草木も眠る丑三つ時、静寂み包まれる命蓮寺の一室で、私は勢いよく目を覚ました。
額には汗がびっしりと浮いていて、くせっ毛の黒髪がはりついている。
心臓がある辺りに手を当てながら、私、封獣ぬえは、ゆっくりと深呼吸した。
「……あぁー汗びっしょり、最悪」
近くに用意してあったタオルで顔や首周りを拭くが、気持ちの悪さは消えない。
私はほとほと困っていた。このところ毎日のように悪夢を見るのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夢の中で、私は真っ暗な闇の中にいる。
怪物に襲われたり、突然飛べなくなって高所から落ちたりするようなこともない。
暗闇が怖いわけじゃない。体の自由が利かなくて、どこを見ても同じ暗闇で、次第に手足の先から自分の存在が希薄になっていく、そんな感覚がするのが怖いのだ。
自分の存在意義だとか、どう生きていくのが正しいだとか、そんなどうでもいい事も考えるようになる。
なぜかどうしようもなく不安で、どうにかしなくちゃいけなくって、理解不能な焦燥感にとらわれても、自分の体は動かせない。まさに悪夢だった。
(これじゃあまるで、昔のお偉いさんと立場が逆だわ。馬鹿らしい)
平安時代末期に、私は鵺として活動して、天皇を恐怖に陥れたことがある。
夜な夜な姿を偽って、不気味な声で鳴いてただけなんだけど、正体不明というのはそれだけで、恐怖の対象になった。
私はそのときの事をこれっぽっちも後悔していない。自分は妖怪として人を驚かし、人の手によって退治された。何もおかしい事はない。
この寺の考えとは違うかもしれないけれど、天皇だって恨んではいないと思っている。
ただぼーっとしているだけでも、時間というのは忙しないもので、気がつけば空は明るく白んできて、日は昇り、また一日が始まった。
私は自分の顔をぐにぐにとマッサージして、いつものへらへらした表情に戻してから、命蓮寺の居間へと歩いていった。
朝食を食べ終わってからも、私はまだ悩んでいた。
永遠亭に行って精神安定剤でも貰ってこようか、とも考えた。月の頭脳とか言われるあの薬師ならば、良い夢が見られる薬ぐらい持っているはずだ。
それでも私は、薬に頼って解決するという手段をとるのは、どことなく不健康な気がして嫌なのだ。妖怪にとって健康とは何だろうとも思うが。
命蓮寺の皆に頼ってみようか。いやいやそれこそないだろう。夢見が悪いなんて情けない理由で、聖や村紗を悩ませたくない。
朝風呂にも入って多少さっぱりしたのだけど、頭の中はいまだにぐるぐると混乱していた。
寝る前には柔軟運動もしているし、ホットミルクも飲んでみたし、花の香りでリラックスもしてみた。それでも悪夢が途切れることはなかった。どうすればいいのか。
そのとき、ふいに頭に天啓が浮かんだ。こいしの力を頼ってみてはどうかと。
無意識を操るこいしなら、悪夢を終わらせることも容易いのではないか。むしろ、この悪夢もこいしのイタズラだったりしないだろうか、そうだったらほっぺた引っ張って、鼻に雲山詰め込んでやる。
「ぬえ~お客さんだよ。こいしちゃんとフランちゃん」
一輪に呼ばれて驚く。どうやら神は私を応援しているらしい。星ではない毘沙門天様にお祈りして、私は急いで玄関に向かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「痛いれふ」
どうやら悪夢はこいしの仕業ではないらしい。ついつい早まって、ほっぺたをつねるとこまでやってしまったので素直に謝った。
「私はぬえのこと友達だと思ってたんだけどな~疑われちゃったな~」
「ごめん、ごめんって。さっきから謝ってるでしょ。ちょっと混乱してただけなんだよ。こいしとフランは私の友人だよ」
そういうと、こいしは口を尖らせながらも私から離れてくれた。ほっぺた痛い。痛いれふって言ったのは私だ。
「寝る前に軽く運動したり、瞑想したり、深呼吸してリラックスしてみたらどうかな」
「うん…それ全部やってみたんだけど、あんまり効果なくてね。ありがとフラン」
「鼻に雲山詰めるとよく眠れるっていうけどやってみた?」
「どこの誰がそんなこといってたんだよ」
こうやって三人で話してるだけでも、ずいぶんと気が楽になった。二人とは付き合いは長くないんだけど、妙に気が合うし、気兼ねなく話ができるしで、よく三人で集まったりする。
私はこいしに、能力で悪夢を見ないで済むようにできないかと聞いてみた。
「できないことはないよ。その場合、私はぬえと毎晩一緒に寝ることになるけどね」
「ならいいや」
「即答とかひどい」
こいしといっしょに寝るわけにはいかない。朝起きたら額に肉とか書かれてたり、いつのまにか知らない場所に移動させられてたりするからだ。
こいしは何となく、こうしなければいけない気がした、とかいう謎の理論で行動することがある。なぜか姉に襲い掛からなければいけない気がするとかいってた事もあった。―――応援した。
「音楽を聴く、水泳をする、お灸とか……う~んどうだろう」
フランはまだ真剣に考えてくれている。それだけでもありがたい。
こいしはいじけたフリをしながら、隠してあった私の煎餅を食べている。とりあえず踏んどく。
「命蓮寺の人達には相談してみた?」
フランの問いに、私はびくっと肩をすくませるも「まだ聞いてない」と答えた。鋭いやつだ。
「いつも迷惑かけてばっかだからさ、気が進まないっていうか」
「私が命蓮寺の皆の立場だったら、頼ってくれないのは寂しいとおもうなぁ」
なかなかに返答に困ることを言われてしまった。どう答えるべきか悩んでいると、フランは私の手をとって歩きだしてしまう。いつのまにか背中にはこいしがひっついる。
「答えは聖さんが教えてくれると思うよ」
フランはそういって、どこか照れくさそうな微笑みを浮かべた。
居間では聖と村紗が楽しそうに話をしていた。こいしとフランを見る。どうやら行くしかないようだ。
私は二人に押されるように出て行って…いつもの表情をつくって、「大したことじゃないんだけど」と前置きしてから話をした。
「宝舟の絵なんてどう?」
私と同じ黒髪ショートの、舟幽霊、村紗水蜜は得意そうな顔で説明を始める。
「七福神の乗った宝舟の絵に、『長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り舟の 音の良きかな』っていう回文の歌を書いたものを、枕の下に入れて眠ると良い夢が見られるんだよ」
「それって正月の初夢を見るときに使うんじゃないの?」
「いつだっていいって、縁起物なんだから。この回文の歌がまた素敵だよね!」
私の問いをさらっと流すと、村紗は今度は歌の説明をし始めた。舟幽霊だから、生き生きとしてるっていう表現はおかしいかもしれない。水を得た船長といったところか。
説明が終わると、話の途中でどこかに行っていた聖が、持ってきたものを私たちに見せてくる。
六十色入り色鉛筆と大きな画用紙。言いたいことはわかるけれど、それはどうだろう。
「さあ、良い夢を見る為に頑張りましょう!」
そこからは何だかんだで楽しかった。
聖の呼んできた一輪、雲山、星、ナズーリンと、私、こいし、フランの皆で一枚の大きな画用紙に絵を描き始めたのだ。
雲山が描く背景が上手くてびっくりしたり、村紗の描く舟がやたらリアルだったり(舟は聖輦船だった)、一輪の描く一輪の服が若干派手になってたりした。
最初は戸惑ったけど、描いてみると思ったより楽しいもので、宝舟の絵はすぐに完成したのだった。
「むう…枕の下に敷いて、しわになっちゃうのはもったいないかも」
結局、宝舟の絵は、皆が集まる居間に飾られることになった。
私の描いた不恰好な私が、舟の上で小憎らしい笑みをうかべている。
「素敵な絵になりましたね」
聖が私に寄ってきて言った。腰に手を当て、胸を張って、その顔は達成感に満ちている。
「初めの目的は達成できなかったけどね」
「それでも一つの事を成し遂げるということは、素晴らしいことですよ」
ひねくれた感想にも気を悪くした様子もなく、聖は相変わらず嬉しそうに微笑んでいる。
「そういえば、もう一ついい方法がありました。悪夢を見ないようにする方法。夢の結末を変えてしまうんです」
「変えるって、ハッピーエンドにするの?」
「そのとおり。違う形の、より悲惨ではない結末を思い浮かべて、悪夢を再構築するんです。ぬえには、こんなにもあなたのことを思ってくれる者たちがいるんですから、バッドエンドになんてなりっこないんですよ」
私の夢に物語と言えるものはないけれど、確かに、真っ暗な中に一人でいれば、誰かが、きっと。
そこまで考えて、私は無性に恥ずかしくなってきた。
「聖が困ってるときは私が助けてあげるよ」
「それはありがたいですね。では、私とお話しましょう。私はもっとぬえと仲良くなりたいんです」
もうどんな顔をしたらいいのかわからない。
「私もぬえとお話したいと思ってました!」
「私たちは君の家族も同然なんだ。助け合うなんて当然だろう」
「まったく、今更何水臭いこといってるの」
「そうそう!今日は私がお姉さんとして一緒に寝てあげるよ」
「いいよね、家族って。私感動してきちゃった」
「やんややんやーー!」
もう黙れ、皆黙れ!何なんだこのノリは。――そう思っても、どこか嬉しく思ってる自分もいて。
私は耐え切れなくなって、その部屋から逃げ出した。
「少し積極的に過ぎたでしょうか」
「いやいや、寺の外には逃げなかったようだし、すぐに心を開いてくれるさ」
「じゃあ私も逃げようかな~」
「鬼ごっこでもするつもり?一回だけだよ」
「十秒数えますよー」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その夜、私はまた夢を見た。
相変わらず一人だけど、手足は自由に動いて、暗闇の向こうはうっすらと明るい。
どう生きるのが正解なんてわからないけど、私は皆と生きていきたい。
私の意識は真っ直ぐに、光の方へと向かっていった。
<了>
実は妖怪が悪夢に苦しむってかなりのピンチなはずなので、ハッピーエンドでめでたしめでたしです。
よく練られたプロットで無駄がなく、読みやすくわかりやすく感情移入しやすかったです。
あとマサーッジは誤字ですかね?
丁寧に読んでくださってありがとうございます。身に余る言葉です。
>>2さん
誤字修正しました。助かります。
ボリュームは…どうにかしたい、切実に。
――冗談はともかく、良い話でした。
ありがとうございます。精進します。
>>6さん
センキュー! 家族の絆がすごいのだ!
>>9さん
冗談にならないぐらい、さらに増えるからね……作者には書ききれない。
欲を言えば黒砂糖さんのEX三人娘がもっと見てみたいかも
こういう可愛いお話は好きです。
次はもっとかっこいいEX三人娘に挑戦してみたいですね。
FFX-2のカモメ団みたいなの……書けないかなあ。
>>31さん
いつもコメントしてくださってありがとうございます。
自分も可愛い話が好物です。書くより読むほうが好きなんですけどねw
楽しんでいただけて何よりです。
皆が生き生きしていていいですね。