桜の散る季節となった幻想郷。花見も終わりが近付くこの季節、僕は変わらず本を読みながらの、僕流の花見を楽しんでいた。陽もそろそろ落ちる頃だが、まだ明るい。
今読んでいるのは 森崎和江『朝焼けの中で』。朝焼けの姿を見、言葉の貧しさや自然ひ表現力の素晴らしさを知る随筆だ。考えさせられる文が所々に散りばめられており、僕の知識欲を掻き立ててくれる。暇な時に読むとかなり時間が潰れるくらいに。
───────────カランカラン
しかし、いつも通り入口の鐘の音で僕の暇な時間は消える。
普通の客であるなら大歓迎だ。暇な時間と引き換えに客との楽しい時間、上手くいけば商品と引き換えにお金がもらえるからだ。
けれども幻想郷の現実はそう甘くない。やはりいつも通り霊夢と魔理沙が入ってきた。
「やあ香霖。相変わらず暇そうだな。まあいつもの事だが」
「やあ魔理沙。君にとって暇そうに見えても、一応僕の中では忙しいんだよ?」
「いつもか?それは大変だな。世界が全て忙しく見えそうだ」
こんな会話もいつも通りな感じだ。霊夢も勝手にお茶を淹れているし。 この香りは………またあのお茶を使ったのか。これで僕の分も用意していなかったら非道だなと思ったが、ちゃんと用意してくれた辺り霊夢もいつも通りだ。
勝手にお茶を淹れたりあのお茶を使ったりしなければ霊夢はいい子なんだけどな、と思いながらお茶を啜る。芳しい香りと程よい渋み。あぁ、特別な時の為にとっておきたい味だ。
「ところで香霖、何の本呼んでるんだ?えーと、どれどれ……?」
「あ、魔理沙、勝手に人の本を……まあいい、栞は外さないでくれよ」
魔理沙は「解ってるよ」と答え、頁をめくり栞が挟んである『朝焼けの中で』を開く。「ふむ」と呟きながら読み始めた魔理沙を見て、僕は小さく溜め息をついた。
「中々考えさせられる話だな。言葉の貧しさ、か」
「おや、奇遇だね。僕もそう思っていた。その話は、中々深い」
「ねえ、さっきから一体何の話をしているの?本を読んだ二人の話が全然読めないのだけれど」
ここで、黙ってお茶を飲んでいた霊夢が口を開く。確かに本の話をしているのだから本を読んでいない霊夢には解らない話か。
「言葉が貧しいだとか話が深いだとか一体何の話なの?」
「魔理沙が持っているその本のことだよ。何、君も読めば解る」
「ふーん」、と言いながら霊夢は魔理沙から本を奪い取った。一応僕の本だから乱暴には扱ってほしくないものだが、この二人に言ったところで無駄かもしれないと思い、変わりにこう言った。
「その本の、栞の入った頁だ。」
「えーと、この頁?『朝焼けの中で』で合ってるかしら?」
「合ってるよ」と言うと、霊夢は集中して読み始めた。
僕は何度も繰り返し読んだから内容を鮮明に覚えている。
霊夢が頁をめくる音と共に、僕の頭の中にその内容が蘇ってきた。
『八つか九つくらいの年頃だった。朝はまだひんやりしていた。私は門柱に寄りかかって空を見ていた。朝日が昇ろうとしていたのだろうと透明な空が色付いていた。
朝早く戸外にノートと鉛筆を持ち出して、私は何やら書き付けていた。が、空があまりに美しいので、その微妙な光線の変化を書き留めておきたくなって、雲の端の朝焼けの色や雲を遊ばせている黄金の空に向かって感嘆の叫びを上げつつ、それにふさわしい言葉をな並べようしし始めた。けれども何という光の舞踏……。
私はあの朝、初めて言葉というものの貧しさを知ったのである。絶望というものの味わいをも知ったのだった。自然の表現力の見事さに、人のそれは及びようのないことを、魂に染み通らせた。
打ちしおれる心と見事な自然の言葉に声を失う思いとを、共に抱き、涙ぐむようにしていると、父が出てきて、笑顔を向けてくれた。
何を話してくれたか、もう記憶にない。ただあの時の強い体験にふさわしいようないたわりが、父から流れてきたことだけが残っているそ空が白くなり、人間たちの朝が動いていく気配が満ちた。
いつの間にか文筆に関わって生きてきたけれど、言葉に対する私の感じ方には、あの朝の体験が深く広がっているようである。それは人間たちの深々とした生の営みの中で、言語化されている部分の小ささ、貧しさへの思いである。いや、まだ言葉になっていない広い領域のあることに対する、いとしさである。
言葉は、朝焼けの中の八歳の少女のようだ。』
回想を終えると共に、霊夢が本を閉じ、こちらに手渡してくれた。
栞もしっかりと挟まっている。
「何というか…… すごい人ね。外の世界の人なのに、考えはままるで幻想だわ」
「そうだね。多分この人は外の世界に居ながら幻想を見ていたのだろう」
この本の筆者は多分、この話を書くときに結構な時間をかけた筈である。何故なら、言葉の貧しさを知った時から、「言葉で表す」ことが難しくなるからだ。過去のこと、自然のこと、身の回りで起きたこと………
本当にこの言葉で表せているのか、という迷いが常に纏わりついてくるのである。それが始まった時のことを書くのなら尚更なのだ。
そう考えると、この話はおろか今自分が思っていること、僕の書いている日記も、広く見れば言葉自体も、全て未完成、ということになる。
それから目をそらし続けた結果が『言葉』なのだ。この筆者はそらし続けてきた『言葉』というものに立ち向かったのだ。それが八歳、九歳の頃だと言うのだから驚きである。
「あ、『言葉』で思い出したんだが、外の世界には『御託(オタク)』っていう人種がいるみたいだな。
『何か一つのことにその御(み)を託す』って意味なのかな」
「きっとそうね。あーあ、私の神社にもそういう人参拝しに来てくれないかしら………」
『御託』、か。外の世界で生まれた言葉なのだろう。
人間は今ある言葉で満足しきっている。新しい言葉は余程突発的に流行らない限り誰も受け入れない。
時代の変化は言葉の変化だ。この体制が解けない限り、人間はおろか、世界も変わらないだろう。
何年後になるかは解らないが、僕はきっと『言葉』を直視する時代が来ると踏んでいる。
僕はお茶を飲みながら、夕焼けの空を見つめた。
今読んでいるのは 森崎和江『朝焼けの中で』。朝焼けの姿を見、言葉の貧しさや自然ひ表現力の素晴らしさを知る随筆だ。考えさせられる文が所々に散りばめられており、僕の知識欲を掻き立ててくれる。暇な時に読むとかなり時間が潰れるくらいに。
───────────カランカラン
しかし、いつも通り入口の鐘の音で僕の暇な時間は消える。
普通の客であるなら大歓迎だ。暇な時間と引き換えに客との楽しい時間、上手くいけば商品と引き換えにお金がもらえるからだ。
けれども幻想郷の現実はそう甘くない。やはりいつも通り霊夢と魔理沙が入ってきた。
「やあ香霖。相変わらず暇そうだな。まあいつもの事だが」
「やあ魔理沙。君にとって暇そうに見えても、一応僕の中では忙しいんだよ?」
「いつもか?それは大変だな。世界が全て忙しく見えそうだ」
こんな会話もいつも通りな感じだ。霊夢も勝手にお茶を淹れているし。 この香りは………またあのお茶を使ったのか。これで僕の分も用意していなかったら非道だなと思ったが、ちゃんと用意してくれた辺り霊夢もいつも通りだ。
勝手にお茶を淹れたりあのお茶を使ったりしなければ霊夢はいい子なんだけどな、と思いながらお茶を啜る。芳しい香りと程よい渋み。あぁ、特別な時の為にとっておきたい味だ。
「ところで香霖、何の本呼んでるんだ?えーと、どれどれ……?」
「あ、魔理沙、勝手に人の本を……まあいい、栞は外さないでくれよ」
魔理沙は「解ってるよ」と答え、頁をめくり栞が挟んである『朝焼けの中で』を開く。「ふむ」と呟きながら読み始めた魔理沙を見て、僕は小さく溜め息をついた。
「中々考えさせられる話だな。言葉の貧しさ、か」
「おや、奇遇だね。僕もそう思っていた。その話は、中々深い」
「ねえ、さっきから一体何の話をしているの?本を読んだ二人の話が全然読めないのだけれど」
ここで、黙ってお茶を飲んでいた霊夢が口を開く。確かに本の話をしているのだから本を読んでいない霊夢には解らない話か。
「言葉が貧しいだとか話が深いだとか一体何の話なの?」
「魔理沙が持っているその本のことだよ。何、君も読めば解る」
「ふーん」、と言いながら霊夢は魔理沙から本を奪い取った。一応僕の本だから乱暴には扱ってほしくないものだが、この二人に言ったところで無駄かもしれないと思い、変わりにこう言った。
「その本の、栞の入った頁だ。」
「えーと、この頁?『朝焼けの中で』で合ってるかしら?」
「合ってるよ」と言うと、霊夢は集中して読み始めた。
僕は何度も繰り返し読んだから内容を鮮明に覚えている。
霊夢が頁をめくる音と共に、僕の頭の中にその内容が蘇ってきた。
『八つか九つくらいの年頃だった。朝はまだひんやりしていた。私は門柱に寄りかかって空を見ていた。朝日が昇ろうとしていたのだろうと透明な空が色付いていた。
朝早く戸外にノートと鉛筆を持ち出して、私は何やら書き付けていた。が、空があまりに美しいので、その微妙な光線の変化を書き留めておきたくなって、雲の端の朝焼けの色や雲を遊ばせている黄金の空に向かって感嘆の叫びを上げつつ、それにふさわしい言葉をな並べようしし始めた。けれども何という光の舞踏……。
私はあの朝、初めて言葉というものの貧しさを知ったのである。絶望というものの味わいをも知ったのだった。自然の表現力の見事さに、人のそれは及びようのないことを、魂に染み通らせた。
打ちしおれる心と見事な自然の言葉に声を失う思いとを、共に抱き、涙ぐむようにしていると、父が出てきて、笑顔を向けてくれた。
何を話してくれたか、もう記憶にない。ただあの時の強い体験にふさわしいようないたわりが、父から流れてきたことだけが残っているそ空が白くなり、人間たちの朝が動いていく気配が満ちた。
いつの間にか文筆に関わって生きてきたけれど、言葉に対する私の感じ方には、あの朝の体験が深く広がっているようである。それは人間たちの深々とした生の営みの中で、言語化されている部分の小ささ、貧しさへの思いである。いや、まだ言葉になっていない広い領域のあることに対する、いとしさである。
言葉は、朝焼けの中の八歳の少女のようだ。』
回想を終えると共に、霊夢が本を閉じ、こちらに手渡してくれた。
栞もしっかりと挟まっている。
「何というか…… すごい人ね。外の世界の人なのに、考えはままるで幻想だわ」
「そうだね。多分この人は外の世界に居ながら幻想を見ていたのだろう」
この本の筆者は多分、この話を書くときに結構な時間をかけた筈である。何故なら、言葉の貧しさを知った時から、「言葉で表す」ことが難しくなるからだ。過去のこと、自然のこと、身の回りで起きたこと………
本当にこの言葉で表せているのか、という迷いが常に纏わりついてくるのである。それが始まった時のことを書くのなら尚更なのだ。
そう考えると、この話はおろか今自分が思っていること、僕の書いている日記も、広く見れば言葉自体も、全て未完成、ということになる。
それから目をそらし続けた結果が『言葉』なのだ。この筆者はそらし続けてきた『言葉』というものに立ち向かったのだ。それが八歳、九歳の頃だと言うのだから驚きである。
「あ、『言葉』で思い出したんだが、外の世界には『御託(オタク)』っていう人種がいるみたいだな。
『何か一つのことにその御(み)を託す』って意味なのかな」
「きっとそうね。あーあ、私の神社にもそういう人参拝しに来てくれないかしら………」
『御託』、か。外の世界で生まれた言葉なのだろう。
人間は今ある言葉で満足しきっている。新しい言葉は余程突発的に流行らない限り誰も受け入れない。
時代の変化は言葉の変化だ。この体制が解けない限り、人間はおろか、世界も変わらないだろう。
何年後になるかは解らないが、僕はきっと『言葉』を直視する時代が来ると踏んでいる。
僕はお茶を飲みながら、夕焼けの空を見つめた。
香霖の本なら読みたがるかな