オリキャラ一人称注意。
――――――――景色が反転する。
星空が正面に、暗い地面が背後に、手足が秋の夜の澄んだ空気の中へ放り出される。
昔から木登りは得意だった。
何か嫌な事があったり、物思いにふける時は、いつだって木の上でだ。
人里離れた雑木林の中で家出四日目だったため、疲れが溜まっていたこともある。
しかし、これは慣れ親しんだ故の油断だろう。
わたしは人里生まれの人里育ち純度100%人間だけど、猿も木から落ちるとはこういう事を言うのだと思う。
そんなわけで、腰掛けていた木の太い枝から、頭から真っ逆様に地面に叩きつけられ、いい感じで頭蓋骨が陥没したわたしは、見事に死んだ。
いやホント人間死ぬときは呆気ないなと思う。
わたしの頭蓋骨が陥没してから三回目の星空。
この身は未だ誰にも発見されず、野晒し状態。
幸い、野犬や妖怪とかの大型生物との遭遇はまだだけど、虫なんかは栄養を得ようともう集り始めている状況だ。
虫除けのお呪いってなかったかしらと思考をめぐらせていると、ガラリガラリと車輪を回す音が聞こえてきた。
音の迫り方から考えて、真っ直ぐにこちらに向かっているとわかる。
つまり、人間が荷台か何かを引いて、こちらに来ているということだ。
おお、これぞ所謂天の助け。
まさか、死体を見つけてそのまま放置という事は無いだろう。どこらかしかに連絡が行く筈だ。
これで間近に迫った虫地獄の危機から抜け出せると思うと、胸が高鳴る、心ときめく。
まあ、心臓は止まってるけど。
あまりの嬉しさに、思わず般若心経(最近人里でよく聞く)を激しいリズムで唱えていると――――
「おやおや、お姉さん随分と元気な死体だねえ」
と、なんだか人好きのするような声が聞こえてきた。
何ぞやと、声がした方に意識を向ける。
――――――――猫だ。猫耳だ。派手な洋装に身を包んだ猫の妖怪だ。
「人間の死臭がすると思って来てみたら、まさか自分でお経唱える死体と出くわすとはねえ」
そう言うと、猫妖怪は押してきた猫車を傍らに置き、わたしのすぐ側に座り込んだ。
どうやら、しばらくここに居座るつもりらしい。居座るなら居座るで虫除けの香とか焚いてくれないかな。
それにしても、わたしも猫車を押す猫の妖怪に出会えるとは思ってもみなかった。狙ってやっているのだろうか。
「別に、そういうわけじゃあないよ。死体を運ぶのに便利ってだけ」
なるほどなるほど。猫が便利さを追求した結果として、猫の名を冠する道具に突き当たるとは…………猫車とはかくも真理の体現者であったか。
「よくわかんないけど、多分違うと思うよ」
…………あれ? これ、ひょっとして会話成立してる?
わたし死んでるよね? 会話とか無理だよね? ひょっとして、わたしが死んだのって気のせいだったり?
「会話成立してるし、死んでるのは気のせいじゃないよ、お姉さん」
――――ただ、あたいが死体と喋れるだけさ、とその妖怪は少し自慢げに言った。
そういえば、何かの本で読んだことがあった。
『火車』
葬式になると現れて、死体を奪っていくという。
親しい人を失った悲しみに追い討ちをかける嫌な妖怪。
死体と怨霊の扱いの専門家としての側面も持つとされている。
死体との相互理解を吉とするその妖怪を、その本では――――火焔猫 燐という名で紹介されていた筈だ。
ふむ、つまりわたしの体が目当てで、それを奪いに来たと。
「うん、そうだけど、その言い方はいやらしいねえ。お姉さんはいやらしい人だ」
なんと、なんかえろそうな猫妖怪にえろい事を言われた。
死体に向かっていやらしいと欲情するとは……流石は妖怪火車。
死体なんて気味が悪いとしか思えないわたしにとって、理解の埒外だ。
「って、あたいも別に死体に欲情してるわけじゃあ――――――いや、凄いねお姉さん」
心から感心したといった風に、息をつく猫妖怪。
何? どゆこと? 感心するところとか全く無かったと思うけど。
「お姉さん、自分が死体だって完全にわかってるでしょ? 普通、死体に向かって死体だと言っても受け入れてもらえないどころか、その発言がなかったことみたいにされるのさ」
結果、明日のない身にも関わらず、明日の予定とかを嬉々として話してくるらしい。
そういった様を、面白げに見聞きしているというのだから、この猫妖怪、結構いい性格をしている。
「幽霊になってるってわけじゃないみたいだけど……いや、何にしてもここまで自意識がしっかりしてるのは珍しい、才能あるよ」
才能ねえ。
ん、幽霊になってないってことは、今のこの状態ってどういうことなの?
「ほっとけば、自然消滅するかなあ。少なくても、肉体が消滅すれば消えるだろうね、意識」
と、そこで猫妖怪は立ち上がり、わたしの体を抱きかかえ、猫車に乗せた。
「さ、あたいに見付かったのが運の尽き。今から地底までの死体旅行。ゆっくり会話を楽しみながら行こうか、お姉さん」
あ、やっぱり攫われるのね、わたし。
ん~、別に地底まで連れて行かれるのはいいんだけど、ちょっとお願いがあったりして。
「なんだい? きっとこれも何かの縁。聞ける事なら聞いてあげるよ」
そういって得意げな顔で胸を張り、どんと叩く猫妖怪。
すぐに、ごほごほと咽ていたのはご愛嬌だろう。
星が瞬く空から段々と星が消え白ずむ空の下。
わたしの言うお願いに、火焔猫 燐は人好きのする笑顔で快諾してくれた。
あ、この猫妖怪、実は結構いい妖怪かも。
「まずは、ここで良かったんだね」
うんうん、ありがとう、おリンさん。
はい、猫車に揺られて数十分、着きました、我が家。
正確には、我が家を取り囲む草薮の中。
わたしが格納されている猫車も隠れる程の高さの草が鬱蒼としているため、隠れて家の中の様子を伺うにはもってこいだ。
こういう時、日本家屋の開放感は異常だと思う。隠れ見し放題。
ああ、死ぬまでに一度西洋式の家に住んでみたかったなあ。
「しかし無用心だね。まだ夜明け前だっていうのに、鎧戸が開いてるよ」
おリンさんの指摘はごもっとも。
しかし、我が家ではわたししか上手く鎧戸を閉められないのだ。
コツを掴んだら一発なんだけどねえ。父さんの不器用な手じゃそれは無理だ。
「おや、お母さんはいないのかい?」
うん、気が付いたら居なくなってた。四年くらい前だったかな。
それ以来二人きりで暮らしてまいりました。
「…………そうかい。いや、悪かったね」
いえいえ気にしないで~。
…………さて、わたしが居なくなって一週間。
我が父君は、どのように過ごされているかな?
「………………あの、お姉さん。えと、凄く言い難いんだがね」
お? どうしたの、おリンさん。顔真っ赤にして。もじもじしちゃってなんか可愛い。
「猫って、耳が良くてね。お姉さんには聞こえてないかもしれないけど、その」
――――――――ああ、そういうこと。
所謂、男と女の情事ってやつだ。
なんだ、ちゃんとやることやってんじゃん。
「え~と、こんな時なんて言ったらいいか……」
まあ、一人娘が一週間も家に帰らずにいるっていうのに、女といちゃいちゃしてる父親ってのは、一般的に見てどうなのかって話だけどさ。
ウチはこれでいいっていうか。むしろ安心したというか。
――――――――うん、ちゃんと後釜見つけられていたんだね。
「…………話、聞いていいかい?」
まあ、簡単な話だよ。
ウチの父親は強い人間じゃなくて、伴侶に見捨てられたって事実を認められなかったんだよね。
そんで決まって明け方になると、母さんが隣にいない事に絶望するらしくてさ。
それを慰めるのが、わたしの役割だったんだ。
父さん、元々人間不信なところがあってね。上手く他人と付き合えなかったっぽいし。
そうこうする内に、次第に精神的にも肉体的にもわたしに依存するようになっていったってわけ。
「……………………業の深い話だねえ」
まあね。それが大体三年くらい続いたかなあ。
でも最近になって、仕事場で気になる人が出来たらしくてさ。
時々、三人で食事とか一緒にしてたんだ。
相手もいい人みたいでね。
発破かける意味で家出して、父さんと距離を取りたかったんだよね。
まあ、自分の予想を遥かに超えて距離を取る事になっちゃったけど。
正直少しは寂しいけどさ。
ちゃんと後釜見つけられたんなら、まあ、それでいいかなって。
だから――――――――ありがとね、おリンさん。
…………ちょっとやめてよ。そんな顔しないでよ。
妖怪の癖に、ちょっと人が良すぎだよ。
夜が明けて、日が昇った後。
朝特有の日差しと匂いを掻き分けて、人里の寺子屋まで。
人通りの少ない道程を進んでいたみたいで、途中人に出くわすことはあまり無く、出くわした人も堂々としたおリンさんの顔を見ると、露骨に道を譲ったり避けたりしていた。
そのおかげで、わたしの存在が露見しないで済んでいるわけだけど、もうちょっと関心持った方がいいんじゃない?
これじゃ、ホント死体を持って行かれたって文句言えないってばよ。
「さ、次の目的地に着いたよ、お姉さん。通っていたって言うんなら知ってるとは思うけど、ここは人里の守護者さんが居る所でね」
知ってる知ってる。心配しなくても長居をするつもりは無いよん。
お、気配からして授業はまだ始まってないみたいだね。
ん~、おリンさん。部屋の中見える? 窓側の一番後ろの席、どんなんなってる?
「……ああ、見えた。別段、どうというわけもないけど……あれがお姉さんの席かい?」
まあね、そういうこと。
しかし、もう居なくなって一週間経ってるのに、葬花が飾られてないのか~。
人里で一週間も行方知らずだったら、普通妖怪に食われて死んだって判断するだろうに。
やっぱり先生、その辺甘いのかな。
いつまでも、わたしの帰りを待つ気なんだろうか。それは、ゾッとしない話だ。
「単純に邪魔になるからじゃないかい?」
まあ、ヒドイ。おリンさんのイジワル。
―――――ん、おリンさん、ちょっと裏手の方に回ってくれない?
「ああ、聞こえたかい? なんかお姉さんのことで言い争ってるみたいだけど」
ちょっと気になるね。行ってみよう行ってみよう。
「あの……………お姉さんの周りって盛ってる人しかいないのかい?」
皆まで言うな。哀しくなるから。
寺子屋の生徒の男と女が二人、わたしのことで言い争いをしていたと思ったら、次の瞬間には濃厚な接吻をしていた。
なんなの、ほんとなんなの?
つーか、男の方って常日頃わたしに色目使いまくってた坊ちゃんじゃん。
ははあ、大方わたしが居なくなって傷心の彼に、これ幸いと体を使って擦り寄りましたってとこか。
そういや、そっち関係でなんか同年代の女の子達に色々と小言を言われたなあ。
調子に乗ってんじゃないとか、目障りだとか、邪魔なんだとか。
寺子屋には、年端も行かぬ子供も居るんだから、その辺自重して欲しいよね。
「その歳でなんともドロドロした環境に居たもんだねえ、お姉さん」
それほどでもない。
でもまあ、なんかすっきりしたよ。
わたしが死んでも、全て世は事もなし。
その事が確認できたってだけでも、お願いした事に間違いはなかった。
「……そうだ、お姉さん、色々ドロドロしたものを見ちゃったから、ここで綺麗なものでも見に行かないかい?」
ほう、綺麗なものとな。それは良いですなあ。でもどこへ?
「なら、決まりだ。良いもの見せてあげるよ」
そう言うと、おリンさんは猫車に手をかけたまま空中へ飛び出した。
おお、飛んでる飛んでる。人里が絶景かな絶景かな。
つか、妖怪の猫車って飛ぶんだ。
――――――――ああ、これは悪くない。
朝日に照らされる人里。
紅葉して、燃えるような色の妖怪の山。
薄く霧がかった湖。
遠目からでも、その異界っぷりがありありとわかる暗く闇に沈んだ魔法の森。
その他にも多くの場所で、それぞれ綺麗な色彩を放っている。
これが、幻想郷。
うん、人里からほとんど出なかったのは、わたしの人生最大の失敗だったね、こりゃ。
空中から幻想郷を一望した後、わたしはおリンさんに連れられて、旧地獄までやってきた。
今、わたしの目の前にあるのは、間欠泉地下センター溶鉱炉。
今からここに、わたしがくべられる。燃料にされる。
この旅の終着点で、わたしの終焉地。
「さて、じゃあお姉さん、覚悟決めようか」
は~い、もう思い残すことも無いしね。
ああ、そうだ。最後に、一つ聞きたいんだけど、いいかな?
「? もちろんだよ、何でもどうぞ」
怨霊ってさ――――アレ、やっぱり強い未練を残して死んだ人間が成るものなの?
「――――――うん、まあ、そうだね。そういった理解で問題ないよ」
はは、なんで少し声が硬くなるのさ。
――――――悪いけど、わたし、おリンさんの希望には応えられないよ。
「…………へえ、あたいの希望ってなんだい?」
そりゃもちろん、自分の使役する怨霊を増やす事でしょ。
元より、火車ってそういう妖怪じゃん。
決して、ノリや優しさだけでわたしのお願いを聞いたわけじゃあない。
少しでも未練を増やすように、わたしのお願いを聞いてくれたんでしょ?
人間って、一度希望が叶うと、さらに求めるもんだからね。
特に、わたしのお願いって、叶えたなら、この世に後ろ髪を引かれるようなお願いの筈だったしね。
それが未練になると、おリンさんは判断した。
わたしがおリンさんにお願いしたのは、要するに、ちょっとした寄り道だ。
自分が死んだ後、残された人達がどうなっているのか、それが知りたかった。
知って、この世にさっさと見切りを付けたかったのだ。
言ってみれば、あれはちょっとした一人旅。この世からの卒業旅行だったのだ。
最後に、愉快な猫妖怪との遊覧飛行というおまけが付いたのは、まあ運が良かった。
この世の見納めとしては、上等な経験だ。
――――――――――未練はない。
そう、わたしが怨霊になんかなるような未練は、もうないのだ。
父親には身も心も縛られ、わたしの周りには囀るしか能のない喧しい有象無象。
憎むことがどれだけ虚しいことか知ってるし、もういっそ哀れとしか映らない。
せっかく、この世から消えてなくなれるというのに、怨霊として留まれだなんて、そんなのは残酷過ぎる。
「さて、ね。あたいからは何とも言えないかな」
そう言うと、おリンさんは猫車を溶鉱炉の方へ傾けた。
同時に、溶鉱炉の扉が開き、ズズズとわたしの体がうねる火焔の中へとすべり落ちる。
凄いね、こりゃ、すぐに消えてなくなれそうだ。
ああ、でもね、おリンさん。
わたし――――おリンさんの事は好きだ――――。
色々な物か――――わたし――――出してくれたあなた――――ホントに好――――。
半日――――――――死体旅行――――最高――――。
「――――――――ねえ、お姉さんは一つ勘違いを――――」
――――――――ああ、もう何も聞こえない――――――――。
唐突に目が開く。
目の前には、おリンさんがいた。
はああああああああああああああああ???????
「久しぶりだね、お姉さん、大体五十日ぶりくらいかな」
いやっ! 久しぶりじゃなくてっ! ええっ?!
わたし、死んだよね?! 今度こそ掛け無しに! 体も消えてさ! 肉体が消滅したら意識消えるって言ったよね?!
「要するにね、お姉さん、ひとつ勘違いしてたんだよ」
え、な、何を?
「あたいに連れて行かれた時点で、輪廻からは外れる。だからお姉さんは、そのまま肉体と一緒に朽ちるか、怨霊化するかしか選択肢は無かったんだよ」
そして、怨霊化には才能が必要で、それを十分に持っていたわたしは、何をしても怨霊化が決定していたらしい。
いくら未練を清算したところで、もう関係なかったのだ。
「いや、先に言っとけば良かったね。まさか、あたいもお姉さんがあんな事考えてたなんて知らなくてさ」
テヘっと、笑う猫妖怪。
うあああああああああああ、恥ずかしすぎる! なんだそれなんだそれ!
「いやあ、まさかお姉さんがあたいの事そんな風に想ってくれてたなんて」
うがああああああああああああああああ、コロセコロセココロセ!
「ささ、というわけで怨霊デビューおめでとうお姉さん。あたいも喜ばしいよ。とりあえず今日は記念日だ。何したい?」
ゴウンゴウンとうねる溶鉱炉を後ろに、色々考える。
まあ、なってしまったものは仕方ない。
おリンさんも居る事だし、しょうがないので、第二の人生(?)を楽しむ事とする。
そういえば、五十日ぶりだとおリンさんは言った。
なら、今は冬真っ盛りのはずだ。きっと雪も降り、空から見下ろせば、それはそれは綺麗なことだろう。
ああ、やりたいことは決まっていた。
肉体は滅んで、わたしを縛る物は何もなくなったのだ。
それなら――――――――
「うん、なんだい、お姉さん」
――――――――旅行したい、かな。
――――――――景色が反転する。
星空が正面に、暗い地面が背後に、手足が秋の夜の澄んだ空気の中へ放り出される。
昔から木登りは得意だった。
何か嫌な事があったり、物思いにふける時は、いつだって木の上でだ。
人里離れた雑木林の中で家出四日目だったため、疲れが溜まっていたこともある。
しかし、これは慣れ親しんだ故の油断だろう。
わたしは人里生まれの人里育ち純度100%人間だけど、猿も木から落ちるとはこういう事を言うのだと思う。
そんなわけで、腰掛けていた木の太い枝から、頭から真っ逆様に地面に叩きつけられ、いい感じで頭蓋骨が陥没したわたしは、見事に死んだ。
いやホント人間死ぬときは呆気ないなと思う。
わたしの頭蓋骨が陥没してから三回目の星空。
この身は未だ誰にも発見されず、野晒し状態。
幸い、野犬や妖怪とかの大型生物との遭遇はまだだけど、虫なんかは栄養を得ようともう集り始めている状況だ。
虫除けのお呪いってなかったかしらと思考をめぐらせていると、ガラリガラリと車輪を回す音が聞こえてきた。
音の迫り方から考えて、真っ直ぐにこちらに向かっているとわかる。
つまり、人間が荷台か何かを引いて、こちらに来ているということだ。
おお、これぞ所謂天の助け。
まさか、死体を見つけてそのまま放置という事は無いだろう。どこらかしかに連絡が行く筈だ。
これで間近に迫った虫地獄の危機から抜け出せると思うと、胸が高鳴る、心ときめく。
まあ、心臓は止まってるけど。
あまりの嬉しさに、思わず般若心経(最近人里でよく聞く)を激しいリズムで唱えていると――――
「おやおや、お姉さん随分と元気な死体だねえ」
と、なんだか人好きのするような声が聞こえてきた。
何ぞやと、声がした方に意識を向ける。
――――――――猫だ。猫耳だ。派手な洋装に身を包んだ猫の妖怪だ。
「人間の死臭がすると思って来てみたら、まさか自分でお経唱える死体と出くわすとはねえ」
そう言うと、猫妖怪は押してきた猫車を傍らに置き、わたしのすぐ側に座り込んだ。
どうやら、しばらくここに居座るつもりらしい。居座るなら居座るで虫除けの香とか焚いてくれないかな。
それにしても、わたしも猫車を押す猫の妖怪に出会えるとは思ってもみなかった。狙ってやっているのだろうか。
「別に、そういうわけじゃあないよ。死体を運ぶのに便利ってだけ」
なるほどなるほど。猫が便利さを追求した結果として、猫の名を冠する道具に突き当たるとは…………猫車とはかくも真理の体現者であったか。
「よくわかんないけど、多分違うと思うよ」
…………あれ? これ、ひょっとして会話成立してる?
わたし死んでるよね? 会話とか無理だよね? ひょっとして、わたしが死んだのって気のせいだったり?
「会話成立してるし、死んでるのは気のせいじゃないよ、お姉さん」
――――ただ、あたいが死体と喋れるだけさ、とその妖怪は少し自慢げに言った。
そういえば、何かの本で読んだことがあった。
『火車』
葬式になると現れて、死体を奪っていくという。
親しい人を失った悲しみに追い討ちをかける嫌な妖怪。
死体と怨霊の扱いの専門家としての側面も持つとされている。
死体との相互理解を吉とするその妖怪を、その本では――――火焔猫 燐という名で紹介されていた筈だ。
ふむ、つまりわたしの体が目当てで、それを奪いに来たと。
「うん、そうだけど、その言い方はいやらしいねえ。お姉さんはいやらしい人だ」
なんと、なんかえろそうな猫妖怪にえろい事を言われた。
死体に向かっていやらしいと欲情するとは……流石は妖怪火車。
死体なんて気味が悪いとしか思えないわたしにとって、理解の埒外だ。
「って、あたいも別に死体に欲情してるわけじゃあ――――――いや、凄いねお姉さん」
心から感心したといった風に、息をつく猫妖怪。
何? どゆこと? 感心するところとか全く無かったと思うけど。
「お姉さん、自分が死体だって完全にわかってるでしょ? 普通、死体に向かって死体だと言っても受け入れてもらえないどころか、その発言がなかったことみたいにされるのさ」
結果、明日のない身にも関わらず、明日の予定とかを嬉々として話してくるらしい。
そういった様を、面白げに見聞きしているというのだから、この猫妖怪、結構いい性格をしている。
「幽霊になってるってわけじゃないみたいだけど……いや、何にしてもここまで自意識がしっかりしてるのは珍しい、才能あるよ」
才能ねえ。
ん、幽霊になってないってことは、今のこの状態ってどういうことなの?
「ほっとけば、自然消滅するかなあ。少なくても、肉体が消滅すれば消えるだろうね、意識」
と、そこで猫妖怪は立ち上がり、わたしの体を抱きかかえ、猫車に乗せた。
「さ、あたいに見付かったのが運の尽き。今から地底までの死体旅行。ゆっくり会話を楽しみながら行こうか、お姉さん」
あ、やっぱり攫われるのね、わたし。
ん~、別に地底まで連れて行かれるのはいいんだけど、ちょっとお願いがあったりして。
「なんだい? きっとこれも何かの縁。聞ける事なら聞いてあげるよ」
そういって得意げな顔で胸を張り、どんと叩く猫妖怪。
すぐに、ごほごほと咽ていたのはご愛嬌だろう。
星が瞬く空から段々と星が消え白ずむ空の下。
わたしの言うお願いに、火焔猫 燐は人好きのする笑顔で快諾してくれた。
あ、この猫妖怪、実は結構いい妖怪かも。
「まずは、ここで良かったんだね」
うんうん、ありがとう、おリンさん。
はい、猫車に揺られて数十分、着きました、我が家。
正確には、我が家を取り囲む草薮の中。
わたしが格納されている猫車も隠れる程の高さの草が鬱蒼としているため、隠れて家の中の様子を伺うにはもってこいだ。
こういう時、日本家屋の開放感は異常だと思う。隠れ見し放題。
ああ、死ぬまでに一度西洋式の家に住んでみたかったなあ。
「しかし無用心だね。まだ夜明け前だっていうのに、鎧戸が開いてるよ」
おリンさんの指摘はごもっとも。
しかし、我が家ではわたししか上手く鎧戸を閉められないのだ。
コツを掴んだら一発なんだけどねえ。父さんの不器用な手じゃそれは無理だ。
「おや、お母さんはいないのかい?」
うん、気が付いたら居なくなってた。四年くらい前だったかな。
それ以来二人きりで暮らしてまいりました。
「…………そうかい。いや、悪かったね」
いえいえ気にしないで~。
…………さて、わたしが居なくなって一週間。
我が父君は、どのように過ごされているかな?
「………………あの、お姉さん。えと、凄く言い難いんだがね」
お? どうしたの、おリンさん。顔真っ赤にして。もじもじしちゃってなんか可愛い。
「猫って、耳が良くてね。お姉さんには聞こえてないかもしれないけど、その」
――――――――ああ、そういうこと。
所謂、男と女の情事ってやつだ。
なんだ、ちゃんとやることやってんじゃん。
「え~と、こんな時なんて言ったらいいか……」
まあ、一人娘が一週間も家に帰らずにいるっていうのに、女といちゃいちゃしてる父親ってのは、一般的に見てどうなのかって話だけどさ。
ウチはこれでいいっていうか。むしろ安心したというか。
――――――――うん、ちゃんと後釜見つけられていたんだね。
「…………話、聞いていいかい?」
まあ、簡単な話だよ。
ウチの父親は強い人間じゃなくて、伴侶に見捨てられたって事実を認められなかったんだよね。
そんで決まって明け方になると、母さんが隣にいない事に絶望するらしくてさ。
それを慰めるのが、わたしの役割だったんだ。
父さん、元々人間不信なところがあってね。上手く他人と付き合えなかったっぽいし。
そうこうする内に、次第に精神的にも肉体的にもわたしに依存するようになっていったってわけ。
「……………………業の深い話だねえ」
まあね。それが大体三年くらい続いたかなあ。
でも最近になって、仕事場で気になる人が出来たらしくてさ。
時々、三人で食事とか一緒にしてたんだ。
相手もいい人みたいでね。
発破かける意味で家出して、父さんと距離を取りたかったんだよね。
まあ、自分の予想を遥かに超えて距離を取る事になっちゃったけど。
正直少しは寂しいけどさ。
ちゃんと後釜見つけられたんなら、まあ、それでいいかなって。
だから――――――――ありがとね、おリンさん。
…………ちょっとやめてよ。そんな顔しないでよ。
妖怪の癖に、ちょっと人が良すぎだよ。
夜が明けて、日が昇った後。
朝特有の日差しと匂いを掻き分けて、人里の寺子屋まで。
人通りの少ない道程を進んでいたみたいで、途中人に出くわすことはあまり無く、出くわした人も堂々としたおリンさんの顔を見ると、露骨に道を譲ったり避けたりしていた。
そのおかげで、わたしの存在が露見しないで済んでいるわけだけど、もうちょっと関心持った方がいいんじゃない?
これじゃ、ホント死体を持って行かれたって文句言えないってばよ。
「さ、次の目的地に着いたよ、お姉さん。通っていたって言うんなら知ってるとは思うけど、ここは人里の守護者さんが居る所でね」
知ってる知ってる。心配しなくても長居をするつもりは無いよん。
お、気配からして授業はまだ始まってないみたいだね。
ん~、おリンさん。部屋の中見える? 窓側の一番後ろの席、どんなんなってる?
「……ああ、見えた。別段、どうというわけもないけど……あれがお姉さんの席かい?」
まあね、そういうこと。
しかし、もう居なくなって一週間経ってるのに、葬花が飾られてないのか~。
人里で一週間も行方知らずだったら、普通妖怪に食われて死んだって判断するだろうに。
やっぱり先生、その辺甘いのかな。
いつまでも、わたしの帰りを待つ気なんだろうか。それは、ゾッとしない話だ。
「単純に邪魔になるからじゃないかい?」
まあ、ヒドイ。おリンさんのイジワル。
―――――ん、おリンさん、ちょっと裏手の方に回ってくれない?
「ああ、聞こえたかい? なんかお姉さんのことで言い争ってるみたいだけど」
ちょっと気になるね。行ってみよう行ってみよう。
「あの……………お姉さんの周りって盛ってる人しかいないのかい?」
皆まで言うな。哀しくなるから。
寺子屋の生徒の男と女が二人、わたしのことで言い争いをしていたと思ったら、次の瞬間には濃厚な接吻をしていた。
なんなの、ほんとなんなの?
つーか、男の方って常日頃わたしに色目使いまくってた坊ちゃんじゃん。
ははあ、大方わたしが居なくなって傷心の彼に、これ幸いと体を使って擦り寄りましたってとこか。
そういや、そっち関係でなんか同年代の女の子達に色々と小言を言われたなあ。
調子に乗ってんじゃないとか、目障りだとか、邪魔なんだとか。
寺子屋には、年端も行かぬ子供も居るんだから、その辺自重して欲しいよね。
「その歳でなんともドロドロした環境に居たもんだねえ、お姉さん」
それほどでもない。
でもまあ、なんかすっきりしたよ。
わたしが死んでも、全て世は事もなし。
その事が確認できたってだけでも、お願いした事に間違いはなかった。
「……そうだ、お姉さん、色々ドロドロしたものを見ちゃったから、ここで綺麗なものでも見に行かないかい?」
ほう、綺麗なものとな。それは良いですなあ。でもどこへ?
「なら、決まりだ。良いもの見せてあげるよ」
そう言うと、おリンさんは猫車に手をかけたまま空中へ飛び出した。
おお、飛んでる飛んでる。人里が絶景かな絶景かな。
つか、妖怪の猫車って飛ぶんだ。
――――――――ああ、これは悪くない。
朝日に照らされる人里。
紅葉して、燃えるような色の妖怪の山。
薄く霧がかった湖。
遠目からでも、その異界っぷりがありありとわかる暗く闇に沈んだ魔法の森。
その他にも多くの場所で、それぞれ綺麗な色彩を放っている。
これが、幻想郷。
うん、人里からほとんど出なかったのは、わたしの人生最大の失敗だったね、こりゃ。
空中から幻想郷を一望した後、わたしはおリンさんに連れられて、旧地獄までやってきた。
今、わたしの目の前にあるのは、間欠泉地下センター溶鉱炉。
今からここに、わたしがくべられる。燃料にされる。
この旅の終着点で、わたしの終焉地。
「さて、じゃあお姉さん、覚悟決めようか」
は~い、もう思い残すことも無いしね。
ああ、そうだ。最後に、一つ聞きたいんだけど、いいかな?
「? もちろんだよ、何でもどうぞ」
怨霊ってさ――――アレ、やっぱり強い未練を残して死んだ人間が成るものなの?
「――――――うん、まあ、そうだね。そういった理解で問題ないよ」
はは、なんで少し声が硬くなるのさ。
――――――悪いけど、わたし、おリンさんの希望には応えられないよ。
「…………へえ、あたいの希望ってなんだい?」
そりゃもちろん、自分の使役する怨霊を増やす事でしょ。
元より、火車ってそういう妖怪じゃん。
決して、ノリや優しさだけでわたしのお願いを聞いたわけじゃあない。
少しでも未練を増やすように、わたしのお願いを聞いてくれたんでしょ?
人間って、一度希望が叶うと、さらに求めるもんだからね。
特に、わたしのお願いって、叶えたなら、この世に後ろ髪を引かれるようなお願いの筈だったしね。
それが未練になると、おリンさんは判断した。
わたしがおリンさんにお願いしたのは、要するに、ちょっとした寄り道だ。
自分が死んだ後、残された人達がどうなっているのか、それが知りたかった。
知って、この世にさっさと見切りを付けたかったのだ。
言ってみれば、あれはちょっとした一人旅。この世からの卒業旅行だったのだ。
最後に、愉快な猫妖怪との遊覧飛行というおまけが付いたのは、まあ運が良かった。
この世の見納めとしては、上等な経験だ。
――――――――――未練はない。
そう、わたしが怨霊になんかなるような未練は、もうないのだ。
父親には身も心も縛られ、わたしの周りには囀るしか能のない喧しい有象無象。
憎むことがどれだけ虚しいことか知ってるし、もういっそ哀れとしか映らない。
せっかく、この世から消えてなくなれるというのに、怨霊として留まれだなんて、そんなのは残酷過ぎる。
「さて、ね。あたいからは何とも言えないかな」
そう言うと、おリンさんは猫車を溶鉱炉の方へ傾けた。
同時に、溶鉱炉の扉が開き、ズズズとわたしの体がうねる火焔の中へとすべり落ちる。
凄いね、こりゃ、すぐに消えてなくなれそうだ。
ああ、でもね、おリンさん。
わたし――――おリンさんの事は好きだ――――。
色々な物か――――わたし――――出してくれたあなた――――ホントに好――――。
半日――――――――死体旅行――――最高――――。
「――――――――ねえ、お姉さんは一つ勘違いを――――」
――――――――ああ、もう何も聞こえない――――――――。
唐突に目が開く。
目の前には、おリンさんがいた。
はああああああああああああああああ???????
「久しぶりだね、お姉さん、大体五十日ぶりくらいかな」
いやっ! 久しぶりじゃなくてっ! ええっ?!
わたし、死んだよね?! 今度こそ掛け無しに! 体も消えてさ! 肉体が消滅したら意識消えるって言ったよね?!
「要するにね、お姉さん、ひとつ勘違いしてたんだよ」
え、な、何を?
「あたいに連れて行かれた時点で、輪廻からは外れる。だからお姉さんは、そのまま肉体と一緒に朽ちるか、怨霊化するかしか選択肢は無かったんだよ」
そして、怨霊化には才能が必要で、それを十分に持っていたわたしは、何をしても怨霊化が決定していたらしい。
いくら未練を清算したところで、もう関係なかったのだ。
「いや、先に言っとけば良かったね。まさか、あたいもお姉さんがあんな事考えてたなんて知らなくてさ」
テヘっと、笑う猫妖怪。
うあああああああああああ、恥ずかしすぎる! なんだそれなんだそれ!
「いやあ、まさかお姉さんがあたいの事そんな風に想ってくれてたなんて」
うがああああああああああああああああ、コロセコロセココロセ!
「ささ、というわけで怨霊デビューおめでとうお姉さん。あたいも喜ばしいよ。とりあえず今日は記念日だ。何したい?」
ゴウンゴウンとうねる溶鉱炉を後ろに、色々考える。
まあ、なってしまったものは仕方ない。
おリンさんも居る事だし、しょうがないので、第二の人生(?)を楽しむ事とする。
そういえば、五十日ぶりだとおリンさんは言った。
なら、今は冬真っ盛りのはずだ。きっと雪も降り、空から見下ろせば、それはそれは綺麗なことだろう。
ああ、やりたいことは決まっていた。
肉体は滅んで、わたしを縛る物は何もなくなったのだ。
それなら――――――――
「うん、なんだい、お姉さん」
――――――――旅行したい、かな。
極めて斬新な切り口の物語を読みやすくテンポ良くわかりやすく唄いあげていて、何より名無しの人間関係のそれらしさ、リアリティが素晴らしいです。
オリキャラの口調が読みやすくてよかったよ
オリキャラも不快なものでなく、よく馴染んでいたと思います。
よい物語をありがとうございました。
死は悲しい出来事のはずなのに、その性格のおかげで不思議とさわやかな作品になってるんだよね。良かったです。
怨霊にもこういうエピソードがあると想像すると楽しいですね。
ほほう……
とまあそれは兎も角として、面白かったです。
オリキャラもいい味出してますね。