※注意点
・初投稿です。その上事実上処女作品です。色々至らぬところ等あると思いますが、生暖かい目で見つめてやってください。
・オリジナル設定がキツイかもしれません。本当に勝手が判ってないんです。
・一行38文字、一ページ16行というヘンテコな形式で作成しました。しかも縦書き推奨です。気分が乗ったらこの形式でも読んでやってください。
・長いです。分割するとしたらどこからがいいのかなぁ……
・……被ってないよね?
・神綺様は可愛らしい人だと思います。
私の通称は王国であるが、決してそんなに偉い者ではない。偉いのは王国に住む王か民である。王国はそんなに偉いものではない。民を統べる王が偉いのであり、国を支える民が偉いのであり、国はただそれらを繋ぎ止める為に存在している靄のような鎖であるというだけだ。私はその鎖の一つである。とは言え姿まで靄ではなく一応形を持っている。トランプの山札によく似た胴体とそれに乗った王冠、それに胴に見合った手足とその手が持つ錫杖、それが私の大体の造形である。人型の者が多いご時世で何とも傍若無人なことだが、これが私に与えられた姿なのだから受け入れて頂きたい。私はそういう者である。
私は魔界という場所に住んでいる。この魔界というのは神綺様という創造主に造られた世界だ。そして私も神綺様に造り出された物の一つである。創造物が創造主の作り出した世界で生活しているというのは極普通なことである。故に今日も私らしい日常を送ることにしている。
魔界というのは端的に言うと良い所である。魔界以外の住人には弱肉強食を地で行く場所だと思われているらしいが私はそれに異を唱えねばなるまい。確かに魔界というだけあり魔法のメッカであるから魔法での争い事は多い。しかし住民の精神教養は高いから問題は起きない。法も整備されているから世界としては上等な筈である。
私は何も考えずに魔界中を散歩していた。衣食住に縛られていない私は大体いつも散歩をしている。眠る必要も疲れることもないからずっと歩き通しである。歩いている内に門に辿り着いた。魔界には別の世界に通じる門がある。逆に言えば門があるから魔界は確固たる世界として存在しているのであって、つまり門は私の同僚である。
門は建造物としては異端の部類に入る。門は洞窟の中に建っている。門が建つような洞窟なのだからかなり広い。上を見上げてみても篝火の光が届いていないから暗闇が広がるばかりである。そしてそんな広大な暗がりの奥地に門は忽然と姿を表す。こちらは篝火にしっかりと照らされている。門を強調するように配置された篝火に照らされるその姿はある種芸術品の様である。施された装飾も立派だから益々芸術品の様である。更には門の周囲に壁が無いことから実用性を疑う羽目になるという面でも芸術品的である。ただ門だけがぽつんと建っている。神社の鳥居というやつに近いだろう。だがここを潜れば異世界に飛べるのだから間違いなくこの門は実用品なのだ。
そんな門には門番がいる。彼女はサラという。門番としては新任だろう。だがこれは私の目線から見た場合の新任である。私にとっては門に番人がいなかった期間の方がずっと長いのだ。確か門番が付いたのは神綺様が魔界を外の世界の者にも踏み入れられる世界にしようと計画したからであった。矢張り新任である。
赤いローブの様な、またはドレスの様な、不思議な服装をした彼女の下へと私は歩み寄って行く。彼女の髪は珍しいことに紫色なので服装に相まって余計に不思議な少女である。
「――お、キングダムさん、今晩は」
サラが私に気付いて挨拶をする。彼女は疲労する体を持っているのに律儀なものである。彼女は実に勤勉な門番なのだ。
「うむ、今晩は。今日も御勤め御苦労である。何か面白い話はないかな?」
敬意を示すため、頭を下げる代わりに王冠を取る。
「あはは、私が面白い話を持っていたら大事じゃないですか。そういう話だったらルイズさんでも捕まえればいいんじゃないですか?」
「そうかもしれぬな」
私は同意を示す。ルイズというのは旅好きな魔界の住人である。門番であるサラに色々な手を尽くして門を開けさせては異界に旅をするのが彼女の日課である。旅人であるから魔法を使った護身術は中々のものであると聞く。
「つまり異常はないということかな?」
サラは好戦的な門番である。故に面白い話というのは侵入者撃退の話である。
「ええ、魔界に攻め込んでくる奴らなんて、今のところ幻想郷のが最後ですよ。あれ以来そういう輩は出ていないので」
サラが言っている幻想郷というのは魔界から行ける場所の一つである。住処を移さざる負えなくなった妖怪達が作った国の様なものだと聞く。その幻想郷の者が魔界に攻め込んできた時があったのだ。たったの四人で、である。そのたったの四人で我らが創造主たる神綺様の下まで辿り着いてしまうのだから末恐ろしい国である。
幻想郷といえば噂話をしたくなる人物がいる。
「アリスの近況について何か情報はないかな?」
アリス・マーガトロイドは元々魔界の住民であったが、幻想郷に移住した魔法使いである。実はとある理由から私達の知る「アリス」とは別人になっているのだが、それでも私達魔界の住民にとってアリスはアリスである。魔界の中では知らぬ者はいない人気者なので、誰しも彼女の近況を気にかけている。
「いやー、そういう情報があったら開口一番に話してますって。最近はルイズさんですら幻想郷に行ってないらしいですからねぇ」
どうやら誰もアリスに会いに行っていないが故の情報不足らしい。
「うーむ、何故行かないのであるか」
酷く残念な事である。私以外にもアリスの近況を知りたい者は大勢いると思われるから、これは魔界的損失である。
「何度も何度も押し掛けちゃ悪いと思ったんでしょう。ルイズさんそこら辺のマナーだけは守るから」
ルイズの横暴を大いに被るのが彼女の役職である。それは怒りたくもなるだろう。しかしルイズの旅癖によって魔界に外界の文化が入り込んだりするのだからサラも真正面から怒るに怒れないようである。
「――それと、ルイズさんアリスとの相性がそんなによくないらしいんですよ」
「うむ? どういうことかな?」
ルイズとアリスの仲が悪いというのは初耳である。
「さあ、アリスが魔界嫌いになった訳じゃないというのは聞いたんですけどね。どうにもそこまでして会いに行く気にならないし、私ばかり押し掛けても悪いから、って言ってました」
確かにその口振りではアリスを避けているように聞こえる。しかし私の知るルイズとアリスの関係は良好そのものだった筈であるからとても違和感がある。一体どういうことなのであろうか。
そうやって世間話をしていると話題の渦中の内一人がやって来た。ルイズである。白いドレスと白い鍔広帽を身に着け、その帽子の合間から金色の髪を垂らしている。旅人というよりは何処かのお嬢様然とした少女、とでも言えばいいのだろうか。人型をしていない私に正確な判断は難しいだろうが、世渡りは上手そうである。
「はあい、キングダムさん、サラ、今晩は」
「うむ、今晩は」
「今晩は」
ルイズはサラと私の間に割って入った。
「早速だけど誤解を解かなきゃいけないのよ。さっきの話の」
「アリスとの仲のことであるか」
どう考えてもそのことであると思ったので返事をする。ルイズも「ええ」と言って頷いた。
「私がアリスの所に行くのを控えてるのは別の人をアリスに会わせようとしているからよ」
「別の人であるか」
それなら理屈は通る。
「アリスだって私ばかり来たら飽きるでしょう? そろそろ別の人が行って来ないと駄目よ。だから誰を行かせようか考えてたんだけど、そう言えばピッタリな人がいたのね」
「ほう。それは誰なのかな?」
「散歩大好きな誰かさんです」
私は「ふむ」と唸って考え込んだが、隣でサラがクスクス笑い出したのですんなりと答えに辿り着いた。
「私か?」
二人は揃って頷いた。
「キングダムさんだったらあっさり許可が出るんじゃないですかね? あんまり外界に出ようとしてないですし」
「あちゃ、釘刺された」
「そろそろ自重してくださいね」
これからサラのルイズに対する説教が始まるのだろう。私はそういう話になったから創造主たる神綺様に外出の許可を願わなければならなくなった。二人に別れを告げて、私は神綺様の下へと向かった。
王国という壮大な役職に置かれた私の苦悩はそれ相応のものがある。王国でそれなら創造主はどうなるのだろうか。私程度の思索が及ぶ所ではないが、神綺様は今も多くの困難を打ち破る為に聡明な頭脳を働かせているに違いないのである。それを邪魔してしまうのは実に忍びないことであるが、事がアリスに関わるならこれは仕方がないことであろう。
神綺様のことであるから既に私の来訪を知っているかもしれぬ。そう思いながら神綺様の神殿へと続く階段を登る。本当はもっとこぢんまりとした屋敷に住みたかったらしいのだが、魔界に時が流れるに連れこうまで巨大で荘厳な神殿になっていった。事実、前はもっと辿り着くのに苦労しなかった。最早言わずとも判ると思うが私はこの魔界においては古参に当たる。疲労はしないが神綺様との間に開いた距離に何とも言えぬ感慨が湧くのである。これもまた老いるということだろうか。
いつもは大勢の民で溢れかえっている階段に人一人見当たらない。どうやら神綺様が人払いしたらしい。これはいよいよ苦労を掛けているぞと思う。きっと神綺様は私を親しい距離に置いて下さるのだろうが、どうしても私が下手に出てしまう。昔は一人の友人としていつも神綺様の側に居たのだが、今は一人の配下であり民である。
神殿の正面に来ると既に門が開いていることに気付いた。そして門の外まで自ら出てこられている神綺様に気付く。
神綺様は美しい少女の姿をしている。紅いローブを纏っておられ、その中にアクセントとして入れられた白が絶妙に神々しさ演出している。青の様な、銀の様な、不思議な燐光を帯びた髪の毛がそれを強調する。その柔和さを示す、しかして細められれば凶事に対する勇気を示す大きな瞳も見事である。これに禍々しさをも背負うことを示す六枚の黒い翼が加わるのが多くの者が目にする神綺様なのだが、いつも神綺様は私の前に姿を表される時は翼を広げぬ。やはり親しみを表しておられるらしい。
「キング」
神綺様は私をこう呼ぶ。どの国の王か、それはどうやら遊びという国の帝王を指すらしい。私は神綺様に創造されたその時からこの姿なので、それはもう永い間この呼び名で呼ばれている。
「これは神綺様、お手数を」
私としては王冠等被っている場合ではない。いつも私は神綺様にお目通りが許された時は王冠を地に置くことにしている。昔一度神綺様にお渡ししようとしたのだが、それは貴方の物と断られてしまった。
「そんなに畏まることはないといつも言っているのに」
神綺様は子供の様な笑顔を見せる。私の前では内に秘めた童心を隠そうとなさらない。それは私も好ましいことだと思う。
「既にお知りにかもしれませぬが――」
「うん、聞いてた。アリスの所に行くのでしょう?」
「ええ」
「そう。キングも幻想郷に行ってしまうのね」
何やら寂しそうな目をなさる。何かとんでもない語弊があったのではなかろうかと私は焦る。
「私はアリスの近状を探ってくるだけですぞ、神綺様。魔界を出ていくと言えども散歩程度のもので御座います」
「いや、キングもアリスと同じく幻想郷の方がいいと思って帰って来なくなってしまうのよ」
「そんなことはありませぬ。私は神綺様と永久に共におりますぞ」
「いえ、きっとそっちの方がいいのよ」
とても寂しいことを仰られる。
「何故ですか」
「キング、私と敢えて距離を置いてるでしょう。まるで貴女に私は必要ないって言うようにさ。それは多分、本当はここから出ていきたいという感情の裏返しなのよ。私もキングはもっと色々な世界に出ていくべきだと思うのよ」
私はむうと唸るしかなかった。予感はあったがやはり神綺様は私が側から退いたことで傷ついておられた。真正面からそれを示されると、流石に愚鈍な私でも己の愚かさに気付く。何とかして神綺様の御心を慰めねばならない。
「ならば、幻想郷の在り方を学び、その視点を持ってして魔界の良い所を今一度示してご覧にいれましょうぞ」
神綺様は憂いげに目を数度瞬かさせる。
「――そう、気を遣ってくれているのね」
寂しいことばかり言う。原因は私にある。ならば私がどうにかせねばならぬのだ。
「必ず。必ずですぞ」
錫杖を掲げて威勢を示した。神綺様は微笑んで下さった。
「そうだ、キング、中に入っていきなさい。昔話がしたいのよ」
神綺様は開いた門の中を手で示す。無論断る理由など無い。
「喜んで」
先導する神綺様に続いて私も神殿の中へと入った。
外観が立派なら調度品も立派なのが常である。神綺様の神殿の調度品も例に漏れず立派な物が揃っている。私は家財に興味が沸かぬ世捨て人なのでこれはこういう作りで、等ということは判らぬ。ただこの神殿の調度品に共通しているものは判る。どうやら調度品の色は神綺様の髪の色に合わせられているらしいのだ。あの銀とも青とも取れる不思議な燐光が調度品にも宿っているのである。部屋全体が朧げに発光しているようなこの景色は、魔界の中でも一二を争うほどに幻想的であろう。この意匠を再現する為には神綺様の御力が多大に必要になったと聞く。成る程この神殿は神綺様の住居にふさわしい気がする。しかし先程の通り、神綺様は少々御不満な様子である。
神綺様は私を他と比べればこじんまりとしたテーブルに誘った。見れば十数人は向かい合えるであろう長机もあるのだが、私と神綺様が座ったのは多くて四人が向かい合える程度のテーブルである。私は早速冠をテーブルに置いた。
「直ぐに夢子が紅茶を持ってくるわ」
神綺様がちらりと部屋の隅を見やった。まだそこには誰もいない。
夢子というのは神綺様のメイドである。赤いドレスの上に白いエプロンを羽織るその姿はどことなく神綺様に似る。だが夢子の髪は金色である。
「ねえ、キング」
神綺様は私へと視線を向け直した。
「なんで御座いましょう?」
「芸術って、一人の世界で閉じるべきだと思う?」
神綺様は私の顔に当たる部分をじっと見つめている。
「さて、それは幾年に渡って考えられている議題でしょうか」
「ええ」
「うむ――私にはよい答えは思いつきませぬな」
散歩ぐらいしか能がない非才の身である。神綺様の英知の役には立てそうにないのである。
「アリスは自立人形を作ろうとしてるってね」
話題は変わったのか、はたまた続いているのか、私にはその全貌は掴めない。
「そのようですな」
「自立って、一人で生きていくという意味だけじゃないわよね――」
神綺様は手と手を組みその上に顎を乗せ、目を細めて物憂げに虚空を見つめておられる。きっとあの虚空には私には及びもつかぬ深淵が広がっているのであろう。
「他にどのような意味を持つとお考えに?」
「世界を捨てることが出来る」
むう、と私は唸った。
漸く私にも議題の深刻さが染み込んできたのである。
神綺様は溜息を吐いた。
「別に元居た世界に戻れない、という意味ではないわ。ああ――この世界というのは土地だとか囲いだとかそういう意味だけの話じゃないの。キングなら一々言わなくても判ると思うんだけど、それは哲学だとか、記憶だとか、生い立ちだとか――兎に角自分を形作ってるモノね、そういうモノを一時的に切り捨てる能力がある。それが自立しているということではないかしら? 一瞬でも何かに頼らず、その瞬間にあるモノだけで危機を脱することが出来る。そういうことが出来れば自然と成長にも繋がっていくのよ。何が足りないかを考えることはそういうモノを客観視しないと出来ないから。一度全てから開放されなければ、その全てをより良くしていくことは出来ないのよ。そういうことを、最近考えているの」
例えば私がとある目的地まで散歩をしているとする。私はその散歩のルートで満足しているが、どうやら私の選んでいるルートは目的地へ行くのに時間が掛かるようである。それを指摘した人物がケラケラ笑っている。ここで私はその指摘を無視し黙々と今までの道を歩むか、はたまた今までのルートを捨て、指摘してきた人物にもっと早く目的地に辿り着くルートを教えてもらうという選択が出来る。指摘した人物というのが私自身でも可である。この時先の選択肢しか選べない者は自立しておらず、後の選択肢も選べる者が自立している者である。というのが神綺様のお話の筈である。
「うむ、確かに、今あるモノに頼りきっていては自立とは呼べますまい」
この解釈で合っているのかは判らぬが、何とか同意を示す。
「と、するとよ、キング」
「ふむ?」
「私は――いや、私達は、皆に多くを与えすぎたんじゃないかしら? 特に、世界を造るなんてことは、してはいけなかったんじゃないかしら――」
神綺様の視線は依然虚空へと向いている。そして、私にもその虚空が朧げだが見え始めているのであった。
成る程確かに、その罪ならば私も同罪足り得る故にである。
コツコツと足音が聞こえてきた。夢子がお茶を運んできたのである。彼女は洗練された所作でカップを並べると、同じ様に洗練された所作でお茶を入れる。それを終えると音も無く私達の側から立ち去ろうとする。
「夢子」
私に呼び止められて夢子は振り返った。その振り返る顔も完璧である。完成された所作だ。故に私は彼女を呼び止めなければならぬのである。
「済まぬが話を聞いていってくれ。きっと、夢子にも関係のある話だから」
そう言われて夢子は一瞬キョトンとしたが、直ぐに苦笑いを返した。
「別に理由が無くてもお話ぐらい出来ますわ。そんなに時間の作り方は下手じゃないですよ、キングダム様」
夢子は空いている椅子に腰掛けた。彼女の分のお茶がないので、トレイの上に乗せられていたティーポットを手に取る。しかしカップがないことに気付いた。すると神綺様がカップを創り出して下さった。光の玉が出現したと思えば、気が付けばそこにカップがあるという具合である。私はいそいそと茶を注ぐ。またお手数を掛けてしまった。
私は咳払いをした。口こそ私には存在しない。気の塞がりを取り除きたいのだ。
「やはり、私が幻想郷に赴くに至ったのは偶然ではありますまい」
神綺様は軽く頷いた。そうしてから苦笑いを見せる。
「そんなに深刻に考えなくてもいいんだけどね」
「いえ、きっとこれは私に課せられた使命の一つなので御座います。私は神綺様に、この王国の――魔界の原型として、造り出されたが故に」
名誉ある職務である。胸を張って宣言した。
そして遂に昔話へと移ることとなった。語り出しはどうやら私が担当することとなるらしい。これも栄誉あることだ。
「最古の頃は、私を形造る為に一枚一枚思考錯誤して札を造り出しておられましたなぁ、神綺様」
神綺様は目を瞑られた。昔の記憶に遊んでおられるのであろう。
「そうね。こんな人を造ろうかしらとか、こんな場所を造ったら楽しいんじゃないかしらって、色々考えたわ」
「しかし何故トランプとやらに似た形になったのでしたかな?」
「偶然よ。偶然。人の札とそれ以外の札を創っていったら、何故か後世に似た物が作られちゃったってだけ。まあ、突き詰めれば大体貴方みたいになるのかもね」
そう、詰まるところ、私は魔界の設計図なのである。それも世界も人をも含めた物である。私の持つ形に神綺様の御力が加われば、魔界は完成するのである。
「他の世界にある自然の延長のような物ばかり造り出されましたなぁ」
「えへへ――ほら、私って基本子供っぽいでしょう?」
「ふむ? そうでしたかな」
童心が覗ける程度で、人格者としては完全に完成していると私は思うのだが。
「うーんとね、色んな世界を旅してる内にさ、もっとこう出来るんじゃないかとか、こうなれば面白いなぁとか、色々考えてたのよ」
「うむ。素晴らしき思慮の研鑽ですな」
「そういう夢を描いてさ、所々自分好みに変えてやるーとか、この世界を一旦自分の物にしてやるーとか、そういうのならまだしも、じゃあ世界一個作っちゃおうなんて考えるのは、やっぱり子供の絵空事だと思うんだ」
「しかし成し遂げられた。童心を成就させる事程の偉業はありますまい」
「あははは――実はちょっと叱って欲しかったんだけどね」
そう、このお言葉にこの昔話が語られる所以が宿るのだ。
「やはり、同じ目線で語り合える者が必要でしたか」
「いや、もう少し後先考えて造っていくべきだったってだけ。私一人でも頭の中ではいくらでも客観視出来るから。でもそれをサボったのよ。だから今悩んでるの。私はね、夢中になって遊び過ぎたのよ。キングに罪はないわ。キングは優しいから、こういう時は背伸びしようとするだろうけど、今は玩具のフリをしてしれっと躱していいのよ。私は貴方で遊び過ぎた。つまり反省するのは私一人で十分なのよ」
神綺様は世界を造り出すという面では兎に角孤独だったのである。先人はいたかもしれない。だが神綺様の側には現れなかった。故に神綺様は一から全てを自分だけで考える立場におられたのである。その立場で神綺様は持てる力の全てを出し尽くされた。それだけのことであろう。
「造り出した後に問題を見つけても神綺様にはどうしようもないでしょう。未知の領域の全ては、流石の神綺様でも見渡せない筈ですから」
私は何とか返事を出した。だが、言ってから失言だった気付く。
「そうよね――どうしようもないのよ。キング、最近気付いたんだけどね、私何かを創り出す以外のことはそんなに上手くないのよ。いや、普通の人ってやつと比べたなら、まあ能力は高いんじゃないかしら。これでも神と呼ばれて自分でも違和感がないんだからね、謙遜はよくない。それは私が生み出した皆にも悪いから――」
神綺様は視線を落とした。今、神綺様の思慮は底無し沼の様な苦悩を漂っておられるのであろう。
「神綺様は精一杯囲いを造られた。しかしその囲いは余りにも強固で魅力的過ぎた。故に皆閉じ込められている。神綺様はその様にお考えなのですね」
私の言葉に神綺様は首を小刻みに何度も振って答える。いくら藻掻こうと底無し沼からは抜け出せぬようである。
「私はね――出来る限り何でも造ったわ。物だけでも人だけでもない、この世界の規則、自然の理念、天の運行、民の法、民の言語――何て言い表せば伝わりやすいか判らないけど、つまり、普通は見えない部分も造ったの。それがいけなかったのでしょう。皆私を見るだけで大抵のことは安心してしまうのよ。そうして私から離れないように発展を続ける。魔界は魔界として――私を中心に広がっていく」
見えない部分とは民には知覚が出来ぬ部分である。普通民は知恵を絞り見えぬ部分を何とか見える様にしていく。成形という面では、この見えない部分は世界の核を造り出した後に勝手に出来上がるべき部分である。偶然が偶然を呼び、また別の偶然へと連鎖する。より大きな駒を倒していくドミノ倒しのようなものである。普通は創造主は駒だけ作りドミノを倒す。どこまで倒れるかは創造主には判らぬ。
それが普通だというのは私の勝手な価値観である。現に神綺様は違ったのだ。神綺様は造り出せるだけ創り出していったのである。魔界とは、正に神綺様が創造なされた所から歴史が始まる世界なのである。
故に魔界の全てを神綺様は把握しておられる。故に魔界の民は神綺様に絶対の信頼を置く。そしてそれ故に、神綺様は魔界について苦悩し続けるのである。
「よく判りますぞ。して、それがよくないと」
「そう。はっきり言ってしまえば皆私と同格です。だからもっと自由に色々見て回るべきなのよ。魔界から離れるのも勿論自由」
「だが皆は閉じている」
「皆私に縛られている。ルイズみたいな子でも、まだまだね」
「しかし――魔界から離れろと強制するのも、また神綺様の御心の儘、ということになってしまいます」
愚問である。そんなことはもう何万遍も考えられたことだろう。神綺様は苦悶の顔をなさる。美しい顔が苦悩に歪む。
「でも、その選択もまた、皆の心からの選択なのよね」
「神綺様をお慕いする。魔界を愛す。それもまた自立から来るモノ故に」
そうだ、自立しているが故に皆魔界を愛しているのである。無論、神綺様への信仰心も自由な哲学から生み出されたモノである。愛しているが故に魔界だけに留まることに飽きている者も居なくはないのだ。例えばルイズ、そして、もう一人。
「神綺様、アリスが魔界を訪れた時のことでも語らいましょう」
「そうね」
「いやその前に、夢子、夢子の話も聞きたい」
私が彼女を呼び止めた意図が果たされつつあるか確認せねばならぬ。
夢子はじっと私達二人の話を聞いていた。やはり思うことがあるらしく、元々白い顔は更に白くなって苦悩を表し、凛々しい顔立ちは更に鋭さを増した熟考を表すものになっている。それもその筈、この議題によって一番苦悩する立場の魔界の民は間違いなく彼女なのである。
夢子は私が最初の民だとすると魔界二人目の民である。彼女は私という設計図から造り出された最初の民なのだ。つまり彼女もまた私と同じく魔界最古参の民であるから、ずっと神綺様に付き従ってきたということになる。そんな最古参の民の前で創造主が苦悩の内を吐露しているのである。夢子の受けた衝撃も並のものではあるまい。滅多に動揺を表に出さない彼女があの様子であることから容易に知れる。
特に彼女は、端的に言えば神綺様の敬虔な信奉者である。私等とは比べ物にならない。神綺様の思想を最上とし、片時も神綺様の側から離れることはないという程にその信仰心は真摯である。だが神綺様の御心は水のように流れ続けているので、その信奉者たる夢子の心も凍ってしまうことはない。
そんな彼女に信仰の是非が問われている。しかも創造主自身によってである。
「――そのことについては、私も考えたことがあります」
その言葉を吐いた時には夢子の顔は平静を取り戻していた。吹っ切れたということであろう。
「私は神綺様と共に。悲しい人形ですから」
続く夢子のこの言葉は、実は私には殆ど予想出来ていた。彼女は狂信者然とした自身の在り方を自嘲する時にいつも自分をこう例える。私がトランプなら彼女は人形遊びの人形だということか。そう自分を例えたいのは判らなくもない。しかしそういう立場は私の役割である気がする。
「そう」
神綺様は短い台詞でそれを受け入れた。
私は出来る限りの確認を終えたから、咳払いを一つして話を仕切り直そうとする。
「神綺様、夢子、アリスが魔界に来たのはいつぐらいのことでしたかな?」
二人は首を捻って考える。
「そうね、例の幻想郷からのお客様が来た時から、更に数年前だったかしら」
神綺様がそう仰る。やはりあの客人達の来訪は魔界の歴史において異彩を放っているから、記憶の目印としてはとても便利である。
そして、アリスが魔界に来た時のことも魔界の歴史においてはとても重要なことであるから、いつもはアリスとの出来事の方が記憶の目印となっている。
「まさかあのような幼子が魔界に侵入するとは思いませんでした」
私は懐古する。
「あの時には既にサラが門番として職務を果たしていたのですよね?」
という夢子の言葉通り、確かにあの時既にサラが門番をしていた。しかしそれでもアリスは魔界にやって来た。
「もしかしたらサラが敢えて門の中に入れたのかも」
と神綺様が苦笑いしながら仰る。その可能性は捨て切れないというのがこの疑惑に対する取り敢えずの結論である。結果は悪いことにはならず、サラはこの件に関して特にはお咎め無しである。これが全て計算通りなら彼女は相当の策士だ。
「サラはあれで頭が切れますからね。アリスは有益な旅人だと思ったのでは?」
どうやら夢子も同じことを考えていたらしい。
「アリスは面白い子でしたなぁ」
私は話をアリスとの思い出に移す。
「聡明な子だったからね。私でも気付かない様なことによく気付いて驚かされっぱなしだったわ」
神綺様の顔に笑顔が戻る。
「私はそれでヒヤヒヤしましたが」
夢子が悲しき人形ここに在りといった顔で言う。
「あら、別に私が言い負かされても夢子が言い負かされた訳じゃないわよ? そもそも私そんなに完璧な存在って訳じゃないしね」
神綺様は苦笑いする。
「いえ、私にもそのぐらいの分別はあります。しかし皆がアリスのことを生意気な奴だと思ったら少し問題なのではと」
夢子の言葉も尤もである。実際アリスは数人と喧嘩沙汰を起こしている。
「その問題に逃げ隠れもせず立ち向かったのがアリスではないか」
私はその時のことを思い出しながら言う。
「だから、ヒヤヒヤしたのです」
やはり尤もである。夢子は当時とても苦労したのだろう。
「しかしアリスのその生き様は、最期まで見事でしたな」
「最期からもよ、キング」
私の述懐を神綺様が直ぐ様訂正する。この最期というのが今のアリスに繋がるターニングポイントなのである。この一件が最近の魔界において一番大きな事件だったと言っても過言ではない。
今のアリスの種族は魔法使いである。私のよく知るアリスの種族は人間であった。つまりはどこかで種族が変わったということになる。そこで人間が魔法使いになる方法がある。社食の術という方法が有名であるが、アリスは別の方法で魔法使いになった。原初的な魔法使いへの転生の方法はまず一度死に、墓に埋まることである。そうしてから墓から蘇る。彼女はその方法で魔法使いへと転生した。ただその方法で魔法使いになった別の者とは更に別格なのが彼女である。魔法のメッカである魔界で生を終え、その上魔界の神の寵愛を受ける程に人間の頃から優秀だった彼女が、並の魔法使いに転生する筈はないのだ。
人間が魔法使いへと墓の中で転生する時は通常は墓への畏れを吸収し、それを魔力へと変えて自分の体を維持する。墓の中は人間には見えぬことばかりである。土を被った死体も勿論のことだが、そこにあるのは本当に死体なのか、まだ生きているのではないのかという畏れもある。人間は死後何処へ行くのか、場所が知れてもそこで何が起こるのか、という畏れも墓の中には集まる。
アリスは元々そういった物を集める必要がなかった。魔界にはいくらでも魔力がある。少し修行を積んだ程度の人間でも魔法使いに成れる程の環境である。アリスは言わずもがなである。素質を磨いていたアリスの墓は尋常ではない程の魔力の吸収に耐えた。これだけでも並ではないが、アリスは転生するにあたりもう一つ糧にした要素がある。
アリスは、魔界に揺蕩う霊魂達を吸収したのである。
死んだ者もそうだが、この霊魂には生霊等も含まれる。端的に言えばアリスは魔界という一個の世界の意識の断片を糧としたのだ。更に言えば魔界の意識の断片とは神綺様の意識の断片とも同義である。つまりアリスは神綺様にかなり近い意識を持つことに成功したのだ。少しだけ古い神綺様の記憶と同じ物を持つに至ったのだから。正に神綺様の下での修行の集大成である。
故に私達が知るアリスとは既に別人なのである。だが、確かに彼女はあのアリスでもある。
「全くそうですな。あの転生劇は見事でしたぞ」
私は神綺様に同意を示した。
「魔界に居ると長くないよって私が言った後にそれでもいいって即答したからね、あの子。きっとあれを見越してたんだろうなぁ。私よりよっぽど頭が良い気がするわ」
神綺様は口元を緩めて宙を眺める。
「いえ、まだ神綺様の御力を少しだけ手に入れただけに過ぎません。あの程度ではまだまだですわ」
夢子はアリスに厳しい意見を出す。これはアリスにより素晴らしい魔法使いになって欲しいが故の言葉である。夢子は他人に厳しいのだ。
「うむ、尚更アリスに会わねばならぬという気になってきましたぞ」
神綺様から多くを学び、敢えて魔界から出ていくことを選択した彼女は幻想郷でどんな見解を得たのだろうか。私はどうしてもそれを聞かねばならぬ。
「そうね。昔話らしい昔話はしていないような気がするけど、今日はここでお開きにしましょう」
神綺様がそう言って微笑む。そういえば昔話らしい昔話が出来ていない。
「次回、神綺様がお暇な時に呼んでいただければ。ああ、神綺様、一つ頼み事が御座います」
「何かしら」
「夢子を幻想郷に連れて行ってもよいですか?」
夢子が「えっ」と言いながら驚いた顔をする。だが意図は通じたようで直ぐに落ち着きを取り戻す。
夢子は魔界に永住するつもりだが、かといって魔界だけに閉じていい者だとは私は思わない。夢子自身も現在のアリスがどれ程研鑽を積んだか、どんな見識を得たか、ということには興味がある筈である。夢子の反応から見るにそれは当たっているようだった。
夢子は神綺様のメイドである。神綺様の御許しが出なければ休暇は取れぬ。
「勿論。夢子も偶には息抜きするべきよ」
神綺様は嬉しそうに微笑んで下さる。多少は私もお役に立てたのだろうか。
かくして幻想郷へと向かう手筈が整ったのである。
私は再び門の前にいる。今度は夢子も一緒である。無論門番であるサラもいる。
あの後神綺様がサラに連絡を取り私達二人分の荷造りをさせたという。私達二人が門に辿り着いた時には既に荷物が揃っていた。といっても長旅ではないから軽い荷物である。だが今度はサラの仕事を増やしたことが気に掛る。たった一人の思いつきを実行するだけでも多数の者に苦労がかかるものだ。
サラは満面の笑みで私達二人を出迎えた。
「やあやあ旅人お二人様。楽しい旅行をー」
と言ってサラは私に荷物を差し出す。
「旅行という程長旅にはならないと思うのだが」
「別に今から長旅の予定に変更しても構いませんよ。今日はお二人の大事な門出ですからね」
門出は文字の上では合っているが何やら意味が違う気がする。所謂門番ジョークというやつであろうか。
「夢子さんも遂に魔界の外に出られますか。幻想郷は良い所って聞きます、まあ多少物騒でもあるという話ですが、夢子さんなら心配いらないでしょう。はいどうぞ」
今度は夢子に荷物を差し出す。
「物騒ってどの程度?」
「まあ夢子さんなら問題にならない程度ですよ」
「キングダム様にもしものことがあると――」
「だってキングダム様も何だかんだいってお強いじゃないですか。大丈夫ですって」
夢子は黙って頷く。彼女はとても真面目なメイドである。
「そう言えば、随分特徴的な面々が集まったものだな」
不思議な縁もあったものである。魔界もまだまだ狭いと言ったところか。
「魔界の原型のキングダムさんに最初の住民の夢子さん、そして変わり種の私といったところですか?」
サラは瞬時に察して返答した。
改めて言うが門は私の同僚である。魔界が創られることになった時に、形式上は門も誕生した。つまりは門は私の双子の兄弟ということになる。私と違って門には動く体も考える頭も長い間存在しなかった。実はその体と頭を得た門がサラである。サラは門の化身であり、永い間魔界を見守ってきた門そのものである。だから敢えてあらゆる者に下手に出たり、ちょっと弱い振りをしてみたりするのは、どうやら彼女のお茶目のようである。新人だが古参中の古参でもあるのが彼女なのだ。
「うむ、して、サラ――いや、門よ」
「はいはい」
「私達の旅のことをどう考える」
神綺様は私が幻想郷に行くというだけで大いに動揺なされた。では魔界の囲いたる彼女はどう考えるか。それが私は気になった。
サラはそんなことは何でもないといった様子で
「まあ重鎮中の重鎮お二人が外出なさるんだから何も思うことはないっていうのはおかしい話なんですが、特に感慨はないですね。おお遂にか、って程度です」
「その程度なのか」
「ええ。門には自分は人が出入りする場所って以上の哲学はないので」
そう言って爽やかに笑う。どうやら魔界の中で人の出入りについて一番達観しているのは彼女のようだ。
「サラも旅をしてみぬか?」
誘いをかけてみる。
「おお、そうきますかぁ。良いですねぇ。折角体を貰ったんです、使わなきゃ損ですしね。幻想郷はいい所なんでしょう?」
あっさりと彼女は受け入れた。
「おお、では」
「ああー今回は遠慮しますよ。なんたってあの夢子様の休暇ですからね。厳重警戒です。門番の存在意義ここにあり、ですよ」
「むう。そうか」
確かに、魔界の中でも有数の戦闘能力を持つ夢子が魔界から離れるのである。門番であるサラはそれに対応するように魔界から離れようがなくなるだろう。
「また今度ということに」
「そうだな」
どうやら私は二度幻想郷に赴くことに決定したらしい。
話が一段落着くのを確認するとサラは門の周りで作業を始めた。この門をただ潜っても幻想郷には辿り着けない。門を幻想郷に繋げるにはサラの力が必要なのである。彼女曰く、魔界の存在を強く定義し、更にそれに幻想郷が隣接する状況を設定する必要があるという。専門的な技能はさっぱり判らぬし、サラが行なっている作業がそれぞれどんな意味を持つのかもさっぱり判らぬ。ただ、その所謂門を開ける作業はとても美しい。
その作業にはいつも門を照らしている篝火を使用する。儀式と言った方がいいのだろうか。サラが念のようなものを送ると篝火は自由自在に宙を舞い始める。細かい配置を計算しながら篝火を踊らせているらしいサラは、自身も踊るように門の前で飛び跳ねる。今日は幾分気分が良いらしく鼻歌を歌いながらの儀式である。そうして配置が一段落すると
「ちょっと待ってて下さいねー」
と言って門の方へと歩んでいく。サラが近づくと門は一人でに開く。そして開きつつある門の外へとサラの姿が消える。門はただただ建っているだけなのだから、この場合本当にサラの姿が消えているのである。そして少しだけ何も起こらない時間が流れる。突然門の向こう側が発光する。何かと思えばこちらの門の周りにある篝火と同じ物である。そしてサラの姿も現れる。門の扉の向こう側は既に我々がいる洞窟ではなく、幻想郷にある洞窟らしい。こうして魔界と幻想郷が繋がった。
篝火に照らされ逆光の中にいるサラは快活に笑っていた。上出来らしい。
門を潜って我々二人は幻想郷へと出ていく。門の側に残ったサラの
「では改めて、良い旅を!」
という言葉が私達を送った。
幻想郷の観光も良いが、アリスに会いに行くことが先決なので、私達は真っ直ぐアリスの住居を目指している。
サラはどうやら洞穴程度なら何処でも門を繋げられるらしい。私達は地中から幻想郷の空を拝んだ格好となった。私はてっきり例の四人が侵入した洞窟に繋がると思っていた。しかし実際は話に聞くアリスの屋敷に近い場所に繋がったようだ。私達が最初に出たのが魔法の森という場所であり、この森にアリスの屋敷があるという。後々サラに聞いた話だが、博麗の巫女に見つかると面倒だから最短ルートを使ったとのことである。この博麗の巫女というのは例の四人の内の一人である。
森の中だということで少々迷うことになるかと思ったが、アリスの屋敷は直ぐに見つかった。所謂西洋風の屋敷である。森の景観を損ねない程度の黒と白の色彩が好ましいと思った。そう言えば私の胴の部分にも白と黒が多く使われているから、この感情はそれに関連すると思われる。
アリスは訪れた客人は相当無礼な者ではない限り丁重に迎えるという。時間が経つ間に嫌われていたらその時はその時である。少々緊張しながら私と夢子は玄関の前に立った。そして扉を軽くノックする。
「――少し待ちなさい」
間違いなくアリスの声である。
ガチャリ、と音がして扉が開いた。
アリスは肌の白い少女である。髪は金色であり、瞳も金色だ。聞いた話だと瞳は時折青くなるらしい。原理は不明である。神綺様の様に自ら光を放っている訳ではないが、どことなく神々しい様に私には思える。私の私見は普通の者とは大いにズレている筈だが、共通した印象を抱いた者もいる筈である。着ている服を例えるべき語彙が私の中には存在しない。これは魔法使い全般に共通することであるが、彼らは独自の語彙や技術を持っていることが多いので、使用する道具は大抵他者には訳が判らない名前が付いている。だから私は敢えてアリスの服装に事細かに言及しない。ただ人形の様な立ち姿だと思う。青だったりピンクだったり赤だったりと、本人の金髪と合わせてカラフルな印象である。しかし計算され尽くした配色なのでしつこさはない。
アリスの大きな目は更に大きく見開かれていた。驚いているらしい。
「うむ、急なことで済まぬが、久方振りに会いたくなったのだ」
取り敢えず現状の説明をする。
「私が魔界の外に出ちゃ悪いかしら、アリス」
夢子も挨拶代わりと微笑みながら言う。
アリスは何度も目を瞬かせた。
「出迎える準備は――させて欲しかったなぁ。どうぞ、上がって」
アリスはそう言って苦笑いすると屋敷の中へ私達を迎え入れた。
一言で言えば瀟洒な室内である。無駄がない。普通の邸宅と違うのは専用の棚に整然と人形達が並べられているということぐらいか。
アリスは魔法使いの中でも人形遣いである。所謂家中の秘の魔術を使い多数の人形を同時にかつ精密に操ることが出来る。一般的な火炎や雷を生み出すタイプの魔法も使用するらしいが、どうやら今は滅多にやらないらしい。昔は主にそちらの方面の魔法を使っていたと私は記憶している。
四人掛けのテーブルを囲む。私の中でこの光景が神綺様と囲んだテーブルと何となく重なった。そうこうしているとアリスの人形達がお茶を運んでくる。数体掛かりである。この人形もアリスが操っているのだろうか。まさに器用という他ない。人形達はカップを並べたと思えば茶を注ぎ始めた。働き者のアリスの働き者の人形達といったところだろうか。ちなみにお茶は紅茶である。
「うん、で、今日は何の用でここまで?」
アリスが話を切り出した。ついでにカップを口に付けながら「上出来」と呟く。
私は口こそないが茶は飲める。魔導生物とでも言えば納得してくれる者も多いのだろうか。兎に角カップを握ればその中に注がれた液体を自分の体の中へ送れるのである。正直、自分にも原理は不明である。だが原理が判った所でどうということもあるまい。人型の生物も皆そんなものである筈である。その方法で私はアリスの人形が注いだ茶を楽しんでいる。
今日の要件をどう伝えればよいか、愚鈍な頭を働かせてみる。
「うむ、そう言われるとはっきりとは何だとは言えぬのだがな、今日はアリスに色々と話を聞かせて貰うために来たのだ」
どうにか捻り出した答がこれである。酷く漠然としている。
「色々ね」
そう言うとアリスは目を細めてどこか宙を見つめる。どうやら私達が聞きたい話を推測しているらしい。
「キングと夢子さんが二人で来るようなことだから、さては神綺様が魔界の在り方についてお悩みなのね。魔界の閉じた在り方に、かしら?」
アリスの推論は完全に当たっていた。私は思わず賞賛したくなる。ちなみにアリスも私のことはキングと呼ぶ。一度何故キングなのかと尋ねたら遊びの帝王という意味で使っていると答えた。神綺様と全く同じ理由である。その時のアリスはまだ人間だったのだが、どうやらその頃から神綺様と何処か通じた所があったらしい。
「うむ、流石はアリス。全くその通りだ」
「残念だけどキング、流石に咄嗟にそんな問題に回答出来ないわ。テーマが壮大すぎるもの。あの神綺様ですら悩んでるぐらいだしね」
「何、一言で全てを解決しろという訳ではないのだ。少しずつでいい。少しずつこの問題を解決へと前進させたいのだ」
アリスは小首を傾げる。
「あら、そのキングの気持ちだけでも十分解決していると思うけど」
「しかし実際に行動せねば」
「あははは――長いお話になりそうね。飛び切り永いお話」
笑う姿すら神綺様に重なるように思える。だがアリスはアリスであり神綺様は神綺様である。それだからこそ素晴らしいのである。アリスの研究している分野はどうやら神綺様の研究する分野と似ているらしいのだが、私は決定的に違うと考えている。
「その永い話に付き合ってもらえぬかな?」
「ええ、私を登場人物にしたいならどうぞご勝手に。私はキングには逆らえないし」
逆らわなければならない状況に追い込んだこともない筈である。
「ところでアリス」
夢子がアリスに問いかける。
「何でしょう?」
「神綺様とキングダム様は前もってこの問題について議論を交わしていたのだけど、その時に自立する民というのがテーマになっていたのよ」
アリスはまた目を細める。きっと神綺様が覗いた深淵と同じ場所を見ているに違いない。
「やっぱり気にしていらっしゃるのね。私もそれでずっと悩んでる」
アリスがこの自立の問題について悩むのは、彼女の魔法使い人形遣い双方の最大の課題が自立人形の制作だからである。アリスは幻想郷に移り住んでからこの自立人形の制作の為にずっとこの幻想郷で研究を続けているという。私達の比にならない程の私見を有していることは間違いがない。
果たして、幻想郷での研究は彼女にどのような見識を与えたのだろうか。
「というより神綺様が私の領分に踏み込んだのね。参ったなぁ、これで完璧な回答を出されたらぐうの音も出ないのだけど」
そう言いながらアリスは人形の並べられた戸棚から数体人形を取りだす。そうしてからテーブルの上、私達の目の前に並べる。
「二人共知っていると思うけど、これが私が研究している自立人形。勿論まだ完成してる訳じゃないし、そもそも私はこれが完成だっていう目標を定めている訳じゃないわ。そんなことをしても湧いてくる疑問とのいたちごっこだしね」
私は並べられた人形達をじっと眺める。並んだ人形は五体。造形に統一性はない。ただ全ての人形が少女の姿をしていることだけは共通している。
「皆個性的な服を着ているな」
私は率直な感想を述べる。
「そうね。色んな国の服装や文化を取り入れて造った人形達だから個性は豊かよ」
「色んな国か。幻想郷以外の国のことも参考にしているのだな」
「英吉利、仏蘭西、阿蘭陀、上海と――蓬莱。ああ、上海と蓬莱はこの中でもちょっと特殊」
「ふむ?」
「上海も他と同じく実在の国がモチーフなんだけど、その上海という国の中でも特殊な期間だけをイメージして造ったのよ。後は蓬莱。この子は実はこの国がモチーフ。日本ね。でも日本って実はどこからどこまでが日本だって言える境界が曖昧なのよ。だから私はこの子を完成させたという実感がないの。永遠の未完の子になると思う」
上海と蓬莱の二体には深い思い入れがあるらしく、アリスはその二体を優しく撫でていた。すると二体の人形は足をバタつかせてアリスの好意に応え始めた。成程自立人形である。あの人形には意志があるのだ。
「御免ね、もう少し付き合って頂戴。――そう? へえ、イメージ通りだった? それは良かったわ。楽しい人達よ。ああ待っててね、今魔力をあげるわ」
どうやらアリスは人形達と会話しているようだ。魔力をあげるとの言葉通り、アリスは何やら人形達に糸を繋ぐと、人形達一体一体に魔力を送り始めた。するとやにわに人形達が立ち上がり、独りでに踊りだしたのだった。
「魔力がなければ動けないのね」
夢子が呟くようにアリスに問いかける。
「まあね。判ると思うけど、神綺様のなされている事と私のしていることを比べられたら私困るのわ。神綺様がやっていることは壮大過ぎる。私なんか霞んでしまうわ」
私はアリスのプライドの高さを知っている。彼女は滅多なことでは謙遜したりはしない。それは自分の能力を正確に評価しているからであり、何事にも立ち向かう意志の強さがあるが故である。そんな彼女が自分が霞むとまで言うというのは、何も神綺様への謙遜の意だけではあるまい。どうやら彼女は神綺様が覗いた深淵を覗いた上でそれに続くことを辞退しているのである。アリスにこんなことを言われてしまうと私なんぞが神綺様の憂いを取り除こうというのは絶望的な気がしてくる。
夢子は首を振った。アリスの言葉を受けてであろう。
「別に貴女のやってることを馬鹿にする為に来たわけじゃないわ。改めて感心したのよ、私。神綺様とキングダム様のお話を聞いて改めて判ったの、やっぱり貴女は神綺様に一番近い魔法使いよ」
私も思わず「うむ」と唸った。
夢子がここまで人を評価することは稀である。夢子自身の能力が高い故に普段は軽い世辞程度で終わり、その世辞程度でも貰えようものならその人物は相当に高い能力を持つということになる。つまりアリスは間違いなく高い能力を持つ魔法使いなのであろう。私も何とか夢子の思考に追い付いたので、畏怖の念すら抱きつつ、アリスの人形達をしげしげと眺めた。
アリスは酷く驚いた顔をして、それだけではなく軽く仰け反っていた。本当にこういう夢子の言葉は珍しいのである。
「い――いや、ほら、神綺様は世界を自分で創造なされたじゃない。私は、まあ、このシリーズに限って言えば世界の模写ばかりしてるだけの――」
「その模写が大事なんじゃない? 神綺様は世界を造られた。それは探究心から来るものだったんでしょうね。今の神綺様のお嘆きから察するに、神綺様はどうやら今ある世界より更に面白い世界を目指されたのでしょう。私が思うに、アリスはその探究心を継いでいる筈よ。アリスの目指す自立人形というのは、既存の世界から解放された人形なんじゃないかしら? 違う? 神綺様は囲いを造ることでそれを目指したけど、貴女は内に造ることでそれを目指した」
アリスは深い溜め息を吐いた。椅子の背もたれに首を預けて体全体を弛緩させている。完璧な所作よりも夢子の言葉の衝撃を受けきることを選んだらしい。
「そう、ほぼ正解。流石は夢子さんね。矢っ張りぐうの音も出ない」
「確かに民と人形だと民を造る方が圧倒的に高尚に見えるわ。表面上ね。でも、きっとテーマがテーマだから、人形もまた回答を得る為には最適な形なのよね。アリス、貴女やろうと思えば人間も造り出せるんじゃないかしら?」
アリスは乾いた笑いを上げた。力なく椅子に預けられたアリスの体は増々人形の様に私の目に映る。目を移してみるとアリスの人形達もどこか力無く座り込んでいる。何故か先程蓬莱と呼ばれた人形は夢子に拍手を送っていた。若しかしたらこの人形はアリスの良き理解者の一人なのかもしれない。
「――そうね。魔力とやる気があれば出来るかもしれない。秘術にしておきたいから余り言い触らさないでね」
「アリス、貴女自分の中に色々溜め込む癖あるわよね」
「そりゃあ魔法使いになるぐらいだからね。正直研究テーマを言い当てられただけで卒倒ものなのよ。夢子さんが同じことやったら私の立場がないわ」
「まさか。今からやって貴女に並べる訳ないじゃない」
「いいえ。きっと私は受ける衝撃が多過ぎて集中出来なくなるわ。夢子さんは神綺様の最高傑作なのよ? いえ、それを抜きにしても夢子さんは夢子さん。私が何度夢子さんに心を折られかけたことか」
「私が何をやっても貴女は貴女よ、アリス」
「痛いこというなぁ。判ってはいるんだけどね、夢子さんにはいっつも考えさせられるから、私のキャパシティを超えそうになるのよ――」
アリスはまた深い溜め息を吐いた。ゆっくりとアリスの首が持ち上がって、アリスはまたきちんと姿勢を正す。
そのまま数分、沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのはアリスの
「そもそも世界という概念を考える時点で、出発点は既存のものなのよね」
という言葉だった。
「うむ、そうだな。神綺様が魔界造りに取り組んだ時点で、既に別の世界が存在していた。む――そもそも世界を造るということ自体が世界という概念に閉じているということか。世界という形でモノを造り出した時点でそれは世界の模倣以外の何物でもないと」
夢子と比べて思考の速度が遅い。醜態を晒しかけたがなんとか纏められた。
「そう、キングも流石ね。あー全く、よりによってよりによってな二人が押し掛けてきちゃったものね。そう、そうなのよ。世界を造る方法だと結局は既存のモノに影響され過ぎて前進が難しいのよね」
アリスは上海と呼ばれた人形を手に取った。どういう意図があるのかは判らない。
「だから、敢えて世界の無い意思を目指した。自立人形という形で」
夢子はそのアリスが上海人形を愛でる様子を真剣に見つめながら言う。夢子にはどういう意図でアリスが上海人形を掴み取ったのか判るのかもしれない。
「そう。お人形さんよ」
「人形という形にして自分が主人にならないと人形達がどんな境地に辿り着いたか判らないものね。あ、主人と主従じゃなくて、友達同士かしら?」
アリスは苦笑いする。秘している研究の中核に触れられ続けているからであろう。
「そんなところです。独りよがりなんです、私。そんなことをすればアリス、私という既存の世界に閉じてしまうだけなのにね」
「そうかしら? 貴女も人形と一緒に成長すれば解決するじゃない」
「うん、そうよ」
「何か見えてきたかしら?」
「何も見えないということはないわ。昔から目は良い方だと思っていたけど、今は視ることが出来る――ああ、意識に収めることの出来るモノがかなり増えたわ。何といえばいいかしら、同調出来る物? 少なくとも、確かに私は昔のアリスという存在よりは成長したんじゃないかしら」
「人格の学習か。視点の増加とでも言えばよいのか」
一人の体だけでは視えるモノに限界がある。目で例えるよりも耳の方が判り易いかもしれない。人にはここまでしか聞こえぬという音域が存在する。人間なんかは年を取ると超高音という奴が聞こえなくなってくるらしい。だから自分という世界は、悲しいことに年々狭まってしまう。アリスの技術はそれを年々増加させる方に反転させた、と解釈したのだが
「それは副産物。既存の世界を幾ら観察しても世界を吸収したこと以外にはならないの。うん、でもまあ、質のいい学習にはなるから、それも研究の成果よ」
とアリスに返されてしまった。
「うむ、すまん」
「いやいや――謝るようなことは全然ないわ。私自身が自分の言ってることに自信がないもの。本当に手探り」
「東洋の哲学に例えれば悟りというやつに近いのかしらね。無になること」
夢子が眉を顰めた熟考の表情で言う。
「そうかもしれない。私はあの分野に手を出したことがないから判らない。はあ――ごめんなさい、なんで自立というテーマでここまで複雑な研究になってしまったか自分でも判らないの。色々影響されて袋小路に迷い込んでるから」
「やはり神綺様の影響が強いのだな」
世界を造る、という偉業を成し遂げるような人物に師事しては複雑怪奇な魔境に足を踏み入れるのも仕方がない。
「そう。大きな原因はそれ。後、もう一人、幻想郷に厄介な奴がいるの」
「それは誰か」
「博麗霊夢。博麗神社の巫女さん。ほら、魔界でも暴れたことがある」
アリスは遂に額に手を当ててテーブルに突っ伏した。成る程、ここであの巫女が出てくる訳である。話には聞いたが、踏み込めば踏み込む程奇怪な人物らしい。この巫女が住む博麗神社という場所も不可思議で出来上がったような場所である。
「確か、あの巫女は自在に無になるという」
「そう。いつ頃からは判らないけど――いや、生まれつきなんでしょうね、あの巫女は何にも縛られてないのよ。その癖人間なの。アイツには自立という概念の神秘が眠ってるんでしょうね。アイツはその素質を生かそうとはしないけど。年がら年中お茶飲んで掃除してお茶飲んで掃除して、たまに異変解決して、そんな奴」
「この世の深淵に纏わる議論等はしないのか」
「いやいやまさか。アイツがそんな高等な話をする訳がない」
アリスと巫女は親しい間柄と聞いていた。私はこの二人の大人物が邂逅してどんな議論を繰り広げるのかと恐ろしい想像を抱いていたが、何のことはない、普通の少女らしい会話のようだ。
「もっと悟ったようなことを言う者だと思っておった」
「だと、良かったんだけどねぇ。あの素の儘で幻想郷を渡り歩いてるからね、アイツは。不思議な奴よ。アイツがアイツとして存在してるだけで私は困るのよ。研究の参考になるのは確かなんだけどね」
アリスはテーブルに突っ伏したまま溜息を吐く。これで計三度目である。博麗霊夢という人間も、どうやら聞いていた以上に凄まじい人間の様だ。存在しているだけでアリスを困らせるというのは一体どういう次元の存在なのだろうか。
アリスは満足のいくまでテーブルに突っ伏したらしく、おもむろに体を起こして椅子から立ち上がると
「このままだと永遠に話が終わらないわ。だからそろそろお開きにしましょう。ただね、今回の議論ではっきりしたことがあるわ。もっと研究が進んだら私は神綺様に会いに行かないといけないことが、ね。神綺様のお役に立てるかは判らないけれど」
と言った。その後アリスが号令を送ると、人形達は自分で棚に戻っていった。
「うーむ、自立というだけでここまで考え詰めなければならぬか。正直さっぱり判っていない」
私はそんな独り言の様な呟きをしてしまう。どうしても弱音を吐きたくなった。
「いえ、きっとキングはこんなことを議論しなくても理解しているのよ」
アリスがそんなことを言ったから、私は驚いて彼女の顔を凝視した。
「まさか、私がか?」
「キング、実は私が袋小路に陥った原因の一人は、貴方なのよ」
そう言われて私は棚に並んだ人形達を見た。彼らは国の模倣らしい。各民族の衣装を着て、恐らく各民族の思想を持っている。アリスは一つの国から民という要素を抽出して更に濃縮し、彼らに存在してもらうことで世界という概念より解き放たれた思考が発見出来るか観察を繰り返している、私はそういう風にアリスの研究を解釈している。ある種神綺様の成されたことと対極の位置にある。しかし私がいる。
「成る程確かに、神綺様が造り出されたモノの中では、私がアリスの研究に一番近いのかもしれぬな」
これもまた独り言である。これを呟いた時には、アリスはテーブルのある居間を離れ、どうやらキッチンの方へと消えていた。
キッチンの方からアリスの
「泊まっていきます? 別に問題はないですから」
という声が聞こえたから、私と夢子は顔を見合わせてその提案に甘えることにした。私達としても問題は無く、二人共もう少しアリスの側に居たかったからである。
かくして数刻が過ぎた。私は一人居間におり、あの議論を反芻してなんとか神綺様が喜ばれる意見を造り出そうと躍起になっていた。夜遅い刻限である。草木も眠る丑三つ時というやつらしい。私は普段は時間というモノを気にしないが、今は二人程このこの家の二階で眠っている筈なので、珍しく意識することになった。
日が落ちてしまうと地上から明かりは消える。月明かりでは流石に暗すぎる。魔界の月光の下なら私の目も効くのだが、困ったことに幻想郷の月明かりはどうやら私の目に優しくないらしい。どうしても暗かったのでランプを一つ頂戴させて貰った。蝋燭がテーブルの上で炯々と灯っている。
私はじっと考える。神綺様とアリス。この二人の共通点。創造主としての苦悩を。二人共自らの周りにモノを作り出し、モノと対話し、モノと共に苦悩している。目指す先は世界の果てという解釈でよいようだ。世界のない世界。否、そうなると違う。
「――困った。はて、二人の歩みを支えるには、どうすればよいのだ」
ポツリと独り言を呟いた。
そも、世界その物として生み出された私には難題であるような気がする。私は生きている内はずっと世界というモノである。魔界の原型であるからして、私はある意味魔界その物なのだ。それが世界から一度引いてココを見るとなると、まず自己の否定から入らなければならない。残念ながら、愚鈍な私にはそれは無謀な試み過ぎる。
「無理だ。二人の仲介者に徹しよう。いや、魔界の民全てを繋ぐ者だ。それが私である筈だ」
それが世界の役目であろう。しかし、この議題が進めば、どうやら私の存在意義は希薄になるようだ。しかし、今更命が惜しいという訳でもなかった。
「うむ、きっと私も死が近いのだろう。成る程私にも面白い死に様があるものだ」
民にしっかりと看取られながら死ぬ世界というのは、とても幸せな様な気がした。
突然、コトコトと物音が聞こえた。さては物取りでも入ったかと一瞬剣呑な気色になったが、どうやら物音は人形達の棚から聞こえたものだと判ったので、私は直ぐに安堵出来た。
宙をふよふよと飛ぶ影がある。どうやら上海と呼ばれた人形のようだ。
どうしたのか、と問いかようとした私の言葉の出だしを
「バカジャネーノ」
というカタコトの言葉が遮った。
私は一瞬思考を停止させたが、どうやら上海人形に死ぬという言葉を叱られたのだと思い当たった。
「うむ、そうだな――神綺様やアリスは私を亡き者にする為に思索を重ねている訳ではないのだろう。一度世界から離れ世界をより良いモノにする――」
「アリスハ、ヤサシイヨ」
上海人形は短いが、しかし私の長冗句よりも余程大事な言葉を私に送った。
「ふむ、それを忘れてはいけない。これは何とも失言だった。どうやら上海殿は私より余程優れた方だとお見受けする」
「ワタシハ、アナタホドアタマハヨクナイ」
「うむ、お褒めの言葉、有り難く頂戴する。しかし私は貴女の能力を認めている。是非ともその賢知に預かりたい」
「ムムム、コトバガムズカシクテ、ワカリズライヨ」
と言いつつ、上海人形はテーブルの上に降り立って、私の前に座った。
「ああこれは済まない。癖なのだ」
何とか正してみる。
「チガウ。コトバヅカイ、ジャナイ」
「うむ? では、何処が悪かったのだろうか」
「ナンデ、ワタシカラ、イロイロキクヒツヨウガアルノ? アナタハ、ワタシノチエヲアズカルヒツヨウガアルノ?」
「それは、今の私では、不足だからかな」
「アリスガ、アレダケヒョウカスルナンテ、ヨッポドノコト。ワタシハ、アナタハモウタリテルトオモウンダ」
「そう、なのだろうか?」
「キット、アトハ、アナタガジシンヲモテバ、イマハカイケツスルトオモウ」
「成る程、私がしっかり構えておればよかったのか?」
「キット、ソウ。ムズカシイモンダイジャナイハズ。ダカラ――だから、後は神綺様に元気な姿を見せればいいんじゃないかと、私は思うわ」
カタコトが途中から流暢な発音に変わり、私は驚いて軽く体を仰け反らせた。後ろに気配を感じたので振り向くと、アリスが立っていた。
「――そうか、魔力をしっかり供給されれば、こういう風に流暢に喋ることが出来るのだな?」
アリスはにこやかに笑いながら頷いた。
「正解。普段は私が持たないからそこまでの魔力はあげないんだけど、こんなに喋りたがってる上海は珍しいからね。今日の上海は年に一度あるかないかの特別公演よ」
「カタコトの方が人形っぽいでしょう? 私も嫌いじゃないから、普段はそんなに魔力をねだらないの」
上海人形の口調は先程までとは打って変わったものとなっている。視線を移して見ると、立ち振る舞いからもぎこちなさが消え去っており、人形というよりは小さくなった人間の様に見えた。
「邪魔して御免ね。私は寝るわ」
というアリスの言葉が後ろから聞こえた。
「うん。ありがとう、アリス。奮発し過ぎて体を壊したなんてのは勘弁だからね」
と、上海人形はアリスの言葉に答えた。それから直ぐに階段を上がっていく音が聞こえたから、どうやらまた私は上海人形と二人っきりになったようだった。
「他の人形達は、今はどうしているのかな?」
一応聞いてみた。
「多分寝てるわ。私は貴方とお話したかったからずっと起きてたの。そしたらそろそろ死ぬんだろうなぁとか言い出すじゃない、そんなことは言っちゃ駄目よ。全く、お爺ちゃんみたいなこと言うんだから」
どうやら彼女以外眠っているらしい。そして、一人だけ起きていた彼女の前で話そうと機会を伺っていて相手がそんなことを言いだしたら確かに困るであろう。
「うーむ、済まない」
「まあ、私なんかも頭が痛い議題だったからさ、考え込む質であろうキングさんはもっと困るとは思ってた」
「うむ、困っている」
「で、私に言えることはさっき言ったことぐらいなんだけど」
「私が自信満々で帰ればいいのか」
「うん。何故そう思ったかを詳しく説明するよ。アリスも神綺様もね、自分の中にないことで悩んでるんだよ。それは自分をいくら変えても解決しないよね? アリスは取り込んで乗り越えようとしてる。神綺様は――ちょっと判らない。世界を造るって私の頭には壮大過ぎるよ」
私も何とか考えてみる。
「何と言えばよいのだろうな。輪の周りに更に輪を造ろうとしている、と言えばよいのか」
「きっとそれで合ってるよ。うーん、そうなると、広がる筈だった輪が広がりきらずに止まっちゃったって感じかな。何だろう、ビックバンとかいうのを思い出したよ」
「うむ。宇宙創造時のエネルギー膨張だな。それはとても近い筈だ」
「私にも理解出来たかな? 流石はキングさんだね!」
「いや、今私は君に助けられて気付けた程度だった気がするが」
「そんなんじゃ駄目でしょう? もっと自信もっていかないと駄目な存在がキングさんなんだよ。何故なら、二人が頭を悩ませている存在に一番近いのがキングさんな筈だから」
「ほう」
確かに、それには私も何となくだが気付いている。
「アリスが超えようとしているモノ、神綺様が造ろうとしているモノ、どちらにも近いのがキングさん。となると、よ」
「うむ」
「二人はキングさんが大丈夫って言えば、凄く安心出来る筈なのよ」
「そうなのか?」
「きっとよ! キングさんは二人の事を遥か高みにいる存在、とでも考えているんでしょう。でもそこが一番間違えちゃいけないところで、そこをキングさんは間違えているの」
「――二人は、私の方を高みにいる存在と考えている、ということなのか?」
「そうよ! そうに違いないの! で、そうするとキングさんには重要な役目が回ってくるの!」
「それは何だ?」
「神よ」
とんでもない単語が飛び出して、私は思わず呆然とした。
「創造主の為の神よ。ほら、信仰って心の安定を求める故にあるじゃない。キングさんはね、えーと、そう! トランプで例えればジョーカーなのよ!」
「ジョーカー、道化か」
「そう、唯一どんな高い数字をも圧倒できる可能性があるカード」
「そこには――」
神綺様やアリスが入る、という解釈では間違っているのだ。
「それがキングさんなの。五十二枚の内の異端の札。だからこそゲームを円滑に回すことが出来る切り札さん。だから、二人はキングさんが大丈夫だって言えば、それはもう安心出来るのよ」
「うーむ、それは私が賢くなくても出来るのか?」
「とっても賢いらしい神綺様でも、迷うことがあるらしいじゃない。だったら、迷いに迷うキングさんでも出来るわ」
「――成る程、確かに、そうであろうな」
「でしょう?」
私は一度、世界から意識を閉じた。出来る限りの感覚を遮断して、ぐっと私の深くへと潜った。自分自身が世界の様なものなので、こういった世界との情報流通を調整するのは得意である。そして確かに、今一度神綺様の友として側に立たねばならぬという結論に達し、同時にアリスの不安も解消する、画期的な方法を思いつけたのである。
「所詮袋小路からは救い出せぬが――良い方法を思いついた」
「おお!」
上海人形が手を叩いて賞賛してくれた。
「つまり、アリスの功績を讃えつつ、私が神綺様の友と今一度宣言出来る程の自信を取り戻せばよいのだろう?」
「どうやるの?」
「ここに来てなんなのだが、アリスの手を借りる。それも、アリスの全力をだ」
「へえ?」
私は、またアリスが起きだして来ていてもその耳に届かないように、上海人形に思いついたことを耳打ちすることにした。
伝え終わると上海人形は満面の笑みを浮かべながら
「成る程ね! アリスならきっと出来るよ! そんな大事業をキングさんに頼まれたとなると、確かにアリスの自信にも繋がるね!」
と賛同してくれた。
「うむ――私としても、こういう役をやれて嬉しいものだ」
私は感慨深さここに極まって、ぼうと宙を眺めた。
結局随分と長旅になってしまった。実に六泊七日の滞在である。
魔界に帰ってきた私達を最初に門で出迎えたサラは、どうやら私の姿を見て全てを察したらしく
「これまた素敵なおめかしですねぇ」
と言って微笑むばかりであった。
この反応を見る限り、やはり彼女は私など想像も付かぬほどの切れ者なのだ。
「サラよ」
「別に思い描いた通りの結果って訳じゃあありません。寧ろ私の思っていた以上の結果です。私はアリスを説得して魔界で幻想郷の人形劇でもやらせるのかなぁと思ってましたが、はは、成る程、確かにそれはいい。そういえばキングダムさんにはまだ可能でしたか。これは一本取られたぁ」
そう言って、サラはからからと笑うのであった。
「サラも私と同じ立場ならやったか?」
「そりゃあキングダムって存在ならやってたでしょう。ですけどキングダムさん、門ってのはやっぱり境界線なんですよ。誰が為のって言ったらそりゃあ、我らが世界の為でしょう。我らが民の為、我らというモノの為」
「世界の為、か。では、世界は自由でいいのか?」
「当たり前でしょう。外界からの出入りが始まった時点でね、キングダムさんの外出は決まっていたようなものなんです。だから神綺様も焦った。二度とキングダムさんが戻って来ないんじゃないか、とね。神綺様はそれもまた道理とキングダムさんにはやんわりとしか言ってないのでしょうが、やっぱり、キングダムさんにはキングダムさんとしてずっと側にいて欲しい筈に違いないのです」
「――うむ、やっと私にも、そこまで視えた気がする」
「ははは、優しい世界もあったものです。普通はもっと放任主義ですよ。さて、王国は創造主が為にですか、良い旅でしたね。早く神綺様に顔を見せてあげて下さい」
「うむ」
私の推論である。元々神綺様は民のことで悩んでいたのではなく、私のことで悩んでいたのである。自分で作った世界が自分という概念で閉じてしまうのは簡単に予測が出来ることらしい。確かにそれも神綺様の大いなる悩みの一つなのであろう。それを私に話して気を逸らしたようなのだ。私に民が為の王国であるという自負をなんとか抱かせ、民の自立を勝ち取る為の策を練らせようとしたのだ。成る程、民が自立すれば魔界という世界は、つまり私は魔界に必要ない。それならば、どうやら私は自由の身になれるようだ。どこに行こうとも問題はなくなる。
その気を逸らす為の話にアリスも引っ掛かってしまった、と思われた。しかし、今思えば上海人形に魔力を送りに来たのはタイミングが良すぎると言わざる負えないのだ。私が思うに、アリスも途中までは騙されていたのではないだろうか。だが薄々勘付いた、というのが正解な気がする。
そして上海人形が全てを引っくり返した。全体の総まとめをしたのはサラだが、きっと上海人形にも今回の件の全貌が視えていたのだろう。本人は否定するだろうか、しかし今回の件の中核を突いたのは確かである。
人の心は見えぬ。これらはただの推論に過ぎない。自信がないのでサラにこれまでの経歴とこの推論を打ち明けたところ
「これこそズバリ、なんて回答ある訳ないじゃないですか。そもそもこれは論理も何もない感情のお話です。論理の世界で回答を出せって言われてたらとっくに諦めてたんじゃないですか? ――そうですよねぇ。で、です、つまり最終的に相手に効けばいいんですよ。病に対する薬に似たようなものです。あれだってよく判らないモノにギリギリまで考えた分量の薬を投与してるだけでしょう? キングダムさんは既に十分調合という責務を果たしている訳です。つまり、何の問題もありません」
という意見を返してもらえて、私は幾分安心した。
「済まぬ、芯の無い言葉ばかり吐いてしまって」
私の言葉にも、サラは爽やかに笑ってみせた。
「なあに、世界というものは元々漠然としているものです。自分で形が作れなくて不安ならいくらでも他人を頼ればいいんです。私なんかは門であり城壁でありという、世界を形造るのにピッタリな人種ですから、私で良ければいくらでも頼るといいですよ。ちゃあんと私の職務内です」
サラの言葉は私をいつも安心させてくれる。今回も大分世話になってしまった。全く頭が上がらぬ。
「ところで――キングダムさん?」
俯きかけた私をサラの言葉が現実に引き戻す。
「何かな?」
「私、ちょっとお節介を焼きまして」
「お節介?」
「話を聞いてもらっていたんですよ、神綺様にね」
驚いた私は思わず辺りを見回した。今、私の目に写っているのはサラと夢子ぐらいである。神綺様は何処にも見当たらない。別の所でお聞きになっているのか。
「いますよ。よく考えてみてください、死角があるでしょう?」
サラが悪戯っぽくニヤニヤ笑いながら言う。
「むむ――夢子、何処におられるか判るか」
言われて夢子も辺りを見回す。そして夢子の視線が私達が通ってきた門で止まる。
「もしかして、門の裏かしら?」
「正解ですー」
そう言ってサラが指を鳴らすと、門の内側から幻想郷の景色が消えた。代わりに、何やら恥ずかしげな神綺様のお姿が表れた。俯きつつ、上目遣いでこちらを見られている。羽も広げていない。
「聞いて、おられましたか?」
私は神綺様に問うてみる。話が耳に入ったかだけではない、私の回答が神綺様の心に届くものだったかをである。
「キング――御免なさい」
神綺様はいきなり頭を下げられた。
「そのようなことをなさることは――」
「いいじゃない、友達なんだから。頭ぐらい下げさせてよ」
そうであったと改めて思う。神綺様は私に対等でいて欲しいのであった。
「成る程――では、私の方でも言葉遣いを改めねばならないか」
「そうそう。昔みたいにね」
私はきっと照れくさそうに笑っている。
「で、どうかな? 私の解答は」
「ええ、凄くいいわ。アリスも更に腕を上げたのね。キングにピッタリの形だと思うわ。凄く可愛い」
神綺様は――神綺は、今の私の姿を褒めてくれた。同時にアリスの腕も賞賛されたということなので、私は尚の事嬉しくなる。
今の私はアリスの作った人形の中にいる。正確には、宿っている、だろうか。
私はあの後、アリスに魔界という形を元に人形を作ってもらえないかと依頼したのだ。アリスは一も二もなく承知してくれた。時間が掛かるのではないかと心配したのだが、アリスは「キングを目の前にして何も浮かばない訳がないじゃない」と言って直ぐに工房に篭った。完成までに要した時間は何とたったの三日である。アリス曰く夢子の手伝いがあってこそだったとのことだが。後の三日は私が人形の体に慣れることに費やされた。
今の私の体の素体は女性の物である。元々どちらかと言えば男性として生きていた私であるが、アリスの人形には少女型の物が多かったので敢えて少女型にしてくれと頼み込んだのである。アリスも少々戸惑ったが、神綺様の隣に今一度友人として立つのだと打ち明けたところ、真剣な顔で頷いてくれた。因みに、私は今の自分の姿について何の情報も持っていない。アリス曰く、これは服装や造形は魔力と人形の内にある魂によっていくらでも変わる人形だから、私は必要以上に複雑な服を作ったり無駄な細工はしない、とのことであり、その上私はこの人形に入ってから鏡を見ていないからである。あれからどれ位変化が生じたのだろうか。気になるところである。しかし、私にはまだ自分の姿を確認することが出来ない理由があるのだ。
「可愛いか。私はまだ今の自分自身を見ていないが」
神綺はニコニコと微笑みながら頷いてくれる。そして直ぐに困惑した表情になる。
「何で見ていないの? 鏡を見るだけなのに」
「如何やら私の感情の起伏一つで姿が変わるらしい。だったら私の姿が完璧な物となるには、一つ達成しなければならないことがある」
「何?」
「神綺の笑顔を見ることだ」
神綺はまた一瞬戸惑った顔をしたが、直ぐに満面の笑みを見せてくれた。
「これでいい?」
「うん、最高だ」
私も自然と笑顔になった。良い顔で笑えていると幸いである。
そうして神綺と見つめ合っていると、サラがニュっと私達二人の間に首を伸ばしてくる。夢子も同じように首を伸ばしてくる。
「折角だし神殿の鏡を使ったらどうです?」
サラはそう言ってにやりと笑う。
「先に行ってよく磨いておきましょうか?」
夢子も微笑みながらそれに続く。
私は頭を掻いた。手に触れる髪の毛の感触も何だか小っ恥ずかしい様な気がする。
「えーと、そうだな、折角だから頼もうか」
「じゃあ私も先に行ってるよ。心の準備が要るだろうしね」
神綺もどうやら夢子に続くらしい。
こうして夢子と神綺の二人は楽しそうな後ろ姿を見せながら、門の洞窟の出口へと向かっていった。
後に残ったのはサラと私の二人である。
「色々世話になってしまった」
という私の言葉に
「なあに、私達の仲でしょう? 気にしない気にしない」
とサラが答える。
私の側でサラは首を回す。ゴキゴキと首は鳴る。矢張り私達の旅の途中はかなりの激務であったようだ。神綺を門の後ろに隠れさせる作戦等から推測するに、どうやら私達の旅のセッティングを行きから帰りまで考え抜いてくれていたらしい。何度も思ってしまうが頭が上がらない。
「――で、どうでした? 神綺様ドッキリ」
サラが唐突に言うものだから私は瞬きするぐらいしかなかった。
「幻想郷への門を潜れば神綺様の心の門も潜っているー、ってね。門番ジョークですよ。門番ジョーク」
「ああ済まん。成程な、なんと洒落ている」
幻想郷から帰ってくると神綺様の心の門も潜ったことに気付くという仕組みだったらしい。矢張り全てサラの予定通りだったのではなかろうか。
「いいんですよぉ。こういうのは気付かれない方が面白かったりするんです。何というのかな、解説の美?」
「なあサラ」
「なんです?」
「私も、神綺の私に対して言ったように、サラとそういう友達でいたい」
サラはじっと私の顔を見つめてから、大袈裟に肩を窄めて答える。
「あらそう? で、早く行かないと二人共待ちくたびれちゃうよ?」
「うむ。判っている」
親指を突き立てて頑張れというサインを送るサラに見送られながら、私は門の洞窟から出て行った。
王国は創造主の友である。その答えを手にして登る神殿の階段は存外短く感じて、私は何だか不思議に思った。
・初投稿です。その上事実上処女作品です。色々至らぬところ等あると思いますが、生暖かい目で見つめてやってください。
・オリジナル設定がキツイかもしれません。本当に勝手が判ってないんです。
・一行38文字、一ページ16行というヘンテコな形式で作成しました。しかも縦書き推奨です。気分が乗ったらこの形式でも読んでやってください。
・長いです。分割するとしたらどこからがいいのかなぁ……
・……被ってないよね?
・神綺様は可愛らしい人だと思います。
私の通称は王国であるが、決してそんなに偉い者ではない。偉いのは王国に住む王か民である。王国はそんなに偉いものではない。民を統べる王が偉いのであり、国を支える民が偉いのであり、国はただそれらを繋ぎ止める為に存在している靄のような鎖であるというだけだ。私はその鎖の一つである。とは言え姿まで靄ではなく一応形を持っている。トランプの山札によく似た胴体とそれに乗った王冠、それに胴に見合った手足とその手が持つ錫杖、それが私の大体の造形である。人型の者が多いご時世で何とも傍若無人なことだが、これが私に与えられた姿なのだから受け入れて頂きたい。私はそういう者である。
私は魔界という場所に住んでいる。この魔界というのは神綺様という創造主に造られた世界だ。そして私も神綺様に造り出された物の一つである。創造物が創造主の作り出した世界で生活しているというのは極普通なことである。故に今日も私らしい日常を送ることにしている。
魔界というのは端的に言うと良い所である。魔界以外の住人には弱肉強食を地で行く場所だと思われているらしいが私はそれに異を唱えねばなるまい。確かに魔界というだけあり魔法のメッカであるから魔法での争い事は多い。しかし住民の精神教養は高いから問題は起きない。法も整備されているから世界としては上等な筈である。
私は何も考えずに魔界中を散歩していた。衣食住に縛られていない私は大体いつも散歩をしている。眠る必要も疲れることもないからずっと歩き通しである。歩いている内に門に辿り着いた。魔界には別の世界に通じる門がある。逆に言えば門があるから魔界は確固たる世界として存在しているのであって、つまり門は私の同僚である。
門は建造物としては異端の部類に入る。門は洞窟の中に建っている。門が建つような洞窟なのだからかなり広い。上を見上げてみても篝火の光が届いていないから暗闇が広がるばかりである。そしてそんな広大な暗がりの奥地に門は忽然と姿を表す。こちらは篝火にしっかりと照らされている。門を強調するように配置された篝火に照らされるその姿はある種芸術品の様である。施された装飾も立派だから益々芸術品の様である。更には門の周囲に壁が無いことから実用性を疑う羽目になるという面でも芸術品的である。ただ門だけがぽつんと建っている。神社の鳥居というやつに近いだろう。だがここを潜れば異世界に飛べるのだから間違いなくこの門は実用品なのだ。
そんな門には門番がいる。彼女はサラという。門番としては新任だろう。だがこれは私の目線から見た場合の新任である。私にとっては門に番人がいなかった期間の方がずっと長いのだ。確か門番が付いたのは神綺様が魔界を外の世界の者にも踏み入れられる世界にしようと計画したからであった。矢張り新任である。
赤いローブの様な、またはドレスの様な、不思議な服装をした彼女の下へと私は歩み寄って行く。彼女の髪は珍しいことに紫色なので服装に相まって余計に不思議な少女である。
「――お、キングダムさん、今晩は」
サラが私に気付いて挨拶をする。彼女は疲労する体を持っているのに律儀なものである。彼女は実に勤勉な門番なのだ。
「うむ、今晩は。今日も御勤め御苦労である。何か面白い話はないかな?」
敬意を示すため、頭を下げる代わりに王冠を取る。
「あはは、私が面白い話を持っていたら大事じゃないですか。そういう話だったらルイズさんでも捕まえればいいんじゃないですか?」
「そうかもしれぬな」
私は同意を示す。ルイズというのは旅好きな魔界の住人である。門番であるサラに色々な手を尽くして門を開けさせては異界に旅をするのが彼女の日課である。旅人であるから魔法を使った護身術は中々のものであると聞く。
「つまり異常はないということかな?」
サラは好戦的な門番である。故に面白い話というのは侵入者撃退の話である。
「ええ、魔界に攻め込んでくる奴らなんて、今のところ幻想郷のが最後ですよ。あれ以来そういう輩は出ていないので」
サラが言っている幻想郷というのは魔界から行ける場所の一つである。住処を移さざる負えなくなった妖怪達が作った国の様なものだと聞く。その幻想郷の者が魔界に攻め込んできた時があったのだ。たったの四人で、である。そのたったの四人で我らが創造主たる神綺様の下まで辿り着いてしまうのだから末恐ろしい国である。
幻想郷といえば噂話をしたくなる人物がいる。
「アリスの近況について何か情報はないかな?」
アリス・マーガトロイドは元々魔界の住民であったが、幻想郷に移住した魔法使いである。実はとある理由から私達の知る「アリス」とは別人になっているのだが、それでも私達魔界の住民にとってアリスはアリスである。魔界の中では知らぬ者はいない人気者なので、誰しも彼女の近況を気にかけている。
「いやー、そういう情報があったら開口一番に話してますって。最近はルイズさんですら幻想郷に行ってないらしいですからねぇ」
どうやら誰もアリスに会いに行っていないが故の情報不足らしい。
「うーむ、何故行かないのであるか」
酷く残念な事である。私以外にもアリスの近況を知りたい者は大勢いると思われるから、これは魔界的損失である。
「何度も何度も押し掛けちゃ悪いと思ったんでしょう。ルイズさんそこら辺のマナーだけは守るから」
ルイズの横暴を大いに被るのが彼女の役職である。それは怒りたくもなるだろう。しかしルイズの旅癖によって魔界に外界の文化が入り込んだりするのだからサラも真正面から怒るに怒れないようである。
「――それと、ルイズさんアリスとの相性がそんなによくないらしいんですよ」
「うむ? どういうことかな?」
ルイズとアリスの仲が悪いというのは初耳である。
「さあ、アリスが魔界嫌いになった訳じゃないというのは聞いたんですけどね。どうにもそこまでして会いに行く気にならないし、私ばかり押し掛けても悪いから、って言ってました」
確かにその口振りではアリスを避けているように聞こえる。しかし私の知るルイズとアリスの関係は良好そのものだった筈であるからとても違和感がある。一体どういうことなのであろうか。
そうやって世間話をしていると話題の渦中の内一人がやって来た。ルイズである。白いドレスと白い鍔広帽を身に着け、その帽子の合間から金色の髪を垂らしている。旅人というよりは何処かのお嬢様然とした少女、とでも言えばいいのだろうか。人型をしていない私に正確な判断は難しいだろうが、世渡りは上手そうである。
「はあい、キングダムさん、サラ、今晩は」
「うむ、今晩は」
「今晩は」
ルイズはサラと私の間に割って入った。
「早速だけど誤解を解かなきゃいけないのよ。さっきの話の」
「アリスとの仲のことであるか」
どう考えてもそのことであると思ったので返事をする。ルイズも「ええ」と言って頷いた。
「私がアリスの所に行くのを控えてるのは別の人をアリスに会わせようとしているからよ」
「別の人であるか」
それなら理屈は通る。
「アリスだって私ばかり来たら飽きるでしょう? そろそろ別の人が行って来ないと駄目よ。だから誰を行かせようか考えてたんだけど、そう言えばピッタリな人がいたのね」
「ほう。それは誰なのかな?」
「散歩大好きな誰かさんです」
私は「ふむ」と唸って考え込んだが、隣でサラがクスクス笑い出したのですんなりと答えに辿り着いた。
「私か?」
二人は揃って頷いた。
「キングダムさんだったらあっさり許可が出るんじゃないですかね? あんまり外界に出ようとしてないですし」
「あちゃ、釘刺された」
「そろそろ自重してくださいね」
これからサラのルイズに対する説教が始まるのだろう。私はそういう話になったから創造主たる神綺様に外出の許可を願わなければならなくなった。二人に別れを告げて、私は神綺様の下へと向かった。
王国という壮大な役職に置かれた私の苦悩はそれ相応のものがある。王国でそれなら創造主はどうなるのだろうか。私程度の思索が及ぶ所ではないが、神綺様は今も多くの困難を打ち破る為に聡明な頭脳を働かせているに違いないのである。それを邪魔してしまうのは実に忍びないことであるが、事がアリスに関わるならこれは仕方がないことであろう。
神綺様のことであるから既に私の来訪を知っているかもしれぬ。そう思いながら神綺様の神殿へと続く階段を登る。本当はもっとこぢんまりとした屋敷に住みたかったらしいのだが、魔界に時が流れるに連れこうまで巨大で荘厳な神殿になっていった。事実、前はもっと辿り着くのに苦労しなかった。最早言わずとも判ると思うが私はこの魔界においては古参に当たる。疲労はしないが神綺様との間に開いた距離に何とも言えぬ感慨が湧くのである。これもまた老いるということだろうか。
いつもは大勢の民で溢れかえっている階段に人一人見当たらない。どうやら神綺様が人払いしたらしい。これはいよいよ苦労を掛けているぞと思う。きっと神綺様は私を親しい距離に置いて下さるのだろうが、どうしても私が下手に出てしまう。昔は一人の友人としていつも神綺様の側に居たのだが、今は一人の配下であり民である。
神殿の正面に来ると既に門が開いていることに気付いた。そして門の外まで自ら出てこられている神綺様に気付く。
神綺様は美しい少女の姿をしている。紅いローブを纏っておられ、その中にアクセントとして入れられた白が絶妙に神々しさ演出している。青の様な、銀の様な、不思議な燐光を帯びた髪の毛がそれを強調する。その柔和さを示す、しかして細められれば凶事に対する勇気を示す大きな瞳も見事である。これに禍々しさをも背負うことを示す六枚の黒い翼が加わるのが多くの者が目にする神綺様なのだが、いつも神綺様は私の前に姿を表される時は翼を広げぬ。やはり親しみを表しておられるらしい。
「キング」
神綺様は私をこう呼ぶ。どの国の王か、それはどうやら遊びという国の帝王を指すらしい。私は神綺様に創造されたその時からこの姿なので、それはもう永い間この呼び名で呼ばれている。
「これは神綺様、お手数を」
私としては王冠等被っている場合ではない。いつも私は神綺様にお目通りが許された時は王冠を地に置くことにしている。昔一度神綺様にお渡ししようとしたのだが、それは貴方の物と断られてしまった。
「そんなに畏まることはないといつも言っているのに」
神綺様は子供の様な笑顔を見せる。私の前では内に秘めた童心を隠そうとなさらない。それは私も好ましいことだと思う。
「既にお知りにかもしれませぬが――」
「うん、聞いてた。アリスの所に行くのでしょう?」
「ええ」
「そう。キングも幻想郷に行ってしまうのね」
何やら寂しそうな目をなさる。何かとんでもない語弊があったのではなかろうかと私は焦る。
「私はアリスの近状を探ってくるだけですぞ、神綺様。魔界を出ていくと言えども散歩程度のもので御座います」
「いや、キングもアリスと同じく幻想郷の方がいいと思って帰って来なくなってしまうのよ」
「そんなことはありませぬ。私は神綺様と永久に共におりますぞ」
「いえ、きっとそっちの方がいいのよ」
とても寂しいことを仰られる。
「何故ですか」
「キング、私と敢えて距離を置いてるでしょう。まるで貴女に私は必要ないって言うようにさ。それは多分、本当はここから出ていきたいという感情の裏返しなのよ。私もキングはもっと色々な世界に出ていくべきだと思うのよ」
私はむうと唸るしかなかった。予感はあったがやはり神綺様は私が側から退いたことで傷ついておられた。真正面からそれを示されると、流石に愚鈍な私でも己の愚かさに気付く。何とかして神綺様の御心を慰めねばならない。
「ならば、幻想郷の在り方を学び、その視点を持ってして魔界の良い所を今一度示してご覧にいれましょうぞ」
神綺様は憂いげに目を数度瞬かさせる。
「――そう、気を遣ってくれているのね」
寂しいことばかり言う。原因は私にある。ならば私がどうにかせねばならぬのだ。
「必ず。必ずですぞ」
錫杖を掲げて威勢を示した。神綺様は微笑んで下さった。
「そうだ、キング、中に入っていきなさい。昔話がしたいのよ」
神綺様は開いた門の中を手で示す。無論断る理由など無い。
「喜んで」
先導する神綺様に続いて私も神殿の中へと入った。
外観が立派なら調度品も立派なのが常である。神綺様の神殿の調度品も例に漏れず立派な物が揃っている。私は家財に興味が沸かぬ世捨て人なのでこれはこういう作りで、等ということは判らぬ。ただこの神殿の調度品に共通しているものは判る。どうやら調度品の色は神綺様の髪の色に合わせられているらしいのだ。あの銀とも青とも取れる不思議な燐光が調度品にも宿っているのである。部屋全体が朧げに発光しているようなこの景色は、魔界の中でも一二を争うほどに幻想的であろう。この意匠を再現する為には神綺様の御力が多大に必要になったと聞く。成る程この神殿は神綺様の住居にふさわしい気がする。しかし先程の通り、神綺様は少々御不満な様子である。
神綺様は私を他と比べればこじんまりとしたテーブルに誘った。見れば十数人は向かい合えるであろう長机もあるのだが、私と神綺様が座ったのは多くて四人が向かい合える程度のテーブルである。私は早速冠をテーブルに置いた。
「直ぐに夢子が紅茶を持ってくるわ」
神綺様がちらりと部屋の隅を見やった。まだそこには誰もいない。
夢子というのは神綺様のメイドである。赤いドレスの上に白いエプロンを羽織るその姿はどことなく神綺様に似る。だが夢子の髪は金色である。
「ねえ、キング」
神綺様は私へと視線を向け直した。
「なんで御座いましょう?」
「芸術って、一人の世界で閉じるべきだと思う?」
神綺様は私の顔に当たる部分をじっと見つめている。
「さて、それは幾年に渡って考えられている議題でしょうか」
「ええ」
「うむ――私にはよい答えは思いつきませぬな」
散歩ぐらいしか能がない非才の身である。神綺様の英知の役には立てそうにないのである。
「アリスは自立人形を作ろうとしてるってね」
話題は変わったのか、はたまた続いているのか、私にはその全貌は掴めない。
「そのようですな」
「自立って、一人で生きていくという意味だけじゃないわよね――」
神綺様は手と手を組みその上に顎を乗せ、目を細めて物憂げに虚空を見つめておられる。きっとあの虚空には私には及びもつかぬ深淵が広がっているのであろう。
「他にどのような意味を持つとお考えに?」
「世界を捨てることが出来る」
むう、と私は唸った。
漸く私にも議題の深刻さが染み込んできたのである。
神綺様は溜息を吐いた。
「別に元居た世界に戻れない、という意味ではないわ。ああ――この世界というのは土地だとか囲いだとかそういう意味だけの話じゃないの。キングなら一々言わなくても判ると思うんだけど、それは哲学だとか、記憶だとか、生い立ちだとか――兎に角自分を形作ってるモノね、そういうモノを一時的に切り捨てる能力がある。それが自立しているということではないかしら? 一瞬でも何かに頼らず、その瞬間にあるモノだけで危機を脱することが出来る。そういうことが出来れば自然と成長にも繋がっていくのよ。何が足りないかを考えることはそういうモノを客観視しないと出来ないから。一度全てから開放されなければ、その全てをより良くしていくことは出来ないのよ。そういうことを、最近考えているの」
例えば私がとある目的地まで散歩をしているとする。私はその散歩のルートで満足しているが、どうやら私の選んでいるルートは目的地へ行くのに時間が掛かるようである。それを指摘した人物がケラケラ笑っている。ここで私はその指摘を無視し黙々と今までの道を歩むか、はたまた今までのルートを捨て、指摘してきた人物にもっと早く目的地に辿り着くルートを教えてもらうという選択が出来る。指摘した人物というのが私自身でも可である。この時先の選択肢しか選べない者は自立しておらず、後の選択肢も選べる者が自立している者である。というのが神綺様のお話の筈である。
「うむ、確かに、今あるモノに頼りきっていては自立とは呼べますまい」
この解釈で合っているのかは判らぬが、何とか同意を示す。
「と、するとよ、キング」
「ふむ?」
「私は――いや、私達は、皆に多くを与えすぎたんじゃないかしら? 特に、世界を造るなんてことは、してはいけなかったんじゃないかしら――」
神綺様の視線は依然虚空へと向いている。そして、私にもその虚空が朧げだが見え始めているのであった。
成る程確かに、その罪ならば私も同罪足り得る故にである。
コツコツと足音が聞こえてきた。夢子がお茶を運んできたのである。彼女は洗練された所作でカップを並べると、同じ様に洗練された所作でお茶を入れる。それを終えると音も無く私達の側から立ち去ろうとする。
「夢子」
私に呼び止められて夢子は振り返った。その振り返る顔も完璧である。完成された所作だ。故に私は彼女を呼び止めなければならぬのである。
「済まぬが話を聞いていってくれ。きっと、夢子にも関係のある話だから」
そう言われて夢子は一瞬キョトンとしたが、直ぐに苦笑いを返した。
「別に理由が無くてもお話ぐらい出来ますわ。そんなに時間の作り方は下手じゃないですよ、キングダム様」
夢子は空いている椅子に腰掛けた。彼女の分のお茶がないので、トレイの上に乗せられていたティーポットを手に取る。しかしカップがないことに気付いた。すると神綺様がカップを創り出して下さった。光の玉が出現したと思えば、気が付けばそこにカップがあるという具合である。私はいそいそと茶を注ぐ。またお手数を掛けてしまった。
私は咳払いをした。口こそ私には存在しない。気の塞がりを取り除きたいのだ。
「やはり、私が幻想郷に赴くに至ったのは偶然ではありますまい」
神綺様は軽く頷いた。そうしてから苦笑いを見せる。
「そんなに深刻に考えなくてもいいんだけどね」
「いえ、きっとこれは私に課せられた使命の一つなので御座います。私は神綺様に、この王国の――魔界の原型として、造り出されたが故に」
名誉ある職務である。胸を張って宣言した。
そして遂に昔話へと移ることとなった。語り出しはどうやら私が担当することとなるらしい。これも栄誉あることだ。
「最古の頃は、私を形造る為に一枚一枚思考錯誤して札を造り出しておられましたなぁ、神綺様」
神綺様は目を瞑られた。昔の記憶に遊んでおられるのであろう。
「そうね。こんな人を造ろうかしらとか、こんな場所を造ったら楽しいんじゃないかしらって、色々考えたわ」
「しかし何故トランプとやらに似た形になったのでしたかな?」
「偶然よ。偶然。人の札とそれ以外の札を創っていったら、何故か後世に似た物が作られちゃったってだけ。まあ、突き詰めれば大体貴方みたいになるのかもね」
そう、詰まるところ、私は魔界の設計図なのである。それも世界も人をも含めた物である。私の持つ形に神綺様の御力が加われば、魔界は完成するのである。
「他の世界にある自然の延長のような物ばかり造り出されましたなぁ」
「えへへ――ほら、私って基本子供っぽいでしょう?」
「ふむ? そうでしたかな」
童心が覗ける程度で、人格者としては完全に完成していると私は思うのだが。
「うーんとね、色んな世界を旅してる内にさ、もっとこう出来るんじゃないかとか、こうなれば面白いなぁとか、色々考えてたのよ」
「うむ。素晴らしき思慮の研鑽ですな」
「そういう夢を描いてさ、所々自分好みに変えてやるーとか、この世界を一旦自分の物にしてやるーとか、そういうのならまだしも、じゃあ世界一個作っちゃおうなんて考えるのは、やっぱり子供の絵空事だと思うんだ」
「しかし成し遂げられた。童心を成就させる事程の偉業はありますまい」
「あははは――実はちょっと叱って欲しかったんだけどね」
そう、このお言葉にこの昔話が語られる所以が宿るのだ。
「やはり、同じ目線で語り合える者が必要でしたか」
「いや、もう少し後先考えて造っていくべきだったってだけ。私一人でも頭の中ではいくらでも客観視出来るから。でもそれをサボったのよ。だから今悩んでるの。私はね、夢中になって遊び過ぎたのよ。キングに罪はないわ。キングは優しいから、こういう時は背伸びしようとするだろうけど、今は玩具のフリをしてしれっと躱していいのよ。私は貴方で遊び過ぎた。つまり反省するのは私一人で十分なのよ」
神綺様は世界を造り出すという面では兎に角孤独だったのである。先人はいたかもしれない。だが神綺様の側には現れなかった。故に神綺様は一から全てを自分だけで考える立場におられたのである。その立場で神綺様は持てる力の全てを出し尽くされた。それだけのことであろう。
「造り出した後に問題を見つけても神綺様にはどうしようもないでしょう。未知の領域の全ては、流石の神綺様でも見渡せない筈ですから」
私は何とか返事を出した。だが、言ってから失言だった気付く。
「そうよね――どうしようもないのよ。キング、最近気付いたんだけどね、私何かを創り出す以外のことはそんなに上手くないのよ。いや、普通の人ってやつと比べたなら、まあ能力は高いんじゃないかしら。これでも神と呼ばれて自分でも違和感がないんだからね、謙遜はよくない。それは私が生み出した皆にも悪いから――」
神綺様は視線を落とした。今、神綺様の思慮は底無し沼の様な苦悩を漂っておられるのであろう。
「神綺様は精一杯囲いを造られた。しかしその囲いは余りにも強固で魅力的過ぎた。故に皆閉じ込められている。神綺様はその様にお考えなのですね」
私の言葉に神綺様は首を小刻みに何度も振って答える。いくら藻掻こうと底無し沼からは抜け出せぬようである。
「私はね――出来る限り何でも造ったわ。物だけでも人だけでもない、この世界の規則、自然の理念、天の運行、民の法、民の言語――何て言い表せば伝わりやすいか判らないけど、つまり、普通は見えない部分も造ったの。それがいけなかったのでしょう。皆私を見るだけで大抵のことは安心してしまうのよ。そうして私から離れないように発展を続ける。魔界は魔界として――私を中心に広がっていく」
見えない部分とは民には知覚が出来ぬ部分である。普通民は知恵を絞り見えぬ部分を何とか見える様にしていく。成形という面では、この見えない部分は世界の核を造り出した後に勝手に出来上がるべき部分である。偶然が偶然を呼び、また別の偶然へと連鎖する。より大きな駒を倒していくドミノ倒しのようなものである。普通は創造主は駒だけ作りドミノを倒す。どこまで倒れるかは創造主には判らぬ。
それが普通だというのは私の勝手な価値観である。現に神綺様は違ったのだ。神綺様は造り出せるだけ創り出していったのである。魔界とは、正に神綺様が創造なされた所から歴史が始まる世界なのである。
故に魔界の全てを神綺様は把握しておられる。故に魔界の民は神綺様に絶対の信頼を置く。そしてそれ故に、神綺様は魔界について苦悩し続けるのである。
「よく判りますぞ。して、それがよくないと」
「そう。はっきり言ってしまえば皆私と同格です。だからもっと自由に色々見て回るべきなのよ。魔界から離れるのも勿論自由」
「だが皆は閉じている」
「皆私に縛られている。ルイズみたいな子でも、まだまだね」
「しかし――魔界から離れろと強制するのも、また神綺様の御心の儘、ということになってしまいます」
愚問である。そんなことはもう何万遍も考えられたことだろう。神綺様は苦悶の顔をなさる。美しい顔が苦悩に歪む。
「でも、その選択もまた、皆の心からの選択なのよね」
「神綺様をお慕いする。魔界を愛す。それもまた自立から来るモノ故に」
そうだ、自立しているが故に皆魔界を愛しているのである。無論、神綺様への信仰心も自由な哲学から生み出されたモノである。愛しているが故に魔界だけに留まることに飽きている者も居なくはないのだ。例えばルイズ、そして、もう一人。
「神綺様、アリスが魔界を訪れた時のことでも語らいましょう」
「そうね」
「いやその前に、夢子、夢子の話も聞きたい」
私が彼女を呼び止めた意図が果たされつつあるか確認せねばならぬ。
夢子はじっと私達二人の話を聞いていた。やはり思うことがあるらしく、元々白い顔は更に白くなって苦悩を表し、凛々しい顔立ちは更に鋭さを増した熟考を表すものになっている。それもその筈、この議題によって一番苦悩する立場の魔界の民は間違いなく彼女なのである。
夢子は私が最初の民だとすると魔界二人目の民である。彼女は私という設計図から造り出された最初の民なのだ。つまり彼女もまた私と同じく魔界最古参の民であるから、ずっと神綺様に付き従ってきたということになる。そんな最古参の民の前で創造主が苦悩の内を吐露しているのである。夢子の受けた衝撃も並のものではあるまい。滅多に動揺を表に出さない彼女があの様子であることから容易に知れる。
特に彼女は、端的に言えば神綺様の敬虔な信奉者である。私等とは比べ物にならない。神綺様の思想を最上とし、片時も神綺様の側から離れることはないという程にその信仰心は真摯である。だが神綺様の御心は水のように流れ続けているので、その信奉者たる夢子の心も凍ってしまうことはない。
そんな彼女に信仰の是非が問われている。しかも創造主自身によってである。
「――そのことについては、私も考えたことがあります」
その言葉を吐いた時には夢子の顔は平静を取り戻していた。吹っ切れたということであろう。
「私は神綺様と共に。悲しい人形ですから」
続く夢子のこの言葉は、実は私には殆ど予想出来ていた。彼女は狂信者然とした自身の在り方を自嘲する時にいつも自分をこう例える。私がトランプなら彼女は人形遊びの人形だということか。そう自分を例えたいのは判らなくもない。しかしそういう立場は私の役割である気がする。
「そう」
神綺様は短い台詞でそれを受け入れた。
私は出来る限りの確認を終えたから、咳払いを一つして話を仕切り直そうとする。
「神綺様、夢子、アリスが魔界に来たのはいつぐらいのことでしたかな?」
二人は首を捻って考える。
「そうね、例の幻想郷からのお客様が来た時から、更に数年前だったかしら」
神綺様がそう仰る。やはりあの客人達の来訪は魔界の歴史において異彩を放っているから、記憶の目印としてはとても便利である。
そして、アリスが魔界に来た時のことも魔界の歴史においてはとても重要なことであるから、いつもはアリスとの出来事の方が記憶の目印となっている。
「まさかあのような幼子が魔界に侵入するとは思いませんでした」
私は懐古する。
「あの時には既にサラが門番として職務を果たしていたのですよね?」
という夢子の言葉通り、確かにあの時既にサラが門番をしていた。しかしそれでもアリスは魔界にやって来た。
「もしかしたらサラが敢えて門の中に入れたのかも」
と神綺様が苦笑いしながら仰る。その可能性は捨て切れないというのがこの疑惑に対する取り敢えずの結論である。結果は悪いことにはならず、サラはこの件に関して特にはお咎め無しである。これが全て計算通りなら彼女は相当の策士だ。
「サラはあれで頭が切れますからね。アリスは有益な旅人だと思ったのでは?」
どうやら夢子も同じことを考えていたらしい。
「アリスは面白い子でしたなぁ」
私は話をアリスとの思い出に移す。
「聡明な子だったからね。私でも気付かない様なことによく気付いて驚かされっぱなしだったわ」
神綺様の顔に笑顔が戻る。
「私はそれでヒヤヒヤしましたが」
夢子が悲しき人形ここに在りといった顔で言う。
「あら、別に私が言い負かされても夢子が言い負かされた訳じゃないわよ? そもそも私そんなに完璧な存在って訳じゃないしね」
神綺様は苦笑いする。
「いえ、私にもそのぐらいの分別はあります。しかし皆がアリスのことを生意気な奴だと思ったら少し問題なのではと」
夢子の言葉も尤もである。実際アリスは数人と喧嘩沙汰を起こしている。
「その問題に逃げ隠れもせず立ち向かったのがアリスではないか」
私はその時のことを思い出しながら言う。
「だから、ヒヤヒヤしたのです」
やはり尤もである。夢子は当時とても苦労したのだろう。
「しかしアリスのその生き様は、最期まで見事でしたな」
「最期からもよ、キング」
私の述懐を神綺様が直ぐ様訂正する。この最期というのが今のアリスに繋がるターニングポイントなのである。この一件が最近の魔界において一番大きな事件だったと言っても過言ではない。
今のアリスの種族は魔法使いである。私のよく知るアリスの種族は人間であった。つまりはどこかで種族が変わったということになる。そこで人間が魔法使いになる方法がある。社食の術という方法が有名であるが、アリスは別の方法で魔法使いになった。原初的な魔法使いへの転生の方法はまず一度死に、墓に埋まることである。そうしてから墓から蘇る。彼女はその方法で魔法使いへと転生した。ただその方法で魔法使いになった別の者とは更に別格なのが彼女である。魔法のメッカである魔界で生を終え、その上魔界の神の寵愛を受ける程に人間の頃から優秀だった彼女が、並の魔法使いに転生する筈はないのだ。
人間が魔法使いへと墓の中で転生する時は通常は墓への畏れを吸収し、それを魔力へと変えて自分の体を維持する。墓の中は人間には見えぬことばかりである。土を被った死体も勿論のことだが、そこにあるのは本当に死体なのか、まだ生きているのではないのかという畏れもある。人間は死後何処へ行くのか、場所が知れてもそこで何が起こるのか、という畏れも墓の中には集まる。
アリスは元々そういった物を集める必要がなかった。魔界にはいくらでも魔力がある。少し修行を積んだ程度の人間でも魔法使いに成れる程の環境である。アリスは言わずもがなである。素質を磨いていたアリスの墓は尋常ではない程の魔力の吸収に耐えた。これだけでも並ではないが、アリスは転生するにあたりもう一つ糧にした要素がある。
アリスは、魔界に揺蕩う霊魂達を吸収したのである。
死んだ者もそうだが、この霊魂には生霊等も含まれる。端的に言えばアリスは魔界という一個の世界の意識の断片を糧としたのだ。更に言えば魔界の意識の断片とは神綺様の意識の断片とも同義である。つまりアリスは神綺様にかなり近い意識を持つことに成功したのだ。少しだけ古い神綺様の記憶と同じ物を持つに至ったのだから。正に神綺様の下での修行の集大成である。
故に私達が知るアリスとは既に別人なのである。だが、確かに彼女はあのアリスでもある。
「全くそうですな。あの転生劇は見事でしたぞ」
私は神綺様に同意を示した。
「魔界に居ると長くないよって私が言った後にそれでもいいって即答したからね、あの子。きっとあれを見越してたんだろうなぁ。私よりよっぽど頭が良い気がするわ」
神綺様は口元を緩めて宙を眺める。
「いえ、まだ神綺様の御力を少しだけ手に入れただけに過ぎません。あの程度ではまだまだですわ」
夢子はアリスに厳しい意見を出す。これはアリスにより素晴らしい魔法使いになって欲しいが故の言葉である。夢子は他人に厳しいのだ。
「うむ、尚更アリスに会わねばならぬという気になってきましたぞ」
神綺様から多くを学び、敢えて魔界から出ていくことを選択した彼女は幻想郷でどんな見解を得たのだろうか。私はどうしてもそれを聞かねばならぬ。
「そうね。昔話らしい昔話はしていないような気がするけど、今日はここでお開きにしましょう」
神綺様がそう言って微笑む。そういえば昔話らしい昔話が出来ていない。
「次回、神綺様がお暇な時に呼んでいただければ。ああ、神綺様、一つ頼み事が御座います」
「何かしら」
「夢子を幻想郷に連れて行ってもよいですか?」
夢子が「えっ」と言いながら驚いた顔をする。だが意図は通じたようで直ぐに落ち着きを取り戻す。
夢子は魔界に永住するつもりだが、かといって魔界だけに閉じていい者だとは私は思わない。夢子自身も現在のアリスがどれ程研鑽を積んだか、どんな見識を得たか、ということには興味がある筈である。夢子の反応から見るにそれは当たっているようだった。
夢子は神綺様のメイドである。神綺様の御許しが出なければ休暇は取れぬ。
「勿論。夢子も偶には息抜きするべきよ」
神綺様は嬉しそうに微笑んで下さる。多少は私もお役に立てたのだろうか。
かくして幻想郷へと向かう手筈が整ったのである。
私は再び門の前にいる。今度は夢子も一緒である。無論門番であるサラもいる。
あの後神綺様がサラに連絡を取り私達二人分の荷造りをさせたという。私達二人が門に辿り着いた時には既に荷物が揃っていた。といっても長旅ではないから軽い荷物である。だが今度はサラの仕事を増やしたことが気に掛る。たった一人の思いつきを実行するだけでも多数の者に苦労がかかるものだ。
サラは満面の笑みで私達二人を出迎えた。
「やあやあ旅人お二人様。楽しい旅行をー」
と言ってサラは私に荷物を差し出す。
「旅行という程長旅にはならないと思うのだが」
「別に今から長旅の予定に変更しても構いませんよ。今日はお二人の大事な門出ですからね」
門出は文字の上では合っているが何やら意味が違う気がする。所謂門番ジョークというやつであろうか。
「夢子さんも遂に魔界の外に出られますか。幻想郷は良い所って聞きます、まあ多少物騒でもあるという話ですが、夢子さんなら心配いらないでしょう。はいどうぞ」
今度は夢子に荷物を差し出す。
「物騒ってどの程度?」
「まあ夢子さんなら問題にならない程度ですよ」
「キングダム様にもしものことがあると――」
「だってキングダム様も何だかんだいってお強いじゃないですか。大丈夫ですって」
夢子は黙って頷く。彼女はとても真面目なメイドである。
「そう言えば、随分特徴的な面々が集まったものだな」
不思議な縁もあったものである。魔界もまだまだ狭いと言ったところか。
「魔界の原型のキングダムさんに最初の住民の夢子さん、そして変わり種の私といったところですか?」
サラは瞬時に察して返答した。
改めて言うが門は私の同僚である。魔界が創られることになった時に、形式上は門も誕生した。つまりは門は私の双子の兄弟ということになる。私と違って門には動く体も考える頭も長い間存在しなかった。実はその体と頭を得た門がサラである。サラは門の化身であり、永い間魔界を見守ってきた門そのものである。だから敢えてあらゆる者に下手に出たり、ちょっと弱い振りをしてみたりするのは、どうやら彼女のお茶目のようである。新人だが古参中の古参でもあるのが彼女なのだ。
「うむ、して、サラ――いや、門よ」
「はいはい」
「私達の旅のことをどう考える」
神綺様は私が幻想郷に行くというだけで大いに動揺なされた。では魔界の囲いたる彼女はどう考えるか。それが私は気になった。
サラはそんなことは何でもないといった様子で
「まあ重鎮中の重鎮お二人が外出なさるんだから何も思うことはないっていうのはおかしい話なんですが、特に感慨はないですね。おお遂にか、って程度です」
「その程度なのか」
「ええ。門には自分は人が出入りする場所って以上の哲学はないので」
そう言って爽やかに笑う。どうやら魔界の中で人の出入りについて一番達観しているのは彼女のようだ。
「サラも旅をしてみぬか?」
誘いをかけてみる。
「おお、そうきますかぁ。良いですねぇ。折角体を貰ったんです、使わなきゃ損ですしね。幻想郷はいい所なんでしょう?」
あっさりと彼女は受け入れた。
「おお、では」
「ああー今回は遠慮しますよ。なんたってあの夢子様の休暇ですからね。厳重警戒です。門番の存在意義ここにあり、ですよ」
「むう。そうか」
確かに、魔界の中でも有数の戦闘能力を持つ夢子が魔界から離れるのである。門番であるサラはそれに対応するように魔界から離れようがなくなるだろう。
「また今度ということに」
「そうだな」
どうやら私は二度幻想郷に赴くことに決定したらしい。
話が一段落着くのを確認するとサラは門の周りで作業を始めた。この門をただ潜っても幻想郷には辿り着けない。門を幻想郷に繋げるにはサラの力が必要なのである。彼女曰く、魔界の存在を強く定義し、更にそれに幻想郷が隣接する状況を設定する必要があるという。専門的な技能はさっぱり判らぬし、サラが行なっている作業がそれぞれどんな意味を持つのかもさっぱり判らぬ。ただ、その所謂門を開ける作業はとても美しい。
その作業にはいつも門を照らしている篝火を使用する。儀式と言った方がいいのだろうか。サラが念のようなものを送ると篝火は自由自在に宙を舞い始める。細かい配置を計算しながら篝火を踊らせているらしいサラは、自身も踊るように門の前で飛び跳ねる。今日は幾分気分が良いらしく鼻歌を歌いながらの儀式である。そうして配置が一段落すると
「ちょっと待ってて下さいねー」
と言って門の方へと歩んでいく。サラが近づくと門は一人でに開く。そして開きつつある門の外へとサラの姿が消える。門はただただ建っているだけなのだから、この場合本当にサラの姿が消えているのである。そして少しだけ何も起こらない時間が流れる。突然門の向こう側が発光する。何かと思えばこちらの門の周りにある篝火と同じ物である。そしてサラの姿も現れる。門の扉の向こう側は既に我々がいる洞窟ではなく、幻想郷にある洞窟らしい。こうして魔界と幻想郷が繋がった。
篝火に照らされ逆光の中にいるサラは快活に笑っていた。上出来らしい。
門を潜って我々二人は幻想郷へと出ていく。門の側に残ったサラの
「では改めて、良い旅を!」
という言葉が私達を送った。
幻想郷の観光も良いが、アリスに会いに行くことが先決なので、私達は真っ直ぐアリスの住居を目指している。
サラはどうやら洞穴程度なら何処でも門を繋げられるらしい。私達は地中から幻想郷の空を拝んだ格好となった。私はてっきり例の四人が侵入した洞窟に繋がると思っていた。しかし実際は話に聞くアリスの屋敷に近い場所に繋がったようだ。私達が最初に出たのが魔法の森という場所であり、この森にアリスの屋敷があるという。後々サラに聞いた話だが、博麗の巫女に見つかると面倒だから最短ルートを使ったとのことである。この博麗の巫女というのは例の四人の内の一人である。
森の中だということで少々迷うことになるかと思ったが、アリスの屋敷は直ぐに見つかった。所謂西洋風の屋敷である。森の景観を損ねない程度の黒と白の色彩が好ましいと思った。そう言えば私の胴の部分にも白と黒が多く使われているから、この感情はそれに関連すると思われる。
アリスは訪れた客人は相当無礼な者ではない限り丁重に迎えるという。時間が経つ間に嫌われていたらその時はその時である。少々緊張しながら私と夢子は玄関の前に立った。そして扉を軽くノックする。
「――少し待ちなさい」
間違いなくアリスの声である。
ガチャリ、と音がして扉が開いた。
アリスは肌の白い少女である。髪は金色であり、瞳も金色だ。聞いた話だと瞳は時折青くなるらしい。原理は不明である。神綺様の様に自ら光を放っている訳ではないが、どことなく神々しい様に私には思える。私の私見は普通の者とは大いにズレている筈だが、共通した印象を抱いた者もいる筈である。着ている服を例えるべき語彙が私の中には存在しない。これは魔法使い全般に共通することであるが、彼らは独自の語彙や技術を持っていることが多いので、使用する道具は大抵他者には訳が判らない名前が付いている。だから私は敢えてアリスの服装に事細かに言及しない。ただ人形の様な立ち姿だと思う。青だったりピンクだったり赤だったりと、本人の金髪と合わせてカラフルな印象である。しかし計算され尽くした配色なのでしつこさはない。
アリスの大きな目は更に大きく見開かれていた。驚いているらしい。
「うむ、急なことで済まぬが、久方振りに会いたくなったのだ」
取り敢えず現状の説明をする。
「私が魔界の外に出ちゃ悪いかしら、アリス」
夢子も挨拶代わりと微笑みながら言う。
アリスは何度も目を瞬かせた。
「出迎える準備は――させて欲しかったなぁ。どうぞ、上がって」
アリスはそう言って苦笑いすると屋敷の中へ私達を迎え入れた。
一言で言えば瀟洒な室内である。無駄がない。普通の邸宅と違うのは専用の棚に整然と人形達が並べられているということぐらいか。
アリスは魔法使いの中でも人形遣いである。所謂家中の秘の魔術を使い多数の人形を同時にかつ精密に操ることが出来る。一般的な火炎や雷を生み出すタイプの魔法も使用するらしいが、どうやら今は滅多にやらないらしい。昔は主にそちらの方面の魔法を使っていたと私は記憶している。
四人掛けのテーブルを囲む。私の中でこの光景が神綺様と囲んだテーブルと何となく重なった。そうこうしているとアリスの人形達がお茶を運んでくる。数体掛かりである。この人形もアリスが操っているのだろうか。まさに器用という他ない。人形達はカップを並べたと思えば茶を注ぎ始めた。働き者のアリスの働き者の人形達といったところだろうか。ちなみにお茶は紅茶である。
「うん、で、今日は何の用でここまで?」
アリスが話を切り出した。ついでにカップを口に付けながら「上出来」と呟く。
私は口こそないが茶は飲める。魔導生物とでも言えば納得してくれる者も多いのだろうか。兎に角カップを握ればその中に注がれた液体を自分の体の中へ送れるのである。正直、自分にも原理は不明である。だが原理が判った所でどうということもあるまい。人型の生物も皆そんなものである筈である。その方法で私はアリスの人形が注いだ茶を楽しんでいる。
今日の要件をどう伝えればよいか、愚鈍な頭を働かせてみる。
「うむ、そう言われるとはっきりとは何だとは言えぬのだがな、今日はアリスに色々と話を聞かせて貰うために来たのだ」
どうにか捻り出した答がこれである。酷く漠然としている。
「色々ね」
そう言うとアリスは目を細めてどこか宙を見つめる。どうやら私達が聞きたい話を推測しているらしい。
「キングと夢子さんが二人で来るようなことだから、さては神綺様が魔界の在り方についてお悩みなのね。魔界の閉じた在り方に、かしら?」
アリスの推論は完全に当たっていた。私は思わず賞賛したくなる。ちなみにアリスも私のことはキングと呼ぶ。一度何故キングなのかと尋ねたら遊びの帝王という意味で使っていると答えた。神綺様と全く同じ理由である。その時のアリスはまだ人間だったのだが、どうやらその頃から神綺様と何処か通じた所があったらしい。
「うむ、流石はアリス。全くその通りだ」
「残念だけどキング、流石に咄嗟にそんな問題に回答出来ないわ。テーマが壮大すぎるもの。あの神綺様ですら悩んでるぐらいだしね」
「何、一言で全てを解決しろという訳ではないのだ。少しずつでいい。少しずつこの問題を解決へと前進させたいのだ」
アリスは小首を傾げる。
「あら、そのキングの気持ちだけでも十分解決していると思うけど」
「しかし実際に行動せねば」
「あははは――長いお話になりそうね。飛び切り永いお話」
笑う姿すら神綺様に重なるように思える。だがアリスはアリスであり神綺様は神綺様である。それだからこそ素晴らしいのである。アリスの研究している分野はどうやら神綺様の研究する分野と似ているらしいのだが、私は決定的に違うと考えている。
「その永い話に付き合ってもらえぬかな?」
「ええ、私を登場人物にしたいならどうぞご勝手に。私はキングには逆らえないし」
逆らわなければならない状況に追い込んだこともない筈である。
「ところでアリス」
夢子がアリスに問いかける。
「何でしょう?」
「神綺様とキングダム様は前もってこの問題について議論を交わしていたのだけど、その時に自立する民というのがテーマになっていたのよ」
アリスはまた目を細める。きっと神綺様が覗いた深淵と同じ場所を見ているに違いない。
「やっぱり気にしていらっしゃるのね。私もそれでずっと悩んでる」
アリスがこの自立の問題について悩むのは、彼女の魔法使い人形遣い双方の最大の課題が自立人形の制作だからである。アリスは幻想郷に移り住んでからこの自立人形の制作の為にずっとこの幻想郷で研究を続けているという。私達の比にならない程の私見を有していることは間違いがない。
果たして、幻想郷での研究は彼女にどのような見識を与えたのだろうか。
「というより神綺様が私の領分に踏み込んだのね。参ったなぁ、これで完璧な回答を出されたらぐうの音も出ないのだけど」
そう言いながらアリスは人形の並べられた戸棚から数体人形を取りだす。そうしてからテーブルの上、私達の目の前に並べる。
「二人共知っていると思うけど、これが私が研究している自立人形。勿論まだ完成してる訳じゃないし、そもそも私はこれが完成だっていう目標を定めている訳じゃないわ。そんなことをしても湧いてくる疑問とのいたちごっこだしね」
私は並べられた人形達をじっと眺める。並んだ人形は五体。造形に統一性はない。ただ全ての人形が少女の姿をしていることだけは共通している。
「皆個性的な服を着ているな」
私は率直な感想を述べる。
「そうね。色んな国の服装や文化を取り入れて造った人形達だから個性は豊かよ」
「色んな国か。幻想郷以外の国のことも参考にしているのだな」
「英吉利、仏蘭西、阿蘭陀、上海と――蓬莱。ああ、上海と蓬莱はこの中でもちょっと特殊」
「ふむ?」
「上海も他と同じく実在の国がモチーフなんだけど、その上海という国の中でも特殊な期間だけをイメージして造ったのよ。後は蓬莱。この子は実はこの国がモチーフ。日本ね。でも日本って実はどこからどこまでが日本だって言える境界が曖昧なのよ。だから私はこの子を完成させたという実感がないの。永遠の未完の子になると思う」
上海と蓬莱の二体には深い思い入れがあるらしく、アリスはその二体を優しく撫でていた。すると二体の人形は足をバタつかせてアリスの好意に応え始めた。成程自立人形である。あの人形には意志があるのだ。
「御免ね、もう少し付き合って頂戴。――そう? へえ、イメージ通りだった? それは良かったわ。楽しい人達よ。ああ待っててね、今魔力をあげるわ」
どうやらアリスは人形達と会話しているようだ。魔力をあげるとの言葉通り、アリスは何やら人形達に糸を繋ぐと、人形達一体一体に魔力を送り始めた。するとやにわに人形達が立ち上がり、独りでに踊りだしたのだった。
「魔力がなければ動けないのね」
夢子が呟くようにアリスに問いかける。
「まあね。判ると思うけど、神綺様のなされている事と私のしていることを比べられたら私困るのわ。神綺様がやっていることは壮大過ぎる。私なんか霞んでしまうわ」
私はアリスのプライドの高さを知っている。彼女は滅多なことでは謙遜したりはしない。それは自分の能力を正確に評価しているからであり、何事にも立ち向かう意志の強さがあるが故である。そんな彼女が自分が霞むとまで言うというのは、何も神綺様への謙遜の意だけではあるまい。どうやら彼女は神綺様が覗いた深淵を覗いた上でそれに続くことを辞退しているのである。アリスにこんなことを言われてしまうと私なんぞが神綺様の憂いを取り除こうというのは絶望的な気がしてくる。
夢子は首を振った。アリスの言葉を受けてであろう。
「別に貴女のやってることを馬鹿にする為に来たわけじゃないわ。改めて感心したのよ、私。神綺様とキングダム様のお話を聞いて改めて判ったの、やっぱり貴女は神綺様に一番近い魔法使いよ」
私も思わず「うむ」と唸った。
夢子がここまで人を評価することは稀である。夢子自身の能力が高い故に普段は軽い世辞程度で終わり、その世辞程度でも貰えようものならその人物は相当に高い能力を持つということになる。つまりアリスは間違いなく高い能力を持つ魔法使いなのであろう。私も何とか夢子の思考に追い付いたので、畏怖の念すら抱きつつ、アリスの人形達をしげしげと眺めた。
アリスは酷く驚いた顔をして、それだけではなく軽く仰け反っていた。本当にこういう夢子の言葉は珍しいのである。
「い――いや、ほら、神綺様は世界を自分で創造なされたじゃない。私は、まあ、このシリーズに限って言えば世界の模写ばかりしてるだけの――」
「その模写が大事なんじゃない? 神綺様は世界を造られた。それは探究心から来るものだったんでしょうね。今の神綺様のお嘆きから察するに、神綺様はどうやら今ある世界より更に面白い世界を目指されたのでしょう。私が思うに、アリスはその探究心を継いでいる筈よ。アリスの目指す自立人形というのは、既存の世界から解放された人形なんじゃないかしら? 違う? 神綺様は囲いを造ることでそれを目指したけど、貴女は内に造ることでそれを目指した」
アリスは深い溜め息を吐いた。椅子の背もたれに首を預けて体全体を弛緩させている。完璧な所作よりも夢子の言葉の衝撃を受けきることを選んだらしい。
「そう、ほぼ正解。流石は夢子さんね。矢っ張りぐうの音も出ない」
「確かに民と人形だと民を造る方が圧倒的に高尚に見えるわ。表面上ね。でも、きっとテーマがテーマだから、人形もまた回答を得る為には最適な形なのよね。アリス、貴女やろうと思えば人間も造り出せるんじゃないかしら?」
アリスは乾いた笑いを上げた。力なく椅子に預けられたアリスの体は増々人形の様に私の目に映る。目を移してみるとアリスの人形達もどこか力無く座り込んでいる。何故か先程蓬莱と呼ばれた人形は夢子に拍手を送っていた。若しかしたらこの人形はアリスの良き理解者の一人なのかもしれない。
「――そうね。魔力とやる気があれば出来るかもしれない。秘術にしておきたいから余り言い触らさないでね」
「アリス、貴女自分の中に色々溜め込む癖あるわよね」
「そりゃあ魔法使いになるぐらいだからね。正直研究テーマを言い当てられただけで卒倒ものなのよ。夢子さんが同じことやったら私の立場がないわ」
「まさか。今からやって貴女に並べる訳ないじゃない」
「いいえ。きっと私は受ける衝撃が多過ぎて集中出来なくなるわ。夢子さんは神綺様の最高傑作なのよ? いえ、それを抜きにしても夢子さんは夢子さん。私が何度夢子さんに心を折られかけたことか」
「私が何をやっても貴女は貴女よ、アリス」
「痛いこというなぁ。判ってはいるんだけどね、夢子さんにはいっつも考えさせられるから、私のキャパシティを超えそうになるのよ――」
アリスはまた深い溜め息を吐いた。ゆっくりとアリスの首が持ち上がって、アリスはまたきちんと姿勢を正す。
そのまま数分、沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのはアリスの
「そもそも世界という概念を考える時点で、出発点は既存のものなのよね」
という言葉だった。
「うむ、そうだな。神綺様が魔界造りに取り組んだ時点で、既に別の世界が存在していた。む――そもそも世界を造るということ自体が世界という概念に閉じているということか。世界という形でモノを造り出した時点でそれは世界の模倣以外の何物でもないと」
夢子と比べて思考の速度が遅い。醜態を晒しかけたがなんとか纏められた。
「そう、キングも流石ね。あー全く、よりによってよりによってな二人が押し掛けてきちゃったものね。そう、そうなのよ。世界を造る方法だと結局は既存のモノに影響され過ぎて前進が難しいのよね」
アリスは上海と呼ばれた人形を手に取った。どういう意図があるのかは判らない。
「だから、敢えて世界の無い意思を目指した。自立人形という形で」
夢子はそのアリスが上海人形を愛でる様子を真剣に見つめながら言う。夢子にはどういう意図でアリスが上海人形を掴み取ったのか判るのかもしれない。
「そう。お人形さんよ」
「人形という形にして自分が主人にならないと人形達がどんな境地に辿り着いたか判らないものね。あ、主人と主従じゃなくて、友達同士かしら?」
アリスは苦笑いする。秘している研究の中核に触れられ続けているからであろう。
「そんなところです。独りよがりなんです、私。そんなことをすればアリス、私という既存の世界に閉じてしまうだけなのにね」
「そうかしら? 貴女も人形と一緒に成長すれば解決するじゃない」
「うん、そうよ」
「何か見えてきたかしら?」
「何も見えないということはないわ。昔から目は良い方だと思っていたけど、今は視ることが出来る――ああ、意識に収めることの出来るモノがかなり増えたわ。何といえばいいかしら、同調出来る物? 少なくとも、確かに私は昔のアリスという存在よりは成長したんじゃないかしら」
「人格の学習か。視点の増加とでも言えばよいのか」
一人の体だけでは視えるモノに限界がある。目で例えるよりも耳の方が判り易いかもしれない。人にはここまでしか聞こえぬという音域が存在する。人間なんかは年を取ると超高音という奴が聞こえなくなってくるらしい。だから自分という世界は、悲しいことに年々狭まってしまう。アリスの技術はそれを年々増加させる方に反転させた、と解釈したのだが
「それは副産物。既存の世界を幾ら観察しても世界を吸収したこと以外にはならないの。うん、でもまあ、質のいい学習にはなるから、それも研究の成果よ」
とアリスに返されてしまった。
「うむ、すまん」
「いやいや――謝るようなことは全然ないわ。私自身が自分の言ってることに自信がないもの。本当に手探り」
「東洋の哲学に例えれば悟りというやつに近いのかしらね。無になること」
夢子が眉を顰めた熟考の表情で言う。
「そうかもしれない。私はあの分野に手を出したことがないから判らない。はあ――ごめんなさい、なんで自立というテーマでここまで複雑な研究になってしまったか自分でも判らないの。色々影響されて袋小路に迷い込んでるから」
「やはり神綺様の影響が強いのだな」
世界を造る、という偉業を成し遂げるような人物に師事しては複雑怪奇な魔境に足を踏み入れるのも仕方がない。
「そう。大きな原因はそれ。後、もう一人、幻想郷に厄介な奴がいるの」
「それは誰か」
「博麗霊夢。博麗神社の巫女さん。ほら、魔界でも暴れたことがある」
アリスは遂に額に手を当ててテーブルに突っ伏した。成る程、ここであの巫女が出てくる訳である。話には聞いたが、踏み込めば踏み込む程奇怪な人物らしい。この巫女が住む博麗神社という場所も不可思議で出来上がったような場所である。
「確か、あの巫女は自在に無になるという」
「そう。いつ頃からは判らないけど――いや、生まれつきなんでしょうね、あの巫女は何にも縛られてないのよ。その癖人間なの。アイツには自立という概念の神秘が眠ってるんでしょうね。アイツはその素質を生かそうとはしないけど。年がら年中お茶飲んで掃除してお茶飲んで掃除して、たまに異変解決して、そんな奴」
「この世の深淵に纏わる議論等はしないのか」
「いやいやまさか。アイツがそんな高等な話をする訳がない」
アリスと巫女は親しい間柄と聞いていた。私はこの二人の大人物が邂逅してどんな議論を繰り広げるのかと恐ろしい想像を抱いていたが、何のことはない、普通の少女らしい会話のようだ。
「もっと悟ったようなことを言う者だと思っておった」
「だと、良かったんだけどねぇ。あの素の儘で幻想郷を渡り歩いてるからね、アイツは。不思議な奴よ。アイツがアイツとして存在してるだけで私は困るのよ。研究の参考になるのは確かなんだけどね」
アリスはテーブルに突っ伏したまま溜息を吐く。これで計三度目である。博麗霊夢という人間も、どうやら聞いていた以上に凄まじい人間の様だ。存在しているだけでアリスを困らせるというのは一体どういう次元の存在なのだろうか。
アリスは満足のいくまでテーブルに突っ伏したらしく、おもむろに体を起こして椅子から立ち上がると
「このままだと永遠に話が終わらないわ。だからそろそろお開きにしましょう。ただね、今回の議論ではっきりしたことがあるわ。もっと研究が進んだら私は神綺様に会いに行かないといけないことが、ね。神綺様のお役に立てるかは判らないけれど」
と言った。その後アリスが号令を送ると、人形達は自分で棚に戻っていった。
「うーむ、自立というだけでここまで考え詰めなければならぬか。正直さっぱり判っていない」
私はそんな独り言の様な呟きをしてしまう。どうしても弱音を吐きたくなった。
「いえ、きっとキングはこんなことを議論しなくても理解しているのよ」
アリスがそんなことを言ったから、私は驚いて彼女の顔を凝視した。
「まさか、私がか?」
「キング、実は私が袋小路に陥った原因の一人は、貴方なのよ」
そう言われて私は棚に並んだ人形達を見た。彼らは国の模倣らしい。各民族の衣装を着て、恐らく各民族の思想を持っている。アリスは一つの国から民という要素を抽出して更に濃縮し、彼らに存在してもらうことで世界という概念より解き放たれた思考が発見出来るか観察を繰り返している、私はそういう風にアリスの研究を解釈している。ある種神綺様の成されたことと対極の位置にある。しかし私がいる。
「成る程確かに、神綺様が造り出されたモノの中では、私がアリスの研究に一番近いのかもしれぬな」
これもまた独り言である。これを呟いた時には、アリスはテーブルのある居間を離れ、どうやらキッチンの方へと消えていた。
キッチンの方からアリスの
「泊まっていきます? 別に問題はないですから」
という声が聞こえたから、私と夢子は顔を見合わせてその提案に甘えることにした。私達としても問題は無く、二人共もう少しアリスの側に居たかったからである。
かくして数刻が過ぎた。私は一人居間におり、あの議論を反芻してなんとか神綺様が喜ばれる意見を造り出そうと躍起になっていた。夜遅い刻限である。草木も眠る丑三つ時というやつらしい。私は普段は時間というモノを気にしないが、今は二人程このこの家の二階で眠っている筈なので、珍しく意識することになった。
日が落ちてしまうと地上から明かりは消える。月明かりでは流石に暗すぎる。魔界の月光の下なら私の目も効くのだが、困ったことに幻想郷の月明かりはどうやら私の目に優しくないらしい。どうしても暗かったのでランプを一つ頂戴させて貰った。蝋燭がテーブルの上で炯々と灯っている。
私はじっと考える。神綺様とアリス。この二人の共通点。創造主としての苦悩を。二人共自らの周りにモノを作り出し、モノと対話し、モノと共に苦悩している。目指す先は世界の果てという解釈でよいようだ。世界のない世界。否、そうなると違う。
「――困った。はて、二人の歩みを支えるには、どうすればよいのだ」
ポツリと独り言を呟いた。
そも、世界その物として生み出された私には難題であるような気がする。私は生きている内はずっと世界というモノである。魔界の原型であるからして、私はある意味魔界その物なのだ。それが世界から一度引いてココを見るとなると、まず自己の否定から入らなければならない。残念ながら、愚鈍な私にはそれは無謀な試み過ぎる。
「無理だ。二人の仲介者に徹しよう。いや、魔界の民全てを繋ぐ者だ。それが私である筈だ」
それが世界の役目であろう。しかし、この議題が進めば、どうやら私の存在意義は希薄になるようだ。しかし、今更命が惜しいという訳でもなかった。
「うむ、きっと私も死が近いのだろう。成る程私にも面白い死に様があるものだ」
民にしっかりと看取られながら死ぬ世界というのは、とても幸せな様な気がした。
突然、コトコトと物音が聞こえた。さては物取りでも入ったかと一瞬剣呑な気色になったが、どうやら物音は人形達の棚から聞こえたものだと判ったので、私は直ぐに安堵出来た。
宙をふよふよと飛ぶ影がある。どうやら上海と呼ばれた人形のようだ。
どうしたのか、と問いかようとした私の言葉の出だしを
「バカジャネーノ」
というカタコトの言葉が遮った。
私は一瞬思考を停止させたが、どうやら上海人形に死ぬという言葉を叱られたのだと思い当たった。
「うむ、そうだな――神綺様やアリスは私を亡き者にする為に思索を重ねている訳ではないのだろう。一度世界から離れ世界をより良いモノにする――」
「アリスハ、ヤサシイヨ」
上海人形は短いが、しかし私の長冗句よりも余程大事な言葉を私に送った。
「ふむ、それを忘れてはいけない。これは何とも失言だった。どうやら上海殿は私より余程優れた方だとお見受けする」
「ワタシハ、アナタホドアタマハヨクナイ」
「うむ、お褒めの言葉、有り難く頂戴する。しかし私は貴女の能力を認めている。是非ともその賢知に預かりたい」
「ムムム、コトバガムズカシクテ、ワカリズライヨ」
と言いつつ、上海人形はテーブルの上に降り立って、私の前に座った。
「ああこれは済まない。癖なのだ」
何とか正してみる。
「チガウ。コトバヅカイ、ジャナイ」
「うむ? では、何処が悪かったのだろうか」
「ナンデ、ワタシカラ、イロイロキクヒツヨウガアルノ? アナタハ、ワタシノチエヲアズカルヒツヨウガアルノ?」
「それは、今の私では、不足だからかな」
「アリスガ、アレダケヒョウカスルナンテ、ヨッポドノコト。ワタシハ、アナタハモウタリテルトオモウンダ」
「そう、なのだろうか?」
「キット、アトハ、アナタガジシンヲモテバ、イマハカイケツスルトオモウ」
「成る程、私がしっかり構えておればよかったのか?」
「キット、ソウ。ムズカシイモンダイジャナイハズ。ダカラ――だから、後は神綺様に元気な姿を見せればいいんじゃないかと、私は思うわ」
カタコトが途中から流暢な発音に変わり、私は驚いて軽く体を仰け反らせた。後ろに気配を感じたので振り向くと、アリスが立っていた。
「――そうか、魔力をしっかり供給されれば、こういう風に流暢に喋ることが出来るのだな?」
アリスはにこやかに笑いながら頷いた。
「正解。普段は私が持たないからそこまでの魔力はあげないんだけど、こんなに喋りたがってる上海は珍しいからね。今日の上海は年に一度あるかないかの特別公演よ」
「カタコトの方が人形っぽいでしょう? 私も嫌いじゃないから、普段はそんなに魔力をねだらないの」
上海人形の口調は先程までとは打って変わったものとなっている。視線を移して見ると、立ち振る舞いからもぎこちなさが消え去っており、人形というよりは小さくなった人間の様に見えた。
「邪魔して御免ね。私は寝るわ」
というアリスの言葉が後ろから聞こえた。
「うん。ありがとう、アリス。奮発し過ぎて体を壊したなんてのは勘弁だからね」
と、上海人形はアリスの言葉に答えた。それから直ぐに階段を上がっていく音が聞こえたから、どうやらまた私は上海人形と二人っきりになったようだった。
「他の人形達は、今はどうしているのかな?」
一応聞いてみた。
「多分寝てるわ。私は貴方とお話したかったからずっと起きてたの。そしたらそろそろ死ぬんだろうなぁとか言い出すじゃない、そんなことは言っちゃ駄目よ。全く、お爺ちゃんみたいなこと言うんだから」
どうやら彼女以外眠っているらしい。そして、一人だけ起きていた彼女の前で話そうと機会を伺っていて相手がそんなことを言いだしたら確かに困るであろう。
「うーむ、済まない」
「まあ、私なんかも頭が痛い議題だったからさ、考え込む質であろうキングさんはもっと困るとは思ってた」
「うむ、困っている」
「で、私に言えることはさっき言ったことぐらいなんだけど」
「私が自信満々で帰ればいいのか」
「うん。何故そう思ったかを詳しく説明するよ。アリスも神綺様もね、自分の中にないことで悩んでるんだよ。それは自分をいくら変えても解決しないよね? アリスは取り込んで乗り越えようとしてる。神綺様は――ちょっと判らない。世界を造るって私の頭には壮大過ぎるよ」
私も何とか考えてみる。
「何と言えばよいのだろうな。輪の周りに更に輪を造ろうとしている、と言えばよいのか」
「きっとそれで合ってるよ。うーん、そうなると、広がる筈だった輪が広がりきらずに止まっちゃったって感じかな。何だろう、ビックバンとかいうのを思い出したよ」
「うむ。宇宙創造時のエネルギー膨張だな。それはとても近い筈だ」
「私にも理解出来たかな? 流石はキングさんだね!」
「いや、今私は君に助けられて気付けた程度だった気がするが」
「そんなんじゃ駄目でしょう? もっと自信もっていかないと駄目な存在がキングさんなんだよ。何故なら、二人が頭を悩ませている存在に一番近いのがキングさんな筈だから」
「ほう」
確かに、それには私も何となくだが気付いている。
「アリスが超えようとしているモノ、神綺様が造ろうとしているモノ、どちらにも近いのがキングさん。となると、よ」
「うむ」
「二人はキングさんが大丈夫って言えば、凄く安心出来る筈なのよ」
「そうなのか?」
「きっとよ! キングさんは二人の事を遥か高みにいる存在、とでも考えているんでしょう。でもそこが一番間違えちゃいけないところで、そこをキングさんは間違えているの」
「――二人は、私の方を高みにいる存在と考えている、ということなのか?」
「そうよ! そうに違いないの! で、そうするとキングさんには重要な役目が回ってくるの!」
「それは何だ?」
「神よ」
とんでもない単語が飛び出して、私は思わず呆然とした。
「創造主の為の神よ。ほら、信仰って心の安定を求める故にあるじゃない。キングさんはね、えーと、そう! トランプで例えればジョーカーなのよ!」
「ジョーカー、道化か」
「そう、唯一どんな高い数字をも圧倒できる可能性があるカード」
「そこには――」
神綺様やアリスが入る、という解釈では間違っているのだ。
「それがキングさんなの。五十二枚の内の異端の札。だからこそゲームを円滑に回すことが出来る切り札さん。だから、二人はキングさんが大丈夫だって言えば、それはもう安心出来るのよ」
「うーむ、それは私が賢くなくても出来るのか?」
「とっても賢いらしい神綺様でも、迷うことがあるらしいじゃない。だったら、迷いに迷うキングさんでも出来るわ」
「――成る程、確かに、そうであろうな」
「でしょう?」
私は一度、世界から意識を閉じた。出来る限りの感覚を遮断して、ぐっと私の深くへと潜った。自分自身が世界の様なものなので、こういった世界との情報流通を調整するのは得意である。そして確かに、今一度神綺様の友として側に立たねばならぬという結論に達し、同時にアリスの不安も解消する、画期的な方法を思いつけたのである。
「所詮袋小路からは救い出せぬが――良い方法を思いついた」
「おお!」
上海人形が手を叩いて賞賛してくれた。
「つまり、アリスの功績を讃えつつ、私が神綺様の友と今一度宣言出来る程の自信を取り戻せばよいのだろう?」
「どうやるの?」
「ここに来てなんなのだが、アリスの手を借りる。それも、アリスの全力をだ」
「へえ?」
私は、またアリスが起きだして来ていてもその耳に届かないように、上海人形に思いついたことを耳打ちすることにした。
伝え終わると上海人形は満面の笑みを浮かべながら
「成る程ね! アリスならきっと出来るよ! そんな大事業をキングさんに頼まれたとなると、確かにアリスの自信にも繋がるね!」
と賛同してくれた。
「うむ――私としても、こういう役をやれて嬉しいものだ」
私は感慨深さここに極まって、ぼうと宙を眺めた。
結局随分と長旅になってしまった。実に六泊七日の滞在である。
魔界に帰ってきた私達を最初に門で出迎えたサラは、どうやら私の姿を見て全てを察したらしく
「これまた素敵なおめかしですねぇ」
と言って微笑むばかりであった。
この反応を見る限り、やはり彼女は私など想像も付かぬほどの切れ者なのだ。
「サラよ」
「別に思い描いた通りの結果って訳じゃあありません。寧ろ私の思っていた以上の結果です。私はアリスを説得して魔界で幻想郷の人形劇でもやらせるのかなぁと思ってましたが、はは、成る程、確かにそれはいい。そういえばキングダムさんにはまだ可能でしたか。これは一本取られたぁ」
そう言って、サラはからからと笑うのであった。
「サラも私と同じ立場ならやったか?」
「そりゃあキングダムって存在ならやってたでしょう。ですけどキングダムさん、門ってのはやっぱり境界線なんですよ。誰が為のって言ったらそりゃあ、我らが世界の為でしょう。我らが民の為、我らというモノの為」
「世界の為、か。では、世界は自由でいいのか?」
「当たり前でしょう。外界からの出入りが始まった時点でね、キングダムさんの外出は決まっていたようなものなんです。だから神綺様も焦った。二度とキングダムさんが戻って来ないんじゃないか、とね。神綺様はそれもまた道理とキングダムさんにはやんわりとしか言ってないのでしょうが、やっぱり、キングダムさんにはキングダムさんとしてずっと側にいて欲しい筈に違いないのです」
「――うむ、やっと私にも、そこまで視えた気がする」
「ははは、優しい世界もあったものです。普通はもっと放任主義ですよ。さて、王国は創造主が為にですか、良い旅でしたね。早く神綺様に顔を見せてあげて下さい」
「うむ」
私の推論である。元々神綺様は民のことで悩んでいたのではなく、私のことで悩んでいたのである。自分で作った世界が自分という概念で閉じてしまうのは簡単に予測が出来ることらしい。確かにそれも神綺様の大いなる悩みの一つなのであろう。それを私に話して気を逸らしたようなのだ。私に民が為の王国であるという自負をなんとか抱かせ、民の自立を勝ち取る為の策を練らせようとしたのだ。成る程、民が自立すれば魔界という世界は、つまり私は魔界に必要ない。それならば、どうやら私は自由の身になれるようだ。どこに行こうとも問題はなくなる。
その気を逸らす為の話にアリスも引っ掛かってしまった、と思われた。しかし、今思えば上海人形に魔力を送りに来たのはタイミングが良すぎると言わざる負えないのだ。私が思うに、アリスも途中までは騙されていたのではないだろうか。だが薄々勘付いた、というのが正解な気がする。
そして上海人形が全てを引っくり返した。全体の総まとめをしたのはサラだが、きっと上海人形にも今回の件の全貌が視えていたのだろう。本人は否定するだろうか、しかし今回の件の中核を突いたのは確かである。
人の心は見えぬ。これらはただの推論に過ぎない。自信がないのでサラにこれまでの経歴とこの推論を打ち明けたところ
「これこそズバリ、なんて回答ある訳ないじゃないですか。そもそもこれは論理も何もない感情のお話です。論理の世界で回答を出せって言われてたらとっくに諦めてたんじゃないですか? ――そうですよねぇ。で、です、つまり最終的に相手に効けばいいんですよ。病に対する薬に似たようなものです。あれだってよく判らないモノにギリギリまで考えた分量の薬を投与してるだけでしょう? キングダムさんは既に十分調合という責務を果たしている訳です。つまり、何の問題もありません」
という意見を返してもらえて、私は幾分安心した。
「済まぬ、芯の無い言葉ばかり吐いてしまって」
私の言葉にも、サラは爽やかに笑ってみせた。
「なあに、世界というものは元々漠然としているものです。自分で形が作れなくて不安ならいくらでも他人を頼ればいいんです。私なんかは門であり城壁でありという、世界を形造るのにピッタリな人種ですから、私で良ければいくらでも頼るといいですよ。ちゃあんと私の職務内です」
サラの言葉は私をいつも安心させてくれる。今回も大分世話になってしまった。全く頭が上がらぬ。
「ところで――キングダムさん?」
俯きかけた私をサラの言葉が現実に引き戻す。
「何かな?」
「私、ちょっとお節介を焼きまして」
「お節介?」
「話を聞いてもらっていたんですよ、神綺様にね」
驚いた私は思わず辺りを見回した。今、私の目に写っているのはサラと夢子ぐらいである。神綺様は何処にも見当たらない。別の所でお聞きになっているのか。
「いますよ。よく考えてみてください、死角があるでしょう?」
サラが悪戯っぽくニヤニヤ笑いながら言う。
「むむ――夢子、何処におられるか判るか」
言われて夢子も辺りを見回す。そして夢子の視線が私達が通ってきた門で止まる。
「もしかして、門の裏かしら?」
「正解ですー」
そう言ってサラが指を鳴らすと、門の内側から幻想郷の景色が消えた。代わりに、何やら恥ずかしげな神綺様のお姿が表れた。俯きつつ、上目遣いでこちらを見られている。羽も広げていない。
「聞いて、おられましたか?」
私は神綺様に問うてみる。話が耳に入ったかだけではない、私の回答が神綺様の心に届くものだったかをである。
「キング――御免なさい」
神綺様はいきなり頭を下げられた。
「そのようなことをなさることは――」
「いいじゃない、友達なんだから。頭ぐらい下げさせてよ」
そうであったと改めて思う。神綺様は私に対等でいて欲しいのであった。
「成る程――では、私の方でも言葉遣いを改めねばならないか」
「そうそう。昔みたいにね」
私はきっと照れくさそうに笑っている。
「で、どうかな? 私の解答は」
「ええ、凄くいいわ。アリスも更に腕を上げたのね。キングにピッタリの形だと思うわ。凄く可愛い」
神綺様は――神綺は、今の私の姿を褒めてくれた。同時にアリスの腕も賞賛されたということなので、私は尚の事嬉しくなる。
今の私はアリスの作った人形の中にいる。正確には、宿っている、だろうか。
私はあの後、アリスに魔界という形を元に人形を作ってもらえないかと依頼したのだ。アリスは一も二もなく承知してくれた。時間が掛かるのではないかと心配したのだが、アリスは「キングを目の前にして何も浮かばない訳がないじゃない」と言って直ぐに工房に篭った。完成までに要した時間は何とたったの三日である。アリス曰く夢子の手伝いがあってこそだったとのことだが。後の三日は私が人形の体に慣れることに費やされた。
今の私の体の素体は女性の物である。元々どちらかと言えば男性として生きていた私であるが、アリスの人形には少女型の物が多かったので敢えて少女型にしてくれと頼み込んだのである。アリスも少々戸惑ったが、神綺様の隣に今一度友人として立つのだと打ち明けたところ、真剣な顔で頷いてくれた。因みに、私は今の自分の姿について何の情報も持っていない。アリス曰く、これは服装や造形は魔力と人形の内にある魂によっていくらでも変わる人形だから、私は必要以上に複雑な服を作ったり無駄な細工はしない、とのことであり、その上私はこの人形に入ってから鏡を見ていないからである。あれからどれ位変化が生じたのだろうか。気になるところである。しかし、私にはまだ自分の姿を確認することが出来ない理由があるのだ。
「可愛いか。私はまだ今の自分自身を見ていないが」
神綺はニコニコと微笑みながら頷いてくれる。そして直ぐに困惑した表情になる。
「何で見ていないの? 鏡を見るだけなのに」
「如何やら私の感情の起伏一つで姿が変わるらしい。だったら私の姿が完璧な物となるには、一つ達成しなければならないことがある」
「何?」
「神綺の笑顔を見ることだ」
神綺はまた一瞬戸惑った顔をしたが、直ぐに満面の笑みを見せてくれた。
「これでいい?」
「うん、最高だ」
私も自然と笑顔になった。良い顔で笑えていると幸いである。
そうして神綺と見つめ合っていると、サラがニュっと私達二人の間に首を伸ばしてくる。夢子も同じように首を伸ばしてくる。
「折角だし神殿の鏡を使ったらどうです?」
サラはそう言ってにやりと笑う。
「先に行ってよく磨いておきましょうか?」
夢子も微笑みながらそれに続く。
私は頭を掻いた。手に触れる髪の毛の感触も何だか小っ恥ずかしい様な気がする。
「えーと、そうだな、折角だから頼もうか」
「じゃあ私も先に行ってるよ。心の準備が要るだろうしね」
神綺もどうやら夢子に続くらしい。
こうして夢子と神綺の二人は楽しそうな後ろ姿を見せながら、門の洞窟の出口へと向かっていった。
後に残ったのはサラと私の二人である。
「色々世話になってしまった」
という私の言葉に
「なあに、私達の仲でしょう? 気にしない気にしない」
とサラが答える。
私の側でサラは首を回す。ゴキゴキと首は鳴る。矢張り私達の旅の途中はかなりの激務であったようだ。神綺を門の後ろに隠れさせる作戦等から推測するに、どうやら私達の旅のセッティングを行きから帰りまで考え抜いてくれていたらしい。何度も思ってしまうが頭が上がらない。
「――で、どうでした? 神綺様ドッキリ」
サラが唐突に言うものだから私は瞬きするぐらいしかなかった。
「幻想郷への門を潜れば神綺様の心の門も潜っているー、ってね。門番ジョークですよ。門番ジョーク」
「ああ済まん。成程な、なんと洒落ている」
幻想郷から帰ってくると神綺様の心の門も潜ったことに気付くという仕組みだったらしい。矢張り全てサラの予定通りだったのではなかろうか。
「いいんですよぉ。こういうのは気付かれない方が面白かったりするんです。何というのかな、解説の美?」
「なあサラ」
「なんです?」
「私も、神綺の私に対して言ったように、サラとそういう友達でいたい」
サラはじっと私の顔を見つめてから、大袈裟に肩を窄めて答える。
「あらそう? で、早く行かないと二人共待ちくたびれちゃうよ?」
「うむ。判っている」
親指を突き立てて頑張れというサインを送るサラに見送られながら、私は門の洞窟から出て行った。
王国は創造主の友である。その答えを手にして登る神殿の階段は存外短く感じて、私は何だか不思議に思った。
物語は動きはじめと言ったところでしょうか
私のイメージしていた魔界に近く楽しめました
次回作お待ちしています
登場人物が全て理性的で静かな物語は好きです.
次の作も楽しみです.
中々に哲学的テーマですね。答えはきっとひとつじゃない。
×移さざる負えなくなった ○移さざるを得なくなった
×社食の術 ○捨虫の術?
今更指摘してもあれだと思いますが。