眩しい月が群青色の空に浮かぶ。今宵は幻想郷の中心にある人里にて催し物が行われていた。大人や子供、こっそり人間に擬態した妖怪まで。思い思いに屋台を楽しんだり、酒を呑んで踊ったり。人間にとって、夏祭りは一大イベントである事が分かる。
その中でも特に賑やかな、ステージを模した設営会場。時間帯ごとに分けられたプログラムに沿って様々なショー、見世物が繰り広げられる。
「……ひゃー、流石アリスさん。人気者だなぁ」
そのステージ裏から表舞台を覗く蟲妖怪がひとり。リグル・ナイトバグは、アリス・マーガトロイドの出し物、オリジナル人形劇のストーリーの鮮やかさ、そして細やかに人形を操るアリスに見とれていた。子供からの人気が一番高い人形劇。客席の前列はほぼ子供で埋まっている。
「大丈夫かなぁ……緊張するね」
そう、蛍たちに話しかける。彼女は、アリスの次のプログラムに割り当てられている蛍ショーの監督であった。夏祭りのステージに立ってほしいと依頼を受けたのは初めてなのだが、この日のために蛍たちと熱心に練習を積み重ねてきたし、バックではリリカが音楽を演奏してくれる。ベテランがいるととても心強い。
巳の刻。
アリス、マーガトロイドの人形劇は盛況のうちに幕を閉じた。そろそろ良い子は家に帰る時間。酒盛りする大人たちを後目に、子供達はぶーたれながら帰ってゆく。
まもなく出番だ。プログラムが書かれた紙を、妖精が一枚めくる。
ステージに向け一歩踏み出し、真ん中まで一直線に歩く。
お辞儀。
「お初にお目にかかる人もそうでない人も、グッドイブニング。このリグル・ナイトバグが披露する蛍のナイトショー、お披露目いたしましょう。妖怪の山付近の清流で鍛えた蛍たちが、今宵の闇に燦然と光り輝くさまを、とくとご覧あれ」
よし。台詞、噛まないで言えた。リグルは心の中でガッツポーズを決める。リリカの演奏がゆっくりと始まった。夏の清流を思わせるような、しっとりとしたナンバーだ。ステージの上の提灯の明かりが全て落ち、足元を照らす薄明りだけが残る。
人差し指に一匹の蛍を指先に灯らせる。ぽっ。話しかけるほどの近さで蛍の耳打ちするような素振りを見せて、一緒に踊り出す。リリカがすかさずワルツのリズムを奏でる。蝶のような足の動きを見せながら、まるで蛍の光と踊っているようなパフォーマンスを見せる。客席にはカップルらしき二人組もいた。ロマンチックな蛍の光に惹かれてやってきたのだろう。リリカがウィンクする。やったね、という口の動きを見せながら手は休めない。
ワルツはやがて激しめのタンゴに変わってゆく。蛍は一匹、二匹と増え、リグルと動きをシンクロさせ、光を躍らせる。楽しい。リグルは先程の緊張が嘘のように解け、ステージを楽しんでいた。そして、タンゴのリズムが一瞬ぴた、と止む。
しっとりとしたナンバーが、また流れ出した。ポケットから何匹もの蛍がふわりと飛び出して、ステージを青い光で埋め尽くす。そして、リグルの合図で一斉に光のリズムを合わせる。最後に、リグルのポケットに入った蛍がめいいっぱい光り、そして、だんだんと弱まってゆく。まるで、胸の中に光が入っていったように。――フィナーレ。
長かったようで、短かった。客席から拍手が飛ぶ。先程のカップルも、笑顔で拍手を送ってくれていた。それが嬉しいのと、緊張が解けたので思わず破顔してしまう。
「ありがとうございましたー!」
お辞儀をして、拍手がまだ続く中、舞台裏に退場した。
「すごかったじゃん。初めてにしては良くやったよ」
「……見てたの?」
鳥獣伎楽の二人がぱちぱちと拍手しながらリグルを出迎える。友人にパフォーマンスを見られるというのは、案外照れる。
「この子たちのおかげだよ」
蛍たちも成功したのが嬉しそうにリグルの周りを舞う。
「まあまあ。リグルもこれで幻想郷のパフォーマーの立派な一員だよ。……あ、私達そろそろ出番だ。いってくるね!」
リグルのプログラムの次は鳥獣伎楽のライブだ。最高にロックでしびれる音楽を披露してくれるのだろう。後片付けを済ませて、私も後で見に行こう。
「あれ、蛍、一匹いない……」
全部で三十匹いるはずの蛍が、二十九匹しかいない。一匹、どこかではぐれたのか。
「どこに行ったんだろう……」
きょろきょろと辺りを探す。
……いた。
客席のはずれ、少し暗いところ。
「みんな、ついてきて」
鳥獣伎楽の歌声が響いている。そのリズムに合わせるように、はぐれた蛍がお尻を光らせていた。
「もう、全く、お前は早とちりなんだから…………って、あれ、どこ行くの」
その蛍はリグルに叱られるのを嫌がるようにその場からふわふわと逃げた。
「こら、待て!」
リグルは蛍の後を追う。なかなか蛍もしぶとく逃げ続ける。残りの蛍もやいのやいのと光りつつ着いてくる。
「待てこら! ……怒らないから止まりなさい!」
追いかけ続けて、蛍はやっと飛ぶのをやめた。リグルの手元に戻って来る。
「はあ……疲れた……」
……一体どこまで来たのだろう? 辺りには見覚えの無い風景が広がっていた。竹が数え切れないほど生えており、ざわ、ざわりと風が鳴る。
――どうやら、とんでも無いところに来てしまったようだ。
リグルは幻想郷の全てを知っている訳ではない。……だが、これだけは、本能的に感じ取った。
満月が不気味なほど光っている。夏とは思えない冷たい風が、リグルの頬を撫でて行った。
帰り道は、当然の如く分からなかった。なにせ、風景はどこを見ても竹、竹、竹。
……このまま、家に帰れなかったら、どうしよう。そんな不安がよぎる。
「ばか、ばか! お前のせいだ!」
はぐれた蛍に向かって怒鳴る。蛍は、申し訳なさそうにちか、ちか、とお尻を光らせ続けている。
不安でどうしようも無くて、竹の根本に座り込む。
「……うー……」
涙がひとつ出てきた。またひとつ。蛍たちはリグルを慰めるように周りに集まって光る。
ちか、ちか。
ちか、ちか。
「お前、こんなところで何をしているんだ」
ふと、頭上から声がした。
「へ」
「だから、こんなところで何をしているんだ、と聞いている」
「あの、蛍を追いかけていたらいつの間にかここに来ちゃってて、そんで、帰れなくなって……」
「……ああ、こんなところで蛍が光っていると思ったら、お前たちだったのか」
「はい。私、リグルといいまして……蟲の妖怪なんです」
「リグル、か。私は藤原妹紅だ。この迷いの竹林で自警団をしている」
「もこう、さん」
「迷ったのなら出口まで送る。ついてこい」
「あ、あの、はい」
妹紅、と名乗る人物は、ただひたすら、黙々と道を歩く。これで本当に出口まで出られるのだろうか。
「あの、妹紅さん」
「なんだ」
「あの、お祭りには、行かなかったんですか」
「……そういや、今日は人里で祭りがあったそうだな。私は人出が多いところにはあまり行かない」
「……そうですか」
……沈黙。
少し、話しづらいかも。
「リグルは蟲の妖怪だ、って言ったな」
「あ、はい」
「蛍を見たのは久しぶりだったよ」
「え」
「私は生きて大分経つ人間だが、ここ数百年は見ていなかった。懐かしいよ、蛍の光」
「あ……えっと、そうなんですか。うちの蛍で良ければ、いつでも派遣しますよ」
「そんな商売もやってるんだな。だが果たして迷いの竹林を正確にやって来られるかな。主人が迷ってる始末なのに」
「うっ」
「……まあ、ここは人間どころか妖怪すらやって来ないところだからな」
「妹紅さんは、なんでそんなところに住んでるんですか」
「さあな」
「……そうですか」
「私はな、不老不死なんだ」
「へ、不老不死、って」
「言葉どおりだ。老いる事も、死ぬ事も、ないんだ」
「……そんな人が、いるなんて」
「生まれつきそうだった訳じゃない。薬を飲んでな」
「…………」
「羨ましいか? それとも、浅ましいと思うか?」
「…………」
「意地悪な質問だったな、すまん」
「私は、蟲の妖怪なので、季節が巡るたび、虫が死ぬのを見ています」
「うん」
「この蛍たちも、夏が終わったら死ぬ運命です。……だから、死ぬ、という事がどれだけ重いか、曲りなりにも知っているつもりです」
「……そうか。私も、蛍みたいに、一つの季節を謳歌して、死んでゆくような生き物になりたかったよ。……もう、遅いけどな」
「長く生きるという事は、それだけ背負うものも大きくて。だからこそ、死ぬ時に、ああ、生きてて良かったって、そう思えたら、長い人生も苦じゃない、と思います」
「なるほど。良い意見だ」
「……なんかすみません。偉そうに」
「いいよ」
「例え妹紅さんが死ななくても、いつか、その人生で背負ってきたものの清算はあると思います。……今までしてきた善行、罪。全ての清算が。……それが終わった時、妹紅さんは初めて解放されるんじゃないかな、と思います」
「……ありがとうな」
「いえ、これも、全て虫たちに教えられた事です」
「……さあ、そろそろ出口だぞ」
風がざわめく。満月は迷った時と同じ形、同じ輝きで。遠くで聞こえる祭囃子も、もう終盤に差し掛かっているのが分かる。
「妹紅さん、本当にありがとうございました。感謝してます」
「いいよ。その代わり、もう二度と迷うな」
「じゃあ、妹紅さんに、もう会えないんですか」
「なんだ、情でも移ったか。私は虫じゃないぞ」
「いえ、……ただ、またお話したいなーと思って」
「飛んで火に入る夏の蟲、だな」
「へ」
「なんでもないよ。また、機会があれば会おう。お前が生きているうちに、機会があればな」
「……はい! 是非!」
「……皮肉だったんだが」
妹紅は苦笑しながらも、空に飛び上がった。
その瞬間、空に紅い翼がぶわり、と大きく、大きく広がる。
「……! 妹紅さん!」
「またな」
一層大きく翼が広がり、まるで、どこかの本で見た不死鳥のように翼をはためかせ、竹林の向こう側に消えて行った。
「……妹紅さん」
永遠の命の持ち主。藤原妹紅。……きっと、私には想像が付かないくらい長く生きているのだろう。それは、残酷だけど、とても美しくて。……まるで、昆虫標本にされている蝶のようだ。
またな、……この言葉の意味はリグルには分からなかった。先程のように生きてるうちに会えたら、という事なのだろうか。それとも、また近いうちに、という事だろうか。
「……よし! 帰ろう!」
蛍たちはちゃんと三十匹いる。
ただ、私は、虫は、虫なりに、一生懸命生きるという事。そういう事だと、受け取っておく事にした。
リグルは鼻歌を歌いながら、蛍たちと一緒に、家路を歩いてゆくのであった。
この表現を気に入った。リグルと、そして蛍たちの関係を表しているように思う。
この二人の絡みを見るのは初めてだが、とても自然に思えた。特に、会話文の中の自虐的な妹紅を個人的に好いている。
ただ、迷う件は飛ぶ事で解決出来たのではなかろうか?
リグルのバカっぽさというか、子供っぽさがちょうどよく表されているような気がした。
最初のリグルオンステージがとても幻想的でベネ。
見事なお話でした。
リグルの子供っぽさと虫たちとのコミュニケーションをする器用さが見事に表現されてました。
妹紅も充分凛々しかったです。
次回作も期待してます。
しかし、テーマがテーマだけにもう少し尺が欲しかったかななんて思ったり。
前半と後半が完全に切り離されてしまっていたので、その辺のギャップやら絡みやら利用出来ればもっと深みがましたかなとか、思ったりしました。
蟲の妖怪としての死生観がそれらしくて素敵ですね。