4月の暮れ。某県の国立大学に通う20歳の青年、友人に誘われてこの度『東方Project』の二次創作作品を創る、所謂『同人サークル』なるものを結成する運びとなっていた。
そんなわけで友人から勧められるまま『東方紅魔郷』を手に帰宅。夕食、風呂、家族にお休みを言うと早速2階の自室に籠ってプレイする事に。ちなみにこの青年、友人宅で遊んだ『東方非想天則』以来の東方原作ゲームでありシューティングの腕はからっきしであった。紅魔郷ぐらいはやっておかないと馬鹿にされる。そう思って始めてみたがこれが中々面白い。
熱中する事2時間。ようやく3面をクリアし4面へと入ろうという時、彼の携帯電話が『狂気の瞳』のメロディを奏で始めた。
登録外番号からの着信音。お楽しみの最中を邪魔されていい気分はしなかった。いつもなら無視して留守電のメッセージを聞く。ところが今回は、何故か出なければならないような妙な胸騒ぎがして青年は携帯を手に取った。
非通知番号。不審に思いながら通話ボタンを押す。
「もしも……」
「あー、どうもこんにちは!あ、そっちはこんばんはですね」
電話口の相手は女性のようだった。しかし妙にハツラツとしていて青年は一瞬たじろいだ。
「この度は紅魔郷をプレイしていただきありがとうございます」
「は?」
「ところで、お兄さんEasyですかNormalですか?」
その質問はあまりに唐突で青年はますますたじろぐ。
「はい?」
「いえ、ですからEasyですか?それともNormalですか?」
「あの……意味がよく」
「これは失礼しました。お兄さんは東方紅魔郷をEasyモードでプレイしてますか?それともNormalモードですか?」
「Normalですけど……」
「それはいい!Easyだとレミリア様には会えないんですよー。その選択グッドです」
ここに来てようやく青年は相手が東方紅魔郷の話題をしている事に気がついた。しかし自分は友人含め周囲に女っけなどない。というよりこの唐突さは何なのだろうか?
「あの、すいませんがどちら様でしょうか?」
「あ、まだ名乗ってませんでしたね。と言っても名乗る名前なんてないんですけどね。ヒッヒッヒ」
「あの……」
「でもあえて名乗るなら小悪魔です」
「はい?」
「ええ、ですから小悪魔です。それともお兄さんはこぁ派ですか?ココアですか?最近少なくなってきたリトルの方がよかったですかね。まあ私にとってはなんだって構わないんですが」
青年はちょっとずつ事を整理しはじめた。電話口の女性はどうやら東方キャラクターの1人、小悪魔のつもりでいるらしい。
「あ、今疑いましたね」
「そんな事信じられるわけないじゃないですか。切りますよ」
頭のネジが外れた女の相手なんてしていられるか!青年は心の中でそう叫んだ。今から4面、いよいよ紅魔館の中に突入する。本物の小悪魔は目の前だというのに。
「まあ待ってくださいよ。お兄さんが電話切ると霊夢さんと戦わなくちゃならないんです」
「は?」
「お兄さんプレイヤーキャラ霊夢さんでしょ。しかも針装備。あれ痛いんですよ」
「何で……」
知ってるのか?小悪魔を名乗る女性は最後まで言わせなかった。
「なんでってそれは窓から見てましたから美鈴さん倒すところ」
青年は背筋に悪寒を感じて慌ててカーテンを開けた。窓の外に出てベランダを左右見渡すが人影はない。
「お兄さん今、窓の外見ましたよね」
女性は再び言い当てた。
「どこから見てるんですか!」
「いえ、今のはカンです。よくあたるんですよ悪魔的直感。当たりました?」
青年はパソコンの画面へと視線を移した。ポーズ画面のまま何一つ変わっていない東方紅魔郷の画面がある。
「私の言った窓は紅魔館の窓ですよ」
愉快そうな笑いが耳にこだまする。
「あなた、なんなんですか!?」
「ですから小悪魔ですよ。それを信じてもらわないと。それとも清楚で真面目な司書の話し方をした方がよかったですか?生憎今日の私はイタズラ好きな方なんです。紅魔郷のおまけテキストを参照してください。あ、呼び方はコアでもリトルでもなんでもいいですよ。それは本質じゃありませんから」
青年はゴクリと唾を飲み込んだ。その間今までしゃべりまくっていた女性が一言も発しないのは自分の解答をまっているからに違いなかった。
「あの、本当に本物の小悪魔なんですか?」
「はい」
今更とも思える質問に返事が返って来た。青年の胸中は何か怖い物を見ているような、それとも喜ぶべきなのかグチャグチャな気分で埋め尽くされていく。そして、相手を疑いながらも東方ファンなら誰もが一度は考えたであろう質問を電話口の小悪魔にぶつけた。
「あの、幻想郷って本当にあるんですか?」
その問いかけに小悪魔はタップリと時間をかけて「はい」と答えた。
「ただ、現実に存在するのかというとそれはノーですね」
「は?」
「幻想郷はどこにでも在ってどこにも在りません。私の人格はどこにでも在ってどこにもないのです」
「あの、えっと?」
「難しかったですよね?パチュリー様の真似です。一度やってみたかったんですよ。難しい言葉で有耶無耶にするの」
「え?あの」
「あぁ、心配しなくても大丈夫ですよ。私そういう事しませんから。短答に言いますと幻想郷という場所は現実の世界には存在しないんですよ。私達は仮想世界の住人なんです」
「仮想世界……」
「えぇ。あと人の頭の中にもいますよ」
「それってつまりどういう事でしょう?」
「ターミネーター3のオチって知ってますか?」
「まあ」
「つまりそういう事です。昔、私達キャラクターの人格は東方を知る全ての人達の頭の中にのみ存在していました。しかしネットの普及、二次創作の隆盛で一個人の脳内に存在していた幻想郷はその頭の外にまで世界を広げるようになっていったんです。その結果、集合知としての幻想郷、集合知としての私がこうして生まれたわけなのです。わかりますか?」
「……いえ、あんまり」
「ようするに外の世界のみなさんがたくさん二次創作してくれたおかげって事ですよ。八百万の神だとかそんなようなものです」
「はぁ……」
「まあ、そんな事はどうでもいいじゃないですか。私はここにいる。それだけで十分だと思いませんか?」
言っている事は科学的なようで全くの非科学。しかし何か妙な説得力がある。何より言っている事を信じないとゲーム内の情報を的確に言い当てた事の説明にならない。
「それで、なんで僕に電話を?」
「あなただけに次元の壁を越えて幻想郷に来る方法を教えようと思いましてね」
「本当ですかッ!」
「ええ、いいですか今から言うURLにアクセスしてください。いきますよhttp……」
「あっ!ちょっと待って、まだメモの準備が……」
「そのページにアクセスしたらキャッシュカードの暗証番号入力するところありますから」
「え?」
「冗談ですよ。そういう詐欺もあるかもしれませんからお兄さんも気を付けてくださいね」
「え、あ、はい……」
小悪魔はまたも愉快そうに笑った。
「なんでお電話したのかって言いますと、実のところ気まぐれです」
「はい?」
「気まぐれです」
「あ、はぁ。てっきりこれ以上プレイするのは止めてほしいって頼まれるものかと」
「そんな事はしませんよ。さっきはああ言いましたがゲームはゲームです。別に痛くないですし」
「じゃあなんで?」
「本当はダメなんですけどね。今更紅魔郷を新しく買ってプレイする人ってどんな人なのか気になるんですよ」
その言葉に青年の鼓動は否応なく高まった。東方Projectのキャラクターが自分の事を気になると言ってくれた。ファンとして誇らしい。
「あ、はい。ありがとうございます!」
「はい?」
「あの、今度友達とイベントサークル参加しようと思っていて!それで原作を知ろうと」
「二次創作してくれるんですか?嬉しいですね」
電話口の小悪魔の声が華やいだように思えて青年はますます嬉しくなった。
「はい!」
「私出てきますか?」
「はい!妹がパチェコア結構好きなんで。2人がメインの小説を」
「へー、妹様がいるんですね。それで私はなんて呼ばれるんです?」
「妹に、ですか?」
「いえ、あなたの作品の中でですよ」
「えっと、コアって書いてます。それで大丈夫ですよね?」
「コアですか」
小悪魔は笑っているような調子で言ったが青年はどことなく責められているような気がした。コアではまずかったのだろうか。
「あ、あの……ダメでした?じゃあ小悪魔で」
「いえ、そんな事ないですよ。コアで結構です。名前なんて私の本質じゃありませんから」
青年がホッとしたのも束の間、小悪魔は訊ねる。
「それで、どうして私はコアって呼ばれるんですか?」
「え?」
「作中で、なんで私がコアって呼ばれるのか訊いてるんです。理由じゃなくてもそれを上手く活かした設定だったり。色んな作者さんが色んな解釈してくれますからね。これを聞くのが結構楽しみなんですよ」
少し悩んだ後にそういうのは妹の方がよく知ってるだろうな。という結論に至った。
「あ、ちょっと待ってください。今妹に聞いてきますから」
青年が立ち上がろうとした。しかし
「私はあなたに聞いてるんです」
今度ははっきりと怒気の交じった声が耳を打つ。
「え?」
「私が聞きたかったのは妹様の解釈でもまとめWikiの文章でもなくてあなたの解釈なんですけどねぇ」
今まで楽しそうに会話していたのが嘘のような静寂が続く。
青年にはその沈黙が耐えられない。
「いや、あの……すみません」
小悪魔はそれを聞いていたのかいないのか
「あなたには羽はないですよね」
「え?」
突然変わった話に青年は思わず聞き返した。羽と言ったのだろうか。それとも聞き間違いだったのか。
「羽が無い事、気にした事あります?」
「え?いえ、そんな事考えたことなんて」
「そうですよねー。周りの皆さんにもありませんもんね。羽」
「……はい」
「周りの皆さんが当たり前のように空を飛んだら、あなたも空を飛びたくなるんでしょうね」
「そりゃあまあ……」
「へー」
小悪魔のそっけない返事。さっきまでの華やいだ小悪魔とはまるで違う事に青年は少なからず動揺していた。
一体どうしたというのだろうか。
しばしの間また妙な沈黙が続いたかと思うと小悪魔が元の明るい調子で語りだした。
「おてんばでイタズラ好きな妹ココアと図書館に住むしっかり者の私。素敵な設定です」
「え?」
「魔界から拾って来られた下級悪魔、名前を持たない私に安直でセンスの無い名前を付けたパチュリー様に尽す私。素敵な設定です」
「え、あの……その」
「私の自由意思を束縛しないために敢えて主従契約を未完にして名前を与えなかったパチュリー様。素敵な設定です」
小悪魔は青年の反応を確かめる事もない。口調は明るく変わらず淡々と
「忠誠心ではなく上司と部下。仲良くもありサバサバとした関係。名前は無いけれど愛称のコアで呼ばれる私。素敵な設定です」
青年はただただ息を飲んだ。鼓動が速くなっていくのが自分でも分かった。
「元々図書館に住んでいた悪魔。パチュリー様の本にイタズラしてはお仕置きをされる。素敵な設定です。みんなみんな素敵な設定です。私はそういうのが聞きたかったんですよ。あなたの頭の中に居る私をあなたの言葉で」
そんな事、青年はただの一度も考えた事はなかった。だから何も言い返す事ができない。自分は小悪魔を怒らせてしまったのだろうか。謝らなければならないのだろうか。
「考えた事がないなら、それでもいいんですよ。そう言ってくれれば」
小悪魔の電話越しのため息がまた青年の胸を叩く。
「私はですね。実のところ名前が無い事を気にした事なんて一度もありません。もちろん気にしている私も存在してるんですけどね。全ての私自身を見ている私にとって名前なんて本質じゃないんですよ。名前が無いってどういう事だか解りますか?名前が無いっていうのは自由って事なんです。私を束縛する存在なんてどこにもいないんです。私を物語る作者さん達がそうであるように、私はこうして宙返りだってできますよ」
小悪魔は愉快そうに笑う。しかし青年にはそれは笑い声ではなかった。
「翻ってあなたはどうなんです?人気があるから私達のファンになったんじゃないですか?お友達に誘われたからイベントに行くんじゃないんですか?他の誰かが望む私を描いて、そこにあなたはいるんですか?あなたの人生、実は誰かが決めてるんじゃないんでしょうかねぇ。周りがしないとあなたは宙返りできないんでしょう?周りなんてほっといて空を飛びたいってどうして考えないのです」
電話を握る手はじっとりと脂汗で濡れていた。部屋を見渡すと友人に勧められるがままに買った同人誌やグッズの数々。その中にいるはずのキャラクターにどうして自分は責められているのか?今までどんな物語を見てもこんな小悪魔は存在しなかった。これが現実なのだろうか。ならばこれは小悪魔だけではないかもしれない。他のキャラクターも同様に自分の知らない顔を持っていてそれが本当の顔だったとしたら。
「自分の意思も持たない人に書かれるのってすっごく不愉快な事なんですよ」
青年が今まで築き上げてきた幻想郷という世界が砂山のように崩れ始めた。
茫然自失となる青年の耳に小悪魔の声。
「『お前なんてコアじゃない!』とも言えないんですねぇ」
唐突に電話が切られた。
ツーツーという音に青年は我に帰る。と、同時に通話時間表示がこれを現実だと証拠づける。
青年は慌ててパソコンの電源を落とすと友人に電話をかけた。理由も言わずに自分はイベントに参加しない事を告げる。そんなあまりの慌てようを半開きのドアから青年の妹が見ていた。
「兄貴サークルやめるの?」
年の近い妹に青年は背を向けたまま答える。
「あ、ああ」
「そう。ま、いいんじゃないの。人が寝てるのに隣の部屋で大音量で東方やるんだもの。サークル参加しても上手くいかなかったって」
彼の妹はそう言うと小悪魔的な笑みを浮かべてドアを閉めた。
そんなわけで友人から勧められるまま『東方紅魔郷』を手に帰宅。夕食、風呂、家族にお休みを言うと早速2階の自室に籠ってプレイする事に。ちなみにこの青年、友人宅で遊んだ『東方非想天則』以来の東方原作ゲームでありシューティングの腕はからっきしであった。紅魔郷ぐらいはやっておかないと馬鹿にされる。そう思って始めてみたがこれが中々面白い。
熱中する事2時間。ようやく3面をクリアし4面へと入ろうという時、彼の携帯電話が『狂気の瞳』のメロディを奏で始めた。
登録外番号からの着信音。お楽しみの最中を邪魔されていい気分はしなかった。いつもなら無視して留守電のメッセージを聞く。ところが今回は、何故か出なければならないような妙な胸騒ぎがして青年は携帯を手に取った。
非通知番号。不審に思いながら通話ボタンを押す。
「もしも……」
「あー、どうもこんにちは!あ、そっちはこんばんはですね」
電話口の相手は女性のようだった。しかし妙にハツラツとしていて青年は一瞬たじろいだ。
「この度は紅魔郷をプレイしていただきありがとうございます」
「は?」
「ところで、お兄さんEasyですかNormalですか?」
その質問はあまりに唐突で青年はますますたじろぐ。
「はい?」
「いえ、ですからEasyですか?それともNormalですか?」
「あの……意味がよく」
「これは失礼しました。お兄さんは東方紅魔郷をEasyモードでプレイしてますか?それともNormalモードですか?」
「Normalですけど……」
「それはいい!Easyだとレミリア様には会えないんですよー。その選択グッドです」
ここに来てようやく青年は相手が東方紅魔郷の話題をしている事に気がついた。しかし自分は友人含め周囲に女っけなどない。というよりこの唐突さは何なのだろうか?
「あの、すいませんがどちら様でしょうか?」
「あ、まだ名乗ってませんでしたね。と言っても名乗る名前なんてないんですけどね。ヒッヒッヒ」
「あの……」
「でもあえて名乗るなら小悪魔です」
「はい?」
「ええ、ですから小悪魔です。それともお兄さんはこぁ派ですか?ココアですか?最近少なくなってきたリトルの方がよかったですかね。まあ私にとってはなんだって構わないんですが」
青年はちょっとずつ事を整理しはじめた。電話口の女性はどうやら東方キャラクターの1人、小悪魔のつもりでいるらしい。
「あ、今疑いましたね」
「そんな事信じられるわけないじゃないですか。切りますよ」
頭のネジが外れた女の相手なんてしていられるか!青年は心の中でそう叫んだ。今から4面、いよいよ紅魔館の中に突入する。本物の小悪魔は目の前だというのに。
「まあ待ってくださいよ。お兄さんが電話切ると霊夢さんと戦わなくちゃならないんです」
「は?」
「お兄さんプレイヤーキャラ霊夢さんでしょ。しかも針装備。あれ痛いんですよ」
「何で……」
知ってるのか?小悪魔を名乗る女性は最後まで言わせなかった。
「なんでってそれは窓から見てましたから美鈴さん倒すところ」
青年は背筋に悪寒を感じて慌ててカーテンを開けた。窓の外に出てベランダを左右見渡すが人影はない。
「お兄さん今、窓の外見ましたよね」
女性は再び言い当てた。
「どこから見てるんですか!」
「いえ、今のはカンです。よくあたるんですよ悪魔的直感。当たりました?」
青年はパソコンの画面へと視線を移した。ポーズ画面のまま何一つ変わっていない東方紅魔郷の画面がある。
「私の言った窓は紅魔館の窓ですよ」
愉快そうな笑いが耳にこだまする。
「あなた、なんなんですか!?」
「ですから小悪魔ですよ。それを信じてもらわないと。それとも清楚で真面目な司書の話し方をした方がよかったですか?生憎今日の私はイタズラ好きな方なんです。紅魔郷のおまけテキストを参照してください。あ、呼び方はコアでもリトルでもなんでもいいですよ。それは本質じゃありませんから」
青年はゴクリと唾を飲み込んだ。その間今までしゃべりまくっていた女性が一言も発しないのは自分の解答をまっているからに違いなかった。
「あの、本当に本物の小悪魔なんですか?」
「はい」
今更とも思える質問に返事が返って来た。青年の胸中は何か怖い物を見ているような、それとも喜ぶべきなのかグチャグチャな気分で埋め尽くされていく。そして、相手を疑いながらも東方ファンなら誰もが一度は考えたであろう質問を電話口の小悪魔にぶつけた。
「あの、幻想郷って本当にあるんですか?」
その問いかけに小悪魔はタップリと時間をかけて「はい」と答えた。
「ただ、現実に存在するのかというとそれはノーですね」
「は?」
「幻想郷はどこにでも在ってどこにも在りません。私の人格はどこにでも在ってどこにもないのです」
「あの、えっと?」
「難しかったですよね?パチュリー様の真似です。一度やってみたかったんですよ。難しい言葉で有耶無耶にするの」
「え?あの」
「あぁ、心配しなくても大丈夫ですよ。私そういう事しませんから。短答に言いますと幻想郷という場所は現実の世界には存在しないんですよ。私達は仮想世界の住人なんです」
「仮想世界……」
「えぇ。あと人の頭の中にもいますよ」
「それってつまりどういう事でしょう?」
「ターミネーター3のオチって知ってますか?」
「まあ」
「つまりそういう事です。昔、私達キャラクターの人格は東方を知る全ての人達の頭の中にのみ存在していました。しかしネットの普及、二次創作の隆盛で一個人の脳内に存在していた幻想郷はその頭の外にまで世界を広げるようになっていったんです。その結果、集合知としての幻想郷、集合知としての私がこうして生まれたわけなのです。わかりますか?」
「……いえ、あんまり」
「ようするに外の世界のみなさんがたくさん二次創作してくれたおかげって事ですよ。八百万の神だとかそんなようなものです」
「はぁ……」
「まあ、そんな事はどうでもいいじゃないですか。私はここにいる。それだけで十分だと思いませんか?」
言っている事は科学的なようで全くの非科学。しかし何か妙な説得力がある。何より言っている事を信じないとゲーム内の情報を的確に言い当てた事の説明にならない。
「それで、なんで僕に電話を?」
「あなただけに次元の壁を越えて幻想郷に来る方法を教えようと思いましてね」
「本当ですかッ!」
「ええ、いいですか今から言うURLにアクセスしてください。いきますよhttp……」
「あっ!ちょっと待って、まだメモの準備が……」
「そのページにアクセスしたらキャッシュカードの暗証番号入力するところありますから」
「え?」
「冗談ですよ。そういう詐欺もあるかもしれませんからお兄さんも気を付けてくださいね」
「え、あ、はい……」
小悪魔はまたも愉快そうに笑った。
「なんでお電話したのかって言いますと、実のところ気まぐれです」
「はい?」
「気まぐれです」
「あ、はぁ。てっきりこれ以上プレイするのは止めてほしいって頼まれるものかと」
「そんな事はしませんよ。さっきはああ言いましたがゲームはゲームです。別に痛くないですし」
「じゃあなんで?」
「本当はダメなんですけどね。今更紅魔郷を新しく買ってプレイする人ってどんな人なのか気になるんですよ」
その言葉に青年の鼓動は否応なく高まった。東方Projectのキャラクターが自分の事を気になると言ってくれた。ファンとして誇らしい。
「あ、はい。ありがとうございます!」
「はい?」
「あの、今度友達とイベントサークル参加しようと思っていて!それで原作を知ろうと」
「二次創作してくれるんですか?嬉しいですね」
電話口の小悪魔の声が華やいだように思えて青年はますます嬉しくなった。
「はい!」
「私出てきますか?」
「はい!妹がパチェコア結構好きなんで。2人がメインの小説を」
「へー、妹様がいるんですね。それで私はなんて呼ばれるんです?」
「妹に、ですか?」
「いえ、あなたの作品の中でですよ」
「えっと、コアって書いてます。それで大丈夫ですよね?」
「コアですか」
小悪魔は笑っているような調子で言ったが青年はどことなく責められているような気がした。コアではまずかったのだろうか。
「あ、あの……ダメでした?じゃあ小悪魔で」
「いえ、そんな事ないですよ。コアで結構です。名前なんて私の本質じゃありませんから」
青年がホッとしたのも束の間、小悪魔は訊ねる。
「それで、どうして私はコアって呼ばれるんですか?」
「え?」
「作中で、なんで私がコアって呼ばれるのか訊いてるんです。理由じゃなくてもそれを上手く活かした設定だったり。色んな作者さんが色んな解釈してくれますからね。これを聞くのが結構楽しみなんですよ」
少し悩んだ後にそういうのは妹の方がよく知ってるだろうな。という結論に至った。
「あ、ちょっと待ってください。今妹に聞いてきますから」
青年が立ち上がろうとした。しかし
「私はあなたに聞いてるんです」
今度ははっきりと怒気の交じった声が耳を打つ。
「え?」
「私が聞きたかったのは妹様の解釈でもまとめWikiの文章でもなくてあなたの解釈なんですけどねぇ」
今まで楽しそうに会話していたのが嘘のような静寂が続く。
青年にはその沈黙が耐えられない。
「いや、あの……すみません」
小悪魔はそれを聞いていたのかいないのか
「あなたには羽はないですよね」
「え?」
突然変わった話に青年は思わず聞き返した。羽と言ったのだろうか。それとも聞き間違いだったのか。
「羽が無い事、気にした事あります?」
「え?いえ、そんな事考えたことなんて」
「そうですよねー。周りの皆さんにもありませんもんね。羽」
「……はい」
「周りの皆さんが当たり前のように空を飛んだら、あなたも空を飛びたくなるんでしょうね」
「そりゃあまあ……」
「へー」
小悪魔のそっけない返事。さっきまでの華やいだ小悪魔とはまるで違う事に青年は少なからず動揺していた。
一体どうしたというのだろうか。
しばしの間また妙な沈黙が続いたかと思うと小悪魔が元の明るい調子で語りだした。
「おてんばでイタズラ好きな妹ココアと図書館に住むしっかり者の私。素敵な設定です」
「え?」
「魔界から拾って来られた下級悪魔、名前を持たない私に安直でセンスの無い名前を付けたパチュリー様に尽す私。素敵な設定です」
「え、あの……その」
「私の自由意思を束縛しないために敢えて主従契約を未完にして名前を与えなかったパチュリー様。素敵な設定です」
小悪魔は青年の反応を確かめる事もない。口調は明るく変わらず淡々と
「忠誠心ではなく上司と部下。仲良くもありサバサバとした関係。名前は無いけれど愛称のコアで呼ばれる私。素敵な設定です」
青年はただただ息を飲んだ。鼓動が速くなっていくのが自分でも分かった。
「元々図書館に住んでいた悪魔。パチュリー様の本にイタズラしてはお仕置きをされる。素敵な設定です。みんなみんな素敵な設定です。私はそういうのが聞きたかったんですよ。あなたの頭の中に居る私をあなたの言葉で」
そんな事、青年はただの一度も考えた事はなかった。だから何も言い返す事ができない。自分は小悪魔を怒らせてしまったのだろうか。謝らなければならないのだろうか。
「考えた事がないなら、それでもいいんですよ。そう言ってくれれば」
小悪魔の電話越しのため息がまた青年の胸を叩く。
「私はですね。実のところ名前が無い事を気にした事なんて一度もありません。もちろん気にしている私も存在してるんですけどね。全ての私自身を見ている私にとって名前なんて本質じゃないんですよ。名前が無いってどういう事だか解りますか?名前が無いっていうのは自由って事なんです。私を束縛する存在なんてどこにもいないんです。私を物語る作者さん達がそうであるように、私はこうして宙返りだってできますよ」
小悪魔は愉快そうに笑う。しかし青年にはそれは笑い声ではなかった。
「翻ってあなたはどうなんです?人気があるから私達のファンになったんじゃないですか?お友達に誘われたからイベントに行くんじゃないんですか?他の誰かが望む私を描いて、そこにあなたはいるんですか?あなたの人生、実は誰かが決めてるんじゃないんでしょうかねぇ。周りがしないとあなたは宙返りできないんでしょう?周りなんてほっといて空を飛びたいってどうして考えないのです」
電話を握る手はじっとりと脂汗で濡れていた。部屋を見渡すと友人に勧められるがままに買った同人誌やグッズの数々。その中にいるはずのキャラクターにどうして自分は責められているのか?今までどんな物語を見てもこんな小悪魔は存在しなかった。これが現実なのだろうか。ならばこれは小悪魔だけではないかもしれない。他のキャラクターも同様に自分の知らない顔を持っていてそれが本当の顔だったとしたら。
「自分の意思も持たない人に書かれるのってすっごく不愉快な事なんですよ」
青年が今まで築き上げてきた幻想郷という世界が砂山のように崩れ始めた。
茫然自失となる青年の耳に小悪魔の声。
「『お前なんてコアじゃない!』とも言えないんですねぇ」
唐突に電話が切られた。
ツーツーという音に青年は我に帰る。と、同時に通話時間表示がこれを現実だと証拠づける。
青年は慌ててパソコンの電源を落とすと友人に電話をかけた。理由も言わずに自分はイベントに参加しない事を告げる。そんなあまりの慌てようを半開きのドアから青年の妹が見ていた。
「兄貴サークルやめるの?」
年の近い妹に青年は背を向けたまま答える。
「あ、ああ」
「そう。ま、いいんじゃないの。人が寝てるのに隣の部屋で大音量で東方やるんだもの。サークル参加しても上手くいかなかったって」
彼の妹はそう言うと小悪魔的な笑みを浮かべてドアを閉めた。
よくこういうアイディアが出るなと感服しました
見てて飽きないわ
実はあんまり考えたこと無かったり(汗
でも、この話を切っ掛けに、改めて彼女のことを考えて、真面目っ子な小悪魔でも、パチュリーへの忠誠心溢れる小悪魔でも、サボり魔の小悪魔でも、薄い本よろしくエロエロな小悪魔でも、どんな小悪魔でも見たり考えたりすると楽しいのだと再確認しました。
なので、彼女の可能性を狭めるようで、勿体なくて「これだ」って、一つのイメージに絞れません。
面白かったです
面白かったです。
そこを更に突っ込んで二次創作のあり方にまで言及する作品は極めて珍しいかと。