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「この幻想郷に、私の光を轟かせてやる」
5
「邪魔したな!」
年がら年中黒白で普通な魔法使いが、厳しい冬の中でもまだ暖かさを感じられる時間帯に博麗神社を飛び出した。
ほとんど参拝客の来ないこの神社の賽銭箱の中身はひんやりした空気と少量の葉っぱのみ。これが月初めならもう少しあるのだが、いかんせん今日は月末だ。かなり厳しい状況下にある。
ここ、博麗神社は幻想郷に住む力あるもの全てにとっての憩いの場であり、それは人間にしてはという程度の彼女も例外ではない。
しかし誰も賽銭を入れはしない。
「あの馬鹿、自分の使った湯飲みぐらい片付けていきなさいよ」
「まあ言ったところで無駄な気もしますけどね」
神社の一室に残されている二人の巫女。正確には片方は役職名は違うのだが、広義的には似たようなものだ。
先程去っていった魔法使いに愚痴を言った巫女は博麗霊夢。この神社の巫女であり、幻想郷の管理人としての役割もある。
あっけらかんとした調子で流したのは東風谷早苗。妖怪の山にある守矢神社の風祝で、時折博麗神社に遊びに来ているのだ。
「それにしても霊夢さん甘々なんですね」
お互い腋出しのファッションなのだが、巫女と言えば腋という方程式が成り立ちつつある今日、あまり異を唱えるものはいない。
その巫女服に蒼いラインを走らせている巫女が、霊夢を見ずに淡々と口にした。
「なにがよ」
突き放したように答える霊夢だが、普段からこういう態度だからか早苗も気にしていないようだ。
「何って、魔理沙さんに出してるお茶って、出涸らしとかじゃないですよね。むしろ一番濃いやつなんじゃないですか?」
「…………」
「それに魔理沙さんと居るときの霊夢さん少しにやついていますし」
「それは嘘ね」
「おお、よくわかりましたね」
馬鹿にしたように軽く拍手をする早苗に、紅白の巫女は苛立ちを覚え始めていた。
「…………何が言いたいのよ」
なかなか本題を切り出さない早苗に霊夢はキレ気味になっている。じろりと早苗は睨み付けられて彼女は少し怯んだが、早苗は負けじとその先を告げた。
「あんまりあの人を特別視しないことです」
「…………」
あまりにしれっと、しかし確信をついた言葉は反論を用意していた巫女の口を容易く封じ込めた。
早苗の言っている意味がすんなりと理解できたし、自分には対抗する材料を持ち合わせてもいない、その事に気がついたから霊夢は声を出すことができなかった。
「彼女は自分勝手でわがままで、傍にいると余計な苦労まで背負うことになります」
淡々と述べられる霊夢の親友の悪口。否定をしたいわけではないが、霊夢は何も言えなかった。
「何よりあなたは博麗の巫女なのですから」
現人神は現実を突きつける。幻想の住人に現実を押し付けるとはなんたる皮肉だろうか。
「…………あんたってあいつのこと嫌いなのね」
霊夢はようやくそれだけを口に出した。いや出せたと言った方が正しい。
早苗から背けるように逸らしたその瞳には迷いが宿っている。何度も自分に言い聞かせ、誓ってきたはずなのに、他人に指摘されるだけで自分の決心はこうも簡単に揺らいでしまうのかと、自分への侮蔑も共にあった。
「そうですね、同族嫌悪ってやつです」
自分が捨てたものを省みてか、早苗も少し遠い目をした。霊夢から見てもその姿は痛々しいものだった。
「それじゃあ私もそろそろ帰らないと待ち人に文句を言われてしまいます」
しばらく膠着状態が続き、ようやく早苗が腰を上げた。
「あんたも大変ね、二柱の世話をしなきゃいけないなんて。私ならかったるくてやってらんないわ」
間があったことにより霊夢も少し回復し、帰ろうとする早苗に声をかけることができた。
「そんなこと言ったら巫女失格ですって…………」
「失格ならあいつを甘やかしたっていいじゃないの」
「…………屁理屈ですね」
無気力ながらも少しは仕返しができたと言わんばかりに不適に笑う霊夢に早苗は別れを告げて自分の帰りを待つものたちのところへ急ぐ。
早く会いたい、会ってもっと話がしたい、もっと輝きを見ていたい、もっと触れ合いたい! と、早苗は胸を躍らせながら自分の居場所、守矢神社へと辿り着いた。
早苗は駆け足で居間に向かう。靴を脱ぎ、軽い音を板張りの廊下に響かせ、目的地寸前まで来ると、速やかに減速。息を整えて襖を開けた。
「おっかえりー早苗」
「お帰り、早苗」
「ただいまです、諏訪子様、神奈子様」
早苗の現実たる二柱に笑顔で応える。
「おうおう、忘れてもらっちゃあ困るぜ」
しかしこの神社の神々の他にもう一人、
「あら、もういたんですか」
それは今しがた彼女が批した少女。
「そうそう、こいつっていつの間にかいたっての多いよねー」
「忍者だな忍者」
「そういえば忍者って見たことないな」
自らを普通と称しながら決して普遍的でなく、
「まだ幻想入りしてないんじゃないですかね」
「なんと、そとではまだ現役なのか?」
「んなわけないって…………」
種族を越えて語り継がれる生きた伝説、或いは、
「ああそうでした…………ようこそ、魔理沙」
早苗の思い人である、霧雨魔理沙だった。
1
「で、魔理沙さんはこの本を紅魔館から盗んできたと」
「盗んでない、ただ借りてきてるだけだ。死ぬまでな」
博麗神社の一室に三人の娘がいる。一人は早苗、一人は霊夢。あと一人は職業魔法使いである霧雨魔理沙だ。
今日は紅魔館帰りという魔理沙が本を背負ってお茶を飲みに来ている。まあお茶をご馳走になりに来ること自体は不思議ではないが、彼女の性格や行動からして、用意する側の霊夢にとってはあまり気の進まないといった風な顔をする。しかしそれもあくまで表面上だ。霊夢は律儀に緑茶を煎れる。しかもかなり丁寧に。
「それはもはや借用ではありません。借りパクというんです」
「いいじゃないか、どうせ私たちみたいな人間の一生なんてあいつらからしたら一瞬なんだし」
「それは振り返ってみたらの話です。実際になくなっている時間は困っているかもしれないじゃないですか」
「あー知らない知らない」
「……………………」
早苗は魔理沙の行動を糾弾するが、常習犯である魔理沙には全く届いていない。正座をして魔理沙に叱りつける早苗に対し、黒白は足を崩し開け放たれた障子から見える風景をぼんやりと眺めている。全く聞いていないわけではないが、生返事しか返していない。
「全く、こんなことを繰り返していると早死にしますよ」
「いや、私は霊夢やお前よりも長生きするぜ、絶対」
少しだけ魔理沙が反応を見せた。魔理沙は軽口を叩いているものの、その表情には少しだけ真剣さが宿っているようだった 。
しかしそれに早苗は気づいていない。
「じゃあ訂正します。ロクな死に方しなさそうですね」
「ああ、よく言われるなそれ」
先程のように剽軽な態度に戻る魔理沙だが、今度は早苗が黒いオーラを纏い始めた。
「明日辺り毒キノコに当たって死んでください」
「命令形かよ! 具体例あげるどころか暴言吐かれたぞおい!」
真顔で暴言を放つ早苗にたまらず言われた側である魔理沙は大声をあげる。しかし早苗は止まらない。
「それは失礼しました。…………逝ってください」
「なんも変わってねぇ!」
頭を抱えて叫ぶ魔理沙を、冷ややかな目で見る早苗。一見仲良さそうに見えるが早苗の心中は穏やかではなく、魔理沙の方はそう変わっていなかった。
早苗は魔理沙が少しだけ苦手だった。もちろん話す分には問題ないが、その行動が鼻についてしまう。結構な頻度で会うものだからそれがなおさら積もっていく。たまにこうやって発散しないとやっていけないというのが早苗の本音だ。
魔理沙はというと、特になにも感じていなかった。冷たい目線で見られるのも慣れているし、別に自分の生き方を口で否定されてもあまり怒りを感じない。自分の生き方を木っ端微塵に粉砕されればキレることはありそうなものだが、それを見たものはあまりいない。
魔理沙は横目で早苗の様子を盗み見た。早苗は知らぬ振りをしてお茶をすすっているが、魔理沙はその横顔に少し見惚れていたのだ。魔理沙は早苗の自分に対して抱いている感情を知っている。しかし、その向こうにある早苗の人生に魔理沙の心は奪われているのだ。
「あんたらねぇ…………」
湯飲みを持った霊夢が二人の間に入る。険悪なムードを察知して取り繕うとしたからだ。二人の隙間に座って霊夢は魔理沙に湯飲みを渡すとついでに注いできた緑茶をすすった。
そんな彼女を見て、少し魔理沙は不機嫌になった。霊夢にわからないように眉をしかめると、渡された湯飲みの中身を飲もうと口をつける。
「熱っ!」
冷ますのを忘れ、高温の液体を唇に触れさせて思わず反射的に湯飲みを口元から離す行動をとってしまう魔理沙。危うく中身が溢れかけた。
「十分に冷まさないから…………」
出来の悪い妹の世話をするように声をかける霊夢だが、魔理沙は返す余裕がなかったし、それよりも早苗に変に見られなかったかが心配だった。
早苗はというと、感想を抱いたりすることはなかった。よくあることだな……とぼんやりとその様子を見ているだけで、魔理沙が危惧しているようなことは思っていなかった。
両者の心中は微妙に行動にも出ていたようで、早苗と魔理沙を見ていた霊夢はため息をついた。なぜこんなに自分が苦労しなければならないのか、そう霊夢は辟易するのだった。
「そういえば今夜の宴会は山の連中は文とか神奈子とかそこら辺は全員参加するの?」
このまま静かな時間が流れても別に問題はないはずだが、いかんせんその中身が問題がある。気まずい空気が充満しているのに霊夢は耐えきれず、今夜開催される宴会について、早苗に問いかけた。
「ええ、一応そうは聞いていますが、にとりさんがちょっと…………」
「わかったわ。にとりねぇ……まああいつはしょうがないかな」
「少しずつ改善はされてきているようですが」
「なかなかああいうのは直すのは大変なのよ」
「…………経験則ですかそれは」
「なんでそうなるのよ」
他愛のない会話であり事務連絡だったが、それでもさっきよりかは状況は改善されたようで、霊夢は重苦しく感じなくなった。
魔理沙も不機嫌をアピールすることなく、静かに緑茶を堪能している。なにか考え事をしているとき特有の面持ちをしていて、霊夢は魔理沙のそんな表情が密かに好きなのだ。
紅白の巫女はしばらく魔理沙を眺めると、寒々しい空を見上げてお茶の暖かさをほんのりと身に染み込ませるのだった。
6
「そういえばこの丸っこいやつってなんだ?」
魔理沙が、円盤上のものを中心の穴に人差し指にかけながら持ち上げて早苗に見せた。
「ああ、CDってやつですね。音楽を聴くためのものです」
早苗はそれを受けとると、近くに置いてあった手のひらより少し大きい機械を手に取りそう答えた。
守矢神社の中の早苗の自室に魔理沙は上がり込んでいた。早苗が外の世界のものに興味はないかと話を持ちかけたのがきっかけで、好奇心旺盛な魔理沙はすぐに飛び付いた。早苗が招待する形になり、魔理沙は客人としてここにいるのだ。もちろん神奈子や諏訪子も承認しているし、そんな早苗の変化を歓迎すらしているようだった。
ここには早苗が持ち込んだ外の世界の産物が数多く存在する。もう使う機会のないものや壊れたものを河童に譲ったのを差し引いても、ここは宝庫とも呼べる存在だ。
「それはなんだ?」
魔理沙が早苗の持っている機械を指し質問をした。形状からしてCDを用いることは魔理沙にもわかるのだが、そと世界のものは意外な用途が多く、実際に使われているところを見ないと理解できないものがほとんどだ。
「CDに録音された音楽を再生するためのものです。CDというのは音楽が録音されているもので、これをこのCDプレイヤーという機械にセットすると再生されるんです」
「こんな小さいやつにねぇ……」
訝しげに円盤を観察する魔理沙。レコードぐらいなら見たことはあるが、いったいどういう原理で音楽が入っているのか、魔理沙には謎であった。
「音楽って、どういうやつだ?」
「うーん、実際聞いた方が早いですかね」
早苗はそういうと、CDプレイヤーの蓋を開けCDを嵌め込んだ。そして蓋を閉めると、自分の机の奥から紐状のものを取り出してその先をプレイヤーに差し込む。
「はい、耳に入れてください」
反対側は二股になっていて、分かれた片方を自分の耳の穴に入れると、魔理沙に残った方を自分と同じようにすることを促した。
「? なんだなんだ」
早苗の行動に不信感を抱きつつも、魔理沙は指示通りイヤホンをつける。
それを確認した早苗はプレイヤーの表面についている複数のボタンの中から躊躇なく一つを押すと、イヤホンから何かがちぎれたような、もしくは繋ぎ合わさったような微弱な音が聞こえてきた。
その微かな音に気を取られていたその時、魔理沙の耳に突然軽い音が響いてきた。
それがまるで自分の頭から発せられたように思えて、魔理沙は思わず耳を押さえてしまう。
早苗はそんな魔理沙を微笑ましく見守っている。
続いて特徴のあるざらざらした音が大きく主張してきて、奥でリズムを刻んでいる小気味のいい音に合わせてその旋律を奏で始めた。
程なくすると若い男性と思しき歌声が遠くからやって来て、魔理沙は目を見開いた。ビートが心臓の脈打つのとシンクロし、躍動感ある音色が脳内を駆け巡る。歌詞の一つ一つが体に染み込んでいき、二人の体を小刻みに揺らしている。
「すごいじゃないか…………」
一曲を聞き終えたとき、魔理沙はこう漏らした。半ば呆然としていたが、頬はいつの間にか緩んでいる。
魔理沙にとってこれはものすごい衝撃的だった。もちろん未知のものに出会うというのは少なからず衝撃を伴うものだが、この幻想郷にCDや周辺機器が普及しているならば、彼女は一気にまとめ買いをしてしまいそうなほどのめり込んでしまったのだ。
「でもこのバンドってあまり人気がなかったんですよね…………私は好きでしたけど」
「なんでこんなかなりいい音楽が評価されないんだおかしいだろ。きっと好きじゃない奴等は真面目に聞いてないんだろうな」
懐かしむように呟く早苗とは反対に、激しく憤りを隠せないでいる魔理沙。
「魔理沙、もっと聞きます?」
「聞く聞く!」
早苗の提案に子供のようにときめく魔理沙の目はキラキラと星が瞬いていた。その年相応の可愛らしい仕草に思わず早苗はにやけてしまう。
「…………貸しませんけど」
「えー」
魔理沙の行動を先読みして制止をかける早苗だが、魔理沙は目に見えるほどがっかりした。
「だって貸したら返ってこないじゃないですか」
「…………ならしょうがない、聞きたくなったら早苗にお願いしに来るとするか」
「毎日来そうなんですが」
「ああ、よくわかってるじゃないか」
人懐っこく笑う魔理沙を見て、早苗は笑みをさらに濃くした。
それは心の底から幸せを感じている者のみがすることのできる、最上のそれであった。
2
普段と変わらないはずの騒がしい宴会。酔っぱらいの怒声が飛び交いあちこちで笑い声が上がっている。人も妖怪も神さえもが混じり合って酒を飲み交わすこの場において、早苗は少し離れた場所でちびちびと熱燗を味わっていた。
その視線の先にいるのは、烏天狗に写真を撮られまいと抵抗するも花の妖怪に羽交い締めにされて身動きがとれなくなっている霧雨魔理沙だった。
彼女に苛立つのはどうしてだろうか、そう早苗は自問する。
あのようなタイプは被害が及ばない限りスルーするのがもっとも効果的だろうが、なぜか気にかかるしつい口出ししてしまう。まあ一緒にいる時間も多いわけで我慢できなくなることもあるだろうが、それにしては頻度が多い。別の何かがあるのではないかとつい深読みしてしまうが、そこでまたも魔理沙のことで悩んでいる自分に気がつき、早苗はがっくりと肩を落とした。
「なーに落ち込んでるのよ、らしくもない」
自責の念にかられている早苗に、霊夢が声をかけた。特段何が気になったというわけでもないが、できるだけ一人でいるやつを宴会中で出したくない、そんな彼女の計らいだ。
「明日は槍が降るのかしら」
フリルは多いがドレスにしては機能性が高そうな、いわゆるメイド姿の少女が後ろからついてきている。この少女、十六夜咲夜は霊夢とは違い弄ることを期待して寄ってきた質だ。
「じゃああなたのところの主人に警戒しておかなきゃね」
今度は魔理沙のよりも白みが強い金髪の少女が数体の人形を引き連れて会話に参加してきた。普段あまり会話をしない連中よりも、多少面識がある面子の方が居心地がいいと思ったからである。
それぞれ集まった目的は違っているものの、早苗が何を思い悩んでいるのか何となく感じたからというのもあるかもしれない。
「ああ、あいつのこと?」
霊夢が暴れまわっている魔理沙を見ながら言う。咲夜とアリスは分かりきっていたかのようにそちらを見ない。出されている料理をつまみ舌鼓を打っている。
「い、いや違いますよ」
「違わないわね」
手を大袈裟に振り慌てて否定する早苗だが、むしろそれは肯定を示しているようなものでアリスは断定した口調で早苗を遮った。
「…………あのですね」
早苗もついに観念し、自身を蝕んでいるものを告白し始めた。
「魔理沙さんってなんであんなに横暴なのかがどうもいまいち…………」
「……ああ、そういう」
ただその一言で、早苗を除く三人は即座に理解した。彼女との付き合いがこの中で一番長い霊夢が三人を代表して話し始める。
「横暴っていうか、一生懸命なのよねあいつって」
霊夢は彼女と知り合った最初の日から今までの日々を思い返ししみじみとしている。早苗にというよりかは、自分に言い聞かせているようだった。
「あいつが裏で相当努力してるって知ってる?」
「……知らないです」
霊夢の問いに早苗は首を横に振るが、霊夢はそう落胆した様子も軽蔑した様子もない。まあそうだろうなと思っているだけだった。
「今日魔理沙遅刻したわよね」
「…………昼寝でもして遅れたんですよきっと」
「まあそれも正解っちゃ正解。でもちょっと違うのよね、咲夜」
霊夢が咲夜にふる。咲夜は苦笑いをしながら話を引き継いだ。
「まあそうね、あの子、昨日帰って研究尽くしだって言ってたし徹夜でもしてたんでしょう」
「そうそう、たまには一緒に行こうかと思って迎えに行ったら返事がなかったし、変に思って人形に調べさせたら案の定実験結果を纏めてる途中でダウンしてたもの」
咲夜にアリスが同調し、霊夢はやっぱりかと頷いた。
「あいつも必死なのよ」
「……研究にですか?」
「生きることによ」
霊夢が急に真顔に変わり、早苗は思わず身を固くしてしまう。いったい何を言っているだろうかと早苗は思った。
「独り暮らしをし始めたときのことを偶然聞き出せたんだけど、彼女妖怪に一回殺されかけたらしいの」
「まあ魅魔に……ああ魔理沙の師匠なんだけど、そいつに拾われて九死に一生を得たらしくて、その時に思ったらしいわ。『強欲にならないと死んじゃう』ってさ」
「まだ小さいのに実家に勘当されて、身寄りはあったみたいだけど生きるために必要なものは何から何まで自分頼みだから結局あれぐらいじゃないと保たなかったのかもね」
実家に勘当された、そのフレーズが早苗の耳に残った。それこそが自分の感じていた違和感の正体かもしれない、そう彼女は思った。もしかしたらこれは彼女に自分を重ね合わせてその劣等感から来ているのかもしれない、そんな気が早苗はした。
「今でも疎遠状態らしいし、でもその気になれば復縁ぐらいは簡単にいきそうだけど」
「人里に行くときに結構お邪魔することがあるんだけど、しょっちゅう親父さんが魔理沙のこと聞いてくるし、お互いもっと素直になればいいのにね」
「そんなところで親子ぶりを発揮しなくてもって笑えてくるわ」
黙りこんでいる早苗をよそに勝手に話が進んでいくが、早苗はそれを気にする暇もなかったし霊夢たちもそれを知っていた。早苗は静かに立つと、喧騒を背にして新鮮な空気を吸いに表に出る。
冷たい空気が肺を満たし、ぼんやりしていた頭が徐々にはっきりしてくるのが早苗にもわかった。満天に広がる夜空を眺めて、遠くからも近くからも聞こえる虫たちの演奏会に耳を澄ませる。徐々に騒ぎが遠退いていくような錯覚を覚え始め、その心地よさに酔いしれる。
そんな早苗の後ろ姿をじっと見つめる人間が一人いた。霧雨魔理沙の目には儚げに佇む彼女は魅力的に写り、良く思われていないと知っていても思わず声をかけてしまうほどだった。
「どうしたんだ早苗」
魔理沙が喧騒から脱出して早苗に呼び掛けた。
早苗は魔理沙が呼び掛けても不思議と不快感は感じなかった。その様子に魔理沙は少しほっとしつつ、なにか話題はないかと模索をし始めた。彼女に変に思われたくないという乙女的心がそうさせているのだ。
「魔理沙さん」
しかし、その心配もなかったようで早苗が振り向き魔理沙へ話しかけた。今までのように刺のある口調ではなく、心中の動揺をそのまま表したように震えていた。
「あなたも同じなんですね」
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「この幻想郷で私は新しく生まれ変わりたいと思います」
7
「これはひどいですね」
「そうか? 私としちゃ居心地のいい空間なんだがな」
魔法の森の中にある霧雨魔法店、霧雨魔理沙の住居の一室を見て早苗が漏らした。
魔理沙はこれが普通とばかりに胸を張って奥に入っていく。これが魔理沙の寝室であり、同時に研究室でもある。
本が縦に積まれ少し肘で小突いたら途端に大惨事になってしまいそうな不安定さを孕むこの部屋に早苗は戦々恐々としながら魔理沙の後に続く。でなければあっという間に雪崩が二人を襲ってくるかも知れなかったからだ。
魔理沙がいつも守矢神社に行きっぱなしだからといって招待したのが始まりだが、早苗は少し嫌な予感がしていた。霊夢から魔理沙の家は魔窟だとすでに聞いていたからであり、魔理沙の大雑把な性格からして予想はできていたからだ。
しかしながらベッドの周りはそれほど散らかっている様子はなく、近くにあった椅子に早苗を促し、魔理沙はベッドに勢い良く腰を下ろした。
「少しは整理整頓でもしたらどうですか?」
「いや、このままで十分整頓されてるぜ」
「どう見ても散らかってますが」
「いやいや、例えばこの塔は魔石関係のやつで、あれは鉱物に宿る魔力についての本だ。しっかり把握してるよ」
「自分で塔って言ってる……」
あちこちのタワーを指差し説明し始めた魔理沙に気づかれないよう呟く早苗。しかし魔理沙の言う通り場所はきちんと把握しているんだなと、早苗は変なところで感心した。
「これは……日記ですか」
しばらくキョロキョロと辺りを見回していた早苗だったが、なにか目敏いものを見つけて魔理沙に聞いてみる。
「ああ、たぶんな」
「たぶんって……」
早苗は黒白の曖昧な返事に思わず苦笑いを浮かべてしまう。先ほどの言動と矛盾していたからだ。
「いや、それかなり前のやつだったと思うんだ。魔導の研究と日記を一緒くたにしてた時期のやつでさ、今はほとんど使ってなかったんだ。だから今さっきまでは確信が持てなかった」
「……そうなんですか」
「って言いながら覗き見んな」
と言いつつも日記を開く早苗を魔理沙は強く止めようとしない。なぜなら本気で見られたくないものは早苗が来るため隠してあるし、自分の軌跡を共感できる相手に見てもらえるというのは少し誇らしいと思えることだからだ。
早苗は何となく開いたページに驚いた。そこには細かい文字がびっしりと書き連ねてあり、さらには複雑な紋様も丁寧に描写されていて、てっきり豪快主義だと思っていた魔理沙の正反対の印象を与えるものだったからだ。
大半は早苗の読めない言語だったが、所々日本語で書いてある箇所がある。そこが恐らく日記部分だろう。
「ここに書いてある霊夢って……」
「ああ、あいつのことだ」
「七年ぐらい前のですね……こんな昔からの知り合いだったんですね」
「まだマスパも撃てなかった頃のだな。魅魔様と別れたすぐ辺りのだ」
「その魅魔様ってどんな人だったんですか?」
「魅魔様は悪霊だったけどな…………あの人はとにかくすごかった。私のしたことが間違ってたらそれをちゃんと真っ正面から指摘してくれる人で、誉めてくれるところはこれでもかってぐらい誉めてくれた。私がどれだけ頑張ってもたどり着けないんじゃないかってぐらい素晴らしい先生だった。自慢の先生だぜ」
まるで自分のことのように話す魔理沙。自分の師匠について語れるのがよほど嬉しいのだろう。
「魔理沙にそこまで言われるなんて羨ましいですね」
「何を言うか、早苗だって…………」
「…………」
「な、なんだよ」
魔理沙は口を閉ざし真剣な眼差しで見つめてくる早苗に思わず声を詰まらせてしまう。そしてしばらく膠着状態が続く。
「やっぱり魔理沙はかわいいですねー!」
早苗が突然魔理沙に抱きつき、魔理沙の髪をくしゃくしゃとかき回しその感触を堪能し始めた。
「お、おい何をして……ひゃうぅ」
いきなりのことでと咄嗟の反応ができなかった魔理沙はその後しばらく早苗に弄ばれるだけだった。
早苗が寂しそうに呟いたのを魔理沙が慌ててフォローし、その様子が早苗の理性を打ち砕いたのだ。早苗はまるで妹ができたように思えて、それが嬉しくてたまらなかった。
「ってやめろ!」
そう魔理沙が叫び、ようやくスキンシップは終わりを迎えた。早苗は名残惜しそうにしていたが、魔理沙の鬼気迫るオーラに圧されて渋々と椅子に座り直した。
「だって魔理沙がかわいかったから…………」
「だってもへちまもない!」
「へちまって…………なんだか年寄り臭いです」
「揚げ足をとるな!」
「えー………………」
「とか言いつつ手をワキワキさせてんなよ」
「ふふふ……」
まるで猛禽類の目付きをした早苗を警戒する魔理沙だが、お互いにこんなやり取りをしていることが幸せに思えていた。ついこの前までは想像もつかなかったことだ。
魔理沙は早苗の笑顔を見て嬉しいという実感を覚え、早苗もまた充実感を覚えていた。
3
暫しの間魔理沙は呆然とした。決して早苗の言葉が理解できなかったというわけではない。むしろ、自分がいつか言おうとしていたことを先回りされたせいで呆気にとられているだけだ。
早苗は魔理沙の返答を待った。固まっている魔理沙にイラついたりなどはしない。真摯に、魔理沙の言葉を待っているのだ。
「…………同じってどういうことだ…………いかん、何をいってもダメだな」
なるべく自然に返そうと思っていた魔理沙だが、それは無理だと悟る。この場で本題以外を話せば滑稽に写るだけだからだ。
魔理沙は空を、宴会の様子を、足元を見て、逃げることをやめて早苗をしっかりと見据えた。
「いつか私も言おうと思ってたんだがな、先を越されちまった。さては霊夢たちから聞いたな?」
「ええ、そうです」
やっぱりかぁとこめかみを手のひらで押さえる魔理沙。しかしそれも一瞬のことで、一歩早苗に近づくと渋りながらも身の上話を語り始めた。
「……私はある商人の一人娘だった。商人は人里でも大きな力を持っていて、私はその娘として恥ずかしくないように振る舞うよう強要されていた。
でもある日魔法と出会ってしまったんだ」
そう言って自分の手のひらを見つめる魔理沙。
「魔法に魅入られた私は親の反対を無視して調べ続けた。明くる日も明くる日も、そしてついに親父がぶちギレてさ、お前は俺の娘じゃない! って半狂乱になってそれっきりあいつとは会ってない。
霖之助に頼んで自立できるようになるまでは結構世話になったんだが、魅魔様に弟子入りしてから今の建物に住み始めた。
と同時に星にまで興味が出てきてな、ハマったら抜け出せない私は突き詰めていって今じゃ星符なんて作ってるな」
「恋とかそんなのもつけてますよね」
「ああ、なにせ私は恋をしたからな。閉じた世界よりももっと面白いものを見れる世界にな」
魔理沙は見つめていた手のひらを今度は夜空にかざした。
「でも妖怪に襲われて気づいたんだ。今までのやり方はぬるい。こんな底辺の才能しかない私が細々とやっててもしょうがないってな。だから」
魔理沙が握りこぶしを作る。
「多少強引でも生きていられるなら構わない。私は私なりに楽しんで行きたいってな、そう思ったんだ。
そんなときにお前を知った」
星空を見上げていた魔理沙が早苗に視線を戻した。早苗は一歩、魔理沙に近づいた。
「聞けば外の世界の出身で? 家族も文明の利器も捨てて? 神様のために人生を…………いや神生を捧げたっていうじゃないか。
私は今でも親父のことを引き摺ってうじうじしてるのになんてあいつは強いんだろうって、羨ましかった」
早苗と魔理沙の強い眼差しが交錯する。それは確かに数舜だっただろうが、互いに長い時間が過ぎたように感じ取った。
「…………私から言わせてもらえば私の方が情けなく感じますよ」
その間を早苗が打ち破る。今度は早苗の番だった。
「私は神社を継ぐ神職の家系でした。私はここ最近の代でもっとも力が強く、神奈子様や諏訪子様を物心つく前から見ていました。
小学校の時まではよかったんです。でもみんなが知識を一杯持つようになって、私が信じていた神様はいないって口々に言われるようになって、それでも叫び続けました。すぐそばにいるんだって。
そのうち異端児とされた私は学校でいじめにあって、それからは人前ではそういうことは言わなくなりました。でもだんだんと消えていく諏訪子様たちを見ているのが辛くなって、結局は逃げたんです。
信じない世界を捨てて、お二方と一緒に生きるって名目で現実から目を背けて」
そう言って早苗は肩を竦めた。
「そりゃあ一大決心だったかもしれません。それでもやっぱり後悔しています。今でも枕を濡らしますし、霊夢さんたちと一緒にいるときだって急に心臓が苦しくなることだってあります。もし元の世界に帰ることができるって言われたらどうするか私はわかりません」
消え入りそうな声の早苗を見て、魔理沙は愕然とした。今まで強さの象徴だったそれがすべて虚勢だったと言われたのだ。しかし、不思議と失望感はなかった。むしろ親しみが沸き上がってくるほどだ。
「魔理沙さんは精一杯強がってるじゃないですか、精一杯楽しんでるじゃないですか、私と違って頑張って手に入れてるじゃないですか」
自分に言い聞かせるように繰り返す早苗の姿を見て、魔理沙は何も言えなくなった。そしてそのまま早苗は宴会会場に向かい、霊夢に帰宅する旨を伝えて飛び立っていった。
魔理沙と会話している最中も、早苗はずっと葛藤を繰り返していたのだ。早苗は魔理沙の過去を聞き、その気丈さに目を当てられなくなりついに逃げ出してしまった。
暫し棒立ちになっていた魔理沙も我を取り戻し、何も言わず早苗の後を追った。
「そんな顔されて放っておけるかよ…………!」
魔理沙はどうにかして早苗に笑顔を取り戻してほしかった。
遠目でそれを見ていた霊夢は、少しだけ寂しそうに口を結び酒を煽った。
8
「そういえばあの宴会の時さ」
博麗神社の一室、霧雨魔理沙と博麗霊夢がいつものように縁側で緑茶を啜っている。もう昼も近いというのに、その陽射しはまるで元気がない。
「早苗とは結構いい雰囲気になったと思ったけど結局ダメだったみたいじゃない」
霊夢が何気なく口にする。含みも一切なしにただ魔理沙の感想を聞きたいがためだったが、魔理沙はそうとは受け取らなかった。
「なんだ、嫉妬してたのか」
「なんでそうなるのよ」
とぼけた魔理沙の回答に思わずため息をつく霊夢。
「…………早苗のことはどう思ってるの、あんた嫌われてたみたいだし」
「別にどうとは……まあ嫌われてもいいんじゃないかな。私は私、早苗は早苗だから。まあ早苗のことはすごいって思ってたよ」
「思って『た』? なんで過去形?」
魔理沙の言い回しに引っ掛かりを覚えた霊夢だが、魔理沙はそれを気にしない。
「最近はやっぱりあいつも私と同じ人間なんだなって思ったぐらいだな」
「……なによそれ」
「霊夢がわからんくてもいい」
こういうやり取りをしている時間が霊夢は好きだ。なんだかんだいって付き合いの長い魔理沙とはもはや親友といっても過言ではないし、生活サイクルの中に半ばレギュラーとして魔理沙が組み込まれてすらいるのだ。中でもこういったどうでもいい時間が霊夢はお気に入りだった。
「お前こそ早苗のことはどう思ってるんだ?」
「よく遊びに来るうるさいやつ」
「ひでぇなそれ」
「あんたもその仲間に入ってるかもしれないのよ」
「げぇ……」
霊夢の答えを聞いた魔理沙は驚くほど冷静だった。そうなんだぐらいしか感想を持たなかった自分に気がつき、魔理沙は内心苦笑する。
「なあ霊夢」
「なによ魔理沙」
魔理沙の呼び声に短く応じる霊夢。魔理沙が霊夢の瞳の奥を見透かすように霊夢を眺める。
「……どうしたの」
引き気味に言葉を発する霊夢だったが、その様子を魔理沙は興味がないといったように風景に視線を戻した。
「なんなのよ全く……」
そんな魔理沙の態度に霊夢は腹をたてたが、魔理沙のなんとも言えない表情の横顔を見ると、その怒りはどこかに霧散してしまった。
例えば、中立の立場でなければならない博麗の巫女が中立でなくなってしまったのならば、なにかに傾倒してしまったのならば、どんな弊害が起きるか霊夢はふと思った。
そうあれかしと紫にも散々言われてきたし、巫女に就任してからもそういうものだと割り切っていた。しかしそれに直面してみるとどうだろう。基礎の無い建物はすぐに倒壊してしまうかのように、その掟の意義を霊夢は疑い始めている。
例えばその力を失ってしまうのならば巫女として致命的だし、絶対的な前提であることも納得できる。しかしこの力がそんな不安定なものなのだろうか。そんな力が妖怪や神々を圧倒できるだろうか。甚だ疑問だ。
ならばその力を私的に扱うことがタブーなのか。あくまで博麗の巫女は象徴であり幻想郷のために力を使うべきというのか。恐らくそうだろう。だがしかし、誰がそれを判断するのか、何をもって客観的とするのか、その境界があまりに曖昧すぎる。自分が基準と言う考えが一瞬思い浮かんだが、あまりにも自己中心的な意見に苦笑いを浮かべるしかできなかった。
霊夢にはあまり他人と友好関係を築かない方がいいと誰かが言っていた記憶がある。それにはこんな意味もあったんだと彼女は今更ながらに実感した。
「お茶のおかわりいる?」
「ああ、頼む」
霊夢は何となく作業がしたくなり、緑茶を淹れることを選び二杯目はどうかと魔理沙に聞いてみた。
二つ返事で魔理沙は霊夢に依頼し、どうにかして霊夢は気を紛らわせる手段を得ることができた。
「お邪魔しまーす!」
部屋を出る直前、早苗の活きのいい挨拶が霊夢の耳に入った。今日もうるさいなと辟易するが、霊夢は尻目に二人の様子をなまじ目にしてしまったがために早足でその場を立ち去った。
霊夢が目にしたのは、ニコニコと魔理沙に笑いかける早苗と、彼女を満面の笑みで迎える魔理沙だった。
4
「早苗!」
魔理沙はなんとか守矢神社の鳥居付近で俯いている早苗を捕まえることができた。彼女の腕をつかみ、強引に体の向きを変えさせる。
「お前に言いたいことがある」
早苗は魔理沙が追いかけてくるとわかっていた。彼女の告白を聞いてそう思わない方がおかしい。早苗は一人になりたいと思っていたが、どこかで魔理沙が来てくれるのを期待していたがためにもうすでにわずかながら満足感を得ていた。
「もしお前が帰りたいって思ってんなら、思うんだったら……」
早苗の腕を握る魔理沙の腕に自然と力が入る。
暗い神社や人気の無い怪しい山の空気が魔理沙の恐怖感を煽る。しかし、これだけはどうしても言っておかなければならないと自身に喝をいれた。
「私たちがその迷いを消し去ってやるよ。外の世界のことなんてどうだって良くなるぐらいに、つい忘れちまうぐらいに、使命感だけで自分を保つんじゃなくて明日が楽しみで日々を過ごせるように…………!」
魔理沙は心の底から本音を吐き出す。今まで溜めてきた全てを叩きつけるように、精一杯の強がりの成果を十分に発揮するように。
しばらくの静寂が訪れる。星の瞬きも蒼い月の光も二人を優しく照らし、二人の過去を浮かび上がらせる。
魔理沙は息を切らし、早苗は未だ無言のままだ。
「じゃあ私からも言わせてもらいます!」
突然、早苗が大声をあげた。魔理沙が驚いて思わず手を離してしまう。それを早苗は逃さず、今度は魔理沙の右手を両手で握り、息がかかるぐらいまで顔を接近させた。
「魔理沙さんが強がるのを私は全力で支えます。これからも魔理沙さんが楽しめるように! たまには私の胸で泣いていいですよ、たまにはガス抜きも大事ですから! 私の方がお姉ちゃんなんですから、存分に甘えてください!」
早苗は感極まって思わず魔理沙を抱き締めてしまう。
「お、おいちょっと!」
「これでおあいこでしょう!」
「何をいってるんだお前は!」
なんとか身もだえして早苗の拘束から逃れた魔理沙だが、その表情は晴れ晴れとしていた。
「なにお姉ちゃんぶってるんだよ、ここでの先輩は私だからな!」
「年の功ってのを知ってますか魔理沙さん」
「そんなに離れてないし! しかもさっきは胸を強調しやがって、私への当て付けか?!」
「そんなわけないでしょう、私にはただ包容力がありますよーってだけで」
「ああもうっ!」
暖簾に腕押し状態についに魔理沙が堪忍袋の緒を切らした。両手を大きく振り回し、場を仕切り直そうとする。
「でも魔理沙さん、甘えたかったら甘えていいんですよ」
「…………たまにならな」
早苗が魔理沙に向かって微笑みかけ、魔理沙は顔を紅潮させそっぽを向いた。
そんな魔理沙を見て早苗はくすりと笑いを漏らす。
魔理沙は正直に言うと、そんな早苗の様子を見て改めて尊敬の念を抱いた。先程まで悲しみに明け暮れていたはずなのに、もう他人の心配をするまでに余裕を取り戻している。そんな芯の強さが、しっかりと根を張っている早苗の心が魔理沙にとって眩しいものだった。だから魔理沙はこうも言った。
「お前も甘えたくなったらその…………私を頼ってくれてもいいぞ」
それが魔理沙のできる精一杯の強がりだった。早苗に振り回されっぱなしなのはどうも気にくわなかったからでもある。
「…………はい!」
それを聞いた早苗が笑顔を弾けさせた。
「それじゃあ魔理沙さん、いや、魔理沙」
「おう」
「箒に乗って一緒に天体観測しませんか?」
早苗が空を指差し魔理沙に提案する。
「お、いいな。じゃあ行こうぜ!」
二人はごく自然に指を絡ませお互いを見つめ合う。
しばらくその状態が続いたあと、魔理沙がまず箒に股がり浮き上がらせると、そこに早苗が腰かけた。
「しっかり捕まってろよ!」
グッと力をためる魔理沙。早苗は魔理沙の腰にしがみつくと、自身の経験しているのとはまた違った浮遊感を感じた。
最初はゆっくりと、だんだんとスピードを上げて上昇していく二人。途中博麗神社に光が灯っているのが確認できたが、早苗たちはそれを流し夜空で演じられている壮大な物語にその身を飛び込ませた。
かなり高度を上げた後魔理沙は上昇をやめ、空中で制止し雲を眼下に大小明暗それぞれの星々を見られる特等席に到着した。
「綺麗ですね…………」
「そうだな…………」
シリウス、プロキオン、ペテルギウスが織り成す冬の大三角と共に運良く双子座流星群も見ることができた。儚き流星群が堂々と鎮座する大三角から零れてきているようで、雪にも似た輝きを放っていた。
「あ、オリオン座ですね」
「しかし不思議なものだな、西洋の神話で幻想入りもしてないはずなのにこの幻想郷に現れるなんてな」
「案外もうすでにしてるんじゃないですかね」
「そうかな……あれは牡牛座だな」
「たくましそうですね…………」
「…………」
あまりの規模に二人は言葉を失う。しかしもはや言葉など不要だった。
寒い冬の夜空は、悲哀と期待の混じった表情をしていた。
「この幻想郷に、私の光を轟かせてやる」
5
「邪魔したな!」
年がら年中黒白で普通な魔法使いが、厳しい冬の中でもまだ暖かさを感じられる時間帯に博麗神社を飛び出した。
ほとんど参拝客の来ないこの神社の賽銭箱の中身はひんやりした空気と少量の葉っぱのみ。これが月初めならもう少しあるのだが、いかんせん今日は月末だ。かなり厳しい状況下にある。
ここ、博麗神社は幻想郷に住む力あるもの全てにとっての憩いの場であり、それは人間にしてはという程度の彼女も例外ではない。
しかし誰も賽銭を入れはしない。
「あの馬鹿、自分の使った湯飲みぐらい片付けていきなさいよ」
「まあ言ったところで無駄な気もしますけどね」
神社の一室に残されている二人の巫女。正確には片方は役職名は違うのだが、広義的には似たようなものだ。
先程去っていった魔法使いに愚痴を言った巫女は博麗霊夢。この神社の巫女であり、幻想郷の管理人としての役割もある。
あっけらかんとした調子で流したのは東風谷早苗。妖怪の山にある守矢神社の風祝で、時折博麗神社に遊びに来ているのだ。
「それにしても霊夢さん甘々なんですね」
お互い腋出しのファッションなのだが、巫女と言えば腋という方程式が成り立ちつつある今日、あまり異を唱えるものはいない。
その巫女服に蒼いラインを走らせている巫女が、霊夢を見ずに淡々と口にした。
「なにがよ」
突き放したように答える霊夢だが、普段からこういう態度だからか早苗も気にしていないようだ。
「何って、魔理沙さんに出してるお茶って、出涸らしとかじゃないですよね。むしろ一番濃いやつなんじゃないですか?」
「…………」
「それに魔理沙さんと居るときの霊夢さん少しにやついていますし」
「それは嘘ね」
「おお、よくわかりましたね」
馬鹿にしたように軽く拍手をする早苗に、紅白の巫女は苛立ちを覚え始めていた。
「…………何が言いたいのよ」
なかなか本題を切り出さない早苗に霊夢はキレ気味になっている。じろりと早苗は睨み付けられて彼女は少し怯んだが、早苗は負けじとその先を告げた。
「あんまりあの人を特別視しないことです」
「…………」
あまりにしれっと、しかし確信をついた言葉は反論を用意していた巫女の口を容易く封じ込めた。
早苗の言っている意味がすんなりと理解できたし、自分には対抗する材料を持ち合わせてもいない、その事に気がついたから霊夢は声を出すことができなかった。
「彼女は自分勝手でわがままで、傍にいると余計な苦労まで背負うことになります」
淡々と述べられる霊夢の親友の悪口。否定をしたいわけではないが、霊夢は何も言えなかった。
「何よりあなたは博麗の巫女なのですから」
現人神は現実を突きつける。幻想の住人に現実を押し付けるとはなんたる皮肉だろうか。
「…………あんたってあいつのこと嫌いなのね」
霊夢はようやくそれだけを口に出した。いや出せたと言った方が正しい。
早苗から背けるように逸らしたその瞳には迷いが宿っている。何度も自分に言い聞かせ、誓ってきたはずなのに、他人に指摘されるだけで自分の決心はこうも簡単に揺らいでしまうのかと、自分への侮蔑も共にあった。
「そうですね、同族嫌悪ってやつです」
自分が捨てたものを省みてか、早苗も少し遠い目をした。霊夢から見てもその姿は痛々しいものだった。
「それじゃあ私もそろそろ帰らないと待ち人に文句を言われてしまいます」
しばらく膠着状態が続き、ようやく早苗が腰を上げた。
「あんたも大変ね、二柱の世話をしなきゃいけないなんて。私ならかったるくてやってらんないわ」
間があったことにより霊夢も少し回復し、帰ろうとする早苗に声をかけることができた。
「そんなこと言ったら巫女失格ですって…………」
「失格ならあいつを甘やかしたっていいじゃないの」
「…………屁理屈ですね」
無気力ながらも少しは仕返しができたと言わんばかりに不適に笑う霊夢に早苗は別れを告げて自分の帰りを待つものたちのところへ急ぐ。
早く会いたい、会ってもっと話がしたい、もっと輝きを見ていたい、もっと触れ合いたい! と、早苗は胸を躍らせながら自分の居場所、守矢神社へと辿り着いた。
早苗は駆け足で居間に向かう。靴を脱ぎ、軽い音を板張りの廊下に響かせ、目的地寸前まで来ると、速やかに減速。息を整えて襖を開けた。
「おっかえりー早苗」
「お帰り、早苗」
「ただいまです、諏訪子様、神奈子様」
早苗の現実たる二柱に笑顔で応える。
「おうおう、忘れてもらっちゃあ困るぜ」
しかしこの神社の神々の他にもう一人、
「あら、もういたんですか」
それは今しがた彼女が批した少女。
「そうそう、こいつっていつの間にかいたっての多いよねー」
「忍者だな忍者」
「そういえば忍者って見たことないな」
自らを普通と称しながら決して普遍的でなく、
「まだ幻想入りしてないんじゃないですかね」
「なんと、そとではまだ現役なのか?」
「んなわけないって…………」
種族を越えて語り継がれる生きた伝説、或いは、
「ああそうでした…………ようこそ、魔理沙」
早苗の思い人である、霧雨魔理沙だった。
1
「で、魔理沙さんはこの本を紅魔館から盗んできたと」
「盗んでない、ただ借りてきてるだけだ。死ぬまでな」
博麗神社の一室に三人の娘がいる。一人は早苗、一人は霊夢。あと一人は職業魔法使いである霧雨魔理沙だ。
今日は紅魔館帰りという魔理沙が本を背負ってお茶を飲みに来ている。まあお茶をご馳走になりに来ること自体は不思議ではないが、彼女の性格や行動からして、用意する側の霊夢にとってはあまり気の進まないといった風な顔をする。しかしそれもあくまで表面上だ。霊夢は律儀に緑茶を煎れる。しかもかなり丁寧に。
「それはもはや借用ではありません。借りパクというんです」
「いいじゃないか、どうせ私たちみたいな人間の一生なんてあいつらからしたら一瞬なんだし」
「それは振り返ってみたらの話です。実際になくなっている時間は困っているかもしれないじゃないですか」
「あー知らない知らない」
「……………………」
早苗は魔理沙の行動を糾弾するが、常習犯である魔理沙には全く届いていない。正座をして魔理沙に叱りつける早苗に対し、黒白は足を崩し開け放たれた障子から見える風景をぼんやりと眺めている。全く聞いていないわけではないが、生返事しか返していない。
「全く、こんなことを繰り返していると早死にしますよ」
「いや、私は霊夢やお前よりも長生きするぜ、絶対」
少しだけ魔理沙が反応を見せた。魔理沙は軽口を叩いているものの、その表情には少しだけ真剣さが宿っているようだった 。
しかしそれに早苗は気づいていない。
「じゃあ訂正します。ロクな死に方しなさそうですね」
「ああ、よく言われるなそれ」
先程のように剽軽な態度に戻る魔理沙だが、今度は早苗が黒いオーラを纏い始めた。
「明日辺り毒キノコに当たって死んでください」
「命令形かよ! 具体例あげるどころか暴言吐かれたぞおい!」
真顔で暴言を放つ早苗にたまらず言われた側である魔理沙は大声をあげる。しかし早苗は止まらない。
「それは失礼しました。…………逝ってください」
「なんも変わってねぇ!」
頭を抱えて叫ぶ魔理沙を、冷ややかな目で見る早苗。一見仲良さそうに見えるが早苗の心中は穏やかではなく、魔理沙の方はそう変わっていなかった。
早苗は魔理沙が少しだけ苦手だった。もちろん話す分には問題ないが、その行動が鼻についてしまう。結構な頻度で会うものだからそれがなおさら積もっていく。たまにこうやって発散しないとやっていけないというのが早苗の本音だ。
魔理沙はというと、特になにも感じていなかった。冷たい目線で見られるのも慣れているし、別に自分の生き方を口で否定されてもあまり怒りを感じない。自分の生き方を木っ端微塵に粉砕されればキレることはありそうなものだが、それを見たものはあまりいない。
魔理沙は横目で早苗の様子を盗み見た。早苗は知らぬ振りをしてお茶をすすっているが、魔理沙はその横顔に少し見惚れていたのだ。魔理沙は早苗の自分に対して抱いている感情を知っている。しかし、その向こうにある早苗の人生に魔理沙の心は奪われているのだ。
「あんたらねぇ…………」
湯飲みを持った霊夢が二人の間に入る。険悪なムードを察知して取り繕うとしたからだ。二人の隙間に座って霊夢は魔理沙に湯飲みを渡すとついでに注いできた緑茶をすすった。
そんな彼女を見て、少し魔理沙は不機嫌になった。霊夢にわからないように眉をしかめると、渡された湯飲みの中身を飲もうと口をつける。
「熱っ!」
冷ますのを忘れ、高温の液体を唇に触れさせて思わず反射的に湯飲みを口元から離す行動をとってしまう魔理沙。危うく中身が溢れかけた。
「十分に冷まさないから…………」
出来の悪い妹の世話をするように声をかける霊夢だが、魔理沙は返す余裕がなかったし、それよりも早苗に変に見られなかったかが心配だった。
早苗はというと、感想を抱いたりすることはなかった。よくあることだな……とぼんやりとその様子を見ているだけで、魔理沙が危惧しているようなことは思っていなかった。
両者の心中は微妙に行動にも出ていたようで、早苗と魔理沙を見ていた霊夢はため息をついた。なぜこんなに自分が苦労しなければならないのか、そう霊夢は辟易するのだった。
「そういえば今夜の宴会は山の連中は文とか神奈子とかそこら辺は全員参加するの?」
このまま静かな時間が流れても別に問題はないはずだが、いかんせんその中身が問題がある。気まずい空気が充満しているのに霊夢は耐えきれず、今夜開催される宴会について、早苗に問いかけた。
「ええ、一応そうは聞いていますが、にとりさんがちょっと…………」
「わかったわ。にとりねぇ……まああいつはしょうがないかな」
「少しずつ改善はされてきているようですが」
「なかなかああいうのは直すのは大変なのよ」
「…………経験則ですかそれは」
「なんでそうなるのよ」
他愛のない会話であり事務連絡だったが、それでもさっきよりかは状況は改善されたようで、霊夢は重苦しく感じなくなった。
魔理沙も不機嫌をアピールすることなく、静かに緑茶を堪能している。なにか考え事をしているとき特有の面持ちをしていて、霊夢は魔理沙のそんな表情が密かに好きなのだ。
紅白の巫女はしばらく魔理沙を眺めると、寒々しい空を見上げてお茶の暖かさをほんのりと身に染み込ませるのだった。
6
「そういえばこの丸っこいやつってなんだ?」
魔理沙が、円盤上のものを中心の穴に人差し指にかけながら持ち上げて早苗に見せた。
「ああ、CDってやつですね。音楽を聴くためのものです」
早苗はそれを受けとると、近くに置いてあった手のひらより少し大きい機械を手に取りそう答えた。
守矢神社の中の早苗の自室に魔理沙は上がり込んでいた。早苗が外の世界のものに興味はないかと話を持ちかけたのがきっかけで、好奇心旺盛な魔理沙はすぐに飛び付いた。早苗が招待する形になり、魔理沙は客人としてここにいるのだ。もちろん神奈子や諏訪子も承認しているし、そんな早苗の変化を歓迎すらしているようだった。
ここには早苗が持ち込んだ外の世界の産物が数多く存在する。もう使う機会のないものや壊れたものを河童に譲ったのを差し引いても、ここは宝庫とも呼べる存在だ。
「それはなんだ?」
魔理沙が早苗の持っている機械を指し質問をした。形状からしてCDを用いることは魔理沙にもわかるのだが、そと世界のものは意外な用途が多く、実際に使われているところを見ないと理解できないものがほとんどだ。
「CDに録音された音楽を再生するためのものです。CDというのは音楽が録音されているもので、これをこのCDプレイヤーという機械にセットすると再生されるんです」
「こんな小さいやつにねぇ……」
訝しげに円盤を観察する魔理沙。レコードぐらいなら見たことはあるが、いったいどういう原理で音楽が入っているのか、魔理沙には謎であった。
「音楽って、どういうやつだ?」
「うーん、実際聞いた方が早いですかね」
早苗はそういうと、CDプレイヤーの蓋を開けCDを嵌め込んだ。そして蓋を閉めると、自分の机の奥から紐状のものを取り出してその先をプレイヤーに差し込む。
「はい、耳に入れてください」
反対側は二股になっていて、分かれた片方を自分の耳の穴に入れると、魔理沙に残った方を自分と同じようにすることを促した。
「? なんだなんだ」
早苗の行動に不信感を抱きつつも、魔理沙は指示通りイヤホンをつける。
それを確認した早苗はプレイヤーの表面についている複数のボタンの中から躊躇なく一つを押すと、イヤホンから何かがちぎれたような、もしくは繋ぎ合わさったような微弱な音が聞こえてきた。
その微かな音に気を取られていたその時、魔理沙の耳に突然軽い音が響いてきた。
それがまるで自分の頭から発せられたように思えて、魔理沙は思わず耳を押さえてしまう。
早苗はそんな魔理沙を微笑ましく見守っている。
続いて特徴のあるざらざらした音が大きく主張してきて、奥でリズムを刻んでいる小気味のいい音に合わせてその旋律を奏で始めた。
程なくすると若い男性と思しき歌声が遠くからやって来て、魔理沙は目を見開いた。ビートが心臓の脈打つのとシンクロし、躍動感ある音色が脳内を駆け巡る。歌詞の一つ一つが体に染み込んでいき、二人の体を小刻みに揺らしている。
「すごいじゃないか…………」
一曲を聞き終えたとき、魔理沙はこう漏らした。半ば呆然としていたが、頬はいつの間にか緩んでいる。
魔理沙にとってこれはものすごい衝撃的だった。もちろん未知のものに出会うというのは少なからず衝撃を伴うものだが、この幻想郷にCDや周辺機器が普及しているならば、彼女は一気にまとめ買いをしてしまいそうなほどのめり込んでしまったのだ。
「でもこのバンドってあまり人気がなかったんですよね…………私は好きでしたけど」
「なんでこんなかなりいい音楽が評価されないんだおかしいだろ。きっと好きじゃない奴等は真面目に聞いてないんだろうな」
懐かしむように呟く早苗とは反対に、激しく憤りを隠せないでいる魔理沙。
「魔理沙、もっと聞きます?」
「聞く聞く!」
早苗の提案に子供のようにときめく魔理沙の目はキラキラと星が瞬いていた。その年相応の可愛らしい仕草に思わず早苗はにやけてしまう。
「…………貸しませんけど」
「えー」
魔理沙の行動を先読みして制止をかける早苗だが、魔理沙は目に見えるほどがっかりした。
「だって貸したら返ってこないじゃないですか」
「…………ならしょうがない、聞きたくなったら早苗にお願いしに来るとするか」
「毎日来そうなんですが」
「ああ、よくわかってるじゃないか」
人懐っこく笑う魔理沙を見て、早苗は笑みをさらに濃くした。
それは心の底から幸せを感じている者のみがすることのできる、最上のそれであった。
2
普段と変わらないはずの騒がしい宴会。酔っぱらいの怒声が飛び交いあちこちで笑い声が上がっている。人も妖怪も神さえもが混じり合って酒を飲み交わすこの場において、早苗は少し離れた場所でちびちびと熱燗を味わっていた。
その視線の先にいるのは、烏天狗に写真を撮られまいと抵抗するも花の妖怪に羽交い締めにされて身動きがとれなくなっている霧雨魔理沙だった。
彼女に苛立つのはどうしてだろうか、そう早苗は自問する。
あのようなタイプは被害が及ばない限りスルーするのがもっとも効果的だろうが、なぜか気にかかるしつい口出ししてしまう。まあ一緒にいる時間も多いわけで我慢できなくなることもあるだろうが、それにしては頻度が多い。別の何かがあるのではないかとつい深読みしてしまうが、そこでまたも魔理沙のことで悩んでいる自分に気がつき、早苗はがっくりと肩を落とした。
「なーに落ち込んでるのよ、らしくもない」
自責の念にかられている早苗に、霊夢が声をかけた。特段何が気になったというわけでもないが、できるだけ一人でいるやつを宴会中で出したくない、そんな彼女の計らいだ。
「明日は槍が降るのかしら」
フリルは多いがドレスにしては機能性が高そうな、いわゆるメイド姿の少女が後ろからついてきている。この少女、十六夜咲夜は霊夢とは違い弄ることを期待して寄ってきた質だ。
「じゃああなたのところの主人に警戒しておかなきゃね」
今度は魔理沙のよりも白みが強い金髪の少女が数体の人形を引き連れて会話に参加してきた。普段あまり会話をしない連中よりも、多少面識がある面子の方が居心地がいいと思ったからである。
それぞれ集まった目的は違っているものの、早苗が何を思い悩んでいるのか何となく感じたからというのもあるかもしれない。
「ああ、あいつのこと?」
霊夢が暴れまわっている魔理沙を見ながら言う。咲夜とアリスは分かりきっていたかのようにそちらを見ない。出されている料理をつまみ舌鼓を打っている。
「い、いや違いますよ」
「違わないわね」
手を大袈裟に振り慌てて否定する早苗だが、むしろそれは肯定を示しているようなものでアリスは断定した口調で早苗を遮った。
「…………あのですね」
早苗もついに観念し、自身を蝕んでいるものを告白し始めた。
「魔理沙さんってなんであんなに横暴なのかがどうもいまいち…………」
「……ああ、そういう」
ただその一言で、早苗を除く三人は即座に理解した。彼女との付き合いがこの中で一番長い霊夢が三人を代表して話し始める。
「横暴っていうか、一生懸命なのよねあいつって」
霊夢は彼女と知り合った最初の日から今までの日々を思い返ししみじみとしている。早苗にというよりかは、自分に言い聞かせているようだった。
「あいつが裏で相当努力してるって知ってる?」
「……知らないです」
霊夢の問いに早苗は首を横に振るが、霊夢はそう落胆した様子も軽蔑した様子もない。まあそうだろうなと思っているだけだった。
「今日魔理沙遅刻したわよね」
「…………昼寝でもして遅れたんですよきっと」
「まあそれも正解っちゃ正解。でもちょっと違うのよね、咲夜」
霊夢が咲夜にふる。咲夜は苦笑いをしながら話を引き継いだ。
「まあそうね、あの子、昨日帰って研究尽くしだって言ってたし徹夜でもしてたんでしょう」
「そうそう、たまには一緒に行こうかと思って迎えに行ったら返事がなかったし、変に思って人形に調べさせたら案の定実験結果を纏めてる途中でダウンしてたもの」
咲夜にアリスが同調し、霊夢はやっぱりかと頷いた。
「あいつも必死なのよ」
「……研究にですか?」
「生きることによ」
霊夢が急に真顔に変わり、早苗は思わず身を固くしてしまう。いったい何を言っているだろうかと早苗は思った。
「独り暮らしをし始めたときのことを偶然聞き出せたんだけど、彼女妖怪に一回殺されかけたらしいの」
「まあ魅魔に……ああ魔理沙の師匠なんだけど、そいつに拾われて九死に一生を得たらしくて、その時に思ったらしいわ。『強欲にならないと死んじゃう』ってさ」
「まだ小さいのに実家に勘当されて、身寄りはあったみたいだけど生きるために必要なものは何から何まで自分頼みだから結局あれぐらいじゃないと保たなかったのかもね」
実家に勘当された、そのフレーズが早苗の耳に残った。それこそが自分の感じていた違和感の正体かもしれない、そう彼女は思った。もしかしたらこれは彼女に自分を重ね合わせてその劣等感から来ているのかもしれない、そんな気が早苗はした。
「今でも疎遠状態らしいし、でもその気になれば復縁ぐらいは簡単にいきそうだけど」
「人里に行くときに結構お邪魔することがあるんだけど、しょっちゅう親父さんが魔理沙のこと聞いてくるし、お互いもっと素直になればいいのにね」
「そんなところで親子ぶりを発揮しなくてもって笑えてくるわ」
黙りこんでいる早苗をよそに勝手に話が進んでいくが、早苗はそれを気にする暇もなかったし霊夢たちもそれを知っていた。早苗は静かに立つと、喧騒を背にして新鮮な空気を吸いに表に出る。
冷たい空気が肺を満たし、ぼんやりしていた頭が徐々にはっきりしてくるのが早苗にもわかった。満天に広がる夜空を眺めて、遠くからも近くからも聞こえる虫たちの演奏会に耳を澄ませる。徐々に騒ぎが遠退いていくような錯覚を覚え始め、その心地よさに酔いしれる。
そんな早苗の後ろ姿をじっと見つめる人間が一人いた。霧雨魔理沙の目には儚げに佇む彼女は魅力的に写り、良く思われていないと知っていても思わず声をかけてしまうほどだった。
「どうしたんだ早苗」
魔理沙が喧騒から脱出して早苗に呼び掛けた。
早苗は魔理沙が呼び掛けても不思議と不快感は感じなかった。その様子に魔理沙は少しほっとしつつ、なにか話題はないかと模索をし始めた。彼女に変に思われたくないという乙女的心がそうさせているのだ。
「魔理沙さん」
しかし、その心配もなかったようで早苗が振り向き魔理沙へ話しかけた。今までのように刺のある口調ではなく、心中の動揺をそのまま表したように震えていた。
「あなたも同じなんですね」
0
「この幻想郷で私は新しく生まれ変わりたいと思います」
7
「これはひどいですね」
「そうか? 私としちゃ居心地のいい空間なんだがな」
魔法の森の中にある霧雨魔法店、霧雨魔理沙の住居の一室を見て早苗が漏らした。
魔理沙はこれが普通とばかりに胸を張って奥に入っていく。これが魔理沙の寝室であり、同時に研究室でもある。
本が縦に積まれ少し肘で小突いたら途端に大惨事になってしまいそうな不安定さを孕むこの部屋に早苗は戦々恐々としながら魔理沙の後に続く。でなければあっという間に雪崩が二人を襲ってくるかも知れなかったからだ。
魔理沙がいつも守矢神社に行きっぱなしだからといって招待したのが始まりだが、早苗は少し嫌な予感がしていた。霊夢から魔理沙の家は魔窟だとすでに聞いていたからであり、魔理沙の大雑把な性格からして予想はできていたからだ。
しかしながらベッドの周りはそれほど散らかっている様子はなく、近くにあった椅子に早苗を促し、魔理沙はベッドに勢い良く腰を下ろした。
「少しは整理整頓でもしたらどうですか?」
「いや、このままで十分整頓されてるぜ」
「どう見ても散らかってますが」
「いやいや、例えばこの塔は魔石関係のやつで、あれは鉱物に宿る魔力についての本だ。しっかり把握してるよ」
「自分で塔って言ってる……」
あちこちのタワーを指差し説明し始めた魔理沙に気づかれないよう呟く早苗。しかし魔理沙の言う通り場所はきちんと把握しているんだなと、早苗は変なところで感心した。
「これは……日記ですか」
しばらくキョロキョロと辺りを見回していた早苗だったが、なにか目敏いものを見つけて魔理沙に聞いてみる。
「ああ、たぶんな」
「たぶんって……」
早苗は黒白の曖昧な返事に思わず苦笑いを浮かべてしまう。先ほどの言動と矛盾していたからだ。
「いや、それかなり前のやつだったと思うんだ。魔導の研究と日記を一緒くたにしてた時期のやつでさ、今はほとんど使ってなかったんだ。だから今さっきまでは確信が持てなかった」
「……そうなんですか」
「って言いながら覗き見んな」
と言いつつも日記を開く早苗を魔理沙は強く止めようとしない。なぜなら本気で見られたくないものは早苗が来るため隠してあるし、自分の軌跡を共感できる相手に見てもらえるというのは少し誇らしいと思えることだからだ。
早苗は何となく開いたページに驚いた。そこには細かい文字がびっしりと書き連ねてあり、さらには複雑な紋様も丁寧に描写されていて、てっきり豪快主義だと思っていた魔理沙の正反対の印象を与えるものだったからだ。
大半は早苗の読めない言語だったが、所々日本語で書いてある箇所がある。そこが恐らく日記部分だろう。
「ここに書いてある霊夢って……」
「ああ、あいつのことだ」
「七年ぐらい前のですね……こんな昔からの知り合いだったんですね」
「まだマスパも撃てなかった頃のだな。魅魔様と別れたすぐ辺りのだ」
「その魅魔様ってどんな人だったんですか?」
「魅魔様は悪霊だったけどな…………あの人はとにかくすごかった。私のしたことが間違ってたらそれをちゃんと真っ正面から指摘してくれる人で、誉めてくれるところはこれでもかってぐらい誉めてくれた。私がどれだけ頑張ってもたどり着けないんじゃないかってぐらい素晴らしい先生だった。自慢の先生だぜ」
まるで自分のことのように話す魔理沙。自分の師匠について語れるのがよほど嬉しいのだろう。
「魔理沙にそこまで言われるなんて羨ましいですね」
「何を言うか、早苗だって…………」
「…………」
「な、なんだよ」
魔理沙は口を閉ざし真剣な眼差しで見つめてくる早苗に思わず声を詰まらせてしまう。そしてしばらく膠着状態が続く。
「やっぱり魔理沙はかわいいですねー!」
早苗が突然魔理沙に抱きつき、魔理沙の髪をくしゃくしゃとかき回しその感触を堪能し始めた。
「お、おい何をして……ひゃうぅ」
いきなりのことでと咄嗟の反応ができなかった魔理沙はその後しばらく早苗に弄ばれるだけだった。
早苗が寂しそうに呟いたのを魔理沙が慌ててフォローし、その様子が早苗の理性を打ち砕いたのだ。早苗はまるで妹ができたように思えて、それが嬉しくてたまらなかった。
「ってやめろ!」
そう魔理沙が叫び、ようやくスキンシップは終わりを迎えた。早苗は名残惜しそうにしていたが、魔理沙の鬼気迫るオーラに圧されて渋々と椅子に座り直した。
「だって魔理沙がかわいかったから…………」
「だってもへちまもない!」
「へちまって…………なんだか年寄り臭いです」
「揚げ足をとるな!」
「えー………………」
「とか言いつつ手をワキワキさせてんなよ」
「ふふふ……」
まるで猛禽類の目付きをした早苗を警戒する魔理沙だが、お互いにこんなやり取りをしていることが幸せに思えていた。ついこの前までは想像もつかなかったことだ。
魔理沙は早苗の笑顔を見て嬉しいという実感を覚え、早苗もまた充実感を覚えていた。
3
暫しの間魔理沙は呆然とした。決して早苗の言葉が理解できなかったというわけではない。むしろ、自分がいつか言おうとしていたことを先回りされたせいで呆気にとられているだけだ。
早苗は魔理沙の返答を待った。固まっている魔理沙にイラついたりなどはしない。真摯に、魔理沙の言葉を待っているのだ。
「…………同じってどういうことだ…………いかん、何をいってもダメだな」
なるべく自然に返そうと思っていた魔理沙だが、それは無理だと悟る。この場で本題以外を話せば滑稽に写るだけだからだ。
魔理沙は空を、宴会の様子を、足元を見て、逃げることをやめて早苗をしっかりと見据えた。
「いつか私も言おうと思ってたんだがな、先を越されちまった。さては霊夢たちから聞いたな?」
「ええ、そうです」
やっぱりかぁとこめかみを手のひらで押さえる魔理沙。しかしそれも一瞬のことで、一歩早苗に近づくと渋りながらも身の上話を語り始めた。
「……私はある商人の一人娘だった。商人は人里でも大きな力を持っていて、私はその娘として恥ずかしくないように振る舞うよう強要されていた。
でもある日魔法と出会ってしまったんだ」
そう言って自分の手のひらを見つめる魔理沙。
「魔法に魅入られた私は親の反対を無視して調べ続けた。明くる日も明くる日も、そしてついに親父がぶちギレてさ、お前は俺の娘じゃない! って半狂乱になってそれっきりあいつとは会ってない。
霖之助に頼んで自立できるようになるまでは結構世話になったんだが、魅魔様に弟子入りしてから今の建物に住み始めた。
と同時に星にまで興味が出てきてな、ハマったら抜け出せない私は突き詰めていって今じゃ星符なんて作ってるな」
「恋とかそんなのもつけてますよね」
「ああ、なにせ私は恋をしたからな。閉じた世界よりももっと面白いものを見れる世界にな」
魔理沙は見つめていた手のひらを今度は夜空にかざした。
「でも妖怪に襲われて気づいたんだ。今までのやり方はぬるい。こんな底辺の才能しかない私が細々とやっててもしょうがないってな。だから」
魔理沙が握りこぶしを作る。
「多少強引でも生きていられるなら構わない。私は私なりに楽しんで行きたいってな、そう思ったんだ。
そんなときにお前を知った」
星空を見上げていた魔理沙が早苗に視線を戻した。早苗は一歩、魔理沙に近づいた。
「聞けば外の世界の出身で? 家族も文明の利器も捨てて? 神様のために人生を…………いや神生を捧げたっていうじゃないか。
私は今でも親父のことを引き摺ってうじうじしてるのになんてあいつは強いんだろうって、羨ましかった」
早苗と魔理沙の強い眼差しが交錯する。それは確かに数舜だっただろうが、互いに長い時間が過ぎたように感じ取った。
「…………私から言わせてもらえば私の方が情けなく感じますよ」
その間を早苗が打ち破る。今度は早苗の番だった。
「私は神社を継ぐ神職の家系でした。私はここ最近の代でもっとも力が強く、神奈子様や諏訪子様を物心つく前から見ていました。
小学校の時まではよかったんです。でもみんなが知識を一杯持つようになって、私が信じていた神様はいないって口々に言われるようになって、それでも叫び続けました。すぐそばにいるんだって。
そのうち異端児とされた私は学校でいじめにあって、それからは人前ではそういうことは言わなくなりました。でもだんだんと消えていく諏訪子様たちを見ているのが辛くなって、結局は逃げたんです。
信じない世界を捨てて、お二方と一緒に生きるって名目で現実から目を背けて」
そう言って早苗は肩を竦めた。
「そりゃあ一大決心だったかもしれません。それでもやっぱり後悔しています。今でも枕を濡らしますし、霊夢さんたちと一緒にいるときだって急に心臓が苦しくなることだってあります。もし元の世界に帰ることができるって言われたらどうするか私はわかりません」
消え入りそうな声の早苗を見て、魔理沙は愕然とした。今まで強さの象徴だったそれがすべて虚勢だったと言われたのだ。しかし、不思議と失望感はなかった。むしろ親しみが沸き上がってくるほどだ。
「魔理沙さんは精一杯強がってるじゃないですか、精一杯楽しんでるじゃないですか、私と違って頑張って手に入れてるじゃないですか」
自分に言い聞かせるように繰り返す早苗の姿を見て、魔理沙は何も言えなくなった。そしてそのまま早苗は宴会会場に向かい、霊夢に帰宅する旨を伝えて飛び立っていった。
魔理沙と会話している最中も、早苗はずっと葛藤を繰り返していたのだ。早苗は魔理沙の過去を聞き、その気丈さに目を当てられなくなりついに逃げ出してしまった。
暫し棒立ちになっていた魔理沙も我を取り戻し、何も言わず早苗の後を追った。
「そんな顔されて放っておけるかよ…………!」
魔理沙はどうにかして早苗に笑顔を取り戻してほしかった。
遠目でそれを見ていた霊夢は、少しだけ寂しそうに口を結び酒を煽った。
8
「そういえばあの宴会の時さ」
博麗神社の一室、霧雨魔理沙と博麗霊夢がいつものように縁側で緑茶を啜っている。もう昼も近いというのに、その陽射しはまるで元気がない。
「早苗とは結構いい雰囲気になったと思ったけど結局ダメだったみたいじゃない」
霊夢が何気なく口にする。含みも一切なしにただ魔理沙の感想を聞きたいがためだったが、魔理沙はそうとは受け取らなかった。
「なんだ、嫉妬してたのか」
「なんでそうなるのよ」
とぼけた魔理沙の回答に思わずため息をつく霊夢。
「…………早苗のことはどう思ってるの、あんた嫌われてたみたいだし」
「別にどうとは……まあ嫌われてもいいんじゃないかな。私は私、早苗は早苗だから。まあ早苗のことはすごいって思ってたよ」
「思って『た』? なんで過去形?」
魔理沙の言い回しに引っ掛かりを覚えた霊夢だが、魔理沙はそれを気にしない。
「最近はやっぱりあいつも私と同じ人間なんだなって思ったぐらいだな」
「……なによそれ」
「霊夢がわからんくてもいい」
こういうやり取りをしている時間が霊夢は好きだ。なんだかんだいって付き合いの長い魔理沙とはもはや親友といっても過言ではないし、生活サイクルの中に半ばレギュラーとして魔理沙が組み込まれてすらいるのだ。中でもこういったどうでもいい時間が霊夢はお気に入りだった。
「お前こそ早苗のことはどう思ってるんだ?」
「よく遊びに来るうるさいやつ」
「ひでぇなそれ」
「あんたもその仲間に入ってるかもしれないのよ」
「げぇ……」
霊夢の答えを聞いた魔理沙は驚くほど冷静だった。そうなんだぐらいしか感想を持たなかった自分に気がつき、魔理沙は内心苦笑する。
「なあ霊夢」
「なによ魔理沙」
魔理沙の呼び声に短く応じる霊夢。魔理沙が霊夢の瞳の奥を見透かすように霊夢を眺める。
「……どうしたの」
引き気味に言葉を発する霊夢だったが、その様子を魔理沙は興味がないといったように風景に視線を戻した。
「なんなのよ全く……」
そんな魔理沙の態度に霊夢は腹をたてたが、魔理沙のなんとも言えない表情の横顔を見ると、その怒りはどこかに霧散してしまった。
例えば、中立の立場でなければならない博麗の巫女が中立でなくなってしまったのならば、なにかに傾倒してしまったのならば、どんな弊害が起きるか霊夢はふと思った。
そうあれかしと紫にも散々言われてきたし、巫女に就任してからもそういうものだと割り切っていた。しかしそれに直面してみるとどうだろう。基礎の無い建物はすぐに倒壊してしまうかのように、その掟の意義を霊夢は疑い始めている。
例えばその力を失ってしまうのならば巫女として致命的だし、絶対的な前提であることも納得できる。しかしこの力がそんな不安定なものなのだろうか。そんな力が妖怪や神々を圧倒できるだろうか。甚だ疑問だ。
ならばその力を私的に扱うことがタブーなのか。あくまで博麗の巫女は象徴であり幻想郷のために力を使うべきというのか。恐らくそうだろう。だがしかし、誰がそれを判断するのか、何をもって客観的とするのか、その境界があまりに曖昧すぎる。自分が基準と言う考えが一瞬思い浮かんだが、あまりにも自己中心的な意見に苦笑いを浮かべるしかできなかった。
霊夢にはあまり他人と友好関係を築かない方がいいと誰かが言っていた記憶がある。それにはこんな意味もあったんだと彼女は今更ながらに実感した。
「お茶のおかわりいる?」
「ああ、頼む」
霊夢は何となく作業がしたくなり、緑茶を淹れることを選び二杯目はどうかと魔理沙に聞いてみた。
二つ返事で魔理沙は霊夢に依頼し、どうにかして霊夢は気を紛らわせる手段を得ることができた。
「お邪魔しまーす!」
部屋を出る直前、早苗の活きのいい挨拶が霊夢の耳に入った。今日もうるさいなと辟易するが、霊夢は尻目に二人の様子をなまじ目にしてしまったがために早足でその場を立ち去った。
霊夢が目にしたのは、ニコニコと魔理沙に笑いかける早苗と、彼女を満面の笑みで迎える魔理沙だった。
4
「早苗!」
魔理沙はなんとか守矢神社の鳥居付近で俯いている早苗を捕まえることができた。彼女の腕をつかみ、強引に体の向きを変えさせる。
「お前に言いたいことがある」
早苗は魔理沙が追いかけてくるとわかっていた。彼女の告白を聞いてそう思わない方がおかしい。早苗は一人になりたいと思っていたが、どこかで魔理沙が来てくれるのを期待していたがためにもうすでにわずかながら満足感を得ていた。
「もしお前が帰りたいって思ってんなら、思うんだったら……」
早苗の腕を握る魔理沙の腕に自然と力が入る。
暗い神社や人気の無い怪しい山の空気が魔理沙の恐怖感を煽る。しかし、これだけはどうしても言っておかなければならないと自身に喝をいれた。
「私たちがその迷いを消し去ってやるよ。外の世界のことなんてどうだって良くなるぐらいに、つい忘れちまうぐらいに、使命感だけで自分を保つんじゃなくて明日が楽しみで日々を過ごせるように…………!」
魔理沙は心の底から本音を吐き出す。今まで溜めてきた全てを叩きつけるように、精一杯の強がりの成果を十分に発揮するように。
しばらくの静寂が訪れる。星の瞬きも蒼い月の光も二人を優しく照らし、二人の過去を浮かび上がらせる。
魔理沙は息を切らし、早苗は未だ無言のままだ。
「じゃあ私からも言わせてもらいます!」
突然、早苗が大声をあげた。魔理沙が驚いて思わず手を離してしまう。それを早苗は逃さず、今度は魔理沙の右手を両手で握り、息がかかるぐらいまで顔を接近させた。
「魔理沙さんが強がるのを私は全力で支えます。これからも魔理沙さんが楽しめるように! たまには私の胸で泣いていいですよ、たまにはガス抜きも大事ですから! 私の方がお姉ちゃんなんですから、存分に甘えてください!」
早苗は感極まって思わず魔理沙を抱き締めてしまう。
「お、おいちょっと!」
「これでおあいこでしょう!」
「何をいってるんだお前は!」
なんとか身もだえして早苗の拘束から逃れた魔理沙だが、その表情は晴れ晴れとしていた。
「なにお姉ちゃんぶってるんだよ、ここでの先輩は私だからな!」
「年の功ってのを知ってますか魔理沙さん」
「そんなに離れてないし! しかもさっきは胸を強調しやがって、私への当て付けか?!」
「そんなわけないでしょう、私にはただ包容力がありますよーってだけで」
「ああもうっ!」
暖簾に腕押し状態についに魔理沙が堪忍袋の緒を切らした。両手を大きく振り回し、場を仕切り直そうとする。
「でも魔理沙さん、甘えたかったら甘えていいんですよ」
「…………たまにならな」
早苗が魔理沙に向かって微笑みかけ、魔理沙は顔を紅潮させそっぽを向いた。
そんな魔理沙を見て早苗はくすりと笑いを漏らす。
魔理沙は正直に言うと、そんな早苗の様子を見て改めて尊敬の念を抱いた。先程まで悲しみに明け暮れていたはずなのに、もう他人の心配をするまでに余裕を取り戻している。そんな芯の強さが、しっかりと根を張っている早苗の心が魔理沙にとって眩しいものだった。だから魔理沙はこうも言った。
「お前も甘えたくなったらその…………私を頼ってくれてもいいぞ」
それが魔理沙のできる精一杯の強がりだった。早苗に振り回されっぱなしなのはどうも気にくわなかったからでもある。
「…………はい!」
それを聞いた早苗が笑顔を弾けさせた。
「それじゃあ魔理沙さん、いや、魔理沙」
「おう」
「箒に乗って一緒に天体観測しませんか?」
早苗が空を指差し魔理沙に提案する。
「お、いいな。じゃあ行こうぜ!」
二人はごく自然に指を絡ませお互いを見つめ合う。
しばらくその状態が続いたあと、魔理沙がまず箒に股がり浮き上がらせると、そこに早苗が腰かけた。
「しっかり捕まってろよ!」
グッと力をためる魔理沙。早苗は魔理沙の腰にしがみつくと、自身の経験しているのとはまた違った浮遊感を感じた。
最初はゆっくりと、だんだんとスピードを上げて上昇していく二人。途中博麗神社に光が灯っているのが確認できたが、早苗たちはそれを流し夜空で演じられている壮大な物語にその身を飛び込ませた。
かなり高度を上げた後魔理沙は上昇をやめ、空中で制止し雲を眼下に大小明暗それぞれの星々を見られる特等席に到着した。
「綺麗ですね…………」
「そうだな…………」
シリウス、プロキオン、ペテルギウスが織り成す冬の大三角と共に運良く双子座流星群も見ることができた。儚き流星群が堂々と鎮座する大三角から零れてきているようで、雪にも似た輝きを放っていた。
「あ、オリオン座ですね」
「しかし不思議なものだな、西洋の神話で幻想入りもしてないはずなのにこの幻想郷に現れるなんてな」
「案外もうすでにしてるんじゃないですかね」
「そうかな……あれは牡牛座だな」
「たくましそうですね…………」
「…………」
あまりの規模に二人は言葉を失う。しかしもはや言葉など不要だった。
寒い冬の夜空は、悲哀と期待の混じった表情をしていた。
これは良いサナマリ。甘えたがりな魔理沙と寂しがりな早苗が空隙を埋め合う関係になる心情溢れる話でした。霊夢にもフォロー入れるあたり目端が効いています。
高い完成度にため息です。次作を心より期待しております。
お互いが支え合う形が自然でしたし。
ただ、周囲がどんどん関係を深めていくなかで一定の距離を置かなくてはいけない霊夢がちょっと不憫でした。最後に早足で立ち去った霊夢の気持ちを思うと。
霊夢も幸せな形だったら100点入れてました。
素晴らしいベストフレンドだと思いました。
最初はどういうこっちゃと思いましたが、読み進めるうちに納得。
どんどんと自分内評価が上がっていき、クライマックスで100点となりました。