Coolier - 新生・東方創想話

貴方が私に見せた世界

2013/05/06 18:17:05
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「御茶葉もなくなりそうなのよねー」

 夜の風を受け、一人屋敷の縁側で茶を飲む亡霊の娘。
 淡い桃色の髪と、儚げな空色の着物が風に揺れる。

「そろそろ、かしら?」

 そう呟き、荒れた境内をぼんやり眺めながら、時折視界の端を通る幽霊を視線で追う。
 追った視界の先、空間が黒くヒビ割れていた。そのヒビ割れの中から、するりと長い黒髪の女性が出てくる。
 亡霊の娘は、女の顔に目を凝らしたが、どうやら記憶には無いようであった。
 しかし、その空間に出来たヒビは見覚えがある。
 そして、こんなことをするのは、娘の知る限り、一人しかいなかった。

「こんばんは、こんな辺鄙な幽霊屋敷に何の用でしょう。綺麗な黒髪のお姉さん」
「こんばんは、そろそろ友人が、入用かなと思いまして。お隣、よろしいかしら?」

 亡霊娘の頷きに、黒髪の女は微笑んで隣へ腰を下ろした。

「相変わらずね。今日は、いったい何の姿なのかしら?」
「何だと思う?」

 そう逆に聞き返してくる黒髪の女の顔を見つめ、亡霊娘は考え込んだ。

 この物好きな友人は、来る度にその姿を変える。
 前に本当の姿はどんなものなのかと尋ねたら、とうの昔に忘れてしまったと言われた。
 名前も同様に、特に決まったものはないらしい。
 呼びたければ、八雲と呼びなさい、そう言われた。
 なんとなく、八雲とは呼びたくなかったので、その時々の姿のまま、特徴を選んで呼んでいた。
 女性の姿で現れることが多いので、大体はお姉さん、と呼んでいる。
 今日は、黒髪のお姉さんだ。

「月人の姿をイメージしてみたのよ」

 ずっと考え込んだままの亡霊娘に、答えが出せないのだろうと判断したのか、女がそう答えを明かした。
 亡霊娘が夜空を仰ぎ、寒空に浮かぶ、丸い月へ目を細めた。
 女は微笑みながら、亡霊娘の反応を待っている。

「月って、空に浮かんでいる、あの丸いもののことよね?」
「そうよ。決して人の手には届かぬ、天の楽土。不浄の地」
「でも、至って普通の人の姿に見えるわ」

 女はその言葉を受け、袖で口元を隠し、クスクスと笑った。

「何がおかしいの?」
「だって……ふふ。人と変わらないなんて言うんですもの」
「……何がおかしいのか、全然わからないわ」

 亡霊娘は、笑われたのが嫌だったのか、目を伏せ、そっぽを向いてしまう。
 女は、きちんとお土産も持ってきたから、と言って、袖の中から小さな小箱を取り出した。
 小箱を開けると、中には月明かりを受け、青白く光る赤い肉。
 女は切り身を一切れ取り出し、口へと含み咀嚼する。その唇が艶かしく光った。
 そして、その肉の入った小箱を亡霊娘に差し出した。

「これで機嫌直して頂戴な」
「これ、人間のお肉?」
「そう、大陸の王朝の姫のお肉。美味しいわよ」
「……遠慮するわ。なんか、人肉って苦手なのよね」

 亡霊娘は、差し出した肉を遠ざけるように、ぱたぱたと手を振って渋い顔をした。
 残念そうに、女は小箱を横に置く。

「前は食べてたのに……」
「ごめんなさい。あの後、また少し食べたら、口に合わなかったの。生きていたときは人間だったからなのかしら。他のお肉は大丈夫だったのだけど」
「仕方ないわね」
「それより、御茶葉なくなりそうなのよ」

 亡霊の娘は、手に持った湯飲みを女に突き出して言った。
 それに、女は表情を改めて、屋敷を指差した。

「安心なさい。きちんと薪も含め、お勝手に置いてきたわ。今年の新茶は美味しいみたいよ」
「ほんと! 楽しみだわ」
「前に一度持ってきてから、随分とお気に入りよね。それも結構、値の張るものなのよ?」
「どうせ、きちんと買ってなんかいないんでしょう」

 両手を合わせて笑う亡霊娘を見て、女も満足したように微笑んだ。
 そして、小箱の肉をまた一切れ、口に放り入れた。
 それを見て、亡霊娘は眉根を寄せる。

「それにしても、大陸のお姫様だなんて……あなたは欲しいものなら、何でも手を出しちゃうのね」
「我慢する理由があって?」
「我慢しろとは言ってないけど。また、周囲の混乱を肴にしてたのでしょう?」
「そうそう。この人間を攫った時なのだけれど、宮中に私以外も結構な数の妖怪が忍び込んでたようでね。その連中が、この姫失踪の濡れ衣をかぶって。ふふ、それがもう、傑作だったのよ」

 女が、笑いながら亡霊娘に話を広げようとすると、口に指を添えられ、止められた。
 ピクリとまぶたを震わせ、据える様に亡霊娘に視線を投げる。

「何かしら?」
「そんな話、つまらないわ」

 呆れたように言われたその言葉に、女は少し表情を硬くして聞き返した。

「……何が、気に入らないのかしら」
「だって、偉い人や身分の高い人を神隠しにあわせて、周りが混乱するのは当たり前じゃない。当たり前なことを引き起こしたって、ちっとも面白くないわ。それならいっそ、何でもない平凡なあの丸い……月。あれを見て、何か新しい発見でもしているほうがまだいいわ」

 女は亡霊娘の言葉にふっと表情を緩め、同じように月へ視線を向けた。

「……ふふ」
「私また何か、変なこといったかしら?」
「ふふふ、あは、あははははは! ふふ、貴女。本当に、質素な娘なのね」
「あなたは相変わらず、よく分からない人ね」

 女はひとしきり笑い続けた後、退屈そうにしている亡霊娘へ、視線を戻した。

「あははは……ほんと、貴女はとても頭が良い――清濁混沌の中から、真理へ至る直感を備えている。答えへと真っ直ぐ目指して行くのも美しくはある。でも、それをするには貴女は、あまりに鋭すぎるのよ。一気に頂天まで貫いてしまう。だから、もっと薄皮一枚切り裂き続けるような、優しい愛撫で攻めなさい」
「なんだか、言い方が気持ち悪いわね」
「気のせいよ。まあ、つまり曲全よ、曲全。あえて曲がりくねって行った方が、あなたの場合もっと楽しめることが多いと思うわ。物事は、回りくどくて何ぼなの。貴女は根っこのところで、それを既に理解してそうではあるけどね」

 指をくねらし動かす女に、亡霊娘は嫌そうな顔を向けた。

「なんだか、気色悪いわね。それに、私ばかり品評されて、不公平だわ」
「あら。そんなことを言うのなら、私に何か意見してみたらどうかしら?」

 女の言葉に、亡霊娘は考え込むように眉根を寄せ、遠くの空を眺めた。
 少し後、女へ視線を緩やかに戻して、自信なさげに言った。

「他人の品評って結構むずかしいのね……うーん、あなたは、そうね」

 頭を抱えてうんうん唸る亡霊娘を見て、女は楽しそうにくすくすと笑う。
 亡霊娘が、何かを思いついたように、女へ顔を向けた。

「あなたは、知識を詰め込みすぎて、色々つまらなくなってるのよ。私みたいに、一度全てを忘れてしまったほうが、色々楽しめるんじゃないかしら?」

 女はあごに指を添え、困ったように苦笑した。

「それって、一度死んでみろってことかしらね?」
「あら、そんなひどいこと言ってないわよ。でも、あなたがそう捉えるなら、そうなのかもしれないわね」
「ふふ……貴女の言葉は鋭すぎて、私の心はズタボロだわ」

 ぐったりとして身を投げ出した女に、亡霊娘はくすりと笑みを漏らした。

「ぼろぼろになったら、私がまた綺麗に縫い合わせて、しゃきっとさせてあげるわ」
「……そう、それなら安心ね」

 亡霊娘は少し意外な顔で、隣の友人を眺めた。
 いつもより、素直すぎる返答だなと思ったのだ。
 多少、違和感を感じながらも、別段気にすることでもないだろうと、湯飲みへと口をつけた。
 女は起き上がると、亡霊娘の髪に指を絡ませながら、尋ねた。

「次に来るときは、何を持ってきて欲しいかしら?」
「そうねえ」

 亡霊娘はお茶を飲みきると、盆へ湯飲みを置いた。そして、女と同じように、自身も女の髪をそっと撫でる。

「話し相手がほしいわ。話が出来るのって、あなたしかいないから。この館には人っ子一人いない上に、誰も来ない。いるのは家事やら身の回りの世話をしてくれる亡霊や幽霊ばかり。話しかけても悲しい顔するだけで、言葉を発してはくれない――だから、話し相手が欲しい」

 身を乗り出した亡霊娘に、女は困ったように笑う。

「私の大事な貴女にあてがう相手の選別は、慎重を要するわ。中々いい相手が見当たらないのよ。事を急いで、貴女に悪影響でも出たら困るもの」
「もうすでに、あなたに色々染められてそうだけど。それに、亡霊の私は人格がある程度、決まっちゃってるものじゃないのかしら。影響なんて受けるの?」
「亡霊でも、その魂の在りようを多少変化させるわ。……例えるならそうね、植木とかかしら。日が当たるところに、どんどん枝葉を伸ばして好き勝手伸びていく。切っても、ある決まった生前の人格と言う法則で、また枝葉を伸ばす」
「植木ねえ」

 納得していない様子の亡霊娘に、女は言葉を続けた。

「だから、色々な形に、枝葉をそろえることが出来るのよ?」

 女は指をはさみのような形にして、おどけてみせる。
 それに、亡霊娘はますます不機嫌そうな顔をした。

「私はあなたの盆栽なのね」
「そう。私の大事な大事な、唯一無二の盆栽ちゃんよ」
「時たま来るだけの気まぐれ職人より、きちんとしたプロの庭師に、毎日お手入れされたいわあ」

 すっかり無愛想になった亡霊娘の頬を、女は申し訳なさそうに撫でた。

「……なるほど。まじめな庭師、ね。あなたみたいなユルふわ亡霊娘は、謹厳実直な者をあてがえば、反比例的に面白おかしい性格になってくれるのかもしれないわね……ふふ、考えておくわ」
「お願いね」

 女は、月へと視線を向け、のんびりと亡霊娘の顔をやさしく愛撫する。
 そして、ぽつりと呟いた。

「月に行ってみようかしら……」

 亡霊娘は、隣の友人は突然何を言い出すのだろうと、驚いたように顔を覗き込んだ。

「……月に? 大丈夫なの、あんな高いところ、落ちたら痛いじゃ済まないんじゃない?」
「どうかしら。まあ、大丈夫じゃない? 上手く行って戻ったら、月の地酒で祝杯でもあげましょうよ」

 そう薄く笑う女に、亡霊娘は不安そうな視線を向け、同じように月を眺めた。






















 パソコンのニュース画面を視線操作しながら、お気に入りのオカルトサイトの記事へと目を通す。

「イザナギプレートの続報はなし、と」

 ソーサーからカップを取り、中身が無いのに気がつく。
 私は溜息をつくと、新しいコーヒーを注ぎに立ち上がった。
 窓から外を見ると、遠くの空がうっすらと明るくなってきているようだった。

 カレンダーに目をやる。
 今日は、メリーが退院する日だ。

 ひと月ほど入院していたメリーが、サナトリウム(療養所)から退院し、久々に会うことができる。
 少し前に、結界遊びの羽目をはずしすぎて、メリーが怪我を負い入院していたのだ。
 命に別状のあるものでもないと言う話だったから、そこまで心配はしていなかったが、なんとなく不安はあった。

 メリーのことだから、入院中にも何かしでかしたりするんじゃないかとか。
 いや、きっとしてる。間違いなくなんかやってる。
 まあ何かあったなら、きっとあちらから嬉々として話してくるに違いない。

 豆を挽いて、パウダーフィルターへコーヒー粉末を移して、エスプレッソマシンにセットする。
 私は昔ながらのこの道具を愛用している。というより、コレでしか淹れることができないと言った方が正しいか。
 現在では、豆をどうこうしてコーヒーを淹れるなんてのは、大きな専門店くらいだ。
 大体は合成珈琲粉末で、極上な味のコーヒーを味わうことができる。
 人工的に極上コーヒーの味を再現しているのだから、どんな作り方だろうが関係なく安定して誰にでも美味しいコーヒーを淹れられる。いや、入れられると言った方が正しいか。
 そんな訳で、経過も含めて楽しむと言う道楽で無いならわざわざ値段の張る豆で淹れるなんて者はいない。
 かく言う私も、その道楽者の一人と言うわけだ。
 スイッチを押し、聞きなれたマシンの駆動音が響きだす。
 それにぼんやり耳を澄ましていると、前にメリーと宇宙の無重力ではサイフォン式じゃないと駄目だのと話したのを思い出した。
 このエスプレッソマシンも、その後に珈琲について色々調べていたら欲しくなって購入したものだった。

 それにしても、メリーが入院して、ひと月か。
 長かったような、短かったような。
 メリーがいない間、確かに大学でのお昼や、暇な日なんかは時間を持て余した。
 もっと寂しくて仕方がなくなるかとも思っていたが、そんなでもなかったか。

 とは思っても、久々に会える、今日と言う日。
 気分が落ち着かず、朝までだらだらと時間をつぶしてしまった。
 やっぱり、メリーと久々に会えるのは嬉しいのだろう。

 ふと、食器棚のガラスに写った自分の顔を見て、こほんと咳払いした。

 なんだ、この腑抜けた、にやけ顔は。

 少なくとも、メリーに見せたら色々とからかわれそうだ。気をつけないと。
 久々に会うときの言葉も、考えておいたほうがいいか。

 昼間くらいに行けば、もう会えるかもしれない。
 気分良く、蒸気口でコーヒーを泡立てていると、


 ピンポーン ピンポーン


 インターホンの呼び出し音で、その行動を中止された。

「こんな時間に、一体誰かしら……」

 リビングの天井を眺める。
 そこには、朝日が淡く紫色に染めた空が、映し出されている。
 と言っても、天井が開けて空が覗いているわけではない。
 言葉のまま、映像として映し出されているのだ。
 この天井は、このマンションの屋上に取り付けられたカメラの映像を投影している。
 多少は誤差がでるものの、私の星空を見て時間を把握する能力を使い、大体の時間を知ることができた。
 何よりも、朝に朝日が照らしてくれるのがありがたい。遅刻防止に大きく貢献してくれる。
 この部屋を選んだ理由の一つである。

「4時57分……」
 
 今日は、メリーに会う以外のタスクを入れる気は無い。
 大学の研究引継ぎの後輩だろうか。今日は残念ながら、どんな理由であろうとお帰り願おう。
 それ以前に、こんな時間に、女性の家を訪ねるなどマナーがなってない。
 インターホン受付の受話器を持ち上げて、できるだけ無愛想な声で応対する。

「はい、宇佐見です。どなたですか。今日は」
『はろはろ! 蓮子! 久々ね!』
「……!」

 このハイテンションな声は。

「……メリー?」
『そうよ、愛しのメリーよ! 今すぐドアを開けて頂戴ー!』
「……わ、わかったわ。ご近所迷惑になるから、もう少し、声を落としなさいな」

 インターホンに据えられたドアロックの解除ボタンを押し、玄関の鍵を開ける。
 まもなく、どたどたとした音が聞こえてきた。
 そして黒いもやっとした、何かが姿を現した。

「んッ――」

 頭に痛みが走り、両腕を抱え込むようにして、うずくまる。
 足音が寄ってきて、意味不明な言葉を呟く。

 何者だ?

 何者かなんて分っているではないか、メリーだ。
 それ以外に、誰がいるというんだ?

「――――――」

 メリーが何かを言ってくるが、頭痛のためか、全く声が聞き取れない。
 私は、そっと顔を上げた。

 黒い何かが、顔を覗き込んでいる。

「メリー……よね?」
「ちょっとちょっと! もしかして私の顔、忘れちゃったの!?」

 じっと見つめてみると、メリーの顔が鮮明になっていく。
 どうやら、明るさに目が慣れていなかっただけのようだ。
 見慣れた、少し怒り顔のメリーが立っている。
 いつものスカートの下から、薄ピンク色の布地が見えていた。
 カーディガンを羽織っているが、その下にも薄ピンクの衣服が。
 私は溜息をつくと、呆れたように言った。
 
「メリー……。その服の下のピンクの……もしかして療養所のじゃないの」
「あれ、わかっちゃった? 着替える時間ももったいなくて、上から服着てきちゃったの」
「……」
「あ、大丈夫よ。きちんと御代を聞いてお金払ったし」
「……まあ、いいけど。それより、メリーさん。もしかして、療養所から、直接私のところに来たの?」
「あったり前でしょー? 何言ってるのよ。それより何、明かりもつけてないの? こういう所が、虚無主義的な思考の一因になったりするのよ?」
「こんな朝っぱらから訪ねてくる人の方が、どうかと思うけど」

 メリーは暗い室内にも手間取ることなく、慣れた手つきで部屋の明かりをつけた。
 このやり取りも、幾度となくしてきたもので、意味も無く年季が入っているのを感じる。
 私はまた大きく溜息をつくと、手に持ったコーヒーを一口飲んだ。

「とりあえず。おかえり、メリー」

 私がそう言うと、メリーは目を潤ませて見つめ返してきた。

「ただいま、蓮子ー!」
「うっわ、危ない!」

 突然、メリーが抱きついてきて、危うくコーヒーをこぼしかける。

「ちょっと、危ないでしょ!」
「平気平気、このカーディガン、結構ぶあっついから」
「なら、いいけど……ってよくないわ!」
「あはは」

 ピシピシと、でこぴんを何度かメリーにお見舞いする。
 メリーはあうあうと言って嫌がるものの、一向に私から離れようとしなかった。

「久々に蓮子見たら、抱きつかないなんて選択肢、ありえないでしょ。この気持ちがわからないの!?」
「……いや、そう熱弁されましても」
「もー! 退院直後のいの一番に、愛する蓮子に会いに来た私のこの想い、どうして伝わらないのかしら。きちんと約束守って戻ってきたって言うのに」
「約束?」
「そうよ、覚えてないの? 貴方、私が療養所に入る時、見送りで行ってらっしゃいって言ったじゃない」
「それが?」
「それが、じゃ無いわよ! それに対して私は、行って来ますって言ったの」
「うん、それで?」
「ああーもう! 行って来ますには、行って帰ってくるっていう言霊が込められていてね、同じように――」
「まあいいわ。コーヒー入れてあげるから、荷物いつもの所に置いてきなさい」
「もう!」

 メリーはぷんすか怒りながら、引いていた旅行用の大きなカバンを部屋の奥へと、運んでいった。
 それにしても、随分とハイテンションなメリーだ。あっという間に、メリー空間である。
 初めになんて声をかけようかなどと、考えるだけ野暮だったようだ。







「それ、メリーの分のコーヒー」

 荷物を置いて戻ってきたメリーに、テーブルの上で湯気を立てるコーヒーを示してみせる。

「あ。コールドの方が良かった?」
「ううん。いいよ。こう、温かいもの飲むと、幸せーって気分にならない?」
「そうかしら?」
「そうなのよ。それにしても、蓮子に淹れてもらうコーヒー。本当に久々ね~」

 にっこりと微笑んで、テーブルの上に置かれたコーヒーを手に取るメリー。
 暫しそれを見つめた後、そっと口をつける。

「あれ……」
「ん、どうかした?」
「……」

 突然、泣きそうな顔を向けてくるメリー。
 一体何がなにやら分からない私は、困ったように視線をさまよわせる。
 すると、メリーはずいっとコーヒーカップを突き出してきた。

「いつもと味が違うわ! 少し会ってない間に、もう私の好みのコーヒーも忘れてしまったのね! 所詮私は、その程度の女だったのね!」
「ちょっとちょっと、メリーさん。いつもどおりの豆、いつもどおりの砂糖量、いつもどおりのミルクの割合なんですがね」

 きちんと、砂糖ティースプーン十三杯、ミルク三個投入した。
 コーヒーも私のものに味の変化は見られないから、問題なくいつもの出来上がりになっているはず。

「嘘よ! だってこんなに味が違うのだもの!」

 私は困ったようにコーヒーを受け取り、一口飲んでみる。
 うん。いつものメリー好みの、激烈な甘味に仕上がっている。
 私が飲むには問題があるが、メリーには、何も問題ないはずだ。
 すぐさま自分のコーヒーで口直しして、カップをメリーへと返した。

「メリー、もう一度飲んでみなさいよ。あれじゃない? 療養所で久しく普通の生活してなかったから、味覚が変わってたりするんじゃないかしら」
「うーん……確かに、それもあるかもしれないか」

 そう言うと、メリーはコーヒーに再度口をつける。
 すると、おや、といった感じに方眉を上げた。

「あら、いつもの蓮子スペシャルブレンドだわ。あっれー?」
「……」

 困った顔で苦笑いする友人に、非難の視線を投げかけていると、彼女は慌てたように、私の持つ携帯端末を指差した。

「ね、ね。私が入院してる間、何か面白いこととかなかった? 私の療養所、情報とか色々制限されてたから、もう時勢に疎くなっちゃって」
「そうねえ……」
「あ! 私がいなくて、夜な夜な涙で枕を濡らしていた、とかそういう話でもいいのよ?」
「メリーが入院している間、二人でいた時のことを思い出してたらさ、何かとても寂しくなっちゃって、それはもう大変だったのよ……」
「え!」

 私がしおらしくそう言うと、メリーは顔を少し赤くして目を丸くしたが、

「とでも、言えばいいんですかね。メリーさん?」

 と笑って続けると、途端にぷくーと頬を膨らませた。

「ひどいわ! 乙女の心を弄んで、そんなに楽しいの?」
「まあ、メリーとのこと、色々思い出してたってのは、本当だけどね」

 私がそう言うと、メリーは機嫌を直したのか、ころっとニコニコ顔に戻った。

「色々あったわよね~。そっかそっか、私との思い出ねえ。なんか、蓮子の中に私の記憶が刻まれてると思うと、たぎるものがあるわね、こう、蓮子に私という存在を焼き付けてるー、みたいな征服感があるわ!」
「うん。メリーさんは、相変わらず変人でいらっしゃる。普通の人は、そんな風に考えたりしないと思います」

 こんななのは、蓮子といるときだけなんだから!などと喚いているメリーを傍目に、私は過去のことを思い出す。

 私がメリーを知ったのは、自宅のディスプレイ越しでの事だった。
 世界的な動画コミュニティサイトに、一瞬出回った動画でメリーを見つけたのだ。
 内容はというと、ある少女がただ寝ていたり、医者っぽい人間に色々検査を受けていると言った映像だった。
 動画内容から読み取れた情報をまとめると、少女は長期間の意識不明、もしくは意識混濁状態が続いているというものだ。
 どうやって撮影されアップロードされたかは分からないが、個人情報の観点から、すぐに運営会社により削除された。
 映像内の少女が可愛いなどといったコメントがついていたりしたが、そこまで内容が面白いということもなく、特に話題にもならなかった。

 しかし、私のよく出入りしていたオカルト掲示板や、コミュニティでは、運よく動画を保存できた人物がいたらしく、その後も少し話題が続いた。
 動画撮影者が反射物に写りこんでいないように見えるだとか、娘が意識混濁しているのは、何かの神をその身に降ろしているからだとか。まあ、そういった好き勝手な話題で盛り上がっていた。
 しかし私は、そのような話題にはほとんど触れず、ひたすらに、動画の中の少女の情報の収集と、その接触を果たそうと行動していた。
 私は、動画で見ただけの謎の少女に、並々ならない執着をしていたのだ。

「あの時、なんでわざわざ私に会おうと思ったの?」

 私が考えていることを読み取ったかのように、メリーがそう問うてきた。
 考えてみるものの、やっぱり答えが出ない。

「なんでかしらね? さっぱりだわ」

 本当に謎だ。
 なぜ私は、あんなにもメリーに会おうと躍起になったのだろうか。
 その動画を一目見てから、私は義務感、いや焦燥感にも似た感情に支配され、必死に謎の少女メリーに接触を試みようと、ありとあらゆる手段を講じた。
 一番の手がかりになったのは、私の持つ星や月を見て時間、場所を知る能力である。
 動画内に運良く、夜空が映し出されているシーンがあったからだ。
 他にも、親戚知り合いの伝を使うのはもちろん、多少犯罪まがいのことまでも利用した。
 当時の私は、今自分で思い返してみても、思考状態が異常だったという他無い。 

「んー。そっかそっか」

 メリーは一人納得し、うんうんと頷いている。

「私でも、あんなことが起きちゃうと、運命とか言うものも信じたくなるわよね」
「あんなこと?」

 私はコーヒーを飲み干すと、カップを持ち上げて見せて、立ち上がる。

「そ。ほら、私たちがはじめて会ったときのことよ。あれはもう、奇跡以外の何物でもないでしょう?」
「ああ、まあ。……あれはなんだったのかしらね」

 私とメリーがはじめて会ったとき。

 そのとき奇跡、と呼んでいいのだろうか。そんなようなことが起きた。
 メリーは、身体、脳波など、肉体的には何ら異常はなかったのだが、酩酊したような、意識の混濁がずっと続いていた。

 そんなメリーに、何とか居所を掴んだ私が知人であると嘘をついて、面会をしにいったのだ。
 思いのほかすんなり会わせてもらえたのは、病院側のメリーに関する情報があまりにも欠如していたからだろう。
 不思議なことに、病院にメリーに関する情報がほとんど無かったのである。

 これは後から知ったことなのだが、数年の入院記録があるものの、あるときを境に一切の情報が見当たらなかったという。
 カルテ、入院理由、親族関係、その他諸々。
 もちろん、そんな状態であるから、入院費用などが支払われてもいなかった。
 どうしていたかと言うと、国の医療支援法の一つを使い、なんとか入院を継続させていたとのことだったのである。
 だから、メリーを少しでも知る者と接触を取れて、内心ほっとしていたのではないだろうか。

 私はメリーと病室で面会した。
 初めて見るメリーは、動画で見たとき同様、朦朧とした、視点の定まらない虚ろな顔で、壁を見ているだけだった。
 しかし、私が一目見た瞬間、今まで朦朧状態であったメリーが、意識を覚醒させたのである。
 今まで、物事の一切を認識しなかったメリーが、私へ目の焦点を合わせたのだ。

 私が声をかけると、真剣に耳を澄ませ、時折頷きを返した。
 終始、メリー自身は言葉を発することは無かったが、面会時間が終わり、私が出て行くときは寂しそうな顔を見せもした。
 主治医は、この反応にとても驚いたようで、定期的にメリーに会ってやってくれないかと、私に頼んだ。
 もちろん、二つ返事で願いを承諾したのは言うまでも無い。

「初めて会ったとき、メリーの意識がもどったってやつよね」

 メリーが機嫌よさそうに、大きく頷いた。

「そうそう。なんていうのかしらねー。こう、今までぼやけていた世界が、蓮子と会った瞬間に、ぱああーって開けたっていうか、すっきりしたって言うか」
「素敵な蓮子様を少しでもはっきり見ようと、本能が働いたのかしらね」
「えー。蓮子は見た目、至って普通の平均点よー?」
「……」

 私がコーヒーメーカーの前で腕を組んで仏頂面でいると、メリーがにやにやしながら、同じように空になったコーヒーカップを持って、歩み寄ってくる。
 そして、私の肩をぽんぽんと叩く。

「大丈夫よ。そんな普通な蓮子でも、私から見れば、食事の中の各種アミノ酸、家でなら梁くらい大切な人だもの」
「……はあ。それは光栄ね」

 そのメリーの覚醒も謎だが、やはり、一番腑に落ちないのは自分の行動だ。
 何故私はメリーに対し、そんなに必死になったのか。
 自分の事だからなおさら、その不可解な行動が気持ち悪い。

 やっぱり、メリーが結界を見ることができるという、世にも稀な目を持っていたから?
 第六感的な何かが、メリーに不思議な力があると感じさせたのか。

 私は、星を見ることで現在の時間を知り、月を見ることで位置を知ることができる能力を持ってはいるが、そんな超然センサーのような感覚を持ち合わせてはいない。
 むしろ、メリーと会うまでの私は、オカルト的なものに憧れはするものの、そういった経験は皆無であった。
 それこそ、不意に世界が決まったようにしかならないように感じ、なんとも言えない悲しみに襲われることがあったくらいだ。
 自らが他の人とは違った、不可思議な力を持っているというのに。

 考えてみれば、その能力を持っていたがゆえなのかもしれない。
 私の生きるこの世界は、何があろうとぶれる事が無く、無慈悲なまでに正確な数字が刻むものだと、嫌でも認識させられる能力ともいえるのだ。
 能力を使い世界を見るとき、世界がまっすぐなレールの上をなぞっているような、何とも言えない哀愁を感じるときがある。
 こんな話をすると、メリーは決まって虚無主義者だとか何だと、レッテルを張りに掛かってくるのだが。

 そんな私だからこそ、オカルトという意味不明な、不確かなものに惹かれたと言うのはあるように思う。
 果たして、メリー発見から端を発した行動は、オカルト好きからきた直感だったのか。

 メリーと付き合って長いが、いまだに私の中でも、答えは出ない。

『貴女は決定者よ。時や場所を正確に観測することは、おぼろげであった世界を確定化するということなの。虚実をきっちりと、切り分けること。そんな貴女だからこそ……』

 私はびくりと肩を震わせて、あたりを見渡す。
 怒ったように腕を組んだメリーが、私を見ていた。

「ちょっと蓮子、聞いてるの?」
「……メリー、何か言った?」
「言ったもなにも。さっきからずっと、話しかけてるのに、蓮子が上の空なんじゃない」

 私は早鐘のように打つ胸に手を当て、もう一度あたりを見渡した。
 今のは、メリーの言葉?

「もー! 久々に会ったってのに、なんなのよ~。 あ、さては! どこの馬の骨だかもわからないような、かわいい女の子のことでも考えてたんでしょう!」
「はいはい」

 また一人芝居を始めたメリーに、苦笑を浮かべておでこを小突いた。
 きっと、気のせいだ。

「ねえ、蓮子。着替えるついでにシャワー浴びてきてもいい? ちょっと汗もかいちゃったから」
「そういえば、この時間だとまだバスとか動いてなかったでしょう。どうやって来たの?」
「実はねー。牛さんに乗せてもらったのよ!」
「ええ……牛って、警備ロボットの?」
「うん」

 この京都の街は、巡回警備のロボットに平安の都に縁ある、牛のデザインを採用している。
 文化を大事にする、京都ならではと思うが、牛ってどうなんだろう。
 町を闊歩するリアルな牛ロボットは、いつ見ても不思議な感覚を提供してくれる。
 他の都市では、多少特色のあるデザインの警備ロボが使用されているものの、基本的には警察庁が定めた、昔ながらの人型のお巡りさんタイプだ。
 首都でもあり、観光客も多いここ京都での特例といったところか。

「よく乗せてもらえたわね」
「退院したての運動不足の体に、歩行は結構堪えまして。屈みこんで休んでたら、職質されちゃったの」
「はあ……」
「それで理由説明したら、オペの人が便宜図ってくれてね。乗せて運んでもらえたってわけ。牛型様々だわ」
「ずいぶんと、風雅においでになっていたのですねえ」
「セレブですもの」

 そう言ってのけるメリーに、また私は溜息をついた。
 優雅に、牛警察の上に乗っているメリーを想像してみる。
 思わず噴出してしまった。

「ちょっと、なに笑ってるのよ?」
「いや、気にしないで……それにしても、連絡くれれば迎えにくらい行ったのに」
「サプライズ登場ってやつよ。急に来たほうがビックリするでしょ?」
「ビックリというか、迷惑ね。まったく、とんだ退院患者もいたものよ」
「そーよー? 蓮子へ私の気持ちを伝えるためなら、どんな労力も厭わないわ! 私の愛の深さが分ったかしら。ふふふ」

 メリーは立ち上がると、旅行鞄を引っ掻き回して衣服や歯ブラシを取り出し始めた。

「……はいはいはい。メリーさんの愛が深すぎて、窒息しそうです」
「でもあれよ? 私が蓮子を好きだからと言って、お風呂覗いちゃダメだからね?」
「あー、もう! 覗きなんかしないわよ! さっさと入ってらっしゃい!!」

 ひょこっと顔を出して、悪戯っぽい笑みを浮かべ私を見ていたメリーは、楽しそうに浴室へ入って行った。
 私は、久々のふざけたメリーとのやり取りに満足感を得ながら、コーヒーの香りを味わう。
 そして、しばらくぼんやりと、メリーの入浴する音に耳を済ませていたが、はっと我に返ると、携帯端末をいじる作業を再開した。





「はぁ……」

 浴室へ入り、シャワーから熱めのお湯を出して全身に浴びる。
 頭のてっぺんから足の先まで、心地よい湯が流れていく。
 ぱんぱんになった足を手で、軽くマッサージして一息つく。

「むむ、溜息なんて、私らしくない。それは蓮子だけで十分よね。それにしても、体弱ったわねえ……」

 運動不足だった体に、少しの歩行でも大分堪えたようだ。
 本当は、蓮子の言うとおり、迎えに来てもらおうと思ってはいたのだ。
 ただ、なんて声をかけようかと考えていたら、思いのほか距離を歩いてしまっていた。
 そして、満身創痍になっていたところを牛さんに、運んでもらったというわけだ。

 久々に会う蓮子に、どう接するか悩んでたけど、会えばそんなの瑣末なことだった。
 為せば成る。喉元過ぎればなんとやらだ。
 ただ、少しハイテンションになりすぎた感はある。

「ちょっと、蓮子引いてたし」

 気をつけなくてはと考えてはいるが、私のテンションが高くなるのは、何事も落ち着きすぎてる蓮子のせいでもあると思う。
 せっかく、ひと月ぶりに会うというのに、なんらいつもと変わらないあの様子。
 このご時勢、通信機器なども含め完全な通信遮断など、そうそう起こることじゃない。
 ひと月も、完全に会えなかったのだ。

 少しくらい、寂しそうな顔見せてくれても良かったのに。

 寂しがっている蓮子を想像してみる。
 うん。あんまり似合わない。
 やっぱり、多少私がテンション高くしていくのが、バランスがいいのだ。
 何だかんだいって、こういう私を蓮子も結構、好いてくれてる感触はある。

「でも、本来の私は、もっと落ち着いた、思慮深い子なんだけどねー?」
「何か言った?」
「――蓮ぅぼふっ!? ゲホ、ゲホッ!」

 突然声がかかり、驚いてお湯を飲んでしまいむせる。
 少し慌てた様な気配が伝わってきたので、慌てて「大丈夫」と答えた。

「ごめん、驚かしちゃったみたいね。タオル、ここ置いておくわよ」
「けほ、っけほ。うん、ありがとう」

 蓮子が脱衣室を出て行く。
 私は大きく息を吐き出すと、スポンジにボディソープを泡立て始めた。

 びっくりした。
 でも、こういうのいいな。

 私は身寄りが無い。
 覚醒後に後見人となってくれた人はいたが、一緒に生活していたことは無かった。
 その方は、お金持ちの慈善家で、世界中の私のような身寄りの無い人間の支援をしている人だった。
 だから、会うとしても年に何度か、援助を受けた人たちが招待された大規模な食事会でくらいだったのだ。

 意識が回復して、リハビリを行い日常生活に問題がなくなると、全寮制の学校で生活し始めた。
 相部屋ではなく一人ひとりに部屋があり、尚且つ部屋用にバスタブ付という、ぼっち好きにはとても良い寮だった。
 友人もいないではなかったが、あまり親しくなりたいと思えなくて、もっぱら訪ねてくる蓮子とばかり遊んでいた気がする。

 独り立ちできるようになると、後見人に任せていた金銭管理も全て自分で行うようになった。
 そして寮を出て、今の一人暮らし。
 つまり、物心ついてからずっと、一人暮らしだったのだ。
 そんなだから、当然風呂に入っていて声を掛けられるなんて、経験はない。

「なーんか、家族って感じ?」

 やばいやばい、口元がにやけてる。
 そっと後ろを伺って、蓮子がいないか確認する。
 聞かれてたら、恥ずかしすぎる。
 一人暮らしが長かったからか、気をつけてるのだが、気がつくと独り言を呟いてしまっている。
 感情が昂ぶってるときほど顕著なので、たちが悪い。

 ひとしきり顔や頭、全身を洗い終えると、浴槽へつかる。
 私の家より、蓮子の家の浴槽は広い。
 シャワーと言ったが、せっかくだからお湯にもつからせて貰う。

 ここの風呂を借りるのも、何度目だろう。
 この辺は、少し郊外にあるのもあって、のぼりの電車がすぐになくなる。
 だから、この辺りで蓮子と一緒に飲みに行くと、大体オールになる。
 自然な流れで、蓮子の家に厄介になると言うわけだ。
 前に、もっと大学に近いところにしようと言ってみたこともあるが、この部屋のスクリーン天井がいたくお気に入りのようで、即却下された。
 でもそのくせして、蓮子は私の家より、自分の家に呼びたがるのだ。

「我侭なくせして、これと決めると、融通が利かないんだから」

 でも、そんな自分勝手な蓮子に、私は完全に依存してしまっていた。

 湯に顔を半分ほど沈めて、ぎりぎり鼻と目だけ出す。
 耳も沈めているので、音も軽くくぐもった感じになる。
 この状態が、昔を思いだすのかわからないが、蓮子と会っている次くらいに落ち着くのだ。

 蓮子。
 なんで、私はこんなに、蓮子に惹かれてしまっているのだろう。

 蓮子の親しいネット友人から、いろいろと蓮子について、話を聞いていた。
 蓮子は、知らないところでも、私のために色々なことをしてくれているらしい。
 何より、私たちが出会った時の行動が凄かったそうだ。
 一度も会ったことの無い私のために、多少犯罪まがいのことまでしたという。
 一体どうして、蓮子は私にそこまでしてくれたのだろうか。

 蓮子と会うまでの私は、人の形をした木偶、まさに人形といった状態だった。
 色々と医者が話しかけてくるのだが、その内容がようとして知れない。
 にごった海の中から、別の世界を見ているかのようだった。
 そして、こちらから何か行動を起こそうとしても、体全体の神経がちぎれてしまっているかのように、動くことができなかった。
 自らの思考も曖昧で、言葉の羅列がぐにゃぐにゃと定まらない。考えても考えても、何の意味も紡げなかった。
 そんな時、蓮子が現れたのだ。

 彼女と目が合った瞬間、今までの濁った視界が一変し、クリアになった。
 そしてあらゆる情報が、きちんと感じ取れるようになったのだ。
 粉々だった体中の神経が、つなぎ合わさったような感覚すら覚えた。
 相変わらず言葉の意味がわからなかったが、蓮子の一方的な話を聞いているうちに、徐々に言葉が意味を取り戻していった。
 普通に会話ができるようになるまで、そう時間はかからなかった。
 そこで、ふと笑いが漏れる。

 私が蓮子に始めて発した言葉。それは自分の名前だった。
 そのときのことを思い出すと、今でも笑ってしまう。
 マエリベリー・ハーン。私の名前。それを言うと、蓮子がこう言ったのだ。

『なんですって、マエルベ……マウリェ……あー、あれよ。そんな名前はダメ。発音しづらくってならないわ。いいこと、今日から貴方のことはメリーとしか呼ばないから』

 今でも、一言一句、違わずに思い出せる。
 あの頃から、蓮子はひたすらに周りを巻き込みマイウェイを行く人間だった。

 自分勝手で、とても素敵な蓮子。
 そう、言うなれば蓮子は私に世界を与えてくれた人なのだ。

 私に光明をもたらしてくれた恩人。
 最も大切な、大親友。

「あっちはどう思ってるか、わからないけど……」

 なにより、私の記憶の大部分を占めてる人物は蓮子なのだ。
 記憶している人間で、一番多く接してきたのも蓮子であるのだから、私が蓮子に依存してしまうのは、不可抗力ではなかろうか。

 私の一番古い記憶にあるのは、朦朧とした状態で、病院に寝かされているときのものである。
 それ以前の記憶は、曖昧だ。記憶といっていいのかすら怪しい。
 色々な情景を思い出せるのだが、繋がりが分からない意味不明なものばかりなのである。
 歴史映像に出そうな古めかしいものや、ヴァーチャルでしか見たことの無い怪物がひしめき合っていたりする。
 医者が言うには、意識混濁状態に陥る以前の私は、そういった映像物を見るのが趣味だったのではないかと言っていた。
 つまり、それらが記憶とこんがらがってしまっているのではとのことだった。

 まあ、そうなのだろうと思う。
 でもそんなだから、結界暴きで色んな世界を見ても、思いのほか驚きが少ない。
 創作的なものを記憶として持っているような私だから、見慣れてしまっているような気がしてしまうのだ。
 それでも、のりのりになってしまうことはもちろんあった。多少慣れていても、楽しいものは楽しいのだ。

 でも、やっぱり。

 結界暴きは、危険だ。
 それは、今回長期療養を強要されて、なおさら実感した。

 実を言うと、それ以前から結界を越えるのは好きじゃなかった。
 結界を越えるたび、私じゃない何かが体を満たすような、嫌な感じがするのだ。
 結界から異世界を覗くとき、異世界からも私の中を覗かれているような、嫌悪感。
 はじめの頃は、力を使い夢で結界を越えるときに感じる高揚感、力を振るったことによる充足感が上回っていた。
 しかし最近は、嫌な感じの方がはるかに大きい。

 療養所にいたとき、結界の向こうの異世界を見る頻度が増えた。
 いや、増えた、なんて生易しいレベルじゃない。
 埋め尽くされたと言ってもいい。

 眠っているとき、意識がはっきりしていない時は、常に異世界にいたような気がする。
 しかも、その異世界にいると、こちらでの意識が徐々に失われていくように感じるのだ。
 このままでは、異世界に溶けてしまう。
 この世界に戻って来れなくなってしまう。
 そんな、恐怖を感じるようになったのだ。

「いけない……だめだわ」

 不安が高まってくると、意識が遠のいてまた結界の向こうへと旅立ってしまう。
 深く考えてはいけない、楽しいことだけ考えればいい。

 それにだ。
 今は、大丈夫。何と言っても、蓮子がいる。
 そう、いつでも会えるところに、蓮子がいるのだ。
 何も心配ない。
 私は、蓮子といるだけで、とても落ち着いた気持ちになれる。
 どんなに不安で波立った心でも、一目視線を交えるだけで、凪の湖のように静かになる。

 蓮子の目は不思議だ。
 何か、時や場所を見る以外の魔力も秘めているんじゃないかと思う。
 独特な、気味の悪い……異様な力を感じることがあるのだ。
 いつもの蓮子の目は、私のどんな気分の心も、一瞬で優しくやわらげてしまう。
 だが、時折感じることがあるのだ。この身を引き裂くような、激しい厳格な力を。

 蓮子は、結界暴きが大好きだ。
 だから私も、一緒に結界を越えて回っている。
 蓮子と一緒にいられる口実になるのなら、いくらでも結界を見るつもりではある。
 でも、このまま結界を暴き続けるのは危険だと、私は感じるのだ。

 結界を見る、暴くのをやめようと言って見ようか?
 でも。
 怖い。もし、蓮子がそれで私を見限るようなことがあったら、どうすればいいか分からない。

 そうだ。今この状態が続けられれば、私はそれだけで幸せなのだ。
 あえて、そんな賭けに出る必要は無い。
 私の中で渦巻いているこの不安は、ただの気のせい。それでいい。

 湯から顔を上げると、体を伸ばして伸びをする。

「う……」

 ぞくり。

 体の中の、何かが裂け、じわりじわりと広がっていくような感覚。
 風呂に入っていると言うのに、全身を巡る寒気に震える。
 
「あ……ま、ずいかも」








 さて、今日はどうしようか。
 予定では、メリーを療養所に迎えにいって、そのまま荷物を家へ運び、食材や日用品やらを買いだしながら、のんびり過ごそうと思っていたのだ。
 しかし、意表をついてメリーが私の家に来てしまった。
 まあ、それでもメリーの家に食材が無いことには変わらないし、買出しにはいかないとならないだろう。
 通販でも十分買出しできるが、せっかく一緒に遊ぶ機会なのだから、逃す手は無い。

 どこに行こうかと考えていると、浴室の方からけたたましい音が響いた。
 何かとそちらを見ていると、メリーが姿を現す。
 バスタオルを抱えてはいるが、髪も体もびしょぬれだ。
 そして、まだ衣類も身につけてはいないようである。
 顔をよく見ると、風呂上りとは思えないほど、蒼白。

「……ちょっとメリー、一体どうしたのよ」
「ねえ。蓮子。私、大丈夫よね?」

 一瞬メリーが何を言っているのか分からなくて、動きが止まる。
 大丈夫って、何がだろうか。
 見た感じ、病院でずっと療養していたにしては体が衰えて細くなったとか、運動不足で太ったとか、そういう風には見えない。
 その、とても、いい体してると思う。
 いやいや。そうじゃない。
 メリーの表情は真剣そのものだ。私をからかう為に、タオル一枚で出てきた訳ではないだろう。
 丁度良い言葉が見つからなくて、しばらくメリーと見つめ合っていると、床が濡れたのを察知した、フリスビー大の清掃ロボットがメリーに近づいて来た。

「あ、ごめん。床びしょびしょだね」

 メリーは我に返ったようで、慌ててまた浴室へと引き返していく。
 私はもう一度、声をかけた。

「……何か、見たの?」
「ううん、何でもない。ちょっと、鏡見てたら、太ったかなーって思ってさ。やっぱり、病院食と言えども、寝てばかりだと太るのね。ショックだわー」

 メリーの声の調子が、変わっている。
 これは意図的に、会話を逸らそうとしているときの癖だ。

「……そう。まあ、私には特に変わったようには見えなかったけど。というか、メリーの裸なんて、見たこと無いし、比較のしようが無いわ。あーでも、去年海に行ったときに、大体の体型は把握したかも」

 とりあえず、特に気に留めた風なく装っておく。

「去年の海! なつかしいわね。今年も行きたいなあ。そういえば、プレゼントしたのに、蓮子着てくれなかった水着あったわよね。今年こそはきて貰うわよ~?」
「あ、あのきわどいやつでしょ、絶対に嫌よ!」

 すっかりいつもの調子に戻ったメリーは、楽しそうに脱衣室から話しかけてくる。
 しかし、さっきのあの顔は、本当に焦燥したような、怯えた表情だった。
 メリーが何かを隠しているのは、間違いない。

 けど、話したくないなら無理に聞きだしたりはしない。
 私が必要になれば、メリーからきちんと話してくれるだろう。

 しばらくすると、メリーが戻って来た。
 勝手知ったように、冷蔵庫からウォーターボトルを取り出して、コップに注いで一気飲みする。

「いい湯だったわぁ」

 下着とブラ。その上に、ノースリーブ一枚と言ったラフな格好だ。
 私が座っていたソファの隣に、腰を下ろす。

「ちょっと、はしたないわよ」
「だって、私の服ないんだもの。蓮子のは、少し窮屈だし」
「悪かったわね……」

 見た感じ、先ほどの不安な様子は微塵も無い。

「蓮子、今日って何か予定あったりする?」
「無いわよ。あなたの退院の日くらい、きちんと空けておくわ」
「うむ。あっぱれー」

 メリーはそう言って笑うと、私の持った携帯端末に視線を向けた。

「そういえば、私が入院している間、何か面白いこととかあった?」
「そうね。秘封関連のニュースと言えば、日本海のメタンハイドレートの採掘場から、不思議なものが出土したらしい、とかかしら。なんでも、大昔に消えたイザナギプレートの名残だとかなんとか」
「すごいじゃない!」

 メリーは体を乗り出して、目を輝かせる。

「それがね。なんでも捏造なんじゃないかって、騒がれてるのよ。人の手が加わった痕跡があるらしいの。そんな事はありえるはずの無い、遥か太古の地層なのに」
「ふーん。でも、何も無いところに煙も立たないっていうわよね」
「まあ、そうなのかもしれないけど」

 話を聞いているうちに、徐々にメリーの表情が、意味深な笑みを含んでいっているのを感じる。
 聞いて欲しそうな気配も見せているので、聞いてみる。

「何か、気になるところでもあった?」

 私の問いに、メリーは表情を明らかな笑みへと変え、ふふんと尊大な様子で腕を組んでみせた。

「実はね、蓮子におみやげがあるのよ~」
「おみやげ? 療養所にずっといたのに、おみやげなんかあるの?」
「まあまあ、ご静粛に。実は、今の話にも関連があるのよ」

 メリーは芝居がかった仕草で立ち上がり、隣の部屋へ行き、戻ってくる。
 そして、小さな小箱を私へと差し出す。

「じゃっじゃーん。これは何でしょう?」

 メリーが自信満々に差し出した小箱の中には、少々特殊な形をした小さな石ころが、いくつか入っていた。
 変な形をしてはいるが、何の変哲も無い石ころに見える。
 石器か何か……? 少なくとも、人工物であるようにはみえる。

「何これ? 療養記念に、敷地内の石ころでも取ってきた?」
「そんなわけないでしょ! これは、イザナギプレート由来の、人工物よ。つまり、太古のイザナギオブジェクトってわけ!!」

 黄門様の紋所のように、その石ころの一つを私へ突きつけるメリー。
 私は溜息をつくと、他の石ころを小箱に戻し始めた。

「相変わらず、メリーさんは電波でいらっしゃる」
「ちょっとー! 信じてないの? 私が蓮子に嘘ついて、何の意味があるのよ」
「私がただの石ころを手に、わーいイザナギオブジェクトだー、とか喜んでるのを見て、ほくそ笑むとか」
「何その性格悪い人! そんなことする人だと私を見てたの!? ひどい!」

 私はメリーと、そんなふざけた会話をしながらも、内心ひどく動揺していた。
 今までメリーが、夢の中で結界を越えたりすることはよくあった。紙切れ一枚持って来たこともあった気がする。
 それに、ついこないだは、結界内で傷までこさえてきたのだ。

 そして、今回はコレである。
 療養所にいながらにして、曰くありげな物体を入手してきたのだ。
 これは明らかに、

「ちょっと、蓮子! 何とか言いなさいよ! 私は嘘なんかついてないのよー!」
「でもねえ、メリー。これがもし、本当にあなたが言うような物だとしたら、ある意味、人の領域超えちゃってない?」

 私がそう冗談めかして言うと、メリーの表情が、凍りつく。
 だが、その顔も一瞬で元に戻った。

「ちょっとー、それってひどくない? 私が人じゃなかったら、蓮子だって十分人の域にはいないわよ~?」

 メリーは笑いながらそう返すものの、その挙動はどこかぎこちない。

「もー、ほーんと蓮子ったら、ひどいのね……」

 言葉がどんどん尻すぼみになって行き、とうとう黙り込んでしまった。
 気まずい。
 とりあえず、別の話題を振ってみることにする。

「ねえメリー。今日は、日用品を買出しに行こうかなとは思ってたんだけど、どうする? 長期間家空けてて、色々と入用でしょ。あと、今日は帰るの?」
「うーん、そうねえ。帰らないと……だよね。うん。そうだ。えっと……蓮、子――」

 言葉の途中で、メリーがふらりとよろめいて、倒れこんだ。

「ちょっと、メリー!?」

 私が支えると、メリーは浅い呼吸を繰り返して、大丈夫だとうめく。
 体を小刻みに震わせて、とても苦しそうに見える。

「ちっとも大丈夫に、見えないわよ!」
「きっと、軽くのぼせちゃっただけだから……」

 それでも頑なに大丈夫と言い続けるメリーに、私はとうとう我慢できなくなる。

「どう見ても、のぼせているとかそう言うのでは無いわ! ねえ、何かあったんでしょう。きちんと、説明してちょうだい」
「……」

 メリーはすまなさそうに、うなだれる。

「……えっとね。なんて言ったらいいのかな」

 メリーは言葉を選ぶように、考え込んでいる。
 私は、じっとメリーを見つめ、言葉を待つ。

「最近ね。不安な気持ちになると、意識が薄らぐのよ……でも、本当に大丈夫なのよ? 私の最強精神安定剤である、蓮子がいるんだもの!」
「……メリー、ふざけないで」

 私がたしなめると、メリーは真っ直ぐ視線を返してきた。

「ふざけてる訳じゃないのよ。本当に、蓮子がいるから、とても具合が良いの」

 メリーはそう言うと、水を一口飲んで続ける。

「療養所にいたときは、もっとひどかったのよ。そんな様子を見せたら退院が遅れるから、隠してたけど……蓮子と久々にあってから、とても調子がいいの」

 精神的に不安になると、意識が遠のく。パニック障害の一種だろうか。
 今症状が和らいでいるのは、見知った私といて、精神状態が落ち着いたからと見るのが妥当か。

「なるほど。でもそれなら、なおさら病院できちんと検査してもらった方が良かったんじゃないの?」
「はじめのうちは、症状を伝えて薬をもらったりしていたわ。でも、全然効果がなかったの。だから、途中から症状を隠すようにした。少しでも早く、蓮子に会ったほうがいい、そう感じたから。蓮子に会って、その勘は正しかったのだと、確信したわ」
「……そう」

 とりあえず、メリーは私といれば問題ないと言っている。
 様子から見て、いつものようにふざけて言っているのではないだろう。

「じゃあ、仕方ないわね。メリー、今日はとりあえず、様子見もかねて、私の家に泊まっていきなさい」
「……え?」
「え、じゃないわよ。私といれば、症状が和らぐって言うなら、一緒にいるしかないじゃない。変な意味で、捉えるんじゃないわよ? それに、メリーってば泊めると何かしら悪戯するんだから、言っておくけど――メリー?」

 見ると、メリーがぽろぽろと涙をこぼしている。
 私は、突然のメリーのその姿に、困惑して言葉の続きを見失ってしまう。

「蓮子は、ほんとうに優しいなあ……こんな、変な私にも、ちゃんと良くしてくれる……ちゃんと、分かってくれる」

 メリーは涙を拭いながら、小さくすすり泣く。
 特に、今私が言った言葉にメリーの気持ちを揺さぶるようなものは無かったと思うのだが。
 戸惑う私を見たメリーが、苦笑いを浮かべながら言った。

「本当は、今日蓮子との用事を終えて、一人で家に帰るのが、怖くてたまらなかったの。一人で家にいるのを想像したら、ちょっと息が苦しくなっちゃって」

 思わず、そのメリーの頭を胸に寄せ抱きしめた。
 メリーの精神状態が不安定になったのは、件の事件の後からだ。
 つまるところ、あの場で率先して突き進んだ私にも、責任があるのだ。

「こんなのは、優しいとかそういうんじゃなくて、当たり前なことよ。私にとっても、貴方は大事な……えーと、人なんだから。そういうことは、遠慮しないできちんと言いなさいって」
「うん。ごめん……」

 メリーもそっと、腕を回し抱き返してくる。
 私は背中に手を回すと、優しくさすってやる。

「メリー。こうやって抱いててあげるから、不安なことを吐きだしておきなさいよ」
「……」
「私はあなたの、最強の安定剤なんでしょ? 発散させるのに、これ以上の条件がそろってることって、そう無いと思うわよ」

 メリーの不安の原因を少しでも、知っておきたい。
 打算的過ぎるかもしれないが、知らないことに知恵も力も貸すことは出来ない。
 更に少し、強く抱きしめて言葉を促す。メリーが小さく頷いた。

「……私、寝て起きると、世界から消えてしまっている気がするの。そんなことあるわけ無いのに」
「うん……大丈夫よ、今日は一緒に寝てあげるから」
「私の体が、心が、世界に……溶けてしまうような気がするのよ……あなたに会えなかった、この何週間か、日が経つにつれて――その感覚が強くなっていくのよ」
「大丈夫よ。大丈夫……」
「ここ数日、本当に気が狂いそうだった。あと数日、蓮子と会えない日が続いていたなら、私は療養所を脱走していたかもしれない。でも、あなたに会ったら、その不安が一切消えてなくなったの。今、こうして会って、確信した。あなたじゃなきゃダメなの。あなたじゃなきゃ……」
「うん、分かった……平気よ。私はここにいるし、メリーもここにいる。心配いらないわ」

 メリーは、強く私に押し付けていた顔をそっと上げた。
 目は赤くはれているが、落ち着いた笑みが浮かんでいる。

「……ねえ、蓮子」
「何?」
「……どうして、こんなに私のこと、大事にしてくれるの?」
「何言ってるのよ。いまさらねえ」

 そこで、メリーは少し言いよどんで、視線を落とした。
 私は、先を促すように、腕に力を入れてメリーの体を引き寄せる。
 まだ少し、言いづらそうではあったが、メリーはそっと口を開いた。

「――この目が、あるから?」
「……え?」
「この目が無かったら、私は、いらない?」
「……そうねえ。じゃあ聞くけど、私のこの目が無かったら、メリーは私の事をどう見るの?」
「え……ええと。たぶん、今と特に変わらないと思う」

 私はにやりと笑いかけると、メリーの体を全力で抱きしめた。

「蓮子。い、痛いよ」

 メリーが、か細くそう呟くが、私は構わずに強く抱きしめて言う。

「その通りよ。メリーの力がなくなったって、秘封倶楽部は不滅よ! 私がメリーを逃がすわけないでしょ! 科学が隅々までいきわたったご時世、オカルトなんてもの好きなレア奇行種ってだけで、リリースなんて論外だわ。それに――」
「そ、それに?」

 メリーは顔を上げて、私の目を真っ直ぐ見つめてくる。
 これだけ相手に色々吐き出させたのだ。自分もきちんと伝えないと、不公平と言うものだろう。
 私は一人心で腹を据えると、こほんと小さく咳払いして言った。

「ええと……あなた、可愛いし」

 私の言葉に、メリーはきょとんとした顔を返した。そして、にへらと頬を緩ませる。

「……そ、そっか。……ふふ」
「な、なによ……変な笑い方して」
「……蓮子のエロ娘ー」

 いやらしいものでも見るような、視線を向けてくる。でも、その顔はとても幸せそうで。

「あーもう! 何よその反応! まったく、言うんじゃなかったわ!」

 私は恥ずかしくなって、メリーの体を離そうとした。しかしそれは、メリーの腕で阻まれる。
 メリーはそっと顔を寄せると、私の頬に自分の頬を押し当ててきた。

「ねえ。もう少し、このままでいよう?」

 メリーがそう言うものだから、私も小さく溜息をついて体の力を抜いた。
 人の抱擁は、ストレスを大分軽減してくれると言う話も聞いたことがあるし、今のメリーには丁度いいだろう。
 決して、私がメリーの柔らかな体を堪能していたい、というわけではないはずだ。

 メリーのほうを見ると、じっと私の事を見つめている。
 私は、なんだか視線のやり場に困ってしまい、目を逸らす。

「あー。なんで目を逸らすのよー?」
「いいでしょ、別に」
「だーめ。ちゃんと私のこと見て」
「ああもう……」

 仕方なく、メリーへと視線を向ける。
 メリーの熱っぽい、とろけた様な目。
 見ているこっちの、頭がどうにかなりそうだ。

 というか、メリーの顔が徐々に近づいてきているような。
 あ、だめだ。これ以上は、私、そういう趣味は――

 ぐぐぅ。

 真っ赤な顔をして、メリーは体を引き離した。

「あ、あはは! うん。真っ先に蓮子に会いに来たからね、ご飯、食べてないんです……はい」
「……ムードもぶち壊しねえ。まあ、いかにもメリーっぽくていいけど。私もご飯まだだし、用意するわよ」

 内心ほっとした気持ちで体を離すと、私はキッチンへと向かった。





 私がキッチンで料理をしていると、寝室から騒々しい音がしてくる。
 一体、何をやっているんだか。
 さっとスクランブルエッグを仕上げ、水で浸しておいたキャベツを千切りにする。その上に、スライスしたトマト、細かく切ったカマンベールチーズを盛り付けた。
 二日前くらいに、作り置きして冷蔵していたポトフを温め、皿に盛る。

「メリー、できたわよ」

 リビングから寝室の開いた戸を覗くと、相変わらず下着ブラの上にノースリーブ一枚で、ベッドを転がっているメリー。
 何がそんなに、楽しいのやら。
 満面の笑みを浮かべ、私の枕を抱きしめてごろごろしている。

「ちょっと、メリー。せっかくシャワー浴びてきたのに、そんなことしてたら、また埃っぽくなっちゃうじゃないの」
「蓮子のにおいのマーキングよー、生き返るわぁ」
「この変態さんめ……先に食べてるからね」

 あらかた自分の分を食べ終わると、メリーへと視線を向ける。
 メリーは寝室のベッドの上にうつ伏せに寝そべり、両手を頬に添えて、こちらを見ていた。

「何よ、食べないの?」
「ん。蓮子が、ご飯食べてるの見てるのよー」
「見れば分るわ」

 私は、空になったカップを持って立ち上がる。

「一つ隣の部屋から見てるのは、同じテーブルで顔合わせているのと、また違った趣があるわ。よきかなよきかな」
「変人さんの趣味趣向には、共感できないわね……」

 コーヒーを淹れてくると、椅子へ座りメリーへ視線を向ける。

「食べないの?」
「食べるわよ~」

 そう言うものの、相変わらずメリーは寝室でごろごろとしている。
 私は呆れたような視線を向けたが、平然とした顔を向けられ、その視線による抗議を諦めた。
 メリーのマイペースは、今に始まったことではない。

 私は私で、携帯端末を手に取り、コーヒーを飲みながら大学の後輩達の進捗を確認する。
 特に、問題なく引き継ぎは行われているようだ。
 質問も特に来ていないようなので、追加の工程を連絡しておけば、数日は問題ないだろう。
 一通り作業を終えると、私は大きくあくびをした。

 そういえば、昨日から寝ていないんだったっけ。思い出したら、なおさら眠くなってくる。
 食後で胃に血液を持っていかれているのと合わせて、強力な睡魔が私を攻め始めた。
 眠気を紛らわすように、メリーへと声をかける。

「ねえ、今日どうする? 買出しに行く?」
「どうしよっか。そういえば、蓮子明日の準備とか大丈夫なの?」

 やっと起きてきたメリーが、食事を始めた。

「もう後輩への引継ぎくらいしかやることないからねえ。数日は大丈夫よ。メリーこそ、ひと月も休んでいたのに平気なの?」
「私だって、もう卒論くらいしかやること残ってないわ。休む前は、暇つぶしに教授のレポート採点手伝ってたりしてたくらいだし」
「院行ってる訳でもないのに、教授のお手伝いって……そういえば、メリー、教授のおじ様連中にモテモテだったわね……」
「あら、結構楽しいのよ? 話してても、同年代の男の子達相手にするより、全然楽でね」
「お互い、特に問題は無いわけね」

 買出しは別段、急ぐこともないだろう。
 それよりも、メリーに不安やストレスを与える方がまずいか。
 比較的くつろげていそうな私の家で、今日一日過ごしてもらうのが良さそうだ。

「まあ、あれね。今日は一日、私の家でのんびりしてましょう」
「おぉ、すばらしい名案」

 そう言うと、メリーは大きくあくびをした。
 つられて、私もあくびを返す。
 メリーと見合って、二人苦笑する。

「あんな状態だったわけで、最近睡眠不足なのよね」
「私も、実は徹夜明けなのよ……よし」

 私は意を決したように、立ち上がる。

「寝よう!」
「そうしよう!」

 そう決めると、私は攻め来る睡魔を迎えるべく、ベッドへとダイブするのであった。














「さて、そろそろ今回の本題に入りましょう」

 ―――え、え!?

 私はその声で、跳ね起きるようにして、あたりを見渡した。
 大学の研究会議中に、居眠りでもしてしまったのかと思ったが、どうやら違うようだ。

 ほのかに薄暗い、大きな和風の室内。
 蝋燭で灯された円形の卓の周りに、十人ほどの人間が座っている。

 いや、よく見ると、人……ではない。
 飾りでなければ、頭に角を生やした鬼のようなものもいる。
 その威圧感から、何故か飾りなどではなく、本物の鬼なのだと直感した。
 他の者達も、力ある妖怪や神なのではないかと理解する。

 異形の者達の、集まり。

 ―――これは……メリーの夢?

 メリーと一緒に睡眠をとると、時折こうした謎の夢を見ることがあった。
 だが、ここまではっきりと見えたのは、今までに経験は無い。
 こんな美味しいチャンス、滅多にない。オカルト好きの私の心に火が点る。
 見える範囲の一挙手一投足、記憶に焼き付けるべく集中する。

「大結界施工についての説明と、ご助力のお願いです」

 卓の中心に座る女性が、一同に視線を巡らせ、良く通る声でそう言った。
 手に持っている、小さな卒塔婆のようなものは、悔悟棒だろうか。

 ―――閻魔、かしら。それに、大結界施工、と言ったか。

 これは益々もって、期待に胸が躍る。
 さすがメリー。寝ているのにも関わらず、倶楽部への貢献を欠かさないとは、実に見事な心構えである。
 こないだ食べたがってたパフェでもご馳走してあげるか。
 いけない、今は異形の者達へ集中するのが先決だ。

 私は再度、話し合う面々を観察する。
 閻魔らしき女性の後ろには、得物になるのか分らない、ひしゃげた大鎌を担いだ赤髪の女が控えている。
 配置と特徴から考えたら、死神だろうか。
 ちょっと顔に、威厳よりも愛嬌のほうが勝る気がする。でも、たぶん死神だ。
 死神へ注意を向けていると、閻魔が再度口を開いた。

「人間達の、神や妖へ対する畏怖や信仰が減ってきているのは、皆さんご存知だと思います。それに伴い、幻想の郷を制定したのが四百年ほど前。しかし、もはやその程度では、存続の危うい妖怪や、神が出てきてしまっているのが現状です」

 閻魔はそう言うと、確認するように周囲の面々を見渡す。
 妖怪、神……実に心躍る単語が目白押しである。
 私は高まる鼓動を聞かれてしまうのではとびくびくしながらも、その光景へと見入る。

「その対策として、今回、幻想の郷を概念結界で覆うという案が持ち上がりました」

 閻魔が手を掲げると、卓の中心に淡い光が立ち上る。
 光は折り重なり、立体的な映像を形成した。
 大きな山を俯瞰した映像だ。

「そこで問題になるのが、その結界を施工し、維持する者の選定。そして、土地の場所の確定と、その施工時期の決定です。まず、土地については、目星はつけてあります」

 閻魔がそう言うと、儚げな目をした桃色の髪の女性が、不思議そうに呟く。

「この御山。ずいぶんと高そうだけど……こんな山、あったかしら?」

 桃髪の女の質問に、閻魔は頷き、答えた。

「はい。ご明察の通り、この山は現存する山ではないのです。この山は幻想の概念結界を施工後、招き入れられるであろう山の映像です」

 腕を組み、じっと映像を見ていた一本角の鬼の女が、ほうと息をついた。

「ははは。富士に砕かれし前の、最高峰か。こいつぁ、拝めたら壮観だろうねえ」
「ええ。概念結界が完成した暁には、これらの山も姿を現すことでしょう。まさに妖怪たちの楽園、妖怪の山というに相応しいものになると思います」

 手にした杯の酒をあおり、目を細め笑う鬼に、閻魔も笑い返す。

「さて、時期ですが。今より五年後、日と春と土の年。もっとも地脈の力が高まる土地に、龍神の加護を受けた結界を張るのが最善だと考えます。この年を逃せば、幻想の者達への被害は甚大なものとなるでしょう」
「最近の人間達の腹立たしさ加減は、もう耐えられるものじゃない。私としても、出来るだけ早く実行してもらいたいもんだ」

 そこで鬼は少し嫌なことでも思い出したかのように、ふんと鼻を鳴らしてこちらを睨んできた。
 私はびくりとして、心臓が縮み上がる思いだったが、どうやらこちらを見ていたわけではないらしい。
 もっと私の後ろの、壁の向こうを見ているようだ。
 まったく紛らわしい。私は心を落ち着かせると、また閻魔へと意識を向けた。

「はい。そして、その概念結界の管理、維持をする者の選定ですが……」

 その閻魔の言葉で、今まで比較的和やかだった空気が鋭さを増す。
 特に、纏う雰囲気を変えたのは、桃色の髪の女性のように感じた。
 女性の後ろに控えた老人も、その様子を受けて、視線を鋭くし辺りへと注意を払っているようだ。

「適任だとしていた境界、狭間の大妖である八雲は、先の月面戦争にて、滅ぼされてしまいました」

 閻魔は手をかざし、山の立体映像を消した。
 また、部屋が蝋燭の淡い光だけで照らされるのみとなる。

 月面戦争……和風な妖怪たちだなと思っていたら、今度は宇宙ときた。
 ここまで、私のツボをつく、心躍る夢は、生まれてこの方、初めてかもしれない。

「八雲は人々の畏怖により、概念存在としては、それなりには再生してきています。しかし、五年で意思を持ち、世に具現するまでには至れようはずがありません。そこで、皆様の力を借りたいのです」
「八雲を復活させる……そんなことが可能なの?」

 桃髪の女性が、静かな声音で閻魔に尋ねた。
 表情は特に変わった様子も無く、声色も普通であったが、周りを渦巻く空気が明らかに変わった。
 冷やされ感覚がなくなった体に、ぶすりぶすりと針を差し入れるような、異様な圧力。
 私は、叫びだしそうになるのを堪える。
 暗くてよく見えないが、実際、禍々しい何かを放出しているようにも見える。
 しかし、閻魔はその空気に気圧された様子は無く、ただ静かに頷き返した。

「可能かは、私達の行動に掛かっています。そして、それはなんとしても成功させなくてはならない」
「そう……」

 閻魔の真っ直ぐな視線を受け、桃髪の女が目を伏せ思案する。
 取り組みの意識の程を量ったのか、その気が多少やわらいだようだ。

「……まあいいわ。お話を続けて」
「今日の席にはいらしていませんが、魔界の創造主に、境界の妖の器となる、依代の作成を依頼しています」

 少し、席がざわめく。
 閻魔は、ざわめきが静まるのを待ち、言葉を続けた。

「そして、その魂魄についてですが、適正を持った人間を基盤として、東洋の力ある陰陽師より賜ったこの陰陽勾玉を力場に、そして、西洋の魔術師の作った賢者の魔力石を接合触媒とし、八雲の存在概念と融合させ固着化させます。これにより、多少無理やりではありますが、早急な八雲の再生を目指します」
「なるほど。どれくらい、準備は進んでいるのかしら?」
「ほぼ」

 閻魔の答えに、面々は少し驚きの表情を見せた。

「目処もたっていないのに、皆様方を集めたりなどはしません。それでも、これは非常に危うい賭けでもあるのです」

 鬼が杯を少し持ち上げると、後ろの影がそれを注ぎ足した。
 そして、それを一気に呷り、尋ねる。

「それで、私達は何を手伝ったらいいんだ?」
「大熊殿には、魂魄操作を得意とする者を探してもらいたいのです。組織だった力が擁する、その情報収集力をお貸し願いたい」
「……ふむ。魂の融合術か、命や気の扱いに長けたものが適任かね」
「はい。お願いできますか?」
「まあ、待ちなって。今日は情報に敏いヤツもつれて来てるんだ……姫海棠、射命丸」

 鬼が声をかけると、後ろの暗がりから山伏姿をした男女が姿を現す。
 男の方が、鬼へと何かを伝える。口は動いているが、どういうわけか声が聞こえない。
 姿からすると天狗だろうか。
 てっきり鼻が長いものだと思っていたが、男の方も至って普通である。
 男が何かを言い終えると、鬼がふむと頷く。

「……なるほど。よし、今日来ている半分の天狗で先行して、更に詳細な情報を集めておけ」

 鬼はそう言うと、また酒を飲もうと杯を傾けるが、そこで動きを止めた。
 男の顔を覗き込むようにして、目を細める。

「ん。どうした、姫海棠。不満でもあるのか?」
「いえ、そのようなことは……」
「……ああ。そうだった。お前さん、最近娘ができたんだったか」
「い、いえ」

 鬼が笑うと、男は困ったように周囲へ視線を投げかける。

「大熊様。このような大事な席で、私のような者の話など……」
「はは! 気にすることはないさ。すっかり忘れていたよ。可愛い娘が待ってるんじゃ、早いところ帰ってあげないとだなぁ」
「大熊様……!」
「大熊様。あまり姫海棠をいじめないでやってください。この男、子持ちの癖して、緊張に弱いのですから」
「射命丸……!」

 鬼と女天狗にはさまれて、男の天狗はしどろもどろである。
 可哀想だなあと思いながらも、その光景を楽しく見学させてもらう。

「しかしな。お前の遠距離念写の力は、今回の探索の仕事ではあると、大分助かるからねえ」
「気になさらないでください。もとより、任務を差し置いて戻る気など在りませぬゆえ」

 話を聞いていた閻魔が、顔をほころばせながら、天狗の男へ声をかける。

「お子様が、お生まれになったのですか?」
「……はい。つい先々月のことです。申し訳ありません。このような、大事な会議を私のような者の話で、中断してしまい……」
「おい、姫海棠。それはつまり、私へのあてつけと取っていいのかい?」
「そ、そのようなことは!」
「大熊殿」

 くすくすと閻魔は笑う。そこで一つ息をつき、真剣な顔になり言った。

「その赤子のためにも、我々で、素敵な郷を創って参りましょう」
「……はい。この身に代えても」

 男は、閻魔の言葉に力強く頷き返す。
 そして、鬼と二、三言葉を交わすと、女の天狗と共に、また後ろの暗がりへと下がって行った。
 どうやら、もう部屋を出て行ったようだ。

「さすが閻魔様だねえ。人をおだてるのが上手い」
「おだてるだなんて。本心からそう思っていますよ」
「まあ、嘘をついているとは思っちゃいないさ」

 豪快に笑う鬼に、閻魔が天狗との会話の内容を尋ねた。

「ああ。大陸の方に、そういう技術にこなれてそうな奴がいるって情報があるらしい」
「さすがは、天狗の情報網ですね」
「この後、私も行ってくる予定だよ。時間もないってことだし、お願いはしてみるけど、場合によっては、ちょいと手荒にはなるかもしれないね……」

 鬼はにやりと笑うと、腕をごきりと鳴らした。
 閻魔はそれに、苦笑をもらす。

「助かります。でも、なるべく穏便にお願いしますね」
「まあ、相手次第さ」
「それと、もう一つお願いが」
「ふむ。言ってみな」
「……伊吹大鬼の御息女、その能力をお借りしたいのです」

 ほう、と鬼は方眉を上げてみせる。

「萃香のかい?」
「はい。より万全を期するため、魂魄結合の術式の際に、疎密の能力にて、境界の妖の概念存在の凝縮をお願いしたいのです」
「なるほどね」

 閻魔の申し入れに、鬼は顎に手を当て、少し渋い顔をした。

「私としても、それは名案だと思うが……あいつは、伊吹の大将の存在維持だけで、力いっぱいだからなあ。来てくれるか、聞いてみないことには」

 鬼はひとしきり考えたあと、閻魔に答える。

「でもまあ、この郷の結界を張ることは、大将を救うことにもつながるからな。短い時間なら、手伝ってくれるかもしれないね。何とか説得してみるよ」
「お手数おかけします」
「やるからには、全力を尽くすさ。任しておきな」

 鬼の快い返事に、閻魔は柔らかな笑顔を浮かべた。
 そこで、今までずっと黙っていた桃髪の女が、声を発した。

「閻魔様」

 その表情は、少し硬い。

「魂魄はそう簡単に、融合するものではありませんわ。いくら魂の扱いに長けた者でも、そんな短時間の内に、固着させるのは不可能です」
「……」
「長い時間をかけ、ゆっくりと事を運ばねばなりません。どう考えても、五年程度では無理があるでしょう。急がなくてはならないのは分かりますが、無理をして万が一の事があったら……」

 すっと、その瞳に鋭さが増す。
 しかし閻魔はひるんだ様子は無く、女の言葉に首肯を返した。

「仰る通りです。そこの問題も、ある人物に助力を仰ぎ、対策しています」
「ある人物?」
「はい。これは口外無用として欲しいのですが、月の―――

 













―――蓮子、蓮子」

 私は自分を揺する声に、目を覚ました。
 見ると、メリーが、私の顔を心配そうに覗き込んでいる。

「なーんか、ずいぶんと難しい顔してたわよ?」
「……変な夢、みてたわ」
「変な夢? どんなの?」
「んー、妖怪や神様の会議みたいな?」
「なにそれ。面白そうじゃない! 蓮子だけずるいー」
「メリーは私以上に、色んなもの見てるでしょうが」
「あーそれ言っちゃうの? ずるいわぁー、一気に伝家の宝刀持ち出す蓮子大人げないわぁー」
「……はいはい」

 私は寝ぼけ頭のまま起き上がると、メリーにコップを手渡される。
 とりあえず、それを一気飲みして一息つく。
 少し目が覚めたところで、良いにおいがするのに気がついた。
 
「ほら、ご飯用意しておいたわよ。キーマカレーと、冷蔵庫に残ってたポトフを温めておいたわ」
「あら……ありがとう」

 私は大きく伸びをしながら礼を言って、立ち上がる。そして、そのままトイレへ向かう。
 座ると、中においてあったメモとペンを手に取った。
 さきほどの夢を思い返してみる。

 既に少し内容が曖昧になってきているが、出来るだけ忘れないうちに、まとめてみる。
 異形の者達は何を話していた?
 そう、何かの問題解決。
 いくつか問題があり、その解決策を話し合っていた。
 問題、何があった?

 ……困った。
 もう、結構忘れてきている。
 ええと、確か、地脈豊かな場所が何とかと言っていた。 
 そうだ、結界だ。結界を敷く。
 何の為に?
 ダメだ。これ以上出てくる気がしない。
 これだけか。情報これしか思い出せないのか。
 あー……もう、これだから夢は困る。せっかくとても楽しそうな、内容だったのに。

 私はトイレを出ると、早速メリーへと声を掛ける。

「ねえ、メリー。地脈の流れが豊かな場所って、どういうところがあったかしら?」
「地脈? んー、この辺だと、こことか、富士、それから東北の諏訪とか? まあ、お山が基本的に地脈の流れ豊富よね」
「山……。そうだったわ。鬼に、天狗もいた!……うん、山があるといいわね。諏訪、……八ヶ岳、浅間山」

 私が腕を組んで考え込んでいると、メリーが楽しそうに顔を覗き込んでくる。

「なになに、どうかしたの? また何か、面白いこと考えてるんでしょ」
「んー、夏だしねえ。丁度いいかも。メリー、どうせ休むなら、軽井沢とかの避暑地旅行でもしない? 山のぼりとか、お寺廻りとか」
「わお」
「どう? でも、体辛いようなら――」

 メリーはぶんぶんと大きく首を振って、身を乗り出した。

「素敵よ、蓮子! 是非行きましょう!」

 興奮したように頬を上気させ、携帯端末をいじり始めるメリー。

「このプランなんかどう!? ほらこれとか、善光寺は、女人救済の祈願もできるらしいのよ、珍しいお寺でしょ! ここどうかしら! あ、こっちも良さそう。前からここも行ってみたかったのよねー! あっといけない。ご飯ご飯。さっさと食べて、計画立てましょう!」
「……うん。そ、そうね」

 どこかの旅行プランのページを開いて、それを私に渡し、キッチン作業へと戻るメリー。
 私はちょっと気圧されながら、テーブルに着いた。

「んんー! すぐに決めちゃうのは、もったいないか……計画立てるのも含めて、旅行の楽しみよね。蓮子、旅行に着ていく外行きの服買いに行きましょう、そうしましょう、そうしましょう!」

 踊りだしそうな様子で、カレーを皿に盛るメリー。
 私は苦笑すると、大学研究室への、休みの言い訳を考えはじめた。





 メリーの用意してくれたカレーやポトフを食べ終え、コーヒーを淹れて一息つく。
 天井のスクリーンへと目を向けると、赤く染まった空が広がっていた。

 私は携帯端末を起動し、大学へ数日間の外出を連絡する。
 一通り作業を終えると、メリーへと意識を向けた。
 メリーもメリーで、携帯端末とにらめっこしている。
 休みの説明をどうしようか、考えあぐねているのだろうか。

「こっちは大学へ休みの連絡を入れたわ。そっちは?」
「もう終わってる。退院直後だから、もう少し休ませてもらうって連絡したわ」
「じゃあ、何をそんな一生懸命やってるの?」
「何って、旅行プランでしょ」

 メリーが携帯端末の拡張表示モードを起動すると、頭くらいの大きさの淡い立体映像が浮かび上がる。
 山の映像だ。続いて、ポップウィンドウがいくつか開いていく。
 旅行会社の名前やリンク、山の名称、交通幹線の詳細情報。

「私が組んでみたプランは、まず京都ショッピングモールでお買い物しつつ、午後から新幹線で長野に出て、色々回る、とかかな。蓮子は長野の、どの山に行ってみたいの?」
「あの辺の山なら、どこでもいいかな」
「まーた、ずいぶんと適当ねえ。一応、こっちで良さそうな宿は調べておいたわよ。路線チケットは平日だから問題ないし。後は何をしたいかってとこね」
「なら尚更、適当で大丈夫そうね。メリーは何処か、行ってみたい所ないの?」
「うーん。前に文化遺産になった、黒部ダムとか少し気になったかも。後は、恒例の諏訪湖? あとさっき言った善光寺とか」
「諏訪湖は、何度目だっけ。行くなら、紅葉時か御神渡りの冬がよくない? ほら、あそこ夏だと……」
「ああ、そういえば大変だったわよね……蚊とか」

 前に夏、諏訪湖を訪れたときのことを思い出して、二人して溜息をつく。
 あの湖は自然管理団体の力が強く、環境整備のナノマシン散布が行われていないので、虫の類が非常に多いのだ。

「善光寺と黒部ダムは比較的近いわよね」
「そうね。せっかくだし行ったこと無い所、行こうか」
「うんうん。それで、お願い」
「はーい……って、また私任せなの?」
「ちょっと考え事があるのよ。考え事が終わったら、もちろん手伝うわ」

 私はそう言うと、腕を組んで、目を閉じた。
 例の夢の内容を少しでも、思い出さなくては。

「考え事って、何よ?」
「ん? えーと、ほら。大学のよ。急ぎで考えて欲しいって、連絡来てね」
「それって本当?」

 メリーが疑わしげな視線を向けてくる。
 私はとりあえず、目を閉じたままで答えずに、思考状態に入っているから、放っておいてと示してみせる。

「……もー、私の決めたのに、文句は言わないでよね!」
「はいはい。ご随意に。プランは任せたわ」
「もう! 大体、山行こうって、一体どんな訳なのよ」
「なんとなくよ。なんとなく」

 そんなことを言われても、夢の内容に山が出てきたから、とりあえず山に行きたくなった、なんて言ったらなんと言われるか分かったものじゃない。
 前に、メリーの夢の話を聞いたとき、他人の夢の話を聞くことほど辛いことは云々と言った事があり、結構それを根にもたれているのだ。

 さて、夢の思い起こしだ。
 山、山、山。
 頭に山をイメージする。確か、暗い空間だった気がする。
 そこに、異形の者達が集まって、会議していて。
 ぼんやりと、人影が浮かび上がってきた。
 看護帽のようなものをかぶった、知的な女性だ。

 あれ、こんな人、夢にいたかしら。

 女性は、底の読めない笑みを浮かべながら、語りかけてくる。

『そうです。ですから、念のために、セーフティを施しておきましょう。貴女の魂が肉体から離れるほどに、こちらへ引き寄せられるようにしておきます。ただし、突然の死などの場合は、対応できない可能性も考えられる。気をつけてください。また、魂が完全に融合した場合においても、自動的に――』

「――蓮子! プランできたわよ! こらー! 寝たふりしないのー!」
「……ああ、もう。せっかくいい所だったのに」

 何か重要そうなことが思い出せそうだったが、メリーのおかげで霧散してしまった。
 しかし、勿論文句を言える立場でもないので、その不満は内へとしまう。

「いい所って、何よ?」
「気にしない、気にしない。それより、どんなプランにしたの」

 私はそう言って、メリーの広げている立体映像へと目を向けた。
 しかし、メリーはさっさとその映像を閉じてしまう。

「じゃあ、早速出発しましょう」
「……へ?」
「22時の新幹線で、長野に行くわよ。それまでに、ショッピングを終える。以上!」
「え、ちょっと、もしかして、今日なの!?」
「そうよ。善は急げよ。まさか、何か異論が?」

 メリーが目に凄みをきかせて、睨み返してくる。
 一緒に考えなかったのが、相当ご立腹のようだ。
 私は身を縮ませて、視線を逸らせた。

「えっと……無いです、はい」
「よし。ならほら! きりきり準備する!」
「あーもう、わかったわよう……」

 私は勢いよく立ち上がると、夢の内容を思い出すのはひとまず諦め、旅行準備を開始した。
 






「布団って何でこんなに、気持ちいいのかしらー!」

 メリーは、浴衣に身を包み、火照った体を冷やすように布団の上へと飛び乗った。

「もう、行儀悪いわよ」

 私も同じように浴衣に身を包み、給湯室からもらってきたお湯で、コーヒーを淹れる。
 コンビニで購入してあった弁当を取り出し、卓へと並べた。
 そこで、大きく溜息が漏れた。
 メリーよりも、私の方がはるかに疲れていると思うのだが。

 夕方に開始された、旅行プランという名の強行軍に、私の体は悲鳴を上げていた。
 とりあえず、一通りメリーの要求をこなし、休息の地である旅館へとたどり着いたのだ。
 閉店間近のショッピングモールを走り回り、メリーの欲する道具や服を買い、退院直後で力が入らないと言う彼女に代わり、ほぼ全ての荷物を持って歩き通していたのは、数時間前の話である。
 密度が濃すぎて、数日前のようにも感じる。

「ああもう……ほんっと、疲れたわ……」
「蓮子が、私にプランを任せたのがわるいのよー?」
「はいはい、以後気をつけますよ」

 宿に着いたのは、0時少しであった。
 旅館の温泉にまだ入れたのが、救いか。
 メリーが荷物の整理をしている間に、私は先に温泉に入らせてもらった。
 そして、後に入ったメリーが、戻ってきたところである。

「ほらー。せっかくあっためた弁当や、コーヒーが冷めちゃうじゃないのよ」
「風呂から出た直後って、食欲そこまででないでしょ。まずは涼まないと!」

 メリーは相変わらずマイペースに、布団でごろごろしている。
 なんだか、すごいデジャヴを感じる光景である。

 仕方なく、ご飯をつまみながら携帯端末を取り出し、大学の進捗状況を確認し始めた。
 どうやら、これといって問題も無い様である。
 ふと考えてみて、それもそうだと思う。
 何せ、前回のチェックは今日の夕方だから。まだ半日も経っていないのだ。

 とりあえず、手持ち無沙汰なので、今日の記録をつけることにした。
 一応、秘封倶楽部の活動ということになるだろうから、その活動日誌である。
 開始は夕方。立案は私。
 タイトルは、長野の地脈の多いと思われる山の調査、でいいか。
 メリーの作った工程プラン。
 行ったお店の名前と、買ったもの。今日の旅館の情報の添付。

 大体の記入を終えると、大きくあくびをした。
 昼から夕方まで寝ていたけど、夜になるときちんと眠くなる。
 非常に健全なことだ。疲れがそうさせているような気もするが。

 卓を見て、まだお弁当がそのままなのに気がついた。
 そこで、私は思い出したように、メリーへ視線を向ける。
 メリーは仰向けで、お腹の上に枕を乗せ、ぼんやり窓から外を眺めていた。
 足がこちらで、頭が向こう側。枕の下の浴衣の間から覗く白い足が、やけに目に付く。

「お弁当もコーヒーも冷めちゃったわよ。おなか減ってたんじゃないの?」
「んー。減ってる減ってる。だから、食べるよー?」

 そう返事を返すものの、いまだにぼんやり上の空である。
 いつもは、かまってオーラを力いっぱいぶつけて来るメリーだが、時折こうして急におとなしくなる。
 そういう時は、なぜか私の方が、メリーをいじりたくて仕方がなくなる。

「それ何度も聞いた。言ってることに、動きが伴ってないわ」
「肉体と精神は、常に目的や行動を一致させるとは限らないのよ」
「なら、メリーの体は何を欲してるのかしら?」
「え?」

 そこでメリーはやっと、私へと視線を向けた。
 きょとんとした顔をして、お腹に乗せていた枕をぎゅっと抱きしめる。
 私はにやりと笑いながら、メリーの体へあからさまな視線を向けてみせた。

「もしかして、誘ってるのかしら?」
「え!?」

 私の言葉に、メリーの顔がどんどん赤くなっていく。
 メリーの反応に楽しくなって、私はさらに言葉を重ねる。

「さすが、メリーさん。枕を私に見立てて、イメージプレイでもしてるんですかね?」
「……え、ちょっと!?」

 あわてたように、少し乱れていた浴衣の身だしなみを整えようとするメリー。
 それを遮るように、私はわざとらしく、溜息をついて見せた。
 そして、悪かったと言う様に、肩を落としてみせる。

「ごめんなさいね。せっかくメリーと旅行に来ているって言うのに、ちょっと貴方のこと、疎かにしすぎたかもしれない」
「……えーと、うん。そうよ! やっと気づいてくれたのね、もっともっと、私に優しくしてくれていいのよ?」

 思ったとおり、私の悪乗りに過ぎた言葉にも、乗りかかってきた。
 その日のメリーのテンションを読み取り、ぎりぎりのラインでいじり倒すのは、私にとって、最高の娯楽の一つである。

「本当にごめんね。そんなイメージプレイさせるくらい、寂しい思いをさせてしまっていたのね……」
「え……うう、そ、そうなのよ。蓮子がちっとも私に振り向いてくれないから、一人寂しく自分を慰めてた、のよ……?」
「なるほど、なるほど」

 私が大仰に頷いて見せると、メリーの顔が益々赤くなっていく。
 赤面しているのに、自分でも気がついているのだろう。それが更に、頭への血の呼び込みに拍車をかけている。
 目も軽く、潤んでいるようにも見えた。

 そんなに恥ずかしいなら、やらなければいいのに。
 内心そんなことを思いながらも、攻めの手を緩めない。

「でも、私を誘いたいなら、もっと官能的なポーズでも取ってくれないとね?」
「ええ!? ぐ、う……えーと、こ、こうかし、ら?」

 メリーは枕をどけて、後ろ手に体を持ち上げ、胸を突き出すような姿勢を取った。
 そしてその顔はと言うと、耳まで真っ赤にしての、引きつったような、半泣きである。
 体も、恥ずかしさで凄いプルプルしてる。
 きっと私も、笑いを堪えてて凄いプルプルしてる。

「メ、メリー。もう少し、大胆さがないと、駄目かもね?」
「まだだめなの!?」

 涙目のメリーは、健気にもまだ乗ってきてくれるようだ。
 可愛すぎる。
 私はニヤつく頬を唇を噛んで堪え、メリーの行方を見守る。
 メリーはひざを持ち上げると、そっと脚を開いて……

 ――カシャリ。

「ちょ、今の音、何!? 撮った!? 撮ったでしょ!?」
「撮った? 何のことかしら」
「こんの、エロ蓮子!!」

 メリーは枕を掴むと、私へと投げつけてきた。
 手で弾いて、何とか卓に着弾するのを防ぐ。
 危うく、ご飯がひっくり返るところだった。
 まったく、なんて事をするのだ。
 合成食品だらけの食卓だが、粗末にするなんて許されることじゃない。

「ちょっとメリー! ご飯、もう少しで、吹き飛んじゃうところだったわよ!」
「何よ! 今撮ったやつ、データきちんと消しなさいよね!」
「あらあら、逆切れなの? もー、怒ったわよ!」
「逆ギレって、そっちでしょ!」

 とりあえず、自分の事は棚に上げておいて、メリーを攻めにかかる。
 私は枕を持って立ち上がると、笑いながらメリーへと歩み寄る。

「な、なによう。悪いのは蓮子じゃない……!」

 私の雰囲気に気圧されたのか、メリーがびくりとして、横になったまま距離を置こうとする。
 そのおびえるようなメリーの姿に、軽く嗜虐心をくすぐられ、高まった気分も相まって、私の悪乗りが加速する。
 枕をメリーの顔に押し付け、圧し掛かる。

「そんな悪い子は、本当に食べちゃうわよ?」
「むぐ、れんふぉ!?」

 私はメリーの肩に、軽く甘噛みした。

「あらー、メリーってばホント美味しいわー。メリーも、食べられる者達の気持ちを味わうといいのよ」
「ふぇんふぉ! ふぁめて! ふぁめふぁふぁい!」

 メリーの慌てる様子が楽しくて、もう少し強く歯を立てる。
 けど本当に、メリーの肌は柔らかくて、お風呂上りだからか舌触りもいいような。
 これってちょっと、本当に変態さんな行動じゃないだろうか。
 そんなことを考えるが、気持ちが高揚しているからか、すぐにそんな思考は脇に追いやられてしまう。
 ああ。本当に、メリーってば美味しいかも。
 口の中に、甘い味が広がっていく。
 この甘いの何だろう。人間って、こんな味がするものなのだろうか。

 ふと気がつくと、メリーの抵抗が止んでいる。
 頭の奥で、何か警鐘が鳴り響いている。
 なんだろう。

 次の瞬間、私は飛びのくようにメリーから離れた。

 メリーの肩が赤く染まっている。
 私の口から、何か滴る。
 一瞬、状況が理解できなくて呆然としたが、すぐに我に返る。

「メリー、ごめんなさい、私……!」
「ふう、やっと開放された。食べ物の気分ってこんな感じなのかしらね。今度からは、もっと優しく食べることにするわ」

 メリーは顔の枕をどかせて、上半身を起き上がらせようとする。
 しかし、私に噛まれた腕が痛むのか、手を滑らせてまた倒れてしまう。

「ちょっと、起き上がらないで寝てて! 今救急セット持ってくるから!」

 私は旅行バックから、普段外部活動しているときにお世話になっている、救急箱を取り出す。

 一体、どうしてしまったんだ、私は。
 あんなに深く、メリーの肩を噛んでしまうなんて。
 
 救急箱を持って戻ってくると、メリーがタオルを傷口に当て、椅子に座っていた。

「ごめん、蓮子。タオルみつからなかったから、さっきそっちに置いてた蓮子のタオル借りちゃった。ベッドのシーツも早く取り替えないと、マットまで汚れちゃうかも。どうしよう、旅館の人たちになんて言おうか……」
「そんなのは、今はいいから!」

 私はメリーの傷口へ、ナノマシン抗生剤を塗ろうとするが、タオルを外すとすぐに血が垂れてきてしまう。
 もうしばらく止血しないとダメだ。
 仕方なく、飲み薬の方を用意する。

「ねえ、傷つけた私が言うのも何なんだけど、すぐ病院に行きましょう。薬で感染症は防げるけど、結構深いから、きちんと形成処理しないと、傷が残っちゃうかもしれない」
「そっか。それは困っちゃうわよね……」

 メリーはそう言いながらも、あまり気にした様子もなく、空いた片手で食事をし始めた。

「ちょっと、メリー。食事している場合じゃ!」

 メリーはちらりと私へ視線を向けると、すぐに食事を再開する。そして、

「私、病院に行くの嫌よ」

 と、強い口調で言い放った。
 私は、呆気にとられて、メリーの顔を見つめる。

「……こんなときに、そんな我侭を」
「ここまでされたんだから、これくらいの我侭、聞いてもらってもいいんじゃないかしら?」
「だから、そのままにしておいたら、傷が残っちゃうかもしれないのよ!」
「傷が残る? 上等よ。今の医療技術なら、後からでも綺麗にしたいと思えばできるわ。それに、せっかくの楽しい旅行中だって言うのに、中止しなくちゃならないなんて、我慢なら無いわ!」

 メリーはそう一気にまくし立てると、一つ大きく息を吐き出して言う。

「長期間療養所にいた私に、またあの空気を吸って来いって言うの?」
「それは……」
「それに、蓮子と離れるとダメだって話したばかりじゃない。私からすれば、傷よりも蓮子といられるかいられないかの方が、重要問題」

 そう言って、また食事を再開するメリー。
 私は何も言えずに、じっと下を見つめるしか出来ない。
 すると、メリーが指で私の胸を小突いてきた。
 顔を上げると、メリーが変な笑いを浮かべている。

「何よりもさ。ここまで深いスキンシップしたのは初めてでしょ。それでこんな傷が出来たなら、いい記念になると思わない?」
「……」
「あら。また変態さんがいるー、とか言うかと思ったんだけどなー?」

 メリーがニヤニヤと笑いながら、流し目を送ってくる。
 そのメリーの様子に、少し罪悪感が晴れて、私も笑いを返した。

「……そうね。全くとんだ変態さんよ。貴方は」
「そうよー? そして、蓮子も同じ変態さんよね?」
「……左様で御座います」

 メリーは満足したように頷くと、芝居がかった仕草で、自分の胸に手を当てて、もう片手を大きく掲げて見せた。

「あんなに激しく、蓮子に求められるなんて、思わなかったわ」
「……」
「ああ! 蓮子をあんな情欲に狂わせてしまうなんて、私ったら罪な女!」
「……はいはい」
「はいはい?」

 私がその様子に、ぞんざいな感じで相槌を打つと、メリーがぐいっと顔を寄せて、私の目を覗き込んでくる。

「でも、噛まれたのは、本当に痛かったんだからね?」
「う……いや、はい。ごめんなさい……」

 メリーは、私の困っているその様子を見て、また満足したように、食事を再開する。
 このネタで、いつまで弱みを握られるのかと思うと、少し憂鬱になる。
 でも、まあそれはそれで、楽しいのかもしれない。
 新しい力関係は、今までになかったやり取りを生んでくれるからだ。

 そんなことを考えて、私は自惚れが過ぎるのかもしれないと反省する。
 今のようなことを考えてしまうのは、メリーが何があっても、私を嫌いにならないと信じて疑っていなければ、出ない考えだからだ。
 やれやれ。私のメリー中毒も相当なものだ。

 そこで、私は一人くすりと笑う。

 いいだろう。
 ここで多少力バランスが変わるというのなら、少し普段と違ったアプローチをしてもいいかもしれない。

「ねえ、メリー。肩も痛いでしょうし、食べさせてあげるわよ」
「えっ?」

 私はそう言うと、メリーにずいと近寄って体を密着させる。
 そして、箸を手に取ると、おかずをつまんでメリーの口元へと運ぶ。

「だだだ、大丈夫よ。食事くらい、なんともないわ」
「遠慮しなくて良いのよ」

 もう片方の手をメリーの脇の下へまわし、体をそっと引き寄せる。
 メリーが目を白黒させて、顔を赤くする。
 私も内心、恥ずかしくて仕方がないが、色白なメリーに比べれば、赤面しているのが気づかれにくい。

「とても、悪かったと思ってるのよ。だから、少しくらい償いをさせて頂戴」
「……う、うん。わかった」

 その後、メリーが「こんな恥ずかしいの身が持たないー!」と喚き出すまで、私の過剰な接待プレイは続くのであった。






「本日は、遠方からのご来訪、ありがとう御座います」
「異世界間交流は大切なことです。これも私達の世界を守る、大切なお仕事の一つですもの。お互い頑張りましょう」

 にこやかに受け答える、銀髪の女性。その美しい髪を片側にアップで、結い上げている。
 たおやかな、でも何処か威厳めいたものも感じる。不思議な美人だ。
 相対しているのは、前の――閻魔だ。
 閻魔はちらりと、女の周囲に視線を走らせ、また戻した。

「……ぶしつけですが、依代の方はどうでしょうか?」
「つい先日、完成しましたわ。今、最終テストもかねて、魔法による異世界転送をしています」
「異世界転送?」

 はて、と首をかしげる閻魔に、女が頷いて答える。
 結われた銀の髪が、ひょこりと揺れた。

「はい。確か、前に説明されたとき、この依代の中心となる者は、境界や狭間をいじり空間跳躍をおこなうと聞きました。なので、それに耐えられるかどうかのテストも兼ねて、今こちらに魔界から転送しているのです」
「なるほど」
「作成した依代は、依頼にありましたとおり、概念的、物理的に強固な結界を施した、特殊な器となっています。この体なら、固定化の難しい境界の妖を内包することができるでしょう」

 女はそこで少し、表情を曇らせた。

「ただ、その強固さゆえ、転送に対して負荷が発生してしまっていて、予定より時間が。こちらに送る以前に、転送実験など行っておけばよかったのですけど……」
「いえ、無理な予定に応じて頂けただけで」
「ふふ。ほんと今回は、魔界作ったとき以来の頑張りかもしれません」

 少し疲れたように笑う女に、閻魔は申し訳なさそうに頭を下げた。

「本当に、感謝しています。神綺殿のお力添えがなければ、今回の計画は破綻していたでしょう」
「感謝してくださるなら、魔界の子達がこちらを訪れた際に、良くしてやってくださいな」
「ええ。勿論ですとも」

 笑いあう閻魔と銀髪の女。しばらくして、女が室内に視線をめぐらせた。
 十数人は集まれそうな室内の椅子には、二人以外の姿は無い。
 その視線の意図を察し、閻魔が答える。

「ああ……他の方は、少し会議開始を遅らせたので、各室で休んでいます。先ほど、うちの者に呼びに行かせましたので、そろそろ――」

 閻魔に合わせた様に、部屋に誰かが入ってくる。
 赤髪の死神だ。

「四季様。各人には声をかけてきました。――あ、これは初めまして。三途の渡しをしている、死神の小野塚小町です」
「こんにちは。魔界神をしてる神綺です。よろしくね」
「は、はい。こちらこそ宜しくお願いします」

 死神と魔界神が所帯じみた挨拶をしていると、続々と室内に人が入ってくる。
 たぶん、どれもが人ではないのであろうが。
 前に見た、一本角の鬼。その後ろに、女天狗が二人、赤髪の中華服っぽいものを着た女。
 少し後ろから、赤青のツートーンカラーの奇抜な服装の女性と、金髪ショートの中国の導師服のようなものを着た……巨大な沢山の尻尾を持つ女が入ってくる。計六人だ。
 天狗と中華服の女性は、鬼達の後ろへ控える。
 少しすると、一つ空いた席に霧が集まり、人型をなして少女が現れた。その頭には、不釣合いなほど大きな二本の角。
 一本角の鬼の隣に座っていることから見て、二本角の少女もまた鬼なのだろう。

 場が落ち着いたところで、閻魔が面々へ確認するような視線を巡らせる。皆の視線も、閻魔へと集まった。

「皆様。お集まり下さり、ありがとう御座います。これより会議及び、八雲の再組成を開始します。しかしまだ、依代が準備中であるため、まずは前準備と状況確認をしたいと思います。それと、ご了承かと思いますが、この会議内容などは口外無用でお願いします。こちらは、今回初顔合わせの方も多いと思いますが、魔界神の神綺様です」

 閻魔は魔界神を全員に紹介し、魔界神もそれを受け軽く頭を下げる。

「紹介に預かりました、魔界神の神綺です。お待たせしてしまい、申し訳ありません。依代ですが、もう半刻もしないうちに、届くかと思いますので、もうしばらくお待ち下さい」

 魔界神は、閻魔へと視線を戻す。
 閻魔は頷き、鬼達へ視線を投げた。

「大熊殿、萃香殿。ご足労ありがとう御座います」
「ああ。今さっき、珍しい酒も飲ませてもらって、その上開始早々で何だが、要件を済ませたら、私は一足早く戻らせてもらうよ。ちょっと、こっちでも色々あってね……そんな訳で、簡単にだがこっちの状況説明だ」

 言ったのは、一本角の鬼だ。
 鬼は、後ろに控えている中華風の女性へ、視線を向ける。

「こっちの赤いのが、件の手練だ。過去に……魂魄腑分けをしていたらしい」

 鬼の紹介を受け、中華服の女性は少し顔色を翳らせたように見えた。

「魂魄腑分け?」

 閻魔の後ろに控えていた死神が、質問を投げかける。
 鬼が渋い顔をして黙っていると、

「ソウルロボトミー……魂の切り貼りね」

 と代わりに質問に答えたのは、赤青ツートーンの女性。
 微かに、口元が笑っている。

「紹介が遅れました。私のことは八意、とお呼び下さい。今回は、八雲魂魄再生の仕上げのお手伝いをさせていただきます」

 そう言って、目を伏せ頭をたれる。

「魂の、切り貼りだって……?」

 死神が呟く。
 その顔が、意味を理解してか徐々に険しいものへと変じて行く。

「なんて……気色の悪い……!」

 明らかな怒りをたたえて、中華服の女を睨みつける。

「小町、これからお仕事をお願いする人ですよ」

 閻魔が従者をたしなめる。
 死神は納得してはいないように、口をつぐみ視線を逸らせた。
 閻魔は小さく息をつくと、中華服の女へ謝罪を告げる。女は、小さく首を振った。

「いえ、いいのです。私がやってきたことは、そういった風に見られるものだと理解しています」

 そう、少し自嘲気味に答える。

「私は生きていく為に、様々な邪法と呼ばれるものを利用してきました。踏みにじってきたものの数は、理解しています」
「また、その技術の一端を使わせてしまうことに、とても心が痛みます……白々しいと思われるかもしれませんが、貴方の今回の行動は、間違いなく善行へとつながるでしょう」
「私としましては、主の住まう土地を提供して頂けただけで、とても満足しています。それに加え、皆に役立つ郷創立の手伝いをできるとあらば、光栄の極みです」
「へぇ、あんたみたいな者を従者として引き入れてくれるなんて、ずいぶんとまあ、心の広い主様もいたもんだね」
「小町!」
「……すみません」
「貴方はもう、下がっていなさい。また何か必要があれば、呼びます」
「わかりました」

 死神はそう言うと、少し乱暴に歩いていき部屋を後にした。
 閻魔がすまなさそうに言う。

「すみません……あの子は、常に魂と共にいる職業柄、その冒涜に対し敏感なのです」
「大丈夫です。私としても、その罪の重みを再自覚できて嬉しく思います」
「下手に外面取り繕うより、なんとも真っ直ぐで、気持ちがいい。なあ、そう思うだろう?」

 一本角の鬼が中華服の女に笑って見せると、女は少し辛そうながらも、笑って頷いた。

「ええ。そうですね」
「後そっちの黄色い尻尾お化けは、この娘の魂魄結合操作のサポートをする。以上だ。これで私の役割は終わりだな」

 一本角の鬼は、そう言うと勢いよく立ち上がる。

「萃香。すまないが、私は一足早く戻る。一応、天狗を数名残していく。でもまあ、お前さんは、この後は好きにするといい」
「うん。分かってる」
「じゃあ、閻魔殿よ。私は戻る。一応報告を受ける為に、天狗を代理に立てておくが、特に決定するものもないよな?」
「はい。ご助力、感謝します」
「おう。今度機会があれば、一献かわそうじゃないか」
「ええ。是非」

 閻魔の頷きに、鬼は大きく笑って部屋を出て行く。
 途中、後ろに控えていた天狗と言葉を交わす。

「射命丸、姫海棠の事は私に任せておけ。……なんなら、すぐに山に戻らなくても構わん。吒天、射命丸の他には白狼を三人残していく。後は頼んだぞ」
「御意」

 鬼はそれを見届けると、部屋を後にした。
 場を少し沈黙が包んでいたところで、金毛の尻尾女が明るく言う。

「これほど上位の方々を一堂にお目にできるとは、長生きをするものですね!」

 どこか、心の読めない作り物めいた笑顔を浮かべているように見える。
 閻魔もそう思ったのか、一つ息をついて尻尾女に質問する。

「そういえば、貴方は結合術式の手伝いをして下さるとのことでしたが」
「はい。私もそれなりに人体や魂組成には詳しいので、お役に立てるかと……それと、個人的に境界の妖と会ってみたいと昔から思っていたのです」
「そうでしたか。個人的な……――理由を尋ねても?」

 閻魔の質問に、尻尾女は笑みを強めた。

「ええ。私の一族の長が、大昔に世話になったそうなので。そのときに、話を聞いたのが理由でしょうか。まあ、私はそれに対して特にこれといった感情を抱いているわけではないのですが……」

 じっと見据える閻魔の視線に、女は苦笑を漏らして肩をあげて見せた。

「そんな、怖い目で見ないでくださいな。単純な理由ですよ。大昔から言い伝えられていた、恐るべき頭脳と力を持つ大妖。その再構成に立ちあえるのです。興味を抱かない者は、そう多くないでしょう。単純な好奇心と言うわけです」

 閻魔は、まだ訝しげな視線を金毛の女に向けていたが、それも一時。
 すぐに表情を改めて、宜しくお願いします、と頭を下げた。

「なあ。まだ、依代は届かないのかい」

 今まで黙っていた、二本角の鬼少女が呟いた。
 少し、その顔から苛立ちを読み取れる。

「もう暫しのお時間を……萃香殿、お急ぎですか?」
「まあ。多少はね」
「伊吹大鬼……悪いのですか」
「大分ね。本当は、ここで数時間変わったところで、根本問題が解決しないのは分かってるんだ。でも、どうしても気持ちが、ささくれ立っちゃってね。ごめんよ」
「……いえ。心中、お察し致します」
「まあ、こっちとしても賭けなのさ。親父は、人間に裏切られ続けて、心が崩れちまう寸前なんだ。もう限界さ。でも、あんたの作るっていう幻想郷の概念結界。そこでなら、何とかなるんじゃないかってね」

 また場が沈黙に落ちようとしていたとき、魔界神が顔を上げた。

「依代が、届きます」

 その声を受け、面々の視線が魔界神へと集まる。
 魔界神は椅子から立ち上がり、両腕を上へと掲げた。
 腕の先1mほどの空間が、淡く輝き始め、白い炎のように、空気にゆれて、明滅を繰り返す。
 その白い炎が徐々に魔界神の手先へ集まり、激しく発光した。
 光が晴れると、白い炎のあった場所に、光る皿のようなものが出現している。
 そして、その光皿から何かが伸び出てきた。

――人間の、足。

 少しずつ、その全身があらわになっていく。

 脛、太もも、腰、腹、胸――
 そして、顔。

「凄く綺麗でしょう? 顔のつくりなんかも、私の最高傑作のひとつに数える出来栄えよ」

 そう笑って、魔界神は光から出てきた少女の体を大事そうに、抱きかかえた。

――馬鹿な、そんな偶然が

「これで、必要なものは全て集まりました。皆様、ここからが正念場です。ご協力のほど、お願いします」














 ―――!!」

 気がつくと、前方に掲げられている自分の両腕。
 周りは真っ暗だ。ここは……長野の旅館だ。
 はっとして隣を見ると、ゆっくりと上下する布団がある。

「メリー……」

 隣のメリーは、ぐっすりとご就寝だ。
 大きな声を出してしまって、起こしたかなと心配したが、大丈夫のようだ。
 眠るのが怖いと言っていたから、きちんと寝れているのか不安だった。でも、この様子なら問題ないだろう。

 それにしても今、とても重要な夢を見ていた気がする。
 しかし、もう内容がおぼろげになっていて、思い出せない。
 何だか、大切な事だった気がするのだが。

「何なのかしらね……」

 疲れてるのかと考えて、昨日のことを思い出す。
 そりゃあ、疲れもするだろう内容であった。
 天井へ視線を向ける。小さく溜息をついた。

 ここは自宅じゃない。天井を見ても、時間は分からないのだ。

 私は上半身を起こし、枕元に置いた携帯端末を手にとって、時間を確認する。
 三時前。
 寝付いてから、二時間も経ってはいなかった。
 これは、本格的に体調を崩す前兆か。
 昔から、変に早く起きてしまう日は大抵、風邪やらを貰っていることが多かった。

「まさかねえ……」

 そっと、隣で寝ているメリーの顔を覗いた。

「メリーに何か、うつされたなんてことは――」

 そこで、視界に強烈な違和感を感じる。
 疲れているのか?

 メリーの姿が、ぼんやりとして像を結ばない。
 昔に友人に借りて覗いた、度のきつい眼鏡越しに見たかのように、おぼろげで何なのか分からない。
 しかし、メリーの周りが……メリー以外は、ぼやけてなどいないのだ。

 なんだ、これは?

 目をこすり見直すが、変化は無い。

 自分の鼓動が、やけに大きく聞こえる。
 おぼろげなメリーがいるはずの空間と、私の心音だけの世界。
 そっと、メリーへ手を伸ばそうとして、全身が総毛立つ。
 伸ばした手を勢いよく引いた。

 なに、何なの。
 これは、……メリー、なの―――?

 腹の底を突き上げるような、強烈な圧迫感が私を満たしていく。
 心音が大きく、早くなっていく。

 その音が、何か危険なものが近づいてくる足音のように感じて、叫びだしそうになる。

 やばい、このままだとまずい、どうしたら―――!

 私は咄嗟に立ち上がると、備え付けられた窓のカーテンを捲り、空を眺める。
 幸い、空は良く晴れ、星が覗けている。都会の空とは比べ物にならない、美しい空。
 しかし、のんびり景色を眺めている場合ではない。

 星を見て、時間を知る能力。

 時間は、二時五十九分四十九、五十、五十一……
 いつも以上に感覚を研ぎ澄ませ、時間を把握する。
 コンマ以下の時間まで区分け、読み取っていく。

 割、分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺……―――

 そして、すぐにメリーであるはずのものに振り返り、その姿へ視線を向けた。

 果たして、そこにメリーは、


 ―――ぐっすりと眠っていた。


 私は足の力が抜け、放心したように座り込んだ。
 能力を酷使したせいか、軽いめまいと頭痛を感じる。

 体を引きずるようにメリーへ近づき、顔を覗く。
 にやけたように、口元を緩ませているメリーの寝顔。
 私は息を吐き出すと、そっと手をその頬に添える。

 何の夢を見ているのか分からないが、気持ち良さそうに寝ている。
 手を離すと、まだ残っていた水を少し飲んで一息つく。それからのそりと布団に戻る。
 隣で眠る、いつもと変わった様子のないメリー。
 なら、今のは一体なんだったのか。
 
 確かに感じた、何かの恐ろしい気配。
 間違いなく、メリーからだった。

 私の能力。
 この力で、その何かを跳ね除けたのか。

 いや、違う。

 私が、メリーを正確に観測することにより、その存在を確定化させたのだ。
 何か別のものと混ざり、不確定状態になっているメリーを確かなものにした、と見たほうが正しいのかもしれない。
 確証は無い。
 でも、それで間違いないように感じる。
 なんとも感覚に頼り切った見解だが、それ以外にどうしようもない。

 では、メリーの中にある何か、とは何なのか?

 わからない。
 そして、何故だか、メリーから目を離すのが、怖くてしかたがない。

「……メリー、あなた、どうしてしまったの?」

 私は泣き出したい衝動に駆られながら、寝ることなどできずに、メリーの顔を見つめていた。
 











 顔が何やら温かい。
 薄く目を開けると、明るい日差しが差し込んでいる。

「もう少しだけ……」

 もう一度眠ろうと布団を引き上げて、思い至る。
 今は、旅行中だった。
 布団を引き下げて、視線のみで周囲を見渡す。
 ちらちらと、光が顔に当たってまぶしい。
 昨夜、閉めたはずのカーテンが、開いているのだ。
 時計を見るのを横着した蓮子が、開けて眠ったのだろうか。

 蓮子を探して頭を動かし、体が硬直した。

 眼前に、蓮子の顔があった。
 声をかけようとして、止める。

 蓮子の顔色が、悪いように見えたのだ。
 目元に、くまが浮いている。よく眠れなかったのだろうか。
 昨日、ふらふらになるまで走らせてしまったことを思い出し、罪悪感に包まれる。
 このまま、寝かせてあげたほうがいいだろう。

 心の中で謝罪し、布団から出て立ち上がる。
 大きく伸びをすると、ポットからぬるくなった湯をカップに注いで、喉を潤した。

「なんだか、久々に良く眠れたわ」

 蓮子の様子とは対極といった感じに、私の体は好調だった。
 何より、夢を一切見なかったのだ。
 こんなことは、療養所入院以来である。

「やっぱり、蓮子は私の特別ね」

 確か、この旅館の温泉は朝の四時過ぎからもう入れたはずだ。
 結構汗もかいたので、一風呂入ってこよう。
 入浴道具を持つと、部屋を出る。

 途中、部屋外の寒さで尿意を催し、トイレに寄った。
 その後、通路途中の飲料自販機で紅茶を一本買う。
 飲みながら、露天浴場に到着すると、少し笑みが浮かんだ。
 入り口に、履物が一つも見当たらない。どうやら、私以外の利用者はいないようだ。
 さすがに平日。貸切である。
 気分も良くなり、軽くメロディを口ずさみながら、浴衣や下着を脱衣カゴに放り、浴場へ向かう。
 そこで鏡が目に入り、立ち止まった。

 肩の傷。
 昨夜、蓮子に噛まれた傷だ。
 今鏡で視界に入るまで、すっかり忘れていた。
 それがもう、ほとんど治癒しつつある。
 確かに少し痕になっているが、目立つほどでもない。
 もしかしたら、このまま綺麗に消えてしまうのではないだろうか。

「文明の利器様々ね。ナノマシン治療剤、効果抜群じゃない」

 外での活動も多い、我が部である。
 こういうこと――蓮子に噛まれるとは思っていなかったが――もあろうかと、少し前に購入しておいたのが、功を奏したようだ。
 それなりに、初期パッケージ購入は値が張るため、二人で色々悩み、買ったものだった。
 当時のごたごたを思い出して、苦笑がもれる。

「あの時は、私が反対していたんだっけ。買っておいて良かったけど、初使用の原因が蓮子じゃあねえ。あちらさんも威張ることはできないでしょう」

 カラカラと小気味良い音を立てて、引き戸を開き浴場へ出た。
 空は晴れやかに澄み渡り、山々の尾根が美しい緑を主張している。
 夜に入ったときは、もちろん真っ暗で何も見えなかったが、なるほど、旅行レビューサイトにあったように、絶景である。
 さっと身を清め、湯へと浸かる。

「はあぁぁ……いい湯だわぁ」

 さて、今日はどうしようか。
 予定では、ダムと寺回りとなっていたはずだ。
 でも、私の決めた計画なので、場合によっては変更してもいいだろう。
 蓮子の意見をもう一度聞いてみて、それを取り入れてもいいかもしれない。

「あ、でも……蓮子、具合悪そうだったしなあ」

 少し緩めの工程にしようか。
 または、旅館でゆっくり温泉につかりながら、休んでもいいかもしれない。

「まあ、なんにせよ」

 蓮子と一緒に居られるのだ。
 私としては、何であろうと十分である。

 心地よい風が、頬をなでる。
 京都は、結構な暑さになっているだろう。
 それに引き換えこの場所は、さすがは山の上といったところ。
 秋ごろのような温度である。

「幸せだわ~」

 本当に、そう思う。
 療養所では、不安のどん底であったが、こっちではそれが全てひっくり返ってしまったかのように、気分も体調も、晴れ晴れとしている。
 あの時の事が、全て幻だったのではと思ってしまうくらいだ。
 これも全て、我が友人のおかげなのだろうか。

「ああ、蓮子……」
「メリー!!」
「ひゃいっ!?」

 見ると、浴衣を着た蓮子が、息を切らせ走り寄ってくる。
 私は体を隠すように、湯の中にそれを沈めた。
 幸い、湯気も多い上に湯質も白濁りである。

「ちょっとちょっと!! 何なの、どうしたの!」
「メリーこそ、大丈夫なの!」
「大丈夫なのって……あ、肩の傷? すっかり良くなったよ」

 ほら、と言って傷を見せる。
 蓮子は少しだけ表情を柔らかくしたが、依然不安そうなままだ。

「何処かに行くなら、ちゃんと言ってちょうだい……心配するじゃない」
「そんな、人を年端もいかない子供のように……」

 私は不満げにそう言ってみたが、蓮子は動じない。真っ直ぐに私の目を見つめている。
 なんだか、無性に恥ずかしくなってくる。

「あの……蓮子さん。この構図、客観的に見て、とても不自然だとは思いませんか」
「あ……うん。そうね」
「そうね、じゃないわよ! お風呂入るなら、きちんと着てるもの脱いできなさいよ!」
「いや……お湯に入ろうとして来たわけじゃないし」
「ならさっさと、出て行きなさい!」
「……分かったわよ」

 蓮子はしぶしぶと言った感じで、来た道を戻っていく。
 扉の前で、ちらりとこちらを見たが、私が威嚇して見せると、小さくため息をついて出て行った。

「ほんと、エロ娘なんだから」

 とは言ってみたが、果たして、そんな理由で私を探しに来たのだろうか。
 少なくとも、そうは見えなかった。
 私が勝手に、蓮子の前から居なくなるなんてこと、あるわけ無いのに。
 逆ならいくらでも、やってしまいそうだが。

 それとも、あれか。
 蓮子の家で私が言った、世界に溶けて消えてしまいそうになる、というのを心配して来たのだろうか。

「だとしたら、ちょっと嬉しいかもだけど」

 確かに療養所にいるときは、そんな恐怖を感じてはいた。
 でも、蓮子と一緒にいるようになってからは、もう大丈夫だと言ったはずである。
 やっぱり、言わなければよかっただろうか。
 いらぬ心配をさせてしまっているのかもしれない。

 俯き考えていると、少し強い風が吹いた。
 遠方へ目を向けると、山の木々が風で揺らめいている。

「んー、気持ちいい~」

 辺りを見渡して立ち上がる。
 少し腕を広げて、全身で風を受ける。

「すーずしー ――わわ!?」

 一際強い風を受け、よろめく。
 足を滑らせて倒れそうになったところで、受け止められた。

 受け止められた?
 誰にだ?

 私以外に、この場所に誰もいなかったはず。

 恐々として振り向くと、細身の美しい女性が立っていた。
 自分もそれなりに色白だとは思うが、さらに白い肌。
 何より目に付くのが、その髪である。
 美しく長い銀髪を片側に結い上げている。
 そして、目はほんのり紫がかっているようにも見えた。
 凄く年下のようにも、それでいて年上のようにも見える、不思議な女性。

「あ、あの。すみません、ありがとうございます」

 とりあえず、助けてもらったので礼を言う。
 そして、少し警戒したように、その手から離れた。

「いえいえ。困ったときはお互い様です」

 銀髪の女性は、にこやかにそう言って笑うと、小首をかしげた。
 結われた髪房が、ひょこんと揺れる。

「えっと……一人、なのかしら? 本当に、貴女一人なの?」
「え?」

 この女性は、何を言っているのだろう。質問の意図が分からない。

「……ええと、一応ここには、友人と来ています」
「あ、やっぱり!」

 そこでまた、両手を合わせてにこりと笑う。
 だが、すぐに不思議そうな顔を向けてくる。

「ええと、あなた、もしかして……」
「何でしょう?」

 海外の人だろうか。少し、会話がかみ合っていない気がする。
 かといって、言葉になまり等は感じられない。
 女性が私の視線に気がついたのか、苦笑を浮かべた。

「あ、ごめんなさい。初対面なのに、変に話しかけちゃって」
「いえ、お気になさらず」

 私はそう言うと、少し冷やしすぎた体を湯へと沈めた。
 女性もそれに倣う。

「あら。これ、とても気持ちいいわね」
「……そうですね。素敵な露天風呂です」

 少し驚いたように、湯への感想を述べる女性。
 私は、笑顔で相槌を打つ。だが、内心は不信感でいっぱいだった。

 この女性はおかしい。
 見た目もそうだし、突然湧いて出てきたようにも感じるし、会話もかみ合っていない。
 まるで、別の文化。異世界から来たような――

 異世界。

 まさか、結界の向こうの、人間?
 しかし、そんなことありえるのか。
 今まで、そんな経験など、一度も無かったではないか。
 だが、経験が無いからと言って、ありえない事と断じてよいわけでもない。
 私の中の疑問は、異世界の住人。その一点に集中していく。
 じっと、注視していると、女性は困ったように微笑んだ。

「不安にさせちゃったかしら。ごめんなさいね」
――この娘、強い自我を持っている?

「はい?」

 今、この女性は何と言った。強い自我がどうとか。
 いや、本当に〝言った〟のか?

「……ええと。私、ちょっと田舎から出てきてるのよ。結構文化が違っているみたいね。失礼があったら、許してちょうだい」
――上手く繋がったから見に来て見たけど……ちょっと問題が発生しているのかしら。

「あ、そうなんですか。大丈夫です。気にしないでください」

 私も平然を装う。
 言葉に混じって、何か考えのようなものが聞こえてきているのだろうか。
 いや、重なっている?

「そう。それならよかったわ」
――これを閻魔様はご存知なの? だとしたらなんて……いや、あの優しい閻魔様に限って。

 女性は、そう言って笑う。
 しかし、その表情は何処か、悲しげなものを含んでいるように感じた。

「あなた、ええと……名前は?」
「マエリベリー・ハーンです。友人には、メリーと呼ばれています」

 何故か、初対面の不審な女性にも関わらず、素直に答えてしまう。
 しかし、その語調は少しきつくなってしまった。
 その女性の表情が、何故か癪に障るのだ。

「メリー。素敵な愛称ね。……あなた、今。幸せかしら?」
「え……」

 予想外の質問に戸惑う。だが、その答えは迷うわけも無い。

「はい。とても」
「……そう」

 私の答えに、女性は悲痛な色を強めて、俯いた。
 なんだろう、この反応は。
 普通、幸せだと言う人間を前に、こんな顔をするものだろうか。

 これではまるで。
 今の幸せが。
 終わってしまうようでは――

「――ちょっと、あなた。そんな顔するなんて、失礼じゃ」

 女性に抱きつかれた。
 優しく、体に回される腕。
 突然の事に、私は呆然としてしまう。

「……ごめんなさい」

 細身の体なのに、包み込まれるような心地を受ける。
 例えるなら、そう。まるで、母親に抱かれるような。

「あ、あの……?」
「ごめん……なさい……」

 風が巻き起こる。さっきよりも強い。
 女性の私を抱く力が強まった。そして、それがふっと無くなる。

「え?」

 いない。
 女性は幻であったかのように、消えていた。
 いままで強く抱かれていた腕へ、視線を向ける。
 少し、赤くなっている。

「幻じゃない?」
「メリー」

 振り向く。
 少し恥ずかしそうにした蓮子が、手ぬぐい持って、浴場に入ってきていた。

「蓮子……」
「な、なによ。ちゃんとお風呂に入りに来たんだから、文句無いでしょ!」
「今……――」

 そこで口をつぐむ。
 こんなにも、蓮子を心配させてしまっているのだ。
 異世界から来たかもしれない人間に会った、などと言ったら、火に油を注ぐことになりかねない。
 しばらくの間は、今の事を黙っておくことにした。
 なにより、目の前のことに集中しなくては。

「あら。本当に綺麗な景色ね」

 何気なさを装って、蓮子が言う。
 だけど、声が震えてる。思い切り、恥ずかしがっているのだ。
 私の口が弧を描く。

「この宿、選んで正解だったでしょ」
「まあねえ。あの、強行スケジュールさえなければ、パーフェクトだったんだけど」
「あ、またその話、ぶりかえしちゃう?」

 悪かったというようなジェスチャーをしながら、湯船に入ってくる。
 私は朝日に映える、蓮子の肢体を堪能する。

「何よ。じろじろ見ないでよね」

 いつも黒い帽子の下で、ポーカーフェイスの蓮子も、さすがに頬に朱が差しているのが分かった。
 それはそうだろう。なにせ、蓮子は。

「あらあら。赤くなっちゃって」
「黙りなさい」
「だってねえ……私、蓮子の裸見るの初めてだし」

 そうなのだ。
 付き合って長いが、蓮子の裸を見るのは、初の事だった。
 何かと理由をつけて、その機会を狙うのだが、ことごとく交わされ続けてきたのである。
 それなのに、蓮子の方からやってきての御披露目だ。
 どう言う心の変化だろうか。
 いや、分かってはいるのだ。間違いなく、私を心配しての事である。 
 だから、嬉しくもあるが心苦しくもある。
 いつもなら狂喜乱舞する場面だが、自重しないわけにはいかなかった。

「何の心変わりなのかしら。いつもは、絶対に一緒にお風呂なんて入ってくれないのに」
「別に。綺麗なメリーさんのおめがねに叶うことは無いだろうと思って、控えてたってだけの話よ」
「あら。もしかして、ちょくちょく蓮子に言ってた普通よーっていうの、本気にしてたの?」
「ち、ちがう! そんなんじゃないわよ!」

 焦ったように、やけに可愛い声を出す蓮子。
 真っ赤になって、顔を逸らす。
 私は、釣り上がる口元を隠しもせずに、蓮子の顔を覗き込む。

「やだ。蓮子ってば、凄い可愛いわ……」
「ちょっと、黙りなさい。こっち見るな」
「嫌よ。私、思ったことに嘘はつかない性格なの。蓮子可愛い、蓮子可愛い、蓮子可愛い、蓮子か――いッた!」

 手刀突きを食らった。
 私は少しお湯の中で、痛みにもんどりうって、涙を拭う。
 さすが蓮子さん、容赦ない。おちょくるのは、これくらいにしておいた方が良さそうだ。
 私の事は、いじり倒す癖して、自分は強固に拒絶する蓮子ずるい。
 しかしまあ、昨夜のお返しは、これくらいで十分かもしれない。
 私は蓮子の裸見れただけで満足なのだ。

「普通って言うのは、あれなのよ。上も下もいないってことなの。私にとって、蓮子と比較できる対象がない。つまり、普通と言うしかないわけなのよ」
「貴方ねえ、よくもまあ、そんなこと恥ずかしげも無く言えるわね……」
「だから言ってるでしょ。蓮子以外にはこんなこと、絶対言わないわ」
「……」

 蓮子が向こうを向いたまま黙ってしまったので、仕方なく私も口を閉ざした。
 とりあえず、そのうなじを堪能させてもらう。蓮子の黒髪と肌のコントラストはいつ見ても美しい。

 しばらくすると、蓮子が向こうを向いたまま呟いた。

「ねえ、メリー。私たちの、この力って何なのだと思う?」
「これはまた、私達の根本にして最大の難題ね」

 蓮子がこちらを向く。
 少し戸惑った様子を見せるが、慣れてきたのか、すぐに表情をまじめなものに直した。

「そうね。それなのに、今まであまり、この力について語ってきたことが少ないと思わない?」
「そうだったかしら。えーと、分かってるのは、希少で不思議な、本来人のもって生まれない能力ってことくらいよね」
「そう、それよ。私達の能力は希少。さて、それはどれほど希少なのか」

 私は空に視線を向け、考える。
 この姿の蓮子見ながら、ものを考えるなどできるはずもない。

「少なくとも、私達の二人以外では知らない。色々見てきた文献なんかにも、信憑性の高いものは無かったわね」

 私の答えに、蓮子は頷いた。

「そうね。そして、どう言った経緯で私達は、この能力を手にするに至ったか」
「……私は、遺伝よね」

 そこで、蓮子は視線を鋭くする。

「うん。前に聞いたわ。でも、それって変でしょ」

 変。何がだろう。どこも不思議なことは無い。

「何がかしら? 変も何も、それが事実で」

 そう、事実なのだ。これは間違いない。

「だって、メリーは記憶を失っていて、両親の顔も知らないのでしょう」

 あれ、確かにおかしい?
 でも、私の結界を見ることができる能力。
 この力をはじめから持って生まれてきたのは、間違いないのだ。

「……え……でも、それが事実で、間違いないのよ」

 そうだ、間違いないのだ。
 なんで、蓮子はこんな当たり前なことを聞いてくるのだろう。
 考えるまでも無いことではないか。

「よく考えて。私も今まで、何故かその答えで納得してしまっていた。でも、明らかにおかしいのよ。何の確証も無いのに、なんで間違いないと断定できるの?」
「ちょっとまって。えっと……」

 確かに、おかしいかもしれない。私は過去の記憶が無いのだ。
 なのにどうして、ここまで確信して能力があったと思えるのだ?
 何一つ思い出せなかった、過去の事なのに。

 何だか、頭が痛い。
 ぞくぞくと、目の奥がうずく。
 これは、この感じは。
 療養所にいたときの。

 蓮子が急に、空を眺め始めた。
 どうしたのだろう。
 隕石が落ちてくるのを見るような、必死な顔。

「蓮、子……どうしたの?」

 頭が、痛い。

「蓮、子?」

 なんだか、怖い。

 蓮子が、こちらを向いた。
 蓮子の目。
 蓮子の目が、私を見る。
 蓮子が、私を見てくれる。

 ああ。
 不安な気持ちになっていた心が、静かになる。
 やっぱり、蓮子は私の特別なのだ。

「う……」

 蓮子が頭をふらつかせる。
 私は咄嗟に、その肩を支えた。

「蓮子。大丈夫!?」
「平気よ。少し……恥ずかしくてのぼせただけ」

 蓮子の鼻から、ぽたぽたと血がたれる。

「ちょっと、蓮子、鼻血!」
「あ……ごめん。メリーの裸は、刺激が強すぎたみたい」
「ええ!? ちょっと……反応に困るんだけど」

 上を向いたのは、鼻血が出そうになったからか。
 急に恥ずかしくなってくる。
 そっと、蓮子の視界に入らないように体の位置を変える。

「ほーんと、蓮子さんってば、えろえろだわー」

 私は笑ってそう言うと、抱いた蓮子の肩を伝に、もっとその体を堪能してやろうかと考えて、その体に視線を走らせる。

「ねえ、メリー」
「え!? あ、ごめん! そんなつもりじゃ」
「気持ちとか、不安になったりしてない?」
「え? ええと、大丈夫よ」
「……そう、ならいいわ」

 そう言うと、蓮子はありがとうと言って、湯船からあがる。

「先に出るわね」

 一瞬ふらつく蓮子。けどすぐにしっかりした足取りに戻る。

「蓮子。大丈夫なの?」
「平気よ。私のタフさ。知ってるでしょ。長風呂もいいけど、ご飯前には出なさいよ。あーお腹ぺこぺこだわ」
「もう。この色欲食欲魔人!」
「あはは」

 蓮子は笑いながら、浴場を出て行った。
 私はそれを見送ると、息をついて空を眺めた。

「やっぱり、蓮子、調子悪いみたいねえ……」

 結構歩かなくちゃならないダムは中止して、寺だけゆっくり回ることにしようか。
 私はとりあえず、今日の計画の見直しを考え始めた。









 メリーの変調は能力と関係がある。

 私は部屋に戻ると、まだ敷いたままの布団に突っ伏した。
 ずきずきと頭が痛む。

「はは……私の体持つかしら」

 まだ、朝方で微かに星が見えて助かった。
 これが、完全な昼だったら、どうなっていたか分からない。
 いや、これまでの状況から推察すると、星月を見てからの方が効果は高いが、そうでなくても、メリーを安定化させる効果があると見るべきだろう。
 けど、負担が大きすぎる。
 星月を見てからの観測より、そのままの観察の方がその影響が弱くなるのは必然だ。
 とにかく、能力について、メリーに質問するのは御法度だろう。

 能力。記憶の矛盾。

 何かに強制されている。
 今まで、私自身こんな不自然なことを当たり前のように、受け入れていたのだ。
 何故だか、私も生まれたときから能力を持っていたと、信じて疑わない。
 理由が無いのにだ。
 最近になって、あまりにも奇妙すぎる能力だと、考えるようになった。

 私たち以外に、いない。
 こんな能力を持った者は、いない。

 この考えにも、なんの理由もないが、そんな気がしてならない。
 ありえないものを持っている私とメリー。
 この世界の中で、あまりにも異端な二人。

 意識しないと、この考えも思考の渦の中に、霧散して消えてしまうような気がする。
 何かの力が、私の……いや、私とメリーの思考に介入している?

 しかし何故、今になって私はそれを認識するに至ったのか。
 
 何か、今までと違うことが引き金になった?
 それとも、何かが進行して、それが一定ラインに達した?

 私の変化を考えるよりも、メリーの理由を考えたほうが、何か掴めるかも知れない。

 メリーの変調が加速したのは、サナトリウムでの長期療養以後だろうか。
 今までの事から考えると、私と離れて療養所にいたことにより、不安定化を加速させたと考えるのが自然だ。

 よくよく考えてみれば、メリーと知り合って以来、一週間以上顔を合わせていなかったことが無かったように思う。
 我ながら恥ずかしくなるような、親密具合だ。
 私が定期的に、メリーを安定化させていたのだろうか。

 最近見る夢。そこに重要なキーがあるように思う。
 でも残念なことに、起きるとすぐに忘れてしまっている。
 大切なことだったとしか、覚えていないのだ。

 今確実なのは、メリーからできる限り目を離さないこと。
 そして、不安にさせないことだろう。

 私はそこで顔をあげた。
 どうやら、戻ってきたようである。
 メリーは手に持った飲料水ボトルを投げ渡してきた。

「まーた、難しそうな顔してるわよ」
「ちょっとね。どうしたら、メリーの手綱をもっと上手く繰れるか、考えてたのよ」

 私は、受け取ったそれを飲みながら答えると、携帯端末を手に取った。

「なにそれ。夢の監禁生活の始まりかしら」
「何で、そうなるのよ」

 メリーは私の顔をしばらく見つめた後、窓を開けた。

「ねえ蓮子。今日もとてもいい天気よ。予定だと、ダムとお寺の観光だったと思うけど、どうしようか」
「それで、良いんじゃないの?」
「んー」

 メリーは窓から入る風を受けながら、腕を組んで私をじっと見つめて、考え込む。
 私からは、メリーの顔が逆光になって、あまりわからない。

「実はね。ダムはそこまで、気になってたって訳じゃないのよ。だから、のんびりお寺巡りしない?」
「メリーがそうしたいなら、それで構わないけど」

『お泊りのお客様へお伝えします。朝食のご用意ができましたので、三階の食堂へお越しください』

「だってさ。ま、ご飯食べながら考えましょうよ」

 旅館内の放送を聞き終えると、私とメリーは食堂へと向かった。







 食事を終えると、浴衣から服へと着替えて、部屋を出た。
 宿泊は二泊の予定なので、荷物は置いたままだ。
 貴重品の一部を受付に預け、外へ出る。

 ここから、予定の寺へはバスを乗り継いで、一時間ほどで着く。
 一通り観光したら、ちょうどお昼くらいの時間だろう。
 メリーとパンフレットなどを見ながらバスを待ち、到着するとそれに乗り込んだ。
 私たち以外の利用者は、一人ご年配の男性がいるくらいのものだった。
 さすがに平日ともなると、あまり観光客などいないのだろう。
 自然の多い蛇行した道を行き、寺前へ到着する。

 きょろきょろと周囲を見渡しているメリーに、無理に結界を探さなくていいと伝え、のんびり歩きながら観光する。
 途中の商店街で団子や煎餅、魚の練り物などを食べ歩きながら、目的の寺へ。
 そういえば、昨夜からメリーの調子が良いように見える。
 また新しく和菓子を購入して走ってくる彼女を見ながら、そう思った。
 霊験あらたかな山々の力でも、得ているかのようである。

「あんまりはしゃいでると、後になってバテちゃっても知らないわよ」
「平気よ平気!」

 大きな地蔵の前で写真を撮ったり、近くの茶屋でのんびり景色を楽しみながら、味噌クリームをいただく。
 ふうと一息ついていると、メリーが少し心配そうな様子で、年寄りみたいよ、なんて言ってくる。
 色々と食べ歩きすぎたせいで、お昼は食べなくて問題なさそうである。
 本殿の御開帳は時期が合わなくて、中の閻魔像は見れなかったが、3Dホログラフでその姿を見ることができた。
 社務所で少し解像度の落ちた3Dデータを購入して、携帯端末にインストールする。
 鐘楼、親鸞聖人像、むじな燈籠、経蔵と色々巡ってベンチで休憩していると、メリーが不満を漏らす。

「もう、やっぱり、時間余っちゃったじゃない。どうするのよ蓮子」
「そうねえ。どうしようかしら?」
「……まったく。だから、お戒壇巡りすれば良かったのよ」
「なんとなく気が乗らなかったのよ。いいじゃない、次また来たときに行けばさ」
「次っていつなのよ?」

 そう言って膨れるメリーに、私は肩を上げて見せた。
 この寺では、完全に真っ暗闇な五十mほどの地下通路を通って、光の有難さを再認識させてくれるという、〝お戒壇巡り〟というものがあった。
 しかし、現在のメリーを闇の中に放り込むのは、いくら短時間であろうと躊躇われた。
 仕方なく、私が暗闇が怖いという理由にして、諦めてもらうことにしたのだ。

 予定通り、ダム観光に戻ろうか。
 メリーの調子も良い様だし、このままこの辺りの観光で時間をつぶしても良いかと思うのだが。

「蓮子、ここはひとつ、私たちの当初の目的を思い出しましょう」
「世界の不思議発見。でも……」
「さっき蓮子に結界をあまり探すなって言われたけど、旅行来てから調子も良いし、多少は力使っても問題ないわよ?」
「……」
「とは言っても、この辺にそれらしいものは見当たらなかったわ」
「そう……なら、どうしましょうかね。のんびり、山道の散歩でもする?」

 山に来て調子が良いというのなら、もっと山を堪能するべきだろう。

「まぁた、随分と年寄りくさいことを」
「嫌かしら? 私は、この辺をのんびりしているのでも良いのだけれど」
「うーん、山道の小さな祠なんか巡っても良いかもしれないわね」
「じゃあ、そうしましょう」

 私はザックから地図を取り出すと、山道の確認を始める。
 幸い、私たち二人は山歩きにも問題のない、靴や服を身に着けていた。
 お年寄りも歩くような、普通の散歩道なら何の問題もないだろう。
 あまり、負担にならなさそうなルートを選ぶ。
 メリーにそれを見せて、了承が得られると早速山道へと向かった。



 山道を歩く。左右は木々で覆われ、少し下方には小さな小川が見える。
 道には、車両の往来も結構あるのか、タイヤの跡に泥の轍が続いている。
 歩き始めて、二時間ほどが経過していた。
 はじめは和気藹々と話しながら歩いていたが、そろそろメリーも口数が減ってきている。

「蓮子ー、この山道、ちっとも祠やそれっぽいの、見当たらないじゃないのよー」
「おかしいわねえ。結構ありそうなルートを選んだつもりだったのだけれど」

 先を歩くメリーは、随分とご不満の様子だ。
 元気が有り余っているのか、先ほどから力を行使したくて仕方がないらしい。
 私としては朝のこともあり、出来るだけメリーに能力を使わせるのが避けたかった。
 だからあえて、何もなさそうなルートを選んだのだ。

 メリーは活動中に結界を見つけることが出来ないと、何だか負けたような気になると、言っていたのを思い出す。
 その上、久々の倶楽部活動である。
 存分にその存在を主張したいだろう事も、理解できる。
 だが今日ばかりは、そうさせる訳にはいかなかった。

「まあ、無理に探す必要ないわよ。のんびり、自然を楽しみましょ?」
「むー」

 メリーも無理に結界探しするのを諦めたのか、山々や下を流れる河川に目を向けはじめた。
 私も時折、携帯端末で写真などを撮りながら、歩いて行く。

 ふと、そこで何かを感じ、立ち止まった。
 何か、懐かしいような、見知ったような、妙な感覚。
 田舎に帰ってきたときのような、不思議な哀愁。
 この場所は来たこともないし、それに私の田舎は、関東である。
 信州には、親戚すら住んでいない。

 変な気持ちで周囲を見渡していると、山肌に赤いものが見えた。
 小さくて、何なのか判別がつかない。

 携帯端末のズームモードを起動し、確認する。
 どうやら、赤い布を巻いた地蔵のようである。

「何かあった?」
「いや……なんでもないわ」
「ふーん、まあいいか。ねえ蓮子。もう、飲み物持ってない?」

 見ると、メリーの飲料ボトルが空になってしまっていた。
 私のほうも、もう僅かしかない。
 山道は涼しいのだが、日差しが強い。
 思っている以上に、水分を消費する。

「私もあとちょっとね。飲む?」
「あ、そっちもないなら、いいよ」
「もう少し行ったところに、バスの停留所があるわ。そこなら、自動販売機くらいあるかも」

 停留所のある方を見やると、空に厚い雲が掛かっている。
 天気予報では、晴れということだったが、山の天気は変わりやすい。
 折りたたみ傘はザックに入っているが、雨の中歩くのは色々と面倒だろう。

「メリー。ちょっと急ぐわよ。雨が降るかもしれない」

 目的の停留所に着くと、見計らったように雨が降ってきた。
 メリーと二人、安堵の溜息をつく。
 しかし、残念ながら自販の類は見当たらなかった。
 メリーが、バスの時刻表を見る。

「ひゃあ、次のバス……三時間後よ、蓮子」
「まあ、山のバスなんてそんなものでしょ。あるだけマシだわ」
「どうしよっか。待つ?」
「次の停留所まで二時間くらいね。歩きたい?」
「……待ちましょう」

 とりあえず、備え付けられていたベンチへ腰を下ろす。
 雨が降ってきたからか、はたまた歩かなくなったからか、急に寒くなってきた。
 震えていると、隣に腰を下ろしたメリーが体を寄せてくる。
 私はザックに雨がっぱもあったのを思い出し、それを広げて二人の体を包み込んだ。

「なんかさ、雨の音に耳を澄ましていると、落ち着かない?」
「雨の音には、精神的安定をもたらす効果があるんだったかしら」
「そうそう。いろんな雨音があるんだけど、それが合わさってよく分らない一つの音になってるこの感じ、私大好きなのよねー」
「私は、そんなに雨音って好きじゃないかなあ。特に理由は無いんだけど」
「えー、なんでよー?」

 二人で他愛無い会話をしていると、意識がぼんやりしてくる。
 そういえば、昨夜はほとんど寝れなかったのだ。
 今この場で、寝ても問題ないだろうか。
 メリーを見ると、優しげな顔でこちらを見つめていた。
 私も同じように笑顔を返す。

「……ねえ、メリー。ちょっと、バスが来るまで寝ても良いかしら?」
「いいわよ。蓮子、朝から眠たそうにしてたしね。バスが来たら起こすから、ゆっくり休みなさいな」

 そう言って、あくびをするメリー。この様子だと、あちらさんも寝てしまいかねない。
 まあ、バスの運転手が見たら、きっと起こしてくれるだろう。
 そんな希望的観測をしつつ、私はそっとまぶたを下ろした。






 雨がしとしとと降っている。
 上には木造の雨よけがあったが、腐り落ちて、崩れた穴から雨が体へと滴り落ちていた。

――今年も、冬がやってきますね

 山の木々は紅葉を終えて、ほとんど散りつつあった。

――ひたすら同じ風景を見続けて幾年月。そろそろ、人も訪れず、崩れるのを待つのみでしょうか。

 一昨年、首の根元にひびが入り、それが去年の冬の雨と雪で、さらに大きくなってしまっていた。
 雨が滴り、それが夜になると凝固する。
 その繰り返しで、ひびはさらに深くなっていくのだ。

――首が取れてしまったら、道行く人は私のことを首なし地蔵と恐れるかもしれませんね。

 運が良ければ、修繕してくれる可能性もある。
 しかし、世間は飢饉や戦争が多い時勢、それはなかなか期待できそうもなかった。
 現に、雨よけは腐れ落ちても、放置され続けているのだ。
 人々に恐れられた私は、妖怪化してしまうかもしれない。
 本当は、安寧と幸福を祈り続けていたかったが、畏怖と恐怖に包まれてしまえば、そう成らざるを得なくなるだろう。

 いや、それすら無く、ただ土へ還る可能性のほうが高いだろうか。

 私のいるこの場所からは、人々の集落を見下ろすことが出来た。
 平和な時勢は、丁寧に世話をしてくれた集落の人々も、戦の余波で皆殺されるか、連れて行かれるかしてしまっていた。

 ひたすら、人々や動物たちの営みを見続けてきた。
 さまざまな人間たちの、喜怒哀楽を見続けてきた。
 移り変わる森の四季を見続けてきた。
 それ以外の時は、変わり続ける星空や、色変わる空を見ていただろう。
 星は毎日変わらないようでいて、少しずつ移動している。
 三百五十と少しで一周するように見えるが、正確にはさらに少しずれているのだ。
 ずっと空を見続けてきた私は、そんなようなことも覚えてしまっていた。

 崩れ落ち、地に還るのは怖いだろうか?

 私は、自我を持ってから、この景色以外は見たことが無い。
 幸せだったのか否か、他のものと比較のしようが無いが、たぶん幸せだったように思う。

 思い残すことは無いだろう。
 欲を言えば、もっとたくさん、この景色以外のものも、眺めてみたかったというくらいか。
 さすがにそれは、贅沢すぎるに違いない。

 足音が響く。
 誰だろう。この秋も終わろうという時期、山に立ち入る人間はそういない。
 だが、確かにこの足は人のものだろう。
 長く聞いてきた私には、動物か人かの判別を間違えるはずは無かった。

「どうやら、ぎりぎりだったようだねぇ」

 こともあろうに、この者は私へと話しかけてきた。
 時々、こういうことをする人間はいるが、何かそれとは違う、明らかに私の意識へ向けて、語りかけるような口調であった。

「おや、すまないね。姿も見せずに話しかけちまって」

 そう言うと、その者は私の前へと姿を現した。
 見たことも無い、上等な織り細工の衣装を身にまとっている。
 それ以上に、その者の雰囲気が普通の人間とは違っているように感じた。
 目に付くのがその赤い髪。そして、首に担いだ大きな刈り取り鎌のようなものだ。
 草木や稲を刈るのには、どう見ても効率的でないように見える。

「あたいは、死神の小野塚小町だ」

――小町さん……私の声が聞こえるのですか。

「ああ、聞こえるよ」

――死神、と言いましたか。死神は人以外も送り迎えするのですね。

「ははは。お前さんも、地蔵のわりに、随分賢そうじゃないか。こちらの意図をきちんと把握しうけ答えれるなんて、珍しいよ。うんうん。これは期待できそうだね」

――言葉の機微は、人々の唇の動きを見て覚えました。私は、遠見の願いを受けて作られた地蔵でしたので。

「へえ、なるほどね。まあ、あれさ。お前さんの魂を刈りに来た訳じゃない。勧誘しに来たのさ」

――勧誘、ですか

「ああ、そうさ。それと、さん付けは止めとくれ。小町でいい。もしかしたら、上司になるかもしれない方なんだからね」







 雨の音が響いている。
 そっと、私は目を開けた。
 また何か、夢を見ていた気がする。
 何か、地蔵が出てきたような。先ほど見た地蔵が、夢にでも出てきたのだろうか。

 顔を横へ向けると、どきりとした。
 息が掛かりそうな距離で、メリーが同じように眠っている。

 メリーもなんだかんだいって、退院して間もないのだ。
 急にこんな山道歩かせれば、疲れて寝てしまうのも当然だろう。
 私はそっと、メリーの顔に触れ――

 ばちりと電流を受けたように、手が弾かれる。
 いや、自身が何かを感じ取って引いたのか。
 また、昨夜感じたような焦燥感が、私の中に芽生え始める。
 それと同時に、ずきりと頭が痛む。
 その痛みに、私は頭を抱え込んで丸くなる。

――見てはいけない

 何か私の奥で、警告が発せられている。
 この感じ、最近頻繁に感じていたような。
 けど、何を見てはいけないと言うのだ。
 頭痛は治まらない。

――見てはいけない

 なんなのだ。
 分からない。自分の事なのに、何故こうも意味が分からないことが続くのか。

「やめて!」

 私は誰にと言うわけでもなく、叫ぶ。

――見てはいけない

「やめてよ! なんなのよ! 分からないわよ!」

 隣で誰かが立ち上がる気配。
 メリーを起こしてしまったか。

――見ては

「ご、ごめん。メリー、大声なんて出して。なんか頭が痛くなっちゃって――」

 メリーが起きて、こちらを見ている。
 だが、これは本当にメリーなのか?

 これは、誰だ?

 いや、目の前にいるのはメリー以外にありえない。
 ……確かに、メリーのはずだ。

 見慣れた、日本では珍しい金の髪。
 時折うらやましく思う、白い肌。

 でも、その目が。

 色々な黒を集めて、煮込んで作った絵具で描いたような、ぞっとする深さと、嘘みたいな作り物っぽさ。
 世の中にあるはずが無いような、非現実じみている。それでいて、見慣れた親しみを感じるという相反するイメージが一つにまとまったような、魔の瞳。

 人ならざる、魔性の目。
 メリーなのに、メリーじゃない、何者か。

 ベンチから転げ落ちるようにして、あとずさる。

「――誰なの? あなた、メリーじゃないわ。メリーを……メリーをどこへやったの!?」

 うまく噛み合わない震える口で、何とかそれだけを叫ぶと、さらに後ろへと身を引いて行く。
 メリー――いや、ヒトとは根本的に異なる何かは、その目を瞬き、深く息を吐いて、呟き返した。

「……ああもう。喚かないの。私だって、今がどういう状況だか、分からないのだから」

 億劫そうにそう言うと、ゆっくりあたりを見渡し始めた。
 そして、しばらく思案した後、再度私へと視線を向ける。

「……なるほどね。大体分かってきたわ」

 そう一人納得したように、微笑む。

「貴女……何が起きているか、理解していないのよね?」

 分かるものか。
 私は黙って、睨み返すしか出来ない。

「おかしいわね。この世界は、貴女が軸となって、私を繋ぎとめているはずなのだけれど……とりあえず、もうこの世界には用は無いってことになるのかしら。となると……」
「――ッ」

 細められたその目を見て、息が止まる。
 腹が震えて、意識しないと変な声が漏れてしまいそうになる。

「私の再組成を手助けしてくれたことには、感謝をするわ。でも、戻り方が分からない以上、軸であり楔である、貴女を取り除くしかないわよね?」
「何を……言って、いるの」

 私の言葉に、目の前の何かはくっくと喉を鳴らして、乱した髪の間の瞳をぎらぎらと光らせる。

「記憶をなくしているのか、はたまた元からそんな情報は与えられていないのか。どちらにせよ、こうするしか方法は無い――丁度、喉も渇いていたことですし」

 メリーのような何かは、舌なめずりして、私へと妖艶な視線を向けてくる。
 それは、人を見る目ではない。何か、食物を目の前にしたときのような。

 体中の細胞が、別々の方向へ引っ張り合うような、強烈な不快感。
 私は無意識の内に逃げ出そうと、壁伝いに移動し始めていた。
 口根も腹も震えて止まらず、情けない声が漏れる。

「ひ……、 う、――く……ッ――」
「あら……逃げるの? ふふ、そうね。逃げ切れたら、生かしてあげてもいいわよ?」

 悪戯っぽく笑う。だが、メリーの普段浮かべるものとは全く違う、邪悪な笑み。

「逃げられはしないけどね」

 私はその言葉を受け、全力で走り出した。 







 カタン カタン カタン

 一定のリズムと振動が続いている。
 まるで、心音のようなそれを聞きながら、ぼんやりとまどろむ。

 カタン カタン カタン

 コンコン

 今までと違った音が混じった。
 私はそこで、意識をそれへと向けた。
 窓をノックする音だ。
 それと同時に、私はその周囲へも視線を巡らせる。

 電車のボックス席に座る私。
 私以外の、人の気配は無い。
 そして、窓一面に映し出されている光景。

 笑う蓮子、怒る蓮子、落ち込む蓮子。
 様々な蓮子の映像が流れている。
 まるで、結婚式や卒業式などで見る、ムービーショーのようだ。
 蓮子以外のものも映っている。
 美しい自然の景色や、私の家。
 大学の構内、食堂。
 私の見知った、たくさんのもの。

「これは……私の記憶」

 卯酉新幹線の車内にも似ているが、色々と違っている。
 今まで乗ってきた、様々な電車やバスをごちゃまぜにしたような内装だった。

 コンコン

 再度、ノックの音がした。
 そちらへ視線を向ける。
 ノックされた窓には、他と変わらず私の記憶と思われる映像が映っている。
 これがカレイドスクリーンだとすると。
 私は、卯酉新幹線ヒロシゲには存在しなかった、窓閉会のロックを解除し開ける。
 向こうから、人が乗り込んできた。

「よかった……! やっとアクセスできたわ」

 乗り込んできた人物は、私の向かいに座り込んで、荒く呼吸を繰り返した。
 美しい銀髪、呼吸のたびに揺れる髪房。その紫かかった瞳。
 その姿には、見覚えがあった。

「貴方……温泉で会った」
「覚えててくれたのね。でも今は、私のことはいいわ。時間が無い」

 女性は呼吸を落ち着かせると、入ってきた開いたままの窓から外を確認し、それを閉めた。

「私が貴方に接触できるのは、これが最後でしょう。こんなことを頼める立場ではないとは思っています。でも……貴方に頼るしか手が無い」
「何なんですか。ここは、私の夢なんですよね。貴方は、私の夢の産物ではないというの?」
「どう解釈してもらっても構わないわ。でも、ひとつ確実なのは、今貴方の友人が、危機的状況にあるということ」
「蓮子が?」

 女の頷きに、私は息を呑む。
 蓮子は、確か山道の停留所で休んでいたはずだ。
 この状況から考えて、私も隣で寝てしまったということだろう。
 まさか、二人寝てしまっている間に、何者かに襲われているということだろうか。

「貴方は、最近体におかしなところを感じていなかったかしら」
「ええ、感じていたわ。能力がおかしくなったのか、暴走していたのか、精神的にまいってしまっていたのかは、判断つかなかったけど」
「それは、貴方の中にある、八雲の概念存在との完全癒着が間近だからよ。今まではぎりぎりの所で、貴方へ天秤が傾いていた。でも、今さっき八雲へと傾いた瞬間を……あの方に観測されてしまった」
「どういうこと?」
「今、貴方の体の主導権は境界の妖、八雲にある」
「……妖?」
「そう、妖――妖怪。私の想像通りなら……間違いなく八雲は、ご友人を排除しに掛かるわ」

 体の主導権。友人の排除。

「……つまり、私が蓮子を殺してしまうってこと?」
「そうなります」

 冗談じゃない。
 私が蓮子を殺す、そんな悪夢のようなこと……許せるものか。

「防げるの?」
「それをお願いしに来たのです。これを」

 女性は懐から、何か小さな宝石のようなものを取り出した。
 乳白色に煌く、5センチほどの宝石。それを私の手へと大事そうに握らせる。

「これは、対妖の魔法を封じ込めた結晶。衝撃を与えると、退魔の光を放出します。私が渡せるのは、これが精一杯だったの。ごめんなさい」
「いいえ。もし貴方が来てくれていなかったら、私は為す術も無く……それどころか、気がつくこともなく蓮子を手にかけてしまったかもしれない。それを気づかせてくれただけで、感謝してもしきれないわ」

 私の返事に、女性は辛そうに微笑んだ。
 助けてくれたことには感謝するが、どうしてもこの表情は好きになれそうにない。

「それは、一度しか効果を発揮できません。その上、タイミングを見誤ると、効力を発揮することが出来無い可能性もある。慎重に使用してください」
「わかったわ」

 そこで、女は身を乗り出すと、私の頭を胸に抱え込むようにして、抱きしめた。

「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……もしかしたら、貴方はこのまま自分の記憶と共に、眠り続けて終わりを迎えたほうが、幸せだったのかもしれない……」
「だから、さっきそんなことは無いって――」
「よく聞きなさい。貴方と、ご友人の別れは絶対です。そして、その別れの時も、すぐ間近」
「何を言っているの……?」
「どうにか、体を奪い返せたとしても、それはほんの一時。そう、貴方ができることは……もう、別れを告げることくらいしかないのよ」
「何を言っているのよ!?」

 私が叫ぶと、女性の体が急に強張った。
 女性の体を引き剥がし、その顔を見る。しかし、女性は私ではなく、窓を見つめているようだった。
 窓。
 私の記憶が映し出されたスクリーンに、黒いシミのようなものが、にじんでうごめいている。

「見つかった……マエリベリー、逃げなさい!」

 黒いシミをよくみると、うごめいていたものが、何なのかわかった。
 目だ。たくさんの目が、こちらを見てうごめいているのだ。
 黒い目の塊は、徐々に大きくなってこぶしほどの大きさになる。
 それがぎゅうと収縮したかと思うと、勢いよくこちらに向かって伸びてきた。

 女性が腕をさし入れ、それを掴み止める。
 しかし、黒い塊はさらに膨張し、女性の体を包み込んでいく。

「……どうか、お願いします。貴方のご友人は、私の友でもあるのです」

 私は立ち上がると、隣の車両へと走り出す。
 振り向くと、女性の体が完全に包み込まれ、車両の外へと投げ飛ばされているところだった。
 後部車両の接続ドアが吹き飛び、さらに大量の黒い塊が溢れ出してくる。

 私は、手に握った乳白色の結晶を見る。
 まだ、そのタイミングじゃない。
 強くそれを握り締めると、隣の車両へ、更に前へと走る。

 走り抜ける途中、車内のスクリーンに映し出される記憶。
 そのどれもが、愛おしい、かけがえの無い、大切な思い出。

 黒い目が、迫ってきている。
 見えないが、分かる。次々に、車両を飲み込んでいる。

 その度、心の何処かにぽっかり穴が開いたような、喪失感が私を包む。

「止めて! それは、私の大事なものなのよ!」

 走りながら、逃げながら、後ろから迫るそれに懇願する。
 けど、それは聞き遂げられるはずも無く。

 私は、最前車両の手前と思しきところまで来た。
 取っ手へと手をかけると、悪寒が体を駆け巡った。

 中に、何かいる。
 決まってる、この黒い目の塊だ。
 どうしたらいい。入れば、さっきの女性と同じように、ここから放り出されてしまうかもしれない。
 でも、後ろからまた別の黒い目が迫っているのは間違いないのだ。
 止まっていても、どうしようもない。
 手の中にある、魔法の宝石の存在を確かめる。

 私は意を決して、ドアを開けて、中へと入り込む。
 想像に反して、中はごく普通。黒い目は見当たらなかった。

 ここは、この電車の運転席だった。
 正面のスクリーンには、この状況とはかけ離れた、のどかな山並みが映し出されている。
 辺りは夕暮れで包まれ、赤く染まっていた。
 音も聞こえる。静かに雨も降っているようだった。

 視界がゆっくりと動く。

「蓮子!!」

 視線の中心、雨の中で倒れているのは、蓮子だ。
 立ち上がり、こちらを見る。
 その目は、強い恐怖と焦燥の色を宿していた。
 すぐに立ち上がり、向こうへと駆け出して行く。

 蓮子が逃げている。何から?
 〝私〟からだ。

 でも考えてみれば、私と蓮子は、力に大して差などないだろう。
 いや、むしろ蓮子の方が、運動神経も筋力も上だったように思う。
 
「うっ」

 目に痛みが走り、両手で押さえ込むようにして屈む。
 体の中に、目玉が引きずり込まれるような、激痛。

「あああ! あぐ、う……ううう!!」

 痛みが引いて、何とか前へと視線を戻す。涙が溢れるが、構ってられない。
 不思議なことに、そこには蓮子を見下ろすような光景が、映し出されていた。
 何が起こったのかは見えていなかったはずなのに、理解する。

 〝私〟は、空間を飛んだのだ。
 そして、その空間の切れ目に、座っている。

 私の体を操っているものの考えが、私へと流れてくる。
 だから――

「いや……」

 次に何をしようとしているのかも、分かってしまった。

「やめて!!」

 また目が激しく痛み出す。
 来るのが分っていたから、何とか耐えて前から視線を逸らさずにいられた。
 私は、手に持った魔法の宝石を掲げる。

「あら、悪戯はいけないわ」

 私の宝石を持った手が、何かに弾き飛ばされる。
 見ると、そこには黒い目の塊がいた。それが、人のシルエットを形作っている。
 すぐに宝石を取ろうとするが、黒い目が上下左右から伸びて来て拘束されてしまう。

「貴女が、私の体のベースになった人間ね。はじめまして。私は八雲。今の貴女に代わり、この体を譲り受けた者よ。一応今までこの体を大事に扱ってくれたようだし、礼を言うわ」
「あ、貴方なんかに!」
「まったく……依代に人格を与えるなんて、何のつもりなのかしら。こんなこと、貴女にとっても、不幸せ以外の何者でもないでしょうに」

 そう言って、八雲が無数にある目を細める。哀れんでいるのだろうか。

「その記憶は、私の残りの情報を受けて上書きされるから安心なさい。どんな不安も恐怖も、それと同時に全て消える。もう少しの辛抱よ」

 私は奥歯をかみ締めた。目の前のこいつは、私と蓮子の思い出を――いや、そんなことは今はいい。
 ちらりと、スクリーンへ視線を向ける。蓮子が、さらに遠くへ逃げて行っている。
 そうだ、今は少しでも時間を稼がなくては。蓮子を逃がさなくては。

「あら、そんなことを考えているの? 貴女、今は私の一部でもあるのだから、そんなこと不可能だってわかるでしょうに……」

 八雲が、ふるふると体を震わせた。

「貴女はあの娘を救いたいようだけど……あの娘は楔。戻るためには消すしかないのよ。残念だけど、諦めることね」

 そう言うと、黒目の人型は意識を蓮子へと戻す。

 また、目に痛みが走る。
 スクリーンの〝私〟が、また蓮子の前へと空間を跳躍する。
 突然目の前に現れた〝私〟に、蓮子は立ち止まり、また反対側へと逃げて行く。
 ああ、ダメだ、真っ直ぐに逃げては。

「や、やめて! お願いだから、やめてよ!!」
「それは、聞けない相談よ」

 〝私〟が手を振るう。
 空間が裂ける。裂けた空間の先にいるのは、蓮子。
 蓮子が、バランスを崩し転ぶ。
 片足が、転がる。蓮子の足が、放り投げたボールのように、転がる。
 蓮子が、痛みに顔を歪め、うめく。
 辺りを赤が染めていく。

「……あら、運が良いわね。うまく転んで、足を失くす程度で済んだわ」
「蓮子、蓮子!!」
「まあいいわ。ちょうど喉も渇いていたところですし」

 〝私〟は倒れた蓮子を見下ろすようにして、近くに落ちた蓮子の一部だったものを手に取った。
 そして、それへと舌を這わせる。
 蓮子の血の味。
 私へもその感覚が流れてくる。

 私は嗚咽し、泣き叫ぶことしかできない。
 蓮子が、死んでしまう。
 蓮子が、私に、殺されてしまう。

 そこで、少し私の拘束が緩くなっているのに気がついた。
 蓮子の血を舐め、それに夢中になっているのか。
 私の考えに気がついたのか、八雲がこちらへと意識を向ける。
 だが、一瞬遅い。

 私は、床に転がる魔法の宝石を思い切り、踏みつける。
 宝石が照らし出す白光が、視界を包む。

「――こんなことをしたところで無駄よ……貴女と私の融合は、もう止めることはできない!!」
「うるさい! あんたに、何が分るのよ! 消えてしまえ!!」








 見渡す限り、石ころだらけの地面が広がっている。
 遠くは、霧がかかっていて見渡すことができない。
 石と霧だけの世界。
 なんとも、色彩にかける淋しげな所だった。
 所々、小石が高く積み上げられたような、人の手を感じる所がある。

「……ああ、あれな。昔の悪習の名残さ」

 声が掛かったほうを見ると、赤髪の女が、首の後ろに長い柄のようなものを担いで立っていた。
 その顔をどこかで見たような気がするが、思い出せなかった。

「何だか、胸騒ぎを覚えて来てみたが……お前さん、自殺志願者か何かかい。やめておきな、自殺なんて、ろくなモンじゃないよ」
「自殺だなんて……考えたこともありません」
「そうかい。それは良い心がけだが……」

 そこで女は、眉根を寄せて私の顔を覗き込んできた。

「ふむ? お前さんは、生身とも違うようだが……亡霊でもない……? なんだ?」

 女は、私の周りをぐるぐると回りながら、舐る様に視線を走らせた。
 居心地が悪くなり、少し身を引く。

「何ですか?」
「ああ、悪かったね。私はこの……今は見えないか。あっちの方にある川で、渡しをやってる小野塚小町って者だ。お前さんは?」
「私は……宇佐見蓮子よ」
「ふむ。お前さん、ここが何処だか分かるかい」

 私はちらりと周囲へ視線を走らせる。そして、さっき目の前の――小町と名乗った女が言ったことを鑑みると、

「川原でしょうか」
「そう、川原だ。三途の川の、賽の河原だよ」
「――な!?」

 三途の川。死者が訪れるといわれる、冥界への入り口。
 女の顔を見ると、冗談で言っているようには見えなかった。
 さも当たり前と言ったように、泰然としている。

「私は……死んだのですか」
「何を言っているんだ。自殺志願者じゃないかって聞いただろう。死んでる者に、そんなことを聞きはしない。でもまあ……真っ当な生者にも見えないかねえ。そうだな、お前さんは――」

 小町は頭をがりがりと掻くと、ため息をついて見せた。

「ああ! まどろっこしいね。こういう説明は苦手だよ。死神をしてきて長いが、お前さんのような者は初めてだ」

 私はその言葉で、息を呑んだ。
 この目の前の娘は今、死神だと言ったか。
 腰を少し落とし、いつでも走り出せるよう備える。
 変な動きをしたら、逃げなくてはならない。しかし、死神を名乗るこの娘から逃げることはできるのだろうか。

 逃げる。

 そうだ、私は少し前にも、何かから逃げていたはずだ。
 何から逃げていた?
 思い出そうとすると、体が震えてくる。

「おいおい、何だ急に怯えだして。ああ、あたいは死神だが、お迎えするような死神じゃあないよ、さっきも言ったように、ただ三途の渡しをしている……待て、お前さん、そうか!」

 死神が、何かを思いついたように目を見張る。

「どうりで。この世界の人間じゃないな……魂のつくりが、この世界のものと違うんだ。なんで、この世界の三途に来たんだ?」

 そう言って、手を伸ばしてくる。
 私はそれを避けるように、身を引いた。

「待ちなって、悪いようにはしない。今のままでは、お前さんも何かと困るんじゃないか」

 信じられるものか。
 確かに悪人には見えないが、こんな普通ではない場所で、死神と名乗る娘に、言うがままに身を任せるなどできるはずも無かった。
 私は背を向けて走り出す。
 後ろで、死神が舌打ちするのが聞こえた気がした。

 暫く走り続けると、川が見えてきた。
 相変わらず、辺りは石の川原だけが続いている。
 私は呼吸を落ち着かせ、後ろを確認する。
 死神はついてきていない。

 川へ寄ると、それを覗き込む。
 深い。真っ暗な水底。
 さっきの死神は、三途と言っていた。

「おっと、あまりその川に近づきすぎるんじゃない。持ってかれるよ」

 顔を上げると、さっきの死神がこちらを見下ろしていた。
 まったく気配を感じなかった。疲れている様子もない。

「ちったぁ、走って気が晴れたかい? あたいからは、普通の……人間は逃げるのはまあ、無理だと思うよ」
「……そのようね」
「理解が早くて助かるよ」

 そう言うと、死神は背に担いだひしゃげた鎌を私の肩へとまわした。

「私をどうするの」
「いやなに。ちょっと、調べたいことがあってね。少しふらりとするかもしれんが……なに、命に別状は無いはずだ」

 鎌が引かれる。
 それが私の肩を抜けたが、腕はくっ付いたままだ。
 体の中心へ、冷たい手を差し入れられたような寒気を感じる。
 異物が、体の中の一部を切り抜いて、通り過ぎていったかのようだ。
 そして、言われたとおり軽く眩暈を感じ、私は両手をついた。

 異物感が通り過ぎた後、何か熱いものが代わりに流れ込んできたように、体が温まってくる。
 だが、眩暈は晴れない。激しい貧血を起こしたように、視界が歪む。
 頭を振るって上を見上げると、驚愕してこちらを見る死神の顔があった。
 駄目だ。意識が、遠のく。

「あんた……もしかして……――四季様か!?」

 死神の言葉と同時に、私の思考は闇へと落ちていった。













 広い室内。円座に人が集まっていた。
 中の一人、赤青のツートーンカラーの女性が、面々に語っている。
 月の賢者。八意永琳だ。

「境界の妖怪の概念と、この依代の魂を結合させるには、時が必要です。しかし、タイムリミットは5年と無い。そこで、私たちの持つ技術を提供し、その手助けをしたいと思います」

 永琳は腕を組むようにして、上へと視線を向けた。
 視線の先には、天井しか見えない。しかし、その視線の先にある月を見ているのだろう。

「今回の問題にどう対処するかですが、この境界妖と基盤の魂を別世界に飛ばします。そこで、魂が完全融合するまでの時間を稼ぐというのが方法です」
「そんなことが、可能なの?」

 桃髪の亡霊姫――西行寺幽々子が尋ねる。
 月の賢者は、上へと向けていた視線をそちらへ向け、笑って見せた。

「別世界への跳躍、それ自体は何の力も持たない人間でも、頻繁に行っていることなのです」
「――夢、かしら?」

 永琳は首肯する。

「私達の元居た場所では、波長の研究がとても進んでいました。波長を操るのに長けた者達が、多くいたのです。そういった者の戦士の中には、空間波長を操り、別位相にて敵の攻撃をしのいだりする技術を持つ者もいました」
「まあ、凄いわねえ。私も、もっと色々な分野に研究の手を伸ばさないと駄目ね」

 魔界神、神綺が感心したように笑った。

「とはいえ、その能力もほんの一瞬ずらすのが精一杯。当然、別空間や別世界に滞在するなど、いかに研究が進んでいるとはいえ、可能なことではありません」

 そこで、永琳は私へと視線を向けた。

「しかし、私の主の力と、そちらの閻魔様の力を合わせれば、理論上は可能です」

 場の皆の視線が、私へと集まる。
 現段階では、私も月の賢者の意図することは理解できない。
 私は永琳へと視線を向け、先を促すように合図する。

「やり方はこうです。まず、私がとある神器にて空間の波長をずらします。そこへ、主の能力により、その波長を極限まで引き伸ばす。その薄く脆くなった空間波長に対し、閻魔様の力で、楔を打ち込みます」

 楔を打ち込む。
 私が、揺らぐ世界を繋ぎ止めるということらしい。
 しかし、私の持つ力に、そのようなことが出来るとは初耳だ。

「いえ……私には白黒つけることしか」

 私が困ったように永琳を見ると、彼女は一つ頷いて見せた。

「その白黒つけるという能力。すこし調べさせてもらったのですが、過去現在へと連なる様々な業や因果を瞬時に把握し、決断を下す能力とのこと――それはつまり、概念、法則といったものを最小単位で区分け、己が基準で判断し、決定しているということです」
「……そうなる、のでしょうか」
「ええ。閻魔様の能力は恐るべきものです。対象物を極めて正確に観測し、理解しているということなのですから。それを何か代替物で実行しようとすれば、それこそ星ほどもある演算装置が必要でしょう。……いえ、それですら可能かわかりません」
「まあ、閻魔様ってほんと、凄い方でしたのね」

 神綺が、両手を合わせ笑いかけてくる。
 私は、とりあえず苦笑を返した。

「空間の固定化、確定化にこれほど適した能力はありません。閻魔様がその世界を観測し、楔を打ち続けている限り、その別世界への滞在が可能になるのです」
「なるほど……となると、私も一緒に行かなければならないのですね。しかし……」
「そこは、安心してください。別世界で流れる時間と、こちらで流れる時間、それらを多少操作することが可能なのです。それがこの方法の最大の利点。あちらで数年過ごしても、こちらでは数日、数週間程度しか経たない事になります」
「それは素晴らしい」

 場の皆が、最大の問題が解決したというように、胸を撫で下ろしたようだ。
 永琳は立ち上がると、私へ視線を向けた。

「閻魔様。では、予定通り、今説明した術式を執り行いたいと思います。術施行の部屋へ」

 私も立ち上がる。
 そして、場の面々へ向けて、会議の終了と成功への誓いを言い渡した。
 亡霊姫へと歩み寄る。

「安心してください。貴方の大切な御友人、必ず復活させて見せますよ」
「お願いするわ……」

 私は永琳と共に、部屋を出る。
 暫し歩いたところで、行き止まりに着いた。
 永琳が何かの薬品を空中に散布すると、ただの壁であった場所に人が通れるほどの穴が出来上がった。

「主はこの先です。姫をあまり他の者の前に出したくなかったので、このような形に。失礼をお許しください」

 永琳が中へと入っていく。私はその後に続いた。
 穴の中は、薄暗く長い通路が続いている。夜目も利く私だが、大分距離があるのか見通せない。

「すごいですね。こんな長い通路、この館には収まりきらないと思うのですが」
「空間を捻じ曲げているのです。……閻魔様、先ほどの説明の続きをしてもよろしいでしょうか」
「はい。よろしくお願いします」

 先を歩く永琳は、ちらりとこちらへ視線を向けた後、前を向きなおし話し出した。

「先ほどの場では申し上げませんでしたが、この方法、いい事尽くめというわけではありません。いくつかの懸念もあります」
「どんなものですか?」
「……あちらの世界で、閻魔様と依代が、どういう形を取るのかが不確定なのです。滞在できたなら、閻魔様の能力が発動しているのは間違いないことです。なので、その能力が失われてしまっていることは無いでしょう。失われたなら、すぐにこちらに戻ってくることになるだけです。問題は――」

 永琳が立ち止まり、自らの胸の中心へ指を立てた。

「閻魔様と依代の魂が、あちらでどんな姿をとるのか。それが想像つかないのです。この世界のほつれを利用した平行世界なので、物理法則など基本的な創りはこちらに準じてくれるとは思うのですが」

 そう言って、また奥へ向かって歩き出す。

「どんな問題が考えられるのですか?」
「……そうですね。別世界へと移動し、そこに滞在するということは、あちらの創りにこちらが馴染むということでもある。様々な矛盾は、世界により補正されるでしょう」
「……むむ。難しいですね」

 今の説明では、どんな問題が発生するのか理解できない。
 こんな私に、前を歩く天才が言うようなことを実行できるのか、少々不安になってくる。

「つまりですね、あちらに飛んだ時、閻魔様や依代の魂は、赤子から始まると言うわけではないのですよ。しかし、そこに矛盾を感じさせないよう、世界により修正される可能性がある。度合いは変わると思いますが、姿形が変わっていたり、記憶を失っている、改ざんされている可能性もあります。存在数や外見的特長、合致率から言って、ただの人間として顕現する可能性が高い……それに加え、あちらで命を失うと、こちらでの魂消失と同じことと同義なのです。その上、依代には人格がない。あちらでも、意識を失ったままでしょう」
「……それは確かに不安ですね。私は世界を維持すると同時に、依代を守る役目も負うわけですか」
「そうなります。そして、閻魔様が依代を観測するにあたり、注意することがあります。依代に対し、その能力を使ってしまうと、目的である境界妖怪の概念と依代の魂融合が、遅れてしまう可能性が考えられる。二つの分離を促してしまうということですね。まあ、すでに融合術式が発動していますので、緩やかにする、程度にはなると思うのですが。逆にほとんど融合してしまった状態であれば、融合体を〝是〟として、その促進の助けになるでしょう」
「なるほど。分かりました」

 そこで、永琳はこちらへ顔を向け、深い歴史を感じさせる知性の瞳で、私の目を覗き込む。

「そして……依代を目覚めさせてやらないことです」
「……そう、ですね」

 依代を目覚めさせるということは、器として利用されてしまう魂に自我を持たせるということである。
 それは、八雲の概念を受ける器。
 結局、その魂は強大な八雲の概念の結合を受け、消滅してしまうだろう。
 贄と捧げられるのが分かっていて自我を持たせるのは、残酷以外のなにものでもない。

「様々な不安要素を含み、それでいて行き成りの実践で、申し訳ありません」
「貴方ほどの方が見つけてくれた方法であるのなら、十分信用に値します。この場で、改めて礼を申し上げます」
「いえ……私達の隠れ場を提供してくださったお礼です。そろそろ主が待機している部屋ですわ」

 通路を抜けると、少し広い部屋に出た。
 相変わらず薄暗い。部屋の中心に、台座がある。
 その上に、あらかじめ運ばれたのだろう、魔界神の作った依代の器があった。

 さらに奥、布の垂れ幕が据えられていた。
 その中に、人の気配を感じる。濃厚な、生命の気配。
 月の賢者と同じ、蓬莱人。月の姫君で間違いないだろう。

「はじめまして。私は、四季映姫。この地を管轄する閻魔です」

 そう声をかけると、中の影がゆらりと動いた。
 そして、幕をめくりその姿を現す。
 薄暗い明かりの中にもかかわらず、長く美しい黒髪が強く映える。
 童女のような見た目とは裏腹に、その目には長くを生きてきた威厳と、王族である高貴さが宿っている。

「あら、あなたが閻魔様ね。私は蓬莱山輝夜。この度は、住処を工面してくれて助かっているわ」

 輝夜はそう笑うと、私との間に据えられている卓を指差した。

「永琳。まだ準備に時間が掛かる?」
「はい。暫しお待ちを」
「そういうことだから、少しお話して待ってましょう」

 輝夜は、その卓の周りに置かれた椅子へと腰をおろした。
 私も向かいに座る。
 月の姫が、微笑み私の顔を見つめている。

「ねえ、閻魔様。あなたは、私たちについて、どう思っているのかしら?」
「……蓬莱人について、ということでしょうか」

 私の言葉に、輝夜は笑みを深めた。
 蓬莱の薬。その服用の罪。その程を閻魔である私に尋ねると言うことか。
 いや、ここはあえて――

「別に……どうとも思いませんよ。それは、当人の自由ではないでしょうかね」

 私も笑いながら、そう返す。
 輝夜は少し驚いた顔を見せ、くすくすと声を出して笑った。

「あら……閻魔様、意外と話がわかるのね」
「蓬莱人は、三千世界の理から外れた存在ですから。閻魔としての私が、とやかく言う筋合いは無いですよ」

 輝夜が、卓に置かれた小さな酒瓶を手に取る。それを何処からか取り出した杯に注ぎ、私へと手渡す。
 話を続けろとの意思表示だと受け取り、私はそれを一口飲んで続けた。

「普通の魂であれば、穢れが満ちれば死に、それを浄化するために三途を渡り、裁きを受け、生まれ変わる。蓬莱人は、それらの輪から外れている。それだけのことです。蓬莱人は、それだけで完結した存在なのですよ」

 酒は、とても上等のものの様だった。
 一応、今も職務中ということになるのだろうか。少し周囲を見渡す。
 この部屋は、通路を通っていたときに感じていたが、様々な因果から切り離された特殊な部屋のようだった。
 つまり、完全な個人空間である。
 私は顎に手を当て、杯を揺らしその色を楽しむと、一気に呷った。

「まあ、良い飲みっぷりですこと」

 せっかく、隔絶された自由な場での歓談である。
 楽しく、付き合わせてもらうとする。

「例えるなら、天界に属する者なら明るい色、地獄界に属するものが描くは暗い色。現界というキャンバスに、自らの魂で絵を描いているのです。私達、是非曲直庁は、それらの汚れた絵筆達を綺麗に洗い流す仕事をしているのです。蓬莱人は、ただそこに少し自分勝手に、決まった色を流し続けるだけの人たちである、というくらいでしかない。増えすぎたら困るかもしれませんが、それだけのことなのです」
「あら、とっても分りやすい例えだわ」
「少し前に、とある寺子屋で講師に招かれましてね。そのとき、小さな子供達になんと説明をしようか考えた例えなのですよ」

 それを聞いて、少しむすっとした顔をする輝夜。

「あらあら。私は子ども扱いなのね」
「無駄に難しくする必要は無いのです。そんなものはただの虚飾。何の役にも立ちませんよ」
「でも、虚飾もないと寂しいものよ?」
「確かにそれもあるのでしょう。時と場合によっては、使い分ける必要はあるかもしれませんね。年長者のご意見、ありがたく頂戴しておくとします」
「……本当に、物分りがいい閻魔様ね」
「プライベートですから。この空間は、あらゆる時空から切り離されてるようですし。好き勝手言わせてもらってます」

 私は笑いながら、隣で作業をしている永琳へ視線を投げる。永琳は苦笑して、頷いた。

「ええ、確かに。この部屋は、あらゆる因果から切り離された隔絶空間としています。これから行うことに必要だったので」
「閻魔様も、周りの視線を気にしないといけないのね。大変だわ」

 輝夜は同情するようにそう言うと、酒を私の杯に注ぎ足した。

「もう、慣れましたよ」
「となると、本音を吐き出せる良い機会。閻魔様に色々質問しておかないと、もったいないわね。死ぬ身でもないから、会える機会も少ないでしょうし」
「確かに。どんな質問でしょう?」

 輝夜は、今までとは種類の違う、薄い笑みを浮かべた。そして、尋ねた。

「蓬莱の薬、閻魔様なら……飲めるとしたら、お飲みになります?」

 私は、ふむと息をつき、少し上へ視線を投げる。
 そして、輝夜に視線を戻して、軽やかに答えた。

「そうですね……ここだけの話、もし私が人間であったなら、飲んでいると思いますよ」
「まあ……」

 目を丸くして驚く輝夜。作業をしていた永琳も、こちらを伺っているようだ。

「内緒ですよ? 私は閻魔となり今でこそ、死とは遠い存在にはなりましたから、そこまで惹かれるものでもないのですが……世界を見るのはとても楽しいのです。地蔵であったときから、人々や世界の移り変わり、営み、その心の不思議。世界の織り成すこの大掛け軸。いつまで見てても飽きることは無い。それに……」
「それに?」
「一人であったなら、寂しくもなりましょうが、他にももう既に、蓬莱人の方が何人かおられますからね。その辺の心配もあまりないでしょう。仲良くできるかは分かりませんが、寂しくなることはないと思うので」
「ふふ。結構現金なのね」
「白黒つけた結果です」

 輝夜と二人笑っていると、永琳から声が掛かった。

「閻魔様。準備が整いました。こちらへ」

 依代が、白い薄手のものに衣服を替えていた。
 先ほど見たときは、神綺と似た服を着ていたと思ったが、着替えさせたのだろう。
 永琳が、同じものを手渡してくる。着替えろと言うことだろうか。

「それに着替えてください。何も身に纏わないのが一番良いのですが、気分的に落ち着かないかと思いまして、術負荷が低いものを用意しました」
「あ、ありがとうございます」
「あちらからの戻り方ですが……依代の魂と、境界の妖怪の概念体が十分融合したとき、自動的に二人をこちらの世界へ呼び戻すトリガーを仕込んでおきます。なので、閻魔様は特に心配する必要はありません。何かあったときの保険ですわ」
「そうですね。やるべきことを忘れていたとしても、それならば何とかなるでしょう」

 私は渡された衣装へと着替えると、元着ていた服を用意されていた籠へと入れる。
 依代の隣の、人一人が横になれるスペースへと促され横になる。
 すると、途端に意識が朦朧としてくる。

「ああ、少し強すぎましたかね。先ほど姫が渡したお酒に、睡眠しやすいように薬を入れておいたのです」
「……」
「閻魔様は、このまま眠りにつき、あちらの世界で依代を見守り過ごして頂ければ大丈夫です。あとは滞りなく――」




――そうだ、私は。




「――私は、四季映姫……幻想郷を管轄する閻魔」

 全て、思い出した。
 最近しばしば見ていた夢は、メリーのものなんかじゃなかった。あれは、閻魔としての私の記憶だったのだ。

「四季様! お気づきになりましたか」

 赤髪の娘、長い付き合いの死神。小野塚小町。
 胸を撫で下ろし、私を心配そうに見つめている。

「ごめんなさい。何か、ずいぶんと手間をかけてしまったようね……あれから、何日経ったのかしら」
「あれから? えと、四季様が依代と異世界に旅立ってからということですかね」
「ええ」

 私は小町の手を借り立ち上がると、周囲を見渡す。
 賽の河原。子供の霊に石積みさせる贖罪の慣習を取りやめさせたのも、遠い昔に感じる。

「あれから、こちらでは一年が過ぎました。当初の予定では、四季様はもっと早く戻られるはずでしたが……でも、予定にそこまで狂いは出ていないかと」
「そう……私が依代を観測してしまったことによって、魂との癒着が遅れて――」

 そうだ、あちらで私は、覚醒した依代に殺されかけ、こちらの三途へと飛ばされたのだ。
 だが、私の魂が死しているなら、魂は輪廻からも外れ、完全に消滅してしまっていたはず。

 横を流れる川へと、視線を落とす。
 ちらりと映った私の姿、淡く緑がかった閻魔のものではない。
 黒い髪、ブラウンの瞳。あちらの世界で、人間だった時のものだ。

 この姿でここにいる以上、私はまだ死んではいない。
 そして、まだあちらとの接続は切れていないのだ。

「小町、私はあちらへ戻らねばなりません。先ほど、私の魂の一部を切り取り、その状態を確かめたのでしょう?」
「はい、それで人間の娘だと思っていたのが、四季様だと気づきました。ご無礼を……」
「良いのです。荒療治でしたが、そのお陰で、私は閻魔であったときの記憶を思い出すことができました。それより、私の魂の状態はどうだったのです?」
「ギリギリの所で、命をつなぎとめたようです。徐々に、魂の状態が安定してきていますね。じきに、あちらへ引っ張られるんじゃないでしょうか……何があったんですか? 四季様の命に危険が及ぶなんて、あたいは聞いてませんよ!」
「ごめんなさい、余計な心配をかけてしまったわね」

 小町はまだ何かを言いたそうにしていたが、ぐっと鎌を握りなおして溜息をついた。

「まあ、良いですよ。あたいのような、船守り程度が割り込める問題でもないのでしょう……四季様が無事に帰ってきてくれるなら、あたいはそれで」

 依代への魂の結合は、順調に進んだ。
 あとは依代の魂をこちらの世界へと呼び戻し、残りの八雲の概念を封じ込めた陰陽玉を合成し完成となる。
 依代の魂と、八雲の重要概念部位である〝眼〟の魂への融合。
 これが済んだなら、それを核として、他の部分も綺麗に馴染むことだろう。

 そうだ、これで最大の懸念であった、境界妖、八雲の復活が完遂する。

 あちらでの、長かった人間の生活も、これで――

 終わる。

 私は、再度視線を走らせ、隣を流れる川へと視線を向けた。
 先ほど見たのと同じ、黒髪の、茶色の眼をした――宇佐見蓮子が映っている。

 終わる。

「メリー……?」

 私の体を稲妻が突き抜けたように、衝撃が襲う。

「……メリー、メリー……メリーが! メリーが!!」
「し、四季様?」

 八雲の完成。
 それは、メリーの消失を意味する。

「私は、なんて、ことを……」

 八雲の大きすぎる概念を閉じ込めるのに、あの依代では小さ過ぎた。
 部分的に、溢れ出てしまうだろう。
 それでも、特製の陰陽玉と、適正に会った魂を利用し、八雲を自我を持ち、能力を振るえる段階に再構成する。
 それが今回の計画。
 そんな容量一杯の依代の中に、メリーが残る要素はない。

「メリーが、消えちゃう……!!」
「四季様、お気を確かに!」

 小町が心配そうに、私を見ている。
 私は、外聞も無く涙を流し、贖罪するように言葉を吐き出す。

「私が、観測してしまったばかりに、あの子を目覚めさせてしまった!」

 なんて、ひどい。何て、無慈悲な。

「私が、メリーに人格を与えてしまった!! なんて、罪深いことを……!」
「四季様、そのメリーってのは、あちらで御一緒していた魂の……娘ですか」

 私の頷きに、小町は苦虫を噛み潰したような顔になる。

「その娘と……長い間、一緒に過ごしていたんですね?」
「そ、そうよ……メリーは、私の、親友よ……」

 小町は私を抱きかかえると、悪態をつくように頭を振った。

「くそっ! なんてことだ……」
「小町、私は……どうしたらいいの? 私は、閻魔として、八雲を復活させる義務を負っている。でも、それは、親友を……メリーを消してしまうことなのよ……! 私に、そんなことは出来ない!!」
「でも……四季様、その娘と境界の妖怪とは、もうほとんど結合しちまってるんでしょう。四季様の白黒はっきりつける能力があれば、多少の間は防げるでしょうが、それにも限界がある。それに、閻魔の仕事をほっぽり出すわけにもいかないでしょう」

 そうだ、そんなことは分かっている。
 でも、出来るわけない。

「でも、メリーは! メリーは私の大切な、親友なのよ!? 隙間の妖と完全に融合したとき、メリーの記憶、いえ、魂が残っているのかも危ういのよ!」
「四季様、つらいのはわかります。あたいだって、伊達に人々の魂を見てきちゃいない。でもね……四季様。よく考えてください。いつ魂が完全に消滅してしまうかもしれないような危険な状態を維持してまで、メリーといるのをとるのが正しいですか? その娘が輪廻するのを見届けるのが、閻魔の仕事じゃないんですか」
「でも、小町……私は」

 私を見る小町の顔は、悲しみで染まっていた。
 でも、その眼は一歩も譲らぬ、死神に相応しい無慈悲な光がともっている。

「辛いですが、お願いします。どうか……白黒、つけてください」








 気持ちが悪い。頭がくらくらする。
 上体を起こす。暗い部屋の中。
 でも、嗅ぎなれた、見知った場所に思えた。
 目が闇に慣れてくる。すると、何か黒い影が私に飛び掛ってきた。

「蓮子! 良かった、私、蓮子が死んじゃうんじゃないかって……!」

 私を強く抱きしめる腕。涙でぬれた、メリーの顔。

「メリー、痛いわ。離れて頂戴」
「良かった、良かった……」

 暗がりになれた眼であたりを見渡す。眼を赤く晴らして、メリーが私を見つめている。
 そして、ここは私の部屋だった。

「夢、だったの……?」
「いいえ、夢だったら、どんなに良かったかしらね」

 メリーの視線を追うと、自分の足へと伸びているのに気がついた。
 そして、自分の足をよくみると、うっすらと線が引かれていて。
 メリー、いや、八雲に切断されたところだ。痛々しい傷が残っているが、治癒し繋がっていた。
 よく見ると、床にはビニール袋が散らかっている。輸血パックだ。

「私が、能力を使って何とかくっつけたの。血も、力を使ってちょちょいって盗んできちゃった。もう私、完全に人間じゃないのね」
「メリー……」

 メリーは立ち上がると、コーヒーをカップに入れて戻ってくる。
 それを私に手渡す。

「……えっとね、あの蓮子の足を切っちゃったのって、私なんだけど、私じゃなくて」
「分かってる。大丈夫よ。メリーの中の、別の人が貴方の体を操っていたのでしょう」
「あ、分かってたんだ。そうなのよ。蓮子にあんな酷いことするんだもの、許せなくてね、うん」

 暫く、そうして無言でお互いコーヒーを飲み続ける。
 メリーが、遠慮がちにこちらに視線を向けてきた。
 私は安心させるように微笑んで、それを促す。

「ねえ、蓮子。貴方は……どれくらい、分かってるの?」
「ほぼ、全てよ。ついさっき、思い出したわ」
「そっか……じゃあ、私が、この体の中にいる別の何かに……取って代わられるのも知ってたのね」

 メリーの言葉に、私の体が小さく跳ねた。手に持ったコーヒーがこぼれる。
 私はメリーに何かを言おうとしたが、何の言葉も出てこなかった。

「蓮子にとって、この世界はヴァーチャルみたいなものだったのでしょう? 私も一つのゲームの中のキャラクターと考えれば、何も問題ない。あっちに行ってもきっと、罪悪感も無く、普通に過ごせるってことね」
「何馬鹿なこと言ってるの! 私にとって、この世界はリアル以外の何物でもなかったわ!」
「あはは。ごめんごめん。少し意地悪に言い過ぎたわ。さっき、今思い出したっていってたものね。……ごめんなさい、その顔を見ていれば、嘘じゃないって事くらい、分かる」

 メリーは私がこぼしてしまったコーヒーをタオルで拭くと、代わりのコーヒーを持ってきた。

「もう、時間がないのでしょう?」

 メリーのその言葉に、月の賢者の言葉が思い出される。
 私は肩を震わせて、小さくうなずいた。
 メリーがここまで能力を自在に操れたとなると、元の世界に戻るのは間近だろう。

「私は、この体の中に居る……超常的な何か、と合わせられるために生きていたんだって。そしてもう、それはほぼ完了しつつある」

 何も、言えない。
 どうして、言える。なんて、言えばいいのだ?
 あなたは、生贄になる為に今まで生きてきました。
 これから、他の人たちのために、犠牲になってもらいます。とでも、言えばいいのか?

「蓮子も、その計画の、重要な人……なのよね?」

 びくりと体が震える。心臓を氷水の中に叩き込まれたように、縮み上がる。
 しかし、この質問に答えないわけには、いかない。
 その責任が、私にはある。

「そうよ。私は、この計画の主要人物の一人だわ」

 一言一言が、身を切り売りするような耐え難さを伴う。

「いえ、最高責任者といってもいい。あなたの魂と、境界を操る妖怪の概念体を融合させるために、この世界へ来たのよ」

 目をぎゅっとつぶり、メリーの言葉を待つ。
 どんな罵倒だって、いくらでも受けよう。
 メリーがそうしたいなら、何をされたって構わない。
 私には、それくらいしかできないのだから。

「そう。よかった!」
「……え?」

 私が、聞き間違いかと視線を上げると、メリーは普段と変わらない、悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「だってそうでしょう。こんなに優しい、蓮子のことだもの。他にやりようがなかったんでしょ? それくらい、私にだって分かるわ!」

 そこまで気の回らない女じゃないわよ、とメリーは怒ったように言うと、一転して優しい口調で続ける。

「それに、言ったじゃない。……蓮子のためになら、どんな苦労も厭わない。体を捧げるのだって、我慢できるってさ。蓮子の役に立てるのなら、満足だわ」
「メリー! あなた、事の重大さが分かってないのよ!」
「分かってない。そうなのかもね。でもそれなら、私は蓮子を恨めばいいの?」
「それは……」

 私が口ごもり俯くと、メリーは私の胸の中心を人差し指で突っついた。

「その方が、蓮子の心が楽になるなら、いくらでも恨んであげるわよ?」
「何で、メリーはそんな……」

 屈託無く笑う、メリー。
 そんな顔見せられたら、どんどん、自分が惨めになる。
 私が床へ視線を向けていると、メリーがため息をついた。

「まあねえ。私だって、この体を他人に明け渡すのなんて、嫌だったわよ? でも、私がこの境界の妖怪さん、だっけ。この人と融合して良かったなって思うこともあるの」
「……」
「妖怪さんの力なのかな。少し、頭が良くなったの。この世界がどうやって作られたか、なんとなく分かるようになったのよ。世界の構造が見えた、というか」

 メリーは立ち上がると、演技かかった仕草で、大きく両腕を広げ、くるりと回って見せた。
 いつも着ている、お気に入りの紫のワンピースのスカートが、ふわりと舞った。

「そう、この世界は、蓮子が私のために、紡いでくれた世界なんだわ! こんなこと、今の力が無かったら、絶対に分からなかった!」

 後ろ手に腕を組んで、はにかみながら言った。

「この世界、大好きよ! 勿論、こんな素敵な世界で遊ばせてくれた、蓮子のこともね」

 またくるりと回ると、すっと私の隣に腰を下ろす。 

「私だけの、メイドイン蓮子の世界。こんなのプレゼントしてもらえる人なんて、私以外にはいないでしょうね」

 腕を組み、胸を張るメリー。
 私は呆然とメリーを見つめていた。

「蓮子の星や月を見て、場所や時間を観測する能力。それで、世界を確定化、維持していたのよね?」
「……よく、分かるわね」
「ほーんと。凄いわよねー。きっと、私の中にいる妖怪さんは、さぞ名のある、あったま良い偉大な妖怪さんなんでしょうねー」
「そうね。とても、強大な力を持つ、大妖怪だわ」
「ふむふむ。それは何だか、鼻が高いわね。でもまあ、蓮子に危害を加えようとしたのは、どうしても許せないけど……」
「その辺は、もう大丈夫よ。私の記憶も戻ったし、説明すれば分かってくれるわ。何せ、頭のいい方だもの」
「そっか。まあ、あの黒い目玉妖怪さん、私にも多少感謝してたし、それくらいの分別はあるか」

 メリーがそう言って苦笑する。
 私も、困ったように笑い返した。
 すると、ピクリとメリーの眉が動いた。私を凝視している。

 視線を追うと、私の腕。その腕が、薄らいでいるように見える。
 腕が薄くなり、中に黄色く輝く、銀河のようなものが煌いていた。

「あはは。思ったより、時間早かったね。しかも、私より蓮子が先なんだ」
「……そう、みたいね。私が居なくなると、この世界の楔が外れて、世界は消失するわ。そうすると、メリーもこちらの世界に飛ばされることになるのだと思う」
「どうせなら、手を繋いで一緒に行きたかったなぁ。どーして、そういうところで、気配りができないのかしら?」
「そう言われましても、この世界に飛ばしてくれた人は私ではない方なので……」
「何、そんな大事なところも他人任せなの? はぁ、まったくもう」

 私の体のほとんどが薄らいできているようだった。ふわりとした、浮遊感を感じ始める。
 また、にっこりと笑うメリー。

「ねえ、蓮子」
「なに、メリー?」
「ありがとうね」
「こちらこそ、メリーといて、とても楽しかったわ」
「うん……楽しかった。とても……」

 私の意識が、周囲に拡散していく。
 様々なところから、世界を同時に眺めるような、不思議な感覚。
 でも、その意識は遠くの景色をぼんやり眺めるように、曖昧で。

 メリーが意識を朦朧とさせていたとき、こんな感じだったのかしら。

 薄れ行く意識の先、ふとメリーの声が聞こえたような気がした。
 ぎりぎりのところで、踏ん張ってそちらに意識を向ける。

 ぼやけていた世界が、ほんのすこしだけ、像を結ぶ。
 そこで、見たのは。



 残された世界で、身をちぢこませ肩を震わせるメリー。
 腕に私の服を抱いて、大きく口を開け、咆哮するように泣き叫ぶ。

「嫌だ、嫌だよ! 蓮子ともっと、たくさん、色んなものを見たかった!」

 ――なんてこと、

「私だって、蓮子と一緒にいて、楽しくて、楽しくて仕方なかったのよ!!」

 メリーの涙が、床を濡らし、照明の明かりを受けて光る。

「もっとたくさん、色んなところに、行ってみたかった! 感じてみたかった!」 

 ――メリー、

「――全然、足りない!!」

 ―――ああ、私は、

「蓮子! 全然、足りないよ!! もっと、貴方と一緒に―――」






 私は目覚めると同時に能力を使い、睡眠と覚醒の境界に白黒つけて、頭を強引に叩き起こす。
 ここは、冥界の是非曲直庁離れにある、特殊迎賓館。
 月の賢者と姫の手により、別世界へと跳躍した部屋だ。
 周囲を見渡す。隣で横になっていたはずの、依代――メリーは見当たらない。
 
 台座から起き上がると、自分が白い薄手の服を着ているのを思い出す。
 すぐ近くに、閻魔の正装が綺麗に整えられ置かれていた。
 着替えている暇はない。
 部屋を出ようとすると、月の姫と話をした卓に、誰かが腰をかけているのに気がついた。
 魔界神、神綺の姿。突っ伏し動かない。
 少し慌てるが、緩やかにその体は上下している。どうやら、眠りについているだけのようだった。
 何故ここにいるのかと疑問が生まれるが、依代を作成したのは彼女だと思い出す。
 何かしらの調整や管理を行っていたとしても、不思議ではない。
 とにかく今は、少しの時間も惜しい。そっと気配を殺し、横を通り過ぎる。
 しかし、相当鋭敏な感覚を持っているのか、抜けようとする直前、身を起こしこちらへと振り向いた。

「……閻魔様?」

 その顔に、濃い疲れの色を宿した神綺がそう呟く。
 私の姿を確認したのと同時、立ち上がり駆け寄ってくる。感極まったように目を潤ませ、私の手を取った。

「ああ! 閻魔様! よかった……本当に、良かった……」

 袖で目元を拭い、神綺は息をつく。

「ごめんなさい。急にこんなことを言われても、わかりませんよね。実は、予定より閻魔様の意識の覚醒が遅れていたので、依代を媒介としてその世界に接触をしていたのです。そうしましたら、閻魔様が記憶を失われているのに気がつきました」
「ええ……私の力が及ばないばかりに、お手数を……」
「何とか接触できたマエリベリーに、それを伝えようとしたのですが、あちらの世界に不都合な情報は全て書き換えられてしまい、どうすることもできなかったのです。やっとのことで、精神世界にいた彼女に対魔触媒を届けることができました」
「……メリーを知っているんですか?」
「はい。何度かお話を。……あの娘、自我を……持ってしまったのですね」

 そうだ。
 私がメリーに、自我を持たせてしまった。
 その責任は――いや、責任なんて言葉は、今の私には言い訳にしかならない。
 事態を理解しているのか、神綺は同情するように、私の肩へと手を添えてくる。

「閻魔様は記憶を失っていたのですから、あれは……不可抗力ですわ。どうか、お気を落とさずに……」

 私は俯き、唇を噛んだ。
 神綺の慰めも、私の心から何一つ、罪の重さは取り除いてくれない。
 記憶を失っていたからだとか、そんなことは関係がないのだ。
 彼女は、今も私のせいで苦しんでいるに違いないのだから。

「依代は、何処ですか」
「少し前に、八雲の意識復活の前兆が見られたので、地下の結界施工部屋へ移されました。もう、件の大陸の術士さん達も向われているかと」

 それを聞くと、私は部屋の外へと歩き出す。
 まだ、間に合う。急がなくてはならない。
 神綺が、私の顔を見てはっとしたように立ち上がる。

「閻魔様、一体どうするおつもりなのです! まさか――」

 後ろから、走りついてくる神綺。
 私は能力を使うと、揺らぎにより接続された隔絶空間への扉に白黒つけ、それを閉じる。

「ごめんなさい。私には、メリーがこのまま消えるのを黙って見ているなんてできない……なんとしても、儀式を中止させます」

 通路を抜け、地下へと向かう。
 私の覚醒と、八雲の意識の到着にはタイムラグがある。
 今ならまだ、メリーの魂を八雲の概念存在から切り離せるかもしれない。

 メリーと過ごしていた、日々を思い返す。
 私は、地蔵として生まれ、生物や世界の営みを見続けてきた。
 そして、長く続いたその生を経て、閻魔となり忠実に業務に励んできた。

 私はただただ、見守るだけの――客観的な決断を下すだけの生活をしてきたのだ。
 しかし、あの世界で私は知った。
 満ち足りた、人間の人生というものを。
 未来に対する不安、理不尽に対する怒り、共に行動し共感する喜び、人との間に育まれる愛情。
 様々な感情を自ら体験してきた。
 あちらで過ごした時間は、十年にも満たないのだろう。
 地蔵や閻魔として生きてきた時間に比べれば、その爪の先にも及ぶまい。

 それでも。

 人間として過ごしたあの世界を……どんな物より大切な、掛け替えのない人生であったと、私は断言できる。
 閻魔として義務や責任から端を発したものとはいえ、最も親しく、長く時を歩んだメリー。
 彼女が、私の中でどれほどのものを占めているのかなど、考えるまでもない。

「四季様!」

 声に振り返ると、通路の奥から赤髪を揺らし、駆け寄ってくる死神の姿。小野塚小町。私の信頼する部下だ。

「やっぱり、こちらにいらしたんですね!」
「……小町」
「あちらで見かけてから、大急ぎでこっちへ来たんです。ご無事で……!」

 心底安心したと言う様子で、小町が大きく息をついた。
 私は、無言で地下へ向かい、歩き続ける。
 小町は私と平行し歩きながら、怪訝な顔を向けてくる。

「四季様。どちらへ向かわれてるんです? こっちは術儀式なんかを行う……四季様?」

 小町が、私の前へと躍り出て、正面から顔を見据えた。
 その顔には、少しの疑念と険しさが垣間見える。

「……まさかとは思いますが、八雲の再組成の邪魔をしに行くわけじゃありませんよね」

 相変わらず、勘の良い娘だ。
 無言を肯定と受け取ったのか、小町は表情を厳しいものへと変え、大鎌の柄に手をかける。
 私はじっと、目の前の死神の目を見つめ返した。

「本気なんですね……四季様」

 そこで、小町は少しだけ表情を柔らかくして、微かに笑みを浮かべた。

「あたいはね、心の底ではとても嬉しく思っているんです。四季様をスカウトして数百年。貴方様は、誰もが心配するくらい仕事に熱心な方だった……いや、皆は熱心と言いますが、あたいはそれだけには見えなかった。ただ、物事の楽しみ方を知らなかっただけなんだ」
「……」
「でも、四季様はあちらで――そのメリーって娘と人間として過ごしてきて、物事の楽しさ、娯楽というものを知られた。三途で宇佐見蓮子としての四季様を見た時は、その魂をよく調べるまで、人間と信じて疑わなかった。今もそうだ。こんな激情を湛えた四季様を見れて、あたいは、嬉しくて仕方がないんです」

 小町はそこで息をつくと、また表情を厳しいものへと戻した。

「でもね……あたいには、今四季様がやろうとしていることを正しいと思えません。魂に貴賎はないと承知していますが、今回ばかりは、四季様の我侭と言う他ない。人間生活が長すぎて、閻魔の領分まで忘れたとあらば、是正してやるのが先輩としての勤めでしょう」
「……その通りよ。これは私の我侭。閻魔として有るまじき行為。それでも、私はあの子をどんな天秤にも、掛ける事はできないの!」

 私の叫びと同時、小町の大鎌が容赦の無い威力と速度を持って足元を薙ぐ。
 軽く跳躍すると、後方へと距離をとりそれを回避した。
 小町が大鎌を上段に構える。手の先から、獲物へと霊力が流れているのを感じる。
 彼女の得意技である、距離を無視した斬撃の前兆。
 私は懐に収めてある小型悔悟棒へ手を走らせると、霊力を注ぎ込み、防御へと備える。
 予想通り、大鎌が振りかぶらない内に、柄の先が消失する。
 消えた先の刃は、空間を超えて私の目の前へと出現する。

 霊力を集中させた悔悟棒を盾に、斬撃を受け止める。
 霊気同士がぶつかり合い、目も眩むほどに、激しく発光する。
 その強烈な一撃に、私の体は押し下げられ、腕はみしみしと悲鳴を上げた。
 顔を上げると、水平に大鎌を深く構えた、小町の姿。
 二撃目。空気を切り裂く霊力の刃が、地面すれすれをつき走り、私へと襲い掛かる。
 馬鹿正直な、正面からの攻撃。私は再度跳躍してそれを交わし、床へと着地する。

「――ぐぅッ!?」
「甘いですよ、四季様」

 体を激痛が走ると同時に、引っ張られるような強い力で、更に後方へと吹き飛ばされる。

――何処を斬られた! いや、何に斬られた!?

 痛みを感じるのは、両足のふくらはぎだ。
 脛を含む、体の前部分は無傷だ。後ろから切られた? なら何故、後ろへと吹き飛ばされたのか。
 傷を視認し、状態を確認する。
 前から、後ろへと流れる傷口。それを見て、私はことを理解する。

 小町の持つ、距離を操る能力。

 一度放った霊力による斬撃、その距離を引き戻し、再度私を切り裂いたのだ。
 私の体の中から外へと抜ける傷から、そう見て間違いない。
 距離を無視し、上下左右から斬り込むだけではなく、ピンポイントに対象者へ刃を挿し入れられる。
 目の前の死神は、やろうとすれば私の肌を裂かずに、心臓だけに刃を突き立てるのも可能なのだ。

「さすがに、手強いわね……そんな実力を持ちながら、舟守で収まっている、貴方の気が知れないわ」
「あたいは、霊と語らうのが好きなんですよ。だから尚更、のんびり舟漕ぎさせてくれる四季様に、閻魔を辞めさせる分けにはいかないんです」
「……もっと、貴方には手厳しくしておくべきでしたね」
「それこそ、今更ですよ」

 軽口を叩いてはいるが、大鎌を構える小町に隙はない。
 切り裂かれたふくらはぎは、霊力による防壁で止血している。
 だが、勿論痛みが引いたわけでも無いし、切れた筋肉が繋がったわけでもない。
 もう走ることはできない。飛んで攻撃をかわすなんて論外だ。この狭い通路では的でしかない。

 私は今まで、自分の力をほとんど戦闘に使用してきたことは無かった。
 戦い方も知識である程度にしか知らない。
 しかし、小町は私よりも長く冥界にいて、荒くれ者の多かった大昔の地獄の頃から働いてきた、猛者なのである。

 私の、白黒つける能力。
 月の賢者により、別の使い方もあるのだと気づかされた。
 そして今、この歴戦の死神を前に、自らの能力を駆使する以外に、勝ち目は無い。
 何か、考えなくては、この状況を打開する、方策を。

「四季様。あなたは、もう満足に走ることもできないはずだ。今のあたいの力を見て、まだここを抜けられると、お思いですか」

 私は全身へと、霊力を巡らせる。
 その動きに、小町は小さくため息をつくと、大鎌へと霊気を込め始める。

「暫くの間は、病院生活になると、覚悟してくださいよ……!」

 大鎌が振るわれる。
 迫り来る霊気の刃は、二連。
 刃は先ほど同様、途中でその姿を消す。現れるは、私と同座標。
 先を予期したのか、小町が辛そうに目を細める。しかし、次の瞬間その目を驚きに、大きく見開いた。

 甲高い、金属同士を打ち鳴らしたような音が響き渡る。
 私の体に、傷は無い。

「一体、何をしたんだ……?」

 驚愕のまま、小町は再度大鎌を構えなおし、斬撃を放つ。二連、三連、四連。
 そのどれもが、私の体に接触した瞬間、音を立て霧散する。
 それを見届けると、小町は今までよりも強い霊力を手へと集め始める。

「こいつならどうだ!」

 来るのは、大鎌を直接私の体へと叩き込む攻撃。
 刃が振り下ろされようとした瞬間、大鎌が大きく弾け跳び、天上へと突き刺さる。
 その激しい衝撃で、小町の指のいくつかはおかしな方向へと曲がっていた。

「くぅッ……四季、様……一体、何をしたんです……!?」
「賭けだったけどね……私の体を〝是〟とし、その大鎌を〝非〟としたのよ」

 一か八かだったが、上手くいった。
 私の白黒つける能力。
 展開する結界内において、自分の身体と他の物に白黒つけ、その是非を問うという応用。
 つまり体内へと進入、ないし接触する異物は全て排除される。
 規模にもよるが、霊力が続く限り防御することが可能。小町の大鎌攻撃には、まさに天敵と言ってよい能力に違いない。

「く、ははは! ……これはまた、たまげた力じゃあないですか……なるほど。こいつは分が悪い」

 小町はよろよろと壁際へと歩くと、それを背に座り込んだ。
 私は荒く息をついて、小町へと警戒の視線を走らせる。まだ、手を怪我しただけのはずだからだ。
 だが、小町の腕からの出血が多い。指を怪我した返り血にしては……

「小町!?」

 私は駆け寄ると、その状態を確認し息を呑んだ。
 小町の腕から肩に掛け、大きく傷が開いている。
 思ったよりも出血が少ないのは、私同様、霊力で止血を行っているからだろう。
 止血しても尚、この出血量ということは、傷口は太い動脈に達している可能性もある。

「……はは、は、さすがは四季様だ。あたいが見込んだ……だけの、ことはありますね」
「喋らないで。今、治療札を張るから!」

 小町の後ろを見ると、大鎌の先刃が突き抜け床へと突き刺さっている。
 私の体の中へと直接差し入れた刃部分が、激しく反発して空間を逆行し、小町の腕を切り裂いたのだ。
 懐から緊急時用の治療札を取り出し、霊力を込めて傷へと貼り付ける。
 小町は少しうめき声を漏らしたが、札の鎮痛効果が効いたのか、表情を楽にする。

「……あたいは、大丈夫です。伊達に、四季様より長く生きちゃあいないですよ……確かに、そんな力を持つ四季様なら、メリーと八雲のこと、なんとかしちまいそうな、気もしますね」
「ごめんなさい。こんな、大怪我を負わせてしまうなんて……」
「いいんですよ。あたいだって、四季様を同じくらい痛めつけて、動けなくしようと戦ってたんですから。まあ、逆に返り討ちになっちまいましたが」

 小町はそう言って、私の頬に手を当て苦笑した。

「ここまでの覚悟がおありなら、もう止めませんよ。まあ、物理的にも無理なんですけどね……さあ、ご友人の所へ行ってやって下さい」

 私は小さく頷くと、予備の治療札を小町へと手渡し、地下へ続く階段へ向かう。
 階段を下ると、三十歩程の長い通路が続き、また地下へ続く階段。
 これを数回経たところに、メリーがいるはずの地下結界施工の部屋がある。

 私は痛む足を引きずるようにして、地下へと下って行く。
 通路は、蝋燭が等間隔に据えられており、吹き込み口から入る風で揺らめいている。
 しばらく進むと、通路の先に何者かが上ってくる気配を感じた。
 息を潜め様子を伺っていると、相手の姿があらわとなる。
 今、最も会いたくない人物の一人。西行寺幽々子だった。過去に八雲と親しかった、亡霊の姫。
 後ろには、彼女の住む白玉楼の庭師であり護衛役でもある、魂魄妖忌の姿も見える。

「閻魔様! 来られるのが遅かったので、丁度迎えに上がろうと――」

 亡霊姫はそこで言葉を切ると、押し黙る。
 後ろにいた妖忌が、私の姿を認めると周囲へと注意を払いつつ、駆け寄ってくる。

「この傷、如何された!」
「大丈夫です。大事ではありません。私よりも、上の階にいる小町を介抱してやってくれませんか」

 従者の視線を受け、幽々子が首肯を返す。それを受け、妖忌は疾風とも言える速さで駆け出していく。
 その姿が完全に去ったのを見届けると、幽々子が私へと視線を戻した。
 冷たく、暗い無慈悲な目。

「閻魔様。私の見たところ、この先の儀式を中止させようとしているので、間違いはないでしょうか?」

 この亡霊姫は鋭い。言い逃れすることはできないと直感する。
 私は全身の霊気を集中させ、ことに備える。

「私に約束してくれたことは、偽りであったと。そういうことなのですね」
「どう言われようと、構わない。言を違えてしまったことに悪くは思うけど、これは譲れないことなのよ」
「……そう。でも、閻魔様――いえ、四季映姫ヤマザナドゥ、それは私が絶対に許さない」

 幽々子が手を掲げる。
 彼女の持つ、死へと誘う能力。勝負事において、これほど凶悪な力もない。
 しかし、私の白黒つける能力。この力で結界を張る限り、その能力の干渉を受けることは無い。
 私へと纏わりつく、死への誘い。私はそれを打ち消し、幽々子へと歩みを進める。
 その程度の力では、今の私を止めることはできない。
 幽々子は手段を変え、死誘いの力を固めた、反魂蝶を放つ。
 蝶も私へと触れると拡散して消えるが、さすがにその侵食強度も高く、私の霊力がごっそりと削られてしまう。
 次々に、反魂蝶を飛ばす亡霊姫。
 私も霊力を弾として放つが、するりと交わされてしまう。
 それに対し私は、満足に動かない足もあり、ひたすらに能力を使用し耐えるしかない。

「これを続けていれば、閻魔様は部屋へ辿り着くことはできないわ」

 彼女の言う通り、このままでは霊力をいたずらに消費するだけだった。
 私は、目へと霊力を集中する。
 最も多く、能力を使用してきた私の目。別世界で制限されていたとはいえ、最も使い慣れていた。

 幽々子は亡霊だ。その存在は不安定。どちらかへ天秤が傾いているのなら、付け入る隙がある。
 霊力を込めた魔眼による視線。それを受けて、幽々子が体をぐらつかせた。
 効果はある。しかし、反魂蝶を防ぐ手を緩めるわけにもいかない。
 一撃でももらってしまえば、まさに致命となるのだ。
 一方的に押される展開からは脱却できたが、膠着状態なのは変わらない。

 早く。メリーのところへ行かなくては。
 気が焦る。私の隣から運ばれた以上、儀式が開始されていてもおかしくない。
 少しでも早く、彼女のところへ行かなくては。

「おやおや。これは一体、どういった状況なのでしょうか」

 場違いな、明るい声が響く。
 ちらりと視線を向けると、金毛九尾の娘。
 演劇を楽しむ童女のように、膠着する私達二人を見て、楽しそうな笑顔を浮かべている。

「あなた、八雲の結合術はどうしたの?」
「儀式も、あと少しで終わりですよ。私はすることが無くなったので、あの中華娘の仕事が終わるのを待つのみです。せっかく、八雲の大妖が復活される大一番だと言うのに……亡霊嬢、閻魔様。何故二人が争っているのです?」

 九尾は、幽々子の後ろを通り、私のほうへと歩み寄る。
 何か不穏なものを感じるが、幽々子の攻撃を受け続けているのもあり、身動きは取れない。
 九尾へも反魂蝶が飛び火するが、結界を展開しているようで弾かれる。

「見たところ、閻魔様が儀式の邪魔をしようとしている構図、と受け取れるのですが正しいでしょうか?」

 私が黙って九尾を睨み付けると、了承と受け取ったのか、尻尾を震わせ彼女は大きく頷いた。

「何か理由があるのでしょうが……まあ、私としても止めさせる訳にも行きません。閻魔様も、少し錯乱されているだけなのでしょう」

 そう言って、九尾が何かしらの術札を私へと貼り付ける。しかし、私の能力により術札は唯の紙切れへと成り果てる。
 片眉を上げて驚いてみせる九尾。彼女は少し思案した後、懐から出した小石と紙札をばら撒き始めた。

「私がお二人のお手伝いをして差し上げます。こんなことはさっさと終えて、奥の部屋へと行こうではありませんか」

 九尾が手をかざすと、散らばった石と紙札が宙を舞い、私の周囲を包み込む。
 それと同時に、幽々子が放つ反魂蝶を結界で防ぎだした。

「亡霊嬢。攻撃をお止めください。もう、閻魔様は無力です」

 訝しげな視線を向けながらも、幽々子は攻撃を中断する。
 私が能力を使い、回りの石や紙札を取り除こうとするが、寸前で霊力がかき消されてしまう。
 少し離れた空間に、私の力を打ち消す結界が張られている。

「これは、式という技術です。閻魔様の力を中和するように組んだ回路で、周囲を包み込ませて頂きました。普段はこんな悠長に式など組めませんし、施工もさせてもらえないでしょうが、動きを止めていらしたので助かりました。さあ、亡霊嬢。八雲の復活は間近です。行ってやってください。この方は、私が安全に部屋へお連れします」

 幽々子は怪訝な視線を向けながらも、頷いて奥の部屋へと戻って行く。
 残された私は、結界で身を取り囲まれ、満足に身動きもできずにそれを見送るしかできない。

「さて、閻魔様。その状態で、向こうに行っても邪魔立てはできないでしょう。私達も行こうではありませんか」
「貴様……何を企んでいる」
「おや、やはり閻魔様は、何か勘付いていたか」

 九尾は眼を細め、口元を吊り上げて笑う。
 この狐。やはり何か策を弄している。
 大熊勇儀に連れられ見た時から、何かしらを腹のうちに隠している気がしていたが間違いない。
 閻魔である私が、少し怪訝に思った程度の違和感。他の者で、気づいているものは無いに違いない。

「はじめから疑われていたのには、気づいていましたよ。ただ、疑念の確信を持たせてしまうことは無いだろうと、放置していました。良いでしょう。この状況ですし、今更閻魔様の言を信ずるものも無い。お教えします。私は八雲を操るつもりです」

 九尾は笑みを深めると、愛おしそうに奥の部屋へと視線を向けた。
 そして、手をかざし、霊力で私の体を持ち上げる。

「魂魄結合の際に、少し細工を施しましてね。それを穴に八雲の繰る術式を起動するのです。大丈夫、この郷の結界などはきちんと張らせるつもりですから」

 九尾に連れられ、結界術施工部屋に入る。
 中は暗い。中央が青白く照らされており、その周囲に数人の人影。
 人影は亡霊姫と大天狗だ。部屋中央の様子を見守っている。
 幽々子は私へちらりと視線を向けたが、すぐに中央の光の方へそれを戻した。
 中央奥の壇の上に、寝かされた少女の姿。あの世界と寸分違わぬ姿のメリーが、横になっていた。
 そのすぐ横には、赤髪の中華服を着た女が手を動かしている。顔に玉の汗を浮かべ、必死に何かを繰っているようだ。
 メリーの体は柔らかな光で包まれ、胸の上辺りに、白黒の輝く玉が浮かんでいる。八雲の概念存在を封じ込めた陰陽玉だった。

 あれが、合わされてしまったら終わりだ。私は叫ぶが、どういう訳か声が出ない。
 隣の九尾が私へと視線を向けて、口元に指を立てた。私を包み込む結界が、声を相殺しているのだ。

 やめて……

 赤髪の女が、陰陽玉から溢れる光の流れを練り上げ、太く濃い糸束のように結い上げる。
 そしてその糸房をメリーの体へと、次々埋め込んでいく。

 やめてよ……

 陰陽玉から発するほぼ全ての光をそうして埋め込むと、玉は光で完全に包み込まれる。
 そして、それが徐々にメリーへと近づいてゆき、体の中へと沈み込んでいった。

 やめなさいよ――!!

 部屋がメリーから発せられる光で、埋め尽くされる。
 光が引いた後、メリーのいた場所に、黒い目の塊が蠢いていた。
 塊が収縮すると、霧が晴れるように拡散していった。残ったのは、先ほどと同じメリーの姿。
 白服から、紫色の物へとそれを変えていた。
 慣れ親しんだ、メリーのワンピース。
 もしかしたらと、微かに希望が胸に灯る。食い入るように、その姿を凝視しているとメリーの瞼が震えた。
 ゆっくりと、その目が開かれる。
 ぞくりと感じる、強烈な違和感。




 メリー、じゃない。




 過去に見た、メリーではない何者かの目。
 私の全感覚をもってしても、そこにメリーの残滓を見る事はできなかった。
 少女は壇を降りると、居合わせる面々の顔を見渡した。

「あら、貴方は知ってる気がするわ。ええと、天狗……だったかしら」

 大天狗へとそう声をかける。
 大天狗が困惑しながらそうだとを返すと、少女はもう興味をなくしたように、隣の亡霊姫へと歩み寄る。

「貴方も知ってるわ……――幽々子、よね?」
「ええ、そうよ。おかえりなさい――」

 そこで亡霊姫が言いよどんだ。その様子に少女は小首をかしげ、自らと亡霊姫を交互に見やった。
 そして、何か納得したように微笑んだ。

「名乗ってなかったわね。私はムラサキと書いて、紫。八雲紫と名乗りましょう。改めてよろしくね、幽々子」
「……おかえり、紫。……けど紫だなんて、その服から取った名前かしら。それとも、昔の冠位の色から? 今まで名など持とうとすらしなかったのに」
「どっちでも良いじゃない。そんな気分だから、そうしたのよ」

 笑う八雲と、困惑した様子の幽々子。その二人に、笑みを貼り付けた九尾が歩み寄る。
 いけない。あの狐は、八雲の魂魄に細工した術式を起動するつもりだ。
 しかし、今の私には体を動かすことはおろか、声を発することも許されてはいなかった。
 そしてそれ以上に、絶望が重くのしかかり、あらゆる気力が挫かれてしまっていた。

「これはこれは、お初にお目にかかります。八雲紫様。私は、貴方様の再組成のお手伝いをした者です。この度は、世界の顕現おめでとうございます」
「あら、それはありがとう。とても助かったわ」

 九尾が笑いながら、手を差し出す。
 八雲はそれに応え、同じように手を差し出した。その両者が触れると同時、九尾の手が激しく弾かれる。

「ッくう!?」

 九尾の手は黒く煤け、黒煙が立ち上っていた。肉の焼けるような、嫌なにおいが辺りに漂う。
 驚愕に顔を歪めた九尾は、目の前の少女から身を離すように飛び退った。
 八雲は九尾を静かに見つめていたが、何かに思いついたように、笑って両手を打つ。

「ああ、もしかして忘れ物? ちょっと待って頂戴ね」

 そう言う八雲に、九尾は警戒したままその動きを注視する。
 八雲は自らの胸を指差すようにすると、何を思ったかその指をずぶりずぶりと、体の中へ埋めてゆく。
 手首までそれを埋め入れ、一気に引き抜く。
 引き抜かれたその手の先、人差し指と中指の間に、何か小さなものを挟んでいた。

「これでしょう。とても、興味深いものだわ。なんていうのかしら、この回路は?」

 紫は特に何をするでもなく、口元に笑みを浮かべ九尾を見つめている。
 次の瞬間、表情を険しくしていた九尾の体が、青い炎で包まれる。
 それは一瞬で九尾の体を完全に包み込み、後には何も残らなかった。

「逃げたわね」
「紫、何なの? 今の九尾はどうしたの?」

 隣にいた幽々子が、状況が掴めずにいるのを見て、八雲は苦笑して鼻を鳴らした。

「あの狐は、私に細工をしていたのよ。傀儡にでもしようと思ったんでしょうけど、失敗したの」
「逃がしてしまって良かったの?」
「そうねぇ、追ったほうが良かったかしら。何か面白い技術も持っているようですし、それを教えてもらうのも楽しそうね」
「……なんだか、紫、丸くなった? 昔の貴方なら……」
「何よ。太ったって事? この体を用意した人に言ってくれないかしら。何でか、姿かたち変えることもできないのよ?」
「いや、そういう意味ではなくてね……」

 不機嫌になる八雲に、幽々子は困ったような視線を向けている。
 事を見ていた大天狗が、大きく溜息をつくと中華服の娘を伴い部屋を出て行く。
 途中、何か託があれば部屋に放った使い魔を通してくれと、私に伝える。
 私はそれに、脱力する体に力を入れ返事を返した。
 声が出せる。
 体が自由になっている。私の周りを浮遊していた小石や紙札は、とうに地面へと落ちていたようだ。
 九尾が逃げ、結界が解除されたのだ。
 しかし、今更体が動くようになったところで、もうメリーは八雲として復活してしまっている。
 それでも、私の体は自然とメリーであった少女へと、歩み寄っていく。

 近づく私に、八雲と幽々子が視線を向ける。
 幽々子が、ばつが悪そうに私から視線を逸らせた。
 邪魔立てしないのは、今更どうにもならないことを知っているからか。
 それでも、私は問わずにはいられなかった。
 それが、絶望を決定づける言葉だとしても。

「何かしら。ずいぶんと、満身創痍なお体みたいですけれど、大丈夫?」
「……メリー。私よ、蓮子よ」

 私の言葉に、目の前の少女はすっと目を細め、少し思案した後に苦笑した。

「ごめんなさい。聞こえていなかったようね。私は、八雲紫よ」
「……」
「貴方が、閻魔様よね。この計画の責任者なのでしょう? 一つ、お願いしてもいいかしら。何やら、悪戯をした狐がいたようなのだけれど、それの所へ行っても良いかしら。少しお灸を据えるついでに、調べたいことがあるのよ」

 私はひざの力が抜け、床に座り込んだ。
 薄く、笑いが漏れる。
 視界の端で、怪訝な顔を向けている八雲が見える。
 けど私は、ただただ、笑い続けるしかできない。
 
「紫、行きましょう。閻魔様はお疲れの様子。貴方に頼みたかったことは、私も聞いているわ。その説明をしましょう」
「ええ……」

 二人が部屋を出て行く。
 部屋には、私一人残された。
 笑いがやがて止まり、静寂に包まれる。

「……メリー」

 私は一人、暗い地下室で涙が枯れるまで、泣き続けた。
















 月明かりの下、縁側に座る二つの影。
 白州は月の青白い光と冥界の霊気を含んだ空気に触れ、海のように揺らめく。
 定期的に、サクリ、サクリと響く音。
 ここ白玉楼が主、西行寺幽々子が落雁をはむ音である。
 隣には足を組み頬杖をついているその友人、八雲紫の姿があった。

「何だか、浮かない顔してるわね、紫」
「あらー、分かる? 最近なーんか、やる気が起きないのよねぇ」

 幽々子は隣の友人を心配そうに見つめる。ここのところ紫は気が抜けたように、呆けていることが多かった。
 最後の落雁を食べ終えると、幽々子は空の月へと顔を向けた。
 つい半月ほど前、二人は知人を誘い、月の姉妹の所から持ち帰った古酒にて宴を開いた。
 その後からだろうか。紫は特に何をするでもなく、幽々子のところを訪れては、ただただ時間をつぶすということを繰り返していた。
 それ自体は、前から時折あったのだが、最近はその頻度が多い。
 そして、いつもならば話題の一つや二つ持ってくるのだが、近頃はそれすらもなくなっていた。

「月への鬱憤を晴らして……目標がなくなっちゃった?」
「そんなことは無いんだけどねえ。まだまだ、この郷を楽しくしていきたいってのもあるし……なんなのかしらねえ?」

 あふんと息をついて、大の字に寝そべる紫。

「何か心当たりは?」
「うーん。強いてあげるとすれば、外界を見て回った、とかかしら」
「あら、凄くそれが原因ぽい感じがするじゃない。なんでまた、外界なんて回ろうと思ったの」
「なんでかしら。雑用で外界に行ったんだけど、ふといつも以外の場所もまわりたくなったのよ。それで、ふらふらーっと」

 紫はそう言いながら、寝たまま転がって幽々子のひざに顔を乗り上げた。
 幽々子は落雁を掴んでいた指先を手布巾で拭うと、紫の髪へと指を走らせた。
 手櫛を入れられ、スキマ妖怪は気持ち良さそうに目を細める。

「ふらふらーっとねぇ……」
「でも、外を見て回ったからって、やる気が無くなるだとかの理由にはならないでしょう?」
「なるんじゃない? じゃないと、この不満顔の説明がつかないわ」

 そう言って、幽々子は紫の頬を両手で包み込むように、ふにふにともてあそぶ。

「ふぉっふぉぅ、ふゅふゅふぉ、やふぇやふぁいよぅ」
「あーん、紫のほっぺ、私が今まで食べたどんな御餅よりもいい手触りだわぁ」
「ふぉぅ! やめなさいったら!」

 紫は幽々子の手から逃れるように、顔を下へと向きを変え、頬を弄ばれたお返しとばかりに、亡霊姫の尻を軽くつねり上げた。
 幽々子が小さく悲鳴を上げる。そして、うっすら涙を浮かべながら、自分の尻をさすった。
 屋敷の奥から、従者が何事かと声を発し駆けてくるのに対し、怒気の混じった声で茶請けのおかわりを要求する亡霊姫。
 焦り上ずった声で返事を返した若い従者に、紫は悪く思いながらも軽く笑みを浮かべる。
 しかし、少し高ぶった気持ちも、すぐにまた落ち込んでしまうのだった。

「うーん。このもやもや、嫌だわ……」

  幽々子は自分のひざで不機嫌な様子の友人に、小さく溜息をついた。

「それは、動けなくなってしまうほどなのかしら?」
「別に、そこまでじゃないけど……」
「仕方ないわねえ。昔の友人との約束もまだ、有効なのかしら……ともすれば、お手伝いしないとよねぇ」
「何の話よ? 相変わらず、幽々子は回りくどい言い方が好きよね」
「昔の友人に、そう言われたのよ。人生、回りくどくて何ぼだってね」
「面倒くさいやつもいたものね」
「ほんとにね」

 幽々子が苦笑すると、視線を上へとあげた。紫もその視線を追う。
 廊下の先から、妖夢が茶請けを持って歩いてくるところだった。
 紫は一瞬で姿を正し、扇を手に座りなおした。

「あれ、いま紫様が幽々子様に抱きついていたような……」

 怪訝な視線を向ける妖夢に、紫はふふんと笑って見せた。

「私は、境界の妖怪。見るものによって、その姿を変えたりするのよ? ……だから妖夢、もしあなたにそう見えたのなら、それを貴方が望んでいるから、ということになるの」

 危うく持ってきた茶請けをぶちまけてしまいそうになりながら、妖夢が耳まで真っ赤にして弁明を始める。

「わ、私は膝枕してもらいながら腰に抱きつきたいなんて……! そんな、子供のようなこと――本当に見えたんです、紫様が、幽々子様に抱きついていたんです! でも、私はそんなことは……決して、えっと、少しなら……いえ! そこまでは思ってません、絶対です!」

 くすくすと笑う幽々子と紫。それを見た妖夢が、自分がからかわれていたことに気がつき、目を閉じ黙り込む。
 耳は真っ赤なままだ。

「妖夢はほんと、素直ねえ……」

 妖夢は茶請けを置くと、怒ったのかそのまますぐに、背を向けて戻っていく。
 だが途中で立ち止まって、振り返った。明らかな不機嫌顔である。

「幽々子様、紫様。今日は少し気をつけた方が良いかもですよ。さっき買い物している時に聞いたのですが、閻魔様がお休みで、あちらこちらを散歩しているそうですから」

 そう言うと、またつかつかと機嫌悪そうに歩いて行ってしまった。

「もう、紫ったらうちの妖夢いじめちゃダメよ。紫には、藍がいるじゃない」
「藍ってば、最近だといじろうものなら、逆に説教してきちゃう始末なのよ。とてもじゃないけど、いじるのは無理だわ」
「あら、そうなの?」
「そうなのよ。あの子、初めの頃は愛を知らぬ孤高の妖怪って感じだったじゃない? 私のひろーい心の器に触れて、それはもうメッロメロだったのに……どうして、こんなことになっちゃったのかしら」

 幽々子は、当時の紫と藍を思い出し苦笑した。
 藍が何処へ逃げても、目の前に姿を現す紫。
 どんな攻撃を仕掛けようが、その技術を鸚鵡返しに、しかも強化応用を加え返してくる紫に、藍はプライベートも自尊心も粉々に打ち砕かれた。
 今まで、その強さゆえに孤独であった彼女が、強大な力を持つにも関わらずどこか抜けている紫へ依存してしまったのは、最早必然であったのだろう。
 八雲の姓を受け従者となった藍は、それはもう人が変わったように紫へと甘えるようになった。
 しかし、それは先ほど紫が言った様に、ある日を境に今のような状態へと落ち着いたのだ。
 それはいつだったか。その前後に、藍が言っていた言葉を幽々子は思い出した。

『紫様のことは、誰よりもお慕いしています。けど……紫様の心は、違う誰かへと向いているのです。私はどうやっても、その見えない誰か以上の存在には、なれそうにありません。紫様の誕生の瞬間から立ち会っているはずなのに、これは一体どういうことなのでしょうか?』

 涙を湛え、藍が語ったその言葉。
 その時は、思ったものだ。その誰かとは、私なのではないかと。
 それまで、紫の寵愛を一身に受けていた藍に、少しの嫉妬があったのかもしれない。
 そして、どうやらそれは自分でもない様である。
 悔しい事だが、もう潮時なのかもしれなかった。

「それにしても、閻魔様がうろうろしてるんじゃ、うかつに外に出れないわねぇ」

 紫のその言葉で、幽々子の意識は舞い戻る。
 閻魔。いつからか、紫はあの閻魔を避けるようになっていた。
 今までは、特に気にしてはいなかった。
 あの閻魔の白黒つける能力と、紫の持つ境界を操る能力の相性が悪いからだと思っていたが、それだけではないのかもしれない。
 良い機会だし、直接質問してみることにしよう。
 幽々子はまた自分のひざでくつろぎ始めた友人に、視線を向けた。

「そういえば紫は、どうしてあの方の事が苦手だったのかしら?」
「……別に、特に理由は無いわ。説教されても厄介だし」
「それだけ?」

 幽々子が一つ踏み込んで尋ねると、紫は視線を逸らせて不機嫌な顔になった。
 意識してそうしたわけではないだろう。何か、考えあぐねている様子である。

「あとは……あの方の私へ向ける目が、どうしようもなく嫌いなのよ」
「どんな目なの?」

 幽々子が興味深げに紫の表情を伺っていると、紫が億劫そうに顔をそむけた。

「……哀れむような、何か憐憫を含んだ目を向けてくるのよ。それよりも、幽々子こそあの方のこと、苦手にしてるでしょ。どうしてなのよ?」
「そうねえ。私は一度……奪い取っちゃったから、後ろめたいのかしらね」

 そう幽々子が呟くと、紫は不思議そうにその顔を見上げた。

「……相変わらず、回りくどい言い方するのね。この私にすら全く見当がつかないのだから、幽々子ブレインのキャパシティが恐ろしくてならないわ」
「あら、そのままなのだけれど」

 そこで、二人とも押し黙ってしまう。
 静かな夜の風音だけが、流れ過ぎる。
 幽々子は、目を閉じ大きく息を吐き出すと、何かを諦めたように笑った。

「ねえ紫。あの方に会ってきなさいな。丁度お休みで、こちらに出向いてきてるみたいだし」
「ちょっと……本当に、話の道筋が見えないわ。なんで気分悪いときに、悪化させるようなことしなきゃならないのよ?」
「もやもやと、はっきりしない悩みを抱えているのでしょう。白黒つけるあの方が、解決には適任だと思わない? それに、何かしらの強い感情を持つ相手と言うことは、相応の理由があるはずなのよ?」
「気が乗らないわね……」
「良薬は口に苦しよ」

 まだ何か食い下がろうとする紫だったが、辛そうに微笑む幽々子の顔を見ているうちに、反論するのを諦めた。

「はあ……まあ、私のベストフレンドである幽々子がそう言うのなら、試してみるのも一興かしらねぇ」

 紫の言葉に、幽々子は悲しげな顔で紫を見つめ返した。その顔を見て、紫は困ったように苦笑する。

「もう、何なのその顔は。今日の幽々子、本当に言動が理解不能よ?」
「……そういう日もあるわ」
















「は~あ。暇ねぇ……折角の休暇なのにねぇ……何をやってるのかしら、私」

 冥界の河川敷で、一人川を見て溜息をついている閻魔、四季映姫。
 同僚の閻魔に、今月ちょっと大目に稼ぎたいから仕事一部譲ってくれないか、などという前代未聞の頼みを受け、急遽発生した一日休暇。
 小町を誘い、どこか遊びに行こうかとも考えたのだが、サボりのツケで自由取得の休日は全て使い果たしてしまっていた彼女を誘うことができなかった。
 せっかくの休みだったのに。昔は真面目な娘で、頼れる先輩のはずだったのだが。
 また大きく溜息が漏れる。小石を拾い上げ、川へ怒りと共に投げ込む。
 ぽちゃん、という音を期待していたのだが、聞こえてこない。
 視線を上げると、投げた石を手に持った女が、目の前に佇んでいた。

「閻魔様。お暇していまして?」

 目の前にいたのは、スキマ妖怪、八雲紫だった。
 映姫は、心臓が飛び出してしまうのではないかと思うほどに驚いたが、どうにか平静を保ち答える。

「……ええ、そうですが」
「ええと……その、お暇でしたら、少しご一緒しませんか」

 どういった風の吹き回しだろうかと映姫は訝しむ。
 今まで自分を避けていた八雲紫が、何故突然目の前に現れたのか。
 それ以上に、個人的な感情から、あまり一緒にいたくない相手だった。

「閻魔様って、幻想郷外のことも知ってらっしゃるんですよね? 私、最近外界をまわる機会が多いのです。けど、……あれでしょう。外の世界の話ができる相手って、この幻想郷ではそう多くないじゃありませんか。だから、そのお話でもどうかなと思いましたの」
「そう……ですか」

 紫は川沿いの少し先を指差す。
 その先にある、茶屋で話でもということだった。
 映姫は気分が乗らなかったが、理由も無く拒絶するのも悪いと思い、少しの間ならと付き合うことにした。
 茶屋に着くと、屋外に据えられた長いすに腰掛け、二人分の茶と団子を注文する。

「あの、外の世界じゃ、結構前に京都が首都になったそうですのよ。閻魔さま知ってまして?」
「……そう、なんですか」

 その言葉に、映姫はびくりと身を震わせた。
 紫はそれに気づいた様子は無く、川へ視線を向けて続ける。

「その京都なのですが、○○という学府がありましてね」

 映姫は一瞬目を見開き紫を見た。そして、気が付かれる前にその顔を平静に戻す。
 しかし、その胸の内は激しく動揺していた。紫が挙げた大学は、まさにメリーと蓮子が通っていた大学だったのだ。
 宇佐見蓮子として過ごした世界は、この世界を基盤とした揺らぎの世界。
 だから、似たものがあってもおかしくは無い。

 実際、映姫は自分が通っていたものと同位置、同名の大学が誕生しているのを知ってはいた。
 しかし、自分の管轄でない地域であり、メリーとの記憶を思い出してしまう可能性がある場所など、見たくも無かった。
 だから、その周辺の事象については、必要としない限り情報を遮断してきたのだ。
 それなのに、八雲紫がその場のことを語る。
 よりにもよって、メリーと同じ姿で、それを語るのだ。

「まあ、私からすれば、児戯にも等しい学問所なんですけど。それなのに、見て回っていたら、不思議と楽しいんですのよ。そこの人間達が馬鹿馬鹿しいのか……理由は判然としないのですけれど」
「そうですか。……あの、すみませんが少し用を足してきても良いでしょうか」
「……あ、はい。どうぞ」

 映姫は立ち上がると、茶屋の奥へと入っていく。
 紫は、そんな映姫の面持ちを見て、怪訝な顔をしてその後ろ姿を見送った。



 紫は茶を一口飲むと、先ほどの閻魔の顔を思い出して考え込んだ。
 何か、気に触ることでも言っただろうか。
 会話内容を思い返して、自分が妙に饒舌になっていたのに気づき、はっとした。
 ちらりと閻魔が入っていった茶屋の方へ視線を向け、軽く頭を振る。
 
 やはり、あの閻魔は苦手だ。一緒にいると、何故か普段の自分を見失ってしまう。
 何か心を見通す鏡だとか、何かしらの道具や能力の干渉を受けているのではないかと思い接触を拒んできた。
 そして何より、あの顔。私を見ると見せる、あの表情がとてつもなく嫌なのだ。
 あんな顔は見たくない。見ていたくない。意味不明な感情で、頭がいっぱいになる。
 正常な判断ができなくなる。
 だから、可能な限り会わないようにしていたのだ。

 今日だって、幽々子に言われて、あの閻魔と会おうとか結構長く考えたのだが、結局会うのはやめた。
 そして、陰鬱な気分のまま一人で外界へと足を伸ばしたのだ。
 その後、考えもなしに外界の学府を見ていたら、無性に――何故か、あの閻魔が気になって仕方がなくなった。
 そして、現在に至るというわけである。

 学び舎という場所に、生真面目な閻魔が似合いそうだったからだろうか?
 いや、そんな理由ではない。それならまだ、人里の寺子屋の半獣の方が適任だろう。
 なら、なんだというのだろうか。
 わからない。
 このもやもやとした、名状し難い感情は、いったい何なのか。

「なんだか、浮かない顔をされてますね」
「え?」

 戻ってきた閻魔にそう問われて、おかしな声を出してしまう。
 普段から相手に感情を読み取らせないようにしているが、この閻魔にはそれすら通用しないのか。
 しかしだ。

「閻魔様こそ、おかしな顔されているじゃありませんか。前から思っていたのですが、その……私と会うと見せる、今にも泣き出しそうな顔、やめてくださらないかしら? 私を何か、哀れんでいるとでも言うのですか」
「……そんなつもりは……私、そんな顔をしているのですか」
「してますわ。他人に白黒つける暇があったら、まず御自分に能力を使ってみたらどうかしら」
「……」

 気持ちがざわついて、つい刺々しい物言いになってしまう。
 本当にどうしたというのだろうか。
 だが、だからこそ分かったこともある。

 最近の、憂鬱な気分を解く鍵を何かしら、この閻魔が持っているのではないかという直感だ。
 ここまで私の感情を揺さぶるのだ。幽々子の言ったとおり、何かしら理由があるに違いない。
 この閻魔に、白黒つけてもらうというのはどうだろうか。
 意味不明な、このもやもやな気持ちの正体がわかるかもしれない。
 そうだ。きっとこの閻魔に会いたくなったのは、この気持ちをはっきりさせてもらおうと言う、考えの下だったに違いない。
 紫は何故かその考えに、強く惹かれるのを感じた。

「ねえ、閻魔様。一つ、お願いをしてもいいかしら?」
「お願い? 私が貴方にできることなど……」

 映姫が何か警戒するように、紫の顔を怪訝に見つめた。

「閻魔様の能力を少し、私に――」
「ダメです!!」

 突然、激しい剣幕でそう言い放った。
 そんな映姫に、紫は肝を冷やされた思いで、目を白黒させる。

「……え、えっと、そう……ですか」

 紫は、何とかその言葉を返して呆然としていると、ふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。
 何故私が、ここまで邪険に扱われなくてはならないのか。
 普段から妖怪と接触していないならまだしも、この閻魔は時折現界や冥界に来ては、他の妖怪にも気さくに話をしていたはずだ。
 いいだろう、そこまで私を嫌っているというのなら。

「では、今日一日私をエスコートして下さいますか、閻魔様?」
「ええ!?」

 頓狂な声を発する閻魔に、紫はいい気味だと口元を吊り上げた。
 映姫は焦ったように、視線をさまよわせる。
 何か断る言い訳を考えているのだと、紫はすぐに察する。

「わ、私の休みは、今日一日だけなのですよ」
「あら、そうですの」

 逃してなるものか。休みが今日だけだというなら、なおさらだ。

「この幻想郷でも、一、二を争う黒幕候補、八雲紫にお得意の説教を下す、良い機会なのではないですか?」

 映姫は黙りこくって、虚空を睨んでいる。
 少々の天邪鬼で通る紫の心に、火が点る。

「私、知ってましてよ。閻魔様は休みの日に人や妖へお説教をなさったり、きちんと教えを守っているか、確認に行くのが趣味だと聞いております」
「ええ……まあ」
「それなのに、同じ妖怪である私は差別するのですか。それが、公明正大と言われる閻魔様のすることですか」
「……」

 閻魔はため息をついて、諦めの視線を紫へと向けた。

「分かりました。いいでしょう。少々お付き合いします」








 映姫と紫の二人は、外界のビル屋上に降り立っていた。
 時は夕暮れ。日はもう暫くもすれば、地平線へと沈むだろう。
 京都のビルである。
 文化的外観制限が厳しく、三階建て程度の家屋の屋上であったが、同じく周囲の建物も低いため、十分街並みを見渡せた。
 映姫は、人として見知ったその景色を感慨深い思いで眺めていた。

 紫が映姫へと歩み寄ると、このままの姿だとまずいだろうと言って、スキマを開く。
 映姫の姿が一瞬、完全にスキマへと包み込まれた。
 スキマから出た次の瞬間には、映姫の着ていた衣服が閻魔の正装から、軽いラフなものへと変化している。
 白黒二色を基調としたモノトーンの服装。白いブラウスの上に黒いカーディガン。そして、黒いセミタイトスカート。
 紫に渡された鏡で確認すると、緑がかった髪の色も、黒く染まっている。
 映姫は身を震わせた。その姿は、まさに宇佐見蓮子そのものであったからだ。
 
 白黒大好きな閻魔様に、ぴったりなチョイスでしょう。
 散々嫌な目で私を見てくれた閻魔様には、冠位においても最低位の色で十分ですわ。

 そう悪戯っぽく笑う紫の姿は、幻想郷で着ていた装飾の多いものから、シンプルなものへと変わっている。
 そしてそれは、まさに。

 慌てふためく八雲紫。突然、映姫が泣き出したからだ。
 静かに声を押し殺し、両手で顔を覆う。だが、目からはとめどもなく涙が溢れ出る。
 止めようとしても、どうしても止まらなかった。

 二度と見ることが叶わないと思っていた光景が、目の前にあった。
 何の運命か、因果か。
 赤く染まる京都の街を背景に、最高の友人であったメリーの姿がそこにはあった。

 嗚咽する映姫に、紫は困ったように言う。
 そんなにこの服が、気に入らなかったのか。
 そこまで傷つけるつもりは無かった、私としては似合うと思ったのだと。
 映姫はその涙を拭うと、笑って言った。
 私も貴方も、最高に似合った服であると。

 気を取り直して、二人は京都の街を歩いた。
 街を闊歩する牛の警備ロボに、白い目を向ける紫。
 途中、映姫が頼んで立ち寄った店で、帽子を二つ購入した。
 紫にはふわりとした白い帽子を。映姫は、つばの広い黒帽子を。
 購入時に、外界の金銭を持ち合わせていないのに気がついた映姫が、紫に笑われながらお金を立て替えてもらった。
 思ったより、センスが悪くないと紫に褒められて、映姫は苦笑した。

 喫茶店へと立ち寄った二人は、取り留めの無い会話をする。
 そこでも一度、会話の途中に何か感極まったように目を赤くし鼻をすすり上げる映姫の姿があったが、紫は特に何か問うでもなく微笑み見ていた。
 映姫が注文して出てきたコーヒーに、紫は少し渋い顔をする。
 私はお茶や紅茶の方が好きなのよという彼女に、映姫は笑って見せた。
 そして何を思ったのか、映姫が紫のコーヒーへと砂糖を大量に投入し始める。
 ティースプーンで一杯、二杯、三杯、四杯、五杯、……十三数えたところで、やっとそれが止まる。
 そして更に、ミルクを三個追加投入されたそれを見て、顔を引きつらせた笑みを浮かべる紫。
 映姫は大丈夫だからと言って、強引にそれを勧めた。
 嫌々それに口をつける紫だが、目を丸くして驚いた。何故か意外にも、そのコーヒーが気に入ってしまったのだ。
 狐につままれたような顔をして、コーヒーと映姫の顔を交互に見やる。
 そんな紫に、映姫は苦笑してなんとなくそういうものが好みだと思っただけよ、と返すのだった。

 喫茶店を出ると、外はすっかり日も沈んでいた。
 気温は下がり、風が少し肌寒い。
 とりあえず、喫茶店で追加注文したコーヒーを手に持ち、公園へと向った。
 街の中心近くに据えられた、空中公園。
 ベンチには、カップルらしき姿もチラホラ見える。
 紫と映姫で腰掛けていると、紫が少し恥ずかしそうにそれへと視線を向けているのを見て、映姫は紐を取り出して後ろ髪を結い上げる。
 こうしていれば、遠目からなら普通のカップルに見えるかもしれないと映姫が冗談めかして言うと、紫はさらに顔を紅潮させて文句を言った。
 公園から見えるセンター街の明かりを眺めていると、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
 紫がスキマから傘を取り出し、さし開く。
 眼下の通りも、色とりどりの傘が開かれている。
 時代は進んでも、傘の形だけは変化ないと笑いながら、二人は公園を後にした。

 少し歩くと、横風も強くなってきて、さした傘だけでは雨が防げなくなってくる。
 濡れた服と夜の秋風が相まって、体が徐々に冷えていった。
 紫はまた少し悪戯っぽい笑みを浮かべると、住宅街へと入っていく。
 とあるマンションの前に着くと、スキマを開いてその中へと進入する。
 どうやら、このマンションは新築のモデルルームのようだった。
 家具など一式そろってはいるが、人の入居はまだ無いようだ。
 しかし入居が近いのか、水道ガス電気もすでに通っている。

 紫はカーテンを閉めると、明かりをつけた。
 部屋が明るくなると、映姫は息を呑んだ。その部屋の構造に見覚えがあったからだ。
 懐かしい、人として長く過ごした我が家とほぼ変わらない間取り。
 また泣き発作かと紫にからかわれ、映姫は込み上げそうになる感情を何とか押さえ込んだ。
 映姫が突っ立ち部屋を見つめていると、後ろからドンと何かを押し付けられる。
 見ると、大きな土鍋を持った紫の姿。映姫はそれを受け取ると、呆れ顔で火にかける。

 お先にと言いながら、風呂まで勝手に借り出した紫を見て、映姫は大きく溜息をついた。
 映姫が卓に並べられた皿へと鍋を取り分けていると、風呂から紫が出てくる。
 何処から用意したのかバスローブ一枚の紫に、スキマから服を出せばいいじゃないかと映姫が言う。
 それに対し、それだとムードが無いでしょうと紫が返すと、土鍋を取り出した本人がそれを言うかと映姫にさらに呆れられた。
 土鍋の中身は、幻想郷ではあまり食べる機会の無い海産物だった。

 紫は、スキマから酒を取り出すと、グラスにそれを注ぐ。
 片方を映姫へと渡すと、二人の始めてのデートに乾杯と言って、一気に呷った。
 映姫もそれなりに酒には強かったので、紫にあわせ一気に呷る。
 胃を焼くような感覚。鼻を抜け、焼きあがるような酒の強さに、映姫は一気に目が回ってくるのを感じた。
 見ると、紫のグラスからは、酒が一口分しか減っていない。あちらは、大きな氷のロックがグラスを満たしていたのだ。
 やられたと言いながら、映姫はふらつく頭で紫へと悪態をつく。
 閻魔もそんな悪態がつけるのかと、紫は変なところで感心し、悪気も無い様子で笑い続ける。
 不機嫌だった映姫も、そんな紫に当てられたのか、自身も楽しくなってきて笑い出す。

 二人で部下がどうだの従者が優しくないだの話していると、不意に映姫が静かになった。
 紫はその視線を追って、自らの肩へと向いているのに気がつく。
 バスローブがはだけてしまっていた。紫は頬を羞恥に染めて閻魔に文句をたれようと口を開くが、その顔を見てやめる。
 もう一度視線の先を手で触れ、はっとしたように紫は苦笑をもらした。

「ああ、この肩の傷ね。どんな姿になっても、いくら消し去っても、気がつくとこの通り元に戻ってるのよ。呪いの類だとは思うけど……悪影響と言えば、美しい私の肌を汚している位のものだから、放置してあるの」

 記憶に無い傷痕だから原因をたどって解呪すこともできないし、ほんと困ったものよと笑い続ける紫に、映姫は表情を消した顔で黙して見つめるだけだった。
 紫が気まずくなって自らグラスへと酒を注ぐと、映姫が呟いた。

「消したいですか、その傷」

 紫はさすがに閻魔様でも無理でしょうと笑い飛ばそうとしたが、鋭い閻魔の視線に射抜かれて、続きの言葉が出なかった。
 呼吸が止まったように一度咳き込むと、慌てたように答える。

「……い、いいわ。消さなくていい。こんな、しょうもない事で閻魔に借りなど作りたくないから」
「そうですか」

 そこで、今までの熱していたような空気が一変し、場を沈黙が包み込んだ。
 閻魔が静かに立ち上がると、奥へと歩いてゆく。
 紫が心配そうに声をかけると、私も風呂に入らせてもらいますと映姫が答えた。
 するするという布ずれの音。戸が開き、閉まる。続いて聞こえてくるシャワーの音。
 紫は、カランと音を立てたグラスに目を向けると、それに酒を注ぎ足した。
 手に持ったグラスをしばらく見ていたが、結局口にはつけずに卓へと置く。
 そして、立てたひざへと自らの顔を乗せると、小さく吐息を漏らした。



 映姫が浴室へと入ると、紫が使ったのか真新しい入浴道具が置かれていた。
 こういうものを用意するのも含め、先に入ったのかなと映姫は考えた。
 シャワーを浴び、温かい湯に一息つく。
 映姫は鏡に映る自分の顔を見て、息を呑んだ。

 今日、紫に誘われ過ごした時間は、とても楽しいものだったはずだ。
 なのに、どうしたことだろう。鏡に映る自分の顔は、それはひどい有様だった。
 鏡へ向かい笑って見せるが、白々しい歪んだものにしかならない。
 今まで、こんな顔で紫と過ごしていたのだろうか。そう考えると、強い罪悪感が映姫を苛んだ。
 そっと頬に手を触れると、一筋涙が流れた。それはとめどもない流れとなる。
 一体どうしたというのか、あんなにも、楽しかったじゃないか。

 外界のショッピング。喫茶店での語らい。夜の公園での歓談。どれも、楽しかったはずなのに。
 涙が溢れて、止まらない。
 何が不満だというのか。
 これ以上、何を望むというのか。
 どうして、私はこんなひどい顔をしているのか。

 声を押し殺し、泣き続ける。
 久しく感じていなかった、大昔の感情が心の奥から湧き上がる。
 何故、私は泣くのか。そんなことは考えるまでもなかった。
 辛い。
 ただただ、辛かったのだ。
 楽しいと思い込んでいた、紫との時間。その全てがひたすらに苦しかったのだ。

 端々に見える、メリーの残滓。
 しかし、その目に彼女の面影は一寸たりとも存在しなかった。
 趣味趣向がメリー似るのは、同じ魂をベースにした以上有り得ることかもしれない。
 でも、ここまで。
 こんなにも、似ているなんて。
 こんなにも同じなのに、全く別の人物だなんて。

「ひどい……ひど過ぎる……わよ……」





 映姫は浴室を出ると、用意されていたバスローブに袖を通してリビングの椅子に座った。
 紫はグラスをじっと見つめていたが、戻ってきた映姫をみて小さく笑った。
 そして、映姫にも同じように酒を注いだグラスを手渡した。
 お酒飲んでお風呂に入るなんて、人間だったら自殺行為よねと苦笑する紫に、映姫は視線を返すのみである。
 映姫は思う。この目の前の大妖怪は、自身の体を過去に別の人間が使っていたのを覚えているのかと。

「ひとつ聞いていいかしら。貴方の、一番初めのころの記憶ってどんなものなの?」

 映姫の質問に、紫は頬に指を当て考え込んだ。そして苦笑する。

「私たち妖怪は、自らの根源について語らうことを嫌うものが多いのよ? でもそうねえ、今日付き合ってくれた閻魔様には特別に教えてあげようかしら」

 仕方ないと言った様子で、紫はグラスを傾けた。

「とは、言ってもね。実は、あんまり覚えていないのよ。昔に、藍のやつと追いかけっこしてた辺りかしら。その辺までなの。……何かのごたごたで記憶が曖昧なのよ。根源すらあやふやなのは、いかにも私らしいと思わない?」

 そう言って笑う紫に、映姫の体が微かに震えた。

「……そうですか。覚えては……いないのですね」
「ええ、ごめんなさいね。面白い話できなくて。でもこれが本当なのだから、仕方がないでしょう?」

 部屋に何かきしむ音がして、紫の目が驚きに染まる。映姫の持ったグラスに、ひびが入っていた。

「あ、あの。閻魔様?」
「すみません。私はそろそろ、失礼させていただきたいと思います」

 映姫はグラスを置くと立ち上がる。
 状況が読めない紫は、困惑して閻魔を見つめた。

「何か、お怒りになっていませんか」
「……」
「あの、今日一日一緒に過ごしてくださったこと、とても感謝していますわ。今まで……実は少し避けてきた所もあったのですが、御一緒してみたら思いのほか楽しかったなと。閻魔様は少し辛そうな顔をされていることが多かったですが、私としてはまた機会があれば――」
「私は、これで最後にしてもらいたいと思います」

 そう抑揚無く答えた映姫に、紫は言葉を失ったように口をつぐむ。
 映姫は隣の部屋へと移動すると、バスローブからまだ雨で濡れて乾いていない服へと着替え始めた。

「私が辛そうであったと、気づいていたのでしょう。つまりはそういうことです。私は、二度と貴方の顔を見たくはありません」
「ちょ、ちょっと待ってくださいな!」

 紫は立ち上がると映姫へと歩み寄り、肩を掴んだ。

「一体、私が何をしたというのです。そこまで、貴方に嫌われるようなことをした覚えは……!」

 紫はその顔を見て、また息を呑んだ。映姫が顔を涙で濡らしていたのだ。
 しかし、その表情に見えるは明らかな怒気。

「……そこまで言うのなら、言ってあげ――言ってやるわ」

 映姫は服を持つ手を震わせ、鋭い目で紫を睨み付けた。

「私は、あんたが大嫌いなのよ! 見ているだけで、辛くて仕方ないのよ! お願いだから、二度と私の前にその姿をさらさないで!」

 映姫は、自分の肩を掴む紫を押し払った。
 後ろへと転び、映姫を見上げる紫。目を大きく開いて、突然激怒した閻魔を呆然と見つめる。
 そして、何とか小さな声で反論した。

「……私は、閻魔様にそんな風に思われるようなことをした覚えはありませんわ。多少避けてきたというのはありますが、それは貴方がそんな顔を見せるからで……」
「はッ! そうよね、あんたには、分かりっこないわ。そんなに知りたいなら、教えるわよ。あんたはね、私の親友を奪い取ったのよ!! あんたが復活するときに依代であった魂が、私の最も大事な人だったのよ!! それでいて、罪悪感もなく、同じその姿を私の前へとさらして来る! こんなの……耐えられるわけないじゃない!!」

 映姫は怒りに染めた顔でそういい切ると、顔を濡らす涙を拭うことなく、着替え途中の荷物を両手に抱えた。
 そのまま、玄関へと歩いていく。
 紫は、しばらく閻魔の叫びに放心していたが、その顔を赤くして立ち上がる。

「待ちなさい……待ちなさいよ!!」

 映姫は紫の言葉を無視して、靴も履かずに玄関のノブへと手をかけた。
 走り寄った紫は、映姫の肩を掴み怒鳴りつける。

「待てって言ってるのよ! 言いたい放題ってくれて……私が復活した時ですって? 私が知るわけないじゃないのよ! 勝手に復活させられて、勝手に悪者にされて、好き勝手いって……冗談じゃないわ!」
「……なんとでも言えばいい。お互いに避けたがっているのなら、私が去ろうが何も問題はないはずよ」

 射抜くような視線を受け、紫の体が静止する。
 映姫が紫を振り払い、出て行った。
 紫は、さまざまな感情が入り混じった自身の心の意味を理解することができず、呆然としていた。
 何故ここまで閻魔に固執するのか。閻魔に向けられるあの視線が、嫌で仕方ない理由は何なのか。
 閻魔の言っていた、親友。その者にこの感情の意味を知る鍵があるように思うが、思い当たる節が何も無かった。
 こんな状態で、映姫を行かせてしまう訳にはいかない。
 紫は能力を使い、付近のあらゆるスキマから周囲の情報を集める。
 映姫は屋上へと向かったようだ。そのまま、幻想郷へと通じる結界のある場所まで飛んでいくつもりなのかも知れない。

 紫はスキマをくぐり、屋上の映姫の前へと姿を現す。
 辺りはまだ、強い雨が降っている。
 映姫が怒りの瞳で紫を睨み付けた。
 雨が降っているため、もうその顔に涙があるのか否かはわからない。
 紫は、映姫のその視線に胸が痛くなるのを感じながら言った。

「勝手なことをされては困ります。ここから、幻想郷へ飛ぶおつもりでしょう。この世界の人間に見つかったらどうするのですか」
「見つからないように行くわ!」

 飛び立とうとする映姫。
 紫は小さなスキマを開き腕を差し入れると、少し宙へと上がった映姫の足を掴み、地面へと叩きつけた。
 映姫の手に持っていた衣服が、地面へと散らばった。

「無理です。この時代の人間たちの技術力を知らないのね。やろうとすれば、宇宙から小さな鳥の識別ですら可能なのよ」

 地面へ突っ伏す映姫へと歩み寄る紫。映姫は未だに、バスローブに下着を身に着けているだけだ。
 そこで、紫は気になるものを見た。
 映姫の片足の付け根、そこに、横一直線に傷の痕がある。
 縫合が下手な者にやらせたのか、痕だと言うのに見るだけで痛々しい気持ちになるような傷だ。
 それ以前に、映姫も閻魔である。体の傷など、綺麗に消してしまうなど造作も無いはずだ。
 何かしら、精神的に強いトラウマを負うものや、呪傷の類で無い限り。
 紫は何故か、その傷が気になって仕方が無くなった。
 頭の中で、正体不明な強い思いが無数の荒波を立て始める。
 紫は身を屈めると、そっとその傷へと手を伸ばした。

「やめて!!」

 次の瞬間、紫の体が大きく後方へ吹き飛ばされる。二度、三度転がり、停止する。
 紫は、何とか痛む四肢に耐えて顔を上げた。
 映姫の手の先に、霊気が集まっていた。怯える顔で、再度その霊気の塊を撃ち放つ。
 紫はスキマを開き、それを回避しようと試みるが、開かない。そして自分を包む力に気がついた。

 身体を圧し軋みを立てて、締め上げる厳格な力。
 映姫の持つ、白黒つける能力。その力で、周辺の是非が固定されてしまっていた。
 そして、その力は紫の内部へも侵食していく。

「あっ……! ――うッ……」

 痛み、動けぬ体で霊気弾の直撃を受ける。幻想郷と違い、霊気の濃度をそこまで高められはしないが、それは紫も同じこと。
 霊力による防壁は薄い上に、スキマで避けるつもりだった紫は、ほとんど防御できないままそれを受けてしまった。
 地面を数回跳ね、手すりにぶつかり動きを止める。
 映姫同様のバスローブのみであった紫は、衣服による防御もできぬまま、全身傷だらけになる。
 それでもなお力を増し、捻りあげるように侵食する映姫の力。
 紫は体の中で、何かが砕けるのを感じた。
 そして、更に飛んでくる霊弾を見て、溜息をついた。

「……やっぱり貴方は、私に対する特別だわ――」










 暗い部屋の中、布団に寝かされ眠る紫と、隣でそれを見つめる映姫。
 取り乱して、紫に対し大怪我を負わせてしまった映姫は、近くの店で包帯や治療道具を買い、紫を手当てした。
 妖怪の体のつくりなど知る由もなかったから、傷の消毒と縫合、包帯で巻くなどの処理にとどまった。

 映姫は小さく鼻をすすった。
 冷静になって考えて、紫の言うとおり飛んで帰るのは軽率に過ぎたと反省する。
 それに、彼女に対し感情的になり過ぎた。
 メリーの存在を塗り潰してしまったのは、紫としては避けようの無いことだったのだ。
 当時の記憶が曖昧なのも、意図してやったことではないだろう。そんなことに何の利点もありはしない。
 目覚めたら、謝らなくては。

 それにしても。
 目の前で眠る紫は、全く以ってメリーそのものである。
 目を閉じている限り、メリーと紫の違いを認識するのは無理だろうと映姫は思った。

「メリー、ごめんね……」

 友人の名が漏れる。
 そっと手を伸ばし、その肩に触れる。宇佐見蓮子として、傷つけてしまった肩。
 依代には無かったはずなのに、ついている傷。

「メリー……」

 映姫は嗚咽する。
 やはり、紫を前にしている限り、この涙は止まることはないのだろう。
 あれから随分と時間をすごしてきたはずなのに、メリーとの時間は色あせることがなかった。
 それは、思い出としてより鮮明に、美しく飾られ輝きを増すのだ。

「う……く……うう……メリー」
「閻魔様」

 映姫ははっとして視線を上げると、微かに目を開けた紫がこちらを見ていた。
 そして、彼女は小さく苦笑する。

「デートの最中に、別の女の名で呼ぶなど、失礼の極みだと思いませんか」
「す……すみません」

 紫はゆっくり上半身を起こすと、辺りを見渡した。
 映姫は水が入ったコップを手渡す。

「ねえ、閻魔さま。今の時間、教えてくださらないかしら」
「私は時計を持ち合わせていませんので……」

 映姫の心が、またさざなみ始める。
 私に、それを聞くのか。その顔で、それを聞くというのか。
 映姫の心などお構いなしに、紫は続ける。

 「そんなはずはないでしょう。あなたの白黒つける能力は、概念、空間、因果、様々な事象を確定化し、把握することを前提として成立つ能力。時間の把握など、朝飯前ではないのですか?」

 映姫は奥歯を噛み締め、能力を使う。
 幾度と無く、メリーに尋ねられてきた、質問。
 これを私に答えさせるのか。なんて……残酷な。

「二十三時……五十五分よ」
「あと少しで、今日も終わりですわね……閻魔様、お休みはいつまでだったかしら」
「……今日一日だけです」

 映姫はその自分の言葉に安堵する。やっと、このメリーの姿をした悪夢から開放されるのだ。
 今日という時間が終わったら、紫にスキマを開いてもらい、幻想郷へと帰ってまた閻魔としての日々を過ごす。
 この一日は、ひとつの思い出として残るだろうが、それでいい。

「……ねえ、閻魔様。ひとつ困ったことがあるのですが、いいかしら」
「なんでしょうか」
「先ほど閻魔様に能力を使用された影響なのか、スキマの精密操作ができないのです。だから、幻想郷に帰してあげたくても、帰してあげられないのです」

 映姫は困ったように考え込んだ。確かに、紫の依代であった身体は神綺の作った特別製。
 概念的、魔法的、物理的に強固なものだと聞いたのを思い出した。
 白黒つける能力の影響が中に残ってしまっていても、不思議ではない。
 自身の軽率な行動に、改めて後悔する思いである。明日の業務に遅刻してしまうのを覚悟しなくてはならなさそうだ。

「閻魔様の、白黒つける能力。あんな、強烈なのをもらってしまって……いつまで私の力が使えないか、想像もつかないわ」
「……そ、そんなにですか」
「ええ、そんなによ」

 どうしたものだろうか、映姫は困り果ててしまう。
 紫の力が長い間使えないとなると、もしかしたら幻想郷の結界維持にも支障をきたす恐れもある。
 幻想郷管轄の閻魔として、もしそんなことになったら大失態どころの騒ぎではなかった。

「今の時間は?」
「零時、……二分ね」

 再度時間を尋ねる紫に、映姫は答える。
 すらりと時間を答えてしまったことに、映姫は少し寂しさのようなものを覚えた。

「あら。もうお休みの日を終えて、翌日に入ってしまいましたね。これで仕事に向かっては、遅刻と言うことになるのではないかしら」
「いや、零時丁度に始業と言うわけでは……でも、今日は遅刻を覚悟しなくてはならないかもしれませんね」
「私としては、遅刻どころか、無断欠勤になるのではと思うのだけれど。ねえ、閻魔様。いっそ、今日もお休みしてしまってはどうかしら」
「さすがにそれは……」

 悪戯っぽく笑う紫に、映姫は苦笑をもらすしかない。
 さすがに、無断欠勤までしてしまうわけにはいかない。しかし、このままでは紫の言うように、そうなりかねなかった。
 そして、より問題なのは紫の能力の方である。能力を封じてしまったのは、自分なのだ。

「あの、何か能力を回復させる方法はないのですか。力になれることなら、手伝いますので」
「そうね……」

 紫は腕を組んで考え込む。そして、何かを思いついたように、顔を明るくした。
 そして、何を思ったのか急に頬を紅潮させてもじもじし始める。
 怪訝な顔の映姫に向け、

「それじゃ、お願いね……」

 目を閉じ、唇を小さく突き出した。

「……は?」

 紫の行動に、映姫は呆然として間の抜けた声を返した。そして、すぐに我に返る。

「い、意味がわかりません! 一体、それのどこに能力を治す要素があるんですか!」
「病原菌の経口摂取で、免疫を高める方法があるのよ。それを実践してみようかなって」
「それこそ意味がわかりません! 大体、私の能力はウィルスでもなければ、伝染病でもありませんよ!」

 顔を赤くしてそう拒絶する映姫に、紫は冗談よと小さく笑った。
 映姫は、何か頭痛のようなものを感じ始める。このスキマ妖怪の本質の何たるかを初めて垣間見たような気がした。

「では……そうねえ。こういうのはどうかしら」

 一体次は何を言い出すのかと身構える映姫に、紫はぴんと指を立てた。

「私をマエリベリーと呼んで、一日付き合ってください」
「……え?」

 映姫の顔に、今までにない困惑の色が浮かぶ。
 その顔を見て、にやりと口の端をあげる紫。

「本当に、マエリェ……メリーなの?」

 紫の顔に明らかな笑みが浮かぶ。

「あら、閻魔様なら、問いただすまでも無く、その是非、分かるんじゃないの? ふふ」
「本当に、本当に、メリーなの? だって、貴方……」

 映姫がそう問うと、先ほどから笑みを湛えていた紫が、とうとう破顔した。

「ふふ、ははは、あははははははは!」
「な、何がおかしいのよ!」

 ひとしきり笑うと、紫はまだおかしそうに腹を抱えて、困惑する映姫に手を振って見せた。

「……なんですか、閻魔様。その、お顔。このマエリベリー……いえ、メリーですかね。このお名前、何か曰くでもありましたか?」
「……え」
「いえ、何故かこの名前が思い浮かびまして。何かしら関係があるのかなと振ってみただけなんですが。ふふ、何ですか。その泣き顔、閻魔の威厳もあったものではないですわ」
「……」

 映姫の視線がすっと下がる。それと同時に、その表情が見る見るうちに変化していった。

「あなたは…………」

 室内を風が渦巻く。ここは外界だと言うのに、目に見えるほどの霊力が、映姫を包み込んでいく。

「え、閻魔様、ちょっと、怒りすぎじゃありません? 軽い、冗談じゃありませんか」
「……冗談、ですって……」

 閻魔は鋭い目を涙で濡らし、紫を睨みつけた。
 渦巻く霊気が凝縮し、閻魔の周囲に人間大の悔悟棒を複数形成する。

「私にとって、……その名前が、どれだけ……どれだけ大切な、名前だと―――!」

 映姫の心が、今までにない怒りで塗りつぶされる。
 このスキマ妖怪、最悪だ。
 よりにもよって、メリーの名前を使ってからかい、嘲ってくるなんて。
 こんな奴、いっそ私の手で……――!

「わ、ちょっとちょっと、シャレにならないわ! 止めて! 私が悪かった、ごめん蓮子……!」

 映姫が目を見開き、紫の顔を見つめる。紫は、怯えたように頭を抱え込むようにして文句を言い続けた。

「ねえ、ちょっと! 今本気で私のこと亡き者にしようとしたでしょ!? 今のガチよね、ちょっと!?」

 周りに出現していた霊気の塊が霧散して消える。
 映姫はよろよろと紫へ歩み寄ると、その頭に手刀を一発叩き込んだ。

「いった……何するのよ! 私、一応怪我人なのよ!」
「……馬鹿……私がどれだけ、どんなに……馬鹿、ばか……なんで、どうしたら、あの状況で、笑えるのよ!」

 顔を両手で押さえ泣き出した映姫に、紫が痛む頭を押さえて言った。

「だって……ねえ、覚えてる? 病院で意識混濁してた私が、はじめて発した言葉に対して、あなたが返した言葉」
「……なんだった、かしら」

 困ったように、視線を逸らす映姫に、

「私の名前は、マエリベリー・ハーン、はい。復唱」
「マエ、レ……マエリヴェ……」
「……く、はは、あはははは! だ、だって、相変わらず、発音できてないんですもの!」
「ぐ……う……」
「白黒つける閻魔が、よりにもよって、名前をまともに発音できない、こんなこと、笑わずにいられると、はは、思って――」

 腹を抱えて、大笑いする紫。
 映姫はばつが悪そうに、床に転がる包帯をいじりはじめる。
 なおも笑い続ける紫に、映姫は手のそれを投げつけた。

「あああ! 今すぐ、笑うのやめなさい! 笑わないでよ! 笑うな!!」
「だって、ムリよ、止めたくてもとまらない、ふふ、あはは!」
「大体あれよ! そんな混沌とした、白黒つかない名前は、却下よ! 何よそれ、意味分らない!!」
「あははは! ぎゃ、逆ギレ来たわ。蓮子お得意の、逆ギレ! 懐かしい、何度煮え湯を飲まされたか! 却下、はいはい、わかった却下ね、はい! ふふっ、分りました。じゃ、じゃあ、私はどうしたら――あふ、いいのかしら?」

 涙を浮かべて笑い続ける紫に、映姫は指を突きつけた。

「あなたは、メリーよ! 私と二人でいるとき私にそう呼ばせるのが、今あなたに出来る一番の善行なのよ!!」

 紫は笑いすぎて、涙でぬれた頬を腕に巻かれた包帯で拭うと、微笑んでみせる。

「ふふ。ええ、いいわよ。それくらいお安い御用です。でも、私も胡散くさーい、スキマ妖怪で通っている大妖怪ですからねえ。何か、閻魔様も見返りを用意してくれれば、体裁が保てて良いのですけど?」
「二人でいるときだけのことなのに、体裁も何もないでしょうが……」
「なーにか、言いました?」
「いいええ。何も」

 映姫はそうつっけんどんに答えると、小さくため息をついた。

「……そうね。では、とびっきりなものを貴方に、贈るとしましょう」
「あら、楽しみねー。一体どんな素敵なものをくれるのかしら」

 映姫は少しもったいぶったように口をもごつかせていたが、短く息を吸い込むと、小さく言った。














「おかえりなさい、メリー」
「ええ。ただいま戻ったわ、蓮子」


















 その後、少し部屋で休んで境界を操る力が回復するのを待ち、幻想郷へと戻ってきた。
 スキマをくぐり紫の住処へ降り立つと、その廊下を行く二人。

「ねえ、どうしてメリーの記憶が無事だったのよ? 消えてしまっているものだと思ったのに」
「あ、何その言い方。消えてしまっていた方が良かったとか、そういうこと言いたいいたいたいたい――私怪我人なのよ!?」
「わからない?」
「もう……たぶんだけれどね、藍のおかげよ。あの子が私に細工した式のね」

 先を促す映姫に、紫は少し考え込むようにして言った。

「意識が前の八雲に塗りつぶされそうになったとき、小さな隙間を見つけたの。その中に式神が先客でいたのだけれど、叩き出して私が入らせてもらったのよ。その後はぎりぎり押しつぶされずに済んで、でも身動きが出来なくて……意識は落ちたわ」
「なるほど……藍さんお手柄じゃない!」
「それで、気がついたら貴方の熱烈な歓迎というわけよ。お陰で、全身ジンジンするわ」
「いや……それは悪かったわよ」

 二人は居間へと入っていく。
 そこで出迎えたのは藍と――幽々子である。
 意外な組み合わせの二人を見て驚いた様子の藍と、意味深な笑みを浮かべる幽々子。

「お帰りなさいませ。紫様。後ろの方は……閻魔様でしょうか」
「そうよ。とりあえず、お茶でも淹れてきてもらえるかしら」
「お久しぶりです。藍さん。覚えていてくれたのですね!」

 交流の少ないはずの閻魔に、何故か親しげな顔を向けられて藍は困惑した。

「……お久しぶりです。少々お待ちを」

 藍は頭を下げると、勝手口へ向かった。
 それを見送ると、紫が少し戸惑った様子で幽々子に尋ねた。

「どうしたの、幽々子。貴方からこっちに来るなんて、珍しいわね」
「あら……ひどい言われようだわ。せっかく、気落ちしてるかもしれない友人を心配して、来てあげたのに」

 紫の問いかけに、幽々子が頬を膨らませた。

「上手くはいったようだけれど……その途端、私は用済み扱いという訳ね?」
「そ、そんなこと!」

 慌てる紫に、幽々子は苦笑して映姫を見た。映姫が幽々子へと笑みを向ける。
 すると、幽々子はその表情を真剣なものにして居ずまいを正した。
 映姫もまっすぐと幽々子を見返す。

「閻魔様。紫のことお願いします」
「無理です」

 即答した閻魔に、幽々子は呆気にとられたように見つめ返した。

「この長時間寝なくては生活もままならない大妖怪を――どうして多忙な私が面倒見れるというのですか」
「ええと、それはそうでしょうけれども……物理的なものではなくて」
「長い間、この冬眠妖怪の世話してきたのは藍さんです。もはや彼女は紫さんの妹……いえ、娘と言っても良い存在。彼女以外にこのぐうたらの面倒を見れる者はいませんよ」
「ええ……それは、私も認めるところなのだけれど……」
「ちょっと、ぐうたらってそれヒド――」

 身を乗り出し抗議しようとする紫を映姫は押しのけて、幽々子へと顔を寄せた。

「そして、紫さんと最も付き合いが長いのは幽々子様です。この胡散臭い天邪鬼の言葉遊びに付き合えるのは、貴方だけでしょう」
「まあ……紫の扱い辛さは、彼女を知る人であるほど、その身にしみて理解しているでしょうね。……でも閻魔様は、私達の知らないこの子を知っている」

 映姫から身を引いた幽々子に、紫が複雑な視線を向けた。

「え!? 幽々子いつもそんな風に思って――」
「ええ。確かに私は知っている。メ――紫さんの最も繊細な心の……柔らかな部分を知り尽くしている。私は誰よりも、彼女のたくさんの表情を知っていると断言できる。白黒つける閻魔である、この私が言うのだから間違いない。けど――」

 さらに映姫は身を乗り出し、幽々子の手をとってその瞳を覗き込んだ。
 少し顔を赤くして幽々子は身を引こうとするが、手を掴まれてしまってそれができない。

「え、閻魔様……?」
「私は貴方に比べれば、ほんの僅かの時間しか知らない……だから、私達はあの子の情報を共有するべきなのです」
「閻魔様……――! 」

 幽々子もしっかと、映姫の瞳を見つめ返す。

「私、貴方のことを誤解していました」
「見損なってもらっては困ります。……ちなみに、笑い泣き、悔し泣き、嬉し泣き、ガチ泣き、色々取り揃えていますよ」
「おいちょっとまて」

 不都合な方向へと意気投合し始めた二人に、紫は止めの手を入れるが、

「私も色々知っているわよ。大昔の大陸で、兵が数万突然消えた事件があったのだけれど……その理由がまた乙女で」
「おおおいまてまてまてそれしゃべっちゃうの」
「この反応、限りなく黒に近い紫歴史の気配を感じますよ。私も幽々子様を侮っていました。貴方から得られるものは想像以上に大きいようだ」

 映姫の能力でコントラストを増した致命の力が二人の周りを渦巻き、紫は近づくことすらままならなくなる。
 そこに、藍が茶を淹れて戻ってきた。
 涙目ですがり付いてくる紫に、藍は溜息をつく。

「一体何の騒ぎなのですか?」
「うう……藍、あの二人がいじめるのよ……助けて頂戴!」
「どうして、紫様をいじめるような人たちを私がどうにかできるのですか。それに――」

 そこで、藍は困ったように笑ってみせる。

「いじめられているにしては……とても良い顔をされていますよ?」
「ええ!?」

 藍の言葉の意味が分からず、自分の顔に触れる紫。確かに、頬が緩んでいると気づいて、顔を赤くする。

「さすが紫様です。いじめられて喜ぶとは、なんという思考の混沌。到底、私如きでは理解できそうにありません」

 そういって口の端をあげる藍。
 そして、その後ろでほのかに下卑た笑みを浮かべ視線を送ってくる閻魔と亡霊姫の二人。

「ちょ、なんなのこの状態……」

 藍は茶を卓に配しながら、自然な流れで幽々子と映姫の会話に参加した。
 式を駆使して藍を止めようとする紫だが、映姫の力でまともな式が送信できない。
 仕方なく、紫は一人、部屋の隅に押しやられる格好で、卓を囲む三人へと恨めしそうな視線を投げた。

「この家の主人は、私のはずなんだけど……!」

 藍は茶請けなども配し終えると、閻魔へと質問を投げた。

「あの、閻魔様と紫様は、あちらの世界で一体どのようなことをされていたのですか?」
「そうですね、一言では語りつくせませんけれど、簡単に言えば不思議を探しの集まりをしていたのですよ」
「不思議を?」
「はい。それはもう、楽しい集まりでした。……とても」

 映姫の顔に哀愁のようなものが混じる。それを見ていた紫も、同じように悲しげな表情になる。

「……でも、もうそのような日々は戻ってこないのです。私達くらい世の理を知ってしまうと……純粋に不思議を求めて楽しむことは出来ない」
「私の昔の友人も、同じような心境だったのでしょうね。そうとは知らず、とんでもない助言をしてしまったものだわ」

 そう言葉を継ぐ幽々子。どこか遠い記憶を探るような目で、紫を見つめる。

「一度頭を空っぽにしてしまえば良いだなんて、言ってしまったのよ……それできっと月に……」
「頭を空っぽにですか。そうですね、そんなことが出来れば、もう一度この世界の不思議を楽しめるのでしょう。しかし、それには輪廻を……」

 そこで映姫は言葉を飲み込み、考え込む。

「そうよ……その手があるわ」

 映姫はそこで振り返ると、紫へと一直線に駆け寄り肩を掴む。
 紫は映姫の突然の行動に、度肝を抜かれたように見つめ返した。

「そうよ! 秘封倶楽部を再結成するのよ!!」
「……はい?」 







 永遠亭の一室、特殊な結界の施された小部屋に複数の人影があった。
 部屋の中央には布団が敷かれ、そこには二人が横になっている。
 不安そうな面持ちの八雲紫と、笑顔満面の四季映姫である。

「ねえ、本当にやるの? 大丈夫なの?」
「ちょっと、素の口調に戻ってるわよ。まったく、誰の為に長期休暇取ったと思っているのよ。大丈夫だって!」

 貴方こそ素に戻ってるじゃないと返した紫に、映姫はその肩をぽんぽんと叩いた。

「本当に貴方は心配性ねぇ。私はわくわくして仕方が無いって言うのに!」
「……もし、あっちで死んでしまったら、こっちに戻って来れなくなる恐れもあるのよ? 貴方や私の身分ともなると、軽率な行動は控えるべきだわ」
「私たち二人が同時に、一瞬で死んだりしない限り大丈夫だって。それに、並列世界を旅して回ると言うことは、この世界を多側面から見る機会でもあるのよ。それってとても素敵なことだと思わない? もっと大きな災厄が来たときの、回避手段の勉強にもなるわ!」
「どうして、そう楽観できるのかしら……それに、あちらに行ったら、前みたいに記憶とか失ってるかもしれない。そんなことになったらどうするのよ」

 横になって言い合いを続ける二人に、月の賢者が溜息をついた。
 隣の姫は、楽しそうにその様子を眺めている。

「痴話喧嘩はその辺にしてくれないかしら。私たちだって、それなりに忙しいのよ?」
「良いじゃない永琳。この二人の普段見せない姿、見てて楽しいわ」
「姫は良いかもしれませんが、私もウドンゲも仕事がありますので」

 そう永琳が視線を向けた先には、鈴仙が目隠しと耳栓をして待機していた。
 映姫と紫が極秘ということで、見聞を遮断している。
 師匠真っ暗無音で怖いですと言って、おろおろしている鈴仙に、輝夜が近くにおいてあった枕を押し付けた。
 鈴仙はそれを胸に抱えて、落ち着いたようだ。

「鈴仙さんをどうして呼んだのですか? 前に転送してくださったときは、御二方だけだと記憶していますが」

 映姫の問いに、永琳は肩をあげて見せた。

「時間波長をいじる道具を無くしてしまったのです。あの時は、それを使っていたのですよ」
「ああ、あの銀時計ですね。あれは確か……」
「閻魔様。今はその話はよいでしょう。それよりも、スキマ妖怪さんの方は決心がつきましたか?」

 そう言って、上から顔を覗き込む永琳に、紫は体の上に掛けられたシーツを引き上げ、渋い顔をした。

「焦らさないで……色々考えているのよ」
「異世界平行線のことなど、貴方の計算力をもってしてもわかりっこないわ。考えるだけ無意味よ」
「ああもう! だから不安で仕様が無いのよ! 焦らせないでと言っているの! この間の宴の仕返しとでも言うわけ!?」
「……こんなに、焦っている貴方を見れるとはね。閻魔様のお陰で、普段の胡散臭さも払われてしまっているのかしら」

 そういって笑う永琳に、紫は顔を赤くして視線を背けた。
 視線を逸らせた先には、映姫の顔。

「大丈夫だって! もしあっちに行って記憶を失っていたとしたら、それはそれで楽しいし」
「ちょっと映姫、貴方ねえ……!」
「それにね……」

 映姫は身を乗り出すと、紫の手を強く握り締めた。

「どんな状況であろうと、必ず私は貴方を見つけだしてみせるわ!」

 そう断言する映姫に、紫は完全にシーツの中へ顔を隠してしまった。

「やっと決着がついたようね」

 永琳の呼びかけに、映姫が頷いた。
 シーツの中から「ついてない」と声がするが、それは無視された。
 輝夜が映姫と紫の間に移動すると、その胸に手を乗せる。鈴仙も永琳に誘導され、輝夜と向かい合わせになる。

「師匠、ここで波長を全力でずらすんですよね? 周囲の人たちの意識、下手したらドロップアウトするんですけど、大丈夫ですか?」
「問題ないわ。私が、手を強く握ったら、能力を発動させなさい」
「分かりました」

 永琳は鈴仙の頭を抱え込むように密着して、耳栓をしている鈴仙に答える。
 そして、横になった映姫に目配せをした。

「では、ウドンゲの力で空間波長を歪め、それを姫の力で伸ばしほぐします。意識の誘導は私が行いますから、閻魔様は前の通りに、とっかかりを感じたら能力で固定化してください」
「分かりました」
「魂転送後は、閻魔様の体は永遠亭で寝ていてもらって、そっちのスキマ妖怪の体は藍さんに渡す手筈でよいですね?」
「はい。それでお願いします。戻るときは、別々で大丈夫だと思いますので」
「分かりました。それでは、よい異世界生活を」

 永琳の声で、紫がシーツから顔を出した。どこか、諦めの様な微笑を浮かべている。

「さあ、紫。行くわよ! 貴方にまた素敵な世界を見せてあげる!」
「もう好きにしなさい……!」

 映姫は大きく息を吸うと、言った。




「秘封倶楽部、ミッションリスタート!!」















 八雲亭の一室、椅子に腰掛け眠る紫と、それを見つめる幽々子と藍。

「紫は一体、どんな世界を旅しているのかしらね」
「心配ですか?」
「そうね……」
「大丈夫ですよ。冬は閻魔様と紫様で異世界を過ごされますが、それ以外のときは冬に長い休みを取るために激しい業務に追われ、連絡を取るのすらままならないのですから。トレードする情報に、私たちが窮することはないはずです」
「そうね。私たちは私たちで、閻魔様との取引材料を作ることに腐心するしかないわよね」
「その通りです。ところで、幽々子様。この衣装どうでしょう? 明日には見繕えると思うのですが」
「……エクセレントだわ、藍! 明日は是非これを紫に着せましょう。フィルムの方の在庫は大丈夫?」
「抜かりありません。この間、幽々子様がデザインされたものも、三日後にはお見せできるかと」
「グッドよ。にしても、座らせたり寝かせたりくらいしか、ポーズがつけられないのが寂しいわね……」
「……幽々子様……私、気づいてしまいました」
「気づいた?」
「はい。寝ている紫様なら式を打って、自在にポーズつけれるのです……!」
「な……!?」
「私としたことが……こんなことに今まで気がつかないなんて」
「なんてことなの……今まで着せてた服ももう一度着せて、撮りなおしよ!!」
「無論です!!」

 その年から、紫を愛でる会の貴重資産として「紫セレクション」なる写真集が毎年一冊づつ増えていった。
 加えて、白黒つける能力にて描かれた詳細な絵図付異世界文書録も、永久文書として大切に追加保存されていったという。

おわり
こんなトンでも話を最後までお読みくださりありがとうございました。
ちょっとハートフェルトな二人の関係描写が多すぎた気がしなくもないですが、削らずにしてみました。
やっぱ秘封作品は二人の親密さ書いてこそな気もしますので……!

蓮子の能力ってどれくらいの細かい時間まで観測できるのだろうと考えたとき、あれ、蓮子ってある意味四季様に近い能力もってない?と思い、もうそんなお話書いてる人いそうだなぁと探したのですが、見つからなかったので書いてみました。
白黒つける彼女と、白黒ルックの蓮子。髪も両者とも片側長くしてる時があったりと共通点も多いんじゃないかなと。

楽しんで頂けたのなら、幸いです。

2013 5/11 誤字修正しました。ご報告、有難うございました。
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コメント



0.1590簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
二人は結ばれるべきだと思うよ
3.100名前が無い程度の能力削除
すごかった、素敵だった

紫と映姫のデートのくだりは胸が痛くなりました
4.100名前が無い程度の能力削除
これって冬の度に、新しい出会いを蓮子の作った異世界でしてるってことですよね?
しかも戻ってきた時は、その記憶も保持してると。
毎年ウブな気持ちでちゅっちゅしてると。
くそ!末永く爆発して下さいちゅっちゅ!!
5.100名前が無い程度の能力削除
さすが、一度幻想を経た二人は求める不思議の規模が違う
三千大千世界の遍く不思議を探して回るのでしょうね
大作お疲れ様でした
6.90非現実世界に棲む者削除
切ないですね。
連子とメリーとして見るとまずそう思いました。

二人の絆はやっぱりとても強いものですね。
二人が離ればなれになるお話はいくつも読んできましたけどここまで切ないなあと思ったのはこのお話が初めてです。
すぐ手が届く所に居るのにそこにいる彼女(メリー)は彼女ではない。
こんなに悲しいことはないと思います。

幻想側ーーー映姫と紫としてみると面白いですね。
特に終盤の口喧嘩?とじゃれあいは読んでいて思わず微笑みました。
連子とメリーとしては仮初めの関係となってしまいましたけど、記憶が戻っても、失っても、二人の絆と倶楽部活動は続いていて、終わらないんだなと思いました。

勝手な解釈ばかりですみませんでした。
とにかく胸にジーンとくる素敵なお話でした。
これからも頑張ってください。
9.100名前が無い程度の能力削除
なるほどそうきたかという感じ。なかなかどうして巧く纏めてるなぁ。
物語の方もちゅっちゅにシリアスにと楽しめた。

しかし自分こういうギリギリにまでなっても互いに依存する秘封とか弱いのよね・・・特に前半の気遣い庇い合う二人なんか最高でした。ちゅっちゅ万歳。
10.100名前が無い程度の能力削除
長かったけど最後まで読んで良かった、名作だわ
満足です
11.100名前が無い程度の能力削除
よかった
12.100名前が無い程度の能力削除
人格ある程度決ま
エクスプレッソ
見る意外の魔力
獲物になるのか→得物
着想が新しすぎるでしょう!メリー=紫系の長編シリアスは数あれど、設定、組み合わせ、ストーリーラインのいずれをとっても今までまったく無かった地平線です。日常に潜む幽かでしかし決定的な違和感の描出、記憶を辿りながら再現する日常の、共通項を示すことで切なさを倍増させる演出と、表現技法も達人の域です。
それから、視線操作、すなわちGoogleGlassesの拡張現実操作、を話に取り入れているあたりも高評価です。秘封の近未来で懐古的な世界観を小道具でキッチリ描写しています。
14.100名前が無い程度の能力削除
好き
15.100名前が無い程度の能力削除
はぁ〜…最高ですた。
序盤の蓮子に依存するメリーに身悶えし、最後まで夢中で読みました。
ホント面白かった。

一箇所、幻想卿さんが居ました。
 土鍋の中身は、幻想卿ではあまり食べる機会の無い海産物だった。
18.100名前が無い程度の能力削除
素敵やな
19.100名前が無い程度の能力削除
舞台が壮大でありながら二人の心情が丁寧に書かれていて、とても引き込まれました。
本当に、面白かったです。
21.100名前が無い程度の能力削除
なるほど、確かにな〜と感心。設定だけでなく、話の見せ方も上手く、グイグイ引き込まれました。
姿形は変わっても、二人の未来に幸あれ。
22.100通りすがりの酒好き削除
時間が取れたら読もうと思っていましたがようやく読めました。
蓮子が四季という発想にはしてやられました。展開が斬新でとても面白かったです。
蓮子の能力の解釈が私が思い描いているものに近いだけに、そういう展開になるのかと驚かされました。
素敵な作品ありがとうございました
23.100名前が無い程度の能力削除
絆って良いね
24.100名前が無い程度の能力削除
東方のいくつかのブラックボックスを横断する
解釈の練りっぷりに100点です
小町イケメン…
25.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい!
27.100名前が無い程度の能力削除
久々に読みごたえのある秘封倶楽部を見たなあ……削らずに書いてくれてGJです!
後書きにあるような思いつきからこんなストーリーが出来上がるとは誰が予想しようか?
練り上げられた物語ごちそうさまでした!いつもまっさらな気持ちで末長く秘封倶楽部が爆発してくれますように!
28.100名前が無い程度の能力削除
すごいとしか言い様がない
29.100名前が無い程度の能力削除
友人に薦められては見ました!
すごく面白かったです…!
もしかしてイザナギ物質の音楽話に曲落とし込んでます?
雨の降る山道とか。深読みしすぎかな…
とにかく楽しかった!
二人の未来に幸あれ!
30.100名前が無い程度の能力削除
凄いわ・・・
面白かったです
32.100みなも削除
途中切ない話で
その果てに離れ離れになっていた
二人が長い旅路をへて一緒になれるのが、とても素敵でよかったです。
33.100名前が無い程度の能力削除
蓮子と映姫を関連づけるとは・…盲点でした

秘封の二人が世界を超えてちゅっちゅするのは当然として、
デレデレの映姫!
とても良いと思います。
34.80名前が無い程度の能力削除
もったいない部分はあるけど、
贅肉も同人なりの贅沢と思えばそれもまたおつなものだね
37.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。
40.80奇声を発する程度の能力削除
純粋に面白かったです
41.無評価名前が無い程度の能力削除
設定は斬新だし面白いと思うんだけど、永琳輝夜が博麗大結界の制定に関わると永夜のストーリーに矛盾するんじゃ……?
42.無評価真四角ボトム削除
41さん

ご意見有難うございます。
幻想郷設立から二人が関わっていると、大結界の性質を知って、永夜の異変を起こす動機が無くなってしまうという解釈で良いでしょうか?

分かりづらくて恐縮なのですが、四季が幻想郷の概念結界の大枠について説明をしている段階では永琳は会議に参加していません。見て頂けると分かると思うのですが、名を挙げようとしているところで切れています。
彼女が参加した会議は、八雲再組成で力を貸してくれないかと四季に頼まれ受けたもののみとなります。
また、送り届けることはしましたが、戻ってきた後は一度も姿を現していないはずです。
概念結界やその効果についても、八雲が復活した後に確定したことなので、彼女らには伝わっていないことになります。
博麗大結界についても、八雲再蘇生後の結界敷設にて決定されるため情報は一切、永琳へ伝わっていません。
概念結界について多少の情報は提供されているかもしれませんが、曖昧なそれで月の使者を防ぐ結界になると断定してしてしまうようなことはしないはずです。

また、輝夜も転送時に四季と会話し、八雲の器を見ただけとなります。
確かに、永夜異変で八雲紫と顔合わせした時には、おや、あの時送った素体の人だ、などとは思ったかもしれませんが、物語が破綻してしまう程ではないかなと思うのですがどうでしょうか?

補足で、ラストの部分の鈴仙の出てくるパートは、これもわかりづらくて恐縮なのですが、もう既に綿月姉妹とのいざこざの後です。
つまり、永夜異変の後ということになります。

そのような訳で、永夜抄にて鈴仙を守るために月へ細工を施す動機に関しては、問題ないと思われます。
復活した八雲が再生し結界を施工することになりますが、その時点では彼女らとの関わりはないのです。
そのため、八雲も月の二人についての記憶はないことになります。永夜異変での八雲紫の対応に問題は生じないかと。
一つ懸念があるとすれば、永琳が会議で顔合わせしている幽々子との関わりでしょうか。
幽々子様ならあえて知らない人で通すのもあるんじゃないかと……これは少し苦しいですが。
永琳はそれに会話を合わせたという様な感じで。
また、四季自身もお話の展開上、冥界からあまり外へ出なかったので、その後についても月の二人と情報共有していない、そのように解釈して頂ければ。

長くなりましたが、このような説明で大丈夫でしょうか?
物語内で完結できず、違和感を感じさせてしまったのは自身の未熟と受け止め、精進したいと思います。
これとは違った部分でのご指摘でしたら、申し訳ありません。
その場合、またお知らせして下さると助かります。
43.無評価41削除
私のアバウトな質問にお答え頂きありがとうございます。
確かに永琳が結界張りに関わっているというのは誤読だったようです。
大変失礼しました。

私が疑問を持った背景は、
(これを最初にちゃんと書き込めばよかったのですが)
永琳と輝夜のセリフに「私達の隠れ場」「住居を工面」とあることでした。

これが私には
八雲の復活に手を貸す見返りとして幻想郷に安全な住居が手に入る
or(閻魔の仲介で)異世界の神である神綺から協力が得られる
などと思えてしまいます。
作者さんとしてはどういう意図だったのでしょうか。

些細な事かもしれませんが、設定が面白いだけに余計に気になってしまいます。
誤読の責任を押し付けるようでもあり恐縮ですが返答いただければ幸いです。
44.無評価真四角ボトム削除
43さん

丁寧な御指摘ありがとうございます。気づくのが遅くなってしまい、返信遅れてすみません。
以下、御指摘に対する私の考えです。

妹紅の生誕時期から考えると、輝夜と永琳が地上へ移り住んだのは、千年以上も前です。
その時点ですでに棲家の工面を手伝ってもらっていたと考えて頂ければ、物語中の出来事がきっかけで工面したのとは違うと見ることもできないでしょうか。
もし永遠亭以外の棲家を工面していたとしても、永遠亭に移り住む前ということになるので、時間軸的にはだいぶ過去になるはずです。

また、それほど前にどういった理由で是非曲直庁と永琳輝夜が接触していたかについてですが、蓬莱人が地上で生活するにあたって、やはりその異常な存在は是非曲直庁と言った機関からすると、目の上のたんこぶというか、警戒する事象であると思うのです。
加えて、輝夜と永琳は蓬莱人を作り出す技術まで持っている。
二人を監視したい是非曲直庁。月から姿を隠したい二人。
利害が一致し、是非曲直庁は二人の隠れ家を工面した。
もう一つの理由に、神々の眷属でもある(これは考察でしかないですが)永琳、それに連なる閻の間でも関わりがあったのではないかと思った次第です。
それなりの付き合いが、既に閻魔及び是非曲直庁とあった。という風に解釈してもらえればと思います。
ちなみに、これは作中とは関係のない私見ですが、永遠亭は概念結界の引き寄せでいつの間にかに幻想郷に来ていたという解釈をしています。あと、神綺は魔界をより良い世界にする目的で、色々な世界の要人とコンタクトをとっている、というイメージで出しました。

作中の流れでは、仰るとおりに見受けられてしまうかもしれません。
この辺りは、「棲家を工面したのは、千年ほど前のことですけどね。私が直接関わったわけでもないですし」と映姫に言わせるなどすれば良かったかなと、反省しました。
こんなにも深く読み解いてくださり、書き手としてこの上ない喜びです。
有難うございます。
46.100名前が無い程度の能力削除
この解釈はなるほど、と思いました
色々な解釈が見れるのが二次のいいところですしね
それはそれとして、純粋にお話としておもしろかったです
秘封かわいいよ秘封
48.1003削除
こんなifがあったら。
メリー=紫説はよく見ますが蓮子=映姫様は初めて見ますね。
濃密な秘封成分もごちそうさまでした。
52.無評価名前が無い程度の能力削除
すばらしい作品ですね
57.100名前が無い程度の能力削除
面白い。とても引き込まれました。
発想も斬新で、それがとても丁寧に調理されていたと思います。
58.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい話でした。
59.100名前が無い程度の能力削除
ただただすげえ
60.100名前が無い程度の能力削除
上手い
よくこんなネタをここまで整合性ある形でしあげたもんだ
お見事でした
62.100名前が無い程度の能力削除
感動巨編としか言いようがない。

最後は紫が消えてメリーになった、というわけではないのでしょうがそこが分かりにくいのだけが気になりましたが、大変楽しませていただきました。
65.100名前が無い程度の能力削除
久々にいいものを読ませていただきました。
ありがとうございます。設定も斬新で新鮮でした。
67.100理工学部部員(嘘)削除
蓮子=映姫の設定が斬新で素敵な上に、物語の構造もきちんとしてるのが凄いです!
68.100名前が無い程度の能力削除
感動の再開で終わり!かと思ったら…
落ちが二転三転して最高でした。