柔らかい陽光が射し、心地よい陽気が辺りを包んでいる。
長い冬が終わり、幻想郷に春が近づいていた。
眠りについていた木々や動物達も、春の息吹により少しずつ目覚め始めていた。
勿論人間や妖怪達にとっても例外ではない。春は、秋以上に過ごしやすい季節なのである。
「ねえ、咲夜」
「なんでしょうか、お嬢様」
「最近暖かくなって来たわね。そろそろ春かしら」
「そうですね、もうじき春告精が飛び回る頃ですわ」
「春……そうだわ、咲夜」
「なんでしょう」
「『春っぽい』食事がしたいの。明日のディナーは『春っぽい』食事にしなさい」
「『春っぽい』ですか?難題ですわ、お嬢様」
「できないの、咲夜?」
「いいえ、お任せください。春告精を捕まえる事に比べたら簡単ですわ」
「……根に持ってるの?」
「何のことでしょうか」
「……なんでもないわ」
「最近暖かくなってきましたね。春が近づいてるみたいです」
「そうね、小悪魔。冬の間は朝が辛くて嫌だったわ」
大図書館内でも、似たようなやり取りが行われていた。
「低血圧なの」
「パチュリー様はそんな感じに見えますね」
陽の光こそ入らないが、気温の上昇ははっきりと感じ取れる。冬場の図書館は想像を絶する程に寒いのだ。
「手が冷えなくなってきたから、読書にも精が出るわ」
「パチュリー様らしいですね」
――ガチャン。
静寂を破り、大図書館に訪問者が訪れた。
「あら、咲夜じゃない。いったいどうしたの?」
「ごきげんよう、パチュリー様。少し相談したいことがありまして」
「珍しいこともあるのね」
「『春っぽい』食事ねえ。抽象的な注文ね」
「何か思い当たる『春っぽい』を醸し出せる料理はないでしょうか?」
パチュリーは苦悶の表情を浮かべた。
「そうねえ……」
「思い当たりませんか……では、人里で旬の食材を買って――」
「待ちなさい、咲夜。この一件、私に任せなさい」
「え……」
咲夜は驚きの色を隠せなかった。普段は飄々とし、掴みどころが無い彼女が驚く事なんて滅多にある事ではない。パチュリーの申し出はそれほどに意外だったのである。
「いったいどういった風の吹き回しですか?」
「野草の専門家が知り合いにいるってだけよ」
「野草の専門家、ですか?」
「ええ。だから私に任せておきなさい」
「……わかりました。そこまで言うのでしたら、お任せしますわ」
少し不安そうだったが、咲夜はそう言うと大図書館を後にした。
「小悪魔」
「はい、なんでしょうか?」
「明日の朝、魔法の森に行くわよ」
「……え?」
「言ったでしょう。春の味覚を採りにいくのよ」
「野草の専門家ってもしかして」
「考えてても始まらないわ。明日の朝までには準備しておくのよ」
「わ、わかりました……」
山際がぼんやりと明るくなってきていた。時刻は午前6時。暖かくなってきたとはいえ、朝方の冷え込みはまだまだ厳しいものがある。
「ううっ……パチュリー様、まだでしょうか」
紅魔館の正門には、小悪魔の姿があった。この時間帯は、門番である紅美鈴もまだ就寝中のため、周りには誰もいない。
「――待たせたわね」
玄関から大図書館の主が姿を現した。
「清々しい朝ね」
「遅いですよ……それより、なんですかその格好は?」
小悪魔は、訝しげな顔をパチュリーに向けた。今日のパチュリーの衣装は、普段のふわふわした衣装とは異なったものであった。
「あなた、この衣装を知らないの?」
「初めて見ましたよ、そんな変な格好」
「変な格好って……わかってないわね、これは野仕事用の正式な衣装。言わばユニフォーム」
「へえ……」
「間違いないわ、本に書いてあったもの。名前は確か、そう、『もんぺ』よ」
「はあ……」
パチュリーは、白いブラウスにもんぺを履いた野仕事用の出で立ちであった。頭には手ぬぐいを巻き、背中には大きめの籠を背負っていた。
「そんなことより、あなたが背負っているのは何? 物干し竿かしら」
「ええ、パチュリー様こそこれを知らないのですか!?」
そういうと、小悪魔は背負っている長い棒を手に持った。
「これは『サスマタ』です。元を辿れば、我ら悪魔族が戦闘に使った槍に起因しまして、それを捕縛用に作り直した物です!」
「サス……マタ? とりあえずそれが槍というのはわかったわ。で、それを何に使うつもりなのかしら?」
「野草の専門家を捕縛するのです!」
「……そうね、確かに彼女には貸しが嫌って程あるわ」
「決まりましたね、さっそく出発しましょう!」
「言ってても始まらないわね、そうしましょう」
そう言うと、野仕事用の格好をしたパチュリーと、背中にサスマタを背負った小悪魔は、ふわりと宙に浮き上がり、魔法の森を目指して飛び始めた。
すっかり陽が昇り明るくなってきた頃、二人は魔法の森上空に到着した。
「魔法の森は久しぶりねえ」
「来た事あるんですか?」
「ええ、以前天界まで行った時にね」
「パチュリー様、けっこうアクティブですねえ」
「……ほら、あそこよ。あの少し開けたところに降りるわよ」
鬱蒼とした森林に、ぽっかりと開けた場所があった。
――ヒュー、スタン。
二人は魔法の森に降り立った。
「うわあ、凄い所ですね」
「うう、やっぱりここは空気が悪いわ」
パチュリーは、頭に巻いていたタオルを取り、口を覆うように巻きなおした。
「これでいいわ」
「そんなんで大丈夫なんですか?」
「問題ないわ。少し歩くわよ」
「わかりました」
二人は、更に森の奥へと進んでいった。
「ふう、ふう……」
「大丈夫ですか、パチュリー様?」
「大丈夫よ、ゴホッゴホッ!」
「ああ、パチュリー様!」
「うう、息苦しいわね」
魔法の森には、化け物茸の胞子が満ちている。そのため、パチュリーは口に巻いた手ぬぐいを外してしまうと、喉を痛めてしまう。しかし、手ぬぐいを外さないとそもそも息ぐるしくて体にきてしまう。悪循環である。
おまけに、陽がほとんど入らない魔法の森の地面はぬかるみや、苔で満ちている。体を鍛えていたり、山道を歩き慣れた者でもやっと歩けるような悪路は、パチュリーにとってはゆっくり歩くだけでも困難である。
「あなた、凄いわね。なんともないの?」
「ええ、体には自信があるので。後、なんだか体の芯から魔力が溢れてくるようなんです!」
「化け物茸の胞子には、魔力を高める効果があるらしいわ……あなたはここと、相性がいいみたいね」
それから小半時程森を進んだところで、二人は一軒の建物に辿り着いた。
「やっと、着いたわ」
「おお、ここが目的地ですか」
「ええ、霧雨魔法店よ」
魔法の森の奥深くに、その店は存在する。パチュリーは、この店の主に用があったのだ。
「小悪魔、よく聞きなさい。私は表から入るわ。あなたは裏口から、私が気を引いておくからその『サスマタ』とやらで捕まえなさい」
「おお、本格的ですね!」
「彼女の逃げ足、あなたも知ってるでしょう」
「そうでしたね、それでは裏に回ります!」
「……小悪魔、化け物茸の胞子を吸って興奮気味のようだったけど……大丈夫かしら?」
そう言うと、パチュリーは霧雨魔法店の玄関まで歩を進めた。
――コン、コン。
「お邪魔するわよ」
「誰もいないぜ」
「いるじゃない」
部屋の奥にある暖炉の前に、白黒の服に身を包んだ少女が佇んでいた。
彼女の名前は霧雨魔理沙。この霧雨魔法店の主である。
「パチュリーじゃないか……なんだその格好、おかしいぜ」
「くっ、あなたまで……まあ、いいわ。聞きたいことがあるの、教えてもらえるかしら」
「情報を得たければ、代価を払わないといけない。知らないのか?」
「それをあなたが言うのね」
パチュリーは眉間に皺を寄せ、露骨に嫌な表情を魔理沙に向けた。
「早くも交渉決裂だな」
そう言うと、魔理沙はにやけた表情でパチュリーを見た。
「その態度、いつまで続けれるかしら」
「……何?」
「今よ小悪魔!」
「はい!」
パチュリーの掛け声に合わせて、部屋の奥にあるドアが勢いよく開いた。そこには、サスマタを構えた小悪魔の姿があった」
「ちょ、おまえはパチュリーの使い魔」
「小悪魔です、以後お見知りおきを!」
一瞬の出来事であった。小悪魔はサスマタを魔理沙の胴に押し付け、そのまま押さえつけた。
「ぐあ、汚いぞパチュリー!」
「観念することね。今までの貸しを返してもらうわ」
「く、くそう……」
「小悪魔、しっかり押さえておくのよ。じゃあ、清算しましょう」
そう言うと、パチュリーは大げさに考える仕草をした。
「あなたに貸した本、一体何冊あったかしら。……今すぐにでも返して欲しいのだけれど、もう少し貸しておいてあげるわ。代わりに、あなたは私に情報を提供する。どうかしら」
「い、嫌だぜそんなの」
「小悪魔」
「はい!」
「うえっ!」
小悪魔は、押さえつける力を強くした。
「汚いぞ、パチュリー……これじゃあ脅迫じゃないか」
「これは交渉よ、魔理沙。どうするの? あんまり焦らさない方がいいと思うわよ。今の小悪魔、化け物茸の胞子を吸って興奮気味なの……どういう意味かわかるでしょ」
「うう……わかった、わかったよ。今回は私の負けだよ」
「交渉成立ね。小悪魔、放してあげなさい」
「わかりました!」
「はあ、はあ……死ぬかと思ったぜ。そんなに強く押さえつける必要はないだろ」
「これくらいしないと、あなたはすぐに逃げるでしょう」
「ひどい言い草だな……で、知りたい情報ってのは何なんだ? 私は今、魔法の研究中なんだ。さっさと終わらして作業に戻らせてくれ」
「旬の山菜を教えて欲しいの」
「……はあ?」
「聞こえなかったかしら。旬の山菜を教えていただけるかしら? この時期、春に食べるのにぴったりの旬の味覚を」
魔理沙は不思議な表情を浮かべていた。どうせパチュリーのことだ、魔法関係の話に違いない。そう高を括っていたからである。まさか山菜の話が出てくるなんてこれっぽっちも想像していなかった。
「知らないの?」
「え……ああ、いや。知ってるぜ。私は自炊もするからな」
そう言うと魔理沙は、ペンと紙を手に取り何かを書き始めた。
「……よーし、これでよし。ほら、パチュリー。この森で取れる春の山菜一覧表だ」
そう言って、今書き終えたばかりのメモをパチュリーに渡した。
「……よくわからないわ」
「え? どうしてだ、詳しい場所も記してあるだろ」
「私はあなたとは違うわ……例え地図があっても、魔法の森で正確な場所に辿り着けるわけないでしょう」
「ええ、そんなこと言われても困るぜ」
「連れて行ってちょうだい」
「勘弁してくれよ、パチュリー」
「小悪――」
「ああ、わかったよ! 連れて行くからもう乱暴はやめてくれ!」
「すまないわね」
「今のパチュリーは鬼より鬼みたいだぜ……」
準備を終えた3人は、玄関の前に集合した。
「それじゃあ、そろそろ行くとするか」
「ええ、お願いするわ」
「じゃあまず、ここから北に10分程歩くぜ」
「わかったわ」
時刻は午前9時を少し回った頃、パチュリーの一行は目的地に到着した。
「到着したぜ」
3人は、少し傾斜が付いた一帯に到着した。
「ここでは何が取れるのかしら」
「この辺ではカタクリが取れるぜ」
「カタクリ?」
「ああ。ほら、見てみな。あのピンク色の花が生ってる野草がカタクリだよ」
「わあ、キレイね……」
「キレイですね、パチュリー様! これって食べれるんですか?」
「勿論。春の妖精とも呼ばれる美味しい山菜だぜ」
「春の妖精……? 春告精のことかしら?」
「リリーホワイトとは違うぜ」
「採取しましょう、パチュリー様!」
「そうね、そうしましょう」
パチュリーはそう言うと、背中に背負った籠にカタクリを放り込んだ。
「よし、それじゃあ次に行くか」
「ええ」
「そういやパチュリー、なんで山菜狩りなんかしようと思ったんだ?」
「レミィの思いつきよ。『春っぽい』食事がしたいらしいの。だから旬の味覚を探してるの」
「へえ、そうなのか。『春っぽい』とはまた面白い注文だな」
「そうなのよね……少し引っかかるの。ただ旬の味覚が食べたいだけならそう言えばいいのに……」
「私は、ただ旬の食材で作られた料理を食べただけじゃあ「春っぽい」食事をしたとは言えないと思うなあ。その、なんていうか……そう、ムード。ムードが大切だと思うぜ」
「ムードねえ」
「『春っぽい』ムードの中、春の味覚を味わう。最高だと思わないか」
「……素敵ねえ」
「魔法使いの方たちは思考レベルが一緒ですね」
そう言っているうちに、次の目的地に到着した。
「よし、着いたぜ」
「次は何が取れるのかしら」
パチュリーは興味有り気に尋ねた。どうやら、山菜狩りが楽しくなってきたようである。
「次はキノコだぜ」
「キノコ?」
「ああ、この辺はキノコの群生地なんだ。この時期に狙えるのはヒラタケ、ナラタケ、シイタケあたりかな。間違っても化け物茸は採っちゃダメだぜ」
「ええ、わかったわ」
パチュリーと小悪魔は、魔理沙のメモを見てお目当てのキノコの形を確認した。
「よし、それじゃあ採り始めましょうか」
「はい!」
気づけば陽は高く、ほぼ真上まで昇っていた。
「むきゅー、疲れたわ……少し休憩しましょう」
「そうだな。そろそろお昼じゃないか?」
「時間が経つのって早いですねえ」
3人は、近くにあった倒木に腰を掛けた。
「けっこう採れたわね」
パチュリーの籠の中身は、半分程埋まっていた。
「そうだな。でも、まだあと一箇所いいところがあるから、午後からもガンバらないとな」
「まだあるのね」
パチュリーは嬉しそうにそう言った。
「しかし、お腹空いたなあ」
「そうね」
「パチュリー、何か無いのか? 案内料としてお昼くらいくれても罰は当たらないぜ」
「勿論用意してあるわ」
「本当か!」
「ええ、咲夜特製のサンドウィッチを持ってきてあるの。一緒に食べましょう」
そう言うとパチュリーは、どこからともなくバスケットを取り出した。
「おお、凄いな。新しい魔法か?」
「そんなところよ」
「今度私にも教えてくれよ」
「ええ、今度ね」
パチュリーは、新しい魔法に興味を示した魔理沙を適当にあしらい、バスケットの中からサンドウィッチと水筒、そしてティーカップを取り出した。
「はい、魔理沙。あなたの分よ」
「おお、すまないな! ……しかし、サンドウィッチか。魔法使いだけにサンドウィッチ、なんちゃって……」
「……小悪魔、どう思う」
「どうもこうも、今のは無いでしょう」
「魔理沙、あなたのサンドウィッチは没収よ」
「悪い、悪い。今のは冗談だ、勘弁してくれ」
「まったく……はい、紅茶もどうぞ」
「至れり尽くせりだな。……ん? なあ、パチュリー。なんでこの紅茶温かいんだ?」
「この水筒のおかげよ。マホウビンと言うらしいわ」
「魔法がかかってるのか」
魔理沙は興味深そうに尋ねた。
「残念だけど、そういうわけじゃないみたい。外の世界の技術らしいわ」
「へえ、外の世界は進歩してるんだなあ」
「思考を巡らせるのはそこまでよ。先にお昼を食べてしまいましょう」
「そうだな」
パチュリーが魔理沙にストップをかけ、3人は昼食を取り始めた。
「ふう、美味しかった。咲夜は料理上手いんだな、見直したぜ」
魔理沙は満足そうに笑みを浮かべた。
「そろそろ行きましょうか」
「ん、そうだな」
「次の目的地は遠いの?」
「いや、そんなに遠くないぜ。また10分程歩けば着く」
「わかったわ」
パチュリーの一行は後片付けを済ませ、最後の目的地を目指し歩き始めた。
「この茂みの向こうだぜ」
「最後の目的地は随分と森の奥にあるのね」
3人は、今までより更に鬱蒼とした茂みを掻き分け進んだ。
「わあ……」
パチュリーは、眼下に広がる光景に言葉を失った。
「どうだ、凄いだろ」
魔理沙は得意気にそう言った。
暗く陰気な魔法の森には似つかわしくない場所がそこにはあった。眩い光に溢れ、地肌にはたくさんの山菜が生い茂り、小さな花が咲き誇っているのも見て取れた。春の陽光が、3人を優しく包み込んでいた。
「魔法の森にも、こんな所があるのね」
パチュリーは感心した様子であった。
「凄いだろ。たまたま見つけたんだ、ここは空からだとうまいこと隠れて見えないんだ」
「そうね。こんな幻想的な場所があるとは思いもしなかったわ」
「パチュリー様は乙女ですねえ」
「黙りなさい……ここでは何が採れるの?」
「ノビル、ヨモギ、アザミ、スカンボ、アイコ……言い出したらキリがないなあ。ここでは多種多様の山菜が取れるぜ」
「締めにはうってつけってことね」
「そういうことだ。さあ、思う存分採ってくれ!」
「そうね、そうさせてもらうわ。小悪魔、ラストスパートよ」
「了解しました!」
陽が少し傾き、薄ら空が赤く染まり始めていた。
「いっぱい採れましたね、パチュリー様!」
「大漁ね、少し採りすぎちゃったかしら」
パチュリーの籠は、山菜でいっぱいになっていた。
「そろそろお開きにするか?」
「そうね、十分採れたことだし。今日は本当にありがとうね」
「気にすることはないぜ……本の件はもう少し目を瞑っててくれよな?」
「いつか返すのよ」
「ああ、気が向いたら返すぜ」
「はあ……まあ、そういう約束だったからいいわ。それじゃあ行くわよ、小悪魔」
「はい!」
二人は魔理沙に別れを告げ、空に浮かび上がった。
「けっこう陽が暮れてきてるわね……夕食に間に合うかしら」
「少し急いだ方がいいかもしれないですね」
夕暮れ時の、冷たい春風が強く吹いていた。
「少し寒いですね……」
「そうかしら。私にはちょうどいいわ」
「寒いのは苦手だったんじゃないんですか?」
「今日は一日中運動していたのよ……体が火照ってるのよ」
パチュリーの火照った体には、春風の冷たさは心地よいものであった。
「ところでねえ、小悪魔」
「なんですか?」
「レミィは満足するかしら」
「するに決まってるじゃないですか。こんなに旬の食材を集めたんですよ。これ以上春に見合ったお食事、そうそうないですよ」
「そう、それならいいのだけれど……」
「――あ、お屋敷が見えてきましたよ」
「陽が落ちる前に帰ってこれてよかったわ」
こうして二人は、無事に家路に就いた。
「おかえりなさいませ、パチュリーさ……なんですか、その格好は」
「あなたまで……もう、慣れたわ。私がおかしいのでしょうね」
今日何度目になるかわからない反応に、パチュリーはげんなりした様子である。
「ああ、萎えている場合じゃないわ。咲夜、これを受け取りなさい」
パチュリーは、背負っていた山菜でいっぱいになった籠を咲夜に渡した。
「凄い量……これ、どうしたんですか」
「魔法の森で採ってきたのよ。採れたての春の味覚よ……レミィも満足するはずだわ」
「パチュリー様に任せて正解でしたわ! では、さっそくお料理に取りかかります」
「ええ、そうしてちょうだい。私は夕食の前にシャワーを浴びてくるわ」
「わかりましたわ」
パチュリーと小悪魔がシャワーを浴び終えた頃には、すっかり陽が暮れていた。
紅魔館の主も、そろそろ目を覚ます頃合である。
「やっぱり、パチュリー様はその格好の方がしっくり来ますね」
「むきゅう……あの衣装、けっこう自信あったのに……」
「凄いセンスですね」
「……ダイニングルームに向かうわよ。そろそろ夕食も出来上がってるはずよ」
「わかりました。夕食、楽しみですね」
「そうね」
紅魔館のダイニングルーム。いつもと変わらず、定刻通りに今宵も晩餐会が催される。
「あら、パチェ」
「ごきげんよう、レミィ」
紅魔館の主は、もう席に着いていた。
「今夜のディナーは楽しみねえ。咲夜に頼んでおいたの、『春っぽい』食事がしたいと」
「満足してくれるといいんだけど……」
「なんでパチェが心配するのよ」
「直にわかるわ」
「お待たせ致しました、お嬢様。今夜の御夕食は、腕によりをかけて作らせていただきましたわ」
そう言って、レミリアの前に今夜の夕食が並べられた。それは、紅魔館のダイニングルームに並ぶには、少し異質な雰囲気を醸し出していた。
「おおー見事に和風ね」
「食材に最も合うと思われる調理法を施しました。おひたし、和え物、酢の物に天ぷら。お気に召すとよろしいのですが」
「上出来よ、咲夜。でも、よくこんなに旬の食材が手に入ったわね」
「今日の食材はパチュリー様が魔法の森で採って来てくださったものです、お嬢様」
「え、パチェが?」
レミリアは目を丸くした。
「パチェ、一体どうしたの?」
「妙案が浮かんだだけよ。人里で食材を集めるより、専門家に尋ねる方が確実でしょ」
「うーん、確かにそうかもしれないわね。ありがとう、パチェ」
「気にしなくていいわ。それより、早く食べましょう。天ぷらは揚げたてが一番おいしいわ」
「確かにそうね。じゃあ頂きましょうか」
楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。晩餐会は終わり、食後のティータイムへと移り変わっていた。
「おいしかったわね」
「ええ、そうね。採れたての山菜がここまでおいしいとは思わなかったわ」
二人は満足気な笑みを浮かべた。
「うふふ、満足なさいましたか、お嬢様。……もし、点数を付けるなら何点ですか?」
咲夜は、冗談っぽく問いかけた。
「うーん、そうねえ……」
レミリアは、真剣な顔つきで考え始めた。
「――70点、ってところかしら」
「え……」
「レミィ……」
咲夜とパチュリーは、驚きの表情を浮かべた。レミリアは100点満点を宣告すると踏んでいたからである。予想が外れ、それが何故だかわからなかった。
「何か、ご不満がありましたか?」
「いや、そうじゃないんだけどね」
「レミィ……私、間違いがあったかしら?」
パチュリーの表情は、驚きから落胆へと変わっていた。
「そんな顔しないで、パチェ。パチェが採って来てくれた山菜はもちろん、咲夜の料理も最高だったわ……別に悪かったって意味じゃないの」
レミリアは困惑の表情を浮かべた。
「うう……傷つけたなら謝るわ、ごめんなさい」
「……いいのよ、レミィ。あなたなりに考えてたことがあるのでしょう?」
一瞬の静寂が空間を包んだ。
「――私は先に失礼するわ、レミィ」
「パチェ……」
そう言い残し、パチュリーはダイニングルームを後にした。
「パチュリー様!」
大図書館へと続く、階段の途中で声を掛けてくる者がいた。
「あら、小悪魔」
パチュリーが振り返ると、そこには小悪魔がいた。
「お茶を飲んでいたんじゃないの?」
「いえ、パチュリー様が出て行ってしまい居ても立ってもいられなくなりまして」
「別にゆっくりして来てもよかったのに」
「……パチュリー様、落ち込んだご様子だったのでお側にいた方がいいかと思ったのですが」
「え?」
パチュリーは疑問の表情を浮かべた。
「え、お嬢様の言葉に落胆して出て行かれたのではないのですか?」
「落胆はしたけど、多分あなたの思ってる落胆ではないわよ。予想が外れた事に対しての落胆。落ち込んだわけでも、傷ついたわけでもないわ」
「そうなんですか……心配して損しました」
「気持ちは受け取っておくわ」
「……でも、それならなんであのタイミングで出ていかれたんですか?」
「考え事ができたからよ」
「考え事、ですか?」
「ええ。レミィは何が不満だったのか、気になるでしょう」
「パチュリー様……」
小悪魔は、複雑な表情でパチュリーを見つめた。
「お嬢様も、パチュリー様がどれ程苦労して山菜狩りをしてきたのかを知れば、それだけであの点数は撤回すると思うのですが」
「それは無いわね。レミィはそんな浅はかな思考はしないわ。人の苦労もわからない愚か者でもない……私の苦労も当然わかっているはずよ。それであの点数なの。あの点数も、何か意味があるはずよ。30点足りない、何かが」
パチュリーはまくし立てた。
小悪魔はそれを聞きながら、不安な表情を浮かべていた。
「――心配しなくていいわ。私とレミィの付き合いが、どれだけ長いと思ってるの」
そう言うと、パチュリーは図書館に向かって歩き出した。
――山菜狩りの日から数日経ったある日、春告精が幻想郷中を飛び回った一報が舞い込んできた。遂に幻想郷に春が訪れたのである。
「……むきゅう、わからないわ」
「あらら……」
パチュリーは依然答えを模索し続けていた。
「わかりそうな気もするし、まったくわかってない気もする。私は思考の海で溺れてしまっているみたい」
「ポエムですか? ……そういえば遂に春告精が訪れたようですよ。やっと春ですね」
「やっと来たのね。長かった冬とも、しばらくお別れね」
「そうですね。……パチュリー様、考えが行き詰まってるのでしたら、お散歩にでも出かけてみては如何ですか? 春の陽光に包まれてのお散歩は、気持ちいいと思いますよ」
「うーん、そうねえ。少し風に当たってきましょうか」
「きっと頭もすっきりしますよ」
「そうね。じゃあ夕食までには帰るわ」
紅魔館のすぐ近くにある湖。何故か昼間の間だけ霧がかかるため、霧の湖と呼ばれている。
「やっぱり、この湖は視界が悪いわね」
パチュリーは、湖畔を散策することにしたようだ。
「『春っぽい』ねえ。『春っぽい』……」
パチュリーは、思考を巡らしながら独り言を呟いた。
「この湖は、まるで私の思考を表してるようね。一寸先は霧、晴れる気配はないわ……」
「……でも、一寸先は霧でも少しは視界があるわよね。視界は悪いけど、小石につまずいて転ぶことはないわ……でも、私の思考はずっと立ち止まったまま……困ったものね、ん?」
パチュリーは、足元に何かがあるのを見つけた。
「キレイね、何て花かしら」
パチュリーは足元に小さな花が咲いてるのを見つけたようだった。
「よく見たら一輪だけじゃないわね。たくさん咲いてるわ」
「……もう春なのね。気温も上がってきて、気持ち良いわ」
パチュリーは感心した様子で、小さな花を見つめた。
「こんなに小さい花でも、春が来たって実感させてくれるのね……花に詳しいわけじゃないけど、なんとなくでわかるわ。この陽気と、たくさんのお花達。雰囲気的な問題なんでしょうけどね……ん?」
パチュリーは、はっとした表情を浮かべた。
少しの間、パチュリーは口を噤んだ。この間、微動だにしなかった。
「春は、春告精が来たから始まるわけじゃないのね。自ら感じ取る物。そうよ、それだわ。だって、春告精が来ても部屋に閉じ篭ってたら春なんてわからないし、意味なんて無いもの。なんで今まで気づかなかったのかしら……『春っぽい』雰囲気、ムード……魔理沙、あなたの言葉をもっと早く思い出したかったわ」
そう言うとパチュリーは、急いだ様子で浮かび上がり、湖を後にした。
日が暮れ、辺りがすっかり暗くなった頃合にパチュリーは帰ってきた。
「随分遅かったですね。どこに行ってたのですか?」
「ちょっとそこまで、よ。小悪魔、全部わかったわ。レミィが何を求めていたのか」
パチュリーは、したり顔を小悪魔に向けた。
「本当ですか! やりましたね、おめでとうございます! じゃあさっそく咲夜さんに伝えて調理して頂かないと、夕食に間に合いませんよ」
「その必要はないわ、小悪魔。『春っぽい』食事は、ダイニングルームで取るのは不可能よ」
「え、それってどういうことなんですか」
「後で教えるわ、小悪魔。夕食は普通に頂きましょう」
「は、はい……」
小悪魔は、腑に落ちない様子であったが、パチュリーに促されてダイニングルームへと向かった。
紅魔館のダイニングルーム。いつもと変わらない晩餐会が終わり、食後のティータイムへと移り変わっていた。
「咲夜、今日の紅茶はとびきり苦いわね」
レミリアは、渋い表情を浮かべて言った。
「ええ、お嬢様。今日もスペシャルブレンドですわ」
「レミィ」
「どうしたの、パチェ」
「今夜いいかしら? 少し付き合ってもらいたいのだけれど」
「ええ、いいわよ。何をするつもりなの?」
「夜のお散歩よ」
「……珍しいお誘いね」
「二人っきりになりたいの」
「そう……わかったわ、行きましょう。せっかくのパチェからのお誘いだものね」
「じゃあ、今夜10時に門の前に来てちょうだい。遅れないでね」
「ええ、わかったわ」
涼しい風が吹いている。空には雲一つなく、月と星達が美しくまたたいていた。
時刻は10時を少し回っていた。
「お待たせ、レミィ」
「待ったわよ」
「遅れてごめんね。準備に手間取っちゃったの」
「準備? 一体何の?」
「後で言うわ……」
「そう……そろそろ行きましょうか」
「そうね」
レミリアは少し不思議に思ったが、それ以上追求はしなかった。
レミリアとパチュリーは、湖畔を散策し始めた。
霧の湖は、昼とは打って変わって夜には霧がかからない。今夜は雲も無いので、明るく見通しがいい。程よく涼しい風も吹いており、散策するにはこれ以上無い程の条件である。
「気持ちの良い夜ねえ」
レミリアは上機嫌そう言った。
「今宵は、私に相応しい夜ね」
「そうね」
「ところで、どこに行くつもり?」
「ちょっとそこまで、よ」
「今日のパチェ、なんか変よ。何か隠し事してるでしょ?」
「……もう少し我慢して。ごめんね、レミィ」
パチュリーは、眉一つ動かさずに言った。
「わかったわ」
「ありがとう」
二人は他愛無い話を交えつつ、気づけば湖の反対側に差し掛かろうとしていた。
そのとき、パチュリーは歩みを止めた。
「どうしたの、パチェ?」
「着いたわ」
「……ここは?」
「レミィ、あなたをここに連れてきたかったの」
月明かりが辺りを包む。そこには、小さな花達が鎮座していた。
「パチェ、どういうことなの?」
「私、あなたの謎掛けの答えを探していたの。そして、見つけた。あなたの探していた『春っぽい』とはこれね」
パチュリーはそう言い、花達を指差した。
「『春っぽい』食事は、春のムードの中で行って始めて成立する。そうでしょ、レミィ」
レミリアは、パチュリーの言葉に静かに耳を傾けていた。
「さあ、あの日の食事の続きを始めましょう」
パチュリーは、いつぞやの魔法を使い、バスケットを取り出した。
「なるほどねえ。何の準備かと考えてたけど、これのことだったのね」
レミリアは、合点がいったように頷いた。
「でも、随分回りくどいじゃない。出発前から教えてくれてもよかったんじゃない?」
「サプライズってやつよ。こっちの方が感動が大きいでしょ」
「――はい、準備できたわ。座りましょう」
パチュリーは手際よく敷物を敷き、レミリアを座るように促した。
「どうぞ、レミィ」
パチュリーは、バスケットからタラの芽の天ぷらを取り出した。
「山菜の王様ねえ……わかってるじゃない」
「あとこれも」
パチュリーの手には、一升瓶が握られていた。
「あら、芋焼酎じゃないの。どうしたの、それ」
「お昼に魔理紗にもらってきたの。『春っぽい』食事には不可欠だと思ってね」
「パチェ……」
「どうかしらレミィ。春を身近に感じながら、タラの芽の天ぷらを芋焼酎のあてにしての月見酒……これ以上はないでしょう?」
レミリアはそれを聞き、満面の笑みを浮かべながら言った。
「パチェ、貴方最高ね……天にも昇る気分だわ」
「どういたしまして」
「――じゃあ……今回の得点を聞きましょうか。どうかしら」
「パチェ、文句無いわ。120点でどうかしら。20点は貴方の行いに対してのおまけよ」
「ふう……よかった。今度こそ正解だったようね」
パチュリーは安堵の表情を浮かべた。
「そんなに難しかったかしら?」
「決め手になる要素を探すのは大変だったわ」
「……付き合ってくれてありがとう、パチェ」
「いいのよ、私も楽しかったわ。それに、今に始まったことじゃないでしょう」
「ふふん、そうね」
「……それじゃあ、そろそろいただきましょう。せっかく準備したんだから、楽しみましょ」
「ええ、そうね」
こうして、二人の宴会が始まった。
普段神社で催される宴会と比べると、賑わいももてなしも大した物ではなかった。
それでも、二人にとってはこれ以上ない宴会であった。
そして、二人の春の夜は、まるで夢のように過ぎ去っていった。
「――貴女は最高の友人よ、パチェ。これからもよろしくね」
「その言葉、そっくりお返しするわ、レミィ。こちらこそよろしくお願いするわ――」
「――なるほど、だからダイニングルームで取るのは無理だったんですね」
「そういうことよ。部屋に閉じこもっていては、風情は感じられないってことね」
図書館は、いつも通りの日常に戻っていた。
「本ばっかり読んでないで、またどこかに出掛けたいわね」
「いいですね、私はいつでもお付き合いしますよ」
「ありがとう、小悪魔」
この数日で、パチュリーは自然その物に加え、自然の変化を肌で感じた。
彼女はそれを楽しみながら過ごし、恐らくこれからもそうするだろう。
こうして、パチュリーの少し季節を感じる体験は幕を閉じたのである。
長い冬が終わり、幻想郷に春が近づいていた。
眠りについていた木々や動物達も、春の息吹により少しずつ目覚め始めていた。
勿論人間や妖怪達にとっても例外ではない。春は、秋以上に過ごしやすい季節なのである。
「ねえ、咲夜」
「なんでしょうか、お嬢様」
「最近暖かくなって来たわね。そろそろ春かしら」
「そうですね、もうじき春告精が飛び回る頃ですわ」
「春……そうだわ、咲夜」
「なんでしょう」
「『春っぽい』食事がしたいの。明日のディナーは『春っぽい』食事にしなさい」
「『春っぽい』ですか?難題ですわ、お嬢様」
「できないの、咲夜?」
「いいえ、お任せください。春告精を捕まえる事に比べたら簡単ですわ」
「……根に持ってるの?」
「何のことでしょうか」
「……なんでもないわ」
「最近暖かくなってきましたね。春が近づいてるみたいです」
「そうね、小悪魔。冬の間は朝が辛くて嫌だったわ」
大図書館内でも、似たようなやり取りが行われていた。
「低血圧なの」
「パチュリー様はそんな感じに見えますね」
陽の光こそ入らないが、気温の上昇ははっきりと感じ取れる。冬場の図書館は想像を絶する程に寒いのだ。
「手が冷えなくなってきたから、読書にも精が出るわ」
「パチュリー様らしいですね」
――ガチャン。
静寂を破り、大図書館に訪問者が訪れた。
「あら、咲夜じゃない。いったいどうしたの?」
「ごきげんよう、パチュリー様。少し相談したいことがありまして」
「珍しいこともあるのね」
「『春っぽい』食事ねえ。抽象的な注文ね」
「何か思い当たる『春っぽい』を醸し出せる料理はないでしょうか?」
パチュリーは苦悶の表情を浮かべた。
「そうねえ……」
「思い当たりませんか……では、人里で旬の食材を買って――」
「待ちなさい、咲夜。この一件、私に任せなさい」
「え……」
咲夜は驚きの色を隠せなかった。普段は飄々とし、掴みどころが無い彼女が驚く事なんて滅多にある事ではない。パチュリーの申し出はそれほどに意外だったのである。
「いったいどういった風の吹き回しですか?」
「野草の専門家が知り合いにいるってだけよ」
「野草の専門家、ですか?」
「ええ。だから私に任せておきなさい」
「……わかりました。そこまで言うのでしたら、お任せしますわ」
少し不安そうだったが、咲夜はそう言うと大図書館を後にした。
「小悪魔」
「はい、なんでしょうか?」
「明日の朝、魔法の森に行くわよ」
「……え?」
「言ったでしょう。春の味覚を採りにいくのよ」
「野草の専門家ってもしかして」
「考えてても始まらないわ。明日の朝までには準備しておくのよ」
「わ、わかりました……」
山際がぼんやりと明るくなってきていた。時刻は午前6時。暖かくなってきたとはいえ、朝方の冷え込みはまだまだ厳しいものがある。
「ううっ……パチュリー様、まだでしょうか」
紅魔館の正門には、小悪魔の姿があった。この時間帯は、門番である紅美鈴もまだ就寝中のため、周りには誰もいない。
「――待たせたわね」
玄関から大図書館の主が姿を現した。
「清々しい朝ね」
「遅いですよ……それより、なんですかその格好は?」
小悪魔は、訝しげな顔をパチュリーに向けた。今日のパチュリーの衣装は、普段のふわふわした衣装とは異なったものであった。
「あなた、この衣装を知らないの?」
「初めて見ましたよ、そんな変な格好」
「変な格好って……わかってないわね、これは野仕事用の正式な衣装。言わばユニフォーム」
「へえ……」
「間違いないわ、本に書いてあったもの。名前は確か、そう、『もんぺ』よ」
「はあ……」
パチュリーは、白いブラウスにもんぺを履いた野仕事用の出で立ちであった。頭には手ぬぐいを巻き、背中には大きめの籠を背負っていた。
「そんなことより、あなたが背負っているのは何? 物干し竿かしら」
「ええ、パチュリー様こそこれを知らないのですか!?」
そういうと、小悪魔は背負っている長い棒を手に持った。
「これは『サスマタ』です。元を辿れば、我ら悪魔族が戦闘に使った槍に起因しまして、それを捕縛用に作り直した物です!」
「サス……マタ? とりあえずそれが槍というのはわかったわ。で、それを何に使うつもりなのかしら?」
「野草の専門家を捕縛するのです!」
「……そうね、確かに彼女には貸しが嫌って程あるわ」
「決まりましたね、さっそく出発しましょう!」
「言ってても始まらないわね、そうしましょう」
そう言うと、野仕事用の格好をしたパチュリーと、背中にサスマタを背負った小悪魔は、ふわりと宙に浮き上がり、魔法の森を目指して飛び始めた。
すっかり陽が昇り明るくなってきた頃、二人は魔法の森上空に到着した。
「魔法の森は久しぶりねえ」
「来た事あるんですか?」
「ええ、以前天界まで行った時にね」
「パチュリー様、けっこうアクティブですねえ」
「……ほら、あそこよ。あの少し開けたところに降りるわよ」
鬱蒼とした森林に、ぽっかりと開けた場所があった。
――ヒュー、スタン。
二人は魔法の森に降り立った。
「うわあ、凄い所ですね」
「うう、やっぱりここは空気が悪いわ」
パチュリーは、頭に巻いていたタオルを取り、口を覆うように巻きなおした。
「これでいいわ」
「そんなんで大丈夫なんですか?」
「問題ないわ。少し歩くわよ」
「わかりました」
二人は、更に森の奥へと進んでいった。
「ふう、ふう……」
「大丈夫ですか、パチュリー様?」
「大丈夫よ、ゴホッゴホッ!」
「ああ、パチュリー様!」
「うう、息苦しいわね」
魔法の森には、化け物茸の胞子が満ちている。そのため、パチュリーは口に巻いた手ぬぐいを外してしまうと、喉を痛めてしまう。しかし、手ぬぐいを外さないとそもそも息ぐるしくて体にきてしまう。悪循環である。
おまけに、陽がほとんど入らない魔法の森の地面はぬかるみや、苔で満ちている。体を鍛えていたり、山道を歩き慣れた者でもやっと歩けるような悪路は、パチュリーにとってはゆっくり歩くだけでも困難である。
「あなた、凄いわね。なんともないの?」
「ええ、体には自信があるので。後、なんだか体の芯から魔力が溢れてくるようなんです!」
「化け物茸の胞子には、魔力を高める効果があるらしいわ……あなたはここと、相性がいいみたいね」
それから小半時程森を進んだところで、二人は一軒の建物に辿り着いた。
「やっと、着いたわ」
「おお、ここが目的地ですか」
「ええ、霧雨魔法店よ」
魔法の森の奥深くに、その店は存在する。パチュリーは、この店の主に用があったのだ。
「小悪魔、よく聞きなさい。私は表から入るわ。あなたは裏口から、私が気を引いておくからその『サスマタ』とやらで捕まえなさい」
「おお、本格的ですね!」
「彼女の逃げ足、あなたも知ってるでしょう」
「そうでしたね、それでは裏に回ります!」
「……小悪魔、化け物茸の胞子を吸って興奮気味のようだったけど……大丈夫かしら?」
そう言うと、パチュリーは霧雨魔法店の玄関まで歩を進めた。
――コン、コン。
「お邪魔するわよ」
「誰もいないぜ」
「いるじゃない」
部屋の奥にある暖炉の前に、白黒の服に身を包んだ少女が佇んでいた。
彼女の名前は霧雨魔理沙。この霧雨魔法店の主である。
「パチュリーじゃないか……なんだその格好、おかしいぜ」
「くっ、あなたまで……まあ、いいわ。聞きたいことがあるの、教えてもらえるかしら」
「情報を得たければ、代価を払わないといけない。知らないのか?」
「それをあなたが言うのね」
パチュリーは眉間に皺を寄せ、露骨に嫌な表情を魔理沙に向けた。
「早くも交渉決裂だな」
そう言うと、魔理沙はにやけた表情でパチュリーを見た。
「その態度、いつまで続けれるかしら」
「……何?」
「今よ小悪魔!」
「はい!」
パチュリーの掛け声に合わせて、部屋の奥にあるドアが勢いよく開いた。そこには、サスマタを構えた小悪魔の姿があった」
「ちょ、おまえはパチュリーの使い魔」
「小悪魔です、以後お見知りおきを!」
一瞬の出来事であった。小悪魔はサスマタを魔理沙の胴に押し付け、そのまま押さえつけた。
「ぐあ、汚いぞパチュリー!」
「観念することね。今までの貸しを返してもらうわ」
「く、くそう……」
「小悪魔、しっかり押さえておくのよ。じゃあ、清算しましょう」
そう言うと、パチュリーは大げさに考える仕草をした。
「あなたに貸した本、一体何冊あったかしら。……今すぐにでも返して欲しいのだけれど、もう少し貸しておいてあげるわ。代わりに、あなたは私に情報を提供する。どうかしら」
「い、嫌だぜそんなの」
「小悪魔」
「はい!」
「うえっ!」
小悪魔は、押さえつける力を強くした。
「汚いぞ、パチュリー……これじゃあ脅迫じゃないか」
「これは交渉よ、魔理沙。どうするの? あんまり焦らさない方がいいと思うわよ。今の小悪魔、化け物茸の胞子を吸って興奮気味なの……どういう意味かわかるでしょ」
「うう……わかった、わかったよ。今回は私の負けだよ」
「交渉成立ね。小悪魔、放してあげなさい」
「わかりました!」
「はあ、はあ……死ぬかと思ったぜ。そんなに強く押さえつける必要はないだろ」
「これくらいしないと、あなたはすぐに逃げるでしょう」
「ひどい言い草だな……で、知りたい情報ってのは何なんだ? 私は今、魔法の研究中なんだ。さっさと終わらして作業に戻らせてくれ」
「旬の山菜を教えて欲しいの」
「……はあ?」
「聞こえなかったかしら。旬の山菜を教えていただけるかしら? この時期、春に食べるのにぴったりの旬の味覚を」
魔理沙は不思議な表情を浮かべていた。どうせパチュリーのことだ、魔法関係の話に違いない。そう高を括っていたからである。まさか山菜の話が出てくるなんてこれっぽっちも想像していなかった。
「知らないの?」
「え……ああ、いや。知ってるぜ。私は自炊もするからな」
そう言うと魔理沙は、ペンと紙を手に取り何かを書き始めた。
「……よーし、これでよし。ほら、パチュリー。この森で取れる春の山菜一覧表だ」
そう言って、今書き終えたばかりのメモをパチュリーに渡した。
「……よくわからないわ」
「え? どうしてだ、詳しい場所も記してあるだろ」
「私はあなたとは違うわ……例え地図があっても、魔法の森で正確な場所に辿り着けるわけないでしょう」
「ええ、そんなこと言われても困るぜ」
「連れて行ってちょうだい」
「勘弁してくれよ、パチュリー」
「小悪――」
「ああ、わかったよ! 連れて行くからもう乱暴はやめてくれ!」
「すまないわね」
「今のパチュリーは鬼より鬼みたいだぜ……」
準備を終えた3人は、玄関の前に集合した。
「それじゃあ、そろそろ行くとするか」
「ええ、お願いするわ」
「じゃあまず、ここから北に10分程歩くぜ」
「わかったわ」
時刻は午前9時を少し回った頃、パチュリーの一行は目的地に到着した。
「到着したぜ」
3人は、少し傾斜が付いた一帯に到着した。
「ここでは何が取れるのかしら」
「この辺ではカタクリが取れるぜ」
「カタクリ?」
「ああ。ほら、見てみな。あのピンク色の花が生ってる野草がカタクリだよ」
「わあ、キレイね……」
「キレイですね、パチュリー様! これって食べれるんですか?」
「勿論。春の妖精とも呼ばれる美味しい山菜だぜ」
「春の妖精……? 春告精のことかしら?」
「リリーホワイトとは違うぜ」
「採取しましょう、パチュリー様!」
「そうね、そうしましょう」
パチュリーはそう言うと、背中に背負った籠にカタクリを放り込んだ。
「よし、それじゃあ次に行くか」
「ええ」
「そういやパチュリー、なんで山菜狩りなんかしようと思ったんだ?」
「レミィの思いつきよ。『春っぽい』食事がしたいらしいの。だから旬の味覚を探してるの」
「へえ、そうなのか。『春っぽい』とはまた面白い注文だな」
「そうなのよね……少し引っかかるの。ただ旬の味覚が食べたいだけならそう言えばいいのに……」
「私は、ただ旬の食材で作られた料理を食べただけじゃあ「春っぽい」食事をしたとは言えないと思うなあ。その、なんていうか……そう、ムード。ムードが大切だと思うぜ」
「ムードねえ」
「『春っぽい』ムードの中、春の味覚を味わう。最高だと思わないか」
「……素敵ねえ」
「魔法使いの方たちは思考レベルが一緒ですね」
そう言っているうちに、次の目的地に到着した。
「よし、着いたぜ」
「次は何が取れるのかしら」
パチュリーは興味有り気に尋ねた。どうやら、山菜狩りが楽しくなってきたようである。
「次はキノコだぜ」
「キノコ?」
「ああ、この辺はキノコの群生地なんだ。この時期に狙えるのはヒラタケ、ナラタケ、シイタケあたりかな。間違っても化け物茸は採っちゃダメだぜ」
「ええ、わかったわ」
パチュリーと小悪魔は、魔理沙のメモを見てお目当てのキノコの形を確認した。
「よし、それじゃあ採り始めましょうか」
「はい!」
気づけば陽は高く、ほぼ真上まで昇っていた。
「むきゅー、疲れたわ……少し休憩しましょう」
「そうだな。そろそろお昼じゃないか?」
「時間が経つのって早いですねえ」
3人は、近くにあった倒木に腰を掛けた。
「けっこう採れたわね」
パチュリーの籠の中身は、半分程埋まっていた。
「そうだな。でも、まだあと一箇所いいところがあるから、午後からもガンバらないとな」
「まだあるのね」
パチュリーは嬉しそうにそう言った。
「しかし、お腹空いたなあ」
「そうね」
「パチュリー、何か無いのか? 案内料としてお昼くらいくれても罰は当たらないぜ」
「勿論用意してあるわ」
「本当か!」
「ええ、咲夜特製のサンドウィッチを持ってきてあるの。一緒に食べましょう」
そう言うとパチュリーは、どこからともなくバスケットを取り出した。
「おお、凄いな。新しい魔法か?」
「そんなところよ」
「今度私にも教えてくれよ」
「ええ、今度ね」
パチュリーは、新しい魔法に興味を示した魔理沙を適当にあしらい、バスケットの中からサンドウィッチと水筒、そしてティーカップを取り出した。
「はい、魔理沙。あなたの分よ」
「おお、すまないな! ……しかし、サンドウィッチか。魔法使いだけにサンドウィッチ、なんちゃって……」
「……小悪魔、どう思う」
「どうもこうも、今のは無いでしょう」
「魔理沙、あなたのサンドウィッチは没収よ」
「悪い、悪い。今のは冗談だ、勘弁してくれ」
「まったく……はい、紅茶もどうぞ」
「至れり尽くせりだな。……ん? なあ、パチュリー。なんでこの紅茶温かいんだ?」
「この水筒のおかげよ。マホウビンと言うらしいわ」
「魔法がかかってるのか」
魔理沙は興味深そうに尋ねた。
「残念だけど、そういうわけじゃないみたい。外の世界の技術らしいわ」
「へえ、外の世界は進歩してるんだなあ」
「思考を巡らせるのはそこまでよ。先にお昼を食べてしまいましょう」
「そうだな」
パチュリーが魔理沙にストップをかけ、3人は昼食を取り始めた。
「ふう、美味しかった。咲夜は料理上手いんだな、見直したぜ」
魔理沙は満足そうに笑みを浮かべた。
「そろそろ行きましょうか」
「ん、そうだな」
「次の目的地は遠いの?」
「いや、そんなに遠くないぜ。また10分程歩けば着く」
「わかったわ」
パチュリーの一行は後片付けを済ませ、最後の目的地を目指し歩き始めた。
「この茂みの向こうだぜ」
「最後の目的地は随分と森の奥にあるのね」
3人は、今までより更に鬱蒼とした茂みを掻き分け進んだ。
「わあ……」
パチュリーは、眼下に広がる光景に言葉を失った。
「どうだ、凄いだろ」
魔理沙は得意気にそう言った。
暗く陰気な魔法の森には似つかわしくない場所がそこにはあった。眩い光に溢れ、地肌にはたくさんの山菜が生い茂り、小さな花が咲き誇っているのも見て取れた。春の陽光が、3人を優しく包み込んでいた。
「魔法の森にも、こんな所があるのね」
パチュリーは感心した様子であった。
「凄いだろ。たまたま見つけたんだ、ここは空からだとうまいこと隠れて見えないんだ」
「そうね。こんな幻想的な場所があるとは思いもしなかったわ」
「パチュリー様は乙女ですねえ」
「黙りなさい……ここでは何が採れるの?」
「ノビル、ヨモギ、アザミ、スカンボ、アイコ……言い出したらキリがないなあ。ここでは多種多様の山菜が取れるぜ」
「締めにはうってつけってことね」
「そういうことだ。さあ、思う存分採ってくれ!」
「そうね、そうさせてもらうわ。小悪魔、ラストスパートよ」
「了解しました!」
陽が少し傾き、薄ら空が赤く染まり始めていた。
「いっぱい採れましたね、パチュリー様!」
「大漁ね、少し採りすぎちゃったかしら」
パチュリーの籠は、山菜でいっぱいになっていた。
「そろそろお開きにするか?」
「そうね、十分採れたことだし。今日は本当にありがとうね」
「気にすることはないぜ……本の件はもう少し目を瞑っててくれよな?」
「いつか返すのよ」
「ああ、気が向いたら返すぜ」
「はあ……まあ、そういう約束だったからいいわ。それじゃあ行くわよ、小悪魔」
「はい!」
二人は魔理沙に別れを告げ、空に浮かび上がった。
「けっこう陽が暮れてきてるわね……夕食に間に合うかしら」
「少し急いだ方がいいかもしれないですね」
夕暮れ時の、冷たい春風が強く吹いていた。
「少し寒いですね……」
「そうかしら。私にはちょうどいいわ」
「寒いのは苦手だったんじゃないんですか?」
「今日は一日中運動していたのよ……体が火照ってるのよ」
パチュリーの火照った体には、春風の冷たさは心地よいものであった。
「ところでねえ、小悪魔」
「なんですか?」
「レミィは満足するかしら」
「するに決まってるじゃないですか。こんなに旬の食材を集めたんですよ。これ以上春に見合ったお食事、そうそうないですよ」
「そう、それならいいのだけれど……」
「――あ、お屋敷が見えてきましたよ」
「陽が落ちる前に帰ってこれてよかったわ」
こうして二人は、無事に家路に就いた。
「おかえりなさいませ、パチュリーさ……なんですか、その格好は」
「あなたまで……もう、慣れたわ。私がおかしいのでしょうね」
今日何度目になるかわからない反応に、パチュリーはげんなりした様子である。
「ああ、萎えている場合じゃないわ。咲夜、これを受け取りなさい」
パチュリーは、背負っていた山菜でいっぱいになった籠を咲夜に渡した。
「凄い量……これ、どうしたんですか」
「魔法の森で採ってきたのよ。採れたての春の味覚よ……レミィも満足するはずだわ」
「パチュリー様に任せて正解でしたわ! では、さっそくお料理に取りかかります」
「ええ、そうしてちょうだい。私は夕食の前にシャワーを浴びてくるわ」
「わかりましたわ」
パチュリーと小悪魔がシャワーを浴び終えた頃には、すっかり陽が暮れていた。
紅魔館の主も、そろそろ目を覚ます頃合である。
「やっぱり、パチュリー様はその格好の方がしっくり来ますね」
「むきゅう……あの衣装、けっこう自信あったのに……」
「凄いセンスですね」
「……ダイニングルームに向かうわよ。そろそろ夕食も出来上がってるはずよ」
「わかりました。夕食、楽しみですね」
「そうね」
紅魔館のダイニングルーム。いつもと変わらず、定刻通りに今宵も晩餐会が催される。
「あら、パチェ」
「ごきげんよう、レミィ」
紅魔館の主は、もう席に着いていた。
「今夜のディナーは楽しみねえ。咲夜に頼んでおいたの、『春っぽい』食事がしたいと」
「満足してくれるといいんだけど……」
「なんでパチェが心配するのよ」
「直にわかるわ」
「お待たせ致しました、お嬢様。今夜の御夕食は、腕によりをかけて作らせていただきましたわ」
そう言って、レミリアの前に今夜の夕食が並べられた。それは、紅魔館のダイニングルームに並ぶには、少し異質な雰囲気を醸し出していた。
「おおー見事に和風ね」
「食材に最も合うと思われる調理法を施しました。おひたし、和え物、酢の物に天ぷら。お気に召すとよろしいのですが」
「上出来よ、咲夜。でも、よくこんなに旬の食材が手に入ったわね」
「今日の食材はパチュリー様が魔法の森で採って来てくださったものです、お嬢様」
「え、パチェが?」
レミリアは目を丸くした。
「パチェ、一体どうしたの?」
「妙案が浮かんだだけよ。人里で食材を集めるより、専門家に尋ねる方が確実でしょ」
「うーん、確かにそうかもしれないわね。ありがとう、パチェ」
「気にしなくていいわ。それより、早く食べましょう。天ぷらは揚げたてが一番おいしいわ」
「確かにそうね。じゃあ頂きましょうか」
楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。晩餐会は終わり、食後のティータイムへと移り変わっていた。
「おいしかったわね」
「ええ、そうね。採れたての山菜がここまでおいしいとは思わなかったわ」
二人は満足気な笑みを浮かべた。
「うふふ、満足なさいましたか、お嬢様。……もし、点数を付けるなら何点ですか?」
咲夜は、冗談っぽく問いかけた。
「うーん、そうねえ……」
レミリアは、真剣な顔つきで考え始めた。
「――70点、ってところかしら」
「え……」
「レミィ……」
咲夜とパチュリーは、驚きの表情を浮かべた。レミリアは100点満点を宣告すると踏んでいたからである。予想が外れ、それが何故だかわからなかった。
「何か、ご不満がありましたか?」
「いや、そうじゃないんだけどね」
「レミィ……私、間違いがあったかしら?」
パチュリーの表情は、驚きから落胆へと変わっていた。
「そんな顔しないで、パチェ。パチェが採って来てくれた山菜はもちろん、咲夜の料理も最高だったわ……別に悪かったって意味じゃないの」
レミリアは困惑の表情を浮かべた。
「うう……傷つけたなら謝るわ、ごめんなさい」
「……いいのよ、レミィ。あなたなりに考えてたことがあるのでしょう?」
一瞬の静寂が空間を包んだ。
「――私は先に失礼するわ、レミィ」
「パチェ……」
そう言い残し、パチュリーはダイニングルームを後にした。
「パチュリー様!」
大図書館へと続く、階段の途中で声を掛けてくる者がいた。
「あら、小悪魔」
パチュリーが振り返ると、そこには小悪魔がいた。
「お茶を飲んでいたんじゃないの?」
「いえ、パチュリー様が出て行ってしまい居ても立ってもいられなくなりまして」
「別にゆっくりして来てもよかったのに」
「……パチュリー様、落ち込んだご様子だったのでお側にいた方がいいかと思ったのですが」
「え?」
パチュリーは疑問の表情を浮かべた。
「え、お嬢様の言葉に落胆して出て行かれたのではないのですか?」
「落胆はしたけど、多分あなたの思ってる落胆ではないわよ。予想が外れた事に対しての落胆。落ち込んだわけでも、傷ついたわけでもないわ」
「そうなんですか……心配して損しました」
「気持ちは受け取っておくわ」
「……でも、それならなんであのタイミングで出ていかれたんですか?」
「考え事ができたからよ」
「考え事、ですか?」
「ええ。レミィは何が不満だったのか、気になるでしょう」
「パチュリー様……」
小悪魔は、複雑な表情でパチュリーを見つめた。
「お嬢様も、パチュリー様がどれ程苦労して山菜狩りをしてきたのかを知れば、それだけであの点数は撤回すると思うのですが」
「それは無いわね。レミィはそんな浅はかな思考はしないわ。人の苦労もわからない愚か者でもない……私の苦労も当然わかっているはずよ。それであの点数なの。あの点数も、何か意味があるはずよ。30点足りない、何かが」
パチュリーはまくし立てた。
小悪魔はそれを聞きながら、不安な表情を浮かべていた。
「――心配しなくていいわ。私とレミィの付き合いが、どれだけ長いと思ってるの」
そう言うと、パチュリーは図書館に向かって歩き出した。
――山菜狩りの日から数日経ったある日、春告精が幻想郷中を飛び回った一報が舞い込んできた。遂に幻想郷に春が訪れたのである。
「……むきゅう、わからないわ」
「あらら……」
パチュリーは依然答えを模索し続けていた。
「わかりそうな気もするし、まったくわかってない気もする。私は思考の海で溺れてしまっているみたい」
「ポエムですか? ……そういえば遂に春告精が訪れたようですよ。やっと春ですね」
「やっと来たのね。長かった冬とも、しばらくお別れね」
「そうですね。……パチュリー様、考えが行き詰まってるのでしたら、お散歩にでも出かけてみては如何ですか? 春の陽光に包まれてのお散歩は、気持ちいいと思いますよ」
「うーん、そうねえ。少し風に当たってきましょうか」
「きっと頭もすっきりしますよ」
「そうね。じゃあ夕食までには帰るわ」
紅魔館のすぐ近くにある湖。何故か昼間の間だけ霧がかかるため、霧の湖と呼ばれている。
「やっぱり、この湖は視界が悪いわね」
パチュリーは、湖畔を散策することにしたようだ。
「『春っぽい』ねえ。『春っぽい』……」
パチュリーは、思考を巡らしながら独り言を呟いた。
「この湖は、まるで私の思考を表してるようね。一寸先は霧、晴れる気配はないわ……」
「……でも、一寸先は霧でも少しは視界があるわよね。視界は悪いけど、小石につまずいて転ぶことはないわ……でも、私の思考はずっと立ち止まったまま……困ったものね、ん?」
パチュリーは、足元に何かがあるのを見つけた。
「キレイね、何て花かしら」
パチュリーは足元に小さな花が咲いてるのを見つけたようだった。
「よく見たら一輪だけじゃないわね。たくさん咲いてるわ」
「……もう春なのね。気温も上がってきて、気持ち良いわ」
パチュリーは感心した様子で、小さな花を見つめた。
「こんなに小さい花でも、春が来たって実感させてくれるのね……花に詳しいわけじゃないけど、なんとなくでわかるわ。この陽気と、たくさんのお花達。雰囲気的な問題なんでしょうけどね……ん?」
パチュリーは、はっとした表情を浮かべた。
少しの間、パチュリーは口を噤んだ。この間、微動だにしなかった。
「春は、春告精が来たから始まるわけじゃないのね。自ら感じ取る物。そうよ、それだわ。だって、春告精が来ても部屋に閉じ篭ってたら春なんてわからないし、意味なんて無いもの。なんで今まで気づかなかったのかしら……『春っぽい』雰囲気、ムード……魔理沙、あなたの言葉をもっと早く思い出したかったわ」
そう言うとパチュリーは、急いだ様子で浮かび上がり、湖を後にした。
日が暮れ、辺りがすっかり暗くなった頃合にパチュリーは帰ってきた。
「随分遅かったですね。どこに行ってたのですか?」
「ちょっとそこまで、よ。小悪魔、全部わかったわ。レミィが何を求めていたのか」
パチュリーは、したり顔を小悪魔に向けた。
「本当ですか! やりましたね、おめでとうございます! じゃあさっそく咲夜さんに伝えて調理して頂かないと、夕食に間に合いませんよ」
「その必要はないわ、小悪魔。『春っぽい』食事は、ダイニングルームで取るのは不可能よ」
「え、それってどういうことなんですか」
「後で教えるわ、小悪魔。夕食は普通に頂きましょう」
「は、はい……」
小悪魔は、腑に落ちない様子であったが、パチュリーに促されてダイニングルームへと向かった。
紅魔館のダイニングルーム。いつもと変わらない晩餐会が終わり、食後のティータイムへと移り変わっていた。
「咲夜、今日の紅茶はとびきり苦いわね」
レミリアは、渋い表情を浮かべて言った。
「ええ、お嬢様。今日もスペシャルブレンドですわ」
「レミィ」
「どうしたの、パチェ」
「今夜いいかしら? 少し付き合ってもらいたいのだけれど」
「ええ、いいわよ。何をするつもりなの?」
「夜のお散歩よ」
「……珍しいお誘いね」
「二人っきりになりたいの」
「そう……わかったわ、行きましょう。せっかくのパチェからのお誘いだものね」
「じゃあ、今夜10時に門の前に来てちょうだい。遅れないでね」
「ええ、わかったわ」
涼しい風が吹いている。空には雲一つなく、月と星達が美しくまたたいていた。
時刻は10時を少し回っていた。
「お待たせ、レミィ」
「待ったわよ」
「遅れてごめんね。準備に手間取っちゃったの」
「準備? 一体何の?」
「後で言うわ……」
「そう……そろそろ行きましょうか」
「そうね」
レミリアは少し不思議に思ったが、それ以上追求はしなかった。
レミリアとパチュリーは、湖畔を散策し始めた。
霧の湖は、昼とは打って変わって夜には霧がかからない。今夜は雲も無いので、明るく見通しがいい。程よく涼しい風も吹いており、散策するにはこれ以上無い程の条件である。
「気持ちの良い夜ねえ」
レミリアは上機嫌そう言った。
「今宵は、私に相応しい夜ね」
「そうね」
「ところで、どこに行くつもり?」
「ちょっとそこまで、よ」
「今日のパチェ、なんか変よ。何か隠し事してるでしょ?」
「……もう少し我慢して。ごめんね、レミィ」
パチュリーは、眉一つ動かさずに言った。
「わかったわ」
「ありがとう」
二人は他愛無い話を交えつつ、気づけば湖の反対側に差し掛かろうとしていた。
そのとき、パチュリーは歩みを止めた。
「どうしたの、パチェ?」
「着いたわ」
「……ここは?」
「レミィ、あなたをここに連れてきたかったの」
月明かりが辺りを包む。そこには、小さな花達が鎮座していた。
「パチェ、どういうことなの?」
「私、あなたの謎掛けの答えを探していたの。そして、見つけた。あなたの探していた『春っぽい』とはこれね」
パチュリーはそう言い、花達を指差した。
「『春っぽい』食事は、春のムードの中で行って始めて成立する。そうでしょ、レミィ」
レミリアは、パチュリーの言葉に静かに耳を傾けていた。
「さあ、あの日の食事の続きを始めましょう」
パチュリーは、いつぞやの魔法を使い、バスケットを取り出した。
「なるほどねえ。何の準備かと考えてたけど、これのことだったのね」
レミリアは、合点がいったように頷いた。
「でも、随分回りくどいじゃない。出発前から教えてくれてもよかったんじゃない?」
「サプライズってやつよ。こっちの方が感動が大きいでしょ」
「――はい、準備できたわ。座りましょう」
パチュリーは手際よく敷物を敷き、レミリアを座るように促した。
「どうぞ、レミィ」
パチュリーは、バスケットからタラの芽の天ぷらを取り出した。
「山菜の王様ねえ……わかってるじゃない」
「あとこれも」
パチュリーの手には、一升瓶が握られていた。
「あら、芋焼酎じゃないの。どうしたの、それ」
「お昼に魔理紗にもらってきたの。『春っぽい』食事には不可欠だと思ってね」
「パチェ……」
「どうかしらレミィ。春を身近に感じながら、タラの芽の天ぷらを芋焼酎のあてにしての月見酒……これ以上はないでしょう?」
レミリアはそれを聞き、満面の笑みを浮かべながら言った。
「パチェ、貴方最高ね……天にも昇る気分だわ」
「どういたしまして」
「――じゃあ……今回の得点を聞きましょうか。どうかしら」
「パチェ、文句無いわ。120点でどうかしら。20点は貴方の行いに対してのおまけよ」
「ふう……よかった。今度こそ正解だったようね」
パチュリーは安堵の表情を浮かべた。
「そんなに難しかったかしら?」
「決め手になる要素を探すのは大変だったわ」
「……付き合ってくれてありがとう、パチェ」
「いいのよ、私も楽しかったわ。それに、今に始まったことじゃないでしょう」
「ふふん、そうね」
「……それじゃあ、そろそろいただきましょう。せっかく準備したんだから、楽しみましょ」
「ええ、そうね」
こうして、二人の宴会が始まった。
普段神社で催される宴会と比べると、賑わいももてなしも大した物ではなかった。
それでも、二人にとってはこれ以上ない宴会であった。
そして、二人の春の夜は、まるで夢のように過ぎ去っていった。
「――貴女は最高の友人よ、パチェ。これからもよろしくね」
「その言葉、そっくりお返しするわ、レミィ。こちらこそよろしくお願いするわ――」
「――なるほど、だからダイニングルームで取るのは無理だったんですね」
「そういうことよ。部屋に閉じこもっていては、風情は感じられないってことね」
図書館は、いつも通りの日常に戻っていた。
「本ばっかり読んでないで、またどこかに出掛けたいわね」
「いいですね、私はいつでもお付き合いしますよ」
「ありがとう、小悪魔」
この数日で、パチュリーは自然その物に加え、自然の変化を肌で感じた。
彼女はそれを楽しみながら過ごし、恐らくこれからもそうするだろう。
こうして、パチュリーの少し季節を感じる体験は幕を閉じたのである。
必要のない情報、本筋から外れる意味を持たないセリフ、読者が想像すべき部分をくどく説明してしまうセリフなどを削り落として、かわりに作者として頭の中に想像する幻想郷の姿とキャラクターの心の動きや立ち居振る舞いを書き込んでいったら、もっと良い作品に仕上がると思います。次回作待ってます。
情景はわかりやすかったですし皆可愛かったです。
それぞれの心の動きというかメリハリがあれば
もう少し良かったかなとも思いましたが。
大変参考になります、本当にありがとうございます。
次はもっといい作品を書けるようにガンバります。
またよろしくお願いします!
って他の方も指摘されてますね。これは失敬。