「らああああん! らああああぁぁん!! 大変! 大変なの!!」
すだだだだだ! だん!! 廊下を走る音に続けて、襖が倒れこむ。
何事か、と振り返れば、そこには八雲藍の主人、八雲紫と……天人の少女、比那名居天子が妙な姿勢で倒れこんでいた。
「いだだだだだ! ちょっと! 紫、おちついて!! お願いだから暴れないで!!」
二人は手を握ったままのようで、そんな状態で背中合わせに折り重なるように倒れている。故にどちらの腕も手首から先がやや無理な方向に折れ曲がって若干痛ましい。
「起きれない! 起きれない!! 藍たすけて!」
「落ち着け馬鹿妖怪! 二人繋がっちゃってるんだからうまく息を合わせないと起き上がれないに決まってるでしょ!!」
「二人、繋がって……?」
藍はそんな二人を不審そうな目で観察しつつ、助け起こした。
まさか、紫が境界のアレそれをいじくってついに過ちを犯してしまったのだろうか。いや、それにしては向きが逆だし……。
「どういうことか説明していただけますか。天子さん」
主人に尋ねても無駄だと判断したのか、なにやらくたびれた表情の天子に事情を問う。
「え~っと、紫が手を握りたいって言うから握ってあげたら取れなくなった? みたいな?」
「もう少し詳しく」
「多分だけど、何かで接着されてる……」
飽きれて声も出なかった。が、式として咎めるべきところはしっかりと咎めておかねばならない。
「紫様!!」
「ひゃぅっ!! ちがうの、ほんの冗談のつもりだったのよ……! ごめんなさい許して!」
「それは天子さんに言ってください!!」
「あ~、私はいいよ。うん。もう慣れた。それよりも、なんとかするほうが先決かな」
天子はがっちりくっついてしまった手をブンブンと振って、紫の手を畳みにバシバシと叩きつけた。
いいよとは言いつつも、やっぱりちょっと怒ってるらしい。
「紫様、一体何を使ってくっつけたんですか」
「……あーろん」
「やっぱりですか」
「何、そのアーロンって」
「まずはこちらのCMをご覧下さい」
八雲藍は天子の疑問に答えるべく、居間のテレビのスイッチをつけた。
ブラウン管に映し出された映像には、鉄棒となにやら非常に重たそうな機械。そしてアーロンと書かれたチューブがその二つに透明な液体を塗りつけ、ぴたっと接着。
たった数滴に満たない接着剤が、その二つを繋ぎ止め重いはずの機械が持ち上がる。
「何これ凄い」
そのCMは科学の結晶たる瞬間接着剤の威力を言葉なくしてありありと語っていた。
そんなCMに感動しかけた天子であったが、それが今紫と自分の手をべったり接着してしまっているという現実に引き戻されて。
「って、これ凄くヤバイんじゃない?」
みるみる顔が青ざめていった。
「このままだと私、食事のときも寝るときもお風呂もトイレも全部紫と一緒じゃない!!」
「いいじゃないそれで」
「ちょっ! そんな、いいわけ……ないじゃない」
天子の雪のように白い頬が、ぽっと赤く染まる。それを覚られたくなかったようで、天子はぷいとそっぽを向いた。
「あらあら、素直になれない子」
そんな天子の頬を、接着されていない右手のほうでそっと撫ぜる。滑らかで柔らかく、そして少し熱を持って暖かい天子の頬。
「紫……私たちどうなっちゃうの? もうこのまま一生一緒?」
天子は空いている左手で紫のしなやかな手をそっと掴んだ。二人向き合い、両の手を取り合う。片方は取り合う前に接着されているけれど。
「そうよ天子ちゃん。もう一生はなさないわ」
「紫……」
「天子ちゃん……」
近づく二人。その桜色の唇が……。
「ってふざけんじゃないわよこの馬鹿妖怪!!」
触れ合うことは無かった。
代わりに炸裂したのは天人の、岩をも砕くロケット頭突き。
「痛っ……たあああぁぁ! ちょっと! なんで!? いい感じだったじゃない!?」
「ドサクサにまぎれてプロポーズしてんじゃないわよ! そういうのは、もっとこぅ……ロマンチックに、ね?」
どうやら天子のほうもまんざらでも無いらしい。
それはそうと。
「で、どうすんのよこれ。さすがに私このままじゃ家に帰れないし箸も持てない」
「真面目な話ですが、これは立派な事故ですよ。外の世界でも病院に担ぎ込まれるレベルです」
藍は天子の想像以上に深刻そうな顔をして言った。別に紫を怖がらせようとしているわけではないのだろうが、天子の隣で紫がびくりとすくむ。
「けどなんかの薬品で溶けたような気もしますので……ちょっと調べてきますね。頼むからじっとしててくださいね」
藍は念を押すように紫を睨み付けると、立ち上がって居間を後にした。
彼女の軽い足音が去っていくのを確かめるや否や、紫が口を開く。
「どどどどうしよう天子ちゃん! 病院だって! 私病院イヤ!!」
「知ってる。注射嫌いだもんね」
「病院行く前に絶対なんとかする!!」
「どうやって?」
天子の問いに、妖怪の大賢者はその頭脳をフル回転させて考え抜く。
アーロンの組成成分、仕組み、それを剥離させるための溶剤や界面活性剤の構造……。
そうして彼女が至ったひとつの答え。
「あ! うちチェーンソーあるよ!!」
「余計病院送りになるわ!!」
どうやら回転しすぎて元の場所に戻ってきてしまったらしい。
「藍が戻ってくる前に解決しなきゃいけないのよ!! 絶対チェーンソーなら素早く解決できる!!」
「藍さんがいい解決策を持ってきてくれるからスキマに手を突っ込むのをやめて!! まず、そんなものじゃ天人の腕は切れないよ!!」
「じゃぁ逃げる!! ヤダ!! 病院はいやああああ!!」
「ちょっ、暴れないで!! あんたが暴れると振り回されて疲れるのは私なの!」
紫がじたばたと大暴れし、また手首がありえない方向へ曲がろうとする。
仕方が無いので、天子は紫に馬乗りになり接着されてしまった手をぐっと押さえつけた。それでもなんとかそこから抜け出そうと暴れ狂う紫に、天子は至極真面目な口調で語りかける。
「あのさ、紫。本当は剥がしたくないんでしょう?」
妖怪の大賢者が、接着剤の一つや二つで病院送りなどありえない。剥がそうと思えば一瞬で解決できるはずなのだ。
それなのに、どうしてこんな茶番を演じるのか。
「……なんでそう思うのかしら。私は自分じゃどうにも出来ないから藍に助けを求めたのよ?」
紫は暴れるのをやめて、天子の紅の瞳を見つめ返して静かに答えた。
「それはフェイクよ。おそらく藍さんにはこの接着剤を剥がす方法はわからない。いや、知り得ないようにしているはず。どうせデータを引っこ抜きでもしたんでしょう? あの博識な藍さんが調べ物なんてありえないわ。
それで、藍さんにですら剥がし方がわからないんだから仕方が無いと思わせたかった」
「……正解。やはりあなたの目は欺けないわね」
紫は観念したようにため息をつき、天子の推測をあっさりと認めた。
「さぁ、茶番は終わりよ。剥がしてもらおうかしら」
「それは出来ない相談ね」
「どうして?」
「だってせっかく繋がったんだもの。もう離れたくないじゃない」
紫が答えたその刹那。
パシン! 乾いた音を伴って、天人の平手が飛んだ。
「ふざけるな!!」
「ふざけてない!! 私は至って本気よ!」
睨み付ける天人、そして頬にモミジを浮かばせ泣き出しそうな顔で叫び返す紫。
そんな紫の頬に、もう一度張り手が襲った。
「私たちの絆っていうのは、こんなくだらない物が必要な程度のものなの!? もし本気でそう思っているなら絶交よ!! 接着剤なんかに……接着剤なんかに……」
唖然とする紫の頬に、ツゥと涙が伝う。紫のものではない。先に泣きだしたのは天子のほうだった。
悔しかったのだ。そんなもので繋ぎ留めておかなければどこかに行ってしまうと、そう言われたような気がして。
「お願いよ……紫。私が貴女に抱いている想いはこれよりもずっと強いものなのに。それを……壊さないで。奪わないで」
震える声で、天子は言葉を紡ぐ。自分の想いが、実は紫にしっかりと届いていなかったことへの憤り。そして、紫に嫌われたくないという恐れが入り混じっていた。
「……ごめんなさい」
紫は小さな、消え入りそうな声で言った。天子の涙の後を追い、紫の頬を伝う涙。
「けれど、もうわかったから大丈夫。こんなものは、いらない」
ぱきん。小さな音を伴って、二人の手と手に境界が敷かれる。今までがっちりとくっついて離れなかった手が、少し名残惜しそうに離れた。
その隙間から、粉々に砕かれた接着剤の粉末が零れ落る。
「そう、そんなもの無くたって」
天子は紫の上から降りると、自由になったその両手で彼女をぎゅっと抱き寄せた。
「私たちは繋がっているもの」
すだだだだだ! だん!! 廊下を走る音に続けて、襖が倒れこむ。
何事か、と振り返れば、そこには八雲藍の主人、八雲紫と……天人の少女、比那名居天子が妙な姿勢で倒れこんでいた。
「いだだだだだ! ちょっと! 紫、おちついて!! お願いだから暴れないで!!」
二人は手を握ったままのようで、そんな状態で背中合わせに折り重なるように倒れている。故にどちらの腕も手首から先がやや無理な方向に折れ曲がって若干痛ましい。
「起きれない! 起きれない!! 藍たすけて!」
「落ち着け馬鹿妖怪! 二人繋がっちゃってるんだからうまく息を合わせないと起き上がれないに決まってるでしょ!!」
「二人、繋がって……?」
藍はそんな二人を不審そうな目で観察しつつ、助け起こした。
まさか、紫が境界のアレそれをいじくってついに過ちを犯してしまったのだろうか。いや、それにしては向きが逆だし……。
「どういうことか説明していただけますか。天子さん」
主人に尋ねても無駄だと判断したのか、なにやらくたびれた表情の天子に事情を問う。
「え~っと、紫が手を握りたいって言うから握ってあげたら取れなくなった? みたいな?」
「もう少し詳しく」
「多分だけど、何かで接着されてる……」
飽きれて声も出なかった。が、式として咎めるべきところはしっかりと咎めておかねばならない。
「紫様!!」
「ひゃぅっ!! ちがうの、ほんの冗談のつもりだったのよ……! ごめんなさい許して!」
「それは天子さんに言ってください!!」
「あ~、私はいいよ。うん。もう慣れた。それよりも、なんとかするほうが先決かな」
天子はがっちりくっついてしまった手をブンブンと振って、紫の手を畳みにバシバシと叩きつけた。
いいよとは言いつつも、やっぱりちょっと怒ってるらしい。
「紫様、一体何を使ってくっつけたんですか」
「……あーろん」
「やっぱりですか」
「何、そのアーロンって」
「まずはこちらのCMをご覧下さい」
八雲藍は天子の疑問に答えるべく、居間のテレビのスイッチをつけた。
ブラウン管に映し出された映像には、鉄棒となにやら非常に重たそうな機械。そしてアーロンと書かれたチューブがその二つに透明な液体を塗りつけ、ぴたっと接着。
たった数滴に満たない接着剤が、その二つを繋ぎ止め重いはずの機械が持ち上がる。
「何これ凄い」
そのCMは科学の結晶たる瞬間接着剤の威力を言葉なくしてありありと語っていた。
そんなCMに感動しかけた天子であったが、それが今紫と自分の手をべったり接着してしまっているという現実に引き戻されて。
「って、これ凄くヤバイんじゃない?」
みるみる顔が青ざめていった。
「このままだと私、食事のときも寝るときもお風呂もトイレも全部紫と一緒じゃない!!」
「いいじゃないそれで」
「ちょっ! そんな、いいわけ……ないじゃない」
天子の雪のように白い頬が、ぽっと赤く染まる。それを覚られたくなかったようで、天子はぷいとそっぽを向いた。
「あらあら、素直になれない子」
そんな天子の頬を、接着されていない右手のほうでそっと撫ぜる。滑らかで柔らかく、そして少し熱を持って暖かい天子の頬。
「紫……私たちどうなっちゃうの? もうこのまま一生一緒?」
天子は空いている左手で紫のしなやかな手をそっと掴んだ。二人向き合い、両の手を取り合う。片方は取り合う前に接着されているけれど。
「そうよ天子ちゃん。もう一生はなさないわ」
「紫……」
「天子ちゃん……」
近づく二人。その桜色の唇が……。
「ってふざけんじゃないわよこの馬鹿妖怪!!」
触れ合うことは無かった。
代わりに炸裂したのは天人の、岩をも砕くロケット頭突き。
「痛っ……たあああぁぁ! ちょっと! なんで!? いい感じだったじゃない!?」
「ドサクサにまぎれてプロポーズしてんじゃないわよ! そういうのは、もっとこぅ……ロマンチックに、ね?」
どうやら天子のほうもまんざらでも無いらしい。
それはそうと。
「で、どうすんのよこれ。さすがに私このままじゃ家に帰れないし箸も持てない」
「真面目な話ですが、これは立派な事故ですよ。外の世界でも病院に担ぎ込まれるレベルです」
藍は天子の想像以上に深刻そうな顔をして言った。別に紫を怖がらせようとしているわけではないのだろうが、天子の隣で紫がびくりとすくむ。
「けどなんかの薬品で溶けたような気もしますので……ちょっと調べてきますね。頼むからじっとしててくださいね」
藍は念を押すように紫を睨み付けると、立ち上がって居間を後にした。
彼女の軽い足音が去っていくのを確かめるや否や、紫が口を開く。
「どどどどうしよう天子ちゃん! 病院だって! 私病院イヤ!!」
「知ってる。注射嫌いだもんね」
「病院行く前に絶対なんとかする!!」
「どうやって?」
天子の問いに、妖怪の大賢者はその頭脳をフル回転させて考え抜く。
アーロンの組成成分、仕組み、それを剥離させるための溶剤や界面活性剤の構造……。
そうして彼女が至ったひとつの答え。
「あ! うちチェーンソーあるよ!!」
「余計病院送りになるわ!!」
どうやら回転しすぎて元の場所に戻ってきてしまったらしい。
「藍が戻ってくる前に解決しなきゃいけないのよ!! 絶対チェーンソーなら素早く解決できる!!」
「藍さんがいい解決策を持ってきてくれるからスキマに手を突っ込むのをやめて!! まず、そんなものじゃ天人の腕は切れないよ!!」
「じゃぁ逃げる!! ヤダ!! 病院はいやああああ!!」
「ちょっ、暴れないで!! あんたが暴れると振り回されて疲れるのは私なの!」
紫がじたばたと大暴れし、また手首がありえない方向へ曲がろうとする。
仕方が無いので、天子は紫に馬乗りになり接着されてしまった手をぐっと押さえつけた。それでもなんとかそこから抜け出そうと暴れ狂う紫に、天子は至極真面目な口調で語りかける。
「あのさ、紫。本当は剥がしたくないんでしょう?」
妖怪の大賢者が、接着剤の一つや二つで病院送りなどありえない。剥がそうと思えば一瞬で解決できるはずなのだ。
それなのに、どうしてこんな茶番を演じるのか。
「……なんでそう思うのかしら。私は自分じゃどうにも出来ないから藍に助けを求めたのよ?」
紫は暴れるのをやめて、天子の紅の瞳を見つめ返して静かに答えた。
「それはフェイクよ。おそらく藍さんにはこの接着剤を剥がす方法はわからない。いや、知り得ないようにしているはず。どうせデータを引っこ抜きでもしたんでしょう? あの博識な藍さんが調べ物なんてありえないわ。
それで、藍さんにですら剥がし方がわからないんだから仕方が無いと思わせたかった」
「……正解。やはりあなたの目は欺けないわね」
紫は観念したようにため息をつき、天子の推測をあっさりと認めた。
「さぁ、茶番は終わりよ。剥がしてもらおうかしら」
「それは出来ない相談ね」
「どうして?」
「だってせっかく繋がったんだもの。もう離れたくないじゃない」
紫が答えたその刹那。
パシン! 乾いた音を伴って、天人の平手が飛んだ。
「ふざけるな!!」
「ふざけてない!! 私は至って本気よ!」
睨み付ける天人、そして頬にモミジを浮かばせ泣き出しそうな顔で叫び返す紫。
そんな紫の頬に、もう一度張り手が襲った。
「私たちの絆っていうのは、こんなくだらない物が必要な程度のものなの!? もし本気でそう思っているなら絶交よ!! 接着剤なんかに……接着剤なんかに……」
唖然とする紫の頬に、ツゥと涙が伝う。紫のものではない。先に泣きだしたのは天子のほうだった。
悔しかったのだ。そんなもので繋ぎ留めておかなければどこかに行ってしまうと、そう言われたような気がして。
「お願いよ……紫。私が貴女に抱いている想いはこれよりもずっと強いものなのに。それを……壊さないで。奪わないで」
震える声で、天子は言葉を紡ぐ。自分の想いが、実は紫にしっかりと届いていなかったことへの憤り。そして、紫に嫌われたくないという恐れが入り混じっていた。
「……ごめんなさい」
紫は小さな、消え入りそうな声で言った。天子の涙の後を追い、紫の頬を伝う涙。
「けれど、もうわかったから大丈夫。こんなものは、いらない」
ぱきん。小さな音を伴って、二人の手と手に境界が敷かれる。今までがっちりとくっついて離れなかった手が、少し名残惜しそうに離れた。
その隙間から、粉々に砕かれた接着剤の粉末が零れ落る。
「そう、そんなもの無くたって」
天子は紫の上から降りると、自由になったその両手で彼女をぎゅっと抱き寄せた。
「私たちは繋がっているもの」
ちょっと卑屈な紫様がそれらしいです。
バカップルは末永く爆発しなさい
あとはもう少し描写なりがあればより伸びると思います。