どうしてこんな事になっちゃったんだろう、と天子は考えていた。服ははだけ、ところどころ破れ、首筋には幾つもの赤いキスマーク。
体のあちこちが痛い。痛くてぞわぞわする。衣玖の匂いがする。
「汚されちゃった。私、壊されちゃった。駄目にされちゃった」
酷いよう、酷いよう、と子供みたいに声を上げてみたけれど。もう本当は子供でもなんでもない天子を、あやしてくれる大人なんて現れなかった。
こんな不良娘なんて――何かの義務でなければ、近付きたくもないのだろうか。
比那名居天子は大人が嫌いである。説教臭いし、退屈だし、遊んでくれないし、なんかダサいし、Sじゃないし、とにかく刺激が足りない。ご主人様成分が足りない。
だから、大人になるのをやめたのだ。身長はもう何世紀も前から成長していない。体型だってそう。永遠の少女。終わらない思春期。
「そんな生き方は許されない。お前は義務を放棄している」
というのが、彼女の父親の口癖である。
義務。
義務って。
なによそれ。別に私が何をしようが自由じゃない? 大体、父親は娘を守って養って、楽しませるのが義務でしょう。最後のを満足にこなせてない貴方なんか、親でもなんでもないわ。などと毒付いてみたら、平手打ちを食らったり。
まあ、体罰はいいのだ。気持ちいいし。
問題は天子の神経につんつん障る、「義務」なる単語にある。
大人は子供を正しく導くのが役目だから――
貴方みたいな不良は更生させないといけないから――
お父上に、お守りを頼まれましたので――
『――これも、大人の義務ですから』
そこに集約される内容で話しかけられるのが、天子には許容できない。
(衣玖も、仕方なく私と話してるのかなあ)
最近お気に入りな遊び相手も、そんな役人根性で自分にへらへら笑いかけているのだとしたら、中々屈辱的なものがある。というか泣く。
気になって仕方ない天子は、父親の説教も終わらない内に家を飛び出して来たのだった。どうせ親の義務、とやらをこなすために構ってくるのだろうし、真面目にとりあう気になどなれないのだ。
これでよし。
うるさいやつはもういない。
自分は自由、外は快晴……じゃない。曇ってる。ゴロゴロ雨雲が唸ってる。
早くどこかで休みたい。ただでお菓子と飲み物が貰えて、幾ら散らかしても怒られない、衣玖の家的などこかで休みたい気分だった。
「ってな訳で。来ちゃった」
「来ちゃったって……」
貴方は彼女ですか、と毒づいて露骨に嫌な顔をする衣玖。なんて失礼な女だ、ドキドキする。拒絶されると嬉しい年頃の天子である。
「お腹すいたー。喉渇いたー。暇ーなんかやってー。眠いー。布団貸してー」
「総領娘様は、私で三大欲求の内の二つを満たそうとしている訳ですが、一体どのような謝礼をご用意してくれるのかと」
「可愛い私が遊びに来てあげてる時点で、十分に報酬じゃない?」
「帰ってください」
眉間にどんどん皺が寄る衣玖。凄く不機嫌だ。
でもさっきから、顔だけ出してドアの前で応対していて不自然だ。
「あ、もしかして下着姿だから全身では出れないとか?」
「何故わかった」
「なーんてね。衣玖みたいないい大人が、休日は着替えもせずに半裸でゴロゴロとか無いよね。てへぺろ。……あれ?」
「い、いいから帰ってください」
ぐいぐいと玄関前で押し問答が始まったが、天子の甲高い声で「入れてよー!」とか「あっ、それフロントホックってやつでしょ、いいないいな私もそういうブラ欲しい!」とかそういう台詞を吐かれるのでたまらない。ご近所さんに怪しげなレズ姉さんと思われてしまう。
「わかりました、わかりましたって。だからとっとと上がってください、それと無言でお願いしますよ」
「わあい中入れたー!」
最後っ屁でも衣玖の名誉を粉砕してくれた天子である。
「最悪だ……せっかくの土曜日なのに……なんで昼間っからこんな……」
ぶつぶつと恨み言を漏らす衣玖を尻目に、ずかずかと歩を進める天子。先週、お茶を頂いた時は綺麗に整理されていた記憶があるのだが。なにやら脱ぎ散らかした服や酒瓶や雑誌などで大変な図になっていた。
なんだか大家族の家っぽい。
「もしかしてこの一週間で子供産んだ? 五つ子とか」
「意味が分かりません」
言いながら、片付けを始める衣玖。そういえば、この間訪れた時は、天子の父親がお守りを頼んでのことだった。すなわち比那名居家からの正式な子守り依頼、仕事の一環、というやつだ。
オフの日の衣玖は、こんな風にだらしないのかもしれない。
「ちょっと幻滅かも」
「そう思ったのならぜひ帰ってくださいな」
心底うざそうな視線を送ってくる衣玖に、なんでそんな的確に私が好きなことしてくれるんだろ、と大はしゃぎの天子だった。
「手伝おっか?」
「いえ、結構です。総領娘様が触ると、無くなるか壊れるか汚れる気がするので」
「酷くない?」
心外だなあ、と嬉しそうにしながら、天子は勝手に整頓作業へ混じった。衣類はともかく……この床に落ちてる、ナプキンって何かしら。ちっちゃいオムツみたい。やっぱり衣玖は出産したんじゃないのか、などと己の子供体質から来る無知ゆえの疑問に支配されつつ、もくもくと作業に耽る。
かれこれ十分ほどそうしている内に、おもしろいけないものを見つけた。
衣玖の愛読書、だろうか。
表紙からして怪しいが、中の文章はもっとミステリアスだった。とりあえず裸の男女がにゃんにゃんする内容だ。込み入った説明をすると、年上の家庭を持った男に、横恋慕する若い女の話ばかりが載っていた。不倫特集らしい。
「衣玖ってこういうの好きなの!?」
「ぎゃー!」
「あと、このちっこいオムツみたいなの何?」
「うぎゃー!」
ぜんぶ総領娘様にはまだ早いです! と鬼の速度で没収された。こんな俊敏に動けるなら、片付けもさっさか終わらせられそうなものだが。
「実はむっつりさんなんだね。よしこれから衣玖のことを『エロ小説マイスター』と呼ぼう」
「やめてください死んでしまいます」
「じゃあ『帯電蓮子』がいい?」
「誰ですか蓮子って」
シルエットが似てるのだ。
「いきなり来てみるもんだねぇ。みんなの憧れ、年上のお姉さんの、よろしくないプライベート大公開。しばらくは話の種に困らないな、うん」
なんで私がこんな目に、と言いながら衣玖は蹲った。再起不能に見える。
「ご、ごめん。怒っちゃった?」
「……」
「誰にも言わないよ?」
「……」
「衣玖がこの年でもうオムツのお世話になってるなんて、言っても誰も信じないと思うし大丈夫だよ?」
そっちじゃない、と衣玖は虚ろな目で呟いた。
「人様の休日を潰して……趣味嗜好を暴いて……楽しいですか……」
「えー? そうねー楽しいかもー。刺激的だしー」
にたにたと挑発的な笑みを作ってみた。いつもの衣玖なら、皮肉の一つでも返してくるところだ。
しかし今日は違った。目が血走っている。
「貴方に……貴方にだけは見られたくなかったんですよ……」
「へ?」
「もう気付いたんでしょう? 皆に言うんでしょう? はは、あははは。お仕舞いだ、お仕舞いですよ私は」
「何言ってるの? ね、衣玖……?」
ゆらり。
衣玖は生気を感じさせない足取りで、ゆっくりと近付いてきた。その様子に何か危険なものを感じ取った天子だったが――
時既に遅し。
天子の視界は暗転し、顔の上に重くて柔らかいものが乗っていた。よく見れば衣玖の胸だった。
(押し倒された!?)
何で? どうして? と天子が混乱している隙に、手早くボタンを緩めてくる衣玖。
あっ、と思った時にはもう遅い。天子は恥ずかしい格好にされてしまった。
「ねぇどういうつもり!? なに考えてるの!?」
「大人をからかうのには、それ相応のリスクが伴うと教えてさしあげるだけですが?」
そして、次の瞬間には天子の唇が塞がれた。
絶句する。
キスには、憧れがあった。まだ経験していない、恋愛というものならば、この退屈な日常を変えてくれるんじゃないかって。他ならぬ、衣玖へ話したことがあったから。
どれほど男性との恋に憧れているか、熱心に語った記憶が鮮明に蘇る。笑いもせず、ちゃんと聞いてくれた筈の相手が、全てを今台無しにしている――!
天子の目に、じんわりと涙が浮かぶ。
「まさか年頃になれば、素敵な殿方が現れて、貴方の単調で淀んだ毎日を壊してくれるとでも? この閉塞感を、打開してくれると? 段階を踏んで、手をつないだり、キスしたり、もっと先へ……そんな恋ができると?」
馬鹿ですねぇ。本当に貴方は少女趣味だ。そんな風に笑いながら、衣玖は天子に掴みかかった。信じられないくらい強い力だった。大人の、力だった。
「貴方は今から、私に弄ばれるんです。女の、そう、同性の私にね」
「やめてよ! こんなの絶対変だよ!」
「そうですよ。変なんです。狂ってる。総領娘様のファーストキスは、今、異常なシチュエーションの元に、奪われてしまったんですよ? 言っておきますが私、レズでも何でもないですからね。貴方に恋愛感情なんて微塵も無い。分かりますか。貴方は今日、ただの嫌がらせ目的で、私に可愛がられるんです」
「あ……あ……」
絶望した。それは死刑宣告にも等しかった。
少女にとって最も尊いもの。清い肉体と、恋愛への幻想を、踏みにじるのだという。
「やめて……お願い……謝るから……今までのこと、全部謝るから!」
「……私、自分はノーマルだと思ってましたが、なんだか総領娘様のくしゃくしゃな顔を見ていると……うふふ……少し楽しくなってきましたね」
目が据わっていた。どうみても危ないお姉さんだった。変質者に見える。それなら大声を上げて、助けを求めてみたらどうだろう? ちょっと天子は脳内でシミュレートしてみた。今この部屋で起きている大事件。下着姿の綺麗なおねえさんが、貧乳美少女を羽交い絞めにしておっぱいもみもみしている図。駄目だ、「もっとやれ」と言われて終わってしまう。これでは助けを呼んだところで、単に観客が出来るだけだ。
「二人ともブサイクだったら良かったのにいいいい!」
「ブス専だったんですか?」
的外れなたわ言をぬかしながら、天子の首筋にれろれろと舌を這わせる衣玖。意外に長い舌だった。長くて、暖かかった。犬みたいだと天子は思った。
「ひゃわぁぁぁ」
「あむ。ん……耳の中も桃の匂いがするんですね」
「あ、あ、あ、やだ、やだ、やだ、これやだ、やっ、だっ」
天子の耳の中で、衣玖の舌先が踊っていた。螺旋を描くような、えぐるような動き。その生ぬるいターンが天子の奥を掘り進むたび、頭の中を電流が走った。目にはチカチカと星が浮かんだ。
たまらず足がピン、と伸びる。そこへ衣玖の手が滑り込んできた。無防備になった天子のももを、包み込むように撫で回してくる。膝からももへ。ももから膝へ。その緩慢な上下運動は、波打つ指先のリズムと合わさって、天子の声色を一オクターブずつ高くしていった。ここから先は、人に聞かせられない声になると感じた。
だから。天子はきつく、唇を噛んだのだけれど。ひた、と耳介をなぞってくる舌に、全部台無しにされてしまったのだった。どうやら穴を虐めるのはもう飽きたらしかった。その周辺にある、溝を一々確かめるように湿った舌が走っていった。なめくじに這いまわされてるような気分だ。それに、生暖かい衣玖の吐息も合わさると、熱帯雨林にでも迷い込んだかのようである。その想像は少し天子の気持ちを楽にした。女のひとじゃなくて、おかしな生き物に懐かれてるんだって、そう自分に言い聞かせれば、ちょっとは。でも、でも――
(やっぱり衣玖は、衣玖だよ)
なめくじは「総領娘様」なんて言わない。いじわるなこと、言わない。
「全く情け無い乱れようですねぇ。比那名居家の御令嬢が、この程度で出来上がっちゃうとは思いませんでした。とんだ好きものですね。まだ、全年齢でもいける箇所しか触ってないのに」
ちろちろ、と蛇のように舌先を遊ばせて、天子の耳たぶをつつきながら衣玖は笑った。
確かに天子はまだ、耳とひざ周辺と、服の上から胸を触られただけだ。なのにもう、全身の火照りは止まらなかった。
「お次は本格的にお胸をほぐして差し上げますよ。ええ、下着の上から。あくまで揉むだけで、過度に露出させたり先端を弄ったりは一切しない」
「な、なんか言い訳くさいし不自然に説明口調……」
「黙らっしゃい!」
衣玖さんは空気が読める女なので、大変分かりやすい解説でこの作品の健全性を証明してくれたが、そんな気遣いには考えが至らない天子だった。
「あら? なんだか息が荒くなってきましたねー。気持ちいいんですか? 気持ちいいんですよね、総領娘様」
「……るさい……んっ……」
「いいんですよ、分かります。私も女ですから。どこをどんな風に触れば良くなるのかなんて、把握しております」
「……ぁ……なんか……これ……」
つつ、と衣玖の指が、胸をなぞりながら喉元まで上がってきた。そのまま鎖骨を通りすぎて行く。次はどこへ向かうのだろう? 肩? うなじ? 背中?
全ての可能性に備えて身構える天子だったが、口内に侵入して来るとはまるで予想できず、ただただ醜態を晒すばかりであった。
もう片方の手は、未だに天子の左胸を優しく撫でている。痛いとくすぐったいの中間の強さで、的確に天子の意識をそこに集めていた。
「言葉、忘れちゃったんですか?」
情け無い嗚咽か、か細い息切れしか出せなくなった天子の口を、衣玖の人差し指が蹂躙する。歯の付け根。舌の裏。頬の裏。敏感なところは、残さず支配されてしまった。
天子は、衣玖に屈した。
壊された。
汚れたと思った。
大切に守ってきたこれまでを、一日でガラクタにされた。
涙という形でしか、意思を伝えられなかった。
「何、泣いてるんですか。泣きたいのはこっちですよ」
衣玖は忌々しげに言う。
「大体、私だってこんなこと……何をやってるんだ私は。何なんだ今日は。何で……。貴方がいけないんだ。総領娘様が来るから! ……総領娘様さえ居なければ! どうして貴方があの人の娘なんだ! どうしてあの人に、家庭があるんだ! 貴方さえ、総領娘様さえいなければ、私は普通にあの人を好きになれたのに。こんな辛い思いをしなくて済んだのに……っ」
衣玖は、そんなことを叫んで、泣き崩れてしまった。
「衣玖……?」
帰ってください、と衣玖は搾り出すように言った。
身なりもろくに整えない内に、天子は衣玖の家を後にした。
足取りは重い。疲れた体が重い。雨に濡れた服が重い。心が重い。
「汚されちゃった。私、壊されちゃった。駄目にされちゃった」
酷いよう、酷いよう。幼児に帰ったような台詞しか出てこなかった。
そうやって、ふらふら歩き回っていると――
「天子」
今朝、喧嘩別れした顔があった。退屈で代わり映えのしない、義務に縛られた大人。父親。
「天子! 探したんだ! 探したんだぞ!」
乱れた服装で、目元を赤くしながら力なく立ち呆ける娘に、どんな想像をしたのか。多分、自殺したくなるような事柄だろう。
天子はちょっと申し訳なくなって、なんとか空気をやわらげたくて、軽口を叩いてみた。
「これも、親の義務ってやつ?」
「何を言ってるんだ……義務じゃない。義務で一日中探せるか。義務じゃない、義務なんかじゃないんだよ」
天子の目をまっすぐ見据えて、父親は言う。
「私はお前の親だ。親が娘を心配するのは、愛しているからだ。お前がどんなになろうと、いつまでも大切な子供だからだ。なのに、なのに、こんな……こんな目に……」
力強く、堅い胸に抱きしめられながら天子は思った。ああ、義務なんかじゃなくて、ただ純粋に心からの動機で私に接してくれる人。最初の場所に、いたんだ。家の中に、いたんだ。もっと早く気付いていれば、良かったのになあ、と。
「ごめんなさい。……ごめんなさい、お父さん」
もう何かも手遅れになってしまった体で、天子は父親の手を握った。
良いか悪いか、先も続きそうだからまず70点で妥協
健全な幻想郷の賢者達に見つかれば誅殺ものだねぇ。
今回はギリギリのギャグで切り返せずそのままR18の崖下にダイブしちゃった感じ
でもそんなアンタが好きだぜ
ただ、もっと別の場所でもっとガッツリ書いた方が……
・・・だがしかし、クーリエの中の人は何をしているのやら
前2作と決定的に異なるところは読後感の良さがあるかどうかですね。
この作品はこの後どう進んでもBAD ENDにしかならない予感がします。
どうもその辺がちょっと...
あとこれ、どっか別に入れたほうがよいかと。
まあ半々ってことで。