私は変わり者の殺人鬼だ。
自意識過剰、というわけではない。自分は特別だ、なんて考えてるわけでもない。もちろんそういう痛いことを考えていた時期はあったが遠い昔の話である。ちゃんと反省して自分を鑑みて触れられたくない過去だとしまい込む程度には大人になった。だから客観的な事実として、変わり者の殺人鬼だと自認している。
なにせ私、十六夜咲夜は、十六夜咲夜となる前から、殺したいという感情を抱いたことがあまりなかったのである。
まず前提として、殺人鬼の殺したいは一般的な殺したいと正反対のポジティブな感情だ。妬み、憎しみ、恨み。そういうネガティブな理由では殺さない。殺人鬼は好意、欲求、渇望といった前向きな理由で殺すのである。殺人鬼である私にも理解できる理屈である以上、真実なのだろう。まあ、つまり、自賛しているようであまり言いたくないのだけれど、私は惚れっぽくない性格をしているということになる、と思う。そこまで強く他人を求めたことはあまりない。私の殺人行為はポジティブでもネガティブでもなく、言うなれば日常で、心動かされるようなものではない、呼吸や食事に近いもの、だった。
もちろんそんな考えに至るからには例外があったのだ。殺人鬼のポジティブな殺意を理解できる経験が。惚れっぽくはない私だって、誰かを好きになることはある。好きになって、殺したいと積極的に思ったことはある。
だから、その、あまり大きな声では言いたくないのだけれど。
私、今、とっても殺したい人がいます。
軋む鉄扉を開く。
錆でも浮いたのか、耳障りな金属音。
それでも門の前に立つ人影はぴくりともしない。
陽射しの中、僅かに動いたと思えば赤い髪が風に揺れただけ。
もう手を伸ばせば届く位置に私が立っているのに、直立不動で眠ってる。
勤務時間中の居眠りである。これで門番が務まるのが、未だに不思議。
時刻は昼と夕暮れのちょうど真ん中あたり。昼寝にはちょうどいい時刻ではある。
しかし、吸血鬼であるレミリアお嬢様とフランドールお嬢様を守る門番がそれでいいのか。
幻想郷に移住してきてからというもの緩み過ぎだと思う。
安らかな寝息を立てるその横顔を、なんとなく見つめた。
彼女は紅美鈴。ホン・メイリン。門番、武術の達人、そのくせ妖怪。
美鈴は人間ではなく人食い妖怪で、現在でいう清国、じゃない中国出身だとか。
大いに疑問を感じざるを得ない。妖怪であるのはいいとしても東洋人と言うには彼女の肌は白過ぎるし髪の色も今は閉じている目の色も東洋には無い色だ。加えて、少なくとも私のセンスからすれば彼女の東洋風の衣装はひどく似合っていない。メイド服の方が似合うのに。脚、もっと見せた方がいいのに。
まあ外見に関しては妖怪だから、と言われれば口を噤まざるを得ない。異国人の姿をした妖怪、というのは珍しいものではないし。でも、初めて出会った場所がウェールズだったせいか英語が達者だったし――ラテン語やフランス語で話してるのを聞いたこともあるし。とにかく、服装や拳法以外で東洋を感じさせることが殆ど無いのだ。自分のことに関して口が軽い彼女だけれど――なんというか、信用できないというか、考えれば考えるほど、謎が深まって怪しくなって……正体不明。
それでも知ってることはある。私のレパートリーの中で一番好きなのはラザニアである、とか。東洋出身とか言ってるくせに私が趣味でやってる創作中華のメニューではないところにカチンとくるが、確かな情報だろうと思う。頸動脈にナイフを押し当てながら訊いたのだから間違いはない――と、思いたい。はぁ、困ったものだ。自己欺瞞も出来ないか。ああまでやって確証を得られないのはひとえに紅美鈴という妖怪の曲者っぷりが原因だ。これでも観察眼には自信がある。数え切れない、憶え切れない程度の数、人間を解体してきた殺人鬼なのだ。行動パターン、会話の癖、その程度の情報があれば仕草一つから思考まで読み取ることも容易い――のに、彼女にはそれが通じない。人間ではなく妖怪だから、という言い訳も使えないのが厄介だ。事実として吸血鬼や魔女には私の観察眼は通じる。なのに紅美鈴には届かない。どこか飄々としていて、何を話しても冗談半分からかい半分に聞こえてしまう。根掘り葉掘り訊いたところでそれが真実とはとても思えない――曲者、としか言いようがない女である。
嘘つきというわけではないのだけれど。
これは私が彼女のキャラクターを掴み切れてないということになるのかしら。
結構長い付き合いなのに、なんてもやっとしてしまう。いや、ただ単に紅美鈴という女は底なし沼のように奥が深いのかもしれない。私の底なんて殺人鬼だってことくらいしかないほどに浅いから、かけ離れているから理解できないだけなのかもしれない。
「はあ」
思わずため息。
考えれば考えるほど思考がネガティブに傾く。
私は殺人鬼。基本的にポジティブな人間なのに。
よし、考えるのはやめ。お仕事に戻りましょう。
さしあたっては――この居眠り門番を館の中に回収、かな。紅魔館の世間体の為にも、ついでにこいつの身の安全の為にも熟睡してるのならしまっちゃった方がいいでしょう。世間体に関しては手遅れって気がするけれど。
「デュフ」
でゅふ?
「ふ、ふ、デュフフ」
もしかして笑ってるのかこれ。
気っ味悪い寝言だな。鳥肌立つかと思った。
こうしてはいられない。館の世間体の為に一秒でも早く回収せねば。
「――あぁん」
え。
「んっ……ちょ……あっ……」
え、え、なにこれ。
伸ばしかけた手が止まってた。
「だ、ダメです……ぁん……もう……止まりませんよ……咲夜さ」
ぱちん。
時を止める。思考停止状態でも使えるのね私の能力。
うん。状況を整理しよう。今の寝言から推察するに。
凄いなこいつ。衆人環視の中で淫夢見てる。
お相手は私みたいだから許すけど。でも、放置はできない、わよね?
幸い今のところは周囲に誰もいないが、いつ妖精が通りかかるか知れたものじゃない。時を止めたまま運ぶのは無理だし、そう力持ちでもない私が結構大きい美鈴を運んでる最中に寝言を聞かれたらと思うと――起こすか。
エプロンの下から大振りのナイフを取り出す。
最近手に入れた逸品。東方……幻想郷から見れば西方の部族が振るうというその名もグルカナイフ。売り口上によれば正式名称はククリといい、一撃で鹿の首も落とすとか。試し斬りにちょうどいい機会よね。
ぱちりと指を鳴らして時を動かす。
「ん――うへへぇ」
迷わず脳天目掛けてナイフを振り下ろし――――
「ワァオ。なにすんですか咲夜さん」
見事な真剣白刃取りで、止められた。
灰色がかった薄い青の瞳がしっかりと私を見ている。
数秒前まで夢を見るほどに寝ていた筈なのに、完璧な対応をされた。
時を動かしてからナイフが振り下ろされるまで一秒もなかったと思うんだけど。
何度も殺し損ねてるけど、本当にどうやってるのかしら、こいつ。
「隙だらけだったから、つい」
「こんな激しい目覚めのキスは許容範囲外ですよ?」
やだ、なんてはしたないこと言い出すのこいつ。
思わずナイフ持ち替えて刺殺しそうになっちゃったじゃない。
刺殺なんて、私が一番好きな殺し方……恥ずかしいわ。
「つーかえらい散漫な殺気ですね……ふぁ……気づくの遅れちゃいましたよ」
言って彼女はナイフから手を放す。あれで遅れたって、カンマ何秒の話よ。
呆れながらグルカナイフをエプロンの下にしまう。武術の達人ってわけわかんない領域にいるなあ。
それでも寝ぼけているのは本当らしく、美鈴は頭をぼりぼり掻きながら周りを見回す。
「……えっと、あれ? ご飯の時間でしたっけ?」
「いい加減時計を持ちなさいよ」
ぱちんと蓋を開けて私の懐中時計を彼女の眼前に突き付ける。
「をや? こんな時間に何故咲夜さんが」
「居眠りしてるのが目に入ったから」
「ふむ……んんー……おっけーおっけー」
「何がおっけーな」
しゅば、なんて音が聞こえそうなスピードで、見事なドゲザスタイル。
「すんませんうっかり寝ちゃいましたマジすんません」
おいどこでドゲザスタイルなんて覚えたチャイニーズ。
なんてツッコミを忘れてしまうほどに、ヒールで踏みたい後頭部。帽子も落ちてて無防備極まりないことこの上なし。やめて美鈴、靴に仕込んだピックで踏み抜いちゃいたくなる。あのね? 私あなたを殺すときはなるべくその綺麗な顔を残すようにバラしたいの。だからほんとやめて。この体勢からだと顔面突き破っちゃうから。私のピンヒール、石畳程度の強度なら貫通できるの。
「……なに身悶えてんですか咲夜さん。誘ってます?」
「はっ」
いつの間にか美鈴は立ち上がっていて、フェアリーボーリング(妖精がピンとなりボール役の妖精が体当たりして何人倒せるかを競う暇を極めた妖精遊戯)を見るような冷たい目で私を見ていた。彼女、普段笑顔が多い上に背が高くて美人だから余計なまでに氷点下の視線に見えちゃう。
「……そんな目で見ないで」
流石の私だって、殺したい相手にそんな冷たい目をされたら傷つく。
ポジティブシンキングな殺人鬼だってナイーブなのだ。
「いきなり体くねくねされたら誰だってこういう反応しますよ」
っく、そろそろ流してよね! 本気で恥ずかしいから! ほんと鈍いっていうかデリカシーに欠けてるなこいつは!
「腹掻っ捌くわよ」
「おぉっといい天気だなーこりゃうっかり寝ちゃうなー」
ぼそっと呟いたのが効いたのかようやく話を逸らしてくれた。
自力で気づいてくれなかったが、ちょっと悲しい。
はあ、殺る気削がれちゃったわ。
「てかサボってたのはスイマセンなんですけど」
ん?
「咲夜さん、仕事は?」
「お嬢様方はお休みになられてるわ」
「ああ暇なんですね?」
そうよ暇が出来たからあなたを殺しに来たのに寝てたのよ。
挙句起きたら起きたでこの有様だし。やってらんねーわ。
「咲夜さん、地が出てる」
「おおっと」
危ない危ない。態度に出てしまった。
館の中ならともかく館の外では優雅に瀟洒に。紅魔館の名に泥は塗れないわ。
「相変わらず皮一枚剥げばガサツですよねー咲夜さん」
あははーとか笑ってんじゃねえよ。必死に取り繕ってんだろうが。
「メイドやるよりビリングスゲイトで魚売る方が性分に合ってるんじゃないですかね」
よりによってあそこを出すかこの女。不名誉なんてもんじゃない。無言で刺しても許される。
「本当に顔で保ってますよね外面」
「あなたの顔首から斬り落として飾っておきたいと思ってたけど今は切り刻みたいわ」
「ふふ、笑顔でナイフ取り出さないでくださいマジスンマセンした土下座していいですか」
だいぶぷっつんしそうになったけれど。
まあ顔を褒められたのは嬉しいからおとなしく引いてあげよう。
安い女と思わば思え。殺したいとときめく殺人鬼にプライドなんて存在しない。よしんばあったとしても1ペニーで売ってやるわ。いやさ半ペニーでも、1ファージングでも構わない。むしろ引き取ってくれるなら1シリング払ってやるわ。
でも、まあ、プライド云々は抜きにして、この顔がなきゃ取り繕えないほどにガサツな性格というのは、うん。正直否定できない。だって田舎生まれイーストエンド育ちなんだもの。野犬と本気で食糧の奪い合いしたことあるもの。なんでメイドの職務全般オールマイティにこなせるかと言えば、ジェントリやお貴族様になんか雇ってもらえなかったから中流のご家庭でなんでも従者のジェネラルサーヴァントやって糊口を凌いでたからに決まってるじゃない。根本的に下層思考なのよ。本物のお貴族様であるお嬢様方のようにはいかないわ。
うん。持ち直しかけた気持ちがまた沈んだ。
「……あの、すいません。言い過ぎました」
申し訳なさそうな顔しないで。追い打ちになるから。
なんかもうロンドンに帰りたい。空気バカみたいにまずかったけど我慢するから。
あー……優雅にパーラーメイドだけとかやってみたかったなー……
「さ、咲夜さん!」
「あん?」
もう外面取り繕うのもめんどくさい。
「久しぶりに私が食事の用意しますから元気出して! なんでしたら英国料理でもいいですよ!?」
こいつの中では元気を出すイコール食事、なのだろうか。
「旅してる時覚えた1500年くらい前の料理再現しましょうか! 野性味溢れてて元気出ますよ!」
千五百年前って暗黒時代じゃないか。丸焼きがごちそうの。
私をなんだと思ってるんだ、と強く言えないのが悲しい。うん。ワイルドな少女時代でした。
くっ……! 考えれば考えるほどそれで元気出そうなのが嫌だ……!
でもそれで元気出たら落ち込んだ原因思い出してどういう顔すればいいのかわからなくなる!
なんでこいつ最高と最悪を同時に満たす手段を選んでくるのよ!?
「駄目でしたか!? 咲夜さんにぴったりだと思ったんですけど!」
悪意は無いんだろうけどどこまで私のこと理解しちゃってんの!?
「な、ならちょっと図書館行ってローマ時代の美味いの調べてとかほらそんなかんじ」
「ああもうわかった、わかったわよ」
ダメ。耐え切れない。落ち込んでられない。
どんどん必死になる美鈴に、嬉しさが込み上げて止まらない。
美鈴が、彼女が私の為に必死になるってことが嬉し過ぎて。
はぁ、やっぱり、プライドマイナス1シリングで売る。安い女でいい。
「許すから、気にしないで」
ほっと胸を撫で下ろす美鈴に背を向ける。
仕えるお嬢様の名に泥を塗らないようこのガサツさを隠してるのに。
優雅さを失わぬようポーカーフェイスであろうと努めてるのに。
顔が熱くなるのを、隠し切れない。
殺る気、出ちゃうじゃない。
「もう、本当に――殺したくなっちゃう」
呟き。しかしそれは彼女に届いていて、予想外の駄目だしを返された。
「え、今日はもう殺しに来たでしょ。殺しは一日一回なんでしょ、咲夜さん」
「ん……まぁ」
そういう決まりはないのだけれど。いつの間にか、そういう慣例が出来ていた。
ガサツな私にも恥はある。一日に何度も殺しに行くなんて、盛りのついた犬みたいな真似したくない。
彼女がどこまで気づいているのか知らないが、そんな拘束力のないルールが出来てしまっている。
だけど、彼女を起こすための一撃をカウントしているのならあれは違うと難癖をつけられる。
この私が一撃だけで終わらせるわけがないでしょう? とか。
あれはお仕置きで私の楽しい殺しの時間じゃないわよ、とか。
だけど、なんか、気分のアップダウンが激し過ぎて、自分自身についていけない。
殺したいのに殺したくないような、絡まった意図。
――殺したくない? 私が? 殺人鬼である、十六夜咲夜が?
美鈴を、よりによって、彼女を……殺したくない、なんて。
「咲夜さん」
声をかけられ、弾かれるように振り向く。
心配そうな顔で、私を見ている。美鈴が、私を。
「……大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」
「え――ああ、大丈夫。大丈夫よ」
反射的に出た言葉は、自分で呆れかえるほどに説得力が無い。
頭の中が掻き混ぜられているようで、ろくな嘘も言えなかった。
どんどん、気分が悪くなる。
「あの、部屋まで送りましょうか?」
向けられ続ける、心配そうな視線。
さっきとは違って――ネガティブな意味で、耐えられなかった。
「気にしないで」
自分でも驚くほどに冷たい声が出た。
そのまま続けそうになる言葉を飲み込む。
――人食いなんかに心配されたくない。
私らしくない。十六夜咲夜が目指す瀟洒さからはかけ離れた感情的な言葉。
このまま見ていたら睨んでしまいそうで、背を向ける。
「…………」
まだ感じる、遠慮がちな視線。
しかし振り向くわけにはいかない。私の気分は荒れたままだから。
喧嘩を売りたいわけじゃない。このまま続けても不毛なだけだ。
溜息をついて、背を向けたまま歩き出す。
「どこに行くんです?」
珍しく引き止めるような言葉。
後ろ髪を引かれるけれど、少し、間を置きたい。
だから口から出るのは誤魔化しの言葉。
「お風呂。一緒に入る?」
彼女が仕事を放棄しないことを知った上で誘う。
「また首を絞められるのは御免です」
「そ」
わかりきっていたお断りに、今度こそ振り返らず立ち去る。
仕事じゃなく私を理由に断られたのが、ちょっとだけ、悲しかった。
自室に戻るとシャワールームへ直行した。
服を脱ぎ捨て髪をほどきコックを捻る。熱いシャワーを浴びても、頭の中はこんがらがったまま。
原因は――なんだろう。きっと、美鈴なんだろうけれど、美鈴の何がこうさせているのか。あの殺したいのに殺したくないような気持ちは、なんだったのか。シャワーを浴びながら考え込めば意外なほどにあっさりと答えに行き着いた。
人食いだと言いながら、誰も食べない美鈴。私を食べようとしない、美鈴。
私はこんなにも殺したいと思っているのに彼女は私を――その、対比。
つまりは、相手にされていないという悲しさ。我ながら子供っぽい理由だった。
構ってもらおうと色んな殺し方をしたのに、全て受け流されてあしらわれた。
まとめてしまうと、本当に子供っぽい。要するに私は拗ねているのだ。
とどめが、起こそうとナイフを振るっただけのことを私の殺人行為と勘違いされたこと。
私の殺意を――その程度に思われていた、と知ってしまったから。
「はぁ――」
シャワーの熱が足りない。こんなのじゃこの苛立ちを洗い流せない。
「勝手だって、わかっているけど」
私が殺したいと思うこの気持ちに比肩しうる感情を彼女にも抱いてほしいなんて。
本当に身勝手。言うほど彼女のことを知らないのに。人食いを理解しているなんて、言えないのに。
人食いと殺人鬼は違う。どちらも人を害するものだけれど、私はあくまで人間だ。彼女のような生粋の人外じゃない。だから理解できなくて当たり前。羊の皮を被った狼は、人食い虎と同じではない。考え方も好みも愛情表現も、通じなくて当然。そもそも、理解されたいと願うこと自体が罪。
私は殺人鬼。誰からも理解されない――異常者なのだから。
そう、殺人鬼だから、彼女は私を食べないのかもしれない。羊の皮を被っているけれど、私自身人間だと思っているけれど、虎は狼を美味しくないと思っているのかもしれない。彼女は人食いだから。食べられるのは、いつだって無力な羊だから。
だけど、今更殺人鬼をやめられない。ただの人間になんか戻れない。
たとえ美鈴に理解されず、捕食対象から外れた者と見られても。
殺すという愛情表現が異常だ、なんて、とっくに知っている。殺人鬼とは異常者であるということも自覚している。だってそうでなければ社会生活なんて送れない。自分が異端であるとわかっているから狼は羊の群れの中で生きられるのだ。
孤立しながら孤独ではないように――誤魔化せる。
以前、一度だけ、異常だと自覚しているのなら直せと言われたことがある。もっともな言葉だ。普通で、当たり前で、極々自然な、言葉だろう。少数が大多数に合わせるのは生き物として当然のこと。禁忌を口にし智慧を得た獣とてそれは変わらない。否、智慧があるからこそ、それは深く激しくなる。曰く、排斥されたくなければ異端を正せ。それは間違いなく正論だ。異端である私が認めよう。だけど、正論で正せるくらいならば鬼なんて呼ばれない。正しいとわかっても、異常だと悩んでも、呼吸のように食事のように殺してしまうからこその殺人鬼。手遅れだからこその、鬼なのだ。
――なんて、全部が全部、言い訳でしかないのだけれど。
正論に屈したわけじゃない。鬼だからと開き直ったわけじゃない。
もっと曖昧で稚拙でどうしようもない理由で私は殺人鬼のままでいようと決めたのだ。
私が羊になれないと悟ったのは、狼の分際で虎を殺したいと欲してしまったから。
人食い虎を、全身全霊を以て殺したいと、身を焦がす熱情に呑み込まれてしまったから。
初めて出逢ったあの日、美鈴を殺したいと――思ってしまったからだった。
出逢いを回想する。
私と彼女は、紅魔館が幻想郷に来る前、イングランドからそう遠くないウェールズのとある森の中にある頃に出逢った。
あの日も彼女は門の前に立っていて、お嬢様との面接を済ませ雇われることが決まってから挨拶をしに行った。
第一印象は、あまり良くなかった。
警戒心が足りてない。こんなので門番が務まるのか。実際私を通してしまっている。
だが無意味に喧嘩を売る趣味は無い。お嬢様に名づけられたばかりの十六夜咲夜と名乗り、挨拶の言葉を交わした。第一印象が良くなかったせいか、適当な会話になる。努めて彼女を知ろうなんて思わなかった。私にとって、彼女はどうでもいい存在だった。
適当な会話を続けるうちに彼女の名を知る。
ホン・メイリン。チャイニーズのような響きだ。
しかし外見にそぐわない名だな、としか思わず、どうでもいいままの彼女にどうでもいい言葉を返した。
「よろしくね、美鈴」
それが引き金。
どうでもいいと思い続けたがために、あっさりとそれは行われた。
私にとって殺人とは意識せず行ってしまう呼吸に等しい行為。
自覚したときにはもう遅い。私の安物のナイフは彼女の首目掛けて放たれていた。
勢いが乗り過ぎていた。私の腕力じゃもうキャンセルはきかない。無理に軌道を変えれば即死の出来ない致命傷になる。ならこのまま殺してあげた方がまだ慈悲があると、一秒にも満たない時間で諦めてナイフを振り切った。
はずだった。
手首を捻挫している。指も、折れたかもしれないほどに痛い。
自分でも止められない勢いの斬撃で、ナイフのグリップが壊れている。
止められた。
受け止められた。
私自身どうしようもないと諦めた致死の一撃を。
噛んで止めるなんて荒唐無稽で理不尽で馬鹿みたいな不条理で。
いいや、手段なんてどうでもいい。止めたという事実が、殺せなかったという事実が重要。
呆然と二言三言の言葉を交わす。そんな会話は微塵も頭に入ってこない。
ただ、彼女が人食いの化け物であるということだけは脳に刻み付けられた。
人食い。怪物。人外。
私と同じ、人の姿をした害悪。
殺人鬼にも等しい、化け物。
「うふふ」
口が勝手に笑ってしまう。
止まらない。考えるよりも早く言葉が紡がれていく。
素敵よ、美鈴。
初対面からちょっと時間は経ってしまったけれど。
こういうのも、一目惚れと言っていいのかしら?
殺したい。
ズタズタに切り裂きたい。
バラバラに解体したい。
彼女の血を浴びたい。
彼女の生首を抱き締めたい。
彼女の心臓にキスしたい。
美鈴の、命が、欲しい。
――――こんなにも殺したいと思ったのなんて、初めて。
その気持ちを嘘偽りなく言葉にする。
「きっとね、私、あなたを殺したいんだわ」
それが、始まり。
殺人鬼のままでいいと、殺人鬼のままでいたいとさえ思った理由。
美鈴を、殺したいと、願った。
だから私はただの人間に戻れない。
あの想いを、この熱狂を、間違いだったと終わらせたくない。
異常でいい。異端で構わない。罵られたって笑って流そう。
どんな罵倒も届かない。私の想いは誰にも否定出来やしない。
どれだけ歪んでいても、どれだけ狂っていても。
この想いを……嘘にしたくない。
「――はぁ」
コックを捻りシャワーを止める。
タオルで乱雑に髪を拭いて、かけておいたバスローブを羽織った。
なんとなく、湯気で曇った鏡の前で足を止める。手で曇りを拭い鏡の中の私を見つめた。
水を滴らせる銀髪。彼女のそれより濃い青の瞳。そして、バスローブの上からでもわかる、貧相な身体。
「まあ、美味しそうじゃないわよね」
どうしようもない現実から目を逸らして、彼女が私を狙わない口実を探してしまう。
本当に、身勝手。私が勝手に惚れたのに、彼女にも最大級の感情を向けて欲しいと願ってしまう。
欲深で卑しくて浅ましい。奪うだけの殺人鬼が願っていいことじゃない。
もう一度、深く溜息を吐いた。ネガティブのループから脱却できないなんて。
ひと眠りしようかなとシャワールームから出ると、部屋の暗さに気づいた。
慌てて脱いだ服といっしょに置いた懐中時計を探す。
うそ、もうこんな時間? 何時間シャワー浴びてたのよ私。
窓の外は夕暮れで、陽が完全に沈むまであと一時間もかからない。
もうすぐお嬢様方がお起きになる時間じゃない――こんな酷いミス、久しぶりだわ。
髪乾くかしら……ん? ノックされてる……
「誰?」
髪を拭いながらドアの前まで移動して声をかける。
「美鈴です」
え。
「ちょっといいですか?」
指を鳴らして時間を止める。
えっと、髪は拭いた。後は自然に乾くに任せるしかない。でも時間を止めてたら乾かないしそれよりええと服、服は着なきゃ流石にこんな恰好のままなんて、いや裸を見せるのは平気だけどお風呂とかならともかく部屋でとか自分の貧相さ鏡で確認した直後になんてなんか色々とあれっていうかあああまずは服着なきゃ!
いつも通りの部屋着に着替え脱いでおいた服はシャワールームに放り込み時は動き出す。
「いいわよ」
息を整えろ、これくらいで息が上がるなんて情けないわよ十六夜咲夜。
戸が開き、美鈴が顔を覗かせる。
「失礼しま――ん? あれ、お風呂上がりですか?」
「部屋のシャワーよ。ちょっと、考え事してて」
う、流石に突っ込まれるか。彼女にお風呂に入るって言ったのは何時間も前だし。
まだ髪が渇いてないなんて――そうだ。髪の時間だけ進めて乾かせばよかったんだ……
もうめんどくさいからやらないけど。
っていうかなんで部屋着になってるのよ私。これからすぐ仕事なんだからメイド服着なさいよ。
どんだけ慌ててたのよ、私……
「ああ、あれ私使ったことないんですよね。いつも大浴場の方行っちゃって」
そういえば、いつもなら彼女はお風呂に向かってる時間か。
「仕事上がり?」
「はい、引き継ぎ済ませてきましたよ」
ちょっと早引けしましたけど、と彼女は笑いながら頭を掻いた。
早引け? そりゃ今はハンターがごろごろしてた外の世界とは違うのだし、構わないけれど……
居眠りはしても遅刻欠勤はしない彼女が? 珍しいこともあったものだ。
って。
「何を持ってるの?」
ドアに隠れていた左手に、盆に乗せられた何かを持っている。
「そうそう、間食といきません?」
言って彼女はにこりと笑う。
間食、って。
「……私、これから仕事なんだけど」
「まあまあ、ちょっとくらい時間あるでしょう? いざとなればこの部屋以外の時間を止めるってのも出来るんですし」
まあ出来るけど。それが私の能力頼みっていうのが、しまらないわよねぇ。
苦笑して、部屋に通す。どうもと入ってくる彼女を見上げながら部屋の外の時間を止めた。
普段はヒールの高い靴を履いてるから意識しないけれど、やっぱり美鈴は背が高い。
殺気もないし、威圧感があるわけじゃないけど――なんか、腰が引けてしまう。
それほど身長差はないのに、まだ引きずってるのかしら、私。
こんなだから――ん? ハーブの香り……これは、パセリ?
「どうぞ、冷めないうちに」
テーブルの上に置かれた盆。埃除けのナプキンの下にあったのは……
「イールシチュー?」
エメラルドグリーンのソースで覆われた白身肉……でも、こんなのどこで。
「ひとっ走りして屋台で分けてもらったんですよ。あそこ、ヤツメウナギだってウナギ出してたりしますからね」
まさか、早引けってその為? 移動時間とか調理時間とか計算すれば辻褄は合うけど……
「なんか様子がおかしかったんで」
パンにコーヒーにスプーンを並べて彼女は笑う。
「ロンドンがどうのって呟いてましたから、懐かしの味を、とね」
つくづく食事が元気の源なのね。
まったく、こっちはあなたのことで散々悩んでいたっていうのに。
そんな笑顔で乗り越えられてしまったら――拒めないじゃない。
「それじゃ、いただきます」
席についてシチューを一口。
うん、パセリが利いててウナギの臭みがなく美味しい。
「そういえば、いっしょにロンドンで食べたわね」
「ビリングスゲイトの近くでしたね。あの辺は美味しいストリートベンダーが多いから」
「幻想郷じゃ夜雀のところくらいなのにね」
「あそこも美味いんですけど……たまには他の味もって思っちゃうんですよね」
「ふふ、いっそあなたが始めたら? 紅魔館の門前は許可しないけど、裏ならいいわよ」
「相変わらず無茶ぶりしてくれますねぇ。調理器具全部買い直しーとか、大荷物持たされて大変でしたよ」
そんなこともあった。
懐かしい味は、遠い記憶をも思い出させてくれた。
悩みは全然どうにもなってないのに、元気が出てきた気さえする。
こういうの、東洋じゃブッダの掌の上って言うんだっけ。
笑ったまま、つい嫌味を口にしてしまう。
「イールシチューなんて、私に精をつけてどうするつもり?」
「他意はありませんよ? 元気になってほしいだけですって」
「放っておけば殺しに来なくなったのに、とは思わなかったの?」
「ありゃ、そいつはうっかりしてましたね」
だけど嫌味もあっさり流されて、冷めないうちに食べてくださいと促される。
はいはい、どうやら私の負けのようだし従うわよ。
「残さないでくださいよ」
「保証は出来かねるわ。私、小食だし」
「もっと食べて欲しいんですけどねぇ。咲夜さんには美人なままでいて欲しいから」
「……それ、関係あるの?」
「医食同源。健康は食事から、ですよ」
美容と健康は同じ……ねえ? あんまり意識したことないけれど。
お嬢様方は好き嫌い多いし、メイドたちは子供舌揃いだし。正直食べさせることだけ考えてた。
でもまあ、そういうのを考慮に入れたって、今回のこれは行き過ぎだと思う。
落ち込んだのを察せられたくらいならわかるが、それでもここまでやるだろうか?
私はまだ体調を崩してないのだから心配したにしたってやり過ぎ。
さっきの嫌味がそのまま疑問になってしまう。
味が良かったのか疑問が勝ったのか、それともお腹が空いていたのか、いつの間にか完食していた。
半ば上の空のままごちそうさまと告げ食後のコーヒーをいただく。
うーん、このまま考え続けてもまたループしそうだし……
いっそ直接訊いてしまおうか。そうすれば、少しは彼女のこと理解できるかもしれないのだし。
「おそまつさまでした」
「あ、美鈴」
片付けを始めようとする彼女を止める。
えっと、ううん、もうストレートでいいか。
「なんでそんなに心配してくれるの?」
「え? 当然じゃないですか」
直球の問いに返ってきたのは、直球の答えだった。
「美味しそうな人には、優しくしてあげたいものでしょ?」
なに? おいしそう? 美味しそう? ――私が?
混乱する間も無い。頭の中がただ一色に染め上げられる。
ああ、こんな一言で。
たった一言で、初めて出逢ったあの時のように。
心がざわついて、頭が茹だって、心臓が爆発しそう。
狙ってる。
狙われてる。
美鈴が、私を食べようとしてくれている。
ちゃんと彼女は私を認めてくれていた。食料として見てくれていた。
彼女の本質が求めるものとして、十六夜咲夜を選んでくれていた。
私が、彼女を、彼女だけを殺したいと願うように。
もう――我慢、出来ない。
「ねえ177㎝」
「身長で呼ばないでくださいよ172㎝」
「いやそんなつもりじゃなかったのよ鉄拳公主」
「なんで私の忘れたいあだ名知ってんです切り裂きジャック」
「図書館に来てた胡散臭い邪仙に教えてもらったのGカップ」
「あんにゃろう何言いふらしてやがる即座に忘れてくださいCカップ」
「ごめんねダーリン」
「真顔で何言ってんですかハニー」
ごめんね。また、殺したくなっちゃった。
指をぱちんと鳴らす。この部屋以外の止めていた時間を戻す。
余計なことになんか力を使えない。使える全てを、彼女の為に使いたい。
一日に何度も殺しに行くなんて、がっついてるみたいで恥ずかしい。
そんなことを考えていたことすら忘れてしまいそう。
「――美鈴」
このポジティブな殺意は、止まらない。
彼女の為なら、盛りのついた犬に堕ちるのも構わない。
「は? 何か言いまし――」
隙の無いだらけきった顔目掛けてナイフを振るう。
当然のようにナイフは空を切り、彼女は距離を取ろうと後ろに跳んだ。
鎖で繋がれているように私も飛び出す。そのままナイフを突き出しても躱される。
ああ、素敵。
美鈴はどこまでも殺せない。
私の想いはいつまでも果たされない。
この熱い熱い恋心を、永久に久遠に永劫に、失えない。
ああ、素晴らしい。
私の殺意は終わらない。
私の恋は止まらない。
「死んで頂戴」
この想いを受け止めて。
「殺してあげる」
愛しているわ。
「は――」
美鈴は、きう、と口角を吊り上げる。
投擲されたナイフを弾きながら逃げるのをやめた。
「全力で」
真正面から私を見据えて。
「お断りします」
抱き止めるような、迎撃態勢。
彼女は死なない。殺されない。
誰でも殺せる私が、殺しきれない。
私の殺意を/愛情を、全身で受け止めてくれる。
うふ。
ふ、ふふ、うふふふふふふ。
素敵。最高。パーフェクト。
もう言葉なんて要らない。
あなたと私だけいればいい。
ナイフと拳だけあればいい。
さあ
ダンスを/殺し合いを
はじめましょう
美鈴がんばれ超がんばれ
超絶甘ッ甘でしたね!!相思相愛、お前ら早く結婚しちゃえよ血みどろ新婚ライフ送っちゃえよ。
終盤のめーりんの言葉でデレデレになっちゃう咲夜さんがちょー可愛いです。デレた結果遠慮なく殺しにかかってるけど。
殺意も食欲も恋も本能的な衝動だなんて、素敵すぎて漏らしそうです
いや、その本質は判らないものの、咲夜の痛切なまでの想いが綺麗に描かれてて、すいすい読めました。
猫井さんの文章、合う感じです。
個人的には、最後の身長からダーリン、ハニーまでのやり取りのテンポがイチ押しでした。
前作を読み返してから読みました。
美鈴視点と違って相手の行動に一喜一憂してる咲夜さんがマジ恋する乙女でとてもかわいかったです。
さらりと殺し文句を言ってのける美鈴は咲夜さんにドロッドロに愛されると良いです。
テンポの良い言葉のやり取りはもう夫婦ですか?夫婦ですね!
この二人の雰囲気とても好きなので次があればまた読みたいです!
すてきなめーさくありがとうございました!(砂糖吐きつつ
最後に美鈴から同じように見られているところで元気を取り戻すのがいいですね
彼女らの視点から見ると、
殺すという行為は愛情表現なんですな
あと、177㎝の会話に吹いたww