朝の少し前。
東の地平から太陽が顔を出す寸前。
灰色の空が、ピンクに染まる頃。
長年の日課になった太極拳を終える。
昇ったばかりの太陽に礼をし、一日が始まったことを全身で感じ取る。
太極拳の効能は、体調管理とか自己鍛錬とか多々あるけれど。
一番の目的は、生活リズムの調整にある。
日捲りカレンダーを捲るように、一日の始めと終わりを意識付ける。
そうするだけで、日常にメリハリがつく。
だらけてしまわないよう、自らを諌めることができる。
一日も欠かさず行い、毎日行うからこそ意味がある。
寝たり食べたりするのと同じように、生活の一部になって体に染み付いている。
「よし」
その大切な日課を終え、訪問者に向き直る。
その人は、私が太極拳を行っている間、ずっとそこに立っていた。
邪魔にもならず、かといって無視できるほど遠くにいるわけでもない。
私はここにいるのよ、と静かに主張していた。
体操の邪魔をしてこなかったことには感謝します。
でも、それとこれとは話は別。
ここから先。紅魔の門を通るというのならば容赦はしない。
撃退できなくとも、手傷を負わせるくらいはしてみせましょう。
本日最初のバトル。相手にとって不足はない。
睨みつけると、それを合図と思ったのか無造作に距離を詰めてくる。
優雅な身のこなしで、流れるように歩いてくる。
油断や慢心があっても、強敵には違いない。
だが、私の間合いに入ったのならそこは一撃必殺。
丹精籠めて練った気を、渾身の一撃と共に食らわせて差し上げましょう。
私の間合いまで、あと数歩。
さあ来い、風見幽香。
「おはよう、紅美鈴」
私の制空圏ぎりぎりで立ち止まり、優雅に挨拶をする。
その敵意の無さと、予想外の展開に、呆気に取られてしまう。
頭を下げた瞬間を叩こうとか、そういうつもりでもないらしい。
隣人にするように、普通に朝の挨拶をする。
挨拶は心のオアシスと言いますし、人付き合いの基本でもありますけど。
この状況でそれをするのは少し間が抜けている。
戦う前に名乗りを上げる文化もありますけど、それともまた違うような。
「偉大な紅魔の門番は、挨拶もろくに出来ないのかしら?」
真意をはかりかねていると、にこやかに嫌味を言ってくる。
そう言われてはこちらも引き下がれない。
ひとまず、挨拶だけは返しておこう。
「おはようございます、風見幽香さん。本日はお日柄も良く」
そこまで言って変な気分になる。
肩透かしを喰らったような、そんな感じ。
幽香さんの顔を見る。
穏やかで、暢気で、戦いたそうな気配は微塵も感じられない。
臨戦態勢で意気込んでいただけに、この落差にがっかりする。
もうちょっとこう、聳え立つ高い壁に挑むロッキーの気分に浸らせてくれたっていいのに。
構えを解き、帽子を触りながら門の前の定位置に移動する。
戦う気がないのなら、別に追い払う必要もないですし。放っておいても大丈夫でしょう。
幽香さんが私の方にてくてくと歩いてきて、門を背にして立つ私のすぐ前に立つ。
にこにこして話し掛けてくる。
「貴女も、朝の体操をしてるのね」
私の太極拳に興味があってやってきたらしい。
外敵が来ない間は私もすることがないですし、少しくらいなら会話に付き合ってもいいでしょう。
それに、幽香さんのことも少し気になります。
「幽香さんもするんですか?」
「ええ。私もやってるわよ。ラジオ体操」
「ちゃーんちゃーちゃちゃっちゃちゃ。のやつですか?」
「そうそう。よく知ってるわね」
お馴染みの声とリズム。それと幽香さんの姿がどうにも噛み合わない。
本当にやってるのなら、見てみたい気もします。
「なんか、意外でした。幽香さんだとヨガの方が似合いそうですけど」
「私だって、一人だったらラジオ体操なんてしないわよ」
「誰かと一緒にやるんですか?」
「メディと一緒に体操してるわ。カセットテープが擦り切れるくらい毎日一生懸命やってるの。
たまに妖精とか、陽気な妖怪も一緒に踊ってるし。あなたも一緒にどう?
今ならサービスして、ひまわりスタンプを三つ押してあげるわよ」
「あはは。近いうちに参加したいですね」
「その時は、お宅の娘さんも一緒にね」
「お嬢様と妹様ですか。意外と気に入るかもしれませんけど、どうなっても知りませんよ?」
「大丈夫よ」
幽香さんが優しく微笑む。
どうやら、朝のラジオ体操は幽香さんの主催らしい。
どんな感じになってるのか、一度見てみたいです。
今度、門番の仕事を抜け出してお邪魔してみてもいいかもしれません。
「ああ、そうそう。あなたの踊り、やっと名前を思い出したわ」
「ご存知でしたか」
「ええ、勿論」
幽香さんが微笑む。
その笑顔に不吉なものを感じたので、先んじて名前を口にする。
「たい」
「フラダンス!」
私の言葉が、幽香さんのよく通る声でかき消される。
ぽん、と手を叩き、満足そうに笑っている。
「違います」
「健康にいいのよね」
「そこは合ってますけど」
「本家に倣って、頭に真っ赤なハイビスカスを飾りましょう」
「フラダンスじゃないです」
「ほら、咲かせてあげるから。頭を下げて、ね?」
「私の国ではブッソウゲと呼び習わしてます。というか、フラダンスじゃないです」
「細かいことは気にしないの。ほら、頭を下げなさい。抵抗しても無駄なんだから。人間、諦めが大切よ」
「人間でもないです」
「誤差の範囲よ」
幽香さんに服を引っ張られ、観念して頭を下げる。
強引というか、マイペースというか。天然で相手の話を聞こうともしない押しの強さ。
咲夜さんに似てなくもないこの感じ。これにはどうも逆らえない。
苦手なタイプの人です。
「ほら。やっぱり似合うじゃない」
楽しそうに笑う幽香さんを見てると、怒る気も失せてしまう。
我ながら甘すぎる。
「はあ、ありがとうございます」
「もっと嬉しそうにしなさいよ。ほら、かわいいじゃない」
幽香さんの手鏡で、私の顔を映す。
私の赤い髪よりも、ずっと鮮やかな赤い色。
紅という言葉が似合う色。ワンポイントに、確かにこれはかわいいかもしれない。
「それじゃもう一回、踊って見せてくれないかしら。
今度はハイビスカスをつけて本格的に。ね」
「だからフラダンスじゃないです」
「細かい事はいいのよ」
幽香さんの笑顔に押し切られ、もう一度太極拳の型を見せる。
うろ覚えですらないフラダンスを踊るよりはずっといいだろう。
一通り踊り終えると、満足した幽香さんがぱちぱちと手を叩く。
それに一礼し、演舞を終える。
うん。悪くない。
頭の花は別として、見られるというのは新鮮で面白い。
幽香さんの気を惹ける程度には、物を修めているという自信にもなる。
「見事だったわよ。フラダンス」
「太極拳です。間違えないでください」
「そのくらい知ってるわよ。馬鹿にしてるの?」
幽香さんがぷんぷんとわざとらしく怒る。
知ってるなら最初からそう言ってくださいよ。
なんでフラダンスなんて言うんですか。
帽子を直し、朝から疲れる相手に出くわしたことを後悔し始める。
朝の時点では爽やかだったのに、なにかがおかしいぞー。
「それで、今日は何をしに来たんですか」
「お花見」
にっこりと微笑む。
その一言で行動原理を全て説明できるこの方は素晴らしい。
「暇なんですね。遊び相手なら他にも沢山いるでしょう」
「ローテーションよ。今日は貴女の番。私の暇潰しの相手に選ばれた光栄に浴するといいわ。
ほら、諸手挙げて喜びなさい」
「わーい」
適当に両手を挙げて、やる気のない歓声を上げる。
それを見て、満足そうに頷いている。
暇が潰せればなんだっていいみたいだ。
呆れていると、幽香さんがちらちらと構って欲しそうに私の方を見る。
仕方がないので、その視線に応えてあげる。
「何です?」
「門番のお仕事はお休みかしら?」
「年中無休サービス残業。今日も元気に勤務中です」
「その割には、全く覇気がないわよね」
「基本的には、蝙蝠が鳴く開店休業状態ですから。
砂糖を見つけた蟻みたいに、わさわさ侵入者が群がってくるわけじゃありません」
「常習犯の物盗りも、顔が割れてるみたいだし。お昼寝したくなる気持ちもよく分かるわ」
「寝てません。たとえ寝てたとしてもそれは寝てるふりをして間抜けな侵入者を釣り出すための高度な戦術です。
たまに本気で寝てても異常事態には素早く反応しますから問題はありません」
「寝てるんじゃない」
「細かいことはいいんです」
きっぱり言い切ると、幽香さんがおかしそうに笑う。
ひとしきり笑った後、悪戯っ子の瞳になる。
「それじゃ、退屈してる門番さんに、お仕事させてあげようかしら」
くるりと身を翻し。堂々と、閉じた門の正面に立つ。
妖力を高め、これから侵入しますよと高らかに宣言をする。
私はそれを、ただ眺めている。
「止めないの?」
「別に止めやしませんよ」
「門番がそんなのでいいの?」
「通す人と通さない人の選別も仕事の内ですから。幽香さんなら、別に中に入っても構いません」
「そう」
どれだけ幽香さんに挑発されようと、無反応を貫く。
幽香さんが集めた魔力が霧散する。
幽香さんがつまらなそうに私の隣に戻ってくる。
勝った。
「やっぱりやめる」
「そうですか」
不満そうに頬を膨らませる。
やっぱり、私をからかいたいだけだったらしい。
本気で中に入るつもりだったら、先に私を伸してから、悠々と門を潜るに違いないから。
無闇に入り口を壊して侵入するのは気品に欠けますし、幽香さんの趣味じゃないと高を括った甲斐がありました。
まあ、気紛れで爆破される可能性もあったのですが。
その時はその時。幽香さんもそれで興味を失って帰るでしょうし。
その後、渋々残骸をかき集めて門の修繕に取り掛かればいいだけです。
うん。どちらに転んでも、そこまで悪くも無ければ良くも無い。ほどほどの結果にしかなりません。
お嬢様の我侭に比べれば、簡単な方です。
「いい天気ですね」
門を背に、空を見上げる。
日が昇ったばかりの空は明るく輝いている。
この蒼天を望み、温かい陽射しを受ける幸福は、昼の住人にしか味わえない。
この気持ちよさを、お嬢様たちにも分けてあげたいです。
「本当ね。お昼寝にはいい日和。じー」
何かを期待するような目で見てくる。
そんな目をされても何も出ませんし、やりませんよ。
「ただ立ってるだけも退屈じゃない?」
「そうでもありません。雲を眺めてるとあっという間に一日が終わりますし。花壇の世話もあります。
たまには妖精とか腕試しの人間とか釣り人とか咲夜さんとか白くて黒いのも来ますし。
長い目で見ればそれなりに変化があり、退屈しない日常です」
「退屈しないのに、お昼寝はするのね」
「陽射しが気持ち良いのが悪いんです」
「小春日和は特に大敵ね」
「寝るなっていうのが無理な話ですよね」
「そうね」
「……寝てませんよ」
「私は瀟洒なメイドじゃないし。どっちでも気にしないわよ」
「寝てません」
「はいはい」
私の名誉にかけて、そこは断言させてもらう。
寝てません。
「幽香さんは、立ってるだけは退屈じゃないんですか?」
「そうでもないわ。こうして立ってると、色んな声が聞こえてくるもの」
「声ですか。妖精とかそういのですか?」
「もっと原始的な声よ。風の音とか、花の声とか、そういうのに宿る意志みたいなもの。
ハイカラな言葉だと、アニミズムって言ったかしら」
その言葉は聞いた事がなかったけど。
言わんとしていることは、なんとなく分かる。
「私の気と、同じようなものですかね」
「貴女も、そういうのが分かるの?」
「なんとなくですけどね。幽香さんが構って欲しそうにしてることくらいなら分かります」
「そうねえ。折角遊びに来たのに、肝心の貴女がその体たらくなんだもの。退屈しちゃうわー」
「これが自然体なんです。日が暮れればお嬢様も起きてきますし。賑やかになりますから」
「子供の相手は御免よ」
「メディスンとか他の妖精はいいんですか?」
「メディと吸血鬼を一緒にしないでもらいたいわ」
「失礼しました」
生まれたばかりの妖怪と、身勝手極まりない吸血鬼。
同じ子供のような気もするけど、成長がない時点で吸血鬼の方が手がかかるのは明白だ。
幽香さんが、私の顔をじっと見つめてくる。
「頭の花、いつまでつけてるの?」
「折角なので、今日一日はつけてます。萎れたら埋めますけど」
「永遠に枯れなかったらどうするの?」
「パチュリー様に贈って、解剖してもらいます」
「無粋ねえ」
「枯れない花には負けますよ」
「それもそうね」
「幽香さん」
「なにかしら、紅美鈴」
「そんなに遊びたいなら、無理してここにいる必要もないのでは?」
「今日はここにいるって決めたのよ」
「暴れないでくれるなら、私はそれでも構わないのですが。
お花を咲かせるなら、中に花壇がありますのでそちらでやってもらえないでしょうか」
「ここでいいわ」
幽香さんが、退屈そうにばさばさと傘を振る。
その度に、傘から花が零れ、そこら中に根を張り咲き誇る。
雑草が生えていただけの味気ない周辺が、一気に色彩豊かな花畑になる。
「私が中に入ったら、貴女はどうするの?」
「私は門番ですし、ここにいますよ」
「そう、それじゃ駄目ね。ここでいいわ」
「そうですか」
幽香さんの手から、ぽろぽろと花びらが零れ落ちる。
幽香さんが歩く度、足元で花が咲く。
ほんの数秒で次から次へと新しい花が咲き、入れ替わり、色の洪水が押し寄せる。
ここまで花を大判振る舞いするのは、随分と珍しい。
「花は好きでしょ?」
「好きですけど、限度がありますよ」
「このくらい派手な方がいいのよ。きっと、幼いお嬢様も気に入ると思うわよ」
にっこり微笑まれると、それ以上文句も言えなくなってしまう。
私が困っているのは事実だし。それを見て喜んでるのも少しはあるのでしょうけど。
自分が楽しいからやっているという感じがひしひしと伝わってくる。
それを止めさせるのは、子供の遊びに口を出すような無粋さを感じ、つい遠慮してしまう。
帽子に触れる。
この溢れる花は、どうすればいいんでしょう。
幽香さんが離れれば、勝手に消えるんでしょうか。
枯れるとしたら、それは少し寂しいような。
「それで、結局今日は何だったんですか?」
「たまには、貴女の視点から物事を見てみたかったのよ」
「参考になりました?」
「んー。それなりに?」
かわいく首を傾げる。
本当、なにがしたかったんでしょう。
ちゃんと暇潰しになったんでしょうか。
「それじゃ、吸血鬼姉妹が起きると五月蝿いから、これでお暇するわ。
今度は天気のいい日に、私のお庭にいらっしゃい。歓迎してあげるから」
「有給をもらえたら、真っ先に飛んで行きますよ」
陽気な風見幽香に手を振ってお見送りする。
それなりに楽しんでいたようだけど。何が楽しかったのかはよく分からない。
思えば、私も全くお昼寝ができなかったけど。それなりに楽しんでいたのかもしれない。
誰かがずっと一緒にいること自体珍しいですからね。新鮮だったに違いありません。
たとえ相手が、あの風見幽香であったとしても。
そのうちまた来てくれないですかね。
その時は、もう少し歓迎してあげることにしましょう。フラダンスでも覚えて。
東の地平から太陽が顔を出す寸前。
灰色の空が、ピンクに染まる頃。
長年の日課になった太極拳を終える。
昇ったばかりの太陽に礼をし、一日が始まったことを全身で感じ取る。
太極拳の効能は、体調管理とか自己鍛錬とか多々あるけれど。
一番の目的は、生活リズムの調整にある。
日捲りカレンダーを捲るように、一日の始めと終わりを意識付ける。
そうするだけで、日常にメリハリがつく。
だらけてしまわないよう、自らを諌めることができる。
一日も欠かさず行い、毎日行うからこそ意味がある。
寝たり食べたりするのと同じように、生活の一部になって体に染み付いている。
「よし」
その大切な日課を終え、訪問者に向き直る。
その人は、私が太極拳を行っている間、ずっとそこに立っていた。
邪魔にもならず、かといって無視できるほど遠くにいるわけでもない。
私はここにいるのよ、と静かに主張していた。
体操の邪魔をしてこなかったことには感謝します。
でも、それとこれとは話は別。
ここから先。紅魔の門を通るというのならば容赦はしない。
撃退できなくとも、手傷を負わせるくらいはしてみせましょう。
本日最初のバトル。相手にとって不足はない。
睨みつけると、それを合図と思ったのか無造作に距離を詰めてくる。
優雅な身のこなしで、流れるように歩いてくる。
油断や慢心があっても、強敵には違いない。
だが、私の間合いに入ったのならそこは一撃必殺。
丹精籠めて練った気を、渾身の一撃と共に食らわせて差し上げましょう。
私の間合いまで、あと数歩。
さあ来い、風見幽香。
「おはよう、紅美鈴」
私の制空圏ぎりぎりで立ち止まり、優雅に挨拶をする。
その敵意の無さと、予想外の展開に、呆気に取られてしまう。
頭を下げた瞬間を叩こうとか、そういうつもりでもないらしい。
隣人にするように、普通に朝の挨拶をする。
挨拶は心のオアシスと言いますし、人付き合いの基本でもありますけど。
この状況でそれをするのは少し間が抜けている。
戦う前に名乗りを上げる文化もありますけど、それともまた違うような。
「偉大な紅魔の門番は、挨拶もろくに出来ないのかしら?」
真意をはかりかねていると、にこやかに嫌味を言ってくる。
そう言われてはこちらも引き下がれない。
ひとまず、挨拶だけは返しておこう。
「おはようございます、風見幽香さん。本日はお日柄も良く」
そこまで言って変な気分になる。
肩透かしを喰らったような、そんな感じ。
幽香さんの顔を見る。
穏やかで、暢気で、戦いたそうな気配は微塵も感じられない。
臨戦態勢で意気込んでいただけに、この落差にがっかりする。
もうちょっとこう、聳え立つ高い壁に挑むロッキーの気分に浸らせてくれたっていいのに。
構えを解き、帽子を触りながら門の前の定位置に移動する。
戦う気がないのなら、別に追い払う必要もないですし。放っておいても大丈夫でしょう。
幽香さんが私の方にてくてくと歩いてきて、門を背にして立つ私のすぐ前に立つ。
にこにこして話し掛けてくる。
「貴女も、朝の体操をしてるのね」
私の太極拳に興味があってやってきたらしい。
外敵が来ない間は私もすることがないですし、少しくらいなら会話に付き合ってもいいでしょう。
それに、幽香さんのことも少し気になります。
「幽香さんもするんですか?」
「ええ。私もやってるわよ。ラジオ体操」
「ちゃーんちゃーちゃちゃっちゃちゃ。のやつですか?」
「そうそう。よく知ってるわね」
お馴染みの声とリズム。それと幽香さんの姿がどうにも噛み合わない。
本当にやってるのなら、見てみたい気もします。
「なんか、意外でした。幽香さんだとヨガの方が似合いそうですけど」
「私だって、一人だったらラジオ体操なんてしないわよ」
「誰かと一緒にやるんですか?」
「メディと一緒に体操してるわ。カセットテープが擦り切れるくらい毎日一生懸命やってるの。
たまに妖精とか、陽気な妖怪も一緒に踊ってるし。あなたも一緒にどう?
今ならサービスして、ひまわりスタンプを三つ押してあげるわよ」
「あはは。近いうちに参加したいですね」
「その時は、お宅の娘さんも一緒にね」
「お嬢様と妹様ですか。意外と気に入るかもしれませんけど、どうなっても知りませんよ?」
「大丈夫よ」
幽香さんが優しく微笑む。
どうやら、朝のラジオ体操は幽香さんの主催らしい。
どんな感じになってるのか、一度見てみたいです。
今度、門番の仕事を抜け出してお邪魔してみてもいいかもしれません。
「ああ、そうそう。あなたの踊り、やっと名前を思い出したわ」
「ご存知でしたか」
「ええ、勿論」
幽香さんが微笑む。
その笑顔に不吉なものを感じたので、先んじて名前を口にする。
「たい」
「フラダンス!」
私の言葉が、幽香さんのよく通る声でかき消される。
ぽん、と手を叩き、満足そうに笑っている。
「違います」
「健康にいいのよね」
「そこは合ってますけど」
「本家に倣って、頭に真っ赤なハイビスカスを飾りましょう」
「フラダンスじゃないです」
「ほら、咲かせてあげるから。頭を下げて、ね?」
「私の国ではブッソウゲと呼び習わしてます。というか、フラダンスじゃないです」
「細かいことは気にしないの。ほら、頭を下げなさい。抵抗しても無駄なんだから。人間、諦めが大切よ」
「人間でもないです」
「誤差の範囲よ」
幽香さんに服を引っ張られ、観念して頭を下げる。
強引というか、マイペースというか。天然で相手の話を聞こうともしない押しの強さ。
咲夜さんに似てなくもないこの感じ。これにはどうも逆らえない。
苦手なタイプの人です。
「ほら。やっぱり似合うじゃない」
楽しそうに笑う幽香さんを見てると、怒る気も失せてしまう。
我ながら甘すぎる。
「はあ、ありがとうございます」
「もっと嬉しそうにしなさいよ。ほら、かわいいじゃない」
幽香さんの手鏡で、私の顔を映す。
私の赤い髪よりも、ずっと鮮やかな赤い色。
紅という言葉が似合う色。ワンポイントに、確かにこれはかわいいかもしれない。
「それじゃもう一回、踊って見せてくれないかしら。
今度はハイビスカスをつけて本格的に。ね」
「だからフラダンスじゃないです」
「細かい事はいいのよ」
幽香さんの笑顔に押し切られ、もう一度太極拳の型を見せる。
うろ覚えですらないフラダンスを踊るよりはずっといいだろう。
一通り踊り終えると、満足した幽香さんがぱちぱちと手を叩く。
それに一礼し、演舞を終える。
うん。悪くない。
頭の花は別として、見られるというのは新鮮で面白い。
幽香さんの気を惹ける程度には、物を修めているという自信にもなる。
「見事だったわよ。フラダンス」
「太極拳です。間違えないでください」
「そのくらい知ってるわよ。馬鹿にしてるの?」
幽香さんがぷんぷんとわざとらしく怒る。
知ってるなら最初からそう言ってくださいよ。
なんでフラダンスなんて言うんですか。
帽子を直し、朝から疲れる相手に出くわしたことを後悔し始める。
朝の時点では爽やかだったのに、なにかがおかしいぞー。
「それで、今日は何をしに来たんですか」
「お花見」
にっこりと微笑む。
その一言で行動原理を全て説明できるこの方は素晴らしい。
「暇なんですね。遊び相手なら他にも沢山いるでしょう」
「ローテーションよ。今日は貴女の番。私の暇潰しの相手に選ばれた光栄に浴するといいわ。
ほら、諸手挙げて喜びなさい」
「わーい」
適当に両手を挙げて、やる気のない歓声を上げる。
それを見て、満足そうに頷いている。
暇が潰せればなんだっていいみたいだ。
呆れていると、幽香さんがちらちらと構って欲しそうに私の方を見る。
仕方がないので、その視線に応えてあげる。
「何です?」
「門番のお仕事はお休みかしら?」
「年中無休サービス残業。今日も元気に勤務中です」
「その割には、全く覇気がないわよね」
「基本的には、蝙蝠が鳴く開店休業状態ですから。
砂糖を見つけた蟻みたいに、わさわさ侵入者が群がってくるわけじゃありません」
「常習犯の物盗りも、顔が割れてるみたいだし。お昼寝したくなる気持ちもよく分かるわ」
「寝てません。たとえ寝てたとしてもそれは寝てるふりをして間抜けな侵入者を釣り出すための高度な戦術です。
たまに本気で寝てても異常事態には素早く反応しますから問題はありません」
「寝てるんじゃない」
「細かいことはいいんです」
きっぱり言い切ると、幽香さんがおかしそうに笑う。
ひとしきり笑った後、悪戯っ子の瞳になる。
「それじゃ、退屈してる門番さんに、お仕事させてあげようかしら」
くるりと身を翻し。堂々と、閉じた門の正面に立つ。
妖力を高め、これから侵入しますよと高らかに宣言をする。
私はそれを、ただ眺めている。
「止めないの?」
「別に止めやしませんよ」
「門番がそんなのでいいの?」
「通す人と通さない人の選別も仕事の内ですから。幽香さんなら、別に中に入っても構いません」
「そう」
どれだけ幽香さんに挑発されようと、無反応を貫く。
幽香さんが集めた魔力が霧散する。
幽香さんがつまらなそうに私の隣に戻ってくる。
勝った。
「やっぱりやめる」
「そうですか」
不満そうに頬を膨らませる。
やっぱり、私をからかいたいだけだったらしい。
本気で中に入るつもりだったら、先に私を伸してから、悠々と門を潜るに違いないから。
無闇に入り口を壊して侵入するのは気品に欠けますし、幽香さんの趣味じゃないと高を括った甲斐がありました。
まあ、気紛れで爆破される可能性もあったのですが。
その時はその時。幽香さんもそれで興味を失って帰るでしょうし。
その後、渋々残骸をかき集めて門の修繕に取り掛かればいいだけです。
うん。どちらに転んでも、そこまで悪くも無ければ良くも無い。ほどほどの結果にしかなりません。
お嬢様の我侭に比べれば、簡単な方です。
「いい天気ですね」
門を背に、空を見上げる。
日が昇ったばかりの空は明るく輝いている。
この蒼天を望み、温かい陽射しを受ける幸福は、昼の住人にしか味わえない。
この気持ちよさを、お嬢様たちにも分けてあげたいです。
「本当ね。お昼寝にはいい日和。じー」
何かを期待するような目で見てくる。
そんな目をされても何も出ませんし、やりませんよ。
「ただ立ってるだけも退屈じゃない?」
「そうでもありません。雲を眺めてるとあっという間に一日が終わりますし。花壇の世話もあります。
たまには妖精とか腕試しの人間とか釣り人とか咲夜さんとか白くて黒いのも来ますし。
長い目で見ればそれなりに変化があり、退屈しない日常です」
「退屈しないのに、お昼寝はするのね」
「陽射しが気持ち良いのが悪いんです」
「小春日和は特に大敵ね」
「寝るなっていうのが無理な話ですよね」
「そうね」
「……寝てませんよ」
「私は瀟洒なメイドじゃないし。どっちでも気にしないわよ」
「寝てません」
「はいはい」
私の名誉にかけて、そこは断言させてもらう。
寝てません。
「幽香さんは、立ってるだけは退屈じゃないんですか?」
「そうでもないわ。こうして立ってると、色んな声が聞こえてくるもの」
「声ですか。妖精とかそういのですか?」
「もっと原始的な声よ。風の音とか、花の声とか、そういうのに宿る意志みたいなもの。
ハイカラな言葉だと、アニミズムって言ったかしら」
その言葉は聞いた事がなかったけど。
言わんとしていることは、なんとなく分かる。
「私の気と、同じようなものですかね」
「貴女も、そういうのが分かるの?」
「なんとなくですけどね。幽香さんが構って欲しそうにしてることくらいなら分かります」
「そうねえ。折角遊びに来たのに、肝心の貴女がその体たらくなんだもの。退屈しちゃうわー」
「これが自然体なんです。日が暮れればお嬢様も起きてきますし。賑やかになりますから」
「子供の相手は御免よ」
「メディスンとか他の妖精はいいんですか?」
「メディと吸血鬼を一緒にしないでもらいたいわ」
「失礼しました」
生まれたばかりの妖怪と、身勝手極まりない吸血鬼。
同じ子供のような気もするけど、成長がない時点で吸血鬼の方が手がかかるのは明白だ。
幽香さんが、私の顔をじっと見つめてくる。
「頭の花、いつまでつけてるの?」
「折角なので、今日一日はつけてます。萎れたら埋めますけど」
「永遠に枯れなかったらどうするの?」
「パチュリー様に贈って、解剖してもらいます」
「無粋ねえ」
「枯れない花には負けますよ」
「それもそうね」
「幽香さん」
「なにかしら、紅美鈴」
「そんなに遊びたいなら、無理してここにいる必要もないのでは?」
「今日はここにいるって決めたのよ」
「暴れないでくれるなら、私はそれでも構わないのですが。
お花を咲かせるなら、中に花壇がありますのでそちらでやってもらえないでしょうか」
「ここでいいわ」
幽香さんが、退屈そうにばさばさと傘を振る。
その度に、傘から花が零れ、そこら中に根を張り咲き誇る。
雑草が生えていただけの味気ない周辺が、一気に色彩豊かな花畑になる。
「私が中に入ったら、貴女はどうするの?」
「私は門番ですし、ここにいますよ」
「そう、それじゃ駄目ね。ここでいいわ」
「そうですか」
幽香さんの手から、ぽろぽろと花びらが零れ落ちる。
幽香さんが歩く度、足元で花が咲く。
ほんの数秒で次から次へと新しい花が咲き、入れ替わり、色の洪水が押し寄せる。
ここまで花を大判振る舞いするのは、随分と珍しい。
「花は好きでしょ?」
「好きですけど、限度がありますよ」
「このくらい派手な方がいいのよ。きっと、幼いお嬢様も気に入ると思うわよ」
にっこり微笑まれると、それ以上文句も言えなくなってしまう。
私が困っているのは事実だし。それを見て喜んでるのも少しはあるのでしょうけど。
自分が楽しいからやっているという感じがひしひしと伝わってくる。
それを止めさせるのは、子供の遊びに口を出すような無粋さを感じ、つい遠慮してしまう。
帽子に触れる。
この溢れる花は、どうすればいいんでしょう。
幽香さんが離れれば、勝手に消えるんでしょうか。
枯れるとしたら、それは少し寂しいような。
「それで、結局今日は何だったんですか?」
「たまには、貴女の視点から物事を見てみたかったのよ」
「参考になりました?」
「んー。それなりに?」
かわいく首を傾げる。
本当、なにがしたかったんでしょう。
ちゃんと暇潰しになったんでしょうか。
「それじゃ、吸血鬼姉妹が起きると五月蝿いから、これでお暇するわ。
今度は天気のいい日に、私のお庭にいらっしゃい。歓迎してあげるから」
「有給をもらえたら、真っ先に飛んで行きますよ」
陽気な風見幽香に手を振ってお見送りする。
それなりに楽しんでいたようだけど。何が楽しかったのかはよく分からない。
思えば、私も全くお昼寝ができなかったけど。それなりに楽しんでいたのかもしれない。
誰かがずっと一緒にいること自体珍しいですからね。新鮮だったに違いありません。
たとえ相手が、あの風見幽香であったとしても。
そのうちまた来てくれないですかね。
その時は、もう少し歓迎してあげることにしましょう。フラダンスでも覚えて。
それ以外に何かを言うべきでもないお話だと思ったのですが、
>「無粋ねえ」
>「枯れない花には負けますよ」
ここの美鈴の台詞はきらりと光ってるなあと感じました。
次回作を楽しみにしております。
すらすら読める綺麗な文体は良かったです。
だって、美玲は武闘家で門番でそこに明らかに自分より強者でS気の強いと評判な幽香さんが
暇つぶしにもっと言えばちょっかい出しにもっと言えば弄ぼうとしてきたんですよ
強者は弱者を程度の差、状況の深刻さ、意志の邪悪さの差はあれ、弄ぼうとするもの
それにNoゥ!!を突きつけるのが武道の始まりにして目指すべき境地じゃないかと思うんです
そこで、戦うわけでも媚びるワケでもなく、結局ほんわかした話に収めた美玲は何らかんだでした
もんだと思いました。程度の差こそあれ危機に対して、実際に技術を使用するまでもなく戦わずに切り抜けるのが本当の上策だと思いますね。本当に護身を心得た人の周りではあまり
諍いや争いは起きない、そのような気遣いがさりげなく出来る人なんじゃないかと思います
なんとなく、幽香は美玲の人物を測ろうとあえて挑発してるように見えますしね
漫談日和、なるほどぴったりなタイトルです。