幻想郷という狭い箱庭のような世界には、思った以上に沢山の場所が存在する。
人里、妖怪の山、魔法の森、迷いの竹林に無縁塚…。
もっと細かく挙げればキリがないが、兎にも角にもその風景は種々雑多にして多彩であり、
初めてやってきた者はあの場所とこの場所が本当に同じ幻想郷の一部なのかと驚くほどである。
そしてその多くは街道によって結ばれており、そこを行き交う人々や妖向けに商売を行う者もいた。
例えば、夜雀の怪ことミスティア・ローレライがそれにあたる。
ミスティアは以前より「歌で鳥目にした人間に、八目鰻を売って一儲けしよう!」というマッチポンプなやり方で屋台を行っていたのだが、
いつの間にやら商売自体が楽しくなってしまい、そんなことなどとうに忘れてしまったらしい。
今では新商品の開発や新しい客層の開拓など実直な屋台経営に余念がない。
また最近では幽谷響子と組んで鳥獣伎楽なるバンドもやっているが、その客層と元々の屋台の客層も相互に取り入れているようだ。
真面目に物事を執り行えば、割と良い結果を出せるタイプなのかもしれない。
「~♪」
開店前のミスティアの屋台に、えらく機嫌のいい鼻歌が木霊する。
「どうしたの?随分と嬉しそうじゃない」
バンドの相方である読経するヤマビコ、幽谷響子はそう指摘する。
響子は鳥獣伎楽の公演費を稼ぐため、時々こうやってミスティアの屋台を手伝っているのだ。
「あ、分っかるー?実はねー…」
待ってましたと言わんばかりに、ミスティアは一枚の紙切れを取り出す!
「じゃーん!これなーんだ?」
見るとそれは1枚の写真だった。そこにはミスティアと一緒に、同じくらい可愛らしい女の子が揃って写っている。
「…誰かと一緒に撮った写真?私はちょっと見覚え無いけど…」
響子がそう言うと、ミスティアは「チッチッチ」と指を振る。
「この人を知らないなんて、響子損してるなあ…。いい?この人はね…」
そう言ってミスティアは1つのカセットテープを取り出し、デッキにセットした。
それらはCDの普及に伴い、次第に幻想入りし始めた外の文化物の1つだ。
「この曲の!歌い手さんなのです!」
そう言いながらミスティアが勢いよくデッキのスイッチを押すと、なんともポップで楽しげな曲が流れ出した。
「へー、なかなかノリがよくって楽しくなってきちゃう曲だね」
腕を組み、目を閉じて聞き入る響子。
「でしょ?以前古道具屋で折り畳みのテーブルとか買ってた時に偶然見つけちゃってさ。物の価値の分からない店主に二束三文で譲ってもらったのよ」
「なるほどねー。それで、この歌に一目惚れ…というか、一聴き惚れしちゃったわけだ?」
「そゆこと!でもね、最初は誰が歌ってるのかわからくってさー…。外の人間かなとも思ってたんだけど…」
―数週間前―
「おや、面白い曲ですね」
ミスティアの屋台で流されていた曲を聴いて、伝統の幻想ブン屋、射命丸文はそう言った。
「いつものミスティアさんの曲調とも違うし、鳥獣伎楽のそれとも全然別物といった印象です」
文の感想に相槌を打つミスティア。
「ええ。実はこれ、古道具屋に置いてあったものを購入したやつなんです。なんだか凄く気に入っちゃって、こうして時たま、私が歌う代わりに流してるんですよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
そうして静かに酒を飲んでいた文だが、ふとその動きを止めて音楽に聞き入る。
「どうされました?」
急に停止した文に、ミスティアは不思議そうな顔で尋ねる。
「いえ、気のせいかもしれませんが…この声、どこかで聞いたことあるような気がしまして…」
「ホントですか!?」
文の一言に、ミスティアは屋台を揺さぶる勢いで身を乗り出す。
「わっと、危ない危ない!」
ミスティアの突然のリアクションに驚く文。
「あ、ごめんなさい!…えっと、それで、聞いたことがあるってのは…?」
期待に満ちた目をしつつも、ミスティアはおそるおそるといった様子で尋ねる。
「うーん、もしかしたら思い違いとかそういうのかもしれないのですが…」
どうにも自信なさげな文。
「思い違いでもなんでも構いませんから、何か知ってたら教えてくれませんか?」
真剣な眼差しで見つめてくるミスティアに押されて、文は自分の脳をフル回転させて記憶を呼び覚ます。
「…えっと…どこだったか…この声…声…声、だけ…?」
そこで文ははっとする。
「そうだ、旧都です」
「旧都?」
思いもよらぬ単語に驚くミスティア。
「えぇ、今はっきりと思い出しました。この声、以前旧都に向かった霊夢さんを使…霊夢さんへ協力した時に聞きました。間違いないと思います」
文の態度を見るに、それはほぼ確定のようだ。
「…旧都。旧地獄跡、ですか…」
しかしながら、折角貴重な情報を得られたはずのミスティアの表情は優れない。
「どうされました?ミスティアさん」
「…いえ、折角有益な情報が得られたのはいいんですけど…、何しろ旧都、ですからねえ」
そう言って苦笑する。
ミスティアが残念そうな顔をするのも無理は無い。ここ幻想郷と旧都は、妖怪たちの往来を禁じている。
それはつまり折角歌い主が分かったとしても、その人のライブを聴きに行ったりするといった行為が出来ないことを意味している。
「うーむ、そうなんですよねえ…」
それは文も理解しているようで、結局その場には、重い沈黙だけが漂う。
このままだと美味しくお酒が飲めないなあと頭を悩ませる文だったが、突如1つのアイディアが閃く。
「ミスティアさん、上手くいくかは保証できませんが…私に賭けてみませんか?」
「何かアテがあるんですか?」
文の言葉にミスティアは飛びつく。
「繰り返しになりますが、上手くいく保証は無いですし、結局のところ何も起こらないって可能性がかなり高いです」
突然の文の提案に、ミスティアは
「それでも…」
エプロンをぎゅっと握る両手。
「それでも、この歌い手さんに一目でも会えるのなら、是非お願いしたいです」
ふむふむ、女将のテンションも戻ってきたなと文は一安心する。
「分かりました。ではこの射命丸文におまかせを!…ところで、その…」
文の態度が露骨に変わる。
「…上手くいきましたら、そのぉ…、今までに溜まってるツケ、なんとかなりません?」
まるで鬼に媚びるような笑顔でミスティアにそう持ちかける鴉天狗。
「む…う~ん…」
ミスティアは腕組みして考える。
蟒蛇の様に酒を飲む天狗ゆえ、そのツケも1回あたりの額がかなり大きい。
ここで先程の提案の飲めば、屋台としてはかなりの痛手を被りかねない。
しかし…
「…分かりました。全額はダメですけど、結果に応じて出来高払い、ということで考えておきましょう」
ミスティアの言葉に万歳する文。
「さっすがミスティアさん、話が分かりますね!」
「ただし!」
喜ぶ文を迫力のある声で諌める。
「少なくとも今日の分はちゃーんと払ってもらいますよ?最悪、妖怪の山に請求書回しますからね?」
「あ、あやや~…」
この小さな一国一城に於いては、神も鬼も女将にゃ敵わないのだろうなと、文は密かに思ったのだった。
―翌日、地下世界入口付近―
暗い洞窟の明るい網、黒谷ヤマメの住居は地下世界入口の比較的すぐ傍にある。
ともすると鬼や悪魔よりも凶悪極まりない自身の能力を憂いて旧都に住むことを決めたヤマメであるが、
なんだかんだいって多少地上に未練もあるようで、こうやって境目に近い場所へその身を置いているらしい。
そんな入口から続く旧都への道すがらには、ヤマメの作った大きな網が張ってある。
大抵は落ち葉みたいなゴミくらいしかかからないのだが、たまに動物や人間までもがひっかかっていたりする。
そういう生き物に関してはそのまま食卓に並ぶこともあるし、会話くらいが出来れば一緒に酒を飲みかわすこともあるようだ。
尤も、こんなところに落ちてくるのは大抵死にぞこないか、何らかの理由で命潰える寸前の存在だったりすることが多いため、そうそう長くは過ごせない。
そういった場合は最後まで看取り、命尽き果てればその身を食い、骨と衣服はまとめて埋葬する、そんな妖流の弔いを行うのがヤマメの習慣だった。
故に入口から旧都まで真っ直ぐ進めば気付かないが、その脇道には幾つもの無縁仏たちが眠っている。
いや、例え相手が妖であっても、今際の際を見届けてくれたのであれば、完全な無縁とも言えないのかもしれないが。
さてそんなヤマメの網に、今日はまた変なものがかかっていた。
「なんだこりゃ」
天井から逆さにぶら下がったまま、ヤマメはその謎の物体を手に取る。
よくよく見れば、それは新聞なる紙の情報媒体であった。
あまりそれ自体には興味は無かったため、ふーんと思って流し読みをするヤマメであったが、とある記事に目を留める。
そして何事か閃くと、そのまま旧都方面へ一目散に飛んで行ってしまった。
地殻の下の嫉妬心こと水橋パルスィには最近また嫉妬の種が増えてきた。
それはこの前の間欠泉異変以降、少しずつではあるが地上と地下の交流が復活し始めたことだ。
とはいっても他人の服のほつれまで妬ましいパルスィのことなので、それ自体は妬ましくとも興味をくすぐられる事案ではなかった。
そんなパルスィが橋の欄干にもたれかかっていると、橋の下から声がする。
「おーっすハッシー。今日も元気に妬んでるかーい?」
顔を動かすと、ヤマメがひょっこり顔を覗かせていた。
「変なあだ名付けるのやめてって言ってるでしょ。ホント軽い性格で妬ましいわね…。で、今日は何の用かしら?」
くるりと橋の上に飛び上がったヤマメは、さっき拾った新聞をパルスィに見せる。
「何それ?」
「いいから、この開いてるとこ読んでみ?」
訝しげなパルスィに対し、ヤマメはニコニコ笑っているだけだ。
まったく、どこまで底抜けに明るいのかとますます妬ましくなるパルスィ。
「…ヤツメウナギの屋台に…雀酒?」
「そそ。これついさっき私の網に引っ掛かっててるの見つけてね、他の記事はあんまし興味無かったんだけど、これは凄く魅力的じゃない?」
テンション高く話すヤマメに対し、パルスィはいつもの調子を崩さない。
「確かに伝説のお酒なんてのは妬ましいわね。で、それが?」
「決まってるじゃない」
そう言ってパルスィの肩をポンポンと叩くヤマメ。
「アンタまさか…」
「そのまさかさ。この伝説のお酒とやら、飲みに行ってみないかい?」
ヤマメの提案に、パルスィは眉間を押さえる。
「アンタねぇ…。地上との取り決めを忘れたワケじゃないでしょ?アンタまで他の奴らみたいに進んでルール破りに行くつもりなの?」
パルスィは尤もな正論を述べるが、ヤマメはまるで意に介さない。
「平気さ平気。正体誤魔化していけば地上の奴らにもそうそう勘付かれないだろうし、そもそも件の取り決めなんか既に形骸化してるじゃないか」
「そういう問題じゃないでしょ!ああもう…」
それだけ捲し立てるように告げると、ふわりと浮いて旧都に向かうヤマメ。
「じゃ、そういうわけで準備しといてね!」
一方的に参加宣言許諾を告げるヤマメ。
「ちょ、ちょっとちょっと。私は行くなんて一言も言ってないでしょ!?」
しかしパルスィがそう言い終える前に、ヤマメの姿は遙か遠くに消えてしまっていた。
「なんなのよもう…」
友人の傍若無人な提案に頭を押さえる。
「それもこれも、例の紅白と白黒がきてからだわ。病気を操るクセに、自分が何かに感染したんじゃないかしら?…ああもう、本当に妬ましいっ!」
「伝説の酒、ねぇ」
ヤマメが次に声をかけたのは、語られる怪力乱神、星熊勇儀である。
「なるほどね、まあ確かにこれ自体には興味あるよ」
ヒョイっと新聞をヤマメに返す勇儀。
「加えて私自身、前の騒動以来多少地上に興味が戻ったことも事実だ。しかし…」
そう言ってじっとヤマメの目を見る。
「本当の目的はなんだい?」
静かに、けれど有無を言わさぬ迫力で勇儀は尋ねる。
「さすがに姐さんは察しがいいね」
いっぽうのヤマメも飄々とした態度を崩さない。
「本当の目的は、言ってみれば地上の偵察さ」
「偵察?」
疑問に満ちた勇儀の声に対し、ニッと笑って見せるヤマメ。
「この前の騒動以降、極少数の妖怪たちがここと地上を行き来してるのは知っているだろう?
それによって少しずつだけど地上の情報や物品が入ってくるようになった。
けれどもそれはどれも断片的だし、独断と偏見が入っている可能性もある。
だからこそ、その目で確かめてほしいのさ。
今の地上が、どんな風なのか…ってね。
そのうえで、今の地上が旧都と交流を持ってもいいものか、勇儀なりに判断してほしいの。
伝説の酒とやらに興味が無いといえば嘘になるけど、結局のとこそれは都合のいい切っ掛けでしかないのさ」
顔は笑っているが、その声には勇儀にも負けない熱が篭もっている。
「…なるほどね。そういうことなら、私に声をかけた理由も分かる。
自分で言うのもなんだが、私はこの旧都でもそれなりの実力者だ。
さとりには及ばないとはいえ、私の発言にもそれ相応の重みがあると思ったからだろう」
「正解っ!」
「…そして私だけでなく、あんた自身が赴くことにも意味がある。違うかい?」
勇儀の指摘に少々驚くヤマメ。
「あらら、やっぱ姐さんには見抜かれちゃうか」
「まあね。私やさとりの言葉には権力者としての重みがある。が、ひとはそればかりでは納得しないだろう。
一方のお前さんはそういうことを抜きにしての人気がある。言うなれば皆の共通の友人ってとこか。
『命じる』という点では私たちのほうがいいだろうが、『伝える』あるいは『思わせる』という点ではあんたのほうが向いているはずだ。
…あんたはあんたなりに、自分の立場を客観的に見ているようだね」
何だか照れくさくなったヤマメは、ポリポリと頭を掻く。
「そんな大層なものじゃないけどね。ただ、私自身もこの目で確かめてみたいのは事実だよ。
それで私なりに、見聞きし感じたことを旧都の皆に伝えたいんだ。
まあ実際に伝えるのはもう暫く後にすべきだろうけどね」
なるほどねと納得する勇儀だが、もう一つの小さな疑問点についても尋ねる。
「ちなみに、パルスィを誘ったのは?」
勇儀の質問に、ヤマメは5本の指を立てて答える。
「パル子を誘った理由は5つ。
1つめは私や勇儀以外にも地上を見るヤツが欲しかったからだ。
あらゆることに対して平等に嫉妬するパル子は、ある意味では適役といえる。
2つめは橋の管理人だから。
パル子の目を欺いてあの場を抜けるのはほぼ不可能だ。
だったらいっそ、こっちに引き込んじゃおうってワケさ。
3つめはそれなりに常識を持ってるから。
地上に出た途端ドンパチ始めるような、血気盛ん過ぎるヤツじゃ危険極まりない。
4つめはそれなりの実力者だから。
万が一地上の奴らに襲われても、自分の身を自分で守ることが出来る程度には力があってほしいからね」
ふむ、と納得する勇儀。
「で、最後の5つめは?」
そこでニヤリと悪戯っぽく笑うヤマメ。
「単純に、パル子を連れて行ったほうが『面白そう』だからさ」
ヤマメの答えにきょとんとする勇儀。
が、ややあって笑い始める。
「なるほどねえ、それは確かに私も思うよ。いやいやこれは楽しみだねえ」
ようやく勇儀の肩の力も抜けたと見えて、ヤマメはその場からふわりと浮く。
「詳しい日程はまた伝えにくるよ!まあそう遠くない日さ!」
そう言って去ろうとするヤマメに勇儀も声をかける。
「ああ、楽しみに待ってるよ、ヤマメ!」
こうして密かに、地上偵察隊が結成されたのだった。
―数日後―
「やあやあよくぞ集まってくれた諸君!これより地上探索隊の活動を開始する!」
元気いっぱいに前口上を述べるヤマメ。
「パルスィ、なんだかんだでちゃんと来たんだな」
「ああ勇儀。…まあ野放しにできないでしょ、こんなパープリン…。というか、参加しなかったら延々しつこく迫られるのが目に見えてるもの」
大きく溜息をつくパルスィ。
「そこ、私語をしない!」
ヤマメはビシッと指をつきつける。
「いいかね?今回の主目的は例の雀酒だが、諸君らには第二、第三の『なんか美味そうなもの』を発見してもらうという目的もあるのだ!
もちろん、口に入るもの以外でも面白ければなんでもよし!というわけで、いざいかん地上世界っ!」
疲れるほどのテンションで先導するヤマメに対し、負けないほどの威勢で応!と力強く答える勇儀。
そして、力なくおーと言うパルスィ。
「それでは出発!」
2人の元気妖怪と1人のローテンション妖怪は、こうして久々の地上に旅立って行った。
「ほーう、ここが地上か。久しい光景だ」
両手を腰に当てて景色を見下ろすヤマメ。
「青い空に白い雲…。燦々と降り注ぐ太陽に、澄み渡る空気…。爽やかな風が静かに流れ、小鳥たちは楽しそうに囀っている…。ああ、妬ましい」
一方のパルスィは実にどんよりした表情。
「まあここまで来たんならもう諦めな。それで、美味しいもの食べて帰ろうじゃないか」
そう言ってパルスィを慰める勇儀。
「改めて確認するが、取り敢えず日が沈むまでは各自地上を散策して自由に情報収集してくること。
日が沈んでからの集合場所は下に見える旧都入口だ。
尚、碌な情報を持ってこなかった隊員には今夜の酒代の支払いを一任するというバツゲームがあることもお忘れなく」
「え、最後の初耳…」
「では散開!」
何か言いたげなパルスィをほっといて真っ先に飛んでいくヤマメ。
勇儀は勇儀で何かアテがあるのか、ヤマメとは別方向に飛んで行ってしまった。
「…なんなのよう…」
最早妬むことすら疲れるわと思いながら、パルスィもふらふらとその場から飛び去ったのだった。
逢魔が刻を過ぎた頃、ヤマメ率いる地上探索隊の隊員が旧都入口に集合する。
「では諸君、本日の成果を聞かせてもらおうか!まずは勇儀隊員!」
指名された勇儀は持ってた酒瓶を皆に見せる。
「私はコレだ。やっぱり今の幻想郷の酒には興味があるからね。人に化けて酒屋をいくつか練り歩いたんだ。
で、ちょっといいものがあったから1本買ってきたよ。あとついでに、酒にあいそうなつまみもな」
勇儀のお土産に満足げな顔をするヤマメ。
「ほほう、流石は勇儀隊員。後で詳しく、その他の酒についても聞かせてもらおう。では次、パッパル隊員!」
はあ、とため息をついてから、パルスィはとある冊子を取り出した。
「私のほうはコレね、いわゆるタウン情報誌。どこの誰が書いたものかは知らないけれど。
で、一通り目を通してみたけど、この幻想郷のめぼしい名所がそこそこ書かれてる印象だったわ。
個人的にはどこも興味無いけど、この娯楽施設関係はアンタらのお眼鏡にかなうんじゃない?」
そう言い終えたパルスィだが、ヤマメのほうはなんだか不服そうな顔だ。
「…なによ、その顔は。ちゃんと情報収集してきたでしょうが」
ハァーと長い溜息をつくヤマメ。
「いやまさかパル助がマジメに情報収集してくるとは思ってなくてね。
あーあ、折角今夜はタダ酒が飲めると思ったのになあ」
「アンタねえ…」
いつか〆よう。パルスィはそう心に誓う。
「で、アンタはどうなのよ?下らない話持ってきたら流石にぶっ飛ばすからね?」
じっとり睨むパルスィに対し、ヤマメはふふんと鼻を鳴らす。
「この私を誰だとお思いかな?もちろんミッションを完璧に遂行してきたさ!さぁ聞いて驚くがいい!!」
そう言って1つの新聞を取り出す。
「皆さんご存知かな!?今この幻想郷の上空を、宝船が飛んでいることを!」
ドヤ顔でヤマメは話し続ける。
「その正体は未だ不明だそうだが、何しろ七福神で有名な宝船だ。これは一攫千金の臭いがしまっせー!」
今までで一番高いテンションで話すヤマメだが、パルスィの口から思わぬ情報が飛び出す。
「それ、今はお寺だから」
「え」
きょとんとするヤマメ。
「このページ見なさい。その宝船とやら、今は命蓮寺ってお寺になってるから」
「え、は、え?」
ヤマメは事態が飲みこめないといった様子である。
「アンタねぇ…情報収集するなら可能な限り最新のものを持ってきなさいよ。大体それ、いつの新聞よ?」
日付を見れば、パルスィが持ってきた情報誌から大分過去に遡っている。
「え、そんな…。お宝は?私のお宝は…?」
「誰がアンタのお宝か。…ま、これで決まりね。今夜はあんたの奢りだから」
「…うそーん…」
勝ち誇るパルスィに対し、がっくりと肩を落とすヤマメ。
そして勇儀はそんな2人のやり取りを大笑いして見ていたのだった。
―同刻、ミスティアの屋台―
ミスティアは今夜もいつも通りに屋台の準備をしていた。
今までは人妖が沢山来られる場所を探してあちこちで営業していたが、最近は良い立地を見つけて以来ほぼそこ固定でやっている。
時にはどこぞの焼鳥屋と揉めることもあったものの、それなりにつつがなく繁盛しているようだ。
「ふーんふーんふふーんふーんふふふーん」
例の楽しげな曲を鼻歌で歌いながら、これまた楽しそうにテーブルを拭くミスティア。
自由に行ける場所でないとはいえ、憧れの歌い手さんの居場所が分かったのだ。
そのうえ射命丸文がなんらかの機会を与えてくれようとしている。
ただそれだけでミスティアの気分はいつもにも増して高まっていくき、自然と鼻歌もこぼれてしまうのだった。
と、そんなミスティアの屋台に近づく影がある。
「よ、女将さん!今やってるかい?」
いかにも姐御といった風格の女性が挨拶してくる。
「あ、今からなんです。いいタイミングですね」
それに対してミスティアは可愛らしい営業スマイルを返す。
「ふーん…思ってたよりいい屋台ね。風貌だけでも既に妬ましいわ」
「今はその口癖しまっときなよ…。あと2人ともあんまり飲み過ぎないでよね?特に勇儀!」
客は3名のようで、いずれも女性だ。
最初に声をかけてきた姐御風、大きなリボンとぽわっとした服装に明るそうな雰囲気、
そして緑色の目が印象的な和洋折衷といった風貌の3人である。
皆妖の気配を漂わせていたので、まあおそらくは同族の友人同士といったところだろうか。
全員がテーブルについたところで、ミスティアは注文を取り始める。
「まずは何にしましょうか?」
「そうさねえ、取り敢えず伝説の雀酒とやらを3つ、それにヤツメウナギの串も3つ」
姐御さんの注文を皮切りに、緑眼の人、リボンの人と順々に注文を言っていく。
「私は…そうねえ、この牛串がいいわ」
「お、蜂の子の串なんてあるんだ?んじゃこれもお願い」
3人それぞれの注文と数をメモし、まずはすぐ出せるお酒を振る舞う。
そのままミスティアは焼きにかかり、間を持たせるトークも始める。
「くぁー!これが伝説の雀酒ってのか!コイツは素晴らしいね!」
姐御さんは風貌に似合った気持ちのいい飲みっぷりである。
「ほんと…これ凄く美味しいわね。それになんだかテンション上がってきちゃうわ」
緑眼の人も色っぽく息をつきながら飲んでいく。
「ひゃっほーたまんないね!もーこれだけでも来た甲斐があるってもんだ!ありがとうカミサマ!ありがとう謎の新聞!」
リボンの女性はとりわけテンションが高い。
ミスティアも思わず笑いを零してしまう。
「そういえば皆さんはどちらから?ここいらではあまり見かけないようですが」
ミスティアに何気ない質問に、一瞬全員の動きが止まる。
「あーその、私たちはホラあれよ、その…無縁塚のあたりに住んでて」
緑眼の人がそう言い、リボンの人が続ける。
「そ、そうそう。あんな場所だからさ、あんまここいらには来れなくて…」
「なるほど、そうだったんですね」
(あぶな…さっきタウン誌読んどいてよかったわね)
ひそひそ話すパルスィ。
(まったくだ。塞翁が馬ってのはこのことか)
同意を述べるヤマメ。
勇儀はというと、嘘がつけないのか黙ってお酒を飲むだけだった。
それからしばらく客と女将の全員で盛り上がりながら酒盛りをしていたが、ミスティアはふと何かに気づく。
(あれ…?そういえばこの声、どこかで聞いたことあるような…)
そう思ってしばし串を焼きながら考えていると、ミスティア本人にとってとんでもないことに気づく。
(え?え?この声って、もしかして…)
歌っている時の調子に加えテープ/肉声の違いはあれど、よくよく聞けばそれはミスティアがお気に入りの例の歌い手さんにそっくりだ。
(嘘?まさかこんなに早く!?しかも突然今日だなんて…あわわわわ…)
「…さん?女将さん?」
「ふぅえっ!?」
リボンの人の呼びかけに、思わず素っ頓狂な声を上げてしまうミスティア。
「いや、追加で注文したいんだけど…どうかした?」
「いいいいえなんでもないですぅ!」
幸いにして串焼きは焦がさなかったものの、ミスティアは最早冷静ではいられなかった。
ミスティアにとって「歌」というのは、人生や生きる意味においてかなりのウェイトを占めている。
それゆえに憧れの歌い手というのは、他の人が考えてるよりもミスティアにとってずっと大きな存在なのだ。
そんな人を目の前にすれば、こうも上がってしまうのは当然のことと言えよう。
(なんか、女将さんの態度変じゃない?もしかして、私たちの正体に気づいたとか?)
(う~ん、やっぱりパッパルを連れてきたのがアダになったかなあ…)
(あんたほんと帰ったらしこたま殴るからね?)
パルスィとヤマメがひそひそ会話していると、ミスティがおもむろにカセットデッキを取り出す。
「…ん?なんだいそれ?」
勇儀の質問に、ミスティアはもじもじしながら答える。
「えっと、カセットデッキっていう、音楽とかを流せる道具なんですが…」
ちらちらとヤマメをみやるミスティア。
「その、よければちょっと聞いてほしい曲が、あるんですけど…」
「え、あ、いいけど…」
なんだか自分に言われてるようで、思わずそう答えるヤマメ。
そしてミスティアがスタートボタンを押すと、楽しげな曲が流れ始める。
すると突然
「んぼぉっふふ!?」
おおよそ女の子には似つかわしくない奇声を上げて、ヤマメは飲んでた酒を吹き出してしまう。
「んげぇっほ、えほ、けほ…え、ちょ、これ…」
その反応を見て、ミスティアはぱあっと顔を輝かせる。
「やっぱり!もしかして、この曲の歌い手さんじゃないですか!?」
「え、あ、いやまぁ、その、えぇっとぉ…」
なぜかしどろもどろになるヤマメ。
一方残りの2人は必死に笑いをこらえている。
(ちょちょちょちょっと、あれって私が町興しイベントで期間限定地域アイドルやってた時の曲じゃない!?
なんであんな黒歴史がこんなとこに転がってんのさ!?)
(ぷっ、くく、し、知らないわよぉ…)
(くっ、はは、なんだこりゃあ…)
慌てふためくヤマメに対して腹筋の痛みをこらえる2人。
(うあーなんであんなものが残ってんのよー!イベント終わった後に全部捨てたって言ってたじゃない!!)
とうとうヤマメは頭を押さえてつっぷしてしまった。
しかし事情を知らないミスティアはおろおろするばかり。
「え、え、どうなさいましたお客さん!?」
「いぃえぇ…なんでもないですぅ…」
絞り出すような声ではあるが、返答したヤマメにミスティアはほっとする。
「よかった…。それで、えっと、やっぱりこの曲って…」
「そうですぅ…私ですぅ…」
刑事から自白を強要された犯人のように答えるヤマメ。
「やっぱり!ああ、なんて幸運なんでしょう!」
夏の太陽のようにキラキラ光る笑顔のミスティアに対し、ヤマメの表情はどん底を突き抜けて旧都から灼熱地獄まで落っこちている。
「あのあの!その、あ、厚かましいお願いかもしれませんが…」
ミスティアは屋台の裏から何かを持ってくる。
「えっと、その…よ、よければそのぉ、一緒に写真、撮ってくださいませんか…?」
文から借りた予備のカメラを持ってきてそう懇願するミスティア。
「しゃ、写真…?」
「えっと、なんといいますか…その、私、この曲を一度聞いた時から一目惚れしちゃったというか…。
もしこの曲の歌い手さんに会えたら、記念に写真撮影とかしてみたかった、んです…」
照れたようすでそう話すミスティアに、ヤマメは狼狽を隠せない。
(ふっくく…いいじゃないの、写真くらい。ファンの要望に応えるのもアイドルのお仕事でしょう?)
(ひ、他人事だと思ってぇ…覚えてろよパルパルがぁ…)
そう言うとヤマメはのっそりと立ち上がる。
「分かったよ…。そんかわし、私らが今日ここに来たことは内緒にしてくれないかい?」
「え?なぜです?」
ヤマメの交換条件に対しポカンとするミスティア。
「多分もう分かってるだろうけど、私らは地下の妖怪なんだよ。
そんな私らが地上の屋台で飲み食いしたって話が広まった色々問題だろう?」
「え、あ、うーん、そう…ですね…」
ミスティア自身は別に地下世界だろうか天界だろうが一向に気にしないのだが、憧れの当人に言われては首を縦に振るしかない。
「分かりました。それくらいならお安い御用です」
「あんがと…」
そうしてミスティアとヤマメが並んで立ったところをパルスィが写真に収める。
「ふふ、実に仲よさそうで妬ましいわあ」
「お前絶対楽しんでるだろ…」
凹むヤマメの背中をばんばん叩きながら勇儀が言う。
「まあ今夜は面白いもん見せて…いや聞かせてもらったよ。ここは私が奢るから元気だしなって!」
折角奢ると言われても、ヤマメの表情は結局朝のパルスィよりも暗いままであった。
「さてと、お代はこれでいいかな?」
「えっと…はい、丁度です。ありがとうございました」
甲斐甲斐しく頭を下げる女将に、手を振る3人。
「今はまだ自由に行き交いできないが、また機会があれば是非よらせてもらうよ」
支払いを終えてからそう告げる勇儀に、ミスティアの顔も綻ぶ。
「ええ、またのご来店を是非楽しみにしてます!…ヤマメさんも、また是非きてくださいね」
「あぁ…またお邪魔させてもらうよー…」
結局飲み終えるまでヤマメのテンションは回復しなかったが、まあなんだかんだで皆楽しめたようである。
「約束ですよ?私、待ってますからね!」
期待に満ちた目をする夜雀に、かつて災厄と恐れられた土蜘蛛はもうたじたじといった様子であった。
―そして現在―
「と、まぁそんなこんなで撮った写真がこれってわけよ。ついでに、後ろにはサインもしてもらったわ」
くるくる回りながらそう話すミスティア。
「ふーん、なるほどそんなことが…。でもさ、それ私に話しちゃっていいわけ?」
「へーきへーき。だって響子なら他人に口外したりしないでしょ?」
「そりゃまぁそうだけど…。あとさ、文さんとの約束はどーなったの?」
「ああそれならナイショのままよ?ぽらろいど?とかいう写真機は1回試し撮りだけしたってことで誤魔化したし」
何よりツケ免除もしなくてすむからねーとご機嫌なミスティア。
「うーん、それでいいのかなぁ…?」
「いいのいいの。今までツケを待っててあげた分の利子ってやつよ」
そして結局、果てしなく幸せそうなミスティアの笑顔につられて響子もまた「まあいいか」という気分になってしまうのであった。
―地上探索より数週間後―
「どういう風の吹き回しよ?」
アイドル風の衣装に身を包んだヤマメにそう問いかけるパルスィ。
「もー完全に吹っ切れちゃったからね。このまま地下アイドルとして天下とったるわ!」
そう啖呵を切ってぐぐっと拳を握りしめるヤマメ。
あの日以降勇儀とパルスィが散々からかったせいか、どうやら理性と羞恥心のネジが吹っ飛んでしまったらしい。
流石にからかい過ぎたかとほんの少しばかり後悔する2人だったが、時既に遅し。
それから間もなく、旧都は懐かしのアイドルに沸くこととなるのだが、それはまた別のお話。
こうして地上の歌姫と地底のアイドルの初邂逅はにぎやかに幕を閉じたのだった。
・オマケ・
「あ、これ可愛い~」
地上にこっそり遊びにきていた古明地こいしは、魔法の森の入り口に居を構えるとある古道具屋にきていた。
その手には店内に展示してあった硝子製の小鳥の置物が握られている。
「これお姉ちゃんのお土産に持って帰りたいなー…」
しかし残念ながら、今日のこいしはお小遣いを持ってきていなかった。
「どうしよう、このまま置いておくと売れちゃうかもしれないし…」
そう思ってポケットをごそごそ漁っていると、何やら見慣れる四角い物体が出てきた。
「…?なんだっけこれ?どっかで拾ったのかな?」
まあなんでもいいかと思って、こいしは小鳥の置物があった位置にその四角い物体をお金代わりに置いてしまう。
「それじゃ、ありがと店主さん!」
そう言って元気に立ち去るこいしだが、無論無意識を操る彼女の声は店主に届かない。
もっとも、読書に熱中し過ぎる店主の耳にはそうでなくも届かなかったのかもしれないが。
陳列棚に見知らぬ物体があるなと霖之助が首を捻るのは、それから数日後のことである。
人里、妖怪の山、魔法の森、迷いの竹林に無縁塚…。
もっと細かく挙げればキリがないが、兎にも角にもその風景は種々雑多にして多彩であり、
初めてやってきた者はあの場所とこの場所が本当に同じ幻想郷の一部なのかと驚くほどである。
そしてその多くは街道によって結ばれており、そこを行き交う人々や妖向けに商売を行う者もいた。
例えば、夜雀の怪ことミスティア・ローレライがそれにあたる。
ミスティアは以前より「歌で鳥目にした人間に、八目鰻を売って一儲けしよう!」というマッチポンプなやり方で屋台を行っていたのだが、
いつの間にやら商売自体が楽しくなってしまい、そんなことなどとうに忘れてしまったらしい。
今では新商品の開発や新しい客層の開拓など実直な屋台経営に余念がない。
また最近では幽谷響子と組んで鳥獣伎楽なるバンドもやっているが、その客層と元々の屋台の客層も相互に取り入れているようだ。
真面目に物事を執り行えば、割と良い結果を出せるタイプなのかもしれない。
「~♪」
開店前のミスティアの屋台に、えらく機嫌のいい鼻歌が木霊する。
「どうしたの?随分と嬉しそうじゃない」
バンドの相方である読経するヤマビコ、幽谷響子はそう指摘する。
響子は鳥獣伎楽の公演費を稼ぐため、時々こうやってミスティアの屋台を手伝っているのだ。
「あ、分っかるー?実はねー…」
待ってましたと言わんばかりに、ミスティアは一枚の紙切れを取り出す!
「じゃーん!これなーんだ?」
見るとそれは1枚の写真だった。そこにはミスティアと一緒に、同じくらい可愛らしい女の子が揃って写っている。
「…誰かと一緒に撮った写真?私はちょっと見覚え無いけど…」
響子がそう言うと、ミスティアは「チッチッチ」と指を振る。
「この人を知らないなんて、響子損してるなあ…。いい?この人はね…」
そう言ってミスティアは1つのカセットテープを取り出し、デッキにセットした。
それらはCDの普及に伴い、次第に幻想入りし始めた外の文化物の1つだ。
「この曲の!歌い手さんなのです!」
そう言いながらミスティアが勢いよくデッキのスイッチを押すと、なんともポップで楽しげな曲が流れ出した。
「へー、なかなかノリがよくって楽しくなってきちゃう曲だね」
腕を組み、目を閉じて聞き入る響子。
「でしょ?以前古道具屋で折り畳みのテーブルとか買ってた時に偶然見つけちゃってさ。物の価値の分からない店主に二束三文で譲ってもらったのよ」
「なるほどねー。それで、この歌に一目惚れ…というか、一聴き惚れしちゃったわけだ?」
「そゆこと!でもね、最初は誰が歌ってるのかわからくってさー…。外の人間かなとも思ってたんだけど…」
―数週間前―
「おや、面白い曲ですね」
ミスティアの屋台で流されていた曲を聴いて、伝統の幻想ブン屋、射命丸文はそう言った。
「いつものミスティアさんの曲調とも違うし、鳥獣伎楽のそれとも全然別物といった印象です」
文の感想に相槌を打つミスティア。
「ええ。実はこれ、古道具屋に置いてあったものを購入したやつなんです。なんだか凄く気に入っちゃって、こうして時たま、私が歌う代わりに流してるんですよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
そうして静かに酒を飲んでいた文だが、ふとその動きを止めて音楽に聞き入る。
「どうされました?」
急に停止した文に、ミスティアは不思議そうな顔で尋ねる。
「いえ、気のせいかもしれませんが…この声、どこかで聞いたことあるような気がしまして…」
「ホントですか!?」
文の一言に、ミスティアは屋台を揺さぶる勢いで身を乗り出す。
「わっと、危ない危ない!」
ミスティアの突然のリアクションに驚く文。
「あ、ごめんなさい!…えっと、それで、聞いたことがあるってのは…?」
期待に満ちた目をしつつも、ミスティアはおそるおそるといった様子で尋ねる。
「うーん、もしかしたら思い違いとかそういうのかもしれないのですが…」
どうにも自信なさげな文。
「思い違いでもなんでも構いませんから、何か知ってたら教えてくれませんか?」
真剣な眼差しで見つめてくるミスティアに押されて、文は自分の脳をフル回転させて記憶を呼び覚ます。
「…えっと…どこだったか…この声…声…声、だけ…?」
そこで文ははっとする。
「そうだ、旧都です」
「旧都?」
思いもよらぬ単語に驚くミスティア。
「えぇ、今はっきりと思い出しました。この声、以前旧都に向かった霊夢さんを使…霊夢さんへ協力した時に聞きました。間違いないと思います」
文の態度を見るに、それはほぼ確定のようだ。
「…旧都。旧地獄跡、ですか…」
しかしながら、折角貴重な情報を得られたはずのミスティアの表情は優れない。
「どうされました?ミスティアさん」
「…いえ、折角有益な情報が得られたのはいいんですけど…、何しろ旧都、ですからねえ」
そう言って苦笑する。
ミスティアが残念そうな顔をするのも無理は無い。ここ幻想郷と旧都は、妖怪たちの往来を禁じている。
それはつまり折角歌い主が分かったとしても、その人のライブを聴きに行ったりするといった行為が出来ないことを意味している。
「うーむ、そうなんですよねえ…」
それは文も理解しているようで、結局その場には、重い沈黙だけが漂う。
このままだと美味しくお酒が飲めないなあと頭を悩ませる文だったが、突如1つのアイディアが閃く。
「ミスティアさん、上手くいくかは保証できませんが…私に賭けてみませんか?」
「何かアテがあるんですか?」
文の言葉にミスティアは飛びつく。
「繰り返しになりますが、上手くいく保証は無いですし、結局のところ何も起こらないって可能性がかなり高いです」
突然の文の提案に、ミスティアは
「それでも…」
エプロンをぎゅっと握る両手。
「それでも、この歌い手さんに一目でも会えるのなら、是非お願いしたいです」
ふむふむ、女将のテンションも戻ってきたなと文は一安心する。
「分かりました。ではこの射命丸文におまかせを!…ところで、その…」
文の態度が露骨に変わる。
「…上手くいきましたら、そのぉ…、今までに溜まってるツケ、なんとかなりません?」
まるで鬼に媚びるような笑顔でミスティアにそう持ちかける鴉天狗。
「む…う~ん…」
ミスティアは腕組みして考える。
蟒蛇の様に酒を飲む天狗ゆえ、そのツケも1回あたりの額がかなり大きい。
ここで先程の提案の飲めば、屋台としてはかなりの痛手を被りかねない。
しかし…
「…分かりました。全額はダメですけど、結果に応じて出来高払い、ということで考えておきましょう」
ミスティアの言葉に万歳する文。
「さっすがミスティアさん、話が分かりますね!」
「ただし!」
喜ぶ文を迫力のある声で諌める。
「少なくとも今日の分はちゃーんと払ってもらいますよ?最悪、妖怪の山に請求書回しますからね?」
「あ、あやや~…」
この小さな一国一城に於いては、神も鬼も女将にゃ敵わないのだろうなと、文は密かに思ったのだった。
―翌日、地下世界入口付近―
暗い洞窟の明るい網、黒谷ヤマメの住居は地下世界入口の比較的すぐ傍にある。
ともすると鬼や悪魔よりも凶悪極まりない自身の能力を憂いて旧都に住むことを決めたヤマメであるが、
なんだかんだいって多少地上に未練もあるようで、こうやって境目に近い場所へその身を置いているらしい。
そんな入口から続く旧都への道すがらには、ヤマメの作った大きな網が張ってある。
大抵は落ち葉みたいなゴミくらいしかかからないのだが、たまに動物や人間までもがひっかかっていたりする。
そういう生き物に関してはそのまま食卓に並ぶこともあるし、会話くらいが出来れば一緒に酒を飲みかわすこともあるようだ。
尤も、こんなところに落ちてくるのは大抵死にぞこないか、何らかの理由で命潰える寸前の存在だったりすることが多いため、そうそう長くは過ごせない。
そういった場合は最後まで看取り、命尽き果てればその身を食い、骨と衣服はまとめて埋葬する、そんな妖流の弔いを行うのがヤマメの習慣だった。
故に入口から旧都まで真っ直ぐ進めば気付かないが、その脇道には幾つもの無縁仏たちが眠っている。
いや、例え相手が妖であっても、今際の際を見届けてくれたのであれば、完全な無縁とも言えないのかもしれないが。
さてそんなヤマメの網に、今日はまた変なものがかかっていた。
「なんだこりゃ」
天井から逆さにぶら下がったまま、ヤマメはその謎の物体を手に取る。
よくよく見れば、それは新聞なる紙の情報媒体であった。
あまりそれ自体には興味は無かったため、ふーんと思って流し読みをするヤマメであったが、とある記事に目を留める。
そして何事か閃くと、そのまま旧都方面へ一目散に飛んで行ってしまった。
地殻の下の嫉妬心こと水橋パルスィには最近また嫉妬の種が増えてきた。
それはこの前の間欠泉異変以降、少しずつではあるが地上と地下の交流が復活し始めたことだ。
とはいっても他人の服のほつれまで妬ましいパルスィのことなので、それ自体は妬ましくとも興味をくすぐられる事案ではなかった。
そんなパルスィが橋の欄干にもたれかかっていると、橋の下から声がする。
「おーっすハッシー。今日も元気に妬んでるかーい?」
顔を動かすと、ヤマメがひょっこり顔を覗かせていた。
「変なあだ名付けるのやめてって言ってるでしょ。ホント軽い性格で妬ましいわね…。で、今日は何の用かしら?」
くるりと橋の上に飛び上がったヤマメは、さっき拾った新聞をパルスィに見せる。
「何それ?」
「いいから、この開いてるとこ読んでみ?」
訝しげなパルスィに対し、ヤマメはニコニコ笑っているだけだ。
まったく、どこまで底抜けに明るいのかとますます妬ましくなるパルスィ。
「…ヤツメウナギの屋台に…雀酒?」
「そそ。これついさっき私の網に引っ掛かっててるの見つけてね、他の記事はあんまし興味無かったんだけど、これは凄く魅力的じゃない?」
テンション高く話すヤマメに対し、パルスィはいつもの調子を崩さない。
「確かに伝説のお酒なんてのは妬ましいわね。で、それが?」
「決まってるじゃない」
そう言ってパルスィの肩をポンポンと叩くヤマメ。
「アンタまさか…」
「そのまさかさ。この伝説のお酒とやら、飲みに行ってみないかい?」
ヤマメの提案に、パルスィは眉間を押さえる。
「アンタねぇ…。地上との取り決めを忘れたワケじゃないでしょ?アンタまで他の奴らみたいに進んでルール破りに行くつもりなの?」
パルスィは尤もな正論を述べるが、ヤマメはまるで意に介さない。
「平気さ平気。正体誤魔化していけば地上の奴らにもそうそう勘付かれないだろうし、そもそも件の取り決めなんか既に形骸化してるじゃないか」
「そういう問題じゃないでしょ!ああもう…」
それだけ捲し立てるように告げると、ふわりと浮いて旧都に向かうヤマメ。
「じゃ、そういうわけで準備しといてね!」
一方的に参加宣言許諾を告げるヤマメ。
「ちょ、ちょっとちょっと。私は行くなんて一言も言ってないでしょ!?」
しかしパルスィがそう言い終える前に、ヤマメの姿は遙か遠くに消えてしまっていた。
「なんなのよもう…」
友人の傍若無人な提案に頭を押さえる。
「それもこれも、例の紅白と白黒がきてからだわ。病気を操るクセに、自分が何かに感染したんじゃないかしら?…ああもう、本当に妬ましいっ!」
「伝説の酒、ねぇ」
ヤマメが次に声をかけたのは、語られる怪力乱神、星熊勇儀である。
「なるほどね、まあ確かにこれ自体には興味あるよ」
ヒョイっと新聞をヤマメに返す勇儀。
「加えて私自身、前の騒動以来多少地上に興味が戻ったことも事実だ。しかし…」
そう言ってじっとヤマメの目を見る。
「本当の目的はなんだい?」
静かに、けれど有無を言わさぬ迫力で勇儀は尋ねる。
「さすがに姐さんは察しがいいね」
いっぽうのヤマメも飄々とした態度を崩さない。
「本当の目的は、言ってみれば地上の偵察さ」
「偵察?」
疑問に満ちた勇儀の声に対し、ニッと笑って見せるヤマメ。
「この前の騒動以降、極少数の妖怪たちがここと地上を行き来してるのは知っているだろう?
それによって少しずつだけど地上の情報や物品が入ってくるようになった。
けれどもそれはどれも断片的だし、独断と偏見が入っている可能性もある。
だからこそ、その目で確かめてほしいのさ。
今の地上が、どんな風なのか…ってね。
そのうえで、今の地上が旧都と交流を持ってもいいものか、勇儀なりに判断してほしいの。
伝説の酒とやらに興味が無いといえば嘘になるけど、結局のとこそれは都合のいい切っ掛けでしかないのさ」
顔は笑っているが、その声には勇儀にも負けない熱が篭もっている。
「…なるほどね。そういうことなら、私に声をかけた理由も分かる。
自分で言うのもなんだが、私はこの旧都でもそれなりの実力者だ。
さとりには及ばないとはいえ、私の発言にもそれ相応の重みがあると思ったからだろう」
「正解っ!」
「…そして私だけでなく、あんた自身が赴くことにも意味がある。違うかい?」
勇儀の指摘に少々驚くヤマメ。
「あらら、やっぱ姐さんには見抜かれちゃうか」
「まあね。私やさとりの言葉には権力者としての重みがある。が、ひとはそればかりでは納得しないだろう。
一方のお前さんはそういうことを抜きにしての人気がある。言うなれば皆の共通の友人ってとこか。
『命じる』という点では私たちのほうがいいだろうが、『伝える』あるいは『思わせる』という点ではあんたのほうが向いているはずだ。
…あんたはあんたなりに、自分の立場を客観的に見ているようだね」
何だか照れくさくなったヤマメは、ポリポリと頭を掻く。
「そんな大層なものじゃないけどね。ただ、私自身もこの目で確かめてみたいのは事実だよ。
それで私なりに、見聞きし感じたことを旧都の皆に伝えたいんだ。
まあ実際に伝えるのはもう暫く後にすべきだろうけどね」
なるほどねと納得する勇儀だが、もう一つの小さな疑問点についても尋ねる。
「ちなみに、パルスィを誘ったのは?」
勇儀の質問に、ヤマメは5本の指を立てて答える。
「パル子を誘った理由は5つ。
1つめは私や勇儀以外にも地上を見るヤツが欲しかったからだ。
あらゆることに対して平等に嫉妬するパル子は、ある意味では適役といえる。
2つめは橋の管理人だから。
パル子の目を欺いてあの場を抜けるのはほぼ不可能だ。
だったらいっそ、こっちに引き込んじゃおうってワケさ。
3つめはそれなりに常識を持ってるから。
地上に出た途端ドンパチ始めるような、血気盛ん過ぎるヤツじゃ危険極まりない。
4つめはそれなりの実力者だから。
万が一地上の奴らに襲われても、自分の身を自分で守ることが出来る程度には力があってほしいからね」
ふむ、と納得する勇儀。
「で、最後の5つめは?」
そこでニヤリと悪戯っぽく笑うヤマメ。
「単純に、パル子を連れて行ったほうが『面白そう』だからさ」
ヤマメの答えにきょとんとする勇儀。
が、ややあって笑い始める。
「なるほどねえ、それは確かに私も思うよ。いやいやこれは楽しみだねえ」
ようやく勇儀の肩の力も抜けたと見えて、ヤマメはその場からふわりと浮く。
「詳しい日程はまた伝えにくるよ!まあそう遠くない日さ!」
そう言って去ろうとするヤマメに勇儀も声をかける。
「ああ、楽しみに待ってるよ、ヤマメ!」
こうして密かに、地上偵察隊が結成されたのだった。
―数日後―
「やあやあよくぞ集まってくれた諸君!これより地上探索隊の活動を開始する!」
元気いっぱいに前口上を述べるヤマメ。
「パルスィ、なんだかんだでちゃんと来たんだな」
「ああ勇儀。…まあ野放しにできないでしょ、こんなパープリン…。というか、参加しなかったら延々しつこく迫られるのが目に見えてるもの」
大きく溜息をつくパルスィ。
「そこ、私語をしない!」
ヤマメはビシッと指をつきつける。
「いいかね?今回の主目的は例の雀酒だが、諸君らには第二、第三の『なんか美味そうなもの』を発見してもらうという目的もあるのだ!
もちろん、口に入るもの以外でも面白ければなんでもよし!というわけで、いざいかん地上世界っ!」
疲れるほどのテンションで先導するヤマメに対し、負けないほどの威勢で応!と力強く答える勇儀。
そして、力なくおーと言うパルスィ。
「それでは出発!」
2人の元気妖怪と1人のローテンション妖怪は、こうして久々の地上に旅立って行った。
「ほーう、ここが地上か。久しい光景だ」
両手を腰に当てて景色を見下ろすヤマメ。
「青い空に白い雲…。燦々と降り注ぐ太陽に、澄み渡る空気…。爽やかな風が静かに流れ、小鳥たちは楽しそうに囀っている…。ああ、妬ましい」
一方のパルスィは実にどんよりした表情。
「まあここまで来たんならもう諦めな。それで、美味しいもの食べて帰ろうじゃないか」
そう言ってパルスィを慰める勇儀。
「改めて確認するが、取り敢えず日が沈むまでは各自地上を散策して自由に情報収集してくること。
日が沈んでからの集合場所は下に見える旧都入口だ。
尚、碌な情報を持ってこなかった隊員には今夜の酒代の支払いを一任するというバツゲームがあることもお忘れなく」
「え、最後の初耳…」
「では散開!」
何か言いたげなパルスィをほっといて真っ先に飛んでいくヤマメ。
勇儀は勇儀で何かアテがあるのか、ヤマメとは別方向に飛んで行ってしまった。
「…なんなのよう…」
最早妬むことすら疲れるわと思いながら、パルスィもふらふらとその場から飛び去ったのだった。
逢魔が刻を過ぎた頃、ヤマメ率いる地上探索隊の隊員が旧都入口に集合する。
「では諸君、本日の成果を聞かせてもらおうか!まずは勇儀隊員!」
指名された勇儀は持ってた酒瓶を皆に見せる。
「私はコレだ。やっぱり今の幻想郷の酒には興味があるからね。人に化けて酒屋をいくつか練り歩いたんだ。
で、ちょっといいものがあったから1本買ってきたよ。あとついでに、酒にあいそうなつまみもな」
勇儀のお土産に満足げな顔をするヤマメ。
「ほほう、流石は勇儀隊員。後で詳しく、その他の酒についても聞かせてもらおう。では次、パッパル隊員!」
はあ、とため息をついてから、パルスィはとある冊子を取り出した。
「私のほうはコレね、いわゆるタウン情報誌。どこの誰が書いたものかは知らないけれど。
で、一通り目を通してみたけど、この幻想郷のめぼしい名所がそこそこ書かれてる印象だったわ。
個人的にはどこも興味無いけど、この娯楽施設関係はアンタらのお眼鏡にかなうんじゃない?」
そう言い終えたパルスィだが、ヤマメのほうはなんだか不服そうな顔だ。
「…なによ、その顔は。ちゃんと情報収集してきたでしょうが」
ハァーと長い溜息をつくヤマメ。
「いやまさかパル助がマジメに情報収集してくるとは思ってなくてね。
あーあ、折角今夜はタダ酒が飲めると思ったのになあ」
「アンタねえ…」
いつか〆よう。パルスィはそう心に誓う。
「で、アンタはどうなのよ?下らない話持ってきたら流石にぶっ飛ばすからね?」
じっとり睨むパルスィに対し、ヤマメはふふんと鼻を鳴らす。
「この私を誰だとお思いかな?もちろんミッションを完璧に遂行してきたさ!さぁ聞いて驚くがいい!!」
そう言って1つの新聞を取り出す。
「皆さんご存知かな!?今この幻想郷の上空を、宝船が飛んでいることを!」
ドヤ顔でヤマメは話し続ける。
「その正体は未だ不明だそうだが、何しろ七福神で有名な宝船だ。これは一攫千金の臭いがしまっせー!」
今までで一番高いテンションで話すヤマメだが、パルスィの口から思わぬ情報が飛び出す。
「それ、今はお寺だから」
「え」
きょとんとするヤマメ。
「このページ見なさい。その宝船とやら、今は命蓮寺ってお寺になってるから」
「え、は、え?」
ヤマメは事態が飲みこめないといった様子である。
「アンタねぇ…情報収集するなら可能な限り最新のものを持ってきなさいよ。大体それ、いつの新聞よ?」
日付を見れば、パルスィが持ってきた情報誌から大分過去に遡っている。
「え、そんな…。お宝は?私のお宝は…?」
「誰がアンタのお宝か。…ま、これで決まりね。今夜はあんたの奢りだから」
「…うそーん…」
勝ち誇るパルスィに対し、がっくりと肩を落とすヤマメ。
そして勇儀はそんな2人のやり取りを大笑いして見ていたのだった。
―同刻、ミスティアの屋台―
ミスティアは今夜もいつも通りに屋台の準備をしていた。
今までは人妖が沢山来られる場所を探してあちこちで営業していたが、最近は良い立地を見つけて以来ほぼそこ固定でやっている。
時にはどこぞの焼鳥屋と揉めることもあったものの、それなりにつつがなく繁盛しているようだ。
「ふーんふーんふふーんふーんふふふーん」
例の楽しげな曲を鼻歌で歌いながら、これまた楽しそうにテーブルを拭くミスティア。
自由に行ける場所でないとはいえ、憧れの歌い手さんの居場所が分かったのだ。
そのうえ射命丸文がなんらかの機会を与えてくれようとしている。
ただそれだけでミスティアの気分はいつもにも増して高まっていくき、自然と鼻歌もこぼれてしまうのだった。
と、そんなミスティアの屋台に近づく影がある。
「よ、女将さん!今やってるかい?」
いかにも姐御といった風格の女性が挨拶してくる。
「あ、今からなんです。いいタイミングですね」
それに対してミスティアは可愛らしい営業スマイルを返す。
「ふーん…思ってたよりいい屋台ね。風貌だけでも既に妬ましいわ」
「今はその口癖しまっときなよ…。あと2人ともあんまり飲み過ぎないでよね?特に勇儀!」
客は3名のようで、いずれも女性だ。
最初に声をかけてきた姐御風、大きなリボンとぽわっとした服装に明るそうな雰囲気、
そして緑色の目が印象的な和洋折衷といった風貌の3人である。
皆妖の気配を漂わせていたので、まあおそらくは同族の友人同士といったところだろうか。
全員がテーブルについたところで、ミスティアは注文を取り始める。
「まずは何にしましょうか?」
「そうさねえ、取り敢えず伝説の雀酒とやらを3つ、それにヤツメウナギの串も3つ」
姐御さんの注文を皮切りに、緑眼の人、リボンの人と順々に注文を言っていく。
「私は…そうねえ、この牛串がいいわ」
「お、蜂の子の串なんてあるんだ?んじゃこれもお願い」
3人それぞれの注文と数をメモし、まずはすぐ出せるお酒を振る舞う。
そのままミスティアは焼きにかかり、間を持たせるトークも始める。
「くぁー!これが伝説の雀酒ってのか!コイツは素晴らしいね!」
姐御さんは風貌に似合った気持ちのいい飲みっぷりである。
「ほんと…これ凄く美味しいわね。それになんだかテンション上がってきちゃうわ」
緑眼の人も色っぽく息をつきながら飲んでいく。
「ひゃっほーたまんないね!もーこれだけでも来た甲斐があるってもんだ!ありがとうカミサマ!ありがとう謎の新聞!」
リボンの女性はとりわけテンションが高い。
ミスティアも思わず笑いを零してしまう。
「そういえば皆さんはどちらから?ここいらではあまり見かけないようですが」
ミスティアに何気ない質問に、一瞬全員の動きが止まる。
「あーその、私たちはホラあれよ、その…無縁塚のあたりに住んでて」
緑眼の人がそう言い、リボンの人が続ける。
「そ、そうそう。あんな場所だからさ、あんまここいらには来れなくて…」
「なるほど、そうだったんですね」
(あぶな…さっきタウン誌読んどいてよかったわね)
ひそひそ話すパルスィ。
(まったくだ。塞翁が馬ってのはこのことか)
同意を述べるヤマメ。
勇儀はというと、嘘がつけないのか黙ってお酒を飲むだけだった。
それからしばらく客と女将の全員で盛り上がりながら酒盛りをしていたが、ミスティアはふと何かに気づく。
(あれ…?そういえばこの声、どこかで聞いたことあるような…)
そう思ってしばし串を焼きながら考えていると、ミスティア本人にとってとんでもないことに気づく。
(え?え?この声って、もしかして…)
歌っている時の調子に加えテープ/肉声の違いはあれど、よくよく聞けばそれはミスティアがお気に入りの例の歌い手さんにそっくりだ。
(嘘?まさかこんなに早く!?しかも突然今日だなんて…あわわわわ…)
「…さん?女将さん?」
「ふぅえっ!?」
リボンの人の呼びかけに、思わず素っ頓狂な声を上げてしまうミスティア。
「いや、追加で注文したいんだけど…どうかした?」
「いいいいえなんでもないですぅ!」
幸いにして串焼きは焦がさなかったものの、ミスティアは最早冷静ではいられなかった。
ミスティアにとって「歌」というのは、人生や生きる意味においてかなりのウェイトを占めている。
それゆえに憧れの歌い手というのは、他の人が考えてるよりもミスティアにとってずっと大きな存在なのだ。
そんな人を目の前にすれば、こうも上がってしまうのは当然のことと言えよう。
(なんか、女将さんの態度変じゃない?もしかして、私たちの正体に気づいたとか?)
(う~ん、やっぱりパッパルを連れてきたのがアダになったかなあ…)
(あんたほんと帰ったらしこたま殴るからね?)
パルスィとヤマメがひそひそ会話していると、ミスティがおもむろにカセットデッキを取り出す。
「…ん?なんだいそれ?」
勇儀の質問に、ミスティアはもじもじしながら答える。
「えっと、カセットデッキっていう、音楽とかを流せる道具なんですが…」
ちらちらとヤマメをみやるミスティア。
「その、よければちょっと聞いてほしい曲が、あるんですけど…」
「え、あ、いいけど…」
なんだか自分に言われてるようで、思わずそう答えるヤマメ。
そしてミスティアがスタートボタンを押すと、楽しげな曲が流れ始める。
すると突然
「んぼぉっふふ!?」
おおよそ女の子には似つかわしくない奇声を上げて、ヤマメは飲んでた酒を吹き出してしまう。
「んげぇっほ、えほ、けほ…え、ちょ、これ…」
その反応を見て、ミスティアはぱあっと顔を輝かせる。
「やっぱり!もしかして、この曲の歌い手さんじゃないですか!?」
「え、あ、いやまぁ、その、えぇっとぉ…」
なぜかしどろもどろになるヤマメ。
一方残りの2人は必死に笑いをこらえている。
(ちょちょちょちょっと、あれって私が町興しイベントで期間限定地域アイドルやってた時の曲じゃない!?
なんであんな黒歴史がこんなとこに転がってんのさ!?)
(ぷっ、くく、し、知らないわよぉ…)
(くっ、はは、なんだこりゃあ…)
慌てふためくヤマメに対して腹筋の痛みをこらえる2人。
(うあーなんであんなものが残ってんのよー!イベント終わった後に全部捨てたって言ってたじゃない!!)
とうとうヤマメは頭を押さえてつっぷしてしまった。
しかし事情を知らないミスティアはおろおろするばかり。
「え、え、どうなさいましたお客さん!?」
「いぃえぇ…なんでもないですぅ…」
絞り出すような声ではあるが、返答したヤマメにミスティアはほっとする。
「よかった…。それで、えっと、やっぱりこの曲って…」
「そうですぅ…私ですぅ…」
刑事から自白を強要された犯人のように答えるヤマメ。
「やっぱり!ああ、なんて幸運なんでしょう!」
夏の太陽のようにキラキラ光る笑顔のミスティアに対し、ヤマメの表情はどん底を突き抜けて旧都から灼熱地獄まで落っこちている。
「あのあの!その、あ、厚かましいお願いかもしれませんが…」
ミスティアは屋台の裏から何かを持ってくる。
「えっと、その…よ、よければそのぉ、一緒に写真、撮ってくださいませんか…?」
文から借りた予備のカメラを持ってきてそう懇願するミスティア。
「しゃ、写真…?」
「えっと、なんといいますか…その、私、この曲を一度聞いた時から一目惚れしちゃったというか…。
もしこの曲の歌い手さんに会えたら、記念に写真撮影とかしてみたかった、んです…」
照れたようすでそう話すミスティアに、ヤマメは狼狽を隠せない。
(ふっくく…いいじゃないの、写真くらい。ファンの要望に応えるのもアイドルのお仕事でしょう?)
(ひ、他人事だと思ってぇ…覚えてろよパルパルがぁ…)
そう言うとヤマメはのっそりと立ち上がる。
「分かったよ…。そんかわし、私らが今日ここに来たことは内緒にしてくれないかい?」
「え?なぜです?」
ヤマメの交換条件に対しポカンとするミスティア。
「多分もう分かってるだろうけど、私らは地下の妖怪なんだよ。
そんな私らが地上の屋台で飲み食いしたって話が広まった色々問題だろう?」
「え、あ、うーん、そう…ですね…」
ミスティア自身は別に地下世界だろうか天界だろうが一向に気にしないのだが、憧れの当人に言われては首を縦に振るしかない。
「分かりました。それくらいならお安い御用です」
「あんがと…」
そうしてミスティアとヤマメが並んで立ったところをパルスィが写真に収める。
「ふふ、実に仲よさそうで妬ましいわあ」
「お前絶対楽しんでるだろ…」
凹むヤマメの背中をばんばん叩きながら勇儀が言う。
「まあ今夜は面白いもん見せて…いや聞かせてもらったよ。ここは私が奢るから元気だしなって!」
折角奢ると言われても、ヤマメの表情は結局朝のパルスィよりも暗いままであった。
「さてと、お代はこれでいいかな?」
「えっと…はい、丁度です。ありがとうございました」
甲斐甲斐しく頭を下げる女将に、手を振る3人。
「今はまだ自由に行き交いできないが、また機会があれば是非よらせてもらうよ」
支払いを終えてからそう告げる勇儀に、ミスティアの顔も綻ぶ。
「ええ、またのご来店を是非楽しみにしてます!…ヤマメさんも、また是非きてくださいね」
「あぁ…またお邪魔させてもらうよー…」
結局飲み終えるまでヤマメのテンションは回復しなかったが、まあなんだかんだで皆楽しめたようである。
「約束ですよ?私、待ってますからね!」
期待に満ちた目をする夜雀に、かつて災厄と恐れられた土蜘蛛はもうたじたじといった様子であった。
―そして現在―
「と、まぁそんなこんなで撮った写真がこれってわけよ。ついでに、後ろにはサインもしてもらったわ」
くるくる回りながらそう話すミスティア。
「ふーん、なるほどそんなことが…。でもさ、それ私に話しちゃっていいわけ?」
「へーきへーき。だって響子なら他人に口外したりしないでしょ?」
「そりゃまぁそうだけど…。あとさ、文さんとの約束はどーなったの?」
「ああそれならナイショのままよ?ぽらろいど?とかいう写真機は1回試し撮りだけしたってことで誤魔化したし」
何よりツケ免除もしなくてすむからねーとご機嫌なミスティア。
「うーん、それでいいのかなぁ…?」
「いいのいいの。今までツケを待っててあげた分の利子ってやつよ」
そして結局、果てしなく幸せそうなミスティアの笑顔につられて響子もまた「まあいいか」という気分になってしまうのであった。
―地上探索より数週間後―
「どういう風の吹き回しよ?」
アイドル風の衣装に身を包んだヤマメにそう問いかけるパルスィ。
「もー完全に吹っ切れちゃったからね。このまま地下アイドルとして天下とったるわ!」
そう啖呵を切ってぐぐっと拳を握りしめるヤマメ。
あの日以降勇儀とパルスィが散々からかったせいか、どうやら理性と羞恥心のネジが吹っ飛んでしまったらしい。
流石にからかい過ぎたかとほんの少しばかり後悔する2人だったが、時既に遅し。
それから間もなく、旧都は懐かしのアイドルに沸くこととなるのだが、それはまた別のお話。
こうして地上の歌姫と地底のアイドルの初邂逅はにぎやかに幕を閉じたのだった。
・オマケ・
「あ、これ可愛い~」
地上にこっそり遊びにきていた古明地こいしは、魔法の森の入り口に居を構えるとある古道具屋にきていた。
その手には店内に展示してあった硝子製の小鳥の置物が握られている。
「これお姉ちゃんのお土産に持って帰りたいなー…」
しかし残念ながら、今日のこいしはお小遣いを持ってきていなかった。
「どうしよう、このまま置いておくと売れちゃうかもしれないし…」
そう思ってポケットをごそごそ漁っていると、何やら見慣れる四角い物体が出てきた。
「…?なんだっけこれ?どっかで拾ったのかな?」
まあなんでもいいかと思って、こいしは小鳥の置物があった位置にその四角い物体をお金代わりに置いてしまう。
「それじゃ、ありがと店主さん!」
そう言って元気に立ち去るこいしだが、無論無意識を操る彼女の声は店主に届かない。
もっとも、読書に熱中し過ぎる店主の耳にはそうでなくも届かなかったのかもしれないが。
陳列棚に見知らぬ物体があるなと霖之助が首を捻るのは、それから数日後のことである。
過不足のない情景描写が効果的だと感じました。
一方、まじめな偵察結果をどう検討しどのような判断を下したのかが語られていないこと、
天狗をたばかった後始末があるのかないのか、
など気になる点もありました。
あと、こいしちゃんかわいい。
もし続きがあったら是非読みたいです。
中盤が説明っぽく感じましたが、ヤマメちゃんがかわかわでした。
旧都勢の掛け合いがおいしかったです。
表情豊かなヤマメも可愛い
旧都勢の掛け合いも絶妙で、楽しく読ませてもらいました
姉御オーラのおげか…
東方であってもカップリングに百合要素が必須なんてことはないのだ。