「妖夢、参りましょうか」
「はい、幽々子さま」
霊身の主従が白玉楼をあとにする。
今日は二人で命蓮寺を訪う予定。
妖夢は大事を控えているにもかかわらず、幸せに満たされていた。
(良かった、今日は【いつにも増して】優しくて穏やかな、そしてあまり無茶を言わない幽々子さまだ)
冥界の姫君、西行寺幽々子。
予測のつかない気紛れな無茶振りはいつものこと。
ほわーんとしているのに有無を言わせぬ雰囲気を持つ、これもカリスマの一種か。
真面目で世間ずれしていない妖夢はこの主に日々振り回され、てんてこ舞いなのだ。
だが、決して嫌いなわけではない。
時には姉のように、時には母のように優しく包み込んでくれるかけがえのない存在。
大好きなご主人様だ。
そんな主は気紛れ故か、月に四、五日、いつもの西行寺幽々子と異なるムードを醸す時がある。
その時はいつにも増して落ち着いた雰囲気で、言動に確かな気品があふれている。
白玉楼の主として、冥界の姫君として、身命を賭して仕えるに値する姿なのだ。
だが、しばらくすると【いつもの】西行寺幽々子に戻っているので妖夢は気紛れの一つだと思っている。
でも、魂魄妖夢はこのアッパー状態の主人を【advanced幽々子さま】と勝手に名づけている。
そして普段の『幽々子さま、大好きです』から『幽々子さま、大大大好きです』に昇格する。
今日のお出掛けは【advanced幽々子さま】と。
楽しさも一入だが、浮かれてばかりもいられない。
遊びに行くのではない、真剣勝負に行くのだから。
(たのもおー、って言えば良いのよね)
魂魄妖夢は命蓮寺を目前にして今一度口上を確かめる。
(寅丸星さんとお手合わせ願いたい、って言えば良いのよね)
妖夢は先の紅魔館のパーティーで寅丸星の槍の演武を目の当たりにした。
流麗な舞踊のような演武だったが、そこに秘められた戦闘力が桁外れなのは間違いなかった。
スゴい武人が幻想郷にやってきた。
『まあー、すごいわねー。
とーっても強そう。
妖夢とどちらが強いかしらー?』
演武を一緒に観ていた主人に問われた。
『幽々子さま、もしかしたら私、勝てないかもしれません』
あの目にも止まらぬほどの連続技を自分は躱しきれるだろうか? 自信がない。
その時の正直な感想だった。
それでも警護役として、指南役として、後れを取りたくない。
そして何より武術家の血が沸騰した。
【戦ってみたい】と。
敬愛する主人からの信頼。
これだけは絶対に譲れない。
手合わせをし、そして自分が勝利する姿を見せる。
あれほどの武人を打ち負かす自分を認めてもらうのだ。
あの日から自分なりに修練を工夫した。
祖父からの教えを忠実になぞり、さらにオリジナルの鍛錬法も加え、寝る間も惜しんで励んだ。
そして今日に至る。
犬耳の少女が竹箒で掃除をしていた。
目が合った。
まずは彼女に呼びかけよう。
妖夢は、すうーっと息を吸い込む。
(さあ、いくわよ!)
「こぉーん、にちー、ぅわーーー!!」
ものスゴい号声に機先を制された。
妖夢は溜めていた息をぷはっと吐き出す。
「え、あ、その、」
「こんにちわーー!!」
「あ、はい、こんにちわ」
くりくりした邪気のない瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。
「よーこそ命蓮寺へ! どーんなご用でしょうかー!?」
「え、えーっと、魂魄妖夢と申します。
寅丸星さんにお話っていうか、用事があるんですけど……」
「寅丸さんにご用事!? それならまずはナズーリンですね!」
小走りで寺に向かいながら、口に手を当ててトンでもない音量で怒鳴る。
「ナズーリン!! おーーい! ナズーリーン!!!
ナッ! ズウーーーリイーーーン!!!」
やがてネズミ耳の小柄な女が、つんのめるほどの前傾姿勢で勢いよく近づいて来た。
「まったく喧しいな!
響子! 今日は忙しいって言ったろ?
やたらに呼びつけるなって言っておいたろ?」
「だあってー! 寅丸さんにお客さんの時は、先ずは自分(ナズーリン)を呼べって言ってるじゃんか!」
顔をしかめていたナズーリンだが、来客に気付き態度を改める。
「魂魄妖夢どのだね? それに西行寺のお姫様。
私は寅丸星の従者、ナズーリンだ。
以後、お見知り置きを願いたい」
会釈するネズミ妖怪につられてお辞儀する妖夢。
後ろで幽々子が優雅に腰を折る。
「あ、よろしく、こちらは西行寺幽々子さまです。
私は魂魄妖夢です、本日おうかがいしたのは……」
「ナズーリン! Compaq王蟲さんは寅丸さんにご用事なんだよー!」
「一体どんなPCブランドの腐海の主だよ!?
響子、キミは声がデカいせいか知らんが、ヒトの話をちゃんと聞かない傾向があるな。
【こんぱくようむ】どのだ、ヒトの名を間違えるのは大変失礼なことだよ」
山彦に教育的ツッコミを入れてから半人半霊庭師に向き直る。
「妖夢どの、本日は檀家を大勢招いて昼餉を振舞うことになっていてね。
【ご主人様】寅丸星は、現在てんやわんやなんだ。
ご用事ならその後にしてもらえると助かるんだけどね」
「そうなんですか、そういうことでしたら……」
確かにノーアポの訪問だったから文句の言える筋合いではない。
「よーーむさん! 寅丸さんは、お昼ご飯の支度をしてるの!
天ぷら揚げてるの! たくさん、たくさん!
川エビと野菜のかき揚げ天ぷら! 美味しいんだよー!!
それとお寺で作ったお蕎麦! 【天ざる】なんだよー!」
「まあー、それは美味しそう」
冥界の食いしんぼ姫が顔を輝かせる。
「幽々子さま! 本日の用向きは違いますよ!」
【advanced幽々子さま】も食欲は旺盛なのだ、だが、ここからが少し違う。
「そうでしたね。それではご挨拶も難しそうねー。
では、寅丸さんによろしく言っておいてくださいね」
そう言って西行寺の当主が山彦に優しく微笑んだ。
「りょーかーい!
寅丸さーーん!! とらっ! まるっ!! さーーーん!!!!」
「こらー! 響子ー! 話を聞いていなかったのか!?
ご主人は今、多忙だって言ったばかりじゃないか!」
「だって、寅丸さんに言っておいてって、言われたもん!」
「後でいいんだよ! キミは脊椎反射だけで生きているのか!?」
やがてパタパタと足音を鳴らして大柄な女がやってきた。
割烹着に手拭いを姉さん被りにした寅丸星。
「はいはい、何でしょう?」
「寅丸さん! お客さまだよー!」
「まったくもう。
ご主人、わざわざすまないね、白玉楼からお客様なんだ」
忙中ながらもニコニコしている寅丸星に冥界からの客人を紹介するナズーリン。
「あらあらまあまあ、ようこそお出でくださいました、命蓮寺の寅丸星でございます」
深々と腰を折る毘沙門天の代理。
それなりの威厳を保たなければならない立場のはずだが、今の見てくれは愛想の良いお三どんだ。
妖夢は挨拶を返しながらも、目の前の女性の柔和な雰囲気が、過日の凄まじい演武と重ならず、その落差に戸惑っている。
「して、妖夢どの、ご用の向きは?」
ナズーリンが問いかける。
寅丸本人が来てしまったからには聞かざるを得ない。
「いえ、お忙しそうなので日を改めてお訪ねいたします」
比較的空気の読める苦労人の庭師は遠慮勝ちに告げる。
「妖夢ー、それでいいの?」
こちらは空気を読めない、いや端から読むつもりがない白玉楼の主人。
さっきは挨拶だけで帰ろうとしていたはずなのに。
相変わらず言動の真意が読みづらい冥界の姫君。
「でも幽々子さま、この状況で無理を申し上げるのも……」
自分がその立場であれば『後にしてください!』とキツイ口調で言ってしまうかもしれない。
「寅丸さん、ウチの妖夢に稽古をつけて欲しいの」
空気ってなーに? お腹にたまらないし、美味しくないじゃないの。
マイペース重戦車【西行寺@UUK02式】にはブレーキが装備されていない。
(稽古? 手合わせではなくて?)
妖夢は引っかかった。
幽々子が言い間違えたのか、それとも何か意図があるのか。
本日は【advanced幽々子さま】だから単なる間違えとは思いにくい。
(何か意味があるのかしら? でも、全然分からないな……)
「はいはい、ようございますよ」
「ねえ、ご主人! 安請け合いをしたらダメだよ。
今日はとても忙しいんだよ?」
「ですから昼餉が終わるまでお持ちいただきたいのです。
せっかく遠くからお越しいただいたのですからね」
そう言ってニッコリ笑う。
「まったく……。
妖夢どの、いかがか? お待ちいただけるかな?」
苦労の多い従者が、これまた苦労の多い従者に問いかける。
「待ちまーす、天ざるをいただきながら待ってまーす」
あっけらかんと答えたのは冥界の管理者。
馳走になることは決定事項のようだ。
「ゆ、幽々子さま!」
慌てる妖夢だが、こうなっては覆すことは不可能。
この主は【天ざる】を堪能するまではテコでも動かないだろう。
小さくため息をつく生真面目な従者をもう一人の従者が同情の目で見ていた。
「それでは西行寺様は客間でお待ちいただけるかな?
案内しよう。
妖夢どのもご一緒にどうぞ」
「そんな! 私は結構です!」
さすがに気が引ける。
「それなら 妖夢、お手伝いしてくれば?
みなさんお忙しそうだから。
私は天ざるをいただくわー」
冥界の姫君に躊躇いは無い、ついでに遠慮も無い。
命蓮寺の厨房。
猫の手も借りたいのは本当。
現にタヌキもネズミも大忙し。
「うおー! あっついのおー!」
居候の二ッ岩マミゾウが大汗をかきながら蕎麦を茹でている。
捻りハチマキ、湯気で曇るメガネを忙しく拭いながら大鍋に踊る蕎麦と格闘している。
ナズーリンは食事のときは客前に出ないように心がけている。
無論、常に清潔にしているが食事時にネズミがうろうろするのは普通の人間にとって気分のいいものではないから。
裏方に徹し、厨房全体のコントロールをしながら手際よく盛り付けを行っていた。
かき揚げ天を揚げまくる寅丸星。
忙しいはずなのに鼻歌交じりで楽しそう。
(このヒト自分のことだと簡単にテンパるくせに、他人のためだと、どんなに大変でも平気なんだよね。
まぁ、そこが良いところなんだけどさ。
うふふ、大好き)
主人であり、恋人でもある毘沙門天の代理を優しく見やる小さな小さな賢将。
(おっと、見とれている暇はないね。
うーん、やっぱり妖夢どのには洗い場に入ってもらうか)
今回のイベントで地味にハードなポイントは洗い場だった。
多くはない食器を都度洗って拭いて次に備えなければならない。
多々良小傘が頑張っているがどうにも頼りない。
現に下げられた食器が早くも溜まり始めている。
聖白蓮は【フロア】(畳敷きの大広間だが)で檀家に小まめに声かけをしている。
単に食事をさせるだけでは意味がない。
食事は住職が至近で話しかけてくれる場を提供するための方便にすぎない。
とは言え、寅丸星が作る料理は寺の名物になっているから、檀家は皆、そちらも期待する。
雲居一輪と村紗水蜜、封獣ぬえが【フロア】の給仕を担当しているが、数十人のお客が入れ代わり立ち代わりする広間が相手では手が
足りず、忙しない感じを与えてしまっている。
元気は良いが、そそっかしい幽谷響子は【フロア】に向かないのでお客の誘導とお見送り。
食事の【出し】も【バッシング】(食器下げ)も遅れ気味でお客から若干イライラオーラが出始めている。
本日のバタバタは、見てくれが良く、比較的器用な妖怪達が謹慎中につき不在であることに尽きるが、その詳細は別のお話。
ナズーリンは妖夢に洗い物を頼んだ。
広大な白玉楼の庭を預かる少女庭師は見事な手際だった。
黙々とちゃっちゃっと片付けていくさまは見惚れるほど小気味良かった。
一緒に作業する小傘が足手まといに見えるほどだ。
助っ人の予想以上の実力をみたナズーリンはポジションチェンジを敢行する。
「小傘をそっちへ」
小傘を【フロア】に回す旨、一輪に簡潔に告げる。
入道使いは小さく頷いて了解の意を示した。
ナズーリンと雲居一輪。
お互いそれほど打ち解けあった仲ではないが、お寺の運営に関することでは相手の実務遂行能力の高さを認めあっているので、危急の
時ほど阿吽の呼吸で抜群のコンビネーションを見せる。
愛嬌のある小傘が【フロア】に入ると、他の三人も愛想良く余裕を持って動けるようになった。
そして全体が和やかに落ち着いた雰囲気になる。
【蕎麦処 命蓮庵】はトップギアで快走し始めた。
「失礼」
断ってから客間の戸を開けるナズーリン。
西行寺幽々子は軽く首を傾げて迎え入れる。
その姿を見て一瞬、硬直したナズーリン。
(うん? 今、周囲が霞んで見えたぞ? 幽玄……と言えば良いのだろうか、なのに視線も心も持って行かれそうだ)
改めて対峙した冥界の姫君は亡霊なのに存在感が圧倒的だった。
(このヒト、こんな感じだったかな? いつもとは違う雰囲気なんだが……)
人物評価に自信のあるナズーリンが心の中で首を傾げていると幽々子の嬉しそうな声が聞こえた。
「まあー、美味しそう」
そうだ、妖夢の主人に天ざるを運んできたナズーリンだった。
ざる蕎麦三枚とかき揚げ天三人前。
旺盛な食欲で有名な白玉楼の主、とりあえず三人前持ってきたが、追加も準備している。
「あらー、こんなにたくさん、嬉しいけれど、食べきれるかしらー?」
(ん? これは冗談として受け取るべきなのか? なんだか調子が狂うな)
これまで見てきた西行寺幽々子とズレがある。
一対一だと本来はこんな感じなのだろうか。
「お構いできず申し訳ないが、このような状況なのでご了承頂きたい」
「いーえ、こちらが無理を言ったのだから気になさらないでー」
ふい、っと笑った姫君の顔はナズーリンが知る中でも超特級の品格だった。
「妖夢さん、この度は本当に助かりました、ありがとうございます」
「い、いえ! そんな!」
聖白蓮から丁寧に礼を言われ、恐縮している魂魄妖夢。
昼餉も無事終了し、檀家も帰り、片付けも一段落したところ。
温めのお茶が振舞われ、皆が一息ついている。
「小傘も響子もよく働いてくれたね。
明日は雲山に乗って空散歩に行こうか、お弁当持ちで」
姉御肌の一輪が小妖たちに優しく声をかける。
「うわーーい! やっほぅー!」
飛び上がって喜ぶ忘れ傘と山彦。
ときにふわふわと風に乗り、ときにごうごうと風を切り裂く。
空妖雲山にふんわり埋まりながら自由気ままに空をゆく快い散策。
小傘と響子にとっては最上のご褒美だった。
「ふおー、くたびれたのー」
「このくらい働いても罰は当たらないよ」
大きく伸びをする居候タヌキにキャプテンがチクリと言う。
「まあ、マミゾウにしては頑張ったよねー」
ぬえが微妙なフォローを入れる。
「今回の寄進物に上等な吟醸酒があったから後で部屋に持って行くよ」
「お!? さすがはムラサじゃ! やはり、おぬしは良い娘じゃのー」
「ええー!? ムラサは甘過ぎだよ、頑張ったのはマミ婆だけじゃないのに」
「こら、ぬえ! ババアと呼ぶなと言ったじゃろ!」
「ふん」
ひねくれぬえちゃんは面白くない。
(私だってとっても頑張ったのに、マミゾウばっかり労うなんて! ムラサのバーカ!)
外に行こうと立ち上がりかけたぬえの肩に船幽霊が手を置いた。
そして、耳元でささやく。
(ぬえー、お疲れさん、あーん、して)
元来は用心深い封獣だが、ムラサの言葉は素直に聞いてしまう。
あーんと開いた口に何か放り込まれた。
柔らかくて甘い。
一口大の四角い羊羹、通称【チロリヨウカン】。
色々な味のようかんを可愛い包み紙でくるんだ人里でも人気の駄菓子。
今、ムラサが食べさせてくれたのはぬえが大好きな栗抹茶味。
(一つしかなかったからね、皆には内緒だよ?)
人差し指を口に当て、ニコッとする。
口に入れられたとき、ムラサの人差し指をちょっとだけ舐めてしまった。
いつもより甘く感じるのはそのせいなのか。
(どう? おいしい?)
(……ん……おいひい……)
下を向いたまま、もーぐもーぐとゆっくり噛みしめる。
この甘さが全身に広がっていくのを待つかのように。
今は、ちょっとだけ素直なぬえちゃんだった。
部屋の隅で毘沙門天の代理とその従者が小声で話している。
(ねえナズーリン、私、油臭くありませんか?)
(そりゃ仕方ないよ、あれだけ揚げ物をしていたんだから)
(お風呂入って来た方が良いんでしょうか? 妖夢さんに失礼じゃないですかね?)
(少なくとも私は気にならないよ。働き者のナチュラルな匂いだから好ましいね)
(そうですか?)
(そんなに気になるのなら今夜、私が念入りに洗ってあげるよ)
(いやだ、ナズったらぁ)
キャッキャ、ウフフ
えーと、全部聞こえているんですが。
場内はシラーっとなったが、命蓮寺の面々は毎度お馴染みのことなので誰もツッコまない。
妖夢だけが律儀に顔を赤らめていた。
それじゃ始めますかってことで寺の裏庭。
西行寺幽々子をはじめ、命蓮寺の面々は縁側に座って見物。
寅丸は武闘着代わりの作務衣に着替え、木製の槍をひゅっひゅっと振っている。
それを見た妖夢は慌てた。
(しまった! 真剣勝負じゃないんだから代わりの剣を持ってこなきゃだった!)
そうは言っても妖夢は日頃の修練も楼観剣と白楼剣を使っているので、他の剣を振ることはほどんどなかった。
妖夢が慌てている様子を察したナズーリンが星に声をかける。
「ご主人の木剣を貸してあげればいいんじゃない?」
「そうですね、……妖夢さん、これをどうぞ」
寅丸が脇に立てかけてあった木刀を手渡した。
今は木剣より木刀と言う方がポピュラーか。
(え!? うそ!)
手にした幽人の庭師は取り落としそうになる。
材質は白樫のようだが、重い、メチャクチャ重い。
実のところ木刀は見た目よりかなり重い。
自在に振り回すとなると相応の膂力が必要だ。
小柄な妖夢が二本の鋼刀を縦横に振るえるのは妖怪が鍛えた【魂魄家】縁の刀だからに他ならない。
「ちょっと無理そうだね、妖夢どののいつもの剣で良いんじゃないかな?」
ネズミの賢将の提案に妖夢は驚いた。
「で、でも! この楼観剣に切れないモノは、あんまり、殆ど、少ししか無いんですよ!?」
「うーん、その時はその時だね、多分、大丈夫だろう」
ナズーリンは寅丸が妖夢に斬られるとは思っていないようだ。
「そんな……」
「妖夢さん、私、こう見えてとっても頑丈なんです。
大怪我にはならないと思いますから、どうぞそのままで」
寅丸が笑いながら言う。
「でも、でも」
はいそうですかと言える訳もなく戸惑う妖夢。
他人への接し方については経験の少ない箱入り娘。
言葉遣いや対応にいつも迷走しているが、根は気遣いのできる優しい娘なのだ。
「星、こっちを向いて」
妖怪寺の住職が声をかける。
「びびでばびでぶー」
聖白蓮が寅丸に向かってタクトを振った。
それ、初めて見ますけど?
「今、斬られても切れない魔法をかけました。
妖夢さん、これで大丈夫ですから遠慮なくどうぞ」
ニッコリ笑う大魔僧。
ホントですか白蓮さん?
(今のはフリのウソ魔法だな)
実は魔法に造詣の深いナズーリンがいかにも胡散臭いマジック・プロセスに片眉を上げた。
(だが、これで妖夢どのも気兼ねが減るだろうね。
聖もひとかどの武人だから、ご主人が遅れを取るとは思っていないのだろう)
噂の域を出ないが、聖白蓮は封印されていた法界(魔界)で無敵のグラップラーだったらしい。
リングネームは【ミルキー・ロータス】魔界の武術大会において不敗を誇っていたそうな。
その拳は光の奔流を弾き飛ばし、その脚は次元の壁さえも蹴り破ったと。
筋骨隆々の鬼人達に血泡を吹かせ、魔法戦士達の小細工を正面から受け止め、粉砕したと。
腕自慢の戦鬼、妖獣、魔人たちの挑戦を500年もの間、悉く退けた伝説のチャンピオンだったらしい。
どこまでホントの話なのか分からないけど。
「妖夢さんにも魔法をかけましょう。
まはりくまはりたー」
「え? あの?」
淡い光が妖夢を少しの間包み、消えた。
「表面に薄い【壁】を塗りました。
多少の衝撃は吸収するでしょう」
(これは本物の防御魔法だね)
「私も刀が良いかしら?」
寅丸が自分の槍と妖夢が背負う刀とを見比べて言う。
確かに手に持って振り回す武器は長い方が有利だ。
懐に飛び込めば刀が有利とは言うが、実際はそう単純なことではない。
懐に入られないための竿状武器(ポールウエポン)なのだし、ましてや熟練者が相手となれば尚更だ。
「寅丸さんの得意な得物でお願いします、本物の槍を使ってください」
妖夢は不利は百も承知。
妖夢は過日の槍の演武に触発されて本日に至る。
だから槍で仕合ってもらわなければ意味がないと考えている。
「意気込みは分かるよ。
だが、そこは張り合うところではないと思うよ」
寅丸星の槍はただの槍ではない。
毘沙門天から下賜された神槍なのだ。
ヘタをしたら霊体でも木っ端微塵になって無に帰してしまうだろう。
「ですけど……」
ほんの一瞬、幽々子に視線を飛ばした妖夢。
ナズーリンは見逃さなかった。
「幽々子どのが言われるように【稽古】なのだからね」
ナズーリンには妖夢の頑ななこだわりから今回の目的がおぼろげに見えてきた。
「稽古なら、この胸当てを付けてください」
寅丸星が剣士に渡したのは分厚い革製の小さな板をベルトで止める簡易タイプの防具だった。
なんだか合点のいかない妖夢に毘沙門天の代理は続ける。
「ここは私の稽古場でもあります。
ここでの流儀に従ってくださいませんか?」
そう言われてしまえば是非もなし。
「付けるの手伝ってあげるよ」
キャプテン・ムラサが妖夢の背後に回った。
「あ、恐れ入ります」
「これでOKだよ」
礼を言おうと振り向くと、ムラサは手を振りながら後ろ歩きを始めた。
いつの間にかマミゾウとぬえも妖夢の後方、数十歩の辺りに離れて立っている。
ムラサが二体の大妖怪の間くらいで止まった。
「えーと、なんでしょうか?」
訝しむ少女剣士。
「気にしない気にしない!」
ムラサはそう言うが、それなりに力のありそうな妖怪達に背後を取られている状態。
妖夢でなくとも気になるだろう。
向き合ってそれぞれの武器を構える。
妖夢の楼観剣は青眼で静止する。
「はじめ!」
ナズーリンの声から数秒、双方動きなし。
(よし! 先制攻撃!)
踏み込む決意をし、軽く息を吸い込む妖夢。
何が起きたか分からないが飛んでいた。
胸の辺りに強い衝撃を感じたと思ったら後ろ向きに飛んでいた。
後ろから前に景色がとてもゆっくり流れていく。
(あ……体がきかない……このままじゃ受身とれない……)
「ライトー! いったよー」
「オーライ、オーラーイ、 よっと!!」
吹っ飛んできた小柄な庭師を空中でキャッチしたのは大ダヌキだった。
「ナイキャー」
二ツ岩マミゾウに抱かれたままボンヤリしていた妖夢。
少しづつ状況を把握し始める。
(皆、こうなることが分かっていたから後ろにいたのね。
私、道化者みたい)
情けないやら、恥ずかしいやら、頭にくるやら。
平静さを欠きつつある冥界の少女剣士。
「二本目、始めましょうか」
寅丸星の優しい声にさえ悪意を感じてしまう。
何度も胸当てを突かれる。
それも全く同じ場所を。
槍の柄を斬り飛ばすこともかなわない。
刃先をほんの少しずらされ、逆に剣を弾き飛ばされてしまう。
二刀を使ってもダメだった。
「妖夢ー、私は先に帰るわねー」
西行寺幽々子は地面に座り込み呼吸を荒くしている従者に告げた。
はっと、顔を上げる妖夢。
主人の表情は穏やかでいつもと何も変わらぬように見える。
「ゆ、ゆゆこ、さ……ま」
言葉が続かない。
(先にって……そうよ、こ、こんな情けない従者と一緒にいたいはずないもの)
俯くことしかできない。
意気消沈して白玉楼へ戻った魂魄妖夢。
あの後、命蓮寺の皆は色々と気遣ってくれたようだし、声もかけてくれたようだった。
ようだった、と言うのは妖夢にはそれらを見聞きしてもほとんど頭に入って来なかったからだ。
「幽々子さま」
主人が好んでいる居間の前で声をかけてみるが返事はない。
幽々子はいなかった。
卓上には一通の手紙。
『妖夢へ
しばらくの間、紫のところへ行っています
心配無用です
幽々子 』
我慢していた。
今日一日、我慢をしていた。
こんなに我慢をしたのは初めてだった。
でも、もう、無理。
(後編へ)
しかし今まで自分は長いと感じた事は余り無かったのですが…逆に短すぎません、これ?
個人的には100kbくらいまでなら分割しなくても楽しく読めるんですけど、人によりけりなんかなー
続きが気になりますね~~
私は個人的には、長さはどれくらいでもいいと思います。
要は区切りやすい場所があるかないかだと思うので、
無理して2つに分けなくてもいいかと。
(別に分けないほうがいいというわけではありません)
続きを楽しみにしてます
しかし何だかんだでしっかりイチャイチャしている星ナズはさすがと言うべきかw