「蓮子へ 来週の日曜、駅前の喫茶店で会える?」
部屋の風鈴がちりいんと鳴った。みーん、みーん、と間抜けに鳴く蝉の声で、時刻がもう昼過ぎである事を痛感できる。ううん、と寝返りを打つと携帯のライトが点滅している事に気付き、寝ぼけ眼で画面を目に映す。
それは、あまりに簡潔な連絡で。私の、長ったらしい連絡が苦手だという性分を汲み取れる相棒からの久しぶりの連絡だった。体を布団から起こし、返事を打とうとする。
……私、いつもメリーにどういうメール送ってたっけ。
大学生の時はあれほど連絡を交わしてたのになぁ、と思いながら指が戸惑う。駅前の喫茶店。大学のカフェテラスと並ぶほど行きつけだったあそこ。大学を卒業してから全く行ってなかったから、ちょっと懐かしいかも。いずれにしろ、断る理由は無い。
「いいよ、了解」
そう打って送信すると、布団に携帯を放り投げ、遅い朝食の準備をする。いつも簡単にパンを焼いて済ませるだけなのだが、今日は少し気合いを入れてハムエッグとサラダを作ってしまった。これでも気合い入れてるほう、入れてるほう。メリーに今の食生活がばれたら怒られそうだけど。
じりじりと肌に刺さってくる紫外線。視界に揺れる涼しげな青い葉とは裏腹な暑苦しい蝉の声。感じる空気全てが、夏を物語っていた。日曜日の、人が多い京都駅のホームに降り、もわと都会の暑さを体感する。
からんころんと喫茶店のドアを開け、適当な席に座る。ポケットから携帯を取り出すと、
「蓮子へ 遅刻してない?」
こちとら楽しみで遅刻するどころか十五分も前に着いたわよ、と心の中で呟く。
いつも、待ち合わせした時には、私が遅刻しては怒られていた。しかし、今回は毎晩、自分の能力を久しぶりに鍛えていたし、視力検査みたいに、繰り返し、精密に、ゆっくり勘を取り戻して行った。やっぱり、秘封倶楽部を構成する一員として能力が衰えていては恰好がつかない。
メリーに会うのは実に三年ぶりとなる。私は大学院に進学し、メリーは就職した。確か、卒業した日も、二人でここの紅茶を飲んだな。秘封倶楽部の活動や、これからの道について話しながら。……不良サークル、なんて言われてた秘封倶楽部。当然、新しいメンバーが増える事もなく、私達が卒業した時点で無くなった。でも、その後もちょくちょく結界暴きや怪しい場所に出かけたりしていたな。いつからかお互い忙しくなって疎遠になったけど。連絡も、一年は途絶えていたと思う。
からころん、と喫茶店のドアが開いた。メリーだ。
遠くからひらひらと手を振るその姿は、少しだけ、大人っぽくなったような気がする。
「元気だった?」
「ええ、おかげさまで」
メリーは目配せして、テーブルを隔てて私の向かいの席に座った。ふわりと香る、女性らしいシャンプーの匂いは相変わらずだ。
「大学院はどう?」
「まあまあ。楽しいわよ。自分の好きな事を突き詰められるってのは」
そう言って、二人分のアイスティーを注文する。私はアールグレイ、メリーはダージリン。いつものフレーバーを、覚えている。
メリーの顔を見るとやはり学生時代とは違うな、と感じた。どこが違うか、と言えば明確に答えられる訳ではないのだが、雰囲気とか、醸し出すイメージが大人になったと言うべきか。
ぼうぼうと、真上で空調の音が鳴っている。
「メリー、変わったわね」
「そうかしら? 蓮子も、顔立ちがくっきりした……っていうか、あの時より痩せてない?」
「良く分かったわね。ここだけの話、結構体重落ちたのよ」
「不健康な生活してるからじゃないの?」
「……流石メリーさん、ご名答です」
「ちゃんとご飯食べて、夜は寝てる?」
「大学院生ともなれば研究漬けで自分の生活なんかそっちのけよ」
「まあ、蓮子が楽しいんならいいけど。倒れないように気を付けてね」
「はいはい、全くメリーは心配性なんだから。私の母より母らしいんじゃないかしら」
二人でくくく、と笑う。この空気。懐かしいな、本当に。
それから、メリーとは近況を報告し合ったり、そして、あの頃の秘封倶楽部の活動を振り返ったり、話に花を咲かせた。とりわけ驚いたのが、メリーが秘封倶楽部の活動日誌をまだ全部所持していた事。卒業する時に、私じゃ管理できなさそうだから、ってメリーに全部渡したっけ。
「はい、蓮子。全部は持ってこられなかったけど、秘封倶楽部の活動日誌の一部よ」
「うわ、懐かしい! 見てみるね」
記念すべき秘封倶楽部の第一冊目の活動日誌。蓮台野での活動が何ページにもわたり記録されている。私達の能力の事、そして結界への考察。二人で書いた落書きなんかもあった。そして、最後のページには、二人並んで撮った写真。……ひとつひとつの情景が、克明に思い出せる。
メリーと夢と現の話をした事。卯酉東海道線を使って東京まで旅行に行った事。大学のカフェテラスで宇宙旅行の話をした事。鳥船遺跡まで冒険して、帰ってきた事。
「……そういや信州のサナトリウムで静養してた事もあったわね。今、能力のほうはどんな感じ?」
活動日誌をぱらぱらとめくりつつ言うと、メリーの睫毛が一瞬揺れた。
「そうね、……その……結界の向こう側で干渉を受けて、害が及ぶ事、ってのはもうないわ」
「あら、そうなの。良かったじゃない」
「……と言うか、結界そのものが、無くなったように感じるの」
「え」
「自由に行き来できていたのに、もう、感じる事ができないの」
「で……でも、私の能力はまだ使えるわ。また、いつでもいいから秘封倶楽部の活動、やってみましょうよ。勘が取り戻せるかも」
そう言うと、メリーは首をゆるゆると横に振った。
その、薄い笑みが示唆する事実。それは、私にとって、秘封倶楽部にとって、ひとつの区切りが訪れたのだというものだった。
少女ではなくなった秘封倶楽部。きっと、メリーは結界が見えない訳じゃない。もう、見る必要が無いんだ。やっぱり、大人になったんだ。メリー。
「あのね、蓮子。私、結婚するの」
グラスの氷がから、と鳴った。
「…………そうなの」
「ええ」
「おめでとう」
「職場で出会ったの。いい人よ」
「わかってる」
「一番に伝えようと思った」
「…………知ってる」
「なんだか、こういう話するの、慣れてないわ。蓮子とはいつも下らない話ばかりしていたんだもの」
「そうね」
秘封倶楽部の終わりの時。考えた事が無かった。考えたくなかった。
泣くな、泣くな、泣くな。泣くような事じゃない。むしろ、喜んで迎えるべきなのに。嬉しい事のはずなのに、なぜ感情が押し寄せてきて、ああもう、訳が分からない。
アイスティーの氷は、もう溶けかけてグラスの底に這いつくばっていた。残りを一気に飲み干す。味が水っぽく、薄くなっていた。
「結婚式、来てくれる?」
もう一度、薄く笑うメリーを見て、ああ、今、目の前にいるのはマエリベリー・ハーンだと悟った。私の隣にいたメリーじゃなく、一人の女性。
「勿論よ」
そう、答えるのが精いっぱいだった。
夕刻、電車に揺られながら今日の事を少しずつ、少しずつ反芻していた。
「楽しかったわ。またね」
「ええ、じゃあ、また」
メリーと別れた時の言葉。その「また」は、きっとずっと後になるのだろう。「また明日」なんて言ってた頃じゃなく、「また忘れた頃」になってしまうのだろう。
秘封倶楽部。全ては、この瞬間のために存在していたのだ。脳裏には、さざ波のようにあの時の、笑顔のメリーが浮かんでは消えてゆく。私も、メリーもいつまでも子供じゃない。そう。人は変わってく。秘封倶楽部だけじゃなくて、この電車に乗っている人も。街を歩いている人も、みんな、自分の世界があって、人と人を隔てる結界があって。
そこに、ぼんやりあると思っていて。信じていた。でもそれは、自分の勝手な思い込みだった。私が知らないうちに、メリーはずっとずっと成長していた。寂しかった。頭では理解しているのに、感情がついていかないという事がこんなに煩わしいか。
私の相棒、メリー。大切な友人で、相棒で。いつも一緒にいる、と思っていたのに、やはり別々の世界に生きている二人の人間なのだと思い知らされる。大人になって、もう能力を使う必要も無くなった。私がいなくても、隣には素敵な人がいるのだ。生きてゆけるのだ。
いつの間にか、涙が溢れ出ていた。恥ずかしいほど、目に感情を露わにしていた。
「蓮子。泣かないで」
あの時のメリーなら、きっとこう言ってくれるだろう。でも、こんな事を考える自分が恥ずかしくて、惨みじめで、またぐずってしまう。メリー。メリー。
行かないで。置いていかないでよ。また、秘封倶楽部で、一緒にやりましょうよ。
メリー。メリーってば……。
結婚を一番に伝えようとしたメリーの視点では、秘封倶楽部は蓮子とはまた別の価値を持っていたのでしょうか。
子供と大人の境界って自分自身で見つける事はそうそうできることじゃないと思います。
よくある「大人の階段」も、大人の境界となっている結界の「穴」へと続くいわば「大人のトンネル」だと思います。
子供から大人の境地へ入るのもまた、人生の分かれ道だと思います。
この作品での連子もまた、その「大人のトンネル」の中間にいるんだと思います。
そしてメリーは既に大人の領域へと入ってしまい、連子はそんなメリーを自分のいる所に「連れ戻したい」という想いに囚われ、自分と同じ位置にいて二人で手を繋いで、倶楽部活動をしていた子供の領域へと戻るために二人で一緒に歩いて行きたい・・・。
私は場面的にそう解釈しました。
短いながらも、良い作品だったと思います。
次回作も期待してます。
実際どうなんでしょうね。近未来のエリートは今の欧米のように院卒でないと話にならない、と考えるなら、大学院に進学できなかったメリーの心象のほうこそ気になります。自分の好きなことを税金使って突き詰めて、院生ライフをエンジョイしまくっていて、換えのきかない人材"someone"になりつつある蓮子。そうでありながら能力は維持している。もはや彼女と対等ではいられないのです…。
個人的に大学生活最後の喫茶店シーンが見たい。
ふと昔を思い起こした時、もうあの時は帰ってこないんだな、というような哀愁を感じました。
共に歩む連れはいなくなってしまいましたが、蓮子の不思議への探求は続いてゆくのでしょうか。
それとも、その気力も潰え、大人になってゆくのでしょうか。
短いながらも、強い余韻を残すお話でした。
しかしそれがいい。
東方知ってからめきめき年取って実感してるのに東方のキャラにまでそういうことされたらいったいどうすりゃいいんですか
秘封倶楽部は幻想郷の外に生きてるからしかたないんでしょうし
幻想郷の中の住人さえ変化はあるんでしょうが
まあ点数通りの評価なわけです
タイトルが中々いいアクセントになっていると思います。
ああ、かなしい