「馬鹿な……! このタイトルからどうやってシリアスに持ち込むんだ……! タグ詐欺なんて有り得ない……!」
様々な配慮を漏らしながら、妹紅が逝った。死因はパンツである。
だからあれほど前貼りにしておけば、と生前の友人である慧音は悔やんだものの、時すでに遅し。妹紅は静かに眠っている。眠っているが、数秒後にはリザレクションするのが蓬莱人の良いところだ。
がばりと跳ね起き、妹紅は口を開く。
「本当だった。今の幻想郷は、パンツを穿くと死ぬ」
身をもって検証した者が言うのだから、間違いない。他にも不死身仲間である輝夜が、同じく朝パンツを穿いてその命を散らし、そして蘇生したそうなので、やはり事実と見ていいだろう。
なお、慧音は下着を穿くという習慣が無いので、死亡被害は免れたらしい。
「穿かないことで、儚い命を守れるのか……」
「凄いな妹紅! お前は駄洒落の天才だ!」
「い、いや、今のは突っ込んで欲しかったんだけど」
妹紅が照れくさそうに顔を掻くのも無視し、慧音は褒めちぎる。褒めて伸ばすタイプ、という訳でもなく、妹紅だけベチャベチャに褒めるのである。こんな有様でも好意は隠せてる筈、と思い込んでいるらしい慧音の神経は計り知れない。
「とにかく、大変なことになったね。早く里の皆にも報せた方がいい」
「も、妹紅は優しいんだな! か、かかかカッコいいな!」
慧音って私と一緒にいる時だけ、挙動不審だよなーなどと鈍感少女妹紅は不思議がりつつ、人里へ急ぐ。
そう、これは異変である。
幻想郷全土を揺るがす、パンツ絶命騒動の幕開けであった。
* * *
「お札ー。お札はいらんかねー。女の子の大事なところを隠す、凄いやつだよー」
世も末だった。
のどかな里の小道で、白昼堂々、物売りが前貼りなんぞを売って歩いている。
そこへきゃあきゃあと群がるは、妙齢の少女達。当然、彼女らはパンツなどというくだらない布切れは身につけていない。ぜひとも録画したい眼福の光景だが、道徳的に許されざるなので、断腸の思いで、身を切る思いで、名残り惜しいけれども、このノーパン状態を解消しなくてはならないのだ。
(一体、何が原因なんだろう)
今朝方、パンツで死亡した蓬莱人三名の内の一人、妹紅は考える。幻想郷でこのような大規模の異変が起こる場合、大抵は妖怪が絡んでいる。しかし、脳内にあるどんな知識と照らし合わせても、パンツを穿いた女子を死にいたらしめる妖怪など、心当たりが無かった。というかそんなものに心当たりがあったら、とっくに妹紅自身がブチ殺している。
となると、最近新しく誕生した妖怪なのではないか?
少し解決の糸口が見えてきたかもしれない。
「わー妹紅さんだーかっこいいねー」
「ほんとだー。煙草吸ってるー。渋-い」
「アルビノみたいで素敵……私もあんな髪になりたい……」
前貼りを買い終わった少女達が、ひそひそと妹紅に黄色い声を上げながら通り過ぎて行く。
ふっ。まあ悪くない気分かな、と髪をかき上げる妹紅だった。
「でも慧音様のヒモなんでしょあの人?」
「ちょっとそれはないよねー!」
「毎晩泣きながら、慧音様に別れないでって泣きついてるんだっけ?」
おい、里じゃ私はそんな風に噂されてるのか。髪を掻き毟る妹紅であった。
(なんでさ? おかしくね? 私結構、妖怪退治とかで点数稼いでたよな? 里じゃ憧れのお姉さんとして慕われてるんじゃないの?)
ぐるぐると妹紅の脳内を思考が駆け巡る。
パンツ絶命騒ぎも気になるが、自分の名誉を踏みにじっている者も調査しなくてはならない。
そうと決まれば妹紅は早い。予備動作も無しに、飛び立った。まさに雷光であった。燃え上がる羽をはためかせ、里の中心地へと赴く。妹紅が本気で飛翔すれば、数秒の距離である。
やっぱ私かっこいいよな、今すっごくかっこいいよな、どう見ても火属性で訳ありな過去を持つクールキャラだよな、などとイメージ作りを意識したポーズで着地する。
目的の場所へ、刹那の到着だった。
(ん?)
すると、そこで見知った顔を見つけた。慧音だ。どうやら子供達と、課外授業をしている所らしい。
「せんせー。ヒモってなんですかあ?」
「それはな、女の人に養われている身分のことを指すんだ。簡単に言うと、私から見た妹紅だな。いいかいお前達、この件はなるべく沢山の人に言いふらすんだぞ。妹紅が私のものだって世間に認知されて、事実婚に持ち込めるかもしれないからな」
「はーい」
噂の出所は慧音かよ。死人のように脱力する妹紅であった。
「何やってんのかな。何やってるのかな。何やってるのよ」
「妹紅によく似ているな、この美人。誰だこいつ? 本物の妹紅がこんなタイミング良くいるだなんて、そんな偶然ある筈無い。だからこれは妹紅によく似た妹紅であって妹紅そのものではないんだ、そうに決まってる」
慧音はだいぶ混乱しているらしかった。動揺のあまり、言語中枢がフジヤマヴォルケイノしていた。
「……慧音ってさー、もしかして私のこと好きなの?」
「ゆ、ゆゆゆ友情しか感じてない。本当に本当。友達として好き」
「だよねえ」
もう変なイタズラやめてね、と言い捨てると、妹紅はそれ以上責めない。数少ない友人を、厳しく攻撃する気になどなれないのだ。その慈悲深い態度が、慧音の脳内では両想いと変換されるから、事態がこじれるのだけれども。
「本来の目的に戻ろうかな。里、どうなってる? かなり混乱してるんじゃない?」
妹紅は気まずい空気を切り替えるためにも、率先して異変調査に話題を変えた。
「多少はな。なんせ誤ってパンツを穿いたら最後、昇天だ。注意喚起して回っているところだ。とはいっても、里はそんなに洋服が普及してないんだ。パンツ保有者は元々少ないのさ。おかげでそこまで酷いパニックにはなっていない。精々、一部の裕福な家庭の娘が、愛用しているパンツの代わりに急遽前貼りを使っているくらいだ。前貼りがあれば健全だ。問題はないだろう」
「まあ、慧音がそう言うなら大丈夫なんだろうね」
と妹紅は一瞬安心したが、慧音が前貼りを健全な下着と認識していることに気付き、根本的にこの里は駄目なんじゃないかと恐ろしくなった。
「あれから家で色々検証したんだけど、ドロワーズを穿いても死亡するみたいよ。世間で女性用下着と認められているものを着用すると、問答無用で死に至るんだろうね」
「ん? じゃあ前貼りをしてる子達も危ないのでは……早く剥がしてくるよう伝えなくては!」
「いや、世間が前貼りに下着としての市民権与えた歴史は、一度も無いから。大丈夫だってば」
剥がすべきは慧音の教員としての資格なのではと、指摘したくてたまらない妹紅である。
「アホやってないで、情報をまとめようか」
妹紅は指を折って、一つ一つ何が起きているのか確認した。
一。今回の異変は、かなりの広範囲。
二。幻想郷全土でパンツを穿いた女性が命を失っている。
三。もっとも、注意喚起を無視して逝ったのは、お馬鹿な妖精くらい。その子達も、妖精だから時間が経てば元通りの姿で復活するので、あまり緊迫感は無い。
「実質、被害者ゼロみたいなものだね。最初に死んだ輝夜と私も、蓬莱人だけあって問題なく蘇っているし」
殺害の精度はいたく悪いのだ。
となると、殺し自体にそこまで拘りは無いのか?
この怪事件を引き起こしてる者は、一体何が目的なのだろう?
まるで意図が読めない。
「霊夢は何か言ってる?」
ふと妹紅は、紅白の巫女に考えが至った。勘と運と八雲紫で生きている女である、霊夢のあてずっぽうと貢がれスキルは信用に値する。
「あー、霊夢か。いや、それがな、一応聞いてはみたんだがどうも俄かには信じ難くて」
「何て言ってたの?」
「うむ。妖怪というよりも……」
「よりも?」
人間の影響を感じるそうだ、と慧音は言った。
「……人間? 大丈夫かい? このレベルの異変を、人間が引き起こせると? 馬鹿馬鹿しい。ただの人間が、怪しげな術を覚えたり、人命を奪えるような戦闘力を身につけたりすると思うか? そんなこと――あるかもしれないな」
自分で自分に気付いた妹紅である。
「人間が下手人だとするなら、調べるべきは人里だろうね。ちょうど私達がいる場所じゃないか。早いとこ調査してしまおう」
「しかし、調べるとは言っても一体何を?」
「んー……なんか最近、里で変わったことあった?」
妹紅は世間に疎いので、腕を組んで聞いてみた。慧音は良識に疎いので、組んだ腕でむにゅっと寄せられた妹紅の胸元をガン見した。
「ここ数日で起きた、変わった出来事と言えば……そうだな、死人だ。喪中の者が三人いる」
「え。それってパンツのせい?」
「違う。その騒ぎが起きる前からの死者だし、そもそも全員男だ。この異変で死ぬのは女子のみだからな」
「男、か」
「気になるのか?」
「そうだね。今回の異変、要は女の子が下着を身に着けないように、妨害している訳でしょう? そんな願望を抱くのは男だろうしさ」
「私は女だが、今まさに妹紅がノーブラだったらいいな、と願っているぞ」
そんなものを願うのは、もはや女ではない。
「だからさ。女の肌を見たいっていう男の情欲は、凄まじいものがあるんだよ。もしも嫁さんも迎えずに死した男がいるなら、相当の未練なんじゃない? 化けて悪さしたって、おかしくない」
「随分、男心に詳しいんだな」
「そりゃ、無駄に長く生きてるからね。夫婦の真似事をした時期もあったよ」
「は? 元彼いんの? 元彼いんの? 元彼いんの? 元彼いんの? 誰そいつ? どこ住んでる? まだ生きてる? 誰そいつ?」
慧音は光の消えた瞳で詰問の体勢に入ったが、全行スルーして妹紅は会話を続ける。
「死んだ三名の男達を調べよう。私の勘ではそこが怪しい」
「妹紅、世の中には百合という生き方があって、それはそれは素晴らしいものなんだぞ」
慧音を見る限りハンディキャップに思えるのだが、と突っ込みたくてならない妹紅である。
「男の家なんぞ漁って楽しいか? 私はつまらなくて死にそうだ。まず事件は第一発見者を疑えと言うじゃないか。最初に死んだのは永遠亭の連中なんだろう、そこを調べればいい」
「駄目駄目。あいつらはどうせ、何も知らないよ」
「……何故そう言い切れるんだ? そもそもパンツを穿けば死ぬというのは、輝夜から聞いたそうじゃないか。というか今朝のあれ、どういう目的だったんだ? いきなり私の前で死んで見せるとは何事かと」
「くだらない理由さ」
蓬莱人は見た目こそ若い娘だが、中身はとうにお婆ちゃんである。そのため無駄に早起きだったりする。幻想郷ではまずニワトリ、続いて永琳、輝夜、妹紅と起床していくのだ。
おかげで永琳と輝夜が朝一番に下着を穿いては死に、穿いては死にを繰り返し、もしや蓬莱人に何か異変でも起きたのか、と妹紅に報せに来たという訳だ。
妹紅は慎重な人間である。第三者の意見が必要だと考えた。そこで慧音の家を訪ねて、「ちょっと私がパンツ穿くところ見ててくれないか」、と頼み、てっきり一風変わったプロポーズと思い込んだ慧音は快諾した、という流れである。
「だから、輝夜は単なる最初の犠牲者。何も知らないと思うよ」
「……じゃあやっぱり……男の家を漁らないと駄目なのか……」
すっかり意気消沈して小さくなっている慧音を引きずりながら、喪中の家々を回り始める妹紅。その足取りは軽い。
「一軒目。庄屋の息子。二十歳で死去。死因は自害。いかにもだねぇ」
家中の者に事情を説明し、故人の部屋を覗かせて貰ったが、特におかしなものは見つからない。
「二軒目。農家の次男。二十一歳で死去。死因は自害。ん、こいつも自害?」
「ああ言い忘れてたが、さっきの庄屋の息子と、心中したらしいぞその男は」
悲恋の末に、結ばれぬ運命を呪っての死、らしい。
「……帰ろう。絶対に確実に、この二人が女の柔肌見たさに異変を起こす可能性は無い」
っつーかそういう事情は真っ先に教えるべきだろ、と妹紅は突っ込みたくて仕方がない。
「で。三軒目に来たわけだが」
消去法で残された家屋は、寂れた工房であった。独特な薬品めいた匂いがする。
「なんだこりゃ。まさか薬師の家かい?」
「いや、絵描きだ」
どうやら塗料や墨が、強烈な臭気を放っているらしかった。
「ふうん。洋画って雰囲気じゃなさそうだね」
家の外装は和風そのもので、中も同じく。そして、描きかけで放置されたどのような絵も、いわゆる日本画というやつだった。
「凄いな。中々上手なもんだ。名の知れた絵師だったのかな?」
「残念だが、無名だ」
彼の絵が売れたことは片手で数えるほどしかない、と慧音は答えた。
「売れない芸術家。しかも早死にしたんだろう? こいつでビンゴかな。死因は?」
「肺病だ。もう何ヶ月も前から、ずっと血の混じった痰を吐いて過ごしていたと聞く」
さぞや世を怨んでいただろうなあ、といよいよ確信を深めていく妹紅だった。
(にしても、結構な腕前に見えるが、どうして無名なんだろうね)
なんとなく。未完成の絵を何点か、じっくり眺めてみた。
日本画。その中でも、美人画と呼ばれるジャンルに入るであろう作品が目立つ。
色鮮やかな、青や金や銀の髪をした女性が、活き活きとした筆使いで描かれ――
(ん。青や金や銀の髪?)
普通、伝統的な日本美術では黒髪の美しい女性をモチーフにするものだ。ところがこの無名の画家は、カラフルな髪色をした妖怪の少女ばかり描いている。
「はーん。売れない理由はこれかな?」
ただでさえ斜陽気味の古典美術でありながら、古い慣習に全力で背いた個性的な色使い。理解者など得られよう筈もない。
「よほどの変わりもんだねこりゃ。悪さしても不自然じゃない」
「む。ずいぶん崩れた筆跡だが、絵に何か書き文字してあるぞ……作者による漢文の解説だな、えー……黒髪の女性よりも、銀の髪をした女人の方がよほど美しい、と書いてある」
「この絵師は絶対悪い奴じゃないと思う」
「妹紅!?」
「うん、そうそう。よく分かってる。黒髪ストレートなんて性悪しかいないんだよ、難題ふっかけてせせら笑うようなのとかばっかなんだよ。この人は確実に心の綺麗なお方に違いない。銀髪はサイコーなのよ。正義なのよ」
稀に見る前言撤回だった。
「故人のお家を暴くなんて申し訳ないわ。帰りましょう、慧音。こんなにも偉大な絵師様を、一瞬とはいえ疑うことすら申し訳なくってよ」
「なんで人格が浄化されてんだ。でもそのキャラ、好き……そそる……」
妹紅の強引な説得に押されて、慧音は折れた。初対面のその日から折れっぱなしな気もするが、とにかく折れた。捜査もほどほどに引き上げてしまうのである。
そうして工房を出るとすぐに、妹紅は口を開いた。
「ね。美しいって、どういうことだと思う?」
「妹紅のことだ」
「ああいや、そういう台詞が欲しかったんじゃなくて……美しいというのは、その時代の多数派が求める外観かどうか、が全てだと思うんだ。自分で言うのもなんだが、私は京の生家にいた頃は醜女扱いだったよ。目が大きすぎるし、やせっぽっちだし、胸なんか膨らんでるしさ」
最後の言葉に慧音は興奮しているらしかった。
「ところがここ百年ちょっとで、それら全部が美人の条件になったからねえ。ハッキリ言って私、今でも自分を綺麗だとは思ってないよ。千年以上も非モテで過ごしてきたのに、たかが一世紀少々で感覚が変えられるかって話だ」
「妹紅の胸について詳しく語ろう」
慧音の台詞は八割ほど聞き飛ばすと、ちょうど良くなると妹紅は気付き始めていた。
「いやさ。もったいないことだよ。あの絵も、百年かそこら待てば、名画と呼ばれる時代が来たかもしれないのに。全て人の世の儚さよ」
「百年も待つなんて人間には無理だろう」
「ん、そうか」
もうその辺の感覚が麻痺してしまうくらい、不老不死やってるんだな、と妹紅は感傷的な気分になった。一般的な人間の時間感覚には、すぐに頭が切り替えられないほどに。
それなのに、妹紅の周りの美的価値観や常識は、目まぐるしく切り替わっていくのだ。妹紅自身は、永遠に何も変わらないというのに。
(なんだかねぇ)
人の評価とは、流れ水のようなものだと思った。では、その、誰かからの評価を、賞賛されることを――名誉を生きがいとして、命まで賭けて来た旧き者どもの生涯とは、なんなのだろう。
父の名誉を傷つけた輝夜に一泡吹かせようと、人を殺めてまで蓬莱の薬を奪い取った己は、道化か?
(やめよう、くだらない)
自分で自分を否定してどうする。私には、名の誉れこそが全てなんだ。それが貴族の生き様というものだ。妹紅は理屈で感情に蓋をした。
* * *
妹紅は思い出す。
とある満月の晩。私を見ないでと、化物は言った。今の自分は醜いから。気持ち悪いから。恐ろしいからと。
しかし、どのような魔性の類であろうと、涙を浮かべた瞳の持ち主に、冷たくなれるだろうか?
妹紅は言った。「そんなことはない。あんたは綺麗だ。その姿があるからこそ、里を守れるんだろう。誇ればいい。もう泣くのはよしな」と。
化物は答えた。「結婚しよう」と。
「……思い返せばファーストコンタクトの時点で慧音はおかしかったな」
まあ、おかしくさせたのは妹紅なのだが。
(確か、初めて変身した姿を、好いた男に見せて逃げられたと言ってたっけ)
それがガールズラブの道に走る原因だろうか。
そしてハクタクの姿を受け入れた妹紅に、骨の髄まで懐いている。
そんなにも、他人からの評価とは人の生き方に影響を与えるのだ。
今宵も満月。
妹紅だけが褒めた姿に、慧音は変わる。
「やろう、妹紅」
有角の友人、慧音は、妹紅の自宅前に立っていた。来るんじゃないかと、予感はしていた。
「昼はなあなあになったが、やっぱり、死者が出るような異変を放っておくわけにはいかない」
「……私としては、もしもあの絵師が異変の正体だっていうなら、好きにさせてやりたいんだがね」
「無理だ。それは出来ない。私は里の守護者だ。人に害をなすものは討伐しなくてはならない」
「なんでそんなに頑張るの? 寺子屋で読み書き教えてるだけでも、十分人の役に立ってると思うよ」
「私のような怪物は、幾ら頑張っても足りない」
大手柄を上げて、やっと皆に認めてもらえるんだ。と慧音は言った。
彼女もまた、他人の視線に縛られている。
妹紅も。
あの絵師も。
同じ痛みを抱えた者同士が、ぶつかり合わざるを得ないのだ。
「浮世の虚しさだねぇ」
妹紅は手を上げた。了承の合図だった。
「行くか」
二人は夜の空を、音も立てずに並んで飛ぶ。互いに言葉は無い。
その重い空気に耐えられなくなったのか、妹紅から先に沈黙を破った。
「私が子供の頃は、女なんて名前が記録に残ることすら稀だったな。何々家の娘、だとか。某氏の五女、だとか。そんな形で資料に載る。後世にまで影響を与える文学作品を書き上げて、ようやく何とか式部だのと記録して貰えた人がいたっけね。もっとも、それさえ本名ではないんだけど」
「……妹紅?」
「名が残らない辛さは、それを味わった者にしか分からないよ」
絵師に同情してるのか? と慧音は聞いた。
「分からない。分からなくなってきた」
その答えを見つけるんだ、と返事をして、妹紅は降り立った。
会話をしている内に、いつの間にか工房の前に着いていた。
昼間とは比べ物にならない瘴気が、建物中を覆っている。満月とあって、不吉なものは何でも元気になっていた。
「こいつは酷い。誰だって殺せそうだ。そりゃ、異変になるさねえ」
妹紅は慧音が入ろうとするのを手で遮って、先陣を切った。不死の体は、斥候に最適だと思った。押し入りのように、戸を蹴破って進入する。
いる。
工房の奥に、気配がある。
人ではない者が。
禍々しい何かが。
(悪霊ってやつか?)
見れば、いかにも臓腑を病んでいるといった顔色の男が――絵筆を取っている。口惜しい口惜しい。そう、呪詛の言葉を吐きながら。
「なあ。あんた、もう死んでるんだろ。成仏したらどうだ?」
口惜しい口惜しい。男はなおも呟き続ける。
「美人が来てやったぞ。あんた好みの、銀髪だ。満足してとっとと黄泉路に帰りな」
男は、こちらを振り向いた。まだ若い。
『俺は、誰にも認められなかった』
その声は、この世の者では到底出せそうに無い、呪わしい響きだった。
「そうかい。そりゃ残念だ。なら来世に賭けな」
『嫌だ。憎い。全てが憎い』
八つ当たり、か。分からないでもないよ。私もそうやって妖怪を千は殺めたさ、と妹紅は返した。手には炎を灯している。
話し合いで終わらなければ、全てを焼き払うつもりだった。目の前の歪な魂ごと。
『お前も憎い』
言って、男は立ち上がった。同時に妹紅は火炎を撒き散らそうとしたが、固まったように手足が動かない。
(金縛り!?)
先手を取られた。
これでは妹紅の習得している術が、殆ど使えない。
「妹紅!」
異変を察した慧音も飛び込んできたものの、すぐに同じ状態になった。まるで動けないようだった。
「こうなったら歴史を食べるしかない……今日の出来事は無かったことにする……作り変える……私と妹紅が愛人関係な歴史に作り変える……!」
「やめろぉ!」
援護どころか、敵が増えただけじゃねーか。がっかりの妹紅である。
『殺す。お前達は殺す』
くそっ、これだからシリアスな敵は。夫婦漫才を綺麗に無視して男は迫ってくる。
彼の指が触れた時、逃れられない死が訪れると妹紅は感じ取った。自分はいい。生き返る。だが、慧音はただでは済まない。
死んでしまったら、歴史を作り変えるのも不可能だ。
「待てよあんた、話し合おう! たぶん分かり合えるぞ私達!」
『死ね』
「あんた、絵に賭ける情熱は本物だったんだろう!? いいのかよ、こんな結末で!」
『死ね』
「あんたがそうやって投げやりになったら、自分の人生は無意味でどうしようもなかったって、思わず怨んで暴れるような生涯だったって、自分で認めてるようなもんじゃないか!」
『死ね』
「それで、それでいいのかい!?」
『死ね』
「他でもない、あんたがあんたの生き方を貶してどうするんだよ……誰も、理解してくれなかったんだろう? 一人ぼっちだったんでしょう? どこに行っても変わり者扱いで、真っ当な評価は貰えなかったんだろう?」
『……死ね』
「あんなに頑張ってるのに……ちょっと人と、違う絵だからって……つまはじきにされて……だったら、あんただけは自分を認めてやらないと、誰があんたの努力を肯定してあげるんだよ……他の誰かか? 後世に現れるかもしれない、あんたの熱心な信者か? 今まであんたを侮辱し続けてきた、他人の評価だけがあんたの人生と絵を是とするまで、待つのかよ」
『……』
「誰かが、あんたをいいって言ってくれないと、浮かばれないの? 誰にも受け入れられなかったら、あんたは、貴方は価値が無かったの? 悪霊になってしまうくらい、悲惨な人生だったの?」
皆に評価されなかったら、認識されなかったら、無価値だというのか。
後世の資料に、藤原家の娘としか記述されなかったら、妹紅という個人は居なかったに等しいのだろうか。
そんなことはない。
確かにここにいる。誰もその存在を受け入れなかったけれど、絶対に居る。藤原家の末席で、家名を守るために足掻いた少女はいた。誰もその行為を、良しとはしなかったが――この世で唯一、自分だけが頑張ったと知っている。
妹紅はいつしか、己に言い聞かせているような気持ちになっていた。
頬を涙が伝う。
「そんなのは、ないよ……世間なんて、糞食らえだ……どうでもいいんだよ……私は私が全力を出したって知ってる。誰よりも知ってる。だから、それで良かったんだ。名誉なんて、いらなかったんだ。本当は」
『俺は』
「あれだけの絵を世に残せて、他に何を望む?」
いや。何もいらない。俺にはもう全て望みのものはあった、と男は答えた。
『馬鹿なことをした。惨めな生涯だと思っていた』
「そっか」
『俺を認めぬ世に復讐をするつもりでいた。嫁も貰えずに死んでゆくのが未練だった。だから、女の体が見たいと思った。ついでに沢山殺そうと思った』
「そう。それでこうなったんだね」
妹紅は体が自由になるのを感じていた。
慧音は妹紅が悪霊の男といい雰囲気になっているので、憤慨していた。
『俺は、俺がよくやってきたと知っているから、それで十分なんだな』
「うん。……私も今まで忘れてたけどね」
男はもう、随分と穏やかな顔になっている。そういう表情をすると、意外に優しげな顔だった。
「ところで、黒髪ストレートの姫カットな女の子ってどう思う?」
『ださい。なにその使い古されたキャラデザ。カラフルな髪の方が萌える』
「んっふっふ。……やっぱあんた、センスあるよ」
ずるり。妹紅はサスペンダーを外し、もんぺをずり下ろした。
「ちょ、ちょちょちょちょ妹紅!?」
「ほらよ。これが見たかったんだろ。成仏しな」
男は、やっと探していたものを見つけたような、何かの答えを得たような、そんな顔をして目を閉じた。その体は徐々に薄れていく。
「なあ、あんたの絵、貰っていいかい」
『俺の絵を?』
「買い取るよ。いい絵なんだろ。あんたがそう思って作ったんでしょう? 私の家に飾る」
『あれの良さは、誰も理解してくれんぞ』
「それでもいい。私も分からない。でも、作者が価値を認めてるんだ。ならばどこかに飾る場所を作ってあげるべきじゃないか」
救われた、のだろうか。「ありがとう」とだけ言って、男は消えた。
名前も残らない絵師は、ただその作品だけを置いて、成仏した。
「解決、したのか」
「多分ね」
「では、さっそくパンツを穿いてみたらどうだ? それで死ななかったら、全て上手くいったと確認できる」
「そうしたいのはやまやまだけど、下着なんて手元にないよ。一度家に戻らないと」
「大丈夫だ。私はいつも妹紅に似合いそうなパンツを携帯している。さあ、穿いてみるといい」
「……」
妹紅は何故この女が教師をやれるのか、不思議でならない。まあ教職者の性犯罪率は天井知らずだし、性欲の強さと教鞭を取る意欲には何か関連性があるのかもしれない。そもそもえっちじゃない女教師など、水の無い地球みたいなものだ。そんなものは存在価値が無い。カスだ。だから、この場は深く追求しないでおこう。
妹紅は黙って慧音からパンツを受け取った。赤と白のストライプ柄。しまぱんというやつだ。
「しまぱんというのは本来水色や薄い青緑の横線を白地の生地に入れたものがベストとされているが、ここは妹紅のパーソナルカラーに合わせてあえてこの色にしたのであって」
「解説するな! 全部ぶち壊しだろう!」
「……死なないな」
「だな」
* * *
以来、妹紅の家には一枚、妙な絵がかけられている。
日本画なのに目が痛くなるような色使いで、銀や金の髪をした女性が描かれているのだ。
輝夜などは露骨に「変」と言ってくるのだが、妹紅は気にしない。
「いいんだ。この絵に世界一詳しい人が、これの良さを知ってるからね。それで十分じゃない?」
と、満足げである。
「貴方がハクタク教師のヒモだって噂が立ってるけどー?」
「好きに言わせとけば? 所詮、人の噂よ」
「……おもしろくなーい」
輝夜は不満げな様子だ。
「ちょっと前だったら、私の名を傷つけたもの、許すまじ。殺すっちゃ。とか叫んでるとこなのに」
「語尾を捏造するな。私はもう、そういう細かいこと気にしないんだ」
何を言われようと、私の価値は、私自身が認めてるからね。と妹紅は微笑んだ。
やめてくれ私が成仏してしまう。
あとなんか割と本気でいろいろ考えさせられてしまった
とても笑わせていただきました
変な目で見られた。
凄く面白かったです!
しかし…この慧音先生は本当ブレないなw妹紅頑張れ、超頑張れ。
妹紅と慧音のボケと突っ込みの役が入れ替わったりしながら、どんどん進む漫才に
笑いが止まりませんでした。それだけなら90点。
でも、読み終わって、ああ確かにこれはシリアスだったな、と思わされたので+10して100。
いいSSでした。
ところで虹彩が消えたら大変なことになるのでは。
この辺のセリフのテンポが超絶心地よいです。
身体を張って、というか、肌をさらして成仏させる妹紅がステキすぎ。
えっちぃ意味では無く、真に相手を想ったからこその慈しみが尊い。や、冗談抜きで。
自分の感性を疑うようなことだけど、笑いやエロじゃなく、本気で尊いと感じました。
そして慧音先生の変態っぷりは変態すぎて逆の意味で尊い。
これぐらい突き抜けなければ真の笑いは取れない
どうみてもギャグにしか見えないのに妹紅の中ではとてもシリアスなんでしょうね
大いに笑わせていただきました
決断的な勢いで
輝いている
ああ、悪霊になりたい!
シリアスな雰囲気なのに、だめけーねが……でもかわいい
あと、このもこたんは俺が貰った
しかし本筋もギャグも面白くて上手だったのでそんなことはどうでもいいや。
面白かった
まして最後まで己の信念を貫き、面白い話のまま終わらせるとは。
慧音先生は……仕方ないね、聖職者は変態の集まりだからね(偏見)
まあ、なんだその、結局はシリアスなお話だったし
作品としてこれ以上ない程に成熟していやがるってのが妙にムカつく
しかし、この作品が日の目を見ることになった経緯が猛烈に知りたい
最初から最後まで入るコントもそれを邪魔せず、むしろお互いを引き立てていて本当に上手いなあ。
よいシリアルであったぞ!!
慧音は教師!
つまり慧音はエロい!
慧音のキャラが最高でした
シリアスかどうかはおいといても面白かった!
肉付けがどうしようもないシリアル
妹紅の亡霊での説得に私も泣いた、なんか生きている人ですが、憑き物が落ちたさわやかな気持ちです。
随所に込められた小ネタ(主にけーね)といい、骨太?なストーリーといい、良かったです。
虹絵と現実じゃ別物と考えていたのは現代とそう変わらないようです。
なので妹紅は今も昔も美人で可愛くてアルティメットおっぱい
ギャルゲじゃなくて
あれー……?
しかし変態的な殺し方が映姫様を悩ませそうな………
ところで前張りチラリズムな悪戯な風サービスが無かったのですが(違)
当初、エロ目的な犯人かと思ってたけど本当にシリアスだった
いい話もどきじゃなくいい話になってるのもすごい。
ただ慧音だけが心配です。
最後の最後はやられたと思いましたw
ナニコレ