ちゃぷん
波紋が広がる。投げ入れた小石はちゃぷんという音を立てながら、透き通った河の底へと沈む。
小さな石が作り出した小さな波紋は、瞬く間に小さくなり消えてしまった。
ぽちゃん
続けてもう一回。今度はもう少し大き目の石。先ほどよりは大きな波紋が生まれたが、それでも所詮は石の起こしたもの。静かな波紋は、やはり静かに消えていった。
川辺の大きな石に座り込んで、ふぅ、と溜め息を一つ。背伸びをすると、木漏れ日の中で燦々と輝く太陽が見えた。ぽかんと間抜けに開いた口を塞ぐのも忘れて、じっと日を見る。目が痛くなった。
……退屈だ。それはもう、どうしようも無い程に。河に石を投げ込むのも、くるくると素敵に不敵なダンスをするのも、秋の神様の靴をこっそり両方左足用にしたりするのも、正直言って飽きた。
人里は平和だ。少なくとも絶望的に厄い人間はいない。ちょびっと鬱病っぽいのはいたが、それはもう季節性のものなので無視をする。決して職務怠慢などでは無い。いやほんと。
神様とはいえ、私みたいな社も無い野良神様は仕事がある時以外は割と退屈だ。ましてや私は厄神、遊びに行ける友人なぞそうそういるはずもない。地底の方で一人いた気はするが、今はなんとなく一人でいたい気分なのだ。
もう一度言う、退屈だ。何回でも声を大にして言える。退屈なのだ。
ごろんと横になり、大の字の体勢で空を見る。こんな所を天狗のブン屋にでも見られたら間違いなく明日の一面を飾る羽目になるだろう。そんなことになったら厄神の沽券に関わるが、とりあえずだらけていたかった。
漠然と空を見ていると、慌しそうに駆ける白狼天狗が目に入った。天狗の部下である彼女がああならば、恐らくブン屋の方も私に構っている余裕は無いだろう。ちょっとだけ安堵感が心を満たし、体から力が抜ける。
……いけないいけない。危うく眠りかけた。こんな所で無防備に寝たりなんかしたら、溜め込んだ私の厄がそこら中に撒かれてしまう。そんなことになったら一個の異変レベルの事態になりかねない。
もう一度起き上がり、眠気覚ましに紅魔館の門番がやっていた妖しい踊りの真似事をしてみる。ほぁー、ふぉー、などと更に妖しい声をあげてみると、妖しさがより一層増した。途中でなんだか恥ずかしくなったのでやめたが、お陰様で目が覚めた。色々な意味で。
本格的にすることが無かった。耳が痛いほどの静寂の中、さらさらと流れる河のせせらぎと木の葉の擦れる微かな音に耳を傾ける。それはさながら自然の奏でるオーケストラ……となるには少々もの足りない、なんとも言えない音達だった。というか河と木の葉の本当に小さい音だけで自然を感じられる程、私はポエマーではなかったりする。
ぼちゃん
もう一度、河に石を投げ入れる。私の握り拳より少し大きい程度の石。先ほどまでの石よりは明らかに大きい石、よってそれが生んだ波紋はより大きく、高くなった。飛沫が自分の所にまで飛んできて少し冷たかったが、なんだかそれも心地よく感じられた。
よし、今度はもう少し遠くに飛ばしてみよう。そう思い、掌に収まる程度のちょうど良い大きさの石を探し出した。それをしっかりと握り締め、心の中でカウントダウン。1、2のさんっ!
――――――ぽちゃん
ふむ、服装的に動き辛いことを考慮しても中々遠くに飛ばせたのではないか? これならもう少しで向こう岸に着く様な気がする。
より小さい石を握り締め、河原に立つ。視線は斜め上空に、肩の力を抜いて、心を鎮める。瞳を閉じて、私の中で向こうに届くイメージを確立させる。
……よし、いざ!
――――――――ちゃん
良い具合に弧を描いた小石は、河の七割を超えた所で失速し、情けない音を立てて河底へと沈んでいった。くっ、やはりいきなりは無謀だったか……!
神様とはいえ、私の力は人並みに等しい。流石に山の神様ともなればそれこそ河はおろか山一つでさえも楽々と超えられるだろう。第一、あんなに重そうな御柱をあそこまで豪快に投げられるお方なのだ、きっと小石は月まで届くに違いない。
まあ、そんなことはさておき。どうやら私の腕力ではいくら頑張ろうとも小石を向こう岸に届かせることは出来ないみたいだ。さっきのは私の全力だったし、悲鳴を上げている右腕がそれを如実に物語っている。
ではどうしようか。ここまで来たら成功するまで頑張りたい。しかし現状を打破するにはどう足掻こうとも力が足りない。弾幕はパワーだ、ブレインだとどこぞの魔法使い二人が言い争っていたが、今回ばかりはブレインの方に賛成しよう。
ちょこんと岩の上に座り、むむむむむと思策に耽る。今日のお夕飯は何にしようか、あ、なんか雨が降りそうだななどと雑多な思念も割と多めに混ざったが、そんな中、ぴこんと私の中で閃いたものがあった。
それは、いつか私の数少ない友人である河童のエンジニアと二人で胡瓜を齧っていた時のことだ。ぽりぽりと無心に胡瓜を齧り続ける私に対して、彼女が言っていたことを思い出す。
■■■
『うーん、お腹も膨れたし、ちょっと位動こうかなぁ』
『ぽりぽりぽりぽり』
『そうだ、雛はこういう遊びを知っているかい?えっと、この辺にあるかな……お、あったあった』
『ぽりぽりぽりぽり』
『取り出しますは何の変哲も無い平石。これをこうし……てっ!』
――――ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃちゃぽん!
『ぽりぽりぽりぽり』
『どう?上手いもんだろ?これは水切りって言ってさ、昔よく人間の子供達とやったんだ。いやぁ、懐かしいなぁ……』
『ぽりぽりぽりぽり』
『……ていうか、私の話、聞いてる?』
■■■
回想終了。あの時の瑞々しい胡瓜の味は、今でも覚えている。いまいちにとりの言葉はうろ覚えだが、そこはほら、雰囲気でなんとかなる。
確かあの時のにとりは、平べったい石をこの様に地面と水平に持って、横投げで手首の動きを利かせながら投げていた気がする。
習うより慣れろ、案ずるより産むが易し。要するにうだうだと考え込む時間があったら、さっさと行動に移せということだ。
とりあえずはにとりの見よう見まねでやってみよう。えーっと、こうや……って!
――ぱちゃぱちゃちゃん!
……うん、初めてにしては上等な気がする。ていうかすごいわね、どうして石が水を跳ねるのかしら。
ともかく、これで希望が見えてきた。この方法なら非力な私でも向こう岸にまで届かせることが出来るかもしれない。
肩を回し、入念に柔軟をする。その過程で腰を回すと、べギボギバギとこの世の物とは思えないひどい音が辺りに鳴り響いた。参ったな、回転は日々欠かしていないというのに、私の体はそれを運動とみなしてはいないのだろうか。これは見直しが必要みたいだ。
さて、もう動かせる所は動かした。心なしか体の節々に熱がこもっているし、普段より早く動ける気がする。今の私なら、きっと神様だって越えられる。私神様だけど。
そして改めて、河原へと立つ。視線は遠く、この河の向こう。右手に握るは私の相棒、その体は平たく、私に投げられる準備は万端の様だ。最後に一つ、深呼吸。
はぁー……ふぅー……鍵山 雛、行きますっ!
――ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃん!
「あぁ……っ!」
思わず声が漏れる。惜しい、本当にあともう少しだ。飛距離的には、もうにとりは越えたはず。あと一回、そう、一回跳ねてくれたら、きっと私の思いは向こうに届いただろう。まるで思い人に宛てた手紙が黒やぎさんに食べられた気分だ。無意識にした歯軋りが内側から聞こえてくる。
頭の方に血が上っていくのが分かる……もうこうなったら意地だ。何がなんでも向こうに届かせてやる!
■■■
「……ああん、もうっ!!」
だんだんだんと地団駄を踏む。傍から見たらまるで我が儘が通らない幼子の様に見えるだろうが、そんなの関係あるものか。
もうどれだけ石を投げたのだろうか。さっきまで頭上で微笑んでいた太陽は、もう顔を真っ赤にして東へと傾き、ひょっこりと青白い月が顔を覗かせている。心無しか宵闇の妖怪の鳴き声が聞こえた様な気がした。
もうなんていうか、厄い。何が厄いって私が厄い。ここまで頑張っているのに届かないというのは、一体全体なんの冗談であろうか。とりあえず、明日にでも早々に厄流しをしよう。それでにとりの所へ行って、また胡瓜でも齧ろう。地底の友人の所へ、彼女が「妬ましい妬ましい」と言っているのを聞きに行くのも悪くない。
よし、そう考えるとなんだか心が晴れてきた。ちょうど良い具合に時間も潰れたのだ、今回の試みにも確かに意味はあっただろう。
ふわりと浮いて、河をあとにしようとする。これで明日筋肉痛にでもなったら嫌だなぁ、などと考えながら、山の木々の中に入っていく。
「……あら?」
そこであるものが目に入った。河原とはやや離れた、土と草に覆われた大地。その中にぽつんと、小さな灰色が佇んでいる。茶色と緑に囲まれたそれは、必要以上に汚れ、寂しく見えた。
思わずそれを拾い上げる。すると右手の中に収まっていたのは、予想通り、薄汚れた平石だった。
後ろを振り向いて、苦笑する。視界に映る河原にはもはやこれといった平石は見当たらない。それもそのはず、だって私が投げつくしたのだから。今やこの河の底には、積み重なった平石達の墓場が出来上がっているだろう。
恐らくこの子は、ここに残った最後の平石なのだ。もし私に拾われなかったら、永久にここで河を見つめる羽目になったはずだ。そう考えると、なんだか心の奥がきゅっとなる。
手首のリボンで、平石を拭く。これで表面の泥土は取れた。リボンは少し汚れてしまったが、また洗えば良い話。さして問題では無い。
誰であろうと、何であろうと、一人ぼっちは寂しいものだ。それは厄神である私が、一番よく理解している。
ぽーんと高く、平石を放る。降りてきた夜に相成って、それはなんだか二つ目の月に見えた。随分とまあくすんだお月様もあったものだと、自嘲的な笑みがこぼれる。
やがて中空で二秒ほどの月と成ったそれは、重力に負け落ちてくる。完璧なコントロールを以て放られたそれは、寸分違わず私の掌へと返る。わたしはそれをしっかりと掴むと……
「そいやっ!!」
――ぶんっ!
勢いよく振り向き、思い切り投げた。今日一日で体に染み付いた手首の動きと、常日頃から鍛えている私の回転力が相乗したそれは、今日一番の速度と軌道を保ちながら、水面を滑っていく。
ぱちゃちゃちゃと、今日のどれとも違う心地よい快音が連続する。冗談半分で放たれたそれは、その勢いを殺さず真っ直ぐに向こう側へと向かっていった。
やがて平石はその勢いのまま、今日の最高ラインを越える。そして遂に……
――かつんっ!
何かがぶつかる乾いた音が、辺りに響く。やがて大きく跳ね上がったそれは大きく弧を描き、ぽちゃんと水へと落ちた。
……沈黙が満ちる。静寂が辺りを支配する。
「……や、やったぁ!!」
恥ずかしいことにその静寂を破ったのは、他ならぬ自分の声だった。口に手を当て、体中が軋むのも関係なしにぴょんぴょんと跳ね回る。これは夢だろうか?いや違う、だってもう右肩に筋肉痛が来ているし。
それはもう、ものすごい嬉しかった。この喜びを誰かに分かち合いたい、誰かに教えたい、自慢したい、ああもうなんというか言葉に出来ない色々な歓喜の感情が私の中を駆け回る、支配する。
「あ……っと」
そしてひとしきり喜んだ後、唐突に思考が冷静になる。あーあー、こほん、と誰が見ている訳でも無いのに咳払いをし、取り繕った。
最後にちょっとだけ回転をし、ドレスの裾をちょこんとつまみ優雅に礼をする。本当に、誰も見てはいないのに。
そうして本日の目標を果たした私は、いつも通りくるくると回りながら、降り始めた夜の帳へと沈んでいった……
後日、見事なフォームで石を放っている私が新聞の一面を飾ったというのはここだけの話である。
波紋が広がる。投げ入れた小石はちゃぷんという音を立てながら、透き通った河の底へと沈む。
小さな石が作り出した小さな波紋は、瞬く間に小さくなり消えてしまった。
ぽちゃん
続けてもう一回。今度はもう少し大き目の石。先ほどよりは大きな波紋が生まれたが、それでも所詮は石の起こしたもの。静かな波紋は、やはり静かに消えていった。
川辺の大きな石に座り込んで、ふぅ、と溜め息を一つ。背伸びをすると、木漏れ日の中で燦々と輝く太陽が見えた。ぽかんと間抜けに開いた口を塞ぐのも忘れて、じっと日を見る。目が痛くなった。
……退屈だ。それはもう、どうしようも無い程に。河に石を投げ込むのも、くるくると素敵に不敵なダンスをするのも、秋の神様の靴をこっそり両方左足用にしたりするのも、正直言って飽きた。
人里は平和だ。少なくとも絶望的に厄い人間はいない。ちょびっと鬱病っぽいのはいたが、それはもう季節性のものなので無視をする。決して職務怠慢などでは無い。いやほんと。
神様とはいえ、私みたいな社も無い野良神様は仕事がある時以外は割と退屈だ。ましてや私は厄神、遊びに行ける友人なぞそうそういるはずもない。地底の方で一人いた気はするが、今はなんとなく一人でいたい気分なのだ。
もう一度言う、退屈だ。何回でも声を大にして言える。退屈なのだ。
ごろんと横になり、大の字の体勢で空を見る。こんな所を天狗のブン屋にでも見られたら間違いなく明日の一面を飾る羽目になるだろう。そんなことになったら厄神の沽券に関わるが、とりあえずだらけていたかった。
漠然と空を見ていると、慌しそうに駆ける白狼天狗が目に入った。天狗の部下である彼女がああならば、恐らくブン屋の方も私に構っている余裕は無いだろう。ちょっとだけ安堵感が心を満たし、体から力が抜ける。
……いけないいけない。危うく眠りかけた。こんな所で無防備に寝たりなんかしたら、溜め込んだ私の厄がそこら中に撒かれてしまう。そんなことになったら一個の異変レベルの事態になりかねない。
もう一度起き上がり、眠気覚ましに紅魔館の門番がやっていた妖しい踊りの真似事をしてみる。ほぁー、ふぉー、などと更に妖しい声をあげてみると、妖しさがより一層増した。途中でなんだか恥ずかしくなったのでやめたが、お陰様で目が覚めた。色々な意味で。
本格的にすることが無かった。耳が痛いほどの静寂の中、さらさらと流れる河のせせらぎと木の葉の擦れる微かな音に耳を傾ける。それはさながら自然の奏でるオーケストラ……となるには少々もの足りない、なんとも言えない音達だった。というか河と木の葉の本当に小さい音だけで自然を感じられる程、私はポエマーではなかったりする。
ぼちゃん
もう一度、河に石を投げ入れる。私の握り拳より少し大きい程度の石。先ほどまでの石よりは明らかに大きい石、よってそれが生んだ波紋はより大きく、高くなった。飛沫が自分の所にまで飛んできて少し冷たかったが、なんだかそれも心地よく感じられた。
よし、今度はもう少し遠くに飛ばしてみよう。そう思い、掌に収まる程度のちょうど良い大きさの石を探し出した。それをしっかりと握り締め、心の中でカウントダウン。1、2のさんっ!
――――――ぽちゃん
ふむ、服装的に動き辛いことを考慮しても中々遠くに飛ばせたのではないか? これならもう少しで向こう岸に着く様な気がする。
より小さい石を握り締め、河原に立つ。視線は斜め上空に、肩の力を抜いて、心を鎮める。瞳を閉じて、私の中で向こうに届くイメージを確立させる。
……よし、いざ!
――――――――ちゃん
良い具合に弧を描いた小石は、河の七割を超えた所で失速し、情けない音を立てて河底へと沈んでいった。くっ、やはりいきなりは無謀だったか……!
神様とはいえ、私の力は人並みに等しい。流石に山の神様ともなればそれこそ河はおろか山一つでさえも楽々と超えられるだろう。第一、あんなに重そうな御柱をあそこまで豪快に投げられるお方なのだ、きっと小石は月まで届くに違いない。
まあ、そんなことはさておき。どうやら私の腕力ではいくら頑張ろうとも小石を向こう岸に届かせることは出来ないみたいだ。さっきのは私の全力だったし、悲鳴を上げている右腕がそれを如実に物語っている。
ではどうしようか。ここまで来たら成功するまで頑張りたい。しかし現状を打破するにはどう足掻こうとも力が足りない。弾幕はパワーだ、ブレインだとどこぞの魔法使い二人が言い争っていたが、今回ばかりはブレインの方に賛成しよう。
ちょこんと岩の上に座り、むむむむむと思策に耽る。今日のお夕飯は何にしようか、あ、なんか雨が降りそうだななどと雑多な思念も割と多めに混ざったが、そんな中、ぴこんと私の中で閃いたものがあった。
それは、いつか私の数少ない友人である河童のエンジニアと二人で胡瓜を齧っていた時のことだ。ぽりぽりと無心に胡瓜を齧り続ける私に対して、彼女が言っていたことを思い出す。
■■■
『うーん、お腹も膨れたし、ちょっと位動こうかなぁ』
『ぽりぽりぽりぽり』
『そうだ、雛はこういう遊びを知っているかい?えっと、この辺にあるかな……お、あったあった』
『ぽりぽりぽりぽり』
『取り出しますは何の変哲も無い平石。これをこうし……てっ!』
――――ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃちゃぽん!
『ぽりぽりぽりぽり』
『どう?上手いもんだろ?これは水切りって言ってさ、昔よく人間の子供達とやったんだ。いやぁ、懐かしいなぁ……』
『ぽりぽりぽりぽり』
『……ていうか、私の話、聞いてる?』
■■■
回想終了。あの時の瑞々しい胡瓜の味は、今でも覚えている。いまいちにとりの言葉はうろ覚えだが、そこはほら、雰囲気でなんとかなる。
確かあの時のにとりは、平べったい石をこの様に地面と水平に持って、横投げで手首の動きを利かせながら投げていた気がする。
習うより慣れろ、案ずるより産むが易し。要するにうだうだと考え込む時間があったら、さっさと行動に移せということだ。
とりあえずはにとりの見よう見まねでやってみよう。えーっと、こうや……って!
――ぱちゃぱちゃちゃん!
……うん、初めてにしては上等な気がする。ていうかすごいわね、どうして石が水を跳ねるのかしら。
ともかく、これで希望が見えてきた。この方法なら非力な私でも向こう岸にまで届かせることが出来るかもしれない。
肩を回し、入念に柔軟をする。その過程で腰を回すと、べギボギバギとこの世の物とは思えないひどい音が辺りに鳴り響いた。参ったな、回転は日々欠かしていないというのに、私の体はそれを運動とみなしてはいないのだろうか。これは見直しが必要みたいだ。
さて、もう動かせる所は動かした。心なしか体の節々に熱がこもっているし、普段より早く動ける気がする。今の私なら、きっと神様だって越えられる。私神様だけど。
そして改めて、河原へと立つ。視線は遠く、この河の向こう。右手に握るは私の相棒、その体は平たく、私に投げられる準備は万端の様だ。最後に一つ、深呼吸。
はぁー……ふぅー……鍵山 雛、行きますっ!
――ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃん!
「あぁ……っ!」
思わず声が漏れる。惜しい、本当にあともう少しだ。飛距離的には、もうにとりは越えたはず。あと一回、そう、一回跳ねてくれたら、きっと私の思いは向こうに届いただろう。まるで思い人に宛てた手紙が黒やぎさんに食べられた気分だ。無意識にした歯軋りが内側から聞こえてくる。
頭の方に血が上っていくのが分かる……もうこうなったら意地だ。何がなんでも向こうに届かせてやる!
■■■
「……ああん、もうっ!!」
だんだんだんと地団駄を踏む。傍から見たらまるで我が儘が通らない幼子の様に見えるだろうが、そんなの関係あるものか。
もうどれだけ石を投げたのだろうか。さっきまで頭上で微笑んでいた太陽は、もう顔を真っ赤にして東へと傾き、ひょっこりと青白い月が顔を覗かせている。心無しか宵闇の妖怪の鳴き声が聞こえた様な気がした。
もうなんていうか、厄い。何が厄いって私が厄い。ここまで頑張っているのに届かないというのは、一体全体なんの冗談であろうか。とりあえず、明日にでも早々に厄流しをしよう。それでにとりの所へ行って、また胡瓜でも齧ろう。地底の友人の所へ、彼女が「妬ましい妬ましい」と言っているのを聞きに行くのも悪くない。
よし、そう考えるとなんだか心が晴れてきた。ちょうど良い具合に時間も潰れたのだ、今回の試みにも確かに意味はあっただろう。
ふわりと浮いて、河をあとにしようとする。これで明日筋肉痛にでもなったら嫌だなぁ、などと考えながら、山の木々の中に入っていく。
「……あら?」
そこであるものが目に入った。河原とはやや離れた、土と草に覆われた大地。その中にぽつんと、小さな灰色が佇んでいる。茶色と緑に囲まれたそれは、必要以上に汚れ、寂しく見えた。
思わずそれを拾い上げる。すると右手の中に収まっていたのは、予想通り、薄汚れた平石だった。
後ろを振り向いて、苦笑する。視界に映る河原にはもはやこれといった平石は見当たらない。それもそのはず、だって私が投げつくしたのだから。今やこの河の底には、積み重なった平石達の墓場が出来上がっているだろう。
恐らくこの子は、ここに残った最後の平石なのだ。もし私に拾われなかったら、永久にここで河を見つめる羽目になったはずだ。そう考えると、なんだか心の奥がきゅっとなる。
手首のリボンで、平石を拭く。これで表面の泥土は取れた。リボンは少し汚れてしまったが、また洗えば良い話。さして問題では無い。
誰であろうと、何であろうと、一人ぼっちは寂しいものだ。それは厄神である私が、一番よく理解している。
ぽーんと高く、平石を放る。降りてきた夜に相成って、それはなんだか二つ目の月に見えた。随分とまあくすんだお月様もあったものだと、自嘲的な笑みがこぼれる。
やがて中空で二秒ほどの月と成ったそれは、重力に負け落ちてくる。完璧なコントロールを以て放られたそれは、寸分違わず私の掌へと返る。わたしはそれをしっかりと掴むと……
「そいやっ!!」
――ぶんっ!
勢いよく振り向き、思い切り投げた。今日一日で体に染み付いた手首の動きと、常日頃から鍛えている私の回転力が相乗したそれは、今日一番の速度と軌道を保ちながら、水面を滑っていく。
ぱちゃちゃちゃと、今日のどれとも違う心地よい快音が連続する。冗談半分で放たれたそれは、その勢いを殺さず真っ直ぐに向こう側へと向かっていった。
やがて平石はその勢いのまま、今日の最高ラインを越える。そして遂に……
――かつんっ!
何かがぶつかる乾いた音が、辺りに響く。やがて大きく跳ね上がったそれは大きく弧を描き、ぽちゃんと水へと落ちた。
……沈黙が満ちる。静寂が辺りを支配する。
「……や、やったぁ!!」
恥ずかしいことにその静寂を破ったのは、他ならぬ自分の声だった。口に手を当て、体中が軋むのも関係なしにぴょんぴょんと跳ね回る。これは夢だろうか?いや違う、だってもう右肩に筋肉痛が来ているし。
それはもう、ものすごい嬉しかった。この喜びを誰かに分かち合いたい、誰かに教えたい、自慢したい、ああもうなんというか言葉に出来ない色々な歓喜の感情が私の中を駆け回る、支配する。
「あ……っと」
そしてひとしきり喜んだ後、唐突に思考が冷静になる。あーあー、こほん、と誰が見ている訳でも無いのに咳払いをし、取り繕った。
最後にちょっとだけ回転をし、ドレスの裾をちょこんとつまみ優雅に礼をする。本当に、誰も見てはいないのに。
そうして本日の目標を果たした私は、いつも通りくるくると回りながら、降り始めた夜の帳へと沈んでいった……
後日、見事なフォームで石を放っている私が新聞の一面を飾ったというのはここだけの話である。
それはさておき、にとりのせいで腹減った。なぜだ。
「そんなの、テレビがなければ退屈でしょうがないからに決まっているじゃないですか。」
暇と退屈は幻想郷で最大の社会問題なのかもしれません。
※1様
文はスクープの為なら本当に頑張る娘だと思います。
あとその日の夕飯は胡瓜の漬物でした。
※ロドルフ様
こんな雛様がいたっていいじゃないか。だってこんな雛様も可愛いと思うもの
※4様
全くです。幻想郷の人々が退屈しないのはせいぜい異変の時くらいでしょうね
よく考えると雛メインのSSって少ないよなぁ