Coolier - 新生・東方創想話

東方護神録 Disappearance of Protection. 第 壱 夜 『昔語り』

2013/02/28 23:59:29
最終更新
サイズ
59.16KB
ページ数
1
閲覧数
1467
評価数
1/8
POINT
250
Rate
6.11

分類タグ

※注意 この話はオリジナルキャラクターが出て参ります、そういったのが苦手な方等は戻られる事をお勧めいたします。大丈夫な方はどうぞよろしくお願いします。

















東方護神録 Disappearance of Protection.


かつてのアイツを思い出していた……――

 幻想郷の地下……雪が舞いし旧都と呼ばれる街を一人歩きながら、風神、八坂神奈子はかつて、胸に秘めし想いを思い出していた……。

旧地獄――かつては罪を犯した生命の終着であり、その魂の終焉の地として、怨念により赤黒く染まりし業火を燃やした灼熱地獄のなれの果て……あの『風神録』と称される事となった異変により妖怪の山、そして幻想郷に受け入れられ半年余りが過ぎた――外の世界ではもう得る事の出来ないであろう信仰を取り戻した神奈子は、それ故にさらなる信仰を得ようと画策した。そして新たなる信仰の為、地底に眠りしこの地獄跡を使って幻想郷技術革新を進めるべく、地上の光も喧噪も届かぬ深く暗い幻想郷の底まで降りて来たのだった。
 そして捨てられ、忘れら去られようとも、未だ終わり無きこの地獄の中で最も力があると名乗りを上げた地獄鴉に、太陽の化身である八咫烏の力を授け終わり地上に戻る際、神奈子は連れ立ってきた守矢二柱の片割れ、洩矢諏訪子を先に帰し一人だけでこの旧都に赴いたのであった。

 そうしたのは諏訪子に自分の心を悟られたくなかったから、地獄鴉に八咫烏の力を授けようとしたその時、かつての事を思い出したのだ。八百年程前、同じように妖怪に、アイツに力を授けたあの時の事を……もっとも、アイツ自身は既に己の中に力を持っていて、神奈子はそれを呼び覚まさせただけなのだが。何せあの頃のアイツは、自ら本当の自分を、本来の力を忘却の彼方へと押遣っていただけなのだから――
 でも、それでもその時の想いは神奈子だけのモノで、決して諏訪子には悟られたくはなかった……自分だけの大切な想い出なのだからと……。

 幸いにも、この地底に昼夜の概念があるかは分からないが、神奈子達が山頂の神社を離れたのが草木も眠る丑三つ時――その為だろう、いつもなら宴会で盛り上がってるだろう繁華街らしき通りは猫どころか人っ子一人いない……そんな通りを一人、頬を紅く染めながら歩く……この紅い顔が寒さのせいではないのは神奈子自身がよく分かっている。
その通りを抜け、地底の川に掛かる一本の橋に差し掛かった時、ふと気づいた――橋の真ん中から向けられる鋭い眼光、紅い瞳を輝かせた何者かがそこに居た。

「おっ?」

 その人影は橋の欄干に背を預け、顔以上もの大きさのある杯を煽っていた。近づいて来た神奈子にその杯を掲げて見せた。

「こんな夜中に一人でこの旧都を歩くなんて、豪気な奴だねぇ」
「そうだな、こんな美人が歩いてるってのにほっとくなんて、ここの奴らはなってないんじゃないか?」
「アッハッハッ、確かに!こんな上玉をほっとくなんて馬鹿さねぇ」

 声を掛けてきたそいつにそう返すと楽しそうに笑い始めた、酒に酔ってるというのならまだいいがコイツが酔ってるのはどちらかと言えば己自身にだろう。どうも強者故の余裕は今も昔も変わらぬらしい。

「そっちこそこんな夜中に一人酒たぁ、いいご身分だな」
「なぁに、さっきまで女と一緒にいたんだが、誰か来たもんだから恥ずかしがって逃げられちまったよ」

 そう言うと、橋の欄干に預けていた身体を起こし、歩み寄って来る影……神奈子自身も女性にしては上背はある方なのだが、その遥か上を行く身長、そして――

「随分と……懐かしい顔じゃないか」

 そこに立っていたのは頭に誇らしげに一本角を生やした鬼。

「久しいじゃないか、八坂刀女」
「お前もな、星熊童子」

 かつて鬼の四天王と恐れられ、地底に身を堕とした今なお幻想郷の大妖の一角を担う鬼神――星熊勇儀であった。


「まぁ上がんな」
「あぁ」

 あの後、神奈子と勇儀は再会を祝し互いに拳の一撃を見舞った……何せ何十年振りという再会であっては気持ちも高ぶろうというものだ……まぁ、見事に撃ち負けたのだが。
ふっ飛ばされこそせずとも、橋の真ん中から文字通り半壊させる事となった神奈子を勇儀は助け起こすと「再会を祝して一杯やろう」と言うのだった。
そんな勇儀の誘いを一度は断った神奈子を問答無用と言わんばかりにこの鬼は屋敷まで引き摺って来たのだった……山の四天王と恐れられたコイツに相応しい馬鹿デカイ屋敷と、怪力には自信のある自分をここまで引っ張って来る勇儀に対して相変わらず馬鹿力な上に強引な奴だと神奈子は苦笑するのだった。
玄関を抜け長い廊下を通り一番奥の大広間まで後ろをついて行く、これだけの広い屋敷で部屋もそれなり多くの部屋があるのだろうが殆ど使われていないようだった。途中で通り過ぎた部屋の中には酒瓶と酒樽が幾重にも転がっていた。

「ホント、久方振りの再会だというのに、お前さんは変わらないねぇ……」
「それはお互い様と言うものさね、ホレ」

 屋敷の一番奥の大広間の真ん中で二人向かいあって座りながら、嬉しそうに愛用の杯と同等の大きさを誇る杯を神奈子に手渡すとその杯に酒を注ぐ勇儀、そして溢れんばかりにと酒を注ぐと今度は自らの杯に酒を注ぐと、この一杯ずつで一升の酒瓶は空となった。

「最後の会ったのは確か、幻想郷が大結界によって閉じられる前だから……」
「じゃあ確か外の世の歴史だとえーっと……明治だったか、今明治何年だい?」
「明治なんてとうに終わったぞ」
「あ?そりゃ本当かい?」
「そりゃそうだろ、何たって年号は明治が始まってからはその代の天皇が崩御し、新たな天皇が践祚(せんそ)し即位するまでの期間を示してるんだ。今や明治から大正、昭和、平成と流れて、仮に明治で言うなら今は明治百四十年……流石に時は移ろい変わってしまうさ」
「アー人間ってのはホント儚く短しって奴だね、すぐにアタシ等を置いて逝く癖に数が増え、そしてアタシ等が追いやられるってんだからホント、やるせないねぇ……」
「まぁそれでも私は何だかんだで人間が好きだし、星熊……お前だってこんな地底に居たって人間に対して完全に愛想は尽かしてないだろう?」

 そう言い注がれた酒を見る、地底での酒造がどうなっているかはよく知らないが、部屋に転がっていた酒瓶と今注がれた銘柄は間違いなく人間の手による物だった。

「まぁな、酒造りに関しては人間の方が美味い酒を造ってる事が多いし……それにアタシとしてはまだ希望は捨てちゃいない。なればこそ、あの『隙間』の提案に乗りこの地底の平定、更に言えば博麗大結界による幻想郷計画にも賛同したのだからな」

 そう勇儀は酒が並々と注がれた杯を神奈子の前に掲げ、神奈子も倣って杯を掲げる。

「さぁてと、とりあえず何に乾杯しようか?」
「再会もそうだが、人間への希望ってのはどうだい?」
「いいね、それともう一つ」
「ん?」
「忘れちゃならないあの妖怪達ってね」
「隙間に麒麟に一反木綿――」
「そしてアイツ、塗壁……だろ?」
「……あぁ」

 そして天井に、否、地底を越え、妖怪の山や冥界、天界すら越え大結界をも越えた先へと向ける様にの杯を掲げ、叫んだ。

「あの愛すべき馬鹿共に!」
『乾杯!』

 それからは語らずとも分かるだろう。何せ風神と鬼神の酒宴である、酒を交わす回数、空いていく酒瓶、腹に収まっていくツマミの数々……どれを取っても博麗神社での宴会一回分に相当するのではという量である。
 酒の肴はお互いの今までの、幻想郷が大結界で別ってからの事をツマミにし始めた。勇儀は主だって地底での事を、神奈子は外の世界の事を語る。そして信仰を失いここ、幻想郷に渡って来て博麗の巫女と一戦交えた事を語るのだった――

「……成程ねぇ、博麗がまだ続いてるってことは『隙間』の奴も息災ってことかい」
「まぁな、来る時世話になったものさ……胡散臭さも相変わらずだから安心しな」

 「そうかいそうかい」とホントに楽しそうに杯の酒を飲み干す勇儀、しかしその杯に一度覆い隠された顔が、酒を飲み干すと真顔になって表れた。

「で、八坂、あんたが来たってことはアイツも一緒なのかい?」
「アイツって、諏訪子の事かい?」
「違うさねぇ、分かってんだろ?」

 そう身を乗り出す勇儀……その長身をしならせながら近づいてくる様はさながら猫を彷彿とさせる……この場合猫というより虎である。

「どっかの虎も、これぐらい迫力があればね……」
「何か言ったかい?」
「いや、何でも……」

 そう言い俯きながら杯に酒を注いでいく、その杯に映った神奈子の顔は惨めに見えた。

「アイツなら来なかったよ」
「何?何でだい?」
「来る前に……挨拶には行ったけどね」
「誘わなかったのかい?」
「誘った、誘ったけどな……」

 そう、あの時、幻想郷に向かう前日、神奈子はアイツに会いに行った、挨拶ではなく共に幻想郷へ渡るよう説得するために……その結果――

「振られちまったかい……」
「まさに、神風特攻にて玉砕って奴さ」

 そう気丈に振舞っても酒に映った神奈子の紅い瞳は潤んで見えた。

「アイツは……」
「アン?」
「自分は護ることしか出来ないってさ」
「ハン、まだんな事言ってんのかい、アイツは?」
「千年前から変わってないよ、アイツは……」

 アイツは外の世界でも、この幻想郷でも妖怪達の力関係の均衡を司り、そして幻想郷創造と大結界の構築に関わった大妖でもあるのだ……。

「ったく、『隙間』……否、『八雲』の奴もこういう時に限って――」
「流石の八雲も、龍神には逆らえんさ……」

 なんせアイツが護っているモノのは二つ、その内の一つが大結界構築の際、八雲紫を含めた妖怪の賢者と強力な大妖達が荒れ狂う龍神に誓った約束である。

「確かにそれもあるだろうがねぇ……」
「お前も分かってるだろう、かつてアイツ等と肩を並べたお前なら」
「でも今までのアイツの功績、八雲だったら尚更分かってるはずだろう?」
「かつての四天王なら、だろ?でもその四天王も……」
「一人行方不明、残る三人の内一人が外、一角を担った私が地底じゃ無理もないか……」

 「あぁ~っ!腹が立つねぇっ!」と唸る勇儀、強い酒を杯には注がずそのまま瓶で煽り飲み干した。

「かつての日本四強も……その名を轟かせたのもいつぞやの昔という訳さね……アイツだってその勇名はまだ残ってるだろうに……」
「そうは言ってもな、星熊……」
「……何だよ」
「お前が人々から忘れされつつあるように、私が外で忘れ去られたように……アイツの事なんてこの幻想郷と言えど、一握りの妖怪位しか憶えちゃいないよ……」
「そうなると八雲だけか……今尚、人々からも妖怪からも恐れられてんのは」

 そう言いつつ勇儀は立ち上がり、部屋の奥から一本の酒瓶を取って来た。

「さて、こいつぁアイツとの再会まで取っとくつもりだったが……まぁ仕方ないさね!」

 勇儀が取り出したのは希少中の希少酒、幻の銘柄『護神』である。何せそれを仕込んだのがアイツであり、神奈子の知るところ、この世に七本しかない……それを神奈子が飲んだのはアイツと最後に会った別れの夜である――

「さぁて、次は何に杯を交わそうか?」
「そんなもの、決まってるだろ」

 そう言い二人で杯を高く、地底の天井より高い、博麗大結界より外に向けて掲げた――

「何度だって杯を交わしてやればいい!アイツの為なら何度でも」
「あぁ、アイツにっ」
『護神壁羅にっ!』
『乾杯っ!!』


 この時、誰が予想しただろうか……この外に残った妖怪『護神壁羅』を中心に、幻想郷に生きとし生ける者全てを飲み込む陰謀の渦が、既に唸りを上げ徐々に蝕んでいようとは夢にも幻想にも思いもしなかった……
そして、博麗大結界ですら守れない敵が現れた時……もう一つの結界が最後の砦となるという事も――


『博麗大結界が幻想と現実を別つ結界であるならば、護神大結界は幻想と、そしてそこに集いし者を護る結界なり……』


第 壱 夜 『昔語り』


「それにしても惜しいねぇ」

 そう呟きながら、杯に残った酒を飲み干す勇儀。さっき開けた銘酒『護神』を注ぎ合いながら二人で飲み交わしているとそう呟いたのだった。

「惜しいって、酒の事かい?」

 先程開けた銘酒『護神』……この酒は壁羅が蒸留した焼酎であり、この世に十六本しかない希少な酒ではあるが、その酒も今では知る限り三本は無くなっている……正確にはその内の一本は幻想郷に渡る前に壁羅と飲んだのだが。
 壁羅が私の誘いを断った後に、旅立つ祝いにとこの酒を開け、一緒に飲み交わした。あの時の壁羅の顔を忘れることは出来なかった。

「んな訳ないだろ、壁羅の奴さ」

 勇儀の言葉でハッと我に返る……後味の切れるこの酒もこの時ばかりは美味くないのだろう、再び杯に口をつけた鬼神の眉間の皺が一層険しくなる。

「アイツが、大恩あるアンタの誘いを蹴るたぁね」
「言ったろ、アイツは約束を重んじる奴だからね」

 そう言い飲む酒はやはり、いつもの切れには程遠い後味を残して喉の奥へと消えていった……神奈子の本心をも飲み込んで。

「博麗大結界で外の世界と別つ際、荒れ狂う龍神へ誓ったあの日から……一時たりともその言葉を忘れはしなかったさ」
「そりゃアタシや八雲も同じだろうさ、アタシはこの地底で、そしてあの八雲紫も健在と言うならな」
「そう、そしてそれは壁羅にも言える事さ。なんたって――」

 あの日……この幻想郷と外界が『博麗大結界』により別たれようとした日。
 博麗神社からその境界が引かれようとしたその瞬間、突如空に暗雲が立ち込め、大粒の雨と凄まじいまでの風が吹き始めた。
 姿は見えねども、その空には怒り、荒れ狂う龍神がいたのだろう……龍の咆哮にも似た雷鳴が轟く中、妖怪の賢者や大妖怪、神々が空に向かって誓いを叫んだあの日。

「全てを愛し、全てを受け入れながら、この変わりゆく世界を見守っていきます」

幻想郷を最も愛し、最も恐れられた妖怪が叫ぼうとも――

「例え敵として再び相まみえようとも、いつか必ず酒を飲み交わせるならば、私は人の敵であり続けよう」

 最も力を持ちながら、人に裏切られた鬼が拳を掲げようとも――

「私は何があろうとも、私情に流されず公明正大に、白ならば白、黒ならば黒と裁きます」

 死神に支えられ、この地に降り立った閻魔が訴えようとも――

「忘れ去られたモノがこの幻想なる地に集うというのであれば、いずれ我ら神も忘れられるやもしれぬ――なればその時まで、信仰の限り我が宿命としてこの地に力を貸そう」

 外の世界に残ることを決めた軍神が誓おうとも、決して龍神の怒りは収まらず、状況は悪化していくだけ……。
 誰もが諦め始めたその時、最後の一人……忘れ去られ妖怪にまで堕ちた神が進み出た……そして――

「あの日の誓い……『俺はこの幻想郷に仇なそうとする者から幻想郷にいる全てを護ろう』って誓ったんだからな」
「あれが決め手だったんだろうね……見守る事とは別に護るという事を護りの権化が叫び、最後は八雲の一言だった」
「『私と、ここに集った者は皆!この地を!幻想郷を愛しているのです!』……だったな」

そう言い、杯を覗き込む神奈子……酒に映る顔は毅然とすれど、そこはかとない淋しさを湛えていた……胸の中にある想いは今にも溢れだしそうになっている。

「壁羅の奴は私等鬼に似てるさね……頑固で約束は破らないし、おまけに怪力で頑丈とあっちゃな」

 そんな神奈子の心中を察してだろうか、勇儀がそうポツリと言った……怪力乱神と恐れられるほど力自慢な勇儀ではあるが、こういった繊細さも持ち合わせているのだ。

「そうだな。鬼は嘘を嫌い、塗壁は護る事を己が信条とする――似て否なる様だがそれが生き様でもあるってとこは同じだな」
「そうだな、類は強友を呼ぶってね。そう考えるとますます惜しいんだよねぇ」

 勇儀は本当に楽しそうに、勇猛かつ獰猛な笑みを浮かべた。数千年前より変わらない強者の笑みである。

「私とガチで殴り合える奴なんざ、アンタを入れてもこの指で数えるほどしかいないさね」
「鬼の四天王入れてもかい?」
「あぁそうさね」

 そう言い指折り数え始めた勇儀。

「まずアタシを除いた鬼の四天王、それにアンタと壁羅、あとは八雲の式の九尾だろ。あぁ、あと風見の奴もいたか」
「あの花の大妖かい……あいつには私も壁羅も手を焼かされたものだわ」
「だろうねぇ、アタシが本気を出せる数少ない奴だしな」
「それにもう一人、虚空がいただろ?」
「――あぁ、忘れるところだったさね。全くあの神獣崩れ、どこ行ってんだか……」
「本当にな」

 そこまで言うと神奈子は口をつぐみ杯につけ、勇儀は杯を置いた。

「そうなるとホンットに日本妖怪四強も形無しだね、こりゃ……アタシだけならまだしも、壁羅だけが外の世界、虚空に至っては行方知れずたぁ締まらない事この上ないさね」
「残る八雲も幻想郷にいるとあっては日本もへったくれもないがな」
「そういや虚空の奴、何て誓ったんだよ?龍神の怒りの矛先……アイツにも向いたろう?」
「さぁてね、どんなだったか……」

 膝に肘を置き、握った拳の上に顔を乗せ目を瞑る――瞼の奥にはあの日の光景、アイツの背中……境界の妖、鬼神、亡霊、死神に閻魔、そこまでは鮮明に思い出せるのだが肝心なあの男の姿が思い出す事が出来ない。
元は大陸の聖獣で、かの日の元の國にて神獣と崇められし存在……『麒麟の虚空』を。
 あることから勇儀が言う『神獣崩れ』とされ、妖怪として語られるに至ってはいるが、それでも神とされた獣の威厳をこの國、そしてこの幻想郷の語られぬ歴史に刻んだ男であったが。

「アイツの姿自体を思い出せないな」
「……まぁ無理もないか。麒麟だった頃の姿すら朧な上に、妖堕ちしてからはあの鵺と勘違いされた程だからね」
「でもあれだな、そう考えると神格級の奴らの集まりだった訳だ、日本妖怪四強は……」
「八雲紫、護神壁羅、そして虚空黎夜、それにこの星熊勇儀を含め全員が神と崇められたり、もしくはそれに匹敵する力を持ってたんだからね。というか、アンタがその四強の創生に一枚噛んだんだろうが、八坂?」
「まあ……な」
「あの時は信じられなかったものさ、なんたって神が妖怪にちから助力を求めるとは思いもしなかったからねぇ……たとえ、それが國を護るためといえど……ね」
「私は唯、自分が何者かを忘れた神に、妖怪としても生きていける様に、かつての神としての力を取り戻させただけ、四強はその時、偶然にも大妖怪が集ったに過ぎんさ……」
「そうかい……そういや、一度聞いてみたい事があったんだよ」
「ん、何だい?」
「壁羅との馴れ初めさ」

 その瞬間、その場の空気が凍ったかの様に止まった。正確にいえば神奈子が固まっただけなのだが。

「なっ馴れ初めってそんな!!」
「おやおやおやぁ、妬けるねぇ」

 ニヤァと愉しそうな笑みを浮かべ、慌てふためく私を肴に別の酒を瓶で煽る勇儀、それをみて顔を真っ赤にしてるであろう大きな胸を自らの呼吸で波打たせる自分……大きく深呼吸をし、これ以上ない位に胸を張り気を落ち着かせ口を開いた。

「一体何だってんだい、ったく」
「まぁいいじゃないか八坂、色恋沙汰に色めくたぁアンタも女だねぇ」
「ッ――からかってんじゃないよ」
「アッハッハ、いやスマンスマン、しかし壁羅との出逢いってのは中々刺激的だったんだろ?」
「……まぁな」

 そう言いながら天を仰ぐ、思い出すのは勇儀に再会するまで思い返していたアイツの事……そういえば――

「アイツ、壁羅との出逢いも再会ではあったのさ」
「へぇ、それはますます興味深いね」

 そう言いつつ勇儀は『護神』を手に取った……酒の中身もあと僅か。

「昔語りの最後の一杯さね、この『想い酒』は」
「なかなか洒落た事言うねぇ、星熊」

 そう言う勇儀から受け取った杯を覗き込む……酒に映る私の顔は今も昔も変わらぬ顔なのに、あの時の顔を見ている様だった……私の顔が映ったこの酒が杯から無くなった刻、アイツへの気持ちは落ち着くのだろうか。

「……語ろうか、この八坂神奈子と護神壁羅の神遊びを――」




 八百年程前 日本 玄界灘――丑三つ時の博多湾。

 暗雲が空を覆う博多の砂浜には、大破した夥しい数の船が打ち上がっていた……形状を見る限り大陸の船が大半を占めている……築かれた防壁の様な物はその殆どが薙ぎ倒され、辺りには潮風に混じり若干の血の匂いが立ち込めている。
 その大破した船の殆どが、この世の物とは思えない力で破壊され、折れた刀や弓が針山地獄を織りなし、夥しいまでの血が滲みこんだこの惨劇の浜を一人の人影が、月明かりも無いまま歩んでいた。
 何故この様な光景が広がり、そしてその人影――八坂神奈子がこの場所にいるかといえば答えは一つしかない――

『元寇』

 大陸の國である『元』が、日本の実効支配の為挙兵した戦争……玄界灘、博多湾で開戦した戦争は、元軍の圧倒的兵力と鉄砲等を用いた戦術を前に苦戦を強いられ、日本軍は防衛の要である太宰府までの撤退を余儀なくされた。
 これにより元軍は博多を占拠、日本軍の敗北は決したように思えた……その夜までは。 その夜、雲一つ無かった玄界灘を突如、激しい嵐が襲った。荒れ狂う大波、襲い来る強風、鳴り響く雷鳴に大粒の豪雨は闘いを終え軍の高官が負傷し一時撤退を余儀なくされた元軍、そして元からの援軍に大打撃を与え結果元軍は総崩れし、占拠した博多への追撃を諦め完全撤退をせざるを得ない状況となった……。
 この大嵐こそ、後に日本を神国とまで呼ばせた『神風』である。そしてその神風を吹かせた神こそ八坂神奈子だったのだ――

 唯、日本に奇跡を呼び寄せたこの神風は元より元軍への追撃の意図は無かった、あくまで神の風は人間への影響は少ない。
元軍の船が沈んだ理由、それは血に飢えた『モノ達』の仕業であり、神奈子が吹かせた神風はその『モノ達』を払う為の物だった。しかしその神風ですらその『モノ達』を防ぎ切ることは出来なかった……なんと、その荒れ狂う神奈子の嵐の中を突破したモノがいたのだった。

 ふと、その光景の中を進んでいた神奈子が立ち止まった……そして暗雲の立ち込める空に右手を挙げた――すると先程までの分厚い雲が引いていき、雲の割れ間から月の光が差し込みだした。
 月光に照らし出されたその場所は大きく開けており、その砂浜には船の残骸等は殆ど無く、代わりに無数の穴が開いていた、そして――そこは先程までの惨劇の場所など霞んで見える程の凄惨な光景が広がっていた……まさに地獄絵図の様な場景が――

 月が映し出したその場所に、約十尺百貫はあろうかという異形の死体が転がり、蛇の化け物の首は眼を見開きながら真っ二つに裂け、捥げた腕は弱々しく身体を探して蠢いていた。
 砂浜に飛び散ったおぞましい色をした鮮血は腐臭を発している……さらに異様なのは、その亡骸の殆どが何か壁の様な物に塗り込められていることだった。それはまるで墓石を無規則に並べた無縁墓地さながらの光景が広がっていた。
 何にせよ、この國にこんな異形共はいないことだけは確かである……その血に触れてようとした時――

「触んねぇ方がいいぜ、毒みてぇなもんだからよ」

 その声のした方に振り返ると異形を塗り込めている壁に腰掛ける影が……全てを映し出すはずの月の光はその影を照らしておらず姿を確認出来ない。声は若干高いが、男で間違いないのだろうが。

「……お前がやったのか?この異形共を」
「あぁそうだ、コイツ等見ての通り大陸の妖怪共でな、元軍の侵攻に乗じてここに攻め込むつもりだったのさ」

 そう言うとその男は腰掛けていた壁から降り、月の光に照らされている私に近付いて来た。

「アァン、アンタ……女か?しかしこんなとこに来るなんざ豪気な姐さんだ……危うく惚れちまいそうだぜ」
「生憎、軟派で軽い男は眼中に無いよ」
「カカカっ、つれないねぇ」

 近寄るにつれ、その男の姿が月の光により曝され始めた……私に勝るとも劣らない背丈、赤黒く硬そうな髪、破けた着物、筋骨が逞しい身体つき……しかし何より目を引いたのは――

「その傷は……」
「あぁ、これか?」

 視線に気付き、ソイツは自らの左頬を撫でた……左頬全体にひび割れの様な疵が入っており、左目は閉じられていたのだった。

「こりゃ俺が俺である証なのさ……っと、そういや名乗ってなかったな」

 そう言うと、その男は恭しく頭を下げ名乗りを上げた――

「お初にお目に掛かる、名など立っちゃいねぇが以後お見知りおきを!妖怪、塗壁の壁羅たぁ俺の事だ」

それが『軍神』八坂神奈子と、妖怪『塗壁』の壁羅との邂逅であった。


「塗壁ねぇ、こんな男がその正体とは恐れ入ったわ」
「何だ、噂の妖怪がこんなイイ男で驚いちまったのかい?」
「馬鹿も休み休み言いな。ただそうだねぇ、塗壁なんてのは妖術を覚えたての狐狗狸がやるまやかしだと思ってたのは事実だねぇ」
「そりゃ痛いとこついて来やがるな……」

 そう言いながら頭を掻く壁羅を、横目で覗き見し、呟く。

「やっぱり、ね」
「ん、何か言ったか?」
「いや、何でも。しかし……」

 壁羅より目を逸らし辺りを見回すが、やはり何度見てもおぞましい光景としか言いようがない……息絶えた異形共の中にどうもこの國古来からの妖怪は誰一人として居ない様だった。

「日本の妖怪はお前だけかい、塗壁の?」
「あぁそうだ。何か知らんが、昨日の嵐は俺以外の日本、正確に言えば筑紫の妖怪なんだがまぁ耐えられなかったようでな、一反木綿……俺の仲間な、ソイツが飛ばされたりして大変だったぜ」

 「まぁ、それは大陸の妖怪も同じだったようだがな」とカラカラと笑う壁羅。だがその瞳は笑っておらず、刺すような視線を私に向ける。

「あの嵐のおかげで元の妖怪共は力を削がれた、それは俺にとっちゃあありがたい事さ」
「だったらそれでいいじゃないか、何にせよ大陸の妖怪共を打ち倒したんだからな」
「ところがそうもいかねぇんだよ、あの風からは妖力とは違う何かの力を感じた。何故か、懐かしい感じがしたんだがな……」
「へぇ……」
「なぁ姐さん、アンタなんか知ってんじゃねぇか?唯の女がこんな物騒な処に来るなんてあり得ねぇからな……」
「例えば何だってんだい?」
「例えばそうだな……」

 壁羅は神奈子を睨みつけながらにじり寄って行き、目と鼻の先まで顔を近付ける……互い首を取ろうと思えば一瞬で決まる距離である。

「大陸の妖怪だとか……な」

 そう言い視線を外さない――外せない二人――月は雲に覆い隠され、ただ見えるのは互いの紅い瞳孔のみ……瞬きすら出来ないまま刻だけが過ぎていく。

「カカッ、冗談だ、冗談……そんな怖い顔するなよ、折角の美人が台無しだぜ?」

顔の火照りも収まらず、抱き締められていたので顔は見られていないとしても、自分がどれだけ顔を紅くしているかと思うとまた恥ずかしさが込み上げてくる……そう神奈子が思っていると――

「月が隠れてて良かったぜ、今顔真っ赤だからよ」

 暗闇に目が再び慣れてくると、壁羅が自分の手を見つめていた。

「悪いな、姐さん強そうだからさ、つい調子に乗っちまったよ」
「……性質が悪いね」
「悪かったよ……」

 そう言いながらも、ずっと自分の手を見つめ続ける壁羅。

「壁羅……?」
「でかいな、約四十尺か」
「何の話だいっ!?」

 手を握ったり開いたりする壁羅に掌打を喰らわす神奈子だったが、難なく片手で受け止められた。死角であろう左頬を狙わなかったのは甘かったか、壁羅はずいっと神奈子の顔の眼と鼻先まで顔を寄せた。

「カカカ、可愛いねぇ」
「~~、離しなっ」
「あいよ」

 壁羅はあっさりと手を離すと、神奈子から顔を逸らし、異形の死骸を片付け始めた……巨大な亡骸をいとも簡単に持ち上げ運んで行く。

「手伝ってやろうか?」
「気持ちは嬉しいがやめとけ。姐さんが何者かは知らねえが、触ると爛れちまうぜ?俺は何故だか平気だけどよ」

 それこそ難なく亡骸に触れる壁羅だが、流れ出る体液は猛毒の血である……迂闊に触ればタダでは済まないことだろう。

「それに、ここにいやがるとコイツ等の新手が来るかもしれねぇし……」
「奴等なら来ないよ」

 ハッキリと、断言するように壁羅の言葉を遮った神奈子。その顔は先程までとはうって変わり、戦を前にした武者の顔つきに変わっていた。

「お前だけならまだしも、今ここには私もいる……大陸の妖共もそこまで馬鹿じゃないさ」
「どういう意味だ?」
「教えてやろうか?」

 そう言うと神奈子は両腕を空に向かって振り上げた……すると空は荒れ、雷が轟き始めた……その雷と共に――

「な……っ!?」

 それはにわかに信じがたい光景だった。突然風が吹き荒んだかと思うと、空から高速で迫る物体が飛来したのだから。

「っぶねぇっ!」

 間一髪でそれをかわし、壁羅が飛び退いた瞬間、その物体が異形の亡骸に命中し爆ぜ砂埃が上がった。
その砂埃が収まると異形は跡形も無く消え去り、後には大きな穴が開いておりそこには――

「なっんだってんだよ、こりゃ……」

 その爆発の中心に一本、巨大な柱の様な物が突き刺さっていた……その柱は六角柱の形を成していて注連縄が締められていた。

「これは……まさか『御柱』か?」
「その通りさ」

 壁羅が慌てて振り返ると先程までそこにいたはずの神奈子の姿は無かった……地に足をつけてなかった。

「驚いたかい、塗壁の壁羅?」
「……あぁ、驚いたさ」

 空を見上げた壁羅の目に映ったのは、雲から覗く月を背に、注連縄を結わい、六本の御柱を携え宙に鎮座する神奈子の姿があった。

「成程な、その力、大和の神だったとは……畏れ入ったぜ」
「そう、大和の神で風を操る軍神だよ。昨日の嵐も私が起こしたものさ」
「そうかよ……そういうことなら一つは納得がいくぜ。あの力は妖力ではなく神力だった訳だ……だが」
「その前に、一ついいかい?」
「何だよ?」
「お前は勝手に名乗りを上げたけど、私はまだ名乗っていないのさ……お前が勝手に姐さんって呼ぶからねぇ」
「……俺とした事が、そんな大事な事を忘れるとはな……よほど好みの女だったもんだから興奮してたぜ」

 そう言い互いに苦笑する神奈子と壁羅、しかしその笑みが消えるとそこには――

「この名っ、心に刻め!我は諏訪を統べし大和の軍神なりて、風と乾を司りし蛇神!八坂神奈子!いざ参るっ!」
「来なっ、返り討ちにしてやるよっ!」

 圧倒的神力と威圧感を放つ軍神と、髪の毛を逆立て妖気を発する妖怪がいた。
すると神奈子を中心に神力を纏いし風が吹き始め、空からは雷鳴が轟いた……そして壁羅の周りからは砂が逆巻き、空も海も大地もこれから始まる決戦を前に震えだした。

「神祭『地鎮結界・オンバシラ』!」

 まず先手を取ったのは神奈子、小手調べと言わんばかりに先程と同じく御柱を壁羅に向け飛ばした――しかし、壁羅は避けようともせずその場に手をつき叫んだ。

「『塗壁護壁』!」

 その声と共に地面より巨大な壁が地響きを鳴らしながら現れ、御柱はその障壁に阻まれ轟音を響かせた……神奈子はそれを瞳孔を細めながら睨むように見ていた。

「やるじゃないか、塗壁の。私の御柱を止められる奴なんざ、同じ神でもそうといないものさ」
「御褒めに与り光栄だがな、何故こんな事をする、八坂の神よ?」
「さぁてね……私に勝てたなら教えてやるよっ!」

 そう言うと神奈子は再び『神祭・オンバシラ』と叫んだ、しかし今回は一本ではなく残りの五本を全て壁羅に向け飛ばした。

「『塗壁護壁』!」

 壁羅も先程と同じように地中より自らの分身である壁を出現させた……しかし先程と違い今度は五本、その全てがけたたましい轟音を鳴り響かせた時、その堅牢な壁に亀裂が入ったがなんとか持ち堪えた……壁羅も流石にまずいと思っていたようで、安堵した表情を浮かべた瞬間――

「休んでる暇は無いよっ、『神風乱舞・槍風』!」

 神奈子の神力により生み出された風の槍が壁羅に向かい、唸りを上げながら突進していった……。
虚を突かれた壁羅は壁を出す事も出来ず、御柱で亀裂の入った障壁は跡形も残さず粉砕され断末魔の叫びの様な音を立て崩れ去り、砂と共に土埃の柱を上げ砂の雨を降らせた……。
そしてそこには御柱の残骸と、砂浜を抉った巨大な穴に波が押し寄せては溜まっていく……そんな大きな水溜りだけが残った砂浜に、壁羅の姿は無かった。

だが――

「危ねぇとこだったぜ」

 先程までいた所より少し離れたところに突如壁が現れ、その壁から壁羅が抜け出てきた……間一髪、呼び出そうとした壁に自分自身を塗り込み、地中を潜り風の槍をかわしたのだった。

「たく……流石は風を操る神……それに軍神に蛇神まで司ってるなんて反則だろ……」

 悪態を吐きながら辺りを見渡す壁羅……空のどこを見渡しても神奈子の姿は消えていた――

「どこへ行きやがった……?」
「ここさっ、よそ見してんじゃないよっ!!」
「ぐっ!?」

 完全に死角、壁羅が抜け出てきた背後の壁を砕き神奈子は壁羅を捕らえた……両腕で組み合った壁羅だったが、勢いに乗った神奈子の――いや、勢いに関係なく神奈子の金剛力に押し負け、砂浜に長い踏ん張った足跡を残した。

「この……っ!」
「どうしたんだい壁羅、女の細腕に押し負けちまってるよっ!」
「これが……細腕って言うのかよっ!?」

 確かに、筋骨隆々な壁羅の腕に比べれば細腕とも言えるのだろうが、それでも神奈子のは女性としては程良く筋肉がついた腕をしている……。
先程抱きあった時も顔は近かったが今度は立場が逆である――神奈子の顔には余裕の笑みが浮かんでおり、壁羅は歯を食いしばり神奈子の怪力を食い止めていた。

「このっ馬鹿力がっ!」
「そういうお前も中々やるじゃないか、私と力で張り合えるのは鬼神と呼ばれた天逆毎(アマノザコ)位なものだからな」
「怪力……乱神かっ!?そんな伝説と比べられても……なっ!」

 遠い昔名を馳せた、伝説の大江山の鬼神と比較されるほど自身が強い妖怪でない……そう壁羅は思ってきた。

しかし――

「いいや、お前もアイツに並ぶほどの奴さ、何たって……と、それは勝ってからじゃないと言えないけど、ねっ!」
「うぉっ!?」
「さぁさ、休んでる暇なんて無いよっ!」

 そう言うが早いか神奈子は組み合っていた壁羅の腕を引いた……当然押し合っていた壁羅は急な引きに対応出来ず、神奈子に体を預ける形になった。

「約40尺……当たりだよ、どうだい私の胸の感触は?」
「~~っ、今それどころじゃねぇっ」

 神奈子の豊満な胸に飛び込む形になり顔を赤くした壁羅だが、神奈子に腰を掴まれ投げを討たれた。それを何とか耐えた壁羅だったが、足を掬われ態勢を崩しそうになる……そこを神奈子は見逃さず一気に押しに転じた……それはまるで――

「チッ、これじゃあまるで……」
「気付いたかい?私は風、戦、蛇の神であり、相撲の神でもあるのさっ!!」
「……何でも信仰かっ!大和の神は昔から信仰集めに余念がねぇよなっ!?」

 神奈子の突進を止め攻めに転じようとする壁羅……しかしその胸には先程からの疑念が実感として浮かんだ。
昔から?何故、大和の神が信仰を集めている事を知っていた?
そして何故俺は、神奈子の神力に懐かしさを覚えたのか?俺は一体……何だったんだ?

「考え事して攻め手を休むたぁ、なめられたものさねっ!」
「なっ……しまっ!?」

 動きの鈍った一瞬の隙を突かれ、壁羅は神奈子に砂浜に叩きつけられた……しかしそこで終わらなかった。

「……っんの野郎っ!」

 地面に叩きつけられたながらも壁羅は神奈子の服を掴み、その反動を利用し神奈子を投げ飛ばした……俗に言う『巴投げ』である。
 神奈子は耐えきれず壁羅に投げ飛ばされた……その時再び二人の視線が交錯する――こともあろうに、神奈子の顔には笑みが浮かんでいた。
 ドォンッ!と大きな音がして壁羅の腕が砂浜にめり込んだ。だが手応えは無く、壁羅の腕の中には神奈子の上着が残されただけだった……。

「いやぁ、危なかったよ」

 神奈子は壁羅と距離を取り、腕組みをし立っていた――上着を脱いで壁羅の投げをかわした為サラシ一枚で仁王立ちである。

「絶景だな……って違うわっ!?上着ろ上!?眼福だけどなっ!?」
「本音と建前を一緒の声の大きさで喋る奴だな……なぁに、着物の一枚や二枚構いやしないよ、むしろ動きやすくなっただけさ」
「~~だったら!」

 そう言うと壁羅も自分の上着を破り捨てた。尤も、最初から殆ど破け切ってはいたが。

「……何してんだい?」
「女一人にイイ格好はさせられないっていうのかな、負けず嫌いなもんでね」
「そうかい……しかしそれにしても」

 神奈子は壁羅の体を見つめた……夥しいまでの傷が身体中あちこちに残っている。

「凄い傷だな……」
「誇りさ、俺のな……塗壁の壁羅としての、な……護るってことだけは昔からな」

 壁羅はそこで口を噤んだ……昔からっていつだ?塗壁として昔から護ってきたのは間違いないのだ。
でもそれ以前から何かを護ってきたのではなかったのか……?
 この傷だって塗壁として、他者を護って出来たものばかり、なのにそれ以前からある様な傷もあるように思えてならない……顔の傷がそうである。

「何かを……思い出せないような顔をしているな。壁羅?」
「あぁ……何か引っ掛かりやがるんだよ、アンタといると。今まで自分の中で信じてた物が揺らいでいく、そんな感じがするぜ……」
「知りたいかい?」
「……知ってんのか?」
「言ったろう……私に勝てば教えてやると、なぁっ!」

 刹那、神奈子は壁羅との距離を一気に詰めて回し蹴りを喰らわせた……間一髪それをしゃがんでかわした壁羅に足を薙ぎ払おうとするがそれも壁羅は腕の力で飛び上がりこれを回避する。
 その後は顎を砕くような飛び膝蹴り、腹を狙った横蹴り、大技の胴回し回転蹴り……。
目にも止まらぬ神奈子の嵐の如き脚技により壁羅もかわすのが精一杯、かわせなければ腕でその強烈な蹴り技を防がざるをえない状態に陥った。

「グッ!」
「ほらほらほらぁっ!どうしたんだい壁羅?護ってばかりじゃ勝てないよっ!!」

 神奈子の脚技の嵐に完全に防戦一方の壁羅……いくら頑丈な塗壁といえど、腕による打撃より数倍の力を誇ると言われる脚技の嵐を耐えきれるものではないのだ。
少しずつではあるが神奈子の蹴りが壁羅に命中し始め、徐々に後退し始めた。

「クッ……八坂ぁ!いい加減にしねぇと見えちまうだろうがっ!?」
「苦し紛れにそんなこと言っても負け惜しみにしか聞こえないよっ!」

 確かに、神奈子のスカートの様な着物は脚を上げる度に翻り危うく中が見えそうになっている……だが――

「それにそんなことに気を取られていいのかいっ!?」
「!?」

 瞬間、神奈子の右脚が壁羅の左顔面を一閃した。誰が見てもその一撃必殺の技が完全に決まったように見えた。
しかし、神奈子の表情が曇る……何か違和感を感じたのだ……手応えが無さ過ぎる……。


「捕まえたぜぇ……八坂ぁっ!」

 顔面に命中した神奈子の右脚を左手で掴む壁羅。脚技の弱点は蹴り技を繰り出す際、軸足のみで体重を支えなければならないことにある……故に――

「片脚を取られると途端に不利になるんだよな」
「クッ、何故だ!?」
「流石に効いたがな……軍神の蹴りなんざ貰うもんじゃねぇが……この場所が砂浜で助かったぜ、足元を見てみな」
「なっ……」

 神奈子が足元を見ると、壁羅と自分を中心とした砂浜がまるで流砂の様に二人の脚を飲み込んでいた。

「何だってんだいこれは……」
「簡単な事だ、こういった砂と水の多い所で大きな振動を与えてやれば流砂が起きる――それに脚を取られちまえば、一撃必殺を誇る技も体重が乗らず威力が落ちちまうものさ」
「振動だと?そんなものは――」
「感じなかっただろうな。この為にアンタの蹴りを受け続け、気取られぬようここまで誘導したんだからよっ!」

 壁羅のその叫びに呼応して、二人を囲むように壁が迫り出してきた……この壁が地中で振動することでこの流砂を起こしたのである。

「いつの間に……こんな!?」
「アンタが蹴り技しか使って来なかったからな……足元を崩しさえすれば勝機はあると思ってたのさ」
「だが、それはお前も一緒だろっ!立ってる場所は同じなんだぞ!」
「苦し紛れにそんなこと言っても負け惜しみにしか聞こえない……ってのはアンタが言った事だろう、八坂?この状況じゃ、片脚のアンタと両脚で地を踏みしめた俺との差は大きいぜ?」
「……このっ」

 神奈子が苦し紛れに放った手刀を、壁羅は掴んだ神奈子の脚を横に引き、態勢を崩させただけで威力を弱めた……首を狙った手刀は命中すれど大した痛手を被ることは無かった。

「言ったろ……片脚じゃ体重を掛けることすら出来やしない――ましてや脚を掴まれていてはな」
「なら離しなっ!」
「あぁ、離してやるさ……この一撃をくれてやったらなっ!」

 壁羅はそう言うと右の拳を堅く握り締めた、その拳に妖気が集まり始めた――

「女を殴るのは心痛いが……アンタ相手じゃ手加減抜きだぜっ!」

 妖気により紅く染まった拳が熱を帯びてきた……腕の皮膚が隆起し鋭利な棘の様相を呈してきた。


「それがお前の、塗壁としての最大の力かい?」
「あぁ、こんな大技、アンタじゃなきゃ使ったりしねぇよ……神奈子」

 壁羅は体を捻り、力を込めた右腕を後ろに回した。しかしその眼だけは神奈子を見据えていた……。そして――

「喰らいなっ!奥義!『振動撃・波状』!!」

 音も無く爆ぜた――そんな表現が似合う光景だった……壁羅の拳は神奈子の腹の鳩尾を撃ち付け、神奈子は声にならない悲鳴を上げた――
 メキメキ――その音が振動となって身体を駆け巡っていく……それに合わせ内臓が圧迫されていくのが分かる、骨が突き刺さり激痛が走る……。
唯それだけでは終わらなかった……。

「グゥッ……ガハッ!?」

 第一の衝撃が過ぎ去ろうかという時、殴られた個所から第二の衝撃波が走ったのだ――そしてそれは、第三、第四と身体を駆けていき、しまいには闘いの場を囲っていた壁に叩きつけられた。

「……地震ってのはよ」

 そんな神奈子を見つめながら、壁羅は呟くように言った。

「地中深くで衝撃が起き、その衝撃波がそこから地表へ伝わって起きるんだぜ……俺の奥義はその地震を疑似的に起こすものなのさ。
無論、これを肉体に向けて放ちゃあ大抵の奴は消し飛んじまうが、神体のアンタなら立てなくなる事はあっても死にはしねぇだろう……?」

 壁羅がそう言ってる間に、神奈子が叩きつけられた壁はその神奈子を中心に窪んでいき、遂には砕け去った――
 皮肉にも、壁を支えにするようになっていた神奈子は、勢いの衰えることのないまま砂浜に突っ込み、ドゴォォンッ!っという轟音と共に上がる砂埃で神奈子は見えなくなった

「痛っ……」

 壁羅が右肩を押さえ、左脚を引きずりながら神奈子のいるであろう場所に近付いていく……。
この奥儀は相手に大打撃を与える代わりに、自分にも地震の反動が返って来る諸刃の剣……元々神奈子の強烈無比な脚技の連続を喰らっていたのもあるが、それでも一撃を放った右腕と、それを支えた左脚の損傷は計り知れない――「折れたな」……それだけ思った。

「神奈子、大丈夫かよ……?」

 その脚を引きずり、砂埃が未だ立ち込める跡を覗き込む……そこには――

「……っ!?」

 いるはずの、倒れているはずの神奈子が消え去っていた。

「まさか……仕留められなかったのか?」
「そうさ」

 壁羅がバッと振り向くと、そこには空に浮かぶ神奈子の姿があった。

「嘘だろ……効いてないのかよ」
「馬鹿言うな……お前が仕留めそこなっただけさ……よく見てみな」
「……ッ」

 神奈子は自分の腹を指した――そう……神奈子の腹は壁羅の一撃を持ってして貫通していた。

「流石は塗壁の壁羅……かつての力は健在のようだね。でも、最後の詰めが甘かったな」
「何……だと?」
「一撃を見舞う際、手加減しただろう?」

 冷や汗こそかいてはいるが、神奈子は不敵な笑みを浮かべた――

「無意識なんだろうがな……そうでなければ、私はこうしてなどいられない……」
「俺は手加減など……っ」
「……昔からそうだ」

 神奈子は溜息をつき、瞼を閉じた……再び目を開き、壁羅を見つめるその眼差しは慈しむ様な眼だった。

「昔からだ、お前は……妖怪になってもまるで変わっちゃいない――」
「妖怪に、なっても……だと?」
「……っと、お喋りが過ぎたか」

 そこまで言うと、神奈子は先程の不敵な笑みを顔に浮かべた……まるで――

「決着をつけようじゃないか、壁羅」

 神奈子は右脚の膝を上げ、そして踵を自分の頭上、天高く掲げた――

「私の伝家の宝刀さ……!」
「……それがか?」
「そうさ、これで諏訪の土着神をも地に這い蹲させたのさ……」

 「尤も、アイツは蛙だから当たり前といえば当たり前なんだがな」と神奈子はカラカラと笑う……残された力はお互い僅か。

「最後の……神殺しの一閃という訳か」
「あぁそうさ……私の本気を受け切れるかい?」
「アンタは、俺の最強の奥義を受け切ったからな……」

 壁羅は一度俯いた……顔を上げた時、壁羅もまた不敵な笑みを浮かべていた――

「さぁ来な神奈子っ!お前の本気、俺が受け止めてやるぜっ!!」
「あぁ、だがその前にお前に伝えておきたい事があるんだよ」
「何だよ改まりやがって……告白でもする気かよ?」
「似たようなものさ……何せ、お前に関わる事だからね」
「俺の……?」

 訝しげな顔をする壁羅を、右脚を天高く掲げたまま見下ろす神奈子……月光に照らされるその脚の、なんと艶かしく、懐かしい事か――

「懐かしい?……うっ!?」

 壁羅はそう呻くと頭を抱え込みその場に膝から崩れ落ちた……頭の中に、記憶の無い光景が……まるで過去を遡る走馬灯の様に溢れ出してくる。
そうだ、俺は――かつてこの情景を一度見ている……遠い昔、俺は眼の前にいるこの神と対峙した。
 それに今、この神は諏訪の土着神と言わなかったか?俺は何かを忘れているのか……諏訪……土着の神……祟り神……ミシャクジ……信仰……鉄の輪……大和神……侵攻――『     』様!!

「……グッ……アァァァ……っ」

 壁羅は頭を大きく振り腕を見つめ、顔をうずめた……叫びにならない声が喉の奥に響く。

「何でだっ!?何で俺は……っ」
「思い出したようだな……」
「なっ……馬鹿な……それじゃ、俺は……一体何だったんだよ……?まさか……塗壁と化す前が――」
「あったのさ……塗壁に成る前がな……」
「じゃあ、じゃあ俺は……俺がやってきた事は――」
「だから言ったろう……お前は何も変わっちゃいないってさ……」

 神奈子の言葉に、両腕に顔をうずめていた壁羅が顔を上げる――

「お前はかつて、土着の神の中でも最も護りに秀でた神……土着の祟り神の王を守護したその力故、道祖神となり護り神として人々に崇められた神――
あることで信仰が薄れた道祖神として神堕ちし、そして妖怪と化し……護るという神だった頃のことだけは忘れなかった為に塗壁と成った。それがお前さ、壁羅――」
「俺が……神?」
「そう……そしてお前は、人の祈りによって力を得ていた。あの時もそうだった――」

 そう言いつつ、神奈子は首から下げた鏡に手を当てた……その鏡は確かに、壁羅の見覚えのあるものだった――

「その鏡はまさか……諏訪の神宝のっ」
「そう……『真澄の鏡』さ」

 『真澄の鏡』――古くから諏訪地方に伝わる神器であり、真澄とは澄み切ったという意味がある……それ故、『真澄の鏡』は映った者の真実を映し出す鏡だと信じられてきた――

「見な、壁羅っ……これがお前の真の姿――そして、お前の知りたかった過去さっ!」

 神奈子は手に取った真澄の鏡をあろうことにも空高く放り投げた――月の光に照らし出され影と反射する光を交互に見せながら宙を舞った……。
 するとどうだろう、月より高く舞った鏡が宙で止まり輝き始めた……そこに映し出されたのは――

 辺りは煙につつまれ燃え盛る炎は、暗い夜を赤々と染めた……その炎に照らされる人影……その男は鉄の剣を握り、地に跪き空を睨みつけた……。
 空には神力の風と御柱を纏った女……その女は右脚を空高く掲げると、それを跪いた男に向かい振り下ろした……しかし男の眼は諦めていなかった……命を引き換えにしても、せめて脚一本でも……そんな眼だった。
 しかしその思いも虚しく、振り上げた剣は砕け、強力な一撃は男を捉えようとした――

 『死――』

刹那、死をも覚悟した男の目の前に一人の女が現れた……『洩矢の鉄輪』と恐れられた武具を手に、その女は敵対者である女の蹴りを受け止めていた――敵の女は急に現れたその女にも、蹴りを受け止めた武具にすら驚く事も無く、ただ蛇を思わせる笑みを浮かべ余裕の声でこう言った……。

「漸くお出ましかい……諏訪の神、ミシャクジ達を束ねし土着の頂点!洩矢諏訪子よっ!」
「随分な御挨拶ね……大和の神は侵略ばかりの野蛮な神ばかりみたいだな……八坂神奈子っ!!」

 対峙した二人の神――かくして決戦の火蓋を切って落としたこの戦は、吹き荒ぶ風……地より這い出るミシャクジと刺さる御柱……飛び交う鉄の輪は藤の枝に絡め取られ朽ちていった――
 こうして土着の神である洩矢諏訪子は大和の神、八坂神奈子により倒され、長くに渡り諏訪の地を治めてきた神は変わった……対外的には。
 諏訪の国の人々は、かつてからの祟り神でもある諏訪子への畏怖と尊敬の念を忘れようとはせず、新たな大和の神である神奈子を受け入れようとはしなかった……。
 それ故神奈子は、国中では諏訪子と別の神を混合祭神とし信仰を得る事とし、対外国にはあたかも自身が支配したように見せかけた――
 ただそれでも人の営みにさほど影響はなかった……それは神が一人、この地を去っても同じことだった……。

『護れなかった責めを取り、土着の一柱の位を返上する――』

 それだけを書き残し、諏訪の大地を去った神がいたのだ……。

 ――真澄の鏡はそこまで映すと、再び眩いほどの光を放ち、別の光景を映し始めた……。
 それは、暗雲の空より降り注ぐ滝の様な大雨により、人々の生活にかかすことの出来ない川が氾濫した光景だった……。
 荒れ狂う濁流とかした川は地を削り田を襲い、木々は薙ぎ倒され家を押し流した――
 逃げ惑う人々は、村の小高い丘にある小さな神社に集い手を合わせ一心不乱に祈った―――

『どうか、どうか私達をお護りください』と……。

 しかし無情にも、牙をむいた龍の如き濁流はとうとう鉄砲水とかし、人々の最後の希望である神社を襲った――人々の叫びは激しい雨音によりかき消され、鉄砲水は容赦なく人々をのみ込んでいき、神社は倒壊した……。
 雨が止み水が引いた後に残ったのは、人々の祈りの残滓だけだった――

 やがて……押し流された神社の御神体が川を下り海岸まで流れ着いた。

『護れなかった……大切なものを、信じてくれた者達をまた護り切れなかった』

 そんな悔悟の思いは御神体の神の神格を堕としめた……皮肉にも、壊滅した村の人々は長年村を護ってきたこの御神体を探そうとはせず、信仰は薄れていき……やがて神は妖となった……それが――

「遠賀は芦屋の海岸に夜な夜な現れる妖怪、塗壁となった訳さ……」

 語り終わり、輝きを失い落ちてきた鏡を受け止める神奈子――壁羅は全ての真実を知った後、顔を手で覆い隠し微動だにしなくなった……次に言葉を発したのは――

「そうか……そうだったな……」

 覆い隠した指を顔から離し、神奈子を見た壁羅の顔には生気がなく、眼からは光が失われた……そして語り始めた。

「俺はかつて、諏訪の地を守護する土着の神の一柱だった……永くあの地を護ってきたが大和の神――アンタが侵略してきた時……諏訪の人々と我らが王、洩矢諏訪子様の盾となるべく闘いを挑んだが敗北した――
 その後アンタは諏訪子様を倒され、あの地を治めた。かつてからの神々はそのまま残されることとなったが、俺は自責の念から土着の神の位を諏訪子様に返上し、あの地を去った――」

 壁羅はそこまで語ると言葉を切った……眼に光は戻らず、涙すら流れない……。

「それから俺は南に下り、流れ着いたあの村で小さな神社の御神体として祀られ、そこでも守護神とされ祈りと尊厳を持って慕われた――
 しかしある大雨の日、村の近くを流れる川が氾濫し村を襲った……俺はそこでもまた、信仰を捧げてくれた者達を護り切れなかった……俺自身も気がついた時には海岸まで流されていた……。
 俺は悔いた……結局俺は何一つ護れず救う事も出来なかった――それでも神かっ、信仰を得るだけ得、護るべき者達を護れず人々を裏切った神だ……っ!!
 ……それから数百という歳月が経ち、俺は神であった事を忘れ、妖怪塗壁として生きてきた――それが俺の真実だったんてんだから笑えるじゃないか……」

 壁羅は堰を切った様な語りを終えると狂ったように笑い始めた――夜の静寂の中、海岸に乾いた笑い声が響き渡る……。

「……笑えないね」

 神奈子の声に壁羅の笑い声が止んだ。見れば神奈子は静かに壁羅を見つめていた――その表情は憐れみとも怒りを抱いている様にも見える。

「笑えないんだよ……お前がこうなった様に、私達だっていつかはそうなるかもしれないんだ……忘れられた神は堕落し妖怪と化すか、消滅するしかないのだからな……」
「でもアンタは俺じゃない!俺は変わった――」
「言ったろう?お前は何も変わっちゃいないって」

 神奈子のその言葉に驚愕する壁羅――

「何を言ってんだ神奈子っ!?変わっちまったんだよ俺は何もかも……何も護れやしない俺に同情など――」
「ならば何故、お前は塗壁となったっ!!」

 神奈子は左腕を上げ御柱を呼び出した……唇を噛み締め眼は潤んでいる。

「お前は塗壁になって何をしてきたっ!?海岸で行先を塞いだだけか?違うだろっ!!
お前が行く手を塞いだのは人が海に落ちないようにする為、お前は自らも知れずに人を護ろうとしてきたんだ――
 お前は無意識に忘れたはずの護るという意思を!信条をその心に持ち続けてきたんだっ!!」

 震える声でそう叫ぶ神奈子……紅い眼からは涙が零れた――

「それなのにっ、お前が誰も護れないだって?ふざけんじゃないよっ!お前の力は誰よりも私が知っている――
 だから……そんな事言うなっ!!」

 神奈子はそう叫ぶと掲げた右脚を振り下ろし、御柱を壁羅めがけて投げつけた――壁羅はそれをかわそうともせず、また壁を呼び出そうともせず、御柱は大きな地鳴りと共に壁羅を直撃した……
 立ち込める砂埃の中、悠然とそびえ立つ御柱以外の物は消し飛んだ――かに見えた。

「……ォォォォォォ――」

 唸り声のような音……それに呼応するように大気が震える――

「……オオオオオオオオ――」

 その声が大きくなるにつれ、震えは大地をも揺らした。

「ウオオォォォォォォッ!!」

 突如、御柱が轟音と共に砕け散った……砕けた御柱の破片が舞い散る中、一人の人影が立ち上がった……。

「……そうだったな」

 そこにいたのは先程までの失墜した神のなれの果ての姿ではなく、己が宿命を受け止めた男の姿だった――腕は隆起し岩の盾のような形状となり、右腕には『塗』、左腕には『壁』の文字がはっきりと見える。それはまるで、己の存在を強く誇示するかのようだった。

「俺はここに、護るために来たんだったな……」

 眼には再び光が、心には炎が、胸の中には強い意志が宿った……揺るがない信条がである。

「礼を言うぜ、八坂神奈子……アンタがいなけりゃ、アンタでなかったら俺は――」
「礼などいらんさ、私はお前の生きてきた意味を説いたに過ぎないからね……それに、私にも心残りがずっとあったのさ」

 神奈子は今一度空に舞い、その右脚を天高く掲げ言った……妖艶なまでの美しさを魅せながら、気品と力強さを感じさせるのは流石軍神といったところである。

「かつて諏訪が最も恐れられた理由、一つは祟り神である洩矢諏訪子……さらにはあの時代では先進的だった鉄の武具、そして――『護神』と謳われた土着の武神の存在……その護りは長く大和の神を苦しめてきた。
だがあの時、私はお前と対峙し後もう少しで軍神と武神、どちらが戦神として相応しいか決着を着けられるところだったが……諏訪子が邪魔してくれたからね」
「……確かに、あの時俺は諏訪子様を護らねばならないのに庇われちまったからな……」

 壁羅はバツが悪そうに頭を掻いた。

「決着……つけねぇとな」
「あぁ……だがその前に一つ問おう」

 神奈子は壁羅を見据えた、その眼光は鋭かったが、同時に慈しむ様な眼差しでもあった。

「己自身を見据え、答えは見つかったのか……」
「あぁ、アンタの言葉通りさ、神奈子……俺は何も変わっちゃいない――変わる事はなかったんだからよ……」

 「結局そうなんだよな……俺は」――そう苦笑する壁羅……「昔からだよ、お前不器用だったからな」と神奈子も苦笑した。

「分かってんだろ神奈子?」
「お前の事ならばな、壁羅」

 二人の視線が再度交わる――己が想いを、相手の心を悟ったからこその決意と祝福が為……

「俺が俺である前に――」
「お前がお前であろうとするならば――」

『唯一つ、己が信条を――』

「護り抜くぜっ!!」
「護り切りなっ!!」

 二人の叫びが響き渡った――すると空を覆った暗雲は晴れ、月がその全貌を露わにした……一切の欠けもない、純銀の輝きを放つ満月が海の向こうへ沈もうとしながら、今宵の激闘の終焉を彩る為に二人を照らす――今、決着の時が来た……。

「さぁいくよ壁羅っ!これで決着だァッ!!」
「来やがれっ!乾坤一擲、最後の力でなっ!!」

 そう叫ぶと神奈子は壁羅に向かい一直線に降下していく――その速度はどんどん加速し、空を裂いていく――壁羅は岩と化した腕を振り上げた。

「喰らいな壁羅っ!いや『護神壁羅』!!これが私の気持ちだぁっ!!」

 神奈子の振り下ろされた右脚が壁羅の両腕に炸裂した――地響きのように鳴り響く轟音は周りの物を全て吹き飛ばした――
 神奈子の蹴りを耐える壁羅だったが、神奈子の想いが込められた蹴りは重くまた鋭く、壁羅の頑強な盾となった腕を粉砕し、両腕を弾き飛ばした――
 両腕を弾き飛ばされた壁羅の頭上に神奈子の踵が炸裂する……普通ならばその一撃で地面に叩きつけられてもおかしくないのに壁羅はそれに耐えた――
空が裂かれ、大地が揺れ海が割れた一撃を放った神奈子は空中でくるりと回り壁羅との距離を取って立った……左脚だけで。
 壁羅の頭を撃ち抜いた一撃が、神奈子の脚すらも粉砕してしまったのだった。

 『グラリ』。壁羅がよろめき、前のめりに倒れこみそうになり、膝が崩れかけた――

「――ガアァァッ!!」

 右脚を踏みしめ頭を振り、体を後ろに仰け反らせ壁羅は神奈子を見た――歯を喰い縛った為に口からは血が流れ、頭からの出血も止めどなく流れ出た……
 それでも、眼だけは死なず心も折れてはいない―― 一瞬の中の永遠が確かにそこにあるかと思えるほど、永くも短い刻が過ぎた――

「カハッ……カカカ……ッ――」

 突如、壁羅は笑った。先程まで歯を喰い縛っていた口元に笑みを浮かべ楽しそうに、心の底から嬉しそうに言った。

「効いたぜ神奈子……流石は軍神といったところだぜ……っ」

 それだけ言うと、壁羅は背中から砂浜に倒れ込んだ――

「負けたぜ……っ!!」

月が沈みゆく光に照らされる中、その言葉で軍神と護神の千年もの間決着のなかった闘いが今、終焉を迎えた……それと同時に神奈子を倒れ、辺りは静寂につつまれた……。

「――面倒なことになったね……こりゃ」

 そんな砂浜に突如、人影が一つ現れた。月の光を浴び赤々と光る髪、壁羅と神奈子に並ぶような上背と神奈子に勝るとも劣らない豊満な胸、紅く鋭い眼光をした女が立っていた……しかし何より目を引くのは――
 肩に乗せた大鎌が鈍く光り妖しく輝く、そんな大鎌を軽々と振ると振り回しながら女は溜息をついた。

「まったく、神ともあろう者が二人揃って旅立とうなんてな……あぁ、一人は既に妖怪か……」

 「面倒だねぇ」と再度呟きながら女は二人に近付く……地に伏した二人は微動だにしない。

「まずいねぇ、もう三途に近いよ」

 女の溜息がさらに重くなる……「やれやれ」と髪を掻き上げ諦めたように言う。

「神格の位になると魂だけになっても自我があるからねぇ……暴れ出すと厄介なもんさね……。しかもそれ故に強力な『死神』が川を渡すことになるからなぁ、下手するとアタイの方が危ないしねぇ……まぁ船頭が迎えに刃向かうなんてのは滅多に無いにしろ、気を引き締めないとねぇ」

 髪を掻き上げた手を離し、女は欠伸を一つした……弱気な発言とは裏腹に、やる気の無さげな態度には余裕が見て取れる。

「面倒だけど、新しく就く閻魔様の頼みとあっちゃあね……流石のアタイもやらない訳にはいかないさ――」

 それだけ言うと、女はその場から一瞬で姿を消し、砂浜には再び静寂が訪れた……。


 あぁ、光が見える――
 何か浮いてる感じがするな……俺は飛べないから分かんなかったけど一反の奴、こんな感じなんだろな……
 先に川が見える――
 その向こうには百花繚乱の花畑が見え誘っているように思えた……

「行ったら最後、帰って来れないよ」

 ――誰だ……俺を呼ぶのは……?

「アタイの事はどうでもいいさね……それより見なよ」

 ――何だ、アイツ等……?

「あーやっぱり、刈り崩れの奴等だ……」

 ――知ってんのか?

「一応同業者なんでね……さてと」

 ――どうするつもりだ?

「アンタを助けるのさ、壁羅……アイツ等はアタイが引き受けるよっ」

 ――待て、それじゃお前が……

「心配しなさんな、そこいらの死神にやられはしないよ」

 ――しかし……

「八坂の神は帰ったよ……アタイが来る前に戻っていた」

 ――神奈子が?

「そ、そして言ってたさ……『壁羅を頼む』ってなぁっ!」

 そう言うが早いか、女は壁羅を突き飛ばした。

「行きな壁羅っ!そして生きなっ!!」

 ――待て、お前は……

「安心しな……このアタイがあんな雑魚に後れを取るものかねっ!!」

 ――ならばせめて名前を聞かせろっ……

「アタイかい?名乗るほどじゃないが……地獄が誇る三途の送り手っ!死神・小野塚小町たぁアタイの事だよっ!またいずれ、逢おうじゃないか!!」

 そう言い残すと、小町は向かってくる二人との間合いを一気に詰め迎え撃った……その姿が見えなくなると同時に、周りの景色も見えなくなった――


「……目、醒めたかい?」

 体を勢いよく起こしたのだろう、頭が揺れるが……意識が鮮明になってきた――
 そこは先程までの花畑ではなく、激闘のあった砂浜であった……隣を見れば神奈子が太陽の光を眩しそうに見つめていた。

「ようやくお帰りかい……ったくあの死神も何やってんだか……」
「神奈子……俺は一体?」
「アイツ言ってただろう?死神だって」

 神奈子は少し棘のあるような言い方をした。

「まさか小野塚に借りを作るなんてな……私等は三途を渡るところを危うくアイツに助けられたのさ」
「はぁ……?」
「ったく……死神ってのは生死を司ってはいるが神格としての位は低いんだよ……。
 ただアイツ……小野塚小町はその死神でも最も神に近い奴で、私としても何度か敗北してる相手なのさ」
「神奈子と並ぶとなりゃ神だろ……」

 それからは二人して苦笑しながら語り合った……千年来の親友の様に笑いながら。

「じゃ、諏訪子様も健在なんだな?」
「あぁ、相変わらずケロケロ五月蠅いがね」

 「そうかぁ」と嬉しそうに呟く壁羅、その顔には少し寂しさが見て取れた……。

「何だい壁羅……諏訪子の顔でも見たいのかい?」
「まぁな……だが今更合わせる顔がな……」

 壁羅は暗い顔をする……

「俺はアンタに敗れあの地を去った身だし……」
「私がお前を倒したのはたった今さ……それに諏訪子が今更そんな事気にするタマかい?」
「それはまぁそうだが……諏訪子様は坤を司っておられるからか妙なとこで大らかなところがあるからな……」
「だったらいつでも諏訪の地に来るといいさ……それか出雲大社の集まりでもいい。歓迎するよ」
「……そうだな」

 そう言い壁羅は笑った……去ってから今まで、無意識に逃げてきた事を謝るのが筋というものだろう。

「謝りに行くかぁ……酒でも持って」
「そうしなよ、諏訪子も喜ぶだろうからさ」

 神奈子も嬉しそうに言う、そして――

「それにしても偶然ってのは恐ろしいね……大陸の妖怪を討伐の為に赴いたのに、まさか壁羅、アンタに再会するんだから……」
「そのことだけどな神奈子……偶然じゃあねぇんだよ」

 真顔で言う壁羅の言葉に驚く神奈子。

「偶然じゃないってどういうことだい?」
「運命って言えたら格好いいんだがな……偶然じゃねぇんだよな……」
「あぁもうじれったいねぇ、さっさと言いなっ」

 煮え切れない壁羅に業を煮やした神奈子が先を促した。

「実はな……俺が元の妖怪の襲来を知ったのはある妖怪から聞いたのさ。『三日後、大陸の妖怪達が攻めて参りますわ』――とな……そうでなければ俺はここにはいなかったろうな」
「へぇ、それは驚きではあるがね……しかし何者だい、その妖怪ってのは?」
「確か化け狐を従えていたな、後は空間の裂け目から何か出して来やがったがな、名前は確か……」
「八雲紫っ!?」
「あぁそれだ……って知ってるのか?神奈子」
「知ってるも何もっ!?」

 神奈子は座り直し、驚愕した表情で語り出した……。

「八雲紫……日本妖怪でも屈指の実力者と言われる大妖怪。妖怪の賢者ともされ知識と妖力に秀でており、その能力はあらゆるものの境界を操るという……果ては鬼や天狗の祖先とされる天逆毎とも一戦交えたってのまでは知っていたが――その従えてたとかいう化け狐……恐らくは九尾の狐だよ」
「九尾って……あの天竺と呼ばれた国や元より遥か昔の國である殷、そして――」
「百年程前、朝廷の帝に取り入ったとされる絶世の美女『玉藻の前』だろうな」
「しかし奴は陰陽師に討たれ、那須の地で殺生石に……」
「八雲の事だ……下手をすると朝廷にでも恩を売っときたかったか……葛葉だっ!!」
「確かにそうだが……まさか、葛葉!?」

 物思いに耽っていた神奈子が急に立ち上がり叫んだ、壁羅は驚き仰け反った。

「何だよいきなり……それに葛葉ってのは……?」
「あぁ、葛葉ってのはこの國に古来からいる狐でな……人と交わり子を成したとされる伝説の妖狐さ」
「それが何だってんだ?」
「その葛葉の縁者が八雲に助力を仰いだんだろう……葛葉は八雲の後見人だったともされてるしな……」
「いやだから、その縁者ってのは誰だよ?」
「それは……誰だっていいだろ今は!とりあえずは八雲が九尾を従え抑える事で、朝廷へは狐は那須の地にて打ち倒し、その骸は賽の河原に、魂は殺生石へと封じ込めた……どうせ手頃な石を依代にでもしたのだろうが――それで約束を守った事にでもしたんだろうな」
「何だってそんな事……」
「さぁな、アイツの考えは読めん……何せ妖怪でありながら、かつて神であったお前や天逆毎とも違うのに――神をも凌駕するとされてる奴なのさ……八雲紫は」

 神奈子は語り終わり、壁羅は押し黙った……。

「しかし、だとしたら……何でそんな奴が俺に――」
「偶然じゃなく必然、か……八雲の奴、恐らくお前の正体……過去を知ってたな」
「そういや……『貴方が塗壁である以上、その闘いに赴く事が貴方の存在意義でもあるのです』とか何とか言ってやがったぜ?」
「そうか。だとすると、何か企んでるようだな……」

 神奈子は立ち上がり、同時に壁羅も腰を上げた――太陽に照らされた砂浜に打ち寄せる波が激戦の跡を消していく。

「悪いな壁羅……もっと語り合いたいところだが、八雲が動いてるとなると悠長にしてられないからな」
「そうか、寂しいな……」
「言ったろ、いつでも会いに来ればいいさ……酒は持参が礼儀だがね」

 神奈子は太陽を背に、その輝きに勝るとも劣らない笑顔でこう言った――

「またな、壁羅……必ず会いに来なよ」
「……あぁ、必ず約束は『護る』からな」

 そう二人が約束を交わすと同時に、一陣の風が吹き抜けた――風が吹き去った後、そこには人影は無く、ただ誰かがいた事を感じさせる足跡が波によりかき消されていった……。



「――それが、私と壁羅の馴れ初めだったよ」
「へぇ、感動的じゃないか!そうかぁ、アンタと壁羅にそんな馴れ初めがあったなんて思いもしなかったさねぇ」

 神奈子が語る中、ずっと黙り杯にも口を付けなかった勇儀――神奈子の語りが終わり、その想い出にでも乾杯するかの様な仕草をした。

「誰にも。諏訪子にだってここまで話した事は無いさ……もしかすると八雲は見てたかもしれないが――」
「流石の隙間もそこまでやぶさかじゃないとは思うがね……そこら辺はアイツも乙女だろ?」

 「大丈夫だろ」と神奈子に笑顔を向ける勇儀……流石は四天王だった間柄の大妖怪、説得力があった。

「それにしても羨ましいねぇ……壁羅とそんな胸高鳴り心躍る様な闘いをしたなんて……」
「お前がそれを言うのか星熊、お前だって壁羅とやり合っただろうが」

 羨ましそうに呟く勇儀に神奈子が噛みついた。

「やり合ったさ、四番目に。アンタならともかく八雲の狐と小野塚に先を越されたのが悔しいさねぇ」

 そう言うと護神の酒が入った杯を置き、近くに置いてあった酒瓶を手に取り一気に飲み干した勇儀の眼は据わっていた。

「それでも八雲の狐は本気じゃなかった――というよりも牽制に近かったし、小野塚にしろ戯れ程度だったらしいじゃないか……本気で死闘を肉弾戦で繰り広げたのは私と星熊、後は風見とかほんの数人だろ?」

 神奈子はそんな勇儀をなだめる様に言った……これは壁羅自身が言ってたので間違いない……それに――

「それに私との闘いにも引けを取らない――それこそ後世に語り継がれる激闘を繰り広げただろうが、忘れたのかい?」
「忘れる訳無いだろっ、あんな愉しい想い出がそうあって堪るかねっ!」

 勇儀はダァンッ!と右脚で床を踏み込んだ……途端、屋敷が大きく揺れる……が、そんなことはお構いなしに勇儀は続けてこう叫んだ――

「アイツとの闘いは私にとって大事な、大切な記憶だからねっ!望みとあらば思う存分語ってやるさっ!……と言いたいとこだが――」

 「今はやめとくさね、酒も切れたし」と勇儀が言うのと玄関先から「この馬鹿勇儀いいいいいいいい!!」と言う絶叫が響くのはほぼ同時だった。
「また橋を壊してええええ!!」と叫びながら丑の刻参りの正装で乗込んできた橋姫に五寸釘を脳天に打ち込まれながらもヘラヘラ笑う勇儀は「ゴメンゴメン、今から直すから」と言って橋姫をひょいと肩車すると

「じゃあ、今日はここまでだな」

 と言って橋の方面へと大股で歩いて行った、「私を肩車するなんて妬ましい!五寸釘に打たれても平気なのが妬ましい!!私以外の女を連れ込んで……!!」等と喚き叫ぶ橋姫が勇儀の肩の上で揺れていた。

 私はその様子を見送りながら風となり姿を消した、橋姫は「いくら渡る者がいないからって壊すなんて妬ましい」と言っていたがその橋が必要になる日が近い事を彼女は知らない。
 橋を直す勇儀はその事を知っている、力を授けた彼女は……言っても分からなさそうだったがまぁいい、事が起きればおのずと事は進む……そしてそれをアイツが望んだ、それがかつての仲間である八雲が望んでいなかったとしても。
 地底の上から臨んだ景色は山の上から見た人里と何ら変わらない光景に見えた……人と妖怪の違いはあれど神である神奈子から見れば皆生きている者達である。それが迫害され蔑まれた者達だとしても……。

 ――この語らいから一週間後、突如噴き出した間欠泉と怨霊の調査の為、地底封鎖後初めて『正式』な理由で人間が地底世界へと降り立つ事となる……そして見事解決された異変は『地霊殿異変』と命名されると共に、地上と地底との交流が徐々に開かれていった。


 しかしそれは同時に新たなる異変と、幻想郷と外の世界を揺るがす異変の幕開けでもあった……。
約10か月ぶりです、ホントご無沙汰致しまして大変申し訳ございません、終焉刹那です。
長期不定期連載ってこういう意味では無かったのですが……どうしても精神的な問題等でかなり間が開きました……次回は3月中更新の予定です。
終焉刹那
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.160簡易評価
5.90名前が無い程度の能力削除
非常に面白かったです。世界観の描写が一貫しているので、オリ設定に無理なく説得力が出て一気に面白くなりますね。

強いて言うなら、バトル描写が冗長かなとは感じました