幻想郷が赤く染まる秋の頃。カランカラン、と薄暗い店内に音が響く。
また面倒ごとだろうか? 店主の森近霖之助は、店内に響き渡る音を聞いてそう考えた。
店をやっている者として、扉を開けた者をすぐに客と考えることが出来ないのが、霖之助の店『香霖堂』の持ち味であった。
「すいません、いらっしゃいますか?」
赤い衣に包まれた華やかな女性が、音のない香霖堂に声を震わせる。
霖之助はその声を聞いて、ようやく、彼女がこの時期だけに来る客なのだと頭を巡らし、毎年の挨拶を店内に響かせる。
「やあいらっしゃい。君がこの店に来ると、なんだか季節が回っていることを実感するね」
「ふふ、この店はどんな季節に来ても変わらないんでしょうね」
「いやいやそんなことはないよ。夏は涼しく冬は暖かく。季節に合わせて、店の中に物が増えるからね」
「あら、なら秋には何が増えるんですか?」
「それは勿論、豊かな食事と綺麗な景色さ。秋というのは裕福で雅な季節だからね、僕も恩恵に与っているってわけだ」
霖之助はそう言って笑う。それに釣られたのか、店に来た客――秋静葉も静かに笑い出す。
「今年も一段と綺麗だったでしょう? 結構うまく塗れたのよ」
彼女が言うのは幻想郷を赤く染める紅葉の事。美しく舞い落ちる赤い木の葉を、自らが塗ったのだと言う彼女の種族は神。幻想郷では珍しくもない、八百万の神の一柱である。
「それはもう綺麗だとも。ほかの者たちが花より団子と決め込んでいるのが勿体無く思えるぐらいにはね」
「あらまぁお上手。でも、食事を楽しむのもいいものだわ。綺麗な景色も美味しい食事も、どちらも秋の良い所。楽しまなくちゃ勿体無いもの」
そう言って静葉は笑い。それに、と言葉を付け足した。
「美味しい作物は穣子が作った物だもの、二つ一緒に楽しんでくれるのが一番うれしいわ」と。
そんな妹を思う静葉の言葉に、霖之助は静かに、しかし確りと笑みを溢すのであった。
◆◆◆
「さて、君がここに来たということは、そろそろ秋も終わりなのかな?」
秋の色が深い幻想郷を目に捉えながら、霖之助は問い掛ける。
静葉が香霖堂に来る理由は、日用品から娯楽品まで、次の秋までの蓄えを始める為であった。
「ええ。名残惜しいけど、もうすぐ冬の季節だもの。冬を待っている人もいるのだから、私はまた、次の秋までお休みね」
そう言った静葉の顔には笑顔。しかし、その笑みは少しの寂しさを伴っている。霖之助もそんな静葉を見て、少しの寂しさを覚えるのだ。
「……まあ、今すぐに秋が終わるわけでもない。楽しいことは最後まで楽しむべきだろう」
「そうね……、うん、そうよね。ありがとう、店主さん」
霖之助の気遣いの言葉に、静葉の顔に純粋な笑顔が戻る。そんな静葉の笑顔に頬の赤くなるものを感じながら、霖之助は隠すように話題を逸らした。
「何のお礼かが分からないけれど、まあ受け取っておくよ。さあ、今年はどんなものがお望みだい? 可能な限り用意して見せるよ」と。
静葉もそんな霖之助の心に気づきながら、それでも気づかないふりをして話を続ける。
「んー、それなら娯楽品がいいわ。日用品は去年のがまだまだ使えるし。今年は豊作だったから、蓄えは十分足りそうなのよ」
「ああ、この前霊夢がそんな事を言ってたな。『豊作で余ってるくらいなのに、どうして私の神社に奉納しに来ないのよっ!』ってね」
「あらあら、それじゃあ今度何か持っていってあげようかしら?」
「是非そうしてやってくれ。僕が行ってもいいんだが、あんまり世話を焼きすぎても面倒なことになりそうだからね」
慈悲深い静葉の言葉に、霖之助は是非にと勧める。
客とは言いがたい紅白の巫女だが、可愛らしい所がないとも言えない。ついつい目を掛けてしまいたくなるくらいには、彼女は霖之助にとって大切な存在であった。
……素直に大切だと言えないのが、森近霖之助という半妖の、捻くれた性格の表れなのだ。
「ふふ、相変わらず可愛がっているのね。まあ、気持ちは分かるんだけど」
そんな霖之助の言葉に、静葉がからかうように言葉を掛ける。その静葉の言葉を聞いて、霖之助の顔に憮然としたものが浮かび上がった。何時も好き勝手をしては霖之助を呆れさせる少女達の片割れである。素直に気持ちを認めることは難しいようだ。
「……まあその話は今度にしよう。その間違った認識を改めさせるには、随分と長い時間が必要になりそうだからね」
「あら、私はかまわないわよ? 店主さんとなら、そんな風に語り合うのも結構楽しそうだもの」
「君がかまわなくても僕が構う。それに、あまり時間もないだろう? せっかく二人で話せる時間があるんだ、もう少し風情のある会話がしたいね」
霖之助の何気ない一言で、からかいの笑顔を浮かべていた静葉の表情が変わる。
「……相変わらずね、店主さんは」
「?? 何が相変わらずなのかが分からないんだが。まあいいか、褒め言葉として受け取っておこう」
「あんまり褒めてないんだけど……まあいいわ、言っても理解しなさそうだし」
「む、まるで僕が石頭みたいじゃないか。どうやら君とは、ゆっくり話をしなくてはならないみたいだね」
「しないでいいわよ。店主さんは石頭じゃなくて唐変木、話をしても分かり合えないわ」
「……もっと酷くなった気がするんだが、気のせいかな?」
あまりにも直接的な静葉の言葉に、霖之助の自信というものがガラガラと崩れ去る。半妖ということで少し変わり者ではあるが、概ね普通だという評価を霖之助は自らに付していた。しかしそれが間違いだと、静葉に言われてしまったのだ。
おかしな思考を持ちながら自分を普通だという霖之助の姿は、どこか彼の妹分の姿を思い出させた。
「ま、まあ、そんなに落ち込まなくても大丈夫よ。ほらほら、こういうときはお酒でも飲んで落ち着きましょう? ね?」
自らの言った言葉によってあまりにもな落ち込みを見せる霖之助を見て、静葉は慌てて慰めにかかる。
「ああそうだね……。ちょっと待っていてくれ……、準備をしてくるよ……」
霖之助はそう言って、店の奥にある台所に向かってとぼとぼと歩みを進める。そんな霖之助の姿を見て、静葉は『失敗したなぁ』と、頭を抱えるのだった。
◆◆◆
「そんなに機嫌を悪くしなくたっていいじゃない、悲しいわ」
「何のことかな? 僕は何にも、機嫌が悪くなんてなっていないさ」
程無くして台所から戻ってきた霖之助は、表面上は平静を保っていた。しかしその心の内にはいまだに煮え切らないものが残っているようだ。
静葉はそんな霖之助を見て溜息を一つ二つ。三つ目を吐き出そうとしたところで、霖之助が口を開く。
「……まあ僕が変わり者だというのは認めよう。自己の評価というものは、客観的に見て初めて分かるものだからね」
だけど、と霖之助は言葉を続ける。
「そんな変わり者の僕とこうして一緒にお酒を飲んでいる君も、随分と変わり者なのだと思うのだがね」
言ってやったといわんばかりの霖之助の顔に、静葉は少しの腹立たしさを覚え、一息に酒を呷った後、唐変木の朴念仁にも分かりやすいように言葉を並べる。
「私が変わり者なのは分かってるわ、なんたって一年の四分の一しか外に出ないのだし。それに、貴方に会いに来る人なんて、変わり者しかいないでしょう? ましてや好きになる人なんて、それこそ稀代の変わり者よ」と。
一気に捲くし立てる静葉の姿を見て、霖之助はそれが本当の事なのだとようやく気づく。とはいえ、その『好き』という感情が恋による『好き』ではないところが、霖之助の霖之助たる由縁なのだが。
「はぁ……参った、僕の完敗さ」
霖之助はそう言って酒を呷る。深い紅葉を見ながらの酒は、静かに霖之助の体に染み渡った。
「ん、よろしい。私が毎年ここに来るのは、店主さんと一緒に美味しくお酒を飲むためなんだから。機嫌を良くしてもらわないと困るわ」
「やれやれ、だったら僕の機嫌を損ねるようなことを言わないでほしいんだけどね」
「そこはそれ、あんなので機嫌が悪くなるなんて思わなかったのよ。本当、変な人ね」
静葉が呆れるように言う。その言葉で、またも霖之助の心にナイフが突き刺さる。
「また言った……。まぁいいや、それより乾杯でもしようか。もうすでに好きに飲んでしまったけどね」
しかし今回はそこまでの威力はなかったようだ。霖之助は静葉の言葉を軽く流し、そのまま話題を変える。
「ええ、なんに乾杯しましょうか?」
静葉は微笑を浮かべながら、霖之助に問い掛ける。
「それは勿論、紅葉と一年ぶりの出会いに」
それに霖之助も笑いながら、分かりきった答えを返す。毎年一緒にお酒を飲む、二人の間の約束事だ。
二人は一緒にお猪口を手にとって、そうして静かに言葉を交わす。
「「乾杯」」
物であふれた狭い店内に、楽しげな二人の声が響き渡った。
◆◆◆
「嗚呼、空が暗くなって来てしまったな。これじゃあ紅葉を楽しめそうにない。お開き……かな?」
「そうね……、これ以上暗くなったら穣子も心配するだろうし、お開きね……」
香霖堂に乾杯の音頭が響いてから二時間ほど。二人だけの静かな酒宴は、終わりの時を迎えていた。
楽しい時間はすぐに過ぎていくもの。それは半妖である霖之助と神である静葉にも平等に、間違いのない知識だった。
「あー、そうだな。商品は何時も通り後で届けさせるよ。僕が山に入るわけにも行かないからね」
「ええ、お願いね。無理を言ってごめんなさい」
場を取り繕うように放たれた霖之助の言葉に、静葉が感謝の言葉を述べる。
「いやいや、こうして毎年来てくれるお客さんだ。これくらいはどうってことないよ」
「ふふ、何時もありがとう。貴方のおかげで、私も穣子も秋以外を楽しんで過ごせているわ」
「それは良かった。道具屋冥利に尽きるってものだね」
そう言って霖之助は笑う。自分の選んだものが立派に使われているというのは、霖之助にとってはとても喜ばしいことだった。それが大切な友人だというのなら尚更だ。
そんな風に笑う霖之助を見て静葉も笑う。こういうところで素直な男だから、静葉も霖之助という男のことを好ましく思うのだ。
「さ、こうしていても仕方ないから、そろそろ行くわ」
「ん、見送りは必要かい?」
おどけたように言葉を返す霖之助に、静葉は微笑みかけ、別れの挨拶をする。
「霖之助さん。また来年、よろしくお願いします」
そう言った静葉に向かい、霖之助は確かに、最後の挨拶をするのだった。
「また来年。またのお越しを心よりお待ちしております」
また面倒ごとだろうか? 店主の森近霖之助は、店内に響き渡る音を聞いてそう考えた。
店をやっている者として、扉を開けた者をすぐに客と考えることが出来ないのが、霖之助の店『香霖堂』の持ち味であった。
「すいません、いらっしゃいますか?」
赤い衣に包まれた華やかな女性が、音のない香霖堂に声を震わせる。
霖之助はその声を聞いて、ようやく、彼女がこの時期だけに来る客なのだと頭を巡らし、毎年の挨拶を店内に響かせる。
「やあいらっしゃい。君がこの店に来ると、なんだか季節が回っていることを実感するね」
「ふふ、この店はどんな季節に来ても変わらないんでしょうね」
「いやいやそんなことはないよ。夏は涼しく冬は暖かく。季節に合わせて、店の中に物が増えるからね」
「あら、なら秋には何が増えるんですか?」
「それは勿論、豊かな食事と綺麗な景色さ。秋というのは裕福で雅な季節だからね、僕も恩恵に与っているってわけだ」
霖之助はそう言って笑う。それに釣られたのか、店に来た客――秋静葉も静かに笑い出す。
「今年も一段と綺麗だったでしょう? 結構うまく塗れたのよ」
彼女が言うのは幻想郷を赤く染める紅葉の事。美しく舞い落ちる赤い木の葉を、自らが塗ったのだと言う彼女の種族は神。幻想郷では珍しくもない、八百万の神の一柱である。
「それはもう綺麗だとも。ほかの者たちが花より団子と決め込んでいるのが勿体無く思えるぐらいにはね」
「あらまぁお上手。でも、食事を楽しむのもいいものだわ。綺麗な景色も美味しい食事も、どちらも秋の良い所。楽しまなくちゃ勿体無いもの」
そう言って静葉は笑い。それに、と言葉を付け足した。
「美味しい作物は穣子が作った物だもの、二つ一緒に楽しんでくれるのが一番うれしいわ」と。
そんな妹を思う静葉の言葉に、霖之助は静かに、しかし確りと笑みを溢すのであった。
◆◆◆
「さて、君がここに来たということは、そろそろ秋も終わりなのかな?」
秋の色が深い幻想郷を目に捉えながら、霖之助は問い掛ける。
静葉が香霖堂に来る理由は、日用品から娯楽品まで、次の秋までの蓄えを始める為であった。
「ええ。名残惜しいけど、もうすぐ冬の季節だもの。冬を待っている人もいるのだから、私はまた、次の秋までお休みね」
そう言った静葉の顔には笑顔。しかし、その笑みは少しの寂しさを伴っている。霖之助もそんな静葉を見て、少しの寂しさを覚えるのだ。
「……まあ、今すぐに秋が終わるわけでもない。楽しいことは最後まで楽しむべきだろう」
「そうね……、うん、そうよね。ありがとう、店主さん」
霖之助の気遣いの言葉に、静葉の顔に純粋な笑顔が戻る。そんな静葉の笑顔に頬の赤くなるものを感じながら、霖之助は隠すように話題を逸らした。
「何のお礼かが分からないけれど、まあ受け取っておくよ。さあ、今年はどんなものがお望みだい? 可能な限り用意して見せるよ」と。
静葉もそんな霖之助の心に気づきながら、それでも気づかないふりをして話を続ける。
「んー、それなら娯楽品がいいわ。日用品は去年のがまだまだ使えるし。今年は豊作だったから、蓄えは十分足りそうなのよ」
「ああ、この前霊夢がそんな事を言ってたな。『豊作で余ってるくらいなのに、どうして私の神社に奉納しに来ないのよっ!』ってね」
「あらあら、それじゃあ今度何か持っていってあげようかしら?」
「是非そうしてやってくれ。僕が行ってもいいんだが、あんまり世話を焼きすぎても面倒なことになりそうだからね」
慈悲深い静葉の言葉に、霖之助は是非にと勧める。
客とは言いがたい紅白の巫女だが、可愛らしい所がないとも言えない。ついつい目を掛けてしまいたくなるくらいには、彼女は霖之助にとって大切な存在であった。
……素直に大切だと言えないのが、森近霖之助という半妖の、捻くれた性格の表れなのだ。
「ふふ、相変わらず可愛がっているのね。まあ、気持ちは分かるんだけど」
そんな霖之助の言葉に、静葉がからかうように言葉を掛ける。その静葉の言葉を聞いて、霖之助の顔に憮然としたものが浮かび上がった。何時も好き勝手をしては霖之助を呆れさせる少女達の片割れである。素直に気持ちを認めることは難しいようだ。
「……まあその話は今度にしよう。その間違った認識を改めさせるには、随分と長い時間が必要になりそうだからね」
「あら、私はかまわないわよ? 店主さんとなら、そんな風に語り合うのも結構楽しそうだもの」
「君がかまわなくても僕が構う。それに、あまり時間もないだろう? せっかく二人で話せる時間があるんだ、もう少し風情のある会話がしたいね」
霖之助の何気ない一言で、からかいの笑顔を浮かべていた静葉の表情が変わる。
「……相変わらずね、店主さんは」
「?? 何が相変わらずなのかが分からないんだが。まあいいか、褒め言葉として受け取っておこう」
「あんまり褒めてないんだけど……まあいいわ、言っても理解しなさそうだし」
「む、まるで僕が石頭みたいじゃないか。どうやら君とは、ゆっくり話をしなくてはならないみたいだね」
「しないでいいわよ。店主さんは石頭じゃなくて唐変木、話をしても分かり合えないわ」
「……もっと酷くなった気がするんだが、気のせいかな?」
あまりにも直接的な静葉の言葉に、霖之助の自信というものがガラガラと崩れ去る。半妖ということで少し変わり者ではあるが、概ね普通だという評価を霖之助は自らに付していた。しかしそれが間違いだと、静葉に言われてしまったのだ。
おかしな思考を持ちながら自分を普通だという霖之助の姿は、どこか彼の妹分の姿を思い出させた。
「ま、まあ、そんなに落ち込まなくても大丈夫よ。ほらほら、こういうときはお酒でも飲んで落ち着きましょう? ね?」
自らの言った言葉によってあまりにもな落ち込みを見せる霖之助を見て、静葉は慌てて慰めにかかる。
「ああそうだね……。ちょっと待っていてくれ……、準備をしてくるよ……」
霖之助はそう言って、店の奥にある台所に向かってとぼとぼと歩みを進める。そんな霖之助の姿を見て、静葉は『失敗したなぁ』と、頭を抱えるのだった。
◆◆◆
「そんなに機嫌を悪くしなくたっていいじゃない、悲しいわ」
「何のことかな? 僕は何にも、機嫌が悪くなんてなっていないさ」
程無くして台所から戻ってきた霖之助は、表面上は平静を保っていた。しかしその心の内にはいまだに煮え切らないものが残っているようだ。
静葉はそんな霖之助を見て溜息を一つ二つ。三つ目を吐き出そうとしたところで、霖之助が口を開く。
「……まあ僕が変わり者だというのは認めよう。自己の評価というものは、客観的に見て初めて分かるものだからね」
だけど、と霖之助は言葉を続ける。
「そんな変わり者の僕とこうして一緒にお酒を飲んでいる君も、随分と変わり者なのだと思うのだがね」
言ってやったといわんばかりの霖之助の顔に、静葉は少しの腹立たしさを覚え、一息に酒を呷った後、唐変木の朴念仁にも分かりやすいように言葉を並べる。
「私が変わり者なのは分かってるわ、なんたって一年の四分の一しか外に出ないのだし。それに、貴方に会いに来る人なんて、変わり者しかいないでしょう? ましてや好きになる人なんて、それこそ稀代の変わり者よ」と。
一気に捲くし立てる静葉の姿を見て、霖之助はそれが本当の事なのだとようやく気づく。とはいえ、その『好き』という感情が恋による『好き』ではないところが、霖之助の霖之助たる由縁なのだが。
「はぁ……参った、僕の完敗さ」
霖之助はそう言って酒を呷る。深い紅葉を見ながらの酒は、静かに霖之助の体に染み渡った。
「ん、よろしい。私が毎年ここに来るのは、店主さんと一緒に美味しくお酒を飲むためなんだから。機嫌を良くしてもらわないと困るわ」
「やれやれ、だったら僕の機嫌を損ねるようなことを言わないでほしいんだけどね」
「そこはそれ、あんなので機嫌が悪くなるなんて思わなかったのよ。本当、変な人ね」
静葉が呆れるように言う。その言葉で、またも霖之助の心にナイフが突き刺さる。
「また言った……。まぁいいや、それより乾杯でもしようか。もうすでに好きに飲んでしまったけどね」
しかし今回はそこまでの威力はなかったようだ。霖之助は静葉の言葉を軽く流し、そのまま話題を変える。
「ええ、なんに乾杯しましょうか?」
静葉は微笑を浮かべながら、霖之助に問い掛ける。
「それは勿論、紅葉と一年ぶりの出会いに」
それに霖之助も笑いながら、分かりきった答えを返す。毎年一緒にお酒を飲む、二人の間の約束事だ。
二人は一緒にお猪口を手にとって、そうして静かに言葉を交わす。
「「乾杯」」
物であふれた狭い店内に、楽しげな二人の声が響き渡った。
◆◆◆
「嗚呼、空が暗くなって来てしまったな。これじゃあ紅葉を楽しめそうにない。お開き……かな?」
「そうね……、これ以上暗くなったら穣子も心配するだろうし、お開きね……」
香霖堂に乾杯の音頭が響いてから二時間ほど。二人だけの静かな酒宴は、終わりの時を迎えていた。
楽しい時間はすぐに過ぎていくもの。それは半妖である霖之助と神である静葉にも平等に、間違いのない知識だった。
「あー、そうだな。商品は何時も通り後で届けさせるよ。僕が山に入るわけにも行かないからね」
「ええ、お願いね。無理を言ってごめんなさい」
場を取り繕うように放たれた霖之助の言葉に、静葉が感謝の言葉を述べる。
「いやいや、こうして毎年来てくれるお客さんだ。これくらいはどうってことないよ」
「ふふ、何時もありがとう。貴方のおかげで、私も穣子も秋以外を楽しんで過ごせているわ」
「それは良かった。道具屋冥利に尽きるってものだね」
そう言って霖之助は笑う。自分の選んだものが立派に使われているというのは、霖之助にとってはとても喜ばしいことだった。それが大切な友人だというのなら尚更だ。
そんな風に笑う霖之助を見て静葉も笑う。こういうところで素直な男だから、静葉も霖之助という男のことを好ましく思うのだ。
「さ、こうしていても仕方ないから、そろそろ行くわ」
「ん、見送りは必要かい?」
おどけたように言葉を返す霖之助に、静葉は微笑みかけ、別れの挨拶をする。
「霖之助さん。また来年、よろしくお願いします」
そう言った静葉に向かい、霖之助は確かに、最後の挨拶をするのだった。
「また来年。またのお越しを心よりお待ちしております」
逆に霖之助は珍しく余裕が無かったですね。