「ウドンゲ、今日の配達は里の方じゃなくて地底に行ってもらうわ」
「へっ……? 地底、ですか?」
お師匠様の手によって地獄(正確には旧地獄)に落とされる日が来ようとは、誰が思うだろうか。
新品の薬箱を受け取った私は多分、いや絶対に引きつった笑いを隠せなかっただろう。ああ、どうしてこうも私は運がついていないのか。
「そう、地底よ。あの地霊殿から、是非とも私の薬を試したいと連絡があってね。それで、今日はその薬箱を届けてもらうわ」
「え、ああ、はい」
「じゃ、任せたわよ。いってらっしゃい、ウドンゲ」
普段は人間の里へ行って常備薬の点検や取替え、特殊な薬の販売をしているのだけれど、まさか地底……それも灼熱地獄の上にあるという地霊殿へ行くことになるなんて……。
正直に言うと相手から取りに来て欲しいところだが、こっちが始めたお届けサービスだ。蔑ろにしたら私の命が危ない。主にお師匠様の手によって。
だが、地底に潜るのも死を覚悟しなければならない。なんとも地下空間には、地上から追放された恐ろしい妖怪達が跋扈しているらしい。そんな所に私は行くのか。いや、行かされるのか。
薬箱を入れたリュックを背負い、博麗神社の近くへ飛ぶ。勿論、件の異変の際にできた地底へ続く穴に飛び込むためだ。間欠泉センターの方から行けたら早くて安全らしいのだけれど、何らかの実験をしているとの事で通れなかった。ちくしょう、山の連中め。今度山へ行ったら絶対に賽銭入れないわ。威圧されても。絶対。
地面にできた大きな穴が、私を飲み込まんとその口を開けている。恐る恐る覗いてみるが、まさに一寸先は闇。試しに弾幕ごっこで使うような妖気の玉を発光させ、ランプ代わりにしてみる。しかし予想通り、あまり良い灯りにはならなさそうだ。
こういう時って、無事帰れるよう神様に祈るべきでしょうか。それとも、どうしてこうなったと神様を呪うべきでしょうか。
……とりあえず、前者を選ぼう。ポジティブシンキングだ。無事帰れたら考えを改めて賽銭を入れてやらんでもない。
次々と湧き上がる不安を抑え、意を決して鈴仙・優曇華院・イナバ、いざ行かん! とうっ!!
・
・・・
・・・・・
ううう、暗い。寒い。怖い。
心許ない灯りは、縦穴の闇をより一層深くしている気がする。それでも点けないよりはマシだと信じたい。
長い洞窟を下へ下へ、ゆっくり慎重に降りていく。だって怖いんだもの、仕方ないじゃない。偶に上から強い風が吹き込んできて、私の背中を押す。私にとってそれは勇気付けるようなものではなく、早く地獄へ落ちろと急かしているようにしか思えない。ああ、もう後ろ向きになってる。ポジティブシンキングとは何だったのか。
どこかから見られている様な気がするし、来たばかりだけれど早く帰りたい。
凶暴な妖怪とかに出会わなきゃいいけれど………って、何か上から落ちてくる……?
「当ったれええぇぇぇぇっ!!!」
「危なっ!?」
ギリギリのところで落ちてきた物体を避ける。気付くのが後一歩遅かったら脳天に直撃してたわね。
きっと今のは桶だと思うんだけれど、何か物騒な声が聞こえたような……。風に乗りながら狙って落ちてきたみたいだし、言わずもがな妖怪でしょうね。それも凶暴な。一体何の妖怪かしら?
……っと、考え事をしてる場合じゃない。さっきのが下から戻って来るわ。話が通じる奴ならいいんだけれど。
「さっきのを避けるなんて凄いねぇ、ひひひっ。兎だからって侮れないのねぇ」
あ、駄目っぽい。
「ひひっ、じゃあコレはどうかな? 私の可愛い鬼火から逃げられるかしらねぇ?」
桶に入った緑色の髪の少女がニヤリと不気味に笑う。すると彼女の周りにポツリ、ポツリと火の玉が現れ始める。
これは不味いと思った瞬間には、予想以上に速い速度で鬼火が飛んできていた。え、アレ、魔理沙並に速いような……。
「ちょちょちょ、ストップストップ! 」
「ひひひっ、止まらないよぉ」
ああもう! 鬼火は中々のスピードがある上、厄介な事に追跡してくる! これってもしかして、霊夢と魔理沙を合体させた感じじゃない? つまり、この鬼火の対処法は一つだけ。
「三十六計逃げるに如かず! アンタに付き合ってる暇はないの!!」
縦穴の底に向かって全速力で飛ぶ。落下するより速く、鬼火より速く!
もはや灯りなんて関係ないと、暗闇を突き進む。見る見るうちに妖怪の姿は遠くなり、鬼火もその姿を闇に消した。
……そうして一安心したのが、駄目だったのかもしれない。
「ひゃっ!?」
何かが体を受け止めた。いや違う、絡み付いた?
目を凝らしてよく見てみる。ベトベトする網みたいな、これは……。
「もしかして、蜘蛛の、巣?」
「その通り! 随分とまぁ、深く引っ掛かったね。さあ、早く逃げなきゃ食べちゃうよ!」
先程の緑髪の妖怪とは違う、全体的に茶色っぽい妖怪が出てくる。敵意剥き出し、またまたピンチ!?
恐らくさっきの奴と手を組んでいたのかもしれない。とりあえず今は巣から抜け出さなきゃ。
えっと、縦糸が粘着力がないんだっけ? いや、横糸だっけ? ヤバイ、勢いよく突っ込んだからグチャグチャに絡まってる!
「病気は美味しい調味料! いくよ! 瘴気、原因不明の熱病!!」
スペルカード! ならこっちもスペルカードで応戦しなきゃ……と言いたいところだけれど、体中が糸にくっついていて身動き一つ取れない。こんな所で被弾したら、薬を届けられないどころか本当に食べられちゃう……?
妖怪を中心にして鋭い米粒型の弾幕が何重もの円を描く。よく見てみると、渦を巻いているのはただの弾だけじゃない。何やら禍々しい色をした、瘴気? え、病原菌?
これは、いけない。妖怪の操る病気なんかに罹ったら、命がいくつあっても足りない。そして、特効薬は基本的にお師匠様が持ってるから手元にはない。
展開した弾幕が、動き出す。瘴気と共に弾がこちらへ向かってくる!
不味い、逃げなきゃ、早く、やだ、こんな所で死にたくない!
お願いっ、外れて! 外れてっ!!
「あはははは! 暴れれば暴れるほど、私の糸は纏わり付くよ! ふふっ、あはははは…………は?」
―――プツッ
か細く、小さい音。それが聞こえたと同時に、私の体が宙に投げ出される。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。でもそれは相手も同じようだった。楽しそうに歪んでいた口が、動きを止めて逆方向に歪む。
「な、んで……? 私の、糸が!?」
きっと今がチャンス。
相手の弾幕にやられる前に! 先に、叩く!
「幻波、赤眼催眠(マインドブローイング)!!」
私を中心に、円形に弾丸型の弾が広がる。それだけじゃない、未だ混乱している妖怪の目を睨む。ついでに隅に隠れていた桶の妖怪も。
さあ、狂え。狂ってしまえ。
「ぅえ? 視界が、ブレてる?」
一つだった弾幕の壁が二つになり、いずれどれが幻覚かも分からなくする。
自身が前を向いているのかどうかさえ、もう分からないだろう。
完全に波長が狂った妖怪達は、為す術も無く私の弾幕の餌食になった。
「まったくもう……急にくるからビックリしたわ」
「いやぁ、ゴメンね。久々に此処を通る奴が来たから、ついつい興奮しちゃって」
「…………」
「キスメったら、また桶に隠れちゃって。この子は恥ずかしがり屋さんでねぇ、知らない人には消極的な態度になっちゃうのよ」
「え、消極的? でもさっき……?」
緑髪の子―――キスメは桶から上目使いで顔を覗かせているが、さっきの形相を見た後では可愛いとは一切思えない。
消極的って、さっきまで思いっきり私を狙ってたんですけど? 超積極的だったんですけど?
「ほらキスメ、挨拶くらいしなさいな」
「やだ。ヤマメがすればいいじゃん」
「明日の遊ぶ約束、取り消しちゃうよ? それでもいいの?」
「………ばいばい」
さっきまでの凶暴さとは打って変わって、小さな声で一言だけ挨拶をする。……挨拶?
これには思わず、私と茶色っぽい妖怪―――ヤマメは苦笑い。
「ところで、兎さんは何で地底に? まさか力試しに来たとか?」
「いやいや……私にそんな勇気はないわよ。地霊殿って所にちょっと用事があってね」
「へぇ、あの地霊殿かい! ちょいと遠いけれど、あっちの方へ道なりに行けば着くと思うよ」
「そうなの? 地図なんて持ってないから助かったわ」
ヤマメの指差した方向を見ると、遠くに小さな光が見えた。噂に聞く、旧都とやらの灯りだろうか。あそこまで行けば、この薄暗さとはおさらばだろう。
「ああそうだ、一つだけ忠告しとくね。この先は私達なんかよりずっと強い奴がごまんといるから気を付けな。自信がないのなら、今の内に地上へ帰るのをオススメするよ」
「……それは要らない情報だわ」
もちろん私が強いからではなく、元から重い足がもっと重くなるからだ。ああ、ヤだなぁ。私の命はあと何時間、いや何分持つでしょうか。
「ま、兎さんなら大丈夫だと思うよ。私が保証するから、安心して行っておいで」
「………行ってらっしゃい」
二人に見送られ、地底の奥へと足を踏み出す。縦穴の底から、広い横穴へ。強くて怖い妖怪に出会わないよう願いながら。
切実に。……切実に!
「それにしても何で私の糸、千切れちゃったんだろうねぇ」
「……あれって、ワザと切ったんじゃないの?」
「建築に使うくらい丈夫なヤツだと思ってたんだけどなぁ。もう年かねぇ」
「ヤ、ヤマメはまだ若いよっ。大丈夫だよっ!」
・・・・・・・
・・・・・・・・・
水の流れる音が聞こえる。この辺りに川でもあるのだろうか?
ただでさえ地底は寒いのだから、あまり水には近付きたくない。身体の丈夫な妖怪でも、水を被れば風邪を引く。
しかし私の願いは空しく、一本道の洞窟は水音のする方へと続いているようだ。
水絡みの妖怪には会いたくないなぁ。河童も船幽霊も、容赦無く冷たい水を引っかけてくるんですもの。
ヤマメの言った通り、道なりにしばらく進んでいく。旧都の灯りはまだまだ遠い。地底は幻想郷よりもずっと広いって聞いた事があるんだけれど、地霊殿まであとどれ位あるんだろう。丸一日かかったりしない、よね?
スピードを上げて飛んでいたら、朱色の古風な橋が見えてきた。渡る為だけでなく、見て楽しめる橋って珍しいわね。
そういえば、竹林を出る時にてゐが何か教えてくれたなぁ。地底にある橋について、気を付けろって。
――油断をすれば、水は死を招く。
――歪んだその姿、見ずは死を招く。
――嫉妬をすれば、水橋を招く。
正直、意味不明なんだけれど、用心するに越した事はないわね。死だとか、嫉妬だとか、不気味な言葉しかないし。
噂をすれば何とやら。てゐの話と関係あるか分からないけれど、橋の上に誰かいるみたい。さっきの奴らみたいな妖怪だったらどうしよう。もしかしたら、あの子達はまだ話が通じたしマシな方なのかも。
どうしよう。スペルカードをぶっ放した方がいいのかな。でも悪い妖怪じゃなかったら不味いしなぁ。
……って、こっちを見てらっしゃる。
「何もそんな警戒しなくても、貴女のことを取って食いはしないわよ」
「さっき取って食われかけたもので」
「あら、お気の毒様」
風変わりな服を着ている妖怪は欄干に背を預けて、どこか気だるそうに岩肌を見つめている。落ち着きがあるのは良いけれど、如何せん話しかけ辛い。何かツンツンしてそうだし。
唯一の救いは、話がちゃんと通じる事ね。
「えっと、貴女は地底の妖怪、ですか?」
「当たり前じゃない。私は橋姫。この橋を通る奴らを見守っているの。つまり、今は仕事中よ」
門番のようなものなのかな?
仕事中と言う割には、凄くやる気がなさそうに見えるけれど。
「通っていい、ですよね?」
「ええ勿論。残念だけれど、地霊殿の主から貴女を通すよう言われたのよ。どうでもいい奴なら、ストレス発散しつつ追い返したのに」
「ははは……」
地霊殿の方から連絡があったのか。もしそれがなかったら、私は橋姫さんに武力で追い返されたかもしれない。意外と好戦的みたいだし。
やぱっり地底には危険な妖怪しかいないのかなぁ。ああ、地上もそう変わらないか……。
「何だか弱気な貴女に、気を付けるべきモノを教えてあげるわ」
「さっきも蜘蛛の子に忠告されましたよ……強い奴らばかりだから気を付けろって」
「あら、被っちゃうわね。でもいいわ、橋姫として言いたいから言っておくわ」
どこかの門番とは違って、しっかり仕事をするのね。
忠告はいくつ聞いても損はしないし、真面目に聞いておこうかしら。あの閻魔みたいに長くはなさそうだし、その上橋姫さんも得意顔をしているし。
「地底には目の妖怪が沢山いるのよ」
「目、ですか?」
「ええ。きっともう会ったと思うけれど、桶の中の目に八つの蜘蛛の目。この先には、睨まれたら最期の鬼の目に、不気味な第三の目を持つ姉妹。それに、死体を探す猫の目や、神の目を胸に持つ烏がいるわ」
「そういえば、さっきから誰かに見られているような……?」
「ふふふ、もしかしたらもう厄介なのに付き纏われているのかもね」
私からしたら笑い事じゃないですよう……。もしも呪われたり、取り憑かれでもしたらどうしよう。あの巫女達は当てにならない気がするし。
ああ、今はそんな事より目の妖怪ね。想像しただけで鳥肌が立つわ。鬼がいるのは知っていたけれど、それを抜いても不気味で怖そうな奴らばかり。
「そしてこの私も、嫉妬の緑眼を持っているわ。……って、貴女も似たような目を持っているのね」
「あ、ホントだ。狂気の瞳って言われてます」
「狂気、ねぇ。私と同じで相手を狂わせるのね、妬ましい」
よく分からないけれど、橋姫さんも似た能力を持っているのだろうか。それなら、戦わずに済んで良かったかもしれない。精神的に参ってしまうのは、妖怪にとって大ダメージだもの。
それにしても、自分も不気味な目の妖怪の仲間入りか……。なんかショック。
「話がずれたわね、要は目を持つ妖怪には気を付けろってこと。分かった?」
「あ、はい、ありがとうございます」
それって、橋姫さんにも気を付けろって事じゃ? いやまぁ、大丈夫なんだろうけれど。大丈夫、だよね?
とりあえず、忠告は心に留めておこう。少しでも生存確率を上げなきゃね。
「言わなくても分かるだろうけれど、地霊殿はあっち。旧都に着けばすぐ分かると思うわ。無事に帰ってこれたら妬んであげる」
「別に嬉しくないですよ、それ……」
細くなった緑眼が見遣る方へと足を進める。勿論、旧都の方向だ。
蜃気楼の様に見えていた灯りは、今では大分近くにあるように思えた。
あそこは鬼の巣窟と聞く。ここに来るまででも寿命が縮む思いだったんだけれど、これからが本当の山場なんだろうなぁ……。
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先程とは違って、いたる所に眩い光が溢れている。まるでお祭の最中のように、賑やかな声が途切れる事はない。
そんな絢爛豪華な世界に目移りしていたのが駄目だったのかもしれない。
旧都の人混みの中、私は迷子になっていた。
……地霊殿ってどっちに行けば着くの?
道行く人に聞こうにも、誰も彼も足早に目の前を通り過ぎて行く。お店の人らしき鬼はけたたましい声で客寄せをしていて、どうにも声をかけ辛い。ついでに言うと、私の弱々しい声は周囲の喧騒に掻き消されてしまう。
「はぁ……」
旧都に着けば分かるって橋姫さんが言っていたけれど、私は地底の事なんて殆ど知らないのだ。実際、地霊殿が旧都の中にあるのか、それとも外のどこかにあるのか分かってない。
ついでに言うと、自分がどっちから来たのかすら分からない。
どうしよう。このまま人の流れに揉みくちゃにされてても埒が明かないわ。
でも、迷子の時は動かない方が……ってそれは連れがいる時か。
下手に飛び回って注目を浴びるのは嫌だし、話しかけ易そう、且つ暇そうにしてる人いないかなぁ。
……ん? 太もも辺りに違和感が?
「…………」
小さな女の子が、私のスカートの裾を握り締めていた。
見た目年齢は六歳くらいだろうか。身長も自分と比べて大分低いし、恐らく実年齢との差は少ないだろう。
そして女の子の頭には、般若の面みたいな小さな角が二本。
言わずもがな、鬼、なんでしょうね……。
「えーっと、何か用かしら?」
「…………」
口を一文字に結んで、目からは涙がポロポロと。度々しゃくり上げながらも、スカートから手を離そうとはしない。
どうやら話せる状態じゃないみたいね。十中八九、迷子になったんだろう。……私と同じで。
出来れば関わりたくない。地底の妖怪、それも鬼を相手にするなんて考えられない。何か問題を起こしたらどうする? 鬼を敵に回したら、人生の終わりと言っても過言ではないわ。
……でも、放っておく事は出来ないんだよね。
「もしもーし、大丈夫?」
「…………」
とりあえず、この子を知ってる人を探さないといけないんだけれど、会話が出来ないとどうしようもないわ。
うーん、鬼に手を出すのは気が進まないけれど、アレをやるか。
「お嬢さん、私の目を見てね、ほら」
「……?」
潤んだどんぐり眼と私の赤眼の視線が交わる。そうそう、そのままそのまま。
ちょちょいと波長を長くして、っと。落ち着けー、落ち着けー……。
「よし、これで大丈夫かな。お名前は何て言うの?」
「……かえで」
「楓ちゃんね。買い物袋を持ってるし、おつかいの帰りかな?」
「うん。……帰ろうとしたら、お家の方向が分からなくなっちゃったの」
良かった、ちゃんと効いたみたい。波長を弄るのってやり過ぎたら相手の性格を捻じ曲げちゃうし、結構難しいのよ。それも小さい子が相手だと尚更ね。
ああ、今はそんな事よりも楓ちゃんを何とかしなきゃ。自分の事だけでも手一杯なんだけれど、見過ごす訳にはいかないし。
「そっか。私はここら辺には詳しくないから、楓ちゃんが知ってる道に出るまで一緒に行こっか。知り合いを探しながら、ね?」
「一緒にいてくれるの? ありがと、兎さん!」
さっきまでの涙はどこへやら。すっかり笑顔になった楓ちゃんを肩車して、帰り道を探しましょうか。
わざわざ肩車をする理由は簡単。この人混みを楓ちゃんが歩いたら、絶対に逸れてしまうでしょう? それに、知ってる人がいたらお互いに見つけやすいし。
さてと、当ても何もないし、適当に散策してみますか。出来るだけ大通りをメインにね。
「わぁ、高い高ーい!」
「こらこら、暴れないの」
「兎さんの耳、ふにゃふにゃしてて面白いね! 変なのー!」
「イタタタタ……そんなに引っ張らないで! 取れない、取れないからっ!!」
人混みを掻き分け、ふらりふらり。この耳のおかげでさっきから変な目で見られていたけれど、今は楓ちゃんを肩車しているから倍目立っている。それでも、一人で迷っている時よりは幾分か前向きな気持ちになった……かも?
「兎さんって、もしかして地上から来たの? 私、兎さんは絵本でしか見たことないの」
「地底に兎はいないのね。その通り、地上から来たのよ」
兎は月が見えないと生きていけないっててゐが言っていたけれど、あながち間違いじゃないのかもしれないわね。
自分の出身地は正確には月なんだけれど、これ以上テンション上げちゃうと大変なので省略。たとえ子どもでも鬼は鬼、現在進行形で耳を引っ張られていて千切られちゃいそう……。
「すごーい! 地上ってどんな感じなの?」
「そうねぇ……地底みたいな天井はないから、とっても広くて明るいわよ」
「わぁ、いいなぁ! お空って綺麗? 雲って触れる? 雷ってどんなの?」
「え、えーと………」
子どもならではの好奇心旺盛な質問攻め。自分が迷子って事を忘れてるんじゃないかしら? 泣かれるよりは良いんだけれど、元気すぎも問題ね。
「ねぇねぇ、何で兎さんは地底に来たの? 地上の人がここに来るのって、とっても珍しいってお母さんが言ってたよ」
「やっぱり珍しいのねぇ。お偉いさんに頼まれて、遥々お薬の配達に来たの」
はぁ……何だかんだでこんな場所まで来たけれど、ちゃんと帰れるのかしら。いや、そもそも地霊殿に辿り着けるのかしら。
薬箱の入ったリュックと楓ちゃんの重さが相まって、だんだん肩が痛くなってきたわ。帰ったらお師匠様のマッサージを受けたいなぁ。アレ、とっても気持ち良いのよ。それこそ、天国に昇っちゃいそうになるくらい。
「……兎さん、凄いね」
「ん? そんな事ないわよ?」
あれ、楓ちゃんが急に大人しくなった。というか、テンションダウン?
え、もしかしてまた泣いちゃう? 私何かしたっけ? 一人で勝手に夢想していたのが駄目だった?
「私、お家近いのに、怖くて泣いちゃって……でも兎さんはもっと遠い所から来てるのに………凄いね」
子どもは感受性が強いって言うけれど、ここまでとは。
何と言うか、楓ちゃんの言葉に釣られてか、こっちまで悲しくなってきたわ……。
「そ、そんな凄くないわよ。私だって、正直、泣いちゃうくらい怖いんだからっ!」
何か、変に気持ちが昂っちゃって、怒鳴るように言っちゃった。
弱気な楓ちゃんを怒りたいんじゃなくて、褒められて恥ずかしいとかじゃなくて……何だろう。
「兎さんも、怖いの?」
頭の上から降ってくる小さな声が、耳の中に響いているような、不思議な感覚。自分自身を狂わせた覚えなんてないのに。
「ええ勿論。知らない所にいるのは、不安で不安で仕様がないの」
「……私と一緒?」
「そう、一緒。お家に帰れなかったらどうしよう、早く帰りたいよ、ってずっと思っているわ」
「でも兎さん、そんな風に見えないよ」
自分でもよく分からない事を言っている気がする。でも、深く考えるより先に言葉が口を衝いて出てくる。どうしちゃったんだろう、自分。
「……そうね、帰る場所があるから頑張れるのよ」
「帰る場所?」
「そう、待っている人がいるでしょう? 楓ちゃんの家族も、元気に帰ってくるのを待っていると思うわ。だから、頑張りましょ?」
「……うん、頑張る!」
勢いだけで喋っちゃった気がするけれど、何故か気持ちが軽くなった、かも。
ちょっと頭がクラクラするけれど楓ちゃんも元気になったし、終わり良ければ全て良し?
「よし、じゃあ今度はあっちの方に行ってみま……」
「おぅい、楓ー。迷子になっていると聞いて探していたが、保護者がいるじゃないか」
やる気を出した途端、背後から大きな声が。大きいって言うか、辺りの物がビリビリ振動しちゃうレベルなんだけれど。
え、ねぇ、これってもしかして……。
「あ、ゆーぎねーさん!!」
お酒の入った盃、ジャラリと音をたてる短い鎖、そして特徴的な赤い一本角。橋姫さんが言ってた、睨まれたら最期の鬼の目……。
ああ、間違いない。噂に聞く山の四天王、星熊勇儀じゃないか!
楓ちゃんは肩から飛び降りて笑顔で手を振っているが、連れの鬼達がこっちを睨んできてて私は気が気じゃない。
「元気そうだなー、楓。迷子になって泣かなかったかい?」
「……! うん、泣いてないよ! ねーさんみたいな強い女になるんだもん。こんくらい、怖くないよ!」
「ははは、よく頑張ったなぁ楓。将来が楽しみだよ」
楓ちゃんの目が赤くなっているのに、勇儀はきっと気付いているだろう。鬼という種族は嘘吐きが大嫌いだと聞いた事があるが、全部が全部そういう訳ではないようだ。
……ちょっぴり安心、かも。
「ところで、お前さんは見ない顔だね。地上から来たのかい?」
「ひゅいっ!? は、はい、地霊殿へ用事があって、その、道に迷ってたら同じく迷子になった楓ちゃんと会って……」
「そうかいそうかい! 楓を世話してくれてありがとうな。……誰か暇な奴、楓を家に送ってやってくれ。西区の呉服屋のとこだ」
「では俺が行ってきやす」
「おう、任せたよ」
急に話しかけられて変な声出しちゃった……。でもバレてないみたい。大丈夫、大丈夫。落ち着け自分。
そんな私を尻目に、連れの鬼の一人が楓ちゃんを優しく抱っこする。失礼だけれど、厳つい顔に反して子どもには優しいのね。鬼だからと言って、警戒するのは改めるべきかしら。
「兎さん、ありがとう! またね!」
「どういたしまして。もう少し大きくなったら、地上に遊びに来てね」
ま、何はともあれ、これで楓ちゃんの事は一安心ね。
そうして残されたもう一人の迷子、鬼に囲まれた自分の状況を何とかしないと……。
「ところでお前さん、地上から来たって言っていたよね?」
「あ、はい、永遠亭の鈴仙・優曇華院・イナバっていいます」
「やけに長い名前だねぇ。知っているかもしれないが、私は星熊勇儀。昔は山で四天王とかやってたんだ」
存じておりますよ、ええ。
河童や天狗に恐れられる、最強の鬼って事を。
「せっかくここまで来たんだ、一緒に飲まないかい?」
「ええっと、ご免なさい、急ぎの用事があるので……」
本当は急ぎって訳じゃないんだけれどね。
さすがに鬼と酒盛りは危ないでしょ。命(または肝臓)が幾つあっても足りないわ。
「ああ、地霊殿に行くんだっけか。酒が駄目なら……うーん、じゃあ弾幕ごっこしよう! 最近は魔理沙としかやってないし、地上の他の奴とも手合わせしたかったんだ」
有無を言わさない目が私を捕らえる。急いでいると言ったのに、何故弾幕ごっこを挑まれるのか。酒盛りよりはマシな気はするけれど、できればやりたくない。
でもここで逃げたら地底中の鬼から目を付けられたりして、それはそれで身に危険が及びそうだ。嘘吐きと同じで、弱虫は嫌いらしいし。純粋な殴り合いとかじゃないんだし、受けて立つべきなのかしら。
……って言うか、魔理沙って勇儀と渡り合えるの!?
「スペルカードは三枚で、ちょっとでも被弾したら終わり。互いに避けきったら引き分け。これならすぐに終わるだろう?」
スペルカード三枚って、結構あるような……。
わざと被弾してさっさと地霊殿へ向かった方が良いと思うのだけれど、鬼が相手じゃ無理な話だ。手を抜いたとバレた途端、どうなることか。
ついでに道が分からないし。聞くなら今なんだろうけれど、弾幕ごっこをやらないと教えてくれなさそうだしなぁ。
「ああそれと、私はこの盃を持って戦うよ。中の酒を零したら私の負けっていうハンデさ。さぁ、やろう! 今すぐやろう!」
「ううう……やるしかないのね」
私のリュックを勇儀の連れに預け、旧都の上空へと飛ぶ。
ああ、眼下に野次馬が一杯集まってくる。そして目の前には語られる怪力乱神が仁王立ち。鬼に会った時点で分かってはいたけれど、私に逃げ場はないのね……。
「さぁ、全力でかかってきな!!」
勝てる気は全然しない。それでも一瞬で捻り潰されるぐらいなら、精一杯抵抗してやる!
「言われなくても本気でいきますよ!」
弾丸型の弾を正面に向かって大量にばら撒く。一発でも当ればいいのなら、質より量でしょ!
勢いよく飛んでいく私の弾を、お酒を飲みながら避けている様に見えるけれど……気のせい、気のせいっ! とにかく撃つんだ、自分!
「おいおい、それがお前さんの本気かい? せっかくの弾幕勝負、派手にやらなきゃつまんないよ! 鬼符、怪力乱神!!」
足元の旧都から歓声が起こると同時に、楔型の弾が四方八方へと蜘蛛の巣みたいに配置されていく。綺麗に並んだ弾幕に見えるけれど、よく見たら一つ一つの弾の向きがしっちゃかめっちゃかになってる!
これが一気に飛んできたらヤバい………って飛んできた!
「あぶっ、あぶっ……危なっ!」
「ほらほら、スペルカードを見せておくれよ!」
勇儀の弾が飛び交い、見る見るうちに視界を埋める。……このままだと被弾するのも時間の問題ね。
本気を出すと言った手前、すぐにやられる訳にはいかないわ!
「いきます! 狂視、狂視調律(イリュージョンシーカー)!!」
お望み通りスペルカード宣言をして、相手の弾を私の弾で掻き消す。
最強の鬼に通じるか分からないけれど、網の様に弾幕を展開して大きく動くのを封じてみる。私の力で弾の波長を狂わせ、あわよくば混乱しているうちに被弾……したら良いなぁ。
「おおっ、二日酔いみたいだ」
私が知ってる鬼は常に酔ってるんだけれど、彼女達に二日酔いとかあるのかしら。フラフラしているようでしっかり弾を避けてるし、盃からお酒を零しそうにないし……。
被弾する危機感自体を、お酒の肴として楽しんでいるみたいね。弾幕ごっことしてはそれで良いんだろうけれど、ちょっぴり複雑な気分。
「ブレてる時は当たらないのか。それにコレ、避けてると段々お前さんから離れていっちゃうんだねぇ」
むむむ……何だかんだで完全にバレちゃってる。初めて戦う人は大体これに被弾するのだけれど、前後不覚になる事を知らない百戦錬磨の鬼には簡単なんでしょうね……。
「中々面白い弾幕だけれど、次は私の番だ。光鬼、金剛螺旋!」
宣言と同時に、徐に勇儀が右手を翳す。さっきみたいな弾幕が展開されると思いきや、彼女の手から眩い光が現れ始める。
心なしか、周囲の温度が上がったような……。
「これに当たったら丸焼きになっちまうかもねぇ。今まで天狗にしか使わなかったから、速さの加減が出来るかどうか」
「あら、手加減してくれるのかしら。願ったり叶ったりだけれど、遊びに本気を出さないのは相手を侮辱するのと同じよ?」
「おお、確かにその通りだが、やけに強気だね。今日の晩飯は兎鍋になっても知らないよ」
「舐められたら誰だって怒るわよ。たとえ鬼が相手でもね」
あれよあれよと言う間に、光は巨大な蛇の様に体を伸ばしていく。
……ああ、予想が出来た。螺旋って言うぐらいだから、絶対回してくるわね、アレ。
勝ち負け関係なく、あの気の塊に轢かれるのは嫌だ。理由は簡単、絶対に軽傷で済みそうに無いから。あれに被弾したら服が少し破けるどころか、全身火傷になる運命が見えてるもの。兎鍋、断固反対。
「覚悟はいいかい? 本気でやるから、脱兎の勢いとやらを見せておくれよ!」
「ご心配なく。逃げ出さなくても、兎は俊敏な生き物ですからっ!」
蛇が鎌首をもたげる様に、光輝を放つ弾幕がゆっくりと動き始める。ぐるり、ぐるりと螺旋を描き、勢いを増していく。
正直、速さにはそこまで自信がない。それでも、ああ言ったんだ。いったん決意したからには、意地を通そうじゃないか。
「太陽に負けない程に輝く私の技を、篤とご覧あれ!」
私を目掛けて帯状の弾幕が振り回される。しつこく狙ってくる為、縄跳びの様に飛び越えて避ける事は叶わなそうだ。
つまり、弾幕に追いつかれないよう、自分も螺旋を描いて飛ぶしかない。逃げている様に見えるけれど、真面目に避けてるのよ。決して脱兎なんかじゃないんだから!
「おお、速い速い。兎を侮っちゃいけないんだねぇ」
相手は動いていないから攻撃のチャンス……かに思えたが、如何せん弾幕を撃つ余裕が無い。とりあえず今は飛び続けるしかないわね。
出来るだけ渦の内側を回るよう気を付けながら。それでいて、いつ勇儀が攻撃してきても避けれるよう少し距離を置きながら。
「ほぅら、スピード上げるよ。緩急がある方が退屈しなくて楽しいだろう?」
「確かにそうですけどっ……。避ける側からしたら、辛いだけですよっ!」
何時になったら振り回すのを止めるのだろう。ずっと続けられたら何れ失速して被弾しちゃうわ。たとえ人外でも体力に限界はあるもの。
「はあっ………はあっ……っ!」
「おや、段々息が荒くなってきたね」
全速力で回転を続けたから、何か気持ち悪くなってきた。決してこんな所で戻したりはしないんだけれど、精神的に不味い。いや、肉体的に、かも?
急に襲われたり、脅されたり、人混み歩き回ったり……体力の限界なんて、とっくに超えていたのかもしれない。
ああ、背後から段々と熱が伝わってくる。という事は、追いつかれそう?
「ふぅ、一休み一休み。もう少しで追いつきそうだったが、この技、あんまり長くは続けられないんでね」
……途切れた! 反撃をするなら今しかない!
「太陽はもう沈みなさい! 散符、真実の月(インビジブルフルムーン)!」
大量の弾丸型の弾が、美しい円の形を成す。何重にも重ねた弾幕の壁は、鬼を圧倒出来るだろうか。
……ああ、弱気になったら駄目だ。こんな時こそポジティブシンキングよ。さっきの技で相手も大分疲れているはず。ならば、一気に畳み掛けるしかない!
「ふるむーん? もしかして、月を模した技かね」
「喋ってる暇なんてないですよっ!」
波長を狂わせ、広がっていく弾を見えなくする。それだけでなく、丸弾を辺り一面にばら撒いていく。
狂気の満月の恐ろしさ、思い知れ!!
「こりゃあ凄い! 弾が完全に見えなくなるのかい!」
「笑っていられるのは今の内だけ。完全に狂ってしまっても知らないわよ!」
姿を消した弾の波長を戻す。急に目の前に現れた弾に勇儀は驚いた表情をするが、最強の鬼の名は伊達じゃない。
ほとんど隙間なんて無いのに、冷静に見極めて避けていく。
「さっきと同じ感じで、見えない間は当たらないのかい。分かってしまえばこっちのもんだね」
次々と弾幕を厚くしていくが、どれも結果は変わらない。
十八番の技をこうも簡単に攻略されちゃうのは、ちょっと悔しい。いや、とっても悔しい。格好の良い言葉を言った分、尚更の事。
「私の友人が月を砕いたって新聞で見たから、私もやってみたいと思っていたんだ!」
友人……きっと伊吹萃香の事よね。
確かあの烏天狗の新聞に載ってたっけ。盃に映った月を云々って。
それにしても、こんな場所にまで新聞を売りに来ているのね。天狗って上下関係的に鬼には会いたくなさそうだから、地底になんか来ないと思っていたわ。
……いや、違うか。鬼に無理やり持って来させられているのでしょうね。同情なんてしないけれど。
「何をボーっとしているんだい? 私の最後のスペル、一気にいくよ! 四天王奥義、三歩必殺! 一!」
一歩、勇儀が足を踏み出す。
空中にいるから踏む物なんて何も無い。しかし、彼女が地面に思い切り足を叩き付けたかの様に空間全てがビリビリと震え、観客達は悲鳴やら歓声やらを上げる。
何という力だ。その余りの覇気に、私の弾幕が全て掻き消されてしまった。……いとも容易く月が砕かれちゃった訳だけれど、泣き言を言っている暇は無いみたいね。
一歩を踏み出したと同時に、赤い米粒型の弾を彼女自身の周囲に展開したのだ。今のところ動く様子は無いが、何が起こるか分からないし少し離れておこう。
「二!」
もう一歩、勇儀が足を踏み出す。
あっと言う間に目の前まで弾幕が敷き詰められる。一歩目で展開された弾幕を覆い囲む様に、ピンク色の米粒型の弾が現れたようだ。結構な距離をとったのに、あと少し離れるのが遅れていたら飲み込まれていたかもしれない。
あれ、この流れだとここにいるのって不味いんじゃ? 絶対に三歩目で弾幕に飲み込まれるような……スペルカードの名前、三歩必殺だったし。かといって、今から急いで勇儀から離れても間に合わないだろう。
……じゃあ、どうすればいいのか。
「三!!」
最後の一歩、足を踏み出す勇儀の動きがやけに遅く見えた。
―――後ろに逃げ場が無いのなら、前に行くしかない!
目の前の弾幕の僅かな隙間に、勇気を出して飛び込む。
激しい音と共に、自分が先程まで居た所に一瞬で弾幕が現れる。隙間一つ許さない大玉が、恐ろしい程に密集している。
こんなに厚い弾幕、見た事がない! もし避けていなければ、丸焼きどころでは済まなかっただろう。……初見殺しもいいところだ。
「今のを避けるとは驚いた! でもこれで終わりだよ!!」
周囲の弾幕が勇儀から離れる様に崩れていく。
……不味い、三歩目を避ける事しか考えていなかった。もっと周りを見てから、次の攻撃を予測して隙間を探せばよかった。あ、予測した結果がこれか。
四方八方弾幕だらけ。広がってくる弾を避けるスペースなど無いに等しい。
つまり、被弾する運命からは免れない。
弾の壁に阻まれて、私の弾が通る事はないだろう。彼女自身の弾幕で盾を作り、私の攻撃を許さないのだ。つまり、反撃する余地なんて無い。
蟷螂の斧? 窮鼠猫を噛む? 私は兎だし、強者に抵抗する勇気なんて持ち合わせていない。鬼を相手に我ながらよく頑張った。もう十分だろう。
―――なんて、言う訳ないでしょ!
「幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)!!」
私の弾の位相をずらすことで、相手の弾幕と一切干渉しなくなる
……それはつまり、私の攻撃は何物にも止められないという事。
一時的に姿を眩ます、高速の弾丸を放つ。
狙いを定める余裕はない。少しでも当たれば、それでいいのだ。
カツンと音をたてて何かが地面に着くと同時に、沢山の弾丸が私の体に降り注いだ。
「天晴れ! お前さんが被弾する前に酒を零した私の負けだ!!」
「う、うう……う? え、私の、勝ち?」
「ああそうさ! いやぁ、地上の奴らは面白い弾幕を使うねぇ。良い酒の肴が出来たよ!」
嘘、信じられない。私が勝ったの? 山の四天王に?
思いっきり被弾したよね、私。服がボロボロになってるし。
何がなんだか分からなくて、膝が震えている。野次馬達が何やら囃し立てているが、頭が真っ白になってよく聞こえない。
「ほら、しゃきっとしなさいな。この後、地霊殿へ行くんだろう?」
「あ、ああ、そうでした。地霊殿って、何処にあるんでしょう……?」
私の言葉を受けて、勇儀のみならず周囲にいた観衆が噴出す様に笑い始める。
え、私、そんなに変な事言った?
「本当に迷子になってたんだねぇ。地霊殿は旧都の中心にあるんだよ。ほら、あのでっかい洋風の建物が見えるだろう?」
「あ、あんなに分かりやすい所に…………」
指差す方向を見ると、なんとも立派な建物がすぐそこに。
焦ると周りが見えなくなるとは、まさにこの事か。ああ、恥ずかしい!
「引き止めちまって悪かったね。機会があれば、今度は酒盛りでもしよう」
「あはははは……お手柔らかに頼みますね……」
預けていたリュックを背負いなおし、逃げる様にその場を離れる。恥ずかしさもあるけれど、これ以上鬼に絡まれたら堪らないでしょ!
身嗜みを整えて、鬼達の声援を背に受けながらいざ地霊殿へ!
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「ご免下さーい、永遠亭の者ですがー」
勇儀と別れた場所から歩いて三分、私は地霊殿の玄関にいた。旧都の中心にあると言っても、さっきまでとはまったく空気が違う。
呼び鈴を鳴らして間もなく、屋敷の中から足音が聞こえてきた。
「お待ちしておりました。この館の主の古明地さとりと言います」
「永遠亭から薬を届けに来ました、鈴仙・優曇華院・イナバです。本日は配達サービスをご利用頂き、真にありがとうございます」
控えめに扉が開いて出てきたのは、小柄な女性。
最近地上でも有名な、心を読む妖怪とは彼女―――さとりさんの事だろう。それと、橋姫さんの言っていた第三の目も、きっとこの方を指して言ったのだろう。そんなに恐ろしい妖怪には見えないけれど……。
「ああ、そんな畏まらなくても大丈夫ですよ。……その通り、心を読む覚妖怪です。それと、見た目で判断したら痛い目に遭いますよ? まぁ、私は酷い事なんてしませんが」
「わわわっ、何かご免なさいっ!」
「ふふふ、謝られたのは初めてです」
分かっていたけれど、吃驚した……。心を読むのは本当みたいね。という事は、今考えている事も全部お見通しなのかな? 一体どんな風に見えてるのだろう?
無心になるのだ、自分よ。無心、無心……一念無く、何も考えない…………。
「……。立ち話も何ですし、客室へ案内しますよ」
「あ、ありがとうございます」
うん、恥ずかしい! すっごい微妙な顔されちゃったよ! でも、悪い方じゃなさそうで安心したかも。物腰が柔らかそうだし、今まで会った地底の住民と比べて圧倒的に常識がありそうだもの。
とりあえず、立派な扉を開けていざ地霊殿の中へ。
「わぁ……凄い!」
高い天井を見れば大きなシャンデリア、床には高価そうな赤絨毯。赤や黒の綺麗なタイルの部分もあるわね。ついでに、灼熱地獄による自然の床暖房付き!
そして何より、いたる所に飾られた美しいステンドグラス! 永遠亭とは真逆の洋風の造り、幻想郷じゃ中々お目にかかれないわ。紅魔館とは違って、光を目一杯取り込む造りになっているのね。
「ペットの中に、ステンドグラス造りが好きな子がいましてね。それで、新しいペットが増えるたびに、その子をモチーフにしたステンドグラスを造る事にしているんです」
「記念になって良いですね、そういうの。何だか羨ましいです」
永遠亭には兎しかいないから、同じのばかりになっちゃいそう。
あれは猫かしら……あっちは烏? 猫屋敷ならぬ、動物屋敷って感じなのね。
「本当ならペット達に薬箱を取りに行かせたかったのですが、頭が弱い子ばかりなので薬について聞いても覚えられなさそうで……」
「あー、それは仕方ないですね。私の所も兎が山の様にいるんですが、殆ど餅つきしか出来ませんし」
出来ないと言うか、やらないだけだと思うけれど。なんであの子達、てゐの言う事は聞くんだか。百歩譲って仕事しないのは許せても、しょっちゅう悪戯して仕事を妨害するのは止めて欲しいわ。
「ふふ、お互い苦労していますね。私の所では、気付いたらペットがペットを拾ってくるので大変なんです」
「うわぁ、悪戯なんかよりそっちの方が凄いじゃないですか……」
談笑をしながら広い屋敷を歩き、やがて客室へと辿り着く。
何気なく歩いてみて思ったのだけれど、永遠亭にも絨毯を敷こうかしら。これ、ふかふかしててとっても気持ち良いわ。どの部屋も畳ばっかりだし、一部屋ぐらい洋室にしたら面白いかも?
「お疲れでしょうから、ゆっくりしていって下さいね」
「わ、ありがとうございます」
良い香りのする、温かい紅茶を頂く。普段は緑茶を飲んでいるけれど、偶には紅茶も良いわね。どこかのお嬢様になったみたいな、優雅な気分になっちゃう。
……って、すっかり仕事を忘れてるわ。何の為にここまで来たのやら。愚痴を言いに来たんじゃないのに。ああ、さとりさんが苦笑いをしてらっしゃる。
「ふふ……薬の説明ですか。じゃあお願いしますね」
永遠亭の名に恥じぬよう、頑張るんだから!
リュックから薬箱を取り出し、いざ尋常に!
「はい! では始めに、この薬についてですね。これは……」
「……に使うようにして下さい。以上で説明は終わりですが、何か分からない事や質問はありますか?」
一通りの説明を終えて、さとりさんの顔色を窺う。今回は上手く説明出来たはず……ああ、一見ポーカーフェイスな様に見えるけれど、眉間に皺が。
「ふむ、やはりペットに任せないで正解でした。難解な単語が多くて多くて」
「う……やっぱりそうですか。同じ事を他の方にも言われたんですよ……」
慧音さんの所で色々と学んだつもりなのだけれど、まだまだ駄目かぁ……。自分なりに分かり易くしたんだけれどなぁ。もっと言葉の勉強をしないといけないみたいね。
「ああ、そんなに落ち込まないで下さい。心の中で薬の使い方とかをイメージしてくれたので、私にはとても分かり易かったですよ」
「さいですか……じゃあ、しっかり言葉に出来るよう頑張らないとですね」
何はともあれ、薬箱は無事に渡す事が出来たのでお仕事終了!
でも家に帰るまでが何とやら。また危険が一杯の地底を飛ぶのだ。
あ、今なら間欠泉センターの方から帰れるかな?
「間欠泉センターですか。実験と言う名の花火大会で、今日一日は通行禁止だそうですよ」
「は、花火大会?」
「私のペットの力を使って、河童達が企画したそうです。そのおかげで、ペット全員が花火を見に行ってしまいましてね。館の中、とっても静かでしょう?」
ああ、確かに。沢山ステンドグラスがあるからペットが一杯いると思ったのに、不気味なほど物音一つしない。まぁ、そのお陰で集中して説明出来たけれど。
「じゃあ、縦穴の方から帰るしかないんですね……とほほ」
「……何やら迷子になるトラウマが見えたので、旧都の地図を渡しておきますね」
旧都について細かく書かれた地図を受け取り、客室を出て玄関へ。
……本来ならここで何事も無く別れるのだろうけれど、どうしても気になる事が一つ。もう読まれているのかもしれないけれど、一応口に出して聞いてみる。
「さとりさんは、花火を見に行かないんですか?」
一瞬、彼女の表情が暗くなった気がした。やっぱり聞いちゃ不味い事だったのかな。どうしよう、せっかく良い感じにお話できたのに。
……それでも気になってしまう。ペット達が見に行っているのに、さとりさんは出掛ける様子すらないのは何故なのか。一日中やっているのなら、今から行っても間に合うはずなのに。
「あまりこういう事は言いたくないのですが、私は嫌われ者の妖怪なのです。心を読まれるなんて、気持ちいいものじゃないでしょう? だから、私は見に行きません」
「……危険な能力を持っている人なんて、ここには一杯いますよ。炎を操るとか、毒を操るとか、挙句の果てには死を操るとか。一歩間違えれば簡単に死んじゃう能力ばかり。それに比べて、心を読むなんて可愛い方じゃないですか」
勢いに任せて言っちゃったけれど、ちょっと失礼だったかな。覚妖怪を馬鹿にしたいんじゃなくて、えっと、その……。
とりあえず、そんな理由でせっかくの楽しいイベントをふいにするなんて、もったいないですよ! 幻想郷は全てを受け入れる場所って聞いた事ありますし!
「同じ事を、ペットの猫にも言われました」
「じゃあ、何で……」
「私は、“おかえり”を言う為にここに残るのです」
その言葉を聞くと同時に、さとりさんの目に悲しみの色が過ぎったような気がした。
「ペット……いえ、家族が帰ってきたら、温かく迎え入れてあげたいのです。家に帰って誰もいないのは、それはそれは寂しいでしょう?」
そんなの、詭弁にしか聞こえない。
嫌われているから行かない? おかえりを言う為に行かない?
今までの話を聞いていて、少なくともペット達には好かれているはず。家に一人でいるより、皆で出掛ける方がペット達は喜ぶはず。
そして何より、さとりさんはペットの事が、家族の事が大好きなはず!
そんな事、分かりきっている。分かっているはずなのに……。
何で花火を見に行かないのか、何でそんなに悲しそうなのか、私にはよく分からない。
それはきっと、私には手の出しようが無い事なのだろう。
「……そう、ですか。何か、すみません、変な事を聞いちゃって」
「いえ、お気になさらず。今日はありがとうございました」
重くなった空気を払う様に、さとりさんがニコリと笑う。
きっとこれ以上踏み込むのは良くないだろう。家庭の事情に首を突っ込むのは良い事ないってお師匠様が言っていたもの。
ああ、悪い事しちゃったな。次はこんな風にならないよう気を付けなきゃ。感情的になって相手を傷付けるなんて最悪だもの。
表情を崩さないさとりさんに見送られ、私は地霊殿を後にした。
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・・・・・・・・・・・・・・・
さとりさんから貰った地図を片手に、旧都を散策してみる。さっきみたいに鬼に捕まったら嫌だから、人の多い大通りは避けて裏道を中心にね。
早く帰りたいとは思うけれど、せっかく地底に来たんだから何かお土産を買っていかなきゃ損よね! 灼熱地獄の温泉卵に、鬼の作った地酒……手元に残るような物が良いのだけれど、見事に食べ物ばかり。
うーん、姫様は丸い物が好きだし、定番の温泉卵でいいかしら。でも在り来たりよねぇ。
「兎さん、もう帰っちゃうの?」
「はにゃっ!?」
「あら、変な声出しちゃって。面白い兎さんね」
可愛らしい声のする方を向くと、そこには小柄な少女がいた。やけに笑顔で私を見ているけれど、初対面、よね?
ああ、そんな事は大した問題じゃないみたい。旧都だから鬼が話しかけてきたのかと思ったのだけれど、この妖怪は……。
「貴女は、覚妖怪?」
「その通り、覚妖怪の古明地こいしよ。さっきはお姉ちゃんがお世話になったみたいね」
お姉ちゃん、という事はさとりさんの妹なのだろう。お姉さんとは違って、瞳が閉じている第三の目が胸元に浮いている。
突如現れた不思議な少女、こいしちゃんは帽子を脱いでペコリとお辞儀。幻想郷にこんな礼儀正しい子がいたのね……。
「お姉ちゃんと違って、心は読めないから安心して。代わりに無意識を操れるようになっちゃったけれど」
「む、無意識?」
「そう、無意識。兎さんの事をずっと、ずーっと見てたのよ? 永遠亭を出た辺りから付いていってたんだけれど、全然気付かなかったでしょ。無意識に潜む、これが私の力よ」
今まで桁外れな能力を見てきたつもりだったけれど、まだまだ予想外な力を持っている妖怪がいるのね。心を読むっていう分かり易い能力より、そういう意味不明な能力の方が恐ろしく感じるわね。
「嘘、でしょ? 嘘じゃなきゃ、恥ずかしさで死んじゃいそうだわ……」
「こんな変な嘘を吐いて、私に何の得があるのかしら? それに、嘘を吐くのは人間だけよ。いくつか証拠を挙げよっか?」
ウンウン唸りながら指を顎に当て、目はどこか上の方を泳いでいる。いやいやいや、そんなあからさまに昔の事を思い出してます的なポーズをとらなくていいから!
……って言うか、付いてきたのが本当なら、それって立派なストーカーじゃ? 幻想郷にいる警察は兎だとか、姫だとか聞いた事あるけれど、うちの姫様は関係ないだろうし……どうしましょ。ストーカー被害に遭ったのはきっと初めてだわ。
「えぇーっと、蜘蛛の巣を切ってあげたり、迷子が大変そうだったから勇儀を呼んできたり」
「え、じゃあ、もしも貴女が付いてきていなかったら今頃私は……」
考えるだけで恐ろしい目に遭っていたかも? 何だかこいしちゃんの事がストーカーって言うよりも、守護神みたいに思えてきたわ……。
「あぁ、あと兎さんの無意識の思いを突っついたりしたわ」
「そ、そんな事も出来るの? 正直、ピンとこないのだけれど」
無意識の思い? 無意識って一切考えがないって事じゃないのかしら。それなのに思いとは、これ如何に。うーん、お師匠様ならすぐに分かるんだろうなぁ。意識とか、無意識とか、そういった心理的なのは波長を操るから得意だと思ってたんだけれどねぇ。
「そう言えば、珍しく優しかった橋姫さんは私に気付いてたかも。当てずっぽうなのかもしれないけれどね」
確かに、もう付き纏われている的な事を言ってた気がする。地底慣れしていない私には全然分からなかったわ。
むしろ、胡散臭い脅しにしか思えなかったっていう……。明日、恐怖の大魔王が降りてきて世界が滅びますよ、みたいな感じの。
「うぅ、貴女がこっそり付いてきたのは分かったわ。こうして出てきて話しかけてくるって事は、何かお話があるんでしょ?」
「……あらあら、兎さんったら意外と鋭いのね」
何か一瞬、寒気がしたような?
地上とは環境が大分違うし、風邪引いちゃったかなぁ。帰ったらしっかり休まないとね。明日の仕事に支障が出たら大変だもの。
「あのね、お姉ちゃんからペットを貰ってばかりだったから、自分で捕まえてくれば笑顔で褒めてくれるかなぁって」
ペット? 知らない内にどんどん増えちゃって、さとりさん困っていたような……って、え? 自分で捕まえる? ペットを?
もしかして……いや、もしかしなくても私、狙われてる!?
「兎さんって地底にはいないのよ。だから、ね? いいでしょ?」
いいでしょ、って……こっちは何一つよくないわよ!
こいしちゃんは相変わらず笑っているけれど、気付けば彼女からは私を逃がさないと言わんばかりに妖気が溢れ出している。下手したら、そこらの鬼よりも力があるんじゃないの……?
「ペットが増えるたびに、ステンドグラスを造っているの。兎さんにはとびっきり素敵なのをあげるわ」
そんな物いらない。貰ったって嬉しくも何ともないわ!
一歩、また一歩と近付いてくるこいしちゃんから逃げようとしても、体が固まってしまって動かない。いや、動けない!
「毎日しっかりお世話してあげるからさ」
私の事を人形か何かだとでも思っているのだろうか。
お世話なんてしなくていい。私は意思を持った一人の妖怪、いや玉兎だ。
「私のペットに―――」
私は、私は……!
「私の事を見ていたのなら、聞いていたでしょ? 私には、帰る場所があるの。待っている人がいるの。だから、貴女に連れて行かれるなんて、絶対お断りよ!!」
私の怒声が旧都に響くと同時に、張り詰めていた妖気が一瞬で治まる。
こいしちゃんはぽかんとした表情のまま数回瞬きをし、やがてゆっくりと俯いて息を吐いた。
「……そうね、脅かしちゃってご免なさい」
とりあえず、助かったみたい。彼女が常識のある妖怪で……いや、執念深くなくてよかった。
勢いを失ったこいしちゃんは、何だか寂しそうな顔をして肩を竦めている。何故か罪悪感があるんだけれど、こっちは命がけだったのだから問題無い、よね……?
「私じゃ、お姉ちゃんを笑顔に出来ないみたいね」
「さとりさんの、笑顔?」
「そう、笑顔。どうすれば笑ってくれるか考え続けて、やっと行動に移したけれど……」
そう言えば、私を捕まえてさとりさんに笑顔で褒められたいとか言っていたわね。明らかに苦笑いされて終わるのが予想出来るけれど。
まぁそこは置いといて、確かにさとりさんの笑った顔って寂しそうだったり愛想笑いみたいだったりで……心からの笑顔って感じじゃないのよねぇ。
「嫌われる事はない。でも、好かれる事もない私には、無理なのかもしれないわ」
ああ、何となく分かった。
もしそうだとしたら、さとりさんのあの表情は、言葉は……きっと! 彼女の悲しみの種は……いや、さとりさんを幸せに出来るのはこいしちゃんだけかもしれない!
「……じゃあね、兎さん」
「ちょ、ちょっと待って! 貴女……私に付いてきたって言ってたけれど、地霊殿の中まではきていないでしょ?」
「…………」
吃驚した表情のまま、だんまり。つまり図星という事だろう。今までの話し振りからの予想だけれど、見事的中したみたいね。
お互いに大切だと思っているのに、すれ違っている。こいしちゃんは何か訳ありのようだし、恐らく上手くコミュニケーションが取れていないのだろう。
家庭の事情に首を突っ込むのは良くないと言われても、私の手助けで何とかなるのなら……!
「貴女のお姉さん、ずっと待っていたわ。大切な家族が帰ってくるのを」
「そんなの、嘘よ。嘘っぱちに違いないわ。お姉ちゃんがそんな事するわけないもの」
「あら、嘘を吐くのは人間だけじゃないのかしら?」
またまただんまり。
力のある妖怪とは言え、見た目通りまだ子どもらしいところがあるようだ。何と言うか、力だけが成長していて心は幼い頃のまま、みたいな。
「お姉さんの、笑顔を見たいのでしょう?」
「……うん」
帽子を深く被っているから表情は見えないが、小さな声で弱々しい返事が聞こえた。
相当自信が無いのが伝わってくる。心を読めない覚妖怪だからこそ、人一倍こういった事に不安になるのだろう。
「もう分かるわよね? お姉さんを笑顔にする、何よりも簡単な方法が」
私の言葉を聞いて、地面へ向いていたこいしちゃんの顔が上を向く。旧都で出会った楓ちゃんとそっくりの、心配げなどんぐり眼と目が合う。
彼女に足りないのは、ほんのちょっとの勇気なのかもしれない。それなら、あとは背中を押してあげればいいだけだ。
「貴女なら大丈夫よ。お姉さんの事が、大好きなんでしょう?」
「……うん、大好き。とっても、とーっても大好き」
彼女の瞳に涙ではない輝きが灯る。
瞳の輝きは心を開いている事を示すってお師匠様が言っていた。きっと、今のこいしちゃんなら大丈夫だろう。さとりさんを笑顔に出来るはずだ。
「帰ったら、大きな声で“ただいま”を言うのよ」
「……私、大切な用事を思い出したから帰るね! またね、兎さん!」
気合を入れるかの様に帽子を被りなおし、こいしちゃんが地霊殿の方角へと走り出す。
……ああ、忘れるところだった。道中で私を助けてくれた、せめてものお礼の気持ちを込めてアレを教えないと!
「間欠泉センターの花火大会に誘ってみなさいねー!」
小さくなっていく後姿に声をかける。こいしちゃんが振り返ることは無かったが、走りながら手を振ってくれたのでちゃんと聞こえていただろう。
二人の覚妖怪が笑いあえるよう願いを込め、彼女の姿が見えなくなるまで見送った。
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
こいしちゃんと別れて、旧都の外へ向かう。太陽が見えないので正確な時間は分からないが、きっともう夜が降りてくる頃だろう。
お師匠様達にあまり心配はかけたくないので、急いで帰らなきゃ!
「おーい、さっきの兎じゃないか! 用事が済んだのなら、こっちで一緒に飲もう!!」
了
「へっ……? 地底、ですか?」
お師匠様の手によって地獄(正確には旧地獄)に落とされる日が来ようとは、誰が思うだろうか。
新品の薬箱を受け取った私は多分、いや絶対に引きつった笑いを隠せなかっただろう。ああ、どうしてこうも私は運がついていないのか。
「そう、地底よ。あの地霊殿から、是非とも私の薬を試したいと連絡があってね。それで、今日はその薬箱を届けてもらうわ」
「え、ああ、はい」
「じゃ、任せたわよ。いってらっしゃい、ウドンゲ」
普段は人間の里へ行って常備薬の点検や取替え、特殊な薬の販売をしているのだけれど、まさか地底……それも灼熱地獄の上にあるという地霊殿へ行くことになるなんて……。
正直に言うと相手から取りに来て欲しいところだが、こっちが始めたお届けサービスだ。蔑ろにしたら私の命が危ない。主にお師匠様の手によって。
だが、地底に潜るのも死を覚悟しなければならない。なんとも地下空間には、地上から追放された恐ろしい妖怪達が跋扈しているらしい。そんな所に私は行くのか。いや、行かされるのか。
薬箱を入れたリュックを背負い、博麗神社の近くへ飛ぶ。勿論、件の異変の際にできた地底へ続く穴に飛び込むためだ。間欠泉センターの方から行けたら早くて安全らしいのだけれど、何らかの実験をしているとの事で通れなかった。ちくしょう、山の連中め。今度山へ行ったら絶対に賽銭入れないわ。威圧されても。絶対。
地面にできた大きな穴が、私を飲み込まんとその口を開けている。恐る恐る覗いてみるが、まさに一寸先は闇。試しに弾幕ごっこで使うような妖気の玉を発光させ、ランプ代わりにしてみる。しかし予想通り、あまり良い灯りにはならなさそうだ。
こういう時って、無事帰れるよう神様に祈るべきでしょうか。それとも、どうしてこうなったと神様を呪うべきでしょうか。
……とりあえず、前者を選ぼう。ポジティブシンキングだ。無事帰れたら考えを改めて賽銭を入れてやらんでもない。
次々と湧き上がる不安を抑え、意を決して鈴仙・優曇華院・イナバ、いざ行かん! とうっ!!
・
・・・
・・・・・
ううう、暗い。寒い。怖い。
心許ない灯りは、縦穴の闇をより一層深くしている気がする。それでも点けないよりはマシだと信じたい。
長い洞窟を下へ下へ、ゆっくり慎重に降りていく。だって怖いんだもの、仕方ないじゃない。偶に上から強い風が吹き込んできて、私の背中を押す。私にとってそれは勇気付けるようなものではなく、早く地獄へ落ちろと急かしているようにしか思えない。ああ、もう後ろ向きになってる。ポジティブシンキングとは何だったのか。
どこかから見られている様な気がするし、来たばかりだけれど早く帰りたい。
凶暴な妖怪とかに出会わなきゃいいけれど………って、何か上から落ちてくる……?
「当ったれええぇぇぇぇっ!!!」
「危なっ!?」
ギリギリのところで落ちてきた物体を避ける。気付くのが後一歩遅かったら脳天に直撃してたわね。
きっと今のは桶だと思うんだけれど、何か物騒な声が聞こえたような……。風に乗りながら狙って落ちてきたみたいだし、言わずもがな妖怪でしょうね。それも凶暴な。一体何の妖怪かしら?
……っと、考え事をしてる場合じゃない。さっきのが下から戻って来るわ。話が通じる奴ならいいんだけれど。
「さっきのを避けるなんて凄いねぇ、ひひひっ。兎だからって侮れないのねぇ」
あ、駄目っぽい。
「ひひっ、じゃあコレはどうかな? 私の可愛い鬼火から逃げられるかしらねぇ?」
桶に入った緑色の髪の少女がニヤリと不気味に笑う。すると彼女の周りにポツリ、ポツリと火の玉が現れ始める。
これは不味いと思った瞬間には、予想以上に速い速度で鬼火が飛んできていた。え、アレ、魔理沙並に速いような……。
「ちょちょちょ、ストップストップ! 」
「ひひひっ、止まらないよぉ」
ああもう! 鬼火は中々のスピードがある上、厄介な事に追跡してくる! これってもしかして、霊夢と魔理沙を合体させた感じじゃない? つまり、この鬼火の対処法は一つだけ。
「三十六計逃げるに如かず! アンタに付き合ってる暇はないの!!」
縦穴の底に向かって全速力で飛ぶ。落下するより速く、鬼火より速く!
もはや灯りなんて関係ないと、暗闇を突き進む。見る見るうちに妖怪の姿は遠くなり、鬼火もその姿を闇に消した。
……そうして一安心したのが、駄目だったのかもしれない。
「ひゃっ!?」
何かが体を受け止めた。いや違う、絡み付いた?
目を凝らしてよく見てみる。ベトベトする網みたいな、これは……。
「もしかして、蜘蛛の、巣?」
「その通り! 随分とまぁ、深く引っ掛かったね。さあ、早く逃げなきゃ食べちゃうよ!」
先程の緑髪の妖怪とは違う、全体的に茶色っぽい妖怪が出てくる。敵意剥き出し、またまたピンチ!?
恐らくさっきの奴と手を組んでいたのかもしれない。とりあえず今は巣から抜け出さなきゃ。
えっと、縦糸が粘着力がないんだっけ? いや、横糸だっけ? ヤバイ、勢いよく突っ込んだからグチャグチャに絡まってる!
「病気は美味しい調味料! いくよ! 瘴気、原因不明の熱病!!」
スペルカード! ならこっちもスペルカードで応戦しなきゃ……と言いたいところだけれど、体中が糸にくっついていて身動き一つ取れない。こんな所で被弾したら、薬を届けられないどころか本当に食べられちゃう……?
妖怪を中心にして鋭い米粒型の弾幕が何重もの円を描く。よく見てみると、渦を巻いているのはただの弾だけじゃない。何やら禍々しい色をした、瘴気? え、病原菌?
これは、いけない。妖怪の操る病気なんかに罹ったら、命がいくつあっても足りない。そして、特効薬は基本的にお師匠様が持ってるから手元にはない。
展開した弾幕が、動き出す。瘴気と共に弾がこちらへ向かってくる!
不味い、逃げなきゃ、早く、やだ、こんな所で死にたくない!
お願いっ、外れて! 外れてっ!!
「あはははは! 暴れれば暴れるほど、私の糸は纏わり付くよ! ふふっ、あはははは…………は?」
―――プツッ
か細く、小さい音。それが聞こえたと同時に、私の体が宙に投げ出される。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。でもそれは相手も同じようだった。楽しそうに歪んでいた口が、動きを止めて逆方向に歪む。
「な、んで……? 私の、糸が!?」
きっと今がチャンス。
相手の弾幕にやられる前に! 先に、叩く!
「幻波、赤眼催眠(マインドブローイング)!!」
私を中心に、円形に弾丸型の弾が広がる。それだけじゃない、未だ混乱している妖怪の目を睨む。ついでに隅に隠れていた桶の妖怪も。
さあ、狂え。狂ってしまえ。
「ぅえ? 視界が、ブレてる?」
一つだった弾幕の壁が二つになり、いずれどれが幻覚かも分からなくする。
自身が前を向いているのかどうかさえ、もう分からないだろう。
完全に波長が狂った妖怪達は、為す術も無く私の弾幕の餌食になった。
「まったくもう……急にくるからビックリしたわ」
「いやぁ、ゴメンね。久々に此処を通る奴が来たから、ついつい興奮しちゃって」
「…………」
「キスメったら、また桶に隠れちゃって。この子は恥ずかしがり屋さんでねぇ、知らない人には消極的な態度になっちゃうのよ」
「え、消極的? でもさっき……?」
緑髪の子―――キスメは桶から上目使いで顔を覗かせているが、さっきの形相を見た後では可愛いとは一切思えない。
消極的って、さっきまで思いっきり私を狙ってたんですけど? 超積極的だったんですけど?
「ほらキスメ、挨拶くらいしなさいな」
「やだ。ヤマメがすればいいじゃん」
「明日の遊ぶ約束、取り消しちゃうよ? それでもいいの?」
「………ばいばい」
さっきまでの凶暴さとは打って変わって、小さな声で一言だけ挨拶をする。……挨拶?
これには思わず、私と茶色っぽい妖怪―――ヤマメは苦笑い。
「ところで、兎さんは何で地底に? まさか力試しに来たとか?」
「いやいや……私にそんな勇気はないわよ。地霊殿って所にちょっと用事があってね」
「へぇ、あの地霊殿かい! ちょいと遠いけれど、あっちの方へ道なりに行けば着くと思うよ」
「そうなの? 地図なんて持ってないから助かったわ」
ヤマメの指差した方向を見ると、遠くに小さな光が見えた。噂に聞く、旧都とやらの灯りだろうか。あそこまで行けば、この薄暗さとはおさらばだろう。
「ああそうだ、一つだけ忠告しとくね。この先は私達なんかよりずっと強い奴がごまんといるから気を付けな。自信がないのなら、今の内に地上へ帰るのをオススメするよ」
「……それは要らない情報だわ」
もちろん私が強いからではなく、元から重い足がもっと重くなるからだ。ああ、ヤだなぁ。私の命はあと何時間、いや何分持つでしょうか。
「ま、兎さんなら大丈夫だと思うよ。私が保証するから、安心して行っておいで」
「………行ってらっしゃい」
二人に見送られ、地底の奥へと足を踏み出す。縦穴の底から、広い横穴へ。強くて怖い妖怪に出会わないよう願いながら。
切実に。……切実に!
「それにしても何で私の糸、千切れちゃったんだろうねぇ」
「……あれって、ワザと切ったんじゃないの?」
「建築に使うくらい丈夫なヤツだと思ってたんだけどなぁ。もう年かねぇ」
「ヤ、ヤマメはまだ若いよっ。大丈夫だよっ!」
・・・・・・・
・・・・・・・・・
水の流れる音が聞こえる。この辺りに川でもあるのだろうか?
ただでさえ地底は寒いのだから、あまり水には近付きたくない。身体の丈夫な妖怪でも、水を被れば風邪を引く。
しかし私の願いは空しく、一本道の洞窟は水音のする方へと続いているようだ。
水絡みの妖怪には会いたくないなぁ。河童も船幽霊も、容赦無く冷たい水を引っかけてくるんですもの。
ヤマメの言った通り、道なりにしばらく進んでいく。旧都の灯りはまだまだ遠い。地底は幻想郷よりもずっと広いって聞いた事があるんだけれど、地霊殿まであとどれ位あるんだろう。丸一日かかったりしない、よね?
スピードを上げて飛んでいたら、朱色の古風な橋が見えてきた。渡る為だけでなく、見て楽しめる橋って珍しいわね。
そういえば、竹林を出る時にてゐが何か教えてくれたなぁ。地底にある橋について、気を付けろって。
――油断をすれば、水は死を招く。
――歪んだその姿、見ずは死を招く。
――嫉妬をすれば、水橋を招く。
正直、意味不明なんだけれど、用心するに越した事はないわね。死だとか、嫉妬だとか、不気味な言葉しかないし。
噂をすれば何とやら。てゐの話と関係あるか分からないけれど、橋の上に誰かいるみたい。さっきの奴らみたいな妖怪だったらどうしよう。もしかしたら、あの子達はまだ話が通じたしマシな方なのかも。
どうしよう。スペルカードをぶっ放した方がいいのかな。でも悪い妖怪じゃなかったら不味いしなぁ。
……って、こっちを見てらっしゃる。
「何もそんな警戒しなくても、貴女のことを取って食いはしないわよ」
「さっき取って食われかけたもので」
「あら、お気の毒様」
風変わりな服を着ている妖怪は欄干に背を預けて、どこか気だるそうに岩肌を見つめている。落ち着きがあるのは良いけれど、如何せん話しかけ辛い。何かツンツンしてそうだし。
唯一の救いは、話がちゃんと通じる事ね。
「えっと、貴女は地底の妖怪、ですか?」
「当たり前じゃない。私は橋姫。この橋を通る奴らを見守っているの。つまり、今は仕事中よ」
門番のようなものなのかな?
仕事中と言う割には、凄くやる気がなさそうに見えるけれど。
「通っていい、ですよね?」
「ええ勿論。残念だけれど、地霊殿の主から貴女を通すよう言われたのよ。どうでもいい奴なら、ストレス発散しつつ追い返したのに」
「ははは……」
地霊殿の方から連絡があったのか。もしそれがなかったら、私は橋姫さんに武力で追い返されたかもしれない。意外と好戦的みたいだし。
やぱっり地底には危険な妖怪しかいないのかなぁ。ああ、地上もそう変わらないか……。
「何だか弱気な貴女に、気を付けるべきモノを教えてあげるわ」
「さっきも蜘蛛の子に忠告されましたよ……強い奴らばかりだから気を付けろって」
「あら、被っちゃうわね。でもいいわ、橋姫として言いたいから言っておくわ」
どこかの門番とは違って、しっかり仕事をするのね。
忠告はいくつ聞いても損はしないし、真面目に聞いておこうかしら。あの閻魔みたいに長くはなさそうだし、その上橋姫さんも得意顔をしているし。
「地底には目の妖怪が沢山いるのよ」
「目、ですか?」
「ええ。きっともう会ったと思うけれど、桶の中の目に八つの蜘蛛の目。この先には、睨まれたら最期の鬼の目に、不気味な第三の目を持つ姉妹。それに、死体を探す猫の目や、神の目を胸に持つ烏がいるわ」
「そういえば、さっきから誰かに見られているような……?」
「ふふふ、もしかしたらもう厄介なのに付き纏われているのかもね」
私からしたら笑い事じゃないですよう……。もしも呪われたり、取り憑かれでもしたらどうしよう。あの巫女達は当てにならない気がするし。
ああ、今はそんな事より目の妖怪ね。想像しただけで鳥肌が立つわ。鬼がいるのは知っていたけれど、それを抜いても不気味で怖そうな奴らばかり。
「そしてこの私も、嫉妬の緑眼を持っているわ。……って、貴女も似たような目を持っているのね」
「あ、ホントだ。狂気の瞳って言われてます」
「狂気、ねぇ。私と同じで相手を狂わせるのね、妬ましい」
よく分からないけれど、橋姫さんも似た能力を持っているのだろうか。それなら、戦わずに済んで良かったかもしれない。精神的に参ってしまうのは、妖怪にとって大ダメージだもの。
それにしても、自分も不気味な目の妖怪の仲間入りか……。なんかショック。
「話がずれたわね、要は目を持つ妖怪には気を付けろってこと。分かった?」
「あ、はい、ありがとうございます」
それって、橋姫さんにも気を付けろって事じゃ? いやまぁ、大丈夫なんだろうけれど。大丈夫、だよね?
とりあえず、忠告は心に留めておこう。少しでも生存確率を上げなきゃね。
「言わなくても分かるだろうけれど、地霊殿はあっち。旧都に着けばすぐ分かると思うわ。無事に帰ってこれたら妬んであげる」
「別に嬉しくないですよ、それ……」
細くなった緑眼が見遣る方へと足を進める。勿論、旧都の方向だ。
蜃気楼の様に見えていた灯りは、今では大分近くにあるように思えた。
あそこは鬼の巣窟と聞く。ここに来るまででも寿命が縮む思いだったんだけれど、これからが本当の山場なんだろうなぁ……。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
先程とは違って、いたる所に眩い光が溢れている。まるでお祭の最中のように、賑やかな声が途切れる事はない。
そんな絢爛豪華な世界に目移りしていたのが駄目だったのかもしれない。
旧都の人混みの中、私は迷子になっていた。
……地霊殿ってどっちに行けば着くの?
道行く人に聞こうにも、誰も彼も足早に目の前を通り過ぎて行く。お店の人らしき鬼はけたたましい声で客寄せをしていて、どうにも声をかけ辛い。ついでに言うと、私の弱々しい声は周囲の喧騒に掻き消されてしまう。
「はぁ……」
旧都に着けば分かるって橋姫さんが言っていたけれど、私は地底の事なんて殆ど知らないのだ。実際、地霊殿が旧都の中にあるのか、それとも外のどこかにあるのか分かってない。
ついでに言うと、自分がどっちから来たのかすら分からない。
どうしよう。このまま人の流れに揉みくちゃにされてても埒が明かないわ。
でも、迷子の時は動かない方が……ってそれは連れがいる時か。
下手に飛び回って注目を浴びるのは嫌だし、話しかけ易そう、且つ暇そうにしてる人いないかなぁ。
……ん? 太もも辺りに違和感が?
「…………」
小さな女の子が、私のスカートの裾を握り締めていた。
見た目年齢は六歳くらいだろうか。身長も自分と比べて大分低いし、恐らく実年齢との差は少ないだろう。
そして女の子の頭には、般若の面みたいな小さな角が二本。
言わずもがな、鬼、なんでしょうね……。
「えーっと、何か用かしら?」
「…………」
口を一文字に結んで、目からは涙がポロポロと。度々しゃくり上げながらも、スカートから手を離そうとはしない。
どうやら話せる状態じゃないみたいね。十中八九、迷子になったんだろう。……私と同じで。
出来れば関わりたくない。地底の妖怪、それも鬼を相手にするなんて考えられない。何か問題を起こしたらどうする? 鬼を敵に回したら、人生の終わりと言っても過言ではないわ。
……でも、放っておく事は出来ないんだよね。
「もしもーし、大丈夫?」
「…………」
とりあえず、この子を知ってる人を探さないといけないんだけれど、会話が出来ないとどうしようもないわ。
うーん、鬼に手を出すのは気が進まないけれど、アレをやるか。
「お嬢さん、私の目を見てね、ほら」
「……?」
潤んだどんぐり眼と私の赤眼の視線が交わる。そうそう、そのままそのまま。
ちょちょいと波長を長くして、っと。落ち着けー、落ち着けー……。
「よし、これで大丈夫かな。お名前は何て言うの?」
「……かえで」
「楓ちゃんね。買い物袋を持ってるし、おつかいの帰りかな?」
「うん。……帰ろうとしたら、お家の方向が分からなくなっちゃったの」
良かった、ちゃんと効いたみたい。波長を弄るのってやり過ぎたら相手の性格を捻じ曲げちゃうし、結構難しいのよ。それも小さい子が相手だと尚更ね。
ああ、今はそんな事よりも楓ちゃんを何とかしなきゃ。自分の事だけでも手一杯なんだけれど、見過ごす訳にはいかないし。
「そっか。私はここら辺には詳しくないから、楓ちゃんが知ってる道に出るまで一緒に行こっか。知り合いを探しながら、ね?」
「一緒にいてくれるの? ありがと、兎さん!」
さっきまでの涙はどこへやら。すっかり笑顔になった楓ちゃんを肩車して、帰り道を探しましょうか。
わざわざ肩車をする理由は簡単。この人混みを楓ちゃんが歩いたら、絶対に逸れてしまうでしょう? それに、知ってる人がいたらお互いに見つけやすいし。
さてと、当ても何もないし、適当に散策してみますか。出来るだけ大通りをメインにね。
「わぁ、高い高ーい!」
「こらこら、暴れないの」
「兎さんの耳、ふにゃふにゃしてて面白いね! 変なのー!」
「イタタタタ……そんなに引っ張らないで! 取れない、取れないからっ!!」
人混みを掻き分け、ふらりふらり。この耳のおかげでさっきから変な目で見られていたけれど、今は楓ちゃんを肩車しているから倍目立っている。それでも、一人で迷っている時よりは幾分か前向きな気持ちになった……かも?
「兎さんって、もしかして地上から来たの? 私、兎さんは絵本でしか見たことないの」
「地底に兎はいないのね。その通り、地上から来たのよ」
兎は月が見えないと生きていけないっててゐが言っていたけれど、あながち間違いじゃないのかもしれないわね。
自分の出身地は正確には月なんだけれど、これ以上テンション上げちゃうと大変なので省略。たとえ子どもでも鬼は鬼、現在進行形で耳を引っ張られていて千切られちゃいそう……。
「すごーい! 地上ってどんな感じなの?」
「そうねぇ……地底みたいな天井はないから、とっても広くて明るいわよ」
「わぁ、いいなぁ! お空って綺麗? 雲って触れる? 雷ってどんなの?」
「え、えーと………」
子どもならではの好奇心旺盛な質問攻め。自分が迷子って事を忘れてるんじゃないかしら? 泣かれるよりは良いんだけれど、元気すぎも問題ね。
「ねぇねぇ、何で兎さんは地底に来たの? 地上の人がここに来るのって、とっても珍しいってお母さんが言ってたよ」
「やっぱり珍しいのねぇ。お偉いさんに頼まれて、遥々お薬の配達に来たの」
はぁ……何だかんだでこんな場所まで来たけれど、ちゃんと帰れるのかしら。いや、そもそも地霊殿に辿り着けるのかしら。
薬箱の入ったリュックと楓ちゃんの重さが相まって、だんだん肩が痛くなってきたわ。帰ったらお師匠様のマッサージを受けたいなぁ。アレ、とっても気持ち良いのよ。それこそ、天国に昇っちゃいそうになるくらい。
「……兎さん、凄いね」
「ん? そんな事ないわよ?」
あれ、楓ちゃんが急に大人しくなった。というか、テンションダウン?
え、もしかしてまた泣いちゃう? 私何かしたっけ? 一人で勝手に夢想していたのが駄目だった?
「私、お家近いのに、怖くて泣いちゃって……でも兎さんはもっと遠い所から来てるのに………凄いね」
子どもは感受性が強いって言うけれど、ここまでとは。
何と言うか、楓ちゃんの言葉に釣られてか、こっちまで悲しくなってきたわ……。
「そ、そんな凄くないわよ。私だって、正直、泣いちゃうくらい怖いんだからっ!」
何か、変に気持ちが昂っちゃって、怒鳴るように言っちゃった。
弱気な楓ちゃんを怒りたいんじゃなくて、褒められて恥ずかしいとかじゃなくて……何だろう。
「兎さんも、怖いの?」
頭の上から降ってくる小さな声が、耳の中に響いているような、不思議な感覚。自分自身を狂わせた覚えなんてないのに。
「ええ勿論。知らない所にいるのは、不安で不安で仕様がないの」
「……私と一緒?」
「そう、一緒。お家に帰れなかったらどうしよう、早く帰りたいよ、ってずっと思っているわ」
「でも兎さん、そんな風に見えないよ」
自分でもよく分からない事を言っている気がする。でも、深く考えるより先に言葉が口を衝いて出てくる。どうしちゃったんだろう、自分。
「……そうね、帰る場所があるから頑張れるのよ」
「帰る場所?」
「そう、待っている人がいるでしょう? 楓ちゃんの家族も、元気に帰ってくるのを待っていると思うわ。だから、頑張りましょ?」
「……うん、頑張る!」
勢いだけで喋っちゃった気がするけれど、何故か気持ちが軽くなった、かも。
ちょっと頭がクラクラするけれど楓ちゃんも元気になったし、終わり良ければ全て良し?
「よし、じゃあ今度はあっちの方に行ってみま……」
「おぅい、楓ー。迷子になっていると聞いて探していたが、保護者がいるじゃないか」
やる気を出した途端、背後から大きな声が。大きいって言うか、辺りの物がビリビリ振動しちゃうレベルなんだけれど。
え、ねぇ、これってもしかして……。
「あ、ゆーぎねーさん!!」
お酒の入った盃、ジャラリと音をたてる短い鎖、そして特徴的な赤い一本角。橋姫さんが言ってた、睨まれたら最期の鬼の目……。
ああ、間違いない。噂に聞く山の四天王、星熊勇儀じゃないか!
楓ちゃんは肩から飛び降りて笑顔で手を振っているが、連れの鬼達がこっちを睨んできてて私は気が気じゃない。
「元気そうだなー、楓。迷子になって泣かなかったかい?」
「……! うん、泣いてないよ! ねーさんみたいな強い女になるんだもん。こんくらい、怖くないよ!」
「ははは、よく頑張ったなぁ楓。将来が楽しみだよ」
楓ちゃんの目が赤くなっているのに、勇儀はきっと気付いているだろう。鬼という種族は嘘吐きが大嫌いだと聞いた事があるが、全部が全部そういう訳ではないようだ。
……ちょっぴり安心、かも。
「ところで、お前さんは見ない顔だね。地上から来たのかい?」
「ひゅいっ!? は、はい、地霊殿へ用事があって、その、道に迷ってたら同じく迷子になった楓ちゃんと会って……」
「そうかいそうかい! 楓を世話してくれてありがとうな。……誰か暇な奴、楓を家に送ってやってくれ。西区の呉服屋のとこだ」
「では俺が行ってきやす」
「おう、任せたよ」
急に話しかけられて変な声出しちゃった……。でもバレてないみたい。大丈夫、大丈夫。落ち着け自分。
そんな私を尻目に、連れの鬼の一人が楓ちゃんを優しく抱っこする。失礼だけれど、厳つい顔に反して子どもには優しいのね。鬼だからと言って、警戒するのは改めるべきかしら。
「兎さん、ありがとう! またね!」
「どういたしまして。もう少し大きくなったら、地上に遊びに来てね」
ま、何はともあれ、これで楓ちゃんの事は一安心ね。
そうして残されたもう一人の迷子、鬼に囲まれた自分の状況を何とかしないと……。
「ところでお前さん、地上から来たって言っていたよね?」
「あ、はい、永遠亭の鈴仙・優曇華院・イナバっていいます」
「やけに長い名前だねぇ。知っているかもしれないが、私は星熊勇儀。昔は山で四天王とかやってたんだ」
存じておりますよ、ええ。
河童や天狗に恐れられる、最強の鬼って事を。
「せっかくここまで来たんだ、一緒に飲まないかい?」
「ええっと、ご免なさい、急ぎの用事があるので……」
本当は急ぎって訳じゃないんだけれどね。
さすがに鬼と酒盛りは危ないでしょ。命(または肝臓)が幾つあっても足りないわ。
「ああ、地霊殿に行くんだっけか。酒が駄目なら……うーん、じゃあ弾幕ごっこしよう! 最近は魔理沙としかやってないし、地上の他の奴とも手合わせしたかったんだ」
有無を言わさない目が私を捕らえる。急いでいると言ったのに、何故弾幕ごっこを挑まれるのか。酒盛りよりはマシな気はするけれど、できればやりたくない。
でもここで逃げたら地底中の鬼から目を付けられたりして、それはそれで身に危険が及びそうだ。嘘吐きと同じで、弱虫は嫌いらしいし。純粋な殴り合いとかじゃないんだし、受けて立つべきなのかしら。
……って言うか、魔理沙って勇儀と渡り合えるの!?
「スペルカードは三枚で、ちょっとでも被弾したら終わり。互いに避けきったら引き分け。これならすぐに終わるだろう?」
スペルカード三枚って、結構あるような……。
わざと被弾してさっさと地霊殿へ向かった方が良いと思うのだけれど、鬼が相手じゃ無理な話だ。手を抜いたとバレた途端、どうなることか。
ついでに道が分からないし。聞くなら今なんだろうけれど、弾幕ごっこをやらないと教えてくれなさそうだしなぁ。
「ああそれと、私はこの盃を持って戦うよ。中の酒を零したら私の負けっていうハンデさ。さぁ、やろう! 今すぐやろう!」
「ううう……やるしかないのね」
私のリュックを勇儀の連れに預け、旧都の上空へと飛ぶ。
ああ、眼下に野次馬が一杯集まってくる。そして目の前には語られる怪力乱神が仁王立ち。鬼に会った時点で分かってはいたけれど、私に逃げ場はないのね……。
「さぁ、全力でかかってきな!!」
勝てる気は全然しない。それでも一瞬で捻り潰されるぐらいなら、精一杯抵抗してやる!
「言われなくても本気でいきますよ!」
弾丸型の弾を正面に向かって大量にばら撒く。一発でも当ればいいのなら、質より量でしょ!
勢いよく飛んでいく私の弾を、お酒を飲みながら避けている様に見えるけれど……気のせい、気のせいっ! とにかく撃つんだ、自分!
「おいおい、それがお前さんの本気かい? せっかくの弾幕勝負、派手にやらなきゃつまんないよ! 鬼符、怪力乱神!!」
足元の旧都から歓声が起こると同時に、楔型の弾が四方八方へと蜘蛛の巣みたいに配置されていく。綺麗に並んだ弾幕に見えるけれど、よく見たら一つ一つの弾の向きがしっちゃかめっちゃかになってる!
これが一気に飛んできたらヤバい………って飛んできた!
「あぶっ、あぶっ……危なっ!」
「ほらほら、スペルカードを見せておくれよ!」
勇儀の弾が飛び交い、見る見るうちに視界を埋める。……このままだと被弾するのも時間の問題ね。
本気を出すと言った手前、すぐにやられる訳にはいかないわ!
「いきます! 狂視、狂視調律(イリュージョンシーカー)!!」
お望み通りスペルカード宣言をして、相手の弾を私の弾で掻き消す。
最強の鬼に通じるか分からないけれど、網の様に弾幕を展開して大きく動くのを封じてみる。私の力で弾の波長を狂わせ、あわよくば混乱しているうちに被弾……したら良いなぁ。
「おおっ、二日酔いみたいだ」
私が知ってる鬼は常に酔ってるんだけれど、彼女達に二日酔いとかあるのかしら。フラフラしているようでしっかり弾を避けてるし、盃からお酒を零しそうにないし……。
被弾する危機感自体を、お酒の肴として楽しんでいるみたいね。弾幕ごっことしてはそれで良いんだろうけれど、ちょっぴり複雑な気分。
「ブレてる時は当たらないのか。それにコレ、避けてると段々お前さんから離れていっちゃうんだねぇ」
むむむ……何だかんだで完全にバレちゃってる。初めて戦う人は大体これに被弾するのだけれど、前後不覚になる事を知らない百戦錬磨の鬼には簡単なんでしょうね……。
「中々面白い弾幕だけれど、次は私の番だ。光鬼、金剛螺旋!」
宣言と同時に、徐に勇儀が右手を翳す。さっきみたいな弾幕が展開されると思いきや、彼女の手から眩い光が現れ始める。
心なしか、周囲の温度が上がったような……。
「これに当たったら丸焼きになっちまうかもねぇ。今まで天狗にしか使わなかったから、速さの加減が出来るかどうか」
「あら、手加減してくれるのかしら。願ったり叶ったりだけれど、遊びに本気を出さないのは相手を侮辱するのと同じよ?」
「おお、確かにその通りだが、やけに強気だね。今日の晩飯は兎鍋になっても知らないよ」
「舐められたら誰だって怒るわよ。たとえ鬼が相手でもね」
あれよあれよと言う間に、光は巨大な蛇の様に体を伸ばしていく。
……ああ、予想が出来た。螺旋って言うぐらいだから、絶対回してくるわね、アレ。
勝ち負け関係なく、あの気の塊に轢かれるのは嫌だ。理由は簡単、絶対に軽傷で済みそうに無いから。あれに被弾したら服が少し破けるどころか、全身火傷になる運命が見えてるもの。兎鍋、断固反対。
「覚悟はいいかい? 本気でやるから、脱兎の勢いとやらを見せておくれよ!」
「ご心配なく。逃げ出さなくても、兎は俊敏な生き物ですからっ!」
蛇が鎌首をもたげる様に、光輝を放つ弾幕がゆっくりと動き始める。ぐるり、ぐるりと螺旋を描き、勢いを増していく。
正直、速さにはそこまで自信がない。それでも、ああ言ったんだ。いったん決意したからには、意地を通そうじゃないか。
「太陽に負けない程に輝く私の技を、篤とご覧あれ!」
私を目掛けて帯状の弾幕が振り回される。しつこく狙ってくる為、縄跳びの様に飛び越えて避ける事は叶わなそうだ。
つまり、弾幕に追いつかれないよう、自分も螺旋を描いて飛ぶしかない。逃げている様に見えるけれど、真面目に避けてるのよ。決して脱兎なんかじゃないんだから!
「おお、速い速い。兎を侮っちゃいけないんだねぇ」
相手は動いていないから攻撃のチャンス……かに思えたが、如何せん弾幕を撃つ余裕が無い。とりあえず今は飛び続けるしかないわね。
出来るだけ渦の内側を回るよう気を付けながら。それでいて、いつ勇儀が攻撃してきても避けれるよう少し距離を置きながら。
「ほぅら、スピード上げるよ。緩急がある方が退屈しなくて楽しいだろう?」
「確かにそうですけどっ……。避ける側からしたら、辛いだけですよっ!」
何時になったら振り回すのを止めるのだろう。ずっと続けられたら何れ失速して被弾しちゃうわ。たとえ人外でも体力に限界はあるもの。
「はあっ………はあっ……っ!」
「おや、段々息が荒くなってきたね」
全速力で回転を続けたから、何か気持ち悪くなってきた。決してこんな所で戻したりはしないんだけれど、精神的に不味い。いや、肉体的に、かも?
急に襲われたり、脅されたり、人混み歩き回ったり……体力の限界なんて、とっくに超えていたのかもしれない。
ああ、背後から段々と熱が伝わってくる。という事は、追いつかれそう?
「ふぅ、一休み一休み。もう少しで追いつきそうだったが、この技、あんまり長くは続けられないんでね」
……途切れた! 反撃をするなら今しかない!
「太陽はもう沈みなさい! 散符、真実の月(インビジブルフルムーン)!」
大量の弾丸型の弾が、美しい円の形を成す。何重にも重ねた弾幕の壁は、鬼を圧倒出来るだろうか。
……ああ、弱気になったら駄目だ。こんな時こそポジティブシンキングよ。さっきの技で相手も大分疲れているはず。ならば、一気に畳み掛けるしかない!
「ふるむーん? もしかして、月を模した技かね」
「喋ってる暇なんてないですよっ!」
波長を狂わせ、広がっていく弾を見えなくする。それだけでなく、丸弾を辺り一面にばら撒いていく。
狂気の満月の恐ろしさ、思い知れ!!
「こりゃあ凄い! 弾が完全に見えなくなるのかい!」
「笑っていられるのは今の内だけ。完全に狂ってしまっても知らないわよ!」
姿を消した弾の波長を戻す。急に目の前に現れた弾に勇儀は驚いた表情をするが、最強の鬼の名は伊達じゃない。
ほとんど隙間なんて無いのに、冷静に見極めて避けていく。
「さっきと同じ感じで、見えない間は当たらないのかい。分かってしまえばこっちのもんだね」
次々と弾幕を厚くしていくが、どれも結果は変わらない。
十八番の技をこうも簡単に攻略されちゃうのは、ちょっと悔しい。いや、とっても悔しい。格好の良い言葉を言った分、尚更の事。
「私の友人が月を砕いたって新聞で見たから、私もやってみたいと思っていたんだ!」
友人……きっと伊吹萃香の事よね。
確かあの烏天狗の新聞に載ってたっけ。盃に映った月を云々って。
それにしても、こんな場所にまで新聞を売りに来ているのね。天狗って上下関係的に鬼には会いたくなさそうだから、地底になんか来ないと思っていたわ。
……いや、違うか。鬼に無理やり持って来させられているのでしょうね。同情なんてしないけれど。
「何をボーっとしているんだい? 私の最後のスペル、一気にいくよ! 四天王奥義、三歩必殺! 一!」
一歩、勇儀が足を踏み出す。
空中にいるから踏む物なんて何も無い。しかし、彼女が地面に思い切り足を叩き付けたかの様に空間全てがビリビリと震え、観客達は悲鳴やら歓声やらを上げる。
何という力だ。その余りの覇気に、私の弾幕が全て掻き消されてしまった。……いとも容易く月が砕かれちゃった訳だけれど、泣き言を言っている暇は無いみたいね。
一歩を踏み出したと同時に、赤い米粒型の弾を彼女自身の周囲に展開したのだ。今のところ動く様子は無いが、何が起こるか分からないし少し離れておこう。
「二!」
もう一歩、勇儀が足を踏み出す。
あっと言う間に目の前まで弾幕が敷き詰められる。一歩目で展開された弾幕を覆い囲む様に、ピンク色の米粒型の弾が現れたようだ。結構な距離をとったのに、あと少し離れるのが遅れていたら飲み込まれていたかもしれない。
あれ、この流れだとここにいるのって不味いんじゃ? 絶対に三歩目で弾幕に飲み込まれるような……スペルカードの名前、三歩必殺だったし。かといって、今から急いで勇儀から離れても間に合わないだろう。
……じゃあ、どうすればいいのか。
「三!!」
最後の一歩、足を踏み出す勇儀の動きがやけに遅く見えた。
―――後ろに逃げ場が無いのなら、前に行くしかない!
目の前の弾幕の僅かな隙間に、勇気を出して飛び込む。
激しい音と共に、自分が先程まで居た所に一瞬で弾幕が現れる。隙間一つ許さない大玉が、恐ろしい程に密集している。
こんなに厚い弾幕、見た事がない! もし避けていなければ、丸焼きどころでは済まなかっただろう。……初見殺しもいいところだ。
「今のを避けるとは驚いた! でもこれで終わりだよ!!」
周囲の弾幕が勇儀から離れる様に崩れていく。
……不味い、三歩目を避ける事しか考えていなかった。もっと周りを見てから、次の攻撃を予測して隙間を探せばよかった。あ、予測した結果がこれか。
四方八方弾幕だらけ。広がってくる弾を避けるスペースなど無いに等しい。
つまり、被弾する運命からは免れない。
弾の壁に阻まれて、私の弾が通る事はないだろう。彼女自身の弾幕で盾を作り、私の攻撃を許さないのだ。つまり、反撃する余地なんて無い。
蟷螂の斧? 窮鼠猫を噛む? 私は兎だし、強者に抵抗する勇気なんて持ち合わせていない。鬼を相手に我ながらよく頑張った。もう十分だろう。
―――なんて、言う訳ないでしょ!
「幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)!!」
私の弾の位相をずらすことで、相手の弾幕と一切干渉しなくなる
……それはつまり、私の攻撃は何物にも止められないという事。
一時的に姿を眩ます、高速の弾丸を放つ。
狙いを定める余裕はない。少しでも当たれば、それでいいのだ。
カツンと音をたてて何かが地面に着くと同時に、沢山の弾丸が私の体に降り注いだ。
「天晴れ! お前さんが被弾する前に酒を零した私の負けだ!!」
「う、うう……う? え、私の、勝ち?」
「ああそうさ! いやぁ、地上の奴らは面白い弾幕を使うねぇ。良い酒の肴が出来たよ!」
嘘、信じられない。私が勝ったの? 山の四天王に?
思いっきり被弾したよね、私。服がボロボロになってるし。
何がなんだか分からなくて、膝が震えている。野次馬達が何やら囃し立てているが、頭が真っ白になってよく聞こえない。
「ほら、しゃきっとしなさいな。この後、地霊殿へ行くんだろう?」
「あ、ああ、そうでした。地霊殿って、何処にあるんでしょう……?」
私の言葉を受けて、勇儀のみならず周囲にいた観衆が噴出す様に笑い始める。
え、私、そんなに変な事言った?
「本当に迷子になってたんだねぇ。地霊殿は旧都の中心にあるんだよ。ほら、あのでっかい洋風の建物が見えるだろう?」
「あ、あんなに分かりやすい所に…………」
指差す方向を見ると、なんとも立派な建物がすぐそこに。
焦ると周りが見えなくなるとは、まさにこの事か。ああ、恥ずかしい!
「引き止めちまって悪かったね。機会があれば、今度は酒盛りでもしよう」
「あはははは……お手柔らかに頼みますね……」
預けていたリュックを背負いなおし、逃げる様にその場を離れる。恥ずかしさもあるけれど、これ以上鬼に絡まれたら堪らないでしょ!
身嗜みを整えて、鬼達の声援を背に受けながらいざ地霊殿へ!
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「ご免下さーい、永遠亭の者ですがー」
勇儀と別れた場所から歩いて三分、私は地霊殿の玄関にいた。旧都の中心にあると言っても、さっきまでとはまったく空気が違う。
呼び鈴を鳴らして間もなく、屋敷の中から足音が聞こえてきた。
「お待ちしておりました。この館の主の古明地さとりと言います」
「永遠亭から薬を届けに来ました、鈴仙・優曇華院・イナバです。本日は配達サービスをご利用頂き、真にありがとうございます」
控えめに扉が開いて出てきたのは、小柄な女性。
最近地上でも有名な、心を読む妖怪とは彼女―――さとりさんの事だろう。それと、橋姫さんの言っていた第三の目も、きっとこの方を指して言ったのだろう。そんなに恐ろしい妖怪には見えないけれど……。
「ああ、そんな畏まらなくても大丈夫ですよ。……その通り、心を読む覚妖怪です。それと、見た目で判断したら痛い目に遭いますよ? まぁ、私は酷い事なんてしませんが」
「わわわっ、何かご免なさいっ!」
「ふふふ、謝られたのは初めてです」
分かっていたけれど、吃驚した……。心を読むのは本当みたいね。という事は、今考えている事も全部お見通しなのかな? 一体どんな風に見えてるのだろう?
無心になるのだ、自分よ。無心、無心……一念無く、何も考えない…………。
「……。立ち話も何ですし、客室へ案内しますよ」
「あ、ありがとうございます」
うん、恥ずかしい! すっごい微妙な顔されちゃったよ! でも、悪い方じゃなさそうで安心したかも。物腰が柔らかそうだし、今まで会った地底の住民と比べて圧倒的に常識がありそうだもの。
とりあえず、立派な扉を開けていざ地霊殿の中へ。
「わぁ……凄い!」
高い天井を見れば大きなシャンデリア、床には高価そうな赤絨毯。赤や黒の綺麗なタイルの部分もあるわね。ついでに、灼熱地獄による自然の床暖房付き!
そして何より、いたる所に飾られた美しいステンドグラス! 永遠亭とは真逆の洋風の造り、幻想郷じゃ中々お目にかかれないわ。紅魔館とは違って、光を目一杯取り込む造りになっているのね。
「ペットの中に、ステンドグラス造りが好きな子がいましてね。それで、新しいペットが増えるたびに、その子をモチーフにしたステンドグラスを造る事にしているんです」
「記念になって良いですね、そういうの。何だか羨ましいです」
永遠亭には兎しかいないから、同じのばかりになっちゃいそう。
あれは猫かしら……あっちは烏? 猫屋敷ならぬ、動物屋敷って感じなのね。
「本当ならペット達に薬箱を取りに行かせたかったのですが、頭が弱い子ばかりなので薬について聞いても覚えられなさそうで……」
「あー、それは仕方ないですね。私の所も兎が山の様にいるんですが、殆ど餅つきしか出来ませんし」
出来ないと言うか、やらないだけだと思うけれど。なんであの子達、てゐの言う事は聞くんだか。百歩譲って仕事しないのは許せても、しょっちゅう悪戯して仕事を妨害するのは止めて欲しいわ。
「ふふ、お互い苦労していますね。私の所では、気付いたらペットがペットを拾ってくるので大変なんです」
「うわぁ、悪戯なんかよりそっちの方が凄いじゃないですか……」
談笑をしながら広い屋敷を歩き、やがて客室へと辿り着く。
何気なく歩いてみて思ったのだけれど、永遠亭にも絨毯を敷こうかしら。これ、ふかふかしててとっても気持ち良いわ。どの部屋も畳ばっかりだし、一部屋ぐらい洋室にしたら面白いかも?
「お疲れでしょうから、ゆっくりしていって下さいね」
「わ、ありがとうございます」
良い香りのする、温かい紅茶を頂く。普段は緑茶を飲んでいるけれど、偶には紅茶も良いわね。どこかのお嬢様になったみたいな、優雅な気分になっちゃう。
……って、すっかり仕事を忘れてるわ。何の為にここまで来たのやら。愚痴を言いに来たんじゃないのに。ああ、さとりさんが苦笑いをしてらっしゃる。
「ふふ……薬の説明ですか。じゃあお願いしますね」
永遠亭の名に恥じぬよう、頑張るんだから!
リュックから薬箱を取り出し、いざ尋常に!
「はい! では始めに、この薬についてですね。これは……」
「……に使うようにして下さい。以上で説明は終わりですが、何か分からない事や質問はありますか?」
一通りの説明を終えて、さとりさんの顔色を窺う。今回は上手く説明出来たはず……ああ、一見ポーカーフェイスな様に見えるけれど、眉間に皺が。
「ふむ、やはりペットに任せないで正解でした。難解な単語が多くて多くて」
「う……やっぱりそうですか。同じ事を他の方にも言われたんですよ……」
慧音さんの所で色々と学んだつもりなのだけれど、まだまだ駄目かぁ……。自分なりに分かり易くしたんだけれどなぁ。もっと言葉の勉強をしないといけないみたいね。
「ああ、そんなに落ち込まないで下さい。心の中で薬の使い方とかをイメージしてくれたので、私にはとても分かり易かったですよ」
「さいですか……じゃあ、しっかり言葉に出来るよう頑張らないとですね」
何はともあれ、薬箱は無事に渡す事が出来たのでお仕事終了!
でも家に帰るまでが何とやら。また危険が一杯の地底を飛ぶのだ。
あ、今なら間欠泉センターの方から帰れるかな?
「間欠泉センターですか。実験と言う名の花火大会で、今日一日は通行禁止だそうですよ」
「は、花火大会?」
「私のペットの力を使って、河童達が企画したそうです。そのおかげで、ペット全員が花火を見に行ってしまいましてね。館の中、とっても静かでしょう?」
ああ、確かに。沢山ステンドグラスがあるからペットが一杯いると思ったのに、不気味なほど物音一つしない。まぁ、そのお陰で集中して説明出来たけれど。
「じゃあ、縦穴の方から帰るしかないんですね……とほほ」
「……何やら迷子になるトラウマが見えたので、旧都の地図を渡しておきますね」
旧都について細かく書かれた地図を受け取り、客室を出て玄関へ。
……本来ならここで何事も無く別れるのだろうけれど、どうしても気になる事が一つ。もう読まれているのかもしれないけれど、一応口に出して聞いてみる。
「さとりさんは、花火を見に行かないんですか?」
一瞬、彼女の表情が暗くなった気がした。やっぱり聞いちゃ不味い事だったのかな。どうしよう、せっかく良い感じにお話できたのに。
……それでも気になってしまう。ペット達が見に行っているのに、さとりさんは出掛ける様子すらないのは何故なのか。一日中やっているのなら、今から行っても間に合うはずなのに。
「あまりこういう事は言いたくないのですが、私は嫌われ者の妖怪なのです。心を読まれるなんて、気持ちいいものじゃないでしょう? だから、私は見に行きません」
「……危険な能力を持っている人なんて、ここには一杯いますよ。炎を操るとか、毒を操るとか、挙句の果てには死を操るとか。一歩間違えれば簡単に死んじゃう能力ばかり。それに比べて、心を読むなんて可愛い方じゃないですか」
勢いに任せて言っちゃったけれど、ちょっと失礼だったかな。覚妖怪を馬鹿にしたいんじゃなくて、えっと、その……。
とりあえず、そんな理由でせっかくの楽しいイベントをふいにするなんて、もったいないですよ! 幻想郷は全てを受け入れる場所って聞いた事ありますし!
「同じ事を、ペットの猫にも言われました」
「じゃあ、何で……」
「私は、“おかえり”を言う為にここに残るのです」
その言葉を聞くと同時に、さとりさんの目に悲しみの色が過ぎったような気がした。
「ペット……いえ、家族が帰ってきたら、温かく迎え入れてあげたいのです。家に帰って誰もいないのは、それはそれは寂しいでしょう?」
そんなの、詭弁にしか聞こえない。
嫌われているから行かない? おかえりを言う為に行かない?
今までの話を聞いていて、少なくともペット達には好かれているはず。家に一人でいるより、皆で出掛ける方がペット達は喜ぶはず。
そして何より、さとりさんはペットの事が、家族の事が大好きなはず!
そんな事、分かりきっている。分かっているはずなのに……。
何で花火を見に行かないのか、何でそんなに悲しそうなのか、私にはよく分からない。
それはきっと、私には手の出しようが無い事なのだろう。
「……そう、ですか。何か、すみません、変な事を聞いちゃって」
「いえ、お気になさらず。今日はありがとうございました」
重くなった空気を払う様に、さとりさんがニコリと笑う。
きっとこれ以上踏み込むのは良くないだろう。家庭の事情に首を突っ込むのは良い事ないってお師匠様が言っていたもの。
ああ、悪い事しちゃったな。次はこんな風にならないよう気を付けなきゃ。感情的になって相手を傷付けるなんて最悪だもの。
表情を崩さないさとりさんに見送られ、私は地霊殿を後にした。
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さとりさんから貰った地図を片手に、旧都を散策してみる。さっきみたいに鬼に捕まったら嫌だから、人の多い大通りは避けて裏道を中心にね。
早く帰りたいとは思うけれど、せっかく地底に来たんだから何かお土産を買っていかなきゃ損よね! 灼熱地獄の温泉卵に、鬼の作った地酒……手元に残るような物が良いのだけれど、見事に食べ物ばかり。
うーん、姫様は丸い物が好きだし、定番の温泉卵でいいかしら。でも在り来たりよねぇ。
「兎さん、もう帰っちゃうの?」
「はにゃっ!?」
「あら、変な声出しちゃって。面白い兎さんね」
可愛らしい声のする方を向くと、そこには小柄な少女がいた。やけに笑顔で私を見ているけれど、初対面、よね?
ああ、そんな事は大した問題じゃないみたい。旧都だから鬼が話しかけてきたのかと思ったのだけれど、この妖怪は……。
「貴女は、覚妖怪?」
「その通り、覚妖怪の古明地こいしよ。さっきはお姉ちゃんがお世話になったみたいね」
お姉ちゃん、という事はさとりさんの妹なのだろう。お姉さんとは違って、瞳が閉じている第三の目が胸元に浮いている。
突如現れた不思議な少女、こいしちゃんは帽子を脱いでペコリとお辞儀。幻想郷にこんな礼儀正しい子がいたのね……。
「お姉ちゃんと違って、心は読めないから安心して。代わりに無意識を操れるようになっちゃったけれど」
「む、無意識?」
「そう、無意識。兎さんの事をずっと、ずーっと見てたのよ? 永遠亭を出た辺りから付いていってたんだけれど、全然気付かなかったでしょ。無意識に潜む、これが私の力よ」
今まで桁外れな能力を見てきたつもりだったけれど、まだまだ予想外な力を持っている妖怪がいるのね。心を読むっていう分かり易い能力より、そういう意味不明な能力の方が恐ろしく感じるわね。
「嘘、でしょ? 嘘じゃなきゃ、恥ずかしさで死んじゃいそうだわ……」
「こんな変な嘘を吐いて、私に何の得があるのかしら? それに、嘘を吐くのは人間だけよ。いくつか証拠を挙げよっか?」
ウンウン唸りながら指を顎に当て、目はどこか上の方を泳いでいる。いやいやいや、そんなあからさまに昔の事を思い出してます的なポーズをとらなくていいから!
……って言うか、付いてきたのが本当なら、それって立派なストーカーじゃ? 幻想郷にいる警察は兎だとか、姫だとか聞いた事あるけれど、うちの姫様は関係ないだろうし……どうしましょ。ストーカー被害に遭ったのはきっと初めてだわ。
「えぇーっと、蜘蛛の巣を切ってあげたり、迷子が大変そうだったから勇儀を呼んできたり」
「え、じゃあ、もしも貴女が付いてきていなかったら今頃私は……」
考えるだけで恐ろしい目に遭っていたかも? 何だかこいしちゃんの事がストーカーって言うよりも、守護神みたいに思えてきたわ……。
「あぁ、あと兎さんの無意識の思いを突っついたりしたわ」
「そ、そんな事も出来るの? 正直、ピンとこないのだけれど」
無意識の思い? 無意識って一切考えがないって事じゃないのかしら。それなのに思いとは、これ如何に。うーん、お師匠様ならすぐに分かるんだろうなぁ。意識とか、無意識とか、そういった心理的なのは波長を操るから得意だと思ってたんだけれどねぇ。
「そう言えば、珍しく優しかった橋姫さんは私に気付いてたかも。当てずっぽうなのかもしれないけれどね」
確かに、もう付き纏われている的な事を言ってた気がする。地底慣れしていない私には全然分からなかったわ。
むしろ、胡散臭い脅しにしか思えなかったっていう……。明日、恐怖の大魔王が降りてきて世界が滅びますよ、みたいな感じの。
「うぅ、貴女がこっそり付いてきたのは分かったわ。こうして出てきて話しかけてくるって事は、何かお話があるんでしょ?」
「……あらあら、兎さんったら意外と鋭いのね」
何か一瞬、寒気がしたような?
地上とは環境が大分違うし、風邪引いちゃったかなぁ。帰ったらしっかり休まないとね。明日の仕事に支障が出たら大変だもの。
「あのね、お姉ちゃんからペットを貰ってばかりだったから、自分で捕まえてくれば笑顔で褒めてくれるかなぁって」
ペット? 知らない内にどんどん増えちゃって、さとりさん困っていたような……って、え? 自分で捕まえる? ペットを?
もしかして……いや、もしかしなくても私、狙われてる!?
「兎さんって地底にはいないのよ。だから、ね? いいでしょ?」
いいでしょ、って……こっちは何一つよくないわよ!
こいしちゃんは相変わらず笑っているけれど、気付けば彼女からは私を逃がさないと言わんばかりに妖気が溢れ出している。下手したら、そこらの鬼よりも力があるんじゃないの……?
「ペットが増えるたびに、ステンドグラスを造っているの。兎さんにはとびっきり素敵なのをあげるわ」
そんな物いらない。貰ったって嬉しくも何ともないわ!
一歩、また一歩と近付いてくるこいしちゃんから逃げようとしても、体が固まってしまって動かない。いや、動けない!
「毎日しっかりお世話してあげるからさ」
私の事を人形か何かだとでも思っているのだろうか。
お世話なんてしなくていい。私は意思を持った一人の妖怪、いや玉兎だ。
「私のペットに―――」
私は、私は……!
「私の事を見ていたのなら、聞いていたでしょ? 私には、帰る場所があるの。待っている人がいるの。だから、貴女に連れて行かれるなんて、絶対お断りよ!!」
私の怒声が旧都に響くと同時に、張り詰めていた妖気が一瞬で治まる。
こいしちゃんはぽかんとした表情のまま数回瞬きをし、やがてゆっくりと俯いて息を吐いた。
「……そうね、脅かしちゃってご免なさい」
とりあえず、助かったみたい。彼女が常識のある妖怪で……いや、執念深くなくてよかった。
勢いを失ったこいしちゃんは、何だか寂しそうな顔をして肩を竦めている。何故か罪悪感があるんだけれど、こっちは命がけだったのだから問題無い、よね……?
「私じゃ、お姉ちゃんを笑顔に出来ないみたいね」
「さとりさんの、笑顔?」
「そう、笑顔。どうすれば笑ってくれるか考え続けて、やっと行動に移したけれど……」
そう言えば、私を捕まえてさとりさんに笑顔で褒められたいとか言っていたわね。明らかに苦笑いされて終わるのが予想出来るけれど。
まぁそこは置いといて、確かにさとりさんの笑った顔って寂しそうだったり愛想笑いみたいだったりで……心からの笑顔って感じじゃないのよねぇ。
「嫌われる事はない。でも、好かれる事もない私には、無理なのかもしれないわ」
ああ、何となく分かった。
もしそうだとしたら、さとりさんのあの表情は、言葉は……きっと! 彼女の悲しみの種は……いや、さとりさんを幸せに出来るのはこいしちゃんだけかもしれない!
「……じゃあね、兎さん」
「ちょ、ちょっと待って! 貴女……私に付いてきたって言ってたけれど、地霊殿の中まではきていないでしょ?」
「…………」
吃驚した表情のまま、だんまり。つまり図星という事だろう。今までの話し振りからの予想だけれど、見事的中したみたいね。
お互いに大切だと思っているのに、すれ違っている。こいしちゃんは何か訳ありのようだし、恐らく上手くコミュニケーションが取れていないのだろう。
家庭の事情に首を突っ込むのは良くないと言われても、私の手助けで何とかなるのなら……!
「貴女のお姉さん、ずっと待っていたわ。大切な家族が帰ってくるのを」
「そんなの、嘘よ。嘘っぱちに違いないわ。お姉ちゃんがそんな事するわけないもの」
「あら、嘘を吐くのは人間だけじゃないのかしら?」
またまただんまり。
力のある妖怪とは言え、見た目通りまだ子どもらしいところがあるようだ。何と言うか、力だけが成長していて心は幼い頃のまま、みたいな。
「お姉さんの、笑顔を見たいのでしょう?」
「……うん」
帽子を深く被っているから表情は見えないが、小さな声で弱々しい返事が聞こえた。
相当自信が無いのが伝わってくる。心を読めない覚妖怪だからこそ、人一倍こういった事に不安になるのだろう。
「もう分かるわよね? お姉さんを笑顔にする、何よりも簡単な方法が」
私の言葉を聞いて、地面へ向いていたこいしちゃんの顔が上を向く。旧都で出会った楓ちゃんとそっくりの、心配げなどんぐり眼と目が合う。
彼女に足りないのは、ほんのちょっとの勇気なのかもしれない。それなら、あとは背中を押してあげればいいだけだ。
「貴女なら大丈夫よ。お姉さんの事が、大好きなんでしょう?」
「……うん、大好き。とっても、とーっても大好き」
彼女の瞳に涙ではない輝きが灯る。
瞳の輝きは心を開いている事を示すってお師匠様が言っていた。きっと、今のこいしちゃんなら大丈夫だろう。さとりさんを笑顔に出来るはずだ。
「帰ったら、大きな声で“ただいま”を言うのよ」
「……私、大切な用事を思い出したから帰るね! またね、兎さん!」
気合を入れるかの様に帽子を被りなおし、こいしちゃんが地霊殿の方角へと走り出す。
……ああ、忘れるところだった。道中で私を助けてくれた、せめてものお礼の気持ちを込めてアレを教えないと!
「間欠泉センターの花火大会に誘ってみなさいねー!」
小さくなっていく後姿に声をかける。こいしちゃんが振り返ることは無かったが、走りながら手を振ってくれたのでちゃんと聞こえていただろう。
二人の覚妖怪が笑いあえるよう願いを込め、彼女の姿が見えなくなるまで見送った。
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・・・・・・・・・・・
こいしちゃんと別れて、旧都の外へ向かう。太陽が見えないので正確な時間は分からないが、きっともう夜が降りてくる頃だろう。
お師匠様達にあまり心配はかけたくないので、急いで帰らなきゃ!
「おーい、さっきの兎じゃないか! 用事が済んだのなら、こっちで一緒に飲もう!!」
了
なんとなく「もしもうどんげが地霊殿に出演したら」みたいなイメージでしたね。