Coolier - 新生・東方創想話

嘯風弄月

2013/04/08 15:33:03
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 博麗神社の宴席から風見幽香が姿を消したことに気付いたのは奇跡のように残っていた桜が散った瞬間、視線を周囲に投げたリグル・ナイトバグだけであった。散った花弁が盃に入り盛り上がる鬼達を尻目に、リグルは幽香の後をそっと追いかけることにした。
 リグルも普段ならばチルノやルーミアのと同じように宴を楽しむため、こんなふうに誰かの後ろを追いかけるようなことはしない。風に当たりたいだとかちょっと喧騒から逃れただとか何かしら理由で納得する。
 ならば何故、今はこんなことをしているのだろうか。それはリグル自身もいまいち分からないことだったが、幽香の後ろ姿がやけに小さく、みすぼらしそうに孤独に震えているように見えたから気になってしまったのであろう。夜闇に溶けてしまいそうな不安を懐いたのかもしれない。ただ、一つ分かっていることは、宴よりも幽香の方が気になったということである。
 長い石畳の階段の先には誰も見えず、遠くの山や目の前に広がる森から微かに蝉の音や梟の鳴き声や大瑠璃の美しい囀りが聞こえるだけであった。リグルは夏を聞き、博麗神社で未だ咲き誇っていた桜は幽香が手を加えたものなのであろうと理解した。理解したのと同時に一つの疑問が生じ、幽香を探す意味が一つ増え、リグルは暗い森の中に足を踏み入れた。
 青々と茂る森の中は宴席の熱さを冷ますように、冷たかった。森の奥にある川から飛んでくる冷たい風が火照った頬を優しくなでる。草木の枝に優曇華の白い花をつけていた。リグルは森の中を歩きながら、先の宴会について考えるようになった。
 この宴会は終始いつもと違う、心地良い夢のような感覚をリグルに与えた。というのもリグルはこれまで、幽香が宴会で酒を飲み、楽しげに会話しているところを見たことないことは勿論のこと、幽香が宴会に出席しているところすら見たことがなかった。
 その幽香が来ているということで、宴会を催した鬼や出席した他の妖怪は素直に喜び、酒を飲んだ。無論、リグルもその一人であったが、幽香の微笑に違和感を覚えていた。その時リグルが声をかけなかったのは、鬼の、未だに枯れていない桜が気になったのだろうという適当な言葉を信じたためであった。果たして本当にその通りなのだろうか。
 それが事実であるならば、幽香のあの不幸せそうな微笑は何だったのであろうか。慣れない宴会の席に戸惑ったために浮かんだ微笑とは思えなかった。
 森が開けると川縁があり、蛍火で微かに明るくなった。その明かりは先の花明かりを思わせるようであった。そのぼんやりとした光の中に、幽香が居た。リグルは安心したように微笑を浮かべて声をかけた。
「ここに居たのね」
 振り向いた幽香の目はどこか余裕を失っているように見えた。青嵐が吹き、幽香は流れる髪を押さえ、目を閉じた。次に目を開いた時、その目にはいつもように孤高を楽しむ余裕の色があった。
「どうしたの?」
 と、幽香が訊いたのはその時であった。リグルは幽香の隣に腰を下ろして相変わらず微笑を浮かべて答えた。
「何でもないわよ」
「そう」
 対岸には人一人見えず、不気味なぐらい静かであった。飛び回る蛍達は示し合わせたように対岸でその小さな身体を落ち着かせることはなかった。澄んだ川は天と交じり、月のように明るい星と雲海で欠いた月が流れていた。その底で小石が時々思い出したかのように細い月光を受けて輝く。
 隣に座る幽香はその不気味な静寂に耳を傾けているのか、一向に口を開く気配がない。リグルは口火を切ろうと幽香の方を向いたが、憂いに帯びた横顔を見て、不気味な静寂ともう少し付き合うことにした。リグルが思うことがあるように、幽香もまた何か思うことがある。おそらく、だからこそ、あの場から周りに気づかれないようにそっと音もなく去ったのであろう。
「あの桜、どう思った?」
 幽香は水面を見ながら、小さく独り言のように口火を切った。
 リグルは正直に答えるべきか戸惑った。幽香はあの中の、幻想郷の誰よりも花を愛している。その幽香がこのように問うている。リグルは今、美しいと思っている半面で不自然だとも思っていた。この二つの感情はどちらも嘘偽りのないリグルの本音であった。
「……美しいと思ったけど、好きにはなれないわ」
「どうして?」
「だってもう散らなければいけない時期じゃない。あの樹の下には屍でもあるのかしら?」
「そんなのあるわけないじゃない」
「でもだったら、どうしてまだ散らないの?」
 また落ちてきた沈黙はさっきのにはない重さを持っていた。リグルは居心地の悪さを感じていたが、自ら踏み込んだ以上は最後まで居なければならない。幽香を追ったその時から、こうなることを予期していたのに拘らず、いざ遭遇すると脱兎の如く逃げたかった。
 幽香は水面に映る月を眺めながら、こんな句を詠んだ。
「一興に付き合う桜自然かな」
 それから少しして、遠くでそよぐ若葉を見ながら悲しそうに自嘲のような調子で笑った。
「私達の都合で自然の理を曲げるなんて馬鹿げたことだと思うわ。付き合わせる桜のことなんて知らずに、お気楽だわ」
「でも、貴方はそれが良いと思ってやったんじゃないの?」
 幽香の顔が雲が流れたせいか丁度暗くなった。
「そうね、少し前まで私もそう思っていたわ。でもね、リグル、貴方、この蛍が秋にもこの火を灯していると思う?」
「それはないでしょうね」
 まだ桜が散らないのは、かつての幽香自身がそうであったように、あの桜に恍惚を見出していることを知っているからであろう。水面に幽香を急かすようなことは言わず、ぽつぽつと降り始めた梅雨が作る不規則な薄い波紋を眺めていた。
 二人だけの時間が恐ろしくもあったが幸福だった。今度の沈黙が幾分か軽かったのはリグルの気のせいではないだろう。だからリグルは先程と比べて随分と穏やかな調子で話を振ることができた。
「一夜限りの幻なら、それはそれで風流だと思うわ。いくら私達が手を加えたところで、散り、落ち、零れるのは運命なのよ。逆らっても限界があるし、虚しくなるだけだと思うわ。花は枯れて、また咲くから愛でられるのよ」
 遠くの空が仄かに白んできて、リグルは続けてこんな句を口にした。
「明易し此岸に見ゆる幻か」
 幽香が真っ赤な目を向けて、辛辣にこう言った。リグルには技巧や巧拙のことは全然分からなかったから不思議そうに首を傾げ、自然と言い返した。
「あんまり上手くないわね」
「そう? 夏の夜は明けやすくて、その夜に思った諸々のことは幻だっただろうか? って戸惑いとか憂いとかそういう私の感情を表現したんだけど」
「余韻がないわ」
「じゃ、これは? さまざなこと思い出す桜かな」
「貴方の考えたものじゃないでしょ」
「あら、バレた? でも、今の私達にぴったりだと思わない?」
「ええ、そうね」
 遠くの神社から桜の花弁が落ち始めた。夢から覚めるように急速に、雨に打たれ落ちるように、風に吹かれて舞うように。朝日が山際から顔を出し始めたところであった。幽香は独り言のようにこんな句を呟いた。
「山際に流るる雲や東雲か」
嘯風弄月 意味:風に吹かれて詩歌を口ずさみ、月を眺めること。自然の風景に親しみ、詩歌・風流を愛して楽しむこと
近藤
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コメント



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9.100名前が無い程度の能力削除
風流だね
10.90奇声を発する程度の能力削除
良い雰囲気
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よく分かりませんが、雰囲気は伝わって来ました。