Coolier - 新生・東方創想話

白澤

2013/03/11 23:37:57
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白澤
  黄帝東巡
  白澤一見
  避怪除害
  靡所不徧
  模捫窩賛
       今昔百鬼拾遺/下之巻・雨
         鳥山石燕(安永十年)


 後ろから語りかける声がする。
 九つの目が私に声をかけるのだ。
 この声が聞こえるようになったのは何時頃からだろうか。
 其れは多分、先生の三回忌の頃だったと思う。
 幼いころに両親を亡くした私は遠縁の女性の元に引き取られた。彼女――先生はどうやら自分の後継者が欲しかったらしい。
先生は歴史書を編纂することに命を懸けて取り組んでいた。後継者として引き取った私にも当然のように其れを要求した。子供らしく遊んだりすることなど許されなかった。
 先生は厳しかったのだと思う。口を開けば、勉強しろ、本を書け、という言葉ばかりだった。しかし、暴力を振るわれた記憶も無かった。その一方で特に優しくされた記憶も無い。極端な捉え方をするならば、自分が人間扱いされていたかさえ定かではない。彼女は私のことを親戚の娘ではなく、単なる自分の後を継ぐ者としてしか見ていなかったのかもしれない。事実、彼女は私のことを、慧音、と名前で呼んだ事は全くと云って良いほど無かった。
 ある日、私は半分が人間でなくなった。しかし、其れでも先生は私を放逐したりはしなかった。愛情があるなどと云う感情的な理由は無い。そういうことには一切頓着しない人だった。むしろ、私が得た特殊な力が歴史書の編纂に役立つと知ると、表情こそ変えなかったが喜んでいたように思う。
 毎日のように家の壁一面に並んだ歴史書を私は読んだ。引き取られる前から勉強に自信はあったので難しい本を読むことも其れほど苦にならなかった。読んだ冊数が千を越えた所から数えるのを止めた。
 家に人が訪れることはほとんど無かった。一人だけ家に女中が居たが、彼女も常に事務的な態度を崩さなかった。私が先生の元に居る間、人間らしい表情を見たのは半年に一度稗田の使いが訪れた時ぐらいだった。
 歴史書を編纂することが全てであると叩きこまれた。先生の後を継ぎ歴史書の編纂をすることは私にとって自明のことだった。其れ以外のことなど考えたことも無かったし、その他に私の存在意義など無かった。
 私が十歳になる頃、先生は亡くなった。悲しくはなかった。数年間人間的な感情から隔離されていたせいだろうか、私も人間らしい感情をほとんど持たなくなっていたのかもしれない。後を継いで歴史書の編纂を担うことについての使命感はあったのだが。
 先生は研究熱心で数多くの歴史書を残した学者だったからか、葬式の参列者は思いの他多かった。里の名家である稗田家と関係が深かったことも関係していたかもしれない。しかし、集まった参列者達の態度がどこか余所余所しかったことをはっきりと覚えている。
 考えていた通り先生の後を継いで私は歴史書の編纂に打ち込んだ。女中は相変わらず私の面倒を見てくれたが、彼女や稗田家の人間を除いて人との関わりはほとんど無かった。寝食を忘れひたすら本を読み、歴史書を書き続けた。時には歴史を操る自分の能力も活用した。そんな禁欲的で厭世的な生活に何の疑問も持たなかった。歴史書の編纂が私の全てだった。今考えると極端な教育を受けてきた以上そうやって生きる他なかったのかもしれない。
 四十九日、一回忌と回を重ねるにつれ先生の法要には人が集まらなくなっていった。三回忌に集まったのは私と二、三人稗田家の者だけだった。
 たった二年で彼女が生きた生身の人間であったということは忘れ去られていた。いとも簡単に人々の記憶から消失してしまった。歴史書の編纂者という空虚な肩書を除いては。
 ひたすら歴史書の編纂だけに心血を注いだ彼女の一生とは何だったのだろうか。禁欲的に打ち込んだ歴史書の編纂とは、たかだか二年程度で人の存在を忘れさせてしまうほど価値の無い行為だったのだろうか。
 いや、仕事の価値など関係無い。彼女は余りにも人との関わりを断ち過ぎていた。生前の彼女を覚えていて、時には思い出し、偲んでくれる人など居ないのだ。
 私は恐ろしくなった。彼女のように孤独に死んで、誰の記憶にも残らないことが堪らなく怖かった。
 その時、あの声が聞こえた。
 ――私は知っているよ。
 ――お前もいずれ同じようになるよ。
 振り向くと九つの目が私を見つめていた。



「起立、さようなら」
 元気の良い子供達の号令が教室に響いた。
 寺子屋の生徒達は、思い思いに友達と一緒に帰って行く。
「こら、教室の中を走り回るな」
 授業が終わった解放感から走り回っていた生徒を注意した。元気があるのは良いが、子供達の活発さには時として冷や冷やさせられる。
「最近は暗くなるのも早くなっているからな。早く家に帰るように。寄り道はするなよ」
 授業が終わり溌剌とした様子の子供達に声を掛けた。はーい、と元気だけは良い返事が返ってくる。しかし、子供達は此方を振り返ることもなく忠告に耳を傾けているとは到底思えない。
 ――本当に人の話を聞いているんだか。
 最近は妖怪の動きも活発なようで物騒である。ロケットの建造や月への侵攻のために何やら活動しているらしい。日暮れの早いこの時期では尚更危険である。
 そんな心配から私は子供達に声を掛けた。しかし、親の心子知らずといったところだろうか。つくづく子供とは思うようにならないものである。
 遅刻はする。寄り道はする。喧嘩で叩き合いはする。授業中に私語はする。勝手に歩き回ろうとする。宿題はやらない。掃除を手伝おうとしない。
 禁止したことに限ってやる。指示したことはやらない。
 何を考えているか理解することなどできない。
 ――数年前までは自分も同じだったはずなんだがな。
 生徒達も全員寺子屋を出たようで、私はやっと一息つくことができた。
 ふと山を見ると、木々はほとんどが落葉し、冬の色が濃くなっていた。
 寺子屋の傍の木では、山から下りて来た山雀がその小さな体に似合わない強い声色で鳴いている。この桜の木は春先には美しい満開の桜を咲かせ、秋には紅葉も楽しませてくれる。しかし、冬の訪れを感じさせる今の季節はすでに葉が落ち、色彩の無い陰鬱な様相を呈していた。
 大きな溜息をついた。
 このところずっと漠然とした不安を抱えていた。
 寺子屋を続けられなくなるのではないか。
 この寺子屋を開いてから数年が経っている。
 しかし、何時までも自分の指導に自信が持てない。
 寺子屋を開いたばかりの時は根拠の無い自信があった。幼いころから私は勉強に自信があり、殊に歴史や習字においては天才と呼ばれたこともある。
 ――天才と呼ばれた自分ならば、教えることも完璧に決まっている。
 今考えてみると浅はかな考えだった。そんな根拠の無い確信はあっさりと打ち砕かれた。
 今では、子供どころか親達にまで難解で退屈な授業だと云われる始末である。あげく、ここ最近は礼儀、しつけの面でも生徒達の統制がとれなくなってきている。
 先日の授業も酷い物であった。歴史の授業だったが、生徒の半数以上が寝ている。残りの半数も授業には耳を貸さず、喋りながら教室を立ち歩いていた。挙句に喧嘩まで始め、泣き出す子まで出てしまった。もはや授業が授業として成立していない。
 ――泣きたいのは私もだよ。
 本当であれば誰かに教師としてのあり方について教えを請いたかった。自分一人での試行錯誤には限界がある。
 教師をしているが私もまだ若い。人によっては幼いとさえ云われそうな年齢だ。自分を教え諭し見守ってくれる人が欲しかった。判断に迷った時は相談に乗ってくれて、尻込みをしている時は背中を押してくれる同年代の友人がいてくれたらどれほど良いだろう。
 其れが無いものねだりであることは判っていた。そもそもこの寺子屋は自分で勝手に始めたものである。里の人間に求められ、開設したものではない。むしろ初めは怪訝な目で見られることの方が多かった。
 人間の里のような規模の町では子供も労働力として見る傾向が強い。寺子屋は子供達が労働に割くことのできる時間を確実に減らす。里の大人達は表立っての批判こそしないものの、寺子屋のことを良く思っていないかもしれない。
 さらに私は人間ではなく獣人だ。明確に判る形で差別を受けたことは無いが、内心ではどう思われているかなど判らない。このような状況では頼れる先輩や同年代の友人などできるはずも無い。
 芳しくない状況を顧みていても仕方が無い。とりあえず取り組まなければいけないことは、寺子屋を存続させるために授業を成立させることである。
 しかし、里の中からの助力は期待できそうにない。
 其れならば――。
 里の外から助力を得る。
 以前から温めていた考えであった。ここ最近外の世界から新しい神社が移設されたということを聞いていた。その神社の神様なら外の世界の学問にも詳しいだろう。そんな神様に寺子屋で話の一つでもしてもらえれば、子供達の心境にも何か良い変化が起こるかもしれない。もちろん他人の講義を聴き、今後の指導の参考にすることは私にとっても有益なことである。
 しかし、不安もある。外から来た神様が幻想郷の維持に関わるようなことを口走れば、私も妖怪の賢者に目をつけられることになる。そうなれば里での寺子屋への風当たりも強くなるに違いない。寺子屋の教師を続けることも難しくなる。
――考えすぎなのかもしれない。
 しかし、寺子屋を続けられなくなるのは絶対に避けたかった。今の自分が人と関わり合うことのできる唯一の場所を失いたくない。
 どうしても不安が拭えず、外部から講師を招くことに踏み切れない。悩んでばかりで行動に移せない自分が情けなくなる。
――こんな私が白澤とは……。
 霊獣に相応しくない卑小な悩みで頭を抱えている。自嘲気味な笑みが零れた。
 空を見るとすでに陽は傾いていた。考え事をしている間に時間が過ぎていたようである。どちらにしても、山の上にある神社に行くにはもう遅い時間だ。ひとまず今日は家に帰ることにしよう。
 その時、後ろに何かの気配を感じた。
 九つある目がこちらを向いている。
 ――私は知っているよ。
「止めろ!」
 私は耳を塞いだ。



 寺子屋を出るとすでにあたりは暗くなり始めていた。すでに気温も下がりつつあり、肌寒い。家々に灯が燈り始めていた。
 珍しく里の人間が外を一人も歩いていなかった。この時間であればまだ人が町を歩いていても可笑しくないはずである。家に灯りが点いているのだから、祭りなどで出かけていることなどない。
 其れにも関わらず人と出会わない。
まるで私一人だけが異界に迷い込んだかのようだった。逢魔ヶ時とはよく云ったものである。
 現実の世界から自分の存在が切り離され、一人孤独に異世界を彷徨っているかのようだった。窓から漏れる暖色の灯りは薄闇にぼうっと浮かび上がり、幻想的であると同時に何処か無気味にも見えた。
 ――私は本当に人里に受け入れられているのだろうか。
 己の存在が揺らいでいるような気がした。自分だけが他の人と別の世界に生きている、そんな感覚を覚えた。
 鬱屈とした思考で気が滅入る。
 結局そのまま誰とも会うことなく私は自分の家に辿り着いた。
家の前に誰か居ることに気付いた。黄昏時で誰だか分らない。
「慧音」
 長く伸ばした白髪をリボンで結った少女が声を掛けてきた。髪は白いと云うのに、声が高く若々しい。目許の涼やかな顔は馴染みのあるものだった。先ほどまでの町の様子が悪い夢だったかのように思え、私は少し安心した。
「妹紅。外で待っていたのですか。寒かったでしょうに」
「今来たばかりだよ。其れに私の体ならこの程度の寒さなら平気」
 ――全く妹紅は何時もそう云う。
 ある事情から妹紅の体は特別な状態になっている。不死身の肉体。どれほど大怪我をしようと、飢餓に襲われようとも死ぬことは無い。
 しかし、感覚は残っている。いくらでも再生するとはいえ、怪我をすれば痛みを感じるし、空腹感もある。精神は普通の人間と変わらないので、過酷な状況に長く置かれれば心が壊れてしまうこともあり得る。
 しかし、妹紅は無茶をしてばかりである。死なないからと云って平気で毒茸を食べたり、座ったまま壁に寄り掛かって疲れが取れそうもない姿勢で毎日寝たり。
 妹紅の行動に私は何時も心配させられていた。
「早く家に上がりましょう」
 私は妹紅を家に上げた。
 秋も終わりのこの時間は家の中も決して温かくは無い。囲炉裏に火を灯すと薪がぱちぱちと音を立て、辺りがぼうっと明るくなる。
よっこいしょ、と妹紅は腰を下ろした。
「今日はどうしたのですか」
「最近、ロケットや月への侵攻だとかで、竹林の周りも騒がしいんだよ。
 今日は誰かとゆっくり静かにお酒でも飲みたい気分になったんだ。私と一緒に静かに飲んでくれる奴なんて、あんたしかいないしね」
 私と妹紅はお互いに数少ない友人同士だった。半人半獣に不老不死の人間。互いに複雑な事情を抱えていることも理解し合っている。
 妹紅は一升瓶をどっかと卓にのせた。
「今日竹林で助けた人にもらったんだ。無銘だけど上物らしい。冷やでも燗でもいけるらしいよ」
「晩酌には少し早い時間ですよ。其れに今日はあまり飲みたい気分ではないです。明日の授業の準備もありますし」
「相変わらずお堅いんだなあ」
「妹紅だけでもゆっくり楽しんでいって下さい。食事くらいは用意しますから」
「其れは嬉しいね」
 夕食の準備をしていると、妹紅が後ろから話しかけてきた。
「ところで、寺子屋の方は上手くいっているのかい。竹林の方では噂に聞かないけど」
 人がいないから当然か、と妹紅は一人ごちた。
 私は振り返って答えた。
「まずまずですよ。もともと里では学校に行く風習が無かったことを考えれば、子供も集まっています。父兄からも特に大きな苦情は来ていません」
 私は嘘をついた。問題が山積している。
「その割には何か考え込んでいるように見えるけど」
 妹紅は千年以上生きているだけあって人の感情の機微に鋭い。深い緋色の瞳に見据えられ、私は少したじろいだ。
「似たような授業ばかりでは生徒達も詰らないかと思い、外部から講師を招くことを検討しています。子供達の刺激にもなりますし、私も指導法の参考になります。其れについて考え事をしていました」
「なるほど。普段と違う人に授業をやってもらうね……。悪くないと思うよ」
 すでに一升瓶を開けていた妹紅は涼しい表情で酒を飲みながら云った。
――生徒の指導に自信が無いから。
 そんなことを云えば千年も生きている妹紅に一笑に付されてしまう気がした。妹紅はそんなことをする人間では無いのは判っているがどうしても怖かった。彼女に本音を云うのを躊躇ってしまう。
 私は年齢の差から妹紅に壁を作ってしまっていた。同年代の人間と同じように彼女に接することができない。友人となってから数年になるが彼女には未だに敬語で話している。千年も年上の人間に対しその程度の敬意を払うのは当然のことである。しかし、これはまだ打ち解けられていないことの表れなのかもしれない。
「妹紅もどうですか。臨時講師をやってみるというのは」
 ふと頭に浮かんだ考えを口にした。
 振り向きざまにまた妹紅と目が合った。達観したような目つきの深紅の瞳に見据えられて、本心を全て見抜かれたような気がした。
「私は駄目だよ。手習いと歴史しか教えられない。其れなら慧音の方がうまく教えられるでしょ。
 同じ科目を二人の先生に教えられたら子供達も混乱しそうだし」
 案の定素っ気ない返事だった。
「判りましたよ。実は新しく来た山の神さまにもお願いしようと考えていました」
「其れは良いかもね。余計なことを教えたりしないか不安もある。けれど、彼女達はこの間博麗達と一悶着あったばかりだ。だから余程のことがない限り変なことはしないでしょ」
 良かった、と私は小さく呟いた。
 妹紅に肯定されたことで自分の考えに自信が持てた。
 ――妹紅は私の気持ちを察して背中を押してくれたのだろうか。
 近いうちに山の上の神社にお願いに行ってみよう、と思った。
「慧音は随分と熱心だなあ。仕事も良いけれどたまには休んだらどうなの。なんか疲れた顔してるよ」
「自分の体に気を使わない妹紅に云われたくありませんよ。でも考えておきます」
 こりゃ一本取られたね、と妹紅は笑った。
 私は内心では妹紅を頼りにしていた。長い年月を生きてきたが故の達観した助言に幾度も助けられてきた。
「そう云えば今まで聞いたことが無かったけど……、慧音はどうして寺子屋を開いたんだい」
「勿論、人間に正しい歴史を知ってもらうためです。妖怪と人間の調和した幻想郷のために」
 妹紅は少し寂しげな目で私を一瞥して――、そうなんだ、と一言呟いた。
 心配してくれる妹紅に対して嘘をついたことに僅かな罪悪感を覚える。しかし、今は良くしてくれている彼女も私が死ねばすぐに忘れてしまう、 そんな悪い想像が頭をよぎる。彼女は悠久の時を生きる存在だ。一々死んでいった限られた命のことなど覚えていられないのかもしれない。仕方の無いことである。其れでも私は少し虚しい気持ちになった。
後ろから声が聞こえる。
――私は知っているよ。
 私は耳を塞ぎ、膝を突いた。其れ以上先は聞きたくない。
「急にどうしたんだ、慧音」
「何でもありませんよ。少し頭痛がしただけです」
「本当に大丈夫? やっぱり疲れてるんじゃない。早く休んだ方が良いんじゃないの」
 妹紅は私を心配してくれたが今は一人になりたかった。彼女は気を利かせてくれたのか、晩酌も早々に切り上げていった。



 私は神社へと続く長い階段を上っていた。
 昨日背後から聞こえた言葉を私は思い出していた。幾ら幻想郷といえどもあのような声が聞こえるなどと云うことは聞いたことが無い。其れ以前のことも含めて只の幻聴であるとするのが道理だろう。しかし、以前あの声が聞こえた時に見た九つの目は見知った物だった。もし私の想像が正しければ、あの声の主はあらゆることに通じているのだろう。どうすれば状況を改善できるかも知らない半端者の私と違って。
 空を見上げると、どんよりとした鈍色の雲がかかっていた。気温が低い山にだけ降ったのか道端には僅かな雪が積もっている。木々の葉はすでに落ち、鮮やかな色彩は皆無だった。道の脇の木をつついている小啄木鳥が軋むような鳴き声を上げた。全てが白と黒で表された情景はまるでモノクロームの写真のようだった。
 私は空回りしているだけなのだろうか。
 外部から先生を招き特別授業をおこなったとしても、寺子屋を存続できるかは判らない。こんなことをしても意味は無いのではないか。そんな考えが頭を過る。
 昨日の妹紅の言葉を思い出し、悪い想像を振り払う。
 神社の境内が見えてくる。境内は昔から幻想郷にある神社よりも広いようだ。拝殿は豪奢な作りで、巨大な注連縄が飾られている。奥には大きな湖が見えた。しかし、奉納所にある絵馬は決して多くはない。外の世界であまり信仰されなくなったので、この地に引っ越して来た、という噂はどうやら本当らしい。
 丸型の注連縄を背負った少女が立っていた。背中の巨大な注連縄のせいか人を圧倒するような威厳がある。目尻が釣り上がっていて、やや丸みがない顔立ちは男装の麗人を思わせる。
「天狗から聞いているわ。あなたが上白沢慧音ね」
 緊張した面持ちで、はい、と頷いた。
「不肖ながら里で寺子屋を開いております」
「私は八坂神奈子よ。噂に聞いているかもしれないが、幻想郷の外からやって来た神です。
 取って喰ったりしないからそんなに身構えたりしなくて良いわよ」
 姿は厳かだが、さばけた態度で厳しそうな様子は無い。私は少し安心した。
「今日は折り入って貴方にお願いがあり伺いました」
 なるほどね、と神奈子は呟いた。
「こんなところで立ち話もなんでしょう。部屋に入って話しましょう。お茶ぐらい出すわよ」
「その前に一度本殿を参拝させてください」
 私は手水舎に向かった。神様に会う以上どうしても正式な手順に乗っ取って参詣しなければ気が済まない。
「本当に生真面目な娘ね」
 神奈子は苦笑いした。
 本来であれば誉められていると取るべきなのだろう。しかし、私には八坂様の言葉が皮肉のように聞こえた。

 神社の裏にある家には不思議な物がたくさん置いてあった。窓の付いた箱のような装置や1から9までの数字が並んでいる弁当箱のような機械がある。古道具屋で見かけたものによく似た物もあったが、其れよりも小奇麗で洗練されたものが多い。物珍しさのあまり辺りを見回してしまう。
 八坂様に一瞥されたことに私は気付いた。
 神様の面前ではしたない真似をしてしまいばつが悪い。
「申し訳ありません。つい子供のようなことをしてしまいました」
 気にしなくても良いわよ、と神奈子は微笑んだ。
 八坂様の勧めに従って私は腰を下ろした。
 胡坐をかいた八坂様は奥の部屋に居る人物に声を掛けた。
「早苗。お客さんだよ。お茶を用意して」
 はい、と通りの良い声で若い女性の声がした。この声の主がこの神社の神職なのだろうか。
 神社には神様が二人と神職が一人居ると聞いていた。幾ら同じ神様同士とはいえ雑務を別の神にやらせることは無いだろう。別に人間が居るのであれば尚更である。
 一先ず考えを脇に除け私は菓子折を神奈子に差し出した。
「お口に合うかは判りませんが、どうぞ」
「あら、悪いわね。あとでお茶と一緒に戴きましょう。しかし、本当にまめなのね、貴方」
 少し呆れたような表情で神奈子は云った。
 よく云われることだが褒められているのか貶されているのか判らない。
「さて、早速用件を伺おうかしら」
「私が開いている寺子屋のことなのですが、私一人での授業に限界を感じています。そこで、外の知識、特に科学についてお詳しいと聞く貴方達に御助力をお願いします」
 神奈子は少し考えながら話を聞いていた。
 台所から少女がお茶を運んできた。長く伸ばした髪は緑色で、特徴的な形のな蛇と蛙の髪飾りで飾られている。紅白の巫女と同じように袖だけが切り離された不思議な小袖を着ていた。深緑色の目が明るく爛々としている。外の世界の『漫画』の登場人物のように目に星が輝いているようだった。整っていて可愛らしい顔立ちは化粧気が無く、真面目な人柄が窺える。
 しかし――、何処か感性がズレている。
 明確な理由は無いが何故かその様な印象を受けた。
「寺子屋と云うと学校のことですね。良いですね、楽しそうで。私も外の世界の学校が懐かしいです」
「こら、早苗。ちゃんと挨拶をしなさい」
 早苗と呼ばれた少女は罰が悪そうに微笑んで云った。
「私はこの神社で風祝と云う神職をしている東風谷早苗と申します。宜しくお願いします」
「私は里で寺子屋を開いている上白沢慧音です。こちらこそ宜しくお願いします」
 予想通りしっかりとした娘のようだ。
「お二人の話を中断してしまいましたね。私はこれで失礼します」
 東風谷は頭を下げると、奥に下がって行った。
「さっきの話の続きだけれど、其れで具体的にどうして欲しいの? 私達が貴方に外の知識を教えれば良いの?」
「いえ、直接生徒の指導をお願いしたいのです」
 八坂様は考え込んでいた。眉間に皺を寄せ、前向きに検討しているようには見えない。
「うちとしても悪い申し出ではないわ。里の人間に私達のことを知ってもらう良い機会だし、信者を集めることにも繋がる。
 しかし、知っての通り私達はこの地に来たばかりで、しかも博霊と一悶着起こしてしまっている。ほとぼりが冷めるまで波風が立つようなことは避けたいというのが正直な所よ。
 悪いけれどこの話は他を当たって欲しいわ」
 矢張り駄目なのか。私は肩を落とした。藁にも縋りたくて頼んだのだが、結局徒労に終わってしまった。
「そうですか。突然無理なお願いをしてしまい申し訳ありませんでした」
「力になれなくてごめんなさいね。
 何かあったら相談ぐらいは乗るわ。こう見えて長く生きているから、多少は悩みを解決する助けになれると思うわ。余計なお世話かもしれないけれど、貴方真面目すぎて人に頼るのが上手そうに見えないから少し心配なの。何でも一人で抱え込んでしまうのは駄目よ」
「御心遣いありがとうございます。何かあれば相談させて頂きます」
 ありがたい申し出ではあったが、悩んでいることを見抜かれたようで複雑な気分だった。其れに、この神様に自分の悩みを打ち明ける気にはなれなかった。
 私の悩みは卑小すぎる。私にとって八坂様も妹紅と一緒だった。悩みを打ち明けるには余りにも大き過ぎる存在だった。私の矮小な悩みなど、そんなことで悩むな、と一蹴されてしまうのが関の山だろう。
 気持ちを切り替え、席を立とうとした時、部屋の奥から二つの目玉を載せた珍妙な帽子を被った少女が駆け出してきた。
「諏訪子!?」
 山の神社には二人の神様が居ると聞いていた。彼女がもう一人の方だろうか。随分と小柄で幼く見える。
「私に良い考えがあるんだ。
 一寸二人に聞いてもらえないかな」
 諏訪子と呼ばれた少女は、大きな瞳で二人を見つめながら云った。
「そうそう、私は洩矢諏訪子。この神社の神様を神奈子と二人でやってるよ。
 貴方が寺子屋を開いている上白沢先生だね。噂には聞いてるよ」
 突然割り込んで悪いねえ、と悪びれた様子もなく諏訪子は云った。
「其れで私の考えだけど、早苗を行かせれば良いんじゃないかと思うの。神事を抜きにして只の人間としてね」
 八坂様は考え込んだ様子で云った。
「確かにこの間博麗とやりあった理由は宗教的なものだったわね。
 早苗なら人間として里の活動に参加したいという名目も立つから其れもありかもね。あの子は特に理系の勉強の成績も良かったはずだし」
 悪くないかも、と八坂様は呟いた。
「上白沢先生はどうかな?」
「願ってもいない申し出です。宜しくお願い致します」
 今はどんなものにでも縋り付きたかった。其れに今更断るわけにもいかない。
 早苗、と八坂様は大きな声で呼んだ。
「上白沢先生の提案でお前に寺子屋で授業をやって貰いたいんだが、やってみる気はあるかい」
「外の世界の話をして下さるだけで構いません。難しいことは考えなくても良いですよ」
 本音を云うならば、私は彼女にこの仕事を任せることに抵抗がある。彼女はおそらく人間である。見た目通りの年齢では、臨時講師の仕事は荷が重いのではないか。
 東風谷は少し意表を突かれたような表情をした。しかし、すぐに目を輝かせて答えた。
「是非やらせて下さい!」
 東風谷の表情はやる気に満ちていた。すでに小さな声で教えたいことを呟きながら考え事を始めている。
「其れじゃこれで決まりだね」
 洩矢様がけたけたと不思議な笑い方をしながら云った。
 間違っても勝手な宗教活動はするなよ、と洩谷様は東風谷に釘を刺した。

 帰る途中で後ろから声を掛けられた。奇妙な形の帽子が目に入る。洩矢様だった。
「早苗のこと宜しく頼むよ。あの子は一寸変わったところがあるけど、本当に良い子なんだ」
 洩矢様は打って変わって優しい表情をしていた。先ほどのような得体の知れない様子は窺えない。
「勿論です。でも此方の方こそ教わることが多いかもしれませんね。何せ東風谷さんは洩矢様と八坂様の御二方が推す方ですから」
 本当は少し不安だった。まさか同年代の娘に頼むことになろうとは思わなかった。
 見た目は幼いというのに老成した態度で洩矢様は溜息をついた。やはり洩矢様から見ても私は頼りなく見えるのだろか。東風谷よりも私の方が信頼が無いのかもしれない。
「そう云えばあんた白澤なんだってね」
「その通りです。半分は人間ですが」
「白澤と云えば何でも知ってる老成した霊獣だと思っていたけど――、随分と可愛らしい白澤も居たもんだねえ」
 意表を突かれた。どう反応して良いのか判らない。そんなことを云われたことなど無かった。
「一寸からかっただけさ。そんなに硬い表情をしていたんじゃ、子供達の方にも緊張が伝わっちゃうよ。一寸は笑うことも覚えなさい。
 まあ、とにかく早苗のことは頼んだよ」
 くっくっくと、笑いながら洩矢様は引き返して行った。



 東風谷は私の予想を大きく裏切った。
 私は東風谷を少し変わっているが真面目な娘だと考えていた。しかし、考えていた以上に東風谷は変わった娘だった。
 東風谷が授業を受け持つ初日、外の世界のことを話すだけで良いと云っていたのに、東風谷の学校の教本や子供向けの『実験セット』なる物を抱えて登校してきた。目を綺羅綺羅と輝かせて鼻息を荒くしていた。
 本格的な授業をおこなう気で満々だった。やるからには徹底的にやらないと気が済まない性格らしい。
 外来人であることを差し引いても、どこか感性がズレている。後で聞いたが、これでもまだ人の目を気にして控えめにしているらしい。
 ――もっと自由に振舞って良いと云ったらどうなるのだろう。
 考えるのも恐ろしかった。
 しかし、この授業が思いのほか好評だった。
 東風谷のおこなった実験は『酸とアルカリ』というものだった。酢や石灰を溶かした水に小瓶に入った薬品を垂らすと、みるみる鮮やかな色に変って行く。その様子に生徒達は目を輝かせていた。洩矢様に特別に用意してもらったという塩酸にアルミニウムを溶かす実験も好評だった。
 東風谷は終始明るく、緊張した様子もなく振舞っていた。生徒達を巻き込んで授業を進めるのが上手だった。歌のお姉さんと同じ雰囲気で授業をすれば良いのですね、と東風谷は云っていた。私には歌のお姉さんというものが何なのかよく判らない。要するに生徒に近い目線でものを考え、多少強引にでも生徒を巻き込みながら指導をすると云うことなのだろう。其れが自然にできる東風谷が羨ましかった。
 教育とは相互的なものであると私は漸く知った。一方的に話しているだけでは相手に伝わることなど何も無い。生徒の反応に対して柔軟に対応することが重要なのだ。教育を受ける生徒の立場で物事を考えることが肝要なのである。
 しかし、私は生徒の立場で物事を考えることができない。どうしても型どおりの教育法に拘り過ぎてしまう。生徒に合わせて教育、指導をおこなえるだけの度量が無い。東風谷のように友人のように生徒と接し、生徒に合わせて話すこともできない。
 その後も幾度か東風谷は寺子屋の授業を受け持った。授業の度に早苗は自分が昔使っていたという教材を用意してきた。
熱意があり、自分達に近い目線で話をしてくれる東風谷に生徒達も心を開いているようだった。
 一方、私の授業は相変わらずだった。今日も半分の生徒達は立ち歩き、半分は居眠りをしていた。東風谷の授業とは対照的だ。自分でも情けなくなる。
 生徒達が喧嘩を始めた。男子生徒が女子生徒に文房具を盗んだと云い掛かりをつけている。周りの生徒達も泥棒はいけないんだ、と囃し立てる。女子生徒が泣き出した。子供じみた喧嘩だった。こんなことが授業中に起こるのは私の力不足のせいなのだ。
 ――私は知っているよ。
 もう聞きたくない。判っている。私は教師失格だと。
 ――私は知っているよ。
「黙れ!」
 私は叫んだ。生徒達は静まり返り、怯えた目で私を見つめている。その目はまるで人食い妖怪を見ているかのようだった。
「先生、大丈夫?」と、一人の生徒が私に恐る恐る声を掛けた。しかし、その生徒の怯えた目も私を人として見ていなかった。
 ぐらり。
 世界が歪む。
 私は、私は、私は――、どうすれば良いの。
 東風谷を呼んだところで、私自身の問題は解決していなかった。どれほど工夫しても生徒達を上手く指導することができない。私の努力は誰にも認められない。子供どころか全ての人と相容れることができないのだろう。あまりにも虚しく、孤独だった。

 私は寺子屋で明日の授業に使う資料の整理をしていた。
 顔を上げ窓から外の様子を眺める。窓硝子には少女の姿が映った。身だしなみこそ整っていたが、口を一文字に結び瞳が死人のように澱んでいる。よく眠れない日が続いていたせいか目の周りに隈ができていた。
今日は算学の授業を東風谷が受け持った。
 東風谷が『CD』を持ってきて機械で再生した『九九の歌』の歌は、楽しげで生徒達にも好評だった。これをきっかけに算学に興味を持ってくれた生徒も居るようだった。
 寺子屋は活気に満ちていて、外部から講師を招いたことは成功したと云って良いだろう。しかし、その状況とは裏腹に私の気持ちは沈んでいた。東風谷の授業で生徒達が喜ぶ姿を見ると、私の存在価値など無いような気がした。
 また声が聞こえる。何を云わんとしているかは判っている。でも聞きたくない。
――私は知っているよ。
「止めろ!」
 私は振り向き叫んだ。後ろには授業を終え帰り支度を済ませた東風谷が驚いた表情で立っていた。
「どうしたんですか、上白沢先生。急に大きな声を出したりして」
「何でもありませんよ」
 私はぶっきら棒に答えた。情けないことに東風谷に嫉妬していのかもしれない。
 私の無愛想な態度を気にする様子もなく、机の上の教材を見て東風谷は云った。
「担当の授業が終わったのに、遅くまで仕事をしていらっしゃるのですね、上白沢先生。
 でも、随分と疲れた表情をしていますよ。少し休まれてはどうですか」
「ええ。しかし、明日の授業の準備が残っているのです。でも、そろそろ区切りをつけます。今は日が暮れるのも早いですから。残りは家に持ち帰って準備します。東風谷先生は先にお帰り下さい。
 後、私のことは名前で呼んでください。生徒達にもそうさせています」
 少しは明るく繕って云うことができただろうか。
「私も早苗で良いですよ。先生と年も同じくらいのようですし呼び捨てでも構いません」
 教材の準備をする私の様子を見て、早苗は私に声をかけた。
「慧音先生は何時も一生懸命ですね。でもそのおかげで私もなんとか授業ができているのかもしれないですけど。子供達の行儀が良くて授業をちゃんと聞いてくれるのも、慧音先生の普段の指導が良いおかげですよね」
 早苗に悪意は無いのは判っていたが、其れが逆に辛かった。
「私は何もしていませんよ。貴方の授業が上手なだけです、早苗さん」
「そんな、謙遜しないで下さい」
「言葉通りですよ。生徒達は私の授業を聞いている時よりも貴方の授業を聞いている時の方が真剣です。実は貴方が来る前は生活面での指導も行き届いていない有様でした。私の不徳の致すことです。私などよりも貴方の方が教師に向いているのかもしれませんね」
「そんなに自分を卑下しないで下さい。
 慧音さんはこんなにも努力しているじゃないですか。其れは自分でも認めてあげて下さい。
 其れに寺子屋を開いたのは慧音さんですよ。これは誰にもできることじゃないと思います。 人にものを教えるなんて立派な志を持った人にしかできないことでしょう」
「寺子屋を開いたのはそんな立派な理由ではないのですよ。表向きは正しい歴史を人間達に伝えるためと云っていますがね」
 こんな話を彼女にしてもどうしようもない。しかし、話を止めることができない。誰かに聞いて欲しかった。相手の都合など考える余裕も無い。
「私は人と関わりたかったのです。里に自分の居場所が欲しかった。勉強しかできない自分にはこれしか無いと思って勝手に始めただけなのですよ」
 抑揚の無い口調で私は言葉を続けた。
「寺子屋を始める前は歴史の編纂だけを生業にしていました。歴史の編纂はやりがいのある仕事でした。
 道徳規範を教え、人と妖怪が調和して生きていけるような歴史を編集できている自信がありました。その時は其れだけで満足していたのです」
 白澤図を知っていますか、と私は問いかけた。
 早苗は首を横に振る。
「白澤図は、大陸の霊獣白澤が黄帝に語った妖異鬼神に関する話を書き取らせたものだと云われています。あらゆる妖怪の絵図と対処法が記されていたそうです。
 しかし、これは逸書です。現在には伝わっていない」
 私は立ち上がった。墨のついた筆が教本の上に倒れたが気にも留めなかった。
「白澤図は失われ、忘れ去られた存在となりました。私の先生も同じでした。彼女が亡くなった後、人は簡単に生前の彼女のことを忘れてしまった。彼女は歴史書の編纂だけに打ち込み、親しい人など全くいませんでした。人と関わらずにいれば彼女のように自分が生きていた証が簡単に失われてしまう気がしたのです。私は其れが堪らなく怖かった。
 其れで――、私は人の中に自分の居場所を求めたのです。人に自分のことを覚えてもらえば自分が居た証拠を残すことができると考えたのです。愚かな理由でしょう」
私は自嘲した。崇高な目的など欠片も無い。全くもって自分勝手な理由だった。
 其れでも、一人で居るのがどうしても耐えられなかった。自分が忘れ去られてしまうことが怖かった。自分の存在を他の誰かに保証して欲しかった。
「何とか人里に受け入られたくて、博麗の巫女の真似事をしてみたこともありました。異変の際に必死で里を守ろうとしました。でも、結局博麗の仕事を邪魔しただけだった。勝手に空回りしただけだった」
 自分の行動が空転していた虚しさが込み上げてくる。気付くと熱いものが頬を伝っていた。
「いっそ私は教師も辞めるべきなのかもしれない。こんな人間に教えられる子供も堪ったものではないだろう」
そもそも私は人間でさえなかったか、と自虐気味に私は云った。
 私は醜い。出会ってから日が浅い早苗に対してまるで幼い子供のように八つ当たりをしている。
 何故、妹紅にも話さないようなことを早苗に話しているのか判らなかった。子供と付き合うのが上手な早苗への嫉妬心から、鬱屈とした感情をぶつけて嫌がらせをしようとしているのだろうか。最早自分でも行動の理由が判らない。
 よく判らない歪んだ感情に振り回されるようでは嫌われて当然だ。こんな事だから人里にも受け入れられないのだろう。
「判らないんだ。どうやって人と関われば良いかも。関わって良いのかすらも。
 このまま誰にも相手にされなくなって、忘れ去られてしまいそうなことが堪らなく怖いんだよ。どうすれば私は人の中で生きていける? そもそもそんな願いさえ私にはおこがましいことなのか?」
 私は高望みをしているのだろうか。
 子供達と一緒に楽しく学びたかった。里の若者たちと里の未来について語り合いたかった。どんなことでも分かち合える友人が欲しかった。よくやっている、と誰かに努力を認めて欲しかった。私が居なくなっても、私を思い出し偲んでくれる人が欲しかった。
 其れなのに。
 子供達との関係を上手く構築することができない。里の大人たちからは怪訝な目で見られ、疎外感を感じる。数少ない友達とも壁を作り打ち解けられていない。藁にもすがる思いで講じた策も空回りしただけだった。
 もう限界だった。
 やり場の無い感情を早苗にぶつけているだけの自分が益々嫌になる。彼女にも嫌われるだろう。そうやってまた私は否定される。そう思いながらも恐々と私は顔を上げた。
 早苗は私を見つめていた。普段のように目は綺羅綺羅と輝いてはいない。瞳が吸い込まれそうなほど透き通った深緑色をしている。
「慧音さんはどうしようもなく怖くて辛くて仕方が無かったんですね。人に話さないから自分でもどうして良いか判らなかったんですよ。誰かに話さないと自分の感情も形にならないんです。形にならないものは上手く処理できないんだと思います。だからずっと苦しかったんです。
 今、私は貴方の話を聞きました。貴方が考えていることも知りました。慧音さんはちゃんと此処に存在している生身の人間です。私は貴方のことを忘れたりしませんよ」
 そして――、と早苗は静かに続けた。
「私は慧音さんが努力家であることを知っています。どれほど真摯に子供達に向き合おうとしていたかも知っています。必死に悩んで、里の人の力になろうとしたことも知っています。もし、知らない人が居たら私が何度だって云います。
 だから――、貴方はちゃんと人との関わりの中で生きているんです」
 強く早苗は云い切った。
「其れに私は貴方に感謝しているんです。貴方のおかげで子供達とも仲良くなれて、少しでも里に馴染むことができました。
 本当は私、寂しかったんです。幻想郷に来てから普通の人と関わる機会が無かったものですから。
だから本当に慧音さんには感謝しています」
 早苗の目は何時に無く真剣だった。私は彼女の顔を正面から見ることができなかった。
 硬い表情を崩し、少し茶目っ気のある笑みを浮かべて早苗は云った。
「さっき諏訪子様が云っていたことを思い出したんです。民間信仰での白澤の絵の意味。慧音さんなら勿論知っていますよね?」
「……厄除けだな。白澤の絵には魔除けや病除けなどの効果があるとされている。白澤は縁起の良い物とされているんだ」
 早苗は満面の笑みを浮かべていた。
「災厄から私達を守ってください。私以外にも貴方のことをちゃんと見てくれている人が居るはずです。その人達もみんな守ってください。
貴方は一人じゃないんですよ。思った以上に人に認められていると思います。だからもっと自信を持っても良いんですよ」
 言葉に出してみれば、大したことでは無かった。きっと私は初めから知っていたのだ。世間の全てが自分を全面的に拒絶していないことを。しかし、自信が持てず、誰かに尋ねることも憚られた。自分が全否定されていることを認められるのが恐ろしかった。真剣に取り合ってもらえず、悩みを笑い飛ばされるのも嫌だった。其れでは不安が募るばかりで何も解決しない。しかし、早苗はそのどちらでも無く、ただ、私の独り善がりな話を真摯に聞いてくれた。
 私は厳しい表情を崩し、顔を上げた。
 ――この娘には敵わないな。
 早苗の明るさが眩しかった。
 下らない頼みなのは判っていた。しかしどうしても早苗に頼みたいことがあった。気恥ずかしくて上手く話せない。私は照れながらおずおずと切り出した。
「早苗。私の友人になってくれないか。こんなお願いをするのは可笑しいのかもしれないが、他にどう云って良いか判らないんだ」
「私はとっくに貴方と友達だと思っていましたよ、慧音」
 早苗は微笑んだ。
「私も普通の人間の友達が欲しかったんですよ。霊夢さんや魔理沙さんは浮世離れし過ぎてますから。慧音さんは獣人ですけど彼女達よりもよっぽど人間らしいです」
「はは、そうかもな」
 私は苦笑いしながら答えた。随分とはっきりものを云う娘だ。
「そういえばこの間、古道具屋で面白い物を見つけたんです。一緒に行きましょう」
「待て、こんな時間からか」
 そもそも古道具屋など年頃の女子が友達を連れて行くような場所なのか。
 窓から見える空はすでに赤く染まり、朱色の雲が棚引いている。カラスが鳴きながらねぐらへと帰って行く。久しぶりに景色に鮮やかな色が付いて見えた。
 早苗は普段のように目を綺羅綺羅と輝かせながら、私の腕を引っ張っていく。
「善は急げですよ」
 私の意見を聞く気は無いらしい。何時もの調子の早苗に戻っていた。
 外に出ると、妹紅が気まずそうに立っていた。
「その……、悪いけど聞いちゃったんだ、さっきの話」
「……妹紅が悪いわけではありませんよ」
「でも、そんなに悩んでいるんだったら私にも相談してくれよ。私達だって友達だろ」
 まあまあ、と早苗は妹紅を諌める。
「今日竹林で助けた婆ちゃんが云っていたんだ。友達がいなくて寂しそうだった孫娘が寺子屋に行くようになってから明るくなった、って。友達ができたみたいで良かった、慧音先生には感謝してる、って。
 あんたは自分で思ってるより里の人に受け入れられてるんだよ。
 其れなのに、意地を張ってるんだか遠慮してるんだか、誰にも助けを求めずに一人で抱え込んだりして……。もうそう云うのはやめなよ」
 怒鳴られているというのに妙に嬉しくて目が潤む。
「判りました。ありがとうございます、妹紅」
「好い加減敬語は止めろ、慧音!」
 其れとあんたも妹紅で良いよ、と早苗に向かって笑いながら云った。
「妹紅さんの話も終わったことですし、古道具屋に行きましょう。勿論妹紅さんも一緒に」
「えっ、今からか」
 妹紅は意表を突かれたようだった。
 早苗は目を輝かせながら強引に私達を引き摺って行く。
 暮れなずむ朱色の空に僅かな雪が舞っている。色鮮やかで幻想的な景色だった。灯りが灯り始めた町は、小料理屋に向かう気の早い客で賑わっている。
 私は早苗に呆れながらも、久々に心から笑った。
 ――私は知っているよ。
 家の陰から九つ目がある獣が奇妙な表情を浮かべて此方を見ている。どういう訳かその表情が笑顔であることが私には判った。
 ――私は知っていたよ。
 ――勝手に思い違いをして気付けなかっただけだったんだ。

               (了)
 冒頭部引用は下記の文献に従いました。
  鳥山石燕. 2005. 角川ソフィア文庫. 画図百鬼夜行全画集. 角川書店

 4コマ儚月抄で鈴仙が寺子屋を訪れる前の話を想定してます。

2013.3.12
 タグの編集、誤字の修正をしました。
2013.4.21
 少しだけ内容の修正。
櫛橋
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コメント



0.800簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
最後の方は急いだのでしょうか。
助走で息切れして離陸に難儀してる感じでした。
ストーリーは好きなので次作を楽しみにします。

オマージュやらの宣言は不要だと思います。
先入観を与えかねません。
据わりが悪いかもしれませんが我慢してください。
4.90名前が無い程度の能力削除
慧音の苦悩や喜びがこっちにまで伝わってくるような、とても面白いお話でした。
少し固めな感じの文章が慧音らしさを引き立てていて良かったです。
ただ、前半で上手く話を広げていった分、終わりが意外とあっけなく感じました。

いくつか誤字報告を
タグの「洩谷諏訪子」、「谷」ではなく「矢」ですよ。同じミスを物語の地の文(第4章の最後辺り)でもしていました。
それとラストの早苗の台詞、
>形にならないものは上手く処理しできないんだと思います。
「し」が余計かと。
5.90名前が無い程度の能力削除
良く出来てるなぁ、とても人間臭い慧音が好きでした。
そして守矢神社は心強すぎる人里への橋頭堡を築いてしまった気が……
ただやっぱり最後もう一盛り上がり欲しかった気が。いえそれでも面白かったのですが。
いいお話、ご馳走様でした。
8.90名前が無い程度の能力削除
とても良かったです。
慧音先生と早苗先生に妹紅を交えた今後のお話も読んでみたいなんて思ってしまったり。
9.90奇声を発する程度の能力削除
良い感じで読んでて面白かったです
10.60名前が無い程度の能力削除
面白かったですが何か尻切れとんぼな感じが否めませんでした。
葛藤は良く描かれていたんですが、それが解消されることによるカタルシスが足りていないように思います。
作者さんの中では足りているのでしょうから余計なお世話なんでしょうけど。
解決方法も気にし過ぎだよ、そうだねですしね。
12.100名前が無い程度の能力削除
文が堅苦しくて読む気にならんかったけど早苗に救われたw
嫌いじゃないぜ
次回も期待
15.無評価櫛橋削除
≫3様
御助言ありがとうございます。
私としても納得がいったので、後書きの余計な文は削除しました。
≫4様
誤字のご指摘ありがとうございます。
早速修正しました。
16.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
後半の口調が変わったことで、慧音が心を開けたんだなと感じました。
文章の堅苦しさも、また雰囲気が出ていて良かったと思います。
20.90名前が無い程度の能力削除
とても面白かったです。
文章が硬いのも生真面目さが出ていましたし、慧音の人間臭さがなんとも。
ただ、他の方も仰っていた通り、内容が詰まっていただけに最後があっけなく感じてしまいました。これはこれで味わいがある気もするのですが。
ともあれ、好きな作者さんがまた一人増えました。
26.903削除
人間誰しも一度は悩む問題ですよね。
上手く文章に落とし込めていると思います。
27.100名前が無い程度の能力削除
人間らしく悩む慧音先生と、周りの人の温かさがよかった
30.90ルカ削除
他の方も言っておられましたが、最後があっさりしすぎたかなと。
でも、慧音の葛藤がよく描かれていて、面白く読めました。