~卯月~
取材に値する出来事がなくて、射命丸文は暇だった。そこで、ひとつ花でも育ててみるか、と思い立った。
文に園芸の知識はなかった。それでいて、本当に心の底から花を育てたいと思ったのだ。最近できた花好きの知人のせいかもしれない。
「その気持ちは、恋と同じよ」
文が花を育てたい旨を伝えると、風見幽香は言った。少し違う気がして反論したが、幽香は差している日傘をくるくると回すだけだった。
彼女が所有している太陽の畑は、名前通り、この幻想郷で最も日差しが強い所だった。まだ春だというのに、肌をちりちりと焼くような熱線が照りつけている。幽香の力で一年中花をつけている向日葵の花は暑さをもろともせず、そよそよと涼しげになびいていた。
「何でもそうだわ。気が向いたときが、一番の始めどき」
そういうものだろうか、と文は思い、むず痒さを感じて額を拭った。腕がべったりと汗で濡れた。
具体的にどの花を育てたいのか、と尋ねられた。文は正直に、まだ決めていない、と答える。
「私の畑でいいなら見ていって」
文は幽香に従い、向日葵畑の奥にある、色々な種類が植えられた花畑へと向かった。
身の丈に似合わぬ大輪の花をつけ、可憐さを振りまくもの、おっとりと下向きに咲くもの、ほんの申し訳程度の花弁をつける控え目なもの……。カラフルなその畑を、一通り歩きまわってみた。
「りんどうね」
幽香の声があって初めて、文はその花を、まるで吸い寄せられるようにじっと見つめていたのだと気付いた。
「成程りんどうね……うふふ」
微笑して、じりじりとした視線を送ってくる幽香に、文は非常にこそばゆい思いをしながら、うなずきを返した。
「すごくいいと思うわ。私もその子、好きなの」
幽香は唇を横に引っ張ったまま言った。
「ここの花は皆、私の能力で一年中咲いているものなの。野生の子を探しに行きましょう」
文は幽香に誘われるがままに、空を飛んだ。
「今見たのは、秋咲きのササリンドウ。多分もう、山に生えてるんじゃないかしら」
幽香は太陽の畑から、山の方へと飛んでいく。その後について飛んでいると、ほんのりと花の香りが流れてきた。一日の大半を花に囲まれて過ごしている幽香には、花の香りが染みついていたのだ。不意に香りが途絶えた。彼女は地に降り立っていた。文もそこで地に足をつける。
「ほら、これりんどうの芽よ」
と、細くしなやかな指で指された先には、最初雑草しか見えなかった。よく見なさい、とはやされても、その可愛らしい葉に気付くまでに時間がかかった。
芝のような雑草をのけ、芽に触れてみた。人差し指の陰にすっぽりと隠れてしまうほど、小さい。葉は茹でたように柔らかく、もろそうだったが、なんとか日の目をみようと頑張って大地を突き破り、顔を出したその新芽に、文はむしろ力強さを感じた。
周囲にはりんどうがある程度の数群生していた。状態が良いらしく、幽香はこんなところにこんな良いりんどうが、と驚いている。
「この芽を何本か持っていくといいわ」
幽香は手で芽の周りの土を崩していき、慎重にそれを抜き始めた。思いがけず、根がびっしりと出ている。驚いた表情の文に、幽香はりんどうが多年草であることを教えた。
十二本のりんどうを摘み、ふたりは一度太陽の畑に戻った。芽を植える道具を取りに戻って来たのだった。幽香は文に、どこへどのように植えるつもりなのかを尋ねた。それも決めていなかった。
「私、植木鉢を持ってきたげるわ。植えて、お家の庭にでも置いて育てたらいい」
文はしばらく考えて、その提案を断った。そうではなく、ある丘の上に植えたい、と頼んだ。
「何を考えてるのかは知らないけど、分かったわ。でも、水だけはしっかりやってあげて頂戴。毎日一回、忘れちゃ駄目よ」
文はうなずいた。
幽香を、その丘の上へと連れてきた。風に流され、もう汗は一滴残らず乾いていた。
「見晴らしがいい所ね」
丘からは、小さな人里が一望できた。眺めはとてもいいのだが、丘には背が低く地味な雑草の類しか生えておらず、文は前々から寂しさを感じていたのだった。
幽香と二人で、若芽を植えていった。他の草の間に埋もれないように、植える場所の土は高く盛ることにした。持参した移植ごてで土を堀り、植え、土を盛る作業の間に、幽香は垂れ下がった髪を耳の後ろへ掻き上げる動作を三回ほど行った。手だけでなく、髪にも土が幾粒かついた。しかし、その微笑は相変わらず綺麗で清潔なものだった。文も手伝って、全ての苗を植えてしまうと、
「色々教えたげるわね」
文の方を向き直り、柔らかく幽香が笑った。文は何故だか胸が高鳴っていた。風が吹いて辺りに幽香の香りが漂い、文を包んだ。
文は一人になると、幽香から手渡されたピンクの可愛らしい如雨露で水をくみ、植えてすぐの芽に水をやった。上から突如振って来た水に、幼い葉は全身を震わせた。振るい落とされなかった水が玉となって芽の芯に溜まり、文はそれを気の毒に思って、指でふき取ってやった。
翌日の朝、文が丘へ行こうと思っていると、家に幽香がやって来た。何やら重そうな袋を抱えていた。肥料だと言う。月に二、三回あげてね、と言われたが、憶えていられるかどうか怪しいので、幽香に任せることにした。幽香は苦笑した。
「甲斐性なしさんに、お花は応えてくれませんよ」
幽香が冗談めかしてそう言った。
二人して、丘を目指して出発した。芽が残っていて、文は安心した。昨夜の風はかなり強かったので、文は心配していたのだ。
家で如雨露に汲んできた水を与えようとすると止められた。葉には直接水をかけない方がいいらしい。確かに昨日のあれでは、りんどうが溺れてしまいそうで可哀想だった。幽香は肥料らしき土を根元に振りまいた。茶色の土の上から水をかけていくと、瞬く間に地中に吸い込まれていった。
そうして何日か過ごした。ある日思い立って、芽の近くの雑草を抜くことにした。養分や水が奪われてしまうのではないか、と不安になったのだ。苦労して抜き終えると、禿げた土の色に若芽の新緑がよく映えた。
そうこうするうち、新芽に変化が起こった。芽の中央につくられた、葉の形になるかならないかのものが、成長してきて、数日後に芽の丈が伸び、葉が二枚増えた。新しくできた葉の大きさと比較すると、これまで生えていた葉も少しずつ大きくなっているのだと分かった。どの芽も差はあれど確かに成長していた。文はその日、四半刻ほどをりんどうの観察に費やした。
~皐月~
朝日を受けている自宅近くの葉桜が、生命が最も活発になる時期の到来を告げていた。
普段通り丘の上へ行こうとした矢先、知り合いの河童が家を訪ねてきた。なんでも数ヶ月前から行っていた研究が成功したらしく、それを記事にして欲しいと頼みに来たのだった。
文の仕事は新聞記者である。ネタを仕入れることには非常に貪欲だった。幻想郷中を飛びまわって、せっせとネタ探しに励む――そうしないと集まらない――文にとって、勝手に舞い込んできたその話を不意にする訳にはいかなかった。ひとまず、りんどうは置いておこう。
河童の自宅兼研究施設に行って、実験を見せてもらうことになった。その準備に丸々一刻かかった。ようやく実験が始まり、そこからまた一刻。一体何をやっているのかさっぱりだがいつものことだ。
取材が終わると、河童が、少し遅いが昼食を持とう、と言った。断ろうとしたが彼女は強情だった。こうなったら聞かない、と仕方なく従う。
文と河童とは、昔から付き合っている仲だった。食事をすれば、話は弾んだ。河童は、この研究で得た発見を生かしてひと儲けする予定だった。外の世界と同じように、会社という組織をつくって河童の労働者を募る。愉快そうに語る河童のその話に、文は必要以上にのめりこんでしまった。ふと気付いたとき、もう日の色が変わり始めていた。
家に帰ると、疲れがきていて、気を許すとベッドに倒れこんでしまいそうだった。久々の取材でなまっていた神経を無理やり叩き起こしたからに違いなかった。気の進まない自分を励まし、文は机に向かう。取材した日のうちに、記事の下書きだけでも作っておきたい。
作業を始めたが、案の定なかなか進まない。文の頭に残っていたのは、会社云々の話だけだ。これだけでは記事にならない。研究についての話を、まるで雲をつかむかのようにかき集めた覚え書きを、つなぎ、のばし、こねくり回していた。長い長い作業だった。
――早くしなければ、日が暮れてしまうのに。
文は確かに一時は焦りを感じていたが、やがてそれは膨大な疲労の中に隠れていった。
下書きをなんとか書き終えた、と同時に、文は眠りに落ちていた。
翌朝早くに目が覚めた文は、身支度もそこそこに急いで丘の上へと飛んだ。飛びながら、幽香の「甲斐性なし」という言葉を思い出していた。
りんどうは、変わらず立っていた。ミミズほどの丈の茎から、縦、横、縦と交互に七、八対の葉を出し、その形は鋭い笹の葉型で、しなびていない。盛りあがった地面の上で、特に何か起きた風もなく、文の失態を全く気にしていない、と言わんばかりに健全な姿だった。
文の心に、温かいものが満ちた。腰をかがめ、葉先に手を触れてみた。若芽の頃とは、葉の量感が比べ物にならなかった。なおさら慌てて、如雨露に水を汲みに行った。
帰り際に太陽の畑へ寄った。早いわね、と声をかけてくる幽香に、肥料の面倒は私が見ることにする、と告げた。唐突な文の発言に驚きながらも、幽香はうなずき、肥料袋を用意してくれた。文は思い切って、昨日水をやれなかったことを告げた。
幽香は、普段の微笑ではなく、心底おかしそうに笑った。
「一日くらいで枯れたりしないわよ」
今月の終わりに一号新聞を出すことになった。文は、記事執筆から編集、校正まですべて一人で行っている。朝早く起きて机にかじりつき、昼ごろからは取材に飛びまわった。そうしてへとへとになった体を、夕方には丘の上へと運んだ。体から何か重いものが抜け落ちていく心地がした。
大した苦労もなく、無事新聞を発行することができた。締め切り前の追い込みをやったのに、普段よりも体が軽いことに文は驚いた。
~水無月~
少しずつ雨の日が増えてきた。
りんどうは梅雨の陰気な天候にしょげたりせず、雄々しく、日光を求めるかのように伸びていった。冷たい雨を傘で凌ぎながら、文の心は温かい。逞しいりんどうの成長を、熱のこもった目で見ていた。
~文月~
梅雨が明け、肌にねばりつく暑気が幻想郷中を覆った。丘の上の草々も背を伸ばしており、また草引きをしなければ、と文は思った。
その日、文は太陽の畑を訪れた。麦わら帽をかぶり、涼しげな表情の幽香だが、額にうっすらと汗が浮かんでいた。文は幽香に、草引きを手伝ってほしいと頼んだ。嫌な顔一つせずうなずいてくれるところ、彼女は本当に花が好きなのだと改めて感じた。
空を飛び、ふたりで丘の上を目指した。風を切り、爽やかな花の香りに包まれる。思えば幽香とは、りんどうの件で、かなり距離が近くなった。
もう、知り合いなんて付き合いじゃない。丘の上で偶然にはち合わせた日は、帰りがけに人里で甘いものを楽しんだりする仲だった。親しい友人が増えたことを、文は素直に喜んでいた。
丘の上に近づくと、先客の姿が目に入った。
十歳くらいの少女が、りんどうに向かい合っている。
「見とれてるのかしらね」
少女の顔は、ふたりが飛んできた側からは見えなかった。距離を置いて、静かに着地する。少女はほとんど動きを見せない。りんどうの前でしゃがみ込んで膝を抱えており、時折首をほんの少し傾けるだけで、あとはうなじが見えるくらいの長さに切りそろえられた髪が、風になびくばかりだった。本当に見とれているのか。
しかし、まだそれは、確かに周りのそれよりは上背があるものの、見た目が雑草とほぼ変わらない。花がつくのは、あと三ヶ月も先の話だ。
少女は一つうなずくと、抱えていた膝を地面につき、手をりんどうに向けて伸ばした。文は少女をぼんやりと眺めていたので、その動作の意図を掴むまでに時間があった。気づいてから、制止しようと声を発した。遅かった。
りんどうはすでに、その小さな手に握られていた。
「え……、あ……」
少女は文の声に驚いてこちらに向き直ると、顔を伏せた。可憐な顔立ちだったが、目の下のくまのせいでやや不健康そうに見える。所々側根が切れてしまっているりんどうの根から、土がぼろぼろとこぼれ落ちた。
文の中で怒りが渦巻き、ぴりぴりとした空気が少女を萎縮させた。小さな手に力がこもり、葉がくしゃくしゃになった。
「これは私たちが育てているものなの。土がもりあげてあるから、誰かが育てている、って分かったでしょう? どうして抜いたの?」
と、幽香が声をかけた。やさしい響きに、こわばっていた少女の表情がいくらか緩んだ。もう少しで怒鳴ってしまいそうだった文も、肩の力を抜いた。そう、相手はまだ子供なのだ。
少女は、観念したように一つ大きく息を吐くと、口を開いた。
少女の父親の胃痛が悪くなったらしい。元々胃が弱い体質だったのに、昨夜父は畑仕事から帰ると、きんきんの冷酒を浴びるように飲んだ。確かに昨日は、意識が持っていかれそうなほど蒸し暑い日だったので、胃痛を鑑みずそうしてしまう気持ちは文にも分かった。
夜遅くになって胃痛にうめく父を、少女と彼女の母は、自業自得だとなじった。しかし、胸全体の痛みを訴えだし、床に団子虫のようにうずくまる父が、少女は心配になってきた。寝る時間になって、布団に入るよう母に言われても、そうしなかった。気になって寝付けそうもないからだ。ついに父は身を大きく反らし、口から胃酸を吐き出した。
それで、少女は父に約束をした。
――わたし明日の朝、りんどうの根を取ってくる。
文も、りんどうの根が胃薬として用いられていることを知っていた。少女の言い分は分かったが、まだ解せない。
りんどうは、向こうの山へ行けばいくらでも生えている。わざわざどうして、この誰かが育てているとはっきり分かるりんどうを採ろうとするのか。文は少女に尋ねた。
少女は丘から見える人里に住んでいるらしい。そこでも、ここは見晴らしがいいことで有名なのだそうだ。少女も時折ここまで散歩に来ていた。先月久しぶりにここを訪れた時、りんどうが植えられていることに気付いた。
「その時、すごく元気そうに育ってるな、って思って。昨日、あの丘の上のりんどうなら、すごく効くんじゃないかなって」
そして今朝早く、父に、丘の上へ行く、と言ってここに来たのだという。
少女は力を抜いていたが、依然として顔は俯けていた。文は、怒っていたことを忘れて、幸福感に浸っていた。それは、りんどうの立派さを他人の目からも認めてくれたことに因った。少女を見る文の目はやさしかった。深く反省しているようだし、この父親思いな少女を許してやってもいい、という思いが兆した。一本ぐらいでとやかく言うのもみっともない。
「一本なんかじゃ足りないわよ」
一本では足りないのか。しかし考えてみれば当然のことだ。少女の手に握られたりんどうの根を見る限り、その程度の量で煎じた薬は非常に薄いものになりそうだった。
文は再び、少女を敵として認識した。抜かれてしまった一本は仕方ないとして、足りない分は他のところで採って貰おう。そう言おうとした。
隣で根がちぎれる音がして、見ると、幽香がりんどうを抜いていた。
「文も手伝いなさい」
文には、幽香の行動が信じられなかった。大切に育ててきたりんどうを、どうしてそう簡単に抜いてしまえるのだろうか。
「早く手伝いなさいよ。大人げないわよ」
幽香はすでに、少女の期待に応えようと行動を起こしてしまったし、大人げない、といわれるとどうにも言い訳ができなかった。文はりんどうに手をかけた。そのまま視線で、幽香に強い疑問を投げかけたが、幽香は気にせず二本目を抜きにかかっていた。内心で謝りながら、ひと思いに抜いてしまおう、と手に力を込めた。抜けなかった。りんどうはまるで、生命を奪おうとする行為に必死で抵抗しているかのようだ。少女は満面に喜色をたたえている。しかし文は彼女の顔を見ず、ただりんどうを凝視していた。そうして悲しんでいるのだった。
掌が痛くなるほどに力をこめて引っ張ると、ようやく土から離れてくれた。太い根が中ほどで折れている。
前号を発行したときに、二ヶ月後に次号を出すと決めていたのだが、〆切一週間前になっても仕事が終わる見通しが全然立たなかった。
今号は4面構成で、記事の執筆は遅くとも三日前までに終わらせないと、手直しの時間が取れない。しかし、まだ埋めていない記事が十個もあった。文は遅筆である。一日に良くて二つの記事を仕上げるぐらいが精いっぱいだから、余裕を持って〆切の二、三週間前から少しずつ書いていくというスタイルが文に根づいていた。今回も梅雨明けの一週間前から作業に取りかかっていた。が、絶望的なまでに筆が進まなかった。〆切に間に合わせるのは不可能に近いが、新聞の出版を頼んである山の河童は非常に頑固で、延長交渉をしても望みは薄いだろう。働くしかないのだ。
文は頭の中に、大きな異物感を感じていた。執筆に取り掛かるとき、それは無視できない強さの痛みを発するのだった。
少女がりんどうを採りに来た日以来、文は丘の上へは一度も行っていない。りんどうの世話は、その日の帰りがけに、仕事が忙しくなるから、と言って全て幽香に任せた。幽香は、俯き加減であいまいに首を揺らすだけだった。
そのとき、頭に違和感を覚えた。家に帰って、気分を換えて仕事に取り組もう、と思ったとき、違和感が痛みに変わった。そして頭を抱えながら効率の悪い作業を続けた結果、現在の状況に至ったのだ。
丘の上に行って、りんどうの世話をする気にはなれない。幽香と出会う可能性があるからだ。今幽香の顔を見てしまったら、理性を保てる自信がなかった。
しかしながら、残った六本のりんどうを育てたい、という思いを、文は強く持っていた。幽香に会いたくない、という気持ちと、本業が山積していることへの不安、趣味に現を抜かす前にそれをこなさなければ、という義務感が、その思いに歯止めをかけ、文の足を止めていた。
おそらくそのギャップから、異物感が生まれているのだろうと文は思った。
文は今なお、幽香が自分からりんどうを抜き、少女に与えようとしたことが信じられなかった。幽香に対し抱いたその疑問が、あの手の痛みを思い出させた。それらが混淆し、文の中では悲しみの他に、怒りに似た心情が芽生えていた。
――幽香は、私が大切に育ててきたものを奪った。
〆切六日前。文は記事を執筆していくなかで、気付いたことがあった。幽香に向けたその怒りのような感情を、記事執筆に向けてみると、案外捗るということだ。仕事はどんどん片付いていき、三日前までに全ての記事を書き切ることができた。この日進捗具合を確かめに来た出版者の河童が、文のげっそりとした顔を見て、鏡を見てみろ、と言った。文は晴れ晴れとした気分が、鏡に映る自分の顔にひとつも表れていないことを不思議に思った。
~葉月~
〆切になんとか間に合わせることができ、文は仕事から解放された。あれほど苦しんだ頭痛も、すっかり消え失せた。脳内の異物感が消え去ると同時に、幽香に対する感情も、文は忘れ去った。幽香に腹が立つだの悲しいだのという思いを抱くことに、文はもう疲れていたのだ。
自分でも信じられないほど、気持ちに余裕が生まれていた。苦しみがすべてどこかへ行ってしまい、そうして後に残った感情が、文の中で養われていった。
――もう一度、りんどうの世話がしたい。
我慢できなくなって家を飛び出したのは、〆切日から一週間後のことだった。
丘の上に向かいながら文は、もうりんどうは枯れてしまっているのではないか、と考えた。
幽香に世話を任せていた気もするが、そのあたりの記憶は曖昧だった。頼んでいたとしても、途中でやめてしまった可能性もある。しかし。
――それを責めることは、できない。
文は幾分か冷静になった頭で考えていた。正しいのは、幽香の方かもしれない、と。
恐る恐る丘へと近づいていく。六本のりんどうが遠目に見えた。感じ入ってしまいそうになるが、同時に見えた思いがけない人間の姿が、その思考を断ち切った。
「あ、文さんだ! おーい」
あのときの少女だった。口を横に伸ばして見える歯は白い。目の下のくまは消えており、屈託のない笑顔を文に向けていた。しかし、文が降り立つと、その顔がいくらかこわばる。こくり、と唾をのむ音が聞こえた。
「りんどうを抜いてごめんなさい」
頭を下げられた。少女の誠実さが、文の胸に沁み入った。その瞬間、文は少女に頭を上げさせた。自分には彼女に謝られる資格がないと思った。ばつが悪そうな表情のまま、少女は話を始めた。
少女はりんどうの存在に気付いたときから、じつは何度か丘の上を訪れていたのだという。りんどうに水をやったり、そばにしゃがみこんでにやにやと笑っている文の姿も、見つからないようにしながら数回見たらしい。あれが見られていたのかと思うと、文は顔が火照ってきた。
「文さんがりんどうをとても大好きで、大事に育てているって分かってたのに、それでもわたしは抜いちゃったの。本当にごめんなさい」
少女は再び頭を下げる。文はその告白を聞いて、少女に悪い印象は抱かなかった。それだけ父親を救うことに夢中だったのだ、とむしろ少女のひたむきさに感心していた。
「でも、また文さんの顔が見られて嬉しい」
少女は文が来なくなってから、丘の上へ通い詰めたという。あの日のことを謝るために。
文は、仕事が忙しかっただけだ、と嘘をついた。少女に、文の心を傷つけたのは自分だ、とはどうしても思わせたくなかった。
「じゃあ、また毎日ここへ来てくれる?」
うなずきを返すと、少女は破顔した。
その笑顔は、本当に純粋で、透き通るような無垢に満ちていた。
まぶしくなって少女に背を向け、りんどうの様子を確かめた。りんどうは以前と変わらず、健康そのものだった。
「幽香さんが、毎日欠かさず世話をしてくれたんだよ」
――やっぱり、そうだったか。
文の心の深奥から、反省の念が溢れだしてきた。
――私が幽香に怒っていたことは、幽香も分かっていたはず。それなのに、幽香はこうして、りんどうの面倒を見てくれた。私を悲しませないために。かたや私は一方的に拗ね、幽香への怒りを仕事にぶつけて発散してしまった。
胸の中で、なにかもやもやするものが生まれた。不思議な温かさを持つそれは違和感を発していたが、その中に羽毛のような心地よさも、確かに存在していた。
少女はりんどうに近づき、葉をなでた。りんどうには、これまでと比べ目に見えた成長は少ないものの、その葉にも、茎にも、雄々しい精気をますますみなぎらせている。あとふた月も花が咲かないとは、信じがたかった。りんどうに秘められた力が覚醒し、美しく力強い花を咲かせるのに、あとひと月あれば十分だとすら思えた。
今はとにかく、力添えがしたかった。早速水をやろうとしたが、丘の上へ来るのが久しぶりだったせいか、文は家に如雨露を忘れてきてしまった。そう少女に伝えると、
「もうすぐ幽香さんが来る時間だから、言っとくね。きっと喜ぶだろうなあ。幽香さん、よく、来なくなったのは私のせいだわ、って言ってたから」
と言った。幽香には素直に謝ろうと文は決めた。非があるのは自分の方だ。この少女のやさしさを棚上げして、身勝手にふるまってしまったのだ。
そして今、文は悲しんではいなかった。りんどうが六本になってしまっても、こうして愛情を注いでやることができるのだから。
幽香は自分を、勝手に拗ねてうじうじしていた奴だと見なし、冷たくあしらうかもしれない。だからこそ、はっきりと謝ろう。文はもう、早く幽香に会いたい気持ちでいっぱいになっていた。
りんどうを抜いたときのあの手の痛みは、どう頑張っても思い出すことはできない。
如雨露を持って、丘の上に戻る。懐かしい微笑が見える。羽毛のようなもやもやが、文の体を内側からくすぐり始めた。
文はその感情の正体に気づいた。
~長月~
花が咲いた。
少女は丘の上で腰をおろし、文の到着を待っていた。隣では幽香が、朝日に目を細めている。今月に入ってにわかに寒さが増しており、強く風が吹きつけると身を震わせてしまうほどだった。この寒さがりんどうに効いたのか、第二週にはもう蕾を付け始め、こうして月末に開花を間に合わせてきたのだ。
あのとき久しぶりに来た文は、幽香を見るとすぐに謝った。そして、自分の悪かった所を、言わなくていい所まで全部言い、涙を滲ませた。幽香は彼女にそっと微笑みかけ、
――悪いと思っているなら、これからは毎日りんどうを見に来ること。
と、それだけ言った。文はどんな罵倒の言葉も甘んじて受け入れようと考えていたので、目を白黒させた。もとより幽香は、一つも怒っていないのだった。
――私こそ、あなたを怒らせたりしてごめんなさい。
むしろこの思いの方が強かった。柄に合わず、少女の真摯な思いに打たれたとはいえ、文の目の前でりんどうを抜くことは避けるべきだったかもしれない。たとえばりんどうの芽を摘んだあの山のものなら、育てたものほどではないにしろ、立派に成長していたはずだ。それを少女に与えるべきだった。
幽香の謝罪を耳にした文は、瞼をこすり、ひとこと、
――良かった。
心の底から絞り出たような声で言った。
そして文は毎日丘の上へ来るようになった。少しずつ膨らんでくる蕾に目を輝かせ、今か今かとそのときを待ち望んでいた。
少女は先ほどからそわそわして、立ったり座ったりを繰り返している。幽香の気も、こころなしか急いていた。幽香は文に早く花を見せてやりたかった。そして、その花に負けないほどの文の笑顔が、早く見たい。
――文さんって、笑うとすっごく可愛いよね。
いつか、少女が幽香にそう言った。そもそも丘の上に通い詰め出したのは、りんどうの世話をしているときの文の笑顔を見るためだったらしい。そのとき、幽香も大きくうなずいたのだった。
文の笑顔が好きだった。笑顔だけではない。幽香は文に惹かれていた。
初めて会ったときから、気にはなっていたのだが、りんどう育ての件で一気に距離が近づいた。幽香のその気持ちに火がついたのは、肥料を自分でやる、と文が言い出したときだった。
あれはおそらく、「甲斐性なし」と、冗談交じりに言ったことを本気にしたのだろう。そういったとき、文の表情が凍りついたのを憶えていた。肥料の件を切り出してきた時、なんてまっすぐなんだろうと思い、そこで胸が締め付けられるような感覚に見舞われた。さらに追い打ちとして、昨日お水をあげられなかったどうしよう、だ。久々に爆笑したが、あれはわざとらしく聞こえていなかっただろうか。あれは顔がほころんでしまうのを隠すために、わざとやったことだった。
この花を見て、文は絶対に笑ってくれるだろう、と幽香は確信していた。
ひときわ強い風が吹いた。この風を引き連れてやってくる妖怪を、幽香は知っている。風に巻き上げられ、辺りに幽かな花の香りが満ちた。文はその香りを、胸いっぱい吸い込んだ。文がりんどうのそばに降り立つと、幽香と少女はそばに駆け寄った。少女が、花が咲いているりんどうを、何も言わずに指差した。
りんどうの花は、その素朴な五枚の青い花びらをいっぱいいっぱいに広げて、美しく麗しく在った。まるで文に感謝を告げるように、りんどうはゆらゆらと揺らめいて見せた。若芽の頃は、風にたなびくだけの丈もなかったのに。文はこれまでのりんどうの成長を思い返し、改めてその凛々しい姿を見ると、たまらない気持ちになった。
――よくここまで育ってくれた。
花に手を伸ばした。温もりが感じられた。りんどうに当たっている日光を手で遮ったからだと思ったが、どうも違うようだった。それは文の手を、軽く握ってきた。
文の手の上に、幽香の手が重ねられていたのである。
「幽香さん……」
「幽香でいいわ」
りんどうの星型は、二人の脳裡に烙印のごとく刻みつけられた。
取材に値する出来事がなくて、射命丸文は暇だった。そこで、ひとつ花でも育ててみるか、と思い立った。
文に園芸の知識はなかった。それでいて、本当に心の底から花を育てたいと思ったのだ。最近できた花好きの知人のせいかもしれない。
「その気持ちは、恋と同じよ」
文が花を育てたい旨を伝えると、風見幽香は言った。少し違う気がして反論したが、幽香は差している日傘をくるくると回すだけだった。
彼女が所有している太陽の畑は、名前通り、この幻想郷で最も日差しが強い所だった。まだ春だというのに、肌をちりちりと焼くような熱線が照りつけている。幽香の力で一年中花をつけている向日葵の花は暑さをもろともせず、そよそよと涼しげになびいていた。
「何でもそうだわ。気が向いたときが、一番の始めどき」
そういうものだろうか、と文は思い、むず痒さを感じて額を拭った。腕がべったりと汗で濡れた。
具体的にどの花を育てたいのか、と尋ねられた。文は正直に、まだ決めていない、と答える。
「私の畑でいいなら見ていって」
文は幽香に従い、向日葵畑の奥にある、色々な種類が植えられた花畑へと向かった。
身の丈に似合わぬ大輪の花をつけ、可憐さを振りまくもの、おっとりと下向きに咲くもの、ほんの申し訳程度の花弁をつける控え目なもの……。カラフルなその畑を、一通り歩きまわってみた。
「りんどうね」
幽香の声があって初めて、文はその花を、まるで吸い寄せられるようにじっと見つめていたのだと気付いた。
「成程りんどうね……うふふ」
微笑して、じりじりとした視線を送ってくる幽香に、文は非常にこそばゆい思いをしながら、うなずきを返した。
「すごくいいと思うわ。私もその子、好きなの」
幽香は唇を横に引っ張ったまま言った。
「ここの花は皆、私の能力で一年中咲いているものなの。野生の子を探しに行きましょう」
文は幽香に誘われるがままに、空を飛んだ。
「今見たのは、秋咲きのササリンドウ。多分もう、山に生えてるんじゃないかしら」
幽香は太陽の畑から、山の方へと飛んでいく。その後について飛んでいると、ほんのりと花の香りが流れてきた。一日の大半を花に囲まれて過ごしている幽香には、花の香りが染みついていたのだ。不意に香りが途絶えた。彼女は地に降り立っていた。文もそこで地に足をつける。
「ほら、これりんどうの芽よ」
と、細くしなやかな指で指された先には、最初雑草しか見えなかった。よく見なさい、とはやされても、その可愛らしい葉に気付くまでに時間がかかった。
芝のような雑草をのけ、芽に触れてみた。人差し指の陰にすっぽりと隠れてしまうほど、小さい。葉は茹でたように柔らかく、もろそうだったが、なんとか日の目をみようと頑張って大地を突き破り、顔を出したその新芽に、文はむしろ力強さを感じた。
周囲にはりんどうがある程度の数群生していた。状態が良いらしく、幽香はこんなところにこんな良いりんどうが、と驚いている。
「この芽を何本か持っていくといいわ」
幽香は手で芽の周りの土を崩していき、慎重にそれを抜き始めた。思いがけず、根がびっしりと出ている。驚いた表情の文に、幽香はりんどうが多年草であることを教えた。
十二本のりんどうを摘み、ふたりは一度太陽の畑に戻った。芽を植える道具を取りに戻って来たのだった。幽香は文に、どこへどのように植えるつもりなのかを尋ねた。それも決めていなかった。
「私、植木鉢を持ってきたげるわ。植えて、お家の庭にでも置いて育てたらいい」
文はしばらく考えて、その提案を断った。そうではなく、ある丘の上に植えたい、と頼んだ。
「何を考えてるのかは知らないけど、分かったわ。でも、水だけはしっかりやってあげて頂戴。毎日一回、忘れちゃ駄目よ」
文はうなずいた。
幽香を、その丘の上へと連れてきた。風に流され、もう汗は一滴残らず乾いていた。
「見晴らしがいい所ね」
丘からは、小さな人里が一望できた。眺めはとてもいいのだが、丘には背が低く地味な雑草の類しか生えておらず、文は前々から寂しさを感じていたのだった。
幽香と二人で、若芽を植えていった。他の草の間に埋もれないように、植える場所の土は高く盛ることにした。持参した移植ごてで土を堀り、植え、土を盛る作業の間に、幽香は垂れ下がった髪を耳の後ろへ掻き上げる動作を三回ほど行った。手だけでなく、髪にも土が幾粒かついた。しかし、その微笑は相変わらず綺麗で清潔なものだった。文も手伝って、全ての苗を植えてしまうと、
「色々教えたげるわね」
文の方を向き直り、柔らかく幽香が笑った。文は何故だか胸が高鳴っていた。風が吹いて辺りに幽香の香りが漂い、文を包んだ。
文は一人になると、幽香から手渡されたピンクの可愛らしい如雨露で水をくみ、植えてすぐの芽に水をやった。上から突如振って来た水に、幼い葉は全身を震わせた。振るい落とされなかった水が玉となって芽の芯に溜まり、文はそれを気の毒に思って、指でふき取ってやった。
翌日の朝、文が丘へ行こうと思っていると、家に幽香がやって来た。何やら重そうな袋を抱えていた。肥料だと言う。月に二、三回あげてね、と言われたが、憶えていられるかどうか怪しいので、幽香に任せることにした。幽香は苦笑した。
「甲斐性なしさんに、お花は応えてくれませんよ」
幽香が冗談めかしてそう言った。
二人して、丘を目指して出発した。芽が残っていて、文は安心した。昨夜の風はかなり強かったので、文は心配していたのだ。
家で如雨露に汲んできた水を与えようとすると止められた。葉には直接水をかけない方がいいらしい。確かに昨日のあれでは、りんどうが溺れてしまいそうで可哀想だった。幽香は肥料らしき土を根元に振りまいた。茶色の土の上から水をかけていくと、瞬く間に地中に吸い込まれていった。
そうして何日か過ごした。ある日思い立って、芽の近くの雑草を抜くことにした。養分や水が奪われてしまうのではないか、と不安になったのだ。苦労して抜き終えると、禿げた土の色に若芽の新緑がよく映えた。
そうこうするうち、新芽に変化が起こった。芽の中央につくられた、葉の形になるかならないかのものが、成長してきて、数日後に芽の丈が伸び、葉が二枚増えた。新しくできた葉の大きさと比較すると、これまで生えていた葉も少しずつ大きくなっているのだと分かった。どの芽も差はあれど確かに成長していた。文はその日、四半刻ほどをりんどうの観察に費やした。
~皐月~
朝日を受けている自宅近くの葉桜が、生命が最も活発になる時期の到来を告げていた。
普段通り丘の上へ行こうとした矢先、知り合いの河童が家を訪ねてきた。なんでも数ヶ月前から行っていた研究が成功したらしく、それを記事にして欲しいと頼みに来たのだった。
文の仕事は新聞記者である。ネタを仕入れることには非常に貪欲だった。幻想郷中を飛びまわって、せっせとネタ探しに励む――そうしないと集まらない――文にとって、勝手に舞い込んできたその話を不意にする訳にはいかなかった。ひとまず、りんどうは置いておこう。
河童の自宅兼研究施設に行って、実験を見せてもらうことになった。その準備に丸々一刻かかった。ようやく実験が始まり、そこからまた一刻。一体何をやっているのかさっぱりだがいつものことだ。
取材が終わると、河童が、少し遅いが昼食を持とう、と言った。断ろうとしたが彼女は強情だった。こうなったら聞かない、と仕方なく従う。
文と河童とは、昔から付き合っている仲だった。食事をすれば、話は弾んだ。河童は、この研究で得た発見を生かしてひと儲けする予定だった。外の世界と同じように、会社という組織をつくって河童の労働者を募る。愉快そうに語る河童のその話に、文は必要以上にのめりこんでしまった。ふと気付いたとき、もう日の色が変わり始めていた。
家に帰ると、疲れがきていて、気を許すとベッドに倒れこんでしまいそうだった。久々の取材でなまっていた神経を無理やり叩き起こしたからに違いなかった。気の進まない自分を励まし、文は机に向かう。取材した日のうちに、記事の下書きだけでも作っておきたい。
作業を始めたが、案の定なかなか進まない。文の頭に残っていたのは、会社云々の話だけだ。これだけでは記事にならない。研究についての話を、まるで雲をつかむかのようにかき集めた覚え書きを、つなぎ、のばし、こねくり回していた。長い長い作業だった。
――早くしなければ、日が暮れてしまうのに。
文は確かに一時は焦りを感じていたが、やがてそれは膨大な疲労の中に隠れていった。
下書きをなんとか書き終えた、と同時に、文は眠りに落ちていた。
翌朝早くに目が覚めた文は、身支度もそこそこに急いで丘の上へと飛んだ。飛びながら、幽香の「甲斐性なし」という言葉を思い出していた。
りんどうは、変わらず立っていた。ミミズほどの丈の茎から、縦、横、縦と交互に七、八対の葉を出し、その形は鋭い笹の葉型で、しなびていない。盛りあがった地面の上で、特に何か起きた風もなく、文の失態を全く気にしていない、と言わんばかりに健全な姿だった。
文の心に、温かいものが満ちた。腰をかがめ、葉先に手を触れてみた。若芽の頃とは、葉の量感が比べ物にならなかった。なおさら慌てて、如雨露に水を汲みに行った。
帰り際に太陽の畑へ寄った。早いわね、と声をかけてくる幽香に、肥料の面倒は私が見ることにする、と告げた。唐突な文の発言に驚きながらも、幽香はうなずき、肥料袋を用意してくれた。文は思い切って、昨日水をやれなかったことを告げた。
幽香は、普段の微笑ではなく、心底おかしそうに笑った。
「一日くらいで枯れたりしないわよ」
今月の終わりに一号新聞を出すことになった。文は、記事執筆から編集、校正まですべて一人で行っている。朝早く起きて机にかじりつき、昼ごろからは取材に飛びまわった。そうしてへとへとになった体を、夕方には丘の上へと運んだ。体から何か重いものが抜け落ちていく心地がした。
大した苦労もなく、無事新聞を発行することができた。締め切り前の追い込みをやったのに、普段よりも体が軽いことに文は驚いた。
~水無月~
少しずつ雨の日が増えてきた。
りんどうは梅雨の陰気な天候にしょげたりせず、雄々しく、日光を求めるかのように伸びていった。冷たい雨を傘で凌ぎながら、文の心は温かい。逞しいりんどうの成長を、熱のこもった目で見ていた。
~文月~
梅雨が明け、肌にねばりつく暑気が幻想郷中を覆った。丘の上の草々も背を伸ばしており、また草引きをしなければ、と文は思った。
その日、文は太陽の畑を訪れた。麦わら帽をかぶり、涼しげな表情の幽香だが、額にうっすらと汗が浮かんでいた。文は幽香に、草引きを手伝ってほしいと頼んだ。嫌な顔一つせずうなずいてくれるところ、彼女は本当に花が好きなのだと改めて感じた。
空を飛び、ふたりで丘の上を目指した。風を切り、爽やかな花の香りに包まれる。思えば幽香とは、りんどうの件で、かなり距離が近くなった。
もう、知り合いなんて付き合いじゃない。丘の上で偶然にはち合わせた日は、帰りがけに人里で甘いものを楽しんだりする仲だった。親しい友人が増えたことを、文は素直に喜んでいた。
丘の上に近づくと、先客の姿が目に入った。
十歳くらいの少女が、りんどうに向かい合っている。
「見とれてるのかしらね」
少女の顔は、ふたりが飛んできた側からは見えなかった。距離を置いて、静かに着地する。少女はほとんど動きを見せない。りんどうの前でしゃがみ込んで膝を抱えており、時折首をほんの少し傾けるだけで、あとはうなじが見えるくらいの長さに切りそろえられた髪が、風になびくばかりだった。本当に見とれているのか。
しかし、まだそれは、確かに周りのそれよりは上背があるものの、見た目が雑草とほぼ変わらない。花がつくのは、あと三ヶ月も先の話だ。
少女は一つうなずくと、抱えていた膝を地面につき、手をりんどうに向けて伸ばした。文は少女をぼんやりと眺めていたので、その動作の意図を掴むまでに時間があった。気づいてから、制止しようと声を発した。遅かった。
りんどうはすでに、その小さな手に握られていた。
「え……、あ……」
少女は文の声に驚いてこちらに向き直ると、顔を伏せた。可憐な顔立ちだったが、目の下のくまのせいでやや不健康そうに見える。所々側根が切れてしまっているりんどうの根から、土がぼろぼろとこぼれ落ちた。
文の中で怒りが渦巻き、ぴりぴりとした空気が少女を萎縮させた。小さな手に力がこもり、葉がくしゃくしゃになった。
「これは私たちが育てているものなの。土がもりあげてあるから、誰かが育てている、って分かったでしょう? どうして抜いたの?」
と、幽香が声をかけた。やさしい響きに、こわばっていた少女の表情がいくらか緩んだ。もう少しで怒鳴ってしまいそうだった文も、肩の力を抜いた。そう、相手はまだ子供なのだ。
少女は、観念したように一つ大きく息を吐くと、口を開いた。
少女の父親の胃痛が悪くなったらしい。元々胃が弱い体質だったのに、昨夜父は畑仕事から帰ると、きんきんの冷酒を浴びるように飲んだ。確かに昨日は、意識が持っていかれそうなほど蒸し暑い日だったので、胃痛を鑑みずそうしてしまう気持ちは文にも分かった。
夜遅くになって胃痛にうめく父を、少女と彼女の母は、自業自得だとなじった。しかし、胸全体の痛みを訴えだし、床に団子虫のようにうずくまる父が、少女は心配になってきた。寝る時間になって、布団に入るよう母に言われても、そうしなかった。気になって寝付けそうもないからだ。ついに父は身を大きく反らし、口から胃酸を吐き出した。
それで、少女は父に約束をした。
――わたし明日の朝、りんどうの根を取ってくる。
文も、りんどうの根が胃薬として用いられていることを知っていた。少女の言い分は分かったが、まだ解せない。
りんどうは、向こうの山へ行けばいくらでも生えている。わざわざどうして、この誰かが育てているとはっきり分かるりんどうを採ろうとするのか。文は少女に尋ねた。
少女は丘から見える人里に住んでいるらしい。そこでも、ここは見晴らしがいいことで有名なのだそうだ。少女も時折ここまで散歩に来ていた。先月久しぶりにここを訪れた時、りんどうが植えられていることに気付いた。
「その時、すごく元気そうに育ってるな、って思って。昨日、あの丘の上のりんどうなら、すごく効くんじゃないかなって」
そして今朝早く、父に、丘の上へ行く、と言ってここに来たのだという。
少女は力を抜いていたが、依然として顔は俯けていた。文は、怒っていたことを忘れて、幸福感に浸っていた。それは、りんどうの立派さを他人の目からも認めてくれたことに因った。少女を見る文の目はやさしかった。深く反省しているようだし、この父親思いな少女を許してやってもいい、という思いが兆した。一本ぐらいでとやかく言うのもみっともない。
「一本なんかじゃ足りないわよ」
一本では足りないのか。しかし考えてみれば当然のことだ。少女の手に握られたりんどうの根を見る限り、その程度の量で煎じた薬は非常に薄いものになりそうだった。
文は再び、少女を敵として認識した。抜かれてしまった一本は仕方ないとして、足りない分は他のところで採って貰おう。そう言おうとした。
隣で根がちぎれる音がして、見ると、幽香がりんどうを抜いていた。
「文も手伝いなさい」
文には、幽香の行動が信じられなかった。大切に育ててきたりんどうを、どうしてそう簡単に抜いてしまえるのだろうか。
「早く手伝いなさいよ。大人げないわよ」
幽香はすでに、少女の期待に応えようと行動を起こしてしまったし、大人げない、といわれるとどうにも言い訳ができなかった。文はりんどうに手をかけた。そのまま視線で、幽香に強い疑問を投げかけたが、幽香は気にせず二本目を抜きにかかっていた。内心で謝りながら、ひと思いに抜いてしまおう、と手に力を込めた。抜けなかった。りんどうはまるで、生命を奪おうとする行為に必死で抵抗しているかのようだ。少女は満面に喜色をたたえている。しかし文は彼女の顔を見ず、ただりんどうを凝視していた。そうして悲しんでいるのだった。
掌が痛くなるほどに力をこめて引っ張ると、ようやく土から離れてくれた。太い根が中ほどで折れている。
前号を発行したときに、二ヶ月後に次号を出すと決めていたのだが、〆切一週間前になっても仕事が終わる見通しが全然立たなかった。
今号は4面構成で、記事の執筆は遅くとも三日前までに終わらせないと、手直しの時間が取れない。しかし、まだ埋めていない記事が十個もあった。文は遅筆である。一日に良くて二つの記事を仕上げるぐらいが精いっぱいだから、余裕を持って〆切の二、三週間前から少しずつ書いていくというスタイルが文に根づいていた。今回も梅雨明けの一週間前から作業に取りかかっていた。が、絶望的なまでに筆が進まなかった。〆切に間に合わせるのは不可能に近いが、新聞の出版を頼んである山の河童は非常に頑固で、延長交渉をしても望みは薄いだろう。働くしかないのだ。
文は頭の中に、大きな異物感を感じていた。執筆に取り掛かるとき、それは無視できない強さの痛みを発するのだった。
少女がりんどうを採りに来た日以来、文は丘の上へは一度も行っていない。りんどうの世話は、その日の帰りがけに、仕事が忙しくなるから、と言って全て幽香に任せた。幽香は、俯き加減であいまいに首を揺らすだけだった。
そのとき、頭に違和感を覚えた。家に帰って、気分を換えて仕事に取り組もう、と思ったとき、違和感が痛みに変わった。そして頭を抱えながら効率の悪い作業を続けた結果、現在の状況に至ったのだ。
丘の上に行って、りんどうの世話をする気にはなれない。幽香と出会う可能性があるからだ。今幽香の顔を見てしまったら、理性を保てる自信がなかった。
しかしながら、残った六本のりんどうを育てたい、という思いを、文は強く持っていた。幽香に会いたくない、という気持ちと、本業が山積していることへの不安、趣味に現を抜かす前にそれをこなさなければ、という義務感が、その思いに歯止めをかけ、文の足を止めていた。
おそらくそのギャップから、異物感が生まれているのだろうと文は思った。
文は今なお、幽香が自分からりんどうを抜き、少女に与えようとしたことが信じられなかった。幽香に対し抱いたその疑問が、あの手の痛みを思い出させた。それらが混淆し、文の中では悲しみの他に、怒りに似た心情が芽生えていた。
――幽香は、私が大切に育ててきたものを奪った。
〆切六日前。文は記事を執筆していくなかで、気付いたことがあった。幽香に向けたその怒りのような感情を、記事執筆に向けてみると、案外捗るということだ。仕事はどんどん片付いていき、三日前までに全ての記事を書き切ることができた。この日進捗具合を確かめに来た出版者の河童が、文のげっそりとした顔を見て、鏡を見てみろ、と言った。文は晴れ晴れとした気分が、鏡に映る自分の顔にひとつも表れていないことを不思議に思った。
~葉月~
〆切になんとか間に合わせることができ、文は仕事から解放された。あれほど苦しんだ頭痛も、すっかり消え失せた。脳内の異物感が消え去ると同時に、幽香に対する感情も、文は忘れ去った。幽香に腹が立つだの悲しいだのという思いを抱くことに、文はもう疲れていたのだ。
自分でも信じられないほど、気持ちに余裕が生まれていた。苦しみがすべてどこかへ行ってしまい、そうして後に残った感情が、文の中で養われていった。
――もう一度、りんどうの世話がしたい。
我慢できなくなって家を飛び出したのは、〆切日から一週間後のことだった。
丘の上に向かいながら文は、もうりんどうは枯れてしまっているのではないか、と考えた。
幽香に世話を任せていた気もするが、そのあたりの記憶は曖昧だった。頼んでいたとしても、途中でやめてしまった可能性もある。しかし。
――それを責めることは、できない。
文は幾分か冷静になった頭で考えていた。正しいのは、幽香の方かもしれない、と。
恐る恐る丘へと近づいていく。六本のりんどうが遠目に見えた。感じ入ってしまいそうになるが、同時に見えた思いがけない人間の姿が、その思考を断ち切った。
「あ、文さんだ! おーい」
あのときの少女だった。口を横に伸ばして見える歯は白い。目の下のくまは消えており、屈託のない笑顔を文に向けていた。しかし、文が降り立つと、その顔がいくらかこわばる。こくり、と唾をのむ音が聞こえた。
「りんどうを抜いてごめんなさい」
頭を下げられた。少女の誠実さが、文の胸に沁み入った。その瞬間、文は少女に頭を上げさせた。自分には彼女に謝られる資格がないと思った。ばつが悪そうな表情のまま、少女は話を始めた。
少女はりんどうの存在に気付いたときから、じつは何度か丘の上を訪れていたのだという。りんどうに水をやったり、そばにしゃがみこんでにやにやと笑っている文の姿も、見つからないようにしながら数回見たらしい。あれが見られていたのかと思うと、文は顔が火照ってきた。
「文さんがりんどうをとても大好きで、大事に育てているって分かってたのに、それでもわたしは抜いちゃったの。本当にごめんなさい」
少女は再び頭を下げる。文はその告白を聞いて、少女に悪い印象は抱かなかった。それだけ父親を救うことに夢中だったのだ、とむしろ少女のひたむきさに感心していた。
「でも、また文さんの顔が見られて嬉しい」
少女は文が来なくなってから、丘の上へ通い詰めたという。あの日のことを謝るために。
文は、仕事が忙しかっただけだ、と嘘をついた。少女に、文の心を傷つけたのは自分だ、とはどうしても思わせたくなかった。
「じゃあ、また毎日ここへ来てくれる?」
うなずきを返すと、少女は破顔した。
その笑顔は、本当に純粋で、透き通るような無垢に満ちていた。
まぶしくなって少女に背を向け、りんどうの様子を確かめた。りんどうは以前と変わらず、健康そのものだった。
「幽香さんが、毎日欠かさず世話をしてくれたんだよ」
――やっぱり、そうだったか。
文の心の深奥から、反省の念が溢れだしてきた。
――私が幽香に怒っていたことは、幽香も分かっていたはず。それなのに、幽香はこうして、りんどうの面倒を見てくれた。私を悲しませないために。かたや私は一方的に拗ね、幽香への怒りを仕事にぶつけて発散してしまった。
胸の中で、なにかもやもやするものが生まれた。不思議な温かさを持つそれは違和感を発していたが、その中に羽毛のような心地よさも、確かに存在していた。
少女はりんどうに近づき、葉をなでた。りんどうには、これまでと比べ目に見えた成長は少ないものの、その葉にも、茎にも、雄々しい精気をますますみなぎらせている。あとふた月も花が咲かないとは、信じがたかった。りんどうに秘められた力が覚醒し、美しく力強い花を咲かせるのに、あとひと月あれば十分だとすら思えた。
今はとにかく、力添えがしたかった。早速水をやろうとしたが、丘の上へ来るのが久しぶりだったせいか、文は家に如雨露を忘れてきてしまった。そう少女に伝えると、
「もうすぐ幽香さんが来る時間だから、言っとくね。きっと喜ぶだろうなあ。幽香さん、よく、来なくなったのは私のせいだわ、って言ってたから」
と言った。幽香には素直に謝ろうと文は決めた。非があるのは自分の方だ。この少女のやさしさを棚上げして、身勝手にふるまってしまったのだ。
そして今、文は悲しんではいなかった。りんどうが六本になってしまっても、こうして愛情を注いでやることができるのだから。
幽香は自分を、勝手に拗ねてうじうじしていた奴だと見なし、冷たくあしらうかもしれない。だからこそ、はっきりと謝ろう。文はもう、早く幽香に会いたい気持ちでいっぱいになっていた。
りんどうを抜いたときのあの手の痛みは、どう頑張っても思い出すことはできない。
如雨露を持って、丘の上に戻る。懐かしい微笑が見える。羽毛のようなもやもやが、文の体を内側からくすぐり始めた。
文はその感情の正体に気づいた。
~長月~
花が咲いた。
少女は丘の上で腰をおろし、文の到着を待っていた。隣では幽香が、朝日に目を細めている。今月に入ってにわかに寒さが増しており、強く風が吹きつけると身を震わせてしまうほどだった。この寒さがりんどうに効いたのか、第二週にはもう蕾を付け始め、こうして月末に開花を間に合わせてきたのだ。
あのとき久しぶりに来た文は、幽香を見るとすぐに謝った。そして、自分の悪かった所を、言わなくていい所まで全部言い、涙を滲ませた。幽香は彼女にそっと微笑みかけ、
――悪いと思っているなら、これからは毎日りんどうを見に来ること。
と、それだけ言った。文はどんな罵倒の言葉も甘んじて受け入れようと考えていたので、目を白黒させた。もとより幽香は、一つも怒っていないのだった。
――私こそ、あなたを怒らせたりしてごめんなさい。
むしろこの思いの方が強かった。柄に合わず、少女の真摯な思いに打たれたとはいえ、文の目の前でりんどうを抜くことは避けるべきだったかもしれない。たとえばりんどうの芽を摘んだあの山のものなら、育てたものほどではないにしろ、立派に成長していたはずだ。それを少女に与えるべきだった。
幽香の謝罪を耳にした文は、瞼をこすり、ひとこと、
――良かった。
心の底から絞り出たような声で言った。
そして文は毎日丘の上へ来るようになった。少しずつ膨らんでくる蕾に目を輝かせ、今か今かとそのときを待ち望んでいた。
少女は先ほどからそわそわして、立ったり座ったりを繰り返している。幽香の気も、こころなしか急いていた。幽香は文に早く花を見せてやりたかった。そして、その花に負けないほどの文の笑顔が、早く見たい。
――文さんって、笑うとすっごく可愛いよね。
いつか、少女が幽香にそう言った。そもそも丘の上に通い詰め出したのは、りんどうの世話をしているときの文の笑顔を見るためだったらしい。そのとき、幽香も大きくうなずいたのだった。
文の笑顔が好きだった。笑顔だけではない。幽香は文に惹かれていた。
初めて会ったときから、気にはなっていたのだが、りんどう育ての件で一気に距離が近づいた。幽香のその気持ちに火がついたのは、肥料を自分でやる、と文が言い出したときだった。
あれはおそらく、「甲斐性なし」と、冗談交じりに言ったことを本気にしたのだろう。そういったとき、文の表情が凍りついたのを憶えていた。肥料の件を切り出してきた時、なんてまっすぐなんだろうと思い、そこで胸が締め付けられるような感覚に見舞われた。さらに追い打ちとして、昨日お水をあげられなかったどうしよう、だ。久々に爆笑したが、あれはわざとらしく聞こえていなかっただろうか。あれは顔がほころんでしまうのを隠すために、わざとやったことだった。
この花を見て、文は絶対に笑ってくれるだろう、と幽香は確信していた。
ひときわ強い風が吹いた。この風を引き連れてやってくる妖怪を、幽香は知っている。風に巻き上げられ、辺りに幽かな花の香りが満ちた。文はその香りを、胸いっぱい吸い込んだ。文がりんどうのそばに降り立つと、幽香と少女はそばに駆け寄った。少女が、花が咲いているりんどうを、何も言わずに指差した。
りんどうの花は、その素朴な五枚の青い花びらをいっぱいいっぱいに広げて、美しく麗しく在った。まるで文に感謝を告げるように、りんどうはゆらゆらと揺らめいて見せた。若芽の頃は、風にたなびくだけの丈もなかったのに。文はこれまでのりんどうの成長を思い返し、改めてその凛々しい姿を見ると、たまらない気持ちになった。
――よくここまで育ってくれた。
花に手を伸ばした。温もりが感じられた。りんどうに当たっている日光を手で遮ったからだと思ったが、どうも違うようだった。それは文の手を、軽く握ってきた。
文の手の上に、幽香の手が重ねられていたのである。
「幽香さん……」
「幽香でいいわ」
りんどうの星型は、二人の脳裡に烙印のごとく刻みつけられた。
採集しては余り宜しくない。
また、園芸目的での野生植物の盗掘が横行している現状において、このような野外
での採取を助長しかねない表現はいただけない。幽香種を譲り受けるなり、五月ごろ
に挿し木をするための茎を貰い受ける等、他にも入手方はあったはずである。
最後に、例外はありますが多年草はきちんと手入れさえしてやれば、犬や猫よりも長
く付き合うようになる事(20年とかそれ以上)がざらにあります。そのため、本当に大切に
花を育てている人々の植物への思い入れは、往々にして他人の思うよりも強いものです。
もし本当に大切に育てていた植物を、たとえどんな理由が有れ他人の手で傷つけられた
り 、抜かれたりされた場合、何年たとうとその事を忘れる事も、許せる事もないものです。
特に幽香のように、永く草花と一緒に過ごしてきたモノが、育てていた人の前でそれを抜く
ような事をするとは考えにくいと思いますよ。
文や幽香のキャラ付けとか、ちょっと珍しい切り口ですけど、繊細で可愛いお話ですね。
よかったです!
一つ気になったのは>>5さんが言うように幽香の行動でしょうかね。