Coolier - 新生・東方創想話

その根はアスファルトを砕く

2013/03/09 18:48:20
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1.その花とその少女

 こんなに長い階段を見たのは初めて。
 私の家を十階建てにしてもまだ余りそうな高さの階段の先には靄がかかっているようで、果てには何も見えなかった。
 先の見えない景色に吸い寄せられるようにして一段目に足をかける。今までやってきたのと同じように、私は徒歩で頂上を見に行くことに決めた。飛んでも良かったけれど、やっぱり散歩は歩いてこそよね。それに、まだ肌寒い季節に意味なく空を飛び回るのは少し寒いから嫌だ。

 で、それから三十分後、私はさっきから全く変わらない景色を眺めている。

「長すぎるわあ!」

 階段の製作者に吠えながら、ひとまず休憩のため段の上に腰を下ろすことにした。身体はぽかぽかと暖かく、歩いているうちに冬が終わったのかと錯覚した。
 ただの平坦な道と違って、階段は体力を使うのを忘れていた。楽勝だと思っていたら十分もしないうちに足に不吉な違和感を覚えて、程なくして視線が上に上がらなくなり、俯いているうちに膝が笑い始めた。もう暫くは動けそうにない。
 何でこんなことになったんだろう。もう飛んじゃおうかな。酸素を渇望する頭で下を眺めながら考えた。眼下の景色はもう雲に覆われているようで、地上が霞んでいる。ずいぶん遠くへ散歩しに来たものだ。真夜中に出発したと思うけれど、もう朝の六時くらいだろうか。
 いや、まだまだ行けるな。そろそろ再開しようと思った時、私の横を何かが凄い速さで駆け下りて行った。

 それなりの質量を持って通り過ぎたそれは、人間だった。服装は袴姿に上はサラシ一枚という動きやすいけど寒そうな格好で、私に似た色の銀髪は短く切り揃えられて風になびき、飛び散った汗が数滴、私の顔にかかる。その背中はあっという間に見えなくなった。
 いわゆる武道家って奴かしら。飛べばいいのに。それ以上の感想を抱く前に、その背中は小さくなってしまった。

 
「あれ?」
 通算三度目の休憩にして、さてそろそろ三度目の再開にしようかとまだ疲労の残る頭で立ち上がろうとして、膝に手をついた瞬間、ぐるりと視界が一周して、お尻を石段にしたたかにぶつけてしまった。
 あれれれれ。くらくらする。そうか、また休憩が必要かな。
「いやもう散歩とかどうでもいいわ」
 休憩間隔もどんどん短くなっているし、もう飛ぼうかな。そもそも下の景色も見えないんだから歩く楽しみなんか皆無だ。
 よし飛ぼう。そう思って踏ん張るも、何故か飛ぶ力が湧いてこない。体中に力が入らない。そもそも立ち上がれない。
「あれ? ちょっとやばいかも?」
 なんてことだ。私はここまで軟弱だったのか。お姉ちゃんのようなインドア派にはならないように心掛けていたというのに。
 卒倒しそうな頭に今度は下から上に向けて一陣の風が吹いた。遅れて汗の玉飛沫が降りかかる。それにつられて顔を上げると、風で靄が巻き上がり、代わりに武道家の背中と頂上の景色が酸欠でぐるぐるした視界に飛び込んできた。

 踏破者(予定)を歓迎するのは、一本の巨木だった。
 聳え立つ樹木には、私が家中に植えて回っているバラとラナンキュラスの庭なんかとは違って、重々しさと力強さがあった。おおよそ私達には似合いそうもないほど立派な代物だ。
 あるいは迫力の理由は、その巨木が一枚として葉をつけていなかったからだろうか。一陣の風に吹かれて、死んだような黒色の枝が静かにざわめいた。綺麗だった。

 なんだ、もうこんなに近くまで来ていたんじゃないか。そう思っても足は動かせず、しばし見とれていると、袴とサラシだけでランニングに勤しんでいた武道家は、息を切らせながらその枯れた巨木に向き直り、厳かに一礼した。それから軽く屈伸をしてこちらを向き直り、刀でも持っているかのように手を腰に掛けて下方を睨んでいる。時間が止まったような気がした。
 ものすごい集中力だ。走ろうという世界中の意識が彼女一点に収束しているようで、彼女が爆発しそうなほどの疾走への意識を秘めているのか、疾走の意識が彼女を形作っているのか分からない程。
 初めて見る、私には何よりも縁のない現象だった。
「すいませーん!」
 とはいえこれは好都合。足が動かないのであの人に足になってもらおう。
 もう一回下に降りられたらもう一回待たなければならないので、失礼ながら声をかけてみた。今まさに膨れ上がった意識をバネに猛然と下に向けてダッシュしようとしていた彼女は、私の声を聴くとギョッとした様子で向き直り、
「あ、うあああああああああああああああ!?」
 勢いを止めることが出来ずに靄の中へと転げ落ちて行った。
「……飛んでいればねえ」
 教訓、階段を駆け下りようとしている人に話しかけてはいけない。
 これが、私とあの花と、それから冥界の人との出会い。転げ落ちた彼女が戻ってくるまで、私は段差に腰かけて待っていた。


 それから私があの巨木の正体をお姉ちゃん色の髪をした女の人から聞き出すまでには思ったよりも長い時間を要した。その長い時間の大半は他愛もなくてもう本当に恐ろしくどうでも良い私のお食事シーンであるわけなんだけど――

 ――具体的にはあの後私は休憩中にうっかり船を漕いでしまい吸い込まれるように靄の中へと沈没して這い上がろうと走ってきた武道家さんの頭に綺麗に直撃して結局武道家さんはもう一度突き落とされ朝から累計三度階段を登ることになってしまいしかもそのうち一回は私というお荷物付きとなってしまった。
 私はすっかり疲労していて武道家さんに背負われ例の巨木をじっと見つめながら階段を踏破してもらい階段の上にある豪勢な和風の御屋敷へと案内していただいた。
 しばらく横になっていたのだけれど鼻腔をくすぐる美味しそうな香りに目が覚めて漸く私は家を出てから一週間食事をとるのをすっかり忘れていたことを思い出した。
 妖怪は精神的な空腹を満たせれば食べる必要はないのだとか考えていたけれどそもそも私はサトリ妖怪としてのアイデンティティを失っているわけで恐怖や驚愕を糧にしていないはずなのだ。
 私は自分がどういうシステムで空腹を満たしているのかいまだに分かっていないしそもそも空腹という感覚がよく分かっていなかったらしかったけれど今回の場合は食べれば元気なった。
 冗談のように大量においしそうな食事を作って持ってきた武道家さんは主人が来るまで待って欲しいと言った気がするけれど食べた。
 もずくをつるりと一息に飲み込んでから朝食の目玉焼きにどばどば醤油をかけて三つほど平らげたし漬物鉢をしゃもじで掬うような勢いでご飯に盛り付けて味噌汁と焼き海苔をぶっかけて食べたし鯵の開きを頭から二尾食べて刺身をタンポポと細く刻まれた大根と何か緑色のギザギザしたやつもろとも食べて高級品らしいイクラもとろろ昆布も構わずご飯をおかわりしてふんだんに乗せて食べてしまい小鉢に収まったほうれん草も切り干し大根も豆もやしも水菜と油揚げも一緒くたにしてあっという間に食べ終わってしまった。
 ご覧のとおり食にこだわったことは無いけれど武道家さんの料理は大変おいしかった。
 少しした後にお姉ちゃん色の髪をした屋敷の主人があらあらこんな時間にお客さんなんて珍しいわねと入ってきたけれど食卓を見た瞬間に血相を変えていてよく見たら武道家さんも青ざめていてその時初めて私は他人の食事にまで手を付けてしまっていたことに思い至った。その後半狂乱になった主人に武道家さんと私が平謝りをして武道家さんは秘蔵の地酒と鯛のおつくりがどうのこうの言ってなだめてから三十分ほどで私の食べた朝食よりも更に二段階ほどグレードアップしたもはや朝昼晩の概念を超越したような壮絶な食事を提供して主人は十数分でそれらを消化した。機嫌を取り戻して頬を緩めた主人と武道家さんと私は遅すぎる自己紹介をした――

 思っていたよりも更に長かったな。

 大食なのにどこもかしこも綺麗なお姉さんである幽々子さんは、自己紹介の時点で先ほどの怒りなどもう忘れたようだった。だからこそ余計に妖夢さんには申し訳ないことをしてしまったと思う。
 ふわふわしている印象を受けたけれど、油断はできない。なにしろ自己紹介の際に
「貴女は何の妖怪なの?」
 と開口一番に訊かれたのには参った。一口目に核心を突いたこのお姉さんは只者ではないに違いない。しかも続けて、
「サトリ妖怪! じゃあその眼を開いてみせて欲しいわ」
「お断り」
「ええ~……えいっ」
 あろうことか直に私の眼に触れようとしたのである。
「おっと」
「わっ。動いたわ。うねうね動いたわ」
 心臓が剥き出しになっているようなものだから、お触りは厳禁なの。
「そら危険を感じたら動くわよ。我がサードアイの最高速はゴキブリを越えるわ」
「うわキモッ」
「キモいとか言うな。ほら、こうやってコードを絡ませれば……『ほうき』」
「あらお上手」
「『三途の河』」
「凄い凄い! ただの川にしか見えないけどそこがまた良いわね」
「『東京タワー』」
「何それ」
 おかしいな。以前何処かで披露した時はウケてたと思うんだけど。
「サトリってガードが固いのね、なんだかイメージが変わったわ。隙あらば心を読み透かす性悪だって聞いてたのに」
 後で覚えておけよ。
「……そういうのも、いるわ。知り合いにいるし。でも私は眼を閉じたサトリなの」
「じゃあじゃあ、今私が考えていることはなーんだっ?」
「満腹?」
「正解!」
 そんな下らないやり取りが続いてたが、結局幽々子さんは私の種族についてそれ以上追及はしてこなかった。

 私があの花の正体について尋ねたのは、妖夢さんが食後の茶菓子を持って来ると言って退席した時だった。朝食後に茶菓子って。
「あれは桜の木よ、古明地こいしちゃん」
「桜かあ。私は地底出身だから木は家具の形以外で殆ど見たことが無かったの。巨木って、誇張じゃないのね」
「あらあら。桜を見たことが有るのと無いのとでは世の中の楽しみ方が大きく変わってしまうわよ。地上には桜を見るためだけに散歩をする  人間だっているんだから。一年の刹那に咲き乱れ、そして華やかに散っていく。毎年四月は桜の下に人が集まるの。まるで桜の美しさが人を吸い寄せているように――まあ、あの桜が満開になるところは見られないのだけれどね」
「へえ」
 後半の台詞の意味は分からないけれど、どうやら本当に綺麗なものらしい。あの木だけでもここまで散歩に来た収穫と言えるのに。
「それって、どうやって育てるの?」
「えっ?」
 何で浮かんできたのか分からないけど、唐突に、私は地霊殿に自分が桜を植えている姿を想像する。地霊殿には私が植えたバラとラナンキュラスとゼンマイがたくさんあるし、それと同じように桜を植える事もきっとできるはずだ。庭の中心に屹立する巨木は、ちょっとした名物となりそうだ。
「お待たせしました。甘味の少ない白餡を、火を通した薄皮をひだ型に織り込んで放射状に包んでみました。頂点には少しだけ抹茶を含んだ白餡を乗せて、雪に埋もれた大樹が力強く根を張っている姿を表現したつもりです」
 そんな折、妖夢さんがお菓子を作って帰ってきた。小さくて手の込んだ和菓子で、成る程あの桜の木のようにかっこよかった。文化人を気取るお姉ちゃんならお世辞の一つでも思いつくんだろうけど、私にはそういうのは分からない。
 幽々子さんはご満悦の様子だったけれど、それがお菓子の出来ゆえなのか盆に十個載っているからなのかは私には判別できなかった。妖夢さんも大変だな。
「うーん、苗木から育てるならまだしも、種からとなると大変よ? そもそも地底じゃ空気も土の質も全然違うと思うけど」
「でも地底で成長したら快挙ですね。外の世界の桜には、岩を割ってまで咲いたものがあるらしいですからあるいは……」
「それもう妖怪じゃないの?」
「桜の根はアスファルトを砕く、というのも聞いたことが有るわね――あ、妖怪桜なら」
 音もなく上品に菓子を食べながら、幽々子さんは何かを思いついたのか妖夢さんに耳打ちをしていた。あすふぁるととは何なのかという私の質問は空を切った。
 二人はそのまま暫く話し込み、やがて幽々子さんが悪戯っぽい表情で何事か囁くと、妖夢さんが驚いて、何か考え込んでから奥に引っ込んでいった。
 戻ってきた妖夢さんの痣だらけの右腕に収まっていたのは小さな麻袋だった。中には数粒の種が入っていた。
「少し変わった桜の種です。さくらんぼの季節ではありませんが、これを植えてみてください。きっと面白いことになりますよ」
 笑顔ではぐらかすようにそう教えてくれた。主と秘密を共有しているのが楽しいからそんな笑顔だったのだと、私は家に帰ってからお姉ちゃんにそう教えられた。
「ありがとう、私はそろそろ家に帰らなきゃ」
「そうですね、きっとお姉さんもご心配……あれ? こいしさん?」
「あらあら、消えちゃったわ」
「と、扉がひとりでに! まさかあの方は幽霊だったのでは……!!」
「いやいや妖夢、幽霊じゃなくてサトリよ」
 家を出る矢先にそんな声が聞こえた。


「そんな感じで、種をもらったの! 今度植えるね。地霊殿で花見をするプロジェクト、題して『桜の根』とかどうかな」
「お燐が膝で寝てるから静かになさい」
 一週間ぶりに地霊殿に帰ってきたというのに、お姉ちゃんの反応は冷めていた。顔も上げずに書類らしきものを書いている。
「それ、騙されてるんじゃないかしら」
 続く言葉もそっけない。お姉ちゃんが嫌われる理由と言うのは能力とは別の所にあると思う今日この頃。
「私も桜をじかに見たことは無いけど……暖かいとはいえこんな冬の岩盤に種を植えたってどうしようもないでしょう」
「うーん、妖夢さんと幽々子さんは笑顔だったし、騙そうとしている訳ではないと思うよ? それにね、妖夢さんが言っていたの。桜の根が成長する力は、本当に強くて、外の世界では岩をも砕くって。幽々子さんも、あすふぁるとだって易々砕く品種って自慢していたわ。あすふぁるとが何か知らないけれど」
「私も知らないわね。彼女らが地底に詳しくないから何かを間違いしているのかしら。分かったわ、今度私がこいしの世話のお礼がてら真意を……」
 紅茶を啜りながら顔を上げたお姉ちゃんの表情が固まった。驚いたらしいんだけどそこで吹き出したりしないあたりお姉ちゃんはリアクションが薄いと思う。そういう所を直してコミュ力を高めていって欲しい。
「? どうしたの?」
「……こいし、その種をちょっと見せてごらんなさい」
「うん、一個あげるよ」
 私は右手に握りしめていた麻袋から一粒の種を差し出し、お姉ちゃんはそれらを三つの瞳でじっと眺めた。そんなにまじまじと手を見られると少し恥ずかしい。
「妙なことを喋っているわ。この種」
 妙なことを喋り出すお姉ちゃんだが、別にヤバげなものが見えているとかそういうわけではなく、多分サトリ妖怪特有の話をしているのだろう。それはともかく、
「この種の心の声が聞こえるってこと? そんな現象初耳だけど」
「普通の植物、無機物なら心の声はしないけれど、妖怪化した場合は別なのよ。どうやらこの桜、妖怪化した桜――きっと貴女が見た大木のことだろうけど――の種のようね。何らかの理由で封印されて長らくそのままだった、と言っているようだわ」
「ほお~。流石はサトリ妖怪お姉ちゃん」
 今更羨ましいとは思わないけど、やっぱりなんだかんだで便利だ。このケースに私は出会ったことが無いので、お姉ちゃんの視界に何が映っているのかは分からないけど。
「確かにここまで特異な種なら何かしら起こってもおかしくないけど、そこまで分かるものなの?」
「ものなの」
「本当に?」
「本当に」
 そうなんだ。
「危険なものかもしれないわよ。桜なんて四月になったら見られるじゃないの。わざわざこんなプロジェクトを考えなくても」
「でもお姉ちゃんはきっと外に出ないでしょ? 桜の名所には人だかりができるらしいし。私は、お姉ちゃんとお燐とおくうと一緒に見たいのよ。皆のことが大好きだから」
「こいし……」
 普段心を読むことで意図をくみ取っている所為で、お姉ちゃんは直接的に好意を伝えられることに慣れていないらしい。私にだけ使える特別テクだ。
「こいしがそこまで言うのなら私も協力するわ……」
 ちょろいなあ。



2.その鼻は死を探る

「桜ね……そう言えば見たことないな」
 さて、どうしたものか。
 こいしが妙な宣言をしてから一時間程経っただろうか。あの子が去った後、私はマホガニーの机の引き出しをそっと開けて、封筒を取り出した。差出人は西行寺幽々子とある。つい先刻、白く漂う幽霊が届けてくれたものである。
 そこには時候の挨拶もそこそこに、私の妹が白玉楼に迷い込んだ時のことが詳細に記されていた。庭師の妖夢さんは知らなかったようだが、是非曲直庁とつながりのある幽々子さんは私のことをある程度把握していたらしい。実際に会ったこともないのに律儀な方だ。あの子が帰ってくる前に届いたのだから、あの後もこいしはどこかに寄り道をしたのだろう。
 ……今、お詫びの手紙を書いている所である。努めて平静を装っている文体だが、それでも私から見れば朝食を勝手に食べられたことを根に持っているのはバレバレだった。そしてあちらから見れば、こいしは反省しているようにすら見えなかったのだろう。腹も立つはずだ。それに、手紙によると妖夢さんも随分面食らったようである。
 何せ、こいしには感情が分からない。
 あの日から――丹田の前に浮かぶ三つ目の眼を閉じた日から、こいしは決して嫌われなくなった。いや、正確には『嫌われていることに決して気付けなくなった』。彼女は心を読めなくなると同時に、負の感情を決して理解できない。その世界がどのような居心地かは、私に心が読める感想を尋ねるようなもので、誰にも分からない。
だから、彼女は基本的に嘘を見抜くことが出来ない。人前で演技なんかしたことが無い私の動作を神妙な顔をして信じるのだから、これは 間違いないことだ(こいしに敵意を持たれると全てが通用しなくなるので私やペット以外がやることはお勧めしないが)。
 そう、嘘である。
 こいしが頑張るというのならそれは喜ばしいことだが、私は彼女達が暴走しないように制御しなければならない。適度に結果を出させ、適度に諦めさせるだけで、協力するつもりはあまりない。
 いやまあ、好きって言われるのはとても嬉しいのだけれど。
 しかし、ひとりごちる。こんな悪趣味な種など。
 こいしから貰った一粒の種を手紙の上に乗せた。勿論私は発芽すらしていない種の声なんか聴くことは出来ない。昨日付で届いた手紙に種の説明が載っていただけだ。
 『西行妖はかつて人間の生き血を吸った妖怪桜で云々』
 『ただ一人特別な力を持つ謎の人物が命に代えて封印云々』
 『後にもう一度これを咲かせようと私が幻想郷で異変を云々』
 『大妖怪八雲紫の力をもってしても手に余る程の妖力を持ち云々』
 とかなんとか。
「……怖すぎるでしょ」
 そっと手紙を仕舞って詫び状を書く作業に戻る。
 どんな規格外の怪物だ。私は外界との繋がりが怖ろしく希薄であるが、あの八雲紫が手を焼くということがどれくらい異常な事はわかる。アレが手を焼く存在なんて閻魔くらいしか聞いたことがないというのに、一介の植物がそんな強さを持つとは洒落になっていない。こんなものを地霊殿に植えてしまって、何が起こるか分かったものではない。
 西行寺幽々子も面倒事が好きそうな性格である。私はその土俵に上がるつもりは無くて、いかにしてこいしを楽しませ、それから諦めさせるかについて考えているばかりであった。現実を突き付けて諦めるのを待つか、最初から説明してやるか、本物の桜を見に行く約束でもするか。何にせよやや骨の折れそうな解決方法だった。
(あのー、思うんですけど、こいし様はどう説得しても理解しないんじゃないでしょうか)
 あら、起きたのお燐。って私、声に出していたかしら。
(さとり様は相手だけでなく自分の心も声に出す癖ありますよね。この間小説書いてた時もセルフ口述筆記みたいになっていましたし)
「え、嘘。私声に出してた? あれを?」
(出してましたよ。サスペンス物を書きながら「へっへっへ、これは傑作だわ」とか言ってました)
「わー! 嘘嘘! そんな馬鹿な。私はそんな気持ち悪い笑い方はしない筈よ」
(「私はあんたのような世の中を外から視ようとする奴が一番嫌いなんだ! 裏切られてみろ! そしてその時の顔を私に見せてみろ! 天を仰いで口を開いて、罵詈雑言を世界に叩きつけるさまを鑑賞してやる! ……かっこいいわね」とか言ってました)
「何その若年期の人間がやり場のない見栄を厭世観にして吐き出したような文章は!?」
(「あ、来てる! めっちゃアイディアが来てる! 私今、神かも知れない!」とも言ってました)
「わー! わー! お燐、ちょっとそこに直りなさい!」
(何を慌ててるんですか)
「いいから!」
(はあ)
 一時の興奮に任せて筆を滑らせたところで、紙を寝かせれば瞬く間に劣化するということだろうか。今にして思えば恥ずかしいだけの詩文だ。何が神だ。
「いいかしら、そういうのは聞いてしまっても黙っておくのが華というものよ」
「黙ってたんですけど」
 この年になって自分の能力を疎む日が来るとは。意図せずに発現する能力はいつになっても手に余るということか。
人型に変身し、直立不動で畏まっているものの、相変わらずお燐は何故私がこれほどまでに取り乱しているのかを理解していないようだった。それは不幸中の幸いとも言えるし、この私の執筆中における痴態が地獄中に広まる危険性を香らせているとも言える。独言癖がかくも恐ろしいものだったとは知らなかった。
「なら忘れなさい。忘れたということも忘れなさい。この命令も忘れなさい。貴女は何も聞かなかったし、何も覚えなかった。良いわね」
「聞いていなければ覚えらないのでは?」
「そうよ。その調子よ。で、何の話だったのかしら」
 さっきこの子はなんと言ったっけ……こいしが説得に応じない?
「今までさとり様がこいし様を静止して、ちゃんと止まった事ってありましたっけ?」
 今日のお燐は毒舌が過ぎないか。しかも自覚が無いから予想外の角度から殴られている気分でダメージが大きい。
「今までも、何か思いつきで行動しようとして、そのまま思いつきが持続するか思いつきで中止するかのどちらかじゃありませんでしたか?」
「そんなことはないわ。あの子は話せば分かってくれる子よ」
 そこまで言ってから、お燐が何を言いたがっているのかが分かった。
(それは昔の話だったんじゃないですか? あたいにはどうしても、あのお方が自分で決めたことを誰かに諭されて止めるようなタイプとは思えないのですが)
 昔のこいしと、今のこいし。私の中で微笑むこいしは言うまでもなく前者だ。
 かつての妹の像に拘っている結果、私はペットたちよりもこいしの姿を客観的に見られなくなっているのかもしれない、ということか。
「あ、いや、そこまで言って、いや思っているつもりは無いのですが……気に障ったら申し訳ありません」
 お燐は少し慌てた様子で両手をせわしなく動かしている。また声に出てたか。早い所この癖は治さないと。
「(話題逸らさないと)ところで、何を説得するんですか? 寝ていたものでして」
「……ああそうだ。お燐、貴女にお使いを頼もうかしら。もう少しで書きあがるから待っていて」
 幽々子さんからの手紙を書庫に保管してもらい、私の手紙を白玉楼に届けてもらおうとお燐を引きとめた。実際、地上へ遣いに出すには彼女が適任だ。おくうは忘れっぽい。


「――という訳で、この西行寺幽々子からの手紙は書庫に仕舞っておいて、こっちの手紙は白玉楼に届けて欲しいの」
「合点。中見て良いですか?」
「駄目に決まっているでしょう」
「そうですよね(隠れて読みます)」
「…………」
 職人の直感、というものなのだろうか。普段ならば粛々と働いてくれるお燐なのに、この時はやたら突っかかった。何事もなく済むと思っていたのだが甘かったらしい。
 つまり、
「この手紙、死人の臭いがプンプンしますね(絶対読む絶対読む絶対読む)」
 犬のそれがすごいのは言うまでもないが、猫の嗅覚も侮れない。
 お燐の死体漁りは趣味や仕事を通り越して使命のようになっていて、どれだけ冷静を保っていてもこればかりは我慢できないのだそうだ。自分の任務に死体が絡むと行動の優先順位が一気に変動するらしく、私からのペナルティも方々に掛かるであろう迷惑も全て管理した上でこんな勝手なことを言い始める。
 そういう彼女にとって、冥界はさぞ居心地の良い観光地であり、彼女が西行妖に興味を持つとなると、何だか余計に面倒なことになりそうだと、思うのだ。もう遅いけど。
 1000年単位で封印されている謎の死体。
 桜の妖力に中てられて累々と積み重なった死体。
 強大な妖怪を鎮めるために自らが生贄となった死体。
 姿を拝もうと異変まで起こしたのに叶わなかった死体。
 完全にマニア向きだ。
「……やっぱり貴女に頼むの止めにするわ」
「待ってください! あたいが適任だってさとりさんも仰ったじゃないですか! 大丈夫です、私火焔猫燐、この任務そつなく超特急で済ませますから!(でも読みます)」
「でも読むんでしょう」
「まあ読みますけど!?」
「怒らないでよ」
 実際問題、地霊殿は私を含めて社交性のある人間が少ないし、地上に苦手意識を持っている者が多いため、重要な機関である冥界に失礼の無いよう振る舞えそうな面子がお燐の他にあまり思い浮かばない。この中で一番ましなのがお燐とは、我が家のまとまりの無さも酷いものだな。
 あ、誤解の無いように言っておくと、私自身のコミュ力が低いわけではありません。誰も私の高度な話術について来れないため、暫定的に「あいつは社交性が低い」とレッテル張りをされているだけです。世の中がもう少し私好みに進んでいればと悔しくてなりません。
「はあ……分かりました。私は何も聞いていなかったことにしますから、好きになさい。但し、出来る限り向こうに迷惑をかけないように。酷ければデザートを抜きますよ」
「善処します(ほい来たあ! やったあああ!)」
「善処の意味知ってる?」
「知ってます(知ったこっちゃないです)」
 ……大丈夫かなー。
「あ、折角なのでもう一つ。出発する前にこいしに会って下さい。あの子が何をしているか、帰ってからでいいから報告して頂戴」
「こいし様を探す、ですか……またこいし様の法則かなこりゃ」
「? なにかしら、それ」
「こいし様って神出鬼没で用事が無い時はそこらじゅうで見かけるのに、いざ探すとなると何故かイリオモテヤマネコばりの希少な生物となってなかなか見つからないんですよ。そういう現象を仲間達の間では『こいし様の法則』と呼んでいます。転じて、『いらない時にやたら目に付くものは必要になると姿を消す』という意味です」
「ああ、爪切りとか印鑑のことね」
 頬が緩む。変わったことを思いつく子だ。
「じゃあ、無心で探しなさい。一旦こいしのことを忘れれば、見つけられるはずよ」
「成る程。ではこの部屋を出たら任務のことは一度全て忘れます」
「ふふ、でも本当に忘れてはダメよ」



3.その眼は神を孕む

 あ、これ無理だ。
 中庭のど真ん中にて、硬い岩盤の上に盛られた土に種を埋めて水をやって肥料をやって念のため創作ダンスを披露して数分経ってから我に返ってそう思った。ちょっと演舞に熱を入れ過ぎたのか、汗で髪が顔に張り付いて鬱陶しい。
 これは無理だ。今の状況を想像してみると分かる。岩の茶色と灰色の入り混じる地底の奥底で、極彩色のステンドグラスと緑色にうねるゼンマイに囲まれて一人の美人アイドルが片足立ちで踊っている。やがて彼女の儀式の中心部にいた種は芽を出し、見る見るうちに成長して天をも貫く雄大な桜の樹へと――なるわけない。この風景で。どんな花を咲かせるのかはまだ知らないけどそれだけは確信できた。
 太陽光とか肥料の質とかではなくて、この場が、あまりにもあの時見た巨木の雰囲気にそぐわない気がする。土壌も天井も閉塞されているこの空間と、生命力の欠乏する空気の所為で、舞台が全然それっぽくない。
「むふー。これは思った以上に難題だわ」
 息が大分上がってしまった。なんだかこの庭暑い。
 見通しが甘かった。普段あまりお目にかからないから植物なんて種を埋めて物資を与えて創作ダンスを見せつければすくすく育つものだとばかり思っていたが、植物には育つための環境があるんだ。湿地でサボテンは咲かない。それは暖かさや水の量と言うよりも、周囲との調和で決まるのかも知れない。植物も空気を読んでいるのだ。私には分かる。ここに咲いてくれた植物たちはこの場所が楽しくてしょうがないと言った風に生き生きとしていている。
「この植物に理想的な空気というと……やっぱ和風家屋とかかなあ」
 今度はあの時訪れた冥界(だっけ)の光景を想像してみる。遥か無限遠方まで続く青空に触れようとするみたいに屹立する巨木を取り囲んでお姉ちゃん色の髪をした幽々子さんが含み笑いをしながら筆で書きものなんかしてて、妖夢さんは周りの花々を手入れしている。花々は桜の樹を讃えるように並んでいる。やっぱり力強い樹木はこうでないと。
「と言っても記憶が曖昧だな。ちゃんと周りも見ておけばよかった」
 何にしてもこの地下であんな明るい風景を演出するのにはあまりにも必要なステップが多すぎる気がした。一本の植物を育てるつもりであった私の野望はいつの間にか地霊殿リフォーム計画みたいな様相を呈しつつある。おかしいな。
「そうね、まずは天井をドカンと……あれ」
 我が家を空と直結させたらどうだろうかと見上げた先に光球が浮かんでいた。
「暑いわけだ」
 天井付近に浮かぶ真っ白な光の球は、地霊殿ガーデンに程よい太陽光と温度を提供してくれる。直視できる程度の光だし触ってもそこまで大事には至らない安全な物体だ。
 目を凝らして光球の先にくっついている彼女の姿を認める。いや、光球が彼女にくっついているのか。構造のよく分からないマントと、私達のよりも武骨な紅い眼がここからでもよく見える。
 直近で太陽エネルギーを浴びているのにまるで艶を失わない黒髪を無造作に垂らしながら、おくうは昼のお勤めに励んでいた。私が手を振ると開いている方の手を元気いっぱいに振ってきた。
「おくうー」
「あーこいし様! ちょっと待ってくださいもうすぐ出来上がります!」
 宣言通り、程なく制御棒から射出された光球は庭の中心、要は種の真上に陣取っている。それを満足げに眺めてから彼女は降りてきた。
「お勤め御苦労さま」
「全然気が付きませんでした!」
「そりゃそうだろうねー」
 私はお姉ちゃんと同じで能力を自覚的に制御することが出来ない。創作ダンスに熱中しすぎて姿が消えてしまっていたようだ。そういえば踊っている最中にお燐が目の前を通りかかった気もする。かなり早い段階からフローしていたようだ。
「何をしているんですか?」
「うふふ。お花を植えているの。おくうはお花好きよね?」
「お花畑はみんなが一生懸命生きているって感じがして好きです」
 元が鴉とは思えない。貴女のそういう純粋で裏の無いお花畑な所が好きよ。
「それでね。花を咲かせるためにこの庭を楽しい雰囲気を盛り上げたいの。私が今育てている植物は凄いわよ。今までにない程大きくて、強くて、そして美しいの」
 おくうは強いという言葉に惹かれたようで、目を輝かせてきた。神と融合してからの彼女は、保護欲が旺盛になって前よりも可愛くなった。強さを得た彼女は、命あるもの全てに優しくしようとしている。でも時折それが行き過ぎて、自分の中で生命の優先順位があべこべになっているところがある。
 花を食べる草食獣におくうが制裁を加えた時とかは、お姉ちゃんにこっぴどく怒られていたっけ。
「……凄い! 見てみたい! ここでも咲けるんですか?」
「それがねえ、多分明るさが足りないのよ。光って意味じゃなくて楽しさが。それでお願いがあるんだけどおくう、ちょっとあの天井をぶち抜いてくれない? もっと開放的な空間を作りたいの」
「天井に光線を撃つってことですか? 危ないですよー。私の圧倒的なパワーで天井を攻撃した場合、どれほど出力が弱くても落盤による建物の破損や怪我人の発生、庭の植物たちへの被害は不可避と」
 撤回。最近の圧倒的なパワーとやらを授かってからのおくうはちょっと生意気で可愛くなくなった。
「良いの良いの、私が責任を取るから。命ある者に怪我をさせることはないわ」
「そうですか……じゃあやりますよ! どれくらいの強さで撃てばいいですか?」
 再撤回。この子は本当に素直だ。そういえば普段目的意識とかがないから、こういう風におくうの力を借りるのは初めてだ。
「そうね、じゃあ全力の半分で」

「Caution! Caution!」

 地底全体の生き物を叩き起こしかねない音量で、耳障りな音声が流れてきた。鼓膜がびっくりして強制的に世界の音量が下がった。

「I will release the restrain device. I will complete charging energy in 60 seconds to shot “GIGA FLARE.” This operation may result in destroying. If you want to stop me, please give me some shock.(制御装置の解除を行います。『爆符「ギガフレア」』の放出のため60秒間のエネルギー充填を行います。この操作は破壊を伴う恐れがあります。停止させたい場合は本体に何らかの衝撃を与えてください)」
「はあ!? うっさいわ!!!」

 声はいつものおくうのままなのに、自分の声すらよく聞き取れない程の音量で意味不明な口上が続く。
 おくうが能力を使う時にこんなことになるなんて聞いてないぞ。こんな音を出したらお姉ちゃんどころか地霊殿中にばれちゃうじゃないの!
「何なのその音!? 音量下げられないの!?」
「無理です! 弾幕以外で制御装置を外す場合は必ずこういう言葉を言わなきゃいけないって私の中の神様がプログラムしているんです!」
「ぷろぐらむって何よ!」
「忘れました! 止めるときは私を殴って下さい! ――Don’t approach me. Don’t stand on the line of elevation. Don’t lay your belongings around here(本体に近づかず、射線上に立たないでください。所有物を付近に放置しないでください)――」
「もういい! もういいから!」
 砲身が白く光り出しているおくうの顔面に勢いでパンチすると、警告音らしきものはあっさり止まった。
「うにゅ、良いんですか?」
「どちらにせよ誰かが止めに来るわよ……」
 ああ、まだ耳鳴りがする。
 おくうに神様を持たせた連中も、面倒なことをしてくれた。これじゃあ好き勝手に能力を利用することが出来ないじゃないか。
「もっと地道に育てることにするわ……」
「それが一番です! まずは美味しいものを食べさせてあげましょうよ! この子は普段何を食べるんですか?」
 私はただ形式通りに肥料をやっていただけだから、この発想は斬新だった。この子は地霊殿の家族の中でも頻繁に地上に出入りする子だけど、地上連中とこんなので本当に付き合えるのか。それともこの底なしの純粋さは地上だと日常茶飯事で、私達ばかり鬱屈しているのだろうか。それも十分あり得る話で、確かに私が戦った人間は二人とも能天気だった。
 いやしかし、昨日出会った幽々子さんは無邪気なようでいて何か暗いものを持っている気もしたな。本当に何となくだけど。
「こいし様?」
「そうね、詳しい人に聞いてみようかしら。この子の好物」
 私はあの時出会った二人の顔を思い浮かべる。実直そうな顔と掴みどころない微笑が二人のデフォルトの表情ということに落ち着いた。私はあの場の雰囲気と美しき桜の枯れ木をもう一度見ておきたかったし、なんとなく、あそこに住んでいる人たちのことがまた気になった。これも、無意識のうちにってやつなんだろうか。
 ぼんやりと中庭の入り口に目を遣る。今からおくうと一緒に行けばおやつの時間を邪魔しない程度の頃には着けるだろうか。道筋なんて覚えてないけど、多分気の向くままに行けば着くに違いない。前回へこたれた両脚を軽く戒めて顔を上げると、妖夢さんの顔が前にあった。
「こんにちは。昨日ぶりですね」
「あれ? 本物?」
「ええ。本物の魂魄妖夢です。名刺渡しましょうか」
 あ、どうもご丁寧に。本当に庭師なんだこの人って。剣豪とか侍くらいの職業を期待していたのに。
「何でここにいるの? もしかして朝食代の取立てとか? お金どころか財布の一つも持っていないわよ」
「私たちは冥界まで来て食事をたかろうとする浮浪者に取り立てをするような鬼ではありません」
 こうして家に帰っているのに浮浪者呼ばわりとは失敬な。少し狼狽えて視線を足元に動かしたらそこにもう一つ、前回との違いを見つけた。彼女の足元に、登場するタイミングを逃したようにそわそわした猫型お燐が付きまとっていた。おくうも同時にそれに気づいた。
「お燐だお燐だ!」
「やっほーお燐」
「こいし様―! 探しましたよー!」
 いつも通りの猫車と、何故か仕事用のシャベルを手に握っていた人型お燐は、随分疲れているようだった。
「どこにいたんですか!」
「ずっと中庭にいたんだけど……ちょっと集中してて貴女には気が付かなかったかも」
「うわあ……こいし様の法則!」
 なにそれ。
「こんな昼間からおくうの警告音が流れてきたので何かと思って庭に来たわけです」
「何だったんですか、あの馬鹿でかい音は」
「能力が暴走しないためのぷろぐらむさ」
「ぷろぐらむとは一体……それはそうとこいしさん、もう一度、私と一緒に白玉楼へ来てくれませんか?」
「え、こいし様も白玉楼に行かれるんですか!? うわーご迷惑をおかけします!」
「私もこいし様と一緒に行きたいー!」
「……まあいいでしょう。大所帯でも構わないとおっしゃっていましたから」
 聴いた話では妖夢さんではなく、幽々子さんの方がもう一度私に会いたいと言ってきたらしい。
 これは私の年表にとって非常に重大な出来事だ。今まで短い妖怪人生を生きてきて、他人の家に招待されるのなんて初めてで、私は少し浮かれてしまった。しかも、招待先は今一番遊びに行きたいところだ。私は用件を聞くのも忘れて支度するとだけ告げて自室に戻り、特に 支度するものもないなと思い直してスペアの種以外を持たずに手ぶらで戻って来た。
「……あれ、こいし様? 何であたいの猫車に座るんですか?」
「久しぶりにお燐の運転を楽しみたくなったの。行きはお願いね」
「まるで帰りはご自身が運転なさるような言い方ですね」
「そんなわけないじゃない。よろしくね」
「よろしくー!」
「よろしくお願いします」
「何で増えてるの!? おくうや、合体して運転しないかい?」
「ごめんねー。この先は住人が多いから私の圧倒的パワーを使って加速しようとすると周辺の人が怪我したり服が脱げて吹っ飛んだり」
「訊いたあたいも馬鹿だったね……それと、あんまり調子に乗るんじゃないよ」
「貴女の弾幕には脱衣効果もあるのですか?」
「もし地霊殿にそんな能力者がいたら私たちは幻想郷最強の勢力だね。お燐、大急ぎでお願い。これくらい、いつも運んでる死体の数よりも軽いでしょ。私達痩せてるし」
「おくうの足が重いんですよ! っていうかあんたら飛べよ!」
 聞こえない聞こえない。



4.その眼は闇を知る

 お燐号は快適を越えた速度と多大なる揺れと痛いほどの臀部への衝撃でもって通常通り一時間ほどかっ飛ばしてくれたんだけれど、乗り物に慣れていないらしかった妖夢さんは橋に差し掛かった頃にはただでさえ色白な顔をさらに蒼くしていて、風穴を駆け抜けて地上へ出るころには歯をがたがた鳴らしていた。何とか地上に食欲減退効果を撒き散らさずには済んだけど、少し悪い事をしたかな。あれに初めて乗った時は私も気持ち悪かったよ。絶え間なく体が地面に沿ってガクガク揺れるせいで瞼が剥がれるかと思った。
 三十分は乗っていただろうか。妖夢さんは弱々しい声で白玉楼へと私達を案内してくれた。私にとっては二度目の対面となる巨大な桜の樹に、ペット二匹は大興奮。木の幹を叩いて力強さを確かめるおくうと、桜の樹の根元に頬擦りするお燐。連れてきてよかったと思った。これだけ楽しい空気を演出できたら花なんてすぐに咲くだろう。
「すいません……厠に行ってきます」
 目的地に到達して乗り物から降りた妖夢さんは開口一番そう言い、はしゃいでいる私達を弱々しく見つめてから一人トイレへ歩いて行った。
「……どうも、貴女達といると調子が狂いますね。いつもより疲れます」
 そんな言葉は聞かなかったことにした。

「凄い! 叩いてもビクともしないや。本当に何食べてるんだろう?」
「強い霊力が土の下に込められているね。それにこの不吉な香り……! とても高級なお香が焚き染められた死体が、ほぼ損傷もなくこの下に眠っているに違いない。ああおくう、この土を掘り起こしておくれ」
「勿論できなくはないけど、そんなことしちゃったら土くれが激しく吹き飛んじゃうよ。現場修復には数十分ほどかかる上に、下手をすれば私がこの封印を解いてしまうかも……」
「調子に乗るなっ。そんな軟な封印じゃないよ、うん……やっぱり一個だけ形がはっきりしている死体があるね……この匂い、覚えておこう」
 妖夢さんが席を外していたのはほんの一分程度だったはずなのだが、二匹は好き放題に西行妖を堪能していた、それを真似て、私もこの奇妙な植物に近づいて、観察してみる。
 白玉楼の庭は誰か(きっと妖夢さん)によって綺麗に手入れされているみたいで、実際この樹の根元までにも磨かれた黒い飛び石が敷かれているのだけれど、でもこの子の周りには人工の雰囲気が全く無い。根元の土は黒ずんでいて硬くなっているけど、場所柄なのか雑草や虫の姿は見えない。生き物の気配がしない大地だけがこの樹を囲んでいる。
 かっこいいと思う。思うけど、咲けない花だから私たちのような変な趣味嗜好を持っている者でなければ近寄ってくることはないだろう。
 物言わぬ孤高な大木に体を預ける。耳を澄ませても生きている音は聞こえずに、おくうに叩かれる音と樹皮の軋む音が聞こえるばかりだった。
 この子も寂しそうだ。思うだけでどうもしないけど、いつか私が手に持つ種が、こんな立派な花を咲かせてくれればいいと思う。
「お待たせしました……応接室へご案内します。それとそんなに幹を叩かないでください」
 程なくして妖夢さんが戻ってきたけど、その顔は幾分かやつれていた。

 最近仲良くなった者同士でおやつでも食べるのかと思った私の期待は裏切られた。
 畳敷きで心が安らぐ匂いに包まれた応接間は沈黙が支配していて、この間の慌ただしい朝食の空気とは随分違った。とりあえず自己紹介は済ませて、お燐はお使いを完了したみたいだけれど、幽々子さんは名乗った後ずっと喋らないままだ。
 妖夢さんはお茶を淹れに行っていて、私達は座布団に座って口を開くのを待っていたが、なかなか言葉が出てこないから私は一分で正座を崩した。ちなみにおくうは構造上正座が出来ない。お燐は背筋を伸ばして正座をしていたけど、そのうち鼻を鳴らしてそわそわし始めていた。
「あれ、今日はお茶菓子は無いの?」
「売り切れです」
 そしてそんな耐久状態は妖夢さんが戻ってからも続いたため、ちょっと私も我慢の限界である。
「あの、用って何かしら。早くお話を終わらせてまたあの樹を見に行きたいのだけど。あと桜の好物を教えて頂戴」
「あたいはそれよりも西行妖の根元に埋まる死体について聞きたくて」
「……何でそれが気になるの?」
 それを受けて幽々子さんは漸く口を開いたけど、質問に質問で返されてしまったので話を先に進めようがない。
「桜の好物は私の提案です! あの花の好きな食べ物を肥料にあげたいの!」
 おくうが元気いっぱいに返す。そうそう、いつだって明るく元気にね。でもお燐が頭を抱えているのは何故。
「……幽々子様、昨日からどうなさったのですか? 何か言いたいことが有るとのことでしたので古明地こいしを招待いたしたのですが」
「妖夢。お友達を連れて生育方法について指導しておいてくれるかしら。暫く二人きりになりたいの」
 しばらくふたりきりになりたいの。
 何故かドキッとした。


「死体についても教えてくれるかな?」
「こいし様ー! 後は私たちに任せてください!」
 あれよあれよと言う間に応接室には私と幽々子さんだけになってしまった。一時的に吹き飛んだ沈黙がまた部屋中に降りてくる。
 私は幽々子さんの眼を見る。やっぱり昨日とはまるで雰囲気が違って、何かについてずっと考えているようだった。そんな顔も綺麗で、この人には生まれ持った美しさがあるんだろうなと思った。
「ねえ、こいしちゃん。貴女はどんな能力を使うの?」
 その目を伏せず、彼女は真正面から私を見て言った。
 あの時と同じ、私の核心を突く問いだった。
 私の、能力。無意識を操るその能力の仕組みは、私もお姉ちゃんも知らない。私は昨日と違い、自分がサトリ妖怪としての能力を失っていること、代わりに、別の能力を得て得体のしれない妖怪として生き長らえていること、ただ気の向くままに散歩を繰り返してこの地に辿りついたこと全てを話した。
 それは私にとってあまり楽しい時間ではなかった。過去を捨てた女とかミステリアスという皮を被った馬鹿みたいだし、何より昔のことを思い出そうとすると頭の中がわーってなる。
 それでも、幽々子さんは真剣だったから。
 気ままに生きている私がたじろぐくらい、真剣に私を求めているようだったから、私は語った。それがこの人のためになるみたいだったから。
「無意識を操る……ねえ、それってつまり、本人が気づいていないことを引き出せるってこと」
「試したことはないけど、私に襲われた人間たちはそんなことを言っていたような気がする。参りましたとか、助けてという言葉と一緒に」
「どうしても、確かめたいことが有るの。貴女の能力で、私が忘れてしまったことを引き出したい。無意識を操るなら、記憶だって操れるでしょう?」
 記憶やトラウマを引き出すのは、お姉ちゃんの得意分野だ。でもそれは、対象の心の中に残存している記憶でないと発動しない。
 もし、あまりにも昔のことで意識にすら上がってこない記憶があったら? ショックのあまり封印されてしまったトラウマが眠っていたら? お姉ちゃんは時たま催眠術を使って無理矢理読み取ることが有るらしいけれど。
 私の能力ならば、それを読み解けるのではないか。
 私が考えなかった能力の使い方を、幽々子さんは提案した。
「貴女に会った日から、私の心がざわついているの。忘れていることすら忘れてしまったような私自身の原初の記憶が、胸の中から這い上がってくる音が聞こえるの……貴女なら、いいえ、貴女しかいないわ。私の心を知ることが出来るのは」
 心を知る。
 私が完全に失った能力を、幽々子さんは活用できるという。それも、お姉ちゃんには決してできない方法で。その提案に、少し肌が寒くなった気がする。そこは、私自身の『原初の記憶』だから。

「……心なんて、知らない方が良い。忘れたトラウマなんて引っ張り出しても。絶対にいい結果になんてならない」

 十割本心のつもりだった。なのに、口に出した瞬間後悔した。僅かに残っていた何か明るいものが、言葉と一緒に霧散してしまったようだった。
「構わないの」
 幽々子さんの決意は固かった。偉い人特有の気高さがそこにあって、野放図が服を着ているような私は、その意識に気圧されそうだった。この人でも、そんなに真剣になることが有るんだ。最初の印象とは全然見当もつかない様子だった。
「知りたい。例えそれで取り返しのつかないことになっても、私が生まれた時から記憶にぽっかり空いている深淵が、ずっと私のことを覗き込んでいるの。貴女なら分かるでしょう?」
 やめて。そんなに辛そうな顔をしないで。私に感情をぶつけないで。私の過去に触れないで。
 ありもしない責任感を感じてしまうから。
 私に出来る事を探すなんて、おこがましいことをしてしまうから。
「……貴女は、真実を知れば笑顔になってくれるの? それなら、試してみるわ」
「ええ、勿論」
 そう言って彼女は、最初に会った時と同じ柔らかな笑みを浮かべた。
 自分の能力で、誰かを幸せにすることが出来る。それは始めての局面だった。
 顔の二つの眼を閉じて、私は能力の発動を意識する。どこまで制御できるかはわからないけれど、全力で。出来うる限りの努力で彼女に触れようとする。
 これは彼女のための試みだけど、同時に私のための試みなの。私が生まれた意味、それを見つけるための無意識の旅。



5.その花は死を吸う

 死んだのかと思った。
 だって、幽々子さんの無意識の中にあった光景は、信じられないほど美しくて、幻想的だったから。
 初めて見た桜の花は妖精のように空を舞っていた。
 心象風景と記憶がないまぜになったような世界を私は航海していた。その中心に在ったのはやっぱりというかなんというか、あの花だ。ただし枯れておらず、満開。怖い位に鮮やかな桜の花々が咲き乱れていた。
 ずっと見とれていると、後ろの方から乾いた咳の音が聞こえてきた。振り返ると応接室と似た障子戸の先に、横たわる女性の影が見える。 この春麗らかな晴天の下で、風邪を引いているのは可哀想だ。私は障子戸を抜けて彼女の姿を観察する。
 端麗、薄幸、優雅。女性と言うだけでは到達できない香り立つような女性が横たわっていた。髪の色はお姉ちゃんと同じ。幽々子さんと違う所は、その表情。長く体調を崩しているのか、頬はやつれていて、目の下には睡眠不足の証がしっかり刻まれていた。
 そして、その表情は、まるで何も見ていなかった。私にはその理由が判別できない。その無表情に浮かぶ感情が、悲しさなのか呆けているのかそれとも楽しみを終えた後の感情なのか。
 ああでも、無表情で寝込む女性と言うのは儚くて綺麗だな。きっとこの人の姿を見るだけで心が安らぐ人もいるのだろう。場違いにもそんなことを思った。
 しかし周囲に彼女を見ている人は誰もいないようで、乾いた咳だけが屋敷にこだまする。この子は、孤独だった。病気なのに、私も経験したことが有るような酷い孤独の中にいた。
「お近付きにならないで」
 心象風景が私に語りかけてくる。
「私にあまり近づきすぎると、貴女も死霊に触れてしまうことになります。私と共にいる者は、必ず不幸になるのですから」
 その言葉に、心臓が早鐘を打ったように高鳴り始める。私はその言葉を知っていた。
 自分に近づく皆が不幸になる。
 この人は、私だ。
「それに、病気も伝染ってしまいます。お父様が言うには、随分治すのに時間がかかる病気らしいですから」
 彼女の傍らにあるのは積み上げられた分厚い書物と、それから筆と墨と短冊だけだった。優雅さを助長する雰囲気だけは感じられたが、普段何に使っているのか私の知識ではわからなかった。
「だから私は、一人でここにいます。一番好きな景色を見て、息絶える勇気もなく、あの孤独な桜のおぞましさに魅入られて……でも、それももう御仕舞い」
 空けた両手を畳につけて、ゆっくりと彼女は立ち上がる。乾いた咳と一緒に僅かな喀血が白い寝間着に垂れたが、気にする様子もなく障子戸を開けて外に出る。令嬢と桜のモチーフが、蝶の舞う庭園に彩られている。私以外の誰も、二度と見ることのできない光景。
 ふらりふらりと吸い寄せられるように西行妖へと歩を進めていく彼女と一緒に、私も視点を近づける。
 間近でみた西行妖は、美しいというよりも怖かった。見つめていると息がつまってしまって、そのまま倒れそうなほどの夥しい花が私たちを見下ろしている。
 そしてなにより――花に魅入られて、根元に目がいっていなかった。何故見落としていたのか、信じられない光景がそこには広がっていた。
 骸だ。根に抱きつくような格好で、たくさんの人間の死体が転がっている。背中を悪寒が走った。私がこの花に感じた恐怖は正しかった。こうなる人間がやっぱりいたんだ。
 
 じゃあ、それに歩み寄る彼女はどうなるの?
 貴女がその手に持っているのは何?

 西行妖の幹を撫でた彼女に、初めて感情のようなものが現れた。でも、それもやっぱり私が知らない感情だった。だって、泣きながら笑うなんてこと、私の一生に一度も登場しなかったのだから。
 きらりと彼女の手元が光った。彼女が手に持っていたのは刃物だった。ゆっくりとその刃が彼女の細い身体に入っていき、その口の端から一筋の真っ赤な血が流れる。服がどんどんと赤く染まり、苦しげな声が咳と共に漏れてくる。私は怖くて目を逸らした。でも耳は極限の緊張で蝶の羽音まで聞こえるくらい済まされていて、息詰まりに混じる微かな声が入ってくる。
「私は……これでもう「もう帰って下さい」
 突然の外部からの音声に、私の意識は急速に引き戻された。

 覚醒しても頭の奥が少し痛んだ。
「もう帰って下さい」
 何時の間に戻って来ていたのか、妖夢さんが二回目を言う。冷たい言葉だった。
「西行妖の根元を掘り返そうとするだけなら兎も角、幽々子様にまで手を出すとは。信じて招待した私が間違っていたようです」
 見ると、お燐とおくうにも叱られた痕があった。
「幽々子様! しっかりして下さい!」
 幽々子さんはがっくり項垂れていて、暑くもないのに額に玉の汗が浮かんでいた。苦悶の顔が、喀血する彼女の姿と重なる。
「やめ、て、妖夢。私なら、大丈夫、だから」
「駄目です。私には幽々子様をお守りする義務があります。危険な目に遭わせるわけにはいきません」
「こいし様、今日はもう帰りましょう? お姉さん、疲れているみたいだし。お燐も悪いことしちゃったし」
 ああ、そうだよね。痛みを伴う探求なんて、やらないほうがマシだもの。
「今日と言わず、二度と来ないでください! お前達は、幽々子様に害為す恐れがある!」
 だからそんな言葉も、分かり切っていたことだから傷つかない。悲しみも悔しさも、私のいない世界で活躍してほしい。
「申し訳ないね。今度はちゃんと、断りを入れてから発掘に来るから!」
 お姉ちゃんが言っていた。
 お燐は、嫌われることを怖れずに実利を求めるタイプ。
「大丈夫だよ、お燐もこいし様も本当に優しいんだからー!」
 おくうは、嫌われてもめげずに和解するため手を伸ばすタイプ。
 そしてお姉ちゃんは、嫌った相手を嫌い返して楽しむタイプ。ド変態め。
 じゃあ、私は?
 私は拒絶されたらどうするの?
 私は今まで逃げることしか出来なかった。



6.その眼は心を知る

 ボロボロな様子でこいし達が帰ってきてから丸一日。
 帰ってきたこいしは、それはそれは荒れていた。ふさぎ込んでいたかと思えば調度品を倒し、再び自己嫌悪に陥ったように黙り込んでしまった。夕食は長い時間調味料を弄び、その割にほとんど口にしなかった。
 荒れたこいしを見るのは久しぶりで少し焦ってしてしまったけど、いつもの発作的な癇癪とは違った生物らしい感情を持ってくれていることは――底意地が悪いと思われるかもしれないが――少し嬉しくもあった。あの子が久しぶりに、負の感情に正面から向き合っている。
「――助けて」
 嫌われることには慣れていた。私を憎むことが暗い感情のはけ口になるのだとしたら、それはお互いが得をする関係だし、私はそんな連中を楽しく憎める程の出来る図太さを持っていた。妹は持っていなかった。それだけの違い。
 助けて。こいしは覚えていないようだが、それがサトリ妖怪としての彼女の最期の言葉であり、私はそれに何一つとして応えてあげられなかった。そして彼女の最期の心は、伸ばした腕の先から溶けるような真っ暗闇だった。
 最期の言葉を聞くのは、お燐の方が得意だ。この言葉を上手に受け取れなかった私は、まだ答えを燻らせている。
 私なんかに助けを求めないでほしかった。貴女は心が優しかっただけなんだから、自分を追い込む必要なんてなかった。サトリ妖怪に生まれたことを恨むのなら、自分ではなく私から嫌ってくれればよかったのに。
 そうして彼女は、私の手の届かぬ存在となった。

 白玉楼で何があったのかは黙秘権で抵抗するお燐から勝手に聞いた。私の不安は的中し、向こうさんを刺激してしまったようで気が重い。私が謝りに行くことで場を無理やり収めることは簡単だけれど、それではこいしの期待に添えない形になっている気もして少し難しい。
 あの子はまだ、その手に種を握っているのだろうか。大抵のことに無頓着な彼女があの花に惹かれた理由として一つだけ思い当たることが有る。
 彼女は、自分の手で強い何かを生み出したかったのだと思う。
 自分の能力が、自分そのものが、誰かを幸せにすることができるかどうか、彼女はその賭けに出た。生命を生み出すことも、西行寺幽々子の過去を呼び出すことにこだわったのも、自分が何かになるためだった。
 こいしは、嫌われてでも相手を愛するタイプ。それが行き詰ってサトリ妖怪をやめた。
 私とは正反対のことを成そうとしている彼女を、如何にして応援しようか。今の私はそんなことを考え始めながら、資料探しをしていた。
 調べ物は、主に西行妖と西行寺幽々子に関して、それから昔地上を騒がせた春雪異変に関してだ。資料は限られているし一日二日で取り寄せられるものではないけど、今は貴重な目撃者がいる。
 お燐への尋問、開始。
「貴女は掘り起こした西行妖の下に何を見たの?」
「黙秘権を行使します(侍お姉さんの監視をかいくぐってシャベルで掘り起こそうとしたのですが大体の死体は骨も残っていない状態で、匂いがするだけでした。ただ一個だけ掘っていると固いものに当たって、桐製の棺のようなものが見えました。恐らくあれこそが西行妖を封印する死体に間違いないと思います)」
「やっぱり手紙を見たのね」
「黙秘権を行使します(はい、見ました。でも封を開けた状態であたいにあれを手渡したさとり様に非があると思います)」
「私が気になるのは、その封印された死体のことなんですよ。何でも良いので、特徴を教えてください。何故貴女はその死体が特別だと思ったのですか?」
「黙秘権を行使します(そうですね。半分近く埋まったままでしたけど、結界仕込みに厳重な封がしてあったんですよ。だからあれが件の死体で間違いないでしょう。お香の臭いが死臭の中でもよく分かりました)」
「そのお香、どこかで嗅いだことが無かった?」
「え……(西行寺女史のそれと同じやつでした。次は是非こじ開けて中を確認いたしますが、あの人の知り合いかな)」
「分かりました、どうもありがとう。助かったけど今週はデザート抜きね」
「あー」
 がっくりと肩を落とすお燐に、もう一つだけ質問した。
「ねえ、お燐。貴女が扱っている怨霊なんだけど、彼らは自分が死んだことを知らないのよね」
「? ええ。死んだ時のことをはっきりと自覚していれば、その怨霊は消滅しますから。死んでいることを自覚していないか、認めたくないかのどちらかになります(大体怨霊は後者ですかね)」
「そうよね……よし。お燐、貴女に新しい任務をお願いするわ。今度は体裁を気にする必要は無い。出来る限り派手にやりなさい。成功したらデザート抜きを六日にしてあげる。私の指示を受けたらおくうと一緒に白玉楼へと向かいなさい」
 お燐の尋問、終了。こいしの尋問に比べたら100倍は楽な仕事だった。
 もし、私の予想が正しければ、これで面倒事を避けつつも良い結果を出せるはずだ。あとは、この子たちとこいしの頑張り次第。そしてきっと、白玉楼の皆さんの心意気次第。
 私は地底一の嫌われ者らしく、裏方で仕事をさせていただこう。まずは桐箱だ。



7.その身は生きたがる

 その日眠ろうとした時も、目が覚めてぼーっとしていた時も、申し訳程度に朝食を食べた時も、あの光景が頭から離れなかった。
 手元で光るナイフ、服に垂れる喀血の痕、死者だらけの世界に倒れる若い幽々子さん(今も若いけど)。
 私の能力が、あんなに辛いものを引きずり出してしまった。
 もう知らない。何もかも知らずにまたふらふらと無気力に生きてやる。
 何でこんなことに真剣になっちゃったんだろ。どうして変に自分の意志で動こうとしてしまったんだろう。もう、とうの昔に諦めていたはずなのに。
 殆ど衝動的とも言えるはずみで庭の種を地面から引きずり出し、ついでにゼンマイも引き千切って散らし、部屋の壁にぶつかりながら歩いていると、なんだか余計に物を壊したくなるようだった。それでも種を手放すことは出来なかった。
 楽しさが、足りない。
 でも、それを補充する役は私じゃなかったんだ。
 部屋に帰ろうかふらりと外に出かけようかと思案したころには私は気が付いたら門扉に居た。またなんだってこんなところまで引き寄せられてしまったんだろう。また家出欲求が湧いてきているのか。

 ところが、このあての無い散歩は、またしても出会いをもたらす。
 何だって一番会いたくない時に、一番会いたくない人と対面を果たすことになってしまうのか。世の中は私のように不条理な因果関係で満ち溢れている。
 中空に浮かぶ魂とセットで、妖夢さんが門にいた。

 三度目の対面となる妖夢さんは、これまでとは全く違うオーラを発していた。それは殺気と呼ばれるものだ。殺気を蓄えた険しい顔と、二度と来るなと言う拒絶の言葉が重なる。
 元はと言えば、あの人の所為で今こんな楽しくない雰囲気にあるわけだけど、いつもと違って私は彼女に対して殺気を抱くことが無かった。私に種を与えてくれた、それだけで私はあの人を良い人だと思っている。
「あの、妖夢さ」
 声をかけたのは『それ』じゃなくて『あれ』の距離だった。それなのに次の瞬間妖夢さんは『これ』の距離で刀を振るったものだから、完全に冷静さを失った。
「うわっ!?」
「貴女ですか。どいてください、用があるのは貴方の姉です」
「お、お姉ちゃんに、用事? 呼んでこようか?」
「結構です。貴女は手を引いて連れてくるでしょう。私は首を掴んで白玉楼まで持っていきますので」
「穏やかじゃないな。何があったのさ」
「何が……? お前達の所為で、幽々子様がッ!」
 叫んで、剣を私に付き出す。
 駄目だ、近づけない。直接的に感情をぶつけられ、本能が総力を挙げて忌避すべきであると告げる。拒絶されることを拒絶するため、この場から身を隠そうとして、

 そこでやめる。

「ふ、ふふふふ。お姉ちゃんに会いたければ、中ボスの私を倒してから行かなければなりませーん!」
 私の責任だ。ここで逃げたらお姉ちゃんは痛い目に遭う。痛い目に遭うのに慣れていても多分遭わないに越したことはないはずだ。私が彼女を止めて、その足で幽々子さんにもう一度だけ会いに行く。
 まだ終わってないんだ、私の探検は。
「……いいでしょう。貴女には個人的な恨みもあります」
 ああ、やっぱりあるんだ。負の感情をぶつけられるのは怖くて嫌いだけど、実際にぶつけられても悲しいとかいう気持ちは湧いてこなかった。なんて歪な体。
「私の能力、知らないだろうから教えてあげる。貴女には私の姿を捕えることが出来ない。ここで出来る限り耐久スペルに付き合ってもらうよ」
 とは言うけど、いつまでも姿を消していたら相手にされなくなる。適度にちょっかいをかけて足止めするか、一思いに気絶させるのが最上だろうか。私は一足で妖夢さんから離れ、隠れる。隠れることに集中すればするほど、私の姿は妖夢さんの意識を離れる。
 私の姿が消えたことに、妖夢さんは一瞬狼狽えた。どれだけ熟練した武道家であっても、間合いが測れなくては戦うための体勢を取りようがない。こちらのトリックが割れていない限り、絶対に私は先手を取れる。
 先に弾幕以外の方法で仕掛けてきたのだから、私が卑怯な手を使っても不問だよね。私は路傍の小石を拾い、高く放り投げて妖夢さんの背後に落とす。そして、彼女の体が反応して振り向いたと同時に接近して一撃、彼女の首筋に体重を込めた手刀をお見舞いする。武士道がなくてごめんなさいっ!
「ッ……! 何の真似かは知らないが、小癪なことを……!」
 なのに、その一発を妖夢さんは耐えた。それどころか振り向きざまにその刀を振るうだけの余裕まであった。
 嘘でしょ。完全な不意打ちだったはずだ。心構えもなしに今の一発を耐えるなんて、人間なのにどれだけ頑丈なんだ。
 振るった切っ先が私の前髪をぱらりと落とす。しまった、これで『私はこの場にいないのではなく見えないだけ』という種の半分は知られてしまった。もう少し踏み込まれていたら色々と悲惨なことになっていたに違いない。
 けれども、明らかに動きは鈍っていた。妖怪ですら昏倒する不意打ち手刀だ。私は再び息をひそめ(ひそめる必要はないのだが)妖夢さんの周りを移動する。長期戦になって不利になるのも困るのもあちらさんだが、私はできるだけこの殺気の空間に居たくなかった。隙を見て、後一発、見えない奇襲を後一発叩きこみさえすれば大人しくできる。この場に居続けるのは好ましくない。あんな攻撃的な意識に晒されるだけで、こちらも体力が消耗されてしまう。
「……なるほど、そこにいるな? もう一度来てみろ! 次は逃がさない!」
 今までの暗い攻撃態度ではなく、明確なまでの殺気を場に持ち込まれ、私は背中にぶわぁっと恐ろしい程の汗をかいた。自分の位置とは全然見当違いの方向を向いているというのに、100個の瞳で見つめられているような感覚、その敵意に一瞬たじろいで能力を緩めかけてしまう。
 何で、何でそんな怒り方ができるの? 他人を傷つけも他人に傷つけられもする諸刃のような感情を眼前に突きつけられ、私は反射的に動いていた。側頭部への全力殴打で、すぐにもこの殺気を黙らせたかった。妖夢さんの利き腕の逆、左側に密着して自分の右拳を叩きこむ!

「っうえあっ!?」

 この汚らしい悲鳴が自分の口から出たのだと気付くまでに、一瞬の時間を要した。
 妖夢さんの側頭部に拳を持って行き、殴りぬけようと髪に触れたその瞬間、強烈な力を背中に感じ、たたらを踏んだのだった。
 息が苦しい! 振り向きざまに正体不明の力を払おうとしたが、逆に締め上げられ、肩を捻ることもできない。
 咳き込みながら首だけ振り返ると、そこには青白い色彩の妖夢さんが私の襟をがっしり掴んでいた。
「キモッ!?」
「キモいとか言うな!!」
 その突っ込みが無ければ、私自身も今頃二つになっていたことだろう。動揺して能力が解けていた所為で、妖夢さんにも姿が見えていたことに気付けたからだ。私は浅く入った打撃に耐えきった妖夢さんが払う一閃を、偽妖夢に体を預けるように引き下がって躱しきった。けれどもその風圧だけはどうしようもなかったらしく、お気に入りの黄土色の服が正面からぱっくり。そして私の皮までその斬撃は届いていた。
 僅かな痛みと共にゆっくりと血が滲み始め、それからパニックとともに鋭い痛みと暖かさが腹部を伝った。
「……ったああああああああ!!」
「御免」
 偽妖夢に引きずり倒されながら痛みを訴える私に、あろうことか妖夢は二撃目を突いた。遺言を言う暇もないと思ったが、その刃は私のどの急所とも違い、右手の脇を掠めて地面に突き刺さった、だがそこからすぐに、私の右手小指下から勢いよく血液が流れ出し始めた。これってまさか
「さて、これで隠れられませんね」
「うあ、て、て、て、ててて……!」
 このサムライ、本気だ。本気で私を敵としか思ってない。
 私が一体何をしたっていうんだ。ただ生きていただけだろう。そんでもってあんたの大切な人に協力しようとしただけじゃないか。
 偽妖夢は両足を押さえ、本妖夢は私の両手を足で押さえつけて構える。なんだよこれ。こんなことが出来るなら先に言っておいてよ。
「いいですか、生命に悪影響は与えません。貴女には訊きたいこととやってもらいたいことがいくつかありますからね」
 相変わらず直視に堪えない暗い感情がその目には宿っている。その目はやめてくれ。そんな目で私を見ないで。
 けれども、殺すつもりがないというのは朗報だった。
「はあ……それは、一安心……」
「ただ、これからの返答次第では覚悟をしておいてください」
 なんだよ。やっぱり殺すつもりなんじゃないか。意味の無い嘘を吐くな。
 妖夢さんの殺気は全然消えない。その意志は私が今まで見たことない強さで、間近で晒され続けるだけでどうにかなりそうだ。
「貴女は、幽々子様に何をしたんですか?」
「……何かを、したのは、私じゃ、ない。向こうの」
「死にたいんですか?」
「死――」
 駄目だ、とても分かってもらえそうにない。会話にならないのは妖夢さんの所為か私の所為か? 私には全くわからない。妖夢さんが何故これほどまでに攻撃的なのか、何故私の言葉を聴こうとしないのか全然分からない。
 本当に苛々する。血が足りないし酸素も足りない。昼食を食べそびれてお腹だってすいてきた。欠乏の三重苦だ。
「死にたくは、ないんですか。じゃあお姉さんを引っ張り出してください。そして今後我々には近づかないでください」
 剣先は私の首へと向けられている。
 果たして、私はここで首を落とされたらやっぱり死ぬのだろうか。さとり妖怪でありながら心臓にも近いこの目を閉ざして、それでもなお生き延びた私でも、首が無くなったら生きて行ける自信が無い。いや、それとも新たに一つ目妖怪と呼ぶべきか首なし妖怪と呼ぶべきかよく分からない何かが誕生するのかもしれない。首が無い一つ目妖怪とか、とても想像しにくい名前のへんてこな生物と化してそうしてまた自由気ままに生きるんだ。
 それはどうなんだろう?
 いつもと変わらない気がする。私はいつだって放浪をしていて、生きる目的もなければ、レゾンデートルも分からない意味不明なフラフラ妖怪。何をしたって生きていける代わりに、何をしなくても生きてしまう私……

 ……いや、
 そうか、一つだけ、あったか

「――もずく」
「は?」
「もずくが美味しかった」
 さっきから腹ペコだ。あの時みたいに空腹すぎて意識が吹っ飛びそう。
「半熟目玉焼きに醤油をかけてもいけるし、じっくりと煮干しで出しを取った味噌汁も岩塩のかかった焼き海苔も美味だった。そもそも醤油からして絶品だった。それをかけた焼き魚も小鉢に入った水菜も大根も油揚げも味が染みていて本当に美味しかった……」
「何を急に言い出している?」
「あんたの種族なんて知らないけれども、私は妖怪。それなのにあの時空腹で倒れてた」
 ああ、あの時の米は天国の味がした
「私が最後まで聞くとでも思っているのか」
「黙って聞け。知らなかったんだよ、私には……」
 苛々はどんどん募ってくる。そうだ、あの時は死に物狂いで食いまくった。自分から命を閉ざした、何にも分類されない放浪妖怪が、無心で、周りの迷惑も考えず空腹を満たすみっともない姿を晒した。命持つ者としての生存本能か? 苦痛に耐えかねて飛びついただけか?
いや、違う。何故なら私には

「私には生きる意志があるッ!」

 躊躇する暇なんかないけど、それでも一瞬躊躇して、私は出来る限り最大の勢いで大事な大事な心臓を妖夢の持ち手にぶつける。
 出来る限り最大の勢い、っていうのは、私自身がそれをぶつけた痛みと衝撃で失神しないギリギリの勢い、ということだ。
「何!?」
 どうやら奇襲は成功したらしい。思わぬ角度からの衝撃で妖夢の刀が手から滑り落ちる。それを全力で首を動かして回避し、気は進まないがもう一度第三の眼をぶつけて弾き飛ばす。回転しながら滑って行く刀が横目に見える。
 率直に言って、滅茶苦茶痛い。いくら瞼が硬かろうとも、眼球で他人を殴ったようなもので、ぶつかる度に頭の中と第三の目にヒビが入るみたいな痛みが、しかもどんどん大きくなるように押し寄せてくる、いっそ殺してとさえ思ってしまう。
 でも、私は生きる。妖夢へ向けた気合の咆哮が全力で口を突いて出てくる。

「痛あああああああああああああああああああああ!!!」

「えっ、えっ」
 理想的な咆哮とは少し違ったけど。
 だが不測の事態で慌てたのか足の拘束が緩んだ。足さえ動けばこっちのものだ。足をするりと引き抜き、今度は妖夢の急所に渾身の力で眼球をぶつける。
 急所っていうのは、ほら、脛。
 ベンケイ・メイ・クライ!

「ぐわあああああああああああああああああああ!?!?」
「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!」

 走馬灯一周分の静寂から遅れてどっちのかも判別もつかない絶叫が地底に響く。私の全身がサードアイ一個分のサイズに詰め込まれて蹴鞠をされているような、そんな冗談みたいな痛みに全てを投げ出したくなる。
 だがのた打ち回っている暇はない。サードアイのコードを怯んだ妖夢の足へと絡まらせ、無理矢理に転倒させる。人型に生まれたことを後悔する痛みの中で、喝を入れて自由になった手足で立ち上がり猛然と刀の方へダッシュする。私はサードアイ、向こうは脛。どっちのダメージが行動に支障をきたすかなんて分かり切っている。必死に痛みに耐える妖夢を尻目に私はついに得物へと辿りつき、姿を消す。けれども一息つこうとして、漸く背中を斬りつけられた痛みに気付いた。妖夢は短めの刀剣を握っていた。う、やっぱり二刀流は飾りじゃなかったのか。
 畜生。死んでたまるか。私の前の道はまだ無限に広がっているし幽々子さんもお姉ちゃんもまだ生きているし桜が芽吹くところをまだ見てはいない。
 私には何もするべきことが無いし、何をすればいいのかもわからない。心も読めなければ人間の感情を食う方法も全く知らない。
 それでも、こんなところで私がくたばって良いわけがない。
「貴様ァッ!!」
 持ち直した妖夢の怒りが爆発する。
「付け焼刃の剣術で私に奇襲をかけるか! やってみろ!! 貴様のと私のとで二つの首を落としてやる!!」
 あの人は、逆だ。生きてやるべきこともあるし生きるために努力をしているのに死ぬことを全く怖れていない。どんな心理をしてるんだ。
「許さない……! 我が主の正気を奪い、しかもあんな痛い思いをさせられるなんて……!」
 こうだ、こうやって怒りを爆発させるんだ、あのサムライと同じ、何も難しいことじゃない。
「こっちだって痛かったわ!!!」
 妖夢の鋭い眼光を見据えながら叫んだ。まだショックで頭がガンガンなっているのに、自分でも信じられないほど大きな声が出た。
「あと腹減ったんだよばかやろう!」
 もう姿を消して殴ることに意味は無い。私が歩いた後に残る血痕の所為で攻めることも逃げることもできない。
 残った策は、この幻想郷で最も重要な技術。
「その短い武器と弾幕でかかってこい! 貴女がぶっ倒れるまで、私は逃げ続けてやる!」
 避けることだ。
 長いリーチの刀は幸いなことに没収できた。線じゃなくて点の攻撃なら、私にも避けきれる。
 言葉と共に、私は全てを忘れる。
 敵意も戦意も怒気も焦燥も全て、私の中から排斥する。眠るように自分の意識を無意識へと吸収させればいい。そうすれば、真に私に触れられる人間は誰もいなくなる。
 視界がぼやけて耳が遠くなり、妖夢が何をしているかもはや確認できないが、それでいい。余計なことは一切考えず、攻撃が来たら避ければいい。この避け方は、あの時私と遊んだ巫女に似ているかもしれない。まるで考えが無いような動きなのに、あいつが左右に体を揺らすとそれだけで私たちの弾幕は空を切る。
 ふらりふらりと動き回って、耐久対決だ。私の血液が尽きるか、妖夢の体力が尽きるか、それとも、

 あ、もう意識が飛ぶ。


「……こいし様! こいし様! どこですか!」
 意識が飛んでからどのくらい時間が経ったのかは分からないけど、お燐の声が耳に届いて、急速に私の能力は解除された。
「……こ、こ」
「! 良かった! おくう、こっちだ!」
 真横になった視界に、お燐の姿が見えた。いつの間にかやってきたのか知れないけど、地霊殿の門が半壊しているので相当派手な方法でここまで来たらしい。お燐の向こうには、私と同じように倒れ伏している妖夢さんと、それを見つめているおくうの姿があった。

「お前! こいし様になんてことをッ!」

 え? 待って。なんでおくうはその砲身を、妖夢さんに向けてるの?
「許さないッ! ――Caution! Caution! I will release the restrain device. I will complete charging energy in 60 seconds to shot “MEGA FLARE.”――」
 声が出ない。待っておくう。その人は何も悪くない。頼むからむやみに能力を振り回さないで……
「調子に乗るな!」
「うにゅ!」
 放たれそうだった光線は、あっけなく止まった。お燐が殴って止めてくれたのである。
 そうか、このためのぷろぐらむか。
「あんたはこの人を裁けるほど偉くなってないよ。これはこいし様の問題だ」
「ごめんなさい……ありがとうね、お燐。もう少しで神様がアンインストールされるところだったよ」
「あんいんすとおるって何だい?」
「知らない。でもそれが起こると私は能力を失うらしいの」
 自分の能力に未練があるのか、良いことだ。
「こいし様、聞こえますか? 悲鳴が聞こえたのでここまで合体技で飛んできました」
 合体技と言うのがとても気になったけど、今の私にはうなずくことしか出来ない。
「その余波で決闘の邪魔をしてしまったし、門も壊しちゃったけど、今は全部忘れてひとまずお休みください」
 もう本当、ウチの家族はトラブルメーカーばかりだ。
 でも、言葉に甘えられるのは家族だけよね。



8.その刃はただ真っ直ぐに

 お姉ちゃん譲りの低血圧で寝起きの悪さに定評はあるが、その後は急に意識が引き戻されたように起きることが出来た。最初に目に入った自室の天井画は私にとってシミにしか見えない。
 一番最初に気になったのは自分の身体。サードアイはまだ鈍痛がするけど、出血はしっかりと押さえられていたし、眠ったお陰で疲労とかは大分和らいでいた。ちなみにスカートとかはそのままだったけど、上着は脱がされていて、包帯やら軟膏やらが手際よく施されていた。
 そして、ベッド脇のソファに座っていたのは意外や意外、少し前まで死闘を繰り広げた妖夢さんだった。彼女には目立った外傷がなかったけど、ちょっとだけ年を取っているように見えた。
「おはようございます。気分は?」
「はあ、最悪だわ」
「同感ですね」
 お互い続きをするほどの元気は無かった。
「私はあの変な音の後、頭に何かをぶつけて気絶してしまっていたようです。それにしても最後のアレは空気を相手にしているようでとても面白い技でしたね。できれば打ち破れるまで再戦をお願いしたいほどに」
「はは、絶対やだ。で、何で待ってたの? 今のうちにお求めのお姉ちゃんを連行しに行けばよかったのに」
「今から私と一緒に白玉楼に来てください」
 以前も聞いたような招待だったけど、抱く感想はまるで違って、行きたいけど行きたくないような、私の知らない複雑な気持ちが胸に渦巻いた。
「私を、許してくれるの?」
「それをこれから決めます。幽々子様は、今大変苦しんでおられる。亡霊である幽々子様が、夭折した時のことを思い出されたようで能力が暴走している。ご本人も周囲の人間も、命が危ない」
「ちょ、ちょっと待って。私に命がけであの人を止めろと?」
「当たり前でしょう。それが出来なければ私が止めるまでです」
 あっは、お腹すいたなー。折角九死に一生を得たっていうのに。
「どういう心変わりなの? 私が疫病神ってことは、もう十分わかったじゃない。体よく死んでほしいとかそういう話?」
「悲観的な考えもできるんですね。でも違います」
「じゃあ」
「……貴女のお姉さんに頼まれました」
 言って、がっくりと首を垂れた。あ、この感情は私でもよく知ってる。お姉ちゃんと話をした人の十人に九人はこう言う顔をするから。黙っていると勝手にお姉ちゃんについての愚痴を零してくれた。どうやらトラウマはバッチリのようだ。

「あの人、私が目覚めた後なんて言ったと思います? 『まずは地霊殿の主として、謝ります。私の妹とペット達が白玉楼の皆様方に迷惑をおかけしたこと、不可侵と警告されていた西行妖の謎に触れてしまったことを。そしてもう一つ、貴女自身の「西行寺幽々子の護衛」に対する姿勢を揺らがせてしまったことを。これから私なりの形で責任をとらせてもらいます』ですよ。私が怒りの言葉を発するよりも、大義名分を楯にするよりも先に謝罪をしてきたんです。これで改めて彼女のことを責めたら、まるでこっちがわがままを言ったみたいではないですか。そしたら『ですからお互いわがままは抜きにしましょう。この話はこれでいいじゃないですか。今は西行寺幽々子を救うのが先決です』ですって!? 何であの人が私の代わりにそれを言うんですか!!」

 お姉ちゃん相手だとこの愚痴すら聞かせることが出来ないからね。議論においてあらゆる生物はお姉ちゃんに封殺されるしかないのだ。

「挙句の果てに『貴女は迷っている。西行寺幽々子の要求を優先すべきか、それとも彼女の命を優先すべきかです。自分の命を天秤にかけないのは流石と言うべきですが、彼女の状態は深刻でいたたまれないようですね。けれどもそのどちらも解決される可能性がある。そしてその鍵を握るのは、私の妹。貴女もそれを勘付いてはいたけれど、その心を封じ込んで報復と言う名目でここに来たみたいですね。何せ私の妹は、探せば探す程見つけにくくなり、他に優先することが有る時に出会いやすくなるそうですから』とか何とか! 自分が自分に吐いている嘘を他人に指摘されるのがどんなに腹立たしいか、貴女には分かりますか!」

「分からないなあ」
「はあ、全く……」
「「あんな女、もう顔も見たくない」」
 これも、十人中九人が言う台詞。理論に沿った怒りの道筋を断たれた人たちは、純粋な嫌悪感だけをお姉ちゃんに向ける。
「心配しないでいいよ。あれがお姉ちゃんの趣味だから。ド変態でも私のことを大切に思ってくれている、大好きなお姉ちゃんだ。それよりも、私が鍵を握っているって?」
「ええ。幽々子様がああなったのは確実に貴女の所為です。けれども貴女なら、幽々子様の過去に触れることが出来た貴女なら、それを解決できるかもしれない。私も信じています」
「期待させないでよ。こんな私が本気になったら、また碌でもないことが起こるわよ?」
「今は碌でもないことになって欲しいんですよ」
「それなら安心だ」
 私は、痛む体を押さえてベッドから飛び降り、部屋の壁に掛かっていたお気に入りの帽子を手に取ろうとして、右手をずっと握りしめていたことに気が付いた。片時も離さなかった自分の意志が、少しだけ誇らしかった。
 お気に入りのワンピースは胴体に切れ目が出来てしまったのは、今度お姉ちゃんに何とかしてもらおうか。
「その必要はありません。私が既に縫い合わせておきました。血の痕はまだ少し残っていますが、後日念入りに洗えば何とかなるでしょう」
「え? あ、ありがとう。急にそんなお姫様みたいな扱われ方をすると何だか照れるな」
「貴女はお客人ですから。それに、その傷は私が付けたものです」
「かっこいー。義理堅いんだね。これが侍根性って奴かしら」
「だから貴女も私の脛に刻んだ痣を忘れないようにしてください」
「…………」
 義理堅すぎるのも考え物だな。



9.その蕾は疎まれて

 いわばこれから死地へと赴くわけで、きっと門の前では皆が整列して出迎えてくれているんだろうと思ったのに、待っていたのはお姉ちゃん一人だった。
「お燐とおくうは?」
「……今回は色々と粗相をしたからね、部屋に閉じ込めて反省させている所よ」
 それを聞いて妙な気分になった。なんというか台詞に中身が無いというか、思わずタンマと言って聞き返したくなるような納得のいかなさがあった。
「……知り合った身として忠告しておきますが、身内に嘘を吐くのは癖になるのでやめておいた方が良いですよ」
「貴女も西行寺幽々子に嘘を吐くのは今回限りにしておくのが良いでしょう」
「あ、今の嘘だったんだ」
 そうか、これが嘘を吐くときの感情なんだ。
「本当はどこにいるの?」
「教えない」
「私も知っているけど教えません」
 やれやれ全く二人ともお茶目だなあ。怒っちゃうぞ。
 それから妖夢さんとお姉ちゃんは暫く作戦会議のようなことをしていた。二人とも私に背を向けていて、何度聞き出そうとしても何も答えてくれなかった。こういう時に能力さえあればね。

「こいし――貴女には、言葉で伝えないといけないわね」
 改まった表情でお姉ちゃんが言った。
「西行寺幽々子の心は、きっとそこまで暗くは無いの。伸ばした腕が解けてしまうような深い闇の中であり、ありふれた暗闇の心に違いない」
「まるで見てきたような言い方だね」
「見てきたのよ。世の中の絶望は生き物の空想と理解を超えるほどに残酷なものがいくらでもあって、私はそれらを全て目の当たりしてきた。西行寺幽々子の苦悩は、きっとその中に含まれる程度の物。でもね、」
 その孤独を模した暗闇の心は、私にとってのトラウマなのよ。
 私を見つめるお姉ちゃんの眼は、いつものような眠そうな目じゃなくて、とても真剣だった。
「私はかつて、その暗闇を前に何もしてあげることが出来なかった。そして今回も、そう」
 第三の眼が瞬いた。
「私の心は強いかもしれないけど、私じゃ誰かを幸福にすることは出来ないのよ。本当に強いのは、サトリ妖怪として死んでも諦めない貴女の方なの」
 溢れ出るお姉ちゃんの悲しみに呼応するように私の眼も少し柔らかくなった。
「少しだけ、嫉妬しているの。孤独の闇を正面から見据えることができる貴女の眼に」
「……なんか照れるな。うん、分かってる。あの人と話が出来るのは、私だけだって」
 彼女の心を引きずり出して会話をするのは、私の能力以外には不可能だ。幻想郷中で、私だけ。
 なんだかこんな時なのにワクワクする。
「こいし、貴女は気負わずに生きなさい。そして、なるべく物事に囚われずに生きるの。無意識の能力はそのためにあるのかも知れないわ」
 肩に置かれたお姉ちゃんの手のひらは暖かかった。
「行きましょう」
「うん」


 刺々しく突き出る黒い枝に切り取られた青い空の下に彼女はいた。相変わらず生命の気配はなくて、如何にも毒々しい色をした蝶と、不吉に鳴く鳥たちが宙を舞っていた。
 ところが妖夢さんは相当に動転していたらしく、幽々子さんはその樹の幹に布団でしばりつけられていたので、以前みたいな幽玄という雰囲気は全くなかった。最初から雰囲気がこれでは先が思いやられる。植物の飼育と同じで、当人が一番素直になれる世界を作ってあげなきゃいけない。
 綺麗に磨かれた飛び石の感触を足で感じながら、彼女へとゆっくりと近づいていく。近づくにつれて周囲の気温が下がり、空気が薄くなってくるような気がしてくる。有体に言えば、生きていると実感が希薄になってくる。樹の近くになると飛び石は無くなっていて、不安定な黒い大地が周囲を取り囲んでいた。
 こちらを見る彼女の顔つきは確かに幽々子さん。けれども彼女は憔悴した表情で、どこか遠くを見ていた。彼女の意志も、心も、ここには無いんだなと思った。私は帽子を外して挨拶する。
「えっと、初めまして、かな」
「お近付きにならないで」
「そうじゃないみたいだね」
 小さく口を開けて彼女は私に語りかけてくる。あの時の台詞。
「私にあまり近づきすぎると、貴女も死霊に触れてしまうことになります。私と共にいる者は、必ず不幸になるのですから」
 生きているだけで周囲を不幸にしてしまう存在。居るだけで他人を傷つけてしまう自分の存在に絶望している彼女は、あの時の私と同じで。ただその結末と、その時の環境が少し違っただけ。
「不幸になんかなるもんか。ねえ、聞かせて欲しいの、貴女に何があったのか。私、もっと貴女のことを知りたい。もう一度だけ、貴女に会っても良い?」
「私を、自由にして」
 雰囲気にこだわるのか、はたまた自身の思い出が告げるのか。第一印象と同じくセンチメンタルな女の人だった。
 注意深く近づいて、彼女の拘束を解いた。その手は恐ろしく冷たかったが、私が握ると怯えが和らぐようで、その手を握り返してくれた。もう分かっている。彼女はここで死んだ。何かを救うために。




10.その根はアスファルトを砕く

 天を覆い尽くす桜の花と、地を覆う色彩鮮やかな花びらと、その狭間を覆い尽くし緩やかに降る花弁。
 満開の桜には、他のどんな植物よりも支配力がある。目を閉じても耳を塞いでもそこにあることが知れる雅なる大木の下で、桜の花と同じように私の意識を全て持っていく役者がいた。
 心象世界の幽々子さんはその右手に日本風の短刀を握っていた。どこで手に入れたのかは知らないけど、その道具は林業に用いられるものじゃないだろう。
 やがてゆっくりと、幽々子さんは短刀を自分の腹部へとあてがう。止めなくちゃいけないのに、彼女の諦観したような瞳と舞うようなその仕草はとても綺麗で、息をするのも忘れて見入ってしまった。
 時間が凝縮された速度で、刃は腹部へと飲み込まれていく。彼女の身体からは想像もつかない程やすやすと切り裂く短刀の位置からじわりじわりと血が滲み、少し遅れて口の端から血が漏れて、取り返しのつかない肉体の変化を私に教えてくれた。
「これでもう、誰も不幸にならないで済む」
「嘘よ」
 勝手に口が動いていた。悟っていたように変わらなかった彼女の表情が、初めて強張った。
 言ってしまったからには、最後まで行かなきゃ。
「貴女が自分を疎んで犠牲になっても、貴女は不幸なままじゃない」
 深呼吸。
 口の中はからからに乾いて、両の足は震えているけど、最後まで言うことは出来た。
 はあ全く、どの口が言ってるんだか。
「自分の能力の重みに耐えられなくて自害した、そうすることしかできなかった」
「だったら、何」
 敵意が私の頬を掠め、僅かな痛みが広がった。致死量の血を流し続けていても、彼女は倒れなかった。
「恨めしい。この力が恨めしい。誰が私を抱きとめられるというの」
「大丈夫だよ。貴女は優しいもの」
 閉じていた両の瞳を開く。そこにあるのは枯れた大樹。目の前にいる血を流さない幽々子さんは、記憶を取り戻してきただろうか。また目を閉じて心象世界で血を流す彼女に言う。
「貴女は命を賭して、この樹の妖力を封じ込めた。皆を幸せにするための自刃だったんでしょう? 私なんかの百万倍も立派で、気高い嫌われ者だった。そんな貴女が、疎まれるわけがないじゃないの」
「私は親不孝者でした。死することでしか自分の一生を全うできなかったのですから、地獄に行くほかありますまい」
「残念ながら、地獄なんかよりもよっぽど待遇の良い所に行けるよ。私は知っている」
 さあ、ここからだ。目を閉じて桜色の世界にもう一度身を投じる。
 私だけが彼女に教えられる。彼女の死によって生まれた解答。

「私は未来からやって来たお友達でね。貴女の未来を知っているのだ」

 彼女の眼に光が灯る。驚きかな? 困惑かな? 呆れかな。
「何を、言っているの?」
「貴女の来世は、亡霊。冥界で死んでしまった霊魂の管理を受け持つなんかめっちゃ偉い人をやっている。従者にも、それはそれは愛されて。罪滅ぼしの如く彷徨える魂たちを導く存在」
「従者……」
「頭が固いけれど意志が強くて、誰よりも貴女のことを想っている人が、まだ生きている」
「嘘よ!!」
「嘘なんて、二度目に生まれてこの方一度も吐いたことが無いわよ」
「そんなことが有り得るはずがない! 存在するだけで、皆死んでしまう私が、報われていいはずがない!」
 そうなんだよ。
 私だって、何で自分が生きてるんだって思う。自分から死のうと思った位なのに、何でそう思う奴は死ねないんだろうね。
「でも、生きなきゃいけないんだよ。家族がいたんでしょ? どんなに重い咎を背負っていても、何かを成し遂げられると信じて生きるしかないんだ……会いに行こう、貴女の所へ」
 西行寺幽々子の心象風景が纏う冷たい腕を強く握りしめる。宙を舞う蝶たちは大人しくなり、舞い落ちるのは桜ばかりとなった。

「大丈夫。きっと大丈夫」

 知らず呟いていた。


 これは全部私のわがままだ。自分が生きる意味を見つけるために彼女に協力してもらっているだけ。失敗したら誇張ではなく私の世界が終わる。
「…………!」
 失敗するわけにはいかない。
 やり方なんて分からない。でも、集中して集中して彼女のことを想い続ければ、結ばれることが出来ると信じていた。
 この数日の出来事で、随分私は色々なものを見た気がする。私の心は成長しているのだろうか。きっとしている。
「……行くよ?」
「……ええ」
 冬なのに汗は吹き出すし、刀傷はどんどん熱を帯びてくるしですぐにでも寝転がりたかったけど、繋いだ手を離さないで、彼女と一緒に心象世界を脱するため、祈り続ける。そして、枯れた大木の下で祈る彼女の下へと帰るのだ。

 私は無意識の専門家。貴女の忘れてしまった記憶を呼び戻します。
 これは記念すべきプロジェクト1。題して、『桜の根』。
 私と彼女の心は岩のように固まっていたけれど、桜の根は岩をも砕く!


 とん。


 音が最初に聞こえてきた。
 冬には似つかわしくないふわりと広がる音で、とても雄大な何かを手で叩いたような音だった。表面を撫でるように叩くのではなく、根幹に触れたような音。
 周囲の温度が急に上がった気がした。握った手は暖かみを帯びて、瞼の裏側にちらつく光は強まり、柔らかになっている。
 音は続く。雄大に、この地一帯を包み込むような深い母の音だ。とても単調な音なのにひどく心が安らいだ。心臓の鼓動みたいで、胎児になった気分だ。
 迫りくる生命の鼓動は激しさを増す。
 貴女は愛された。だからここにいる。放さずに、彼女を天へと引き上げる。こっちで笑って生きる、西行寺幽々子へと!
 記憶の濁流と命の暖かみに揉まれて、何が何だかわからない。鼓動の洪水は鼓膜を優しく包み、誕生と変異と淘汰と繁栄と終焉を全て含んだ命の音色が私を現実へと誘う。

 お願い。

 私は帰還した意識でもう一度眼を開く。
 そこで私は、旅した中で見たあの景色と同じ、幻想的な光景を現実に見ることになる。

 西行妖が、咲いていた。




11.その花は咲き乱れ

 思った通りだ。現実で見てもこの花は本当に綺麗。
 覚醒したての働かない頭でぼんやり考えていた。きっと大樹にもたれかかる幽々子さんも同じだろう。
 咲いたと言っても半分くらいだ。『満開になることはない』という幽々子さんの言葉通り、枝はまだ露出していて武骨な見た目だったけど、舞い落ちる花弁はとても優雅だった。
 ああ、できることなら満開にしてあげたい。
「……はあ」
 右手を見ると、そこにあるのは過去の幽々子さんではなく、今の幽々子さんがいた。左手は相変わらず種を暖めるのに使っている。遠くから控えめな妖夢さんの驚きの声が聞こえけど、それすらも桜吹雪のフィルターの前では、少々ぼやけて聞こえてしまう。

「えっと、おかえり、かな」
「……ええ、ただいま。とても長い旅のようだったわ」
「はあ~」

 何とも言えない、湧き上がる熱さが体全体を満たしていく。長い長い溜息をついて、仰向けに倒れ込む。なんとか元に戻ったようだ。禍々しい蝶は全て霧散し、駆け寄る足音を響かせた地面と、水色でピンクの空、それから上空をのんきに旋回する鳥達だけが私たちを取り囲んでいた。
「桜の季節と呼ぶには、少し寒いわね」
「あー、だってまだちゃんとした春じゃないもの」
 原理なんて知らないけど、まあ気にしない。
「今、幸せ?」
「勿論よ。辛いこともあったけれど、今ではちゃんと笑えるようになっているわ」
 言って、最初の頃の柔和な笑みを浮かべた。何だか疲れが取れるようで、ずっと見つめてしまった。すっかり明るい調子で幽々子さんが言った。
「そうだ。ねえ、私がここで死んだっていう事は、この桜の根元には私がいるのかしら」
「あー、確かに――」

 あれ?

 ちょっと待てよ。もしこれで、根元を掘って、

 幽々子さんが死体と対面したらどうなるの?

「掘り返してみましょうか!」
「い、いや、ちょっと待って」
 会わせてはいけない。もし会えば取り返しのつかない事になる。何故かそんなことを思った。
 彼女が自身を疎って自刃し、その代償として亡霊となった彼女だけど、果たしてそれだけだろうか?
 何かが、何かが抜け落ちている。断絶した二人の幽々子さんの間に存在する何かが。彼女は死して、亡霊となった。その歴史の狭間に何かが存在する! そしてそれこそが、この花が咲かなかった理由なんだ!
 狼狽える私を、外野はとても不思議そうな目で見ている。特にお燐は貧乏ゆすりも絶好調で訴えるように私を見ている。
 一体、どうなるのだろう。亡霊が、残存する自分の肉体に――自分の死を示す動かぬ証拠に出会ってしまったのならば……分からない。分からないけど、何だかひどく嫌な予感がする……
「ふふ、死んだ私も美人なのかしら」

 駄目だ。止めなきゃ。どうやって? 自分の生き抜いた証を確認したいと思うのは当たり前だ。私だってこの瞬間の多幸感は墓場まで持っていきたい。
 どうしよう。
 どうしよう。

「――分かりました」
 最後の最後で困った私を差し置いて語ったのは、妖夢さんだった。
 何を、そう言おうとした私を遮って、彼女は幽々子さんと対峙した。その顔は毅然としていて、いつものような意志の強い表情をしていた。

 ――大丈夫。

 何の音もないのにそんな声が聞こえた。はっとして妖夢さんの顔を穴が開くほど見つめたけど、口は一文字に結んだだけで、何かを言った様子もない。
 この感覚に奇妙な懐かしさを感じた。


「掘り返しましょう」
 何も策が思いつかない私は、妖夢さんの言葉に従うしかなく、西行妖の根元を掘り返している。肉体労働は専門外だからものの10分で私はへたり込んでしまったけど、妖夢さんが頑張ってくれたおかげか、そこまで深く埋められていたわけではなかったのか、ものの20分で真っ黒な桐製の棺が姿を現した。
 流石に立派な代物で、泥は被っているものの劣化はしておらず、最近埋めたかのように瑞々しい木材だった。でも、禍々しい雰囲気は感じなかった。私はてっきり、物々しい封印のようなものが施されているのを想像したのだけれど、全然そんなことはない、普通の棺だった。で も、ただの死に方をして幽々子さんが亡霊になれるものなの?
「恐らくこれが幽々子様を封印していた棺でしょう」
 あ、嘘だ。主人から顔をそむけて私の方を向いた妖夢さんはそんな顔をしていた。
 何だろう、酷く落ち着かない。頭上を飛び回る鳥の鳴き声は一段と大きさを増して、桐箱からは不穏な気配が漂っている。焦れ、焦れと私に訴えかけるような感情が桐箱から漏れ出している。動悸が止まらない。思う壺に焦りまくっている。
「開けますよ?」
 わざとらしい台詞だったけど、幽々子さんは笑顔で棺を見つめていた。相変わらずこの人が何を考えているのかは全然分からなかった。
一体、この中に何が、一気に箱が開かれる。
 上空で旋回する一羽の鴉がこちらに向かって飛んできた。


「じゃじゃーーーん!!!」


 棺の蓋が宙を舞い、中から出てきたのは……人の形をした一匹の黒猫。
 呆然とする冥界の二人を横切って、私の下に駆け寄ったのは……人の形をした一羽の鴉。
 地霊殿ペット二匹が、あっという間にこの舞台の空気を全て呑み込んでしまった。理解が追い着く前に、矢継ぎ早に時間が進んでいく。まず意味不明な台詞から。
「こいし様の任務完了を記念して、謝礼代わりにここの死体は最強のネクロフィリア火焔猫燐が頂いた! 世界一美しい悲劇のお姉さん! 残念ながらあたい達地獄の妖怪は悲しみに追い打ちをかける妖怪だったのだあ!」
「私たちを止めたければ追い着いてみろー! こいし様、逃げますよ! ――Caution! Caution!」
「「合! 体!」」
 変なポーズを決めたかと思ったら、力持ちのおくうに抱きかかえられて、私は棺だったものと一緒に猫車に押し込められた。お燐が力の限りで押し込む猫車はどんどんと加速して、我に帰った妖夢さんが追いかけてきたころには既にあの長い階段を転げ落ちるようになりながら最高速まで到達している。いや、実際に転げ落ちているようにしか見えない。斜めに迫ってくる恐怖感マックスの光景と、耳を蹂躙する警告音と、棺に込められた心の落ち着くはずのお香の臭いと、舌を噛みそうになる絶え間ない振動で、頭の中はとっくの昔に混乱状態だった。
「I will release the restrain device.(制御装置の解除を行います)……推進力どれくらいだっけ!?」
「あんたの全力の半分の半分で足りるさ!」
「了解! I will complete charging energy in 60 seconds to shot “MEGA FLARE.” This operation may result in destroying. If you want to stop me, please give me some shock.(『爆符「メガフレア」』の放出のため60秒間のエネルギー充填を行います。この操作は破壊を伴う恐れがあります。停止させたい場合は本体に何らかの衝撃を与えてください)」
 あの時聴いたおくうの平坦な口上が流れるとともに、制御棒が熱い熱を持ち始める。こっちの状況にもお構いなしに、猫車は重力に引っ張られてますます加速する。と、視界の遠くに集中状態に入った妖夢さんの姿が見えたが、切り込んでも私たちのところまでは届かない。

 っていうかこれ一体何の真似よ!
 折角五分咲きの桜の樹の下で大団円とか考えてたのに!

 お燐に声を掛けようとしたけど、このスピードで駆け下りるお燐に話しかけて、もしバランスでも崩されたら洒落にならないと思って、声を掛けられなかった。
「お姉さんの射程範囲外だ。おくう、慌てずに!」
「Don’t approach me. Don’t stand on the line of elevation. Don’t lay your belongings around here(本体に近づかず、射線上に立たないでください。所有物を付近に放置しないでください)――」
 それにしても何で普通の言語ではないのだろう。おくうに神様をプレゼントした誰かの趣味なのだろうか。
「Please check whether there is nothing important around here. If there is something you want not to let me eliminate, please give me some shock.(周囲に貴重な物が無いか確認してください。抹消されたくない物がある場合、本体に何らかの衝撃を加えてください)――お燐、そっちは!?」
 全てを除去する熱源がその光を強めてくる。暑すぎて肌が焼ける。ずっと後ろから押していたお燐が自分の猫車に乗り込んだ。誰も制御している者がいないのに、猫車はバランスを崩さずにますます速度を上げながら階段を駆け下りていく。
 お燐が車体の前部を持ち上げると、猫車が浮かんだ。合体技の全貌がやっと分かった。
「斜面で発射準備をしたことはないけど……助走良し! 仰角良し! 方角良し! オッケーだ!」
「I will shot the “MEGA FLARE” in 10 seconds. This is the last caution…10…9…8…(メガフレア射出まであと10秒。これは最終警告です……10…9…8…)」
「こいし様、頭と耳を守って下さい!」
 もはや警告音は冥界そのものを揺らしかねない規模になっている。向こうの二人にも絶対聞こえているに違いない。私は猫車の中で丸くなり、耳と頭を押さえて歯を食いしばった。
「3…2…1…FIRE!」
 地面を踏み砕いたような轟音と共に、暴走猫車が打ち出された。
 おくうのスペルによって射出されたエネルギーの反動で、私達は流星の如く空を翔けた。

 ここから地底入り口には、幾分かの破壊を伴いながらもたったの5分で着いてしまった。





12.その種は未来のため

「種明かしをするとね」
 地霊殿の私の部屋。ベッド横のソファに腰かけてお姉ちゃんが語り始めた。
 12時間。私が唯一無二の挑戦をしたのにペット達がやりたい放題をやった結果、追い出されるのに似た形で撤退して、そのまま自室に辿りついて着替える余裕もなく眠った時間が12時間。私は睡眠欲も妖怪らしからず大きい。
「こいしから話を聞き出して、お燐からも聞き出して、結末らしいものが分かったのよ」
 私が眠っている間にお燐とおくうは例の合体技(「空飛ぶ燐火」と命名していた。嫌いじゃない)で一足先に西行妖へと向かい、幽々子さんの意識が定かでないうちに発掘、死体確保、現場修復をこなしたらしい。まあ確かに時間的には可能なんだろうけど、私なんかのためによく頑張ったもんだ。
「飛び石の修復だけは出来なかったそうですがね」
「じゃあ、本物の死体は?」
「まだ埋まっているわよ。あれを西行妖の根元から掘り出したらとんでもないことになるわ」
 種が分かれば話は簡単。
 あの桜の樹が決して花をつけなかったのは、とある病弱な文化人が死を持って封印したから。これは妖夢さんが知っていたこと。
 幽々子さんは自分の能力を疎んで、あの桜の根元で自刃した。これは私が知っていたこと。
 そしてその死体はまだ西行妖の根元に形を残して存在していた。これはお燐が知っていたこと。
 そしてお姉ちゃんは、それを全部知っていた。
「貴女の力で西行妖が咲いたのは、無意識の彼女自身と対面させたことにより彼女が自分の死を楽観的に見ることができるようになったからでしょう。自分の死を半分だけ認めることになったから、外的要因無しに桜が五分咲きになったというわけ。でも、どれだけ長く存在できた亡霊であっても、自分の死体を見てしまったらそれで終わり。直接的に見なくても疑惑を持ってしまったら妖怪としての存在意義が消えてしまう」
 世の中、私みたいに生きる理由や生まれた意味を失っても生きていける者ばかりではない。
「また地面を掘り返したいって言ったら?」
「妖夢さんがいます」
 関連する資料を全て処分して、やってくれたなあの黒猫どもめと一芝居をうてば、きっとそのうち諦めてくれるだろう、とのことだった。幽々子さんは細かいことを気にしなさそうな性格でもあったから、今後躍起になって情報を探し回る可能性は確かに低そうだ。
 そうして、西行妖の根元で死体は眠り続け、幽々子さんは少しだけ幸せになってまた冥界で優雅に暮らし、桜の花は黒く枯れた枝に満開とは程遠い、僅かな花を結んで庭を新しく彩る。

 一応これで話は収束してるけど、
「それでもさ、知りたかったと思うんだ。自分が種としての尊厳を持って死んだ証を」
「今でもきっと知りたがっているわよ」
「これで良かったのかな」
「貴女達――いえ、私達は選択ができるほど強くは無いわ」
 私達、か。
 そうだ、私は弱い。誰かを幸せにするなんて地底民らしからぬ大見得を切った割に、お姉ちゃんとペット達に助けられてばっかりで、結局こんな中途半端な解決に終わってしまって。

「……自分を責めているのなら間違いよ。貴女は確実に一つの幸福を実らせたのだし、気付いていないかもしれないけれど確実に成長しているのよ。ほら、今も」
 お姉ちゃんは私の頭を撫でながら優しく笑った。
 ああもう畜生、美味しい所ばかり持っていきやがって。覚えてろよ。

「よく頑張ったわね」
 やめてってば。ふわりと抱きとめられて、私はお姉ちゃんの胸に顔をうずめる形になる。

 水色のリネンワンピースをぐしゃぐしゃにしてやろうと思った。

「涸れてからでいいから。貴女にはまだやり残したことが有るでしょう」



終.その少女は光をもたらす

 それからどうしたって?

 予想はしていたことだけど、あの件があったからと言って何かが劇的に変わるわけじゃなかった。私たちはこれからも長く嫌われ者であり、大抵の仲間たちはそれを甘んじて受け入れるのだろう。
 私自身も相変わらずふらりと散歩に出かける癖は続いているし、てめえなんかみたいなニュアンスの言葉を吐きかけられると貧乏ゆすりが激しくなってから誰かを傷つけてしまうこともあった。
 そんな感じで少し納得がいかないという旨のことをお姉ちゃんにぼやいたら、
「岩でも殴り砕いた気分になったのかしら?」
 って何がおかしいのか普段なら敵に向かって見せるタイプの笑みを浮かべられた。今度はお姉ちゃんを泣かしてやる。
 あ。でも嫌われることは愛されないことでもないし、悉く誰かを不幸にすることでもないのだと証明されました。証拠品は私。それだけは自信を持って言える。
 結局身も蓋もない言い方をするならば、「無意識の権化である私が、そう簡単に意識の改革なんかされる生物ではない」、ということでどうだろうか。納得いかないと言われても困る。

 幽々子さんと妖夢さんとはあれから随分と親しくなった。実は死体の在処や資料隠蔽に関してもう一悶着くらいあったのだけど、私の頑張りに比べたら大したことではないので割愛。
 今度、冬が明けて春が来たら白玉楼にお花見に来るよう誘われた。あの時に見たゆっくりと舞い落ちる花弁を今度は大勢で見物しようという話だった。お姉ちゃんは絶対に行かないというが、私の味方は多い。それでも行かないというのならやっぱりアレを成功させるしかないだろう。
 ちなみに、折角開いた西行妖の花はあっという間に散ってしまって、暫くは咲く様子が無いそうだ。ということは当分幽々子さんの身の安全性が高まるわけだけど、これまた複雑な気分になるニュースだった。
 あと、妖夢さんは改めて丁寧に私に感謝してくれて、それにはもっと困った。再戦は悩むまでもなく断った。


 そして、最後に忘れてはいけないものが一つ。
 『ここ私のプロジェクト領域。荒らしたら殺す』
 中庭に植えた桜の種の近くを通る時、私はいつもにやける。成長するのにはまだまだ時間がかかりそうだが、創作ダンスのキレも良くなったし、皆積極的に世話をしてくれるようになったので少しはこの家も明るくなっていると思う。
 特にお燐とおくうの献身っぷりは凄くて、毎日おくうは気温調節を、お燐は肥料提供をこなしてくれている。
 西行妖がこのまま成長してしまったらとんでもない代物になるのではないか、というお姉ちゃんの予測は幽々子さん曰く正しいのだけれど、この地底に限って言えば心配する必要は無いとのこと。
 ここには、どんな桜も満腹になる程の夥しい死体と怨念が揃っているからだ。
 毎日お燐が運んでくれる死体を適当に埋めていれば暴走することはまずないだろう。どれもこれも妖怪に食わせ甲斐のある肥料だ。

 つまり、私のプロジェクトは誰にも邪魔される理由が無い。


 少し盛られた土の前で、私は踊る。もうじき冬も終わる季節だが、相変わらず種はびくともしない。

 でも私にはどういう訳かはっきりと見える。
 地底の奥底に生える小さな芽。

 中心部が盛り上がり、荒々しい破壊音とともに黒茶色の根が地表に姿を現す。やがて、種子を塞いでいた岩を、大樹が押しのけながら成長し始める姿を想像する。
 その様はとても神秘的で、庭中の生命がこの子の誕生を祝福する。樹の左でバラがささやくと、右でゼンマイが笑う。後ろのラナンキュラスは驚いて、私はきっと全ての感情を一緒くたにしたような声で楽しむ。
 地底の草木が歓喜の音を立てるとその幹は天井に届くように屹立し、のんびりしていた蕾たちは次々と花を開き、その背筋を伸ばして踊っているようだ。
 かつて数百の年月と数万の感情を食らった桜の種が、産声を上げる。
 誇らしげにその幹を現した桜は、より太く、より頑丈に、より強固に、根を張り、幹を広げ、枝を張り巡らせる。
 大地を砕く音を耳に、地底の天井が、黒茶色の生命で覆わるのを見た。
 枝の成長は止まらず、天井に達してからも軌道を変え、屋根も、窓も、ステンドグラスも全て、まるで私たちを包み込むようにその末節を届かせていく。
 音も、成長も、決して止まることがなく激しく地霊殿を揺さぶるのだ。


「……なんてね」
 いつかそんな日が来ることを夢見ている。


「願わくば、貴女もまた地底の一員となり、皆に笑顔をもたらす存在となりますように」
 地中から心の音が聞こえた気がした。
早苗「いや警告文は英語じゃなきゃダメに決まっているでしょう!?
戦闘前に『Aproach your target and attack! Your mission starts now!! Are you ready?』とか言わせるのどうですか! 絶対かっこいい!!!
あと自爆コマンド入れませんか! 『Was I helpful for you? I am deeply grateful to you...』と言いながら散る! まさに命を賭して力を解放するロマン!」
神奈子「お、おう」
早苗「グレイズし続けたら『Level up』という音声が流れて、ボムが撃てるようになったら『Discharge available』でどうですか!!!」
神奈子(ディスチャージって何だよ……)


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気が付いたらこんな作品に。
感想の代わりに英作文の添削指導でも歓迎です。
読んでくださってありがとうございます。

Twitter→https://twitter.com/kogolion
石割桜→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%89%B2%E6%A1%9C
ディスチャージ→某同人STGにおけるボム


以下、選択的コメント返信です。コメントして下さった方ありがとうございます。
>>1
ぬわー! 初歩的すぎるミスしてちょう恥ずかしい! 修正しましたどうもありがとうございます。
>>12
そのつもりでした。こいしちゃんの植物センスについては疑問も残りますが……
きのせい
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コメント



0.550簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
Your mission start now!!→starts(三単現)
英語読んでる間に本編への感想を忘れたので(←鳥頭)コメントと評価はもう一度読んでからにします
5.90名前が無い程度の能力削除
地霊殿組がイキイキしてますね
こういうのを以てキャラが立ってるというのでしょうか
反面ゆゆさま(現在)は動かしにくそう

こいし視点の長編はあまり見ないので収穫でした
6.90奇声を発する程度の能力削除
良いですね
それぞれキャラが良い味出してました
7.100名前が無い程度の能力削除
こいしの奮闘とペットたちの暴れっぷりが良かったです。
こいしちゃんの世界はこれで少し広がったのかな。
11.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
バラとラナンキュラスと一緒にぜんまいを育てるアンバランスさに笑っちゃったけど、そこがこいしちゃんっぽい気もしました。
12.100名前が無い程度の能力削除
「胎児の夢」のアレがゼンマイに見えるからゼンマイ?
14.90名前が無い程度の能力削除
みんな良いキャラしてるなあ
こいしちゃんかわいい
17.100名前が無い程度の能力削除
こいしたんちゅっちゅちゅっちゅ
18.80名前が無い程度の能力削除
警告文カッコいいなw
ちょっと調子にのってるお空も可愛い。
19.1003削除
文章がやや雑ですが、それを上回る魅力がたっぷりのSSだったと思います。
キャラクターが立っており、起承転結もしっかりついて、私的には文句なしの100点ですね。
20.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
21.90名前が無い程度の能力削除
途中からぐいぐいと引き込まれて、一気に読んでしまった。
面白かったです。
22.100名前が無い程度の能力削除
文章の勢いがすごくて思わず一気読みしちゃいました。
ところどころものすごく暗いのに皆楽しそうに見えてよかったです。

あとおくうの英語は「これぜってー神奈子様じゃなくて早苗のセンスだろww」って思ってました。
23.100ばかのひ削除
うーんよかった!
25.100名前が無い程度の能力削除
こいしちゃんの創作ダンスが気になって夜も眠れません。