■第5話
■第4話
■第3話
■第2話
■第1話
――――私はずっと、貴女達を聞いていた。
古いものが色鮮やかによみがえり、楽しげに暮らす不思議な不思議なこの世界で。
たくさんのざわめきに囲まれながら、静かに暮らす貴方たちを聞いていた。
私達とよく似た匂いのする、貴女達を。
直接話したことはなかったし、触れられたこともない。
それは望んでいたことでもないし、思いつきさえしなかったこと。
ただ楽しげに暮らす貴方達のざわめきを聞きながら、静かに眠っているだけでよかった。
もう二度と離ればなれになることもなくなった“彼女”と、永遠に。
静かで暗い、この空間で。
だけど、あの日、あの時。私のうたた寝が覚まされたとき。
貴方の声を聞いたとき。あなたの言葉を聞いたとき。にぎやかなざわめきに包まれたとき。
私は、思ってはいけないことを思いついてしまった。
やってはいけないことを、やろうと思ってしまった。
古い言霊が理屈をひっくり返すことができる、美しくて残酷な幻の世界に居ると言う幸せ。
眠る沢山の夢の中から、私がざわめきの中に選ばれた幸運。
そのざわめきの中に、貴女達が居ると言う、偶然。
それはきっと、もう二度とないことだから。
――――だから。私は貴女達に呪いをかけた。
さあ、夢を見ましょう。この子と、私の、夢を。
見せてあげましょう。私達の本当の“姿”を。
沢山のざわめきと一緒に。
虜にしたい訳ではない。
ただ、見てほしいだけ。あなた達に。そして、見たいだけ。私達が。
こことは違う何処かの世界で、私達がたどり着けなかった、成し遂げられなかった、幸せな結末を見てほしいだけ !
‥‥私達とよく似た匂いのする、貴女達に。
*****************
夕暮れの赤い空の下。両側から森が迫る、湯煙ただよう小さな谷の村の、にぎやかな商店街で。
私はしつこくしつこくしつこく付きまとわれていた。
「はいいらっしゃい。どうです猟師のお姉さん!今日“獲れ”たての甘いカブ!今晩お鍋でシチューなど!」
「‥‥」
「カブお嫌い?お嫌いか!ならばこれです真っ赤な人参!こいつだったらきっとお財布の紐に厳しいお姉さんも合格だしちゃう!あなたの心も射止めちゃう!」
「‥‥」
「人参お嫌い?じゃあとっておきの秘密兵器だこのかぼちゃ!蒸したらホクホク、スープでも行けるよ!どう?どう?」
「‥‥ねえ」
「ん?」
「ここらへんじゃ熊背負ってる女の子にほのぼのと野菜を張りきりセールスするのが伝統文化なのかしら?」
「んん?」
私に質問された、白髪ポニーテールにエプロン姿の女‥‥の子は首をかしげて不思議そうな顔をしていた。うん‥‥女の子、女の子だ、匂いは。男の子みたいな喋り方してるけど。
彼女はとても商売熱心に野菜を勧めてきた。獲物の血で顔を汚した、狩人の恰好をした少女が二人、よたこらと汗だくで、木の棒に両手足を括り付けた熊を担いで通りを進んでいくという、重量級でワイルドな光景と、それに目を剥く村人たちを気にする様子もなく。‥‥少女達とは、すなわち私とハタテの事であり。
彼女は私の質問にちょっとの間首をかしげていたが、やがて何かに納得したらしく、おお!と手を叩くと、満面の笑みを浮かべて、人差し指を立てた。
「これは失礼!どこぞの先生でしたか!それとも、学生か?いやはや、伝統文化とは、私はとんと無学でして、そういう話はよく知らない!しかしお若いのに大したものだ!そんな貴女にはサービスしちゃうよ!カブに人参、カボチャも付けちゃう!これで明日の英気をたっっぷリ養っていただきたいッ!」
「だーっ!」
ずっこける私達と見物人をよそに、盛大なる勘違いをしたままいきいきと、彼女は再度野菜セールスを始めたのだった。元気はつらつと。‥‥平和な役もらったわね。仙人様。
「さあ!おねえさん!私は頭にカボチャ、右手に人参左はカブだ!そろそろ腕が痺れて首が痛い!大変なんです買いませんかねえお願い」
手足プルプルさせて重たい野菜を勧めてくる様子は非常にうっとおしくて、でも健気でかわいらしくて。
「さあお姉さん!どうですか!おいしいよ!」
でも、そろそろ黙らないと、齧っちゃうからねー。
「カボチャ!人参!カブ!さあさあさあ!」
わあー、おいしそうなふとももー‥‥
「――ぐるる」
「ひぃっ!?」
「おねーさま。ヨダレヨダレ」
*****************
「んんんんー!」
宿屋の一室で。二段ベッドの上段にいち早く陣取ったハタテは、手足をばーっと投げ出して、気持ちよさそうに伸びをした。おやつ代わりの人参を咥えてポリポリ齧りながら。
今晩のお宿は、さっきの八百屋のある商店街から路地一本裏に入ったところにある、小ぢんまりとして居心地良い雰囲気な、旅人向けのそこそこキレイな宿。周りにはぎっしりと家やお店が立ち並び、私に幻想郷の人里を思い出させた。
この村は、結構な山の中にあった。こんもりと木が茂った山肌と、真ん中に挟まれるように流れる川のまわりに、みっちりと詰め込まれるようにして栄えた村。山を越えて首都に向かう街道の宿場町。村全体の住人の数はそれほど多くないけど、場所が狭いところにまとまって人が住んでいるので人口密度が結構高い、にぎやかなところだ。
そして、ここは温泉地でもあった。街のあちこちからは湯けむりが立ち上り、温泉独特の湯の匂いが村に漂っている。塩辛く鉱物油クサいお湯が体を芯から暖めてくれると評判で、このお湯を求めて訪れる旅人も結構いるらしい。今日の宿は、そんな旅人向けの宿の一つ。
「あああああー、あー重たかったー!」
「さすがに、あれはね‥‥ああー、足が」
下段のベッドに寝そべりながら、私はふくらはぎを叩く。長距離を歩いた上に重たい獲物を運んできたために、足がパンパン。
今回の目的は買い出しだけど、買い物は明日することにして、今日は宿で休息にすることにした私達である。もう夜になるし。
ちなみに、あの村での戦いから一週間。今日は満月だ。おかげで夜も非常に明るい。夜道の事も考えて買い出しの遠出の日程も決められているらしい。
道中で私達が仕留めた獲物は、鹿と、なんと熊だった。立ち上がれば私くらいの背丈の。村にこれを持って入る時、周り中から好奇の目を向けられて非常に居心地が悪かった。ハタテは目立っちゃダメとか云々言っていたけど、結局私達は存分に目立っちゃったのだ。狼だとは、ばれていない様だけども。
二匹も獲物をとった私達だけど村に持ってきた獲物は熊だけ。事の顛末はこうである。
村への道のりの途中、ハタテの言う好い狩場に差し掛かった私達は、狩りをするべく森の中に入った。数刻もたたないうちに私達はおっきな雌鹿を見つけ、ハタテはクロスボウの一発で見事仕留めて見せた。ここまでは非常にあっさり事が進んだ。
で、いそいそと獲物を回収しに行ったときに出くわしたのが、灰色の若い雄熊。どうも、彼もこの鹿を狙っていたらしく、にらみ合い、唸り合いの後、私達と熊は鹿を巡って格闘戦を繰り広げることになったのだ。
なんでまた格闘したかといえば、人狼のしきたりというか信仰のせい。ハタテ曰く、「熊は森の女神さまの使い。勝負するときは敬意を示して素手か手持ちの武器で。飛び道具禁止」だ、そうで。
一応、無駄な戦いをしないために、“女神の神使“である熊と戦いそうになった時には必ず説得をして、なるべく戦いを避けるというのも人狼のしきたりとしてあるそうなのだが、彼はまだ若く、こちらの言うことに耳を貸さなかった。人狼と熊の言葉はお互いなんとなく通じるらしい。彼の言葉は、私の耳にもなんとなく意味を持って届いた。必要以上に興奮していた彼は、「雌!」とか吠えていたので、人狼の雌二匹をみて興奮していたのかもしれない。‥‥そうなればますます仕留めなければならないわけで。私は熊と結婚したくない。
そんなこんなで、ハタテのクロスボウを封印して、私達は興奮状態の熊と戦った。頼りになるのは私の短剣と、ハタテがそこら辺から拾ってくる石だの丸太だの切り株だの。
いつもだったら時間止めてナイフ投げて一発、なんだけども、すばやく動きにくい村娘の恰好は結構なハンデになった。動きが早く腕力がある熊はあの黒ずくめたちより厄介で。スカートの裾をふんづけて私が転んでいる間にハタテがクマにのしかかられるという、あわやという場面もあったが、結局そこでハタテが決死のサバ折りを熊に敢行。苦しさに慌てふためき、ハタテを齧ることも忘れて暴れる熊の脳天に私の短剣が突き刺さり、何とか私達は彼を仕留めることができた。
‥‥腕力だけで熊に「ベアバッグ」かけて悶絶させるとか、ハタテの非常識極まりない行動に私は一瞬目をこすったけど。弓使いの腕力がすごいのか、人狼がすごいのか。
その壮絶な格闘戦の結果、村娘の衣装は土と木の葉と熊の血でドロドロになってしまった。着替えてから狩りをするべきだったといえばそうだけど、もともと山歩きに向いた格好だったし、まさか熊と格闘するとも思わなくて。
結局、仕留めた鹿と熊を、切り倒した細い杉の木に括り付け、私達は森を出て村への道に戻った。二頭の獲物はまさしく想定外。人狼の腕力でも、道に戻るだけでへとへとになった。‥‥必要以上に獲物をとらないというのは古今東西の猟師の常識だけど、今回はそれに則ることができなかった。どちらも結構なサイズと重量。二つも獲物を持っていくのは無理。おいて行くのも獲物に敬意を払うべしという人狼の信仰の問題でムリ。どうしようかと悩んでいた私達だったが、運よくとおりすがった荷馬車に鹿と熊を乗せてもらうことができた。
もこもこの毛皮を羽織ったそれこそクマみたいな、御者の人間のおじさんは、森から本物の熊を担いで出てきた女の子二人にえらいびっくりしていたが、彼も猟師であるらしく、デカい獲物に興奮して驚きながらもすごいすごいと自分の事のように喜び、私達を褒めてくれた。
若い娘がクマを抱えて森から出てくるとか、普通に考えたらおかしな光景だ。しかしおじさんは何ら不思議がるそぶりは見せなかった。人狼やその他人外がこの世界でも一般的ではある様子なのに、私達が化けものだっていう可能性は考えないのだろうかとその時は疑問に思った私だけど、最後にその謎は解けることになる。
ひとしきり私達を褒めたおじさんは、そんな獲物を持っていくのは大変だろうと、嫌がるそぶりも見せずに荷台の荷物を押してスキマを空けてくれた。彼の目的地は私達の目的地の村よりさらに遠くの村ということで、荷馬車に乗れるのは村の手前の分かれ道までではあったけど、重たい荷物を運んでくれたのはかなり助かった。平たい荷台に低めの幌を付けた荷馬車で獲物と一緒に揺られながら、私達はしばしの休息と、着替えの時間を手に入れられたのである。村娘の衣装は汚れちゃったので、ワンピースを脱ぎ、エプロンを外し、一緒に持ってきていた狩猟用の皮のベストを着込んで、私達は狩人装束に着替えたのだ。これなら熊を担いで行っても村娘の恰好よりはインパクトないだろうということで。ハタテは「おしゃれできない」と、つまんなそうにブツブツ言っていたがしょうがない。血濡れの村娘の衣装なんかで人ごみの中へ入って行ったらどんな騒ぎになるかは目に見えている。
お互いの目的地が分かれる道の交差点。荷台から降りてきたときには今度は狩人の恰好になっていた私達を見ておじさんはまたも驚いていたけど、気を付けて行けよなと言って、干し肉をくれた。さらに、二つも抱えていくのは重いだろうといって、鹿を買ってくれたのである。ハタテはおじさんから握らされた銀貨の枚数を数えてちょっと驚いていた。どうも、とてもいい値段で買ってくれた様子なのだ。彼は。
どうしてこんなに良くしてくれるのかわからず、ただひたすらお礼を言う私達だったが、その理由は別れ際に分かった。分かれ道の向こう側に馬車で去りながら、おじさんはこう叫んだのである。「お気をつけて!狼様!」と。‥‥結局、あのおじさんにはばれていたのだ。私達が狼だってことは。
「山の方に行けば私達を崇めてる人たちもいるって聞くんですけど、会ったのは初めて」と、ハタテがぽつりとつぶやいていた。わざわざ変装して買い出しに来ているように、色々人間からは恐れられている様子の人狼だが、ところ変わればなんとやら、そのあたり、送り狼とか狼信仰とか、どこかの東の国とよく似た立ち位置で畏れられているようだ。ハタテ曰く、一部の猟師の間では「人狼様の狩りに出会うと縁起がいい」という正体不明のゲン担ぎまであるらしい。多分、おじさんはそれで喜んだのだろう。
と、言うわけで。私達は熊を獲物としてしとめて持ち込んだのだ。村では熊はいい値段で売れ、そこそこ綺麗な宿に泊まれるくらいの収入になり、私達はこうして柔らかいベッドに寝転がることができたのである。
回想終わり。
「あー、肩こった」
「わたしもですー」
熊を括り付けた木の棒を担いできた肩の筋肉をもみほぐす。スプーンより重たいもの持ったことがないなんて言うつもりはないけれど、普段やり慣れてない重量級の仕事をするとやっぱり疲れる。
ああ、柔らかいベッドが気持ちいい。これは村の私の部屋のベッドとは違う。ハタテもそう感じているらしい。上のベッドから気持ちよさそうなつぶやきが聞こえてきた。
「あー、やっぱり観光客向けの宿は違うなー。ベッドも柔らかいしー」
「確かに、なんか上等な感じ」
私はハタテに同意する。ベッドの柔らかさをハタテが論じているように、いつもはもっと安い木賃宿だそうで。実際値段はそうそう変わらないらしいんだけども。二段ベッドで一部屋に二人押し込められている時点で、程度の差は推して知るべしである。
それでも、ベッドはやらかいし、それにぼろ宿にはない設備がここにはある訳で。
「あとで温泉入りましょうね。ここの村のお湯、私好きなんですよねえ。で、ここの宿のお風呂は温泉なんですよ。外行かなくても温泉入れるんですよっ♪」
ベッドの上からひょこりとハタテの頭が飛び出し、私にキラキラした目を向けてきた。
そう、このお宿、温泉に入れるのである。
うきうきとした様子のハタテに、私は「でもね」と口を開く。
「でもねー。狼なんだけど、私達。人間はどうするの。尻尾とか、耳とか、見られたらまずいんじゃない?」
「それは、大丈夫。夜中に入るんですよ。見られませんて」
「ふむ‥‥」
正体ばれは怖いけど、温泉、いや、お風呂は大変魅力的。ちょっとごわつく髪を撫でながら、笑いかけるハタテに「良いわね」とつぶやく。人狼の村に来てからというもの、私は一回もお風呂を使っていないのだ。寝る前にぬるま湯で体をぬぐうのが、人狼流のお風呂。髪は何日かおきに川で洗う。最初は戸惑ったけど、いざそうやって暮らしてみると、数日で慣れてしまっている私が居て。お風呂に入らないというのは、まず水は大事に使うものであって湯船はぜいたく品であるという村の風潮と、あまりお湯やせっけんで体を流してきれいにしすぎると、鼻がバカになって来ちゃうという種族的な問題の両方がある。‥‥だからと言って清潔にしてないと、私達はそれこそ雨に濡れたわんこみたいな匂いがし始めてそれはそれで鼻に影響がでるので、ギリギリのところで何とかしているんだけども。
美鈴はといえば何日かに一回、川で水浴びである。彼女も紅魔館では毎日お風呂に入っていたのだが、どうも美鈴はそこら辺も気にしてない様子。‥‥もともとこういう生活してたんじゃなかろうかと勘繰りたくなるくらいに。
ちなみに、龍になった美鈴は毎日塔の天辺で日向ぼっこしているため、彼女のたてがみは干した布団のようにフカフカで、良い匂いがする。
「さて、まずはご飯食べましょ。‥‥私は“しばらくぶり”だし。ハタテはその口ぶりだと最近この村に来てたみたいだし、案内、おねがいね」
「まかされまして」
空腹を訴え始めた体に応え、ハタテに出かけようと誘う。この村の様子は、私は当然知らない。適当にしばらくぶりと言ってごまかして、ハタテに案内を頼む。彼女は嬉しそうに応えて、上段からごそごそと降りてきた。姿見の前でバンダナをかぶりなおして狼の耳が出ていないかチェックしている。
「ご飯ならいいとこあるんですよー。最近できた美味しい食堂があるんです。モツを出してくれるんで、わたし大好きなんだ」
「へえ」
ニコリと笑いながら、くるっとこちらを振り向くハタテ。普段は短いツインテールを結んでいるけど、バンダナを巻くためにほどいている彼女の髪が、振る舞いに合わせてふわりとなびく。とても可愛い。しかし彼女は狼。笑顔と仕草はとっても女の子だけど、肉食。暗闇で敵の頭を百発百中で射抜き、野生の熊にサバ折りかまして悶絶させるアマゾネスな女の子である。まあ、元のはたても鴉天狗だし。肉好きらしいし。違和感ない、かな。これくらいはやりそうな気がする。
「さあ!いきましょうか、おねーさま」
「んぐ」
戸惑う私を気にせずに、しなやかに腕をからめてくるハタテ。‥‥こればっかりは、違和感の塊だけれども。
****************
「あー、おいしかったー!」
「うん。お肉美味しかった」
「安いし、村のみんなもここに来ると最近は必ずあそこのお店に行くんですよ」
すっかり暗くなった村の路地を、私達は体中から肉の匂いをさせながら歩いていた。会話のお題は、さっき夕飯を取ったモツ料理のお店。
村の一角。食堂が集まっている区画に、ハタテお勧めのその店はあった。みためはごくふつーの二階建ての食堂である。一回が食堂。二階が店主家族の住居だ。
外見は新しいだけあって綺麗だけど、中から漂ってくるのは濃厚な獣脂の焦げる匂い。
二階の家族は大変だろうなあ、と、ちょっと心配してしまうくらいに、その店は良い匂いをこれでもかと振り撒いて、私達を待っていた。勝手に口の中に溢れるヨダレを飲み込みつつ、ハタテに続いてドアをくぐる。響いてきたのは威勢のいいおっちゃんの「いらっしゃいませ」の声。店内は野良姿や地味な普段着で肉料理をたべる村人たちでいっぱい。狩人の恰好でよかった。刺繍入りのエプロンなんて巻いた“おしゃれ”な村娘の恰好じゃあ、きっと似合わないだろうから。
たくさんの見知らぬ料理名(文字は読めた)に戸惑う私をよそに、ハタテは注文を取りに来た女の子に、カウンターの石板にろう石で書かれた、今日のおすすめを指さして迷いなくそれを“3人前”たのんだ。
周りの客とウェイトレス、そして私が戸惑うのをよそに、おいしいんですよーと笑うハタテ。大丈夫なのかと心配になった私だけど、ほどなくして「おまっとさん!」とオヤジさんがちょっと乱暴に置いたそれに、私は目と鼻と心を奪われた。
大きな器に、どろりと濃厚なスープで煮込まれた獣肉が山盛りでごろごろ入っていて。付け合せは、これまた山盛りのゆでたジャガイモ。肉好きの人狼の本能に体は正直に反応し、はしたなく二人のお腹が鳴りだす。いただきますを言うと同時に私達はナイフを肉に突き刺し、肉を噛みちぎっていた。
‥‥至福の時だったわ。
「あー、あのお店のおすすめ、美味しかったなぁ」
「ですよね!あそこの鹿の心臓の煮込み大好きなんですよー。心臓の他にもレバーとか胃袋とか、スープにも血がいっぱい入ってて。祭りの鍋みたいで」
「そうねー」
私はとろんとハタテに応える。ちょっとクセのある匂いの肉は、噛むとおいしい肉汁と濃い味のスープがドバっとあふれてそれはそれはジューシーで。付け合せのジャガイモが濃いスープに合うのなんの。となりのフード姿の二人組が「うわあ」とか言っているのが聞こえたけど、私達は無言で肉と芋をむさぼりつづけた。3人前の肉は、あっという間になくなった。ウェイトレスの子は「ひゃあー」とか言って驚いてるし、オヤジさんはハタテに「毎度良い喰いっぷりだねえ!お嬢ちゃん!新顔のお嬢ちゃんも好いね!」と満面の笑み。
‥‥完璧に肉食獣になっている私をお嬢様が見たらなんていうだろうか。お嬢様の故郷あたりじゃ、人間も結構モツとか家畜の血を食べるらしいけど。帰ってもこんな感じの料理の味を覚えてたら、作ってあげようかなぁ。びっくりするかなぁ‥‥。
「おねーさま?」
「ほえ、なに!?」
あの味を思い出してぼーっとしながら歩いていたら、ハタテに心配そうに見つめられてしまっていた。大丈夫よー、と笑って答える。
人間“十六夜咲夜”にひとまずサヨナラした私だけど、平和な時間を過ごしている最近、ちょくちょく紅魔館を思い出している私が居る。ホームシックってやつだろうか。
思わず空を見上げる。今日は満月のはずだけど、ちぎれた雲が月を隠していて、直接その姿は見えなかった。思わず遠吠えしそうになる喉を、なんとか抑える。お嬢様ーっって。
この夢は一体どこまで続くのだろう。何か私達には使命があったりするのだろうか。何か目的を果たせばこの夢は終わるんだろうか。それとも、“サクヤ”という人狼が死ぬまでだろうか。それは一体何年かかるんだろう。
心細さにまた遠吠えしそうになり、私は唇を引き結んで前を向く。いつの間にか、宿のすぐ近くまで帰ってきていた。その角を曲がれば、私達の宿だ。温泉の臭いが鼻をつく。そのにおいを嗅いで、ハタテが嬉しそうに話しかけてきた。
「熊と戦ったり、今日は疲れましたもんねー。さ、早く入ってお風呂ですよっ」
「そうね!」
あはは、と笑いながら、私達は宿屋に入った。今日のところはとりあえず、お風呂に入って寝てしまおう。なんとかなる。きっと。べそべそ泣くのは性に合わないし。
んー。明日、美鈴のお土産、何を買おうかな。
*****************
「がふっ」
‥‥月明かりが私を照らしてる。今日は、満月だ。明るい月夜の村の風景を眺めながら、私はため息を吐いた。うん。寝れないなぁ。
最近、夜になると目が覚めてしまう。別に昼間寝ているわけではないんだけれども。
「‥‥」
背中に感じる小さな重みを落とさないように気を付けながら首を伸ばせば、心地よさそうな寝息が聞こえてくる。
「すー」
「‥‥うーむ」
寝ているのは、ちっちゃな女の子。私のたてがみにしがみついて顔をうずめながら、気持ちよさそうに寝ている。これじゃ身じろぎもできないなぁ。
このこは“サクヤ”さんの妹。れみりあちゃん。お嬢様と同じ名前をもつ彼女のここ数日のお気にいりは、私のたてがみをベッド代わりにしてねむること。体が鈍っちゃうから夜の間に空を飛ぶのがここに来てからの私の日課だったんだけど、こうされるとねえ。まあ、ヒゲを引っ張られるのよりは断然いいけどね。ヒゲ、すごく敏感なのさ。これって。
ふが、と鼻から息を吐いて、私――紅美鈴――はまた空を見上げてみる。
咲夜さんと一緒にこのへんてこな夢の世界に来てから、一週間。私は龍になって、咲夜さんは狼になって一緒に変な奴らとケンカしたりして。
正直思う。私は今、何をしているんだろう。何をしなきゃならないんだろう。
咲夜さんと一緒に考えたところでは、ここはお嬢様が読んでた本の世界じゃないかということになったけど。問題は、そうだとしたら私達は何の本の中に居るんだろうということ。あのとき図書館で荒筋聞かせてもらったけど、お嬢様が読んでた本って、こんな内容じゃなかったはずだしね。
「‥‥」
わんこが伏せをしているような格好で、上半身を起こしている私。見下ろす手は、ごっつい爪の生えた鱗だらけの龍の前足。――ああ、何がどうしてこうなっちゃったんだろうね。
あの日この世界で龍になった時、私はものすごく驚いた。ええ驚きましたとも。なんせ、自分の体が知らない間に姿を変えてしまっているんだから。腕はゴツイし指減ってるし。尻尾も角も髭まで生えてるし。髪の毛はそのまんまたてがみになってて、全身鱗だらけ。おまけに素っ裸。‥‥まあ、それは別にいいんだけど。寒くないし。
だけどそのすぐ後の黒ずくめたちとの戦いで、私は正直、怖くなった。姿ではなく、もっと根っこの部分が変えられたことに。自分が、自分でない者に変えられるということに。
あのとき、村に向かうようにと吠えた咲夜さんの命令を聞いた瞬間、私の頭の中が真っ赤に染まった。そこから先は、あやふやであまりよく覚えていない。気が付いたら、血まみれの咲夜さんに抱きしめられていた。口の中に、人間の味がした。
あの時私は、完璧に龍になりきって、黒ずくめたちを片っ端から潰していた。手加減など、まるで考えないで、我を忘れて。私はその時確かに感じた。私の中に誰かが入ってきたとでもいうような、私ではない何者かの存在を。私は、そいつになっていた。させられていた。
その後の夜の戦いで、私はちょっと抵抗してみた。龍ではなく、門番紅美鈴として戦えないかと。でも、気が付けば私は龍の“メイリン”になって、咲夜さんと雄叫びを上げていて。
‥‥自分が自分でなくなること。それって、妖怪や神様にとっては死ぬのと同じ事。
――――わたし、しばらく人間やめるわ。
黒ずくめたちを皆殺しにした戦いの後で、みんなが寝静まった後、咲夜さんは私にそう言った。
あきらめたように笑いながら、口の端を上げて。
私は驚いて何も言えなかった。何もしゃべれなかった。こんなにも早く、咲夜さんが“変わること”を受け入れてしまったということに、驚いたから。
そしてすぐに怖くなった。咲夜さんが、どんどん変わって行ってしまうかもしれないことに。私もいずれそうなってしまわないかということに。私という、紅美鈴という妖怪が無くなってしまわないかということに。
内心震える私に気が付くこともなく、咲夜さんはお休みと言って寝てしまった。その寝顔が、見慣れた咲夜さんの物だったことが、ひどくうれしかった記憶がある。
「すう」
背中に感じる、小さな重み。私は、咲夜さんが私の背中の上でこんな重さだったころを知っている。私だけじゃない。紅魔館のみんなだって色々知っている。お嬢様が、少し歳の離れた姉妹のように、咲夜さんを撫でていたことを。妹様が、犬がするようにお手させようとしてお嬢様に怒られていたことを。パチュリー様が、夜の枕元で絵本代わりに魔道書をひたすら読み聞かせて危うく咲夜さんが呪われかけたことを。小悪魔が“淑女のお勉強”とか言って暗がりに引きずりこみかけたところを慌てて止め‥‥
う、うん。ろくでもないことも大分混じってるけど。みんな、咲夜さんが好きということでいい。そうだよね。
「‥‥まもりましょうかぁ。ね」
ぽつりとつぶやいてみる。
私は、紅魔館の門番だ。紅魔館のみんなを護る門番だ。それが“紅美鈴”という妖怪だ。
守るよ。咲夜さんを。咲夜さんから、咲夜さんにつながる、紅魔館のみんなを。それが私が私で居るために必要なこと。たとえ姿かたちが、すっかり変わってしまったとしても、私という根っこが変わらないために必要なこと。たぶん。
「うひー。ガラじゃないのになぁ、こんな決心とか」
気恥ずかしさに、あえて声を出して夜空につぶやく。きっと私は相変わらずがふがふ言ってるんだろう。龍の言葉で。
「――――“ちょっと昔、紅美鈴は夢で龍になった。がふがふ言いながら空を飛び、龍そのものだった”ってか」
むかーしの祖国の詩をきどってつぶやいてみる。これが“胡蝶の夢”なら、にわかに目覚めたとき、私はちゃんと紅美鈴として目覚められるだろうか。咲夜さんは、十六夜咲夜として目覚められるだろうか。‥‥そうですよね。一切斉同、姿かたちが変わったって、根っこが同じなら同じなんですよね。根っこが変わらなければ大丈夫なんですよね。そうですよね。私は私ですよね、南華老仙様!
‥‥うあー!ホントにガラじゃないのになぁ、こんなこと考えるの!もっと人生、気楽に行きたいってのに!
「~~~~~?」
「へ?」
振り向けば、眠たそうに眼をこすりながら、れみりあちゃんが何事か問いかけている。しまった、がふがふ喋りすぎたかな。
相変わらず、人狼のみんなの言葉は全然わからない。ふす、と申し訳なさそうに‥‥伝わるかなぁ?私は小さく鼻息を吐いて、頭を降ろしてあごを前足の上に置く。
――――咲夜さんを護るんだ。たとえ姿が龍であったって、やることは変わらないはずだから。
「‥‥」
うーん。そう決心したら、なんだか胸のあたりがモヤモヤするのはなんでだろう。胸騒ぎ?いやいや。
あー、無理してでも咲夜さんについて行けばよかったかなぁ。この体は力あるけど大きすぎて、いざという時じゃないと結構不便なんですよねえ。
「早く帰ってきてくださいね。‥‥“ご主人様”」
月を見上げて、つぶやいてみる。今頃何やってんのかなぁ、咲夜さん‥‥
あー!落ち着かないなぁ!なんだか!
*******************
「――――むう」
暗闇の中、息苦しさを感じて私は目を覚ました。
蝋燭を消した暗い室内には、ハタテの気持ちよさそうな寝息だけが響いている。
のぼせた。熱い温泉に浸かりすぎた。後頭部の髪が汗で濡れている。ちょっぴり上等なベッドと布団は保温性もちょっぴり上等だったようで。人狼の村のベッドのつもりで布団被ってたけど、温まりのいい温泉と良い布団の組み合わせは想像以上に私の体に熱を溜めた。
枕元の皮袋をあさる。さっき買った人参に、皮袋の水筒。人参は脇によせといて、水筒の生ぬるい水を口に含む。じわりとのどに広がっていく水が気持ちいい。
「おねえさまぁ‥‥」
ハタテの幸せそうな呟きが上段ベッドから聞こえる。‥‥いったいこの子は私にどんな感情を抱いているのやら。一人っ子であるとは道々聞いたけど、姉にあこがれるとかそれ以上の感情は持っていないと思いたい。うん。‥‥そうだよね?ハタテちゃん。お風呂で執拗に胸に手を伸ばしてきたのは冗談だよね?じゃれ合いですわよね?
「ぐー」
「‥‥」
私の内心の困惑など知る由もなく寝ているハタテ。夜風でも浴びようと、私はにわかに気温が上がった気がする部屋から廊下に出た。パジャマなんて洒落た物は用意してないしされていないので、私は昼間着ていた麻の服のまま。
真夜中の宿の廊下。窓からは月明かりが差し込んでいる。そこに近づき、私はそっと窓を開ける。目の前には隣の建物が迫っているが、密着というわけでもなく、あけた途端、新鮮な空気が吹き付けてきた。見上げた細長い夜空には、満月が明るく輝いていた。
「‥‥月を見たらどうにかなるってわけでもないのね」
昔話の狼男は月を見れば変身していたけど、月を見た私の体に毛が生えるとか、そういう様子はなかった。
窓枠に腰かけ、半身を窓の外に出す。冷たい夜風は期待した通り気持ちいい。‥‥今頃、美鈴もこの月を見てるんだろうか。
ぼんやりそんなことを考えながら、汗の引いた髪の毛を撫で、ふと廊下を振りかえった時だった。
目の前に、“それ”は居た。
「え」
――――半分透けた、人影が!
『――――』
「!!!!?あ、うわっ?」
窓から転げ落ちそうになる体を慌てて支え、必死に窓枠を掴む。叫び声を上げなかった自分をほめてあげたい。
「あ、あああ」
人影を、月明かりが照らしている。薄くぼんやりとしたそれは、月明かりを浴びて、だんだんとその濃度を増していく。
‥‥皮のブーツ。ズボン。尻尾。腰に下げた短剣。麻のブラウス。マント。指出しのグローブ。皮のバンダナ。銀髪。狼の耳。‥‥女の子。背丈は、私と同じくらいで――――
「‥‥え、わ、わた、し?」
そう。“わたし”。廊下に立ち尽くす白い影は、この世界に来た時のわたしとそっくりな格好をして、こちらをじっと見つめていた。ほのかに、笑いながら。しかしよく見れば、彼女の顔の様子は私とは少し違う。両目の下に、横に引っ掻いたような刀傷が、一本ずつ。三つ編みはなく、狼の耳には金色のピアスが一つ、ついていた。
「え、えっと」
これはやっぱり幽霊なんだろうか。それとも、幻?知り合いに騒霊も亡霊も半霊もいるけれど、皆お化けにしては賑やかすぎるのばっかりだったので、目の前の彼女の様な現れ方をされるとさすがにびっくりしてしまう。
彼女は、こちらの様子を気に留める様子もなく、静かに私を見つめ続ける。
「‥‥貴女は、誰?」
窓枠に腰かけ、しがみついたまま、私は小さな声で問いかけてみる。ごくりと唾を飲み込む。その音がやけに大きく耳に響く。
『‥‥』
彼女は私の問いかけに答えず、パチリとまばたきをした。そして、ゆっくりと口を開いた。
『‥‥。‥‥』
「‥‥?」
小さく、口が動いている。でも声は聞こえない。戸惑う私をよそに、何事か語りかけた彼女は、両手を前に揃えると、ゆっくりとお辞儀をした。まるで、何かをお願いしているように。思わず、私はつられて、小さくあごを引く。私を見て、彼女は、嬉しそうに笑った。柔らかな笑顔だった。
「ね、ねえ、あなた、いったい――――」
手を伸ばし、窓枠から降りて彼女に近づこうとした、その瞬間だった。まるで吹き付けるような唐突な殺気が、私を襲ったのは!
「?!」
前方に転がり込む私の後頭部を、何かがかすめる。耳隠しのバンダナが引っ張られてはずれる感触。受け身を取った時、大きな音を立てて床板が軋んだが、そんなことを気にする余裕はなかった。
「ぐううううっ!」
呻り声を上げながら窓を振り向く。少女はいつの間にか消えていた。月明かりの差し込む、明るい窓。その窓枠が、大きな刃物で叩きつけたようにずたずたに切り裂かれている!遠くで、屋根板が軋む音。誰かが逃げていく!
「―――― っ!」
右足のホルスターからナイフを一本抜き、私は窓枠を潜り抜ける。そのまま隣の家壁を蹴って、屋根の上に飛び上がった。誰かが待ち伏せしていることも考えられたけど、狼の耳と鼻は近くに誰もいないと教えてくれていた。
着地する屋根の上。森の手前までみっしり家々の屋根が広がる、いらかの波の中に、私は敵の姿を探す。
「どこに――――」
振り返る視界、月明かりを反射する細い輝き!
「!!!」
四つん這いで身を伏せる。風切音を残し、何かが頭の上を通り過ぎて行った。その輝きが飛んで来た方向、二軒先の屋根の上、両手を掲げて立つ、フード姿の人影!
「ああ、また避けた」
「なっ」
つまらなさそうなつぶやきがフードの中から漏れてくる。女の声だ。一瞬、月明かりがフードの中を照らす。緑色の目が、こちらを睨んでいる。
誰、とか聞く暇は私に与えられなかった。フード姿の女は無造作に手を振るい、何かをまた私に向かって投げつける!
ぱあん!
「わっ!」
乾いた音を立てて足元の瓦がはじけ飛ぶ!慌てて後ろに跳ねる私の足元の瓦が、次々と粉々になっていく!
「ちょ、ちょっと!」
「わあ!狼のくせに蛙みたいに跳ねるのね!」
「は!?」
「さっさと死になさいよ、女狼!」
フード姿の女性が、次々と投げつける何かに、私は逃げ惑うことしかできない。なんだ、何を投げてるの!針!?礫!?
おまけにあいつ、狼って言った!間違いなく私を狙ってる!けど、一体なんで!
「この、っ!」
「はいもういっちょー!」
「!」
着地したとある民家の石造りの煙突が、見えない何かで真っ二つに切断される!慌てて飛ぶ私を、緑色の細い目が追いかける。笑ってる!あいつ!
騒ぎになれば人が来る。その時、指を差されるのは私!耳隠しのバンダナは最初に外れてる。狼の耳が丸出しだ!
「がああああ!」
「!」
偶然むき出しになっていた木の梁――――砕かれることのない足場――――の上に着地できた私は、フード女に向かって飛び掛かりながらナイフを投げつける!
かあん!
甲高い音を残してナイフが弾かれ、闇に消えていく。もったいないけど、これで一瞬でもあいつの動きを止められた!まっすぐ飛び掛かる私に、女の呆れた声が飛んでくる!
「あれ、もうやけを起こしたの?」
「まさか!」
女が何かを投げつけるより早く、私は拾っておいた瓦のかけらを続けざまに投げる!彼女がまた手を振るう。瓦は女にあたる前に、乾いた音を立てて粉々になった!
ばしっ!ばしばしっ!
「うわ、うっとおしい!」
「うっとおしいのはどっちよ!!」
「!」
瓦を迎撃するので手いっぱいのフード女に、私は渾身のとび蹴りをお見舞いする!
皮のブーツが、布の奥に思い切りめり込んだ!
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げ、吹っ飛ぶフード女。女は宙を舞い、瓦をまき散らし――――
「何すんのよ、痛いじゃない!」
「!?」
不機嫌そうな声が響くのと同時に、フードの背中がはじけ飛び、細長い何かが飛び出した!
が、がん!
「‥‥ふううううう」
「な、あっ」
その光景に、私の目が点になる。女の背中から生えた、細長い4本のそれは、鋭い先端で屋根瓦を突き刺し、あおむけに落下していた女の体を屋根の上に支えて固定する!踏ん張るように張り出したそれは、とても見覚えのある形をしていて――――
「く、蜘蛛‥‥!?」
「痛ぁ‥‥女の子の腹蹴るなんて、何考えてんのよ、卵産めなくなったらどうすんのよ」
‥‥知るか、そんなこと。
ぶつぶつ言いながら、そいつはぞろりと背中から生えた足をぎちぎちと動かし、ゆっくりと体を起こした。
私は短剣を引き抜きながら、フード女改め蜘蛛女に問いかける。
「夜中にいきなり殺そうとしてくるほうがよっぽど何考えてるか分からないんだけど。誰よ、あんた」
「見ての通りよ」
「分かんないから聞いてるんでしょうが」
「蜘蛛です」
「それは見ればわかるわ」
蜘蛛女は、身構える私を気にした様子もなく体勢を整える。カルイ態度は、余裕のつもりか。
警戒したまま、私は質問を続ける。
「私を狙ったわね。それはなぜ」
「答えると思って?」
「答えなきゃこのまま殺すまでよ」
「うわ、おっかない。狼ってやっぱりおっかない」
風貌や行動を見た感じ、この蜘蛛女は殺し屋ってとこだろうか。牙を剥く私に、彼女はおどけた調子でけらけら笑っている。お喋りな殺し屋だ。それに、彼女のあの“匂い”。もし、そうなら――――
「なんかいろいろ想像してるみたいだけど、たぶん、当たり。俗に言う殺し屋よ、私」
「‥‥昨日、飯屋に居たわね。もう一人はどこかしら?」
「あ、あれ、気が付いた?」
「美味しそうな匂いしてるもの、貴女」
「ありゃ」
モツ料理屋の隣席で、私達を見つめていたフード姿の二人組。その片方が、こいつ。‥‥だって、服からあの料理の匂いがするもの。
あのとき居た、もう一人がどこかに居る。
「で?今夜は一人な訳?」
「あいつ?あいつならまだ来てないわよ。起こしたけど、なかなか起きてくれなくってね」
「‥‥寝坊するとか、どういう殺し屋よ、あんたら」
「んー、お気楽な殺し屋かしら?」
「馬鹿じゃないの」
「そうかもねー」
あくまでもおちゃらけた様子で、蜘蛛女は私に笑う。ああ、余裕だなぁ、こいつ。
「‥‥その殺し屋が、どうして私を?」
「さあ?あんたの日ごろの行いが悪かったんじゃない?」
「品行方正に生きてるつもりだけど‥‥ねっ」
「!?」
私が無造作に投げつけた瓦の欠片を、彼女は背中の腕で叩き落とした。鋭い鈎爪が月明かりに煌めく。ああ、あれに気が付かずに懐に飛び込まなくてよかった。串刺しにされるとこだった。
「‥‥これも品行方正?」
「これは正当防衛」
「意味わかんない」
蜘蛛女が両手を垂らす。またあれを、たぶん糸を、投げる用意か――――
「じゃあこれも正当防衛ってことで良いわねっ!」
次の瞬間、蜘蛛女の背中に生えた2対の腕から糸が吐き出された!
「な!?」
慌てて真横にすっ飛ぶ。私のいたところの瓦が、4条の糸の直撃を受けてまた砕けた!って、糸ってそういうふうに使うものなの!?射撃武器なの!?
「ほーれほれー、さっさとしねー」
「ふざ、けんじゃないわよぉっ!」
逃げ惑う私を弄ぶ蜘蛛女。拾った瓦に混ぜ、私はなけなしのナイフを投げつける!蜘蛛女は背中の腕で瓦とナイフを叩く!
が、がん!
「あれ、手詰まり?」
「まさか!」
ナイフは瓦と違って糸じゃ砕けない。蜘蛛女がナイフを叩き落としている間に、私がむんずと掴みあげるのは、さっきこいつが切り飛ばした煙突!
「本命っ!」
「!」
拾った姿勢から上半身を持ち上げながら、サイドスローで蜘蛛女に投げる!
「このおおおお!!」
石と漆喰の塊のこいつなら重量がある!軽く叩いたりするくらいじゃ落とせないはず!
「チッ!」
がっ!
背中の4本腕を回して煙突の切れ端を受け止める蜘蛛女!その間に、私は奴の懐に潜り込む!
―――取った!
「死ね」
「!」
蜘蛛女の腹に向かって短剣を突き出す!これで――――
「‥‥ドラゴンライダーって聞いていたけど、この程度なのね」
「!?」
蜘蛛女はまたつまらなさそうな声を出すと、残像だけ残して後ろに跳ねた!私の剣が、的を失い宙を薙ぐ。うそ!こいつがこんなに素早く動けるなんて――――!
「周りも見ない、攻撃も単調!」
女が両手を掲げる。その手から伸びる、月光に煌めく細い糸!それを目で追った私は、自分が屋根の上に張り巡らされた蜘蛛の巣の上に居ることに気が付いた!
こ、これ、さっきから投げつけていた糸!全部、計算づく!?
「あああ!?」
「つまんない獲物!」
女が手を引く、その動きに合わせ、屋根から糸が離れて立体的に私を包み込んで縛り上げていく!糸が、体に――――!
「ひぐ、っ!」
「獲った」
細い糸が体に食い込み激痛を発する。その痛みに、私は何もしゃべれなくなった。のどから出てくるのは、切れ切れのうめき声だけ。
「ぐ、あ、あああ、あ」
「せっかく満月の晩に出てきてあげたってのに。ぜーんぜん強くないのね。なに、偽物?人狼の偽物?」
蜘蛛女が、糸を手繰りながら近づいてくる。立ったまま、雁字搦めに縛り上げられた私を、緑色の目で睨み付けながら。
体が、全然動かせない、下手に身じろぎするだけでも、糸が食い込む‥‥!
「“虹を吐く龍”に乗る、人狼のドラゴンライダー‥‥」
「‥‥ぐ、う、う」
「風の狼、ユウカの妹、“サクヤ”‥‥」
ユウカ姉さんの二つ名、初めて聞いた‥‥ああ、痛い、頭がぐらぐらする‥‥
いつの間にか女が目の前に居た。ゆっくりと片手を持ち上げ、私の顎を掴む。痛みにうつむく私は、無理やり女の方を向かされた。
少しずれたフード。端からはさらりとしたブロンドが覗いてる。両の目尻からは、牙のような形で口に向かって伸びる、瞳と同じ緑の刺青‥‥
「西の国の特務隊を皆殺しにした、賞金首の女狼(ウォルフェス)‥‥かーわいい顔してるじゃない」
「あ、あな、た、西の‥‥!?」
「いんえ?私はただの雇われ賞金稼ぎよ」
蜘蛛女はそう言うと、ひひひ、と笑った。小さな牙を、のぞかせながら。糸が、一段と体に食い込む。激痛に、視界がもうろうとしてゆく。
「ひ、ぎ‥‥」
「悪く思わないでね。今までだって、貴女もこうしていっぱい殺してきたでしょ?大丈夫。一瞬だわ」
女の右の手のひらがこちらを向く。真ん中に、ガバリと開く、黒い穴。あそこから糸を出してたんだ‥‥ああ、うごけない!痛い!腕が、バラバラになる!
「こ、この、おぉっ!」
「首、もらうわよん」
楽しそうに、歌うように。蜘蛛女が笑う。ああ、畜生。逃げられない!ここで、わたし終わり、なんだ、な。
美鈴、ごめん‥‥!
「じゃあね」
女が、私の首に糸を掛ける。わっかが、だんだん閉まっていく。首に走る鋭い痛みに、私の体が、びくりと震え――――
どががががっ!
「ぎゃああああああっ!?」
「‥‥!?」
無数の衝撃音と同時に蜘蛛女が悲鳴を上げる!全身を襲っていた糸の感触と激痛が、ふっと消えた。
たまらず、私は膝をついて屋根に倒れ込む。
「姉様から離れろ。アラクネ」
「ぐあ、ああああ!」
聞こえてきたのは、恐ろしく冷たいハタテの声。蜘蛛女の、うめき声。
「姉様!」
屋根の上に倒れ伏す私からは、周りの様子は何も見えない。頭を動かすのさえ億劫。代わりに空気を伝わって耳に感じる、のた打ち回る蜘蛛女の気配。地面を蹴る音。ハタテの匂いが、すぐ近くに。ああ、よかった。来て、くれたんだ。
「ねえさま!大丈夫ですか!ねえさまっ!」
「あ、りがとう、ハタテ‥‥」
「大丈夫ですか!」
「た、ぶん、ね‥‥腕、ついてる、かな」
「つ、ついてます!大丈夫!」
「そう‥‥よかったぁ‥‥!」
体を揺さぶられる。ハタテの涙声が聞こえる。
蜘蛛女の糸に締め上げられて血が通わなくなっていた体に、ハタテのゆさぶりは結構、気持ちよくて。
「ごめんなさい!ごめんなさいお姉様!わたし、全然、全然気が付かなくて!」
「いい、だい、じょうぶ、だから‥‥それより‥‥」
「小娘ぇ‥‥!」
「!」
蜘蛛女の低い声。何とか回復してきた私は、両手をついて体を起こす。視線の先には、同じように背中の足で体を起こす、蜘蛛女が。脇腹と、首。突き刺さっているのは、ハタテの放った矢!
「石弓で一度に、5本?おまけに、矢羽で私の糸まで切ったですって?‥‥ふざけた真似を‥‥!」
「動くな!」
首に矢が刺さっているというのに、蜘蛛女は起き上がる。体の構造が違うんだろうか。それに向かって、がしゃり、とハタテがクロスボウを構える。‥‥ハタテもハタテだ。一体、どういう腕をしてるんだろう。ただのクロスボウで、矢の連射とか。
「今日は腕試しのつもりだったけど、もういいわ。殺す。今すぐアンタら殺す。殺してやる‥‥!」
「動くなと言ったわ」
呻いて体を起こす蜘蛛女に躊躇なくハタテが矢を放つ。矢は蜘蛛女の腹に深々と突き刺さった。緑色の体液が、月明かりに煌めく。
「ぐああああ!」
「次は目に撃つよ」
「こ、このおっ‥‥」
「ねえさま。剣、貸してください。こいつら殺すんだったら、首落とさなきゃ、死なないから」
ハタテが立ち上がる。私は、屋根の上に転がる短剣を指さす。よかった。地面に落ちてなくて。ハタテは蜘蛛女を睨み付けながら、短剣を拾い上げる。ほどけた銀髪が、夜風になびいて白く輝く。ああ、綺麗。
「ねえさまを痛めつけた事、地獄で後悔しなさい」
「こ、小娘ぇっ!」
ハタテが、身動きの取れない蜘蛛女に向かって、剣を振り上げる。狙いは、彼奴の首筋――――!
「ははー。なんだ。負けてんじゃないか」
「!」
「!?」
突然響いたさらに別の声に、皆が動きを止める。私達の横。路地を挟んだ反対側の家の屋根に、もう一人のフード姿!声色からして、こいつも、女?
「はっ!」
「わあっ!」
新たなフード姿の輪郭がいきなりぶれたかと思うと、次の瞬間にはハタテの目の前に!
「もらってくぜ」
「!」
そう言い残すと、また掻き消えるフード姿の少女!あの、蜘蛛女ごと!路地の向こうから聞こえる重たい音に振りかえれば、さっきの屋根の上に蜘蛛女を抱えて佇むそいつが居て。な、何いまの!
と、いうか、その喋り方、誰かーにとっても似てる気がするんですけどぉー‥‥
「うは、やられたなぁ。大丈夫か?あちこち串刺しじゃないか。えいっ」
「いだっ!って、あんたが、なかなか起きないからでしょう!」
「あれ、様子見るだけだからひとりでもいいとか言ってたじゃないか。だったら大丈夫かなぁって」
「そのあたりは汲み取りなさいよ!いたたたた!」
「何をだよ」
――――なに、こいつら。
遠慮なしに矢を引き抜きながら軽口をたたく少女に、蜘蛛女がブツブツと文句を言う。
あっけにとられる私達。それでも、なんとか動けるようになった私は、短剣をまたハタテから受け取り、構える。ハタテは腰の矢筒から、新しい矢をクロスボウにつがえている。
「ああ、痛かった」
フードの首元を緑の体液に染めた蜘蛛女が、ゆらりと立ち上がる。べたつく布がうっとおしくなったか、奴はフードを乱暴に後ろに跳ねあげた。
現れたのは、短いストレートのブロンド。赤い、カチューシャ‥‥って、ま、まさか。
「いいわ、もう、いい。さっさと終わらせる」
「お?」
「行くわよ、“マリサ”。この町ごと、奴らを燃やす」
「‥‥乱暴だなぁ、“ありす”は」
「ちょっ!」
うあー!うわあー!よりにもよってアンタ達が!って、燃やす!?
怒りに燃える蜘蛛女“ありす”のとなりで、“マリサ”もフードを脱ぐ。長い金色のぼさぼさ髪が、ざあ、と広がる。その首には、黒く輝く、首輪。ハタテがその首輪を見て驚愕の声を上げる。
「な、く、首輪っ!?まさか!」
「え?」
慌てているハタテ。どういう事態なのか呑み込めない私をよそに、“マリサ”は、首輪に触れて、静かにつぶやいた。
「変、身」
“マリサ“がつぶやいた瞬間、光が首輪から発せられ、彼女の体を白く染める!
「うふ、ふふふふ‥‥あは、ははは、ははははーっ!」
「ま、まずい!ねーさま!逃げますよ!」
「逃げっ!?」
光の塊とした“マリサ”の輪郭が、空に浮かびどんどんとその大きさを増していく。首が大きく伸び、1対の突起――――翼!――――が広がっていく!
こ、これって!
『あー、やっぱいいなぁ、この瞬間。なんかこう、解き放つ快感っていうか』
「変態」
『そうかなぁ』
空に浮かぶのは、尖った翼をもつ、一匹の金色の竜!頭には後退した小さな二本の角。細長く伸びた首、そこに嵌まる黒い首輪。小さく細かい鱗が滑らかに覆う体、鋭い輪郭を持つ凹凸のない翼。首筋から背中を合わせてなだらかな流線形を描く尻尾。鋭いかぎづめの生えた、小さな前足と頑丈そうな後ろ足!
「わ、ワイバーン(飛竜)っ!」
「ドラゴン、ライダー‥‥?」
悲鳴のような叫び声をあげるハタテ。呆気にとられる私。動けない人狼達を睨みながら、蜘蛛女が跳びあがり、飛竜の背中にまたがる。
「さあ、行くわよ。この体に傷をつけたこと、後悔させてあげるわ。あはははははは!」
「ね、ねえさまっ!」
(美鈴っ‥‥!)
蜘蛛女の高笑いが満月の夜空に響く。泣きそうな顔をするハタテの視線を感じながら、私は心の中で、必死に美鈴の名前を呼んでいた。
続く。
■第4話
■第6話
■第4話
■第3話
■第2話
■第1話
――――私はずっと、貴女達を聞いていた。
古いものが色鮮やかによみがえり、楽しげに暮らす不思議な不思議なこの世界で。
たくさんのざわめきに囲まれながら、静かに暮らす貴方たちを聞いていた。
私達とよく似た匂いのする、貴女達を。
直接話したことはなかったし、触れられたこともない。
それは望んでいたことでもないし、思いつきさえしなかったこと。
ただ楽しげに暮らす貴方達のざわめきを聞きながら、静かに眠っているだけでよかった。
もう二度と離ればなれになることもなくなった“彼女”と、永遠に。
静かで暗い、この空間で。
だけど、あの日、あの時。私のうたた寝が覚まされたとき。
貴方の声を聞いたとき。あなたの言葉を聞いたとき。にぎやかなざわめきに包まれたとき。
私は、思ってはいけないことを思いついてしまった。
やってはいけないことを、やろうと思ってしまった。
古い言霊が理屈をひっくり返すことができる、美しくて残酷な幻の世界に居ると言う幸せ。
眠る沢山の夢の中から、私がざわめきの中に選ばれた幸運。
そのざわめきの中に、貴女達が居ると言う、偶然。
それはきっと、もう二度とないことだから。
――――だから。私は貴女達に呪いをかけた。
さあ、夢を見ましょう。この子と、私の、夢を。
見せてあげましょう。私達の本当の“姿”を。
沢山のざわめきと一緒に。
虜にしたい訳ではない。
ただ、見てほしいだけ。あなた達に。そして、見たいだけ。私達が。
こことは違う何処かの世界で、私達がたどり着けなかった、成し遂げられなかった、幸せな結末を見てほしいだけ !
‥‥私達とよく似た匂いのする、貴女達に。
*****************
夕暮れの赤い空の下。両側から森が迫る、湯煙ただよう小さな谷の村の、にぎやかな商店街で。
私はしつこくしつこくしつこく付きまとわれていた。
「はいいらっしゃい。どうです猟師のお姉さん!今日“獲れ”たての甘いカブ!今晩お鍋でシチューなど!」
「‥‥」
「カブお嫌い?お嫌いか!ならばこれです真っ赤な人参!こいつだったらきっとお財布の紐に厳しいお姉さんも合格だしちゃう!あなたの心も射止めちゃう!」
「‥‥」
「人参お嫌い?じゃあとっておきの秘密兵器だこのかぼちゃ!蒸したらホクホク、スープでも行けるよ!どう?どう?」
「‥‥ねえ」
「ん?」
「ここらへんじゃ熊背負ってる女の子にほのぼのと野菜を張りきりセールスするのが伝統文化なのかしら?」
「んん?」
私に質問された、白髪ポニーテールにエプロン姿の女‥‥の子は首をかしげて不思議そうな顔をしていた。うん‥‥女の子、女の子だ、匂いは。男の子みたいな喋り方してるけど。
彼女はとても商売熱心に野菜を勧めてきた。獲物の血で顔を汚した、狩人の恰好をした少女が二人、よたこらと汗だくで、木の棒に両手足を括り付けた熊を担いで通りを進んでいくという、重量級でワイルドな光景と、それに目を剥く村人たちを気にする様子もなく。‥‥少女達とは、すなわち私とハタテの事であり。
彼女は私の質問にちょっとの間首をかしげていたが、やがて何かに納得したらしく、おお!と手を叩くと、満面の笑みを浮かべて、人差し指を立てた。
「これは失礼!どこぞの先生でしたか!それとも、学生か?いやはや、伝統文化とは、私はとんと無学でして、そういう話はよく知らない!しかしお若いのに大したものだ!そんな貴女にはサービスしちゃうよ!カブに人参、カボチャも付けちゃう!これで明日の英気をたっっぷリ養っていただきたいッ!」
「だーっ!」
ずっこける私達と見物人をよそに、盛大なる勘違いをしたままいきいきと、彼女は再度野菜セールスを始めたのだった。元気はつらつと。‥‥平和な役もらったわね。仙人様。
「さあ!おねえさん!私は頭にカボチャ、右手に人参左はカブだ!そろそろ腕が痺れて首が痛い!大変なんです買いませんかねえお願い」
手足プルプルさせて重たい野菜を勧めてくる様子は非常にうっとおしくて、でも健気でかわいらしくて。
「さあお姉さん!どうですか!おいしいよ!」
でも、そろそろ黙らないと、齧っちゃうからねー。
「カボチャ!人参!カブ!さあさあさあ!」
わあー、おいしそうなふとももー‥‥
「――ぐるる」
「ひぃっ!?」
「おねーさま。ヨダレヨダレ」
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「んんんんー!」
宿屋の一室で。二段ベッドの上段にいち早く陣取ったハタテは、手足をばーっと投げ出して、気持ちよさそうに伸びをした。おやつ代わりの人参を咥えてポリポリ齧りながら。
今晩のお宿は、さっきの八百屋のある商店街から路地一本裏に入ったところにある、小ぢんまりとして居心地良い雰囲気な、旅人向けのそこそこキレイな宿。周りにはぎっしりと家やお店が立ち並び、私に幻想郷の人里を思い出させた。
この村は、結構な山の中にあった。こんもりと木が茂った山肌と、真ん中に挟まれるように流れる川のまわりに、みっちりと詰め込まれるようにして栄えた村。山を越えて首都に向かう街道の宿場町。村全体の住人の数はそれほど多くないけど、場所が狭いところにまとまって人が住んでいるので人口密度が結構高い、にぎやかなところだ。
そして、ここは温泉地でもあった。街のあちこちからは湯けむりが立ち上り、温泉独特の湯の匂いが村に漂っている。塩辛く鉱物油クサいお湯が体を芯から暖めてくれると評判で、このお湯を求めて訪れる旅人も結構いるらしい。今日の宿は、そんな旅人向けの宿の一つ。
「あああああー、あー重たかったー!」
「さすがに、あれはね‥‥ああー、足が」
下段のベッドに寝そべりながら、私はふくらはぎを叩く。長距離を歩いた上に重たい獲物を運んできたために、足がパンパン。
今回の目的は買い出しだけど、買い物は明日することにして、今日は宿で休息にすることにした私達である。もう夜になるし。
ちなみに、あの村での戦いから一週間。今日は満月だ。おかげで夜も非常に明るい。夜道の事も考えて買い出しの遠出の日程も決められているらしい。
道中で私達が仕留めた獲物は、鹿と、なんと熊だった。立ち上がれば私くらいの背丈の。村にこれを持って入る時、周り中から好奇の目を向けられて非常に居心地が悪かった。ハタテは目立っちゃダメとか云々言っていたけど、結局私達は存分に目立っちゃったのだ。狼だとは、ばれていない様だけども。
二匹も獲物をとった私達だけど村に持ってきた獲物は熊だけ。事の顛末はこうである。
村への道のりの途中、ハタテの言う好い狩場に差し掛かった私達は、狩りをするべく森の中に入った。数刻もたたないうちに私達はおっきな雌鹿を見つけ、ハタテはクロスボウの一発で見事仕留めて見せた。ここまでは非常にあっさり事が進んだ。
で、いそいそと獲物を回収しに行ったときに出くわしたのが、灰色の若い雄熊。どうも、彼もこの鹿を狙っていたらしく、にらみ合い、唸り合いの後、私達と熊は鹿を巡って格闘戦を繰り広げることになったのだ。
なんでまた格闘したかといえば、人狼のしきたりというか信仰のせい。ハタテ曰く、「熊は森の女神さまの使い。勝負するときは敬意を示して素手か手持ちの武器で。飛び道具禁止」だ、そうで。
一応、無駄な戦いをしないために、“女神の神使“である熊と戦いそうになった時には必ず説得をして、なるべく戦いを避けるというのも人狼のしきたりとしてあるそうなのだが、彼はまだ若く、こちらの言うことに耳を貸さなかった。人狼と熊の言葉はお互いなんとなく通じるらしい。彼の言葉は、私の耳にもなんとなく意味を持って届いた。必要以上に興奮していた彼は、「雌!」とか吠えていたので、人狼の雌二匹をみて興奮していたのかもしれない。‥‥そうなればますます仕留めなければならないわけで。私は熊と結婚したくない。
そんなこんなで、ハタテのクロスボウを封印して、私達は興奮状態の熊と戦った。頼りになるのは私の短剣と、ハタテがそこら辺から拾ってくる石だの丸太だの切り株だの。
いつもだったら時間止めてナイフ投げて一発、なんだけども、すばやく動きにくい村娘の恰好は結構なハンデになった。動きが早く腕力がある熊はあの黒ずくめたちより厄介で。スカートの裾をふんづけて私が転んでいる間にハタテがクマにのしかかられるという、あわやという場面もあったが、結局そこでハタテが決死のサバ折りを熊に敢行。苦しさに慌てふためき、ハタテを齧ることも忘れて暴れる熊の脳天に私の短剣が突き刺さり、何とか私達は彼を仕留めることができた。
‥‥腕力だけで熊に「ベアバッグ」かけて悶絶させるとか、ハタテの非常識極まりない行動に私は一瞬目をこすったけど。弓使いの腕力がすごいのか、人狼がすごいのか。
その壮絶な格闘戦の結果、村娘の衣装は土と木の葉と熊の血でドロドロになってしまった。着替えてから狩りをするべきだったといえばそうだけど、もともと山歩きに向いた格好だったし、まさか熊と格闘するとも思わなくて。
結局、仕留めた鹿と熊を、切り倒した細い杉の木に括り付け、私達は森を出て村への道に戻った。二頭の獲物はまさしく想定外。人狼の腕力でも、道に戻るだけでへとへとになった。‥‥必要以上に獲物をとらないというのは古今東西の猟師の常識だけど、今回はそれに則ることができなかった。どちらも結構なサイズと重量。二つも獲物を持っていくのは無理。おいて行くのも獲物に敬意を払うべしという人狼の信仰の問題でムリ。どうしようかと悩んでいた私達だったが、運よくとおりすがった荷馬車に鹿と熊を乗せてもらうことができた。
もこもこの毛皮を羽織ったそれこそクマみたいな、御者の人間のおじさんは、森から本物の熊を担いで出てきた女の子二人にえらいびっくりしていたが、彼も猟師であるらしく、デカい獲物に興奮して驚きながらもすごいすごいと自分の事のように喜び、私達を褒めてくれた。
若い娘がクマを抱えて森から出てくるとか、普通に考えたらおかしな光景だ。しかしおじさんは何ら不思議がるそぶりは見せなかった。人狼やその他人外がこの世界でも一般的ではある様子なのに、私達が化けものだっていう可能性は考えないのだろうかとその時は疑問に思った私だけど、最後にその謎は解けることになる。
ひとしきり私達を褒めたおじさんは、そんな獲物を持っていくのは大変だろうと、嫌がるそぶりも見せずに荷台の荷物を押してスキマを空けてくれた。彼の目的地は私達の目的地の村よりさらに遠くの村ということで、荷馬車に乗れるのは村の手前の分かれ道までではあったけど、重たい荷物を運んでくれたのはかなり助かった。平たい荷台に低めの幌を付けた荷馬車で獲物と一緒に揺られながら、私達はしばしの休息と、着替えの時間を手に入れられたのである。村娘の衣装は汚れちゃったので、ワンピースを脱ぎ、エプロンを外し、一緒に持ってきていた狩猟用の皮のベストを着込んで、私達は狩人装束に着替えたのだ。これなら熊を担いで行っても村娘の恰好よりはインパクトないだろうということで。ハタテは「おしゃれできない」と、つまんなそうにブツブツ言っていたがしょうがない。血濡れの村娘の衣装なんかで人ごみの中へ入って行ったらどんな騒ぎになるかは目に見えている。
お互いの目的地が分かれる道の交差点。荷台から降りてきたときには今度は狩人の恰好になっていた私達を見ておじさんはまたも驚いていたけど、気を付けて行けよなと言って、干し肉をくれた。さらに、二つも抱えていくのは重いだろうといって、鹿を買ってくれたのである。ハタテはおじさんから握らされた銀貨の枚数を数えてちょっと驚いていた。どうも、とてもいい値段で買ってくれた様子なのだ。彼は。
どうしてこんなに良くしてくれるのかわからず、ただひたすらお礼を言う私達だったが、その理由は別れ際に分かった。分かれ道の向こう側に馬車で去りながら、おじさんはこう叫んだのである。「お気をつけて!狼様!」と。‥‥結局、あのおじさんにはばれていたのだ。私達が狼だってことは。
「山の方に行けば私達を崇めてる人たちもいるって聞くんですけど、会ったのは初めて」と、ハタテがぽつりとつぶやいていた。わざわざ変装して買い出しに来ているように、色々人間からは恐れられている様子の人狼だが、ところ変わればなんとやら、そのあたり、送り狼とか狼信仰とか、どこかの東の国とよく似た立ち位置で畏れられているようだ。ハタテ曰く、一部の猟師の間では「人狼様の狩りに出会うと縁起がいい」という正体不明のゲン担ぎまであるらしい。多分、おじさんはそれで喜んだのだろう。
と、言うわけで。私達は熊を獲物としてしとめて持ち込んだのだ。村では熊はいい値段で売れ、そこそこ綺麗な宿に泊まれるくらいの収入になり、私達はこうして柔らかいベッドに寝転がることができたのである。
回想終わり。
「あー、肩こった」
「わたしもですー」
熊を括り付けた木の棒を担いできた肩の筋肉をもみほぐす。スプーンより重たいもの持ったことがないなんて言うつもりはないけれど、普段やり慣れてない重量級の仕事をするとやっぱり疲れる。
ああ、柔らかいベッドが気持ちいい。これは村の私の部屋のベッドとは違う。ハタテもそう感じているらしい。上のベッドから気持ちよさそうなつぶやきが聞こえてきた。
「あー、やっぱり観光客向けの宿は違うなー。ベッドも柔らかいしー」
「確かに、なんか上等な感じ」
私はハタテに同意する。ベッドの柔らかさをハタテが論じているように、いつもはもっと安い木賃宿だそうで。実際値段はそうそう変わらないらしいんだけども。二段ベッドで一部屋に二人押し込められている時点で、程度の差は推して知るべしである。
それでも、ベッドはやらかいし、それにぼろ宿にはない設備がここにはある訳で。
「あとで温泉入りましょうね。ここの村のお湯、私好きなんですよねえ。で、ここの宿のお風呂は温泉なんですよ。外行かなくても温泉入れるんですよっ♪」
ベッドの上からひょこりとハタテの頭が飛び出し、私にキラキラした目を向けてきた。
そう、このお宿、温泉に入れるのである。
うきうきとした様子のハタテに、私は「でもね」と口を開く。
「でもねー。狼なんだけど、私達。人間はどうするの。尻尾とか、耳とか、見られたらまずいんじゃない?」
「それは、大丈夫。夜中に入るんですよ。見られませんて」
「ふむ‥‥」
正体ばれは怖いけど、温泉、いや、お風呂は大変魅力的。ちょっとごわつく髪を撫でながら、笑いかけるハタテに「良いわね」とつぶやく。人狼の村に来てからというもの、私は一回もお風呂を使っていないのだ。寝る前にぬるま湯で体をぬぐうのが、人狼流のお風呂。髪は何日かおきに川で洗う。最初は戸惑ったけど、いざそうやって暮らしてみると、数日で慣れてしまっている私が居て。お風呂に入らないというのは、まず水は大事に使うものであって湯船はぜいたく品であるという村の風潮と、あまりお湯やせっけんで体を流してきれいにしすぎると、鼻がバカになって来ちゃうという種族的な問題の両方がある。‥‥だからと言って清潔にしてないと、私達はそれこそ雨に濡れたわんこみたいな匂いがし始めてそれはそれで鼻に影響がでるので、ギリギリのところで何とかしているんだけども。
美鈴はといえば何日かに一回、川で水浴びである。彼女も紅魔館では毎日お風呂に入っていたのだが、どうも美鈴はそこら辺も気にしてない様子。‥‥もともとこういう生活してたんじゃなかろうかと勘繰りたくなるくらいに。
ちなみに、龍になった美鈴は毎日塔の天辺で日向ぼっこしているため、彼女のたてがみは干した布団のようにフカフカで、良い匂いがする。
「さて、まずはご飯食べましょ。‥‥私は“しばらくぶり”だし。ハタテはその口ぶりだと最近この村に来てたみたいだし、案内、おねがいね」
「まかされまして」
空腹を訴え始めた体に応え、ハタテに出かけようと誘う。この村の様子は、私は当然知らない。適当にしばらくぶりと言ってごまかして、ハタテに案内を頼む。彼女は嬉しそうに応えて、上段からごそごそと降りてきた。姿見の前でバンダナをかぶりなおして狼の耳が出ていないかチェックしている。
「ご飯ならいいとこあるんですよー。最近できた美味しい食堂があるんです。モツを出してくれるんで、わたし大好きなんだ」
「へえ」
ニコリと笑いながら、くるっとこちらを振り向くハタテ。普段は短いツインテールを結んでいるけど、バンダナを巻くためにほどいている彼女の髪が、振る舞いに合わせてふわりとなびく。とても可愛い。しかし彼女は狼。笑顔と仕草はとっても女の子だけど、肉食。暗闇で敵の頭を百発百中で射抜き、野生の熊にサバ折りかまして悶絶させるアマゾネスな女の子である。まあ、元のはたても鴉天狗だし。肉好きらしいし。違和感ない、かな。これくらいはやりそうな気がする。
「さあ!いきましょうか、おねーさま」
「んぐ」
戸惑う私を気にせずに、しなやかに腕をからめてくるハタテ。‥‥こればっかりは、違和感の塊だけれども。
****************
「あー、おいしかったー!」
「うん。お肉美味しかった」
「安いし、村のみんなもここに来ると最近は必ずあそこのお店に行くんですよ」
すっかり暗くなった村の路地を、私達は体中から肉の匂いをさせながら歩いていた。会話のお題は、さっき夕飯を取ったモツ料理のお店。
村の一角。食堂が集まっている区画に、ハタテお勧めのその店はあった。みためはごくふつーの二階建ての食堂である。一回が食堂。二階が店主家族の住居だ。
外見は新しいだけあって綺麗だけど、中から漂ってくるのは濃厚な獣脂の焦げる匂い。
二階の家族は大変だろうなあ、と、ちょっと心配してしまうくらいに、その店は良い匂いをこれでもかと振り撒いて、私達を待っていた。勝手に口の中に溢れるヨダレを飲み込みつつ、ハタテに続いてドアをくぐる。響いてきたのは威勢のいいおっちゃんの「いらっしゃいませ」の声。店内は野良姿や地味な普段着で肉料理をたべる村人たちでいっぱい。狩人の恰好でよかった。刺繍入りのエプロンなんて巻いた“おしゃれ”な村娘の恰好じゃあ、きっと似合わないだろうから。
たくさんの見知らぬ料理名(文字は読めた)に戸惑う私をよそに、ハタテは注文を取りに来た女の子に、カウンターの石板にろう石で書かれた、今日のおすすめを指さして迷いなくそれを“3人前”たのんだ。
周りの客とウェイトレス、そして私が戸惑うのをよそに、おいしいんですよーと笑うハタテ。大丈夫なのかと心配になった私だけど、ほどなくして「おまっとさん!」とオヤジさんがちょっと乱暴に置いたそれに、私は目と鼻と心を奪われた。
大きな器に、どろりと濃厚なスープで煮込まれた獣肉が山盛りでごろごろ入っていて。付け合せは、これまた山盛りのゆでたジャガイモ。肉好きの人狼の本能に体は正直に反応し、はしたなく二人のお腹が鳴りだす。いただきますを言うと同時に私達はナイフを肉に突き刺し、肉を噛みちぎっていた。
‥‥至福の時だったわ。
「あー、あのお店のおすすめ、美味しかったなぁ」
「ですよね!あそこの鹿の心臓の煮込み大好きなんですよー。心臓の他にもレバーとか胃袋とか、スープにも血がいっぱい入ってて。祭りの鍋みたいで」
「そうねー」
私はとろんとハタテに応える。ちょっとクセのある匂いの肉は、噛むとおいしい肉汁と濃い味のスープがドバっとあふれてそれはそれはジューシーで。付け合せのジャガイモが濃いスープに合うのなんの。となりのフード姿の二人組が「うわあ」とか言っているのが聞こえたけど、私達は無言で肉と芋をむさぼりつづけた。3人前の肉は、あっという間になくなった。ウェイトレスの子は「ひゃあー」とか言って驚いてるし、オヤジさんはハタテに「毎度良い喰いっぷりだねえ!お嬢ちゃん!新顔のお嬢ちゃんも好いね!」と満面の笑み。
‥‥完璧に肉食獣になっている私をお嬢様が見たらなんていうだろうか。お嬢様の故郷あたりじゃ、人間も結構モツとか家畜の血を食べるらしいけど。帰ってもこんな感じの料理の味を覚えてたら、作ってあげようかなぁ。びっくりするかなぁ‥‥。
「おねーさま?」
「ほえ、なに!?」
あの味を思い出してぼーっとしながら歩いていたら、ハタテに心配そうに見つめられてしまっていた。大丈夫よー、と笑って答える。
人間“十六夜咲夜”にひとまずサヨナラした私だけど、平和な時間を過ごしている最近、ちょくちょく紅魔館を思い出している私が居る。ホームシックってやつだろうか。
思わず空を見上げる。今日は満月のはずだけど、ちぎれた雲が月を隠していて、直接その姿は見えなかった。思わず遠吠えしそうになる喉を、なんとか抑える。お嬢様ーっって。
この夢は一体どこまで続くのだろう。何か私達には使命があったりするのだろうか。何か目的を果たせばこの夢は終わるんだろうか。それとも、“サクヤ”という人狼が死ぬまでだろうか。それは一体何年かかるんだろう。
心細さにまた遠吠えしそうになり、私は唇を引き結んで前を向く。いつの間にか、宿のすぐ近くまで帰ってきていた。その角を曲がれば、私達の宿だ。温泉の臭いが鼻をつく。そのにおいを嗅いで、ハタテが嬉しそうに話しかけてきた。
「熊と戦ったり、今日は疲れましたもんねー。さ、早く入ってお風呂ですよっ」
「そうね!」
あはは、と笑いながら、私達は宿屋に入った。今日のところはとりあえず、お風呂に入って寝てしまおう。なんとかなる。きっと。べそべそ泣くのは性に合わないし。
んー。明日、美鈴のお土産、何を買おうかな。
*****************
「がふっ」
‥‥月明かりが私を照らしてる。今日は、満月だ。明るい月夜の村の風景を眺めながら、私はため息を吐いた。うん。寝れないなぁ。
最近、夜になると目が覚めてしまう。別に昼間寝ているわけではないんだけれども。
「‥‥」
背中に感じる小さな重みを落とさないように気を付けながら首を伸ばせば、心地よさそうな寝息が聞こえてくる。
「すー」
「‥‥うーむ」
寝ているのは、ちっちゃな女の子。私のたてがみにしがみついて顔をうずめながら、気持ちよさそうに寝ている。これじゃ身じろぎもできないなぁ。
このこは“サクヤ”さんの妹。れみりあちゃん。お嬢様と同じ名前をもつ彼女のここ数日のお気にいりは、私のたてがみをベッド代わりにしてねむること。体が鈍っちゃうから夜の間に空を飛ぶのがここに来てからの私の日課だったんだけど、こうされるとねえ。まあ、ヒゲを引っ張られるのよりは断然いいけどね。ヒゲ、すごく敏感なのさ。これって。
ふが、と鼻から息を吐いて、私――紅美鈴――はまた空を見上げてみる。
咲夜さんと一緒にこのへんてこな夢の世界に来てから、一週間。私は龍になって、咲夜さんは狼になって一緒に変な奴らとケンカしたりして。
正直思う。私は今、何をしているんだろう。何をしなきゃならないんだろう。
咲夜さんと一緒に考えたところでは、ここはお嬢様が読んでた本の世界じゃないかということになったけど。問題は、そうだとしたら私達は何の本の中に居るんだろうということ。あのとき図書館で荒筋聞かせてもらったけど、お嬢様が読んでた本って、こんな内容じゃなかったはずだしね。
「‥‥」
わんこが伏せをしているような格好で、上半身を起こしている私。見下ろす手は、ごっつい爪の生えた鱗だらけの龍の前足。――ああ、何がどうしてこうなっちゃったんだろうね。
あの日この世界で龍になった時、私はものすごく驚いた。ええ驚きましたとも。なんせ、自分の体が知らない間に姿を変えてしまっているんだから。腕はゴツイし指減ってるし。尻尾も角も髭まで生えてるし。髪の毛はそのまんまたてがみになってて、全身鱗だらけ。おまけに素っ裸。‥‥まあ、それは別にいいんだけど。寒くないし。
だけどそのすぐ後の黒ずくめたちとの戦いで、私は正直、怖くなった。姿ではなく、もっと根っこの部分が変えられたことに。自分が、自分でない者に変えられるということに。
あのとき、村に向かうようにと吠えた咲夜さんの命令を聞いた瞬間、私の頭の中が真っ赤に染まった。そこから先は、あやふやであまりよく覚えていない。気が付いたら、血まみれの咲夜さんに抱きしめられていた。口の中に、人間の味がした。
あの時私は、完璧に龍になりきって、黒ずくめたちを片っ端から潰していた。手加減など、まるで考えないで、我を忘れて。私はその時確かに感じた。私の中に誰かが入ってきたとでもいうような、私ではない何者かの存在を。私は、そいつになっていた。させられていた。
その後の夜の戦いで、私はちょっと抵抗してみた。龍ではなく、門番紅美鈴として戦えないかと。でも、気が付けば私は龍の“メイリン”になって、咲夜さんと雄叫びを上げていて。
‥‥自分が自分でなくなること。それって、妖怪や神様にとっては死ぬのと同じ事。
――――わたし、しばらく人間やめるわ。
黒ずくめたちを皆殺しにした戦いの後で、みんなが寝静まった後、咲夜さんは私にそう言った。
あきらめたように笑いながら、口の端を上げて。
私は驚いて何も言えなかった。何もしゃべれなかった。こんなにも早く、咲夜さんが“変わること”を受け入れてしまったということに、驚いたから。
そしてすぐに怖くなった。咲夜さんが、どんどん変わって行ってしまうかもしれないことに。私もいずれそうなってしまわないかということに。私という、紅美鈴という妖怪が無くなってしまわないかということに。
内心震える私に気が付くこともなく、咲夜さんはお休みと言って寝てしまった。その寝顔が、見慣れた咲夜さんの物だったことが、ひどくうれしかった記憶がある。
「すう」
背中に感じる、小さな重み。私は、咲夜さんが私の背中の上でこんな重さだったころを知っている。私だけじゃない。紅魔館のみんなだって色々知っている。お嬢様が、少し歳の離れた姉妹のように、咲夜さんを撫でていたことを。妹様が、犬がするようにお手させようとしてお嬢様に怒られていたことを。パチュリー様が、夜の枕元で絵本代わりに魔道書をひたすら読み聞かせて危うく咲夜さんが呪われかけたことを。小悪魔が“淑女のお勉強”とか言って暗がりに引きずりこみかけたところを慌てて止め‥‥
う、うん。ろくでもないことも大分混じってるけど。みんな、咲夜さんが好きということでいい。そうだよね。
「‥‥まもりましょうかぁ。ね」
ぽつりとつぶやいてみる。
私は、紅魔館の門番だ。紅魔館のみんなを護る門番だ。それが“紅美鈴”という妖怪だ。
守るよ。咲夜さんを。咲夜さんから、咲夜さんにつながる、紅魔館のみんなを。それが私が私で居るために必要なこと。たとえ姿かたちが、すっかり変わってしまったとしても、私という根っこが変わらないために必要なこと。たぶん。
「うひー。ガラじゃないのになぁ、こんな決心とか」
気恥ずかしさに、あえて声を出して夜空につぶやく。きっと私は相変わらずがふがふ言ってるんだろう。龍の言葉で。
「――――“ちょっと昔、紅美鈴は夢で龍になった。がふがふ言いながら空を飛び、龍そのものだった”ってか」
むかーしの祖国の詩をきどってつぶやいてみる。これが“胡蝶の夢”なら、にわかに目覚めたとき、私はちゃんと紅美鈴として目覚められるだろうか。咲夜さんは、十六夜咲夜として目覚められるだろうか。‥‥そうですよね。一切斉同、姿かたちが変わったって、根っこが同じなら同じなんですよね。根っこが変わらなければ大丈夫なんですよね。そうですよね。私は私ですよね、南華老仙様!
‥‥うあー!ホントにガラじゃないのになぁ、こんなこと考えるの!もっと人生、気楽に行きたいってのに!
「~~~~~?」
「へ?」
振り向けば、眠たそうに眼をこすりながら、れみりあちゃんが何事か問いかけている。しまった、がふがふ喋りすぎたかな。
相変わらず、人狼のみんなの言葉は全然わからない。ふす、と申し訳なさそうに‥‥伝わるかなぁ?私は小さく鼻息を吐いて、頭を降ろしてあごを前足の上に置く。
――――咲夜さんを護るんだ。たとえ姿が龍であったって、やることは変わらないはずだから。
「‥‥」
うーん。そう決心したら、なんだか胸のあたりがモヤモヤするのはなんでだろう。胸騒ぎ?いやいや。
あー、無理してでも咲夜さんについて行けばよかったかなぁ。この体は力あるけど大きすぎて、いざという時じゃないと結構不便なんですよねえ。
「早く帰ってきてくださいね。‥‥“ご主人様”」
月を見上げて、つぶやいてみる。今頃何やってんのかなぁ、咲夜さん‥‥
あー!落ち着かないなぁ!なんだか!
*******************
「――――むう」
暗闇の中、息苦しさを感じて私は目を覚ました。
蝋燭を消した暗い室内には、ハタテの気持ちよさそうな寝息だけが響いている。
のぼせた。熱い温泉に浸かりすぎた。後頭部の髪が汗で濡れている。ちょっぴり上等なベッドと布団は保温性もちょっぴり上等だったようで。人狼の村のベッドのつもりで布団被ってたけど、温まりのいい温泉と良い布団の組み合わせは想像以上に私の体に熱を溜めた。
枕元の皮袋をあさる。さっき買った人参に、皮袋の水筒。人参は脇によせといて、水筒の生ぬるい水を口に含む。じわりとのどに広がっていく水が気持ちいい。
「おねえさまぁ‥‥」
ハタテの幸せそうな呟きが上段ベッドから聞こえる。‥‥いったいこの子は私にどんな感情を抱いているのやら。一人っ子であるとは道々聞いたけど、姉にあこがれるとかそれ以上の感情は持っていないと思いたい。うん。‥‥そうだよね?ハタテちゃん。お風呂で執拗に胸に手を伸ばしてきたのは冗談だよね?じゃれ合いですわよね?
「ぐー」
「‥‥」
私の内心の困惑など知る由もなく寝ているハタテ。夜風でも浴びようと、私はにわかに気温が上がった気がする部屋から廊下に出た。パジャマなんて洒落た物は用意してないしされていないので、私は昼間着ていた麻の服のまま。
真夜中の宿の廊下。窓からは月明かりが差し込んでいる。そこに近づき、私はそっと窓を開ける。目の前には隣の建物が迫っているが、密着というわけでもなく、あけた途端、新鮮な空気が吹き付けてきた。見上げた細長い夜空には、満月が明るく輝いていた。
「‥‥月を見たらどうにかなるってわけでもないのね」
昔話の狼男は月を見れば変身していたけど、月を見た私の体に毛が生えるとか、そういう様子はなかった。
窓枠に腰かけ、半身を窓の外に出す。冷たい夜風は期待した通り気持ちいい。‥‥今頃、美鈴もこの月を見てるんだろうか。
ぼんやりそんなことを考えながら、汗の引いた髪の毛を撫で、ふと廊下を振りかえった時だった。
目の前に、“それ”は居た。
「え」
――――半分透けた、人影が!
『――――』
「!!!!?あ、うわっ?」
窓から転げ落ちそうになる体を慌てて支え、必死に窓枠を掴む。叫び声を上げなかった自分をほめてあげたい。
「あ、あああ」
人影を、月明かりが照らしている。薄くぼんやりとしたそれは、月明かりを浴びて、だんだんとその濃度を増していく。
‥‥皮のブーツ。ズボン。尻尾。腰に下げた短剣。麻のブラウス。マント。指出しのグローブ。皮のバンダナ。銀髪。狼の耳。‥‥女の子。背丈は、私と同じくらいで――――
「‥‥え、わ、わた、し?」
そう。“わたし”。廊下に立ち尽くす白い影は、この世界に来た時のわたしとそっくりな格好をして、こちらをじっと見つめていた。ほのかに、笑いながら。しかしよく見れば、彼女の顔の様子は私とは少し違う。両目の下に、横に引っ掻いたような刀傷が、一本ずつ。三つ編みはなく、狼の耳には金色のピアスが一つ、ついていた。
「え、えっと」
これはやっぱり幽霊なんだろうか。それとも、幻?知り合いに騒霊も亡霊も半霊もいるけれど、皆お化けにしては賑やかすぎるのばっかりだったので、目の前の彼女の様な現れ方をされるとさすがにびっくりしてしまう。
彼女は、こちらの様子を気に留める様子もなく、静かに私を見つめ続ける。
「‥‥貴女は、誰?」
窓枠に腰かけ、しがみついたまま、私は小さな声で問いかけてみる。ごくりと唾を飲み込む。その音がやけに大きく耳に響く。
『‥‥』
彼女は私の問いかけに答えず、パチリとまばたきをした。そして、ゆっくりと口を開いた。
『‥‥。‥‥』
「‥‥?」
小さく、口が動いている。でも声は聞こえない。戸惑う私をよそに、何事か語りかけた彼女は、両手を前に揃えると、ゆっくりとお辞儀をした。まるで、何かをお願いしているように。思わず、私はつられて、小さくあごを引く。私を見て、彼女は、嬉しそうに笑った。柔らかな笑顔だった。
「ね、ねえ、あなた、いったい――――」
手を伸ばし、窓枠から降りて彼女に近づこうとした、その瞬間だった。まるで吹き付けるような唐突な殺気が、私を襲ったのは!
「?!」
前方に転がり込む私の後頭部を、何かがかすめる。耳隠しのバンダナが引っ張られてはずれる感触。受け身を取った時、大きな音を立てて床板が軋んだが、そんなことを気にする余裕はなかった。
「ぐううううっ!」
呻り声を上げながら窓を振り向く。少女はいつの間にか消えていた。月明かりの差し込む、明るい窓。その窓枠が、大きな刃物で叩きつけたようにずたずたに切り裂かれている!遠くで、屋根板が軋む音。誰かが逃げていく!
「―――― っ!」
右足のホルスターからナイフを一本抜き、私は窓枠を潜り抜ける。そのまま隣の家壁を蹴って、屋根の上に飛び上がった。誰かが待ち伏せしていることも考えられたけど、狼の耳と鼻は近くに誰もいないと教えてくれていた。
着地する屋根の上。森の手前までみっしり家々の屋根が広がる、いらかの波の中に、私は敵の姿を探す。
「どこに――――」
振り返る視界、月明かりを反射する細い輝き!
「!!!」
四つん這いで身を伏せる。風切音を残し、何かが頭の上を通り過ぎて行った。その輝きが飛んで来た方向、二軒先の屋根の上、両手を掲げて立つ、フード姿の人影!
「ああ、また避けた」
「なっ」
つまらなさそうなつぶやきがフードの中から漏れてくる。女の声だ。一瞬、月明かりがフードの中を照らす。緑色の目が、こちらを睨んでいる。
誰、とか聞く暇は私に与えられなかった。フード姿の女は無造作に手を振るい、何かをまた私に向かって投げつける!
ぱあん!
「わっ!」
乾いた音を立てて足元の瓦がはじけ飛ぶ!慌てて後ろに跳ねる私の足元の瓦が、次々と粉々になっていく!
「ちょ、ちょっと!」
「わあ!狼のくせに蛙みたいに跳ねるのね!」
「は!?」
「さっさと死になさいよ、女狼!」
フード姿の女性が、次々と投げつける何かに、私は逃げ惑うことしかできない。なんだ、何を投げてるの!針!?礫!?
おまけにあいつ、狼って言った!間違いなく私を狙ってる!けど、一体なんで!
「この、っ!」
「はいもういっちょー!」
「!」
着地したとある民家の石造りの煙突が、見えない何かで真っ二つに切断される!慌てて飛ぶ私を、緑色の細い目が追いかける。笑ってる!あいつ!
騒ぎになれば人が来る。その時、指を差されるのは私!耳隠しのバンダナは最初に外れてる。狼の耳が丸出しだ!
「がああああ!」
「!」
偶然むき出しになっていた木の梁――――砕かれることのない足場――――の上に着地できた私は、フード女に向かって飛び掛かりながらナイフを投げつける!
かあん!
甲高い音を残してナイフが弾かれ、闇に消えていく。もったいないけど、これで一瞬でもあいつの動きを止められた!まっすぐ飛び掛かる私に、女の呆れた声が飛んでくる!
「あれ、もうやけを起こしたの?」
「まさか!」
女が何かを投げつけるより早く、私は拾っておいた瓦のかけらを続けざまに投げる!彼女がまた手を振るう。瓦は女にあたる前に、乾いた音を立てて粉々になった!
ばしっ!ばしばしっ!
「うわ、うっとおしい!」
「うっとおしいのはどっちよ!!」
「!」
瓦を迎撃するので手いっぱいのフード女に、私は渾身のとび蹴りをお見舞いする!
皮のブーツが、布の奥に思い切りめり込んだ!
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げ、吹っ飛ぶフード女。女は宙を舞い、瓦をまき散らし――――
「何すんのよ、痛いじゃない!」
「!?」
不機嫌そうな声が響くのと同時に、フードの背中がはじけ飛び、細長い何かが飛び出した!
が、がん!
「‥‥ふううううう」
「な、あっ」
その光景に、私の目が点になる。女の背中から生えた、細長い4本のそれは、鋭い先端で屋根瓦を突き刺し、あおむけに落下していた女の体を屋根の上に支えて固定する!踏ん張るように張り出したそれは、とても見覚えのある形をしていて――――
「く、蜘蛛‥‥!?」
「痛ぁ‥‥女の子の腹蹴るなんて、何考えてんのよ、卵産めなくなったらどうすんのよ」
‥‥知るか、そんなこと。
ぶつぶつ言いながら、そいつはぞろりと背中から生えた足をぎちぎちと動かし、ゆっくりと体を起こした。
私は短剣を引き抜きながら、フード女改め蜘蛛女に問いかける。
「夜中にいきなり殺そうとしてくるほうがよっぽど何考えてるか分からないんだけど。誰よ、あんた」
「見ての通りよ」
「分かんないから聞いてるんでしょうが」
「蜘蛛です」
「それは見ればわかるわ」
蜘蛛女は、身構える私を気にした様子もなく体勢を整える。カルイ態度は、余裕のつもりか。
警戒したまま、私は質問を続ける。
「私を狙ったわね。それはなぜ」
「答えると思って?」
「答えなきゃこのまま殺すまでよ」
「うわ、おっかない。狼ってやっぱりおっかない」
風貌や行動を見た感じ、この蜘蛛女は殺し屋ってとこだろうか。牙を剥く私に、彼女はおどけた調子でけらけら笑っている。お喋りな殺し屋だ。それに、彼女のあの“匂い”。もし、そうなら――――
「なんかいろいろ想像してるみたいだけど、たぶん、当たり。俗に言う殺し屋よ、私」
「‥‥昨日、飯屋に居たわね。もう一人はどこかしら?」
「あ、あれ、気が付いた?」
「美味しそうな匂いしてるもの、貴女」
「ありゃ」
モツ料理屋の隣席で、私達を見つめていたフード姿の二人組。その片方が、こいつ。‥‥だって、服からあの料理の匂いがするもの。
あのとき居た、もう一人がどこかに居る。
「で?今夜は一人な訳?」
「あいつ?あいつならまだ来てないわよ。起こしたけど、なかなか起きてくれなくってね」
「‥‥寝坊するとか、どういう殺し屋よ、あんたら」
「んー、お気楽な殺し屋かしら?」
「馬鹿じゃないの」
「そうかもねー」
あくまでもおちゃらけた様子で、蜘蛛女は私に笑う。ああ、余裕だなぁ、こいつ。
「‥‥その殺し屋が、どうして私を?」
「さあ?あんたの日ごろの行いが悪かったんじゃない?」
「品行方正に生きてるつもりだけど‥‥ねっ」
「!?」
私が無造作に投げつけた瓦の欠片を、彼女は背中の腕で叩き落とした。鋭い鈎爪が月明かりに煌めく。ああ、あれに気が付かずに懐に飛び込まなくてよかった。串刺しにされるとこだった。
「‥‥これも品行方正?」
「これは正当防衛」
「意味わかんない」
蜘蛛女が両手を垂らす。またあれを、たぶん糸を、投げる用意か――――
「じゃあこれも正当防衛ってことで良いわねっ!」
次の瞬間、蜘蛛女の背中に生えた2対の腕から糸が吐き出された!
「な!?」
慌てて真横にすっ飛ぶ。私のいたところの瓦が、4条の糸の直撃を受けてまた砕けた!って、糸ってそういうふうに使うものなの!?射撃武器なの!?
「ほーれほれー、さっさとしねー」
「ふざ、けんじゃないわよぉっ!」
逃げ惑う私を弄ぶ蜘蛛女。拾った瓦に混ぜ、私はなけなしのナイフを投げつける!蜘蛛女は背中の腕で瓦とナイフを叩く!
が、がん!
「あれ、手詰まり?」
「まさか!」
ナイフは瓦と違って糸じゃ砕けない。蜘蛛女がナイフを叩き落としている間に、私がむんずと掴みあげるのは、さっきこいつが切り飛ばした煙突!
「本命っ!」
「!」
拾った姿勢から上半身を持ち上げながら、サイドスローで蜘蛛女に投げる!
「このおおおお!!」
石と漆喰の塊のこいつなら重量がある!軽く叩いたりするくらいじゃ落とせないはず!
「チッ!」
がっ!
背中の4本腕を回して煙突の切れ端を受け止める蜘蛛女!その間に、私は奴の懐に潜り込む!
―――取った!
「死ね」
「!」
蜘蛛女の腹に向かって短剣を突き出す!これで――――
「‥‥ドラゴンライダーって聞いていたけど、この程度なのね」
「!?」
蜘蛛女はまたつまらなさそうな声を出すと、残像だけ残して後ろに跳ねた!私の剣が、的を失い宙を薙ぐ。うそ!こいつがこんなに素早く動けるなんて――――!
「周りも見ない、攻撃も単調!」
女が両手を掲げる。その手から伸びる、月光に煌めく細い糸!それを目で追った私は、自分が屋根の上に張り巡らされた蜘蛛の巣の上に居ることに気が付いた!
こ、これ、さっきから投げつけていた糸!全部、計算づく!?
「あああ!?」
「つまんない獲物!」
女が手を引く、その動きに合わせ、屋根から糸が離れて立体的に私を包み込んで縛り上げていく!糸が、体に――――!
「ひぐ、っ!」
「獲った」
細い糸が体に食い込み激痛を発する。その痛みに、私は何もしゃべれなくなった。のどから出てくるのは、切れ切れのうめき声だけ。
「ぐ、あ、あああ、あ」
「せっかく満月の晩に出てきてあげたってのに。ぜーんぜん強くないのね。なに、偽物?人狼の偽物?」
蜘蛛女が、糸を手繰りながら近づいてくる。立ったまま、雁字搦めに縛り上げられた私を、緑色の目で睨み付けながら。
体が、全然動かせない、下手に身じろぎするだけでも、糸が食い込む‥‥!
「“虹を吐く龍”に乗る、人狼のドラゴンライダー‥‥」
「‥‥ぐ、う、う」
「風の狼、ユウカの妹、“サクヤ”‥‥」
ユウカ姉さんの二つ名、初めて聞いた‥‥ああ、痛い、頭がぐらぐらする‥‥
いつの間にか女が目の前に居た。ゆっくりと片手を持ち上げ、私の顎を掴む。痛みにうつむく私は、無理やり女の方を向かされた。
少しずれたフード。端からはさらりとしたブロンドが覗いてる。両の目尻からは、牙のような形で口に向かって伸びる、瞳と同じ緑の刺青‥‥
「西の国の特務隊を皆殺しにした、賞金首の女狼(ウォルフェス)‥‥かーわいい顔してるじゃない」
「あ、あな、た、西の‥‥!?」
「いんえ?私はただの雇われ賞金稼ぎよ」
蜘蛛女はそう言うと、ひひひ、と笑った。小さな牙を、のぞかせながら。糸が、一段と体に食い込む。激痛に、視界がもうろうとしてゆく。
「ひ、ぎ‥‥」
「悪く思わないでね。今までだって、貴女もこうしていっぱい殺してきたでしょ?大丈夫。一瞬だわ」
女の右の手のひらがこちらを向く。真ん中に、ガバリと開く、黒い穴。あそこから糸を出してたんだ‥‥ああ、うごけない!痛い!腕が、バラバラになる!
「こ、この、おぉっ!」
「首、もらうわよん」
楽しそうに、歌うように。蜘蛛女が笑う。ああ、畜生。逃げられない!ここで、わたし終わり、なんだ、な。
美鈴、ごめん‥‥!
「じゃあね」
女が、私の首に糸を掛ける。わっかが、だんだん閉まっていく。首に走る鋭い痛みに、私の体が、びくりと震え――――
どががががっ!
「ぎゃああああああっ!?」
「‥‥!?」
無数の衝撃音と同時に蜘蛛女が悲鳴を上げる!全身を襲っていた糸の感触と激痛が、ふっと消えた。
たまらず、私は膝をついて屋根に倒れ込む。
「姉様から離れろ。アラクネ」
「ぐあ、ああああ!」
聞こえてきたのは、恐ろしく冷たいハタテの声。蜘蛛女の、うめき声。
「姉様!」
屋根の上に倒れ伏す私からは、周りの様子は何も見えない。頭を動かすのさえ億劫。代わりに空気を伝わって耳に感じる、のた打ち回る蜘蛛女の気配。地面を蹴る音。ハタテの匂いが、すぐ近くに。ああ、よかった。来て、くれたんだ。
「ねえさま!大丈夫ですか!ねえさまっ!」
「あ、りがとう、ハタテ‥‥」
「大丈夫ですか!」
「た、ぶん、ね‥‥腕、ついてる、かな」
「つ、ついてます!大丈夫!」
「そう‥‥よかったぁ‥‥!」
体を揺さぶられる。ハタテの涙声が聞こえる。
蜘蛛女の糸に締め上げられて血が通わなくなっていた体に、ハタテのゆさぶりは結構、気持ちよくて。
「ごめんなさい!ごめんなさいお姉様!わたし、全然、全然気が付かなくて!」
「いい、だい、じょうぶ、だから‥‥それより‥‥」
「小娘ぇ‥‥!」
「!」
蜘蛛女の低い声。何とか回復してきた私は、両手をついて体を起こす。視線の先には、同じように背中の足で体を起こす、蜘蛛女が。脇腹と、首。突き刺さっているのは、ハタテの放った矢!
「石弓で一度に、5本?おまけに、矢羽で私の糸まで切ったですって?‥‥ふざけた真似を‥‥!」
「動くな!」
首に矢が刺さっているというのに、蜘蛛女は起き上がる。体の構造が違うんだろうか。それに向かって、がしゃり、とハタテがクロスボウを構える。‥‥ハタテもハタテだ。一体、どういう腕をしてるんだろう。ただのクロスボウで、矢の連射とか。
「今日は腕試しのつもりだったけど、もういいわ。殺す。今すぐアンタら殺す。殺してやる‥‥!」
「動くなと言ったわ」
呻いて体を起こす蜘蛛女に躊躇なくハタテが矢を放つ。矢は蜘蛛女の腹に深々と突き刺さった。緑色の体液が、月明かりに煌めく。
「ぐああああ!」
「次は目に撃つよ」
「こ、このおっ‥‥」
「ねえさま。剣、貸してください。こいつら殺すんだったら、首落とさなきゃ、死なないから」
ハタテが立ち上がる。私は、屋根の上に転がる短剣を指さす。よかった。地面に落ちてなくて。ハタテは蜘蛛女を睨み付けながら、短剣を拾い上げる。ほどけた銀髪が、夜風になびいて白く輝く。ああ、綺麗。
「ねえさまを痛めつけた事、地獄で後悔しなさい」
「こ、小娘ぇっ!」
ハタテが、身動きの取れない蜘蛛女に向かって、剣を振り上げる。狙いは、彼奴の首筋――――!
「ははー。なんだ。負けてんじゃないか」
「!」
「!?」
突然響いたさらに別の声に、皆が動きを止める。私達の横。路地を挟んだ反対側の家の屋根に、もう一人のフード姿!声色からして、こいつも、女?
「はっ!」
「わあっ!」
新たなフード姿の輪郭がいきなりぶれたかと思うと、次の瞬間にはハタテの目の前に!
「もらってくぜ」
「!」
そう言い残すと、また掻き消えるフード姿の少女!あの、蜘蛛女ごと!路地の向こうから聞こえる重たい音に振りかえれば、さっきの屋根の上に蜘蛛女を抱えて佇むそいつが居て。な、何いまの!
と、いうか、その喋り方、誰かーにとっても似てる気がするんですけどぉー‥‥
「うは、やられたなぁ。大丈夫か?あちこち串刺しじゃないか。えいっ」
「いだっ!って、あんたが、なかなか起きないからでしょう!」
「あれ、様子見るだけだからひとりでもいいとか言ってたじゃないか。だったら大丈夫かなぁって」
「そのあたりは汲み取りなさいよ!いたたたた!」
「何をだよ」
――――なに、こいつら。
遠慮なしに矢を引き抜きながら軽口をたたく少女に、蜘蛛女がブツブツと文句を言う。
あっけにとられる私達。それでも、なんとか動けるようになった私は、短剣をまたハタテから受け取り、構える。ハタテは腰の矢筒から、新しい矢をクロスボウにつがえている。
「ああ、痛かった」
フードの首元を緑の体液に染めた蜘蛛女が、ゆらりと立ち上がる。べたつく布がうっとおしくなったか、奴はフードを乱暴に後ろに跳ねあげた。
現れたのは、短いストレートのブロンド。赤い、カチューシャ‥‥って、ま、まさか。
「いいわ、もう、いい。さっさと終わらせる」
「お?」
「行くわよ、“マリサ”。この町ごと、奴らを燃やす」
「‥‥乱暴だなぁ、“ありす”は」
「ちょっ!」
うあー!うわあー!よりにもよってアンタ達が!って、燃やす!?
怒りに燃える蜘蛛女“ありす”のとなりで、“マリサ”もフードを脱ぐ。長い金色のぼさぼさ髪が、ざあ、と広がる。その首には、黒く輝く、首輪。ハタテがその首輪を見て驚愕の声を上げる。
「な、く、首輪っ!?まさか!」
「え?」
慌てているハタテ。どういう事態なのか呑み込めない私をよそに、“マリサ”は、首輪に触れて、静かにつぶやいた。
「変、身」
“マリサ“がつぶやいた瞬間、光が首輪から発せられ、彼女の体を白く染める!
「うふ、ふふふふ‥‥あは、ははは、ははははーっ!」
「ま、まずい!ねーさま!逃げますよ!」
「逃げっ!?」
光の塊とした“マリサ”の輪郭が、空に浮かびどんどんとその大きさを増していく。首が大きく伸び、1対の突起――――翼!――――が広がっていく!
こ、これって!
『あー、やっぱいいなぁ、この瞬間。なんかこう、解き放つ快感っていうか』
「変態」
『そうかなぁ』
空に浮かぶのは、尖った翼をもつ、一匹の金色の竜!頭には後退した小さな二本の角。細長く伸びた首、そこに嵌まる黒い首輪。小さく細かい鱗が滑らかに覆う体、鋭い輪郭を持つ凹凸のない翼。首筋から背中を合わせてなだらかな流線形を描く尻尾。鋭いかぎづめの生えた、小さな前足と頑丈そうな後ろ足!
「わ、ワイバーン(飛竜)っ!」
「ドラゴン、ライダー‥‥?」
悲鳴のような叫び声をあげるハタテ。呆気にとられる私。動けない人狼達を睨みながら、蜘蛛女が跳びあがり、飛竜の背中にまたがる。
「さあ、行くわよ。この体に傷をつけたこと、後悔させてあげるわ。あはははははは!」
「ね、ねえさまっ!」
(美鈴っ‥‥!)
蜘蛛女の高笑いが満月の夜空に響く。泣きそうな顔をするハタテの視線を感じながら、私は心の中で、必死に美鈴の名前を呼んでいた。
続く。
■第4話
■第6話
ボリュームもあり、とても
嬉しかったです!物語も
一つ一つの描写が俺好みで、
楽しく読ませてもらいました!
まさか蜘蛛女がアリスだったとは
てっきりヤマメかと思ってました
次も楽しみにしてます!
頑張って下さい!
p.s
やっぱなんか点数つけれませんで
すみません。
でも、本当は100点を
つけまくりたいくらいです!
すっかりファンです(笑)
傷つけられた腹いせに町を巻き込もうとするアリスさん、マジ短気
スパイダーアリスは人形劇→糸→クモみたいな
発想なんでしょうか。
次回も楽しみにしております。
自分完結してから読む口なのですけど、応援の意味も込めてこの点数で。
主人公の一人称形式がまさしくスレイヤーズみたいで好きです