャバネが80前後。
そしてカマキリ1匹、君はどこから迷い込んだ。

(こっちだよ、おいしいよ)

僕の呼びかけに反応し、そのすべてが僕の足元へと集まってくる。
脇目も振らず、一直線に。
53万匹がガサガサガサガサ、と。

「ぎゃーー!!」
「うわああああああああああああっ!!!」
「マイガーーー!! ヘルプミーーーーー!!!」

などという阿鼻叫喚の光景を背後に感じながら、麻袋を大きく広げる。
中から漂う香りに釣られ、食欲に支配された無数の蟲たちが我先にと袋の中に突貫して行った。
毎度のことながらすごい光景だ。

「……これで全部かな」

すべての蟲が袋の中に入ったことを確認する。
うん、5キロぐらいある。

所要時間約20分。
これで1万5000円。
初回割引とはいえ安いだろう?
でもね、1度この光景を見た人は絶対にリピーターになるんだよ。
2回目は3万5000円、3回目以降は5万円。
ぼろい仕事だ。

「あ、終わったよ」
「……え?」
「終了だよ」
「あ、ああ、ご苦労さん、こ、こんなにいるとは思わなかったよ」

ろくに手入れとかしてなかったのだろう、かなりの量の蟲が蔓延っていた。

「前にも説明したけど、ネズミとかは所掌外だからね、あと初回割引は今回だけだから」
「あ、ああ、また、頼むことになりそうだ」
「半年に1回くらいが一般的だから、参考にしてね」
「……」

顔色の優れない店長から料金をいただき、店を後にした。
今回は益虫の設置等のオプションは無しだったが、チラシだけ置いて行くことにした。
客がそれを食い入るように見つめる姿は、いつ見ても愉快だ。





続いて東の里に向かう。
大通りにある商店街で、豆乳を半升ほど買い付けた。

そしてすぐに里から出てしまう。
どうやら僕はあの里でマークされているらしく、うろうろしていると職質される。

「……」

適当な空き地で魔方陣を描く。
パチュリーさん直伝の召喚魔法。
学んだ通りに呪文を唱え、魔界への道を開いた。

(さあ、おいで)

あっさりと召喚成功。

飛び出してきた魔界のミツバチたちに交渉を始める。
このミツバチはかなりの偏食家で、ミツバチのくせに花の蜜を一切口にしない。
代わりに大木の樹液や小動物の体液を吸うのだが、中でもこの大豆から作った豆乳が大好物だったりする。
しかしこんなもの、魔界じゃ採れない。

(これあげるから、代わりに蜜と針を分けておくれ)

僕の思念に対し、ミツバチたちは列を作るように連なって飛び、空中に『OK』の文字を作る。
交渉成立だ。

快く了承してくれたミツバチたちに礼を言い、約束のブツを深皿に空ける。
するとものすごい勢いでハチが群がり、半升もの豆乳があっという間に空になってしまった。

後から来たハチたちが、こっちで用意しておいた小瓶に蜜を入れてくれる。
80gは余裕であるだろう。

最後に針をその場で引きちぎって分けてくれた。
毒袋ごとくっついてきたが、たぶんその方がいいのだろう。

心配せずとも魔界のミツバチは針の1本や2本を失ったところですぐ再生する。
こっちの連中とは体力が違うのだ。

(みんなありがとう、また今度)

『See you!!』とまたも人文字ならぬハチ文字で返事をするミツバチたちに手を振り、魔界へと還元した。
1文字ならぬ8文字……。
いや、なんでもない。


同様にエジプトの方にあるピラミッドからスカラベを召喚し、交渉にあたる。
地球圏内であるエジプトの方が、魔界よりはいくらか簡単だ。

(ここに牛肉が2kgある、これと君たち20匹とを交換できないかい?)

北の里で買っておいた牛肉のブロックを地面にさらす。
しかしスカラベたちは迷っているようだ、まあ無理もない、何かの実験か薬の材料に使われるのは明白だ。

(俺の命ってこれ100g分なの?)
(でもこんだけあったら巣の連中みんな食わせられるんじゃね?)
(じゃあお前行けよ)
(お、おれはやだよ)
(しかたない、ワシが行こう)
(へっ、じじいに行かせられるか、ここは俺に任せな)
(お前、この戦いが終わったら結婚するんだろ、ここは俺が行く)
(だ、だめだ! お前には40匹の娘が……!)
(はは、もう俺が必要な年でもねえさ、笑って見送ってくんな)
(だめだ! やっぱりおれが行く)
(いやワシじゃ)
(俺もいるぜ)
(じゃあ俺が)
(((どうぞどうぞ)))
(―――え?)

「……」

全部僕の想像である。
勝手にアテレコしてみただけである。

スカラベたちは仲間内で相談した結果、NGを出してきた。
仲間の命は売れない。
それがたとえ、どんなに破格な交渉であっても。
それをやったら、俺たちは胸を張って生きられなくなってしまう。

そんな情念が伝わってくるようだった。

(わかった、ビールもつけるよ)

さっきまで豆乳が入っていた深皿に、水筒のビールを全部開けた。
次の瞬間スカラベ同士の壮絶な戦いが始まり、負けた20匹が僕に献上された。
一応生きている。

(ありがとう、それじゃあまたね)

献上されたスカラベを籠にしまい、数十匹がかりで肉と深皿を持ち上げるスカラベたちを皿ごと元の場所に還元した。
今後ピラミッドの奥深くで陶器製のお皿が見つかるかもしれないが、その時は何かの間違いだと思って欲しい。

さて、次は紅魔館か。





湖のほとりにある紅い洋館にたどり着いたころ、時計の針は午後10時過ぎを指していた。

僕の場合仕事そのものよりも、移動の方に時間を食われることが多い。
別段急いでいるわけでもないのだが、この時間をもっと有効に使うにはどうしたらいいだろうか。

門番をしていた妖精たちに挨拶し、館の中へと入れてもらう。
顔パスである。

勝手知ったる紅魔館。
案内を断り、地下の図書館へ。

豪華な意匠がこらされた扉を開け、埃とインクの匂いが染み込んだ空気の中に身を躍らせる。
館全体を覆い尽くすほど強大な、吸血鬼の気配はここにはない。
ここから先は、魔法使いの領域だ。

「パチュリーさん」
「………………あら」

いらっしゃい、とパチュリーさんは椅子ごと振りかえる。
しかしその重そうな椅子には、どう見たってクルマなんて付いていない。
なんでこの人は息をするように魔法が使えるのだろうか。

「ご依頼の品、揃えてきましたよ」
「あらほんと? ハチも?」
「ハチもです」

採れたて新鮮なハチミツと針、ついでにスカラベ20匹を手渡す。
パチュリーさんはそれらをしげしげと見つめ、机の脇に置いた。

「なんでこのスカラベ傷だらけなのよ」
「どうも誰が犠牲になるかもめたらしくて」
「……そう、コガネムシの死骸は?」
「あれはまだ少しかかります、なにせ絶滅危惧種ですからね」

ヤンバルテナガコガネ、探してはいるんだけどね。
まだ予定の半分も見つからない。
何に使うのかは知らないが。

「まあ、そっちは急いでないし、別にいいけど」
「はい、なるべく早く持ってきます」
「ええ、お願いするわ、遅くても年度を越えないようにね」
「了解です」

見積り通りの代金を受け取り、あらためてお礼を言う。
パチュリーさんとは時々こうして結構な額の取引をさせてもらっていた。

おまけに暇を見つけては魔法も教えてもらっている。
しかもタダで。
先行投資だと言ってくれている。

さっき使った召喚魔法に始まり、索敵や強化、テレパシーなんかも。
もっとも、まともに使えるのは召喚魔法くらいなものだが。
でも僕がやるからには魔法ではなくて妖術にあたるんじゃないかと思うのだが、その辺の厳密な定義は無いという。
魔法使いが使えば魔法。
妖怪が使えば妖術、とかそんな程度らしい。
……じゃあ妖術じゃん。

そういう訳で、僕は正直この人に頭が上がらない。
完全にパチュリーさんの手のひらの上で踊る形になっているが、背に腹は代えられない。
そういうものだ。

「今日も読んでく?」
「お邪魔でなければ」
「そう」

そう言ってパチュリーさんはまた椅子ごと背を向けた。
背もたれの大きい椅子だったため、後ろからだとパチュリーさんの姿が完全に見えなくなってしまう。
でも不思議だ。
全く見えないのに、居るっていうことはわかる。
ちゃんと、生き物の気配がする。

くるりと後ろを振り向いた。
半永久的に灯り続ける魔法のランプが夜景のように立ち並び、自動的に後をついてくる椅子がこちらの様子をうかがっている。
遠近法を無視してありえない高さにまで連なる本棚、そこには物理法則上等と言わんばかりに不自然なほど大量に本が詰まっている。

ここは魔法使いの城。
パチュリーさんのプライベート。
ここにはあまりにも生き物の気配がない。
本当に、蟲1匹いやしない。

いついかなる時も周囲に眷属の息遣いを感じてきた僕にとって、ここは少しだけ怖い場所だった。

でも、と僕は歩き出す。

何の気配もないこの空間は、かつてどこかで存在した賢者たちの知識に満ちている。
それを目にすることができるのは、この上ない贅沢であることと同時に、途方もない奇跡であるようにも思えた。

その価値がわかるなら。
そう言ってパチュリーさんはここでの本の閲覧を許してくれていた。
涙が出るほど、ありがたかった。

「……」

綺麗に整頓された本たちの中から、目当てのジャンルを探し出す。
図書館の割と奥の方、空に浮かばないと届かないようなところに初心者向け魔法のテキストがある。
ざっと見て棚8段分。
でも1段当たり何冊の本が入っているのか、ぱっと見ただけではわからない。
なぜならこの棚、縁に触れて指を横に滑らせると、その動きに連動して棚の本が横にスクロールするからだ。

外の世界の電子デバイスを真似て作ったというこの棚には、棚1段分のスペースにその何倍もの本を収容できるらしかった。
おまけにスペースの最初と最後が空間的にループしているようで、何度も指を滑らせているとそのうち同じ本が回ってくる。
結構面白い。

そんな横スクロール棚が1つの本棚に数十段、下から上まで10メートル以上ある。
そんな本棚が5つも6つも横に並んで1つの本棚の列。
その本棚の列がさらに20以上並列している。

あまりにも膨大過ぎる。
パチュリーさんはこのうち何割くらいを読破しているのだろうか。
僕では一生かかっても読み切れそうになかった。

数冊の本を手に取り、下まで降りる。
白狼天狗の駐屯所に1時だから、結構な時間読めそうだった。

なるべく音をたてないように着地し、客人を自動追尾していた椅子に腰かけさせてもらう。
そして椅子に腰かけた瞬間、付近のランプの光が強くなった。
実に読みやすい。
なんて気の利く図書館だ。


パチュリーさんは僕に本の閲覧を許してくれているが、貸出まではさすがに許可してはくれない。
でも写本はOKと言ってくれていたので、遠慮なくノートを取らせてもらっていた。
もっとイベントをこなして好感度を上げれば貸してくれるようになったりしないだろうか。

それはいいとして。

「……ちっ」

写本をしていた本を閉じる。
だめだ、理解できない。
いくら初心者用の魔法とはいえ、基本的にみんな難易度は高い。

でも召喚はできる。
蟲限定なら魔界からでも取り寄せられる。
そこが魔法というものの不思議な所で、本人が心底必要としている魔法は簡単に会得できるのに、そうでもない魔法はその理論すらろくに理解できない。

需要と供給がイコール。
パチュリーさん曰く、魔法は無垢な少女の様なもの、本気で口説く者だけに股を開く。
らしかった。
的確かどうかはともかくその下品な比喩は何とかならないのかと本気で思うのだが、パチュリーさんの仕様なので仕方がない。
何かにつけて品がない、でも本人の物腰は上品。
意味がわからない。

それもいいとして。

蟲の妖怪たる僕には『そういう魔法』が必要だった。
それ故に召喚魔法なんていう高度な魔法を2年足らずで習得することができたし、生来の能力である蟲繰りをサポートするようなものもいくつか使えるようになった。
でも、他はからっきしだ。
パチュリーさんに直接教わっても、全く理解ができない。
例えば今写本していた通信関係の本、こういうのがあったら便利だと思い使えるようになりたかったが、まだまだ本気度が足りないらしい。
もっともっと熱烈に口説かないといけない。

逆説的に、超魔法使い(自称)であるパチュリーさんにも苦手な魔法がある。
ぶっちゃけると、そのままズバリ召喚系。
なぜか触手召喚だけは陣も描かずにできるぐらい超絶に得意だったりするが、その用途を想像したくもないので気にしないことにしている。

でも他は全然ダメ、当然蟲も。
不可能とは言わないけれど。
僕からすれば割と簡単な仕事でも、自分でやろうとすると結構骨が折れるらしい。
それ故に、破格の値段で僕を使ってくれている。
WIN-WINと言うには僕の方が得し過ぎているが、そのうち帳尻合わせに無茶な要求でも振って来るのだろう。
その時は、全力で応えたいと思う。


ノートをしまう。
腕時計を見ると、結構いい時間だった。
今から出れば、ちょうど約束の時間くらいに駐屯所に着くだろう。

再びパチュリーさんの所に戻り、改めてお礼を言った。
いつもありがとうございます。
そしてまた来ます。

「あ、そういえばあれはどうなったかしら」
「……コガネムシでしたら、もう少しかかりますが」
「それじゃなくって、あれよ、コーラとサイダー、儲かった?」
「……」

ああ、それの事か。
ここ半年くらい紅魔館が試験的に輸入していた清涼飲料2種、外の世界でも人気らしいその飲み物は人妖問わず大ヒットしていた。

幻想入りしたものではない、現役の戦略級商品の威力はすさまじく、まさしく爆弾かと思われるほど幻想郷の経済界を揺さぶった。
1升弱の容器で末端価格300円という結構な値段にもかかわらず、年齢性別国籍貧富種族、あらゆる隔たりを嘲笑うかのように万人に愛飲されていた。

客層という概念がなく、数か月単位で在庫が可能。
食品ゆえに需要が無制限で、地面に落としたくらいじゃ商品価値が下がらない。

これこそ消費者向け商品の理想形。
この事実に震えあがった商売人は、きっと僕だけではないはずだ。
机上の空論を、目の前に突き付けられたのだから。

外の世界は恐ろしい。
この規模の化け物商品が、他にもゴロゴロしているというのだから。

「それでしたら、うまみが出るのはまだまだ先の話ですよ」
「そうなの、そういうのは美鈴に任せてるから、私はよくわからないの」

しかし、半年間続いた爆撃は、唐突にやむこととなった。
この食品、輸入禁止となったのだ。

ストップをかけたのは他ならぬ管理者八雲様。
過剰なほど含有された砂糖の依存性。
経済のバランスが狂うほどの需要。
幻想郷内で処理できないゴミの問題。
容器を火にくべると発生する有毒ガス。

それらの問題が表面化し、敢え無く輸入禁止という措置が取られたのだった。

その事実をパチュリーさんからのインサイダー情報で誰よりも早く把握していた僕は、コーラとサイダーその両方を大量に買い付けていた。
しかも大量購入で割引きまでしてもらって、だ。
窓口となっているのは美鈴さんだが、パチュリーさんが口利きしてくれた。
パチュリーさんありがとう。
パチュリーさん愛してる。

在庫は現在僕の住む家の私室はおろか共有スペースの一角までもを占領しているが、何本かを共有物として提供することで同居人たちの同意を得ていた。
WIN-WINである。

「末端価格が1割くらい値上がりしてますけど、まだまだ安いんですよ、もう少し待たないと」
「そう、賞味期限には気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」

輸入禁止の公示が先々週で、禁止になったのが先週。
駆け込みで買い付けた他の連中がその在庫を吐き出すまで、我慢比べだ。

売らなければ売らないほど、値段は高くなる。
誰かが在庫を吐くと、安くなる。
でもみんななるべく高く売りたい。
しかも賞味期限という時限爆弾付き。

そして何より相手は人間、売り買いさせたら生物界最強。
ホモ・エコノミクスを相手取った、人生を賭けたチキンレース。

ゾクゾクしちゃうぜ。

「……楽しそうに」

そんなパチュリーさんの呆れ顔は、見なかったことにした。





白狼天狗の駐屯所はいくつかあるが、今日は山の中腹くらいにある場所で行うことになっている。
持ってきていた黒パンを道中でかじりつつ、駐屯所を目指す。
今ではすっかりおなじみとなったラジオ塔を遠くに見ながら、約束の時間のきっかり10分前に到着した。

僕の1番のお得意様はパチュリーさんだが、2番目は間違いなく白狼天狗の方たちだ。
白狼天狗が山に持つ施設は大きく分けて3種類、すなわち寮と訓練所と駐屯所。
のべ16もの施設すべてで、定期的に害虫回収サービスを依頼してくれている。
建物自体が山の中にあるうえ、白狼天狗の仕事の内容を考えればかなりの高頻度で仕事が来ることもうなずける。

しかしなぜか僕への報酬は自分たちの財布から捻出しているという。
経費として申請できないのかと聞いてみたこともあったが、上役の大天狗たちは認めないのだそうだ。

にもかかわらずその大天狗関係の施設の時は『こんなん経費っすよ経費ー』と必要もないオプションまでつける始末。
酷い話だ。
そんな上客には割引きだってしちゃうさ。
持ちつ持たれつ、白狼天狗が嫌いな妖怪なんていないのさ。

「こんばんはー、害虫回収サービスでーす」
「お待ちしておりました」

決して広いとは言えない古びた小屋。
その中に10人ほどの白狼天狗が直立不動の姿勢で立っていた。

「ナイトバグさんがお越しになりました、全員敬礼!」

犬走さんという分隊指揮官の号令が飛び、一糸乱れぬ統率の元、数名の天狗たちが僕に向かって敬礼する。
軽くやってるけど、こんな真似できる妖怪なんてそうそういないだろう。

里の自警団を除けば幻想郷唯一である単一種族の戦闘部隊。
個々の暴力がすでに反則級にも関わらず、その上で連携を旨とする稀有なる妖怪だ。

それなのに、山での扱いはひどく雑だったりする。
ろくに休みも無くこき使われ、備品だって使い古し。
この駐屯所や寮だって、下手すると僕の家より残念な出来だ。
報われない山の主戦力。
それが、白狼天狗という種族だった。

「相変わらずかっこいいですね」
「……」

見てくれももちろん、愚痴一つ零さないその気高さも、だ。
思わず口にした僕の感想に、若干照れたように見えたのはきっと気のせいではないだろう。
褒められ慣れてないのだ。
かわいい。

「さっそくお願いします」
「了解です」

照れ隠しのようにそっぽを向きながら、犬走さんは部屋の中央へと移動した。

「……」

僕はまた麻袋を取り出した。
北の里で回収した蟲は適当なところで放してある。

とっておいた肉の細切れを袋に放り込むが、ビールがない事に気が付いた。
しまったな、少し残しておけばよかった。
まあ、大丈夫だけど。

「始めます」
「はい、よろしくお願いします」

(さあ、おいで)

白狼天狗の方が相手の場合、部屋というよりも本人たちの尻尾や髪の毛に付着しているノミを取るのがメインだったりする。

(お肉があるよ)

僕の導きの元、直立不動の天狗たちからピシピシと音を立てながらノミが飛んでくる。
結構な量だ。
こんなにいたらさぞ痒い思いをしたことだろう、伊達に山の中を駆けずり回っていない。
ここにいる人たちがすべてではないが、それでも少ない人数で哨戒を行っているのだ、ゆっくりお風呂につかる時間すらないのだろうか。

僕が蟲を回収する間、気を付けの姿勢のまま動かない彼らだったが、やはりムズムズするのだろう。
微妙に口元を歪める光景は、ちょっと面白い。

「……はい、お疲れ様です」
「ふぅ、終わりましたか」

およそ30分。
産み付けられていた卵ごと持ってくるように命じていたため、結構な時間がかかってしまった。
その上で益虫であるクモ類を数匹補充し、仕事は完了した。

「なんか今日はいつもより多い気がするんですが、何かあったんですか?」
「あー、いえ、何日か前にとある鴉天狗が泥沼の中に指輪落したとか言い出しまして」
「まさか」
「探す羽目になりまして」
「……」
「我々が盗んだんじゃないかとまで疑われまして」
「あ、あの」
「結局自宅の机の中にあったとかで」
「すいません、気安く聞いていいことじゃありませんでした」
「ぶっ殺してやろうかと本気で思いました、めでたしめでたし」

縦割り社会って怖い。
改めてそう思った。

「では代金を」
「あ、はい、2万円になります」
「……あの、いいんですか? よそではもっと高いと聞いたのですが」
「高い方がいいんですか?」
「いえ、そういう訳ではないですが」

犬走さんから代金を受け取り、財布にしまう。
別に手抜きなんかしていない。
それどころかどこよりも気合を入れて回収している。

「幻想郷の秩序が保たれているのは、他ならぬ白狼様たちのおかげじゃないですか、割引きくらいしかできませんが、少しでも還元させてください」
「……ありがとう、ございます」
「それに心配はいりません、大天狗や鴉天狗からはボッタクってますので」
「ああ、それはいいですね」
「あ、山伏天狗の方々は普通料金です」
「完璧じゃありませんか」
「内緒ですよ?」
「ふふ、了解しました」

犬走さんの起こした笑いが、駐屯所の中に伝播していった。
ニヒルに笑う犬走さんは、いや犬走さんに限らず白狼天狗はみんな精悍な顔つきをしていてすごくかっこいい。
美形って言うのだろうか。
彼らは紛れもない戦士で、心身ともに強靭な所が顔に出ているのだ。
おまけに1人ひとりがすごく紳士的で、妖怪お断りの里の店ですら『白狼天狗はOK』という但し書きがあるところもあるほどだ。

正直同居人として2~3人連れて帰りたいくらいなのだけど、引き抜いちゃダメだろうか。
ダメだろうなー。

「ではまた、ご用命の際はいつでもお呼びください、またのご利用をお待ちしております」
「はい、それでは」

いつか安定して大金を稼げるようになったらこの人たちをお抱えにしたい。
そんなことを考えながら、駐屯所を後にした。

今日のお仕事は、これにて終了。
愛しの我が家へ、帰るとしよう。





「いや帰っちゃダメだろ!」

山を下りた辺りで唐突に思い出した。
そうだ、今日はミスティアがライブをやるんだ。
なに全部終わった風に帰ろうとしてるんだ。
完全に頭から消え失せていたぞ。

腕時計を確認すると、始まるまでもう10分もない。
駐屯所で長居しすぎた。

ここから東の里までどんなに急いでも20分はかかる。
あーあ、まあいいか。
まさか10分やそこらでは終わるまい。


大急ぎで空を飛び、東の里のほど近くにあるライブ会場に着いた時、辺りには観客たちの熱狂が渦巻いていた。
轟く爆音、響き渡るギター、なんて言っているかわからないシャウト。
直径数メートルはある巨大な切り株をステージに、2人の妖怪が大気を震わせていた。

「あれ?」

100人近い妖怪たちの視線を浴びる2人のうち、片方はミスティア、そしてもう片方は……

「あの子確か、命蓮寺の」

ロップイヤーのちびっこい妖怪は、僕の得意先である命蓮寺の新人であった。
名前は忘れた。
なんていったか、寅丸だっけ? ナズーリンでない事は確かだ。

「あ、思い出した、マミゾウだ」

あまり話したことはなかったが、気の弱そうな印象を持っていただけに、なんか意外だ。
しかもよく歌詞を聞いてみると、修業めんどくさいだの、あいつの寝相が悪いだの、朝帰り野郎が彼氏としっぽりだのと、聞くに堪えない罵詈雑言と不平不満に満ちていた。
それで歌なのか。

いやまて、『修行めんどくさい』?
もしかして作詞作曲君らなのか? 創ったのか、歌1つ。
たかが歌1曲といえど、妖怪が0から創ったのだとしたら前代未聞だ。
それが事実なら地味に快挙だったりするのだが、どうなんだ?

後で楽屋にお邪魔しようと決意を新たにしていたところ、観客の中に歌舞伎塚の姿を発見した。
あの獅子のようなたてがみは、群衆の中でもけっこう目立つ。

「やあ、歌舞伎塚も来てたんだ」
「リグルか、ちょうど時間が空いててな」
「そう」

時間が空くも何も君は昼行性だろうに。
素直に夜更かしして見に来たって言いたまえ。

「ねえ、あれ歌ってるの命蓮寺の人だよね」
「そうだな、響子ちゃんだ」
「……響子ちゃんか」

その顔で人をちゃん付けするのは犯罪チックな絵面だったが、本人の責任ではないため黙っていることにした。
ていうかマミゾウじゃなかったか、じゃあマミゾウって誰だ?

「ミスティアは歌わないんだな」
「あれ? 本当だ」

言われて気付いた。
あの壊れたテープレコーダーとまで言われた夜雀は、ギターを鳴らすばかりで一言も歌詞を口にしない。
どうなってるんだ?

しょぼい照明としょぼいスピーカー。
手作り感丸出しのステージだけど、それでもヒートアップしていく観客の前で、ミスティアとナントカちゃんの演奏は続く。
お小遣いが少ないだの、思い人が振り向いてくれないだの、守矢のやり方汚いだの。
……最後のはヤバいんじゃないだろうか。

でも僕からしたら『知るかそんな事』という感想しか出てこないのだが、観客たちには痛快らしい。
よくわからなかった。

【みんなー!! 今日は集まってくれてありがとー!!】

と、ナントカちゃんがこちらに向かって声を張り上げた。
なんだ、曲終わってたのか。
あんまりよく聞いてなかった。

しかし不自然によく響く声だと思ったが、今度こそ思い出した。
あの子、山彦の子だ。
表面上いい子を取り繕っているものの、自分の力がコントロールできないのだろう、時折毒々しい独り言が増幅されて聞こえてくるあの子だ。
ナズーリンさんが孫でも見るかのような目で見ていたあの子だ。

【今日の新曲どうだったー!?】

『よかったよー!』などとオーディエンスからの声援を受け、山彦は満足そうに顔をほころばせる。
楽しそうで何よりだ。

【ありがとー! 今夜はこれでおしまい! また今度ねー!!】

『ええーー!?』というわざとらしい声援に手を振って応え、2人はステージから降りてしまう。
見たこともないような攻撃的な衣装だったが、まさかそのまま帰る気か。

と思ったら切り株のすぐ脇に仮設テントが建ててあった、用意周到なことだ。

「さーて」
「……何する気だ」
「何年の付き合いだよ歌舞伎塚、僕の行動は常に一貫している」
「そうだったな」

興奮冷めやまない会場から抜け出し、テントの方に向かう。
が、屈強な男たちがテントの周囲をガードしていて近づけない。
おそろいのピンクのハッピに身を包み、油断なく周囲を警戒している。
さらに連中の一部はステージ上にあったスピーカーや照明器具を取り外し、撤収を始めている、発電機までありやがった。
どういうことだ。

たまに怪しいツラをした妖怪が色紙を片手にテントに近づいていくが、すべて彼らにシャットアウトされてしまう。
別に騒ぎになるわけでもなく、あくまで説得によってミーハーな連中を退けていた。
実によく訓練されている。
白狼天狗かお前ら。
何で一介の妖怪にあんな一糸乱れぬ統率がとれるんだ。

あとでパチュリーさんに教えてあげよう。
あの人の驚くと同時に呆れる姿が見たい。

「……」

ものは試しにと僕も追い返されに行ってみることにした。
なるべく何でもないような表情で、正面から堂々と。

すると、僕の進行ルートに割り込むように、強面の狼男がやってきた。

「すまないが、彼女らは今取り込み中だ、俺たちファンのために全力を尽くし、休憩している最中なんだ、どうか邪魔しないであげてくれ」
「わあ」

思わずそのまま声に出てしまった。

「君の気持ちはわかる、いや、この会場の全員が同じ気持ちだ、だが彼女らもステージを下りたら1人の妖怪なんだ、私生活があり、プライベートがある、それを侵害してしまったら、きっと彼女らは傷ついてしまう」
「……」
「そんなことになったら、もう歌えなくなってしまうかもしれない、それでもいいのかい? よくないだろう? だからね、一線は越えちゃいけないんだ、わかってくれるね、少年」

言ってることはまあわかる。
彼の気持ちもとても温かいものだ。
僕のことを少年と言ったことも許そう。
厳密に言えば少女も少年に含まれるし。

でもなんだ、この気持ちの悪さは。

「お兄さんは、あー、ミスティアたちに雇われた人なの?」
「……いや、我々は有志の者だ、ライブの常連たちが誰ともなく立ち上がり、彼女らに悪い虫が付かないよう……おっと失礼、悪い奴に捕まらないよう、自発的に警護じみたことをしているのだ、無論勝手にやっていること、彼女らが邪魔だと言えば即解散する所存だよ、それに、ふむ、君もミスティアちゃん派か、気が合うな、どうだい、この後暇だったら飲みにでも行かないか? ともにミスティアちゃんの魅力を語り合おうじゃないか、それが健全なるファンというものだ」
「……」

お前いちいちセリフが長いんだよ。
まあ、山彦の方はどうだか知らないが、ミスティアに人を雇うなんて発想があるとは思えない。
こいつらは本当に有志なのだろう。
自ら望んで、立ち上がったのだろう。

それに言っていることは納得できた。
極めて紳士的で理性的、不躾なファンを切って捨てるわけでもなく、正しい道へ引き戻そうとする考え方も好感が持てる。

しかしながら気持ち悪い。
どこが、と聞かれても答えに詰まる。
強いて言うなら何もかもが、だ。
生理的に無理、というのはこういうことを指すのだろうか。

しかしどうしようか、このお兄さんの顔を立て、引き下がるのも選択肢としてはありだろう。
男だか女だかわからないようなのと熱愛発覚、などという3面記事はミスティアだって望むまい。

でも、だ。
僕にだって、引けない理由がある。
鉄は熱いうちに打て。
今日、今、ここででなければできないこともあるのだ。

すべては僕の野望のため。
そこをどけ、狼男。

「感動したよ、あなたはまさしくファンの鏡だ」
「ふふ、そうかい、ありがとう少年、そうだな、君にもしその気があるんなら……」
「うちのミスティアをこれからもよろしくお願いします」

そう言って僕は、深く深く頭を下げた。

「……なんだって?」
「あの子は昔から引っ込み思案で、僕の後ろをついてくるばかりだったんです、それがある日突然バンドをやるんだなんて言いだして」
「君、よくないぞそういうのは、現実と願望を一緒にしちゃいかん」
「お兄さんはミスティアの住んでいる家をご存知ですか? 森にある2階建ての一軒家です」
「あ、ああ、なんだっけ『夢を追いかける若者のための家』だろ? まさか君、後をつけたりしたんじゃないだろうな」
「後なんか追うまでもない」

僕は下げていた頭を上げ、狼男を真正面から見た。

「僕の名前はリグル・ナイトバグ、その家のオーナーだ」

そして目を見開いて狼狽する狼男が、後ずさりしながら声を絞り出した。

「……まさか、君が」
「どいてください、僕は家族に用がある」
「響子様の言っていた『蟲屋さん』か」

さま?

「え? 嘘、蟲屋さん?」

呆けた狼男を押しのけてテントの方に進もうとしたところ、後ろから声をかけられた。
この声はよく知っている。

この考えうる限り最高のタイミングで現れた人物は、山彦の所属する命蓮寺の財務担当、一輪。
例によって苗字は忘れた、なかったかもしれない。
命蓮寺で害虫回収サービスをやる度に、窓口になってくれる人だ。
恐らく山彦を迎えにでも来たのだろう。

「やあ一輪さん、毎度お世話になっております」
「あ、あの、こ、こちらこそ」

慌てた様子で髪を撫でつけるしぐさは笑いを誘ったが、今はそんな事どうでもいい。

「あー、もっといい服着てくるんだった」
「あ、あの、お知り合いで?」

と、狼男が割って入ってくる。
どうやら面識があるらしい。

チャーンス。

「一輪さん、僕ミスティアを迎えに来たんですが、なんか通れなくって」
「え? あの子と知り合いなんですか?」
「1つ屋根の下に住んでます」
「うええ!!?」
「6人で共同生活してます」
「……あ、そういえばそんな事言ってたような」

あ、7人だった。
まあいいか。

「あの……」
「あ、この人は入れていいから」
「そ、そうでしたか」

失礼しました、と狼男は頭を掻きながらそそくさと退場していった。
2度と僕の前に立たないでほしい。

「そっかー、蟲屋さんとミスティアちゃんって同棲してたんだー」
「言っときますけど2人っきりじゃないですよ?」
「それでもさー」
「僕女ですよ?」
「いいですよ、そういうの」
「そうですか、すいません」

よし、命蓮寺では値上げしよう。
もう決めた。

「おいーす、迎えに来たよー」

一輪はそう言ってテントを開ける。
中では着替え中の2人が小さな明りに照らされ、下着姿のまま団扇で自分をあおいでいた。
もう秋も終わるころだというのに、寒くはないのだろうか。
いや、さっきまで大声で歌ったり演奏したりしていたのだ、結構暑いのだろう。

「あ、いちりんせんぱ……いぃぃ!? なんで蟲屋さんが!!」
「そこでばったり」
「きにゃー!」

山彦は奇声をあげながらふかしていたタバコを握り潰し、手近にあったタオルで乱暴に汗を拭きとると信じられないほどの速さで私服に着替えだした。
外の世界のアイドルはライブ中に早着替えをする、という噂を聞いたことがあったが、なるほど、確かにこれは速い。

【ふざけんなよ地味子】
「なんか言った?」
「べ、別に何も?」

恐らく独り言であろう山彦の愚痴が、能力の暴発によって普通に聞こえる音量にまで増幅される。
たぶんこれ本人は気付いてない、誰も教えようとしないらしい。
面白いもんね。

楽しそうな2人はさておき、我らがミスティアは何をしているのかと思うと、下着姿のまま足をおっぴろげてくつろいでいた。
あまりにも堂々としたその姿は彼女が将来大物になることを容易に予想させたが、年頃の女の子としての恥じらいくらいは持ち合わせていて欲しかった。
さっきの狼男が見たら幻滅するだろう。

「お、リグルじゃん、やっぱ来てたのか」
「まあね、歌舞伎塚も来てたよ」
「あ、見えた見えた、あいつでかいからすぐわかる」

「ちょっとミスティア! いつまでそんなはしたないカッコでいるつもりよ!」
「うっせーな響子、未来の旦那に見られて困るもんがあるかよ」
「「なにぃ!!?」」

と山彦はおろか一輪までもが叫び声を上げる。
そんな約束した覚えはない。
よくないぞ、現実と願望を一緒にしちゃ。

「そんな、ミスティア彼氏いたんだ……」
「前にいるって言っただろ」
「強がりだと思ってた」
「どういう意味だ」
「妄想だと思ってた」
「どういう意味だ!!」

今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうだったが、なったところで別に問題ないと思い、放っておくことにした。
こんな程度のことで解散だなんだと騒ぎになるようなら、僕としても用はない。

そう、僕はこの2人に用があって来たのだ。

「蟲屋さんやっぱり彼女いたんですね……」
「……」

一輪までもが崩れ落ちながら地面に向かって吐露する。
しかし無機質なテントに敷かれた銀色に輝く断熱性マットは、そんな一輪を見つめ返すばかりでなにも言葉を返してはくれない。
せめてこっち向いて言え。

「……ミスティア、いい加減にしろ、僕はそのネタあまり好きじゃない」
「へいへい」

崩れ落ちる命蓮寺2人を起こし、ミスティアが種明かしをする。
種明かしってほどじゃないけども。

「響子、こいつ女だぞ」
「酷いよミスティア! 私たちの間に嘘はなしだって、約束したじゃない!!」
「ガチだよ」
「それもこんな、下らない嘘を……!」
「ガチだって」
「もういい! ミスティアなんて知らない!!」
「ダメだリグル、信じてくれない」

お前らの友情ってそんな程度なのかよ。

「リグル」
「ん?」
「脱げ」
「……やだよ」
「もうお前が脱がないと収拾がつかない」
「ふざけるなよお前」
「いいのかよ、用があって来たんだろ? 話進まないぜ?」

……お前、どこでそう言う小癪な言い回しを覚えてくるんだ。
だが、駄雀風情が僕相手にそれは無謀と言わざるを得ない。

「じゃあいいよ、ちょっと2人にプロデビューしてもらおうと思っただけだし、そんな下らないことでいちいち揉めるようなら用はないよ」

プロデビュー、という言葉に3人が黙って僕を見上げた。
笑えるほどの間抜け面だ。
僕を黙らせようなんて100年早いんだよ。

「ぷ、プロ?」

山彦がアホみたいな声を上げる。

プロ。
プロフェッショナル。

アマチュアとの違いはただ1点。
金を取る、ただそれだけだ。

「そうだ、僕がプロデュースする」

だけども、壁は高い。
信じられないほど高い。

数多のアマチュアが夢を見て、そのことごとくが乗り越えられずに散っていく。
染み込んだ涙によって、堅さを増していく壁だ。

「私の歌、そんなに良かったんですか?」
「全然」
「え?」
「僕に音楽はわからない、パンクロックなんて定義も知らない」

でも、今日のこのライブを見て思った。

「でも、金になる、客を呼べる」
「……」
「僕がステージを用意しよう、僕が機材を揃えよう、こんな切り株じゃない、本物の大舞台を用意しよう」
「……」
「スポンサーを募り、宣伝を打ち、チケットを売りさばき、スタッフを集めよう」
「……」

「君らがそこで、主役を張れるなら」

「……」
「……」

2人とも黙る。
向こうからすれば青天の霹靂。
降って湧いたチャンス。

「いやいや蟲屋さん、それってマジで言ってんですか?」
「一輪さん、悪いけど少し静かにしててくれないかな」
「あ、すいません」

空気の読めない部外者は放っておいて、当事者2人の返事を待つ。
しかし。

「ミ、ミスティア、どうしよう」
「あ? 私に聞いてんの?」
「そ、そうだよ、1人で決めていいわけないでしょ! 私達2人で鳥獣伎楽なんだから」
「聞くまでもねーよ、やるに決まってんだろ、お前の返事待ってんだよ」
「……そんな」

まあ、そうだろう。
仮にも飲食店経営者、チャンスに対するスタンスが違う。
判断が遅い奴から脱落することを知っている。

でも、待つ。

僕にとってこれは事業でありビジネスであるが、彼女にとってはそうじゃない。
この子の本業はお寺の尼さんで、音楽活動はあくまで余暇なのだ。

本来ならそれでも即決即断が基本なのだが、別に経営者としてのセンスは問うてはいない。

むしろ熟考してほしい。
その場のノリで、なんて後で言い訳されたくない。

いざ始めてからこの子がごねたら、それだけでアウトなのだから。
あくまで向こうが頼み込んで、僕がデビュー『させてあげる』という形でないといけない。
持ちかけたのは、僕だけど。

【うぅぅ】
「……」

また山彦の力が暴発しているのだろう。
うめき声とも何ともつかない音が、テントの中に響く。
一輪やミスティアを交互に見比べ、やっとのことで声を絞り出す。

「……あの、蟲屋さん」
「蟲屋さんと呼ぶな、僕の名前はリグル・ナイトバグ、魔法の森にある家のオーナーだ」
「……『夢を追う人の家』の?」
「家は家だ、別に名前なんてないさ、でも、そんな風に呼ぶ人もいる」

あの家は、時折そんな風に呼ばれることがある。
むしろそういう話を意図的にばらまいている。

ただ生きるだけじゃ物足りない。
呼吸だけでは満足できない。
そんな分不相応な夢を、野望を持った若人たち。
そんな奴らを集めた。

それがあの家だ。
使える人材に、溢れている。

「……」

葛藤があるのだろう。
カタカタと震えながら悩む姿はお世辞にも美しいとは言えないが、でもこれは特権だ。
若者の、特権だ。
この子はまさに今、人生を左右する選択をしようとしている。

喉笛に突き付けられたチャンス。
その身を焦がすコンフリクト。
目を逸らすことなく真剣に、誤魔化すことなく誠実に。

自分の未来を選ぼうとしていた。

……でもね、山彦。
君の選択はもう決まってるんだよ。
それは悩んでるんじゃなくてビビっているだけなんだ。

今の生活じゃ満足できないんだろ?
歌になるくらい、不満があるんだろ?

なら、おいで。

「……………………やります」
「……ん?」

【やらせてください!! 私は! 歌手になりたい!!】

「……オッケェ」

故意なのか暴発なのか、テントを揺らすほどの声量で山彦が叫ぶ。
いいとも。
ああ、いいとも。

君が何を思って決断したのかは知らない。
君の過去にどんな経緯があるのかも知らない。

だからどうした。
重要なのは今の意思だ。

「ちょ、ちょっと響子、本気?」
「……本気ですよ、先輩」
「姐さんとかになんて言うつもり?」
「これから考えます」
「も、もうちょっとよく考えてからにしない?」
「……」

山彦は一輪の方を見ない。
ただ、僕の目だけを見ていた。
そうだ山彦、それでいい。

外野なんて気にするな。
そいつらは文句しか言わない。

「変わりたい、何もかもを吹き飛ばすほどに」
「……そうかい」
「私は、主役を張ります」
「なら僕が、裏方になろう」

君は今、レッドカーペットに足をかけたのだ。
晩餐会はこの先にある。
もう、後には引けないぜ。

「僕は、リグル・ナイトバグ」
「……幽谷響子」

お世辞にも立派とは言えないテントの中で、僕と響子は見つめ合う。
握り返した手のひらは、申し分ないほど熱かった。





ステージのあては?
これから。

機材は?
これから。

スポンサーは?
これから。

宣伝は?
新聞とラジオ。

できるんですか?
これから交渉。

スタッフは?
空から降ってこないかな。

「……もしかして私はとんでもない泥船に乗ってしまったのでは?」
「泥船? 何言ってるんだ」
「あ、いえ、あの」
「船はこれから作るんだよ、『僕ら3人で』ね」
「あう」

場所を替え、東の里。
だいぶ前にユキエが教えてくれた居酒屋に4人。
いくらこの里でマークされているとはいえ、自警団は緊急時以外に私有地には入れないのでたぶん大丈夫。
道中に職質されないことを祈るしかない。

この純和風というか、ザ・居酒屋、といった感じのわかりやすい内装は嫌いじゃない。
やはりこういう店は奇をてらうよりも内容を充実させるべきだと思う。

「響子、竜骨って知ってる?」
「えーっと、なんでしたっけ、最近どこかで聞いたような」
「船の底にある一番太い骨組みですよね、前から後ろまで1本の」
「そうです、一輪さんよく知ってますね」
「船に詳しい奴がいまして」

船に詳しいとはなかなかレアな人材だ。
なるほど、命蓮寺もなかなか面白い人を揃えているようだ。
あ、もしかしてそれがマミゾウかな?

「この場合、竜骨って何にあたると思う?」
「……あ、ス、ステージ?」
「君ら2人だよ」
「そ、そうですよね」
「僕が揃えるのは枝葉のパーツだ、土壇場で泥船かどうかを決めるのは他ならぬ君たちなのさ」
「……はい」
「おいおい、あんま苛めんなよリグル」
「お前にも言ってんだよミスティア」
「私も?」

ったりめーだろうがこのすっとこどっこい。
お前の辞書に『当事者意識』という文字は無いのか。

「これ弾くだけじゃねーの?」

と、ミスティアがくたびれたカバンを持ち上げる。
中にはさっき弾いていたギターが入っているのだろう。
生意気にもエレキギターだ。
いくら僕でもエレキギターとアコースティックギターの違いくらいはわかる。

「そこまで簡単じゃないさ」
「なら指示くれ、私はわからん」
「潔いのは結構だけど、内容は理解してもらうよ、現場でとっさに判断つけなきゃいけないこともありうるからね」
「りょーかい」

そんな僕らのやり取りを見ながら、響子と一輪の2人がひそひそと内緒話をしていた。
でも響子の能力が暴発していて微妙に聞こえる。
やれ夫婦だのオシドリだの熟年離婚するタイプだの。

「2人ともどうかした? 頼むもの決まった?」
「え、ええまあ、うん、店員さん呼ぶね」
「あ、お願いします一輪先輩」

……まあいいけど。
せっかくだし、僕も何か飲もうとメニュー表を開く。
隣から覗き込んでくるミスティアにも見やすいように微妙に傾けつつ、アルコールのコーナーを指でなぞる。

「とりあえずウォッカで」
「いきなりかよ」

世にも珍しいミスティアによるツッコミを聞き流し、注文を取りに来た店員さんに告げる。
そんなミスティアはジョッキでビール。
命蓮寺2人はウーロン茶。
宗教上の理由で酒が飲めなくて困っているというお寺さん2人には悪いと思ったが、僕はこのサソリの入ったウォッカが気になってしょうがなかった。

「流石に今飲んだらみんなにばれちゃうもんね」
「ですねー」

などというお寺事情はさておき。

「お?」

今気付いたが、よくよくメニュー表を見てみるとコーラとサイダーの値段の部分が塗りつぶされており、すぐ隣に手書きで新たな値段が記載されていた。
この間来た時より高くなっている。
いい傾向だ、もっとやれ。

恐らく店の中で唯一この値上げを喜んでいる僕であったが、だからと言って便乗して他のソフトドリンクまで値上げされているのは納得いかなかった。
別に頼まないからいいけどさ。

「話戻しますけど、蟲屋さん……じゃなくて、リグルさんでいいですか?」

響子が僕の反応を伺いながら上目づかいで聞いてくる。
どうやら船にタダ乗りする気はなくなったらしい。

「もちろんいいとも」
「何もかも未定なようなのですが、まずはどれから決めてくべきですかね、優先順位が1番高いのってなんですか?」

君らのやる気の維持です。

「まずはステージと機材だね、逆に言うとこれさえ手配できれば最低限のことはできる」
「ですね」
「ところで今日使ってた照明とかはどうしたの? 命蓮寺の備品か何か?」

少なくとも僕の家であんなものを見たことはなかった。
せいぜいミスティアのギターくらいだ。

「あー、あれな? ハッピ着てる連中が勝手に持ってきてくれてるやつ」
「僕らの間に嘘はなしって言っただろミスティア」
「ガチだよ」
「しかもこんな、下らない嘘を」
「ガチだって」
「そうかい、短い付き合いだったねミスティア」
「ダメだ響子、信じてくれない」

「私が悪かったですからそういう陰湿なマネはやめてください」

冗談はさておき。
あの親衛隊気取りの気持ちの悪いカス共は、暗がりで声を張り上げていたかつての2人に対し、独自のルートから材料を入手して機材一式を組み立てて貢ぐというおおよそ常人の発想とは思えない歪んだ愛を恥ずかしげもなく形にしていたらしい。
あんなのが同じ妖怪だと思うと一気にやる気がなくなる。

「その顔は酷いことを考えている顔だ」
「いや、話は前後しちゃうけどスタッフは決まりかなって」
「……あー、どうよ響子」
「……まあ、いいんじゃないの?」

乗り気じゃないらしい。
気持ち悪いもんね。
でも。

「タダで使えると見た」

気持ち悪さを差っ引いて余りある。
こっちの資金は潤沢なわけじゃない。
ていうかスポンサー見つかるかどうかもわからない。
密かにレミリアさんに期待してるけど、あのコウモリは金に関しての冗談が通じないからどうなるかわからないし。

「そこか、確かにでかいな」

と、ミスティアがあごに手を当てて唸る。
商売人モードに入ったらしかった。

「ざっと見た感じ12~3人いたと思うんだ」
「ああ、そんくらいだ」
「ミスティア、連中を引き込める?」
「当然」

世紀末愚者の汚名を欲しいままにするミスティアだったが、長年の客商売で培った対人スキル、今風に言うならコミュニケーション能力は結構なものだ。
ファンを巻き込むことくらい造作もないだろう。
と言ってもここにいる残りの3人も若手起業家と宗教法人の現役構成員だし、その辺は全員平均以上の能力は持ってそうだ。
我々4人、人見知りという言葉とは無縁に生きている。
ちなみに4人と言ったが一輪はもう巻き込む気満々だったりする。

「うん、正直あいつらキモイなーと思ってたけど、こうなったら話は別だ、全員たぶらかしちゃる、響子も手伝え」
「う、うん、何する気?」
「…………リグル、指示をくれ」

なんも考えてねーじゃねーか。

「そうだね、次のライブの時にでも打診してみるよ、スタッフって言葉じゃなくて協力者とかにしようか」
「ああそれだ、私もそう言おうとしてたんだよ」
「一緒にステージを作ってくれる人を探してたら、2人からあなたたちの話が出てきたって体で」
「……嘘つくんですか?」

唐突に、響子が目を逸らしながら蚊の鳴くような声でつぶやいた。
危うく聞き逃すところだった。

「うん? ついたことないの?」
「……ありますけど」
【そういう問題じゃないってゆーか】
「……」

面倒だな。
今更こんなことで引っかかるとは思わなかったが、やっぱりこの子は商売そのものに向いてない。
いやそれ以前に、たぶんまだ中身が子供なのだろう。
言葉のさじ加減を間違えないよう気を付けなければ。

大人にとって、若輩者の僕ですら、嘘をつくなんて日常の動作だ。
思ってることをそのまま口にするなんて、何も考えてないに等しい。
脱税とかはしないけど。

「響子」
「……はい」

この辺は、僕の腕の見せ所だった。

「プロの歌手はね、歌がうまいだけじゃ足りないんだよ」
「……」
「お客様を、楽しませなくちゃいけないんだ」

何か言いたそうに、現にブチブチと何か言いながら響子は唇を尖らせる。
まあ聞きなよ。

「それはステージを下りたって一緒さ、有名税っていうのかな、ファンを幻滅させちゃいけないし、夢を見せ続けなきゃいけない」
「でも、嘘はダメだって、聖が……」
「嘘じゃないさ、盛り上げるための演出だよ、きっと彼ら喜ぶよ? ずっと好きだった子が自分を必要としてくれるんだ、ここで立たなきゃ男が廃るってね」

僕が男性の気持ちを語るのも変な話だったが、説得力的にはどうなのだろう。
見た目は関係ないと思いたい。

「イベントを興すっていうのはそういうことなんだよ、出演者も、裏方も、お客さんも、みんなで作るものなんだ」
「でも」
「向こうだってわかっててやってる、盛り上げるためのリップサービス、人はそれをエンターテイメントって言うんだよ」
「……」
「それがだめなら手品もできないさ」
「……ぅぅ」

「それでも嫌だっていうんなら、もういいや」
「……え?」

不安そうにこちらを見つめる響子を、わざと見下すような目で見つめ返す。
僕は何も言わない。
溜めて、溜めて、溜めて、溜めて。
そして響子の視線がふらつきだしたタイミングで、フッと表情を緩めた。

「違う方法を、考えよう」
「…………はぁー」
「ふふふ」
「びっくりさせないでくださいよ、もー」
「ゴメンゴメン」

気が抜けたように笑い出す響子に、ウーロン茶が届けられた。
店員のおっさんだ。
飲み物だけの割には時間かかったな。

それはいいとして、とにかく響子は何とかなった。
響子はね。

「あの、蟲屋さん」
「ああ一輪さん、ちょうどいいんで何かつまみになるもの適当に頼んでもらえますか? なんでもいいんで」
「……はい」

安心したようにウーロン茶に口をつけるボーカルとは対照的に、一輪の顔は曇ったままだ
でも今は響子が優先、後で適当にはぐらかしておこう。

響子はたぶん自分の選択の重大さを理解していない。
嫌がる事をさせるつもりはないけど、どうかついていてあげて欲しい。
こんな感じでいいだろう。
一輪がこの子を1人前と見なしていないことは、言動の端々から見て取れていた。

「ま、スタッフの話は後だよ、先にステージさ」

サソリの入った瓶を傾け、自分のコップに手酌で注ぐ。
手の中で揺れる液体を弄びながら、皆が見えるように持ち上げた。

「でもその前に乾杯だよ、グループの名前なんて言うんだっけ」
「ん、鳥獣伎楽っつーんだ、鳥獣戯画の後半が伎楽に変わってる」
「そっか、じゃあ」

僕の野望と。

「鳥獣伎楽に」

―――乾杯。





その日の夜。
といっても一旦睡眠を挟んでいるため、感覚的には翌日に近い。
夜行性ってこういう時めんどくさい。

コーラとサイダーの梱包箱で埋め尽くされた自室で僕は、居酒屋でメモった話をまとめていた。
幸い、という言い方は変かもしれないが、今日は特に仕事も入っていないし、買い出しの当番でもない。
休みみたいなもんだ。

そもそもなんでミスティアがボーカルじゃないのかというと、単に声質がロック向けじゃなかったからだという。
では果たしてどういう声が向いているのかと聞かれても、僕には答えられない。
でもまあ、僕はプロデューサーと言う名のプロモーター。
その辺は、主役2人に任せている。

「……」

問題は山済みだが、逆に言えば全部解決できれば結構な勝算があるように思えた。
切り株ステージを見る限りではかなりの客が入っていたように見える、たぶん、100人いるかいないか。
このうち半分でもチケットを買ってくれれば大成功と言えるだろう。

そもそもゲリラライブだ。
事前に知らせることなくあれなら、きちんと広告を打てばもっといけるかもしれない。
ふむ、予想観客動員数は80名前後としておこう。
予想は少なすぎてもいけないし、多すぎても空振りした時痛い。

いやいや落ち着け、先に支出の計算が先だ。
ステージ、機材、衣装、広告、チケット制作費、2人への給料、スタッフへの給料。
雑費を除けばこんなものだろうか。

このうちステージに関してはすでに目途はついている。
幻想郷最大の多目的ホール。
東の里の集会所を借りられないかと思っている。

毎月守矢の神奈子さんが講演会をやっているところで、公称では100人以上を収容できるらしかった。
確か終日で2万円もしなかったはずだから、念のため前後日借りるとしても6万。
悪くない。

ただ、あそこはたぶん派手に音楽を鳴らすような設計はされていないはず。
どうするか、割増料金くらいなら安いものだが。

「聞くだけ聞いてみるか」

あそこ標準装備でマイクが備え付けられてるんだよなー。
いいよなー。

うまくすれば機材の問題も安く済むんじゃないかと思っていたら、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。

「リグっさんいますー?」

どうやら鳴子のようだ。

「どうぞー」
「失礼しまーす、お客さんが来ますよ、河童さんです」
「……ありがとう、すぐ行くよ」

『来た』ではなく『来る』。
鳴子の警戒網はそこそこ以上に優秀だ。
誰かが家に近づけば、本人が知らせに来てくれる。
ついでにその関係で障壁みたいな結界も張れるのだが、そっちの強度は障子紙と大差ない。
やはり警報装置は警報装置だ。

「あと、買い出し行って来たんで、後でお金くださいね」
「了解」

ぶっちゃけ対魔理沙用。
魔法の森に住む者は、みんなあいつとの戦いを強いられる。
あいつ生意気にも人間の分際で結構強いから。


階段を下り、キッチンでカセットコンロに火をつける。
手鍋にミルクを注ぎ、ふたを乗せたところで玄関のドアがノックされた。

「こんばんはー、河城でーす」
「どうぞー!」
「はーい、お邪魔しまーす」

河童の河城さんとはもう結構な付き合いになる。
この家を手に入れた直後から電気や水道関係の設備を取り扱ってもらっており、条件次第で結構割引してくれるのでわざわざ指名することもあるほどだ。
おっとりとしつつも中身が意外と黒く、マシンガンをこよなく愛する危険な奴だが、腕はすこぶる付き。
電子基板の製作から配管、施工までマルチにこなす逸材だ。
姉はもっとすごい、みたいなことを聞いたことがあるが、これ以上がいるのなら一度会ってみたい。

「浄水器のメンテに来たよーん」
「いらっしゃい、今日は冷えたでしょう」
「わあ、ありがとー」

この辺りは井戸が掘れそうな場所がないため近くの川から直接水道を引いており、外の世界の家同様に蛇口をひねると水が出る。
小型の浄水層とタンク、それと十重二十重のフィルターからなる荒業で、10年くらい前に偶然手に入ったという浄水器の設計図を基に、山の河童たちがアレンジを加えたものだった。
それでも人間が飲んだら一発で腹を壊すレベルの代物らしいが。

「どうぞ」
「うへへへへ、いただきます」

居間のソファに案内し、温めたミルクを淹れた。
河城さんはガシャリと音を立てて工具一式と愛銃のマシンガンをその場に置き、芯まで冷えた体を温める。
僕もそのまま河城さんの隣に座って、自分用に淹れたコップに口を付けた。

ホットミルクをおいしそうに飲む姿は小動物的な可愛らしさに満ちているが、足元のマシンガンがグラリと傾いてこっちに銃口が向いた時は肝が冷えた。
まあ、安全装置くらいついてるだろうけど。
どうも河童が山を離れるときには、この手の銃器の携行が義務付けられているらしい。
河童というものはこれでなかなか貴重な人材だ。
山では1人ひとりが結構な保護を受けている。

「んー、いいねー、仕事サボっての一服、毎度御指名ありがとうございます」
「最近は指名しなくても来てくれるようになりましたよね」
「なんかもー、ここ担当って感じになっちゃったよー」
「そうでしたか」

それはいい感じだ。
山の仕事場が嫌になったらいつでもこっちに来るといい。
ちょうど河童が欲しかったんだ、ついでに白狼天狗を2~3人引き連れて来てくれるとありがたい。
……流石に狭いか。

「河城さん、メンテが終わりましたらちょっと見積りを頼みたいものがあるんですが」
「んー? なにかなー?」
「ライブ用の音響機材一式です」

ピタ、と河城さんの手が止まった。

「……もしかして、あれ関係?」

河城さんが指さした先には、ミスティアが愛用しているエレキギターが立てかけてあった。
ちゃんとしまっとけよ。

「はい、この度プロとしてデビューすることになりましてね、まだ場所も確保してないんですが、この手の機材の相場が知りたくて」
「……そっかー、いやーね、私の友達がファンでさー、サインでもあげたら格安になるかもよ?」
「ホントですか?」

河童のいいところその1。
金勘定が適当。
本人にとって価値のあるものをプレゼントすると、簡単に値引きしてくれる。

「うん、まーあれだよ、その気があるんならそいつにサイン渡しといてあげるよ」
「? いえ、2人から直接渡した方が喜ぶんじゃ」
「……そいつさー、真正の引きこもりだからさ、きっと出てこないよ、だから私が渡しといたげる」
「……」

河童のいいところその2。
嘘が下手。
なんとなく察した。

「友達の話なんですね?」
「友達の話だよ?」
「わかりました、じゃあ河城さんが窓口になってくれるってことでいいですか?」
「うんうん、私に任せんさい」
「なんなら機材は中古でもいいです」

例えば、切り株ステージで使ってたような奴とかでも。

「そう? だったらますますお安くしとくよ」
「ありがとうございます」

とんとん拍子に話は進み、今度里の集会場を一緒に見に行くことになった。
2人してニタニタ笑いながら、ミルクで乾杯。
これもWIN-WINである。

とりあえず機材の問題は軽くなった。
無くなっちゃいないけど、軽くはなった。


夜も更けたころ。
浄水器のフィルター交換と浄水槽の清掃を終わらせた河城さんを山まで送っていくことになった。
水を自在に操るという河童生来の力を掃除に使うセンスはさすがだ、すごい勢いで水垢が落ちる。
これで一稼ぎできるんじゃなかろうか。
新たなビジネスチャンスを見出す僕であった。

集会場の下見の予定を詰めながら森を歩く。
辺りはすでに暗く、昼行性の妖怪にとってはいろいろと危ない時間帯だ。
空を飛んでいけば済む話なのだが、河童はあまり飛ぶのが得意でないため、工具なりなんなりの荷物を持ったままだと歩いた方が早い。
僕が持つと言っても、絶対に手放さないし。

まあ、河童に手を出すと天狗が飛んでくるため正直危険はないと思うが、女性を送るのも紳士の務めさ。
そして何よりこの森には、最悪のジョーカーもいるのだから。

「こりゃあ、珍しい組み合わせだ」

先ほどからチラチラとこちらを伺っていた薄汚いコソ泥が、僕らの前に立ちはだかった。
喪服のような黒衣に、自信に満ちた面構え、嘲るような口元に、どこまでも自然体な立ち振る舞い。
こいつを構成する何もかもが、癇に障る。

「別に珍しくもないさ」
「あっそ」

霧雨魔理沙。
すべての妖怪の敵。

夜は妖怪の時間。
それなのにこいつは怯えも竦みもせず、堂々と大手を振るって歩いている。
それが何より、気に入らない。
人間の分際で。

やるか? ここで。

「よせよ、やるなら河童のいないとこでだ、そうだろ盟友」
「……あうう」
「……? 河城さん、こいつと知り合いで?」

だったら今すぐ縁を切った方がいい。
こいつと行動を共にしていい事なんて1つもない。

「なあに、ちょっと一緒に異変解決した仲さ、そうだろにとり」
「河城さん、悪いことは言わない、盟友とやらは他の人間に限定した方がいい、こいつはあなたを利用するだけ利用して捨てる気だ」
「くはははは、自分がやろうとしてることほど、人もやってるように見えるもんさ」
「黙れ人間、僕の許可なくその口を開くな」
「そりゃ悪かったぜ、お詫びにお前の自慢の家、消し炭に変えといてやらあ」
「そんなことしてみろ、お前は永遠に寄生虫の苗床だ」

そいつはおっかないぜ、そう言って魔理沙は箒に跨り、自分の家へと帰って行った。
何しに来たんだあいつは。

「……魔理沙と、仲悪いの?」
「……」

悪いに決まっている。
むしろ仲のいい妖怪なんているはずがない。
そう思っていた。
せいぜい魔法使い関係くらいかと。
それを、よりによって河童に手を出すとは。

「敵ですから」
「……そっか」

あいつとはギリギリの、本当に紙一重の所で均衡を保っている。
お互いの住処も知っているし、手の内もだいたいわかる。
刃を交えたことだって1度や2度ではない。
魔法の森は、僕とあいつの戦場だ。

人間の中では強い方とは言っても、僕なんかと互角ってことは妖怪換算じゃ雑魚もいいとこ、歌舞伎塚にも劣るだろうし、天狗相手じゃ手も足も出まい。
吸血鬼なんか出てきた日には傷一つ負わすこともできないだろう。

それでもいまだに仕留めきれない。
過去、家の同居人がやられたこともあった。
代えの利かない人材だったのに。

忌々しい。

「なんか、怖い顔になってるよ」
「……すいません」

ほんと、何しに来たのだ。
あの薄汚い顔を頭から振り払うように、河城さんの手を引いた。

もうすぐ森は抜けられる。





山に入ってすぐ、哨戒中だった白狼のお兄さんが飛んできた。
顔見知り程度には知っている人だったため、特に問題になるわけでもなく河城さんを引き渡せた。
送り迎えはここまでだ。
森の妖怪である僕があんまり長居すると、変な詮索をされかねない。
もちろん、害虫回収とかで特別に呼ばれた時とかは別だけども。
ほんと、山って排他的だ。

「……さて」

ふもとの里に寄り、お土産を見繕う。
お饅頭とかがいいだろうか。
この里は妖怪も頻繁に出入りする場所だけあって、夜遅くにまで営業している店も多いので助かる。

あの人の好きそうな赤いお饅頭を手に、紅魔館へと向かった。


門番中の妖精にレミリアさんに会いに来たと告げる。
アポなしで会ってくれるかわからなかったが、連絡の取りようもないので仕方がない。

「……」

A級戦犯レミリア・スカーレット。
幻想郷でその名を知らないものはいない。
13年前……いやもう14年前か。
この幻想郷を火の海にした張本人だ。

若干500歳で赤い館の当主を務め、当時最盛期を誇っていた八雲様を相手取った命知らず。
鴉天狗の大半が八雲様を裏切って向こうに付くという異常事態をも引き起こし、その上で結局敗れ去ったという信じられない妖怪だ。

ただ、決着間際に残る妙な不自然さを、今ほど事情に通じていなかった当時の僕も感じ取っていた。
天狗が裏切ったことはいい。
あ、もちろん白狼天狗はそんな真似しない。
鴉天狗だけだ。
あいつらならやりかねない。

でも、そこまで行って負けるか?
そこまで追い詰めたのは、まぎれもなくレミリアさんの実力だというにも関わらずだ。

さらに意味不明なのが、そんな大罪人の吸血鬼が、処分されるでも地底に落とされるでもなく、当たり前のように幻想郷で暮らしていることだ。
おまけにそれまで八雲様方がやっていた輸入業や結界の修復なんかも引き継いで。

いくらなんでも不自然だ。
一体全体、どんなやり取りがあったのか。
そしてなぜ裏切った上に負けた鴉天狗たちが、山に舞い戻って他の天狗たちにでかい顔をしているのか。

茶飲み話に聞けることではないけれど、いつかは知っておきたい。
僕だって、少なからず被害は受けたのだから。


急な訪問にもかかわらず、レミリアさんは快く面会を許してくれた。
いや、面会と言うよりは謁見と言うべきか。

大げさな扉を開けてもらい、大広間と呼ばれる食堂を兼ねた部屋へと通される。
しかし足を一歩踏み入れた瞬間、この身を引き裂くほど強烈な妖力が、熱波となって襲ってきた。
熱いとも痛いとも違う、独特の息苦しさ。
思わず眉をひそめてしまう。

「あらいらっしゃい、今日は冷えたでしょう」
「御無沙汰しております」

別にレミリアさんは悪意があって僕を苦しめているわけではない。
ただそこに居るだけで、体温のように妖力をまき散らしているのだ。
おそらく僕だって同じように垂れ流していたりするのだろうが、レミリアさんと比べたらマッチと溶岩だ。

強大な妖怪は、そこに居るだけで災害である。
溶岩級の熱波は、人間はおろか弱小妖怪にとっても毒になりうる。
最低でも美鈴さんやパチュリーさんクラスの人でなければ、同居なんて不可能だ。
なんで妖精は平気なんだろう、大自然の端末だからか?

「かけなさい」
「……失礼します」

でも、と思う。
ちょっと前まではレミリアさんのそばにいても平気だった。
自分で抑えられるのか、どうなのか。
この息苦しさを味わうのも久しぶりだった。

「あ、もしかして苦しい?」
「いえ、大丈夫ですよ?」
「ちょっと待ってて今調節するから」
「あ、お構いなく、大丈夫ですので」

レミリアさんは僕の言うことなど気にも留めず、首につけていたチョーカーに触れた。
すると不意に息が楽になる、抑制装置か何かだろうか。

「……もしかしてパチュリーさん製ですか?」
「ええ、もう使わないと思ってたのだけど、やっぱりいるわねこれ」

できる事ならずっと着けていて欲しいところだが、そんなの着けてたら今度はレミリアさんが煩わしいかもしれない。
ままならないものだ。

「さ、今日はどんな話を持ってきたのかしら?」
「……大したものじゃありませんよ、レミリアさんの顔を見たくなっただけです」
「とくと見て行くといいわ」
「はい、なんか定期的に会わないと落ち着かなくて」
「何を言ってるのよ」

クスクス笑いだすレミリアさんに、持参したお饅頭を差し出す。
今日もご機嫌麗しいようで何よりだ。

「つまらないものですが」
「あら、いいの? ありがとう」

今回企画しているミスティアたちのライブ。
まだまだスポンサーを募れるほど話は整っていないけど、今のうちからレミリアさんに話を通しておきたかった。
別に里での興行に紅魔館の許可なんて必要はないけれど。
それでも、外の世界のやり方を、少しでもいいから聞きたかった。

「お茶淹れさせるわね、さ……サニーちゃんちょっといいかしら」
「はーい、お呼びですかお嬢様ー」

近くで掃除をしていたメイド服の妖精にお茶を淹れてくるよう言いつけると、レミリアさんはテーブルに肘をついてニヤニヤとこちらを眺めだした。
行儀の悪いことだ。

「さぁて、挨拶は終わりよ?」
「本題に入ります」
「ええ、そうして頂戴」


ニィィ、と口の端を吊り上げるレミリアさんに今回の企画のあらましを説明した。
まず、客自体は入ることが期待できること。
ステージを里でやりたいのだが、これが現実的かどうか。
宣伝媒体に守矢が主催しているラジオを使わせてもらいたいのだが前例はあるか。
チケットの値段はいくらが相場か。
などなど。

「……着眼点は悪くないわ」
「ありがとうございます」
「でも無理ね、失敗するでしょう」
「……」
「まず、話を聞く限り客は入りそうね、でも費用がかかりすぎるわ」

ステージ、機材、広告、人件、チケット。
どれもタダではない。

「通常、外の世界だとこの手のライブは2種類あるわ」
「……」

少し考えて。

「大規模か、小規模かでしょうか」
「当たり、何千人、何万人も収容できる会場を使って行うすごい奴と、せいぜい2,30人で聞く奴」

明確な線引きは無いけれど、とレミリアさんは言う。
前者はもっぱらトップアーティストと呼ばれる怪物たちが行うもので、駆け出しのバンドや売れない人たちは後者のような小規模なライブで場数を踏むのが一般的らしい。

「かかる費用が段違いなのよ、ハコ代だけで何百万もするわ、日本円でね」
「……うわあ」
「チケット代もヤバいわよ、遠くの方の席でも数万円、ステージの近くは数十万とかするわ」

ありえない。
少なくとも僕の常識じゃ考えられない。
外でも高くて5000円くらい、ミスティア達のなら2000円くらいかなと思っていた。

「チケットが競りにかけられることもあるわ、下手うつとそれだけで数百万円」
「頭が痛くなってきました」
「人間は限度ってもんを知らないから困るわ」
「まったくです」
「で、後者の方だけど、ちょっとした建物の1室を借りて、そうね、この部屋よりちょっと広いくらいかしら、そこでやるのよ」

言われてちょっと辺りを見渡してみる。
ふむ、ステージと機材置き場を除いてイスとテーブルを並べれば、確かに2,30人と言ったところだ。

「そういうところはもう機材なりチケットなりがあらかじめ用意されてて、全部パックでいくらいくらって準備ができてるのよ」
「全部標準化されてるんですか」

施設と機材とチケットとスタッフが同じ組織。
そりゃ安上がりだ。

「それで4~5万円くらいね」
「それくらいでできたらいいですね」
「できないわよ?」
「できないですね」

娯楽の少ない幻想郷。
そんな文化は醸成されてなどいなかった。

ああ、レミリアさんの言いたいことがわかった。
要するに僕は、大規模なライブ並みのリスクを背負って、小規模なライブ程度の利益を得ようとしていたのだ。
ハイリスク、ローリターン。
一番やっちゃいけないパターンだ。
そりゃ失敗するに決まっている。

「リグル」
「はい」
「悪いことは言わないわ、やめておきなさい」
「……」

でも、だ。
でもそれを、ひっくり返せれば。
何かないか、何かないか。
ここは幻想郷、外の世界の常識なんて飴細工のように砕け散る場所だ。
何か、手はあるはずだ。

「……やる気なのね」
「当然です」
「……そう」

舐めるなよ吸血鬼。
止められたくらいで引き下がるほど、僕は素直に生きちゃいない。
人が無理だと言うものにこそ、大儲けするチャンスがあるのだから。

「あとはそうね、チケットの他にグッズとか売るのもあるわ、むしろ粗利はそっちのがいいかも」
「グッズですか、サインとかですか?」
「サインでもいいけど、量産が効く物がいいわね、その2人の写真がプリントされたうちわとかポスターとか、その辺ならたぶん幻想郷内でも作れるでしょうし」

そうか、何も収益はチケットだけじゃなくてもいいのか。
これはいいことを聞いた。
もっとシンプルに写真集とかでもいい。
付加価値があれば値段を跳ね上がられるし、チケットと違って別に買わなくてもライブには参加できる。
だから多少高くても非難はされないだろう。

「あとは荒業だけどグッズに握手券付けるとか」
「何ですかそれ」
「握手会ってのに参加できるチケットよ、握手会ってのは言葉通り」
「……」

それはたぶん、2人が嫌がるだろう。

「まあ、外でも賛否あるのよね」
「そうですね、考えておきます」
「そんなとこかしらね」

ふと、思いついた。
何も物品販売に拘らなくてもいいじゃないか。
もとを正せばこれはイベント、お祭りみたいなものなのだから。

「出店とか出しちゃダメですかね」
「あ! そうね、それもあったわ、やるじゃないの」
「えへへ」

褒められた。

別に自分で出す必要はない。
他の祭りのときにこぞって出店をしている連中がいる。
専業なのかどうかは知らないが、権利だけ売ってしまえばいい。
というか、コーラ売るチャンス。

「幻想郷でできるのはそんなとこかしらね、ある程度だったら輸入もしてあげるけど」
「ありがとうございます、そうですね、何かあったらお願いすることがあるかもしれません」
「ええ、いつでもおいでなさい」

「レミリアさん、今日はどうもありがとうございました、とても参考になりました」
「まだお茶も来てないわよ?」
「申し訳ありません、急いでやらなければいけないことができてしまいました」
「そう、がんばりなさいな」
「ありがとうございます」

楽しそうに微笑むレミリアさんに別れを告げ、紅魔館を後にした。
あの人は基本、他人の無茶が大好きなのだ。
しかしながら得られた情報は値千金。
ここに来て正解だった。


レミリアさんの話を聞いて改めて問題解決の難しさを痛感したと同時に、1つの仮説が僕の中に浮かび上がっていた。

ラジオ。
今年の春くらいに建てられた妖怪の山の最新技術。
守矢神社が主体となって番組を作り、幻想郷に新しい娯楽と情報源を生み出したのだ。

しかし問題はあれの受信機の方。
あれは外の製品ではなく、妖怪の山で作られたものだった。

前に河城さんに聞いたことがあるのだが、工業製品を大量生産する時は、コスト削減について本当に気を使うらしい。
それこそ電子回路の部品1つから。
製品1つで100円違えば、1万台売ったら100万円違うのだから、と。

にもかかわらず、あのラジオにはラジオとしては不必要な機能が備わっている。
カセットテープという記録媒体の録音・再生機能だ。
番組を記録するためというが、そのメリットがわからなかった。

需要があることは理解できるが、それだったらあるバージョンと無いバージョンと2種類売ればいい。
開発費は2重にかかるかもしれないが。
それ以前にまずラジオの受信機自体が利益を目的としたものではないのだから、なおの事最低限の機能に限定すべきだろう。
一説では値段を下げるあまり原価割れを起こしたとも聞く。

それ自体はラジオ文化による宣伝効果向上のため、と自分では納得していた。
現に費用は再来年あたりにでもペイできる予想らしい。

だからこそ、ずっと疑問だった。
その疑問が、今日解けた。

レミリアさんはやる気だったのだ。

僕が今日話を持ちかけたとき、不自然なまでにスラスラと言葉が出てきた。
チケット代くらいだったら知っていてもおかしくないが、なんで会場費用まで事細かく知っていたのか。
すなわちやったことがあるか、これからやる予定だったか、だ。

「……」

あり得る、と思う。
レミリアさんはまさしく、僕と同じことをしようとしていた可能性が。

あそこのバカげた資金力なら、それこそライブ会場の1つや2つ建ててしまえるだろう。
そこでアーティストだかミュージシャンだかを募って興行、さらに披露した歌を録音したカセットテープを販売。
すべてが独占事業、利益は総取り。
誰も真似などできはしない。
価格も供給も自由自在。
ラジオの機能は、その布石。

なるほど、僕の稚拙な思い付きより、よっぽど大規模で周到で、そして現実的だ。

「ク、クククク」

笑いが込み上げてくる。
吊り上る口角が抑えられない。

これがビンゴだとしたら、僕はあの吸血鬼に先んじたことになる。
僕の話を聞いてるとき、レミリアさんは平生を装いながら、その実度肝を抜かれていた。
そう思うと、痛快だった。

そしてたぶん、レミリアさんは手を引くだろう。
完全にではないが、少なくとも先に僕にやらせてくれるだろう。

さっきだってなんだかんだ言いつつ情報くれたし、その気になったら『引っ込んでろ』と言えば済む話だ。
それだけで僕は何もできなくなってしまうが、レミリアさんはそれをしなかった。
美学に反するだけかもしれないが、もっと筋の通った根拠がある。

リスクが高いのだ、今回の話は。
外の世界ではノウハウがあるのだろう。
話に出てきたライブ会場ではないが、ある程度標準化された、規格化された手順やセオリーがあるのだろう。

でも、ここは幻想郷。
外の世界の常識が、飴細工のように砕け散る世界。
不測の事態が、起こりうる。
幻想郷ならではの、問題が発生する。

そんな矢先、『後輩』がやると言い出したらどうだろう。
転校生の自分より、遥かに校風に詳しい後輩が、だ。
スカーレット先輩はそれを止めるか?
答えはNO。

僕だったら、先にやらせる。
おいしいところを譲ってでも、情報が欲しい、前例が欲しい。
どんなトラブルが起きて、どんな対策が講じられたか。
どう失敗して、どう解決したか。

値千金の情報。
レミリアさんが欲しいのはそれだ。
僕はそれを売り、レミリアさんはそれを買う。
これをWIN-WINと言わずして、何と言おう。

勝算は、あるのだ。





自宅へ着いた時には、もう日付が変わろうかという時間だった。
そろそろお腹も空いてきた。

マタギのような恰好の歌舞伎塚とすれ違い、慌てたように走り去っていくユキエと入れ違う。
そして演奏の練習をしているリリカの邪魔をしないように居間を通り過ぎた。
みんな忙しそうでなによりだ。

リリカは普段、同居人の迷惑にならないよう屋外で練習をしている。
というか入居時にそう取り決めてある。
だけどどうやら音を出さなくとも練習はできるらしく、今日のような冷える夜は居間に居座って音の鳴らないキーボードをパタパタと叩いていたりする。
器用なものだ。

「リリカ、調子はどう?」
「……あ、ボスお帰りー」
「うん、ただいま」

ひと息ついたタイミングを見計らい、リリカの向かいに腰かける。
ソファのバネは相変わらずヘタレているが、慣れればちゃんとバランスが取れる。
そこらに転がっていたのを拾ってきたソファだ、文句は言うまい。

「はい、お疲れさん」
「あ、ありがとうございます」

本日2度目のホットミルク。
冷えた体を温めるにはこれが最適だ。

屋外に比べればはるかにマシとは言え、空調なんて贅沢品はこの家に存在しない。
当たり前だ。
電気とは電球を光らせるためにあるのだ。
あとはせいぜい換気扇と炊飯器。

「ねえリリカ」
「あちちっ」
「リリカったら」
「うん?」

さてさて仕事の話。
レミリアさんのおかげで光明が見えた気がしてきたが、同時に未解決の問題もいくつか見えてきた。

そのうちの1つが、騒音。

ライブ会場で聞いた限り、かなりの距離を離れていても十分すぎるほどに届くような音量だった。
あの爆音を里の中で鳴らせるものか。

世の中には防音材、吸音材と呼ばれる音の防護壁もあるにはあるようだけど、効果のほどがわからないとか言う以前に里の集会場を改造するわけになんていかない。

直感だけど、たぶん科学じゃ無理だ。
科学でダメなことは、非科学でやればいい。
幻想郷の武器は、こういう時こそ役に立つ。

「と、いう訳でライブをやるんだ、ミスティアと響子って言う尼さんで」
「……マジすか」
「大マジだよ」
「……」

湯気の途絶えないカップを握りしめ、リリカは思いつめたような顔をする。
どうせ、『先を越された』とか『私、何やってんだろ』とかそんなことを考えているに違いない。
お前の悩みなんてどうでもいいから僕の話を聞け。

「……すごいね、ミスティア」
「うん、そうだね」
「やっぱりボスが仕切ってるの?」
「うん、そうだよ」
「……そっか」

いつか誰かが言っていた。
馬を走らせたかったら、ニンジンをぶら下げればいい、と。

「ねえリリカ、僕はね、今後の事も考えてるんだ」
「……こんご?」
「ミスティアの次は誰かってこと」
「ボス、私……」
「皆まで言うなよリリカ、少なくともここ1年は、誰よりも近くでお前のことを見てきたんだ」
「……うん」

人間は希望がある限り、それにすがり続けると。
幽霊も、また然り。

「お前の頑張りは知ってるよ、うちでも毎日練習してるし、たまに里でストリートライブしてるよね、あれすごくいいと思うよ」
「ぅん、ひとに、聞いてもらうのって、すごい大事なの、上達するの」

知ってるよ。
僕の場合は、音楽じゃないけどさ。

「たまに、おひねりとかもらえて、すっごい嬉しかったり」
「そっか、もうそんなにまでなってるんだね」
「頑張ってね、とか言ってくれたりして、それがもうね、心の支えになるの」
「そうなんだ、すごいじゃないか」
「えへへへ、おかげさまです」

そう言ってリリカは僕に向かってお辞儀する。
反射的につむじを突きたくなったが、ちゃんと我慢できた。

「で、だ」
「うん」
「リリカって音関係に詳しかったりしない? 知り合いとかでもいいけど」
「うぐ、どうだろ、お勉強的なことはさっぱりで」
「なんかこう、音を操る系の能力持ってる人とかは? 範囲以内の音を外に出さない様なのがベスト」
「……? 鳴子ちゃんは?」
「あの子はそんな都合のいい結界張ったりできないよ」
「そっか、うーん」

腕組みして考え込むそぶりを見せるリリカだったが、色の良い返事が返ってくるかどうか……
リリカでダメならもうパチュリーさんくらいしかいないのだが、あんまり頻繁に貸しとか作りたくない。
ただでさえ食い気味だというのに。

「ボス、それってあれでしょ? ライブの音を外に出したくないんだよね」
「そうだよ」
「うーん、ゴメンだけど、私には荷が重いよ」
「そっか、まあ、しょうがないね」

別にそれほど、あてにしてもいなかったし。
あーあ、またパチュリーさんかー。
うーん、もう少し他も当ってみるかな?
あとできそうな人と言えば近所に住んでる魔理沙じゃない方の魔法使いだけど、あのアリスさんが協力してくれるとは思えないし。
あ、確か命蓮寺のトップも魔法使いじゃなかったっけ。

「あの、ボス」
「……」

て、そうだよすっかり忘れてた。
命蓮寺にもちゃんと話通さないといけないんだった。
こりゃ1回やること全部リストにした方がいいな。
僕結構忘れっぽいし。

「その、それは絶対なんとかしなきゃいけないの?」
「……うん? 何が?」
「いや、だから音を閉じ込めるってやつ」
「うんうん、やんないとライブできないね」
「……お姉ちゃんなら何とかできるかも」

お? なんかいい流れが。

リリカの姉か。
4人姉妹の三女と聞いていたけれど、お姉さん方や妹さんに会ったことはなかった。
姉妹揃って音楽家らしいのだが、やはり餅は餅屋、音は音屋。
そっち方向のコネがあるなら、ありがたく使わせてもらいたい。

「……うん、私ちょっとお姉ちゃんの所に行ってくる」
「いいの? なんか前に会いたくないみたいなこと言ってたのに」
「ううん、もう平気、四の五の言ってられないもんね」
「ありがとうリリカ、よろしく頼むよ」
「私だって、負けてられないもん」
「……そっか」

よぅし、と気合を入れて立ち上がり、リリカは居間から出て行ってしまった。

……よろしく頼むよリリカ。
お前のライブがあるかどうかはわからないけどね。
客を呼べそうなら、考えてやってもいいよ。

残っていたミルクを飲み干し、2人分洗ってから片付ける。
そして2階の私室に戻り、手帳を開いた。

「……」

愛用の万年筆をインクに浸し、今までの事をまとめてみた。


ライブ計画について

用意すべきもの
・ステージ  未対応 候補:東の里集会所、東の里付近の切り株(こっちは最終手段)
・機材    河城さん対応中(期待できそう)
・衣装    未対応 最悪普段2人が使ってるやつ
・広告    未対応 候補:ラジオによる宣伝(『妖怪事情』か『パンクロックの番組(番組名失念)』が希望)
              新聞(コスパ悪そう、余裕があったら)
・チケット  未対応 候補:山の印刷会社、手作り  枚数:100~200枚?(ステージに依存)
・スタッフ  未対応 候補:ハッピの親衛隊(仮称) できれば警備員も欲しい(給料どうしよう) 人数:20人程度
・グッズ   未対応 候補:写真集、ポスター、うちわ(扇子でも可)山の業者に発注(確かそういう業者あったはず)値段は未定
・出店    未対応 里にそういう業者がいる(要調査)

未解決問題
・騒音    リリカ対応中 お姉さんに聞いてみるらしい
・利益    チケット代金は期待できない、グッズがどれだけ売れるかが勝負かもしれない、種類を多めにすべき
       出店の連中からどれだけ取れるか
       コーラとサイダー売りたい(出店の連中に売ってもいい)
・命蓮寺   近々に話をしに行くか、ある程度まとまってから行くか(早い方がいいかな?)

「……こんなもんか」

持っていた万年筆を置き、自分で書いた文字を眺める。
いんさつの『さつ』ってこれで合ってるよね。

それにしても未対応ばっかりで嫌になってしまう。
それでもまあ、1つやれば1つ終わる。
僕がやらなきゃ永遠に解決しないんだから。

「……あ、忘れてた」

僕としたことが、最大の問題を失念していた。

置いていた万年筆を再び手に取り、命蓮寺の下に新たな項目を追加する。

・霧雨魔理沙

「……」

妨害、来るだろうな。

奴の妖怪への敵意は底が知れない。
以前、友人とともに狩りをした時も、当たり前のように妨害をしてきた。
その友人はとっさに獲物を人質にしたのだけれども、あいつはそんなことお構いなしに発砲してきた。

結局その友人は人質ごと灰になってしまった。
奴に同胞を顧みるという選択肢は無いと思った方がいい。

僕がステージとして真っ先に東の里をあげたのも、ひとえにこの魔理沙の問題からだ。
いくら奴でも、里の中で撃ちはしないだろう。

「……クソ」

いや、わからない。
確実じゃない。

当日来るであろう妖怪の数を考えたら、人間に被害を出してもおつりがくる。
まとめて薙ぎ払われたら、お手上げだ。

でも、それをやったら魔理沙だって無事じゃすまない。

魔理沙が退治屋として活動する上で、里からの支援は不可欠だ。
あれだって、霞を食って生きてるわけじゃない。
それがまとめて無くなることをかけてまで、断行するだろうか。

まさか里長からの許可なんて出まい。
なんせそっちの方は僕が抑えている、里の権力者にとって『妖怪の知り合い』ってのは強力なパイプだ。
僕らの暴力は、弱小妖怪の僕でさえそこらのヤクザ組織より強力なのだから。
奴らが保身しか考えてない内は、問題ない。

理論的に考えれば、撃つべき。
理性的に考えれば、撃ってはいけない。

奴がどちらを取るか、見極めなきゃいけない。
それよりも確実な防護が欲しい。
何か、確実な。

「……」

万年筆の反対側でコリコリと頭を掻きながら、良い手は無いかと考える。
でも結局、妙案は浮かばなかった。
まあいい、魔理沙の問題は後回しだ。
他のやつを、先にやろう。

手帳を閉じ、夜食を食べに部屋を出る。
隣の寝室では鳴子や歌舞伎塚が寝てるはずだから、起こさないように気を付けなければ。


夕飯も黒パン夜食も黒パンでは力も出ない。
という訳で、キッチンの『私物入れ(食糧)』と書かれた張り紙のある戸棚を漁り、自分の名前の書いてあるバスケットを取り出す。
中にはちょっと高級な紅茶や袋の空いたせんべい、そしてお酒が少々。
それらの他に、買い出し当番に頼んであった食材がいくつか入っている。
同封されていた請求書の金額を確認し、ポケットにしまった。
後で鳴子が起きたら払っておこう。

鳴子以上歌舞伎塚未満の料理スキルを所有する僕なので、野菜炒めくらいは余裕で作れる。
刻んで焼けばいい。

「ふんふーん♪」

誰も聞いていないと高をくくり、鼻歌なんて歌いながら中華鍋を振るう。
昔は同居人揃って食事なんてしていた時期もあったのだけど、味付けがどうだとか時間帯がどうだとかで結局頓挫してしまった。
まとめて作った方が節約になるんだけど、集団生活ってのは難しい。

野菜炒めを皿に盛り付け、空いた中華鍋に卵を落とす。
味は混ざるが、あんまり気にしてない。
コンロの火を落とし、直後に少量の水を入れて蓋をした。

キッチンにバチュバチュと派手な音が響き渡る。
鍋が大人しくなってから蓋を開ければ、表面だけ火の通った半熟目玉焼きが出来上がっている。
卵を落としたらすぐに火を止め、余熱でやるのがコツである。
ミスティア直伝の技だった。

こちらも皿に移し、炊飯器を開ける。

「あれ?」

空だった。

「……マジかよ」

ふたを閉めると、確かに『保温』のランプが光っている。
誰だ電源入れっぱなしにした奴は。

「……ご飯なしで、いっか」

まあ、確認しなかった僕が悪い。
共有物の棚に何かないかと思ったが、黒パンと米とミルク、おいしくない紅茶、あとは誰かが余らせたお酒しかない。
ちゃんと補充していてくれたことはいいのだが、すぐに食べられる炭水化物は見当たらなかった。
と言うかコーラが切れてる、補充しとかないと。

仕方がないので再び私物箱を引っ張りだし、いつ開けたかわからない湿気っているせんべいを主食にすることにした。
我ながら無理がある。
発作的にウォッカでもあおってやろうかとも思ったが、なんとか自重した。

両手に料理の乗った皿を持ち、口にせんべいの袋を咥えるというなかなかのスタイルで居間に向かうと、2人ほど先客が居るのが見えた。
ソファの前にテーブルを持ってきて食事をしている。
1人は鳴子で、もう1人は知らない子だった。

その知らない子はものすごい勢いでご飯をかっ込み、のどに詰まらせては水で飲み流すという愚かな悪循環を幾度となく繰り返している。
そうか、ご飯食べつくしたのはこいつか。

「鳴子起きてたんだ」
「ういーっす」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐっ」

時計を見ると、もう午前の2時くらいを指している。
眠そうに目をパチパチする鳴子は、それでも愛おしそうに隣に座る女の子の青髪を撫でていた。
……お前の子供じゃないだろうな。

脇目も振らずにご飯と漬物を貪る女の子は、僕が持ってきた野菜炒めと目玉焼きを察知するとキラキラした目でこちらを覗いてきた。
やらねーよアホが。

「やあ、初めまして」
「もぐもぐもぐもぐ」
「飲み込んでから喋るといい」

女の子の対面に腰かけ、野菜炒めに箸をつける。
『え?くれないの!?』とでも言いたげな顔で僕の野菜炒めを見つめる姿が面白かったので、野菜をいくつかまとめて摘まんで女の子の方に持って行った。

はい、あーん。

「もぐ、あーん」
「やらねーよ」

と言って自分で食べた。
この世の終わりみたいな表情で硬直する女の子に嗜虐心をくすぐられるが、鳴子がジト目で睨んできたのでこの辺でやめておくことにする。

「リグっさん、子供みたいなことしないでくださいよ」
「いやぁー、つい」
「……この子、さっき私のレーダーに引っ掛かりましてね、行き倒れです」

そう言って鳴子はまた女の子の髪を撫でる。

「傘の付喪神だそうで、ね、小傘ちゃん」
「もぐもぐもぐ、あい」
「……」

小傘ちゃんとやらは手元に置いていた泥だらけの傘を軽く持ち上げて見せつける。
お世辞にもきれいとは言えないが、だいぶ使い込まれた様子のその傘は、前の持ち主が大事に使っていたであろうことを予想させた。

「……傘の付喪神で小傘、か」
「あー、まあそんなもんですよ、ひな人形の雛ちゃんとかいますですし」
「いますですのか」
「いますのです」
「げっふー」

件の付喪神は僕らのやり取りなどどこ吹く風、満足そうにお腹を撫でるだけだった。
よほどお腹が減っていたのだろう。
僕が来た時でさえ山盛りと呼べるレベルに盛られていたご飯が、いつの間にか米粒一つ残さず食い尽くされていた。

「……御馳走さまでした」
「はいお粗末様」

鳴子が食器をかたずけ始める。
残された僕は、じぃっと付喪神を観察した。
行き倒れと鳴子は言った。
ぼろぼろの服、汚れた身体。
力も弱そうなら頭も悪そうだった。
とてもじゃないが、1人で生きてはいけないだろう。

「……」
「……あの」

と、付喪神が急に居住まいを正して僕の方を見る。
声もなんというか、言っちゃ悪いがバカっぽい声だった。
きっと付喪神として生まれて間もないのだろう。

「なんだい? 付喪神ちゃん」
「あう、わ、わちきは多々良小傘です、お、お兄さんは?」
「僕はリグル、この家の家主さ」
「……一番偉い人?」
「まあ、そうとらえてもらって構わないよ」

付喪神はもじもじしながら、何か言いたそうにこちらを覗くも、すぐに目を逸らしてしまう。
そのままいつまでたっても何も言いださないため、僕の方から口火を切った。

「まあ、今日はゆっくりしていくといい、妖怪のよしみだ」
「あ、ありがとう!」
「でも明日には出て行ってもらうよ、助けるのは1度だけだ」
「ぅえ? そ、そこを何とか」

捨てられたペットにエサをやって満足する奴は無責任だ。
なんて、外でも幻想郷でも言われることだったが、そんなことは知った事ではない。
無責任だろうがなんだろうが、助けられた方はありがたいに決まっている。

弱小妖怪の生活は楽じゃない。
力無き者は散っていく。

それを自然の摂理と切り捨てるのは簡単だったが、種としての窮地に立たされている僕らにそんな余裕はないのだ。
ラジオでは教えてくれない妖怪事情。
僕らが絶滅しないために、なるべくなら生き残って欲しい。

でも、だ。
この家に慈善事業が好きな奴はいない。
みんながみんな、目的があってここにいる。
それを邪魔されるのは御免こうむる。

故に助けるのは1度だけ。
1度だけ助けて、責任は負わない。
あとは自力で、生き残れ。

それがこの家のスタンスだ。
そう、付喪神に説明した。
ていうか拾った奴が説明しとけ。

「もし君が自力で生きられるようになって、ただ生きてるだけじゃ物足りなくなったら、またおいで」
「……」
「誰も応援なんてしないけど、条件次第で手伝ってくれる」
「……あい」
「いい子だ」

戻ってきた鳴子に案内され、付喪神は洗面所へと歩いて行った。
たらふく食べてお湯に浸かって、ぐっすり眠っていくといい。
これを1晩限りの夢にするか、これを日常にするか。
それは明日からの君にかかっている。

「……」

付喪神は鳴子に任せ、僕は自分の食事を再開した。

いずれまた会おう。


ソファに体重を預け、今日の予定を考える。
早めに解決したいのはステージだったが、こんな深夜に予約に行けるわけがない。
昼行性の河城さんとも予定を合わせなければいけないし。
やむを得ないので、こちらは昼間に行くことにする。

というか昼しかできない事の方が多い。
天狗も河童も昼行性だし、山自体が昼に活動することを前程に動いている。
最近は妖怪も昼に動く奴が増えてきた。
誰だ夜は妖怪の時間、とか言い出したのは。

「……仮眠しておくか」

昼になったら山に行って河城さんと予定詰めて、印刷所行って見積りもらって、グッズ製作の話して……
そして神奈子さんと、交渉を。
宣伝にラジオを使わせてほしいと。

総責任者が神奈子さんだったはずなので、神奈子さんがいいと言えばいいはずだ。
可能なら録音とカセットテープの販売許可ももらいたい。

できれば主演2人を連れて行きたいところだが、今はいいか。
まずは僕1人で挨拶に行くことにしよう。

「ま、こんなとこか」

全面的に神奈子さんを巻き込むことになりそうだったが、うまい事乗せられるだろうか。
紅魔館はともかく、今後山の協力は不可欠なのだから。

月一でやっている守矢の講演会で何度か見たことはあるが、話したことは無い。
でもその声や話し方からして、切れ者な気配が色濃く漂っていた。

あの軍神をたらし込む。
できるだろうか。





「侵入者発見です、ナイトバグさん」
「参拝客ですよ、犬走さん」

山に入って5分、さっそく白狼天狗に捕まってしまった。
御無沙汰しておりますと声をかけ、守矢の神社まで付いてきてもらう。
いくら山が排他的と言っても、守矢への客を追い返したりはしない。
それじゃ本末転倒だ。

表向きは案内と言っているけれども、実際問題これはただの監視だ。
というのも表向きで、ライブ計画について興味深そうに耳を傾ける犬走さんの姿は、ただ単に僕に同行しているだけにしか見えないだろう。

根が生真面目な白狼天狗は、たとえ相手が弱小妖怪だろうと決して油断することはない。
ならばこの犬走さんの弛緩した態度は、そのまま僕個人への信用なのだと思うと胸が熱くなる。

「面白そうなことしてますね」
「はい、すげー面白いですよ」
「……ちょっと、うらやましいですよ」
「……」

まあ、忙しい身分ではこの手のイベントに関わる機会なんてそうそう無いのだろう。
参加するだけでも少ないだろうし、主催するなんてもってのほかだ。
ちょっとさびしそうな顔をする犬走さんをよく観察しながら、一石投じてみることにする。
ダメでもともと。

「犬走さん、実は今ライブの用心棒を探しておりまして、誰かご存知ではありませんか?」
「……用心棒ですか」
「ライブ当日、お客さんを警護してほしいんですよ、腕が立って、信用できる人いませんか」

んー、と空を仰いで何事かを考える犬走さんを横目に見つつ、僕は自分の口元を抑えてにやけ面を隠す。
悪巧みするとどうしてもにやけてしまう。
悪い癖だ。

「ナイトバグさん」
「……はい」
「それはもしかして、私を御指名で?」

さすが、鋭い。
真摯な目つきで見下ろしてくる犬走さんは、それでもすぐに目を逸らしてしまう。
どういう心境なのか、複雑すぎてわからなかった。

「犬走さんだったら、最高ですよ」
「……申し訳ありませんが、ご期待には添えられそうにありません」
「……」
「御存知でしょうが白狼天狗は多忙の身でして、協力したいのはやまやまなのですが、天魔様はお許しにならないでしょう」
「そうですか」
「……そ・れ・に」

不意に犬走さんの指先が僕へと延びる。
そして僕の額に触れながら、妖力を開放した。

目の前で膨れ上がる天狗の殺気。
レミリアさんほどデタラメではないにしても、反則と言って差し支えないほどに凶暴な力。
思わず気圧されてしまうが、ちょうど手に隠れていて犬走さんの顔は見えない。

「あなた如きが天狗を使おうなんて、100年早い」
「…………すいません」

かろうじてそれだけ言うことができた。
触れていた手が下ろされる頃には、もとの優しい犬走さんに戻ってくれていたようで、うなだれる僕の頭をクシャクシャと撫でてくれた。
触角が引っかかって痛かったが全力で我慢。

「100年早いですが、100年経ったら考えてあげなくもありません」
「はい?」
「もう若造とも新人とも言われなくなったら、山ですら一目置かれるほどになったら」
「……犬走さん」
「その時は、まあ、考えるだけ考えてあげますよ」

発言の内容もさることながら、犬走さんがこんないたずらっぽく笑うなんて初めて知った。
同性である……断じて同性である僕ですらこれには胸が高鳴ってしまう。
破壊力抜群だった。

「はい、その時は、ぜひともお願いします」
「そうですね、まあせっかくですし何人か知り合いでもあたってみますよ」
「よろしくお願いします」

それから守矢の神社までの間、どうやったらこの人をお持ち帰りにできるのか、そればっかりを考えていた。
何を言っても手堅く返す犬走さんは攻略難易度が異常なほど高く、それだけに1度味方にしてしまえば末永くお付き合いできそうな信頼性もあった。
軽いジャブのつもりで放った『彼氏いるんですか?』という質問に硬直していたところを見ると、この辺から崩せそうな感じではある。

若干わざと遠回りしながらも神社にたどり着き、名残惜しくも犬走さんとはお別れの時間になってしまった。
なんかもう犬走さんと散歩しに来たことにして帰ろうかなと思ってしまう。

でも、と改めて前を見る。
鳥居に掲げられた『守矢神社』の文字を見て、僕は気合を入れなおした。

大きな鳥居をくぐった先に、豪奢な神社がそびえている。
白1色の玉砂利を横目に見ながら、チリ1つ落ちていない参道を進む。
ここに来るのは、初めてだった。


敷地に入った途端、急に音が無くなったかのような錯覚に陥った。
木々のざわめきや、流れる水の音、僅かながらも活動していた蟲達の声。
それらが全く聞こえない。
聞こえるのは、自分の足音だけだ。

確かに開けた場所ではあるが、いくらなんでも耳が痛くなるほどの無音なんて不自然だ。
病的に整いすぎたこの場所は、いるだけで不安になってくる。
妖怪の本能が、ここに居たくないと騒いでいるのを気合で押し殺した。

「……」

賽銭箱に小銭を入れ、紐を揺らしてガランガランと音を立てる。
……いるかな?

「……」

しばらく時間を置いてもう1度やってみたが、中からは何の反応もない。
神様を呼ぶときはこうやると聞いていたのだけれど、何か間違っていたのだろうか。

どうしたものか、ここまで来て手ぶらで帰るなんて選択肢はない。
何かないかと周囲を見回してみると、『参拝ルート』と書かれた看板が目に入った。
なるほど、何か所かでやらないとダメなのか。

看板の案内に従い、石畳の道を進む。
すると少し離れたところに、手作り感の溢れる小さな祠が見えてきた。

「『秋神社 守矢分社』……?」

あれ? これ神奈子さんのじゃなくね?

不審に思いながらも備え付けられていた小さな賽銭箱に小銭を入れ、カランカランと小さな鈴を鳴らす。

「……」

それでもやっぱり神奈子さんは現れない。
まだ足りないのか。

ふと横を見てみると、石畳の道を挟んで左右にずらりと大小さまざまな祠が並んでいる。
なんだこれは、出店か。

もしかしてこれ全部にお賽銭しないといけないのか。
そんな馬鹿な。

とりあえず道なりに歩いてみる。
祠たちに書かれた名前はまちまちで、作りも形も千差万別八百万。

相変わらず辺りからは何の音も聞こえず、生命の伊吹を感じられない。
でもなぜだろう、ここに連なる祠からは神様たちの身も蓋もない焦燥感と、四の五の言っていられない世知辛い現実が見て取れる。
総合的に考えてここはつまり、そういうことなのだろう。
自力で参拝客を獲得できない神様たちが守矢神社の威光にあやかろうと、おこぼれを頂戴しようとプライドを投げ打っているのだ。

なんだか僕にはこの祠が神様のお墓か何かのように思えてしまい、気が付けば熱い涙が頬を伝っていた。
男泣きである。
もう2度と泣かないとあの日の夕焼けに誓ったはずなのに。

「……よし」

僕には物事がうまくいかないと発作的に散財してしまう癖があるのだが、今日は意図的にやってやる。

僕はその場で180度ターン。
来た道を引き返し、秋神社の隣の祠から順番に片っ端から参拝して回った。
お願いすることはただ1つ、神奈子さん会わせてください。
ついでに商売繁盛もお願いします。

途中で小銭が無くなり、山を若干降りたところの団子屋さんで両替を頼み、再び参拝。
呆れるほどの集中力で黙々と賽銭を入れ、鈴を鳴らし、願掛けをした。
そして最後の祠で柏手を打ち、すべての神社への参拝を終了するころ、僕はここに来た理由を完全に忘れていた。

使命をやり遂げたことに対する心地よい疲労感を抱きながらふと空を見上げてみれば、雲1つ無い抜けるような青空がそこに広がっていた。
ここは幻想郷で最も標高の高い場所、遮るものは何もない。
360度視界いっぱいに広がる青空は、きっとここに来なければ見られなかっただろう。
空でも飛ばない限りは。

いいことした後は気持ちがいい。
僕は満足感でいっぱいになり、もう本気でこのまま帰ろうかと思った。
いいじゃんもう。
先に河城さんのとこ行こうぜ。

「アディオス」

僕は八百万中の33人に別れを告げ、入って来た鳥居を再びくぐることにした。


少し時間を調整し、正午直前くらいに河城さんの勤める工場にやってきた。
以前河城さんに仕事中より昼休みとかに来て欲しいと言われていたので、この時間だ。
その方が風当たりが優しいのだそうだ。
僕には理解できなかった。

この工場には何度か来たことがあるため、道に迷うこともない。
守衛の妖怪に河城さんに会いに来たことを告げ、来客用のネームプレートを発行してもらう。
内線で呼んでくれると言うので、しばらくそのまま待つことにした。

そして昼休み開始のチャイムとともに、つなぎ姿の河城さんが走ってきた。

「サイン持ってきてくれた!?」

開口一番これである。

「……2人から直接渡した方がいいと思いまして」
「そっかー、そうだね」

完全に忘れていた。
そう言えばそんな話だった。

立ち話もなんなので、と言うことで工場の食堂に案内してもらう。
右を見ても左を見ても僕のことを見ている河童ばっかりでなかなか眼福だ。
河童かわいい。

「例の件なんですが、下見はいつ頃がいいでしょうか」
「うーん、そうだねー、今週ちょっと立て込んでて休日出勤確定なんだよねー」
「機材の方はどうですか? いくらくらいで?」
「んんー? いい感じに中古品を譲ってもらったところでね、15ワットのホーンスピーカ6台と300ワットのアンプとミキサーと……」
「例の友人にですか?」
「そ、例の友人」

よくわからないが順調らしい。
手帳に機材の種類を書くふりをしつつ『河城さんに2人のサイン』と記載しておき、ついでに防音装置を手配できないかどうか聞いてみることにした。

「河城さん、音響機材の他に音を閉じ込めるようなものはありませんか? 防音材のようなものがいいのですが」
「んー? それはちょっとムズイよ、機械でどうたらじゃなくて材質の問題だもん」
「そうですか」
「ちょっと取り扱ったことないねー」
「……機械でなくともそういう能力とかは知りませんか?」
「むー、ちょっと聞かないねー、厄を集めるんじゃだめ?」
「やく?」
「なんでもにー」

定食の焼き魚を頭から丸齧りするというワイルドな食いっぷりを見せる河城さんだったが、機材はともかく騒音問題はどうにもお手上げらしい。
リリカ、頼むぞ。

「そうですか、では会場の下見はまた今度と言うことで」
「ごめんねー、先にリグル君だけで見といてくれる?」
「わかりました」

うどんを啜りながら僕は答える。
ついさっき無意味に散財したばかりなうえ、あんまり昼間に物を食べたくなかったためネギしか乗ってない素うどんだった。
工場の食堂とは言え出汁が効いていて結構おいしい。
こういうところでも河童は優遇されているのだろうか。

行けそうだったら再来週に下見に行く、ということで打ち合わせは終了。
ネームプレートに河城さんのサインをしてもらい、食堂を後にした。
このサインは後で守衛さんに見せないといけない。

「そうだ、河城さん」
「んー?」
「実はさっき守矢神社に行ってきたんですけど、神奈子さん留守だったんですよ、どこ行ったか知ってたりしません?」
「あー、あれかも、東の里の講演会、確か今日だったはず」
「あ、そうか、ありがとうございます」

正直知ってるわけがないと思っていたが、聞いてみるもんだ。

ご安全に! と元気よく去っていく河城さんに手を振り返し、僕はその場を後にする。
先に印刷所に行ってみようと思っていたのだけれど、予定変更。
行くか、東の里。

神奈子さんは月に1度、人里の集会所で信者向けの講演会を開いている。
内容は主に守矢の教義のおさらいや、信者としての在り方や戒め。
最近では信者から寄せられた悩みの解決法を公表したりもしている。
当然プライバシーを守るために匿名になっていたり、細部が脚色されていたりするのだが、聞いてるだけでも結構面白い。

同時にその講演会でお守りや破魔矢などのグッズ販売も行っているのだが、このお守りが曲者だ。
持ってるだけで特定の商店での会計が3割引きされる優れものなのだが、よく調べてみると割引きされるのは紅魔館と取引のあるところだけだったりする。

何を隠そう僕の所にも打診が来たくらいだ。
僕の普段の月収の3割近い料金を毎月払うというおいしい話だったが、結局僕は断ってしまった。
レミリアさんの頼みを断ったのは後にも先にもこの時だけだ。
昨日だか一昨日だかにライブを止められたところを突っぱねはしたが、あんな社交辞令はカウントしない。

売り上げを変えずに値下げができるならこんなにいいことはなかったが、それでも僕は承服しかねた。
これを了承してしまったら、紅魔館に取り込まれてしまう気がしたのだ。
単に意地を張ったとも言う。

工場の守衛さんに河城さんのサインを確認してもらい、ネームプレートを返す。
ここから東の里までざっと1時間。
飛べば40分
講演会は確か2時からのはずだから、余裕じゃないけど、いけるだろう。


途中、白狼の方に呼び止められたりもしたけれど、大したロスもなく山を抜けられた。

デカい運河を飛んで越え、先日ミスティア達がゲリラライブを繰り広げていた切り株をフライパスして着地する。
ふと、ここに看板とかあったら便利かもしれないと思いついたが、まあいい、後にしよう。
目的の里は目の前だ。

「……」

神奈子さんの講演会まであと30分ほど。
十分間に合う時間だったが、思わぬ足止めを食らうことになってしまった。

里の中に足を踏み入れてものの数分。
お揃いの赤い鉢巻を額に巻いて、自警団の連中が僕を取り囲んでいた。

早すぎるだろ。

こいつらの力は、すでに弱小妖怪にとって脅威と言えるレベルにまで達している。
妖怪にはなしえない連携、武器の扱い、集団戦での戦術・戦略。
そして個体の損耗を顧みない精神性。
まだまだ付け焼刃とは言え、まともにぶつかったら……いや、『まともにぶつからせてくれなかったら』結構面倒な相手だ。

ついこの間も、酔っぱらったチンピラ妖怪がこいつらに滅多刺しにされたばかりだった。
それも3人もまとめて。

昔からちらほらいたような退治屋とは種類の違う暴力。
別に忘れていた訳じゃない。
前にちょっとした行き違いで騒ぎになってしまって以来、この里は僕に対する警戒を解いていない。
おかげで商売がし辛くて仕方ない。
倫理的にはともかく、僕が里で何かしたわけではないのに。

人間に課せられた『専守防衛』。
妖怪に課せられた『里では紳士たれ』。

これらが守られている限り、こいつらは何もしては来ないけど。

「……」

ジロジロと無遠慮な視線に貫かれながら、集会場へ向けて歩いてゆく。
特に通行の妨害をする気はないらしいが、邪魔なものは邪魔だ。

目的地に着いてからも連中の監視は続くが、流石に敷地内にまでは入ってこない。
私有地だから当然なのだが、一向に解散する気配がない。
出てくるまでそこに居る気か。

「まさかねぇ」

やりかねないから、恐ろしい。


会場に入ってからハタと気付いた。
別に講演会聞く必要ないじゃないか。

どうせ終わるまで神奈子さんは出てこないのだから、先に集会場の所有者の所に行って許可をとっておこう。

連絡先がどこかに書いてないかと施設内をうろうろしていると、神社グッズを販売している連中が店を広げているところに出くわした。
河童と人間が慌ただしく荷物を運び、売り場の骨組みの様なものを数人で担いであちこち走り回っている。
妖怪と人間が手を取り合う様は見ていて新鮮だった。

そんな彼らの姿を、手近な長椅子に腰かけながら楽しげに眺めている影があった。
長椅子の背が高いのか、足が地面に付かずにぶらぶら揺れている。

小柄な身体になんとなく庇護欲をそそられるが、この人に庇護なんて必要ないだろう。
それどころか、人を庇護する側かもしれない。
いや、やっぱりしないな、祟り神だもの。

「お隣、よろしいでしょうか諏訪子さん」
「おう? おうおう、いいとも妖怪君、好きなだけ座るといい」

その人は守矢の神様の1人だった。
洩矢諏訪子さん。
通称『神奈子さんじゃない方』。

「誰が神奈子じゃない方だ!」
「おぼふ」

零距離で腹パンされた。
小っちゃい手なのにパワーは半端ない。

「つまんねーこと考えるからだ」
「失礼しました」
「……驚けよ」
「何にですか?」
「……いや、別に」

別に今更、人の思考を読むくらい珍しいスキルでもない。
あの超魔法使いだって、人形遣いだって。
ある程度以上のランクにいる人は、このくらいの技術は当たり前のように会得しているのだ。
恐らく神奈子さんもできるだろう。
早く僕もできるようになりたい。

「お前さん、なかなか業が深いじゃないか」

ありがとうございます。

「褒めてねーからね」

プクーと膨れながらそっぽを向く諏訪子さんを見ていると、無性にいたずらしたくなってしまう。
頭撫でてもいいですか?

「触んな」
「そうですか」

綺麗な金髪を梳いてみたかったのだが仕方がない。
きっとサラサラだろうに。

「……お前さん、なんつーか、あんまり見ないタイプだね」
「最近よく言われるようになりました」
「普通、読まれてるって分かるともっと慌てるもんなんだけどね、馬鹿そうな顔でもないし、大した心臓だよ」
「僕もそのうちできるようになる予定ですので、人のは見るけど自分のはダメだなんて言いませんよ」

喋らなくていいので楽です。

「そうかい、じゃあ触っていいよ」

そう言って諏訪子さんは帽子を脱いでくれた。
どの辺が『じゃあ』なのかはわからなかったが、お言葉に甘えて諏訪子さんを抱え込み、その髪に頬ずりさせてもらう。

「………………」

ヤバい、髪めっちゃ細い、想像以上にサラサラだ。
外製のシャンプーだろうか、信じられないくらいいい匂いするし、癖になりそうだった。
持って帰りたい。

なによりも、誰がそこまでしていいって言った、って言わないところがいい。
流石はゴッデス、懐が深い。

「……お前さん、まともと見せかけて変態かい?」
「変態ではありません、諏訪子さんを見たら誰だって同じことを願います」
「神奈子といい早苗といいなぜみんな私を膝に乗せたがる」
「自然の摂理ですよ神様」

長い冗談はこれくらいにして。

「諏訪子さんは演説してこないんですか?」
「まーね、その辺はみーんな神奈子がとっちゃうのさ」
「そうなんですか」
「お前さんこそ聞きに行かなくていいのかい? もう始まってるよ?」
「別に信者じゃないので」
「……お守り目当てかい」
「外れです、お守りなんて買ったことありません」
「じゃあなんだい? 心くらいなら読めるけど、記憶までは読めないんでね」

ちょっとここで、ライブやろうと思いましてね。
所有者の許可とろうとしてたんですが、どこかに連絡先書いてないかなと。

「ライブ? ってなんだっけ」
「壇上で歌手が歌うんです」
「ああ、あれか」

あとは、出店とか出したいので業者探してるのと、ラジオで宣伝したいのとです。

「あー、そゆこと、なんだ、本格的じゃん」
「お金とって、やる予定です」
「……ほぉ、意味はわかって言っているようだね」

感心感心、と諏訪子さんは僕にもたれかかる。
素晴らしい。

感触がどうとかそういうのはどうでもいい。
膝の上に乗せている人物が自らの意思でもたれかかる、という事象そのものが素晴らしい。
たぶんミスティアならわかってくれる。

「ねえ変態君」
「なんですか女神」
「妖怪君、宣伝したいならラジオの事務局行って依頼してくるといいよ、天狗にはマニュアル渡してあるからそう言えば連れてってくれるはず」
「本当ですか諏訪子さん、ありがとうございます」
「出店はそうだね、今そこで頑張ってる子たちに頼めばいいんじゃん? この里の連中だから融通効くと思うよ、まあ河童はうちの子たちだけど」

おお、なんか一気に話が進んだ感じだ。
流石に今は忙しいだろうから、講演会が終わったら話をしてみよう。

「あとついでだけど、建物の持ち主はすぐ近くに住んでるよ、確か入口の掲示板みたいなのに連絡先書いてあったはず」
「何から何までありがとうございます、お礼と言っちゃなんですが、今度信者になりそうな人紹介しますね」
「……お前さんは信じる神とかいないのかい?」
「特にいません」
「ま、そんな感じだね、必要としない人には、必要ないものだもんね」

儚げに遠くを見つめる諏訪子さんは、姿かたちとは裏腹にひどく大人びて見えた。
まあ、本来はこの方が年相応なのだろう。
長い時を越えてきた人にしか、こういう表情はできないものだ。
真上からだと、見づらかったが。

「誰がロリババアだ」
「思ってませんよそんなこと」


結局そのまま神奈子さんの演説が終わるまで、諏訪子さんと延々駄弁り続けてしまった。
本当は神奈子さんに会う前に集会場の使用許可を取る予定だったのだが、仕方がない。
諏訪子さんを膝から降ろす、という選択肢は、僕の中には存在しなかった。

「よっ、お疲れさん」
「うむ、ただいま」

遠くの方で盛大な拍手が聞こえてからさらに数分後、安っぽい木製の扉からお目当ての人物が現れた。
どうやらここは控室の近くだったらしい。

「む、貴様、我の諏訪子に何をしている、我だって滅多にできないんだぞ」
「何言ってんだよ神奈子」
「申し訳ありません、ハブられ気味の諏訪子さんがそれに気付かないフリをする姿があまりに愛らしかったもので」
「お前も何言ってんだよ!」
「むぅ、なんとおいしいシチュエーション、なぜ我はその場に居合わせなかった」
「お前が居合わせたら成り立たねーだろ!」
「もう、神奈子さんが来てから急に元気になるんですから」
「うるせー! お前は黙ってろ! ほら! 神奈子に用があるんだろ!」

諏訪子さんはひょいっと僕から飛び退くと、憤慨した様子でのしのしと歩いて行ってしまった。
この後神奈子さんたちが家に帰ってから盛大にからかわれる姿しか思い浮かばなかい。

「さて、端役は退場したな」
「……ずいぶん豪華な端役ですね」
「当ててやろうか」
「はい?」

ニィィ、と神奈子さんは意地の悪い笑みを浮かべる。
堂に入ったその姿に、ちょっとした畏怖を感じるほどだ。

「お主、リグル・ナイトバグだろ」
「……」
「さて行くぞ」

返事も待たずに神奈子さんは僕の手を取り、どこぞへと歩きだしてしまう。
どこへ行く気かは知らないが、その足取りに迷いはなかった。

なるほど、と思う。
諏訪子さんを端役と断じたこの人は、確かに役者が違うのだろう。

引きずられるように隣を歩きながら、改めて気合を入れなおした。





集会場を後にし、大通りを抜け、またもやまとわりつて来た自警団を追い払い、神奈子さんはどこまでも歩いて行く。
誰もその歩みを止める事は出来ない。

というか向こうはほっぽらかしでいいんだろうか。

「問題ない、早苗がいる」
「……そうですか」

人間たちの視線を感じながら歩くこと10分とすこし、一軒の茶屋の前で神奈子さんは足を止めた。
『効茶』と書かれた暖簾をくぐり、空いていた座席に腰かける。
腰かけた瞬間、付近にいた他の客が迷わず席を離れて会計へと向かっていった。
さわらぬ神に祟りなし、素晴らしい危機管理能力だが店としては大迷惑である。

「我のお気に入りの店だ」
「……いえ、まずいですよ神奈子さん」
「座れ」
「ここ、妖怪お断りです」
「……何?」

神奈子さんが僕の指さした方を見る。
店の入り口近くの柱には『妖怪お断り』と書かれた赤い札がかかっていた。
人里には妖怪相手に商売する猛者なんて掃いて捨てるほどいるが、そうでない店もある。
それを区別するための札だった。

別に正式な強制力があるわけではないが、無用なトラブルを避けるため、良識ある妖怪は基本的にこれを守っている。
ちなみにこの札は役所で買えるらしいとどこかで聞いた。

「え、嘘だろ?」
「申し訳ないのですが、できれば他の所にしてもらえないでしょうか」
「ここレミリアに教えてもらったんだぞ?」
「……」

やりたい放題かあの人は。

「な、何とかならんか店主」

食い下がる神奈子さんだったが、当の店主は黙って首を振るばかり。
そりゃそうだ、『妖怪が来ない』ことがメリットの1つになってるんだから。

「……ばんなそかな」

うなだれながら店を出る神奈子さんは、完全にやる気をなくしたようだった。
そりゃそうだ、せっかくカッコつけて連れ出したのに。

「あーあ、良い店教えてやろうと思ったのに」
「なんかすいません、よろしければ僕の知っているところを紹介しますよ」
「……紅魔館系列じゃないところがいい」
「了解しました」
「ラーメンがいい」
「この時間にですか」
「おやつだ」
「……1本曲がった先に味噌のうまいところが」
「おう」

今度は僕の方が神奈子さんの手を引き、前にミスティアに教わったラーメン屋へと足を運んだ。
内装はお世辞にも綺麗とは言い難いが、うまいものを出す店だった。

「……ふーん」

若干べたつくテーブルに、神奈子さんと向かい合って座る。
神に導かれてたどり着いたお茶屋さんには入れなかったが、ここだっていい店だ。
人に紹介できるほどにはね。


『ヤサイマシマシニンニクなんとかなんとかチョモランママシマシ』

注文を取りに来た店員に神奈子さんが謎の呪文を言い放つ、いきなりの事だったため細部は聞き取れなかった。
混乱する店員をよそに、何事もなかったかのように普通に注文をする辺り単に言ってみたかっただけかと思われる。
というかおやつと言っていたにも関わらず、大盛りのラーメンにトッピングもすべて乗せるのはいかに神様と言えども暴挙と言えるのではないだろうか。

「む、うまいな」
「それはよかったです」

ズゾゾゾゾゾゾ……と豪快に麺を啜る姿は獲物を貪る肉食動物にしか見えない。
神奈子さんだって女の子なんですから、もう少しおしとやかにした方がモテると思います。

「え? ほんと? 我モテる?」
「最近の神様は人のモノローグ読んでることを隠そうともしませんよね」

麺を口に含んだまま喋る神奈子さんを適当にはぐらかし、僕も自分のレンゲを動かした。
さっきうどん食べたばかりだし、それ以前に真昼間からラーメンなんて入らないので半チャーハンだけだ。

午後3時過ぎ、普段なら完全に寝ている時間。
仮眠は取ったが若干眠い。

「昔はなー、神様ってのはひたすら神聖な感じが受けたんだがな、最近じゃこういう生活感を見せた方がモテるらしいんだよ」
「時代は変わるものですね」
「早苗なんかはギャップもえだとか何とか言っていたが、神も力より人格が求められるようになってしまったらしい、我自信無い」
「いけますいけます、神奈子さん優しそうですもん、若者受けしますよそういうの」
「お主のことはレミリアから聞いている」
「ん? え、はい……レミリアさんですか」

いきなり話題が変わった。
なんだこの人は。

「いい意味でも悪い意味でも『若者』だとさ」
「実年齢でも若者ですよ」

リグル・ナイトバグ、満120歳くらい。
自分でもいまいち自信ないが、たぶんそのくらい。

「発想が浅くて安くてその場しのぎだと」
「耳が痛いです」
「だが度胸と行動力は天狗並み……ズゾゾゾゾゾゾ……」
「……」

食べるか喋るかどっちかにすることはできないのだろうか。
レミリアさんといいこの人といい、組織のトップってだいたいみんなこんな感じで好き放題やる人が多い。
よく言うとマイペース。
悪く言うと自分勝手。
厳密に言うと……?

「……プハ、それがリーダーの資質さ」
「そうですか」
「自分を信じると書いて自信と読む、自信があるから決してぶれない、種類と程度の差こそあれ、古今東西人の上に立つ者はおおむねこうだ、こうでない者は消えた」
「……」

スープまできっちり飲み干し、神奈子さんは楽しそうに笑う。
このまま神奈子さんの帝王学を聞き続けるのも非常に有意義な気もするが、用が済んでからの方がじっくり聞けるだろう。
あんまり主題を置いておくわけにもいかない。
手を引いて来たのは神奈子さんだが、デートに誘ったのは僕なのだから。

「そのチャーハンうまいか?」
「……はい、あーん」
「あーん」

今度は付喪神の時のようにひっこめたりしなかった。
神奈子さんはうんうん頷きながらチャーハンを頬張り、グッと親指を立てる。
お眼鏡には適ったらしい。

「チャーハン追加ー! 大盛りでー!」
「はーい!」

……おやつだよね?

「よく食べますね」
「お腹空いてしまってな」
「……神奈子さん、今日はお話したいことがあって来たんですよ」
「チャーハン冷めるぞ」
「少しばかり、協力をお願いしたいことがありまして」
「それ、もういらないならもらっていいか?」
「……」

僕は自分のチャーハンの皿を持ち上げ、神奈子さんの手が届かないところにまで遠ざけた。
シカトしてんじゃねぇよ。
こっちだって、遊びでやってんじゃねぇんだ。

「……ふむ」
「失礼しました、これが目に入るとお話ができないようでしたので」
「クソ度胸というのは本当だったか」
「いけませんよ神奈子さん、女の子がそんな言葉を使っては、ましてや食事中に」
「……ジャリガキめが」

ニィィ、とまたも口の端を吊り上げて笑う神奈子さん。
その笑い方が誰かに似ていると思ったが、何のことはない、例によってレミリアさんだ。
あの人も本気で楽しんでいるとき、こういう笑い方をする。

「申せ、発言を許可するぞ小童」
「光栄です軍神殿」

たぶん僕も今、似たような笑い方をしているだろう。


話す、話す、話す。
20年かけて培った説得術をフルに使って自分の計画をプレゼンする。
イベントの集客性、計画の進行具合、守矢神社の金銭面・信仰面での利益。
命蓮寺のメンバーである響子を起用することも正直に話した。
ここは誤魔化すところじゃない。

途中で届けられた追加注文に目もくれず、神奈子さんは時折質問を挟みながらも僕の興行を吟味してくれた。

「ラジオ番組で広告を打つこと自体は想定している事だと聞きました、これが成功したら後発が続くことができるよう、窓口となって取り計らいたいとも思っています」
「程度の低いものが来ても迷惑だ、将来的にはともかく、しばらくは成功続きでなければならん、どう厳選する?」
「そこはシビアに数字で見ます、この里の近くにある大きな切り株を御存知で?」
「ああ、たまに上に乗って大道芸とかやってるのを見るな」
「そこで一定以上人を集められる者だけに限定します、今はゲリラでやる人ばかりの様ですが、事前に知らせた上でしたら実際の人気もわかります」
「それをどうやって周知するのだ、新聞か?」
「切り株に看板でも付ければ済むと思いますが……」
「あ、そうか」

などなど。
会うまでには手間がかかってしまったが、いざ話してみれば神奈子さんは思いのほかしっかり話を聞いてくれる。
けんもほろろにされてしまうかもと覚悟していたのだが、いい意味で予想を裏切られた。

と言うかまたとないチャンス。
話から察するにレミリアさんから(おそらく必要以上に尾ひれをつけて)僕のことを聞かされていて、本来の僕の値打ち以上に興味を持っていてくれたところなのだろう。
どう考えたって、山の神様とサシで商談ができる機会なんてそうそうあり得るはずがないのだから。

神様らしく割とオープンな性格をしているところもあるのだろうが、それでも普段この人が相手にしているのは天狗と吸血鬼。
幻想郷最高水準のビジネスパートナーを持っているのに、どこの馬の骨とも知れない弱小妖怪の話なんて聞く必要は本来無いのだ。
レミリアさんありがとう。
今度ピータンのおいしい店を紹介します。

「と、そんなわけでして」
「うむ、話は分かった、まあまあ面白そうだ」
「ありがとうございます、そこで神奈子さんにお願いしたいことがありまして」
「だがまあ、話の内容よりもお主本人の方が面白そうだな」
「……ありがとうございます、それでですね」
「レミリアが気に入るのも頷ける、将来が楽しみだな」
「……ありがとうございます」
「で? 我に何をしてほしいのだ、宣伝だけか?」
「……」

どうしよう。
僕、この人の事好きになっちゃいそう。

「阿呆が、なんてツラをしておる」
「……すみません」
「そういうのは腹心以外に見せるな、ガキが」

ああ、たぶんヤバい顔で睨みつけてでもいたのだろう。
使ってなかったおしぼりで、慌てて顔を拭った。
オヤジ拭きである。

「……ふぅ」
「本気でレミリアが言ってた通りだ、そのままだ」
「……そんな言い方されたら気になるじゃないですか」
「他人をカラクリか何かとしか思っとらん、使い道と扱い方でしか人を見んから本音が顔に出るのだ、要するに見下してるのだ」
「……こんな時中国人ならアイヤーって言うんでしょうね」
「そして返答に詰まるとつまらん冗談でやる気を削ぎにかかる」

ドンピシャだった。
レミリアさんやっぱりスゲーや。

「未熟、全き未熟、話にならぬわ半熟卵め」
「……」

反射的に『固ゆで派です』って言おうとして全力で思いとどまった。
危ない危ない、言われた直後に繰り返すところだった。

でも僕は別に他人のことを道具扱いなんてしてないけどなー。

あー、でも見下してるのは自覚ある。
治そう治そうと思っていても一向に改善しので、半ば諦めていたりもする。

「どうしてそこで諦めるんだ、気持ちの問題だぞ」
「厄介極まりない限りです」
「だが克服しろ、偉くなりたければな」
「……はい、ありがとうございます」

とまあ、意図せず説教を食らって……ゲフンゲフン、ご指導をいただくことになってしまったが、神奈子さんへの説明と嘆願は一通り済んだ。
ラジオでの宣伝と、そしてもう一つ。

「用心棒?」
「はい、トラブルを処理する人がどうしても必要でして」
「……ふーむ」

これは、そんじょそこらの人ではだめなのだ。
スタッフも客も、いろんな種族の人が関わるだろう。
だからこそ、誰もが認めるほどの強大な力が必要だった。
歌舞伎塚では到底足りない。
いたずらなんて、しようとも思えないほどの用心棒が。

「なるほど、確かにそれはきつい所だな、お主では引っ張って来れんか」
「はい、恥ずかしながら」
「……」

神奈子さんは下唇を噛みながら何事か考えた後、仕方ないか、とつぶやいた。

「……宣伝はともかくここまでするつもりはなかったが、大サービスだ」
「……」
「天狗を1人、貸してやろう」

YES!
思わず心の中でガッツポーズを取った。
最高だ。
この上ない。
デカい問題が2つまとめて解決した。
もう魔理沙は怖くない。
チンピラも怖くない。
乱闘なんて起きようがない。
『天狗による警備付き』
そのネームバリューは9割がたの暴力沙汰を黙らせられる。
天狗を恐れない妖怪なんて、それこそ管理者とレミリアさんと、あとは鬼くらいなものだ。

「落ち着け」
「……落ち着きました」

コップの水を飲み干し、可能な限り平生を取り繕う。
ニコニコ顔が取り繕えてないことは自分でもわかっていたが、できる限りやっておいた。

「白狼がいいか?」
「もちろんです、犬走さんだったら最高の上に最高なのですが」
「ここに来て追加注文するところは長所だと思っておこう」
「ありがとうございます」
「褒めてないぞ」

信じられないほどの大収穫だった。
やっぱり神様は頼りになる。
神奈子さんの所にまで導いてくれた33人の神様たちにも感謝。
あれだけたくさん参拝した甲斐があった。

「む、お主、神社に行ったのか」
「あ、はい、今日の昼前くらいに」
「まさか、あの分社に参拝を?」
「ええ、全部に」
「賽銭もか?」
「はい」

一瞬呆れた顔になった神奈子さんだったが、すぐに元の不敵な表情に戻り、ガハハハハ、と豪快に笑った。

「そうかそうか、ようやった、これで他の連中に貸しが作れた」
「あ、やっぱりあれはそういうことで?」
「うむ、まあ我も多神教の1柱、ギリギリの所じゃ助け合いが基本よ、だがまあ今まで効果がなかったからな、これで我の顔も立つというものだ」

これは素で上機嫌なのだろう。
冷めつつあるチャーハンをレンゲで弄りながら、神奈子さんは楽しそうにケラケラ笑っている。
なんか予想以上に効果があったようだ。

「うむ、話はまとまったな、ところでお主、白蓮の所にはもう行ったのか?」
「いえこれからです、本当は先に行くべきなんですが」

というか今日は挨拶だけのつもりだったのだ、最初は。
でも、ちょっと話してみた感じ、小賢しく手順を踏むよりガンガン元気に話を進めた方が受けると思って予定を繰り上げた。
……半ば無理やりねじ込んだとも言えなくもないけど。

「そうしろ、だがあれは今なかなか不安定な状態だ、気をつけろよ」
「そうなんですか?」
「詳しくは知らんがな、身内でゴタゴタしてるらしい」
「……情報ありがとうございます」

ゴタゴタか、嫌な響きだ。
ひと悶着あるかも?

「もう1度言うが気をつけろよ、アレも一応は人を導く者だ、妙な影響受けてくれるなよ?」
「……ご心配なく」
「我にここまでやらせておいて、つまらん所でこけるでないぞ」

命蓮寺には、害虫回収サービスで何度か行ったことがある。
窓口は一輪だが、白蓮とだって面識はある。
そんなに怪しそうな印象は無いのだけれど、神奈子さんが2度も言うなら警戒するべきなのだろう。
でも、だ。

「僕の相手は」
「…………ん?」
「僕の普段の相手は人間の商人です、たかが寺の坊主ごとき、捻じ伏せて見せますよ」
「……ならそうしろ」

強がる僕に、神奈子さんはぶっきらぼうに言い捨てる。
でも言葉とは裏腹に、その表情はとても優しく、愛おしいものでも見るかのようだった。

小さなラーメン屋の小汚いテーブル席で、僕と軍神は握手を交わす。
その大きな手を握った瞬間、さまざまな情報が飛び込んで来た。
ゴツゴツとしたマメだらけの手、マメが潰れて固まって、タコになってまた潰れて。
それは人の手と言うより、悠久の時を経た建造物のような、自然を見守り続けた大樹のような、そんな印象を与えてくれる。
そして神奈子さんはお世辞にも女性的とは言えないその手で、誰恥じることなく、それどころか自慢するように強く握ってくる。

ああ、これが神様の手なのか。
どれだけの歴史を、その手で掲げてきたのだろう。
僕には想像することもできなかった。


やたらカロリーの高いおやつを済ませた後、家に帰るという神奈子さんを神社まできっちりエスコートしていった。
女性の1人歩きは危ないですよ、と言ったら思いのほか受けたからだ。
乙女である。

調子に乗った僕は『僕、1度でいいから神奈子さんをお姫様抱っこしてみたかったんです』と言ってしまい、売り言葉に買い言葉『よし、やってみろ』と言われ、言われるがままに神社の本殿へと神奈子さんを担ぎ込む羽目になった。

神奈子さんは細身とは言え結構おも……意外に軽く、非力な僕でも楽々運ぶことができたのだが、廊下を進む途中で諏訪子さんと巫女さんに出くわし絶句されるという悲劇も起こった。
しかし当の神奈子さんはどこ吹く風、それどころか諏訪子さんに全力で自慢する始末。

「見ろ諏訪子、我だって本気出せばこの通りだ!」
「…………何がどうこの通りなんだよ」
「はっはっはっはっは!!」
「……」


改めて思った。
この人は神だ。





そして、自宅に帰りついたころにはもう夜の帳が降りかけていた。
疲れた。

「……ただいま」

「うーい」
「おっかー」

いまいち締まらない同居人たちの返事を聞きながら、手を洗うべく洗面所へ。
そして居間に戻り、手帳を開き、今日の予定を確認する。
疲れてはいるが、今日も普通に仕事がある。

「……あ、そうだ」

その前に部屋の隅に積まれた段ボールを開け、中からコーラとサイダーを取り出した。
共有物のが切れていたんだった。

「あ、ボス、それ飲んでいいの?」
「コップ持っておいで」
「やった」

パタパタと出て行くリリカを見送り、特等席であるソファに腰を下ろす。
改めて手帳に目を落としてみるが、今日は害虫回収が1件あるだけだった。
ご新規さんか、うん、1件くらいなら大丈夫だな。

「リグっさん」
「うん?」

ガラン、と音を立てて、鳴子が僕の膝の上に頭を預けてきた。
僕が座ってるソファは1人掛けタイプの物なので、横からではなく、こう、床に膝をついて前からだ。
珍しいな、鳴子がこんなことするなんて。

「ちょっと、マジ話」
「……君は手放したくないな」
「いや、出てくとかじゃなくてですね」
「ああよかった」
「リリカちゃんから聞いたんですけど、ライブやるんですって? マジライブ」
「……マジライブってのがどんなものかは知らないけれど、チケット売ってやる奴だよ」
「……」

自然と鳴子の頭に手が伸び、普通の妖怪だったら髪の毛にあたるであろう部分の木片を撫でつける。
当然木の感触しか返ってこないが、鳴子がピク、と反応するのが妙になまめかしかった。
上級者向けの色気である。

「そっすか」
「鳴子もやりたい? 鳴子だったら踊るだけで演奏になるね」
「私は楽器じゃないです」
「そうだね、ゴメンよ」
「……警備員」
「うん」
「警備員、足りてますです?」
「……ませんですよ、これから集めるところだった」

切り札は手に入ったけどね。
それでも、もう十数人は欲しい所。
誘導や案内も兼ねた応用の利く人が。

例のハッピの連中、勝手に期待してるけど。

「特に、広域索敵できる人をね、募集中なんだ」
「……私は安くねーですよ」
「日当は1万円だよ」
「相変わらず、気前良いですねー」

そう言って鳴子は頭を起こした。
ガランガランと音を立てる木片の隙間から、青い瞳が覗いているのが見える。

外の世界じゃどうだが知らないが、日当1万円は幻想郷じゃ破格だ。
法外と言ったら流石に大げさだけど、里でバイトやろうとしたら相場はこの半分以下だろう。

ろくに生活基盤を持てない鳴子やリリカは、普段僕のバイトで食い繋いでいる。
それでもリリカの方は里でバイトとかしてるみたいだけど、鳴子の方はそれすら危ういため、収入のほぼすべてを僕に依存していた。
まあ、木片形態で動かなければカロリーはほとんど消費しないらしいから、そんなに心配するほどでもないのかもしれないが。

「雇うからにはしっかりやれよ、鳴子」
「了解ボス」
「ボス言うな」
「えー? リリカちゃんはー?」
「あれは言っても直らないんだ」
「満更でもないくせに」
「ばれてたか」

ケラケラ笑いながら、それでも腹の内は見せない僕らであった。

「なになに? 何話?」
「リリカちゃんを苛める算段ですよ」
「えー? なにそれー?」

4人分のコップを持ってきたリリカが向かいの椅子に腰かける。
ん? 4つ?

「ミスティアも仕込み終わったら来るって」
「ふーん」

ちょうどよかった。
そろそろあいつにも話しときたいところだったし。

「そうだリリカ、防音の話はどうなった? 進展あった?」
「うぐ……あー、いや、それがね」
「?」

言われたとたんサイダーを注ぐ手がぴたりと止まり、言いにくい事でもあるかのようにリリカは目を逸らす。
やっぱ駄目だったか?

「まあ、ダメでもともとだし、仕方ないよ」
「ごめんなさい」
「え? 何の話です?」
「んー、ライブ会場の騒音を外部に漏らしたくなかったんだけどね、いい方法無いかなって」
「あの、ホントすいません」
「外部って、どこでやる気なんですか?」
「東の里の集会所」
「ホント申し訳ない」
「人里っすか!? なんでまた」
「魔理沙対策」
「あの、ホントにすいません」
「あー、なるほど、っていうかリリカちゃんそんなに謝んなくても」
「そうだよ、気にしないでいいよ」
「……あの、その、実は」
「「?」」

相変わらず目を合わせないまま、リリカは懺悔室で罪を告白するかのような表情で語りだした。

「お姉ちゃんが、ここに来るって言いだして」
「……」

一瞬、僕と鳴子から表情が消えた。

「……リリカ、前に説明したと思うけど、ここに住むなら誰かの紹介と僕の許可がいるよ」

そしてそいつが何かやらかしたら、紹介した人も連帯責任だ。
同居人は必要だけど、よく見極めなければならない。
この家に住み始めてから、何度も何度も失敗しながら練り上げたルールだった。
その過程で歌舞伎塚に洒落にならない迷惑をかけたりしたのだが閑話休題。
話を戻そう。

「あ、いやその、そういうんじゃなくて」
「要するにリリカちゃんがしっかりやってるか見に来るってことです?」
「それもあるんだろうけど、その」
「オーナーがどんな奴か見に来るってことか」
「あうう」

当たりらしかった。
幽霊の分際で僕を品定めするつもりか。

「……舐めた幽霊だなおい」
「あうー、怒んないでボスー」
「リグっさん地味に差別意識強えーですもんね」
「妖怪の巣に乗り込んでくるとはいい度胸だ」
「ニャー!」
「あ、これマジなパターンです、リリカちゃん危うし」
「役に立たないどころか問題増やしやがって」
「ぴー!」
「何の鳴き声ですか」

追いつめられた小動物の如く頭を抱えるリリカだが、過保護な姉はそんな妹が心配で仕方ないらしい。
ウザったい限りだ。

「いいだろう、連れて来いリリカ、叩き潰してやる」
「つ、潰しちゃらめぇ」

慌てるリリカが面白かったため、しばらく鳴子と2人で必要以上に脅かし続けた。
最近目上の人ばっかり相手にしていたため、こういうのは気が休まる。

「おーっす! やっと仕込み終わったー」
「うなー、ミスティアー、ボスが苛めるー!」

そして駄雀が割烹着を脱ぎながらやってきた。
追いつめられたリリカにはそれが救世主にでも見えたのだろう。
だが泣き付いた相手は非情だった。
ミスティアは半泣きでしがみつくリリカを一片の慈悲もなく引きはがすと、そこらにポイと投げ捨てる。
同居人を甘やかさない方針らしい。

「ふざけんなよお前! 私だって滅多に苛めてもらえねーのに!」

死ねばいいんじゃないかなこいつ。

「なんだってんだ、振り向きざまに自慢しやがって」
「たまに苛めてるみたいに言うな」
「惚気が始まるんでしたら私は退場しますですよ」

退場しちゃダメです。

「ったくよー」

憤慨しているミスティアに、コーラを注いであげる。
シュワシュワと音を立てながら弾ける泡を見ているうちに、駄雀の機嫌も直っていったようだった。

「はいよ」
「さんきゅー」

おいしそうにコーラを飲む姿を堪能するのもよかったが、残念ながらそんなにゆっくりしている時間もないだろう。
僕はこれから里に行かなきゃいけないし、ミスティアは屋台を出さなきゃいけない。

「ミスティア、ライブの計画が結構進んだ、話を合わせたいから響子を呼べないか?」
「……あいよ、ステージ取れたんだ」
「いや、ステージはまだだ」
「? 最初にステージって言ってなかったっけ?」

よく覚えてんなそんなこと。

「そのつもりだったんだけどね、いろいろあったのさ」
「ふーん」

ペラペラと手帳をめくり、ライブ関係のことが記載されているページを開く。
順を追って説明しようと思ったが、視界の端に『河城さんに2人のサイン』という走り書きを見つけた。
そうだった。
またすっかり忘れてた。

「あ、そうだミスティア、サインをもらえないかな」
「婚姻届に?」
「言うと思ったよ」

ともかく、ミスティアにこれまでの経緯と進捗状況を話し、計画はおおむね順調に進んでいることを説明した。
天狗来るんだぜ? スゲーだろ。

「なあ、リグル、聞きてーんだけどさ」
「うん?」
「普通最初にステージで、次に寺じゃねーの?」
「……」

痛いところを付くじゃないか。
そう言えば神奈子さんにも、というか神奈子さん経由でレミリアさんにも浅くてその場しのぎだとか言われていた。
確かに結構行き当たりばったりなんだよね。

「その2つが逆ってくらいならわかるけどよ、機材とかは後でいいんじゃねーの?」
「……ミスティアは山に入ったことある?」
「あ? 山? あんまねーな……税金払う時くらい?」
「会えないんだよ、そうそう滅多に」
「そうなん?」
「今回たまたま最初の1回でうまくいっただけで、僕は河童と神奈子さんだけで数週間かかると思ってたんだ」

だが、やってしまったことは仕方ない。
全力で誤魔化すことにした。
その場しのぎである。

「目の前にチャンスが転がってたからついつい飛びついちゃったのさ、悪かったよ」
「……まあ、そういう事なら、そんなもんなのか」

それでもいまいち納得できないらしくしきりに首をかしげていたが、言及しても仕方がないと思ったのか、それ以上は何も言ってこなかった。

「お前だって目の前をウナギが泳いでたら飛びついちゃうだろ?」
「何言ってんだか」

なんて言いつつ、相方はやれやれといった風に肩をすくめた。
ミスティア・ローレライ。
駄雀だの世紀末愚者だの言われてるが、実はそんなに頭は悪くない。

それとは別に横から鳴子がジト目で睨んできたが、無視した。
文句があるなら言ってみろ、お前だけハブってやる。

「まあ、もうブレないよ、次はステージだ、東の里の集会所を予約する」
「え? 里でやんの?」
「みんなそれ言うよね」
「私はてっきりあの切り株をデコレーションでもすんのかと思ってた」
「ああ、それもいいかもね、でもそれだとおおっぴらに邪魔しに来るやつがいそうでさ」
「……あのやろーか」
「あの野郎さ」

ミスティアもこれについてはすぐ納得したようだ。
あの野郎のために被った損害は僕が一番多いだろうけど、ミスティアにとってだって馬鹿にはならないはずだ。
あの魔法使い、いつか退治してやる。

「という訳で僕は明日もう1回東に行ってくる」
「あいよ、私は響子にアポとっとく」
「リグっさん、私とリリカちゃんは当日までにやることあります?」
「んー、特にないかな、スタッフ揃えたら一度全員で顔見せするから、2人もその時に」
「了解です」
「はーい」

元気よく返事をする2人に満足し、僕は手帳をパタンと閉じた。
話は終わりだ。

「あ、リリカ、明日空いてる?」
「うん? 空いてるけど……」
「じゃあ一緒に集会所行こうか、やり方覚えといて欲しいんだよ、今後のために」
「……! うん、わかった!」

最近知った。
この子は『今後』って言葉に弱い。

「じゃあ、そういう事で」
「はいはーい」
「っと、店開けっか」
「さーて、練習練習」

4人揃って、バラバラに動き出す。
皆目的は違うけど、通る道はしばらく同じ。
ゆえに協力する。
義でも情でも、ましてや愛なんかでは僕らは決して動かない。

そこに自分の利益がある。
ただそれだけが理由であり。
ただそれだけが、この家の掟だ。

『夢を叶えるための家』
夢を見るためじゃない。
叶えるための共同戦線。
伊達や酔狂で、こんな呼ばれ方していない。
考えの甘い奴は、利用されるだけされて消えていくのだ。





翌日、真昼間。
昼夜逆転生活2日目に突入した僕は、眠い目をこすりながら帰路についていた。
集会場は何事もなく交渉成立。
妖怪料金で多少割増を食らったけども。

騒音に関しても、別に問題にしないらしい。
たぶん想像してるより音量大きいと思うのだが、苦情が来ない程度ならいいという話だ。
つまり対策は必須。
そのままやったら絶対苦情来る。

ステージに関してはあまりにあっけなさ過ぎて拍子抜けしたが、問題は帰り道だった。
行きはよいよい、帰りは自警団。
数十人もの武装集団が、僕らの進路を塞いでいた。

「……おらてめー、いつまで付きまとってんだよ!」
「あいたっ」
「とっとと失せな」
「……何すんのよ! もう知らない!」

とりあえずリリカを突き飛ばして無関係をアピール。
察してくれたリリカも便乗。
しかし回り込まれた。
流石に無理があった。
仲むずまじく歩き過ぎた。

「あー、ズズッ、おいおいこんなところで何やってんだ妖怪野郎ー、ズズッ、あー鼻とまんね」
「……」

そんな小芝居をガン無視し、鼻を啜りながら長身の男が前に出てきた。
メートル級のリーゼントを揺らしながらダボダボの洋服をだらしなく着こなす彼の姿は、とてもじゃないが実力者には見えない。
だが他の連中が揃って一歩下がったところを見ると、これでもそこそこ以上の人物なのだろうか。
自警団も人材不足と見える。

「風邪気味かい? 帰って寝てなよ」
「ズズッ あー、マジうぜぇ、マジいなくなんねーかなこいつ、マジ消えて欲しいし」
「そんなことは君の知った事じゃないよ、どこで何しようが僕の勝手さ」
「はあ? ズズッ あー、マジ里ん中ででかい顔してんじゃねーよ」
「そっちこそ幻想郷ででかい顔すんなよ、餓鬼」

それだけ言って、僕は滑り込むように男に近づき、その鳩尾を蹴り上げた。

「!?」

まさか先制攻撃されるなんて想定していなかったのだろう。
数十センチほど浮かび上がったその男は、そのまま地面に頭から倒れこんだ。
自警団どもにざわめきが走る。

「やりやがった」
「馬鹿な、茂吉が……」
「あいつ確率操作能力持ちだぞ」

そんなスゲーの持ってたのかよこのリーゼント。
まあいいや。

「邪魔だよ、行くぞリリカ」
「ちょ、ちょっとボス」
「話通じなさそうだし、何よりキャラ的にうざかった」
「いやっ、でもここ」

リリカが何か言いかけるが、人間の方が早かった。

「戦闘用意!」
「……」

群れの奥の方から聞こえた男の声に呼応して、人間どもが陣形を組む。
でも僕だって悠長に待つつもりはない。
馬鹿め。

真正面に向かって全力疾走、後衛の弓兵に準備の時間を与えるつもりはない。
大柄な男が木製の大きな盾をかざして立ちはだかってくるが、対する僕は向こうから見える位置で思い切りジャンプ。
と見せかけて下方向に『飛行』し、地面すれすれを滑るようにスライディグをかける。
フェイントに引っ掛かって持ち上がった盾の下に潜り込んで囲いを突破、先ほど大声で指示を発した男を間髪入れずに組み伏せる。

「……よわ」

自警団の戦闘能力は僕みたいな弱小妖怪にとっては脅威だ。
でもそれは、里のルールにのっとった時の話。
向こうに非がない時の話。
『まともにぶつからせてくれない』場合の話だ。

「通行妨害だよ、『ここはもう里じゃない』、言ってる意味わかる?」
「……っ」

里では紳士たれ、僕が物心ついた時にはすでに浸透していた妖怪達の不文律。
追いつめられた人間の爆発力は侮れない。
絶望しきった人間は不味くて食べられない。
それらの理由で設けられた人間の安全地帯が里だ。

必要以上に追いつめないよう、明るい未来を食べられるよう、いつのころからか里は里であった。
だからここで暴れてはいけない、それはわかる。
では、暴れたらどうなる? 自警団に退治される?
違うだろ。

「お前らは食料の分際で妖怪の邪魔をした、死んで当然だ」
「くそっ」

里で暴れると、管理者に処罰される。
八雲様に、粛清される。
それは幻想郷の基盤に関わる問題だからだ。

でもそれは、向こうが何もしてない場合。
僕らは平等でも対等でもない。
幻想郷は妖怪の楽園で、こいつらは食料にすぎないのだから。
向こうが先に手を出したなら、ひねりつぶして構わない。

むしろ逆に何もしないと怒られる。
それは妖怪の威厳に関わる問題だからだ。
通せんぼされて尻尾巻いて逃げるなんて、そんなの妖怪じゃないだろ。

ジャパニーズサムライのようだと、かつてレミリアさんが言っていた。

組み伏した男を無理やり立たせ、後ろ手で手首をひねって拘束する。
子供のころミスティアと喧嘩ばっかりしているうちに編み出した技だった。
これに美鈴さんから盗ませてもらった技術を組み込めばこの通り、人間を殺傷することなく無効化できる。
便利便利。

「て、てめえ!」
「……」

他の自警団が後ずさって距離を取る中、勇気ある者が竹やりを手に一歩前に出る。
相手にするのも馬鹿らしかったので、とりあえず掴んでいる手首を強く握って汚い悲鳴を聞かせてみた。
それだけで竹やりの男は勢いを削がれてしまう。
こんな体たらくじゃあ、武装集団と呼ぶのもはばかられる。
これだったら魔理沙1人の方が、まだ強い。

「……っ」

絶句する竹やりの男を無視して、僕は隊長格の男に一方的に話しかける。
体勢的にすぐ背後に密着している僕の声は聞き取りづらいかもしれないが、気にすることはなかった。

「噛みしめろ、妖怪の前に立ちはだかってなお、息をしていられる幸運を」
「……勝手な」
「お前が隊長だな? 利き手はどっちだ? 右だな?」
「うギっ!?」

ペキリと軽い音を立てて、『左手』の指を折る。
ケジメは付けるが、せめてもの情けだ。
見ないで折ったのでどの指かは判然としないが、太さから言ってたぶん小指だろう。

「邪魔しないでよ、僕はただ、仕事に来ているだけなんだから」
「……知るか、貴様はちょろちょろと目障りだ」
「あっそ」

ペキ、ともう一本追加で折った。

「うぐっ…………無駄だ、人間に脅しは通じないぞ」
「……ふーん」

付き合っていてもきりがないと思い、僕は男の手を開放した。
これ以上は、本当に無駄だろう。
大した根性だ。

「僕は帰るよ」
「2度と来るな」

折られた指を押さえもせずに男が睨みつけてくる。
指は折れても、心は折れないらしい。

「リリカ、行くよ」

リリカのいた方に声を投げてみたものの、本人はとっくに1人でどこかに逃げてしまっていた。
素晴らしい。
全国の足手まとい系ヒロインは是非とも彼女を見習ってほしい。

「……」

そこでふと思い立つ。
ライブのこと、こいつらにも言っておいた方がいいだろうか。
最初から最後まで隠し通せるとは思えないし、そもそもラジオで大々的に宣伝するのだ。
100%知られると思った方がいい。
だったらもう、最初から織り込み済みの方がいい気がした。
また行き当たりばったりで動くのも嫌な感じだが、あんまり気にしすぎてもしょうがない。

「お兄さん、僕ね、今度ここの集会所を使ってイベントやるんだ、よかったら見に来てよ」
「……はぁ?」
「ライブって言ってわかるかな、歌手を連れてきて歌うんだ、出店とかもやる予定だからきっと楽しいよ」
「……」

僕の言葉の真偽が判断付かないのだろう。
眉をひそめて唸る男に、僕はさらに続ける。
言質くらいは、取っておきたかった。

「まだまだ先の話だけどね、いろいろ決まったらまた言いに来るよ」
「お前、本気で?」
「本気だとも、ところで自警団、君たちは僕を止めるかい?」
「……」
「言っとくけど里の規則も集会所の規約も妖怪の不文律も完膚なきまでに遵守してるからね、全く問題は無いはずだ」
「……」
「それどころか雇用が生まれて消費が促される、良いこと尽くめだろ?」
「………………規則さえ守れば、邪魔する理由は無い」

折れた指の痛みのためか、男の額に脂汗がにじむ。
その汗が滴り落ちるほどの時間逡巡したのち、思いのほかテンプレートな答えを返してきた。
まあ、そうとしか言えなかったのかもしれないが。
さて。

「僕の方としてもだ、種としてはともかく無意味に君らと敵対するつもりもないんだよ、僕はルールを守る、君らもルールを守る、異論はないね?」
「……お前、信じると思うのか」
「保証はないけど実績はある、僕はここ20年、里でもどこでもルールを破ったことはない」
「……どうだか」
「そう?」

僕は1歩、男に近づく。
向こうが反射的に1歩下がるが、無視してさらに距離を詰めた。

「それでも不満だと言うのなら」

他の団員の手前、下がるにしても限度がある。
追いつめた先で、身体が触れ合うほどにすり寄った。

至近距離で男の瞳を見つめる。

妖怪相手にこの距離。
怖かろう。
さぞ怖かろう。

マッチ程度の妖力だけれど、ここまで近づけば苦しかろう。

時間にして十と数秒。
無言で瞳を覗き合う。
そして顔を引き攣らせていく男が一瞬目を逸らしたのを見逃さず、僕はふわりと半歩下がって距離をとった。
同時に視線も外して軽く微笑み、向こうの緊張が解けるように仕向ける。
そのタイミングで。

「なら、好きに見張ってるといいよ」

なるべく弛緩した表情を演出して、こっちが譲歩したように見せかけた。

「……なんだって?」
「だから、見張ってていいよ、会場内でもどこでも、邪魔にならない限りはね」
「……」

人間相手にだまし討ち、通るかな?

「……体よく人を使いたいだけだろ」

1秒でばれた。
やっぱ駄目か。

「え? 手伝ってくれるの?」
「馬鹿か」
「……いいんだよ、居てくれるだけで、それだけでずいぶん違うもんさ」
「……」
「嫌ならいいさ、関係者以外立ち入り禁止だよ」

よし、いい具合にまとめられた。
どっちに転んでも痛くない2択だ。

「別に今返事しなくてもいいよ、下見なりなんなりで何度か来るし」
「……チッ」

舌打ちする男に背を向けて、今度こそ里を出る。
トラブルにトラブルを重ね、こじれてこじれてこじれつくして、その上でしっかり話し合えれば、きっと話のできる仲になれる。
僕の処世術であった。
今度一緒に、飲みにでも行こう。

巻き込んでやるよ、自警団。





次の週末、ミスティアとともに西の里のそばにある命蓮寺へと赴くことになった。
今日から12月、短い秋はとっくに終わりを告げている。

近頃本当に寒くなってきた。
僕らの左右に立ち並ぶ飲食店からも中華まんやおでんの蒸気が意図的にばらまかれ、道行く人たちを悩殺しようと白い湯気を揺らしている。

そんな大通りから1本曲がって、里の外。
広大な田園を横目に見ながらあぜ道を歩いていくと、命蓮寺の門が見えてくる。

ここは宗教関係としては幻想郷で2番目に規模の大きい施設だったりする。
1位がぶっちぎりすぎてそんなイメージは皆無だけれど。

ここ何日かで収集した情報によると、最近どこかの宗派と合併したらしい。
しかし身内のゴタゴタがあるという神奈子さんの情報を照らし合わせると、もしかしたらその辺のすり合わせがうまくいってないのかもしれない。

ただでさえ師走の忙しい時期、快く響子を貸してくれるかはわからない。
でも神奈子さんに大見得切った手前、是が非でも連れて帰る所存でもある。
いつも綱渡りである。

「このまま祝詞もあげてもらおうぜ?」
「それは神社だ」
「ほら、婚姻届にはサインしてきたぞ」
「そのネタ引っ張ってたのかよ!」

用意周到な駄雀はさておき、タイミングよく門の前で掃除をしていた一輪に頼み、内部へと案内してもらう。
そして通された部屋で待つこと数分、響子とともに作務衣姿の白蓮が現れた。

「毎度お世話になっております白蓮さん」
「こちらこそ、いつもお世話になっております……蟲屋さん」
「リグルです」
「失礼いたしました、リグルさん」

どうか楽になさってください、と言う白蓮はなぜか顔を包帯でグルグルに巻いていた。
おかげで入って来た時一瞬誰だかわからなかったくらいだ。
さらによく見ると右手がギプスか何かで固定されていて、結構痛々しい。
いったい何があったのだ。
これが身内のゴタゴタなのか?

「ああ、これですか、御見苦しくて申し訳ありません、ちょっと料理中に火傷をしてしまいまして」
「……そうでしたか、お大事になさってください」

……どう見ても料理中に負った火傷じゃないだろう。
しかし、本人がそう言っている以上、深く突っ込んだりはしないし、する必要もない。

「話は幽谷からある程度聞いております、どこぞの舞台で興行をなさるとか」
「はい、響子さんと、こちらのミスティア・ローレライとです」

そう言って僕はミスティアの方に手のひらを向け、挨拶するように促した。
ちゃんとやれよ、駄雀。

「お初にお目にかかります聖白蓮殿、小生は魔法の森に住む夜雀、ミスティア・ローレライと申します」
「これはこれはご丁寧に、命蓮寺住職の白蓮と申します、お見知りおきを」
「こちらこそお見知りおきを、日頃は森の僻地にて屋台を営み生計を立てている身なのですが、空いた時間を見繕っては音楽活動に精を出しておりました」

ミスティア・ローレライ。
本気出せばちゃんとできる。

「響子さんとはその縁で知り合い、今までともにグループを組んで活動を行っておりました」
「ええ、私も最初は驚きました、まさか幽谷があのような催しを行っていたとは」
「はい、まだまだ未熟もいい所ではございますが、今後とも響子さんとはともに技を競い、共に高みを目指せる良き友人でありたいと思っております」
「そうでしたか、あなたのような友人がいて幽谷もさぞ幸せな事でしょう」
「左様なお言葉、大変恐縮です」

ドン引きしている響子を尻目に、外交モードのミスティアは深々とお辞儀すると、また1歩下がって僕の後ろへ戻った。
掴みは上々、さっきまで婚姻届がどうとか言っていた奴とは思えない。

「さて白蓮さん、今日は折り入ってお願いがありまして」
「……それは、幽谷のことでしょうか」
「はい」

白蓮は響子の方に目を落とす。
包帯の隙間から見つめられた響子は、若干怯えているようにも見えた。
なんか、嫌な予感。

「今度の興行、響子さんに歌手として舞台に上がっていただきたいのです」
「……」
「響子さんの人を引き付ける力は本物です、どうかそれを発揮するお手伝いをさせてください」
「……そうですか」
「もちろんタダでとは言いません、責任ある活動を期待する以上相応の対価を支払います」

いくらとは言わない。
まだ、言えない。

「これはお互いにとって悪い話ではありません、全体として宗教色は無しで行くつもりですが、響子さんの素性はファンの間では有名です、ですので」
「リグルさん」
「……なんでしょう」
「申し訳ありませんが、今日はお断りするつもりでおりました」
「……理由を伺っても? 時期的に忙しいというのでしたら、ずらすこともできますが」

僕の説明を切り、白蓮が申し訳なさそうに言う。
その子供をあやすような優しげな口調が、逆に癇に障った。

「そうではないのですよリグルさん、人には分相応というものがあります」
「……」

そんなものねーよ。

「夢を見るのは大いに結構、具体的に行動するところも素晴らしいと思います、ですが」
「……」
「目立ち過ぎてはならないのです、身の丈に合わない成功は同時に敵を作ります、リグルさんは魑魅魍魎の嫉妬心からどうやって身を守るおつもりでしょうか」
「嫉妬とは行動無き者の虚栄心から生まれます、全力で走る者は、自分より速く走る人を決して妬みません、ゆえに、走れる者で徒党を組みます」
「それがあの『若者のための家』ですか」
「そうです、あれこそが僕の資本です」

僕は今まであらゆるトラブルを金と暴力で解決してきた。
これからだってそうさ。

「素晴らしい思想です、ですが、幽谷にそれを強制しないでいただきたい」
「……」

『強制』、強い言葉だ。
向こうの論も大詰めか。

「強制をした覚えはありません、本人の意思ですよ」
「幽谷は自分ではそうは思っていないかもしれませんが、まだまだ世間知らずの未熟者です、少なくともあなたのようにあらゆる事情に通じてはいないでしょう」
「あらゆる事情だなんてとんでもない、買い被りです、誰だって完璧な確証の無い中に飛び込んでいくのです」
「そのリスクを幽谷に背負わせる訳にはいきません、私は住職です、命蓮寺の長です、仲間を危険な目に合わせる訳にはいきません」
「……」

そう、白蓮は言いきった。
本人の意思より組織のリスク管理が優先されると言うのなら、それは正論だろう。
神奈子さんの影響で宗教関係者の緊張が高まっていることは承知の上だし、悪目立ちして余計なトラブルを背負いたくないと言うのも理解はできる。
でもまあ、想定の範囲内。

「音楽活動自体は認めます、話によるとだいぶ刺激的な内容の様ですが、禁止とまでは言いません」
「……白蓮さん」
「ですがそれはあくまで余暇として、自分の時間を使って行うのならの話です、良いですね幽谷」
「ひ、聖、その」

勝手に話をたたみ始めた白蓮に何を言ってやろうかと思案していたら、何故か僕の方にまで矛先が向いた。

「それにリグルさん、あなたもです」
「……僕が何か」
「話を聞いていれば、あなたはまるで自分の利益しか考えていないように思えます」
「僕は商売人です、利益のために行動するのが当然で、それ故に信用があるのです」
「ではその行きつく先を考えたことがありますか? それだけの危険に身を晒しながら、最後の最後で札束に囲まれて虚しい思いをするのはあなたなのです」
「……」

何を言い出すんだこいつは。

「真の安寧はお金では決して買うことはできません、それは自分1人しか幸福にできないからです、親しげに近づいてくる人もいるでしょうが、その人たちが望むのもまた自分の利益であって、あなたの人柄では決してないのです」
「……」
「そうは思いませんか? リグル・ナイトバグさん」

僕は少しだけ、返答に詰まった。
別に白蓮の言う事に思うところがあったわけじゃなく、これを安易に否定すればその勢いで響子のことも流れてしまうと思ったからだ。
むしろ狙ってやってる感じか。
他人の幸福を願えない人に響子は貸せないとかなんとか言いだすんだろう。

「……」
「少し、難しいお話でしたね」
「…………」

むしろ、僕の返答を響子に聞かせたいのかもしれない。
いくら白蓮がダメだと言っても、響子がその気ならまたぶり返すこともあるだろう。
自分の味方は白蓮だけだと、響子に思わせたいのかもしれない。

とすると、本当に難しい。
僕はこれから白蓮と響子、価値観の大きく違う2人をまとめて説得する必要があるってことだ。
共通項は、無いに等しい。

「……」

ちらりと後ろを見る。
退屈そうにしているミスティアと目が合った。

「なに?」
「……いや」

一か八か、1文字ならぬ8文字。
信じるぞミスティア。
今日ばっかりは、手放しで信じるからな。

「何言ってるんですか白蓮さん、世の中金ですよ金、これさえあればすべてが手に入ります」
「……それは、あなたがまだお若いからそんなことが言えるのです」

正直言ってあまり想定していない回答だったのだろう。
白蓮の返答も具体性に乏しい。

「若い? 関係ありませんよそんな事、少なくても僕は今とても充実しています、分けてあげたいくらいですよ」
「リグルさん、世の中の9割の物はお金で手に入りますが、本当に大切なものは残りの1割にあります、あなたはそれをもう少し真剣に知ろうとするべきです」
「ばっかばかしい、残り1割? なんですかそれは、いったい僕に何が足りないというのですか」
「いいでしょう、例えばあなたは、困っている人を無償で助けてあげることがありますか」

いっぱいあるよ。
助けるのは1人に付き1度だけだけど。

「はい? そんなことしてどうなるっていうんですか、ただ損するだけじゃないですか」
「金銭的にはそうですね、ですが、その助けた子はあなたがいなければ死んでしまっていたかもしれません」
「それで? 優越感に浸れと?」
「そうではありません、その子が助かる、ただそれだけで素晴らしいのです、自分の手が何者かを救うことができるという事実が、他では決して味わえない安心をあなたに授けてくれるでしょう」

ただの承認欲求じゃねーか。

「えー? 本当ですか?」
「本当ですとも、人を無償で助ける人は、また自分も無償で助けてもらえます、友とはそういうものなのですよ、あなたには居ますか? 本気で困っている時になんの見返りもなく助けてくれる人が」
「……それは」

いない。
そんな甘い奴、僕の周りには1人もいない。

でも、空気を読んでとっさに合わせてくれる奴ならいる。
例えば僕のすぐ後ろとかに。
ここからちょっとした賭けだ。
頼むぞミスティア。

「……」

僕は後ろを振り向く。
目が合ったミスティアは、一瞬驚いたような顔をしたあと、気まずそうに視線を逸らした。
それでいい。
流石ミスティア、察しがいいな。

「ふふ、良いものですよ、なんの理由もなくそばにいてくれる友人というのは」
「……」
「それを得るには、まず今の考え方から脱却しなければなりません、お若い方には難しいかもしれませんが、1度考えてみてください」
「……むぅ」
「無償で他人を助ける奉仕の心、私もまだまだ完璧とは言えません」
「白蓮さんでもですか?」
「ええ、私も未だ修行中の身、ですが私は1人ではありません、1人ではないから続けられるのです」
「……」
「あなたも1人では続けるのは難しいでしょう、ですが命蓮寺には同じ苦悩を持った者たちが何人もいます」

目を逸らして俯く僕に、白蓮はさらに続ける。
幸福とは何か、心の安寧とは何か。
それを得るのは並大抵のことではないが、やる価値はある、と。

それに対して僕は最初は眉を顰め、次にやや不躾に、そしてだんだんと身を乗り出して聞き入るふりをした。
アホみたいに口を半開きにして白蓮の瞳を覗き込み、同意を求められればうんうんと頷く。
ぶっちゃけリリカの真似だった。

「門はいつでも開いております、相談事がありましたらいつでもいらしてください」
「……はい、ありがとうございました」

そして響子を借りに来たはずの僕らは、響子も手に入れられず勧誘だけ受けて帰るという、はたから見れば大失敗ともいえる醜態をさらす羽目になった。


その帰り道。

「ミスティア、よく察した」
「……まあ、とりあえず合わせたけどよ」

納得いかなそうなミスティアの手を引き、里を抜ける。

「ミスティア、忘れちゃいけない」
「何をさ」
「命蓮寺は僕のお得意さんだよ? 機嫌損ねちゃダメさ」
「……で、どうすんだよ」

白蓮は、初めから響子を渡す気はなかった。
理由はわからない。
だが、本人が言うようなリスク管理じゃない気もする。
守矢が関わっていることが気に入らないのかもしれない。

「……おーい」
「……」

神奈子さんに言われた言葉を思い出す。
僕は人のことを道具としか見ていないから、思っていることが顔に出るらしい。
人を見下しているらしい。
今更になってテメー人の事言えんのかよとも思ったが、今はいい。

先ほどの命蓮寺でのやり取り。
包帯で顔を隠して油断したのか、白蓮の目からも似たようなものを感じた。
自分は『教えてあげる』立場だと、若者の間違いを正してあげているのだと。
そういった気配と言うか、ニュアンスと言うか、そんなものをチリチリと感じた。

ちょっと前までの自分だったら、決して気付かなかったであろう小さな痕跡。

「ミスティア」
「……ん」

僕は立ち止まる。
つられてミスティアも立ち止まる。

「僕は明日もう1度命蓮寺に行く、お前も来い」
「……」
「どうした?」
「……なあ、あれ、嘘だよな」
「どれのことだよ」
「なんつーか、やけに真剣に聞いてたっぽいけど、全部丸ごと嘘だよな」
「何言ってんの?」

まさか、だ。
この僕が宗教?
そんな訳ないだろうに。

「初めてだよ、お前の嘘を見抜けなかったの」
「……いやお前、今までついた僕の嘘、全部見破ってたつもりだったの?」
「そうじゃなくてな、うまくいえねーけど、お前結構顔に出るし、わかり易いっていうか」
「……うん?」
「どこが嘘なのかはわからなくても、ああこいつ今なにかごまかしてんなーとか、早く話題変えたいんだろうなーとか、そういうのはすぐわかったんだよ」
「……」
「でもさっきのはわからなかった、明らかに大嘘なのに、嘘な様に見えなかった」
「ふーん」

「なんていうか、ちょっと怖かった」

ミスティアは目を逸らし、少しためらいながら僕の手を離す。
珍しい、というか初めてだ。
こいつが僕から距離を取るなんて。

「……まいったな、女の子を怖がらせるなんて紳士失格だね」
「あ、いや、やめてくれよ、私にそんな言い方すんの」
「でもまあいいか、僕もともと紳士じゃないし」
「リグル、悪かったよ、明日もちゃんと付いてくからさ」
「そうだミスティア、付いてこい」
「うん」
「そして覚えておけ、お前が付いていく男はもう子供じゃない」
「……」

「お前ごときに、底は見せないんだよ」
「……うん」

ミスティアは少しさびしそうに、そしてそれ以上にうれしそうに頷いた。
僕のことを子ども扱いする奴は結構いるけれど、何のことはない、こいつもその1人だったというだけの話だ。

「響子を、どうする?」
「取り返す」
「……いや、もともと向こうのだろ」
「とりあえず僕はどっちにもいい顔したい、そしてライブもやりたい」
「そりゃまあ、そうだろうよ」

じゃあどうする?
簡単な話だ。

「見せてやろうじゃん? 博愛の精神ってやつをさ」
「……何する気だお前」





「チャリティー?」
「はい、チャリティーです」

翌日、ミスティアを連れて再び命蓮寺に舞い戻った。
命蓮寺は午前中に寺の修業、午後から布教活動、というサイクルで動いていると昨日一輪から聞いていた。
あの人は聞いてもいないことをペラペラしゃべってくれるから助かる。
そういう訳で昼前くらいに行ってみたら、ちょうど全員の修業が終わったタイミングに通してもらうことができた。

昨日と同じ部屋に通され、また昨日と同じメンツでテーブルを囲む。

「すいません、チャリティーとはどういった意味の言葉でしょうか」
「売上金を慈善団体に寄付するんですよ、外の世界では、ですけど」
「まあ」

それは素晴らしいですね、と白蓮は感心したように言う。

「もちろん経費は差っ引きますけどね、それに幻想郷にはそういった団体が無いので、丸ごと創り上げることになります」
「……なるほど」
「昨日の白蓮さんの話を聞いて僕も考えたんですよ、幻想郷という閉鎖空間内における人間心理とその精神的安寧の獲得方法を」
「いきなり本格的なことしますね」
「そこでですね、やはりライブはやりたいなと」
「……まあ、せっかく始めたのですし、気持ちはわかります」
「それもありますが、やはり娯楽って大事だと思うんですよ、それにパンクロックという音楽のジャンルは不満の爆発をモットーとするようでして、それが人妖問わず人々のガス抜きになれば、と」
「……よく自力でそこまで考えましたね、人に倣うだけでなく、新たな方法を模索する姿勢は評価します、というか幽谷も見習いなさい」
【う、うさんくさい】
「何か言いましたか?」
「い、いえ」
「雲居と蘇我にも言っておきなさい」
「あ、アイマム」

誰だその2人は。
あれか、合併先の人か。

「しかしリグルさん、それは一時の気晴らしにはなっても、根本的な救いとは言えないでしょう」
「そうですね」
「……そう、心の安寧とは一時の逃避ではなく、長い時間をかけて少しずつ悟っていくものなのです」
「人々が救って欲しいのは今なのです、今まさに、そして大勢の人がそれを求めています」
「ですからそれでは表面的なのです、効果がないとは決して言いませんし『大勢の人を一度に』という点で優れているのも認めます、ですが」
「じゃあ、両方やればいいじゃないですか」
「……はい?」
「両方やればいいじゃないですか」
「……聞こえています」
「あれ? 僕何か変なこと言いました? いいじゃないですか、両方にいいところがあり、また欠点があります、じゃあ両方やればいい」
「……」

包帯の隙間から僕を見つめる目が、また昨日のように鋭くなった。
でももう遅い。

「……両方、いえ、言いたいことはわかります、それができれば理想的でしょうが」
「できますよ、『僕とあなたなら』」
「……」

聖白蓮。
仲間の夢を当然のように諦めさせる精神性。
引き抜きに来た僕を逆に取り込もうとする貪欲さ。
人のことを、平気で見下す傲慢さ。

僕は理解していた。

この人は善人じゃない。
どこまでもわがままな独裁者だ。
それは悪い事じゃない、組織の頭なら当然のこと。
そうでない者は消えたのだそうだ。

だからこそ、メリットさえあればこいつは動く。

「……なるほど」
「そういう事です」

そして突き付ける。
その喉笛に、絶好のチャンスを。

「慈善団体の設立についてですが、スタッフは選りすぐりたいと思います、『誰かいい人知りません?』」
「……その手の実績がある者でしたら、何名かは」

命蓮寺はここ最近他の寺との連携に積極的だ。
守矢神社に押されて身動きの取れない寺たちが、すでに合併に名乗りを上げているとも聞く。
だがこいつが欲しいのは寺の実権やスポンサーであって、そこに居る住職は邪魔なはずだ。
能力がない上に人件費ばっかりかかるんだから当然だけども。

欲しいところだろ?
そいつらの受け皿が。

「非営利目的の慈善団体でしたら税金面でも有利です、その代わり何も売れませんが」
「……一応宗教法人も無税ですが」
「売れるものがあるとすれば、『顔』くらいですかね」
「……嫌いではない冗談です」
「活動実績が認められれば援助金も下りると規約にありました、しかも規定があいまいなので里と管理者とで二重取りできます」
「二重取りはやめておきましょうか」

活動内容なんてどうとでもなる。
幻想郷には親を失った孤児や、借金苦で家を失って路頭に迷う人なんていくらでもいる。
まとめて囲え。
土地なんて合併先の寺が増えればいくらでも手に入る。

「『悩める人妖に救いの手を』それが命蓮寺のスローガンでしたよね」
「ええ、まさしく仏教の本領です」

しかもここで救うのは本当にギリギリで生きている連中だ。
藁にもすがる思いで神にすがっている連中だ。

「どうでしょう、神奈子さんの票田、根こそぎにしたくありません?」
「……認識を改めます、あなたはナズーリンにも引けを取らない悪魔です」
「よく言われます」

そう言って、僕と白蓮は握手を交わした。
右手を怪我していると言うので、左手で。

白蓮の手は綺麗だったが、逆に言えばなんでも人にやらせている手だった。
それでも力加減をこちらに合わせてくるあたり、抜け目がない。
こういう人は大体、何をするにしても立ち回りが上手いと相場が決まっていた。

「幽谷」
「は、はいな!」
「話はまとまりました、そのライブとやら、必ず成功させなさい」
「う、うえぇ!? 昨日と言ってることが……」
「幽谷、人は自らの間違いを認めることで成長するのです」
【絶対そういう話じゃないじゃん】
「何か言いましたか」
「い、いえ、何も」

僕は予定通りライブを取り仕切る。
そしてチケット販売による売上金。
これを新設する慈善団体に全額寄付する。

でも当然ながらグッズやコーラの売り上げはそのまま僕の懐に入る。
もちろん白蓮も了承済み、そもそも僕の財産だし。

でもそこで終わりじゃない。
というか白蓮は何もわかっていない。
こいつは僕が金銭だけを目当てに仕事をしてるみたいなことを言っていたが、それは大きな間違いだ。
大事なのは大金を稼ぐことじゃない。
大金を稼げることを証明することだ。

その過程で得た経験、人脈、信用。
それらの方がはるかに価値がある。
僕みたいな弱小妖怪が天狗の銀行から融資を引こうと思ったら、実績を積み上げるしかないのだ。
今はまだ門前払いだが、これに成功すれば、話くらいは聞いてもらえるようになるかもしれない。

あのプロモーターが次の企画を持ってきた。
だから稟議書を書け、上役に通せ。
そう、言えるようになるのだ。

何のことはない、僕は最初から、お金で買えない1割を狙っていたのだ。

WIN-WINである。
ケケケケケケケ。


その後、僕と白蓮の2人がかり響子を説得、10秒で納得させた。
ついでに軽く打ち合わせして、今後の予定をすり合わせてから命蓮寺を発った。

「ゲリラライブは今まで通り続けてくれる? 忘れられちゃったら元も子もないし」
「りょ、了解です」
「ふふふ、今度寺のみんなで聞きに行きましょうか」
「な、そ、それはご勘弁を」
「いいじゃん響子、私も家の連中に見られたし」
「くぅ……っ」

とりあえずこれで響子の問題は解決。
ちょろ過ぎる。

問題があるとすれば、12月はやはり忙しく、響子も手が離せないという点だ。
僕としてはグッズの製作に数か月かかるとみているので、早めに動きたかったのだけど。

……写真集に寺での響子の写真とか入れたら売れるかな?
神奈子さんに怒られるかな?

まあいいか、あの人のことだ、きっと怒った顔も素敵だろう。





ニヤニヤしながら帰宅した僕は、自室のベッドに寝転がって手帳を開き、今までにやったことをもう一度確認した。
だらしのない恰好だったが気にすることは無い。

ライブ計画について

用意すべきもの
・ステージ  確保   東の里集会所
・機材    河城さん対応中(期待できそう)
・衣装    未対応  最悪普段2人が使ってるやつ
・広告    確保   候補:ラジオによる宣伝(『妖怪事情』か『パンクロックの番組(番組名失念)』が希望) 番組未定
            新聞(コスパ悪そう、余裕があったら)
            切り株付近に看板
・チケット  未対応  候補:山の印刷会社、手作り  枚数:100~200枚?(ステージに依存)
            集会場の椅子は128席、うち最前列中央の8席をS席、1列目の左右8席および2列目中央8席をA席、他をB席とする
・スタッフ  一部確保 候補:ハッピの親衛隊(仮称) できれば警備員も欲しい(給料どうしよう) 人数:20人程度
            犬走さん、鳴子確保、天狗だぜヒャッハー
・グッズ   未対応  候補:写真集、ポスター、うちわ(扇子でも可)山の業者に発注(確かそういう業者あったはず)値段は未定
・出店    未対応  里にそういう業者がいる(東の里で存在を確認)

未解決問題
・騒音    リリカ失敗 お姉さんがこの家に来るらしい
       白蓮さん対応中(ただし音関係は専門外)
・利益    チケット代金は期待できない、グッズがどれだけ売れるかが勝負かもしれない、種類を多めにすべき
       出店の業者からどれだけ取れるか
       コーラとサイダー売りたい(出店の業者に売ってもいい)
       チケットの売り上げはすべて後述の慈善団体に寄付する
・命蓮寺   解決    協力を取り付けられた
・霧雨魔理沙 邪魔    犬走さんがいればとりあえずの心配はなさそう
・リリカの姉 3者面談
・自警団   対応中、うまい事引き込んで警備員代わりにしたい
・慈善団体  新しく立ち上げる、代表は白蓮さん、活動内容は孤児の保護・保育、ほぼ白蓮さん任せ
「……」

あれ? 心なしか厄介ごと増えてない?

「まあ、気のせいだろう」
「……なにが?」
「なんでも」

2人分の体重を加えられ、ベッドがギシギシと軋む。
隣に潜り込んできたミスティアを抱き寄せながら、僕は手帳を閉じた。

すり寄ってくるミスティアの髪を撫でてやると、それに合わせて羽の生えた耳がぴょこぴょこ動くのが見えた。

「かーわい」
「ケモノ耳好きなん?」
「これケモノ耳だったの?」
「たぶんな」
「響子とかユキエみたいなのを言うのかと思ってたよ」
「歌舞伎塚だってそうだろ、ライオン耳」
「……そんなもんか」
「鳴子だってそうだろ、木片耳」
「それはたぶん違うと思う」

そんなどうでもいいことを話しながら、眠くなるまでずっとミスティアとじゃれ合うことにした。
最近忙しすぎて、こんなにのんびりする時間なんて取れなかったからね。

集会場と命蓮寺。
大きな問題が2つとも片付いたことだし、1日くらいのんびりしたいところだ。

「明日……はダメか、明後日空いてる?」
「んー? 昨日今日店空けちゃったからなー」
「デートしようよ」
「ちょうど暇だったかな」
「決まり」
「ん」

最近めっきり寒くなってきた。
でもうちには暖房器具なんて存在しない。
だから仕方なくミスティアにしがみついて暖を取ることにした。
寒いんだからしかたない。

狭苦しいベッドに2人。
薄汚れたシーツとペラペラの掛布団、そしてごわごわの毛布に挟まれて。

僕は久しぶりに、ぐっすり眠った。





翌日、早めに起きて虫の知らせサービスの更新料回収を鳴子に依頼する。
更新料の回収先は3か所、そのうち2か所は最近同じ知らせがあったところだ。

数日前、南の里に住む名家の当主が亡くなった。
60歳くらいで大往生だったのだが、僕と面識はないため特に感慨はない。
でも、その訃報を欲しがる人がいる。
その親族、有り体に言えば遺産の相続人だ。

事前に遺言なりなんなりで取り決めがあったのなら問題ないのだが、そうでない場合。
特に、今回のように直前まで元気だった人が急死した場合。

他の親族が離れたところに住んでいるのをいいことに、自分たちだけで相続を進めてしまう輩がいる。
忙しい時期だったから、面倒事は自分たちでやっておいたから。
そんな戯言を盾に、勝手に遺産分配を済ませてしまう。
酷い人だと遺言状をもみ消す人すらいるそうだ。

それを恐れる親族が、僕のお得意さんとなる。
『虫の知らせサービス』。
あらゆる訃報をお届けしよう。


パタム、と手帳を閉じ、居間でリリカの帰りを待つ。
今日はリリカの姉と3者面談だ。

「た、ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お、お邪魔します」

「……」

と思ったら4者面談だった。

「次女のメルランでーす」
「長女のルナサです」
「リグル・ナイトバグです」

リリカの姉、話には聞いていたが会うのは初めてだ。
簡単に挨拶を交わし、居間の椅子に掛けてもらう。

お茶を淹れてくると言って逃げるように去っていったリリカはさておき、お姉さん2人をよく観察させてもらった。
と言ってもぱっと見てわかるような特徴もない、ただの過保護な幽霊だろう。

「いつもリリカがお世話になっております」
「いえいえとんでもない、こちらこそお世話になっています」

礼儀正しく帽子を脱ぎ、長女の方が挨拶してくれる。
対する次女の方は妖怪の住む家が珍しいのか、口を半開きにしながらあたりをきょろきょろと見回していた。
どちらかというと次女の方がリリカに似てる気がする。

そう言えば、と思い出した。
確か4人姉妹じゃなかったっけ?

「今日は末っ子の方はいらっしゃらないので?」
「……あ、いえあのー、それはですね」
「レイラでしたらだいぶ前に帰らぬ人に」
「……そうでしたか、御愁傷様です」

長女の方が答えてくれた。
軽い気持ちで聞いたら藪蛇だったようだ。
帰らぬ人なのにも関わらず帰ってきちゃったお前らが言うのもどうなんだ。

「それで、本日はどういったご用件で?」
「いえいえ大したことじゃないんです、リリカちゃんがどんなところに住んでるのかなーって思っただけでして、おほほほほ」
「……メルラン、ちゃんと言う」
「姉さんったらせっかちねぇ、えーとですね、リリカちゃんのことなんですが、うちにつれて帰ろうと思いまして」
「……」

またこれだよ。
油断すると邪魔ばかり入りやがる。
いや、話が通じなさそうな分、響子の時よりたちが悪い。
白蓮は戦略で響子を止めたが、こいつは恐らく善意100%だ。
見当外れな善意ほど迷惑なものは無い。

「出て行くなんて言い出した時はどうせすぐ戻ってくると思ってたんですが、もう1年も帰ってこなくって、もう心配で心配で」
「……そうでしたか、リリカは元気でやっていますよ、毎日笑顔で過ごしています」
「そうなんですか? 苛められてたりしません?」
「まさか、いくらなんでもそんなのがあったらお姉さんの所に戻ってますよ」
「そ、そうですよね、ちゃんとご飯とか食べてます?」
「ええ、うちの誰よりもたくさん食べてますよ、呆れられるほどです」
「そうでしたかー」

胸を撫で下ろす次女とは裏腹に、長女の方は落ち着いたものだ。
たぶん表立って騒いでいるのは次女だけで、長女の方は付き添いに来ているだけなのだろう。
次女さえ説得できれば、あとはフォローしてくれそうだ。

「リリカはいい子ですよ、他の同居人とも仲良くやっていますし、楽器の練習も―――」
「でしょう!? もうリリカちゃんったらいい子過ぎていい子過ぎて、もうなんで出てっちゃったのかしら!!」
「……」

僕の言葉を遮り、次女が自分の身体を抱きしめながらイヤンイヤンと騒ぎ出す。

長女の方を見た。
黙って首を振られた。

「……だからこそですよ、リリカは今夢に向かって邁進しています、この家にはそのための環境が整っていますから」
「で、でもやっぱり知らない人と一緒っていうのは……」
「お姉さんも心配もわかります、ですがリリカはこの1年間自分1人の力でちゃんとやって来れました、それは褒めてあげてください」
「うーん、でもやっぱり姉妹で一緒に居たいんですよ、大家さんからも帰ってくるように言ってあげてくれませんか?」

大家じゃねえ、家主だ。

「……わかりました、そういう事でしたら僕の方からも言ってみますよ」
「ホントですか? ありがとうございます」
「それでダメでしたら諦めてくださいね」
「え? あ、諦めないでくださいよ、ちゃんとお願いします」
「じゃあどうします? 縄にでも繋いで引きずっていきますか?」
「だからもう、そうじゃなくって」
「連れて帰りたいのはお姉さんの都合でしょう? リリカにはリリカの都合があります」
「でもやっぱり姉妹ですし」
「……」

ダメだこいつ、話が通じない。

再び長女の方を見た。
申し訳なさそうに目を伏せられた。

「……本人のいないところでこれ以上話しても仕方ありません、そろそろリリカも戻ってくるころでしょう」

ワザと大きめの声で言う。
たぶん聞こえただろう。
おいリリカ、お前の姉は白蓮以上に厄介だぞ。

「お、お茶が入ったよー」

えへへー、と誤魔化すようにハニカミながらリリカが戻ってくる。
そしてテーブルに4人分の紅茶を並べ、僕の隣に腰を下ろした。

「リリカちゃん、何度も言うけどそろそろ戻ってきなさい、もう十分でしょう?」
「うー、わ、私は戻らないって言ったでしょー!」
「あなたはまだ1人で生活なんてできないの、周りに迷惑かける前に帰ってきなさい!」
「勝手なこと言わないでよ! ちゃんと1人でもやってるよ!」
「嘘おっしゃい、どうせ周りの人に頼りっきりなんでしょう!」
「そんな事ないもん!」

「ほら、姉さんも何とか言ってやって頂戴!」
「ルナ姉も何とか言ってやってよ!」
「……愚妹どもが申し訳ありません」
「心中お察しします」

いっそ次女捻っちゃダメ?
一瞬だよ?

おいしくない紅茶を口にしながら、僕は1人で物騒なことを考えていた。

ていうかこの次女自分がさびしいだけじゃん。
妹離れできてないだけじゃん。
リリカに原因押し付けてるけどさ。

「……リリカは、ちゃんとやってるんですよね」

と、今度は長女の方言う。

「そ、そうだよ!」
「リリカ、大家さんの方に聞いてるの」
「……う、うん」

僕に振りやがったか、ナイスパス。

「そうですね、最初はもう酷いものでしたよ」
「やっぱり!」
「う、うえ!? そりゃないよボス!」
「ですが、それは最初の時だけです、今ではすっかり家にもなじみ、僕にとっても無くてはならない存在となっています」
「まあ」
「どうか信じてやってください、リリカはここに自分の基盤を築き、友達を作り、1人前の幽霊としてしっかりやっています」
「……ボス」
「心配するなとは言いません、ですが、信じて手を放すこともリリカのためには必要なんですよ」
「……」

俯きながら次女が黙る。
これでダメだったらどうしよう。
力づくでお帰りになってもらおう、そうしよう。

「……ゴメンねリリカちゃん、お姉ちゃん誤解してた」
「メ、メル姉」
「お姉ちゃんずっとリリカちゃんがお姉ちゃんのこと嫌いになっちゃったのかと思ってたの」

嘘つけ。

「でも違ったのね、この大家さんのそばに居たかったのね」
「……メル姉?」
「うふ、うふふふふ、もうリリカちゃんったら隅に置けないんだからー」

みるみる青ざめていくリリカが油断なく室内を警戒しだす。
心配するな、ミスティアなら仕入れに行ってるよ。

「メルラン、その辺に」
「うふふふふ、そうねー、邪魔しちゃ悪いもんねー」
「……」

リリカが僕の方を見る。
この設定で乗り切っていい? と顔に書いてあった。
僕も総合的に考えてこれが一番楽だと思われたため、乗ることにした。

「そういう事です、リリカは僕が守りますのでご心配なく」

と、リリカの肩を抱き寄せる。
おいリリカ、赤くなるな。
いや、なっていいのか。

「あーら、よかったわねリリカ、どおりでお姉ちゃんたちを避ける訳ね、わかったわ、お姉ちゃんもう邪魔しないから、姉さんもいいわね?」
「私は最初から邪魔する気はないよ、それにあれでしょ? 今度里の集会所でソロライブするんでしょ? 頑張ってね」
「ちょっ、ルナ姉!」

……今なんつった?

「あ、あう、ボス、あの……」
「……そうですね、今すぐって訳じゃありませんが、それも考えています」
「そうだったわね、すごいわーリリカちゃん」

リリカが世紀末な表情でこちらを覗いてくる。
どんなやり取りがあったかは容易に想像が付いた。
つい言っちゃったんだろうな。

「といってもリリカはまだ条件を満たしてませんがね」
「条件ですか?」
「東の里の近くにある切り株をご存知ですか?」
「ええ、舞台にちょうどいいので私や姉さんもたまにそこで演奏しますよ?」
「あそこで観客を100人集められたらデビューさせてあげることになってましてね、リリカも大見得切ったんだからちゃんと頑張るんだよ」
「は、はい、ボス」
「100人かー、私たちがやる時っていつも何人くらい集まるかしら」
「10人いれば多い方だよ」

そっかー、と感心したように頷く次女と、100という数字に絶望するリリカとで、いい感じにコントラストが取れていた。
知ーらね。

「メルラン、もういいだろ、お暇しよう」
「そうね、あんまり邪魔しちゃ悪いもんね、うふふ、しっかりやるのよリリカ、男なんてちょっと優しくすればイチコロよ、逃がしちゃダメだからね」
「……メル姉」

口元を歪めながら眉間を揉むリリカを尻目に、幽霊2人が席を立つ。
深々と頭を下げる長女といつまでもリリカの手を離さなかった次女を見送り、僕とリリカはまた居間へと戻った。
そして僕がソファに座るや否や、リリカが滑らかな動きで床に頭をこすりつける。
慣れた動きだった。

「も――――――っしわけありませんボスゥ!」
「あることないこと吹き込み過ぎだよ」
「お手数をおかけしました―――!!」
「今年いっぱい家事の当番代わってもらうからね」
「サーイエッサー!」

……靴を舐めろって言ったらどうなるのだろうか。
ちょっと試してみたかったが、さすがに自重することにした。

余計な手間をかけさせやがって。





次の週末、河城さんと集会場の下見に行った時のこと。
思わぬ問題が発覚した。

「危険物の持ち込み禁止?」

集会所の掲示板に書いてあった項目を確認し、河城さんをその場に残して集会所の持ち主のところに走る。
この危険物っていうのは銃火器も含むのかどうか確認する必要があった。

河童は山の貴重なエンジニアだ。
山から下りる際は、護身用の銃器の携行が義務付けられている。

盲点だった。

河城さんのマシンガン、これ、危険物に該当するの?

「するねー」
「……何とかなりませんか?」

集会場の持ち主にはすぐ会えた。
だがやはり、銃火器の持ち込みはマズイという話だ。

やっべ。

「んー、おいらもさ、何とかしてやりたいと思うんだけど、里の規則で決まってんのよ」
「……なんてこった」

ちょっと待ってな、という言葉に従いその場で待っていると、一冊の冊子を手に戻ってきた。

「んーと」

ペラペラとページをめくる手が止まり、冊子の中ほどのページを見せられる。
施設管理規約と題されたページを追って行き、書いてある文字を確認すると、確かに危険物の持ち込み禁止を義務づける項目があった。
その危険物の定義の中に刃物や薬品に混じって『銃器』とはっきり書いてある。
アウトだ。

「そんなばかな」
「ごめんよー、こればっかりはなー」
「……ちょっと待った!」

冊子を閉じようとする手を止め、項目の内容をもう1度確認する。

「……苦しいか?」
「どった?」

よーく読むと、危険物の持ち込みを禁止するのは『施設内』と書いてある。
『敷地内』ではなく『施設内』。
施設外に預かり所とか用意したらセーフだろうか。

「ど、どうですか?」
「……あー、確かに……筋は通ってるとは思うねえ」

怪しい所だが、今度は河童の上役がどう判断するかわからない。
神奈子さんからのトップダウン以外にない。

「まあ、おいらとしては問題にさえなんなきゃええからよ」
「ありがとうございます」

あっぶねー、気付いてよかった。
すぐさま手帳に『銃器の預かり所』と記載する。

とりあえず集会所の持ち主が協力的で助かった。
いつも綱渡りだ。

すぐさま集会所の戻り河城さんに事の次第を報告、今日の下見は中止にしてもらうことにした。
やむを得ない。

「って、ちょっと待てーーー!!」
「ひゅい!?」

おかしいぞ、神奈子さんの講演会の時はどうしてるんだ?
河童いないのか?
否、見たことある。
今まで気にも留めなかったが、確かに河童はいた。
ついこの間も施設内で出店の業者と一緒に物を運んでるところを見たぞ。

「……どういう事だ?」
「ちょ、ちょっとわからないかなー」
「……そうですか」

集会所の持ち主がそのことに触れなかったことから考えて、何かしらの抜け道はあるらしかった。
神奈子さん特権とかだったらどうしよう。

「ある程度下見して回っちゃったんだけど、まずかった?」
「……いえ」
「見た限りでは大丈夫そうだったよ、音も照明も綺麗にできると思う」
「ありがとうございます」
「でもねー、この間言ってた騒音についてはムズイかも、スピーカの角度と出力である程度調整できるけど、科学じゃここが限界」
「……そうですか」

やはり魔法か、一応白蓮にもなんとならないか打診はしているが、あれの専攻は身体強化系。
代謝管理や生命維持、その派生で回復系を少々といったところらしい。
その割には顔の包帯がやけに痛々しかったが、魔法が追い付かないほどの重症だったのだろうか。

なんにせよ、分野が違いすぎる。
本気の本気で望まない限り、魔法は心を開いてくれない。
……だったら、白蓮の望みはなんなのだろうか。
なんとなくわかる気がしたが、あまり探るのもよくないな。

となると、やはりパチュリーさんか。
あの人だけは技術的にも頭1つ抜けている、本命じゃない魔法もいくらか使えるだろう。
施設管理特化型。
吸血鬼の寝床を守るという彼女の至上命題を考えれば、防音用の魔法もあるいはその範囲かもしれない。
あーもう、頼りっぱなしじゃないか。


河城さんを送り届けたついでに、山の印刷所とグッズの業者にも足を運んでみた。

普段僕が虫の知らせサービスなどのチラシを刷ってもらっている印刷所。
新聞の発行が活発な妖怪の山だけあって印刷機はいいものを使っているらしく、チケットを作りたいと言ったら二つ返事でOKしてくれた。
100枚単位で8000円と言われてちょいと割高だと思ったが、チケットの半券を切り取れるタイプのものが作れるという。

おまけにポスターや写真集を作ることも可能だそうで、一括で頼んで安くしてもらえないか交渉してみた。
責任者である山伏天狗のおっちゃんは気のいい人だったが、残念ながら値引きするには注文数が少なすぎると断られてしまった。
仮に観客席が128席埋まるとしても、その中で買う人が何割って計算だから、多くても100セットだ。
次のライブの分も在庫として抱えたいのはやまやまなんだけど、そこまでの資金力は無い。
でも有利な条件で融資を引けたら考えておこう。
そう説明して見積りだけ複数パターンで切ってもらった。
喜んでやってくれた、そうこなくては。

次に、哨戒中の白狼天狗に監視されつつグッズ製作というか特注の量産品が作れるいくつかの業者に赴いた。
印刷所のおっちゃんとも付き合いのあるオリジナル切手やポストカードなどを扱っている郵便局や、風鈴や瀬戸物などの工芸品に近いものを扱っているところなど、さまざまな所に寄ることができた。

個人的に切手はいいなと思った。
あとさすがに今回はパスするけど、風鈴とか金魚鉢とかのガラス製品も面白いかもしれない。
どうも最近ガラスに絵を印刷する技術が普及したらしく、精度が荒い代わりに安くしてくれるという。
でも実物を見てみた限り、気になるような粗さではないと思った。

うむ、あれもこれもと目移りしてしまう。

見て回るだけでそれくらい面白かったが、この中で費用対効果の高いものを選出しなければならない。
まずポスターと写真集は必須。
というかポスターすごい安い、100枚注文で単価300円とかヤバい、5,6種類作っとこう。
ポストカードも安かった。
切手欲しかったけど利益率悪そうだから却下。
うちわがそこそこ安く、扇子が意外に高かったりとばらつきがあったので、うちわのみ。
ただしカラーリングを変えて数種類。
カレンダーも欲しい所だったが、年明けにやれるわけではないので断念。

盲点だったのはカルタ。
文字まで決められて、オリジナルカルタを作れるらしい。
いいこと考えた。
これ『あ』から『ん』までラジオで公募しよう。
あなたのアイディアが形になります。
神奈子さんも聴取者参加型の番組増やしたいみたいなこと言ってたし、一石二鳥だ。

さらに意外だったのが将棋盤。
将棋盤の上にイラストをプリントできるらしい。
でも高いので却下。

僕を監視していた白狼のお兄さんが悪乗りして『お守りとかいいんじゃねーですか?』なんて言ってきて、一瞬いいアイディアだと思ってしまったがいいわけがなかった。
今回、宗教色は無しの方向で。

見て回った限りではざっとこんなものだ。
めぼしいところで大体の納期と見積りをもらい、最後の仕上げにラジオの電波塔に向かった。


近辺に飛行制限がなされているので、途中からは徒歩で山道を歩く。
白狼のお兄さんは管轄が違うから敷地に入れないらしく、そこからは別の人に案内されることになった。
暖房の利いたロビーに入り、受付と書かれたカウンターへ。

ラジオ塔の内部に入るのは初めてだった。
まだ新築の匂いのする小奇麗な待合室で待たされること数分、女性の鴉天狗がやってきた。

「やあやあ初めまして、神奈子様から話は聞いているよん」
「……お初にお目にかかります、リグル・ナイトバグと申します」
「やだなー、そんなかしこまんなくてもいいよー、有名人君」

……僕有名人なの?

「あれ? 害虫サービスの人だよね」
「あ、はい、そうです、毎度お世話になっております」

なんだ、てっきり神奈子さんあたりが変な話でもばらまいたのかと思ったが、そういう訳でもなかったか。

「あれ前から思ってたんだけどさー、自分で害虫とか言っちゃって良いの?」
「あー、あれはそうですね、害虫と益虫の違いって判りますか?」
「質問を質問で返すんじゃないよ、知ってるけど」
「すいません、要するに人間にとって害のある虫が害虫で、益のある虫が益虫なんです」
「……ふーん?」
「『じゃあ僕は?』」
「……んふふふふ、そういうことか、うん、最悪の部類に入る害虫だね」
「ええ、だからいいんです」

にゃるほどねー、とその鴉天狗は羽をパタパタさせながら迷うことなく廊下を進む。
そして『応接室』とプレートが張ってあるドアを開け、何故か僕の方に先に入るよう促す。
変だなと思いつつもその応接室に入ってみると、信じられないような光景が目に飛び込んできた。

「……すげぇ」
「んふふふ、すげえだろー」

思わず声に出てしまった。

まず目に入るのが木目張りの壁。
建物自体は鉄骨でできているはずなのに、わざわざこの部屋だけ壁を換えている。
次に目に入るのが本革製と思しき大きなソファ。
僕の家で使ってるような安っぽいものとは見た目からして段違いで、2人掛け用と1人掛け用の2種が大理石のテーブルを挟んで並んでいる。

本当にここが幻想郷なのかどうか疑わしくなるような光景だったが、極めつけは床。
何の冗談か虎の頭が付いた絨毯が部屋の真ん中に敷かれていた。

試しにしゃがみこんで触ってみると、信じられないくらい柔らかな感触が指先に返ってきた。

「それ本物の虎だよん」
「……本物なんですか」
「そ、あっちのシカも本物」
「シカ?」

言われて後ろを振り向いてみれば、僕らが入って来たドアの真上に、首から上だけのシカがこれまた豪華な額縁にはまって掛けられていた。
剥製ってやつか。

「ほらほら、座って座ってー」
「は、はい」

茶褐色のソファに恐る恐る座ってみると、これ本当に椅子なの? ってくらい沈んだ。
想像以上にバランスを取るのが難しい。
まさか壊れてるわけでもないだろう、こういうつくりなのだ。
ふんぞり返るためにこうなっているのだ。

「んじゃまあ、なんだっけ、君の歌をラジオで宣伝したいんでしょ? 音楽番組がいい?」
「……」

神奈子さん、情報が断片的すぎます。

「いえ、僕が出るんじゃなくてですね、今度催すライブの宣伝がしたいんですよ」
「え? そうなの? すごいじゃん」
「ありがとうございます」

目を丸くして驚く姿から察するに、たぶんこの人神奈子さんからの話ちゃんと聞いてないな。
話が違う、とかそういうリアクションじゃない。

「でもでも、まあまあ、カクカク、シカジカ、実を言うと君が初めてなのだよ、うちで宣伝やりたいって人」
「……? 里の紹介番組とかあるじゃないですか」
「『人里散歩道』? あれは別だよ、こっちから打診してるの、紅魔館って知ってるよね、あれうちのスポンサーなの」
「そうだったんですか」

知ってます。
企画段階から自慢されまくりましたから。

「んでねー? ここだけの話なんだけどさー、あれって紅魔館の輸入品買ってるとこだけなんだよ、紹介してるの」
「そ、そんなまさか!」
「そのまさかなんだよ、びっくりしたでしょー? 私も最初に聞いた時びっくりしちゃったもん」
「へー」
「そういう訳で、宣伝する側から話持ちかけてきたのは君が1等賞なのだよん、神奈子様喜んでたよ」
「そうでしたか」
「みんなねー、ビビっちゃってんだよねー、山だもんねー」
「……」

まあ、そうだろう。
いかに貪欲な人間だろうと、妖怪相手にこんな話を持ちかけるのはリスクが高い。
破産のリスクじゃない、生命のリスクだ。
前者を賭ける商売人はたくさんいるが、後者まで賭けるとなると話は別、いらないトラブルを呼びかねない。
妖怪と積極的に関わる、という選択肢は宣伝効果とは釣り合いが取れないだろう。

しかし妖怪にとってだって山ってのはおっかない場所だ。
そこに住んでるのは身分の違うエリートたち、生まれた時から覆せない力の差があるのだ。
山の妖怪の差別意識と選民思想は、僕もよく知っている。
最近になってやっとだ、僕への風当たりが緩くなってきたのは。

じゃあ山の妖怪はというと、妖怪同士のコミュニティが狭すぎて宣伝の効果がない。
企業対企業の取引が多いことに加え、この商品と言えばここ、といった具合に縄張りが決まってしまっている。
宣伝効果があるのはせいぜい大衆食堂みたいな飲食店くらいなものだ。

そりゃだれも来ないよ。

「恐れを知らないんだね」
「よく言われます」
「怖いもの知らずのショタっ子は嫌いじゃないよん」

誰がショタだ、誰が。

「でさでさでさ、宣伝って丸々ひと番組使っちゃう? 枠はいくらでも空いてるし、そもそも誰もやりに来ないし」
「……いえ、せっかくのお話ですけど、できる事なら『そこんとこ教えて、妖怪事情』で取り上げて欲しいんですよ」
「え、それはムズイかも、一番人気の番組だし……っていうかそれが目当て?」
「はい、それかパンクロック専門の音楽番組があったと思うのですが、そのどちらかでお願いしたくて」
「あ、パンクなんだ、へー、私もパンク好きなんだよん」
「そうでしたか、ではライブの際には是非いらしてください、チケットお安くしておきますよ」
「いやん、商売上手♪」

それはいいとして。

「うんうん、そっちはたぶん大丈夫だと思う」
「本当ですか」
「んー、ホントはそんな構成想定してないんだけどねー、特別扱いしちゃおうかなー」
「わ、ありがとうございます」
「んふふ、みんな浮き足立っているのだよ、うちに乗り込んできたすげーのがいるって」
「……いい意味でですよね」
「そうふぁよん……噛んだ、そうだよん、実はみんな最近ちょっとマンネリ気味だったの、ちょっとくらいサービスサービスゥ」
「ありがとうございます」

どうなることかと思ったが、宣伝自体不許可という最悪の事態は免れた。
やはり先に神奈子さんを通して正解だった。
となると問題は……

「気になるお値段ですが……」

正直50……いや40万が限界。
さっきのグッズの利益を全部つっこんでもそんなもんだ。
2回目以降の興行を視野に入れた赤字覚悟でもそれ以上でない。

100万だよんとか言われたらどうしよう。

「タダでいいよん」

相場もわからないのも痛いし、さて、いくらになるか。
―――って。

「なにぃ!!?」
「うわっ! びっくらこいた」
「…………失礼しました」

え? タダ? 今タダって言った?

たぶん近年で2番目くらいに大きい声が出た。
ちなみに1番は午前中に寄った集会所での『ちょっと待てーーー!!』だ。

「タダですか?」
「タダです」
「無料ですか?」
「無料です」
「後で違う名目で請求されたりしませんか?」
「しないよー」
「……なんでですか?」
「ホントは300万くらいするからよん」
「…………するからよん」
「どうせ払えっこねーからタダでやっちゃれという神奈子様からのお達しざます」
「……」
「賽銭の礼だって言えばわかるってさ」

……そう言えば商売繁盛を願掛けした気がする。
あれか、マジでご利益あったのか。
ていうか300万円って。

「そんなの、宣伝しようとする人いる訳ないじゃないですか」
「……私もそう思う」

宣伝にそれだけ使っても絶対採算取れない。
そもそもいったい何人の人が聞くというのだ。
売り上げが何%伸びるというのだ。

「でも機材とかスタッフとか管理費とか計算するとそんくらいになるんだって」
「それたぶんこの施設の建設費回収しようとしてますよ」
「あー、あり得るかも」
「ついでに受信機の製造費も」
「かもしんないね、アカだったって話聞くし」

あとこの部屋の調度品とかかもねー、と天狗のお姉さんはケラケラと笑う。
そしてケラケラ笑いながらカバンから透明なファイルを取り出すと、中身ごと僕に差し出してきた。

「パンフあげるよ、よく読んでね」
「……うわ」

本当に300万って書いてある。
何かの番組内で数分紹介するだけでそれ。
10分くらいの特別番組を組むと500万。
30分番組丸ごとだと1000万。
あとは応相談。

なんてこった。
次元が違った。

「は、ははははは」
「外だとねー、20秒くらいの宣伝を番組と番組の間に挟んだりするのもあるらしいんだけどね、うちにはないのよん」
「はははは」
「……だ、大丈夫?」
「はは……」

がっくりとその場に崩れ落ちた。
堅い大理石のテーブルが僕の頭とぶつかってゴツンといい音を立てる。

住む世界が違うってこういう事だったのか。
桁がおかしいだろ。

軽々しく『ラジオで宣伝しようぜ』とか言ってた過去の自分をぶん殴りたい。
レミリアさんとか神奈子さんとか響子とかその他もろもろにドヤ顔していた過去の自分を蹴り飛ばしたい。

馬鹿か僕は。

「……あー、大丈夫です、ありがたく甘えさせていただきます」
「んふふふ、甘えるがいいのだよショタっ子君」
「……」


『週刊パンク通信』
それが番組名らしかった。

その番組内、あるいは終了直後に枠を取り、我らが鳥獣戯画の宣伝を行ってくれるという。
形式としては生放送ではなく、事前収録した紹介用の音声を流してくれることになった。
ラジオ創業当初ならともかく、むやみに素人を生放送に出したくないとのことだ。
こちらとしても特に問題は無い。

「ライブはいつやるのかな? 年明け?」
「いえ、3月の終わりか4月になります」
「あ、結構先なんだ、うんうん、なるなる、余裕持って打診に来るのはいいことだよん」
「グッズの製作がそれくらいかかるらしくて」
「ふーん? 人形とか?」
「……それ採用です」
「あららん♪」

アリスさんあたりに版権だけ売っとこう。
あの人のビスクドールならマニアが高く買うだろう。
魔法使いに貸しを作っておくと後々便利だ。

「ポスターとかですよ」
「あ、ビールとか持ってるやつ?」
「はい?」
「うちの食堂にもあるよん、外のだけど、広告やるんでしょ?」
「…………」

…………。
慌てて口元を押さえた。
いいか、落ち着け僕。
すぐにその怪しすぎる笑みを消せ、OK?

「……いえ、今回のは単純に2人の写真が写っているだけです」
「あ、そうなんだ」
「ですが、そのうち、やるかもしれません、広告、なんていうんでしたっけ、そういうのに出演というか、写る人のこと」
「広告モデルさん?」
「それです、やるかもしれません、広告モデル」

大急ぎで手帳に『2人を広告モデルに』と書き足す。
その発想は無かった。
広告だけじゃない。
知名度さえ上がれば、市民権さえ得られれば。
あらゆるイベントに、売り込める。

幻想郷に前例はない。
濡れ手で粟だ。


ゾクゾクするような心の震えを感じながら、僕は天狗のお姉さんと打ち合わせを進めた。

広がっていく。
何かが、僕の手の上から確かに広がっていくのを感じる。

どこまでいけるか、どこまでうまくいくか。
ジャックポットを叩き出せれば、僕は晩餐会に一気に近づける。

20年前に夢見たあの場所に。
レミリアさんが、神奈子さんが、そして八雲様方が淫らに詠うあの戦火の中に。
この僕も、参戦できる。

「ふいー、こんなとこかな、なんか質問はあるかい?」
「いえ、大丈夫です、本日はお忙しい中どうもありがとうございました」
「うんうん、君も頑張るんだよー、私も頑張ってセッティングするよん」
「はい、よろしくお願いします!」

「……すごいよねー、君、若いのに一生懸命で」
「ありがとうございます」
「ねえ、君ならたぶん大丈夫だと思うけどさ」
「はい?」
「もしこれ、失敗しちゃったらどうする?」
「再挑戦です」
「……即答かー、そうだね、人生長いんだし、どんだけ失敗しても、いくらでもやり直せるもんね」
「はい、もちろんですよ、僕だって何回失敗したかわかりません、何度も死にかけました」
「そっか、私もねー、今でこそこんないいところで働かせてもらってるけど、昔は酷かったんだよ」
「……そうでしたか」
「ああ、ゴメンゴメン、君に言っても仕方ないね、それじゃあロビーまで送ってくよん」
「お願いします」

そう言って、天狗のお姉さんと握手を交わした。
その手には鴉天狗特有のペンダコが無いうえに、大した手入れもしてないようだった。
それだけだったら単なるズボラな天狗だが、今しがたの打ち合わせへの熱の入れようや、底抜けに明るい話し方などを考慮すると、印象も違ってくる。

充実しているのだ、毎日が。
細かい事なんてどうでもよくなるくらいに。
きっと今の仕事が好きなのだろう。
高い倍率を経て勝ち取ったのかもしれなかった。


再び案内され、ロビーにまで戻る。
そして受付で手続きを済ませ、施設の外に出た。
暖房の庇護下から外れた瞬間、北風が容赦なく僕の体温を奪っていく。
少し、風が出てきたみたいだ。

ああ、寒い寒い。
飛ぶのに支障が出るほどではないから助かったが。

「うー、さぶいねー」
「……お姉さんまで出てこなくても」
「うーん、白狼の人呼んだからさ、一応来るまでは付き添わないと」

意外に律儀な人だった。
鴉天狗にしては珍しい。

「あ、そうそうそう、忘れてた、はいこれ」
「……? なんですかこれ」
「名刺って言ってね、初対面の人に渡して名前覚えてもらうんだって、ワタクシこういうものです」
「どうも」

いいなこれ、僕も作ろ。
いくらするかな。

「あ、来た来た、それじゃあまたね」
「はい、ありがとうございました」

手を振ってくれる天狗のお姉さんに頭を下げ、名刺をポケットの中にしまった。
そしてお姉さんに別れを告げ、来てくれた白狼の方と共に山を下りることに。

申し訳程度に砂利で舗装されつつある山道を歩きながら、ポケットに入れていた名刺をもう1度取り出してみる。
もらったその小さな厚紙には『FRR』のロゴと、お姉さんの所属部署と名前が書いてあった。
ファンタジック・ラジオ・ライン、第1企画部サブチーフ。

ひめ、うみ?
3文字目なんて読むんだこれ。
聞けばよかったな。





その日の夜。
僕は同居人たちを集め、改めてライブの計画について説明した。
納期なんなり日付関係がはっきりしてきたし、頃合だろう。

本来なら響子を紹介する予定で調整していたのだが、ちょうど法事が入ってしまって駆り出されているという。
聞けば、僕が知らせた南の里の爺さんのところだった。
かなり大規模な法事になるからどうしても抜けられないという。
亡くなってから1週間ほど経つはずだが、曜日の関係でこうなったらしい。
……もっと早く言えよ。

それはいいとして。

耳の早い同居人のこと、僕が説明するまでもなく大体の事情は把握していた。
さすがだ、みんな独自の情報網を持っているらしい。
多少の補足と最新の情報を付け加えるだけで済んでしまった。

既に雇うことが決まっている鳴子に加え、歌舞伎塚とリリカとユキエにもスタッフとして参加するよう取引をした。
鳴子と歌舞伎塚とユキエは警備班、リリカは受付だ。
チケットから半券を切り取ってもらう係。

役割がある、と思うと気合が入るらしい。
今日雇った3人も目がギラギラと輝きだした。
みんなこのイベントを自分の目的にどうつなげるかを計算しているのだろう。
主催が僕である以上、配置や時間帯に関してある程度の融通を効かせられる。
要望があるのなら遠慮なく言うといい。

「……」

いつか白蓮が言った言葉を思い出す。

『あなたには居ますか? 本気で困っている時になんの見返りもなく助けてくれる人が』

答えはNOだ。
僕の周りにそんな胡散臭い奴はいない。
だが白蓮、逆に聞こう。

お前の周りにいるか?
人が本気になっているときに、決して茶化さず隣を歩いてくれる奴が。
微塵の躊躇もなく全力を出して、野望を動機に協力できる悪党が。

なあ、どうなんだよ。

「……」

歌舞伎塚からは響子を起点に命蓮寺に自分を紹介してほしいという要望。
リリカからはこのイベントに携わったことを公にしたいという要望があった。
この2つはOK。

落語家を目指す歌舞伎塚としては、定期的に落語風の説法会を行っている命蓮寺と関係を持ちたいのだろう。
今度1度行ってみようかな、説法会。
リリカの方は1瞬意味がわからなかったが、こういう実績があると面接で有利だとか身も蓋もない事を言っていた。
あとお姉さん対策だとか。

そしてユキエからの要望はドタキャンの許可だった。
いかなる場合でも一方的に契約を白紙撤回できるようにしてほしいという。
冗談もほどほどにしろよと思ったが、給料は半額でいいと言うので5分の1にまで値切ってOKした。
鬼だ悪魔だ女の敵だと言われたが知った事ではない。

これにて同居人とは契約成立。
君たちの働きに期待しているよ。


そして最後の仕上げ。
皆を解散させた後、階段下の物置に赴き扉を開ける。
錆びついた蝶番が嫌な音を発するが、そんなものではこの眠り姫の安眠を妨げることはできないらしい。

「くかー」

相変わらず幸せそうに眠っている。
僕は垂れていた涎を拭いてあげながら、一方的にお願いすることにした。

「……留守番、頼むね」
「くこー」
「よろしく」

それだけ言って扉を閉める。
用は済んだ。





次の日。
本日も自分の仕事を済ませた僕は、ミスティアの営む屋台へと足を運んだ。
ちょっと時間を食ってしまったようで、僕が着いた時にはすでに待ち合わせの相手は到着していた。

「やあ響子、悪いね忙しい時期に」
「いえ、今日はまだ大丈夫な方でしたので」
「おせーんだよ、店開けちまうぞ」

ミスティアたちは普段、次のゲリラライブの日時や演目に関するミーティングをこの屋台で行っているのだそうだ。
と言っても他のお客さんは普通にいるし、当然ながらミスティアは仕事中。
だからほとんどの項目は響子が決めるらしい。
仕事終わってからゆっくり決めればいいものを、なぜわざわざ。
とも思ったが、このミーティング自体がゲリラライブの宣伝も兼ねているそうで、お客さんにそれとなく日時を伝えると同時に世間話のネタにして長居させて注文を促すというこすっからい算段があるのだと昨日聞いた。
涙ぐましい限りだ。

「あー、ホントにやんの?」
「何ビビってんだミスティア、他に当てがあるのか?」
「ないけどよ」
「それとも前に言ってたことは嘘か? たぶらかすんだろ?」
「わーったよ」

折り畳み式のイスとテーブルを1組出してもらい、僕と響子はそっちで待機。
あとは獲物がかかるのをじっと待つ。

卵が先かニワトリが先か。
それはわからないが、鳥獣戯画のファンクラブのメンバーとミスティアの屋台の常連はかなりの割合でかぶっているらしい。
開店してしばらくすると、ほぼ間違いなく誰かしら来るのだそうだ。
命蓮寺の説法会の常連がどうなのかまでは知らないが。

「リグルさん、今日はやけに気合入った服着てますね」
「ん? 1番いい奴着てきたよ、はったりも大事さ」
「そんなもんですか」

響子は特に興味もなさそうに、これまた安っぽそうなタバコを取り出して火をつけた。
喉に悪そうなことだ。

「そうだ響子、前から気になってたんだけどさ」
「はい?」
「君たちの歌って自分で作ったの?」
「あー、それはですね……」

手慣れた手つきでトントンと、響子が灰皿の縁を使って灰を落とす。
がきんちょのくせにタバコ吸う姿だけは妙に大人びて見えるのが不思議だ。

そんな響子が言うには、あの歌たちは外の世界の歌の替え歌なのだそうだ。
曲の方も演奏がギターしかないことに加え、ミスティアの技術でも演奏可能なようにレベルを落としているらしい。
パンクロックのラジオ番組を録音して練習していると言う。

「じゃあ、外来人が聞いたらわかっちゃう?」
「知ってる人だったら1発でわかっちゃいます」
「ふーむ」

それ自体はまあ仕方ないと思う。
妖怪に作詞作曲丸ごとさせるのは無謀だし、アレンジを掛けただけ上等か。
でもなぁ。

「1曲くらい、創れない?」
「……1からですか」
「0からだよ」
「……んむー、実を言うと挑戦したことはあるんですよ」
「結果は?」
「完成せずに投げ出しました」
「……気持ちはわかる」

でもなー、1曲くらい欲しいよね、オリジナル曲。
仮にもプロデビューなんて謳ってるんだから、全部カバー曲って訳にもいかないでしょ。

「我々の創造性の無さには毎度辟易いたします」
「壊すのが妖怪の本領だもん、仕方ないよ」
「うー、でも本当は『せめて1曲!』って気持ちもあるんですよ、ぜひやりたいです」
「……まあ本番まで時間はあるし、やってみる?」
「やりたいですね」
「といっても宣伝の収録とか演目のチラシとかあるから結構早く必要だよ、今年中、遅くても1月いっぱいが限度」
「了解です、金とれるレベルの物創って見せます」
「言ったな? 期待してるよ」
「うっす」

この間の命蓮寺とのやり取りで、僕はどちらかと言うと白蓮の説得を優先した。
2人同時は無理と言う判断と、響子ならまだフォローが楽だろうという思惑でだ。
正直やる気失くしてるんじゃないかと心配していたが、白蓮がいい具合に話していてくれたのだろう、未だ衰えることなく積極的だった。

そんなボーカルの態度に安堵していたら、ギターの方から声がかかる。

「おーい! プロデューサー!」
「……おっと」

どうやら釣れたらしい。
いつぞやの狼男がカウンター席からこちらを覗きこんでいるのが見えた。

「さーって」
【……楽しそうに】
「いくよ響子」
「はいなっ」

グシグシと火を消す響子を従え、ミスティアの元へと向かった。

狼男の隣に腰かけ、反対側の隣に響子を座らせる。
面識のある人でツイていた。

「やあ、久しぶりだね、また会えて光栄だよ」
「あ、ああ」

狼男の顔色は冴えない。
心配するな、とって食ったりはしないよ。

「今日はちょっとお願いがあってね、待たせてもらってたんだよ」
「む、『蟲屋さん』が何の用かな」

ミスティアと響子に見つめられて緊張でもしているのだろうか。
力は強そうだが、頭はそんなでもなさそうだ。
回りくどい言いかたは逆効果だろう。

「単刀直入に言おう、この度、鳥獣戯画がプロとしてデビューすることになったんだ」
【伎楽! 伎楽!】
「伎楽な」

あれ? そうだっけ?

「鳥獣伎楽のライブをやろうと思ってるんだけど、当日の設営スタッフを探してるんだよ、お兄さんやらない?」
「……プロデビューだと?」
「ああ、すでにステージは確保している、ラジオ出演も決定した、グッズはまだまだアイディア募集中だけどね」
「い、言い伝えは真であったか」
「言い伝え?」

狼狽する狼男が落ち着くのを待ち、事情を聴いてみた。
どうやら一部ですでに噂になっているようだった。
噂の出現時期から考えて、火元はリリカか鳴子のようだ。
リリカ→次女→その他の可能性が1番高そうだ。

「そんな訳で、どうしても一緒にライブを作ってくれる協力者が必要なんだ、経験者の君たちだったら安心して2人を任せられる」
「……」
「いつも来てくれてるハッピの人達いるでしょ、1度集められないかな、メンバーまでは把握してないんだ」
「あ、ああ、わかった、声をかけてみる」

頃合いと判断し、ミスティアの方に視線を向ける。
むこうも察してくれて、ニヤリと笑みを返してくれた。

「頼むよあんちゃん、こんな大事な役目を他の奴らに任せたくないんだ」
「……ミ、ミスティアちゃん!」

ちゃん付けで呼ぶな気持ち悪い。

「最初は一般公募しようって話だったんだけどさ、私がダダこねて曲げてもらったんだ、お前らとがいいってさ」
「…………っ」
「いきなりこんなこと頼まれても迷惑かもしんないけどさ、他に頼れる人、いや、頼りたい人がいなかったんだよ」
「……っ、お、俺は……俺たちは……」
「いつもありがとうな、これでも私ら嬉しかったんだぜ? いつも演奏聞きに来てくれてさ」
「……」
「これから鳥獣伎楽は1段高いステージに上る」
「……っああ、ああ、そうだとも」
「そこに、立ち会ってくれ」

とどめとばかりにミスティアはカウンター越しに狼男の両手を握る。
涙を流して打ち震える狼男の姿はあまり直視したいものではなかったが、今日ばかりは仕方がない。
ほんと、男なんてちょっと優しくすればイチコロね。

そして響子、引きつってないで笑え。
お前んところの住職がいつもやってることだろ。

「じゃああんちゃん、今度の週末にでも」
「今呼んでくる!」
「え?」
「ちょっと待っててくれミスティアちゃん!」
「お、おう」

それだけ言うと狼男は懐から紙の束の様なものを取り出し、妖力を込めて表面をなぞる。
すると、ザザザ……という音と共に、信号音の様なものが鳴った。
おい、まさか。

「こちらウルフ1、総員応答せよ、繰り返す、総員応答せよ!」
「つ、通信術式だとぉ!?」
「落ち着けリグル!」
「お前これどうやって作ったふざけんな!!」
「むう、放すんだ蟲屋さん!」
「リグルさん落ち着いて!」

こいつありえない!
僕が何か月かけてもできなかった術式を、なんでこんな薄ら馬鹿が!!

『ザザッ、こちらリンクス2、どうしたウルフ1、ライブの日程がわかったのか』
『こちらスネーク2、緊急回線なんて使いやがって、俺を叩き起こしてまで話す価値があることなんだろうな』
『こちらデュラハン1、応答するわ、日程がわかったのかしら? オーバー』
『こちらアンブレラ1、わちき今寝たとこなのに』
『こちらドラゴン1……』
……。

次々と聞こえてくるカス共の戯言を聞いている余裕は僕にはなかった。
お前それどうやって作った。
それともお前じゃないのか? 速やかに作った奴を教えろ。

「符号! 『言い伝えは真であった』! 繰り返す、『言い伝えは真であった』!」
『……』
『…………!』
『なにぃ!?』
『ウルフ1!! それは確かか!!』
『ひゃっほ―――!! 里デビューだ!!』
「たった今本人からそう聞いた! 間違いのない情報だ!」
『よくやったウルフ1! 同志に敬礼!』
『同志!』
『同志!!』
『ちくわ大明神』
『詳細を! 直ちに詳細を!』
『誰だ今の』
『全員集めろ! 総会だ!』
「手の空いている者は全員『みすち屋』へ集合されたし」
『……いや、ならん、流石に迷惑じゃわい』
『そうだ、プライベートには極力……』
「向こうから会場設営協力の打診があった、直ちに集合されたし」
『……マジで?』
『嘘だろ俺らが?』
『ウルフ1、それは確かか、聞き間違いではないか? 現実と願望を一緒にしてはならんぞ』
「本当だ、間違いない」
『でもウルフ1だぜ?』
『そうだな、奴には前科がある』
「な、馬鹿な! 今度こそ本当だ!」
『あーこりゃ、さっきのも怪しいな』
「ち、違う! 本当だ! 信じてくれ!」
『わ、わちきは信じるよ!』
「ありがとうアンブレラ1、君だけだ」

……。
死ねばいいのに。

「おいウルフ1、ちょっとそれ貸せ」
「あ、こら蟲屋さん」

「あー、あー、こちらリグル・ナイトバグ、鳥獣伎楽のプロデューサーである」
『……なんだと?』
『誰だって?』
『若者の家の?』
『森の愉快なやべー奴じゃん』
『誰だ君は』
「……蟲屋って言えばわかったりする?」
『なんだと?』
『響子様の言っていた……?』
『“蟲屋さん”……か?』
『おいおいおいおい誰だって?』
「この度鳥獣伎楽はプロデビューする運びとなった、ステージや機材は確保済みである、証拠を示そう」

ミスティアにパス。

「おーっす」
『……こ、この声は!!』
『間違いない!』
『ちょ、ちょっと待って、録音する!』

録音までできんのかこれ。

「ギターのミスティア・ローレライだ、プロデビューはガチの話で、協力者募集もガチな話だ……お前らが必要だ、頼む、力を貸してくれ」
『~~~!!』

うおおおおお! という声にならない声が紙の束から飛んでくる。
豚の悲鳴だってもう少し知性に富んでいるだろうに。

ギャーギャーと喚くカス共とミスティアのやり取りはしばらく続き、さらに響子にパス。
豚どもの叫び声が2倍の音量に膨れ上がるが、何故か響子はそれをそっくりそのまま山彦で返す。
きっと本能に勝てなかったのだろう。

僕は途中から耳を塞いでいたためによく聞こえなかったのだが、顔を赤らめる響子とは裏腹に、豚どもはそのファンサービスに酔いしれていたようだ。

「こちらウルフ1、通信を終わる」

ブツッという音と共に、持っている本人よりはるかに価値のある通信機が機能を停止した。
ちょっとそれ解析させて。
ミスティアにチューしていいから。

「よく聞き取れなかったんだけど、結局どうなったの?」
「うむ、流石に人数が多すぎるので場所を代えざるを得ないという結論に至った」
「そっか、じゃあ適当な所予約しておくよ、全部で何人?」
「40人だ」
「10人か、結構いるね」
「10人じゃない、40人だ」
「……なるほど、だからウルフなのか」
「俺はオオカミ少年ではない! ゲリラが故にいつも全員来れる訳ではないのだ!」
「……そう」

正直40人もいらない。
いらないが、誰を使うかで変にもめるのも嫌な感じだ。
全員に仕事を振るのは大変かもしれないが、全員巻き込むしかない。

というかもしかして。

「ねえウルフ1」
「俺には今泉影丸という名前が……まあウルフ1でいいが」
「河童って英語でなんて言うんだっけ」
「ウォーターインプ、あるいはKAPPA、そのままカッパーだ」
「カッパー1とかいる?」
「カッパーは8までいるぞ」
「……」

噂の出処はリリカじゃねえ、河城さんだ。
根拠はないけど、間違ってる気はしなかった。





で、だ。
響子にまたも無理を言い、2日連続で出張ってきてもらった。
白蓮はニコニコ顔だったらしいので特に問題は無いそうな。
たぶん先日の法事でだいぶ潤ったのだろう。
まあ、他人の不幸で飯食ってるのは僕も変わらないのでとやかく言う気はないけども。

40人分の酒とツマミは処理しきれないと悔しがっていたミスティアには悪いが、僕はあそこでやらなくて安心していた。
流石にみすち屋があんなのに囲まれる姿は見たくない。
気持ち悪い。

と言う訳で、本日はところ変わってふもとの里。
もし40人もの妖怪をぞろぞろ引き連れて東の里を歩こうものなら、奴らが完全武装で取り囲んでくるだろう。

でも、ここなら大丈夫。
山の妖怪が頻繁に出入りするこの里なら、これくらいの人数ものともしない。
自警団自体は居るけれど、それ以上に幻想郷で最も妖怪に寛容な里という看板は伊達じゃないのだ。

本日貸切、と札が掛けられた店に2人を連れて入り、他の連中が来るのを待つ。
ふむ、約束の時間の10分前に来たというのに、連中はまだ1人も来ていない。
てっきりすでに全員揃っていて、『1時間前から待ってました!』とか言い出すものかと思っていたのだが、拍子抜けである。

「ま、いいけどね」
「時間あってるよな」
「タバコ吸ってていいですかね」

店員さんも困惑している様子で3人しかいないテーブルに40人分の食事を用意していた。
……すっぽかされたか?
いやでも、妙な気配だけはするな。

そして10分後。
約束の時間と1秒もずれず連中は現れた。
現れたと言っても入口から入って来たのではない。
いきなり目の前に現れたのだ。

「……は?」
「うおお!?」
【うひゃあ!】

な、何が起きた。
ちょっと目を離した瞬間、いや、離したかどうかも自覚してないタイミング。
いきなり40人近い妖怪がしれっとテーブルに着いていた。
何が起きた。

やけに姿勢のいい連中が、驚愕する僕ら3人を見つめる。
そして。

「「「サプラーイズ!」」」

と馬鹿どもが一斉に親指を立てた。
死ね。
死んでしまえ。

「オプティカルカモフラ――――――ジュ!!」
「……か、河城さん?」
「ノンノン、ワターシはそんなビショージョ、知らないアルネー」
「……カッパーいくつですか?」
「カッパー3とお呼び!」

慌てたように火のついたタバコを握りつぶす響子のすぐ真横。
謎の仮面をつけた河城さんことカッパー3が透明な何かをマントのようにたなびかせていた。
よく見ると、マントをかぶったところだけ背景が透けて見える。
頭のいい馬鹿ってこういうことか。

「いつまで経ってもサインくれないから自分で貰いに来たよー」
「あ、そうでしたね、すいません河城さん」
「カッパー3とお呼び!」

フハハハハ、という謎の高笑いを残し、河城さんは自分の席へ戻っていった。
わかりましたよ、サインは後で手配します。

「驚いた!? ねえ驚いた!? いっただっきまーす!!」

と、遠くの方ででかい傘を掲げる仮面の少女は見覚えがあった。
この間鳴子が拾ってきた付喪神だ。
名前は忘れたが、元気にやっているようでなによりだ。

「よさないかアンブレラ1、行儀が悪いぞ!」
「座ってろ新入り!」
「げっふー、家主さんだけ大して驚いてないー」

満足げに腹をさすりながら、1人で食事を始めて終えた少女は、なんだろう、精神を食うタイプの妖怪なのか。
というか妖怪を食うな。

「こんばんは3人とも、せっかくだからサプライズしてみたぞ」
「1番驚いてるの店の人だよ、ていうか何その仮面」
「いろいろあるのだ!」
「……そう」

ウルフ1がそう力説する。
日頃から勉強熱心なこの僕も、気のふれた底辺妖怪の奇習にまでは明るくない。
きっと彼らには彼らなりの文化があるのだろう。
文明人たる僕からすれば異常としか取れない奇行でも、彼らにとっては大事な儀式なのだろう。
それは尊重しようと思った。
僕はなんて優しいんだろう。

【び、びっくりしたー】
「心臓止まるかと思ったぞ」

大いに驚いている2人を見て、カス共も満足したのだろう。
やいのやいのと笑い声が飛び交いながら、お互いのグラスにビールが注がれていく。

だが乾杯の前にやるべきことがある。
やあカス共、とか言わないように気を付けて。

「やあみんな、鳥獣伎楽のプロデューサーのリグル・ナイトバグだ、初めまして」

連中の汚い視線を一身に浴びながら、僕はもう何度目になるのかわからないライブについての説明を始めた。
かなり初期からのファンも多いらしく、本当にプロデビューすると知って涙まで流すものが出る始末だった。
でもまあ、終始一貫して静かに聞いてくれたのでそこは助かった。

給料が出せないという点は僕としてはかなり言い出し辛いところだったが、思い切って言ってみたら全然なんてことはなかった。
もともと好きでやってることだし、向こうも最初からそのつもりだったという。
馬鹿でよかった。
同居人ベースで考えてて損した。

世の妖怪みんながみんな僕らのようにガメツイわけではないのだ。
こいつらはどっちかっていうと、毎日適当に生きてるタイプ。
プロ意識、と言う点では一抹の不安が残るが、この際止む負えないとだいぶ前に腹をくくっていたはずだ。

代わりにここの飲み代を持たされることになったが、こちらも最初からそのつもりだったので問題なし。
飲み放題にしたから安いものだ。
40人分となると結構な額だが。

「そういう訳で、ライブっていうのは主演だけじゃない、みんなで作るものなんだ、よかったら協力をお願いするよ」

とりあえず一通りの説明を終わり、自分のグラスを持ち上げる。

「えー、グラスは持ったかなー? それじゃあ、ライブの成功を祈って、乾杯!」

かんぱーい! とみんなでグラスを掲げた。
さて、第2ラウンド。


ミスティアと響子に向けて全員に注いで回ってくるよう指示をだし、自分も出席していた知り合いの所に回ってくる。
よくお世話になる卸売り業者にコーラの相場について聞いて来たり、僕がある程度在庫を抱えていることをほのめかしたり。
あんまりライブには関係ないけど、こういうのも大事大事。

ざっと見た感じ、天狗はいない模様。
40人もいるのならノリのいい鴉天狗あたりが1人や2人混じっててもおかしくはないと思っていたが、よく考えたらあんな奴らがいたら勝手に取材とかしだして収拾がつかなくなるだろう。
こいつらは確かに気持ち悪いが、その辺の線引きだけはしっかりしている。

他にも何人かの知り合いや、お近づきになっておきたかった地域の顔役なんかの所にも足を運ぶ。
今日の主役はミスティア達なので仕事の話はほとんどできなかったが、顔を覚えてもらえるだけでも収穫だ。
みんな結構ミーハーなのね。

ふと2人の様子を見てみる。
ミスティアは流石、ビール注ぐのがうまい。
あの子が注いだグラスでは、完璧なまでの7:3でビールと泡がせめぎ合っていた。

対する響子はドへたくそだ、僕や鳴子と大差ない。
だが、懸命にお酌をする姿とライブ中の攻撃的な姿とのギャップが受けたらしく、違う意味で人気があった。
よしよし。

「よっすリグル君、飲んでるかい?」
「かわ……カッパー3じゃないですか、飲んでますとも」
「そっかそっか、ところで機材のことなんだけどもね」
「はいはい」
「この間こっそり集会場に忍び込んできたんだけどさ」
「……はいはい」
「特に問題なく付けられるよー、やったね」
「あ、そうでしたか、よかった」

よかったよかった。
これで1つ解決だ。

と、そこまで聞いて思い出した。

「河城さん、この中に音を操れる人とかいませんかね」
「あ、どうだろう、居るかも……カッパー3とお呼び!」
「……カッパー3」
「うむ、聞いてくるよ」

すっくと立ち上がってどこぞへと向かっていく河城さんに代わって、今度はまた違う人がやってきた。
仮面なんかつけたって丸わかりだ。

「やあクラウド1、毎度お世話になっております」
「私のコードネームがなぜわかった! さては響子が」
「違います」

一輪だった。
クラウドかホイールかで1瞬迷ったが、間違っていた時の失礼さ加減を計算してクラウドにしておいた。
雲使いだもの。

「一輪さんファンクラブだったんですか」
「んー、ホントは違うんだけどね、何故か私にも声がかかった」
「まあ、関係者ですしね」
「今日から君はホイール1だ! とか失礼なこと言われたからぶっ飛ばしちゃったよ」
「そんなことを言う奴がいたんですか、信じられませんね」
「でしょー? さすが蟲屋さん、わかってくれるって思ってたよ」

少し酒が入っているようだ。
普段よりだいぶ言動の砕けている一輪は僕の隣に腰を下ろすと、グラスを片手に僕の肩に手をまわしてくる。

「一輪さん?」
「ううー、蟲屋さん」
「何でしょう」

ミスティアに感づかれる前に離して欲しい。
後で機嫌取るのは僕なんだぞ。

「蟲屋さんってマジで女なんですかー」
「……そうです」
「こんなにかっこいいのに」
「……ありがとうございます」

などと言いながら一輪は僕の胸をふにふにと揉んでくる。
……いや、揉むほどは無い、皮膚がわずかに揺れるだけだ。
頼むからミスティアにばれる前に離してくれ。

「無いじゃん」
「悪かったですね」
「姐さんに半分くらい分けてもらいなよ」
「今更欲しいとは思いませんよ」
「……いーなー、その鋼の精神」

大げさです。

「一輪さんもそのうち悟りの境地に達せられますよ」
「私は結構あるもん!」

と、謎の逆切れを起こす一輪が上着を脱ぎ始めたところで僕の危機回避本能が警鐘を鳴らす。
こいつをこのままにしてはいけない。

「ちょ、ちょっとやめてください一輪さん!」
「ほら見ろよ! 揉めよ! なんで姐さんや馬鹿虎ばっかりあんなにたわわなのよー!」
「落ち着いてください一輪さん、いい加減にしないと今の姿を撮影して白蓮さんに密告しますよ」
「的確な脅しをするんじゃないわー!」
「わかりました! わかりましたから! 一輪さん巨乳ですから!!」
「ちくしょー、あの牛みたいな人間にも馬鹿にされるしー」
「はい?」
「何が遺伝だくそったれー!」

……その人知ってるかもしれない。

「へいへいねーちゃん、うちのプロデューサー困らせないでくんな」
「あうー、何よ! 持つ者にはわからないわよ!」
「秘訣を教えてやろう」
「……なによ」

急にしおらしくなりやがった。
というかミスティアは『持つ者』なのか。
基準がわからん。

「ちょっとこっちおいで」
「うー」

と、ミスティアは一輪を立たせると、店の外へと連れて行ってしまった。
冷たいお茶の入ったコップを持っていくことも忘れない。
慣れてやがる、酔っぱらいの扱いはお手の物か。

「ボス、大丈夫だった?」
「ああ、大丈夫……あれぇ?」
「あ、どうもゴースト3です」
「……1と2は?」
「聞きたい?」
「いや、いいや」

リリカだった。
気付かなかったぞ、どこにいた。

「今来たとこなの、今日買い出し当番だったから」
「ああ、そうだっけ」
「ボスの注文の卵安かったよー、底値で買えた」
「そりゃよかった」

「あれだよ、この間ケーキ食べながら話してたじゃん、ゲリラライブの話」
「ああ、発端の時のか」
「うん、あのとき私もライブ見に行ってたんだけどさ、ミスティアのとこに行こうとしたらここの人たちに止められちゃってさー」

僕も止められたよ。
ウルフ1に。

「そしたら自発的にやってるファンクラブだっていうからさ、なんかそういうのかっこいいなー、と思って入会しちゃった」
「そっかー、かっこいいもんねー」
「あう、全然そんな事思ってなさそう」
「ミスティア達と比べれば、そりゃね」
「まあ、そうだけどさ」
「歌舞伎塚とかいないだろうね」
「んーん、他のみんなはいないよ」
「……よかった」

本当によかった。
歌舞伎塚がこいつらに交じって『響子様ー』とか言ってる姿を見たら僕はきっとショックで塞ぎ込むだろう。

「さって、僕ももう少し回ってくるかね」
「ボスはどっしり構えてた方がいいんじゃないの?」
「……そうかな」
「うん」

んー、今までずっと自分で営業してたから、こういう時は持ち回りが基本だったんだよね。
でもそうか、今日は2人がいるから僕はあんまり動かない方がいいのかもしれない。
なんか偉くなった気分だ。

「そうだね、今日はおとなしくしてるよ」
「うへへ、ボス独り占めー」
「よしよし」


リリカを侍らせながらも周囲をよく観察し、何かありそうなところにだけ顔を出した。
ちなみにリリカんちの次女がいたが無視した。

この連中から何かしらのアイディアでももらえないかと少しばかり期待していたが、そんな淡い期待は5分で砕け散る。
たまに何か出てきたかと思っても、とてもじゃないが現実的とは呼べない机上の空論ばかりだ。
まあいい。
その程度の奴らだと割り切ろう。

その後ファンクラブ会員の名簿と通信用の符をもらい、響子が酔っぱらって脱ぎ始めたところでお開きとなった。
命蓮寺は酔うと脱ぐ奴ばっかりか。

河城さんに頼んで守矢神社のお守りを貸してもらい、店員に見せて会計を3割引きにしてもらう。
ここはお守り3割引きが有効な紅魔館系列の店なのだ。
あんまりこういう事をしたくなかったが、額が額なため仕方がない。
削れる経費は削るべき。

それにしても気色の悪い仮面武道会だった。
僕が目指す晩餐会は断じてこのようなものではない。
と、思いたい。

ミスティアと響子に手を振らせている間、僕は去っていくファンクラブの連中を眺めていた。
個々の能力はこの際問わない。
業務の内容は会場設営と撤去と案内と警備、人が余ってるのでグッズの販売員にまで何人か回せる。

いいこと考えた。
彼らにはグッズを1セットプレゼントしよう。
だがそれは売りに出すグッズじゃない、スタッフしか手に入らない、非売品をだ。
河城さんがそういうの好きだし、きっと他の連中も好きだろう。

「あの、大将」
「……ん?」

手帳にそんなことをメモっていたら、後ろから肩を叩かれた。

なんだろうかと振り返れば、ファンクラブのメンバーの何人かが暗い顔をして立っていた。
ていうか大将って僕の事か。

「えーっと、君は確か」
「デュラハン1よ、こっちはリンクス1で向こうがカッパー2と5と6、それであっちがビーンウォッシャー1」

なんだビーンなんとかって。
小豆洗いのおっちゃんじゃないか。

「……そう、どうかした?」

恐らくこのメンツの代表として来たのであろう怪人赤マントが、逆立てた襟で口元を隠しながら申し訳なさそうに目を逸らした。
後ろに控えている連中も似たようなものだ、何か言い辛そうにもじもじしている。
まあ、なんとなくわかっちゃったけどさ。

「大将、ごちそうになっておいて悪いんだけど……」
「参加できそうにない?」
「……ええ、すまない」

せめてもの誠意の表れなのか、仮面を外してデュラハン1は謝ってくる。

全然かまわない。
事前にちゃんと不参加の旨を伝えてくれるんなら、僕としては何の問題もないさ。
もともと自由参加のつもりだし。

「わかったよ、こっちこそ無理言って悪かったね」
「いや、その、なんて言うか、人と一緒に行動するの苦手で……っていうか普段人間に紛れて暮らしてて、ばれたら、その」
「ふーん? 他にはいないかな、不参加の人」
「あ、どうかしら、手近にいたのはこれだけだったけど」
「悪いんだけど、そっちで不参加の人聞いといてくれないかな、僕が聞いたら言い出せない人とかいそうだし」
「……わかった、聞いてみる」
「うん、ありがとう」

本当は全員に役割と仕事を与えたかった。
たとえそれが不参加の人であろうと、たとえそれがコミュ症の人であろうと。

普段から名義だけのメンバーなのか。
向こうも協力はしたくても恥ずかしくてできないとか、そもそも人と距離を取ることが必要な妖怪だったりとかいろいろあるのだろう。
その辺は考慮するさ、妖怪だもの。

なんだかんだとあったけど。

スタッフの問題、解決。





となると次は衣装だ。
防音に関してはもうちょっと待ちで。

衣装に関しては幻想郷内に当てはない。
紅魔館に輸入してもらう他ないだろう。
あんまり高額なようだったら普段使ってるやつでもいいとは思う。
あれはミスティアの自作らしいし。


と言う訳で、やってきました紅魔館。

今回はレミリアさんではなく美鈴さんが目的だ。
輸入品の管理やらなんやらは彼女が担当している。

思うのだが、他の組織を訪れる時と比べて紅魔館では目的の人物が異なることが多い気がする。

魔法の触媒提供や読書目的ならパチュリーさん。
輸入品関係の時は美鈴さん。
魔界の蟲や対人交渉術のことを知りたいときは小悪魔さん。
そしてライブみたいな大事の時や、人生相談したいときはレミリアさん。

みんなそれぞれ、何かのスペシャリストだ。
流石は紅魔館。
その人材は一流ぞろいか。

「高いぞ?」
「何桁ですか?」

ちょうど門番中だった美鈴さんに聞いてみたところ、本格的な衣装はやっぱりお値段が張るらしい。
正直ピンキリだと踏んでいたので、多少安物でも構いやしないといったところだ。

「高いのは6桁」
「トップアーティスト用ってやつですか」
「そういうのは7桁」
「またまた」
「年末番組のすげー奴は9桁」
「8桁はどこに行きました」

9桁って億じゃん。

「5桁で2着って言うとやっぱり安物になっちゃいますか」
「買おうとしたらな、レンタルだったらワンランク上のもんが手に入る」
「おお」

衣装のレンタルか、外の人間は考えることが違う。
元手の損耗も少ない上に、需要もある。
なんか応用できないかな。

「でもまあ、裏技もある」
「裏技……自作とかですか?」
「惜しいな、衣装じゃなくて、普段着をそれっぽく改造するんだ」
「改造……」

改造か、外の世界での衣服の価値は、それこそ本当にピンからキリまでありえないほどの種類があるらしい。
材質もデザインもほとんど変わらないものが、方や10万円、方や500円で売られていると以前耳にした。
それを改造か。
うまくできる自信がないな。
ミスティアたちならできるだろうか、あるいはファンクラブの中に手芸得意な人とか。

「専門知識とかって要りそうですよね」
「知識よりセンスだな、だがジャンルがパンクロックって所はお前に有利だ」
「はい?」
「適当に切り裂いて重ね着するだけでそれっぽく見える」
「いえ、なんでパンクロックって知ってるんですか?」
「……」

レミリアさんにも言ってないのに。

「……いや、あのな?」
「ああ、聞いたことあるんですね、切り株でのゲリラライブ」
「あ、ああ、そうなんだ、1回だけな」
「……ドラゴン1」

ピクッ、と美鈴さんが反応した。
ファンクラブ会員名簿に載っていたからもしやと思ったがビンゴのようだ。
あれには仮名しか書いてないのだが、なんとなくわかるものだ。

それにしても、しまったとでも言うように頬を赤らめる美鈴さんはいつぞやの犬走さん並みに可愛らしい。
僕、結構年上好きなのかもしれない。
歌舞伎塚とかレミリアさんとか。
あと神奈子さんとか。

あれ? 8割がた女性じゃね?

「やめろお前言いふらしたら殺す」
「わかりました天下の紅魔館の実力者がアイドルにお熱とか決して誰にも言いません、ところで2人のライブ用の衣装を探しているのですが」
「……悪魔かてめーは」
「よく言われます、ところで当日のメイクも探しているのですが」
「小悪魔かてめーは」
「それはあまり言われません」

なんという事だろう、懸命に頑張る僕の姿に感銘を受けた美鈴さんが、その厚意から衣装一式とメイク道具一式を無償提供してくれることとなった。
持つべきものは気前のいい友人と幅広い情報網である。

「地獄に落ちろ」
「考えておきます」

衣装解決。
ついでにメイク道具ゲット。
今までで一番簡単に解決した。





12月も中盤に差し掛かり、里はすっかりクリスマスムード1色に染まっている。
近年まれにみるレベルの寒波が幻想郷を襲っているにもかかわらず、人間は元気なことだ。
虫の妖怪である僕は寒いのがかなり苦手なので、正直見ているだけで背筋が凍る。

寒すぎて害虫回収サービスの依頼は無く、蟲の知らせサービスも精度が若干落ちる。
その辺は契約時に説明しているし、契約書にも明記されているので今のところ苦情は無い。
季節には勝てないのだよ。

それでもついにパチュリーさんに依頼されていたヤンバルテナガコガネの死骸が300g集まった。
今日は美鈴さんが2人に衣装を合わせてくれる日だったので、ついでに渡しに行こうと思う。

響子が1人で紅魔館に行くのは嫌だと言うので、一旦家で待ち合わせてから一緒に行くことにした。
同居人に紹介もしたかったのだが、あいにくリリカしかいない。
眠り姫すらどこかへ消えていた。
あの人たまにいなくなるのだ。

試しにゴースト3だよと紹介してみるも、特に面白いリアクションを返してはくれなかった。
ボケ殺しである。


殺気丸出しの美鈴さんに案内され、『Dressing room』と書かれた部屋に入る。
初めて入る部屋だ。
中には大きなクローゼットがいくつも立ち並び、カーテンで仕切られた一角には衣装籠や姿見が設置されている。

僕の後ろをビクビク震えながら付いてくる2人を前方に押しやり、美鈴さんに差し出す。

「……おいガキども」
「は、はい!」
【ぴぃ!】

美鈴さんの眼光は完全に極道のそれである。
実際の職業も似たようなものかもしれないが。

「どっちからだ」
「……私からだ」
「そんな、ミスティア……」
「達者でな響子、お前といられた数か月、楽しかったぜ」
「ミスティア……ミスティア……!」
「漫才はいいから早く来い」
「「はーい」」

余裕じゃねーか。

安心しろ2人とも。
その人は善人でもなんでもないけど、立派な大人だから。

「じゃあ僕はちょっとパチュリーさんの所に行ってくるから」
「え? ちょっと待ってよ1人にしないで」
「響子がいるだろ」
「ダメダメダメダメ、この家んなかでお前とはぐれたくない!」
「えー?」

さしもの肝っ玉駄雀でも吸血鬼の一味は怖いらしい。
そして響子、どこにもいかないから無言でしがみ付かないでくれ。

「わかったわかった、待ってるから」
「お、おう」

「……買い物に付き合わされてる彼氏かてめーは」


ミスティアの着替えが終わるまで、近くの椅子に座って待つことにした。
響子を膝の上に乗せ、耳をもふもふして遊ぶこと数分。
試着用のスペースから零れてくる布の擦れる音が途切れた。
お色直しは済んだらしい。

「ど、どうよ」
「…………とってもよく似合ってるよ」
【デートじゃねえんだよ】

冗談はさておき。
なんだかんだ言いつつ美鈴さんは変にケチったりしないでくれたようで、ミスティアが持っているような物とはだいぶグレードの違う衣装を仕入れてくれていた。

赤を基調とした拘束具のようなデザインはさすが中国4000年のセンスといったところだが、服だけでなく髑髏を象った髪留めやベルトみたいなリストバンド、そしてゴツイ編上げのブーツなんかも細部までコケティッシュでバイオレンスでそれでいてアグレッシブだった。
つまり良いんだか悪いんだかよくわからない。

「あれはどうなんだ響子」
「すっごいよミスティア! 最高っ!」
「だよな! だよな! こんないいもんもらっちゃってほんとにいいの!?」
「……なりゆきでな、サイズ合っててよかった」

どうやらお気に召したらしい。
まあよかったよかった。

「じゃあ次はお前な」
「はーい」

さっきまで震えていたくせに、急に元気になった響子がカーテンの向こう側へと消えていく。
ミスティアも緊張が解けたらしく、こちら側にも常備されている姿見の前でくるくる回って遊んでいた。
お前ら散々怯えてたくせに、順応早いな。

「あら、あなたはもっと早かったでしょう?」
「……ご無沙汰しております、レミリアさん」

いつの間に来たのか、この館の主が僕の隣に腰かけていた。
息遣いも聞こえそうなほどの距離だというのに、声を掛けられるまで気が付かないとは不覚だ。
この手の気配には、敏感だと自負してたのに。

「レベルが違うわ」
「お恥ずかしい限りです、ところで今日はお仕事で外に行かれていると伺っていたのですが」
「今さっき帰ってきたところよ、昼間に起きてると眠いわ」
「お察しします」

ちなみに今、真昼間。

「うおおおっ!!? 吸血鬼ぃ!?」
「こ、こらっ、やめないかミスティア!」
「うふふふ」

羽を全開にして飛び退く駄雀だったが、レミリアさんはさして機嫌を損ねることもなくミスティアを見つめていた。
流石は夜の王、器がデカい。

「妖怪は怖がられるから妖怪なのよ、こっちにいらっしゃい小鳥さん」
「うううぅぅ……」

割と本気で怯えるミスティアだが、正直無理もないとは思う。
むしろこの人の前でヘラヘラしている僕が異常な命知らずなのだ。

「レミリアさん、あー、あいつはですね……」
「あらあら、嫌われちゃったわね」
「すみません」

当のレミリアさんは特に気にした様子もなく、届かない足をぶらぶらさせて暇そうにするばかりだった。
子供っぽい仕草なのに、この人がやると妙に決まって見える。

「おい、どうした早く出ろ」
【あうううう、い、今、吸血鬼って……】
「……ここをどこだと思ってんだよ」

「あら、終わったかしら」
「みたいですね」

いいからはよ出て来い。

「ど、どうも」
「あらあら、可愛らしい子ね、食べちゃいたいくらい」
「ふひぃ!」
「あんま苛めんなよお嬢」

ミスティアとは対象に黒っぽい薄手な衣装の響子は、服装とは裏腹に全力でビクついている。

大きく髑髏がプリントされたTシャツにフリルのスカートってのは、すごくピカレスク的なダイナミズムというか、外っぽいセンスな気がした。
ミスティアとおそろいの髪留めもたぶん似合っているのだろう。
やっぱりよくわからない。

「うふふふ、ただいま美鈴」
「はいはいおかえりおかえり、おい虫けら」
「なんですか? ブルース・リー」
「……おらメイク道具だ、持ってけ」
「おっと」
「ボーナス前借する羽目になっちまったよ」

投げてよこしたその救急箱みたいなカバンは結構重く、ちょっと開けてみると見たこともないような道具が山ほど入っているのが見えた。
どうやって使うんだこれ。

「使い方は小悪魔に聞け、パチュリーでもいけると思うが、あいつにやらせるともれなくAV女優みたいなメイクになる」
「ありがとうございます」
「ねえねえちょっと2人とも並んで並んで!」

あ、レミリアさんがなんかテンション高い。
これまたいつの間に準備したのか、大げさなサイズのカメラを片手に2人を誘導している。
そして顔面全体を引きつらせながら並ぶ2人にポーズをとらせ、パシャパシャと撮影を始めてしまった。

「ほらほらもっと笑ってー、そうそう、可愛いわ」
「……」

さて、僕も用意するか。
持ってきていたバッグを開き、中から1眼レフのバズーカ砲みたいなカメラを取り出す。

「あんじゃそりゃ」
「知人からの借りものです」

河城さんに『ネガは差し上げます』と言ったら喜んで貸してくれた。
ファンサービスだ。

「よーっし、お前らもう笑うのはいいから少し挑発的なポーズとれ」
「あら、素敵ね」
「……リグル、お前まで」
【勘弁してください】
「次もっとセクシーなのちょうだいな」
「ミスティア足開きすぎだ、響子目線こっち」
「あらー、素敵よー」

「……何の玄人だお前ら」

パシャパシャと絶え間なく続くシャッター音の中。
そんな美鈴さんのぼやきは、聞こえなかったことにした。





衣装とメイク道具を持たせたミスティア達を先に帰らせる。
メイク道具に関しては響子が使い方わかると言うので任せることに。

そろそろ寝るというレミリアさんと庭の手入れをしてくるという美鈴さんに別れを告げ、僕は1人図書館へ。
撮影会に夢中で忘れるところだった。

「パチュリーさん」
「………………あら」

お目当ての人はいつもの場所でいつものように読書に没頭していた。
この人は人生の何割をここで過ごすのだろうか。

「……まあ、5割は越えるでしょうね」
「そうでしたか」

僕のどうでもいいモノローグに返事をするパチュリーさんに、竹製の籠を手渡した。
中には例のブツが収められている。

「お待たせいたしました、ヤンバルテナガコガネ300gです」
「あら、待っていたわ」

パチュリーさんは読んでいた本を閉じ、両手でケースを受け取る。
何に使うのかはわからないが、せめて有効活用してほしい所だ。

「ええ、問題ない品質だわ、ご苦労様」
「ありがとうございます」

これでパチュリーさんから依頼されている物はすべて納めてしまった。
特に追加で必要なものも無いと言うので、しばらく依頼はなさそうだ。
あっても冬なのですぐできるかどうかわからないが。

「……パチュリーさん、パチュリーさんって音関係の魔法とか御存知だったりします?」
「音? えっちな気分にさせる奴とか?」
「……いえ」

あのむさくるしい愚民どもは結局何の役にも立たなかった。
唯一得られた情報は音を消し去る妖精がいる、という事のみ。
一応調べてみたが、自分の周りの音を消せるだけで騒音対策とは程遠い。

白蓮もやはり畑が違う様で、だいぶ前にこの図書館で写本させてもらった魔道書を提供しても全くわからなかったそうだ。

他にも考えられるところには片っ端からあたってみたがどうにもならず、結局パチュリーさんを頼ることになってしまった。
アリスさんと売り上げの8%で鳥獣伎楽人形の版権の契約ができたのはよかったのだが。

「という訳でして」
「あるわよ、ズバリそのままそういう魔法」

即答だった。
格が違った。

「結構簡単だからあなたにもできるわよ、手取り足取り教えてあげる」

しかも結構簡単らしかった。
僕だって自分でやろうとしたけど全然わからなかったのに。

「本で読むよりわかる人に教えてもらう方がいくらか楽よ」
「よろしくお願いします」
「で、あなたは代わりに何をくれるのかしら」
「そのコガネムシ無料でいいです」
「領収書は?」
「……言い値で切ります」
「いいでしょう」

パチュリーさんはにんまり笑ってコガネムシを机の上に置いた。
最近、鬼だとか悪魔だとかよく言われるけど、この人にだけは遠く及ばないんだろうなと思う僕であった。

「まあ、そんな事より」
「はい?」

そう言ってパチュリーさんが立ち上がる。
この人の立っている姿を見るのは何か月ぶりだろうか。

「えい」
「おっと」
「えいえいえい」
「おっとっとっと」

パチュリーさんが僕を押す。
何が何だかわからずズルズルと後ろに下がってしまうが、後ろにあった何かに足を取られ、転びそうになってしまう。

慌ててバランスを取ろうとするもパチュリーさんが飛び込んできて、結局2人してすっ転ぶ。
パチュリーさんに怪我をさせるわけにはいかなかったため何とか抱き留めたが、背中にぶつかった柔らかな感触に驚き思わず手を離してしまった。

なんだ? これ。

「あら積極的ね」
「……」

……。
なんか弾力があってスベスベしててなんとなく平面的で枕があって……。

Bed?

「いやあのちょっとパチュリーさん」
「んー? 魔女の寝室に忍び込んで何もせずに帰る気?」
「忍び込んでない上にここ寝室じゃあ……ってあれぇ?」

高くまで積まれている本棚がいつの間にか消え去り、代わりに星空を模したような薄暗い照明が天井から僕らを照らしている。
首をひねって周りを見てみても、さっきまであった机やら燭台やらはどこへ行ったのか、クローゼットやドレッサーなどの普通の家具が置いてあるばかりだった。

「図書館狭くなりましたね」
「ふふふふふふ」

ていうか別の部屋だった。
嘘だろ?

「く、空間転送?」
「ちょっと違うわ、制限付き」
「図書館直通ですか」
「ベッド直行よ」

パチンとパチュリーさんが指を鳴らせば、どこからともなくムーディーな音楽が流れてくる。
同時に漂う甘い香り。

「……っ!!」

慌てて鼻と口をふさぐ。

「大丈夫、変な薬じゃないわ」
「……本当でしょうね」
「そんなのつまらないもの」
「……」

よく見るとこの部屋、外に続くドアがない。
ドア自体はあるが奥に見えるのはたぶんシャワールームかなにかだろう。
要するに出入りするにはパチュリーさんの魔法じゃないと無理ということだ。
どうやら最近ご無沙汰らしいこのエロ魔法使いは、のこのこやってきた獲物を手放すつもりは無いようだった。

「マジすか」
「うふふふふ―――召喚ッ」

ちょろっと魔力と開放したかと思ったら1瞬の出来事。
大小さまざまな無数の触手がベッドを、というか僕を取り囲んでいた。

「……とうとう呪文もなくなりましたか」
「さぁさぁ、生の喜びを確かめ合いましょう?」
「性の悦びですか……」

うわぁ、と思いながら触手を見てみると、ジュルジュルと卑猥な音を立てながら透明な粘液を垂れ流していた。
あれで僕をどうする気だ。

その無骨な触手たちは獲物を狙う蛇のようにベッドの上を這い進み、パチュリーさんを避けるようにそのぬらぬらとした体を僕に擦り付けてきた。
衣服の中にまで侵入してきたそれは、器用に僕のジーンズの留め金を外す。
下着が露わになった腰の上で鎌首をもたげるように狙いを定めるその触手は、見せつけるかのようにその口を大きく開いて粘液を…………って。

「パチュリーさん」
「うふふふ、緊張しないの、すぐによくなるわ」
「パチュリーさんってば」
「あなたもすぐにこの快楽の虜、一緒に堕ちましょう?」
「……これ男性用じゃないですか?」
「さあ、目くるめく……あら?」

僕に絡みついてきた触手は、何かしらを咥えこむためにあるのであろうそのご自慢のヒダヒダな口をパクパクさせながら、困ったようにキョロキョロと僕の下腹部を見回している。
どこに目が付いているのかは知らないが、どんなに探したってテメーの望むもんはねーよ。

周囲の触手たちも動揺が隠しきれない様子で、互いに顔(?)を見合わせては信じられないといったように絶句していた。
死ね。
絶滅しろ。

「あらごめんなさいこれメンズだったわ」
「メンズ!? これメンズとかレディースとかって言い方するんですか!?」
「するわよー、昔はレディースしか需要なかったんだけどね、最近はこっちも人気があるの」
「そうですか、僕の紛らわしさは専門家すら騙されるレベルなんですね」
「そうねー、100人の女の中からでもニューハーフを見抜くって豪語してたのに、がっかりだわ」

その言葉でプライドを打ち砕かれたのか、触手どもはへなへなとその場にへたり込むと光とともに還元されていってしまった。
そのまま滅べ。

「ま、いいわ、次はちゃんとオシベな触手で鳴かせてあげる」
「…………触手よりパチュリーさんの身体の方がいいです」
「あらそう? 触手気持ちいいのに」
「ヌルヌルよりスベスベの肌を堪能したいです」

苦肉の策であった。
傷は浅い方がいいと思うんだ。

「んー? しょうがないわねー、で・も」
「……はい」
「すぅぐにぐちょぐちょになっちゃうわ、あなたのでね」
「お、お手柔らかに」

舌なめずりしながらワキワキと指先を動かすパチュリーさんを見て思う。
サキュバスって実在したんだ。





中略♡





「……」

半死半生の体で紅魔館から帰還する。
体中の水分が抜け出てしまっていて、まっすぐ歩くことすらままならない。
今魔理沙に襲われたらアウトかも知れなかった。

「……」

もうお嫁に行けない。
もともと行けるとも思ってなかったけど。

それにしても、と時計を見る。
どうやら6時間近く絡み合っていたようだった。
蛇じゃねえんだから。

「……」

パチュリーさんはすごかった。
僕だって健康な若い女なのであって、たまに自分でなんちゃらかんちゃらすることもないわけじゃないが、あの人は何かが違う。
それは知識か経験か。
自分があんな声を出すだなんて知りたくなかった。

「……ただいま」

やっとの思いで家までたどり着く。
手を洗う気力もない。
それにシャワーは向こうで散々浴びた。

とにかく水分が不足していたため水道水をがぶ飲みする、本当は沸かしてから飲んだ方がいいのだが、そんな余裕はない。
お腹を壊さないことを願うばかりだ。

身体がだるくて仕方がない、階段を上がる気力すらないためソファで一眠りしようと居間へ。
誰かいると思ったらミスティアと歌舞伎塚だった。

いくつもの小さな木片を積み上げた塔から、ミスティアが真剣な表情でそのうちの1つを引き抜こうとしている。
歌舞伎塚も歌舞伎塚で事の成り行きを息をのんで見守っていた。
ジェンガかい。

下段の真ん中抜きを敢行しているチャレンジャーな駄雀の邪魔をしないように、大回りしてソファへ向かう。

「……む?」

ミスティアが何かつぶやいたかと思ったら、何を思ったか抜きかけていたジェンガを摘まんだまま横にスライド、塔が大きくバランスを崩す。
『ああああっ』という歌舞伎塚の情けない悲鳴を意にも介さず、ミスティアが僕の方に近づいて来た。

「……? ただいま」
「……」

崩れ落ちる歌舞伎塚とジェンガは目に入っていない様子で、木片の1つを手に持ったままのミスティアは僕の胸元に顔を近づけるとフンフンと鼻を鳴らし始めた。
なんだ、スズメからイヌにキャラ替えか?

「……むう」
「どうしたのミスティア」
「女の匂いがする」
「……」
「……」
「………………あ゛あ゛?」

気が付いた時には身体が動いていた。

ライブ関係のプレッシャー、ラジオ塔での身分の差、リリカの姉、愚民ども、そして今日の淫魔。
さまざまなストレスを抱えながらもえっちらおっちらやってきた僕だったが、その一言で限界を超えた。

ザ・ラストストロー。

限界まで荷物を載せたラクダは、最後は藁1本で潰れるのだ。
女の匂いがするじゃねーよ。
産まれた時からずっとするだろうがよ。

「おごうっ!」

まず目の前の無防備な駄雀の鳩尾にとび膝をたたき込み、身体がくの字に折れたところで上から首筋に手刀。
上方向に意識を向けさせた刹那に足を払い、後頭部を打ち付けないように最後の理性で手を添えた。
そのまま流れるような動きで腕ひしぎ逆十字固めをかけて、右腕を完全にホールドする。
僕が天井を仰ぐと同時に、ミスティアの手から離れたジェンガが乾いた音を立てて床を打った。

「あぎぎぎぎぎぎっ!」
「あ、ゴメンつい」
「いだだだだだだ、は、離せ離せー!」
「悪かったよミスティア、でも離したら怒られるんだろ?」
「うぐぐぐぐぐ、おこっ……るけど、今ならまだやり直せる! ビンタで済む……!」
「デコピンにならない?」
「値切ろうとすんなボケェ!」

ビンタどころかグーで殴られたが、鼻血も出なかったため軽傷と言える。
気合を入れてもらったことで階段を上がれるようになった僕は、今度こそ自分のベッドに倒れ込んだ。

あー疲れた。

最後のは完全に余計だった。





起きたら朝だった。

「……」

昼行性の生き物だったらそれは当然のことなのだろうが、僕にとっては寝坊である。

「…………」

糞寒い中何とか起きだし、ヒリヒリする身体に鞭を打ちながら手帳を開く。

「……」

危ねえ、昨日は予定なかったみたいだ。

というかしばらく仕事がなかった。
来週に農家で害虫回収するくらい。
農家関係の所はかなり大規模なので、他所でちまちまやるよりよっぽど稼げる上客だ。

それはいいとして、今日はどうするか。
ご新規さん開拓に精を出すのもいいのだけれど、しかしながらライブのことを除いてもこれ以上はあんまり労働時間を増やしたくない。
虫の知らせサービスは幻想郷中の蟲を遣って完全にオートでこなしているのでいくら増えても平気だが、害虫回収の方は僕が出向かないといけない。
何らかの方法で同じことをできる人も探せばいるとは思うけれど、いたとしてもほんの数人だろう。

商売をするときは人間のいないところでやるか、人間にできないことをするか。
妖怪の商売人の鉄則だったが、事業を拡大しにくいという点では考え物だ。
その点レミリアさんと神奈子さんのコンビはさすが。
輸入だとかラジオだとか、あんなもの別の意味で誰も真似できない。

「よっこらせ」

気合を入れてベッドから降りる。
普段あまり使っていない筋肉を使ったためか、股関節あたりがピリピリと痛む。

騒音問題に関しては一応の光明が見えたと言えなくもないけれど、やっぱり不安だ。
それでも現状これ以上にできることもないため、頭を切り替えて次に進まなければならない。


さて次はまたラジオ塔にでも行ってカセットテープの販売について打診でもしてこようかなーと思っていたら、ミスティアから苦情が入った。

最近、取材目的の鴉天狗が屋台に詰めかけて来て商売にならないという。
勇気あるファンクラブの連中が天狗相手に注意をしてくれることもあるらしいのだが、まるで相手にされないようだ。
それどころか取材の邪魔だと殴られて怪我をする者まで出ていたそうだ。

さらに響子の所にも同様の被害があったらしく、説法会が開催されている最中に控室に侵入して響子を張るという妖怪としての神経を疑う行為すら平然と行っているらしかった。
これまたたまたま居合わせたファンクラブの連中が逃走する響子を保護してくれたようで事なきを得たのだが、逆切れした天狗によって1名が重傷、数名が軽傷を負い、さらにその時使っていた集会場の一部が損壊するという事件にまで発展していた。

里での暴挙にも関わらず、その天狗が『破損の原因は他の妖怪によるもの』と主張し、山ではこれが全面的に認められたためその天狗は御咎めなしとなったという。

カスだの豚だのと散々連中を侮蔑してきた僕であったが、この時ばかりは彼らの行動に敬意を抱き、それを踏みにじる鴉天狗に義憤の炎を燃やすばかりであった。

被害はファンクラブの連中が集まった飲み会の直後くらいから始まっていたらしい。
どこかから情報が漏れたか、あるいはラジオ塔のスタッフから伝わったか。

何でそれをもっと早く言わなかったんだと思わず声を荒げてしまったのは不覚だったが、響子から言わないでくれと頼まれていたらしかった。
僕に余計な負担を掛けたくないと、命蓮寺はおろかファンクラブの連中にまで口止めしていたらしい。

それでも、それだけだったらまだ説得の余地があるようにも思えたのだが、つい昨日。
紅魔館から帰る途中だった響子を鴉天狗数名が白昼堂々に拉致するという事件が発生した。

暴行目的ではなかったことだけは救いだったが、長時間に渡って監禁され、質問攻めにされたという。
それも奴らお得意の誘導尋問に近いやり方で、だ。

僕とミスティアは命蓮寺に帰ったと思い、白蓮はまだ紅魔館に居るものだと思っていた。
それが発見を遅らせた。

響子は向こうの取材という名の尋問に対して一切の回答をせずひたすら黙秘を守ったと言うが、その時の精神的なショックのためか、一切の声が出せないようになってしまったという。

医者は心因性で一時的な事だと言っていたらしいが、山彦である響子にとってこの事実がどれほどの苦痛かは僕には想像することもできない。

本当は昨日の段階で話すつもりだったらしいが、あまりにも衰弱した僕を見て報告を遅らせたのだという。
ジェンガに興じていたのも、何かしてないと殴り込みに行ってしまいそうだったからだと。

「……」

僕はきちんと場所と時間を取って取材の会見を開くつもりだった。
その為の台本や、質疑応答の回答まで万全に用意していたのだ。

だがその気は失せた。

潰す。

絶対に潰す。

そうでなくては、何の為に僕がいるのかわからない。


さしあたって僕はすぐに命蓮寺へ飛んでいき、白蓮さんはもとより命蓮寺のメンバー全員に頭を下げて回った。
向こうとしても怒りの矛先は天狗たちに向いており、この件に関しては僕に責任は無いと言ってくれた。
リスク云々で突っつかれると思ったが、それほどでもなかった。
実際問題ちゃんと命蓮寺まで送って行かなかった僕にも責任がある筈なのだが、相手が天狗では結果は変わらなかったと思っているのかもしれない。

次にファンクラブの連中を緊急招集、同様に頭を下げた。
命蓮寺同様僕を責める声が上がることはなく、連中はただただ天狗の非常識を憎むばかりであった。
重傷を負った1名も命に別状はなく、名誉の負傷だと笑い飛ばしていたことにも救われた。

そしたらまずは正攻法。
天狗の親玉に直談判である。

妖力をまき散らしながら山に侵入したため、犬走さんを始めとした白狼天狗数名が何事かと飛んでくる。
僕でなかったらその場で拘束されていたことだろう。

白狼天狗たちに事情を『詳しく』説明し、天魔へとお目通りを願う。
謁見申請自体は出させてもらえたが、5分もせずに不受理となった。
天魔の意向とかじゃない、受け付けてすらもらえない。

どういう事だと文句を言ったが、下等な三下妖怪風情が謁見を行うなど1000年早いと言われ、窓口となっていた鴉天狗に目の前で申請書を破り捨てられた。

歯を食いしばりすぎて奥歯が折れたが、心配ない、またすぐ生えてくる。

込み上げる殺意を抑え込み、何とか受付から背を向けた瞬間、目の前に修羅を見た。

いい加減我慢の限界に来ていたのだろう。
付き添ってくれていた数名の白狼が受付の鴉天狗に斬りかかり、その両の羽を引きちぎるという暴挙に出てしまった。
誇り高き白狼天狗は自身に対する処遇よりも友人への侮蔑の方が許せない、と返り血に濡れた犬走さんが言っていた。

幻想郷史上初の白狼天狗によるテロリズムに対し、天魔の回答は沈黙。
揉み消す気だった。

しかし、なかったことになんかさせてたまるか。
僕はレミリアさんに事の次第を説明し、レミリアさん経由で神奈子さんにまで話を届ける。
天魔の管理不行き届きという名目の元、神奈子さんが本気を出した。

その数日後に行われた山での査問会に証人として出席し、僕が見たままの状況、それに至るまでの経緯、事の発端等を証言した。
正直、共犯として裁かれる可能性すらあったが、一介の妖怪に天狗が傷付けられるわけがないという『鴉天狗側の』主張で僕は不起訴確定。
馬鹿かこいつら。

最終的には管理者まで出てくるほどの大事になってしまい、途中からは完全に事態が僕の手を離れてしまっていた。

しかしながら紅魔館と守矢神社という2大勢力が味方に付いてくれたのが大きかった。
もちろん心情的な理由ではない。
天魔の失脚を狙う神奈子さんと、鴉天狗自体の勢いを削いでおきたかったレミリアさんとで利害が完全に一致したのだ。
天狗うぜぇ、は僕らの合言葉。

結果、天魔は辞任とまではいかなかったがその権利の大部分を神奈子さんに寝取られ、拉致に関わった鴉天狗たちは謹慎処分に加えて里での活動を当面の間禁止された。

僕に、というか響子に賠償金が出るという話だったが、そんな事より白狼天狗を無罪にして欲しいという本人の頼みに神奈子さんがいたく感激したふりをして、無罪とまではいかなかったが降格と減俸処分にとどまることとなった、白狼天狗が減って神奈子さんが得することはない。

WIN-WINである。

僕に対する迷惑料という形で神奈子さんが個人的にいくらか握らせてくれたのは、単なるおまけだろう。
僕に対する情報料という形でレミリアさんが個人的にいくらか握らせてくれたのも、単なるおまけだろう。
パチュリーさんの頭に5段重ねのタンコブがあったのは、何かの冗談だろう。


「という訳で、落とし前は付けさせたよ、響子」
「お、おいっす」

まさかここまでのことになるとは思っていなかったのだろう。

このセンセーショナルな事件に対して、他の鴉天狗たちは是非とも記事にしたいようだったが、自分も二の舞になっては堪らないと自粛していた。
が、僕の方は全然かまわない、バンバン記事にしてほしい。
ということで僕の方から鴉天狗どもに情報を売りに行った、向こうも懲りていなければ、僕も懲りていない。

鳥獣伎楽の名前を出すことを条件に取材を積極的に受け、幾ばくかのギャラをもらうと同時にタダで宣伝まで行えた。
何種類かの新聞で『鳥獣戯画』と書いてあったがご愛嬌。

記事の内容は仲間の鴉天狗の非常識よりも山の政権交代未遂と白狼天狗の反乱に焦点を当てたものがほとんどで、その原因の一端に僕の名前を出すものだから僕の画策で天魔が追いつめられたみたいにも読めてしまうが、まあいいや。
どうせ天狗の新聞なんて、誰も信じてないし。

同居人、命蓮寺、ファンクラブ、取引先、自警団、霧雨魔理沙、それら知人友人宿敵たちに腫物に触れるように扱われたが、『こいつを怒らせてはいけない』という認識は妖怪にとって最上級の名誉である。

小銭が手に入った上に、しばらく仕事になりそうもない。
そういう訳で自宅の特等席であるソファに腰かけて、上物のウォッカを楽しむ日々を何日か堪能した。
折れた奥歯に染みやがる。

ざまあみやがれ。





「リグル、私はな、こう、みんなで力を合わせて懲らしめる的な展開を想像していた訳よ」
「猿蟹合戦じゃないんだよ、火に油注ぐだけさ」
「だからって管理者巻き込んで法的に叩くとか少年漫画の主人公のやることじゃねーぞ」
「残念ながら僕らが生きてる世界は紛れもなくR-18指定の青年コミックなんだよ」
「じゃあエロい展開は期待していいんだなー?」
「触手でいい?」
「触手はちょっと」

そんな年の瀬。

朝食の準備に精を出すミスティアと鳴子を心の中で応援しながら通信術式の解析を行っていたら、台所の方から『カラン』という音が聞こえた。
直後に響く鳴子の悲鳴。

「ちょ、ちょっとリグっさん!」
「んー? 何かこぼしちゃった?」
「て、天狗、天狗が外に!」
「……何天狗?」
「…………白狼です」

じゃあ大丈夫か。

通信機を片付け、客人の来訪を待つ。
本当はもっと早く来ると思っていたのだけれど、例の査問会のせいで遅れたのだろう。

「失礼します」
「どうぞ」

遠慮がちなノックののち、菅笠をかぶった長身の白狼天狗が現れる。
犬走さんではなかった。
なんで菅笠なんか、と思ったが外を覗いてびっくり。
雪だった。
道理で馬鹿に冷えると。

中に入るよう促すが丁寧に辞され、天狗は逆に僕についてきてほしいと言う。

「お忙しいようでしたら、出直しますが」
「いえ、仕度したらすぐ行きます」

ミスティアと鳴子に留守を頼み、カバン1つ持って妖怪の山へ。

「神奈子様がお呼びです、なかなか剣呑な雰囲気でしたが、今度はいったい何をなさったので?」
「……」
「ナイトバグさん?」
「んー、言って良いのやら悪いのやら」
「……いえ、やはり結構です」

たぶん、あの事だろう。


途中で案内を巫女さんと交代され、守矢神社の本殿に通される
いつかチラッとだけ寄った居間を通り過ぎてさらに奥。
簡素な事務机と椅子だけの、神社自体の立派さとは不釣り合いなほどこじんまりとした部屋へ通された。

「よお、寒い中すまんな」
「どうも」

勧められるままに椅子にかけさせてもらい、巫女さんに出してもらったお茶に手を付ける。
うん、熱すぎずぬるすぎずちょうどいい。

「まずな、例の裁判がらみの結果だが」
「はい」
「喜べ、白狼天狗の管轄が完全に我に移った」
「そいつぁすげえや!」
「……」
「……なんでもないです」

すべった。
しかし、白狼がまさか神奈子さんサイドに移るとは。
流石にそこまでは想定していなかった。

「これで白狼は組織的に完全に独立したことになる、少なくとも建前上は山伏や鴉と対等よ、確執は深まりそうだがな」
「……以前も建前上は対等だったと聞きましたが」
「まあな、本来なら全員天魔率いる大天狗の指揮下だったはずだが、いろいろあって現状のような状況が何世紀にもわたって続いていたのだ」

スケールの大きな話だ。
それとも神奈子さんからすれば、つい先日レベルの感覚なのだろうか。

「という訳でだな、お主に天狗を貸すという話もだいぶ簡単になった、1人と言わず2、3人持ってくか?」
「…………いえ、1人で十分です」
「そうか、こういう時だけ慎重だな」

僕は、天狗というものを雇って使ったことなんてない。
お客さんにしたことは多々あっても、どう指示を出せば効果的かなんて考えたこともない。
レミリアさんや神奈子さんみたいな立場に『頼む』という形ならともかく。
『使う』というのなら、白狼天狗は少々強大すぎる。

「ただ、よろしければ指名させてください」
「犬走のとこの娘だったか、いいだろう」
「ありがとうございます」

それに他のメンツともよく話をして連携を取って欲しい。
2人も3人もいたら、きっと白狼だけで固まってしまうだろうから。

だから、1人でいい。

「まあ、他にも色々と有利な条約を呑ませられた、大義であった」
「とんでもない、タダでラジオを使わせていただける事へのほんのささやかなお礼です」
「よう言うわ、ほぼ偶然のくせして」
「『偶然』に食らいついて離さないのが商売人です」
「うむ、よい心がけだ」

どちらかというと大暴れした白狼天狗の方が大儀だった気もするけれど、引き金を引かせたのはたぶん僕だ。
罪な女である。
でもちょっとやり過ぎじゃないかとも思う。
レミリアさんや管理者が噛んでる以上、滅多な事にはならないだろうけど。

「そういう訳でな、我はお主に対して結構な評価をしておるのだよ」
「ありがとうございます」
「最初こそなんだこのジャリンコめがとも思っておったがな」
「……えー」
「だからこそだ、お主だからこそ今日呼びだした」

ああ、本題に入るのか。
大丈夫、うまくいくさ。
一応保険もかけてあるし。

「リグルよ、こいつはなんだ?」
「……」

神奈子さんは1枚の書類をとりだす。
それは慈善事業を旨とする非営利団体の設立に関する申請書だった。

「申請書ですね、代表者は聖白蓮となっています、活動内容は孤児の保護・保育、および……」
「うむ、そしてこれは?」

と言ってまた別の紙を取り出す。

「こっちは僕のやつですね、興行のための事業設立の申請書です」

僕が普段やっているのは探偵業と清掃業、そして魔法触媒と食品の小売業だ。
小規模だったら卸売りもできる。
虫の知らせサービスが何にあたるのかわからず役所の窓口で頭をひねった挙句、窓口の人も困惑したまま『強いて言えばコレ?』と言って探偵になったことが懐かしい。

だがライブ活動に関しては、このいずれにも該当しない。
という訳で、新たな事業を設立するため山に申請書を出していた。

この手の申請はどこに住んでいる妖怪でも山が一括で管理することになっているため、弱小妖怪だからといって突っ返されることは無い。
逆にこれをしないと後で何言われるかわからない。

「うむ、別に書類に不備があったわけではない」
「そうですか」
「だが、不思議なことにな、受け付けた担当者が言うにはこの書類両方ともお主が持ってきたと言っておる」
「そうです、白蓮が山に持っていくの気まずいと言うので代理で持っていきました、ちゃんと代理申請の許可もとってますよ」
「書類に不備はないと言っておろう、というか慈善団体なんて存在することを初めて知ったぞ」
「大昔にはあったみたいですけどね、全部潰れてしまったみたいで規約だけそのまま残っていたらしいです」

「うむ、だが気になるのだ、この慈善事業、財源はどうなっているのかとな」
「……それは、白蓮が気にすることです」
「『もしかして』と我は勘ぐってしまうよ、幽谷響子を借りる代わりに、売り上げの一部をここに寄付する気ではないのかとな」
「それはなにか、問題でも?」
「我はな、お主の態度だとか言葉遣いだとか、普段の商売で偶然のように波及して被る不利益に関してはとやかく言うつもりはないのだ」
「言葉遣いに関しては申し訳ありません、僕の勉強不足です」

でも商売での不利益なんて、何がどう転がって誰が損するかなんて事前にわかるわけがない。
何らかの影響で損害を被ったとしても、それは本人の予防措置が甘かっただけだ。
いくら神奈子さん相手でも、そこまで考慮することなんてできないし、するつもりもない。

「いや、だから気にしてはおらんのだ、不慮のものならな」
「不慮なら、ですか」
「我は思うのだ、いくらあの薄ら馬鹿でも、お主に向かって恵まれない子供を賄うだけの金銭を寄越せなどと言い出すわけがない、と」
「……」
「おまけにお主がそれを呑むわけがないとな、そんなもん呑むくらいなら幽谷響子を強奪した方がまだ楽であろう」
「せめて引き抜きって言ってください」
「我はまたも勘ぐってしまったよ、もしやこれ、お主が持ちかけたのではないかとな」
「……だとしたら、なにか?」
「なにかではない」

神奈子さんの手が伸びる。
その手に頭を掴まれ、強引に視線を合わせられた。
蛇のような瞳が、容赦なく僕を睨みつけてくる。

「お前これ、我の信仰が減るとは思わなかったのか?」

不機嫌そうにギリギリと歯を軋ませるその音が、そのまま僕の寿命をすり減らしてくるように思えた。

「お主でなければ無言で握り潰しているところだ、だが今すぐこれをひっこめるというのなら、1度だけ見なかったことにしてもいい」

神奈子さんの口調には容赦がない。
心して答えないと、物理的な意味で握りつぶされてしまうだろう。

天狗だって逃げ出すようなプレッシャーの中、それでも僕は無理して笑った。

「申し訳ありません神奈子さん、僕はこの件に関して2つほど仮定のまま動いていました、返答の前に、それを確認させてくださいませんでしょうか」
「……いいだろう、特別だぞ」
「ありがとうございます」

とりあえず頭を放してもらい、では、と僕は1度言葉を切る。
ライブを興すに当たって、越えねばならない最後の一線。
これさえ越えてしまえば、後は自警団や出店だとかの消化試合だけだ。

正念場だった。

「『神様にとって信仰とはどんなものでしょう?』、それはほんのわずかでも1瞬たりとも減るのは嫌なのでしょうか、それとも状況に応じて別の何かと交換できるものなのでしょうか」
「……なに?」

前者だったらアウト、おとなしく引き下がろう。
白蓮には他の方法を提示する必要があるが、何とかするしかない。
でも後者だったら、あるいは……

「……そうだな、信仰は金銭ではない、だが正直考えたこともなかったが、損して得取るなんて真似が信仰にも当てはまるかどうかというのはちと気になるな」

あ、これダメっぽい。
前者っぽい。
まずったな、引き上げよう。

「……いや、うん、未来の100より目の前の1を取り続けてきた我だが、その考え方は新鮮だ、我の発想も幅が広がるかもしれん」

なんだか言葉を選んでくれているようだったが、要するにそんなやり方はしていないという事らしかった。
やっぱり諦めて他の方法を検討しよう。
ロスカットは早めがいい。

「……だから言うだけ言ってみい、検討くらいはしてやろう」

なるほど、言わせるだけ言わせて断るつもりらしい。
これだったら頭から無下にするよりも口当たりはまろやかだという配慮かもしれなかった。

やっぱり神奈子さんは優しいな。
でもそんな神奈子さんの時間をこれ以上割くわけにはいかない。
やはり僕の浅知恵程度では無理があったのだ。
速やかにお暇しよう。

「いいからはよ続き」
「はーい」
「……この野郎」
「では2つ目『恵まれない子供たちは神奈子さんを信仰していますか?』、他の方に聞いたのですが、神様は自分を信仰しているかどうか感覚できるそうじゃないですか、僕は勝手に神奈子さんを信仰してるのは何らかの戦いに身を置く人か、3割引きに釣られてきた人だと思っていたのですが」

2つ目の確認事項に、神奈子さんは少し考えてから答えてくれた。

「その感覚できるというのは事実だが、そんなに具体的なものでもない、だが、確かに我を信仰するのは勝利の女神を必要とする者がメイン、その日暮らしで残飯を漁る子供が我を信仰してるかと言われればそんなでもないかもしれんな」
「あ、やっぱり客層が違いますか」
「客層て……まあ、『力ある者に喝采を』がウチのキャッチフレーズ故に、そういうのは他所の神が担当しておる」
「縄張り的なものですか」
「縄張りと言うか役割と言った方が自然か、『神道』という括りでなら全人類をカバーできるが、そのうちの戦については我担当、勉強についてはあいつ担当、というのが八百万よ、まあたまに役割が重なることもあるがな、例えば我が豊穣神でもあることとか」
「全知全能じゃないんですよね」
「そういうのは一神教のやり方であろう」

まあ、こちらに関してはそんなところだろうと踏んでいたのであんまり心配はしていなかった。
ではでは、この2つを前程に、こんなプランはいかかでしょうか。

「こちらをご覧ください」
「うむ? なんか見たことあるな」

カバンから取り出したのは1冊の本。
何年か前にレミリアさんから譲ってもらった、幻想郷の法規集。
外で言うところの六法全書だ。

「……?」
「神奈子さんは先ほど慈善団体の存在を知らなかったと仰いましたが、この団体は結構な免税処置が取られていることもご存じなかったでしょうか」
「ああ、知らなんだ」
「では、活動実績に応じて援助金が出ることも?」
「……まあな」

ペラペラと法規集をめくり、団体設立に関するページを開く。
そして開いた状態のまま、神奈子さんの方に差し出した。

「その活動実績を、監査する存在が必要ということも?」
「……どこよ」

ここです、と言ってページ内のある個所を示す。
そこには。

「えー、『乙に対してはその活動実績に応じ、管理者はその資金的援助を行うものとする』……」
「その次です」
「『尚、活動実績については管理者または管理者の指名する第三者機関により認めるものとする』…………ってお主これ」
「うへへへ」

その声に、思わず口元を押さえてしまった。
きっと今僕はとてもとても気持ち悪く笑っていることだろう。
わかっちゃいても、吊り上る口角というものは抑えられるものじゃない。

「いるじゃあないですか、ちょうど最近八雲様の御公務を代行しているところが、神奈子さんのすぐ近くに」
「……ふはっ」
「命蓮寺は今崖っぷちですからね、この機に積極的に乗り出すでしょう」

白蓮は人を集めるだろう。
その為のレールは敷いてある。

他の寺と合併し、その敷地を使って慈善事業。
あの女のことだ、好き勝手な教育を施すに違いない。

その子らの信仰はもちろん、その活動に賛同する人も出てきてもおかしくない。
それに従順に仕上げた若い女を金に換えれば、それだけで結構な額にもなる。
軌道にさえ乗れば、かなりおいしい商売だ。

だが、人を養うにはとにかくばく大な費用が必要になる。
ちょっとやそっとの寄付金なんて、あっという間に消し飛ぶだろう。
ある程度の人数を囲わなければ、命蓮寺としても効果がないのだから。

だから、最終的には費用が援助金頼りになったとしても不思議は無い。
ならなきゃ僕がまたちょっかい出すだけだ。

じゃあ、その生命線でもある援助金。
これの額を好き勝手に決められるとしたら?

「その監査役、紅魔館にできませんかね、神奈子さん」
「お主、これ自分で考えたのか」
「僕からの貢物です、お受け取りください」
「うっは」

下を向いて表情を隠す神奈子さん。
しかし、クスクスという笑い声が隠しきれていない辺り、ツボに入ったのだろう。

そうでなくては困る。
目の上のたんこぶである命蓮寺の首根っこを、間接的にとはいえ抑え込めるのだから。

正直不確定事項も多々あるのだが、そこは神奈子さん、軍神の手腕に期待しよう。
この程度のおぜん立てでも、きっとプラスにしてくれるだろう。

「うひひひひひひひひ」
「笑い方が怖いですよ」
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
「笑い方が下品ですよ」

まあいいや。
ヒーヒー言いながら目じりを拭う神奈子さんの態度からして、これは純粋に面白がっているだけだろう。
的外れな事をほざいている馬鹿を嘲笑っている感じは無い。

ああよかった、今度はすべらなかった。
ちょっと心配してただけに、安心した。

「まさかこう来るとは思わなんだ、越後屋、お主も悪よのう」
「はい? えちごや?」
「そういう時はな? 御代官様こそ、と答えるのだ」
「……御代官様こそ」
「うむ」

よくわからなかったが、神奈子さんがご機嫌なのでまあいいや。

「監査役か、我はあり得んとして、うまく紅魔館にできればいいがな」
「バランス論者っぽいところありますし、『天魔』ということもあり得そうですが」
「天魔ならまだ交渉のカードがある、だが白玉楼だったらちと面倒かもな」

まあ、その辺はどう転んでも神奈子さん任せになるだろう。
僕がどうこうできるレベルの話じゃないし。

「うむ、後はスイッチ1つでいつでも潰せるようにできれば十分だ」
「何でしたら適当に妖怪寄越して食わせちゃいますよ、妖怪寺ですから妖怪の孤児だって引き取らないとおかしいですし、嫌がったとしてもスポンサーの僕がねじ込みます」
「うむ、身内で共食いしたら最高のスキャンダルだな、瞬殺できる」

いっそ潰れてしまっても全然かまわない。
命蓮寺が無くなれば、そこの人材は取り放題。
響子とナズーリンさんは僕がもらう。

「ナズーリンはダメだ!!」
「うわっ、なんですかいきなり」
「いいか、ナズーリンは我の物だ、絶対に手を出すな、いいな、我のだぞ」
「……わかりましたよ、でも響子は渡しませんよ」
「それはいい、他は興味ない」

……まあいいや、もしもの話だ。
捕らぬ狸の皮算用もいい所だった。

「しかしまー、うむ、いいだろう、この申請書は通しておこう、向こうが成功し過ぎんよう、潰れぬよう、良きに計らえ」
「かしこまりました」
「頼りにしておる」
「ありがとうございます」
「そこは礼よりも『恐縮です』か『恐れ入ります』と言うべきだ」
「あ、恐縮です」
「うむ」


そんな軍神による日本語講座はさておき、他に神奈子さんに言う事があったような気がして僕は手帳を開く。
なんか忘れてる気がする。

「あ、これか」
「ん? どうした小僧」

だれが小僧か。

「神奈子さん、講演会で集会所使う時って、河童の銃器ってどうしてます?」
「うん?」
「あそこ危険物の持ち込み禁止なので河童のマシンガンとか持ち込めないはずなんですが」
「……え?」
「いや『え?』でなく、どこかに預けてたりしてるんじゃないんですか?」
「…………え? ウソ、ダメなの?」
「……なんてこった」

どうやら知らなかったらしい。
となると集会所の持ち主も把握してなかったということに。

「……ちょっと待っててくれる?」
「あ、はい」

なんか口調がいつもと違うが、青い顔をして去っていく神奈子さんはなかなかにレアだと思う。
今度誰かに自慢しよう。

数分後、出て行った時以上に青い顔で戻ってきた神奈子さんは、僕の対面に座るや否や。

「……………………やっべー」
「……とんだスキャンダルですね」
「全然気にしてなかった、よく気付いたなお主」
「よーし、天魔に教えて僕の株上げてきちゃうぞー」
「やめてくれ頼むから!」

おおう、思ってた以上にいい反応をしてくれた。

「お前ホント、ホント頼むから」
「わかりましたわかりました誰にも言いません、ケケケケケケ」
「顔がっ、顔が悪魔のようになっておるぞ!」
「ところでこの問題、神奈子さんに丸投げしていいですか?」
「あ、ああ、任せておけ、年明けまでに何とかする!」
「ところで鳥獣伎楽のカセットテープ売りたいんですけど」
「わかったわかった協力するから!」

偶然とは誰の上にも降ってくる。
でも、それを掴めるかどうかは本人次第。

商売人たる者、食らいついたら離さない。
神をも脅す僕であった。

……脅されに来たのに。





現在新曲を作成中だということを神奈子さんに説明し、レコーディングや宣伝番組の収録は2月の頭くらいで話を進めておくこととなった。

越えるべき大きな壁はこれですべて越えきった。
後に残るのは大したことないものか、最悪越えなくてもいいものだけだ。

だけなのだが。
その最悪越えなくてもいいものの内1つについて、どうやら越えられないらしいということが判明した。

「駄雀ー、膝枕ー」
「どーしたいきなり、私はそんな安易なデレは望んでねーぞ」
「……お前意外に高尚だね」

自宅の居間で相方に甘えつつ、僕は手帳をパタムと閉じる。
順調かと言われれば、どちらかというと順調なのだが、なんというか、かんというか。

「融資下りないー」
「ぶっ……おまっ、今更それかよ!」

遅くなっちゃったけど事業計画書を作って持って行ったのだ、天狗の銀行とレミリアさんの所に。
ついでに神奈子さんの所にも。

天狗の銀行はまあ、鴉天狗だし、期待してなかったけど。
レミリアさんはいけると思ったのだ、前に1度太陽の丘で養蜂をやろうとしたときにも出資してくれたりしたし。
潰れちゃったけど一応黒は出したし。
そういう実績があるため、今回だって勝算はあるはず。
でもダメだという。

何でダメなのかと問うと、表向きは『収益が確実じゃないから』と言われた。
でもたぶんレミリアさん的には、僕が降りかかるトラブルをどう解決したかが知りたいわけで、いちいち金をばらまいて解決しました、じゃあ面白くないというのが本音だろう。

神奈子さんは『出る杭は伸びる』とか言って投資したがっていたが、レミリアさんに止められて泣く泣く断念したと言っていた。
たぶんラジオ塔のスポンサーだから頭が上がらないのだろう。
意外な力関係があるのであった。

「でも実は平気だったりー」
「平気なのかよ、金あんの?」
「あれ売る」
「んー?」

僕が指さした方にあるのは山積みにされたコーラとサイダーの箱。
現在の末端価格は400~420円ほど。
それでも結構売れている。
でもあくまでこれは末端価格、現在まとまった金が要るのでどこかの小売業に卸すしかない。
グッズや他の費用を考えると単価150~200円くらいで500本ずつも売れれば十分だ。
それプラス貯金で何とかなる。

「もっとバブるかと思ったけどそうでもなかった、みんな冷静だね」
「バブるってなんだよ動詞かよ、うちにも10本ずつくらい譲って欲しいんだけど」
「んー? ミスティアだったら200円でいーよ」
「……結構すんな」
「よそじゃ絶対もっと高いよ、そもそも手に入んないでしょ」
「足元見やがって」
「……11本買ったら1本サービスするよ」
「え? ホント?」

無邪気に喜ぶ駄雀をあやしつつ、僕はファンクラブ御用達の通信機を使って小売りをやっている妖怪何名かに連絡を取った。
あんまりこの術式を関係ない事に使うなと注意されたが、それはそれとして買いはするらしい。

もしかして妖怪でこの在庫抱えてるの僕だけなんじゃなかろうか。
そいつらのニュアンスから察するに、そんな気がした。
高く売れるかもしれない。

それはいいとして、いや、よくないけど。

高く売るのも結構なのだが、安く買うことも忘れてはいけない。
今年も今日で終わりだし、大掃除と並行して年末の買い出しに行かねばならない。
年内の家事はリリカに押し付けるとは言ったが、流石に大掃除くらいは参加するさ。

じゃんけんで負けた僕と歌舞伎塚の2人で編成された買い出し部隊は、三が日分の食糧を買い込むべく東の里へとやって来ていた。
歌舞伎塚と手分けして買う物を見繕っていると、例によって例の如く例の奴らが現れる。

今日はいつもより遅かった気がする。
奴らも年末で忙しいのだろうか。

「やあ、自警団」
「……気軽に挨拶するんじゃない」

左手に包帯を巻いたいつぞやの隊長格の男が、数人の部下を連れて歩いていた。
僕はともかく見た目イカツイ歌舞伎塚にも平気で絡んでくるあたり度胸が据わっている。

「大晦日だってのに大変だね」
「貴様らがいなくなれば楽になるんだがな」
「じゃあ楽にしてやるよ、外に出ろ」
「買い物終わったらな」

どうやら彼らも買い出しに来ていただけらしかった。
餅を買い占める彼らはもう気分が正月モードに入っているらしく、無駄にてきぱきと指示を出しながら効率的にみかんの良し悪しを目利きしている。
本当に無駄だ。

「リグル、餅はこれだけでいいか……なんだそいつらは」
「僕のファンだよ」
「……ミスティアより多そうだな、刺されないように気をつけろ」
「それちょっと面白い」
「そうか」

奥に行っていた歌舞伎塚が戻ってきた。
微妙に機嫌のよくなったのをいいことにそのまま荷物持ちまで頼んでしまうかと思ったが、その前にふと思い出す。
自警団にこの間の話の結果を聞かないと。

「あー、なんつったっけコレ、なんとか塚……落語、漫才、能……」
「落語塚だよ」
「歌舞伎塚だ」
「どっちでもいいが、里で問題起こすんじゃねーぞ」
「……ああ」

生意気な人間にも控えめに答える歌舞伎塚だった。
まあ、確かにそんなこと言われても答えに困るけどさ。

「ねえ、この間の話考えてくれた?」
「は?」
「ライブのけいび……じゃなくて見張ってるってやつ」
「……誰がやるか、どうせ馬鹿に乱入されてめちゃくちゃになるのがオチだろ」
「えー?」

男はにべもない。
まあ、僕としては積極的に邪魔さえしなければそれでいいんだけど。
それにうちにはミーハーなカス共が40人もいるから頭数は足りている。

「くははははは! 振られてやんのバーカバーカ」
「……うわぁ」
「あ? 何お前目ぇ逸らしてんの? もっと私を見ろよ、もっと私を見つめろよ」
「見るに堪える顔かよ」
「死ね」

殴られた。

というか気が付いたらいた。
積極的に邪魔しそうなやつ筆頭が。
お前も買い物か魔理沙。

気のせいか自警団の連中までもが渋い顔をしてる気がする。
全方面的に嫌われてんなお前。

「デカブツまで居やがって、さては1人で買い物できねーんだろ」
「実はそうだ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」

歌舞伎塚の不意打ちに3人揃って顔を見上げる。
僕と自警団は『なに言ってんだこいつ』。
魔理沙は『お前に言ったんじゃねーよ』。
だと思う。

「面白くなかったか」
「……僕にはちょっと難しかったかな」
「なんだこいつ」
「つまんねーよ、お前センスねーわ」

とりあえず魔理沙は殴った。

「痛ってー! あにすんだテメー!」
「今のはビンタの流れだよ」
「グーだったじゃねーか! やんのかコラ!」
「死ぬのはお前だけだよ?」

「お、俺のせいか……」
「……さあな」

ゼロ距離でガンを付けあう僕らを、残りの2人が冷めた目で見ていた。

目の前にあった魔理沙の唇を無理やり奪い、舌を噛まれて突き飛ばされるまでのコントのような流れをざっと済ませ、僕と歌舞伎塚は店を出た。
辺りに唾を吐きまくる魔理沙が店主に怒られる様は愉快だった。

買い物を済ませた僕らは、特に寄り道することもなく家へを向かう。
数日分の食料は結構重かったが無理して片手で持ち、もう片方の腕を歌舞伎塚に絡ませる。
ラブラブである。

「歩きにくいぞ」
「酔っちゃった」
「……一滴も飲んでなかろうが」

シナを作って上目づかいで顔を覗きこむという僕なりの精一杯の色気をぶつけてみるも、歌舞伎塚は僕の方を見てすらいない。
現在進行形でそのたくましい腕に僕の胸を押し付けたりもしているのだが、こちらの方は気付いてもいないのかもしれない。
……慣れないことはするもんじゃないな。

「お前がああいうマネをするとは」
「もっと寄せて上げれば僕だってきっと」
「魔理沙にしたことだ、お前相手が女でもよくなったのか」
「……なんか最近気にならなくなってきたよ」
「鳴子とリリカを侍らす姿が様になって来たわけだ」
「そのうちミスティアと響子に代わるよ」
「……響子ちゃんか」

ちゃん付けはよせ。

「……話を聞く限り、あまり寺でうまく行っていないように思えるのだが」
「んー、かーもねー」
「いや、寺そのものがうまくいっていないのか?」
「ぶっちゃけそれもある、正直あそこはこれから沈む一方だよ、仮に盛り返せたとしても現状以上なんて考えらんない」
「そうか」

スルリと歌舞伎塚の腕を離す。
いい加減片手で荷物持つのが辛くなってきた。

「どうする? 1月の終わりくらいなら時間空くらしいから、その辺で調整しようと思ってたんだけど」
「……? 何をだ?」
「お前を紹介するって話、響子経由で」
「ああ、そうだったな、しかしなあ、どうもあまりいい噂を聞かないんだ」
「ぶっちゃけ響子無視して白蓮に直の方が楽なんだけど、どっちがいい?」
「……山の神はどう言ってるんだ? 命蓮寺はどうなる、近々に消えたりするか?」
「僕に聞くな」
「そうか、そうだな」

確かに僕は双方のトップと面識があるが、白蓮はともかく神奈子さんの考えなんてわかる筈がない。
適当に言ってもいいけど、責任なんて持てないよ。

「迷うところだ」
「贅沢な奴め」
「……そうだな」

僕が歌舞伎塚だったら迷わず向こうに行くけどね。
そして寺が潰れる前に実績積んで独立さ。
それが無理でも実績を盾に人間の所にでも行けばいい。
なんなら命蓮寺のメンツを連れてってもいい。

里の人間どもは自分が食うのに精いっぱい。
落語なんてやる人自体が少ないのだ。

やろうと思えば十分ねじ込めるだろうに、歌舞伎塚にはそういう発想がないのだろうか。

「どうする? やめる?」
「……いや、選択肢は多い方がいい、頼む」
「そっか」

歌舞伎塚は妖怪にしては珍しく慎重な奴なのだ。
だが、慎重すぎて結局どれも選べないタイプでもあった。
僕と足して割ったらあるいはちょうどいいのかもしれない。


その日の夜。
毎年のことながら、いつ年が変わったのかわからなかった。
佳境だった大掃除を終え、ミスティアが全員分の年越しそばを作ってくれて、いつの間にか酒盛りが始まって、気が付いたら3時過ぎ。
ハッピニューイヤー。
さよなら2012年。

「そしてよろしく2013年」
「え? あ、12時過ぎてたんですか」
「しまったー、年越す瞬間ジャンプしようと思ってたのにー」
「リリカの発想が昭和で止まってやがる」
「……君はちゃんと年号を把握できるようになったんだな」
「うっせーぞライオン野郎!」

だいたい毎年こんなノリだ。
今年はミスティアがいる分、去年より騒がしいかもしれない。
まあ、例によってユキエはいないけど。
あいつはいつもどこで何をしてるんだ、家事の当番とかはちゃんとやるから文句は無いんだけどさ。

「ボスー、お年玉ちょうだーい」
「……コップ持っておいで」
「わーい、酒だー」
「リリカちゃん酔ってますですね」

顔を赤くしたリリカにジャックダニエルをロックで作ってあげる。
冬場だと氷が楽に手に入っていい。
このテーブルに並んでいる酒関係は僕が提供したものだが、今日のはちょっといい酒が多かった。
いつぞやにもらった神奈子さんとレミリアさんからのお小遣いのおかげで、懐が少々温かいのだ。

「うめー」
「いい飲みっぷりだ」
「えへへへへー」
「はいはい」

ご機嫌にベタベタとすり寄ってくる甘え上戸に構いつつ、鳴子の方にも注いであげる。
ミスティアがめちゃくちゃ睨んできたが、黙殺した。
まあ、向こうも酔っぱらい相手にマジになるほど子供ではないので心配ない。

「……塩をこう、すり込んで」

小さい声で何かつぶやいているのが聞こえたが、たぶん燻製か何かのことだろう。

「おっとっと」
「あ、ゴメン、注ぎ過ぎた」
「んー」

ミスティアとリリカに気を取られ、手元が留守になっていた。
鳴子が素早く溢れそうになった分を口に入れ、一息つく。
注いでから言うのもなんだが、鳴子にはちょっと度数が高かったかもしれない。

「歌舞伎塚は?」
「いや、俺はもういい、吐きそう」
「……そっか」

大して飲んでもいないのに、歌舞伎塚は苦しそうだ。
下戸って大変。

「ボスー、構ってー」
「おっと」
「はむはむ」

胴にしがみ付かれて服を甘噛みされる。
唾液でベトベトになるからやめてほしいが、酔ったリリカを引きはがすのは通常の方法では不可能だ。
次女にやってやれよ。

されるがままに過剰なスキンシップを受け入れていると、空のコップを掴んだまま嫉妬に顔を歪める駄雀の姿が見えた。
コップ割ってくれるなよ?
ギリギリと歯ぎしりするミスティアにどう言おうか考えるが、酒の入った頭ではうまくまとまらない。
まあいいや。

「ミスティア」
「……ん」

片手でリリカを支えながら不恰好に酒を注ぐ。
それでもちゃんと受け取ってくれるところがお前のいい所だよ。

「クソ、ひっぺがしってえ」
「リグっさんモテモテですねぇ」
「分けてあげたいよ」
「ミノムシじゃなくてライオンにやれよ」
「ミノムシじゃねえです」
「……勘弁してくれ」

愛する同居人たちと共に飲み、年を越す。
なんと素晴らしい事だろう。
この後僕は神奈子さんの所に初詣に行ったり、白蓮の所に初詣と偽って参拝したり、帰ってきたら年賀状を仕分けしたり、親しい人たちの所に挨拶に行ったりと大分慌ただしい行事が待っているのだが、今一時くらい、すべてを忘れて彼らに感謝してもいいじゃないか。
だからみんな、今年もよろしく。

「いい加減離れろ酔っぱらいがっ」
「ああボス! どうしてあなたはジュリエットなの?」
「私が知りてぇよ!」
「おいおい、お前ら……っととと……」

……グラリと視界が傾いていき、身体から力が抜けていく。
毎年のことながら、急だった。

ついに実力行使に出たミスティアに埃がたつからやめろと言おうとして、結局何も言えずにソファに倒れ込んだ。

























「おい、おいリグル、『もう』なのか?」
「……ぁー」
「あれ? 去年はもうちょっと後だったような気がするんですが」
「そうだな、年々早まってる、次は起きたまま年越せないかもしれないな」
「うん? ボスー、起きてー」
「よせリリカ、今ちょっかいをかけるな」
「どしてー」

……、急に猛烈な眠気が襲ってきやがった。
数秒ほど意識がなかったみたいだ。

「歌舞伎塚……」
「無理するな、今運んでやる」
「よろしくね」

眠い。
だるい。
動きたくない。

「えー? ボスどったのー?」
「……冬眠ですよ、リリカちゃん」
「え? ボスって冬眠するんだ」

お姫様抱っこされながら、自分の部屋まで運ばれる。
別に歩くことくらいできるのだが、せっかくなので楽させてもらうことにした。

僕は毎年、この時期に冬眠する。
だいたい2週間くらいなのだけど、その間まったく身動きが取れなくなってしまうのだ。
我ながら面倒な習性だとは思うのだが、眠すぎてどうにもならない。

と言っても去年は1月の半ばくらいだったはずなのに、今年はどうしたというのだ。
いろいろあって疲れがたまっているのかもしれないが、それにしたって早すぎる。
どうせ起きるのは月半ばくらいだろうし、新年の挨拶とかどうしよう。

でもまあ、考えていても仕方ない。
蟲の妖怪だから仕方なかった、で押し通そう。
今年寒かったし。

「……着いたぞ」
「うん、おやすみ歌舞伎塚」
「……」

僕の返事はいまいち声になっていないようだった。
歌舞伎塚が部屋を出るのを見届けることもできず、僕の意識は再び暗転した。
飲み会を途中で抜け出す形になっちゃったけど、仕方ない。

次に起きるのは2週間後。
ちゃんと生きて起きられますように。





ミスティアと歌舞伎塚の中身が入れ替わっちゃった夢を見ているうちに目が覚めた。
割と楽しい夢だった気がする。

まだ起き抜けで頭がフラフラしていて、うまく状況を掴めない。
状況も何も、家の中で冬眠していただけなのだけど。
あー、自分で言ってて意味不明だ。

微妙に関節の軋む体に鞭を打ち、軽く体操。
口の中のネバネバがあまりにも不快だったため、とりあえず洗面所に。

着替えを抱えて軋む階段を下り、何を思ったか階段下の物置のドアを開ける。
眠り姫がいることを指差し確認し、改めて洗面所に。
何がしたかったんだ自分。

歯磨きとシャワーを終え、水分補給のために居間へ。
鳴子とリリカが談笑しているだけで、他のメンツはいないようだった。
寝てるか仕事中だろう。

「おはよー」
「あ、ボスおっはー、うわー久しぶりー、寝癖すごーい」
「おはようございますです」

漫画を片手にお茶会を開いていた2人に今日が何日か聞いてみたら、ちょっと理解しがたい返答が返ってきた。

「10日です」
「あ、そんなもんだったか」
「ただし2月です」
「……よく聞こえなかったな」
「今日は2月10日です」
「……」
「午前11時だよー」
「新年イベントを完全に逃してますですね」

2月10日?
あれ? 僕寝たの元旦じゃなかったっけ。
1か月以上寝てたってこと?
冗談だろ?

「夢なら覚めてくれ」
「残念ながら現実でございます」
「ところがどっこい! これが現実!」

ご丁寧にリリカが持っていた漫画を見せつけながらほざいてくる。
僕が読んだことない奴だった、またどっかから拾ってきたのか。

40日近く寝てたってことは、1年の1割がすでに終了しているってことじゃないか。
僕の予定ではパチュリーさんのところで防音魔法を教わったり、写真集やポスターの撮影やラジオ番組の収録なんかも進めておく予定だったのに。
とりあえず文句なしで目は覚めた、今から大急ぎで回収しなければ。

「まずは水分補給」
「どうぞ、ボス」
「お、ありがとリリカ」

気の利く同居人からお茶を受け取り、一気に飲み干す。
うん、誰が淹れてもおいしくない。

「この葉っぱ、あとどのくらいあるっけ」
「んーと、この間新しいの開けたから、1キロちょっとくらいじゃないかなー」
「あ、結構減ってるんだね」
「ここんとこ寒くってですね、消費量が半端ないんですよ」

いくら廃棄品を買い叩いたものとはいえ、いくらなんでもエグみが酷い。
買ったのが1年以上前だから仕方ないのだが。
しかしあのころに比べて僕の懐事情もだいぶマシなものになってきた。
ここらでこの紅茶から卒業するのもいいかもしれない。

「……全部飲み終わったらもうちょっといいヤツ買おうか、小分けして」
「マジっすか!? いいんすか!? タダで飲ませてもらっといてこんなこと言うのもアレですけど、このお茶っぱ湿気ってたり酸化してたりでもはや紅茶の味しねーのです」
「鳴子ちゃんぶっちゃけすぎ」
「まあ、自分で買えって話ですけどね」
「というわけで、どんどん消費したいからもう一杯くれるかな?」
「あいさーです」

僕のカップをひったくって、鳴子がお代わりを淹れてくれる。
なんて扱いやすい奴だ。
水分足んないからどんどんくれ。


出がらしの葉っぱは流し台を拭く用に保管させ、僕は家の外に出る。
滅茶苦茶寒かったが、快晴な上に日差しが結構あった為、運動するにはちょうどいい気候とも言えた。

寝起き早々やることが山済みで嫌になってしまうが、また1つ1つこなしていくことになる。
本当は今すぐにでも飛んでいきたいところだが、今日1日は身体のリカバリーに費やさなければならない。
冬眠ってのは甘くない。
まだまだ、身体が起きていないのだ。

柔軟と筋トレと、美鈴さんから見よう見まねで盗んだ型稽古。
一通り身体を動かしたら、次は妖力を全力開放。
蟲繰りの精度を確認し、索敵を再開、訃報を集める。
あるわあるわ、40日分。
もう遅いだろうけども片っ端から知らせて回り、蟲の知らせサービスが再開したことを知らせた。

仕上げに、仕事帰りの歌舞伎塚にスパーリングの相手をしてもらう。
格闘技を使用する妖怪なんて自分の他には美鈴さんしか知らないが、僕のはほぼ『なんちゃって』だ。
格上を相手に勝つことが格闘技の存在意義だろうから、全然できていないことになる。
真冬にもかかわらず汗だくになるまで戦っても、歌舞伎塚には全然勝てなかった。
なんだかんだ言って男の人って強い。

「あー、起きた」
「……おはようリグル」
「うん、明けましておめでとう」

日が暮れるまで運動し、身体を叩き起こした。
これでまた明日から働ける。
ただ生活リズムがまだ怪しいが、こればっかりは仕方ない。
真っ先に行かなければいけない紅魔館と守矢神社が夜行性と昼行性とで別れているため、この辺は面倒の一言だ。

念のためもう半日待つとして、明日の夜、紅魔館に。
夜が明けたら守矢神社。
続けて山の業者に挨拶回り、戻ってきて森とか丘とかのお得意さんやお世話になってる所、その足で里で同じことして、命蓮寺にも行って、夜になったら夜行性の人の所に行って……
明日徹昼じゃん。

まあ、睡眠はたっぷりとったから大丈夫だろう。
順調にお腹も減ってきた。

春はまだ遠いけど、冬眠は終了。
仕事だ仕事。





次の日の夜。
レミリアさんにはすぐに会えた。
今の今まで寝こけていたことに呆れている様子だったが、レミリアさんの話によると八雲様も冬眠をなさるらしい。
変な共通点を見つけてなんとなく光栄に思えたが、その八雲様はまだご就寝中のようだった。
というか毎年12月頭から2月末くらいまで寝っぱなしらしい。
すげぇ。
スケールが違ぇ。

今日は長居するつもりは無かったので、紅魔館の主要メンバーに新年の挨拶だけ済ませて紅魔館を出る。
夜はまだまだ明けない感じだったので、予定を変更して無名の丘へ。
夜行性の面々につい昨日冬眠を終えたと笑い話のように話し、新年1発目の掴みはOK。

そしてファンクラブの飲み会の時に知り合った雑貨屋を営む小豆洗いのおっちゃんに、コーラとサイダーの追加注文を受ける。
それを皮切りに、会う人会う人みんなに炭酸飲料をねだられた。
僕は待ってましたと言わんばかりに値を吊り上げ、伝家の宝刀『じゃあ他の人に売ります』を多用してガンガン売りさばいていく。
挨拶回りのはずがいつの間にか営業になっている辺りが僕らしかった。

去年の暮れにいくらか在庫を放出していたことが結果的には功を奏したらしい。
あれに釣られて他の連中は在庫を吐きつくしてしまったらしく、賞味期限まではまだ猶予があるにもかかわらず市場はどこでも品薄状態。
夜明けを待って南の里の金持ち連中に在庫があることをほのめかしたら、ものすごい高値で飛ぶように売れた。
ただ、そっちは1か所1ダースずつとかそんな程度だったが。

「いいなーお前、うちの店の分もとっといてくれよ?」
「1本300円だよ」
「高けーっての」
「じゃあ他の人に売るよ」
「クソが」

挨拶回りもあらかた済ませ、愛しの自宅へと戻ってきた。
充電などと言ってミスティアが抱き着いてきたが、今日は機嫌がいいのでそのままにしておいてやる。
でも値引きはしない。

「ミスティア、明日の仕込みは?」
「もう終わった、暇」

ミスティアをじゃれつかせたまま特等席のソファに座る。
こいつはリリカより若干重いので寄りかかられると疲れるのだ。

でも離さない。
だってまだ寒いんだもん。

温かい羽毛に包まれてうとうとするうちに、少し眠くなってきてしまった。
向こうに抱き着かれていたはずが、いつの間にかこちらが体重を預ける形に。
やわらかくって気持ちいい。


結局そのまま寝てしまい、起きたらいい具合に昼になっていた。
ミスティアはずっとされるがままになっていたようで、僕が起きるなり『重い』と悪態をつきながら髪をいじりだした。

髪と言えば。
冬眠中髪が伸びっぱなしだったので、もう酷いありさまだ。
この状態でレミリアさんに会いに行ったのかと思うと今更ながら頭を抱えたくなってきた。
やっぱりまだ寝ぼけてるのかもしれない。

しょうがないのでミスティアに頼んでくくってもらうことにした。
丁寧にセットしてくれたのはありがたいが、応急処置だから別にいいのに。
まあ、言っても聞かなかったのだけど。

いい時間だったのでそのまま守矢神社へ。
神奈子さんにお目通りを願おうと思ったら、向こうはまだ冬眠中だった。
まったく、いつまで寝てるつもりなんだ。

しょうがないのから1人でラジオ塔へ赴き、宣伝番組や新曲の収録について打ち合わせを行った。
この間担当してくれたお姉さんについ昨日まで冬眠していたことを話したら爆笑されたが、神奈子さんがまだ冬眠中なことを教えてあげた瞬間口を閉ざした。
ついでに八雲様も冬眠中だということも教えてあげたら顔を真っ青にしていた。
面白い人だ。

収録は来週のどこか、とだけ決めて打ち合わせを終える。
雑だとは思うが、連絡手段がないため仕方がない。
早く幻想郷にも電話ってやつを導入すべきだ、ラジオとか後でもいいからさ。
大雑把な内容は前回決めてあるので、次は2人を交えて当日に詰めることとなった。

後はグッズの所と命蓮寺か。
さて、ペースを上げていこう。


行く先々で冬眠について突っ込まれるが、それは命蓮寺でも変わらなかった。
白蓮に皮肉を言われるのはだいぶムカついたが仕方がない。
まあ、冗談で済む範囲だったから許すけど。

響子は現在他所の里に布教に行っていると言うので、帰ってくるまで客間で待たせてもらうことにした。
今日の留守番は白蓮と、目の前で不機嫌そうに僕を睨みつけてくるこの人だけのようだった。

「……」
「何か?」
「……別に」
「そうですか」
「……」
「……」

さっきからこの調子だ。
名前は……忘れた。
誰だこいつは。
一応顔は見たことあるが。

「あんたさー、マジで興行とか成功すると思ってんの?」
「……もちろんですよ」

名も知らぬ顔見知りはいかにも不機嫌そうに聞いてくる。
その気怠さは、僕の嫌いな感じの物だった。

「はぁー、わっかんないなー、どーして音楽なんかにマジになるかなー、なに? かっこいいと思ってるの?」
「超かっこいいですよ、あなたもいかがですか?」
「じょーだん、くっだらない」
「そうですか、じゃあもう話しかけないでください」
「……ちっ」

なんだか面倒くさい人だ。
こんなのが身近にいるなんて響子も白蓮も大変だな、と同情してしまう。
こういうのはなるべく関わらないのに限る。
しかしそんな僕の態度が気に入らないのか、その人は舌打ちしながら立ち上がった。

「ずっと冬眠してたとか言ってさー、ホントはもうやる気ないんじゃないの? そう言うの目障りだからやめてくんない?」
「目障りなのはあなたですよ」
「……あのさぁ、あんたわかってないみたいだから言ってあげるけど、できる訳ないじゃんそんなの」
「なぜ?」
「……うっざ、あんたいつもそんな喋り方してんの? 損するよその性格」
「なぜ?」
「あー、はいはい、そうやって勝手に突っ走ってけばいいよ、どうせ転ぶだけなのになんでわかんないかなー」
「わからないから面白いんですよ」

何を言っても切って捨てるだけの僕に、この人の不機嫌さが露骨になっていく。
何を苛立っているのやら。
そんなに僕がうらやましいか。

そう言えばライブ関係で突っかかってきた人って初めてかもしれない。
自警団は妖怪相手なら大体あんな感じだし、鴉天狗どもの目的は『取材』。
白蓮は微妙な所だが、あくまでメリットデメリットの話。
僕個人へのいちゃもんはこの人が初だった。

「あんたさー、ホントいい加減にした方がいいよ? 周りにどう思われてるか知ってる?」
「あなたこそ、いい噂は聞きませんよ?」
「はあ? 今あんたの話してんだけど、耳遠いの?」
「そうですか」

レミリアさんといい、神奈子さんといい。
僕の知る限り、偉大なる先人たちは概ね僕に好意的だった。
向こうからすればどこの馬の骨とも知れないガキが、自分たちの餌場を荒らしているだけにしか見えないはずなのに。
ある者は我が子を見守る親鳥のように、ある者は昔の自分を重ね合せて。
懐かしむように、慈しむように、僕を応援してくれる。

「聞いたよ? 森に住んでんでしょ? 山じゃなくてさ」
「ええ」
「あーあ、いるんだよねー、身の程知らずって言うかさ、自分は特別だと思っちゃってる痛い系の子」
「ああ、惜しいですね」
「もうね、決まってるの、どーせうまく行きゃしないんだから大人しくしてればいいのに」
「……はぁ」

だから、剣を向ける相手を間違えちゃいけない。

挑戦者の敵はいつだって部外者だ。
自分では何もしないくせに、上から目線で意見だけ押し付けてくる奴らだ。
やれ偉そうだの、分不相応だの、どうせできないんだからやめちまえだの。
自分では何もしないがゆえに、自分が何もできないことを知らない、持論が的外れだということを知らない。

根拠のない万能感をその手に掲げ、人が並べてるドミノを蹴飛ばそうとする。
まだまだ成功も失敗もしてないのに、行動してるだけで口を挟みに来る。
成功したら『運が良かったから』、失敗したら『それ見たことか』。
この20年、そんな連中を嫌というほど見てきた。
嫌というほど、本当に嫌というほどに。

そういう奴はどこにでもいる。
こいつもモロに、そのタイプか。

「だいたいさー……」

座ったままの僕を見下ろしながらペラペラと喋り続けるこの人に適当な相槌だけ打っていると、障子の向こうからドタドタという音が聞こえてきた。

「あ、リグルさん!」
「やあ響子、待ってたよ」
「お久しぶりです!」

盛大に足音を立てながら、全力で尻尾を振る子犬のような響子が勢いよく部屋に飛び込んできた。
あまりに勢いが良すぎて障子戸がスパーンと漫画みたいな音を立てる。
布教活動から戻ったらしい。

「……ちっ、おい響子、私への挨拶は無しかよ」
「え、あ……た、ただ今戻りました、水蜜先輩」
「……ふん」

水蜜先輩とやらはなぜか怯えている響子を一瞥すると、鼻を鳴らして客間を出て行ってしまった。
まあ、あんなのはどうでもいい、それより響子だ。
飛びついてきた響子を抱きしめ返し、たっぷりと時間をかけて抱擁する。
耳がパタパタ動いてくすぐったかったが我慢我慢。

「久しぶりだね響子、布教してたんだって? お疲れ様」
「お、お久しぶりです! わ、私もう、飽きられちゃったんじゃないかって……」
「うん? 冬眠してただけだよ、ミスティアに聞いてない?」
「……いえ、その、そうなんじゃないかなーってだけで」
「誰に吹き込まれたの?」
「うぐ、いえ、あの」
【これ以上こじれてたまるかよ……】
「……」

まあ、十中八九今のやつだろうな。
それか白蓮が心変わりしたかだ、一輪ってことは無いだろう。
後のメンツは知らん。

いろいろあったが、やっとの事で響子に現状の説明と今後の予定を話せた。
宣伝番組のことは冬眠前に話してあったので、日時だけ詰めれば大丈夫。
来週は特に予定が無いということで、早め早めに動きたかった僕は週明け早々山へ行くことを提案した。
ちなみにミスティアの予定もあらかじめ聞いてある。
あいつは今月いっぱい大丈夫だ。
店はいいのか。

「了解です、ですが、あの、あんまり頻繁に山に入っていいものか」
「あー、それがあるのか」
「神奈子さん公認なら大丈夫だと思いますが」
「うーん、なるべく1度に済ませたいよね」

一応、グッズ関係のための写真撮影等はラジオ塔内部のスタジオを使わせてくれることになっていた。
そこに業者を呼んで撮影をまとめて行うつもりだ。
ラジオ塔の天狗のお姉さんがケラケラ笑いながら取り計らってくれた。
あの人は結構悪乗りする人だ。

本来なら業者ごとに撮影施設くらい持っているらしいが、皆ラジオ塔の最新機器を使ってみたいらしかった。
流石は天狗と河童、その辺の好奇心は人並み外れている。

「聖に修行サボっていいか聞いてみます」
「うん、あんまり本業の邪魔したくはないんだけど、山に何度も通うよりはマシだよね」
「……え?」
「ん?」
「……本業、ですか」

あ、やべ。
なんかやっちゃった?

「……そうだよ、君のデビューはまだ先の話だ、君の舞台が幕を開けた時、その時初めて君はプロの歌手を名乗れるんだ」
「そ、そうですよね、私ったらもうそのつもりで……」
「ははは、気が早いね、でもいいことだよ、よくイメージするんだ、自分がはばたく姿を、僕が必ずそこまで連れて行ってやる」
「はい! 絶対ですよ!」
「約束するよ」

危ない危ない。
この子は本業をそっちに移すつもりだったのか。
僕はミスティア同様、サブ的な意味でやっているのかと思っていたのだが。
……というかもしかして寺は抜けるつもりなのか?
まさかとは思うがうちに来る気なのだろうか、だとしたらどうしよう。
スペース的にはもう1人くらいどうにかなるけど、あんまり戦闘能力低いのを入れたくないんだよね。

「まあいいか」
「……はい?」
「いや、こっちのこと、じゃ、白蓮さんの所に行こうか」
「はいな!」

順風満帆という言葉は僕の辞書には載っていないが、それでも歯車は着実に回りだしている。
でも、だ。
誰がどんなことをしても、それを疎ましく思う奴が必ず出てくる。
どう考えたって何の不利益もないのに、身勝手な理由で邪魔しようとするやつがいる。

なんとなく、今回の敵が見えた気がした。

自警団と、魔理沙と、今の幽霊。

すべては僕の野望のため。
こっちは全力を持って計画を成功させる。
来るなら来い。
人が本気で取り組んでいるところに半端なちょっかい出して見ろ。
渾身の力で排除してやる。
それで死んでも、文句言うなよ?





『大将、デュラハン1よ、今偶然にも通信機を身に着けていたら応答してほしい』
「応答するよデュラハン1、不参加の人わかった?」
『ええ、私とリンクス1、カッパー2と5と6と8、スネーク3と4、ドラゴン1、ビーンウォッシャー1が不参加だそうよ、あとは大丈夫』
「了解、録音したよ」
『……他に』
「うん?」
『他に手伝えることとか無い?』
「……君は文字の読み書きできる?」
『……すまない、全然』
「そっか、日曜大工的な事は?」
『それくらいだったら、たぶん』
「看板を作って欲しいんだ、日時や場所が書かれた看板、これを切り株ステージ付近に設置したいんだ」
『……なるほど、文字とかは誰かに頼むことにするわ』
「うん、ありがとう、サイズは大きめがいいけど、デザインとかは任せるよ」
『わかった、こんなことしか手伝えなくてごめんなさい』
「何言ってるんだ、すごく助かってるよ、本当にありがとう」
『……そう』

「僕はほぼいつでも肌身離さずこの通信機を持っている、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
『……わかった、いつもはこういうイベントとかあんまり好きじゃないんだけど、鳥獣伎楽は別』
「うん、一緒に最高のライブにしようね」
『……ええ、自分のガラじゃないってわかってるんだけど、私も一緒に楽しみたい』
「わかったよ、なるべく個人でできる役割振るからさ、たとえ現場に出なくても、一緒にライブを作ろう」
『ありがとう大将、惚れちゃいそうよ』
「そりゃどうも、あとデュラハン1、大したことじゃないんだけど」
『なに?』
「なんで公開通信モードで呼び出ししてるの? この会話みんなに筒抜けだよ?」
『…………ひぎゃああああ!!?』

ブツッという音と共に、通信が途切れる。
通信を終了しないで電源を切るとこういうノイズが乗ってしまうらしかった。

「リグル、終わった?」
「うん、ゴメンね、行こうか2人とも」
「おう」
「はい」

命蓮寺に出向いた次の週末、僕は主役の2人を連れて妖怪の山を訪れていた。
週の初め早々にでもよかったのだが、向こうの都合で数日ずれることとなってしまった。
話を聞くに神奈子さんが起きたとか起きないとか。

その代わり夜でもいいと言うので、そうさせてもらう。
今日の害虫回収サービスは昼指定だったので正直助かった。
でもそのためにグッズ用の写真撮影が別の日になってしまったが。
なかなか思うようにいかないものだ。

引率は例によって犬走さんである。
去年のテロの件で降格を食らい、分隊長から平になってしまったと笑顔で話してくれた。
言われてみれば装備も違う。
僕が言うのも変な話だが、一皮むけたような印象を受けた。

せっかくなので響子を紹介すると、何故か犬走さんは響子に謝りだしてしまう。

「うちの天狗が申し訳ありませんでした」
「えう、い、いえ、その、べ、別に……」
「そうですよ、解決した話です」
「微妙にそこじゃねーだろリグル」

わざとに決まってんだろ駄雀め。

後を引きそうな話題は避けつつ、ラジオ塔を目指す。
そう言えば、神奈子さんはまだ伝えていないのだろうか。
ライブの警備員に天狗を貸してくれることを。

まあいいか、面白いから黙っていよう。

「着きましたよ、皆さん」
「はい、ありがとうございました、犬走さん」
「あざーっす」
「ど、どうも」

自分の運命を知らない犬走さんと共に目的地に到着する。
犬走さんはここまでだ。
ここからは、中の天狗に案内してもらうことになるだろう。

「あの、天狗さんは入らないんですか?」
「……管轄が違いますので、私はここで」
「そうなんですか……」
「……また、今度」
「はいな!」

道中ですっかり打ち解けたらしい犬走さんと響子だったが、今は先を急ぎたい。
いつまでも手を振っている響子の手を引き、僕らは施設の中へと足を踏み入れた。


「やーやー、皆さんお揃いで、ようこそファンタジック・ラジオ・ラインへ、歓迎するわよん」
「お久しぶりです、今日はよろしくお願いします」
「お初にお目にかかります、手前は魔法の森の夜雀ミスティア・ローレライと申します、卑しくも僻地にて屋台を営むその日暮らしの者であり、本来ならば妖怪の山に足を踏み入れる事自体相応しくない事にもかかわらず、このような絢爛なる場にお招きをいただけた事、身に余る光栄にございます、本日はお忙しい中私共のためにお時間をいただき、真にありがとうございます」
【外交モード!?】
「いや、あ、あの、か、幽谷響子と申します、せ、拙僧は……」
「あ、いいからいいから、楽にしてくれておっけーよん」

「え? いいの? あーよかった、これ疲れるんだよねー」
「んふふふふふ、そう来なくちゃ」
【……聖助けて】

マイペースな僕と、マイペースなお姉さんと、マイペースなミスティアと、振り回されれる響子と。
4人パーティで廊下を進んでいく。

今日はラジオ塔の2階、ミーティングルームBと書かれた部屋へと通された。
目に入るものすべてが新鮮なのか、ミスティアと響子は辺りをキョロキョロ見回しながら付いてくる。
みっともないからやめなよ。

「ちょっと座っててねー」
「はーい」

代表するように返事をしたミスティアに背を向け、天狗のお姉さんが部屋を出て行く。
誰か呼びにでも行ったのだろうか。

「あー、なんか緊張すんな」
「ミスティアも? やっぱ山ってなんかそれっぽい人ばっかりでおっかないよねー」
「あれ? お前山出身じゃないの?」
「ん? 違うよー」
「山彦なのに?」
「……うるさいよ」

どうでもいい話をしている2人を尻目にカバンの中の資料を確認していたら、不意に響子にシャツの袖を引っ張られた。
何かと思って振り向くと、響子が袖をつかんだまま壁の方を向いて沈黙しているのが見えた。
よく見れば耳や尻尾の毛が逆立っており、プルプルと震える手の振動が僕の方に伝わってくる。

【……あぅ】
「おっと」
「ん? どった?」

遅ればせながら僕も気付く。
壁を隔てたすぐそばに、強大な力の持ち主が迫っていた。
気付いてないのはミスティアだけのようだ。
鈍い奴め。

「……」

僕は響子に手を離させ、席を立つ。
そして部屋の入口付近で立ち止まっているであろう人物のために、ガチャリとドアを開けた。

「お久しぶりです、神奈子さん」
「うむ、去年ぶりだな」

そこには仁王立ちの神奈子さん。
微妙に髪が跳ねている、寝癖だろうか。

そしてミスティアにしがみ付く響子を意にも介さず、その軍神は我が家のように部屋に入ってきた。
それを見たミスティアが自分も席を立とうとするが、響子がしなだれかかるように体重をかけているようでうまくいかないらしい。
何やってんだお前ら。

「まだ冬眠なさっていると伺っていたのですが」

しょうがないので適当に話を振る。
あんまりみっともない姿は見せたくなかった。

「む、気にするな、座っていろ」
「……申し訳ありません」

ミスティアが響子ごと頭を下げる。
僕のその場しのぎは無駄だったようだ。

「まあ我も昨日起きたところだ、まだ若干眠い、元旦の講演会の最中に寝落ちしてから記憶がない」
「……今年寒かったですもんね、僕も起きたの先週です」

そして適当に振ったはずの話に戻ってくる。
この辺が神奈子さんだ。

「今日はアレだろ、レコーディングだな?」
「はい、よろしくお願いします」
「お主も出演するのか?」
「……いえ、2人だけの予定ですが」
「じゃあ暇だな?」
「…………………………暇です」
「よし行くぞ」
「ミスティア響子僕ちょっと出かけてくるけどどのくらいで戻れるかわからないから2人で対応してくれそしてそのカバン漁っていいから中の資料読んどいてでも人に見せちゃダメだからOK?」

神奈子さんに手を引かれて部屋の外に連れ出され、ドアが閉まり切るまでの数秒の間にまくしたてる。
伝わったかどうか不安で仕方がない。

【OKです!!】

ドア越しに響子の返事が聞こえた。
どうやら伝わったらしい。

「……」
「はっはっは、さて、どこから案内してやろうか」
「ミーティングルームBとかがいいですね」
「よし、やはり収録現場からだな、ちょうどそろそろ始まるころだ」
「わーい、超楽しみ」

ていうか向こうで対応させてほしかった。
ミスティアいるから、大丈夫だろうけど。





「ここが収録スタジオだ、ちょうど始まるぞ」
「……おお」

機材の立ち並ぶ狭いスペースに幾人かの天狗が控えており、ガラスを隔てた向こう側には守矢の巫女さんと……もう1人、若い男性が腰かけていた。
見たことのない人だったが、僕の妖怪としてのセンサーが『あれは人間だ』と告げている、山のスタジオによく呼べたものだ。

彼は落ち着き払った表情で、時折のどを潤しながら早苗と談笑していた。
ちょっと身を乗り出して覗いてみたが、知性にあふれるさわやかな好青年といった風貌だ。
幻想郷には滅多にいないタイプ、学者先生だろうか、あるいは人間の魔法使いか。

僕の女としてのセンサーが『あれはイケメンだ』と告げているが、こっちは錆びついているのであんまり当てにならないかもしれない。

「本番10秒前ー」
『はーい』
「……7、6、5、4」

近くにいた河童の合図と同時に、『ON AIR』の文字が灯る。
一泊置いて、司会の早苗の声が聞こえてきた。

『幻想郷のみなさーん、祀られる者ですよー!』

金曜午後8時ちょうど、放送開始。

『始めましての方初めまして! そうじゃない方先週ぶり! ”そこんとこ教えて! 妖怪事情”のお時間でーす! 今日のゲストはファンタジック・ラジオ・ライン史上初、里の人間の方にお越しいただきました! 妖怪事情じゃないじゃんってツッコミは無しです! いいじゃないですかたまには!!』

ああ、やっぱり人間だったのか。
妖怪事情じゃないじゃん。

『本日のゲストはこの方、空前絶後のストーリーメイカー! 創想の里よりの使者、愚迂多良三昧さんでーす!!』
『よろしくお願いします』
『よろしくお願いしまーす、たぶんリスナーの方の大半が存在すらしないであろう秘境”創想の里”、幻想郷のはずれに存在する芸術家や文化人が多く住むの里なのですが、愚迂多良三昧さんはそこの作家先生でして、先日放送したラジオドラマの脚本家でもあります』
『ははは、いやー、まさかオファーが来るとは思ってなかったもので、驚きましたよ』
『新作はまだですか?』
『いや、あー、もう少しです』

『創想の里は一番近い西の里からでも無縁塚を越えないとたどり着かないという最悪の立地、でもそこの住人にとっては俗世から離れた生活ができるため住み心地はいいだとか』
『ええ、慣れれば快適ですよ、近くに外の世界へ続く道とかありますし』
『出入り自由ですと!?』
『冗談です』

早苗となんとか三昧氏の軽快なトークをBGMに、ガラスを挟んだこちら側では天狗たちが真剣な目つきで計器を見つめている。
それらが何を示しているかまではわからないが、目盛りの付いた物をちょろちょろいじっている辺り、音量か何かなのかもしれなかった。
なんで河童じゃないんだろうかと思ったが、直接聞くのもためらわれた。
どうせろくでもない理由だろう。


しばらく収録を見学した後、次の場所を案内してもらう。

「どこがいい?」
「資料室とかないですか?」
「よし、企画室にしよう、誰かいればいいが」
「ちょうど行きたかったんです」

ちっ。
番組の構成表とか予算関係の内部資料とか、その辺を盗み見たかったのだが仕方がない。

「ここだ、よしよし、人いるな」
「……おお」

着いた先では、数名の鴉天狗がホワイトボードに何事かを書き込みながら熱い討論を繰り広げていた。
それでは予算がかかりすぎるだとか、インパクトが無いとマンネリするだとか、あんまり外のものパクリ過ぎるなとか。
あの名刺をくれた天狗のお姉さんも普段はこれに混ざってアイディア出しとかするんだろうか。

よく見たら円卓の上座に座ってダメ出ししているのは諏訪子さんだ。
通称、神奈子さんじゃない方。
企画部門だったのか。

「む? なんで諏訪子がおるのだ?」
「……企画の人なんじゃないんですか?」
「いや、あれは社長専属の秘書のはずだ」
「社長と言うとこの場合……」
「我だ」

神奈子さんがこちらを振り向きながら言う。
あの人、神奈子さん付きなのかよ。
力関係と言うか、守矢神社内での諏訪子さんの扱いが伺い知れた。

「まあ、冷やかしに来ているだけだろう、あるいは仕事してるアピールか」
「あんまりですね」
「指示待ちの神などあんなものだ」
「……存在するんですかそんな人」

指示待ちって。
決断力と行動力が神様の本領だろうに。

「もの作りが苦手な人間もいるし、壊すのが苦手な妖怪もおる」
「そんなものですか」
「決められない神だっているさ、それもまた個性よ」
「マイナスの個性は欠点って言うらしいですよ」
「庇護欲そそられるだろ」
「祟り神ですよね?」
「そうだったか?」

いいのだろうか、それで。
まあ、僕がとやかくいう事じゃないけどさ。

「悪い事ばかりではないぞ、この間なんて信仰が薄れすぎて消えそうになっていたんだが」
「人生が綱渡りですね」
「どうしてもと言うからラジオに出演させてやったらすごい勢いでファンレターが来たぞ」
「え、そうなんですか?」
「『養ってあげたい』とか『娘にしたい』とか『ボクを祟ってください』的な」
「……わあ」
「しかもイラスト付きだ、複数枚で1つの絵になるようなのもあった、組織票的なものかもしれん」

完全に邪教崇拝じゃねーか。

「これも1つのギャップもえ」
「……神奈子さんもあんな風になりたいですか?」
「絶対嫌だ」

「聞こえてんぞそこ――――――!!!」

部屋の隅でペチャクチャと無駄口を叩いていた僕らの方に、諏訪子さんが筆記用具を投げつけてくる。
自分の方に飛んできた物をとりあえず避け、神奈子さんの方に飛んできたものを素手でキャッチ。
距離があったので楽勝だった。

「さて、あんまり邪魔しても悪い、行くか」
「そうですね」

微動だにしなかった神奈子さんに先導され、企画室を出ることにした。
真っ赤になって憤慨する諏訪子さんが何事か言い放ってくるものの、いまいち言葉になってなくてよくわからなかった。


「次はどこに行きたい?」
「この施設の設計者の方とかに会ってみたいです」
「そろそろ小腹空いたな、食堂行くか」
「ご飯時ですもんね」

21時前だ。

「見ろ小僧、これが何だかわかるか?」
「まさかこれが、噂に聞く……」

階段を1つ下りて1階へ。
誰もいない、それこそ店員すらいない食堂で、僕と神奈子さんはある大型の機械の前で立ち止まっていた。
ビールを持った水着のおねーちゃんが笑顔を振りまいているポスターの横、ヴーンという変な音を発しながらその機械は稼働していた。
神奈子さんの背より高い箱型の機械で、幅は1メートルくらい、そして目の高さの位置が飲み物のショーウィンドウになっている。

「自動販売機ってやつですか」
「うむ、幻想郷にこれ1台しかないのだぞ」
「うわー、漫画の世界だ」
「河童製だ、開発費がえらいかかったぞ」
「……採算は?」
「全く取れていない」

やってみたかっただけかよ!!
馬鹿じゃねーの? と言いそうになったけどギリギリで我慢。
でも頭の中読まれてるんだから思うだけでもアウトかもしれない。
でもしょうがないだろ。

「否定はできん」
「……すいません」
「うすうす気付いていると思うが、ラジオ塔の従業員はほぼすべて鴉天狗だ」
「みたいですね」
「機械整備と清掃に河童が数名と、警備に白狼がいるだけで、後は企画も運営も収録もみんな鴉天狗よ」

何とも特権階級意識の強そうな話だ。
というか神奈子さんが総責任者で、白狼天狗の指揮権握ってるんだからなんとでもなりそうなのに。

いや、それ以前にいきなり何の話だ。

「そしてこの自動販売機、暗黙の了解で鴉天狗しか使わないことになっている」
「……」

壁を殴りたくなった。
そういうことか。
優越感に浸りたいだけか。

「よさんか、新築なんだぞ」
「鴉天狗って一体……」
「頭が良くて力が強くて上司の靴を舐めるのが何より得意な妖怪だ」

14年前に滅んでりゃよかったんじゃないだろうか。
レミリアさんもっと頑張れよ。

「ほれ、我のおごりだ」
「ありがとうございます」

紙製のコップに淹れられた温かい紅茶を口にしながら、適当なテーブルに腰かける。
がらんと広い食堂だったが、食事時には鴉天狗でいっぱいになるらしい。
河童は? と聞くと、大体弁当持参だ、と答えられた。
白狼は? と聞くと、警備だから施設に入れない、と答えられた。

「お主は白狼をかわいそうだと思うか?」
「…………冷遇されているとは聞きます」
「そうだな、我ももっと待遇良くてもいいとは思う」
「……はい」
「でもな、あやつらもあやつらだ、付き従うことで安心してるのだよ」
「安心?」

安心、安寧、真の安寧。
どこかで聞いたな。
なんだったか。

「下の地位にいることで安心する、お主にはわからんだろうな」
「……神奈子さんこそ」
「まあな、そんな心理があるらしい」

むしろその辺を煽るのが、神様なのか?
僕にはよくわからなかった。
でも、わからないままにしていいとも思えなかった。


「さて次だ、どこに行きたい?」
「そろそろ1度連れの様子を見たいんですが」
「あ、編集室とか見てみるか? 地味だが」
「いいですね、やっぱりラジオと言えば編集ですよ」

という訳で編集室とやらにやってきたのだったが、どうやらここは無人の様だった。
明かりもついていない。

「む、誰もおらんか」
「そういう事もありますよ」
「機材だけ見るのもなぁ、しょうがない1度戻るか」
「そうですね、それがいいと思います」

よかった。
いい加減2人の様子が気になっていたのだ。

ミスティアはともかく、響子の方は1人にしたらパニックになりかねない。
神奈子さんやここの天狗たちにはわからないかもしれないが、割と本気でプレッシャーなのだ、山という場所は、天狗と言う存在は。
特に響子は、ついこの間天狗に拉致監禁までされているのだ。
これでトラウマが再発してまた声が出なくなったら、僕の責任だ。

「む、すまん、それがあったのを忘れていた」
「……2人はどこに」
「おそらく収録室だろう、こっちだ」

状況を理解してくれた神奈子さんが足早に廊下を進む。
これでまた天狗が暴走して2人を追いつめていようものなら僕はひと暴れするだろう。
後のことなんか知るか。

「……」
「……」

下りてきたところとは違う階段を上がり、再び2階へ。
先ほど見せてもらった『妖怪事情』の収録現場を通り過ぎ、すぐ近くにあった別の収録室のドアを開く。

中は生放送用とほぼ同じつくりの収録スタジオで、ミスティアと響子が鴉天狗の女性とマイクを挟んで楽しそうに話している姿があった。
緊張してそうな雰囲気こそあったものの、余計なトラブルは起きていない感じだ。
よかった。

「射命丸だったか、あやつなら安心だ」
「……あー、どこかで聞いたような」
「『人里散歩道』の司会だ、現役の記者でもある、鴉天狗という点を外しても比較的まともな奴だ」
「あ、文々。新聞の」
「そっちの方が明るかったか」

神奈子さんからも信用のある人だったみたいで、僕も安心した。
文々。新聞と言えば鴉天狗の新聞の中でもトップクラスにまともな新聞だ。
何がすごいって、他の天狗が飛びつくようなスキャンダル系のネタがほとんどない。
記事の9割がポジティブな話題ばかりの『異色』な記者だ。
射命丸か、顔を覚えておいて損は無いかもしれない。

「腕前もうちでは1番だな、ファンレターの総数もトップだ」
「すごい人だったんですね」
「白狼天狗が下剋上した事件があっただろ」
「んう? あ、はい、その節ではお世話になりました」
「あの時、あやつはレミリアより早く我に情報を持ってきた」
「……え?」

情報って、白狼天狗の反逆のことだよね。
あの時僕はその場にいた白狼の人と共にすぐ山を下り、次の日には紅魔館に駆け込んで、夜を待たずしてレミリアさんたちは守矢神社に赴いたはず。

それより早くって。

「あれはスピード至上主義の鴉天狗においてなお『最速』と呼ばれる怪物よ、そこらの天狗とは訳が違うぞ」
「そこらの天狗って……」
「藍や燐と同格さね」
「……」

藍って、やっぱり八雲藍様のことだろうか。
管理者の側近と同格ってどういう人だろう。
見てるぶんには、明るいお姉さんって感じだけども。

口ぶりから察するに、その3人は一介の天狗よりも格上みたいな扱いらしい。
でも僕からすれば天狗の時点で雲の上な訳で、それ以上と言われてもピンとこない。

あと燐って誰だろう。

「というかお主は奴と面識ないのか」
「はい、お目にかかるのは初めてです」
「お主しょっちゅう山や里に出入りしてるんじゃなかったのか、どこかで会いそうなものだが」
「たぶんお互い仕事中だからじゃないでしょうか」
「……それもそうか」

結構アクティブに活動するタイプの人なのだろうか。
よくよく思い出してみれば、たまに人からそんな天狗の話を聞くこともあったような、なかったような。
ダメだ、やっぱり覚えてない。

「お主、薄汚さと誠実さは同時に成り立つと思うか?」
「……思います」
「見たことあるか?」
「ありません」
「あれがそうだ」
「……」

神奈子さんは断言する。
その言葉が真実かどうかを見極めるすべを僕は持たなかったが、神奈子さんがあの天狗を本当に高く評価していることだけは伝わった。
いわゆる大物、大駒って奴か。

「まあお主をレベル3とすればレベル7くらいかな」
「……意味がわからないです」
「生贄が2体必要だ」
「意味がわからないです」

神のジョークを理解するには僕の徳は低すぎたが、それとは裏腹に収録の方は無事に終了してくれたようだった。
ハンカチで汗をぬぐいながら、3人が録音するスペースから出てくる。

「あ、リグルさん発見」
「どーこほっつき歩いてたんだよ」
「ちょっとね」

出てきた2人にお疲れ様と言い、庇うように後ろに下がらせた。
射命丸とやらはずいぶん良心的な天狗だったようだが、この状況で誰の背中も見えないのはきつかっただろう。
心配するな、後は僕が引き受ける。
そんな思いが伝わったのか、後ろでミスティアが安心したようにため息をつく音が聞こえた。

最後の方だけしか聞けなかったが、収録中も喋っていたのはほぼミスティアだった。
きっと気を遣っていたのだろう。
格上の妖怪の相手をするのは、響子には少々荷が重い。

「おや、お名前を聞いた時もしやと思いましたが、やはり害虫回収サービスの方でしたか」
「……毎度お世話になっております、射命丸さん」
「いえいえこちらこそ、本日はようこそいらっしゃいました、本当でしたら施設の案内でもしたいところなのですが」

と言って、神奈子さんの方をちらりと伺う。
神奈子さんの方は何も言わずに、ニヤニヤしているだけだ。

それでも何か伝わったのだろう。
射命丸は神奈子さんから視線を外し、僕の方へを向き直る。

「この後すぐ別の収録がありまして」
「そうでしたか、ゆっくりお話ができずに残念です」
「ライブの成功を祈っておりますよ、楽しみにしています」
「ありがとうございます、必ずいいものにして見せますよ」
「はい、それでは」

スッ、と差し出された右手を、僕は躊躇うことなく握り返した。

長く商売をやっていると、握手の握り具合で相手の人となりがなんとなくわかるようになる。
そしてこの人の手からは芯の通った静かな熱さと、艱難辛苦を乗り越えてきた自信が感じられた。

とにかく力強い。
別に強く握っているわけではないのに、決して曲がらない心の強さが見える。
ペンダコはともかく肌自体はスベスベなのに肉付きがやや硬く、苦労が絶えないにもかかわらず手入れを欠かさない日常が透けて見えるようだった。
100年200年じゃ、こんな手にはならないだろう。

そして何より、この人も僕と同じようなスキルを持っていて、同じように僕のことを観察している。
それが伝わってきた。

「……」
「信頼されているようですね」
「はい?」
「あなたが来たとたん、2人の強張りが消えましたよ」
「……買い被りですよ」
「そうでしたか、ではいずれまた」
「そうですね、ぜひ」

手を離し、神奈子さんの脇を抜けていく。
射命丸さんの足取りに迷いはなく、口元に笑みすら浮かべながら。

一介の天狗とは訳が違う。
神奈子さんの言葉は、たぶん正しいのだろう。

なんとなくの勘だけど、あの人とは長い付き合いになる気がした。

「何をデレデレしておるか」
「……どうしよう、あの人すげー欲しいです」
「ダメだ、我のだ」
「嘘だ」
「……」
「……あ、す、すいません」

慌てて頭を下げる。
思わず声に出てしまった。

でも、あの人が誰かに首輪を付けられている姿なんて想像できなかった。

「まあいい、収録は全部終わったんだな?」
「そうなの? ミスティア」
「お、おう、全部終わったよ、歌のレコも全部」
「そうか」

思ったより早かったな。
2時間もかかっていない。
日付が変わるくらいかかるかと思っていたのに。

「せっかくだ、そっちの2人も案内してやろう、3人固まっておれば問題なかろう?」
「……どうする? 余裕ある?」

とりあえずミスティアに振る。
響子が限界だったら、断って帰ろう。

「ん、私は今日は1日空けて来てるからへーき、響子は?」
「そ、そうですね、私も大丈夫です」

よしよし、うまいぞミスティア。
精神力の限界を時間的な限界として聞くことで表現を和らげてるんだな?
駄雀の割には上出来だ。
だがな? 残念ながらたぶんそれ響子には通じてないぞ。
慣れてない奴にはちょっと難しすぎる。

「ではいくぞ」
「はい、おねがいします」
「おねしゃーっす」
「お、お願いします」

仕方がないのでそのまま探索を続行することに。
傍目にヤバそうだったら、僕がタオルを投げればいい。
神奈子さんだって意味もなく無茶はしないさ。
僕にはするかも知れないけども。

「よーし、出発じゃ!」
【おーっ】
「……」
「……」

そしてまた、神奈子さんを先頭とした珍道中が始まったのだった。
あれ? 響子思ってたより余裕ある?





ライブ計画について

用意すべきもの
・ステージ   確保  東の里集会所
・機材     確保  河城さん経由の中古品
・衣装     確保  ありがとうドラゴン1
・メイク道具  確保  ありがとうドラゴン1 響子が使い方わかる
・広告     確保  ラジオによる宣伝(週刊パンク野郎)
        確保  新聞
        確保  看板、切り株ステージに設置済み、不参加組がいい感じに作ってくれた。
        確保  里の掲示板にチラシ、ファンクラブの連中の手作り
・チケット   確保  山の印刷会社 枚数:200(100枚ロットだった)
            集会場の椅子は128席、うち最前列中央の8席をS席、1列目の左右8席および2列目中央8席をA席、他をB席とする
・スタッフ   確保  ファンクラブ40名中30名 歌舞伎塚、鳴子、リリカ、ユキエ、犬走さん、顔合わせはライブ前々日
・グッズ    確保  写真集、ポスター、うちわ、ポストカード、カセットテープ、値段決定、3月中に納入
・出店     確保  ラジオ塔建設時に使った足場用鉄パイプを安価でレンタルできた、組み立てを河童に発注済み
            コーラとサイダーを紙コップに小分けして販売予定(ユキエ発案)
・招待状    対応済 レミリアさんと神奈子さんと白蓮さんにペアチケットを送る
            レミリアさんと神奈子さんからは返却された 来ないつもりらしい

未解決問題
・騒音     対応中 防音の魔法を勉強中、一度発動さえすれば維持するのは楽
・利益     解決  カセットテープのおかげでかなり継続的な利益が見込める、チケットの売り上げはすべて後述の慈善団体に寄付する
・命蓮寺    解決  協力を取り付けられた
・霧雨魔理沙  邪魔  犬走さんがいればとりあえずの心配はなさそう
・リリカの姉  解決  4者面談
・自警団    解決  とりあえず邪魔はしなさそう
・慈善団体   解決  申請通った、代表は白蓮さん、活動内容は孤児の保護・保育、ほぼ白蓮さん任せ
・河童銃器   解決  『敷地内』かつ『施設外』に預かり所を設置
・広告モデル  対応中 あちこち売り込んでみたが、色のいい返事は無し
・幽霊     未解決 命蓮寺のガラ悪い幽霊、妨害が予想される、名前忘れた、頼むぞ白蓮さん
・響子     未解決 ユキエと仲悪い、一方的に避けてる? 聞いてもはぐらかされる
・河城さん   未解決 いい加減サインあげないと
・歌舞伎塚   対応中 落語 命蓮寺に売り込み

「……」

僕はパタム、と手帳を閉じた。

「順調そうか?」
「うん」

隣に座る歌舞伎塚に答えつつ、手帳をしまう。
そろそろ時間だ。

「えー、お集まりの皆様方、本日はお忙しい中御足労いただきありがとうございます、毎月恒例命蓮寺説法会、本日も前座は私、雲居一輪でお送りいたします」

3月も下旬に差し掛かり、日差しも少しずつ暖かくなってきた。
幻想郷の蟲達も春の伊吹を感じ取っているようで、その活動も日に日に活発になってきている。
結構なことだ。

「キレイどころの準備ができるまでではございますが、しばしの間お付き合いいただけるようお願いいたします」

僕の方もライブの準備が着々と進み、後はグッズの納入を待つだけ。
そんな暖かくも緩やかな空気の中、仕事を終わらせては紅魔館へ通い勉強と訓練をこなす毎日を過ごしていた僕であったが、つい昨日、命蓮寺の説法会に行かないかと歌舞伎塚に誘われた。

「さて、キレイどころと言えば先日、幻想郷の里合同で美人番付なるものが行われまして、初代人里小町なる人物が誕生いたしましたが」

早く命蓮寺に紹介しろ、という遠回しな催促ではあったのだが、それでもこいつの方から何かに誘うとは珍しい。
そのため僕はデートだデートだ、と子供の様にはしゃぎ、仏頂面のミスティアを尻目に東の里まで仲良く手をつないで歩いてきたのであった。
手をつないでいる姿を目撃した自警団と思しき若い女たちが、遠くの方でキャーキャー言っていたが気にしない。
どんな妄想をしていると言うのだ。

そこまではよかった。

「あ、これもう始まってるんだ」
「ああ、前口上から本題に繋げるのも技術の内だ」
「ほーう、彼奴らも面白いことを考えおる、うちでもやってみるかな、脚本は早苗、監督は我」
「……諏訪子さんは?」
「お茶くみ、もぐもぐ」

これである。
台無しである。

この東の里の集会場。
今度ミスティア達がライブをするところとは別のところなのだが、向こうとは違ってだいぶ狭い上に備え付けの椅子が無い。
その分費用が割安だったりするのだが、ここを使うには自分で椅子を用意するか、こうして畳を用意して座ってもらうしかない。
畳同士の間隔を開け、客が好きにパーティションを区切れるようにしている辺りはうまい思う。

僕らは2人で来ていたため1畳で十分だと思ったのだが、連れの図体がデカいため1人座るだけで畳の半分以上を占有してしまう。
それをいいことに僕は開場してからずっと必要以上に密着し、複雑な表情をするこの男に甘えまくっていたのだった。
至福である。

「この人里小町の方にこの間お会いしたんですがね、これがまた大層気立てのいい娘さんでして、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花といったところでございました」

しかし蜜月の時はそう長くはなかった。
受付の方から聞こえてきた絹を裂くような誰かの悲鳴と、同時に立ち込める邪悪な気配に妖怪2人が同時に反応。
入り口付近を振り返った時には遅かった。

「しかもこの方10と7歳にして未だ独り身だそうで、現在彼氏募集中なんだとか」

しまった、と思った時にはこの軍神とばっちり目が合ってしまっていた。
そしてニタニタと下種な笑みを浮かべながら近寄ってきたと思ったら、邪魔するぞ、などとほざいて歌舞伎塚の膝の上にどっかりと腰を下ろす始末。
いくらなんでも自由すぎると文句を言ったが、おやつと称して馬鹿でかいおにぎりを食らい始めたところでやる気が失せた。
ふざけるな。

「そんな人里小町さんに良縁があることを祈ってはおりますが、なにも見どころは1位だけじゃあございません」

あぐらをかいているため正確には膝ではないのかもしれないが、どうでもいいことだ。
ふむふむと感触を確かめるように体重を預ける神奈子さんだが、歌舞伎塚の方はどうしたらいいのかわからずに狼狽えるばかりであった。
放り投げろそんな奴。

「この番付、うちの白蓮姐さんがめでたく8位に入りましてね、末広がりで実にいい数字を取ってくれました」
「うむ」

うむ、じゃないですよ八坂さん。

「いやー、これも皆さんの応援のおかげだと命蓮寺一同小躍せんばかりに喜んでいたのですが、あの人は人間やめてるじゃないかって物言いがあったそうなんですよ…………9位の人からね」

「そこですかさず白蓮姐さん連れて乗り込んでいったんですよ、自分の身体は人の道を外れたが、心まで外れた覚えはない、人として扱って欲しいってね」
「そしたら運営のおっさん達はみんなうんうん頷きながらも視線は姐さんのワガママボディに釘づけでしてね、話ぜーんぜん聞いてないの」
「で、その鼻の下伸ばしたおっさん達は、里に住んでりゃいいよー、なんて前かがみになりながら軽く言うもんですからもう9位の人も怒っちゃって」
「ちょいとばかし聞くに堪えない悪口言うもんだから、ここはと思ってお釈迦様の言葉を借りて言ってやるわけですよ、毎度の様式美でございます」

「ちょいとお姉さん、あんたは客人を家に招いた時料理を出すでしょう? もしその客が料理に手を付けなかったら、その料理は誰のものになります?」
「すると9位のお姉さんは答えるんですよ、そりゃあ自分の物に決まってる、残さず食べるってね」
「そこでここぞとばかりに決めポーズとりながら言ってやりましたよ、先ほどあなたが言った悪口を私たちは受け取るつもりはない、ならばその悪口は誰の物になるのか、ってね」

「そしたらその人言うんですよ、返品はお断りだって、お前は吐いたツバを飲むのかってね」
「あんたそこで折れてくれないとこっちの立つ瀬無いでしょうよ、と思ったものではありましたが、そこで白蓮姐さんがズズイと前に出てこう言ったんですよ」

「あなたはね、9位ということは何十人もの人々があなたに票を入れてくれたってことなんですよ、でも見てみなさい、この子なんて1票も入ってないんですよ、と私を指差して言うんです」
「うちの新入りは12位で御本尊は21位ですけれど、この子はゼロ票なんですよ、なんて言うもんですから9位の人も今度こそ黙っちゃいましてね」

「そこまで言う事ないじゃないかって私は思って耐えていたら、さらに続けてこう言うじゃないですか」
「あなたに票を入れた方たちが望む物は何でしょう、あなたが結果に不平をいう事ですか? それとも第2回の番付で順位を伸ばすことですか? とね」

「すると今度こそ9位のお姉さんはね、私への憐みでいっぱいだった表情をハッとさせるんですよ、そして白蓮姐さんを睨みながら次は負けないと言うのです」
「でもその面構えはもうさっきまでのお姉さんじゃありません、背筋を伸ばして胸を張り、その瞳には宝石のような輝きが宿っておりました」
「これは手ごわくなってしまいました、なんて呆れる姐さんに踵を返してお姉さんは出て行くのですが、なんだかいい話にまとまったように見えてそこには私1人が打ちひしがれております」
「ゼロ票のくだりは本当に必要だったのでしょうか」

「立てば渋柿座れば雑草歩く姿はラフレシア、そんな私ではございますが、現在彼氏募集中でございます、おあとがよろしいようで」


深々と頭を下げる一輪に、拍手喝采が届けられる。
観客は僕らを入れても20いるかどうかといったところなのに、その静かな熱気はミスティア達のライブにも引けを取らない。
たぶんだが、1人当たりの勢いは神奈子さんの講演会より激しいかもしれない。

だがまあ、1番派手に拍手していたのが当の神奈子さんだったあたり、こっちも一筋縄じゃいかない感じだ。

「驚いた、普通におもしろい」
「ですね」
「……」

身振り手振りに扇子を交えながら表情豊かに話す一輪は、普段のとぼけたような言動が嘘のように伸び伸びとしている。
落語以前に芸能自体にあまり興味はなかった僕ですら、気が付けば黙って話に耳を傾けていた。
神奈子さんにいたっては持っていたおにぎりを食べ掛けで残しているほどだ。

そして何故か歌舞伎塚が得意げな顔をしていた。


「ていうか美人番付とかいつやったのさ」
「お前が寝こけている間にだ」
「僕は何位だった?」
「知らん」

すべての演目が終了し、観客も1人また1人と帰路についている頃、僕と歌舞伎塚は集会場の控室の前で白蓮たちを待っていた。
ちゃんと事前にアポは取ってあるので、問題はない。
非常識な鴉天狗もいないみたいで何よりだ。

ちなみに神奈子さんは帰った。
あの人は何しに来たのだろうか。
単に見に来ただけか。

肝心の落語はと言うと、そう。
一輪の後に出てきた響子の話も面白かったし、真打として出てきたおっとり系美人の虎の人も何言ってるかよくわからなかったが観客は笑っていたのできっと面白かったのだろう。
でも正直笑うタイミングがわからないこともしばしばあり、たぶん他の人の半分も楽しめなかったと思う。
流石にこれを興行にするのは難しいと思ったが、歌舞伎塚が楽しそうだったので今日の所は良しとした。

いくつもの演目を合わせて1時間弱。
登場と退場の太鼓まで用意していて、色物として手品みたいなパントマイムまで挟んで場を盛り上げる。
想像していたよりずっと、本格的だった。

これはちょっとよろしくないかもしれない。

「あれ? 蟲屋さん来ないと思ったらこんなところで待ってたんですか」

待つこと数分。
着流しから私服に着替えた一輪が控室から出てきた。
一輪越しに中から響子がこちらを覗いているのも見える。

「ええ、一応は待った方が良いかなって」

歌舞伎塚が止めるんだもの。

「別にいいのに、あ、髪型変えました? かっこいいですよ」
「ありがとうございます」

どうぞどうぞと中に通される僕と歌舞伎塚。
中にいたのは一輪と響子と白蓮とあの幽霊の4人、真打とパントマイムはどこ行った

「寅丸と物部でしたら片付けの手伝いに行っていますよ」
「そうでしたか、真打にやらせるもんなんですかね」
「ふふふ、根っからの修行者ですから、それに包帯さえ取れれば私が真打やれるんですけれどね」

そう言って白蓮は自らの顔に巻き付いている包帯を撫でる。
会うたびに少しずつ巻き方が軽くなっているような気がするが、確かにまだちょっと人前に出れる状態じゃない。
料理中の、怪我だったか。
何があったかは知らないが。

「あら、髪型変えましたか? 似合っておりますよ」
「ありがとうございます、おかげさまで切る暇もありませんよ」
「お忙しそうで何よりです、ところで、後ろの方がリグルさんの言っていた……?」
「あ、はい、歌舞伎塚」

「……お初にお目にかかります」
「ふふふ、そう緊張なさらずに、いつも後ろの方の席で熱心に聞いておられた方ですよね」
「はい、覚えていてくださいましたか」

恐縮した面持ちの歌舞伎塚と、余裕綽々に見えて下心が透けて見える白蓮。
後は若いお2人で、なんて言って出て行けたら楽なのだが、そういう訳にもいかない。

契約は契約な訳で、歌舞伎塚の望み通り命蓮寺に紹介はした。
歌舞伎塚が出家したいと言えば、向こうは即答でOKだろう。

でもそれをされると僕が困る。

僕が調べた限り、命蓮寺に住み込みの数名を除けば、その教徒は全員人間だ。
ただでさえ貴重な妖怪の駒。
おまけに筋骨隆々で力自慢の男手。
これに加えて素行優良で読み書きそろばんまで完璧となったらもうたまらない。

そんな人材はどこに行ったって引く手数多だ。
本人にその自覚があるかはわからないが、こいつは同居人の中で1番価値の高い超優良物件なのだ。

白蓮は歌舞伎塚を取りたい。
僕はそれを阻止したい。
歌舞伎塚自身は検討中、でもたぶん安易な回答はしないはず。
命蓮寺の内情を吟味してからの決断となるだろう。

僕1人滅茶苦茶不利な状況だが、なんとかして煙に巻くしかなかった。

嫌なイベントだ。

「この間話した通り落語が好きな奴でしてね、ここの説法は面白いといつも言っていたもので」
「ふふふ、そうでしたか、ありがとうございます」
「そこの白蓮さんにはいつもお世話になっているって話したら、どうしても1度挨拶に行きたいだなんていうものですから困っちゃいましてね、まったく」
「ふふふ、ご心配なく、うちの門はいつでも開いていますよ」
「ありがとうございます、ご迷惑でしたらすぐに引き上げますので、歌舞伎塚、お前にも都合があるんだろうけど限度を考えるんだよ、あんまり邪魔しちゃ悪いからね」
「あ、ああ、そうだな、今日は挨拶までにと思って」
「ふふふ、迷惑だなんてとんでもない、寺にでも楽屋にでもいつでも遊びに来てくださいね、歌舞伎塚さん」
「ありがとうございます」

「……」

今日は何か、ふふふ、が多くないか?
白蓮さんよ。

「落語については私どももまだまだ手探りのことも多いので、逆にこちらがお話を聞きたいくらいなんです」
「い、いや、自分はただの横好きでして、他人様に見せられるようなものでは……」
「ふふふ、そうなんですか? でも他所の落語家の方がどのようなことをしているかなどは御詳しいのでは?」
「……一応、一通りの所には寄席に行ったことが」
「まあ、勉強熱心なのですね、素晴らしいです、私共は他所のお寺にはよく行くのですが、なかなか寄席にまでは赴く時間が取れずに苦労していたのです、よろしければ詳しくお聞かせ願えませんでしょうか」
「え、ええ、自分なんかでよろしければ」

グイグイ来やがるなこの住職。
手馴れてやがる。

「ふふふ、今日はお時間はおありでしょうか、よろしければこの後私共と……」
「あー、白蓮さん」
「ふふふ、どうしましたリグルさん」
「あまり畳み掛けないでやってください、いつもそんな強引に?」
「そうですね、落語の話ができる方だと思うとつい嬉しくなってしまいまして、申し訳ありませんね歌舞伎塚さん」
「い、いえ、こちらこそ」

こいつ歌舞伎塚の周りに落語に興味ある奴いない事知ってるな?
響子か。
それとも単なる読みか?

「……少し、仕切り直した方がいいですね、やっぱり控室に押し掛けるのはよくありませんでした」
「ふふふ、リグルさん」
「なんでしょう」

「ごめんね?」

「はい?」

やけに上機嫌な感じにハジケル笑顔でウインクしてきた白蓮に、僕の本能が警鐘を鳴らすが時すでに遅し。

「蟲屋さんちょいと向こうでお茶でもしばきましょうかー」
「はいはいはいはい、あとはお若い2人に任せましょうやー」
「ちょ、ちょっと!」

僕のすぐ横にまで忍び寄ってきた一輪と幽霊に、両脇をがっしりとホールドされる。
そのままずるずると引きずられながら、控室から退場させられてしまった。

「おいおい」
「ごめん蟲屋さん、響子あげるからさ」
「あっは、なんよなんよなんなんよ、あいつ男前じゃんかー」

控室を出て、集会場を出て、敷地の外まで連れ出される。
どこまで行く気だ。

「昨今はどこもかしこも人手不足なもんでしてね、ゴメンですけど引き抜かせてもらいますよ」
「あっはっはっは、ウチをどこだと思ってたのさ、バリバリの戦略宗教だぞえ」
「……」

こいつら。

「いやいやいや、ホント悪いとは思ってるんですよ? でもまあ本人もその気みたいですしいいじゃないですか」
「なびかねーと思ってんだったら甘いよ、聖を舐めてもらっちゃぁ困る、あんたさえいなけりゃ楽勝楽勝」
「……僕が」
「あ、落語のことでしたらご心配なく、私がつきっきりで仕込んであげますから、きっと立派な落語家にしてみせますよ」
「うひひひひ、今日は新入りの歓迎会だね、あんたも来る?」
「この里で」
「はい?」
「あん?」
「自警団にマークされていることを御存知で?」

言葉と共に妖力を全力開放。
ついでに近くにいた蟲を操って竜巻みたいに仕立て上げる。

「ちょ、蟲屋さん!」
「うげっ、やめろ馬鹿!」

周りにいた通行人が訓練された動きで避難を始め、両サイドの2人が狼狽したのを確認して妖力をひっこめる。
瞬間的に身体が離れたタイミングを逃さず2人の腕を振り払い、逆に2人の腰に手を回す。

「うへ?」
「おう?」

妙な声を上げる2人を無視して、滑り込ませるようにその服の中に手を入れた。
僕の手のひらに異なる温度の体温が伝わる。

「やだっ、どこ触ってんですか蟲屋さん」
「うっひゃ、あんた見かけによらず大胆ね」
「動くな」

そして、袖の下に忍ばせていた蟲達を解放、2人の衣服の中を盛大に這いずり回らせる。
さっき起こした竜巻のどさくさに、大量に確保しておいたやつだ。
ガサガサガサガサ、と音を立てて蟲たちが唸ると同時に、一輪たちの悲鳴も上がった。

「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
「pぉきじゅhygtfrですぁq!!」

蟲達に命じてチクチクと針や牙を皮膚に突き立てさせる。
僕を交渉の場から引きずり下ろすとはいい度胸だ。
今度舐めたマネしやがったらアナフィラキシーで奥歯がたがた言わせてやる。

声にならない声を上げて顔面蒼白になる三下共を両脇に抱え、自警団が来る前にその場を離れることにした。
あいつら最近動き早いから急がないと。

「実は歌舞伎塚と賭けをしていましてね」
「……あい?」
「マジでちょっと離せよあんた……頼むから」
「今日、命蓮寺が普通に対応するんなら家を出て行くことを許可する、でも無理やり僕を引きはがしたり出入り口を固めたりしたら許可しないってね」

嘘だけど。

「そんな所に大事な同居人を送り出せるわけないですし」
「……」
「……」

というかね、僕は最初から白蓮と歌舞伎塚をサシで話させるつもりだったんだよ。
今日とは限らなかったけどさ。
前に白蓮が響子にやってたけど、今日明日誤魔化したって歌舞伎塚がその気ならまた再燃するんだよ。

だからわからせたいのさ、命蓮寺がどういう事をする奴らなのかを。
白蓮のことだからこう来ると読んでいた。
あいつの貪欲さはよく知っている。

初日にいきなりとは恐れ入ったが、僕の方が1手早かった。
事前情報なしでいきなりこれなら白蓮の口八丁で誤魔化しきれるかもしれないが、事前に仕込みがあれば話は別だ。

『無いとは思うけど無理強いされるようだったらすぐ逃げるんだよ、多少失礼でも後で僕が丸め込んでおくからさ』
『心配するなよ、お前をアウェイで1人にはしないよ、僕が付いてる、もし1人でも大丈夫そうな相手だと思ったらお前の方から言い出してくれ、そうじゃない限りは必ずそばにいるからさ』
『ありえないとは思うけど、監禁されたり変な薬飲まされたりしないように気を付けてね、あとは僕と分断させて歌舞伎塚を1人にしたり、魔法で……』
『うん? ああ、そうだね、考え過ぎだったよ、いくらなんでもそこまで非常識じゃないさ、きっと真摯に淑女に対応してくれるよ、さあ行こう』

なんてね。

賭けは嘘でも、この部分は本当。
今頃向こうはどうなっているか。
想像するだけで笑いが込み上げてくる。

怖がれ嫌がれ歌舞伎塚。
後でちゃんと慰めてやる。
お前の味方は僕だけさ。

「さてお茶でしたっけ、そうだ、前に神奈子さんに教えてもらった店があるんですが行ってみましょうか、前までは妖怪お断りだったんですが、妖怪でもOKになったそうなんですよ、なぁに、歩いてすぐのところですよ」
「……蟲屋さん」
「あんた……」
「いいから来い、ハチの巣になりたいか、そのままの意味で」
「……」
「……」

半泣きの一輪と引き攣った顔の幽霊。
今回は完全に向こうが悪い。
普通に勧誘するならともかく、僕を連れ出すのはルール違反。
なので遠慮は無用、全力で脅かしてやる。

白蓮、お前が歌舞伎塚を僕から引きはがしたように。
この2人は今、僕の手中にあるんだ。

軽く考えていると、高くつくかもよ。

という訳で両手に花である。
ケケケケケケケ。





「歌舞伎塚大丈夫だった? ごめんよ、本当にあんなことするなんて」
「ああ、特に何かされたりはしなかった」
「……そっか、僕の方も大事は無かったよ、ちょっと脅かされただけ」
「そうか」
「何か、変な事言われたりした?」
「……」
「……歌舞伎塚?」

適当に時間をつぶし、歌舞伎塚が白蓮と別れたところを見計らって合流した。
来るときに全力疾走して息を切らすことも忘れない。

だが、微妙に不機嫌そうなのは当然としても、それを差っ引いてもなんだか様子がおかしい。
なんだ?
何を言われた。

「なあ、リグル、どうして迎えに来てくれなかった、俺は心細かったぞ」
「……ごめんよ、僕も何とか出し抜こうとしたんだけど、あいつら2人がかりで……」
「嘘をつくな」
「……なんだって?」

隣を歩きながら、歌舞伎塚が言う。
その口調はとても断定的で、何かを確信しているようだった。
本当に、何を言われたんだ。

「何が2人がかりだ、幽霊に成り上がりの半端者らしいじゃないか」
「……それは」
「お前が今まで経験してきたトラブルは、あんなものじゃなかっただろう?」
「……」
「森じゃお前より強い奴がお前を避けて通るじゃないか」

そう言われて、僕は足を止めた。
止めてしまった。

「聖白蓮はこう言っていたよ『あの2人では彼を止める事は出来ないでしょう』とな、言われるまでもなく俺もそう思っていた」
「……」

全力で頭を回す。
この流れは、まずい気がした。

「手段はわからん、それが策か力か威圧か泣き落としか、だがお前だったらあんな平和ボケしてそうな連中一捻りだと思っていた」
「……いや、その」
「だがお前は来なかった、いつまで経っても、助けに来てくれなかった」
「……ゴメン」
「もとは俺が言い出したことだ、多少何かあってもお前を責めるつもりは無かったさ、だがお前、俺を1人にしないんじゃなかったのか、約束したじゃないか」
「……」

止めていた足を慌てて動かし、歌舞伎塚の隣にまで戻ってくる。

まずい。
これは、何というか、かなり。
歌舞伎塚怒ってる。

しくじった。

「……だんまりか」
「……」

どうする。
なんて言えばいい。

白蓮め、とんだトラップを……。
いや、これは僕が読み誤っただけか。
たまに先手を打つとこれだ。
今回はその場しのぎじゃなかったぞ、と思っていたのに。

ていうかホントどうしよう。
正直に言う?
お前が白蓮嫌ってくれるように演出したって?
アホか。

実は外で命蓮寺の連中が大挙して押し寄せて来て……
いやさっき2人がかりって言っちゃったじゃん。

思ってたよりあいつらがやり手で……
いや、だったら即答するだろ。

自警団あたりが邪魔してきた。
……苦しすぎる。

あーでもなこーでもないと考えているうちに、里を出てしまった。

よく考えろ。
真実が何かなんてどうでもいい。
歌舞伎塚はどう思ってる?
僕になんて言って欲しい?

白蓮が何を吹き込んだかは考えても栓が無いからこの際無視。
歌舞伎塚のことだ、たぶん僕の思惑を完全に読んでるわけではなく、また下らない小細工を弄していると思っていることだろう。
……実際、そう変わらないか?

だが、起きた事象はともかく、ちょっと言いかたさえ変えれば……

「ゴメン歌舞伎塚……、僕は……」
「ん?」

という訳でまたその場しのぎだ、嫌んなっちゃう。

「素のあいつらを見せたくって……」
「……」
「歌舞伎塚が本気だって知ってたから、できる限りあいつらのことを、その、本当にゴメン」
「…………そうか」

大きな手が僕を撫でる。
無骨ながらも、触角を巻き込まないように丁寧に撫でてくれる。

たぶん、だいぶ溜飲は下がってくれただろう。
もうひと押しか、もう黙るべきか。
次の歌舞伎塚の言葉を待ってから決めよう。

「……まったく、そうならそうと事前に言え」
「ゴメン」
「言ってた気もするな、いやあれは仄めかすと言うんだ」

押しで。

「だって、本当にそうなるかわかんなかったしさ、もし事前にはっきり言って、向こうが普通の対応したら歌舞伎塚どう思う?」
「……それもそうか、よく考えるもんだなお前も」
「えへへへ」
「まったく」

裏を返せばそうなるように仕向けたとも取れるのだが、笑ってごまかすのが1番手っ取り早いだろう。
こいつの前では子供じみた言い方するに限る。

「ゴメンね歌舞伎塚」
「ああ、もういいよ、向こうの思惑もだいたいわかった」
「そっか」
「お前の望みどおりにな」
「やめてよそういう事言うのー」
「ククククク」

僕の頭から手のひらをどけて、歌舞伎塚が僕の手を取る。
昔からやっている仲直りの合図だった。

よしよしよしよしよし。
挽回挽回、なんとかなった。

こんなところで躓くわけにはいかない。
ただでさえこれから大人数を捌かなければいけないと言うのに、身内で足並みをそろえられないようじゃお話にならない。

つまらないイベントはさっさと終わらせ、メインの準備に取り掛からなければ。
さあ、ライブまでもう秒読みだ。





僕ら妖怪は『天狗並み』あるいは『天狗級』といった言葉をよく使う。
いずれも高い水準で、という意味だ。
妖怪としての格が高く、比較的個体数の多い種族であることに由来しているとかいないとか。

天狗並みに賢いと言われれば、それは大天狗のような知性溢れる頭脳を指し。
天狗並みに陽気と言われれば、それは山伏天狗のような楽観的な精神を指す。
天狗並みに汚いと言われれば、それは鴉天狗のような悪逆非道の手腕を指し。
天狗並みに強いと言われれば、それは白狼天狗のような不退転の腕力を指す。

実際は白狼より鴉の方が強いみたいなデータがあるらしいが、戦うというイメージはやっぱり白狼天狗にある。
じゃあ、その『天狗並みの強さ』ってのは結局どの程度の強さなのか。
せっかくこうしてチャンスが来たんだから、知っておくのも悪くないと思った。

「ナイトバグさん、お久しぶりです」
「すいません、100年も待てませんでした」
「……まったく、あなたと言う人は」
「うへへへ」

ライブ2日前、言いかえれば準備日前日。
今日の午後から犬走さんやファンクラブの連中を含め、全員参加で顔見せを兼ねた軽い前夜祭みたいなものを開くことになっていた。
翌日に準備なので本当に軽く、だ。

その数時間前、仕事を早上がりした犬走さんが僕の家にやって来て、一足先に同居人たちと挨拶を済ませていた。
曲者ぞろいの同居人勢も、流石に天狗相手では緊張が隠しきれない様子だったが、そこはそれ雨降って地固まる作戦。
軽くスキンシップでも図ろうじゃないかということになった。
というか僕が水を向けた。

「じゃあ3対1でいいですか?」
「はい、どこからでも」
「よろしくお願いします」
「おねしゃーっす」

白狼天狗に稽古をつけてもらえる機会なんてそうそうないし、それ以前に1匹の妖怪としてエリートと名高い『天狗』の実力を体験したかったのだ。
こちらは3人、歌舞伎塚とミスティアと僕。
この順番に強い。
といってもこの中で平均以上なのは歌舞伎塚だけで、だいぶ下がってミスティア、弱小階級に僕、といったへっぽこパーティだ。
勝ち目ねえ。

「先手は差し上げますよ、いつでもどうぞ」
「どうするリグル、一斉に行くのか?」
「私、連携なんてできねーよ、バラでいいじゃん、なあリグル」
「……先鋒歌舞伎塚でお願い」
「まあ、やるだけやってみよう」

ちなみに他のメンツは観戦に徹している。
付喪神と幽霊に荒事は荷が重い。
そしてユキエは寝てる。
ついさっきまで徹昼で仕事だったらしい。
明日準備日だぞ大丈夫か?

「胸をお借りします」
「お手柔らかに」

少し考えるような間があった後、歌舞伎塚は正面から向かって行った。
まあ、それでいいと思う。
腕力だけなら白狼天狗とそう変わらないなんて普段から謳ってるんだ、女の子の前でくらいカッコつけてみろ。
そして。

「ほっ」

なんて軽い掛け声とともに、歌舞伎塚が吹き飛ばされた。

結構な速度で正面衝突したにも関わらず、前蹴り1発で弾き飛ばされたらしい。
100キロを越える巨体が錐もみ回転しながら宙を舞う姿は不謹慎ながら笑いを誘う。

そして犬走さんが『やば』と小さく漏らしたことは聞き逃さなかった。
なんて力だ、物理法則をなんだと思ってやがる。

「す、すいません! 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫……です」

地面に衝突して大の字に寝転がる歌舞伎塚が、うめき声とも何ともつかない声で返事をした。
衝突する寸前に減速をかけていたようだし、怪我とかはしていないと思う。

「うん、じゃあ次鋒ミスティアね」
「……え?」
「ほら、後つかえてるんだから」
「マジで?」

1撃でリタイアした歌舞伎塚に代わって、次はミスティアをぶつけることにした。
それでもしぶしぶ拳を構える健気な忠君を後ろから応援し、自分はちょっと離れて待機する。
頑張れミスティア。

「うおらー!!」
「おっと」

半ばやけくそ気味に拳を振り回す駄雀。
犬走さんの方も加減の仕方を把握したのか、避けたり弾いたりするだけで反撃は無い。

「くっそ」
「……」

犬走さんが手心を加えてくれていることに気付いて余裕を取り戻したミスティアは、子供の喧嘩のようなグルグルパンチから徐々に本来のスタイルへと戦法をシフトしていった。
すなわち、爪撃と弾幕のコンビネーション。
僕と喧嘩とかするうちに編み出した駄雀流適当戦術。
大して強くは無いが、無いよりはマシ、くらい。

いい塩梅のテンションにあるらしいミスティアもギアがトップに入ったらしく、速く、鋭く、途切れることなく連撃を続けていく。
近ければ爪、遠ければ弾幕、時折挟むワンフレーズ単位の夜雀の歌。
ミスティアが最も得意とする中距離戦だったが、それでも犬走さんはミスティアのラッシュを軽々と捌いていった。
やっぱ強いなこの人。

「及第点はあげましょう」
「なにをー!?」
「ですが……」

カクンと姿勢を落としたかと思うと、犬走さんは1瞬にしてミスティアに詰め寄る。

「強引さが足りません」

とっさに離れようとしたミスティアだったが時すでに遅し、足払いを掛けられて身体を地面に叩きつけられる。
だが、ミスティアも意地だ。
背中が着いた瞬間に両手で地面を叩き、反動で起き上がろうとする。
起き上がろうとするが、それを読んでいたらしい犬走さんに襟首を掴まれ組み伏せられてしまった。
はたから見るとミスティアが押し倒されているように見えるのだが、つまりそれは犬走さんが馬乗りになっている形なわけで。

そのちょうどいい位置にある側頭部を、思い切り蹴りつけた。

「ギャイン!」
「……大将、僕」

完全に見を決め込んでいると思っていたらしい。
勝利を確信した瞬間に油断するのはどの妖怪も変わらないようだった。

突然の奇襲に流石の白狼天狗も対応できなかったらしく、僕の踏みつけるような本気の蹴りはモロに犬走さんの頭をとらえた。
どうやら耳にあたったようで、犬走さんは地面を転がりながら頭についている狼の耳を押さえている。
慌てたように犬走さんがこちらに向き直るが、そのころには僕の助走は完了していた。

こちらを向くまさにその瞬間、完璧なタイミングでとび膝蹴りを放つ。
シャイニングウィザード気味の蹴りは天狗でなかったら直撃していただろうが、そこはさすがのエリート種族。
僕の体重を乗せた会心の膝は、犬走さんの腕によってガードされてしまう。

でもそんなこったろうと思っていたので、防がれた瞬間に跳躍、縦方向に回転する。
額同士が触れ合う様に前方宙返り、空を飛ぶ要領で姿勢を制御。
くるりと全身で弧を描けば、瞬間的にお互いの背中が向き合う形になる。
でも、ここから抜き撃ちしたって向こうの方が早いに決まっているので、後ろなんて振り向くことなく適当に蹴りを放った。
空中で放つ後ろ蹴りになんて大した威力は無いが、それでも完全な死角からの攻撃だったにもかかわらず、またも犬走さんに防がれてしまう。
カメラ代わりの蟲からの伝達によると、向こうもこちらを見ることなくガードを合わせてきたらしい。
コースもタイミングも完全に読まれていたようだった。

「あー、ダメか、やっぱり天狗って強いんですね」
「……っ」

不意打ち3回で当たったのは最初の1発だけ。
しかもダメージ無し。
うん、警備員としては十分だ。

「ありがとうございました犬走さん、とても参考になりました」
「……そう、ですか」

何故か真っ青な顔をした犬走さんと、うつむいたまま口を開かないミスティアの手を取って引き起こす。
どした?

「……いえ、1つも貰うつもりなかったので、不覚です」
「まあ、3対1でしたし」
「…………そうですね」

耳に違和感があるのか、ピョコピョコと具合を確かめながら犬走さんが立ち上がる。

「あ、すいません、砂とか入っちゃいました?」
「いえ、ご心配なく、割と本気で不覚を取りました、変にやり返すのも大人気ないのでぶつける矛先が無いだけです」
「犬走さんも嫌味とか言うんですね」
「いったい誰の影響なのか」

犬走さんの言葉に同居人どもが揃って僕の方を見る。
僕じゃねえよ。
天狗の前で皮肉めいたこと言った覚えはねえよ。

まあ、いいか。

「当日、期待してますよ、犬走さん」
「……そうですね、今日の不覚は仕事で見返しましょう」
「よろしくお願いしますね」
「まったく」
「えへへへ」

ため息交じりの犬走さんを促し、一旦家に引き上げた。
ミスティアに通信機で集合場所と時間を再確認させるよう頼み、リリカにお茶を淹れてくれるよう頼む。
ついでに鳴子に歌舞伎塚の手当てを頼んだ。
ホント僕って平気で人使うよなーと、今更ながらにして思うのだが、今日の本命は僕のすぐ後ろを歩くこの白狼天狗だ。
この人をいかにして使うかが、僕の今後にも影響してくるだろう。
初めて扱う、大駒だ。

「どうぞ」
「失礼します」

犬走さんを僕の私室へと招き入れ、カーテンと窓を開けた。
まだちょっと肌寒いが、空気を入れ替えるには丁度いい。

「いい部屋ですね、私の寮より広いくらいです」
「ありがとうございます、『狭い所ですが』なんて言わなくて正解でした」
「ふふっ、何をおっしゃいますか」

犬走さんに椅子を差し出し、自分はベッドに腰掛ける。
洋室には慣れないのか、犬走さんは落ち着かない様子でキョロキョロと部屋を見回していた。

「……?」

よく見たら犬走さんは背もたれを横にして、肩で寄りかかるように椅子に座っている。
ユキエがよくそんな座り方をするから変な癖だと思っていたのだが、今初めて理由がわかった。
あれ尻尾を挟まないようにしてるんだ。
他の尻尾持ちも同じようなことするのか今度よく見てみよう。

「なんというか、ナイトバグさんらしい部屋ですね」
「……僕のイメージってどんななんですか」

いくらか減ったとはいえ、まだまだ大量と言っても過言ではない程の段ボール。
どっかから拾ってきた電気スタンドと勉強机。
同じく拾ってきた、3か所くらい補強してあるパイプベッド。
パチュリーさんのところで写本させてもらった魔道書、本棚丸ごと2つ分。
幻想郷中の図書館から借り出している図書数十冊。
本当は禁止されてるにもかかわらずレミリアさんに無理言って輸入してもらった外の本、いっぱい。
輸入品の一張羅の入ったクローゼット。

「本とコーラしかありませんが」
「なんというか、必要なもの以外置かないって感じが、らしいと思います」
「そんなこと言ったら犬走さんだってそんなイメージ有りますよ」
「申し訳ありませんがご期待には添えられそうにありません」
「……どんな感じで?」
「とても人には見せられない感じです」
「時間が取れないだけですよね? 頑張って働いている証拠ですよ」
「……いえ、ズボラなだけです」
「……」

そっかー。
犬走さんズボラなのかー。
犬走さんの休日ってどんなんだろう。

里に買い出しにとか行くのだろうか。
友達の白狼と一緒に店を回って『あの服カワイー』とか『あ、今日特売だった!』とか言い合うのだろうか。
それか昼まで寝間着のまま部屋の中でゴロゴロして、雑誌でも読みながらだらしなくせんべいを齧るのだろうか。
そして『あー、洗濯物取り込むのめんどくさいなー』とか言うのだろうか。

これがあれか、ギャップもえか。

「お茶が入ったよー」
「お、ありがとリリカ、ちょっと待ってて」
「あ、すいません、気を遣わせてしまって」

僕は幸せな妄想をやめ、ベッドの下から折り畳み式のテーブルを取り出す。
このテーブルは椅子に座ってもベッドに座っても丁度いいような、絶妙な高さに広がるためとても気に入っていた。
ただ、あんまり使う機会がないため埃がちょっと。

「あー、リリカ、悪いんだけど」
「はい、ふきん」
「ありがとね」

気の利く同居人から受け取ったふきんでテーブルを拭い、淹れてもらった紅茶を置いた。

これはいつも飲んでるような、色の付いた不味いお湯を錬成する地味な毒物ではない。
来客用のちょっといい香りのする奴だ。

「……いい子ですね」
「でしょう?」

お盆とふきんを持って去っていったリリカ、犬走さんにはどう映ったのだろう。
山にはああいうタイプっているんだろうか。

「あの子が寮の管理人とかやったらいつも部屋がピカピカなうえに、衣服もしっかり洗ってばっちり乾かしてビシッとアイロン掛けてくれますよ、毎日」
「連れて帰っていいですか?」
「同僚の方とトレードでしたら」
「考えておきますね」

もちろん天狗と幽霊じゃ釣り合わないけれど、『天狗20人』と『天狗19人+リリカ』だったら迷わず後者だ。
あの子の家事スキルと気の利き方は素晴らしいものがある。
うちの家事とか、家賃代わりに大半を任せてるし。

「あ、おいしい」
「……」

クスクス笑いながら犬走さんはカップに口を付けた。
紅茶は舌に合ったようで何よりだが、そういうのはやめてくれ。
両手で包むようにカップを持たないでくれ。
マジで知れば知るほどかわいいなこの人。

「どうかしましたか?」
「犬走さんかわいいなーって」
「……御冗談を」
「白狼の男って見る目ないんですね、どうしてこんな人を放っておくんですか」
「ガサツな女に貰い手なんてありませんよ」
「僕が男だったら絶対放っとかないのに」
「そうですか…………んん?」
「……」

皆まで言うな。
わかってるから。

「あの、失礼ですが、ナイトバグさんって、その……」
「女です」
「……え?」
「犬走さんと一緒です」
「うえ、あ、いえ、あ、そ、そうでしたか」

動揺し過ぎです。
でも一輪よりはマシです。

「あの、ちなみに、ひ、独り身で、いらっしゃる……?」
「ガサツなもので」
「そ、そうでしたか」

コミカルに表情をコロコロと変える犬走さんは見ていて飽きないが、小声で彼女がどうだとか、にとりが言ってただとか、ちょろちょろ聞こえてくるのは何とかならないものか。
誰だにとりって。

「すいません、あまりに凛々しいため男性の方かと思っておりました」
「いいんですよ、最近これが武器であることに気付きましてね」
「末恐ろしい方ですね」
「散々たぶらかしてから同性であることを告げるんです、この世の終わりみたいな顔するんですよ?」
「悪魔ですかあなたは」
「冗談です」
「悪質です」

と、いつもの言葉が出てきたところで。

「悪質と言えば」
「……はい」
「拉致の件では、大変お世話になりました、改めてお礼を申し上げます」
「……いえ、私も少々頭に血が上ってしまいまして」
「その、神奈子さんの所に、所属が移ってしまったとか」
「ええ、待遇自体はよくなったのですが、いかんせん神様の下というのは慣れません」

やっぱ、そうだよね。
神様の下なんて嫌だよね。
だって自分の信仰しか考えてないもん。

「申し訳ありません、ここまでのことになってしまうとは予測できませんでした」
「いえ、あなたは間違っていません、あなたはただ、仲間を守っただけです」
「……そう言っていただけると助かります」
「勘違いなさらないでください、『守ろうとした』ではなく『守った』という事実が大事なのです」
「はい?」
「結果も出せずに半端に火の粉を巻き上げただけでしたら、私も思うところがあったでしょう」
「……」
「しかしあなたは結果を出した、件の鴉たちに落とし前を付けさせ、あなたの仲間に手を出すとどんな目に遭うのかを知らしめた」

カチャリ、と軽い音を立ててカップが置かれる。
中身はまだ大して減ってはいなかった。

「そこは、白狼天狗一同高く評価しております、その副次的な影響で起きたことについてとやかく言うのは、あまりに狭量です」
「いえ、真っ当な言い分だと思いますが」
「正当かどうかはこの際重要ではありません」

と言うと?

「格好良いか、悪いかです」
「……」

姿勢を正して言い切る犬走さんは、やっぱりかっこいい。
このかっこよさは、うちの連中じゃ真似できまい。

「僕が今まで関わってきた」
「……はい」
「他の誰より、かっこいいです」
「ふふっ、ありがとうございます」

日頃はかっこいい。
そして気を抜くとかわいい。

それだけでもう、天狗ってのは規格外だってことがわかる。
そん所そこらの妖怪じゃ、束になっても敵うまい。

ファンクラブの連中が集まる時間まで、僕はずっとこの人と話していることにした。
少しでもいいから、この人のことを知っておきたかった。





「天狗……?」
「マジかよ」
「生で見たの初めてだ」
「わちきもー」
「本物?」
「すげぇ」
「天狗だー……」
「何がすげぇって蟲屋さんどういう人脈してんだよ」
「あの人絶対おかしいって」
「眼つきが真正のアレよね」
「ああ……」

おいなんか後半僕のことになってんぞ。

「……」

家の前にありったけのテーブルを並べ、30と数人の妖怪たちと料理を囲む。
今日は屋外で立食形式、飲み過ぎ防止の策だった。
ミスティアの屋台用のやつに、河城さんに持ってきてもらった折り畳みのやつなど様々な種類のテーブルが置かれている。
統一感が無いとも言う。
カオスって素敵。

あと問題としては魔理沙だが、あの野郎は今日はアリスさんの所で勉強会らしいし、まあ大丈夫だろう。
ていうか犬走さんいるから。

でもまあ、現在その犬走さんがちょっとまずい感じなのだけども。

「白狼天狗、哨戒第5班の犬走椛と申します、お見知りおきを」

堅い。
犬走さん堅すぎる。

とりあえず打ち解けてもらおうと自己紹介を頼んだら、この様だ。
5班だろうが6班だろうがそんなことはどうでもいいんだよ。

僕的にはさっきまでのかわいい感じでお願いしたいところなのに、完全にお仕事モードに入ってしまっている。
まあ、僕にしか見せてくれないというのは嫌いではないが。
いくらなんでもちょっとばかし、とっつき辛すぎるのではないでしょうかね。

「あー、犬走さんには無理言って来てもらっててね、明日から3日間護衛をお願いしてるんだ」
「任務ですので」
「ちょっとシャイなとこあるけど、根はやさしい人だから」
「いえ、自分は人前で報告や発表をする訓練を受けています、問題はありません」
「もみーちゃんって呼んであげると喜ぶよ」
「ご勘弁ください」
「ま、まあ、伝えてある通り今日は顔見せってことで、うちの同居人ともどもよろしくお願いするね」
「よろしくお願いします」
「……」

パチパチと間髪入れずに拍手してくれたリリカと鳴子に続き、まばらながらもファンクラブの面々からも拍手が起こる。
とりあえずはいいや。

だがよくわかった。
この女、現地のスタッフと連携取る気ゼロだ。

戦力外と見ているのか、単に人見知りなのか。
両方か。
既に使い辛いぞ白狼天狗。

「……犬走さん」
「何でしょうか」
「1言ずつで構いません、全員と会話してください」
「それは、任務の内で?」
「向こうの仕事を妨げないためです、気持ちよく仕事を終わらせるために必要な事なんです」
「……わかりました」

それだけ言って、耳と尻尾をしゅんとさせる犬走さんを残してその場を離れた。
でも動く気配はない。

見下し半分、人見知り半分ってとこか。
これはちょっと大ナタを振るう必要がありそうだ。

という訳で、いつ以来かの本気モード。

「歌舞伎塚」
「お、どうした……どうした?」
「蹴られたところ痛むよね」
「ん? いや、もう平気だが」
「痛むよね?」
「いや」
「痛むよね?」
「……痛みます」
「ちょっとそのネタで犬走さんからかってきて」
「な!? ちょ、ちょっと待て」
「失敗談を笑い話に変えるのは基礎中の基礎だって一輪さんが言ってたよ、白狼天狗を爆笑させてみたくない?」
「……ぐ」
「頼むよ」
「……しかたないな」

「鳴子ー」
「あ、リグっさん飲んでますで……す……?」
「この中に知り合いいる?」
「……いえ」
「じゃあその辺の人捕まえて犬走さんの所行ってきて」
「『じゃあ』!? どの辺が『じゃあ』!?」
「じゃあお前にはもう2度と仕事振らない、今後一生自力でバイト探せ」
「その辺が『じゃあ』ですよねー」
「河童以外な」
「おごう」

「リリカ、リーリカ!」
「はっ、はいボス! ここにおります!」
「ちょっとお姉さん方連れて犬走さんと話してきて」
「ほえ!?」
「今度私もライブやるんだーって言ってこい」
「いや、その、あの人ちょっと怖いって言うか」
「ちゃんとできたら100人から80人にハードル下げてやる」
「行ってまいります!!」

取り合えず3人。
後は時間をおいて波状攻撃する。

犬走さんは弱小妖怪に、そして弱小妖怪は天狗にもう少し慣れるべきだ。
ちゃんと話さないととっさに連携が取れないだろうに。
その為の顔見せなんだから。
というかあの人、天狗以外と組んで仕事したことあるのだろうか。
せいぜい河童くらいか?

まずったな、天狗ってとこに安心し過ぎてた。
別に哨戒しかしないわけじゃないだろうけど、知らない人と連携取るって経験はあまりないのかもしれない。
ちょっとやそっとじゃうまくいかないってことを、知らないのかもしれない。

まったく。
こっちは今回だけで終わらせるつもりはないんだ。
今後天狗を使って何かすることも増えるだろうし、コミュニケーションはしっかりとっといて欲しい。

「やあ一輪さん、来てたんですね」
「うぐ、ど、どうも、いやね、どの面下げてってのはあるんだけどさ、響子1人にする訳にもさ」
「ええ、わかってますよ、ところであの天狗引き抜いたりしないでくださいね」
「……え?」
「いいですか、チャンスだからって過剰にお近づきにとかやめてくださいよ」
「……か、軽く話すくらいならいいよね」
「話聞いてなかったんですか?」
「い、いやいやいやいや、だって必要でしょ? 当日一緒に仕事するんだし」
「……軽くですよ」
「うんうん軽く軽く」

「やあウルフ1、明日からよろしくね」
「おお、任せとけ、と言いたいところなのだが、ふむ、天狗なんてどこから連れてきたのだ蟲屋さん、正直おっかないぞ」
「そんな事ないさ、あれでなかなかかわいい所もあるんだよ、ていうか君も狼でしょ」
「……あのな、俺は狼の妖獣だ」
「うん」
「それであっちは狼っぽい天狗だ」
「でも向こうは気にしてないみたいだよ?」
「なんだって?」
「見てご覧、さっきからチラチラこっち見てるでしょ」
「ほ、本当だ、むう、まずいな、目を付けられたらどうしよう」
「もう遅いよ、言ってたよ? 好みだって」
「え?」
「あれ? 君のことじゃなかったかな?」
「ちょ、ちょっとその辺大事な所だろ、はっきりしてくれ、本当だったらどうするんだ!」
「あーもうどうでもいいや、自分で確かめてくれば?」
「い、いやしかし、俺には妻と娘とミスティアちゃんが……」
「……もう1人くらい増えても一緒じゃん」

「アンブレラ1、元気そうで何よりだ」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐ……もぐもぐ、もぐも?」
「飲み込んでからしゃべるといい」
「ゴクン……あ、家主さんちぃーっす! おかげさまでどっこい生きておりまーす」
「うん、いい子だ」
「えへへへへへー」
「いい子だからこっちへおいで」
「あい?」

という訳で第2波。
馬鹿3人。
ウルフ1が妻子持ちだったとかマジでどうでもいい情報だった。

「どこ行くの?」
「おいしい料理のあるとこさ」

少し時間を置き、付喪神を連れて犬走さんの元へと向かう。
見事に人だかりができていた。
あー、犬走さん困ってる困ってる。
そして鳴子が必死過ぎて笑える。

「あー、おいおい君たち、天狗様が気になるのはわかるけど、あんまり質問攻めにしちゃダメだよ?」

連中の間に割って入り、犬走さんとの間に立つ。
テメーがやらせたんだろうが、とでも言いたげな顔で同居人勢が睨んできたが笑顔で受け止めておいた。
てへぺろ。

「さあさあ、少しはミスティア達も構ってやってよ」
「……そ、そうだな、あんまり長居しても悪い」
「ボスがそう言うなら」
「……」

そして歌舞伎塚達を皮切りに、集まっていた連中がばらけていく。
なんか言えよ鳴子。

「ナイトバグさんが近づいた方たちばかりこぞって来るようなのですが」
「僕避けられてるみたいで」
「そんなまさか」
「……話せば話すほど好きになる人だ、って言っただけですよ」
「……そうでしたか」
「少しは話せましたか?」
「ええ、少し」
「面倒ですか?」
「……いえ、決して」

まあ、とりあえず最悪のパターンは避けられた。
後はみんなの前でドジこいて笑いが取れれば掴みはOKなのだが。

「ただ、狼男の方に言い寄られたのがちょっと」
「わかりました、あいつの奥さんに密告しておきます」
「……!? ご、ご結婚なされていたのですか」
「らしいです、確かな情報じゃありませんが、娘もいるそうで」
「そうでしたか、その割には真に迫るものがあったような……」

「犬走さん」
「はい」
「まだ全員とは話してませんね?」
「……ええ、必要なことなのですよね」
「苦手な分野ですか?」
「ガサツなもので」

大丈夫。
その為にこいつを連れてきた。

「……? お姉さん誰だっけ、ファンクラブの人?」
「あ、私は哨戒第5班の……」
「しょーかい?」
「……あ」
「しょーかいの大吾さん?」
「……いえ、ただのファンです、よろしくね」
「むっふふん、そういう事ならわちきに任せんさい、ファンのマナーを叩きこんであげるからね! 現実ときょもーを混ぜちゃいけないんだよ!」
「はい、そうですね」

犬走さんが付喪神に目線を合わせるためにしゃがみこむ。
なんかすげー様になってるが、どうでもいいことだった。

この付喪神が犬走さんの自己紹介中、料理にばかり気を取られていたことは知っていた。
なぁに、この手のコミュニケーション取る気ゼロの人は、まずキャパを飽和させてから子供をぶつければ何とかなると相場は決まっている。
追撃の準備は整った。
行け、河城さん。

「もーみじー、そんな端っこで何やってんのさー」
「あ、にとり」
「椛もサイン貰ってこようぜ?」
「いや、私はそういうのは……」
「え? その為に志願したんじゃないの?」
「し、志願なんてしてないわ…………いえ、してませんよ、にとり」
「およ? なんか普段と違わない?」
「そのようなことはありません、さあ、この子を連れてどこへなり行きなさい」
「うん? おお、いたのかアンブレラ1」
「い、いたよー!」
「よーっしみんなであのサインの列に割り込みしよっかー!」
「よーっし、おどろけー!」
「お、おやめなさいっ」

つい5分前とは比べ物にならない程、犬走さんの表情がやわらかくなった。
よしよし、そのまま犬走さんを連れて走ってってずっこけてくれ河城さん。
そこまでがあなたの仕事です。

とりあえず河童は誰も近づかないで欲しい。
犬走さんに人が集まって、その後僕と誰か子供っぽい人だけ残って、『犬走さんがその子供に合わせて膝を折ったら』河城さんだけ来てください。
そして無理やり犬走さんを連れて行って、皆の前で大恥をかいてください。

万が一に備えてかけていた保険。
河城さんにテーブルを持参するよう頼むときに、ついでに頼んでいたことだった。
あいつ結構人見知りだしー、とは河城さん談。

僕に会う人会う人みんな向かって来たら、どんな馬鹿でも妙なことを疑うだろう。
千里眼持ちならなおさらだ。
特に鳴子なんてひどいものだった。

だから敢えてやった。
散々疑わせてからの、河城さん。
アイコンタクトすらしていない。
文句はあるまい。
文句なしで、河城さんの意思だろ。

今度こそ成功した。
今度こそ、その場しのぎじゃない。
白狼天狗と一般妖怪を打ち解けさせる。
計画と計略の元、成功を手繰り寄せられた。
見たか神奈子さん、僕にだってできるんだ。

他にかけていた保険は無駄になったが、そんなことは些細なことだった。

「うぎゃ!」
「ひぎゃ!」
「冷た!」

どんがらがっしゃんと派手な音が聞こえてきた方を見ると、3人揃ってテーブルをひっくり返し、頭からビールをかぶっている姿が映った。
そして周囲から上がる心配の声と同時に、河城さんが宣戦布告なしでビールかけ合戦を開戦。
悪乗りした他の河童も便乗し、水を操る能力で被害を拡大させた。
そしてリリカがとっさにビールの追加をテーブルに配り、火に油を注ぐ。
誰がそこまでやれっつった。

最後にはもう、犬走さんまでもが一緒になってビールかけ大会だ。
料理を粗末にされたミスティアがキレて暴れだして犬走さんに鎮圧されるまでの数分間、ここには生まれも種族も身分も無かった。
馬鹿みたいな笑いが巻き起こるのを遠目で確認し、僕はようやく胸を撫で下ろした。

どうかね、ハッピーエンドとはこうやって作るのだよ。





2割もの馬鹿が遅刻してきた準備日当日。
東の里の集会場で河城さんの現場指揮の元、着々と準備は進んでいた。
機材関係のことは全然わからないため、思い切って全部任せてしまった。
たぶんその方がやりやすいだろう。

出店の方も綺麗に装飾がなされている。
実を言うと僕の装飾案を1度ボツにして、河童部隊に最初からデザインをやり直させている。

河童のいい所その3。
できの悪い叩き台的な案を最初に渡すと、闘争心に火が付く。
結果、何も言わないよりできがよくなる上、僕のイメージにも沿ったものができる。
流石は河童、この手の装飾はバザーで慣れているらしい。

「あ、大家さん」
「やあ、捗ってる?」

トラブルが起きてないか見回っていると、リリカの姉に呼び止められた。
屋台で写真集の設置を行っているところらしい。
どっちだったかな、たぶん長女の方。
まともな方。

「はい、なんていうか、リリカがすごいです」
「ん?」

言われて振り向くと、リリカが他の妖怪に交じって屋台の組立を行っていた。
妖怪相手にも物怖じしない姿は個人的に好感が持てる。
まあ、自分が重なって見えるとも言うのだけれど。
あいつ、うちで相当鍛えられてるからなー。

「こっち固定完了ー!」
「ゴースト3ー、次こっちー」
「こっちもお願い!」
「あいよー!!」

そのリリカが何をお願いされているのかと思ったら、屋台の骨組みを空中で固定する役のようだった。
念動力を使っていくつものパイプを持ち上げ、上にいる人が組み立てやすいように空中で他の骨組みにあてがう。
そして他のスタッフは空を飛びつつ金具で骨組み同士を固定する。
足場いらずで実に早い。

ポルターガイストの応用だ、たまにうちでもやっている。
前に1度、麻雀中にあれでイカサマしようとしてユキエにボコされたことがあったような気がする。

「お姉さんもできるんでしょう?」
「……まさか」
「あれ? 全員騒霊って聞いてたんですが」
「あんな重そうなものはちょっと……」
「そうなんですか」
「メルランなら持ちあがるでしょうが、あの子じゃあそこまで精密には無理だと思います、しかも1度にあんなに」
「……へー」
「本当、あの子があんなに頼られるようになるなんて……」

リリカか。
頑張ってるのは知っていたけど、結構すごいとこまで登ってたんだ。
日頃の練習の賜物か。
そういえば、1度に複数個の楽器を演奏する練習もしてたっけ。
キーボードと民族用のドラムみたいなやつとかを同時に。
聞けたもんじゃなかったけどさ。

「お姉さん」
「あ、はい、なんでしょう」
「今の言葉、お姉さんの口から言ってあげてください、準備終わったら時間作りますから、姉妹3人揃ってるときに」
「……わかりました」

優しげな顔で、リリカの姉はしっかりと頷いた。
こいつ扱いやすそうだな、キープしとこう。
でも次女はいらないかな、場合によっちゃあれだけ消した方が良いかもしれない。


一通り見回ったが、どこも順調で今のところは問題なし。
よしよし。

同居人とファンクラブ総出の準備日だったが、ドラゴン1こと美鈴さんは不参加だ、当日も来れないという。
どうしても無理だと、不参加メンバー確定の連絡より前から聞いていたのでこれはしかたない。
切り株ステージならともかく、紅魔館がこの場にいたら余計な緊張を生むだけだろう。
衣装とメイク道具をいただけただけで十分すぎる。

今にして思えばあのやり取りもわざとらしい。
きっと本当に、ただ応援してくれたのだろう。
今度絶対、何かで埋め合わせします。

《アー、アー、テステス、聞こえるー?》
「聞こえるー」
「おっけー」
「こっち聞こえるよー」
《おっけ、おっけ、リグル君こっちはできたよー》

河城さんの声がマイクを通して拡声される。
どうやら音響機器の準備が整ったみたいだ。
さて、僕の方も準備は完了。

会場の入り口付近の真上、ちょっと広めのキャットウォークみたいな所に僕は立っている。
地面に敷いた魔方陣を念のためもう1度だけチェック。
そして周りにいた人たちに少し離れてもらい、目を閉じて集中。
パチュリーさん直伝の防音魔法を発動させる。

「さーって、やりますか」

軽い掛け声とともに妖力を開放。

身体から放出される力の本流を、正確に制御する。
奇跡には理屈があり、術式には理論がある。
設計図通りに基盤を作れば機械が正しく動くように、計算通りに呪文を唱えれば正しい結果が待っている。

ただし、ここで流れるものは電流ではなく妖力で、流す媒体は導線ではなく自分の身体だ。
電圧を間違えても部品が壊れるだけで済むが、妖力のさじ加減や流す場所を間違えれば肉体が爆ぜる。
入念なデバッグと検証、そして執拗なまでのシミュレーションの果てに魔法は心を開いてくれる。

正直あまりにリスクが高すぎて割に合わない。
科学に負けた理由がこれだ。

それでも今の僕には、魔法が必要だった。

必要な魔法は習得が早い。
その身を焦がす欲求に、魔法は必ず答えてくれる。

そこでふと、天敵である少女のことを思い出した。
小さな小さな魔法使い。
元気で、自由で、白黒な。
妖怪の悪夢にして人類の希望。
普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
彼女もまた、魔法を必要としたのだろう。

防御をかなぐり捨てた捨て身の高速移動。
直撃すれば天狗でも危ない超火力。

彼女の代名詞ですらあるあの魔法は、何を望んで生まれたのか。
僕らを絶滅させる。
その目的が、透けて見えるようだった。

どうしてあんな女の子がそんな物騒なことを考えたのかはわからない。
恋人でも食べられたのだろうか、それは本人にしかわからない。
でも魔理沙はきっと、すべてを投げ打てるのだろう。
光あふれる人生を、薪にくべて得た炎なのだろう。
その覚悟に、魔法は答えてくれたのだ。

そんな無駄な思考が、脳裏をよぎった。

「……閉じろ」

正常起動。
よし、一発成功だ。
鳴子の索敵とも、通信術式とも干渉は無い。

結界を使ってこの施設の中と外の音を分けた。
これで中の音は漏れないはずだ。

通信機を取り出し、確認のために舞台袖の河城さんに無線を入れる。

『こっちは起動したよ、チェックお願い』
《はーい! 響子様お願いしまーす》
【はーい!】

絶賛デコレーション中の舞台に立ち、響子が山彦を使って返事をする。
絶対マイクいらないよねこの子。

というかその前に。

「ミスティアー! ちょっといいー!?」
「んー?」

キャットウォークから身を乗り出して、他のスタッフと一緒になって座席の清掃をしていたミスティアを呼び出す。
そしてパタパタと羽ばたきながら登ってきた相方に、軽く耳打ちをした。

「……マジでやるの?」
「うん」
「……りょーかい」

半笑いでため息をつくミスティアの頭を軽く撫で、気恥ずかしさをごまかさせた。
ケケケケ。

走ってきた河童からマイクを1つ受け取り、電源を入れて軽くチェック。
さて、僕の計算ではこの防音魔法は響子の全力にも耐えられるはずだ。
紅魔館で練習させてもらった時は確かに大丈夫だったし、この間切り株でやった時も大丈夫だった。
きっとここでも大丈夫さ。

僕は通信機のスイッチを入れ、スタッフの何名かを施設の外へと移動させた。
結界の外周をぐるっと囲むように配置し、音漏れがないかどうかを調べる。

そして準備完了の返事をもらい、今度はマイクに持ち替える。

《あー、リグルから全員に連絡、今から防音魔法のチェックをするからみんな耳塞いでおいてねー、響子ー、準備はいいー?》
【おっけーでーす!】
《じゃあミスティアが大声で呼ぶから、フルパワーで返事してね》
【了解でっす!】

遠目に響子の妖力が吹き上がるのが見える。
僕のよりさらにしょぼい。
僕がマッチならあれは何だ、線香か。

「なあリグル、あいつ妖怪だよな。リリカのよりしょぼいぞ」
「言ってやるな」

【いつでもどーぞー】
『じゃあいくよー、ミスティアよろしく』
「あいよ、あー、あー」

響子が別格なだけで、というかそういう能力を生来に備えているだけで、夜雀だってかなりの大声を出せる。
単純な肺活量ならたぶんミスティアの方が上だろう。
そしてそんな歌姫が、肺が膨らむのが傍目でわかるくらいに息を吸い込み、あらん限りの大声で叫んだ。


「響子愛してる――――――!!!!!」
【……………………………っ、私も愛してる――――――!!!!!】


若干のタイムラグこそあったものの、顔を真っ赤にしながら響子が山彦を発動させる。
音と言うより衝撃波に近いそれは、耳を塞いでいても何の意味もないほど会場に響き渡った。
ミスティアの声はどうだか知らないが、響子の言葉は間違いなくこの場にいる全員に聞こえただろう。
ちょっとクラクラするくらいだ。

『こちらリグル、今の聞こえた?』
【何言わせんだよ馬鹿―――!!!】
「うるせ―――!!!」

会場の端と端で罵り合う馬鹿どもを尻目に、施設の外の連中に確認を取る。
順番に報告してもらったが、どこの場所でも特に問題はなさそうだった。
せいぜい『誰かが何か言ったような気がする』程度、あの音量を止められるんなら、本番でも問題はなさそうだ。

【おいそこ笑ってんじゃね―――!! 天狗ー! てめえだ―――!!】

機材はOK、防音もOK。
出店や受付の設置もほぼ終わり。

後は何回かリハやって、終了だ。
珍しく何の問題もなく済んだな、うん。
やっぱり事前に全員に手順書を回しておいて正解だった。
入念な準備こそが、円滑な作業を支えるのだ。
最近やっとわかってきた。

【畜生めー!!】

響子うるさい。





例えばこういうのはどうだろうか。
『物心ついた時にはそばにいた』、そういう人。
その人に対する信用と言えば、それはもう絶大なものだろう。
仮にそれを測るメーターのようなものがあったとしたら、その針は一瞬にして振り切ってしまうに違いない。

世の中というものは、とにかく世知辛くも生きづらい。
右を見ても左を見ても、何を考えているのかわからないような奴らばかりだ。

どいつもこいつも一筋縄じゃいかないし、自分の都合しか考えていない。
人を騙そうとしない者はよっぽどの善人か、疑うことを知らない馬鹿くらいなものだ。
でも、善人も馬鹿も同じくらい役に立たない。
半熟卵である僕にはそれらを上手に利用する能力が無いとも言う。
妖精が従者として機能しているあの館なんて、僕には奇跡か何かにしか見えない。
いったいどんな魔法を使ったというのだ。

従者とまでは言わない。
仲間、相棒、ビジネスパートナー、やや穿った意味での『お友達』。
そういうのを選ぶときは、ある程度以上のクレバーさと自立心がどうしたって必要になる。
あちらを立てればこちらが立たず。
使える奴は、扱いにくい。
扱いやすい奴は、使い物にならない。
いったい全体ほかの人たちがどうやっているのか1人ずつ順番に聞いて回りたいところなのだが、やれ『縁』だの『器』だの『運命』だのとはぐらかされるのがオチだろう。

僕が。
この身の程知らずの挑戦者が100%の信用を置く人物は、この世にただ2人。

僕に木の切り方や薪の割り方、火のおこし方や獲物の狩り方を教えてくれたライオンのお兄さん。
僕に喧嘩の仕方と仲直りの仕方、お金の稼ぎ方と料理の仕方を教えてくれたスズメのお姉ちゃん。

産まれて初めて僕のことを褒めてくれた人。
産まれて初めて僕のことを抱きしめてくれた人。

物心ついた時にはそばにいた、その2人。
他にもいたけど、死んでしまった。
生きているのは2人だけ。

それがどれほど得難いものか、今の僕にならよくわかる。
このやけに居心地のいい掃き溜めのような世界において、信用できる人なんてものは増やそうと思っても増やせない。
変に信じれば、足元を掬われるだけだ。

お金では決して手に入れることのできない、至高の宝。
この世で何より価値のある存在。

何より大事な存在だから。
たとえわかっていたとしても。
半ば予想していたとしても。
そういう人から、こう言われるのは。
いくら僕でも、堪えるものがあった。

「出て行こうと思うんだ、リグル」
「…………」

集会場の準備も終わり、一同が解散になった後。
遅刻してきたカス共1人1人に明日は絶対遅刻するなと注意して回っていた僕に、歌舞伎塚が近づいてきた。
大事な話が、あると言う。

東の里のほど近く。
ステージにもなる大きな切り株の縁に腰かけて、歌舞伎塚は、最初の同居人はそう言った。
だから僕も、その隣に腰かけて言った。

「そう、いつか、こんな日が来ると思ってたよ」
そう、いつか、こんな日が来ると思っていた。

「命蓮寺だろ、わかってるさ」
命蓮寺だろ、それ以外考えられない。

「友の門出だ、ちょっとさびしいけど、祝福しとくよ」
絶対に絶対に絶対に、手放すものか、歌舞伎塚。

「あの家の卒業者第1号だ、ウチの看板に泥塗るなよ?」
お前は一生、僕の物だ。

歌舞伎塚は答えない。
ただそよそよと撫でる空風にそのたてがみをたなびかせ、天を仰ぎながら冬の空の音を聞いている。
春一番には、まだ早い。
彼は今、何を思っているのだろうか。

「意外だな、てっきり止められるものだと思っていた」

歌舞伎塚は流れる雲の行先でも気になるのか、僕の方を見ようとしない。
もっとこっちを見てくれよ、お前は今僕と話してるんだぞ。

「止められたくらいで止まるんだったら、最初から言わないでしょ」
「……まあ、そうだな」
「どこへ行こうが、やっぱりやめようが、決めるのは自分なんだから」
「ああ、そうだな」

止める訳がない。
僕は歌舞伎塚を信用してるけど。
逆に向こうはちょっとした胡散臭ささえ感じていると思う。
最近は特に。

そんな僕が正面切って止めに入ったら、その疑惑は加速する。
早い話が、愛想尽かされてしまう。

「行けよ歌舞伎塚、行けるところまで突っ走れ、骨は拾って砕いて分解して土に還してやるからさ」
「……ああ、ありがとう」

という訳で高等技術。
止める言葉を用いないで止める。

「どんな絵を描いてるのさ、やっぱ命蓮寺で実績積んでゆくゆくは独立? それだったらあんまりのんびりしてらんないよ?」
「いや、あのな」
「知ってるだろうけどあそこ結構不安定だから破綻するまでが勝負だよ、実践回数ももちろんだけど、里の落語家とかともちゃんとつながりを作っとかなきゃダメだからね? どうせ小さいコミュニティなんでしょ? コネ作っとくといざって時拾ってもらえるよ」
「そのな、リグルよ」
「あと一番大事なのは人食いやめなきゃいけない事かもね、絶対じゃないけど、命蓮寺は確かそうしてるはずだし」
「違うんだリグル」

僕は一気にまくしたてた。
お前が進む道がどれほど細い道なのか、自覚させてやる。
どこまで想定してるのかは知らないが。

「あとはそうだね」
「リグル、聞け」
「……なにさ」
「命蓮寺に、行くわけじゃないんだ」
「まさか、里?」
「いや、俺は古巣に戻る」
「……はぁ?」

古巣?
古巣って、まさかあの、掘っ立て小屋に?

あの家が幻想入りする前、歌舞伎塚が住んでいた所。
それはただ雨風を何とかしのげる程度の、なんとか住居としての体裁を保っている程度の手作り小屋。
いまさら、そんなところに戻るって言うのか。
戻れるって言うのか。
今の生活を捨てて。

「……想定してなかった、ってところか」
「…………諦めるのかよ」
「そうだな、絶望的だ」
「なんだよ、飽きちゃったのか、落語家になるんだろ?」
「……そうだな、本当は諦めたくないな」
「意味がわからないよ歌舞伎塚、諦めなきゃいいじゃないか」
「……」
「命蓮寺が嫌ならパスすりゃいいだろ、チャンスくらいまた来るさ」
「そうじゃない、そうじゃないんだリグル」

そこで、歌舞伎塚は初めて僕の方を見た。

「これ以上、お前のそばにいたくないんだ」

一瞬、なんて言われたのかわからなかった。

「……どういう意味だよ」

意図せず、僕の語気も荒くなる。
押さえようとはしてるけど、完全には無理だった。

「……すまん、気を悪くしたんなら謝る」
「こっちのセリフだ歌舞伎塚、僕がなんか嫌われるようなこと……山ほどしてきた気がするけど、それはもっと小さかった時の話だ」
「ああ、嫌いなはずないさ、むしろ逆だ」
「……」

「俺は、お前が恐ろしいんだよ」

……言っている意味が、わからなかった。

「どういう意味だ」
「怒らないで聞いてくれ」
「そんな言葉はいらない」
「そうだったな」

歌舞伎塚は語る。
僕の倍以上も生きて、僕の倍以上も強いであろう獅子の妖獣が、僕を恐れていた。

「俺がな、最初に落語を聞いたのは大結界が張られる前のことなんだ」
「……」
「江戸と明治の間くらいの事だったんだが、路上で人だかりができているのを遠くから見てたんだ」

今でいうストリートパフォーマーだな。
なんて言って、歌舞伎塚は自分で笑っていた。
僕には面白いとは思えない。

「それが面白くてな、何度も聞いているうちに話の内容を覚えてしまって、今度は人に聞かせたくなったんだ」
「そうだったんだ」
「ああ、いざやってみるとこれが意外に難しくてな、あちこちうろ覚えだったりしたんだが、それでも面白いと言ってくれる人がそこそこいたんだ」
「……ふうん」
「俺もいつか人まねじゃなく、自分で噺を創って、自分の舞台で披露してみたい、そう思うのに時間はかからなかった」

それが何で、僕を恐れることにつながるんだよ。

「ミスティアはすごい奴だ、響子も」
「……ちゃん付けやめたんだね」
「俺がやったら気味が悪いだろう」
「かもね」
「自分で歌を創って、自分の舞台で披露する、まさしく俺がやりたかったことだ」
「……」
「お前の協力なしではありえなかったとはいえ、俺は正直心の底から羨んだよ」
「……できるさ、僕が協力する」
「そう、お前がここ数か月やってきたことを、俺も横で見させてもらっていた、いろんな人に話を聞く内に、何をしてきたのか断片的にだがわかってきた」
「……」
「『洒落にならん』、俺はそう感じたよ、すごいとか頑張ったとか、そんな言葉は引っ込んだ」

それか、そういう事か。
自分にはマネできないとかそういう話か。
なら心配するな、その辺は経験者の僕が請け負ってやる。

「ラジオの施設にも行ったんだ、パンフレットも貰った」
「300万ってやつ? 払ってないよ僕」
「それも聞いた、軍神を誑かしてタダでやらせたと」
「やらせたんじゃない、お情けでやってもらったんだ」

「怖かったが紅魔館にも行ったよ、赤毛の女性が話を聞かせてくれた」
「よりによって……」
「あの吸血鬼相手に商談を持ちかけてライブのやり方とかを相談したそうじゃないか」
「あ、ああ、うん」

そうだよね、衣装のこととか言う訳ないよね。

「防音の魔法とやらもそこで習得したと」
「うん、大変だったよ」
「そうだ、大変だ」
「……」
「そこまでの事をしなければならないのか、と俺は思った、興行1つ行うためには、そこまでしなければならないのかと」
「前例が無かっただけさ、落語ならもっと楽に行ける」
「お前だからそう言える、天狗の時も、命蓮寺から響子を借りる時も、リリカの姉が来た時も、俺ではどうにもならないであろうことだって、お前は軽々と越えてきた」

なんでリリカの姉のこと知ってんのさ。
誰に聞いた。

「見てきたように言うじゃないか」
「聞いた話だ、尾ひれも付いているだろう」
「盛大についてるよ、本体よりでかいのがね」
「それでもだ、1番決定的だったのはお前と説法会に行った時だ」
「……っ」

ギリ、と奥歯を噛んだ。
やっぱり、まずかったか。

「俺はな、恥ずかしいことに生まれてからずっと上を見ずに過ごしてきた」
「……うえ?」
「ああ、畑を耕したり、木を切ったり、俺にとって働くとはそういう事だった」
「そう」
「俺はあの日、初めて政治という物に触れた気がしたよ」
「……」
「お前からすればあんなものは含まれないのかもしれないがな、俺の取り合いだなんてツマラン話だったが、聖白蓮は最初から最後まで命蓮寺に来てくれとは言わなかったし、お前も出て行くなとは言わなかった」

そりゃそうだ。
そんな事を直接言いはしない。
それでは士気に関わるし、他の者に舐められる。
あくまで向こうがお願いして、僕が住まわせて『あげる』という形でなければならない。
自分で決めたことじゃなければ、責任を持ってやれないだろう。

「だが、趣旨はそうだった、聖白蓮は俺が自分の意思で命蓮寺に入門するよう仕向けてきたし、お前も俺が自分の意思で残りたいと思わせるようにしてきた」
「……いや、僕はそんな」
「いいんだ、だが、それに気付いた時は身の毛がよだった、こいつらは俺に決して物を頼まない、俺に頼ませようとしている、俺が、俺の意思で軍門に下りたいと思うように操ろうとしている、とな」
「ば、馬鹿言うな歌舞伎塚! 僕が今までどれだけお前に物を頼んできたと思ってるんだ!」
「……」

論点はそこじゃなかったが、なんでもいいから否定しなければならなかった。
まずい。
これはまずすぎる。

「思い起こせばそんな兆候はあった、いつ頃だったかな、お前がWIN-WINなんて言葉を使い始めたのは」
「……いや、おい」
「お前がそれで何人の妖怪を良いように扱き使ってきたか、聞けば確かに筋は通ってるんだが、結果だけ見ればどう考えてもお前の方が得をしている、巧妙に、繊細に、1対1じゃなく、100対99の割合で自分が得するように」
「……」
「そしてそれを積み上げた結果が今のお前だ、もう俺なんかでは及びもつかない大妖怪の仲間入りだ」
「馬鹿言え、僕なんかじゃ……」
「あるいは明日からそうなるのかもな」

やめろ。
もうやめてくれ歌舞伎塚。
僕は確かに他人のこと道具としか思ってないよ。
いつだかに神奈子さんが言っていた通りだ。

でもお前は違うんだよ。
お前とミスティアだけは、本当に違うんだ。

どう言えばそれを伝えられるんだ。
誰か教えてくれ。

「話が逸れてしまったな」
「……」
「俺は思ったんだ、もし俺が自分の舞台に立とうと思ったら、これに巻き込まれなければいけないのか、とな」
「……」
「お前と聖白蓮の間で巻き起こった何かに、今度は俺も巻き込まれるのかと」
「……」
「ミスティアと響子が明日の舞台に上がるために、何を差し出したのかはわからない、だが、もはやあの2人がお前に逆らえない立場にいることは確かだ、ミスティアはまだましかもしれないが、いずれあいつの店もお前の手でどうにかされるだろう」
「……」
「お前はいずれきっと、ミスティアの基盤を奪う」
「……」
「自分以外の生活基盤を許さない、できるできないは別にして、やろうとするだろう」
「……」
「本気で、全力で、このライブにかけたような情熱と行動力で、自分に逆らえないようにするだろう」
「……」
「現にリリカと鳴子はそうされた、お前のアルバイトは破格すぎる、それだけで生活が可能なほどだ、他所ではあり得ん」
「……」
「あの2人はもうお前無しでは生活できまい、特に鳴子なんて哀れなものだ、来た時は野生動物の様だったのに、今やすっかりお前の飼い猫だ、お前の指示を断る、という選択肢はあいつらにはあるまい」
「……」
「今のところユキエくらいなものだ、お前を相手にして平気でいられるのは……、理由はわからんがな。後は眠り姫もいるが……、あれはまぁ」
「……」
「蜘蛛の巣か、蟻地獄か、俺はあの日、あの家がとても恐ろしいものに見えたんだ」
「……」
「だから俺は出て行こうと思う、お前は怖いよ、リグル」
「……」

もはや僕に言葉は無かった。
ただ黙って、歌舞伎塚の言葉を聞いていた。

畜生。

よくわかってるじゃないか。
馬鹿のくせに。
歌舞伎塚のくせに。

畜生。

そうだとも。
『夢を叶えるための家』だなんてでっち上げだ。
あれは『僕の』夢を叶えるための、その兵隊を集める家。
甘い香りに誘われてきたアホ共を誑かし、手駒にするための家。

他人の夢を食って、糧とするための家だ。

「……」

畜生が。

「歌舞伎塚」
「ん?」
「お前はやっぱりわかってないよ」
「……何をだ」

なら、やってやるよ。
教えてやる、お前はずっと特別扱いされていたってことを。
お前とミスティアにだけは向けなかったものを、今、お前に向けてやる。
鳴子やリリカを逆らえなくしたように、お前もがんじがらめにしてやるよ。

覚悟はいいか?

「いや、その前に」
「何だ」
「なんで今そんな事言うんだよ、本番明日だぞ? 僕の胃潰瘍をこれ以上促進させて何が楽しいんだよ」
「ああ、そうだな、それは悪かった、落ち着いてから言おうとも思ったんだが、タイミングが無くてな」
「明後日の打ち上げの時でいいだろ」
「……そうだな、今日の準備が思いのほか楽しくてな、今言わなかったらズルズルと言えなくなりそうだったんだ」
「そうかい」

そうか、楽しかったか。
ならいいんだ。

「まあいいや、ところで歌舞伎塚、怖いのは僕だけか?」
「ん?」
「白蓮は? レミリアさんは? 八雲様は?」
「ああ、そういう意味なら全員そうだ、後の2人は大きすぎていまいち実感はないが、巻き込まれたらひとたまりもないことは一緒だ」
「そういう駆け引きみたいなの嫌なんだ」
「苦手だ、それこそ麻雀やトランプが精いっぱいだ、現実でやりたくない」
「そうか、やりたくないか」
「……ああ」

不審そうにこちらを伺う歌舞伎塚に、僕は努めて淡々と言う。
お前はやっぱり、わかってない。

「つまり誰もが誰もを騙さないし、騙らないし、搾取も無ければ、大した争いもない、そんな平和でほのぼのとした所に行きたいってことか」
「まあ、そういう事だ」
「どこにあるんだそんな場所」
「……いや、それはこれから」

雲行きが怪しくなってきたことを察したらしい歌舞伎塚だったが、もう遅い。
無理だよ馬鹿。
そんな夢のような場所、この世にはないんだ。
僕らが生きてる世界は紛れもなくR-18指定の青年コミックなんだから。
おまけに閉鎖空間系の怪物パニック物だぞ。
善人だらけのホンワカ空間なんて、とっくの昔に絶滅したよ。

「ねえんだよそんな場所、あるんだったら教えてくれ、襲い掛かって植民地にしてやるから」
「……」
「冗談じゃねえぞ馬鹿かお前は、それができたら苦労しないんだよ、それができないからせめて自衛しようってのがあの家のコンセプトだろうが」
「そ、そうだったか?」
「そうだとも、分不相応な夢を叶えるためには活動する場所が必要だ、それを理不尽な暴力で奪われないために僕らは組んだんだろうが」
「……あ」

「まさにお前が言う『政治』から身を守るためにあの家はあるのに、一番安全な所から離れてどうすんだよ」
「い、いや、あの家はまさにその渦中じゃないか、巻き込まれるのは御免だ」
「お前、僕や白蓮が無頼の連中をどういう目で見てるか知ってるか?」
「……馬鹿にしてる節はあるだろう」
「『カモ』だよ」
「……」
「『獲物』で『食い物』で『搾取していい存在』だ、何をしても誰も文句を言わないんだから、自覚する間もなく奪えるだけ奪うさ、楽勝だよ」
「そ、そんなことをしないでくれ、そんなことしなくたってお前はやっていけるはずだ」
「できることは全部やるんだよ、僕にはその辺のチンピラなんて腹を出して仰向けにひっくり返っている犬にしか見えない、食い放題もいいとこだ」

何もなさず、自衛もせず、情報も求めない。
ただ漫然と生きているだけの奴なんて、奪われて当然だ。
財産を労力を健康を、気付かれないように少しずつ。

簡単だ。
勉強と実践を欠かさない者からすれば、赤子の手をひねるようなものだ

「目も開いてないヨチヨチ歩きのヒヨコどもが、僕の敷いたレールに飛び込んできて跳ねられる姿をお前は見てきただろう?」
「……ああ、お前の邪魔をして酷い目に遭った奴は何人もいた、お前より弱い奴も、お前より強い奴も」
「見えてる情報が違いすぎるんだよ、お前もそうなる気か? せっかくやっと目が見えるようになったのに、人が悪意を持っていることを実感できるようになったのに」
「さ、最低限の情報収集は続けるつもりだ、最低限お前たちの邪魔にならないように……」
「人が何してるかコソコソ嗅ぎまわる気か、それこそ1番狙われる行動だよ」
「だ、だったら、もう俺は魔法の森から出ない、あそこで自給自足して過ごす」
「あの激戦区でか、僕と魔理沙の戦場に住みつく奴がいるとは驚きだよ、せいぜい流れ弾に気を付けろ、お前が巻き込まれたって誰も気に留めないぞ」
「……じゃあ、じゃあどうしろと言うんだ、俺は静かに暮らしたいだけなんだ!」
「3択なんだよ歌舞伎塚、何も知らずに火の粉が降りかからないことを祈り続けるか、アンテナを張って火の粉を避け続けるか」
「……」
「それか太陽にお別れを言うか、だ」

僕は地面を指さしながら言う。
その指の先には、地面の下には、日の光の当たらない旧地獄が広がっている。
すべてから逃げ出した敗北者たちが集う、どん詰まりの中のどん詰まり。

「……」

歌舞伎塚は答えない。
よく考えろ。
どこで何をしていたってリスクは付いて回る。
すべての生き物は地雷原での生活を余儀なくされているんだ。
それを知らずに生きるか、知恵を絞って地雷を避けて生きるかの違いだけ。

そのどちらが幸せなのかはわからない。
だが、そこが地雷原だと知ってしまったら、自分の足元を狙うものがいると知ってしまったら。
もう、戻れやしない。

地雷原で無邪気に遊んでるやつらが、信じられないくらいの馬鹿にしか映らなくなるだろう。

「好きなのを選べよ」
「……勘弁してくれ、本当に」
「お前は他の奴より1歩先に進んでいる、考えようによっちゃチャンスでもあるんだ」
「俺はお前らと同じになる気はない」
「他の奴には見えない物が見えるようになったんだ、人から物を奪うのが嫌ならそれでもいい、だがあの家からは離れるな」
「……」
「危険なものを、正しく危険だと認識したいんなら」
「……勘弁してくれ」

言うだけ言って、僕はその場を後にした。
これ以上言葉を重ねても大した効果は見込めないだろう。
後は自分で決めてくれ、お前が出て行くと言うのなら、僕はもう責任を負わない。
自力で生きて、1人で震えろ。

帰る途中、1度だけ後ろを振り返ってみる。
切り株に腰かけてうなだれるその背中が、今日はやけに小さく見えた。





「今日は飲むなよミスティア」
「わーってるよ」
「今日は早めに寝ときなよ」
「こんな夜っから眠れねーよ」

ライブの当日チケットを確認しながら、隣に座るミスティアに肩を貸す。
あんまし寄りかかるな、重い。

「眠れねーよ」
「そっか、がんばって」
「……大して興味ねーだろお前」
「自分でするから自己管理って言うんだよ」

枚数を確認し、トントンと端を揃える。
全部で28枚。
残りの100枚は売り出した初日にすべて売れてしまっていた。

当日に残りを販売すると宣伝したら、面白いように希望者が殺到した。
最初の予定では80人くらい来れば御の字だと思っていたのに、いい意味で予想を裏切られた形になる。
これなら残りは割増しで売れそうだ、もちろん白蓮には元の値段で報告するけども。

「なあ、リグル」
「んー? いい加減ちょっと肩痛くなってきたよ」
「ライオンどうしたんだよ、なんかあったん?」
「べーっつにー? ちょっとばかし甘いこと言ってたから現実突き付けてやっただけ」
「……ひでぇこと言ったんだろどうせ」
「そんな事ないよ」
「ホントかよ」
「ホントだよ」
「嘘くせえ」

人を信じる心が足りない駄雀を引きはがし、チケットを片付けに自室へと向かう。
そしてなぜかミスティアが付いてくる。
いっそ袖とか掴んでくれたら面白いのにと思ったが、そこまではしないようだった。

「どした」
「別にー」

机の上に適当にチケットを置き、ベッドに腰掛ける。
すると当たり前のようにミスティアも隣に腰掛けた。

そんなに明日が不安か。
そしてそれを言いたくないか。

「……」

ああ、なんか僕の中のイケナイ衝動が鎌首をもたげてきたぞ?
プライドの高いミスティアのことだ、不安だから一緒に居てくれなんて絶対言うまい。
じゃあどうする?
それを察した紳士な僕は悟られないようにそばにいてやるか?
優しい言葉をかけてやるか?
なぁに、僕が本気出せば駄雀の不安を消し去ることなんて簡単さ。

でもまあ、そんなことしないけども。

「ったく、なんだってんだよ」
「あ……」

僕はベッドから立ち上がり、ミスティアから距離を取る。
思わず寂しげな声を上げ、慌てて口元を押さえるミスティアが堪らなく可愛らしく見えた。

あー。
いじめたい。

優しくして欲しいのに言い出せなくて悶々とするミスティアが見たい。
もう明日のライブとかどうでもいいからとにかくそれが見たい。

「……待って」
「うん?」
「その、どこ行くんだよ」
「お風呂だよ、そろそろ空いただろうし」
「……私も入る」
「ん? 先入る? いいけど」
「いや、その……うん」

「……ミスティア、行かないの?」
「あ、いや」
「どしたんだよ、ほら後がつかえてるんだから」
「……ん」
「おいおい、黙ってちゃわかんないよ」
「…………」

……うっひょー。
たまんねー。

俯きながら何も言えずに唇を噛むミスティア。
これだよこれ、これが見たかったんだよ。
鳴子やリリカじゃこうはいかない。
奴らは降参するのが早すぎる。

昨日今日と本気出し過ぎていささか体が重く感じていた僕だったが、その疲れも吹っ飛んだ。
ついでに歌舞伎塚のことも吹っ飛んだ、なるようになれだ。
いなくなったら戦力大幅ダウンだけども、ウルフ1辺りを拾って来れば問題あるまい。
馬鹿だけど腕力はそこそこあるだろう。

そうだよ、ミスティア達のおかげで僕の手駒候補は大幅に増えたんだ。
向こうに従うという意識が無くたっていい。
動いてくれればそれでいい。

レミリアさんとこみたいな強靭な結束力は無くとも、僕には大して親しくもない人でもある程度使えるスキルがある。
僕が同居人相手にでも『取引』だとか『対価』だとかの、ちょいと他人行儀な言葉を使うのもその辺が理由だ。
同じ要領で、同居人以外の人すら使えるように。

僕のネットワークは浅くて広い。
簡単に減る代わりに簡単に増える。
蟲には蟲のやり方があるんだから。

「よし、たまには一緒に入るかミスティア」
「え? そ、そう? そこまで言うんじゃしゃーねーな、ファンの連中には内緒だぞ?」
「はっはっは、とんだスキャンダルだね」
「おさわりは御法度だかんな」
「背中ぐらい流してやるよ」
「おう、羽の付け根は念入りに頼む」
「御法度じゃなかったのかよ」
「へへっ」

羽をパタパタはためかせ、急に元気になったミスティアに釣られて、2人で笑い合う。
しょうがない。
いいものを見せてくれたお礼に、お前の不安も吹き飛ばしてやろう。





歌舞伎塚との問題を棚上げにしたまま迎えたライブ当日。
今日も防音魔法を1発で成功させ、リハーサルも無事終了。
響子とミスティアの着替えとメイクも終わり、後は開場を待つだけだった。

ライブは今日の18時から1時間半ほど。間にMCを挟みつつ10曲程度の予定だったが、当日は混雑が予想されたため早めに会場を開けることにしていた。
それこそリハを朝から行い、昼の15時には開場するほどだ。
なのに、だ。

「いい加減にしろよ害虫野郎」
「マジで?」
「なんとかしろ」
「……うん、そうだね」

施設前に長蛇の列ができていた。
人が多すぎて自警団が出動するほどの事態になっている。
意味がわからん。
明らかに100人以上いるぞ。
左手が完治したらしい自警団の奴が文句を言う気持ちもよくわかる。

こいつらチケットがいるって知ってるよね。

これはまずいと判断し、通信機を緊急モードで起動、全員に会場時刻を早める旨を伝える。
同時に、余っていた人員を使い、入場にはチケットを購入する必要があることを説明させた。
意味がわからん。
ラジオの宣伝でもちゃんと言っていたし、ファンクラブで作った広告にもちゃんと書いてあった。
いくらそんな文化が醸成されていないとはいえ、幻想郷に有料のイベントが存在しないわけではない。
それこそ落語の寄席だってそうだろ。

と思っていたら説明に行かせた奴から連絡があった。
こいつらほぼ全員、当日チケット狙いらしい。
残り枚数を公表しなかったことが裏目に出た。
焦燥感を煽ろうと『残りわずか』とだけ公示したらこのありさまだ。

いつしかレミリアさんが言っていた言葉を思い出す。
『人間ってのは限度を知らないから困るわ』
マジだった。
侮っていた。
というかよくそんなセリフ覚えてたな僕。

さしあたってチケットを持っている人を中へ通し、当日チケット狙いの人の内、先着28名にチケットを販売して残りには諦めてもらった。
あわよくば競りでもやろうと思っていたがこれは無理だ。
失敗した。
当日券なんて作るんじゃなかった。
128人以上に人を集めて話題性を上げようなんて欲張るんじゃなかった。
意味がわからん。


しかしながらこれは、本日の波乱の序章に過ぎなかった。


1時間後、施設の屋上で鳴子と犬走さん相手に打ち合わせをしていた僕の元に、緊急モードで連絡が入った。

「は?」
『ですから、グッズが売り切れそうなんです!』

いやいやいやいや待て待て待て待て。
200セットだぞ。
写真集とかポスターとか、えーと後、ポストカードとか。
グッズ発注時、どの業者も注文の最小単位が100セットだったため、100か200かの選択を迫られた。
客が最大で128人、屋台の装飾に数セット、ポスターとかは会場内外にも張り出すからさらに十数セット。
それを考慮して200セットにしていたのだ。
売れ残り覚悟で。

それがなんだ。
売り切れ?
まだ始まってねーぞ。
何が起きた。

『1人で何個も買う方がいて』
「……ここからは1人に付き1セットに限定してくれ、何週も並び直す奴には売っていい」
『りょ、了解です』
「残量は?」
『……写真集は20、いや15程です、他は30ほどで』
「了解、売切れたら装飾の物も外して売ってくれ、ちゃんと断ってからね」
『了解です、あ、お待たせしまし―――』

ブツっと途切れる通信機から目を逸らし、空を仰ぐ。
ああ、綺麗だな。
雲1つないや。

こんなことなら写真集もっと種類を作っとけばよかった。
ミスティア特集と響子特集と2人揃ってるやつと3種類。
撮影と編集は業者に頼めば綺麗にやってくれただろう。

そう、ポスターも遠慮しないで10種類くらい作って300セット用意しておけばよかった。
いや、きっと300でも足りないな、400だ。
そしてライブが終わった後でも売るんだ、カセットテープを付けて。

ああ、こんなことなら敷地の外にも出店を出せばよかった。
先着28名からあぶれた人たちが買うかもしれなかったじゃないか。

「現実逃避をしてどうする」
「リグっさんどうしました?」
「……なんでもないよ」

歴史のIFを払いのけ、僕の意識は現実へと帰ってくる。
軽い集団ヒステリー状態の客たちが我先にとグッズ購入に走る現実へと。
……帰りたくねえ。

「……まさか」

はたと気付いて手に持ったままだった通信機に再び火を入れる。

慌てた様子の僕に、鳴子と犬走さんが怪訝な顔をしているのが見えたが、今は構っている暇はなかった。

「こちらリグル、コーラ販売班応答願います」
『…………は、はいー、多々良、じゃなくてアンビュ、アンブレラ1です!』
「コーラとサイダー足りてる?」
『えーっと、ちょっと待ってー、リンクス、えーっと2か3の人ー、残り飲み物足りてるかだってー!』

早くしろ。
グッズが売り切れるのはこの際仕方ないが、こっちが無くなるのはよろしくない。

あの会場、換気がいまいちなうえに今日は僕と鳴子で2重に結界を張っている。
そんな状況で照明を浴びながら歌ったり何だりを1時間も行うのだ。
リハーサルの時だって、結構暑くなった。
春先とは言え、今日は快晴で気温も高い。
本番の熱気は相当だろう。

人間はもろすぎる。
脱水症状で倒れる人とか出したらまずい。

『家主さんー、コーラもサイダーも少ないですー』
「……わかった、人をやって在庫取って来させる」
『あとあと、氷がもうないです! コーラよりそっちがまずいみたいです、この子も疲れちゃったって……』
「……代わってくれる?」
『はーい』

がさがさと電源を入れっぱなしで氷担当のスタッフに通信機が渡される。
こいつは同居人でもファンクラブのメンバーでもない。
臨時で雇った旧友だ。

『もうアタイ疲れたー』
「頼むよチルノ、もうひと踏ん張りだ」
『えー、ここあっついんだもーん』

あつい、もう暑いのかそっちは。
だったらなおさらだ。
水道水を汲み、河童の能力でざっと不純物を抜き、この子の力で凍らせて砕く。
あるかないかじゃ大違いだ。
途切れさすわけにはいかない、なんとか今日1日持たせてくれ。

「わかったよチルノ、お菓子は約束よりたくさんあげるからさ」
『……んー、ほんとー?』
「もちろんだよ、虫歯になるほどたくさんあげる」
『でもあんまりお菓子ばっかり食べると大ちゃんが怒るんだもん』
「わかった、大妖精の分も追加する」
『どれくらい?』
「……チルノと同じだけさ」
『しょーがないなー、アタイ頑張ってあげる』
「うん、ありがとう」

地味に交渉上手な妖精に舌を巻きつつ、通信機のスイッチを切る。
そしてポケットからもう1つの通信機を取り出し、妖力を流し込んだ。
ファンクラブが持っていた奴とは別系統、同居人用の通信機だった。

ファンクラブ用の奴よりサイズが大きくて音質が悪くて音量も小さい上に有効範囲が狭い、そしてプツプツ言う。
連中が保持していた通信機の数が足りず、同居人勢には僕が大急ぎで作った奴を別に持たせていた。
残念ながら互換性を持たせることができず、同居人は同居人同士、ファンクラブはファンクラブ同士でしか通信ができない代物だが、無いよりはマシだ。
解析頑張ったんだけど、防音魔法のこともありそっちまで手が回らなかったのは痛かった。
同居人兼ファンクラブのリリカは例外的な立ち位置だったが、ファンクラブ用のは現在他の奴に渡しているため今はこっちだけ。
あいつはホントにいつもいい位置にいる。

結局ファンクラブの通信術式は誰が作ったのかと聞いてみたら、ドラゴン1の提供だと教えてくれた。
そして美鈴さんに、パチュリーさんに頼んだのかと聞いてみたら自作したのだと教えてくれた。
はんぱねえな紅魔館メンツ。

「リグルよりリリカへ、応答願います」
『リリカです、こちらは異常なしです』
「今から家に行ってコーラとサイダー全部持ってきてくれ」
『え? 売り切れたの? 10ダースくらいあったのに』
「……そうだよね、1人何杯買ったら売切れるんだろ」

ボトル1本で6杯とれるから60本で360杯。
コーラとサイダー合わせて720杯。
客が128人なんだから、単純計算で5杯強。
ていうか1人ボトル1本計算?
スタッフにも多少は飲んでもいいと言っているとはいえ、売切れるほどではあるまい。

「リリカちょっとタンマ、準備だけしておいて」
『はーい』

僕はまた通信機を持ち替えた。

「リグルからコーラ販売班へ、1人何杯買ったら売切れるんだ、その前に紙コップが尽きるだろ」
『え? コップ? なにそれ』
「あ゛?」
『えう? ちょ、ちょっと待って、リンクスー、2か3の人ー』

おいおいおいおい冗談じゃねえぞ。
嫌な予感しかしない、頼むから外れてくれ。

『あ、あの、その、家主さん?』
「ボトルのまま売っちゃった?」
『そ、そうです、あれ? ダメでした?』
「…………」

通信機を切る。
壁に額を付ける。
叫ぶ。

「小分けして売るっつっただろうがああああああああ!!!!」

隣で様子をうかがっていた鳴子が跳ねる。
ガランガランいう。
犬走さんも耳ピーンてなる。
スイッチ入れたままだった同居人用の通信機から何事か聞こえてくる。
無視する。
王様の耳はケモノ耳。

そして再び通信機を起動した。

「あ、繋がった?」
『うえ、あの、アンビュレラ1ですすいません』
「なんか勝手に切れちゃった、通信機調子悪いみたい」
『そうなんですか、こ、こっち、ど、どうしましょう』
「……今からでもいいからコップに入れて売って、値段は30円」
『う、うん、30円ですえ……ですね』
「販売所全部に伝えてね、ちなみに氷も砕いて入れるんだよ」
『あう、透明な奴冷やすのに使ってました』

ボトルごと冷やしてたのか。
そりゃ疲れる訳だ。

「ボトルを直接は凍らせて無いよね」
『う、うん』
「ならいいよ、よろしく」
『りょ、了解です、30円!』

その返事だけ聞いて、通信機のスイッチを切った。
1杯100円で売るはずの所を、1本100円で売っていたらしい。
末端価格500円弱の物を。
死ね馬鹿共。

『ボ、ボス?』
「ああ、リリカ、人貸すから在庫取りに行ってくれる?」
『了解であります、2ダースずつもあれば足りる?』
「うん、そうだね、そのくらい」
『じゃあ1人貸して欲しいかな、リアカーは片付けたとこにあるよね』
「うん、よろしく」

同居人用の通信機も切った。
リリカはいい子だ。
なんて賢い子だ。
涙が出てくる。

「リ、リグっさん、大丈夫ですか?」
「……大勢に影響はないよ、ちょっとでかいボトル持ってはしゃぐ人が増えただけ」
「それは……なんとも……」
「それはいいとして、2人とも写真はちゃんと持ってきてますか?」
「持ってますですよ」
「ここに」

そう言って鳴子と犬走さんが2枚の写真を取り出す。
写っているのは霧雨魔理沙と村紗水蜜。
要注意人物のバストアップ写真だった。
この写真は射命丸さんに提供してもらったものだ、自分でも用意はできただろうが、目上の人とパイプを作りたい時は借りを作るのが手っ取り早い。

「昨日も言いましたがそいつらには特を気を付けてください、何をしでかすかわかりません」
「了解です」
「わかりました」
「よろしくお願いします」

それで警護班の打ち合わせを終え、僕と鳴子は会場内へ、犬走さんは結界の外へと向かった。
もちろん警護班は他にもいるが、歌舞伎塚はともかく他の奴らに小難しいことができるとは思えなかったので2行くらいのマニュアルだけ渡している。

暴れる奴がいたらつまみ出せ。
勝てなさそうなら僕を呼べ。

それだけで十分だ。


今回、犬走さんには防音の魔法の範囲外で待機してもらうことになる。
鳴子は自分の警戒範囲ならどこに居ようとも精度は変わらないが、犬走さんはそうではない。
千里眼はともかく、音が聞こえなくなるのはよろしくないからだ。
僕が張った防音の魔法は中の音を外に出さないでくれるが、逆に外の音も中に入れずにシャットアウトしてしまう。
という訳で、内側の脅威は歌舞伎塚を含めた主要メンバーで囲み、外からの脅威は犬走さんを始めとした少数で警戒することとした。
両方に目が届くのは僕と鳴子だけだ。

そんな鳴子と共に、会場上部のキャットウォークを進む。
眼下にはすでに満席となった客席がライブの始まりを待っており、キャットウォーク内では河童を中心とした機材スタッフが忙しそうに走り回っている。
妖怪と人間が3対7くらい。
良い眺めだ。

「……リグっさん」
「んー?」
「これ、リグっさんが作ったんですよね」
「どれ?」
「この景色です」

そう言って鳴子は大げさに両手を広げて観客席を指す。
そして、その腕の動きに合わせてガランガランと木片が鳴った。

「僕だけの力じゃないさ」
「……リグっさんはたまに、自分は凡人だって言いますよね」
「うん、言うね」
「凡人にこんな真似はできませんですよ」
「できるよ、こんくらい」
「凡人って言うのは私やリリカちゃんみたいなのを言うんですよ、何の力もなく、生まれたこと自体が間違いみたいなのをね」
「……間違いか、生まれてきたことが」
「私も普通の命が欲しかったですよ、今更ですけど」

付喪神の人生観は僕にはわからなかったが、はたから見ている限り僕らとそうは変わらないだろう。
でも、だからこそ辛いのかもしれない。
妖怪と共に歩むには、彼女はあまりに貧弱すぎる。

「鳴子、お前はなんで生まれたんだい?」
「世界のシステムは知りませんよ、ゴミが瘴気にあてられて動いてるだけです」
「違うよ、お前は望まれて産まれたんだ、どこかの誰かが、自分の身を守るためにお前を必要としたんだ」
「……ほんと、どこの誰なんでしょうね、私のパパは」
「鳴子、僕には労せずして手に入れた物が2つある」
「……? 私とリリカちゃんですか?」
「蟲を操る能力と、あの家だよ」
「そうですか」

能力は生まれた時から持っていた。
家は偶然手に入れた。
でも。

「でも、残りは全部、努力で手に入れた」
「……それは十分、特別ですよ」
「特別かな、これこそが普通なんだと思ってたよ」
「私が劣ってるだけってことですか、まあ、否定できる事ではないですけど」
「正直、大当たりだと思うんだよ、蟲繰りの力って」
「まあ、そこそこ強力な気はします」
「そう言った意味じゃラッキーだった、けど、それだけじゃ全然足りない」
「そりゃそうですよ。リグっさんの夢って『アレ』じゃないですか」
「うん、だから足りない分は自力で補わなきゃいけないんだ、鳴子、努力できる事は特別な事かな」
「特別ですよ、できない人からしたらですけどね」

そう言って鳴子は自分の身体を抱きしめるようにした。
カラン、と少しだけ悲しげに木片が鳴る。

「そっか、ありがとう」
「……はい?」
「鳴子だけだよ、僕を特別だって言ってくれるの」
「馬鹿言わないでください、ただのかっこ悪いやっかみです」
「鳴子にだけは教えてあげるよ」
「……何をです?」
「怖いんだ」
「そりゃあそうでしょうよ、誰も笑いなんかしませんよ……」
「吸血鬼が怖いんだ」
「……あの?」
「軍神も怖い、天狗も怖い、管理者も怖い、魔理沙も怖い、もう山になんて入りたくない、紅魔館にも関わりたくない、撃ち合いも御免だ、誰かに会うたびに寿命が縮むよ」
「……」
「特別? 馬鹿言え、特別ってのはああいうのを言うんだ、怪物ってのはああいうのを言うんだ」
「……すいませんね」
「お前会ったことあるか? この世には犬走さんを片手間に蹴散らせる輩がいるんだぞ? 信じられるか?」
「そんなのと、タメ張ってるんでしょう?」
「んな訳あるか、面白がられてるだけだ」
「……そうっすか」

不満そうに目を逸らす鳴子を、横から抱きしめた。
近くで河童が通り辛そうにしているのが見えたが、気にしない事にした。

「なんすか、私はミスティアじゃねーですよ」
「怖くて怖くて堪らないけど、それでも僕はやっていけるよ、お前が支えてくれるから」
「……支えた覚えなんてねーですよ、私の方こそお世話になりっぱなしです」
「お前がいるからだ」
「はい?」
「お前がいるから、僕は安心して休めるんだ」
「……」
「お前は望まれて産まれたんだ、どこかの誰かが、自分の身を守るためにお前を必要としたんだ、そして今も、僕がお前を必要としてるんだ」
「……やめてくださいよ、そんなこと言うの」
「僕だけじゃない、歌舞伎塚もリリカも、ミスティアですらお前に安全を任せてる」
「やめてくださいってば、心にもないこと言わないでください」
「お前はうちの家宝だよ、お前がいてくれるおかげで、どれだけ助かったかわからない」
「……やめてくださいよ、本当に」

鳴子は僕を抱きしめ返したりはしない。
でも、抵抗もしなかった。
握りしめた両手をだらりと垂らし、僕の方に体重を預ける。
きっとこれが、この子の精一杯なんだろう。

「信じたくなっちゃうじゃないですか、大ウソつきのくせに」

鳴子が鼻声でつぶやく。
泣いているのかもしれなかった。

うん、ちょろい。
こういうイベントごとで気分が高ぶってるときにいい感じな事言えば、簡単に心に染み入ると相場は決まっている。
マメな気配りが味方を増やす。
付喪神には『必要』だとか『役に立つ』とかその手の言葉がよく効くらしい。
めんどくさいけど、サボったりはしないさ。
あとは時々エサあげるだけで懐くんだから安いもんだ。





ライブ開始20分前。
会場にはすでに溢れんばかりの観客たちが犇めき合い、今か今かと開始の合図を待ち望んでいた。
リリカも戻ってきてスタッフも配置に就いた頃だろうし、確認もかねて同居人勢に一度コールを入れてみる。

「リグルから全員へ、通信機のチェック、応答願います」

『リリカからボスへ、こちら問題なしです』
「こちら鳴子、異常なしです」
『こちら鳴子、異常なしです』
『歌舞伎塚からリグルへ、こちらも問題なし』
『犬走からナイトバグさんへ、問題ありません』

真横にいる鳴子も律儀に通信を入れてくれたのだが、ユキエからの返答がない。

「……ユキエ、応答願います」
『……』
「……あれ?」
『リリカからボスへ、ちょっと様子見てこようか?』
「お願いします」
『了解でっす』

まさかこのタイミングでドタキャン?
ぶっ飛ばすぞあの女。

『リリカからボスへ、ユキエちゃん通信機故障してます』
「なんてこった」
『お茶こぼしちゃったみたい、聞こえるみたいだけどしゃべれなさそう、指示願います』
「……リリカ、配置変更、そのままユキエと一緒に居て」
『了解でーす』

受付の仕事は終わったようなものだし、問題ないだろう。
一応ファンクラブの1人が受付に残ってるはずだし。
この際贅沢は言っていられない。
このまま行く。

「……」

さて、スタッフの準備は万端だ。
万端か?
まあいい。
主役の準備はどうだろう。

鳴子に2人の様子を見てくると告げ、ステージ横の待機所に向かう。

「うふふ、うまくやるんですよ、一発くらいならヤル時間ありますって」

などと人差し指と中指の間から親指を出してほざく鳴子を蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、ギリギリのところで自重した。
馬鹿言ってんじゃねえ。
さっきまでブー垂れてたくせに。


タンタンタンタンタンタンタンタン……

「……」

そして待機所に入るなり変な音が僕を迎えてくれる。
なんの音かと思ったら、ミスティアの貧乏ゆすりの音だった。
こう、椅子に腰かけてかかとで地面をタンタンタンタン叩いている。
それでいて爪を噛みながら何やらブツブツとつぶやいていた。
とりあえず足を閉じろみっともない。

響子は響子で鏡に額を押し付けて般若心境を唱えている。
なんの宗教だ、って言おうと思ったが仏教だった。
そして例によって能力の暴発で声が聞こえてくる。

2人とも顔面蒼白だ。
ファンに見せたら失望を通り越して医者を呼ばれてもおかしくない。

「羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹……」
【ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー】

「寝ようとしてどうする」

僕のツッコミに、ガバッと2人が頭を起こしてこちらを向く、今僕に気付いたようだ。

「うおー! リグルー! どうしよー!!」
「何が?」
「ライブ始まっちゃう……!」

始まらなかったらそっちの方が困るだろ。

「リリリリリリリググルさん」
「どうした響子」
「緊張して、ふ、震えが止まらないです」
「……はぁ」

まったく、本番前に緊張するなんてわかってたことじゃないか。
大丈夫だよ、終わっちゃえば大したことないから。

「しょうがないな、じゃあ2人のために緊張がほぐれる話をしてあげよう」
「待ってました!」
「さすが!」

すがるような目でこちらを見てくる2人に、僕は大仰に一礼して話を始めた。
さあさ御清聴。

「明日からのことを考えてごらん」
「明日?」
「そう、明日からだ、今日ここにいる人たちは、君たちの演奏を聴きに来ている」
「……」
「その中からきっと、君たちの後輩が現れるだろう」

えーっと。

「その後輩は君たちに憧れてこの世界に入ってくるんだ」
「憧れて……ですか?」
「そう、だから、今日このステージで失敗すると業界全体がコケる」
「余計なプレッシャーかけんなよ!」
「絶対にしくじるなよお前ら」
「お腹、痛くなってきました……」
「その緊張感が楽しいんじゃないか」
「みんながみんなお前みたいに鋼の心臓と肝臓を持ってるわけじゃねーんだよ!」
「あんだけ練習したんだから大丈夫さ、失敗したって死にゃしないよ」
「……」
「……」

気楽に行こうぜ、なんておどけて言ってみたらなぜか2人とも真顔になってしまった。
あれ? おかしいな。
僕の予定ではいつもの掛け合いで普段のテンションに持っていくはずだったのに。

「……そうだよな、いつもお前が見てるのってこういう景色なんだよな」
「リハも無ければ失敗も許されないんですよね、そりゃぬるく見えますか」
「……」

違う、僕はそんな重い話がしたかったんじゃない。
楽しんでおいで、とかそんな感じのことが言いたかったんだよ。

「……やっとわかってくれたか」
「ったく、この期に及んで何言いだすかと思ったら自慢かよ」
「地味にナルシスト入ってますよね」
「いいからとっととやってこい、勢いに任せるとか体が勝手に動くだとかそんな寝言は聞きたくない、一挙手一投足に神経を張り巡らせろ、すべて計算で笑顔を振りまけ」
「鬼か」
「悪魔ですか」
「いいじゃないか、光栄に思えよ? 今からお前らが見る光景はな、お前ら以外誰も見ることができないんだ、幻想郷初の晴れ舞台、前人未到の1ページ目にお前らの名前が刻まれる」
「……まあな」
「大げさですよ」
「大げさなんかじゃない、2回目にはすでに今回と言う実績がある、後輩が出てくるような頃には客もどこか小慣れてしまう、新雪を踏む権利はお前らだけにあるんだ」
「……」
「……」
「最初ってのは最初だけが最初なんだ、未来永劫変わらない最高の名誉を味わってこい、病み付きになるぞ」
「……おっけ」
「了解です」

さらにもう1歩。
ダメ出しに。

「僕は約束を守ったぞ」
「あ?」
「はい?」
「ステージを用意し、機材を揃え、切り株なんかじゃない、本物の大舞台を用意した」
「……」
「……」
「スポンサーを募り、宣伝を打ち、チケットを売りさばき、スタッフを集めた」

「後はお前らだ、主役を張ってこい!」

いつかテントでした約束。
僕は果たした。
すべて用意した。
持ちうるすべてを惜しげもなく使い、何もかもをベットした。
君らに賭ける。

賭けるのは僕の『人生』だ。

「リグル」

手を広げて大げさに演出する僕に、ミスティアがしなだれかかってきた。
ちょうどいいタイミングだったため、思わずそのまま抱き留めてしまった。

「……リグル、ちゅーしていい?」
「いいとも」

化粧が落ちないよう気を付けながら、そっとその唇に触れた。
やわらかい感触が、僕の方にも伝わってくる。
口を離して目を開けると、真っ赤になったミスティアが至近距離で瞳を潤ませているのが見えた。
お前そんな女みたいな顔ができたんだな。

「僕からしたのは初めてかもね」
「……今日ほど」
「ん?」
「今日ほどお前が男ならよかったと思った日はねぇよ」
「何言ってんだよ、僕が男だったらお前、今頃3人くらい子供産んでるよ?」
「あぅ」

【2人の世界に入ってんじゃねーよ】

ふと横を見ると、響子がゲシゲシとミスティアの足を蹴っていた。
対するミスティアは今の感触を思い出すのに忙しいらしく、響子の方を見向きもしない。
衣装汚れるからやめるんだ。

「……私も」

名残惜しそうに離れたミスティアに代わり、今度は響子が抱き着いてくる。
うん、可愛らしさなら響子だな。
女の魅力じゃミスティアだけど。

「ったくしょーがねーなー、ほら、しがみついてないでこっち向けよ響子」
「ミスティアに言ったんじゃないよ!」

キーキーうるさい響子を離し、目線を合わせるために軽くしゃがんだ。

「悪いけど響子、またにしようか」
「……そうですよね」
「ああ、火遊びってのは隠れてやるから燃えるんだよ、今度、こいつのいないところでさ」
「またそういうこと言う」

呆れたように照れる響子は、どこかそうならなくてよかったと思っているようにも見えた。
心配するな、鳥獣伎楽を壊すような真似しやしないよ。

《ご来場の皆様、大変長らくお待たせいたしました。》

「お」
「あ」
「いよいよか」

河城さんによるアナウンスがクライマックスの始まりを告げる。
ミスティアと響子のちょっとした紹介と、今日演奏する曲に新曲が含まれている事とかをだ。

さあ、準備は整った。
行け、2人とも。

《その名も鳥獣伎楽! 幻想郷の新たなスターの登場だっ!》

「うっし、行くか」
「行ってきます!」
「お土産よろしくね」

はい、と、おう、が重なったような返事を聞きつつ、僕は2人を見送った。
その足取りに迷いはなく、ただただ自然体。
照明の関係か、僕にはまるで2人が光に向かって歩いて行くようにも見えた。





響き渡る爆音、かき鳴らされるギター、何言ってるかよくわからないシャウト。
事ここに至っても、僕にはよさがわからない。
ミスティア達にはもちろん言わないが、正直言って価値を見出していない。
これなら一輪の落語でも聞いてる方がよっぽど面白いだろう。
でも観客は大盛り上がりだ。

指揮を取るんならいっそ興味の無いジャンルの方が変に拘らずにできると思った。
僕を満足させてもしょうがない、客の需要に合わせなければいけないからだ。

結果的にその考えは悪くは無かったのだろう。
しかしながらこの温度差のせいで観客の動員数を見誤ったのかと思うと、一概に良いことばかりとは言えないのかもしれない。
今後も大規模なイベントを興すなら、その辺も考慮してチケットの価格を考えないと。

そんなことを考えながらキャットウォークを歩き、鳴子の所にまで戻ってきた。
何事も無ければ終わるまでここでミスティア達の勇士を拝むこととなる。

【あっはー、みんな今日は来てくれてありがとー!】
『Ypaaaaaa!!』
【奥の方の人ちゃんとこっち見えてるー!?】
『Foooooo!!』
【えへへへ、こっちからもねー、すっごいいい景色が見えるんだよ! 信じられないくらい!】

うむ、リハーサル通りだ。
ちゃんと練習通り身体を大きく動かして話せている。
流石は一輪仕込みの落語家だけはあるな、その辺はミスティアの比じゃあるまい。
響子がボーカルでよかった。

ライブでは曲と曲の間に軽くトークを入れるらしい。
MCと言われるそれを僕が知ったのは、実は昨日のことだったりする。
響子から急に文言を添削してくれと言われて初めてそんなものがあることを知った。

もっと早く知っていればと思うところもあったが、内容を把握していなかった僕が悪いのでしょうがない。
一応添削はしたけども、最初から僕が作っていればもっといいものができたかなと思うとやり切れない。
歌うことは2人の足元にも及ばないけれど、話すことは僕の方が得意だ。
次への課題だな。

【んじゃあそろそろ次の曲行ってみよー!!】
『YHAAAAAA!!』
「……」

うるせえな。


何事もなくライブは進む。
歌詞を間違えたり音を外したりと軽いミスこそあったものの、概ね何のトラブルもなく時間が過ぎて行った。

「リグルから全員へ、定時連絡お願いします」
「こちら鳴子、異常ありません」
『こちら鳴子、異常ありません』
『歌舞伎塚からリグルへ、異常なし』
『犬走からナイトバグさんへ、問題ありません』
『こちらリリカ、異常なしです、ユキエちゃんも異常なしです』

「了解」

予定していた最後の定時連絡も終わり、演目の方も残すところあと2曲となっていた。
このままなんの問題もなく終わってくれればいいのだが、最後まで油断してはいけない。

と、そこまで考えて、違和感に気が付いた。
さっきの通信、なんかおかしくなかったか?

違和感の正体を探るべく、僕はもう1度通信機を起動した。

「リグルから全員へ、もう1度連絡お願いします」
『……こちらリリカとユキエちゃんです、異常はありません』
「こちら鳴子、特に問題ないです」
『こちら鳴子、特に問題ないです』
『こちら歌舞伎塚、問題ない、どうかしたか?』
『犬走からリグルさんへ、問題ありません』

「……了解、犬走さん周りに変な奴とかいませんよね」
『はい、特に怪しい人物は見受けられません』
「わかりました、ありがとうございます」

違和感の正体に気が付いた。
何で犬走さんの声の後ろから、ライブの曲が聞こえてくるんだ。
あの人は結界の外にいるはずだろ。

(探れ)

蟲を遣って犬走さんが待機しているはずの場所を探索する。
そして両目をつぶって神経を集中。

蟲繰りの術応用編。
操作する蟲の視界を共有する。

防音の魔法と並行して行う上、複眼の視点で物を見るのは大変だったが、離れた場所の索敵や状況把握には非常に便利だ。
長時間やってると酔うのが欠点だけども。

「……」

犬走さん居ねえ。
どこいったあの野郎。
軽く見回りとかならいいんだが、さっきの通信を鑑みるに……

いた。
防音用の結界内部で油を売っていやがる。

「……ったく」

そして直ちに持ち場に戻るよう伝えるため、通信機のスイッチを入れようとした瞬間。
すぐ横でガラン、という鳴子の悲鳴が上がった。
何事かと振り向くと同時に、僕の本能も警鐘を鳴らした。

何か来る。
予感を越えた確信がこの身を走る。

そして、僕が両方の通信機を同時に起動し、緊急事態の発生を知らせると同時に―――。
その衝撃が、集会場を貫いた。





地震。
最初、地震が起きたのだと思った。
かなり大きい地震だ。
まだ揺れている段階で、放送室の河城さんにライブの中止と避難誘導を行うよう指示を出す。
揺れが収まり次第ドアを開けて観客を避難させろと他のファンクラブの連中にも伝えようとしたところで、第2波がやってきた。

「……ぐ」

またも施設全体に衝撃。
この時点で地震ではないことを確信。
しかし誰かの襲撃というには破砕音らしい破砕音も聞こえない。
ガランガランうるさい鳴子を静かにさせ、蟲を遣って何が起きているのか探ろうとする。

『ボス! 傾いてる!!』
「……傾いてる?」

悲鳴とノイズ交じりの通信機から聞こえてきた声に反応して窓から外を覗いてみると、確かに外に広がる里の景色が不自然なほどに傾いていた。

「い、犬走さん!!」
『あ、み、見つけました! 写真の……村紗水蜜です!! 距離、およそ550、いえ560メートル! 妖力を開放しています!!』
「自警団より先に確保してください! 大至急!!」
『了解!』

ブツっという音と共に、通信が途絶える。
560メートル?
里の端くらいからか?
なんだその距離は、鳴子の射程距離外からなんて。
想定外の事態だ。

まてよ、傾く?
ってことはまさか。

「……マジかよ」

慌てて外を確認してみると、さっき見た時より明らかに地面が近い。
ここはキャットウォーク、普通の民家の2階くらいの高さがある筈なのに。

「うげぇ!?」
「……」

同じく外を確認した鳴子が悲鳴を上げる。
状況は把握した。

「リグルから全員へ、村紗水蜜襲撃、今現在この集会場は沈みつつある、繰り返す、建物丸ごと沈みつつある」

通信機から跳ね返ってくる動揺の声を無視し、さらなる指示を出す。

「地面が液状化している、揺れが収まるのを待つな、直ちに避難誘導を開始しろ」

上空にいた蟲の視界を乗っ取り、集会場全体を俯瞰で見下ろす。
すると、施設を囲む地面が水面のように波打ち、建物自体が徐々に傾きながらも沈んでいくところがはっきりと見えた。
それどころか、地面から飛び出した無数の手のようなものが壁に爪を立て、下へ下へと引きずり込もうとしている。

あり得ない。
何だこの出力は。
何だこの射程は。

どう考えたって、幽霊の力じゃない!

『リグル! リグル応答してくれ! 歌舞伎塚だ!!』
「ど、どうした歌舞伎塚、どこにいる!」
『正面玄関が開かない! 押しても引いてもびくともしないぞ!!』
「……」

……水圧か?

「壊せ歌舞伎塚、弾幕で破壊しろ!」
『ダメだ、壊れない、本気で殴っても傷しかつかん!』
「まさか」

水圧ってのは意外と強力らしい。
押しても開かないのはまあわかる。
でも殴っても壊れないってどういう事だ。

「扉以外はどうだ、壁は壊せるか?」
『……無理だ、数人がかりでやったがびくともしない、結界の影響か?』
「そんな馬鹿な、防音はもう解除してる」

原因が把握できない僕の元に、他のスタッフからも連絡が入る。
内容は同一、外に出られない。

「……」

思い切り窓をぶん殴った。
ただのガラスのくせに、ヒビ1つ入らない。

意味がわからない。
何が起きている。

外に出られない。
外に出られない。
外に出られない?

「……」

視界を共有している蟲を施設付近にまで移動させ、落ち着いて状況をよく観察する。
会場内と通信機から指示を求める声が悲鳴のように聞こえてくるが、今だけは置いておく。

やがてビキビキと、メキメキと、建物が軋む音が聞こえてきた。
水圧に負けているのか、変に傾いて強度的に耐え切れなくなっているのか。
このままでは、倒壊する。

そんな状況の中でも、僕の頭は驚くほどクリアだった。
うん、見つけた。
そういう事か。

「リグルから全員へ、ドアから離れろ、一旦戻れ」

疑問の声があちこちから上がってくるが、構っている暇はない。

「外にいる出店班、この扉は『外側からは開けられる』、タイミングを合わせて同時に開けろ」

『……!!』
『…………っ!』
『……!?』

「は? いや、いいから頼むよ、開けるだけ開ければすぐ退避していいから」

『……っ』
『……!』
『……、……!!』

「……え、ちょ、ちょっと、どこ行くんだ、手が伸びてくる? 大丈夫だから開けてくれ!」

『……っ』
『……』

「お、おい!」

ブツっという音と共に、通信が途絶えた。
まずい。
スタッフが誰も指示に従わない。

沈みゆく建物に近づけだなんて確かにキツイ指示だけど、何も全員が全員……
いや、そんなものか。
その程度のやつらか。
せっかくカラクリがわかったっていうのに。

同居人を全員施設内に入れていたのがまずかった。
ていうかリリカが外にいるはずだった。
配置変更さえしなければ。

「……クソが」

バゴン、と音がしたかと思ったら、歌舞伎塚達が観客を引きつれて会場の中にまで戻って来ていた。
なんとなく出て行った数より少ない気がするが、向こうでトラブったか。

パニックになる会場。
もはや人も妖怪もなくただただ悲鳴が上がり続ける。
どうしよう、どうすればいい。
考えろ考えろ。
犬走さんを戻すか?
いや、村紗水蜜の確保に最低1人は必要だ。
逃がすわけにはいかない。

もう1度近くの窓ガラスを殴りつける。
びくともしない。
いつからここのガラスは防弾仕様になったんだ。
金網すら仕込まれていないじゃないか。

苦し紛れにガチャガチャと鍵を外そうとしてみても、何故かこちらも動かない。
どうにもならない。

「……」

正直、僕はこの時諦めていたのかもしれない。
どこか、こうなる気がしていた。
こんな結果になる気がしていた。
だからこそ、こんなにも冷静でいられるのだろう。

足元のパニックを静かに見下ろしながら、僕は窓の外を眺めた。
段々と近くなってくる地面。
きっと1階部分は完全に沈んでしまっているだろう。
もう入口の扉は開けられない、開けたらあっという間に沈んでしまう。
ここからどうやってリカバリーしようか。

「……」
「リ、リグっさん」
「んー?」
「ど、どうしましょう」
「……どうにもなんないよ、お手上げだ」
「そんな」

もう無理だ。
僕の力じゃどうにもならない。

でも、きっと大丈夫だ。
正直五分五分だったけど、やっぱあれだな、日ごろの行いがいいと、こういう時助かるもんだ。

「僕にはお手上げだ」
「……はい?」
「ああ、信じてたよ、来てくれるって」
「何がです?」

沈みゆく集会場。
あちこちに走るヒビ。
混乱する指揮系統。
止まらないパニック。

そんなこの世の終わりみたいな光景の中にでも、彼らは来てくれる。
この施設、外へは出られなくても、入ってくることはできる。
そして一度破られれば、外へ出られるようになる。
僕はそれを知っているけど、彼らはそれを知らないはずだ。
なのに来てくれる。
地球最強の種族が、来てくれる。

「指折って悪かったよ」

そうつぶやいた瞬間、幾人、幾十人もの人影が、地獄の中に飛び込んできた。
ガシャンガシャンと窓ガラスを突き破りながら、そいつらは勢いをそのままに会場へと飛び降りる。

「それ見たことか」
「……うん、ゴメン」

すれ違いざまにボソッとひと言。
向こうはこっちに聞かせるつもりは無かっただろうし、こっちも向こうに聞こえたかどうかはわからない。

妖怪退治と災害救助のプロフェッショナル。
自警団の登場だった。





いつもいつも邪魔だ邪魔だと思っていたが、言われてみれば活躍の場を見たことはほとんど無かった。
飛び込んできた連中はキャットウォークに着地したかと思ったら、迷うことなく会場へと飛び下りる。
そして空中で手すりに向かってフック付のロープを投げて引っ掛け、下に落ちる前に減速をかけた。
どういう動きだ。

「リグルから施設内の全員へ、もう扉は開くが、すでに1階部分は沈んでいる、2階から脱出しろ」
『リグル! 自警団だ! なぜこいつらがいる!!』
「歌舞伎塚か、連中は救助に来てくれた、ノリで協力しろ」
『……そんな』

一部戸惑う声は上がったものの、それでもファンクラブの連中を初めとした空を飛べる面々が周囲の人間を担いでこちらにまで飛んでくる。
誰か1人が始めれば後は早いもので、残りのメンツも次々と破れた窓から脱出していく。

そして自警団はと言うと、いつの間に用意したのか、大型の担架のようなものをキャットウォークの手すりに括り付け、滑車を通して簡易的なエレベーターのような物を作っていた。
それも同時多発的に5個も6個も。
その昇降式のブランコのような器具に観客を7、8人まとめて載せ、驚異的な早さで救助をこなしていく。
彼らの仕事によどみは無く、日頃の訓練がいかに上等なものかが見て取れた。

自警団は専属じゃない。
上層部や退治屋みたいな何名かの例外を除いて、みんな普通の家の普通の人だ。
日中は普通に仕事をして、空いた時間を見繕って訓練して、そして交代制で勤務をする。

そこで怪我人に肩を貸しているのは近くの惣菜屋の跡取り息子だ。
そこでロープを引いて、ほとんど揺らすことなくエレベーターを引き上げている数名は、大通りにある地域婦人会のおばちゃんたちだ。
そこで瓦礫をどかして進路を確保している息の合った2人は、普段いがみ合っている隣人同士だ。

そんな寄せ集めの集団が、一糸乱れぬ統率の元、1つの危機に食らいついていた。
しかも彼らは通信機なんて代物は持っていない。
でも、繋がっている。

見れば、自警団の連中は人間の観客だけでなく、負傷した妖怪までもを当たり前のように救助している。
付喪神や幽霊ならともかく、人食いすらもだ。
救助されてる本人が一番驚いてやがる。
しかも、もとはと言えばこれは僕のせいで、妖怪のせいだ。
それなのに、こいつらには関係ないのか。

誰よりも甘く、何よりも強い。
レミリアさんが生み出した幻想郷の負の遺産。
14年前の悪夢を繰り返すまいと奮い立った有志の集団。
万物の霊長なんてふれこみは、伊達ではないようだった。

気が付けば会場のパニックも収まり、1階部分に残っている人は半分以下になっていた。
突入からここまで5分もかかっていない。

「リリカ、正面玄関の方に人がいないか見て来てくれ、誰かいたら誘導頼む」
『もう行ってる!』
「……さすが」

通信機を切った瞬間、目の前の手すりに下から自警団が飛びついてきた。
人馬の要領で跳躍したらしい。
そして僕を無視して手すりに滑車を引っ掛けたと思ったら、下に向かって合図を送る。
何をしてるのかと思っていたら、滑車の反対側にベルトで固定された子供が勢いよく上ってきて、手すりにぶつかるギリギリで停止した。
それに気を取られているうちに、上にいた奴が子供を抱え上げたと思ったらあっという間にベルトを外して窓から飛び出していってしまった。
例のエレベーターだけでは足りないのか、そこかしこで同じようなことをしている者が見える。

「はは、すごいな、ここまでできるやつらだったのか」
「……引き抜いて行きますです?」
「……僕には荷が重いよ」
「そうですか」

救助は順調に進んでいるようだったが、同時に床の傾き加減も酷いことになってきた。
そしてついに強度の限界を超えたのか、入り口付近の柱を中心に、数か所の壁が音を立てて崩壊した。

1階で悲鳴が上がるが、ここから見える範囲で瓦礫が直撃した人はいなさそうだ。
しかし、それはあくまで見える範囲の話。
同居人用の通信機から、よろしくない報告が入ってきた。

『こちらリリカ……ボス、まずいことになったよ』
「端的に頼む」
『今ので会場への入り口が塞がれたみたい』
「落ち着いてるなリリカ」
『当然だよ』
「よし、迂回路を指示する、その通りに進め」
『NO、それは無理だよボス、私と観客7人瓦礫で完全に閉じ込められてる、広さはうちの居間くらい』
「……隙間は無いか」
『空気穴程度、おまけに外から水が漏れて来てる、ここ出入り口に近かったから』
「他に妖怪はいるか? 瓦礫を除去できそうか?」
『NO、他は人間だけみたい、今にも天井が崩れそうで、どかしてる時間は無いかな』
「天井を破壊できるか? その真上は何もない屋外だ、まだギリギリ沈んでないはず、遠慮はいらない」
『歌舞伎塚君でも壊せないんでしょ?』
「状況が変わった、もうこの施設はただの建物だ、弾幕で破壊しろ」
『……やっぱりそれはできないよボス』
「……なぜだ」
『今衝撃を加えたら外の水が雪崩れ込んでくる、それくらいギリギリなの、液状化っていうか液体化してるんでしょ、外、1か所決壊したら止まんないよ』
「お前の念動力でせき止められないか?」
『10秒も持たないよ、会場の救助が終了次第、天井を破壊して脱出するよ』
「……リリカ」

眼下では相変わらず救助活動が続いている。
自警団の手際は見事の一言だったか、徐々にその効率も落ち始めていた。
さっきの柱の倒壊を皮切りに、他の柱や壁が崩れ始めてきたからだ。
怪我人が続出して、かなり難攻している。

どう見たって、1分2分じゃ終わらない。

「リリカ、もう5分の辛抱だ、持つか?」
『……無理、もう扉側が限界、泥みたいな水が膝下まで来てる、ポルターガイストで抑えてるけど止めきれない、蛇口思いっきり捻ったくらいに溢れてる』
「耐えろ、耐えてくれリリカ、今河童を向かわせる」
『ダメだよボス、河童さんに万が一があったらもう終わりだよ、山で活動できなくなる』
「心配するな、そうなる前に脱出すれば問題ない」
『どうやって? 四方は瓦礫に囲まれてるよ? 下手に衝撃与えたら水が会場まで一気に来る、傾き的にはここより会場の方が下』
「……瓦礫を、そうだな……」
『他の場所はまだ大丈夫なんだよね?』
「……ああ、今の所、水の侵入は無い」
『上からも水が滴って来たみたい、通信を終わるよ、ここは私が引き受ける』
「……待て」
『葬式は命蓮寺以外がいいな、私もう戒名持ってるからいらないし』
「待てって」
『後の事は他の人に頼んでね、お姉ちゃん達によろしく』
「待てリリカ! 通信を切るな!!」
『…………あーあ』

やりたかったな、ソロライブ。

そんな言葉が通信機越しに聞こえてきた。
同時に離れていくリリカの気配。
通信機の向こう側で、電源が落とされようとしていることがわかった。

リリカが、リリカがいなくなる。
今日1番焦ったタイミングはどこかと聞かれたら、まさしく今この瞬間だったと答えるだろう。

しかし、運命とは恐ろしいものだ。
まだまだ僕は、こいつと踊らなければならないのだろうか。

お前だけでも逃げろと思わず叫びそうになった刹那、その通信機から別の声が聞こえてきた。
よく知っている。
とてもよく知っている笑い声が。

『くはははは、良いもん見せてもらったぜ』

例えどんなにノイズが乗ろうと、どんなに通信機から離れていようとも。
こいつの声だけは間違えまい。

『お礼に良いもん見してやる』
『……ふえぇ!?』

通信機からかすかに聞こえてくる声。
聞く者を例外なくイラつかせる不快な声。
自信と決意に満ちた芯の通った声。

おいおい、確かに全員人間って言ってたけどさ。

『チャージ完了、恋符―――』

いくらなんでも、気付けよリリカ。


『マスタースパアアアアアアク!!』


1拍の後。
遠くの方で、爆音が轟いた。

『ま、魔理沙ぁ!?』
『くはははは、おう、人里美人番付13位の魔理沙ちゃんだぜ』
「リリカ! 状況は? 瓦礫はどうなった!?」
『あ、うん、目の前の瓦礫だけ溶けちゃった、扉側は無事、浸水微弱、瓦礫の向こうに人影なし、あと魔理沙が……』
『なんちゃって二重結界ィィィィ!!』
『……魔理沙が扉側に封印みたいなのしてくれた、ポルターガイスト外しても大丈夫みたい』
「了解、全員連れて会場まで早足、だが走るな、ついでに美人番付12位が響子だって教えてやれ」
『うん、了解!』
『くははははは! 魔法はパワーだぜ』

……助かった。
マジでおしまいかと思った。

危うく懐刀を失うところだった。
お前はある意味ミスティアより貴重な駒なんだ。
僕とお前と歌舞伎塚がいれば、最低限あの家は回せる。
本当に、助かった。


出せる指示は全部出した。
スタッフの位置も確認し、自警団と協力しながら救助をさせている。
もうこれ以上できることは無い。
人知を尽くして天命を待つ。
後はもう、神頼みだ。

ああ、神奈子さん。
あなたの神社にある他の神様の分社達。
あの中に救助担当の神様とかいますでしょうか。
僕は正直神様とかあんまり信じてませんが、今は少なくとも仏よりは信じています。

だからどうか、全員無事に。
今日という日を終わらせてください。


「……」

リリカの脱出から数分後。
僕と鳴子も施設外へ避難していた。

蟲を遣って中の様子を確認する。
1階部分の浸水が取り返しのつかないところにまで来ていた。
あれからたぶん複数個所で決壊が起こったのだろう。
惨憺たる光景だった。

所狭しと打ち捨てられた瓦礫。
崩れきった壁と天井。
原型をとどめていないステージ。
沈みゆく集会場。
傷だらけの観客。
アザだらけのスタッフ。

救助活動は終わったも同然だが、今度は怪我人の搬送に手こずっている。
蟲を遣って索敵してみたが、今のところ死者は出ていないようだ。
自警団の連中が飛び込んできてくれなかったらどうなっていたか。
魔理沙がいてくれなかったら、どうなっていたか。

「……」

なぜだ。
なぜこうなった。

誰もかれもを巻き込んで。
何もかにもをつぎ込んだ。

分を弁えず、恐れも知らず。
全身全霊を振り絞った。
その結果がこれだと言うのなら。
それは。
僕程度のやつは、大人しく生きていろという意味なのか。

崩壊した集会場の端で、僕は自分のなすべきことを考える。
自分の駒はほぼ全員負傷している。
無事だった奴らはその治療に専念している。

どうすればいい。
僕はどうすればいい。

考えても考えても答えは出ない。
ただただ、この後起こることを想像して足がすくむばかりだった。
僕は、特別になれないのか。

「……」
「リ、リグっさん、それ」
「……うん?」

言われて振り向くと、ポタリ、と何かが服に付いた。
同時に鼻から何かが垂れてくる感触。

鼻水でも出たかと思って拭ってみると、その指先は真っ赤に染まっていた。

「……あれ?」
「ちょ、リグっさん!!」

グラリと視界が傾いた。
それは冬眠の時のように急激で、そして抗いようがないほどに強烈に。
鳴子の悲痛な叫びが終わるか終らないかの内。

僕の視界は暗転した。





見覚えのない天井が見えた。

焦点の定まらない瞳で何とか周りを見渡せば、かろうじてここがスタッフ用の仮設テントの中であることがわかる。
救護用の簡易ベッドに寝かされていたらしい。

「……」

身体が重い。
起き上がりたくない。
このテントの外で待っている現実から、少しでも遠ざかっていたい。

緊張の糸が切れていた。
さっきまでの冷静な自分が嘘のようだ。
きっともう、大事な何かを使い果たしてしまったんだろう。

起き上がらなくては。
このベッドから、一刻も早く起き上がらなくては。
僕がいなければ、誰がやると言うのだ。
僕でなければ、誰にできると言うのだ。

何をすればいいかわからないけど、何かをしなければならない。

そうは思う。
そうは思うのだが。

ああ、もうすべてが夢だったらいいのに。
今日も夕暮れぐらいに起きだして、いつもの1日が始まればいいのに。

まず顔を洗うために洗面台に向かうんだ。
そしてミスティアがいたずらしてきて喧嘩になったりする。
台所に行けば歌舞伎塚かリリカ辺りが夕飯を作っていて。
ソファでくつろいでいれば鳴子がガランガランと騒ぎ出す。

そして外に出たら仕事が待ってる。
訃報を知らせて、害虫を回収して、魔法の触媒を提供して。
新しい所に営業に行くのも忘れてはならない。
これをサボるとすぐ人は離れてしまう。

それが終わったら、時々寄る骨董品屋に掘り出し物が無いかどうか探しに行くんだ。
玉石混交の雑多な物の中から宝探しをするのは楽しい。
たまにマジックアイテムが置いてあったりしたら大当たりだ。

最近のトレンドは壺や掛け軸のような調度品。
その辺の雑魚どもには価値が理解できない物も、僕が見れば多少は深く認識できる。
最近、結構いい物が手ごろな値段で転がっていることがよくあるため、その転売だけでそこそこ潤ってしまう。
実にいい仕事をしている。

その為にも情報収取は欠かせない。
ユキエなんかがそのへん詳しかったりするので、情報交換したり。
代わりにこっちは今の流行や安売りしてるお店なんかを教えてあげる。

仕事が終われば勉強の時間。
仕事と勉強の両立は大変だが、やらなければ前には進めない。

勉強するには図書館がいい。
どの里にも最低1つは図書館がある。
でも里によって本のラインナップが微妙に違うところが面白い。

北の里なら酪農関係、南の里では経済学や外の世界から流れ着いたビジネス書。
西の里は農業中心だが割とバランスよくなんでもあり、東の里には歴史書や実学の本が山ほどある。
ふもとの里と言えば料理大全、頼もうと思えば天狗経由で山の印刷所に出版を頼めることもあり、里の料理人たちがこぞって本を出すものだから洒落にならないほどに充実している。
識字率が低いために、写真でゴリ押ししていたり。
その工夫は嫌いじゃない。

だが図書館と言えばここを忘れるわけにはいかない。
幻想郷唯一であろう、魔道書を扱っている図書館。
紅魔館の地下にある魔法使いの城。

あの吸血鬼信奉者の魔女が惰眠と知識を貪る女の園で、毎日コツコツ魔法のお勉強。
アリスさんを始め、知り合いの魔法使いとか誘ってたまに勉強会したり、実に充実した時間を過ごせる。
宿敵の霧雨魔理沙とも、あそこでだけは停戦協定が結ばれている。
パチュリーさんやレミリアさんの怒りを買ったらどうなるのか、僕らはよく知っている。

防音の魔法を覚えるのは本当に大変だった。
いっそ誰かに頼んで代わりにやってくれないかと、何度思ったかわからない。
でもそれじゃダメだ。
この魔法は今回の肝、人任せにしたら足元を見られる。

勉強が終わってから、余裕があればレミリアさんに会いに行く。
あの人は外での仕事をほとんどアウトソージングしているらしく、よっぽどのことが無い限り館のどこかにいる。
いろいろとためになる話を聞かせてもらったり、事業計画の添削をしてもらったり、たまに苛めてもらったり。
本当に、あの人には頭が上がらない。
僕にとっての生きた見本だ。

……。

毎日毎日、飽きることなく繰り返される日常。
でもそれは輪ではなく、きっと螺旋になっている。
同じに見える日々は、毎回どこかが違っていて。
この道を上り続ければ、晩餐会にたどり着ける。
そう信じてやってきた。

あの営業も。
あの仕入も。
あの勉強も。
あの努力も。
あの計画も。
あの苦悩も。

全部が全部、今日の日のために。

ああ、もう。

せっかく現実逃避していたのに。
どうしたって、ここに帰ってくる。
ここに、帰って来てしまう。

「うがあ」

一瞬の浮遊感。
ゴツンと堅い音が聞こえた。

「……げほ」

埃臭い床。
銀色のマット。
動かない身体。

進めと言う僕。
やめろと言う僕。
まるで自分の中で2つの意思があるかのようだった。

動きたくない。
立て。

出たくない。
行け。

逃げ出したい。
戦え。

地面に敷かれたマットをカリカリとひっかき、馬鹿みたいに痙攣する腕で起き上がろうとする。
力が入らず悪戦苦闘するこの姿、こういうのを下手くそなマリオネットだとか、生まれたての小鹿だとか言うらしい。

そういえば昔ミスティアと2人で、小鹿が生まれるところを見たことがあったのを思い出した。
震える足と開かない目で、この世界を堪能しようと産声を上げた小さな命。
母親にすがりながらも、お乳を飲みながらも、もう戦える。

なんだ、今の僕とは似ても似つかないじゃないか。
僕はそんなに、かっこよくない。

かっこよくないから、もういいだろ?
ダメだ、戦え。

辛くて辛くて仕方がないんだ。
……無理すればまだいける。

身体が動かなくなるほどに、苦しいんだ。
……。

もう、疲れた。

僕の中の2つの意思が、弱音の方に傾きかける。
もうこのまま潰れてしまいたい。
本気でそう思った。

そして、そんな瞬間を見計らったかのように。
その歌は聞こえてきた。


「~♪ ~♪」
「……」

低い。
心を落ち着けるような、ゆったりとした低音。
歌詞は聞き取れない。
伴奏もない。

でもどこか心に染み込んでくるような優しい歌。
アカペラの鎮魂歌だった。

「―――♪」

今の僕の心境にピッタリなその歌は、徐々に緩急をつけた声色に代わっていく。
相変わらず歌詞は聞き取れないが、もうそれでいい気がしてきた。
きっと重要なのはそこじゃないだろう。

その声を聴いているうち、僕は自分の気持ちが楽になっていくのを感じた。
ほんの一時だけ、肩の荷を下ろす。

気が付いたら全身の力が抜けて、とてもリラックスしていた。

そしてリラックスしたまま、その歌に耳を傾けた。
歌は段々と、激しさを増していく。

「―――♪♪!」

激しさが最高潮に達した瞬間、一際強く声が高鳴った。
声に対して『高鳴る』と言うのは変な表現だが、僕にはそう感じられた。

曲が進む。
これは行進曲かな。

パニクッた心を落ち着ける低音から、心に活力を与えてくれる元気な歌へ。
僕の心臓が歌に合わせてバクバクと、音を立てて燃え上がっていく。

「―――♪♪」

そして、1度落ち着いて深呼吸をしてみれば、いともあっさり顔を上げることができた。
床に腕を立て、上体を起こし、地べたに座って髪をかき上げる。
ああ、そう言えば髪切るの忘れてた。
そんな下らないことも、今まで気付かなかった。

「――♪」
「……」

拍手もないまま、演奏は終わった。
ひとしきり歌い終えた歌姫が、舞台役者がするように片腕を体の前で曲げながら優雅に一礼する。
かっこつけやがって。

「御清聴ありがとうございました……ってな」
「……ミスティア」

そこに居るのが当たり前だと言うように、僕の相方が立っていた。

幸い大した怪我はしてなさそうだったが、衣装はあちこち破れて酷いありさまだ。
化粧もどこかで落としたのだろう、もとのすっぴんに戻っていた。
うん、やっぱりそっちの方がいい。
よく見れば衣装の破れ具合もミスティアっぽくて決まっている。
なんだ、始まった時よりいいじゃないか。

僕は立ち上がる。
簡単だ。
歩くことだってできる。
そして、抱きしめることだって。

「私はそんな安易なデレは望んでねーぞ?」
「なら突き飛ばせ」
「……ばーか」

嬉しそうに羽をパタパタとさせるミスティアは、僕以上の力で腕を回してくる。
苦しかったけど、それ以上に心地よかった。

「すげえだろ、私の歌」
「うん、最高だった」
「私1人でプリズムリバー3人分だ」
「そっか」
「……前に聞いたよな、何で響子がボーカルなのかって」
「なんだっけ、声質が向いてないんだっけ?」
「んな訳ねーじゃん」

そう言って、ミスティアは腕の力を緩めた。
でも完全には離れずに、額を触れ合わせるように見つめ合う。

「私の歌は、お前に聞かせるためにあるんだよ」
「……」
「お前のために、お前だけのために」
「……」

甘えるように、捧げるように、さえずるように。
ミスティアは言葉を紡ぐ。
その視線を真正面から覗き返すと、濡れた瞳に僕が映っているのが見えた。

「私の歌は、お前の物だ」
「……っ」

僕はとっさにミスティアを抱きしめ直した。
口元でついばむように囁かれ、自分の顔が真っ赤になるのを感じたからだ。
そんなの、こいつにだけは見せたくない。

おのれ。
この僕を黙らせるとは。
いつの間にこんな、小癪になった。

「リグル」
「……」
「リグル」
「うん」
「このテントの外には、地獄が待ってる」
「うん」
「私から見てそう見えるんだ、お前が見たらきっとそれ以上に見えるだろうよ」
「うん」
「行くか?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
「1人で大丈夫か?」
「ううん」

僕はもう覚悟を決めた。
真っ赤に染まった顔を隠すのをやめ、またミスティアの顔が見えるところにまで身体を戻す。
何の事は無い。
向こうも似たようなもんだった。

「1人じゃ無理だ、ミスティア」
「……そっか」
「外に地獄が待っているなら」
「……ん」

「地獄の底まで付いてこい」
「あいよ」

嬉しそうに、心の底から嬉しそうにミスティアは返事をした。
僕も、きっとこんな風に半笑いになっていることだろう。
自分のテンションがよくわからない。

本当に、何で泣いてんだよ2人して。

「行こうか」
「おう」

僕らは今度こそ身体を離す。
そして僕は乱れていたミスティアの衣装を軽く直し、お返しにとミスティアに髪を結ってもらった。
お色直しも済んだところで、いざ出陣。
ミスティアを3歩後ろに従えながら、僕はテントの入り口を開け放つ。

大事なことを忘れていた。
僕は生まれたての小鹿のような澄んだ瞳は持っていない。
何も知らずとも、知らぬままに戦える強さも持っていない。
僕は、あんな風にかっこよくなんてない。

それなのに、こんな僕をかっこいいと言ってくれる奴がいる。
かっこいいと慕ってくれる奴らがいる。

だから僕は戦える。
だから僕は虚勢を張れる。
いいだろう。
かっこいい所を見せてやろう。

「ミスティア」
「ん?」
「愛してる」
「…………うっせ」

地獄だろうがなんだろうが、泳ぎ切って見せるさ。





まず最初に何をすべきか。
それを考えれより先に、ある意味1番会いたかった奴の顔が僕の目に飛び込んできた。

「あ、ボス起きた! 大丈夫? どこか打ったの?」
「リリカ、よくぞ」
「うひょう」

低めの体温が伝わってくる。
頭を冷やすには丁度いいだろう。
よく生き残ってくれた。
本当に、よく。

「く、苦しいよボス」
「リリカ、歌舞伎塚は?」
「あっち、臨時で指揮取ってる、自警団の人が『お前大丈夫か?』って聞いちゃうくらいテンパってるよ、正直笑える」
「お前はホント笑いのツボが僕そっくりだな」
「そ、そう?」

リリカを離し、人だかりの方に向かう。
見れば歌舞伎塚が頭をガシガシ掻きながら慣れない指示を出していた。
あいつデカいからすぐわかる。

「歌舞伎塚!」
「お、おおおおっ! やっと起きたか待ってたぞ! あとはもう任せる、俺には無理だ!!」
「任せろ!」

歌舞伎塚は肩の荷が下りたと言うよりは憑き物が落ちたような顔をする。
なるほど、これは笑える。

「……」

そして僕は、無言でその荷を担いだ。
この重圧は僕の物だ。

まず、人だかりをグルリと見回す。
どいつもこいつも湿気たツラだ。
状況を考えれば無理もないが、ここはひとつ、無理をしてもらいたい。

「聞いて」

指示を仰ごうとする連中を制し、僕は数十センチ、全員から見える高さにまで浮かび上がった。

「遅くなってごめん、寝坊しちゃったよ、昨日興奮して眠れなかったのがまずかった」
「でももう大丈夫、ここから先は全部僕が請け負う」

「……みんなゆっくり息を吸って」
「吐いて」
「吸ってー」
「吐いてー」
「もう1度吸ってー……」
「吐いてー……」
「最後にもう1回吸ってー……」
「吐いてー……」

「酸素が回れば頭も回る、状況を教えてくれ」


死人は?
今のところなし。

怪我人は?
搬送中。

重傷者は何人くらい?
観客にはほぼいない。
スタッフに何名か。
自警団に多数。

医者は?
里中の医者を呼んでる。
他の里にも協力を要請してるらしい。

それは自警団が?
そう。

怪我人の収容場所足りてる?
足りてない。
向こうでゴザ敷いて並べてる状態。

集会場内に人はいないね?
そのはず。

スタッフで動ける人は何人?
ここにいるのと天狗様だけ。

人数を把握したい、整列して。
端から番号。
1、2、3……16。

里長からの連絡は?
自警団がさっき対応してた。

八雲様にご報告は?
してない。

命蓮寺から連絡は?
来てない。

村紗水蜜は?
天狗様が確保している。

自警団に引き渡してないよね?
ゴースト3が絶対ダメだって止めるから。

霧雨魔理沙は?
どっかいった。
たぶん医者の護送。


「……」

おっけぇ。

「こっちの妖獣8名は自警団の援護、医者の護送を手伝って」
「そっちの河童2名は山に行って管理者に通報、歌舞伎塚、護衛に付いてって、マシンガン忘れないように」
「残りは怪我人の収容場所を確保、テントをあるだけ張って治療そのものは向こうに任せる、使えそうだったら出店のパーツもバラして使って」
「なるべく人間を優先してほしい、死なれると洒落にならないんだ」

「こっからが正念場だ、起きたトラブルは無かったことにはできない、だが、今日のお前らは最高に輝いている」
「ここを犠牲者無しで乗り切れれば、まだ望みはある、僕が次を持ってくる」

「鳥獣伎楽は倒れない、そのために、走り回ってくれ!」

鬨の声を上げるスタッフたちを解き放つ。
今日の東の里に訃報は無しだ。

自分も8名の妖獣を連れて自警団の方へと進んでいく。
さあ、あいつを探さないと。

「隊長は?」
「あ、てめえ!」

手近にいた自警団の団員に、指揮官の場所を尋ねる。
風邪は治ったらしいが相変わらずすごいリーゼントだ。
それよりさっさと答えろ、時間が惜しい。

「隊長はどこ? この時期夜になったら冷える、その前に話を付けたいんだ」
「……ちっ、分隊長ー! 虫が来やしたー!!」

分隊長だったか。
前の犬走さんと同じだな。

「よお、なんか言うことあるか」
「他の里の医者を呼んでいると聞いた、護送を手伝わせてくれ」
「その前に言う事は?」
「無い、ただ終わってからなら山ほどある」
「……悪かねえな」

比較的距離の近い南の里と北の里に応援を要請しているらしく、すでに飛脚が書状を持って向かっているそうだ。
しかし向こうで手配した医者を連れてくる道中に、他の妖怪に襲われてしまっては元も子もない。
だがこっちにも妖怪がいれば話は別だ。
話の通じる奴なら『緊急事態』で済む。
獣に毛が生えたようなのは人型には近寄らない。
それでも例外みたいなのはいるが、安全性は格段に増すだろう。

「向こうで押し問答したくない、悪いけど一筆もらえる?」
「ったく、抜け目のない奴だ」

手帳のページを破いて渡し、一緒にカエルの頭みたいな飾りが付いたボールペンも渡す。
いつしかラジオ塔で諏訪子さんに投げつけられた奴をそのままパクったものだ。

「なんだこれ書きやすいな」
「外の技術すごいよね」
「……ほらよ」
「ありがとう、お礼にそのペンあげるよ」
「ま、もらっとく」

指先で器用にクルクルとペンを回すそいつを見て気付いた。
こいつ左利きだったのかよ。

「……班を4人ずつ2つに分けるよ、こっち4人は南の里、こっち4人は北の里お願い、着いたら向こうの自警団にこの紙渡して」

利き腕に関しては気付かなかったことにして、書いてもらった念書をスタッフに手渡す。
次折るときは右手にしよう。

「揉めるようなら向こうに指示仰いで、必要ないって言い出したら引き下がって戻って来てね、よろしく」

応、と走り出すスタッフを見送り、僕はテントを修復しているスタッフの方に向かった。
んじゃ、次。

「ミスティア、響子はどこ?」

テントがいくつも並んでいてる大通り。
施設とは少し離れたところにあった河童用の銃器預かり所は村紗水蜜の力が及ぶ範囲に無かったらしく、たまたまそこに置いてあったテントが無傷で使えたのは大きかった。
その組立作業をしていたミスティアを呼び止める。

「ん、顔真っ青でヤバそうだったから先帰らせた」
「か、帰らせた!? 寺にか!!」
「あっ! い、いや、寺じゃなくて、森の方、森の方」
「……そっか」
「いやお前、そこまで馬鹿じゃねーよ」

「誰か付いてってくれてる?」
「ユキエが一緒だけどよ、なあ、あいつ何もんだ?」
「何が?」
「お前がぶっ倒れてみんな何していいかわかんなくって軽くパニクッてたんだけどさ、あいつ迷わず救護とか人払いとか指示出してくれてさ、そんでいつの間にかライオンに代打ち頼んで裏から状況支えてやがんの、響子の状態にも最初に気付いてくれてさ」
「その話はまた今度でいい?」
「……そうだな、悪い」

響子か、話を聞く限り怪我とかはしてなさそうだけど。
だが精神へのダメージは致命傷になりかねない。
心が折れれば身体が崩れる。
それこそ立ち上がれなくなるほどに。

「響子はわかった、鳴子と犬走さんは?」
「鳴子はあっちで結界張ってる、いらねーとは思うけど念のためってユキエが」
「犬走さんは?」
「天狗はあっちの入口閉められるテント、中に犯人も一緒だ」
「わかった、ありがとう、そっち頼むね」
「おう」

ミスティアと別れ、鳴子を探す。
ちょっとわかり辛かったが、骨折した怪我人に添え木の応急措置をしているのを見つけた。

「鳴子、その人のが終わったらちょっといい?」
「……ちょうど終わったところです。あとはお医者さんに診てもらってくださいね」

応急処置を終えて疲れ切ったような面持ちで付いてくる鳴子を従え、犬走さんがいるはずのテントへと侵入する。
中では仁王立ちの犬走さんと、椅子に縛られた村紗水蜜がいた。
余裕のなさそうな天狗とは裏腹に、この幽霊は全く反省していないようだった。
僕を見るなり顔を歪め、猿ぐつわの上からでもわかるぐらいに不快に笑ってくる。

「お疲れ様です、犬走さん」
「……申し訳ありません、事前に注意があったにもかかわらず、襲撃を止められませんでした」
「いえ、それは後で」
「……はい」

僕は不敵に笑う村紗水蜜に近付き、その猿ぐつわを外す。

「っぷはぁ。あーあ、なーんてツラしてやが」

そして何か言おうとしたクズの顔を思い切り殴りつけた。

2発、3発、4発、5発、6発、7発、8発、9発、10発。
11、12、13、14、15、16、17、18、19、20。
髪を掴んで衝撃を逃がさないようにしつつ、避けることも防ぐこともできないその顔を無言で殴り続けた。
鼻が折れようが歯が折れようが、その歯が拳に刺さろうが。
目玉が潰れてこちらが見えなくなるまで、あごが砕けて喋れなくなるまで。
さっきまでの不敵な笑みが消えて無くなるまで、殴るのを止めなかった。

「あが……」
「……」

痙攣する村紗水蜜に再び猿ぐつわを噛ませ、その服で返り血を拭う。
別に聞きたい事とかは無い。
単に殴りたかった。

「犬走さん」
「は、はいっ!」
「ダメじゃないですか、捕まえるためとはいえ、ここまでしちゃあ」
「…………申し訳ありません」

「鳴子」
「……あの」
「こいつ見といて」
「は、はい? 私がですか?」
「……」

とぼける鳴子にイラついたので、近付いて頭突き気味に額をぶつける。
鳴子の身体から生えた木片が、ガシャンと音を立てた。

「犬走さんとちょっと話すことがあるからさ、その間だけでいいんだ」
「……あう」
「どこにも出て行かないように『閉じ込めておいて』くれる? できるよね?」
「…………」
「こいつ地面を液体化できるみたいだから潜って逃げたりするかも、気を付けてね」

今のこいつにそんな余力は無さそうに思えたが、一応。

「わかった?」
「…………はい」

面白いほど顔面蒼白になる鳴子を残し、犬走さんとテントを出る。
そしてさっきまで僕が寝ていた別のテントに入り、座るように促した。
しかし犬走さんはこれを固辞する。
僕としては自分より低い位置に話しかける方がやりやすかったのだが、まあいい。

「犬走さん、まずは確保ありがとうございました、なんとかあいつに責任をかぶせられそうです」
「……いえ、こちらこそ、未然に防ぐことができず申し訳ありませんでした、これでは何のために私がいたのかわかりません」
「とんでもない、犬走さんにできなかったんです、誰を配備してもダメだったでしょう」
「……申し訳ありません」
「……」
「……」
「……」
「……あの、この後はどうなりますでしょうか、里での犯行ですので八雲様にもご報告を差し上げないとならないのですが」
「それでしたら河童の方に行ってもらいました、問題ないですよね」
「え、ええ、はい、大丈夫だと思います、鉄砲は持たせてますよね」
「持たせてます」
「それでしたら」
「……」
「……」

黙る。
向こうに何かを言わせたい時は、とにかく黙る。
沈黙は金、雄弁は銀。
でもこの言葉ができた当時は銀の方が貴重で高価だったらしい。
どうでもいいが。

「あの、それで私はこの後どうしたら」
「犬走さん」
「はい」
「どうして持ち場を離れていたんですか?」
「……っ、いえ、その」

あまりにもわかりやすく犬走さんは動揺する。
ばれていないと思っていたらしい。

「防音の魔法は内部と外部の音を隔てるもの、中の音が漏れない代わりに外の音も聞こえない、そう説明しましたよね」
「……はい、説明を受けました」
「外部からの脅威に対応するために、犬走さんには防音の魔法の範囲外にいるように頼みましたよね」
「……はい、そう指示を受けました」
「どうして持ち場を離れていたんですか?」
「……」
「答えられませんか」
「……その」

また黙る。
お前が言わなきゃ終わらないぞ。

「その、つい、聞きに……」
「……」
「聞きに行ってしまいました、歌を」
「……そうでしたか」
「本当に申し訳ありませんでした」

深く頭を下げる犬走さんだったが、僕はそれほど気にしてはいなかった。
パンクロックは不満の爆発をモットーとする。
だからこそ、『普段から不満を溜めている人』ほど夢中になる。
そう響子とミスティアから聞いていた。
まさかとは思っていたが、本当にまさかが起こるとは。

「弁解のしようもありません、腹を切れと言われるのでしたら今すぐにでも」
「いえいえ、いいんですよ、誰にだって魔が差すことはあります、気にしてません」
「……恐れ入ります、申し訳ありませんでした」

ああ、こういう時使うのか。
恐れ入りますって。

「それは別にいいんですが」
「はい」
「もしかして指摘されなかったら誤魔化す気でしたか?」
「……それは、その」
「誤魔化す気でしたよねさっきまで」
「……はい」
「山ではどうだか知りませんが、森じゃあミスそのものよりも原因を誤魔化すことの方が罪深いんですよ、切ります? お腹」
「……いえ、山でも」
「持ち場を離れるくらいどうってことはありません、それが一因となって襲撃を検知できなかったのだとしても許します」
「……」
「ですがそれを隠そうとしたことは許せません、白狼天狗ってみんなこうなんですか?」
「ち、違います!」

犬走さんは泣きそうな顔になりながら僕の肩を揺さぶる。
力が強すぎて骨が軋むほどだ。
加減を知らないのかこの犬は。

「私が! 私だけが無能なのです! 他の者は決して!!」
「無能だなんて言っていません、能力の問題じゃないんですよ」
「……み、見栄のために、失態を誤魔化すような恥知らずは、私だけです、私だけなんです」
「……」

さーって、言おうっかな、どうしよっかな。
今言ったら犬走さんの心を軽々と砕くであろう最悪の禁句、『まるで鴉天狗みたいですね』。
どうしよっかな、言わないであげよっかな。
よし、3秒以内に肩を放したら言わないであげよう。

「……鴉天狗、みたいですよね」
「……」
「いつから私は、こんなに醜くなってしまったのでしょうか」
「……」

わかりやすいほどに耳をへたらせて犬走さんがつぶやく。
驚いた。
まさか自分から言うとは。
ほとんどすべての白狼天狗は、というか白狼じゃなくても大体の妖怪は鴉天狗に対していい印象を持っていない。
その力はともかく、性格は弁護の余地のない下種。
響子を拉致ったりするし。

あれと同列に語られるなんて死んでも御免だろうに。
奴らの悪事をよく知る白狼天狗ならなおさらだ。

「……犬走さん」
「はい」

気が変わった。
反省しているようだし、許してあげよう。

「2度目はありませんよ、次は正直に報告してくださいね」
「は、はい、必ず」
「幸い犬走さんの見栄っ張りぶりを知っているのは僕だけです、ま、同僚の方には黙っててあげましょう」
「恐れ入ります」
「これは貸しです、いつか必ず返してもらいますからねっ」
「……はい! 必ずや」

救われたような顔で敬礼する犬走さんの手を取り、テントの出口へと歩き出した。
そして慌てたように付いてくる犬走さんに、この話は終わりだと伝えてあげる。

「さあ、まだまだやってもらうことはたくさんありますからね、覚悟してくださいよ」
「はいっ、何なりと」

目じりを拭って笑顔を取り戻した犬走さんを見て思い出す。
天狗を使おうなんて100年早い。
どの辺が早いと言うのだ。
お前鳴子よりちょろいじゃないか。





その後、自警団と無事合流できたらしい護送班と合わせ、全員総出で事態の収拾へと乗り出した。
東の里の里長とか集会場の持ち主とかに平謝りしつつ、医者の指導の下、できる限りのことをしていく。

村紗水蜜の力が失われたためか、いつの間にか集会場付近の地面は元に戻っていた。
1階部分が完全に地面に埋まり、その状態で固定されてしまっている。
破壊された窓から中を覗いてみると、まるで斜めに切断された建物が地面から生えているようにも見えた。
トリックアートみたいだ。

そんな不謹慎なことを思っていた所に美鈴さんがやって来た。
山に使いに出した河童と歌舞伎塚も一緒だ。
聞けば、村紗水蜜を引き取りに来たと言う。

本来ならば当然管理者の管轄なのだが、紅魔館が代行という形で下請けしているそうだ。
まさか嘘なわけあるまいと判断し、下手人を拘束してるテントに案内した。
紅魔館の住人に対して犬走さんが若干反応したが、今は関係ないから黙っててもらう。

判別できないレベルに顔がぐちゃぐちゃだったのでちょっとまずいかと思ったが、美鈴さんは特に気にしてはいないようだった。
美鈴さんも覗こうと思えば頭の中を覗けるらしく、少々手こずりながらもこれが襲撃犯だと断定してくれた。
それに最悪『犯人』さえ上がれば別にいいと言う。
凶悪過ぎんぞ紅魔館。

そして夜も更け、薄着では少々肌寒く感じるようになってきた頃。
怪我人の治療も一通り終わり、事態は一時的にとはいえ終着へとこぎつけられた。
襲撃から数時間、だいぶ遅くなってしまった。

駆けつけてくれた医者たちも今日は東の里に宿を取ると言うので、宿代と称して少しばかり多めに握らせた。
自警団も解散となったようなので、こちらも手が空いた者から順番に帰らせる。
里長や自警団の分隊長たちと今後について話し合い、さしあたって責任の所在を明確にする事と犯人の公開などを条件に僕は解放された。
チケットの返金はこっちで独自にやるが、怪我人への治療費などは自警団が一括して管理してくれるらしい。
マージンはいくらかと聞いたらひっぱたかれた。

そんなこんなで歴史の教科書に載りそうなほどの規模となった今回の事件は幕を閉じた。
処理すべき残件は山積みだったが、犠牲者が出なくて済んだのは幸いだった。
本当に、いろんな人に助けられた。

まったく、こんな形で歴史に名とか遺したくないよ。





明日からも謝罪だなんだとあちこち回らなければならないが、響子のことも気にかかる。
というか一番ヤバいかもしれない。
あの子のメンタルを考えれば、初ステージがおしゃかになって、しかも犯人が身内とくれば頭を抱えてふさぎ込んでいたっておかしくない。

まずいな。
何かうまい言いかたを考えなければ、2度とステージに上がらなくなってしまうかもしれない。
それだけは避けたかった。

「……ただいま」
「あ、ボスおかえりー」
「響子は?」
「……寝室だよ」
「様子はどう? 怪我とかしてない?」
「怪我はしてないと思うけど……」
「そっか」

別れの言葉もそこそこに、急いで寝室へと向かう。

いいセリフは思いついてない。
だが、これ以上待ってもいられない。

ぶっつけ本番、やるしかない。

「……響子」
【ひぅ!】

僕の個室のすぐ隣、女性陣が共用で使用している寝室に響子はいた。
乱雑に積まれた座布団の山と壁に挟まれ、入り口からはその姿がよく見えない。

「電気も点けずに」
「……」

スイッチを入れられ、人工の光で明るくなった寝室。
ゆっくりと響子の方へ足を向けた。

「……」

なんて言おうか。
真面目に諭そうか。
敢えて開き直るか。

絶対にさじ加減を間違えられない。

だからまずは、当たり障りなく観察を。

「響子、怪我は無い?」
【あうぅぅ】

響子はその小さな体を隠すように座布団の山へとしがみ付く。
しかし、所詮は積まれているだけの布きれだ。
しがみ付いた途端、山は響子の体重に耐えられずに簡単に崩れてしまった。

【うぐぅぅぅ】
「……」

うめき声を上げながら響子は頭を抱えてうずくまる。
崩れた座布団をかき集め、必死に現実から目を背けている。
まるで見られることを怖がるように、まるで叱られる前の子供のように。

これは、相当キテるんだろうな。
ならまずは、関係ない話から入ろう。

慎重に、慎重に。
この子がもう嫌だと言えば、それで終わりだ。
それだけで鳥獣伎楽は2度と立ち直れなくなる。
ただ汚名だけがそこに残り、後に続く者は皆無となるだろう。

僕はレミリアさんの餌場を荒らしてまでしゃしゃり出てきたのだ。
それだけは、意地でも避けなければ。

「響子、お腹すかない? 何か食べた?」
「……」

僕はとりあえず、その場に座ることにした。
足を崩して、楽な感じに。

「衣装のままじゃないか、そのままじゃ身体冷やすよ、着替えよう?」
「……」

響子は動かない。
ただただ、座布団にしがみ付いている。
そうしていれば、何かが解決するとでも思っているのだろうか。

天岩戸作戦でミスティア辺りを呼んでくるのもいいかもしれないと思ったが、今の姿を見られるのは嫌だろうと思って却下。
次の策に。

「……」
「……」

次の策、『黙る』。

向こうに何かを言わせたいときは、黙るというのは結構有効だ。
ただひたすら待つ。
自分が何か言わなければ、と向こうが思うまで。
これ以上追い込むのも逆効果とも思ったので、可能な限り表情から剣は取った。

「……」
【うぅ……?】

先人の知恵はやはり有効だったようで、カタカタ震えていた響子が様子をうかがうようにこちらを覗きこんできた。
まだ化粧も落としていないようで、涙と鼻水で酷いことになっているのを確認する。
とりあえず最終的にそこを指摘して笑い話風にしようと心の中に書き留めた。

「……」
「……」

座布団越しに覗いてくる小動物のような瞳を見詰め返しながら、僕は少しだけ響子に近づいた。

「響子」
「……はい」

やっとだ。
やっと話ができる。
話すこと決まってないけど。

「怪我は無かった?」
「……はい」
「そっか」
「はい」
「お腹空いてない?」
「……少し」
「……」
「……」

やっべ、話のネタ尽きた。
どうやってここからライブの話に持っていこう。

いや、なんだったら有耶無耶にしてもいい。
恒久的にはもちろんダメだが、今日明日くらいなら保留にしたっていい。
叱咤激励で奮い立たせるより、落ち着いてから話す方がたぶんこの子には有効だろう。

「……なにか軽いもの作ってくるよ」
「……」

今日はもうこの話はすまい。
そう思って立ち上がろうとしたところで、響子の方からアクションがあった。

「……あの」
「うん?」

言ってから『ヤベ』と思った、切り返しが早すぎた。
とっさに座り具合を直すふりをして、数秒ほど時間を稼ぐ。
大丈夫、落ち着いて話してくれ。

「あの、怒ってないんですか?」
「……うん?」

怒る? 僕が?
ああ、村紗水蜜のことか。

「何言ってるんだ、怒ってるに決まってるじゃないか」、
「あうぅぅぅ」
「ぶちのめしてやったよあの幽霊」
「……ぅぅぅ? いえ、あの、水蜜先輩じゃなくて」
「あ、犬走さん? よくわかってるじゃないか響子、そうだよ、あの天狗結局全然役に立たないし、何してたんだよホント」

驚いた。
まさか響子がそこまで見える奴だったとは。
神奈子さん経由の半強制とは言え、引き受けたくせにあのざまだ。
たかが幽霊如きにしてやられるなんて。

「……じゃなくて、その、私は?」
「響子に? なんで?」
「……」
「怒ってないよ?」
「……」

うん?
何でこの子は自分が怒られると思ってるんだ?

「本当にですか?」
「うん、怒るようなことないでしょ、響子は悪くなんてないんだから」
「……」

というか思ったよりへこんでない。
むしろチャンスか?
軽いノリで落とし前だけ付ければ、僕としてはそれで……

「こっちこそゴメンよ、危ない目に合わせちゃって」
「……」
「あれだけの警備じゃ足りなかったみたいだ、次はもっと安全を確保するよ、例えば、あー」
「……う」
「よし、天狗を増やそう、なぁに、神奈子さんに今回の犬走さんの失態を伝えればもう2、3人貸してくれるよ、あの人結構ちょろいし」
「……うぐ」
「後はそうだね、やっぱり屋外の方が良いのかな……」
「……うぐぐ」
「…………うぐぐ?」

【うがああああああーーー!!!】
「オゴッ!」

耳をつんざくほどの響子の絶叫が聞こえたかと思った瞬間、額に衝撃が走る。
何だ、狙撃か。

床を転がるマイクが視界の端に映る。
響子がライブ中に使っていた奴だ。
持ってきてたのか。

【な、舐めてんじゃねええええ!!!】
「あががが」

飛びかかってきた響子をとっさに迎撃しようとするのをとっさに止める。
おかげで受け身も取れずに後頭部を床に打ち付けた。
いってぇ。

【わ、私はっ、私はあああ!!】
「……」

響子は僕に馬乗りになったかと思うと、襟首を掴んでガクガクと揺さぶってくる。
止めろ、酔う。

「わ、私は、ずっと、ほ、干されると思って……」
「……え?」
「ふ、ふざけんなよ、馬鹿にしてんのか、馬鹿にしてんのかー!!」
「……ホサレル?」

ホサレルって何?
業界用語?
仏教用語?

「……ふはぁ」
「……」

揺さぶるのを止めた響子は、力尽きたように僕の胸に頭を預ける。
残念ながら大した弾力は無いぞ。

「離しちゃったんです」
「……何を?」
「マイク、離しちゃった」
「……」
「本番中だったのに、絶対最後までやり切るって決めてたのに」
「……お前」
「私は、プロなんだから」
「……」

いやお前、あの状況で歌い続けてもしょうがないだろ。
速やかに中断して避難を開始してくれないと。
プロならその辺、迷いなく切り替えてくれよ。

言いはしないけどさ。

にしてもそうか。
そういう事か。

【それに……】
「……」
【水蜜先輩を、止められなかった】
「……」

絞り出すような声が響く中、僕はやっと状況を理解できた。

馬鹿か僕は。
この子は危険に晒されて怯えてたんじゃない。
僕に見放されることを恐れていたんだ。
道が断たれることだけを恐れていたんだ。

一連の出来事は村紗水蜜の、そして僕の責任だ。
どこをとっても響子は被害者で、責められるようなことは無いはずなのに。

それでもこの子は、それが自分のせいだと思ったのだ。
たぶん直接的にどうこうって訳じゃなく、自分がちゃんとしてれば村紗水蜜は何もしてこなかったはずだとか。
そんな検討外れなことを後悔していたんだろう。

見誤った。
完全に見誤っていた。

「次を!」
「……」
「次の舞台を寄越せプロデューサー! 私は2度とマイクを離さない! 死んでも歌いきるから!!」
「……ふは」
「ステージを用意しろ! 機材を揃えろ! 切り株なんかじゃない! 本物の大舞台を用意しろ!!」
「ふはははははは!」
「スポンサーを募れ! 宣伝を打て! チケットを売りさばけ! スタッフを集めろぉ!!」
「ははははははは…………あー、響子」
「私がそこで、主役を張るからぁ」
「惚れたぜ」

なぜ気付かなかった。
これほどまでの熱量になぜ気付かなかった。

ライブを潰されたことよりも。
自警団に介入を許したことよりも。
魔理沙に借りを作ったことよりも。

これぞまさしく、一生の不覚。
この子は僕が思っているより、ずっとずっと強かった。

ああ、もっと早く気付くべきだった。

思えば単純な話。
こいつは、あのミスティアが心を許すほどの奴なんだ。
ただ者じゃないに、決まっている。

「よく吠えた」
【うぐうううう】

僕の胸に泣き付く響子の頭を撫でながら、今後のことを考えた。
予定変更。
この子がこれほどの子だと言うなら、取れる戦略は大きく変わる。


そして響子が泣き止んで落ち着くころには、すでに次のプランは決まっていた。
さあ、このままもう一勝負だ。

「響子」
「はい」
「鳥獣伎楽の初ライブは潰された」
「……はい」
「犯人は村紗水蜜だ」
「はい」
「その村紗水蜜は管理者に粛清された」
「……」
「理由は『里で暴れたから』だ」
「……はい」
「『鳥獣伎楽に喧嘩を売ったから』じゃない」
「……」

泣きはらした目を隠すこともなく、響子は僕の顔を覗いてくる。
ああ、ますます化粧が酷いことになっている。
からかうの忘れてたな。

「村紗水蜜の単独犯か?」
「……」
「それはたぶんそうだろう、じゃあなんであの里にいた?」
「それは」
「命蓮寺の他のメンツは? 響子の晴れ舞台になぜ来なかった?」
「……」
「いくら距離があったからと言って、本当に天狗の千里眼をかいくぐったのか? どうやって?」
「……まさか」
「そもそもあの時命蓮寺のメンツはどこで何をしていた? 布教活動か? 東の里で? 他のメンツはいなかったぞ?」
「……」
「なぜよりによって村紗水蜜だけがあの場にいた? なぜ白蓮や一輪はあいつを押さえていなかった?」

どこまで積極的かはわからない。
動機もわからないし、そもそも全然違うのかもしれない。
でも。

「無関係じゃない」
「……はい」
「はっきり言おう、僕は村紗水蜜ならやりかねないと思っていた」
「私もです」
「他の人は?」
「……少なくても聖と一輪先輩は、ぬえ先輩や寅丸先輩は微妙な所ですが」
「十分だ、そいつらはそれと知りつつ奴を野に解き放った」
「……はい」

挑戦者の敵はいつだって部外者だ。
何の関係もないのに、人の邪魔をしてくるやつはどこにだっている。
この20年、そんな連中を嫌というほど見てきた。
嫌というほど、本当に嫌というほどに。

「僕は命蓮寺を許さない」
「……」
「響子、お前は……」

好きな方に付け。
そう言おうとして、やめた。
そんなことは聞くまでもなく、その瞳が語っていた。

「響子」
「……」
「お前は、僕に付け」
「……」

2人きりの寝室。
薄暗い照明。
物音はひとつも聞こえてこない。

そんな官能的とも言える空気の中。
僕と響子は見つめ合う。
そして、幾ばくかの逡巡の後。
その震える唇が『はい』と動くのを確かに見届け。
静かに塞いだ。





翌日、無事だったファンクラブの連中にチケットの返金を任せ、僕は東の里の自警団の事務所に向かっていた。
ちなみにチケットの返金は半券と引き換えだ、切り取れるタイプにしといて本当によかった。

それはいいとして、怪我人の見舞の前に自警団の連中にひと言筋を通しに行こうとしたのだが、道すがら余計な奴に出くわした。
お前は最後にする予定だったのに。

「おいテメー何ガン付けてんだコラ」
「見るに堪える顔かよ」
「はあ? この美人番付13位の魔理沙ちゃんに何言ってんだてめぇ」
「何だそんなもんか、うちのボーカル12位だぞ」
「妖怪じゃねえか、よーし、そいつが消えれば私が12位だな?」
「よく考えろ、お前に票を入れた連中が望む物は何だ? お前が結果に不平をいう事か? それとも次の番付で順位を伸ばすことか?」
「妖怪退治に決まってんだろうが」
「じゃあ13位でいいだろ、死神め」
「……そういう事ならしゃーねーなぁ」

納得しやがった。
ていうか照れるなキモイ。

「デレデレしてんなよ気持ち悪い」
「いやー、妖怪に死神だなんて、言われてみるとうれしいもんだ、くはははは」
「……」

魔理沙は勝ち誇ったように高笑いをする。
とんだゴルゴ13だった。

「まあ、冗談はこんくらいにしといてやらあ」
「……どうもありがとうございました」
「あ? 聞こえねーよ、昨日の事件のせいで耳聞こえ辛いんだわ」
「どうもありがとうございました! おかげさまで助かりました!!」
「…………くははははははははははははっ! バーカバーカ! なんだそのツラ! なんだそのツラ!! あーははははははははははははははははははははははははははは!!!」

笑いすぎだクソ野郎。

「ゲホッゲホッ、あー笑った笑った、ま、以後気を付けるようにな? 今度焼肉でも奢ってくれや、食べ放題じゃない所な?」
「……くっ」
「くははははははははは!」

不快な高笑いを残して魔理沙は去っていく。
公衆の面前で恥をかかされた僕だったが、文句の言える立場ではなかったため何も言えなかった。
あの野郎、いつか生きたまま脳みそ啜ってやる。

そして最悪なテンションを気合で押し殺しながら自警団もとに向かい、詳しい事情聴取を済ます。
嫌味交じりに根掘り葉掘り聞かれて存外にめんどくさい。
後でこれを管理者か紅魔館でもやるのかと思うとさらに憂鬱だ。

丸1日掛けて弁償だなんだと金額をざっと洗い出す、昨日の今日で請求書出てくるなんてずいぶん早いと思ったらなんだこのボッタクリ価格は。
言い訳がましくならない程度に内訳を聞く形で高すぎないかと尋ねたら、里間の移動費で割増しを掛けていると言われた。
それでも高過ぎんだろとも思ったが、対等な立場での交渉ではないうえに最終的には命蓮寺に請求するのだから別に値切る必要もないと思ってその金額で了解しておくことにした。
絶対これドンブリ勘定だろ。

やっとの思いで家に帰る。
そして家に帰ったら帰ったで、押しかけていた鴉天狗共の取材陣がハイエナの如く群がって来た。
虫に群がる鳥という構図に生理的嫌悪を抱いたが、全力で我慢。

半笑いで心底嬉しそうに挑発してくるクソ共を相手に、疲れを隠しきれない様子を演出しつつ、素直に失態を認めて誠実に対応するふりをして、それでいて不自然の無いように責任をすべて村紗水蜜に押し付けた。
めんどくせえ。
他のスタッフには1言も対応するなと言っておいて正解だった。
こんなのに尋問喰らったら響子じゃなくてもトラウマになる。

総勢二十数名もの鴉天狗に好き勝手問い詰められ、途中で何度かキレそうになりつつもすべての質問をいなしていく。
そして朝になるまで続いた質問攻めが終わった後、比較的まともな聞き方をしてきた数名の天狗にサシで取材できないかと打診する。
判断の難しい詳しい事情を説明したいと言ったら全員二つ返事でOKを出してくれた。
日頃発行している新聞も鴉天狗の中ではまともな方だし、白狼天狗のテロの時も対応がよかった連中だ。
ひたすら向こうを立てる言い方でその旨を伝えたら、日時を僕に指定させてもらえたうえ、場所代も向こうが持ってくれると言い出した。
そう来なくては。

僕はこれから話題に欠かない妖怪になる。
なってみせる。
だから今のうちにメディアを味方に付けたかった。
射命丸さんがいないのが気になったが、どうしよう、呼ぶか?

「……」

そしてまた翌日。
翌日?
翌日じゃなかった3時間くらい仮眠を取った後。
僕は紅魔館へと急いだ。

そしてこれから寝るつもりだったらしいレミリアさんに泣き付いた。
金貸してください。
すぐ返しますから。

事情聴取もまだの状態でいきなりこんなことを頼むなんて礼儀に欠けるとかいう以前の問題なことは重々承知だったが、他に頼れる人がいなかった。
弁償額がヤバい。
治療費とかボッタクられまくっているうえ、見舞金とかも洒落にならない額になっている。
もういつもの会話術だとか交渉術とかでどうこうできる範疇を越えていたため、そのおみ足に縋り付いてひたすら頼み込む以外になかった。

デコピンこそ食らったものの、命蓮寺から無理やりにでも引っ張ってくるという約束で貸してくれた。
トイチで。
まずいこれ近々にケリをつけないと今度はこっちでパンクする。
パンクしたら血で払えとか言い出しかねないから恐ろしい。

なんだかんだありつつも貸してもらえた札束を受け取り、紅魔館を後にした。
借用書を出されなかったので書かなくていいのかと聞いたら、別にいいと言う。
法なぞ知らん、払わなきゃ刈り取る、とわざわざ妖力のリミッターを外した状態で言われた。
溶岩みたいな熱量のエネルギーに焼かれながら、冷や汗が止まらなかった。
吸血鬼怖い。


そして昼。
今しがた借りてきたその金で治療費や見舞金やらを自警団に一括して払い、それとは別に怪我人の所にお見舞いの品を持って謝りに回る。
1日で全箇所を回るのは骨が折れたが、こういう事故対応は行動の早さが重要だ。
誠実なイメージを植え付けるチャンスだと思えば、実害の無い事故はむしろ歓迎したいくらいに思っている。
今回は実害出まくりだが。

ぼろ糞に言われながらもすべての見舞いを終わらせ、里長と集会場の持ち主に結構な額の袖の下を握らせる。
どうでもいいが里長に『お主も悪よのう』とか言われて、とっさに『お代官様こそ』と答えたらウケた。
向こうも神奈子さんの請け売りだったらしい、元ネタがありそうだがよくわからない。

妖怪の方の観客にも同様に謝って回り、ファンクラブの連中の所にも謝って回り、同居人勢に謝って回り、犬走さんを苛めて、大体終わり。
最後にもう1度自警団の所に行き、終了報告と共に、犯人の公示は紅魔館が代行して行うことを伝えた。

そして。





幻想郷で最も背の高い建造物は妖怪の山のラジオ塔だが、2番目に背の高い建物といえば、南の里の成金御用達であるこの料亭となるだろう。
驚くなかれ、幻想郷には片手で数えられるほどしか存在しない鉄筋コンクリートの建物で、なんと4階建て。
1階から4階まで、そのすべてが1つの料亭となっている。
魔法の森の我が家同様、建物そのものが幻想入りしたものだった。
正直基礎工とか大丈夫なのか不安で仕方がなかったが、少なくともこの建物が幻想入りして10年ちょっと、特に問題なく稼働している。

最近『幻想郷で最も高い建物』から『里の人間が気軽に登れる最も高い建物』へとキャッチフレーズの変更を余儀なくされたこの料亭は、出てくる料理の値段も最も高い感じで、間違っても気軽に利用できるようなところではなかった。
でも、というか、だからこそ、というか、空を飛べない人間は高いところが好きらしいというか。
南の里に住む成金達にとって、ここで夜景を見ながら食事をすること自体がある種のステータスになっているという事も、また事実なのであった。

ここから見下ろせる夜景を手に入れたい、という欲求自体はなんとなくわかる。
僕も商談で何度か利用したことがあるのだが、舌が貧乏なためか、残念ながらあんまりおいしいとは感じられなかった。

そんなコストとパフォーマンスが釣り合わない店ではあったが、馬鹿をビビらせるには丁度いい。
しかも裏メニューで、実は料理を頼まず部屋だけ借りることもできたりする。
もちろん有料だが、かなり広いので他の何かに使えないかといつも思っていた。

「おいリグル、私はもうこのコースメニューを直視したくない、ゼロが1個多い」
「そうだね、4000円で食べれたらいいね」
「えっ!? そんなにするんですか?」
「うちの屋台でどんだけ飲んでもここまではいかねーぞ」

そんないわく付きの料亭の最上階で、僕らは命蓮寺の連中の到着を待っていた。
右手にミスティア、左手に響子。
唯一頼んでおいた飲み物にも手を付けず、ただただ時間が過ぎるのを待つ。
ちなみに今日は1階から4階まで丸々貸切にしてある。
ものすごい出費だったが、1度やってみたかったのだ。

それに。
ここでなら、向こうも強硬手段に出にくいだろうし。


そして約束の時間の5分前。
社会人としてギリギリの時間に奴らは登場した。

「お待たせいたしました、リグルさん」
「待ちくたびれましたよ、白蓮さん」

白蓮を先頭に3人、こちらと同じ人数。
顔を覆っていたあの痛々しい包帯は取れたようだ、まだ火傷のような跡が僅かにうかがえるが、化粧で隠せる程度だろう。
そんな白蓮に続き、一輪に加えて会った事のない青髪の女性が入って来た。
ここに来て知らない人が出てくるのも嫌な感じだが、それより気になったのがその青髪の女性が持っている大きなトランク。
なんか防腐剤みたいな匂いがするし、いったい何が入っているというのだ。

しかも白蓮も同じデザインの物を持っている。
要注意かもしれない。

「お座りください」
「……失礼します」

緊張を隠す白蓮と、隠せない一輪と、口を半開きにしてボーっとしている青髪の女性と。
それぞれがそれぞれに、思い思いの席に着く。
僕から見て正面に白蓮、左に一輪、右に青髪。
こちらと合わせ、6人で向かい合う形となった。

そして僅かばかりの沈黙の後、白蓮が口火を切る。

「先にご紹介いたします、こちらは命蓮寺の尼で霍青娥と申します、以後お見知りおきを」
「そうでしたか青娥さん、リグル・ナイトバグです」
「……はぁい」

やけにゆっくりとした速度でその青娥とやらは笑みを作る。
すごく気持ち悪い笑みだ。
僕も人のことは言えないだろうが、僕のは邪悪で、この人のは不気味だ。
こいつもこいつで、まともではなさそうだった。
どうしてこんなのを連れてきた。

「わぁたしがー、青娥でーすぅ」
「……そうですか」
「霍、挨拶はもう結構です」
「……はぁい」

イントネーションのおかしい発音で青髪が答える。
なんて耳障りな。

これからここで何を話すかは事前に伝えておいたはずだ。
村紗水蜜がしでかしたことへの責任の追及。
命蓮寺の今後を左右するような場所に、頭の螺子が5本も6本飛んでそうなのを連れてくるなんて何を考えているのだろうか。

「挨拶とか面倒なので端折りますね」
「……はい、そうですね」
「単刀直入に言います、死んで詫びろ」
「…………」
「と、言いたいところですが、そんな事されても意味がありません」

とりあえず強い言葉で軽く脅かしてから、バッグを開いて中の資料をテーブルに並べる。

「チケット返金、破損した機材や販売物、負傷した方への治療費・見舞金等々……」
「拝見します」
「締めて793万4000円、あなたの部下がやらかしたことです」
「……雲居」
「はい、姐さん」

資料を受け取った白蓮が、そのまま一輪に手渡す。
一輪が資料をペラペラと斜め読みしながらそろばんをはじき始めたかと思ったら、しばらくして白蓮の方を見ながらコクンと頷いた。
向こうの試算の範囲内だったらしい。

「わかりました、これは全額お支払いします」
「ええ、当然です」

馬鹿かこいつら。
どうせ値切られると思って水増しして請求していたのに。

チケット代とグッズ代は誤魔化し無しだが、他はそうでもない。
機材はハイエンド品を新品で買い付けた値段を偽造し、関係者への見舞金なんかも水増ししている。
出店に関してだって、弁償額自体はそのままだが、くず鉄を河童に買い取ってもらえたので結果的に2割引きくらいになっている。
ちなみに施設自体の修繕費なんかは、僕経由じゃなくて直に向こうなので含まれてはいない。
修繕費って言うか完全に立て直しだろうけども。

「あ、蟲屋さんちょっと!」
「……なんでしょう」
「この販売品の弁償額、売ってる値段で計算してるじゃないですか、仕入れ値だといくらになります?」

……寝言は寝て言えよ。

「お答えする必要はありません、原価の上に管理費や人件費も含めての売値です、機会損分も含めて定価で弁償してもらいます」
「……原価になりません?」
「なりませんよ、なるわけないでしょう、維持費の分だけ丸損になってしまうじゃないですか」
「…………そうですね」

常識が無いのかこいつは。
微妙に納得のいかなそうな一輪だったが、まあいい。

ざっと800万。
被害に遭われた人への見舞金がデカかった感じだが、ちゃんと払ってもらわないとね。

そして一輪が諦めたように資料を閉じたところで、今度は白蓮が口を開いた。

「あの、支払いについてなのですが」
「はい」
「さすがにこれほどの大金をすぐに用意することはできません、現在命蓮寺の財産をよそ様に買い取ってもらっているのですが、現金化までにはどうしても時間がかかってしまいます」

それはまあ、そうだろうよ。
多少は待てる。

「なんとか今週中、遅くとも週明けには用意できる算段ですので、それまではお待ちいただけますでしょうか」
「ええ、そのくらいでしたら」

むしろ早い段階で売りに出していたからこそ、この程度で済んでいるのだろう。
十分十分、それくらいは問題ない。

「あ、蟲屋さんのツテで高く売れるっていうんでしたら、財宝で払いますよ?」
「……いえ、結構です、現金でください」
「そうですか」

一輪の提案はわからないでもなかったが、今は速攻で現金が欲しい。
グッズの業者とかに支払いを待ってもらってる状態だし。
レミリアさん的にも。
トイチ的にも。

「では、支払いは滞りなく済ませます、申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした」
「……でしたぁ」
「……」

向こうの3人が座ったまま頭を下げる。
今更だったが、ケジメだろう。

さて、前座は終わりだ。
ここからが、今日の本題となる。
ドキドキしちゃうぜ。

「では白蓮さん、もう1つ支払っていただくものがあります」
「……」

何が来るかは向こうもわかっているのだろう。
俯き気味に目を逸らす白蓮からは、ちょっとした焦燥感が見て取れた。

「僕らへの慰謝料です、僕らはあなた方に迷惑を掛けられました、支払ってもらいます」
「……」

白蓮はうつむいたまま喋らない。
金額を言うのを待っているのだろうか。

「そうですね、全員分合わせて450ほど……」
「リグルさん、申し訳ないのですが」
「……なんでしょう」
「……」

白蓮が顔を上げた。
テーブルを挟み、僕と白蓮の視線が交差する。
向こうが何を言い出すかなんとなく予想は付いたし、向こうも僕が何て返すか予想は付いているだろう。
そして焦りと敵意の入り混じった息苦しい沈黙の後、その予想は現実となった。

「損金を弁償するのが精いっぱいでして、払えないんです、慰謝料」
「舐めてんのかてめぇは」

僕も向こうも、静かに言う。
絶対来ると思っていた。

「……」
「……」

僕らはただ見つめ合う。
先に動いた方が負けとでも言うように、沈黙を保った。

重苦しい空気の中、考えをめぐらす。
向こうが言い出しそうなことは嫌というほどシミュレートしてきた。
それに反論するための材料も資料も、万全に組んできた。

でもそれは白蓮も同じだろう。
向こうだって、こんな無茶が丸ごと通るとは思っていまい。
たぶん弁償の方をゴネずに払うことと引き換えに値切ろうとするはずだ。

だが、白蓮。
お前はよくても、こっちはどうだ?

「一輪さん」
「…………ほえ!?」
「どうやらお宅の住職は世の中の道理が理解できていないようです、謝るだけで済むのは子供だけだということを」
「……いえ、あの」

「リグルさん」
「何でしょう」

ここでやっと白蓮が口を開いた。
早くしろ。

「無理を言っていることは承知です」
「当たり前です、自覚が無かったら病気ですよ」
「どうかご勘弁ください、誤解があるのです」
「坊主が誤解とは洒落が効いてますね、不妄語戒あたりですか?」
「……その五戒ではありません、村紗のことです」

そして白蓮は、あのレミリアさんがするような、神奈子さんがするような、そしてこの僕がするような、ニィィという口の端を吊り上げる気持ちの悪い笑みを浮かべた。

「実はあの興行の前日、村紗は命蓮寺を破門になっていたのですよ」
「……それが?」
「あれの行動には前々から問題がありまして、更生するよう私も努力したつもりだったのですが」
「……」
「それが先日いよいよ怪我人まで出してしまいまして、この際破門も止む無しと」
「……」
「それでも事ここに至るまであれを野放しにしていた責任の一端は私にあります、そのため、本来ならば払う義務のない損金については弁償しようと思った次第です」
「……それが通ると思ってるんですか?」
「思いますよ、それしかないのですから」
「……」

ふと、白蓮が泣きそうな顔になったように見えた。
その横を見れば、一輪が血が出るほどに唇を噛んでいる。
反対隣りの青髪は、相変わらず形容しがたい弛緩した表情でボーっとしていた。

「……」

たぶんだけど。
もし払えるのなら、この人は払うのだろう。
この要求が丸ごと通ったとしたって、失う信用の方が多いのだから。

無い袖は振れない。

本当に、払うことができないのだろう。
払ったら、本格的に立ち行かなくなるのだろう。

「白蓮さん」

ここ数か月ほど、やけに高価な調度品が里に流通していた。
しかし不自然なことに、それらはごく一般的な質屋や骨董品屋から流れたもので、正直価値のわかっていない不適当な値段がついていることもしばしばあった。
通常それだけの物を持っている人だったらそれなりのツテもありそうなもので、わかる人に売った方が良い値がつくことは明白だった。

高価な宝を持ちながら、ろくなツテを持たない。

「……はい」

たぶん、こいつらだったんだろう。
調度品を売って生活費の足しにしていたと思えば、辻褄は合う。
そして今回の1件で、『底』が見えてしまったのだろう。

正直、見逃してあげたい気持ちもあった。
別にこいつらの事情なんて知った事ではないが、とどめを刺してしまうよりも、末永く搾取した方が僕にとっても都合がいい。
それは金銭だけでなく、人材的、労働力的にも。

いずれ。
いすれ神奈子さんと袂を分かつ時が来たら、こいつらは役に立ってくれるかもしれないのだから。

今は金より、貸しが作りたい。

「冗談はその辺にしておいてもらえますか?」
「……」

でもダメだ。
今回ばっかりは、きっちり切り取らなければならない。
あまりにも多くの人を、巻き込み過ぎた。

「追い出したから関係ない? あいつが勝手にやった事? 流石は聖人、言い訳の仕方を心得ていますね」
「言い訳、ですか、そう取られても無理のない話だとは思います、ですが村紗が破門となった事は事実なのです」
「村紗水蜜の問題行動については聞き及んでいます、破門自体は理解できますが、なぜこのタイミングで?」
「偶然です、時期を絞ったわけではありません」
「あれが僕や響子をよく思っていなかったことは周知の事実です、こうなることが予想できなかったと?」
「いえ、村紗は自分の感情を隠すことに秀でていました、私もそれに気付いたのは事件を起こした後のことなのです」
「ならあなたの監督不行届ですね、里を襲うような危険人物を野に解き放った責任はすべてあなたにあります」
「そうですね、ですので、損害はすべて弁償しようと思います」
「それだけでは不十分です」
「申し訳ありません」
「……」
「……」

平行線。
僕は払えと言い、白蓮は払わないと言う。
こんな時人間だったら第三者を呼んだり、公的機関を利用して決着をつけると本で読んだ。
この間参加した山での査問会のような、司法を管轄する閻魔みたいなのがすべてを取り仕切る、と。

でも僕らは妖怪。
人間のルールで生きちゃいない。

じゃあどうする。
そんなことは決まっている。

こっちには何の非もないし。
なのに向こうが引かないのなら。
もうとことんまでやるしかない。

「いい加減にしてくれませんか?」
「……特に、わからないことを言っているつもりはないのですが」
「こっちは許すと言っているんです、落とし前さえつければ、それでちゃらにすると言っているのです」
「はい、相応の弁償はさせていただきます」
「それを無下にするというのなら、こちらにも考えがあります」
「……なんでしょう」
「いえ、失礼、『考えは無い』といった方が正鵠でしたね」
「……」

事前に示し合わせていた合言葉。
ガタ、と僕の両隣でミスティアと響子が立ち上がる。

ここからでは見えないが、その目には敵意と悪意が充電されていることだろう。
僕ら3人、全員が生粋の妖怪。
切り替えは早いぞ?

「……リグルさん、ご容赦ください」
「できません、謝らないと言うのでしたら敵対勢力とみなします」
「謝れと言うのでしたら、何度でも」
「誠意とは言葉で示すものではありません、相手の望む物を差し出すことです」
「……ふむ」

白蓮はそれほど焦っている様子はなかった。
たぶん僕ら程度なら、相手をしたって直接的な被害は少ないと踏んでいるのだろう。
それよりも、こっちとのパイプが完全に切れる事や、ここが里の中であることの方を心配しているのかもしれない。
あるいは僕の後ろに、幻想郷最悪のA級戦犯や、仏教徒最大の宿敵の姿を見ているのかもしれない。

吸血鬼と軍神。
たとえ僕がナマスに刻まれたって、出張ることはあり得ないけど。
僕には白狼天狗のテロを誘発し、鴉天狗に謹慎を食らわせた過去がある。
その際に暗躍してくれた2人の姿が、白蓮にはちらついて見えるのだろう。

「……ああ、この世はどうしてこうも生き辛いのでしょう」
「リスク管理が甘いからですよ、今からでも遅くはありません」
「そうですね、分割になりません?」

ここで白蓮から、初めての譲歩。

「構いませんが、割増ですよ?」
「……雲居」
「あ、えーと、ど、どのくらいですか」
「このくらいです」

と言って、僕はまたカバンから資料を取り出す。
分割って言い出した時用の支払いシミュレート表だった。

「……用意がいいっすね」
「これでしたら僕は構いませんが」
「…………利率高すぎません?」
「今日の1円と明日の1円は価値が違うんですよ、インフレや取り逸れのリスクやあなた方への信用を考慮すればこんなところです」
「……最初の支払い1年くらい待ってもらえたりは」
「それでしたら、こちらです」
「どんだけ用意いいんですか、蟲屋さん」

一輪は頭をガリガリと掻きながら、渡された資料と自分の持ってきた資料とを見比べている。
僕の勘だとそれでも無理なんじゃなかろうか。

「……蟲屋さん、こっちの利率のまま待ってもらえないですか? それならいけるんです」
「ダメです、割に合いません」
「……姐さん、宝塔手放してもいいですか?」
「流石にそれをやると再起不能になってしまいます、割に合いません」
「うぐぅ」

頭を抱えてテーブルに突っ伏す一輪だったが、白蓮の方は涼しい顔だ。
なんだあの余裕は。
何を隠し持っている。

「…………無理です姐さん、払いきれません」
「そうですか、あなたがそう言うのなら、仕方ありません」
「何が仕方ないのでしょうか、そんな事とは無関係なのですよ」
「……私だって、避けられるのなら避けたいのです」

そう言って、白蓮は持ってきていた大きなトランクをテーブルの上に置く。
置いた瞬間、ドスン、と不自然な音がした。
ガタン、でも、ゴトン、でもない、やわらかい質量物を置いたような音。
その不自然さが、僕の本能に警鐘を鳴らした。

「リグルさん、あなたが賢いことを祈ります」
「……」
「封獣、種を外しなさい」

白蓮がそう言った瞬間、目の前のトランクから腕が生えた。
いや、生えたんじゃない。
このさっきからそうだったと言わんばかりの既視感、夢から覚めたような、何で今までトランクに見えていたのか不思議になる感覚。
掛けていた幻術が解けた時のものだ。

「クケケ」

そのトランクに化けていた妖怪はテーブルの上で立ち上がると、妙な形の羽と共に、その両腕を伸び伸びと広げた。

「キャキャキャキャキャ! やあっと私の出番か―――!!」

そして解放される爆発的な妖力。
こいつは知っている。
命蓮寺の一員、ぬえという名前のぬえ。
響子に聞いた話じゃ、1000年を生きた大妖怪だ。

テーブルの上に佇む幼い容姿に似合わず、まき散らされる圧力はまさに天狗級。
いや、流石に天狗には及ばないか。
それでも、少なくとも僕らじゃ手には負えまい。

「霍、宮古を出しなさい、雲居、雲山を」
「はぁい」
「……わかりました」

続けて青髪がトランクを開き、テーブルの上でひっくり返す。
乱雑に放り出された中身は、1体の人形だった。
その等身大の人形は関節を滅茶苦茶に曲げて押し詰められていたらしく、トランクから零れ落ちても、四角い状態のまま固定されてしまっている。

「よしかちゃんよしかちゃん、おっきの時間ですよぉー」
「……あー」

しかしその人形はどうやら人形ではなかったらしく、四角く歪められたまま返事をしたかと思えば、ベキベキと音を立てて関節を伸ばし、品もなく笑い続けるぬえの隣に立ち上がった。
その継ぎはぎだらけの身体から察するに、おそらくグールの類。
響子もよく知らないというこの青髪は、ネクロマンサーか何かだったのか。

「……」

そして最後に、一輪。
いつの間にかすぐそばに赤みがかった靄のようなものが集まっており、その一部を装甲のように身にまとっていた。
雲使いの一輪。
あれがそうかなのか。

しかし、この中でただ1人表情が暗い。
俯いたまま、動かない。

「リグルさん、諦めてください」
「……」

命蓮寺の戦闘部隊を展開し、唯一座ったままの白蓮が申し訳なさそうに言う。
ただし、目は鋭いままだ。

「こればかりは信じてもらうしかありませんが、本当に荒事は避けたいのです」
「……」
「敵対勢力だなんて言わないでください、リグルさん」
「……」
「……どうか」

こっちはまあ、本当だろう。
信じる信じないではなく。
状況的に間違いなく。
僕とは切れない方が良いに決まってる。
うぬぼれでもなんでもなく。
自分の値段くらい、知っている。

でもさぁ。

「白蓮さん、あなたは根本的な所をわかってません」
「……リグルさんっ」

悲痛な、と言って差し支えないほどに苦しげな声で白蓮は僕を呼ぶ。
だが知った事か。

「あなたが敵に回したのは僕じゃありません、『僕たち』です」
「……はい、ミスティアさんにも幽谷にも多大なご迷惑をおかけしました」
「それだけではありません」

ガタと、僕は席を立つ。
そして芝居がかったように両手を広げて言葉を続けた。

「イベントというのはみんなで作る物なんです」

妥協なんてありえない。

「出演者も、裏方も、お客さんも、みんなで作る物なんです」

なぜならこれは組織対組織の構図だから。
ここで引いたら、僕はメンツを保てない。
僕が雇い、扱き使った連中に示しがつかないのだ。

メンツに囚われて損する者を笑う傍観者がたまにいるが、所詮そいつらはわかっていないのだ。
他人の上に立つというのがどういう事か、面目を保つことがいかに大切か。

僕らを傷つけて御咎めが無ければ、今後他の連中に舐められてしまう。
やられたら、絶対にやり返さないといけない。
殴り返さなければ、奪われ続ける。
たとえ相手が誰であろうと、たとえ相手が何であろうと。

「あなたは、あまりに多くの人を傷つけた、あまりに多くの熱意を汚した」

お金で買えない大事な物。
人はそれを、信用と呼ぶ。

「『交渉は決裂だ』」
「……愚かな」

やるしかないと悟ったのだろう。
最後まで座っていた白蓮が立ち上がる。

そして唇をかみしめ苦悶の表情を浮かべながら。
白蓮はその手をこちらに向けた。

「ほどほどに……ほどほどにです」
「……」
「いいですね……」

そして白蓮の命令が下ろうとした瞬間。
命蓮寺の殺意がこちらを貫こうとした瞬間。

バサバサと、布がはためくような音が聞こえてきた。

「……?」

出処は連中の真後ろ。
しかし音はすれども姿は見えず。
その不自然な現象に気を取られ、白蓮の動きが止まる。

そして増えていく音と気配。
その様子は何か、そう何か『透明な布のようなもの』がはためいているとしか思えない。

「まさか」

そんな白蓮のつぶやきが聞こえた気がした。

「オプティカル、カモフラージュ……!」

バササッと、一際大きな音が聞こえたと思った瞬間、そこには何人もの妖怪が仁王立ちで佇んでいた。
河城さん特製の透明マントを脱ぎ捨て、歌舞伎塚を始め、ファンクラブ内の腕利きたちが瞳に燃えるような怒りを宿して白蓮たちを睨みつけている。

「……っ」
「白蓮さん、あなたの態度は最低です、あれだけのことをさせておいて、自分はひたすら責任逃れ」
「……」
「身内を切り捨て、謝りもせず、結局自分の都合ばかり」
「……くっ」
「怒るに決まってるだろ」

僕に合わせたセリフとは言え、『割に合わない』なんて言葉を使ったのもよくなかったな。
お前の落ち度だ。

それでも形勢は、向こうが有利。
こっちにいるのは所詮は雑兵、歌舞伎塚でも300歳程度。

たぶん全員でかかってぬえ1人と渡り合えるかどうか。
1000年を生きたという経歴は、強大だ。

妖怪は基本的に、年を取っても身体能力はさほど落ちない。
それでいて、妖力は生きれば生きるほど天井知らずに上がっていく。
もともとの素質という部分もあるが、やはり長生きした妖怪は強い。

犬走さんがここにいないことが悔やまれる。
今日来れないことを泣いて謝っていたが、犬の涙に価値なんて無い。
本当に肝心なところで役に立たない奴だ。
ついでにユキエもドタキャンしやがった。

「覚悟はいいですか?」
「……そちらこそ」

そしてすべてのカードを場に晒した僕らは、2人で開戦の火ぶたを切る。

「僕らの夢を邪魔する奴らがここにいる」
「総員、聞きなさい」

「許す」
「封獣、後ろの者たちは任せます、宮古と雲居はリグルさんたちを」

「僕が許す」
「霍、宮古をけしかけなさい」

この日。
最初から最後まで予定調和とは言わないが、概ね予想の範囲内に収まった1日だったのだが。
唯一奇跡が起きたとするならば、それはきっとこの瞬間。

僕と白蓮のセリフが重なった事だろう。

「「叩き潰せ」」





「クケケケケケケ! 遊んであげるよ!」
「ふん」

歌舞伎塚の突進をぬえが受け止める。
いつかの犬走さんとの稽古の時のように蹴飛ばされたりはしなかったものの、あの怪力を軽々と受け止めるとはさすがだ。
やはり単純な格ではあの妖怪が頭一つ抜き出ている。

「ほらほらほらぁ!」

歪な羽を自在に操り、取り囲もうとしていたファンクラブの連中を蹴散らしていく。
その姿は1匹の妖怪として羨ましく思うところが無いでもなかったが、オツムが弱ければ持ち腐れだ。
悪戦苦闘しながらもかろうじて作った1瞬の隙に、歌舞伎塚を壁にしていた幽霊が飛び出す。

―――ヴォン。

その音は、聴く者を鎮める鬱の音。
リリカの姉、騒霊のバイオリニストが放った演奏だった。

「あ? なにそれ」

しかし、人間や弱小妖怪ならともかく、格の高い妖怪相手に幽霊程度の出力では効果は薄い。
まあでも、出力が低いなら、上げればいいだけの話だ。

「……封獣! 引きなさい!!」

事態に気付いた白蓮が叫ぶがもう遅い。
調子に乗って深く切り込み過ぎていたぬえの真後ろに、生きたアンプが迫っていた。

幽谷響子。
歌だけのミスティアと違い、こっちは音なら何でも扱える。

鬱の波長をそのままに、山すら震わす山彦がぬえの至近距離で炸裂した。

ぬえの身体がグラリと傾く、効果はあったようだ。
僕も防音の魔法を解除し、魔方陣を停止させた。
響子とぬえを囲んでいた光が閉じる。

この魔法が無ければ使えなかった戦法だ、みんな鬱がになってしまっては仕方がない。
発案は河城さん。
やはり河童は素晴らしい。

倒れたぬえが部屋の端にまで転がされ、河城さんと鳴子の手によって拘束される。
物理の鉄網と妖の結界。
ぬえ相手でもいくらかは持つだろう。
ついでに自分が発した音で鬱になってしまった響子も歌舞伎塚が回収。

「……まさか、封獣が、み、宮古は何を!」

最初に脱落したのが最強の手駒だったことに驚きを隠せないのだろう。
滑稽なほどの焦りを見せながら、白蓮は他の仲間を探す。
そして宮古とはたぶんこのグールのことだ。
響子を襲ってきたので、僕のスカラベと遊ばせていた。

「あー、あー、わーたーしーをー、たーべーるーなー」
「ああー、よしかちゃんがー」

スカラベの主食は本来生き物のフンとかなのだが、死体だってそりゃ食べる。
雑食だもの。
対グール用の固有戦力。
数さえ増やせばリビングデッドだっていけるはずだ。

一応とどめは刺さないように命じてあった、中途半端に生かした方が、他の連中のやる気を削げる。
だがこのグール、あちこち欠けても平気で動くので、結局首だけになってしまった。
それでもまだあーあー言っているところがすごい。

「……これは」
「気付くのが遅いんですよ」

僕が呪文もなく防音魔法を使ったり、一瞬でスカラベを繰り出したことに疑問を感じたのだろう。
向こうも魔法使い。
技術者だからこそわかったのかもしれない。

この部屋の床や壁、天井のいたるところに魔方陣が描かれていることを。

描いている場所と保護色になるようなインクを用意するのは手間だったし、実際に描くのもものすごく大変だった。
普段使ってる奴よりよっぽど高度な無詠唱のタイプを10も20も。

しかし、魔法とは準備に時間をかけるもの。
事前に手間暇かけてこその魔法使いだ。

隙は大きく火力は絶大、古今東西それが魔法のキャッチフレーズなのだから。
魔法はパワーだぜ。

「……」
「……さて」

グールの頭を抱えてしくしく泣いている青髪を蹴り飛ばし、僕はテーブルをグルリと回って白蓮の元へと歩いて行く。
少し離れたところで一輪が奮闘しているのが見えたが、ミスティアとウルフ1の2人を相手にいつまで持つかな。

「幕にしましょうか」
「……」

僕を前に、白蓮は精一杯の虚勢を張る。
形勢は完全にこちらに傾き、結論が出るのも時間の問題だ。

だが、白蓮は揺るがない。
さっきまでの焦りは消え、実に泰然と、実に悠然と。
実に堂々と僕に向き直った。

「……震えてますよ、リグルさん」
「……そうですね」

震えているのは向こうだろうに。
それでも、少しでも優位に立とうとする姿は、敵ながらあっぱれといったところか。
それともまだ隠し玉があるか、だ。

「震えもしますよ、だって生まれて初めての……」

たっぷりとタメを作り、僕も負けじと白蓮に宣言する。

「勝ち戦なんですから」

ニィィ、と口角を吊り上げて僕は嗤う。
わざとやってるんじゃない、自然にこうなってしまうのだ。

誰が見ても明らかなほどに、白蓮の顔がはっきりと引き攣った。
ああ素晴らしい。
やはり妖怪は、恐れられてこそ妖怪だ。

しかしながら向こうも向こう。
ここに来て、白蓮も覚悟を決めたらしい。

「……あっそ」

そう言って、白蓮は踏み込んできた。

妖怪相手に白兵戦。
本来ならそれは自殺行為に他ならないが、この人は例外だ。
1歩で体勢を作り、2歩目で加速し、3歩目で距離を詰める。
見事なフットワークだったが、さすがに単調すぎる。

飛んできた拳は大層な威力だったが、僕はそれを持っていた深皿で受け止めた。
それは僕が蟲と交渉する時によく使う陶器製の物で、ずいぶん前に手放したはずの物だった。
先ほどスカラベを召喚した際に、彼らが律儀に持って来てくれた物だ。

「ちっ」
「おっと、危ない」

手のひらと拳の間で深皿が砕ける。
物を砕くことで威力が減衰した拳は、僕にでも簡単に止められた。

そのままスルリと手のひらを動かす。
力を入れ過ぎず、抜きすぎず、滑るように白蓮の腕をなぞる。

「いっつぅ……!」

白蓮が悲鳴を上げて飛びのく。
その片腕は陶器の破片によって手首から肘の内側までがぱっくりと開き、縦に裂かれた動脈から勢いよく鮮血が噴き出していた。

痛む傷口に眉をしかめながら、予想外の反撃に驚いたような顔で僕を見つめてくる。

こいつは僕のことをなんだと思っていたのだろう。
たぶん、通信機片手に指示だけ出すタイプだとでも思っていたのだろう。
策士を気取って高みの見物決め込みながら『ま、僕は面白そうな方に付くだけさ』とか言っちゃうタイプだとでも思っていたのだろう。

「綺麗な血じゃないですか、健康的ですね」
「……やるじゃありませんか」

僕はそんなキャラじゃない。
ただのチンピラ上がりの起業家だ。
現場のトラブル解決こそが、僕の本領である。

人間の武器が創造力であるように。
神様の武器が決断力であるように。
妖怪に武器は、いつだって暴力なのだから。

固唾を飲んで見守る歌舞伎塚達がドン引きしている姿を横目に見ながら、飛びのいた白蓮に詰め寄る。
しかし白蓮も白蓮だ。
吹き出す血を押さえもせずに、無事だった手で懐をまさぐる。
何かを取り出される前に蹴りを放ったが、あろうことか怪我した方の腕で防がれた。
腕がひしゃげて傷口がさらに裂けたが、白蓮は怯まない。

「南無三―――!!」

白蓮が複雑な軌道で巻物を振るう。
同時に身体が淡く発光したかと思ったら、さっきまでとは段違いの威力で突き飛ばされた。
バランスを崩され床を転がるが、空を飛ぶ要領でなんとかブレーキをかける。

「……初めて見ましたよ、あなたが魔法を使うところ」

身体強化魔法。
魔力で筋力を補う魔法のパワードスーツ。
人が妖怪に近付くために考案された、古くから存在する代表的な魔法の1つだった。

僕が体勢を立て直す隙に腕を縛って止血を施した白蓮は、もはや隠すこともなく魔力を開放、全力で来るつもりのようだった。

「もはや言葉はいりませんね、リグルさん」
「そして退路もありませんよ、白蓮さん」

白蓮が駆ける。
最初に仕掛けてきた時より圧倒的に速い。
僅か1歩で距離が詰まる。
タイミングを合わせて魔方陣を作動させようかと思っていたが、これでは間に合わない。

やむを得なかったので、僕は殴りかかるふりをして急制動をかけた。
雑なフェイントだったが、それに過剰に反応してしまった白蓮は目測を誤って拳を空振りさせる。
さてはこの人、強化魔法に慣れてないな。

少なくとも戦闘に使ったことがほとんどないのだろう。
自分のスピードと間合いを把握できていない。
それ以前に戦闘そのものにウブい気もするが。

こちとら戦争は初めてでも路上の喧嘩じゃ百戦錬磨。
弱小妖怪の日々の生活を舐めてもらっては困る。

フェイントに引っ掛かった隙に、白蓮の足元にあった魔方陣を起動させる。
そんな大層な物じゃない。
何か所か用意していた防音魔法の1つだ。

しかし『何か魔法が発動した』、という事実は魔法使いにとって最大級の脅威。
魔法の効果を確認するまでもなく、白蓮は慌てて距離を取る。

その隙を、ずっと待っていた者がいるとも知らずに。

「『バーン』」
「……?」

僕は自分のこめかみに指を当て、拳銃自殺でもするかのようなポーズを取る。

そしてジェスチャーの意味がわからず困惑する白蓮のすぐ横で、河城さんのマシンガンが火を噴いた。


AK-47。
カラシなんとかという名前らしいそのマシンガンは、山から支給される河童の護身用の武器だ。
毎秒何発撃てるだとか使える弾丸は何だとか、いろいろ聞いた気はするのだがいまいち頭に入っていない。
そんな僕が見ている前で、河童の工場で生産される非殺傷性のゴム弾が横殴りの雨となって白蓮を穿った。

「―――ぁっ!」

声にならない声を上げて白蓮が床を転がる。
ただでさえゴム弾で、しかも強化魔法の上からなので死ぬことは無いだろう。

それでも至近距離から数十発もの銃弾をまともに浴びた白蓮は、全身を痙攣させながら痛みに打ち震えていた。
下手に威力を削ったせいで気絶もできないらしい。

「……」

倒れながらも巻物を手放さなかったことは称賛に値するが、とりあえず蹴飛ばして部屋の隅に転がしておく。
それと同時に白蓮を覆っていたベールのような発光が消える、おそらくあれが媒介か何かになっていたのだろう。

僕は動かない白蓮を仰向けにさせ、その上に腰を下ろした。
両腕をがっちりと足で抑え、マウントを取る。

「ふー……ふー……」
「……」

そしてろくに目も開けられないほどのダメージを負った白蓮に向けて、さっきの深皿の破片を思い切り振り下ろした。

「……」

ドス、という鈍い感触。
割れた破片の切っ先が、皮膚を貫き肉を裂き、骨まで削ったようだった。
突き刺された手からあふれた血液が、ポタリポタリと白蓮の顔に降り注ぐ。

「……っつう」
「おや?」
「く、雲居……」

僕が白蓮の首筋めがけて振り下ろした破片は、横から差しのべられた一輪の手によって阻まれていた。

見れば、さっきまで暴れていたミスティアとウルフ1が壁際でうずくまり、他のメンツに介抱されている。
あの2人相手に勝ったというのか。
なんだ、この人思ってたより強いんじゃないか。

「姐さん、ここまでです」
「……雲居」
「諦めましょう」
「し、しかし……」
「……蟲屋さん、言い値で払います、それで勘弁してください」
「は? もう遅いよ、一線はすでに超えている」
「……聞き入れてもらえなければ、ここにいる人全員窒息死させます」
「で?」
「ほ、本当です、私にはそれができるんです」
「やれば?」

この期に及んで寝言をほざいてきたので、手に刺さった破片をグリグリと捻じってやった。
それに合わせて一輪が悲鳴を上げる。
やったことは無いのだが、楽器の演奏ってこんな感じなのかもしれない。

「うっ……」

痛みのためか、一輪の力が1瞬弱まる。
その隙に破片に全体重をかけ、白蓮の首を狙う。

「あぐ、や、蟲屋さん……」
「……知らないよ」

交渉の余地は無い。
白蓮のダメージはしばらく抜けないだろう。
このまま沈めて終いだ。

白蓮も一輪もぬえも青髪もグールも、1人たりとも逃がしはしない。

そう思っていたのに。


「……リグルさん、もう、いいですよ」

そんな言葉と共に、小さな手が僕の肩を叩いた。
なぜお前が起きている。

「もう……もういいんです、やり過ぎです」
「……響子」
「もういいですからぁ」

響子。
自分で放った鬱の音でグロッキーだったはずなのにどうしたのかと思ったら、案の定他の連中の後ろにコソコソと隠れているリリカを発見した。
リリカには姉2人の効果をリセットする音色を奏でる力があると聞いている。
余計なマネを。
響子にこの光景を見せたくなかったからこそ、響子ごとリタイアするあの戦法を取り入れたというのに。

「お願いします、もう十分です」
「……」

響子が小さな体で僕にしがみ付く。
十分も何も僕はもし払い渋ったら命蓮寺全員殺すつもりだったので、まだまだこれからが本番といったところだった。

しかし、嗚咽を漏らしながら敵の助命を乞うこの新入りを、入居早々傷をつけてしまっては採算が取れない。
あくまでハッピーエンドでなければならないのだ。

忌々しい。
リリカの独断というよりは、ユキエ辺りが仕組んだのかもしれなかった。

「…………はぁ、飽きた」
「リグルさん……」

そう言って僕は破片をそこらに投げ捨て、白蓮の上からどいた。
不完全燃焼だが、決着だ。

「白蓮さん、さっき一輪さんが言ったように、言い値で払ってもらいます、たとえそれがいくらでも、たとえ何年かかろうとも」
「……」
「よろしいですね」
「…………はい」

唇を噛みながらも、白蓮は諦めたように頷く。
ここで渋ったら響子を傷付ける結果にしかならなかっただけに、ちょっと安心した。

「ありがとうございます、蟲屋さん、響子」
「……一輪先輩」

三つ指をついて深々と頭を下げる一輪だったが、謝る時くらい『蟲屋さん』は止められないのだろうか。
まあ、言っても白けるだけだから言わないけどさ。

「……リグル、さん、あなたは」
「はい?」

息も絶え絶えに白蓮が声を上げる。
まったく、よくしゃべる奴だ。

「認識を、改めます」
「なんですって?」
「あなたは、ナズーリンですら、及びも、つかない…………」
「……」

「魔王と、なるでしょう」

「……うるせぇよ」

僕は白蓮に蹴りを入れ、蟲を遣って話が済んだことを隣の部屋に伝えた。





という訳で、僕は命蓮寺からライブの件と今日の件を2つ合わせた分を言い値でもらえることとなった。

しかしながら、いくら言い値と言っても踏み倒されたらたまらない。
こいつらには全く信用が無いのだから。

そんなときはどうする?

「という訳で、ある方に債権を売り渡そうと思います」

ミスティア達は先に帰らせた。
ここには僕と、無理やり椅子に座らせた白蓮と、残ると言って聞かなかった一輪の3人だけだ。
張り巡らされた魔方陣は健在なため、万が一があっても何とかなるだろう。
いや、それ以前にもう向こうに戦意は残っていまい。

「……ある方、ですか、なんとなく予想は付きますが」
「ええ、たぶん当たりです」

一輪に包帯を巻いてもらいながら、どうでもよさそうに白蓮が言う。
この包帯、僕ら用に用意した物だったのだが、みんながあげろって言うので仕方なく渡す羽目になった。

それはいいとして。

本来なら払う意思はあるけど払うことができず、かつ暴力沙汰にならなかった時用の債権譲渡だったのだが、ぬえやグールをちゃっかり忍ばせていたこともあり、このプランは無しになる筈だった。

でもまあ、呼ぶだけ呼んでやっぱ出番ありませんでした、じゃああの人も納得すまい。
ここらで一丁、かっこよく活躍してほしいものだ。

「邪魔するぞ」

ノックもなく入って来たその人は大方の予想通り、白蓮の宿敵、八坂神奈子さんだ。
半ば予想はしていたのだろうが、やはり実際に目にすると白蓮でも怯む。

「我を呼ぶのは誰ぞ?」
「僕ですよ神奈子さん」
「おお、そうだったそうだった」

と、神奈子さんは荒い息をつく白蓮をなんでもないように持ち上げると、白蓮が座っていた椅子に腰かけて白蓮を自分の膝の上に置いた。
……結構重いでしょその人。

「……」
「で? 敵はどこだ」
「……あなたが抱えている人です」
「む、白蓮、貴様いつの間に我の膝に」
「……」

地味にノリがおかしいよねこの人。

白蓮って女性にしては背が高い方だし、身体だって豊満といった表現がしっくりくる。
そんなのを普通は膝に乗せたりしない。
むしろ誰かを乗せる側だろう。

神奈子さんがそれ以上に長身だからいいものの、僕では一輪でもキツイだろう。
そういうのは響子とか鳴子とか諏訪子さんとかに限る。
あるいは僕が歌舞伎塚に座る。

「……」
「うむ、良い感じだ」

モミモミと好き放題に弄ばれ、白蓮がかすかにうめき声を上げた。
ついさっきマシンガンで撃たれたばかりで、直後にこの仕打ち。
ほっといたら精神崩壊しないだろうかこの人。

「まあ、カクカクシカジカで、その人から言い値の慰謝料をもらえることになりましてね、ただ分割とか全く信用できないので、神奈子さんに債権を買い取って欲しいんですよ」
「うむ、白紙の小切手をもらえるわけだな、がははははは」
「……」

相変わらず高笑いの似合う人だ。

「か、神奈子さん、ちょっとよろしいでしょうか」
「……む?」

不意に、高笑いする神奈子さんを一輪が止めた。
……なんか変だな。
その表情は、なんというか、この場に似つかわしくないほど、真剣な表情だった。

「言い値と言った以上、いくらでも払います」
「うむ」
「ですが、それでも現実的な数字でなければ払いきれません」
「……ああ?」
「いや、その、例えば1000兆円とか言われても一生かかったって不可能ですし、慰謝料なんですから払いきれなければ意味がありませんし」

なんだ。
こいつは何を言い出すんだ?

「いえ、もっと根本的な話、払います、払いますけども、それは払いきれると思うからこそ払えるのです、無理な……」
「何を言っとるのだ貴様は」
「……あ、あう」
「この期に及んで誤魔化す気かぁ!!」
「ヒィ!」

一輪の言葉が途中で止まる。

横からゴチャゴチャ言い出したのが気に入らなかったのだろう。
神奈子さんの形相は、鬼とも悪魔とも違う別種の何かのようで、子供が見たら一生トラウマになりかねない感じだ。

「……」
「……うぅ」

神奈子さんの顔が見えないはずの、膝に乗せられた白蓮でさえ縮こまるほどの怒気の中。
それでも一輪は続けた。

「ぐ、むり、あ、あまり高い値段を、言われても、と、途中で諦めてしまっては、結果的には……す、す、すぅ……」
「はぁ?」
「……はい、少なくなってしまう、かも、しれません、は、払いきれる、と、確信するような、値段でなければ」

一輪は涙を流しながら訴える。
何の涙かはわからないが、きっと自分でもわかっていないだろう。
そしてここに来てやっと気付いた。
こいつ、諦めてないのか。

「は、はらい、払いきれるような……」
「……あ? 何を言っとるのか全然わからんぞ」
「だ、だ、だから……払いきれる……」
「つまりあれか、お前はあんまり高い値段ふっかけるようだったら踏み倒す、と言いたいのだな?」
「……あ、あ、あの」
「そうなんだな?」
「……ヒグッ」

地獄の底から響いてきてるんじゃないかと思えるような声で、神奈子さんが静かに言葉を放つ。
変に怒鳴られるよりよっぽど怖い。

一輪はもう、酷いものだ。
涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら、喉の奥からかすれるような悲鳴を上げるばかり。
それでも。
それでも一輪は目を逸らさなかった。

「あ、ああ、そ、そうです!!」
「貴様」

白蓮をそこらに投げ捨て、神奈子さんが立ち上がる。
そして、隣でガチガチと歯を鳴らす一輪の胸ぐらを乱暴に掴みあげた。
神奈子さんの眼光を直に浴び、哀れな子羊が震えあがる。

しかし神奈子さんが何か言う前に、一輪の方が叫び声を上げた。

「う、うううううう、は、払える程度にしてくださいぃ!!」
「貴様」
「雲居……」
「おいおい」

マジか。

言いやがった。
言い切りやがった。
軍神相手に正面から。

雲居……。
そうだ思い出した、雲居一輪。

白蓮でさえ観念し、僕でさえもう勝ったと確信し、神奈子さんは最初から一方的に要求するだけのつもりだった。
そんな中、こいつは1人で戦っていたのだ。
この状況で、この絶望的な状況で。
少しでもいい条件を引き出そうと。
少しでも傷を浅くしようと。

涙は止まらず、声は裏返り、あまりにも不細工に。
幻想郷のパワーバランスの一角の前に、立ちふさがりやがった。

「……ナズーリンだけではなかったか」

小さな声で、神奈子さんがつぶやいた。
白蓮は遠かったし、一輪はそれどころじゃない。
たぶん聞こえたのは、僕だけだろう。

「ふーっ、ふぅー……」
「落ち着け、お主の言う事ももっともだ、我はその金額を決めるのも含めてここにいる」
「……あ、ああ、あの」
「涙を拭け、おい、おい白蓮!」
「は、はい!」

きょとんとしてた白蓮が、神奈子さんの言葉で飛び上がる。

「なんでお主の所にばかりこんな良いのがいるのだ、もらってくぞ」
「いえ、あの」
「神奈子さんのとこは天狗がいっぱいいるじゃないですか」
「うるさいぞ、お主は黙っとれ」

はーい。

神奈子さんは睨むように僕の方を一瞥すると、ため息をつきながら一輪を離した。
一輪は自分が生きていることが不思議なのか、放心したように背もたれに寄りかかっている。

「白蓮、1000万だ」
「……」
「2年で都合を付けろ、それで済ませてやる」
「……2年」

2年で1000万。
余裕とはいかないが、不可能かと言われたらそうでもないんじゃなかろうか。
もちろん1人じゃ無理だろうけど、命蓮寺くらいの人数がいれば。

いや、人数だけじゃだめだ。
こう、金に関するブレーンがいなければ。

……まさか僕にやれとか言いませんよね。

「リグルよ、半掛けでいいな」
「……それなら自分でやりますよ」
「じゃあ6掛けだ、あまり贅沢を言うな、我にも保証はないのだ」
「8掛けならいいですよ、神奈子さんその気になったら寺とか土地とか奪えばいいじゃないですか」
「では間を取って7掛けだ、これ以上はだせん」
「わかりました、それで」
「うむ」

命蓮寺2人を無視して、商談をまとめる。
実は事前に決めてたんだけど、こういうのは演出も大事。

「ほれ、もってけ」
「おっと」

そして神奈子さんは懐に手を入れると、札束をガバッと取り出した。
その札束をバサバサッとテーブルに乗せる。
どこに入ってたんだ。

「乙女の秘密じゃ」
「……乙女は語尾に『じゃ』とか付けませんよ」
「戦神の秘密じゃ」
「軍事機密じゃないですか」

下らないことを言い合う僕らだったが、命蓮寺2人の耳には入っていないだろう。
それは別にどうでもいいことだったが、どうでもいいこと繋がりで1度だけ聞いてみることにした。

「……白蓮さん」
「…………はい」
「どうしてですか?」
「……」

主語も目的語も無い質問だったが、意味は通じただろう。
それでも白蓮はうつむいたまま答えない。
まあ、答えようが答えまいが結局はどうでもいいことなので別によかったが。

「…………たのです」
「はい?」

どうせ何も言わないだろうと思っていたので聞いてなかった。
なんて言った?

「どちらでも、良かったのです」
「……どちらって、何と何ですか」
「……」

白蓮は一輪の方に目を配る。
言っていいかどうか、迷っているのだろうか。

それでもしばらくの逡巡の後、白蓮は口を開いた。

「村紗の事です」
「……」
「あの子はもう、私には制御ができなくなっていたのです」
「……」

村紗水蜜の問題行動については有名だ。
東の里内部を流れる河川で船を沈めては、高笑いしながら去っていく。
集会場で僕らが味わったような、あの恐怖をところ構わず振りまいていたのだ。

どうも地面を液状化することもできるようだったが、やはり水辺の方が本領なのだろう。
人間の住む範囲内で『水辺』と呼べるところが他に無いわけではないのだが、1番大きな所と言えば間違いなくそこだ。

「確かに以前から暴走気味ではありましたが、最低限私の言うことくらいは聞く子でした」
「……」
「しかし最近はそれすらも怪しく、歯止めが壊れてしまったかのようでした」
「いや、それこそ破門にでもすればよかったじゃないですか」
「……そうもいきません」

白蓮はうなだれる。

「問題児を更生してこその命蓮寺なのです、我々が幻想郷で一定の地位を確保するには、他所にはできない事が、差別化が必要だったのです」
「……それは、わかりますが」

業界最大手の守矢神社に押されていた命蓮寺。
ニッチ方向に進むこと自体は間違いとは思えなかった。
僕は。

「たわけが」
「……神奈子さん、私は」
「それで管理者に始末してもらおうとしたわけか」
「……どちらでもよかったのです、引き返してくれたのなら、それでも」
「いい訳があるか、おい」

神奈子さんは白蓮のそばにしゃがみ込み、至近距離からその目を覗き込む。
とっさに顔を背けようとした白蓮だったが、胸ぐらを掴みあげられてそれもかなわない。

「自分で始末をつければよかったのだ、お主の下らぬ世間体のために他人に手間をかけさせるな」
「……自分でなど、私にはとても」
「アレは何だ、お主がどこかから拾ってきたのだろう? 更生させようとしたのだろう?」
「はい、昔、私がまだ……」
「なら最後まで面倒を見ろ、キッチリ更生させろ、できぬのならその手にかけろ、それが助けたものの責任だ」
「…………はい」
「お主はとても善人とは呼べぬ、だが悪にもなりきれぬ、虫けらにも劣るただの根性なしよ、自らを害虫と称してはばからないこの男に敵う道理など最初から無かったのだ」

……。
いや、いいけどさ。

「……申し訳ありませんでした」

神奈子さんから解放された白蓮が、僕の方に向き直って頭を下げる。
確かに、もうちょっとやりようはあったのだと思う。
もっとマシな結果の未来だって、きっとあったはずだ。
でもそれは所詮結果論。
起きてしまったことは仕方ない。

ならばそこからどう挽回し、どう収拾するかにすべてがかかっている。
その点においても命蓮寺は合格基準を大きく下回っていたが、それでもこいつは今日を生き延びた。

響子が居なければ、あるいはリリカが居なければ確実に死んでいたであろう展開だったのに、運のいい奴だ。
あるいはリリカにああするよう仕向けた何者かが、まあ、十中八九ユキエだろうけど。
他にあんな判断ができる奴なんていないし、後でぶっ飛ばしておこう。

「まったく、来週の頭、月曜日までですよ」
「……はい?」
「弁償の方です、そっちもきっちり払ってもらいますからね」
「あ、はい、必ず」
「1日でも遅れてたら生きたサナダムシ1リットル飲んでもらいます」
「……か、必ずや間に合わせますので」
「それか触手の餌食にしてあげます」
「しょ、しょくしゅ?」

やれやれ。
結局暴力沙汰だった。

でもまあ、結果だけ見れば悪く無い部類に思える。
僕はメンツを保てたし、予定より多くの金も手に入りそうだ。
おまけに命蓮寺自体も殺さずに済んだし、金を払わせた上に貸しとして認識させられた。
これからチクチクと搾取もできそうだ。

あれ? これ思ったよりすごい状況じゃないか?
理想的すぎる。

それもこれも響子が起き上がって僕を止めたからだ。
響子が起き上がったのはリリカが起こしたからだ。
リリカが動いたのはたぶんユキエがそそのかしたからだ。

「……」

あの女の事だ。
偶然ではあるまい。
他にこんな判断ができる奴なんていないし、後で褒めてつかわそう。





いるとは思わなかった。

「来てらっしゃると思ってましたよ」
「うふふふ、面白い出し物だったわ」

今日、僕が指定した部屋の隣の部屋。
そこに神奈子さんに待機していてもらっていたのだが、どうやら1人で来たわけではなかったようだった。

隣の部屋の様子をモニターしていたらしいレミリアさんが、頬杖をつきながら僕を迎えてくれた。

「ていうかなんですかこの伝票は」
「神奈子がものすごい勢いで料理頼むんだもの、食欲が失せたわ」
「あの人、常になんか食べてません?」
「そんな気もするわね、奢りだと特に」
「……レミリアさんどのコースで?」
「温野菜のやつよ、最近凝ってるの」
「それだけですよね」
「もちろんよ」

伝票を見つめて頭を抱える。
確かに好きなの頼んでいいって言ったけどさ。
1人でコース料理3週とか本気で恥ずかしいからやめてほしい。

「レミリアさん、借りていたお金は週明けには返せそうです」
「あらそう? 急がなくってもいいわよ?」
「金利の発生を今日で止めといていただけるのでしたら」
「なら急ぎなさい」
「そうですよね」

これはお任せください、とだけ言って伝票を持っていこうとしたら、不思議そうな顔で呼び止められた。

「あら、神奈子の分だけでいいのよ? 私勝手に来たんだし」
「レディに財布を出させるわけにはいきませんよ」
「こらこら、目上の人の顔を立てるのも若者の務めよ」
「……レミリアさん」

なぁに? と嬉しそうにニヤけるレミリアさんに、僕は精一杯かっこつけて答えた。

「今日の主役は僕なんです、最後まで主役でいさせてください」
「……もう」

しょうがない子ね、とレミリアさんが微笑む。
今まで見た中で1番優しい笑顔だった。

それでも1番安いコース頼んでいてくれたあたり、向こうの方が一枚上手な気もしたが。





雨降って地固まる。
土砂崩れが起きて舗装される。
爆撃されて復興する。

響子が新たに同居人として我が家に加わった。

紹介はミスティア。
承認はもちろん僕。

この紹介と言うのは『響子を僕やみんなに紹介する』という意味でももちろんあるが、『みんなを響子に紹介する』という意味もある。
と言う訳で、ユキエ以外の一同が居間に集まったところを見計らって、みんなに時間を取ってもらった。

「あー、この度新メンバーとして加わることになった幽谷響子だ、よろしくしてやってくれ」
「よ、よろしくお願いします」
「大体知ってると思うが、あのクソ寺から引っ越してきた、その前はどこにいたんだっけ」
「家なき子です、その辺で適当に暮らしてました」
「職業は、あー、どれだ?」
「歌手です!」
「だそうだ、家事の分担とか決まってたっけ?」

まだだよ。

「そっか、趣味とかあったっけ」
「……趣味が高じて仕事になったばっかりだよ」
「そうだったな、あれは? 落語は?」
「あ、落語好きだよ、聞くのもやるのも」

視界の端でガッツポーズをする歌舞伎塚が見えた。
お前あれだろ、響子様派だろ。
ていうかお前出て行くんじゃなかったのか。

「じゃあ端から紹介してくぞ、あっちにいるでかいライオンが歌舞伎塚だ、下の名前は知らん」
「おい貴様」
「あのライオンはおとなしいライオンだから大丈夫だ、噛んだりしない」
「そんな紹介があるか!」

珍しく語気を荒げる歌舞伎塚だったが、響子が微妙に怯えるため下手に詰め寄れずにいた。
そしてその場で頭を抱える。
お前も大変だな。

「で、あっちのミノムシが鳴子、ガランガランうるせーけど悪い奴じゃない」
「ミノムシじゃねーです!」
「あとあいつ無理してキャラ作ってるけど、うざいと思っても口には出すなよ、素で傷つくから」
「お前はっ、どうしてっ、そう人が気にしてることを平気で言えるんですか!!」

木片を逆立てながら鳴子が激怒するが、ミスティアはどこ吹く風だ。
そして散々わめいてから怒るのが馬鹿らしくなって頭を抱える。
お前も大変だな。

「あそこにいるのがリリカだ、あいつも悪い奴じゃない」
「おっすー、よろしくねー」
「リリカは、あー、…………えーっと、……そう、リリカだ、まあ悪い奴じゃない」
「他に言う事ないのかぁ!」

リリカがポルターガイストでクッションを投げつけるが、ミスティアに軽々とキャッチされる。
そして投げ返されたクッションが額を直撃して頭を抱える。
お前も大変だな。

「そんであそこにいるのがリグル、あいつは悪い奴だ」
「おい」
「マジで気を付けろ、何があってもあいつにだけは喧嘩を売るな」
「その喧嘩買った」

馬鹿なことをほざいている駄雀に文句を言ってやろうと思ったが、何故か同居人全員が無言で頷いている。
そして何より当の響子が『わかってる』と強く頷くものだからもう何も言えない。
意地でも頭は抱えなかった。
僕も大変だ。

「あとユキエってのがいるんだが、大体いつもいない、でもなんか知らんがハイスペック」
「あー、実はその人とは面識があったり」
「そうなん? じゃあいっか」
「そんなに知ってるわけじゃないけどね」

やっぱり知ってる人だったのか。
何をしてる人なのかもよくわからないし、僕としてもある程度の事は知っておきたかったけど。
だからって変に嗅ぎまわるのも感じが悪い。
べつに問題があるわけじゃないし、やはり放置がベターか。

「さて、ちゅーしても起きない白雪姫は後でいいとして、ここでの暮らし方についてざっと説明すんぞ、寺じゃどうだったか知らねーが」
「うん」

そう、人の紹介が終わったら次はルール説明だ。
これも紹介した奴の仕事で、言う文言も決まっている。
ちゃんと言えるよなミスティア。

「ここで暮らすにはいろんなルールを守んなきゃいけないが、1番大事なのはなんだかわかるか?」
「リグルさんを怒らせないことだよね」
「……2番目に大事なことはわかるか?」

おい。
セリフ違げーだろ駄雀。

「んー、家事の分担守ること?」
「他人の邪魔をしない事だ」
「……」
「そんで邪魔されたら絶対に文句をいう事だ」

「「「「「たとえ相手が誰であろうと、たとえ相手が何であろうと」」」」」

響子以外の全員が声を合わせる。
驚いてないで覚えろ。
この家で1番大事なルールだ。

さらにミスティアは続ける。

「ここに居んのは同居人だ、味方じゃねえ、仲間でもねえ、どこまでも他人で、1人1組織だと思え」
「……そんなにストイックなの?」
「みんないい暮らしがしたくてここにいるんじゃねえ、やりたいことがあってここにいるんだ、我を通せない奴はあいつに食われる」

そう言ってミスティアが僕を指す。
最後の部分はアドリブだったが、僕は特に何も言わなかった。

「間違って邪魔んなっちまうこともある、そん時は迷わず謝れ、お前も事故なら許してやれ」
「う、うん」
「だが本当にぶつかるときもある、そん時は殺す気でやれ」
「う、うわー」
「和して同ぜずっつーか、親しき仲にも礼儀ありっつーか、普段から緊張感持って接してっから長続きしてんだよここは」
「……」
「お前もここに住んでたかったら日和るな、甘えるな、筋を通してケジメをつけさせろ、必要だったら無理やりにでもだ、わかったか?」
「…………わかった」

まだよくわかっていなさそうな響子だったが、それでも頷いていた。
共有物だとか買い出しの事だとかの細かいルールは今じゃなくてもいい。
紹介はこれで終わりだ。

「……」

ふと思う。
もし村紗水蜜が同居人としてうちにいたらどうなっていただろうか。
命蓮寺での言動を見る限り、人にいらないちょっかいを出して消されるか、同じ幽霊や弱っちい付喪神にまで本気で噛みつかれて懲りるかのどちらかだろう。
そう言う意味では性善説がまかり通ってそうな命蓮寺より、うちの方が向いていたのかもしれない。

いや、やっぱりそれはないな。
あいつはいらねえ。





翌週頭、一輪に持ってこさせた弁償金の800万を受け取った僕は、その日のうちに山へと走りグッズ業者に買掛金を支払った。
ちなみに紅魔館への返済は済んでいる。
慰謝料の方で先に払ってしまっていた。
金利がやばいんだもの。

残った金を改めてスタッフに分配し、金銭関係のやり取りは終了。
紅魔館での事情聴取も問題なく済ませ、個別にするといった天狗たちからの取材も済んだ。

ただ、射命丸さんを呼んだのは大失敗だった。
実力の違いを見せつけられた。

別に言っちゃいけないことを言ったりはしなかったが、いっそその方がマシだった。
なんか聞いてもいない事をペラペラしゃべるし、案外ちょろそうな人だと最初は思っていた。
なのにいろいろな手段で僕から情報を引き出そうとするので妙だとも思った。
情報が欲しい時は黙るだとか、あえて挑発して失言を狙うだとか、人と会話をするための技術というものを僕もいくつか知っている。
自分で考えた奴とか、本で読んだ奴とか。

そして僕が知っているほぼすべての技術を、射命丸さんが僕に対して使うのだ。
それ自体は別に普通の事だと思う。
でもなんか、こう、やり方が不自然と言うか、下手くそなのだ。
あ、このやり方はアレだな? と僕ですらわかる形で使って来るので、それにうかつに乗らずにきちんと回答することは簡単だった。

だが取材の終盤で気が付いた。
あの女は取材に来たんじゃない、僕の力量を測りに来たんだ。
どんな技術を知っていて、どんな技術を知らないかを。
どんな対策が打てて、どんな対策が打てないのかを。
思い起こせば、僕の知る技術をあからさまに使っていて不自然な時と、ただ不自然な時があった。
そのただ不自然な言動が実は、僕の知らない技術をあからさまに使っていて不自然なのだと直感した時にはもう遅かった。

僕がそれに気付いたことを1瞬で見抜いた射命丸さんは、明らかに中途半端なタイミングで取材を終わらせた。
ニンマリ笑いながら伝票を持っていくその後ろ姿を見て、僕は年季の違いを思い知った。
なんだこの敗北感は。
切れ長の瞳で見つめられながら『また会いましょう』なんて言うもんだから、嫌味の1つでも言いたくなってしまったが何とか自重した。
相手は天狗。
しかもそこらの天狗とは格が違う最速の天狗。

神奈子さんの言葉は正しかった。
射命丸文さん、あの人もまた晩餐会の参加者のようだ。

最後の最後に鼻っ柱を叩き折られたような屈辱を味わったが、末永いお付き合いを前提とした行為だと思って無理やり自分を納得させた。
何はともあれこれにてすべての残件処理は終了だ。
あー、疲れた。


「と言う訳で、ケツは拭き終わったよ」
「お疲れさん」
「お疲れ様でした」

特等席のソファに腰かけ、偉そうにふんぞり返りながら同居人に報告をする。
別にやりたくてふんぞり返っているのではない、バネがヘタレているのだ。
いっそ買い換えようかな。

「収支は結局どうなったんだよ」
「金銭面じゃプラスだよ、綺麗な焼け太りだ」
「信用面は?」
「ガタ落ち、だけどギリギリまで落ち幅は減らせたと思う」

それだけ言って、僕は体を起こしてやや前のめりな座り方に戻す。
そして気を付けの姿勢のまま話を聞いていたミスティアと響子に告げた。

「このまま終われるか」
「おう」
「当然です」

鳥獣伎楽のプロデビュー初ステージ。
それは見事なまでに潰された。

いろんなところでいろんなものを失い。
多くの人を傷つける結果になってしまった。

ここで終わっては何も残らない。
本当の本当に、何も残らないではないか。

「もう1度言おう、前回の1件の始末はすべて済んだ」
「おう」
「はい」
「失ったものは多く、得たものは少ない」
「……」
「……」
「だが、確実に手に入ったものが2つある、人脈と、経験だ」

人材とノウハウ。
この世で最も価値のある宝と、2番目に価値のある宝。

いつかラジオ塔で天狗のお姉さんに言われたことを思い出す。
失敗したらどうするか。
その質問に、僕は即答した。

「やるぞ、次は最後までやり切ってみせる!」
「おう!」
「はい!」

そしてこの日、鳥獣伎楽の2回目のライブ公演が決定した。


歌舞伎塚と鳴子とリリカとユキエとレミリアさんとパチュリーさんと美鈴さんと神奈子さんと諏訪子さんとファンクラブとチルノと自警団と集会場の持ち主と命蓮寺と鴉天狗と白狼天狗と河童とグッズ業者と印刷屋とラジオ塔のお姉さんと霧雨魔理沙にもう1度やると宣言した。
全員から呆れられた。
そして全員から応援された。

全員だ。
例外なく全員からだ。

ファンクラブは全員スタッフとして参加、今回は美鈴さんも一緒だ。
同居人も当然のように参加、歌舞伎塚は出て行くのやめるとか言い出した、お前は何がしたかったんだ。
前回の反省を踏まえ、写真集の種類を増やし、ポスターなども新しいのを作った。
個数も思い切って500セット、売り切れなかったら里で売る。

そう、今回は里ではなく切り株のステージでやることにしたのだ。
あんな切り株じゃない大舞台を用意しろと響子に言われていたが、今回は泣いてもらうことにした。
さらに今回チケット販売は無し、参加費は無料な代わりに椅子を用意しない。
収益はすべてグッズ販売頼りだ。
コーラとサイダーも当然売りに出す、もう在庫が少ないから全部出しきってしまおう、当然コップに入れてだ。
チルノとも再契約、お菓子の家を作ってやると言ったら瞳を輝かせていた。
どうでもいいが次からはフェアリー1と呼ばないといけないらしい。

さらにすべての計画を記した事業計画書をレミリアさんに提出し、今度こそ融資を頼んだ。
しかしまたも断られる。
なんでかと聞いたら、山に持って行けと言われた。
半信半疑で鴉天狗の銀行に行き、融資担当者に会わせてくれと言ったらあっさり会わせてもらえた、今まで門前払いだったのに。
そして数週間のうちに融資が決定する、金利も良心的だ、少なくともトイチよりは。

神奈子さんあたりが口利きしてくれたのかと聞いたら答えはNO、僕の実績から判断したと言われた。
実績も何も失敗したんですがと聞いたら、失敗してからのリカバリーが素晴らしかったと褒められた、鴉天狗にだ。
君ならたとえまた失敗しても金だけは返すだろう、そう言われた。
こんな時魔理沙だったら、くははははと笑うのかもしれない。

軽く泣きそうになりながら融資を受け、その金でグッズを発注、さらに出店も増やす。
屋外ステージなだけにスペースが広く取れ、切り株をグルリと囲む形に大量の出店を並べられる。
今回は焼きトウモロコシとか焼きそばとか、その辺も完備だ。
これでロックじゃなくて盆踊りだったら完全に縁日じゃないかと思う。

神奈子さんからまたも白狼天狗を借りてくる。
2、3人借りて行くか? とまた聞かれたので、5人貸してくれと頼んだ。
何に使うんだと聞かれたので、出店の警護を頼むのだと答えた。
首をかしげる神奈子さんに説明した、今回の出店は人間の業者も出張るのだと。
繰り返すが今回は里の外だ、無法地帯だ。
破産のリスクじゃない、生命のリスクがかかる場所だ。

神奈子さんは度肝を抜かれたようだったが、僕にはなんとなくわかっていた。
前回のライブの観客の中にいたのだ、東の里の出店業者が何人か。
そして向こうから打診があった、お前らは出店ってもんをわかってない、今度こそ自分らにも関わらせろと。
幻想郷初の催しに呼ばれなかったのが許せなかったと。
今度は里の外だと言ったのに、知るかそんな事と言われた。
流石は人間、売り買いさせたら生物界最強、度胸の据わり方が違った。
そんな彼らを傷1つ付けさせたくない、だから天狗を貸してくれ、そう頼んだ。
それを聞いた神奈子さんも心底呆れたのか、好きなだけ持って行けと言いながら頭を抱えてしまう。
神奈子さんも大変だ。

すぐさま犬走さんに連絡を入れ、なるったけたくさん呼んでくれと言ったら20人くらい来た。
神奈子さんが泣いてわめいて止めるので結局半分くらいになってしまったが、それでも10人、十分すぎる。
人数を半分にする代わりにまたラジオで宣伝させてくれと言ったら、しょぼくれながらもう好きにしろと言われた。
ありがたく30分枠をいただいた。
また泣かれた。

妙なチンピラが絡んできたり、グッズの搬入数が間違ってたり、ドラゴン1が紅魔館所属だとバレてパニックになったり、何も録音されてない新品のカセットテープが搬入されて来たり、また絡まれたり。
居酒屋での打ち合わせ中に鴉天狗が無茶な取材を敢行してきたり、そいつらと美鈴さんの睨み合いが発生したり、たまたま遊びに来ていた諏訪子さんにビビッて鴉が逃げたり、諏訪子さんにボールペン返してくれと言われたり。
切り株のデコレーション中にスピーカーが派手にハウリング起こして近くにいたスタッフが気絶したり、出店の業者が護衛に雇った退治屋と警備の白狼天狗が気まずそうに肩を並べてたり。

神奈子さんが呆れたり、レミリアさんが爆笑したり。
事あるごとにといろいろあった気もするが、正直全部は覚えてない、もっとあったはず。

ま、2回目だし。
前よりは楽だったかな。





「僕は約束を守ったぞ!」
「それはもうやっただろ」
「切り株ですけどね」
「うるさいぞお前ら」


そして当日。
普通に人間が聞きに来ていた。
里の外だっつってんだろ。
お前ら本当にあの東の里の住人かよ。

のっけから何かがおかしいかったが、この状況で人食い騒ぎは勘弁してほしい。
しょうがないので、今回こそ聞きに来てくれていた神奈子さんに頼んでみる。
天狗おかわり。

「神奈子さん白狼追加でお願いします」
「ダメだ!!」
「えー?」
「自分でなんとかしろ!!」

両手に焼きトウモロコシを装備した使えない軍神はさておき、どうしたものかと考える。
自己責任のひと言で済ませるのは簡単だったが、さすがにそうも言っていられない。
会場の妖怪達も食べていいのかいけないのかわからずに戸惑っている。

あ、良いこと思いついた。
そこの河童さんマイク貸して。

《あー、テステス、皆様、本日は鳥獣伎楽のライブにお越しいただき誠にありがとうございます、間もなくの開演となりますので、もうしばらくお待ちいただけますようよろしくお願いいたします》
《お客様の中には前回のライブにいらして下さった方もおられるかと思います、その際は大変なご迷惑をおかけしました》
《しかし本日は前回の反省を踏まえ、トラブルや暴力沙汰が起こらぬよう警備を大幅に強化しております、協力してくださった方がいたからこそ万全の警備を敷くことができました》
《本日もいらしてくださっているスポンサーのレミリア・スカーレット様と八坂神奈子様にこの場を借りてお礼申し上げます、今日は楽しんでいってください》
《では、間もなく開演となります》

よしOK。
2名ものビッグネームに会場内がざわつくが、たぶんこれで大丈夫だろう。
天狗でダメなら吸血鬼。
すんませんレミリアさんと神奈子さん、名前借ります。

「私いつスポンサーになったのかしら」
「すみません技術提供と間違えました」
「我はいつスポンサーになったのだ」
「すみません人材提供と間違えました」
「私の名を出せば皆様もきっと御仏の心を思い出すでしょう」
「お前は勝手にしゃべるな」
「……ひどい」

突き刺さる視線に気付かない振りをしつつ、河童にマイクを返す。
もう後は見てるだけだ。

切り株ステージから近すぎず遠すぎずの1等地にシートを敷き、その上に命蓮寺から借りてきた畳を2枚重ねで置いてある。
そこにボスキャラがずらりと4人、畳1つじゃ狭いから横に2畳。
我真ん中がいい! と、から揚げを貪りながらどっかりと腰を下ろした神奈子さんを中心に、左にレミリアさん、右に僕、僕の反対隣りに馬鹿住職。
いろんな意味で強い順だった。
レミリアさん正座辛いんなら崩してもいいと思いますよ、神奈子さんみたいに。

そして歓声に包まれながら主役の2人が登場した。
集会所と違って360度全方向に観客がいるため、手を振って愛想を振りまくだけでも大変そうだ。

「まあ、幽谷ったらあんなはしたない恰好を」
「いや普段と比べて露出は減っておる」
「そうね、いつもはもっと腕にシルバー巻いたりしつつも布の面積は少なかったわ、響子様は特に」
「そうなんですか? 私てっきり和服着てやるものかと」
「そんな訳なかろう、しかしミスティアちゃんの化粧も地味目だな、この距離では少々弱く見えおる、誰のセンスだ」
「パチェが教えるって息巻いてたけど、結局どうなったかしら」

パチュリーさんにはあえて何も聞いてません。
美鈴さんのアドバイス通りに。

ていうか白蓮来るの初めてなのかよ。
そしてそっち2人はなんでそんなに詳しいんだよ。

と言おうと思ったが、声を出そうとした瞬間クラリと意識が遠くなった。
幸いすぐ治ったが。

思ってる以上に疲れてるのかもしれない、また鼻血吹いて倒れるのも御免だ。
終わるまで神奈子さんに寄りかかって寝てよう。


【ノッてるか―――い!!】
『YEAAAAAAH!!』

神奈子さんにしなだれかかりながらうとうとしていたら、いつの間にか始まっていた第2回鳥獣伎楽ライブ。
今回は日没から3時間に及ぶ長丁場だ。
メインの収入源が周囲の出店達であることを考え、休憩時間と称した買い物タイムを合間合間に入れている。
売切れたら巻きで行けばいい。

ていうかうるさくて寝れない。
何がいいんだこんな歌。

「お主が全否定してどうする」
「爆発するほど不満とか溜めてないんで」
「……そうか」
「神奈子さんはどうなんですか」
「我はジャニーズしか聞かん」
「そうでしたか」

爆音を聞きながらの会話は難しかったが、どうせ大した内容じゃないので気にしない事にした。
あ、そうだこれ僕の所にだけ防音の魔法張ればいいじゃん、僕頭いい。
そしてそそくさと神奈子さんの足の裏に魔方陣を描こうとしていたら、通信機に連絡が入った。

『犬走からナイトバグさんへ、応答願います』
「くすぐったいわ馬鹿者!」
「はいこちらリグルです、どうしました?」
『……霧雨魔理沙を発見しました、迎撃しますか?』
「細切れにしてください」
『……了解』
「冗談です、向こうから見えるところで監視しててください、怪しい素振りを見せたら1発だけ威嚇をお願いします」
『了解しました』
「場所はどこですか?」
『舞台と東の里の直線上です』
「……徒歩ですか?」
『あ、いえ、上空20メートルほどに停滞中です』
「了解、すぐ向かいます」

他のメンツに会釈だけして席を立つ。
いくらなんでも今日は撃つまい。
頼むからやめてくれ。


「よ、懲りねえな虫けら」
「まあね、はい焼きそば」
「おお、気が利くじゃねーか、妖怪いすぎて流石に降りらんなかったぜ」
「普通そうだよね」
「……あんまウマかねーなこれ、ところであの露店やってるやつら人間に見えんだけど」
「そうだよ、向こうからやるって言い出したんだ」
「へー、度胸あんなあいつら、まあそれはわからんでもねーんだよ」
「うん」
「なんで観客に人間いんの?」
「それは僕が聞きたい」
「理解できん」
「珍しく意見が合ったな」
「ついでにあの音楽も理解できん」
「最近よく意見が合うな」

魔法の箒に2人で腰かけ、観客の群れを遠巻きに眺めながら焼きそばを頬張る。
会場自体は盛り上がってるんだけど、何だろうな、全然面白くないや。

祭りは準備が面白い。
人をまとめて金を集めて、やること決めて準備して。
正直本番なんておまけだ。
僕の次の仕事は、会場の片付けなんだから。

「……魔理沙」
「あん?」
「この焼きそばおいしくないね」
「……くははは、珍しく意見が合ったぜ」

今回の1番の懸念事項は隣にいる。
こいつさえ押さえておけば、たぶん大丈夫だろう。

懸念事項か。
つまらなそうにステージを見つめるその横顔を見て思う。
こいつが妖怪だったらどんなによかったことか。
退治屋でもなんでもなく、アリスさんみたいに人間やめて静かに研究でもしてればどんなによかったことか。

そしたら僕は……。

いや、やめた。
変な事考えるのはよそう。

「あーあ、ぶっ放してーなー」
「やめろお前」
「吸血鬼来てんだろ? チャンスじゃん」
「ピンチの間違いだろ、お前の砲撃が直撃したって傷1つ付きゃしないよ」
「前に火傷させたことがある」
「料理中にか」
「戦闘中にだぜ」
「嘘こけ」
「……バレたか」

そしてまた魔理沙と共にひたすら退屈な時間を過ごす。
休憩の度にあれ買って来いだのあれ食べたいだのと言い出すので、その度に下まで降りて買いに行く羽目になってしまった。
パシリにされるのはムカついたが、リリカを助けてもらった借りがあるので仕方がない。
犠牲者ゼロで済んだのは、こいつのおかげでもあるのだ。

そして何度目かの休憩時間が終わり僕の財布も軽くなってきた頃、演目は最終パラグラフに入った。
いまいち区別のつかない曲目と、いまいち面白みのわからないMCを挟み、1歩1歩、祭りが終わりへと近づいていく。
ちなみにMCの原稿は響子が書いた。
僕が書いた奴を読めと言ったんだけども、原稿を読むなりミスティアと2人揃って顔を引き攣らせながらMCはCMじゃねーんだよと言うので仕方なく。
え? 違うの? って感じだが、ライブの内容に関しては一任すると言ってしまっていたので、ダメと言うならしょうがなかった。

そして最後の最後、今回のライブを締めくくる1曲が始まった。
他の曲は全然わからない僕だったが、この曲だけはわかる。

「魔理沙、これが最後の曲だ」
「お、やっと終わりか、退屈だったぜ、ゲフ……」
「……この曲な」
「あー、流石に食いすぎたぜ、焼肉入るかな」
「この曲、響子が創ったんだ」
「……え? マジで?」

ミスティアの演奏を侍らせながら、汗だくの響子が壇上で吠える。
史上初かどうかは知らないが、少なくても超が3つは付くレア物件。
妖怪の妖怪による妖怪のための歌。
あるいはそれが静かな鎮魂歌とかだったら妖怪っぽくて映えると思うのだが、なぜよりによってパンクロックなんだ。
それともあれか、こんな馬鹿なノリが妖怪らしいとでも思ってるのか。

こんなあけっぴろげな刺々しさじゃないんだよ。
こう、妖怪ってのは即物的な危険じゃなくて、おどろおどろしい抵抗不可能な悪夢的なアレなんだよとにかく。

「あれだな、変に言葉が通じるから悪いんだ」
「あ? お前あれが何言ってっかわかんの?」
「……熱すぎず冷めすぎず、自然体で行こうぜって言ってるよ」
「適当に言うんじゃねえぜ」
「マジだよ」

そう言って歌詞カードを見せてあげた。
一応作っておいたんだ。
『鳥獣伎楽と一緒に歌おう!』というアオリ文と共にカセットテープのおまけに付けているので、来週にはみんな口ずさめるようになっていることだろう。
……発音できればの話だが。

「……えーと今どの部分だ?」
「ちょうど2番のサビの前」
「んー?」

やや戸惑いながらも魔理沙が歌詞を読み上げる。

アクセルだけじゃ焼き付いちまう。
ブレーキだけじゃ進めない。
ハンドルはあってもあえて使わず。
ルールより大事な約束を胸に。

さあ、ハードボイルドになり損なった半熟卵みたいな絶妙な塩梅で―――

【―――Just boiled!!】
《『Just boiled!!』》

【Just boiled!!】
《『Just boiled!!』》

【Just boiled!!】
《『Just boiled!!』》

【《『ジャストボォォォォォォィルド!!!』》】

大気を震わす絶叫と共に、観客席から歓声が巻き起こる。
合いの手まで入れてくれるのはありがたいのだが、この曲、前回のライブでは披露できなかったはずだ。
そしてもちろんゲリラライブでも披露はしていない。
公開したのは都合2回行ったラジオでの宣伝の時のみ、つまりあの2回だけで合いの手のタイミングを理解してくれたと言う事だ。
響子が歌った歌詞をそのままなぞるだけなので別に難しい事じゃないのかもしれないが、熱心に聞いてもらえたのかと思うとプロデューサー冥利に尽きると言うものだ。

「おおう、すげえ熱気だぜ」
「いい加減疲れないのかな」
「やらせてるやつが言うんじゃないぜ」
「それもそうか」

無駄なことを言ってる間に曲が変調した。
最後のサビに入るのだ。

このサビが終われば曲も終わり、曲が終わればライブも終わる。
ライブが終われば、祭りも終わりだ。

暇だから明日からのことでも考えてみようか。

今、切り株を取り囲んで2人の熱唱に耳を傾けている観客たち。
よく見れば、その表情にいくらか種類があるように見える。
馬鹿騒ぎに興じている馬鹿や、2人と一緒に歌ってるファン。
それらに並んでちらほら見える、歯を食いしばって泣いている顔。
嬉しいと悔しいが混じったような、焦りと期待が混じったような。

やりたいんだろうな、きっと。

「……」

監視用に放っている蟲たちが教えてくれる。
ステージ正面で祈るように震えている山伏天狗の女の子。
遠めの場所で空を仰いで涙を零すまいとしている幽霊。
ちょっと離れた大河の川べりで食い入るようにステージを見つめている人魚。

あの子らが日の目を見ることがあるかどうかはわからない。
でもこれだけは言える。
あの子らをステージに連れて行けるのは僕だけだ。
あとはせいぜいレミリアさんだ。

もっともっと、憧れろ。
何を捧げてでも、あそこに行きたいと希え。
その貢物、僕が残さず食ってやる。

僕が応援してやる、僕が勇気付けてやる、何もかもを用意してやる。
安値で叩き売りされているとも知らず、喜んで搾取される獲物たちよ。
自らの足で階段を上り、自ら望んで祭壇に立て。
その生贄が振りまく笑顔に騙され、家畜に憧れた馬鹿が向こうから寄ってくる。

ああ、素晴らしきスパイラル。
屍の山でできた螺旋よ、僕を高みへ連れて行っておくれ。

「……なんつー顔してんだお前」
「ん? いや、魔理沙かわいいなーって」
「やめろお前ふざけんな、里で噂になったらどーすんだよ」
「僕は困らない」
「……ちっ」

魔理沙の舌打ちを無視してステージに目を向ける。
ミスティアによるアウトロが弾け、妖怪の歌曲が終わりを告げる。
爆発のような歓声を浴びながら、響子がライブ最後を締めくくった。

【みんなありがとー! 名残惜しいけど、今日はもう終わりー!】
【みんな本当に! 本当にありがとうね! また必ずやるからー!】
【楽しみにしててねー!!】

フラフラになりながらも健気に手を振る2人に、観客席から惜しみない拍手が送られる。
さーて、終わり終わり、片付けに入ろうか。

「終わりか?」
「終わりだよ」
「そうか、降りな」
「また今度ね」
「ああ、ぶっ殺してやるぜ」
「やってみろ人間」
「その前に焼肉忘れんなよ」
「北?」
「北」
「了解」

ゴツンと拳を合わせて魔理沙と別れる。
そして死神はまっすぐに里へと向かって行った。
なんだ、家に帰るんじゃないのか。

それともあれか、遠慮してるのか。
うちが留守だからって。

「まさかね」

あいつに限って、それはないだろう。





「お、おやめください!」
「うるさいぞ、静かにせい」
「やめなさいよ神奈子」
「……」

片付けは他の連中に任せて、僕はゲストたちの相手をしよう。
そう思って興奮冷めやまない観客席に戻ってきたら、また頭の痛くなる光景が待っていた。

「ああ、そんなご無体な」
「良いではないか良いではないか」
「はしたない真似をするんじゃないわ」
「……神奈子さん何してるんですか」

白蓮の肢体を思うがままにこねくり回す軍神を見て思う。
この人はこうやって信仰を失ったんだろうと。
そして幻想郷でも同じことを繰り返すのだろうと。

「リグルよ、お主知っておったか?」
「そいつのスリーサイズでしたらシティーハンター表記で上から91、74、88ですよ」
「ナズーリンが破門になったそうだ、だいぶ前に」
「……は?」

知ってた。
知って得するユキエ情報。
ナズーリンさんは地底へ行ってしまったらしい。
なんでユキエが知ってたかは知らないけども。

「え? 嘘でしょう?」
「我も嘘だと思った、おい」
「いえ、その、ちょっとした行き違いで、というかなぜ私のスリーサイズを……」
「あーお、命蓮寺の戦力半減じゃないですか、どうりで雑魚かったと」
「信じられん馬鹿だ、我なら他の全員と引き換えにしてでもアレは残すぞ、あとウエスト何とかせい」
「あうぅぅ、あの子は勝手にあれこれやるので制御できなかったのです」
「あの人がいたら僕にも勝てたでしょうね」

事前に命蓮寺周辺を探索しまくって本当にナズーリンさんがいないことも確認していたし。
まあ、ありえない仮定だけども。

「そうだな、アレと小僧が互角として、一応こいつも戦力に入れて他が話にならぬとすればそうなっていたかもな」
「……過ぎた話です、そういう事にしといてください」
「あれ? じゃあナズーリンさん今どこに?」
「我の所には来てないぞ」
「……おそろく地下かと」
「……」
「……」
「お、おやめください! おやめくださいってば! やあん」

大駒を地下に投げ捨てた世紀末馬鹿を2人掛かりで揉みしだき、無言のまま睨み続ける。
特に神奈子さんの苛立ちはすさまじい。
恐らく借金のカタにでもして連れて行くつもりだったのだろう。
しかし白蓮も白蓮でノリノリだ、艶めかしく反応して火に油を注いでいる。
本当に住職かこいつ。


「聞こえないのかしら?」


瞬間、ヤバい気配を感じて3人同時に振り返った。
そこには真顔のレミリアさんが。

「……」

これはまずい、かなり機嫌損ねてる。
いくらなんでも調子に乗ってはっちゃけすぎた。

か、神奈子さん、代表してなんか弁明を。
ほら早く。

そんな僕の神頼みは一応通じたようだ。

「いや、あのな?」
「お黙り」
「……はい」

通じはしたが意味は無かったようだ。

ネコ科の動物のように牙をむき出しにしてレミリアさんが怒りの表情を露わにする。
いつも優しい人が怒ると怖い。
ていうか目が怖い。

逆に考えろ、この人が怒りっぽかったら地球は傷だらけになっている。
そう思えばこの状況も悪くない。
そんな訳がない。


そして永遠程にも長く感じた十数分後。

「レミリアさんレミリアさん」
「あら、なにかしら」

長い長い説教も終わり、片付けがいつの間にかすべて済み、打ち上げの準備ができたと連絡が入った頃。
我も打ち上げ行きたい! と言い出した空気の読めない軍神の処理を白蓮に命じつつ、僕はレミリアさんに2つの紙の束を手渡した。

「これは?」
「遅れて申し訳ありません、前回のライブで使用した通信機です」
「……? ありがとね」
「中にすべての通信が録音されています」
「あら…………あらあらあらあらあらぁあ?」

ぎゃーぎゃー言っていた神奈子さんと白蓮の声がピタリと止まる。
それと同時にレミリアさんの瞳孔が開いていくのがわかった。

「準備日から当日まで、もちろん村紗水蜜襲撃時の通信もすべてです」
「いいの? もらっちゃって」
「はい、もちろんです、無編集なのでお聞き苦しい所もあるかもしれませんが」
「あらあらいいのよそんな事、ありがとうね」

情報には価値がある。
今回行ったのは幻想郷初の催しというハイリスクな代物だ。
ハイリスクで、ハイリターン。
そしてこの通信機の中には、そのリスクの部分が詰まっている。
どんな指示を出し、その結果何が起こったのか。

『失敗』の詰まった宝箱。
これを正しく解析すれば、次回以降のリスクを大きく削減できる。
僕ですら2回目のライブでは大した問題もなく運営できたのだ。
レミリアさんやパチュリーさんの手にこれが渡れば、レミリアさんが嫌っていた『幻想郷ならではのリスク』をほぼゼロにまで持って行けるだろう。

レミリアさんがこちらを見ながらニィィと口元を歪める。
やっぱりこの人が1番この顔似合うと思う。
悪巧みといえばこの人だ、悪役やらせたら右に出るものはいまい。

「な、なあリグルよ、抜け目のないお主の事だ、ダビングもしてあるのだろう?」
「確か雲居が通信機持っていたはず……」
「残念ながら録音してたのは僕だけで、これがオリジナルデータです、ダビングはありません」

「まあ、ありがたくもらっておくわ」
「はい、今日の分も後で差し上げますね、それと前回と今回の興行についてまとめたレポートも来週中には提出します、準備した物だとか与えた役割だとか、起きた問題だとか、解決した方法だとか、グッズの販売状況だとか、手配にかかった時間だとか」
「あら、急がなくていいのよー?」
「ただ、物品の原価だけはお許しください、他所様の見積りをお渡しするわけにはいきません」
「ええ、当然よ」

わかりやすいほどにレミリアさんの機嫌が直る。
そうだよね、やっぱりこれだよね、レミリアさんが欲しかったのは。

絶対必要か? と聞かれたらそうでもないと言うだろう。
でも、欲しいか? と聞かれたら即答で欲しいと言うだろう。
値千金の情報、お気に召してくれたようでなによりだ。

「リグルよ、コピー機って知ってるか?」
「知ってますよ?」
「使ってみたくないか?」
「印刷所でよく使わせてもらいますが」
「……いくらだ」
「御安心ください神奈子さん、僕はノウハウを金で売るようなことはいたしません」
「見上げた職業倫理だ、なぜレミリアにはいいんだ!」
「レミリアさんにはここ十数年お世話になりっぱなしでしたので、やっと1つ恩返しができたところです」
「天狗貸したじゃないか!」
「ありがとうございました」
「この野郎……」
「情報というのは限られた人が持つから価値があるのです」
「つまり?」
「レミリアさんがいいって言ったらいいですよ?」
「……なあレミきゅん」
「なあにカナりん」

パチュリーさんや美鈴さんに借りた物は、レミリアさんに返すべきだと思う。
そういうものだ。

興味の無い振りをしつつ餌をねだる猫のような神奈子さんを弄りながら、レミリアさんが心底うれしそうにニヤニヤしている。
この人もドSだよなぁ。
僕じゃ及びもつかないよ。

「あれ? ちょっと待ってください、十数年お世話にってどういう事ですか? いったいいつから」
「……それもそうだ、我はここ数年だと思っていたぞ、十数年前ってお主来たばっかりじゃないのか?」
「そうよ?」
「まさかとは思いますが『十数年』というのは『14年』の事でしょうか」

意外に鋭かった白蓮が疑問の声を上げる。
そして目を丸くする2人に、レミリアさんが解答を教えてあげた。

「……この子が初めて紅魔館に来たのはね、終戦記念日なのよ、吸血鬼異変解決の公示がなされたまさにその日」
「は?」
「え?」
「まだ瓦礫の片付けも戦没者の埋葬も済んでないような、それこそ私もまだ立ち直ってないような段階で営業に来たわ、人足りてるかって」
「ば、馬鹿かお主は」
「何を考えているのですかあなたは」
「いやー、チャンスだったもんで」

つい。

「最初八雲の人かと思ったわよ、そのつもりで対応してたらフリーだって言うからぶったまげたわ」
「そりゃ我でもぶったまげるわ」
「……それは勇気ではなく無謀かと」
「私が怖くないのかって聞いたら、怖いって言うのよ、それでみんな怖がってるからチャンスだと思ったって、『僕が客を連れてくる』って言うのよ、まだ輸入業やるって決まってもなかったのに」
「えへへへへ」

いやぁ、懐かしい話だ。
今にして思えば滅茶苦茶なこと言ってた気もするが、過ぎた話だし、今日こうして結果も出せた。
まあ、問題あるまい。

「実際それで助かったところもあるし、いきなり大当たり引いたわ」
「お主ばっかりズルくないか?」
「吸血鬼仕込みでしたか、道理で凶悪な訳です」
「うふふふ、これからも期待してるわ」
「ありがとうございます」

レミリアさんにナデナデをいただき、一緒にお褒めの言葉もいただいた。
なんかそれだけで頑張った甲斐があったと思えてしまう。


しかしまだ終わりではなかった。
とりあえず話すべきことは話し終え、打ち上げの会場にレミリアさんを招待しようかどうしようか迷っていた所。
不意に、レミリアさんが妙なことを口走った。

「ところで、あの2人はどっちが本命なのかしら」
「はい?」

「もったいぶらないで教えなさいよ」
「うむ、気になるところだ、ミスティアちゃんだろう?」
「幽谷ですよね?」
「……」

いきなり何を言い出すのか。

「何を言ってるんですか、本命だとかなんだとか」
「ほらほら照れないの、教えなさいよ、別に言いふらしたりしないから」
「いや、あの」
「両方とか言い出すんじゃないぞ、どっちかと言えば?」
「ですから」
「ふふふ、いいですね、初々しくて」
「……」

獲物を見つけたハイエナのような表情で3人に詰め寄られるが、ここでふと疑問が残る。
神奈子さんはいい。
白蓮もいい。
だがレミリアさんは何だ。
まさか知らないのか、十数年付き合ってて。

「何なら好みのタイプでもいいわよ、幼い感じとか金髪とか」
「それお主の妹じゃないか」
「包容力のある女性ですよね」
「……」

あ、これあれだ、いつものパターンだ。
あとどっちかって言うと金髪は嫌いです。

「やっぱり胸が大きくないとダメなのかしら、でもあの2人は巨乳って程じゃないわよね」
「いや、大は小を兼ねる、乳はでかい方がよい、そうだろう?」
「そうですともそうですとも」

OK。
もういちいち大げさにするの面倒だからあっさり行こう。

「言っときますけど、僕、女ですからね」
「「「…………は?」」」

そして時が止まりだす。


「嘘、嘘よ、フランの婿養子にと思ってたのに……」
「馬鹿な、こんなことが」
「性転換魔法なんてよく習得できましたね」

とりあえず白蓮は蹴った。

「はいはい、どうせ男にしか見えませんよー」
「ご、ゴメンなさいね?」
「いや、見た目がどうこうではなく、雰囲気や仕草が完全に男なんだが」
「その割には女性にモテますよね、幽谷といい雲居といい」

もういいよ。
僕を初見で女だと見抜いた奴なんて、今の所ミスティアしかいない。
今の所と言うべきか、あとにも先にも、と言うべきかはわからないが。
触手ですら間違えるくらいだ。

素直に謝ってくれるレミリアさんと、悪びれる様子の無い残りの2人。
この辺の違いが通信記録を渡すか渡さないかの違いだということを理解してほしい。
期待する方が間違っているのかもしれないが。

そんなことを考えていたら、通信機からノイズ音が聞こえてきた。
今度は誰だ。

『リグっさん? 聞こえますか鳴子ですー』
「こちらリグル、どうかした?」
『打ち上げ準備できてますですよー』
「先に始めててくれる? 挨拶はミスティアにやらせて」
『了解でーす』
「レミリアさん連れて行ったらまずいかな」
『それは、どうでしょう、私14年前とか生まれてませんので』
「……そっか」
『歌舞伎塚に聞いてみますか?』
「いや、いいよ」

せっかくだ、サプライズで打ち上げに招待しよう。
パニックになるのも面白そうだった。

連中もいい加減吸血鬼に慣れるべきだ、ちゃんと話をするべきだ。
いくら恐れられてこその妖怪だと言っても、いつまでも避けられてていい訳じゃない。
何も心配はいらない。
犬走さんと同じ感覚で接すれば大丈夫さ。
この人滅茶苦茶強いけど、それ以上に誇り高いから。





そして祭は終わりを告げ、日常が返ってきた。
あるいはアレも日常の1コマである筈なんだけど、まだまだそこまで小慣れちゃいない。
悲鳴と狂乱に満ち溢れた打ち上げもなんだかんだ言いつついい話風にまとまったし、大団円と言って差し支えは無いだろう。

なぜかユキエがレミリアさんに満面の笑みで突っかかって行った時はちょっと冷や冷やしたが、あんな小娘にしてやられるほどレミリアさんは軽くない。
1枚も2枚も上手な吸血鬼に軽々と言いくるめられ、ユキエが顔を真っ赤にしてふさぎ込む姿は見ものだった。
何故かそれを見ていた美鈴さんが爆笑していた。

そして響子の年齢が360歳だと言うことが判明。
僕の3倍だ。
その場にいた大半の妖怪より年上だったし、同居人でも最年長となった。
とてもそうは見えない。
見た目じゃなくて精神年齢的に。
ちょっと若者とは言えないかもしれない。

意外なことに、打ち上げ中レミリアさんが孤立することは無かった。
美鈴さんが側にいたとかいうオチではなく、明らかに深い交流があるとは思えないようなメンツが吸血鬼に酒を注ぎ、共に談笑していた。
会話の内容からしてアンブレラ1とか明らかに初対面だっただろうに。

平穏を装いつつも内心かなり驚いていた僕だったのだが、打ち上げで1番驚いたのは美鈴さんと犬走さんの事だった。
なんとこの2人、互いに吸血鬼異変の時に直接ぶつかった相手だと言うのだ。
当時を思い出して醜く顔を歪める美鈴さんと犬走さんは本気で怖かったが、最終的にはジョッキのビールをクロスハンドで乾杯していた。
地味に歴史的瞬間なんじゃないかとも思ったが、なんでドイツ式の乾杯なのかはわからなかった。
そしてそれを見たレミリアさんとユキエが同じ事をしていたのもさらに意味がわからなかった。


そんな打ち上げから数日。
今日も今日とて害虫回収の仕事を終わらせてきた僕は、紅魔館に寄ることなく自宅へと向かっていた。
流石に1日に4件もやったら疲れる。

「……あれ?」

魔法の森に入って数分。
我が家のすぐそばにあるニジマスの釣りスポットで、歌舞伎塚とリリカが大きな石の上に座っているのを見つけた。
確かに脂が乗ってくる時期だが、釣り具が見当たらない。
こんなところで何やってんだ?
さては逢引か? 僕というものがありながら。

「やあ、何ってんだい?」
「うおおおー! ボスー! どこ行ってたんだよー!」
「は? 仕事だけど」

声をかけた途端、リリカが掴みかからんばかりの勢いで向かってくる。
なんだ、どうした。

「今家に今、家に今に、いま、家に人が来ててて」
「誰が来てるって?」
「お茶っ、私お茶出したんだけど、でもうまくいかなくって、人が来てて、ユキエがコーヒー淹れてくれて、紅茶いくらなんでもアレは出せなくって」
「落ち着いてリリカ、誰が来てるって? レミリアさん?」
「違う違う違う違う違う違う違う」

ブンブンと首を振るリリカを不審に思いつつも、逆にリリカをここまで慌てさせる人って誰だろうかと考える。
レミリアさんじゃないなら……

「神奈子さん?」
「違う違う違う違う……、もっとすごい人ぉ!!」
「……」

……おい、ちょっと待て。
その2人よりすごい人って、1人しかいなくないか?
チラリと歌舞伎塚の方を見てみる。
こいつもこいつで、自分の見た物が信じられないとでも言うように震えながら口元を押さえていた。

「リグル、信じられないかもしれないが」
「……」
「今、うちに管理者が来ている」
「……マジかよ」

やっと日常が戻ってきたと思ったら。
最後にとんだサプライズが待っていた。


「……」

ガチャリとドアを開け、居間へと侵入する。
入ると同時にふわりと漂うコーヒーの香り。
なんだろう、自分の家のはずなのに、酷くアウェイな心境だ。

そして、見紛うはずもない。
だいぶ前の朝が来なくなった異変。
去年の鴉天狗の査問会。
過去に2度、その御尊顔をほんのチラッとだけお目にかかった事がある。

「ごきげんよう、お邪魔していますわ」
「……」
「あなたの家なのです、楽になさってください」
「……」

八雲紫様だ。
本物の。

八雲様が両脇に従者を侍らせ、僕の特等席のソファに掛けられている。

とっさに言葉が出てこない。
おいおいなんて言えばいいんだ。
吸血鬼の時も軍神の時も、イニシアチブはこっちが取っていた。
そりゃ1度会話が始まってしまえば向こうのペースだったけれども、それでも、会いに行ったのはいつだって僕の方だった。

「……ようこそおいでくださいました、大したおもてなしもできずに申し訳ありません」
「とんでもない、こちらこそ急に押しかけてしまって申し訳ありませんわ」

そりゃ『いつかは』とは思っていた。
いつかは、管理者にも謁見を許されるくらいになりたい、と。
逆にこっちに招けるくらい立派な家に住めるようになりたい、と。

この人と仕事の話がしてみたい。
人を使うノウハウとか聞いてみたい。
妖怪の行く末を語り合いたい。
そんな風には、そりゃ思っていたとも。

でもこれは、いくらなんでも不意打ち過ぎる。

「……お目にかかれて光栄です八雲様、それで、あー、本日はどういったご用件で」
「ふふ、あなたに会いに来ましたの」
「さ、左様でしたか」

いかん、自分でも何言ってるかわからない。
それ以前に声が裏返ってる。
なんか従者の方がクスクス笑ってる気がしてますます焦る。

「先日の興行、見させていただきましたわ」
「あ、そ、そうでしたか、ありがとうございます、いかがでしたか?」
「そうですね、洋楽はあまり聞きませんが、妖怪があそこまでやったという事実自体が素晴らしいと思いますわ」
「あ、ありがとう、ございます」

すいません洋楽じゃありません。
そうは聞こえないかもしれませんが、ほとんどの歌詞が日本語です。

「……」

八雲様が僕の家にいる。
それだけでどうにかなりそうだった。
ああもう、なんで僕はソファ買い換えておかなかったんだ。
あれはバネがヘタレてて座りにくいだろうに。

「別にレミリアにやれと言われたわけではないのでしょう?」
「はい、どちらかと言うと向こうがやろうとしてたことを取ってしまったかもしれません」
「それはいいですわ、レミリアも喜んでいたでしょう」
「……はい、とても」

そうでしょうね、と言ってしわがれた声で八雲様が笑う。
あんまりまじまじ見るのも失礼だけど、シミがあったりシワがあったり、やっぱりお年を召した方なんだろう。
幻想郷が始まったのが1400年くらい前って話だから、1800くらい行っていても不思議ではない。
もしかしたら2000の大台に乗ってたり?
すげえ。

400生きれば大妖怪、1000年越えれば雲の上、なんてよく言われるけど、その先まで生き抜いた人って他にいるんだろうか。
しかもただ漫然と生きていた訳じゃなく、1400年以上を駆け抜け続けたお方だ。

綺麗だよなー。
レミリアさんも将来こうなるんだろうか。
僕も将来こうなれるんだろうか。
なれたらいいなー。

「ところで」
「は、はい!」

呼ばれて飛び上がる。
いかん、ボーっとしてた。

「やってみていかがでしたか? 簡単だったでしょう」
「……そうですね、僕1人ではとてもできませんでした」
「仲間に恵まれたのですね、喜ばしい限りですわ」
「はい、最高な連中です、彼らがいなければどこかで潰れていました」
「でも簡単だったでしょう?」
「……あー、いえ、そうですね、簡単でした」
「そうでしょう? もし難しく感じたのなら、それは単に慣れていないだけです」
「……」
「本当に、人を使うなんて簡単な事なんですよ」

それは、きっと八雲様だから言えるのだろう。
コツだとか技術だとか、意図するまでもなく染みついているのだろう。
そう思ったのだが。

「だって、妖怪はみんな従うことが大好きなんですから」
「…………はい?」

にっこりとほほ笑む八雲様を、僕は呆然としたように眺める事しかできなかった。
妖怪がなんだって?

「あなたや私、あとは天魔ちゃんやレミリアなどが例外なのです、妖怪にできることは壊すことだけ、何も決められない、言い換えれば決断を人に委ねているのです、だから簡単、行くべき道を指差してあげればいい」
「……何も決められない?」
「のしかかる重圧、周囲の視線、未確定への不安、そういったものに耐えられないのです、耐えられるようにできていないのですよ」
「プレッシャーにですか」

確かに準備を進めていくうえで、うまくいかないことがある度にキリキリと胃が痛んだし、準備日や本番での指示出しやなんかは寿命が縮んだ。
集会場が崩壊した時なんて鼻血吹いて倒れたくらいだ。

アレに耐えられない。
耐えられないから、従いたがる。
いつか神奈子さんが言っていた、従うことで安心するってのはこういう意味だったのか?

「誰かに同意してもらわないと進めないのですよ、1人じゃ決められない、自分で決めたことが本当に正しいのか不安で不安でしょうがない」
「僕らはそんなに哀れな存在でしたか」
「哀れを通り越して滑稽ですわ、身の内に宿す破壊衝動さえ、許可が無ければ発散できない、ご存知ですか? 妖怪が最も素直に従うのは攻撃を命令された時なのですよ」
「……そうでしたか」
「次からは意識してやってごらんなさい、きっと、誰も彼もがあなたに付き従うでしょう、敵ですらも」
「はい」

敵。
この世界には敵がいる。
僕の邪魔をする、排除すべき敵が。

「ですが、敵は外側だけとは限りませんわ」
「……」

八雲様は、ちょっと意地悪そうに微笑みながら尋ねてくる。
だから僕も、笑って答えた。

「それは鳴子の事ですか?」

その回答に、八雲様は少しだけ驚いたような顔になった。

「御存知でしたか、わかった上でのことなら、何も言う事はありません」
「証拠はありませんから」
「ええ、安心してください、あれは村紗水蜜の単独犯で決着が付いています」
「……ありがとうございます」

あの日。
沈みゆく集会場の中から僕は見た。
液状化した地面。
引き摺り込もうと伸びてくる腕のようなもの。
そして、建物の周囲をグルリと囲う『ロープと木片』。

そもそもあいつにあんな真似ができること自体知らなかった。
隠していたのか、急にできるようになったのか。
どちらにせよ計画性があったわけじゃない。
村紗水蜜の凶行に便乗しただけだ。

動機は知らん。
全力で走る者は自分より速く走る者を決して妬まないと思っているが、鳴子はそうでなかったのかもしれないし、走れていなかったのかもしれない。
それか自分の領域から人が出て行くのが嫌だったからか、ああ、こっちの方がそれっぽいかな。

あいつは忘れられた物だ。
竹林の奥深くで、いつ誰に作られたとも知れない警報装置が、何を思って付喪神化したかはわからない。
でも、だからこそ、自分の領域から誰かが出て行くことに焦燥感を覚えたって不思議じゃなかった。
忘れないで、出て行かないで、自分の所に居て。
そんな付喪神の苦悩は想像することしかできないが、防ぐ結界が弱くて閉じ込める結界が強力なあたり、奴の性格がよく出ている。

たぶん、とっさにやっちゃったんだろう。
終わった後の焦り様を見ればわかるさ。
来るもの拒まず去る者逃がさず。
あいつ本当はトラバサミか何かなんじゃないだろうか。

それでも、紅魔館に引き渡すような真似はしなかった。
あいつは使える。
このネタで脅せば、いくらでも扱き使える。
だから、手元に置いておきたかった。

「……」
「……」

それきり、何を話すでもなく時が過ぎていった。
割と無遠慮にお顔を眺めてしまっていたけれども、八雲様は特に何も言わなかった。
向こうもニコニコしながら僕のことをご覧になっているようだったけれども、それについて僕が何か言うはずも無い。

話してみたかったことはまだ山ほどあったが、全部忘れてしまっていた。

最初こそ偽物かもとは疑ってかかったが、もうそんな疑いは吹き飛んでいた。
こんな妖力の持ち主が他にいるものか。

隣に侍らせている従者のような爆発的な力じゃない。
でも響子のような弱々しい力でもない。
有るんだか無いんだか見ててもわからない曖昧な力。

確かに目の前にいるのに、ともすれば見失ってしまいそうになる気配。
従者の発する妖力で掻き消えてしまいそうなのに、決して揺らがない存在感。

そして声、上から押し付けるでもなく下から持ち上げるでもなく、相手を煙に巻く無機質な丁寧語。
その割には若干過激な言葉選び。

さらにはこっちの深層心理まで覗き込んでくるような遠慮の無い視線。
鋭いような濁ったような、何も反射しない万華鏡のような瞳。

言動から真意が読めない。
『何がしたいんだかわからない』
はっきりと回答してくれたのは鳴子関係のことくらいだ。
それ以外は本当に、何も掴めない。

そのアンバランスさ故に、側にいるだけで気が変になりそうだった。
なのにもっと、見ていたい。

こんな人が、世の中に2人もいてたまるか。


どれほどの時間が経っただろうか。
それでは、とこぼして八雲様が席をお立ちになる。

「そろそろ、お暇いたしますわ」
「…………へ? あ、そ、そうでしたか、本当になんのお構いもできずに申し訳ありません」
「いえいえ、堪能させていただきました」

慌てすぎてテーブルに足をぶつけながら立ち上がった僕だったが、目を逸らした1瞬の隙に八雲様のお姿が消えていた。
当たり前のように従者の影もない。

「……あれ?」

まるで最初から誰もいなかったかのように、誰もいない居間だけが僕の目に映っていた。
あまりにもあっけなさ過ぎて実は全部幻覚だったんじゃないかと疑いかけたが、テーブルの上に乗ったコーヒーカップがその可能性を打ち消してくれる。
いつの間に飲み干していたのか、3つのカップはすべて空になっていた。
神出鬼没にも程がある。

「……」

あれが八雲様。
あのレミリアさんを返り討ちにした晩餐会の主催者。

もっと、話したかったな。
昔話とか、これからの事とか。

「それはまた、いづれ、ね」
「……!」

気配もなく背後に立たれていた。
両肩の上から手を回され、後ろから抱きしめられる。
とっさのことに振り向くこともできず、僕はただ自分のすぐ側から聞こえる八雲様の声に耳を傾けていた。

だが妙だ。
すぐそばに八雲様の体温が感じられるのだが、この吐息すら聞こえる距離でも気配が感じられない。
しかも体温が感じられるのは上半身だけで、チラッと床を見てみても自分の足のすぐ後ろには椅子がある。
今振り向いたらいったい何が見えるのだろうか。

居るのか居ないのかわからない。
本当に、存在そのものが曖昧な方だった。

「それではごきげんよう、あなたには期待していますわ」
「あ、ありがとうございます」
「新世界で会いましょう」
「……はい?」

去り際、後ろから頬に口付けをいただき、何が何やらわからないまま八雲様に別れを告げられた。
身体を放され、僕はその場にへたり込む。
びっくりし過ぎて腰が抜けた。
神出鬼没にも程がある。

「あー、緊張した」

後ろを振り返って誰もいないことを確認し、僕はよじ登るように椅子に座った。
どうしよう、八雲様とお話ししちゃった。
誰に自慢しよう。
よし、レミリアさんだ。
ケラケラ笑いながらノってくれるに違いない。

「きはははは、お疲れ様リグル君」
「……あー、ユキエか」

いつからいたのか、ユキエがすぐそばに立っていた。
そんなよそ行きの服なんか着て、どこかへ行っていたのだろうか。

「わ、すごい汗びっしょり」
「ちょっとね」
「おまけに顔真っ赤だよ、恋する乙女みたいになってる」
「まあ、似たようなもんだよ、さっきまで憧れの人と話してたんだ」
「うんうん、そうだよねー、リグル君シンパっぽいし、その割には吸血鬼と仲いいけど」

誰がシンパだ。
僕以外の奴らに敬意が足りないだけだ。
閉ざされているとはいえ、妖怪が夜空を闊歩できるのは誰のおかげだと思ってるんだ。

「あ、コーヒー淹れてくれたんだって? ありがとね」
「ん? うんうん、まあね」
「悪いけど僕にも1杯淹れてもらえないかな、気が抜けて立てないんだ」
「……態度は変えないか、さすがだね、大物になるよ」
「うん? 何の話?」
「え? 何の話ってそりゃあ……」
「……うん?」

「あれ? 今紫様とお話してたよね」
「うん」
「隣に部下いたよね」
「うん、確かいたね2人くらい」
「……もしかして見てなかった?」
「あー、よく見てなかったかも、八雲様しか」
「……」

うっそだー、とユキエが呆れたように顔を引き攣らせる。
そうだ部下で思い出したが、確か八雲様の従者に藍様と言う九尾の方がいたはずだ。
言われてみれば尻尾がいっぱいな方がいた気がして、紫様が座っていた席の隣の椅子を見てみる。

背もたれがテーブルに対して横に向いていた。
やっぱり尻尾持ちの人は椅子を横にして座るのだろうか。
ていうか直して行かなかったらしい。

「ねえユキエ、やっぱり尻尾ある人って椅子横にして座るもんなの?」
「信じらんない! あんだけ引っ張ったのに! ここでバーンと正体を明かしてビビらせようと思ったのに!!」
「ユキエー、聞いてるー?」
「え? なに? 何も見てない人の話なんか聞いてないよ」
「いや、藍様って椅子横にして座るのかなって」
「うん? うんうん、そうだよー、尻尾あると背もたれ邪魔だし、藍様尻尾消せるけどかっこつける時はそっちかなー」
「そっか、よく知ってるね」
「ねえねえ、その座り方してた人反対隣りにもいたよね」
「……お前まさか覗いてたの?」
「そう来ちゃった!?」

慌てふためくユキエだったが、掴みかかろうにもまだうまく立てそうにない。
運が良かったな。
だがお前は家事の分担倍増だ。

「違うもん、覗いてないもん、そんなことする必要ないもん」
「……」

言い訳に余念のないユキエだったが、覗きでなければ盗み聞きか。
見苦しい。

……いやまてよ。
コーヒー淹れた時に見たのかも。
ま、いいか。

あーあ、握手したかったな。

「違うもーん!」

わかったようるさいな。





「ただいまー」

21年間住み続けた家は、今日も僕を出迎えてくれる。
八雲様の来襲から2週間。
さすがにもうサプライズはあるまい。

「うーい」
「お帰りボスー」
「お帰り」
【お帰りなさーい】
「お帰りですー」
「おっかえりー」

玄関を入ってすぐ目の前の居間から、同居人たちの返事が聞こえてきた。
ちなみに『うーい』はミスティアだ。
同時にジャラジャラという音も聞こえてくる。

「またやってんのか」

買い物袋をキッチンに置き、居間のソファに身を投げ出した。
ここは僕の特等席、他に座る奴なんていない。
中のバネがヘタレているのか、不自然に沈む。

「……通らばリーチ!」
「ミスティアそれカン」

僕は現在この家に、7人の同居人とともに住んでいる。
いかれた仲間を紹介しよう。

「ほう、親リー相手に明槓だと?」
「ツモ、リンシャンタンヤオドラ1」
「なん、だと」
「あ、響子ちゃんうちはドラ即乗りだよ」
「リリカ余計な事言うんじゃねー!」
「あ、3つ乗った」
「何ぃ!?」

今まさにタンヤオドラ1の手がハネ満に化けたのが、うちの新人幽谷響子。
人里美人番付12位にして、鳥獣伎楽のメインボーカルだ。
あどけない外見の割には中身が意外と黒い所もあるが、他の連中と比較すると霞んで見える程度だ。
それでもなかなかに熱い情熱を持っている子で、根性はある方だと思う。

将来の夢はトップアーティスト、自分でバンバン歌創って、ガンガン売りたいと言っていた。
とんだシンデレラだ。
言ったからには頑張ってほしい、ガラスの靴くらい用意しよう。

ちなみにうちでは責任払い有りで、食いタンも無条件に有効のルール。

「12000」
「……3000バックで」
「哀れミスティア、あと何点で焼き鳥確定?」
「うっせーよ」

そしてその響子の対面に座り、苦悶の表情で1万点棒と5000点棒を差し出しているのが僕の相方ミスティア・ローレライ。
ちなみにあと4700点でトビだ。
たまに何の相方なのかと聞かれることがあるが、何のことは無い、狩りの相方だ。
あいつが鳥目にして僕が遠距離から撃ち抜くのが僕らのスタイルだったりする。

将来の夢は旅亭を持つこと。
屋台、店舗、大型店舗、旅亭の順にステップアップしていく予定らしい。
この間、慰謝料という名の臨時収入があったばかりなので、やろうと思えば店舗くらい何とかなりそうなものだと思う。
でも踏ん切りがつかないらしい。
馬鹿である。
鳥獣伎楽のギターでもあるのだが、ミスティア的にはそっちは副業で、店の宣伝に過ぎないそうだ。
その辺の温度差が響子との不和を生みそうで怖い。
ていうかミスティアが響子雇えば解決である。

「ちょっとミスティアまだトバないでくださいよ、私まだ原点割ってるんですからね」
「黙れミノムシお前から直取りしてやる」
「そんなことしたら困るのミスティアですよ? 根本がわかってねーのです」
「うるせーよ」

ジャラジャラと牌を混ぜながら、ガランガランと自分も音を立てているのが鳴子の付喪神、名前もそのまま鳴子だ。
最近気付いたのだが、この子は全身から生えている木片をある程度自由に体内に出し入れできるらしい。
今だって両腕の肩から先に木片が無く、ノースリーブの服を着ているように見える。
……全部ひっこめたら全裸に禿げ頭状態になるのだろうか。

そんな学術的好奇心はさておき、彼女の夢は自分を作った人物を探し出すこと。
どうしても蹴りを1発入れたいらしい。
だが、正直真面目に探しているとは言い難く、割とのんびり毎日過ごしている。
そういうのはカモなので、遠慮なく扱き使うことにしていた。

最近大きな弱みも握れた為、苛めて遊ぶには最適だ。

「んー、良い手が入んないなー」
「棒読みで何ほざいてんだリリカ」
「こういう時は逆にハッタリですよ今までの傾向からして」
「リリカ先輩【だけ】は警戒しとかないと」
「ふふーん♪」
「『だけ』ってなんだ『だけ』って」
「わざわざ山彦使って強調しましたですね?」
「何のことやら」

チャカチャカと理牌しながら、1打目から赤ウーピンを切り飛ばしているのが同居人唯一の幽霊、リリカだ。
苗字はプリズムリバー、最近やっと覚えられた。
気立てが良くて、気配りができて、頭の回転も早い超いい子で、ぶっちゃけこの中で1番使える。
力が弱い代わりに力以外を鍛えようというあり方も好感が持てる。
正直嫁に欲しい。

将来の夢はこれまたトップアーティスト。
うちには音楽家が多いようだ。

日頃から練習を欠かさない努力家で、いつも寝る間も惜しんで演奏に明け暮れている。
そのせいか生活そのものに苦心している面もあり、つい最近バイト先の大衆食堂が潰れたとかなんとか言って慌てていた。
次は北の里の焼肉屋で働くことになったらしいが、リリカの事だ、どこででもやって行けるだろう。

ライブに関しては鳥獣伎楽に先を越されて思うところがあるようだったが、焦る必要はないと思う。
リリカの希望はわからないが、ある程度文化的に確立してからの方がこの子には有利だと思うんだ。
この子にはミスティア達のようなパワーこそないが、技術的な物なら僕が聞く限りミスティアより上だ。
ポルターガイストで複数の楽器を同時に扱えるというのも大きい。
この方向に伸ばして、純粋な音楽家と言うよりも、パフォーマー寄りの方向に進んだ方が売れると思う。
本人がそれを望むかどうかはわからないが。

「わ、すご……おっとゴメンなんでもない」
「黙ってろユキエ!」
「部外者はすっこんでてください!」
「マナー違反だよー、やめてねー」
「……そ、そうだと思います」
「ゴメンゴメン、くふふふふ」

リリカの手牌を覗きながら、ミスティアと鳴子の反応を楽しんでいるのが猫の妖獣ユキエ。
同居人最強の妖怪だ。
何やら最近大きな秘密をカミングアウトしたらしいのだが、僕は聞いていないし、誰も教えてくれない。
その前に誰が知ってて誰が知らないのかも知らない。

割と性格が悪い。
いたずらっぽいと言うか好奇心旺盛と言うか、みんな喧嘩にならないようにお互いに気を遣っているのに、こいつだけ全然その気配がない。
過去に起きた同居人同士の暴力沙汰をいくつも見ているはずなのに、まるでそれを恐れていなかった。
歌舞伎塚をも上回るほどの戦闘能力とリリカをも上回るほどの補佐能力があるのだが、それ故に使い辛い。
猫系と鳥系の妖獣は割と気ままな傾向があるとはいえ、なんとかならないものかと日頃から頭を悩ませていたりする。

将来の夢は、とある人物を超える事、らしい。
とある人物とは誰の事なのかは教えてくれなかったし、どういう分野で超えたいのかも教えてくれなかった。
ただ、その話をしていた時の彼女の瞳には静かな炎が宿っていたし、表情も声色も、冗談を言っているようには思えなかった。
たぶん、天狗の誰かだろう。

「……………………よし」

そして麻雀の卓割れ待ちでもしているのか、もう1つのテーブルでジェンガに興じているのが獅子の妖獣、歌舞伎塚。
大きくて、重くて、強そうで、そして強い。
誰よりも頼りになる存在だ。
僕との関係はこの中で1番長く、信用もできるし個人的に好みでもある。
こいつは早く僕っ娘に目覚めるべきである。

ちなみに顔も獅子なら手も獅子っぽくて、手に対して小さいが肉球もある。
よくそれでジェンガができるなと感心するが、こういう細かい作業はリリカに次いで2番目に得意だったりする。
裁縫も得意で破れた衣服の修繕とかもできるし、料理の腕もミスティアとリリカに次いで3番目にうまい。
『器用貧乏』という言葉がよく似合う男だった。

隙あらば猫パンチしようとしてくるユキエを牽制しながらジェンガにも集中するこの男の将来の夢は、落語家。
前に落語をしたいと思い至った経緯を聞いた気もしたのだが、忘れた。
腕前は不明、僕は聞いたことが無い。
他人に披露しないと上達しないぞ。
その辺はリリカを見習えとよく思うのだが、お互いのやることに口出ししないのが原則なので、かなりヤキモキさせられたりもしている。

繰り返すが早く僕っ娘に目覚めるべきである。

「リリカ先輩それポン」
「あら2つ目、張ったかな?」
「ノーコメントで」

「い、いや、いくらなんでもまだ5順目だぞ」
「ミスティアがそう言うなら張ってるっぽいですね」
「どういう意味だミノムシ」

そして最後の1人、眠り姫。
ここにはいないが家には居る。
2階へ続く階段の下。
ちょっとした物置になってるスペースに住みついている闖入者だ。
何度追い出しても戻ってきたり、その割には時々いなかったりと謎の多い人だが、もはや気にしている人はいない。

将来の夢とか言う以前に寝言としか会話したことが無い。
マジでいったい誰なんだ。

「ロン、白北ドラ1、ザンク」
「ぬわ――――――!!」
「うわ、掴んじゃったですか」
「トビだね」

卓の方から駄雀の断末魔が聞こえてきた。
あれ? なんでそれでトブんだ?
4700あっただろ。
と思ったらミスティアの物と思しきリー棒が出ていた。
馬鹿かこいつは。

「ライオーン、敵討てー」
「響子ちゃん強いよねー」
「いえいえ、リリカ先輩もなかなか」
「私とミスティアは?」
「……フッ」
「は、鼻で笑いやがったなこの野郎!」
「ほざけ焼き鳥、こちとら寺で鍛えられてるんだよ! ナズーリン先輩馬鹿みたいに強かったんだからね!?」
「知るか!」

寺で麻雀すんな。

「やっと順番か」
「3位って鳴子だよね、交代交代♪」
「はいはい」

どうやら負け抜けルールだったらしい。
ミスティアと鳴子が席を立ち、歌舞伎塚とユキエが卓に付こうと立ち上がる。
だがちょっとタンマ。

「歌舞伎塚」
「……ん?」
「順番回って来たとこ悪いけど、ちょっといい?」
「まあいいが」
「あ、じゃあ私もう1回です?」
「傷が深くなるだけだよ鳴子ちゃん」
「鳴子先輩、タネ銭は有りますか?」
「きはは、きははははははは」
「……やっぱミスティア代わって」
「やだ」

向こう向こうで盛り上がっていたが、気にしない事にして。

「ほらよ」
「なんだこれは」

僕はカバンから書類の束を取り出すと、歌舞伎塚の方に放り投げた。
ここまでそろえるのに2週間もかかったぞ。

「里の落語家の所に行ってきた」
「……何?」
「幻想郷に全8か所、大きい所から小さいところまで、すべての場所でお前有名だったよ」
「いや、そうかもしれんが、これまさか」
「聞いてみたんだよ、面白い奴欲しくないかってね」
「……」

ジャラジャラうるさかった背後の音が止まる。
連中の視線を背中に感じつつ、僕は話を続けた。

「8か所中5か所が欲しいってさ、小さいとこばっかりだけどね」
「……本当か」
「お前聞きには行くみたいだけど就職活動してないだろ、大きいところはそうでもないけど、話題が欲しいところが色物欲しいってさ」
「よく色物とか知ってるな」
「お前に教わっただろ、資料見てみろ、各組織の主要構成員と平均観客動員数、さらに客の年齢層と、主な噺のレパートリーだ」
「……よくここまで」

パラパラと資料をめくる歌舞伎塚、めくればめくるほどその顔が驚愕に染まっていく。
ああ、やっぱりいいな、この感覚。

「……信じられん」
「最近お前にはかっこ悪いとこばっかり見せちゃってたからね、ここらで名誉挽回だ」
「まさか、本当に」
「行けよ歌舞伎塚、最初は雑用やるみたいだけど」
「俺が、本当に、舞台に上がれるのか」
「そこまでは知らないよ、修業があるんだろ? よくわかんないけど」
「ああ、まず見習いから入って前座、二ツ目を経てから真打になれるんだ」
「真打になるのに10年しかかからないって聞いたよ、あっという間だ」
「……人間の頭脳があっての話だ、俺ではもっとかかる」
「いいんだよ100年かけたって、そのあとの数百年はお前の独壇場だ、人間の落語家が世代交代していく傍ら、お前は勝手に大御所になれる、先輩の方がえらい世界なんだろ? 寿命の差を生かせ」
「……そんな考え方をしたことは無かった」

歌舞伎塚は笑えるほどの間抜け面で資料を眺めている。
目から鱗とはこういう状態を指すのだろう。

「……お前の事だ、サゲも用意しているんだろう?」
「まあね、お前を欲しがってるその5か所全部が全部、住み込みはNGだってさ」
「……」
「でも、人前に出る以上ある程度の清潔感や身だしなみは必須だってさ」
「…………そういう事か」

頭を掻きながら歌舞伎塚がにやける。
僕はその頬を軽く撫で、こちらの方を向かせた。

「ああ、逃がさないぞ歌舞伎塚、デビューしたけりゃうちに居ろ」
「ククククク、お前らしい」

放しゃしないよ。
大事な戦力なんだから。

そして。

「鳴子」
「ふ、ふぁい!」
「竹林にトラップ製作の専門家がいるそうだ」
「……え?」
「99年どころか1000年越えの大妖怪だそうだが、会ってみるか?」
「……マジすか」
「どうする、言っておくが手放しはしないぞ、お前を作ったのが誰だろうが、今のお前は僕の物だ」
「わーお」

さらに。

「ミスティア」
「私はいい! お前の手は借りない!」
「今度山にある居酒屋が閉店するそうだ、経営難じゃなくて引退らしい、おまけに跡継ぎもいないってさ」
「あーあー聞こえないー!」
「今なら安値で買い付けられる、店舗を見たが特に激しい損耗は無かった、シロアリも居ない、そのまま使えるぞ」
「聞こえないったら聞こえないー!」
「場所も悪くない、麓に近くてすぐそばに河童と白狼の寮がある、お前の腕なら稼げるだろう」
「きーこーえーなーいー!」
「山の飲食店は変に固定客が多くて料理人の向上心が低い、軌道にさえ乗れば1人勝ちできる」
「…………聞こえないー」

そんでもって。

「リリカ」
「どうしちゃったのボス、いきなり奉仕の心に目覚めたの? そして私は期待していいの?」
「お前は地道に練習した方がいいだろう、それより同類を集めろ」
「……幽霊を?」
「音楽家をだ、鳥獣伎楽の後に続きたいと思ってる連中をだ」
「なにする気?」
「取りまとめてみろ、やり方は教えてやる、湖のマーメイドあたりがオススメだ、何人か知り合いいるから紹介してやる」
「そんなことしてどうするの? いまいちメリットが見えないよ」
「合同でコンサート開いてみろよ、お前1人よりよっぽど客来るぞ、80人くらいすぐだろうし、1人頭の曲数も少なくて済む」
「え? それで80人でもいいの?」
「僕は儲かりさえすればそれでいい、お前は?」
「……ソロライブ」
「段階踏む気はないのか、お前の演奏は聞けば聞くほどはまってくタイプだろ、他のメンバーを前座に使え、お前が主演だ」
「……」
「ソロよりすごい事だと思わないか?」
「…………悪くないかもしれない」

かーらーのー?

「響子」
「は、はいな!」
「ミスティアを説得しろ、そして従業員として転がり込め、歌手以外の基盤が欲しくないか?」
「いえ、あの、それは欲しい所ですが」
「あーあー、聞こえなーい」
「居酒屋にお立ち台を用意しろ、客の前で歌え」
「そ、そんな手があったんですね」
「防音の魔法も教えてやる、結構簡単だし、お前とも相性はいいだろう」
「あ、これリリカ先輩のグループの人連れてくる流れですね」
「よくわかったな、ライブだけが発信の場じゃない、選択肢を増やせばチャンスも広がる、伝説を作りたくないか?」
「……ミスティア、山で一緒に居酒屋やらない?」
「やめろ乗せられるな馬鹿」

そして最後に。

「ユキエ」
「うんうん」
「お前は特にない」
「えー?」
「なら教えてくれ、いったい誰をどんな方法で超えるつもりなんだ」
「……やっぱいいや、しょうがないね」

やれやれと肩をすくめるユキエだったが、これは仕方ない。
言いたくないのだろうし、言わなきゃわからない。

「……僕はね、実を言うとみんなの夢なんて叶おうが叶うまいがどうでもいいんだ、自分が都合よく利用できさえすれば」
「知っている」
「知ってますです」
「知ってたよボス」
「余裕で知ってたぞそんくらい」
「……ノーコメントで」
「なにを今更」

「でも最近思うようになったんだ、いい加減外に目を向けるべきだって」
「……? どういう意味ですかリグっさん」
「だからさ、今の関係のまま他所でコミュニティ作ってくれたら最高だなってさ」
「……」
「いやー、僕も愚かだったよ、君らを囲う事ばっかり考えてそれ以上の事考えてなかったんだ」
「それはあれか、他所で活動しつつもその気になったら協力を仰ぎたいってことか」
「その通りだよ歌舞伎塚、僕の最大の武器はネットワークだ、『草の根妖怪ネットワーク』創設者を舐めてもらっちゃ困る、その為だったら協力は惜しまないよ」

歌舞伎塚はうちに居てもらうけど。

そして空いた席には新たな同居人を迎える。
そいつらがまた卒業して他所に行き、ネットワークが広がる。
そしてまた新たに同居人を募る。

夢を叶えるための家。
全員に恩を売ってやろう。
僕のネットワークで、幻想郷を埋め尽くしてやろう。

「なんと言うかな」
「相変わらずです」
「考え方が偏ってんだよこいつ」
「でもそれがボスのいい所だよね」
「恐ろしい所でもありますよ、リリカ先輩」
「んー、見てて飽きないなー、期待しちゃうよ」

「そりゃどうも」

同居人どもの視線を浴びながら、未来に思いを馳せる僕であった。
やっぱり楽しい、こういうの。





ああ、忘れていた。
最後に自己紹介をしよう。

僕の名前はリグル・ナイトバグ、魔法の森にある2階建ての一軒家のオーナーだ。
探偵で、清掃業者で、卸売業者で、プロデューサーで、プロモーターで、結局のところ何でも屋だ。

将来の夢は世界征服。
幻想郷を飛び出して、外の世界を丸ごと妖怪の楽園にすることだ。

外の世界は人間の領土。
科学で幻想が駆逐された世界。
いずれ幻想郷も外の物資に溢れていき、追い詰められた僕らは破綻を待つのみ……?

冗談じゃねえ。
終末論は聞き飽きた。
こんな虫カゴでいつまでも蠢いていられるか!!

攻め込んでやる。
喰い付いてやる
返り咲いてやる。
なにがなんでも人間に打ち勝ち、世界の覇権を奪い取ってやる。

八雲様にすらできなかった偉業。
その野望を叶えるために、今日も今日とて走り回る。
金を溜め、手駒を育て、人脈を肥やし、ノウハウを得て、力を蓄える。

そのためだったら手段は選ばない。
使えるものは神でも使う。

でも、もちろんタダではない。
これはビジネスで、取引だ。
ちゃんと向こうにもメリットがあり、納得して協力してもらう。

遠慮はしない、容赦もしない。
誰も彼もを巻き込んで、晩餐会へと進んでいく。
あの強大なる先人たちが、本気で戦うその場所へ。
金と暴力をこの手に引っ提げ、見積り次第でいざ出陣。


たとえ相手が誰であろうと、たとえ相手が何であろうと。
WIN-WINである。
ケケケケケケケ。



16度目ましてこんにちは。
悪意20%増量(当社比)でお送りいたしました。
リグル君は人生を楽しんでます。
殺伐とはしてません、生き生きしてるのです。

原点回帰、僕リグルはジャスティス。
肉食系戯言遣い、満を持しての登場です。
彼は潜在能力高いよ、うん。
よく見るとそこまで賢いわけではないのですが、視野の広さと行動力でカバーしてます。
支えてやってくれミスティア。
新作で『草の根妖怪ネットワーク』とかいう熱いネタが出てきたので急きょ設定追加しちゃった。
製品版で創設者出てきちゃったらどうしましょ、まあいっか。

鳥獣伎楽っていいですよね。
永夜抄と神霊廟、作品を隔てて登場したキャラに繋がりがあるとか燃えますよね。
ミスティアは作中で一番書いてて楽しい奴でした。
この子とリグルの夫婦漫才だけでいくらでも書ける気がします。
そして響子ちゃんはテンパるとその辺の人にしがみ付いちゃう。
そうであろう?

神奈子様には今回味方として登場していただきました。
頼りになります。
すごく頼りになります。
おりんと絡ませる日が楽しみで仕方がありません。

お嬢様にも味方として登場していただきました。
黄金の精神を持った吸血鬼です。
頑張ってる子には差し障りない範囲で肩入れしちゃうよ。
仕方ないね。

聖には今回も敵として登場してもらいました。
この人が一番悪役似合うんです。
そしてやられ役も似合います、ここ以外考えられせんでした。
響子を取られたり、キャプテンを制御できなかったり、相手の力量を見誤ったりと実戦不足が目立ちます。
ですが、影で一輪が育ってます。
今回は出て来てませんがトジトジも温存してます。
漫画ならそろそろ確変が来るころ。

そして今回の助演女優賞はたぶんリリカ。


愚迂さん、お許しください!
新作はまだですか?
それではまた。
南条
http://twitter.com/nanjo_4164
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コメント



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1.100凍耶削除
読破、完了!
初めて文章に六時間もかけましたw
570KBは伊達じゃなかった・・・
にしてもリグルんマジで魔王じゃないですかー、やだー
そんなリグルんの同居人もまた、マトモじゃないですねw
さてさて、次は蘇我さんちの屠自古のお話になるんでしょうか?
それとも今回地味に格好良かった魔理沙ですかね。
どんな話でも、どんな量でも、読み切って見せる!
おあとはよろしくないですが、次回を期待して、おしまい
3.100名前が無い程度の能力削除
リグっさんマジイケメン→ナニコノksGゴミクズ···→イイハナシダナー
とりあえず、命蓮寺に対する並々ならぬ悪意は感じ取れた
にしても「家」が無かったらという妄想をするのは無粋か···
6.100名前が無い程度の能力削除
痺れた
貴方の文には、いつも引き込まれます
次も楽しませてくださいね、ボス
7.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい570kbでした。
10.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいの一言に付きます
リグルくんが何となく某戯言遣いに見えたりもしましたがw
12.100名前が無い程度の能力削除
読んでまず浮かんだ感想、なげぇ!丸一日使ったぞ!
でもそれだけ最後まで読ませる文章でした、お見事。
相変わらず貴方の幻想郷は、シビアで、残酷で、容赦なくキャラをリタイアさせる。
でも落とすところはちゃんと落とすしフォローもちゃんとする。
特に最後に歌舞伎塚をちゃんとフォローしてくれたのはうれしかった。

リグル君は決して優しくない理想を夢見る現実主義者だし他人を搾取して切り捨てる。
ぶっちゃけ途中までは「こいつ失敗しないかな」と思ったけど最後まで読むとやっぱり応援したくなる。善人でもないしどこか憎めない奴というわけでもないけど不思議な魅力があるキャラでした。
オリキャラ達も魅力的でいいスパイスでした。

ナズの件で懲りず相変わらずドン引きするくらい愚かな聖さんにイライラさせられ。
ショートショートでの絶望の日々から一転、夢に向かって歩み始めた響子に癒され。
そして馬鹿だけどどこまでも健気で力強く生きる一輪さんに涙。神奈子に気に入られたようだけどどうなるんだろ?
そしてユキエのまさかの正体にびっくり。きっとオリキャラの振りした原作キャラなんだろうなぁとは読んでたけどこの正体は予測不能でした。

貴方の作品は正直に言うと賛否が分かれるとは思いますが私は大好きです。
このまま我が道を行く作品をこれからも楽しみにしています。
13.100名前が無い程度の能力削除
弾幕の華やかさを楽しむ少女の精神? そんなものは犬にでも食わせてしまえ。
と言うと極端かも知れませんが、今回も独特の世界観、楽しませていただきました。
この世界での聖の扱いがひどいのは、まあ慣れた部分もあるからある程度はいいとして、それでもいつかは説明がほしいかなー。物語の裏側で、聖がどんだけ神霊廟組に弱み付け込まれて精神崩壊してたかとか、たぶん他にも背景事情があるんだろう、と脳内補完してました。だってこの話の何がひどいかって、妖怪の味方であるべき聖に妖怪の味方でいるつもりが見えないってのがね。もはや聖人の理想も忘れたか、何のために組織を必死で守ってるのさ。まあナズーリンSSの時点で既にアレではありましたが。
一輪の成長に期待がかかります、ここまで沈んだ命蓮寺の再興は流石に無理難題だろうけど。

今回驚いたのは、作品のわかりやすさが、以前までと比べて格段に上がっていたことです。リグルの言動の意図とその結果が、きっちり書かれていたので読みやすかったです。
でも、神奈子に信仰の損得についてを聞いてから監査役の話を持ち出した辺りで、ちょっと読む手が止まってしまったことを付け加えておきます。「あれ、結局なんで信仰減の話は許されたの?」と思って。つまりここの神奈子は、リグルの言葉から「信仰の一時的な損より、将来的な得を取ること」を視野に入れた上で、命蓮寺の首根っこを押さえる案を受け入れた、ということでいいんですよね。違ってたらすいません。
14.100パレット削除
 ぶったまげました。
 めちゃくちゃ面白かったです。面白すぎて「面白かった」以外の感想がちょっと出てこないくらい。とにかく超面白かった。
15.100名前が無い程度の能力削除
おいコラ、何だこのSSは!? どういうことだ!出てこいよ!ドンドン

ムラサwww水蜜www。性格w悪すぎwww。かわいそすぎるwぬえちゃん端役すぎw
白蓮さんwww俺の大好きな人なのにwこのSSじゃ、雑魚すぎwww不当に貶めてるんじゃないかwwwそれと愚迂多良童子www愚迂多良童子www
おてだまする物部ww青娥wデュラハン1ww赤蛮奇ww今泉影浪www困惑が止まらなかったです。



そして、なにより心震えた!感動した!素晴らしかった!
弱肉強食な世界でたくましく生きるリグルがとてもかっこよかった。
ギラギラな野心・周到な立ち回りができる頭の速さ・幻想郷の大地を焦がすほどの情熱…。これらすべてに圧倒された!ぞくぞくしました!

キャラクターの台詞は粗野で冷たい。でも、それらの会話で紡ぎだされる丁々発止の交渉やリアリティのある企画作業はとてもかっこよかった。
ぬるま湯世界のユートピアでは見ることのできない、力強さと説得力を感じました。
貸し借りの関係で少しずつ育っていく「信用」は、自分の人生にひきつけて考えさせられました。

また、それぞれの登場人物もとてもいいキャラしていたと思う。白蓮さんと村紗さんはかわいそうだったけれどね。
レミリア、神奈子、諏訪子、美鈴、はたて、輝夜、歌舞伎塚、リリカ、響子…。などなど、みんながみんな魅力的なキャラクターだった。
596KBの中で彼らをあますところなく描写してくれて、とっても満足でした。いつもの90KBぐらいだと、ちょっと台詞言っただけでいなくなっちゃって、
「え?なんでこのキャラ、こんな変な性格にされてんの?」という違和感だけで終わっちゃうし。もうお腹いっぱい。

これほど短く感じられた596KBは今まで会ったことが無い!半年待ってて良かった!596KBたっぷり書いてくれてありがとう!
これからも応援してます。あー、もう最高だ!神降臨!
このSSに祝福あれ!
16.無評価名前が無い程度の能力削除
長かった…でも読まなきゃ損、そんな気になるSSでした。
たまに背景がわからないと思ったら、過去作を読んでようやくわかりました。現実的に幻想郷を考えると、人は変われど情勢はこんな風になるのかもですね
18.90名前が無い程度の能力削除
文句無しに面白い。読み物として。そして長い。多分今までこのサイトで読んだどの作品よりも。読んでも読んでもページが無くならず、「あれ、これどこまで行くんだ?」と『最後』アイコンをクリック、そして度胆を抜かれる39ページ。
スカーレット・ファミリーがドン・レミリアに八百万の御大将・八坂様、稀代のポンコツ俗物聖人ひじりん、そして星に憧れる身の程知らずの敏腕草の根虫小僧。少なからぬキャラディスり要素も何のその、魅力的な幻想サツバツイキイキライフでした。
19.10名前が無い程度の能力削除
まるで男子中学生のようなリグル君がすてきで大変にむずむずしながら読ませてもらいました
他のキャラも生き生きしていなくて個性を殺し台本を進めるさまは心打つものがあります
次の作品ではこの殺伐とした世界にトリックスターが現れる事を期待します><
20.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい
超面白かった
21.100名前が無い程度の能力削除
リグルさんかっけぇ!
まさか幻想郷でここまで大規模なビジネスが成立するだなんて思いもしませんでした。世界の作り込みと圧倒的な分量とそれをまとめきれる構成力もすばらしかったです。
いいものをみせてもらいました。ありがとうございます
22.無評価名前が無い程度の能力削除
こういう遣り手気取りの実業家を見ると、まったく予想外の横槍を食らってボロクソのドン底に叩き落とされる姿をみたくなる。で、そこから這い上がる生き汚さ。それを更に搾取される展開。お前、自分が狩る側だと思ってたのか……?的な。
23.100名前が無い程度の能力削除
おもしろし
28.10名前が無い程度の能力削除
ムシキングさいこーw
29.903削除
長編を読んだ後は長文コメントを付けたくなりますね。

まず最初に。
これ無料で読んじゃって良かったんですかね……。
クオリティという意味ではなく(勿論そういう意味合いもありますが)
とてもゲームのシナリオっぽく感じました。大体1/5読んだあたりでそう思いましたね。

長いとある程度当然とも言えるのですが、
キャラが皆それぞれの見せ場を持っていていいですね。
主人公リグル。僕っ娘リグルという禁断の技を使っているわけですが、まさに弱者の鏡といった生き方をしていますね。
パートナーミスティア。正ヒロインといった感じですな。リグルだけに聴かせる歌のくだりはすばらしい。
屋台骨リリカ。彼女無しではネットワークは成り立ちませんね。一番の功労者だと思います。

あと、サブキャラでは魔理沙が予想外の働きでした。
てっきり終盤のムラサみたく完全に敵対するのかと思いましたが、
ここ一番で助けてくれるとは。いい味出してます。

点数は90点です。
ムラサがどうしようもない悪役……なのはまあ配役の都合上まあ良いとして、
歌舞伎塚の件がうやむやのままになってしまっている感があったので。

あー疲れました。
おそらく今までそそわを読んだ中で一番長い作品でした。
またこれだけ長くコメントを書くのも間違いなく初めてです。
長文SSを書けない自分ですが、こういう作品を読むと長い作品を書いてみたくなります。
それでは。
30.100名前が無い程度の能力削除
みんなカッコ良すぎです。
文句なしの100点でした。
31.100名前が無い程度の能力削除
一気に読んでしまうほど作品に引き込まれました。
こういうキャラ立てのリグルもいい
32.100名前が無い程度の能力削除
読了
ありがとうございました
33.100名前が無い程度の能力削除
面白い。凄く好きな雰囲気です。
魔理沙に炭にされた友人ってルーミアかな?バカルテットで1人だけ出てないし。
次回作も期待しています
42.100名前が無い程度の能力削除
オリキャラが良い味を出してました
43.100ヘンプ削除
マジでサイコーでした!生き生きとしたリグルはcool!それのみです!
良いものありがとうございます!
46.100名前が無い程度の能力削除
胸が熱くなる作品でした
金と暴力と策略が跳梁跋扈するなかなかシビアな幻想郷を、妖力は弱いが使えるものは何でも使って階段を駆け上がるように軽快に進んでいくリグル。途中何度かやらなきゃいけないことリストが出てきましたがあれの『夢に向かって進んでいる』感が溜まりません。こちらまでテンションが上がりながら読むことができました。一つのことを成し遂げるのがいかに大変なのか、目標の前に立ちはだかるいくつもの難関をリグル得意の対人スキルで明らかに格上の相手を手球に取る様は読んでいて大変痛快です。
しかし、一体どうしてこうもまあこうも恐ろしい方向に振り切れた妖怪にリグルはなってしまったのでしょうか。自信過剰だが過ちはすぐに認める、冷静で客観的な洞察力、基本の行動原理は損得勘定だがその勘定には自分だけではなく常に周りの人物も入っており、常にwin-winの関係を心がける、まるで歩くビジネスモデルのよう。周りを見下しているという節もあるがニヒル全開ということもなく夢に熱く、仲間にも熱い。こんなの惚れないわけがない。長いこと生きて『嫌というほど見てきた』と作中で作中では書かれていますが本当に『嫌というほど』見てきたのでしょう。若者らしい行動力と長い経験が両立できるのは妖怪の特権です。
胸糞集団命蓮寺との会合ではこの話はハッピーエンドに向かっているのかと不安にかられて読んでいましたが、最後は大団円で良かったです。
48.100水十九石削除
世界観として、食いっぱぐれた弱小妖怪はそのまま全身毟り取られるぐらいの峻厲さが引き立っている幻想郷というのがまずグッと来ました。
キャラクター全員仲良しみたいなほんわか空間ではなく、妖怪ですら命や生活の危機に瀕するぐらいの厳しさ。
それを同居人のお世辞にも強者側とは言えない妖怪共の生命線の描写でありありと表現しているのがこの作品の魅力の一つでもありました。

そしてやっぱり一番の魅力と言えばリグル・ナイトバグという個そのものです。弱小妖怪という立場でありながらもそこに甘んじるのを辞め、根回し手回しなんのその、人一倍努力を欠かさず、飄々としながらも引き際は見極め、そして何よりも損得勘定の捉え方が恐ろしい。
イチかゼロのラインではなく、持てる物全てを総動員してかつ自分の将来的な位置取りにも気を付ける長期的な目線が妖怪らしく、でも一度罷り通ると踏んだ物には並々ならぬ情熱を注ぐ人間らしさもあって、本当に惚れてしまいそうです。なんで彼女に漢気という言葉が似合ってしまうのだろう。
歌舞伎塚やミスティアへの信頼感情の純情さも含めると、やっぱりプロレスのヒール役という評価が一番似合う様に思えます。
結局最初のライブは物販の見通しの弱さから村紗の横槍で潰れてしまう訳ですが、
そこで自警団や魔理沙といった反目し合った仲の相手に救われるその構成が一つの転換点としても良かったです。
一回の大きな失敗を経りながらもそこをバネにして立ち直る姿、相手に対してwin-win以上の関係性を見出せるぐらいに成長する姿も大きな起点として良い…。
そして二回目の万全な抜かりない成功がその全てを物語っています。それしか言えない…。

レミリア、諏訪子、神奈子、美鈴といった強者連中に大胆不敵に対峙しては上手い事やっているリグルもそうですが、その節々で強者にもそれなりの一物を腹に抱えているのが目に見えて、リグルでなくてもほくそ笑んでしまいそうになりました。
特に神奈子。聖との共同事業の件で威圧を掛けたと思ったら河童の重火器携帯云々を忘れてて狼狽える姿のこの。
思考読まれてる前提でツッコミ入れつつ奸計廻らせるリグルの手腕も余りにも高すぎる。本当に不敵。

命蓮寺組については前作のナズーリンの離反から色々な物が零れ落ちて行っている様な気がして、歯車が凄い噛み違えた感じがしてなりません。
財宝を換金するツテが無い所、霊廟組との合併で寺としての維持すら危うくなってしまった所とか本当に。
途中までは聖が求聞や心綺楼が出るまでの間の裏のある生臭坊主じゃないかと思われてた時期のソレを連想させていたのですが、現実を見過ぎて理想の高さに折れてしまったのか、どうやら阿闍梨への道から外れてしまっていたっぽいのが救われない。
それでも一輪さんはよくぞここまで折れずに一人で戦っておりました。この続きの一輪さんと屠自古ちゃんで一篇読んでみたいです。

やっぱり冒頭と最後でリグルが同居人について解説しているところで、最後のリグル目線での描写が全員分最初と比べると増えているのが、リグルが他人に少し利用価値以外の物を見出せたんだなとか、全員この長編の中で成長出来てるんだろうなとかが見受けられるのがシメとして最高に良かったです。
そして最初にリグルの起点を描いて、最後の最後に漸く彼女の一番の目的が語られるの余りにもズルが過ぎませんか?
ネットワークって単語を蟲の妖怪に言わせるのも最高にキマってます。

ストーリー回しも短いチャプターを連続させて一つの大きなステージへと誘導する様がノベルゲーの様で本当に読みやすかったです。
いつもしたらば掲示板の方で「投下します」のレスの後に2,3分間隔で数十行投下されるレスの繰り返しでずっと読んでいた身なので、続きを渇望する数十秒のインターバルを挟まずに、一気に読めるタイプの作品は没入し過ぎてしまいます。読んでる最中に呼吸してたかどうかすら記憶が怪しくなってきました。

しかし、最初ユキエの正体がマミゾウかと思ってました。文中で茶化す様にマミゾウの存在が示唆されていた部分があったので…。
そしたらもっと大物だったとは思ってませんでした、輝夜はずっとあんなだったのに…。
でも橙の水面下の強さが分かった後に情報の更新一気に押し寄せてきて、最新話でのあの強かさやリグルとの会話を思い返してはうんうんと一人唸らざるを得ない。
てか多分これ時期的に輝針城製品版の出る直前に書かれた話だと思われるんですが、4面以降で草の根妖怪ネットワークの創設者ではなくまさかの下克上の申し子が出てきたら誰だって傾倒しちゃいますね!?

長い話でしたが、そんな事を気にも留めさせずに読み進められる程に強いストーリー構成でした。
最初574kbと聞いて戦々恐々としていたのが今思い返せばアレはなんだったのだろうという気分です。最高。
49.100Actadust削除
570KBとは思えないほどサクサクと読める作品でした。
リグルの軽快な語りに、サクサクながら息もつかせぬ展開、分かりやすくも一癖も二癖もあるキャラクターたち。そこには小難しい文学的表現なんてものもなく、ただエンターテイメントとして、娯楽として楽しむことに正しく完成された作品、というのが読ませて頂いて抱いた感情でした。長編SS(ショートストーリー)という言葉がこれほど似合う作品もないでしょう。
世界観も素晴らしく、どこか現実的でシビアな幻想郷で、そんな中でもリグルたちが失敗しながらも夢のために賢く、強かに生きていく姿が気持ちよく、読んでいて楽しかったです。とても素敵な作品でした。
50.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷でライブを成功させる。そのために必要な成功を一つずつ積み重ねていくリグルのすさまじい物語でした。
描かれる幻想郷感はひりひりとした損得勘定と暴力による弱肉強食がひしめいており、主人公であるリグルはそんな世界に容易く適応していて、八面六臂の活躍を見せていて強いのなんの。
作中のリグルは、傍目から見たらインテリなヤクザ、内面は夢想家のチンピラという感じで非常に高い行動力を持って物語が成功に転がるようにぐいぐい引っ張っていて。自分の武器を自覚していて、大きな野望を持っていてリスク管理や儲けの計算はしっかりしているものの、場面場面では刹那的な行動をとってしまうこともしばしばあったりして、その無謀さが武器にもなるところはエンターテイメント的で面白いポイントだと思いました。
終盤で村紗を殴りつけるシーンや途中途中のミスティアとの夫婦漫才なんかは彼女の気質が駄々洩れって感じがします。
物語を通して特に印象的だったのはライブ前日の歌舞伎塚との会話です。歌舞伎塚の日和見的で温かい思考は、この幻想郷には似つかわしくないものであり、リグルがもっともらしい理由をつけて諭すのも一理あると思いつつ、確信をつかれて、それでも遜れずに取り繕う、もしくは冷たく糾弾するしかないリグルの独りよがりな一面が描かれていたようでもありました。また、歌舞伎塚の精神的自立が垣間見えるシーンでもあったと思います。
ただ最後のシーンで歌舞伎塚は家から出ようともしないので、必然だったのかなとも。紫が言うように従うのが好きという部分がこの物語の肝だったのだと思いました。とても楽しめました、ありがとうございます。
51.100ちょこれーと削除
『霧雨魔理沙は立ち退かない』から来て読ませていただきました。
シビアで上下関係がはっきりしている幻想郷で生きていくリグルがかっこよく、同居人たちとの人間関係や細かな伏線が静かに回収されていく様は大変面白かったです。
ここまで長い物語なのに、全く飽きを感じさせず、これが無料で投稿されている作品であることを思うとただただ驚愕、有料でも読みたいと思える満足感。
『SSってショートストーリーの略だと思ってた』シリーズを最初に読んでいた身としては、この人やばいなという感想しか浮かび上がらないほどの文才です。
各キャラクターも個性的ながらも、誰1人として粗末に扱われていないのが『生きている』という感覚でした。
リグル・ナイトバグの、時に無慈悲な感じがまさに妖怪。商売上手。相手を選んだような話し方が世渡り上手の印象。リグルハーレムも見ていてすごく嫉妬しました。女の子なんですよね?
ミスティア、そして響子はSSの方を見ると、互いに少し行き違っているような感覚があり、気付かせないような冷酷な関係を思わせていましたが、仲良さそうで何よりです。鎮魂歌歌うミスティアとライブに情熱を注ぐ響子に惚れました。こんな最高な2人と仲良いリグル……。
リリカは純粋な子ですが、音楽に対する想いは熱く、鳥獣伎楽にも複雑な想い抱えてるのかも、とか思いながら見ていましたがラスト良かった。こんな最高な子と仲良いリグル……。
鳴子、歌舞伎塚同居人たちもユニークで、リグルとの軽快なやりとりが面白いですが、その中でも歌舞伎塚の葛藤や結局行かないんかいって感じ、鳴子の水蜜騒動での覗かせる闇、オリキャラながら決して殺さない。最高です。こんな最高な2人と同居人なリグル……。
ユキエは途中まであまり出てくることなく、イメージを掴みづらかったですが、ラスト付近から突然出番が増えなんだなんだと思っていたところでのまさかの正体。尾がある人は椅子を横にが伏線とか思わないです。
同居人たち以外の人物も最高としか言いようがないほどに素晴らしい。みんな1位。でも水蜜には憎しみが生まれてしまう。白蓮おちゃめ。立ち退かない読むと魔理沙かっこよすぎる。
百聞は一見にしかず、感想で伝えきれない溢れんばかりの素晴らしさ、もう万人におすすめしたいです。
過去の作品も読みつつ、貴方の次回作をお待ちしております。
誰でも簡単にリグルとリグミスが好きになれる作品でした。
52.100名前が無い程度の能力削除
傑作にして名作だと思います!最高でした!
53.80名前が無い程度の能力削除
良かったです