「霊夢、あなたは慢心しすぎています!」
博麗神社にて、いつもの宴会が開かれていたある日の事。
皆もほろ酔い気分にいい感じに盛り上がってきたところで、仙人である華扇の声が響き渡った。
「全く、あんたは生真面目ねぇ。
バカ騒ぎの最中なんだから説教なんて忘れて飲みなさいよ」
華扇に言われた当の本人である霊夢は、いたってあっけらかんとした様子で華扇に杯を勧めた。
あわよくば有耶無耶にしてしまおうとする巫女らしからぬ行為の現れであった。
だが、華扇がそんな不真面目な行為を見過ごすわけがない。
「いいえ、この際だからあなたには知っておく必要があります。
もしあなたでも退治できない妖怪が現れたらどうする気なの?」
野次馬たちが酒の肴になりそうだ言わんばかりに、華扇と霊夢を丸く囲む。
野次馬たちにしても、霊夢が敵わない妖怪という話に興味があったのである。
しかし、霊夢はこれで逃げ道を失ったわけであり、いい迷惑であった。
「今のところは順調に異変を解決できてるわ。
きっとこれからも今まで通りに解決できるはずよ」
「そんな事を言って、この前の雷獣のようにあなたにはまだ知らない妖怪がたくさん存在するのです」
「たとえば?」
「……そうね」
華扇はぐるりと周りを見渡す。
天狗に吸血鬼に神様まで、力があるとされている連中は一通り集まっている。
他に霊夢を倒せそうな妖怪といえば……。
「永遠の命を持つ妖怪が相手ならどうでしょう?」
「すでに弾幕でやっつけたわ。最も永遠の命を持つ妖怪ではなく、人間だったけどね」
「くっ……ならば心を読む妖怪が相手ならどうかしら?
覚り妖怪という辺鄙なヤツですが、こればかりはあなたでも敵わないでしょう」
「そいつもすでに弾幕でやっつけてるわよ。
その妹がそこで梅酒飲みながら寝っ転がっているのに気付かなかったの?」
霊夢に言われてから、華扇はその少女に初めて気がつく。
心を読む瞳はなぜか閉じられているものの、容貌はたしかに文献で見た覚り妖怪に間違いなかった。
という事は、霊夢が弾幕で倒したという話も真実なのであろう。
華扇はむむむっ、と頭を抱えた。
「では、心を読む妖怪ではなく欲を読む妖怪ならば、いくらあなたでも勝ち目はないはず」
あなたは欲に塗れていますしね、とは華扇は付け加えないでおいた。
だが、華扇の予想に反して霊夢はあっさりと一蹴する。
「あんた、なんにも知らないのね。
さっきまであんたが一緒に飲んでたのがそうじゃない。
尸解仙とか言うらしいけど、そこら辺はあんたの方が詳しいんじゃない?」
「そういえば、たしかに……」
再び華扇は頭を抱えてしまった。
霊夢に勝てる妖怪なんて存在しないのではないのか、とまで考えてしまう。
だが、ここで負けを認めるのは華扇自身のプライドが許さなかった。
数々の妖怪を倒してきた霊夢といえども、華扇から見たらただの小娘なのである。倒しようはいくらでもあるはず……。
華扇はそこまで考えて、にやりと笑った。
「では仕方ありませんね。
霊夢、上には上がいるという事を教えてあげましょう。
あなたの一番の幸運は、今までの異変の黒幕が私ではなかった、という事です。
私が相手ならば、あなたには万に一つでも勝ち目はありません」
「ふぅ~ん……」
そう言われて黙っていられる霊夢ではなかった。
彼女とて幻想郷を平定に保つために存在する博麗神社の巫女なのである。
いくら華扇が仙人と言えども、最近現れた新参者に大きな顔をされては、これからの仕事に差し支えるかもしれない。
それに加えて、霊夢は一度華扇にぎゃふんと言わせたいと考えていた。
ここに両者の意見を一致したのである。
「つまり、あんたは私より強いって言いたいわけ?」
「えぇ、そうなりますね。試してみますか?」
「当然!」
縁側から境内へと場所を移し、華扇と霊夢が対峙する。
観客たちは酒の席での見世物とあって否が応にでもヒートアップしていた。
熱気が辺りに充ち溢れ、冬なのにも関わらず華扇は背中が汗でじめりと濡れてくるのを感じていた。
それでも華扇の余裕が崩れる事はなかった。
笑みを浮かべたままで、霊夢の顔を真正面から見返す。
「降参するなら今のうちよ。博麗神社の巫女に敗北の二文字がつけば、これからの商売に支障が出てしまうでしょう?」
「冗談を……。
こちらとて今の今まで数えきれないくらい異変を解決してきた身。
仙人であるあんたを倒して、さらに拍が付くってものよ」
両者とも引くつもりはなかった。
一方は仙人としての威厳を、一方は博麗の巫女としてのプライドを揺るがすわけにはいかなかった。
「最初から本気で行かせてもらうわよ」
霊夢が狙うのは圧倒的な勝利であった。それでこそ、日頃の鬱憤が晴らせるというものだ。
そのため最初からスペルカードを使用し、一瞬で勝負をつけるつもりでいた。
だが、懐からスペルカードを取り出したところで、霊夢の動きが硬直した。
「どういうつもりよ。
あんたはスペルカードを使わないつもり?」
それに対して華扇はふふん、と胸を張った。
「あなたに対してスペルカードなんて必要ありません。
それでも、あなたは私の前に触れる事すらできずに膝をつくのでしょうね」
「減らず口を叩けるのも今のうちよ!」
霊夢が『夢想転生』を発動させる。
それで勝負が決まったはずであった。少なくともかつて霊夢の戦った事がある者ならばそう思っていた。
ただ一人を除いては。
華扇は大きく息を吸い、自らが行ってきた修行の成果を見せつけるように大きな声で叫んだ。
「きゃああ~!! この脇巫女変態なんです~!!!!!」
「は?」
その呆けた言葉を発したのが霊夢だったのか、それとも野次馬だったのかは分からない。
だが、霊夢にしても野次馬にしても思考が一時中断したのは間違いなかった。
いや、もしかしたらこれは華扇が霊夢を油断させるための手段かも――そう考えた野次馬が一人や二人いたのかもしれない。
叫び声をあげる華扇ちゃんかわいい――そう考えた不埒な野次馬がいたのかもしれない。
どちらにせよ、この場における中心人物が華扇であった事は間違いなかった。
華扇は堂々と辺りを見回し、自分の策が上手くいった事を確信すると、さらに追い打ちをしかけるように次弾を放った。
「どうです、霊夢! これが私の編み出した仙技『とりあえず叫んでおけば周りは美少女に味方してくれる』です!!
これを編み出すのには、数百年の歳月が必要となりました。
根幹については最初の数年程度で確立するに至りました。
ですが、この仙技にはいかんせん多大なプライド崩壊を必要とするために無心になる事、及び後はどーでもいいや根性の二つが必要不可欠だったのです。
キャラ崩壊という大きな犠牲を私は支払ったのかもしれません。
ですが、これも霊夢を倒すための親心と思えば、些細な犠牲にしか過ぎないのです」
長ったらしく――いや、仙人らしく技の解釈をする華扇。
その瞳には勝利が確信されていたと表現しても決して間違いではないだろう。
それを止めたのは、野次馬のぽつり、と――あわよくば聞き逃してしまいそうな程の独り事であった。
「いや、霊夢が脇巫女で変態なのは誰でも知ってるし」
「そんな馬鹿な!?」
これに戦慄したのは言うまでもなく華扇である。
この世全ての凶事を一心に抱えたような、もしかすると先ほど以上のキャラ崩壊を顔に浮かべたようなそんな絶望の素振りを見せた。
だが、華扇とて千年以上の時を生きてきた仙人の一人。こんな些細な一言で戦況をひっくり返させるつもりはなかった。
華扇は、今の意見は社会という荒波にかき消されてしまう個人の意見だと思う事にした。
しかし個人の意見というのは、時として波紋を投じる一手ともなりえてしまうものである。
この時もまた、とある野次馬の一言により、華扇によって支配されていた絶対的領域が解かれ、各々の世界へと解放されていた。
こうなってしまうと、各々が好き勝手な意見を言うのが幻想郷である。
酒の酔いが回っていた事もあって、人から聞いた話や友達の友達から聞いた話、さらには適当な解釈による想像まで、いわゆる全く信用のない噂話が文字通り一石によって投じられた波紋のように広がっていった。
「あの巫女自分のパンツを売って生活費を稼ごうと企んだとか……」
「いやいや、私が聞いた話だとあの脇はチラリズムで男を釣るためのものと聞いたわ」
「サラシをつけるのもマニアック狙いよね。
巫女服に脇にサラシとか、どう考えても狙い過ぎだと思っていたわ」
一方、霊夢は最初は黙って聞いていた。
冤罪とは一方的に擦りつける罪であり、被告になってしまった場合は「やっていません」と言い張るか、ひたすら黙るしか方法がないのだ。
だが、そこに投じられた野次馬の一言により、霊夢の冤罪はあっさりと覆される事となった。
そうだ、自分は変態脇巫女ではないのだ、と霊夢は勝利の美酒に酔い、その余韻として辺りに広がる噂話は些細な代償として聞き流すつもりでいた。
神に仕える巫女はそんな小さな出来事に腹を立ててはいけないのだ。
そう思っていた時期が霊夢にもあった。
「味噌汁をご馳走になった時、ダシに使う煮干しをケチられた事があったぜ」
「私が仕入れた情報によると、味噌すらケチられてお湯だけ出てきた事もあったとか」
全く記憶にないゴシップと、記憶から抹消していたゴシップの数々。
そんな云われなき言葉の暴力が霊夢の怒りゲージをぐんぐんと上昇させた。
いくら霊夢でも我慢の限界が当然存在したのである。
「いくらなんでも言い過ぎでしょうがぁっ!!!!」
問答無用で放たれる霊夢のルナティック級弾幕。
力ある妖怪たちは掠りながらグレイズを稼ぎ、主人公経験のある者たちは自分の当たり判定を理解しつつ避け回り、一般妖怪どもは死ななければ安い根性で被弾し、妖精たちはピチュって一回休みとなり、簡単に言えば阿鼻叫喚な光景が展開された。
それをほくそ笑みながら見ていたのが華扇であった。
一時期は自分の策が破られたと考えた事があったものの、やはり一個人の意見で世界を変える事はできず、霊夢に多大な精神的ダメージを与える事に成功したのである。
ここに、華扇が数百年かけて作り出した仙技『とりあえず叫んでおけば周りは美少女の味方をしてくれる』は完成となった。
華扇は感激のあまり瞳に涙が浮かんでくるのを感じていた。
だが、これはまだ戦いの序章にしか過ぎないのだ。
霊夢に勝つと宣言した以上、華扇が目指すのは完全勝利の一つのみ。
喜びはその後で噛み締める事にしよう、そう華扇は考えて霊夢を見やる。
「霊夢、味わった事のない威力でしょう?
あなたにはまだまだ知らないスペルカードや弾幕がこの世に存在しているのです。
私はその氷山の一角を見せたに過ぎないのです」
「くっ……どう見てもスペカでも弾幕でもないけど、あんたの言っている事に間違いはないわ。
言葉の暴力がこんなにも苦しいものだったなんて……」
「いや、中には真実も含まれてるから」と野次馬がつっこみを入れたのだが、当然の事ながらスルーされた。
道中における雑魚妖精の種類を巫女が見分けていないのと同じであった。
「では、ご覧にいれましょうか。私が仙人生活一千年をかけて編み出した極・仙技を。
この技によって、あなたは博麗の巫女としてまだまだ未熟である事を知るでしょう」
「なら、逆を返せば、これに耐えきったらあんたに認めてもらえるという事よね?
いいわ、来なさい! この博麗霊夢、今まで経験したスペカの知識を総動員してあんたの攻撃を耐えきってみせるわっ!」
華扇はすっ、と息を吸った。
それに対して、霊夢は腹に力を入れ、足を開き地面に踏ん張るような態勢をとる。
ここに妙な緊張感が生まれていた。
先ほどの華扇の攻撃が暖としたら、今回の攻撃は冷。
野次馬の熱気によって辺りがヒートアップしたのにも関わらず、辺りの気温が急激に下がっている事を霊夢は感じていた。
博麗の巫女としての勘が告げていた。
これは生半可な攻撃ではない、と。
――やがて、華扇が口を開く。
「霊夢は、私の嫁!!」
空気が凍りついた。
誰もが耳を疑い、今しがた華扇が言った事を頭の中で反響しようと試みた。
だが、できない。理解できない。頭が華扇についていけない。
野次馬たちの思考はこの時一貫していた。
この仙人何言っているんだ、と。
「う……あぁ……うぅ」
一方の霊夢は野次馬たちとは逆に体温が上昇していくのを感じていた。
身体中の血液が沸騰したんじゃないかと思えるぐらいに熱くなり、頭がぼぉ~っとする。夢見心地とは言い過ぎだが、霊夢はいつの間にか何も考えられなくなっていた。
華扇の言った事が策略である事をいくら頭に言い聞かせようとしても、身体がいうことを聞かない。
霊夢とて恋に恋する乙女なのである。
そういった甘いセリフを一度言われてみたいと妄想した事もあったのだ。
いつの日か夕日が照らす境内に金塊を持った王子様が現れる事を、霊夢は夢見ていたのだ。
乙女の妄想を逆手に取った華扇の一撃に、霊夢が耐えられるはずもなかった。
「あなたを、ひとりじめしたいのです」
「あぅ……」
とどめと言わんばかりに華扇の一言が響き渡る。
そして、ついに霊夢の膝が堕ちた。
華扇の宣言通り、霊夢は華扇に触れる事すら敵わず地面に膝をつけてしまったのである。
後には、私をめちゃくちゃにして、と色っぽい瞳で訴える堕巫女の姿が残るだけであった。
「うふふっ、どうです霊夢! これが仙人の力! これが極・仙技『甘い言葉に乙女はメロメロ』です!!
幻想郷には異性があまりいないせいか色恋沙汰がない。
少し甘い言葉で誘惑すれば、たいていの幻想少女は夢の中へと堕ちてしまうのです!」
華扇が高らかと宣言する。
これで勝負が決まったかのように思えた。
華扇は腰に手を当てての勝利宣言、片や霊夢は膝をついての戦闘不能。
もし、これが二人だけの戦いで、野次馬も観客もいなければこの戦いは終わっていた。
そう、この場には華扇の言った事を受け入れる事ができない野次馬たちがたくさんいたのである。
「そいつは聞き捨てならねぇなぁ」
最初に出てきたのは魔理沙である。
「そうね、霊夢はすでに私と婚約しているんですもの。
後から来た新参者に大きな顔をされたら堪ったものじゃないわ」
次に紫。
「霊夢さんは私にとっても大事な人ですからね。仙人が独占するなら黙ってはおけません」
さらに文。
「な、なんなのですか、あなた達は!?
これはあくまでも私の策略なのです。本当に霊夢をひとりじめしたいと思っているわけがないでしょう?
よく考えてみてください、私と霊夢は女同士なのですよ?」
リミッターの外れた者たちに説得を試みる華扇。
だが、華扇の言葉は少女たちをさらに怒り狂わせる結果となった。
「遊びだって? お前は最初から捨てる気で霊夢に近づいたのか?」
「私の霊夢になんて事を……。可愛そうな霊夢……」
「へぇ、仙人も女遊びをするんですね。
これは天狗としても、霊夢さんの友人代表としても放っておけないですねぇ」
一歩、また一歩と華扇に近づく霊夢のため自らを演出する乙女の会メンバー達。
華扇はかつてない恐怖を背に感じながら、こう思っていた。
霊夢が異変を解決するんじゃない。
異変が霊夢に勝てないんだ、と。
そして、めったに聞く事のできない仙人の叫び声が辺りに響き渡るのであった。
大抵の事なら冗談として酒の肴にする事ができる幻想郷の住人だったが、色恋沙汰だけは許されなかったのである。
純粋な少女だけが住まう幻想郷。
嗚呼、それはなんとも理想郷ではないか。
了。
そこまでキャラ(属性)を奪うと、もはや他の人の立つ背が無いというか。
愛すべきお馬鹿たちですね。
ところで、結局なんで鹿せんべい屋はなぜ鹿に襲われないんですか? タイトルにホイホイされたので気になって気になって仕方ないです
↑聞いた話だが鹿せんべい屋は鹿に煎餅を食べられないようにちゃんと保管してる
鹿の方も寄っていっても貰えない事を分かっているから襲わない……らしい
遠まわしに書いてしまったせいで分かりづらかったようなので補足説明を。
鹿せんべいは作中の『誰か』の比喩であり、鹿は作中の『何か』の比喩になっています。
後はいろいろと解釈してみてくださいな。
ドタバタ劇が楽しいですね
「少女たちの世界なのだ」ということを打ち出す作品が少ない気がしていたのですが
やはりこういった重苦しくない楽しい東方というものは良いですね
「異変が霊夢に勝てない」は名言かもしれません。