Coolier - 新生・東方創想話

蝶の傷痕

2013/05/03 16:42:50
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 軍勢が鯨波をどよもし、野の土を蹴立てて勢いよく突き進んでいく。

 豊聡耳太子の御上覧に供するべく、数百の軍馬を動員して今日の狩競(かりくら)は催されたと、青娥は聞いている。倭国における軍(いくさ)の司(つかさ)たる物部氏(もののべうじ)の威勢在るを、天下(あめのした)に示すには恰好のものともいえる企てだった。だけれど、隋人である青娥にしてみれば、およそ倭人の催す狩競――これ見よがしの軍事調練でさえある――など退屈の一語でしかありえない。どんないくさであれ、ずっと遠くから眺めるのならおもちゃの人形を並べているのとさして違うものではない。

「乱声(らんじょう)、乱声」

 鉄の甲冑をまとった馬上の人、物部大連(もののべのおおむらじ)の声だ。顎に髭の生えた蛇、といった風貌の痩身の武人だった。その号令一下、籠から放たれた雉を追って幾十かの軍兵が一斉に移動を開始する。向こうにある草叢の奥には鹿も数多居るという。軍鼓が叩かれ鉦(かね)がしきりにかき鳴らされる。鬨の声と、それから軍勢が大地を踏みつける音がひときわ高々と響き渡る。大連も自ら馬に鞭をくれ、軍勢の先を征かんとする。すべての様を、青娥は冷ややかに見つめるばかり。退屈げにあくびを噛み殺す。しかし。

「青娥。侍者がこれみよがしに眠たげな顔をするものではない」

 彼女のかたわらに在った太子からの、小さな声である。
 そうでしたわ、と、どこか拙いものがある倭の言葉で彼女は返した。今の自分は、豊聡耳太子の侍者のひとりとして衆目を欺いていることを忘れていた。表向きには太子の身辺に侍る舎人のひとりである。男装までしているのだ。太子以外の者に見咎められれば、まず間違いなく首が飛ぶ。

「もっとも、尸解仙に死ぬということはございませんが」
「首と胴が離れてもか」
「あいにくと、死神のつるぎに抱かれるを試したことは、未だ」

 軽口にもならぬものを叩くと、太子はさも可笑しげに微笑した。
 横目を遣って、青娥はその様子を観察する。大王の子としていずれ国政の枢要たるを定められた彼女の身は、歳にして、十を過ぎて未だほんの幾年といったところだったはずだ。今しも雉に、あるいは鹿に矢を射かける物部氏の軍勢に対し、恩寵ある眼差しを向けねばならぬということは重々に承知しているはずである。都合の良い寄る辺を求めて倭国の土を踏んだ青娥とは違う。

 が、やはり少女は少女でしかないのだった。
 目ざとく、青娥は太子の異変に気づいてしまった。
 膝の上で、彼女は両の手をしきりにこすり合わせている。ああ、と、青娥は溜め息を漏らす。自らにも憶えがある。水銀を練った丹薬は、ときおりひどく手足を痺れさせる。如何様に修練に励んだところで、仙人たるの身に至れぬ者とて世には多い。身体の質に丹の合わぬは、ただいたずらに病の気を増大させるだけなのだ。その果てに不死はなく、苦悶と病没が待つだけに過ぎない。とはいえ、豊聡耳太子に対して練丹を服するすべを教えたのは他ならぬ青娥である。師としての責はある。

「お身体が痛みますか」

 訊ねると、太子は溜め息混じりに応える(いらえる)。

「ええ。この頃はとみに」

 物部の軍勢が、最初の獲物を狩り出してきた。鹿が一頭。
 そのときの歓声に押し潰され、ふたりの会話が周囲にまで聞こえていくことはない。

「何がしか、お身体の痛みを和らげる薬をご用意いたしましょうか」
「青娥、其(そ)は道士としての修練の妨げにあらずや」
「お命が喪われるよりは、ましというもの」

 こすり合わせる手の動きを止め、太子は唇を引き結んだ。口角がくいとかすかに上がる。ならば是とする、という意味の表情であった。実に愉しげにお笑いになると、青娥は思う。幼少から、その身の香には芳しさすら在ると語られる人物なのだ。天壌無窮(てんじょうむきゅう)の生命を欲する後ろ暗い意があったところで、余人を惹きつける天賦の力は衰えを知らない。

「では、青娥は新たな丹薬の材料を探しに行って参ります」
「何を。君は、この退屈な狩競の上覧から抜け出したいだけでしょう?」
「まあ、それも。……あらかじめ、近き野に私の“犬”を遊ばせておりますから。今に籠いっぱいの野芹でも、御食(みけ)に供することもできましょう」

 皮肉の混じった口ぶりをしつつ、青娥は豊聡耳太子を幾重にも取り巻く人壁を、霧か煙ででもあるかのごとく、するりと通り抜けていく。背後では、太子があくびをしている気配があった。


――――――


「芳香。どう、調子は」
「ああ、青娥……」

 狩競に励む物部の軍勢もはや遠い。
 舎人の『青娥』は男装を解いて、羽衣をまとった尸解仙の『霍青娥』となる。
 辺りに人家はない。人影も獣の気配もない。濃密な草花のにおい、樹木の枝葉に潜む諸々の虫に野鳥のさえずりだけが、そこに踏み入る者の感覚を弄するのだ。五月の太陽は日増しに熱を増している。烈しい光をその背で受け止め、草叢の真中にしゃがみこむただ一点の腐れたにおいを青娥は慈しんだ。それは少女の姿をしていた。膝や足首が奇妙な方向にねじ曲がっている。曲がらぬ脚の関節を無理に曲げたせいで、めちゃくちゃに折れてしまったのだろう。おかげで歩けなくなっているな、と、直感する青娥。

「芳香。かわいい芳香。野芹摘みの首尾は、いかが?」

 わざわざ訊くまでもないけれど――とは思いながら、青娥は少女に微笑を向ける。ゆっくりと、少女は青娥にまで首をめぐらした。額に貼りつけられた一枚の符の下から、濁った眼が青娥を覗く。目元には薄黒い隈。それに首筋には痩せた蝿が憩っている。近づいて、青娥は芳香にまとわりつく蝿を払ってやった。芳香という少女に、およそ生理的な不快という感覚は欠如していた。青娥が手伝ってやらなければ、蝿だろうがなめくじだろうがその身に這うままになってしまう。

 隋の官人を模して、青娥が芳香のためにつくってやった冠(こうぶり)を、彼女は足下に踏み潰してしまっているのを気づきもしない。紐で結っていたはずの髪の毛も、今はほどけてばらばらになっている。ほつれた髪を手で梳いてやりながら、青娥は再び訊ねることをした。

「野芹は摘めたのかしら、芳香」
「ちょうちょ」
「ちょうちょ?」
「ちょうちょ、捕まえた……」

 見れば――、芳香がしゃがみ込む草叢のなかには、明らかに人の手で摘み取られたのだろう野芹が幾つも幾つも転がっていた。どこからから這い出てきた蟻の群れが、自分たちの道を塞ぐ野芹の束を器用に避けて歩いている。「ちょうちょって、何のこと」と、青娥は新たに訊ねた。

「白い、ちょうちょ。籠でつかまえてある」
「ああ、それで――――!」

 事情を察し、苦笑をする青娥だった。
 先ほどから、芳香は摘んだ野芹を溜めておく籠を、ずっと地面に伏せたままにしているのだ。おそらくは、青娥が命じた仕事をしているうちに、迷い込んだ蝶に興味を引かれ、せっかく摘んだ野芹を投げ出して籠でその蝶を捕まえた、と、そんなところなのだろう。

「いけない子ね、芳香。太子さまにお叱りを受けてしまうわ」

 とは言うものの、“犬”のしたことにいちいち腹を立てる豊聡耳太子でもなし。
 一生懸命に籠を押さえつける芳香の手を、青娥は取った。産まれついての強力(ごうりき)で六人の人間を殴り殺した男の筋繊維を移植してある芳香の腕は、その細腕の見た目に反して、重く固い。いや、重いのは芳香が「いやいや」の感情を持っている証だろうか。彼女は、“飼い主”が自分の蝶を逃がそうとしていると考えたに違いなかった。刑罰としての刺青の跡がほの見える、その薄暗い色の肌に掛けた手から、青娥はにわかに力を抜く。少し、意地悪い心持ちになっていた。

「帰りましょう、芳香」
 
 そう言って、代わりに籠へとすばやく手を掛ける。

「ちょうちょは、だめ。せっかくつかまえたのに」
「芳香はね、言いつけた仕事をできない悪い子ですもの」

 にいと笑って、青娥は籠を開け放った。
 捕らわれていた一匹の蝶が、得たりとばかりに宙へ踊る。あ、……! と、芳香は傷だらけの口腔(くち)のなかに熱い空気を呑み込んだ。満足に肘の曲がらぬ両腕をせいいっぱい伸ばし、叩きつけるようにして手のひらで蝶を覆う。

「つかまえた! 青娥、見て! つかまえた!」

 ぱあッと、何の屈託もあり得ない笑みを芳香は向けてくる。
 野芹摘みを投げ出したことも、そのお仕置きとして捕まえた蝶を逃がされたことも、今はもう、自分の手でまた新たに同じ蝶を捕まえたことの喜びで上書きされてしまっているらしい。困った子だと、青娥は笑う。

 やはり膝の関節が機能していないのだろう、芳香は立ち上がることもできず、何度も「青娥、青娥……」と寂しげな声を発した。なに言うこともなく、呼ばれた青娥は後ろから芳香を抱きすくめた。そうして、少女の閉じた両の手のひらをゆっくりと開かせていく。芳香の“ちょうちょ”は、すでにばらばらになっていた。

「あ、なんで……ちょうちょが」
「力の加減ができなかったのね。かわいそうに。ちょうちょは、死んでしまったわ」

 いったいどちらが“かわいそう”であるのか――蝶を握り潰してしまった芳香か、それとも芳香に握り潰された蝶なのだろうか。青娥は、もう何も言わなかった。ただ、なぜか、釈然としない、無性に乾いたいら立ちに突き動かされた。潰れた蝶の屍骸ごと、彼女は後ろから芳香の手をぎゅうと握り締める。屍体の首筋から漂ってくる、熟れすぎて腐れた果実のような、毒々しい甘さをかすかに吸い込む。耳の付け根から顎の始まりにかけて残る縫い後に、ほんの瞬きほどのあいだだけ、弱々しく唇を押し当てる。口づけとも言えないようなものを。

「芳香、こっちを向いて」

 ゆっくりと顔を巡らす芳香。彼女は屍体だ、涙を流すことはない。ただ呆然と、青娥の言に従うだけだ。青娥は、ずっと握り締めていた少女の手を離すと、自分の手指にまで蝶の鱗粉(りんぷん)が移っていることを確かめた。そうして、ほんのわずかしか残っていないそれを、紅を引くみたいにして芳香の唇に塗りつけた。

「青娥……?」
「罰よ、芳香。罪を犯した者はね、顔に刺青を入れられなければならないの」

 かつて、芳香の顔にもあったはずの刺青の跡を、青娥の視線がツいと撫でる。
 首を傾げるということも知らないままに、急に見つめられた意味が解せない芳香は、ただ眼を丸くするばかりだった。少女の手から、黄金色の血を流す蝶の屍骸が、ぽとりと滑り落ちていった。
 
タイトルの思い浮かばなさに完全敗北したSS作者UC
こうず
http://twitter.com/kouzu
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コメント



0.210簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
流れ変わったな
2.100名前が無い程度の能力削除
お美事にござる
5.90名前が無い程度の能力削除
青娥にゃんマジ邪仙。
ところで、芳香を平安時代より前に出すと後で切ないことになるかもしれません。
6.90名前が無い程度の能力削除
青娥が抱く苛立ちとは蝶と変じられない事へのやるせなさか。
太子も芳香も、はたまた青娥自身も。

罪人。
芳香は大陸の罪人だったのだろうか。
それとも罪人の身体を継ぎ接ぎして生まれたのか。
果たしてこれだけ罪深い青娥は罪人ならずや?

まあ邪仙ですし、道教の真髄的にも慙愧の念など抱くべきではないのでしょう。
そう云った倫道と道(タオ)との背反にこそ『霍青娥』の魅力があるのでしょう。
8.90名前が無い程度の能力削除
イイネ。SSのお手本って感じ
芳香の過去と太子のこれからにすっごい興味を駆りたてられます
9.60名前が無い程度の能力削除
うーん、いまいち理解に至らなかった。前半の太子とのやり取りと、後半の青娥と芳香とのやりとりに関係性を見出だせなくて、なんだか抜き身の刀に合わぬ鞘を渡されたかのよう。どこか自傷気味な切れ味ある青娥と芳香パートが、読み終わった後に首のすわりが悪いのです。
もちろんこれは私の理解不足も多分にあるかと思いますので、作者さまにおかれましては不快になるかもしれませんが、ひとつの感想として見て頂ければ幸いです。
それにしても青娥と芳香の見せ方が絶妙でして、ものすごく好みでした。
12.80名前が無い程度の能力削除
生命あふれる野の風景と、そこに佇む屍体。
取り合わせに、目が眩みます。けれど美しい。
13.90奇声を発する程度の能力削除
しっかりした雰囲気があり良かったです
14.903削除
芳香がこの時代に居る……?
まあそれは置いておいて、文章が上手いと思いました。