幻想郷には一本の川がある。
その川は妖怪の山の湖から始まり、人間の里を横切り、そして“外の世界”へと流れてゆく。
島国本来の自然が残された川の水は非常に澄んでいて、人間の出すゴミなど一つも浮かんでいない。外の世界では幻想となった、川本来の姿である。
そんな川に梅の花びらが混じるようになった弥生の一日。桃の節句を明後日に控え、里の少女たちの間では俄かに活気付き始めていた。
菱餅や甘酒を選定する者に、飾りに使う梅の枝を切りに行く者など目的は色々だが、皆一様に笑顔を浮かべている。
その中でも一際明後日を楽しみにしているのが、鍵山雛。彼女の目的は菱餅でも甘酒でもない。雛人形だ。
桃の節句当日になると、人間の少女たちは自身の厄を人形に移し、それを川に流すことでお祓いをする。その人形を回収し、人間たちの厄を一手に引き受けているのが彼女だ。
鍵山雛は疫病神である。
彼女にとって、厄の溜まった人形はそのまま彼女の力となる。故に、雛は桃の節句で一年分の力を蓄えるのだ。
雛は現在、人々の賑わいようを見るべく里に下りてきていた。
ところが、どんなに騒がしい通りを歩いても人々は雛に見向きもしない。気付いてはいるのだが、気にしないふりをしているのだ。
(……まあ、仕方ないわね)
彼女が疫病神だということは既に知れ渡っている。厄を溜めている彼女に関わると、その人間にも厄が移ってしまう。故に里の大人は子供に『彼女に近づかないように』と教えるし、雛本人もそのことを特に気にしてはいない。
疫病神の役割は、人間の厄を集めること。その為人間と関われないのは必然的なのだ。
(二日前でも結構賑わってるし、今年も沢山集まりそう)
当日になると、川の下流部分には幾つもの雛人形が流れてくる。人形と言っても、雛壇の上に丁寧に飾られる木製の高級品ではなく、紙に人形の絵を描いて二つに折っただけの安物である。
人形本来の役割は厄を移して捨てることなのだから、安物であっても一向に構わないのだ。余談だが、これは神棚に祀る器や鏡にも同じことが言える。神様が宿れる条件さえ揃っていれば、品質はそこまで要求されない。
ちなみにこの安上がりな雛人形を提案したのは雛本人である。高級な雛人形が流行している昨今、川に流される人形が減少していた状況を改善するために発案した。
数年前に提唱された『インスタント雛人形』は、さほど裕福でない人々の間で瞬く間に広がり、今やこちらの方が主流となっている。
雛が繁華街に設置した無人販売所では、既にかなりの数が売れていることだろう。桃の節句は彼女にとって、厄以外にも実益を伴う祭典となっている。
当日に十分な期待が持てたところで、雛は里を出て住処へと帰った。
*
翌日も、雛は里に出向いてふらついていた。桃の節句を一番心待ちにしている身ではあるものの、これと言ってやることはないので正直暇なのだ。
いよいよ明日となった桃の節句を前に、一部の富裕層の間では高級雛人形の自慢合戦が始まっていた。
各々が大切な娘の為に大金を叩いて手に入れた雛人形を、これまた高級なお茶とお茶菓子でもてなしながら見せびらかすのだ。
インスタント雛人形が出回る以前から存在するこの風習は、今でも廃れていない。高級な雛人形は一つの芸術作品として受け入れられており、庶民の間でも富豪の自慢話を聞き流しながら最先端の手工業技術を観覧する機会として、変わらず楽しまれていた。
雛としては、何年も使い回されている雛人形など厄が溜まりすぎて自分でも触りたくないと思うほどなのだが、本人たちが楽しんでいるのだからそれでよいのだろう。
ふと空を見上げる雛。里の賑わいようは昨日と変わっていないが、一つだけ懸念されることがあった。
空には鼠色の雲が広がり、今にも一雨降り出しそうな気配を放っていたのだ。
(……大丈夫かしら)
このまま悪化すると、雛祭りは屋内だけで行われ、わざわざ川まで出向いて人形を流す者はいなくなってしまうのではないだろうか。
通りを歩く人々は皆傘を持っている。いつ降り出してもおかしくない天候に、雛は気が気でないのだった。
*
そして当日。
(…………)
空は真黒な雨雲に覆われ、水瓶をひっくり返したような土砂降りとなってしまった。
雨傘を携え里に出向いたが、外に出ている人などほとんどいない。皆家の中で静かに雛祭りを過ごしているようだ。
(なんてこと……)
これでは厄を溜めた人形が回収できない。年に一度の大収穫祭のつもりでこの日を待ち望んでいた雛にとって、あってはならない結末になってしまった。
繁華街の無人販売所に向かうと、今日買うつもりだった人が諦めたのか、人形はかなり売れ残っていた。販売所は屋根があるので濡れてはいないが、今日を過ぎればこの人形達など紙切れとなってしまう。
近隣の家々に目をやると、中では人間の少女たちがあられを食べたり甘酒を飲んだりしている。当人たちはそれなりに楽しんでいるのだろうが、雛にとっては孤独な疎外感しか感じない。
(人形を流しに行く人なんて……いないわよね)
道行く人の数は少なく、その僅かな人も買い出しなどが中心で、川に行こうとする少女の姿など見受けられない。
(……でも……)
一応川の様子も見ようと思ったので、とぼとぼと力なく歩きながら里を出た。
*
雨の勢いは治まることを知らず、傘を持っていながらも川までの道程で雛はすっかり濡れ鼠となってしまった。
里から少し離れたところにある川原に着くと、この雨の音すら掻き消すようなドウドウという轟音が聞こえてくる。
雨は夜中から降っていたのだろう。川は大幅に増水し、人が近づくには危ない状態になっていた。
(無駄足だったかしら……)
予想通り、人形を流しに来る者はいない。濁った水は木の枝などを巻き込みながら荒れ狂うように流れている。
今日は諦めて、もしかしたら明日流しに来る人がいるかもしれないという淡い期待を浮かべながら川原を去ろうとすると、
(? あれは……)
雛の立つ場所より少し上流。この土砂降りの中、傘も差さずに川原に立つ者が数名いる。
灰色と黄土色に満たされた川原の中で、そこだけポツンと鮮やかな赤系の色がある。
人間の少女たちだ。
華やかな着物を身に纏った十歳程度の少女が四名、全身ずぶ濡れになりながら川に近づいていった。
少女たちは水際で中腰になると、懐から紙切れのようなものを取り出した。
(……私の人形?)
距離が遠く細部まで確認できないが、やはりあれはインスタント雛人形なのだろうか。しかし、それ以前に雛には少女たちの危なげな行動が気になった。
「ちょっと、あなた達ー! 危ないわよー!」
思わず叫んでいた。少女達はビクッ! と振り向くと、こちらの存在を確認し、そして慌てたように紙切れを川に放り、一目散に逃げて行こうとしたが……
「危ないっ!」
そのうちの一人が足を滑らせ、後ろに転がる形で川に落ちそうになる。
咄嗟の事で本人も回避行動がとれなかったらしく、これはマズいと思った雛が助けようと駆け出すが、
間一髪のところで、もう一人の少女がその手を掴む。
(……よかった)
ほっと一息つく雛。三人の少女は転んだ一人をなだめている。
雛も怪我がないかなど気になったので、改めて少女たちのもとへ行こうとするが、
「……ぁ」
それに気付いた少女たちが、再び逃げ出してしまった。
「…………」
一瞬だけ忘れていた。自分の立場を。
自分は、人間から見れば、不幸の塊。
鍵山雛は疫病神である。人間と関わることは、許されないのだ。
今までそれが当たり前だったのに、何故自分は少女たちのもとに行こうと思ったのだろうか。相手に嫌がられると知っていたはずなのに。何故。
「……っ、そういえばっ……!」
あることを思い出し、川の方に目をやる。雛のすぐ近く、ドウドウと音を立てる濁流の中に、その人形はあった。
(やっぱり……私の雛人形!)
件の紙製雛人形が、泥水に呑みこまれながら流れてきたのだ。
川の流れはかなり速い。雛は慌てて飛翔し、雛人形を捕まえる。合計四つ。全て確保できた。
(わざわざこんな天気なのに流しに来てくれるなんて……)
素直な感想を抱き、雛人形を見る。
泥まみれになりふやけてしまった人形だが、雛の目にはそこにかなりの厄が溜まっていることが分かった。
(……あなた達の厄、しっかり受け取りましたよ)
心の中で呟く。勿論返事などない。だが、厄を集めることはこの世界における唯一の存在意義だ。それをないがしろにしない為にも、自分で自分に確認を取る。それが彼女の流儀なのだ。
四つの紙人形をひとまとめにしようとすると、
(……あら?)
絵が書いてある裏面、白紙の面にそれぞれ何かが書いてある。水に濡れてぼやけてしまっているが、確かにそれらはこう読めた。
『よろしくね』
鉛筆で書いたのだろう。決して達者な文字ではなかったが、それらのメッセージはずぶ濡れになった雛の心を温めるのに十分な熱量だった。
fin
その川は妖怪の山の湖から始まり、人間の里を横切り、そして“外の世界”へと流れてゆく。
島国本来の自然が残された川の水は非常に澄んでいて、人間の出すゴミなど一つも浮かんでいない。外の世界では幻想となった、川本来の姿である。
そんな川に梅の花びらが混じるようになった弥生の一日。桃の節句を明後日に控え、里の少女たちの間では俄かに活気付き始めていた。
菱餅や甘酒を選定する者に、飾りに使う梅の枝を切りに行く者など目的は色々だが、皆一様に笑顔を浮かべている。
その中でも一際明後日を楽しみにしているのが、鍵山雛。彼女の目的は菱餅でも甘酒でもない。雛人形だ。
桃の節句当日になると、人間の少女たちは自身の厄を人形に移し、それを川に流すことでお祓いをする。その人形を回収し、人間たちの厄を一手に引き受けているのが彼女だ。
鍵山雛は疫病神である。
彼女にとって、厄の溜まった人形はそのまま彼女の力となる。故に、雛は桃の節句で一年分の力を蓄えるのだ。
雛は現在、人々の賑わいようを見るべく里に下りてきていた。
ところが、どんなに騒がしい通りを歩いても人々は雛に見向きもしない。気付いてはいるのだが、気にしないふりをしているのだ。
(……まあ、仕方ないわね)
彼女が疫病神だということは既に知れ渡っている。厄を溜めている彼女に関わると、その人間にも厄が移ってしまう。故に里の大人は子供に『彼女に近づかないように』と教えるし、雛本人もそのことを特に気にしてはいない。
疫病神の役割は、人間の厄を集めること。その為人間と関われないのは必然的なのだ。
(二日前でも結構賑わってるし、今年も沢山集まりそう)
当日になると、川の下流部分には幾つもの雛人形が流れてくる。人形と言っても、雛壇の上に丁寧に飾られる木製の高級品ではなく、紙に人形の絵を描いて二つに折っただけの安物である。
人形本来の役割は厄を移して捨てることなのだから、安物であっても一向に構わないのだ。余談だが、これは神棚に祀る器や鏡にも同じことが言える。神様が宿れる条件さえ揃っていれば、品質はそこまで要求されない。
ちなみにこの安上がりな雛人形を提案したのは雛本人である。高級な雛人形が流行している昨今、川に流される人形が減少していた状況を改善するために発案した。
数年前に提唱された『インスタント雛人形』は、さほど裕福でない人々の間で瞬く間に広がり、今やこちらの方が主流となっている。
雛が繁華街に設置した無人販売所では、既にかなりの数が売れていることだろう。桃の節句は彼女にとって、厄以外にも実益を伴う祭典となっている。
当日に十分な期待が持てたところで、雛は里を出て住処へと帰った。
*
翌日も、雛は里に出向いてふらついていた。桃の節句を一番心待ちにしている身ではあるものの、これと言ってやることはないので正直暇なのだ。
いよいよ明日となった桃の節句を前に、一部の富裕層の間では高級雛人形の自慢合戦が始まっていた。
各々が大切な娘の為に大金を叩いて手に入れた雛人形を、これまた高級なお茶とお茶菓子でもてなしながら見せびらかすのだ。
インスタント雛人形が出回る以前から存在するこの風習は、今でも廃れていない。高級な雛人形は一つの芸術作品として受け入れられており、庶民の間でも富豪の自慢話を聞き流しながら最先端の手工業技術を観覧する機会として、変わらず楽しまれていた。
雛としては、何年も使い回されている雛人形など厄が溜まりすぎて自分でも触りたくないと思うほどなのだが、本人たちが楽しんでいるのだからそれでよいのだろう。
ふと空を見上げる雛。里の賑わいようは昨日と変わっていないが、一つだけ懸念されることがあった。
空には鼠色の雲が広がり、今にも一雨降り出しそうな気配を放っていたのだ。
(……大丈夫かしら)
このまま悪化すると、雛祭りは屋内だけで行われ、わざわざ川まで出向いて人形を流す者はいなくなってしまうのではないだろうか。
通りを歩く人々は皆傘を持っている。いつ降り出してもおかしくない天候に、雛は気が気でないのだった。
*
そして当日。
(…………)
空は真黒な雨雲に覆われ、水瓶をひっくり返したような土砂降りとなってしまった。
雨傘を携え里に出向いたが、外に出ている人などほとんどいない。皆家の中で静かに雛祭りを過ごしているようだ。
(なんてこと……)
これでは厄を溜めた人形が回収できない。年に一度の大収穫祭のつもりでこの日を待ち望んでいた雛にとって、あってはならない結末になってしまった。
繁華街の無人販売所に向かうと、今日買うつもりだった人が諦めたのか、人形はかなり売れ残っていた。販売所は屋根があるので濡れてはいないが、今日を過ぎればこの人形達など紙切れとなってしまう。
近隣の家々に目をやると、中では人間の少女たちがあられを食べたり甘酒を飲んだりしている。当人たちはそれなりに楽しんでいるのだろうが、雛にとっては孤独な疎外感しか感じない。
(人形を流しに行く人なんて……いないわよね)
道行く人の数は少なく、その僅かな人も買い出しなどが中心で、川に行こうとする少女の姿など見受けられない。
(……でも……)
一応川の様子も見ようと思ったので、とぼとぼと力なく歩きながら里を出た。
*
雨の勢いは治まることを知らず、傘を持っていながらも川までの道程で雛はすっかり濡れ鼠となってしまった。
里から少し離れたところにある川原に着くと、この雨の音すら掻き消すようなドウドウという轟音が聞こえてくる。
雨は夜中から降っていたのだろう。川は大幅に増水し、人が近づくには危ない状態になっていた。
(無駄足だったかしら……)
予想通り、人形を流しに来る者はいない。濁った水は木の枝などを巻き込みながら荒れ狂うように流れている。
今日は諦めて、もしかしたら明日流しに来る人がいるかもしれないという淡い期待を浮かべながら川原を去ろうとすると、
(? あれは……)
雛の立つ場所より少し上流。この土砂降りの中、傘も差さずに川原に立つ者が数名いる。
灰色と黄土色に満たされた川原の中で、そこだけポツンと鮮やかな赤系の色がある。
人間の少女たちだ。
華やかな着物を身に纏った十歳程度の少女が四名、全身ずぶ濡れになりながら川に近づいていった。
少女たちは水際で中腰になると、懐から紙切れのようなものを取り出した。
(……私の人形?)
距離が遠く細部まで確認できないが、やはりあれはインスタント雛人形なのだろうか。しかし、それ以前に雛には少女たちの危なげな行動が気になった。
「ちょっと、あなた達ー! 危ないわよー!」
思わず叫んでいた。少女達はビクッ! と振り向くと、こちらの存在を確認し、そして慌てたように紙切れを川に放り、一目散に逃げて行こうとしたが……
「危ないっ!」
そのうちの一人が足を滑らせ、後ろに転がる形で川に落ちそうになる。
咄嗟の事で本人も回避行動がとれなかったらしく、これはマズいと思った雛が助けようと駆け出すが、
間一髪のところで、もう一人の少女がその手を掴む。
(……よかった)
ほっと一息つく雛。三人の少女は転んだ一人をなだめている。
雛も怪我がないかなど気になったので、改めて少女たちのもとへ行こうとするが、
「……ぁ」
それに気付いた少女たちが、再び逃げ出してしまった。
「…………」
一瞬だけ忘れていた。自分の立場を。
自分は、人間から見れば、不幸の塊。
鍵山雛は疫病神である。人間と関わることは、許されないのだ。
今までそれが当たり前だったのに、何故自分は少女たちのもとに行こうと思ったのだろうか。相手に嫌がられると知っていたはずなのに。何故。
「……っ、そういえばっ……!」
あることを思い出し、川の方に目をやる。雛のすぐ近く、ドウドウと音を立てる濁流の中に、その人形はあった。
(やっぱり……私の雛人形!)
件の紙製雛人形が、泥水に呑みこまれながら流れてきたのだ。
川の流れはかなり速い。雛は慌てて飛翔し、雛人形を捕まえる。合計四つ。全て確保できた。
(わざわざこんな天気なのに流しに来てくれるなんて……)
素直な感想を抱き、雛人形を見る。
泥まみれになりふやけてしまった人形だが、雛の目にはそこにかなりの厄が溜まっていることが分かった。
(……あなた達の厄、しっかり受け取りましたよ)
心の中で呟く。勿論返事などない。だが、厄を集めることはこの世界における唯一の存在意義だ。それをないがしろにしない為にも、自分で自分に確認を取る。それが彼女の流儀なのだ。
四つの紙人形をひとまとめにしようとすると、
(……あら?)
絵が書いてある裏面、白紙の面にそれぞれ何かが書いてある。水に濡れてぼやけてしまっているが、確かにそれらはこう読めた。
『よろしくね』
鉛筆で書いたのだろう。決して達者な文字ではなかったが、それらのメッセージはずぶ濡れになった雛の心を温めるのに十分な熱量だった。
fin
もう少し読まれても良いような気もしますね。