ぼくは屑だ。
ぼくは生きた屍だ。
どうせ生きている意味など無いんだ。
だから、今日、死のうと思う。
親父、おふくろ。ごめんな。
仕事でヘマをやらかした訳じゃない。失恋した訳でもない。ぼくは、生きていて意味があるのか? その理由が、分からないだけだ。生きてきて二十五年余り。人生に起伏なし。中途半端に屑だったり偽善者だったり、ぼやついた生き方しかしてこなかった。周りの楽しそうな奴が羨ましかった。考える余地もなく充実しているんだ。
手を伸ばせば届くかもしれない。でも、その努力をするのももう面倒なんだ。楽になりたい。ぼくは、ずるい人間だと思う。
ひょう、ひょうと冷たい風が吹く。
ビルの屋上。臆病者のぼくは、飛び降り自殺をしようと思う。確実に死ねる高さで、即死する。遺書と靴をきちと揃え、柵を越える。風はまだ吹いている。まるでぼくの人生なんか知ったこっちゃない、という顔をしながら。
胃が冷たい。風を吸い込む、そして、吐き戻す。
怖いとは思わなかった。
ゆっくりと、目を閉じて。
一歩、踏み出す。片足だけが宙に浮いている。
もう片方の足を動かしたら、あとは、もう――
脳裏に色とりどりの事が浮かんだ。小さな頃の思い出、学生時代の記憶、走馬灯のようにめぐる風景。色。そして、
――潰れた灰色が、視界に広がった。
「……いって」
優しい花の香りがする。……ぼくは、どこかに来てしまったのだろうか? でも、確実に即死したはずだ。…………これは、死後の世界ってやつなのか?
「やあ、人間さん」
目の前に、灰色の……鼠の耳を生やした女の子が立っていた。なんだ、この子は。尻尾まで生えている。まるで、絵本の、おとぎの国から飛びだしたような風貌だ。
「ここに来たという事は、自ら命を絶ったという事なんだろう。お疲れ様。そして、おめでとう」
「……はあ」
「ここは幻想郷だ。幻想の郷。幸運だったね。君は、死ぬ間際にここに迷い込んだ訳だ。……言っておくが、ここはまだ彼岸じゃないぞ。彼岸は、三途の川を渡ったあちら側だ。その前に、閻魔の裁きを受けなければいけないがな」
彼女はううん、と咳払いをひとつして、尻尾を揺らす。
「私はナズーリン。この無縁塚に住む者だ。見た目どおり、鼠と思ってくれて構わない。実際は君よりだーいぶ長く生きているが」
そう言って、口角を薄く上げた。
「君がここに来た、と言う事はやっぱりそれなりの理由があったんだろう?」
「いえ……特には」
「嫌な事があった? 逃げたい事があった?」
「いえ……ただ、自分の生きる意味って、なんだろうと思ったんです」
「……生きる意味を問うために死んだ? そりゃまた、滑稽な話だな」
「はあ……」
ナズーリンと名乗る鼠少女。いったい何者なのだろうか。そして、ここは三途の川の手前の地点という事なのだろうか?
「すみません。じゃあ、三途の川まで行きますので。情報ありがとうございました」
「あー、待て待て、そんなに急いじゃ勿体無い。ちょっと話でもしていかないか」
ナズーリンはそう言うと、よっこいしょとその場に胡坐をかいて座った。僕はその雰囲気になんだか逆らえなくて、一緒に座った。優しい花の匂いが鼻孔をくすぐる。
「ここにはねえ、沢山の宝が眠っているんだ」
「はあ」
「私はダウザーをやっていてね。外の世界……つまり、君たちがいる世界のものがたまにここに紛れ込む事があるんだ。それを見つけては蒐集している」
「……ぼくみたいなのが、他にも?」
「勿論人間もいるよ。本当にたまにだけど」
「なんだか、親近感わきますね」
「そうか? まあ、命を絶つもの同士だからなにか感じ入る事もあるのかもしれないが」
ナズーリンはくくく、と肩を揺らしながら無邪気に笑う。長く生きていると言ったが、とてもそういう風には見えない。見た目相応の少女に見える。
ナズーリンは手元に生えている花をぷち、ぷちり、と遊びながらぼくに問う。
「見てごらん。あの桜、綺麗だろう」
「紫色、ですね。見たことがない」
「あの桜を見ると迷いが解き放たれるという。近くに行って見てみたらどうだ」
ナズーリンに言われるがまま、その場を立って紫の桜の大樹の根本まで歩く。……見上げてみると、ほろほろと、桜が泣いているように花びらを散らしていた。
見ていると、本当に迷いが解き放たれるような気がしてくるから不思議だ。最初は信じていなかったが、あながち馬鹿にできないかもしれない。そのくらい、美しい桜だった。
――ああ、なんでぼくは、生きる理由が分からないくらいで自ら命を絶ってしまったのだろう。そんなの、まだ生きていれば分かったかもしれないじゃないか。長い人生、沢山考えれば良かった。ぼくは、何故早とちりしたんだろう? ぼくの生きる意味。
そういった考えが自分の心の底から湧き出てくるのが分かる。まるで魔法にかけられたように、頭の中がすっきりとして行く。
……まだ、間に合うんじゃないか?
しばらく見惚れていると、ナズーリンがいつの間にか後ろに立っていた。
「どうだい。君の迷いは無くなったかい?」
「……はい、そんな気がします。なんだか、生きる理由が見つからなかったくらいで死ぬなんて馬鹿だったな、と思います……、あの、図々しいかもしれませんが、聞いてくれませんか」
「なんだい」
「ここ、……幻想郷、って言いましたっけ。ぼくは、まだ彼岸には行きたくないです。正直、さっき思いました。……ここで、生きてみたいです。幻想郷で」
自分勝手で我儘な事は分かっている。一回人生をリセットしたあとに、もう一回やり直しだなんて。……でも、こんなチャンス、二度と巡って来ないだろう。
「ふむ……、なるほど」
ナズーリンは肩をすくめて、困った表情をしながら言った。
「人生で生きる意味が分からなくて死んだ人間が、ここでまた生きようとして、その意味を見いだせると思うかい?」
「…………」
「人間というものは、やはり良く分からないものだな。ちゅうちゅう鳴くだけの鼠が、まだ可愛らしく感じるよ」
ナズーリンの尻尾が揺れる。
「まあ、考えんでもない。君がここに来たのもなんらかの意味があるんだろう。生きる意味。それを、持たせてやろうじゃないか」
「……ほんとですか」
「私は閻魔ではないし正確にその権利がある訳ではない。しかし、君が望むなら」
「ありがとうございます……!」
「君がここに来たのは、腹が減った私の仲間に喰われるためだ」
先程とは表情を全く変えないでそう言うナズーリンに、ぼくの思考回路は固まる。
仲間……喰われる……? ここには、ナズーリン一人しかいないじゃないか。
「ずるいと思わないか? 死んだら、もう二度とやり直せない事を知っているか?」
ナズーリンの尻尾から籠が見えた。中身は見えない。
彼女は、舌なめずりをしながらこちらに近づいてくる。
後ずさりをしようにも、ぼくの背後は桜の大樹に取られている。逃げられない。
「やめてくれ! お願いだ、やめてくれ!」
「ネズミを甘く見ると、死ぬよ」
――潰れた灰色が、視界に広がった。
それは、物語であり、或いは構成、世界観である。そして、もう一つ思うのは、キャラクター元来の持つ魅力と云うものを、自分で解釈し、上手く小説に投影しているのだと思う。
これは、氏が東方と云うゲームを愛している故であろう。
氏の小説を愛すると共に、その直向な姿勢も見習いたい。オチが良かった。
もう少しナズーリンである必要性というか、説得力を捻ってあれば良かった
また読ませていただきましたけど、毎回リアリティーある内容ばかりですね。
正直、感服します。
求聞史記の再思の道の項目に書いてあるとおり、今から生きようと決意した時に妖怪に食べられてしまっては、報われないですね。
でもこういうのも妖怪達にとっては生きるために必要なんですよね。
幻想郷に関するいろいろなことを改めて実感しました。
次回も楽しみにしてます。
「幸運だったね」というセリフは彼に向けたものでなくナズーリンの部下にとっての幸運だったのか?「勿体ない」というのは獲物を逃すのが勿体なかった?
そんなことを考えて読み返してみると人間と妖怪の間にある埋めようのない溝が見える気がしますね。
ネズミは、備蓄を食い荒らし伝染病を媒介しよく殖え駆除しにくいという人類にとって最悪の敵のひとつです。ネズミの妖怪は、ハムスターみたいな愛玩動物のイメージなどではなく、ペストを振りまく死神としてのイメージによって語られるべきなのでしょう。まさにFilthy rats。そう考えると無縁塚とネズミの妖怪は雰囲気がマッチしていて、考え抜かれた設定だと気付かされます。
もっとも、生きる決意を取り戻させた人間を喰わせるなんてのは命蓮寺のイデオロギーに反する行いであるのも事実。寺の教えに従わず、寺の妖怪たちと一線を画して、一人寂しく無縁塚に暮らすあたりもやはり薄暗く根暗なネズミの妖怪、という感じがあります。徹底的にネズミ。
ナズーリンが命蓮寺とは別居している作品という設定を利用した作品は意外と少ないので貴重。
「勿体無い」の発言や何故さくっと殺さなかったのかという疑問は、なるべく絶望を味合わせてから殺すためだったのでないだろうかと個人的に解釈した。自殺した人間は概念体みたいなものなんだから、なるべく希望を味合わせてから食べた方がお腹いっぱいになれるでしょう。
唯一の懸念は、やはり仏門に帰すナズーリンがためらいなく人間を殺すというところだろうか。その背景が見えるとさらによい作品になると思われる。
また同時にホラーの中でも一番だと思いますね。
完全に油断していました。ナズーリン可愛いとか思ってたのに。
最後にそのセリフを持ってくるあたり上手いですね。微妙に会ってないのだけが残念かな。