ちゅんちゅんちゅん、と今朝も小鳥たちの井戸端会議が始まりました。
私はそれをベッドの中で聞きながらぼんやりと目を覚まします。
「……おはようございます」
別に誰に向けて発したわけでもありませんが、しいて言えば自分にでしょうか。
実は私、朝にめっぽう弱いためベッドから這い出るのも一苦労です。
そのため「朝だよ、起きやがれよ」という意図を込めた「おはよう」を発することで無理矢理にでも自分を起こします。ここでベッドからの脱出に失敗すると午前中は夢に飲まれる運命となります。
無事にベッドとの別れを済ませた私は、眠い目を擦りながら洗面用に水を張った桶へと体を引きずるのでした。
顔を洗って目はぱっちり、翠色の髪(かくれんぼの時には役に立ちます。保護色というやつで)をとかしとかし、お気に入りの黄色いリボンをきゅっとしめればビシッと完成。いつものポニテ、いつもの私が顔を見せます。
この髪型とも数十年、数百年では尽きないほどの付き合いです。それはというのも、単なるオシャレというわけではない、重要な役割があるからなのでして。
私たち妖精の中には、その、ちょっぴりおつむが残念といいますか、物覚えが悪い子もいくらか居りまして。
彼女らは個人を髪型や服装で判断している節があるため、ちょっと雰囲気を変えようと髪でもいじるともう大変。人間ならば「あれ、髪切った?」で済むところも「あれ?誰?」となってしまいかねないのです。安易なオシャレは友人関係の消滅を招きます。
そんな話をしているうちに朝食と着替えを済ませてしまいました。いつものシャツといつものワンピース。胸元のリボンは髪のとお揃いです。
さて、いつまでも家に居ると甘えん坊のベッドが隙あらばと私を誘い込もうとしてくるため、特に用もありませんが出かけることにします。外に出れば誰かしら仲間がいるでしょう。
今日は何をして遊ぼうかな。
お日様の光を浴びながら大きく伸びをしていると、ミズナラの木の周りでおしゃべりに没頭している仲間たちを見つけました。
私たち妖精は皆一様におしゃべりが大好きです。内容はいたずらの結果報告や美味しい食べ物の話など多岐にわたりますが、内容に関わらずきゃいきゃいと笑いながらおしゃべりをすること自体を楽しんでいます。
しかし今日はどうも様子が違うようでした。
「あっ、大ちゃんおはよう!ねーちょっと聞いてあげてよ!」
話を伺う前にあちらから声をかけられました。
ちなみに『大ちゃん』というのは私の名前です。他の子よりもちょっぴりお姉さんで、背が高いから大ちゃん。いつの間にか名前がついていました。
「どうかしたの?」
「なんでも、この子が“フリョウ妖精”に襲われたとかなんとか」
「フリョウ?」
「悪い子のことを人間がそう呼ぶんだってさ」
人間基準で話をするならば、いたずらが日課な私たちはみんな“フリョウ”になってしまうのでは。
「そんな、妖精を襲うような妖精なんていたっけ?この辺りでは見たこと無いけど」
「だよねえ。ま、あとはその子から直接聞いてあげてよ。私たちは遊びに行くから」
言うが早いか、彼女らはふわりと飛び去って行きました。妖精は基本的に飽きやすいのです。
残されたのは私ともう一人。寂しいような怯えたような目で私を見つめています。
「大ちゃん……」
ああ、涙目。彼女は縋るように私の手をぎゅっと掴んできます。
「とりあえず、話は聞くから落ち着いて、ね?」
どちらかと言えば私も遊びに行く班に加わりたい。しかし涙目の女の子をほっぽっておくことなどできはしないのでした。ひとまず話だけは聞いてみることにしましょう。
彼女の話を要約すると、「散歩中にひんやりした空気を感じたから様子を見に行ったところ、見たことのない妖精が辺りを凍らせまくっていた。すぐに逃げようとしたが見つかってしまい、慌てて足を滑らせて手のひらを擦りむいた」とのこと。
「それは襲われたとは言えないんじゃない?」
「でもケガしたもん!」
ほら、と血の滲んだ泥だらけの手のひらを見せる彼女。早く洗ったほうがいいよ。
「あんな怖い子がいるんじゃ安心できないよ!なんとかしてよ大ちゃん!」
「そう言われても……」
なんとかして、と言われても困ってしまいます。しかしながら私としてもその“フリョウ妖精”は少々気になるところ。それまでそんな子がいるなどという話は聞いたことがないし、余程のことが無い限り私たちは仲間を襲ったりはしません(今回は被害者が勝手に転んだだけのようですが)。他所から流れてきた子か、はたまた妖精ではない何者かか。
前者の場合なら事情を聞いた後に暖かく迎えてあげれば良いし、後者の場合なら……ええと、どうしようもない?
ともかく一度様子を見に行く必要がありそうです。放っておいて私の家でも凍らされてはコトですし。
私は嫌がる彼女に案内を頼み、実際に現場を見に行くことにしました。
件の場所は私たちが普段うろうろするテリトリーから、少し霧の湖の方へ入った辺りにありました。
彼女の話は嘘でもなんでもなく、そこには大きな氷塊がいくつも地面に突き刺さり、異様な冷気を発していたのです。
「ほら見て!ここだよ、私が転んだの!」
彼女は地面の一角を指さして何やら叫んでいますが、例のフリョウ妖精の姿は見えません。どうやら既に立ち去った後のようです。
話を聞く限りだとフリョウ妖精は冷気か氷の精。てっきりここに住処を作るつもりなのだと思っていましたが、どうやら違ったのかもしれません。
「地面まで凍っちゃってるから滑ったんだ!こんにゃろめ!」
憎らしげに地面を踏みつけては滑って転んでいる彼女を横目に、せっかくなので私は周囲を注意深く調べて見ることにしました。
確かに彼女の言うとおり、辺りの地面は完全に凍りついていて、気をつけていても転んでしまいそうです。まあ、私たちは飛べば済む話ですが。
次に、そこら中に突き刺さっている氷塊ですが、これがまた大きい。妖精が縦に三人並んでも足りないくらいです。小石程度の氷を作ることができる妖精なら何人か知っていますが、これほどの大きさの氷を一人で作り出すなんて……それも1つ2つではありません。
「よほど力の強い子なんだなあ……」
被害者の彼女がいつの間にか全身に擦り傷とアザを作り、もう帰りたいと主張したために今日のところは帰ることにしました。そんな時。
「ん、なんだろう、あれ」
凍りついた地面に、なにやら平べったいものが貼り付いています。
妖精のものにしてはちょっと大きい、おそらく人間のものであろう草履が一足、残されていました。
近くで見てみようとも思いましたが、裾を力いっぱい引っ張られるもので、仕方なく私は引きずられるようにしてその場を後にしたのでした。
それからしばらく、フリョウ妖精による目立った襲撃はありませんでした。敢えて“目立った”と付けたのには意味があります。
直接に襲われたと主張する子はいなくなったのですが、森のあちこちや湖にかけて、例の氷塊域が小規模ではありますが見つかるようになったのです。
私にも多少なりとも気になる気持ちはありますが、少なくとも私たちに危害を加えるつもりは無いように思えました。だってそれなら直接襲いかかってきたほうが余程早いし効果的です。私たちが集団で行動しているとはいえ、悲しきかな、所詮は妖精なんです。力のある人間や妖怪にはかないません。私たちもそれを理解しているため、外敵には敏感です。いざという時は蜘蛛の子を散らすように逃げます。
と、いうわけで、あちら側に侵略の意思が無いと判断した私は、それほど危機感を覚えていないのでした。きっと良い住処でも探しているのでしょう。
ところがぎっちょん、仲間のみんなは私とは全く異なる見解のようなのです。
やれ「気味が悪い」だの、やれ「視線を感じる」だの、「近くに行くと寒い」「氷を触ったら冷たかった」「おなかこわした」そのほかもろもろ。
フリョウ妖精による痕跡が見つかるたびに(なぜか)私のところに数々の不平不満が集まってきます。そしてそのたびに現場検証へ向かう日々。仲間のみんなはフリョウ妖精の動向が気になって仕方がないようです。
こんなことより、人間を困らせたりして遊ばない?
そうして大きな進展は無いまま、お日様は昇っては沈み、夏が訪れました。
○ ○ ○ ○ ○
「大ちゃん!また出たんだけど!またあのフリョウ妖精にやられたんだけど!」
我が家のドアが思い切り開くのと同時に、大音量の目覚ましが鳴りました。
誤解されないように書き足しておきますが、けして寝坊していたわけではありません。今日はとても日差しが強くて外で遊ぶのが億劫であったために、風通しが良く涼しいマイスイートホームでお昼寝していただけなのです。テーブルに突っ伏して寝ていたために、顔に木目跡が付きました。
「また出たんだけど!またあのフリョウ妖精にやられたんだけど!」
「あ、え?」
「とにかく来てよお!よだれ垂らしてる場合じゃないよ!」
つめたい水羊羹の夢を見てたのです。
爽やかな午睡を妨げられ、二度寝も許されない空気であったために、仕方なく彼女(第一被害者の子と同一です)の話を聞きながら現場へ向かうことにしました。
「『こおりば』で涼んでたらあいつがいたの!私、本当にびっくりしておどろいて、あせってあわてて逃げてきたの!」
「それで、またもや転んで擦りむいたと」
「そうなの!あいつにやられたのよ!なんとかして大ちゃん!」
ずびび、と涙ながらに訴えてきます。転んだ時に作ったと思われるあごの下の擦り傷が赤く滲んでいました。早く洗ったほうがいいよ。
彼女の言う『こおりば』とは、例の氷塊域のことです。
『こおりば』を形成する氷の数々は、この炎天下の中においてもなかなか溶けることなく残っているため、暑さをしのぐには都合の良いものでした。
当初は仲間のみんなもフリョウ妖精に対する恐怖が勝り、近づこうとはしなかったのですが、今ではすっかり人気の避暑地となっています。
それというのも、『こおりば』に居てもフリョウ妖精と遭遇することが無かったためです。むしろ『こおりば』どころか、実際にフリョウ妖精の姿を見た子はいないというのが現状だったのでした。
一人を除いては。
「前に遭った子と同じだった?」
「うん!青かったから間違いないよ!」
「んー、何か特徴とか、もうちょっと具体的にわからない?」
「…………羽が、あった、と思う」
まあ、前回と今回と、よほど慌てていたのでしょうね。確実な姿を見たのではないようです。
「あっ!あと足もあったよ!服も着てた!」
そうこうしているうちに現場へ到着しました。
私たちの溜まり場から飛んで10数分、といったところに目的地はありました。
一番最初に見つけた『こおりば』よりも一回り小さいくらいの大きさです。
「ここ!ここで私が寝てたの!」
「寝てたの?」
「そう!涼しくって気持ちよくって、ついうとうと!」
やはりみんな考えることは同じですね。こう暑いと、動きまわって汗をかくよりも寝ている方が得策です。
そこじゃなくて、と彼女が続けます。
「ふっ、と目を開けたらすぐ近くで私を見てたの!」
「フリョウ妖精が?」
「そう!だから私、びっくりしておどろいて……」
滑って転んであいたたた。そしてそのまま私の家まで来た、と。ここまでは前回と同じパターンですね。
しかし、今回は前回の状況と大きく異なる点があります。
「見つかって逃げてから、まっすぐ私のところに来たんだよね?」
「うん、だってどうしたらいいか分からなかったし、あいつ関係の話は大ちゃんがなんとかしてくれると思ったし……」
なんでやねん。
「姿を見たのなら、まだそれほど時間は経ってないから探せば近くに居るかもしれないね」
「えっ?」
溜まり場の近くにある私の家からここまで10数分。彼女が全速力で逃げたのなら半分の時間も掛かっていないでしょう。
あたりを注意深くさぐってみると、わずかに冷気の流れのようなものを感じ取ることができました。
「ほら、あっちの方に行ったみたい。きっと向こうも大声に驚いて逃げていったんじゃないかな」
「だ、大ちゃん……もしかして」
「うん。ちょっと行ってみようよ」
私が「うん」と言った頃には彼女は既に『こおりば』の外まで後ずさっていました。
「い、いやだよ!怖いから、行くなら大ちゃん一人で行ってよ!」
「私だって怖いよ。だから一緒に行こ」
「むり!」
私の提案は聞き入れられず、彼女は小さな羽を広げてぴゅうと逃げて行ってしまいました。「ごめんねえ、だけどがんばってえ」と、なんとも無責任な応援を残して。
私だってさっきの言葉に嘘はありません。なんだかんだ言って怖いものは怖いです。
それでも、今回ばかりは頑張らなければならないでしょう。このフリョウ騒ぎも数ヶ月は続いています。飽きっぽい私たちがひとつの問題にこれほど長い時間悩まされるというのは非常事態と言っても過言ではありません。そして主に悩まされているのは私です。いい加減この辺りで白黒つけねばならない。会って話をして事情を理解すればこれらの問題は一挙に片付くに違いありません。
彼女の目撃情報の中に「大きかった」という感想が無かったことから、相手のサイズは私たちと同程度、つまり妖精であるのは殆ど間違いないはずです。
だから最悪の展開は無いと思って良い!です、よね。たぶん。
私は意を決してフリョウ妖精の後を追いかけることにしました。億劫なのと怖いのとで羽が重たいです。
冷気の流れは森を抜け、妖怪の山へと向かっていました。
この辺りは私たちのような森に住む妖精のテリトリーからは大きく外れています。山の中を根城とする妖怪たちは恐ろしメーターが振り切れている方々が殆どであり、危険を敏感に察知する私たちは決して近づこうとはしません。敢えて山を活動拠点とする妖精たちも居るには居ますが、いったいどういう思索を経てここに留まることを決めたのか私には全く理解出来ません。鬼や天狗がご近所さんな生活なんて、想像しただけで心臓が噴火しそうです。
そんな危険なところへ私はこうして足を踏み入れてしまったのでした。
先に挙げた鬼や天狗のような高位の妖怪は、この哀れな一妖精を見つけた所で歯牙にも掛けないでしょう。しかし、彼らよりも低位の妖怪、むしろ野獣と言ったほうが近いようなみなさんはそうではありません。もし見つかればえらいことになります。いくら私に最後のとっておきがあるとは言え、遭遇は絶対に避けなければなりません。
なるべく目立たぬように且つ迅速に追跡を続け、前髪の先から汗が垂れ始めた頃、開けた場所に小さな池を見つけました。
小さな、と言っても私のよく知る霧の湖と比べたものであり、だいたい外周を全力でかけっこしようとすると途中で諦めるだろうなあと思う程度の大きさはありました。
丁度良かった、真夏の昼の登山のおかげでいい加減くたびれていたところです。ささやかな涼でも取って行きましょうか。そう思ったのですが。
「ひゃっ!」
私が池の中へ足を浸そうとしたとたん、突然池の水が目の前の部分だけバキキッ、と音を立てて凍りついてしまいました。
いったい何が、と慌てて周囲を見回すと、池を囲むようにして立っている木々のうちの一本にもたれかかるようにして、青いワンピースを着た妖精が私をじっと睨みつけていました。
ようやく見つけました。件のフリョウ妖精は彼女で間違いないでしょう。
し、しかし、おかしいです。私の考えでは彼女にこちらを攻撃する意思は無かったはず。それがどうして危うく氷漬け?
ふと彼女の足元に目を向けると、大小様々な氷の塊がいくつか転がっていました。中に何か入っているようでしたが、それが何なのかまでは見えません。
ひょっとしたら彼女の氷漬けコレクションでしょうか。そして、次の標的は……いやいや、そんなばかな。
現状をいまいち理解し切れずにただ彼女を見つめることしかできない私を、彼女もまた睨み続けていました。
私たちの間に息苦しい沈黙が流れます。遠くでは蝉が鳴いていました。
早々にここを立ち去りたいという気持ちがだんだん大きくなってきました。
そこで、立ち去るにしろ目的だけは果たそうと、私は彼女にコミュニケーションを試みることにしました。
「あの……あなた、妖精でしょ?どうしてこんなところに?」
「……」
って、そっくりそのまま私にも当てはまるじゃないですか。我ながら頭の悪い質問でした。切り口を変えることにします。
「最近、あちこちを凍らせて回ってるのって……あなた、だよね」
ぴくり、と小さな反応。
「だったらなんだって言うのさ……!」
フリョウ妖精が小さく唸るように言いました。こちらへ向ける目が険しくなったのを感じ、私は早くもくじける寸前です。
「ええと……どうしてそんなことをするのか、事情だけでも聞いてみたいなって。あなたのせいで、みんな怖がっちゃってて……」
「……ッ」
彼女は一瞬、目を見開いたかと思うと身を翻らせて何処かへ飛び去ろうとしました。
「あっ、待って!」
「うるさい!」
彼女は右手だけを向けて私を制しました。それだけでなく、彼女の伸ばした手の平が青白く光ったかと思うと、いくつもの小さな氷のつぶてが勢い良く私の体を打ちつけました。
「あいたたた!」
「弱っちいくせにごちゃごちゃうるさいんだよ!バカ妖精ぇ!」
結局、それ以上彼女を追うことができずに、大した収穫も無いまま今回の接触は終了しました。
分かったことといえば、間違いなく彼女が件のフリョウ妖精であることと、彼女の足元に転がっていたのは凍った蛙だったということくらいでしょうか。
身も心も打ちのめされた私は足取り重く、一人とぼとぼふわふわと帰路につくのでした。
その日以来、フリョウ妖精の目撃情報はぱったりと無くなりました。
○ ○ ○ ○ ○
私とフリョウ妖精のファーストコンタクトから数ヶ月が経ち、お日様も随分とおとなしくなりました。代わって強気になった北風の熱烈なアピールにより、私たちの袖も手首のあたりまで長くなります。
森の景色も、赤々と染まった木々や美味しそうにつやつや光る果実たちによってすっかり秋模様。美味しい秋の支援を受けて、動物たちがもぐもぐと冬眠の準備を始める季節です。
私たち妖精は冬眠しませんが、秋の味覚をちゃっかりと頂きます。おかげで、井戸端のいたずら会議では私たちの口は食べるに話すに大忙しです。今日は私を含めて三人の妖精が両手に果物を持ちながらおしゃべりに興じていました。
「でさあ、今度は人間の畑で野菜の葉っぱを全部切っちゃうのはどう?」
「いいね!きっと抜きづらくって大困りだね!」
と、私。
「でしょでしょ?ついでにいくらか貰ってきちゃえばいいじゃん?」
「そこまでやるんならさあ、クワとかその辺の道具も隠しちゃうのは?」
「ぷぷぷ、そしたら手で収穫しなきゃじゃん!面白そう!」
このように、お腹をふくらませながらのいたずら会議は、秋の味覚のように実りある内容に溢れます。眠たい春、気だるい夏とは違い、秋は私たちに限らず生き物の最も活動的な季節と言っても過言ではありません。
そんな時、一人の妖精が心配そうな声でいたずら計画に一石を投じました。
「で、でも、人間の畑って結構人里の近くにあるよね……そこまで行って大丈夫かな……」
「へ?どしたの急に?」
「だって……今は収穫の時期だからきっと人間もいっぱいいるよ」
「そんなのどうってこと無いじゃん!いざとなったら飛んで逃げればいいし!」
「そうそう、ちゃんと人間が少ない時間を狙うしさ」
確かに、心配症な彼女の意見ももっともであると言えます。食べ物に執着するのは人間も同じ、せっかく育てた作物にいたずらされるとあらば全力で阻止しようとするでしょう。
だからこそやりがいがあるじゃない、というのが私の意見ですが。
「少ないって言ってもきっと一人じゃないよ……何人かに囲まれたら逃げ切れないかも……」
「んもー!そんなこと言ってたらいたずらなんてできないじゃん!心配しすぎ!」
煮え切らない様子の彼女に、発案の子が声を荒げました。
「だったらアンタは来なくていいよ!あたしたちだけで行くから!」
「あっ、でも……」
「ぐずぐずしいのを連れてっても邪魔なだけだし!行こ、大ちゃん!」
そうだね、と言って発案の子と二人でいたずらに向かっても良かったのですが……。
「んー……」
「どうしたの?早く行こうよ!」
「……いや、やっぱり今日は私もやめとこうかな。なんか、そんな気分じゃなくなっちゃった」
毒気を抜かれた、というのもありますが、心配症な彼女の様子がどこか気になったのでした。
人里の近くで行なういたずらは初めてというわけでもなく、それどころか里の中で行ういたずらも珍しくありません。彼女も普段からちょっぴり消極的なところがありますけど、なんだかんだいたずら集団の最後尾にはついて来る子です。
今回のように計画そのものに反対するのは初めてだったかもしれません。
そんな彼女を、なんとなく無視できなくなったのです。
「んもう!大ちゃんまで何言ってんの!」
「いたずらじゃなくて、今日は落ち葉とかで遊ばない?」
「あのねえ、人間が怖いからいたずらしないとか言ってたらこれからずうーーっとできないじゃん!そしたらあたしたち何のために生きてんのさ!」
口論はついに妖精の存在意義の如何にまで発展してしまいました。
「じゃあいいよ!もうあたしだけで行く!」
「えぇ?いや、いくらなんでもそれは」
「ふんだ!アンタたちにはクズイモ一個あげないからね!」
私たちが止める間も無く、彼女はしびれを切らして飛んでいってしまいました。ぽつんと残される私たちに、秋風が吹き付けます。
一番元気な彼女が居なくなり、急に気温が下がったかのように思えました。
私と一緒に残された子はずっと押し黙ったままでしたが、何かを言おうとしてるようでもありました。
肌寒いこの場にただ立っていることもできず、かと言って彼女を残して去ることもできず、仕方なしに私は彼女を家に招くことにしました。私の提案に、彼女はこくんと頷きます。
「美味しい紅茶が手に入ったんだ。って言っても、淹れる私が上手くないから美味しくなるかどうかはわからないけれど」
「……」
「それとも、普通のお茶のほうが良い?」
「……ううん、紅茶がいいな」
「わかった。すぐできるから待っててね」
風さえしのげれば、小さな釜戸一つでも十分あたたかいものです。まずは落ち着かない彼女に飲み物をふるまい、暖まってから話を聞くつもりでした。
「はい、おまたせ。まずは飲んで、あったまろ?」
「うん、ありがと大ちゃん」
ティーセットをテーブルに置き、木のイスを2つ並べて、彼女と隣り合って座りました。
自分以外のお客さんに振る舞うのは初めての茶葉でしたが、目を瞑ってほう、と息をつく彼女の様子を見ると、どうやら口に合ったようで安心しました。
私はお茶請けのクッキーを勧めながら、彼女が抱えているものを話してくれるのを待ちました。
私が2枚目のクッキーに手を伸ばした頃、実は、と彼女が口を開きました。
「わたし、聞いちゃったの。人間が話してるのを」
「どんなこと?」
「いい加減、妖精のいたずらにもうんざりだから一度懲らしめよう、って。もう二度といたずらなんて考えないように徹底的に、って……」
里の人間が私たちに報復を企てるのはこれまでにも幾度かありました。青年団が数人で群れを組織し、私たちを捕まえて何やらごにょごにょしようとするらしいのです。
むしろその場合は彼らの方から妖精のホームである森の中に入り込んでくるため、私たちはここぞとばかりに力の入ったいたずらで迎えるというのが常でした。縄と網だけで私たちを捕まえようというのはいくらなんでも妖精ナメすぎです。弱者には強いのが私たちです。
「だったら、私たちも準備しておかないとね。どんな罠がいいかな?」
「ちがうの!」
突然肩をゆすられ、奥歯で砕いたクッキーがそのまま喉の奥へ入り込みました。ぐへっ。
「わたしが聞いたのはそれだけじゃないの!見たのも!」
「げほっ、えふっ……『見た』ってのは……?」
普段はおとなしい彼女の異常な剣幕に、のんきに構えていた私も少し居住まいを正します。
とにかく、興奮しきった状態で話を聞くことはできないため、早々に飲みきっていたカップにお代わりを注いで彼女に落ち着くように促しました。
「いったいどうしたの。詳しく聞かせて?」
「……きのう、みんなで里のおまんじゅう屋さんにつまみ食いに行ったときなんだけど」
私も参加したいたずらです。秋限定でとても人気だと評判の栗まんじゅうが食べたくなった私たちは、屋根伝いに隠れながらこっそりとおまんじゅう屋さんに忍び込みました。
おまんじゅう屋さんの店主は、休憩する際にたばこを吸うために裏口の扉を開けたままにする癖があります。入り口さえわかれば、バレずに出入りすることは容易いもの。狙いの物はすんなり手に入り、ご機嫌で帰路についたのを覚えています。
「あの時、帰りに人間の大人が集まって何か話しているのが見えたの。それで、気になったからちょっとだけ覗いて聞いてみたの」
「そこで、私たちを懲らしめようって話を?」
「うん。それだけなら、わたしも気にならなかったんだけど……」
「だけど?」
「人間の中に一人、笠をかぶったお坊さんみたいな人がいたの。真っ黒な袈裟を着てて、じゃらじゃらした棒みたいなのを持ってて」
「それは……」
なんてこった、用心棒を雇ったのか。
人間の中には、極稀に妖精や妖怪に対抗しうる力を持った人たちが居ます。代表的なのは、巫女。その他にも剣や魔法に精通している人など。
中でも一番ポピュラーなのがお坊さんです。彼らは特に幽霊専門というわけでなく、仏様の力を借りたり、不思議な数珠や御札で妖の力を押さえつけることができます。
ただの人間だけならばともかく、力のある人間が混じっているのであれば話は変わってきます。
「わたし、すぐに逃げようとした。でも、その人間がふっ、と顔を上げて……目が、合っちゃって」
「だ、大丈夫だったの?」
「うん。わたし、震えて動けなかったんだけど、その人間はにやぁ、って笑うだけで……そのまま他の人間たちと一緒に近くの家の中に入っていっちゃったの」
「良かった……」
……って、良くない!そんな怖い人間が居るなら、さっき一人で行ったあの子が!
「ごめん、大ちゃん……ほんとは、すぐに伝えなくちゃならなかったのに、わたし、怖くて……」
「私、あの子を連れ帰ってくる!あなたはみんなにこの事を伝えて!」
「うん……大ちゃん、お願い……!」
怒り心頭に発した人間に捕まれば、いったいどんな目に遭わされるものか、想像に難くはありません。
私は一目散に家を飛び出し、その勢いのまま地面を蹴って飛び上がりました。
○ ○ ○ ○ ○
無我夢中で人里方面へと飛び抜け、上空から彼女の姿を探しました。
発見までにはそう時間は必要としませんでした。なぜならば、彼女は既に十人弱の人間に追い詰められていたのです。
人間の集団の先頭には、先ほど聞いた情報と一致する風貌の男が居ます。そして、彼らから5mほどの距離にあの子がしゃがみこんでいました。
ここで意外だったのが、彼女は青い服の妖精、あのフリョウ妖精に抱きかかえられるようにされていたことです。どうして彼女が?
すると、人間のお坊さんが懐から御札のようなものを数枚取り出しました。
考える時間はもう終わりです。腹、括ろう。
「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃーーー!!!」
私は人間へ向けて滅茶苦茶に弾幕を撒き散らしながら、彼女たちの元へすっ飛んでいきます。
上空からの完全な不意打ちに、人間たちも慌てふためいたようでした。
この時、お坊さんだけはいち早く私の存在に気づき、投げる御札の矛先を私に向けていたのですが、こちらも必死。全力の弾幕によってなんとか撃ち落とすことができていました。
奇襲作戦は成功。私は人間たちと妖精二人の間に降り立ちました。
「大ちゃあん!」
「お前、この間の……」
上空からはわかりませんでしたが、フリョウ妖精は全身に火傷らしき傷を負い、立っているのもやっとの様相でした。
どうやら私たちは、長い間大きな勘違いをしていたようです。
「守ってくれてたんだね。ありがとう」
「大ちゃあん!そうなの!この、この子が、あたしをかばってえ!」
顔中を涙と鼻水でくちゃくちゃにしていましたが、彼女の方に目立った外傷は無いようです。
「お前、なんで来たんだよ!弱っちいくせに!」
「助けに来たの。とにかく、ここから逃げなくちゃ」
「だから……」
突然、私たちの会話を遮るように眩い閃光が放たれました。
「うぉっほん、おほん。そろそろ良いですかな、お嬢さん方」
閃光はお坊さんの持つ錫杖から発せられたものでした。
私の弾幕攻撃による一時のパニックも、既に治まっていました。
「飛び入りのお嬢さんには驚かされたが、それでも我々の優位は依然として変わらない」
お坊さんはちら、とフリョウ妖精を一瞥し、私の方へ向き直りました。
「頼みの綱の氷精は満身創痍。緑のお嬢さんの力量も知れたものだ。いったい、どうやって逃げるつもりかね。おとなしく縄を頂戴し、罰を受けるのだな」
そうなのです。勢い良く飛び込んだものの、圧倒的不利の打開策などありません。考える時間がありませんでした。
きっ、とお坊さんの目を睨みつけてみましたが、余裕ぶった笑みは崩れません。
そんなことをしている内に、お坊さんの後ろでうごうごしていた人間たちが、私たちを囲んで捉える算段を始めました。
このままでは何もできないまま三人とも捕まってしまいます。
「逃げてっ!」
私は叫びました。
「えっ、えっ……大ちゃ」
「あなたが動けないこの子を抱えて逃げるの!早く!」
「でっ、でも大ちゃんは」
「いいから!私もすぐに逃げるから!」
もう作戦も何もあったものではありません。
とにかく今必要なのは動けないフリョウ妖精を抱えて逃げる係と、その時間稼ぎをする係です。
「おい!あたいは逃げないぞ!そいつらをぶっ飛ばしてやるんだ!」
「そんなボロボロでどうするつもり!?いいから逃げて!」
「だ、大ちゃん……あたし……」
「早くしなさい!」
必死さが伝わってくれたのか、彼女は涙と鼻水をゴシゴシと拭き、抱えていたフリョウ妖精を逆に抱えながらすっくと立ち上がりました。
「大ちゃんもすぐに来てよ!約束だよ!」
「おい、やめろ放せ!あたいは逃げないったら!放せえ!」
傷だらけでは力も入らず、抵抗むなしいままフリョウ妖精はお姫様だっこの姿勢で上空へと運ばれていったのでした。
「あっ!あいつら飛んで逃げるぞ!」
「追え追え!絶対逃すな!」
当然、人間たちがそれを黙って見ていることはしません。さて、私も……と思ったのですが。
「その必要は無い」
「なっ……?」
なんと、人間たちを制したのは黒服のお坊さんでした。
「法師様、なぜですか!みすみす逃してしまいますよ!」
「飛んで逃げる者をどうやって止めるというのだ。この中に翼を持つ者でも居るのか?追いかけていく内に森へ誘い込まれ、逆に君たちが痛い目を見るだろうな」
「でしたら法師様が法術でなんとかしてくださいよ!」
「私が飛んでいる連中へ目を向けたならば、目ざといこちらのお嬢さんはその隙を見逃さなかったであろうよ」
お坊さんの私を見る目が鋭くなりました。
そうなのです。飛んで逃げれば、人間たちの目は一斉にそちらを向きます。その一瞬にこのお坊さんに一発お見舞いし、私も逃げる腹積もりだったのでした。が。
お坊さんは私から視線を外すことはせず、私は完全に逃げる機を逸してただただ冷や汗を流すのみとなりました。
「全く、そなたらがこうまで妖精に手を焼く理由がわかった気がするよ」
ふぅー、とお坊さんがため息をつきます。
「一々相手の目論見に乗っかってどうするのだ。妖精は人間を欺くことしかせぬ。躍起になって手足を振り回す前に、冷静に物事を見る目を育みたまえよ」
「め、面目ない」
「今日のところはこの妖精のみを捉え、居所を吐かせれば良い。その後、連中を一網打尽にするのだ」
青ざめました。この人たち、私を拷問しようと言うのです。
いったいどんなことをされるのでしょうか。石打ち、鞭打ちに、とても書き尽くせない辱めのオンパレード?
拷問なんてまっぴらごめんです。かと言って、私たちの居所を吐いてしまえば私は罪悪感でつぶされるまま小石よりも小さくなってしまうでしょう。そんなのどっちも嫌!
こうしてはいられません、どんな手を使ってでもこの場を脱しなくては!
このお坊さんさえ黙らせてしまえば、逃げるのは不可能ではありません。一か八か、弾幕の一斉射撃を浴びせられれば……。
「ふんっ」
私が弾幕を放つよりも早く、お坊さんが錫杖をしゃらんと鳴らしたかと思うと、謎の衝撃によって私は大きく吹き飛ばされてしまいました。
「うああっ……!」
「小賢しい妖精風情が、一人で何ができる?お前はこれから自分の身に降りかかる仕打ちを思い浮かべて震えていればいいのだ」
うう、現実はそう甘くありませんでした。そもそも敵うはずがなかったのです。
このまま気を失ってしまえば楽ですが、目を覚ました後に待ち受けるのは……。そう思うと、とてもではありませんが諦めようという気持ちは湧いてきません。
私はうつ伏せにふっ飛ばされたまま、力を振り絞って、弾幕を……。
「やめろと言うのが……」
お坊さんはつかつかと私の傍まで近寄り、
「分からんのかっ!」
「あうっ」
私が伸ばした手を思い切り踏みつけてきました。ぐりぐりと押さえつけられた手が地面の砂利と擦れ、激痛が走ります。
「ほ、法師様、何もそこまでせんでも……」
「まだ分からんのか愚か者が。妖かしを相手にする際に最も気をつけねばならぬことは、奴等に付け入る隙を与えぬようにすることだ。どんな僅かな気の迷いであっても奴等は見逃しはせぬぞ」
「しかし……」
「幼い外見に騙されるでない。我々の誰一人として、この妖精の半分、いや十分の一すら生きたものはおらぬぞ。そなたらもそれは承知であろう」
「それは、確かに、その、そうなのですが」
「さっさと縛り上げて連れて行け。噛み付かれぬように注意するのだぞ」
ぎくり。最後の手段まで封じられてしまいました。
もはや打つ手なし、万事休す、年貢の納め時、四面楚歌、匙は月まで飛んで行きました。
月まで飛んでいった匙はその途中で星々をも撃ち落とし、大小様々な星の欠片が地上へと降り注ぐことでしょう。降り注げばいいな。
「お、おい!見ろ、アレを!」
「うわあああああ!」
にわかに人間たちが騒ぎ始めました。
と同時に、何やらきらきらした光の粒が周囲へ降り注ぎ始めていました。まさか、本当に?
「妖精が一斉に押しかけてきたぞおおおおおお!!!」
光の粒の正体は、とてもよく見慣れたものでした。
「大ちゃんを助けろー!」
「人間なんかに負けるなー!」
「やっつけろやっつけろー!」
「◯◯蹴っ飛ばしてやるー!」
「大ちゃああああああん!」
ああ、どうしよう、私、なんだか泣いてしまいそうです。
「法師様!なんとかしてください!」
「だから侮るなと言ったのだ……だが、いくら群れようと所詮は妖精よ」
お坊さんが錫杖を持ち直しました。だめ、そうはさせない!
私は痛む体を引きずって、錫杖にがっしりとしがみつきました。
「貴様っ!邪魔をするな!」
「絶対、放さない!」
おそらく、お坊さんはこの錫杖を鳴らすことで法術を操っているはずです。
今あの衝撃波のような攻撃を放たれては、せっかく助けに来てくれた仲間もただでは済みません。それだけは阻止しなくては!
「ええい、いい加減に……」
「てぇーーーーーい!」
ガツン、と重そうな鈍い音が空気を揺らしました。お坊さんがうめき声をあげて倒れます。
「大ちゃんっ……」
「……ナイスガッツ!」
今回の危険を知らせてくれた、ちょっぴり臆病な彼女が手鍋を握りしめていました。これは痛そう。
「わたし、わたしぃ……!」
彼女は感極まったのか、怖さが極まったのか、ひっくひっくと泣きじゃくりはじめてしまいました。
私ももらい泣きしそうになりましたが、そこをぐっと堪え、そっと彼女を抱き寄せました。
「勇気を出して助けに来てくれたんだね……ありがとう。本当にありがとう!」
「うん……みん、みんなも、ちゃんと説明したら、すぐに、すぐにね?『助けに行こう!』って言ってくれ、たの……!」
「それも全部、あなたのおかげだよ……よく頑張ったね……」
彼女を抱きかかえながら周囲の戦況を見てみると、随分と私たちが押しているようでした。
まあ、人間たちは十人居るか居ないか程度に対し、私たち妖精は三十人以上が攻め寄せています。戦いは数ですね。
「貴っ様らあああああ!」
「!」
すっかりノックダウンしたかと思われたお坊さんが、いつの間にか起き上がっていました。
いけない、このままでは……!
「調子に乗るのも……ここま」
「とぇやーーーーーー!」
今度はキーンという音が(これはイメージですが)響きわたりました。というのも、誰かの足がお坊さんの股間に突き刺さったのです。
哀れ、お坊さんは口を魚のようにパクパクと開閉させながら、今度こそ意識を混沌へ沈めていきました。
「ふんだ、さっきはよくもいじめてくれたね!ざまーみろ!」
執行人は、フリョウ妖精を連れて逃げるようお願いした彼女でした。さっきまでの泣き顔が嘘のように晴れやかな顔をしています。
「戻ってきちゃったの?」
「やられたまんまじゃいられないよ。あの子なら森で寝かせてあるから大丈夫。さっ、今度こそ一緒に帰ろ!」
人間たちも、お坊さんがやられたことが分かると、とたんに戦う気を無くして逃げ帰って行きました。
お坊さんも数人の人間に担がれて運ばれていきます。
「勝ぁったどー!」
「どんなもんよ!」
「ざまみろざまみろー!」
仲間たちはそれぞれ思い思いの勝ち鬨をあげます。
そしてそのまま帰るのかと思いきや、なんと今度は人間の畑を荒らし始めるのでした。
みんな元気だね……私は、ちょっと疲れた、かも……。
○ ○ ○ ○ ○
気が付くと、私は自分のベッドに食べられていました。知ってる天井が眼前に広がっています。
最後の記憶を辿るのに数秒、それを現在の状況に結びつけるのに数秒、ベッドから飛び起きるのに、一秒。
「あれからどーなったのお!?」
寝ぐせも直さずに玄関を飛び出すと、仲間が数人、ああだこうだと意見を交しているのを見つけました。
「あっ、大ちゃんだ」
「大ちゃん起きた!」
「起きたよ。ねえ、私ったらいつの間に寝てたの?どのくらい寝てた?」
「大ちゃんったら丸一日寝てたんだよ。突然倒れるからびっくりしちゃった」
「丸一日も!あれからどうなった?人間は?それと、フリョウ妖精!」
聞きたいことはいくらでもあります。みんなの様子を見る分には、それほど切羽詰まった状況ではないようなのですが。
そのことなんだけど、と一人の妖精が前に出ました。お坊さんにトドメの一撃を刺した彼女です。
「丁度さっき偵察隊が帰ってきたところなんだ。大ちゃんも起きたことだし、みんなで作戦会議だよ!」
「テイサツタイ?」
十数分後、仲間たちが森の中心地にほど近い広場に集まりました。
皆は体育座りの姿勢で並んで座り、一段高い切り株の上に立った進行役の子を見上げています。進行役の子は、どこで拾ったのか「宴会部長」と書かれたタスキを掛けていました。
私はどこに居れば良いか分からなかったので、とりあえず一番前の列の端にちょこんと腰を下ろしました。
「それでは偵察隊、結果を報告せよ!」
進行役の子が促すと、数人の妖精が立ち上がりました。顔を見ると、かくれんぼの上手い子ばかりを集めた精鋭チームでした。
「さっき隠れて里の様子を見てきたんだけど、あの坊主ったら酒のんでべろんべろんだったよ」
「『ちくしょー』とか『ふざけやがって』とか、ありゃあ相当頭にキてるみたいね」
「周りの人間も心配そうに見てたよ。見限られちゃえばいいのに」
先の一戦は、やはりお坊さんにとっても手痛いものとなったようです。
負けるはずがないと舐めてかかった相手に完敗したのですから、その悔しさと言ったらないでしょう。
「あの様子だと、しばらくは飲んだくれてるだろうね」
「でも、絶対もう一度仕掛けてくるよ。今度は向こうから」
「あの坊主、性格悪そうだもんねー」
そうなのです。それこそ私が一番心配している問題なのでした。
あのお坊さんがやられたまま大人しくしているはずがありません。間違いなく、私たちをぎたんぎたんにしたくて堪らない思いでしょう。
私がベッドで目を覚ましたときは、既に報復に来ているかもしれないと思って飛び起きましたが、彼女たちの言ったとおりであるならばお坊さんが動き出すまで少しの猶予がありそうです。
偵察隊の報告が終わり、進行役が再び口を開きました。
「一度こてんぱんにしたとは言え、また人間たちが攻めてこないとは限らない!こっちも大ちゃんがボコされた以上、黙ってはいられない!」
そうだそうだ、と一部から声が上がります。
いや、確かにボコされましたけども。あんまり蒸し返さないでほしいなーって。
しかし、なんだかおかしな空気になってきました。少々ヒートアップし過ぎているような。
「人間たちの度重なる所業、もはや捨て置けぬ!いくさだ!戦いの火蓋は、今切って落とされ」
「ちょ、ちょっと待ったあーっ!」
流石にストップを掛けました。いくらなんでも話が大きくなりすぎです。
「どうしたの大ちゃん。みんな大ちゃんのために戦ってくれるってのに、急に水刺さないでよ」
「そこまでしてなんて言ってないし!みんな一回落ち着いて!」
私たち妖精は、普段はそれぞれ気ままに動くくせに、一度結束すると急激に勢いを増す性質があります。みんな乗りが良いと言いますか、「面白そうだから何でもいいや」という思考が体を支配しがちなのです。
いつもは私も例に漏れず、調子に乗ってみんなで火傷をするのですが、一晩ぐっすり寝たおかげで勢いにリセットがかかり、冷静な思考を保つことができていました。
妖かしが支配するこの幻想郷と言えど、抑止力というものは確かに存在します。
いたずら程度ならば良いのです。そのいたずらに対して人間が報復し、逆に痛い目見せましたー。程度も良いはずです。
ですが、いくさなどと言って人間の里に総攻撃を仕掛けるという所まで発展してしまうと、幻想郷の抑止力、『博麗』が動き出してしまってもおかしくはありません。
かつて私は一度だけ、『博麗』が妖怪を退治する場面を見たことがあります。あの時は身の丈十尺はあろう妖怪を、持っているお祓い棒でたった一薙ぎしただけでやっつけてしまいました。妖精など、もってのほかです。何人集まろうと、偏に風の前の塵に同じです。
「何も、人間全員をやっつけなくたっていいんだよ。私たちが怖いのは、あのお坊さんなわけだし」
「んまあ、それは、そうだけど。じゃあ酔っ払ってる内に囲んじゃう?」
「ただやっつけるだけだと同じだよ。きっと一層ムキになって私たちを退治しようとするよ」
「じゃあどうするのさ!」
進行役の子がぷりぷりし始めました。
「あのお坊さんに、もう私たちと関わりたくない!って思わせるようにしなくちゃ」
「怖がらせるの?」
「うん、私たちのやり方で徹底的にね。私に考えがあるんだ」
そのためには、あの子の協力が不可欠です。私は最前列に座っていた子に尋ねました。
「ねえ、あの子……フリョウ妖精ちゃんはどこに居るの?」
「えっ、あ……」
なんだか答えづらそうにもじもじしています。
「もしかして、何かあった?」
「じ、実は……わからないの。あの日、みんなで森に帰ってきた時にはもう、居なくて」
「ええっ?」
森で寝かせてあるから大丈夫。あのとき私は駆けつけた彼女にそう聞きました。
私はその子の方に視線を向けました。
「いやあ、確かに寝かせてたんだけどねえ」
「結構な大怪我だったじゃない!」
「ちゃんとみんなで探しまわったよ、悪いやつじゃないって分かったし。でも森中探しても見つからなかったんだもん」
森中探しても。その時、私には彼女の居場所がなんとなく分かった気がしました。
「もう……じゃああの子は私が連れてくるよ。みんな、私が戻ってくるまで勝手に動いちゃだめだよ」
「大ちゃん、あの子がどこに居るか知ってるの?」
「もしかしたら、ね」
私は、皆を一旦解散させるように進行役の子にお願いしました。
「うむ、それでは本日は解散!以後、コレ関係のお話は大ちゃんに任せることにします!」
そう言うと彼女は立っていた切り株から降り、私に「宴会部長」を押し付けました。いらない。
○ ○ ○ ○ ○
森を抜け、妖怪の山。前回来た時は夏真っ盛りでしたが、今ではすっかり赤く染まり、早くも葉が落ち始めたこともあってすっかり景色は様変わりしていました。
山を登ることしばらくすると、針葉樹に囲まれた小さな池に着きました。
見ると、池の端にしゃがみ込む背中がひとつ。小さな氷の粒を作っては池の中にぽいぽいしていました。
彼女は私が近づくとすぐに気が付いたようで、ぴたりと手を止めて動かなくなりました。
「良かった。ここに居なかったらどうしようかと思った」
「……何しにきたんだよ、ざこすけ」
背中を向けたまま、こっちを見ることはしません。
「もっとあなたとお話したいなーって。ついでに、ちょっとしたお願いも」
「あたいは話すことなんて無いね。さっさと帰んなよ」
「どうしてそんなこと言うの?」
「イライラするんだよ、お前たちを見てると!」
肩越しに彼女と目が合いました。
「弱いくせに数だけは居て!それで自分たちが強いと勘違いしてる!」
「勘違いなんてしてない!私たちは……」
「あたいはっ!」
とうとう彼女は立ち上がり、こちらに振り返りました。
丁度その時。
ざばあ!と池の中からとても大きな水しぶきが上がり、赤くて太いゴム縄のようなものが彼女の体に巻き付きました。
「しまっ……!?」
「危ない!」
咄嗟に手を伸ばしましたが、何が起こったのかすら分からぬまま、彼女の体は池の中へ引きずり込まれていきました。
私は手を伸ばした勢いのまま、地面を蹴って池へと飛び込みました。
薄暗い水中で目を開けると、おぞましい世界が眼前に広がります。
なんと、池は思っていたよりも遥かに深く、その奥底では私の家くらいならば一飲みにしてしまいそうなほど大蝦蟇が、これまた大きなお口を開けて待ち構えていたのです。その口から伸びた太い舌はフリョウ妖精ちゃんを捕まえて離しません。
池の中には一番の大蝦蟇の他に、手のひら大のものから三尺はありそうなものまで、至る所に蛙が浮いていて、私たちをじっと見つめています。
身の毛もよだつ光景とはこのことです。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られましたが、そこをぐっと堪えます。
とにかく彼女の手を掴もうと、私も手を伸ばしますがやはり届かず。ならば追いつこうと必死で足をばたばたさせるも、彼女の体は私の泳ぎよりも速く底へと引きずり込まれていきます。
私が手をこまねいていると、彼女もようやく何が起こったのか把握できたらしく、立ちどころに両手を大蝦蟇の舌へくっつけて青く淡い光を放ちました。
すると、忽ち大蝦蟇の舌がビクッと一震え。触れていた部分の舌が青く変色している所を見ると、直接冷気を注ぎ込まれたのでしょう。たまらず彼女を水中へ投げ出しました。
おかげで随分と距離は縮まり、彼女が手を伸ばしてくれれば届くかもしれないほどになりました。しかし、彼女は大蝦蟇と私を交互に見るばかりで一向に手を伸ばしてくれません。私に捕まったって、取って食べたりはしないよ!
そうしている間にも、大蝦蟇は再び舌を伸ばして襲いかかってきます。もはや一刻の猶予もありません。
私は思わず「手を!」と叫びましたが、それが水中で届くはずもなく、「べぼ!」と口から泡を吹き出したのみに終わりました。
それどころか、がむしゃらに泳いだためにただでさえ少なくなっていた酸素たちを今の「べぼ」で全て吐ききり、縮みきった肺が酸素を求めて一気にふくらんだことで私は大量の水を飲み込んでしまいました。
ああ、私の運命はここまでなのね。こんなところで蛙に飲み込まれ、咀嚼されることもなくゆっくりと溶かされて消えるんだ……。
と、思ったのですが。
私の伸ばした手を、彼女が力強く握ってくれたのを感じました。それを合図に、私も彼女の手をぎゅっと握り返すと、目をつぶり、二人で池の外へ降り立つイメージを練ります。
私たちの体は瞬く間に光へと変化し、ぱっと点滅するように水中から外へと移動しました。
移動先を地面から少し浮いたところにしてしまったため、私たちはどさどさっと空中から転落する形になりました。
「うぇっ、げほげほっ……助かっ、た……」
「ぐぅ……!」
これぞ、私の奥の手とっておき、テレポートです。
文字通り他の場所へ瞬間移動できるのですが、遠いところへは行けないし、連続して使えないし、移動距離の何十倍もの距離を全力疾走した程度に疲労したりと、凄いんだか凄くないんだか微妙な性能となっております。
「なんとかなったね……大丈夫?」
彼女がうずくまったまま震えているので、何か毒でも貰ったのか、あるいは落ちた時にどこかを打ったのか心配になって声をかけました。
「なんでだよっ!」
不意に胸ぐらを掴まれました。
「なんで!なんでお前はそんなに馬鹿なんだよ!」
「えっ?」
「どうして水中まで追ってきた!自分が死ぬかもしれないのに!あたいがどうなろうとお前には関係ないだろ!」
彼女は私の体をぶんぶんと揺さぶりながら、まるで心の内を全て吐き出しているようでした。
怒っているのか、泣いているのか、分からないような顔をしながら。
「自分以外を心配する余裕があるのかよ!弱いくせに!弱いくせに!弱いくせにっ!」
「……確かに、私たちは弱いよ。一人ひとりは弱いから、みんなと一緒にいる」
「はんっ、開き直りか!」
「だけど!」
今度は私の方からも、彼女の胸ぐらを掴み返しました。
「大事なひとのためなら私たちはいくらでも強くなれるし、強くなる!勘違いなんかじゃない、心の底から頑張れる!」
「それが勘違いだって言ってんだよ!自分を守れるのは自分しか居ないんだ!」
「嘘じゃない!誰かを守るためなら、どんなに臆病な子でも勇気を出せるし、いい加減な子だって真剣になれる!」
「でたらめだ!」
お互いを掴む手が、一層強くなります。
「私だって!……私だって、あなたのおかげで頑張れたんだよ!あなたが、あのとき私の手を握ってくれたから!」
「っ!」
呼吸ができなくて、池の水を思い切り飲み込んでしまったとき。本当ならあそこで意識を失ってしまっていてもおかしくなかった。
だけど、最後の最後で手を伸ばしてくれた。最後の最後で信じてくれた。
だから頑張れた。
「……これでも、まだ分かってくれないの?」
彼女が、私を掴む手をそっと放しました。合わせて、私も手を放します。
「……もう、お前の話はうんざりだ」
そう言い放つと、彼女は背を向けて池から去ろうとしました。
「私、最初に言ったよね。あなたにお願いがあるって」
「そんなもの、あたいが聞くわけないだろ」
「私と、友だちになって」
瞬間、完全な凍結。まるで世界の時が一瞬止まったかのような静寂が走り抜けました。
後ろを向いているため分かりませんが、もしも彼女の顔が見えていたなら「きょとん」という音が聞こえていたに違いありません。
しかし、それでも私は本気でした。
「なっ、な、なんっ」
「私と友だちになって。そうしたら、あなたにもきっと分かってもらえるから。ううん、分からせる。どんなに時間がかかっても、大事なひとのためになれる力を教えてあげる。あなたがどうして強さにこだわるのかは分からないけれど、私と友だちになってくれたら、きっともっと強くなれるよ。どうする?」
「……そういうところが嫌いなんだ」
その途端、私の背後から大きな水しぶきの音が。しまった、あの大蝦蟇がまだ追っかけてきていたのでしょうか。
しかし、私が慌てて振り向いたとき、そこにあったものは大蝦蟇ではなく、完全に凍りついた大蝦蟇の氷像でした。
「そんな言い方されたら断ることなんてできないじゃん。ずるいなあ」
そう言って彼女は、振り向きながらにっこりと笑ってみせました。
「よく言われる」
つられて、私もにっこりと笑いました。
○ ○ ○ ○ ○
数日後、人里のとある飯屋前にて。
「あの坊主、また飲んだくれてるよ。馬鹿みたいだね」
「大ちゃん、もうそろそろだよ。向こうの屋根に移って」
飯屋の向かいの屋根の上に、見張り役が二人。実行犯は、私です。
「このへん?」
「ううん、もうちょい左。いや、わたしから見て左!あ、行き過ぎ行き過ぎ!ストップ!そこ、そこだよ!」
「オッケー」
見張り役の指示に従い、ぴったり開始位置で待機。あとは合図を待つだけです。
「席を立った!今だよ、大ちゃん!」
合図と同時に、屋根を抜けて真下へテレポート!作戦開始!
狙いはお坊さんの錫杖でした。お坊さんがお酒の換えを貰いに席を立った瞬間に頂きます。
「んむお!?な、なんだ貴様あ!」
「さよなら!」
錫杖を抱きかかえ、お店から脱出します。テレポートは使えないので、正面から飛んで逃げることにしました。
「ま、待たんかクソ妖精めが!おごっ!」
酔っ払っているせいか、お坊さんは柱にぶつかったり何もないところで躓いたりと大忙しです。
「卑怯者めえ!人が、よっ、酔っているときを狙うなどとわあ!」
「あなたが勝手に酔ってるんでしょー?」
適度に距離を取り、付かず離れずを保ったまま里の中を逃げまわります。
実はこの時、見張り役の妖精の能力で私の気配は限りなく薄くなっており、お坊さん以外の人からは見えなくなっています。
つまりですね。
「なんだあ?あの坊様、なに一人で叫びながら走り回ってんだ?」
「可哀想に、気でも狂ってしまったのかもしれん」
「確か、このあいだ妖精にこっぴどくやられっちまったってーからなあ」
こういうことなんです。
見張り役の二人は、屋根の上でお腹がよじれるほど笑っています。
「おのれえ、ちょこまかと!」
お坊さんは私を追いかけることに夢中で、いつの間にか里を飛び出していることにも気が付きません。
更に言うと、頂いた錫杖は重たいので途中で待機していた他の妖精に渡したのですが、それすらも気が付いておりません。お酒って怖いですね。
「そおりゃあ!」
「きゃっ!」
「ついに捕まえたぞ、この小娘め……ぜえ……ひい……」
「はい、お疲れ様でした」
「何を言うて……ん、お?居ない!確かに捕まえたはずなのに、いつの間に!?」
私の役目は無事終了、体力も回復した所でテレポートで脱出です。
「ぐぬう、私の錫杖も消えてしまったな……ええい!森まで追いかけてきたというに、これでは骨折り損……森だとぉ!?」
ここから先は、まさに筆舌に尽くし難い惨劇が。
入念に準備をして待ち構えていた妖精たちのいたずらオンパレードが次々とお坊さんの身を襲いました。
滑り、転び、降り、ぶつかり、燃え、濡れ、刺さり、引っ掛かり、轢かれ、転がり、etcetc...
一段落した頃には、お坊さんの自慢の袈裟は焼け焦げ、褌一本のまま首から下が地面に埋まり、顔には至る所に落書きという状態。
ここで、最後の仕上げのために、一人の妖精がお坊さんの前に躍り出ました。
「よう、ずいぶんと面白そうなことになってるじゃないの」
「ひぃっ……ひょ、氷精……!」
「こりゃあ、あたいも何かしてやらないと悪いようだね」
そう言って、彼女が両手を頭の上に挙げると、たちまち巨大な氷の塊が出来上がりました。あの大蝦蟇よりも大きいかもしれません。
「あ、あぁ……!」
「この間のお礼だ、お釣りは要らないから持ってきな!」
「ゆ、許してくれえーーーーーー!!!」
彼女はそのまま両手を振り下ろしました。しかし、氷塊はお坊さんに当たるかと思われた直前で粉々に砕け散り、綺麗な氷の粒が森をきらきらと輝かせました。
「このチルノが居る限り、二度とあたいの友だちに手出しはさせないよ!覚えときな!」
「ふふっ、もう聞こえてないみたいだよ、チルノちゃん」
「この程度で気絶するなんて、とんだ弱虫ね!」
あの後、改めて森を訪れたチルノちゃんは、すぐに仲間たちと打ち解けることが出来ました。
一番最初に『フリョウ妖精』について騒ぎ始めていた第一被害者の子にだけはしばらく警戒されていたのですが、『こおりば』が悪い人間や乱暴な妖怪を退治した跡であることを聞くと、打って変わってチルノちゃんにべったりになりました。第一印象はアテにならないものですね。
こうして、私たち妖精に新しい仲間が加わりました。
それから何回も何回もお日様とお月様が入れ替わった頃、幻想郷には騒がしい人間たちが現れ、私たち妖精もチルノちゃんを中心に様々な異変に巻き込まれていくことになるのですが……それはまた別のお話なのでした。ちゃんちゃん。
私はそれをベッドの中で聞きながらぼんやりと目を覚まします。
「……おはようございます」
別に誰に向けて発したわけでもありませんが、しいて言えば自分にでしょうか。
実は私、朝にめっぽう弱いためベッドから這い出るのも一苦労です。
そのため「朝だよ、起きやがれよ」という意図を込めた「おはよう」を発することで無理矢理にでも自分を起こします。ここでベッドからの脱出に失敗すると午前中は夢に飲まれる運命となります。
無事にベッドとの別れを済ませた私は、眠い目を擦りながら洗面用に水を張った桶へと体を引きずるのでした。
顔を洗って目はぱっちり、翠色の髪(かくれんぼの時には役に立ちます。保護色というやつで)をとかしとかし、お気に入りの黄色いリボンをきゅっとしめればビシッと完成。いつものポニテ、いつもの私が顔を見せます。
この髪型とも数十年、数百年では尽きないほどの付き合いです。それはというのも、単なるオシャレというわけではない、重要な役割があるからなのでして。
私たち妖精の中には、その、ちょっぴりおつむが残念といいますか、物覚えが悪い子もいくらか居りまして。
彼女らは個人を髪型や服装で判断している節があるため、ちょっと雰囲気を変えようと髪でもいじるともう大変。人間ならば「あれ、髪切った?」で済むところも「あれ?誰?」となってしまいかねないのです。安易なオシャレは友人関係の消滅を招きます。
そんな話をしているうちに朝食と着替えを済ませてしまいました。いつものシャツといつものワンピース。胸元のリボンは髪のとお揃いです。
さて、いつまでも家に居ると甘えん坊のベッドが隙あらばと私を誘い込もうとしてくるため、特に用もありませんが出かけることにします。外に出れば誰かしら仲間がいるでしょう。
今日は何をして遊ぼうかな。
お日様の光を浴びながら大きく伸びをしていると、ミズナラの木の周りでおしゃべりに没頭している仲間たちを見つけました。
私たち妖精は皆一様におしゃべりが大好きです。内容はいたずらの結果報告や美味しい食べ物の話など多岐にわたりますが、内容に関わらずきゃいきゃいと笑いながらおしゃべりをすること自体を楽しんでいます。
しかし今日はどうも様子が違うようでした。
「あっ、大ちゃんおはよう!ねーちょっと聞いてあげてよ!」
話を伺う前にあちらから声をかけられました。
ちなみに『大ちゃん』というのは私の名前です。他の子よりもちょっぴりお姉さんで、背が高いから大ちゃん。いつの間にか名前がついていました。
「どうかしたの?」
「なんでも、この子が“フリョウ妖精”に襲われたとかなんとか」
「フリョウ?」
「悪い子のことを人間がそう呼ぶんだってさ」
人間基準で話をするならば、いたずらが日課な私たちはみんな“フリョウ”になってしまうのでは。
「そんな、妖精を襲うような妖精なんていたっけ?この辺りでは見たこと無いけど」
「だよねえ。ま、あとはその子から直接聞いてあげてよ。私たちは遊びに行くから」
言うが早いか、彼女らはふわりと飛び去って行きました。妖精は基本的に飽きやすいのです。
残されたのは私ともう一人。寂しいような怯えたような目で私を見つめています。
「大ちゃん……」
ああ、涙目。彼女は縋るように私の手をぎゅっと掴んできます。
「とりあえず、話は聞くから落ち着いて、ね?」
どちらかと言えば私も遊びに行く班に加わりたい。しかし涙目の女の子をほっぽっておくことなどできはしないのでした。ひとまず話だけは聞いてみることにしましょう。
彼女の話を要約すると、「散歩中にひんやりした空気を感じたから様子を見に行ったところ、見たことのない妖精が辺りを凍らせまくっていた。すぐに逃げようとしたが見つかってしまい、慌てて足を滑らせて手のひらを擦りむいた」とのこと。
「それは襲われたとは言えないんじゃない?」
「でもケガしたもん!」
ほら、と血の滲んだ泥だらけの手のひらを見せる彼女。早く洗ったほうがいいよ。
「あんな怖い子がいるんじゃ安心できないよ!なんとかしてよ大ちゃん!」
「そう言われても……」
なんとかして、と言われても困ってしまいます。しかしながら私としてもその“フリョウ妖精”は少々気になるところ。それまでそんな子がいるなどという話は聞いたことがないし、余程のことが無い限り私たちは仲間を襲ったりはしません(今回は被害者が勝手に転んだだけのようですが)。他所から流れてきた子か、はたまた妖精ではない何者かか。
前者の場合なら事情を聞いた後に暖かく迎えてあげれば良いし、後者の場合なら……ええと、どうしようもない?
ともかく一度様子を見に行く必要がありそうです。放っておいて私の家でも凍らされてはコトですし。
私は嫌がる彼女に案内を頼み、実際に現場を見に行くことにしました。
件の場所は私たちが普段うろうろするテリトリーから、少し霧の湖の方へ入った辺りにありました。
彼女の話は嘘でもなんでもなく、そこには大きな氷塊がいくつも地面に突き刺さり、異様な冷気を発していたのです。
「ほら見て!ここだよ、私が転んだの!」
彼女は地面の一角を指さして何やら叫んでいますが、例のフリョウ妖精の姿は見えません。どうやら既に立ち去った後のようです。
話を聞く限りだとフリョウ妖精は冷気か氷の精。てっきりここに住処を作るつもりなのだと思っていましたが、どうやら違ったのかもしれません。
「地面まで凍っちゃってるから滑ったんだ!こんにゃろめ!」
憎らしげに地面を踏みつけては滑って転んでいる彼女を横目に、せっかくなので私は周囲を注意深く調べて見ることにしました。
確かに彼女の言うとおり、辺りの地面は完全に凍りついていて、気をつけていても転んでしまいそうです。まあ、私たちは飛べば済む話ですが。
次に、そこら中に突き刺さっている氷塊ですが、これがまた大きい。妖精が縦に三人並んでも足りないくらいです。小石程度の氷を作ることができる妖精なら何人か知っていますが、これほどの大きさの氷を一人で作り出すなんて……それも1つ2つではありません。
「よほど力の強い子なんだなあ……」
被害者の彼女がいつの間にか全身に擦り傷とアザを作り、もう帰りたいと主張したために今日のところは帰ることにしました。そんな時。
「ん、なんだろう、あれ」
凍りついた地面に、なにやら平べったいものが貼り付いています。
妖精のものにしてはちょっと大きい、おそらく人間のものであろう草履が一足、残されていました。
近くで見てみようとも思いましたが、裾を力いっぱい引っ張られるもので、仕方なく私は引きずられるようにしてその場を後にしたのでした。
それからしばらく、フリョウ妖精による目立った襲撃はありませんでした。敢えて“目立った”と付けたのには意味があります。
直接に襲われたと主張する子はいなくなったのですが、森のあちこちや湖にかけて、例の氷塊域が小規模ではありますが見つかるようになったのです。
私にも多少なりとも気になる気持ちはありますが、少なくとも私たちに危害を加えるつもりは無いように思えました。だってそれなら直接襲いかかってきたほうが余程早いし効果的です。私たちが集団で行動しているとはいえ、悲しきかな、所詮は妖精なんです。力のある人間や妖怪にはかないません。私たちもそれを理解しているため、外敵には敏感です。いざという時は蜘蛛の子を散らすように逃げます。
と、いうわけで、あちら側に侵略の意思が無いと判断した私は、それほど危機感を覚えていないのでした。きっと良い住処でも探しているのでしょう。
ところがぎっちょん、仲間のみんなは私とは全く異なる見解のようなのです。
やれ「気味が悪い」だの、やれ「視線を感じる」だの、「近くに行くと寒い」「氷を触ったら冷たかった」「おなかこわした」そのほかもろもろ。
フリョウ妖精による痕跡が見つかるたびに(なぜか)私のところに数々の不平不満が集まってきます。そしてそのたびに現場検証へ向かう日々。仲間のみんなはフリョウ妖精の動向が気になって仕方がないようです。
こんなことより、人間を困らせたりして遊ばない?
そうして大きな進展は無いまま、お日様は昇っては沈み、夏が訪れました。
○ ○ ○ ○ ○
「大ちゃん!また出たんだけど!またあのフリョウ妖精にやられたんだけど!」
我が家のドアが思い切り開くのと同時に、大音量の目覚ましが鳴りました。
誤解されないように書き足しておきますが、けして寝坊していたわけではありません。今日はとても日差しが強くて外で遊ぶのが億劫であったために、風通しが良く涼しいマイスイートホームでお昼寝していただけなのです。テーブルに突っ伏して寝ていたために、顔に木目跡が付きました。
「また出たんだけど!またあのフリョウ妖精にやられたんだけど!」
「あ、え?」
「とにかく来てよお!よだれ垂らしてる場合じゃないよ!」
つめたい水羊羹の夢を見てたのです。
爽やかな午睡を妨げられ、二度寝も許されない空気であったために、仕方なく彼女(第一被害者の子と同一です)の話を聞きながら現場へ向かうことにしました。
「『こおりば』で涼んでたらあいつがいたの!私、本当にびっくりしておどろいて、あせってあわてて逃げてきたの!」
「それで、またもや転んで擦りむいたと」
「そうなの!あいつにやられたのよ!なんとかして大ちゃん!」
ずびび、と涙ながらに訴えてきます。転んだ時に作ったと思われるあごの下の擦り傷が赤く滲んでいました。早く洗ったほうがいいよ。
彼女の言う『こおりば』とは、例の氷塊域のことです。
『こおりば』を形成する氷の数々は、この炎天下の中においてもなかなか溶けることなく残っているため、暑さをしのぐには都合の良いものでした。
当初は仲間のみんなもフリョウ妖精に対する恐怖が勝り、近づこうとはしなかったのですが、今ではすっかり人気の避暑地となっています。
それというのも、『こおりば』に居てもフリョウ妖精と遭遇することが無かったためです。むしろ『こおりば』どころか、実際にフリョウ妖精の姿を見た子はいないというのが現状だったのでした。
一人を除いては。
「前に遭った子と同じだった?」
「うん!青かったから間違いないよ!」
「んー、何か特徴とか、もうちょっと具体的にわからない?」
「…………羽が、あった、と思う」
まあ、前回と今回と、よほど慌てていたのでしょうね。確実な姿を見たのではないようです。
「あっ!あと足もあったよ!服も着てた!」
そうこうしているうちに現場へ到着しました。
私たちの溜まり場から飛んで10数分、といったところに目的地はありました。
一番最初に見つけた『こおりば』よりも一回り小さいくらいの大きさです。
「ここ!ここで私が寝てたの!」
「寝てたの?」
「そう!涼しくって気持ちよくって、ついうとうと!」
やはりみんな考えることは同じですね。こう暑いと、動きまわって汗をかくよりも寝ている方が得策です。
そこじゃなくて、と彼女が続けます。
「ふっ、と目を開けたらすぐ近くで私を見てたの!」
「フリョウ妖精が?」
「そう!だから私、びっくりしておどろいて……」
滑って転んであいたたた。そしてそのまま私の家まで来た、と。ここまでは前回と同じパターンですね。
しかし、今回は前回の状況と大きく異なる点があります。
「見つかって逃げてから、まっすぐ私のところに来たんだよね?」
「うん、だってどうしたらいいか分からなかったし、あいつ関係の話は大ちゃんがなんとかしてくれると思ったし……」
なんでやねん。
「姿を見たのなら、まだそれほど時間は経ってないから探せば近くに居るかもしれないね」
「えっ?」
溜まり場の近くにある私の家からここまで10数分。彼女が全速力で逃げたのなら半分の時間も掛かっていないでしょう。
あたりを注意深くさぐってみると、わずかに冷気の流れのようなものを感じ取ることができました。
「ほら、あっちの方に行ったみたい。きっと向こうも大声に驚いて逃げていったんじゃないかな」
「だ、大ちゃん……もしかして」
「うん。ちょっと行ってみようよ」
私が「うん」と言った頃には彼女は既に『こおりば』の外まで後ずさっていました。
「い、いやだよ!怖いから、行くなら大ちゃん一人で行ってよ!」
「私だって怖いよ。だから一緒に行こ」
「むり!」
私の提案は聞き入れられず、彼女は小さな羽を広げてぴゅうと逃げて行ってしまいました。「ごめんねえ、だけどがんばってえ」と、なんとも無責任な応援を残して。
私だってさっきの言葉に嘘はありません。なんだかんだ言って怖いものは怖いです。
それでも、今回ばかりは頑張らなければならないでしょう。このフリョウ騒ぎも数ヶ月は続いています。飽きっぽい私たちがひとつの問題にこれほど長い時間悩まされるというのは非常事態と言っても過言ではありません。そして主に悩まされているのは私です。いい加減この辺りで白黒つけねばならない。会って話をして事情を理解すればこれらの問題は一挙に片付くに違いありません。
彼女の目撃情報の中に「大きかった」という感想が無かったことから、相手のサイズは私たちと同程度、つまり妖精であるのは殆ど間違いないはずです。
だから最悪の展開は無いと思って良い!です、よね。たぶん。
私は意を決してフリョウ妖精の後を追いかけることにしました。億劫なのと怖いのとで羽が重たいです。
冷気の流れは森を抜け、妖怪の山へと向かっていました。
この辺りは私たちのような森に住む妖精のテリトリーからは大きく外れています。山の中を根城とする妖怪たちは恐ろしメーターが振り切れている方々が殆どであり、危険を敏感に察知する私たちは決して近づこうとはしません。敢えて山を活動拠点とする妖精たちも居るには居ますが、いったいどういう思索を経てここに留まることを決めたのか私には全く理解出来ません。鬼や天狗がご近所さんな生活なんて、想像しただけで心臓が噴火しそうです。
そんな危険なところへ私はこうして足を踏み入れてしまったのでした。
先に挙げた鬼や天狗のような高位の妖怪は、この哀れな一妖精を見つけた所で歯牙にも掛けないでしょう。しかし、彼らよりも低位の妖怪、むしろ野獣と言ったほうが近いようなみなさんはそうではありません。もし見つかればえらいことになります。いくら私に最後のとっておきがあるとは言え、遭遇は絶対に避けなければなりません。
なるべく目立たぬように且つ迅速に追跡を続け、前髪の先から汗が垂れ始めた頃、開けた場所に小さな池を見つけました。
小さな、と言っても私のよく知る霧の湖と比べたものであり、だいたい外周を全力でかけっこしようとすると途中で諦めるだろうなあと思う程度の大きさはありました。
丁度良かった、真夏の昼の登山のおかげでいい加減くたびれていたところです。ささやかな涼でも取って行きましょうか。そう思ったのですが。
「ひゃっ!」
私が池の中へ足を浸そうとしたとたん、突然池の水が目の前の部分だけバキキッ、と音を立てて凍りついてしまいました。
いったい何が、と慌てて周囲を見回すと、池を囲むようにして立っている木々のうちの一本にもたれかかるようにして、青いワンピースを着た妖精が私をじっと睨みつけていました。
ようやく見つけました。件のフリョウ妖精は彼女で間違いないでしょう。
し、しかし、おかしいです。私の考えでは彼女にこちらを攻撃する意思は無かったはず。それがどうして危うく氷漬け?
ふと彼女の足元に目を向けると、大小様々な氷の塊がいくつか転がっていました。中に何か入っているようでしたが、それが何なのかまでは見えません。
ひょっとしたら彼女の氷漬けコレクションでしょうか。そして、次の標的は……いやいや、そんなばかな。
現状をいまいち理解し切れずにただ彼女を見つめることしかできない私を、彼女もまた睨み続けていました。
私たちの間に息苦しい沈黙が流れます。遠くでは蝉が鳴いていました。
早々にここを立ち去りたいという気持ちがだんだん大きくなってきました。
そこで、立ち去るにしろ目的だけは果たそうと、私は彼女にコミュニケーションを試みることにしました。
「あの……あなた、妖精でしょ?どうしてこんなところに?」
「……」
って、そっくりそのまま私にも当てはまるじゃないですか。我ながら頭の悪い質問でした。切り口を変えることにします。
「最近、あちこちを凍らせて回ってるのって……あなた、だよね」
ぴくり、と小さな反応。
「だったらなんだって言うのさ……!」
フリョウ妖精が小さく唸るように言いました。こちらへ向ける目が険しくなったのを感じ、私は早くもくじける寸前です。
「ええと……どうしてそんなことをするのか、事情だけでも聞いてみたいなって。あなたのせいで、みんな怖がっちゃってて……」
「……ッ」
彼女は一瞬、目を見開いたかと思うと身を翻らせて何処かへ飛び去ろうとしました。
「あっ、待って!」
「うるさい!」
彼女は右手だけを向けて私を制しました。それだけでなく、彼女の伸ばした手の平が青白く光ったかと思うと、いくつもの小さな氷のつぶてが勢い良く私の体を打ちつけました。
「あいたたた!」
「弱っちいくせにごちゃごちゃうるさいんだよ!バカ妖精ぇ!」
結局、それ以上彼女を追うことができずに、大した収穫も無いまま今回の接触は終了しました。
分かったことといえば、間違いなく彼女が件のフリョウ妖精であることと、彼女の足元に転がっていたのは凍った蛙だったということくらいでしょうか。
身も心も打ちのめされた私は足取り重く、一人とぼとぼふわふわと帰路につくのでした。
その日以来、フリョウ妖精の目撃情報はぱったりと無くなりました。
○ ○ ○ ○ ○
私とフリョウ妖精のファーストコンタクトから数ヶ月が経ち、お日様も随分とおとなしくなりました。代わって強気になった北風の熱烈なアピールにより、私たちの袖も手首のあたりまで長くなります。
森の景色も、赤々と染まった木々や美味しそうにつやつや光る果実たちによってすっかり秋模様。美味しい秋の支援を受けて、動物たちがもぐもぐと冬眠の準備を始める季節です。
私たち妖精は冬眠しませんが、秋の味覚をちゃっかりと頂きます。おかげで、井戸端のいたずら会議では私たちの口は食べるに話すに大忙しです。今日は私を含めて三人の妖精が両手に果物を持ちながらおしゃべりに興じていました。
「でさあ、今度は人間の畑で野菜の葉っぱを全部切っちゃうのはどう?」
「いいね!きっと抜きづらくって大困りだね!」
と、私。
「でしょでしょ?ついでにいくらか貰ってきちゃえばいいじゃん?」
「そこまでやるんならさあ、クワとかその辺の道具も隠しちゃうのは?」
「ぷぷぷ、そしたら手で収穫しなきゃじゃん!面白そう!」
このように、お腹をふくらませながらのいたずら会議は、秋の味覚のように実りある内容に溢れます。眠たい春、気だるい夏とは違い、秋は私たちに限らず生き物の最も活動的な季節と言っても過言ではありません。
そんな時、一人の妖精が心配そうな声でいたずら計画に一石を投じました。
「で、でも、人間の畑って結構人里の近くにあるよね……そこまで行って大丈夫かな……」
「へ?どしたの急に?」
「だって……今は収穫の時期だからきっと人間もいっぱいいるよ」
「そんなのどうってこと無いじゃん!いざとなったら飛んで逃げればいいし!」
「そうそう、ちゃんと人間が少ない時間を狙うしさ」
確かに、心配症な彼女の意見ももっともであると言えます。食べ物に執着するのは人間も同じ、せっかく育てた作物にいたずらされるとあらば全力で阻止しようとするでしょう。
だからこそやりがいがあるじゃない、というのが私の意見ですが。
「少ないって言ってもきっと一人じゃないよ……何人かに囲まれたら逃げ切れないかも……」
「んもー!そんなこと言ってたらいたずらなんてできないじゃん!心配しすぎ!」
煮え切らない様子の彼女に、発案の子が声を荒げました。
「だったらアンタは来なくていいよ!あたしたちだけで行くから!」
「あっ、でも……」
「ぐずぐずしいのを連れてっても邪魔なだけだし!行こ、大ちゃん!」
そうだね、と言って発案の子と二人でいたずらに向かっても良かったのですが……。
「んー……」
「どうしたの?早く行こうよ!」
「……いや、やっぱり今日は私もやめとこうかな。なんか、そんな気分じゃなくなっちゃった」
毒気を抜かれた、というのもありますが、心配症な彼女の様子がどこか気になったのでした。
人里の近くで行なういたずらは初めてというわけでもなく、それどころか里の中で行ういたずらも珍しくありません。彼女も普段からちょっぴり消極的なところがありますけど、なんだかんだいたずら集団の最後尾にはついて来る子です。
今回のように計画そのものに反対するのは初めてだったかもしれません。
そんな彼女を、なんとなく無視できなくなったのです。
「んもう!大ちゃんまで何言ってんの!」
「いたずらじゃなくて、今日は落ち葉とかで遊ばない?」
「あのねえ、人間が怖いからいたずらしないとか言ってたらこれからずうーーっとできないじゃん!そしたらあたしたち何のために生きてんのさ!」
口論はついに妖精の存在意義の如何にまで発展してしまいました。
「じゃあいいよ!もうあたしだけで行く!」
「えぇ?いや、いくらなんでもそれは」
「ふんだ!アンタたちにはクズイモ一個あげないからね!」
私たちが止める間も無く、彼女はしびれを切らして飛んでいってしまいました。ぽつんと残される私たちに、秋風が吹き付けます。
一番元気な彼女が居なくなり、急に気温が下がったかのように思えました。
私と一緒に残された子はずっと押し黙ったままでしたが、何かを言おうとしてるようでもありました。
肌寒いこの場にただ立っていることもできず、かと言って彼女を残して去ることもできず、仕方なしに私は彼女を家に招くことにしました。私の提案に、彼女はこくんと頷きます。
「美味しい紅茶が手に入ったんだ。って言っても、淹れる私が上手くないから美味しくなるかどうかはわからないけれど」
「……」
「それとも、普通のお茶のほうが良い?」
「……ううん、紅茶がいいな」
「わかった。すぐできるから待っててね」
風さえしのげれば、小さな釜戸一つでも十分あたたかいものです。まずは落ち着かない彼女に飲み物をふるまい、暖まってから話を聞くつもりでした。
「はい、おまたせ。まずは飲んで、あったまろ?」
「うん、ありがと大ちゃん」
ティーセットをテーブルに置き、木のイスを2つ並べて、彼女と隣り合って座りました。
自分以外のお客さんに振る舞うのは初めての茶葉でしたが、目を瞑ってほう、と息をつく彼女の様子を見ると、どうやら口に合ったようで安心しました。
私はお茶請けのクッキーを勧めながら、彼女が抱えているものを話してくれるのを待ちました。
私が2枚目のクッキーに手を伸ばした頃、実は、と彼女が口を開きました。
「わたし、聞いちゃったの。人間が話してるのを」
「どんなこと?」
「いい加減、妖精のいたずらにもうんざりだから一度懲らしめよう、って。もう二度といたずらなんて考えないように徹底的に、って……」
里の人間が私たちに報復を企てるのはこれまでにも幾度かありました。青年団が数人で群れを組織し、私たちを捕まえて何やらごにょごにょしようとするらしいのです。
むしろその場合は彼らの方から妖精のホームである森の中に入り込んでくるため、私たちはここぞとばかりに力の入ったいたずらで迎えるというのが常でした。縄と網だけで私たちを捕まえようというのはいくらなんでも妖精ナメすぎです。弱者には強いのが私たちです。
「だったら、私たちも準備しておかないとね。どんな罠がいいかな?」
「ちがうの!」
突然肩をゆすられ、奥歯で砕いたクッキーがそのまま喉の奥へ入り込みました。ぐへっ。
「わたしが聞いたのはそれだけじゃないの!見たのも!」
「げほっ、えふっ……『見た』ってのは……?」
普段はおとなしい彼女の異常な剣幕に、のんきに構えていた私も少し居住まいを正します。
とにかく、興奮しきった状態で話を聞くことはできないため、早々に飲みきっていたカップにお代わりを注いで彼女に落ち着くように促しました。
「いったいどうしたの。詳しく聞かせて?」
「……きのう、みんなで里のおまんじゅう屋さんにつまみ食いに行ったときなんだけど」
私も参加したいたずらです。秋限定でとても人気だと評判の栗まんじゅうが食べたくなった私たちは、屋根伝いに隠れながらこっそりとおまんじゅう屋さんに忍び込みました。
おまんじゅう屋さんの店主は、休憩する際にたばこを吸うために裏口の扉を開けたままにする癖があります。入り口さえわかれば、バレずに出入りすることは容易いもの。狙いの物はすんなり手に入り、ご機嫌で帰路についたのを覚えています。
「あの時、帰りに人間の大人が集まって何か話しているのが見えたの。それで、気になったからちょっとだけ覗いて聞いてみたの」
「そこで、私たちを懲らしめようって話を?」
「うん。それだけなら、わたしも気にならなかったんだけど……」
「だけど?」
「人間の中に一人、笠をかぶったお坊さんみたいな人がいたの。真っ黒な袈裟を着てて、じゃらじゃらした棒みたいなのを持ってて」
「それは……」
なんてこった、用心棒を雇ったのか。
人間の中には、極稀に妖精や妖怪に対抗しうる力を持った人たちが居ます。代表的なのは、巫女。その他にも剣や魔法に精通している人など。
中でも一番ポピュラーなのがお坊さんです。彼らは特に幽霊専門というわけでなく、仏様の力を借りたり、不思議な数珠や御札で妖の力を押さえつけることができます。
ただの人間だけならばともかく、力のある人間が混じっているのであれば話は変わってきます。
「わたし、すぐに逃げようとした。でも、その人間がふっ、と顔を上げて……目が、合っちゃって」
「だ、大丈夫だったの?」
「うん。わたし、震えて動けなかったんだけど、その人間はにやぁ、って笑うだけで……そのまま他の人間たちと一緒に近くの家の中に入っていっちゃったの」
「良かった……」
……って、良くない!そんな怖い人間が居るなら、さっき一人で行ったあの子が!
「ごめん、大ちゃん……ほんとは、すぐに伝えなくちゃならなかったのに、わたし、怖くて……」
「私、あの子を連れ帰ってくる!あなたはみんなにこの事を伝えて!」
「うん……大ちゃん、お願い……!」
怒り心頭に発した人間に捕まれば、いったいどんな目に遭わされるものか、想像に難くはありません。
私は一目散に家を飛び出し、その勢いのまま地面を蹴って飛び上がりました。
○ ○ ○ ○ ○
無我夢中で人里方面へと飛び抜け、上空から彼女の姿を探しました。
発見までにはそう時間は必要としませんでした。なぜならば、彼女は既に十人弱の人間に追い詰められていたのです。
人間の集団の先頭には、先ほど聞いた情報と一致する風貌の男が居ます。そして、彼らから5mほどの距離にあの子がしゃがみこんでいました。
ここで意外だったのが、彼女は青い服の妖精、あのフリョウ妖精に抱きかかえられるようにされていたことです。どうして彼女が?
すると、人間のお坊さんが懐から御札のようなものを数枚取り出しました。
考える時間はもう終わりです。腹、括ろう。
「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃーーー!!!」
私は人間へ向けて滅茶苦茶に弾幕を撒き散らしながら、彼女たちの元へすっ飛んでいきます。
上空からの完全な不意打ちに、人間たちも慌てふためいたようでした。
この時、お坊さんだけはいち早く私の存在に気づき、投げる御札の矛先を私に向けていたのですが、こちらも必死。全力の弾幕によってなんとか撃ち落とすことができていました。
奇襲作戦は成功。私は人間たちと妖精二人の間に降り立ちました。
「大ちゃあん!」
「お前、この間の……」
上空からはわかりませんでしたが、フリョウ妖精は全身に火傷らしき傷を負い、立っているのもやっとの様相でした。
どうやら私たちは、長い間大きな勘違いをしていたようです。
「守ってくれてたんだね。ありがとう」
「大ちゃあん!そうなの!この、この子が、あたしをかばってえ!」
顔中を涙と鼻水でくちゃくちゃにしていましたが、彼女の方に目立った外傷は無いようです。
「お前、なんで来たんだよ!弱っちいくせに!」
「助けに来たの。とにかく、ここから逃げなくちゃ」
「だから……」
突然、私たちの会話を遮るように眩い閃光が放たれました。
「うぉっほん、おほん。そろそろ良いですかな、お嬢さん方」
閃光はお坊さんの持つ錫杖から発せられたものでした。
私の弾幕攻撃による一時のパニックも、既に治まっていました。
「飛び入りのお嬢さんには驚かされたが、それでも我々の優位は依然として変わらない」
お坊さんはちら、とフリョウ妖精を一瞥し、私の方へ向き直りました。
「頼みの綱の氷精は満身創痍。緑のお嬢さんの力量も知れたものだ。いったい、どうやって逃げるつもりかね。おとなしく縄を頂戴し、罰を受けるのだな」
そうなのです。勢い良く飛び込んだものの、圧倒的不利の打開策などありません。考える時間がありませんでした。
きっ、とお坊さんの目を睨みつけてみましたが、余裕ぶった笑みは崩れません。
そんなことをしている内に、お坊さんの後ろでうごうごしていた人間たちが、私たちを囲んで捉える算段を始めました。
このままでは何もできないまま三人とも捕まってしまいます。
「逃げてっ!」
私は叫びました。
「えっ、えっ……大ちゃ」
「あなたが動けないこの子を抱えて逃げるの!早く!」
「でっ、でも大ちゃんは」
「いいから!私もすぐに逃げるから!」
もう作戦も何もあったものではありません。
とにかく今必要なのは動けないフリョウ妖精を抱えて逃げる係と、その時間稼ぎをする係です。
「おい!あたいは逃げないぞ!そいつらをぶっ飛ばしてやるんだ!」
「そんなボロボロでどうするつもり!?いいから逃げて!」
「だ、大ちゃん……あたし……」
「早くしなさい!」
必死さが伝わってくれたのか、彼女は涙と鼻水をゴシゴシと拭き、抱えていたフリョウ妖精を逆に抱えながらすっくと立ち上がりました。
「大ちゃんもすぐに来てよ!約束だよ!」
「おい、やめろ放せ!あたいは逃げないったら!放せえ!」
傷だらけでは力も入らず、抵抗むなしいままフリョウ妖精はお姫様だっこの姿勢で上空へと運ばれていったのでした。
「あっ!あいつら飛んで逃げるぞ!」
「追え追え!絶対逃すな!」
当然、人間たちがそれを黙って見ていることはしません。さて、私も……と思ったのですが。
「その必要は無い」
「なっ……?」
なんと、人間たちを制したのは黒服のお坊さんでした。
「法師様、なぜですか!みすみす逃してしまいますよ!」
「飛んで逃げる者をどうやって止めるというのだ。この中に翼を持つ者でも居るのか?追いかけていく内に森へ誘い込まれ、逆に君たちが痛い目を見るだろうな」
「でしたら法師様が法術でなんとかしてくださいよ!」
「私が飛んでいる連中へ目を向けたならば、目ざといこちらのお嬢さんはその隙を見逃さなかったであろうよ」
お坊さんの私を見る目が鋭くなりました。
そうなのです。飛んで逃げれば、人間たちの目は一斉にそちらを向きます。その一瞬にこのお坊さんに一発お見舞いし、私も逃げる腹積もりだったのでした。が。
お坊さんは私から視線を外すことはせず、私は完全に逃げる機を逸してただただ冷や汗を流すのみとなりました。
「全く、そなたらがこうまで妖精に手を焼く理由がわかった気がするよ」
ふぅー、とお坊さんがため息をつきます。
「一々相手の目論見に乗っかってどうするのだ。妖精は人間を欺くことしかせぬ。躍起になって手足を振り回す前に、冷静に物事を見る目を育みたまえよ」
「め、面目ない」
「今日のところはこの妖精のみを捉え、居所を吐かせれば良い。その後、連中を一網打尽にするのだ」
青ざめました。この人たち、私を拷問しようと言うのです。
いったいどんなことをされるのでしょうか。石打ち、鞭打ちに、とても書き尽くせない辱めのオンパレード?
拷問なんてまっぴらごめんです。かと言って、私たちの居所を吐いてしまえば私は罪悪感でつぶされるまま小石よりも小さくなってしまうでしょう。そんなのどっちも嫌!
こうしてはいられません、どんな手を使ってでもこの場を脱しなくては!
このお坊さんさえ黙らせてしまえば、逃げるのは不可能ではありません。一か八か、弾幕の一斉射撃を浴びせられれば……。
「ふんっ」
私が弾幕を放つよりも早く、お坊さんが錫杖をしゃらんと鳴らしたかと思うと、謎の衝撃によって私は大きく吹き飛ばされてしまいました。
「うああっ……!」
「小賢しい妖精風情が、一人で何ができる?お前はこれから自分の身に降りかかる仕打ちを思い浮かべて震えていればいいのだ」
うう、現実はそう甘くありませんでした。そもそも敵うはずがなかったのです。
このまま気を失ってしまえば楽ですが、目を覚ました後に待ち受けるのは……。そう思うと、とてもではありませんが諦めようという気持ちは湧いてきません。
私はうつ伏せにふっ飛ばされたまま、力を振り絞って、弾幕を……。
「やめろと言うのが……」
お坊さんはつかつかと私の傍まで近寄り、
「分からんのかっ!」
「あうっ」
私が伸ばした手を思い切り踏みつけてきました。ぐりぐりと押さえつけられた手が地面の砂利と擦れ、激痛が走ります。
「ほ、法師様、何もそこまでせんでも……」
「まだ分からんのか愚か者が。妖かしを相手にする際に最も気をつけねばならぬことは、奴等に付け入る隙を与えぬようにすることだ。どんな僅かな気の迷いであっても奴等は見逃しはせぬぞ」
「しかし……」
「幼い外見に騙されるでない。我々の誰一人として、この妖精の半分、いや十分の一すら生きたものはおらぬぞ。そなたらもそれは承知であろう」
「それは、確かに、その、そうなのですが」
「さっさと縛り上げて連れて行け。噛み付かれぬように注意するのだぞ」
ぎくり。最後の手段まで封じられてしまいました。
もはや打つ手なし、万事休す、年貢の納め時、四面楚歌、匙は月まで飛んで行きました。
月まで飛んでいった匙はその途中で星々をも撃ち落とし、大小様々な星の欠片が地上へと降り注ぐことでしょう。降り注げばいいな。
「お、おい!見ろ、アレを!」
「うわあああああ!」
にわかに人間たちが騒ぎ始めました。
と同時に、何やらきらきらした光の粒が周囲へ降り注ぎ始めていました。まさか、本当に?
「妖精が一斉に押しかけてきたぞおおおおおお!!!」
光の粒の正体は、とてもよく見慣れたものでした。
「大ちゃんを助けろー!」
「人間なんかに負けるなー!」
「やっつけろやっつけろー!」
「◯◯蹴っ飛ばしてやるー!」
「大ちゃああああああん!」
ああ、どうしよう、私、なんだか泣いてしまいそうです。
「法師様!なんとかしてください!」
「だから侮るなと言ったのだ……だが、いくら群れようと所詮は妖精よ」
お坊さんが錫杖を持ち直しました。だめ、そうはさせない!
私は痛む体を引きずって、錫杖にがっしりとしがみつきました。
「貴様っ!邪魔をするな!」
「絶対、放さない!」
おそらく、お坊さんはこの錫杖を鳴らすことで法術を操っているはずです。
今あの衝撃波のような攻撃を放たれては、せっかく助けに来てくれた仲間もただでは済みません。それだけは阻止しなくては!
「ええい、いい加減に……」
「てぇーーーーーい!」
ガツン、と重そうな鈍い音が空気を揺らしました。お坊さんがうめき声をあげて倒れます。
「大ちゃんっ……」
「……ナイスガッツ!」
今回の危険を知らせてくれた、ちょっぴり臆病な彼女が手鍋を握りしめていました。これは痛そう。
「わたし、わたしぃ……!」
彼女は感極まったのか、怖さが極まったのか、ひっくひっくと泣きじゃくりはじめてしまいました。
私ももらい泣きしそうになりましたが、そこをぐっと堪え、そっと彼女を抱き寄せました。
「勇気を出して助けに来てくれたんだね……ありがとう。本当にありがとう!」
「うん……みん、みんなも、ちゃんと説明したら、すぐに、すぐにね?『助けに行こう!』って言ってくれ、たの……!」
「それも全部、あなたのおかげだよ……よく頑張ったね……」
彼女を抱きかかえながら周囲の戦況を見てみると、随分と私たちが押しているようでした。
まあ、人間たちは十人居るか居ないか程度に対し、私たち妖精は三十人以上が攻め寄せています。戦いは数ですね。
「貴っ様らあああああ!」
「!」
すっかりノックダウンしたかと思われたお坊さんが、いつの間にか起き上がっていました。
いけない、このままでは……!
「調子に乗るのも……ここま」
「とぇやーーーーーー!」
今度はキーンという音が(これはイメージですが)響きわたりました。というのも、誰かの足がお坊さんの股間に突き刺さったのです。
哀れ、お坊さんは口を魚のようにパクパクと開閉させながら、今度こそ意識を混沌へ沈めていきました。
「ふんだ、さっきはよくもいじめてくれたね!ざまーみろ!」
執行人は、フリョウ妖精を連れて逃げるようお願いした彼女でした。さっきまでの泣き顔が嘘のように晴れやかな顔をしています。
「戻ってきちゃったの?」
「やられたまんまじゃいられないよ。あの子なら森で寝かせてあるから大丈夫。さっ、今度こそ一緒に帰ろ!」
人間たちも、お坊さんがやられたことが分かると、とたんに戦う気を無くして逃げ帰って行きました。
お坊さんも数人の人間に担がれて運ばれていきます。
「勝ぁったどー!」
「どんなもんよ!」
「ざまみろざまみろー!」
仲間たちはそれぞれ思い思いの勝ち鬨をあげます。
そしてそのまま帰るのかと思いきや、なんと今度は人間の畑を荒らし始めるのでした。
みんな元気だね……私は、ちょっと疲れた、かも……。
○ ○ ○ ○ ○
気が付くと、私は自分のベッドに食べられていました。知ってる天井が眼前に広がっています。
最後の記憶を辿るのに数秒、それを現在の状況に結びつけるのに数秒、ベッドから飛び起きるのに、一秒。
「あれからどーなったのお!?」
寝ぐせも直さずに玄関を飛び出すと、仲間が数人、ああだこうだと意見を交しているのを見つけました。
「あっ、大ちゃんだ」
「大ちゃん起きた!」
「起きたよ。ねえ、私ったらいつの間に寝てたの?どのくらい寝てた?」
「大ちゃんったら丸一日寝てたんだよ。突然倒れるからびっくりしちゃった」
「丸一日も!あれからどうなった?人間は?それと、フリョウ妖精!」
聞きたいことはいくらでもあります。みんなの様子を見る分には、それほど切羽詰まった状況ではないようなのですが。
そのことなんだけど、と一人の妖精が前に出ました。お坊さんにトドメの一撃を刺した彼女です。
「丁度さっき偵察隊が帰ってきたところなんだ。大ちゃんも起きたことだし、みんなで作戦会議だよ!」
「テイサツタイ?」
十数分後、仲間たちが森の中心地にほど近い広場に集まりました。
皆は体育座りの姿勢で並んで座り、一段高い切り株の上に立った進行役の子を見上げています。進行役の子は、どこで拾ったのか「宴会部長」と書かれたタスキを掛けていました。
私はどこに居れば良いか分からなかったので、とりあえず一番前の列の端にちょこんと腰を下ろしました。
「それでは偵察隊、結果を報告せよ!」
進行役の子が促すと、数人の妖精が立ち上がりました。顔を見ると、かくれんぼの上手い子ばかりを集めた精鋭チームでした。
「さっき隠れて里の様子を見てきたんだけど、あの坊主ったら酒のんでべろんべろんだったよ」
「『ちくしょー』とか『ふざけやがって』とか、ありゃあ相当頭にキてるみたいね」
「周りの人間も心配そうに見てたよ。見限られちゃえばいいのに」
先の一戦は、やはりお坊さんにとっても手痛いものとなったようです。
負けるはずがないと舐めてかかった相手に完敗したのですから、その悔しさと言ったらないでしょう。
「あの様子だと、しばらくは飲んだくれてるだろうね」
「でも、絶対もう一度仕掛けてくるよ。今度は向こうから」
「あの坊主、性格悪そうだもんねー」
そうなのです。それこそ私が一番心配している問題なのでした。
あのお坊さんがやられたまま大人しくしているはずがありません。間違いなく、私たちをぎたんぎたんにしたくて堪らない思いでしょう。
私がベッドで目を覚ましたときは、既に報復に来ているかもしれないと思って飛び起きましたが、彼女たちの言ったとおりであるならばお坊さんが動き出すまで少しの猶予がありそうです。
偵察隊の報告が終わり、進行役が再び口を開きました。
「一度こてんぱんにしたとは言え、また人間たちが攻めてこないとは限らない!こっちも大ちゃんがボコされた以上、黙ってはいられない!」
そうだそうだ、と一部から声が上がります。
いや、確かにボコされましたけども。あんまり蒸し返さないでほしいなーって。
しかし、なんだかおかしな空気になってきました。少々ヒートアップし過ぎているような。
「人間たちの度重なる所業、もはや捨て置けぬ!いくさだ!戦いの火蓋は、今切って落とされ」
「ちょ、ちょっと待ったあーっ!」
流石にストップを掛けました。いくらなんでも話が大きくなりすぎです。
「どうしたの大ちゃん。みんな大ちゃんのために戦ってくれるってのに、急に水刺さないでよ」
「そこまでしてなんて言ってないし!みんな一回落ち着いて!」
私たち妖精は、普段はそれぞれ気ままに動くくせに、一度結束すると急激に勢いを増す性質があります。みんな乗りが良いと言いますか、「面白そうだから何でもいいや」という思考が体を支配しがちなのです。
いつもは私も例に漏れず、調子に乗ってみんなで火傷をするのですが、一晩ぐっすり寝たおかげで勢いにリセットがかかり、冷静な思考を保つことができていました。
妖かしが支配するこの幻想郷と言えど、抑止力というものは確かに存在します。
いたずら程度ならば良いのです。そのいたずらに対して人間が報復し、逆に痛い目見せましたー。程度も良いはずです。
ですが、いくさなどと言って人間の里に総攻撃を仕掛けるという所まで発展してしまうと、幻想郷の抑止力、『博麗』が動き出してしまってもおかしくはありません。
かつて私は一度だけ、『博麗』が妖怪を退治する場面を見たことがあります。あの時は身の丈十尺はあろう妖怪を、持っているお祓い棒でたった一薙ぎしただけでやっつけてしまいました。妖精など、もってのほかです。何人集まろうと、偏に風の前の塵に同じです。
「何も、人間全員をやっつけなくたっていいんだよ。私たちが怖いのは、あのお坊さんなわけだし」
「んまあ、それは、そうだけど。じゃあ酔っ払ってる内に囲んじゃう?」
「ただやっつけるだけだと同じだよ。きっと一層ムキになって私たちを退治しようとするよ」
「じゃあどうするのさ!」
進行役の子がぷりぷりし始めました。
「あのお坊さんに、もう私たちと関わりたくない!って思わせるようにしなくちゃ」
「怖がらせるの?」
「うん、私たちのやり方で徹底的にね。私に考えがあるんだ」
そのためには、あの子の協力が不可欠です。私は最前列に座っていた子に尋ねました。
「ねえ、あの子……フリョウ妖精ちゃんはどこに居るの?」
「えっ、あ……」
なんだか答えづらそうにもじもじしています。
「もしかして、何かあった?」
「じ、実は……わからないの。あの日、みんなで森に帰ってきた時にはもう、居なくて」
「ええっ?」
森で寝かせてあるから大丈夫。あのとき私は駆けつけた彼女にそう聞きました。
私はその子の方に視線を向けました。
「いやあ、確かに寝かせてたんだけどねえ」
「結構な大怪我だったじゃない!」
「ちゃんとみんなで探しまわったよ、悪いやつじゃないって分かったし。でも森中探しても見つからなかったんだもん」
森中探しても。その時、私には彼女の居場所がなんとなく分かった気がしました。
「もう……じゃああの子は私が連れてくるよ。みんな、私が戻ってくるまで勝手に動いちゃだめだよ」
「大ちゃん、あの子がどこに居るか知ってるの?」
「もしかしたら、ね」
私は、皆を一旦解散させるように進行役の子にお願いしました。
「うむ、それでは本日は解散!以後、コレ関係のお話は大ちゃんに任せることにします!」
そう言うと彼女は立っていた切り株から降り、私に「宴会部長」を押し付けました。いらない。
○ ○ ○ ○ ○
森を抜け、妖怪の山。前回来た時は夏真っ盛りでしたが、今ではすっかり赤く染まり、早くも葉が落ち始めたこともあってすっかり景色は様変わりしていました。
山を登ることしばらくすると、針葉樹に囲まれた小さな池に着きました。
見ると、池の端にしゃがみ込む背中がひとつ。小さな氷の粒を作っては池の中にぽいぽいしていました。
彼女は私が近づくとすぐに気が付いたようで、ぴたりと手を止めて動かなくなりました。
「良かった。ここに居なかったらどうしようかと思った」
「……何しにきたんだよ、ざこすけ」
背中を向けたまま、こっちを見ることはしません。
「もっとあなたとお話したいなーって。ついでに、ちょっとしたお願いも」
「あたいは話すことなんて無いね。さっさと帰んなよ」
「どうしてそんなこと言うの?」
「イライラするんだよ、お前たちを見てると!」
肩越しに彼女と目が合いました。
「弱いくせに数だけは居て!それで自分たちが強いと勘違いしてる!」
「勘違いなんてしてない!私たちは……」
「あたいはっ!」
とうとう彼女は立ち上がり、こちらに振り返りました。
丁度その時。
ざばあ!と池の中からとても大きな水しぶきが上がり、赤くて太いゴム縄のようなものが彼女の体に巻き付きました。
「しまっ……!?」
「危ない!」
咄嗟に手を伸ばしましたが、何が起こったのかすら分からぬまま、彼女の体は池の中へ引きずり込まれていきました。
私は手を伸ばした勢いのまま、地面を蹴って池へと飛び込みました。
薄暗い水中で目を開けると、おぞましい世界が眼前に広がります。
なんと、池は思っていたよりも遥かに深く、その奥底では私の家くらいならば一飲みにしてしまいそうなほど大蝦蟇が、これまた大きなお口を開けて待ち構えていたのです。その口から伸びた太い舌はフリョウ妖精ちゃんを捕まえて離しません。
池の中には一番の大蝦蟇の他に、手のひら大のものから三尺はありそうなものまで、至る所に蛙が浮いていて、私たちをじっと見つめています。
身の毛もよだつ光景とはこのことです。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られましたが、そこをぐっと堪えます。
とにかく彼女の手を掴もうと、私も手を伸ばしますがやはり届かず。ならば追いつこうと必死で足をばたばたさせるも、彼女の体は私の泳ぎよりも速く底へと引きずり込まれていきます。
私が手をこまねいていると、彼女もようやく何が起こったのか把握できたらしく、立ちどころに両手を大蝦蟇の舌へくっつけて青く淡い光を放ちました。
すると、忽ち大蝦蟇の舌がビクッと一震え。触れていた部分の舌が青く変色している所を見ると、直接冷気を注ぎ込まれたのでしょう。たまらず彼女を水中へ投げ出しました。
おかげで随分と距離は縮まり、彼女が手を伸ばしてくれれば届くかもしれないほどになりました。しかし、彼女は大蝦蟇と私を交互に見るばかりで一向に手を伸ばしてくれません。私に捕まったって、取って食べたりはしないよ!
そうしている間にも、大蝦蟇は再び舌を伸ばして襲いかかってきます。もはや一刻の猶予もありません。
私は思わず「手を!」と叫びましたが、それが水中で届くはずもなく、「べぼ!」と口から泡を吹き出したのみに終わりました。
それどころか、がむしゃらに泳いだためにただでさえ少なくなっていた酸素たちを今の「べぼ」で全て吐ききり、縮みきった肺が酸素を求めて一気にふくらんだことで私は大量の水を飲み込んでしまいました。
ああ、私の運命はここまでなのね。こんなところで蛙に飲み込まれ、咀嚼されることもなくゆっくりと溶かされて消えるんだ……。
と、思ったのですが。
私の伸ばした手を、彼女が力強く握ってくれたのを感じました。それを合図に、私も彼女の手をぎゅっと握り返すと、目をつぶり、二人で池の外へ降り立つイメージを練ります。
私たちの体は瞬く間に光へと変化し、ぱっと点滅するように水中から外へと移動しました。
移動先を地面から少し浮いたところにしてしまったため、私たちはどさどさっと空中から転落する形になりました。
「うぇっ、げほげほっ……助かっ、た……」
「ぐぅ……!」
これぞ、私の奥の手とっておき、テレポートです。
文字通り他の場所へ瞬間移動できるのですが、遠いところへは行けないし、連続して使えないし、移動距離の何十倍もの距離を全力疾走した程度に疲労したりと、凄いんだか凄くないんだか微妙な性能となっております。
「なんとかなったね……大丈夫?」
彼女がうずくまったまま震えているので、何か毒でも貰ったのか、あるいは落ちた時にどこかを打ったのか心配になって声をかけました。
「なんでだよっ!」
不意に胸ぐらを掴まれました。
「なんで!なんでお前はそんなに馬鹿なんだよ!」
「えっ?」
「どうして水中まで追ってきた!自分が死ぬかもしれないのに!あたいがどうなろうとお前には関係ないだろ!」
彼女は私の体をぶんぶんと揺さぶりながら、まるで心の内を全て吐き出しているようでした。
怒っているのか、泣いているのか、分からないような顔をしながら。
「自分以外を心配する余裕があるのかよ!弱いくせに!弱いくせに!弱いくせにっ!」
「……確かに、私たちは弱いよ。一人ひとりは弱いから、みんなと一緒にいる」
「はんっ、開き直りか!」
「だけど!」
今度は私の方からも、彼女の胸ぐらを掴み返しました。
「大事なひとのためなら私たちはいくらでも強くなれるし、強くなる!勘違いなんかじゃない、心の底から頑張れる!」
「それが勘違いだって言ってんだよ!自分を守れるのは自分しか居ないんだ!」
「嘘じゃない!誰かを守るためなら、どんなに臆病な子でも勇気を出せるし、いい加減な子だって真剣になれる!」
「でたらめだ!」
お互いを掴む手が、一層強くなります。
「私だって!……私だって、あなたのおかげで頑張れたんだよ!あなたが、あのとき私の手を握ってくれたから!」
「っ!」
呼吸ができなくて、池の水を思い切り飲み込んでしまったとき。本当ならあそこで意識を失ってしまっていてもおかしくなかった。
だけど、最後の最後で手を伸ばしてくれた。最後の最後で信じてくれた。
だから頑張れた。
「……これでも、まだ分かってくれないの?」
彼女が、私を掴む手をそっと放しました。合わせて、私も手を放します。
「……もう、お前の話はうんざりだ」
そう言い放つと、彼女は背を向けて池から去ろうとしました。
「私、最初に言ったよね。あなたにお願いがあるって」
「そんなもの、あたいが聞くわけないだろ」
「私と、友だちになって」
瞬間、完全な凍結。まるで世界の時が一瞬止まったかのような静寂が走り抜けました。
後ろを向いているため分かりませんが、もしも彼女の顔が見えていたなら「きょとん」という音が聞こえていたに違いありません。
しかし、それでも私は本気でした。
「なっ、な、なんっ」
「私と友だちになって。そうしたら、あなたにもきっと分かってもらえるから。ううん、分からせる。どんなに時間がかかっても、大事なひとのためになれる力を教えてあげる。あなたがどうして強さにこだわるのかは分からないけれど、私と友だちになってくれたら、きっともっと強くなれるよ。どうする?」
「……そういうところが嫌いなんだ」
その途端、私の背後から大きな水しぶきの音が。しまった、あの大蝦蟇がまだ追っかけてきていたのでしょうか。
しかし、私が慌てて振り向いたとき、そこにあったものは大蝦蟇ではなく、完全に凍りついた大蝦蟇の氷像でした。
「そんな言い方されたら断ることなんてできないじゃん。ずるいなあ」
そう言って彼女は、振り向きながらにっこりと笑ってみせました。
「よく言われる」
つられて、私もにっこりと笑いました。
○ ○ ○ ○ ○
数日後、人里のとある飯屋前にて。
「あの坊主、また飲んだくれてるよ。馬鹿みたいだね」
「大ちゃん、もうそろそろだよ。向こうの屋根に移って」
飯屋の向かいの屋根の上に、見張り役が二人。実行犯は、私です。
「このへん?」
「ううん、もうちょい左。いや、わたしから見て左!あ、行き過ぎ行き過ぎ!ストップ!そこ、そこだよ!」
「オッケー」
見張り役の指示に従い、ぴったり開始位置で待機。あとは合図を待つだけです。
「席を立った!今だよ、大ちゃん!」
合図と同時に、屋根を抜けて真下へテレポート!作戦開始!
狙いはお坊さんの錫杖でした。お坊さんがお酒の換えを貰いに席を立った瞬間に頂きます。
「んむお!?な、なんだ貴様あ!」
「さよなら!」
錫杖を抱きかかえ、お店から脱出します。テレポートは使えないので、正面から飛んで逃げることにしました。
「ま、待たんかクソ妖精めが!おごっ!」
酔っ払っているせいか、お坊さんは柱にぶつかったり何もないところで躓いたりと大忙しです。
「卑怯者めえ!人が、よっ、酔っているときを狙うなどとわあ!」
「あなたが勝手に酔ってるんでしょー?」
適度に距離を取り、付かず離れずを保ったまま里の中を逃げまわります。
実はこの時、見張り役の妖精の能力で私の気配は限りなく薄くなっており、お坊さん以外の人からは見えなくなっています。
つまりですね。
「なんだあ?あの坊様、なに一人で叫びながら走り回ってんだ?」
「可哀想に、気でも狂ってしまったのかもしれん」
「確か、このあいだ妖精にこっぴどくやられっちまったってーからなあ」
こういうことなんです。
見張り役の二人は、屋根の上でお腹がよじれるほど笑っています。
「おのれえ、ちょこまかと!」
お坊さんは私を追いかけることに夢中で、いつの間にか里を飛び出していることにも気が付きません。
更に言うと、頂いた錫杖は重たいので途中で待機していた他の妖精に渡したのですが、それすらも気が付いておりません。お酒って怖いですね。
「そおりゃあ!」
「きゃっ!」
「ついに捕まえたぞ、この小娘め……ぜえ……ひい……」
「はい、お疲れ様でした」
「何を言うて……ん、お?居ない!確かに捕まえたはずなのに、いつの間に!?」
私の役目は無事終了、体力も回復した所でテレポートで脱出です。
「ぐぬう、私の錫杖も消えてしまったな……ええい!森まで追いかけてきたというに、これでは骨折り損……森だとぉ!?」
ここから先は、まさに筆舌に尽くし難い惨劇が。
入念に準備をして待ち構えていた妖精たちのいたずらオンパレードが次々とお坊さんの身を襲いました。
滑り、転び、降り、ぶつかり、燃え、濡れ、刺さり、引っ掛かり、轢かれ、転がり、etcetc...
一段落した頃には、お坊さんの自慢の袈裟は焼け焦げ、褌一本のまま首から下が地面に埋まり、顔には至る所に落書きという状態。
ここで、最後の仕上げのために、一人の妖精がお坊さんの前に躍り出ました。
「よう、ずいぶんと面白そうなことになってるじゃないの」
「ひぃっ……ひょ、氷精……!」
「こりゃあ、あたいも何かしてやらないと悪いようだね」
そう言って、彼女が両手を頭の上に挙げると、たちまち巨大な氷の塊が出来上がりました。あの大蝦蟇よりも大きいかもしれません。
「あ、あぁ……!」
「この間のお礼だ、お釣りは要らないから持ってきな!」
「ゆ、許してくれえーーーーーー!!!」
彼女はそのまま両手を振り下ろしました。しかし、氷塊はお坊さんに当たるかと思われた直前で粉々に砕け散り、綺麗な氷の粒が森をきらきらと輝かせました。
「このチルノが居る限り、二度とあたいの友だちに手出しはさせないよ!覚えときな!」
「ふふっ、もう聞こえてないみたいだよ、チルノちゃん」
「この程度で気絶するなんて、とんだ弱虫ね!」
あの後、改めて森を訪れたチルノちゃんは、すぐに仲間たちと打ち解けることが出来ました。
一番最初に『フリョウ妖精』について騒ぎ始めていた第一被害者の子にだけはしばらく警戒されていたのですが、『こおりば』が悪い人間や乱暴な妖怪を退治した跡であることを聞くと、打って変わってチルノちゃんにべったりになりました。第一印象はアテにならないものですね。
こうして、私たち妖精に新しい仲間が加わりました。
それから何回も何回もお日様とお月様が入れ替わった頃、幻想郷には騒がしい人間たちが現れ、私たち妖精もチルノちゃんを中心に様々な異変に巻き込まれていくことになるのですが……それはまた別のお話なのでした。ちゃんちゃん。
悪戯を企み、その度に一喜一憂する活発な妖精達の生き生きとした描写が素敵でした。
良かったです
楽しませて頂きました。
妖精主役のSSとは言え坊さんカワイソス。