緑と一言でいってもその色合いは様々だ。
黄色がかった緑、そこからさらに色素の薄いもの、はたまた光沢を放つ凛々しい濃い緑。
多種多様の緑によって形成されたアーチの中を私達は歩いていた。
「ねぇ夢月~この坂いつまで続くのよ」
傾斜のきつい坂に姉さんが堪らず伸びきった声をあげた。
たまには空を飛ばずに歩いてみようと提案したのはちょっと失敗だったかもしれない。
「そう大してないよ姉さん。あと少しくらいじゃないかな」
幻月と夢月、二人で一人前の夢幻の悪魔姉妹はとある世界、それも度のきいた辺境の地にいた。
豊かな自然に囲まれているといえば聞こえはいいが、ただひたすら緑に染め上げられた様子は知識が人類を今にも喰らいそうな程度には進んでいるはずのこの世界とは思えぬ有様であった。
「ん……なにか見えてきた」
姉さんより先に坂を登りきった私が目にしたのは、細かな装飾が彫られた木造の門だった。
「やっと着いた……けどこれは一体なんなの? 随分と古そうだけど」
「そんなの私に聞かれても。そもそも山の上に何かあるって言ったの姉さんだし」
「微弱だけど変な力場みたいなのを感じただけよ」
他になにもなさそうだったし、とぼやきつつ辺りを見渡す姉さん。
暇潰しに外の世界に出てみたはいいけれど、少し外れを引いてしまったかもしれない。
とはいえ元々特に理由もない暇潰し、私も姉さんも倣って辺りを軽く散策し始める。
門には大きく『仁王門』と掲げられており、厳つい顔をした像が両端にありその間を通って門を潜る。
石畳の一本道以外は砂利が敷き詰めれ、その向こうにまた門があった。
異世界独特の文化を感じつつさらに進んだ先、石の階段の脇に看板を見つけた私は姉さんを呼んだ。
「姉さん、どうやらここは『寺』っていう建物みたいよ」
「『寺』ということはこの辺は仏教が広まっているのね。なるほど納得納得」
一人頷く姉さんは私の知らない知識を沢山持っている。
その後、姉さんは東洋と西洋の宗教による文化の違いについて私に語ってくれたが、正直ピンと来なかった。姉さんは知識人だが説明が下手だ。
「『神社』と『寺』の違いは簡単に言えば神を祭っているのか、仏を祭っているのかの差よ。実在した人間を神格化して神として祭って神社としてる所もあるけどね」
人間のくせ神を名乗るとか生意気よね、と付け足す姉さん。
姉さんの話を聞きながら階段を登ると、大きな建物……といってもそれは今までと比べればの話で私達の住んでる館の半分にも満たない程度の大きさの建物が現れた。
「これが本堂ね、この奥に仏を模した仏像っていうのが祭ってあるのよ」
本堂には天井からぶら下がっている大きな鍋の蓋のようなモノと、子供くらいなら入れそうな大きさの箱があった。仏像は木製の格子を挟んだ奥のほうの鎮座されている。
「この箱が賽銭箱って奴で、ここにお金を入れてこの鰐口っていう鈴と鐘の中間みたいな奴をガラガラ鳴らして願いをこめる。っていうのが手順よ」
「願いって、そんなの叶える力ないでしょこんなのに」
私の人外の眼には願いを叶えるだなんて大層な力が宿っているようには見えない。
「そりゃそうなんだけど、人間っていうのはなにかに願いでもしないとなんも出来ないような貧弱な生き物なのよ」
何か保険を、何か裏付けを、何か依代を、何でもいいから縋れるものがなければ満足に生きてくことすら出来ない哀れな生物……人間。
滑稽だけどそこがまた人間の面白い所なのよ、と語った姉さんの隣で私は鰐口をガラガラと鳴らした。
「夢月?」
「こんなことに意味はない。私は人間の願望が生み出した偶像と違って自分の願いなら何でも自由に幾らでも叶えられる程の力がある。だけど……」
私は姉さんに教わったこの世界独特の作法、両手を合わして目をつむり、何の力持たぬ仏像に向け願った。
「一つだけ、自分の力で叶えたいとは思わない願いがある。だから――それだけは貴方を頼ってあげる」
ちっぽけで、だけどとても大切な願い事。
神に等しき万能の力をもってしても……いや、だからこそ時々忘れてしまいそうになる大事なこと。
「とてもなにか願いを叶えて貰おうって者の態度じゃないけどね」
でもそんな素直じゃない所が夢月らしい、と憎たらしい笑みを浮かべた姉さん。
何だか気恥ずかしくなった私は、姉さんから目を背け本堂を降りた。
「あ……雨だ」
ぐずっていた空はポツリポツリと小粒の涙を流し始めた。
鳥の囀り、蛙の鳴き声、雨音が奏でるシンフォニー。
辺りは静かな音に充ちていた。
「あ―降り出しちゃったね。傘なんて持ってきてないのに」
これ以上なにも無いだろうしソロソロ帰ろうかと言いはじめた姉さんを私は引き止めた。
「ねぇ姉さん。もう少し……もう少しだけここにいない?」
せめて雨が止むくらいまでは、二人で。
「雨音を愉しむなんて、なんか年寄り臭いわよ夢月……でもまぁ、たまにはいいかしら?」
どうせこれはたいした意味もない――ただの暇潰しなのだから。
夢幻を司る悪魔が二人、階段に腰掛け互いに寄り添いながら小さく寝息を立てていた。
ほのかでゆったりとした優しい香りに包まれながら、しとしとと降り続ける雨音を背景に二人だけの時間が過ぎていく。
幻月が感じた微弱な力は夢月のささやかな願いを叶えてくれたのかもしれない。
終
黄色がかった緑、そこからさらに色素の薄いもの、はたまた光沢を放つ凛々しい濃い緑。
多種多様の緑によって形成されたアーチの中を私達は歩いていた。
「ねぇ夢月~この坂いつまで続くのよ」
傾斜のきつい坂に姉さんが堪らず伸びきった声をあげた。
たまには空を飛ばずに歩いてみようと提案したのはちょっと失敗だったかもしれない。
「そう大してないよ姉さん。あと少しくらいじゃないかな」
幻月と夢月、二人で一人前の夢幻の悪魔姉妹はとある世界、それも度のきいた辺境の地にいた。
豊かな自然に囲まれているといえば聞こえはいいが、ただひたすら緑に染め上げられた様子は知識が人類を今にも喰らいそうな程度には進んでいるはずのこの世界とは思えぬ有様であった。
「ん……なにか見えてきた」
姉さんより先に坂を登りきった私が目にしたのは、細かな装飾が彫られた木造の門だった。
「やっと着いた……けどこれは一体なんなの? 随分と古そうだけど」
「そんなの私に聞かれても。そもそも山の上に何かあるって言ったの姉さんだし」
「微弱だけど変な力場みたいなのを感じただけよ」
他になにもなさそうだったし、とぼやきつつ辺りを見渡す姉さん。
暇潰しに外の世界に出てみたはいいけれど、少し外れを引いてしまったかもしれない。
とはいえ元々特に理由もない暇潰し、私も姉さんも倣って辺りを軽く散策し始める。
門には大きく『仁王門』と掲げられており、厳つい顔をした像が両端にありその間を通って門を潜る。
石畳の一本道以外は砂利が敷き詰めれ、その向こうにまた門があった。
異世界独特の文化を感じつつさらに進んだ先、石の階段の脇に看板を見つけた私は姉さんを呼んだ。
「姉さん、どうやらここは『寺』っていう建物みたいよ」
「『寺』ということはこの辺は仏教が広まっているのね。なるほど納得納得」
一人頷く姉さんは私の知らない知識を沢山持っている。
その後、姉さんは東洋と西洋の宗教による文化の違いについて私に語ってくれたが、正直ピンと来なかった。姉さんは知識人だが説明が下手だ。
「『神社』と『寺』の違いは簡単に言えば神を祭っているのか、仏を祭っているのかの差よ。実在した人間を神格化して神として祭って神社としてる所もあるけどね」
人間のくせ神を名乗るとか生意気よね、と付け足す姉さん。
姉さんの話を聞きながら階段を登ると、大きな建物……といってもそれは今までと比べればの話で私達の住んでる館の半分にも満たない程度の大きさの建物が現れた。
「これが本堂ね、この奥に仏を模した仏像っていうのが祭ってあるのよ」
本堂には天井からぶら下がっている大きな鍋の蓋のようなモノと、子供くらいなら入れそうな大きさの箱があった。仏像は木製の格子を挟んだ奥のほうの鎮座されている。
「この箱が賽銭箱って奴で、ここにお金を入れてこの鰐口っていう鈴と鐘の中間みたいな奴をガラガラ鳴らして願いをこめる。っていうのが手順よ」
「願いって、そんなの叶える力ないでしょこんなのに」
私の人外の眼には願いを叶えるだなんて大層な力が宿っているようには見えない。
「そりゃそうなんだけど、人間っていうのはなにかに願いでもしないとなんも出来ないような貧弱な生き物なのよ」
何か保険を、何か裏付けを、何か依代を、何でもいいから縋れるものがなければ満足に生きてくことすら出来ない哀れな生物……人間。
滑稽だけどそこがまた人間の面白い所なのよ、と語った姉さんの隣で私は鰐口をガラガラと鳴らした。
「夢月?」
「こんなことに意味はない。私は人間の願望が生み出した偶像と違って自分の願いなら何でも自由に幾らでも叶えられる程の力がある。だけど……」
私は姉さんに教わったこの世界独特の作法、両手を合わして目をつむり、何の力持たぬ仏像に向け願った。
「一つだけ、自分の力で叶えたいとは思わない願いがある。だから――それだけは貴方を頼ってあげる」
ちっぽけで、だけどとても大切な願い事。
神に等しき万能の力をもってしても……いや、だからこそ時々忘れてしまいそうになる大事なこと。
「とてもなにか願いを叶えて貰おうって者の態度じゃないけどね」
でもそんな素直じゃない所が夢月らしい、と憎たらしい笑みを浮かべた姉さん。
何だか気恥ずかしくなった私は、姉さんから目を背け本堂を降りた。
「あ……雨だ」
ぐずっていた空はポツリポツリと小粒の涙を流し始めた。
鳥の囀り、蛙の鳴き声、雨音が奏でるシンフォニー。
辺りは静かな音に充ちていた。
「あ―降り出しちゃったね。傘なんて持ってきてないのに」
これ以上なにも無いだろうしソロソロ帰ろうかと言いはじめた姉さんを私は引き止めた。
「ねぇ姉さん。もう少し……もう少しだけここにいない?」
せめて雨が止むくらいまでは、二人で。
「雨音を愉しむなんて、なんか年寄り臭いわよ夢月……でもまぁ、たまにはいいかしら?」
どうせこれはたいした意味もない――ただの暇潰しなのだから。
夢幻を司る悪魔が二人、階段に腰掛け互いに寄り添いながら小さく寝息を立てていた。
ほのかでゆったりとした優しい香りに包まれながら、しとしとと降り続ける雨音を背景に二人だけの時間が過ぎていく。
幻月が感じた微弱な力は夢月のささやかな願いを叶えてくれたのかもしれない。
終
神仏に縋る必要がなくなった人間たちはだから忘れて捨てたのでしょう。
とてもほっこりさせていただきました。ありがとうございます。
幻月姉さん可愛いです♪
日常という感じですね。